伝統板・第二
先祖供養 ③ - 伝統
2019/03/24 (Sun) 04:34:28
《桜の花はどこから咲くか》
*「美と健康の創造」(P102~104)より
桜の花が美しく咲いて人によろこばれるのは、
一ぺんに、どこからともなく花が出て来たのではない。
それは根があり、幹があり、枝があり、葉があり、
その根が、幹が、枝が、地の中にある養分を苦労して吸い上げ、
葉が太陽のお光をいただいて、空気中の炭酸ガスを吸収して、
一所けんめいにそれを同化して、やっと小さな芽のような蕾をつくり上げ、
その蕾を育て上げて、ついに、あの美しい花を咲かせたのです。
人間が今日あるのも、ただひとり、自分の力で此処に生れ出ているのではない。
花には、幹があり、根があるように、
人間には父母があり、祖先があり、祖先のもとには神様があり、
その神様のいのちが自分に通うていて人間は生きているのです。
ですから神様に感謝しなければならぬ。
祖先に感謝しなければならぬ。
父母に感謝しなければならぬ。
人間は肉体のようにみえていても、実は肉体ではない「心」なんだから、
「心」で感謝することが、自分の「いのち」の根に養分をやることになるのである。
人間が肉体ではなく、「心」だということは、
「心」がなくなったら「肉体」があっても、もうそれは「ぬけがら」じゃ。
もうものも言わねば、返事もせぬ、それはカラッポじゃから、
焼場に持っていって焼いてしまうでしょう。
だから肉体は人間ではなく、「心」が人間なのですよ。
「心」があなたなんですよ。
だから「心」を大切にいたしましょう。
「心」に角をたてないことにいたしましょう。
腹を立てないことにいたしましょう。
不平を言わないことにいたしましょう。
そして自分の「いのち」の根や幹になっている神様の御恩、祖先の御恩、
父母の御恩を知って、感謝することに致しましょう。
貧乏をしたり、病気をしたりするのは、根に養分が足らぬからです。
感謝が根に養分をやるようになるのであります。
毎日、祖先に『甘露の法雨』を誦げて感謝をいたしましょう。
そうしていますと、毎日いっそう人間は元気になり、運がよくなり、
成績がよくなり、何でも都合よく行くようになります。
よろこべば、よろこびが来るのです。
かなしめば悲しみが来るのです。
心がよろこんで感謝している時が、極楽なのです。
人間は心なのですから心で極楽も地獄も造るのです。
・・・
<関連Web>
(1)本流宣言掲示板「先祖供養」
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=733 (消滅)
(2)「光明掲示板・第一」スレッド「先祖供養 (125)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=63
(3)「光明掲示板・第二」スレッド「先祖供養 (96)」
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=45 (消滅)
(4)「光明掲示板・第三」スレッド「先祖供養 (511)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=128
(5)伝統板・第二「先祖供養」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6539638
(6)伝統板・第二「先祖供養 ②」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7704087
<感謝合掌 平成31年3月24日 頓首再拝>
お墓参りの勧め - 伝統
2019/03/29 (Fri) 03:33:07
*「成功する人は、なぜ「墓参り」を欠かさないのか?」千田琢哉・著 より
著者が3000人にのぼるエグゼクティブとの対話の中から導き出した、
強運を招き長期的成功を手に入れる方法。
(目次)より抜粋
プロローグ 成長者に共通するのは、畏怖の念。
第1章 長期的成功者が欠かさない、墓参りに秘められた驚きの法則
(1)絶体絶命の瞬間に人が合掌するのは、自然の摂理。
(2)すべての感謝は、先祖から始まる。
(3)究極の先祖は、自然界である。
(4)墓参りでは、家系図をイメージする。
(5)死後の世界とは、想念の世界である。
第2章 寺や神社でお参りすると、なぜ運がよくなるのか?
(1)神に頼らず、自分を頼れ。
(2)「どうか合格させてください」ではなく、「今までありがとうございました」。
(3)御経は淡々としていて、心を鎮めてくれる。
(4)場の空気がいい場所に、寺や神社は建立されている。
第3章 慈善活動は、目に見えない世界のバランスを整える働きがある
(1)世界の大富豪たちがこぞって寄付に勤しむのは、呼吸と同じ。
(2)運を維持したければ、運のいい時にマイナスの状態を人工的に創出する。
(3)一発屋は運がいい人ではなく、運が悪い人だ。
第4章 目に見えない大いなるものに対する「畏れ」が長期的成功のカギ
(1) I was bornの〝was〟が命。
(2)もし神が存在するならば、それはあなたの心の中である。
(3)形而下学は、形而上学には永遠に勝てない。
(4)形而上学に畏怖の念を抱き、形而下学を真摯に学ぶ。
・・・
タイトルを一見すると、お参り=先祖に祈りさえすれば
成功するような印象を受けるかもしれないが、もちろん、
そのような上辺だけでは、成功には遠い。
合掌して祈ること自体は大事なのだが、
そこに「畏怖の念」と感謝を持ち続け、墓参りをするのが重要なのだと説く。
しかし、現実問題として、墓参りにそうそう行けない事情がある人もいるだろう。
著者は言い切る。
故郷に帰る時間がなければ、部屋で合掌すればいい。
何かあってから合掌するのではなく、
何もなく順風満帆な時期にこそ合掌して心を整えるべきなのだ。
1年に一度だけ帰郷して墓の前で合掌するよりも、
毎日欠かさずに合掌して感謝し続けるほうがステージは上なのだ。
もし部屋で合掌する時間もないのというなら、その人生は間違っている。
「感謝する時間もないくらいに忙しい人生が果たして幸せなのだろうか」
<感謝合掌 平成31年3月29日 頓首再拝>
祖先供養は 是非 必要である - 伝統
2019/04/16 (Tue) 04:53:46
*『人生を支配する先祖供養』(P34)より
あるお寺の坊さんが 白内障(はくないしょう)にかかって 視力を失って
私に指導を求めて来られたので、祖先の霊の位牌(いはい)をつくり
鄭重(ていちょう)にお祀(まつ)りして 『甘露の法雨』 を誦(よ)んで
真理の供養をしてあげたら治る と教えてあげたら、
「私は僧侶で お寺で檀家(だんか)の位牌をあずかって
お経をあげて差しあげていますが、
自分の家の祖先の位牌もつくらず 祀ってないのです 」
と告白された。
それで 是非、位牌をつくって 先祖供養をしてあげるように
勧めておいたら、それから半年ほどして 大阪で講習会のあったとき、
その人が僧服をきて 演壇に立ち、祖先の位牌をつくり
聖経 『甘露の法雨』 を読誦したら、このように 眼がよく見えるようになった と
感謝の体験談をなさった事があるのである。
親鸞聖人のような高い心境におなりになった場合は、
その聖徳で 一家一門親族縁族 まもられて
皆 救われるかも知らぬけれども、上述のような体験が出て来ることから考えると、
位牌をつくって、先祖供養をしてあげることが、
先祖さまの救いのためにも子孫自身の功徳のためにも
是非必要な先祖さまへの御恩報じと思われるのである。
<感謝合掌 平成31年4月16日 頓首再拝>
お墓参り~命のバトンリレーの結果、この世に存在している奇跡に手を合わす - 伝統
2019/04/30 (Tue) 04:24:50
【人間はあぶないと思うと卑しくなる】
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.03.28)より
(山崎拓巳氏の心に響く言葉より…)
お墓参り、あなたは欠かさず行っていますか?
日々の忙しさのせいで、なかなか行けてない人もいるかもしれません。
お墓が遠くて行けなくて、
心の中で手を合わせているって人も多いかもしれません。
定期的に訪れるご先祖様の墓。
人生のチェックポイントとでもいうのでしょうか?
僕にとって、お墓参りは重要な行事の1つでもあります。
お願いごとのために行っているのではありません。
自分の心のリセットだったり、
目標の確認のためにお墓参りをしています。
ご先祖様の命のバトンリレーの結果、この世に存在している自分。
その奇跡に手を合わせます。
このとき、「必要なときに必要なことを起こしてください。
僕は学ぶべきことをちゃんと学びます」と手を合わせています。
ご先祖様に「力を貸してください」とか「助けてください」って
お願いするのは良くないよと聞いたことがあります。
手を合わせ、自分の気持ちを固めるほうがどうも正しいようです。
いずれ僕もこのお墓に入るときが来る。
「死」を意識すると「生きる」が浮き彫りになるような気がします。
僕たちは、毎日確実に死に向かって進んでいるのです。
生物としてこの世に生まれたからには致死率は100%です。
そう考えてみると、
死に向かって生きていくときに思う、「正しいこと」と、
死から見た今の自分に望む「正しいこと」は若干違っているような気がします。
「今は大切な時期。歯を食いしばってこの仕事を頑張るのだ」と今、思う。
しかし、死から見た今は少し違っているのではないでしょうか。
「どんなに仕事が大切なときも、他にもっと大切なことがいっぱいあるはず。
それを忘れない」と感じたりするように思います。
生きるから見た「生きる」と、死から見た「生きる」の違いは、
常に心の中で“つっかえ棒”として存在している。
僕の場合はそれを、お墓参りによって
溶かしたり、外したりしているんじゃないのかなって感じています。
「死を意識する」って言葉にすると、
何を辛気くさいこと言っているんだと思う人もいるかもしれません。
しかし、僕は逆の発想です。
死を意識することで明るくなれる気がします。
私たちはどうせいつか死ぬのですから。
上手にやろう。
下手をしないようにしよう。
無理をしないでおこう。
前例がないことはやめよう…などなど、
知らない間に「今」にしがみついてしまっている自分の手を
スッと解き放ってくれるのは死を意識したときです。
たった一度の人生です。
小さくまとまらず、爽やかに面白体験をしていきましょう!
そんな心持にこそ幸運が宿るような気がしています。
<『運の強化書』SBクリエイティブ>
・・・
輪廻という生まれ変わりがあるとするなら、
我々は今世で死んでも、またいつの日か生まれ変わる。
そうであるなら、この世には、自分の魂を高め磨くために、
修行にきているようなものだともいえる。
前の生(前世)よりも、
少しでもましな人間になってあの世(来世)に往くこと。
だからこそ、死を意識することは、
自分がこの世に何をしにきたのかを確かめることにもなる。
何のために生まれてきたのか。
何の役割(使命)があってこの世に生を受けたのか。
生まれ変わりがあるとしても、今の時代に、この地球に、
この日本に生まれるのはたった一度だけ。
森信三先生のいう「人生二度なし」だ。
アメリカのジャーナリストのミッチ・アルボムが書いた、
「モリー先生との火曜日」という小説がある。
死を前にした「最後の授業」を記録したノンフィクション小説だ。
その中にある、心に残る言葉…
■いかに死ぬべきかを学べば、いかに生きるかも学べる。
■人生に意味を与えられる道は、人を愛すること、
自分の周囲の社会のために尽くすこと、
自分に目的と意味を与えてくれるものを創り出すこと。
■人間はあぶないと思うと卑(いや)しくなる。
危険を感じれば、自分のことしか考えなくなる。
たった一度の人生…
卑しくない人生を歩みたい。
<感謝合掌 平成31年4月30日 頓首再拝>
ご先祖さまの数をかぞえた事がありますか? - 伝統
2019/05/18 (Sat) 03:58:27
《ご先祖さまの数をかぞえた事がありますか?》
*Web:生長の家白鳩会(平成22年7月) より
私達はみな父母を通してこの世に誕生します。
そしてその父母にもそれぞれ父母がいます。
こうして、さかのぼって数えていくと次のような数になります。
・1代(両親)……2人
・2代(祖父母)…4人
・3代(曽祖父母)8人
・5代………………32人
・10代…………1024人
・20代……1048575人
そして、30代もさかのぼると私達の父母の数は1億を超えるといいます。
ここで最も大切なことは、この中のたった1人でも存在しなければ
私達はこの世に生まれてこなかったという事実です。
この多勢の父母(ご先祖さま)の途切れることのない
尊い命の繋がりによって私達は今ここに生きているのです。
《「おや」という字を漢字でかけば…》
「おや」という字は漢字で、立木を見る=「親」と書きます。
「大地は神様、根は先祖、幹は両親、子孫は枝葉、
枝葉に花咲き、よき果を結ぶは、親に孝養、先祖に供養」
神は大地に譬えることが出来る。
そこにはどんな生命をも生み出す根元があり、要素があり、養分があるのである。
それにつながるものが"根"である。
根は吾々の祖先である。
祖先を大切にして、生命の根を充分発達せしめたら、
あなたの現象界の運命も栄えてくるのである。
(中略)
父母は幹である。祖先の根を通して幹がさかえる。
幹を大切にすることによって、枝葉が栄える。
人間の生命の幹は父母であるから父母に感謝し、
父母を大切にすることなくして枝葉の子孫が栄えることはあり得ないのである。
(女は愛の太陽だ184頁)
《仏壇は一家の魂の寄り所》
たとえ次男、三男であっても、家庭の中に「命の根幹」を祭る場所となる、
お仏壇を置き、仏前で生長の家の「甘露の法雨」を報恩感謝の心であげる、
先祖供養をいたしましょう。
子供たちの非行や不登校、長年のひきこもりなどが社会問題化していますが、
物事の根幹を忘れて、枝葉ばかりを立派にしようとする教育の結果と言っても
言い過ぎではありません。
<感謝合掌 令和元年5月18日 頓首再拝>
《生きている世界(現世)も、霊界も、心の働き(念波)によって良くなる》 - 伝統
2019/07/15 (Mon) 04:55:54
*『生命の實相』第28巻久遠仏性篇下(P69~71)より
われわれの祖先も肉体を滅しても霊体の波はやはり存在しておりますので、
その霊体の波たるや、その人の悟りの程度にしたがって千差万別の状態を
現わしているのであります。
それは現世においてもこの肉体という波動的存在が
その人の悟りの程度にしたがっていろいろの波を現わして、
健康であったり病気を顕(あら)わしたりしているのと同じことであります。
(中略)
ですから、われわれが霊界に行(ゆ)きましても、
この世で生活が下手(へた)な人は霊界でも生活が下手である。
霊界で病気している霊魂もあれば、悩んでいる霊魂もある。
それはちょうど、下手な画家であれば板(いた)の上に描(か)いても
布(ぬの)カンバスに描(か)いても依然として下手であるというのと
同じようなわけであります。
ですからわれわれが自身または他(ひと)の霊界における生活状態というものを
良くしようと思うと、やはりどんなカンバス ―― 現世とか来世(らいせ)
とかいうカンバスがどんなに変わっても ―― どんな画布(カンバス)の上に
描(か)いてもいい絵が描(か)けるようにしておかなくちゃならない。
われわれは「現世」とか「来世」とかいうカンバスに
何で絵を描(か)くかというと、念波で絵を描(か)くのであります。
念波という絵具(えのぐ)をもって絵を描(か)くのでありますから、
その念波を善くし、またよくしてあげることが必要であるのであります。
<感謝合掌 令和元年7月15日 頓首再拝>
《愛の心を起こすことは、霊界の祖先の喜びとなる》 - 伝統
2019/08/03 (Sat) 04:37:56
*『生命の實相』第28巻久遠仏性篇(P71~72)より
最もよい念波は何であるかと申しますと、
悟りの念波、真理の念波なのであります。
この真理の念波を人に与えるということ、これが仏教でいう法施(ほうせ)
というものでありまして、最も尊い施(ほどこ)しであります。
われわれは人に物を施すのは、物施(ぶっせ)といって物を施すのと、
それから法施(ほうせ)といって悟りの念波を施すのとがありますが、
真理(さとり)念波を施すということが本当の最も根本的な供養になる
のであります。
むろん、われわれは霊界へ行(ゆ)きましても、しばらくの間はこの地上における
薫習(くんじゅう)(編註:習慣)が脱(ぬ)けないのでありまして、
地上において御飯(ごはん)を食べておったような霊魂(れいこん)たちは、
霊界へ行っても「御飯を食べたいな」というふうな感じがするのであります。
そういう霊魂たちに対して食物(しょくもつ)をお供(そな)えしてあげる
ということは必要であります。
「食物をお供えしても、お下(さが)りを見ると何も食(く)っておらん、
何も食(く)っておらんからあんなことはただ形式的である」
とこうお考えになる人もあります。
けれども本当はそうじゃない。
霊魂は何を食べるかというとわれわれがこれをお供え申(もう)したいという
「念波(ねんぱ」を食べるのであります。
それでリンゴならリンゴをわれわれが持って行って「リンゴをお供え致します」と、
本当にその念を切実に念ずると、われわれの心にリンゴというものが
念によって描(えが)かれ、そうして念に描かれたリンゴと、あの人にあげたい
というすなわち念送(ねんそう)の原動力となる念とが結合する。
すなわちリンゴを祖先の霊(みたま)に送ろうという念波の放送により、
供える人の念にて造られたリンゴというものが霊魂の世界へ念波の放送に乗って
行(ゆ)くということになるのであります。
すると霊界には念によって仮作(けさ)せられたリンゴが出来上がる、
そうすると「あれはわたしに供えて下さったのだからいただこう」という気が
起こると、すっと自分の口へ入ってしまって、そうして
「おいしい、ああ満腹した」という気持が起こるのであります。
その状態は『無量寿経』に書かれている極楽浄土の状態のようなものであります。
霊界は念波で作られた世界であって、われわれは供養の念を供えて、
供養の念を食べていただくということになるのであります。
むろんもっと向上した霊魂 ―― 肉体は無(な)い、何も食べなくても
われわれは神の生命によって生かされているのであるという自覚を得た霊魂たちは
決して何も食べたいとは思わないのでありますけれども、
しかし、自分に対する愛念をもって供えて下さったという愛の念(こころ)は
やはり喜びとなり、その人を生長させるということになるのであります。
霊界は念の世界であって霊魂たちというものは何を食物として生きているかというと、
念を食物として生きているのです。
善念は最も霊魂を生長せしめる滋養物(じようぶつ)となるし、
悪念は霊魂を低下せしむる害物(がいぶつ)となるわけであります。
<感謝合掌 令和元年8月3日 頓首再拝>
《祖先の守護によって、私たちの運命が良くなる》 - 伝統
2019/08/19 (Mon) 04:16:49
*『生命の實相』第28巻久遠仏性篇(P74)より
われわれは祖先というものがあって今ここに生きる機縁を与えられている
のでありますから、その祖先に対してわれわれが供養する、
お経をよんで真理の念波を供養する、実相のサトリを供養するということは
実に大切な子孫の務めであります。
この子孫の務めを行なうことそのことが善事であって、
その結果自然とわれわれに幸福が恵まれてくるということは、
これは副作用とでもいいますか、随伴的な功徳であって、
その功徳そのものを目指すのではないのであります。
しかし実際上祖先に対してよく真理を施(ほどこ)しておられる人々は、
祖先の守護も多く、また自分の善念の具象化として不幸というものが
ないのであります。
<感謝合掌 令和元年8月19日 頓首再拝>
秋分の日(秋季皇霊祭) - 伝統
2019/09/23 (Mon) 04:49:26
《秋分の日にそなえるもの》
*メルマガ「夢の言の葉」(2019.09.23)より
春の彼岸に供える時は、「牡丹餅(ぼたんもち)」が転じた「ぼたもち」。
秋の彼岸に供える時は、「萩餅(はぎもち)」を
女房詞(にょうぼうことば)風に言った「おはぎ」……。
いつの頃からか、こんな使い分けが、広まっていきました。
とはいえ、実際のところ、出典も、確かなことかどうかも、わからないようです。
じつは、ほかにもさまざまな呼び名があります。
牡丹餅、萩餅というように、「餅」がついてはいますが、
普通のお餅のように、ぺったんぺったんとは搗(つ)きません。
せいぜい、軽く搗く程度。
作っていても、隣の家の人は気づかないことから、「隣知らず」とも呼ばれます。
「夜船」というのも、いつの間に着(搗)いたのがわからないことから。
また、『北窓』という呼び名もあります。
北の窓からは、月は見えません。
月の光が入らないので、「月入(い)らず」と、
「搗き要(い)らず」をかけたわけです。
時と場合によって、呼び方を変えてみると、
味わいも変わってくるかもしれませんね。
・・・
《皇室および一家の祖先を礼拝せよ》
*『生命の實相』第28巻・久遠佛性篇下(P65~66)より
【われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、
次いで一家の祖先の霊魂または仏壇の前に坐してその冥福と守護を祈願し、
かつ自己の生命も永遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す】
【毎朝、皇霊を遥拝】~久遠佛性篇下(P65~66より)
このわれわれの生命が永遠なる存在であるということは、
生長の家の真理の根本を貫くところのものであります。
これがハッキリわからなければ「皇霊を遥拝し」ということの意義もわかりません。
皇霊を礼拝するということ虚礼ではありません。
われわれ日本人は日本国の歴史を通して「今」の一点に生きているのです。
そしていろいろの日本国の興隆浮沈はあったにしても、どんなときにも日本国が動揺せずに、
ここまで日本民族が発展してきました不倒翁の重心のごとくドッシリとして、その中心から
どんな時にも日本国が立直ることができた重心は天皇がましましたからであります。
われわれは歴代の天皇の御恩沢を忘れてはならない。
恩を知るということが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。
だからわれわれは歴代の皇霊に対して崇敬の誠を献げるのであります。
・・・
《秋季皇霊祭》
今日は秋分の日、秋季皇霊祭です。
秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」となっていますが、
昭和22(1947年)までは秋季皇霊祭といいました。
歴代天皇、皇族の霊が祭られている三殿の「皇霊殿」で行われるのが「皇霊祭」で
一般のお彼岸の先祖供養にあたります。
皇居の皇霊殿で行われる御皇室の祖先祭りを全国の神社で遥かにお参りするのが
秋季皇霊祭遥拝式です。
・・・・・
《秋季皇霊祭・秋季神殿祭》
*Web:日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国(2011/9/23)
日本に昔からあった先祖まつり、
春分と秋分の日を、中日とした七日間を彼岸といいます。
この期間に法要や墓参りをしたり、お寺では彼岸会(ひがんえ)が催されるなど、
仏教の影響が色濃く感じられます。
しかし、仏教思想とは解釈できない要素が含まれていて、
もともと我が国固有の信仰行事が、基調をなしていることがわかります。
「日本書紀」には、「皇祖神武天皇陛下」が、
「皇祖天神を祭りたまふ」とあり、天武天皇十年(682)五月十一日条に
「皇祖の御魂を祭りたまふ」と記述がみえます。
従って、このような祖先祭祀の伝統が前提にあったからこそ、
やがて仏教的なお彼岸会も行われるように至ったのです。
中世・近世の宮廷では、御所の一角(清涼殿のお黒土)に
歴代天皇の霊牌(れいはい)や念持仏を安置して、
ご命日の法要など営まれてきました。
明治維新の際、神仏分離令により、従来の歴代霊牌は、
京都・東山の泉湧寺(せんにゅうじ)などへ遷されました。
明治二年(1869)改めて神祇官で歴代天皇の御霊代(みたましろ)を招き祭り、
明治天皇陛下の御拝礼がありました。
明治十一年六月、「春秋二季祭」を置き、
「神武天皇を御正席とし、先帝まで御歴代天皇、ならびに后妃以下皇親(皇族)」も
「合祭」すると定められました。
この時、春秋二季(春分・秋分)の皇霊祭が、
明治六年以来の国家的な「祭日」(元始祭・神武天皇祭・孝明天皇祭・
神嘗祭(かんなめさい)・新嘗祭(にいなめさい)。
他に「祝日」は、新年宴会・紀元節・天長節)に付け加えられました。
それによって全国の神社などでも一斉に祭典が行われるようになりました。
さらに、明治四十一年公布の「皇室祭祀令」で皇霊祭は「大祭」と定められ、
祭典の中で東遊(あずまあそぶ)(楽師の歌舞)も奉奏されることになりました。
この春分と秋分には、皇霊祭に続いて神殿祭が行われます。
その神殿には、日本国中の天神地祇(てんじんちぎ)が祀られています。
天神地祇の由緒を遡れば、記紀神話にみえる高天原(九州)から降臨された、
大和朝廷と関係氏族が奉齊する天神(あまつかみ)と
元来地上にいた土着氏族が奉齊する地祇(くにつかみ)から成るとみられています。
両方が長らく共存交流し、不離一体となっていますので、
むしろ「八百万神」(やおろずのかみ)というほうが相応しいかもしれません。
歴代天皇陛下が古くから直接的な祖先神だけでなく、
全国の神々を崇敬してこられたことは多言を必要としません。
例えば、大宝・養老の「神祇令」に
「天皇即位(踐祚)したまはば、惣(すべ)て天神地祇を祀れ」と定められています。
また「延喜式」では、「宮中神」以下全国の「天神地祇」総計三千百三十二座をあげ、
そのすべてが毎年二月の祈年祭には神祇官か国司の国幣に与る(あずかる)とされています。
それらは、中世・近世に衰退し、廃絶したものもありますが、
明治維新の際、積極的に復興されました。
明治二年、神祇官に神殿を設けて、
中央の座に宮中八神(神産日神(かんむすびかみ)~事代主神(ことしろぬしかみ)、
西の座に歴代皇霊、東の座に天地地祇を奉齊している。
ついで明治四年、その三座で春秋二季に「祈念祭」が行われることになり、
翌明治五年、宮中八神と天神地祇を合祀して一座とされました。
明治二十四年、春分と秋分に行う「神殿祭」と定められ、
その十年後から、新築(現存)の宮中三殿の「神殿」において
「天神地祇」が祀られるようになりました。
さらに、明治四十一年公布の「皇室祭祀令」により、
春分と秋分の神殿祭は、皇霊祭と同じく大祭と定められました。
このように皇室、全国の神社では、先祖の供養(くよう)をする日とされています。
ところが、こうした行事の意味を知らずに、
休日であるからといって結婚式を挙げたり、
行楽に出かけたりする方を最近多く見受けますが、
このようなことは慎まなければなりません。
春・秋の中日は、氏神さまや、お墓参(はかまい)りをして
ご先祖さまをお慰めし、感謝をする大切な日であることを忘れてはなりません。
古来、日本人は家族や地域の共同体の「和」を大切にし、名誉を重んじてきました。
何気無い不用意な自分の行為が、家族や地域の人の和を損(そこ)なわないように、
自分を律(りつ)する自制心を高めるために、常に身を修(おさ)め、
家を斉(ととの)えてきたのです。
近年は個人主義の考え方が非常に強くなり、
遠いご先祖から続いてきた家の意識や家族や
親族の絆(きずな)の意識が希薄になってきています。
その結果、自分さえよければ、他人の苦しみや痛みをまったく無視するような
風潮さえ生じてきました。
経済優先・物質万能主義による現代人の生活形態は、
限りある天然資源を枯渇(こかつ)させ、環境を破壊させて止どまる所がありません。
日本人は、「人もまた、自然の一部である。」という世界観(せかいかん)のもとに、
自然に優しく抱かれながら、山川草木はもとより、すべての生きとし生けるものと
共に、生活をしてきた民族です。
日本古来の習俗を体現され、今日に継承されておられる、皇室。
「敬神崇祖(けいしんすうそ)」のこの日に
日本人としてのありかたを考えなければなりません。
日本の国は現世の人々の為にあるわけではなく、
神代の昔からの祖先と、未生の子孫の為にあるのですから・・・
参考文献 所功 著
天皇の「まつりごと」
( https://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/43826836.html より転写 )
<感謝合掌 令和元年9月23日 頓首再拝>
亡き先妻の承諾を得てから、後妻を迎える - 伝統
2019/10/31 (Thu) 04:43:31
*『生命の實相』幸福篇下第三十八巻(10月31日)より
男子が妻を失って家庭の事情か何かで後妻を欲する場合は
先妻の霊魂の承諾を得ることが先決問題なのである。
そうでないと先妻の嫉妬の逆念などを放送せられて、なんとなく後妻と
その良人との感情を疎隔せしめ、ついに離婚に立ち到らしめるか、
夫婦中のどちらかを病気にならせることがありがちである。
先妻は死んでしまって、現在眼の前にいないのに
どうしてその承諾を得ることができよう
―― と思われる人があるかもしおれないが、
先妻は肉体はいなくともその霊魂はたいてい
良人に執着して身辺にいるのであるから、
身辺にいなくとも霊界にいて、名を唱えれば招霊しうるのであるから、
仏前で先妻の名を呼んで招霊し、
「汝(あなた)はすでに霊界の人であって地上の存在でないから、
地上の世人における地上の営みに執着しないで
霊界で向上の道を辿ってください。
地上のわれわれの家庭では子供の多いことであるし、
地上の生活上家事をとるための後妻が必要であるから後妻を貰いたいから
これはやむえない事情の出来事として怨まず嫉妬せず、
家庭の中に不幸の起こらないように祝福しておいて
完全に霊界の人となってください。
いつまでも地上のことに執着している霊は
浮かばない霊と言っていつまでも苦しまねばならぬのである。
今後1ヵ月間聖経『甘露の法雨』をあなたのために読んであげるから、
その真理をよく聴き悟って人間本来肉体でないこと、病も本来ないこと、
本来自由自在で歓びに満たされていることを悟って、
成仏して自由自在の境地に入ってください。」
こう前置きしてから1ヵ月間一定の時刻に『甘露の法雨』を
その亡妻のために誦するがよいのである。
こうして後、後妻を迎えたら先妻の執着の念は消えているから、
なんら障礙の念波を送らない。
そうして先妻の霊魂は過去帳または位牌の中に、戒名または俗名を書いておいて、
あとは「何々家先祖代々親類縁者之霊」とその家の縁者の霊を一緒にとなえて、
読経なり回向すればよいのであるから、
後妻に対して、先妻の名前を呼ばしめる必要もないのである。
世間には「生き別れの後へ嫁(い)っても、死に後へな嫁(い)くな」
という諺があるのは、先妻の死別したあとへ行くと先妻の亡霊の念波の
干渉があってうまくゆかないのと、
死んだ者は美しく見えるので、
「前の妻はこうだった、こうしてくれた」などとともすれば
比較されるので後妻にとって耐え難いことがあるからである。
後妻の前で先妻の噂をしたり、先妻を賞(ほ)めたりするものではないのである。
<感謝合掌 令和元年10月31日 頓首再拝>
御祖先を供養する - 伝統
2019/11/20 (Wed) 04:21:45
*「光の泉」(昭和45年11月号)谷口清超先生
~(”道産子 さま”投稿<2019/10/24> )
(この記事は、「聖経『甘露の法雨』の功徳 ②」<2019/11/19>
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7812316
に続く、谷口清超先生のご文章です)
【目に見えぬいのち】
私たちはみな御祖先から生まれて来ているのですから、
御祖先を大切にして、よくお祀りしなければなりません。
御祖先のいのちは今もなお生きているから、家族と同じことです。
朝晩御挨拶をするつもりで、お仏前にお詣りをしたり、
神棚にお灯明をあげる。
そんな事を私たちの祖先はしてきたものでした。
これは決して、迷信でもなければ、馬鹿げた事でもない。
当然なすべき事であって大変大切なことなのです。
ところが「唯物論」が盛んになって来ると、人間は死んでしまえば
後は灰になってしまうだけだ、御祖先のいのちなんか何処にもない。
墓の中には骨しかないし、仏壇なんか木切れとねずみの糞だけである。
御祖先祀りなんか馬鹿馬鹿しい、という人が増えて来たのです。
こういう人は自分では「科学的」な考え方をしていると
思っているかも知れないが、決して科学的でも合理的でもない。
なぜなら、「生命」というものはもとから目に見えないものでしょう。
だから肉体があってもなくても、
そんなことはどうこうなるものではないからです。
肉体がある人の「生命」だって目に見えないのですから、
肉体がなくなって骨だけになった人の「生命」が目に見えなくても
ちっともおかしくないのです。
ところがそれを目に見えない「生命」だから、ないのだと単純に考える。
ここに大変非科学的な、不合理な考え方が出ているのです。
私達はこんな錯覚に陥ってはならない。
もっと根本的に「生命」そのものを見詰め、「生命」は決して
消えてなくなるものものであってはならないということをはっきりと知り、
「今ある生命は肉体と共になくなる様な頼りないものではない」と
自覚し、御先祖のいのちが今此処に生きていると思って、
毎日感謝礼拝を怠らずやるのが正しいのです。
そうしないととかく色々困ったことが起ってくる。
別に御祖先が子孫を恨んで、罰を当てるというのではないけれども、
自分の一人よがりの心が悪い結果を現わして来る。
人に感謝しないから、いいことが出て来ない。
御祖先という”親のまた親”に感謝しないから、
「父母に感謝し得ないものは神の心に叶わぬ」
という訳で、変な病気になったり、仕事がうまくいかなくなったり、
子供の病気で苦しんだりするのであります。
【鞭打ち症も】
御祖先のお祀りをして『甘露の法雨』を
毎日読誦するということは、とても大切なことなのです。
それは夫婦や子供の病気を癒す方法として大切だという訳ではない。
父母に感謝し、御祖先の御いのちに感謝し、もとのいのちを大切にし、
上なるものを上にし、下なるものを下にして、お互いに尊敬し合い
、愛し合うということが“人間の道”であり、
神様の御心であるから大切だというのである。
こうして、神様の御心が行なわれ、御祖先を祀り、供養し、
感謝し、敬し、礼拝するということになると、
当然神様のおつくりになったままの「実相」があらわれて、
家族のすべての者が健康になり、幸福になる。
だから、病気の種類や、誰が病気していたかなどということは問題ではなく、
すべてがよくなってしまうのです。
例えば奈良県桜井市滝倉という所に住んでおられる福田充子さんは、
鞭打ち症にかかって1年半というもの悩み通して、
どうしても治らなかったのです。
県内の外科や整形外科を転々として、診てもらったが、どうしても治らず、
遂には指圧から灸と、色々やったがどうしてもだめだった。
もとは体重もかなりあったが、四十キロに減り、夫が炊事から洗濯、育児、
何から何までしなければならないという悲しい状態になってしまったのでした。
ところがこの充子さん、昭和47年の8月に、
はじめて「生長の家」を伝えられ、見真会にやって来られた。
そこで色んな信仰の心得をさとされ、反省しました。
この人の家も、御祖先のお祀りが出来ていず、
夫と奥さんも、全く無関心でした。
というのは、充子さんはこの福田家の長男のお嫁に来たと思って
嫁いできましたが。色々調べてみると、夫は長男でなく、六男だった。
亡くなった兄さんと姉さんは、だから戒名もなく、
何らお祀りされていなかったのでした。
【供養する】
そこで、充子さんは早速夫の兄さん五人と、姉さん一人、
今まで全く祀られもせず、認められもしなかったこれらの方々の
お祀りをしました。
それには先ず出生届をして、それから死亡届を出したのです。
こうして亡くなられた御両親と共に「靈宮聖使命会」に入って頂き、
その年の9月3日には夫の兄弟たちに集まって頂いて、
お坊さんを呼んで供養した。
それが済んで、1週間というもの一心に『甘露の法雨』を読んで供養を続け、
10日にお盆のお祀りを済ませたところ、13日から、今迄あんなに
長く続いていた鞭打症の症状がスカッと取れ、それっきり元気になって、
とても明るく幸福で健康な毎日を送るようになったのでした。
これも、御祖先の供養が出来なかったことが、頭の病気、
鞭打症としてあらわれていた一例で、御祖先の供養、
『甘露の法雨』の読誦がどんなにか大切であるかということをあらわしています。
充子さんがこのような病気になられた直接の原因は、昭和45年の秋、
高い納屋のような所からご主人が藁の束を下に落とした時、
その下を通った充子さんの頭にあたって、
それから目まい、言語障害などの鞭打症が起って来た。
しかし、表面の理由はそうであっても、
根本の原因は心の中にあるのであって、御祖先をないがしろにし、
夫を上に立てていないと、頭の故障が起って来る。
ところがそれに気がついて、御祖先のお祀りをよくなさって、
夫婦調和なさると、一切の悪しき姿がクラッと消えて、
全てが良くなり、幸福になり、健康になったのであります。
( http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7914048 )
<感謝合掌 令和元年11月20日 頓首再拝>
霊牌の意義 - 伝統
2019/12/23 (Mon) 05:00:40
*「人生を支配する先祖供養」(P41)より
位牌にその人の俗名及び戒名を書いて、一度、それに招霊して祀って置くと、
その招霊した霊魂の霊波がその位牌に印象されており、
謂わばその霊魂の霊的振動が常にそこから放散されている訳であるから、
吾々現世の者が霊界の祖先の霊に『甘露の法雨』を読誦してあげたり、
何らかの意思を通じたいときに、
その位牌に向かって、名前を称えて話しかけてあげると、
現世のわれわれと霊界と交信するアンテナをつくることになってよいのである。
・・・
盂蘭盆供養大祭の浄化の儀での霊牌の焼却の意義
*『新版 魂のふるさと宇治』(P105)「霊牌祭祀について」
「霊牌にうつりませる霊(みたま)たちの霊波は世の常の現象界の理(ことわり)の習ひにて
月波の経つるにしたがひ褪(うつろ)ひ行くものにして 古きを去り浄めて
新しき進歩にいたる理にならひて
霊浄めの聖域において過ぎし世よりなほ残れる業障の因縁などのこれるものあらば
古き霊牌と共に浄火をもつて浄めんとするものにして
過去の霊牌より新しき霊牌に移り行きて祀らるゝは
みたまにとりては又一つの生まれ更りを経験したまふと同じく浄化向上の機会なり
(「送霊の詞」より)」
<感謝合掌 令和元年12月23日 頓首再拝>
神道における「祖先のまつり」 - 伝統
2020/02/21 (Fri) 04:43:43
神道における「祖先のまつり」
→ Web「比々多神社」(http://hibita.jp/pray/sosen.shtml)
→ 「先祖まつり」(https://fukushima-jinjacho.or.jp/monoshiri/pc/section7.html)
先祖霊屋祭辞
https://www.youtube.com/watch?v=5nZBlkmlvFU
先祖霊屋祭辭 (せんぞみたまやまつりのことば)
https://ameblo.jp/nuit-pantheisme/entry-12503458953.html
是の御霊屋に 鎮祭る (これのみたまやに しづめまつる)
遠津御祖の御霊 代々の祖達 (どほつみおやのみたま よよのみおやたち)
親族の 御霊の 御前を (うからやからの みたまの みまへを)
慎み 敬ひ 家にも身にも (つつしみ うやまひ いえにもみにも)
枉事在せず 夜の守日の (まがことあらせず よのまもりひの)
守に幸へ 宇豆那比給ひ (まもりにさきはへ うつなひたまひ)
子孫の 末の宇麻子に 到る及に (うみのこの すえのうまごに いたるまでに)
令榮給ひて 壽長く (さかえしめたまひ いのちながく)
御祭善しく 仕奉しめ 給へと (みまつりうるわしく つかへたてまつらしめ たまへと)
祈白す事の由を 平けく 安けく (のみまをすことのよしを たひらけく やすらけく)
聞食と 畏み畏みも 白す (きこしめせと かしこみかしこみも まをす)
祖廟霊鎮祓 (そびゃうたましづめのはらひ)
https://ameblo.jp/nuit-pantheisme/entry-12533620986.html
大元尊神 生命成就 (だいげんそんしん しゃうめいじゃうじゅ)
心者 則 一元未生之 神明也 (こころは すなはち いちげんみしゃうの しんめいなり)
元 元而 入元元 (はじめを はじめとして はじめのはじめにいる)
本本而 依本心 (もとをもととして もとのこころによざす)
登天 報命住日 少宮 (あめにのぼして かへりごとまうしひの わかみやととまります)
生れ來ぬ先も 生れて住る世も (うまれこぬさきも うまれてすめるよも)
まかるも神の ふところのうち (まかるもかみの ふところのうち)
<参照Web>
谷口雅春先生に帰りましょう・第二
祖先霊屋祭の辞
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2726
祖先霊屋祭の辞
遠(とお)津(つ)御(み)祖(おや)の御(み)霊(たま)
代(よ)々(よ)の祖(みおや)達(たち)
親(しん)族(ぞく)姻(いん)族(ぞく)の御(み)霊(たま)
総(すべ)て此(こ)の祭(まつり)屋(や)に
鎮(しず)め奉(まつ)る御(み)霊(たま)達(たち)の御(み)前(まえ)を慎(つつし)み敬(うやま)ひ
家(いえ)にも身(み)にも枉(まが)事(ごと)在(あら)せず
夜(よ)の守(まもり)日(ひ)の守(まもり)に守(まも)り幸(さいわ)ひ
宇(う)豆(づ)那(な)比(い)給(たま)ひ
弥(いや)彦(ひこ)の次(つぎ)々(つぎ)弥(いや)益(ます)々(ます)
令栄(さかえしめ)給(たま)ひて
いのち長(なが)く御(み)祭(まつり)善(うるわ)しく仕(つか)へ奉(まつ)らしめ給(たま)へと
畏(かしこ)み畏(かしこ)みも拝(おろが)み奉(たてまつ)る〉
<感謝合掌 令和2年2月21日 頓首再拝>
あなたの御先祖様は生きている - 伝統
2020/03/06 (Fri) 04:55:31
*『精神科学』(昭和38年2月号 6~8頁)より
『祖先と子孫との運命の連関』
現代の多くの人たちは、あまりにも個人主義に目醒め過ぎているために、
自己の運命が左右される原因となるべき両親との連関、
更に進んでは祖先の霊魂との連関を忘れてしまっていて、
恰も根を培い幹をそだてる事を忘れて、枝葉ばかりが独走して、
美しき花を咲かせ良き果を実らせようとあせっているかのように見えるのである。
しかしながら諸君よ、あなた達の祖先は生きているのである。
無論、祖先の肉体は生きていない、
けれども肉体は「人間そのもの」ではないのである。
肉体は“霊魂”が地球上で或る使命を果す目的をもって着用するところの
“宇宙服”の一種であって、地球という天体で現実的な仕事をする間だけ
着用したあとは、脱ぎ棄てるべき不要物に過ぎないのである。
肉体の死によって肉体を脱出した吾々の祖先の霊魂は、
霊界に於いて或る期間休息し、また他の肉体に受胎して、
別の異る環境に於いて、異る経験を新たに加えてその魂が
進歩し向上しつつあるのもあれば、
尚、霊界に於いて生前の病苦の記憶の継続の中に苦しみつつあるのもあり、
或は、既に高級霊となって、人類嚮導のために活躍しつつある霊もあり、
その生活状態は色々あるのであるが、
いずれにせよ、彼らは子孫に対して愛着をもっており、
子孫の幸福と繁栄とを希いつつあることは確かであるのである。
ところで、彼らが子孫に対して愛着の念をもっているということは、
彼らが彼らの有する色々の精神状態を放送しつつあり、
その“念波”の放送を吾々が受信しつつあるということである。
もっとも吾々は自己の精神波動の周波数にしたがって、
或る程度の選波作用をもっているのであるから、
祖先から放送されるすべての精神波動(念波)を悉くは受信する訳ではない。
其処には「類を以て集る」 「類は友を呼ぶ」という法則が行われており、
自己が極めて明るい健全な精神状態でいる時には、
たとい暗い不健全な病的な精神波動を放送されても、
それを感受することは、あまり無いのである。
併し人間は、なかなか四六時中いつも明るい健全な精神状態を
平均に保つことが至難であるから、精神状態が多少落ちて、
心が暗く陰気に沈んで来たときに、
霊界でまだ悟りをひらかないで
苦悩している祖先の暗い陰気な精神波動を受信して、
自分自身が一層暗くなり、その不幸な状態に拍車をかけ、
それを一層増悪するような結果になり勝である。
こういう事が、“個人の運命”と“霊界の祖先の運命”との
相互関係に於いて起るのであるから、
祖先の霊魂たちを、導いて悟りをひらかせて、
その暗黒なる状態又は運命から救うために、
“真理を述べた言葉”〈聖典又は聖経〉を読誦して聴かせることが必要なのである。
それは単に祖先の霊魂に悟りをひらかせて、
その余慶として自分が幸福になるための手段とするというような
自己中心的目的だけではないのであって、
寧ろ自己の“地上の生活”が今日あるのは祖先を媒介として斯くあるのだ
という事実にもとづいて、その恩に報いるための報恩感謝の行事として
お墓又は仏壇、神棚等に祭祀せる祖霊の前に“真理の聖経”を読むべきである。
“七つの燈台の点燈者の神示”の中には、
「感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」
と示されているのであるが、
報恩感謝の念で『甘露の法雨』を読誦することは、
単に霊界の祖先を悟りに導くだけの功徳にとどまらず、
神の救いの霊波に感応することになるのである。
同時に既に高度の発達をとげた祖先霊の“子孫を護る霊波”にも感応して、
その導きを受け易くなり、病気も癒やされ、運命も改善されることになるのである。
(https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/de89bfda66f06161d48cebef8898b202 )
<感謝合掌 令和2年3月6日 頓首再拝>
貧しさの理由~家族の不調和と祖先の祭祀の不足 - 伝統
2020/03/11 (Wed) 04:48:49
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月11日)」より
すでにあるのに、多くの人が貧しいのは、第一家庭の調和を欠いていること。
祖先の祭祀(さいし)が足りないので祖先の守護の足りないこと。
家族の不調和と祖先の祭祀の不足とで、その人が外に出ても自分の身辺に漂うている
雰囲気が刺々(とげとげ)しくて、他から好意を持たれないことなどである。
<感謝合掌 令和2年3月11日 頓首再拝>
春分の日(春季皇霊祭) - 伝統
2020/03/20 (Fri) 02:54:04
今日は、春のお彼岸の中日です。
仏教的に、お彼岸は、先祖の成仏を
「悲願」「彼岸=三途の川の向こうへ」「祈願」する日です。
ご先祖さまに、感謝の祈りを奉げます。
さらに、今日は「春季皇霊祭」でもあります。
歴代の天皇・皇后・皇親の霊をお祭りします。
太陽の神様である天照大御神様の直系の子孫としての
歴代の天皇様の御霊を通じて、神様に通じる日です。
歴代のご皇霊に心を向けることによって、繋がるものがあり、
それによって電流が流れるように、
歴代天皇様を通じて神様から頂くものがあるのです。
・・・
《皇室および一家の祖先を礼拝せよ》
*『生命の實相』第28巻(久遠佛性篇下)(P65~66)より
【われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、
次いで一家の祖先の霊魂または仏壇の前に坐してその冥福と守護を祈願し、
かつ自己の生命も永遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す】
皇霊を礼拝するということ虚礼ではありません。
われわれ日本人は日本国の歴史を通して「今」の一点に生きているのです。
そしていろいろの日本国の興隆浮沈はあったにしても、
どんなときにも日本国が動揺せずに、ここまで日本民族が発展してきました
不倒翁の重心のごとくドッシリとして、
その中心からどんな時にも日本国が立直ることができた重心は
天皇がましましたからであります。
われわれは歴代の天皇の御恩沢を忘れてはならない。
恩を知るということが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。
だからわれわれは歴代の皇霊に対して崇敬の誠を献げるのであります。
・・・
<参照Web>
伊勢ー白山 道(2020-03-19)
「過去2000年間の節目と、新しい夢の1000年間に向けて」
~2020年3月20日の春分の日は、本当に大きな節目であり区切りです。
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/b9b2991657b0f51e9008bd24b896e16f
<感謝合掌 令和2年3月20日 頓首再拝>
《縁者の霊を供養する日》 - 伝統
2020/05/03 (Sun) 04:41:34
*「光明道中記」(5月3日)より
【亡者の霊魂が感憑(かんぴょう)するとその念波の影響を受けて股関節の先天的脱臼、
小児麻痺的現象・・・等々を起す。
(『生命の實相』第十四巻、『人生を支配する先祖供養』)】
生後1年2ヶ月乃至15ヶ月を経ても歩行し始めない幼児は、
小児麻痺か何かの神経的疾患であるかも知れぬ。
小児麻痺の後遺症の手足の不随は、現在の医学では治癒の道がないのである。
併し、生長の家では無数に治癒した実例がある。
それは祖先に対して聖経『甘露の法雨』を毎日一定の時間に
「××家先祖代々親族縁族一切之霊」と数回思念を籠(こ)めて唱えて招霊(よびだ)し
「この聖経『甘露の法雨』により霊界に於て本来神子仏子なる実相を成(じょう)じ
たまえ」と恰(あたか)も生ける人に言うが如く唱えてから『甘露の法雨』を
誦するのである。
1回で効果を現した実例もあるが、数ヶ月を要した実例もある。
それは浮かんでいない縁者の霊魂の悟を開く遅速によるのであって、予(あらかじ)め
その治癒の期限を予告することは出来ない。
生まれつきの聾唖(ろうあ)にして聖経読誦6ヶ月にして耳聴えはじめ、
物言い始めし例もある。
神想観を修して、観中、歩行不能ならざる、既に歩行自在なる実相人間の念像を描いて
精神統一するとき、18年間の歩行不能者が歩行し得るようになったとは
藤岡秀信氏の体験談である。
<感謝合掌 令和2年5月3日 頓首再拝>
コロナ死ですぐ火葬されるのは浄化の妨げになるか - 伝統
2020/06/22 (Mon) 04:32:14
*Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年6月17日)より
コロナに感染して亡くなられた方は、24時間以内に火葬されることがあり、
それがあの世への旅立ちの妨げにならないか質問がありましたので取り上げてみます。
普通は人が亡くなった時には、
死後24時間以内に埋葬や火葬をしてはいけないと、法律でも定められています。
「墓地埋葬法」という法律があって、そこで正式に決められているようです。
これは伝統的な殯(もがり)の風習から来ていると思います。
古来から、亡くなった人はすぐに埋葬するのではなく、
その死での別れを惜しんで、また霊を慰めるために、殯の時間を取っていました。
現代も日本では葬式は仏教によってなされることが多いですが、
通夜の儀式によって、遺族は夜通し灯明と線香の火を絶やさないようにし、
個人のご冥福を祈ります。
ところが、新型コロナウイルスの感染症で亡くなられた方については、
感染症法という別な法律によって24時間以内に火葬することが出来るとされています。
出来るという事で強制では無いのですが、
やはり遺体からの感染の危険性も考えて、はやく火葬されることが多いと思われます。
コロナで亡くなられた場合には、ご遺体は納体袋に収容して密封され、
ご遺族が触れる事も出来ないようになっています。
このように伝統的な殯や通夜を省いて火葬された場合に、
故人に何らかの影響があるのか疑問があるでしょう。
実際に亡くなられてから一日は火葬や埋葬せずに置いておくことには
霊的な意味があるのかどうかです。
死んでから直ぐは、霊子線(シルバーコード)と言って
肉体と魂をつなぐ紐状のものがまだ繋がった状態にあるようです。
それが肉体から切れた時が、本当の死という事になります。
どうもその霊子線が切れるのには、一日程度かかるようで、
それで通夜などの風習があるのだと思われます。
霊子線が切れるまでは、肉体と感覚的に繋がっている事もあって、
痛みなど肉体刺激を感じたりもするようです。
実際に私の母親が亡くなった時には、
その当日に夢に出てきた時、背中が冷たいと訴えていました。
これは中に葬儀の会社が腐敗しないようにと
ドライアイスを棺の下に敷き詰めてあったようです。
それを感じ取っているようでした。
そのため亡くなって直後は、まだ肉体と繋がっている感覚があるため、
すぐには火葬せず、一日は置いて葬儀をする風習が残っているのでしょう。
実際に霊子線がまだ切れておらず、
肉体感覚が残った状態で火葬されるとどうなるでしょうか。
おそらくは故人に焼ける痛みが伝わって、苦痛を感じる恐れがあります。
そうするとショックをうけて霊界にスッと上がっていけない可能性もあります。
そういう意味ではやはり、伝統的な通夜などを守り、
24時間は置いてから火葬するのがよいと思われます。
現代では魂を信じる人も少なくなったため、
こうした事をいっても無理なところはあります。
ですが霊的真実としては、やはり伝統的な風習の方があっていて、
現代的な考えには間違いが含まれていると思います。
(https://www.spacebrothers.jp/2020/06/blog-post_17.html )
<感謝合掌 令和2年6月22日 頓首再拝>
私が先祖の代表になる - 伝統
2020/08/12 (Wed) 06:40:44
*Web:龍唱寺8月の法話集 より
田村さんは三十代の後半に3人の身内と別れを告げねばなりませんでした。
お母さんが亡くなりました。
続いて常日ごろ頼りにしていたお兄さんが、
そしてあろうことか奥さんが急病で亡くなったのです。
短い間に頼りどころである人々を失った
田村さんの悲しみと落胆は言いようがありません。
田村さんは、3人の方々の冥福を祈って、供養の日々を送りました。
ある日、お寺からいただいた過去帳を手にとってながめている内に、
ずいぶんの方々が過去に亡くなっていることに目を止めました。
「私には、こんなにたくさんのご先祖があったのか・・・・・。
この人々すべてが私にゆかりのある人なのか・・・・・」
そう思うと、今まで考えてもみなかった、ご先祖ということが、
とつぜん身近な存在になってきたのでした。
「母も亡く、兄も亡く、今私だけが残っている。
すると、この先祖の方々に続いて生きているのは私だけじゃないか。
田村家の家系の中で生きているのは私だけだ。なんと、
私はすべてのご先祖さまを代表して、この世に生きている、
いや生かされていることになるじゃないか・・・・・」
今まで、ご先祖とか、供養とか、お墓まいりとかが無縁であった田村さんでした。
それが身近な方々の死をきっかけに日々の行いとなり、
考えもしなかったご先祖さまの存在が実感として受けとめられたのでした。
お盆の季節をむかえて、
「私が先祖の代表である以上、
心をこめて、ご先祖を、今は亡き両親を、兄を、亡き妻を、
迎えたいと思うのです。
そして田村家の代表に恥じない生活を、人生を送りたいと思います。」
と田村さんは言っています。
(http://www.ryushotemple.sakura.ne.jp/houwa/houwa08/houwa_08_01.html)
・・・
明日13日(木)から16日(日)まで「お盆」となります。
お盆の時期は冥界(死後の世界)の裁判官・閻魔王(閻魔大王、閻魔様)も
お休みで、地獄の窯の蓋が開くため、霊魂がこの世とあの世を行き来すること
が可能になります。
ご先祖様の霊魂を迎えるため、13日には迎え火を焚きます。
この世とあの世を行き来するための乗り物として、きゅうりやナスでつくった
「精霊馬(しょうりょううま)」を用意する地方もあります。
(精霊馬~https://en-park.net/words/2133)
きゅうりは、あの世から早く家に戻って来られるようにとの願いを込めて、
足の早い馬。
ナスはゆっくり帰ってもらいたいとの計らいと、たくさんの供物を積んで
あの世へ持ち帰ってもらうために牛に見立てています。
ちなみに閻魔王は人類最初の死者で、死んだ後に天界を支配し、
その後、死者を裁くという役割を担うようになり、
しだいに冥界・地獄の王として性格づけされ今に至ります。
イメージの中にある閻魔王はいかにも恐ろし気でありますが、
日本には閻魔王の本地(本来の仏・姿)は衆生を救う地蔵菩薩である
との考え方があります。
現世の罪を裁く冥官である閻魔王は、地蔵菩薩として現世での人々の行いを
つぶさに見ているからこそ、死者を正しく裁くことができるとされ、
閻魔王が地蔵菩薩であればこそ救済の道も残されています。
<感謝合掌 令和2年8月12日 頓首再拝>
先祖ヒーリング - 伝統
2020/08/28 (Fri) 03:57:33
*メルマガ「アネモネ」(2020年08月22日 )より
私たちが今ここにいるのは、ご先祖が命をつないでくださったおかげです。
ご両親、祖父母、さらに祖先をさかのぼっていくと
数百人、数千人にも及ぶ多くの人たちのDNAを受け継いで、
現在の私たちの命があります。
いってみれば、知らない人も含めたすべての祖先は、
私たちの肉体や性格などのルーツとなっているので、
ぜひ供養や感謝をしたいと思うのが自然でしょう。
じゃあ、
「先祖供養って、いったいどうすればいいのか?」
ワンネスヒーラーの中西研二さんは、
こんな質問をいただいたときには、
━━━━━━━━━━━━━━━━━
「先祖供養ではなく、先祖解放をしてください」
━━━━━━━━━━━━━━━━━
と答えているそうです。
これは、決して先祖供養を粗末にしていいというわけではなく、
むしろ逆の発想です。
アネモネ8月号の特集記事から、中西さんの言葉を引用すると、
「もし、ご両親などに不義理をしたのなら、
そのことはちゃんと謝ってください。
次に、皆さんのおかげで生まれてきたことを感謝する。
そして、私たちを創造した宇宙の本源に、
先祖がマインドから解放されることを祈るのです」
とのこと。
とにかく、私たちのDNAには、
ご先祖たちのマインドの状態も刻まれています。
亡くなった方の意識には、
「もっとお金があれば」「あれは許せない」
などの執着が残っているのが普通です。
その執着心を受けて、私たちのDNAスイッチが、
同じ状態へとオンになっていることはよくあることです。
日常的には「どうせ、やったって無理」
「世の中なんてこんなものだ」など、
ご先祖の心のつぶやきが浮かんでいるかもしれません。
このようなご先祖のさ迷えるマインドを、
光によって解放するのが、
中西さんによる「先祖解放ヒーリング」です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━
本源=「宇宙の創造の源」
とのパイプがしっかりとつながった状態の中西さんが、
ご先祖のさ迷えるマインドに、本源からの光を降ろして、
宇宙に光へと導いてもらいます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━
その結果、中西さんは、
ご自分の人生が好転していく方をたくさん見てきたといいます。
なぜかというと、実は私たちとご先祖とは、
DNAによって、マインドの部分でつながっているからです。
<感謝合掌 令和2年8月28日 頓首再拝>
「お彼岸」に感謝の祈り - 伝統
2020/09/20 (Sun) 05:05:56
昨日19日が彼岸入り、21日(月)が「敬老の日」で
22日(火)は「秋分の日」(彼岸の中日)、25日が「彼岸明け」、
この7日間が「彼岸」となります。
「彼岸」とは元々仏教用語で「煩悩に満ちた世界から解脱(げだつ)した
悟りの世界」、すなわち「亡くなった先祖達の霊が住む世界」を指すそうです。
その祖先の霊を供養するため、各家々ではお墓参りに行ったり、
祖先を供養する「法会(ほうえ)」が行われたりします。
秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」として
1948年に法律で制定されました。
この信仰は日本独自のもので、日本古来の祖先信仰と、
彼岸は「日願」でもあるため、太陽の神を信仰する神道と
結びつき、秋の収穫や自然に対する感謝の祈りが、
祖先に感謝する気持ちにつながって、大切な行事となりました。
「中日」に夕陽を拝むと功徳があるとされています。
(Web:北海道神社庁 より https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和2年9月<長月>季節のまつり )
・・・
《何故、先祖供養が大切か》
*『善き人生の創造』(P353~354)より
あなたの家が若し幸福でなかったり、誰か家族に病気が起っているようで
ありましたならば、家の「中心」がおろそかにされていはしないか
と云うことを反省なさらねばなりません。
家の「中心」とは何か、それは祖先である。
あなたの祖先祀りは大切になされていますか。
毎日礼拝なさいますか。
墓はきれいに掃除してございますか。
礼拝なさいましても、ただ習慣で形式上、
お供えをポンと棚に上げてお辞儀をすると云うような
「形式(かたち)」ばかりではいけないのであります。
神は《まこと》であらせられ、御先祖も《まこと》であられますから、
これを礼拝するには誠をもって真心を以って
礼拝しなければならないのであります。
<感謝合掌 令和2年9月20日 頓首再拝>
繁栄と幸福の基は先祖供養にあります - 伝統
2020/09/21 (Mon) 04:52:48
・・・
上の記事に於いて、『善き人生の創造』から引用させていただきました。
Web:谷口雅春先生を学ぶ会「霊牌供養のすすめ」においても、
同様の引用があります。
ただ、脱字があり、意味が通じない部分があります。
できれば、修正していただければと願っております。
http://manabukai.org/info/sennzokuyou.html
・・・
繁栄と幸福の基は先祖供養にあります
*Web:「真理の実践」 より抜粋
~楠本加美野
『神の生命の法則とはすべて「家」には中心があると云うことです。
即ち大は「宇宙」と云う家から、小は物質原子という云う家にさえも中心がある
と云うことであります。
あなたの家が若し幸福でなかったり、誰か家族に病気が起っているようで
ありましたならば、「家」の中心がおろそかにされていはしないかと云うことを
反省なさらねばなりません。
「家」の中心とは何か、それは祖先である。』(『善き人生の創造』353頁)
次のような実例があります。
わずか30戸たらずの漁師村に、破れ寺があり、25歳の若い住職が来た。
彼は家々の過去帳を手に、毎日その日が命日にあたる先祖を供養して廻った。
初めは馬鹿にしていた村人も、五年も経つと、米を喜捨し、食事を振舞うようになった。
昭和15年、この村の漁師達が沖に仕掛けた網が破れるほどに、
大漁の鰤(ぶり)が掛かり、村人は1日にして巨万の富を得た。
他の村は不漁なのに何故だろうと考えた時、
きっとあの住職が家々の先祖を1日も欠かさず供養してくれたお蔭に違いない
ということになり、みんなで、立派な山門や庫裏(くり)、本堂を建てて、
和尚に感謝したというのですね。
これは水上勉著、『足もとと提灯』という本に書いてあります。
このように、繁栄と幸福の基は先祖供養にあります。
先祖供養には、物施と法施があります。
『御先祖さまにお礼の心で「悟りの糧」となるべきお経を供養するのは
「法施」と申しまして、供養の中でも最も貴い供養であります。』
(『善き人生の創造』354頁)
谷口雅春先生は、『生命の實相』頭注版第33巻の26頁に、
『祖先の霊魂がわたしを絶体絶命の境地に導き、その絶体絶命が
私を悟らせてくださったのであります。
諸君も悟ろうと思い、またはこの世で成功しようと思うには
祖先の礼拝を鄭重(ていちょう)にしおのずから祖先の加護を受けるようにせねばなりません。』
とおっしゃっております。
(https://23t.work/1-4/ )
<感謝合掌 令和2年9月21日 頓首再拝>
秋分の日(秋季皇霊祭) - 伝統
2020/09/22 (Tue) 05:02:47
秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」となっていますが、
昭和22(1947年)までは秋季皇霊祭といいました。
日本に昔からあった先祖まつり、春分と秋分の日を、中日とした七日間を彼岸といいます。
この期間に法要や墓参りをしたり、お寺では彼岸会(ひがんえ)が催されるなど、
仏教の影響が色濃く感じられます。
しかし、仏教思想とは解釈できない要素が含まれていて、
もともと我が国固有の信仰行事が、基調をなしていることがわかります。
「日本書紀」には、「皇祖神武天皇陛下」が、「皇祖天神を祭りたまふ」とあり、
天武天皇十年(682)五月十一日条に「皇祖の御魂を祭りたまふ」と記述がみえます。
従って、このような祖先祭祀の伝統が前提にあったからこそ、
やがて仏教的なお彼岸会も行われるように至ったのです。
中世・近世の宮廷では、御所の一角(清涼殿のお黒土)に歴代天皇の霊牌(れいはい)や
念持仏を安置して、ご命日の法要など営まれてきました。
明治維新の際、神仏分離令により、従来の歴代霊牌は、
京都・東山の泉湧寺(せんにゅうじ)などへ遷されました。
明治2年(1869)改めて神祇官で歴代天皇の御霊代(みたましろ)を招き祭り、
明治天皇陛下の御拝礼がありました。
明治11年6月、「春秋二季祭」を置き、
「神武天皇を御正席とし、先帝まで御歴代天皇、ならびに后妃以下皇親(皇族)」も
「合祭」すると定められました。
さらに、明治四十一年公布の「皇室祭祀令」で皇霊祭は「大祭」と定められ、
祭典の中で東遊(あずまあそぶ)(楽師の歌舞)も奉奏されることになりました。
これは第二十七代安閑天皇(531年-535年)の頃に駿河の有度浜(現在の静岡県三保松原)に
舞い降りてきた天人の姿を象った(かたどった)舞とされています。
この春分と秋分には、皇霊祭に続いて神殿祭が行われます。
その神殿には、日本国中の天神地祇(てんじんちぎ)が祀られています。
天神地祇の由緒を遡れば、記紀神話にみえる高天原(九州)から降臨された、
大和朝廷と関係氏族が奉齊する天神(あまつかみ)と元来地上にいた土着氏族が
奉齊する地祇(くにつかみ)から成るとみられています。
このように皇室、全国の神社では、先祖の供養(くよう)をする日とされています。
春・秋の中日は、氏神さまや、お墓参(はかまい)りをしてご先祖さまをお慰めし、
感謝をする大切な日であることを忘れてはなりません。
古来、日本人は家族や地域の共同体の「和」を大切にし、名誉を重んじてきました。
何気無い不用意な自分の行為が、家族や地域の人の和を損(そこ)なわないように、
自分を律(りつ)する自制心を高めるために、常に身を修(おさ)め、
家を斉(ととの)えてきたのです。
日本古来の習俗を体現され、今日に継承されておられる、皇室。
「敬神崇祖(けいしんすうそ)」のこの日に、
それぞれが、皇霊を遥拝し奉り、ご祖先を敬う気持ちを示すことが大切です。
・・・
皇室および一家の祖先を礼拝せよ
*『生命の實相』第28巻(久遠佛性篇下)P65~66より
【われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、
次いで一家の祖先の霊魂または仏壇の前に坐してその冥福と守護を祈願し、
かつ自己の生命も永遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す】
皇霊を礼拝するということ虚礼ではありません。
われわれ日本人は日本国の歴史を通して「今」の一点に生きているのです。
そしていろいろの日本国の興隆浮沈はあったにしても、どんなときにも日本国が動揺せずに、
ここまで日本民族が発展してきました不倒翁の重心のごとくドッシリとして、その中心から
どんな時にも日本国が立直ることができた重心は天皇がましましたからであります。
われわれは歴代の天皇の御恩沢を忘れてはならない。
恩を知るということが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。
だからわれわれは歴代の皇霊に対して崇敬の誠を献げるのであります。
<感謝合掌 令和2年9月22日 頓首再拝>
お彼岸の習わし - 伝統
2020/09/23 (Wed) 04:33:45
*Web:浄土宗東京教区・教区団(2012年9月1日)より抜粋
皆さんの多くは「お彼岸」と聞くとすぐに「お墓参り」を
頭に浮かべるのではないでしょうか。
私たち日本人が当たり前に行っているお彼岸の行事ですが、
春秋のお彼岸に墓参や法要を行っているのは日本独特の習俗であって、
インド・中国などの国々では行われていなかったようです。
太陽崇拝により「日の願」から「日願(ひがん)」となったという説や、
春秋に渡り鳥が往来することから「飛雁(ひがん)」となったという説など
諸説ありますが、
仏教では川向こうにある理想の世界を「かなたの岸」
すなわち「彼岸」と称しています。
今から1300年ほど前の平安時代の初め、全国の国分寺において行われた、
春分・秋分の前後3日の7日間「金剛般若波羅蜜多経」を読経する法会が
文献上の初見と言われております。
「波羅蜜多」は「到彼岸」の意味で、迷いの世界(此岸)から
煩悩の流れを渡って悟りの世界(彼岸)に到達することです。
この法会は桓武天皇の弟、早良(さわら)親王の怨霊を鎮めることが目的であり、
天皇は親王の霊が速やかに到彼岸することを願ったのでした。
旧暦2月・8月(現在の3月・9月)の春分・秋分の日は吉日とされ、
この日に善行を修すと所願成就が叶うと考えられ、過
去に犯した罪を懺悔する懺法(せんぼう)や心身を清める潔斎などを行ったり、
法会を営み読経するなど、行いを正しくする日がお彼岸であったようです。
ところでお彼岸のお墓参りの習慣はいつ頃から始まったのでしょうか。
そもそも現在のようなお墓は、江戸時代中期以降に始まったと言われています。
檀家制度によって菩提寺と檀信徒の関係が結ばれるようになってからのことと
思われます。
お檀家さんたちはお寺に参詣し、僧侶の法話を聴き、お墓参りすることによって、
日常の生活を反省して身も心も浄め、さらに亡くなった人たちを偲ぶことが
お彼岸の習わしとなっていったのでしょう。
(http://jodo-tokyo.jp/info/archives/date/2012/09?cat=14)
<感謝合掌 令和2年9月23日 頓首再拝>
家系分析の第一人者・天明茂さんが説く、幸せな人生を送る秘訣 - 伝統
2020/10/30 (Fri) 04:37:20
*Web:致知(2020年10月27日)より
1966年から企業再建指導に携わり、家系分析を通じて
多くの企業の経営改善や人材育成にあたってきた天明茂さん。
家系図を遡り、自分に受け継がれている徳を発見し継承することが、
人間性を高める最高の方法であり幸せになるための源泉だといいます。
仕事や家庭生活上の問題解決にも繋がるという家系分析。
その要訣に迫ります。
《〝いのち〟を遡る家系分析》
家系分析とは自分の両親、祖父母、曾祖父母など、
〝いのち〟を遡って調べ、これを家系図としてまとめる。
そして、家系図に載っている親・祖先の生きざまを調べ、
親・祖先の喜びや悲しみを理解するとともに、
自分に継承されている長所・短所をしっかりと自覚することである。
大事なことは「家系図」を書いて終わりではないということ。
家系図に載っている一人ひとりの生きざまを調べて、
〝いのち〟に流れる良いところ(すなわち「徳」)、
先祖が苦しみ悲しんだこと(すなわち「不徳」)を
発見することが大切なのである。
そして徳は顕彰して受け継ぐ努力をするとともに、
不徳については慰霊し、併せて自分たちが受け継がない努力をする。
このように先祖の生きざまを
自分の生き方に生かすことが家系分析の中心テーマである。
その意味で、家系図を書くことはスタート地点と考えたい。
家系図の作成代行業もあるが、戸籍謄本を取り寄せて
家系図をまとめるところまでなら外部に依頼してもいいかもしれない。
しかし、家系分析の目的は自分の生き方に生かすことなので、
業者に頼らず自分自身の足と手を使って行うのがよい。
《親・祖先の長所を受け継ぐ》
家系分析で一番大事なことは、
先祖の徳を讃え、感謝し、受け継ぐ努力をすることである。
人は誰でも長所を持っている。
頭脳が明晰な人もいれば感性が鋭い人、運動能力に長けた人
、他人に親切な人、努力家など長所はさまざまであり、
それは「その人らしさ」というアイデンティティーになっている。
これらの長所は本人の努力による部分も大きいが、
それ以上に遺伝子や環境因子として親・祖先から
受け継いだものが少なくない。
その証拠に歌舞伎や能など伝統的に世襲制をとっている世界はもとより
、政治家、タレント、スポーツ選手などにも
親子揃って一流になっている人が多い。
親の影響力やコネがあるのかもしれないが、
それ以上に遺伝的に受け継いでいるものが大きいと思われる。
このことは長年、家系分析に携わっているとよく分かることである。
「いや、自分に限って、そのようなことはない。100%自分の努力です」
と自慢する人がいるとしたら、その人はかなり高慢な人であろう。
あるいは「努力する性格を親・祖先から受け継いでいる」ことに
気づいていないのかもしれない。
大事なことは自分の長所が親・祖先から受け継がれていることを知って
感謝を忘れないことである。
「先祖にこんな優れた点があった」と気づき、
例えそれが自分の能力として顕在化していなくとも
「自分にも受け継がれているに違いない」と知れば、
自分の眠っている遺伝子にスイッチが入るのではないだろうか。
また、人は感謝の念が深まるほど謙虚になる。
先祖の徳に感謝し受け継ぐ努力をするほど長所に光が増すものである。
関西で自動車販売店を経営しているTさんは
4代目社長として立派な経営をされているが、
折ある毎に「会社の発展は初代のご苦労の上に、2代目、3代目が
地元で信用を築いてくれたおかげさま」と口にされる。
「自転車販売をはじめた曾祖父、店を広げた祖父、そ
してオートバイに転身した3代目である父が寝食を忘れて
努力してくれたおかげで現在がある。
自分は先代・先々代の遺産を食いつぶしているだけ」と謙遜される。
その人柄が周囲からの信頼を厚いものにしている。
《親心に触れると心が変わる》
Aさんは3歳の時に両親が離婚し、母は家を出た。
そんな母をAさんは許せなかった。
その後、Aさんはしばらく父親に育てられたが、
やがて父親にも手が負えなくなって5歳の時に養子に出された。
そんな父親を好きになれず、
成人してからも父親とはほとんど交流を持たなかった。
風の便りに母が別の男性と暮らしているとも聞いた。
養子に出されたAさんは養家先の両親に育てられたが、
養父母ともうまくいかず、悪い仲間と交わるようになった。
高校卒業後はアルバイトなど職場を転々とした。
両親との間で基本的な信頼関係を結べなかった人は
成人して社会に出てから人間関係で苦労する場合が多い
ということは既に述べたとおりである。
幼少時にAさんの心に作られた傷は、
成人してからAさんの性格や価値観に大きな影響を与えた。
Aさんはまじめな性格だったが、上司や職場仲間の
ちょっとしたミスを許せず孤立してしまう傾向があり、
このためどこの職場でも長く勤められなかった。
ある時、
「両親や祖父を恨んでいる限り、周りから信頼される人にはなれない」
と人からいわれ、Aさんは思い切って父親に会いに行った。
父親はすっかり老け込み、昔とは打って変わって穏やかになっていた。
父親の話からAさんの祖父母は満州からの引揚げ者だったことを知った。
日本に戻ってから経済的に苦労の連続ですさんだ生活を余儀なくされ、
その挙句、人にだまされて僅かな財産を全部とりあげられてしまった
というのだ。
このために父はろくに学校にも行けず悪い仲間に入ってしまい、
苦労の連続で若いころから大酒に浸るようになった。
縁があって母と一緒になったものの、働くことが嫌いな上、
酒で暴力をふるうことが度重なり、母は我慢ができずに家を出たという。
「お前には本当に苦労を掛けた」と父親は涙を拭いた。
Aさんは祖父の過去や父母の生活を初めて知って涙した。
「自分はこれまでずっと、自分を捨てて出て行った母を責めていたが、
物心もつかない自分を残して家を出ざるを得なかった
母の気持ちを知ろうとしなかった自分は本当に親不孝だった」
「祖父は家を破産させた加害者だと思ってきたけど、
実は祖父は被害者だったことが分かった。
誤解していて本当に申し訳なかった」と。
関心を持って事実を知れば理解が深まり、
反省により自分の心は責めから受容へ、そして詫びへと変化していく。
そして、父母や祖父との配線がつながるのである。
これは親心に触れて自分が変わる瞬間でもある。
Aさんに限らず、両親や祖父母がどんな生き方をしてきたか、
どんな苦労をしてきたか、子供の頃には分かるはずがない。
しかし、大人になったら
大人の目で両親や祖父母を客観的に見なければならない。
そうすることで、自分が知らなかった父母や祖父母を発見できることが多い。
(本記事は、書籍
「なぜ、うまくいっている会社の経営者はご先祖を大切にするのか』
〈致知出版社〉より一部を抜粋・編集したものです)
https://ameblo.jp/otegami-fan/entry-12612446863.html
<参照>
なぜ、うまくいっている会社の経営者は・・・
https://itoshima.mypl.net/shop/00000358654/news?d=1827909
優れた経営者の特徴は自分のルーツを知っていること?
https://ka-ju.co.jp/column/my_roots
<感謝合掌 令和2年10月30日 頓首再拝>
亡き先妻の承諾を得てから、後妻を迎える - 伝統
2020/10/31 (Sat) 04:47:14
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月31日)より
男子が妻を失って家庭の事情か何かで後妻を欲する場合は
先妻の霊魂の承諾を得ることが先決問題なのである。
そうでないと先妻の嫉妬の逆念などを放送せられて、なんとなく後妻と
その良人との感情を疎隔せしめ、ついに離婚に立ち到らしめるか、
夫婦中のどちらかを病気にならせることがありがちである。
先妻は死んでしまって、現在眼の前にいないのに
どうしてその承諾を得ることができよう―― と思われる人が
あるかもしれないが、先妻は肉体はいなくともその霊魂はたいてい
良人に執着して身辺にいるのであるから、
身辺にいなくとも霊界にいて、名を唱えれば招霊しうるのであるから、
仏前で先妻の名を呼んで招霊し、
「汝(あなた)はすでに霊界の人であって地上の存在でないから、
地上の世人における地上の営みに執着しないで
霊界で向上の道を辿ってください。
地上のわれわれの家庭では子供の多いことであるし、
地上の生活上家事をとるための後妻が必要であるから後妻を貰いたいから
これはやむえない事情の出来事として怨まず嫉妬せず、
家庭の中に不幸の起こらないように祝福しておいて
完全に霊界の人となってください。
いつまでも地上のことに執着している霊は浮かばない霊と言って
いつまでも苦しまねばならぬのである。
今後一ヵ月間聖経『甘露の法雨』をあなたのために読んであげるから、
その真理をよく聴き悟って人間本来肉体でないこと、病も本来ないこと、
本来自由自在で歓びに満たされていることを悟って、
成仏して自由自在の境地に入ってください。」
こう前置きしてから一ヵ月間一定の時刻に『甘露の法雨』をその亡妻の
ために誦するがよいのである。
こうして後、後妻を迎えたら先妻の執着の念は消えているから、
なんら障礙の念波を送らない。
そうして先妻の霊魂は過去帳または位牌の中に、
戒名または俗名を書いておいて、あとは「何々家先祖代々親類縁者之霊」
とその家の縁者の霊を一緒にとなえて、読経なり回向すればよい
のであるから、後妻に対して、先妻の名前を呼ばしめる必要もないのである。
世間には「生き別れの後へ嫁(い)っても、死に後へな嫁(い)くな」
という諺があるのは、先妻の死別したあとへ行くと
先妻の亡霊の念波の干渉があってうまくゆかないのと、
死んだ者は美しく見えるので、
「前の妻はこうだった、こうしてくれた」などとともすれば
比較されるので後妻にとって耐え難いことがあるからである。
後妻の前で先妻の噂をしたり、
先妻を賞(ほ)めたりするものではないのである。
<感謝合掌 令和2年10月31日 頓首再拝>
先祖を敬うことの意味とは? 「一流」と言われる人の共通点 - 伝統
2020/11/19 (Thu) 04:32:07
*Web:J-CASTニュース(2020年11月07日)より
(1)世の中で「一流」と言われる人にはある共通点があります。
それは、ご先祖さまを大切にすること。
自分と血のつながっている直接のご先祖さまに限らず、
日本人全体のご先祖さまという意味で、
さまざまな先人への感謝の儀式にも一流の人は意識を払うのです。
(2)先祖を敬うということ
~「なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?」(一条真也著)すばる舎
①『一流』ということと『ご先祖さまを大切にする』ということに、
果たしてどんな関係があるのでしょうか。
キーワードは『伝統』です。
あるいは連綿と続く『歴史』を現代に生かすこと、
と言っていいかもしれません。
長い年月の中で培われた英知の一部に、『伝統』というものがあります。
②一流とは、長い時間の中で培われてきた英知を惜しげもなく提供すること。
それを『伝統』と呼びます。
ただし、守っているだけではありません。
そこには時代に合わせた創意工夫があります。
それができることもまた一流の証しです。これを『革新』といいます。
(3)先祖供養が必要なワケ
①先祖供養には、亡くなった先祖たちが安らかに眠れるように
お参りすることですが、仏教では先祖供養によって
徳が返ってくるとされています。
②心の拠り所として、
お墓のありかたや先祖を敬う気持ちをもつことが大切です。
③先祖への気持ちを新たにし、手を合わせてみるということ。
そこには、人として成長するためのヒントが隠されているのです。
(https://www.j-cast.com/kaisha/2020/11/07398281.html )
<感謝合掌 令和2年11月19日 頓首再拝>
貧しさの理由~不調和と祖先の祭祀の不足 - 伝統
2021/03/11 (Thu) 06:40:25
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月11日)」より
すでにあるのに、多くの人が貧しいのは、第一家庭の調和を欠いていること。
祖先の祭祀(さいし)が足りないので祖先の守護の足りないこと。
家族の不調和と祖先の祭祀の不足とで、その人が外に出ても自分の身辺に漂うている
雰囲気が刺々(とげとげ)しくて、他から好意を持たれないことなどである。
<感謝合掌 令和3年3月11日 頓首再拝>
春のお彼岸 - 伝統
2021/03/17 (Wed) 13:11:00
今日(3月17日)から1週間、先祖を供養する「春のお彼岸」に入りました。
20日(土)は彼岸の中日(春分の日)です。
「彼岸」とは、迷い苦しむ現世の人間界(此岸)に対する言葉で、
「彼(か)の岸に至る」を意味するサンスクリット語の
「パーラミター(波羅蜜多)」からきています。
煩悩の束縛から解き放たれて悟りを開いた涅槃(ねはん)の境地が彼岸です。
ところで、彼岸に欠かせないのが「ぼたもち」です。
今は1年を通して「おはぎ」として売っている店もありますが、
本来は季節の花にちなみ春の彼岸は「牡丹餅」、秋の彼岸が「お萩」。
赤色系の花の色や、餡となる小豆には邪気を払う効力があるとされています。
この2つ、違いは食べる時期や名前だけではなく、
ぼたもちは牡丹の花をかたどり丸く大きく、
おはぎは萩の花のように小ぶりで少し長め、
元々は、ぼたもちはこし餡、おはぎはつぶ餡という違いもありました。
さて、お彼岸に墓参りをするのは日本独特の良き風習です。
古来、人々はこの時期を春の訪れを祝う時期としていました。
それと同時に祖先に感謝をするお祭りを行ない、
この風習は農村部で長く続いてきました。
お彼岸の期間、ご家族でお墓参りは、その最たるものです。
この機会に、それぞれのご先祖様へ、感謝のご挨拶をいたしましょう。
・・・
<参照>
伊勢ー白山 道(2021-03-17)
情けは人の為ならず(自分のために成った)の後半部分
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/166254f510829287e375a8633606a0df
伊勢ー白山 道(2021-01-18)
間違った情報を元にして怒り心頭していないか注意
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/5fc4a6efd9deec8c15c0e4c03efec371
<感謝合掌 令和3年3月17日 頓首再拝>
【斎藤一人】【お彼岸】これがご先祖様への最高の供養だよ - 伝統
2021/03/18 (Thu) 13:10:33
hirokuma TV (2021/03/18)
→ https://www.youtube.com/watch?v=YMI4gZy1d0o
00:00 Q1:ご先祖様への最高の供養とは?
01:34 Q2:前世がどんなに立派でも今世は関係ない
02:43 Q3:悪い現象はご先祖様のせいではない
04:59 Q4:今世に良い種まきをしておく
05:56 Q5:死んだら終わりではない
07:46 Q6:死んだら光の方へ行く
08:51 Q7:死ぬ1週間前に魂が抜け挨拶に行く
09:38 Q8:「幸せだ」と言うと皆が喜びます
<感謝合掌 令和3年3月18日 頓首再拝>
春季皇霊祭《皇室および一家の祖先を礼拝せよ》 - 伝統
2021/03/20 (Sat) 03:26:12
今日は、「春季皇霊祭」。
今日は、ご皇室とともに、ご先祖に感謝する日です。
明治時代、春分の中日を「春季皇霊祭」と定め、
宮中において祖先を祭る日となったのをきっかけとして、
一般市民の間でも祭日とされました。
春季皇霊祭とは、毎年春分の日に行われる
歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式をいい、
宮内庁が公開している皇室の「主要祭儀一覧」には
「春分の日に皇霊殿で行われるご先祖まつり」と記されています。
皇居内の宮中三殿には神殿、賢所、皇霊殿があります。
皇霊殿には、歴代天皇、皇族の御霊が祭られています。
皇霊祭では天皇陛下がお告文を読まれ、
皇后陛下、皇嗣殿下、皇嗣妃殿下が拝礼されます。(おそらく)
また、本日は「春季神殿祭」も行われます。
皇居内の宮中三殿の神殿には国内のさまざまな神が祭られており、
この神々の神恩に感謝する祭儀が行われます。
宮内庁が公開している皇室の「主要祭儀一覧」には
「春分の日に神殿で行われる神恩感謝の祭典」と記されています。
天皇陛下がお告文を読まれ、
皇后陛下、皇嗣殿下、皇嗣妃殿下が拝礼されます。(おそらく)
・・・
《皇室および一家の祖先を礼拝せよ》
*Web:☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆(2015-11-21)より
【われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、
次いで一家の祖先の霊魂または仏壇の前に坐してその冥福と守護を祈願し、
かつ自己の生命も永遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す】
(『生命の實相』第28巻(久遠佛性篇下)P65)
この われわれの生命が 永遠なる存在であるということは、
生長の家の真理の根本を貫(つらぬ)くところのものであります。
これがハッキリわからなければ
「 皇霊を遥拝し 」 ということの意義もわかりません。
皇霊を礼拝するということも虚礼ではありません。
いろいろの批判はあるにしても、われわれ日本人は
日本国の歴史を通して 「 今 」 の一点に生きているのです。
そして いろいろの日本国の興隆浮沈は あったにしても、
どんなときにも 日本国が動揺せずに、ここまで日本民族が発展して
きました不倒翁(おきあがりこぼし)の重心のごとく ドッシリとして、
その中心からどんな時にも 日本国が立ち直ることができた重心は
天皇がましましたからであります。
われわれは 歴代の天皇の この御恩沢(ごおんたく)を忘れてはならない。
恩を知るということが 実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。
だから われわれは 歴代の皇霊に対して崇敬の誠を捧げるのであります。
・・・
われわれは 「 現世 」 とか 「 来世 」 とかいうカンバスに 何で絵を
描(か)くかというと、念波で 絵を描くのであります。
念波という絵具(えのぐ)をもって 絵を描くのでありますから、
その念波を善(よ)くし、また よくしてあげることが 必要であるのあります。
最もよい念波は 何であるかと申しますと、
悟りの念波、真理の念波なのであります。
この真理の念波を人に与えるということ、
これが仏教でいう法施(ほうせ)というものでありまして、
最も尊い施(ほどこ)しであります。
われわれは 人に物を施すのは、物施(ぶっせ)といって物を施すのと、
それから法施といって 悟りの念波を施すのとがありますが、
真理(さとり)の念波を施すということが
本当の最も根本的な供養になるのであります。
・・・
最高の救いは、やはり真理のお経を 意味が本当に分かって読むに限るのです。
そうしますと そのお経を捧げられる相手方の霊魂は 非常に心が富み、心が満腹し、
生命が生長するということになるのであります。
ですから われわれは 暇があれば朝晩は
必ず 「 祖先の霊魂の悟りのための供養として・・ 」 といって
生長の家の聖経 『 甘露の法雨 』 を誦(よ)むなり、
先祖から伝わっている宗教の経典を読むということにされることが
祖先に対する子孫の務(つと)めなのであります。
・・・
われわれは 祖先というものがあって 今ここに生きる機縁(きえん)を
与えられているのでありますから、その祖先に対して われわれが供養する、
お経をよんで真理の念波を供養する、実相のサトリを 供養するということは
実に大切な子孫の務めであります。
・・・
実際上 祖先に対して よく真理を施(ほどこ)しておられる人々は、
祖先の守護も多く、また 自分の善念の具象化として
不幸というものがないのであります。
『 生命の實相 』 ( 頭注版 第28巻 久遠仏性篇 65・66頁、71頁、73・74頁 )
谷 口 雅 春 先 生
(http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/dde79b69a883f9a695059055d1c27968)
<感謝合掌 令和3年3月20日 頓首再拝>
不思議体験日記(ご先祖さまからのメッセージ) より - 伝統
2021/03/22 (Mon) 11:56:34
【お彼岸】ご先祖様からメッセージ~神仏と会話が出来る【菊水千鳳】さんのブログより
動画 hirokuma TV (2021/03/22)
https://www.youtube.com/watch?v=9ZJtMrYE308
<目次>
00:41 不思議体験日記(お彼岸に沢山のご先祖さまがいらっしゃいました~
ご先祖さまからのメッセージ)
( https://ameblo.jp/kikusuisenhou/entry-12626352413.html)
06:44 不思議体験日記(お彼岸に再びご先祖さまがいらっしゃいました~
二人のご先祖さまとの会話)
( https://ameblo.jp/kikusuisenhou/entry-12626499028.html)
14:59 不思議体験日記(お彼岸の期間中 更なるご先祖様から日々の我々に
向けた生きるための応援メッセージ)
( https://ameblo.jp/kikusuisenhou/entry-12626858167.html)
<感謝合掌 令和3年3月22日 頓首再拝>
先祖を大切にしない人に、成功する人はいない - 伝統
2021/04/19 (Mon) 02:48:26
*Web:婦人画報(2021/02/18)より抜粋
~細木かおりさんが説く、
「先祖を大切にする」という当たり前のこと
(1)「先祖を大切にするのは当たり前のこと。古きよきことです。
先祖がいなければ、いまの自分は絶対にいないんです。
そんなこともわからずに、この先、大成する人間にはなれません」
(2)「いずれは自分も先祖の域に行くわけですが、
いま先祖を大切にしていなかったら、
誰も自分を大切にはしてくれません。
最近は自分の家のお墓がどこにあるのかも知らない
という人が増えているようですが、
自分が先祖を大切にしている姿を見て、
子どもや周りの人も自分のお墓に参ってくれるものです」
(3)かおりさんのお墓参りは月に1度。必ず訪れ、手を合わせます。
まず柔らかなスポンジで墓石を磨き、
清浄な白いタオルで優しく拭き上げます。
「お墓はその方のお姿です。
タワシや汚れたタオルで磨かれたら嫌でしょう?」
(4)墓前では、勝手な願い事をするのではなく、
「こんなに健康に過ごせてありがとうございます」と感謝の意を込めて。
お墓参りは遅くとも日が暮れないうちに、
午後3時か4時までには済ませます。
(『婦人画報』2021年1月号増刊 別冊付録より)
(https://www.fujingaho.jp/culture/interview-celebrity/a35425221/hosokikaori-210218/)
<感謝合掌 令和3年4月19日 頓首再拝>
ご先祖様の祖霊化とスピリチュアルな真相 - 伝統
2021/05/11 (Tue) 04:43:01
*Web:宇宙の兄弟たちへ(2021.02.27)より
古来の日本では祖霊という考えがあり、
現在でも日本人の思想の中に残されている部分があります。
亡くなったご先祖様の霊は、死後に一定の時期を経て祖霊という、
ご先祖様の霊の集合体と一体になり、
そこからまた現世に生まれ変わるという思想です。
インドで生まれたお釈迦様の説かれた仏教では、
輪廻転生の思想がはっきりしており、
人間はあの世とこの世を生まれ変わって行き来するものだと説きました。
この仏教の思想が日本に入ってきたのは古墳時代ですが、
それよりも先に日本では古来より生まれ変わりの思想が
根付いていたといえます。
かつての人々の持っていた時間の感覚は、円環的時間だったとも言われます。
円環というのは、始点と終点が繋がっており、永遠に繰り返されるものです。
誕生して成人し、亡くなってから祖霊化過程があって
祖霊となった後に、またこの世に生まれ変わるという繰り返す時間です。
人が生まれると、成人するまでのあいだの過程があります。
誕生してから、お食い初めとか、百日祝とか、七五三祝いなど
各節目に祝をします。
そして二十歳の成人式をもって、立派な成人となっていくわけです。
このように誕生から成人するまでの過程を経て、
人は一人前の大人になっていきます。
古代の日本では、ご先祖様の霊も、
祖霊になる過程があると考えられてきました。
そのため、初七日や四十九日があり、
一年忌、三年忌、七年忌、などを経て
三十三回忌で”弔い上げ”といわれます。
人がこの世に生まれてから様々な祝をして成人となっていくように、
ご先祖様の霊も弔いを行っていって最後には弔い上げして過程を終えます。
この三十三回忌の弔い上げが終わると、
ご先祖様の霊は個性を失い、祖霊と一体になると考えられてきました。
この祖霊は、私たち地上に生きる者たちを守る、
守護神的な存在であると考えられています。
さらに祖霊というご先祖霊の集合体の様な存在から、
その一部が現世(この世)に生まれ変わってくるとする考えがあるわけです。
では、スピリチュアルな観点から、
この祖霊という考えを見ていきたいと思います。
まず人間の魂がこの世とあの世とを繰り返し生まれ変わっている
とする考え自体は霊的に正しいものでしょう。
人間は地上世界に肉体をもって生まれますが、
死後はあの世の世界に魂として帰っていきます。
そして時が経つとまた、この世へと生まれ変わります。
ご先祖様の霊を三十三回忌までは弔うと言う意味はどうでしょうか?
これにはご先祖様の霊の中には、真っすぐに浄化してあの世に帰れずに、
この世に留まっている霊がいる事を示しているのかも知れません。
まだ浄化されていないご先祖様の霊に対して、
供養することで正しくあの世へ上がっていただくという考えがあるのでしょう。
それと亡くなってしばらくは、浄化した霊であっても、
まだこの世に関心を持ち、子孫にメッセージを送ろうとしたりするので、
そうした関心が残っている時期を指している部分もあるかと思われます。
亡くなられてしばらくは、やはり残された子どもたちの事などが
気になりますので、あの世に無事に帰られた霊であっても、
関心を持ってこの世を見ています。
そして時折、子孫の夢の中に現れて思いを伝えたりとか、
何らかのメッセージを送ろうとする場合があります。
こうしたこの世への関心がいまだに残っている時期として、
三十三回忌の弔い上げの期間が考えられているのではないかと考えられます。
三十年では一世代が過ぎますので、
そうすると亡くなられた霊であっても、時代が変わってきますので、
この世への関心はもう薄らいでいる事と思います。
このように未浄化な霊がこの世にとどまっていたり、
あの世に帰った霊が、この世に関心を向ける時期として、
三十三回忌までを想定しているのかなと感じます。
それを過ぎるとほとんどの霊は浄化が進んで行ったり、
もうこの世に関心を示さず、あの世の生活に入っていきますので、
これをもって祖霊と一体化したものと考えているのでしょう。
祖霊と言うと集合霊のような印象を受けますが、
実際には人間の霊は個性化が進んでいるため、
あの世ですべての先祖の霊が一体化するという事はありません。
ですが人間の魂というのは肉体に宿った部分だけではなく、
実際にこの世に生まれてくるのは、魂全体からすれば
その一部であると言うのは霊的真実です。
大きな魂の存在の中から、
その一部が肉体に宿って生まれてきているのが霊的真実です。
そしてあの世に帰れば、個人差はあるでしょうが、
その元なる魂全体と一体となる感覚のなかにあります。
この魂全体には、この世に生まれてきていない部分のなかに、
いわゆる守護霊といわれる存在もいます。
このように地上の肉体を宿った部分は、
より大きな魂の一部であるという霊的真実を、
祖霊という考えは反映しているようには思えます。
ただ、この魂の全体というのは、
ご先祖様で集まっているのではなくて、
いろんな地域と時期に生まれた者たちの集まりです。
ですので魂として繋がっている守護霊様が、
外国人であったりもするわけです。
祖霊の考え方は、一部霊的真実を示している部分もありますが、
完全に正しというものでもないようです。
正しい霊的知識が広まる事が望ましいですね。
https://www.spacebrothers.jp/2021/02/blog-post_27.html
<感謝合掌 令和3年5月11日 頓首再拝>
「先祖の因縁」って本当 - 伝統
2021/06/03 (Thu) 04:38:42
*Web:致知(2021年05月20日)より
~家系分析をとおして分かったこと
経営コンサルタントの天明茂さんは、
仕事の一環として「家系分析」を行っていきました。
潰れた会社の再建のために社長さんに家系を調べてもらって
家族のあり方を見直すと、家庭内の人間関係がよくなったり、
経営が持ち直したり、慢性病が治ったり、
ということが数多くあるというのです。
筑波大学名誉教授・村上和雄先生が聞き手になって迫っています。
《受け継がれていった親族の確執》
(村上)
家系図だけを見ても、その背景にあるものまではなかなか分かりませんものね。
(天明)
私たち夫婦は両親と同居していたのですが、
私の父と妻との間に確執がありました。
しかし、調べていくと妻と父だけでなく、母と義理の祖母、
祖母と義理の曾祖母、曾祖母とその上の高祖母の間にも
似たような確執がありました。
同じパターンが何代にもわたって繰り返されていたんです。
このままいったら、今度は私たちが子供と争うことになる。
「うわぁ、これは何としても汚れた家系を正さなきゃ」と思って、
さらに調査を進めたら、他にもいろいろなことが見えてきました。
例えば、曾祖父母は粟餅屋をやっていた同じ名字の天明家に
夫婦養子に入るのですが、養家先の両親との対立が激しくなって
養子縁組を解消し、絶家していることが分かりました。
粟餅屋の両親が「このままだと絶家してしまう」と泣いて頼むのを
振り切って曾祖父母は家を出てしまう。
その時、曾祖父母は「勝手にしろ。その代わりおまえたちが死ぬ時は
馬乗りになって絞め殺してやる」という捨て台詞を言われた、
という話を母が祖父母から伝え聞いていたというんです。
それを知った時には身の毛がよだちましたが、
そう思って改めて家系を調べていくと、
家系の中に首つり自殺をした人が何人もいたんです。
私にはまるで「首を絞め殺してやるぞ」という
怨念のようにしか思えませんでした。
(村上)
あまり知りたくはない現実ですね。
(天明)
でも、それを知ったことがかえってよかったです。
粟餅屋をやっていた天明家の墓を探し出し供養してから、
不思議とよいことが起こるようになりました。
妻と父の確執も不思議なくらいなくなりました。
というのも、確執の原因が家系分析によって分かってきたんですね。
父親は無口で陰険な人だったと申しましたが、その背景を探ると、
祖父が人の借金を肩代わりして返せなくなり、
父と父の兄が人質として百姓奉公をさせられていたことが分かりました。
早朝から夜中まで働きづめの中で父は、
祖父が借金をしてしまったために自分たちがこんな辛い思いを
しなくてはいけないという惨めさをいやというほど味わうんですね。
その頃から、人を信用してはいけない、お金は無駄に使っちゃいけない、
贅沢はいけないという価値観が培われていったようです。
(村上)
そうでしたか。
(天明)
だから、父は妻がちょっと美味しいものを作ると箸をつけなかった。
妻にしてみたら「お父さんのために一所懸命料理をこしらえたのに、
きょうも食べてくれない。きょうもこんな皮肉を言われた」と
大変なストレスだったのですが、
父は決して悪気があったわけではありませんでした。
(村上)
しかし、そういう背景が分かってくると、
対立していた相手の立場というものが理解できるのではありませんか。
(天明)
おっしゃるとおりです。妻の場合も、
「そうか、お父さんは私を嫌って食べないわけじゃないんだ。
贅沢ができないだけなんだ。だからお豆腐なら食べてくれるんだ」
と。
それ以来、父には豆腐や目刺しを出し、
私たち夫婦はちょっと美味しいものを食べるようにしましたが(笑)、
そういう工夫をする中で妻も父を恐れなくなって
自分から話ができるようになったんです。
私は5人きょうだいですが、父は晩年、きょうだいの連れ合いの中で
私の妻を「セツ子、セツ子」と一番可愛がってくれましたよ。
《先祖への感謝を忘れてはいけない》
(村上)
そのように考えていくと、私たちはあまり意識せずに生きていますが、
時にご先祖の恩に思いを馳せるのは大事でしょうね。
(天明)
そのとおりですね。世の中には、自分の心に
親やご先祖が生きていない人がたくさんいます。
でも「ああ、ご先祖のおかげでいまの自分がある。ありがたい」という
感謝の思いを常に持ち続けていることでご先祖は喜び、
人生も好転するのではないでしょうか。
もう一つ大切なのは、
自分たち親子、夫婦、きょうだいが仲良くしていることですね。
(村上)
そうでしょうね。家系をずっと辿っていくと、
最後には命のもとであるサムシング・グレートに繋がるんです。
つまり、サムシング・グレートと人間は親子関係なんですね。
僕は遺伝子の研究を続ける中で、そのことを確信しました。
遺伝子は38億年前から連綿と続いている。
なかなか感じ取れないことですが、
あなたの命も私の命も38億年間続いた命の現れであることは
間違いありません。
その証拠に、ノーベル賞を取った人と、
パッとしないおじさんの遺伝子も99.5%一緒で、
その差は0.5%の差にすぎません。
僕は人間が99.5%同じ遺伝情報を持っていることにこそ
注目すべきだと思うんです。
サムシング・グレートは親ですから、
特定の子だけを贔屓するはずがない。
あるいは障碍も一つの個性として与えられたものなのかもしれない。
オンリーワンの命が一つに繋がっている。
これからは、そのことを自覚する時代になったのではないかと僕は思います。
(本記事は月刊『致知』2015年6月号
連載「生命のメッセージ」より一部抜粋・編集したものです)
<感謝合掌 令和3年6月3日 頓首再拝>
とても大切な亡くなった人への祈り - 伝統
2021/07/05 (Mon) 02:47:07
*ウェb:希望発見ブログLooking for HOPE(2021.05.20)より抜粋
祈りの中でも大変大きな意味を持つのが、天国へ旅立った方への祈りです。
祈りによる愛の念が、地上と天国の架け橋となり、
天国にいる人の心を何よりも慰め、癒し、勇気づけます。
天国は精神世界でもあり、
感情が地上にいた頃に比べ何倍も増幅されるからです。
新しい環境に身を置いた人にとって、
地上から自分に届けられる愛の念ほど、ありがたいものはありません。
愛する人同士は霊的な親和性があり、
一本のエネルギーの線でつながっていますので、
様々な想いを届けることができます。
その想いはキャンドルライトのような光を放ち、
内容によって異なる色彩を保ちながら天国へ届きます。
フラッシュと呼ばれ、色彩に込められた想いが、
新しい世界で新たな人生を生きていく上で、最高の力になります。
人は死後、生前の様々な想いを抱えたまま天国へ向かいます。
愛に飢えていた人は、死後もなかなか自分を価値ある存在として
みることができません。
天国でも援助の手を差し伸べる人達がいますが、
地上から届けられる愛こそが、後悔や自己憐憫の情を、学びと気づきに変え、
ようやく真の安らぎを得ることができるようになります。
天国にいても、祈りは生きる希望に変わります。
英国三大霊訓の一つ、インペレーターの霊訓には、
祈りについてこう記されています。
祈りは病においても死に際しても、強力な援護となる。
病においては人間的看護が無力となった時に霊界の専門家が力となり、
その強力な治癒力によって症状を和らげ、
体力回復のための生命力をそそぐ。
また、死して霊界へ赴くことになれば、
尚のこと祈りの力を頼りとして、
その霊を受け入れる霊団を差し向け、
慣れぬ新しい環境の中での生活を援助してあげられる。
いずれにせよ、霊界側からの援助を可能にしてくれる
人間側の真摯にして積極的な祈念を怠らないで欲しい。
祈りの実際の威力を知れば、
人間はもっともっとそれを活用することになるであろう。
https://www.spiritualfriends.work/entry/do-not-worry-about-anything/instead/pray-about-everything
・・・
<参照>
(1)「自動書記による霊界通信」【第一回】
ステイントン モーゼスの挑戦と「インペレーターの霊訓」
https://www.spiritualfriends.work/entry/trance-writing/spiritual-teachings/william-stainton-moses
(2)伊勢ー白山 道(2021-06-27 )
故人の善行を天に報告するの巻(まき)~
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/9684253c3931f00e8fa4437264e25fc3
<感謝合掌 令和3年7月5日 頓首再拝>
お墓参りの効用 - 伝統
2021/07/23 (Fri) 03:35:02
*Web:impeccably-me(2021-07-19)より抜粋
私にとっては、お墓参りは最強のパワースポットです。
お墓参りに行った時は、毎回、強烈に何かポジティブなエネルギーが
ドーっと、流れる感覚がするのです。
お墓参りに行けなくとも、定期的にご先祖様のことを思い出して、
今日のありがたかった事のお礼を伝えたり、
守られている事に感謝をしたり。
そうした事を、習慣にしていると、
見えない世界とのパイプが繋がって、
龍神様とのご縁が深くなる、と言います。
そんな、ご先祖さまとの繋がりを深める最強の開運言葉がこちら。
とほかみえみため
(⇒ https://ameblo.jp/toru-nishida/entry-12543191922.html )
顔の分かるご先祖様から、
遠い遠い昔の微生物だった頃のご先祖様まで、
脈々と繋がっている命のバトン。
そんな、ご先祖様がつないでくれた
命の奇跡に感謝して、思いを馳せてみませんか。
お墓参りに行くことが叶わなくても、
想いを馳せて感謝の光を送るだけで、ご利益があるそうですよ。
ぜひ、お試しあれ。
https://ameblo.jp/impeccably-me/entry-12687426223.html
<感謝合掌 令和3年7月23日 頓首再拝>
【お盆】に向けて出来る簡単な先祖供養 - 伝統
2021/08/04 (Wed) 04:07:51
*Web:自由気ままなタマ(2021-08-03)より抜粋
(1)神棚または仏壇に
【○○家のご先祖のみなさん】
いつもありがとうございます、
と心の中で伝える。
※○○の中は現在の名字が入ります。
めちゃくちゃシンプルなのに効果が高い!!
(2)ちなみに仕事運は男性の家系にお願いする。
私ならば【旦那の家系】にお願いするんです。
結婚前であれば
父方の家系に仕事がうまくいくように頼む。
父方の【先祖供養】を意識する。
なぜかわからないですが、ご先祖さまにも役割がある。
もし仕事を起動に乗せたい時、または仕事が不調の場合
旦那のご先祖、父方の先祖供養をしてみて下さい
遠方で供養しずらい場合は、
同じ宗派のお寺を探してお寺で供養してもらうか
毎日○○家の皆様、ありがとうございます。
と伝えるだけで、先祖の力が働いて良い方向に導かれます
(3)さらには、全てのご先祖さまに喜んでもらうために、
①現在の名字のご先祖さま。
②旧姓のご先祖さま。
③旦那のお母さんのご先祖さま。
④自分の母親の旧姓のご先祖さま。
この4つのご先祖さまに、
《毎日ありがとう~》
と伝えます。
https://ameblo.jp/aloha3nui7loa/entry-12690021692.html
<感謝合掌 令和3年8月4日 頓首再拝>
お盆の墓参りや供養について - 伝統
2021/08/10 (Tue) 04:40:28
昨年、他界した父の霊に聞いてみた。お盆の墓参りや供養について
和yogiチャンネル(2021/08/06)
https://www.youtube.com/watch?v=qN4agUbaxvA
・・・
【お盆】お墓参り・先祖供養の凄まじい効果とは?
羽賀ヒカル 神社チャンネル(2021/08/06)
https://www.youtube.com/watch?v=1qlMDbgnmFQ
<感謝合掌 令和3年8月10日 頓首再拝>
仏教の教え「”お盆”の由来」 - 伝統
2021/08/11 (Wed) 03:40:51
*Web:吉村外喜雄のなんだかんだ(2020年07月15日)より
亡き父母に会う”お盆”の由来は、「孟蘭盆経」の説話によります。
♪お釈迦様の弟子の”目連尊者”が、初めて”神通力”を得たときのこと・・
目連尊者は、亡き父母に何かできないものか?
と思い、得意の神通力を使って探したところ、
餓鬼道で飲み食い出来ずに、苦しんでいる母親を見つけました。
そんな母親を助けたいと、目連尊者は、鉢に盛ったご飯を差し出します。
でも、ご飯を口に入れようとすると、
ご飯が炭になってしまい、食べることが出来ません。
号泣した目連尊者、母親を救う手立てをお釈迦様に尋ねた。
すると、お釈迦様
「あなたのお母さんは罪が重かったのでしょう
・・あなた一人の力ではどうにもなりません」
と諭した。
そこで釈迦は、旧暦の7月15日(現在の8月半ば頃)に、
徳を積んだ僧侶にお布施をすることを教えた。
そうすれば、父母もご先祖も三途の苦しみから逃れられ、
時に応じて解脱し、衣食にも困らなくなると言われた。
その通りに実行すると、
母親は餓鬼道から逃れることができ、無事往生することが出来た。
目連尊者は大いに感謝して、この習わしを後々まで残し続けることにした
・・これが”お盆”という行事の由来になった。
お盆に、お供え物を盆に盛り、ご先祖を供養すれば、その功徳によって、
先祖は苦しみから救われ、今を生きる私たちも幸せを得ることができるのです。
http://www.noevir-hk.co.jp/magazine/2020/07/post_1736.html
<感謝合掌 令和3年8月11日 頓首再拝>
身魂磨きとしての先祖供養 - 伝統
2021/08/12 (Thu) 04:49:15
【身魂磨きとしての先祖供養】先祖供養の深い意味を知らないとヤバい
予言&預言ざんまい(2021/04/06)
https://www.youtube.com/watch?v=xy3NqL47Y2A
人生の土台をつくる3つの大事なこと
(1)禊
(2)産土参り
(3)先祖供養
<感謝合掌 令和3年8月12日 頓首再拝>
お墓参りは精神を充実させる【神々の集い】 - 伝統
2021/08/13 (Fri) 04:38:02
【美輪明宏】「先祖供養の効果」お墓参りは精神を充実させる【神々の集い】
神々の集い(2018/06/06)
https://www.youtube.com/watch?v=h5m6uqAwOH8
(1)お墓は、霊界の受付。
(2)大勢でお墓参りをすると、先祖は喜ぶ。
(3)誰もお墓参りに来てくれないと、
先祖霊は寂しくなり、他の霊に顔もたたない。
<感謝合掌 令和3年8月13日 頓首再拝>
お盆(8/13~16)に行うと大凶なこと - 伝統
2021/08/13 (Fri) 13:16:15
*Web:白川葵の開運秘伝 神社仏閣超不思議紀行(2021-08-13)より抜粋
(1)お盆のこの時期には、気を付けた方が良いことがあります。
それは、お盆の期間というのは、ほとんどの人が、
通常よりも、波動が低くなるのです。
なぜか?というと、
この時期は、地上に浮遊霊が増えるからです。
関係のない不成仏霊が、
「自分のことも、供養して欲しい」と
先祖霊に憑いて来ることが多いです。
それで、この時期は多くの人の波動が下がり
落ち込んだりしやすいです。
(2)ただ、不機嫌になったとしても、
家族や親戚と、ケンカをしたり、トラブルを起こさないように
極力、気を付けた方が良いのです。
(3)自分と先祖とは、常に霊的に繋がっているのですが、
お盆には、特に、自分と先祖を結ぶ霊線が通じやすいです。
それなので、供養をすると先祖に届きやすい反面、
家族間でケンカやトラブルがあると、それもダイレクトに通じ、
先祖の成仏の妨げになってしまうのです
結果、自分達の運が、下降していきます。
(4)今年は特に、コロナの影響で、
多くの人にストレスが溜まっているので、
お盆に、家族や親戚と話しをするときは、
言葉に気を付けた方が良いですし、
大事な話しをするときは、特に慎重になって下さい。
そして、もし、ケンカをしてしまったら、
早めに修復を心掛けると〇です。
(5)ただ、お盆の時期は自分のルーツと関わることは、
開運アクションなので、
家族や親戚と楽しい時間を過ごすことは大吉で、
先祖霊も安心するので、成仏に繋がるのです。
https://ameblo.jp/shirakawa-aoi/entry-12691912136.html?frm=theme
・・・
<参照>
伊勢ー白山 道(2021-08-13)
お盆と未来科学
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/1a87ee0b1f09fa52e96a3c66267c5204
<感謝合掌 令和3年8月13日 頓首再拝>
「霊籍」に入る話 - 伝統
2021/08/14 (Sat) 04:34:36
*Web:宇宙図書館No.9(2020.09.15)より抜粋
(1)あの世には「霊籍」というものがあるらしいです。
①人間の世界には戸籍がありますが、
霊籍は人間の都合によって入れたり出したりされるものではなく、
その一族につらなる者たちの霊的なつながりが記されたもので、
一度そこに記されると、消えることがないといいます。
②霊籍の方は結婚して10年経つまでは変化がなく、
10年が過ぎると、結婚した一族に自分の名が記されるそうです。
③霊籍に記されると、その一族の一員となるため、
一族が持っているさまざまな歴史的背景の影響を受けることになります。
④ひとたび記されると戸籍と違って、もう消すことはできません。
つまり結婚して10年目で相手方の一族の霊籍につらなると、
たとえ11年目に離婚したとしても、霊籍には残り続けるわけです。
(2)ある時、こんな体験をしました。
①あるとき、旦那の枕元に見知らぬおばあさんの霊が
座っていることがありました。
私たちが結婚するよりも前に亡くなった旦那の父方のおばあさんで、
どうやら、ずっと誰も訪れていない、おじいさんを参りに来てほしい
といったことを、おっしゃっていました。
②そのことを旦那に伝えて、旦那から義父母へ。
それまで知らなかったのですが、なんでもおじいさんの遺骨は
大阪のとある教会に納めてあるけれど、東京に住んでいる義父母は
年をとって気軽に関西へ行くこともままならなくなって、
しばらく行っていないということがわかりました。
③話はそのままスルスルと進んで、話題になったついでに、
みんなで教会へ行こうということになりました。
それで義父母が来阪して、教会へ行くことができたのですが、
教会の礼拝室で祈っているとおばあさんがやってきて
「ありがとう」と言われました。
(3)旦那の枕元におばあさんがやってきたのは、結婚して10年目の冬。
もしかすると、その前から来ていたのかもしれませんが、
私と気脈が通じるには、10年を超える必要があったのかもしれません。
霊籍に入るというのはこういうことかと、
なんとなく体験を通して理解した出来事でした。
https://number-nine.org/archives/1125
<感謝合掌 令和3年8月14日 頓首再拝>
(体験)霊牌を出した途端に希望の家が - 伝統
2021/09/03 (Fri) 04:40:57
*Web:躍進する生長の家事業団
初秋号(No,25)令和3年9月1日
先祖供養のよろこび(YA 36歳) より
一戸建ての家が欲しいと休日ごとに物件を見に行くも条件が合わず、
生長の家を信仰しているる母に相談するたび
「最もふさわしい家があるから大丈夫」と。
そんな時、条件にピッタリの中古物件が現れました。
ただ価格が予定より高く、持ち主が売り急いでないので、
下がることは難しいと言われました。
「土地の問題はご先祖様にお願いすると良い」と母が言っていたのを
思い出し、相談すると「明日、地元で先祖供養祭があるから」
と我が家のご先祖様と家の持ち主の霊牌を書いてくれました。
母は《もし子供たちがこの家を購入することが幸せになる与えてください》
《〇〇さん、この家が与えられたら大切に使わせていただきます》と
祈りながら書いたそうです。
すると先祖供養祭の次の日、こちらの希望価格で売ってもよいと返事があり、
住んでいたマンションも購入したよりも高い金額ですぐに売却が決まりました。
帰省のたびにお墓参りはしていましたが、
これからは霊牌供養もさせていただきます。
(躍進する生長の家事業団 初秋号(No,25)令和3年9月1日
http://www.seichonoie-sj.jp/img/organ25.pdf)
<感謝合掌 令和3年9月3日 頓首再拝>
尊敬礼拝讃嘆祝福感謝の先祖供養 - 伝統
2021/09/20 (Mon) 04:34:47
今日20日は、秋のお彼岸の入りです。
23日が秋分の日(お彼岸の中日)。
一層の、ご先祖様への感謝の想いを伝える期間です。
*Web:愛国本流掲示板(2021.09.06)
by下総の野人様 より
先祖供養の順序
一、礼拝
二、招神歌
三、先祖供養招霊のことば
生きとし生けるものを生かし給い、
ありとしあらゆるものを在らしめ給い、
現世と霊世との差別なくすべての蒼人草の御親神にまします
生長の家の大神(各家御本尊)の御前に御霊達を招ぎまつりて、
真理のコトバを読誦し奉らんとす。
庶幾くはこの席に来たり給いて真理の言葉を受け給へ。
四、招霊
五、数歌
六、祭文
只今御招霊申し上げました諸霊様は、
ひとり存在するに非らず、ひとり生くるに非らず、
御本尊の無量寿が代々の祖先霊と天降り、
父母を縁として御本尊の無量寿が諸霊様と顕現しているのである。
されば諸霊様の実相は神の子仏の子実相円満完全です、
つつしんで諸霊様の実相を尊敬礼拝讃嘆祝福感謝いたしまして
真理の言葉を捧げます、
ありがとうございます。ありがとうございます。
七、前唱
只今より奉読致します聖経(『甘露の法雨』・『天使の言葉』)を
遥かなる霊界に於いて快く御享け下さいまして
益々深く真理を悟り、久遠生き通しの実相界に於いて
更により高き霊層に御進みなされ、吾等子々孫々に
一段の御清鑑をたれ給わらん事を。
而して国家興隆人類光明化運動に御協力下さい。
尚、この聖経は、かつて皆様方が御生前中に御信仰下さいました
あらゆる宗旨の真髄を現代の解りやすい言葉で説いてあるので
御座います。
経中に神とありますのは仏と同じ意味でございますから
御了承願い上げます。
八、聖経読誦
九、後唱
願わくは〇〇家(主人方)先祖代々之霊様を御縁として
茲に集い給える各霊様心より奉読致しました聖経
(『甘露の法雨』・『天使の言葉』等)を
遥かなる霊界に於いて快く御享け下さいまして
久遠生き通しの実相界に於いて一層高き御境涯に
御進みなされ心の底よりお悦び下されております事と信じあげます。
この上とも吾等子々孫々発展のために
一段の御清鑑を垂れ給わらん事を。
而して国家興隆人類光明化運動に御協力下さいますことを
私共一同は常に御仏様並び御先祖様の御慈悲に
護られている事を深く信じて感謝申し上げます。
ありがとうございます。ありがとうございます。
大神の智慧の御光明らけく 照らして迷い残るくまなし、
御仏の慈悲の御光明らけく 照らして迷い残るくまなし。
十、光明思念の歌
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=9963
<感謝合掌 令和3年9月20日 頓首再拝>
お彼岸のスピリチュアルな意味 - 伝統
2021/09/21 (Tue) 04:41:27
*Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年9月20日)より
(20日)から秋のお彼岸に入る時期となりました。
地球の公転の関係で、一年のうちに二回、
昼と夜の長さが同じになる日があり、それが秋分と春分になります。
仏教ではこの秋分の日と、春分の日を
はさんだ前後三日間を合わせた七日間をお彼岸といいます。
仏教では、亡くなられたご先祖様が住む世界(霊界)を彼岸と言い、
私たちの住む世界を此岸と表現します。
つまり、お彼岸とはあの世の世界のことで、
この時期にはあの世とこの世とが交わり、通じ合える時期と考えられ、
お墓参りをしたり、先祖供養をする習わしが伝わっています。
では実際に、お彼岸には、あの世の世界と、この世の世界が
通じやすくなるかというと、ご先祖様などが地上の子孫を気にして
見に来る時期であるようです。
あの世の世界は霊界とも言いますが、亡くなられた人が暮らす世界です。
霊界では霊界の生活がありますので、
普段は亡くなられたご先祖さまなどは、
地上に出てきたり、意識を向けることはほとんどありません。
しかしお彼岸になると、地上の子孫たちも、
亡くなられたご先祖の事を思うことが多くなりますので、
その思いが伝わって、ご先祖様の方もこの世のことを気にして見に来るのです。
あの世の世界は思いの世界ですので、
人々の思いがご先祖様に向けられていると、
互いの世界に橋が架かったようになり、通じ合うようになります。
そのためスピリチュアル的にも、お彼岸は意味のあることで、
この時期には、ご先祖様に対して感謝の念を送るといいでしょう。
感謝の念が届くと、ご先祖様も喜んで、
地上の人を見守りたい気持ちも高まります。
お彼岸には、色々とお供えするなどもありますが、
それ自体にはあまりとらわれる必要は無くて、気持ちの方が大切です。
形だけ重視して、気持ちがついていなければ、それは空しいものになります。
ご先祖様がいることで、私たちも肉体を持ててこの世で修行できます。
ご先祖様に感謝の思いを向けるのはよいことでしょう。
https://www.spacebrothers.jp/2019/03/blog-post_21.html
<感謝合掌 令和3年9月21日 頓首再拝>
父に感謝の供養で大腸癌が治癒 - 伝統
2021/09/22 (Wed) 04:45:38
*Web:躍進する生長の家事業団
初秋号(No,25)令和3年7月1日
先祖供養のよろこび(YY 63歳) より抜粋
今年の1月に入って血尿が続いていたのですが、
毎朝、神想観と先祖供養の聖経読誦をしているから大丈夫だと安心していました。
(中略)
た谷口雅春先生の
「貧乏をしたり病気をしたりするのは根に養分が足らぬからです。
感謝が根に養分をやることになるのであります。
毎日祖先に『甘露の法雨』を誦げて感謝をいたしましょう」
(『美と健康の創造』)
のご文章に、
私の聖経読誦は、感謝の気持ちより、
心臓病を治してくださいの思いが強くなっていたと反省しました。
検査の結果、大腸癌が進行し、PSA検査4以下が正常なのに33ありました。
医師に「手術は嫌です」と伝えますと、様子を見ることになりました。
(中略)
父が3月23日に急遽亡くなり、私は自分の病気を忘れ満中陰の日まで朝晩、
聖経『甘露の法雨』と聖経『顕浄土成仏経』を読誦し
父に心から感謝することができました。
(中略)
病気や父の死によって、
ただただ感謝の心で先祖供養をさせていただく
大切さを強く実感しております・
http://www.seichonoie-sj.jp/img/organ24.pdf
<参照>
顕浄土成仏経
光明掲示板・第一
聖経(集) (8582)
【 顕浄土成仏経 】 (10195)日時:2013年07月28日
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1605
<感謝合掌 令和3年9月22日 頓首再拝>
皇室および一家の祖先を礼拝せよ - 伝統
2021/09/23 (Thu) 05:07:46
《秋季皇霊祭》
今日は秋分の日、秋季皇霊祭です。
秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」となっていますが、
昭和22(1947年)までは秋季皇霊祭といいました。
歴代天皇、皇族の霊が祭られている三殿の「皇霊殿」で行われるのが「皇霊祭」で
一般のお彼岸の先祖供養にあたります。
皇居の皇霊殿で行われる御皇室の祖先祭りを全国の神社で遥かにお参りするのが
秋季皇霊祭遥拝式です。
・・・
《皇室および一家の祖先を礼拝せよ》
*『生命の實相』第28巻・久遠佛性篇下(P65~66)より
【われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、
次いで一家の祖先の霊魂または仏壇の前に坐してその冥福と守護を祈願し、
かつ自己の生命も永遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す】
【毎朝、皇霊を遥拝】~久遠佛性篇下(P65~66より)
このわれわれの生命が永遠なる存在であるということは、
生長の家の真理の根本を貫くところのものであります。
これがハッキリわからなければ「皇霊を遥拝し」ということの意義もわかりません。
皇霊を礼拝するということ虚礼ではありません。
われわれ日本人は日本国の歴史を通して「今」の一点に生きているのです。
そしていろいろの日本国の興隆浮沈はあったにしても、どんなときにも日本国が動揺せずに、
ここまで日本民族が発展してきました不倒翁の重心のごとくドッシリとして、その中心から
どんな時にも日本国が立直ることができた重心は天皇がましましたからであります。
われわれは歴代の天皇の御恩沢を忘れてはならない。
恩を知るということが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。
だからわれわれは歴代の皇霊に対して崇敬の誠を献げるのであります。
<感謝合掌 令和3年9月23日 頓首再拝>
背骨は肉身の心柱(しんちゅう) - 伝統
2021/10/11 (Mon) 04:49:05
*「光明法語(10月11日)」より
「ど性骨(しょうぼね)が腐っている」と云う言葉がある。
背骨は肉身の心柱であるから、
肉親者の心柱たる先祖又は家長に対する忘恩又は
目上の者に対する反抗等が形にあらわれて、
背骨が曲がったり、腐ったりするのである。
祖先に感謝し、
「素直に目上の者に随(したが)います」と云うような気持ちになったら
素直に脊柱の折れ屈(かが)みが出来るようになるのである。
祖霊を鄭重に祭って『甘露の法雨』を読誦すると
不思議に脊椎カリエスの治ることがある。
また脊柱は家の柱たる家長をあらわす。
目上の者に反抗しているときに故障があらわれる。
<感謝合掌 令和3年10月11日 頓首再拝>