伝統板・第二

2517802
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

あなたはいつも健康である ③ - 伝統

2019/03/21 (Thu) 01:52:01

《人間を物質だと思うな》

           *「光明法語」(3月21日)より

人間を物質だと思っている
 ―― その信念の程度に随って人間は物質の法則に支配され易くなり、
物質と同様に疲労と老衰と病気とに曝(さら)されるのである。

物質は大生命より発した波動のうちで最も粗雑低級な波動であるから、
霊の無限、無消耗性をあらわすことは出来ないのである。

人間を物質だと観ずる念波は、
自分の生命にこの無雑低級な消耗性を引寄せることになるから、
自分自身を消耗性の姿をあらわすことになり、
それだけ自分自身を不健康にあらわすことになるのである。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「あなたは常に健康である (3205)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=626

(2)伝統板・第二「あなたはいつも健康である①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6853324

(3)伝統板・第二「あなたはいつも健康である②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7654851

           <感謝合掌 平成31年3月21日 頓首再拝>

《秩序によって生命は具象化する》 - 伝統

2019/04/08 (Mon) 02:56:27


         *『 生長の家 』(昭和24年3月22日の法語)より

   すべての生命は 秩序によって発現するのである。

   肉体の構成組織に秩序がくずれて来たのが、
   病気であり頽廃(たいはい)である。

   されば 秩序ある生活を送るということは、
   すでに それが生命の完全なる発現に要する条件の一つを
   整えることになるのである。

   吾々は 健康の科学的法則を知らなければならない。

   科学の研究は 宇宙を支配している法則が
   秩序整然一糸(いっし)みだれざるものであることを示しているのである。

   法則を無視するのが生長の家ではない。

   法則を今まで知り得たる以上に発見して
   それを守るのが生長の家である。

   第一 吾々は自己の肉体が如何なる生活に適するかということを
   知らなければならない。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/e1809f1cebc3b0ff31831ad0897bc252

           <感謝合掌 平成31年4月8日 頓首再拝>

健康なのが人間の自然である - 伝統

2019/04/16 (Tue) 04:51:02


         *「光明道中記」(4月16日 元気充満の日)より

【「心が」或る一つの「迷い念」に引っかかって生命本然の自由性を失うところに、
 その「心の影」そして色々の病気があらわれる。(『光明の健康法』)】

不健康とは自然を失った状態である。
健康なのが人間の自然であるから、自然になりさえしたならば、
健康は自然に顕れるのである。

それと同じく、人間の成功も、幸福も、自然なのであるから、
人間が自然になりさえしたならば成功も幸福も自然にあらわれるのである。

健康や、幸福や、成功を何か異常な出来事であるかのように求める心が
間違っているのである。
此の間違った思想の中に誰でも生活している限り於いて
その人は本当に幸福にも健康にもなれる訳ではない。

吾々は人生観を根本的に置き換えなければならないのである。
人間は「神の子」であるから本来幸福に健康に成功するように
最初から定(き)まっているものなのである。

それなのに幸福と健康と成功とを何か特別な少数者だけのもののように、
それが異常な出来事のように考えているから、その考えが具象化して、
それが何か異常な出来事のように、少数者にしか実現しないのである。

吾々の健康の秘訣は、幸福の秘訣は、成功の秘訣は、
健康が、幸福が、成功が常に吾々を追い廻しているということを自覚するにある。

           <感謝合掌 平成31年4月16日 頓首再拝>

健康の秘訣はサービスにある - 伝統

2019/04/19 (Fri) 04:17:10


    *「光明道中記」(4月19日 相倶(あいとも)に扶(たす)くる日)より

【僕は何でも、過去のことは《過去として》それで善かったと思っています。
 過去は過去だ、後悔したりするのは嫌です。(『百事如意』)】

呟(つぶ)くこと、人の悪い噂をすること、不景気の話をすること、
詰まらない話をすること
―― こんなことに時間を費やしている限り、あなたの事業は衰退する。

そんな事をする暇に光明思想の本を常に携帯していて、
それを読んで心を光明に転向すれば、事業も亦(また)光明に転向する。

健康にしても矢張りそうである。

若し不平を言うこと、呟くこと、憎むこと、人の欠点(あら)を探すこと、
尖った心を起すこと、人を遣(や)っつけたい感情を起すことを止(や)めなければ、
その人の病気は治らないであろうし、

また病気でない人も、かかる心持を持続する限り
「病気」の方向に向かって突進しつつあることを知らねばならぬ。

成功の秘訣がサービスにあることを知っている人は多いが、
健康の秘訣がサービスにあることを知らぬ人が多いのは、不思議なことである。

サービスは自分が働いて人を喜ばすことによって成立っている。

自分が働いて人を喜ばしたならば商売が繁昌するのは当然であるが、
その人の健康がよくなるのは、健康とは人間の自然の相(すがた)であるから、
人間が自然の道に乗れば健康になる。

           <感謝合掌 平成31年4月19日 頓首再拝>

《自己の肉体の性能を知って使わなければならぬ》 - 伝統

2019/05/05 (Sun) 02:45:11


         *『 生長の家 』(昭和24年3月23日の法語)より

   一個の写真機械でもその性能を完全に知って、
   その写真機のもっているすべての能力を完全に駆使するためには、
   滅多矢鱈(めったやたら)に写してみるだけでは足りないのである。

   同じ名前のカメラでも、すべて一つ一つに
   それ自身の癖とか片寄りとかというものがあって、
   それを巧(たく)みに使いこなせば、

   その癖が美点となり、
   そのカメラならでは撮影し得ないような立派な作画を
   得ることができるのである。

   それと同じく人間には、同じ人間であっても、
   その体質には色々あり、
   甲の人に適するものが、必ずしも乙の人に適しないこともある。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/553062294d09d68942d966e67fb38d84

           <感謝合掌 令和元年5月5日 頓首再拝>

《自己の性能をよく知ること》 - 伝統

2019/05/27 (Mon) 04:35:44


        *『 生長の家 』(昭和24年3月24日の法語)より

   強烈な鍛錬に堪(た)え得るような体質もあるし、
   又 できるだけいたわって、余り強烈なことをせずに、
   静かな精神的仕事ならば 何時間働いても
   体にさわらないような体質もあるのである。

   食物等の問題も、栄養学の上からして、
   大体一般的なことは云えるけれども、
   甲に対する適当なる食物が
    乙に対してどうしても適しないような場合もある。

   食物に於てのみならず、
   すべて生活設計に於て、
   その人の肉体にぴったりあてはまる所の生活方法があるのである。

   それを巧(たく)みに使いこなせば 多くの仕事が出来るのである。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/9bfc10bfa4a1048ecf952bc0029acbdf

           <感謝合掌 令和元年5月27日 頓首再拝>

【人のために祈ると超健康になる】 - 伝統

2019/06/18 (Tue) 03:50:38

       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.05.31)より

   (統合医療「クリニック徳」院長、
    ウィスコンシン医科大学教授、高橋徳氏の心に響く言葉より…)

   2013年、私は、アメリカでの研究者としての生活に区切りをつけて帰国し、
   郷里の岐阜に「統合医療」のクリニックを開きました。

   続いて、2016年には、名古屋市内に、同じく統合医療のクリニックを開院しました。

   統合医療とは、近代西洋医学と、それを相補(補完)する関係にある代替療法、
   東洋医学などの伝統医学などを組み合わせた医療です。


   元々、私は西洋医学の人間で、消化器を専門とする外科医でした。

   しかし、日本に戻って、外科医をするつもりは全くありませんでした。

   私は、アメリカから帰国するまで、
   20年以上にわたり、研究者として西洋医学の研究を続けてきました。

   日本に帰ったら、再び、臨床の現場に立ち、
   アメリカでの研究成果を生かしたいと考えたのです。


   皆さんは、「PPK」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。

   「ピンピンコロリ」という意味ですが、
   信州の小さな村からこの考え方がひろまりました。

   健康でピンピン元気に長生きをして、
   最期は、まわりになるべく迷惑をかけず、コロリと死を迎えようという運動です。

   運動の実践を知るにつけ、
   まさにオキシトシンの分泌が高まったゆえの成功ではないか
   と私は考えるようになりました。


   オキシトシンは、女性の出産に関係するホルモンとして知られてきました。

   オキシトシンが発見されたのは1906年のことです。

   オキシトシンは、9個のアミノ酸が結びついたペプチド(結合物)です。

   脳内の視床下部という場所で、主に産生されます。

   オキシトシンの効能が判明するにつれ、妊産婦以外の女性や、男性の脳内にも、
   オキシトシンの存在することがわかってきました。

   近年、オキシトシンに注目が集まり、「お母さんのホルモン」以外の、
   多彩な作用について、たくさんの報告がなされるようになっています。


   オキシトシンには抗ストレス作用があり、視床下部から分泌されると、
   ストレスの大本である、CRFの産生をへらすと考えられるのです。

   つまり、「オキシトシンにはストレスをおさえる作用がある」のです。

   ストレスから生じる多くの症状・疾患を改善できるということです。


   オキシトシンの抗ストレス作用についてまとめると、次のようになります。

   ◆抗ストレス作用

    「血圧を下げる」「血糖値を下げる」
    「下痢・食欲不振・過敏性大腸炎などの胃腸障害の改善」
    「ストレス性便秘の改善」「免疫力アップ(カゼなどをひきにくくなる)」


   ◆自律神経調節作用

    「自律神経のバランスの乱れから生じる不定愁訴の改善」


   人と交わることで、脳内のオキシトシンがふえ、社交性が高まります。

   互いに交流が深まれば、さらに、その分泌は活性化されます。

   思いやりや愛がオキシトシンを生み、高まった信頼関係、社交性が、
   オキシトシンの分泌をさらに高め、より協調性のある家族、地域が創造されます。

   同時に、個人個人の体内で高まったオキシトシンの分泌が、
   ストレス反応を軽減させ、個々の健康に繋がります。


   この村の事例がまさにそれを証明しています。

   お年寄りを訪問看護するとき、訪問されるお年寄りにも訪問する側にも、
   両者にオキシトシン分泌が亢進していると思われます。

   交流によって、双方が健康になるのです。


   「友愛」とは、単に他者に施すものだけではありません。

   1人ひとりが他者を想うとき、
   それは明らかに自身の健康にもつながっていくものです。


   では、身のまわりに自分のことを親身に感じてくれる他人がいない場合、
   だれにすがればいいのでしょう?

   だれにも相手にされず、孤独に打ちひしがれた人々はどうすればいいのでしょう?

   あなたをじっと見守ってくれている大きな存在を感じ、
   その存在と話すことができれば、そして、その存在から
   思いやりを実感できれば、あなたはもう1人ではないはずです。


   そう感じることで、あなたの脳のオキシトシンは活性化されます。

   こうして、いったんオキシトシンの産生が高まれば、
   あなたのストレス反応は確実に軽減し、不安も解消できるでしょう。

   体調が好転する確かな兆候を感じ、
   あなたは尊厳な存在を実感し、神を確信できるかもしれません。


   「祈り」とは、あなたをじっと見守ってくれている偉大な存在を信じ、
   その存在を自らの心のうちで育むことです。

   オキシトシンが活性化された人は、きっと、孤独のままで終わりません。

   分泌されるオキシトシンが人を呼び寄せるため、
   あなたに語りかける人が出てくるにちがいないからです。


   「沈黙」(遠藤周作著)のように、神は黙ったままかもしれませんが、人は違います。

   あなたが発するオキシトシンの力によって、新たな交流が始まるにちがいありません。

   オキシトシンの研究はまだ緒についたばかりですが、
   今後も、ふだんの生活の場で、介護の場で、自閉症やうつなどの
   心の病の治療現場で、役に立つ情報を発信していきたいと考えています。


   今、私のクリニックには、いろいろな人が、さまざまな医療を提供してくれています。

   それは、代替補完医療としてよく知られる、
   鍼灸、ヨガ、気功、マッサージ、瞑想、音楽療法などだけではありません。

   アロマセラピーもあれば、スピリチュアル・ヒーリングもあります。

   波動医学もあれば、微弱電流による治療もあります。

   ヨガや気功の教室に人が集い、ヒーラーが前世を見てくれたり、とてもにぎやかです。


   こうして、多種多様な人たちが集まり、交流し、
   互いのオキシトシンの分泌を高め合っています。

   今後も、出会いの場を広げていきたいと願っています。

   出会いがオキシトシンを生み、
   オキシトシンが人を健康に、かつ、幸せにしてくれるのです。

       <『人のために祈ると超健康になる!』マキノ出版>

          ・・・

筑波大学名誉教授、村上和雄氏のこんな話がある。
(奇跡を呼ぶ100万回の祈り)より

『アメリカの病院で、大変興味深い実験が行われました。

心臓病患者393人に対する実験で、
「他人に祈られた患者」は、そうでない患者に比べて
人口呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少ない、ということが分かったのです。

しかも驚くべきことに、
西海岸にあるこの病院に近い場所にいたグループからの祈りはもちろんのこと、
遠く離れた東海岸からの祈りでも、同様の効果があったのです。

そして、何よりも興味深いのは、
患者さんたち本人は自分が祈られていることは、全く知らなかったということです。

この実験の効果については医学者の間でも賛否両論が、今なおあります。

「どうして祈りの効果があるのか、科学的に解明できないじゃないか」
と異議を唱える方もいることでしょう。

けれど、私はひとりの科学者として、こう思うのです。

「理由は分からない。しかし、実際に効果があるのは、それは、
人知の及ばない力による作用なのではないか。
何よりも効果があるのだから、理由を解明できなくとも、
祈ることの大切さに変わりはないではないか」と。』


人のために祈ると、祈られた人も健康になるが、
実は、祈っている人も健康になるという。

反対に、人から罵倒(ばとう)されたり、誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を
受け続けると、どんな人でも元気がなくなり弱ってくるが、
実は、罵倒している本人は相手よりもっと元気がなくなり弱ってくる。

これは、「鏡の法則」と同じだ。


人のために祈ることができる人でありたい。


『人のために祈ると超健康になる!』目次

第1章 オキシトシン・再発見の物語―オキシトシンの多彩な作用

第2章 オキシトシンをふやす7つの刺激―心理的刺激と感覚的刺激を与えよ!

第3章 なぜ人と人は争ってしまうのか―対立する2つのホルモン

第4章 瞑想中、脳では何が起こっているか―医学から宗教を見る

第5章 オキシトシンをふやす5つのセルフケア―統合医療の可能性

第6章 大いなるものを信じて―今生をよりよく生きるために

・・・

<参考Web>

(1)愛と健康とオキシトシン
   https://oxytocin181010910.wordpress.com/ >

(2)【幸せホルモン】ストレスを消し
   多幸感を与えてくれる“オキシトシン”を出す方法【神秘の力】
   https://next.rikunabi.com/journal/20151128/

(3)船瀬図書館
   http://min-voice.com/oxytocin-2-11707.html

(4)祈りの効果 他人をも治す祈りの治療効果とは【科学的】
   https://matome.naver.jp/odai/2142032026382075901

           <感謝合掌 令和元年6月18日 頓首再拝>

自分の身体に適する健康の法則を遵守する - 伝統

2019/07/13 (Sat) 04:43:49


   《自己に当てはまる生活設計がある》

        *『 生長の家 』(昭和24年3月25日の法語)より

   一つの写真機械でも
   その写真機械にぴったりあてはまるような使い方によって
   優秀なる作画が出来るように、

   諸君がもし自分の身体を、一個の写真機械よりも愛して使いたいと思うならば、
   自分の肉体に 如何なる睡眠法が、食事法が、仕事の順序配列が、
   如何なる休養方法が、如何なる生活様式が もっとも適当するかということは
   数年ならずして自分自身に会得することができる筈(はず)である。

   ゲーテは その体質虚弱であったが、
   八十歳迄 長生きして大作を成しとげたのは、
   其の生活法によってである。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/93c64f8d716832dcd2c38169d06c23ee

・・・

   《ゲーテの健康法》

        *『 生長の家 』(昭和24年3月26日の法語)より

   ゲーテは自分の身体に適する健康の法則を厳重に守って、
   身体を極度に可愛いがりながら最高完全に最後迄その能力を発揮せしめて
   晩年に到る迄其の創作力が衰えなかったのである。

   彼は寒気に対して非常に敏感な体質をもっていたので、
   その自分自身の体質を充分理解していて
   眠る時は肩口が冷えないように毛布を豊かに首の周りに包んで
   一寸(ちょっと)も風が入らないようにしたということである。

   私は必ずしも諸君に、晩年のゲーテの健康法を実行せよというのではない。

   ただ云いたいのは、肉体を諸君が人生の目的を達成するための道具として
   軽んじてはならぬと云うことである。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3b65b1ef55792bff232e540ea9c6fefc

           <感謝合掌 令和元年7月13日 頓首再拝>

毎日「健康だ! 」と唱えれば健康になる - 伝統

2019/07/27 (Sat) 04:22:16


       *『脳に免疫力をつければ病気にならない!』 
         苫米地英人(著) Chapter3 (P148~150)より 

人間は1日におよそ100回、自分を定義する言葉を口にしたり、
心の中で発したりしていると言われています。

「疲れて不健康な自分」がコンフォートゾーンになっている人は、
おそらく1日に何十回も「疲れた」「だるい」「気分が悪い」「頭が痛い」
「イライラする」などのネガティブなセルフトークをしているはずです。

そのセルフトークが情報空間の強力なエネルギーとして、
あなたを「不健康」の自己イメージに縛りつけています。


それに加えて、人は生まれたときから、他人からさまざまな自分を
定義されています。

健康に神経質な親に育てられた人は、
「あなたは体が弱いから〇〇に気をつけなさい」
「〇〇を食べすぎると病気になるわよ」
「あなたは内臓の〇〇が弱いから気をつけなさい」
などと言われてきたでしょう。

そういう人は、親の言葉によっても
「体の弱い自分」「病気になりやすい自分」
という自己イメージを築き上げています。


このように自己イメージの構築では言語が大きな影響力を持っています。
ですから、自己イメージを書き換えるのも、言語を利用すればよいのです。

すなわち、自己対話の中身を、健康的なものへ、ポジティブなものへ
変えていけばいいのです。



まず、今日この瞬間から、
「疲れた」「だるい」「ストレスだ」「イライラする」などの
不健康な独り言は禁止です。

最初のうちはまだ「不健康な自分」がコンフォートゾーンになっていますから、
「疲れた」「だるい」などと言ってしまうことがあるでしょう。
そういうときは、「自分らしくないな」と自分に語りかけてください。

新しいあなたは「健康で元気ハツラツ」な人なのですから、
「疲れた」などというのは「自分らしくない」ことなのです。

ですから、ネガティブなひとりごとをいってしまったときは、
「自分らしくないな」と思って、二度と言わないことです。

 
そして、健康で、元気で、ポジティブな自己対話を習慣にします。

朝起きたら「今日も元気だ!」。
食事のときは「今日も飯が美味い!」。
仕事や家事をしているときは「今日も絶好調だ!」。

というぐあいに、ネガティブなセルフトークを一切やめて、
いつも「健康だ!」「元気だ!」と唱えること。

それが、「自分は健康で病気とは無縁で長生きする」という確信を生み、
「健康で元気いっぱいな自分」に自己イメージを書き換え、
「健康で元気な自分」に向かって脳の免疫力が高まる第一歩です。

           <感謝合掌 令和元年7月27日 頓首再拝>  

「自分は健康だ」との観念を徹底させる - 伝統

2019/08/07 (Wed) 04:28:29


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月7日)より

健康を破壊してどうしても快復し難いのは、
その人が「自分は健康を損なった」という観念にしがみついているからである。

いろいろの療法や、思念や、聖典読誦が功を奏さないのは、
一方に「自分は病気だから、こうして治そう」というように、
「自分は病気だから」の観念に固くしがみついて、
それと相撲をとっているからである。

「病気はない」は真理であり実相であるから、
その健康なる実相を招(よ)び出そうとしながら、
「自分は病気だから」という考えの上にいつまでも足踏みしているようなことでは
「病気はない」の観念を招(よ)び出すことはできないのである。

「自分は病気だから」の観念を抛擲(ほうてき)して、端的に、
「自分は健康だ」の観念に置き換えたらその病気は癒えるのである。


ではその方法はいかん?

それは、すでに自分は健康である、
完全に創造されているとの前提の下に神に感謝するのである。
合掌神想観をなして、次の如く神に感謝すべきである。

「神はすべてのすべてであり、完(まつた)き生命(いのち)であり、
完(まつた)き叡智(みちえ)であり、完(まつた)き聖愛(みあい)である。

すべてのもののうちに神の生命(いのち)は生き、
神の叡智(みちえ)は充ち、神の聖愛(みあい)は満ちている。

その例に漏れず自分のうちにも神の完(まつた)き生命(いのち)、
完(まつた)き叡智(みちえ)、完(まつた)き聖愛(みあい)は充ち、
それによって自分は完全に健康に生かされているのである。

自分は今まったく完全に健康に生かされているのでございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。

自分は今まったく完全に健康に生かされているのでございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。・・・」

こう、現に今健康で”ある”ところの思いに浸りきって、如実にそれを実感して
本当に感謝の言葉を述べることは、「自分は今病気だから、治すために・・・」
などという考えを一転せしめる力がある。


最後の「今まったく完全に健康に生かされている、ありがとうございます」の言葉を
できるだけ実感せまる調子で、心のうちに幾回でも、その実感が徹底するまで
繰り返すがよいのである。

           <感謝合掌 令和元年8月7日 頓首再拝>

ただ健康と、悦びと、調和と、積極的前進とのみを思い且つ語る - 伝統

2019/08/21 (Wed) 03:37:15


       *『人生の秘訣365章』第1篇(P34~35) より
         ~《観点を新たにして》

あなたが健康を欲していられるならば、
今こそ、新年こそ、観点を新たにし、想念を新たにし、
神の生命(せいめい)と、あなたの生命(せいめい)とを
緊密に波長を合わせる好機会なのである。

不健康を思わず、病気を語らず、ただ健康と、悦びと、調和と、
積極的前進とのみを思い且つ語ることにせよ。


人の美点のみを見つけ出して褒めよ。

人の悪を語ることなかれ。

愛を以て人を見よ。

冷酷の心をもって人を見ることなかれ。

理解の眼をもって人を見よ。

そこにあなたは人々との調和が得られるであろう。

それがあなたに健康と繁栄とを齎(もたら)す基礎となるのである。

           <感謝合掌 令和元年8月21日 頓首再拝>

精神活動の統一と健康 - 伝統

2019/08/27 (Tue) 03:26:32


        *「光明法語」(8月27日)より

人間が健康になるには喜んで働く事である。

「自分の活動を正確に目的の方向に向ける時吾々の心理的・生理的機能は、
最も完全に調和を来たすのである」

とアレキシス・カレル博士も言っている。

又博士は

「精神活動の統一は、
内臓や神経機能のより以上の調和を齎(もたら)すものである」

とも言う。

病床にいて仕事もなく、あれを考え、これを憂え、
精神活動に何の統一も集中も無なく

ただ病気の悪くなる事のみを心に描いて心配している様な生活が
病気に悪いのは勿論である。

           <感謝合掌 令和元年8月27日 頓首再拝>

《“霊”の指導を“肉体”に受けるには》 - 伝統

2019/09/12 (Thu) 04:21:01


      *『人生の秘訣365章』第10篇(P247) より

“霊”なる人間の本体は、地球上の現象界の生活では、
肉体を通して、自己を表現しなければならない。

一方、肉体がその完全なる機能を果たすには、
肉体が霊に融合し、霊の導きに従って自己を調整しなければならない。

それは高級のテレビ装置が、“光”に自動的に感じて、
その映像の鮮明さを調整するようなものである。
“光”とは「霊なる實相」から来る“智慧の導き”を象徴的に謂ったものである。

とも角、テレビでも、ラジオでも、
自働的にか、他働的にか、その機械的構造を調整しなければ
常に完全に放送局からの発信を実現することが出来ないのである。

それと同じく肉体を常に整え、その機構を完全に整備する上から、
肉体の部分品を整え、それを清潔にするよう、身体的衛生を守ることも必要である。

自働的に身体を調整する場合、
ラジオのマジックアイの如き役目をするのが、“精神”である。

           <感謝合掌 令和元年9月12日 頓首再拝>

健康管理は体に悪い?! - 伝統

2019/09/30 (Mon) 04:03:22


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2012.7.4)より

   (無能唱元師の心に響く言葉より…)

   朝日新聞の「天声人語」欄に、
   次のような興味ある記事が載っているのを、読んだことがあります。


   かつて、フィンランドの保健当局が、栄養指導や健康管理の効果について、
   科学的な調査をしたことがある、というのです。

   まず、40歳から45歳までの男性を600人選び、彼らを定期検診し、
   ビタミンやカルシウムなどをはじめとする栄養的管理を徹底させ、
   酒やタバコの類(たぐ)いを控えさせ、毎日適度の運動をしてもらい、
   こういう生活を15年続けてもらったのです。

   その効果を比較して調べるため、同じような条件にある男性600人を選び、
   こちらは、いかなる健康管理の対象にもせず、ただ、健康状態の調査のみをして、
   同じく15年間調べました。

   15年後、二者の間に、恐ろしいほどの違いが現われました。

   心臓血管系の病気、高血圧、死亡、自殺、いずれの数も、
   一方が他方よりずっと多かったのです。
   それがなんと、健康管理をした方のグループだったのです。

   医者たちは仰天し、その実験結果の公表を控えたそうです。
   この実験結果が言わんとしているのは、
   なにも「健康管理は不用だ」といった短絡的な結論ではありません。

   そうではなく、「過保護は人を依存的にする」ということなのです。

   自立は自律とつながっています。
   われわれが、他者依存的になったときは、
   自律組織によって生ずる自然な抵抗力を失ってしまうのです。

   自らを救うのは、まさに自分自身なのです。

   健康管理が他律的に行われるとき、恐るべき自己喪失がそこに生じ、
   それが自らの心身を守るエネルギーを失わせてしまうのであります。

         <『小さなサトリ』河出書房新社>


無能唱元師は、
「幸せ」とは、心身が「弛緩(しかん)」(リラックス)している状態であり、
「不幸」とは、過度にこわばった緊張が弛緩しないでいる状態だ、と言う。

人から管理されたり、コントロールされているときは、緊張が続いている。

人は、自ら決定し、自発的に動くと、限りないエネルギーが湧いてくる。

やらされていると感じたり、義務だと思ってやっていると、
それがストレスとなり元気は出てこない。

世界最長寿と認定された、泉重千代さんは、
「長生きの秘訣は?」と問われ
「酒とタバコ」と答えた話は有名だ。

また、「どういうタイプの女性が好きですか?」との質問に、
「年上の女かのぉ」 と答えたそうだ。

健康、健康と騒ぐような、いわゆる「健康オタク」はいただけない。
「健康のためなら死んでもいい」という言葉を地で行っているからだ。


こだわりを捨て、もっとリラックスして生きて行きたい。

           <感謝合掌 令和元年9月30日 頓首再拝>

無限の健康調和 - 伝統

2019/10/02 (Wed) 04:12:13


        *「光明法語(10月2日)」より

各々の細胞がその個性を発揮しながら完全なる協力を遂げているとき
人体の健康は最も完全に実現するのである。

完全なる協力は 「本来一」 の自覚より生ずる。
人間の健康も先ず人間同士が完全に 「一」 である自覚をもって互いに相結ばれ、
人間相互にその感情が調和している時にのみ真に実現し得るのである。

人間同士の感情が争っているときには、肉体は心の影であるから、
心の乱れている限り真に無限の健康は発揮されようはないのである。
汝ら互いに調和せよ。


       <感謝合掌 令和元年10月2日 頓首再拝>

健康は、吾は「霊なる完体なり」の自覚から生まれる - 伝統

2019/10/03 (Thu) 04:47:33


        *「光明法語(10月3日《物質の自覚》)」より

完全なる健康の裏には「完全」なる調和の念がなければならないのである。

先ず肉体は「物質」であるとの念を捨てよ。

物質は結局バラバラのものであって互いに漠然とした一体の自覚なきものであるから、
吾々の肉体が物質で出来ているものだとの考えが吾々の心を占めている限り、
自己の肉体はバラバラのものであると云う念を抱いていることになるから、
その念があらわれて完全なる健康は得がたい。

完全なる健康は、吾は「霊なる完体なり」の自覚から生まれるのである。

       <感謝合掌 令和元年10月3日 頓首再拝>

肉体健康の秘訣 - 伝統

2019/10/04 (Fri) 04:46:28


        *「光明法語(10月4日)」より

肉体を健康ならしめるためには、肉体を愛しなければならない。
肉体を霊の敵であると憎んでいる限りに於いて、その肉体は健康になる事は出来ない。
肉体を「霊の完全なる表現」であると信じ、それを愛し敬しなければならない。

肉体を醜いものと考えてはならないし、
それを神の人間理想の最高顕現であると見なければならない。

常に神想観する時に「吾が肉体は神の最高美の理想的顕現である」と念ぜよ。
而(しか)して病気を見る勿(なか)れ、病気を想念する勿れ。

       <感謝合掌 令和元年10月4日 頓首再拝>

《健康を常に思い浮べよ》 - 伝統

2019/10/17 (Thu) 02:37:42


      *『生長の家』(昭和26年4月20日の法語)より

   健康になろうと思えば、健康の想念を起さなければならない。
   想念は想念する事物を作るからである。

   だから健康になりたい人がどうしたら この病気がなおるかと、
   「病気」のことばかり思い浮かべているのでは、
   その病気は なおりっこはないのである。

   よろしく病気を思う心を放ち去り、

   「 神の無限の癒(いや)す力流れ入って
   光が暗(やみ)を消しつつあるかの如(ごと)く
   愈々(いよいよ)益々(ますます)健康が増大しつつあるのだ 」 と念ぜよ。


   この思念を毎朝起床時 及び 就寝時に、眼を閉じ合掌して念ずるのである。

   重態にて起きられない人は 寝床の中で合掌しても好(よ)いのである。

   又、随時、疲労を感じたときに かく念ずると健康回復に絶大な効果がある。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12224992.html

       <感謝合掌 令和元年10月17日 頓首再拝>

《あなたは常に健康である》 - 伝統

2019/10/30 (Wed) 04:38:01


       *『生活の智慧365章』
         (第4部繁栄の泉)第10篇(P269) より

瞑想又は神想観によって霊的直観力を発達させることによって、
あなたは人間の神聖性を知ることが出来るようになります。

人間は肉体によって互いに孤立している存在でもなく、肉体が死〇ば、
個人の霊は宇宙の大海に没し去って「何もなくなる」と云うような存在でもありません。

   (〇:ね)

個々人、ひとりひとりの霊が、神の各々異る理念の表現でありますから、
それは普遍と一体でありながら、「個」として永遠に存続するのであります。

個にして全、全にして個、此の不可思議にして広大無辺な存在が人間なのです。


先ず神の完全さとその無限の力とを信じなさい。
その無限の力にて、その「完全」さを最高度に表現すべくつくられたのが、
「人間」なのです。

一度神が「完全」につくったところの人間が
不完全に変化すると云うことはあり得ないのです。

だから貴方は完全であり健康なのです。

       <感謝合掌 令和元年10月30日 頓首再拝>

人を憎んでいては、健康にはなれない - 伝統

2019/11/01 (Fri) 04:10:56


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月1日)より

春に出る新芽は春になって初めてできるのではない。
もう11月の頃から、あるいはもっと早くから用意されているのである。
この用意が不完全だったら、よい新芽は出ないのである。

まちがい上に本物を建てることはできない。
健康になりたい人はまずまちがいを捨てなければならない。
まちがいの上にどんな立派な建物を建ててもそれは倒れてしまう。

「まちがい」とは、それが《ある》かのように見えても本来、「当に有るべからざるもの」
すなわち「不当有(ふとうう)」であるから、不当有(ふとうう=まちがい)の上に
物を建てたものは、いずれも壊(くだ)けてしまうのである。

人を憎んでいて健康になどなれるものではない。

憎みは「不当有(あるべからざるもの)」であるから、神に対する背反である。
神は「生命(せいめい)」であるから、「憎み」のあるかぎりその人は「生命(せいめい)」
に背反しているのであるから、その人の健康が不良なのは当然である。

「憎み」を持続しながらその人の健康を維持しているように見えても、
それは表面のことであって、その人が、「神」すなわち「生命(せいめい)」に背反して
いる限り、すでにその人の健康は危殆に瀕しているのである。

       <感謝合掌 令和元年11月1日 頓首再拝>

霊は健康で迷わざるものである - 伝統

2019/11/12 (Tue) 04:39:53


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月12日)より

霊的自己 ―― 迷わぬ自己 ―― ただ一つ ―― 二つは無い。
迷っている自己、病んでいる自己、そんなのもは無い。
自己は二つない。一つきり。

健康な自己だけ。そのほかの自己を神は創(つく)らない。

霊は健康で迷わざるものである。

       <感謝合掌 令和元年11月12日 頓首再拝>

下痢あり、嘔吐あり、そのまま健康 - 伝統

2019/11/13 (Wed) 04:43:19


       *「光明道中記」(11月13日《夫婦互いに調和する日》)より

【周囲の人は自分の生活の鏡。(『生命の實相』第四巻)】

維摩が病気で寝ていたとき、文殊菩薩が病問の使者として来た。
維摩は文殊に対して、「衆生病むが故にわれ病む」と答えている。

生長の家ではあまりに病気が治りすぎるために、
またあまりに現象的利益が得られるために、

現象的な利益に傲(おご)り驕(たかぶ)って、
病気のないことを悟の証拠にしようと思ったり、
金の儲かることを悟の証拠にしようとするような危険がある。

これは厳重に避けなければならない錯誤である。

「従容録」第三十六則馬師不安の公案がある。
不安と云うのは病気と云う意味である。

馬師の話は七月二十一日の欄でも触れたことがあるが、馬大師が病気で寝ていた。
そこで寺の院主が「和尚(おしょう)近日(きんじつ)尊位(そんい)如何(いかん)? 」
とやった。 「近頃病気は如何(いかが)でございますか」と云う程度の問だ。

馬大師答えて曰く、「日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(げつめんぶつ)だ」
これは「仏名経」に載せられている仏の名前であるが、
日面仏は昼を照らし、月面仏は夜を照らす。

昼は健康を表し、夜は病気を表している。
馬大師は「昼あり、夜あり、それが自然の健(すこや)かさ」と言ったのだ。
下痢あり、嘔吐あり、そのまま健康なのである。

晴天あり、雨天あり、そのまま日々好日である。
凡夫の晴天はそれに執(とら)われて慢心し、凡夫の雨天はそれに執われて悲しむ。

聖人にも雨は降るが、青空のように雨の染(しみ)を残さぬのである。

          <感謝合掌 令和元年11月13日 頓首再拝>

病気は「自作自演」、健康的な生活の勧め - 伝統

2019/11/28 (Thu) 03:44:04


          *Web:MAG2NEWS(2017.10.09)より抜粋

その病気「自作自演」かも。武田教授が原始時代の生活を勧める訳

(1)人間は今、まったく他の生物とは違う生き方をしています。

  ①「調理したもの(人間以外の生物は自分が食べるものを調理することはない)
    を食べる」

  ②「栄養学などを勉強する」

  ③「家の中にいることが多い」

  ④「エアコンで温度一定」

  ⑤「自分の足で移動しない場合が多い」など

(2)だから人間だけは生活の様式にそって他の動物とは違う体に
   なっていなければならないのですが、体だけはまだ昔のままなのです。

   体の構造を決めたり、健康を維持する第一は私たちの体の中の遺伝子ですが、
   遺伝子は元来、化学物質ですから容易なことでは変わらず、
   10万年ぐらいもすれば少しずつ変わってくるといわれています。

   でも1万年前はまだ石器時代で
   人間はほとんど動物と同じ生活をしていました。

(4)ということは、私たちの健康というのは
   「まずは動物や原始時代と似た生活をする」ことが前提になります。

  ①朝起きたらまず太陽の光を浴びる(動物では当然)、

  ②テレビなどを見る前に体を動かす(動物では当然、以下同じ)、

  ③やや不足気味の食事をとる、

  ④生活に必要なぐらいの軽い運動をする、

  ⑤敵がいないか危険では無いかを五感と頭脳を使って警戒する、

  ⑥土や草などの自然と接する、

  ⑦暗くなると寝る…などです。

(5)つまり、「体の調子が良く、楽しい人生」を送りたかったら、
   少なくとも朝起きたら太陽の光を浴び、軽い運動(台所など)をして体を慣らし、
   テレビ、エアコンなどは余り使わずに

   日光の当たるところで自然と接しながら過ごし、
   男性は少しきつい運動をし(血管の構造などがそうなっている)、
   食事は腹八分目か朝食を抜き、

   夜もできれば10時頃には寝て、
   夜明けとともに起きるという生活をしてから
   「体の調子はどうかな?」と様子を見ることです。

(6)あまり運動もせずに「便秘」になったとか、
   朝の太陽も浴びずに「精神的に不安定」とか、
   日光浴不足で骨粗鬆症になったり、
   たらふく食べて肥満や糖尿病になったりするのは、

   まさに「自作自演」なのです。

   さらにそれに加えて「幼稚園がうるさい」と怒鳴り込んだり、
   マンションで上の階の足音が聞こえるなどと神経過敏になる人もいますが、
   これも「自作自演」が嵩じた例でもあります。

(7)森に足を踏み入れると爽やかな気持ちになりますが、
   これは樹木の中心部にあるフェノール性の化合物の臭いと、
   木々の葉がこすれ合う高周波の音とも言われています。

   私たちは海の中、森の中から出てきたものですから、
   心理的にも自然に接することは大切です。

   ( http://www.mag2.com/p/news/271011 )

          <感謝合掌 令和元年11月28日 頓首再拝>

健康を快復するために - 伝統

2019/12/13 (Fri) 04:52:31


       *『生長の家』(昭和33年8月号P19)より

健康を得ようと欲するならば、先ず自己批判から始めなければならない。

自己が周囲に対する感情又は想念が棘立ったものであるか、圓萬なものであるか、
他の人の欠点が目につきすぎて、それを非難し憎むような攻撃精神が多くはないか。

棘立った想念感情があるならば
圓萬な想念感情に置きかえるようにしなければならないし、
攻撃精神があるならば愛と赦しの想念感情にそれを置きかえなければならない。

イライラした焦燥の感じがあるならば、
心をもっと落ち着けて現象にひっかからないで、
事物の底にある實相の圓萬完全さを見るようにしなければならない。

欲求不満足の感じがあるならば、『實相においては萬事満ち足れり』と念じて、
にあらゆる欲求が満足せしめている圓萬なる状態を神想観中に観じて
欲求不満足の感を取り去るようにしなければならないのである。


あなたの中には既に完全なる實相があるのである。

あなたの實相は神であり、神聖である。
あなたの實相は神と偕にあるがゆえに、未だ嘗て生まれざる不生の存在である。
不生の存在であるがゆえに無始無終の存在であり、決して死せざるものである。

あなたの實相は神であり、普遍の神と一体であるがゆえに、
あなたの實相は萬物と調和しているのである。
あなたの實相は萬物と調和しているがゆえに、萬物はすべてあなたの味方である。
  
萬物すべて味方である實相をあなたが悟るならば
何らあなたにとって恐怖する事はないのである。
恐怖すべき事がないゆえにあなたの心は平和である。

心が平和であるがゆえに、正しい智慧が湧き出て来て、
時に随い、場所に応じて適当な行動をとることができるようになり、
凡ゆることが好都合に行くようになるのである。


   (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/18099477.html より転写)

          <感謝合掌 令和元年12月13日 頓首再拝>

不自然な心持が健康を遠ざける - 伝統

2019/12/19 (Thu) 04:55:17


           *「光明道中記」(12月19日)より抜粋

【妻の非難の念波は良人(おっと)の心を淋しくする。また良人を病気にする。
                         『生命の實相』第六巻)】

人間は健康なのが自然であって、不健康なのが不自然なのである。
そうすると不健康とは不自然な生活が起ったと云うことである。

不自然な生活の中には、憤(いか)りに耽(ふけ)ること、人を怨み憎むこと、
悲しむこと、陰気に沈むこと、笑わぬこと、いつまでも同じ感情に沈むこと、
仕事をせぬこと、上に仕えて素直でないこと、兄弟仲よかざること、人をゆるさぬこと、
嫉妬心を起すこと、あせり急ぐこと、・・・等々の心持である。

          <感謝合掌 令和元年12月19日 頓首再拝>

「何でもクヨクヨするな」 - 伝統

2019/12/20 (Fri) 04:58:40


       *「光明道中記」(12月20日《大調和の日》)より

【躓いたがために落ちる人もあれば、躓いたがために落ちる前に気がつく人もある。
                        (『生命の實相』第十一巻)】

人間は自分の生活が不自然な為に病気になるばかりではなく、
自分が不自然な思いをもつことによって病気になるばかりではなく、
その時代の人類の思想を反映して病気になるものでもある。

人間の思想が波動であること、そして人間の心が、
非常に鋭敏な波動受信機であると云うこと。

斯う云うことを考えめぐらせて見れば、その世紀の人類の思想が吾々を病気にもし、
健康にもするものであることが明らかになるであろうと思う。

人間のように鋭敏(デリケート)な感受機関を有しない動物でさえも、
周囲の精神波動に感じて病気になるのは、山野の獣(けもの)が病気にならないのに、
家に飼(か)うと、手厚い保護(実は「心配」と云う病的念波)を受けながらも
病気になる事実で明かである。

この理論で行くならば、家庭に病人を無くするには、
やはり周囲の精神波動を浄(きよ)めねばならぬのは明らかである。
病気を心に思いすぎる精神習慣の人は、その習慣を改めなければならない。

誰も病気のことなど思わず、常に快活にしているように努め、
家庭の空気が光明化するような明るい読み物を常に読まねばならぬ。

「何でもクヨクヨするな」 

この言葉を病人の多い家庭に捧げる。 

          <感謝合掌 令和元年12月20日 頓首再拝>

人間の実相(そのまま)は健康である - 伝統

2019/12/23 (Mon) 04:55:28


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月23日)より抜粋

わたしの『光明の生活法』の本の携帯版が気持ちのよい形で、
そんなどぎつい装飾もなしに、ととえば夜しずかに降りて
万物をうるおしてくれる夜露のように質素な、そして典雅な形で出た。

常にこの書を携帯していちいちその生活法どおり実行する者は幸いである。

この生活法を常に実行している者は常に健康であるに相異ない。
不健康とは、生活が不健康であり、思いが不健康であることの反映であるに過ぎない。

人間の実相(そのまま)は健康であるからである。

          <感謝合掌 令和元年12月23日 頓首再拝>

《神常に吾を生かし吾を導き給う》 - 伝統

2020/01/21 (Tue) 04:17:17


        *「光明法語」(1月21日)より

神のすべてを生かし給う生命、吾が内に吾が心の内に、吾が魂の内に、
すべての事件の内にあらわれて生かし給う。

この神の大いなるいのち、常に新しきいのち今もわが中に流れ入りて
常にわが組織を新たならしめ給い、健全ならして給うているのである。

今この瞬間このわが頭の先からわが爪先に到るまで輝く神のいのちに満たされているのである。
もはやわが肉体は神の肉体である。わが肺臓は神の肺臓である。わが胃袋は神の胃袋である。
吾が全ての内臓は神の全ての内臓である。

完全に健康であるほかあり得ないのである。

          <感謝合掌 令和2年1月21日 頓首再拝>

健康増進の日 - 伝統

2020/02/02 (Sun) 04:01:29


           *「光明道中記」(2月2日)より

【食事にうんと歓びのお菜を附けて食べよ。どんな粗食でも最上の栄養に変わる
                            (『生命の實相』第八巻)】

戦前であったが、自殺して死んだ医学博士で羽太鋭治(はだえいじ)と云う人があった。
その人が若返り法の本を書いたことがある。
その本の中に肥えたい人の食事法と、痩せたい人の食事法とが書いてあった。

痩せたい人は畳の上に盆を置いて、低い位置に料理を置いて身体を屈み加減にし、
消化器を圧迫しながら、出切るだけ憂鬱な気持で食べるのである。
そうすると必ず痩せると言う。

肥えたい人はその反対をするのである。
腹を伸ばしてゆっくりと高い加減の食卓に坐し、天井に「アハハハハ」と大きく書いた紙を
貼り附けて置いて、食事をしながら、天井を仰ぎ見て、「アハハハハ」と時々笑うのである。

笑えば心が開く。
心が開けば血液の循環がよくなる。
消化器の分泌が豊富になり、粗食からでも豊富な栄養を吸収することが出来るようになる。

併し肥えるということは必ずしも健康の理想ではない。
或る人は痩せているがために他の内臓の能力(キャパシテー)と平衡を得て健康を得ている。

健康とは要するに全体の調和を意味する。
心臓や腎臓の能力(キャパシテー)の小さな人には筋肉の増大は返って負担となる。

          <感謝合掌 令和2年2月2日 頓首再拝>

ウォーキング10の効果(心身の健康のために) - 伝統

2020/02/12 (Wed) 06:36:43


         *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/03)より抜粋

(1)日野原重明先生は次のように言われています。

   「気が重かったり、心が晴れなかったときには、
    大またでさっさと歩いてごらんなさい。

    そうすると姿勢がよくなって、
    少なくとも歩いている間は、心配ごとや悩みを忘れます。
    気分がかわります」

       岩田 寿夫 『心を育てる言葉の贈り物』(学事出版)

(2)歩いていると、街になかに、いろいろな発見をすることもできます。

   小鳥のさえずり、

   道端の草花

   風にゆれる光

   自分のなかに小さな発見をすることも・・・

   それが仕事の新しいアイディアにもつながことがあります。

(3)ウォーキング10の効果

  ①生活習慣病を予防し老化を防止する。

  ②生活習慣病の引き金となる悪玉コレステロールを減少させる。

  ③糖尿病を予防することができる。

  ④骨を丈夫にする。

  ⑤呆け防止、更に頭を良くする。

  ⑥肥満を解消する。

  ⑦ストレスを解消する。

  ⑧医療費、交通費の節約になる。

  ⑨心配ごとや悩みを忘れて元気になる。

  ⑩いろいろな発見ができる。

   (https://lucky.t-nakai.work/2019/02/03/custom-13/ )

          <感謝合掌 令和2年2月12日 頓首再拝>

《肉体をあなたの心で自由に支配せよ》 - 伝統

2020/02/28 (Fri) 02:46:09


          *「真理」第9巻生活篇(P16~17)より

潜在意識はたとえば選波作用のないラジオ・セットの様(よう)なもので、
どんな観念でもそれに吹き込めば、それを受信して其の通りに振動し始め、
その観念の波動の通り肉体の構成を毎日毎時毎刻つくり直しつつあるのです。

だから潜在意識に如何なる観念を吹き込むかと云うことが、
吾々自身の肉体支配の重要なるコツです。

健康の観念を吹き込むか、病気の観念を吹き込むか、老衰の観念を吹き込むか
等によって、あなたの健康状態はかわって来るのです。

生長の家の信徒の多くの人が十年も十五年も本当の年齢よりも若く見え、
且つ、実際老衰を知らないで七十歳を超えてもなお若々しく壮年のような
活動をつづけているのが多いのは如何に潜在意識に「健」と「若さ」との
観念を吹き込むことが老衰を防ぎ得るかの証拠なのです。

          <感謝合掌 令和2年2月28日 頓首再拝>

《肉体は常に新たに造られる》 - 伝統

2020/03/12 (Thu) 04:22:53


          *「真理」第9巻生活篇(P17~18)より

人間の本体は「心」であり、肉体の新陳代謝は「心」によって支配されるから、
「心」を健全に保つことは肉体を健全に保つことの根本なのです。

新陳代謝は、ただ陳(ふる)いものが去って、其の跡へ新しい分子や
新しい細胞が以前の位置に排列されるのではないのです。

若しそうなら人間はいつまでも生長もしないで元の形であるでしょう。
その元の形が破れて、大きくなったり、委縮して皺ができたりするのは、
新陳代謝の際に、新しく排列される新細胞新分子の位置が変化するからです。

しかも、その変化も無茶苦茶に新細胞や新分子が付着し凝固するのではなく
一定の秩序をもって排列せしめられるのですから、やはりそれは一種の
知性に支配されているのです。

その「知性」に「病(やまい)」や「老(おい)」の観念をつぎ込まねば
常に健全に肉体が構造せられるのです。

          <感謝合掌 令和2年3月12日 頓首再拝>

人間が疲れないためには - 伝統

2020/03/18 (Wed) 02:18:38


           *「光明法語」(3月18日)より

自己催眠、自己暗示で自分を疲労せしめて自分を病気にするのは愚かな事である。

疲れたと思ったときには、しばらく眼を瞑(と)じ、

「神は無限力であり、自分は神の子である。
今神の無限力が滾々(こんこん)と流れ入って、自分は無限の精力を回復しつつある」

と数回念ずれば、その疲労は須臾(しばらく)のうちに回復するものである。

また仕事をする場合、自分の力で仕事をすると思わないで、
「神が自分を通して仕事をしたまうのであるから決して疲れることはない」と
数回念じてから仕事をすれば疲れない。

          <感謝合掌 令和2年3月18日 頓首再拝>

人間を物質だと思うな - 伝統

2020/03/21 (Sat) 06:47:37


           *「光明法語」(3月21日)より

人間を物質だと思っている
 ―― その信念の程度に随って人間は物質の法則に支配され易くなり、
物質と同様に疲労と老衰と病気とに曝(さら)されるのである。

物質は大生命より発した波動のうちで最も粗雑低級な波動であるから、
霊の無限、無消耗性をあらわすことは出来ないのである。

人間を物質だと観ずる念波は、
自分の生命にこの無雑低級な消耗性を引寄せることになるから、
自分自身を消耗性の姿をあらわすことになり、
それだけ自分自身を不健康にあらわすことになるのである。

          <感謝合掌 令和2年3月21日 頓首再拝>

《健康を恢復するには》 - 伝統

2020/04/04 (Sat) 02:06:03


       *「真理」第9巻生活篇第2章(45~46)より

心に思うことが肉体にあらわれるのであるから、
病気があらわれているならば、この病気をどうして治そうかと、
病気のことについて強く思い煩ったのでは却って
その病気は治りにくいのである。

病気を思えば病気があらわれ、健康を思えば健康があらわれるのであるから、
健康を欲すれば、「この病気を治そう」と念ずるよりも、
「私は健康である!!」と念ずる方がよいのである。

現に自分が病気であるのに「私は健康である」と念ずることは凡(およ)そ
ナンセンスであり、自己欺瞞であると思う人があるかも知れぬ。

併(しか)し、人間は神につくられた神の子であるから
其の実相は常に健康なのである。

神の子が病気している事の方が自己欺瞞でありウソであり仮構(かこう)で
あるから、いくら病気しているように見えても、
「私は健康である」と念じて少しもウソはないのである。

          <感謝合掌 令和2年4月4日 頓首再拝>

元気充満の日 - 伝統

2020/04/16 (Thu) 03:19:45


           *「光明道中記」(4月16日)より

【「心が」或る一つの「迷い念」に引っかかって生命本然の自由性を失うところに、
 その「心の影」そして色々の病気があらわれる。(『光明の健康法』)】

不健康とは自然を失った状態である。
健康なのが人間の自然であるから、自然になりさえしたならば、
健康は自然に顕れるのである。

それと同じく、人間の成功も、幸福も、自然なのであるから、
人間が自然になりさえしたならば成功も幸福も自然にあらわれるのである。

健康や、幸福や、成功を何か異常な出来事であるかのように求める心が
間違っているのである。
此の間違った思想の中に誰でも生活している限り於いて
その人は本当に幸福にも健康にもなれる訳ではない。

吾々は人生観を根本的に置き換えなければならないのである。
人間は「神の子」であるから本来幸福に健康に成功するように
最初から定(き)まっているものなのである。

それなのに幸福と健康と成功とを何か特別な少数者だけのもののように、
それが異常な出来事のように考えているから、その考えが具象化して、
それが何か異常な出来事のように、少数者にしか実現しないのである。

吾々の健康の秘訣は、幸福の秘訣は、成功の秘訣は、
健康が、幸福が、成功が常に吾々を追い廻しているということを自覚するにある。

          <感謝合掌 令和2年4月16日 頓首再拝>

健康とは人間の自然の相(すがた)である - 伝統

2020/04/19 (Sun) 07:21:01


    *「光明道中記」(4月19日《相倶(あいとも)に扶(たす)くる日》)より

【僕は何でも、過去のことは《過去として》それで善かったと思っています。
 過去は過去だ、後悔したりするのは嫌です。(『百事如意』)】

呟(つぶ)くこと、人の悪い噂をすること、不景気の話をすること、
詰まらない話をすること
―― こんなことに時間を費やしている限り、あなたの事業は衰退する。

そんな事をする暇に光明思想の本を常に携帯していて、
それを読んで心を光明に転向すれば、事業も亦(また)光明に転向する。

健康にしても矢張りそうである。

若し不平を言うこと、呟くこと、憎むこと、人の欠点(あら)を探すこと、
尖った心を起すこと、人を遣(や)っつけたい感情を起すことを止(や)めなければ、
その人の病気は治らないであろうし、

また病気でない人も、かかる心持を持続する限り
「病気」の方向に向かって突進しつつあることを知らねばならぬ。

成功の秘訣がサービスにあることを知っている人は多いが、
健康の秘訣がサービスにあることを知らぬ人が多いのは、不思議なことである。

サービスは自分が働いて人を喜ばすことによって成立っている。

自分が働いて人を喜ばしたならば商売が繁昌するのは当然であるが、
その人の健康がよくなるのは、健康とは人間の自然の相(すがた)であるから、
人間が自然の道に乗れば健康になる。

          <感謝合掌 令和2年4月19日 頓首再拝>

《健康を常に思い浮べよ》 - 伝統

2020/04/20 (Mon) 05:03:10


         *『 生長の家 』(昭和26年4月20日の法語)より

   健康になろうと思えば、健康の想念を起さなければならない。
   想念は想念する事物を作るからである。

   だから健康になりたい人がどうしたら この病気がなおるかと、
   「病気」のことばかり思い浮かべているのでは、
   その病気は なおりっこはないのである。

   よろしく病気を思う心を放ち去り、

   「 神の無限の癒(いや)す力流れ入って
   光が暗(やみ)を消しつつあるかの如(ごと)く
   愈々(いよいよ)益々(ますます)健康が増大しつつあるのだ 」 と念ぜよ。


   この思念を毎朝起床時 及び 就寝時に、眼を閉じ合掌して念ずるのである。

   重態にて起きられない人は 寝床の中で合掌しても好(よ)いのである。

   又、随時、疲労を感じたときに かく念ずると健康回復に絶大な効果がある。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12224992.html (消滅)

          <感謝合掌 令和2年4月20日 頓首再拝>

《具体的に神に近づけ》 - 伝統

2020/04/26 (Sun) 04:47:40


         *『 生長の家 』(昭和26年4月26日の法語)より

   あなたを生かしているのは 神の全能の力である。
   全能の神の力が宿ってあなたの「 生命 」となっているのである。

   それを読み、それを知るだけで尚(なお)健康になれないのは、
   飯を消化して自分の血液になっているのであると読み知るだけで
   腹がふくれて来ないのと同様である。

   腹がふくれ、元気が出るためには、
   具体的に食事をとり、それを同化する必要がある。

   それと同じく、あなたが真に健康となるためには、
   具象的にあなたは神に近づかねばならぬ。

   新しき感情と想念と意思とをもって
   神の波長と自分の生命との波長を合わすように
   努力しなければならぬ。

   「 神 」をわがものとしてそれを同化しなければならぬ。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12244780.html(消滅)

          <感謝合掌 令和2年4月26日 頓首再拝>

行動に於いて、健康である通りに実践する - 伝統

2020/05/08 (Fri) 04:43:13

          *「真理」第9巻生活篇第2章(46~47)より
           《想念の行動化について》

メンタル・サイエンスの幽祖であるといわれているトロード判事は
「なまけ者には決して特別配当はない」と云う警句を言っていますが、
心に思うことが形にあらわれるのだからとて、ただ念ずるだけで、
その念に相応しい行動を起こさないようなことでは、
その「心に思うこと」が成就しないのです。

「わたしは神から無限の糧(かて)を与えられているから既に満足している」
といくら念じても、食物(しょくもつ)を行動に於いてたべなかったならば、
いつまで経(た)っても空腹は去らないでしょう。

空腹を去らしめるには《行動に於いて》「与えられている糧(かて)」を
受けることを実践しなければならない。

「私は健康である」と念じたならば、
行動に於いて健康である通りに実践しなければならぬ。

健康者が朝起きる如く起き、健康者が仕事する如く仕事するのである。

          <感謝合掌 令和2年5月8日 頓首再拝>

《若さの復活はこうして出来ます》 - 伝統

2020/05/18 (Mon) 04:42:12


          *「真理」第9巻生活篇(P20)より

この「全体の心」が肉体人間全体の構図を設計し、
古い部分を運び出して新しい部分品をもって、修繕し、
適当の形に補修して行くのですから、それは家屋の修繕とよく似たものです。

老化の板を貼りかえたり、畳や、障子の紙や、襖の紙を取りかえると、
50年もたった古い家でも一見新築のような新しい生き生きとした
家になります。

襖(ふすま)の貼りかえなどは、自分の好み模様の紙で貼りかえられますから、
その好み次第で面目一新した座敷になります。
これはその家を修繕したり、襖をはりかえる人の心で色々に変化するのです。

それと同じく、肉体の新陳代謝は、その部分品を如何に貼りかえるかの
技術指導者たる「心」の状態によって、健康にも不健康にも、
若い状態にも、老衰状態にも変化することができ、面目一新して
別人の如く若々しい相貌を呈することもできるのです。

          <感謝合掌 令和2年5月18日 頓首再拝>

自己の生命を「神の生命」なりと観ぜよ - 伝統

2020/07/07 (Tue) 04:46:14


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月7日)より

健康を得んと欲するならば、
自己の生命を「神の生命(せいめい)」なりと観ぜよ。

神は健康であって病気に罹るなどのはずはないのであるから、
「神の生命」が自己の生命であると観じられるかぎりにおいて
健康を失うことはありえないのである。

瞑目合掌して自己の全身が「神の生命」に満たされて
光明燦然と輝いている有様を瞑視して、それに精神を統一せよ。

漠然と「健康」と観ずるよりも、
具体的に観ずるほうがいっそう効果が多いのである。

自己の顔色(かおいろ)が桜色に輝き、筋肉はたくましく、内臓が健やかに
その職能を果たしつつある事実を心に描いて観ぜよ。

次のごとく具体的に心に唱えながら観ぜよ、

「神はわが眼にプラナを流れ入らしめたまい、わが眼を祝福して言いたまわく、
 『眼よ、健やかであれ』と。すなわちかくなりぬ。この眼は神の眼であって、
 神はこの眼を通して自己の創造の美しさを鑑賞したまうのであるから、
 毎日いっそうわが眼の視力は増大するのである。

 神わが耳にプラナを流れ入らしめ給いて、
 わが耳を祝福して言いたまわく『耳よ、健やかであれ』と。
 すなわちかくなりぬ。

 この耳は神の耳であって、神はこの耳を通して大自然および神の子たる
 人間の音楽のいかに美しきかを鑑賞したまうのであるから、
 毎日いっそうわが耳の聴力は微妙であっていかなるデリケートな音調でも
 聴き分けることができるのである。

 神わが鼻より咽喉、気管、気管支、肺臓および肋膜にプラナを流れ入らしめたまいて、
 これらを祝福して言い給う『呼吸器よ、健やかであれ』と。すなわちかくなりぬ。

 わが肺臓は神の霊が神の生命(せいめい)を呼吸するための器官として
 具象化したまいしものであるから霊的実在であるのである。
 だから決して黴菌に侵(おか)されるようなものではないのである。

 自分はこの内臓が病菌に侵されるというような
 人類の共通観念を今かなぐり捨てたのである。
 神の祝福したまいしごとくわが肺臓は健やかであるのである。

 神わが心臓にプラナを流れ入らしめ給いてこれを祝福して言い給う
 『心臓よ、健やかであれ』と。すなわちかくなりぬ。
 わが心臓は神の霊の具体化であるのである。

 だからわれは神がすべての人を愛したまうごとく
 われもまたすべての人々を愛したのである。

 神がすべての人々をゆるし給うごとくわれもまたすべての人々をゆるしたのである。
 だからわが愛の感情は常に平安である。わが愛の感情は平安であるがゆえに常に
 わが心臓も平安であるのである・・・」

このようにして「神が祝福し給う」という観念と言葉を通して
現実的に一つひとつの身体各部を健全化して視るのである。

「神プラナを流れ入らしめ給いて・・・」と念ずるときに、
神のプラナを吸い込むような気持ちで呼吸をそれに合致せしめると
いっそうよいのである。

          <感謝合掌 令和2年7月7日 頓首再拝>

全身は霊的エネルギーの層である。 - 伝統

2020/07/09 (Thu) 04:34:08


        *「光明法語」(7月9日)より

ロックフェラー研究所の外科医長故アレキシス・カレル博士は言っている。

「吾々の意識のすべての状態は脳髄の化学的変化に相互連関をもっている。
脳髄は全身に相互連関をもち、吾等の全身は恰(あたか)も心的及び霊的エネルギーの
層をなしているのである。意識のすべての状態は人体に一定の化学的又は生理的状態を
引起こす。

されば人間は或る動作によって自分の肉体を調整し得ると同様に、
瞑想により心を整えることによっても肉体を調整し得るのである。」

是が凡(あら)ゆる方面から人間の肉体を解剖した世界一の大医の言である。

          <感謝合掌 令和2年7月9日 頓首再拝>

常に自己を霊的実在なりと観ぜよ - 伝統

2020/07/25 (Sat) 04:29:08


      *『 生長の家 』(和26年6月3日の法語)より

常に自己を霊的実在だと信じている者には病気はないのである。

ただ吾々には日常生活中 五官の目で見る場合 どうしても自己やすべての存在を
霊的存在だと見得ないで 物質的な固まりであると見る場合が多い。

そのため いつの間にか自分自身を黴菌(ばいきん)に冒されるものと見る。

不完全なものだと見る。

その「 観(み)る心の相(すがた)」(即ち観念)が空間的に影をうつして
病気とあらわれて来るのである。

従って 吾らが本当に常住健康の生活を送るためには、
自己を物質と見る五官の眼(め)を瞑(と)じて、自己の全身を霊的実在であると
観ずる神想観の如(ごと)き修行を一日一回以上修することが必要である。

          <感謝合掌 令和2年7月25日 頓首再拝>

健康と祥福とは万人具有 - 伝統

2020/08/01 (Sat) 04:16:45


      *「光明法語」(8月1日)より

誰でも皆、最善の健康と最善の祥福とを楽しむことが出来るのである。
何故なら人間は皆神の子であるからである。

それが出来ないのは、神の子たる実相を自覚しないか、
神の子たる生活を生活しないからである。

健康と祥福とは、特別に或る人にのみ与えられたる恩恵ではない。
眼をひらいて天地の真相を見よ。
そこに光り輝く光明の世界を見出すであろう。

眼を開いて自己生命の実相が「神の子・円満完全」であることを見よ。
病いや不幸に心の眼を振り向けても光は見えない。

          <感謝合掌 令和2年8月1日 頓首再拝>

貴方(あなた)は健康なのが本当だ - 伝統

2020/08/13 (Thu) 04:48:31


      *『 生長の家 』(昭和26年6月25日の法語)より

神があなたの生命である。
あなたは生きている限りに於いて「 生命 」である。

「 生命 」は「 生命 」より生まれる。
その生命の本源は「 大生命 」である。

だから貴方の生命は「 神 」である。
そのほかにあなたの生命はあり得ないのである。

しからば貴方の生命は健康であるほかはないのである。

それだのに貴方の生命が若し不健康をあらわすならば、
それは、あなたが折角(せっかく)、神から頂いた「 生命 」を
「 大生命 」から孤立させてしまっているからである。

「 大生命 」に再び接触せよ、

而(しか)して大生命の働きに自己をゆだねるとき、
大生命の生かす力が滔々(とうとう)と流れ入って
いと速やかに恢復(かいふく)するのである。

  (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127 )

          <感謝合掌 令和2年8月13日 頓首再拝>

《あなたは健康であるほかはない》 - 伝統

2020/08/26 (Wed) 04:53:45


       *「真理」第9巻生活篇第14章(P379~380)より

神は宇宙に満ちたまい、あなたの内にも満ちたまう。
あなたには無数な巨大な天体をつくり、それを無際涯の天空に懸けて
それを自由に運行させている実に巨大な力と同じ力が宿っており、
その力があなたの肉体を健康に維持しておられるのです。

神の大いなる力があなたの全生命と全肉体とを貫流しているのです。
その生命(せいめい)は大いなる宇宙の浄化力であって、
あなたの身体(からだ)の不浄物を、老廃物を、毒素を、
常に浄めてくれているのです。

だから其の実相(じっそう)をさとれば、
貴方は健康でいるほかはあり得ないのです。

しかも、

”その真理を『生命の實相』を読んで若干さとったと云う気持ちに
なっているのにどうして私はスッキリとした健康はられないのですか”

と言ってたずねる人があります。

それは何処かあなたの心に抵抗があるのです。
神が癒して下さらないのではないのです。

          <感謝合掌 令和2年8月26日 頓首再拝>

精神活動の統一と健康 - 伝統

2020/08/27 (Thu) 04:42:17


      *「光明法語」(8月27日)より

人間が健康になるには喜んで働く事である。

「自分の活動を正確に目的の方向に向ける時吾々の心理的・生理的機能は、
最も完全に調和を来たすのである」
とアレキシス・カレル博士も言っている。

又博士は
「精神活動の統一は、内臓や神経機能のより以上の調和を齎(もたら)すものである」
とも言う。

病床にいて仕事もなく、あれを考え、これを憂え、
精神活動に何の統一も集中も無なく
ただ病気の悪くなる事のみを心に描いて心配している様な生活が
病気に悪いのは勿論である。

          <感謝合掌 令和2年8月27日 頓首再拝>

《実相に於いてはあなたは既に健康です》 - 伝統

2020/09/03 (Thu) 04:49:18


          *「真理」第9巻生活篇第14章(P382)より

み心は既に「天」に於いて成就しているのです。
「天」とは実相の世界のことです。


実相の世界に於いては、あなたは既に健康であり、
あなたは既に豊かであるのです。

しかし現象の世界の事物を支配するのは、あなたの心にまかせられている
のですから、それは”心の抵抗”によって、「天」(実相)に成れる
”完全さ”をどの程度に減衰してあらわすかは、あなたの心の自由なのです。

あなたの”心の抵抗”が強ければ強いほど、実在の世界にある完全さが、
地上の世界に旨くあらわれて来ないことになります。

”心の抵抗”は謂わば写真のカメラのレンズに懸(か)けた
色硝子のスクリーンみたいなものです。

そのスクリーンの色だけマイナスされて写真に写って来るのです。

「病気になりたい意志」があれば、その人に「健康」だけが
マイナスされて出て来るようなものです。

          <感謝合掌 令和2年9月3日 頓首再拝>

《健康に必要な想念》 - 伝統

2020/09/06 (Sun) 04:39:06


        *「眞理」第2巻基礎編第4章(P106~107)より

健康に必要な想念は、積極的な、愉快な、明るい、
深切な、愛他的な、感謝と満足とに充ち満ちた心であります。

物事を消極的に考える心の持ち方は、
肉体の細胞の働きをも消極的に働かせ、
従って健康によくないのであります。

事物の暗黒面を見てはなりません。

愉快な心持で、明るい方面ばかり見るように心がけ、
常に明るく微笑していると健康によいのであります。

誰でもあなたの健康状態を積極的に明るい想念を
根気よく持続することによって改善することが出来るのであります。

今まであなたが若し不健康でありましたならば、
貴方はあまりに不健康な想念を持ち続けて来たからであります。

物事を思い煩ってはなりません。
心配してはなりません。

完全に神に全托して「善き事のほか来ない」と信ずることが大切です。

          <感謝合掌 令和2年9月6日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.