伝統板・第二

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「よき運を招く」(光明掲示板・第二) - 伝統

2019/03/17 (Sun) 11:36:18

光明掲示板・第二 消滅により、
「よき運を招く」の伝統板・第二への再掲示です。



招運

(このスレッドでは、「運」に関する情報を紹介してまいります)

          *「静思集」(P163)より

不成功な人間が呟く言語は「自分には運がない」と云う言葉である。
「運さえあれば自分だとて立身出世も出来れば高位高官にもなれるのだ」と言う。
そうしてとうとうこんな人は生涯呟きながら不成功に終って了(しま)うのである。

併し本当に成功する人は「運は常に自分の掌中にある」と言う。
「時々刻々自分を磨き自分を伸ばす運だ」と言う。

そして斯う云う人々は常に自分を磨いて時々刻々自分の能力を増大し、
自分をば高い位置までのし上げる。
常住楽観主義、常住成功主義の人はこんな人である。

運は外にあり、環境にあると思う者はついに成功を失って了(しま)うものである。

運は内にあり、環境は自分の心の陰影なのである。
自分の内にある「運」を育てないものは、ついに外に何らの「運」がないことを見出すであろう。
自分のうちに深切の心を養わない者は、環境も亦その人に対して不深切であるであろう。

大抵の人は「私は金が欲しい」と言う。
そんな人は金の方から逃げて行く。
「金が私を欲しがる」ようにならねばならぬ。

その人は諸方から引張り凧(だこ)である。

           <感謝合掌 平成26年7月9日 頓首再拝>

・・・

運がいいと思っている人

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2011年10月16日)」より

   (斎藤茂太氏の心に響く言葉より…)

   ロンドン近郊にあるハートフォードシャー大学の心理学教授グループが行った
   興味深い実績があるので、紹介しよう。

   彼らはまず、「どちらかというと自分は運がいい」と思っている人と、
   逆に「どちらかというと運が悪い」と思っている人を50人ずつ集めた。

   そして被験者たちに、アニメのキャラクターがコインを親指ではじく映像を見せ、
   表がでるか、裏がでるかを当てるゲームに挑戦してもらった。

   この実験を繰り返し、「果たして、自分は運がいいと思っている人のほうが、
   運が悪いと思っているより、当てる確率は高いか」 を調べようというわけだ。

   結果、両グループとも当たる確率はほぼ同じ。

   自分が運が悪いと思っている人も、実はそれほど運が悪いわけではないことがわかった。


   では、彼らはどこがちがうのか。

   実験ではさらに、被験者にそれまでの人生を振り返ってもらうと
   いうインタビュー調査を行なった。

   これで判明したのは、運がいいと思っている人は“いいこと”が
   起きたときのことをよく覚えていて、

   運が悪いと思っている人は、“悪いこと”が起きたときのこと
   ばかり思い出す傾向が強いことだ。

   私の知り合いに「負けはカウントしない」と豪語している人がいる。
   彼などは「いいことだけを覚えている」典型だろう。

   つまり、研究で出た結論は、

   「運がいいと思っている人は人生に対する態度が肯定的だから、
   積極的に行動するし、望んだ結果を得やすい。

   逆に、運が悪いと思っている人は人生に悲観的で、
   何事につけてもあきあらめるのが早い」

   ということだった。

         <『グズをなおせば人生はうまくいく』大和書房>

       ・・・

人生がうまく行くかいかないかは、 どこに焦点をあてるかだ、と言われる。

どんな事象にも、コインのように裏があれば表もある。

車をぶつけてしまって「ツイてない」、と思う人もあれば、
怪我をしなくてよかった、「ツイてる」と思う人もいる。

運がいい人は、過去に起こった「いいこと」しか覚えていない人。

同様に、過去に起きてしまった「悪いこと」しか覚えていない人は、運が悪い人なのだ。

同窓会などで、「あの時は楽しかった」「こんな面白いことがあった」
と楽しかったことばかり話す人のまわりは、笑いと笑顔に囲まれる。


90歳をすぎたとき、宇野千代さんは「私のしあわせ人生」(集英社)の中でこう言っている。

『「私はとても運の強い人間なんですよ」という癖がある。
自分ではあんまり苦しんだり、努力したりとは思っていない。
みな、忘れてしまったのかも知れない。忘れると言うことも、とてもよいことですよ』


悪いことや嫌なことは、さっさと忘れ、
いいことだけを覚えている人生でありたい。

           <感謝合掌 平成26年7月12日 頓首再拝>

・・・

【脳がときめく言葉の魔法】

            *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月21日)」より


   (茂木健一郎氏の心に響く言葉より…)

   偶然の幸運に出会う能力を「セレンディピティ」といいます。
   現在の脳科学では、セレンディピティこそが、人間が創造的に生きるための
   キーワードとして注目されています。

   つまり、人が幸せを感じながら日々生きていくためには、
   偶然の幸運に出会う能力「セレンディピティ」が必要なのです。


   セレンディピティを身につけるのは難しいことではありません。

   「行動」「気づき」「受容」の3つのサイクルを回していくと、誰でも身につけられます。


   まずは「行動する」こと。
   すべてはアクションを起こすところからはじまります。


   次に何かに出会ったら、そのことに「気づく」こと。
   気づきに必要なのは心の余裕です。

   目標を立てて行動するのはいいことですが、
   目標ばかりに目を向けてしまうと気づきは生まれません。


   そして、出会ったものに気づいたら、それを「受け容れる」こと。
   偶然出会ったものは、もしかしたら自分の世界観を変えてしまうものかもしれません。
   それでも、柔軟な発想ですべてを受け容れるのです。


   重要なのは、偶然の幸運に巡りあったとき、
   それを間違いなく自分のものとして繋ぎ止めることができるかどうか。

   それができる人こそ、幸運を呼び込めるのです。


   では、この「偶然の幸運」を「必然の幸運」に転換させる方法はあるのか?

   もちろん、あります。

   簡単なことですから、すぐにはじめられます。
   それは、脳が喜びときめく言葉を送りつづけることです。

   あなたも、「言葉が人をつくる」ということを聞いたことがあるでしょう。
   たとえば、日々ネガティブな言葉を口にしていると、考え方もネガティブになり、
   不幸を呼び込んでしまう。

   反対に、ポジティブな言葉を口にしていると、
   前向きになれて人生が豊かになる、ということです。

   いわゆる口グセの法則というものですが、脳科学でも証明されています。


   脳科学的にいうと、幸せとは脳が生み出すイリュージョン、つまりは幻想です。
   だから、脳が喜びときめく言葉を送り続けると、脳内で「幸せ」という
   イリュージョンが生み出され、実際に幸せを感じられるようになる。

   自分の言葉がけしだいで、幸運を呼び込めるということです。


   これが、「脳がときめく言葉」を送りつづけると幸せになれるというメカニズムで、
   現代の脳科学でも実証されていることです。

   私が知っている成功者の多くも、脳がときめく言葉を送りつづけています。


   さらに、幸運を呼び込んでいる成功者には、共通する特徴があります。
   それは、「人の役に立つことを考えて発言し行動している」ということです。

   自分よりも他人のことを考え、成長していこうとしている人ほど、
   脳がときめく言葉、あるいは「幸運を呼び込む言葉」を使っているのです。

   プロフェッショナルな人たちは自分の脳だけでなく、
   人の脳もときめく言葉を使っているということです。

         <『茂木健一郎の 脳がときめく言葉の魔法』かんき出版>

          ・・・

セレンディピティとは、何かをさがしている時や日常の出来事の中に、
別の何かもっと価値があるもの、思わぬチャンスなどを偶然に見つけることができる能力
のことを言う。

たとえば、ニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した、というようなこと。


脳がときめく言葉とは、「ありがとう」「ついてる」「うれしい・楽しい」「感謝してます」
「しあわせ」「ありがとう」「ゆるします」等のこと。

前向きで、積極的で、ウキウキワクワクするような、
感謝に満ちあふれた言葉を常に使っていると、ニュートンが引力を発見したのと同じように、
日常の中に「幸せ」なことを多く見つけることができるようになる。

そして、偶然の幸せな出会いや、偶然のチャンスなどを引き寄せる。


特に、「人の役に立つことを考えて発言し行動している」人は、
自分もまわりも同時にときめくことができる。

人の喜ぶことをすれば、結局は人から感謝されることになるからだ。


いつも、脳がときめく言葉を使っていたい。

           <感謝合掌 平成26年7月15日 頓首再拝>

・・・

《なぜ彼女は車椅子になったのか? 》

          *「開運の作法」(P116~117)より

   ある患者さんのお話です。

   彼女は、半身不随の状態で、もうすでに歩くことができません。
   そのうえ、手術の後遺症なのか、とにかく全身の調子が悪いというのです。

   私はお話を伺いながら、折をみて、どうして車椅子になってしまったのか、
   そっと尋ねてみました。

   その方は、数年前に交通事故に遭ってしまったということです。
   そのうえ、ありえないような医療ミスによって手術が失敗し、その結果、
   半身不随の状態になってしまったとのことでした。

   事故の規模からしても、手術の難易度からしても、普通なら半身不随になどなりようも
   ないものでした。それなのに、偶然、そんな不運が重なってしまったのです。

   お話を伺った際、私の中で何かひらめきました。そして、全く無意識のうちに
   「交通事故に遭う前から障害者用のスペースに車を止めていませんでしたか? 」と、
   問いかけていたのです。

   答えは、その通りでした。
   スーパーに買い物に行くたびに、彼女は障害者用スペースに駐車していたのです。

  
   神さまは、その方が堂々とそのスペースを使うことができるように、
   「お恵み」をくださった。願いを聞き届けてくださったのです。
   その結果が、車椅子だったわけです。

   私はそのことをよく説明したうえで、エネルギーの調整をさせていただきました。
   その結果、わずか1か月で歩けるようになったのです。

  
   自分の行動は、すべて所作であり、自分でつくった作法となってしまったのです。

   思いもよらないできごとは、実は自分が引き寄せていた「運」ということなのです。
   
           <感謝合掌 平成26年7月26日 頓首再拝>

・・・

運のいい人と悪い人の違いとは

          *「神様にほめられる生き方」(P22~25)より

世の中には「運」のいい人と悪い人がいます。
運の悪い人は、実力があっても、世に出ることはありません。

ところが、運のいい人は活躍する場所も与えられ、それにつれて自分の力量以上の力を
発揮することができ、予想外の展開を得ることがあります。

つまり、運と実力は決してイコールではなく、運は人間の力ではどうすることもできません。
では、運は偶然でしかまわってこないものなのか。

そうではありません。
「運」は自分で切り開き、呼び寄せるものです。

『続日本紀』という奈良時代の歴史書によると、神亀(じんき)2(725)年7月17日、
聖武天皇が一つの詔勅を出されています。

それは「七道諸国の社寺を清浄にするため、神社とお寺をきれいに掃除せよ」というご命令で、
その中に「わざわいを除き祥(さいわい)を祈ることは、必ず幽冥に憑(よ)り、神を敬い
尊ぶことは清浄を先とす」と書かれています。

これは、「災いを除き、幸せを祈ることは、目に見えない世界のお力なくしてはとても
叶えられない」という意味です。

目に見えない漠然とした「運」という存在を招き寄せるためには、「幽冥に憑(よ)る」、
つまり、神・仏・先祖の力をお借りしなければなりません。


見えぬ世界とはウソやマヤカシがない真実の世界です。
目に見えない世界からご加護をいただこうと思えば、目に見えぬ世界に対し、
真実の愛を捧げなければ通じることはないのです。

人間の世界は、計算の上に成り立っていることが多い。
さまざまな打算が心の中に浮かんできます。

これに対して、打算のない真実の世界が「幽冥」です。
打算のない愛を捧げ尽くしていれば、いつしか天に通じ、
見えない世界、つまり、神や仏や祖先たちが力をお貸しくださるのです。

「幽冥に憑(よ)る」とは、無私の愛を捧げること。
そうすれば、自ずと道は開け、「運」を招き入れることができるのです。

              <感謝合掌 平成26年8月1日 頓首再拝>

・・・

《ミラートレーニング》

       *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年07月06日)」より

   (濱栄一氏の心に響く言葉より…)

   『鏡に映る自分を見つめながら目標を想い描く』(ウォーレン・バフェット)

   ウォーレン・バフェットは、「人は習慣で行動するので、正しい思考と振る舞いを
   早いうちに習慣化させるべき」と語るように、圧倒的なビジネス実績だけでなく、

   人の興味をそそる様々な習慣、深い人生哲学など、
   生き方すべてに世界から圧倒的な注目を集める「オマハの賢人」です。

   そんなバフェットには、毎朝鏡を使って行う、ある意外な習慣があります。

   「私は毎日ややこしい手順を踏む。鏡を見て、今日は何をするのかを決める。
   その一瞬は、誰にでも決定権があるのではないか」

   そう、バフェットは毎朝鏡の前に立ち、そこに映る自分自身を見つめながら、
   今日一日の目標、すべきことに意識を向ける習慣があるのです。

   バフェットは、自分の頭で考えて行動するという
   「あたりまえのこと」を、なによりも大切に考えています。

   だからこそ、鏡を見ることで、自分の頭で考え自分の責任で行動するということを、
   この行動によって日々再認識しているのです。


   現代を代表するカリスマ映画監督、スティーブン・スピルバーグも同様です。

   スピルバーグは少年時代、鏡を5分間凝視し、将来なりたい自分の姿を想像しながら、
   目の前の自分自身に釘付けになるという習慣がありました。

   のちにスピルバーグは、この習慣により潜在能力が引き出されたと語っています。


   さらに、日本を代表する芸術家、岡本太郎には、毎朝、鏡に映る自分に、
   他人に会うように語りかける習慣がありました。

   あるときは「おや? いい顔してるじゃないかい」と励まし、
   あるときには「お前には負けない」と強い口調で語りかけます。

   鏡に映る自分と会話をし、
   鏡に映る自分に向かって目標を語りかけるのです。

   そうやって自分自身と向き合うことで、
   芸術性や人間性が向上すると考えていたからです。


   ちなにみ、日本の天皇家でも、密かに同様の儀式が行われていました。

   天皇家には、代々受け継がれてきた、鏡を使って行う
   『開運の奥義(おうぎ)』が存在します。

   出雲地方で古くからひっそりと伝えられていた技法であり、
   神道において「もっとも開運の効果が高い」とされている
   『自霊拝(じれいはい)』というものです。

   その方法は、「鏡に映る自分を見つめ、自分に内在する神の霊を自分で拝む」というもの。

   理学博士の佐藤定吉氏が明らかにしたところによれば、
   
   天皇家では、神武天皇以来、代々実践され続け、特に昭和天皇は
   日本人でいちばん厳しく修行され、その奥義を究めていたと言われています。

   この事実はこれまで公にはされていませんでしたが、
   敗戦を機に書類等が出回り明らかとなりました。

    <『なぜ、成功者たちは「フシギな習慣」を持っているのか? 』宝島社>
       。。。

哲人中村天風師は毎晩の寝がけに、
「今日1日、本当にありがとうございました。本当にうれしく、
ありがたく、これから休ませていただきます」と言い、

その後、鏡を前において、顔を写して、じいっと顔を見て、
「お前は信念が強くなる! 」と一言いって、床の中に入ったそうだ。

鏡の自分に向かって言い聞かせる訓練は多くある。

たとえば、鏡に向かって笑顔を作る「笑顔のミラートレーニング」や、
あたかも大勢の観客の前で話しているシーンをイメージしてあがり症などを克服する
「スピーチのミラートレーニング」などだ。


鏡は自分を客観的に見ることができる。

言葉による自己暗示はとても有効だが、鏡の中の自分を見ながらそれを言うと、
視覚的なイメージも加わり、それはさらに強固なものとなる。

自分の口で言って、自分の耳を使い、さらに目も使うという五感をフルに使うということだ。

ミラートレーニングはとても大事。

            <感謝合掌 平成26年8月9日 頓首再拝>

・・・

”魅力的な人間になること”

            *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年08月05日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   この世の中は「道理」でできています。
   道理を無視して、成功なんて、しようがありません。
 
   道理と強運は違うものじゃないんです。

   ビルの上から飛び降りたら、世界中の誰もが下に落ちます。
   ところが飛行機だけは、飛ぶようにできている。
   飛ぶように作っているんだから、当たり前ですね。

   その当たり前のことなんです。

   この世の中は道理でできているんです。


   私たちは、神様と、ある約束をしているんです。

   「正当な努力をして、魅力的な人間になって神様のもとへ帰る」という約束です。

   このことを守っていたら、神は絶対、味方をしてくれます。

   ところが、正当な努力もしない。
   一発、大当たりを狙うようなことを考える。

   それって、神を敵にまわしているんですよ。

   「強運がほしんです。競馬、当たらないかな。パチンコ、当たらないですか? 」

   って、楽しんでやるぶんにはいいけど、本気になってギャンブルで金持ちになろうなんて、
   ふざけたこと言ってるんじゃないよ(笑)。


   本当に顔晴っている人は、成功したときに、

   「みなさんのおかげです」とか、

   「運がよかったんです」って言うものなんですよ。


   そういう人の言葉だけを聞いて、「やっぱり人生、運なんだな」って、
   ふざけるなですよね(笑)。

   人の生き方を、よく見てみろって。

   成功した人が、普段、人にものを頼まれたとき、どんな返事をしているか見ていますか。


   仕事を嫌々やっている人って、返事に出るんですよ。
   「○○さん、これやって!」って言われたときに、嫌な顔する。
   「はい!」と気持ちいい返事をしない。

   そういう態度をとっていると、「この人に頼みづらいね」って思われるんですよ。


   何か頼まれたときに、
   「はい!」って明るく返事をすると、喜ばれます。


   いちいち嫌な顔する。
   いちいち、嫌な返事をする。

   それでいて、「強運に恵まれたいんです」って言っても、
   そんな人に取りつくのは貧乏神だけ(笑)。

   そんな人には、福の神なんか、つくわけないんです。

           <『強運』PHP研究所>

          ・・・

「4つの鉄板ルール」という、中村文昭氏の言葉がある。

(1)返事は0.2秒 。

(2)頼まれ事は試され事(人から何か頼まれたら、試されている
   と思って相手の予測を上回わることをする)。

(3)できない理由は言わない。

(4)そのうちと言わず今できることをやる。


人から何かを頼まれた時、0.2秒で「ハイ」と気持ちいい返事をして、
嫌な顔をせず、それを相手の予測を上回るスピードで成し遂げたら、
誰にも好かれる魅力的な人になれる。


「正当な努力をして、魅力的な人間になって神様のもとへ帰る」

魅力的な人間でありたい。

            <感謝合掌 平成26年8月13日 頓首再拝>

・・・

運がいい人は苦労に負けてない

        *『運』斎藤一人/柴村恵美子・著 より

(1)運とはなんですかって言うと、
   ひとえに人の何倍も知恵を使い、人の何倍も気を使い、人の何倍も努力して、
   なおかつ顔に出ていない。

   こういう人を“運がいい人”と呼ぶんです。


(2)運がいい人は苦労に負けてないの。

   苦労してないわけではないんです。
   苦労というのは誰でもしてるんだよね。

   ただ、苦労に負けてる人は、顔に出ちゃうんです。
   言葉に出ちゃうんです。


   でも、苦労に負けてない人は涼しい顔をしてるんだよ。
   それに、苦しそうなことも言わないんです。


(3)仕事やスポーツなんかでも、勝って、勝って、勝ち抜いてるような人に話を聞くと、
   「運がよかったんです」とか、「みんなのおかげです」とかって言うんだよ。

   それで、運の悪い人はそれを真に受けちゃうんだよね。


   筋肉隆々の人がいたら、その人は間違いなく鍛えてるの(笑)。
   それを、「いや、大したことしてませんから」って言われて
   真に受けるほうがおかしいんです。

   そんなことだから運が逃げていくんだよ。


   努力なんて当たり前なんです。
   成功してる人は努力もしてるし、知恵も使ってるんです。

   なおかつ謙虚にものを語ってるから運がいいんです。
   こういう人だからこそ、運がついてくるんです。

   だから運って、「ものすごい努力家が、へりくだって言う言葉なんだ」っていうことなの。


   運がいい人って、「私が運がいいんです」って言いながら努力するような人なんです。
   そういう人はまた「運がいい」って波動を出してるから、神様は同じものを与えてくれるの。


   「お金がほしい」と言っている人は、
   「お金がない」って天に向かって言ってるのと一緒なの。
   そうすると、さらに“お金がない”っていう結果が起きてくるんだよ。


   そしてさらにすごい人は、自分の努力を忘れちゃうんです。
   それで、本気で運がいいって言ってるの。

   こういう人には勝てないんです。

   それで、ここまで来ると天が味方するんだよ。


(4)神様は必ず、その人にあるものを与えてくれるんです。
   ないからくれるんじゃないの。

   神様はその人が努力して、努力して、さらに楽しく努力して、あり余るほど持ったとき、
   さらに与えてくれるんです。

   だから望もうが望むまいが、望んだものを与えてくれるんじゃないの。
   あなたが持っているものをくれるんだよ。

   悲しみを持っている人には悲しみをくれるんだよ。

   しあわせな人にはさらにしあわせが与えられるの。

   なぜかって言うと、出した波動が返ってくるから。

            <感謝合掌 平成26年8月21日 頓首再拝>

・・・

運と努力は表裏一体

           *メルマガ「人の心に灯をともす」より

運と努力は表裏一体だ。

努力なしの幸運は、宝くじに当たったようなもので、かえって不幸になることもある。


本当に運のいい人は、松下幸之助のごとく、
「貧乏で、学歴がなくて、病弱だったからこそ、成功した」と言う。

困難や障害を乗り越えるためにした、途方もない努力を忘れて「自分は運がよかった」と感謝する。


運がよかったという人は、さらなる運を引き寄せる。

愚痴や不満を言う人は、もっと愚痴や不満をいうような状況を引き寄せる。


自分が今持っているものを引き寄せる。

運か不運か、感謝か不満か…

本気で、「私は運がいい」と言える人でありたい。

            <感謝合掌 平成26年8月26日 頓首再拝>

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