伝統板・第二

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ひかりの一日一言48~神の世継としての自分 - 伝統

2019/03/01 (Fri) 04:32:10

この「神の世継としての自分」は
谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱
「『人生の秘訣365章』 “春”積極生活法 」からの転載です。
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yu0529/&mode=res&log=21



ひかりの一日一言《1日》

《1日 新生への言葉 》

神のみが実在である。

実在するものは神のみである。

自分は今此処に実在するものである。

だから自分は神なのである。



谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P67) より

       <感謝合掌 平成31年3月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2019/03/02 (Sat) 04:29:41


《2日 われ神の叡智を満喫す 》

神は到るところに自己表現したまうのである。

神は無限の叡智であるから、無限の美しき設計、構図、アイディア等を
大自然の鉱物、植物、動物等にその叡智を表現したまう。

その種類の豊富なること、形態の千差万別、単純にして精緻(せいち)、
不整形の中に驚くべき調和と均衡を保った構図、
何を見ても唯々驚くばかりである。

ああ神の叡智の素晴しきかな。

われ神の叡智を讃嘆し奉る。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P67~68) より

       <感謝合掌 平成31年3月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2019/03/03 (Sun) 04:43:32


《3日 創造の意識的中心としての人間 》

大自然の動植物及び鉱物等に見られる叡智には
ただただ感嘆するほかはないのであるが、

それら鉱物・植物・動物は、ただ被造物であって、
作られ、与えられたる形や働きやを受けてあらわしているだけであって、
それは、どこまでも「造られたもの」であって
「創造の主体」でもなければ、「創造の意識的中心」でもないのである。

それは「《られ》たるもの」(受動)であって、
「《する》」(主働)ものではないのである。

しかし、人間は、「創造の意識的中心」である。
人間はシテであって、神が主働者であるが如く、
自己が創造の意識的中心となって創作し、創造するのである。

それゆえに、人間は単なる被造物ではなく、
神と共に創造の主体的“担い手”なのである。
それゆえにこそ「神の最高の自己表現」と言い得るのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P68) より

       <感謝合掌 平成31年3月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2019/03/04 (Mon) 04:20:30


《4日  常に「自己が神の最高の自己表現」であることを思い出せ 》

吾々は時々、自己が「神の最高の自己実現」であることを忘れるのである。
そんな時、私たちは失敗したり、脱線したり、意気消沈したり、
悲観したり、病気に罹ったりするのである。

それゆえに私たちは自己が「神の最高の自己表現」であることを
毎日新たに思い出す必要があるのである。

神想観は、人間が神の最高の自己表現であることを思い出すための
最もすぐれたる行事である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P68~69) より

       <感謝合掌 平成31年3月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2019/03/05 (Tue) 02:10:11


《5日  神は想念によって万物を創造する 》

神は“心”であり、“コトバ”である。

「神は心をもちたまう」のではなく、
神は“心”そのものであり、普遍的叡智なのである。

聖経には
「神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して万物成る」とある。

“心”が動けば、それは物体が動くのではなく、
“心”が動くのであるから、“想念”となるのである。

「想念」の別名がコトバである。

想念は万物をつくるのである。
声帯より出でる発声音は、想念のコトバが、発声のコトバとして顕されたものである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P69) より

       <感謝合掌 平成31年3月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2019/03/06 (Wed) 04:37:17


《6日  あなたは良き言葉をもって良き事物を創造する 》

“神の子”なる人間は、“神の創造の意識的中心”として
“心”に“良きもの”のみを思い浮べ、意識して“良き言葉”を発し、
言葉の力によって“良きもの”のみを創造するのである。

今後、あなたは決して“悪しきもの”を思い浮べず
“悪しき言葉”を発しないがゆえに“悪しきもの”は決して、
あなたの人生には顕れて来ないのである。

あなたの生命(せいめい)は神の生命(せいめい)であるから
善き事のみを創造するのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P69~70) より

       <感謝合掌 平成31年3月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2019/03/07 (Thu) 04:41:58


《7日  人間は支配者であり、創造の指揮者である 》

神はすべての事物の支配者である。

それ故に神の生命を宿し生れ、神の叡智を譲り受けたる“神の子・人間”は、
決して外界の事物や、環境や境遇の奴隷になることはなく、
これ等のものの支配者であるのである。

軍隊の指揮者が、命令の言葉を発したならば、
兵卒が指揮命令の通り動き出して敵陣に殺到するがように、

人間の言葉の力によって、欲する事物に顕れるように命ずれば
宇宙の創化力が法則に従って動き出して、
言葉で命じた通りの事物をあらわしてくれるのである。

それは宇宙の創化力が法則に従って動いてくれるのであるから、
人間が肉体的な力で《りきむ》必要はないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P70) より

       <感謝合掌 平成31年3月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2019/03/08 (Fri) 04:48:21


《8日  現象界には時間的順序であらわれる 》

すべての“良きもの”は、實相世界に於ては、既に存在し、
既に“神の子”は、その“良きもの”を得ているのであるけれども、
それが現象界にあらわれる映画のフィルムの巻きもどしのように、
一齣一齣、時間的順序を通してあらわれて来るのである。

それは恰も植物の種子(しゅし)の中にある「理念」が、
種子の発芽、双葉展開、茎の生長、葉の繁茂、蕾(つぼみ)の形成、
そして花咲き、やがて実るというような順序を通して出て来るのである。

急ぎ過ぎて、急に出て来ないので失望したり、
信仰を失ったりしてはならないのである。

信じて待つということが必要である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P70~71) より

       <感謝合掌 平成31年3月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2019/03/09 (Sat) 04:23:07


《9日  種の発芽する時には変化が起る 》

あなたが“神の子”たる権能を以て、万物の支配者として、創造の指揮者として、
神想観を実修する前に、コトバの力によって、“善き事物”を祈って、
「既にそれを受けた」と念ずるならば、

宇宙の創化作用が、命令を奉ずる兵隊のように
動き出して、それを現象界に造り出してくれるのである。

その時、自然法爾に催して来る自分の行動を抑制してはならないし、
また周囲に動き出して来る人々の動きや、環境の変化に驚いたり、
心配したり、恐怖したりしてはならないのである。

種(たね)が発芽し発根するときには種(たね)の外皮を破壊して伸びるように、
實相の世界にあるものが、現象界にあらわれて出ようとする時には、
何等かの変化作用又は破壊作用が起って来ることがあり得るのである。

その変化に対して驚くことなく、必ず良き結果と成るのである
という信念を失わなかったら、屹度そのように成るのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P71) より

       <感謝合掌 平成31年3月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2019/03/10 (Sun) 06:32:07


《10日  成就の過程に於ける杭打ち作業に驚く勿れ 》

神の子たる自覚をもって、神に祈ってそれを“既に得たり”として
感謝して待つならば、適当な時に、適当な場所に、適当な人と物とが動き出して、
あなたが求めたところのものを成就させてくれるのである。

その成就の途上に於て起るところの一切の出来事は、
たとい一時は破壊物に見えても、それは土を掘り返してコンクリートを打ったり、
地盤を固くするための杭打ち作業であったりするのであるから、

破壊の如き外見に心を執らわれて、「必ず成る」という信念の種子を
掘り起して棄ててしまうような事があってはならないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P72) より

       <感謝合掌 平成31年3月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2019/03/11 (Mon) 04:34:10


《11日 天地一切のものと和解して神に祈ること 》

現象界にどんな複雑な問題が起って来たにせよ、
それはすべて自分の“心の影”なのであるから、
自分の心を転ずれば問題は変化して来、
自分の心を解決すれば問題も解決するのである。

先す自分が天地一切のものと和解する神想観をなし、
現象界には敵とみとめられるものにも感謝する心になり、
而して後、その問題を神にゆだねるがよいのである。

神にゆだねることをしても、なお其の問題が解決しないならば、
それは、自分の心が天地一切のものと和解していないからである。

「神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ」
と神示にはしめされているのである。

天地一切のものと和解したのち、神に祈り、
祈りに於いて神にその問題をゆだねた後(のち)に、
自然に催されて来る事物進行の順序のうちに
神の智慧による解決が行われることになるのである。

神を呼ばないで、自力ばかりで解決しようと思うところに
視野の狭い解決法で行き詰ることになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P72~73) より

       <感謝合掌 平成31年3月11日 頓首再拝>

《12日 神に完全にまかせ切ること 》 - 伝統

2019/03/12 (Tue) 02:28:34


神は全能であり、最高の力であり、何物も神に抗して、
計画を破壊することはできないのである。

若し私たちが神に対して無我になり完全に全托しさえするならば、
神は如何なる障礙をも突破し得る力と智慧とを与えたまうのである。

神の智慧は、その進行しつつある事件のうちに、
そしてそれに対応しつつあるあなたの心のうちにあらわれて、
事件を円満解決の道に導きたまうのである。

併し、この無我全托には、
一切の自我的はからいを抛つ(なげうつ)だけの勇気を要するのである。

同時に、こんなことでうまく物事が解決するだろうかと云うような
不安、恐怖、疑惑などを悉く棄て去り、
「神に全托しておれば、何事も結局はうまく行くより仕方がない」と云う
堅信を持ちつづけるだけの勇気が必要なのである。

神に委せ切り、自我が無くなり、自分を神そのものの自由にゆだね切って、
恰も海綿が全体に海水を吸い込むように神を全身に浸潤せしめるとき、
神そのものの智慧が自分を支配して行動化してくれるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P73~74) より

       <感謝合掌 平成31年3月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2019/03/13 (Wed) 04:44:55


《13日 神との一体感を深めること 》

ただ神のみを見、ただ神のみに倚(よ)り頼れ。
そして神を自己に浸潤させ、浸透させ、自己を神と一体ならしめるのである。

そのとき、あなたの過去の一切の業(ごう)は拭い去られ、悪しき習慣は消え、
性格が一変し、生活全体の雰囲気が変ってしまうのである。

あなたは人間が世界を見るようにではなく、神が世界を見るように、
この世界を完全の相(すがた)に於いて見、すべての人間の実相の完全さを見、
それを実現することができるようになるのである。

あなたの人生観は明るくなり、容貌は明るくなり、雰囲気は明るくなり、
周囲の人々は、あなたを徳(とく)とするようになり、あなたを信頼するようになり、
事情は好転し、新しく明るい方向に問題は解決することになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P74) より

       <感謝合掌 平成31年3月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2019/03/14 (Thu) 04:44:03


《14日  神の智慧の流入を祈ること 》

毎朝、あなたの人生への出発に際して神に祈れ、そして

「神の完全なる智慧われに流れ入りて、
わが魂の底なる希望を実現するために導きたまう」

と繰返し念ぜよ。

あなたの自信は増加し、計画は緻密となり、前進の勇気は湧き出で来、
行くところ可ならざるなきに至るのである。
何事に対しても、「困ったナ」と考えることなかれ。

すべての問題は自己を研き上げるための研磨剤として自分に与えられるものであるとして、
すべての問題を感謝して之を迎えるとき、嶮しきは平坦(たいらか)となり、
何事もスラスラと進行するようになるのである。


「天地一切のものに和解せよ」とは、天地一切の何事に対しても、
敵対観念をもたずに、調和した心で相対(あいたい)することである。

どんな問題が起ろうとも、その困難さを心に留めること勿れ。
そしてあなたの注意をその「困難」に振向けることなく、神に対して心を振り向けよ。

神があなたに在(いま)すとき、神は如何なる困難をも解決に導きたまうのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P74~75) より

       <感謝合掌 平成31年3月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2019/03/15 (Fri) 04:34:13


《15日  人間に宿る“生命(せいめい)”の神秘に目覚めよ 》

神はあなたに素晴しい“神の生命”を与えて、
それをあなたの“生命(せいめい)”としたのです。

実に偉大な、驚くべき能力を内に蔵する“生命(せいめい)”が
あなたの内には宿っているのです。

どんな科学者も“生命(せいめい)”とは何ぞやと云うことは分析することができない。

彼らが烏滸(おこ)がましくも“生命(せいめい)の起源”と称するところのものは、
“生命(せいめい)”が人体をつくった最初の一歩のただの軌跡にしか過ぎない
簡単な窒素化合物 ―― 蛋白質やアミノ酸の一種に過ぎないのであって、
それは“生命”の起源でも何でもない。

唯の“生命(せいめい)”の足跡にしか過ぎないのです。

近頃、母体を解剖して卵子をとり出し、試験管の中で人工授精させることに成功し、
その卵細胞を三十二個になるまで分裂せしめることに成功したので、
“人間の人造”と云うこともやがて出来るであろうとの説を為すものもあるけれども、

卵細胞がいくら分裂増殖しても、
それを一定の人間も形に排列するところの“知性”が天降って来なければ、
結局、それはただの蛋白質の集合体であって、人間ではないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P75~76) より

       <感謝合掌 平成31年3月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2019/03/16 (Sat) 03:47:31


《16日  この生命の荘厳を見よ 》

人間の眼球は実に素晴しい天然色カラー・テレビである。
市販のカラー・テレビは嵩(かさ)がたかくて
一人では搬(はこ)び切れないくらいに重いのである。

しかも視野がせまくて、二十一吋(インチ)型は二十一吋にしか映らないし、
十七吋型は十七吋の寸法にしか景色が入らないのである。
しかも色彩が天然色より落ちるのである。

ところが、人間の両眼(りょうがん)と云うカラー・テレビは
携帯用の最小型で、その持ちはこびに少しも目方を感じないのである。

しかも視野はひろくて、この二センチほどの横長の眼の切れ目に広大な景色が、
天然色そのままに入って見えるのである。

この便利な携帯用カラー・テレビなる両眼を造って下さった
不思議な力は余程素晴らしい智慧をもつ不可思議力だと言わねばならぬ。

この不可思議力が神であり、大生命であり、
それが吾らに宿って偉大なる“個生命”となっているのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P76) より

       <感謝合掌 平成31年3月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2019/03/17 (Sun) 04:37:37


《17日  人体及び生活諸問題の修復作用 》

どんな科学者も人間の生きた皮膚の一部分も製造することができないのである。

“生命(せいめい)の智慧”の偉大さよ。

人間の脳髄の智慧は、それが最高の科学者の脳髄の智慧であっても
皮膚の傷を治すのに、どのように細胞を組立て直したらよいかを知らない。

しかし“生命(せいめい)の智慧”には、その傷の形や深さに従って、
どの方面からどのように新生細胞を積み重ねて行けば、
元のような皮膚の層をつくることができるかを知っており、
傷をした瞬間から、その修復に必要な工作にとりかかってくれるのである。


この事は単に肉体の生理的方面ばかりの修復作用だと考えてはならない。

私たちの生活万般の問題に、神の修正作用又は修復作用は行われるのであり、
私たちが何か失敗した事柄を起すと、恰も、肉体の傷を治して下さるのと同じように、
神の修復作用が八方から起って来るのである。

若し完全にその修復作用が行われないとしたならば、
私たちが「我(が)」のはからいで、
その修復作用を妨げる何事か為しつつあるからである。

神に祈りて、天地一切のものに感謝するとき完全にその修復作用が行われるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P77) より

       <感謝合掌 平成31年3月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2019/03/18 (Mon) 02:10:34


《18日  “埋蔵されたる寶”を発掘せよ 》

人のうちに、この偉大なる修復力が宿っているのであり、
それが、“自己に宿る神”である“内在の神”である。
それは単なる頭脳智よりも幾百倍幾万倍すぐれたる智慧であるのである。

その智慧を呼び出すことをわすれて、
単に頭脳智だけで行動しようとするところに
“行き詰り”や“失錯”の原因があるのである。

神から与えられたる“埋蔵されたる宝”
 ―― それがこの“内在の神”である。

“内在の神性”を呼び出すことを忘れて、「わたしは病気である」と言う。
「わたしはくたびれた」と言う。
そして“内在無限の力”の発動を言葉の力で抑えてしまうのである。

諸君は決して「わたしは病気だ」とか、「私はくたびれた」とか言ってはならない。
“わたしは神の子である、外からどう見えようとも、実際は健康である”
と言わなければならない。

このような言葉に出して言うとき、
あなたは、自己に宿る“内在の神”を掘り出しつつあるのである。
実相界に“埋蔵されたる宝”を現実界に引き上げつつあるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P78) より

       <感謝合掌 平成31年3月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2019/03/19 (Tue) 04:40:34


《19日  不幸から脱出する道 》

若しあなたが何か病気にかかったり、不幸に見舞われたり、
人から迫害をうけたり、人と仲がよくなかったりしたならば、
それをよくする道は、自分自身の想念の種類を変化することである。

これが根本問題であると云うのは、この世界には“類を以て集る”
又は“類は朋を招ぶ”と云う法則があるからである。

今まで、自分の心の注目の焦点を、自分及び他人の欠点や不幸や不完全や、
感情や環境の不満足などにあつめていたのを一転して、
美点や幸福や完全さを成るべく見出すようにして、
どんな境遇の中にも感謝すべき点を見出すようにするならば、

“類(るい)を以て集る”法則にしたがって、
善き事の方が多く集って来るようになり、
やがては、集って来るもの悉く善きものばかりとなるのである。

「実際、自分には不幸が襲いかかっているのであり、既に万策つきて、
ただ破局への一途をたどりつつあるのだから、美点や幸福の完全さは
何処にも見出しようがない」と言う人があるかも知れない。

そう思っている限りに於いては、其の通りなのである。

だから「想いを変えよ」と言うのである。

心が一切の現象に先行し、心が運命の舵手である。
脱出の道は心の舵で進行方向を変えることである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P78~79) より

       <感謝合掌 平成31年3月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2019/03/20 (Wed) 03:12:51


《20日  神に於いては、万策の尽きると云うことはない 》

「既に万策つきて、事態はただ破局への一途を辿りつつある」
と云うような時になすべき事は、その「万策」をすっかり棄ててしまって、
心をクラリと一転して“光”の方へ振り向くと云うことである。

その「万策」とは不完全な近視眼的な智慧 ―― 現象に捉えられ、
現象に引きずり廻されていた智慧のことである。

そのような近視眼的智慧で、現象に引っかかって引きずり廻されるから、
破局の方に近づいて行くほかはないのである。

そんな人間智を棄てて、神なる“全能の智慧”の方へ振向けばよいのである。
それを“光に振り向く”と謂うのである。

そして自分自身を神の中に抛(な)げ入れ、
自己を“無”にして神意(みこころ)の中に自己を熔融してしまうがよい。

神意(みこころ)の中には一切の“悪”も“不幸”もないのである。
そして「万策が尽きる」と云うこともないのである。

必ず、自分の中(うち)からも、
自分を取り巻くすべての事件の進行の中(うち)からも
神の智慧がでて来て問題を解決して下さるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P79~80) より

       <感謝合掌 平成31年3月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2019/03/21 (Thu) 01:46:21


《21日  決断して神の智慧にまかすこと 》

信仰は一つの決断であり、勇気であり、思い切りの良さである。
勇気を出して思い切りよく、神に祈って一切万事を神に全托せよ。

神の智慧の動き出すままの事物の進行は、
常識では端倪(たんげい)し得ないのがあり、
“こんな事では迚ても駄目だ”と思えることもあるであろうけれども、

神は結果を見通しであるから、
やがて事態が一変して、必ずよき結果を生むことになるのである。

神は全能である。
神は既によき“番組”を放送してい給うのである。
神は肉眼には見えない。
神は感覚では認識することができない。

だから神に全托すると云うことも、
中々思い切って決断することがむつかしいのである。

併し、事態が不良に向っているとき、是非為さなければならないのは、
その事態を不良に向わせたところの人間的判断を捨てると云うことである。
そして、人間的判断以上の優れたる智慧を喚び出して来なければならないのである。

それが神に委すということである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P80~81) より

       <感謝合掌 平成31年3月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2019/03/22 (Fri) 01:47:13


《22日  無限供給はかくして得られる 》

あなたが何事か《真に》そして《切に》それを実現しようと欲せられるならば、
それは既に心の世界に於いてそれが整えられてある証拠であるのである。

しかしそれを現象界に実現するためには、
神に波長を合わさなければならないのである。

波長を合わす道は、生長の家の神示に
「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」とあり
「争いの念波は神の救の念波を能(よ)う受けぬ」とあり、
「感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救を受けるであろう」とあるから、

神に感謝し、父母(ちちはは)に感謝し、誰かと争っているならば、争いをやめて、
其の者と和解しなければならないのである。


更に希望を実現せんと欲せば、
「与えれば与えられる」の法則に随って
「与える」ことを先ず行じなければならないのである。

旧約聖書の「マラキ書」第三章第十節には

「わが殿(みや)に食物あらしめんために汝ら什一をすべて我が倉にたづさえ来れ、
而して是をもて我を試み、わが天の窓をひらきて容るべきところなきまでに
恩沢(めぐみ)を汝にそそぐや否やを見るべし。万軍のエホバこれを言う」

とある。

天の倉には無限の寶が充満しているのに、
収入の什分の一を神に献げて見たときに、
天の倉の窓がひらくのだと神は仰せられるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P81~82) より

       <感謝合掌 平成31年3月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2019/03/23 (Sat) 01:30:20


《23日  与えよ、さらば与えられん 》

何事でも、それを完全に成就しようと思うならば、
先ず与えなければならないのである。

それに時間をかけ、エネルギーを注ぎ、興味と熱情とをもち、
それを成就するに必要な資材となり得る自己の持てる凡ゆるものを
それに集中しなければならない。

そして、それは必ず成就すると信じなければならないのである。

信念なきもの、それに全生命を注ぐほどの興味も熱意もなく、
ただ金儲けの手段とする仕事に、時間をかけ、
エネルギーをかけることをするようなことでは、
本当に偉大なる仕事を成就することはできないのである。

人は自己がそれに智慧と愛と生命とを注いだだけのものを
穫(か)り取るのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P82) より

       <感謝合掌 平成31年3月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2019/03/24 (Sun) 04:23:36


《24日  真の無限供給について 》

銀行には沢山の預金があり、華麗宏壮なる邸宅に住み、
箪笥には無数の絢爛たる衣装があろうとも、
若しその人が神を有たなかったならば、
彼は最も貧しき人だと言わなければならないのである。

併し、若しその人が神を信じ、自己の内に神があり、
神の愛が自分を取巻いており、自己の内なる神と、普遍の神とは一体であって、
必要に応じて、欲するものを呼べば、神は必ず応え給うて、
“求むるもの”が現れて来るものだと云うことを知る者は本当に富める者なのである。

かくの如く、常に“天の倉”に富が貯えられてあり、
必要に応じて引出し得る者にとっては、その富が失われはせぬかと、
心配する何の恐怖も憂慮も要らぬのである。

その人の心は常に天国浄土に遊ぶのである。

併し物質の富を物質の世界に貯えている者は、
常にそれが「失われはせぬか」と云う憂慮があるのみである。

常に神に与えよ、神は決して浪費し給うことなく、
必要に応じて“適時、適処、適度”に出して下さるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P82~83) より

       <感謝合掌 平成31年3月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2019/03/25 (Mon) 02:35:57


《25日  朝起きて先づ為すべきことを 》

朝起きたならば、何よりも先ず、自分の心の調律を為すべきである。

實相無限に完全なる世界に波長を合わし、

實相無限の智慧に波長を合わし、

實相無限の愛に波長を合わし、

實相無限の供給に波長を合わし、

實相無限の歓喜の世界に波長を合わし、

實相無限の調和の世界に波長を合わすようにすべきである。

それが神想観の実修である。

かくして實相無限の調和に波長を合わすとき、
心も身体(からだ)もともに最も力みのない状態となり、
凝りや偏りはなくなり、心も身体も疲れることなく、
何事も適確な判断をもって迅速に行うことができるようになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P83~84) より

       <感謝合掌 平成31年3月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2019/03/26 (Tue) 02:11:39


《26日  想像力を駆使して善き事を実現せよ 》

物質がまだ何もない最始源に於いて、
神が一切のものを創造り給うたのは、心によってである。

物質の形の模型は未だ存在しないのであるから、
先ず一切のものを造るには、「心で想う」と云う方法しかないのである。

而も、まだ形の世界に存在しないものを「心で想う」のは
想像力に頼るほかはないのである。
つまり想像力は創造力であるのである。

神はその同じ想像力を人間に授け給うて、
自己の欲する事物を現実界に造り出すことを得せしめ給うたのである。

如何なる悲観的状態が眼の前にあらわれていようとも、
想像力によって、善き事を心に思い浮べて想像し、その実現を固く信じて、
常に神想観して、自分に内から催して来る通りに行動するならば、
自然に適時に適所に適当なる方法を講ずることができて、
自分の希望を実現することができるようになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P84) より

       <感謝合掌 平成31年3月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2019/03/27 (Wed) 03:03:32


《27日  感謝について 》

感謝は生命(せいめい)のパン種のようなものである。
パン種によって、パンの味がつき膨れて来るように、
人生は感謝によって味いは増し、生命(せいめい)は生長して来るのである。

人生の“心の音楽”のうち最も美しき音楽は
感謝であると云うことが出来るのである。

人生に困難が起って来たときに、
その困難を克服する最初の最良の方法は感謝である。

感謝は嶮しき道を平かにし、
人生の荒波を鎮めて、航海を安全にするのである。

感謝は悪と見える物の中に、善き物の存在を想像することによって
心を調和ある状態に導き、善き物を想像することによって
ついに想像する通りの善き物を人生に創造し顕現することができるのである。

感謝は悪と見える人の中に、善き人が存在することを想像することによって
心を調和ある状態に導き、善き人を想像することによって、
相手の中から想像した通りの“善き人”を現実に喚び出して実現するのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P84~85) より

       <感謝合掌 平成31年3月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2019/03/28 (Thu) 04:06:31


《28日  自己に宿る“善き人”を喚び出すこと 》

すべての人の中には“善き人”が宿っているのである。
その“善き人”を佛教では「佛性」と言い、
キリスト教では“内在のキリスト”又は“神の子”と言うのである。

それはすべての人々の内に宿る“永遠に消えざる光”なのである。

その“永遠に消えざる光”を晦まさない限りは、人間は幸福であるのである。
その光に対して眼をとじて、他(た)の誘惑に眼を転ずるとき、
光はあれども人生が暗黒となるのである。

若し難問題が起ったならば、
光に眼を向けなかった結果、躓いたのであるから、
光に心を転ずるようにすればよいのである。

「神の無限の智慧の光、われに流れ入りて、わが人生を照らし給う。
われは常に神の智慧に導かれてもっとも幸福となる道を歩むのである」

と念ずるがよいのである。また

「われは“神の子”である。
神の子には無限の善き智慧が宿っているのである。
どんな問題でも必ず其の智慧の光が解決して下さるのである」

と念じて、自己に宿る“善き人”を喚び出すがよい。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P85~86) より

       <感謝合掌 平成31年3月28日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2019/03/29 (Fri) 03:40:26


《29日  人を助ける最高の方法について 》

人を助けるのは、物質的救助によるよりも、
彼に宿る“神の子”を喚び出すのが最高の方法であるのである。

肉眼で見て彼に宿る“神の子”が見えず、
「こんなに悪い人だ」と見えるときには、肉眼を瞑(と)じて、

彼の内に宿る“神の子”を出来るだけ完全に想像して、
それを如実に“心の眼”をもって見詰めつつ、

「あなたは神の子で完全な人であります。悪い人ではありません」

と云う風に心の中で一心に唱えて、その通りにありありと想像するがよい。

屹度、彼の中(うち)に宿る“完全な人”が喚び出され、現実化して来るのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P86) より

       <感謝合掌 平成31年3月29日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2019/03/30 (Sat) 04:48:39


《30日  今日一日、決して腹を立てないこと 》

今日(きょう)一日次の如く決意せよ。

「今日(きょう)一日、如何なる人に対しても、如何なる事に対しても、
私は決して怒ると云うことをしないのである。

何故(なぜ)なら、すべての人は“善き人”であり、
悪しき行為を自分に対して行うかの如く見えても、
それは却ってやがて自分にとって善き事となる準備工作を
してくれつつあると知るからである。

たとい彼に過ちがあろうとも神が私の過ちを赦し給うが如く、
私も彼の過ちを赦すのである。

すべて自分の身辺に於いて起る出来事は、
自分の心の波長が引寄せたものであるから、
自分の『心の影』だとも言い得るのである。

だから私は彼が私に何を為そうとも彼を譴(とが)める資格はないのである。
彼の状態は、私の心の状態を映し出した鏡のようなものであるから、
鏡を見て自分の心を反照して、自分の心の持ち方をかえたら、
彼の状態もおのずから善くなってくるに相違ないのである。」


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P87) より

       <感謝合掌 平成31年3月30日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《31日》 - 伝統

2019/03/31 (Sun) 04:29:17


《31日  あなたの實相は完全で既に幸福であると知ること 》

あなたは今、神の国に住み、神の生命(せいめい)を吸い、
神の愛にとり巻かれ、神の智慧に導かれ、
神から必要な一切のものの供給を受けて、
ゆたかに幸福に悦びに満たされて健康に生活しているのである。

それがあなたの實相である。

たとい、あなたが現象に於いて、不完全な姿をあらわしていようとも、
それは、仮の相(すがた)であり、今まで心にいだいていた
過去の想念の影であるから、「影」であって、本当にあるのではないのである。


影はどんなにあるように見えても、
それは光の欠乏に過ぎないのであるから、真理の光に照らして、

「神の創造(つく)り給える此の世界には一切の悪は存在しないのである。
人間は神の子であり、神は全智全能であり、無限の愛であり、慈悲であり、
吾らを常に護り給うているのであるから、決して悪しき状態は存在しないのである。
 
悪しく見えるのは自分の過去の想念が、映画のように映っているに過ぎないので、
映画は映ってしまえば消えるように、この悪しき有様も、
形にあらわれてしまえば消えるのだ」

と心に念じ、この真理を深く潜在意識に印象するようにすれば、
やがて現象の悪しき有様は消え、完全な幸福な豊かな光にみちた
實相の状態が、現象界に具体化して来るのである。

これを信ぜよ。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第3篇(P87~88) より

       <感謝合掌 平成31年3月31日 頓首再拝>

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