伝統板・第二 2529685

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「言葉の創化力」(光明掲示板・第二)

1:夕刻版 :

2019/02/18 (Mon) 14:44:39

光明掲示板・第二 消滅により、「言葉の創化力」の
伝統板・第二への再掲示です。

《言葉に因って造られたるもの》

        *「人生は心で支配せよ」(P107~109)

吾等は宇宙の実質は想念によって活動し、
想念が言葉となって表現されることを認めねばならない。
更に吾等は一歩を進めて、言葉は声にによって表現されると言ってはならないだろうか。

それ故古代の預言者の書には頻々(ひんぴん)として『主、水の上にて声を出だし給う』と
云うような文句が見出されるのである。「声」はサンスクリッド語では”Vach”
拉丁(ラテン)語では”Vox”英語では”Voice”である。

換言すればこの宇宙は、声をもって喚起されたるエーテル運動すなわちエーテル波動によって
成り立っているのである。声が出されるまでは、この宇宙は、見えざる暗(やみ)のうちに、
無空間のうちに潜在したに過ぎないのである。

宇宙霊が、或る世界を何処にか創造せんと欲したとき、
そこに直ちに声によって運動ないし波動が惹起されるのである。
客観世界全体は何らかの形における波動だと説明し得る。

凡ての物質的存在はこれを分子に分解し得る ―― しかして新興物理学に於ける学説上
からは電子はエーテル波(光波)に分解し得るのである。

然るに前述せる如く、エーテルは無空間の世界から生命が振動を起して
空間的に展開させたものの又の名称に過ぎない。
結局一切の現象界は生命の振動エネルギーの別名に過ぎない。

それ故に、あらゆる事物の究極的本質は皆同一なのである。
そしてこの物質と彼の物質とが相違するのは、畢竟するに、
ある面積内の電子数及びその運動速度又は振動数の相違なのである。

この事は、吾々の住む世界の事物が個々別々の存在ではなく、凡てのものが本質的に
一体であることを示すものとして、吾々の決して看過してはならない事項である。

ウィリアム・ヘイス・ワールドはこう言っている ――

「星の世界で成り立っているこの全宇宙は一つである。それは同じき実質で造られ、同じき力
で動かされ、同じき物理的法則で支配をせられている。それは唯一つの体系である。唯一つの
法則である。唯一連の思想である。唯一つの構図である。唯一つの幾何学である。唯一つの
公式にあてはまる唯一つの設計である。そして唯一つの不可分の宇宙である」と。

この唯一つの実質とは受動的方面から解すれば「無」であり、能作的根源として解すれば
「心」に他ならない。そしてその能作的力とは想念にほかならないのである。

想念を「神の想念」の場合には「理念」と言ってもよいし、人間の想念である場合は
阿頼耶識とか想念力とか言ってもよい。

そしてこの想念は具体化して言葉となり、更に表現して声もしくは波動となるのである。
声とは目的ある音響であるが、目的ある音響とは、換言すれば言葉にほかならない。

かくの如くなるが故に創造の動力となるものは言葉であることを知るのである。
この事は、宇宙に就いて言っても、個人に就いて言っても同様である。

        <感謝合掌 平成25年8月23日 頓首再拝>

・・・

明瞭に語られたる言葉は、実現力が強い

     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<8月30日>(P68)より

明瞭に語られたる言葉は、曖昧に念ぜられたる言葉よりも実現力は強いのである。
合掌瞑目神想観の形式をとり、自分の耳に聞こえるほどの声をもって、
次のごとく誦(とな)えることは自己内在の無限の力を自覚する上に効果がある。

「神はすべてのものを我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)

神は無限の智慧を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)

神は無限の愛を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)

神は無限の生命(いのち)を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)」

十回には限らないのであるが、あまり永いのも長時間かかるし、短くても感銘が浅くなる。
十回と限定したのはそのためである。

敬虔の念を起こすために合掌の形式をとっているから、
1回称えれば、右手の拇指に軽く力を入れ相対する拇指を押し、
2回称えれば右手の人差指に軽く力を入れて相対する指を押し、
順次に中指、紅指指、小指と移り、さらに左手の拇指より始めて左手の小指に至りて、

終われば合掌のまま、数のことを考えて意識を複雑にすることなしに
十回称え終わるのである。

「ありがとうございます」と称える時は、すでにそれを受けたる感激に浸りつつ
本当にありがたい気持を起こすのである。

言葉は単なる思想以上の感情を招(よ)び起こし、
感情は単なる思想以上の動的創化力となるのである。

          <感謝合掌 平成25年8月30日 頓首再拝>

・・・

人生は舞台、使う言葉は大事な台詞

       *「GIFT」平野秀典・著(P160~164)より抜粋

言葉は、意思や情報を伝達する手段でもありますが、
自分の人生を創る重要な要素でもあります。

マイナスの言葉を口にしない日を数日続けるだけで、気分は劇的に変わります。

日常出合う「言葉」に気をつけて、使いたくなる美しい言葉、心を動かす言葉、
気になる言葉にフォーカスし、ノートに書きとめました。
言葉が磨かれれば磨かれるほど、自分自身の人生がうまく行き出しました。

まるで、演劇のシーンを構成する台詞が洗練され、芝居自体が上質になっていくかのごとく。
人生が舞台であるならば、発する言葉は大切な台詞です。
役者が台詞を磨かないで、何を磨くのか!

一流の舞台や作品を繰り返し見ると、自然に目が肥えていくように、
質の高い言葉に毎日接していると、自分の言葉のレベルも上がっていきます。
逆もまた真。


言葉を磨きたいなら、できるだけ質の高い言語環境に意識的にセッテングする必要があります。
言葉の感覚を磨くには、練習しかありません。

私たちは、大人になるにつれて、何かを「練習」する機会が減っていく傾向があります。
経験を積んでくると、もう自分は大体のことはできると思うのか、こんなものだとタカを
くくるようになるのか、もっともっと上達しようとする人は、減ってくるようです。

どんなことでも、上達するということは、人生の大きな楽しみの一つです。
人は一生上達する存在です。
成長をあきらめたとき、老いが始まります。

「練習」は、年齢を超えた自己実現への道なのだと思います。

          <感謝合掌 平成25年9月4日 頓首再拝>

・・・

言祝(ことほ)ぐ

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年09月10日)」より

   (玄侑 宗久氏の心に響く言葉より…)

   気仙沼のお寺の和尚が住職になる儀式(晋山式)だったが、
   修行時代の師匠である老師が本山から招かれ、「祝辞」という段になった。

   その際、老師はしばし沈黙し、ぴったりと口を閉じて虚空をにらみ、
   それから大声で「バンザーイ」と大声をあげた。

   それだけである。

   長々とした祝辞が多いなかで、それは鮮やかな場面として今も脳裏に甦る。
   伝わるものは言葉にしなくても伝わる。
   何人かの涙ぐむ人々を見ながら、私はそう思ったものだった。

   しかし、これは極めて稀な例である。

   通常は、祝う心を丁寧に表現しないとそれは伝わらないし、
   それどころか、表現することで無意識だった気持ちまで引き出されたりする。

   「めでたい」という言葉は、本来「愛でる」という動詞に
   「願望」の助動詞「たい」がくっついたものだという説もある。

   だから本人が「愛でる」という行為をしたいと思えばめでたくなるし、
   したくなければどんな事態もめでたくはないのである。

   その「愛でたい」という気持ちを、わざわざ言葉に出して表現することを、
   日本では古来「ことほぐ(言祝ぐ)」と云う。

   寿は、その連体形である「ことほぎ」が更に訛ったものだ。

   今の自分の生活、あるいは自分のこれまでの来歴を、
   そのまま肯定的な言葉で表現する「言祝ぎ」が、
   「いのちながし」とも読む「寿」で代用されている。

   ということは、そうすることが長寿にも繋がると考えられた証拠だろう。

   禅ではこの「言祝ぎ」が重視される。

   なによりもまず自分の生まれた場所や親は選べなかったわけだから、
   そこから言祝いでしまうのである。

   この町に生まれて佳かった、
   この両親のもとに生まれて佳かった、そこから始まって

   「今日は佳い台風だ」
   「今の私は素敵な年齢だ」
   「歯が痛いのもしみじみして味わい深い」などと、

   自分の立っている足元の状況を全て肯定していくのである。

   むろん文句をいえば状況が変わるというなら、言ったらいい。
   しかし大抵の状況は、文句を言うと更にその不満が強く意識されるだけで、
   あまり意味がない。

   だから言っても仕方がない文句は言わず、言祝ぐことで「今」を安定させる。

   それが禅的な意味での「足るを知る」ということだ。

   自分がどこで何をして暮らしていくのか、
   そのことに揺らぎのない確信がもてれば、
   たいがいのことは愛でることができると禅は考える。

   この人と、ここで生きていく。
   その気持ちが揺らぎさえしなければ、ケンカすることも病気になることも、
   あるいは不景気に苦しむことさえ「風流」だというのである。

   バンザイと叫んだところで、その事態が「万歳」続くとは誰も思っちゃいない。
   しかし志さえ揺らがなければ、人生はさまざまな「ゆらぎ」さえ風流と味わえる。

   その人間の知恵に、私はバンザイを言いたいのである。

            <『釈迦に説法』新潮社>

   ・・・・・

文句や愚痴を言おうが、嘆(なげ)こうが叫ぼうが、事態は少しもよくはならない。
言えばいうほど、気持ちが滅入り、気分が悪くなるだけだ。

文句を言う人の心には、常に比較感がある。
まわりの誰かと比べてばかりいれば、どんなに幸せな人でも、不幸になる。

文句の反対が、言祝(ことほ)ぐこと。
どんな事態におちいっても、言祝ぐことができれば、
そこから上昇することはあっても、落ちることはない。

「今ここ」を生きる人は、未来を憂えず、過去を悔(く)やまない。

文句という否定から入る人は、一瞬一瞬という今を生きていない。

言祝ぐことは、肯定すること。

「愛(め)でたい」は、「言祝ぎ」。
どんなときも、言祝ぐことができる人でありたい。

          <感謝合掌 平成25年9月11日 頓首再拝>

・・・

境遇と運命を支配するために黙念する言葉

      *谷口雅春先生・著「人生は心で支配せよ」(P114~115)より

吾れはいま吾が境遇と運命とを自己の思考によって支配し得ることを知ったのである。

吾が心情が善きものであるならば吾が想う所は善であり、
吾が想いが善であれば吾が言葉は善であり、
吾が言葉が善であれば吾が住む世界も善なる理想世界になることを知ったのである。

それ故、吾れは今後吾が唇に封印して敢(あえ)て悪をば語るまい。
吾れは吾が思想と言葉とにいちいち気をつけるのである。

吾れは今より禍(わざわい)のことを考えまい。
吾れは禍のことを語るまい。
吾れはまた禍のことを決して耳にしまいと思うのである。

他(ひと)を審判(さば)こうとする吾が性癖は今まったく自分から隔(はな)れたのである。
悪を見出す吾が習慣はもう消滅して無くなったのである。

吾れは最早、自分を、そして自分の友達を、それから自分の職業を
悲観的な言葉をもって評さない。

吾れは楽観そのものである。希望そのものである。
吾れは深き歓びに満ち溢れている。

吾れは万人に幸福を与え、万物を祝福する。
吾れは凡ての物に勇気を与える。

吾が言葉は肉となりて形相(かたち)の世界に姿をあらわすのである。

(ここまで黙然して、吾等は自己の言葉が創造作用を有する事をつくづく思念し、
 自己の境遇に対して、欲する所をもって命令を下すのである。
 しかして「この事は実現する」と確信に充ちた言葉を発するのである。

 この言葉は創造作用ある言葉である。
 従って欲する事物はやがて必ず自己の周囲に集まり来らざるを得ないのである。
 しかして吾等は次の如く感謝する)

・・・この確信を与えたまいしことを父なるあなたに感謝します。
   吾れに真理を教えたまい、凡てのものを支配する力を与えたまいしことを感謝します。

          <感謝合掌 平成25年9月14日 頓首再拝>


2:伝統 :

2019/02/18 (Mon) 14:51:14

神の大いなる“言葉の力”による宣言

        *「聖経 真理の吟唱」(P262)<人類全体を祝福する祈り>より

神はすべての創造主(つくりぬし)であり給う。
神は全能であり給う。

神はコトバにて万物を造りたまうたのである。
その全能なる神のコトバわれにやどり給うてわが生命(いのち)と成り給えり。
されば我がコトバにて宣言することは必ずそれが具体化して現象界に現われてくるのである。

われは神の大いなるコトバの力にて、豊かなる富が人類に実現する事を宣言するのである。
それゆえに、時間空間面に於ける秩序を通して必ず豊かなる富は
世界の人類に実現するほかはないのである。

われは今、神の大いなる“言葉の力”にて人類全体の幸福を宣言するのである。
それゆえに人類全体は必ず幸福になるほかはないのである。

われは今、神の大いなる“言葉の力”にて人類全体の平和を宣言するのである。
それゆえに人類全体は必ず平和になるほかはないのである。

われは今、神の大いなる“言葉の力”にて人類全体の正しき方向への進歩を宣言するのである。
それゆえに人類は必ず正しき方向へ進歩するに相違ないのである。

われは今、神の大いなる“言葉の力”にて人類全体の健康を宣言するのである。
それゆえに人類全体は毎日層一層健康を実現して行くことに間違いはないのである。

かくてわれは神の大いなる“言葉の力”にて人類全体の富裕と、幸福と、
平和と、健康との念を宇宙に放送するがゆえに、それらは必ず実現するとともに、
その反響として人類の富も幸福も平和も健康もことごとく自分に撥ね返ってきて、
私は全人類から祝福される人となるのである。

まことに私は神が人類を祝福せんがために遣わされたる天の使いとして
全人類を祝福するがゆえに、われに還り来る祝福もまた無限であって限りを知らないのである。

無限の進歩向上が自分には約束されているのである。
今日もまた自分は進歩するのである。
明日もまた自分は進歩するのである。
進歩し向上することはまことに悦ばしきかな。

神は無限の内容をもちたまうがゆえに、神の自己顕現である自分は、
時間空間のスクリーンを通してその無限を展開して行くのである。

内容が無限であるから、どれだけ進歩向上しても、
尚なお向上発展の余裕が残されているのである。

私は今日(きょう)も生長し前進する。
私は明日も進歩する。
私はさらに明後日(あさって)も向上するのである。

生長、進歩、向上は、“神の子”たる者、神の自己顕現である自分の使命であるのである。
自分は何物にもこの進歩向上を阻まれるということはないのである。
自分の前進を妨げる者は何処(どこ)にも存在しないのである。

進歩は神の御心であり、生長は神の意志である。
私は常に善き方向に新しく進むのである。

私は 神と偕(とも)に前進し、神と共に新しきアイディアを生み出し、
神と偕に常に新しき生活に進み行く。

われは幸いなる者なるかな。

神に深き感謝を捧げます。

          <感謝合掌 平成25年9月22日 頓首再拝>

・・・

善きことを信じて善き言葉を出す

     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月8日)より

善きことのみを語り、善きことのみを考える習慣をつけなければならない。
自分の嫌いなこと、望ましくないことを語ってはならないし、思ってもならない。
言葉は想念と同様に強力なる具象化(かたちにあらわす)の力を持っているのである。

われわれは自己の運命ラジオのアナウンサーである。
われわれ自身が言葉に発するとおりに現象世界にあらわれてくるのである。

だから常に自己の欲することを、希望することをあたかもすでに実現せるがごとく
想念し言葉に出すようにつとめなければならない。
そして言葉に出す場合にそれを信じて出すことが必要である。

善き言葉がかえって実現しないように見えるのは、
悪いことを言う時にかえって信じながら話すからである。

           <感謝合掌 平成25年10月8日 頓首再拝>

・・・

悪口、愚痴、うわさ話には参加しない

        *はづき虹映・著『人生でいちばん大切な自分との約束』(P73~74)

人が2人寄れば、誰かのうわさ話になると言われたりします。

「他人の不幸は蜜の味」ということわざもあるように、新聞・雑誌のゴシップ欄や
テレビのワイドショーを見るまでもなく、人は他人のうわさ話を好むもの。
普通に生活していると、このうわさ話から逃れるのは至難のワザかもしれません。

女性のおしゃべりのアテは、他人のうわさか、悪口、愚痴と相場は決まっています。
男性のアフター5の酒の肴も、上司の悪口や文句、社会に対する不満や愚痴であり、
話題の対象は違っても、話す中身は男女ともあまり変わりがないと言えるでしょう。

しかし、あなたが本気で人生を変えたいと考えているのなら、
そうした悪口、愚痴、うわな話などに参加している場合ではありません。

そうしたネガティブな話題に参加して得られるメリットは、
長期的にみて何もないと知る必要があります。

こうしたネガティブな話をすれば、一時的にスッキリしたような気分になるかも
しれませんが、そのネガティブな言葉の影響を最も強く受けるのは、自分自身です。


誰かが悪口、愚痴、うわさ話を始めたら、その場を静かに立ち去りましょ。
それに相槌を打てば、あなたも共犯者です。
黙って聞いているだけでも、身体に害があるのです。

何か都合をつけて、できるだけ速やかにその場を立ち去るぐらいの覚悟が必要です。
それぐらいしないと、自らをネガティブな言葉の毒から守ることができません。

悪口、愚痴、うわさ話の多い友人、仲間、グループからは縁を切るぐらいの覚悟が必要です。
それは何より、あなた自身のためです。そこに甘んじていては、あなたの一生が、
人の悪口、愚痴、うわさ話で終わってしまうかもしれません。

・・・・・

他が悪い時、善い人が毒を飲むな

          *「人生読本」(P127~128)

「そんなことを言っても、あいつが悪いから腹が立ってしかたがない」と言う人があります。

あいつが悪いのなら、その悪いやつが自分で腹立てて、
自分の身体の血の中に毒をこしらえていればよいのです。
それだのに、悪くない者が腹を立てて、毒を自分の血の中にこしらえるのは間違っています。

ですから、これから自分が善いと思ったら、自分の血の中に毒をこしらえないことです。
腹を立てないようにすることです。

そして自分が悪いと思ったときこそ、
うんと自分自身に腹を立てて、自分の血の中に毒をつくってやることです。

それを逆さまに、普通の人は「他人が悪い、自分が善い」と思っているときに腹をたてて、
自分の血の中に毒を飲ましているのですから、間違っています。

これからはそんなばかなことはいたしますまい。
これからは決して腹を立てたりいたしますまい。

           <感謝合掌 平成25年10月12日 頓首再拝>

・・・

【魔法のおまじない言葉】

     *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年10月22日)」より


   (保坂隆氏の心に響く言葉より…)

   その言葉を口にするだけで、
   なんとなく元気が出てくる“おまじない”の言葉を持っている人は強い。

   その言葉にはいろいろなバージョンが考えられるが、
   自分にいちばんしっくりくる言葉を選び、自分だけのおまじないにするといい。


   売れない作家というと叱られてしまうが、
   Mさんは、いつか文学賞を受賞することを夢見ながら、
   現在は小さな雑誌に少女小説を書いている。

   原稿料が安いので何本も書かなければ生活が成り立たず、
   締め切りが重なったときなど、睡眠時間も満足に確保できず、
   本当につらい思いをしているようだ。

   そんな自分を励まそうと、デスクの前に、
   「どんな仕事もいつかは終わる!」と大きく書いた紙を貼っている。


   おまじない言葉の候補をいくつか紹介しておこう。

   「明けない夜はない」

   「日の出前がいちばん暗い」

   「明日はまた新しい日が昇る」

   「人生、なんとかなるもんだ」

   「最後に笑えば、それでいい」

   「人は人、自分は自分。マイペースで進めばいい」

   とっておきのおまじないは、
   「絶対、なんとかなる」と百回唱えることだ。

       <『プチ楽天家になる方法』PHP文庫 >

   ・・・・・

松下幸之助氏が採用試験の面接で人を選ぶ際は、
「運のよさそうな人、愛嬌のいい人、辛抱に耐えられそうな人」の3つを基準にしたそうだ。

そして幸之助氏自身も、「私は運がいい」と毎日20回唱えていたという。

       <「田中真澄の88話」(ぱるす出版)より>


自分を元気にする「魔法のおまじない言葉」を持っている人は、
かなりのピンチも乗り越えることができる。

唱えていれば、知らずに自信と勇気が湧いてくるからだ。

           <感謝合掌 平成25年10月27日 頓首再拝>

・・・

言葉が持っているチカラ

     *「あいうえお言霊(ことだま)修行」(矢山利彦・著)<P1~3>

言葉には気のチカラがこもっています。
そのチカラを脳が感じているのです。
言葉には意味だけではなく、本当にチカラがこもっているのです。

「うれしい」「悲しい」「苦しい」「笑う」「泣く」「ありがとう」「ごめんなさい」
「喜び」「怒り」・・・。

そうした言葉の一つ一つを脳の深い部分が感じ、プラスとマイナスの言葉に振り分け、
そのチカラを身体に伝え、心の文様をつくっているのです。

気づかないかもしれませんが、「自分の口から出た言葉」「人から聞いた言葉」に、
私たちの身体と心はつねに反応しているのです。


あるとき、私の気功セミナーにいつも参加してくださる幼児教育の専門家から、
言葉に関する面白いエピソードを聞きました。

教室で子どもたちを教える女性講師が、ふたり目のお子さんを妊娠したときです。
産婦人科へ行くと、お医者さんに「子宮外妊娠かもしれない」と言われました。

子宮外妊娠とは、受精卵が正常な部位以外に着床、発育した状態を言います。
そのまま大きくなってしまうと母子ともに危険な状態になりかねません。
彼女の場合は、卵管の近くに着床していました。

そこで、1ヵ月後の検診に行くまでの間、上のお子さんと一緒に、お腹の赤ちゃんに向かって
「下がれ、下がれ」と、赤ちゃんが下がることをイメージしながら声をかけたそうです。

すると次の検診で、今度は前置胎盤といって、子宮の下のほうに胎盤が付着してしまった。
これも、分娩時の胎盤剥離による大量出血の恐れがあり、母体が非常に危険です。


それを聞いた彼女は、そうか、「下がれ、下がれ」と言うのは間違っていたんだな。
「正しい位置に」と言わなきゃいけなかったんだと思い、次の検診に行くまでの間、
今度は、「正しい位置に、正しい位置に」と言葉をかけ続けました。

そうしたら、本当に正しい位置に戻ってくれたというのです。

びっくりしたのはお医者さんです。
異常体質かもしれないと疑い、大きな病院に入院を勧めたそうです。

しかし、彼女は、「大丈夫、この子は言うことを聞いてくれますから」と言って、断った。
その後も、お腹に向かって「大丈夫、大丈夫」と言葉をかけ続けたところ、
母子ともに健康で、無事出産したそうです。

言葉には、そういう不思議なチカラがあるのです。
特に、思いを込めて、繰り返し声に出すとよく効くようです。

           <感謝合掌 平成25年11月11日 頓首再拝>

・・・


3:伝統 :

2019/02/18 (Mon) 14:53:44

如何に言葉を駆使す可きか

       *「人生は心で支配せよ」(P110~111)

吾々の言葉が創造の原動力を有するものであることを推理するのは
たいして難しいことではない。

吾等がもし神の本性を分ち有(もと)つものであるならば、吾等が宇宙の実質にはたらき
掛ける思想を盛った言葉を発する時、その言葉は何等かの創造の動力をもっているべき筈
である。

汝の言葉により汝は義とせられ、汝の言葉により汝は呪わるべしと云うような意味の言葉が
聖書の所々に録(しる)されたるはこの理由に因(よ)るのである。

実際吾等の発する言葉はかくの如く、運命を支配するはたらきを有するのである。

(中略)

それは宇宙の実質に働きかけ、宇宙の実質を波動せしめ、その波動が永遠に反響し続ける
ことを、何者も止め得ることはないだろう。

(中略)

それは兎も角、吾等は次の事のみは信じてよいのである。


吾等の言葉は、創造の原動力を有する。
そしてそれは吾らの境遇、吾らの世界、吾らの肉体の上に作用して
これらを善にも悪にも変改し得るのである。

されば、吾等は発する言葉を如何程選択しても選択しすぎると云うことはないのである。
宇宙は、感覚鋭き耳である。

吾等はこの鋭き耳に対して、いやしくも人を傷つける言葉を聞かしてはならい。、
卑陋の思想を人に印象する如き言葉を聞かしてはならない。
そして人を引落す如き言葉を聴かしてはならない。

           <感謝合掌 平成25年11月15日 頓首再拝>

・・・

言霊力がつく

     *「あいうえお言霊(ことだま)修行」(矢山利彦・著)<P105~107>

言霊というのは、「よい言葉を発すれば吉事が起こり、悪い言葉を発すれば凶事が起こる」
ということ。

古来より、声に出した言葉が、不思議な霊感を持ち現実の事象に何らかの影響を与えると
信じられていました。

言葉は本当にチカラを持っています。
自分が発した言葉のエネルギーが、そっくり自分に返ってきます。
チカラのパワーが増すのです。

弘法大師空海が説いた教えに「三密加持」というものがあります。
「身・口・意」、身体・言葉・心を1点に集中したとき、宇宙の力が人間に流れ込むという
意味です。それができたとき、思いが実現します。

人間の行為のすべては、よく考えてみると、結局この3つからできています。
心で思い、言葉で語り、身体で行動する。

しかし、空海のすごいところは、一般の人の「身・口・意」は汚れている。
だから、凡人が、ただ「身・口・意」を1点に集注させたと思っても、
言葉にパワーが出ないというのです。

もっと高度な状態で、3つを1点に集中することが、「三密加持」です。
高度な3つの行為を1点に集中したら、宇宙のエネルギーが入ってきて、
すぐさま「悟り」という高度な意識の状態が現れる。

では、「想い」と「言葉」と「行動」を高度な状態にするにはどうすればいいか。
「想い」にも「言葉」にも「行動」にも気をこめる。雑念をなくし純粋な精神をこめると
いいのです。そうすると、自分も周囲も変わってくる。

つまり、思いを実現させるためには、まず、気のエネルギーのこもった言葉があって、
それが心を動かし、身体を動かし、宇宙を動かすのです。
中での、一番影響力の大きいものが「言葉」です。

だから、言葉が先、さらに、その影響力を最大にするのが、感謝の言葉というわけです。

そう考えると、「あ・い・う・え・お」ほど、
思いを実現するために適した言葉はないでしょう。

たとえば、「ありがとう」を言い続ければ、自分が元気になり、また「ありがとう」と
言いたくなることが起きる。それで、また「ありがとう」を言うという具合に、言霊力が
つけば、エンドレスでいいことが起こるのです。

反対に、頭にきて「バカヤロウ」とか「こんちくしょう」とか言ってしまうと、次の日が
たいへんです。ひどい腰痛に見舞われたり、予期せぬトラブルが起こったり、やはり、
また「バカヤロウ」を言いたくなる状況が生れてしまいます。

言霊力がつくと、めったなことで悪い言葉は使えなくなります。
これは、私の実体験からも言えることです。


ひとつ、こんな実験をしてみると、言葉によって身体が反応することがよくわかります。

両腕の同じ箇所にペンで円を描き、右の手の平を左の円の部分に軽く当て、その細胞の
ひとつひとつが元気になることをイメージしながら、「『あ』は、ありがたい」
「『い』は、いつくしむ」・・・・・と20回唱えます。

そして、唱え終わったら、左右の円の中を指でつねってみるのです。
右に比べて、左の円の中は、つねっても痛さが軽くなっているはずです。

ここで何が起こっているのでしょう。
言葉とイメージによって、身体のある部分の細胞に行動を起こさせ、
自分で自分の身体を変えているのです。

まさに、「言葉は生きている」と言っていいでしょう。

この興味深い結果を元に、さらに言霊力を発展させる言葉を考えてみました。
「人間は本来、自分で自分の身体をよくすることができる」という発想から生れたもので、
この言葉には、自分の身体の治したい部分を改善させる力がありますので、
ぜひ、試してください。

自分の治したい症状を【  】に入れては、こう言います。


   私の【  】よ。私の【  】よ。私の【  】よ。
   あなたは、身体に入ったよごれ、不自然をひとつに集めて、
   全身に散らないようにしてくれたのですね。

   ありがとうございます。

   いまからは、明るい気持ちで清らかに生きていきます。

   お役目は終りましたので、大人しくなり、消えていきます。

   ありがとうございます。
   感謝します。

   宇宙の「気」が、ついてる。

    (「消えていきます」は、呼びかけている対象が主語なので、「消えていただきます」
      が日本語として正しいのですが、言霊としてはこちらの方が効果が高い)


最初の1行は、同じフレーズを3回繰り返して強調、【  】の部分に、
たとえば「腰痛」のように治したい症状を入れます。

私の「風邪」よとか、私の「頭痛」よとか、私の「目の疲れ」よとか、
あるいは、私の「糖尿病」よでもいいです。

ただし、私の「悪い頭」よというのはだめです。

人間の脳というハードは、自然の生み出した最高傑作、ソフトがゆがんでいて、
自分で働きを悪くしているだけで、そのソフトのゆがみを整えていきましょうというのが、
この言葉なのですから。

ひとりのときは声を出してもいいし、また声を出さなくてもいい。
声を出さないことを、「内的な言語」と言いますが、頭の中の声はいくらでも大きくする
ことができますし、できるだけ大声で唱えると、ものすごく集中力がアップします。

頭の中のボリュームを10倍、100倍、1000倍と上げながら3回繰り返すと、
そこに何かが起きるのです。


この言葉は、子どものころに母親がやってくれた、「痛いの、痛いの、飛んでいけ! 」
というのを、少しばかり上等にしたものですが、これが不思議にきく。

やってみればわかりますが、1回唱えるごとに自分の身体を内視すると、
症状が変わっていることに気づきます。

(中略)

この言葉を使いこなすことができたら、人生、面白くなるでしょう。

いつでも同じように再現させるには、自分で自分を否定するような言葉を発しない
「言霊力」を身につける必要がありますが、これができれば、あなたにとって
大切な人を癒してあべることもできます。

そのためにも、感謝の言葉を言うたびに「うれしいなあ」と思いながら、
言葉の深いところの意味を味わうことが大切です。

           <感謝合掌 平成25年11月21日 頓首再拝>

・・・

”言葉の力”を駆使して天分を開発せよ

          *「人生の秘訣365章」(P138~139)より

「天才は忍耐なり」と云う諺があるが、忍耐ある修練をつづけて行くためには
仕事(又は勉強)に対する自信と興味とがなければならないのである。

”自分には到底できない”と云うような劣等感がある限りは、その仕事に興味をもちつづけて、
忍耐づよく努力を重ねて行くことができないのである。

忍耐強く努力を重ねて行くためには、絶えず、「自分はこの仕事に天分がある。自分の天分は
毎日一層明かに現象的にもあらわれて来るのである。自分は此の仕事は必ず上手に出来るのである」
と自分自身の心に囁(ささや)きかけることが必要である。

常に言葉の力にて、「我れにはこの天分あり、われこれを為す、必ず成就す」と自分の潜在意識に
印象しつづけるならば、今まで潜在意識に印象せられていた”劣等感”は次第に”天才の自覚”と
置き換えられ、その程度に応じてついに必ず、その方面に傑出した成績を挙げ得るのである。

           <感謝合掌 平成25年12月3日 頓首再拝>

・・・

”言葉と脳”

     *「あいうえお言霊(ことだま)修行」(矢山利彦・著)<P18~20>
          <矢山利彦(著)、ビジネス社(刊)>

(1)私たちの脳は、入ってきた言葉をはじめとしてすべての情報を、
   自分にとって快か不快か、瞬時に振り分ける基本ソフトを備えています。

(2)少し医学的に説明すると、脳が「快い」と感じた場合には、
   エンドルフィン、ドーパミン、セロトニンといった神経伝達物質が増えます。

   脳の働きを高め、至福、集中、平安の感情をもたらすホルモンが出ることによって、
   身体の血流がよくなり、プラスのエネルギーが高まって治癒力が増すのです。

(3)反対に、「不快」と感じた場合には、アドレナリン、ノルアドレナリンなど、
   嫌悪、恐れ、不安、緊張を引き起こす神経伝達物質が一気に増えます。

   こうなると血流がどんどん悪くなり、エネルギーが低下、
   治る力が十分に働かなくなります。

(4)ポジティブな言葉を多く使うほどプラスのエネルギーが高まり、
   ネガティブな言葉を多く使うほど、マイナスのエネルギーが高まってしまうのです。

(5)ところが、同じ情報を受けているはずなのに、
   「快」と感じる人と、「不快」と感じる人がいます。

   たとえば、(医師の)診察を受けて、医者からの言葉に
   肯定的に反応する人と、否定的に反応する人がいます。

   同じところに立っていても、「まだこういう症状があります」と言う人は、
   心の中で、ネガティブをものすごく拡大しているのです。

   言い方を換えれば、身体に起こった現象、脳に入って情報を、
   どう捉えるかになります。

(6)情報は、本当は黒でも白でもない。ただの情報です。

   その情報を、自分で「不快」というふうに振り分けてしまうから、
   だんだんうまくいかなくなるのです。

   すべての情報は、実際は黒でも白でもないし、善でも悪でもない、
   情報は情報なのです。

(7)それならば、病気を治していくには、
   情報を「快」の方に振り分けようと提案したいのです。

   そうすれば、あとはずーっとうまく流れます。
   頭のよく働くし、やる気も出てくるし、自律神経のバランスも取れます。
   身体も楽になって、毎日が楽しくなってきます。

           <感謝合掌 平成25年12月6日 頓首再拝>

・・・
アファメーションと言霊

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年12月07日)」より

   (ジャック・キャンフィールド&ケント・ヒーリー氏の心に響く言葉より… )

   古い快適空間を打ち破る強力な方法は、
   脳にポジティブで新しい思考とイメージを植えつけることです。

   そして、欲しいものがすべてすでに手に入っているかのようにそれを見るのです。

   このテクニックは「アファメーション」と呼ばれています。


   映画俳優のジム・キャリーは1994年のインタビューで次のように語っています。

   僕はずっと魔法を信じてきました。
   仕事がないとき、毎晩、丘の上に登って景色を眺め、両手を広げて

   「僕は素晴らしい役者だ。映画の出演オファーがいっぱいある」

   と言ったものです。

   そしてその言葉を何度も繰り返し、輝かしい未来を自分に確信させたのです。

   さらに、丘を下りながら、

   「これから出演のオファーが殺到するぞ。 とても楽しみでワクワクする」

   と言いました。

   僕はまさにアファメーションを実行していたのです。


   アファメーションとは、例えば…

   「私はジャンクフードに手を出さない」ではなく、
   「私はヘルシーな食べ物が好きだ」

   「私は今年の8月末までに体重を60キロにする」ではなく、
   「私は60キロの体重になって気分爽快だ」

   「私はいい成績をとる」ではなく、
   「私は○○(数字)という営業成績を祝っている」

   「私は業績を上げるために頑張っている」ではなく、
   「私は業績向上を祝っている」

     <『あなたの潜在能力を引き出す20の原則と54の名言』ディスカヴァー >

   ・・・

アファメーションは、日本の「言霊(ことだま)」に似ている。
日本では、古来より言葉には不思議な霊力が宿るとされていたが、それを「言霊」という。

結婚式などの、めでたい席では、「忌(い)み言葉」を使ってはいけないとされている。

忌み言葉とは、別れる、終わる、割れる、破れる、壊れる、滅びる、帰る、切れる、
離れる、捨てる等々だ。

忌み言葉の反対が、寿(ことほ)ぐという祝いの言葉であり、アファメーション。
神道で言えば、「祝詞(のりと)」。

窮地に陥(おちい)ったり、切羽詰ったときほど、このアファメーションが必要だ。

言霊の力が、現実を引き寄せてくれる。

           <感謝合掌 平成25年12月10日 頓首再拝>

4:伝統 :

2019/02/18 (Mon) 14:56:30

想像力と言葉の力によって希望を成就せよ

        *『如意自在の生活365章』(P203)より

人間は“神の子”として、神の生命を宿し生まれているのであるから、
神と同じき創造の方式をとるのである。

すなわちいまだ肉眼に見えざるものを心の世界に設計し、それを言葉にて表現するのである。

建築の設計にしても、機械の発明にしても、法律の制定にしても、新しき事業計画にしても、
いずれも、まだ見えざるものを想像力によって心に描き、それを図形化して、

言葉(文字を含む)によって「これを創造(つく)ろう」または「この通り実行しよう」と公布し、
宣言し、または人々に語ることによって、人間および事物が具体的に動き出して
“心の世界”に描かれたものが“現実の世界”に具現化することになるのである。

諸君も希望を実現しようと思うならば、まず想像力によって“心の世界”にそれを描き、
それを心で図形化して、言葉によって宣言してそれを行為に移したならば、
その希望は成就することになるのである。

           <感謝合掌 平成26年1月13日 頓首再拝>

・・・

仮初(かりそめ)にも”悪”が実現した如く語ってはならない

          *『愛はかくして完成す』(P118~119)より

谷口清超氏訳、ステラ・テリル・マン女史原著『怖れなき生活』の中には、
仮病をつかったところが本当に盲目になったポラード夫人の実例を書いている。

彼女は良人の愛情が他の美しい婦人に移りつつあることを恐怖して、
いろいろ良人の愛情が自分に帰って来るようにしたが駄目だった。

そこで、彼女は最後の試みとして、自動車に乗ろうとした際に、
急に網膜剥離でも起こったように眼が見えなくなった真似をして
「急に私、眼が見えなくなりました。手を引いて自動車に乗せて下さい」と
仮病を使ってみたのであった。

ところが、良人は妻が本当に盲目になったかと驚いて、心配のあまり、
他の女を思うことがなくなったらしいので、更に心臓病の発作を訴えることによって、
良人の自分に対する関心が一層深まるように彼女は工夫したのだった。

その試みには成功したが、良人の愛情を引きつけるために使った「目が見えなくなりました」
「心臓をナイフで刺すように痛みます」などという断定的な夫人自身の言葉が創造の種子となり、
ついに言葉の創化力によって彼女は本当に、失明し、本当に心臓病を起こすようになった
というのである。

仮(か)りそめにも、ウソでも悪い事が起こったように言ってはならないのである。

言葉は神であり、創造する力をもっているのである。

           <感謝合掌 平成26年2月4日 頓首再拝>

・・・

「言葉の真剣勝負ができること」が世界の第一線に立つ人の条件です

     *月刊「クーリエ・ジャポン」(2014.3月号<P24~25>)より
      赤堀毅(外務省・国際法局条約課長)

《フランス大統領への天皇陛下の感動的なスピーチ》

本当に身に余る光栄ですが、私は昨年5月のオランド仏大統領の訪日以来、
天皇陛下のフランス語の通訳を務めさせていただいています。

陛下のお話の内容は守秘義務があるので申し上げられませんが、
相手の立場を細やかに気遣って入念な準備をされ、慎重に言葉を選んでお話になる
陛下のお姿に、常に大きな感銘を受けています。

これは宮内庁のホームページで公開されていますが、陛下はオランド大統領をお迎えした
宮中晩餐会で、かつてミッテラン政権時代に訪仏されたときのことをこう述べられました。

『ミッテラン大統領は、ご健康が優れないにもかかわらず、寒い空港に私どもを迎えられ、
晩餐会を催してくださり、また昼食にお招きくださるなど、心のこもったおもてなしを
いただきました。大統領は、それから時を経ず亡くなられましたが、真面目な温かいお人柄が
懐かしく偲ばれます』

天皇陛下は、オランド大統領が生前のミッテラン氏と親しかったことをご存じで、
このようなご配慮溢れるスピーチをされたのだと思います。

まさに最高のリーダーのご発言と、通訳としてその場にいた私は深く感動し、
今後も全力で陛下にお仕えしようと決意を新たにしました。


これからの時代、国際的に働く人にとって「言葉の力」はますます重要になります。

グローバルに活躍するにはまず、異文化を背景に持つ人に対し、
自分の考えを積極的に伝えねばならないからです。

グローバルな舞台に挑戦する若い人たちがさらに出てきて、
世界中に日本と日本人の素晴らしさをアピールしてほしいと思います。


<参考Web:「生長の家光明掲示板・第一」内スレッド「天皇・皇后両陛下に学ぶ」
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1728 >

           <感謝合掌 平成26年3月4日 頓首再拝>

・・・

よき言葉を言い聞かせる

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年03月02日)」より

   (田中真澄氏の心に響く言葉より…)

   日本人は勤勉な民族であるとよく言われますが、本当は、そうではないと思います。
   日本人に限らず、人間は、もともと、怠惰な動物なのです。

   自己管理をしないでいれば、人間の心ほど頼りないものはありません。
   油断をすると、すぐ怠惰な考え方に犯されるからです。

   「楽をしたい」「のんびりしたい」「遊びたい」「辛いことはごめんだ」といった気持ち、
   すなわちやすきに流れる性格を、私たちはみんな持っているのです。

   その怠惰な心の姿勢を正すには、絶えざる自己規制、自己教育、自己啓発が欠かせません。
   その心の姿勢すなわち心構えは能力なのですが、
   この能力だけは毎日ゼロから磨き直さなくてはならないのです。

   それが面倒だからと放置すると、誰もが怠惰になっていき、
   結果的には失敗の道を歩むことになるのです。

   このことは永遠に変わらぬ不変の真理なのです。


   成功を続けている人は、そこのところがよく分かっているからこそ、
   心構えを磨く基本の行動・考え方を、日々、実行しているのです。

   またそのことを信念にしているのです。

   他方、怠惰な生活に陥り、勤勉な生活を軽視する人は、
   心構えを日々磨くことの重要性が本当にはわかっていないため、
   自分の怠惰な気持ちを矯正する良き習慣の実行ができないでいるのです。

   そこには、人生を前向きに生きていこうという信念の欠如が見られます。

   人間は精神的に脆(もろ)い存在です。
   それは成功者にも言えることです。
   その脆さを常に補強し続けるのが、本来の人間の務めです。

   その有力な方法が、日々の心構えを築き直す良き習慣の実行であり、
   同時に、心にメンターの教えを注ぎ込むための読書なのです。

   私も読書を通してたくさんのメンターを得ましたが、
   その中の一人をあえて選ぶとすれば、その代表的な人物は二宮尊徳です。

   日本の代表的成功者であるトヨタの創業者・豊田佐吉氏も、
   松下電器の創業者・松下幸之助氏も、自らの事業の基本に尊徳の教えを据えています。

   尊徳は、人は自然と社会(家族を含むすべての関係者)から何らかの恩(他者から受ける
   感謝すべき行為、恵み、情け)を授かって生きているとし、その恩に報いることが
   生きる目的であり、それを報恩と称しています。

   そして報恩を行う基本は、勤・倹・譲を実行することであると唱えています。

   勤とは、世のため人のために勤勉に働くことであり、
  
   倹とは、分度を決め、その範囲内で生活(入るを計り出るを制す)して
   無駄な消費をしないで節約することであり、

   譲とは、自分が得た財産を社会のために活用することです。


   勤・倹・譲の精神は、地球環境を保護すべき今日、最も尊重すべき徳育項目であり、
   21世紀に求められる自己犠牲、自己抑制につながる基本理念です。

           <『信念の偉大な力』ぱるす出版>

      ・・・・

「心構え」や「心の姿勢」は、毎日ゼロから磨き直さなくてはならない、という。
どんなにいい話を聞いても、一晩たつとほとんど忘れてしまう、ということだ。

だから、毎朝、毎晩、繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせるしかない。

現代は、「我慢する」とか、「自己犠牲」、「自己抑制」という言葉は不人気だ。

しかし、およそあらゆる事業や、スポーツ、勉強、ダイエット等々で、
自己犠牲や自己抑制なしに成功した人を知らない。

「怠惰な心の姿勢を正すには、絶えざる自己規制、自己教育、自己啓発が必要」

毎日、毎日、よき言葉を自分に言い聞かせたい。

           <感謝合掌 平成26年3月11日 頓首再拝>

・・・

間違ったポジティブな言葉の使い方

        *メルマガ「ビジョネット(2011年04月25日)」より

ポジティブな言葉を使うことが 大切なことは誰もが知っています。

ですが、

ポジティブな言葉を使っているようで、実はネガティブな言葉を使っているときはあります。

例えば、

 夢を絶対にあきらめない!

いい言葉です。


ですが・・・

この言葉はポジティブな感じの言葉ですが、実はポジティブな言葉ではありません。

何がいけないかというと

 「あきらめない」という言葉です。

 あきらめないと言っているにも関わらず、あきらめるイメージ化をしてしまうからです。

ポジティブな言葉でいうのであれば

 「夢を絶対に実現する」

 「夢を絶対に持ち続ける」

といった方が、ポジティブな言葉ですし、体にエネルギーが入ってくる言葉です。


人は、言葉を何らかのイメージして生きています。

その証拠に、今このこんなことをいったらどうでしょう?

 「水着の女性を想像しないで下さい」

 「想像しないでください」といっても、
 おそらくほとんどの人は想像してしまったのではないでしょうか?(笑)

このように言葉からのイメージを瞬時にしてしまうのです。

学校でもよくこんなことが書いてありました。

 「廊下を走らない! 」

走らない、というと、走ることを想像してしまいますね。

この場合は、

 「廊下はゆっくり歩きましょう! 」

と書いた方がいいのです。

ポジティブな言葉を使っているようで、実はネガティブな言葉を使っていることは多々あります。

ポジティブなようでネガティブな言葉を使っていないかチェックしてみて下さい。

ビジネスにも、子育てにも様々なところで活用できます。

           <感謝合掌 平成26年3月21日 頓首再拝>

・・・

天国言葉

欧米では、

(1)サンキュー、
(2)エクスキューズ・ミー、
(3)アイアム・ソーリー、
(4)プリーズ、
(5)パードン

の5つの言葉を「王様の言葉」といって、
いろいろと使い分ける習慣を子供の時から厳しくしつけるのだそうです。

そしてこの挨拶をしっかりできた人は、世の中で成功する、
そう言われてきたのだそうです。


挨拶、気遣い、思いやり・・・
その際に発する言葉、どの国でも大切であると捉えられております。


さて、日本の億万長者の一人である、斉藤ひとり氏の本には、
天国言葉という八つの言霊が紹介されております。



    斉藤ひとりさんの天国言葉
==============================================

(1)愛してます

(2)ついてる

(3)うれしい

(4)楽しい

(5)感謝してます

(6)幸せ

(7)ありがとう

(8)許します

===================================================


参考までに地獄言葉とういうのもあります。


  斉藤ひとりさんの地獄言葉
==============================================

(1)恐れている

(2)ついてない

(3)不平・不満

(4)グチ・泣きごと

(5)悪口・文句

(6)心配ごと

(7)許せない

======================================================

           <感謝合掌 平成26年4月1日 頓首再拝>


5:伝統 :

2019/02/18 (Mon) 14:59:04

言葉の印象力

         *『生命の實相』第3巻生命篇上(P159~160)

言葉というものがいかにわれわれに印象力をもつものであるかは驚くべきものがある。

有名なる美術批評家がある絵画展覧会へはいっていったとき、
そこにただ水だけしか描かれていない絵があった。
彼はその絵を平凡な絵だと思ってそのまままさにその絵を素通りしようとした。

その時、その絵の題辞(だいじ)が眼についた
――「地上の万民を一つに結びつける海」と書いてあった。

その題辞(ことば)を見たときその絵のなかに作者が創作(つく)り込もうとした生命が
その美術批評家の心を射た。美術批評家はつくづくその絵を凝視した、そして画廊を出たとき
その絵のみが深く彼の心に刻まれて、他(た)の絵はことごとく忘れてしまっていたのである。

これは「ロンドンの霧は詩人が《言葉》に表現したとき、はじめて存在に入ったのだ」と
オスカー・ワイルドがいったのと好一対で、いずれも言葉の印象力を表わしたものである。

病気が医師の命名を受けていよいよその実在を確固にして治りがたきものとなるのも
言葉の印象力である。言葉の力を無視した医学は医学ではない。言葉の力を慎まないで
恐ろしい病名を患者に宣告したために人の全生涯を暗黒に突き落とした医者も少なくない。

かくして善き言葉は人生を照らす光となり、
悪しき言葉は人生を暗くする悪魔となるのである。

                        (月刊『生長の家』の巻頭語より)

           <感謝合掌 平成26年4月9日 頓首再拝>

・・・

「今日はいい日だ」

         *Web「心の医学(2013-08-27)」より


声に出さなくてもいいです、出してもいいです。 

「今日はいい日だ」と何回もいってみてください。 
あなたのからだに奇跡が起きます。

キリストがいったように「はじめに言葉ありき」です。

どういうことかというと、自分が「いい日だ」と思ってなくてもいいから、
先に「今日はいい日だ」というのです。

そうすると、この言葉に脳が従い、そして、からだが従います。 

「いい日だ」っていうのは、娘はさらわれない日です。
さらわれた日を「いい日だ」という人はいません。 
交通事故にあう日でもありません。
もちろん、トラにも会いません。 

そういう嫌なことがない日が「いい日」です。

「今日はいい日だ、今日はいい日だ」というと、
脳は「そうか、いい日なんだ」と判断してからだに休止命令を出します。 

そうすると、ふぁ~っと筋肉がゆるみます。

戦闘体制で、アドレナリンなどの物質を出そうとか、
血圧あげなきゃとかいう状態ではなくなります。
                  
                  ーー斉藤ひとりーー

 
本当に言葉の力は大きいですね。 

病院でお医者さんにがんの宣告を受け余命3ヶ月ですといわれたら
ショックで病気を治そうという気さえ起きなくなります。


その年じゃ、もう子供は無理でしょうと言われたら、
頑張って子供を作る努力もしなくなるでしょう。

両親や学校の先生に、お前は本当に数学が出来ないなって言われ続けたら、
自分は数学が苦手な人間なんだって思い込んでしまうでしょ。


逆に誰かの何気ない一言に救われることもあります。

言葉の力は大きいです。

朝一番は、出来るだけいい言葉を使いたいものです。

「今日はいい日だ」「今日はいい日だ」

きっとみなさんも

「今日はいい日」ですよ。

           <感謝合掌 平成26年4月20日 頓首再拝>

・・・
【 beginning was the Word 】

         *メルマガ「名言セラピー(2014年04月18日)」より

In the beginning was the Word.
「はじめに言葉ありき」

聖書にはそう記されているように、

「言葉」には人類の智慧が凝縮されている。
「言葉」には、ものの見方の本質が宿っているのです。


例えば、
「cour(心)」+「age(集合)」= 「courage」(勇気)です。

「勇気」の語源は「すべての心を集めること」


だから、不安も恐れもあっていいんだ。
全部あってこそ、それが勇気に変わるって言葉は教えてくれている。



「compassion(思いやり)」
ってどういう行為なのかも語源を見ればわかる。

compassion =com(共に)+passion(痛み、苦しみ)


「思いやり」とは、
「一緒に痛みを感じてあげること」


相手の悩みを解決できなくたって、
ともに傷みを感じてあげられたら、それは最高の思いやりだ。



では、「許す」は?
これも語源を見ればわかる。

「forgive」(許す)=「for(完全に)give(与える)」

そう、「許す」とは、 「相手に完全に与えること」をいうんだ。


「Understand」(理解する)ということも、語源を見ればその本質がわかる。

相手の「下(under)」に「立つ(stand)」という意味。
上から目線ではいつまでたっても理解できないわけだ。


「伝統」(tradition)という言葉だって、語源を見ると意外なことがわかる。

古きを大事にするのが伝統だいう気がするけど、
それだけでは伝統にならないと語源は教えてくれている。

「tra」(越えて)+「dit」(与えること)+「ion」(こと)


古い自分を越えて行かなきゃいけないんだ。
そして与えていくんだ。
この中から、伝統は生まれてくるってこと。


語源は奇跡の起こし方だって教えてくれる。


「Smile」(笑い)と「miracle」(奇跡)は同じ語源

つまり、笑えば奇跡はアッサリ起きるのだ。

           <感謝合掌 平成26年4月24日 頓首再拝>

・・・

【ピンチはチャンスだ、ありがとう】

日本一視察が多いスーパーマーケットとしていま脚光を浴びている「ハローデイ」。

“アミューズメントフードホール”という名の通り、
内装や商品のディスプレイに工夫を凝らし、
福岡県を地盤に49ある店舗の中で同じような店舗は1つとしてないといいます。

倒産寸前の状態から、現在グループ全体で
約790億円の売り上げを挙げるまでに発展させてきた
2代目社長の加治敬通氏が語った「逆境を乗り越える魔法の言葉」とは――。

・・・

【ピンチはチャンスだ、ありがとう】

        *『致知』2014年5月号
         加治敬通(ハローデイ社長)~特集「焦点を定めて生きる」より


ハローデイ経営理念の1番目は
「より多くのお客様に感謝する会社」とあって、
会社をよくしていく過程でこの理念の浸透にも力を入れてきました。

私は体験しているから分かりますが、
従業員にはいくら口で説明しても、
悲しいかな他人事でしかないから分からないんです。


ではどうすれば思いを伝えることができるかと
いろんな研修に参加した上でこれはと思うものをベースに研修をつくりました。


――自ら研修をおつくりになられたと。

「お元気様研修」といって、5つある経営理念をベースに2日間かけてやるんです。

例えば感謝について

「皆さんにとって感謝の原点はどこにありますか」

という感じで問い掛けます。

いろいろと答えが出てきますが、
答えは両親ですと。

「両親に感謝できない人が
 何で赤の他人のお客様に感謝できるんですか。
 絶対にできません」

というかたちで入るんですよ。

(中略)

それから研修では普段私たちがよく使う言葉についても伝えています。

その中の一つに

「ピンチはチャンスだ、ありがとう」

という言葉が必ず出てくるんです。

例えば誰かが私にボコボコに怒られて落ち込んでいると、皆が寄ってきて、

「よかったなおまえ、おめでとう。チャンスじゃないか」

と言って励ます時に使うんです。


このことを理解していただくには
火事事件についてもお話しする必要があって、
実は平成8年元旦の午前1時にお店が燃えたんですよ。

そのお店というのは20数年ぶりに出したばかりの後藤寺店という新店で、
これが大当たりして、会社の経常利益の3分の2の利益を出していたんです。

その夜、除夜の鐘を聴きながら、営業報告を確認し終えて
やっと一息ついたところで、電話が鳴り響きました。

電話口から上ずった声で、

「火事です。後藤寺店が燃えています」

と聞こえてきた瞬間、もう真っ青になりました。

すぐに車に飛び乗ったのはいいのですが、
頭の中は悪いことばかりが次々と浮かんでくるものですから、
寒さではなくて怖さで震えが止まりません。


――あぁ怖さで震えが。

その時に私の好きな

「ピンチはチャンスだ! ありがとう」

という清水英雄先生の詩がふっと浮かんできたので、それを必死で唱え始めたんです。

「つらいことがおこると/感謝するんです/これでまた強くなれると/ありがとう/ 
 悲しいことがおこると/感謝するんです/これで人の悲しみがよくわかると/ありがとう/
 ピンチになると感謝するんです/これでもっと逞しくなれると/ありがとう/

 つらいことも悲しいこともピンチものり越えて/
 生きることが人生だと言いきかせるのです……」

車内での40分間、私はその詩を大声で繰り返しました。

店に着いた時にはゼェゼェいって喉がかれていたので、
店に向かって歩く間は

「ピンチはチャンスだ/人生はドラマだ」

と小声で何度も呟いていました。


すると私を見つけた店長がバッと走り寄ってきて

「すいませんでした」

と大声で謝ってきました。

その時私の口から出てきたのが、

「店長大丈夫や!
 改装費1億か2億かかっても、
 君ならまた取り戻せるやろ」

という言葉だったんですよ。


私は基本的に怖がりだし弱虫だから、
あの詩を口にしていなければ、
きっと店長をボコボコにしていたと思います。


だからその店長はいまだに言うんですよ。
あの時は半殺しまでだったら我慢しようと覚悟をしていたら、
思いもよらない言葉を掛けられて、嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかったと。

――胸にグッと迫ってくるものがあります。

この話には後日談がありまして、
そのお店がオープンした時の売り上げというのが1700万円でした。

これはスーパーの売り上げとしては
驚異的な数字なんですよ。

ところが火事の1か月後に
再オープンした時の売り上げが何と2300万円だったんです。

オープン時の売り上げをクリアするっていうことは本来ありえないことなんです。


ですから「ピンチはチャンスだ、ありがとう」
というのはここからきているんですよ。

           <感謝合掌 平成26年4月29日 頓首再拝>





6:伝統 :

2019/02/18 (Mon) 15:03:52

『魔法の言葉3点セット』

         *「ツキを呼ぶ「魔法の言葉」」五日市剛・著より

してはいけないことは、「汚い言葉を吐くこと」と「怒ること」。


まず、汚い言葉を吐くことについて。

「バカヤロー」
「ムカツク」
「チクショー」 
などの汚い言葉を口にすると、

その言葉どおりの人生を歩んでしまいます。



怒ることもしてはいけないことです。

怒ると、
それまで積み重ねてきたツキがいっぺんに吹き飛んでしまいます。



「汚い言葉はツキを逃す」 ということは、

裏を返せば、

どんなことでも前向きにとらえ、
「ツイてる! ツイてる!」 と口にすれば、
おのずとツイてくると考えたから、

私は 「ありがとう」 「感謝します」 に加えて、
「ツイてる」 という言葉も意識して使うようにしました。



現在、私は

「ありがとうございます」

「感謝します」

「うれしいです」 と、

『魔法の言葉3点セット』 にして使っています。


ある私のファンのかたは、

これに 「幸せです」 もつけ加えて、

『幸運の魔法の言葉4点セット』にして使っているとのこと。


このように、
よい言葉をバージョンアップさせて使うと、ますますおもしろいことが起こるのです。

           <感謝合掌 平成26年5月11日 頓首再拝>

・・・

言葉を選択する

        *「今すぐ「言葉」を変えましょう」佐藤由紀・著(P39~41)より

(1)人生は言葉通りのアウトプットが生まれる。そこに例外はない。

(2)そして、いい言葉は貯金、その逆は借金

(3)言葉は心と行動に大きな力を持つ。だからます言葉を換えるのが近道。

(4)人間はセルフイメージ通りの行動をします。
   言葉でセルフイメージをつくることは可能です。

(5)「まず言葉がそこにあった」と、人々は昔から「言葉の力」を使ってきました。
   「言葉の力の活用は2000年以上人々に選ばれ続けた世界のスタンダードです。

(6)望む結果を得るには「言葉の力」の活用が必要です。

(7)「言葉の力」と使い方は学校、職場、ビジネススクールでは教えてもらえない
   世界一やさしい習慣。

   世界一やさしい習慣とは、ただ一つの行為です。
   この瞬間にも私たちは考え、読み、書き、話し、聞いています。
   そこに、”いい言葉を「選択する」だけ”です。

(8)まずは実践、理論は後付けでOK。

   ・・・

この世界一やさしい習慣、つまり、いい言葉を選択する習慣を始めると、
次々に素晴らしいことが形になり、どんどん人生が好転し始めます。

(1)心が明るく朗らかになります。

(2)何事もよい方へ解釈するのでどんどん先に進みます。

(3)セルフイメージが変わり、自信が生まれます。

(4)行動の質や気迫に違いが出るので成果が上がります。

(5)意識や思考が陽転し、望む結果やセルフイメージを意識するようになり、
   望むことを実現しやすくなります。

(6)人の美点を見るようになり、人間関係に恵まれるようになります。

(7)良縁にも恵まれます。

(8)行動が速くなり、ますますチャンスをつかめる体質になります。

(9)昇進、キャリアアップ、昇給といった結果につながりやすくなります。

           <感謝合掌 平成26年5月16日 頓首再拝>

・・・

マイナス言葉をプラス言葉への変換(例)

        *「今すぐ「言葉」を変えましょう」佐藤由紀・著(P25~26)より


(-)起きるのがつらいな・・・
   → (+)今日はいい一日になる!

(-)すみません
   → (+)ありがとう

(-)また問題が起きた・・・
   → (+)解決できないことは起きない!

(-)雨が冷たい・・・
   → (+)雨のマイナスイオン効果は最高!

(-)失敗するかも
   → (+)成功の予感がする!

(-)どうせ私なんか・・・
   → (+)私にはできる!

(-)また嫌なことが起きた
   → (+)これでいいのだ!


言葉には感情が必ず付帯します。

ですから、心がまえをいきなり変えることは難しくても、
言葉を変えることで、自分の「マインド」を望む状態へ持っていくことは可能なことなのです。

           <感謝合掌 平成26年6月6日 頓首再拝>

・・・

【太郎を呼べば 太郎がくる】

         *メルマガ「「人の心に灯をともす(2014年06月20日)」より


   (エッセイスト、時実新子氏の心に響く言葉より…)

   『太郎を呼べば 太郎がくる』

   祖母からの口移しなので、出典明らかでありません。

   祖母が言うには

   「呼べば呼んだ人が来るじゃろ?
   太郎サーンに花子はこないわな。
   じゃから、いい事を呼びんさいや」

   とのこと。

   太郎は幸福の代名詞なのでしょう。


   子どものころはすんなり分かっていたのに、おとなになると、こんがらがりました。

   たとえば病気になるとその事に執着(しゅうちゃく)する。
   つまり呼んでいるからよけいに病むのですね。

   はっと気づいては太郎を呼ぶように心掛けています。


         <『心を豊かにする100の言葉』PHP>

     ・・・

斎藤一人さんは、よくこんなたとえ話をする。

『ラーメン屋さんで、心の中で「みそラーメンを食べたい」と
メチャクチャに強く願っていたとしても、接客係の人に「しょうゆラーメン」と言ったら
「しょうゆラーメン」が出てくる』

つまり、心で思ったり、願ったりすることより、口に出した言葉の方が何百倍も威力が強い。


「最近、あまりうまく行ってない」と言えば、うまくいかないことが増える。

「お金がない」と言えば、お金は集まってこない。

「ツイてないなぁ」と言えば、どんどんツキはなくなる。


『太郎を呼べば 太郎がくる』

「ツイてる」「うれしい」「楽しい」「しあわせ」「感謝してます」「ありがとう」…

どんなときも、幸せを呼ぶ言葉を口に出したい。

           <感謝合掌 平成26年6月22日 頓首再拝> 

・・・

【自分に声かけする】

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月25日)」より

   (松岡修造氏の心に響く言葉より… )

   『思いを言葉にすると脳が活性化し、自分らしい仕事ができるようになる』(松岡修造)


   タイガー・ウッズ選手と、幸運にもあるゴルフ大会でいっしょにラウンドしたとき、
   彼が、プレー中、常に自分に対する声かけをしていたのを見て、驚いたことがあります。

   いい球を打てたときには「ナイスショット!」と堂々と自分をほめ、
   ミスショットをしてしまったときは「ネクストタイム!(次はうまくいくさ)」と
   自分を明るく励ます。

   自分の思いを言葉に出し、自分をどんどん盛り上げていく。

   こうした「言語化」が、ウッズ選手の強さを支える秘密の一つなのだと思います。


   これと似たようなことは身近にもあります。

   たとえば、少年野球の試合などで、監督が選手たちに向かって「もっと声を出せ!」と
   指示したり、ベンチにいる子供たちに大声で応援させたりしているシーンを、
   よく目にするでしょう?

   あれは、「ナイスプレー!」「ドンマイ!」などと、
   とにかく自分の思いをワーワー声に出していくうちに、
   不安や恐れの感情がリセットされていき、気持ちが少しずつラクになるからです。

   気持ちがラクになれば緊張もそれほどしなくなり、
   自分らしいプレーができるようになります。

   反対に、黙っていると、モヤモヤした不安や恐れの感情がどんどん膨(ふく)らんでいき、
   勝てる試合も負けてしまうことがあります。

   言葉にして自分に言い聞かせるということは、けっこう重要なことなのです。


   それについて、面白い話を聞いたことがあります。

   ダイエットの一つの方法として、食事のあと「ああ、おいしかった!」と
   声に出して言うと効果がある、というのです。

   もっと食べたい思っていても、満足感を表す自分の言葉が耳から入って脳に届くと、
   「満足した」という信号が脳から発せられ、実際に満足してしまうのだそうです。

   同じ原理で、睡眠不足の場合にも、
   朝起きたときに「ああ、よく寝た」と声に出すといいそうです。

   脳にはこういうはたらきもあるのですから、
   みなさんも自分の思いをどんどん言語化してみましょう。


   声を出して騒いだり、からだをちょっと動かしたりすれば血流がよくなるので、
   脳の活性化にとって悪いはずはありません。

   机の前に座ったまま黙然としているよりも、
   仲間と雑談したり散歩しているときのほうが、いろいろなアイデアが浮かびやすい
   という経験は、みなさんにもあるはずです。

       <『本気になればすべてが変わる』文芸春秋社 >

      ・・・

自分で自分を励まし、ほめればほめるほど、どんどん元気や勇気がたまってくるはずだ。

うまく行ったときは、
「よくやった!」、「がんばった!」、「素晴らしい!」、「天才だ!」、「最高だ!」、と。

ダメなときは、
「大丈夫!」、「大丈夫、なんとかなる」、「まだまだ、どっこい!」、
「できる!できる!できる!」、「必ずよくなる!」、と。


辛い時に、元気がなくなる言葉をいったらますます落ち込むばかりだ。

辛い状況とは反対の、「ありがとう」、「ツイてる!」という言葉も、
不思議に自分を励ますことができる。


天の上から見ている神さまになったつもりで、
いいときもダメなときも、自分を元気づけたりほめたりすることができたら素敵だ。

           <感謝合掌 平成26年6月30日 頓首再拝> 

・・・

言葉のエネルギードリンク集

        *「今すぐ『言葉』を変えましょう」佐藤由紀・著(P196~201)より

(1)幸せになれる言葉

  ① 素晴らしいですね
  ② お父さん、お母さん ありがとうございます
  ③ 今日はいい一日になるぞ!

  ④ (笑顔で)おはようございます
  ⑤ うれしい、楽しい、感謝しています
  ⑥ 愛しています

  ⑦ 幸せだ
  ⑧ 心にはたくさんの財宝がある


(2)楽天的になれる言葉

  ① 運は天にあり、ぼた餅は棚にあり、花より団子、夢にぼた餅
  ② 笑うことは、最も簡単な成功法
  ③ Don.t worry, Be huppy!

  ④ ほがらか、ほがらか、笑福万来
  ⑤ 私はいつも運がいい、ツイてる、ツイてる
  ⑥ 未来はますます開けていく! 人生これからが黄金期

  ⑦ 成功という食事を楽しむためには、喜びというワインがなければならないし、
    笑いというサービスが必要である


(3)リラックス&リフレッシュできる言葉
 
  ① ありがとう、ありがとう、ありがとう
  ② 大丈夫、大丈夫、大丈夫
  ③ リラックス、リラックス

  ④ 天使が飛べるのは、気を楽にもっているからだ
  ⑤ なんくるないさ
  ⑥ 百年たったら墓の中

  ⑦ 大切なことはどれだけ心を込めたかです
  ⑧ 今日、この日を心からの愛をもって迎える


(4)自信がつく言葉

  ① 大丈夫、必ずうまくいく!
  ② 強気になるには強気のフリをするだけ
  ③ 君ならできるよ、チャンスを生かそうよ

  ④ 自分自身にこそ、あばたもえくぼで接しなさい
  ⑤ 小さなことを褒めよう、同じことを何度でも褒めよう
  ⑥ 小さな成功を励みにできる人こそ成功する

  ⑦ 私はうまくいく、なぜならこの世で唯一の存在なのだから
  ⑧ 私はできる、私は魅力的、私には能力がある
  ⑨ できる思い込みもできない思い込みも強さは同じ


(5)仕事ができる人になれる言葉

  ① 一流の人には、一流の仕事が舞い込んでくる
  ② これだけの力があれば、引っ張りダコ
  ③ 私ならできる、必ずいい結果になる

  ④ できぱきてきぱき、すぐやるすぐやる
  ⑤ シェークスピアになるにはシェークスピアたる思考を
  ⑥ お任せください! バッチリです!

  ⑦ 世界から呼ばれるかもしれない、丁寧に!
  ⑧ 仕事は楽しい、成長するために仕事をしている、
    そしてお金をいただけるなんてなお素晴らしい


(6)夢をかなえる言葉

  ① 今のままでは今のまま
  ② 二兎を追うものは二兎得る
  ③ 宇宙に衝撃を与えてやる!

  ④ 想像力は知識より力がある
  ⑤ 人生における成功とはなりたいものになるということである
  ⑥ 世界を変えるチャンスをモノにしたいか?

  ⑦ イノベーションは研究開発費をいくらもっていることとは無関係
  ⑧ 挑戦者だけが成功者になれる


(7)エラーの逆転、ブレークスルーをもたらす言葉

  ① 解決できない問題は起きない
  ② 私に起きることはすべてプラスのことである
  ③ 解決は途方もない方向からやって来る、必ずできる

  ④ あらゆる出来事のいい面に目を向ける習慣は年間1000ポンドの所得より価値がある
  ⑤ 今日私は新しい人生を始める
  ⑥ 失敗の頻度は成功の高さと比例する

  ⑦ ノーと言われるたび、イエスという声に近づく
  ⑧ 人生におけるさまざまな難関は成功のための絶好の機会である
  ⑨ 問題、失望、心痛などは姿を変えたラッキーチャンスなのである


(8)人間関係

  ① 褒められる人よりも、褒める人こそ賢者
  ② 私は素晴らしい人に囲まれている!
  ③ 私は誰からも好かれる

  ④ 許します
  ⑤ 人生はブーメラン、投げたものがそのまま返ってくる

  ⑥ 人と話すときは、相手のことを話題にせよ、
    そうすれば何時間でもこちらの話を聞いてくれる


これらの言葉を唱えるだけでも、肩の力が抜けたり、勇気や希望が湧いたり、
心に爽快感があふれてきたりしませんか?

それこそが「言葉の力」のエネルギーなのです。

           <感謝合掌 平成26年7月6日 頓首再拝> 

・・・

【アブラカダブラ】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年05月10日)」より

   (パム・グラウト氏の心に響く言葉より…)

   私は何年も前から、ベッドの横の壁にカレンダーをかけている。
   そしてときどき壁から外しては、大事な予定を書き込んだりしている。

   ある晩、ちょっと強めにカレンダーを引っ張ったせいで、
   カレンダーをかけていた釘が、壁から抜けて床に落ちてしまった。

   私は床に這(は)いつくばって釘を探した。
   そんなに遠くには転がってはいかないはずだ…。
   床の上をくまなく探したけれど、釘は見つからない。

   まるでハリー・ポッターに出てくる透明のマントでもかぶってしまったようだ。


   そこで私は考えた。
   もう十分に探したのだから、あとは宇宙にお任せしよう。

   「今から24時間以内に、釘を私の前に届けてください」

   私はそうお願いした。

   そして翌朝、目を覚ますと、人差し指と親指の間にあの釘が挟まっていた。


   「アブラカダブラ」という言葉を聞くと、たいていの人は魔法の呪文を連想するだろう。

   しかし、あまり知られてないのだが、
   これは実は、イエスとその弟子たちが使っていたアラム語の言葉で、
   「私は自分の話す言葉で創造する」という意味の、とても力強い意味を持つ言葉だ。

   たとえば、誰もが知っているあの有名な発明家エジソンは、何かを発明する前に、
   「それをすでに発明した」と発表することがよくあった。

   エジソンがそんなことをしたのは、きっとこの言葉の力を知っていたからだろう。


   また、映画『マスク』で有名な俳優のジム・キャリーも、
   まだ映画に一本も出演していないときから、自分に1000万ドルの小切手を書いていた。


   この「アブラカダブラ」の法則の意味は単純で、
   「自分の意識を集中させたものが大きくなる」だ。

   そして、意味のない思考なんて存在しないということが理解できるようになるだろう。

   それに加えて、今までいかに無駄な思考が多かったかということにも気づかされるはずだ。

           <『こうして、思考は現実になる』サンマーク出版 >

        ・・・

新約聖書にはこう記されているという。

「はじめに言葉があった、言葉は神とともにあった、言葉は神であった」


これは神道でいう「言霊(ことだま)」にも通じる。

日本では、古(いにしえ)より、言葉には霊力が宿っていると言われた。
日本は「言霊の幸はふ国」という言葉の霊力が幸福をもたらす国であり、
「言霊の助くる国」すなわち、言葉の霊力が助けてくれる国。


「アブラカダブラ」とは、「自分の意識を集中させたものが大きくなる」。

言葉という大きな力を大事にしたい。

           <感謝合掌 平成26年7月13日 頓首再拝> 



7:伝統 :

2019/02/18 (Mon) 15:06:36

美しい言葉、素晴らしい言葉が人生を変える

(口癖が人生を変える)

     *「神様に褒められる生き方」岡本彰夫・著(P18~20)より

『万葉集』の第一巻の巻頭の歌に、雄略天皇の求愛のお歌があります。

その中で天皇は、丘で若葉を摘む娘に
「われこそは 告(な)らめ 家をも名をも(私にだけ名前を教えてください)」
とおっしゃる場面があります。

古代、名を告げるということは、相手に対して身も心も捧げることを意味しました。
名前には魂がこめられているので、その名を告げると、告げた人間のものになる。
ですから、いにしえの女性たちは夫にしか名前を教えないものでした。


ゆえに平安時代の女性たちの本名はわからないことがほとんどです。
紫式部や清少納言というのも、実は宮中の女官(女房)としての源氏名であり、
本名はわかっていません。それほど名前は大事なものだったのです。


名前だけでなく、すべての言葉には魂が宿っています。
それを「言魂(ことだま)」といいます。
言葉が大切であるのは、言葉自体に素晴らしい力が秘められているからなのです。

言葉にしたことが的中したという経験はありませんか?
「言い当たる」という表現もあります。

不吉なことばかり言っていると、実際に不吉なことが起きてしまうし、
めでたいことや希望、理想を語り続けていると、不思議とそのようになってくるのです。


「寿(ことほ)ぐ」とは「言祝(ことほ)ぐ」、つまり言葉で祝うことです。
神様に奏上する「祝詞(のりと)」は、もっとも美しく、素晴らしい言葉を選び抜いています。


昔の人は不吉な言葉を用いることさえ嫌って、
メデタイ言葉に言い換える「忌み言葉」を使いました。

「猿」は「去る」と重なるので「えて」といい、「すり鉢」を「あたり鉢」、
ひげを「剃(そ)るのではなく「あたる」というのは、すべて不吉な言葉を避けるためです。

また「し(=死)」という言葉が入る「しょうゆ」を「むらさき」、
「塩」を「波の花」、「梨」を「ありの実」と言い換えます。

「あし」の葉を「よし」の葉と言うのは、「あし」が「悪(あ)し」、
つまり「悪い」につながるからです。


結婚式で「終わります」ではなく、「お開きにさせていただきます」というのも、
祝宴で「鏡割り」を「鏡開き」というのも、すべてメデタイ言葉に換える工夫なのです。


祝詞の中に「見直し聞き直し給へ」と祈る言葉があります。
物事を一方からではなく、見直し、聞き直してみると、新たな発見や生きるすべを
見つけられるものです。


悪いことばかりを想定し、不吉なことや心配ばかり思い浮かべていると、
心の病気になってしまいます。体の病気は薬で治せますが、心の病気を治すのは厄介です。

その特効薬は、常に素晴らしい理想を思い描き、それを言葉にして発し続けること。
くじけてはいけません。

           <感謝合掌 平成26年7月21日 頓首再拝> 

・・・

言葉は、人生航海の舵

        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(P170~171)より

言葉が舵であって、人生の方向を定める。
言葉、言葉、言葉、言葉・・・・・
われわれの心に印象を深からしめるために「言葉」という字を繰り返し繰り返し書いておく。

船は船長の言葉の力でその方向に必ず進むのである。
船長はみだりにまちがった言葉を出すことはできない。
船長が「東」と言うのに、船が「西」に進むということはありえない。

では、われわれは「幸福」に人生を航海したいならば、「幸福」の方向にのみ
自分の「人生」を進めたいならば、われわれは自分の人生の船長であるから
「幸福」とのみ掛け声をかければよいのである。

「幸福」「幸福」とのみ毎日掛け声を掛けているならば、
必ず自分の「人生」は幸福の方向に進んで行くにちがいないのである。

「健康」「健康」とのみ掛け声をかめていれば、
必ず「健康」の方向にのみ自分の人生は進んで行くにちがいないのである。

それだのに「幸福」を切に求めながら、毎日「自分は不幸だ」と掛け声をかけたり、
呟いたりしている人があり、「健康」を切に求めながら、毎日「自分は虚弱だ」と
掛け声をかけたりしている人がある。

自分の運命について呟く人、自分の病身について呟く人はこういう種類の人であって、
その人がその生活習慣を改めないかぎり、本当に幸福と健康とは来ないであろう。

今現に不幸であっても「幸福」と言う人は、
西へ行こうとしている船が「東」と言う船長の言葉で「東」へ位置を変じはじめると同様に、
「幸福」の方向へ生活が転向しはじめるのである。

           <感謝合掌 平成26年7月26日 頓首再拝>

・・・

【打出の小槌】

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年08月03日)」より


   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   相談に来られた方がいます。
   それは二人の女性で、奥さんとそのお母様ということでした。

   お母様は70歳を過ぎてもしっかりしている。
   目が見える、自分の足で歩ける、という健康体です。

   しかも、二人の子供は、それぞれ元気で大学へ通っていて、
   優秀で奨学金をもらっている特待生とのこと。

   というふうに、一つひとつ挙げていったら、実はものすごく恵まれていました。

   そして、夫は植物状態になった時、死んではいないのに、保険金が満額おりた、
   というお話でした。

   だからそれによって2年間、奥さんはどこにも勤めることなく、
   生活費も医療費もすべてまかなえている、とのことでした。

   ただ未来が見えてこないので、「つらくてしょうがない」と言っているのです。

   でも、今のような見方をしたら、ものすごく恵まれていように見えませんか?

   その恵まれていることに目を向けないで、つらい、悲しいほうへばかり目がいって、
   それについて「つらい、悲しい」と言いつづけた結果、
   楽しいことがひとつもなかったのです。


   さらに、私はもうひとつこんな話を聞きました。

   このご主人に、毎日のようにお見舞いに行っているそうですが、

   「早く目覚めて。早く私たちのこのひどい状態をなんとかして。
   あなたが私たちのために働いてくれないと、私たちはどうにもならない」

   と2年間ずっと言いつづけてきたそうです。


   私がもし寝たきりの夫であったならば、
   仮に意識が戻っていたとしても、目を覚まさないと思います。

   だってそうやって愚痴や泣き言、早く私たちを楽にしてよ、
   困ったことがたくさんあって…ということばばかり聞かされていたら、
   楽しいわけはないし、体じゅうの細胞や脳神経だって、活性化しません。


   そうではなく、たとえば

   「3月になって、梅がすごくきれいに咲いてますよ。
   4月になったら、桜が咲きましたよ。今年は特にきれいですよ。
   5月はツツジ、5月は花菖蒲、7月はユリ…。

   そしてだんだんと木々の葉っぱが色づく季節になりました。
   こんな楽しいことがあって、きれいな景色があって…」

   ということを、話して聞かせてあげたらどうですか。

   私がもし植物状態になっている人を目覚めさせたかったら、
   食べ物の話をするかもしれません。

   「7月はモモがおいしい、8月はスイカ、9月は梨、10月は柿、11月はリンゴ、
   12月はミカン…」


   人間の意識というものは、細胞の中に包まれています。

   ですから、細胞(容れ物)がちゃんとしてくると、
   魂もちゃんとしてピュアになってくる可能性がある。

   愚痴や泣き言を2年間も浴びせ続けてるのと、
   「すごく楽しくて幸せ。こんなおいしいものがあったよ。こんな美しい景色があったよ」
   と聞かせつづけるのとでは、体と魂に与える影響は雲泥の差があります。


   相談に来られた二人は、

   「この2年間、どこかへ出かけようとか、何かおもしろいものを見に行こうか
   という気になったことはありませんでした。

   でも、正観さんの話を聞いて、
   帰りがけに博物館があったので、1時間ほど見学してきました」

   そして、手にはお土産を持っていて、「今日はとても楽しくて、よかったです」と
   言っていたということでした。


   「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」

   という聖書の一説は、

   「発した言葉によって、またそれを言いたくなるような現象が降ってくる」

   という宇宙の法則だったということが、このレポートによって実証されました。


   実は私たちの発する言葉は「打出(うちで)の小槌(こづち)」だったのです。

   おとぎ話の中にでてくる打出の小槌は、
   ほとんどの人は「そんなものあるわけない」と言うと思います。

   私もずっとそう思っていました。

   しかし、本当にあるということが、わかってしまいました。


   「こうすると、こうなる」という宇宙方程式であり、
   自分の発する言葉によって、自分に降ってくる現象を作っていることがわかったら、
   打出の小槌を持っているようなものではないでしょうか。

   私たちは宇宙の「打出の小槌」を使いこなせるのです。

        <『究極の損得勘定 2』宝来社>

         ・・・・・

他人から非難されることが多い人は、普段から人を非難している。

うまくいかないことの多い人は、普段から愚痴や泣き言、不平不満を言っている。

許せないことの多い人は、普段から人を許さない。

つまり、トラブルの多い人は、自らトラブルのタネをまいている。


うまくいかないことが多いから、愚痴や泣き言、不平不満が多いのではない。

我々の発する言葉は「打出の小槌」のようなもの。


「初めに言葉ありき」

いい言葉を発すれば、いいことが起きる。

           <感謝合掌 平成26年8月5日 頓首再拝>

・・・

善き”言葉の力”によって地上に天国を建設せよ

      *「美しき日本の再建」(P148~149)より(若干の要約編集しております)

神はコトバによって実相界の一切のものを創造せられたのである。
神の最高の自己実現としてうまれた人間は
またコトバの力によって万物を現象界に創造するのである。

神は実相界の万物を創造し給い人間は現象界の万物を創作する。
実相界と、現象界と、その分担は異なっているれども、
”コトバの力”によって万物が創造せられることに相違はないのである。

それゆえに私たちは、善き”コトバの力”を駆使して、「真理」の言葉を唱え、
”善き世界”を顕現するようにしなければならないのである。

そのためには毎日『真理の吟唱』にある実相完全の世界を表現したコトバを読誦し
”コトバの力”によって、”実相世界”の完全の相(すがた)を、
現象世界に実現するよう努めなければならないのである。

かくして地上に天国が建設せられ、竜宮城が実現するのである。

実相世界の素晴らしい天国的状態は、常に吾々に放送されているのである。


私たちが、実相世界の天国状態を、地上に受像するために、

(1)いつでも神想観を実修し得る状態に自分の能力を準備しておくことである。

(2)心を幸福の本源者にまします”神”の方へ振り向けておくことである。

(3)陰陽を結び合わすことである。
   夫婦陰陽の心の結ばれが円滑にいっていて、火花を散らしたり、
   ショートしないようにしておくことである。

(4)神想観を実修して、余念なく雑念の混信なく、自分の心を充分、微調整して、
   ”神の心”にピッタリ”自分の心”が同調するように精神を一目標(神との一体)に
   集中することである。


以上の通りが実際に実行されて、はじめて実相世界の天国的状態を地上に実現するよう、
各人の自然の行為が微妙に動き出すのである。

           <感謝合掌 平成26年8月13日 頓首再拝>


8:rzmydips:

2020/08/29 (Sat) 16:11:32

伝統板・第二
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