伝統板・第二

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光明掲示板・第二「神癒への原理 (10739)」 - 夕刻版

2019/02/11 (Mon) 16:39:06

(光明掲示板第二消滅による、伝統第二への掲示です)

神癒への原理

このスレッドでは、「神の癒し」に関する情報を紹介してまいります。


以下は、神癒を続出させた藤原敏之先生の著著「すべてを癒やす道」の
はしがきからの要点の紹介です。


(1)生長の家の御教えが唯心実相論に徹した生命の実相哲学であり、
   一切を完成する最後のみ教えであることに、常に驚異と感動を覚えるものであります。

(2)尊師谷口雅春先生のお説き下さる真理は
   ”現象なし、肉体なし、実相のみ実在”の教えであります。

   このことを信じて人様にお伝えしますと、真理が絶対であり、み教えが真実(ほんもの)で
   ありますから、いかなる難病奇病の方々も、たちどころに神癒をお受けなり、
   盲人も唖(おし)もいざりでさえも起ち上がり、ことごとく解決するのであります。

(3)真の救いは

  ①宗教の救いは、自分の力や財力で処理できない事件や難問題を、
   神様の協力(助け)をいただいて解決し、処理するというようなものでありません。

  ②神のお造りになったままの実相世界(ほんとうのせかい)に悪や不完全なものは
   何一つ存在しないという、真理に目覚めることによって、

   もともとありもしない現象の悪や不完全を否定し去り、
   打ち消すことによって解決するのであります。

   それ以外に本当に人間が救われる道はないのであります。

  ③悪しきもの好ましからざるものはことごとく否定し、
   神のお造りになったままの完全さのみを肯定する。

   この肯定は現象の否定によって生まれるのであります。
   現象否定の極致が”信”であり、”救い”であります。

   現象の悪も認めながら、神を信じているというのは、相対の信であって、
   信じたつもりでも”信”でないから本当の救いとはならないのであります。

   ここのところが最も肝腎であり、真実の救いと、
   現象を処理するための方便的救いとは別れ道となるのであります。

  ④暗はもともと存在しないから、光をもってくればたちどころに消える如く、
   現象の悪、すなわち嘘のものを無くする方法は、
   本物(実相)を持ってくる以外にないのであります。

(4)私達は幸いにも谷口雅春先生によって、
   廻り道しないでも、真理に到達出来る最高の近道をお示しいただいております。

   ”我れ神の子”の自覚に徹し、ただ感謝し、ただ喜ぶだけで救いを成就できる
   という天国、極楽への最短距離の教えをいただいたのでありますから、
   素直に受けるだけでよろしいのであります。

・・・・・

今日、12月13日は「聖ルチア(サンタルチア)<天の光を運ぶ聖女>の日

聖ルチアは、眼を守護する女神。
暗闇に光を与える女神、火を産み出す女神ともされています。


「眼の神癒」については、本掲示板のスレッド「眼に関する神癒」をご確認ください。
  → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=390

「聖ルチア(サンタルチア)」については、次のWebにて確認できます。

(1)「生長の家“本流宣言”掲示板」内のスレッド「サンタルチア【聖ルチアの日】」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1254 

(2)「生長の家光明掲示板・第一」内のスレッド「聖ルチア(サンタルチア)<天の光を運ぶ聖女>」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=864

                <感謝合掌 平成25年12月13日 頓首再拝>

・・・

病は神より来るものではない

        *「神癒の原理」(M・ベイン/著)<P135~138>より抜粋要約

神は唯一の完全なる存在にして、一切のものを創造(つく)り給い、
我々はその完全なる存在の裡にある。神の完全なる意識なのである。

完全があなたの本来の状態なのである。
このことは癒しにあたって記憶しておくべき主な事実のうちの一つである。
あらゆる不調和と不完全は消え去らねばならない。

もしあなたが、神と一体であることを悟って調和の状態に自分自身をおくならば、
治癒はおのずからにして成就する。

変化は内に始まり、外に移る。
あらゆる不調和と制限とが意識より取り除かれると完全なるものがおのずと現われ出る。


心の中に定着させた事物の波動は外部にそれ自体を表現し続ける。
それはただの偽りの観念であるかもしれない。
しかし、だからといって神がそれを創造したというわけではない。

心と脳とには受け取った波動を再生産してそれを再び投影する能力がある。
あなたは、あなたの心の中にある図像(ピクチャー)を心と脳とによって再生産しつつあり、
それは付随する感情の程度に応じてそれは現出する。

もしあなたが非真実なるものを撥(は)ねつけるならば、真実なるものが、
それ自身の神より与えられたる力によって、それ自身を再現する。
神の智慧が完全なる図像(ピクチャー)を顕現させるのである。

                <感謝合掌 平成25年12月19日 頓首再拝>

・・・

神癒の根本は愛にある

          *「幸福を招く365章」(P242)より

神癒の根本原理は「愛」である。
神は愛であるからである。

若(も)し、誰(だれ)かを自分が憎んでいることがあるならば、
愛に反することがあるならば、それを今直ちに是正し、憎んでいる人を赦(ゆる)し、
愛に反する行為を愛に置きかえることが必要なのである。

真理の書を浴びる程読んでも、若し自分の心の中に愛の心が喚起されなかったならば、
それはただ真理の外形だけを掴(つか)んでいることになるのである。

感謝と云うことも、愛をしみじみ感ずるところから湧(わ)いて来るので、
神の愛を先(ま)ず感じ、神の子である人類を先ず愛することから始めよ。


神はすべてのすべてである。
これが神癒の原理の第二の根本である。

神は愛であるから、愛の展開としての世界に、人間に不幸感を与えるような
病気や災難や貧乏が存在しようがないのである。

先ずこれを信ぜよ。
「信」 が茲(ここ)に必要である。
神の愛を信ずるや否(いな)やと云うことである。

人は信ずる通りのところのものになるのである。
神の創造(つく)りたもうた世界に悪が決して存在し得ないことを信ずることが
出来るものは、神癒の根本原理を把握したものである。

                <感謝合掌 平成25年12月23日 頓首再拝>

・・・

神癒のキーワード

        *「神癒の原理」(M・ベイン/著)<P165~167>より抜粋要約

我々各人の中には、神ご自身の姿に似せて造られた、
霊的エッセンス ―― 無限の可能性が秘められた力 ―― があるのである。

この普遍的力(パワー)を人間は行使することができるのである。
その法則 ―― 聖なる想像(イマジネーション)、信念、行為が鍵である。

この大いなる秘密をあなたが把握するならば、あなたは自分の心を、いまだかつて体験した
ことのない力(パワー)と理解とをもって行使することができるであろう。
高度の意識状態の中に入っていった方々は、この偉大なる力(パワー)に気づき、
それを行使する。

宇宙の力は、ありとしあらゆるものの意志である神のコントロールのもとに、
我々の賢明なる行使を待っていることを知るがよい。
我々がこの大生命との一体感を感ずるとき、魂は目覚める。

動物や幼児はこの一体感を本能的に感じている。しかし、進歩した魂は、聡明なる理解と、
展開しゆく霊的力を伴う一体感と、を持っている。

あなたは内なるものに応えなければならないこと、を悟るがよい。
「天にまします汝らの父が完全なるがごとく汝らも完全なれ」(マタイ伝5章48節)


各人の裡なる神我(I AM)は人間の中に顕現したキリストである。
このことをすべての人々が完全に悟ったとき、神の国は地上に確立されるであろう。
その時初めて、我々は至上の幸いを得るであろう。

それは人間に係るのであって神に係るのではない。
神はこのことを人間のためにすでに確立されたのであり、人間は神の法則に従って
行為することによってそれを受け入れさえすればよいのである。

                <感謝合掌 平成26年1月5日 頓首再拝>

・・・

神癒の一般公式

         *「『白鳩』誌 39年12月号」より

他の人の苦しみを見て、その苦しみを除き、楽を与えてあげたと思うのは
“菩薩の心” なのであります。 

他の人々から苦しみを取り去るために祈ってあげるということは
“菩薩” たらんとするものの楽しい特権であります。

では、そんな場合どのようにして祈れば好いのでしょうか?  

『其の人の実相は既に神の子であり、神に祝福されて既に悩みなき状態にある』  

ことを心に描いて、それを心で念じるのです。 

いつまでも苦しみを見て、苦しみに同調しているならば、
それは親切な心ではあるけれども、その人から苦難を取除くことはできないのです。  

『あなたは神の子であり、神の愛に包まれ、神の愛に護られ、神の智慧に導かれて、
もう既に幸福の世界に出ているのです』  と念じてあげて下さい。 

強く念ずれば念ずる通りになるのです。 
想念は動力であり、想像力は創造力であるのです。


人の苦しみを救い、病いを癒すための祈りのよき見本をイエスがラザロを復活せしめられた時に、
模範的に実例を示されていられるのであります。 

先ず、強き想念を起して相手の苦しみを 『可哀想』 であると同情して、
それを自己に摂取することです。 

これが 『イエス涙を流し給えり』 とある段階です。

 
次にイエスは 『神よ、あなたは常に私の祈りに応えたまうことを知る』 と祈っておられます。 

この時イエスは神に対する堅信を告白し、自己の内から『信ずる力』を喚び起されたのであります。

それから後は、イエスは、もうラザロの病気も死も一切の悪をも見ず、 
『死せるに非ず、眠れるなり、起きよ』 と断言しておられます。 

その時、ラザロは蘇生えったのです。


どんな状態が現象として目の前にあらわれていようとも、 
『悪しき現象は神が造らないから無いのである』 と観ずる。 
これがメタフィジカル・ヒーリング《超物質的神癒》です。 

それが 『死せるにあらず、眠れるなり。起きよ』 であります。 

『悪は存在するに非ず、それは善が眠れるなり、善よ、起きよ』 です。 

これが神癒の一般公式です。

(”童子 さま”のブログより転写しました。
   → http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24668015.html

                <感謝合掌 平成26年1月11日 頓首再拝>

・・・

神癒を行使するに当たっての助言

        *「神癒の原理」(M・ベイン/著)<P173~192>より抜粋要約

(1)霊的真理に集中することが、必須不可欠である。

   唯一の真の土台は、『我々は実在する』ということである。
   すでに我々は実在なのである。我々は創造主と一体なのである。
   実在はいたる処にあり、今の今完全なのである。

   この真理があなたの中で確立されなければならない。

(2)聖書に
   「汝の信ずる如くなれ」「天にいます汝らの父が完全なるが如くに汝らにも完全なれ」。

   このことは本当は、神の意識の中に完全なイメージが存在する、ことを意味する。

   もしあなたに完全なる信念があれば、完全なる智慧が、完全なる働きによって、
   完全なるイメージを現象化するであろう。

   これこそが、イエスご自身が教え給うた真の、生命の法則なのである。

   信念と信仰によって我々は我々自身および他の人々の体験を超え、
   一切が可能である神の行為の領域に入るのである。

(3)あなたが真理である。
   真理は無限である。それ以上に偉大なるものはない。
   無限以外に存在するものはない。

   人間が悪と観る者は彼の心や他の者の心の中にあるのみである。
   それは想像であり、心の中で観念を造っているのである。

(4)真理を知るがよい。
   そうすれば真理があなたの心を自由にして拡大させるであろう。

   神はすべてのすべてであり、完全である。
   神より偉大なるものも、強大なるものもない。

   神は全能 ―― すべての力である。
   神のみが全知である。
   神は遍在そのものである。

   神は常に汝の裡にあり、手や足よりも近く、最も近いものよりもなお近くにある ――
   それがあなたの真我である。

(5)完全なるものは実在している。

  ①心それ自体には何の力もない、したがって心はあなたに対して何の力もない。
   あなたは自分の心の中でイメージを造っておりながらそれを恐れているが、
   それはまるで自分自身の影を恐れるようなものである。

   物質にもそれ自身の力はなく、物質は心の変化したものにすぎない。

   このことを理解したとき、本来の在るものに到達する。
   そのときあなたは創造主と一つになり、不完全を造り出すのではなく、
   あなたの中にある、すでに完全なるものを現象化するのである。

   あなたがそうと知って「吾は彼(かみ)なり、彼(神)は吾なり」(I am that I am)
   と言うならば、あらゆるものが応答するするであろう。
   五大(地、水、火、風、空)があなたに従うであろう。

  ②完全なるものは実在している ―― ただし、我々はそれを知覚することはできない。
   なぜなら、それは我々の知覚を超え、比較を絶しているからである。
   しかしそれは実在している。

   あなたがこの真理を悟ったとき、それは顕現する。

(6)真理は余りにも不思議に満ち、人間の脳では十分には理解しえぬほどである。

   それでいて真理は我々の理性に反するものではなく、我々の理性を超え、
   我々の比較を超えて、未だ嘗(かっ)て探査されたことのない領域に及ぶのである。

   ゆえにあなたの理性であなた自身を制限してはならない。
   あなた自身の欠如した理解力であなた自身を限定してはならぬ。

   あなたが「わたしは彼であり、彼がわたしである」「父とわたしは一体である」と
   言うとき、神の智慧があなたを導くであろうこと、
   それは常に導いてきたし、今後も導くであろうことを知るであろう。

(7)久遠なる神の愛を受け入れる。

   「汝ら吾を信ぜば永遠の生命を得ん」(ヨハネ伝5章24節)。

   キリスト原理を通ずること、あなたの内なるキリストを通ずること、が、
   無限にして久遠なる愛へのドアーである。

   然らば、愛をしてあなたの生涯にわたる支配要因たらしめよ。
   肉体の愛を超えた愛・家族圏を超えた愛・国粋主義的国家愛を超えた愛、
   何ものも断ち切ることのできないほど深い愛、それが神の愛である。

   神の愛は完全であり、我々がその愛を受け取り、その愛を受け入れたとき、
   その愛は我々のものとなり、我々は愛そのものとなる。

   それこそが、心臓に脈打つつど繰り返す、常に新鮮なる歓喜(よろこび)である。

   愛の最大の現われは、愛自身のための愛である。
   それは母性原理を通じて現われる。
   完全なる母性を我々の内に喚起せよ。

   愛という聖なる感情 ―― 唯一の感情 ―― を我々の中に今起き上がらせよ。

   否定的感情はすべて妄想であり、我々の健康と幸せを破壊する。

   無限の意識、完全なる智慧、完全なる働き、完全なる感情の中に固持されている
   完全なるイメージをして、意識的に、我々の実在たらしめよ。

   なぜなら、それが我々の生得権であるからである。

                <感謝合掌 平成26年1月20日 頓首再拝>

・・・

神癒

         *『光明道中記(六月 神にむすばる)』より

【心が完全に人間の実相を映す時、肉体人間は本来の完全さを顕現する。
                              (『生命の實相』第四巻)】


凡そ利己のために思念すべきものではないし、
また他の利己心を満足せしむるために思念すべきではない。

病者に癒しの思念をするのも同じである。
自分の栄誉や利益のために人に思念して癒してもならないし、
病者が利己のためにその寿命の存続をねがっている場合にも思念してはならないのである。

病者を癒さんとするならば、
先ず今後利己のためにはその「生命」を使用しないことを誓わしめるべきである。

病者の魂の転向が完全であるならば神の生命流れ入りて、
其の時よりその病いは癒え始めるであろう。

此方(こちら)の「我(が)」の思念の力で、病者に健康の念を送ってもその病は癒える事はある。

けれども若し、それが動機となって相手の魂が救われることがなく、病気を馬鹿にする気になって、
生きている間じゅう相手が一層利己的な生活をつづけるならば、
癒したことは善事か悪事か疑問である。

重荷は理由なくして人の魂の上から卸(おろ)してやるべきではない。
重荷はみずから運んで行き、彼の魂が重荷を軽く扱うことが出来るようにこそ誘導すべきである。

思念よりも真理を理解せしむるようつとめよ。

思念するならば「あなたの心には神の愛が満ちている」と思念せよ。

・・・

        *『幸福をひらく鍵』(鍵のことば)より

 悲しみよ わが家に入ることなかれ
 憂ひよ わが庭に入ることなかれ

 この家は 喜びの家 わが庭は 悦びの園
 くるしみの来るときにも われは喜び
 悩みの来るときにも  われは喜び
 悩みの来るときにも  われは神を讃ふ

 われは現象にはとらはれず
 ただ神のつくりたまへる 實相の世界のみを見る
 現象を見るときは 現象の虜となる

 虜は縛られて自由を得ず

 現象を見ず 常に實相を観ずるとき 一切の禍は消ゆ 

        <感謝合掌 平成26年3月19日 頓首再拝>

・・・

実相そのまま

            *『すべてを癒やす道』藤原敏之・著(P41~44)より

現象の出来事は、すべて心の影でありまして、心の通りうつるのです。
心で思った通り、決めた通り、信じた通りになるのです。

ですから本当に人間が幸福な、明るい生活を送るためには、
絶対の神を発見し、信じることが根本となるのであります。

生長の家の教えは唯神実相論でありまして、神は光であり、
神のつくり給うた世界は、光一元であり、善一元であり、光のほかは何も認めない教えであります。

この光を、神を見失わなければ闇は断じてない。
闇とは光を見失い、光をみない状態である。
暗(不幸)は積極的にあるのではなく光りの非在に過ぎないと教えられています。

たとえば、昼間、雨戸をしめ切って「暗い、暗い」といっているのは外が暗いのではなく、
外はもともと明るいのでありますが、自分が雨戸を閉め切って
光を入れないようにしているからです。

自分が雨戸を開いた程度に従ってだんだん明るくなるのであり、ちょっと開けたらちょっと明るく
なり、半分開けたら半分明るくなる。全開したら全部明るくなるのと同じであります。


神を認め信じた程度にしたがって、悪は退散するのであります。
光を認め、雨戸をあけるのは自分自身であります


本来ないはずの暗(病気や不幸)は、すべて本当のことを知らない無明(まよい)であり、
無明は、真理(本当のこと)を知らない結果、仮に現れている状態であります。

暗は真実存在ではないから、光がくれば自然に消えるように、無明は本来ないから、
真理を自覚し、真理を体得すれば、本来ない暗が光を当てると同時に消えるように、
無明も消えることになるのであります。

《病気も不幸もありもしない無明によって現れているのですから、
どうしなくても勝手に消えるのであります》。


人間はとかく、真理だといえば真理に引っかかり、無明だときけば無明に引っかかりやすいので
ありますが、真理とは前にも述べましたように、絶対の法則ということであり、真実(本当)の
ことという意味であります。

どうもしない、そのまま、ありのまま、本来のままという意味であります。
このどうもしない、神につくられたままの、条件づきでない、如何なる引っかかりもない、
片よりもない”《そのまま》”が幸福なのであります。

よく”そのまま”と”このまま”とをまちがえる方がありますが、
”そのまま”は”このまま”ではありません。

”そのまま”は、相対的な条件を超えた、それ自身で完全円満欠くることなき
神につくられたままの実相をいうのであり、”このまま”の方は現象になります。

実相のままであれば、病気も不幸もないのです。
この”そのまま”が幸福の正体であります。
実相は、神そのものであり、幸福そのものであります。

これが幸福の正体であり、《自分自身》の正体なのであります。


実相の世界は、神のおつくりになったままの世界ですから、
神のおつくりにならない不完全なものは一切無いのであります。
このことを自覚するのを、”真理を覚(さと)る”というのであります。

人間はそのままで幸福なのであります。

この真理がくらまされている状態を、無明と仮りにいうのであって、この無明も本来ないので
ありますから、真理を覚り、光をかかげることによって本来無い暗が消えるように、
無明は自(おのづか)から消えるのであります。

無明が消えるとき、無明の影として現われた病気も不幸も消えるのです。

現象界の出来ごとはすべて心の通りにうつるのです。
こころで思った通り、決めた通り、信じた通りになるのであります。

             <感謝合掌 平成26年3月27日 頓首再拝>

・・・

神の癒やし

         *「光明道中記」(P242)より抜粋

神の《いのち》なるわが《たましい》は、
神と偕(とも)に常に此処に立っていることを知らねばならぬ。
恐れることはひとつもあり得ないのである。

われは神と偕であるからである。

神はすべてのところにましますが故に
その癒しもすべてのところにましますのである。

癒しと云うのは病気を認めての語(ことば)であるが、これはただ病気をみとめている
人々に対してのみ言うところの方便的語(ことば)に過ぎないのである。

癒しと云うのは神の創造の顕現であり、
神の完徳(まったきとく)が現象世界面にあらわれて来ることに過ぎないのである。


だから吾等が神の完き創造の《ちから》と《めぐみ》と智慧とをみとめるならば、
病気のみならず、あらゆる事件に神の癒しは与えられるのである。

不幸に傷つきたる人々よ、神の癒しを受けよ。

神は無限の智慧、無限の愛、無限の生命(いのち)であり、世の終わりまで
《常に》吾等と偕に在り、吾等を愛し、吾等を護りつづけていられるのである。

此の不思議なる神または仏の護りを受けようと思う者は
常に神または仏を憶(おも)うことである。

仏典に「衆生仏を憶念すれば、仏衆生を憶念す」とある。
神を、仏を、憶おうとするには常にそれを思い起こさしめる書物を携帯して
少時間を利用してそれを読むことである。

             <感謝合掌 平成26年4月5日 頓首再拝>

・・・

メタフィジカル・ヒーリング(神癒)

          *『生命の實相』第一巻総説篇(P3)より

生命の実相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば
大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。

メタ(meta)とは「超越」するという意味でありまして
フィジカル(physical)とは「物質的」という意味であります。
そしてヒーリング(healing)という言葉は癒すこと治すことを意味しております。

つまりメタフィジカル・ヒーリングと申しますのは、
物質的方法によらずに実相円満の自覚によって、大生命のお力をよび起こして
われわれの不幸を癒していただく方法であります。

わたしがこの面倒な長い名称をことさらに用いることにしましたのは、
「生長の家」のこの救済法が世間にふつうある心霊療法や「手のひら療法」と
同一視せられないためであります。

元来「生長の家」は人類の思想中よりその転倒妄想(まよい)を去らしめ
人類生活の全面を光明化せんがために出現したので、病気治療のみを目的に
出現したのではありません。

             <感謝合掌 平成26年4月16日 頓首再拝>

・・・

《ルールドの聖泉の奇瑞の秘密》

         *「神と偕に生きる真理365章」(P22~23)より

わたしは、かつて「精神科学」誌にジャック・E・アディントン博士の『奇蹟の時は今』
という本の翻訳を載せたが、その中にフランスのルールドの奇蹟の話が出て来る。

ルールドの聖泉というのは誰もよく知っているとおり、
空中に浮かんだ三輪の”黄金のバラの花”の上に立ち給う
聖母マリアの神姿があらわれてベルナデットという名の少女に呼びかけて

「そこの土を掘れば水が噴き出るから、その水で顔を洗え、
そうすれば現世では救われるかどうか分らぬが、魂は救われる」といったので、

ベルナデッドは素直に土を掘り、その土から泥を交えて
最初に噴き出る湧き水で顔を洗ったら顔が泥だらけになった。

村の人は少女が気が狂ったと思った。
その後も度々(たびたび)その少女に聖母マリアの尊像があらわれて
「この神のために聖堂を建てよ」というお告げであった。

少女は村の牧師に”聖堂を建てるための基金を募集してほしい”と頼むと、牧師は
「そのあらわれた女神は何という神であるか、神の名前が判らないでは募金の仕様がないから、
その神の名前をきいて来い」と言った。

少女は彼女に重ねてあらわれた女神にその名前をきくと、

その女神は「われは”無原罪の受胎”である」と答えた。

たいへんむつかしい名前の女神であるが、
すべて原罪を犯したアダムとイブの子孫であるところの人類は”原罪”を背負っているが、
原罪のないのは”神の子”であるイエス・キリストだけである。

そのイエス・キリストを受胎したのは、聖母マリヤであるというので、聖母マリヤを祀る聖堂
が建立され、ベルナデッドが土を掘って噴出した水は今では聖池となって浄水を湛えており、
その聖池の一方の岩壁にマリヤの聖像が彫刻されているが、

その聖池に浴する信者の重病者が、その聖池に浸ってあがると忽ち病いが消えている如き
奇瑞ある霊験があらわれ、その霊験が真実であるのは、

医師が聖浴直前に診察して病気の症状を確認し、聖浴を終って、水からあがると、
医師がたしかめてあった浴前の症状が消えてしまっているが如き功徳があらわれるというので、

毎年その参拝期になると数十万人の巡礼がルールドの聖母に参拝し
聖池に浴してお蔭を受けるのだそうである。


私は『生命の實相』の中にその奇瑞の起る秘密の原点を解読して、
その原点は「無原罪の受胎」を自覚することにあると指摘したのだった。

そして『生命の實相』を読むことによって
ルールドの聖池に浸ると同様の奇蹟的治癒が起る人々があるのは

すべての人間の生命の実相は「無原罪の神の子」だとの思想に浴し、
本来無病の”神の子”をわが身に受胎していることを自覚するからだ
と解説しておいたのだった。

この本来罪なく、本来病い無き”無原罪の自己生命”を悟ることが新たに生まれる原点である。

         <感謝合掌 平成26年6月6日 頓首再拝>

・・・

神智によるものなら、医療を用いてもそれは「神癒」であります

     *『生命の實相』第二巻實相篇 下(P78)より

(医療や投薬が)神の知恵によって処置せられる場合には、卓効を奏しますが、
迷いによって用いられる場合には、自然療能を妨害することになるのである。

だからわれらは医療を加えるにしろ、医療を用いず他の方法によるにしろ、
神の知恵をいだいてから、その導きにしたがって適当な処置をとることが必要なのであります。

神の知恵をいただく場合には医療を用いてもそれは「神癒」でありますし、
神の知恵をいただかない場合には医療を用いないで、ただ「心」にたよっていても、
その「心」は「迷いの心」なのでありますから、それは迷信となるのであります。 

特に、他と争闘心を起したり、同情を求めたり、自暴自棄で自己破壊の潜在意識をもっている
場合の「心」に頼っていては、かえって自己を死に導いてゆくます。

         <感謝合掌 平成26年7月19日 頓首再拝>

・・・

神癒とは、「実相直視」で、仮相が消滅すること

       *「生活応用 健全の真理」(P225~226)より

思念は、「悪の存在」を否定するよりも善の存在を肯定する思念の方が効果が多いのである。
「悪は存在しない」と念ずるとき、「悪が・・・」と悪を心に思い出すだけでも、
それだけ悪の存在を肯定することになるからである。


吾々は神想観によって、何ものをも他の者を治癒しようとするのではないのである。
ただ実相を観ることによって自分の心を治すのである。他(ひと)の心を治すのでもない。
自分の心で実相を直視するのである。


神癒と言うことは「実相直視」であって、ただ仮相が消滅するに過ぎないのである。

実相を端的に直視することが出来ない場合に
「理論的思念」(reasoning)と言うことを行なうことがある。

それはいろいろの理屈が自分の心の中に蟠(わだかま)っていて
それが實相の完全さを直視する邪魔をしていることがあるのである。

かかる場合、理論を重ねて、病気のないことを連続想念しているうちに、
自分の心の中の理屈がほぐれて、實相の完全さが端的に出て来るのである。

例えば、「神はすべての渾てである。神は完全である。完全はすべてのすべてである。
すべてが完全であるから病気はないのである。すべては完全であるから意地悪なんてものは
ないのである」と言うが如き種類の思念である。

若しこんな理論的な思念を繰返していて途中で雑念が生じて理論が
アヤフヤになったような気がしたら、思念を元に返して最初からやり直す方が好いのである。

         <感謝合掌 平成26年7月25日 頓首再拝>

・・・

神愈のための祈りの言葉

        *”童子 さま”のブログ記事より拝借。

『生長の家』創始者・谷口雅春師の祈りの言葉を紹介します。
かつて『生長の家』本部で、特定の人を癒さんがために念じていた思念の言葉です

    ・・・・・          
         
神よ、すべてを善につくりたまいし神よ。

すべての生きとし生けるものを創造りたまい、すべてのありとしあらゆるものを創造りたまい、
そのすべてを『善し』と観たまいし全智にして全能なる御親なる 神よ。

○○○○(姓名)の病を癒し給え。

あなたの造りたまいし世界に病は本来存在せざることを實語せしめ給え。
彼の心の中にある病ありとの迷いを取り去りたまえ。

       (この祈りの後次の如く光明思念する)


   神の癒す力、われに流れ入りたまいて、今、即刻汝を癒すのである。
   われが癒すのではない。わが内に宿るところの神が癒すのである。
   神が癒したまうのであるから間違いなく癒るのである。

   われはただ媒体である。
   神の愛と癒しの放送室に過ぎないのである。
   神がこの放送室に入りたまい、今や、癒しの霊波を放送していられるのである。
   だから、この雰囲気に近ずく者は悉く癒されるのである。

   神の愛と癒しの力とによって、癒されないところの、どんな病気も存在しないである。
   病は、神の創造の世界には、存在しないのである。
   無いものは無いのである。 それは消えるほかはないのである。

   それは自分が定言するのではないのである。
   自分に宿る神がかく定言したまうのである。

   人間は神の生命である。 だから病気になりようがないのである。

   今、神の愛われに流れ入り給いて、霊光燦然としてすべての人類を照らし給う。
   この光を受くるものはすべて救われ、すべて癒されるのである。

   ○○○○(姓名)よ、

   今、汝は神の愛の霊光につつまれ、神の愛に同化せられ、
   悉く迷いが消え、悩みが消え、家庭の不調和は解消し、あらゆる人と人の争いが解消し、
   汝の 周囲にはそのままそこに神の国の愛の世界が実現していることを自分は観るのである。

   既に病気も、心の悩みも存在しないのである。

        (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17806573.html

         <感謝合掌 平成26年8月4日 頓首再拝>

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