伝統板・第二

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すべてに感謝!④ - 伝統

2019/02/09 (Sat) 04:06:56



ありがたさは、心の《目ざめ》にある

          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月9日)」より抜粋

感恩の心は機械的になるとしだいに薄れてくるのである。

子供の愛情に養われる老人は幸福であるが、
社会保障制度で養老院に養われる老人には前者ほどの喜びはない。

われわれは毎日空気を吸っているが、
機械的に空気を供給されているがゆえに
ありがた味を感じない。

われわれは太陽がなくては生きられない人間でありながら、
太陽は機械的に毎朝地平線から顔を出すから
太陽のありがた味をさほど感じない。


しかし、これでよいだろうか。

目ざめて立て! 

わたしたちはあらゆる恩恵のうちに生きているのである。

ありがたさは物の分量にあるのではなく、心の《目ざめ》にある。
心の《目ざめ》ている人を悟っていると言う。

一かど悟っていると自負している人が常に不平を唱えているのは何を悟っているのか、
訊いてみたい。


・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「本流掲示板「感謝」 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7820143

(2)「光明掲示板・第一」内スレッド「感謝の日々 (1211)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=278    

(3)伝統板・第二「光明掲示板第二<すべてに感謝!>」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7822652

(4)「光明掲示板・第三」内スレッド「すべてに感謝! (32)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=17

(5)光明掲示板・伝統・第一「すべてに感謝! (49)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=31

(6)伝統板・第二「すべてに感謝!①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6462213

(7)伝統板・第二「すべてに感謝!②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6833611

(8)伝統板・第二「すべてに感謝!③」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7651763

            <感謝合掌 平成31年2月9日 頓首再拝>

《感謝の心は報恩行によって具体化する》 - 伝統

2019/02/25 (Mon) 04:51:32


      *『人生の秘訣365章』第12篇(P296~297) より

感謝の心は、それが報恩行となって、
具体的な姿にあらわれた時に完(まっと)うせられるのである。

報恩行を伴わない感謝は、折角立派なF2位の明るいレンズをもちながら、
レンズ・キャップでそれを外に顕さないので、
何も写らないのと同じことなのである。

報恩行として感謝が具体的な行いとなって外にあらわれたとき、
レンズ・キャップが取り外されて、
完全に神の恵みを現象界に写し出すことができるようになるのである。

            <感謝合掌 平成31年2月25日 頓首再拝>

《 感謝の念はすべての祥福を招く 》 - 伝統

2019/03/09 (Sat) 04:31:56


       *『人生の秘訣365章』第8篇(P236~237) より

常に感謝の念を起せ、感謝の念に満たされよ。感謝の念の起るところに、
すべての不調和は消え、争いは消え、失敗は成功の緒(いとぐち)となり、
新しき智慧は湧き出で、病いは癒され、悲しみは歓びと変るのである。

田畑の浸水も、地震による被害も、それは天変地変であって、処を選ばないにしても、
同じように災害に冒されても、感謝の念の満つるところには、
その被害の程度が軽少にして済み、容易に立ち直る機会に恵まれるのである。

夫婦互いに感謝し合え。
親子互いに感謝し合え。
労使互いに感謝し合え。

感謝の念の充満せるところに、實相の世界にある祥福が具体化して姿をあらわすのである。

この事を神示には「感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救を受けるであろう」と
示されているのである。

もう一ぺん、あなたの心の中に感謝の念が満ちているか反省して見て、
感謝が足りないとわかったら、あらためて“感謝の念”を念じ、
“感謝の語(ことば)”を繰返し唱えることに励みましょう。

そこにこそ常住の幸福の源泉がある。

            <感謝合掌 平成31年3月9日 頓首再拝>

《感謝がさらなる感謝を呼ぶ》 - 伝統

2019/03/25 (Mon) 02:29:10

       *「なぜ、あの人にばかり奇跡が起きるのか? 」
         ジョー・ヴィターレ(著) (P215~217) より

感謝の姿勢が身につくと、いつも何かに感謝できるようになります。
そして、ポジティブなエネルギーが生まれ、どんな過去を持っているかに
かかわらず、現在、そして未来に豊かさを引き寄せやすくなります。

自分の姿勢や気分を他人に左右されたり、他人のせいにしたりしていたら、
内側から何かを生み出す力を手放すことになります。
あらゆるものに感謝すると決めたら、何が起ころうともその姿勢を貫きましょう。


《私たちが経験する出来事は、人生を構成する要素のごく一部にすぎません。
人生の大部分は、その出来事に対する私たちの反応でできています》

このことを私は長い年月をかけて学びました。
嫌なことがあっても、落ち込んだり、腹を立てたりする代わりに、
自分で好きな反応をすることができるのです。

その出来事から得られる教訓や恩恵を見つけ出し、
それらに感謝することもできます。
常に自分の姿勢に責任を持ちましょう。

たとえどんな姿勢で生きているとしても、
それを他人のせいにすることはできないからです。

また、自分が何をどう感じ、どう行動するか、
他人に決めさせてはいけません。

感謝の姿勢を身につけましょう。
これはあなたに恩恵を施します。
そして、より豊かな生活が送れるようになるのです。

《日々の生活に感謝すれば、今よりずっと幸せになれます。
みじめな姿勢で生きるのも感謝の姿勢で生きるのも、同じだけの労力が必要です。
それならば感謝の姿勢で生きる道を選ばない理由はないでしょう》

考え方のシフトは自動的にはできません。
これには多少の努力が必要ですが、努力する価値は十分にあります。
スポーツや楽器の演奏と同じように、練習すればするほどうまくなります。
その上、自分でも気づいていない潜在脳力を目覚めさせることになるのです。


自分の道を進んで行くには、まず思考から言葉、感覚へと移行し、
最後には行動に結びつける必要があります。

前進するときにはポジティブな感謝の姿勢で臨みましょう。
この姿勢はあなたの心と魂から生まれてきます。

ネガティブな考えにとらわれることなく、
自分の目標を達成する方法を模索しましょう。

どうせ無理だと自分に言い聞かせて、じっとしていてはいけません。
挑戦したら達成できるかもしれないのです。
それはあなたもわかっていることでしょう。

求めているものを手に入れるまでには、いくつかの段階があります。
その中でも、自分が現在持っているものとこれから人生に引き寄せるものに
感謝することはとても重要です。


結局のところ、すべてはポジティブな感謝の姿勢を
身につける決意ができるかにかかっています。
そして、感謝の姿勢で生活し、それを周りの人と分かち合うのです。

これまでの人生で、どんなにネガティブな経験をしていても関係ありません。
すべてはあなたの心の持ちようで決まります。
あなたの心が、あらゆるものに対するあなたの姿勢を決定するのです。 

            <感謝合掌 平成31年3月25日 頓首再拝>

《感謝がさらなる感謝を呼ぶ》~その2 - 伝統

2019/03/29 (Fri) 03:26:15

       *「なぜ、あの人にばかり奇跡が起きるのか? 」
         ジョー・ヴィターレ(著) (P217~218) より

感謝することを学べば学ぶほど、感謝の対象となるものがよく見えてきます。
すべてはあなたの考え方次第なのです。

感謝することを学べば、新しい目でものを見られるようになり、
新しい視野を持てるようになります。

昔から持っているネガティブなエネルギーを捨て去ることができれば、
過去の出来事をより正確に理解できるようになります。
そして、感謝の気持ちで過去を振り返ることができるようになります。

また、感謝の姿勢が身につくと、起床時や就寝前の気分が大きく変わります。

あなたがどうして変わったのか、周りの人々や友人たちに聞かれることでしょう。
一体何が起こるかというと、あなたは新しい自分に生まれ変わるのです。
そして、以前よりもずっと幸せになります。

あなたにも、感謝の姿勢を身につけ、
それを日々の生活に役立てることができるのです。


引き寄せの法則を活用する最も有効な方法は、感謝することです。
また、感謝はあなたの波動を変えるのに最も適した方法でもあります。

生活のすべての局面で、感謝の気持ちを表わすべきです。
生きていられることを当然だと思ってはいけません。
誰もがいずれはこの世を去ります。

現在持っているものに感謝せずに
奇跡を期待すると、怒りや恨みを抱くことになりかねません。

《宇宙の究極的なエネルギーを引き出すには、感謝することが不可欠なのです。》

(略)

            <感謝合掌 平成29年3月29日 頓首再拝>

《感謝がさらなる感謝を呼ぶ》~その3 - 伝統

2019/03/30 (Sat) 04:40:07


       *「なぜ、あの人にばかり奇跡が起きるのか? 」
         ジョー・ヴィターレ(著) (P218~223) より

あなたの感謝の気持ちは、現在の状況や物的財産に向けられています。

また、子供の頃から自動的にありがとうと言うように育てられているため、
もらったものの本当の価値を理解する間もなく反応しているかもしれません。

感謝しないより感謝したほうがいいことは事実ですが、
このタイプの感謝は引き寄せの法則を作用させるには不向きです。

現状を受け入れるプロセスの一部にすぎないのです。
そして、こんなことを言ったりします。

「少なくとも私には住む場所があります」
「仕事があることに感謝しています」
「裕福ではないけれど、十分やっていけます」

これらの言葉にの裏には「今の人生に心から満足しているわけではない」
というメッセージが隠れており、それがため、ネガティブに聞こえてしまいます。

(略)

こうした感謝の仕方は効率が悪く、引き寄せの法則を作用させるには不十分です。
もっと言えば、その場しのぎにすぎず、より大きな問題を解決することはできません。
数日後には依然と同じ考え方に戻ってしまうことでしょう。

新たな困難に直面しそうになったら、すぐに「少なくとも」という考え方が復活します。


一方、効率の良い感謝の仕方とは、対象をより深く理解した上で感謝することであり、
あなたを膨大な富へと導きます。

効率的な感謝ができれば、現在持っている物的財産」に感謝しつつ、
次のことについても、より深く感謝できるようになります。

(1)人生全般
(2)自分のすべての考え
(3)心の状態

(4)人生の問題や試練
(5)自覚的意識
(6)自分に不親切な態度を取るひと

(7)自分が犯したあらゆる間違い

これを読んで、「どうして自分に不親切な態度を取る人にまで感謝しなければならないだ」
「自分の問題に感謝するとはどういうことだろう」などと思う人もいるでしょう。

答えは簡単です。

《あなたが置かれている状況には関係なく、ただこの宇宙に存在できることに
感謝すればよいのです。重要なことは、あなたが存在していること、そして、
何らかの理由があってここにいるということだけです》

人生のすべての側面、すべての浮き沈み、苦難や試練に感謝しましょう。
《人生で起こる出来事はすべて学習の機会です》

この学習の経験が豊かで満たされた生活へと導いてくれます。
宇宙があなたに送ってくれた学習のチャンスには、それが良い出来事でも
悪い出来事でも必ず感謝しましょう。

感謝することで、あなたの辿るべき道が開けるのです。


今、あなたは山に登っているとしましょう。

山の美しさに感動し、その神秘に心を奪われているため、
山登りの大変さなど全く気になりません。
また、登山の危険度も関係ありません。

経験そのものが重要なのです。

こういう考え方でいるかぎり、あなたは全く不安を持たずに登頂できます。
そして、人生の経験を楽しみながら、次々とほかの山を制覇していくことでしょう。

感謝は人生のあらゆる乗り越える上で大いに役立つ便利な道具なのです。

            <感謝合掌 平成29年3月30日 頓首再拝>

《感謝がさらなる感謝を呼ぶ》~その4 - 伝統

2019/04/01 (Mon) 03:23:34

       *「なぜ、あの人にばかり奇跡が起きるのか? 」
         ジョー・ヴィターレ(著) (P223~230) より

効率的な感謝は豊かさに値します。
逆に言うと、心から感謝しなければ、真の豊かさは得られません。

したがって、より豊かになるためには、感謝のより深い側面に
意識を集中させることが必要なのです。

感謝すればするほど豊かさを経験できるため、
人生にさらなる豊かさを引き寄せられます。
つまり、《感謝の実践は引き寄せの法則と連動している》といえるでしょう。


効率的な感謝ができるようになるには、まず非効率的な感謝をする癖を直す
必要があります。いったん効率的な感謝の仕方を身につくられたら、
感謝の気持ちに満ちた存在になれます。

このレベルの感謝ができるようになると、引き寄せの法則を作用させられる
ようになります。あなたの感謝は波動として宇宙全体に伝わります。
もはやあなたと感謝の気持ちを引き離すことができません。

その結果、あなたは、あなたの人柄や願望に共鳴する状況を引き寄せ始めます。

(略)

感謝は自動的にするものではありません。
また、生まれつき持っている特性でもありません。

あなたが裕福か否かにかかわらず、人生の豊かさを認識するよう
自分で自分を教育しなければならないのです。
そして、思考プロセスを期待から感謝に変化させます。

どんなにネガティブな起案強に置かれても、常に感謝する練習をしましょう。
自分が持っていないものや人生に欠けているもののことばかり考えて、
時間を無駄にしてはいけません。

それよりも今の生活の中の豊かさや幸福に目を向けましょう。
そうすれば、さらなる豊かさと幸福が得られます。


次に、感謝の気持ちを表わす方法について、いくつかのアドバイスを紹介しましょう。

(1)感謝する習慣をつける

   ありがとうと言うのに時間はほとんどかかりませんが、
   宇宙に絶大な影響を及ぼします。
   あなたもすぐ病みつきになるでしょう。

(2)繰り返し「ありがとう」を言う

  ①これは宇宙からの贈り物にお礼を言うことでもあります。
   人生の豊かさを当然視して、感謝することを忘れてはいけません。

  ②人生にかかわるすべての人に感謝しましょう。
   あなたの人生にごくわずかな恵みしかもたらさない人にも感謝するのです。

  ③「ありがとう」と言うことで、あなたは意識していなくても、
   相手に、人生に感謝することを教えられるかもしれません。

(3)毎日、宇宙に恩返しする

  ①なにも高額な寄付をする必要はありません。
   誰かが車まで荷物を運ぶのを手伝うだけでもいいのです。

  ②道にごみが落ちていたら拾いましょう。
   運転中はほかの車に道を譲りましょう。

  ③感謝の大きさにかかわらず、波動のエネルギーは同じなのです。

(4)自分だけのやり方を開発して、感謝をひとつの儀式にする。

  ①毎日、いくつ恩恵を受けたか教えましょう。

  ②周りの美しい自然に「ありがとう」を言い、
   食事の前には必ず「いただきます」と言って食物に感謝しましょう。
   
  ③そうすれば、豊かさが無制限にあなたの人生に流れ込んできます。

(5)自分の恵まれている要素をすべて書き出す

  ①あなたの身に起きた素敵な出来事を全部書き出しましょう。
   そうすることで、あなたの人生のポジティブな要素を認識し、
   ネガティブな考えや気持ちを取り除くことができます。

  ②たとえば
   「今朝、自動車をいつもどおり運転できたことに感謝します」
   「素晴らしい同僚に恵まれたことに感謝します」
   「職場の隣の公園の美しい景色を楽しめることに感謝します」

  ③あなたの人生は贈り物です。
   一瞬一瞬、命を与えられたことに感謝しましょう。

(6)少し自分のための時間をつくって楽しい活動をする

  ①リラックスできる娯楽なら何でもかまいません。
   (エアロビクス、ジョキング、ダンス、読書・・・)

  ②こうした活動をすることで、心が軽くなり、
   よりポジティブに考えられるようになります。

(7)時には仕事の手を休めて感謝する

  ①日中、少し時間をつくって、あなたが所有している
   すべてのありがたさを改めて味わいましょう。

  ②瞑想や祈り、スピリチュアルな回想を行なうと、宇宙とつながり、
   自分がとても大きなものの一部であるという一体感が得られます。

(8)感謝の気持ちを思い出させてくれるものを周りに置く

   感動的な言葉でも、恋人や家族からの手紙でも、
   荘厳な自然の風景でも、何でもかまいません。


            <感謝合掌 平成31年4月1日 頓首再拝>

《すべての物に感謝する祈り》 - 伝統

2019/04/09 (Tue) 04:30:18


         *「光明法語」(4月9日)より

また神はすべてのものの内にましますが故に、すべてのものに感謝し、
それを讃(ほ)めたたえることは偉大なる祈りである。

神に感謝しても万物に感謝しえないものは、
真に全く神に感謝しているのではないのである。

ただ神に対する祈りは、神の表現である「万物」に対する祈りよりも、
尚一層直接的であると言い得るのである。

されば吾々は毎日或る一定の時間は神に対して
心を完全に振り向ける祈り(神想観)を行事なければならぬ。

それと共に神の表現である万物に感謝しなければならぬのである。

            <感謝合掌 平成31年4月9日 頓首再拝>

感謝する習慣がある人は 応援される - 伝統

2019/04/25 (Thu) 21:11:36


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/03/05)より


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感謝する習慣がある人は
応援される

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今日は、あなたの願いが叶う習慣をご紹介します。

私の知り合いにAさんとBさんがいます。

Aさんは、何かしてあげるとすぐに感謝してくれる人です。

ちょっとしたことでも「ありがとう」と言ってくれます。

ちょっとした親切にもすごく嬉しそうです。

それで、まわりの人もハッピーになれます。

ですから、まわりの人は、Aさんのために、
もっと何かしてあげたいなと思っています。



Bさんは、何かしてあげてもあまり感謝をしない人です。

気づいていないか、してもらって当然だと思っているのでしょう。

逆に、自分が期待していることをしてもらえないと、不機嫌になります。

不平不満や愚痴をよく口にします。

まわりの人は、そんな不平不満を聞くと嫌な気持ちになります。

ですから、まわりの人は、
Bさんとは、あまり関わり合いたくないと思っています。


この二人があるとき、Cさんにまったく同じ願いごとをしました。

「自分の仕事を手伝ってくれませんか」

という願いです。

二人を同時に手伝うことはできませんが、Cさんは迷いませんでした。

いっしょに仕事をするのなら、
楽しく仕事ができてハッピーになれそうなAさんの願いを聞き入れました。

Bさんのことも気になりました。

でも、Bさんの仕事を手伝っても、これまで感謝されるどころか、
少しでもミスをすれば文句を言われてきたのです。

Bさんとは、ちょっと距離を置きたいのが正直な気持ちでした。

それよりも、Aさんの仕事を手伝いたい、
その方が自分もみんなもハッピーになれる、そう思ったのです。

このような人間関係は、どこにでもあることです。


そして、これは人間と神様の関係にもあてはまると思います。

神様は、私たちにいろいろなものを与えていますし、
いろいろなことをしてくれています。

でも、現実にはそれに気づかない人がいます。
当然だと思っている人もいて、
それがなくなったときに文句や愚痴を言う人もいます。

そういう人が、自分が困ったとき、
苦しいときだけに神頼みをしても、はたして願いは聞き入れられるでしょうか?

まず、望みはないと思うべきでしょう。


《神様も、感謝する人が好きなのです。》


神様は、私たちの人生に、私たち自身に、目に見えないもの、見えるもの、
たくさんのものをプレゼントしてくださっています。

それに気づき、素直に「ありがとう」って
感謝してくれる人を好ましく思うわれるのです。

ですから、その人のために必要なものはすべて与えられます。
願いの多くも聞き入れられるでしょう。

ただ、神様をまったく信じない方も読者にはいらっしゃると思うので、
再び、人間関係に話を戻します。


人間関係でも、同じことです。

わずかなことにでも感謝している人は、もっと多くのことをしてもらえます。

わずかなことにも感謝している人は、もっと多くのものが与えられます。

まわりの人からどれだけたくさんのことをしてもらっているか、
それに気づき、毎日、感謝している人は、きっと願いは実現します。

なぜなら、その人の知らないところでも、
その人を応援してくれる人がきっといるからです。

お願いする前に感謝しよう。

感謝する習慣があると、まわりの人から好かれ応援されます。 (^.^)

   ( https://lucky.t-nakai.work/2019/03/05/custom-35/ )

            <感謝合掌 平成31年4月25日 頓首再拝>

感謝で与えられ、不平で奪われる - 伝統

2019/05/10 (Fri) 04:28:53


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月10日)」より

感謝する程度にしたがって与えられ、不平を持つ程度にしたがって奪われる。

           <感謝合掌 令和元年5月10日 頓首再拝>

仕事でうまくいく習慣(感謝すればまたいいことがある) - 伝統

2019/06/06 (Thu) 02:15:27


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/22)より

今日のお話は、あなたを幸運にするいい習慣です。

拙著『あしたからの仕事が楽しくなる小さな習慣』にも書いたことですが、
それに加筆してお届けします。


例1 仕事中に・・・

あなたが、職場で働いているとします。

仕事のやり方で、もう一つ要領がつかめていないのをみかねて、
上司か同僚が仕事のやり方のコツを教えてくれました。

ふつうなら、「ありがとうございます」とお礼を言いますよね。

あなたは、それ以外にどうしますか?

あなたもきっとそうだと思いますが、
仕事がうまくいく人というのは、それだけで終わらせないものです。

まずは、教えてもらったことをすぐにやってみます。

やってみて少しでもうまくいったら、

「〇〇さん、さっきのうまくいきましたよ。ほら、みてください」

とわざわざ報告に行くのです。

「(これまでの苦労がウソみたいです)どうもありがとうございました。」

と再度、感謝するのです。


このように、人から教えていただいたら、
基本的に次の3つのことをすればよいと思います。

1.その場で感謝する

2.実行する

3.後で報告して、感謝する

ふつうは、1か2で終わりますが、
仕事を通してよい人間関係をつくれる人は、ほとんどが3までやっています。


例2 同じく仕事中に・・・

もう一つの例をあげます。

上司(先輩)に「この書類を見ていただけないでしょうか」とお願いして、
見てもらうとします。

そのとき、赤ペンで直され、
「ここは、こういう表現にした方がいいよ」と教えてもらうことがあります。

そのとき、お礼を言うのは当然です。

次には、教えてもらったことをできるだけ速やかに実行します。

このケースでは、速やかに書類を修正することです。

その後、

「この通り、修正し終えました。おかげさまで前より良くなったと思います。
ありがとうございました」

と報告をするのです。

上司(先輩)は教えてはあげたが、その後どうなったかなと気にしています。

気にしてはいないように見えても、
部下が自分の言葉をどう受けとめたのか知りたいのが、上に立つ者の心理です。

ですから報告することで、上司(先輩)は安心します。

感謝されることで、また教えてあげたくなるのです。



例3 ラーメン編

これは、仕事以外の人間関係にもあてはまります。

たとえば、おいしいラーメン屋さんを教えてもらったときもそうです。

「ありがとう!
この前教えてくれたラーメン屋さん、行ってみたよ。おいしかった!」

と報告すれば、相手はきっと喜んでくれます。

「そう、実は、またおいしいラーメン屋、見つけたんだよ。あのね、……」

とまた教えてくれるかもしれません。

人は自分の話を役立てて感謝してくれた人に、また何かしてあげたくなるものです。

(ケーキの好きな人にはおいしいケーキの情報が、映画が好きな人には面白い映画の情報が・・・)

ですから、報告して感謝する人には、役に立つ良い情報がどんどん集まってくるのです。

報告して感謝しよう。

すると、またいいことがあります。(^.^)

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/02/22/custom-26/ )

           <感謝合掌 令和元年6月5日 頓首再拝>

「不足」ゆえにこそ感謝しなければならない - 伝統

2019/06/10 (Mon) 04:03:36


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月10日)」より

すべてがすでに与えられて、
もう生み出しの必要のない世界にいるほど退屈なことはない。

「不足」を不平に思う人は、
「不足」をこのゆえにこそ感謝しなければならないのである。

           <感謝合掌 令和元年6月10日 頓首再拝>

感謝するといいことが起こる - 伝統

2019/06/20 (Thu) 04:26:23


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/13)より

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

当たり前のことに感謝できる人に、
いいことが起こる

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

ある人が三人に同じプレゼントをあげました。

Cさんは、あまり関心がなさそうに何も言わずに受け取りました。

Bさんは、「他のがよかったのにな」と不満そうに受け取りました。

Aさんは、「ありがとう。うれしい」と喜んで受け取りました。


このうちプレゼントをした人を一番喜ばせたのは、誰でしょうか。

もちろん、Aさんですね。

また、この次、プレゼントする機会があれば、
Aさんにプレゼントをして喜ばせてあげたいなと思うでしょう。

だから、もらったプレゼントを喜んで受け取る人は、
きっとまたこれからも素敵なプレゼントがもらえます。



ところで、今日、あなたは、どんなプレゼントをもらいましたか。

朝というプレゼント?

太陽というプレゼント?

夜というプレゼント?



今日、あなたにはいいことがありましたか?

おいしくご飯を食べられたこと。

遅れそうだったけど、遅刻せずに出勤できたこと。

仕事がまずまずうまくいったこと。



当たり前だけで、全部いいことですね。

そういう当たり前のことに感謝する人には、
きっとまたいいことが起こるのです。



よく感謝する人はこんな人です。

その人は、いつも何かに感謝しています。

いつも誰かに感謝していています。

「ありがとうございます」「今日もいろいろとありがとう」「本当にありがとう」

だから、またその人と会いたくなります。

「ありがとう」が聞きたくて、また何かしてあげたくなります。


感謝する人には、きっとまたいいことが起こるのです。



よく感謝する人はこんな人です。

その人は、小さなことに感謝してくれます。

他の人なら、当たり前だと思っていることを有り難いと受けとめてくれます。

だから、いつもハッピーなのです。

それで、まわりの人もハッピーになれます。

だから、まわりの人も神様もその人を応援してくれます。


感謝する人には、さらにいいことが起こるのです。

私も感謝できる人になりたいなと思います。

小さなことに感謝しよう。

「読んでくれてありがとう!」と感謝しながら書いています。

   ( https://lucky.t-nakai.work/2019/02/13/cusotm/ )

            <感謝合掌 令和元年6月20日 頓首再拝>

【どんな出来事もプラスに考え、感謝の気持ちを忘れない】 - 伝統

2019/07/06 (Sat) 04:04:50


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年05月06日)より

   (アパホテル社長、元谷芙美子氏の心に響く言葉より…)

   アパホテルは北陸の小さなビジネスホテルとして産声を上げましたが、
   その後、東京、全国、そして世界へと展開していき、
   現在ではホテル業界で、収益率世界一のホテルにまで成長を遂げています。

   仕事の場では、夫であるアパグループ代表、元谷外志雄(もとやとしお)や
   社員のみんなに助けられて、実力以上のポストにつき、

   プライベートでは夫や息子夫婦、孫に囲まれて
   幸せな毎日を噛(か)み締め、感謝しながら暮らしています。


   どうしたら、そんなにうまく人生を送ることができるのですか?

   そう尋ねられて、いつも答えることがあります。

   その答えは、前向きの思考で過ごすこと。

   具体的には、


   一に、どんな出来事もプラスに考えること。

   二に、人への感謝の気持ちを忘れないこと。


   たとえば、仕事をしていると毎日のように訪れる
   大小さまざまなトラブルや想定外の危機。

   そんなとき、マイナスな出来事とは考えず、
   現状をプラスに転換できるチャンスだと捉える。

   また、親しい間柄だからこそ忘れがちな
   身近な人への感謝の気持ちや愛情を、毎日言葉にして伝える。

   そんな些細な前向き思考の積み重ねが、
   人生をすばらしいものに導いてくれました。


   なにか、自分にとってつらいことや苦しいことが起きても、
   どうやら気のせいだと感じる思考回路になっているようなのです。

   どんな悪いことが起こっても、
   世界の終わりがやってきたわけでもなければ、
   命がとられるわけでもない。

   マイナスなことがあっても、「私はラッキーだから必ず取り戻せる!」と
   気持ちを一瞬で切り替えることができるお得な性格です。

   これは両親に感謝しなければいけませんね。


   私は、1994年にアパホテルの社長に就任して以来、広告塔として、
   全国に顔写真入りの看板を掲げて、文字通り“ホテルの顔”となりました。

   2002年、東京へ本社を移転し、本格的に東京に進出するにあたって、
   本社ビルの点灯式を行った際、ネオンで彩られた屋上の上に浮かびあがったのは、
   やはり看板となった大きな私の顔!

   華々しいセレモニーは、世間でも大きな注目を浴びました。


   こうして広告塔として表に出ていると、
   私を通してアパホテルを多くの方に知ってもらえる機会が増える一方で、
   誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)も当然増えます。

   「あの広告のオバチャン、出しゃばりすぎ」

   「あのモデルは早急に代えてください」

   「見ている側にとって、精神衛生上よくない」

   というようなキビシ~イ言葉もありました。


   見ず知らずの人からそうした言葉に、
   傷つくこともあるのではないかと思われるでしょうね。

   でも、実は全く傷つきません!

   そうした声がすべてではありませんから。

   気のせいだと笑って流してしまいます。

   それよりも、目にとめていただいたことを
   「チャンス到来!」とこれまた前向きに考えてきました。

         <『強運ピンチをチャンスに変える実践法』SB Creative>

             ・・・

元谷芙美子氏は、高卒で福井信用金庫に就職し、
そこで同じ会社の職員だった夫と知り合って結婚し、その後独立した。

人への感謝を忘れないのが信条の元谷芙美子氏が実践しているのは、
身近な人への感謝。


二人の息子のお嫁さんに対してはこう書いてある。(本書より)

『実際、お嫁さんたちは、家事能力も美貌も、さらに人間力まで、
私よりずっと優れています。

そのうえ、家電やパソコンなどの電子機器にもめっぽう強い!

家で過ごしているときは、彼女たちに頼りきっていますから、
わが家では嫁姑の問題が起こらないのかもしれません。

よく、身近な人に「いつもありがとう」という
感謝の気持ちを伝えるのが照れくさいという話を聞きます。

でも、私は逆に身近にいる人こそ、
いいところがあればどんどん褒めて、
感謝の気持ちを照れずに伝えていきたいと思っています。

お嫁さんたちには「今日もおいしいものを作ってくれてありがとう」、
孫には「お手伝いしてくれてありがとう」という具合に。

いつもいいところを見て、感謝や感動の気持ちを言葉にして伝えます。

家族に限らず、人のいいところに視点をフォーカスする。

そんなポジティブな習慣も、まわりの人はもちろん、
自分自身も幸せになる秘訣なのだと思います』


「美点凝視(びてんぎょうし)」という言葉がある。

相手の良いところ(美点)を先に見るのか、
相手の悪いところ(欠点)を先に見るのかによって、
人間関係は劇的に変わってくる。

だから他人の、美点を探し出し、そこをしっかりと凝視しようということ。


これは、人間関係だけでなく、ものごとの「見方」の問題だ。

小林正観さんは、世の中の現象には、「幸も不幸もない」という。

その現象を幸せだと思うか、不幸だと思うのかという、見方があるだけ。

それを小林正観さんは「見方道」と言っている。


どんな出来事もプラスに考え、感謝の気持ちを忘れない人でありたい。

            <感謝合掌 令和元年7月6日 頓首再拝>

感謝に勝る良薬なし~ある嫁と姑の物語~ - 伝統

2019/07/23 (Tue) 04:31:48


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/05/29)より


▼ずいぶん前に人から聞いた話です。

「あの人を許せない」と苦しんでいる人のためにご紹介します。



昔、仲の悪い嫁と姑がいました。

姑は、病気がちでいつも機嫌が悪く、事あるごとに嫁をいびります。

「うちの嫁は、要領が悪くて、怠け者で……」
と本人に聞こえるように言うだけでなく、近所や親戚にも言いふらします。

夫は、嫁の前では、「お母さんは言い過ぎじゃないか」とは言うものの、
病気の母親の前に出ると口答えのできない人です。

嫁は姑にいびられるたびに、いい嫁になろうと努力します。

しかし、いくら努力しても、陰湿ないじめをやめない姑に
次第に憎しみを募らせていきます。

遂には、いっそ姑が消えていなくなればよいと思うほどになりました。
そんな暗い思いをもつ自分に、嫁はまた苦しみました。

そこで、あるとき、信頼できる僧に自分の悩みを打ち明けます。

するとその僧は、こう言いました。

「そうか、ではお前の望みをかなえてやろう。簡単なことだ。
この薬を姑の食事に少しずつ混ぜるのだ。
すると、姑の体はだんだん弱まっていき、一月もすると消えてなくなるじゃろう」

嫁は驚きました。

「……つまり、一月で死ぬということですか?」

僧は平然としていました。

「人は皆、死に向かっておる。誰でも老衰する。ただそれを早めるだけのことじゃ」

「でも……」

「ただし、この薬を使うにあたって一つ条件がある。
この薬を入れた食事は多少味が悪くなる。
姑に気持ちよく食べてもらうためには、食事を出すごとに、
何でもいいから感謝の言葉を述べるのだ」

「感謝の言葉、でございますか?」

嫁は食事に薬を混ぜるよりも、
姑に感謝の言葉を口にする方がずっと難しいような気がしました。

家に帰ると、姑のいつもの突き刺すような目が待っていました。

「どこで油を売っておったのか、お前はいつも帰りが遅い、グズで要領が悪い」

などと姑から罵詈雑言を浴びせられました。

「申し訳ありません」

嫁は頭を畳につけて謝ると、台所に駆け込み、
涙ながらに、食事の支度にとりかかりました。

そして、良心の呵責を覚えながらも、僧
からもらった薬を少しだけ混ぜて姑の前に出しました。

僧から言われたとおり、何か感謝の言葉を口にしなければなりません。

「お母さん……」

「ふん、なんだい、また同じようなおかずか。お前は料理が一向に上達せんの」

「はい、ありがとうございます」

「何?なんだって……」

「ありがとうございます」

「どういうことだ」

「私は、本当に料理が下手です。
ですから、お母さんが私の下手な料理でも食べてくださるだけで、
ありがたく思うんです」

姑はちょっと不思議そうな顔をしましたが、黙って料理に箸をつけました。

そして、黙々と食べると箸を置く前に一言つぶやきました。

「今日の料理、ちっとはうまかったぞ」

嫁は驚きました。

なぜなら、初めて姑に誉められたからです。


そんなことがあっても、
これまで積もりに積もった姑に対する憎しみが消えるはずはありません。

嫁は僧が言ったとおり、料理に少しずつ薬を混ぜ、
姑に毎回必ず感謝の言葉を言うようにしました。

お母さんに、味噌汁の作り方を教えてもらったこと。

お母さんに、掃除の仕方を教えてもらったこと。

お母さんに、裁縫のコツを教えてもらったこと。

自分はまだ十分にできないが感謝していると繰り返し伝えました。

お母さんから言われてきた数々の叱責の言葉も、
自分の励ましにしていきたいと感謝しました。

嫁は、始めは心にもない言葉を並べているように思えました。

しかし、毎日感謝の言葉を口にするたびに、
自分の心が次第にほぐれていくのが不思議でした。

そうしているうちに、姑の嫁に対する態度が明らかに変わっていきました。

嫁を見るときの顔が柔和になってきました。

それどころか、陰で、嫁のことを誉めることもありました。

夫には「お前はいい嫁をもらった」と言い、
近所や親戚には「うちの嫁は息子が選んだだけあって、できた女だ」
と自慢するようにもなったのです。

それに応じて、嫁は姑に対する憎しみが薄らいでいきます。

それどころか、病気がちで立つことも歩くこともできない姑の身になってみると、
これまでの自分に細やかな愛情が足りなかったのだと気づかされました。


嫁の心に次第に激しい後悔の念が湧き上がります。

私は、あの姑を体よく老衰したように見せかけ、毒殺しようとしている。

なんという恐ろしいことだ。
なんという罪なことだ。

いたたまれなくなった嫁は、僧のところへ駆け込みます。

そして、泣きながらに訴えます。

「お坊さま、私の間違いでした。私は、なんと罪深い女でしょう。
どうかどうかお許しください。
お坊さま、ともかくお母さんを死なせたくありません。
どうかあの毒を消す薬をください。お願いいたします。お願いいたします」

泣いて頼む嫁に、僧は言いました。

「案じるな。あれはただ海草を粉にしたものだ。
毒ではない。

毒を消す薬、と申したな。覚えておきなさい。
心の毒は、感謝することで消えるものじゃ。
どうやらお前の心にあった毒は、もうすっかり消えてしまったようだな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感謝の心は、人間関係を良好にし、心を浄化していきます。

「ありがとう」「ありがとうございます」
と、口に出して伝えることが、自分にとっても相手にとってもよいことです。

相手の態度が変わっていくことがあっても、実際にはそう簡単ではないでしょう。

でも、いいのです。自分は確実に変わっていきます。

いっそう安らかな幸せな気持ちを取り戻せるようになっていきます。

【 感謝の言葉が幸せを呼ぶ。  (^.^) 】

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/05/29/story-75/ )

            <感謝合掌 令和元年7月23日 頓首再拝>

「今」「此処」既に円満完全の実相に感謝する - 伝統

2019/07/29 (Mon) 04:33:12


        *『光明道中記(7月29日 日々是れ好日と知る日)』より

【漂える雲の彼方にまんまるに澄み切る月ぞわが姿なり。(『生命の實相』第十一巻)】


雪峰(せっぽう)の法嗣(あとつぎ)に雲門和尚と云う人がある。
その雲門がある日公案を出して
「十五日已前(いぜん)は汝に問わず、十五日已後一句を道(い)い将(も)ち来れ」
と言った。

その問は十五日に提出されたものであるから、
「十五日已前」と云うのは過去を指し、
「十五日已後」と云うのは、これからの現在どう生きて行くかと云うことである。

師の意を揣(はか)りかねて誰もこれに門下の者は答えることが出来なかったので、
雲門和尚は「日々是れ好日(こうにち)」と自分の問に自分で答えた。


生長の家で言うならば、「そのまま素直に難有(ありがた)い」であり、
「今を生かせ」であり、「今の中に久遠があり」である。
日々を難有いとしてその日の行事に励むのが「日々是れ好日」である。

烈日燬(や)きつくすようでも、
それは好いお旱(ひでり)を頂いたのであって、ただ難有いのである。

風が吹いたからとて、風があるので害虫が育たず、
雨が降るので植物が育つ。

若し雨が降り過ぎて家が流れ、田畑に損害があるならば、
それは業(ごう)の自浄作用としてただ難有いのである。

 
動き流れる雲の彼方に「今」実相の円満そのままの姿を見る者は幸いなるかな。

         <感謝合掌 令和元年7月29日 頓首再拝>

躓きを含めすべてに感謝 - 伝統

2019/08/05 (Mon) 04:44:07


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月5日)より

躓きは不幸な出来事であるが、われらがまた躓きにも感謝しなければならぬ。

躓きはわれらが人生の道を歩むのに、十分高く足を挙げていなかったことを
教えてくれるものである。われらは躓きによって、躓かないときよりもいっそう
多くのことを学ぶことができるのである。

躓きはまたわたしの心の眼を開いてくれるものである。
もし、今少し手前で躓かなかったら、自分の今歩いている道が、
谷底へ落下する道であることに気がつかなかったかもしれないのである。

理屈で言うのでも、失敗を諦めるために言うのでもない。
躓きは当然感謝さるべきものである。

躓かなくなりえた者は、その幸福をいっそう感謝すべきであるが、
躓きもまた感謝する価値がある。

そうすればわれらは人生のどこにも
感謝すべきものが充ちていることを発見しうるのである。

         <感謝合掌 令和元年8月5日 頓首再拝>

《天地一切のものに感謝せよ》 - 伝統

2019/08/20 (Tue) 05:00:43


       *『 生長の家 』( 昭和23年3月20日の法語)より

   神に乞食の様に頼みこまねばならぬことはない。
   卑屈や賄賂で動かれ給う神ではないからである。

   金光教祖も云われた様に
   「 頼まないでもお蔭はやってある 」 と
   神様は仰せられる。

   吾々は皆神の子であるからである。
 
   吾々が祈るのは 「 既に与えられている実相の恩寵 」 に
   如何にして波長を合わすかの問題である。

   乞食の様に卑屈に頼み込むよりも、
   既に与えられている恩寵(めぐみ)に感謝する事が
   最も完全な波長を合わす道である。

   神と、神の被造物(周囲の一切のもの)に感謝せよ。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221520.html?type=folderlist

         <感謝合掌 令和元年8月20日 頓首再拝>

感謝すると幸せの道が拓く - 伝統

2019/08/28 (Wed) 03:21:13

感謝すると幸せの道が拓く(松下幸之助)

       *Web:今日も良いことがあるように(2019/05/26)より

   「すべてに感謝する心があってこそ、思いやりの心も生まれ、
    人の立場も尊重する行動もできる。
    ともに栄え、ともに幸せに生きようという道にも通じるのです。」

                           松下幸之助


▼『松下幸之助 成功の金言365』に出ているお話です。(P.121)

   松下が以前、体の調子が悪く、精神的にも心労を覚え、
   なんとなく心寂しさを感じていたことがあったそうです。

   そこで、ある友人に相談したところ、
   「君は少しうつ病にかっているのではないか」と、こう言われたというのです。

   「その原因は簡単や。君は喜びを知らんのや。ありがたさを知らんのや。
   いいかえると感謝の念がないから、そのような寂しさに陥るんや」

   さらに続けて・・・

   「もしそういう点をよく考えたら、この世の中というのは、非常に楽しいものだよ。
   どういう問題が起こっても決して心配は要らない。
   問題が起これば起こるほど、感謝の気持ちとともに、
   勇気が凛々(りんりん)として湧いてくるんだ」


▼こう言われても、ふつうの人なら、納得しないかもしれませんね。

しかし、そこはさすがに松下さんです。

その友人の言葉をあとで静かに考えて、こう書かれています。

「これは自分の見方が誤っていた。
喜ぶべきことに対して憤慨してみたり、
いろいろ煩悶して心身の働きを弱めていた」

と反省し、

「自分の見方をもっと大きく広げなければいけない。
自分の心を正しく立て直さなければいけない」

と前向きに決意をもたれているのです。

さすがです。

高齢になっても、このような素直さがあったから、
どんな不況にも負けずに、成功し、成長し続けれられたのだと思います。


▼その後、松下さんは次のようなことを言われます。

「すべてに感謝する心があってこそ、思いやりの心も生まれ、
人の立場も尊重する行動もできる。
ともに栄え、ともに幸せに生きようという道にも通じるのです。」

人はただ一人での力で生きることは不可能です。

親、兄弟、先輩、同僚、後輩、見知らぬ人にも助けられて生きています。

人だけでなく、物や環境、身の回りすべてのもののおかげで生きているのです。

自然の恵み、神のご加護、自分の存在を生んだ祖先・・・。

▼そうなのです。

感謝は、人間が幸せに生きていくために欠かせないこと。

幸せの道を拓いていくことなのです。

感謝を言葉や行いに表すと、自分の心が浄化されます。

人のことを考えることができるようになり、
思いやりが生まれ、人をほんのり幸せにします。

感謝すればするほど、幸せの道が拓かれるのです。



今日、身近な人への感謝を言葉やおこないに表しましょう。(^.^)

【出典】『松下幸之助 成功の金言365』

松下さんのご著書から金言を選び収録した、とてもいい本です。


     (https://lucky.t-nakai.work/2019/05/26/thinking-69/ )

            <感謝合掌 令和元年8月28日 頓首再拝>

《仕事中には斯く祈れ》~感謝の祈り - 伝統

2019/09/08 (Sun) 04:53:21


       *『 生長の家 』(昭和23年3月21日の法語)より

   仕事をしている時には 机に、机の上の帳簿に、ペンに、
   カードに、インキに感謝せよ。

   インキやメモや雑用紙をもって来てくれる給仕や下役に感謝せよ。
   勿論上役にも感謝せよ。

   仕事の合い間、合い間に
   「 この仕事は、私と私の家族とを祝福する為の祈りである。
   この仕事を与え給いし事を感謝致します 」 と念ぜよ。

   感謝と幸福感との中で行われる仕事は
   能率も上り、品質も精巧であり、疲労も少ない。

   上役に感謝すれば、念は通ずるから
   其の人は間もなく上役から認められる。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221566.html?type=folderlist

            <感謝合掌 令和元年9月8日 頓首再拝>

私たちは人生に感謝を置いていく使命を持っています。 - 伝統

2019/09/21 (Sat) 04:00:58


      *「自分の心を守りましょう」伊勢白山道・著(P28~30)より

すべての次元を体験しましても、
この世ほど自由で貴重な限定時間は他にないのです。

(中略)

魂が進化するため、あるいはもっと大きな意味で宇宙全体を
成長させるためには、この現実界に生まれて来て、短い限定時間の
いろんな体験の中に「感謝の気持ち」を時限発露装置として
セットしていく必要があります。

すべての人は、大義では、感謝の気持ちを人生の喜怒哀楽の
いろんな体験の中に設置しに来た使命・ミッションを持ちます。

苦しい人生体験の中でも感謝の気持ちを置くことができますと、
これが宇宙に大きく影響します。

感謝の気持ちこそは、創造神の息吹(いぶき)を宿す因子なのです。

これを繰り返し繰り返し、丹念に根気よく、
多くの魂が現実界に置くことで宇宙は成長していきます。

楽な生活の中で感謝することは簡単でしょう。
苦しい中でも「それでも」生かされている感謝の気持ちを
置くことができれば、その真剣な因子は宇宙に影響します。

(中略)

今が苦しい人は、もし生活の中に感謝の気持ちを置いてセットして
いくことができれば、その人は未来に良い影響を与える
使命・ミッションを果たしたことになります。

(中略)

それぞれの多くの魂が感謝の気持ちを置いた量が、
ある臨界点に達しますと、コノ世も宇宙もより良い方向に進みます。

            <感謝合掌 令和元年9月21日 頓首再拝>

「腹八分目」は神様への感謝につながります - 伝統

2019/10/01 (Tue) 03:59:24


      *Web:ツキを呼ぶ感謝のことのはブログ(2009年7月16日)より

「腹八分目」が大切であると言われますが、
これは食べ過ぎないことが健康や美容に良いということだけでなく、
それ以上に大切な意味があります。

一升の食べ物が目の前にあれば、
それをすぐにすべてを自らの口に入れるのではなく、
まず先に「二分」を神様に捧げるという
天地自然への「感謝」の気持ちが大切なんですよと教えてくれているのです。


 また、食べ過ぎない習慣を持つと運命もよくなるようです。

それ以上に怖いのは、腹一杯食べる習慣をつけた人には
低級霊が憑(つ)きやすくなります。
 
この世を去り肉体はなくなったのに、食べることに未練を持ち、
執着している低級霊が生きている人に乗り移り、その人の身体を借りて、
自分の口に食べ物を入れようとするのです。

このことは日本と世界の未来を予見した書として有名な
岡本天明氏が自動書記した「日月神示(ひつきしんじ)」にも
次のように紹介されています。

「食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。
 腹十分食べてこぼれる、運はつまってひらけん。
 この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。
 ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。
 食べ物接すればツキモノ改心するぞ」

自分に憑いている憑依霊まで改心できると記されていますね。

ダイエットできて、低級霊からの憑依から免れ、
憑いてしまっていても改心させられて、
何といっても神様への感謝につながるのですから「腹八分目」は言うことないですね!

「腹八分目」でみんなで幸せになりましょう。

  ( http://kansya385.blogspot.com/2009/ )

            <感謝合掌 令和元年10月1日 頓首再拝>

感謝の心を積極的に起す - 伝統

2019/10/12 (Sat) 05:07:19


    *「光明道中記」(10月12日《人を全部宥(ゆる)す日》)より

【人を恨む心を以てしては恨み心を解くことは出来ぬ。(『生命の實相』第七巻)】

尤も仏教でも忍辱(にんにく)と云う到彼岸法(はらみたほう)をただ如何なる苦痛も、
迫害も、圧迫も、意地悪も耐え忍ぶと言う如く「怺(こら)える」程度に於てのみ
説いている訳ではない。

これは「忍辱」の第一段階であって
他より害を加えられたのを耐え忍ぶところの
(一)”耐忍”である。


更に仏教では(二)”安忍”と云うのが説かれている。
単に怺えるのではなく、安んじて忍受するのである。
受くべきものは受けるより道はない。逃れようとすればする程
苦しいのだと云う真理を知って安んじてうけるのである。

この境地に於ては病気が治ることさえある。
生長の家でも、病苦に喘いでいる人にこの「安忍」を説くことによって
病苦頓(とみ)に癒される実例さえある。


更に仏教ではその上の段階の「忍辱」が説かれている。
それは(三)諦忍(たいにん)と言うので、
迫害する者も迫害される者も、それらは”有る”ように見えても
本来存在しないと道理を諦めることによって
瞋(いかり)の心を除くようにするのである。


生長の家ではもう「忍」と言わずに
(四)感謝を説くのである。

迫害者も被迫害者も本来存在しないと否定して諦(あきら)めるのではなく、
斯く見えているのは観世音菩薩が我らを済度し給う為に
わが心の相(すがた)を仮りに斯くの如くあらわし示し給うのである。

有難いと、感謝の心を積極的に起すのである。

           <感謝合掌 令和元年10月12日 頓首再拝>

一切を感謝に変える - 伝統

2019/10/13 (Sun) 02:36:16


       *「光明道中記」(10月13日《甘露を飲む爽やかな日》)より

【一つの憎みは十人の憎みを招び、一つの愛念は百人の愛念を招ぶ。
                    (『生命の實相』第十一巻)】


「忍」がまだ自覚されているのは「忍」の最上のものではない。
キリストは、「終りまで耐え忍べ」と言ったし、
また「汝の敵を愛せよ」とも言った。

「終りまで耐え忍べ」と云う語(ことば)には「忍」がまだ忘れられていないし、
「汝の敵を愛せよ」と言う語は、「忍」が超えられて「愛」に変じている点では
一段の進歩ではあるけれども、まだ「敵」が忘れられていない。

生長の家では「敵はない」と言い、
「忍」に代うるに「感謝」を以てするのである。

永嘉大師は、
「他の謗(ぼう)するに従(まか)せ、他の非するに任(まか)す。
火を把(と)りて天を焼く、徒(いたずら)に自ら疲るるのみ、
我れ聞いて却(かえ)って甘露を飲むに似たり、
鎖融(しょうゆう)して頓(とみ)に不思議に入る」

と言われたそうであるが、
この境地は素晴らしい高い大きな境地であるが、相手を見下げた感じがある。

「火を把(と)りて天を焼く、徒(いたず)らに自ら疲るるのみ」と云う
語(ことば)には、相手に対する呪詛さえある。その心境には感謝がない。
「我れ聞いて甘露を飲むに似たり」には、一種の独善的な感じがする。

どうしても一切を感謝に変える生長の家の到彼岸(はらみた)術は
忍辱波羅蜜多以上のものである。

           <感謝合掌 令和元年10月13日 頓首再拝>

無心の総感謝 - 伝統

2019/10/16 (Wed) 04:31:27


         *「光明道中記」
          (10月16日《誰も赦した、憎む人のない日》)より

【実在すなわち光明、これを不可思議光と言い、如来自在と言う。
                 (『生命の實相』第十一巻)】

   善し悪しやにくや可愛いと思わねば世界がまるでわがもの

誰の歌か知らぬがなかなか好い歌である。
生長の家の教は「天地一切のものと和解せよ」との教えである。
さてその和解はどうしたら出来るのか、答えて曰く、総感謝であると。

そんなに和解していたら戦争は出来ぬではありませぬかと
質問されたこともあった。
和解した時本当に不死身の力が出て来る。

こんな話がある。

戦争のときに敵の間諜を捕えたが、軍の掟で斬らねばならぬ。
そう云う時にその間諜が平然として微笑したり、
平然として合掌していたりするとどうしても斬ることが出来ぬ。

そこで何か侮辱を与えて間諜を怒らせる
 ―― 憤ると云うことは「斬る心」を起すことである。
間諜が憤って「斬る心」を起して
憎らしそうな顔をした時に思い切ってバッサリ斬れる。

斬られるのは、「斬る心」を起したからである。


無心の小児は斬ることが出来ぬ。
愛憎を超え、善し悪しを超えたところに不死身を得るのである。

キリストも
「此の幼児(おさなご)の如きものならずば神の国に入ること能わず」と言ったし、

白隠禅師も
「是非憎愛総に拈抛(ねんほう)すれば、汝に許す生身(いきみ)の観自在」と
言ったが、愛憎に心が捉われるから地獄が現出するのである。

           <感謝合掌 令和元年10月16日 頓首再拝>

【あなたに起きる出来事すべてがあなたに必要】 - 伝統

2019/10/27 (Sun) 04:29:46


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.10.17)より

   (ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…)

   「未来がどうなるか、あれこれ詮索するのをやめよ。そして、
   時がもたらすものが何であれ、贈り物として受けよ。」
                  (ホラティウス・古代ローマの詩人)


   運命の人に会えたら幸せになれるって、
   みんな思っているけど、運命の人って実はいないんです。

   運命という常識を疑うことから始めてみよう。


   ドミノ倒しってありますよね?

   ドミノ倒しの世界記録は、2009年11月13日に
   オランダで記録された449万1863個のドミノ倒しになります。

   では、ここで質問です。


   449万1863個のドミノの中で、一番重要なドミノはどれですか?

   一番最初のドミノですか?

   それとも2番目ですか?

   いやいや、一番最後のドミノですか?

   どれだと思いますか?


   正解は…すべて重要です。

   どれか1個でも倒れなかったら、ドミノ倒しはそこで終了ですから。

   これは人生も一緒です。

   恋人との出会いも、ケンカも、別れもすべて重要なんです。


   何が大事で、何が大事じゃないなんてない。

   あなたに起きる出来事すべてがあなたに必要なんです。

   あなたに起きた出来事すべてがあなたに必要だったんです。


   運命の人はいない。

   だって、すべてが運命の出会いだからです。

   過去を振り返れば、そのことが実感できるはずです。

   例えば、あなたが、いま、うまくいっていることを思い浮かべてください。
 
   そのうまくいっていることを始めることになったきっかけはなんでしょうか?

   よく考えてみると、ささいなことが
   すごく大事になっていることがわかるはずです。


   僕のメンター(師匠)は、何人かいるのですが、
   最初に入った会社の社長と部長からは、ものの考え方で大きな影響をうけました。

   その会社を紹介してくれたのは、友達のヤマモトくんです。

   ヤマモトくんと出会ったのは、大学時代、体育のラグビーの授業でした。

   好きでもなんでもないラグビーを僕がなんで選択したかというと、
   同じクラスのイチスギくんがラグビーを選択したからです。


   実は、その会社で、妻とも出会っているんですね。

   そして、子どもが生まれた。

   つまり、僕の子どもたちと出会えたのは、
   イチスギくんと出会えたからなんです。

   そして、あのとき、ラグビーを選択したからです。


   冒頭の名言の通り、すべての出会いが、すべての出来事が、
   運命の道先案内人なんです。

   時が偶然をもたらしてくれたものこそ、確かに贈り物でした。


   「今までに、私をフってくれた人たち、ありがとう。
   おかげでこの息子にあえました」(木次洋子・日本一短い手紙)より


   あなたも大切な人をひとり思い浮かべて考えてみてください。

   その人と出会うきっかけはなんでしたか?

   過去をさかのぼってみてください。

   ささいなことが、すべて重要だったとわかるはずです。


   過去、起きたことは、どんな些細なことでもあなたに必要だった。

   だとしたら、未来だってそうなんです。

   時がもたらすものはなんであれ、あなたがあなたになるための
   大切な贈り物(ギフト)なのです。

   時はあなたに魔法を起こしてくれる、味方なんだ。

   時を信じていいよ。

     <『恋人がいなくてもクリスマスをワクワク過ごせる人の考え方』
                           祥伝社黄金文庫>

            ・・・

人生はジグソーパズルのようなものだ。

たった一つのピースが欠けても人生は成り立たない。

「あの時あった嫌なこと」「くやしかったこと」「さびしかったこと」
「つらかったこと」そして、「幸せだったこと」「うれしかったこと」
「楽しかったこと」「笑ったこと」…


人生を振り返ってみると、あの嫌なことがあったからこそ、
その後の「成功があった」、「いいことがあった」ということはよくあることだ。

つまり、「意味のないことは一つもない」ということ。

今、無駄だと思うことも、回り道だと思うことも、すべてに意味がある。

そして、「すべてに意味がある」と思えるなら、すべてのことに感謝できる。



「あなたに起きる出来事すべてがあなたに必要」

だから、メチャクチャな失敗や、最悪に恥ずかしいドジをしてしまったら…

それは、最高に幸せになるためのシグナルかもしれない。

起こるできごとに丸ごと感謝できる人でありたい。

           <感謝合掌 令和元年10月27日 頓首再拝>

真の「ありがたさ」 - 伝統

2019/10/28 (Mon) 04:46:05


     *『生命の實相』幸福篇下第三十八巻(10月28日)より

感謝は必要であるが、ただむやむにありがたいばかりでは足りないのである。
神がすべてのものをすでに与えられている実相を知ってのありがたさにならなければ
本当ではない。

ただ手段として「ありがたい」を言っていれば
無限供給やいろいろの利益が与えられると思うのは
「ありがたい」を手段として、方法としたのである。
手段や方法は過程であり、実験室でのことである。

ある程度の功徳は実験せられるかもしれないが、
大生命の海原にそのまま坐しているような大きな功徳はないのである。

法悦というものは手段としての「ありだたさ」でもなく、
方法としての「ありがたさ」でもなく、
利益が得られたからの「ありがさた」でもなく、
そのまますでに与えれている意味での「ありがたさ」である。

           <感謝合掌 令和元年10月28日 頓首再拝>

《感謝は周囲を光明化す》 - 伝統

2019/11/10 (Sun) 04:53:56


       *『 生長の家 』(昭和23年3月22日の法語)より

   斯くして一切のものに対する感謝が実践せられるとき、
   周囲が、環境が、仕事が、断然今までとは別様の姿を呈するのである。

   今までは不快の念が、一切の周囲の事物と人とを塗りつぶしていたから、
   一切が暗黒に自分に好意を有(も)たぬものに見えたが、

   今度は、一切の周囲の事物と人とを感謝の念で塗りつぶすのであるから、
   一切の周囲の事物と人々とは光明に輝いて見えるのである。

   感謝の波長が実相の完全な姿と波長をあわす祈りとなったために、
   そこに実現するのは実相の光明 輝く姿のみとなるのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13224919.html?type=folderlist

           <感謝合掌 令和元年11月10日 頓首再拝>

感謝という鍵 - 伝統

2019/11/22 (Fri) 04:03:52


        *「正負の法則」ジョン・F・ディマティーニ(著)
           (P22~24)

何ごとにも感謝する人は、そうでない人よりも、
人生で恵まれることが多く、願望が実現する可能性も高くなります。

これはシンプルな原則ですが、人生を変える力があります。

感謝こそが成長と願望達成の鍵です。

誰かにプレゼントをあげたとき、相手が贈り物をちらっと見ただけで、
お礼も言わずに脇に置いたら、また何かをあげたいと思いますか? 

思いませんね。

宇宙の反応もちょうどそれと同じです。
宇宙が贈り物をする先は、贈り物に対していちばん感謝をする人です。

いま与えられているものに感謝をしない人に、
宇宙がそれ以上のものを与えようとするでしょうか?

「感謝とはいったい何なのですか?」とよく尋ねられます。
感謝の念が湧くのは、完全にバランスがとれていると感じるときです。
人生のどんな分野にせよ、完全にバランスがとれていると感じたり、
宇宙の秩序に気づいたとき、感謝が生じます。

 
感謝と高揚感を混同する人はたくさんいます。
そういう人たちは、心がワクワクする体験をして、
「ありがとう!」と口にすることが感謝だと考えています。
しかし実のところ、一時的な喜びや高揚感は、真の感謝とはあまり関係がありません。

真の感謝は、精神的にバランスがとれて
心が落ち着いている静かな状態のときに起こります。
そうしたときに、心から感謝の念が湧いてくるのです。

宇宙の秩序に気づき、すべてをあるがままで受け入れてください。
 
感謝とは、ありがたいという気持ちを込めた真の祈りのことです。
祈りには2種類あります。

ひとつは偽の祈りです。

人生に不満を抱きながら
「ああ、神様、めちゃくちゃです。なんとかしてください!」
とつぶやくことです。


もうひとつは真の祈りです。

すでに存在しているものに宇宙の秩序と完全性を認めつつ、
与えられているものに対して、心からありがたいという気持ちを抱くことです。

 
心からありがたいという気持ちを抱くと、
さらに多くの贈り物を受け取ることになるでしょう。
感謝をしている人間には、さらに多くのものが与えられるからです。
感謝しない人間からは、さらに多くのものが取り上げられます。

贈り物が取り上げられて初めて、感謝をすることの大切さに気づきます。


これまでにあなたの人生に起きたこと、これから起きることは
すべて、宇宙からの贈り物です。

とはいえ、一見ネガティブに思える出来事の中に潜む隠された贈り物を
理解するまでは、感謝することは難しいものです。


            <感謝合掌 令和元年11月22日 頓首再拝>

自分自身に感謝すること - 伝統

2019/12/09 (Mon) 04:21:14


      *『如意自在の生活365章』(P198)より

神に感謝し、周囲の一切の事物に、周囲のすべての人々に感謝するだけではなく、
自分自身に感謝することを忘れてはならないのである。

なぜならあなたの生命はあなたが造ったものではなく、
神から与えられた生命であり、神の生命の延長であるからである。

次のように念ずるがよい。

   われはわが生命(いのち)を讃(たた)えん

   汝は神より来たりて
   われに宿れる潔(きよ)き尊き神の生命(いのち)なり

   常にすこやかに
   常に強くたくましく

   いかなる困難にも挫折することなく
   いかなる試練にもよく耐え忍び

   神から与えられたる
   尊き使命を果たすなり

   われ汝を称(ほ)め讃え、感謝し奉る

  ( https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17246846.html より転写 )

         <感謝合掌 令和元年12月9日 頓首再拝>

感謝にはその実を示す報恩行が伴わねばならぬ - 伝統

2019/12/26 (Thu) 03:03:28


            *『生長の家』(昭和45年6月号)より

常に生命の本源者なる神に心を振り向けて感謝するようにするがよい。

そうする事によって、あなたの心は神につながり、
神の祝福の霊波と波長が合い、神の祝福を充分に受取ることができるのである。 

そのような心境になるとき、神の恵みと供給の霊波とは
常にあなたの日常生活に必要な事物や、協力者となって具体化して、
あなたの身辺にあらわれて来るようになるのである。

あなたが感謝によって、神の祝福の霊波に波長が合うことができている
という自信が出来たとき、不安感情というものが消えてしまい、
心が常に平静であって安定を得ることになるのである。 

そしてあなたの日常瑣末な生活にもまた何等かの大事業の計画遂行にも、
神の善知識の導きを受ける自覚で出来て来るのである。

“我れ是を為す、神と倶になしつつあるのである” という信念が出て来るから、
事にのぞんで、落着いて判断することが出来、決断を要するときには
速やかに決断することが出来、何を行うにも躊躇逡巡することなく、
する事為す事肯綮にあたって希望を成就することができるようになるのである。

しかし神に感謝するには、思念や口先だけの感謝では、
偽善に陥り、虚礼に陥るおそれがあるのである。

感謝にはその実行としての報恩行を伴わなければならないのである。 
神への報恩行というのは、神の人類光明化の御意志に、世界平和の促進に、
世界平和の中核体としての日本国家の実相顕現に、 
“挺身” “致心” “献資” の三徳を行じて、
この尊き神業に協力するところが人間になくてはならないのである。 

どんなに事業が忙しくとも、家事が多忙であっても、
学問の事をゆるがせにできないにしても、尚、誠心(まごころ)がありさえすれば、
“挺身” “致心” “献資” の三徳全部を行ずることができるし、
そのうち一徳位は尚さら容易に出来得るのである。

出来ないのは、やる気がないからである。


http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p1.html
  07/04/13--08:40 より転写)

         <感謝合掌 令和元年12月26日 頓首再拝>

念を感謝に転ぜば一切は変化する - 伝統

2020/01/08 (Wed) 04:22:37


    *「光明法語」(1月8日《吾は日に日に完全円満である》)より

神の完全なる実相が、
吾を通じて時々刻々尚(なお)一層完全に実現しつつあるのである。

われは神の子であり、神の智慧に導かれ、神の愛に護られているが故に、
日々に一層あらゆる点に於いて神の完全さを顕わし来(きた)るのである。

肉体に於いて健全であり、思想に於いて周到であり、言葉に於いて無礙であり、
交友に於いて愛にめぐまれ、ありとあらゆる点に於いて完全なのである。

若(も)し汝が何事か不調和な事を経験するなら
数分又は数時間又は数日前に何か不調和なことを心に念じた影である。

念を感謝に転ぜば一切は変化する。

         <感謝合掌 令和2年1月8日 頓首再拝>

朝眼が覚めたとき、感謝の言葉から始める - 伝統

2020/01/10 (Fri) 04:44:49


     *「光明法語」(1月10日《目覚めてはかく念ぜよ》)より

朝眼が覚めたときが一日の出発である。
一日の出発を祝福されたるものにしなければならない。

一日の出発を祝福されたるものとするには、
既に与えられている祝福を数え上げることによって
それを感謝することから始めねばならない。

目が覚めると唇に「ありがとうございます」と感謝の言葉から
その日の生活を始めるのである。

眠っている間じゅう心臓を鼓動せしめ、肺臓を呼吸せしめ、胃腸をして消化せしめ、
色々の臓器をして各々の役目を完全に果たしことを神に感謝するのである。

         <感謝合掌 令和2年1月10日 頓首再拝>

【感謝のエクササイズ】 - 伝統

2020/01/26 (Sun) 06:08:48


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.01.23)より

   (デイビッド・ハミルトン氏の心に響く言葉より…)

   ストレスや体の不調のいちばんの原因はなんだと思いますか?

   それは、「内向きになること」。

   自分のこと、それも、自分に足りないものばかり
   考えてしまうところから、不調が始まるのです。


   ですから、意識を外に向けていれば
   ストレス知らずに近づくことができます。

   そのためのいちばんシンプルな方法が、感謝することです。


   実際、感謝の気持ちが抑うつ感情に影響することも、
   いくつかの研究でわかっています。

   抑うつ傾向の強い人ほどものごとにあまり感謝せず、
   逆の人は感謝する傾向があることを示した研究もあります。

   つまり、ふたつの態度はシーソーのような関係で、

   感謝すると落ち込みにくく、
   落ち込むと感謝の気持ちをもちにくいのです。


   うつの患者を調べたある研究では、
   感謝の傾向が健康な人の半分程度という結果も出ています。

   別々に育てられた一卵性双生児の研究では、
   さらにはっきりした関連性も明らかになっています。

   一卵性双生児は遺伝子が同じなので、
   環境の影響のみを調べたいときにしばしば研究対象となります。


   たとえば、育てられ方の違いで
   どちらかが感謝の気持ちを抱きやすくなっていて、
   抑うつ傾向に差があれば、遺伝ではなく
   感謝そのものがうつに影響を与えているとみなせるわけです。

   実際に双子を調べた複数の研究で、
   感謝がうつのリスクを減らすことが確認されています。

   うつは形態も原因もさまざまなので、
   すべてこれで説明できるわけではありません。

   それでも、与えらえているものに感謝することで
   自然と意識が自分の外側に向き、
   うつになりにくくなるのは確かです。

   極端な例ですが、毎日感謝のエクササイズをしたほうが、
   長期的には抗うつ薬より効果があったという人もいます。

         <『「親切」は驚くほど体にいい!』飛鳥新社>

             ・・・

デイビッド・ハミルトン氏は、本書の中でこんなことを述べている。

『感謝は、身近な人との関係ではとりわけ大切です。

 私たちは、そばにいる人の恩を忘れがちです。

 恋人や配偶者と長くいると空気のようになってきて、
 日々の出来事に追われるうちに、
 どんなに大切な存在かを忘れてしまうのです。

 思い出したときには、もう手遅れ
 …そんなことにならないよう、感謝を伝えましょう。

 配偶者との関わり方や、抱く考えの良し悪しの比率から、
 数年後の離婚率を予測できるという心理学者もいます。

 ジョン・ゴットマンによると、
 プラスのコミュニケーション5につき
 マイナスのコミュニケーションひとつが、
 夫婦が離婚しない「魔法の比率」なのだそうです。

 ゴットマンのチームが700組の新婚夫婦に
 15分間おしゃべりをしてもらい、コミュニケーションを分析して
 魔法の比率から10年後の離婚率を予測したところ、
 94%の確率で的中したのです。

 離婚してしまった夫婦は、
 マイナスのコミュニケーションが明らかに多かったそうです。

 「+5、マイナス1」の割合を忘れないでください。』



『あなたの健康と幸福は、「お先にどうぞ」と言った回数できまる』、
 とハミルトン氏は言う。

 親切をするたびに脳と身体をめぐる
 不思議な神経物質「オキシントン」があるからだ。

 オキシントンは、昨今、
 「幸せ物質」「愛情物質」などと呼ばれている。


 これは、「親切」だけでなく、「感謝」でも同じことが言える。

 感謝すればするほど、「愛情物質」が出てくるので、
 人間関係にもよい影響が出るわけだ。

 毎日、感謝のエクササイズを実践したい。

         <感謝合掌 令和2年1月26日 頓首再拝>

《感謝は恩恵の流れに対してスイッチを捻る事である》 - 伝統

2020/02/01 (Sat) 02:58:48


         *「光明法語」(2月1日)より

吾々は電燈の光を得ようと思えば先ずスイッチをひねる事が必要である。
先ず吾々みずから或る力を与えるのである。
すると光が与えられる。

太陽は照っていても、その光を受けようと思えば先ず自分が眼を開かなければならぬ。
眼を開くと云う動作を与えることによってのみ太陽の光は与えられるのである。

そのように吾らはすべての恩恵を与えられているのであるが、
それは先ず自分が恩恵に向かって感謝することによってのみ、
その恩恵がわがものになるのである。

感謝すると云うことはスイッチを捻(ひね)る事に当る。

         <感謝合掌 令和2年2月1日 頓首再拝>

感謝するといいことが起こる - 伝統

2020/02/11 (Tue) 04:25:50


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/13)より


当たり前のことに感謝できる人に、いいことが起こる



ある人が3人に同じプレゼントをあげました。

Cさんは、あまり関心がなさそうに何も言わずに受け取りました。

Bさんは、「他のがよかったのにな」と不満そうに受け取りました。

Aさんは、「ありがとう。うれしい」と喜んで受け取りました。


このうちプレゼントをした人を一番喜ばせたのは、誰でしょうか。

もちろん、Aさんですね。

また、この次、プレゼントする機会があれば、
Aさんにプレゼントをして喜ばせてあげたいなと思うでしょう。

だから、もらったプレゼントを喜んで受け取る人は、
きっとまたこれからも素敵なプレゼントがもらえます。


ところで、今日、あなたは、どんなプレゼントをもらいましたか。

朝というプレゼント?

太陽というプレゼント?

夜というプレゼント?


今日、あなたにはいいことがありましたか?

おいしくご飯を食べられたこと。

遅れそうだったけど、遅刻せずに出勤できたこと。

仕事がまずまずうまくいったこと。


当たり前だけで、全部いいことですね。

そういう当たり前のことに感謝する人には、きっとまたいいことが起こるのです。


よく感謝する人はこんな人です。

その人は、いつも何かに感謝しています。

いつも誰かに感謝していています。

「ありがとうございます」「今日もいろいろとありがとう」「本当にありがとう」


だから、またその人と会いたくなります。

「ありがとう」が聞きたくて、また何かしてあげたくなります。

感謝する人には、きっとまたいいことが起こるのです。


よく感謝する人はこんな人です。

その人は、小さなことに感謝してくれます。

他の人なら、当たり前だと思っていることを有り難いと受けとめてくれます。

だから、いつもハッピーなのです。

それで、まわりの人もハッピーになれます。

だから、まわりの人も神様もその人を応援してくれます。


感謝する人には、さらにいいことが起こるのです。

私も感謝できる人になりたいなと思います。

   小さなことに感謝しよう。

   ( https://lucky.t-nakai.work/2019/02/13/cusotm/ )

         <感謝合掌 令和2年2月11日 頓首再拝>

《何故あなたは神に感謝を忘れるか》 - 伝統

2020/02/26 (Wed) 06:52:27


       *『人生の秘訣365章』第2篇(P61~62) より

あなたが一呼吸し、一挙手一投足し、食事をし、それを消化し吸収し、
それを人体を維持しまた働くためのエネルギーと化しつつあるその全活動は、
すべてあなたの生活のために神の生命力と智慧と愛との恵みを
使用しつつあるのである。

若し私たちが神のエネルギーを1秒間でも使うことを停止するならば
あなたは即座に死んでしまうのである。

それゆえに、あなたは神に毎時毎刻感謝しなければならないのである。
感謝という心の波動は、神の霊波(エネルギーの放送)に波長を合わせ、
吾々の生活上必要な一切の要素を受信し受像し現実化するための
必須の条件となるものである。

無論、神は善人にも悪人にもその恵みの霊波を送り給うこと、
恰もラジオの放送局が善人にも悪人にも、聴衆料を支払う人にも支払わぬ人にも、
色々の好(よ)き番組を放送してくれているのと同様なのである。

しかしその放送番組を受像し得る人もあれば、受像し得ない人もあるように、
神様の“恵み”の放送をも受信し得ず、それを像(かたち)にあらわす事が
できない人も多勢あるのである。

神の恵みを受像し得ない原因の一つは神に感謝する心の欠乏ということである。

         <感謝合掌 令和2年2月26日 頓首再拝>

いま持っているものに感謝する(ルイス・デ・モヤ) - 伝統

2020/03/10 (Tue) 04:39:59


        *Web:今日も良いことがあるように(2018/12/28)より

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

ケガをして失ったものは、確かにあるよ。

でもね、それは億万長者が千円を落としたようなものだよ。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

ルイス・デ・モヤ
(スペインのカトリック司祭)

ある神父さんが交通事故で首の下から全部の神経を損傷し、
車椅子の生活を送るようになりました。

とても明るい性格の人で、まわりの人は彼を見ているだけで励まされます。

「事故でそんな体になったのに、どうしてそんなに明るいのですか」
と聞かれて彼はこう答えました。

「ケガをして失ったものは、確かにあるよ。
でもね、それは億万長者が千円を落としたようなものだよ」

この神父さんは、スペイン、パンプロ市にいらっしゃる
ルイス・デ・モヤ(Luis de Moya)神父様です。

37歳のとき交通事故に遭い、一命は取り留めましたが、
首から下が動かなくなりました。

以来、ずっと車椅子の生活です。

でも、毎日ごミサをたてていますし、神父としての司牧活動もできます。

また、彼はコンピュータが使えます。
首を動かしてカーソルを動かし、息の力でクリックするのです。
そうして、本も書いて出版しました。

ナバラ大学というスペイン有数の大学のチャプレンもしていますし、
テレビ出演をして多くの人を励ますこともあるそうです。

私は2000年にスペインでルイス神父様にお会いしました。
聞きしに勝る明るい人でした。

ルイス神父様が明るいのは、
今、自分が持っているもの、いただいたものに感謝しているからです。

目に見えるもの、見えないもの、
私たちもたくさんのものを、まったく無償でいただいています。

     ★失くしたものを嘆くより、いまあるものを考えて感謝しよう。

    (https://lucky.t-nakai.work/2018/12/28/thinking-4/ )

・・・

<参照Web>
ルイス・デ・モヤ ~ https://ameblo.jp/praise-the-lord/entry-12143414772.html

         <感謝合掌 令和2年3月10日 頓首再拝>

「既に完全なる状態がある」ことを観じ、感謝をする - 伝統

2020/03/20 (Fri) 02:46:53


           *「光明法語」(3月20日《神想観と感謝行》)より

心を「不完全の念波」(迷い、又は病念)から解放するには、
言葉の力、思念の力によって不完全の反対の念波を打消すことが必要なのである。

神想観により、神のみ實在であり、實在するものは悉く完全であり、
人間は神の子であるから、完全であるほかはないと云う念を強力に、精神集中的に
起こすことは「不完全な念波」を消散又は撃退するのに非常に有効な方法であるのである。

更に有効な方法は、「既に完全なる状態がある」と観じ、
常住それを感謝する念を起こすことである。

         <感謝合掌 令和2年3月20日 頓首再拝>

感謝と愛とは表裏一体の感情である - 伝統

2020/04/01 (Wed) 05:03:06


         *『栄える生活365章』(P30)より

”感謝”は一切の善きものとの同調の感情の発露であり、
”愛”は一切のものと、自分とが内面に於て一体であることを
意識的又は無意識的に自覚した感情であるから、
”感謝”と”愛”とは表裏一体の感情である。

”愛”ふかければ相手のどんな言行(げんこう)にも、
その奥にはたらいている”実相の善”が透見できるために
その人を憎むことなく、その人の身になって考えてあげることができ、

「無理もない!」と、ひとの言行(げんこう)に同情と赦しとが能(で)き、
互いに理解が深まり、その人の味方となることができ、
その人の”実相”として宿る神性を引き出して来ることができ、
その人を”善”に化し、その人を自分の味方にすることができるのである。

         <感謝合掌 令和2年4月1日 頓首再拝>

『天地一切のものに感謝して』 - 伝統

2020/04/02 (Thu) 05:02:43


        *『白鳩』(昭和40年4月1日の法語)より

今日いちにちの開始を先ず感謝することから始めようではありませんか。

先ず神に感謝し、祖先に感謝し、父母に感謝し、
良人に感謝し、子供に感謝し、家庭にはたらく全ての人々に感謝し、
勤め先のすべての人々に感謝し、

住む家に感謝し、一切の身の廻りの品々に感謝し、
これら一切のものの根源となった神の御恩、衆生の御恩に感謝することから
今日一日を始めようではありませんか?

         <感謝合掌 令和2年4月2日 頓首再拝>

《感謝の念は供給を増す》 - 伝統

2020/04/08 (Wed) 02:35:35


       *『 生長の家 』(昭和26年4月8日の法語)より

   チャールス・フィルモァは 『 心の原子爆弾的力 』 と題する書のなかで、

   『 我らが既にもてるもの、又は神の子として我々自身に期待し得るものに対して
   感謝する言葉は、唯(ただ)の一語でも、神の無限供給の本源より
   豊かなる供給を発掘する力があるのである 』 と云っている。

   それをメリー・ルーイズ・キュープファール女史は 註釈して、
   その感謝の実践は 「 什一税の実践 」 が最も好いのであるとしているのである。

   什一(じゅういち)税と云うのは 自分の収入の十分の一を神に感謝の意味で
   献げることなのである。

   その什分の一を献納することも
   慾ばる心や、単に機械的に行うのでは可(い)かぬ。

   真実感謝の念が伴わなければならないのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12215673.html (消滅)

         <感謝合掌 令和2年4月8日 頓首再拝>

《すべての物に感謝する祈り》 - 伝統

2020/04/09 (Thu) 02:08:00


       *「光明法語」(4月9日)より

また神はすべてのものの内にましますが故に、すべてのものに感謝し、
それを讃(ほ)めたたえることは偉大なる祈りである。

神に感謝しても万物に感謝しえないものは、
真に全く神に感謝しているのではないのである。

ただ神に対する祈りは、神の表現である「万物」に対する祈りよりも、
尚一層直接的であると言い得るのである。

されば吾々は毎日或る一定の時間は神に対して
心を完全に振り向ける祈り(神想観)を行事なければならぬ。

それと共に神の表現である万物に感謝しなければならぬのである。

         <感謝合掌 令和2年4月9日 頓首再拝>

《常に感謝する祈り》 - 伝統

2020/04/13 (Mon) 04:34:25


       *「光明法語」(4月13日)より

常に間断なく善き事を考えている者のみが善き事を来る様に祈っている事になるのである。
常に間断なく善き事を考えている者とは、常に今ある状態を不平に思わず、
既に「實相の完全な相(すがた)」があるとして感謝している者の事である。

常に感謝している者は、常に善き事を祈っていることになる。

併し、単に今ある状態に甘んじている者は、それ以上の状態を祈っているのではないから、
其れ以上の結構な事物は現れて来ないだろう。

「實相無限の善」を今ありと感謝する者のみが無限に改善し
生長する善き事を得るのである。

         <感謝合掌 令和2年4月13日 頓首再拝>

《凡ゆる環境は自己表現の好機会であるとして感謝する 》 - 伝統

2020/04/17 (Fri) 04:44:08

        *『 生長の家 』(昭和25年4月17日の法語)より

   吾は 凡ゆる機会を自己表現のチャンスであるとみるが故に
   如何(いか)なる変化をも恐れないのである。

   吾は 常に よろこぶのである。
   吾は 如何なる環境に対しても
   自己表現の機会であるとして感謝するのである。

   画家は自分の写生する景色が常に同じ景色であっては
   完全に自己表現をとげることができないのである。

   だから色々の景色の所へ でかけて行って それを写生するのである。

   それと同じ様に 吾は自分を迎えてくれる凡ゆる境遇(かんきょう)を
   自己表現であるとして感謝するのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817989.html (消滅)

         <感謝合掌 令和2年4月17日 頓首再拝>

《感謝はあなたを健康ならしむ》 - 伝統

2020/04/25 (Sat) 05:01:24


      *『 生長の家 』(昭和26年4月25日の法語)より

   毎日自分の身体に感謝せよ。
   それを物質として感謝するのではなく、神の「 霊身 」 として、
   神の霊がわが肉現として顕(あら)われましますとして感謝せよ。

   瞑目して 自己の頭髪に感謝せよ。脳髄に感謝せよ。
   脳髄が常に若くその血管が柔く弾力があり、
   判断力も記憶力もいつまでも優秀であることに感謝せよ。

   自己の眼(め)が神様の眼であり、神の創造の美しさを
   神自身 見たもうための器官であることを感謝せよ。

   自己の耳が神様の耳であり、神の創造せる妙(たえ)なる自然の言葉を
   神自身 味いたまうための器官であることを感謝せよ。

   かくて鼻に感謝し、口に感謝し、すべての内蔵に感謝するのである。

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12241704.html(消滅)

         <感謝合掌 令和2年4月25日 頓首再拝>

【感謝の反対は「当たり前」】 - 伝統

2020/04/29 (Wed) 04:44:56


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.04.27)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   なにか一つ問題が起きたとき、
   多くの人は「なぜ、こんな問題が起きたんだろう」と考えます。

   理詰めで考えると、いろいろな原因が思い当たるでしょう。

   でも、魂的な視野からいうと、
   自分に起きる問題は「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして
   出てきています。


   だから、上司が自分にいやがらせをするのだとしたら、
   いやがらせをしない同僚やなんかに感謝が足りなかったのです。

   感謝の反対は「当たり前」。

   同僚たちがいやがらせをしないのは当たり前だと思っていた。

   ということは、感謝を知らないのです。


   だから、病気になったのだとしたら、
   からだに感謝することを知らなかったんです。

   それの「気づき」のために、どこかからだの具合が悪くなる。

   それに気づき、他の具合が悪くないところ一つひとつに感謝すればいいのです。


   必要な治療を受けながら、感謝すればいい。

   そうやって、問題のないところに感謝して、感謝して、
   最後に問題そのものにまで感謝できたとき、
   その問題は消滅するようになっています。


   これはお約束ごとです。


   この世は、そういう仕組みになっています。

   ということは、問題が起きたとき、

   「これは自分が感謝を知らなくて起きたんだ」

   と思い、最初から問題そのものに感謝するのが、一番いいんですよね。


   問題そのものに「感謝してます」

   といえば、その問題は終わるんです。

   でも、最初から問題そのものに感謝するという流れには行かないものなのです。

   だから、最初は問題を起こしていない周りに感謝から始めるのです。


   周りへの感謝から始めると、やがて、その問題にも感謝できるようになります。

   そして、魂が上にあがります。

       <『運命は変えられる』KKロングセラーズ>

           ・・・

今は、コロナ禍によって、様々な問題があぶりだされている。

そして、マスコミには、不平や不満、批判、文句やグチが満載だ。


しかし…

仕事に行けなくなった人は、
当たり前のように、今まで仕事があったことのありがたさに気づく。

お店を閉めざるをえなかった人は、
当たり前のように、毎日お店があけられていたことのありがたさに気づく。

旅行や海外に行けなくなった人は、
当たり前のように、旅行に行けていたありがたさに気づく。

学校が閉まって困ってしまった親や子供たちは、
当たり前のように、学校へ行けることのありがたさに気づく。


当たり前の反対は、「感謝」。

普段、健康な人は「病気」になってはじめて健康のありがたさに気づく。

今まで当たり前だと思っていた、たくさんのこと。

コロナによって我々は感謝の心が試されている。


このコロナ禍の中…

不眠不休で働いてくださっている医療従事者や関係している役所の皆様…

国家や地域の治安や安全を守ってくださっている警察官や、自衛隊の皆様…

ライフラインを止めないで頑張ってくださっている
交通機関、電気、ガス、水道、通信、また流通関係、運輸、それに関係する工場の方々。


すべての関係する皆様へ、万感の思いを込め、心からのお礼を申し上げたい。

         <感謝合掌 令和2年4月29日 頓首再拝>

感謝で与えられ、不平で奪われる - 伝統

2020/05/10 (Sun) 04:50:01


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月10日)」より

感謝する程度にしたがって与えられ、不平を持つ程度にしたがって奪われる。

           <感謝合掌 令和2年5月10日 頓首再拝>

【心ひとつの置きどころ】 - 伝統

2020/05/19 (Tue) 04:22:44


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年04月28日)より

   (中村天風師の心に響く言葉より…)

   とにかく、何をする場合でも、
   現在恵まれている自分を感謝しなければいけませんよ。

   病(やまい)になっても、運命が悪くなっても感謝するんです。

   こう言うと中には、

   「何かもらったらとか何とかなら感謝もするが、
    患(わずら)って感謝する馬鹿があるか」

   と言う人もいるわね。

   でもそういうふうに考える人があったら、そう考える人こそ馬鹿ですよ。


   私も初めてそれを言われたときわからなかった。

   私がインドでひどい病を患っていたときです。

   毎日、そりゃ形容もできない病の苦しさで辛い思いでいたとき、
   ある朝、私が教えを受けていた先生が、

   「お前って、世界一の幸福者だね」

   と、こう言うんです。

   明日をもしれない重病で苦しんでいる時だけに、
   その言葉を聞いて私、腹がたちましたよ。


   「ひやかしも、いい加減にしてください」と言ってやりたかったが、
   向こうは階級の違う先生だから、突っかかっていくわけにもいきません。

   そうしたら、

   「お前よく考えなさい。
    お前は自分が現在患っていることを非常に恨みがましく思っているかも
    しれないけれど、死なずに生きていることをなぜ感謝しないんだ。

    よしんば、死んだからって喧嘩(けんか)にもならないし、
    それにまだ死なずに生きているじゃないか。

    そのうえ、その病があればこそ、このインドの山の中まで来て、
    人生というものを研究しようというい真面目な気持ちになれるんだ。

    もしも病がなかったら、何の役にもたたない他の所へ行ってしまうだろう。

    それを考えてみれば、病に対してなぜ感謝しないんだ」

   と言われ、ああそうか、私は阿呆(あほう)かいななあと思った。


   私、世の中にはもっと恵まれて丈夫で幸せに生きている人もあるだろうに、
   自分は何も悪いことをした覚えもないのに、
   こんな病を患うなんて、神も仏もあるもんかって考えてた。

   ありがたい、嬉しいなんて気持ちはちっともなく、
   見当はずれな恨みをもち、愚痴を言っていたんです。

   だから自分ながら愛想のつきるほど汚い気持ちと、不平不満ばかりで、
   感謝しなければならないような場合でも感謝せず、
   何の権利もないくせに自分だけには幸せな運命が来るのを当然のものとし、
   それをなし能(あと)う資格があるように、その当時の私は考えてた訳なんです。


   ですから、感謝の念のない人間は不幸ですよ、ほんとうに不幸ですよ。

   もののありがた味がわからないのですから。


   何を見ても聞いても腹がたって、コンプレックスを感じる人生が愉快ですか?

   つつましやかに感謝の念をもって生きるようになったら、
   どれだけ人生のスケールが大きくなるかわからないでしょう。

   結局、人生といっても、それを決定するものは、心なんです。

   昔から言っているでしょう、「心ひとつの置きどころ」と。


   側(そば)からは辛かろう、苦しかろうと思うようなことでも、
   本人がああ嬉しい、ありがたいと考えれば何でもないんだ。

   何もかも心の置きどころを替えることです。

           <『君に成功を贈る』日本経営合理化協会出版局>

              ・・・

「無一物中、無尽蔵(むじんぞう)、花有(あ)り、月有り、楼台(ろうだい)有り」

という詩がある。

千年ほど昔、中国の蘇東坡(そとうば)という詩人が詠んだ歌だ。


我々は、ないことを嘆く。

病気も同じで、足が痛いなら、それ以外は無事なのに、そこを見ることはしない。

すると、不平不満、文句のオンパレードの毎日となってしまう。

しかし、見渡せば、野には花もあるし、月もあるし、
それを見る高い建物(たかどの)もある、という詩だ。


我々は本来、はだかで生まれてきた。

それを裸一貫(いっかん)という。

自分の体の他には何の資本もないということだ。


そのことを、俳人小林一茶はこう言った。

「はだかにて生まれてきたに何不足」


本当は、我々は生きているだけでありがたいのに、
年を重ね、浅知恵がたまってくるにしたがって、不平不満や文句が多くなる。

「人生は心ひとつの置きどころ」

この今、死なずに生きていることに感謝…

この今、日本に、そしてこの地域に、自分の両親のもとに、生まれたことに感謝…


感謝の気持ちで、この今を過ごしたい。

           <感謝合掌 令和2年5月19日 頓首再拝>

【感謝の反対は「当たり前」】。 - 伝統

2020/06/08 (Mon) 03:51:04


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.04.27)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   なにか一つ問題が起きたとき、多くの人は
   「なぜ、こんな問題が起きたんだろう」と考えます。

   理詰めで考えると、いろいろな原因が思い当たるでしょう。

   でも、魂的な視野からいうと、自分に起きる問題は
   「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。


   だから、上司が自分にいやがらせをするのだとしたら、
   いやがらせをしない同僚やなんかに感謝が足りなかったのです。

   感謝の反対は「当たり前」。

   同僚たちがいやがらせをしないのは当たり前だと思っていた。

   ということは、感謝を知らないのです。


   だから、病気になったのだとしたら、
   からだに感謝することを知らなかったんです。

   それの「気づき」のために、どこかからだの具合が悪くなる。

   それに気づき、他の具合が悪くないところ
   一つひとつに感謝すればいいのです。


   必要な治療を受けながら、感謝すればいい。

   そうやって、問題のないところに感謝して、感謝して、
   最後に問題そのものにまで感謝できたとき、
   その問題は消滅するようになっています。


   これはお約束ごとです。


   この世は、そういう仕組みになっています。

   ということは、問題が起きたとき、

   「これは自分が感謝を知らなくて起きたんだ」

   と思い、最初から問題そのものに感謝するのが、一番いいんですよね。


   問題そのものに「感謝してます」

   といえば、その問題は終わるんです。

   でも、最初から問題そのものに感謝する
   という流れには行かないものなのです。


   だから、最初は問題を起こしていない周りに感謝から始めるのです。


   周りへの感謝から始めると、やがて、
   その問題にも感謝できるようになります。

   そして、魂が上にあがります。

        <『運命は変えられる』KKロングセラーズ>

          ・・・

今は、コロナ禍によって、様々な問題があぶりだされている。

そして、マスコミには、不平や不満、批判、文句やグチが満載だ。


しかし…

仕事に行けなくなった人は、当たり前のように、
今まで仕事があったことのありがたさに気づく。

お店を閉めざるをえなかった人は、当たり前のように、
毎日お店があけられていたことのありがたさに気づく。

旅行や海外に行けなくなった人は、当たり前のように、
旅行に行けていたありがたさに気づく。

学校が閉まって困ってしまった親や子供たちは、
当たり前のように、学校へ行けることのありがたさに気づく。


当たり前の反対は、「感謝」。

普段、健康な人は「病気」になってはじめて
健康のありがたさに気づく。

今まで当たり前だと思っていた、たくさんのこと。

コロナによって我々は感謝の心が試されている。


このコロナ禍の中…

不眠不休で働いてくださっている
医療従事者や関係している役所の皆様…

国家や地域の治安や安全を守ってくださっている
警察官や、自衛隊の皆様…

ライフラインを止めないで頑張ってくださっている
交通機関、電気、ガス、水道、通信、また流通関係、運輸、
それに関係する工場の方々。


すべての関係する皆様へ、
万感の思いを込め、心からのお礼を申し上げたい。


           <感謝合掌 令和2年6月8日 頓首再拝>

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