伝統板・第二

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光明掲示板第二<すべてに感謝!> - 夕刻版

2019/02/08 (Fri) 19:34:30

《感謝によって苦しみが消える》

     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<8月28日>(P65)より

若い娘さんがお嫁に行って、その家庭がおもしろからぬ場合に、なんとかしてその婚家先から
逃げ出そうという思いを起こすと、病気になったりすることがある。病気になったら実家に
帰れると思うと潜在意識がその目的を達成させるために肉体を病気にならせるのである。

嫁が、そういうふうに逃げ出そうと思っているかぎりは本当の真心を尽すことができないから、
舅、姑から見ても百パーセントその嫁が真心を尽しているというように見えないから、
舅姑の方でも不満足である。そこでどうしても嫁に対して冷たく当たるということになる。

そして嫁と岳父母(しゅうとたち)との間に仕切りができたようになる。
けれども逃げ出すことができない。逃げ出すことができないのを逃げ出すために病気にでも
なるほかしかたがない。そこで潜在意識が病気をつくるのである。

夫婦間の仲がわるいために病気になれば、
胸の病気か、泌尿器生殖器の病気となって現われる。

岳父母(しゅうとたち)を憎んだり、自分をこんな家へ嫁がせたのは父母が悪いと、
父母を恨んだりすると脊椎カリエスになったり、頭の病気になったりする。

こうしてその人を精神分析しただけでは病気は治らない。
本人を説得して、本人の不平や憎みを捨てさせねばならぬ。

「ここがわたしの家である。どんな苦しみであろうがどんな悪いところであろうがわたしの家
である。わたしが受けてそれを改善してゆくしか道がないのである」そう思って、受くべき
ものを受けてしまう心境にならせたときに、そしてそれを感謝の念に変えしめた時に苦しみ
というものが消えてしまうのである。

これが和解の真理の応用である。
和解の真理というものは、都合のいいことだけに和解しているのじゃ足りないのであって、
悪く見えるものをそのまま素直に受けて拝む。

痛み来たれば痛みに礼(らい)し、熱来たれば熱に礼し、下痢来たれば下痢に礼し、
いかなる症状をも敵と思わず、自然療能の催しなりとして感謝して受けるのである。
―― この心境に導くとき、病が消える。カリエスが消え、癌が消える。

精神分析は、分析の仕荒(しあ)らしだけではいかぬのである。
最後は「天地一切のものに和解し、感謝せよ」という宗教的心境にまで
誘導することが必要なのである。

神経性心悸亢進症などは心臓の動悸を恐怖していたのを、一転して
「心臓が動悸しているので血が循(めぐ)っているのである。ありがとうございます」と
感謝の言葉を唱えさせるだけで、治ってしまった実例がある。

以前樺太の敷香(しすか)町の巡査をしていた星平治という人のごときは
札幌医大で両腎臓が結核に冒されているから治療の道なしと宣言せられたのを、

腎臓の疼痛ごとに「自然療能博士が治してくださる信号だ。ありがとうございます」と
その疼痛に感謝し妻に和解するように指導しただけで治ってしまい、戦争中召集されて
満州へ3年も従軍していてなんら病気が再発しなかったと報告せられた実例もある。

腎臓の病気も夫婦の心的葛藤から来るのであるから、
それを調和させたとき治った実例は多い。

            <感謝合掌 平成25年8月28日 頓首再拝>

・・・

誕生日というのは

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年09月06日)」より

   (志賀内康弘氏の心に響く言葉より… )

   私の友人の女性のお母さんは、たいへん面倒見の良い人で、
   困った人がいると放っておけない性分でした。

   その人柄を頼って、いつも家には親戚や友人などが泊まっていたそうです。

   ある日のこと、彼女の家に母親の知人であるカナダ人一家が泊まりに来ていました。
   お母さんは彼女に、「このカナダ人一家を東京観光に連れて行ってあげなさい」と
   言いました。


   その日は彼女の15歳の誕生日でした。

   彼女は朝からワクワクしていました。
   「お母さんは何をプレゼントしてくれるのだろう?」と楽しみにしていたのです。

   そこへ「知人のカナダ人一家を東京観光に連れて行け」と言われたので、
   彼女はむくれて出掛けました。

   そんな彼女の嫌々の態度は、カナダ人家族にも伝わったようでした。

   彼女は観光案内から帰ってくるなり母親に文句を言いました。
   「今日は私の誕生日なのよ。なぜ、そんな日に他人の観光案内をしなくちゃ
   いけないのよ!」

   すると、いきなり母親の鉄拳が飛びました。
   平手ではありません。
   ゲンコツだったそうです。

   そして、言いました。

   「誕生日だからといって、誰かに何かをしてもらおうとか、
   祝ってもらおうという気持ちがダメだ。

   あなたはいったい、何をしてもらおうと思っているの?

   誕生日というのはね、生まれてきたこと、育ててもらったことに感謝する日なのよ」

   この言葉は15歳の少女の心だけでなく、
   いい歳をしたオジサンである筆者にとっても衝撃的な言葉です。

   私も、「誕生日に何をもらえるか」ばかり考えて生きてきたからです。

   さらに、お母さんは言います。

   「何かをすることによって相手に見返りを求めてはいけない。
   相手をどれだけ楽しませたり、喜ばせたりしようとする気持ちがないから
   不満に思うのだ。
   お前は人間がちっちゃい」

   彼女は、この教えを受けて育ったせいでしょう。

   人を元気にする、人を喜ばせる名人です。

         <『他人と比べない生き方』フォーユー>

   ・・・

松下幸之助翁は、部下が入院したとき、病院に見舞いに行き、こう言ったという。

「退院したら”病気ありがとう”という記念行事をやりや」

病気から逃げるのではなく、これも修行だと思い、
病気と仲よくしようとすると、病気の方から逃げていくのだという。

病気は、健康であることのありがたさを教えてくれる。

快気祝いは、退院を祝ってもらうのではなく、
日頃の健康や、お世話になっている家族、周囲の人たちに感謝する日。


誕生日は、プレゼントをもらったり、まわりに祝ってもらうのではなく、
生まれたこと、育ててもらったことに感謝する日。


感謝が生まれると、人を喜ばせることができる。

            <感謝合掌 平成25年9月7日 頓首再拝>

・・・

感謝は神の祝福を受ける道

          *「女の浄土」(P50~51)より

憂鬱にとざされた人よ、あなたの憂鬱を捨てよ。
心を明るくして、自己の周囲に既にあるところの何らかの”神の恵み”を見出せ。
”神の恵み”は至るところに充ち満ちているのである。

5分間もそれが無ければ死を招くような尊い賜物である空気を、
無料で与えられているではないか。

日光はどうであるか。
水はどうであるか。

私たちには歩く脚がある。握る手がある。見る眼がある。聞く耳がある。
嗅(か)ぐ鼻がある。味わう舌がある。触れて知る皮膚がある。
肺臓がある。心臓がある。胃がある。腸がある・・・

数えれば、数え切れないほどの神の恵みにとりまかれていながら、
その神の恵みに感謝したことがあるか。

神は”泣き言”よりも”感謝”の言葉を悦び給い、
感謝によって神と波長が合うことになり、
神からの一層多くの祝福を受けることができるのである。

            <感謝合掌 平成25年9月24日 頓首再拝>

光明掲示板第二<すべてに感謝!>② - 夕刻版

2019/02/08 (Fri) 19:38:18

十方感謝の心になれば宿業は消える

          *「女の浄土」(P152~153)より

すべては善である。
あの人も善である。
自分も善である。

神の造り給うたこの世界には悪などないのである。
悪と見えるのは、「仮面をかぶった善」である。
すべては有りがたいのである。

「ありがとうございます」と十方感謝の気持ちになりますと、
その時こそ「煙の出る煙草」を指から放して棄てた時であって、
もう“迷いの雲”はたちのぼらなくなり、仮存在としての宿業は消え、
あらゆる面によきもののみがあらわれて来るのであります。

そうすると家族も病気しなくなりますし、子供も自然に優良になるのであります。

だから和江さんは次のように言われるのであります。

「その時から子供の成績もぐんぐん伸びまして、殆んどクラス一番で通しまして、
現在、甲陽中学の2年生に在学致しております。
……子供が永い間お医者さんにかかりましても治らなかった鼻血がピタリと止まって
おりましたし、母の心臓の発作もその頃から一遍も起こったことが御座いません」

このように“宿業”のように言われていたものでも、それは「本来の存在」ではなく、
「中間因」によって生じた「中間存在」でありますから、「中間因」をつかまずに、
心の世界から、それを棄ててしまい、ただ、「善」なる実相のみ実在であるとして、

ただそれのみを神想観によって観じ、天地一切のもの、特に祖先及び父母に感謝して
おりますと、悪なる「中間因」は消え、嘗て吐いた煙草の煙が、いつの間にか消えるように、
消えてしまい、ただ善なる根本実在なる“神の子”の立派な相のみがあらわれて来るので
あります。

この時あなたの家庭は、神のつくり給うたそのままの天国浄土と化するのであります。    

            <感謝合掌 平成25年10月1日 頓首再拝>

・・・

感謝する習慣

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年10月01日)」より

   (キース・キャメロン・スミス氏の心に響く言葉より… )

   私は、「成功する人」の対比として「失敗する人」という言葉はあえて使わず、
   「不平不満ばかりの人」といった表現を使っている。
   不平不満は成功の最大の敵であり、何もかもをぶち壊すほどの力を持つ。

   実に多くの人たちが、人間関係や仕事、自分の夢までも台無しにして
   悩み苦しむ姿を、私は長年目にしてきた…すべてはその悪癖のせいなのだ。

   成功する人は周りに元気を与えてくれる。
   彼らがどんな人生を歩んでいるか、これからどんな人間になっていくかを
   考えるだけで、ワクワクして力が湧いてくるのを実感する。

   つまり、成功する人というのは、一緒にいるだけでこちらまで気分が高まるのだ。

   それとは対照的に、いつも不平不満を口にする人というのは、
   言わば「心の吸血鬼」で、とかく周りの人の元気を奪ってしまう。


   成功する人は互いに引き寄せ合い、
   不満ばかりの人もまた互いに群れていることにお気づきだろうか。

   類は友を呼ぶという諺は本当なのだ。

   愚痴を言う人がいると部屋が暗くなり、出ていくと明るくなる。
   そのわけは、一緒にその不平不満も連れていってくれるからだ。

   そういった人が集まるとすぐに不幸自慢をはじめて、
   誰の人生がいちばん惨めか張り合いだすことにお気づきだろうか。

   成功者が不満を抱えた人とは一緒にいたがらないのも無理はないのだ。

   成功者になるということは、「決断」の問題だ。
   その決断の表れのひとつが、恨み言をやめて、感謝する習慣をつけることだ。

   成功者がいると部屋が明るくなるのは、彼らの話が人生への感謝に満ちているからで、
   過去も今も未来も人生の明るい面に目を向けた話し方をするからだ。

          <『十の分かれ道』アルファポリス>

   ・・・・・

不平不満を言う人は、まわりのせいにする他責の人。
他責の人は、否定の人。

否定からはマイナスのエネルギーしか生まれず、人からプラスのエネルギーを奪っていく。
だから、周りが暗くなる。


「成功」の反対は、「不平不満」

「不平不満」の反対は、「感謝」


行くところ行くところが明るくなる「感謝の人」でありたい。

            <感謝合掌 平成25年10月4日 頓首再拝>


・・・

感謝していると、人生の質が向上していく

ありがたいと思う

  *「次の2つから生きたい人生を選びなさい」
        タル・ベン・シャハー著(P159~161)より

appreciate という英語にはふたつの意味があります。
ひとつは「感謝する」で、何かを「あたりまえに思う」のとは正反対のニュアンスです。
もうひとつは「価値が上がる」で、「資産価値が上がる」といった表現で使われます。

私たちの生活において「感謝」がなされるときは、この両方の意味が絡んできます。

心理学の研究結果によると、毎日感謝をすると、ありがたいと思えることが増え、
さらに感謝できることが増えていくということが繰り返し証明されています。
しかし悲しいことにその逆も真実です。

ありがたいことがあっても感謝を忘れ、それをあたりまえのことと思うなら、
そのことの価値が下がってしまうのです。

感謝の日記をつけることをお勧めします。
毎晩、寝る前に感謝できることを5つ書き留めるのです。

または単純に、日々の暮らしのなかで何かいいことを3つ見つけることを
毎日の習慣にしてもいいでしょう。

恵まれていることに気づき、それに感謝していくなら、いいことがもっと増えていきます。


《「感謝」する時間をつくる》

心理学者のロバート・エモンズとマイケル・マッカローは一連の研究の中で、
「感謝できることを毎日5つ書く」という実験をしました。

感謝する内容は重要なことにかぎらず、
ささいな喜びや束の間の体験でもいいというものでした。

実験の参加者は、両親の事からローリング・ストーンズ、朝目覚めたこと、神についてまで、
あらゆることを感謝のリストに書き込みました。

毎日1~2分、感謝する時間を取ったことは思いがけない効果をもたらしました。

「感謝できることを考えたグループ」は「何もしなかったグループ」に比べ、
人生をより肯定的に評価できるようになっただけでなく、幸福感が高くなり、
ポジティブな気分を味わえるようになりました。

もっと幸せになって、意志が強くなり、エネルギッシュで楽観的になったのです。
また、人に対してもっと優しくできるようになり、積極的に人に手伝いを申し出るように
なりました。

最終的に、「感謝のグループ」の人たちはよく眠れるようになり、
よりよく運動するようになり、身体的不調も減ったのです。


生活の中で感謝する時間を取るだけで、なぜこれほどポジティブな効果があるのでしょうか。
エモンズとマッカローは、感謝をきっかけとして、成長と幸福感の好循環が生まれるからだ
と述べています。

感謝出来ることを考え、それをリストにしていくことで幸せな気分になり、
幸せな気分になるとポジティブな出来事に気づきやすくなり、
そのポジティブな出来事をもっと経験しようとします。

それによりもっと感謝できることが増え、結果として人生の質が向上していくのです。

感謝できることをしっかり味わうということを選択することで、
あなたはいつでも幸せのポジティブ・スパイラルを起すことができます。

感謝すべきことに感謝する(アプリシエイト)とき、
その感謝すべきことの価値は上がる(アプリシエイト)のです。

      ・・・・・

*appreciate(アプリシエイト)
   語源から、ap(…に)preciate(値段をつけるーpriceから変化)ということで
   「値をつける」が原義。

   そこから、「(正当に)評価する(良さがわかる)」
   →「(評価して)感謝する」と意味が広がって行った。

            <感謝合掌 平成25年10月17日 頓首再拝>

・・・

真の「ありがたさ」

     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月28日)より

感謝は必要であるが、ただむやむにありがたいばかりでは足りないのである。
神がすべてのものをすでに与えられている実相を知ってのありがたさにならなければ
本当ではない。

ただ手段として「ありがたい」を言っていれば無限供給やいろいろの利益が与えられると
思うのは「ありがたい」を手段として、方法としたのである。
手段や方法は過程であり、実験室でのことである。

ある程度の功徳は実験せられるかもしれないが、
大生命の海原にそのまま坐しているような大きな功徳はないのである。

法悦というものは手段としての「ありだたさ」でもなく、
方法としての「ありがたさ」でもなく、利益が得られたからの「ありがさた」でもなく、
そのまますでに与えれている意味での「ありがたさ」である。

           <感謝合掌 平成25年10月28日 頓首再拝>

光明掲示板第二<すべてに感謝!>③ - 夕刻版

2019/02/08 (Fri) 19:40:37

感謝の思いを込めて「いただきます」

        *「禅が教えてくれる 美しい人をつくる『所作』の基本」
         桝野俊明・著(P95~97)より

《食べ物をいただくとは、命をいただくこと》

食事のときに「いただきます」ということは誰でも知っています。
では、何をいただくのでしょうか。

目の前に並んだ料理をいただくのはもちろんですが、料理の食材である肉や魚も、野菜類も、
もともと生きていた、つまり、命があったものです。

いただくのはその命。

まさに尊い命をいただくのですから、
心から感謝の思いを込めて、この言葉が発せられるべきでしょう。

(中略)

手を合わせるのは心のなかでもいいし、「いただきます」をそっと呟いたっていい。
その所作で感謝の思いが広がるのです。

姿勢もピシッとしたものになるはず、料理にかがみ込むようにしたり、足を組んだり、
テーブルに肘をついたり・・・なんてことはできませんね。

(中略)

食べる行為を修行として重んじている禅では、
その食事所作として「五観の偈」を定めています。
その偈の大まかな意味は次のようなことになります。

一、 たくさんの人の働きで、今この食事があることに感謝しながらいただく。
二、 このありがたい食事をいただいていい自分なのか、おこないを反省していただく。
三、 貪りや怒り、愚かな心がないか、問いかけながらいただく。
四、 体も心も健全に保ち、修行を続けていくための良薬としていただく。
五、 人間としてより高い人格を磨いていく「成道をなすために」。
   そのことを思い、合掌していただく。


とりわけ、最初の「たくさんの人の働きで・・・」ということを私たちは忘れがちです。
当たり前のように食事ができる、と思っているかもしれませんが、
一粒の米が口に入るのは、目に見えない大勢の人の働きのお蔭です。

禅には「100人の人のお蔭」という言い方をしますが、稲の種籾(たねもみ)をつくる人、
苗を育てる人、田植えをする人、草取りをする人、肥料を与える人、さらに刈り入れ、
脱穀して米を送り出し、流通経路に乗せ、販売・・・というふうに、

そこにかかわる数えきれないほどの人たちのお蔭が重なって、
はじめて私たちは米を食べることができるのです。

それを思っただけで、食事の所作はおろそかにできません。
心がこもったものになるはずです。


<参考Web:「生長の家“本流宣言”掲示板」内スレッド
       「「心を込めて『いただきます』『ごちそうさま』を…」 (425)」
       → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=111 > 
                                     (103)

           <感謝合掌 平成25年11月9日 頓首再拝>

・・・

アメリカでは、今日は「感謝祭(サンクスギビングデー)」の祝日です。
日本の「勤労感謝の日」(11月23日)に当たります。

日本での「勤労感謝の日」が収穫を祝い、神に感謝する古来からの行事を起源としていますように、
アメリカでは最初の移民が初めて収獲を得て神に感謝したことを記念しております。

・・・・・

《感謝について》

           *「人生の秘訣365章」(P84~85)より

感謝は生命のパン種(たね)のようなものである。
パン種によって、パンの味がつき膨れて来るように、
人生は感謝によって味いは増し、生命(せいめい)は生長して来るのである。

人生の”心の音楽”のうち最も美しき音楽は感謝であると云うことが出来るのである。

人生に困難が起って来たときに、その困難を克服する最初の最良も方法は感謝である。
感謝は険しき道を平かにし、人生の荒波を鎮めて、航海を安全にするのである。

感謝は悪と見える物の中に、善き物の存在を想像することによって心を調和ある状態に導き、
善き物を想像することによってついに想像する通りの善き物を人生に創造し顕現することが
できるのである。

感謝は悪と見える人の中に、善き人が存在することを想像することによって
心を調和ある状態に導き、善き人を想像することによって、相手の中から想像した通りの
“善き人”を現実に喚び出して実現するのである。

           <感謝合掌 平成25年11月28日 頓首再拝>


・・・以下は、聖書から「感謝」に触れた「使徒パウロ」の言葉からの紹介です。

(1)「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。
   喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

   神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、
   あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせる
   ことがおできになります。

   『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く』と書いてある
   とおりです。

   種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、
   あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を
   成長させてくださいます。

   あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、
   その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。

   なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、
   神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。

   言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。」

         (使徒パウロによるコリントの信徒への手紙二 / 9章 8~12・15節)

(2)「あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、
   あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談も
   ふさわしいものではありません。

   それよりも、感謝を表しなさい。
   詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。

   そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、
   父である神に感謝しなさい。」

         (使徒パウロによるエフェソの信徒への手紙 / 5章 4~5・19~20節)

(3)「教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。
   この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。

   いつも感謝していなさい。
   知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、
   感謝して心から神をほめたたえなさい。」

        (使徒パウロによるコロサイの信徒への手紙 / 2章 7節・3章 15~16節)

(4)「どんなことにも感謝しなさい。
   これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

              (使徒パウロによるテサロニケの信徒への手紙一 / 5章 18節)

(5)「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、
   何一つ捨てるものはないからです。」

                     (使徒パウロのテモテへの手紙一 / 4章 4節)

(6)「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、
   感謝しよう。

   感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」

                  (使徒パウロによるヘブライ人への手紙 / 12章 28節)

           <感謝合掌 平成25年11月29日 頓首再拝>

光明掲示板第二<すべてに感謝!>④ - 夕刻版

2019/02/08 (Fri) 19:41:53

感謝は、素早く伝える

        *「幸せを呼ぶ「おせっかい」のススメ」高橋恵・著<P127>より

感謝という字は、「感じた」ことを「ことば」で「射る」と書きます。

かつて気持ちを届けるのに一番速かったのが、弓矢(矢文)だったと思います。

「ありがたいと思う純粋で濁りのない心の状態をありのまま、
弓を射るようにパッと素早く伝えることが本当の感謝だ」と、ある知人に教わりました。

           <感謝合掌 平成25年12月17日 頓首再拝>
・・・

人生の贈り物

      *「feel blue こころが元気になる贈り物」秋月菜央・著(P40)より

贈り物をもらうとうれしい
たとえ小さなものでも

よく考えてみれば
私たちの人生は 贈り物でいっぱい

さわやかな朝
おいしい食事
街を歩ける元気
人のくれる笑顔
身近な人の小さな親切
笑いあえる仲間
楽しい計画

お礼も言わずに
ごく普通に受けとっているけれど
それらはみんな
人生の贈り物

心と身体を
元気にしてくれるギフト

           <感謝合掌 平成25年12月24日 頓首再拝>

・・・

まず、朝起きたら  

          *「女性の幸福365章」(P14)より

まず、朝起きたら、すぐ感謝することです。

眠っている間、全然自己の意識で自分を防御することができない間も、
何者にも害されず、傷つけられず、生理作用も順調に行われて、
再び意識の世界にかえることができたということは、何という悦びでありましょう。

それを恩恵だと考えないのは、あまりにも恩恵に慣れすぎているからなのです。
あらためてその恩恵を思い出し、感謝し、悦び、神をたたえることに致しましょう。

そこから今日のあなたの祥福が約束されるのです。

           <感謝合掌 平成26年1月16日 頓首再拝>

・・・

「ありがとう」の効果

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年1月16日)」より

   (山川紘矢氏の心に響く言葉より…)

   正直なところ、自分を振り返ってみれば、若い頃は、
   自分自身がとても感謝の足りない人間だったような気がします。

   自分の人生は自分の力で全部切り開いてきたのだと、大きな勘違いをしていました。

   勉強ができればいいのだ、という考えから、一番むつかしいと言われている大学に行き、
   一番難しい試験だと言われている司法試験も通り、国家公務員試験もいい成績でパスし、
   一番むつかしい就職先といわれているところに就職しました。

   それを全部自分の実力だと思っていました。

   そこには感謝がほとんどなかったような気がします。
   小さな世界で高慢に生きていました。
   そして、国家公務員を22年間しました。


   22年経ったとき、病気になり、退職しました。
   喘息になってしまったのです。
   今、思えば、自分では気づかないまま、ストレスが大きかったのでしょう。

   退職してからも、病気は簡単には治らず、最初の3年間はまさに地獄でした。
   息ができないほどの喘息発作が1日中続き、毎日、毎日苦しくて転げ回っていました。

   しかし、その喘息が神さまからの最大の贈り物だったと気がついたのは、
   何年もたってからのことでした。

   病気が人生を40代で変えてくれたのです。

   振り返って、人生は本当に完璧にできていると思います。
   必要なときに必要なことに出会い、自分を見つめなければならないようになっていたのです。
   問題の最中には、苦しくて、とてもそこまで考えが及びませんでした。


   ひどい喘息から少し動けるほどに回復したとき、あるセミナーに参加しました。
   そのセミナーで参加者全員が、みんなで手をつないで輪になり、
   「お父さんありがとう、お母さんありがとう」と言うワークをしました。

   僕はバカバカしくて、「こんなところに来て、何で幼稚園みたいなことをしなきゃ
   いけないんだ」と思いました。

   その夜、うつらうつら眠っていると、お父さん、お母さん、兄弟、友達、先生の顔が
   次から次に浮かんで来て、その人たちに「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と
   半分無意識で叫んでいました。

   すると、体がスーッと宇宙に広がっていくような感じがして、
   自分が宇宙と一つになったのです。

   それまで、あまり「ありがとう」と口にしない自分だったのです。

   そして、翌日から病気はどんどん、快方に向ったのでした。
   あの経験は不思議で忘れられません。

   「ありがとう」と言えたとき、病気はその役割を終えて消えていったのでした。
   「ありがとう」の効果をまざまざと体験しました。

         <『人生を変える極上の教え』イースト・プレス>

    ・・・

人生には無駄なことは何ひとつ起こらない、という。

病気や、事故や、不運なことでさえ、そこには何か意味がある。
もちろん、健康や、幸せな日常や幸運にも、意味がある。

だから、健康や幸運に日々感謝するのは当たり前に大事なことだが、
病気や不運にも感謝することが大事だということ。

なぜなら、それが起きた本当の意味を気づかせてくれたから。


誰に対しても、何に対しても、日に何回も、何十回も、「ありがとう」を言う人生でありたい。

           <感謝合掌 平成26年1月22日 頓首再拝>

・・・

すべてに感謝しましょう

           *「普通はつらいよ」<斎藤一人・著>より

(1)先祖をたどれば神に行き着く

  ①キリスト教だと「バイブル」、仏教だと「経典」とか、宗教によって教えがあります。

  ②しかし、日本の神様には教えがありません。

   それで「教えってなんですか?」といえば、
   日本の神様の場合には、神社に行くとたいがい鏡がある。

   その鏡を覗くと、神様が見えることになっている。

  ③「かがみ」というのは、真ん中に『が』がある。
   『が』というのは「我」。

   我をちょっと取り除く。

   「かがみ」から『が』を除けば、「かみ(神)」が残る。
   つまり、あなたの中に命という神がいるのです。

  ④これはどういうことかといえば、自分を取り除くと、私の後には親がいる。

   それで、親の向こうにはまた親がいる。

   ずっとたどっていくと、天照大神に行き着く。

   そのうしろへさらに行くと、
   伊邪那岐さんと伊邪那美さんという2人の神様に行き着きます。

   それが日本人の先祖です。

(2)私たちが今、生きていられる理由

  ①自分が神様なのです。
   それで、後ろ、後ろと見ていって、先祖を大切にするようにしましょう。

  ②日本の神様の教えとは、「先祖を大切にしましょう」、
   それから、「神様に感謝しましょう」。

  ③「先祖に感謝をしましょう」というのは、私たちが今生きていられるのは、
   いろいろな経験をした先祖のおかげだからです。

   いろいろな経験があるからこそ、私たちの体の中にいろいろな免疫があります。
   この免疫によって、私たちの体は守られ、生きていられるのです。

   過去、いろいろな病気がはやったときに、その病気で死ぬ前に、
   体の中に何とか免疫を作った人がいます。
   その免疫を作った人たちすべての恩が、自分の体の中にあるのです。

(3)感謝があればついてくる

  ①天照大神とは、簡単にいえば太陽のこと。
   あまねく、天照さんの光が、来ているのです。

   これは別に天照大神でなく、どんな神様でもいいでしょう。
   いろいろな光が、いろいろな神様が来ているのです。

   キリストは愛の塊であり、天照大神は感謝の塊であります。

  ②でも、その光を受けられる人と、受けられない人がいる。
   光を受けられないのは感謝のない人。

   人生うまくいかない人というのは、感謝がない。
   だから、感謝のない人というのは何をやってもうまくいかない。

  ③感謝することがないという人。
   そういう人は、「いいこと」にしか感謝しないのです。

  ④だから、感謝しましょう。
   先祖に感謝するとか、神様に感謝するとか、みんなに感謝するとか。

(4)足の裏の皮にだって感謝する

  ①感謝というのは、特別な「いいこと」にするものではなく、今あるものにすることです。

   私には目があって幸せとか、鼻があって幸せとか、とにかく今あるものに感謝をする。

  ②感謝するようになると、ほんとうに自分の人生は光輝いてきます。

  ③不幸な人は、感謝が足りない。
   感謝のない人は、ないものばかり数えるのです。

  ④先祖たちはいろんな苦労をしながら、
   たくさんの免疫や生活に役立つものを作りながら、私たちにバトンをくれたのです。

   そのバトンを、わたしたちが受け取って、ランナーとして走っているのです。
   そして、このバトンを次の世代に渡さなければいけないのです。

   だから、みんなで、この命のバトンを感謝しながら渡しましょう。

           <感謝合掌 平成26年1月25日 頓首再拝>

光明掲示板第二<すべてに感謝!>⑤ - 夕刻版

2019/02/08 (Fri) 19:43:33

”もっとも肝心なもの”

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年01月09日)」より

   (中村天風師の心に響く言葉より…)

   ここに面白い話があります。
   古代神話です。

  
   昔、悪魔がある町に現れて、

   「今日から、お前たちのものをすべて俺は奪い取ることにする。
   しかし悪魔にも情けはある。
   明日までに残しておいてほしいものを一つだけ書き出せ。
   それ以外のものは一切、俺が奪い去るからな」

   と言い残して、悪魔はひとまず立ち去った。


   さあ、町の人はてんやわんやの大騒ぎ。

   「俺はお金だ」「俺は食いもの」「私は家だ」「いや、私は名誉だ」「私は宝石よ」と、
   それぞれいろいろなものを書き出した。


   あなた方だったらどうする?

   悪魔はたった一つだけしか見逃してくれないんだぜ。

   さてさて、一夜明けてみると、その町にはなんと、
   たった一人の人間だけしかいなくなっていたとさ。


   もうわかったね。

   金だ、家屋敷だ、やれ宝石だ、やれ何だと書き出した人々は、
   もっとも肝心な「命」を忘れていたんだね。

   たった一人だけが「命」と書いていたので生き残ったというお話です。


   金だ、家だ、仕事だ、名誉だ、愛だ、って、
   確かにみんな大切なものではありますが、命あってのものでしょう。

   それ以外は所詮は人生の一部でしかないんですぜ。

   罰当たりな現代人よ、
   人生の一部が手に入った入らないで、悩んでいないか…。

          <『ほんとうの心の力』PHP研究所>

     ・・・・・

どんなひどい困難に出会おうと、病気や事故になろうと、
死ぬことと比べたらすべては「カスリ傷」のようなもの。

もし、明日死ぬ、とわかったら、
多くの人が、今ある何げない当たり前のような幸せに感謝することだろう。

歩けること、空気が吸えること、友や家族と語らえること、
大喧嘩(おおげんか)したことでさえ、愛(いとお)しくなる。


金も、家も、名誉も、宝石も、いかに大切なものであろうと、
死んだらこの世に置いていかなければならない。

それなのに、悲しいかな人間は、
目の前のモノや金や名誉をもっともっと、と欲しがってしまう。


もっとも肝心な、「生かされている」ということに比べたら、
すべてはちっぽけなこと。

すべてのことに感謝して、ありがたさをかみしめ生きていきたい。

           <感謝合掌 平成26年2月1日 頓首再拝>

・・・

【感謝は返謝してこそ完成する】

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年02月26日)」より

   (北川八郎氏の心に響く言葉より…)

   あらゆる場面で大切なことは、平凡ですが感謝ということです。

   この感謝の気持ちの大切さは、裕福な時はなかなかわからないものです。

   例えば絹の布団で寝たり、羽毛の布団で寝たり、暖房の効いている部屋で寝ていると、
   外の寒さがわらないのと同じです。

   子供たちが裕福な環境で育ち、次から次へとチャンスや物を与え続けられていると
   周囲に感謝する大切さがわからなくなるんです。


   感謝にはもう一つ大切な意味があります。

   それは、ありがたいと思うだけではなくて、
   その気持ちを今度は人に返していくことによって、感謝の心は完成するものなのです。

   だから「ありがたい、ありがたい、ああ、ありがたい」と言って、
   いつも人からもらってばかりではだめです。

   感謝し、本当にありがたいと思ったらその感謝の気持ちを、
   何らかの形で社会に還元することが大切です。

   同じ人に返さななくてもいいけれども、世間に必ず返すということです。

   「感謝は返謝してこそ完成する」のです。

   返謝のない感謝は、ただもらうだけの人生になる。
   いつももらうことを目指してしまう。
   そしてもらえないと目じりがつり上がる人になってしまう。


   人に与えるということは、人から返ってくることでもあるのです。
   ただ、そのことを期待しなさいというのでは決してないけれども、
   人は与えられたら必ず返そうとする気持ちを持っています。

   どんなものでも自分がいる分だけ少しもらって、あとはどんどん人に返してあげるといい。

   とにかく荷物を少なくするのです。
   良きこともためないで、わかち合う心を養うのです。

         <『繁栄の法則』致知出版社>

   ・・・

誰かに、心の底から感謝したいと思うなら、
何らかのかたちでそれをお返しをしようと思うのが人情だ。
それは、物やお金でなくても、心のこもったお礼の言葉や手紙でもいい。

もらいっぱなしの人生はあまりにむなしい。
逆に言えば、一つも与えることなしに、もらいっぱなしで人生を生き抜いた、という人を知らない。

「感謝は返謝してこそ完成する」

感謝と返謝多き人生でありたい。

           <感謝合掌 平成26年3月2日 頓首再拝>

・・・

【ありがとうの日】

今日は3月9日、 「3(サン)9(キュー)」の日です。


《「ありがとう」のレベルを上げる》

        *「普通はつらいよ」<斎藤一人・著>より


(1)「ありがとう」には限界がある

  ①「ありがとう」と言っていると、いいことが起こります。
   ただ、ある日突然、いいことが起こらなくなります。

   誰かに親切にしてもらったら、「ありがとうね」とか、「感謝してます」とか言う。
   これは当たり前です。

   ただ、当たり前のことも言えなかった人が、
   当たり前のことを言うようになったら、それは周りも喜びます。
   親も喜ぶし、神様も喜ぶ。人としての成長過程だから。

  ②「ありがとう」と他人に言っているばかりではだめなのです。
   「ありがとう」と他人から言われるような人生を送ることが重要なのです。
   それが、次の段階。

   そのためにまずできることは、いつも笑顔でいること。
   それだけで、「あの人、感じいいね」となります。

   お年寄りが荷物を持っていたら、率先して持ってあげる。
   レストランに入って、店員が通りづらそうにしていたら椅子を少しどけてあげる。

   自分のできる範囲で、「ありがとう」と言われることをしましょう。
   ほんとうに些細なことでいいのです。

   そうしたことをくり返して行っていると、いろんなことがうまくいくようになります。
   たとえば、会社の上司から認められる、人間関係がうまくいく、商売がうまくいく。

   あなたは、他人から「ありがとう」と言われる人生を送っていますか?


(2)感謝の次にすべきこと

  ①日本は感謝の国です。
   神様と同じで、人は感謝され、「ありがとう」と言われる生き方をしなくてはいけない。

  ②「ありがとう」という言葉自体、絶対にいい。
   けれど、それをそれを言うことだけを最終目的にしないでほしい。

   「ありがとう」「感謝します」を言えるようになったことは拍手物です。
   しかし、それが終着駅ではない。

   ここが魂を成長させるスタート地点なのです。

  ③どうしたら他人から「ありがとう」「感謝してます」と言われるようになるだろうか。

   「あなたが生きててくれてよかったよ」とか、「あなたがいてよかった」とか、
   「このお店があってよかった」とか、「この歌があってよかった」とか、

   どうすればそんなふうに言われるようになるのかを考えて実行する。

  ④人間の究極の目的は、人から喜ばれるような存在になること、
   「ありがとう」「感謝してます」と広くたくさんの人から言われるようになることなのです。


(3)かなう夢とかなわぬ夢の違い

  ①夢というのは、人から「ありがとう」と言われるとか、神様の役に立つとかいった、
   自分以外の誰かに役立つものでなくてはならないのです。

   自分の勝手な目標は、夢などといいません。
   他人が視野になくて、「こうなりたい」「ああなりたい」というのは、
   単なる願望というか、野心です。

   そんな目標には誰も協力しない。うまくいっても、途中ですっころんで、落ちる。
   人様のことを考えない夢なんて、うまくいきっこありません。

  ②「ありがとう」「感謝してます」とばかり言っていて、
   ずっとその場で立ち止まってはいけないのです。
   
   始めたばかりのころは、いいことがいっぱい起きる。
   でも、しばらくしたら言ってもいいことが起こらない、という人がいます。

   それは、天からのサインです。

   「そろそろあなたは、次の段階に行きなさい。
   次は『ありがとう』って言われる生き方をしなさい」ということです。

           <感謝合掌 平成26年3月9日 頓首再拝>

・・・

お釈迦様が教える『六方拝』

  ・・・

『六方拝』は、

『東・西・南・北』そして『天・地』の六方、

すべてに感謝しなさいというもの。

  ・・・

やり方はこうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『東に向かい、
 自分を生んでくれた両親、
 祖父母先祖に感謝しなさい』


『西に向かい、家族に感謝しなさい』


『南に向かい、お世話になった恩師、上司に感謝しなさい』


『北に向かい、友人や知人やお客様に感謝しなさい』


そして

『命を守ってくれる天と、命を育んでくれる地に感謝しなさい』


・・・

明日は、春分の日(春季皇霊祭)です。

明朝は、『六方拝』に続けて、
それぞれが、皇居の方角に向かい、皇居を通して「皇霊」を遥拝し、
歴代の天皇の御恩沢に感謝いたしましょう。

『六方拝』に『「皇霊」を遥拝』を加えると、『七方拝』になり、
より完璧なものになります。

           <感謝合掌 平成26年3月20日 頓首再拝>

・・・

乱感謝と全感謝

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年03月28日)」より

   (葉室頼昭氏の心に響く言葉より…)

   終戦後、日本人は多くの大切なものを失いましたが、
   その中でも大きなものの一つは「感謝の心」です。

   利己的で、自分さえ良ければ他人の迷惑などどうでもよく、
   自分の不幸をすべて他人のせいにして、感謝の心などみじんも持たない人が多くなりました。


   私は、長年医者として患者さんを診てきましたが、いつも体のどこかに不調を訴え、
   病気が治らないことに対して不平ばかりいっている患者さんがあります。

   私はいつも、

   「あなたは自分の体に感謝したことがありますか。
   生まれてから今まで、年中無休、身体の細胞は一秒も休まずに外敵からあなたを守って
   働いてくれているのに、ご主人さまがそのことを全然認めないで不平不満ばかりいって
   いたら、細胞だって怒って働く気力を失いますよ。

   今日から毎日『身体の細胞さん、今まで感謝を忘れ、不平不満ばかりいってごめんなさい。
   毎日働いてくれてありがとう』と全身を手でなでながら感謝しなさい」

   といっています。

   交通事故で体に傷跡や変形を残した患者さんの回復形成手術を行う機会も多かった
   のですが、いわゆる加害者を恨(うら)んで悪口ばかりいうような人は、
   手術をしても良い結果は得られませんでした。

   人を憎んだり非常に辛い思いをしているときには、レントゲンで見ると、
   腸がねじれたり、亀裂があったり、文字通り「断腸の思い」なのだそうです。

   「はらわたが煮えくり返る」くらい立腹しているときは、
   実際に胃腸の粘膜が真赤に充血しているのです。


   感謝の心のない生活に真実の健康は存在しません。
   幸福が与えられたから感謝するのではなく、感謝するからこそ幸福が与えられるのです。
   このことに気づかない人が多いようですが、感謝には、理屈や理由は不必要なのです。


   光が凸凹の面で反射するのを乱反射というのと同じく、
   いろいろな理由をつけての感謝は乱感謝です。

   光が鏡のような平面で反射すると全反射し、ピカッと光って眩しいように、
   理由のない全感謝が真実の感謝なのです。

            <『神道 感謝のこころ』春秋社>

       ・・・

葉室頼昭氏は、外科医でありながら、神職の資格を取得し、春日大社の宮司になった方だ。

超一流のスポーツ選手や演奏家は、自分の使う道具をとても大事にするという。
自分の子どものように話しかけたり、磨いたり、そして、感謝する。


日本の古くからの神道には、木や岩や山や川といった自然や、道具にまで、
神が宿り、降りてくる、という考え方がある。

三種の神器という、鏡や勾玉(まがたま)、剣などがよい例だ。


自分の身体はあまりにも自分の身近にあるため、感謝をつい忘れてしまう。
本当は、自らの身体は、モノである道具より数万倍大事であるにも関わらず、
雑に扱い、大事にしない。

「理由をつけての感謝は乱感謝。理由のない真実の感謝が全感謝」

自分の身体を、大切に扱い、いたわり、全感謝で接したい。

           <感謝合掌 平成26年3月30日 頓首再拝>

光明掲示板第二<すべてに感謝!>⑥ - 伝統

2019/02/08 (Fri) 19:44:47

・・・

熱意ある感謝

       *Web「「一級幸福士」への道」(Page 5)より

谷口雅春先生は、

《「感謝する」とは口先だけで「ありがとう」と空念仏のような称え語(となえごと)する
ことではない。心に深く感謝の意を実行にまで駆り立てるほどの熱意ある感謝でなければ
本当に感謝しているとは言えないのである》

と示されている。

感謝するのにも命がけでなければならないのである。

命がけの感謝といえば、私は末井勉講師(故人)が指導された感動的な体験を思い出す。

それは山陰地方に住むある若い女性に起きたことで、その女性は親から棄てられた子で、
両親の顔も知らなかった。そして 19歳のときに眼を患い、全盲になってしまった。

その女性に対して末井講師は、半紙2枚に筆で
「お父さんありがとう。お母さんありがとう」と書くとともに、その子の部屋に貼って
暇があったらその紙を手でさわりながら「お父さん、ありがとう・・」と唱えるように指導した。

その子は父母の顔も知らなかったわけだが、
2枚の紙が破れるまで命がけで感謝の言葉を唱えたという。

指の皮が破れて壁に穴があき、血がたらたら流れるまでやったというから、
まさに「熱意ある感謝」を行ったわけである。

すると、だんだん眼が見えるようになり、なんと2ヶ月後には、
はっきりと眼が見えるようになったというのである。

かくのごとく、真剣な熱意ある感謝は奇蹟をも生み出すのである。

さて、「心の世界」に感謝によって有り難い・・との幸福感が涵養されるとき、
現象的にも有り難いことが沢山、向こうから自然とやってくる。

この幸福を招く法則を「親和の法則」とも「類は朋(とも)を招ぶ」法則ともいう

           <感謝合掌 平成26年4月6日 頓首再拝>

・・・

【請求書の祈りと領収書の祈り】

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年04月15日)」より

   (五日市剛氏の心に響く言葉より…)

   著名な宗教評論家、ひろさちやさんの本を読んでいたら
   『領収書の祈り』というお話があり、とても興味深かったです。

   ひろさんは子供のころ、祖父母に「神さまやほとけさまにお願いごとをするな」
   といわれていたそうです。

   でも、ついそのことを忘れて、
   仏壇を拝む際に、ほとけさまにおねがいをすることが度々ありました。

   祖父母は、それを見透かしたように、「どうやって拝んできたか」と必ず聞いてきました。

   「今日、算数の試験があるから、100点取らせてくださいって拝んできた」と
   幼いひろさんが答えると、「あれだけいうてあったじゃないか。拝み直してこい!」
   と怒られたそうです。


   はて?  どうして神さまやほとけさまに、お願いごとをしてはいけないのでしょうか。

   それは、『請求書の祈り』だからです。
   神さまやほとけさまに勝手な請求書を突きつけて、
   「これを実現してくれ」というのはおかしいわけです。

   それよりは、「ありがとうございました」と感謝の気持ちを込めた、
   『領収書の祈り』が正しいと、ひろさちやさんはいっています。

   例えば、大学受験の際に、「合格しますように」と祈ったとします。
   しかし、自分が合格するということは、だれかが落ちるわけです。
   合格の祈りをする人は、そのことに気がついていないか、忘れています。

   つまり、このような請求書の祈りばかりをしていると、
   ついつい他人が目に入らなくなるわけです。

   さらに問題なのは、合格することはいいことで、
   落ちるのは悪いことだと思い込んでしまうことです。

   合格することがいいかどうかは、実際に入学してみないとわかりません。
   にもかかわらず、「おれを落としやがったな」なんて、
   神やほとけを恨むのはお門違いというものです。

   だから、

   「我々は、請求書の祈りをしてはいけない。
   いつも見守ってくれている神さまやほとけさまに、“ありがとうございました”
   という感謝の気持ちを込めた、領収書の祈りをすることが大切」

   と、ひろさちやさんは述べていました。


   なるほど! 僕はそのとき、魔法の言葉の一つの用法を、ふと思い出しました。
   「○○になりました、感謝します」と、未来に起こってほしいことを完了形でいって
   感謝すると、ほんとうにそれが実現しやすくなる…という魔法の言葉のつかい方。

   これは『請求書』と『領収書』のどちらの祈りになるのでしょうか?

   まさしく、『領収書』の祈りそのものです。

   なんだかホッとしました。

      <『なぜ、感謝するとうまくいくのか』マキノ出版>

         ・・・

3000件もの発明をした天才科学者、政木和三博士はこう語っている。

「欲望を捨てるということは、感謝の気持ちをいだくということに通じる。
本当の意味での感謝は無欲の中からしか出てこない。

そして、神仏に頼るのではなく、
何かを願うときは必ず『もう、そうなった』という過去完了形で思うべきなのである」

               (『この世に不可能はない』・サンマーク出版)より


何かを欲しいと願う時は、欲望の塊となっている。
お金が欲しい、合格したい、車が欲しい、あれも欲しいこれも欲しい…
それが満たされなければ自分は不幸だと思ってしまう。

それが、「請求書の祈り」。


反対に、今あるものに感謝している時は、心が満ち足りた無欲の時。
たとえ道で転んだとしても、その程度ですんでよかったと感謝する。
愚痴や文句や請求書的祈りの多い人より、感謝多き人を神仏は好む。

「○○になりました、感謝します」というのが領収書の祈り。

感謝多き人生でありたい。

           <感謝合掌 平成26年4月16日 頓首再拝>

・・・

感謝をすれば、満たされていることがわかる

         *「不死のしくみ」阿部敏郎・著(P120~121)

感謝という言葉くらい、私の人生に縁遠いものはありませんでした。
うまくいっていなかったのは出来事や環境そのものではなくて、
それに対する感謝の欠如だったことに気づきませんでした。

感謝がないと、何をやるにも不満が出ます。
感謝がないと、周囲の不備や不完全さばかりが目に留まり、批判的になり、
幸せな感情を味わうことができません。 

それが「傲慢さ」です。


逆に感謝をすれば、すでに「満たされているんだ」という面が見えます。
実際には足りないものよりも満たされているもののほうが、
はるかに多いという事実に気づきます。

そのありがたさを感じる質が「謙虚さ」だと思います。

           <感謝合掌 平成26年4月20日 頓首再拝>

・・・

【3本の指】

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年04月07日)」より

   (ハローデイ社長、加治敬通氏の心に響く言葉より…)

   当時はもう会社が潰れるぞという噂(うわさ)が広まっていたものですから、
   家に借金取りがくるんですよ。

   夜中にドアを叩いて、「社長を出せ」なんてこともありました。

   父親は会社の寮に避難させていましたので私が対応したのですが、
   長男として震える母や妹を守るのだと男気というか責任感に燃えていました。

   ですからほとんど寝ずに何日間も仕事をしていてもそんな精神状態ですから、
   目が冴(さ)えて眠れないんですよ。

   それで体はきついんですけど、夜中にまた会社に行って仕事をする。
   とにかく一円でも売り上げを上げたい、上げたいということしか頭にありませんでした。


   入社3年目の時に、地元の経営者の集まりに参加した時のことです。

   「経営者とは」という議題で、経営者にとって一番大切なものは何かと聞かれたので、
   私は「危機感です」と答えたんです。

   そして会社が潰れるという噂が流れると銀行はお金を貸してくれない、
   取引先は商品を卸してくれない、従業員も逃げていくから、
   いざとなれば誰も助けてくれませんよね、という調子で私は文句ばっかり言い始めたんです。

   「頼れるのは自分だけですよね、経営者は」と
   きっと偉そうな感じで言っていたんだと思います。

   そうしたら先輩経営者が「加治君、君はよう頑張ったな」と労(ねぎら)いの言葉とともに
   「よう頑張ったけどな、君は相手が悪い時どういうふうに指を指す」と聞いてきました。

   実際に指を指して見せると、
   「加治君よく見てごらん。人差し指は相手に向いているけど、
   3本の指は自分を指していないか」と。

   「相手に非があった時、確かに相手も悪いかもしれないけど、
   自分自身も悪いところが3つあるから考えてごらん、と神様が言っているよ」と
   おっしゃったんです。

   そしてその方がじっと私を見据えて

   「そんな潰れそうな会社でも商品を卸してくれる人や働いてくださる人、
   そういういい人たちが君の目の前にはたくさんいるのに、
   目の前の悪いものばかりしかみてないだろう貴様は! 」

   と、最後はもう怒鳴り声でした。

   その日はですね、もう一日中涙が止まりませんでした。
   これ何の涙かっていうと、嬉し涙だったんですよ。

   当時の私はとにかく一人で頑張っているつもりでした。
   俺は長男だから頑張るんだ、寝ずに頑張るんだって。

   でも本当は助けてくれる人が目の前にたくさんいたんですよ。

   夜中におにぎりをつくって持ってきてくださるパートさんや応援してくれる人が
   たくさんいた。

   でも、当時の私には悪いものばっかりしか見えていなかったんです。

   ですから「自分はもう一人ではない」という喜びで、一日中涙が止まりませんでした。

   そして、この時に私の心の中に「感謝」という二文字の柱がドンと打ち立てられたんです。

      <“すべては縁ある人と感動するために”『月刊致知 2014年5月号』致知出版社>

             ・・・

日本で一番視察が多いスーパーとして話題を集めているのが、
福岡県を地盤に展開するハローデイだ。

19期連続増収増益で、グループ全体の売り上げは790億。

加治敬通氏は、二代目社長として数々の試練を乗り越えてきた。


切羽詰った時、たいていの人は自分のことだけを考えるのに精いっぱいだ。
そんなときは、まわりが見えず、余裕もないから、うまくいかないことを、
人のせいにし、時代のせいにし、そして自分の不運をなげく。

過剰に防御本能が働き、結果として利己的で身勝手になっているからだ。

しかし、悲惨な状況でもなお、人のことまで思いやることができる人は、
マイナスの只中(ただなか)にもプラスを見つけることのできる感謝の心を持った人。


「人を指させば、他の3本の指は自分を指している」

人を呪わば穴二つ。

感謝の気持ちで日々過ごしたい。

           <感謝合掌 平成26年4月24日 頓首再拝>

・・・

【サービスの質とは無関係】

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年04月17日)」より

   (アラン・エプスタイン氏の心に響く言葉より…)

   色々な人にお礼の言葉をかけよう。

   店でほしいものをすぐ探してくれた人や聞きたいことに答えてくれた人に、
   道を教えてくれた人にも、八百屋に電話をしてくれた人にも、電話に出た相手の人にもだ。

   感謝の気持ちは、受けたサービスの質とは無関係だ。
   とりたててよい仕事振りでなくとも、お礼の言葉をかけること。
   料金所のひどく無愛想な係員にも「ありがとう。こんにちは」と声をかける。

   どんな小さなことでも、お礼の要らないサービスなどはないのだ。
   エレベータ係りにもお礼を言おう。

   受付の人、コートを預かってくれた人、宿泊カードの記入を求める人、
   クリーニングを渡してくれた人、その他あなたの今日一日を支えたみんなに、
   お礼の言葉をかけよう。

   そしてすばらしいサービスをしてもらったなら、遠慮なく賞賛の言葉もかけよう。

   このチャンスに、何かやってくれた人に感謝の気持ちをはっきり伝えなさい…
   たとえそのためにお金を払っている場合でも。

      <『今日一日、「自分の人生」の楽しみ方』(渡部昇一訳)三笠書房>

           ・・・・・

コンビニや飲食店で、仏頂面の店員からサービスを受けたとしても、
「ありがとう」と言える人はカッコいい。

反対に、お金を払っているのだから、それに見合ったサービスを受けるのは当然だと、
不当な扱いを受けたら大声で猛烈なクレームを言う人もいる。

どちらがスマートで粋なのかは言うまでもない。


お礼を言うことは、「サービスの質とは無関係」、なのだから。

「ありがとう」の言葉は、無愛想な表情を笑顔に変えることができるが、
「非難や文句」は、相手の心を閉ざすばかりだ。

北風と太陽の寓話のごとく、「ありがとう」は、人の心をあたたかくする。


どんなときも、「ありがとう」の言葉をそえたい。

           <感謝合掌 平成26年4月30日 頓首再拝>

・・・

「恩」を感じ、すべてに感謝する

          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(P42)より

われわれを嬉しくし、楽しくし、悦ばせてくれるものは実に「恩」の感じである。
「恩」とは因(もと)の心と書くが、因を知る心である。

恩を感ずるとき、わたしたちは苦しみの中にも喜んで飛び込むことができるのは、
恩の感じは苦しみを「歓喜(かんき)」にかえる念(こころ)であるからである。
恩を感じるとき実際苦しみは歓びに変わるのである。

激しい皇恩を感ずるとき、弾丸(だんがん)雨飛(うひ)の中へわたしたちは歓声を挙げて
跳び込みうるし、また弾丸があたっても痛まない。
感恩の念(ねん)は苦痛を歓喜にかえるからである。

痛みあり、苦しみがあるのは恩の感じ方が足りないからである。

皇恩に感謝せよ、汝の父母に感謝せよ、汝の夫または妻に感謝せよ、汝の子に感謝せよ。
汝の召使に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ。
その感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろうと

『生命の實相』の巻頭にある
―― 生長の家の教えを要約すれば、ただこの数句に尽きていると言ってもよいくらいである。

            <感謝合掌 平成26年5月24日 頓首再拝>

光明掲示板第二<すべてに感謝!>⑦ - 伝統

2019/02/08 (Fri) 19:46:45

【ありがとう、と言える人】

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月09日)」

   (松岡修造氏の心に響く言葉より…)

   「ありがとう」は、ネガティブ思考を消す魔法の言葉です。

   「お前の意見はいつも面白くないんだよ」と言われたら、
   「ありがとう。きみの指摘で気づかなかったことがわかったよ」。

   「少しは仕事のしかたを変えたら?」と言われたら、
   「ありがとう。私が良くなるきっかけをくれて」…


   辛辣(しんらつ)な意見を言われて自分を全否定されたように感じるときでも、
   「ありがとう」の気持ちで受け止めれば、何かしらプラスになるものを見つけられます。
   落ち込まずに、前に進んで行けます。

   「ありがとう」は、人間関係を豊かにし、人生を良い方向へと導いてくれる言葉だと
   思うので、僕は人から何か言われるたびに、「ありがとう、ありがとう」と心の中で
   言うようにしています。


   雪の降る寒い時期に、
   「くいしん坊!万才」のロケで北陸地方のある町を訪ねたときのことです。

   一人暮らしをしているおばあちゃんのお宅で、
   塩漬けにしたサバを使った料理を出してくれました。

   雪が積もると買い物もままならないので、
   昔から、寒冷地の冬の食事は保存食を使ったものが多いのです。

   「おばあちゃん、このサバはかなり塩がきいてますね」

   「きっと体に必要なんだろうね。昔の人の知恵だと思うよ」

   こういう話をしていると、日本という国がよくわかります。

   しんしんと降り積もる雪の中で、春の訪れを心待ちにしながら仕事や家事に精を出し、
   日本を支えている人たちがいるのです。

   そういう方々はとても温かくて、自分よりも人のことを思いやっています。


   このおばあちゃんも、「もっと不便なところで暮らしている人もいるんだから、
   私なんか本当に恵まれてるんですよ」という話ばかりでした。

   雪国の一人暮らしには不便なことも多いはずなのに、
   「ありがたい」「ありがとう」という言葉が常に出てくるのです。

   もし自分が雪深い町に一人で暮らし、毎日のようにサバの塩漬けを食べていたら、
   まったく逆の捉え方をするだろう。
   「ありがとう」なんて絶対に言えないだろう…。

   僕は、自分の不遜さと弱さを改めて気付かされた思いでした。


   「ありがとう」を伝えるのは、素晴らしいこと。

   「ありがとう」を感じるのは、幸せなこと。

   さまざまな人とコミュニケーションを広げることで、
   もっとたくさんの「ありがとう」を感じられる自分になりたいと、僕は思っています。

          <『伝わる!修造トーク』飛鳥新社>

        ・・・

「上をみればキリがない」と言われるが、不幸は比較から生まれる。
他人と自分を比較して不幸だと思う人は、いつまでたっても幸せになることはできない。

「自分より恵まれていない人がいる」と思いやることができる人は、
今与えられた幸せに感謝することができる。

普通に過ぎていく日常も、実は当たり前ではない、と分かったとき、
そこに「ありがとう」と感謝が生まれる。

先の東北大震災を考えてみれば、それは身にしみてわかること。


幸せは感謝することから生まれる。

どんなことにも「ありがとう」と言える人でありたい。

            <感謝合掌 平成26年6月11日 頓首再拝>

・・・


感謝をすると、幸福度が高まる8つの理由

       *「幸せがずっと続く12の行動習慣」(P100~105)より

(1)感謝をすると、いっそうポジティブな人生を味わえるようになる。

(2)感謝の気持ちを表すと、自尊心や自信が強まる。

(3)感謝はストレスやトラウマに対処するための助けとなる。
   ポジティブに考え直し、物事に対処できるようになるからです。

(4)感謝の気持ちを表わすと、道徳的な行動ができるようになる。
   感謝ができる人は他人を助ける傾向が強い。

(5)感謝は社会的な絆をつくる助けとなり、従来の人間関係を強固なものとし、
   新しい人間関係を築くのに役立つ。

(6)感謝の気持ちを表わすことができると、他人と比較して不公平だと感じることが
   少なくなる。

   感謝の気持ちがあると、隣人をうらやむことはほとんどないでしょう。

(7)感謝をすることは、ネガティブな感情と相容れないということです。
   感謝をすると、錨や恨み、貪欲さなどの感情を、実際に減らしたり、
   なくしたりすることができます。

   「感謝はネガティブな感情をなくすもの。感謝することで、怒りや嫉妬は
   溶けてなくなり、恐れや防御心が減少する」(精神科医ロジャー・ウォルシュ)

(8)感謝には、「快楽順応」を防ぐ効果があります。

   快楽順応とは、どんな新しい環境や出来事にもすばらしく適応できる能力のこと。
   これは、人生で素晴らしいものを得た時は、幸福感がたちまち高まるが、
   「快楽順応」能力のため、そう長くは続かなくなります。

   だから、もっと幸福になるための鍵の一つは、快楽順応の影響と戦うことにあります。
   つまり、感謝をすることがきわめて有効なのです。

   人生に起こる「いいこと」を当たり前のことと捉えず、
   感謝をすることで「快楽順応」の影響にも抗うことができます。
          
            <感謝合掌 平成26年6月19日 頓首再拝>

・・・

【手を合わせる】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月12日)」より

   (志賀内泰弘氏の心に響く言葉より… )

   仏教ではお参りをするとき、両手を胸の前で合わせます。

   日本人はよく「無宗教だ」と言われますが、
   信仰とは関係なくても、神社・仏閣を訪ねると自然と合掌します。

   合掌は、もともとインドに起源があるそうですが、
   キリスト教でも胸の前で両手を組んでお祈りします。

   その意味については諸説ありますが、共通しているのは、
   手を合わせること自体に精神を鎮める効果がある、とされていることです。


   さて、ネガティブな思いが心の中に広がってしまう要因とはなんでしょうか。

   もっとも大きなもののひとつが、不平不満です。

   「何で、私ばかりが損な役回りをさせられるんだろう」

   「あいつの家は金持ちでいいなあ」

   「オレだけが悪いんじゃないのに、また課長に怒られた」…。


   いわゆる愚痴ですね。

   ものごとがうまく運ばないと、どうしても人のせいにしたくなります。
   「ツイてないなあ」と、「不運」のせいにしようとします。

   でも、愚痴を言っても解決しません。
   かえって、「不運」のスパイラルに陥ってしまうだけです。


   心がネガティブになったとき、そっと両手を合わせてみましょう。
   そして、「ありがとう」と、すべてのことに感謝するのです。

   「すべてのこと」とは何か。

   家族が健康でいること。
   お金のもらえる仕事があること。
   住む家があること。

   もっと次元を下げてみましょう。

   目が見えること。
   耳が聞こえること。
   ものが食べられること。
   2本の足で歩けること。

   一見、当たり前と思えることに感謝するだけで、心が安らぎます。

   「私はこんなに幸せだったことを忘れていた」と。

   合掌すると、難しい理屈は抜きにして、不思議と心が落ち着きます。


        <『ポジティブ練習帳』同文館出版>

          ・・・

仏教では、右手を自分とすると左手が仏様ということで、
手を合わせることによって、仏様と自分が一体になるということ。

また、食事の前に手を合わせるのは、食べ物の命と自分の命がひとつになることだという。

他人に向かって合掌することは、本来は、深い尊敬の念を表すためにすること。


「手を合わすれば
憎む心もとけてゆき
離れた心も結ばれる
 
まるいおむすび
まるいもち

両手合わせて作ったものは
人の心をまるくする

両手合わせて拝んでゆこう」

『坂村真民一日一言』より


「ありがとう」の言葉とともに、手を合わせたい。

            <感謝合掌 平成26年6月26日 頓首再拝>

・・・

誰にでもできる「感謝を表わす4つの方法」

       *「幸せがずっと続く12の行動習慣」(P106~113)より

(1)「感謝日記」をつける。

   幸福度を高めるには、週に1度以上「感謝日記」をつけることが最も効果的だという
   結果が出ています。

(2)さまざまな感謝の表わし方

  ①時間を決めて、感謝すべきことを考え、感謝する理由や自分の人生の豊かさに
   ついて思いをめぐらす。

  ②当り前だと思っていて、有難いとは感じていないものを、毎日一つだけ見つけて、
   感謝をする。

  ③毎日、不快なこと(姉は私の誕生日を忘れた)を一つ考えて、
   それを感謝(姉はいつも私のそばにいてくれる)に変える。

  ④感謝を伝えるパートナーを得る。

(3)たえず新鮮な方法をとる。

  ①変化に富んでいることはとても大事なことです。

  ②人生において感謝をする対象を意図的に変えること。
   たとえば、感謝する対象を、支えとなってくれる人間関係だけでなく、
   仕事、過去の出来事、まわりの環境、人生そのものという具合にいろいろと
   考えてみるのです。

(4)直接、感謝を伝える

  ①相手に電話や手紙で、あるいは面と向って直接、感謝の気持ちを表わす。
  ②昔、お世話になった人に、すぐに感謝を伝える手書きを書きましょう。
   感謝の手紙を書くだけで、相手に渡さなくても幸福度はかなり高まります。

            <感謝合掌 平成26年7月1日 頓首再拝>

・・・

【感謝日記】

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月22日)」より

   (脳科学者・医学博士、岩崎一郎氏の心に響く言葉より…)

   カリフォルニア大学デイヴィス校のエモンズ博士らによる面白い研究があります。
   192人の学生さんたちに日記をつけてもらう実験です。

   まずは、192人を3つのグループに分けます。

   グループ1の学生さんには、
   「大きいことでも小さいことでも感謝できることを見つけて、それを日記に書いてください」
   と指示を与えます。

   グループ2の学生さんには、
   「人生には嫌なこと、イライラすることがあります。
   それを毎日思い出して、日記に書いてください」と指示します。

   グループ3の学生さんには、「毎日の出来事を日記につけてください」と指示します。

   こうして10週間、日記をつけてもらうのですが、それぞれのグループの学生さんには、
   「心の状態(感情)」「身体の状態」「人間関係」について日記と並行して記録して
   もらいます。


   さて、10週間後には何が起こっていたでしょうか?

   「感謝日記」をつけたグループ1の学生さんは、
   グループ2とグループ3よりも身体の調子が良くなり、
   エネルギーが湧いてくる感覚が持てるようになったとのことです。

   具体的には、朝の目覚めが良くなり、運動する時間が増え、人間関係が良くなった
   という研究結果が出ています。

   感謝日記をつけることで、なんと脳機能を高めると同時に
   「人間関係」と「運動」も連動して変わっていったのです。

   このように「感謝」するということは、実は人に大きな影響を与えることが
   わかってきています。

   「感謝」することは大切だといわれますが、
   どうもきれいごとでは済まされない何かがあるようです。

   人間の行動の90%が習慣によって動いているので、
   一つでも習慣を変えられれば、大きな変化への1歩を踏み出したといえるのです。

   習慣を変えようと新しいことを始めるときには、なかなか変化を感じないかと思いますが、
   脳の中では短いスパンで大きな変化が起こっているのです。

   そこを普段から意識されるだけでも、新
   しい習慣を身につけやすくなるのではないかと思います。


    <『何をやっても続かないのは、脳がダメな自分を記憶しているからだ』
                       クロスメディア・パブリッシング >

          ・・・・・

どんなに最悪だと思えるような局面でも、
そこによい面や明るい局面を見つけることができる人がいる。

松下幸之助翁のような人だ。

松下翁は、自分は「貧乏」で「病弱」で「学歴がなかった」から成功できた、と言っている。

貧乏だったから、ハングリーになれたし、病弱だったら人の助けを借りることの大事さを知り、
学歴がなかったら自分より頭のよい人の話をよく聞き、教えてもらうことができた、と。


毎日の仕事や生活の中に、喜びや感謝することを探し出せる人もいれば、
嫌なことやイライラすることだけしか見ない人もいる。

モノの見方はクセのようなもの。

その習慣がその人の人生をつくりだす。


感謝日記で人生は好転する。

            <感謝合掌 平成26年7月5日 頓首再拝>

・・・

【「ありがとう」から始める】

        *メルマガ「「人の心に灯をともす(2014年06月29日 )」より

   (ノートルダム修道会シスター、ジャンヌ・ボッセ氏の心に響く言葉より…)

   毎晩寝る前に、神様にラブレターを書いています。
   その日一日の出来事や出会いを振り返って、
   神様が私に行なってくださったさまざまな働きかけを思い出して、手紙に綴っています。

   もう30年以上も続けています。


   書き出しはいつも「ありがとう」(merci)。

   夜、一日を静かに振り返ると、どんなにたくさんの恵みが与えられているかがわかり、
   ありがとうといわずにはいられなくなります。

   「生徒さんとこんなお話をしました」

   「カナダから手紙をもらいました」

   「久しぶりに昔の教え子から連絡がありました」

   などなど…毎日毎日が特別な一日だと思っていますので、
   たとえあまりよいことがなかった日でも、感謝です。

   なぜって、その日、一日生きているだけで、もう十分ありがたいですから。


   ラブレターでなくても、お手紙を書いてみませんか。

   思いを文字で表そうとすると、どうしても自分の考えを整理しなくてはなりませんから、
   自分をじっくり見つめなおすことができますよ。

   感謝の言葉から始めれば、もっとよいかもしれません。

   感謝の後では、いやなことが書きづらくなるので、
   肯定的なことばかり書きたくなってしまうかも…。

   「ありがとう」から始める手紙、どうぞお書きになってみてください。

   きっとよい眠りにつけますよ。

   おすすめいたします。

        <『しあわせは微笑みが連れてくるの』メディアファクトリー>

          ・・・

「人生は晴れてもしあわせ、雨でもしあわせ」という、
カナダ生まれの現役シスターのジャンヌ・ボッセさんは96歳。

日本で暮らして65年になる。


手紙でも、会話でも、「ありがとう」の言葉から始めれば、続きは必ず感謝の内容となる。

しかし、「不愉快だ」とか「がっかりした」というような否定の言葉から始めれば、
続きは必ず不平不満、グチや泣き言、悪口や文句の内容となる。


最初はどんな言葉で始めるか、で人生は決まってしまう。

「私は幸せ」と言えば、幸せな出来事を探す。

「私は不幸」と言えば、不幸な出来事を探し出す。


「ありがとう」から始まる生き方をしてみたい。

            <感謝合掌 平成26年7月8日 頓首再拝>

・・・

【ありがとうといえば】

        *メルマガ「「人の心に灯をともす(2014年07月02日 )」より

   (石川洋氏の心に響く言葉より…)

   カンボジア国境に避難している難民の救済に出発する1ヶ月前のことである。

   私の不注意で石畳に横転して左手の指を3本折ってしまったのである。

   家に帰ってきて入口の障子を明けると、
   『丸田翁の健康法の話』というパンフレットが置いてあった。

   そのパンフレットの一番大切なところは、「治して下さい」とお願いをしてはならない。
   「治して下さってありがとうございます」と大声で1時間言っていると、
   必ず大転換が始まってくる、必ずよくなる、運命も変わる、と言うことであった。

   ごはんを食べる時も、寝る時も、起きる時も、
   「治して下さってありがとうございます」と唱える。

   空気も水も太陽も、みんな生かそうとしている。

   われわれは生かされるようになっているのだから
   「ありがとう」とお礼を言わなければならない、と書いてあった。

   早速、大声で仏様の前で「治してくださってありがとうございます」と1時間唱えてみた。

   すると本当に大転換が始まった。

   勿論、折れた骨が、元どおりに治るわけではない。

   しかし、先ず、お礼が出て来た。

   「左手であってよかった。右手であったらどんなに大変だったろう」
   と大感謝がこみ上げてきたのである。

   次に足の指を3カ所折ったら、歩くことが出来なかっただろう。
   「足でなくて手であってありがとう」と心からお礼を申し上げた。

   また、顔であって包帯でぐるぐる巻きにしていたら、人さまにいらぬ心配をおかけする。

   そして、家でけがをしなくてよかった。
   外の皆さんにご迷惑をかけることになる。

   次々、お礼がふえてくるのである。

   そして最後に「女房でなくてよかった」「私であってありがとう」と
   心底からお礼がこみ上げ苦笑してしまった。

   そのようにお礼を言っていると、けがの痛さを忘れ、
   けがをしたことが喜びに変わってくるのである。

   又、1ヶ月で治るだろうかという焦りの気持ちがなくなり、
   私は「丸田翁のおじさんありがとう」とお礼を申し上げた。

   このすがすがしい、次元を超えた大きな“ありがとう”に包まれ、
   感謝の手を合わせている時“ハッとした”。

   長い間、曲がらないでいた左手の3本の指の2本が動きだしていたのである。

   もう1本の指も曲がりかけているではないか。


   「ありがとうといえば  
   ありがたいものが見えてくる

   ありがたいものが見えてくれば 
   ありがたいあかしがあらわれる」

         <『ありがとう宣言』勉誠出版 >

        ・・・

神様にはお願いごとをしてはいけない、という話を読んだことがある。

なぜなら、神様にお願いするということは、神様に対する要求であり、
すなわち文句を言っているのと同じことになるからだ、という。
お願いする人は、現状のよいところを見ずに、悪い所をみてそれを直して欲しいという。

よいところを見れば感謝が出てくるが、悪い所を見れば文句が出てくる。
本当は、神様には「ありがとうございます」、という感謝しかないのにそれに気づかない。


病気やケガのとき…

「治して下さってありがとうございます」

ありがとうといえば、ありがたいものが見えてくる。

            <感謝合掌 平成26年7月13日 頓首再拝>

・・・




私たちは生きているだけで全感謝です

         *「全感謝する練習」喜楽・著(P160~163)より

私は昔から、だれかのことを「ライバルだ!」と思ったことがありません。
人と競争することに興味がなかったのもありますし、人と比べられることがイヤだったのです。
だから、自分も人と比べません。

「良きライバルをもつことで切磋琢磨し、ともに成長できる」という考え方もあります。
それをあえて否定するつもりはありません。

でも、競争で勝ち負けや優劣は測れても、喜びや感謝の量は測れません。
《人生で大切なものも測れないもののほうが多いのです》。

私たちは小さいころから比べられてきました。
学校に入ればテストの成績で、就職するときは学歴で、会社でも成績でと、
つねに比べられてきたのです。

しかし、人の価値は成績や学歴や役職で決まるのでしょうか?
世の中には社長よりしあわせな平社員もいます。
映画の世界では、俳優よりも自分の仕事に誇りを感じている小道具さんもいます。

私は「カレーライス」が大好きです。だから、どこでどんな「カレー」を食べるかにこだわります。
そして、それと同じぐらい「らっきょう」と「福神漬け」にこだわります。
 
カレーがメインで「らっきょう」と「福神漬け」はその引き立て役みたいなものですが、
引き立て役があってこそ、メインが引き立つのです。
私とって、「カレー」と「らっきょう」と「福神漬け」は同じくらい大切なのです。

 
話がそれましたが、人間社会だけで見ると、人は生まれながらにして不公平です。
裕福な家に生まれた子と貧乏な家に生まれた子。顔のいい人もいれば、そうでない人もいます。
生まれる国が違うだけでも大きな違いがあります。

だからといって、それが幸・不幸を決めるわけではありません。

生まれながらにして障害を負っている人もいますが、
「障害は不便です。だけど、不幸ではありません」と言って、
明るくしあわせに生きている人もいます。

そうかと思えば、五体満足でなに不自由なく暮らせているのに、
不平・不満ばかりを言っている人もいます。

この世には、だれ一人として自分の力だけで生きている人はいません。
便利な生活ができるのは、それをつくってくれた人のおかげです。
今の自分があるのは親のおかげであり、ご先祖様のおかげです。

生きていくための水があり、空気があり、自然があり、場所があるのは、私たちが神様から
祝福されている証しです。そう考えれば、私たちは生きているだけで全感謝です。

 
ニューヨークにある、物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁には、
青銅の盾がかかっているそうです。
その盾に刻まれた詩には、全感謝の思いが込められています。

だれかと比べて落ち込んだり、物事がうまくいかなくてつらいときに、
この詩を思い出してみてください。
きっと、忘れていたことを思い出させてくれるはずです。


           《苦しみを超えて》      

   大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
   謙遜を学ぶように弱い者とされた。

   より偉大なことができるように健康を求めたのに、
   よりよいことができるようにと病気を戴いた。

   幸せになろうとして富を求めたのに、
   賢明であるように貧しさを授かった。

   世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
   神を求め続けるようにと弱さを授かった。

   人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
   あらゆることを喜べるようにと命を授かった。

   求めたものは一つとして与えられなかったが、
   願いはすべて聞き届けられた。

   神の意にそわぬものであるにも拘わらず、
   心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。

   私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。

              ( ロイ・カムパネラ )

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1341453150/2527
2527 :愛と追憶の日々:2014/05/16(金) 18:57:20 ID:/wuDNhkM


            <感謝合掌 平成26年7月17日 頓首再拝>

・・・

【身体にお礼を言う】

        *メルマガ「「人の心に灯をともす(2014年07月19日 )」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   私たちは、人によって違いますが、1日に5時間とか8時間の休息をとります。
   それから「週休が欲しい」「月の休みが欲しい」「年の休みが欲しい」と言います。

   でも、人間の臓器は、全然お休みをしていません。
   もちろん、夜も寝ていません。

   土曜日になったらお休みする、日曜日になったらお休みするということがない。
   月に1回や2回休ませろ、というのもありません。


   私たちは、この心臓や膵臓や肝臓や腎臓に対して感謝することもなく、
   「自分の欲しいものが手に入らないんだ」「あれをどうしても手に入れたい」
   というようなことばかりを言っています。

   しかし、どうして今こうやって笑顔で生きていられる私、
   そして私のすべての臓器や細胞に対して感謝の心を持たないのでしょうか。

   これは臓器だけではありません。

   「私」が今、笑顔で生きていられるということは、すべてありとあらゆる存在の人から、
   「為し合わせ」としていただいているのです。
   (「為し合わせ」とは、お互いにしてあげることで「幸せ」という言葉の語源です。)


   私たちは、心臓や肝臓や膵臓からたくさんのことをしていただいているのにもかかわらず、
   お礼を言ったことはないと思います。

   このような存在にもお礼を言ってみてはいかがでしょうか。


   たとえば、右手で心臓に手を当てて、「愛しています。ありがとう」と言ってみてください。
   それだけで心臓は、ものすごくやる気になることでしょう。

   自分がいかに恵まれているか。
   笑顔で生きていられる「私」がどれほど幸せであるか、
   ということに気が付いた方がいいと思います。

   幸せの本質というのは、していただいていることに対して、
   「私」もおかえしをして、喜びがキャッチボールされること。

   それが幸せという言葉の意味です。

        <『神さまの見方は私の味方』宝来社>

        ・・・

輪廻転生、という生まれ変わりの考え方がある。
生まれ変わりとは、一時的に肉体は滅びても、魂は滅びることなく永遠に継続することをいう。
何度も何度も、時代を変え、国を変えて生まれ変わる。

つまり、身体は借り物で、魂だけが自分のもの、ということになる。

ほとんどの人は、身体は自分のもの、と思っているから粗末に扱ったり、大事に使わない。

本当は、身体は神さまからお借りしたもので、しかも無料でお借りている、
とそう思うなら、こんなありがたいことはない。


休みなく働き続ける身体に心からお礼を言いたい。

            <感謝合掌 平成26年7月29日 頓首再拝>

光明掲示板第二<すべてに感謝!>⑧ - 伝統

2019/02/08 (Fri) 19:47:36

背中のかみさま

      *『思わず泣けるいい話』 「小さな親切」運動本部 編 (P13~14)より

その日はとても暑くて、買い物に出かけてショッピングセンターにつくと、
店内も蒸し暑くて、あわてて6ヶ月の息子のシャツをぬがせようとしたけれど、
いつも通り、息子は泣きわめき、なかなかうまくいかずあせっていた。

いつもいつも息子は泣いていて、よその赤ちゃんと比べても仕方ないけど、私も落ち込んでいた。
夫も長期出張で、たった一人の子育て。
はじめての子育ては、ツライことばかりに思えた。

切ない気持とあせる気持で必死にぬがせようとする私の後ろから、

「がんばれがんばれ、お母さん。
僕は今しゃべれないし、何もできないけど、すぐに大きくなって、お母さんのお手伝いをするから、
今は僕をよろしくね」

という声が…。
ふりかえると、優しい笑顔でにっこりしながら去っていくおばあさんの姿。

涙が出てしまい、お礼も言えなくて。
でも、何か救われた気がして、その日から、子育てでツライ時、1人で落ちこみそうな時は、
あの「背中のかみさま」の声を思い出してみる。

笑える。
背すじがしゃんとする。
私はまだ大丈夫。

ありがとう、「背中のかみさま」
また、会いたいです。

            <感謝合掌 平成26年8月4日 頓首再拝>

・・・

守護霊様に感謝が伝わる方法

         *「あの世を味方につける生き方」(P149~150)より

私たちを見守ってくださる守護霊様には、お姿を見せて下さるときの決まった配置があります。

主護霊様は私たちの右側、指導霊様は右斜め45度、守護神様は頭の後ろ、
支配霊様は左斜め45度、補助霊様は左側に立ち、見せてくださいます。

なぜ、このような配置なのかハッキリわかりませんが、私たちのエネルギーは右回りなので、
一番高くていいエネルギーがくる右側ほど高級霊がいらっしゃるのではないかと思います。

誤解のないように申し上げますが、ずっとそこに立っていらっしゃるワケではありません。
私のような視える者が視るとき、その方のオーラの中に映って見せてくださるのです。
本体はあの世なのです。

  ・・・(補足:著者による守護霊の定義)(同書:P137~144)

  (1)主護霊:別名ガーディアンスピリット。
         
    ①私たちが生まれてから寿命を迎えてあの世に帰るまで大きな愛で見守ってくださり、
     一生変わることことなく、一人に対して一体の主護霊がついてくださります。

    ②私たちとは比べものにならないほどはるかに豊富な経験を積まれていて
     太刀打ちできないほど崇高な魂をもつ神様に程近い存在です。

    ③主護霊は私たちがつらい状況にあっても決して手を貸してくれません。
     主護霊は「助けられないの、あなたが決めた課題だから・・・」と言って、
     涙を流しながら大きな愛で見守ってくれているのです。

  (2)指導霊

    ①指導霊様は一人一体とは限らず、その方がいろいろなことに向き合って努力して
     いれば、さまざまな分野に通じた霊がついてくださるのです。

    ②自分と同じグループ・ソウルの人たちで、私たちの趣味や仕事など、
     生活をコーディネートしてくれる霊です。

    ③私たち自身が頑張ると、指導霊さんも頑張ってくださいます。

    ④ただし、指導霊は同じ波長の方にしかサポートできません。
     常に波長を高め、上のレベルの指導霊についていただけるようになると、
     人生が好転していきます。

  (3)守護神:別名、グレート・ガーディアン・スピリット

    ①ご先祖や前世にゆかりのある神様が担当してくれます。

    ②一般には、守護神は生まれてくるときから亡くなるまで一生サポートしてくださいます。
     今世でご縁のある神様もついてくださることもあります。
     例として、観音様、地蔵様、マリア様、稲荷大明神様・・・。

  (4)支配霊:別名、コントロール・スピリット

    ①自然霊(人格となった経験をもったことのない今世に存在する自然や土地のエネルギー)
     で、一人につき一体以上が必ずついてくださっています。

    ②自然霊は人間と違って情がないので、情による計らいができません。
     つまり、一生懸命に魂の浄化のために努力を惜しまない方には、その人をサポート
     するためにいいご縁を引き寄せたりなど大いに力を発揮してくださいますが、
     逆の場合には、ツイてない出来事を引き寄せるなど悪い関わり方をされるのです。

    ③支配霊をよき方向への味方として、ついてくださるような生き方をすると、
     早くより良い目標に近づくことができます。

    ④自然霊は、天候や自然界のエネルギーを司る役目もありますので、
     自然を大切にする想い、敬意を払って生活している人は、自然霊(支配霊)に
     愛される人といっても過言ではありません。

  ・・・(補足終わり)

私たちが苦難の真っただ中にいるときも、安易に手を出さず、口を出さず、大きな愛で見守って
くれている守護霊様の存在を感じながら、感謝して生きることができるようになると、
自然と守護霊と私たちのプラグがつながります。

たとえば、

夜寝る前に、手を合わせながら
「守護霊様、補助霊様、今日はこんなことがありました。今日も一日本当にありがとう
ございました。未熟者の私ですが、見放さずに見守っていてくださいね。おやすみなさい」
と祈って眠りにつきます。

朝は起きてすぐに
「守護霊様、補助霊様、おはようございます。今日も一日よろしくお願いします」
と朝の挨拶をします。


守護霊様とともに生きていることが実感できるようになると、たとえ仕事で行き詰ったり、
人間関係でつらいことがあったりしても、自分を応援してくれている存在を感じることが
できて、乗り越える力がついてきます。

            <感謝合掌 平成26年8月10日 頓首再拝>

・・・

名も知らぬお客様へ   

       *『思わず泣けるいい話』「小さな親切」運動本部 編 (P64~66)より
        (熊本市K.Aさん)

『私が大学4年生のときにアルバイト先で出会った、名も知らぬ男性のお客様へ』


あの日、いつもと変わらず、飲食店でせっせと配膳をしている私を、
貴方は突然呼びとめ、こうおっしゃいました。

「さっきからね、君の仕事をしているときの笑顔を見ていたら、
君は家族や周りの人に大切に育てられてきたんだなってことが、
おっちゃんには不思議とわかる気がするんだよ」と。

当時、あまり素直でなかった私は、あまり突然言われたので、
少しからかわれているのかなと思い、苦笑いをしながらひと言お礼を言うと、
すぐにその場を去ってしまいました。

しかし、この日、アルバイトを終えた帰り道、
ふと今日会った貴方の言葉を、もう一度よく思い返しました。

「.....あの男性は、きっと、私の笑顔の背景にある、私を支えてくれている
多くの人の存在が見えたのではないか。
 『君がなにげなくいつも笑っていられるのは、君のことを愛してくれ、
支えてくれ、受け入れてくれる人がいるからなんだよ』というメッセージが
込められていたのではないか」

と思い至ったのです。

貴方からすれば、見ず知らずの私に対してですし、
こんなに深い意味などはなかったのかもしれません。

でも私は、このとき間違いなく、貴方のおかげで、
「自分は、自分だけのものでありながら、じつは自分だけのものではない」ことに、
深く気づいたのです。

その瞬間、私は、はっとしました。
今の私の笑顔は、家族や友人、そして自分に関わるすべての大切な人々がくれた賜物
なのだということに、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

そして、もう二度と会えないかもしれないけれど、今となっては〝名も知らぬ貴方〟との
一瞬の出会いと、いただいた温かな言葉は、私の一生の宝となりました。

あのとき、素直に喜べなかった私でしたが、今は貴方に心から感謝を伝えたいです。

「大切なことに気づかせてくださって、有難うございます」。

            <感謝合掌 平成26年8月15日 頓首再拝>

・・・

ここに生きているだけで「感謝」!

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年08月12日)」より

   (筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…)

   学校名や会社名にはじまって、成績、器量、性格、貯金、つきあった異性の数、
   着ている服のブランドなど、とかく人は、他人と比較しがちです。

   その結果を正しい努力に振り向けることができれば問題ないでしょうが、
   「だから俺はダメだ」、「だから私は不幸だ」と、自分に限界を設け、
   卑下するだけで終わってしまうことが往々にして見られます。


   人と比較したら、差が出てくるのは当然です。
   勉強が得意な人、そうでない人、100メートルを走らせたら速い人、遅い人、
   身長の高い人、低い人、異性にもてる人、もてない人・・・。

   それは現実として受け入れるしかないことで、
   比較することに意味はありません。


   進化や遺伝子というレベルで考えれば、38億年という気が遠くなるような
   長い時間をかけて進化を遂げてきたのは、他人と比較するためではありません。

   しかも、あなたと誰かとの違いは、ゲノム的に見れば、たった0.5%程度です。
   99.5%は同じ遺伝子を持っています。

   そのわずかな違いを比較して、ああだ、こうだと気に病んだり
   一喜一憂したりするのではなく、この世に生まれてきたこと、そして生かされている
   ということがどれほどありがたく、奇跡的なことなのか、

   そのことに感謝して、元気に、明るく、前向きに生きていくべきです。

   すると、自分にはやるべきことがあるのではないかという使命感のようなものが
   生まれてきます。

   しかも、人と比較して、いい、悪いという判断の基準になるものは、現在の価値観です。

   いまの価値観だけで判断しても、次の時代には、それが反対になっていたり、
   無効になっていることが大いに考えられます。

   地球や生命の長い歴史から見れば、そうした比較自体にはさほど意味はありません。
   私たちは、もう少し長い目でものごとを見る癖をつけたほうがいいと思います。


   これは北里大学の教授に聞いたことですが、東日本大震災の直後の大混乱の中で
   リーダーシップを発揮してがんばったのは、日ごろは悪ガキのような、
   それほど成績のよくない学生だったといいます。

   非常事態が起きたとき、偏差秀才はあまり役に立ちません。
   マニュアルがないと、彼らは何もできないからです。

   逆境の中でがんばれるのは、むしろおちこぼれ気味のような人たちなのです。

   秀才タイプは正常時には優秀かもしれませんが、
   不測の事態が生じたときには対処できません。


   おごってはいけませんが、38億年という長い進化の果てに存在しているということは、
   それだけでエリート中のエリートなのだといえます。

   それぞれの人が、それぞれの人生における金メダル候補です。

   ですから、人と比較するよりも、自分が何をできるか考えたほうがいいのです。

   人と違っていていいのです。
   むしろ、遺伝子的には、少しくらい違っていたほうがいい。

   その違いによって生物は多様性を確保し、それによって進化が促されてきたのですから。

   人と違うことで悩む必要はありません。

          <『望みはかなう きっとよくなる』海竜社>

        ・・・

38億年の長い進化の果てに、我々が生を受け、今ここに存在しているということは
奇跡にも近いこと。

ありえないような奇跡の確率で我々は生まれてきた。


さんまさんの名言に、「生きてるだけで丸儲け」がある。

生きてるということだけで、我々は選ばれたエリート。

だからこそ、今ある当たり前の日常に感謝することが必要だ。


嫉妬やねたみ、不平不満、あるいは逆に、優越感や威張ることは、他人との比較から生まれる。

比較からは感謝は生まれない。

今あるあたりまえの日常を感謝の気持ちで過ごしたい。

            <感謝合掌 平成26年8月22日 頓首再拝>

・・・

【たくさん感謝している人】

       *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年08月15日)」より

   (工学博士、五日市剛氏の心に響く言葉より…)

   「感謝します、という魔法の言葉は、誰に向かっていえばいいのでしょうか」
   そんなお便りが多くよせられます。

   そこで、「感謝する心」についてお話ししましょう。

   一つ質問をします。
   いつも、心から「幸せだなぁ」と感じられる人には、ある共通項があります。
   なんだと思いますか。

   それは、「たくさん感謝している」ということです。
   幸せなことがあるから、感謝しているのではありません。
   感謝しているから、「幸せだなぁ」と感じられるんですね。

   感謝する対象はなんでもかまいません。
   自分の存在、そして周りのものすべての存在に感謝するのです。

   水がある。
   空気がある。

   おいしいものを食べられる。
   ゆっくりと眠れる。

   心配してくれる親がいる。
   友達がいる。

   学校にも行けるし、仕事もできる。


   これらはすべて、あなたがよりよく生きていくために、存在してくれているのです。
   そして、これらは何一つ、自分で作ることはできません。

   私のそばに、その人がいる。
   なんらかのかかわりを持ち、なんらかの影響を与え合い、
   自分という人間が生きていくうえでかけがえのない存在。

   その存在自体への感謝なのです。


   もし、そうした身近なものに感謝できなくなると、
   なにかとつらいことが起きやすくなります。

   ほんとうですよ…。


   <『ツキを呼ぶ「魔法の言葉」ゴールドラッシュ!』マキノ出版『壮快』特別編集 >

          ・・・

日ごろから文句やグチばかり言っている人には、文句やグチを言うようなことがまた起きる。
そして、負の循環にどんどんおちいって、顔や体全体から「不幸せ」という
負のオーラが出るようになる。


見るからに「この人幸せだな」、と思える人は、日ごろから感謝が多い人。
小さなこと、些細(ささい)なことに日ごろ感謝できる習慣を持っている。
そして、感謝多き人からは、隠そうと思っても隠せない幸せいっぱいのオーラが出る。


大きな感動や嬉しいことがあるから感謝するのではない。

当たりまえの毎日に、今ある身近な人とのご縁に、心から感謝したい。

            <感謝合掌 平成26年8月27日 頓首再拝>

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