伝統板・第二

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ひかりの一日一言47~人生の価値とその実現 - 伝統

2019/02/01 (Fri) 04:48:51

この「ひかりの一日一言47~人生の価値とその実現」は
谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱
「『人生の秘訣365章』 “春”積極生活法 」からの転載です。
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yu0529/&mode=res&log=21



ひかりの一日一言《1日》

《1日 人間の地上誕生の意義》

人間が地上に誕生したのは何のためであるのか、
その意義を知らない人が多いのは悲しむべきことである。

単に人間は男性生殖細胞と女性生殖細胞との偶然の結合によって、
その物理化学的な反応によってこのような姿を現出したのであって、

結局は「汝は物質より生じたる者なれば物質に還るべきなり」という風に、
死せば物質に還元してしまって、あとに何ものも残らないとするならば、
“人生何の価値ありや”ということになってしまうのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P44) より

       <感謝合掌 平成31年2月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2019/02/02 (Sat) 03:48:17

《2日 唯物論者は結局快楽主義に陥る》

唯物論者は結局、生命(せいめい)の起源を物質の複雑なる結合によるものであって、
その結合状態が崩壊してしまったら生命(せいめい)は“無”に帰するのであって、
人間の存在はこの世一代限りのものであるというように説くのであって、

これでは人間には永遠価値というものはなく、
ただ暫く現象として“影”のようにあらわれている間だけの
現象価値しかないということになるのである。


人間が永遠価値が無い存在だということになれば、
そして現象価値しかないということになれば、
その現象存在として自己が存在をとどめている間に何とか
その存在感を体に強く感銘して置きたいために、どうしても肉体の快楽

―― それも、最も強烈な感覚的刺激的快感 ―― を求めたくなって、
アルコールと性的刺激を追及するようになり、
人間の堕落を促すことになるのである。

唯物論的人間観が蔓(はび)こる時代の国民が
快楽主義、肉体主義に陥るのは当然であるといい得るのである。

戦後の日本国民、
特にレジャー・ブームの中で生活し、昭和元禄時代の異名をとった現代の日本人が、
バーやキャバレーやナイトクラブで半裸で歌い狂い踊り狂う現状は、
まさに唯物論的人間観が支配する世界の末世的症状をあらわしている
といわなければならないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P44~45) より

       <感謝合掌 平成31年2月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2019/02/03 (Sun) 04:21:49

《3日  現代の末世的人間の乱舞は何を語るか》

自分が単なる肉体的存在であって、やがて死ぬ存在であり、
肉体以上に何ら聖なる霊的価値などないという考えに想い到るならば、
肉体が存在する間に、味い得る限りの快楽とスリルを味っておきたい
という感情が湧き出で来るのは当然であるといわなければならないのである。


嘗て私は『渚にて』と題する全世界の人類が原子戦争の放射線効果によって
死滅する直前を描いた映画を見たことがあるが、この映画に於いては最初、

北半球で原子戦争が行われ、北半球の全人類は死滅してしまって、
その放射能を帯びた“死の灰”が数十日ののちにはオーストラリヤに降下して来て、
やがて全豪州の人間も全滅するという予告の下(もと)に、
その全豪州の人間が如何に行動するかという想定を具体化した映画なのである。


“死”を直前に向えることに定(きま)っている人間は、
最後の恋愛を楽しむ人間もあれば、最後のスリルを楽しむべく、
否、死の恐怖感を忘れるべく、極端に高速度で疾走して
衝突したり転覆したりして死ぬ人間もある。

人間が“死”をその直前に自覚し、そして自己が唯物論的存在であって、
死の後に何も残らないと考えるとき、結局このような快楽とスリルで
その潜在恐怖を麻痺させるための乱舞的行動を起すのである。


現代日本人の乱舞的行動は(全学連の直接行動等も引っくるめて)結局、
唯物論的人間観から来る“死”の恐怖を、
一時的スリルで麻酔させるための行動だと解釈できるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P45~46) より

       <感謝合掌 平成31年2月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2019/02/04 (Mon) 04:49:55

《4日  エデンの楽園に還帰する道》

青年の非行化、少年の不良化、酒場に於ける乱舞、全学連の騒擾(そうじょう)、
自動車やダンプカーの暴走 ―― 結局、これらを一々取締ろうとしても、
そのもとを刈り取らなければ、源流を浄めずして下流の濁水を清めることが
不可能な訳なのである。

その源流とは何であるか、それは唯物論的人間観なのである。
換言すれば「人間は死すべきもの」という潜在意識の前に震えながら
乱舞を繰返している憐れなる姿なのである。

即(すなわ)ちこれこそ、“蛇の智慧”を食して楽園から追放された
人間の気の毒にも憐れなる姿なのである。


私たちが、この悲惨なる人間苦の世界から再び實相のエデンの楽園に
還帰し来(きた)るためには、「人間は唯物論的存在である」という迷妄から目覚めて、
人間は霊的存在であるという實相を悟らなければならないのである。

これを佛教的に謂うならば「衆生、却尽きて大火に焼くると見るときにも、
わが此土(このど)は安穏にして天人常に充満せり」という「法華経」に示されたる
天人充満の實相浄土が、今既に此処にあるのだと悟らなければならないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P47) より

       <感謝合掌 平成31年2月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2019/02/05 (Tue) 04:23:22


《5日  敵は自分の心の中に》

「憂怖諸々の苦悩充満せり」(「法華経」自我偈)と見える現象世界に生活しながら、
その地獄的状態から脱出する道は、「その状態から脱出する」のではなくて、
自分自身そのものが自分の迷妄から脱出しなければならないのである。

そして釈尊が仰せられた「わが此土は安穏にして天人常に充満せり」
という世界を自分の心で観なければならないのである。

心に“戦いの世界”を見、心に“敵の存在”を見ながら、
戦争を停止しようという努力は概ね無効に帰するのである。

何故なら“戦争”は外界にあるのではなく自分の心の内にあり、
“敵”は外界にあるのではなく自分の心の内にあるからである。

しかし此の事を悟った後に実際生活上、如何に為すべきかは、
神からの指示によらねば中々むつかしいのである。

やはり神想観を実修して神との一体感を深め、
神の叡智を呼び出さねばならぬのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P47~48) より

       <感謝合掌 平成31年2月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2019/02/06 (Wed) 03:03:31


《6日  物質によっては平和は来らず》

神は愛であり、愛が自分の心のうちに湧いて来るとき、
それが愛行と具体化して人類を救うことができるのである。

愛は復活の力である。
それは性愛のことではないのである。
如来の聖愛であり慈悲の愛である。

一人でも地上の人間を苦しめてはならないという神の無限の愛である。
唯物論的な心を棄て去れ。

「物質に神の国を追い求むる者は夢を追うて走る者にして
永遠に神の国を建つる事能わず」
と聖経『甘露の法雨』には示されているのである。

物量にものを言わせて、相手を屈服せしめることによって
平和をもち来そうと思っても、それは「物質に神の国を追い求むる者」
であるから結局その目的を達することはできないのである。

物質的繁栄の国アメリカの悲哀はそこにあるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P48~49) より

       <感謝合掌 平成31年2月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2019/02/07 (Thu) 04:44:49


《7日  真の平和は、實相を観ずることによって得》

毎日、そして毎刻、あなたの心の世界に神を念ぜよ。

「神があらわるれば乃ち善となり、義となり・・・調和おのづから備はり、
一切の生物處を得て争ふものなく、相食むものなく・・・」と
聖経は示し給うているのである。


常に神を念(おも)うことなく、常に敵と、戦いとのみを念うことによっては
調和ある平和の世界は実現のしようはないのである。

私たちは常に「敵の無い世界」「争いのない世界」のみを
想見(そうけん)しなければならないのである。


聖経『天使の言葉』には、

『實相世界の住居(すまい)は悉くこれ「生長の家」なれば、
住民(すむひと)に飢ゑなく、悲しみなく、争ひなく、病なく、
萬(よろず)の物ことごとく意(こころ)に従って出現し、用足りておのづから姿を消す。
圓満具足清浄微妙の世界、これ實相世界、これ汝らの世界、このほかに世界あることなし。』

と示されているのである。

この聖句を「法華経」の「衆生劫盡きて大火に焼かるると見る時にも
わが此土は安穏にして天人常に充満せり」と対比してみるとき、
「このほかに世界あることなし」の意が津々(しんしん)として
無限に深い意味をもって感得できるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P49~50) より

       <感謝合掌 平成31年2月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2019/02/08 (Fri) 04:11:02


《8日  方便と行動を失った信仰は空念仏》

「観世音菩薩行法経」には「無量の勝方便は實相を思うより得」と示されているのである。
實相世界の「一切の生物處を得て争うものなく相食むものなき」永久平和の世界は、
決して毀(やぶ)れることはない常住の世界であるけれども、
その「實相を思う」又は「實相を観ずる」ことだけで、
實相世界の永久平和の世界が実現するのではないのである。

「無量の勝方便は實相を思うより得」という普賢経の意味は、
實相を思うとき、實相の円満完全な姿が実現するための勝れたる方便、過程、手段が
自然に思い浮かんで来て、それを実行することによって、
實相世界の完全円満な風光が現実化して来るという意味である。

「實相を思う」ことなしに、人間智 ―― 単なる頭脳智によって、
永久平和の世界を来らしめようと思っても、人間智は、一寸先を予知することのできない
黒闇(くらやみ)の智慧であるから、善と思ってしたことが、
その結果が悪に転ずることが度々あるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P50) より

       <感謝合掌 平成31年2月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2019/02/09 (Sat) 03:56:30


《9日  真の“新生”は實相を観ずることによって得》

實相世界には無限の善が満ちており、
無限のアイディアが充満しているのであるから、

毎朝毎晩怠らず實相を観ずることにより、實相の完全さが現実化するための
通路又は連絡路が心の世界に開かれることになるのである。

そして、その人の思い浮かぶことが、實相世界の完全さを現象化するために
必要なアイディアとなって来るのである。


そして實相は無限であるから、あなたが實相無限の世界に通路を開くとき、
その無限の中から常に新しきものがあらわれて来るのであるから、
その人の毎日々々が「新たに生れる」ことになるのである。

本当の新生は實相を観ずることによって得られるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P51) より

       <感謝合掌 平成31年2月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2019/02/10 (Sun) 03:23:42


《10日  神とつながる通路を開きなさい》

人間は“神の子”であり、神の最高の自己実現であるから、
吾々が迷いによって、神の叡智との通路を閉鎖しない限りは、
常に神の智慧によって導かれ、神の愛によって護られ
神の力によって支えられているのである。

あなたの事業は、神の無数の事業のうちの一つであり、
神の叡智の通路を遮断しない限りは、神からの導きにより
必ず繁栄するにきまっているのである。

あなたは神の自己実現であるから、
あなたが迷いによって神の生命(せいめい)の流れを遮断しない限り、
神そのままに完全であり、従って無限の健康と無限の生命力とをもって、
あなたが神から与えられた使命を充分完全に盡すことができるのである。

“迷い”を去るために常に怠らず神想観実修して、
神の生命(せいめい)と智慧と愛との通路をひらくがよい。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P51~52) より

       <感謝合掌 平成31年2月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2019/02/11 (Mon) 04:22:31

《11日  聖典の読誦と神想観が運命を開く》

神とつながる“心の通路”をひらくとき、
あなたの人生を晦ましていた“迷いの雲”は霽(は)れるのである。

“迷いの雲”が霽(は)れるとき、實相の光は愈々皎々として照り渡り、
愈々益々現象世界に實相の完全な風光があらわれて来るのである。

雲が霽(は)れれば光がさし、光が射せば愈々雲が霽(は)れ、
循環的に連鎖反応が起るのである。

何よりも先づ聖典を読み、真理を知って迷いを祓い、
その真理を全心身に浸透せしめるために怠らず神想観を実修するがよいのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P52) より

・・・

<参考雑学:「晴」と「霽」の違い
      → http://www.gei-shin.co.jp/comunity/28/17.html >

       <感謝合掌 平成31年2月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2019/02/12 (Tue) 03:58:31


《12日 あなたの身辺を“心”をもって浄めること 》

すべてのあなたの身辺の出来事について、思い煩ってはならないのである。
あなたは現象界にあらわれている不快な姿や、あしき有様に、
自分のこころを捕捉せられて心の自由を失ってはならないのである。

眼を挙げて現象の彼方を見よ、
しかしてその人々の實相の完全さを透見せよ。

すべての人間は神の子であって、
ひとりとして真実、悪しき相(すがた)のものは存在しないのである。

敵と見える者も敵ではないのである。

すべての人間は“神の子”であるから、互いに兄弟姉妹であり、
相互協力、相互扶助して互いに人生を衝突なく前進できるように
つくられているのである。

悪を見るな、善のみを見よ、憎しみを見るな、愛を見よ。
愚かなる者を見るな、神の子にして賢(けん)なる者のみの存在を見よ。

このような努力をつづける時、あなたの周囲には唯、
善なるもの、調和せるもの、健やかなるもの、平和なるもの、
美しきもの、好ましきもののみが実現していることを見出すであろう。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P52) より

       <感謝合掌 平成31年2月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2019/02/13 (Wed) 04:29:17


《13日 解決困難の問題に面した場合 》

あなたの身辺で、あなたの人間力だけでは
どうにも解決できない問題が起って来たときには神想観を実修して、
自分の心を神に振り向け、神にこの問題の解決をお願いして、
神の処置に全托するがよいのである。

「神さま、あなたは全能であられます。神さまあなたは全智であられます。
あなたはこの問題を、双方どちらにも調和した姿で解決する道を知っていらっしゃいます。
私はこの問題の解決をあなたの全能にして全智なる愛深き判断と指導におまかせ致します。
どうぞみこころの如く成らしめ給え」


このように祈念して事件全般を神の御手に委ねる気持になり、
一切の不安や心配や焦燥の念から自由になるがよいのである。

そして今後、自然に出て来る“全体の働き”に逆うことなく、
「悪くなるのは、好くなる始めだ」との自覚で、素直に人からの申し出を用い、
自分の頭に閃くヒントを実行するようにするとよいのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P53~54) より

       <感謝合掌 平成31年2月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2019/02/14 (Thu) 04:51:36


《14日 無我全托して神の処置に委す場合 》

神想観を実修して、常に自分の心を、毎日一層ひろく、神に対して全開せよ。
併(しか)して、神の叡智の導きを受けよ。

神からあなたを無限に繁栄せしめるアイディアが常に放送されてをり、
あなたはそれを容易に受信することができるのであろう。


神があなたの繁栄と成功のために良きアイディア又は計画を送り給う媒体は、
決して一種に限られている訳ではないのである。
神には無数の媒体があり、無数のチャンネルがあるのである。

それは“虫の知らせ”という形をとることもあれば、
インスピレーションという形をとることもある。

霊眼霊耳というような心霊能力を通じて来ることもあるが、
親切な友人からの申し出や、助言という形をとることもある。

兎も角、問題の解決を神の御手にゆだねたら、
我見(がけん)を出して神の御手に渡したその問題を、
もう一遍自分の手に奪い返すようなことをしてはならないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P54~55) より

       <感謝合掌 平成31年2月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2019/02/15 (Fri) 04:25:55


《15日 あなたは「増加の法則」に乗るがよい 》

宇宙には「増加の法則」というのがあるのである。

人口の増加、食料生産額の増加、自動車生産台数の増加、資本の増加等
あらゆる方面に「増加の法則」が現実化しつつあるのである。

私たちは、この「増加の法則」に逆ってはならないのである。
あなたが若し、この増加の法則に従うならば、
あなたの繁栄は益々増加するに相違ないのである。

あなたは“神の子”であるから、神から無限の供給と無限の繁栄とを
譲られているのであり、その供給と繁栄とは既に輸送管の中に入れられて
あなたに送られて来つつあるのである。

そのパイプの中の流通を“自己縮小”の観念や“恐怖”や“不安”の念で
閉塞してしまわない限りは、常にあなたの繁栄と成功の程度は増大するに
きまっているのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P55) より

       <感謝合掌 平成31年2月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2019/02/16 (Sat) 04:19:19


《16日 “神の子”の自覚を深化すること 》

「増加の法則」に乗るためには、第一、人間は“神の子”であり、
無限の可能性を ―― 物量的にも精神的にも、霊的にも、
能力に於いても、智力に於いても、万般の方面に無限の可能性を、
譲られていることを強く自己の潜在意識に印象することである。

潜在意識は、現在意識面(現象生活)と、
“實相無塵蔵の世界”とをつなぐ架け橋又はパイプとなるものである。

次の如く念ずるがよい。――

「私は神の子である。神はコトバである。コトバとはアイディアの表現である。
神の世界には神の無限の良きアイディアが充満しているのである。
私は今、自分の心のチャンネルを神に対して振り向け、
ボリュームいっぱいに私の心を神に対して全開したのである。

それゆえに、神から私が繁栄するために必要なアイディアが
滔々と流れ入りつつあるのである」


このように繰返し念じて神の叡智の流れ入る有様を「光の流入」の形で
十分間ほど精神を統一して瞑視するがよい。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P55~56) より

       <感謝合掌 平成31年2月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2019/02/17 (Sun) 04:20:29

《17日 他の繁栄を悦ぶ祈り 》

「増加の法則」に乗るためには、
他(た)の繁栄(その事業の増大や、財産の増加)を羨んではならないのである。

他(た)の人の繁栄を羨んだり、憎々(にくにく)しく思うならば、
それは“繁栄”を、心の世界で拒絶し否定していることになるのであるから、
自己の“繁栄”をも拒絶し否定することになり、

従って、自分の計画が失敗し、自分の事業が蹉跌し、
ついに繁栄を失うことになるのである。


他(た)の人が繁栄するのを聞けば、
その人に代って神様に感謝の祈りを獻(ささ)げるがよい。

次の如く祈りなさい。――

「神さま、あなたはすべての繁栄の源泉であられます。
すべての繁栄は、神さま、あなたから来るのであります。
私の知人何某は(名を唱える)あなたさまの叡智を受け、
大いに繁栄いたしました。

神さま、あの人が神に導かれて大いに繁栄いたしました事について、
あなたに感謝いたします」


この祈りは、吾々の隣国の繁栄や、
貿易の相手国の繁栄を希(こいねが)うために応用すれば、
それが、日本国自体の繁栄に道を拓くことにもなるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P56~57) より

       <感謝合掌 平成31年2月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2019/02/18 (Mon) 03:32:41


《18日 祖先を開悟に導くために聖経を読誦せよ 》

繁栄のために必要な祈りは、
祖先に対し、また父母に対して感謝のコトバを唱えること、又は感謝を念ずること、
また現実に言葉に出して「お父さん、お母さん、ありがとうございます」と
本当に感謝することである。

祖先はあなたの「生命の樹」であり、父母はああたの“生命の幹”であるから、
根を培わねば、その植物は伸びないのであり、幹を無視して、枝葉ばかり栄える
ということはないのである。


祖先の霊が迷っている場合には、
そのような霊が「救われたい」とねがって念を送って来ることになるのであるから、
繁栄の反対に、衰退の想念があなたに引っ懸って来るものであるから、
あなたの運命も自然衰退の道をたどることになるのである。

祖先の霊に対して、聖経『甘露の法雨』を毎朝夕読誦してあげることにし、
聖経の表現する“真理の言葉”によって先祖の霊の悟りを増進するならば、

“迷っている祖霊”の念波に子孫が抑えられることなく、
更に開悟して神通力を増した霊からの守護と指導のアイディアを受け、
自然にあなたの計画せる事業が繁栄することになり、
家族一同の健康にも好(よ)き影響をもたらすのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P57~58) より

       <感謝合掌 平成31年2月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2019/02/19 (Tue) 04:54:48


《19日 「増加の法則」としての陰陽の調和 》

人生を支配する「増加の法則」が如何に行われるものであるかは、
一切の生物がいかにして増殖し、子孫を殖やして行くかを見ればわかるのである。
そこには必ず“陰陽調和の法則”が実践されているのである。

「増加の法則」はそのまま“陰陽調和の法則”と称しても差支えはない位である。

物質の素粒子が結合して、或る一定の原素が生ずるのも陰陽の調和によってである。
地球が太陽を中心に旋回をつづけているのも
陽(太陽)と陰(地球)との調和によるのである。

作物が豊作になるのも天地陰陽の気の調和によるのである。
すべての生物が繁殖するにも牝牡(ひんぼ)即ち陰陽の調和によってである。

若しあなたの家庭に夫婦が精神的に、又は行動的にも不調和なことがあるならば、
そこにあなたの家業の繁栄に支障を来す根因があるのであり、
また時には、不良の子供を発生する原因にもなるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P58) より

       <感謝合掌 平成31年2月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2019/02/20 (Wed) 04:31:22


《20日 「増加の法則」を家庭生活に実行せよ 》

夫婦陰陽が調和するためには、
“夫唱婦和”の法則、即ち「夫先づ唱え、婦これに和す」の法則に
従わなければならないのである。

夫は婦(つま)を覆い、婦は夫を載せて生命を受ける
―― これが「増加の法則」であり、
これが調和して行われるとき子孫が繁昌することになるのである。

結婚しても子供を妊娠しない夫婦があるならば、
夫婦生活みずからを反省してみるがよい。

その妻は、何事もすべて夫の仰言る通りを直ぐ素直に、
悦びをもって実行しているであろうか。

夫の言う通り実行してはいるけれども、心の中に抵抗がなかったであろうか。
心の中に抵抗もなかったが、面倒くさいので直ぐ実行しないような、
何となき習慣が残っていなかったであろうか。

妻は夫に対してはカラッポになっているとき妊娠するのである。
これは避妊薬その他の挿入してはならないという物質的意味だけではなく、
心の世界に於いて、妻は夫に無我随順を悦びとするのでなければならない
ということである。

肉体のことは、精神的交りの象徴に過ぎない。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P59) より

       <感謝合掌 平成31年2月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2019/02/21 (Thu) 04:41:41


《21日 現象の障礙(しょうがい)より一転して實相の無礙(むげ)の世界へ 》

實相に於いては人間は“神の子”であるから、
既に円満完全であり、あらゆるものが完全に整っていて、

繁栄と富有と悦楽と愛情と創造の悦びと、
それらを実現するための智慧と力とが兼ね備わっているのであるから、
何らの牆壁も障礙もないのである。


若しあなたが、自分の希望の現実化の過程に於いて
何らかの障礙を感ずるならば、
現象の障礙の方に心を振り向けることを止めよ。

一転して、實相の無礙自在の世界に心を振り向けよ。
これこそが神想観なのである。

かくすることによって、無礙自在の實相の智慧があなたに流れ込んで来て、
どんな問題でも容易に解決する緒(いとぐち)を見出すことができるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P59~60) より

       <感謝合掌 平成31年2月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2019/02/22 (Fri) 02:48:07


《22日 信仰には忍耐が要求せられる 》

あなたが祈りにより、或いは神想観によって
實相無礙自在の智慧を引き出してくるにせよ、いづれにせよ、
あなたの希望が早急に成就しないからとて、
早急に失望してしまってはならないのである。

大きな希望ほど、
それが生長して實を結ぶようになるには長期間を要するのである。

草花の種子(たね)を蒔くならば
間もなく発芽して数ヶ月のうちに実を結ぶようになるであろうが、
天を摩する巨樹にまで生長する松柏類の種子(たね)を蒔いても急には発芽せず、
また発芽しても、一、二年のうちに急速に伸びるということはないのである。

しかし杉や檜の植林をしたら、二、三年で、
しびれを切らして幼樹を抜き取ってしまう人はないであろう。

「この檜又は杉は必ず伸びて巨樹となる」という信念があるから、
その山の持主は苗木を引き抜いてしまうことをしないのである。


もしあなたが祈りつづけながら、二、三年でその祈りが成就しないからとて、
「もうだめだ」と祈りを中絶してしまうならば、この山林の持主ほどの信仰すら
神に対して持っていないということになるのである。

本当の祈りには“忍耐”という要素が要求されるのである。
“忍耐”の美徳を養成して下さるために、神は希望実現の時期を
前途に延ばされることもあるのである。

それは魂の鍛えにとって善きことである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P60~61) より

       <感謝合掌 平成31年2月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2019/02/23 (Sat) 04:45:02


《23日 何故あなたは神に感謝を忘れるか 》

あなたが一呼吸し、一挙手一投足し、食事をし、それを消化し吸収し、
それを人体を維持しまた働くためのエネルギーと化しつつあるその全活動は、
すべてあなたの生活のために神の生命力と智慧と愛との恵みを
使用しつつあるのである。

若し私たちが神のエネルギーを1秒間でも使うことを停止するならば
あなたは即座に死んでしまうのである。

それゆえに、あなたは神に毎時毎刻感謝しなければならないのである。
感謝という心の波動は、神の霊波(エネルギーの放送)に波長を合わせ、
吾々の生活上必要な一切の要素を受信し受像し現実化するための
必須の条件となるものである。

無論、神は善人にも悪人にもその恵みの霊波を送り給うこと、
恰もラジオの放送局が善人にも悪人にも、聴衆料を支払う人にも支払わぬ人にも、
色々の好(よ)き番組を放送してくれているのと同様なのである。

しかしその放送番組を受像し得る人もあれば、受像し得ない人もあるように、
神様の“恵み”の放送をも受信し得ず、それを像(かたち)にあらわす事が
できない人も多勢あるのである。

神の恵みを受像し得ない原因の一つは神に感謝する心の欠乏ということである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P61~62) より

       <感謝合掌 平成31年2月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2019/02/24 (Sun) 04:48:50


《24日 吾々は神に活かされている 》

一切の事物が神からの霊的放送が現象化したものであり、
すべて吾々は神のエネルギーの変形せるものを常に利用しつつあるのだ
ということを知るならば、神に感謝の念が起るのは当然すぎるほど
当然このことなのである。

私たちの皮膚、筋肉、骨、骨髄、血球、血漿、脳髄、神経組織、腺組織、
すべての内臓及び血管、琳巴管・・・・・・等ことごとく
神の叡智による設計で成り立っているのである。

神は吾々人体の設計者であると共に、建設施工者であり、
そして完成した人体設備の運転者であり、保全者である訳である。

神を抜きにしては吾々人間は断じて存在し得ないのである。
それゆえに私たちが此処に生きているのは、
自分の力で活きているのではなく、活かされているのである。

だから私たちは常に神に感謝すべきである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P62) より

       <感謝合掌 平成31年2月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2019/02/25 (Mon) 04:42:40


《25日 生活を実相の堅固の基礎の上に 》

あなたの生活を“浮動する現象”の地盤の上に築くこと勿れ、
“常住不動の実相”の堅固なる基礎の上に築くがよいのである。

現象の利益を追求する前に、実相の善を遂行せよ。
“愛”は実相世界に存在する実質である。
何故なら神は“愛”でるからである。

“愛”が遂行されるときそこに“善”があらわれるのである。
若しそこに“愛”があらわれるならば、それは“善”となるのである。

性愛は、煩悩であって此処に言う愛ではないのである。
真の愛は、相手が“神の子”である実相を観て尊敬することに始まる。

尊敬のない愛情は煩悩であり、自分が相手に執着することによって、
相手から快感を引出そうとするのである。

愛は単なる“好き”ではないのである。
また相手から快感を引き出す欲望でもない。
“好き嫌い”は現象に属する。

“好き嫌い”の中の“好き”は唯の自分の“好悪”をあらわすだけであって
相手を本当に愛しているのではないのである。

本当の愛は感覚の美醜を超え、感覚的好悪や快不快を超えて実相を愛するのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P63) より

       <感謝合掌 平成31年2月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2019/02/26 (Tue) 04:08:27


《26日 あなたの今いる所が好機会である 》

好機会は一生に数回しかないというものではないのである。
好機会は常に《ある》のである。

何故なら、すべての現象の進展の奥には、
実相が尚一層完全に表出し出ようとする“催し”があるからである。

実相が尚一層完全に表出せんとする機会を捉えるならば、
その人は好運に乗ることになるのである。

神の創造は常に行われているのである。
創造のあるところ、常に機会はあるのである。

あなたの生活が実相から催して来る創造の波に乗るならば、
その波に乗った瞬間が好機会を捉えたのであり、
その後は自然に波のまにまにあなたの運命が上昇して行くのである。

実相の催しに同調できるならば、
あなたが今いるところがそのままに好機会なのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P63~64) より

       <感謝合掌 平成31年2月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2019/02/27 (Wed) 04:32:35


《27日 目先の欲得で動いてはならない 》

「増加の法則」に則(のっと)るには、今いる所に於いて、
自己のもてるすべてのものを動員して与えるがよい。
手の中の“駒”を無駄に遊ばしておくことは愚かなことである。

種子(たね)があり場所がありさえすれば、
種子(たね)を抽斗(ひきだし)の中に置いとくのは勿体ない。

それは播種(はしゅ)すれば必ず増殖するのである。

しかし石地に播(ま)いたり、砂漠に播いたりしたのでは発芽しない。
できるだけ沃地(よくち)に播かなければならない。

沃地と石地と砂漠の不毛の地とを区別するのはどうすればよいのか。
下手に出資をして詐欺にかかることもある。
また衰微しつつある会社に出資して、会社がつぶれる事もある。

人間は、みな自分の思い通りに希望や期待をもって実行しつつあるのに、
繁栄する人と失敗する人とが生ずるのは何故であるか。
それは神の叡智を受ける人と、人間智で、目先の欲得で行動する人との相違である。

目先の欲得で動くときには、大抵その人が他(た)の犠牲に於いて(又は他の損失によって)
自分が利益を得ようとするから失敗するのである。

それは「他(た)から奪う心」の変化である。
「奪う者はまた奪われる」のである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P64~65) より

       <感謝合掌 平成31年2月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2019/02/28 (Thu) 04:26:40


《28日  清貧礼讃・受難礼讃に陥ってはならぬ 》

自己を利すると共に必ず他(た)をも利する心をもって行動せよ。
自分の利益を拒絶する必要はない。

宇宙には「増加の法則」が貫いており、自己が成長し、
自分の財産が増加し、能力が増進し、智慧が益々発達するということは、
自己が宇宙にある「増加の法則」に乗ることであり、
宇宙にある法則に乗ることは、結局、神の御心に適うことであるからである。

富を罪悪視してはならない。
また貧乏を美徳のように思ってはならない。
それは受難礼讃という歪められた道徳観である。

自分が貧しいために、人に不快な思いをさせたり、人に厄介をかけたり、
人を救けることができなかったりするのはあまり褒めたことではない。


ひかりの一日一言《29日》

《29日  “与える”と“受ける”との相補的調和 》

“与える”と“受ける”とは一つの善行又は愛行の両極であると謂えるのである。
受けてくれる者がなければ“与える”悦びを味わうこともできないのである。

だから“与えた者”は“受けた人”を軽蔑してはならないし、
優越感を味わってもならないのである。

“与える”といっても、みんな神から預らして頂いている物を
相手に回しただけであるから、与えることが出来たとき、
神に感謝をし、又“受けた人”に感謝するがよい。

相手を劣等視したり、軽蔑したり、自分が優越感を味ったりしたら、
その善行及び愛行の価値は消えてしまい、福田として残るものは何もなくなるのである。

与えることができたことを神に感謝し、また受けてくれた人に感謝したとき、
はじめてその“与えた行為”が円相となるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第2篇(P64~65) より

       <感謝合掌 平成31年2月28日 頓首再拝>

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