伝統板・第二

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本流掲示板「感謝」 - 夕刻版

2019/01/30 (Wed) 18:35:15

先代の掲示板(本流掲示板~すでに消滅)からの転載です。


感謝祭


日本では昨日の「勤労感謝の日」が、天照大御神へ、今年の収穫を感謝する宮廷行事(新嘗祭)
を起源としていますように、

アメリカでは最初の移民が初めて収獲を得て神に感謝したことを記念して、
11月第4木曜日の本日(24日)は「感謝祭(サンクスギビングデー)」
の祝日となります。

(1)サンクスギビングとは?

  ①「サンクスギビングデー」(日本語では「感謝祭」と訳されている)は、アメリカと
   カナダでは祝日のひとつとなっています。
    (アメリカでは11月の第4木曜日、カナダでは10月の第4月曜日)。

  ②そもそもこの感謝祭は、イギリスからの移民たちが、
   移住先で初めて行なった最初の収穫を記念する行事であるとされています。

   彼らが到着した1620年の冬はたいへん厳しく、大勢の死者を出しましたが、
   近隣に居住していたインディアンのワンパノアグ族の助力により生き延びることが
   できました。

   翌1621年の秋は、とりわけ収穫が多かったため、
   移民のピルグリムファーザーズ(清教徒)はワンパノアグ族を招待し、
   神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであるとされています。

(2)サンクスギビングの様子

  ①現代の感謝祭は、宗教的な意味合いが薄れ、むしろ家族イベントとして位置づけられ、
   家族・親類が集まって食卓を囲む日本のお正月のようなイメージです。

   アメリカにおける感謝祭は大切な家族行事の一つとなっており、その日は家族揃って
   七面鳥を食べるのが一般的な習慣です。

   たいていの人は、木~日までの4日間のお休みを楽しむため、ちょっとした旅行をしたり、
   家族で団らんの時間をもったりすることになります。

   この期間は、多くの人々が帰省したり、移動したりするので、高速道路、空港、鉄道など
   が大混雑します。

  ②また、感謝祭の朝には、大統領による(Turkey Pardon)という行事がホワイトハウスで
   行われます。

   今年は、オバマ大統領による(Turkey Pardon)が行なわれ、
   「リバティー(自由)」と「ピース(平和)」の2羽の七面鳥に大統領恩赦が
   発令されました。 (この様子が一部、テレビでも紹介されておりました)

  ③また、ニューヨーク市のデパート「メイシーズ」で巨大な風船を用いたパレードを
   毎年(第二次世界大戦のために1942年から1944年まで中断されたことを除き)催すことも
   慣例となっています。

  ④感謝祭が過ぎるとクリスマスまで約ひと月となり、クリスマスプレゼントの購入に向けて
   消費が動くため、各小売店では感謝祭をクリスマス・セールの前哨(ぜんしょう)戦と
   位置づけ、客足をあてこんで金曜日から特別セールを行います。

   金曜日のセールで小売店の収支が黒字になることから感謝祭の翌日を
   「ブラック・フライデー」、

   週明けの月曜日に職場の高速回線を利用してウェブ通販でプレゼントを購入する人が多い
   ことから、感謝祭休み明けの月曜日を「サイバー・マンデー」と呼ぶ場合があります。
   感謝祭からクリスマスまでのひと月は、小売店の年間の総売上で重要な期間となります。

  ④サンクスギビングが終わると共に、皆がクリスマスの準備を始めます。

(3)サンクスギビングでのご馳走

   感謝祭のメインディッシュは、ターキー(七面鳥)! 
   七面鳥の中にスタッフィングと呼ばれるパンやクルトン、その他野菜やナッツ類などを
   詰め込んで丸焼きにします。

   食べるときには、グレービーと呼ばれるソースやクランベリーソースなどと一緒に食べる
   そうです。


(4)感謝祭のときのみならず、日常のちょっとした感謝の積み重ねが、強運人生への階段を
   一歩一歩登っていくコツとも捉えられており、アメリカ人にとっては、感謝祭への
   思いいれも深いものがあるようです。

             <合掌 平成23年11月24日 頓首再拝>

・・・

【毎日毎日を感謝しましょう】

   *「如意自在の生活365章」(Pー173)より

毎日毎日を、神から与えられた「幸福の日」であると信じて”毎日”を感謝しなさい。
あなたが素直に、”神の祝福”を見る眼をもって”毎日”を迎えるならば、
至る処に神の祝福を見出されるに相違ないのであります。

そこに、今、愛し愛される家族があるではありませんか?
親も子も配偶もない天涯孤独の人であっても、そこに今”神”が居たまうのです。

そこに友があり、知己がある。
友も知己もないにしても、そこに「見知らぬ人」がある。
その「見知らぬ赤の他人」と見える人も、やはり”神の子”であり、
あなたの兄弟姉妹であるのです。

かれらは決して「赤の他人」ではないのです。
あなたと同じ”神の子”のいのちが流れているのです。

肉体の兄弟姉妹は「血を分けた兄弟姉妹」といいますが、
かれらは「神の”いのち”を分けた兄弟姉妹」なのです。

その人たちに優しい言葉をかけてごらんなさい。
きっとやさしい言葉があなたに返って来ます。

その人たちに深切にしてあげてごらんなさい、
きっと”深切”があなたに返って来ます。
互いにきょうだいである証拠です。

            <感謝合掌 平成24年3月9日 頓首再拝>

・・・

「Kizuna311」プロジェクトに寄せられた言葉の数々の中から、
「感謝・ありがとう」に関連した言葉を集めてみました。
(Web:応募された言葉
    → http://kizuna311.com/calendar/list_1.html )

被災された方々のご苦労の上での感謝の言葉です。

是非、味わっていただき、噛みしめていただければと願っております。


(1)命尽きるまで、『ありがとう』のきずなひろげたい!
(2)自分と向き合う中で 初めて 自分に対してありがとうと思った。
(3)天国のあなたに想いを寄せてくれる世界中のあなたにありがとう

(4)「ありがとう」をありがとう。また来ます。
(5)あなたがここにいるだけで「ありがとう」あなたに会えて「ありがとう」。
(6)感謝の思いの中に、全ての可能性を開く鍵が入っていました。

(7)『ありがとう』をもらいました。『ありがとう』を返しました。
(8)支援してくださった方々に素直な心でありがとうって言えた瞬間。
(9)今日ある命 明日に感謝 『ありがとう』。

(10)来てくれて、ありがとう。元気をくれて、ありがとう。
(11)「生きててくれて、ありがとう。」大切な人からもらった言葉。
(12)お母さん今までありがとう。お母さんの分まで精一杯生きるからね。

(13)最後の笑顔忘れない。六十六億分の一の確率で出会えたあなたに感謝。
(14)ありがとう、と言えたなら、昨日を受け入れ、明日に向かえる。
(15)あなたの声のおかげで一歩前に進めました ありがとう。

(16)生きてた?本当に・・・・よかった・・・本当にありがとう。
(17)今日で8ヶ月 沢山の人達より助けて頂き感謝です、元気でがんばります。
(18)大きな幸せより 小さな幸せを見つけて 今日を楽しむ。

(19)震災当時お腹に居た娘はもう4箇月。生まれてくれてありがとう。
(20)生きててくれてありがとう。
(21)生きてるってことに感謝しよう。

(22)ありがとうを沢山言おう。
(23)「ありがとう」種が、花を咲かせるように少しずつがんばるね!
(24)愚痴や文句は後ろ向き!感謝とありがとうは、希望の光がある。

(25)ありがとう。前、向こっか。
(26)体調は?今もメールで遠くからボランテアに来てくれた人に有難う。
(27)こんなにも心配してくれる人のなんと多いことか。感謝です。

(28)沢山失ったけど、沢山の人に元気と勇気をもらえたよ。出会った人に感謝!
(29)生きている。生かされている。・・。それだけで感謝。
(30)みなさんどうもありがとうございました。これからも頑張ります。

(31)優しい言葉思いやりありがとう感謝です。
(32)感謝、ありがとう!上を見れば広い空。ゆっくりでいいと雲が。
(33)『ありがとう』を伝えれる人になリましょう。子供たちのために。

            <感謝合掌 平成24年3月10日 頓首再拝>

・・・

練成会での感謝行

    *楠本加美野先生の講話より

(1)「ありがとうございます」を潜在意識に入れる

   だからね、「ありがとうございます」 なんてのもそうですよ。
   「ありがとうございます」 なんで、ありがたいなんて言うんだろうか、
   なんでありがたいなんて言うんだ。

   解らないな。
   それじゃあ、ありがたくなるまで、やらないでいようかって人が昔いたね。
   皆“ありがとうございます”やってるのに、ひとりで「こんにちは」ってやってるんです。

   解らなくてもいんですよ、
   何回も何回も、何回も何回も。

   まあその点はここは、
   朝から晩まで一番言う言葉は「ありがとうございます」でしょ、ねぇ。

   そうするとね、
   知らず知らずの間に潜在意識に入っちゃう。
   「ありがとうございます」


(2)なんでありがたくもないのに有り難くなったか

   この間もね、手紙きましたね。
   うちに帰る途中、電車に乗ったんだって。
   そしたら電車の中で足踏まれちゃったらしいね。

   帰ったばっかりに、
   そうしたらね、出てきた言葉に
   「ありがとうございます」って出てきちゃったんだって。
   自分でびっくりしちゃったんだって。

   今まで足踏まれたらね
   「痛い!気をつけろ」
   って言ってたんだって。

   ところがね、練成帰って足踏まれたらね、
   「ありがとうございます」
   自分でびっくりしちゃったんだって。

   何でありがたくもないのに、有り難くなっちゃったのかって。
   それはね、潜在意識に入っちゃう。

   これね、10日間ね
   “ありがとうございます、ありがとうございます”
   やってるでしょ。

   そうするとね、潜在意識に
   “ありがとうございます”
   入るとね、何でも有り難くなっちゃうね。


(3)何でも有り難くなったら、その人は神の子

   そうなると、もう良いです。
   何でも有り難くなったらね、 もうその人は神の子になっちゃう。
   何でも有り難くなるとね。

   「痛いなあ、ありがとうございます、痛いな、ありがとうございます」
   “ああ、これで治るんだ”
   痛いなんてのはね、熱が出るとか、それは治す働きなんですよ、皆さん。

   生長の家ではそういうのは、治す働きなんですよ。
   だからそれで良くなるんです。

   「ああ痛い、ありがとうございます、これで良くなるんだ」
   「ああイタタタ、ああ、ありがとうございます、これで良くなるんだ」


(4)何が起きても有り難いと思えばいい

   みんなそうですね。
   それがね、生長の家ですよ。

   だから、ここではね
   何が起きても有り難いと思えばいいんです。
   何が起きても。

   熱が出ても。
   「ありがとうございます、これで良くなる、ありがとうございます」

   何が起きても
   「ああこれで良くなる、ありがとうございます」
   それだけ。

   そうするとね、
   もうそれもねやってる内にそんな気持ちになってきます。

   何が起きても、
   「あっ、これで良くなる、ありがとうございます。これで良くなる、ありがとうございます」
   とやれるようになってきますね。

      *この項は、スレッド「楠本加美野先生 (7019) 」にも同時掲載致します。

            <感謝合掌 平成24年3月11日 頓首再拝>

・・・

(校長)卒業式での授業~「親に感謝、親を大切にする」

    *メルマガ「人間力(2012年02月13日)」より

「熊本の名校長・最後の授業」 <一流たちの金言2 より>
    ~ 大畑誠也(九州ルーテル学院大学客員教授)
        


私が考える教育の究極の目的は
「親に感謝、親を大切にする」です。

高校生の多くはいままで自分一人の力で 生きてきたように思っている。
親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。

これは天草東高時代から継続して行ったことですが、
このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、私は卒業式の日を選びました。

式の後、3年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、
私が最後の授業をするんです。


そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、
後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、
生徒をその横に正座させる。
そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。


「いままで、お父さん、お母さんに
 いろんなことをしてもらったり、
 心配をかけたりしただろう。
 それを思い出してみろ。
 
 交通事故に遭って入院した者もいれば、
 親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんと
 お母さんの弁当に文句を言った者もおる……」
 

そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。

「おまえたちを高校へ行かせるために、
 ご両親は一所懸命働いて、
 その金ばたくさん使いなさったぞ。
 
 そういうことを考えたことがあったか。
 学校の先生にお世話になりましたと言う前に、
 まず親に感謝しろ」


そして

「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、
 いま、お父さんお母さんが隣におられるから、
 その手ば握ってみろ」
 
 
と言うわけです。

すると一人、二人と繋いでいって、
最後には全員が手を繋ぐ。
私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。

「その手がねぇ! 18年間おまえたちを育ててきた手だ。
 分かるか。……親の手をね、これまで握ったことがあったか?
 おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。
 
 いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、
 おまえたちを育てるために
 大変な苦労してこられたからたい。それを忘れるな」


その上でさらに


「18年間振り返って、親に本当にすまんかった、
 心から感謝すると思う者は、いま一度強く手を握れ」
 
と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。

私は


「よし、目を開けろ。分かったや?
 私が教えたかったのはここたい。
 親に感謝、親を大切にする授業、終わり」
 
 
と言って部屋を出ていく。
振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。


<参考Web:「一流たちの金言2」
  ⇒ http://www.chichi.co.jp/book/7_news/kingen2.html >

  中段「大畑誠也氏生音声」で、取材当日に録音した生の音声データ
  がお聴きいただくことができます。

          <感謝合掌 平成24年3月12日 頓首再拝>  


感謝はすべての病いを癒します

   *谷口雅春先生・著「美と健康の創造」(P17~19)より

堺市の泉谷信恵さんは、全身のリウマチスに罹って全身が動かなくなり、
全身が一枚の板のように硬くなってしまったのでした。

医者はもう全然治らない、とうていこの患者は、
永く生きのびることは出来ないだろうと言うのでした。

その時、この難病はどうしたら治るでしょうか、
その治るための心の持ち方を知らせて下さいと言って、
私宛の手紙をお出しになったのであります。

私からの返事がどときました。
ひらいてみると
「一切の物に、事に、人に感謝して1日に1万遍”ありがとうございます”と唱えなさい」
と書いてありました。

それ以来泉谷信恵さんは、見るもの、聞くもの、あらゆるものに、柱にも、壁にも、
天井にも、天井の節孔にすら、あらゆるものに「ありがとうございます」と
お礼を言うことにしたのでした。

15、6日目になると、3時間半で、
1万遍の「ありがとうございます」が言えるようになりました。

言葉の力はまことに強力なもので、実際に「ありがたい」という感謝の思いが湧き出るように
なったのであります。すると、しだいに指が動き、手が動き、やがて全身が動き出したのです。

はじめて指先が動いたのを見たときには更に新たなる感謝が湧き上がって来て、
今では何故今まで、こんな恵みにつつまれていながら感謝出来なかったのであろうかと、
過去の自分を不思議に感ずるようになられたのであります。


リウマチスの治った話では、宮崎県北諸県(もろかた)郡志和地村万ヵ塚の製材業、
手谷正美さんです。この人はある朝、猪に追われて断崖から跳び下りた夢を見て目がさめると、
リウマチスになっていた。

医者から120本の注射を受けたが治らなかった。
温泉療法を勧められたので温泉に入湯しているうちに却って悪化して歩行不能になった。

ある人から私の著書『青年の書』を読みなさいと言われて、それを読んで、
自分の病気が「自分の我が強くて周囲と調和しない心」のあらわれであることに
ハッと気がついた。

考えてみると、山で働いて帰って来た妻を叩き殺そうとまで考えた自分であったことが
悔いられるのだ。それで更(あらた)めて妻に手をついてお詫びをし、あらゆるものに感謝し、
あらゆる人にただ、和顔愛語することにつとめた。

すると、忽然そのリウマチスの痛みは去り、自由に歩行出来るようになったのである。

関節の病いは、人と人との接合点に故障があることのあらわれなのである。

          <感謝合掌 平成24年3月20日 頓首再拝>

・・・

”感謝” に関する「詩・名言」の数々 
              
(1)感謝しよう<坂村真民 詩集より>

   美しいものは
   美しい目でながめ

   優しいものは
   優しい心で接し

   その日その日を
   送ってゆこう

   過ぎてゆく月日を
   宝のように大事にして

   一度ぎりの人生を
   完うしよう

   病んで以来
   やっとそういう
   素直な気持を
   抱くようになったことを

   感謝しよう

(2)感謝は、あなたを助けます<アイリーン・キャディ>

   感謝は、
   あなたが成長し、広がるのを
   助けます。

   感謝は、
   あなたの人生に、喜びと笑いをもたらすだけでなく、
   あなたの周りにいるすべての人々の人生にも
   喜びと笑いをもたらします。

(3)『ご恩をありがたく感謝する者』<高森顕徹>

   ご恩をありがたく感謝する者は成功し、
   恩を当然と受け流す者は信用を失い、
   恩を仇で返す者は身を滅ぼすのである。

(4)かんしゃくの くの字を捨てて ただ、かんしゃ
                  <高森顕徹>

(5)「やってみせて 言って聞かせて やらせてみて
    ほめてやらねば 人は動かじ」  <山本 五十六>

   上杉鷹山の影響を受けたとみられる大変有名な言葉ですが、
   これには以下のような続きがあります。

   「話し合い 耳を傾け 承認し 
     任せてやらねば 人は育たず」

   「やっている 姿を感謝で 見守って 
           信頼せねば 人は実らず」

(6)喜びと幸せに満ちたもの、それは感謝の気持ちである。
                    <祈祷書>

(7)人生はありがたい。
   それがあるからこそ、ひとを愛することも仕事をすることも、
   遊ぶことも、星を見上げることもできるのだから。
       <(米国、牧師・作家)ヘンリー・ヴァン・ダイク> 

(8)竹の子を食べるときは、それを植えたひとのことを思い出そ
   う。              <中国のことわざ>

(9)人生をたっぷり楽しむひとは、ささやかなことにも感謝をするひとだ。
   感謝を忘れないこころは、大きくて幸福なこころなのである。
                   <トーマス・セッカ>

(10)感謝では支払いはできない。
   人生のべつなところで親切をしてはじめて、支払いをしたことになる。
              <(飛行家)アン・モロー・リンドバーグ>

(11)感謝はこころの記憶である。
                  <J・B・マシュー>

(12)感謝のしかたには3つのかたちがある。こころのなかで思う。
   声に出して言う。お返しをする。  <日本のことわざ>

(13)感謝は、大いなる教養の産物である。
   粗野な人間たちのなかには見い出せない。
                 <サミュエル・ジョンソン>

          <感謝合掌 平成24年3月24日 頓首再拝>

・・・

「ありがとう」と「 Thank you 」 は”イコール”ではない

    *Web:【八紘為宇】(くにからのみち)より
     http://ameblo.jp/hakkouichiu/entry-10039648155.html


「ありがとう」は、漢字で「有り難う」と書く。
有り難い(今風の言葉だと”有り得ない”となるのだろうか)
まずもって、有ることが難しいぐらいのこと、という意味らしい。
通常、有り得ないことが起きた時に、
「ありがとう(有り難う)」と言う。

おー!有難い!! ・・・という感謝を述べる相手は
これは神さまになのです。
日本語の主語は、神さまなのです。

昔の日本人は、神さま、そして大自然の恩恵により
私たちが、この地球上の動物の中でも 人間という動物に生まれさせてくださり、
また今日、こうして生かされていることに、感謝をしました。

なので、みんながみんな
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と
神さまに言うものですから、またまた「ありがとう!」と
言いたくなるような出来事が、ずーっとずーっと起きるのです。

なので、また、「ありがとう、ありがとう」と言う。
さらに、神さまだから、きちんと礼儀正しく「ございます」をつけて
「ありがとうございます」と言おう!と。

すると、また 「ありがとうございます」と本当に嬉しくて感動するような
出来事が起きます。実際に、体験済みの方も多いかと思います。

これが、「言霊」の力です。
日本語って、「言霊」そのものなのですよ~。
だから、日本語を大切に、大切にしてください。

これを母国語として生まれてきた方々は その使命を悟る時期に来ています。

「使命」って、使われる命と書きます。
誰に使われるのか? それは、神さまです。
神さまに使われるようなお仕事をすることが、生きる使命です。

自分の日々の行動、言動、立ち振る舞い
すべて、神さまが好きかどうか?って考えてみてください。

ちょっとそんな考え方のクセがついてきますと
自分が、「中道」にいることに気づきます。
そして自分の生き方が、すごく自然で、楽ちんで
楽しいことに気づきます。

在り得ない!絶対起こることのないような、すごいことが起きた!
「有難う(ありがとう)」。・・・これが ”ありがとう” です。

だから、感謝を貴方に述べるという Thank you は
ありがとう では ありません。

「ありがとう」は、Thank you ではないのです。

          <感謝合掌 平成24年4月4日 頓首再拝>

・・・

感謝の念はあらゆる病気に対する万能薬である

       *『女性の幸福365章』(P305)より

家庭の中に見たくない人があるときには、
視力が衰えて来たり、メガネの度が進んで来たり、
時には白内障(しろそこいひ)や緑内障(あおそこひ)を起すことがある。

すべての人に物に事に、それに内在する光(神の恩、人の恩)を見て
感謝するようにすれば治るものである。

感謝の念はあらゆる病気に対する万能薬である。

          <感謝合掌 平成24年4月7日 頓首再拝>

・・・

どんなときでも感謝できるかが、神様の試練

   * 斎藤一人(著)「幸福力(しあわせりょく)」より

(1)感謝するとすぐ、また感謝したくなるようなことが起きる。
   だから、また感謝する。 感謝する人には感謝するようなことが起きる。

(2)ところが、起きたことに対して、不平、不満とか、悪口とか、
   文句ばっかり言っていると、また言わなきゃいけないことが、
   また次の日同じ目に遭うとかいうことが起きる。

(3)だから、嫌なこととさよならできる言葉が「ありがとう」とか、「感謝してる」。

   好きな人に言うとさらに仲よくなれるし、今度は、嫌な人に心から思って、
   相手に対して口に出して言ったときに、その人とさよならすることができる。

(4)感謝する人には感謝するようなことが起きる。
   ただ、ときどき試練みたいのがあって、感謝してても嫌なことが起きる。
   どんなときでも感謝できるかが、神様の試練。

        <感謝合掌 平成24年4月9日 頓首再拝>

・・・

受けて感謝、与えて祝福

  *「幸福を招く365章」(P64~P65)

与えると受けるとは、両方とも神の出入り口である。
与えるは父性愛であり、受けるは母性愛である。
両方とも感謝が伴うとき其処に天国が誕生するのである。

今まで受けて来たもの、今、受けつつあるもの、未来に受けんとしつつあるもの
一切に対して感謝せよ。

「有りがとうございます」は母性原理の表現、受ける感謝の表現である。
しかし受ける感謝ばかりでは足りないのである。

受けるは消極的である。与えるは積極的である。

それは「与える祝福」(吾れ汝に幸福を与う)の父性原理に一段と飛躍するとき、
消極と積極と、受動と能動とが整備して人生に本当の天国が生れるのである。

        <感謝合掌 平成24年4月12日 頓首再拝>

・・・

感謝とビジネス

     *竹田和平・著「人とお金に好かれる『貯徳』体質になる!」より

【離れ離れになった感謝とビジネス】

「毎度あり! 」 が習慣になっている商人、
今で言うビジネスパーソンは相当少ないでしょう。

合理性を追求した結果、「ありがとう」の心は、
いつのまに忘れ去られてしまったのです。

常識的に考えても、感謝を忘れてしまったら、
やることなすことが長期的にうまくいくはずがありません。

成功を目指すなら、感謝の言葉「ありがとう」を習慣に
してしまうのが一番の近道です。

  <参考Web:(実業家)竹田和平氏のブログ
         http://www.takedawahei.net/  >

        <感謝合掌 平成24年4月15日 頓首再拝>

・・・

「ありがとう」は奇蹟の言葉

     *竹田和平・著「人とお金に好かれる『貯徳』体質になる!」より


(1)「ありがとう」の心を忘れない徳のある人は、
   運がいいから大きな仕事ができるのです。

(2)感謝と運には密接な関係があるのです。

(3)そもそも、この世は感謝することばかりなのです。
   「ありがとう」というのは、有ることが難しいということですから、
   存在することの奇跡に感謝する言葉なのです。   

(4)ビジネス成功へのルール

  ①「ありがとう」の習慣化が成功への近道。
  ②「ありがとう」で自分が存在する奇跡に感謝しよう。

        <感謝合掌 平成24年4月19日 頓首再拝>

・・・

”「ありがとうございます」の神秘”

          *以下は、Webより
 
(1)日本語の不思議

  ①英語の「ありがとう」は、「I thank you.」で、
   「私はあなたに感謝する」=「ありがとう」となります。

   「私」が「あなた」に対して「感謝する」という、直接的な言い方になります。

  ②日本語の「ありがとう」とは、「有難い」ということです。
   「有難い」とは、「滅多にない」「存在しがたい」ということです。


   外国人に感謝を伝えるとき「滅多にない」「存在しがたい」
   と言っても全く通じないでしょう。


   では、誰に対して「滅多にない」「存在しがたい」と言っているのでしょうか。

   これは日本語の「ありがとう」には、
   「私」と「あなた」の間に「見えない存在」があるからです。


   「ありがとう」という言葉は、目の前の出来事が、
   「内なる神」「宇宙法則」によって起こっているのだという感謝を表します。

   その感謝が物理的な出来事として関わってくれた「あなた」へ感謝が届きます。

      感 謝            感 謝
    私  →  内なる神(宇宙法則)  → あなた


   現代日本人は、「ありがとう」という言葉から、知らず知らず古来の智恵が受け継がれ、
   神への感謝を潜在意識のなかで行なっているのです。

(2)「ございます」の神秘

  ①「ありがとう」の尊敬語は、「ありがとうございます」ですが、
   この「ございます」にも大いなる神秘が隠されています。

   「ございます」とは、「御座居ます」と書きます。
   「御座」とは、「尊い座」を意味し、「居ます」は、「いらっしゃる」を意味します。

   つまり、「ございます」とは、「尊い座にいらっしゃる」という意味で、
   自分の内(尊い座)に存在する(いらっしゃる)神に対して敬意を表す言葉なのです。

  ②エネルギー測定器で、「ありがとう」よりも、「ありがとう御座います」のほうが
   強いエネルギー反応を示した理由もここにあるのでしょう。

  ③さらに、10文字で表す「ありがとう御座います」とは、
   数霊でいうと、太陽神である天照大御神を表します。

  ④自分を名告る(名宣る)とき、「山田太郎で御座います」というのは、
   自分の内に存在する神性への敬意を祓うことになります。

(3)日本語に隠された神秘を現している言葉

  ①謝罪の意味の「すみません」とは、

   「済みません」→「済んでいないという因果法則」

  ②感謝の意味の「おかげさま」とは、

   「お蔭様」→「陰の存在(見えないもの)への感謝」という、意味が隠されています。

  ③食事の際の「いただきます」とは、

   「頂きます」→「食事を作ってくれた人への感謝」と、
   「肉や野菜、大地などの命を私の命に代えさせていただきます」という
   「生命への感謝」が含まれています。

   食事の前後に、手を合わせて「いただきます」、
   「ごちそうさまでした」は意味が深い言葉なのです。

(4)日本語の神秘を知ること

  ①日本語のすばらしさは、知らず知らずのうちに見えない世界と繋がりを与えられている
   ということです。

  ②日本語には隠された神秘がたくさん詰まっています。
   内なる神に気づき、感謝を忘れなければ、言葉の力も飛躍的に向上します。

  ③自分の口にする言葉に注意を向け、上手に言葉と付き合いましょう。


  *この情報を提供できるキッカケを与えてくださいました”道産子 さま”へ
   心より敬意と感謝の念をお贈りいたします。ありがとうございます。

        <感謝合掌 平成24年4月19日 頓首再拝>

・・・

挨拶するように感謝する

     *竹田和平・著「人とお金に好かれる『貯徳』体質になる!」より

(1)新商品を生んだ「ありがとう」の効果

  ①一日3000回の「ありがとう」を習慣化してからというもの、
   あらゆることがいいタイミングで起こるようになりました。

  ②私は呼吸法とセットにして唱えることにしていまして、
   一息 で唱えられるのは1分間に60回くらいでしょうか。
   一日40~50分で、百万遍を達成できます。

  ③新商品を開発したときは、工場に置いてあるオーディオのリピート機能で
   24時間聞かせるだけですから、実は結構簡単なのです。

(2)「ありがとう」で人は動く

  ①「ありがとう」の効果は、タイミングがよくなるとともに、
   まわりの人たちが、自分に協力してくれるようになるのです。

  ②「ありがとう」を習慣にすると、言わないよりもずっと人が
   動いてくれるようになるのです。

  ③挨拶のように「ありがとう」を言える人は、きっと成功します。

(3)成功ルール

  ①「こんにちは」と言うより「ありがとう」と言おう。
  ②「ありがとう」には人を動かす力がある。

        <感謝合掌 平成24年5月2日 頓首再拝>

・・・

感謝をチームで共有する

     *竹田和平・著「人とお金に好かれる『貯徳』体質になる!」より

(1)「ありがとう」はノンコスト・ハイリターン

  ①ノンコストで不景気を乗り越えるパワーを持った「ありがとう」の力に
   気づいてほしいのです。

  ②感謝を忘れたビジネスなんて長続きしないということは、
   みんな感覚で分かっているでしょう。
   だけど、実践する人は少ない。

  ③合理性を追求しすぎて、忘れてしまった感謝を思い出すことがチャンスになる。
   今は、とても偏った時代なのです。

(2)成功ルール

  ①「ありがとう」で士気や成果は上げられる。
  ②「ありがとう」は、みんなが喜ぶ誰も損しない仕組み。

        <感謝合掌 平成24年5月6日 頓首再拝>

・・・

絶対幸福を手に入れる

     *竹田和平・著「人とお金に好かれる『貯徳』体質になる!」より
 
(1)「ありがとう」は「ありがとう」を呼ぶ

  ①類は友を呼ぶと言います。「ありがとう」を唱えていれば、
   感謝を習慣にする人が自然に寄ってくるのです。

   いいことにせよ、悪いことにせよ、あることを強く意識する
   と、それと同じものが寄ってくるようになっているのです。

  ②「ありがとう」は、強く意識するのに一番ふさわしい言葉で
   す。「ありがとう」は百万遍唱える価値のある言葉なのです。

(2)絶対幸福は減らない

  ①これからやってくる心の時代では、相対的な幸福ではなくて、
   絶対的な幸福、つまり環境次第で揺るがない幸福を目指すこ
   とができるのです。

  ②「ありがとう」は、自分が存在する奇跡に感謝する言葉です。
   つまり、絶対的な幸福につながる言葉なのです。

   「ありがとう」を唱えることは、心の時代の理想に近づくと
   ともに、天は自分の味方であり、とても期待されているとい
   う事実に気づくことにつながるのです。

   天が味方をしていることに気づき、楽しく発展の意志に沿っ
   て行動する。これは、最高の成功法則ではないでしょうか。

(3)成功ルール

  ①「ありがとう」は「ありがとう」を引き寄せる。
  ②天が味方だと気づくことが最高の成功法則。

        <感謝合掌 平成24年5月8日 頓首再拝>

・・・

<聖句・有難うございます>

   *平岡初枝・著「しあわせを見つめて」(P61~P64)より


全国巡演の途中に、若狭路にはいった時のことである。

ある地方講師さんが、こんな話をされた。

「私の友人に、小浜中学の校長をしている人がいます。一人息子を、大切に大切に育てて
いましたが、その子が20歳近くになって肺結核にかかり、いろいろ手を尽くしたが、
とうとう医者から『あと1ヵ月の生命であるから、あきらめてもらいたい』と宣告されたのです。

病人は六畳の室に寝ていましたが、もう肩で息をしている。
39度何分の熱で顔は紅潮し、小鼻がピクピクと動いている有様でした。

その姿を見ていると、どう言ってあげたらよいのか、
いろいろ考えて来たことも言葉にはならないのです。

やっと私は気持をおちつけて、
『高志君、生長の家では、どんな重い病気でも、“ありがとうございます“を
1日に1万遍言ったら治るというのです。高志君、言って見る気はないか……』
と言いました。

すると、高志君は、
『僕は、そんなことは信じられない』と答えたのです。

まだ20歳にもならぬ戦後の青年に、
急にそんなことを納得させることは無理なことだと思いました。

しかし、その他になす術もないので、
『高志君、言うだけいってみて、治らなくとも、元もとや。少しでも快くなり、
少しでも楽になれば儲けものだから、やるだけやって見たらどうだ』と
一所懸命にすすめました。

ともかく、やって見ようという気持にさせるのに、半日がかりでした。

何しろ仰向きに寝たきりの身体だから、48枚の天井板を算盤代りにして、
『ありがとうございます』を1回唱える毎に、天井板を一枚ずつ眼で追いながら
一通りおわると48回。そこで 大豆一粒を箱に入れる。

こうして、高志君の『ありがとうございます』が、その日の午後からはじまったのです。
そのうちに眠ったのが何時か、ともかくもグーッと熟睡して、
目が覚めたのは翌朝8時すぎだったのです。

毎晩の不眠症に悩まされていたのですから、嬉しかったに違いない。
『8時までも寝てしまって、今日は1万遍唱えられるだろうか』と気にするほどの
気持になったというのです。

こうして、2日目の『ありがとうございます』を続けているうちに高志君は

『こんなことを言っていたとて、僕はいずれ死ぬのであろう。いずれ死ぬときまっている
ものなら、せめて今までいろいろお世話になった人達をおもい出しながら、
その人達への感謝のために“ありがとうございます”を唱えましょう』

と考えたのだそうです。

まず思い出したのは、やっぱりお母さんだったというのです。

『お母さん、ありがとうございます。ありがとうございます。
そうだ! お母さんは僕が赤ん坊の頃から、飲むものや着るものをはじめ細かいところに
気をくばって一番手をかけて育ててくださったのだ。

その僕が20歳にもならずに死んでしまおうとしている。
お母さんは、どんなに悲しむことであろう……』

と思うと、たまらなくなって涙が止まらない。

『お母さん、ありがとう、お母さん、ありがとう』と、泣き泣き唱えたというのです。

次には、お父さんのことを考えた。

『僕が生まれた時に、男の子と聞いたら、どんなにお父さんは喜んだことであったろう。
そして、どんなに大切にして、頼りにして僕を育ててくれたことであったろう。
それなのに、僕はこんなに早く、お父さんより先きに死んでしまうのだ。

お父さんは、どんなに悲しむことであろう。
僕が死んでからも、中学校の校長として若い人達の世話をする時、どんなにか
僕を思い出して涙することであろう。

お父さん、すみません、お父さん、ありがとうございます。お父さん、ありがとう……』

と、また泣きながらの感謝を続けたというのです。

それから、あの叔父さんも可愛がって下さった。
『ありがとうございます。ありがとうございます』

この叔母さんにも愛された。
『ありがとうございます……』

あの先生にも可愛がられた。
この先生にも……あの友だちにも……と、感謝の中に思い出す人達への
『ありがとうございます』で一日が終わったというのです。


そして、その日の夕方に奇蹟が起こったのです。

どんな医薬も注射も利目がなかった1ヵ月以上も続いていた39度何分の高熱が、
その晩に37度何分に下り、明けの日から平熱となり、ついに瀕死の大病が癒えたのです。

高志君は現在24歳、人一倍肥って老いた父母を喜ばせているのであります……」



「ありがとうございます」とは、一体何が有難いのであろうか。

それは実相の完全円満なことが、ありがたいのである。

私は、自分の心が平和でなくなった時、「ありがとうございます」を唱える。
百遍、2百遍も。肉体に不安を感じた時も、唱える。

家族の健康に問題が起こった時も、やっぱり「ありがとうございます」を
百遍、2百遍、3百遍と、心が平静になるまで唱えるのである。

生長の家の真理を知っている人にはもちろん、たとえ少しも知らない人にでも、
唱えるようにすすめる。

この間は、ある田舎のおばさんが、 腰がいたむと訴えたので
「腰にお礼が足らぬのや。痛いと言うかわりに、腰さん、ありがとうございます。
腰さん、ありがとう……と、お礼を言いなさい」と教えたら
治ったとお礼に来たこともあった。

 
まことに「ありがとうございます」は聖句である。

<参考Web:生長の家「今昔物語」(「しあわせを見つめて」)>
       → http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/archive/201111/1

        <感謝合掌 平成24年5月10日 頓首再拝>

・・・

心の底からの感謝の生活を

    *メルマガ「ありがとう仙人の幸せ玉手箱(2012/05/12)」より要約

「感謝には、願望を実現する力がある」
これは、今や精神世界の常識になりつつあります。

自分の願望を実現したいのなら、まず、「感謝」をする。
すると、その願望は、やがて実現します。

なぜなら、最初に感謝をするということは、
自分の願望は実現したと確信することになるからです。

つまり、疑いのない確信的な思考によって、願望が現実化するのです。

「私の願いが叶いますように!」

「私の願いを叶えてください!」

こう宣言することは、「私の願いは叶っていない」ということを確信することになり、
「願望が叶ってください」という状態を創造することになります。

しかし、先に感謝を宣言することは、「もう私の願いは叶った」と断言することになり、
「願いが叶った」という状態を創造することになります。


イエス・キリストに、「ラザロの復活」という有名な話があります。

洞窟の中で死後4日経ったラザロを、イエスは民衆の前で蘇させるのですが、
その時のイエスの祈り言葉が「感謝」だったのです。

ラザロが眠る洞窟の前で、イエスは神に祈りを捧げます。

「父(神)よ、感謝いたします。私の願いを聞き入れてくださったことを!」
                    ~ヨハネによる福音書11:41より~

そして、イエスは言います。

「ラザロよ、出てきなさい!」

すると、ラザロは洞窟からゆっくりと歩きながら出てきたのです。

死人が蘇るという奇跡が起きた瞬間でした。

これが有名な「ラザロの復活」です。

イエスは、最初に感謝することで、自分の願望が叶ったことを断言したのです。


このように「感謝」には願望を実現する力があるのです。

実際、言葉には力がありますから、「ありがとう」という言葉を数多く唱えれば、
そのエネルギーが強固になり、願望がやがて実現します。

師も、「言葉には、人生を左右する力がある」と言っています。

また、積極的な言葉をつぶやく「つぶやきの自己暗示法」を推奨していますから、
その理論で言えば、「ありがとう」と数多くつぶやけば、それが暗示となり、
ありがとうと言いたくなる出来事が人生に起きるということになります。


確かに、「感謝」や「ありがとう」という言葉には力があります。
これは事実です。が、絶対的な事実ではありません。
だから、感謝をしても、願望が実現しないこともあるのです。

なぜなら、自分では「感謝」しているつもりでも、感謝になっていないことが多いからです。

誰かから、「先に感謝をすると自分の願望が叶うらしいよ」と、実例を多く挙げて教えられます。

すると、ほとんどの人が、
「そうか、感謝を先にすると願望がかなうのか!よし、では、これからは先に感謝をしよう!」
となります。


そこで、「ありがとう(ございます)」と先に唱えるわけです。

しかし、これは「感謝」を投資して、「結果」を得ようとする行為です。
つまり、神との取引行為であり、ビジネス行為です。

すなわち、感謝が目的なのではなく、願望実現が目的なのです。

つまり、感謝を投資する投資家なのです。


ビジネスの世界では、取引は、成功することもあれば失敗することもあります。

感謝の取引も同じです。

すなわち、感謝を投資した取引は、成功することもあれば失敗することもあるのです。

ビジネスの世界では、結果が第一です。

しかし、精神世界では行為が第一です。


先のイエスの祈り言葉は、イエスの心底から感謝の言葉(行為)でした。
決して、取引から来る行為ではありませんでした。

宇宙と一体化したイエスには、
宇宙が自分の願いを聞き入れないことなどありえないと確信していました。

だから、最初に感謝の念が湧いてきたのです。


ハッキリ言います。

“私は感謝を実行しています“という人のほとんどは、「取引」の感謝です。


だから、そういう人は、こう口にするのです。

「あんなに面倒を見てあげたのに、感謝の念があいつは足りん!」

これは、感謝されることが目的で面倒を見た「取引行為」です。
だから、相手が感謝しなかったら、取引違反で激怒するのです。


こういう話があります。

ある禅師に、大富豪の商人が金貨500枚を寄付しました。

というのも、禅師が説法している寺院が狭く、
禅師も広くしたがっているのではないかと感じたからです。

商人は、禅師に金貨500枚を渡しました。

すると、禅師は言いました。

「金貨を受け取ろう!」

「……。あのぉ?、たったそれだけですか?」

「何だ、不服か!」

「いくら私が大富豪とはいえ、金貨500枚は大金ですよ!」

「そんなことは分っている」

「それなのに、“受け取ろう”だけなのですか?」

「何だ? お前は私に感謝してほしいのか?」

「普通は大金を寄付されたら、お礼を言いますが…」

「なぜ、私がお前に感謝しなければならないのだ?」

「えっ?」

「私はお前の行為を拒絶することもできた。拒絶すれば、お前は善行をできなくなる。
しかし、私はお前の徳積みのために受け取った。
与えられた方が感謝するのではない。与えた方が感謝するのだ。

でないと、お前は、禅師である私から金貨500枚で感謝を買おうとしたことになるのだぞ!
それでは徳を積めないではないか!」


がはははは…っ!

実際、感謝を自分の願望実現の道具にして、願いが叶っても、
あなたは幸福にはなれません。

師は言っています。

「自分の人生欲望だけを十二分に満たすことのみを想像するということは、
 断然排斥すべき向下的想像だ。

 健康想像と同様に、金をつくって、人の世のためにつくす仕事をしようと、
 こうなりゃ本物だ。

 また、そうしなかったら、その人にどんなに名誉や地位、お金ができても、
 その人に安定した幸福を感じさせないんだよ!」


よく、「名誉や地位、お金は人を堕落させる」という人がいますが、それは違います。

名誉や地位、お金が人を堕落させるのではありません。
もともと堕落した人が名誉や地位、お金を得るから堕落するのです。

それまでは名誉や地位、お金がないから堕落しているように見えないだけで、一度、
名誉や地位、お金が得られれば本性が現れてくるのです。

だから、名誉や地位、お金を得たら、人が変わったように見えるのです。
しかし、実際は、もともと堕落していただけなのです。
その証拠に、名誉や地位、お金を得ていても立派な人もいます。

名誉や地位、お金のせいではないのです。


もともと堕落している人が、先生という地位(立場)を得ると、
独裁者になり、横暴な態度で生徒に接します。

先生と呼ばれる人に、上から目線で生徒に話をする人が多いのは、そういう理由です。


「先生の専制を許すな!」(笑)

わはははは…っ!


感謝には願望実現をする力があります。

しかし、感謝というのは、エゴからは湧いてきません。
感謝は、本心から湧いてくる自然な感情です。
感謝は、エゴの強制で湧いてくる感情ではないのです。

だから、もし、感謝を実行したいのなら、心の浄化をすることです。

心が浄化すれば、その度合いに応じてエゴが沈静化し、
自然と感謝の念が機会あるごとに湧いてくるようになります。

そうなると、大した努力もなく、自分の願望が知らない間に叶っているのです。


あっ、ただし、人間には「分」というものがあります。

分不相応な願望は自分を破滅させるだけです。

まず、自分の分を知ることが大切です。


師は言っています。

「自分の“分”を知らなけりゃ、卑しい希望や汚れた宿望を炎と燃やしても、
 ろくな仕事はできないし、不渡りを食う結果がくるのだ。」


自分の能力・性格・資質もわきまえずに、周囲から踊らされて大物きどりになって、
分不相応な欲望を炎と燃やしても破滅するだけです。


特に、先生と呼ばれる人の中には、周囲から「先生、先生」と呼ばれているために、
自分が偉いものだと勘違いし、分不相応な欲望を燃やして苦しんでいる人を
私はたくさん見てきました。

自分の「分」を知らないと、やがて破滅することを覚えておいてください。

自分の「分」を知って、自分に相応しい欲望を持つことが幸せの第一歩です。

また、感謝は現在に満足すれば、自然に湧いてきます。


2011年3月11日の大震災の後、

「なんでもない日々を過ごせるなんて、なんてありがいことなんだろう」

と感じた人は、多かったはずです。


「現在に満足する」


これが幸福の秘訣です。


師曰く、

「現在の生活状態、境遇、環境、職業、何もかも一切すべてを、心の底から本当に
満足しているなら、感謝の生活を送っていることになり、本当にその人は幸福なのである。」


分不相応な願望をやめて、自分の分相応な願望で生きれば、現在に満足できます。

自分の分を知るには、まず、心の浄化です。


そして、瞑想です。

浄化と瞑想によって、自分を第三者の立場で見れるようになります。

すると、自分の分を知ることができます。

浄化、瞑想は自分を知る近道なのです。

        <感謝合掌 平成24年5月27日 頓首再拝>

・・・

感謝はすべてを癒す

或る意味に於いては、感謝していない場合は、
不平に思っているか、憎んでいるか、恨んでいるかしているのである。

そして不平や憎みや恨みは一種の呪いであるから、
相手の人又は事件又は環境を呪っていると云うことになる。

そしてあなたが呪っている限りに於いて、自分の受けた禍害は去らないのである。
環境を呪っている限りに於いては、悪しき環境は去らない。
環境に感謝したとき環境が一変して天国浄土となるのである。

ある人を呪っている限りに於いて、その或る人の意地悪は消えない。
その人を祝福し感謝するようになったとき、その人は深切な味方に一変するのである。

不快な事件を憎んでいる限りに於いて其の不快な事件は後を引く。
『その事件があればこそ』とその事件に感謝するようになったとき、
その事件から受けた痛手はその影を消すのである。

感謝はすべての傷を癒す万能剤である。

         谷口雅春師 『生長の家』 36年7月27日

  ( http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/21192154.html )


        <感謝合掌 平成24年5月30日 頓首再拝>

・・・

本流掲示板「感謝」② - 夕刻版

2019/01/30 (Wed) 18:41:32

最強の言葉「ありがとうございます」

         *村上和雄・著「幸せの遺伝子」(P62~63) より

言葉には「言霊」という目には見えない力があるといわれています。
科学的にはまだ解明されていませんが、
私も、言葉には何らかのエネルギーを持っていると思います。

「ありがとう」といえば、ありがとうという気持ちがエネルギーとして
相手に伝わっていくのではないか。

物質や生体のもつ微細エネルギーを研究しているサトルエネルギー学会の理事で、
古神道と言霊の研究家でもある鈴木俊輔さんによれば、
日本語の清音五十音には秘められたパワーがあるといいます。

「ありがとう」には五音、「ありがとうございます」には十音の言霊が授けられており、
その一音一音に神のもつ霊的動的作用が込められているのです。

鈴木さんの解説によると、
「あ」とは、吾(ア=あれ、われ、)にして、天(ア=あめ、あま)の意。
「り」とは、理であり、進化を意味する。
「が」とは、ちから、濁音は強調。
「とう」は、統一を意味する。

「ご」は、凝り、凝縮の意味で、神の心も意味する。
「ざ」は、佐(サ=たすける)で、奉仕の心をさす。
「い」は、天の意(イ=こころ)。
「ま」は、真実の真(マ)。
「す」は、主(ス)、つまり主神の次元へと帰一する。


要するに、「ありがとう」は、自己が宇宙の理法に則り、
力をもって統一調和へと向かう言葉で、

「ございます」は、内なる魂とともに周囲を助ける心をもって真実を生き、
やがては主神の次元へ同化する、という意味です。

「感謝の言葉」であり、かつ「自己浄化の言葉」である「ありがとうございます」は、
一切を好転させる人類最強の言霊だそうです。

そして、内にある本物の自己の輝きを表現するこの言霊があって初めて、
人と神がつながるといいます。

        <感謝合掌 平成24年6月1日 頓首再拝>

・・・

感謝と喜びをまず与えよ

    *谷口雅春先生・著『生活応用 健全の真理』(P174)より

常に感謝せよ、天に対して、地に対して、日光に対して、空気に対して、
すべての生き物に対して、家に対して、身のまわりの道具に対して、
ありとあらゆるものに感謝せよ。

感謝は光の言葉である。

感謝は栄えの言葉である。

感謝するところによきものが集り来たり、
よろこびの所に幸福は集り来たるのである。

今日(こんにち)、今、朝から、喜びの生活を始めようではないか。
すべてのものに感謝して今日(こんにち)の生活を始めよう。
喜びにみたされて今日(こんにち)の生活をはじめよう。

喜びを表現すれば、喜びを与えたことになるのである。

「与えれば与えるほど与えられる」の心の法則に従って吾々の喜びの表現を万物になげかける時、
吾々も世界のすべてのものから喜びを与えられることになるのである。

        <感謝合掌 平成24年6月3日 頓首再拝>

・・・

感謝>ありがとう 

    *メルマガ「無意識の使い方(2011年06月06日)」より

心理療法をしていて、人生が著しく好転する人には共通点があることに気が付きました。

それは、
「ありがとう」と「ごめんなさい」 の両方の気持ちが同時にわいてくるのです。


感謝というと「ありがとう」ですが、
実は、「ありがとう」だけでは感謝ではないのです。

感謝には、「謝る」という字が入っています。

本当の感謝は「ありがとう」と「ごめんなさい」
両方の気持ちが込められているものなのです。

なぜかというと、「ありがとう」と「ごめんなさい」の意味を考えてみましょう。


●ありがとう=わたしは、あなたの好意を <受け取り> ましたよ。

◆ごめんなさい=こんなわたしを許してください。<受け入れて> ください。


相手のことを受け入れることができて、自分のことを相手に差し出す。
これが感謝なのです。

コミュニケーションは相互通行です。

「ありがとう」は、こちらが受け取っている状態。(あなた←相手)
「ごめんなさい」は、自分を相手に差し出している状態。(あなた→相手)
矢印が一方通行なんです。

これではコミュニケーションになっていません。


「ありがとう」と「ごめんなさい」
両方の気持ちが同時にあって、はじめて

(あなた⇔相手)  というように相互通行になります。


「ごめんなさい」は「ありがとう」より 言うのが難しいです。

「ごめなさい」は、自分を相手に差し出すことですからね。
勇気が必要です。

けれど、まずあなたから、自分を差し出さなければ、真の信頼は得られないです。

では、どうすれば、
「ありがとう」と「ごめんなさい」の気持ちが 同時に出てくるのか?


心理療法を受けると、
相手に自分が愛されている、なのに、自分は相手の真の気持ちが分からないで
反抗したり嫌ったりしていた。

ということに気づくことがあります。

そんな時、
相手に対して「ごめんなさい」と「ありがとう」の両方の気持ちがわいてきます。

あるいは、次のようなことも心理療法を受けた方が多く経験することです。

自分のことが嫌いで仕方なかったのが、自分の素晴らしさに気づいた。

そんな時、
自分の嫌っていた部分に「ごめんなさい」を
自分の素晴らしさに「ありがとう」を

言えるのです。

これらは、「ありがとう」だけを何百回唱えようが、
「ごめんなさい」だけを何百回唱えようが、
たどりつけないものです。

「ありがとう」だけを何百回唱えるより、
「ごめんなさい」だけを何百回唱えるより、

たった1回の「ありがとう」+「ごめんなさい」が、人生を変えるのです。

本当の感謝を体験してみませんか?

        <感謝合掌 平成24年6月7日 頓首再拝>

・・・

「感謝」と「与える」

     *メルマガ「ココロの授業(2011.9)」より

いよいよ「第9の賢者」の教えです。(喜多川泰・著「賢者の書」から)

賢者は、次つのことを教えてくれます。

(1)一つ目は「感謝」。

   人生を素晴らしいものにするためには、
   とにかく感謝の言葉を多く口にする毎日を送らなければならない。

   新しい発見にありがとう、
   その発見に引き合わせてくれた、過去のすべての出来事にありがとう、

   人との出会いに、自らの持つ大いなる力に、自然の恵みに
   今日一日生きていることに…
   とにかく、すべてに対して「ありがとう」と言える、

   そんな生き方をすること。

   「感謝の心であふれている人のところに不幸なんて近寄れない」と
   「鏡の法則」の野口嘉則さんもおっしゃっています。

(2)続いて「与える」。

   「人生において、ほしいものを手に入れるためには、
   手に入れたいと思うものを与える側にならなければならない。

   感動の多い人生を送りたければ、
   感動を与える側になって初めて感動を手に入れることができる、

   勇気を手に入れたければ、それをくれる人や物を捜し求めるのではなく、
   人に勇気を与える側に。

   何かを身につけたければ、それを教わる側ではなく、
   教える側に。

   人から認められたいのであれば、認められるのを待つのではなく、
   認める側に。

   そして、人から愛されたければ、愛されるのを期待するのではなく、
   愛を与える側にならなければ

   本当の意味での欲しいものを手に入れることはできないのだ」

        <感謝合掌 平成24年6月18日 頓首再拝>

・・・

汝の霊の根元に感謝せよ

   *『幸福を招く365章』(P167)より

骨が折れるのは、神と先祖と父母に対する尊敬と愛が足りないからである。
ホネは霊根である。自己の霊のそだつところの根元である。
吾らの霊は、神・先祖・父母と云う風に伝って来て今日あるを得たのである。

霊根をつちかわないから骨が折れる。
父母に反抗している場合に脊椎カリエスにかかっていて医療では中々治らない場合がある。

北海道の札幌で幹部教修会があったときに○○修二と云う人が話した体験によると、
十四歳の時に家出してヤクザの群に入り、ついに刑務所で服役までしたのであるが、
出獄後脊椎カリエスにかかり3つの瘻口(ろうこう)から毎日多量の膿を排出し、
段々生命(いのち)旦夕に迫ると云う処まで来たが、

たまたま自分の父親が七十幾歳にて老衰した姿で枕元に来て
優しい言葉をかけてくれたとき、父がこんなに老衰させたのは私が済まなかった
と思っておわびの心をおこしたのである。

するとその重体が3カ月で癒え
炭坑で重労働をしても耐えられる健康さが恢復したのであった。

        <感謝合掌 平成24年6月22日 頓首再拝>

・・・

不幸の連鎖を断ち切る「ありがとう」と座敷わらし

    *五日市 剛・著『なぜ、感謝するとうまくいくのか』 より

僕の生まれた故郷は、岩手県二戸市の金田一温泉。
そこにある『緑風荘』という古い旅館は、
昔から座敷わらしが棲みついた縁起のいい宿といわれてきました。

座敷わらしとは、子供の神霊のことで、
それが棲みついた家は繁栄するとか、
出会った人は幸せになるといわれています。

緑風荘は、僕の遠い親戚にあたるそうです。
僕は小さいころ、この旅館の息子さんと仲がよかったので、
よくおじゃましては遊んでいました。

座敷わらしが出るという客間『槐(えんじゅ)の間』でも、
かくれんぼをして遊んだことがあります。
すると、宿泊客に「あら?あなたが座敷わらし?」とよくいわれました。
困惑して、頭をポリポリかいたものです。

その緑風荘が2009年10月、火事で焼失してしまいました。
空が真っ赤になるほどの、ものすごい火災だったそうです。

幸いにも宿泊客も旅館関係者も無事避難し、
隣家への類焼はまぬがれたので、その点はホッとしました。

驚いたことに、シンボルとなる旅館の看板と、
座敷わらしを祀った祠だけが全く火の影響を受けず、
敷地内にそのままポツンと残りました。

さらに、“座敷わらしのようなもの”が本館の母屋から祠のほうに走っていって、
スーッと消えたと証言している人もいるそうで、これも不思議な話だな、と思います。

ここに棲んでいた座敷わらしは、旅館の人たちを守り、全員の無事を確かめて、
自分を祀った祠へ戻っていったのでしょうか。

そして、「さあ、古いものは焼き尽くしたぞ。これからまた、ここで新たな伝説を創るんだ」と、
宿の主に課題を与えたのでしょうか。

長い歴史のある旅館が、一夜にしてこの世から完全に消えてしまいました。

僕にとっては、小さいころの思い出が詰まった愛着のある旅館。
火事の知らせを受けたときはショックでしたが、
思わず口から「ありがとう」と言葉が出ました。

嫌なことがあったときや、へこみそうになったときに口にする「ありがとう」です。

しばらくして、緑風荘の若旦那と電話で話しましたら、
「なんだか、心はさっぱりしています。心配はご無用です!」と明るく前向きでした。

彼も自分に「ありがとう」といい、深刻にはならず、真剣に対処したようです。
彼ならきっと大丈夫でしょう。

    以上は、掲示板”生長の家「本流復活」について考える”から拝借いたしました。
    <580 :うのはな:2012/07/14(土) >
        http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/580


  <参考Web:座敷わらし
         http://www.att7.jp/dictionary/reinosyurui/zasikiwarasi.html >


・・・・・・以下は、関連として、五日市剛・著「ツキを呼ぶ魔法の言葉」からの紹介です。

 お話(A):魔法の言葉

  ①おばあさん (イスラエルで、五日市氏がお世話になった人)の教え

   「ツキを呼び込む魔法の言葉があるのよ。
   これさえ唱えていれば、誰でもツキっ放しになるわよ」

   「誰でもよく使う言葉なんだけど、二つあってね。
   一つは『ありがとう』、もう一つは『感謝します』」

  ②「『ありがとう』という言葉は、何か嫌なことがあった時に使うといい。
   不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。
   それだけではなく、逆に良い事が起こっちゃうの。

   《災い転じて福となす》という言葉があるでしょう。
   どんな不幸と思われる現象も、幸せと感じる状況に変えてくれる。
   絶対にね。

   だから、『ありがとう』という言葉はね、魔法の言葉なのよ」

  ③それから、
   「そうねえ、何か良いことがあったら、『感謝します』と言ってみましょう。

   この言葉はとても便利でね。
   
   たとえまだ起こっていない未来のことでも、『明日、晴れました!晴れさせて頂き、
   感謝します』とか、『1週間後、○○○に合格させて頂き、感謝します』とイメージ
   しながら言い切っちゃうと、本当にそうなってしまうのよ。

   何の疑いも不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込めればね」

  ④きたない言葉を言うとツキが吹っ飛んでしまう。
   きれいな言葉を使いましょう。

  ⑤人の悪口を言ってはいけない。人を怒ってもいけない。
   ツキが逃げてしまう。

        <感謝合掌 平成24年7月20日 頓首再拝>

・・・

呟けば病気となり感謝すれば治る

      *「幸福を招く365章」(P13)より

呟くかわりに感謝することです。
万物に感謝することをもって新生活を始めようではありませんか。

同じものでも不平をもって受取っては、自分自身の心も苦しいではありませんか。
同じものでも感謝して受取れば、苦痛が苦痛で無くなり、困難が困難で無くなるのです。

和歌山の講習会で川上喜一氏と云われる元海軍将校が終戦後内地に帰還して見ると、
国内の状態は見るに耐えない有様なのでそれに対して不平不満の心ばかりを起していたら、
全身が硬直して全然板のように棒のようになっていて一寸も動かない病気に罹った
体験談をなさいました。

阪大病院で診て貰ったが全然治療法がない。
その時、和歌山県の生長の家連合会長藤田氏に触れて毎晩『甘露の法雨』を読むことと、
『有りがとうございます』を1日1万編となえて感謝の念を起すことを勧められた。

さて手が動かないので『有りがとうございます』を何遍となえたかをどうして数えようかと思って、
天井の羽目板の木目で心覚えをして其の言葉を心で唱えていたのです。

すると、自分の子供が2個の熟した柿の実を樹からもいで来て、
「お父さんこれをおあがり」と云って懐に入れてくれた。

その時、無性にありがたい感じが起って思わず、自分の手の胸の上へあげて合掌した。
その時はじめて手が動きだしたことが分かり、やがて、全身が自由に動き出したのである。

        <感謝合掌 平成24年7月26日 頓首再拝>

・・・

「大感謝・大満足」

     *佐藤伝・著「行動習慣コンパス」(P24~27)より要約

(1)言葉には、言霊というパワーがあります。
   口に出した言葉に、気持ちが引っ張られるのです。

   口に出して十回唱えると書いて、「叶う」という漢字ができあがるように、
   口グセは、運命を変えるほどのエネルギーを持っています。
   いい言葉は、その通りのいい結果を引き連れてきます。

(2)「ありがとうございます」という言葉は、
   「ありがとう」「後」「財」「増」とも意味づけることができます。
   「ありがとう」と言った「後」で「財」が「増」すという意味です。

   「財」とは、お金であり、知恵であり、人脈(ヒューマンネットワーク)。
   自分にとって貴重で、かけがえのない財産、すべてのことです。

   「ありがとうございます」と言うだけで、自分にとって必要なものが、
   どんどん増えていくというわけです。

(3)今日からは、感謝をまず口にしてみてください。
   先に感謝してしまえば、その感謝の状況が続くようになって、
   不足感や不安感から解放されます。

   大きな感謝をすれば、必ず大きな満足がやってくるのです。
   それなのに、多くの人は「大満足・大感謝」と考えてしまいます。
   しかし、感謝が先です。「大感謝・大満足」なのです。

(4)日常の生活の中で、「大感謝・大満足」を感じる機会は3つあります。
   朝起きたとき、お風呂に入ったとき、夜寝るとき。

  ①朝目覚めた瞬間
   「今日も目が覚めました。ありがとうございます。大感謝・大満足」とつぶやく。

  ②夜寝るとき
   「今日も一日ありがとうございました。大感謝・大満足」とつぶやいて、
   感謝のうちに頭を枕にのせる。

  ③お風呂に入ったとき、
   ホッとすると、人は自分のホンネと向き合えます。そのときに
   「はぁ~、ありがとうございます。大感謝・大満足」とつぶやく。

   
   朝・お風呂・夜の「感謝のサンドイッチ作戦」は、
   「幸せセンサー」の感度を上げるパスポート。
   感謝して、幸せを感じることができる人が、ハッピーな人になるのです。

        <感謝合掌 平成24年7月31日 頓首再拝>

               ・・・

        <感謝合掌 平成31年1月30日 頓首再拝>

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