伝統板・第二
“神の子人間”の高貴さを失わず~理想世界昭和43年11月 - 夕刻版
2019/01/24 (Thu) 18:09:13
”道産子 さま” ありがとうございます。
”道産子 さま”のお蔭で、新たに、谷口雅春先生の法語を
このスレッドに残せることに感謝申し上げます。
(http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7800091 からの転載です)
(昭和43年理想世界誌11/1号)
谷口雅春先生
(上旬)
民主主義の中に在っても“神の子人間”の高貴さを失わず
谷口雅春先生
(理想世界誌 昭和43年11/1号)
【一日のことば~細心の注意・精密な観察】
大ざっぱな観察は時々大なる過ちを犯すのである。
小さな傷でもできたならばその宝石は殆ど無価値になってしまうのである。
古いバケツの底に出来た小さな孔に気が付かないで、
そのバケツに水を豊富に貯めたつもりでいると、
イザという時に全然水が一滴もなくて、大火災を引き起こす事もある。
底抜けの樽に水を入れる者はないけれども、水漏れが小さいために
気が付かないで、却って大へんな結果を引き起こすことがある。
細心の注意、精密な観察、それを失なうために
ヴェテランのバス運転手が衝突を惹き起こして多くの人命を損することもある。
・・・
【二日のことば~偉大なる人間は“微細”の中に“巨大“を見出す】
宇宙最大のエネルギーである原子力の開発は、
極微の小さいものを精細周到に観察した結果から可能となったのである。
偉大なる人間は、
微細なものの中に偉大なるもの、巨大なるものを見出すのである。
原子力の利用や、半導体の中を動く小さな電子の観察が、
今や全世界に産業革命をひきおこしつつあるのである。
物事を大雑把に考える癖を改めなければならない。
・・・
【三日のことば~悪習慣の小さき種子を早期に除去せよ】
鋸の小さな歯の往復が巨樹を伐り倒すのである。
小さな悪習慣を毎日、鋸の歯の往復の如く繰り返しているうちに、
あなたの本来偉大なる「神の子」たる人格が伐り倒されて
つまらない凡人となり、フーテンとなり、ヒッピーとなる。
精細なる観察は、外界にある原子や電子や素粒子に振り向けることも
必要であるけれども、尚一層大切なのは自分自身に精細な観察眼を
振り向け、どんなささいな悪習慣の小さな種子でも見出して、
それを早期に除去するようにすることが大切である。
悪習慣の小さな種子は早期に発見して棄ててしまえば、
容易に根絶やしすることが出来るが、それが芽を吹き、人格の中に
深く根を下ろすようになると、なかなか根絶しがたきものとなる。
・・・
【四日のことば~時間を失う者は生命を失なう】
一瞬一秒が積もって一年となり、十年となり、あなたの一生涯となる。
時間の小さな断片でも大切にしなければならないのである。
一瞬一秒を失う者は一生涯を失うのである。
中途半端な短い時間で、こんな時間には何も出来ないと思って、
時間を空費するならば、その空しく失った時間を、
一生涯(例えば八十年間)に計算して見よ。
あなたは驚くべき時間を空しく棄てていたことに気着くであろう。
時間を失う者は生命を失なう。
時間を棄てる者は自己の生命を棄てつつあるのである。
何故なら地上の人間の”現象生命”は
その人の営む”生命時間”で成り立っているからである。
・・・
【五日のことば~毎日使う日常語があなたを性格を変える】
小さなるもののうちに巨大なる結果がひそんでいることを
見出し得ないものは、小さなる魂である。
自分の使う毎日の言葉が野卑な語であるならば、
その人の性格は、毎日野卑につくられつつあるのである。
自分の使う毎日の言葉が粗暴な語であるならば、
その人の性格は、粗暴につくられつつあるのである。
戦後の青少年の性格や行動が粗暴になって行きつつあるのは、
洗練した美しい言葉を使わなくなり、わざと規格に合わぬような
崩れたゾンザイな言語を使う事に生命の解放感を味わう様な、
間違った方向に青少年の教育がみちびかれているからである。
時代が民主主義だからとて自己の魂の高貴さを棄ててはならない。
・・・
【六日のことば~「言論の自由」という糖衣錠】
現行の占領憲法には、
日本弱体化のあらゆる要素が秘められているのである。
それは糖衣錠のように表面は舌触りがよく甘い感じがする
けれども、その奥には驚くべき毒薬が調合されているのである。
「言論の自由」、「表現の自由」、などという甘い糖衣に誤魔化されて、
表現するコトバに何の統制もほどこしてはいけないというのは、
小さな事の中に、どんな重大な結果を惹き起こす原因が秘められているかを
洞察する力のないバカ者の言う事である。
道路の交通でさえも、赤青の信号によって統制を施す事によって、
交通事故を未然に極小に防ぐ手段が講ぜられているのである。
言葉の交通に何らの制限を設けなければ、
それは国を潰す力ともなるのである。
何故ならコトバは神であり、
それが表現する通りの姿を作り上げる力を持つからである。
日本国を侮辱する様な言葉が繰り返し繰り返し使われると、
小さな鋸の歯の往復が巨樹を伐り倒してしまうように、
日本国を滅ぼしてしまうことも出来るのである。
実際、日本を革命するための言葉の鋸の歯が街に氾濫していて、
一九七〇年には二千六百二十八年続いて来た「ひのもと」という巨樹を
伐り倒そうとたくらんでいるそうだが、伐り倒されてたまるものか。
吾々は真理のコトバの力にて、
暗黒のコトバの力を撥ね返さなければならない。
諸君、われわれと共に起ち上がれ。
・・・
【七日のことば~勇気ある者のみが高貴を語る】
勇気ある者のみが俗流に媚びないのである。
「時代が民主主義なんだから、斯うするのが正しいのだ」などという語を、
時々当然の事であるかの如く聞くことがあるけれども、そのような
語をなす者は、時代という枠の中に嵌められて自由を失っている者である。
そのような人間は、もし軍国主義時代が来るならば、
「時代が軍国主義なんだから反戦主義や平和主義は間違いだ」
と言い出すだろう。
真理は「時代」という枠の中には在らず、流行という流れの中には在らず、
勇気ある者のみが時代を越え、流行を越え、衆俗の喝采や悪罵を越えて、
真理を語り、高貴なるものを語るのである。
・・・
【八日のことば~常に高貴を語り、常に高貴であれ】
人間は神の子であるから、
常に高貴を語り、常に高貴であらねばならないのである。
人間の中には高貴が宿っているのである。
教育家が、「教師は言うまでもなく労働者である」(日教組の倫理綱領)
と宣言した時、彼らは教育者という「高貴」なる本質を棄て、
労働者にまで墜落したのである。
そしてマルクスという西洋人の命ずるところに従って。
赤旗を揮って街頭を行進する奴隷となったのである。
人間はもっと高貴にならなければならない。
勇敢なる者のみが、高貴から墜落した群衆の中に在って、
神の子の高貴さの奪還を語るのである。
・・・
【九日のことば~多勢の主張必ずしも優秀ならず】
「多勢が主張するからそれは正しい」と考える
愚かなる思想が民主主義の中に漂っている。
その愚かなる思想が、水銀中毒の様に人間の精神の中に浸透して、
思想の自由を混迷させているのが現代の日本国なのである。
多数者の主張が正しいと考えるのは事実に反する。
学校でも、平均点数は、最優秀者の点数より低いのである。
多数決で事を決めることは平均点数者の智慧でものを決定することである。
そのような意味での民主主義の世界では
最高の頭脳は窒息してしまうほかはないのである。
・・・
【十日のことば~勇気ある者は困難を恐れない】
困難を恐れるな。
ただ勇気ある者のみ困難に立ち向かう。
そして困難を征服する。
征服の爽快さはその困難のきびしさに正比例する。
困難がきびしければきびしい程、征服のよろこびは増大するのである。
それは峻峰に登頂する歓びに似たものである。
それが高峰であればあるほど、
その嶮難を克服し得た時の歓びは大きいのである。
(中旬) - 伝統
2019/01/25 (Fri) 19:34:04
【十一日のことば~倒れても起ち上がって前進する】
倒れても起ち上がる。
躓いても起ち上がる。
城が砲撃や爆撃によって粉砕されても、物質は粉砕されることがあっても、
心を粉砕することは出来ないのだ。
勇気ある者は、城が粉砕されても、その 廃墟瓦礫の中に起ち上がって、
捲土重来の計画を心の中に描きつつ微笑するのである。
日本は敗戦の廃墟の中から起ちあがったのである。
そして若し倒れなかったならば、知ることの出来ない
色々の体験を閲(けみ)して、戦争した前よりも進歩したのである。
如何なる困難なる経験も、それが無かった時よりも人間は前進する。
人間の文化も前進するし、人間の魂も前進するのである。
特に勇気ある者は一層前進する。
怯懦であってはならないのだ。
・・・
【十二日のことば~“神の子“たる実相を自覚して前進せよ】
毎日毎日が新生なのである。
新生は暦の日附が新しくなることではなく、
自分の自覚が新たになることなのである。
私たちの住む世界は“物質の世界”ではなく、“唯心所現の世界”即ち
「心の現わす所の世界」であるから、住む人自身の”心の悟り”が
一変すると、その人の住む世界が一変するのである。
だからあなたはいつでも自分の人生を一変することが出来るのである。
神があなたのうちに居るのである。
単に神が内在すると言うだけでなく、「内在の神」そのものが、あなたの
”本質”であり、あなたの“実相”であり、「本当のあなた」なのである。
あなたは何を恐れることがあろうか。
・・・
【十三日のことば~自覚を改善する事によって運命を開拓せよ】
”神の子”であるという「本当の自分」が解ったといっても、
それを頭脳で理解したという程度の解り方では、
本当に自分の実力を発揮できないのである。
自分が神の子である云う実相を完全に自覚するのは一生涯の修行である。
「実相の完全さ」は無限の高さにあるのであるから、
これだけ頭脳で理解したら充分だという訳ではないのである。
だから、釈尊も、また諸宗諸教の教祖たちも、或いは一生涯坐禅を続け、
或いは絶えず観法を怠らず、或いは不断念仏して如来と一体の
自己たらんことを行じ、或いは日々祈りによって
神の御心と一体となる行持を怠らなかったのである。
あなたもまた神想観を一生涯の修行として
常に怠らず実修すべきであるのである。
そしてあなたが”神の子”の実相を自覚し得た程度に従って、
あなたの人生は新たなる発展を見せるのである。
前進は魂の悦びであり、困難を克服する努力の中に勇気ある者は
勝利の凱歌を聞くのである。
・・・
【十四日のことば~あなたが新生すれば世界が変る】
「また今日も同じことの繰返しか、つまらないな」などと、
朝起きたときに思うことを止めよ。
客観的には同じ仕事をしているように見えても、その仕事をする人の心が
新しくなれば、その仕事が、あなたの心に触れる面が、
新しく異なって来るのである。
あなたはその仕事から新しい面を見出し、新しい意義を見出し、
新しい教訓を見出し、新しい興味を見出すことが出来るのである。
あなたは新しい光をもって仕事を見、人生を見、新しい価値を見、
人生に生き甲斐を感ずることが出来るのである。
・・・
【十五日のことば~天国は“汝の内“にある】
暗黒な想念を捨てよ。
暗い感情の虜となるな。
自分の心に太陽の光を射しのぼらせよ。
自分の心が太陽の如く輝き出したならば、
あなたの見る人生が太陽に照らされた明るい輝く人生になるのである。
心が明るくなれば、血液の循環は順調となり、肉体が生き生きとして来、
脳髄もハッキリして来るので、観るもの聞くもの、自分のために
讃歌をうたってくれている天使のように見えて来るのである。
まことに
「天国は、此処に見よ、彼処に見よと言うが如くにはいないのである。
天国は汝の内にあるのである」
とキリストが言った通りなのである。
・・・
【十六日のことば~日本には奴隷制度はなかった】
日本に奴隷制度があったり、どうにもならない階級制度があったりした
ように書く戦後の歴史家があるけれども、
日本には一定の階級制度というものはなかったのであって、
どんなに微賤な家柄に生まれても、関白太政大臣にもなれたのである。
この事を奈良女子大名誉教授の岡潔先生は次のように言っている。
「日本に階級というものがあると言っている人は、
秀吉を見てもらえば分かると思います。
階級制度というものが西洋の歴史にありますが、日本や支那の歴史にはない
という事、これが実にハッキリした特徴なのです。
西洋ではこの奴隷制度が未だに尾を引いている。
アメリカの資本主義にはそういう色彩が残っています。
そのことがいけないと言う。
それがマルクス主義の存在意義ですが、
そういう歴史を述べようにも日本や支那には、そういうものがない。
それを無理に曲げて述べているのです。
いったい秀吉に階級というものがあったでしょうか。
あるいは明治の天皇が搾取する人のように見えるでしょうか。
今多く教えられている日本歴史は、
西洋の歴史をそのまま、日本にあてはめ真似しているのです。
教育者はそれに対して何もいっていない。
これが日本の現状と思うのです・・・・・」(心情圏」八月号96頁)
・・・
【十七日のことば~艱難を通して人間は光を増す】
日本には奴隷制度はなかった。現在でも奴隷制度はない。
いつでも社会の下層に生まれた人が、
社会国家の高き位置に昇る機会が与えられているのである。
財界のトップに立っている人の大部分は大学を卒業しないで、
その中には小学教育しか受けなかった人々が随分あると統計が先日
ある雑誌に載っていて、「学歴無用論」が唱えられていたが、
名もない土民の子に生れた秀吉が天下をとったと同じような機会が、
今でも常に日本の国にはあるのである。
寧ろ少年時代に社会の下積みになって色々の苦労を嘗めて来るのが、
その人の人格の鍛錬になり、世俗の情に通ずることにもなり、
だんだん社会の上層に自分が上がって来た時に、下にある人たちの
人情を知り、苦労を知り、一体感をもって下々の人達が心服してくれ、
同志として親身になって協力してくれることにもなるのである。
「若い時の苦労は買ってでも為よ」という様な諺が日本に生まれたのも、
日本の社会事情のしからめるところなのだと思われる。
・・・
【十八日のことば~現代人の苦悩について】
早稲田大学の国際学部長の名取順一氏はこう言っている。
「調和された人間の能力が創造開発を可能にする。
過去より現在へ、そして現在より未来へ、はたして人間は
どれだけ進歩をして来たのか?
たしかに、物質的に、機械的に人間は進歩したと言える。
だのに、人間の心は? にくんで、そねんで、うらんで、ぬすんで、
うそをいって、ごまかして、火をつけて、たたいて、殺している生物が人間である。
りっぱな家に住み、きれいな衣服を身につけ、
おいしい食物を口にしてさわいでいる化け物が、文明の現代人が。
人々を殺し合い、人類の絶滅さえはかるかもしれない。
月の世界まで大きく伸びようとする人間が、
小さい家庭内でけんかをしているのである。
この悲劇を、“天に坐する者が笑うであろう”とは
至言である・・・・・」
こんな状態に人間が堕落しているのは、人間が“知恵の樹の実”
(唯物論の知識)を食して知識のみ発達して実相智が隠蔽され、
エデンの楽園から追放された状態であるからである。
これを私が書いている時(八月十八日)、観光バス二台が豪雨下の土砂崩れで、
一瞬のうちに飛騨川に転落して百〇四名が犠牲になっているのである。
物質文化は進歩して、経済的に繁栄して月給が上がり、レジャーは増えて、
大自然を軽蔑し、人間は大自然に復讐されたような恰好で
このような災害を受けているのである。
もし月給が上がらず、レジャーを楽しむような時間も金もないならば
この人達はこのような災害に遭わなかったにちがいない。
どこかが間違っているのである。
それは実相を忘れているからである。
物質が豊富になり、レジャーが多くなったら人間は幸福になるという
唯物論一辺倒の考え方の報いがこの結果なのである。
本当の人間の幸福は、人間が“神の子“である実相を自覚し
神意に基づく生活を営むことによってのみ得られるのである。
・・・
【十九日のことば~人間の実体は“神の子“である】
名取順一教授は続いて言う。
「人間の三大欲求は食欲、性欲、安全だと言われている。
人が安全であることは幸福であり、そこに、文明、文化の花が咲く。
ところが、最近の社会は不安全で、不幸である。
ではどうしたらこの世を安全な場所にすることが出来るか。
第一に検討されなければならないのは人間の実体であ。・・・・・。
私は爰まで読んで来て、名取順一教授も生長の家と同じく
「人間の実体」は“神の子“であり。それを自覚しなければ本当の幸福も
安全も得ることは出来ないのであるとお説きになるのかと思うと、
名取教授はその次にこう説かれる。
「人間は自然と融合し、環境とバランスをとって幸福の世界をつくらねば
ならない。国家を論ずる人も“主権在民“を知ることは、国より人に、
民に重点があるという事をみとめて貰いたい。
個人と国家と人類は一つであるというのが正しい原理である。
人間は国家の道具ではない。」
これを読んで私は失望したのである。
だいたい「人間の本質」の中に主権在民というような
”細胞主権主義“のようなものはないからである。
もし体の細胞が各々主権をもって勝手気儘なことを主張し
出したら、その人体は癌症状に罹っているのと同じであって、
その人間は死んでしまうほかはないからである。
・・・
【二十日のことば~国家を喪失した日本国の現状】
「主権在民」の思想は“全体”は“部分”の構成によって成り立っている
という「物体の唯物論観察」を国家に当て嵌めて考え出されたものである。
成るほど「全体」は「部分」の集合体ではあるけれども、
その全体が生きた有機体又は健康なる生体として存在し得るためには、
「部分」が主権を持つと称して勝手気儘な主張をして全体の統一を攪乱する
ような事をしては、国家はその存在が危くなるのは当然の事である。
この事は「無門関解釈」の本の中で私が“渓仲造車”の公案を解釈した
ところに詳しく説明しておいたから読んで頂きたい。
”車”を解体して部分品としてしまった渓仲という人間が、
”車は何処にあるか”と探しまわったけれども、
“車”はみつからなかったという話である。
国家を国民という構成要素にわけて、国民主権を高唱した時、
いくら国家を探しまわっても国家はない訳だ。
従って国民主権の下に於いては国家がないのだから
愛国心など起こりようがない訳だ。
ただ国民の都合のよいための組合組織があるだけである。
そして国民の「都合のよさ」は各人に従って差等があるから常に国内が、
ある数の利益団体に分れて、その利益団体が、自己の利益を主張するために
国内で相争うことになる・・・・・それが日本国の現状なのである。
(下旬) - 伝統
2019/01/26 (Sat) 18:40:06
【二十一日のことば~車にたとえて生命体としての国家を解く】
人間は“神の子”として、霊的実在であり、従って神に属するのである。
日本国は天照大御神の創作せられたる「豊芦原の瑞穂国は
世々わが子孫の王(きみ)たるべき地(くに)なり」という理念の
実現として、神の設計が天降って実現した国家なのである。
それ故に日本国は“神の国”であって、霊的実在である。
肉眼に見える姿は、それがまだ不完全に現象化した姿である。
“車”というものの設計が必ず、中心部に中軸があって、その中軸を
中心として周囲の一切の部品が回転しているのと同じように、
天皇の大御心を中心に、周囲の一切の生命が渾然調和して
一個の生命体をなしているのが日本国本来の姿である。
“車“の部分品が各々勝手に「自分に主権がある」と称して回転し出したら
”車”と言うものは成り立たないのである。
”車”にたとえて“国家”のあるべき本当の姿を
よくよく考えてみるべきである。
・・・
【二十二日のことば~このように神の子らしく生活せよ】
諸君はこれから常に美しきもの、清きもの明るきもの、
善きもの調和せるもの、愛にかなうもの・・・等を求め生活をして、
これに反するものから遠ざかる生活をしなければならない。
それがあなたが神に近づく途であり、あなたの生命に内在する
”神”を実現する道であるわけである。
若しあなたの前に、以上のべたような美徳に反するものがあらわれて来た
ならば、そのような悪い姿や醜い姿に心を引っ掛からせることなく、
相手のうちに潜在する完全なる実相に心を集中して、
それを拝み出すようにしなければならないのである。
もしあなたの周囲にある人々が、誰かの悪い噂をして嘲笑している
ようなことがあれば、そのような嘲笑に巻き込まれて
一緒になって悪口を言ってはならないのである。
すべての人々の“善”なる実相を見て、
それがあらわれて来るように祈ってあげるべきものである。
・・・
【二十三日のことば~因果応報昧(くら)まさず】
私たちは自分が心に描いたものを相手に於いて見出すのである。
それはテレビに於いて恰も自分がチャンネルを切替え、
波長を合わした番組を自分が見るようなものである。
すべて「自分が」の問題である。
他に対して辛くあたる人は、自分がまた他から辛く処遇せられるのである。
愛深く人を遇する人は自分も亦、愛深く遇せられるのである。
他から奪う者は、また他から奪われる。
それは一時的に利益を得たように見えても結局はもとの木阿弥である。
此の世界は、“平衡の法則”が行なわれているのである。
原因と結果とは平衡しているのである。
人を不幸にする原因をつくりながら、その結果、
自分が幸福になり得るなどということはあり得ないのである。
結果が直ぐあらわれないからとて、原因に結果がないこともあり得る
などとズルイ事を考えてはならないのである。
・・・
【二十四日のことば~すべての人の実相を礼拝すること】
人を見るに、すべての人を善人として見よ。
而して相手の実相の高貴さを礼拝せよ。
相手を善人と見て、自分がその人に騙されても、相手の人を
”神の子”と見ないで”悪人”と見た罪よりも軽いのである。
彼が自分が期待した通りに善人の姿をあらわさなかったとしても、
それは彼に宿る“神の子”なる実相を拝む自分の力が足りないのである。
現象の悪しき顕われに目をつぶって、彼の実相なる“神の子”を祝福せよ。
礼拝せよ、その礼拝が徹底したならば、彼に宿るあらゆる
善き特性が現象化して現実にも立派な姿があらわれるであろう。
・・・
【二十五日のことば~悟りの心境について】
肉眼に見える人間は、時間・空間の枠の上に投影されたる想念の影である。
しかも想念が実相そのままの想念ではなく、鈍重な物質的脳髄は一種の
電子計算機みたいな組織をしていて、各方面から印象して来た
迷いの観念も一緒にその記憶装置の中に貯えられている。
そして、実相の観念と、各方面からの迷いの観念とを綜合して
結論を出すから時に間違った結論を出すのである。
ただ無我になって坐る時、実相そのままの想念が出て来る。
それが“悟り”と称するものである。
・・・
【二十六日のことば~ただひたすら心を実相に振り向けよ】
私たちが「イライラしたり精神的に疲れたり、ノイローゼ気味に
なったりするならば、それは外界の各方面から来る“迷いの想念”に
自分の心も同調して、迷いの想念”に引きずり回されているからである。
自分の心が外界のそれらの“迷いの想念”に 同調することをやめ、
ただひたすら実相円満の想念を起こして精神統一に入るならば、精神的な
一切の疲労もなく、ノイローゼなどは忽ち治ってしまう筈である。
あなたが神想観を実修して、実相三昧になったのち、自然に思い
浮かんでくる考えは、実相世界から催して来るところの智慧であるから、
その通り実行するとき屹度良き結果が得られるのである。
・・・
【二十七日のことば~本当に煙のない世界へ】
本当の緊張緩和はラクにぶらぶら体をなまけさせている事によっては
得られるのではないのである。
日曜日の休暇の翌日が最も疲れていて、
仕事の能率が上がらないという事を往々聞くのである。
本当の緊張緩和は、実相の世界に環帰することによってのみ得られるのである。
何故なら実相世界には疲れもなければ、不要の緊張もないからである。
争闘や嫉妬や憎悪や色々の緊張のある世界にいて緊張緩和を得ようとするのは、
煙の出る火のついた煙草を振り廻して、煙を払うに似ているのである。
煙が嫌いならば、煙の出る手で煙を払うよりも、
煙のない世界に往くことが必要である。
そして自分が煙を出さない事である。
・・・
【二十八日のことば~情熱をもって事を為せ】
何事を為すにも強烈な情熱をもってそれを為せ。
情熱のない運動や仕事は、石炭の燃え殻のようなものであって
何の魅力もないのである。
情熱のたぎる処、そこに魅力を生じ、人々を引き付けることができ、
多くの協力者をつくることが出来るのである。
どんな天才でも、ひとりや、少数では大なる何事もなすことは出来ない。
多くの協力者や、同調者、共鳴者が出来てこそ
大いなる事業や計画を推進することが出来るのである。
情熱ある者のみ、多くの共鳴者、同調者、協力者を引き寄せる。
・・・
【二十九日のことば~あなたの内に生命の火を燃やせ】
情熱をかき立てようと思っても情熱が湧かぬという人があるかも知れない。
情熱は外から塗り着けることは出来ないのである。
情熱は何人にもあるのであって、それは内にある“生命の火”である。
“生命の火”は“神の生命”である。
“神の生命”にあなたが振り向き、宇宙普遍の“神の生命”と
自己に宿る“神の生命”とがカチカチと触れ合う様になったら、あなたの内に
“生命の火”がとぼり、情熱がたぎるように湧いて来るのである。
それにはやっぱり神想観をたびたび実修して「神よ、われわれの使命を示し給え。
しかしてわが心に使命遂行の意情熱の火を燃やし給え」と念ずるがよいのである。
やがてあなたはインスピレーションが降って来るであろう。
あなたの進むべき道が、あなたの為すべき仕事が、
あなたの使命がくだされて来るであろう。
・・・
【三十日のことば~宇宙の浄化力に協力すること】
宇宙には到る処に、常に浄化の力、浄めの力、癒しの力が
充ち満ちているのである。
無数の煙突から立ち上る煤煙、自動車から噴き出る排気ガス、
それらの中に含まれている亜硫酸ガスその他の毒性ガスなどが御日毎日
空中に排出せられるけれども、何時の間にかそれは浄化されているのである。
その浄化の力を成るべく働きやすいように協力すれば、都市の空気は
常に清らかであり、都市を流れる河の水は清らかであり、
人体に於いては健康が保たれるのである。
浄化の働きに協力するようにするには、
東京では隅田川に矢鱈にゴミを棄てぬようにすることが必要である如く
吾々は心の中に無暗にゴモクを溜めぬようにすることが必要なのである。
怒ること、憎むこと、陰気にふさぎ込むこと、心配すること、
持ち越し苦労や取越し苦労をすること、野卑な事を思うことなどは
自分の生命の河の流れにゴモクを無暗に棄てることになるのである。
成るべくそのようなゴモクをつくらないようにせよ。
もし過って、そのようなゴモクを心に造ったならば、毎夜眠りにつく前に
神想観して、神の正常なる霊気を呼吸し、ゴモクで汚れた心情を浄化してから
眠るがよい。
<感謝合掌 平成31年1月26日 頓首再拝>