伝統板・第二

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光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:09:31

光明掲示板第二消滅のため、
アーカイブより


幸福 (10773)
日時:2014年08月05日 (火) 06時04分
名前:伝統

(スレッド行方不明のため、再掲載です。~若干の編集変えあり)

小さなハッピー

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年08月20日)」より

   (飯野晴子氏の心に響く言葉より… )

   「舌切りスズメ」という昔話をご存知でしょうか?

   このお話のなかに、親切にしてくれたおじいさんへの恩返しに、
   スズメが「大きいつづら」と「小さいつづら」のどちらかをお土産に贈るシーン
   が出てきます。

   やさしくて謙虚なおじいさんは小さいほうのつづらを選び、
   冷たくてよくばりなおばあさんは大きいほうのつづらを選びます。

   すると、結果的に小さいほうからは宝物が、
   大きいほうからは妖怪や気味の悪い虫が出てくる…。


   読む人によっていろいろな教訓が含まれたストーリーですが、
   私がこのお話から学んだのは「本当のハッピーは小さなもののなかに隠れている」
   ということです。

   私たちはふだん、ついついよくばって「大きなハッピー」ばかりを
   目先に追い求めてしまいます。

   けれども、実際の幸せは、毎日の暮らしのなかのちょっとした楽しみや喜びを
   積み重ねた先にこそ訪れる。

   ささやかなことでかまいません。

   どれだけ「小さなハッピー」を見つけられるか、ということです。


   以前、若い友人達にこの話をしたところ、さっそく次の日から、
   彼らは自分の見つけた「小さなハッピー」をその都度私に知らせてくれる
   ようになりました。

   「思わず“ジャケ買い”したCDが全部とってもよかった」
   「ファストフード店でスピードくじを引いたら、フライドポテトが当たっちゃった」
   「大好きなお菓子の新しい食べ方を見つけた」…などなど、なんでも。

   一つひとつは小さなことかもしれません。
   でも、1日を振り返って「何もなかった」と言うより、
   たとえ小さくても「こんなうれしいことがあった」と笑顔で言えるほうが
   ずっと素敵だと思いませんか?

   同じことでも「くだらない」や「別にうれしくもない」と思うのと、
   「ラッキーだな」と喜ぶのとでは後者のほうがずっとおトクです。

   少し下品な言葉でいえば、「ただではころばない」ということでしょうか。
   この「ただではころばない」精神が毎日を楽しくしてくれる秘訣だと私は思います。


   だから、「小さなハッピー」をないがしろにしない。
   小さな喜びを愛(いと)おしみ、感謝する気持が、
   また次のハッピーを呼んできてくれる。

   そう信じています。

    <『飯野さんって、どうしてそんなに運がいいんですか?』サンマーク出版 >

   ・・・

飯野晴子さんは、大学卒業後、25歳で結婚し2人の娘を出産したが、
35歳の時に離婚したことをきっかけに、経済的な必要にも迫られ、
生まれて初めて就職した。

2度の離婚、シングルマザー、仕事と子育ての両立などなど、
さまざまな苦難を乗り越え、70歳を迎える今も現役で活躍し、
「広告界のビッグママ」と呼ばれている。

また、中尾ミエ、小室知子、加藤タキとともに「女性らしい自然な生き方」を志す
チーム「ソルトンセサミ(ごま塩頭=白髪をそめない)」を設立し、活躍している。


「神は細部に宿る」という言葉がある。

「細かな部分ほど、疎(おろそ)かにしない」、
「小さな部分こそが全体を決める」、ということだが、「小さなハッピー」も同じこと。

「神は小さなハッピーに宿る」、と言ってもいい。


大きなハッピーばかりをのぞみ、小さなハッピーを疎(うと)んじる人は、
結局はハッピーを手に入れることはできない。

当たり前の日常の中で、小さなハッピーを毎日見つけたい。

        <感謝合掌 平成25年9月2日 頓首再拝>

・・・


お金があろうがなかろうが

     *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年08月24日)」より

   (クリスティーヌ・ルウィッキー氏の心に響く言葉より…)

   ベストセラー心理学書「幸せはいつもちょっと先にある」(早川書房)の著者である
   ハーバード大学教授ダニエル・ギルバート氏が行なった実験をご存知ですか?

   この実験でギルバート教授は、宝くじが当たった人が、
   1年後にどれだけ幸せかを調査しました。

   その結果、大金が転がり込んだことで生活のレベルが激変しても、
   その人が感じる幸福度は以前とほとんど変わらなかったということがわかったのです。

   さらに興味深いのは、この幸福度の法則は不幸に見舞われた人に対しても
   同じように当てはまるということです。

   ギルバート教授が、下半身麻痺になってしまった人に対して調査を行なったところ、
   下半身麻痺になる前後でもやはり幸福度は変化していなかったのです。

   これらの実験結果からわかるように、たとえプラスに働こうが、マイナスに働こうが、
   外的要因は人の長期的な幸福度には影響を与えません。

   外部の状況ではなく、満足しながら毎日を生きているかどうかで幸せが決まる
   と言い換えてもいいでしょう。

   つまり、周りの環境と幸せとは無関係なのです。

   お金があってもなくても、健康でも病気でも、仕事があってもなくても、
   そうした要因はあなたが幸せかどうかに影響を与えません。

   だからこそ、置かれた状況の中でどう生きるかに目を向ける必要があります。

   今の暮らしの「ありがたさ」を感じ、希望を持って前向きに生きるのか、
   それとも将来に絶望し、ストレスを感じながら、世をはかなんで日々を無意味に
   過ごすのか。

   すべてはわたしたちの選択次第なのです。

   「今やっていることがうまくいけば、状況が一変して後は万事OK」
   と思っている人もいるかもしれません。

   しかし、そんなふうに外部状況が好転しても、
   やはり幸せにはなれないのはすでに見たとおりです。

   毎日を明るく楽しく生きるコツは、
   日常のささやかなことがらに価値を見い出すことにあります。

   お日様の光、朝起きたときにどこからともなく聞こえてくる鳥のささやき、
   まわりの人の愛、仕事で人の役に立つ幸せ、そんな何げないことを大切にする
   ようにしてください。

     <『いつもの「グチ」がなくなる本』クロスメディア・パブリッシング>

   ・・・・・

「明珠在掌(めいじゅたなごころにあり)」という禅語がある。

美しい宝石は、実は自分の中にある、ということ。

メーテルリンクの童話、『青い鳥』のチルチルとミチルのように、
「幸せ」を探して遠くまで行ったが、結局、「幸せ」は身近なところにあったことに
気づく、と同じこと。


お金があろうがなかろうが、健康であろうがなかろうが、仕事があろうがなかろうが、
そういった外的要因は「幸せかどうか」には関係がない。

「置かれた状況の中でどう生きるか」

日々の毎日の中に、幸せと価値を見出したい。

        <感謝合掌 平成25年9月8日 頓首再拝>

・・・

本当の幸福は 魂 の問題である

      *「女の浄土」(P4)より

幸福というものは、物質の問題ではないのである。
自己が自己の内部生命の本質に調和した動きを妨げられずに
成され得るときには幸福感が得られるのである。

自己は”物質”ではなく、”霊”であるから、
物質的環境によって妨げられるということはないのである。

どんな物質的現象にあってもそれに引っかからず、調和して、
一切を礼拝して生活することができれば、そこに魂の悦びが感じられる。

それが本当の幸福というものである。

        <感謝合掌 平成25年8月24日 頓首再拝>

先代までの掲示板において、「幸い」に関した題材を次のように紹介してまいりました。

(1)「生長の家“本流宣言”掲示板、では、スレッド「幸せとは (5453)」として。
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode;=res&log;=1185     

   →(消滅を確認H26.8.5)

(2)「生長の家光明掲示板・第一掲示板」では、スレッド「幸い (475)」として。
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode;=res&log;=137     

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自分が燃えるストーブになること (10774)
日時:2014年08月05日 (火) 06時08分
名前:伝統

自分が燃えるストーブになること

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年07月26日)」


   (斎藤一人さんの心に響く言葉より… )

   よく、自分の身内の相談に来る人がいるんだけど、私はそういう人にいつも言うの。

   「自分がしわせになりな」って。


   それをわきで聞いている人が「その身内を見捨てて自分だけしあわせになれ」
   ということですかって聞くんだけど、そうではないんです。

   たとえばその身内がお姉さんだとしたら、まず自分がしあわせになって
   しあわせの波動を出せば、お姉さんもつられてしあわせの波動になるの。

   だから、お姉さんを見捨ててあなただけしあわせになれって
   言ってるんじゃないんです。

   救いたかったら、今と違う行動をとらないと救えないんだよ。
   こっちが氷だったら向こうは冷えちゃうけど、
   こっちがストーブになって温めればいいんだよ。

   相手もしあわせになりたいんです。
   それを相手が不幸だからといって、その不幸に付き合っちゃダメだからね。

   それでまだお姉さんのところに行くと引きずられちゃうんだとしたら、
   しばらく会わないようにするとか。

   それは決して、相手を見捨てるんじゃないんだよ。

   あなたも助かり、相手も助かる方法が一番なんだよ。

   「娘が引きこもりなんです」って母親が私のところに相談に来たのなら、
   あなたが変わらないとダメなの。

   私は来てない娘さんを変えることはできないんです。

   それに、人は人を変えることはできないんだよ。
   変えられるのは自分だけなの。

   だから相談に来たお母さんが明るくするとか、フラダンスを習いに行くとか、
   自分が自ら外に出ると楽しいことがいっぱいあるよって示さないとダメなんだよ。

   それとこういうときって、娘はお母さんのことを嫌っているの。
   だから困らせようとしてるんだよ。

   それでなぜ嫌いになったかというと、
   「おまえはこう生きるんだよ」と言って教わってきたことがことごとく外れたんだよ。

   学校でいじめられれているのに「元気に行きなさい」と。

   だからその子は、自分が不幸なのは親のせいだと思ってるの。
   それを病気という形で仕返ししてるんだよ。

   だからお母さんは「今までお母さんも間違ってたけど、まずはお母さんだけでも
   しあわせになるよ」とか、「だからあんたも早く治しなよ」って言えばいいの。

   そうやってお母さんがしあわせになって自らの波動を変えると、
   それが娘さんにも影響するの。

   それで、しあわせそうなお母さんを見て、
   自分だけが不幸にしていることがばかばかしくなるんだよ。

   湿った薪は燃えないって言うけど、
   バンバン燃えてるストーブの前においておけばやがて乾いて燃えるようになるの。

   だから一番大切なのは、あなたがバンバン燃えてるストーブになることなんだよ。

   そうしたら薪が濡れてようがなにしようが関係ないんです。

      <『天 TEN』“斎藤一人&柴村恵美子”サンマーク出版 >

   ・・・・・

全国どこの町でもそうだが、小さな街の駅前や商店街がダメになってしまっている。
その活性化策として様々なアイデアが出されているが、うまくいっているところは少ない。

本当は、その商店街の中に、最初は一店、キラリと光る繁盛する店ができ、
それがやがて少しずつ増えていけばいいだけの話なのだが…

センスのいい店、繁盛している店を、まわりが目指せば、そこはいつかすごい商店街になる。


人もお店と同じで、まず自分が魅力ある人になること。

自らが、「あんなに楽しそうに生きる人」になりたい、
「あの人のように幸せでツイてる人」になりたい、とお手本になること。

「自分が燃えるストーブになること」

楽しく、幸せでツイてる人は、まわりを瞬間に明るくする力を持っている。

        <感謝合掌 平成25年9月11日 頓首再拝>

・・・


神の意志と計画とに焦点を合わしなさい

     *谷口雅春選集「幸福をひらく鍵」(P-19)より

どんな不幸と見える出来事が起って来ても、その奥には、
神の愛の御手、祝福の御手が動いており、一層大きな進歩のための前提として、
それがある事を知れば、吾々は悲しむ事は要らないのである。

木枯らしが吹きすさんで全山の樹木が葉を落とすような事が起って来ても、
それはちゃんと春のための新しい生長の準備であるようなものである。
陳(ふる)いものは謝(さ)り、新しいものが芽生えるのが天地の法則なのである。

神の意志のなかに、または神の計画の中には神罰や病気も災難も一切の不幸も存在しないので
ある。それなのに、それらの不幸があらわれて来るのは、心のレンズに歪みがあって、その
レンズを通して、神の意志と計画とが現像して来るときに歪んであらわれて来るからである。

心のレンズの歪みを直して、神の意志と計画とに焦点を合わしなさい。
神の意志は、人間は神の子で健全であり幸福であるほか仕方がないのです。


この世界は変化の世界であり、常に一層神からの理念が完全にあらわれて行く世界なのです。
それを吾々は”七つの光明宣言”の中で、無限生長”と謳っているのです。

あなたは変化を恐れてはなりません。
変化は必ず、前よりは一層よきものが生まれようとしているのです。

変化の中に、神の声を聴きつつ、勇敢に恐れずに対応なさい。
必ず道はひらけて来て、前よりも一層よい状態があらわれて来るのです。

        <感謝合掌 平成25年9月14日 頓首再拝>

・・・


足りないものに焦点を合わせると、幸福感は得られない

        *岡本常男著「自分に克つ生き方」(P152~153)より

自分に足らないものばかり考えていると、一生涯幸福感は得られない。

失敗や挫折もほとんど経験せずに人生を順調に勝ち進んできた者が
たった一度のつまづきで、二度とたちあがれなくなってしまうというケースもある。

苦労もせずに成功してきた人は失敗や挫折に対する免疫がないから、
初めての経験で大きなダメージを受けてしまう。

反対にいえば、ある程度失敗や挫折を経験したことのある人のほうが
精神の強度において優れているといえるだろう。

しかし、「人間の最大の悲劇というのは、自分のもっているものは、たまにしか考えないで、
足らないものばかり考えることだ」というデール・カーネギーの言葉が示すとおり、
人というのは自分より不幸な人間はいないと考えてしまうものだ。

日本流にいえば、
「明け暮れにおのが苦悩をいたわりて人も子らも思う暇なし」というやつである。
とくに心配症の人にはその傾向が強い。

        <感謝合掌 平成25年9月16日 頓首再拝>


幸せの秘訣 (10775)
日時:2014年08月05日 (火) 06時11分
名前:伝統

「二宮金次郎の幸福論」

       *『致知』2013年9月号
        中桐万里子(二宮尊徳七代目子孫・リレイト代表) より


金次郎の教えで有名な 「たらいの水の話」というのがありますね。

水を自分のほうに引き寄せようとすると向こうへ逃げてしまうけれども、
相手にあげようと押しやれば自分のほうに戻ってくる。
だから人に譲らなければいけないと。

けれどもこの話には実は前段があるのです。


人間は皆空っぽのたらいのような状態で生まれてくる、
つまり最初は財産も能力も何も持たずに生まれてくる
というのが前段にあるのです。

そしてそのたらいに自然やたくさんの人たちが水を満たしてくれる。

その水のありがたさに気づいた人だけが他人にもあげたくなり、
誰かに幸せになってほしいと感じて水を相手のほうに押しやろうとするんです。

そして幸せというのは、自分はもう要りませんと
他人に譲ってもまた戻ってくるし、
絶対に自分から離れないものだけれども、

その水を自分のものだと考えたり、水を満たしてもらうことを当たり前と錯覚して、
足りない足りない、もっともっととかき集めようとすると、
幸せが逃げていくんだというたとえ話だと祖母から教わったんです。


それから金次郎は、偉大な思想家、経済学者、農政家といわれていますが、
彼はやっぱり農民だった、土と一緒に生きた人だったと凄く感じるんです。


例えば金次郎が残した道歌にこういうものがあります。

「米まけば 米の艸(くさ)はえ 米の花 さきつゝ米の みのる世の中」


米を植えれば米が実るという当たり前の道理を歌っているんですが、
金次郎はこの歌の米の部分を茄子や麦や芋やあらゆるものに置き換えて歌っていて、
とてもありきたりなんですが、そのことをとても楽しんでいる。

農業という自分の仕事に力を尽くしてきた人だというのが伝わってくるとともに、
とても大切なことを教えられるような気がするんです。

仕事をやっていると、自分は小さなことしかできていないという焦りや、
不安に苛まれることもあります。

けれども金次郎は常に目の前の現実、自分の一歩を大事にし、
愛おしみ、感謝しなさいと教えてくれ、
浮ついてしまいがちな自分を地面に引き戻してくれる人だと私は感じています。

        <感謝合掌 平成25年9月20日 頓首再拝>

・・・


幸福は与えられたものの中にある

          *「幸福を招く365章」(P91~92)より

幸福になりたい。
幸福になれるならば、自分の全財産を放棄してもいとわないと云うような人もあります。

別に財産があるわけでないのに、
その日、その日を愉快に楽しく幸福に暮らしている人もあります。
それは何故(なぜ)でしょうか。

これは幸福というものは「外」にあるものだと思って追い廻しても
逃げるばかりだからであります。

幸福と云うものは、神から既に与えられているのです。

空気が与えられていることも幸福の一つであります。
水を与えられていることも幸福の一つであります。
住居(すまい)や衣類が兎も角も与えられていることも幸福の一つであります。

そのほか吾々は無数の良きものを与えられているのに、
それに感謝しないで、与えられているもののうちに幸福を見ないで、
与えられていないものばかりを追求するから決して幸福が得られないのである。

        <感謝合掌 平成25年11月6日 頓首再拝>


・・・


【幸せの秘訣】

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年11月01日)」より

   (アレクサンダー・ロックハート氏の心に響く言葉より…)

   あるビジネスマンが新聞を買うために売店に立ち寄った。
   彼は店員に礼儀正しく接したが、店員は何も言わずに無愛想な態度で新聞を差し出した。

   するとビジネスマンはにっこりとほほ笑んでお金を払い、
   お礼を言いながら新聞を受け取って立ち去った。


   その様子をはたで見ていた人が
   「店員があんなに無愛想なのに、なぜ客であるあなたは愛想よく振る舞うのですか?」
   とたずねると、彼はほほ笑みながらこう答えた。

   「相手がどんなにネガティブな態度をとっても、
   私はポジティブな態度を貫くことをモットーにしています。
   相手がネガティブな態度をとるのは、相手の自由ですが、
   私がポジティブな態度を貫く自由を奪う権利は誰にもありません」


   ポジティブ思考は一時的な考え方というよりは生き方の問題である。
   ポジティブ思考は、人生に対してポジティブな見方をする能力を意味する。
   それがひいてはポジティブな行動につながり、ポジティブな結果を生む。

   ポジティブな人生観を持っている人は、世の中を素晴らしい場所だと考え、
   周囲の人や状況のよい部分を積極的に見つける。

   
   エマーソンは
   「心が健全かどうかは、あらゆる局面でよい部分を見つけるかどうかでわかる」
   と言っている。


   ギリシャ神話によると、かつて、オリンポス山に住む神々が会議を開き、
   幸せの秘訣をどこに隠せば、人間がそれを見つけたときに最も感謝するかを
   話し合ったという。

   「高い山の上がいい」「地中深くに隠そう」「深い海の底に隠すべきだ」など、
   さまざまな意見が出た。

   そのあとで、ある神が「人間の心の奥深くに隠すのが一番いい」と提案した。

   幸せは財布の中にお金がいっぱい入っているかどうかではなく、
   心の中で豊かな気持ちでいっぱいになっているかどうかに左右される。

         <『自分を磨く方法』ディスカヴァー>

   ・・・

自分の心が豊かで余裕があるときは、人の過ちや、多少のやかましさには寛容になれる。

反対に心に余裕がないときは、ちょっとした気に障(さわ)るような言動に、
イライラしたり怒ってしまったりする。

心理学では、「他人を変えることはできない」と言う。
他人のネガティブな言動に引きずられる人は、
他人を自分の価値感と同じように変えようとしていることに気付かない。

「相手がどんなにネガティブでも、自分は自分、とポジティブな態度で接する」
あらゆる局面でよい部分を見つけられる人は、心の奥深くに隠された「幸せの秘訣」を
見つけ出すことができる。

たとえお客の立場であっても、にっこりと愛想よく接したい。

        <感謝合掌 平成25年11月12日 頓首再拝>


不幸から脱出する道 (10776)
日時:2014年08月05日 (火) 06時12分
名前:伝統

不幸から脱出する道  

         *「人生の秘訣365章」(P78~79)より

若しあなたが何か病気にかかったり、不幸に見舞われたり、
人から迫害をうけたり、人と仲がよくなかったりしたならば、
それをよくする道は、自分自身の想念の種類を変化することである。

これが根本問題であると云うのは、
この世界には“類を以て集る”又は“類は朋を招ぶ”と云う法則があるからである。

今まで、自分の心の注目の焦点を、自分及び他人の欠点や不幸や不完全や、
感情や環境の不満足などにあつめていたのを一転して、美点や幸福や完全さを成るべく見出すよう
にして、どんな境遇の中にも感謝すべき点を見出すようにするならば、

“類を以て集る”法則にしたがって、善き事の方が多く集って来るようになり、
やがては、集って来るもの悉く善きものばかりとなるのである。

「実際、自分には不幸が襲いかかっているのであり、既に万策つきて、ただ破局への一途を
たどりつつあるのだから、美点や幸福の完全さは何処にも見出しようがない」
と言う人があるかも知れない。

そう思っている限りに於いては、其の通りなのである。
だから「想いを変えよ」と言うのである。

心が一切の現象に先行し、心が運命の舵手である。
脱出の道は心の舵で進行方向を変えることである。

        <感謝合掌 平成25年12月21日 頓首再拝>

・・・


【幸せの秘訣】

      *「feel blue こころが元気になる贈り物」秋月菜央・著(P52)より


幸せは “今” に満足すること

どんな満ち足りた時を過ごしても
過ぎてしまえば それは思い出
幸せは 過去にはない

幸せは 未来にもない
どんなにバラ色の夢を描いても
それは現実ではなく 希望
いつか幸せになるというのは
ただの期待

幸せは 今という時にだけ
息づくもの
今 この現在を充実させる
そのことが
幸せを手に入れる秘訣 

        <感謝合掌 平成25年12月24日 頓首再拝>


幸せは照れないで (10777)
日時:2014年08月05日 (火) 06時13分
名前:伝統

真の幸福感

            *「生活の智慧365章」(P30)より

人間の真の幸福は”物質的なもの”を求めることによっては得られないのである。
物質的なものからも幸福感は得られる。
併し、それは真の幸福感ではないから永続的な幸福感ではないのである。

真の幸福感は霊的価値の追求によってのみ得られるのである。
霊的価値は、肉体という肉眼に視えるものを楽しませることによっては得られないのである。
「個」たる肉体の奥にある普遍的なるもの、共通的生命に対して貢献をなすことによって得られる
のである。

何故(なぜ)なら、人類共通の生命は、物質ではなく、霊的なものであるから、
人類の共通的生命に奉仕することによってのみ霊的価値を獲得した悦びが得られるのである。

        <感謝合掌 平成25年12月28日 頓首再拝>

・・・


幸せは照れないで

      *「feel blue こころが元気になる贈り物」秋月菜央・著(P26)より

幸せは長くは続かない
だから
自分のところへきたら
思いっきり 味わおう
照れたり
カッコつけたりしていると
あっという間に
去っていってしまうから


素直になるのは
誰もちょっと苦手
でも 笑顔ででもスキップでも
うれしさは 全身で表現できるもの


幸せは明るい場所が好き
喜びを満喫していれば
その雰囲気に引き寄せられて
また 次の幸せがやってくる

        <感謝合掌 平成26年1月7日 頓首再拝>


気づかない幸運 (10778)
日時:2014年08月05日 (火) 06時15分
名前:伝統

過去の不幸を駆逐せよ   

            *「生活の智慧365章」(P52)より

「人間・神の子」の実相のみが実在であるから、その他の一切の悪しきものは非存在なのである。

過去に犯した罪も存在しないし、過去に不快だった出来事も結局非存在であって、
一時(じ)、雲があらわれたが、今はその雲は消えてそれを再現しようと思っても
再現出来ないようなものである。

されば、過去にあった一切の不幸を、一切の不快な出来事を、心の世界から駆逐せよ。
そのとき、あなたを不幸の世界に引き戻そうとしていた”心の綱”が消えてしまって、
ただ幸福の世界にのみ前進することができるようになるのである。

        <感謝合掌 平成26年1月11日 頓首再拝>

・・・


気づかない幸運

      *「feel blue こころが元気になる贈り物」秋月菜央・著(P12)より

金運は強いけれど
家庭運には恵まれない人がいる

仕事運は強いけれど
恋愛運が弱い人もいる

健康運は最強だけど
人間関係の運は低調な人もいる

幸運と不運は
どんな人でも半分ずつ
ただ 不運ははっきり自覚できるのに
幸運には なかなか気づかない
持ってるものは 当たり前に思えてしまうから

本当は
誰でも恵まれている
ちゃんと
半分の幸運は持っているのだ

        <感謝合掌 平成26年1月16日 頓首再拝>


3つの幸せ (10779)
日時:2014年08月05日 (火) 06時18分
名前:伝統

絶えず不幸を見出す人になるな

           *『生活読本』より

貴方は世界に対して、良きものを支払っていますか。

微笑みを支払っていますか。
悲しみを支払っていますか。

微笑みを支払っているならば、微笑みが周囲からやって来るでしょう。
悲しみを支払っているならば、悲しみが周囲からやって来るでしょう。

大体は、「今日は楽しくない」と思う習慣のある人は
常に楽しくないことに取りまかれるでありましょう。

そう云う人は、天気が曇りであると云っては鬱陶しいと云い、
雨が降ると、ジメジメして気持ちが悪いと云い、晴れていると暑苦しいと云う。
何が来ても不平を云い、面白くないと云う。

御飯が固いと云っては小言を云い、柔らかければお粥のようで不味いと云う。
そして絶えず小言を云っているうちに自分の性格がそこなわれ、
人からは嫌われ、世の中のすべての物は面白くなくなります。

その反対を行ないなさい。世の中は屹度幸福になります。
雨が降ったら「ありがたいお湿りです。これで水力電気が沢山とれます。
畑の作物が喜びます」と云いなさい。
曇っていれば「今日の天気は落ち着いていて宜しい」と云いなさい。

晴れていれば「まことに朗らかな快晴で結構です。気分まで晴々します」
と云いなさい。この通りに云わなければならぬのではありません。

何でも好い方面を見て、褒めたり感謝したりするようにしていますと、
終いには、ほめたり感謝したりすることばかりがあなたの周囲に集まってくることになるのです。

        <感謝合掌 平成26年1月18日 頓首再拝>

・・・


3つの幸せ

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年01月14日)」より

   (鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より… )

   今日は皆さんに、これからどうやったら自分自身の人生がよくなるかということについて
   お話したいと思います。

   人間はだれでも自分の人生をよくしたいんです。
   自分の人生を悪くしたいと思っている人は1人もいません。

   けれども、残念ながら、自分の人生を自分で悪くする人もたくさんおります。
   また一方で人生をとてもすばらしくよくする人もいるわけです。

   今日は、皆さん方がどういう心がけで人生を送っていかれたら、
   どんなによくなるかということを、「3つの幸せ」というお話によってさせて
   いただきたいと思います。

(1)「してもらう」幸せ

   皆さんが生まれてから、お腹がすいて顔じゅう口みたいにして大きな声で泣くと、
   お母さんがお乳をくれます。

   おしめが濡れて泣くと、おしめを取り替えてくれます。
   抱っこしてもらいたと思って泣けば、抱っこしてもらえる。

   抱っこしてもらったり、お乳をもらったり、おしめを取り替えてもらうと、
   いままで顔を真っ赤にして泣いていた赤ちゃんは泣き止むというふうに、
   何かをしてもらうとうれしい。

   これは「してもらう」幸せです。


(2)「できるようになる」幸せ

   3つくらいになると、それまで母親から食べさせてもらっていたご飯を、
   自分で食べたくなります。

   母親が食べさせようとすると、お茶碗と箸を取って、自分で食べようとします。

   いままでできなかったことができるようになるとうれしいから、
   ご飯をポロポロこぼしながらでも自分で食べるようになります。

   もう少し大きくなりますと、自転車に乗れる、鉄棒ができるようになる、
   学校でいままで飛べなかった跳び箱が飛べるようになるというふうに、
   いままでできなかったことができるようになると、うれしくてとても幸せなものです。

   そういうふうに、いままでできなかったことが「できるようになる」幸せがあります。


(3)「してあげる」幸せ

   3番目がいちばん大事ですが、皆さんがお父さんやお母さんから何かを頼まれて、
   それをやってあげると、お父さんやお母さんは非常に喜びます。

   あるいは、友達に何かしてあげると、友達が喜ぶというふうに、
   「何かをしてあげる」と、人がとても喜びます。

   そして、人が喜んだ姿、喜んだ顔を見たときに、自分が幸せになります。

   これがもっとも大事な幸せです。

   いつも人に何かをしてもらわないと幸せになれない人、
   それから、自分さえできればいいという考え方のような人では駄目で、
   人に「何かをしてあげる」幸せが大事だということです。


   この3番目の幸せを感じるようになると、どんどん人生はよくなっていきます。

   どうしてよくなっていくかというと、この「(して)あげる」幸せのできる人の周りには、
   非常に善良な、「人のいい」人たちが集まってきて、そのいい人たちと人生を送ることが
   できるようになるからです。


          <“香川県善通寺市立東中学校での講演”より
            『あとからくる君たちへ伝えたいこと』致知出版社>

   ・・・

「くれない族」という言葉が一時流行したことがある。

あるテレビドラマから生まれた言葉だが、「まわりが、○○をしてくれない」とぼやいたり、
嘆いたりすることが口ぐせになっている人たちのこと。

誰かが何かをしてくれない、というのは生まれたての赤ちゃんと一緒。


人は、いつかは、独立し、自立していかなければならない。
いつまでも親に養ってもらうわけにはいかないからだ。
人が、自立した証(あかし)が、「人に何かをしてあげる」ことができること。


人の喜ぶ顔を見て、自分も幸せになれる。

人の喜びを我が喜びにできる、自立した人でありたい。

              <感謝合掌 平成26年1月25日 頓首再拝>

・・・

あなたの不幸は出尽くした  

         *「生活の智慧365章」(P125)より

悲しみを棄てよ。怒りを棄てよ。憎しみを棄てよ。
そこから天国浄土が実現するであろう。

よくよく考えて見るならば、真に悲しむべき事は一度もこの世界に起こったこともなければ、
これからも起こらないであろう。

あの戦争の犠牲者となって霊界に逝(おもむ)いた人たちも、
本当はその霊魂は生き通しであって、決して死んではいないものであるから、
現象界は”想像の影”の世界にすぎないのであって、実在 ―― 即ち「本当に在るもの」は、
未だ嘗て無くなりはしないし、無くなるものは、”本来無いもの”ばかりであるからである。

もし悲しみや、怒りや、憎しみを起こすならば、その人は事物の暗い面のみを想像し、
必要以上に、不幸や悪を拡大して見、みずから好んで自分の想像がつくり出した暗い
煙の中に窒息してしまうことになるであろう。

不幸は想像することによって増大し、悲しみは“類は友を招(よ)ぶ”ことによって
続々その数を加えて来るのであろう。

不幸が起こったときには、これで不幸は出尽くしたと思うのがよい。
悲しみが起ったら、これで悲しみは出尽くしたと思うがよい。

そしてみずからを祝福し、みずからを歓喜せよ。

              <感謝合掌 平成27年2月7日 頓首再拝>


不幸から抜け出す道 (10780)
日時:2014年08月05日 (火) 06時20分
名前:伝統

不幸から抜け出す道

          *「地球が天国になる話」<斎藤一人(著)>より

これしか不幸から抜け出す道がないということで、この話をします。

人は何でこんなに何度も輪廻転生を繰り返すかというと、一つの修行があります。
その修行というのが、実は劣等感の克服ということです。

この話の一番難しいところは、ほとんどの人は自分が劣等感を持っていることに
気がついていないんです。

それと、また親のほうも劣等感を与えてるとは思っていないんです。
両方が気がついていないから、実は人は苦しむんです。

そのことに気づくと、「あーあ、なんだ、そういうことか」ということがわかります。
この問題はわかると大体の謎が解けちゃうんです。
だから、別にそんなにいろいろ解決しようとしなくて大丈夫なんです。

魂は親を選んで生まれてきます。

そこでどんな修行をするんですかというと、実は親というのも非常に未熟な魂なんです。
その未熟な魂で子どもを育てるんですけど、子どもは親が未熟だということがわからないんです。

親は子どもにとって“絶対”だから、
子どもの方は自分が未熟なんじゃないかと思ってしまうんです。

親の未熟さというのは、大体2通りパターンがあります。

単純にキレて暴力を振るうとか、そういうパターンの親がいます。
これは未熟過ぎますから、すごくよくわかります。

けれど、大概の未熟な親は、こういうパターンは実はとらないんです。
どういうふうなパターンをとるかというと、自分の劣等感をおまえのためだ
という形で出してくるんです。

まず、親が劣等感を持っていると、
自分は世間や身内から、すごく不当に扱われていると思いだす。
今、親の話をしてるんですよ。

そうすると、なぜか自分だけ損をしているような、
イライラして悔しいような気持ちになってくるんです。

だから、よくお酒を飲んでも、あいつが悪くてこいつが悪くてと、
自分以外はみんな悪いと思ってる人がいるんです。
それは極端な劣等感があるんです。

これは親の親から受けた問題だから仕方がないんです。
そういう劣等感を持った親が家に帰ってきて何をするかというと、2つのことをやりだすんです。

一つは、例えばお父さんで、右上がりの奇麗な字を書く人がいるとしますね。
子どもが丸文字を書くと、そのことを異常に注意するんです。

「これはおまえのためだから」と言ってるけど、
実は丸文字を書いていても誰も困っていないんです。
それなのに異常に注意をしているというのは、必ず親に劣等感があるんです。

劣等感があるから、そのことを一生懸命やってうさ晴らしをしているんです。
愛情という名の「うさ晴らし」をしてるんです。


それからもう一つ、こういううさ晴らしの仕方もあるんです。

例えば、子どもがピアノを始めたとします。
そうすると、やってみたら自分には向かないことが子どもはわかったからやめたいのに、
「やったことは最後までやってほしいのよ」と、ずーっと子どもに対して、
ものすごい威圧をかけるんです。

それって、自分の劣等感を子どもで晴らそうとしてるの。

この前、とんでもないテレビを見ました。
そこに出ているお母さんが、自分の得意で好きなことをやっているのに、
「この子に、私は最後まで頑張る姿を見せたい」だって。

あんた、自分が好きなことしてるんだよね。
子どもはそれが嫌なんだよ。
それと一緒にして、お母さんの偉さを見せようとしてるんだよね。
それで劣等感を晴らそうとしてるんだよね。

「私は何も言ってない」と言いながら、明らかに顔や態度で不満を表している親。
それが子どもにものすごい劣等感を与えるの。

劣等感をうんと与えられて育ったおとなしい子というのは、
「お母さんは自分がいいことをしたときは喜んでくれる。気に入らないことをすると怒る。
ということは、自分は何か常にいいことをしていないといけないんだ」という状態になってくるの。

人が喜ぶことを常にしていないと、自分は無価値だと思ってしまうから、
意外とそういう元気のない子に「あなた、何やりたいの?」ってきくと、
「自分はボランティアとか福祉をしたい」って言うの。

それで、必ずそういう人の特徴というのは、楽しそうにやっていないの、見るからに。

自分のコンプレックスを補うためにボランティアをやっている人というのは、
本当はやりたいわけではないから、「やりたいの」っていいながらなかなかやらないの。

ボランティアをやったとすると、実はそんなことで劣等感は補えないから、
今度やらない人に対して「あの人たちは何でやらないんだろう」って、不平不満をぶつけ出す。

だって、自分はやりたくてやっているんではないんだもん。
「やりたくないのに私はやっているんだ。何であなたたちはやらないんだ」って理論になってくる。

それから上司で、のべつ怒鳴ってる人っているよね。

「ああ、嫌だな。俺は何でまた怒られるんだろう」ではなくて、怒っている人に、
「この人は相当劣等感がある人なんだ、気の毒な人なんだな」という顔で見ててみな。

怒る人もやめちゃうの。だってバレているんだもん。
劣等感を持っている人というのは、自分が劣等感を持っているということがバレるのが一番嫌なの。

だからもっと自分より弱そうな人を探して怒ってるの。

「俺は疲れて帰ってきてるのに、こんなお前の態度じゃしょうがない。
俺は家庭を大事にしてるんだよ」ってふりをするときに、
「あんた、何でそんな劣等感持っちゃったの」って言ってみな。一発で直っちゃうの。


「どんなふうにして劣等感を植えつけられたんですか」というと、親の「がっかりした顔」なの。
がっかりしてから立ち直ったように、「でも大丈夫よ、お母さんがついてるから」って。

そのがっかりした顔が傷つけるの。

ちょっと昔勉強ができたとか成績が良かった、というほうが落ち込みが激しいのね。
期待してあげることが愛だと思ってる。
でも愛とはそういうものじゃない。


「あなたが運動会で一着になろうがペケだろうが、私にとってそんな細かいことは関係ないんだ。
神様があなたを授けてくれただけで私は最高だから」 

これが愛なの。

それを「うちの子はいい子なのよ、うちの子は何なのよ」と、いい子のときしかほめない。


だから、あなたが劣等感を持ったのは、あなたのせいじゃないんだよ。周りが未熟なの。

それで未熟な人というのは、例えば夫婦、恋人同士でもそうなの。
自分以外の世界で奥さんが楽しい思いをしてくるとすると、
劣等感のない人は「ああ、良かったね」と言う。

ところが劣等感を持っているダンナは、
なぜか「俺のいないところで、どうやって楽しんだんだ」とそのことをすごく嫌がって怒る。

奥さんでもいる。「あなたばかり楽しくていいわね」とか。
人が楽しかったのを「良かったね」と言えばいいのに、それを言えない雰囲気をつくる。

それは何でですかといったら、あなたの中に劣等感があるの。
この劣等感を与える方法は巧妙に隠されているの。

親とか育てた人は「あなたのためよ」とうまい具合に言いながら劣等感を与えているんだよ。

だって、本当に周りがあなたのためを考えていたら、あなたは今幸せなはずなんだよ。
それが幸せじゃないというのは、親のほうも子どもから気力を奪っているということに
気がついていないんだよ。

それで、なぜお母さんがそうなったかというと、自分の親にやられてきたんだよ。
だから、悪いとも何とも思っていないんだ。
本当にあなたのためだと思っているからわかりづらいんだよ。

でも、本当にあなたのことだけを考えてくれている人が何人もいるのに、なぜあなたは不幸なの。
おかしいよね。あなたは本当は「うさ晴らし」をしているんだよ。

そのお母さんのお母さんはそれをまたやられていた、ずっとなんだよ。
どこかでこれを断ち切ればいいんだよ。

子どもを一生懸命育てているのに、
子どもに暴力を振るわれたりする人って、特徴があるの。

それは、そういう親はすごく劣等感がありながら、
自分はいいお母さんになってやらなきゃいけないと思って、義務でやってる。

だから顔に楽しさが出てないの。
すると、心とやってることがちぐはぐなの。
それを見ていると周りは絶対イライラする。

子どもやなんかはワーッと暴れ出して、親のことをバカバカッとやっちゃうの。
何でだかわからない。

もし一生懸命やっててうまくいかない人は、楽しそうにやってるかどうか考えてみて。
劣等感があると楽しそうにできないの。

なんでそこまで威張るんだという人を見たとき、この人は劣等感があるんだ、と思いな。

そして、その劣等感が外に攻撃的になったり、
逆に自分を攻撃したときに、うつ病になったりするの。

攻撃的なやつが劣等感を持ったか、優しいやつが劣等感を持ったかで、
起きる行動が違ってくるの。ただそれだけなの。
原因は根拠のない劣等感なの。

この劣等感という呪縛からどうやったら解き放されるのか。
気がつけばいいんだ。「ああ、ただそうなんだ。自分は未熟な親を選んで生まれてきてる」と。

それで、この劣等感をなくす、やめる。これが今世の修行なの。
何回生まれても、最終的にこの劣等感を持ったまま幸せになることはできないの。

できるだけ人に劣等感を与えない。
それができるようになるのが、今世の修行なの。

劣等感のある人は、人に認められようと努力をいっぱいするけど、よしな。

あなたのことは神様が認めているんだから。
神が認めているからあなたを地球に生ませたの。

だから、周りの人間が何を言ったって関係ない。
「私のことは神様が認めてくれているんだ」、そう思えばいいの。

                 <感謝合掌 平成26年3月2日 頓首再拝>

・・・


幸福なるかな

        *『幸福をひらく鍵』<鍵のことば>(P63)より

 幸福なるかな 心の貧しき者 天國はその人のものなり
 幸福なるかな 悲しむ者   その人は慰められん
 幸福なるかな 柔和なるもの その人は地を嗣がん

 幸福なるかな 義に飢ゑ渇く者 その人は飽くことを得ん
 幸福なるかな 憐憫ある者   その人は憐憫を得ん
 幸福なるかな 心の清き者   その人は神を見ん

 幸福なるかな 平和ならしむる者 その人は神の子と稱へられん
 幸福なるかな 義のために責められたる者 天國はその人のものなり

                 <感謝合掌 平成26年3月7日 頓首再拝>


幸せの法則 (10781)
日時:2014年08月05日 (火) 06時22分
名前:伝統

「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるさんの「幸せの7か条」

(1) 成功や名誉や勝ち負けを目的に、ことを行なってはいけない。

   現代には悲壮な顔をして歩いている人が多い。
   それは成功や栄誉という亡霊に憑り付かれているからではないか。

   成功なんて時の運、成功しなくても全然OK! 
   成功しなくても楽しめることに熱中しよう、と。

(2)しないではいられないことを続けなさい。

   好奇心を大切にし、何か好奇心がわき起こったら、そのことに熱中してみる。
   そうすれば、「しないではいられないこと」が見つかってくる。

   それでも見つからないなら、子供の頃に戻ってみるといい。
   子供の頃は、だれもが好きなことに没頭して生きていたはず。
   その頃の気持ちを取り戻そう、と。

(3)他人との比較ではなく、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

(4)好きの力を信じる。

(5)才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

   努力は無意味なのか? そうではない。

   本当に自分が好きなこと、「しないではいられないこと」を見つけ出したのなら、
   夢中になってその道を歩むことじたいが楽しいはず。

   努力そのものが喜びに満ちている。
   努力は素晴らしい!

(6)怠け者になりなさい。

   若い頃は必死に努力することが必要。
   しかし、中年を過ぎたら怠けることを覚えるべき。

(7)目に見えない世界を信じる。

   この世には物質的な価値観ではとらえきれないものがあり、
   それこそがひとの心を豊かにしてくれるということだ。

        (http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar13948

                 <感謝合掌 平成26年3月12日 頓首再拝>

・・・


美点を観、善き言葉を使い、恩恵に感謝しましょう

           *「幸福を開く鍵」(P90)より

人をゆたかに寛大に讃めうる人は、自分の心の窓が実相の美に打ち開くことになり、
自分自身の心が大きくなり、美しくなるのです。

だからそれは美貌の原因ともなるのです。 

人の欠点を見て攻撃したり、あらさがしばかりしている人は、自分の心の窓が、“醜しさ”や
“悪”にのみ打ち開いて、自分自身の心が狭くなり、醜しくなるのです。 

心の通りの人相が自分の容貌にあらわれるのであります。 

美しくなりたい人は人の 「醜」 や 「悪」 を見てはなりません。


常に善き言葉、明るい言葉、楽天的な言葉、人を賞める言葉、人を勇気づける言葉、
建設的な言葉のみを語りましょう。 
言葉はその語る内容である想念を具象化する強力な力をもっているものなのです。 

悪しき言葉、暗い言葉、悲観的な言葉、人を貶す言葉、悪口、人を傷つける言葉、
破壊的な言葉を語ってはなりません。あなたの語る言葉は周囲に影響を与えると同時に、
自分自身にそれが撥ね返って来て自分を傷つけることになるのであります。


まず、朝起きたら、すぐに感謝することです。 
眠っている間、全然自己の意識で自分を防禦することができない間も何者にも害されず、
傷つけられず、生理作用も順潮に行われて、再び意識の世界にかえることができたということは
何という悦びでありましょう。 

それを恩恵だと考えないのは、あまりにも恩恵に狎れ過ぎているからです。 
あらためて其の恩恵を思い出し、感謝し、悦び、神をたたえることに致しましょう。 

其処から今日のあなたの祥福が約束されるのです。

                 <感謝合掌 平成26年3月22日 頓首再拝>

・・・


幸せの7つの法則

          *「幸せの7つの法則」奥村 久雄・著より

幸せの法則1 幸せは感謝から始まる

   日常生活のごく当たり前のことに感謝してみる。
   不平不満を思ったら、すぐに「いけない、パッチン」で切り替えてみる。
   感謝に気づいたら、恩返しをしようと考えてみる。


   当たり前だと思っていたささいなことに感謝できると、
   日常生活が幸せにあふれていることに気づきます。


幸せの法則2 心の基線を下げる

   心の基線は、自分が幸せを感じる基準。
   心の基線を下げると、幸せをたくさん感じられる。

   喜べないことが多い時は、心の基線が上がっている時、
   イヤなことやつらいことに遭ったときも、
   そのなかから、「どう喜ぼうか」と答えが出なくても思ってみる。


   幸せ、不幸せを決めているのは、自分自身です。


幸せの法則3 希望は目標から生まれる

   目標のない人生は、「舵のない船」に乗っているようなもの。
   自分をスイッチオンにする。
    ?目標設定、目標を紙に書く。
    ?目標を音読する。
    ?行動して、詳細なプランを立てる。

   結果が全てではない。そこに向かっていく「今」に幸せがある。


   目標がある人生は、ワクワクします、エネルギッシュです、
   不思議な力が出て来ます。

   どんな目標も、”できる! ”という希望 ―― プラスのイメージを
   もち続けることで、楽しくかなえていけます。 


幸せの法則4 すべての源は自分にある

   人のせいにしない。言い訳をしない。自分を正当化しない。
   自分のせいではないという場合も、「でも、ひょっとしたら?」と考えてみる。
   反省から、気づきや、希望が生まれる。

   心底自分が悪かったと思えなかったら、何も気づくことができず、
   次に何をしたらいいのか考えられないのです。


   「ひょっとしたら、自分のせい? 」
   これを習慣にすると、気づきが多くなります。
   いつも晴れ晴れとした気持ちでいられるようになります。


幸せの法則5 人に与えたものが自分にはね返ってくる

   人生はまるでブーメラン、
   よいことも悪いことも自分に返ってくる。

   自分がしてほしいことを相手にする。
   自分がしてほしくないことは、人にも絶対しない。


   自分が幸せになりたければ、まず人に幸せを与えればいいのです。


幸せの法則6 「相手の問題解決」のお手伝いをする

   相手が幸せになるために、自分がどう役に立てるか、と考える。
   自分のことを考えるように、相手のことを考えてみる。
   仕事だけでなく日常生活でも、相手の問題解決を意識してみる。


   このように心がけている人の周りにはたくさんの人が集り、
   幸せな成功を手にすることができます。


幸せの法則7 アガペの愛を目指す

   アガペの愛とは「無償の愛」「見返りを求めない愛」ということ。

   見返りを求めると、求め返されて不幸になる。
   求めるのはやめて、単に与えるだけに徹してみる。
   2、3度うまくいかなくても、くじけないで続けてみる。


   「アガペの愛」で相手に接していくと、穏やかで、すがすがしい気持ちになれます

                 <感謝合掌 平成26年3月31日 頓首再拝>


Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:12:18

よいこと探し (10782)
日時:2014年08月05日 (火) 06時25分
名前:伝統

【よいこと探しの人生】

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年03月20日)」

   (聖心会シスター、鈴木秀子氏の心に響く言葉より…)

   ある一人の女性のエピソードがあります。
   
   その女性には多くの兄弟がいました。
   一番下の弟は、身体障害者で生まれ、幼稚園に入る年頃になっても、寝たきりでした。

   弟を喜ばせたいという思いから、
   家族みんなが弟に「その日あったよいこと」を話したそうです。

   すると、弟はニコニコと笑顔で反応し、ときに声をあげて
   一緒に喜んだり楽しんだりするようになりました。

   それを主治医に報告したところ、
   「病気が治るわけではないけれども、とてもよいこと」と言われたそうです。

   それ以来、家族はみな、1日1ネタ、楽しいことやうれしいことを探して、
   手帳にメモするようになったのです。

   その内容は、他愛もないことだったと言います。

   「帰り道に、とてもかわいらしい犬がいた」「街路樹が赤く紅葉してきれいだった」など。

   その家族は、帰宅すると必ず弟に1日の出来事を報告する。
   すると、弟はキャッキャッと喜ぶ

   その女性いわく「よいこと」は弟へのおみやげ、ギフトなのだそうです。

   弟さんは、今もお元気だといいます。

   私がその女性に接したのは、彼女が大学生の頃でしたが、
   10年近くも「よいこと」探しを続けていると語ってくれました。

   彼女はまた、こんなことも言っていました。

   「よいことばかり、毎日探そうとしていると、
   接する人すべてがとても温かく思えてくるのです。
   嫌な人には一切会わない。

   これは弟からの何よりのプレゼントです」。

   私はこの話を聞いて、胸が熱くなりました。
   その後、彼女はとても幸せな結婚をしています。

        <『あなたは、あなたのままでいてください』アスコム>

    ・・・

こんな有名な話があります。

大きな町の入口で、おばあさんが石の上に座っていました。
そこへひとりの旅人が通りかかり、おばあさんにこうたずねました。

「これから入っていく町は、いい町ですか?幸せを与えてくれる町でしょうか?」

おばあさんは答えます。

「あなたが住んでいた町はどうでしたか? 」

旅人はこう返します。

「とても嫌な町でした。だから新しい町に移ってきたのです」

おばあさんは、旅人にこう言いました。

「あなたの行く町は、あなたが来た町と同じです」


また、別の旅人が通りかかり、おばあさんに同じように聞きました。

「これから入っていく町は、いい町ですか? 幸せを与えてくれる町でしょうか? 」

おばあさんは同じように答えます。

「あなたが住んでいた町はどうでしたか? 」

旅人はこう返します。

「素晴らしい町でした」

おばあさんはほほ笑んで、旅人にこう言いました。

「あなたの行く町も、あなたが来た町と同じように素晴らしいですよ」

            (以上、同書より)


誰の人生にも、長い年月の間には、いいこともあれば悪いことも起こる。

しかし、その中においても、いいことだけを探してそれを見続けていると、
嫌なことの中にさえ、いいことを見つけることができるようになる。

「あなたの行く町は、あなたが来た町と同じです」

よいことを探し続ける人生でありたい。

                 <感謝合掌 平成26年4月3日 頓首再拝>

・・・


各人の幸福にも個性がある
       
           *「如意自在の生活365章」(P82~83)

各人の幸福は、人それぞれの個性が異なり、絶対者の個性化であるから、
その幸福にも人それぞれに個性があり、しかもその人独特の個性ある幸福であり、
絶対者の延長として先生えられた幸福であるから、幸福それ自体、絶対性をもっていて、
相対的に他の人の幸福と比較し得べきものではないのである。

だから陶芸家となって日夜、陶土をいじり、窯をつくって楽しむことが
無上の幸福である人も出て来るし、

彫刻家となって、毎日、原木に立ち向かって鑿を揮うことが
至上の幸福だと感ずる人もあるし、

死の危険を賭してまでヒマラヤの氷壁をのぼる登山家もあるし、
真裸で土俵の上で力を競う相撲とりになりたくて特にその弟子入りを志願する青年もある

・・・色々書けば限りがないので、この位にしておくが、
みんなおのおの異なる幸福の天国をもっているのである。

各人にとっては、それは絶対価値の幸福であって、
他の人の幸福と比較しても甲乙の点数をつけようがないのである。

                 <感謝合掌 平成26年4月9日 頓首再拝>

・・・


あなたの家の幸福は、あなたの和顔と愛語とにある

             *『静思集』(P88~90)より

この世界は波動の世界でございます。
波動の世界と云うことは、波動によって互いに関係を持ち、
互いに干渉し合う世界だということでございます。

これを心理学的に申しますと、それは互いに暗示し合っていると云う事でございます。
吾々はお互いに善き影響を与えたり、悪い影響を与えたりしているのでございます。

最も密接に影響を与え合っているのは夫婦でございます。
その次には親子でございます。

親子は、親が子に影響を与える力は、夫婦間よりも強いのでございますけれども、
子の方が親に与える力は夫婦間よりも弱いと思われますので、先ず第2位に置きました。

特に母親が幼き児童に影響を与える力は実に素晴らしいものでございます。
母親の悲しみが愛児に寝小便を起こしていたと認められる例は沢山ございまして、

そう云う場合には母親が悲しみから解放され、或はその包蔵していた涙を、容赦もなく溢れる
ままに、泣いて泣いて泣きつづけて、そのあとカラリと心が爽やかになった後などに、
その夜尿症が忽然と消えることなどもございます。

そんなにも家庭の念波は、他の家族に感応するのでございます。
あなたが今日一日朗らかなコロコロとした心でいらっしゃることは
家族全部をその朗らかな影響のもとに置くことにもなるのでございます。

あなたの表情によって、あなたの愛する家族の心を傷つけずに置いて下さい。
あなたの愛する家族の幸福はあなたがお金を儲けていらっしゃるその額の多寡よりも
あなたが愉快な表情をなすっていることによってより一層左右せられるのでございます。

本当にあなたが楽しい表情をしていらっしゃいましたならばたとい萱葺(かやぶき)の
茅屋(あばらや)でありましょうとも、手鍋さげて米の一升買いをさせられましょうとも
貴方の家族は幸福なのでございます。

あなたの微笑(びしょう)の価値を忘れて下さいますな。
あなたの微笑の価値はは幾万円、幾十万円よりも貴(とうと)いのでございます。

幸福とは金額のことではございませぬ。心の世界のことでございます。
心の世界はお互いの暗示によって左右せられるのでございます。
お互いの暗示は、語(ことば)の調子、表情によって、色々の影響を与え合うのでございます。

どうぞ優しい語調を忘れて下さいませんように。
どうぞ優しい表情を忘れて下さいませんように。

あなたのやさしい語調は、
世界一の音楽よりもあなたの家族の耳には美しく妙(たえ)に聞こえるでありましょう。
あなたのやさしい表情は世界一の大美術よりも偉大なる感銘を与えるでございましょう。

あなたの家の幸福は、まことに貴方の和顔と愛語とにあるのでございます。

                 <感謝合掌 平成26年4月15日 頓首再拝>

・・・


小欲知足

      *『ブータンで本当の幸せについて考えてみました。』 
       ~元林靖久・高橋孝郎(著)阪急コミニケーションズ(刊)より
  
ブータンの人口は約70万人と少なく、日本で言うと島根県、もしくは東京都練馬区の規模です。
しかし、面積は九州とほぼ同じくらいの大きさがあるので、人口密度が非常に小さい。

地政学的にはインドと中国という2つの大国に挟まれているので、
この小国がどうやってこの2つの国の間で生き残っていけるのか。
そういう観点から、国王や首相が知恵を巡らせて、国づくりを行っているという状況です。

ブータンは本当に日本とよく似ています。そのひとつが美しい田園風景です。

ブータンの地方では、今でもほとんどが3世代同居です。
病気になっても自宅で看取られる事がほとんど。

山々を上り下りしていかなければならない地方では、
せいぜい月に1~2回の往診が精一杯だからです。

日本では家族が病気になったら、できるだけ良い病院に入れることを考えるでしょう。
たとえガンの末期で入院したとしても、家族は仕事で忙しく病院に行くことが出来ないからです。
しかし完全看護で立派な病院に入れたことで、精一杯のことをしてあげたと思う訳です。
あるいは高級老人ホームに入れたから、もうよいでしょうとなる。

毎日診てくれる医者がいるけど、家族は月に1回のみ面会の日本人と、
医者は月に1回、家族は毎日そばにいてくれるブータン人では、どちらが幸福なのか。

果たして幸せとはいったい何なのかということを、
ブータンと日本を比較すると否が応でも考えさせられます。

いったい幸せとは何なのかということが分からなくなってしまうのです。

私は、「あなたにとっての幸せっていったい何なのですか?」ということを
たくさんの人に問いかけています。

そのなかに、「幸せ=財/欲望」という考え方があります。
これはある経済学者の公式ですが、幸福は欲望分の財で、分母が欲望です。

この欲望を企業は広告でたき付けて煽る。
欧米や日本の社会では、「新しい携帯電話がでますよ。今度のものはもっと性能が良いですよ」
と言って、消費者の欲望を煽るわけです。

欲望を満たすためには財を増やさないと幸せになれないという構造です。


それに対してブータン人は何を考えるかというと、「幸せ=財/小欲」です。
欲望が少なければ、財(もの)が少なくとも幸せです。
さらに言えば、「幸せ=知足/小欲」となります。

欲を少なくして足るを知る、つまり小欲知足と言うことです。

ブータンでお坊さんに「あなた方はどうやったら幸せを実感できるのか」と尋ねたときに
まず言うのは、この小欲知足です。信者にも必ずこの考え方を説きます。

・・・

参考Web:「生長の家“本流宣言”掲示板」内スレッド「親日国ブータンの品格 (5393)」
      → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode;=res&log;=1165

                 <感謝合掌 平成26年4月21日 頓首再拝>

Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:17:22

心構え (10783)
日時:2014年08月05日 (火) 06時27分
名前:伝統

ただ幸福のみが貴方を訪れる

           *「幸福を招く365章」(P181)より

何が過去にあったにせよ、あなたは過去を心の世界から放すのである。
過去は「今の心」が捉えるからこそ悩みのもとになってくるけれども、
「今の心」が捉えない限りは、あなたを捉えて悩ますことが出来ないのである。

何が未来に起るにしても、未来は未だ来たらざるものであって、
「今の心」がそれを捉えない限りは自分を悩ますことは出来ないのである。

だからあなたは、もう決して、過去のことを思い煩わず、
未来のことに取り越し苦労することはないのである。

悲しみよ、あなたの心から去れ。
恐怖よ、あなたの心から去れ。
悲しみも恐怖も、最早あなたを訪れることはないのである。

唯幸福のみがあなたを訪れる。

               <感謝合掌 平成26年4月23日 頓首再拝>

・・・

「人生で大切な心構え」 ~幸せの秘訣~

        *『致知』2014年4月号
         鈴木秀子(文学博士) ~連載「人生を照らす言葉」より


人生にはバイオリズムがありますから、
波が下降している時は疲れが溜まったり、病気をしたり、 周囲に思わぬ出来事が起きたり、
物をなくしたり、大切なことを忘れたり、いろいろなことが起きがちです。

そうすると自分や他人を責めたり、ゴミのような感情が湧き上がってきたりします。

そういう時は無理に自分を変えようとしないこと。

「ああ、いま自分にはこういう感情が起きているんだな」

とまるで人ごとのように心を静かに眺め、
じっと堪え忍びながら上昇の時を待つ訓練をすることです。


そのことに関連した話を最後にご紹介します。


香港に住んでいるインド人の女性が実際に体験した出来事です。

この女性は末期がんに侵され、息も絶え絶えの状態でいわゆる臨死体験をしました。

肉体を離れて自分が寝ている姿を空中から眺め、
やがて自分のすべてを受け入れてくれる温かい光に包まれ、至福感を味わいます。

その時に、自分がなぜがんになったかが、はっきりと分かったというのです。


インドはとても競争の激しい社会です。

彼女は自分の正直な心をいつも押し殺して人からよく見られたい、人の上に立ちたい、
出世競争を勝ち抜きたいという思いだけで駆け上がってきていました。

臨死体験をとおして、そういう自分の生き方を振り返るとともに、
即物的な生き方がストレスとなり、 ストレスがいつしかがんに形を変えていったことが、
理屈抜きに理解できたといいます。

臨死体験後、信じられないようなことが起きました。

彼女の体から奇跡的に、がんが消え去っていったのです。

驚いた医者がそれを学会で発表した記録も残っています。

やせ細った体が少しずつ体力を取り戻していよいよ退院となった時、
彼女はこれまでのような金儲け主義の生き方、物や地位だけを追い求める生き方を
捨て去ろうと固く決意しました。

そして香港に移住。

質素ながら自分らしさを発揮できる仕事を探して、
現在はご主人と二人、静かに生活しています。

その彼女がこのように言っています。

「人生で大切なのは、本当に自分らしく生きることと、何事にも喜び楽しんでいられることです。
 あなたが機嫌よくしていさえすれば、それが何よりの社会貢献。

 あなたの周りにいる人をみな機嫌よく、気持ちよくできたら、
 こんな素晴らしいことが他にあるでしょうか」

そして彼女は

「そのためには、いつも正直でいることです」

と言葉を続けています。

余計なゴミを取り除いて幸せに生きる秘訣を
彼女は自らの体験をとおして私たちに教えてくれているのです。

いつも機嫌よく、しかも自分らしく正直に生きることができたら、
心にゴミが溜まることもなくなるでしょう。


自分を機嫌よくするのは自分自身です。
誰かが機嫌よくさせてくれるわけではありません。

これまで外界に向けていたエネルギーを少し自分を機嫌よくするために使ってみてください。

人生はもっと豊かなものになるでしょう。

日々出合う一つひとつの出来事に深い意味があることを知ったら、
どんな些細なことも喜びに変わります。

生かされている命の素晴らしさを感じ、喜びが心の内から湧き出る時、
私たちは意識せずとも上機嫌で生きられるはずです。

               <感謝合掌 平成26年4月28日 頓首再拝>

・・・

【人間の究極の幸せ】

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年04月18日)」より


   (日本理化学工業(株)会長、大山泰弘氏の心に響く言葉より…)

   2人の少女が入社した日のことは、今でもよく覚えています。

   きれいに晴れた、暖かい日でした。
   2人がタドタドしく挨拶するのを、社員たちは暖かいまなざしで見守っていました。

   そして、拍手で2人を迎え入れたのでした。

   「私たちがめんどうをみますから」という社員の言葉に嘘はありませんでした。
   みなが2人の少女をかわいがり、本当によくめんどうをみてくれました。

   彼女たちは、雨の日も風の日も、満員電車に乗って通勤してきます。
   そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。

   どうしても言うことを聞いてくれないときに、困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、
   泣いて嫌がります。

   そんなある日のことです。

   私は、とある方の法要のために禅寺を訪れました。
   ご祈祷がすみ、食事の席で待っていると、空いていた隣の座布団に、
   偶然にもご住職が座られました。

   そして、こんな質問が思わず口をついて出ました。

   「うちの工場には知的障害をもつ2人の少女が働いています。
   施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」

   ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。

   「人間の幸せは、ものやお金ではありません。
   人間の究極の幸せは次の4つです。

    人に愛されること、
    人にほめられること、
    人の役に立つこと、
    そして、人から必要とされること。

   愛されること以外の3つの幸せは、働くことによって得られます。
   障害をもつ人たちが働こうとするのは、
   本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです」


   確かにそうだ…。
   人は働くことによって、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされるからこそ、
   生きる喜びを感じることができるのだ。

   家や施設で保護されているだけでは、この喜びを感じることはできない。
   だからこそ、彼らはつらくても、しんどくても、必死になって働こうとするのだ。

   働くことが当たり前だった私にとって、この幸せは意識したことすらないものでした。
   それがいかにかけがえのないものか、私は、生まれて初めて考えさせられました。

   2人の少女が、一心にシールを貼り続ける、その姿。
   そして、「ありがとう。助かったよ」と声をかけたときの輝かんばかりの笑顔。

   私は、ご住職の言葉によって、その笑顔の意味を教えられたのです。

            <『利他のすすめ』WAVE出版>

          ・・・・・

日本理化学工業は、社員の7割が身障者という日本一のチョーク工場だ。

大山会長は、「人は働くことで幸せになれる。であれば、会社は社員に『働く幸せ』を
もたらす場所でなければならない」という。


仕事ができるありがたさは、仕事を辞めたり、働けなくなったときにわかる。

それは、病気になってはじめて、健康のありがたさに気づくのと同じ。


人にとって一番つらく悲しいことは、無視されることだという。

無視と同様なのが、「あなたは何の役にも立たない」、「あなたは必要ない」、
そして存在の否定の言葉「〇ね」「バカヤロウ」「ウザイ」。

*〇:死

人も会社も組織も、まわりから認められ、必要とされるからこそ存在している。


「働くことによって、生きる喜びを感じることができる」

働けることのありがたさを、しみじみとかみ締(し)めたい。

               <感謝合掌 平成26年5月2日 頓首再拝>

・・・

幸福とは精神の問題である。

       *「幸福を招く365章」(P139~140)より

この世界は唯一つの神につくられたものであり、互いに一つの法則によって支配せられていて
何らの例外もない。自分を不快にするものは、他の人をも不快にするし、他の人を幸福にする
ものは、自分をも幸福にするのである。

キリストはその原理を知っていて隣人を愛するとは
「己れにせられんと欲する如く隣人に為せ」と教えているのである。

それが人間を幸福になるための黄金律であるのである。

人間に幸福を来(きた)には物質的環境と云うものが善くならなければ幸福になれないと
考えるのは間違いである。

彼女が自分に好意をもってくれるのだと信ずるだけでも、
人は有頂天の幸福感を味わうことが出来るのである。

或る人に憎まれている、疑われている、悪い人だと思われている
―― と考えるだけでも人間は不幸になる。

金殿玉楼と幸福とは大して関係はない。

               <感謝合掌 平成26年5月6日 頓首再拝>

Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:19:38

幸 (10784)
日時:2014年08月05日 (火) 06時29分
名前:伝統

人間が幸福になるためには

         *『幸福を招く365章』(P141~P142)より

人間が幸福になるためには、自分の周囲に光をみなければならない。

この世界を物質の機械作用で、
人間の欲望などは踏み躙(にじ)って勝手に動いている世界だなぞと思ってはならぬ。
それは希望のない恐ろしい宿命論だ。

機械的世界観と、宿命的人生観ほど人間を不幸に陥れるものはない。
それは宿命と云う鉄鎖にしばられている囚人の人生観だ。

人間が幸福になるためには、この世界を神の愛に満たされている世界だと観じなければならぬ。
愛にとりまかれている感じのみが人間を幸福にするのである。

『この世界は神の国である。自分は神の愛ぐし児である』
との自覚が深まれば深まるほど、人間は光にとりまかれ、幸福感が深まってくるのである。

すべての人間を神として観よ。
すべての事物の中に、その動きの中に神の愛が充ち満ちて我等を生かしつつあると観よ。

               <感謝合掌 平成26年5月13日 頓首再拝>

・・・

「幸」の字源

       *「感じの漢字」高橋正巳・著(P124~126)より

「幸」は、 手かせをはめられた人の姿をあらわしたものである。

「幸」とは。

これは、針で刺され、身動きもとれないような状況になるという、
考えられるうちで最もひどい状況をあらわす字。

これがなぜ幸せを意味するかというと、
幸せは人によってちがい、あらわすことができない。

考えられるうちで最もひどい状況に比べれば、
たとえお金がなくても、つらい状況になったとしても、
これよりはましだろう、それが幸せということ。

だから、針で刺され、身動きが取れないような状況でないならば、
そのことに感謝して幸せを実感するのがよいという意味で作られた。

それが「幸」、という漢字。


今も昔も、もっともっと幸せになりたいという欲望も限りがない。

本当は幸せなのに、自分が手にしている幸せに気づかず、
青い鳥を探して道に迷ってしまうこともある。

しかし、「幸」という字の語源を知ったなら、
見失いがちな大事なことをハッと気づかされるはずだ。

「こうならなくてよかった! 」という不幸の姿を見せられることで、
何がなくても、私たちには自由があり命がある、それはなんと幸せなことであろうか
ということを教えてくれる字なのである。

               <感謝合掌 平成26年5月20日 頓首再拝>

・・・


【イベントにしちゃう】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月05日)」より

   (所ジョージ氏の心に響く言葉より… )

   ちゃんと学校には行ってたんですよ。
   でも、2年に進級するための必修科目を取ってなかったんです。
   これでは、どんなに頑張ったって2年生にはなれない(笑)。

   普通ならメゲるかもしれない。
   落ち込むかもしれない。

   でも、僕は違った。

   イベントにしちゃったの(笑)。

   これは、何かのきっかけだ、人生の転機だ、なんてね。
   だって、出来事そのものが猛烈に面白いじゃない。

   いろんなことで泣く人は、自分をいい位置に置いてるから泣いちゃうわけ。
   
   もともと自分は愚かで、愚にもつかない人間だと思っていれば、笑えるのね。
   もっと言うと、人はそもそも愚かだと思えばいい。
   そうしたら、全部笑える。

   立派な肩書持っている人だって、
   道端に落ちているゴミを見て見ぬフリしたりすることもある。
   肩書がすべてじゃないんだから。

   人間なんて、みーんな大したことないんだから。

   だから、みんなが賛同することって、往々にして大したことじゃなかったりする。
   両極端なことが面白いんだもん。

   大人なのに小学校3年生みたいなことを言ったり、
   小学校3年生なのに大人みたいなことを言うところに、面白さがある。

   たとえば、100メートルを10秒で走れるとして、全力で走っちゃったらそこまでじゃん。

   10秒が精いっぱいの人は11秒にしとかなきゃダメなの。
   あの人は11秒が限界だって思わせてといて、何かのときに10秒を出す。

   そしたら、「え、なんなのこの人は」ってなるでしょ。
   だから、僕なんか、浅~く見られてて結構だもんね(笑)。


   結局ね、自分の考えひとつなのよ。
   人生をつまらなくしているのは、自分なの。
   会社だって仕事だって同じ。

   そして、お金がなければ楽しいことはできないと勝手に思い込んでる。
   アンタはお金があるから言うんだと思う人もいるかもしれないけど、
   僕はお金がなくてもそう言うから。

   だってそうだもん。

   ゴミ捨てだって楽しいもん。
   ベランダのプランターの土づくりひとつでも楽しめるもん。

   不安になっても、いいことなんてない。
   誰も近づかないから。

   だから笑うこと。
   不安でも堂々とする。
   そして隣の人と比べない。

   いつも自分だけを見つめる。

   僕はデビューのころから、自分が世界でいちばん幸せだと思ってた。
   給料が7万円だったときも幸せだった。
   給料だと思えば安いけど、小遣いだと思えば7万円はすごいじゃん(笑)。


   今は、スピーディな時代。
   目の前にあるちょっとした幸せ感や生きている実感を、みんなが忘れてる。
   大きな目標ばかりに目がいっている。

   幸せや才能の芽は、そのへんにたくさん転がってるのに。
   みんな見えてないだけなんだよ。

   「便利だから楽しいんじゃない。不便さの中にこそ、幸せはある」

         <『プロ論。情熱探訪編』徳間文庫>

        ・・・

不便さを楽しんだり、つまらない出来事を面白がったりできる人は、それだけで魅力的だ。

誰もが不平不満をいうような状況でも、それを笑いに変えることができるからだ。


すぐにキリキリして、怒ったり、他人を非難する人は好かれない。

どんなことも面白がって楽しんでしまうような、余裕のある人が好かれる。


嫌なことも、めげることも、つまらないことも、
それをイベントにしてしまえば、自分で面白がって楽しむことができる。

「誕生会」「運動会」「お花見」「ワールドカップ観戦」「ワイン会」
「バーベキュー大会」と同じようなイベントに格上げする。


目の前に転がっている日常を、面白がって楽しみたい。

               <感謝合掌 平成26年6月12日 頓首再拝>

Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:20:30

幸せでいるための12の生活習慣 (10785)
日時:2014年08月05日 (火) 06時30分
名前:伝統


       *「幸せでいるための12の生活習慣」心理学者ソニア・リュボミルスキー・著より
          (P95~272)


(1)感謝の気持ちを表す。

  ?人生における嫌な経験に対する負の感情によく効く薬は、
   良い経験に対する「感謝の気持ち」を持つことです。

  ?感謝の気持ちを強く持てるようにするには、「感謝日記」を毎週書くようにしましょう。
   感謝したいと思える物事について書いてください。

(2)楽観的になる。

  ?もし悲観主義であれば、幸せを感じることはほぼ不可能です。
   あらゆるものが暗くネガティブな感情に染められてしまいます。

  ?人生について楽観的になってください。対処能力を高める努力をしてください。
   そうすることで、元気が出てきて、目標に向かって進むことができるようになります。

  ?楽観的になるには、物事がうまくいくと、自分の人生はどうなると思うか
   紙に書き出してください。
   このような想像する訓練をすることで、「楽観的に考える筋肉」が鍛えられます。

(3)考えすぎない、他人と比較しない。

  ?いつも骨をかじる犬のように常に問題に思い悩んでいると(このような状態を自己反すう
   と言います)、人は自然と嫌な悲しい気持ちになり、落ち込んでしまいます。

  ?このような悪影響のあるパターンから抜け出すには、そのような考えにはまらないことです。
   運動したり映画を見たりするなど、他の楽しいことに意識を切り替えてください。

(4)親切にする。

  ?幸せになるための究極の秘訣は、人に親切にすることです。

  ?親切にすると、すぐに前向きな気持ちが沸き上がって来ます。


(5)人間関係を育てる。

  ?バーブラ・ストライザントの名曲「ピープル」が一番伝えたいメッセージは
   「人を求める人は、世界で一番幸運な人だ」というものです。

  ?幸せになるには人と付き合う必要があるのです。
   人と関わりを持つ時間を作りましょう。

(6)ストレスや悩みへの対抗策を練る。

  ?トラウマのプラス面を理解する。
   トラウマのプラス面として考えられるのは、喪失や人生でのネガティブな出来事の
   なかにも、何らかの価値や得るものがあると思えることでしょう。

  ?悲劇的なことからも意味を見いだす。

(7)人を許す。

  ?昔からある言葉が、最も的を射ているということがよくあります。
   そして、そのため、そういった言葉はいつまでたっても色褪せません。
   「水に流せ」というのが、そういった言葉の1つです。

  ?自分を不当に扱った人を許すことは、容易ではありません。
   1つの方法は、相手に向けた「許しの手紙」を書くことです。

   手紙に、相手があなたにどんなことをしたのか、細かく記してください。
   そして、手紙の中で相手を許してください。
   その手紙を実際に送る必要はありません。

   大切な事は、傷ついた気持ちを表に出すことです。
   手紙を書くことで、傷ついた気持ちを捨てることができます。

(8)熱中できる活動を増やす。

  ?考えてみてください。「現在」こそが、わたしたちが本当に持っている全てです。
   今を生きる最善の方法は、現在の行動に意識を集中させることです。

  ?心理学者のウィリアム・ジェームズは「わたし自信が注意を払うことに同意したものが、
   わたしの経験になる」と書いています。自分の人生に注意を払ってください。
   人生の一瞬、一瞬を意味のあるものにしてください。1分でも無駄にしてはいけません。

(9)人生の喜びを味わう。

  ?喜びを味わうには、過去の要素、現在の要素、そして未来の要素があると考えられます。

  ?ほんとうの喜びを味わうためには努力も意欲も必要です。

  ?ポジティブな思い出は、さまざまな方法で幸福度を高めることができます。
   ポジティブな経験は、書くことを通じて喜びを味わうのではなく、
   過去の経験を思い出して味わい、その出来事をまわりの人と分かち合ってください。

  ?喜びを味わうためのアルバムをつくる。
   見るたびに幸せな気分が高まります。

(10)目標達成に全力を尽くす。

  ?長期間にわたって幸せになれる目標を見極め、それに向って努力することです。

  ?最優先する人生の目標が本質的に報われるものならば、
   それを追い求めることでさらに多くの満足感や喜びを得られる。

  ?幸福とは、目標を追い求めることから生まれるのであって、必ずしも目標の達成から
   生まれるのではない、ということを覚えておいてください。

(11)内面的なものを大切にする。

  ?信仰の厚い人が信仰をもたない人よりも幸せなのは、宗教的な信念や聖典などの本質に
   よる影響というよりも、信仰によって同じような精神の持ち主や思いやりがある人との
   交流が生まれるという単純な事実とおそらく関係がありそうです。

  ?信仰している人にとって「神」との関係は、困難なときに慰めを得られる源泉となる
   だけでなく、自信をもたらし、無条件に愛され、大切にされているという感覚を与えて
   くれるものであります。

   困ったときは神が手を貸してくださると信じていれば、
   平和でおだやかな気持ちになれるのです。

(12)身体を大切にする。―― 瞑想と運動

  ?人はさまざまな理由から瞑想します。
   心の平安を得るため、超現実を探るため、病を癒すため、
   想像力や直観を解放するため、そして幸福を実現するためにも。

  ?運動はあらゆる活動のなかでも、とても効果的に幸福度を高めてくれる方法です。

  ?幸せな人のように振舞う。

  ?笑うともっと大きな幸福と喜びがもたらされます。

               <感謝合掌 平成26年6月23日 頓首再拝>

・・・

【ポジティブな心の姿勢】

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月24日)」

   (ジェフ・ケラー氏の心に響く言葉より…)

   午後1時すぎになって、セーラは空腹を感じ始めた。
   朝から数時間ずっとデスクワークに励んだので、近くの喫茶店で軽食をとることにした。

   数分後、サムが同じ喫茶店に入ってきた。
   彼も昼休み中だった。

   サムはセーラのすぐそばに腰掛けた。


   その日、同じウエイトレスがセーラとサムに給仕した。

   ウエイトレスが注文を聞きに来るまで、どちらの客も同じくらい待った。
   きちんと調理されたおいしい食べ物がどちらの客にも出された。
   勘定書きがどちらの手元に届くのにも同じくらいの時間がかかった。

   しかし、状況が似通っていたのはそこまでだ。

   セーラは笑みを浮かべ、足取りも軽く、世の中に対して
   とてもポジティブな気持ちで喫茶店を出た。

   その様子は誰が見ても一目瞭然だった。

   楽観主義が全身からあふれ出ていた。
   セーラは楽しく昼食をとり、ウエイトレスと楽しい会話をし、充電を終えて仕事に戻った。


   その反対に、サムは苦虫をかみつぶしたような顔で喫茶店に入ってきた。
   猫背で不自然な姿勢。
   「オレに近づくな」とでも言わんばかりのピリピリした雰囲気。

   ウエイトレスがすぐに注文を聞きに来なかったとき、彼はとても不愉快だった。
   注文した食べ物がなかなか来ないのでイライラした。
   出された食べ物について不満を言い、清算がもたついたことで激怒した。

   
   セーラとサムは同じ喫茶店で同じ態度で対応されたのに、
   なぜこんなに違う経験をしたのだろうか。

   その理由はこうだ。

   セーラは世の中に対してポジティブな心の姿勢であったのに対し、
   サムはネガティブな心の姿勢に固執していたからだ。

          <『できる人とできない人の小さな違い』ディスカヴァー>

     ・・・

世の中においては、万人に共通の、絶対的で普遍的な価値というものはない。

ある人にとってすごく価値のあるものでも、
別のある人には全く価値がない、ということはよくあることだ。


幸福と不幸もまったくそれと同じで、万人にとって共通の幸福や不幸の概念はない。

楽しいことも、怒ることも、感謝も、ゆるすことも、みな同じ。

人によって価値観も許容範囲も、みな違うからだ。


ある人は怒り心頭に達してしまうことでも、ある人はジョークを言ったりニコニコしていられる。

どちらがカッコよくて粋かは言うまでもない。


どんなときもポジティブな心の姿勢を保つ人でありたい。

               <感謝合掌 平成26年6月28日 頓首再拝>

Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:21:26

どんな人でも幸せになれる9つの選択 (10786)
日時:2014年08月05日 (火) 06時32分
名前:伝統

【ポジティブな心の姿勢】

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月24日)」

   (ジェフ・ケラー氏の心に響く言葉より…)

   午後1時すぎになって、セーラは空腹を感じ始めた。
   朝から数時間ずっとデスクワークに励んだので、近くの喫茶店で軽食をとることにした。

   数分後、サムが同じ喫茶店に入ってきた。
   彼も昼休み中だった。

   サムはセーラのすぐそばに腰掛けた。


   その日、同じウエイトレスがセーラとサムに給仕した。

   ウエイトレスが注文を聞きに来るまで、どちらの客も同じくらい待った。
   きちんと調理されたおいしい食べ物がどちらの客にも出された。
   勘定書きがどちらの手元に届くのにも同じくらいの時間がかかった。

   しかし、状況が似通っていたのはそこまでだ。

   セーラは笑みを浮かべ、足取りも軽く、世の中に対して
   とてもポジティブな気持ちで喫茶店を出た。

   その様子は誰が見ても一目瞭然だった。

   楽観主義が全身からあふれ出ていた。
   セーラは楽しく昼食をとり、ウエイトレスと楽しい会話をし、充電を終えて仕事に戻った。


   その反対に、サムは苦虫をかみつぶしたような顔で喫茶店に入ってきた。
   猫背で不自然な姿勢。
   「オレに近づくな」とでも言わんばかりのピリピリした雰囲気。

   ウエイトレスがすぐに注文を聞きに来なかったとき、彼はとても不愉快だった。
   注文した食べ物がなかなか来ないのでイライラした。
   出された食べ物について不満を言い、清算がもたついたことで激怒した。

   
   セーラとサムは同じ喫茶店で同じ態度で対応されたのに、
   なぜこんなに違う経験をしたのだろうか。

   その理由はこうだ。

   セーラは世の中に対してポジティブな心の姿勢であったのに対し、
   サムはネガティブな心の姿勢に固執していたからだ。

          <『できる人とできない人の小さな違い』ディスカヴァー>

     ・・・

世の中においては、万人に共通の、絶対的で普遍的な価値というものはない。

ある人にとってすごく価値のあるものでも、
別のある人には全く価値がない、ということはよくあることだ。


幸福と不幸もまったくそれと同じで、万人にとって共通の幸福や不幸の概念はない。

楽しいことも、怒ることも、感謝も、ゆるすことも、みな同じ。

人によって価値観も許容範囲も、みな違うからだ。


ある人は怒り心頭に達してしまうことでも、ある人はジョークを言ったりニコニコしていられる。

どちらがカッコよくて粋かは言うまでもない。


どんなときもポジティブな心の姿勢を保つ人でありたい。

               <感謝合掌 平成26年6月28日 頓首再拝>

・・・


どんな人でも幸せになれる9つの選択

       *「ハッピーな人々の秘密」(P18~20)より


《幸せは、自分が選択するもの》

(1)強い意志を持つ。

   幸せになりたい、という積極的な意欲と自分への約束。
   絶対に幸せを選びとると強く意識すること。

            ・・・

   ハッピーな人々は、普通の人より幸せな選択をしようと心がけているのです。
   人の意見に流されず、自分の道を行くというのも、幸せになる秘訣です。


(2)自分が責任をとる。

   自分が生きたいと思う人生を自分で作り上げること。
   そして自分の行動や考え、自分の気持ちに対して、自分がすべて責任をとり、
   自分の不幸せをけっして他人のせいにしないこと。

            ・・・

   ハッピーな人々は人を非難しません。
   ハッピーな人々は、「自分で自分の人生を決める」という決断を下しています。
   人生を自分の力で創造していく彼らは、至極前向きです。


(3)自分をしっかり見つめ、確認する。

   他人から教えられたものではなく、ほんとうに自分を幸せにするものは何か
   判断できるように、常に自分の心の中を深く見つめていくこと。

            ・・・

   ハッピーな人々はたえず自分のことを確認しています。
   自分の選択を愛し、自分を受け入れる。
   自己尊重の心が基本にあるのです。


(4)大切なものに集中し、生活の中心に置く。

   生活の中心となる、幸せを与えてくれるものを見つけ、
   絶対に譲れないものとしてこだわること。

            ・・・

   ハッピーな人々は、大切なものを選び取り、生活の中心に置きます。
   家庭も仕事も友人も、自分の選択で選んだ大切なものばかり。
   故に彼らはハッピーなのです。


(5)改鋳(かいちゅう=リキャスト)し、今までの自分を作り替える。

   トラブルや問題をチャンスやチャレンジに変え、トラウマを有意義なもの、大切なもの、
   そして感情的なエネルギー源に変えていこうとすること。

            ・・・

   ハッピーな人々は一つの物事にとらわれず、
   新しい可能性にどんどんチャレンジしていきます。

   これと思ったものを手に入れられなくても、
   すぐに別のすばらしい選択肢を選ぶ柔軟さがあるのです。


(6)柔軟にたくさんのオプションから選ぶ。

   複数のシナリオを用意して人生に対処し、新しい可能性を受け入れ、
   人生という旅に柔軟に取り組んでいこうと決断すること。

            ・・・

   ハッピーな人々は一つの物事にとらわれず、
   新しい可能性にどんどんチャレンジしていきます。

   これと思ったものを手に入れられなくても、
   すぐに別のすばらしい選択肢を選ぶ柔軟さがあるのです。


(7)真価を認め、尊重し、感謝する。

   自分の人生や生活、自分がかかわっている人々に心から感謝し、
   一つひとつの経験をすばらしいものに変えていくことによって、
   今現在を生きようとすること。

            ・・・

   ありがたいと感謝する気持ちは、他の人の真価を認めることです。
   毎日感謝すると、普通のものも、かけがえなのないすばらしいものとなります。


(8)人に分かち与える。

   「見返り」を求めることなく、友人や地域社会の役に立ち、
   世界全体に貢献しようとすること。

            ・・・

   ハッピーな人々は、価値、仕事を人々に分かち与えます。
   喜んで与えることもまた、他人を尊重する気持ちのあらわれです。


(9)真実を大切にし、正直になる。

   自分の信念に反する、社会や会社、家族の要求を考慮した結果ではなく、
   自分の責任において自分自身や他人に対して正直であろうとすること。

            ・・・

   ハッピーな人々は社会の常識に対して、自分が感じる真実を大切にします。
   嘘偽りなく、自分を表現すると、ずれがなくハッピーとなります。


この9つを選択することによって、人は幸せな人生を選び取ることができるのです。

               <感謝合掌 平成26年7月4日 頓首再拝>

Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:22:18

文句やグチを止める (10787)
日時:2014年08月05日 (火) 06時34分
名前:伝統

「人は、人によって、しあわせになる」

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2012-09-24)」より

   (斉藤一人さんの心に響く言葉より…)

   人は、人によって、しあわせになるんだ。

   だって、お金でも何でも、お金だけで歩いてくることはゼッタイないんだよ。
   お金持ちになりたかったら、そば屋でも何でも、客が来てくれるか、出前とってくれるか。
   要は、人が介在するんだよ。

   それで、これからの魂の時代で、
   仕事でも何でも、人に愛されない限り、成功はないんだよ。

   過去の一瞬、バブルの時代だけ、性格が悪くても、
   「この土地、買う」って言えば、売ってくれたんだよ。

   株でも何でも、「これ、買う」って言えば、
   性格が悪くたって、株価が上がれば儲かったけど、
   あんな時代は、もう魂の時代にはこないんだよ。


   魂の時代には、人間の魅力勝負、あなたがどのぐらい好かれているか、なの。
   それで、魅力っていうのは、考え方と、何を言うか、なんだよ。

   人で説明するとわかりづらいけど、お店がそうなんだよ。
   そば屋へ客が来ないのは、そばがマズいか、店が汚いか、愛想がないか。
   この、ゼッタイ、どれかに入ってんだよ(笑)。

   だけど、その人がね、一念発起してさ、
   「そば、ウマいもんつくろう」とか、「笑顔にしよう」とかってなったとき、
   ふらっとそば屋へ来た人が、

   「あれ? 前と変わったじゃん」
   そしたら、また来たくなって、その人が友達を連れてきて、新しいお客が来て、
   それで繁盛店に変わるんだよね。

   だから、人生が変わるって、
   そんな魔法の言葉を言ったら変わる、ってもんじゃないんだよ。

   人生が変わる、奇跡が起きるのは、あなたの心が変わったらから。

   今のあなたは、暗い心か、明るい心か、どっちにいますか?
   これによってあなたの顔つきが変わり、言うことが変わるから、
   世間の見る目が変わるんだよ。

   そのときに、人生って、違いが出てくるようになるんだよ。

   常に、このパターンなんだよね。

       <『斉藤一人 知らないと損する不思議な話』PHP研究所>

      ・・・

「人間」と書いて、「じんかん」と読む。
この読み方は、人の住んでいる世界、世間という意味で使う。

人は、人が住んでいる世界でしか生きることができない。

人嫌いなので、自給自足をして、たった一人で生きようと思っても、
全てを自分一人でまかなうことはできない。
衣食住のどこかで、多くの人の助けを借りながら生きているのが人間だからだ。

顔を合わせないようなネットで商売している人でも、顧客に好かれなければ繁盛するはずがない。
むしろ、顔が見えない分だけ、個人や商品に魅力がなければ継続することはできない。

だから、「人は、ひとによって、しあわせになる」。

「魅力っていうのは、考え方と、何を言うか」

常に明るい考え方を持ち、人に好かれる言葉を多用したい

               <感謝合掌 平成26年7月10日 頓首再拝>

・・・

【フロイトの話】

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年07月11日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   1939年にフロイトが亡くなりましたが、晩年にこのようなことを言っています。

   「自分たちの時代の以前に、“幸せ”とか“不幸”を論ずる人はいなかった。

   “幸せ”や“不幸”というものを人々が口にするようになったのは、
   自分たちの時代くらいからだ。
   その前の人は、全く口にしていないし、話題にもしていない」

   フロイトの時代以前は、人間の心の中に、
   幸せと不幸という概念が湧いてきていなかったのです。

   どうしてかと言うと、情報通信が発達していなかったので、
   他人がどういう暮らしをしているかを、知るすべがなかった。

   周りの人がどういう生活をしているかを知らなければ、
   皆それぞれ、嫁さんをもらって、子供をつくって、家族で普通に食事をして…
   というように自分の生活をしていた。

   それを幸とか不幸とか言わなかった。

   それが、普通の人の生活だったのです。


   それが、ラジオや画像として情報が入ってきたり、
   新聞などでそれぞれの生活がわかるようになって、周りの人と比べるようになった。

   比べるようになった結果として、
   幸せ・不幸という考え方が論じられるようになったのです。
   幸せや不幸というのは、全部人との比べ合いから始まっている、ということです。


   ここのところがかなり面白い。

   幸・不幸というのが、宇宙的に存在しているわけではない。

   比べる心、競う心、戦う心、争う心から全部始まっている。

   それをやめればいい。

   そしたら、いきなり幸せが手に入るということです。

       <『心がなごむ秘密の話 力を抜いて生きる実例集』宝来社 >

    ・・・・・

嫉妬も、不満も、グチも、すべては他人との比較から生まれる。

しかし、情報化社会はどんどん進み、他人の情報はもっとわかるようになり、
比較するすることはますます増えている。

そうして、年を追うごとに世の中に、嫉妬や不満やグチが渦巻くことになる。


比較しない唯一の方法は、ボーっとすることであり、力を抜いて生きること。
つまり、鈍(にぶ)くなることだ。

時に、間が抜けていたり、不器用だったり、バカになれたり、と自分を飾ることがない。


鋭(するど)すぎる人は、人から好かれない。
すぐに、イライラしたり、ピリピリしたりしてしまうからだ。


他人と比較しない人でありたい。

               <感謝合掌 平成26年7月19日 頓首再拝>

・・・


【文句を言う人】

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年07月21日)」より

   (アルボムッレ・スマナサーラ師の心に響く言葉より…)

   自分の人生を幸せにしたければ、第一に気をつけないといけないことは、
   〈文句人生〉にならないことです。

   世の中は自分の希望通りにはいかないのが普通です。

   いつでも気に入らないことがいっぱいあるのです。
   人生の中で、すべてが自分に都合よく廻るということはあり得ません。
   いちいち文句を言っていたらキリがないのです。

   ですから知恵のある人は、周りの環境については、
   ひと言も文句を言ったり外の世界に当たったりはしません。

   楽しく暮らしたければ、「何ひとつも、自分に都合がいいように、うまく運ぶわけはない」
   「気に入らないことがあるのは当たり前だ」と知ることです。

   そして、「これをどう乗り越えていくかということは私しだいだ、私の見方しだいなんだ」
   と考えるのが正しいのですね。

   すべては自分のアプローチのしかたひとつだ、ということです。

   文句を言う性格がどれほど非論理的でわがままで愚か者かを理解した方が、
   自分を直すために役に立つと思います。

   本人は全く自覚していませんが、文句を言う場合は
   「これは私にとって都合が悪い、だから私のためになんとかしなさい」
   という気持ちなのですね。

   他人に文句を言う人は、「私がイヤなんだから、あなたはそれをやめなさい」
   「みんな、私の機嫌を取りなさい」と言っているのです。

   「今日もまた雨か…」という場合は、
   「私がイヤだから今日は雨が降ってはダメだ」という意味なのです。
   「自分の都合通りにものごとは変化しなさい」と命令しているのです。

   文句を言う性格の人は、「世の中のすべてのものが自分中心に廻って欲しい」
   と思いたがるのです。

   私たちはこの世に人間として生まれてきました。
   そうであるならば、人間として成長しなくてはいけません。
   昨日より今日は、もっと立派な人にならないといけない。

   いつでも頭の中に、「昨日よりは良い人間になるんだぞ」ということを置いておくのです。

   仏教は厳密に発展主義です。
   仏教は信仰主義ではなくて発展主義だと覚えておいてください。
 
   仏教の発展主義というのは、外界を変化させることではありません。
   何を発展させるかというと、自分の人格を成長させるのです。
   自分の心を発展させるのです。

   「自分の心がいつでも成長するようにしよう」と決めてください。
   そのような生き方をすると、文句を言う性格もどこかに行ってしまって
   幸せになれるのです。

     <『アルボムッレ・スマナサーラ法話集  逆境に立ち向かう』アルマット>

   ・・・

自分に対して文句を言う人はいない。
だから、常に文句を言う人の矢印は、外に向かっている。
自分が正しくてまわりが間違っている、と思っている。

文句やグチを言う人は、自分では決して行動しない。
相手に要求するだけの、自己中心的な人のこと。

人を変えることはできない。
変えられるのは自分だけ。

文句やグチを止める方法はただ一つ。
「昨日より今日は、もっと立派な人なる」、と覚悟すること。

               <感謝合掌 平成26年7月26日 頓首再拝>

Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:22:57

「瑞気」を取り込むと幸せになる (10852)
日時:2014年08月06日 (水) 04時35分
名前:伝統

          *「神様にほめられる生き方」(P10~16)より

目に見えないものは存在しない。

はたして本当にそういい切れるのでしょうか?

電波や音波は、見えないけれど存在します。
だから目に見えない世界が「ない」とは断言できないわけです。


「瑞気(ずいき)」とは「めでたい気」「新鮮で、かつ美しい気」という意味ですが、
昔の人は、この「瑞気」をいかに家や体に取り込むかに苦心したものです。

たとえば神棚に飾る榊(さかき)の枝は、毎月1日と15日に取り替えます。

榊は「栄える樹」で「サカキ」。
つまり、榊の持っている、常に栄え続ける瑞々(みずみず)しい気を
家の中に取り込むために飾る。

土用に、「紅葉狩り」という行為も、
燃えるような真っ赤な紅葉を手折って家に持ち帰ることで、
紅葉の生命力、つまりエネルギーを家の中に呼び込もうとするものです。


「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」というのは、西洋の考え方です。

東洋ではその逆で、「魂を健全にすれば自ずと肉体も健全になる」と考え、
魂をいかに健康に活発化するかということを大切にしました。
魂を振り動かし、活力を与えることを「振魂(ふりたま)」といいます。

「みそぎ」をするために水の中に入るのは、体を浄(きよ)めることはもとより、
水の霊力を自分の体に振りつけて、魂を活性化するために行なうのです。


家に「瑞気」を呼び込むのは、魂に活力を与えるための行為です。

正月が何故「めでたい」かというと、正月に家を訪ねてくださる神様、
「歳神様」「歳魂(としだま)」をお迎えする行事で有るからです。
氏神様をお迎えするために清らかな道を設け門松を立てて祝うのです。


正月に正装をし、いつもと違う雰囲気に身を置くことも、
「瑞気」を呼び込むための方法の一つです。

「儀式ばる」ことで家も心も雰囲気が改まり、単調な日常に節目がついて、
生活のリズムを改めることができます。

桃の節句、端午の節句、菊の節句などを祝うのも、これらの四季折々の大事な節目に
あたるからです。暮らしの中で儀式とはとても大切なものです。

現在は目に見えることばかりを大事にして、その本源を忘れています。
目に見えない魂、心に活力を与えると体も元気になるのです。
「祝う」ことが家を栄えさせる秘訣です。


《無駄に思えることが幸せの鍵》

家を建てるときは、地鎮祭をして祝い、上棟祭をして祝い、落成してまた祝います。
そしてその都度、大工さんにはお酒やご祝儀をさしあげます。

ところが最近は、建築の契約金の中にすべて含まれているという理由で、
「ご祝儀なんて無駄なことだ」と考える人が増えているようです。

昔の人は、なぜ、無駄と思えるようなことをしたのでしょう。

それは人を悦(よろこ)ばせるためなのです。

つまり、地鎮祭や上棟祭にお酒やご祝儀を出して、宴(うたげ)をし、
大工さんや職人さんに悦んでもらう。

その悦びの歌声や笑い声が「瑞気」を呼びます。
その瑞気を新しい家に取り込むと、そこに住む人は幸せになれます。

こんなふうに、昔の人は常に物事を活性化することを考えていたのです。


「瑞気」を呼ぶと家が栄えます。

来客が多い家は栄えるといいますが、
人々で賑わい、談笑が絶えないと活気が家に充満し、繁栄をもたらすのです。

家だけではありません。
人もそうです。

陰気な人では瑞気は呼べません。
何事にも前向きで陽気な人には瑞気も集まってきます。
笑うことが大切で、神様もよくお咲(わら)いになることが『古事記』にも書かれています。


この頃は新年のお祝いをする会社が少なくなりました。
昔は正月の初出勤の火にはお祝いをしてその日はお昼でおしまい。

今の考えからすると年始の挨拶は無駄なことだと感じるかも知れません。
でも、そうではないのです。お祝いをすることで心に余裕が生まれ、職場にも活気が溢れます。
それが会社の繁栄につながっていきます。

現代社会では無駄だと片付けてしまっていることの中に実は大事なものが沢山含まれています。
先人たちの長年にわたる試行錯誤の蓄積によって必要とされるものがたくさんあったのです。

悠久のときを経て育んできた経験に裏づけされた結果、生じてきたのが「習わし」です。
そんな日本人が培ってきた何千年の知恵を凝縮した風習を、戦後、唯物主義に流され、
捨て去ってしまったのはとても残念なことです。

               <感謝合掌 平成26年8月6日 頓首再拝>

Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:23:40

私はし・あ・わ・せ (11281)
日時:2014年08月19日 (火) 04時25分
名前:伝統

       *「幸せな気持ちになる不思議な本」福田純子・著(はしがき)より抜粋

私たちはよく「しあわせになりたい」と願い、口にもします。

しかし人生は、「今、ここ」にしかありません。

ひとたび「しあわせになりたい」と言えば、
「今、ここ」にそうでない自分を存在させてしまうのです。

「今こそ、ここにこそ、私は生きている。あー、なんとありがたい、もったいない」
という満ち足りた心、そして満ち足りた思いに感謝を捧げる心からついこぼれ出るのが、
「私はしあわせ」という言葉なのではないでしょうか。

「しあわせになりたい」と言って、しあわせを「今、ここ」に実現した人は
いまだかつて一人もいないのです。

「私はしあわせ」という言葉に秘められた、人としての謙虚な心根に、私は気づかされました。
その日から、この言葉が全世界に広がることを念じるようになったのです。

この話を聞いた方々からも、「私の祖父の口癖もそうでした」「私の母も同じでした」など、
いろいろなエピソードが私のもとへ届けられています。

「おじいさまは、お母さまはどのような方だったのですか」とお尋ねすると、
一様に「『ありがとう』という言葉をよく言う人でした」「優しい人でした」
「争いごとを嫌い、常に笑顔を絶やさない人でした」という答えが返ってきます。

不思議と皆共通点があるのです。
それは「私はしあわせ」「ありがとう」を一生涯言い続けることのできる人です。

               <感謝合掌 平成26年8月19日 頓首再拝>

Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - 伝統

2019/01/21 (Mon) 20:24:33

何かをする前にしあわせになる (11574)
日時:2014年08月29日 (金) 04時52分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年10月29日)」より

   (斉藤一人さんの心に響く言葉より…)

   しあわせになるには、何かをする前にしあわせになるの。

   日本に生まれてしあわせだなとか、今日も目が覚めてしあわせだなとか、
   とにかくしあわせになる。

   それで、しあわせになってから行動するんです。


   いちばんいけないのは、しあわせになるために何か行動することなの。
   なぜかって言うと、それは今、しあわせじゃないんだよね。
   つまり、不幸って自分で認めていることになるから。

   それでうまくいかない人の多くは、はたから見てしあわせそうじゃないんだよ。

   まわりから見ても、しあわせそうに見えないとダメ。


   たとえばおいしいおまんじゅうがあったとするでしょ。
   おいしいだけじゃダメなの。
   おいしそうに見えないとダメなのね。


   会社に行ったら「一生懸命仕事してます」とか「楽しく仕事してます」って言うけど、
   そう見えなかったらダメなんです。

   しあわせになりたかったら、
   しあわせだと思うこと、しあわせに見えることが大事なんだよ。

   そうすると、そういう人が寄ってくるの。


   上に上に向上していくと、やはりそれに見合った人格が現れるんです。
   自分が向上すればまわりに向上した人が集まってくるの。

   それで、たとえば人の悪口ばかり言っていた人は、
   そういう人が集まるところに行くから、これも“引き寄せの法則”なんだよね。

   弱い者いじめしていた人は、そういう人が集まるところに行くの。

        <『変な人の書いた世の中のしくみ』サンマーク出版>

        ・・・

しあわせそうに見えない人は、不幸のオーラを発している。
不平不満や愚痴ばかり言っていたり、暗い顔をしていたり、挨拶がなかったりする。

しあわせそうに見える人は、小さなことにも「ありがとう」と感謝したり、
うれしいとか楽しいとか、ニコニコ笑顔で言っている。


おまんじゅうやケーキは、「うまい」だけじゃダメ、「うまそうに見える」ことの方が大事。

だから…

「元気がいい」だけじゃなく、「元気がよさそうに見える」こと。

「運がいい」だけじゃなく、「運がよさそうに見える」こと。

「ツイている」だけじゃなく、「ツイているように見える」こと。


「今日目覚めることができた!自分は運がいい!」、と何かをする前から運がいいと思うこと。

そのためには、まわりから、運がよさそうに見えることが必要。


小さなしあわせに気づく人には、しあわせな人が集まる。

               <感謝合掌 平成26年8月29日 頓首再拝>

Re: 光明掲示板第二「 幸福 (10773)」 - mjxpfxpshrMail URL

2020/08/29 (Sat) 16:09:11

伝統板・第二
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