伝統板・第二

451856
「谷口雅春先生に帰りましょう」は、こちらです。「案内板」は、こっちです。

本掲示板の目的に従い、法令順守および社会倫理の厳守をお願いします。本掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付のうえ、本掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/18 (Fri) 08:38:20



 <明治天皇のご生涯を描いた新書の内容に、「大酒飲み

の風呂嫌い」という節があり、ジャーナリストの某氏が、

「(「……風呂嫌い」という箇所を読んで、)おおいに同情

した。」という感想を述べられていたことがあったが、そ

の大酒飲み、風呂嫌い(という症状)の本質的な意味は、

〈国家に対して、無限責任を負って(負わされて)いるた

め、過度の緊張を強いられて、その緊張を多量の飲酒で緩

和しなければ、自分の身がもたない、さらに、自分の身の

周りなどを構って居られなくなり、入浴等の清潔保持が疎

かになってしまう〉ということであって、ひとりの人間と
して大変な状態であるということが、想像に難くない。

前掲新書の記述の通り「己を捨てる」大変なお務めであると思われる・・・>・・・。


 興味あるご投稿ではあります!(^^)!。





 「日本国紀」より。


 脚気=江戸時代の典型的な疾患。ビタミンB₁不足から足がむくんだりしびれたりする。

 玄米より白米を食べるようになり増えた。

明治時代に入っても、死者は数千~一万数千にのぼり、結核と並んで二大亡国病とも呼ばれた。

                    (つづく)










 雅春先生の二十六日目です。


  二十六日のことば  ◇  ただひたすら心を実相に振り向けよ


 私たちが「イライラしたり精神的に疲れたり、ノイロー

ゼ気味になったりするならば、それは外界の各方面から来

る“迷いの想念”に自分の心も同調して、迷いの想念”に引きずり回されているからである。

自分の心が外界のそれらの“迷いの想念”に 同調すること

をやめ、ただひたすら実相円満の想念を起こして精神統一

に入るならば、精神的な一切の疲労もなく、ノイローゼなどは忽ち治ってしまう筈である。

あなたが神想観を実修して、実相三昧になったのち、自然

に思い浮かんでくる考えは、実相世界から催して来るとこ

ろの智慧であるから、その通り実行するとき屹度良き結果が得られるのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/19 (Sat) 08:02:52



 私の投稿、何時の間にか、新しくなってました(^^♪。




 「日本国紀」より。


 家継=七代将軍=三歳で将軍は歴代最年少。新井白石が政治執行も、わずか六歳で亡くなった。

 二代秀忠の血を引く徳川宗家(直系)の男子は絶えた。

御三家の紀州藩の藩主吉宗(家康の曽孫)が八代将軍となっ
た。

                    (つづく)










 雅春先生の二十七日目です。


 二十七日のことば  ◇  本当に煙のない世界へ


 本当の緊張緩和はラクにぶらぶら体をなまけさせている事によっては得られるのではないのである。

日曜日の休暇の翌日が最も疲れていて、仕事の能率が上がらないという事を往々聞くのである。

本当の緊張緩和は、実相の世界に環帰することによってのみ得られるのである。

何故なら実相世界には疲れもなければ、不要の緊張もないからである。

争闘や嫉妬や憎悪や色々の緊張のある世界にいて緊張緩和

を得ようとするのは、煙の出る火のついた煙草を振り廻して、煙を払うに似ているのである。

煙が嫌いならば、煙の出る手で煙を払うよりも、煙のない世界に往くことが必要である。

そして自分が煙を出さない事である。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/20 (Sun) 08:02:30


 福島博さんの奇蹟、読んでみましょう(^^♪。






 「日本国紀」より。


 吉宗=「享保の改革」=米の収穫高に応じて決められて

いた年貢を、一定の量に定めた定免法=幕府の収入は安定

したが、農民は不作や凶作時には厳しい状態になって、豊

作時には米の価格が下がるので、幕府にとっても農民にとっても益は少なかった。








 雅春先生の二十八日目です。


  二十八日のことば  ◇ 情熱をもって事を為せ


 何事を為すにも強烈な情熱をもってそれを為せ。情熱の

ない運動や仕事は、石炭の燃え殻のようなものであって何の魅力もないのである。

情熱のたぎる処、そこに魅力を生じ、人々を引き付けるこ

とができ、多くの協力者をつくることが出来るのである。

どんな天才でも、ひとりや、少数では大なる何事もなすことは出来ない。

多くの協力者や、同調者、共鳴者が出来てこそ大いなる事業や計画を推進することが出来るのである。

情熱ある者のみ、多くの共鳴者、同調者、協力者を引き寄せる。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/21 (Mon) 08:02:20




 今度は田中英道先生に注目しなければ…(^^♪

人間は忙しいですね(^_-)。









 「日本国紀」より。


 目安箱=吉宗が始めた、日本史上画期的なシステムである。

緊縮策で粗衣粗食(玄米と一汁三菜)=デフレを促進させた。

「天保の改革」は成功とは言い難く、元文元年(一七三六)

の改鋳(大岡忠相(越前守の忠告により金の含有量を大幅に

減らした貨幣を発行)によってはじめて成功したと言える。

                    (つづく)









 雅春先生の二十九日目です。


 二十九日のことば  ◇ あなたの内に生命の火を燃やせ


 情熱をかき立てようと思っても情熱が湧かぬという人があるかも知れない。

情熱は外から塗り着けることは出来ないのである。情熱は

何人にもあるのであって、それは内にある“生命の火”である。

“生命の火”は“神の生命”である。

“神の生命”にあなたが振り向き、宇宙普遍の“神の生命”と

自己に宿る“神の生命”とがカチカチと触れ合う様になった

ら、あなたの内に“生命の火”がとぼり、情熱がたぎるように湧いて来るのである。

それにはやっぱり神想観をたびたび実修して「神よ、われわれの使命を示し給え。

しかしてわが心に使命遂行の意情熱の火を燃やし給え」と念ずるがよいのである。

やがてあなたはインスピレーションが降って来るであろう。

あなたの進むべき道が、あなたの為すべき仕事が、あなたの使命がくだされて来るであろう。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/22 (Tue) 07:51:17



  今朝は、うちの道路に久し振りに除雪車が入りました。

いつも感謝して(早朝ですから)拝んでおります。

有難い事です(^_-)-☆。








 「日本国紀」より。


  徳川宗春(尾張藩主)=吉宗と逆に民に贅沢を奨励し、

自らも散財した。尾張藩は景気が良くなり、城下町の名古

屋は空前の繁栄を迎えた。吉宗の憎悪凄まじく吉春を隠居

させ、死ぬまで屋敷から出ることを禁じ、墓参りさえ許さ

なかった。英明で知られる吉宗も、自らの間違いを認めたくなかったのかもしれない。

                    (つづく)










 雅春先生の三十日目、最後です。


 三十日のことば  ◇  宇宙の浄化力に協力すること


 宇宙には到る処に、常に浄化の力、浄めの力、癒しの力が充ち満ちているのである。

無数の煙突から立ち上る煤煙、自動車から噴き出る排気ガ

ス、それらの中に含まれている亜硫酸ガスその他の毒性ガ

スなどが御日毎日空中に排出せられるけれども、何時の間にかそれは浄化されているのである。

その浄化の力を成るべく働きやすいように協力すれば、都

市の空気は常に清らかであり、都市を流れる河の水は清らかであり、人体に於いては健康が保たれるのである。

浄化の働きに協力するようにするには、東京では隅田川に

矢鱈にゴミを棄てぬようにすることが必要である如く

吾々は心の中に無暗にゴモクを溜めぬようにすることが必要なのである。

怒ること、憎むこと、陰気にふさぎ込むこと、心配するこ

と、持ち越し苦労や取越し苦労をすること、野卑な事を思

うことなどは自分の生命の河の流れにゴモクを無暗に棄てることになるのである。

成るべくそのようなゴモクをつくらないようにせよ。

もし過って、そのようなゴモクを心に造ったならば、毎夜

眠りにつく前に神想観して、神の正常なる霊気を呼吸し、ゴモクで汚れた心情を浄化してから眠るがよい。

                     (おわり)






Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/23 (Wed) 08:01:31



 <来るべき『 続々真理の吟唱 』 発刊に向けて・・・・・。>

 明鏡様のご悲願でしょうか。

 <合掌 ありがとうございます。>私も久しく忘れていたお言葉です!(^^)!。

これから、使わなくては…('◇')ゞ。








 「日本国紀」より。


   傑物,田沼意次=十代将軍家治の時代(宝暦十年<

一七六〇>~天明六年<一七八六>に、側用人・老中とし

て権勢を誇った旗本。吉宗の能力重視のお陰で(足軽の子から)世に出た。

 最も注目すべき政策は、商人から税を徴収したこと。現代の事業税のようなもの。

 今、あまり評価されていないが、画期的であったと思う。

 都市以外ではすぐに効果が表れるものではなく、農民は

都市に流入し、眼岩野大化や浅間やm大噴火、更に天明の飢饉などもあって、失脚した。

 現代では、賄賂政治を行なった人物として悪名高いが、

当時の噂を信じた後世の人々が作った誤ったイメージである。

                    (つづく)











   合掌、ありがとうございます<m(__)m>。

  さて、今朝よりは、輝子先生の御話です。


 昭和43年 理想世界誌12/1号

   「男女性の倒錯」  谷口輝子先生


 男性はあくまでも強く、女性はあくまでも弱いのが天性だと決定づけている人が多い。

誰の言葉だったか“女は弱いしかし母は強い”と言い古されているが、果たして、男はみな強く、女はみな弱いものであろうか。

 最近東京新聞のコラム欄に左のような記事が載っていた。

「世に男性的国家と女性的国家があるそうだ。どんな環境

にあっても弱音を吐かず、脅迫に屈せず、国民を甘やかせず――これが前者、

いつも他国の機嫌を取っておもんばかり、妥協を事とし、国民におもねる――これが後者


                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/24 (Thu) 08:11:15



 <特に生ある者のうち最も発達したる人間に於いては、

その仏性を単に内に具有するだけではなく、生(い)ける

如来として 今ここに顕現しているのが人間なのである。

 謂(い)わば人間は “ 生き如来 ” であるのである。

人間は“生き如来”であるから、決して病むことなく、老い

る事なく、金剛不壊の霊身(れいしん)であるのである。>・・・。



 明鏡様のご投稿より<m(__)m>。






 「日本国紀」より。


  寛政の改革=十一代家斉は将軍在位五十年と最も長く

 将軍職にあったが、政治を幕臣たちに任せ、大奥に入り

浸っていたことから、「俗物将軍」と渾名された。精力増

強のためオットセイの陰茎を乾燥させて粉末にしたものを飲み、陰で「膃肭臍将軍」とも呼ばれていた。

 家斉の代わりに老中として政務を行なったのが陸奥白川藩の松平定信(吉宗の孫)である。

彼は意次の政策を憎み、祖父の、米と農業の政治で様々な改革を行った。

理想主義で潔癖症の彼は、現実と乖離して、家斉との対立

もあって、寛政五年(一七九三)失脚し、改革は六年ほどで終わった。

「白河の 清きに魚も すみかねて もとの濁りの 田沼

こひしき」(太田南畝)という有名な歌や、やはり定信を皮

肉った「世の中に 蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶ

(文武)といふて 夜もねられず」も彼の歌といわれている。

                    (つづく)











 輝子先生の御話です。



   ▼その良し悪しは別として、ドゴールのフランスや毛沢東の中共は男性的国家といえる。

これに反し、戦後のわが国などはどうも女性的国家の代表ではなかろうか。

一国の未来をはからんとせばその国の青年を見よ、という

が、今日の青年が如何に女性化したかという一例――

▼ここに紹介するのは、戦前、戦中、戦後を通じて、たく

さんの青年達の脈を見て来た三浦隆蔵さんという医師の話である。

戦前は小さな子供でも注射されて泣きそうになると、母親

が「お前は男の子だろう」男の子なら泣くものではない」といい、子供は子供なりに歯を食いしばってがまんした。

▼近ごろは注射器を見て子供が泣き出すと、母親が「あ

あ、よしよし、先生がお前をいじめたかい。悪い先生だね、お母さんが叱ってやるよ。メッツ」などと言う。

子供ばかりかヒゲづらの大学生にまで母親がついて来る。

「どうしましたか」と尋ねると、病人は母親の顔を見る。

▼すると待ってましたとばかり、母親が代わって容態を述

べ立てる。通訳を通して外人と話しているような気分になる。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/25 (Fri) 07:52:14




  <お礼状を書くと、1「元から歩ける力があるのです。」
2「神の子だからです。」
3「谷口雅春先生のおかげです。」
4「報恩感謝で生きるだけでいいです。」と4つのご指導を下さいました。>・・・。

 宇治学舎様のご投稿より<m(__)m>。


 伝統様、大聖師の御言葉ご転載有難うございます。

本当に、嬉しい限りです。








 「日本国紀」より。


 太田南畝=当時としては長寿の七十四歳まで生きたが、道で転倒したことがもとで死んだ。

 辞世は「今までは 人のことだと思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」と、人を食ったものだった。

                
                    (つづく)









 輝子先生の御話続きです。


 注射でもすると、大声を上げて痛がる。あわててもんで

やるのが母親の役目になった。中には「痛いよう」と泣き出す若者もいてびっくりする。

昔なら軍服着て戦地におもむく年ごろである。

▼そこでフト頭をかすめるのが軍隊時代の“ゲンコツ麻酔“のこと。

軍医として兵隊の手術をするとき下士官が“ゲンコツ麻

酔“にしませんかといった。患者が痛がって悲鳴をあげたら、わきから下士官がゲンコツでぶんなぐる。

やりきれないから兵隊はがまんする。

▼むろんむちゃな行為だが、それは当時の若者が受けねば

ならぬ宿命だった。対して痛くもない注射に騒ぐ今の若者

は、果たして男であるのか女であるのか。“昭和元禄”が生んだ変種なのかもしれない。

                    (つづく)

 

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/26 (Sat) 08:26:44




 志恩様って、なぜか、「学ぶ会」がお好きではないようですね('◇')ゞ。









 「日本国紀」より


「辞世」の句=私も死ぬ時に、何か一つ拙い歌を詠んでみたいと思う。

 式亭三馬

「善もせず 悪も作らず 死ぬる身は 地蔵わらはず 閻魔叱らず」

 十返舎一九

「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙と共に 灰左様なら」

  彼は「遺体を洗わずに火葬にしてくれ」と遺言し、火

葬にしたところ、着物の間に仕込んでいた花火が炸裂して、参列者を驚かせた。

                    (つづく)











 輝子先生の御話です。


 この記事を読んで、私は世はさまざまだと思った。

昔の母親はきびしい人ばかりで、今の母親は甘い人ばかり

とは一概に言えない事だが、しかし、昔は父親にも母親にも権威のある人が多かった。

 私は自分の娘の肉体に、かすかな傷痕一つ残さないで育て上げたことに、一種の安心を持っていた。

恵美子が五歳の時、柳のかわぶちにぼんやり立っていた

ら、近所の紅ちゃんという三歳になる女児が、いたずらで

恵美子の背中を突いたところ、躰の軽い恵美子はふわりと川へ落ちてしまった。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/27 (Sun) 08:16:37


   <わたしは「自国の赤ちゃん」を殺しながら

※(1)「労働力不足」をいい、そのことを顧みず(顧みな

いと言うことは認めると言うことです)、外国の人々に労

働力を求めるというのは、重大な問題であり、今後、「国家存亡の危機」ともいえる重大な問題を生みます。・・・>

 宇治学舎様のご投稿より<m(__)m>。

大熊先生のお話しでしょうか。







 「日本国紀」より。


 「元禄文化」=上方に端を発し、「化政文化」(一八〇四~

一八三〇)は江戸で太平の世に享楽的ともいえる文化を花

開かせた。浮世絵は多色刷りの豪華絢爛なものとなり、滑稽本なども全盛期となり、歌舞伎も隆盛を極めた。

しかし、世界は凄まじい勢いで近代化して、アメリカ独立、フランス革命、ナポレオンの台頭など激動した。

寛永年間にはロシア、イギリス、アメリカ船が来航して通商を求めたが、幕府はいずれも拒否した。

家光が「鎖国令」を出したころは、ヨーロッパの国々も手

を出せない国力があったが、百五十年の時間がそれを変化させた。
                    
                    (つづく)










 輝子先生の御話です。


 人の知らせで私は駆けつけて行って、川の中から娘を拾い上げた。

紅ちゃんは子供を川に落とす事が面白かったらしく、その

後もう一度恵美子は突き落とされたが、洋服が濡れただけで、かすり傷一つ付かなかった。

それから間もなく芳子ちゃんという五歳の子供が川に落ち

たが、可哀想に芳子ちゃんは川底にあったビール瓶のかけらで傷ついて額を十二針縫う騒ぎとなった。

芳子ちゃんを可哀想だと言いながら、わが子の無事だったことに深い感謝を捧げたことであった。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/28 (Mon) 07:52:00



 明治45年『尋常小學唱歌』第三學年用
作詞者、作曲者不詳

燈火(ともしび)やちかく衣(きぬ)縫ふ母は
春の遊(あそび)の楽しさ語る。
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数(ひかず)かぞへて喜び勇む。
囲炉裏火(いろりび)はとろとろ
外は吹雪。

囲炉裏のはたに繩なふ父は
過ぎしいくさの手柄を語る。
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る。
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪。

 立葵様のご投稿より<m(__)m>。

 私は♪里の秋も好きなんです。

♪ああ とうさんのあのえがお 栗の実たべてはおもいだす~、

ここで、いつもウルっときます('◇')ゞ。









 「日本国紀」より。


 シーボルト事件=シーボルトはオランダのスパイだったという説は?である。

 「日本地図」を持ち帰ろうとしたのも、好奇心旺盛な学者ゆえだったのでは。

哺乳動物標本二百点、鳥類標本九百点、魚類標本七百五十

点、爬虫類標本百七十点、無脊椎動物五千点以上、植物二

千種、植物標本一万二千点他、文学的・民俗学的コレクション五千点以上を持ち帰っている。

                    (つづく)









 輝子先生の御話です。


 それより以前、恵美子は数え年三歳の時、住吉の梅の木

の家の玄関から、台所で炊事中の私の後姿を見て立っていたが、ふと足を踏み外して土間に落ちた。

落ち方も悪くて、左の手を突いたらしく左の腕が内出血し

て、紫色に腫れ上がり、痛い痛いと言い出したので、私は近所の人に尋ねて柔道の先生の宅へ出かけて行った。

寒い頃だったらしく、私は恵美子をしごきでおんぶして、

その上からネンネコを羽織って、海辺のその先生の家を探して行った。

その家の主人は柔道の先生であったが、家業としては牛乳を売り、ヨーグルトも製造しているのであった。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/29 (Tue) 08:10:38




 だけど、考えますに、現教団に残る方と、本流の人が将来うまく一緒に光明化運動をしていけるのか,甚だ疑問に思えるのです!(^^)!

困ったことですが、光明は常にあるものですから、心配はして居りませんけど…(^_-)。








 「日本国紀」より。


 蛮社の獄=蘭学者たちの学ぶ(蛮社)を言論弾圧した。
 
渡辺崋山や高野長英(シーボルトの弟子でもあった)といった素晴らしい学者が切腹したり、殺されたりした。

                     (つづく)










 輝子先生の御話です。


 いかにも武道の先生らしく、堂々とした体格の人だったが、話していると優しい表情をされるのであった。

三歳の恵美子の、きゃしゃな左腕をまくって、クリームの

ようなものを塗ってから、その先生は恵美子の、痛い腕をつかんで逆にすり上げるのであった。

恵美子の可愛い、小さな唇がゆがんだ。私は、

「恵美子はお悧巧さんだから泣かないわね、我慢するわね」

と言うと三歳の幼児は出かけた声を抑えて、うんうんときばっていた。

先生が繰り返しもみ上げられると、三歳の幼児は、あっと

出そうな声を、またしても呑み込んで、うーんと言うだけ

であった。いじらしくて、見ている母の方が涙が出そうであった。

                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/30 (Wed) 08:18:32



  <破邪顕正さんにダメ出し。

どうして【なるほど、それはそれで皆さんはいいでしょう。】な訳?

全然、「生長の家」に拘っているように思えない。

「看板だけ生長の家」に拘っているというのならわかるけど。

【すなわち真理の“行動化”または “生活化”が 必要なのである。】

という文章を掲載したのには重大な意義があります。

“行動化”または“生活化”がないから、
真理の勉強をしているとか、尊師の教えを護っているとか
錯覚しているのです。

本物ではないです。

  真理の勉強をしているというのなら、

尊師の教えを護っているというのなら、

「これが生長の家だ」を見せてください。・・・>・・・。


 志恩様のご主張、もう一つ難解です('◇')ゞ。








 「日本国紀」より。


 伊能忠敬=前述の「日本地図」の制作者。

 農民であり、商人だったが、五十歳で江戸に出て、天文学の高橋至時に師事し、天文学などを学んだ。

寛政十二年(一八〇〇)蝦夷地測量を十七年もかけて、地図を完成させた。海防、国防の上で大きな功績になった。

私は忠敬が作った地図を前にすると唖然とする。まさに超人的な、気の遠くなるような大仕事である。

彼のような人物を知ると当時の日本人の底知れぬパワーに、今さらながら畏敬の念を抱かずにはいられない。

異国船を前に幕府が右往左往している時にも、こうした民間人が日本を支えていたのである。

                    (つづく)









 輝子先生の御話です。


「恵美ちゃんは強いね。偉いね。いい子ちゃんだね」と私が讃めると、先生も、

「これは痛いもんですが、よくがまんしますね。先生感心した」

とにこにこして言われた。何か薬で湿布して包帯してもら

い、次の間で“帯かけおんぶ”をしていると、次に診察室に

入って行った七歳ぐらいの男の子が、わあわあ泣き喚く声が聞こえて来た。

その子の母親が叱ったり、なだめたりしている声も聞こえて来る。

泣き叫ぶ男の子の声をあとにして、帰路についた私は、背中の子供をくり返し讃めていた。

鶏の好きな恵美子のために、鶏のいる家の前まで行って、背中の子に鳥小屋をのぞかせてやった。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/31 (Thu) 07:55:19




 <先に・・100人中5人。5%と言いましたが、それでも

「子を殺せない」と愛に目覚めて人生をかけて、貴い命を

育てているご婦人もいます。皆がそのような愛に目覚める

ことができたらば、レイプ魔などという、先祖や親を、い

のちを汚す犯罪など無くなるでしょうに・・。犯罪者やい

じめでさえもなくなるでしょうに。・・・>。


 大熊先生のご立派なご教示です(*^_^*)。











 「日本国紀」より。


 黒船来航=幕府は五十年以上、なにもしなかった。その理由は「言霊主義」にあると見る。

 日本人は昔から言葉に霊が宿ると考え、「あってはなら

ない事」や「起こって欲しくない事」は「縁起が悪い!」と忌み嫌われていた。

大東亜戦争でも「失敗するかもしれない」「敗れた場合」ということを口にする事は許されなかった。

そのために多くの無謀な作戦がとられ、夥しい兵士が飢えで苦しんだ。

昭和二十年(一九四五)、「ソ連軍による満州侵攻」時も

何の対策も取らず、満蒙開拓団の民間人から夥しい死者を出し、関東軍兵士六十万人近くがシベリアに送られた。

現代に於いても、世界の多くの国の憲法に書かれている「緊急事態条項」が日本にはない。

国会でも「最悪の事態が起こるかも知れない」という想定の議論が避けられるからである。

大規模な原発事故に備えてロボットを導入しようという意

見が、「想定は許されない」という考えから議論以前につぶされていた事例がある。

                    (つづく)








 輝子先生の御話です。


「コッコちゃん、コッコちゃん」

と背中の子は足をバタバタさせて喜んでいた。

翌朝も次の朝も、私は子供を背負って海辺の家に通った。あの男の子もいつも出逢った。

先生は、来るたびになく男の子を見て、にがり切った顔を

して治療して居られた。その男の子が居ても居なくても、

先生は恵美子に向かって「お嬢ちゃんは賢いから御褒美をあげよう」

と言って、ヨーグルトを一瓶持って来られた。恵美子は、今までの痛さも忘れて喜んでサジですくっていた。

内出血の紫色が日に日にうすくなって行き、遂いにその跡

形もなく綺麗な腕になった時、その先生と名残惜しくもお別れした。

その四十年前の追憶をすると先生のお名前も記憶を失って

いるが、数え年三歳の女児が、泣き声を立てないで、口を固く閉じてうーんと言っていたことは忘れられない。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/01 (Fri) 08:22:44



 <昭和天皇は、昭和五十二年八月二三日、那須御用邸

で、宮内庁記者団に対して、「(『昭和二十一年元旦の詔

書』の)第一の目的は御誓文でした。神格とかは第二の問題

でありました。当時アメリカその他の勢力が強かったの

で、國民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用

されたのは、明治天皇の思召しであり、それが『五箇条の

御誓文』です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義

が輸入のものではない事を示す必要があった」と仰せになられた。・・・>。


 四宮正貴先生のご主張より<m(__)m>。

新天皇にも、切に期待いたしております。



 仙厓さんの2月カレンダーより。

惚れ惚れする様な書です(^^♪。

「生死事大無常迅速」=生死は一大事、無常は迅速だ、そのままの解釈で良さそうです!(^^)!。







 「日本国紀」より。


  「天皇」の存在=江戸時代には全く登場しなかった

「天皇」だが、祭祀を司るだけの存在ではなかった。

 「夷狄」が現れ、未曽有の危機を迎えた時、江戸幕府や

多くの日本人があらためて「天皇」の偉大さを知ることになる。

「天皇」こそ、日本人の精神的な柱であった。維新の動乱はまさに天皇をめぐって動いて行く。

ペリー来航の十日後、将軍家慶が死んで、二十九歳の家定が十三代を継いだ。

家慶は十四男十三女をもうけたが、成人まで生き残ったのは家定のみであった。

家定は病弱で、家慶は徳川斉昭(海防参与)と阿部正弘(老中)に政治を任せた。

阿部は、何がベストでいいかわからなかったので、旗本、御家人、町人までにアイデアを求めた。

(画期的。討幕運動は全国の下級武士によって行われた

が、このことがきっかけになったと言われている。即ち

「自分たちも天下の政道に口を出してもいいのだ)という空気が生まれた。)

七百二十九通のうちに、三十歳の勝義邦の意見もあった。

「国を守るには軍艦が必要。それを操海軍士官と水兵の養成=海軍」。

後に勝は長崎海軍伝習所に派遣され、出世の糸口を掴んだ。

ペリーが兵隊を乗せた小舟を下ろし、江戸湾の水深を測る

という行動に出た時、川越藩兵が阻止しようとしたが、幕府はそれを止めたことは腰抜けとかいいようがない。

現代日本に起きている、尖閣諸島の沖で中国船の跋扈を看過している状況と似ている。

                    (つづく)









 輝子先生の御話です。


 私は女なら泣くのも当然だけれど、男は泣いてはいけないとなんてことはないと思う。

男も女も、泣きたいだけ泣いたらよい時もあるが、人様にうるさがれたり、迷惑をかけて泣いてはいけないと思う。

 今日の本部に於ける”実相研鑽会”で、磯村講師が話して

居られたことの中に、日本一の立派な自動車教習所

として数多くの従業員の待遇を良くすることに努め、病気

で休んでいる者には、毎日慰問の手紙を出したりして、み

んなを可愛がることに専心していたが、そこに何か隙間が

あったらしく、共産党の赤化工作に乗じられて、会社はつぶされてしまいました。

 恰度、子供を甘やかして我儘者にしてしまったようなも

ので、やっぱり厳しくすべき路は厳しく引き締めなければ

ならないと反省したと言って居られたが従業員でも子供でも同じことである。

 愛することは良い事に違いないが、余りに過剰な執着の愛情は、決して相手を正しく生かさない事になる。

近ごろの流行語の一つに”教育ママ”があるかと思うと、そ

れがもっとすごくなって“ママゴジラ”とか“ママゴン”と

か”関白ママ”などという強い母親のアダ名が創られている

そうであるが、女の強さも度を越すと、家族は決して幸福ではあり得ない。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/02 (Sat) 08:00:35




 「生命の実相を10回、20回、10年20年も、魂を込めて読み込まなければ」

 宇治学舎様のお考えです。正論です(^^♪。








 「日本国紀」より。


 開国=幕末に於ける幕閣の政治レベルと国際感覚の低さだけは悔しいながらも認めざるを得ない。

世界情勢に背を向けて、ひたすら一国平和主義を唱え、そ

こに日本人特有の「言霊主義」が混ざり合った結果、この

ような無様な事態になってしまったのだ。(不平等条約など)

                   (つづく)








 輝子先生の御話です。


 昔から亭主関白とかワンマン亭主とか言われて老いた頃

は、フーテン族はいなかったし、サイケという妖怪のような少年少女も居なかった。

教育ママが子供を過保護にするために、男の子すら意気地

ない女性化した人間に育ててしまうし、”関白ママ”は夫で

あるパパを甲斐性なしと軽蔑し、子供をして父親を尊敬し

ないような家風にする為に、夫はいよいよ後退し委縮して、家運が繁栄しなくなってしまうばかりである。


                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/03 (Sun) 07:57:20


 久し振りに掲示板をみましたら、蒼穹様がまともに(^^♪ご主張されております。ご健在です。







 「日本国紀」より。


 蒼穹様もこのように言っておられます。

 <百田尚樹氏の『日本国紀』は素晴らしい本、この内容を

読むと、青年時代谷口雅春先生の各地の大講演会での歴史

講話で話された事とほぼ同じ内容である、谷口雅春先生は

早くから、戦後情勢について全て熟知されていた。この

『日本国紀』を読んでいると谷口雅春先生のお話を思い出

し、谷口雅春先生の霊界からのお導きの力を感ずるのであ

る。未だ読んでいない方は是非『日本国紀』をお読み下さい。>・・・。



 北方四島の帰属=安政二年(一八五五)、ロシアと日露和親条約を締結、北方四島は日本の領土となった。

 ある美談が残されている。

ロシアの提督プチャーチンが下田に現れた折、安静大地震が起きた。

下田の町は津波で壊滅状態に、ロシアの黒船も壊れた。こ

の時下田の町民とロシアの乗組員は協力して被災者救助に

あたり、日本側がロシアに新しい船を造って寄贈しようという事になった。

伊豆の代官、江川太郎左衛門が幕府にかけあい、ロシアの

乗組員らとも協力して、日本史上初の西洋式帆船を完成させた。

この後におこなわれた交渉で北方四島は日本の領土と定められた。

それから百六十年後の平成二十八年(二〇一六)、プーチ

ン大統領に安倍晋三首相から一枚の絵が贈られた。

それは前述の帆船「ヘダ号=造船された戸田村から命名」」の絵だった。メッセージを込めたギフトである。

                     (つづく)








 輝子先生の御話です。


 昔から亭主関白とかワンマン亭主とか言われていた頃

は、フーテン族はいなかったし、サイケという妖怪のような少年少女も居なかった。

教育ママが子供を過保護にするために、男の子すら意気地

ない女性化した人間に育ててしまうし、”関白ママ”は夫で

あるパパを甲斐性なしと軽蔑し、子供をして父親を尊敬し

ないような家風にする為に、夫はいよいよ後退し委縮して、家運が繁栄しなくなってしまうばかりである。

 この間街を歩いていたら、向こうから赤いスェーターを

着た若い男女がやって来た。だんだん近づいて来たのを見

ると後髪を長くしているのが男であり、後髪をカットしているのが女であった。

こんな二人が結婚したら、女は関白ママになり、男は注射

をしたら、大声で泣くへなちょこ亭主になるかしらと思った。

                     (つづく)

 

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/04 (Mon) 07:58:04

    


  <先々代の教えと教育が「厳しすぎて」魂の幼い

「雅宣総裁」が耐えれずに、魂の反逆を演じているとも言えるのでは無い でしょうか?

 GENRYU様のご投稿より<m(__)m>。






 「日本国紀」より。


 安政の大獄=当時井伊直弼は反対派を次々処罰した。

刑死した者八人、遠島や追放は七十人以上にのぼった。

この時、吉田松陰も処刑されている。

                    (つづく)








 輝子先生の御話、今回の最後です。


 ”昭和元禄”の生んだ変種なのかも知れないという人があ

るが、昔の元禄時代は、男も女も優美なお洒落をしていた

が、女の優美な姿はいつの世にも自然で好ましいが、男が

やわらかい縮緬の着物の裾を引きずるように着ている恰好は、女性化しているようで、男性が崩れたようである。

だから、元禄時代の徳川綱吉将軍の政治は、国民を幸せにはしなかった。

 今やわが国日本は、或る政治家が名付けたように、物質

的には豊富な生活が出来るからとて”昭和元禄”と言うにふ

さわしいかもしれないが、精神的には貧しくて、ヒューマ

ニズムも低下して来て、建築物は立派になったが、中に住

む人たちは心貧しくて不幸な人が多い。“元禄”と言う言葉は有難くない名称だと私は言いたい。

光明思想の青年が増えてこそ、国民は幸せになれると思う。

女も、優しい中に強さを持つ事が立派だと思う。

                                              (おわり)




Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/05 (Tue) 08:04:04




 <「寒中見舞い」は昨日までで、
今日から今月末ごろまでは「余寒見舞い」となります。>

<立春の朝、禅寺の門前や家の玄関に張られる「立春大吉」

の紙のお札は縦書きすると左右対称になり、新しい1年を

災難に遭わず無事に過ごせるようにとの願いが込められた

おまじないだそうです。>

<暦の上では春到来ですが、2月は

着物の上にさらに重ねて着るという意の「衣更着(きさら

ぎ:如月)」と呼ばれますように、まだまだ寒風の厳しい

時期です。>

<奈良時代に編纂された最古の歌集「万葉集」で

は、桜の歌よりも梅の歌が圧倒的に多く詠まれており、

梅は文を好むという意で「好文木(こうぶんぼく)」とも呼ばれます。

百花に先駆けて咲くことから「初名草」とも呼ばれ、

他にもたくさんの異称を持つ梅ですが、「春告草」というのもその一つです。>


<【梅の花の神示】 (昭和八年一月六日神示)には、

次のように示されております、(神示より抜粋)

          
  梅の花とは、《生みの花》 ―― 創造(うみ)の始動(はな)のことである。

   『生みの花』はまた『海の原』のことである。

   『梅の花』の五瓣は五大洋に象(かた)どる。

   五大洋にスメラミコトの花が開く始まりが今年である。 

   一つ開く毎にポンと音がさせてあるのは何の象徴であるか考へれば判るであらう。
 
 何事もなしにはスメラミコトの花は開かぬのである。
 
   一つ一つ開く毎にポンポンと音を立ててつひに五大洋に梅の花がひろがるのである。
 
   開くまでには嚴寒の冷たい日が續くが、

 嚴寒の冷たい日があるので一陽來復の日が來るのである。 

   無明(まよい)の自壞作用がないのに光明遍萬の樂土が來るなどと甘いことを思ふな。>・・・。



 伝統様の「己亥(つちのとい、きがい) の春」より<m(__)m>。

 それにしても、伝統様のパワーには脱帽です('◇')ゞ。

 讃春歌は雅春先生の作詞なのでしょうか?









 「日本国紀」より。


  桜田門外の変=私は井伊直弼の開国の決断自体は正しかったと考えている。

 徳川斉昭や孝明天皇のような攘夷論は話にならないし、

頑迷に開国を拒否し続けていたら、日本を武力で侵略する列強が出てきた可能性もある。

 ただし「安政の大獄」はやり過ぎだった。水戸藩前藩主斉昭と藩主義篤の処罰は藩士を激怒させた。

脱藩した藩士十七人と薩摩藩士一人が、彦根藩邸から江戸に向かう井伊の行列を襲撃した。

護衛の彦根藩士は六十人いたとされるが、当日は季節外れ

の雪で、刀の柄に袋をかぶせていたので、抜刀するに手間

取ったこともあるが、首を取られたが、少なくない藩士が逃走したとも伝えられている。

                     (つづく)











 今朝からは、清超先生の御話です。



    人間の尊厳とは   谷口清超先生

       昭和43年 理想世界誌 11/1号


          人間の力


 人間の力と言うものは、外面的なもので評価することは出来ません。

肉体としての人間の力は、その代償や携帯で左右されるか

も知れませんが、本当の人間の力は、肉体力ではなくて人

格の力であり、魂の力でありますから、数量では決して規定されるものではないのであります。

よく民主主義の政治は多数決の政治であると言われるの

で、とかく一人の人間の力が寡少に評価され勝となるので

すが、実はいかなる時代に於いても、一人の人間の真の力

は、単なる「多数の中の一人」と言ったような、局限されたものではなかったのです。

 この点がはっきり理解されていないと、いくら口先で

「神の子人間」と言っても、その真意がくらまされてしまいます。

巨大な宇宙の中での、たった一つのちっぽけな“神の子”な

どという、まことにも奇妙な、矛盾に満ちた概念に悩まされ続けるでしょう。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/06 (Wed) 08:03:22




https://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8&feature=youtu.be

優子様のご投稿より<m(__)m>。

 絶対無、未発の中、ムズカシイ~(*^_^*)。

雅春先生、輝子先生の御様子が尊く感じられます。


 源流様、輝子先生の毅然たる御文章のご転載有難うございます。







 「日本国紀」より。


 松平容保=桜田門外の変以降、テロの嵐が吹き荒れた。

二十六歳の若き会津藩主は頑迷な佐幕派ではなく、テロリ

ストを弾圧するのでなく、その主張を聞く耳を持ってい

た。「国事に関することならば内外大小を問わず申し出

よ。その内容は関白を通じて天皇へ奉じる」と布告を発令

し、幕府にも建議した。然し一橋慶喜は受けつけなかった。

やむなく容保は配下に新撰組や京都見廻り組を組織し、テロリストを取り締まった。

このことが後に長州藩の恨みを買い、会津の悲劇につながる。

                   (つづく)









 清超先生の御話です。


 ところで最近ブラジルへ行って活躍している徳久日出一

君(徳久克己本部理事の息子さん)から、第十四回全ブラ

ジル青年大会で行なわれた雄弁大会の日本語部の第一位に

なった八尋祐一君の発表文が届いたので、次に紹介してみようと思います――。


  ブラジルの一青年の体験 <真の平和を築くもの>


『青年が変われば世界が変わる。およそ、その国を知るた

めには、その国の青年を見よ、と言われており、社会を改革するのも国の運命を決するのも青年であります。
 
 青年が堕落する時、国は乱れ、青年が真に神の子を自覚

するとき国は発展する。新しき時代をつくるのも、それは理想たかき青年である、といわれております。

 現在私は人類光明化運動の霊の選士として、生長の家青

年会に席をおいておりますが、今から二年前、当時十四歳

でありましたが、強い劣等感のために、何をやってもうまくできなかったのであります。

 人間は何のために生まれて来たのだろうか。自分のよう

な人間でも世の中のためになるのだろうか。自分は何もできない、つまらない者だと思いこんでいました。

 父も母も、僕の気持はわかってくれない、と思っていま

したから、学校に行っても勉強がおもしろくなく、成績も中位以下という状態でした。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/07 (Thu) 08:09:03




 神想観は腹の底からの響きがなければね!(^^)!。







 「日本国紀」より。


  遺米使節団=安政七年(一八六〇)一月、日米修好通商条約批准のため、日本人として初のアメリカを訪問した。

 総勢百七十三人。そのなかの一人、小栗忠正(目付)はアメリカ人たちを驚愕させた。

造幣局で小判とドル金貨のそれぞれの金含有量を測ってみせる。

彼らはまず小栗が使った天秤の精密さに驚き、算盤による計算の速さと正確さに舌を巻いた。

一方、咸臨丸の一行もアメリカ人に感銘を与えていた。

私が好きなのは木村喜毅総督のパフォーマンスである。

サンフランシスコの上流階級の夫人たちが、幕府の軍艦の

女人禁制ゆえに断られ、さらばというので男装してまんま

と見学し終り、船を降りようとした時、木村がお土産として紙包みを渡した。

彼女らは船を降りて、紙包みを開けてみると、そこには美しい簪(かんざし)が入っていた。

夫人たちが感激したのは言うまでもないが、市民も喝采を送った。

                    (つづく)








 清超先生の御話です。


 一九六六年の一月、私は父母に勧められ、イビウーナで

行なわれた青年練成会に参加し、五百名の青年達と一緒に練成を受けたのであります。

その時、「人間は神の子である。君たちのいのちは、宇宙

をつくった神のいのちが、父母を通して現われた神の子

だ。そして日本人の子供には、このブラジル発展のために

働く偉大なる使命があるのだ」と教えられましたが、私は

余り感激もしませんでした。しかし、最後の閉会式で「君

が代」を歌っている時、何とも言えない感激がこみ上げてきて、日本人の子供と生まれた喜びを感じました。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/08 (Fri) 07:56:15


 最強の寒波、だそうですが、今朝はさほどでもなかったようでしたが(^^♪。

昔は(^_-)就寝中、顔が冷え冷えしていたのを覚えてます。

温暖化なのかな? 小氷河期?に向かっているのかな!(^^)!







 「日本国紀」より。


 中浜万次郎=幕末史に於いて避けて通れない重要な人物だと思う。

寺子屋にも通えず、読み書きも出来なかったが、十四歳の

時漁船が絶海の無人島(鳥島)に漂着、アメリカの捕鯨船に

助けられ、船長の養子となり、十七歳の時バーレットアカデミーで数学、航海術などを学び、首席で卒業した。

普通なら十年はかかるという一等航海士に三年でなった。

二十三歳の時、日本に帰ろうと、金鉱で金を採鉱し、その

資金で、途中、ハワイで別れた漁師仲間と再会して
船に乗せた。

 寛永四年(一八五一)、琉球に上陸、薩摩藩(藩主島津斉

彬)は英語教師として厚遇、和洋折衷の越通(おっと)船

を建造した。後、土佐に戻り、十一年ぶりに母と再会を果たす。

後、色々の役職に就くが、彼の高い能力に見合うポストは

なく、明治政府が与えたのは東京大学の英語教授

だった。重用しない理由として、漢文など日本語の文章力に乏しいからというものだった。

明治三年ヨーロッパに派遣された帰り、アメリカで恩人ホイットフィールド船長と再会した。

万次郎の故郷土佐清水市と、ホイットフィールド家のマサ

チューセッツ州・フェアヘイブン市は姉妹都市になっている。

                    (つづく)








 清超先生の御話です。


 日本人! 神のいのち! 神の子無限力! そうだ、

ぼくは神の子だったのだ! どんなことでもやればでき

る! よし今日からは生長の家を勉強して、人間神の子の実力を出して世の中のためになる人間になろう。

私が日系人として生きているという事は私でなければ果たされない使命があるのだ。

私が神の子を生きれば父母はよろこび、また学校で神の子

を生きれば、クラス全体が明るくなり、そして学校全体

が、平和ななごやかな雰囲気に満たされる、ということがわかったのです。

 この練成会により、明るく生まれ変わった私は、固い決意をして家に帰り、青年会に入会しました。

毎週土曜日の夜、青年会に行き、真剣に神想観をしている

うちに、いつも消極的な私は、何事にも積極的に行動でき

るようになり、学校の成績もよくなり、三位で進級することが出来たのであります。

                     (つづく)

                    

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/09 (Sat) 08:49:05




 最強の寒波、一日中マイナス10℃以下の冷凍庫の中、北海道は凄いですね!(^^)!。

モスクワは?と思ったら、なんと、マイナス6℃ですって
!(^^)!。暖冬ですか?

 昔、就寝中、顔が冷たかった、のは、今やセントラルヒーテイングお蔭があるかも知れません(^_-)。
一晩中18℃くらいは保ってますから。

ボイラーに感謝、感謝の毎日です(^_-)-☆。








 「日本国紀」より。


 高杉晋作=(松下村塾の門下生)=長州藩はイギリスの要求を強硬な故に呑まされたが、彦島租借は拒否した。

 この時脱藩の罪で謹慎処分だったが、赦免され、イギリスとの講和を任された。

彼は日本の領土を渡せば、第二の香港になると考え、断固拒否した。

二十四歳の高杉を「魔王のようだった」と交渉相手は言った。

                    (つづく)









 清超先生の御話です。


 或る日、私たちの中学校に新しい先生が来ることになり

ました。ところが、ここに、大変なさわぎが起こったのです。

何人かの生徒がその先生の悪いうわさを聞いて、反対の署名運動を始めたのです。

学校の規定では、クラス全員の署名があると、先生は就任できないようになっていました。

私たちの組は三十九名でしたが、三十八名が署名をして、最後に私の番がきたのです。

                    (つづく) 

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/10 (Sun) 08:26:07



 「江戸川 意味がわか乱歩」スゴイね、若者は(^^♪。

 志恩様のご投稿より<m(__)m>。

 今朝、久しぶりに「幸福への出発」聴きました。

総裁夫妻の名前しか聞こえてきませんでした(^-^;。











 「日本国紀」より。


  佐賀藩主・鍋島直正=文政十三年(一八三〇)十五歳で

藩主となる。産業振興、農村復興他、反射炉(銑鉄を溶か

して鋳型を作る施設)を造り、最新式のアームストロング砲を完成させた。

 寛永五年(一八五二)=黒船来航の前年には精錬方を設置し

て火薬・弾丸・ガラス・石炭・せっけん・写真機などをつ

くった。文化五年(一八〇八)のフエートン号で味わった屈辱がもととなった。

 慶応元年(一八六五)ついに日本で初の実用蒸気汽船

「凌風丸」を完成させた。本と図面だけで、作り上げたことは驚異的な偉業である。

西洋の蒸気機関は同じ頃のアジアやアフリカの諸国民も見ているが、これを作り上げた国などどこにもない。

また、天然痘ワクチンの普及に貢献した。嘉永二年(一八

四九)オランダ商館から入手した牛痘ワクチンを、当時四歳だった長男に接種した。その勇気に感動する。

                    (つづく)







 清超先生の御話です。


 もし私が署名をしたら、その先生は一回も授業をせずにやめなければならない。

学友たちは、大勢で私を取り巻いて、「早く署名をせよ」とせまります。

その時です。突然、”みんな神の子だ、先生も生徒も神の

子だから素晴しいんだ“と言う生長の家の真理の言葉が甦ってきたのです。

「私はみんなの意見に賛成できません。だから署名もしません」と断乎として叫んだのであります。

 私を取り巻く学友たちは、血相をかえ、「なぜ、君一人

だけが反対するんだ」といって、リーダー格の一人が迫ってきました。

 私は意外に落ち着いて積極的に説得を始めました。

「君たちは悪い先生だと言うが、まだ一度も教えてもらわ

ないで、どうして悪い事がわかるのか、一回授業を受けて

からでも遅くはない筈だ、先生も神の子だから、ぼくたち

がまじめにやればきっと良い先生だよ」と自信をもって言うことが出来ました。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/11 (Mon) 08:11:44



 <[8155] 紀元節を寿ぎて、おめでとうございます。
蒼穹 - 2019年02月10日 (日) 22時46分

戦後GHQの指令により廃止された、2月11日の紀元節は長い間空白の日だった。

その事に谷口雅春先生は生長の家信徒を始め愛国各団体に働きかけられ紀元節復活の全国運動を呼びかけられた。

特に生長の家青年会が中心に各地で日の丸行進などを行い町々の人に紀元節復活を訴えのだった。

その活動が広まり遂に昭和40年建国記念の日として2月11日が
国会で決議されたのであります。

これも谷口雅春先生のご指導あってのものでありました。>。・・・。


<「皇紀2679年」 - 伝統
2019/02/11 (Mon) 04:46:17

今日(2月11日)は、わが日本国の誕生日(紀元節)。

この機会に、悠久の時の流れの中で、天照大御神が神勅でお示しになった国家の
この地上への誕生をお祝いいたしましょう。


建国記念の日 奉祝記念行事
  → http://kenkoku.web.fc2.com/

・・・

日本の建国・肇国と東道(みちびき)の神「塩椎神」

          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月11日)」より

今日(2月11日)は
神武天皇が大和(やまと)に遷都せられた記念すべき慶ばしい日である。

”みすまる”の魂が高千穂の高御座(たかみくら)に天降りして
弥数多(いやあまた)の国を大和(だいわ)する八紘一宇(Universal brotherhood)
の精神が形にまで顕れて、
大和国(やまとのくに)に都(みやこ)することになったのである。

それはおよそ二千六百年前であるという。

日本の国は領土という土塊の容積ではないのである。
「大和(だいわ)」の理念そのものが日本国で、
それが地上に天降って形を整えたときが日本の建国である。

しかし日本の肇国(ちょうこく)はなおそれ以前に遡る。

畏くも明治天皇が教育勅語に「国ヲ肇ムルコト宏遠ナリ」と
仰せ給いしことに鑑み奉るも、わが日本の肇国は数をもって
言い現わすことのできない悠久久遠の太初(たいしょ)に
遡ることが明らかである。

神武天皇なお高千穂にましませしとき

「天祖の降跡(あまくだり)ましてより以遠(このかた)、
今に一百七十九万二千四百七十余歳」と『日本書紀』に明記してあるから、

彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)より神武天皇に到るまで
すでにこれだけの皇紀を経ているのである。

これは神話であるから
「大和理念」の地上顕現が悠久であることの象徴と見るべきである。・・・>。


両先生のご投稿より<m(__)m>。

謹んで、建国の日をお祝いいたします。










「日本国紀」より。


 薩摩藩主・島津斉彬=直正と同じに近代化を目指した。

西洋式軍艦「昇平丸」を建造し、佐賀藩に先駆けて、日本

初の蒸気船「雲行丸」を建造した。これは万次郎の知識を

もとに作った越通船と呼ばれる和洋折衷船に蒸気機関を搭

載した実験船だが、後の薩英戦争でイギリスを苦しめたのは、斉彬の政策に負うところが大きい。

下級武士の西郷や大久保を登用した先進性を備えた藩主だったが、安政五年(一八五八)残念ながら急死した。

弟の久光による暗殺説が根強い。

「日の丸」は斉彬が提案したと言われている。日米和親条

約後、外国船と区別する船舶旗が必要となり、幕府は当初

白地に黒の横一文字の「大中黒」を考えていたが、嘉永七

年(一八五四)七月九日(新暦八月二日)、老中・阿部正弘によって斉彬の案が正式に布告された。

鹿児島城から見た桜島から登る太陽の美しさを表現したよう。「昇平丸」に最初に掲げられた。

源平合戦でも平氏は「赤地金丸」、源氏は「白地赤丸」を使用した。日の丸が天下統一を表した。

江戸時代には家康もよく使った。

七百年も前から日本を象徴する旗として使われていたのだ。

現代の一部の人たちが「軍国主義の象徴」として「日の丸」を嫌悪するが、根拠不明の言いがかりである。

伝統も歴史も知らぬ馬鹿者としか言いようがない。

直正も斉彬もこの混迷の時代にあって傑出していたが、忘れてはならないのは無名の職人たちだったことだ。

懸命に勉強して、遂に当時の最高のテクノロジーに追いついた。これが日本人の凄さである。

                     (つづく)











 清超先生の御話です。


 クラス全員の目が、ぼく一人を見詰めていました。息詰

まるような数分が過ぎました。しばらくしてその中の一人

が、「君の意見は正しいと思う。だからこの計画は中止す

る」と言って、皆が、私の意見に賛成してくれたのであります。

 生長の家を知らない時の私でしたら、このような場合、

たとえ、自分の考えが正しいと思っていても、大勢の言い

なりになっていたと思いますが、「正しい者が強くなって

行動しなければ、立派な社会は建設されない。」という谷

口雅春先生のお言葉は、私を通して、三十八名を納得さ

せ、学校を平和にし、私自身にも勇気と実行力を与えて下さったのであります。

 この体験を通して、私一人でも神の子を生きれば世の中

を光明化する力のあることを自覚し、生長の家の青年こそ

は、社会に平和をつくるところの、神に選ばれた霊の選士である、という事がわかったのです。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/12 (Tue) 07:51:46

 


<・・・・・ 愛の範囲が、「自己中心の愛」から「恋人への愛」、それから「父母への愛」、

それから「祖先への愛」となってくるのであります。

それから更には、その祖先の、祖先の、更に祖先ということになってきますと、

それは一方においては 即(すなわ)ち「 神 」に達する。

こうして、縦に広がっては、神に対する愛となり、無限の原始(げんし)において 自分の生命は

神につながって出発し、そして今 現(げん)に ここに神につながって生かされているのであると

いう自覚が起ってくるのであります。・・・>・・・。


 一人でも多くの人に告げたい言葉です。

 明鏡様のご投稿より<m(__)m>、






 「日本国紀」より。


 前原嘉蔵=宇和島藩主・伊達宗城が藩士として召し抱え

た無学の仏壇職人(提灯屋)=藩医の村田蔵六(元長州藩

士、後の大村益二郎)の翻訳したオランダの本と図面だけ

で小型の蒸気船を作り上げた。司馬遼太郎は「現在の宇和島市で人工衛星を作ったのに匹敵する」と書いている。

                    (つづく)







 清超先生の御話、続きです。


 谷口雅春先生は、『第二青年の書』に、「私たちの住ん

でいる、この人生が、今より、いっそう良くなるであろう

という希望を持ち得るのは、青年の純粋な、ひたむきな理

想と、その理想実現のために、一切の情実をこえて、直進する青年の力に信頼する」と申されました。

 皆さん、あのアンデス山脈の頂上に落ちたひとしずくの

水が、より合い、集まり合って、遂には世界最大のアマゾ

ン川となり大西洋にそそぎこむ力は、遠く七十キロメート

ルの間、海水をおしきる奔流となって流れるように、神の

子人間の真理に目覚めた私たちが、青年の力を結集して、

中心帰一の聖旗のもとに、強く団結し、人類を救う霊の選

士として、世を照らす偉大な力となり、神の国の実現を目

指して、まい進しようではありませんか。』

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/13 (Wed) 08:38:09




  <中国漢字における「征」の字は、「彳」が「行く」の省略形、「正」は、正しいです。

ですからもともとの意味は「正しきを行う」になります。

従って「東征」というのは、「正しいことを行うために東に向かった」

ということを意味しているのであって、かならずしも
東へと向かった軍事遠征を意味する言葉ではありません。


 伝統様のご投稿より、ねずさんのお話です。

お二人とも、凄い方です!(^^)!。








 「日本国紀」より。


 小栗忠順=幕府において近代化を進めた男。遺米使節団の一員。

 三十五歳で勘定奉行となり、造船所とドックが一体となった横須賀製鉄所を建設した。

所長をフランス人として、雇用規則、社内教育他当時としては画期的なシステムを導入した。

また、株式会社の商社を設立した。Companyを商社と訳したのは小栗と言われている。

 陸軍増強のためフランスから最新式の大砲や小銃大量に購入し、フランスの軍事顧問団に訓練させた。

又、日本初の西洋式火薬工場も建設、日本初の本格的ホテ

ル「築地ホテル館」を建設、さらに、これも初のフランス

語学校も設立した。同校の卒業生で明治政府に貢献した者は多い。

小栗はこれらを僅か数年でやってのけた。その先進性とヴァイタリティーには驚嘆するほかはない。

 明治元年(一八六八)、新政府軍は無抵抗の小栗を捕縛し、翌日、裁判もせずに処刑した。

彼の死は本当に惜しいと言わざるを得ない。

 大隈重信は「明治政府の近代化政策は、小栗の模倣に過

ぎない」後にバルチック艦隊を打ち破った東郷平八郎は、

「日本海海戦い勝利できたのは、小栗のお陰」といい、

司馬遼太郎は「明治の父」と書いている。

 しかし、忘れてならないのはその力を振るわせた幕府で

ある。近代化を成功させた明治政府に対して「頑迷固陋の

体質だった」と語られることが少なくない幕府だが、必ずしもそうではない。

                    (つづく)










 清超先生の御話です。


  以上の発表文でお判りのように、八尋君は三十八人の

クラス・メンバーの意見とは反対に、たった一人で先生を

先ず呼び迎えようという意見を強く表明し、それによって

他の人々の意見をかえ先生を呼び迎えることが出来たとい

う事ですが、これは明らかに八尋君が、「人間の尊厳」に

目覚め、自分の正しいと思うことを正しく強く発表したからに他なりません。

 一対三十八と意見が分れる時、果たしてどちらが正しいかという事は、外面的には判らないのです。

多数決制であると、もちろん三十八名の意見が採用される

けれども、このような全員一致制であると一人の意見が多数を動かすのに非常に役立ちます。

 しからばどちらのやり方が正しいのかと言うと、それは

判らないのであって、時によっては一人が正しく、また或

る場合には多数の意見が正しいという事になって来るのであります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/14 (Thu) 07:43:02

  


 <徳久克己講師からの
「無条件の愛をもって、求める者のため聖経を供養する

「愛の道場」を実現いたしたいと思い、お願いする次第でございます。」

との願い出に対して、

 谷口雅春先生は、

「まったく神と人との間の愛の仲介者のような徳久先生と

して応(まさ)に斯くあるべしと考えられるような提案で

ある。飛田給の新道場を「愛の道場」として、祈願をねが

う者に無条件で、聖経の読誦供養をしたいと思われる。一も二もなく賛成である。」

と述べられ、

  「それで、私は、この聖経読誦は、法供養であるから

聖経・法供養と名付けることにした。」と、ご命名されました。>・・・。


 護法の天使様のご投稿より<m(__)m>。


 池江璃花子さん「神様は乗り越えられない試練は与えられない。

自分に乗り越えられない壁はない・・・必ず戻ります」

 彼女は大丈夫ですね!(^^)!。








 「日本国紀」より。


 水野忠徳=あまり語られないが、重要な人物。長崎奉行

時、海軍創設に奔走。 金貨の海外流失を防ぐ。

 最大の功績は小笠原諸島を守ったこと。

一八五〇年代、咸臨丸で上陸し、島々の測量等調査し、入

植していた欧米系の島民の保護を約束して、日本の領土であることを承認させた。

イギリス、ロシア、フランスの間を巧みに渡り歩いて、列

強同士の対立も利用しながら、諸島の領有権が日本にある事を認めさせた。超一流の外交手腕である。

この時忠徳のしたたかな交渉を支えたのがジョン万次郎だった。

明治十三年(一八八〇)諸島は東京府の管轄になり、居住していた外国人は全員日本国籍を取得した。

日本の広大な排他的経済水域(領海含め世界六位の約四四

七万平方キロメートル)の約三分の一は、小笠原諸島を中心とする海なのだ。

もし、忠徳とジョン万次郎がいなければ諸島と周辺の海は外国のものとなっていただろう。

                     (つづく)











 清超先生の御話です。


      正しい考えを知る方法


 しかし乍ら、判らん判らんと言っていても何も判らんの

であって、それを判らせる方法が二つほどあります。

一つは八尋君の実行されたように、正しいと思う意見を強

烈に他の人々にうったえる事によって、今まで反対意見だった意見を賛成に変えてしまう方法です。

これが可能であるのは、その一人の意見が「正義」の要素

を含んでいると同時に、その人が「勇気」をもって説得を

しなければならないという事です。そしてこの前提とし

て、すべての人は「神の子」であって、本当は話の分かる

人々であるという、人間性に対する正しい信仰がなければならないのであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/02/16 (Sat) 08:07:17



<「自分の人間力で『甘露の法雨』の真似(まね)をした

お経類似のものを創作して、それを読むことを勧め、その経本を売る。」

 このような行為が将来行われることについて、次のように厳しく戒められています。

「こういう狡猾な個人的な利欲的な行為をしますと、靈界からの守護がなくなります」
・・・>。

 護法の天使様のご投稿より<m(__)m>。


 それにしても、伝統様のパワーは凄いです。

私の投稿も2部(^_-)になってしまったくらいです。








 「日本国紀」より。


 五箇条の御誓文=明治天皇が天地神明に誓約する形で、

公家や大名たちに示した明治政府の基本方針。

「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」

「上下心ヲ一ニシテ盛ンニ経綸ヲ行フベシ」

 ここには独裁的な姿勢は皆無である。まさに近代的民主主義の精神に満ち溢れている。

聖徳太子の「十七条憲法」との類似性に唸らされる。

「和を以て貴しと為し」「上やわらぎ下むつびて」・・・。


 日本は古来、専制君主制ではなく、政治は皆で行なっていくのが理想と考えてきた国なのである。

                     (つづく)










 清超先生の御話です。


 それと共に、今一つの方法は、永い歴史の審判によっ

て、後になってみると次第に「こうすべきであった」と言

う事実が判ってくるという、「歴史の審判」にゆだねる方

法です。しかし後者の場合でも、人間性そのものがすぐれ

ていなければ、後世の人が正しい判断を下すとは限らない

のですから、この考え方の中にも「人間の神性」を信ずるところの基盤が隠されていなければならない。

そうでなければ、いくら時間が経過しても、人間は正当な判断を下すわけには行かないでしょう。

 ところが、時間がたつだけで、どうして人間は正しい判断に達することが出来るのであろうか。

もし、歴史的時間が経過すれば、それだけで後世の人が過

去の歴史の正邪を判断できるとすると、人間は後世になるほど利口になるということになるでしょう。

けれども、現代人と釋迦やキリストを比較してみるまでも

なく、先人より後人がすぐれているという結論は否定されるべきです。

                    (つづく)

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.