伝統板・第二

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言葉の力 ④ - 伝統

2019/01/13 (Sun) 04:43:52

《暗黒な言葉を語らず明るい言葉を語れ》

           *『如意自在の生活365章』(P238~239)より

常に悲観的な消極的な不景気なニュアンスを伴う言葉を吐くことなかれ。
つねに楽観的な建設的な言葉のみを語れ。

人を失望せしめ、落胆せしめるような言葉を語ってはならない。
意気阻喪せる人を激励鼓舞し、再び起き上がる勇気を失っている人に希望を与え、
再起の勇気を奮い起こし得るような言葉を語れ。

もしあなたが事物の暗黒面のみを見る習慣があるならば、
常に慎み、自己がそのような悪習慣に再び陥らないように自己を警戒せよ。

人の欠点を思わず話したくなったときには、唇に封して、
その人の美点を思い出すようにするがよい。

そこからあなたは神とそして多くの人々とから、いろいろの祝福を受け、
新たなる生活が始まるであろう。

・・・

<関連Web>

(1)“本流宣言”掲示板「言葉の持つ力 (5205)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1100  

(2)光明掲示板・第一「言葉の力」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=216    

(3)光明掲示板・第二「言葉の創化力」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=27 (消滅)

   伝統板・第二「言葉の創化力」(光明掲示板・第二)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7825464

(4)光明掲示板・第三「言葉の力 (213)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=77

(5)光明掲示板・伝統・第一「言葉の力 (71)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=44

(6)伝統板・第二「言葉の力①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6459722

(7)伝統板・第二「言葉の力②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6844600

(8)伝統板・第二「言葉の力③」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7602123

           <感謝合掌 平成31年1月13日 頓首再拝>

【「すごく元気です」と答える】 - 伝統

2019/01/18 (Fri) 04:11:28


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年12月14日)より

   (ジム・ドノヴァン氏の心に響く言葉より…)

   私たちが自分自身や外界とコミュニケーションをとる際の主な手段は、言葉だ。
   他人との交わりにおいてもそうだが、
   私たちは心の中で自分に話しかけるときも言葉を使っている。

   実際、私たちが生活している世界はすべて、言葉で定義されている。


   それなら、なぜ私たちは言葉の使い方にもっと注意を払わないのだろうか?

   二、三年前、言葉がどのように
   経験の作用を強めたり弱めたりするのかという記事を目にした。

   そこで説明されていた素晴らしい方法を使えば、
   ある状況を定義するために使う言葉を変えることによって、
   その状況が生活におよぼす作用を変えることができるのだ。


   この方法の威力を体験してみたいなら、誰かに「元気ですか?」と聞かれたとき、
   ごく普通に「元気です」と答えるかわりに「すごく元気です」と答えて
   自分が実際にどういう気分になるかを確かめるといい。

   気持ちを込めて情熱的にそう言ってみよう。

   この方法を使うことによって、よい感情を高めると同時に、
   あまりよくない感情を抑えるような言葉に変えることができる。

   たとえば、「彼(彼女)には本当に腹が立つ」と言うかわりに
   「彼(彼女)にはちょっととまどっている」という言い方に変えてみよう。

   同じ状況であっても気分的に違ってくるはずだ。


   日常生活の中で「それほど素晴らしくない」環境の影響を抑えることが、
   いい気分を高めることにつながる。

   言葉は私たちが思うとおりに使うことのできる最も威力のある資源のひとつなのだ。


   これによってもたらされる恩恵がもうひとつある。

   それは「暗示効果」と呼ばれる。

   私は自分の経験から言うのだが、
   「元気ですか?」と聞かれて「すごく元気です」と答えると本当に気分がよくなるのだ。

   「元気です」と比べて「すごく元気です」という言葉の響きには、
   なぜか私の気分をよくしてくれるものが含まれている。


   逆もまた真なり、だ。

   ネガティブな感情を表現する際にトーンダウンした言葉を使えば、そのインパクトは弱まる。

   これから2、3週間、この方法を使ってみて、何が起こるかを自分で確かめてみよう。

       <『何をしてもうまくいく人のシンプルな習慣』ディスカヴァー携書>

            ・・・

たとえば、自分の好きな映画を友人にすすめたあと、
何日かたって「どうでしたか?」と尋ねることがある。

一番がっかりするのは「まだ行ってない」。

次にシュンとしてしまうのは、「まあまあだった」。

逆に、最高に嬉しい言葉は、こちらが聞く前に
「とっても素敵だった」「すごく感動した」「すぐに他の人にもすすめました」
と相手から先に報告してくれること。


言葉一つで、「もう、この人には二度と教えない」か、
「素敵な情報を見つけたら真っ先に教えよう」か、に分かれる。

言葉の頭につける感嘆詞や形容詞には…

「すごく」、「とっても」、「メチャクチャ」、「本当に」、
「超〇〇」、「サイコー」、「激しく」、「しびれるくらい」、
「思いっきり」、「いいね!」、「やった!」、「なんと!」、
「おみごと!」、「バンザイ!」等々がある。

「ああ!」とか「うわぁ!」とか「ひゃー!」でもいい。


中村天風師は、「元気ですか?」と聞かれたとき、
もし体調が悪かったとしても、「すごく元気です」と答えなさい、という。

なぜなら、身体は病気でも、心は病気ではないからだ。

そして、「元気です」と言っているうちに不思議に病気は治ってしまう。


「すごく元気です」と答えられる人でありたい。

           <感謝合掌 平成31年1月18日 頓首再拝>

悪しき言葉を打ち消し、よき言葉を語れ - 伝統

2019/01/23 (Wed) 04:46:21


    *「光明法語」(1月23日《在(あ)るものはただ神のみと思念せよ》)より

人々よ、よき言葉を語れ。
悪しきことばに惑わされること勿れ。

悲観的なことばを発するな。
悲観的なことばに惑わされること勿れ。

ことばは種であるから悪しきことばは言わぬがいい。
悪しきことばを聞いたならば直ちに心の中でそれを打消すことである。

人もし悪しきことばを語るともその人を非難するな。
人の悪しきことばは吾が心の中にある隠れたる所の想念の影であると思いて
自ら明るくなるように反省せよ。

神のみが實在であるから悪しきものは存在しないものだと否定せよ。

           <感謝合掌 平成31年1月23日 頓首再拝>

悪しき言葉を止めよ、善き言葉で楽しい世界を呼び込もう - 伝統

2019/02/01 (Fri) 04:55:13


           *「光明道中記」(2月1日 賞め讃える日)より抜粋

呟くことを止めよ。
自己の不幸を口にすることを止めよ。
自己の病を口にすることを止めよ。

今ある運命を喜んで受けよ。
友は悪口を言われる毎に悪しき友となり、汝に仇(あだ)する者となるであろう。

運命も、それを呟く者には仇する者となり、
それを賞め讃える者には幸福を齎(もたら)す味方となるであろう。

世界は、観られたる通りの世界であり、呼ばれたる通りの世界である。

「アダムが生物(いきもの)に名づけたる所は皆其名となりぬ」(創世記第一章)

吾等は此の世界を幸福の世界と名(なず)けようと、
不幸の世界と名けようと、自由なのである。

吾等は自分の名(なづ)け具合によって
此の世界を幸福にも不幸にもすることが出来るのである。

これから吾等は此の世界を楽しい世界と呼ぼう。

           <感謝合掌 平成31年2月1日 頓首再拝>

言葉は創造の力をもっている  - 伝統

2019/02/18 (Mon) 03:43:07


     *「光明道中記」(2月18日 万(よろず)円満大調和の日)より

【言葉の円味(まろみ)は家庭の重要な要素である(『生命の實相』第八巻)】

言葉は創造の力をもっているのである。

”太郎”と呼べば”太郎”が出て来る。
”次郎”と呼べば”次郎”が出て来る。
”馬鹿野郎”と怒鳴りつければ、相手は狂い立って馬鹿な行為をする。

多くの家庭はその家の主人の言葉の乱暴さによって、
どんなに毒されているか知れないものである。

或る家庭では、その家の主人が妻を呼ぶのに
「オイ、馬鹿」と云う言葉以外で読んだことがない。

「馬鹿と言われて腹が立つが、私を呼んでいるに違いないから、主人の方を向き、
用事をきき、嫌々ながら仕事をしました」と言って述懐された奥様もある。

そう云う家庭の空気が棘(とげ)立ったものであり、
不愉快なものであり、不調和なものであり、
従って、その家の運命が暗いものであり、
不明朗なものであり、病人が絶えないのは当然である。

優しい言葉、愛称を伴っている言葉は家庭の空気を円満にするものである。
先ず家長から目下の者に、朝起きたとき、
丁寧に「お早うございます」と言い得るようでないと本当でない。

何でも横柄に権利のような態度でせられると、味わいがすっかり無くなって了う。
細君が古くなるほど飽きられて来るのは、
何でも権利のような顔をして押が強くなるからである。

           <感謝合掌 平成31年2月18日 頓首再拝>

できるだけ善いことを話す - 伝統

2019/02/23 (Sat) 04:53:38


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月23日)」より

ある教化団体のある講師があるところへ講演に出かけて行った。
彼はその教化団体で救われ人生観が一変し、性格が一変し、生活が一変したものであるから
そのことを聴衆に語りたかった。

どんなに自分の生活が一変したかということを知らせるには、
自分の過去の生活を述べねばならない。
彼は「わたしはこんなに悪い者だったのです」といって女を騙したことや、
酒を飲んだことなどを過去の生活を懺悔のつもりで50分間も喋り続けた。

そしてこんな浄まった生活になったのはこういう動機であるといって、
その転向の明暗を明朗(はっきり)させるつもりであったのだが、
彼が50分間も自分の過去の罪悪を喋っている間に、
聴衆は「そんな悪い人の話は聴く必要はない」と一人去り二人去りして、
彼が本当によくなったところを話すころには聴衆は四分の一に減ってしまった。

懺悔でも、悪いことをあまり喋りつづける者は、ついに人の信用を墜すものである。

言葉は力であるからできるだけ善いことを喋らねばならぬ。

美人の色の白さを引き立てるための斑点美粧(ビューティ・スポット)も、
それが顔半面イッパイに及ぶようになっては痣(あざ)としてまちがえられる。

光を引き立たす陰影(かげ)は濃く、ただし少量でなければならむ。  

               <感謝合掌 平成31年2月23日 頓首再拝>

内なる真理が、言葉の力によって引き出されてくる - 伝統

2019/03/13 (Wed) 04:54:47


       *『生命の實相』第39巻佛教篇(P21)

真理の書物はそれをお読みになって、その真理がよく解ったとしましても、
それをもう一つ言葉に出して復唱するというところに、
そこに本当に言葉の力というものが出て来るのであります。

これが真言の力であり、あるいはお題目の力であり、阿弥陀仏の名号の力であり、
写経の力であり、言葉の力であり、言葉によって自己に内在する仏を招び出す
ということになるのであります。

だから一度悟ったからもう称(とな)えなくてもすむ、
一遍読んで真理が解ったから再読の要はないとい うふうであってはならない。

常に念仏を称え、常に名号を称え、常にお題目を称え、
常に聖典を読み聖経を誦むというようにしておりますと、
今まで忘れていた(本当は 忘れるということはないのですけれども)
潜在意識の底に埋れているところの真理が、言葉の力によって
再びそこに生き生きと引き出されて来る、

そうしてもろもろの 心の汚(けが)れが除(と)れ、
かの『阿含経』の比丘のように病気が治るというふうなことにもなるのであります。

           <感謝合掌 平成31年3月13日 頓首再拝>

《人の悪しき言葉に乗るな》 - 伝統

2019/03/28 (Thu) 04:19:07


        *『幸福を招く365章』第3項(P57~58) より

   怒りは火事のようなものである。
   あなたの心を焼きつくし、地獄の焔の中に投げ込み、
   ついに身体までも病気にする力をもっているのである。

   誰かが不親切な言葉を発したからとて、
   それを自分の心の竃(かまど)の中に抛り込んではならないのである。
   不親切な言葉は、あなたの心の竃の中で燃える地獄の火の燃料となるのである。

   不親切に対して深切をもってし、憎しみに対して愛をもってするのは、
   自分の心の中にほり込む燃料に水を注ぐようなものである。

   人の告げ口に乗るな。
   それは怒りの焔を煽る風のようなものである。

   愛語と調和の言葉を雨ふらして、心の火事を消すことである。

   常に「平和」を念じて祈れ。 

           <感謝合掌 平成31年3月28日 頓首再拝> 

大関、貴景勝の「武士道精神」と言葉の力 - 伝統

2019/04/15 (Mon) 03:03:54


        *Web:今日も良いことがあるように(2019/03/29)より


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貴景勝の「武士道精神」と言葉の力

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大関貴景勝(22歳)が誕生しました。

貴景勝は、言葉の力を信じ重んじている人です。

それは大関昇進伝達式の口上で述べた言葉について

「小さい頃から自分を築き上げてきたものだと思っている。
プロに入ってからも何度も救われた言葉だ」

と語っていることからわかります。

貴景勝の「小さい頃から自分を築き上げ、
プロに入ってからも救われた言葉」とは、何だったのでしょう。




貴景勝の大関昇進伝達式の口上

「大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、
感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進してまいります」

と述べています。

「小さい頃から自分を築き上げてきた」
「プロに入ってからも何度も救われた言葉」とは

「武士道精神」「感謝」「思いやり」の3つです。

この3つの言葉について少しふれておきます。


《「武士道精神」について》

特に、「武士道精神」にこめた思いを聞かれると


   「『勝っておごらず、負けて腐らず』を常に意識し、
   義理人情を、受けた恩を必ず返す男らしい人間でありたい」


と答えています。

小学生3年生で相撲を始めた頃は体重30キロの細身。

「そんな体で何ができんねん」と笑われたそうです。

プロに入ってからも好不調の波がある押し相撲一本のスタイルに
「幕内は無理」「三役は無理」「大関は無理」と冷ややかな目で見られました。

心がへし折られそうなとき、胸に浮かべるのが少年時代から繰り返し
父から教えられた「勝っておごらず、負けて腐らず」という言葉。

それは彼には「武士道の精神」だったのです。


《「感謝の気持ち」「思いやり」について》

「感謝」「思いやり」も彼にとって「武士道」につながります。

これは青春の汗を流した埼玉栄高相撲部の恩師、山田道紀監督(53)が
部訓とする教えであり、貴景勝の人格形成に大きな影響を与えたようです。

伝達式後の会見で、貴景勝はこの文言についてこう説明しています。


   「(「感謝」「思いやり」は)埼玉栄高校の相撲部の部訓でもあります。
   人間的に成長できた部分もあり、いろんな人に支えられてここまできました。
   自分一人ではきてないし、感謝の気持ちを忘れたら駄目だと思います。

   後輩、先輩方にも思いやりの心を持てる、
   それも武士道にもつながっていると思うが、
   その言葉をいいたくて、その2つを用いました」。


《言葉の力を信じて》

貴景勝が「目指す大関像」を尋ねられたときの返答も面白いです。

彼はこう答えています。


   「そのことを言ったらそれで終わってしまう。もう一つ上がある。
   上を目指して立ち向かっていきたい」


つまり、言葉で大関像を自分で語ってしまうと、
自分の可能性は大関に限定され、「それで終わってしまう」と
彼は言葉の力を信じているのです。

ですから、現状を打破する言葉、
「もう一つ上がある」「上を目指して立ち向かっていきたい」と言う言葉で、
自分を奮い立たせているのです。

彼は、小学生の頃から言葉の力を信じていたようです。


兵庫県尼崎市で、小学生時代の貴景勝(本名、佐藤貴信)を指導した
関西奄美相撲連盟の山口久義会長(70)は語っています。

「普通の子の2倍、3倍は練習していた。絶対、音を上げない。
怒られても反抗的な目をしない。最近、ああいう子はいない」

山口さんが将来何になりたいかと聞いた時
小学4年生の佐藤少年(後の貴景勝)は、

   「日本人横綱になりたい」

としっかりとした言葉で、自分の夢を堂々と語ったそうです。

山口さんは、貴景勝の大関昇進について

「まっすぐ自分の思いを貫いてくれた。努力が自信につながっている。
彼は横綱になる男。大関は通過点」

と言い切っています。


貴景勝は、子どもの頃から一心不乱の猛練習を重ねる一方で、
言葉の力に支えられて強くなってきたし、
これからもいっそう強くなっていく人です。

稀勢の里が引退してさみしくなった相撲界、
待望の日本人横綱になれるように応援していきたいです。


   言葉の力を使って自分の可能性を高めよう。


言葉は自分を築き上げ、救ってくれます。(^.^)

出典:3月28日付「産経新聞」「神戸新聞」など

   (https://lucky.t-nakai.work/2019/03/29/word-46/ )


           <感謝合掌 平成31年4月15日 頓首再拝>   

《 あなたは良き言葉をもって良き事物を創造する 》 - 伝統

2019/04/29 (Mon) 04:46:30


       *『人生の秘訣365章』第3篇(P69~70) より

“神の子”なる人間は、“神の創造の意識的中心”として
“心”に“良きもの”のみを思い浮べ、意識して“良き言葉”を発し、
言葉の力によって“良きもの”のみを創造するのである。

今後、あなたは決して“悪しきもの”を思い浮べず
“悪しき言葉”を発しないがゆえに“悪しきもの”は決して、
あなたの人生には顕れて来ないのである。

あなたの生命(せいめい)は神の生命(せいめい)であるから
善き事のみを創造するのである。

           <感謝合掌 平成31年4月29日 頓首再拝> 

言(ことば)は万事の本(もと) - 伝統

2019/05/03 (Fri) 03:42:19


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月3日)」より

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神なりき。
万(よろず)のものこれによりて成る」と「ヨハネ伝」の冒頭にあるとおり、
言(ことば)は万事の本(もと)である。

言(ことば)というのは空気の振動ばかりのことではない。
心の振動も、顔の皮膚の振動も、身体(からだ)の態度も、文章も、手紙も
すべてコトバである。

しかし根本的には心の振動が、言語という空気の振動ともなり、
表情という顔の皮膚の振動ともなる。

見ゆる形は、見えない心的エネルギーが現われたのである。

心を平和に、言葉に善きことのみを発し、表情を明るくすることが大切である。

           <感謝合掌 令和元年5月3日 頓首再拝>

《言葉は軽々しく話してはならない》 - 伝統

2019/05/21 (Tue) 04:41:10


           *「真理」第九巻生活篇(P99)より

軽々しく、下らない世間話を喋ってはなりません。

霊的な力は沈黙のうちに養われるのです。

世間話と云うものは次から次へ社会的不満足、家庭的不満足、人の欠点、
それから、あらゆる不平と云う風に、おおむね事物の暗黒面をとりあげて、
それを自分の言葉で相手に印象し、それに共鳴して吐き出される相手の
暗黒な言葉を自分の潜在意識につぎ込んで、暗黒の印象を増幅して
自分を傷つけるものなのです。

そして”言葉の力”と潜在意識の具象化力によって好ましからざる事物を
現実界につくり出す結果となるのであります。

すばらしい大計画の話や自分の手柄話は、時には華々しく爛漫として
咲きにおう桜の花のように魅力があることがりますが、
花が美しいばかりで立派な実がみのらないことがあります。

計画は或る期間は、ジックリと寒中に与える肥料を吸収して
発芽の準備を整える植物のように人に話さないで生長せしめねばなりません。

           <感謝合掌 令和元年5月21日 頓首再拝>

善き言葉を駆使する術を知らねばならぬ - 伝統

2019/06/03 (Mon) 03:38:43


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月3日)」より

「知力も直覚も語(ことば)によって構成せられ、またそこなわれる。
善き語(ことば)、悪しき語は知力と直覚とをあるいは構成し、あるいはそこなうがゆえ、
十分語を選択する術(すべ)を知らねばならぬ」とパスカルは言っている。

言葉の暗示の力は、智力を増し、直覚を増す。
祈りが学業成績に影響するのは当然なことである。

子供の学修を指導しつつある父母がすぐ焦(じ)れてきて
「子供の頭の悪さ」に不平を言うがようなことでは、
その子供の学業成績は挙がるものではない。

           <感謝合掌 令和元年6月3日 頓首再拝>

言葉は、人生航海の舵 - 伝統

2019/06/18 (Tue) 04:08:04


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月18日)より

言葉が舵であって、人生の方向を定める。
言葉、言葉、言葉、言葉・・・・・
われわれの心に印象を深からしめるために「言葉」という字を繰り返し繰り返し書いておく。

船は船長の言葉の力でその方向に必ず進むのである。
船長はみだりにまちがった言葉を出すことはできない。
船長が「東」と言うのに、船が「西」に進むということはありえない。

では、われわれは「幸福」に人生を航海したいならば、「幸福」の方向にのみ
自分の「人生」を進めたいならば、われわれは自分の人生の船長であるから
「幸福」とのみ掛け声をかければよいのである。

「幸福」「幸福」とのみ毎日掛け声を掛けているならば、
必ず自分の「人生」は幸福の方向に進んで行くにちがいないのである。

「健康」「健康」とのみ掛け声をかめていれば、
必ず「健康」の方向にのみ自分の人生は進んで行くにちがいないのである。

それだのに「幸福」を切に求めながら、毎日「自分は不幸だ」と掛け声をかけたり、
呟いたりしている人があり、「健康」を切に求めながら、毎日「自分は虚弱だ」と
掛け声をかけたりしている人がある。

自分の運命について呟く人、自分の病身について呟く人はこういう種類の人であって、
その人がその生活習慣を改めないかぎり、本当に幸福と健康とは来ないであろう。

今現に不幸であっても「幸福」と言う人は、
西へ行こうとしている船が「東」と言う船長の言葉で「東」へ位置を変じはじめると同様に、
「幸福」の方向へ生活が転向しはじめるのである。

           <感謝合掌 令和元年6月18日 頓首再拝>

否定的な言葉は打ち消しておくことが必要 - 伝統

2019/06/19 (Wed) 04:44:04


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月19日)より

「アダムの名づけたるところのものは、その物の名となれり」と
「創世記」にあるように言葉のとおりに事物はなるのである。

宇宙は感受力鋭敏なラジオ・セットのようなものである。
このラジオ・セットは言葉で放送したものを感受するほか、
心で放送したものを鋭敏に感受して、それを具体的可聴的可視的な存在とするのである。

自分の放送しないところのものは一つとしてこの世界に形を顕わさない。

妻を呪う言葉を出したときには、妻はやがてその呪わるべき形に変って来るだろう。
良人を呪う言葉を出したとき、良人はやがてその呪ったとおりの姿に現われて来るであろう。
自分の職業を呪い、境遇を呪うがごとき言葉は冗談にも発すべきではないのである。

もし過ってそんな言葉を出したならば、それと反対の言葉、
「善い良人だ」「善い妻だ」「自分の職業は良い職業だ」「自分の境遇は幸福な境遇だ」
というような言葉で打ち消しておくことが必要なのである。

           <感謝合掌 令和元年6月19日 頓首再拝>

目覚めの言葉 - 伝統

2019/06/23 (Sun) 03:45:16


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月23日)より

朝目を覚ましたとき、その疲労感に捉われるな。
多くの病人は、半睡半覚状態における身体の《だるい》感じを
「病気の執拗(しつこ)いためである」と錯覚しているのである。

「身体(からだ)の《だるい》のは同じ姿勢で長く寝ていたからである」と信ぜよ。

そして

「今後自分には善きことばかりが来るのである。
自分は神の子であり、神に祝福されたるものであるから、
常にいっそう幸運は訪れ、常にいっそう健康になるのである」

と瞑目のまま低声(こごえ)をもって繰り返し念ぜよ。

必ずその言葉の力のとおりになるのである。

           <感謝合掌 令和元年6月23日 頓首再拝>

魂を高揚せしめる文章を読むべし - 伝統

2019/06/28 (Fri) 04:47:17


          *「光明法語」(6月28日《荘厳なる生活をせよ》)より

吾等は吾が生活を荘厳なるものたらしめるべからず。
何となれば人間は神の子であるからです。

魂を高揚せしめる大思想家の文章は汝の魂をして荘厳ならしむべし。

低卑なる市井(しせい)の俗語に耳傾くべからず。
闇の話、脱税の話、野卑の話、猥褻なる話きくべからず。

仏典を読むべし。聖書を読むべし。
『甘露の法雨』を読むべし、
『生命の實相』を読むべし。

すべて天啓、神示に基づく荘厳なる文章を読むべし。

猥雑極まる近代のエロ文学読むべからず。

言葉の力は恐ろしき迄強き也。

           <感謝合掌 令和元年6月28日 頓首再拝>

【天気の悪口をやめる】。 - 伝統

2019/07/17 (Wed) 04:26:12


       *メルマガ「人の心に灯をともす」( 2019年03月18日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   私たちは何気なく、
   不平・不満・愚痴・悪口・文句を言っていることがあります。

   特に気がついていないのが、
   朝起きたときに何気なく言っている一言です。

   「えー、今日も雨が降っている」「洗濯物が乾かない」と
   感想を言った瞬間に、天気の悪口になります。


   なぜ、すぐに天気の悪口を言ってしまうのかというと、
   自分が生まれたときから、親に刷り込みをされたからです。

   親が天気の悪口を言い続けてきた結果として、
   外の天気を見た瞬間に、必ず天気の問題について
   論じなくてはいけないと刷り込まれました。


   この話を聞いて四十代の主婦の方が、このようにおっしゃいました。

   「私は、晴れた日は紫外線対策をしなくっちゃと言い、
   雨の日は洗濯物が乾かない、どうしよう…と口にしていました。

   天気の悪口を言わないところから出発するんだということを聞いて、
   これからは、晴れの日は洗濯物がよく乾く、
   雨の日は紫外線対策をしなくていい、と口にします」



   現象は何も変わっていません。

   天気は悪口を言っても反論してこないので、言いやすいかもしれませんが、
   神に対して文句を言っていることになります。

   同じ天気でも、考え方や捉え方を変えてしまうと、全部が喜びになります。


   私たち動物にとって、太陽が出ているときが晴れ。

   植物にとって、雨が降っているときが晴れ。

   動物は、酸素を吸い込み、二酸化炭素を吐き出しています。

   植物は、二酸化炭素を吸い込んで、酸素を吐き出している。


   動物は太陽が出ると、
   気持ちが明るくなり元気になるように創られていますが、
   植物は、雨に当たると活性化するように創られています。

   神様は、対照的なものとして、動物と植物を創りました。


   自分の口から出てくる言葉を肯定的、喜びの言葉にして、
   いろんなものに感謝をしていくように切り替えると、 
   損得勘定の「得」を手に入れることになります。

   天気の悪口をやめたところから、自分の言葉の中に、
   否定的な言葉が入ってこないことが始まります。

            <『笑顔で光って輝いて』実業之日本社>

        ・・・

小林正観さんはこう語る。

『友人たちとドライブをしていたときのことです。

カーブを曲がったらいきなり夕焼けが広がっていて、
とてもきれいな風景だったので、
「わあ、きれい」と同乗している人たちが言いました。

しかし「こんな夕焼け普通ですよ。いくらでもどこにでもありますよ」
と言った人が一人だけいました。

これについては、問題が2つあります。

人がきれいだと言っているのに対して、
わざわざ否定的な感想を言わなくてよいということです。

もう一つは、頻繁にあるからといって
喜ばない理由にはならない、ということ。

彼はその後、ある女性とお見合いをし、
「つまらない人」と言われて断られました。

そのように、人生のいろんなことがうまくいかないのは、
地球や宇宙を敵にまわしている可能性があるのです』



天気の悪口は、実に多くの人が言ってしまう。

「お暑うございます」「お寒うございます」「むしますねぇ」
というような昔からのあいさつ。

しかしながら、意識して天気への悪口を言わなくなるようにすると、
やがて他の否定的な言葉も言わなくなる。


「一人光る みな光る 何も彼も光る」(陶芸家・河井寛次郎)

一つ光れば、みな光る。

一つのことを極めれば、全てに通じる真理を手に入れられるからだ。


また、誰もがほめたたえるような素晴らしい景色やロケーションを、
けなしたり、バカにするような人はつまらないヤツ。

つまらないヤツは人から好かれない。

そして知らずに、地球や神様を敵にまわしていることに気づかない。


地球や宇宙を味方にできる人でありたい。

           <感謝合掌 令和元年7月17日 頓首再拝>

「言葉が運命を拓く」 - 伝統

2019/08/04 (Sun) 04:20:20


         *「致知」(2003年1月号)より
          (人間力メルマガ 2019.2.27 )

人物とは言葉である。

日頃どういう言葉を口にしているか。

どういう言葉で人生をとらえ、世界を観ているか。

その言葉の量と質が人物を決定し、それにふさわしい運命を招来する。
 
運命を拓く言葉の重さを知らなければならない。

           <感謝合掌 令和元年8月4日 頓首再拝>

《善(よ)き言(ことば)の創化力を祈りに利用せよ》 - 伝統

2019/08/19 (Mon) 04:14:28


       *『 生長の家 』(昭和49年4月1日の法語)より抜粋

   “ ことば ”は アイディアを乗せた生命の波動であり、
   アイディアに描かれたる事物を 生命エネルギーを組み立てて
   創造する本質であり、材料であり、力である。

   それゆえに 何を“ ことば ”で唱えるか、
   何を“ ことば ”で念ずるかによって、
   その人の運命が支配され、

   善きアイディアを内容とする“ ことば ”を毎日念ずることにすれば、
   家庭は調和し、事業は繁栄し、家庭及び自分の健康は増進するのである。

           <感謝合掌 令和元年8月19日 頓首再拝>

明瞭に語られたる言葉は、実現力が強い - 伝統

2019/08/30 (Fri) 04:00:25


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月30日)より

明瞭に語られたる言葉は、
曖昧に念ぜられたる言葉よりも実現力は強いのである。

合掌瞑目神想観の形式をとり、自分の耳に聞こえるほどの声をもって、
次のごとく誦(とな)えることは自己内在の無限の力が自覚する上に効果がある。

「神はすべてのものを我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)

神は無限の智慧を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)

神は無限の愛を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)

神は無限の生命(いのち)を我に与え給えり、ありがとうございます。(十回)」

十回には限らないのであるが、
あまり永いのも長時間かかるし、短くても感銘が浅くなる。
十回と限定したのはそのためである。

敬虔の念を起こすために合掌の形式をとっているから、
1回称えれば、右手の拇指に軽く力を入れ相対する拇指を押し、
2回称えれば右手の人差指に軽く力を入れて相対する指を押し、
順次に中指、紅指指、小指と移り、

さらに左手の拇指より始めて左手の小指に至りて、終われば
合掌のまま、数のことを考えて意識を複雑にすることなしに
十回称え終わるのである。

「ありがとうございます」と称える時は、
すでにそれを受けたる感激に浸りつつ
本当にありがたい気持を起こすのである。

言葉は単なる思想以上の感情を招(よ)び起こし、
感情は単なる思想以上の動的創化力となるのである。

         <感謝合掌 令和元年8月30日 頓首再拝>

《言葉は慎重に有力に使いましょう》 - 伝統

2019/09/10 (Tue) 04:57:42


           *「真理」第九巻生活篇(P100)より

言葉は有力なる武器ですから、
無闇にそれを散乱させてはならないのであります。

だと云って其れを全然使ってはならないと云うのではないのです。

火薬はその爆発力を適当に閉じ込めて置いて後(のち)に爆発させると
一層の威力を発揮するのであります。

蒸気の力もそれを閉じ込めて置いて一定の方向に噴射するとき
汽車汽船を動かすことができますし、タービン回転の推進力を
閉じ込めて置いて一定の方向にそれを噴射するときジェット機は
空中飛行をするのです。

言葉もそれを軽率に浪費することなしに想念としてそれを蓄え、
洗練し、強化して後(のち)、それを一定の方向にリードして
噴出させてこそ本当に効果を発揮することができるのです。

無限の愛情を内(うち)にこめておれば、
その人の唯(ただ)一語が相手の胸を打つことができるのです。

常にコセコセ小言を言っている母親の言葉を子供が軽視し、
たまに発言する父親の言葉が力を持つのは其のためです。

         <感謝合掌 令和元年9月10日 頓首再拝>

《雑談を多くしてはなりません》 - 伝統

2019/09/22 (Sun) 03:58:41


           *「真理」第九巻生活篇(P101)より

雑談多き時は仕事の能率を失う。
事務所にて雑談してはならない。

雑談しながら校正すれば見落としができ、
誤字脱字が看過(みのが)される。

雑談多きときは時間の浪費となり、祈りの時間を失う。
雑談多きときは話の種が猥雑(わいざつ)に陥り魂の清きを失う。
魂の清きを失うときには高き霊界より来る啓示に触れることができない。

高き霊界より来る啓示に触れることができなければ、
創造と創作との能力を失う。
創作と創造とはともに高き世界より来(きた)る
インスピレーションによって来(きた)るものであるからである。

如何なる聖者も言葉多きときは語るべき清き言葉を語りつくして、
ついには語るべからざる言葉を語るに至る。

ついに彼等も愚かなる事を語り、卑猥なる事を語り、
他(た)を批判し、愛の足らざる事を語るに至る。

注意すべきかな

         <感謝合掌 令和元年9月22日 頓首再拝>

言い方ひとつでここまで違う。相手が気分良く動く言葉のかけ方 - 伝統

2019/10/05 (Sat) 03:23:49


       *Web:MAG2NEWS(2019.08.12)より

(1)なぜかわからないけれど相手の発言に腹を立ててしまう、
   普通に話しているつもりなのに相手を怒らせてしまう…。
   そんな経験、ないでしょうか。

   もしかしたらそれは、「否定的な言い方」が関係しているかもしれません。

(2)とがめる言葉をやめれば素直に聞いてもらえる

  ①知り合いのある女性が、テレビのリモコンのことで
   夫婦げんかをしたという話をしてくれました。

   夫が「また決めたとこに置いてない。ちゃんとここに置かなきゃダメだろ。
   何度言ったら置けるようになるんだ」と言ったので、
   カチンと来て言い返してけんかになったそうです。

   その女性によると、夫は日ごろから何事においても
   「また○○してない」とか「○○しなきゃダメだろ」などの
   否定的な言い方が多くて、ストレスが溜まるそうです。

   人は誰でも、このような言い方をされると、
   自分がとがめられ否定されたように感じて素直になれないものです。

   それに気づかないまま、多くの人たちが口癖のように
   このような言い方を多用して、人間関係にヒビを入れています。

  ②みなさんはいかがですか?
   子どもに「早くやらなきゃダメだよ」
   「しっかり問題を読まなきゃダメだよ」などという言い方をしていませんか?


   「早くやらなきゃダメだよ」を次のように替えてみましょう。

   「早くやっちゃおう」
   「早くやっておくといいよ」
   「早くやっちゃえば後は遊べるよ」

   1.は「○○しよう」と単純に促す言い方です。
   2.は「○○するといいよ」と肯定的に促しています。
   3.は「○○するとこういういいことがあるよ」とプラスのイメージで促しています。


   このように変えるだけで、素直に聞いてもらえるようになりますし、
   人間関係もよくなります。

   なぜなら、これらの言い方には相手をとがめる要素が1つも入っていないからです。

(3)人に何かを伝えるとき、
   とにかく大事なのは相手をとがめない言い方にすることです。

   これはどんな種類の人間関係にも当てはまります。

   これに心がけていれば、全ての人間関係がどんどんよくなります。

   ( https://www.mag2.com/p/news/408977  )

         <感謝合掌 令和元年10月5日 頓首再拝>

善きことを信じて言葉に出す - 伝統

2019/10/08 (Tue) 04:28:51


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月8日)より

善きことのみを語り、善きことのみを考える習慣をつけなければならない。
自分の嫌いなこと、望ましくないことを語ってはならないし、思ってもならない。
言葉は想念と同様に強力なる具象化(かたちにあらわす)の力を持っているのである。

われわれは自己の運命ラジオのアナウンサーである。
われわれ自身が言葉に発するとおりに現象世界にあらわれてくるのである。

だから常に自己の欲することを、希望することをあたかもすでに実現せるがごとく
想念し言葉に出すようにつとめなければならない。
そして言葉に出す場合にそれを信じて出すことが必要である。

善き言葉がかえって実現しないように見えるのは、
悪いことを言う時にかえって信じながら話すからである。

           <感謝合掌 令和元年10月8日 頓首再拝>

コトバの力で、「全一」から呼び出し創造する - 伝統

2019/10/19 (Sat) 04:26:28


     *『生命の實相』幸福篇下第三十八巻(10月19日)より

実在は「全一(ぜんいつ)」である。
「全一」は表現せられえない。
「全一」は一度に知覚せられえない。

そのことはわれわれの記憶内容全体のようである。

われわれは生れてからいろいろの機会に無数に触れ、見、聞き、経験した事柄を
記憶しているのであるけれども、

その全体が一度に記憶の表面に浮かび上がって来ないのは、
「全一」なるものは、無数の相(すがた)が超時空的な世界に重なり合っているから、
知覚することができないためである。


それを記憶心象として脳髄の知覚面に浮かび上がらせうるには、
「全一」の中から、必要でないものを残して置いて、
「今」必要なものだけを、空間的表象面に浮かび上がらせなければならぬ。

それと同じく、「全一」なる存在が、
それが知覚しうるように表現せられるためには、
「全一」の中からある物を”呼び出し”て来て、
他を「全一」の中に残しておかなければならぬ。

表現はコトバであり、コトバは呼び出しであるのはこのためである。
われわれは善きコトバの力によって善き物を創造することができるのである。

           <感謝合掌 令和元年10月19日 頓首再拝>

上田謙氏の言語学 - 伝統

2019/10/31 (Thu) 04:46:24

    *「光明道中記」(10月31日《言葉の神秘を知る日》)より 

【言葉の力によって認めるものだけが存在に入る。 
                (『生命の實相』第二巻)】 

早稲田政治科出身の先輩、上田謙氏は言語学を深く研究している人である。
次のような草稿を送ってこられた。

―― 言(こと)とは音(おと)に子音Kなる無意味の接頭語を飾りたるものです。
葉とは端(はし)くれ即ち現象の意。

然らば音とは何ぞや。
是れ印度(いんど)、波斯(ペルシア)、希臘(ギリシア)等に於ける
拝火教によびなされし音即ち odo と称する veda 教典に説く
万有に貫通する生命乃至実在の事也(なり)。

希臘”オデ”イ・イリ”アド”は皆此の音乃至 odo の事にして、
是が又歌とも同じものです。

其の証拠には「斯う云う事を歌って置き乍(なが)ら」云々の言葉の中の
「歌う」とは「言う」乃至言葉の意味なるに依(よ)りても知らる。

又音無(おとな)しい人とは、喋らぬ人の謂(いい)にて、
是も音とは言葉である事が証さる。

かく日本人の上層を成せるものの名は正しく梵語と同一語源で
出羽(でわ)は deva(神)、佐分利(さぶり)は svara(日神<ひのかみ>) 

幣原(しではら)は svara では余り梵語其の儘故、これを隠して「て」を入れて
「し(て)はら」であり、されば神の意である弊(しで)の字があるので、
此の弊(へい)の字が「しで」と読む理由が解る訳で字引には謎である。
んと撥(は)ねて「しんばら」となる。

御社(おんしゃ)の「光明」も「しばら」で光明真言に言う「じんばら」は
此の「しばら」で光明(神)の事です。

・・・・・

谷口雅春先生が説かれる「言霊」については、
光明掲示板・第一「言靈と神通力」で学ぶことができます。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=613 

           <感謝合掌 令和元年10月31日 頓首再拝>

法は真理の法体であり、コトバである - 伝統

2019/11/16 (Sat) 04:46:18


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月16日)より

法(ほう)があっても法はコトバであるから説く者がなければ法は成就しない。
説く者があっても聴かせる者がなければ成就しない。

法は真理の法体であり、コトバである。
これを説く者は仏である。

成仏とは仏が法(しんり)を説き始めたことである。
大通智勝如来といえども法を説くまでは成仏しなかったのである。

仏法を説くとも、これを聴取させる媒介者がなければ衆生の耳に入らないのである。
その聴取の媒介者 ―― 取次者が僧である。
衆生それを聞いて法を行じて仏成就す。

法、仏、僧、衆生・・・・・と次第に法が循環するのが転法輪である。

           <感謝合掌 令和元年11月16日 頓首再拝>

オレより先に逝くなよ! - 伝統

2019/12/02 (Mon) 04:27:37


      メルマガ「成功への道しるべ」(2019年10月30日)より      

◆今は教師塾の主宰等もされている原田隆史先生が
 大阪市立松虫中学で陸上部監督をされている時のお話です。

 砲丸投げが盛んで男女同時に全国優勝したこともありました。

 練習風景を見学したことがあり、その後の質疑応答で原田先生が、
 次のようなことをお話されたことがあります。

 それは選手に対する助言や忠告の仕方です。

 以前は問題点を直接指摘し「××したらアカン」とか
 「××だから上手くいかないのや」のように否定形で
 忠告をされていたのです。

 例えば「○○○君、ヒジが曲がっているから飛ばんのや!」と
 いうようにです。

 すると選手は「ヒジが曲がっている」「飛ばない」を
 イメージしながら砲丸を投げることになるのです。

 それを
 「○○○君、ヒジをもっと伸ばしてみぃ、そしたらもっと飛ぶから!」
 と肯定形の忠告に変えられたのです。

 すると即、確実に、それまでより遠くに飛んでいるのです。

 「潜在意識」は、これほど、よくいうことをきくのです。

 「顕在意識」では「ヒジを伸ばそう」とするのですが、
 「潜在意識」には「ヒジが曲がっている」というイメージが
 伝えられるので、そのことを実現しようとします。

 これでは上手くいきません。


◆ところが私達は同じような過ちをしていてそのことに
 気付いていないことも多いのです・

 家庭や学校でも職場でも、忠告や助言はほとんどの場合、
 否定形でなされています。
 
 家庭では子供達に対する忠告は
 「なになにしてはいけません」という形で云われるのがほとんどです。

 「道で遊んではいけません」「口答えしてはいけません」等々

 何年か前、ある学校で飼っているウサギを、いじめられるのが問題になりました。

 先生方が「ウサギをいじめるてはいけません!」と繰り返し指導したところ、
 逆にウサギを、いじめることが益々盛んになって、新聞にも取り上げられる
 問題になってしまった、ということがあります。

 企業や組織でも、経営者が

 「この厳しい環境にあって危機意識が足りない!」

 等と社員に訴えていますが、

 漠然としていて潜在意識は働きようがありません。
 何も変わらないでしょう。

 忠告は、相手のためというより自分が不愉快だから、都合が悪いから、
 単に自分と意見が違うからしている場合が多いものです。
 

◆野球の野村克也氏が対談の中で、
 奥さんのサッチーが亡くなったことを尋ねられ、
 次のように答えられていたのが記憶に残っています。

 寂しい!

 「オレより先に逝くなよ!」

 とあれほど口酸っぱく言ったのに先に逝ってしまいよった。

 あんまりいい過ぎたからかもしれん。

 先に逝くなでなく「長生きしろ」と言うべきだったな、
 何故そう思ったかというと、

 高めに手を出すなよと、口酸っぱく言うと、逆に高めを意識して、
 高めに手を出してしまうことが、よくあったんや。

 指導者や親が「何回言ったら分かるの!」というのをよく耳にします。
 云われている方はよく分かっているのです。

 ただ何回も言われるので潜在意識が働いてしまうのです。

 肯定形ならOKです。



■編集後記

長所を伸ばすには「ほめて育てる」のがよいといわれます。
長所をさらに伸ばし、短所を無くして人を育てるには
肯定形の助言をしてあげることです。

           <感謝合掌 令和元年12月2日 頓首再拝>

【たった一度の不注意な発言】 - 伝統

2019/12/09 (Mon) 03:57:43


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2119.11.28)より

   (リチャード・テンプラー氏の心に響く言葉より…)

   成功したいのなら、周りに正しいイメージを持たれる必要がある。

   賢く、大人で、頼りになり、冷静で、洗練されていて、
   信頼でき、経験豊かなビジネスパーソン

   …それがあなたの目指すイメージだ。

   しかし、どんなに細心の注意を払ってイメージ作りに励んできたとしても、
   たった一つの不注意な言葉や行動で、すべて台無しになってしまうこともある。


   先日、野党の影の内閣で閣僚を務める大物議員が、
   夕食会で人種差別的なジョークを言ったために更迭された。

   輝かしいキャリアが、たった一度の不注意な発言で崩れ去ったのだ。

   次のことは何があっても口にしてはいけない。


   ●政治的に正しくないコメント。

   ●差別的なジョーク。あらゆる種類の性差別。

   ●傲慢な発言。

   ●平静さを失った発言。

   ●汚い言葉。

   ●不平不満、愚痴、ゴシップ。

   ●人についてどう思うかの本音。


   失言をしないためには、口数は少ないほうがいい。

   調子にのってしゃべり続けると、
   失言をする可能性がはるかに高くなる。

   口を開く前に、少し間を置き、
   よく考え、言いたいことをぐっと我慢する、そうすれば、
   きちんと編集された、分かりやすい話をすることができる。


   きちんと考えて話す人、言葉に重みがある人だと思われれば、
   人から相談を受けることが増えるだろう。

   周りの人たちは、あなたを信頼する。

   そして周りから信頼される人は、
   昇進の最有力候補になり、成功への道が約束される。


   いつも意味のある発言をするように心がけよう。

   オフィス喧噪に埋もれない、重みのある言葉だ。

   昨夜見たテレビの話はしない。

   実際、そんな話に誰も興味はない。

   くだらない話はせず、黙っている。

   そして、何か重要なことを言うときだけ口を開けばいい。

     <『できる人の仕事のしかた(新版)』ディスカヴァー>

            ・・・

本書の中に「愚痴や不満」を言うとどんな害があるかという一文があった。


『●細かいことにうるさい、器が小さい人物と思われる。

●口角が下がって魅力のない顔になる。

●時間を無駄にする。

●愚痴っぽい人間ばかりが周りに集まる。

●非生産的な人間だと評価される。

●自分のモチベーションを下げ、負のスパイラルに陥る。』


愚痴や文句、不平、不満を言っても、状況はまったく変わらない。

なぜなら、そういう人は、改善策や代替案を出さないからだ。


また、気を許して誰にでも、
「人についてどう思うかの本音」を言ったら、
「あの人はこう言っていた」と必ず、人の口の端(は)に上る。

つまり、うわさ話や他人の批判、と同じになってしまう。

たった一度の不注意な発言で、人生を棒に振ることもある。


「巧言(こうげん)令色(れいしょく)鮮(すく)なし仁(じん)」(論語)

心がこもらず、口先だけうまいことを言ったり、うわべだけ愛想よくしたり、
媚(こ)びへつらような表情をする者には、
人として最も大事な徳や仁(人をいつくしみ、大切に思う心)が欠けている。


どんなときも、調子に乗って、しゃべりすぎず…

ひと言の重みがわかる人でありたい。

   (https://www.youtube.com/watch?v=WFRrn4LVVso )

           <感謝合掌 令和元年12月9日 頓首再拝>

「こその妙味」 - 伝統

2019/12/12 (Thu) 03:28:47


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月12日)より

井上源蔵さんから「こその妙味」という題で興味ある原稿が来た。
本当に「こそ」の二字の置き所で地獄が極楽になり、極楽が地獄になるのである。
これが言葉の力というものである。

井上源蔵さんは中風で7年間半身不随で
腰が海老(えび)のように曲がっていた老人であったが、
この「こそ」の妙味を体得して中風が癒え腰が伸びたのである。


(こそという言葉を自分につけたとき争いの因(もと)となる)

夫  貴様みたよなお多福婆(おたふくばば)をわしでありゃ《こそ》置いてやる
妻  わしじゃから《こそ》辛抱もするが誰が見るぞえ痩せ世帯(じょたい)

親  誰がお蔭でそうまでなったおれが学問させりゃ《こそ》
子  学問させてもみんなはできぬわしが勉強したりゃ《こそ》

地主  あれがああして暮らしてゆくもこちが畑田(たはた)を貸せば《こそ》
小作人 地主の田畑が荒れずにいるのもわしが小作をすれば《こそ》



(こそという言葉を相手につけたとき互いに仲よく和解する)

夫  外でわたしが働かれるも内をそなたが守りゃ《こそ》
妻  私みたいな不束者(ふつつかもの)をあなたなりゃ《こそ》深切に


親  あの子なりゃ《こそ》出世もしたよ苦労したのも甲斐がある
子  今日(きょう)のわたしの出世もみんな親の苦労があれば《こそ》

地主  田畑つくらず暮らしのたつのも小作する人あれば《こそ》
小作人 わが田なくても暮らしてゆけるこれも地主あれば《こそ》


 (これによって)

《こそ》と威張ってこちらにつけりゃなにをこしゃくと喧嘩腰

《こそ》とあがめて相手につけりゃにっこり笑ってあなた《こそ》

喧嘩するのも仲よくするも《こそ》の付けどこただひとつ


夫婦、親子、妻子、地主、小作人は言うにおよばず、資本家と労働者の関係も
債権者と債務者の関係もないし教師と生徒、主人と番頭、奥様と女中などの関係も
皆こうしたものであろうと思われる。


井上源蔵さんは自分の背の伸びたのを都々逸(どどいつ)に歌って曰く ―― 

   背だけのばしてもろうたこの身骨(みほね)を惜(お)しまにゃ気が楽よ
   細い道でも我(われ)から退(よ)けて人を通せば気が楽よ

   理づめ言わずに理のある事もまけてしまえば気が楽よ
   腹を立てるは至らぬからと思いいりゃこそ気が楽よ
   我意(がい)や気ままや無理いう人に勝とうと思わにゃ気が楽よ

   正直あつい寒いのいといなくはたらく人はよろず円満
   他事(ひとごと)と思えばやがてわが事よまことつくせばやがてわが事(こと)

            <感謝合掌 令和元年12月12日 頓首再拝>

善き話題を - 伝統

2019/12/27 (Fri) 03:14:49


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月27日)より抜粋

善き話題 ――
彼はこんな深切なことをした。
彼はこんなに向上した。

自分はこんなに楽しいのだ。
自分は近頃大変健康だ。
(まだ現象的には健康になりきっていなくともよい、こう話すのだ。)
自分の従事する事業はますます栄えてゆきつつある。

そのほか何でも、進歩、繁栄、向上、元気、光明、健康の雰囲気を伴うことが
話題として最もよいのである。

しかし顧(かえり)みよ、
いかに人が相寄れば他人の悪口や不幸ばかりを口にしていたかを。
これでは人生に不幸な人が多かったのも不思議はない。

            <感謝合掌 令和元年12月27日 頓首再拝>

自分を良くしていく言葉(オグ・マンディーノ) - 伝統

2020/01/14 (Tue) 04:03:51


        *Web:今日も良いことがあるように(2018.12.26)より

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどん良くなっている。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

オグ・マンディーノ
『十二番目の天使』

『十二番目の天使』をこの前、再読しました。

やはり感動、そして感涙・・・。

そこで、もう一つの言葉を紹介しようと思いました。

先日は「あきらめない、あきらめない、絶対にあきらめない」でしたが、
今回も『十二番目の天使』に出てくる少年ティモシーの言葉です。

ティモシーは野球は下手だが、いつも精一杯のプレーをし、いつも他の子供た
ちを励ましている笑顔の少年です。

「毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどん良くなっているんです」

ティモシーからこの言葉を聞いたとき、監督のハーディングは驚きました。
それは、ビジネスマンとして出世街道を歩み始めた頃、彼の人生によい影響を
与えた一冊の本に載っていた言葉だったからです。

物語のなかで、この言葉について次のような説明がしてあります。

その本はフランスの心理療法学者、エミール・クーエが書いた
『意識的自己暗示による自己支配』。

その本のなかで、クーエは、

「心身双方の病気のほとんどは、
ポジティブな自己暗示によってきれいに取り除ける」

と言っていました。

彼の説は、広く多くの人に受け入れられることになります。
繰り返し言いつづけるポジティブな言葉によって、
心身の病気を含む、人生のあらゆる問題を解決できると多くの人が信じたのです。

その主張を裏付ける上で最も大きな役割を果たしたのが、
「毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどん良くなっている」というフレーズでした。

「毎日、毎日、あらゆる面で、私はどんどん良くなっている」
実は、ハーディング自身も若い頃、繰り返し言いつづけた言葉だったのです。

『十二番目の天使』では、この言葉を繰り返し、健気にも常に前向きに精一杯
生きるティモシー少年が実にさわやかです。

妻子を失った絶望から自殺をしようとしていたハーディングでなくても、
このティモシー少年の生き方から私たちも多くのことを学べると思います。

あなたも、心が清められるような涙を流してくださいね。

★何度も繰り返してみよう。

  「毎日、毎日、あらゆる面で、私はどんどん良くなっている」

   (https://lucky.t-nakai.work/2018/12/26/word-12/ )

・・・

谷口雅春先生は、エミール・クーエのこの言葉の効果を高めるために、
次のように唱えるとよいと述べております。

「私は神の子、毎日、あらゆる面で、私は一層良くなっている」

            <感謝合掌 令和2年1月14日 頓首再拝>

よき言葉を語れ、悪しきことばを聞いたら打ち消せ - 伝統

2020/01/23 (Thu) 04:31:02


   *「光明法語」(1月23日《在(あ)るものはただ神のみと思念せよ》)より抜粋

人々よ、よき言葉を語れ。
悪しきことばに惑わされること勿れ。

悲観的なことばを発するな。
悲観的なことばに惑わされること勿れ。

ことばは種であるから悪しきことばは言わぬがいい。
悪しきことばを聞いたならば直ちに心の中でそれを打消すことである。

            <感謝合掌 令和2年1月23日 頓首再拝>

人々に好印象を与えるもの - 伝統

2020/02/05 (Wed) 02:35:36


       *『理想世界』(昭和47年5月号)より
 

多くの人々の協力を得ようと思うならば、
人々に “よき印象” を与えることが出来なければならないのである。

発声音の 『コトバの巧みなる者』 
必ずしも人々に良き印象を与えるとは決まっていないのである。 

表現は、 “示し” であり、 “申す” であり、
従ってそれはコトバであり、 『神の創造力』 であるから、
あなたの一挙手一投足がコトバである。

『身のこなし』 『態度』 などもコトバである。 
『身のこなし』 『態度』 などがブッキラ棒であり、荒っぽく、
傲慢であるならば、他から受け取られる印象は決して 
“よき印象” ではあるまい。

 
『出る杭は打たれる』 
『能ある鷹は爪をかくす』 
『実る程、頭のさがる稲穂かな』 

という諺が示すところの教訓は処世の上で学ばなければ、
人々に好印象を与えることはできないであろう。

知識や能力がすぐれていても、
それだけで人々に好印象を与えることはできない。 

“生意気な” という感じや、 “少才子” というような感じは、
そんなに好い感じを人々に与え得るものではない。

 
人々に好印象を与えるのは、その人のもつ誠実なという感じである。 
物事に丁寧親切な態度である。 
何事にも愛が深く、すべての事をおろそかにはしないという感じが、
その一挙手一投足の間にもあらわれるような心境を養うことが大切である。

それは一夜漬、ある尊敬すべき人に面したときだけ、
その場をとりつくろっても、それは見えすいた虚構であり、
うわ面の技巧であることは、直ぐに看破られるものである。 

本当に、表面(うわつら)でなく、心に愛と誠実とをもつようにしなければならない。

  
http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p5.html
08/05/13--21:52

            <感謝合掌 令和2年2月5日 頓首再拝>

言葉を変えれば魅力的になる! - 伝統

2020/02/16 (Sun) 03:48:15


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/11/04)より

《見た目で中身を判断される》

自分が発する言葉は、自分の表情や顔つきを変えていきます。

人の悪口や意地悪なことばかり言っている人は、
いかにも意地悪そうな陰険な表情になっていきます。

素敵な言葉をたくさん使って人をほめてきたり、
人に喜ばれる言葉を言ってきた人は、柔和で素敵な表情になっていきいます。

これまでどんな言葉を使って、どんなことを考えたかということは
顔の表情ににじみ出てくるのです。

「人は見た目よりも中身が大事」と言われます。 

でも、その大事な中身が、
初対面の数分の見た目で評価されるのが人間社会です。

特に、誰もがまず顔を見ます。

子どもでも顔の表情を見て、この人はニコニコして明るく優しそうな人だとか、
なんだか暗くて意地悪そうな人ということを判断します。

人の中身は顔の表情にあられるのですから、
結局は見た目が大事ということになります。

鼻が高いとか、目が大きくてパッチリしているとか、
顔のパーツの良し悪しが大事なのでありません。

はっとするほど素敵な表情がどれだけ出ているか、
美人・不美人の分かれ目はそこにあるのではないでしょうか。


《顔つきや表情は変わっていく》

人の顔つきや表情は、歳月を経て変わってきます。

 同窓会に行くと、若いときには
「可愛い・きれい」「イケメン・かっこいい」とチヤホヤされた人が、
年齢が上がるとなんとなく冴えない顔つきになっていて、がっかりすることがあります。

そういう人は「もう若くないからね」などと自分で言い訳をしています。

逆に、どことなくパッとしなかった印象だった人が、
いきいきと輝くような顔つきになっていて驚くこともあります。

話してみると、言葉が前向き・肯定的です。

「なるほど、いい生き方をしてきたんだな」と感心させられます。 

 
そんなふうに、年齢が上がって、
「この人と話していたい」「つきあっていたい」と魅力を上げる人がいるのです。

   (  https://lucky.t-nakai.work/2019/11/04/habit-11/ )

            <感謝合掌 令和2年2月16日 頓首再拝>

優しい言葉、愛称を伴っている言葉は家庭の空気を円満にする - 伝統

2020/02/19 (Wed) 04:51:32


     *「光明道中記」(2月18日《万(よろず)円満大調和の日》)より

【言葉の円味(まろみ)は家庭の重要な要素である(『生命の實相』第八巻)】

言葉は創造の力をもっているのである。

”太郎”と呼べば”太郎”が出て来る。
”次郎”と呼べば”次郎”が出て来る。
”馬鹿野郎”と怒鳴りつければ、相手は狂い立って馬鹿な行為をする。

多くの家庭はその家の主人の言葉の乱暴さによって、
どんなに毒されているか知れないものである。

或る家庭では、その家の主人が妻を呼ぶのに
「オイ、馬鹿」と云う言葉以外で読んだことがない。

「馬鹿と言われて腹が立つが、私を呼んでいるに違いないから、主人の方を向き、
用事をきき、嫌々ながら仕事をしました」と言って述懐された奥様もある。

そう云う家庭の空気が棘(とげ)立ったものであり、不愉快なものであり、
不調和なものであり、従って、その家の運命が暗いものであり、
不明朗なものであり、病人が絶えないのは当然である。

優しい言葉、愛称を伴っている言葉は家庭の空気を円満にするものである。
先ず家長から目下の者に、朝起きたとき、
丁寧に「お早うございます」と言い得るようでないと本当でない。

何でも横柄に権利のような態度でせられると、味わいがすっかり無くなって了う。
細君が古くなるほど飽きられて来るのは、
何でも権利のような顔をして押が強くなるからである。

            <感謝合掌 令和2年2月19日 頓首再拝>

《自分の心持は周囲に影響する》 - 伝統

2020/02/28 (Fri) 02:42:04


           *「光明法語」(2月28日)より

人の一挙一動は無論のこと、その心持ちは必ず周囲に影響を与えるものである。

社員を充分働かせるのも、働くのが興味がなくなって怠けるのも、
社長または上役の一つの励ましの言葉や、
冷酷な尊大ぶりなどによって、それが変わって来る。

やさしい言葉、やさしい態度、それがどんなに周囲に影響するか。

私に議論を吹きかけようとして演壇近くやって来た聴衆が私が演壇に立って
ただ「皆様ありがとうございます」とお辞儀をしただけで理屈がなくなり、
生長の家が好きになった人もある。

            <感謝合掌 令和2年2月28日 頓首再拝>

【悲観的なことを口にする人】 - 伝統

2020/03/12 (Thu) 04:07:27


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年03月06日)より

   (内藤誼人氏の心に響く言葉より…)

   「この国の経済は、どんどん悪くなっている」
   「このままでは、この国は滅んでしまう」

   選挙演説で、そんなことを口にして叫んでいる政治家がいるとしましょう。


   心理学者なら、その人の演説を聞いて、
   「ああ、この人は落選するな」ということがわかります。

   かなりの高確率で、「悲観的なこと」を口にしているほうが
   落選することが、明らかにされているのです。


   米国ペンシルバニア州立大学のハロルド・ズローは、
   1948年から1984年までの共和党、民主党の指名受託演説を分析してみました。

   どういうことを調べてみたのかというと、それぞれの候補者が、
   どれくらいアメリカの状況について悲観的なことを口にするか、でした。

   その結果、悲観的な候補者のほうが、
   10回中9回も負けていることがわかったのです。

   ほぼ確実に負けていたのですから、すごい確率です。


   「このままじゃダメだ!」「もう手の施しようがない状況だ!」などと
   口にすればするほど、その候補者は負けていたのです。

   ズローはさらに分析の範囲を広げて
   1900年から1944年の選挙についても調べてみたのですが、
   12回の選挙で9回は負けるという結果になっていました。


   ビジネスのリーダーもおそらくは同じでしょう。

   経営者が悲劇的なことばかりを口にする会社は、
   どんどん業績が悪くなっていくはずです。

   口を開くたびに悲観的なことばかり聞かされたのでは、
   社員のやる気も高まるわけがありません。

   どんどん気分が滅入っていくだけです。


   その点、底抜けに楽天的で、「俺たちは世界を取るぞ!」と
   何の根拠もないのに大風呂敷を広げるような経営者のほうが、
   社員だって頼もしいと感じるでしょうし、
   「この人について行こう」という気持ちになるはずです。

   政治家でも、経営者でも、
   頼りがいがある人は、あまり悲観的なことを口にしません。

   楽観的なこと、建設的なことを言ってくれるからこそ、
   それを聞く人も安心感を得るのではないでしょうか。


   日本の野党は、いつでも悲観的なことや、与党への文句ばかり
   言っているように私には見えます。

   私たちは将来に対して希望を持ちたいのであって、
   そういう希望を抱かせてくれるような候補者に票を投じたいと思っているのです。

   野党がやっていることは、どうも逆のように思えるので、
   これでは政権交代はしばらくないかもしれません。

        <『世界最先端の研究が教える すごい心理学』SOGO HOREI>

               ・・・

本書の中にこんなことが書いてあった。

『では、私たちはどんな候補者を選んでいるのでしょうか。
現実には、どの候補者がどんな政策を掲げているのかなど、
ほとんど気にしていない有権者のほうが多い、という現実があるようです。

実は、選挙で勝つためには、政策をアピールすることより、
たくさんの有権者と握手をしたり、小さな赤ちゃんを抱き上げたりすることのようが
重要なのです。

「なんとなく誠実そう」というイメージだけで、有権者は投票できてしまうのです。

私たちは相手に抱くイメージだけで、
誰をリーダーに選ぶのかの判断もできてしまうのです。

あるいは、「有能そうに見える顔」でも当選します。
ただし、顔といっても、イケメンであるとか美人であるとということではありません。
「知的で仕事ができそう」という印象です。』


あるアンケートによると、8割以上の女性は「慎重な性格」ではなく、
「陽気で楽天的な性格」が好きだという。

それは、陽気で楽天的な人のほうが、困難を乗り越え、生き延びやすいから、
「子孫繁栄をはかりやすい」と本能的に知っているからだという。


悲観的なことばかり口にするする人は、
イメージも暗いし、ガツガツとした生存本能がない印象がある。

反対に、陽気で楽天的な人には、どんなところでも、いつの時代でも、
どんなことをしてでも生き延びられるようなイメージがある。


悲観的なことを口にするのではなく…

どんなときも、明るく楽天的な人でありたい。

            <感謝合掌 令和2年3月12日 頓首再拝>

《外からの言葉の暗示に対抗するには》 - 伝統

2020/03/24 (Tue) 04:22:33


          *「真理」第9巻生活篇第2章(38~39)より

「衰えた胃腸が恢復する薬。胸がつかえる、ゲップが出るのは胃癌の兆候」
などと書いている新聞広告でも見て、恰も其の日、食べすぎて、胸がつかえた
感じがあったら、あなたは自分は居癌になるのではないかと心配し、
胃癌を心の描くことになるのです。

これが言葉の暗示力です。

「ぬけ毛は心配いらぬ。この養毛剤をつければ必ず毛根を養って、毛髪は濃くなる」
と書いてあると、それが偶々(たまたま)秋のぬけ毛の多い時になると、
その養毛剤を買って塗りたくなる。

このように「広告」は一種の催眠術家であって、文章のコトバの力や放送の
言葉の力で、人の行動を左右したり、病気を起したり、薬を買わせたり、
不幸を心に描かして、その不幸を現実界に出現させたりするのですから、

吾々は常に「吾れ神の子なり」の自覚を強めて外から来る不幸の暗示に
対抗しなければならないのです。

            <感謝合掌 令和2年3月24日 頓首再拝>

《善(よ)き言(ことば)の創化力を祈りに利用せよ》 - 伝統

2020/04/02 (Thu) 04:58:36


       *『 生長の家 』(昭和49年4月1日の法語)より

   “ ことば ”は アイディアを乗せた生命の波動であり、
   アイディアに描かれたる事物を 生命エネルギーを組み立てて
   創造する本質であり、材料であり、力である。

   それゆえに 何を“ ことば ”で唱えるか、何を“ ことば ”で念ずるかによって、
   その人の運命が支配され、

   善きアイディアを内容とする“ ことば ”を毎日念ずることにすれば、
   家庭は調和し、事業は繁栄し、家庭及び自分の健康は増進するのである。

   最近(昭和四十九年当時)発行された『 ジュニア希望の祈り 』というのは
   小中学生の年齢の児童たちが、“ 善き言葉 ”で毎日念ずることによって、

   健康で、善良な性格の、成績優良な子供になるための
   “ 祈り ”につかう、簡単な“ことば”を集めたものであるから

   子供をお持ちの方は、是非一冊をひとりひとりの子供のポケットに入れてあげて
   必要に応じて、どの言葉で祈るがよいかを辞書をひくように検索し得るよう小見出しを
   つけて工夫されたものである。

   大人の人たちの祈りのためには『 私はこうして祈る 』という本があるから、
   それによって検索して適当なコトバでお祈りになるとよいと思う。

   しかし本号には読者がすぐに利用できる短い“ 祈りの言葉 ”を書いて
   皆さまに差し上げることにした。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=125

            <感謝合掌 令和2年4月2日 頓首再拝>

【あなたはあなたが使っている言葉でできている】 - 伝統

2020/04/12 (Sun) 03:16:48


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.03.28)より

   (ゲイリー・ジョン・ビショップ氏の心に響く言葉より…)

   話し方が影響するのは、その瞬間だけではない。

   話し方はその人の無意識に入り込み、身体の一部になって、
   のちのちの思考や行動も変えていく。

   生活への影響で言うなら、話し方は人生観を形づくり、
   そして人生観は行動を変える。

   それを無視するのは危険だし、
   人生観なんてないと自分をごまかすのはもっと危険だ。


   「人生は不公平だ」と不平を言いながら生きている人は、
   その見方に沿った行動を取るようになり、やがては被害妄想を抱く。

   ある研究によれば、そんな不平をよく言う人は
   仕事がおざなりになるという。

   「がんばったって意味がない」と最初から決めつけているからだ。

   不公平だという見方は、こうしてあっという間にその人の現実になっていく。


   逆に、「成功はどこにでも転がっている」という見方の人は、
   仕事に打ち込めるのはもちろん、エネルギッシュで
   生き生きとした人生を送ることができる。

   もちろん、自分は成功できるという自信は、
   実際に成功するための(大切ではあるが)一つの要因でしかなく、
   成功へ至る道はほかにもある。

   しかし成功への信念がなければ、道のりは険しいものになる。


   「そんな信念なんて持ってない」という人には、この本がお勧めだ。

   のちにローマ皇帝になったストア派の哲学者、マルクス・アウレリウスは、

   「大切なのは、つらいときに『なんて不幸なのだ』と思うのではなく、
   『がんばる機会が得られて運がいい』と思うことだ」

   と言っている。


   問題をどうとらえ、どう表現するかは、すべて自分次第だ。

   それは足かせにもなれば、前へ進むための踏み台にもなる。

   人生を沈ませることもあれば、浮かび上がらせることもある。


   アウレリウス帝のようなストア派の哲学者は、
   外界の物事に影響される必要はまったくないと考えていた。

   自分にとっての現実は、自分の頭でつくり出すことができると考えていた。

      <『あなたはあなたが使っている言葉でできている』ディスカヴァー>

            ・・・

斎藤一人さんは、「100%の法則」についてこんなことを書いている。

『あなたに起こる出来事。
 それはしあわせなこともあれば、不幸なこともあると思います。

 それらすべての出来事に対して「これは100%、自分の責任なんだ」と
 思えたとき、自分の人生を100%コントロールすることができるようになる
 んです。


 これを「100%の法則」といいます。

 たとえば部長がいつもあなたにばかり怒るんだとしたら
 「部長が悪い」とみるのではなく、
 「私の中に部長を怒らせるなにかがあるんだ」とみる。

 そういう目を持つと、「確かに部長はすべての部下に怒ってわけじゃない」
 ということがわかりますし、

 「ならば怒られないようにするにはどうすればいいか」と
 いうこともわかるんです。

 自分が何回も騙(だま)されるんだとしたら、
 「自分が騙されるのを見抜けない」とか、
 なにか騙されやすいところがあるはずです。

 とにかく、この「100%の法則」は
 自分に起こる出来事を100%、自分の責任だとみる法則なんです。』
         (大丈夫だよ、すべてはうまくいってるからね)より


「人生は不公平だ」という人は、
自分が悪いとはこれっぽっちも思っていない。

すべて、世間が悪い、政治が悪いと思っている。

つまり、100%の法則ではなく、0%の法則。


すべて、人のせい、政治のせいだという人は、
自分で自分を変える努力をしない。

だが、人を非難しても自分は何も変わらない。

そんなヒマがあるなら、まず自分ができることをすることだ。


「大切なのは、つらいときに『なんて不幸なのだ』と思うのではなく、
 『がんばる機会が得られて運がいい』と思うことだ」


頭の中で、よりよき言葉に置き換えること。


「あなたはあなたが使っている言葉でできている 」

人生は言葉によって変わることができる。

            <感謝合掌 令和2年4月12日 頓首再拝>

言葉は刃物ぞ。気をつけて使え! - 伝統

2020/04/15 (Wed) 04:01:07


       *NHK「麒麟がくる」(2020.04.12)より

第13回「帰蝶のはかりごと」が4月12日に放送され、
本木雅弘さん演じる斎藤道三が放った「言葉は刃物ぞ」が視聴者の注目を集めた。

怒り狂った高政は、道三のもとへと乗り込むと、
感情が高ぶるまま道三を「お前」呼ばわりしてしまう。

しかし、道三は微動だにせず、瞳の奥に怪しい光を宿しながら

「お前? 言葉は刃物ぞ。気をつけて使え!」

とドスのきいた声で言い返す。

 
SNSでは「『言葉は刃物ぞ。気をつけて使え』今日の名言」

「『言葉は刃物ぞ、気をつけて使え』…良いせりふや」
「『言葉は刃物ぞ、気をつけて使え』。一度使ってみたい言葉ぞw」
「『言葉は刃物』、今の世の中にぐっさり刺さる言葉」
「名言『言葉は刃物ぞ』は積極的に使っていきたい」
「『言葉は刃物ぞ。気をつけて使え』←どこかで使わせていただきます」

などと盛り上がりを見せた。

   (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200412-00000012-mantan-ent

            <感謝合掌 令和2年4月15日 頓首再拝>

【最後に言ったことが大事】 - 伝統

2020/04/27 (Mon) 03:51:32


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月02日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   豊かになりたい人は、
   「豊かになりました! ありがとうございます! 」と願えばいいのです。

   仕事を繁盛させたい人は、
   「仕事が忙しくなりました! ありがとうございます! 」と願えばいいのです。

   どんな願いでも、すべて同じお願いの仕方で大丈夫です。

   これがコツなんです。


   「なりたい状態になったつもりで感謝すること」が大事だとお話ししましたが、
   さらに、とっておきのコツをお話ししましょう。

   「お願いする言葉は、最後に言ったことが大事」なのです。
   最後に何を話すかで、あなたの発信する「願い」は変わってきてしまうのです。


   例えば、「部長がガミガミうるさく言うんです」とずっと思っていると、
   「ガミガミうるさく言う」という思いが発信されて、あなたの部長は、
   ますますガミガミ言うでしょう。

   ところが、「部長が10倍うるさく言っても、私はぜんぜん平気です」

   と思うと、どうでしょう?


   「内神さま」は「ぜんぜん平気です」という現実を、かなえようとするのです。
   その結果、あなたの心はなんだかとても落ち着いて、
   平気な顔をして会社に通えるようになるかもしれません。

   部長は「平気な顔」をしているあなたに、ガミガミ言いづらくなるかもしれません。
   もしくは、あなたが他の部署に異動して、部長と別れられるかもしれません。

   とにかく…、「私はぜんぜ平気です」にともなう現象が起こってくるのです。


   これはたとえてみると、タクシーと同じです。
   タクシーに乗って、運転手さんに、「東京駅に行ってください」とお願いしたら、
   運転手さんは、東京駅に向かってタクシーを走らせますよね。

   ところが、「東京駅に…、あ、やっぱり、新小岩へ行ってください」
   とお願いしたら…、あなたが最後に言った「新小岩」へ向かって、
   運転手さんはタクシーを走らせるでしょう?


   最後に何を言うかで、その人の運勢は決まってくるのです。

   最後に、どんな言葉を放つかを、「内神さま」は聞いているのです。

          <『神様に上手にお願いする方法』KKロングセラーズ>

         ・・・

「終わりよければすべてよし」ということわざがある。
結末さえよければ、途中のいざこざや失敗などがあっても
まったく問題ではない、ということだ。


「ピーク・エンドの法則」とも似ている。

ピーク・エンドの法則とは、ピーク(絶頂期)や、エンド(終わり)が、
どんな感じ、どんな気持ちだったかで全体の印象が決まる、というものだ。

ピークのときや最後のときの印象が、いい感じであれば、
途中にどんな嫌なことがあっても、すべてが好印象になるという法則だ。


逆に言うと、現在が、がっかりすることや失敗続きで、
愚痴のひとつもいいたくなるような状況であっても、
「でも、うまくいった」「でも、大丈夫だった」と最後を好印象の言葉でしめくくればよい、
ということになる。

言葉が未来を引き寄せるからだ。


「どんなに失敗しようと、間違えようと、
不思議に最後はうまく行くんだよなぁ… ありがたい! ツイてる! 」

最後を、明るい言葉、元気の出る言葉でしめたい。

            <感謝合掌 令和2年4月27日 頓首再拝>

《言葉に善事(よいこと)のみを語れ》 - 伝統

2020/04/29 (Wed) 04:58:22


          *『 生長の家 』(昭和26年4月29日の法語)より

   何事についても絶望的な言葉を吐くな。
   悲観的な言葉を告げるな。

   言葉は宇宙に放送されて やがて具体化するのである。

   楽観的な言葉を吐けば 楽観的な事柄があらわれて来、
   悲観的な言葉を吐けば 悲観的な事柄があらわれて来るのである。

   世間話を慎め。ゴシップに気をつけよ。
   苟(いやしく)も他(ひと)の悪を語るゴシップに交ることなかれ。

   不景気を語るな。常に好景気のみを語れ。
   人の善意のみを語れ。

   何事か悪しきが如(ごと)く見えても、
   それは現象であり、仮想であって、
   実相ではないのである。

   神のつくり給える実相は 久遠(くおん)に完全であって、
   今も尚(なお)、その完全さが存在するのである。

   言葉の魔術で 実相の完全さを曇らしてはならないのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12258815.html(消滅)

            <感謝合掌 令和2年4月29日 頓首再拝>

言(ことば)は万事の本(もと) - 伝統

2020/05/03 (Sun) 04:35:32


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月3日)」より

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神なりき。
万(よろず)のものこれによりて成る」と「ヨハネ伝」の冒頭にあるとおり、
言(ことば)は万事の本(もと)である。

言(ことば)というのは空気の振動ばかりのことではない。
心の振動も、顔の皮膚の振動も、身体(からだ)の態度も、文章も、手紙も
すべてコトバである。

しかし根本的には心の振動が、言語という空気の振動ともなり、
表情という顔の皮膚の振動ともなる。

見ゆる形は、見えない心的エネルギーが現われたのである。

心を平和に、言葉に善きことのみを発し、表情を明るくすることが大切である。

           <感謝合掌 令和2年5月3日 頓首再拝>

《言葉の暴力にお気をつけなさい》 - 伝統

2020/05/13 (Wed) 04:09:36


          *「真理」第9巻生活篇(P168~169)より

私たちは言葉の力を知らなければなりません。

冗談にもせよ、あなたの耳にきこえた言葉は多少とも自分の潜在意識に印象されて
言葉の意味するものを自分自身の肉体に、或(あるい)は其の身辺に実現しよう
と云う力をもっているのです。

それは最初は小さい力であってすらも、
それが繰返し耳に入るとき大いなる力となって、その言葉の通りになるのです。

ラジオのスポット広告にでて来る薬剤の広告などでも、
「そんな馬鹿らしい誇大な広告にだまされるものか」と思っていても、
多少自分の身体(からだ)に変調でも感じて来たときには、
いつの間にか其の薬剤を買って服(の)んだりするのです。

言葉の力は恐ろしい暴力となって私たちに無断侵入して来つつあるのです。

”言論の自由”だけが強調されて
”聞かない自由”が保護されていない憲法は改正されねばなりません。

           <感謝合掌 令和2年5月13日 頓首再拝>

《太初にコトバありコトバは神と偕にあり》 - 伝統

2020/05/23 (Sat) 04:40:38


         *『 生長の家 』(昭和52年5月1日の法語)より

   宇宙はひとつの霊的磁石的中心をもつ生命の波動の世界である
   と謂うことができるのである。

   星雲は、まだハッキリした太陽系の如き中核体をもたない
   大生命の波動の幼児期のようなものである。

   けれども、それはひとつの霊的磁石的中心をもってはげしく渦巻いているのである。

   その渦巻の中心にアイディアをもつ霊的生命が、
   そのアイディアを放出しつつ、次第にその渦巻をアイディアの形相(かたち)にまで
   具体化する過程を徐々につくりつつあるのである。

    http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=umenohana&mode=res&log=7

           <感謝合掌 令和2年5月23日 頓首再拝>

善き言葉を駆使する術を知らねばならぬ - 伝統

2020/06/03 (Wed) 04:14:59


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月3日)」より

「知力も直覚も語(ことば)によって構成せられ、またそこなわれる。
善き語(ことば)、悪しき語は知力と直覚とをあるいは構成し、あるいはそこなうがゆえ、
十分語を選択する術(すべ)を知らねばならぬ」とパスカルは言っている。

言葉の暗示の力は、智力を増し、直覚を増す。
祈りが学業成績に影響するのは当然なことである。

子供の学修を指導しつつある父母がすぐ焦(じ)れてきて
「子供の頭の悪さ」に不平を言うがようなことでは、
その子供の学業成績は挙がるものではない。

           <感謝合掌 令和2年6月3日 頓首再拝> 

汝(なんじ)の舌にて善き言葉のみを語れ - 伝統

2020/06/11 (Thu) 04:05:54


        *『 生長の家 』(昭和25年5月13日の法語)より

汝の舌によって憎みの言葉を語るな。
悪しきことを語るな。
人を呪(のろ)う言葉を語るな。

汝の心に悪を思うな。
怒る勿(なか)れ。
憎む勿れ。

そして唯 実相のみを見よ。

これ汝らが神によって救われんがためである。


神は無限の愛であるから
何ものをも憎み給うことなく、怒り給うことなく、
永遠に吾々を祝福し給うているのである。


常に神にふりむけ、

そして愛の言葉のみを語れ。
人のよきことのみを語れ。

かくれたる所にて、凡ゆる人々をほめよ。

それが自己に於いて
神を現わす所の最善の智慧である。

誰かが自分の心を傷つけようとも、
それは かつて自分が誰かを傷つけたことがあるからである。

 ( http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=132 )

           <感謝合掌 令和2年6月11日 頓首再拝> 

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