伝統板・第二

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年の瀬 ② - 夕刻版

2018/12/12 (Wed) 19:48:27


《松迎え~正月様迎えの「門松が立つ」》

新しい年の干支にあたる男「年木樵(きこり)」が12月13日、
恵方の山に入って門松用の松の木を伐って来るくることを松迎え
といいます。

農耕民族である日本人は、1年中の工作と収穫を守る神様を、
「歳神様」「お正月様」などと呼び、正月にはこの神様が門松を
伝って降臨すると信じられていました。

これが、門松の起こりです。

  (http://www.hokkaidojinjacho.jp/12gatsu30.pdf

             ・・・

飾らないのは神様を歓迎しない態度表明。お正月には必ず門松を

         *Web:MAG2NEWS(2018.12.01 )より

《門松を飾ろう》

来年1年を幸せに過ごしたいなら、必ず門松は飾ってください。

なぜなら、門松は

神さまが降りてくる目印だからです。

お正月には神さまが各家庭に降りて来てくださるんです。
で、そのお家に福徳をもたらしてくださると。


ところが、門松が飾ってないお家には

どこに降りればいいのか解らない…んですよ、神さま目線からするとね。

なので、門松を飾らないということは

  ・べっつにウチに招待する気なんてないし~(`3´)

と神さまに言っているようなモンなんですよ。

(中略)

さて、門松を飾るのがマストだとして、
その門松はどんなものがいいのかというと、とにかく

竹の高さが高ければ高いほどイイんです。
高いほど神さまが降りやすいそうです。

(中略)

門松は神さまに見える目印。1年を幸せに過ごしたいなら是非飾ってくださいね。

     (https://www.mag2.com/p/news/377928

・・・

<参考>

伝統板・第二「年の瀬」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7674561

            <感謝合掌 平成30年12月12日 頓首再拝>

煤払いと事始め - 伝統

2018/12/13 (Thu) 19:51:43


なぜ、年末に大掃除 ?

暮れの煤(すす)払いは年中行事の一つで、
多く12月13日に行なわれる。

13日は「鬼宿ニテ、吉日ナリ」とされ、
『煤払い餅』を祝うのがしきたりである。

これは1年の最終の大掃除であると同時に、
正月迎えの準備の第一番手の意味がある。

昔は、といってもつい最近まではカマドの火で炊饗することがあったので、
大掃除は文字通りのススハライであった。


今年1年中の「伊都閉黒益(いつべくろま)し」「烟(けぶり)満ち足り」
「とだる天の御巣(みす)なして」、

1年中の間に溜まったススを払うということは、かくて来年もまた
今年と同じくススが垂れ下がるほど豊かにカマドの火が焚けますようにと
神に祈願する意味である。

つまり煤払いは神に奉仕する為に行なわれる事であった。


関東でも13日が煤払いで、これで正月の準備が始まるとされている。

正月を迎えるということは、正月祭りのために祖霊を迎えることである。

煤払いは実質的な『祓い』であるとともに、その掃除のあとに
「火あらため」の新火をおこすのは、正月の神に供えるあげものを
炊饗するための準備であった。

この時の食事を『年取り』という地方もあって、
煤取り節供の重要なことを知らしめる。

   (http://www.hokkaidojinjacho.jp/12gatsu30.pdf )

・・・

そして、

今日12月13日は新しい年を迎える準備を始める「事始め」であり、
京の花街では芸舞妓(げいまいこ)が芸事の師匠やお茶屋を訪ね挨拶まわりを
行ないました。

(祇園で新年準備「事始め」
  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181213-00010011-houdoukvq-cul )

            <感謝合掌 平成30年12月13日 頓首再拝>

12月14日は赤穂浪士討ち入りの日! - 伝統

2018/12/14 (Fri) 17:55:51


「忠臣蔵」で有名な、大石内蔵助良雄以下、四十七士が
本所の吉良上野介邸に討ち入りした日です。

1702(元禄15)年12月14日の寅の上刻(午前3時)頃のことです。
 
赤穂浪士は一般的には四十七士とよばれるが、
浪士の一人の寺坂吉右衛門は討ち入りに参加したが、
泉岳寺にひきあげる途中で姿をけして切腹をまぬがれ、83歳まで生きています。


<参考Web>

(1)討ち入りの概要と泉岳寺の赤穂義士墓
   → https://jpreki.com/akouroushi/

(2)赤穂義士 寺坂吉右衛門信行の一部始終
  ①→ https://akoinfo.com/akogisi/gisikojin/terasakakitiemon.html
  ②→ http://sakamichi.tokyo/?p=10575

(3)(赤穂浪士討ち入り)史実はどんな感じだったの?
   → https://bushoojapan.com/tomorrow/2013/12/13/11055

            <感謝合掌 平成30年12月14日 頓首再拝>

年の市(歳の市) - 伝統

2018/12/15 (Sat) 18:11:49


あわただしい年末に「市が立つ」

年の暮れ、各所に関係のある飾り物や羽子板、縁起物などを
売る「年の市」が立ちます.

江戸時代からさかんになったもので、参詣人が集まる社等の
境内や門前などに立つようになりました。

年末になると各地に年の市が立って、周辺の農漁村などから、
正月の準備のために多くの人々が集まってきます。

さかには、自分たちが作った飾り物、ほうき、縁起物などを売る
人もいて、農漁業の収入を補い、正月準備のための貴重な収入源
となっていました。

東北地方などの年の市は、年末ギリギリになってから立つので
「詰市」と呼び、市によってはは、売れ残りを捨て値で売る事
から「捨市」と呼ばれています。

  (http://www.hokkaidojinjacho.jp/12gatsu30.pdf

            <感謝合掌 平成30年12月15日 頓首再拝>

年の瀬 - 伝統

2018/12/16 (Sun) 19:21:22


平成30年(2018年)師走(12月)も15日を過ぎ、
この頃から大晦日まで、一般的に「年の瀬」といわれているようです。

「瀬」とは川が浅く流れが急なところを指していますが、
1年のうちでもこの時期は急き立てられるように時間が経過することから
「年の瀬」と言います。

昔の人は、年始の準備やら暮れの支払いやらで、急流を船で越すように、
年の暮れを乗り越えるという感覚だったそうです。



忠臣蔵の大高源吾には、俳諧の師・室井其角との間に、
「両国橋の別れ」という歌があり、今に伝えられております。


    「年の瀬や水の流れと人の身は明日待たるるその宝船」


赤穂浪士の「大高源吾」は俳諧にも造詣が深く、
「子葉」(しよう)という号を持っています。

討ち入りの日の夕方、大歳のすす払いの「すす竹」売りに身をやつした源吾は、
両国橋で、俳諧仲間の師匠「宝井其角」と偶然会います。

其角は、源吾の身なりを見て、その落ちぶれようが本当だと勘違いし、
もう会うこともあるまい、と自分の羽織を与えます。

そして、最後に付け句を、と、橋の上から隅田川の流れをを見ながら、
「年の瀬や、水の流れと人のみは」と出します。

(この意味は、年月がたつと、人の運命は大変変わるものだ。
特に落ちぶれた時は、年末の時が余計に身にしみる。
水の流れは止まらず、流れていくように、人の身(運命・・この場合は源吾を指す)も
本当に分からないものだ、というものです。)

これに対し、源吾は、その夜が「吉良邸」への討ち入りですから、
「明日 またるる その宝船」と返すのです。

(意味は、明日になれば討ち入りは終わる。長年の願いがかなう。
吉良を討つことができれば、最高だ。万一失敗しても、皆で切腹するのだから、
なき主君の下へいける。ともかく、長年の念願であった本懐を遂げることができる。
宝船みたいだ。というものです。)


*大高源吾と宝井其角「両国橋の別れ」『忠臣蔵』
   → https://www.youtube.com/watch?v=9mnuvoKSbkk

            <感謝合掌 平成30年12月16日 頓首再拝>

「羽子板市」 - 伝統

2018/12/18 (Tue) 17:21:55


その年の最後の「観音さまのご縁日(納めの観音)」に
正月用品や縁起物の品を売る「歳の市」がたったことから始まり、

江戸時代の末期頃、羽子板に流行の歌舞伎役者の舞台姿の似顔絵を
貼りつけたことから女性に人気を集め、
徐々に『歳の市』から『羽子板の市』に重点が移っていきました。


明治時代以降、年末の風物詩「羽子板市」が縁起物として定着。
現在でも、浅草寺の羽子板市は毎年多くの人で賑わいます。
(日程:2018年12月17日(月)~12月19日(水))

浅草寺・羽子板市の当日は、30軒ほどの羽子板の露店のほか、
数多くの屋台・露店が仲見世を抜けたあたりから境内にかけて軒を連ね、
威勢のよい三本締めの声が響きわたります。

定番の歌舞伎の絵柄や、その年に活躍した
芸能人・政治家・スポーツ選手・キャラクターなどの
「世相羽子板」も名物となっています。

・・・

<参考Web>

(1)年の瀬に「羽子板」が縁起ものとして売られる理由
   https://dot.asahi.com/dot/2018121300018.html?page=1

(2)かつて、羽子板市に女性がたくさん集まった理由とは?
   https://dot.asahi.com/tenkijp/suppl/2015121000072.html

            <感謝合掌 平成30年12月18日 頓首再拝>

「冬至」 - 伝統

2018/12/21 (Fri) 18:55:05

明日22日は、「冬至の日」です。



私たち人間は、様々なエネルギーから影響を受けて生きています。
その中でも、冬至の日は太陽のエネルギーが陰から陽へと切り替わる
ターニングポイントです。

新しい1年はこの冬至からスタートしていきます。


この日を境に、太陽のエネルギーが拡大し始めていきます。
冬至の24時間の間、この世界に新しいエネルギーが溢れ出るのです。

特に2018年の冬至は、スーパームーン(12月23日満月)ともほぼ重なり、
目醒めを促すエネルギーが大量にこの世界にやってくる日です。

19年、20年と「私たちの大きな変化」の流れに乗っていくためにも、
「18.12.22 冬至」この日の過ごし方は特別に大事なものとなります。

この日にぜひ、過去のネガティブな想いや不要な考えを完璧に「クリアリング」して、
「シフト」した新しい人生へと、創造しなおしましょう!

https://ameblo.jp/keikoanaguchi/image-12426610996-14322586400.html

               ・・・

ちなみに、冬至を指す「一陽来復」は「冬が去り、春が来ること」を意味する
と同時に「悪い事が続いたあと、ようやく物事が良い方に向かうこと」でも
あります。

 
また、冬至には「ん」がつく物を食べて、一陽来復の運気上昇にあやかり、
無病息災を願う風習が各地に残ります。

「ん」がつく食べ物とは、大根や蜜柑(みかん)もそうですが、
よく言われるのは下記の7つで、いわゆる「冬至の七種(ななくさ)」です。

   南瓜(なんきん)かぼちゃ
   人参(にんじん)
   蓮根(れんこん)
   金柑(きんかん)
   銀杏(ぎんなん)
   寒天(かんてん)
   饂飩(うんどん)うどん

「ん(運)」がつく食べ物は「いろはにほへと・・・ん」で一陽来復、
また最初に戻る縁起物。

柚子を融通、冬至を湯治にかけて柚子湯に入るのは願掛けでもあります。

歳の暮れと新年を迎える準備が合わさった忙しさの中でも守られてきたこう
した習慣には、家族の健康への気遣いとこれからの無病息災への願い、
そして新しい年を迎える前の禊ぎの意味合いがあったとされています。


・・・

<参考Web>

(1)光明掲示板・第三「一陽来復」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=489

(2)光明掲示板・伝統・第一「一陽来復」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=11

(3)伝統板・第二「一陽来復」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6464915

(4)伝統板・第二「一陽来復②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6702297

            <感謝合掌 平成30年12月21日 頓首再拝>

正月飾り - 伝統

2018/12/24 (Mon) 18:46:34

年の瀬は、お正月準備を含めて何かと忙しい時節です。

正月飾りとは、その年の歳神様を迎え、祭るために整えるものです。
一般の家庭では、飾り付けは12月27日位から始めます。
(29日は「苦を待つ」につながり、
 31日は「一夜飾り」になる為この日に飾るのは縁起が悪いといわれています。)

お正月飾りをとるのは歳時記では14日とされています。


正月飾りも今はずいぶんと簡略化されていますが、
飾り物にもひとつひとつに意味があります。

例えば、門松は歳神様が降りてくるときの目印となり、
「松は千歳を契り、竹は万代を契る」との諺にもありますように
松には長寿、竹には発展への願いが込められています。

しめ飾りは不浄なものを寄せつけず、清らかな場所であることを示し、
鏡餅は年神様の神霊が宿る神聖な供物であり、丸い形は円満を表します。

また、赤い実の南天も、福寿草の花とセットで
「難を転じて福となす」という縁起物として正月飾りに用いられます。

(参考Web:http://www.hideshime.co.jp/history/ )

<関連Web:谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
       『正月の餅飾りの意義を語る』
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=49 >

            <感謝合掌 平成30年12月24日 頓首再拝>

クリスマスが過ぎたなら - 伝統

2018/12/26 (Wed) 19:46:14


大晦日おおつごもり(さだまさし)

作詞:さだまさし
作曲:さばまさし

   → https://www.youtube.com/watch?v=g_AQpfGzdKQ


クリスマスが過ぎたなら 
今年を振り返る季節
だってもうすぐ誰にでも 
新しい年が来る

クリスマスが過ぎたなら 
心を入れ替える季節
ちゃんと反省した人には 
素晴らしい年が来る


どんなに辛い年でも 
どれ程苦しい年でも
全て今年に詰め込んで 
悲しみにさよなら

※大晦日の夜には 
  ゆく年に心からありがとう
  みんなで一眠りしたなら 幸せになろう※


クリスマスが過ぎたなら 
やさしい人になる準備
来年こそ今年こそは 新しい人になろう

クリスマスが過ぎたなら 
あったかい人になる準備
笑顔で過ごせるような 
素晴らしい年が来る

新しいカレンダーと 
新しい今年の生命(いのち)
涙拭い笑って歌おう 
悲しみにさよなら

クリスマスが過ぎたなら 
全ての生命(いのち)にありがとう
みんなで一眠りしたなら
幸せになろう

※大晦日の夜には 
  ゆく年に心からありがとう
  みんなで一眠りしたなら 幸せになろう※

クリスマスが過ぎたなら (涙拭い)
全ての生命(いのち)にありがとう (笑って歌おう)
みんなで一眠りしたなら (悲しみにさよなら)
幸せになろう

大晦日の夜には (大晦日の夜には)
ゆく年に心からありがとう (ありがとう)
みんなで一眠りしたなら (素晴らしい年)
幸せになろう (ハッピーニューイヤー)

            <感謝合掌 平成30年12月26日 頓首再拝>

注連縄 - 伝統

2018/12/27 (Thu) 19:31:35


《注連縄》

「注連縄」と書いて「しめなわ」と読みますが、
これもお正月に年神様を迎える準備の一つです。

神聖な場所と下界を分ける役割を持つ縄で、自分の家が年神様を
迎えるにふさわしい、清められた所であることを示すものです。


かつては年末に家庭で新しく「注連縄」を作り、家長が神棚のある座敷や
井戸、蔵など家の中でも特に大切な場所に張り巡らせる習慣がありました。

現在は簡略化され、「注連縄」と同じ効果があるという「輪飾り」や、
「注連飾り」(しめかざり)を玄関などに飾るようになりました。


「注連飾り」は、小さな注連縄に長寿を願う植物の「裏白」(うらじろ)や、
後の世代まで「福を譲る」という意味のゆずり葉、家が「代々栄える」よう
願いを込めたダイダイなどをあしらったものがよく使われています。

12月中旬から28日までに飾り終えるのが習わしですが、
28日に間に合わなかった場合は、29日を避けて
30日に飾るのも大丈夫だそうです。


*裏白:正月のお飾りに使われるシダで、表面は緑色ですが、裏面は白。
    裏を返しても色が白いことから、心に裏が無い、清廉潔白を願い、
    また白髪になるまでの長寿を願います。

・・・

《しめなは(注連)の縁起》

        *『叡智の断片』(P262)より
 
しめなは(注連)の縁起は次の通りである。

《しめなは》は天照大神が天の岩戸からお出ましになった時、
二度と再びお入りにならない様に張りめぐらしたものであると古事記に書いてある。

それはどういう意味かと言うと「再び退転しない」という意味である。
再びもとの暗い生活には帰らないという誓いをあらわす。

《しめなは》を張りめぐらす所はどこかのかど口の様な所だと思っていたら大間違いで、
実は、自分の心の中に張りめぐらすのである。

心の中で、「二度と再び過去のあやまちには退転しない」と固く決心することなのである。


*初出は、『白鳩』(昭和22年3月号 「道場聴き書」)。

            <感謝合掌 平成30年12月27日 頓首再拝>

おせち - 伝統

2018/12/28 (Fri) 18:11:16


          *Web:[NIKKEIプラス1(2018年12月22日)]より抜粋

富士経済によれば重詰め(完成品)おせち市場は約600億円(2017年)で拡大傾向。
ところが「百貨店で見かけるような豪華なおせちは、
雑誌などの影響を受け戦後に誕生したもの」だという。
教えてくれたのは、日本の民俗学に詳しい国学院大学の新谷尚紀教授。

正月のぜいたくな料理がおせち料理ではなかったのか?
おせちの起源はどこにあり、一体いつからこんなに豪華になり始めたのだろう。

そもそも「おせちとは正月やひな祭りなどの五節供(現在の節句)に
神様に供える『御節供(おせちく)』のこと」(新谷教授)。

神様に供えた食事を下げて家族で食べる直会(なおらい)の食べ物が起源だという。
時期は稲作が広まった弥生時代に遡り、奈良時代から平安時代にかけて
定着したともいわれるが「定かではない」(同教授)。


江戸後期には、数の子や田作り(ごまめ)、たたきゴボウなどの祝いざかなを
おせちとして用いていたとの記載が「諸国風俗問状答」にある。
これらには、それぞれ子孫繁栄や健康で暮らせるようにとの願いが込められていた。

今のおせちとの決定的な違いはその形。
当時のおせちは三段重スタイルではなく、左の江戸時代の歴史資料にもあるように、
三方に松竹梅やミカン、栗、伊勢エビなどの縁起物を飾った「食い積み」(丸印の部分)と、
ご飯、魚、煮物などの「本膳」の2本立て。

中身も大名家ですら、芋や豆など質素なものだった。

また、食い積みは年賀に訪れた客人に出すが、実は食べるふりだけ。
飾りの意味合いが強かったという。

幕末から明治期に入り、形式的な食い積みが廃れ、
祝いざかなを重箱に詰めたものが残ったともいわれる。


そして明治後半。雑誌「婦人の友」などで重詰め料理が
正月料理として紹介されるようになる。
大正期には品数も増え、刺し身の重もあったという。

試行錯誤を重ねながら、口取り、焼きもの、甘煮、酢の物に収束していった。

これらが広がったのは、戦前の女学校などで実施された
「かっぽう教育」の影響もあるようだ。
「それまで地域ごとに様々だった正月料理が、次第に全国統一されるようになった」
(国立歴史民俗博物館の山田慎也准教授)。

ただし、当時は口どりや松竹梅を模した野菜の煮物など簡単なものだった。

戦後、高度経済成長を背景に、雑誌が紹介するおせちは見た目も派手になっていく。
さらに昭和後期のバブル景気に乗り、百貨店や高級料亭が販売するようになった
のが今の豪華なおせちの始まりだ。

  (https://style.nikkei.com/article/DGXKZO39186700Q8A221C1W11300?channel=DF260120166489

            <感謝合掌 平成30年12月28日 頓首再拝>

お正月、歳神様・福の神を迎える『門松』『鏡餅』 - 伝統

2018/12/29 (Sat) 19:09:01


もう いーくつ寝ーると お正月ー♪♪

あと3日で、お正月がやってきます!


   童謡:お正月~おしょうがつ~
      https://www.youtube.com/watch?v=fcSrPUNAiLw

      作詞:東くめ
      作曲:滝廉太郎

      もういくつねるとお正月
      お正月には 凧あげて
      こまをまわして 遊びましょう
      はやくこいこいお正月

      もういくつねるとお正月
      お正月には まりついて
      おいばねついて 遊びましょう
      はやくこいこいお正月


そして、今日は12月29日は、福の日。
 (→ https://kerokero-info.com/what_today_calendar/what-today-1229-3/ )

お正月には、歳神様・福の神様がやってきます。


歳神様・福の神様を招く印として、『門松』『鏡餅』がありますが、
その深い意義については、次のWebにて確認してください。

伝統板・第二「年の瀬」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7674561

(1)《門松》2017/12/28 (Thu) 19:31:02

(2)《鏡餅》2017/12/29 (Fri) 18:13:17

            <感謝合掌 平成30年12月29日 頓首再拝>

大晦日 - 伝統

2018/12/31 (Mon) 20:06:44


2018年最終日の12月31日「大安」、

なんて縁起がいい日なのでしょう!

《年越しそば》

大晦日に食べる年越しそばは、一年を締めくくる年の瀬の
風物詩。細く長く幸せに暮らせますように、との願いが込められています。

折しも十一月~十二月は新そばの旬。除夜の「除」とは、一年の穢れを取
り除くという意味。

(『日本の七十二候を楽しむ-旧暦のある暮らし-』
  文 白井明大 絵 有賀一広 東邦出版 p193)

<参考Web>
 伝統板・第二「正月」(大晦日《年越し蕎麦》2016/12/31)
  → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7145080



《除夜の鐘》

大晦日の夜、深夜零時をはさんで、お寺で百八つの鐘を撞きます。

鐘の数は、百八の煩悩を鐘の音で打ち消すとも、
月の十二、二十四節気の二十四、七十二候の七十二を足すと百八になり、
1年間を表すともいわれます。除夜とは大晦日のこと。

(『暮らしのならわし十二か月』飛鳥新社 p252)


<参考Web>
 光明掲示板・第二「過去を除夜の鐘と共に放つ日」
  → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/mode=res&log=866



《年取りの飯》

昔は数え年だったので、正月を迎えると、みんな
一緒に一歳、年を取りました。

大晦日の夜、年取りの飯、または年越し料理といって、
お祝いのごちそうをいただくならわしがあります。

このときは尾頭つきの魚が出るとも。

昔は、このごちそうのことを、お節と呼んだのが、
やがて正月にいただく重箱料理をお節というように。

(『暮らしのならわし十二か月』飛鳥新社 p253)

<参考Web>
 大晦日の過ごし方、地方によってこんなに違う
  → https://www.tbsradio.jp/105592

            <感謝合掌 平成30年12月31日 頓首再拝>

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