伝統板・第二

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「希望實現 ③」 - 伝統

2018/12/03 (Mon) 03:24:55


《あなたの希望は“神の希望”である》

       *『人生の秘訣365章』第8篇(P224~225) より

すべての人は“神の子”であるから、
親さまなる神の“子に対する願い”が人それぞれに秘められているのである。

神がその“子”に秘められている願いがあなたの為さんとする
“願い”となり“希望”となってあらわれて来るのである。

それゆえに、あなたは、あなたの願いから後退することは要らないのである。
願いがその成就の途がふさがれたように見えるときにも、
神さまの胸の裡には、それを成就する道が既に計画されているのである。

その計画を神から授かって来るならば、
あなたの願いは容易に必ず成就するのである。

神の授けたまえる方法を感受するには神想観を実修し、招神歌の第三首目の、

 わが業はわが為すにあらず天地を貫きて生くる祖神の権能

という聖歌を繰返し繰返し心のうちに唱えて、

自分の成就せんとする仕事は、自分の仕事ではなく、神の仕事であり、
自分は神の希望実現の番頭又は天の使いとしてこの仕事に取り組んでいるのだ
という信念を深くもつようにして、自然に内から催して来る想いに随って
行動するならば、自然によき結果が得られるのである。
 
・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「希望實現①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6461366

(2)伝統板・第二「希望實現②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7129388

            <感謝合掌 平成30年12月3日 頓首再拝>

【「うっとり」が大事】 - 伝統

2018/12/19 (Wed) 04:10:17


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年07月30日)より

   (無能唱元氏の心に響く言葉より…)

   世の中には健康を願い、成功を願い、富を欲しながら、
   もうガリガリするほどそういうものを欲しながら得られない、
   ということは運が悪いわけでもなく、神様がそうさせてるわけでもない。

   実は、自分自身がアラヤ識の入口で失敗している、
   ということを知らなくちゃいけないんです。

   「因果は同類にしたがう」、この法則をよく知る必要があるんです。

   このことを知らずにいて、アラヤのなかに毎日、毎日、
   何かをインプットしつづけているのが我々の人生なんです。


   日常、私ぐらい不幸な人間はいない、
   生まれつき自分は恵まれなかった、親が悪いとか先祖が悪いとか、

   私はまっ正直なもので、人にしょうっちゅう利用されるばかりで、
   いつまでたっても芽が出ないんだというような、
   マイナスのことばかり考えている人がいる。

   そういう人がお金持ちになりたい、健康になりたいと願っても、
   アラヤのほうではそういうふうには働いてはいかないんです。


   この世の中は、プラスとマイナスの2種類の性質しかないんです。

   健康があって病気がある。

   金持ちがいて貧乏人がいる。

   成功があって失敗があり、夜と昼、高いと低い、おいしいとまずい、
   我々にとって利益のあること、ないことも含めて全部2種類の性質です。

   頭で考えたことが、それと同類の感情が結び合わない限り、「念」にならない。

   アラヤにインプットされないんです。

   これは重大な秘密です。


   つまり、この世の中に金持ちになりたいと思う人は大勢いるし、
   成功したいと思う人は大勢いる。

   それなのになぜ得られないかという最大の原因は、
   日常の感情がマイナスになっていることが多いからです。

   私の話をきいてるはなから、
   「念ずるだけで実現するなんて、世の中そんなに甘くないよ」なんてね。

   否定的に思っている人がいるでしょう。

   これはマイナスの考えです。


   私はこの仕事をはじめてから、いろいろなスーパー成功者にお会いしたが、
   彼らに共通することの第一は、過去のグチ話をけっして話さないこと。

   第二は、未来の希望についてのみ話すこと、
   そして自分はつねに運がよかったし、
   これからもよいに違いないと思っていることです。

   知って知らずか、
   プラスの感情でプラスのこときり考えていないから、成功しちゃう。

   まさに「因果は同類にしたがう」なんです。

   我々は、いいことを願い、そして、それを暗い感情で打ち消さないかぎり、
   必ず成功、陽気のほうに向いて歩いていくことになるんです。

          <『得する人』日本経営合理化協会>

              ・・・

無能唱元氏は、願いを叶えるビジュアリゼーション(映像化)について
本書の中でこう述べている。

『ビジュアリゼーションには大切な次の2つの条件がある。

(1)くり返し考えること。

(2)できるだけ細部まで、絵のように心に思い描くこと。

たとえば、家が欲しいと思っている人はいるけれでも、
どのような家が欲しいか細かく設計図を書き、見取り図を書く、
そういう人はあまりいないんです。

このやり方が一番効き目があります。

絶えず図を書いて、絶えず人に夢を語る。

そして、夢が叶った風景を、うっとりと頭に描く。

この「うっとり」が大事です。

イライラとしていては、いくら考えても夢は叶わない。

このとき忘れてはならないことは、
日常の感情をつねにプラスにしておくということです。

「無能先生、私は先生の言われるとおりに一生懸命ビジョンを思い浮かべて、
3年やっているけど、ちっとも叶ってこない。どうしてくれますか」
なんて言う人がいる。

「どうしたらいいでしょうか」これに対して私は
「それはね、私のところに、そいう文句を言ってくるのをやめれば良くなるよ」
と言ったんです。

これは冗談みたいだけど、本当のことなんです。

人にクレームをつけるなんて、そういう心掛けでは、
頭に思っていることと、感ずることは、
プラスとマイナスの相殺作用になってしまう。

日常の感情のあり方が大事なんだと』


後ろを向きながら前に進むことはできない。

文句をいいながら笑うこともできない。

マイナスの感情を持ちながらでは、
プラスの発言や発想をすることはできないのだ。


ビジュアリゼーションは「うっとり」が大事。

毎日をワクワクしながら夢を語り、プラスの感情で日々過ごしたい。

            <感謝合掌 平成30年12月19日 頓首再拝>

新たな古神道「十字の秘術」を2つ - 伝統

2019/01/02 (Wed) 04:35:29


         *Web:「ツキを呼ぶ感謝のことのはブログ」(2008年6月2日)より

 新たな古神道の「十字の秘術」を教わったので、早速つけ加えておきます。

 方法は前回説明した通り。
 左の掌(てのひら)に“文字”を空書して心の中で「日」「月」の2文字を念じる。


「勝負事に勝つ」
 左の掌に「勝」という字を空書し、心の中で「日」「月」を念じる。
 仕事の交渉事などには、前回お伝えした「天」とこの「勝」で決まりでしょう!


「病気を移されない」
 左の掌に「●」という字を空書し、心の中で「日」「月」を念じる。
 ●=クチヘン(左に口)に、ヨンガシラ(目を横にしたような文字)、
 その下に「走」の土を除いた下の字をヨンガシラにくっ付ける
 ・・・・現代にない漢字なので説明難しい!
 この秘術は、お見舞いに行く時や、子供など身内の看病をする際、
 インフルエンザなどの感冒が流行っている際に効果を発揮する秘伝である。

 (http://kansya385.blogspot.jp/2008/06/blog-post_02.html

            <感謝合掌 平成31年1月2日 頓首再拝>

《希望の成就を妨げるものは何か》 - 伝統

2019/01/19 (Sat) 04:52:20


         *『人生の秘訣365章』第4篇(P94~95) より

希望実現の“法則の第二”は「想うものがあらわれる」ということである。

その「想うもの」が真象であろうが、偽象であろうが、
常にそれを怠らず想うことにするならば、
その「想うもの」が現実化し、具体化してあらわれるのである。

それゆえに私たちは、常に「斯(か)くありたい」と希望し念願するものを
絶えず心に想うようにつとめるが可(よ)い。

「斯くありたい」という願いを、絶えず心に持続するのであるけれども、

それと同時に、しかし
「迚(とて)もそんな良いことは私のような者には現れて来てくれないであろう」
という不安や恐怖を伴いながら「希望するもの」を心に描いているのでは、

結局は「わが希望は実現しないであろう」ということを
絶えず心に描いている事になるのであるから、
その自分の心に描く通りに希望は実現しないことになるのである。

「希望は必ず実現する」と信じて恐怖や不安を一掃することが必要である。

            <感謝合掌 平成31年1月19日 頓首再拝>

《希望の実現に“困難”を予想してはならぬ》 - 伝統

2019/02/03 (Sun) 04:32:04


         *『人生の秘訣365章』第4篇(P95~96) より
 
希望実現のための“法則の第三”は、「希望は既に実現せり」と信ずることである。
「これから希望を実現させるのであって、その実現の途上には
色々の困難が伴うであろう」などと困難を予想してはならないのである。


困難を予想すれば予想する事物が「想うものがあらわれる」という
「第二の法則」によってあらわれるのであるから、困難を予想するならば、
予想した通りに困難があらわれて来ることになるのである。

それゆえに「困難が来る」などという考えをあなたの心から一掃するがよい。
あなたが「希望する事物」を心に描いたとき、既にそれは「心の世界」に於いて
「《既に在る》」のであるから、「既にわが希望は成就せり」と信じても、
それはウソでも方便でもなく、真実なのである。

そして「心の世界」に既に成就せる事物を現実界に移行せしめるのは
「法則に依る」のであって、あなたの自力でそれを移行せしめるのではないのであるから、
「この希望を実現するには困難を伴う」などとは考えない方がよいのである。

            <感謝合掌 平成31年2月3日 頓首再拝>

《希望は悦びの源泉である》 - 伝統

2019/02/15 (Fri) 04:27:45


           *「光明法語」(2月15日)より

希望こそは人生の悦びの源泉である。

希望のあるものは老いないのである。
何故なら、希望は創造的感情であるからである。

希望は未来を創造する。
真に未来を創造するものは希望である。

希望のないものには百万円の富籤が当たっても、たいして有難くない。
死にぎわに百万円貰っても有難くないのは希望がないからである。

ガソリンがないのに自動車を貰っても別に有難くない。
フィルムがないのに写真機を貰っても別に有難くない。

希望がないからである。

尤もそれを売って何か他のものを買おうと思う希望があるなら有難い。

            <感謝合掌 平成31年2月15日 頓首再拝>

願いを実現する極意(松下幸之助) - 伝統

2019/03/08 (Fri) 04:43:07


         *Web:今日も良いことがあるように(2019/01/26) より

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願いを実現するために、
大切なこと

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松下幸之助

今日は、経営の神様、松下幸之助氏の言葉です。

願いを実現するために、大切なことは何でしょうか?

才能?

実力?

専門知識?

そうかもしれません。

才能も、実力も、専門知識も、すべて大切なものですね。

でも、願いを実現するために、松下幸之助氏が一番大切だと考えていたものは、

才能でも、
実力でも、
専門知識でもありませんでした。

もっと大切なものがあると彼は考えていました。

それは、何でしょうか?

それは、次の言葉の中にあります。


    どうしても二階に上がりたい、どうしても二階に上がろう。
    この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作りあげる。
    上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からはハシゴは生まれない。
          
                 (松下幸之助著『道をひらく』)



「必ず実現したい!」という熱意があれば、
才能も、実力も、専門知識にも欠けていても、願いは叶うのです。

新しい本を書こうとするとき、私は松下さんのこの言葉が励みになってきました。

おかげ様で、才能も実力も専門知識にも不足しているのに、何冊も本が書けました。

「必ず実現したい!」という熱意があれば、何とかなるものです。

松下さん、本当に熱意があれば道は開けるのですね。

「どうしても、どうしても・・・実現したい!」と行動しよう。

出典:松下幸之助著『道はひらく』(PHP研究所)

      ( https://lucky.t-nakai.work/2019/01/26/thinking-17/ )

            <感謝合掌 平成31年3月8日 頓首再拝>

本当の希望を見出す - 伝統

2019/03/23 (Sat) 01:38:01


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月23日)」より

人生において最も恐るべき敵は恐怖であり、
人生の中で最も助けとなる味方は希望である。

しかしいっさいの浮世の希望が打ちくだかれた時に、
人間は本当の希望を見出すのである。

            <感謝合掌 平成31年3月23日 頓首再拝>

《“希望”はこれを妨げない限り法則が成就する》 - 伝統

2019/04/12 (Fri) 02:28:37


       *『人生の秘訣365章』第4篇(P96) より

あなたが百貨店のビルの七階の屋上に立って下を見下す。
そしてあなたの希望する物を百貨店の売場で買って来て
既に手に握っていると想像せよ。

屋上は「心の世界」の譬(たとえ)であるとし、
百貨店は、何でも凡ゆるものが用意されている「実相世界」の譬であるとし、
瞰下(みおろ)されている「下界」は現象世界の譬であるとせよ。


そして、あなたが手に握っている物は
「あなたが下界即ち現象世界にそれを実現したいと思う希望するもの」
の譬であるとする。

あなたは、腕をつき出し掌(たなぞこ)を開いて、
その手に握っている「希望」を虚空に放すだけで。
その「希望」は《法則によって》「地上」即ち「現実世界」に移行するのである。

その手に握っている「希望」を、無理に強いて努力して
「下界へ移れ」と押しやる必要はないのである。
それは「落下の法則」によって、みずから下行(かこう)の運動を起して
下界へくだって行くのである。

その法則による「下行運動」を妨げない限り、
それは法則によって地上(現実世界)に移行して行くのである。

            <感謝合掌 平成31年4月12日 頓首再拝>

現在意識の求めと潜在意識の求めを合致させる - 伝統

2019/04/14 (Sun) 03:37:17


    *「光明法語」(4月14日《先ず真に自己が何を求めているか》)より

先ず真に自己が何を求めているか、自分の求めが曖昧であってはならない。

Aの土地の仕事もしたいし、Bの土地にも帰りたいし、
自分自身の要求が二個に分裂しながらBの地に借家を求めるべく祈っても
かかる祈りは成就しない。

神に求めるには吾が求むる事物が何であるかを知らなければならない。
現在意識(自分が気がついている心)が求めている物と、
潜在意識(自分に気がついていない心)の求むる物とが
食違っていてはならないのである。

現在意識の求めが実現しないのは潜在意識の求めが反対であるからだ。

            <感謝合掌 平成31年4月14日 頓首再拝>

《義しいあなたの願い》 - 伝統

2019/04/29 (Mon) 04:41:24


          *『生活の智慧365章』
           (第3部歓喜の泉)第4篇(P100~101) より

あなたが成就しようと欲する事柄にもっと自信を持ちなさい。

本当にあなたの欲する事柄が義しいものである限り、
それは既に実相世界に存在する”存在の秩序”が現実化して
あらわれようとする衝動であるのですから、必ず成就するのです。

何故(なぜ)なら実相世界の”無限の力”がバックとなって、
その事柄を現象世界に推し出そうとしているのだからです。

「義(ただ)しい」という意味は、「秩序の正しさ」をあらわすのです。
この語(ことば)が「君臣の義」などというように使われるのでも判ります。
「義理を立てる」などというのもそれです。

義(ぎ)は宜(ぎ)と同意味で、
時の宜しきにかない、処の宜しきにかなうことです。

現象世界での《自分ばかり》の「都合の好さ」ではないのです。

実相世界には既に無限に完全な秩序があり、
秩序が正しいから大調和の世界なのです。

その実相世界に既に存在する事物が現象世界に実現するための
押し出す”心の催し”が起こるのが義しいあなたの”願い”なのであります。

            <感謝合掌 平成31年4月29日 頓首再拝>

《「真の願い」を見分ける法》 - 伝統

2019/05/18 (Sat) 04:21:27


        *『生活の智慧365章』
         (第3部歓喜の泉)第4篇(P101~102) より
 
あなたの願いを思いつくだけ沢山紙に書いて御覧なさい。
そしてその一つ一つについて次の4つの基準によって検討して御覧なさい。


(1)私は真にそれを欲しているか、また真にそれが必要であるか。

(2)その願いの成就が自分又は他人の魂の向上に役立つか。
   却って魂の向上の邪魔になるか。

(3)その願いが成就することによって、
    他の人に損害又は迷惑を懸けることにならないか。

(4)その願いが成就することが家庭、社会、国家、人類等に役立つか。


若しあなたの願いが、真に切実に必要なものではなく、
神意それほど切実に欲するものでない場合には、その願いは
「実相の世界に既にあるもの」の現象界への推進(おしだし)ではないのです。

またその願いが成就したら、自分の肉体的満足や本能の満足なっても、
自分又は他の人の魂の向上にならないもの、又は魂の堕落になるようなものは、
それは実相世界の秩序にはない妄想の産物なのです。


またその願いが成就しても都合のよいのは自分だけで、
他(た)の人々や社会、国家、人類に迷惑又は損害を与えるものは、
真に実相世界に存在する秩序ではないのです。

すべて真の願いはそれが成就することによって自己のみならず
直接間接に社会、国家、人類等に役立つものである筈です。

この4つのテストに合格した事柄は、既に実相世界に存在する事柄であるから、
私たちが切にその実現を心に念じ、波長を合わすようにつとめる時、
必ずそれは成就するのである、自信を持ってよい。

         <感謝合掌 令和元年5月18日 頓首再拝>

願い事は願った瞬間にかなうものだよ - 伝統

2019/06/13 (Thu) 04:08:38


         *「斎藤一人 俺の人生」(P106~109)より

この地球は行動の星だから、
豊かになるにはどうしたらいいだろうって歩き出すと、
その道ができるようになっています。

要するに、豊かになりたいのになれないのは、
願うだけで行動しないからなんだよ。

願ってもなかなかかなわないんじゃなくて、
歩き出さないからかなわないだけ。


普通の人ってそんなに簡単に成功なんてできっこないと思い込んでるんです。
だけど、神を味方にすれば簡単に成功できるよ。

で、神を味方にする方法っていうのは、繰り返し言っているように、
愛のあるしゃべり方をするとか、愛のある行動をするとか、
本当に簡単なことなんです。

みんなね、神様を好きと言いながら、
そのいっぽうで愛のない言葉をしゃべったり、
人を傷つけるようなことを言ったりしてるの。

そうすると、神様は味方してくれないから、
成功するのが難しくなっちゃうわけです。

(中略)

私はね、願ったことは何でもパッとかなうんだと思い込んでいるの。

思うのと、思い込むのとは全然違うよ。
思い込むって、疑念がないんです。

そこにつらい努力が介在してたらダメなんだよ。


神的っていうのは、究極を言っちゃうと願わないのに出てくるんです。

研究して研究して、ある日トイレに行ったとき
ポンと出たとかっていうのは、神的じゃないんだよね。


楽しくないなら、その研究はダメだよっていうのが、一人さん流のやり方てす。
もちろん、研究が楽しい人は研究した方がいいですよ。

信じようが信じまいがどちらでもいいんだけど、
私は神的というのはそういうものだって思い込んでる人なんです。


で、それを商品化すると、自分でも思っていた以上に反響があるんてす。
たくさんの人に『助かりました』って喜んでもらえる。

すると、そんなふうに人を助けたぶんだけ、
私のところにはお金や幸せがやってくるんです。

         <感謝合掌 令和元年6月13日 頓首再拝>

《神聖なる求め》 - 伝統

2019/07/06 (Sat) 04:24:58


         *「眞理」第9巻生活篇第13章(P346~347) より

「 求めよ、さらば与えられん、叩 けよ、さらば開かれん。
目を開いて見よ、見出(みいだ)さん 」 である。

私たちの生命(いのち)の中には 「 神聖なる求め 」 と云う
“ 聖なる追求 ” が宿っているのである。

それは自分の生命の本源に対する憧憬(あこがれ)であり、
郷愁(きょうしゅう)である。
私たちの宗教心がそれである。

そして、求め、叩き、ついに眼を開いて見出すことになるのである。

静かに坐(ざ)して肉体の眼を瞑(つぶ)り、澄心(ちょうしん)し、
心の眼をひらいて 生命(いのち)の本源に呼びかけるのである。

「 わが魂の底の底なる神よ、無限の力 湧(わ)き出(い)でよ 」
低声(こごえ)で静かに幾回(いくかい)も繰返すのである。

「 わが魂の底の底なる神よ、無限の力 湧き出でよ 」
毎日この “ 聖なる求め ” を続けるならば、
ついに自己の生命の内なる不可視の力に直接対面する時が来るのである。

この不可視の力に抗(さから)ってはならない。
この不可視の力に導かれて進むとき、一切のものは成就するのである。

         <感謝合掌 令和元年7月6日 頓首再拝>

《希望の実現には行動が必要である》 - 伝統

2019/07/26 (Fri) 04:40:52


      *『人生の秘訣365章』第4篇(P97~98) より

「希望する事物」を掌を開いて大空に放下するだけで、
その希望は「法則」が成就するのであるから困難は伴わない

――というと、何の行動をも起さないで、
「希望する事物」を想念して大空に放下するだけでよい、
ただ念じ祈っているだけよいのだなどと誤解してはならないのである。


希望実現のための第四の法則は、内からの“催し”を行動化することである。
ビルの七階から「握っている希望」を掌(てのひら)を開いて
落したときに何が起るかを見よ。

掌(てのひら)から放たれた事物は、下へ向って落下の運動を起しているのである。
運動又は行動のないところに、現象界への実現は無いのである。


そこで、「努力して強いて押すこと」は要らないが、
「自然に起る落下の運動」を止めてはならないという二つの、
一寸見ると矛盾すると見えるような「希望実現の行動化の過程」があることに
注意しなければならないのである。

皆さんは、希望を心に描いて「既にそれは成就せり」とハッキリと
その実現を心に描いて確信するときには、あなたの心の中に、
そして、あなた以外の人の心にも、その実現に関係ある行動を起したくなるような
“こうしたらよい”“ああしたらよい”というような「催し」が起ってくるのである。

これは「自力の努力」ではなく、その実現のための「自然の催し」
(落下の法則にも譬うべきものの催し)が起っているのであるから、
希望の実現を心に描いて確信した後(のち)、自然に自分の心のうちに浮んで来る
“催し”はそれを打ち消してしまわないで、素直に直ぐその“催し”の通りに
行動するがよいのである。

落下しないで、屋上のものは階下の地上に姿をあらわさないと同じように、
運動又は行動なくして、ただ祈るだけで、希望は現実化することはないのである。

         <感謝合掌 令和元年7月26日 頓首再拝>

願いを実現する極意(松下幸之助) - 伝統

2019/08/13 (Tue) 04:37:30


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/01/26)より


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願いを実現するために、大切なこと

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松下幸之助

今日は、経営の神様、松下幸之助氏の言葉です。


願いを実現するために、大切なことは何でしょうか?

才能?

実力?

専門知識?

そうかもしれません。

才能も、実力も、専門知識も、すべて大切なものですね。


でも、願いを実現するために、松下幸之助氏が一番大切だと考えていたものは、

才能でも、

実力でも、

専門知識でもありませんでした。


もっと大切なものがあると彼は考えていました。

それは、何でしょうか?

それは、次の言葉の中にあります。

   どうしても二階に上がりたい、どうしても二階に上がろう。
   この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作りあげる。
   上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からはハシゴは生まれない。

                   (松下幸之助著『道をひらく』)


「必ず実現したい!」という熱意があれば、
才能も、実力も、専門知識にも欠けていても、願いは叶うのです。

新しい本を書こうとするとき、私は松下さんのこの言葉が励みになってきました。

おかげ様で、才能も実力も専門知識にも不足しているのに、何冊も本が書けました。

「必ず実現したい!」「どうしても、どうしても、どうしても実現したい!」
という熱意があれば、何とかなるものです。

松下さん、本当に熱意があれば道は開けるのですね。

「どうしても、どうしても・・・実現したい!」と行動しよう。

出典:松下幸之助著『道はひらく』(PHP研究所)

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/01/26/thinking-17/  )


         <感謝合掌 令和元年8月13日 頓首再拝>

信念の持続の力 - 伝統

2019/08/23 (Fri) 04:57:23


       *『人生の秘訣365章』第1篇(P33) より

強き明るき信念の持続こそ希望実現の原動力であるのである。

失敗と成功とは外界の条件によるような外観を呈するかも知れぬが、
その外界の条件を動かすところのものは心の力なのである。

心に或る“希望する状態”の光景を強く描いて持続し、
「《既にあるもの》」を、こちら(心象)から、あちら(現象界)へ移すような気持で
真剣に努力を続けるならば、外界の条件そのものが変化して、
あなたの希望実現に道をひらいて協力してくれるようになるのである。

         <感謝合掌 令和元年8月23日 頓首再拝>

《与える者はまた与えられる》 - 伝統

2019/09/03 (Tue) 04:47:18


     *『人生の秘訣365章』第4篇(P100~101) より

希望実現の第六の法則は、
「奪う者は奪われ、興える者は興えられる」という法則である。

私たちは時々、他(た)から奪って、自分の勢力や、富を殖やせば
自分の希望を実現し易いと考えて、他を突き落して、自分だけ上へ
掻(か)き上ろうとするような人を見かけるけれども、

そのような利己的な人は、一時(じ)は自分が高くあがるかも知れないけれども、
「他(ひと)を突き落した者は、また自分も突き落される」という法則によって、
やがて必ず自分が墜落する時が来るものなのである。

常に他(た)の人たちのために尽し、他(た)の人たちのためにばかり、
他(た)を祝福し、他(た)の人の幸福のために「自己を与える」ならば、
自分もまた、他(た)から祝福され、他(た)から持ち上げられ、
自然に自分が幸福になるのである。

         <感謝合掌 令和元年9月3日 頓首再拝>

《今ある幸福に感謝の念を起す》 - 伝統

2019/09/18 (Wed) 04:20:28


     *『人生の秘訣365章』第4篇(P101) より

希望実現の第七の法則は、既に与えられているところの「今ある幸福」が、
それがどんなに小さいものであろうとも感謝するということである。

「感謝の念の中(うち)にこそ汝はわが姿を見、わが救を受けるであろう」
(大調和の神示)と神は示し給うているのである。

感謝の念は神の国に波長が合い、神の国にある一切の善きものを
現象世界に再生することができるのである。

         <感謝合掌 令和元年9月18日 頓首再拝>

《清貧礼讃の心を棄てよ》 - 伝統

2019/09/28 (Sat) 04:52:07


       *『人生の秘訣365章』第4篇(P112) より

清廉潔白で実に清らかな生活を送っている善人が
貧乏で苦しんでいるような実例が随分ある。
所謂(いわゆ)る清貧礼讃型の人である。

キリスト教の聖書に、
「富める者の天国に入ることの難き事、駱駝の針の孔を通るが如し」
とイエスが教えられていることを其の言葉通りに信じて、
富む事を罪悪だと思っているのである。

そのような考えが、現在意識にでも、潜在意識にでも一寸でもあるならば、
想念は磁石的な力であるから、磁石の陰極と陰極とが互いに反発するように
富を反発して自分に来(きた)らせないようにするのである。

だから希望実現の第十四条は「清貧礼讃」の心を棄て去ることである。

         <感謝合掌 令和元年9月28日 頓首再拝>

《欲する事物を得る道》 - 伝統

2019/10/13 (Sun) 02:30:34


          *「真理」第9巻生活篇第7章(P195~196)より

あなた自身と、あなたが欲する事物(家、財産、職業その他)との間には、
あなたがそれを欲する限りは、肉眼には見えないけれども
直通する導線があるのである。

あなたの現象界の行動が、その導線の上に乗るとき、
あなたは其の欲する事物を見出すのである。

あなたの行動がその導線とピッタリ一致すると云うことが必要である。
その導線にピッタリ一致するためには、
あなたの行動が神の智慧によって導かれる必要がある。

神の智慧によって導かれるためには神想観を熱心に実修することによって
神の叡智に導かれなければならない。

神想観中に念ずる言葉は

「神様、すでに求むる事物を与えたまうて有りがとうございます」

と念ずるがよい。

現象的に見れば、まだ其の事物は与えられていないときでも、
自分の想念を既に与えられている線に乗せるために斯う念ずるのである。

         <感謝合掌 令和元年10月13日 頓首再拝>

神を通じての希望実現 - 伝統

2019/10/19 (Sat) 04:23:42


          *「光明法語(10月19日)」より

精神波及はかくの如く効果をあらわすが、
それは、個別の精神と、個別の精神との間の感応であって、
神がそれを成し給うのではない。

最高の精神感応は、神は普遍者(どこにも在る)であらせられるから、
如何なるところにある人にでも、如何なるところにある物資でもそれは感応し、

それが切実なる願いであるならば、
その人はいつの間にか自分のところに訪れ来り、
その物資は自分の処に呼び寄せられるのである。

それは上手下手はないのであって
神に波長の合う誠心(まごころ)の出た人なら誰でも出来る。

            <感謝合掌 令和元年10月19日 頓首再拝>

切実なる願い - 伝統

2019/10/21 (Mon) 04:38:31


        *「光明法語(10月20日《強力なる願い》)」より

「切実なる願い」はきかれる。
切実とは単に「強力なる事」ではない。

深切真実と云う事である。
深切とは表面浅膚(せんぷ)の反対である。

流行を追い、虚栄を追い、時局に乗り、時流に投じ、
世間の噂に動かされた其の結果「こうしたい」と思う事は、
如何なるものでも「強力なる願い」だと云うことは出来ない。

キリストはゲッセマネの園に於いて
「みこころならばこの苦き盃をわれより取去り給え」
と血の汗を流して強く祈った。

併しそれは彼の切実なる願いではなかった。

・・・

       *「光明法語(10月21日《切実なる願い》)」より

イエスの切実なる願いは
「モーゼが金の蛇を竿の先にあげてユダヤ民族を神の怒りより救った如く、
みずからが十字架にかかって人類の罪の意識を身代わりとなる事」であった。

だから彼は「モーゼが蛇を挙げた如く、我れも挙げられるとき来らん」と預言した。
それは潜在意識の切なる願いであったのである。

併し現在意識の強き願いは、「この苦き盃をわれより取去り給え」であった。
現在意識の如何に強き願いがあるとも、
潜在意識の中にその反対の願いがあると成就しない。

            <感謝合掌 令和元10月21日 頓首再拝>

潜在意識と現在意識の食違い - 伝統

2019/10/23 (Wed) 04:16:59


          *「光明法語(10月23日)」より

吾々人間の潜在意識の願いには、
実相本来の願い(既に実相に於いて与えられている本性)そのものではない、
「歪(ゆが)み」があるものである。

現在意識の願いが遂げられないのは、
潜在意識の願い(又は想念)がその反対であって邪魔をするからである。

戦争中、日本人は現在意識の願いは「勝ちたい」と云う事であったに拘らず、
潜在意識の願いは「海ゆかば水漬く屍(かばね)・靖国神社で会おうよ」
(負けて死ぬ)事であった。

そこに現在意識の願いと潜在意識の願いとに食違いがあったのである。


            <感謝合掌 令和元10月23日 頓首再拝>

実相完全の願いの実現 - 伝統

2019/10/24 (Thu) 04:35:38


          *「光明法語(10月24日)」より

この現在意識と潜在意識の食いちがいはどううして起こるのか。

それはみずからの「実相の願い」(本来与えられている本性又は使命)を
ツツミて知らざるところから来るのである。
換言すれば、それはツツミ(即ち罪)である。

「みこころのままにならしめ給え」と祈ることは単に自己の現在意識の願いを捨てるに
とどまらず、潜在意識の願いの歪みまでも、その自我放棄によって捨てることになる。

かくて現在・潜在の両意識の歪みが悉く捨てられて実相完全の願いのみが実現する。

            <感謝合掌 令和元年10月24日 頓首再拝>

《希望の人工衛星を霊波操縦して》 - 伝統

2019/11/04 (Mon) 04:46:01


          *『人生の秘訣365章』第6篇(P145) より

良き希望を描くこと、その希望は自分が幸福になること以外に、
その成就によって他(た)の人々の福祉に役立つような希望であることが必要である。

そしてその“希望”に“成就の信念”を添えて
「想念の使者」を送り出すがよいのである。

「想念の使者」は電波操縦による人工衛星のように、
あなたの“信念の霊波”によって方向を修正したりするのである。

だから、常に「わが希望は正しき経路を通って成就しつつある」という、
“信念”を放送することによって、「希望の人工衛星」が確実に軌道にのり、
希望する時期に於いて、必要なデーターをもって地上に還ってくるように
しなければならぬのである。

決して「失敗するかも知らぬ」というような
“恐怖”の想念を放送してはならないのである。

“失敗の想念”が放送されるとき、その念の放送によって
「希望の人工衛星」に設備した色々の計器が混乱状態に入(い)り
ついに目的を達せずして、折角の「希望の人工衛星」も
必要なデーターをのせて地上に還って来ることができなくなるのである。

            <感謝合掌 令和元年11月4日 頓首再拝>

その人に適する願い - 伝統

2019/11/12 (Tue) 04:38:03


       *「光明法語」(11月12日の法語)より

グレンクラーク教授が、まだ『魂の切なる願い』の著書を発表せず
生活が楽でなかった頃、8ドル70セントの鉱石式ラジオを、
家庭の和楽や知識の増進の為に欲しいと思った。

それは「それがなければ死ぬ」と云う程切実なものではないが、
それでなくとも此の程度の
願いは「その人に適する願い」として与えられるものなのである。

否、既に与えられているのである。

それが現実に現れて来るには、祈りによって心の波長を
「既に与えられている実相」の波長に合わす事である。

            <感謝合掌 令和元年11月12日 頓首再拝>

《あなたの希望を神を通じて実現すること》 - 伝統

2019/11/25 (Mon) 04:07:08


        *『人生の秘訣365章』第6篇(P145~146) より

先ず自己の成就したいと思う「希望」を心に描き、
神を心で呼び(生長の家の人は“招神歌”を唱え又は念ずるがよい)

「神の無限の智慧、この希望を成就するためにわれ何を為すべきかを示し給う」

と一心に念ずるがよい。

神はそのとき言葉を以て示し給わないかも知れないが、
「神に口なし人をして知らしむ」であって、必要な時、適当な場所に於いて、
適当な人が、何か適当なヒントや助言を与えてくれて、
その通り実行すれば、それが希望実現のための自然の経路となってくれるのである。

            <感謝合掌 令和元年11月25日 頓首再拝>

《神によるあなたの希望の修正》 - 伝統

2019/12/12 (Thu) 03:34:26

        *『人生の秘訣365章』第6篇(P146~147) より

神からの導きを受けるために祈り又は神想観して念ずる場合には、
必ず一切の恐怖、心配、取越苦労などの暗い感情を棄てて、
神は必ず自分を護っていて下さるのだから間違はないのであるという信念をもって、
神に波長の合う心境になっていて、祈ることが必要であるのである。

そして

「神の愛つねに我を護り給うて
わが希望は実現するためのすべての条件を整え給う。
われこれを信ず、確く信ず」

と念ずるがよい。

毎日一定の時間にそのように念じて、

「希望を実現するためのすべての条件は神によって教えられているいるのだ」

という信念を倍加して行くがよいのである。

仮りに、あなたの欲する通りのことが実現しないことがあっても歎いてはならない。
若しその時、あなたの希望する事が成就しないならば、一層悦ぶべきである。

何故なら、恐らくあなたの希望は、神から御覧になったら、あまりに小さくて、
あなたに相応しくないので、あなたにふさわしい尚一層よきものを
あなたに興えて下さることになっているからである。

            <感謝合掌 令和元年12月12日 頓首再拝>

「望みを叶えるためのコツ」とは? - 伝統

2020/01/05 (Sun) 03:27:27


      *「あの世に聞いた、この世の仕組み」(第2章)雲黒斎・著より抜粋

(1)「この世」は「あの世」の一部であり、この二つを隔てる境界線はなく、
   「この世」の法則は、基本的には「あの世」の法則と同じである。

(2)「その法則って?」

   自分の思いそのものが、自分の現実をつくるという法則。

(3)今、何かを考えると、宇宙がその考えをそのまま反映し、現実をつくり出す。
   これは地球でたとえるなら「万有引力」などと同じ自然法則だと思うといい。

   その自覚があろうがなかろうが関係ない。
   宇宙は、おまえの思考をもとにおまえの現実を与えている。

   これが基本法則だ。

(4)この法則を正しく解釈すると、

   「望めば望むほど夢は逃げていってしまう」ということに気づくはずだ。
 
   夢や希望は追い求めてはいけない。

   引き寄せるんだよ。

(5)あなたが何かを考えると、宇宙がその考えをそのまま反映し、現実をつくり出す。

   この「そのまま」というのがポイントなんだ。
   宇宙はバカ正直なんだよ。
   機転が利かない。

   だから、あなたの思考そのままをつくり上げようとする。

   (例として)

   あなたが、「神さんともっと円滑にコミュニケーションをとりたい」
   と言ったとする。

   それに対して宇宙は
   「神さんともっと円滑にコミュニケーションをとりたい状況」を
   そのままつくってくる。

   わかるかい? 

   「もっと円滑にコミュニケーションをとりたい」という言葉の裏には
   「いま私はうまくコミュニケーションがとれていない」という意味が含まれている。

   だから「うまくコミュニケーションがとれない現実」が
   そのままでき上がってくるんだよ。

(6)人間は欲をかくと失敗する。その理由はここにあるんだ。

(7)多くの人が指摘する「思考は現実化する」とはこういうことなのだ。

   私たちが抱く「~したい」という望み。
   それは「~が叶っていない」という思考の裏返しです。

   望んでいることを現実にするためには、
   すでに望みが叶っているかのように考え、言葉にし、行動することが
   一番の秘訣です。

            <感謝合掌 令和2年1月5日 頓首再拝>

本当の希望を見出す - 伝統

2020/03/23 (Mon) 04:49:22


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月23日)」より

人生において最も恐るべき敵は恐怖であり、
人生の中で最も助けとなる味方は希望である。

しかしいっさいの浮世の希望が打ちくだかれた時に、
人間は本当の希望を見出すのである。

            <感謝合掌 令和2年3月23日 頓首再拝>

《「真の人間」としての願いは各人衝突しない》 - 伝統

2020/04/18 (Sat) 04:24:00


          *「真理」第9巻生活篇第2章(P54~55)より

人間を尊重すると云うのは、「真の人間」を尊重することであって、
「我欲」や本能の跳梁を尊重することではない筈です。

「真の人間」は神の自己実現として各々、神の一個の表出口となしている
のであるが、純粋に神の表出口として内部から押し出されて来る願いと
云うものは、それを満たすことによって、他(た)の人を妨げることなく、
他の人に福祉をもたらしつつ、みずからも法悦きわまりなきものである。

何故ならそれは一個の表出口から迸(ほとばし)り出る願いであっても、
全体智(神)によって統一されているからである。

そころが神の表出口としてではなく、単なる我欲の表出をしての願いであれば
互いに他(た)の願いを妨げ、自己も一時悦べるように見えても、
それは永遠なる者から流れ出る悦びでないがゆえに有限であり、
間もなく行き詰まって不幸の感に襲われるのである。

            <感謝合掌 令和2年4月18日 頓首再拝>

《より高き真実の自分の願い》 - 伝統

2020/05/03 (Sun) 04:38:02


          *「真理」第9巻生活篇第2章(P56)より

自分の欲望を吟味するとき、これは「より高き真実の自分の願い」であり、
これは「より低き自分の願い」であると云う区別は誰にでもつくのである。

そして我々が常に「より高き願い」に随って「より低き願い」を捨てる
ようにするならば、その人の「本当の自分」は勝利するのである。

然(しか)しながら「より低き願い」は概ね肉体的な生理的本能と合併して
来るか、身に迫る個人的利欲に合併して来るかするので、吾々は、ともすれば
「より高き願い」がそれを望んでいないことを知りながら、「より低き願い」に
従って敗北するのである。

キリストが「我れ世に勝てり」と言ったとき、彼は肉体的な欲望を全面的に
捨てて、全人類を救わんがために十字架につこうと決心した時であった、

彼の肉体は十字架上で苦しんだろうが、
彼の魂は勝利感に満たされていたのである。

            <感謝合掌 令和2年5月3日 頓首再拝>

願い反対する錯綜(さくそう)した思いを起すな - 伝統

2020/07/19 (Sun) 04:45:33


       *『 生長の家 』(昭和26年6月7日の法語)より

祈りと云うものは、必ずしも声を立てて述べなければならない
と云うことはないのである。

声を出さなければ聞えないような神様なら大した神様ではないのである。


すべて心に願うこと、思うことは祈りである。

吾々の願い望みの一点一画と雖(いえど)も
神に達しないものは有り得ないのである。


一方で求めながら、心の奥底で、
「 そんなことは出来るものか 」
「 そんなことを願うことは罪悪だ 」とか

他方で、その願いを打ち消すような心境も、
それは心に出さなくとも、すべて神に達しているのである。


願いの成就しないのは、神が成就せしめ給わないのではなく、
自分が自分で自分の願いを否定しているのである。

            <感謝合掌 令和2年7月19日 頓首再拝>

言霊の神「己等乃麻知比売命」を祀るパワースポット神社 - 伝統

2020/08/26 (Wed) 04:29:53



【八百万の神々ですら願いを伝えに来る場所】
~凄すぎるパワースポット神社、コトのまま願いが叶う
パワースポット神社「氣」と963HzのBGM Amazing Shrines in Japan
50,201 回視聴?2020/07/18

https://www.youtube.com/watch?v=gsKbXoOOQbc


「言の葉」で事をとりもつ神様を主祭神とする「事任(ことのまま)八幡宮」。

この神社は、古くから
「事のままに願いが叶う」と言われ『枕草子』にも登場したほど。
日本で唯一、主祭神が"言の葉で事をとりもつ働きをする神様"の神社。


この神社は、
言霊の神様の后神・己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)を
古来よりお祀りしています。

「事(言)のままに願いが叶う」と言われ、
平安時代に書かれた『枕草子』にも「ことのまま明神」として登場。
『方丈記』の著者・鴨長明も和歌にその名を詠まれています。

この神社に訪れて、
御祭神の己等乃麻知比売命に参拝するようになってからというもの、
不思議な事の連続でした。

当初は、会社を経営していましたが、
厳しい状況の中、縁もゆかりもない人に助けてもらったり。
困窮している時、予想もしていなかったところから仕事が入ってきたり。
何度もご利益を授かっている神様です。


私は、カタカムナのチャンネルを運営している程なので、
言霊の持つ力は確信しています。

「言の葉」を取り持つ神様にご縁を頂けたコトも導きかなと思っています。

以前、この神社の動画を公開していて、今回は再アップになります。
今は〇〇ウィルスの影響があり、出かけることが厳しい状況
ということもあるので、リニューアルして再度公開することにしました。


画面から強い「氣」を感じる方も多いかと思います。

◆参拝のポイント①

お参りするときに多くの方が間違った方法で参拝している気がします。
神様に参拝するときに、
「○○になりますように」「○○が手に入りますように」と言っていませんか?

これは、神様からするとその状況を手にしていないコトへの
不平不満を言いに行っているようなものです。

「○○がないからちょうだい!」「どうして○○がないの!」みたいな。。。

僕が神様だったら「こやつにはもっと修行が必要だな!」とすら思ってしまいます(笑)。


では、どうすれば良いかと言うと、基本的には「感謝を伝えに行く」です。

今あること「充足しているコト」への感謝。
この概要覧を見ている方は、すでに充足に満ち溢れています。

ネット環境やパソコンがある。スマホがある。洋服も着ているでしょう。
息もしているはずです(笑)。
探し出すとたくさんあるはずなのに、この充足に感謝していないんですよね。


魂の修行レベル的には、充足に感謝している魂の方が魂レベルは高いと思います(笑)。

まずは、神様に参拝するときには「あらゆる充足に感謝」です。

その魂レベルに見合った願いしか実現しないですよね。


◆参拝のポイント②

次に、願いを伝える時は「完了形」「過去形」です。
「もう既に願いが叶っている」前提で感謝を伝えます。

解釈の仕方はいくつかあるでしょうけど、重要なのは、やはり「言の葉」です。

福音書にも書かれているように「言葉が初めに在った」「言葉が世界を創った」。。。

カタカムナも同じ教えですが、「言の葉」が現象化を創造していますからね。

言の葉の神様の前で「感謝」と「完了形」この二つが参拝のポイントです。

何と言っても神様が願いを伝えに来る神様です。
その霊力は、とても強いものを感じます。

くれぐれもお間違いのないようにご視聴ください。


言任八幡宮(ことのままはちまんぐう)

◇御祭神
己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)

住所:静岡県掛川市八坂642

  (http://previous.kotonomama.org/iriguchi.htm

            <感謝合掌 令和2年8月26日 頓首再拝>

神を通じての目的実現 - 伝統

2020/10/19 (Mon) 04:47:40


          *「光明法語(10月19日)」より

精神波及はかくの如く効果をあらわすが、
それは、個別の精神と、個別の精神との間の感応であって、
神がそれを成し給うのではない。

最高の精神感応は、神は普遍者(どこにも在る)であらせられるから、
如何なるところにある人にでも、如何なるところにある物資でもそれは感応し、
それが切実なる願いであるならば、その人はいつの間にか自分のところに
訪れ来り、その物資は自分の処に呼び寄せられるのである。

それは上手下手はないのであって
神に波長の合う誠心(まごころ)の出た人なら誰でも出来る。

            <感謝合掌 令和2年10月19日 頓首再拝>

強力なる願い - 伝統

2020/10/20 (Tue) 04:35:53


          *「光明法語(10月20日)」より

「切実なる願い」はきかれる。
切実とは単に「強力なる事」ではない。

深切真実と云う事である。
深切とは表面浅膚(せんぷ)の反対である。

流行を追い、虚栄を追い、時局に乗り、時流に投じ、
世間の噂に動かされた其の結果「こうしたい」と思う事は、
如何なるものでも「強力なる願い」だと云うことは出来ない。

キリストはゲッセマネの園に於いて

「みこころならばこの苦き盃をわれより取去り給え」

と血の汗を流して強く祈った。

併しそれは彼の切実なる願いではなかった。

            <感謝合掌 令和2年10月20日 頓首再拝>

切実なる願い - 伝統

2020/10/21 (Wed) 05:04:35


          *「光明法語(10月21日)」より

イエスの切実なる願いは

「モーゼが金の蛇を竿の先にあげてユダヤ民族を神の怒りより
救った如く、みずからが十字架にかかって
人類の罪の意識を身代わりとなる事」

であった。

だから彼は

「モーゼが蛇を挙げた如く、我れも挙げられるとき来らん」

と預言した。

それは潜在意識の切なる願いであったのである。

併し現在意識の強き願いは、
「この苦き盃をわれより取去り給え」であった。

現在意識の如何に強き願いがあるとも、
潜在意識の中にその反対の願いがあると成就しない。

          <感謝合掌 令和2年10月21日 頓首再拝>

実相完全の願いの実現 - 伝統

2020/10/24 (Sat) 04:49:15


          *「光明法語(10月24日)」より

この現在意識と潜在意識の食いちがいはどううして起こるのか。

それはみずからの「実相の願い」(本来与えられている本性又は使命)を
ツツミて知らざるところから来るのである。
換言すれば、それはツツミ(即ち罪)である。

「みこころのままにならしめ給え」と祈ることは
単に自己の現在意識の願いを捨てるにとどまらず、
潜在意識の願いの歪みまでも、その自我放棄によって捨てることになる。

かくて現在・潜在の両意識の歪みが悉く捨てられて
実相完全の願いのみが実現する。

            <感謝合掌 令和2年10月24日 頓首再拝>

その人に適する願い - 伝統

2020/11/12 (Thu) 04:33:08


       *「光明法語」(11月12日の法語)より

グレンクラーク教授が、まだ『魂の切なる願い』の著書を発表せず
生活が楽でなかった頃、8ドル70セントの鉱石式ラジオを、
家庭の和楽や知識の増進の為に欲しいと思った。

それは「それがなければ死ぬ」と云う程切実なものではないが、
それでなくとも此の程度の
願いは「その人に適する願い」として与えられるものなのである。

否、既に与えられているのである。

それが現実に現れて来るには、祈りによって心の波長を
「既に与えられている実相」の波長に合わす事である。

            <感謝合掌 令和2年11月12日 頓首再拝>

開運法や引き寄せの法則の落とし穴 - 伝統

2020/11/27 (Fri) 04:33:25


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年10月12日)より

現在は様々な開運に関する情報やパワースポットの情報などが
氾濫しています。

そうしたなかで、
知らずに危険な方向へと進んでいることがあります。


世の中には、こうすれば運気が上がるとか、
いいことがあるとか、開運とか運を良くするという話しが
多くあふれています。

それらは結局において欲を増長させていて、
人の欲望の炎を燃え上がらせている結果に
なってしまっている事も多いでしょう

例えば何かグッズを持ったらお金が貯まるとか、
異性と出会えるとか、風水だとかいろんなものがあります。

あるいは引き寄せの法則などで、
強く念じたりイメージしたりして望んだ現実を叶えるなどがあります。

そうした念による願望成就は、
実は、深く入ると呪いの世界に通じていきます。

本人はそんな気は無く、軽い気持ちでしていることでも、
自身の成長や努力、周囲の人の事を無視した願望成就の念は、
呪いに近く、そちらの世界に繋がるようになります。

波長同通の法則とも言いますが、
同じような考えを持つ者同士は繋がるようになってくるのです。

たとえば「会社で出世しまうように」という願いでも、
他人の事などどうでも良くて、自分さえよければいい
という思いで願いをしていれば、
周りの人の足を引っ張るような作用として働くことがあるでしょう。

ライバルが仕事でミスをしたり、病気にかかってしまい、
結果的に本人が出世する等が起こる事もあります。

しかしそれは、呪いを発動しているのと同じことなのです。

「人を呪わば穴二つ」と言いますが、
それはいずれ周り回って自分に返ってきます。

高次な意識体ほど、
この世の物質や金銭、地位や名誉などにとらわれなくなり、
逆に低級な霊ほどこの世の事に関心が強いのです。

願いを叶えるなど願望成就を説いている場合には、
低次の霊に同通している事があるわけです。

地上の人間が我欲のままに願っていると、
その念に引き寄せられた同通する存在がかかわってきます。

確かにそうした存在と同通しても願いが叶う事はあるでしょうが、
いずれは何らかの代償を支払わなければならなくなります。

ですので、なるべく私事をさけて人のために願うか、
自己実現が周りの人の幸せに繋がるような願いを
なさるのがよいと思います。

自儘な願い事をするのではなく、周りの人々の幸せを願う事。

自分の願いが周りの人々を幸せにするものである事などを
願われた方がいいでしょう。

何でもかんでもただ叶いさえすればいいというものでもありません。

幸せの輪が広がってこそ本当の姿です。

   (https://www.spacebrothers.jp/2013/08/blog-post_27.html

        <感謝合掌 令和2年11月27日 頓首再拝>

魂の奥底の切なる願いは必ず成就する - 伝統

2020/12/14 (Mon) 06:39:40


       *「光明法語」(12月14日《みずから作る運命》)より抜粋

イエスは審判いたから、とうとうその反対論者や審判かれた祭司や
パリサイ人などの謀略にかかって磔刑(はりつけ)にせられたのである。

イエスは「モーゼ蛇を挙げしが如く人の子も挙げらるべし」とみずから預言して
其の預言の通りになるように行動したのである。

イエスには磔(はりつけ)に架(かか)かることが
自己の切なる魂の奥底の願いだったのである。
魂の奥底の切なる願いは必ず成就する。

        <感謝合掌 令和2年12月14日 頓首再拝>

本人も気づかない叶えたい夢は何か?本当の願いを知る - 伝統

2021/01/02 (Sat) 06:16:18



      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年12月25日)より

世の中には色んな夢を持っている人がいますが、
自分でも何を叶えたいのかはっきりわかっていないことが
往々にしてあります。

本人からすれば
「自分が何を望んでいるかなんて、自分が一番よく分かっている!」
と思っている事でしょう。

ですが、実際には間違って考えてしまっていることがあります。

本当の願いや叶えたい夢が明確になっていなければ、
それが叶うのは難しいでしょう。

それは目的地がはっきりしないまま、
とりあえず電車に乗ればつくはずだと思っているようなものです。

たまたま乗り込んだ電車が目的地につくような事もあるでしょうが、
たいていは違った場所に運ばれるはずです。


たとえばよくあるのが
「俺は音楽やって売れたい!」というようなものです。

分析すればこの中には二つの希望が入っていることがわかるでしょう。

音楽をすることと、売れる事です。


本当に大切な夢ならひとつに絞りましょう。

THE BLUE HEARTSや、ザ・クロマニヨンズで活躍された
甲本ヒロトさんは松本人志の盆組に出られて、
ご自身の夢について語っておられしました。

周りの人はよく
「バンドをやってお金持ちになりたい」などと言うそうです。

それに対して甲本氏は
「1個にしとけ。金持ちになりたいんだったらバンドは捨てろ」
と言いました。

甲本氏は「僕は10代の頃、バンドを始めた瞬間にもう叶ってるんです。
そして、今もやってるから、ずっと叶ってるんです。
ずっとこのままでいいんです」と語っていました。

これは真を得た答えだなと思います。

普通の人はどうしても幾つの夢を同時に叶えようとします。

そのためあべこべの電車に乗ってさ迷う事が多いでしょう。

音楽をやるのが夢であれば、
自分で作曲したり演奏してそれで叶っているわけです。

売れる事まで願っていたら、
それはまた違った夢を持っているという事です。

売れるという言葉にも、分析すれば幾つかの選択肢があります。

たんに名前を一般に知られたいのか、
それとも異性にもてたいのか、
あるいは大金持ちになりないのか等です。

少なくともこの3つは売れたいという言葉の中に
入っている可能性もあります。

ですので、さらにいうならば、
音楽をしたいと合わせて4つの願いを持っているのかも知れません。

ここで自身の心の声を聴いて、本当に願う事は何なのか?
真実の願いをひとつに絞る事です。

たとえば名前が知られたいというのが真の願いであれば、
名前が売れるためのはどうすればよいのかを考えるべきです。

音楽の道は険しいため、
音楽で名前が知られるようになるのはかなり難しいでしょう。

いまはYouTubeやSNSなどで人気となる方が、
名前が広く知られると思われます。

本当の自分の願いを知ったなら、
また別な道が開けて、夢への道は近づいていくはずです。


あるいは女性にもてたいというのが願いであったなら、
音楽は必ずしも必要ではないはずです。

女性にもてたいのであれば、
女性が好むようタイプは何かを研究したり、
勉強するのもいいでしょう。

一般的に高収入や安定した職業が女性に好まれますので、
医者や弁護士、公務員、パイロットなどを目指された方が
むしろいいかも知れません。

そのように本当の願いが分かれば、
それへ到達するための手段は違ってくるはずです。


もう一つの大金持ちになることが真の願いであれば、
音楽はやはり難しい道でしょう。

多くの方が音楽では食べられずに、
フリーターなどをしながらプロを目指して頑張っていると思います。

大金持ちになりたのであれば、
起業して自分で会社を成功させるか、
投資などで儲ける方が早いでしょう。

もちろんそれも簡単な道ではありませんが、
他の道を進んでいるよりも、ずっと可能性は高まります。

このように、自分のホントの願い事は何なのか?
真の夢は何かを明確にして生きましょう。

そして本当に叶えたいのなら、ひとつの夢に絞り込むのです

幾つもの夢を追いかけていたら、
「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺もあるように、
求めるものは得られなくなります。

自分が本当は何を願っているのかを分析し、
自分を知ることが大切です。

分析するなかで、
本当の願いは別なところにある事を知る人も出るでしょう。

今まで追い求めてきたものの中には、
本当の自分の願いは無い事に気づく人もいるはずです。

多くの人が自分自身を知らずに生きています。

本当に大切なことは自分を知ることではないでしょうか。

     (https://www.spacebrothers.jp/2020/12/blog-post_25.html

        <感謝合掌 令和3年1月2日 頓首再拝>

《眠りしなと、目覚めの直後に》 - 伝統

2021/01/18 (Mon) 02:15:23


    *「眞理」第2巻基礎篇第11章(P307~308)より

どんな願いも、宇宙に対して放送された願いは
神の意識にきかれているのである。

眠りしなにその願いを神の意識に放送して

「神よ、この願いをおきき下さいましたことを感謝いたします」

と感謝の念を放送して置いてから眠る。

眼がさめたとき、しばらく外界(がいかい)のことを考えないで、
内部から何か囁きがあるかジッとそれに心を澄ます。

その時ポッカリ心に思い浮んだことがあれば、
それを素直に躊躇なく実践する。

この方法によって善い指導を得て成功した人は随分あるのである。

しかし神からの指導を受けるには
単に利己的な目的では波長が合わぬのであるから、
常に利他的目的にかなうものでなければならない。

自分を幸福にもするが
同時に利他的目的にかなうものでなければならない。

自分を幸福にもするが同時に利他的目的にかなうものであれば
遠慮なく神に祈って差(さ)し支(つか)えないのである。

        <感謝合掌 令和3年1月18日 頓首再拝>

【楽しい予言をしてくれる人は大事な人】 - 伝統

2021/02/05 (Fri) 02:02:40


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.11.19)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   もう1個予言をしておこうかな。

   この会場に来た人は今年中に予期せぬ臨時収入が必ずありますからね。(大拍手)

   私は別にこれ、根拠があって言ってるんじゃないんです。

   ただそういうふうに今言った瞬間に、
   私は自分の信用のために、この会場に来た人一人ひとりに
   必ず予期せぬ臨時収入があるようにって祈りはじめているわけです。


   私がそういう予言をしたら、
   その年に生まれてはじめて買った十枚の宝くじのうちの一枚で
   二億円当たった人がいました。

   「全部100パーセント、正観さんのお陰」と言うので、
   「本当にそう思うんですか」と聞いたら
   「本当にそう思いますよ」と言うので、

   「じゃあ半分ちょうだい」って言ったら、「ダメ」と断られました。(笑)

   二億円当たった人を、私たちは目の前で見ることは
   ほとんどないと思いますけけれど、この人はたまたま私たちの仲間で、
   何回も何回も話を聞きに来てくれる人でした。


   その人は、「ありがとう」を言いながらトイレ掃除をし、
   財布に生まれて初めて買った十枚の宝くじを入れておいた。

   そして、毎日日常的にトイレ掃除と「ありがとう」を実践していたら、
   突然友人から電話があった。

   友人が「朝刊を観ろ!」って電話口の向こうで怒鳴っている。

   しかし、朝刊を見たけど何のことやらわからないというのでコールバックした。

   すると「宝くじを持って銀行に行け!」と言われたので、
   しょうがなく銀行に行ったんです。


   そうしたら銀行で「宝くじをそこの機械に入れてください」と言われて、
   言われるわまに入れると、「お客さま、当たってますね」。

   そういう人が実際にいました。


   皆さんに臨時収入が今年中にありますよということを、
   私は何の根拠もなく伝えておきます。

   根拠があるわけではないけれど、こういうふうに言った以上は、
   自分の信用のために、皆さん一人ひとりに臨時収入があることを
   心の底から祈りはじめる。

   そういう自分にとって好ましくて楽しい予言、予知をしてくれた人、
   そういう友人は大事にしたようがいいということです。


   宇宙は二重構造みたいになっています。

   これも宇宙の仕組みのかなり大きな部分なんですけれども、
   それはこういうことです。

   「病気をしたくない、病気をしたくない」と
   思っている人ほど、病気にかかる。

   「事故に遭いたくない、事故に遭いたくない」と
   思っている人ほど、事故に遭う。

   「お金が欲しい、お金が欲しい」と思っている人ほど、入ってこない。

   「結婚したい、結婚したい」と思っている人ほど、
   結婚が遠ざかる…という構造になっている。


   これを二千五百年前、釈迦という人は
   「執着(しゅうじゃく)」という一言でひもといています。

   執着があると、全然叶(かな)わないんです。


   よくいろいろなセミナーで、強く願えば必ず叶うんだ
   と教えているところがありますが、
   強く願って叶うようにできているのであれば、がんで死ぬ人はいません。

   倒産する会社もない。

   あと二ヵ月後に手形が不渡りになって倒産するかもしれないという人は、
   自分の家族のこれからとか、従業員の生活の問題とか、
   取引先にかける迷惑などを考える。

   だから「絶対に倒産したくない」という思いは
   普通の人が何かを祈るよりもはるかに強いはずです。

   それなのに倒産する会社が相次ぐというのは、
   要するに、希望して念じたことがそのように起きるわけではありませんよ、
   ということです。


   では、望みが叶うのはどういう仕組みになっているのかというと、
   それは「執着しない」ということ。

   執着しないと望みが叶うことがある、という仕組みなんです。

         <『宇宙を貫く幸せの法則』致知出版社
                 https://amzn.to/3pxACCG >

             ・・・

小林正観さんは、
「悪しき予言をした人」は、悪魔の側に落ちた人だという。

それは、なぜならその悪しき予言が当たるように、
その実現を願ってしまうからだ。

自分の、名誉のために、自分の信用のために、悪しきことを願ってしまう。


我々は、誰かに、予言をするなら「よき予言」をするといい。

よき予言をされて、気分が悪くなる人は誰もいない。

しかも、よき予言を言っている人も気持ちがいい。

つまり、それは神様の側についたということ。


世の中では、悪しき予言をする人は多くいる。

経済でも、景気でも、株でも、外交でも、コロナの予測でも、
悲観的な予測をする人は、悪魔の側に落ちた人。


物事には両面がある。

つまり、悪い面があれば、必ず良い面がある。

どちらの側を予言するかだ。


どんなときも、よき予言をする人でありたい。

        <感謝合掌 令和3年2月5日 頓首再拝>

《希望は悦びの源泉である》 - 伝統

2021/02/15 (Mon) 02:21:20


           *「光明法語」(2月15日)より

希望こそは人生の悦びの源泉である。

希望のあるものは老いないのである。
何故なら、希望は創造的感情であるからである。

希望は未来を創造する。
真に未来を創造するものは希望である。

希望のないものには百万円の富籤が当たっても、たいして有難くない。
死にぎわに百万円貰っても有難くないのは希望がないからである。

ガソリンがないのに自動車を貰っても別に有難くない。
フィルムがないのに写真機を貰っても別に有難くない。

希望がないからである。

尤もそれを売って何か他のものを買おうと思う希望があるなら有難い。

        <感謝合掌 令和3年2月15日 頓首再拝>

頼みごとを成功させる8つのコツ - 伝統

2021/03/20 (Sat) 02:55:33


       *『アラジン・ファクター 願いをかなえる成功のランプ』 (P222)
        ジャック・キャンフィールド/マーク・ヴィクター・ハンセン、

(1)第1のコツ:手に入るのが当然だと考えること

  ①前向きな期待を持つ。
  ②全てがうまくいっているというイメージがポイント。
  ③心の中の確信が全てを変える。できると確信する!


(2)第2のコツ:与えられる人に頼む!


(3)第3のコツ:はっきりと、具体的に求めること

  ①お願いは具体的に!
  ②あいまいな願いごとは失敗を呼ぶ。
  ③もう一度、全ての願いごとを具体的にすること。

  ④望むものを言葉にし、望まないものは口にしない!


(4)第4のコツ:心からお願いすること

  ①情熱を持って頼もう。
  ②自分の目的やプロジェクト、ゴールに向けての抑えがたい情熱を表明しよう!
  ③切実さと情熱が人を動かす。

  ④頼むときは目を見つめる。
  ⑤やさしい声で頼む。
  ⑥礼儀正しさを忘れずに!

  ⑦尊敬と敬意を相手に伝えよう。


(5)第5のコツ:ユーモアと創造性が鍵になる!

  ①ユーモアのセンスがあれば、あなたは頼みごとの達人になれる。
  ②クリエイティブな頼みごとは断られない!


(6)第6のコツ:まずはこちらから与えること

  ①ギブ&テイクであって、テイク&ギブではない。
  ②心の壁は、プレゼントで乗り越えられる!
  ③賞賛や褒め言葉を贈ろう。

  ④相手側のメリットこそが重要。
  ⑤パートナーに対しても、得られる利益を伝えてみよう。


(7)第7のコツ:繰り返し、繰り返し頼むこと

  ①「ノー(NO)」 = 「次!」 と変換する。
  ②「ノー」の返事を楽しみにする。
  ③同じ人に何度も頼むべし!

  ④粘り強く耐え抜いて、決してあきらめないこと。
  ⑤もう一度だけ挑戦しよう。


(8)第8のコツ:抵抗にうまく対処すること

  ①冷静さを失わないように!
  ②ときには沈黙が役に立つ。
  ③抵抗は避けられないこともある。

  ④「ノー」は祝福の変装した姿にもなりえる。
  ⑤「ノー」を礼儀正しく受け止めよう
  ⑥進みたい道自体を焼いてしまわないように!

   (https://note.com/risingdestiny/n/n0674e1c594b0

・・・

<参照Web:kensakumaigoの日記>

アラジンフアクター(1)
https://kensakumaigo.hatenablog.com/entry/20101205/p1

アラジンフアクター(2)
https://kensakumaigo.hatenablog.com/entry/20101206/p1

        <感謝合掌 令和3年3月20日 頓首再拝>

願いが叶えられないスピリチュアルな理由 - 伝統

2021/04/15 (Thu) 02:26:16


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年4月7日)より

神仏という私たちを育み導いている、見えない偉大な存在がいます。

みなさまも神社仏閣などに、
願い事をしに行ったことがあるのではないでしょうか。

希望の学校に入りたいと願ったり、
子宝を授けていただくように願ったり、
素敵な異性と縁が結ばれるように願ったり、
病気を治していただけるように願ったりしたかも知れません。


こうした願い事は、すべてが叶うわけではありません。

幾つかの条件があって、願い事は叶えられていきます。


ひとつには、その願いごとの実現が、
その人の人生計画に役立つものであるかが問題です。

地上の人間が願っている事でも、
必ずしもそれが本来の使命につながるとは限りません。


ある人物の話しですが、
彼はトヨタ自動車のエンジニア職募集の面接を受けましたが、
みごとに落ちてしまいます。

しばらく彼は無職で過ごしました。

彼は暇な時間を利用して、ご自慢の器用さから、
自宅でスクーターを製造しました。

自作のスクータが売れ出して、本業となっていきます。

その人物とは、
本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者である本田宗一郎さんです。

もし本田さんが、彼の願い通りにトヨタに入っていたら、
いまのホンダは無かったでしょう。


そのように、地上の人間が願っていることが、
必ずしもその人の本来の使命につながっているのではなくて、
一見すると挫折に見える経験から、本来の道へと進むことがあるのです。


また試験に落ちたり、
入学試験などで希望する学校に落第することもあるでしょう。

それもまた、別な道が敷かれていることがあります。


昔の中国で、科挙という難しい試験に落ちてしまった杜甫は、
やがて詩人となり、後に「詩聖」とまで呼ばれるようになります。

そのように科挙の試験に落ちて詩人となられた人は多く、
もし杜甫が科挙に受かり、良い役職についていたら、
彼の詩人としての成功は無かったかも知れません。


そのように、本人の願いが叶うことが、必ずしもよいことではなく、
一見すると挫折の道と思われたところに、花が咲くことがあるのです。

https://www.spacebrothers.jp/2018/02/blog-post_21.html

        <感謝合掌 令和3年4月15日 頓首再拝>

思いとして出た神の計らいを信頼せよ - 伝統

2021/04/27 (Tue) 04:41:08


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月27日)」より

なんじの求むるものをまず考えよ。
考えることはそれが得られる初めである。
考えた相(すがた)が《すでに》あるとしてその実現にまで努力せよ。

供給無限の世界において、ある事物を得ようと思う「思い」が
自分の内に起こったことがすでに「自分ならぬ」はからわれである。

それを計(はか)らわせ給いしものに信頼せよ。

            <感謝合掌 令和3年4月27日 頓首再拝>

より心地よい希望、より楽しめる希望を選んでいく - 伝統

2021/05/25 (Tue) 04:39:17

「なにを基準にして」行動すれば、理想の世界がひらけるのでしょうか。
その秘訣について

       *メルマガ「星のしずく」(2020年06月28日 )より

イメージすれば叶う、と言われても、
理想の世界をイメージすることに慣れていないし、難しい。

そんな方にオススメの方法があります。

それは

「心地よさ」を求めること。


理想の世界という大きな世界観を描くよりも、
ご自身の感覚である心地よさを基準として
心地よい感覚を増やしていくこと。

その心地よい感覚は
理想の世界につながっています。


心地よさはとは

・より軽やかに感じる
・より明るく感じる
・より爽やかに感じる

といった高揚感をともないます。


その心地よさの感覚は、人それぞれ異なります。

ですので、人と違って当然です。


世間一般の常識に、
自分の心地よい感覚を押し込めるのではなく

自分の心地よい感覚を出発点として
ご自身の理想を現実化していきましょう。


人の基準や常識は参考程度に。


人が決めた基準ではなく、
自分が楽しめるものをただ楽しんでみる。


そんな気概が、理想の世界をつくっていきます。

ただ1点。

ご自身の良心に反することはしないように。


普段着ている服や身に着けているもの
お部屋のインテリア、食生活など

できるところから

より心地よいモノ、より楽しめるモノを選んでいく。

そうすることで
あなたは理想の世界を、この現実の世界で
スムーズに叶えることができます。

            <感謝合掌 令和3年5月25日 頓首再拝>

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