伝統板・第二

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(十二月)の法語 - 伝統

2018/12/01 (Sat) 04:33:04


このスレッドでは、他の掲示板等から、次の6つの法語を紹介してまいります。



(1)『 生長の家 』 昭和二十四年十二月号法語

   *次のWeb「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱」からの転載です。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

(2)『 生長の家 』 昭和二十五年十二月号法語 

   *次のWeb「龍宮住吉大神」からの転載です。
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12270163.html
  

(3)『生長の家』誌 昭和四十一年十二月号の法語

   *次のWeb「光明掲示板・第一」からの転載です。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   ( 転載ですが、一部のみの掲載であります。
     この法語は、「神と偕に生きる真理365章」第12篇に
    「”神の国”地上に顕わす道」として収載されておりますので、
    そちらからの紹介になります)

(4)『白鳩』誌 昭和四十二年十二月号の法語

   *次のWeb「光明掲示板・第一」からの転載です。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   ( 一部のみの掲載でありますので、途中までであり、
     日付は仮りにつけさせていただきました)

(5)『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

   *次のWeb「住吉大神浄め給う」からの転載です。
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/d/20140309

   ((30日までの紹介になります)

(6)『理想世界』誌 昭和四十ニ年十二月号
    * 伝統板・第二「青年法語『人類と世界が求めている人となれ』」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

・・・

【一日の法語(12月1日)】

(1)《予言をする宗教は真の宗教ではない》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   真の宗教と云うものは予言などをして
   人をおどすものではないのである。

   宗教の真の使命は人間を解放して
   何者にも縛られないようにするものであるから、
   予言などで、人をおどすことなどはないのである。

・・・

(2)《常に新たを加えるが宇宙の心》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12270163.html

   (抜粋として)

   宇宙が永遠につづいて行くものである限りに於いて、
   我々の仕事になお未完成な部分があるのである。

   未完成と云うのは何か新しいものが加わって行きつつある
   と云うことである。

   我々は新しくなることによってのみ
   常に永遠に完成の道へと進展しつつある宇宙目的に
   かなうと云うことが出来るのである。

・・・

(3)《あなたの人生を〃神〃の基礎の上に築け》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   まづ一日の始まるとき、あなたの心を浄めましょう。
   自分の生活を〃神〃という堅固な基礎の上に立って始めましょう。

   次の如く神想観中に念じましょう。

   『わたしは神の子である。神の生命が、その最高の顕現をなすべく
   ××〈自己の姓名〉という姿をもって爰にあらわれたのである。

   自分の生活は〃神〃という堅固な基礎の上に立って
   営まれているのである。如何なる人生の風涛も、
   この堅固なる神の平和を動揺さすことはできないのである』

・・・

(4)《毎日毎日が新しい体験である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   この世界は常に新しいのである。
   毎日あなたは同じような生活を送っているかの如く思っている
   かも知れないが、一瞬一瞬、この世界は遷り変りつつあるのであり、
   一瞬一瞬、あなたも変りつつあるのである。

   一瞬一瞬、世界は変りつつあり、人間は変りつつあり、
   前と同じものは一つもない。

   私たちは毎日毎日新しい体験をなしつつあるのである。

・・・

(5)《天上天下唯我独尊の自覚》

   正しい信仰というものは、釈尊が尼蓮禅(にれんぜん)河畔(かはん)で
   迷いを去って悟りをひらかれた時のように
   「 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」
   と知ることであり、

   キリストがヨルダンの河畔でサタンの誘惑を退けて自己の神性を知り、
   「 われ神の子 」 と宣告されたように、

   あなたも亦(また)、
   「 われ神の子、天上天下唯我独尊 」 と悟ることなのである。

   この「 天上天下唯我独尊 」 の自覚は、
   決して、利己主義でも個人主義でもないのである。

   自己( 自個 )の内に“ 独尊 ”の絶対価値をみとめるとき、
   はじめて“ 他個 ”の中にもある“ 独尊 ”の絶対価値を見ることが
   出来るのである。

   自己の内に絶対価値を見出し得ないような者が、
   どうして“ 他個 ”のうちに絶対価値をみとめて、
   それを礼拝することができるのであろうか。

・・・

(6)《愛他的な人間となること》

   人類が求めている人になれ。

   人類はどういう人を求めているのか。
   利己主義な人を求めているのか、愛他的な人を求めておるのか。

   無論愛他的な人を求めているのである。

   では利己主義的生活をやめて、
   これから常に愛他的な生活を送るようにしようではないか。

・・・

<参考>

(1)『 光明法語<道の巻> 』(十二月の法語「神とともに祈る」)
   →  谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=45
      

(2)『 生命の實相 』第三十八巻幸福篇(十二月「陳(ふる)きものおのずから謝(さ)る」)
   → 光明掲示板・第二
      http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=684


(3)『 光明道中記 』(十二月「すべてを拝がむ」)
   → 谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=46
  
            <感謝合掌 平成30年12月1日 頓首再拝> 

【ニ日の法語(12月2日)】 - 伝統

2018/12/02 (Sun) 04:00:10

(1)《真の解脱者を作るのが宗教の使命》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96


   (抜粋として)

   真の宗教は人間の実相を知らしめ、
   人間の実相が何物にも縛られることなく、
   何物にも害されることなく、

   金剛不壊の存在であることを自覚せしめ、
   彼を真に解脱者ならしめる機能を有しなければならぬ。

   真の解脱者とは所謂(いわゆ)る「ホトケ」であって
   一切の束縛からほどかれたるものである。

・・・

(2)《日に新しく愛せよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12273624.html

   (抜粋として)

   宇宙の無限進展に協力しない生命は、
   宇宙の生命に協力しないのであるから、
   また宇宙の生命に協力してもらうことは出来ないのである。

   吾々は日に日に新しくならなければならないのである。

   日に日に新しくなる間は 常に若く、
   新しくなることを停止したときに
   人間でも事物でも凋落しはじめる。

・・・

(3)《就寝直前の神想観》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   あなたが一日の仕事を終って、眠りに入ろうとする直前、
   時間が許さなかったら極短時間でもよいから神想観して、

   先ず神に感謝を述べ、一日じゅう仕事の事に熱中して、
   色々の外界の問題を心に掴んでいたその心の〃掴み〃を放して、
   その問題を神に委ねて、心を軽くしてから眠りに入るのがよい
   のである。

   (神想観中に念じる言葉は上記の全文表示Webにて確認できます)

・・・

(4)《毎日新しき意義を生活に見出せ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   自覚の問題である。

   この世界を古いものの毎日の繰返しだと考えるのは、
   自分の心が固定してしまって新鮮さを失っているからである。

   毎朝目覚めて、神に対せよ。
   そして『今日また新しき日を迎えさせて頂きまして、
   ありがとうございます』と神に感謝せよ。

   新しき日を迎える感謝の祈りをせよ。

・・・

(5)《天地の万物一切に絶対価値を見出すこと》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/76456cb2933201398ca8056aec3cb528

   (抜粋として)


   「 天上天下唯我独尊 」 の自覚は、
   「 有情(うじょう)・非情(ひじょう)同時成道(どうじじょうどう)」
   の悟りに連るのである。

   有情・非情を“ 法身の如来 ” が
   そこに姿を顕わされたものであるとして見るとき、

   天上天下唯我独尊の自覚は、
   何処にも傲慢(ごうまん)のかげもなく、

   その独尊の絶対価値を
   天地の万物一切に見出して拝むことができるのである。

・・・

(6)《世界は特色ある個性的人物を求む》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

   (抜粋として)

   神は自己の内に“無限”を包蔵しておられて、
   無限種類の個性ある人間を、
   神自身の“無限”の自己表現としてお造りになったのである。

   そのうち最も完全に神が計画したもうた個性ある
   その人の特色を生かすことができた人間が、
   即ち「神の傑作」なる人物である。


   類型のままで個性を発揮し得ない者は、
   “カケ替え”がいくらでもある人物であるから、
   別段人から殊更に求められる者ではないのである。

   諸君はそんな類型的な人間になってはならない。

   人から求められる ―― 否、神から求められているところの、
   君自身でなければ発揮できない特色のある人間にならなければならないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月2日 頓首再拝> 

【三日の法語(12月3日)】 - 伝統

2018/12/03 (Mon) 03:11:54


(1)《真の自由は物質の無を悟って得られる》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   真の解脱は物質の無を自覚し、
   自分自身を物質と観ずる心から解脱し、

   自分自身を神通自在の神の子と自覚することによって得られるのである。

   この世界を物質という不可入性と不可抗性とを持った
   物質と観ずる限り自由はない。

・・・

(2)《人を赦すことの美徳》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12273676.html

   (抜粋として)

   「 汝ら審判(さば)くことなかれ、汝らも審判かれざらんためなり 」
   とイエスは教え、

   「 我に負債(おいめ)ある者を我らの免(ゆる)したる如く、
   我らの負債をも免したまえ 」と祈れと教えているのである。


   神の恵み(実相完全なる相(すがた))を
   現象界へ流入せしめるためには、
   まずそのパイプを掃除しなければならないという意味である。

・・・

(3)《神演出の人生劇に出演して》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   あなたが〃神の子〃であることを信ぜよ。
   尊貴なる自己の実相を信ぜよ。

   現象の姿がどのようにあろうとも、
   あなたの職業又は社会的地位が如何にあろうとも、
   あなたの実相が〃神の子〃であり尊貴なる存在であることには
   変りはないのである。

   あなたは、神にとっても、人生にとっても、
   必須必需の役割を果しつつあるのである。

   この自覚をもって一日一日の仕事を遂行するとき、
   その仕事そのものに神授の光が輝きはじめ、
   仕事に〃神の悦び〃を反照して、

   その仕事を遂行することがあなたの悦びとなって来、
   仕事の成績はあがり、生活の向上がおのずから結果するのである。

・・・

(4)《自然を見る眼をひらきなさい》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   あなたは毎日、和歌を一首、又は俳句を
   一句かならず創作るようにして御覧なさい。

   自然を観、人生を観る心の態度が変って来るのである。

   また絵心のある人は、毎日、何か自然界の景色でも植物でも見て、
   その形を簡単な線画でよいから写生するようにして御覧なさい。

   今まで気着かなかった自然界の美を発見し、
   神の叡智の素晴しさもわかって来るのである。

・・・

(5)《実相の完全さを礼拝せよ》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/7f575134098da0c0f7b97d38f01fab3f

   (抜粋として)

   万物に内在する絶対価値を見出すには、
   浮雲(ふうん)のように去来する現象の不調和な姿に、
   心を引っかからせてはならないのである。

   どんなに不完全に見えても、その外見に眼を閉じて、心の眼をひらいて、
   実相の完全さを見るとき、

   それをジッと見詰めて礼拝する毎日をつづけるとき、
   “ 内在の如来 ”の完全さがあらわれて来るのである。

・・・

(6)《世界は勇敢なる人を求む》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

   (抜粋として)

   世界が求めている人になれ。

   人類は如何なる人を求めているか。
   困難に面したら直ぐまいってしまって
   困難に屈服してしまうような人間を求めてはいないのである。

   困難がでて来るほど気力百倍し、
   困難と取り組んで必ず打ち勝つような
   勇敢なる人間をこそ求めているのである。


   真に勇気ある者は困難の量などは考えずに、どこに克服してやれる敵
   又は困難があるかと、それを見つけ出して、それを遂に征服するのである。

   世界はかくの如き勇者を求めているのである。

            <感謝合掌 平成30年12月3日 頓首再拝> 

【四日の法語(12月4日)】 - 伝統

2018/12/04 (Tue) 03:13:34

(1)《貧乏になる心的原因》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   人間は神の子であるから、自由自在であり、
   貧乏などになるべき筈(はず)のものではないのである。

   それだのに何故(なぜ)貧乏になるかと云うと、
   自分で自分を限るのである。

   然し神の子であり、神の最高実現であるところの人間が
   富んで悪いと云う理由はないのである。

・・・

(2)《心は波長の合うもののみを実現する》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12276837.html

   (抜粋として)

   神からの恩恵の放送をハッキリと受信しようと思ったならば、
   ひたすら神御自身と同じ波長の心を起すことが必要であるのである。

   神は 「 無限の赦(ゆる)し 」 であるから、
   神の恩恵を万福の完全さで受けようと思うならば、

   神と同様に、あらゆる人々に対する憤りや不満足を
   ゆるさなければならないのである。

・・・

(3)《現在従事せる仕事に感謝せよ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   自分の現在従事している仕事が、
   自分の希望する種類の仕事ではなく、
   自分の能力の充分なる表現ができないと思われる場合にでも
   その仕事を呪ったり、不平に思ったりしてはならないのである。

   その仕事は、人類全体の仕事に必ず何らかの貢献を
   果しつつあると同時に、あなたの魂の能力を磨いて、
   次なるもっと重要なる役割に振り当てられる順序的訓練が
   行われつつあるのである。

   その人の魂の現在の磨きの程度に従って、色々の過程を通して、
   その人の魂が磨かれるのである。

   艱難が来る毎に、感謝せよ、感謝せよ。

・・・

(4)《生命の實相に触れる悦び》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   本当に悟りの心の眼がひらかれた人だったら、
   神の生命が一切の物の奥に充ち満ちており、
   それが実際に輝いており、それが吾々に話しかけており、

   その光が吾々を祝福しており、その光に導かれておることが判って、
   魂の底から悦びが感じられて来るのである。

   生きていてよかった。この世に生まれてよかったという悦びが
   自分自身の顔貌にもあらわれて、その人に接する人々が、
   やはり実相の光に触れる悦びを感ずるようになる筈である。

・・・

(5)《子供を優良にするには》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/7139d937f364779ae4208dbb0affa066

   (抜粋として)

   神想観の姿勢をとり、合掌瞑目して、
   自分の子供が既に円満完全であるところの理想的姿を
   眼瞼(まぶた)の裏に描いて、それをジッと見詰めながら、

   “ ありがとうございます。私の良い子よ ” と
   念じて礼拝し感謝するがよい。

   この行事を毎日つづけるならば、
   あなたの子供の完全なる実相が現実化して、
   本当に優良な子供になって来るであろう。

   但し、「 この子は、“ どうも不良であるから ”、
   こうしてその不良を治すのだ 」 などと
   考えてはならない。


   「 不良である 」 という前提を深く信念に握っている限り、
   その信念が現実化するから不良が治らないのである。

   「 この子は、神の子であって、本来も、今も既に完全である 」
   と見立てて、礼拝し感謝するのでなければならない。
   
・・・

(6)《世界は正義の人を求む》

   善と信ずることには断じて為して、その抵抗を恐れてはならない。
   悪と信ずることは、いかに自分に利益があってもしてはならない。
   それが勇敢にして正義の人の為すべき道である。

   世界は正義の人を求めているのである。

   利益に眼を眩まされてフラフラ動揺するが如き人は、頼りにならない人である。

   「あの人なら決して間違いはない」という人、
   信頼できる人を人類は求めているのである。

   正義のためには焚(ふん)刑も笞(ち)刑も磔(たく)刑をも恐れず、
   正義と一つになって進む者は、

   肉体を滅ぼすことがあっても正義は永遠のものであるから、
   永遠の正義と共にその人の生命は不死であるのである。

   私は戦時の特攻隊の人々の魂を尊敬する。

   これ等の青年は“永遠の理想”を心に描いて、肉体は滅びても
   “永遠の理想”とその生命を一体化した人であるからである。

            <感謝合掌 平成30年12月4日 頓首再拝> 

【五日の法語(12月5日)】 - 伝統

2018/12/05 (Wed) 03:02:56


(1)《人間を立派に飾ることは立派な神殿を作るのと同じだ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   神を立派な神殿をきずいて祭り、
   仏を立派な仏閣に安置してまつるのが宗教的行事だとして
   尊ばるべきことであるならば、

   神の自己実現であり、生ける神である人間を
   どれほど立派に飾り過ぎても悪いと云う筈はないのである。

   それだのに多くの人間は立派に飾ることを功徳なる行為だと
   思わないのは間違いだと云わなければならぬ。

・・・

(2)《自己の環境は自分の心の具象化》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12280706.html

   (抜粋として)

   あなたが父母に対して、
   又、良人(おっと)に対して、又、妻に対して、
   又、隣人に対して

   如何(いか)なる想念感情を抱いているかと云(い)うことを
   知ることが出来れば、あなたの現在の運命を言いあてること、
   恰(あたか)も指(ゆびさ)すごとくであり得るのである。


   あなたが隣人を嫌っているならば 貴方(あなた)も亦(また)
   隣人にきらわれているのである。

   その反対も亦 然(しか)りである。

・・・

(3)《類を以って集まる》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   この世界には同類相互牽引の法則がある。
   それを「類を以って集る」とも「類は朋を呼ぶ」とも言う。

   若しあなたの生活に、よき運命が出て来ないならば、
   あなたが今まで、人生の沃地に蒔いていた種子が
   「良き運命の種子」ではなかったからである。

   もしそうならば、今後「良き運命の種子」ばかりを
   蒔くことにすればよいのである。

   「類をもって集る」という法則は、
   永遠に今も普遍的に行われているのである。

・・・

(4)《祈っても病気が治らない場合》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   祈っても念じても病気が消えない人は、心が暗く沈んでいて、
   神の祝福の前に、魂を閉ざしているからである。

   黒住教祖の宗忠は
   「何程信心いたし候とも、心沈鬱候ては何の甲斐も御座なく候」
   というような手紙を書いている。

   人生を悦ばなければならないのである。
   人生を悦ばない人は、人生を否定しているのである。
   人生を否定していながら人生に幸福が出て来る筈はないのである。

・・・

(5)《神想観によってあなたの健康を》

   (全文は)

   → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/da726a043db7f9335da3991d73ec3726

   (抜粋として)

   人間の実相は本来完全であるという真理の前提に立って、
   その本来の健康をあらわすためには、

   やはり、その実相の完全さを心に描いて、それを凝視し、
   礼拝し感謝するがよいのである。

・・・

(6)《世界は責任をみずから負う人を求む》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

   (抜粋として)

   「成功するにせよ、失敗するにせよ、
   その仕事に自分が関係する限りは、その成否の責任は自分のある」

   というような人を世界は求めているのである。

   このような人は、

   「一切万事われより出でてわれにかえる」

   という真理を充分自覚した人なのである。


   始終、責任逃れをしている卑怯な人を、世界は決して求めないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月5日 頓首再拝> 

【六日の法語(12月6日)】 - 伝統

2018/12/06 (Thu) 02:28:04


(1)《物質有限観を維持する限り貧乏は美徳である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   この世界を物質で出来ていると云うような
   唯物論的世界観をもっている限りは、
   物質と云うものは有限であるから、一人が多く富めば、
   残りは少くなり、多くの人の頒(わ)け前が減ってしまう。

   従って物質有限観の唯物論的人生観をもっている限りは、
   自分が富むだけ他の人類から搾取していることになる。

   併(しか)しながら、物質は必ずしも有限ではないのである。
   心を変えることによって作物の収量でも殖えて来る。

・・・

(2)《悪人も病気も自心の展開である》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12283933.html

   (抜粋として)

   吾々に対して害を与えたる如く見える相手の外観を見て、
   相手の実相を判断してはならない。

   悪人と病気とは結局、自分の想念の影にすぎないのである。

   悪人も肉眼に見え、病気も肉眼に見えるけれども、
   それは唯(ただ)、自分の心の具象化として、
   映画の如くあらわれて見えるに過ぎないのである。

   吾々が想念のフィルムを変化すれば、
   病人は健康となり、悪人は善人に変るのである。

・・・

(3)《みとめたものが顕れる》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   あなたの現象の生活がどんなに不満足なものであろうとも、
   あなたの内に 〃神の国〃 が現に今 〃永遠の今〃 
   儼存するということに間違いはないのである。

   それを如何にして顕すかどうかということが問題なのである。

   イエスは「先ず神の国と神の義とを求めよ、
   その余のものは汝らに加えらるべし」と教えたのである。

   先ず既に 〃神の国〃 が自己の内にあることを認める事が大切である。
   すると外界は内界の投影であるから、内界に於いてみとめられた程度に
   応じて、外界にその 〃神の国〃 の至福の姿が影を映すのである。

   みとめたものが顕れる
    ―― 神の国もその法則に従って現実化するのである。

・・・

(4)《縁談のおそい女性のために》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   心の明るい女性は縁談は降る星のようにあるのである。

   男というものは明るさに魅かれて行くものである。

   兎も角、縁談のおそい女性は自分自身を反省してみて、
   自分の心が暗くないか、自分の表情が暗くないか、
   自分の常に考えている考えが暗くないかを考えてみることである。

   そして暗いとわかったら明るい考えを持つようにし、
   表情も出来るだけ明るくする練習をするがよい。
   あなたの周囲に縁談が降る星のように集って来るであろう。

・・・

(5)《祝福を与える者はまた祝福せられる》

   (全文は)

   → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/edceaabd05d4073ac16ddff0f64835fc

   (抜粋として)

   何事によらず、何物であろうとも、
   一切の事と物とを祝福することは、
   事態を好転するための驚くべき不思議な力となるのである。

   「 祝福する 」とは「 詛(のろ)う 」ことの反対である。

   相手の前途に対して、必ず良き事が来ると祈ってあげ、
   且つそれを信ずることである。

   “ 希望の光 ”をもって相手を鼓舞してあげることである。

・・・

(6)《世界は決断力ある人を求む》

   左顧右眄躊躇逡巡して、何事をも勇敢に実行する勇気を欠き、
   決断することのできない人は常に好機を見逃して
   大なる成功を成し遂げ得ない人である。

   事物に対して明敏な判断力をもち、

   「われ是を成さんとする、必ず成る」と判断した限りは、

   即刻それを実行に移す決断力をもつ事が必要である。

   実行の勇気なきもの、実行の決断を鈍る者は常に社会の下層にあって、
   実行の勇ある者、実行の決断力あるものの指揮によって
   動くほかはないのである。

   世界は決断力ある者の指揮の下に
   決断力なきものが率いられて動いているのである。

   諸君は率いる者となるか、または率いられる者となるか。

            <感謝合掌 平成30年12月6日 頓首再拝> 

【七日の法語(12月7日)】 - 伝統

2018/12/07 (Fri) 04:14:08


(1)《果樹は豊かに実ることが美徳である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   或る果樹園の果樹が大いにみのったからと云って、
   隣りの果樹園の貧弱な果樹から決して奪ったと云う訳ではない。

   それは天の恵み、地の恵みを
   より多く受け、吸収することが出来たからである。

   これは横取り即ち搾取では決してないのである。
   横取りは悪いけれども
   竪(たて)取りは決して悪いことはないのである。

   吾々は良き 「 受け手 」 となることが必要である。

   自分が貧しくなることが美徳ではない。

   果樹はゆたかに実ることが美徳である。

・・・

(2)《先ず自分自心の念を改造せよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12287379.html

   (抜粋として)

   周囲の悪を変化せんとする努力をしばらく止(や)め、
   先ず自分自身の念を改造せよ。
   自分自身の心を改造せよ。

   先ず 「 此の世界が神の国であり、自分の周囲の人々は
   悉(ことごと)く神の子であり、自分の周囲には悪を犯したり、
   自分にとって不満足な行為をするものは一人もない 」 と

   実相を思念せよ。

・・・

(3)《神の国を現象化するための言葉》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   「神の国はわが内にある。
   それが今現象界に展開しつつあるのである。

   神の愛がわが内にある。
   それがわが現象の心にあらわれつつあるのである。

   神の智慧がわが内にある。
   それが今、現象界に展開しつつあるのである。

   神の国の繁栄がわが内にある。
   それが今現象界に展開しつつあるのである」


   毎朝の神想観のとき、先ず招神歌を誦えてから、
   神との一体感を深め、しかる後に以上の如く念ずるがよい。

・・・

(4)《あなたの運命を左右する表情》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   人相には運命があらわれるといわれている。
   しかし人相をよくするには、
   顔貌は自分の心の姿あらわすものであるから、
   心が明るくならねばならぬのである。

   心が明るくなるためには自分の不運を喞って見ても
   何にもならないのである。

   先ず幸福になるためには、自分の表情を明るくすることである。
 
・・・

(5)《あなたの言葉で人を傷つけてはならない》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3190094d2d8a3520db72dc9a8636c921

   (抜粋として)

   誰でも不快なことを聞くと、自分が不快になるのである。
   人に不快なことを聞かせることは、人に不快な目をさせることになる。

   人に不快な目をさせることは、相手の心を傷つけることである。
   それは相手の肉体を傷つけるよりも一層大なる罪悪である。

   何故なら、“ 心 ” は “ 肉体 ”よりも一層
   大切なものであるからである。

   あなたは決して“不快な言葉”を人に話してはならないのである。

・・・

(6)《世界は競争者を歓迎する人を求む》


   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

   (抜粋として)

   競争者があらわれて来るので却って生活に生き甲斐を生じて来るのである。

   よき競争者があるとき、
   生命は緊張して“張り”のある生活を営むことができるのである。

   競争者があるので自分の能力の進歩する契機をつかむことができるのである。


   「どんな競争者が来ても負けないぞ」という自信と、
   普段の研学及び実践によって、常にみずからが進歩している如き人を
   世界は求めているのである。

            <感謝合掌 平成30年12月7日 頓首再拝> 

【八日の法語(12月8日)】 - 伝統

2018/12/08 (Sat) 04:39:39

(1)《貧しい人は却って人に厄介をかける》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   豊かなる富を実らせた人間は、
   人類に貢献することが出来るが、
   貧しき者は人類に厄介をかけるばかりなのである。

   何故人間が貧しくなるかと云うと、
   その人間は他から搾取されたと思っているかも知れないが、
   善き考えが浮かばなかったことが原因である。

   善いと思ってしたことが失敗に帰したのである。

・・・

(2)《非難の心は実相の実現を妨げる叢雲(そううん)である》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12295315.html

   (抜粋として)

   自分が周囲の人々に対して抱いている念の投影が
   自分の周囲の状態なのである。

   周囲を 「 悪い、悪い 」 と心で非難している間は、
   周囲の悪は去らないのである。

   他(ひと)を 「 悪い、悪い 」 と叢雲のように非難している
   念波のあるところへは、
   実相円満完全の相は実現して来ないのである。

   すべての人を赦すとは、自分を赦すことも引っくるめてである。

・・・

(3)《あなたの内在する”天の父”について》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   キリストとは一人の人間の固有名詞ではないのである。
   それは 〃宇宙本源の救世主〃 であり、
   イエスに宿っていたところの 〃天の父〃 であり、

   イエスが「我れみづからにては何事をも為し得ず、
   天の父われに宿して御業を成さしめ給ふなり」と
   いったところの 〃天の父〃 である。

   それは 〃天の父〃 であるから、イエスのような若い姿ではなく、
   また瘠せさらぼうた繊弱な姿でもない。

   それは白髪の老翁なる 〃父〃 の姿であり、
   永遠に強健なる体躯のイメージをもって顕現せられるのである。

   使徒ヨハネは小亜細亜のパトモス島に流謫せられているとき、
   祈りのうちにその姿を見て、黙示録の第一章にその姿を描いたのである。

   この永遠のキリスト 〈永遠の救いの本源者〉 は
   常にあなたの内にあって、あなたを護り導いておられるのであるが、
   ある特殊の問題についてお伺いするならば、
   特にそれについての導きがあるのである。

・・・

(4)《あなたの人間の〃看板〃を取り換えなさい》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   自分の表情は、その人の対外的看板みたいなものである。

   「自分は斯ういう心をもっているのでございます。
   斯ういう心でおよろしかったら、どうぞお求め下さい」と
   PRしているようなものである。

   そして暗い陰気な〃顔〃という看板を出して、
   「どうぞお求め下さい」といっても買い手がつかないのと
   同じことである。

・・・

(5)《“ 縁なき衆生は度しがたし ”》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/90d1630fffc8c1e30fcfaf4649754c1d

   (抜粋として)

   迷いの中に悩みながら、こちらが救けてあげたいと思うけれども、
   宗教とか信仰とかというものに興味のない人がたくさんある。

   このような人を救うにはどうしてあげたらよいのであろうか。

   釈尊はこういう人の事を
   「 縁なき衆生は度(ど)し難し 」と仰せられた。

   「 度す 」というのは「 済度(さいど)する 」ことである。

   いくら「 善き助言 」を放送してあげても、
   彼らは波長の合わぬラジオ・セットのようなものであって、

   心の触れ合う機会がないのである。

・・・

(6)《世界は恐怖なき人を求む》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

   (抜粋として)

   恐怖は一つの精神的習慣であり、一種の精神的病気であるのである。

   環境が変わり、相手が変わり、競争者又は敵対者が変われば、
   恐怖がなくなるかと思うと、決してそうではないのである。

   自分自身の心が一変して、
   「人間神の子・恐るるものは何もない」という悟境に入らない限りは、
   どんなに環境や境遇や相手を変えてみても恐怖は去らないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月8日 頓首再拝> 

【九日の法語(12月9日)】 - 伝統

2018/12/09 (Sun) 03:52:59


(1)《豊かなるべき者が豊かでないのは盗罪である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   人類に益を与える良い考えが富に変化するのである。
   富の本質は「好(よ)い考え」である。

   好い考えを考えついて人類に益した者が富むのであって、
   泥棒が千万長者になったためしはないのである。

   貧しいということは、時として人類から奪う盗罪となることが
   あるのである。

・・・

(2)《良人の心を生かさない妻の努力は無駄である》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12295392.html

   (抜粋として)

   妻は良人に絶対無我にして
   良人と一体にならなければならないのである。

   良人が定めたことを無断で変更してはならない。
   良人の想いを大切にしなければならないのである。

   庭の一木一草でも植えたものは大切にしなければならない。
   それを植えかえるときには許可を得なければならない。

・・・

(3)《あなたの自然良能を旺(さか)んにするには》

   神は直接その”癒しの力”を内部から行使し給うこと(自然良能)も
   あるが、その癒しを完成するために外部から何を為すのが適当であるか
   を知らせ給うこともあるのである。

   医術というものは自然良能の進行の妨げとなっているものを
   取り除く作業をするのがその本業であって
   癒しそのものを行なうのが医術ではないのである。

   自然良能の進行を妨げるものには、間違った心の持ち方
   ―― 憎しみ、慍(いか)り、争い悲しみ、嫉妬、貪欲、不平、憂鬱、
   失望落胆その他一切の暗い破壊的な感情想念が含まれているのであって、

   これらの潜在的なくらい感情想念を除去して、
   それを明るい建設的な積極的な感情
   そして更に一切感謝の感情に置き換えてしまうならば、

   自然良能が完全に働き始めて速やかに病気の進行が止まり、
   間もなく完全治癒に向うのである。
 
・・・

(4)《あなたの運命を好転する根本問題》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   自分の〃人間〃の看板を取りかえるには、
   表情明るくすることが必要なのである。

   表情は、自分の感情想念の表現であるから、
   自分の感情想念を明るくしなければならないのである。

   あなたは〃思うこと〃が自分の運命をつくるのだという
   〃心の創化作用の法則〃〈略して〃心の法則〃ともいう〉を
   知らなければならない。

   「自分の運命は屹度好いのだ」こういう考えに、
   あなたの感情想念を一転しなさい。
   其処から、あなたの運命は好転しはじめるのである。

・・・

(5)《本当は「縁なき衆生」はない》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6ec63f26f27c152f150d8979445c3ea8

   (抜粋として)

   では、本当に「 縁なき衆生は度し難し 」なのだろうか。
   「 縁なし 」といって放置して見殺しにしておいて、
   よいものだろうか。

   実相は彼らも亦“ 神の子 ”であり、本来“ 仏性 ”であり、
   彼らの生命の根元的な面に於いては、
   互いに密接に“ 一体 ”なのである。

   だから彼らを救ってあげようと思えば
   彼らの生命の根元的な面で彼らと接触すればよいのである。

   即ち、彼らの「 実相 」の円満完全さを心で凝視し
   礼拝する行事をつづけるがよいのである。

   私たちが彼らを救わんがために、
   彼らの「 実相 」の円満完全さを凝視して礼拝するのは、

   その眠っている「 実相 」に対して、波長のあう霊波を起して
   「 実相 」を霊波で叩いて目を醒(さ)まさせて
   「 実相 」のハタラキを表面にあらわすためなのである。

・・・

(6)《世界は決断敢行の人を求む》

   強固なる意志をもって、周到なる計画を果敢に実践する人の前には
   困難も自然に道をひらいて平かとなるのである。

   鋼鉄の意志をもって戦車の如く困難を切り開いて行く者のまえには
   その前進を阻むところ塹壕も鉄条網も何もないのである。

   決意を新たにして困難に立ち向かうとき、今まで弱者と見えた者が、
   強者と見えた者を圧倒することができるのである。

   嘗て鼠の如く怯懦であった者が、死にもの狂いで強者に立ち向かうとき、
   窮鼠却って猫を食むが如く、強者を征服することができるのである。

   困難を恐れず、強者を恐れず、敢然と困難に挑みかかり、
   強者に挑戦する勇者にして、はじめて
   世界に名を成す者となることができるのである。

            <感謝合掌 平成30年12月9日 頓首再拝> 

【十日の法語(12月10日)】 - 伝統

2018/12/10 (Mon) 04:03:24


(1)《美しくなることは神の御心である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   人間は、花よりも鳥よりも尚(なお)、美しくあるべく、
   最高の傑作として人間を作り給うたのである。

   その美しかるべき人間が美しく衣服をつけず、
   蓬頭(ほうとう)乱髪、殊更(ことさら)に自分を醜くく
   している如きは人生から美を奪うものなのである。

   神は決して、人間をただ生活出来る物質以上のものを使ったら
   贅沢(ぜいたく)だなどと咎(とが)めたまうほどケチではない
   のである。

   生活の余剰のところに文化は生じ芸術は生れる。

・・・

(2)《貧乏を招く種々の感情》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12299184.html

   (抜粋として)

   富豪の息子で、「 富めり 」 と云う感情をもっているのに
   みだりに浪費して貧しくなるものがあるのは、
   彼は父の富を憎んでいるからである。

   富想が貧をもたらすのではなく、
   富に対する 「 憎しみ 」 が貧をもたらしたのである。

   如何なる病いも貧乏もその他(ほか)如何なる不幸も、
   人間自身がその存在に迎合する何らかの心的態度をもって
   いなければ、人間に近づいて来ることは出来ない。

   富者に対する憤慨や、清貧に対する誤れる情熱や、
   同情をもとめる心や、苦しみが魂を浄化すると云う考えなどは
   貧の原因である。

・・・

(3)《生命と肉体とは一元である》

   神は一切の創造主にまします。
   一切の生命は神より出で、その生命顕現の”場”も、
   生命顕現の”資材”も悉く神より出でたのである。

   生命それ自身と”生命顕現の資材”たる肉体とは決して
   二元的存在ではなく、一元的な存在であるのである。

   それ故”生命”と”肉体”とは一体のものであって、
   生命が自己の神性を自覚して生き生きと活動すれば
   肉体も生き生きと活動しておのずから健康となり、
   若返り精力旺盛となることができるのである。

・・・

(4)《根本運命と中間運命》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   現在のその人の運命は、根本運命〈実相又は宿命〉ではなくして
   中間運命であって、途中で自分の心が作った「感情想念の具体化」
   なのである。

   だからそれは自由に自分の「感情想念」を変革することによって
   どうにでも変革することができるのである。

   「現象の不運」を見てその通りに「自分は運が悪いのだ」と
   自分の「感情想念」を固着してしまったら、
   自分の運命も不運のままに固着してしまうのである。

   運命の固定固着を変革しようと思う者は是非とも、
   自分の「感情想念」を一転しなければならないのである。
 
・・・

(5)《われ常不軽菩薩たらん》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/abeba2be8eabd8f9b60ae0ebbb0883dd

   (抜粋として)

   実相礼拝の行事によって、恰も「縁なし」と見える
   衆生の仏性を目醒(めざ)めしめようとせられた方が、

   法華経の“常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)”なのである。


   この菩薩は「 われ常に軽んぜず 」と唱えて、

   ひたすら相手の実相たる
   “ 内在の如来 ”を礼拝したのである。

   生長の家人の生き方は、この常不軽菩薩の生き方をすべきである。

・・・

(6)《世界は逆境を征服した人を讃える》

   有名人の多くは逆境を征服した人々である。

   かりに文壇に雄飛した人だけに限っても、吉川英治、山岡荘八、長谷川伸など
   有名な小説家が殆んど義務教育をも受けていないで古典を充分読みこなし、
   その古典の史実にもとづいて、歴史的仮名遣いを殆んど少しも間違なしに
   大部の小説を書くことができたことを思えば、

   戦後の若い人は歴史的カナ遣いも正漢字をも知らず、戦後学校で教えこまれた
   “伝統破壊”の一方的な考えで、歴史的カナ遣いや正漢字がつかってある
   先輩の文章を見ると、「これは間違っている」と独断的な批評を下して、
   得々としている如きはまことに噴飯に耐えない感じがするのである。

   本誌の諸君は、もっと古典を読み、古代又は中世又は徳川時代の
   日本人の学者が何を考え、如何なる精神をもって生活していたかを学んで、
   日本人に生まれたことを誇りとするようにならなければならないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月10日 頓首再拝> 

【十一日の法語(12月11日)】 - 伝統

2018/12/11 (Tue) 04:00:31


(1)《既に阿弥陀仏と一体である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   人間は宇宙遍満の大生命に生かされているのであり、
   宇宙遍満の大生命の別名が阿弥陀であるがゆえに、

   既に実相においては吾々は阿弥陀仏と一体であり、
   既に極楽浄土に生活するのであるが、
   現象の姿は自覚の程度によるのである。

・・・

(2)《欠乏の観念を心の外に放逐(ほうちく)せよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12308310.html

   (抜粋として)

   欠乏を見て、欠乏せるがゆえに 「 与えては損だ 」 と思って、
   自己の力を他に与えることを拒むがゆえに
   欠乏せるものは愈々(いよいよ)欠乏することになるのである。

   富は生命を与えることによって生ずるのである。
   与えれば与えるほど殖えるのである。

   すべての欠乏の観念をあなたの心の外に放逐せよ。

・・・

(3)《神想観を通して自己の本源を自覚せよ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   生命が生き生きと活動をつづけるためには
   生命の本源が〃無限者〃なる神から来たものであるという
   自覚をもたなければならないのである。

   その自覚の道具となるものが〃心〃である。

   〃心〃をして自己の内部の本源者の方へ振向かせることによって、
   自己が〃無限者〃の流れを汲むものであることを悟ることが
   出来るのである。

   ひたすら内部の〃無限者〃に心を振り向ける
   精神統一的行事が神想観なのである。

   すべての人間は現象的には有限的存在であるけれども、
   〃無限〃につながる流れであるから、時間の経過を通して
   いくらでも力が出て来るのである。

・・・

(4)《自分の潜在意識に〃幸運〃を納得せしめること》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   自分の感情想念を暗い方から明るい方向に変革するには、
   人間の根本運命が、〃神の子〃であり、神様の御子であるから
   必ず幸福であるほかあり得ないという理を
   充分自分の潜在意識に納得せしめなければならないのである。

   潜在意識を理論的に説き伏せれば、その通りに潜在意識は動きはじめ、
   人間の潜在意識はその奥底に於いて宇宙の潜在意識につながっているので、
   宇宙の潜在意識に感応して、宇宙の創化力の力が、
   その念じたとおりのところのものを実現してくれることになるのである。

   そこであなたは自分の潜在意識に先ず
   「人間は神の子であり、本来幸福な運命を与えられているのだ」という
   真理を納得せしめなければならないのである。

・・・

(5)《子供の成績をよくするには》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/b977ab9ad238b4ac8dcef8d83d8431f2

   (抜粋として)

   子供が不成績であっても、その不成績や、智能の低さを見ないで、
   神想観中に、その子の、完全にして全智全能なる“ 神の子 ”である
   実相を観じて拝むようにするならば、

   実相の完全さがあらわれて成績が優秀となるのである。

   「頭が悪い」という“現象の雲”をつきぬけて、

   一躍超入、その子供の“ 神性 ”を把えて
   それを凝視し、礼拝するがよい。

   (谷口雅春著『 優良児を作る 』参照)

・・・

(6)《世界は不可能を可能とする人を求む》

   ナポレオンの辞書には「不可能」という文字がなかったといわれている。

   「断じて行わば鬼神をも避く」という諺が日本にはある。

   アメリカの南北戦争の時の勇将グラント将軍の辞書にも
   「不可能」という文字がなかったとも伝えられている。

   意気阻喪した副官がアレキサンダー大王に
   「それは私にはできません。それは不可能です」と言ったときに、

   大王は

   「馬鹿!! 断固として行なう者の前には不可能はないのだ!! 」

   と叱咤したと伝えられている。

   勇将の志向するところ皆同じである。

   そして勇者の下に弱卒なく
   これらの将軍は常に勝利を得ることができたのである。

            <感謝合掌 平成30年12月11日 頓首再拝> 

【十ニ日の法語(12月12日)】 - 伝統

2018/12/12 (Wed) 04:30:15


(1)《真に愛することは実相を礼することである》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   真に愛するということは、その人の肉体のみを愛するのではない。
   その人の実相を見て敬し礼することが真の愛である。

   真に愛するとは、われ自身の如く、相手を愛しなければならない。

・・・

(2)《善の肯定を悪の否定に優先せしめよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12312795.html

   (抜粋として)

   「 悪は非存在である 」 と悪を否定することと、
   「 善のみ実在である 」 と善を全面的に肯定することによって、

   悪は消え、善のみ現象界にあらわれて来るのである。


   併(しか)し悪の否定にあまり時間を費やしてはならないのである。

   ただ善のみ、豊富のみ存在する世界を心に凝視せよ。

   ただ完全と健康とのみ存在する身体を凝視せよ。

・・・

(3)《キリスト教と仏教とは一致する》

   誰にもみな自己の内に”無限”が宿っているのである。
   ”無限者”から分れて出たところの枝であるから
   ”無限者の子”といってもよいのである。

   ”無限者”は神である。
   だから”無限者の子”は”神の子”なのである。

   その”神の子”なる実相をキリスト教では
   「内に宿るキリスト」といい、
   仏教では「内在の仏性」というのである。

   仏教を詳しく知らぬ人は、”仏”と”神”とは異なる
   というのであるが、”仏”とは固有名詞ではなく、
   自己に内在する「無限自由」の本性を完全に自覚した結果、
   完全に迷いの縛りから解脱して自己解放を遂げた人のことである。

   本性を自覚して自己解放を遂げるとき”無限の自由”が得られるのは、
   既に”無限の自由”なる本性が自己の内に宿っていたからであり、
   ”無限の自由”の本性こそ、”自己に宿る神の子”なのである。

   だからキリスト教と仏教とは一致するのである。

   ”自己”のうちに”神の子”が宿っているということは、
   結局”神の国は汝のうちに在り”
   というイエスの言葉に一致するのである。

・・・

(4)《不運の観念を抹殺すること》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   自分の潜在意識に「私は不幸に生まれついている」という観念が
   いつの日にか固着してしまっているからこそ、
   その観念の具体化として現在の不幸はあるのだから、

   その潜在意識の既成概念に対して、それを打ち破る新しき想念
   又は人生観の戦いが始まらねばならぬのである。


   その戦いには「人間は神の子であって、本来不幸はあり得ない」という
   道理を全巻にわたって納得の行くように書いた書物を毎日讀むがよい。

   私はそのために『生命の實相』全巻を繰返し読むことを勧めるのだ。

   「言葉」或いは「文章」は
   潜在意識に印象されている観念を変革する力があるのである。

   善き言葉は、善き観念を喚び起し、
   善き想念の繰返しは、それが潜在意識に繰返し印象されて、
   〃悪い運命〃をつくっていた「悪い想念」を中和して、
   悪運の根元を断ち切ることになるのである。

・・・

(5)《非行少年を良くする道》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/097dd924f18cb436954ef71f9bb6908e

   (抜粋として)

   不良児とか、異常児とか、非行少年とかいうものは
   「 本来無い 」のである。

   その本来無いという事実を知って、その外観を超越して直接、
   「神の子」なる子供の実相を心に描いて、
   その姿を心で凝視するがよい。

   その観が本当に徹底したら、本来の良き子供の実相があらわれる。

・・・

(6)《労苦や努力には積極的価値がある》

   困難を克服することなしに、また労苦することなしに、
   獲得した勝利には、本当の価値はないのである。

   労することなくして得た栄誉は、
   恰も労苦なくして賭場で儲けた金のように、
   泡沫の如く消えて行く栄誉である。

   同じ十万円でも労苦してたくわえた金は有効につかえるが、
   博奕で得た十万円は大抵、不道徳な行為や、悪事を為すために
   消費されるのである。

   外見から見たら、同一の形をした十万円の如く見えていても、
   それに存する内在的価値が異なることに注意しなければならないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月12日 頓首再拝> 

【十三日の法語(12月13日)】 - 伝統

2018/12/13 (Thu) 04:17:44


(1)《わが願いを神の沃地(よくち)に播種(はしゅ)せよ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   自己の願いを自己のものとして願うだけではなく、
   最後に 「 み心のままにならしめ給え 」 と、神にその願いの成否を
   完全にまかせてしまうことが必要なのである。

   「 自分の願い 」 として握っていた 「 願い 」 の種子(たね)は
   自分の掌(たなごころ)の中に握っているだけでは
   まだ発芽しないのである。

   神の生命の沃地に投げ出してこそ発芽する。

・・・

(2)《「 悪 」 を絶滅する一大神呪(しんじゅ)》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12315956.html

   (抜粋として)

   「 悪 」 が存在すると云う人類の共通的意識に
   押し流されてはならないのである。

   仮相であるところの現象の不完全さや、病気や、欠乏に
   心を捉(とら)えられしめてはならない。

   「 人間、神の子 」 の実相の自覚を強化することによって
   すべての消極的な考えを放逐せよ。

   「 人間、神の子、円満完全無限健康 」 の呪文こそ
   すべての消極的観念の雲霧を追いはらうところの
   一大神呪であるのである。

・・・

(3)《あなたの内に”無限」”がある》

   ”神の子”が自己の内に在り、
   仏教的に謂えば”仏性”が内在するということは、
   ”無限の自由#の本体が自己の内に存在するということに
   ほかならないのである。

   ということは時応じ、処に応じ、必要に応じて、いくらでも、
   それに応ずる力や智恵が出て来る可能性があるということである。

   私たちは、問題に面して”人間の頭脳知”ばかりで
   立ち向かわなければならないということはないのである。

   キリストは「重荷を負える者よ、われに来たれ、われ汝を休ましめん」
   といっているのである。

   私たちは”自己に宿る神性”の門を叩くことによって、
   無限の智恵の扉はひらかれるのである。

   吾々が失敗することがあるのは、問題がむずかしいからではなく、
   信仰によって内部神性の扉を叩かないからである。

   だからキリストはその弟子が治病に失敗して帰って来たときに、
   「その病気は重病だったから治らなかったのだ」とは答えないで、
   「汝ら信仰薄きものよ」と言っているのである。

・・・

(4)《読書による運命好転の原理》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   読書で運命を好転させるのは、必ずしも『生命の實相』に限らない。
   法華経の如来壽量品を読んでもよいし、般若心経を読んでもよい。

   あなたの潜在意識の中に潜んでいる在来の「不幸、不運、病弱」の
   懸念が中和され、駆逐され、浄化されれば、あなたは幸福、幸運、
   繁栄等を自分の生活に実現することができるのである。

   私は『心の科学』第一巻の訳文を読んでみたが非常によく訳され
   内容が咀嚼されていて、第二巻を持っている人も、この際第一巻から
   揃えて読み直せば一層の光明の人生哲学がよく理解でき
   運命好転に資すると思うのである。

・・・

(5)《劣等観を去るための神想観》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/9ca5ddcfd20b24aaf94d3b2e9e335e00

   (抜粋として)

   劣等観をなくするためには、
   次のように神想観をして祈るがよい。―


   “ 私は神の子である。
   神は全能である、その全能の力が私に宿っているのである。
   私は神の子である。

   神は全智である、
   その全智なるすぐれたる智慧が私に宿っているのである。

   そして時に応じ、処に応じ、人に応じて、
   その全智全能なる智慧と力とが自由自在に
   発現してくるのである。

   それゆえに私は何物をも恐れることはないのである。”

・・・

(6)《本当に君は奮闘努力しているか》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

   (抜粋として)

   人間は努力と労苦とのみによって
   真の値打を自分の人格につけることができるのである。

   困難が価値があるのは、人間から努力と労苦とを喚び出すからである。

   戦後の青少年は体格はよくなり背丈は伸びて来たけれども体力が乏しい。

   「体格はよいが体力が乏しい」とは、実は
   「体格は立派だが、毅然とした精神力が乏しい」という方が本当なのである。

   宿題やスポーツで奮闘努力するのと、生活の第一線でギリギリの線で
   奮闘努力するのとでは同じ奮闘努力であっても意気込が違うのである。

            <感謝合掌 平成30年12月13日 頓首再拝> 

【十四日の法語(12月14日)】 - 伝統

2018/12/14 (Fri) 04:37:17


(1)《諸君の祈りは成長しつつある》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   諸君の祈りがまだ実現しないからと云って、
   諸君が播いた 「 願い 」 の種は
   発芽していないのではないのである。

   それは既に発芽しているのであるけれども、
   まだ、生長の途上にあるのである。

   大樹の種子ほど発芽も生長もおそいのである。

・・・

(2)《人間は宇宙の創造力の噴出口》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12318238.html

   (抜粋として)

   人間は神の最高の自己実現として、
   新しき優れたる考えの噴出口であるのである。

   宇宙創造の最後の完成は人間に於いて行われるのである。

   人間がなかったら神の宇宙創造の最後の完成は行われないのである。

   そこで神の最高の力は人間に集中せられている。

・・・

(3)《内在”無限の資源”の門を叩いて》

   人間は困難に面してそれを克服し、問題に面してそれを解決せんがために、
   内部に宿る無限の門を叩いて、それを引き出す方法を体得する程度に
   したがって、その人は偉大に進歩するのである。

   これをカメラに喩(たと)えれば、撮影しようと思う被写体にピントを
   精確に合わす練習が重なる毎(ごと)に、被写体たる世界の光景が
   愈々ハッキリ写真の印画にあらわれて来るようなものである。

   印画は現象界の喩えである。
   被写体たる世界は、実相”無限の資源”に当るのである。

   ”無限の資源”にピントを合わすのには、
   神想観を実修して”神との一体感”を深めると同時に、
   神想観中に思い浮かんだ方法を駆使して、

   目的意志を貫徹するために、努力し実行するということが必要である。

   目的意志を貫徹するために一念不動の精神集中が行なわれるならば、
   それ自体が一種の瞑想となって、内在無限の力に感応して、
   良き方途(ほうと)が自然に思い浮かんで困難問題の解決に
   道がひらけることもある。

・・・

(4)《自己暗示による運命の改善 》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   読書による運命好転の次は、自己暗示による運命好転である。
   つまり言語暗示〈〃言葉の力〃の応用〉によって自分の潜在意識内にある
   不幸・不運の観念を改造して行く方法である。

   私は、宗教的信仰を誘導して、神力の加護を受ける意味から、
   次の如く補足して唱えるとよいと思う。

   『私は神の子、常に神に護られ、毎日一層あらゆる点によくなるのである』

   この言葉の力によって、「神に護られている」との堅信が養成せられ、
   その堅信が、「若し芥子種ほどの信だにあらばこの山に〃動いて海に入れ〃
   というと雖も必ず成らん」といったところの自己の希望を実現する力が
   湧いて来るのである。

・・・

(5)《あなたが完全な自由を得るために》

   あなたが何物か外界又は他者によって縛られていて
   自由が得られない感じがするならば、

   その自由を外界や他者に対して求めることを止めて、
   自分の“実相”に対して求めるがよいのである。


   次のように念じなさい。

   “ 私は神の子である。
   神が××(自分の姓名を唱える)となって
   此処にあらわれているのである。

   神が私なのである。神が私なのである。

   私は今完全に自由なのである。
   何ものも私の自由を縛ることはできないのである。”

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/46eb21bebef7354d2b70d079452f475d

・・・

(6)《あなたの希望実現を阻むもの》

   あなたが成功する上に、或いは希望を実現する上に、
   その障礙となったものは何であろうか。

   あなたは、誰がどうしたとか、境遇が悪いからとか、
   運が悪かったとか、金持ちの家に生まれなかったからだとか、
   色々の理由を挙げて自己弁解するかも知れないのである。

   併し他にアリバイをつくって自己弁解することを止めよ。


   他にある原因は、
   いずれあなたの成功と希望実現との本当の障礙ではないのである。

   あなたの成功と希望実現とを阻んだところの障礙は
   あなたの「自分自身の心」なのである。

   あなたは

   「私の心は希望実現を望んで始終前進するように努めていたので、
   自分の心が自分の前進を阻もうなどとは未だ嘗て思ったこともなかった」

   というかも知れない。

   その弁解が、実は他にアリバイを造って、
   自分の責任のがれをしようとしていることなのである。

   失敗したときには、ひるがえって自分自身の心を見つめるがよい。

   屹度あなたの心の内に、
   あなたの前進を阻む潜在意識があったに相違ないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月14日 頓首再拝> 

【十五日の法語(12月15日)】 - 伝統

2018/12/15 (Sat) 04:04:44


(1)《何事が起ろうとも唯(ただ) 「 善 」 のみが前途にある》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   人生にも色々の暴風や台風やあらしがあろうとも、
   そんなことで失望落胆してしまってはならないのである。

   私は関東大震災に会わなかったら、
   屹度(きっと)単なる著述家としてつづいていたであろう。


   関東大震災が動機で神戸へ移転したのが導きになって
   「 生長の家 」 の偉大なる教えがはじまり
   多くの人が救われることになったのである。

・・・

(2)《新しきものを生み出す力》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12323201.html

   (抜粋として)

   新しきものを生み出さんとする宇宙的な力に協力する者は
   栄えるが、それに逆らって旧態依然たるものは衰え
   而(しか)して滅びるほかはないのである。

   常に新しくなるものは老いず、停滞せず、衰えず、
   愈々(いよいよ)栄えて隆々たるに到(いた)らん。

   これ宇宙的法則である。

・・・

(3)《無限大のガス・タンクの栓をひらくこと》

   ちょいと捻子ををひねれば、無限大のガス・タンクから必要なだけの
   ガスが噴出して来て必要なだけの湯をわかすことができるのに、
   ガス設備のない田舎の農夫のように、枯木の枝を集めて来て、

   それに火をつけて湯を沸かすような能率の悪いことはしない方が
   よいであろう。

   神は無限大のガス・タンクのように、吾々に必要な智慧でも力でも
   富でも持っていられて、われわれがそのそれぞれのガス栓をひねれば
   必要な種類の供給が滔々と流出して来るのである。

   その無限供給のガス栓を如何にして捻るかということである。

   それは神想観による祈りによって、神との一体観を深めるのが
   一番よいのである。

   毎日神想観をして神との一体の自覚を深めていさえすれば、
   特別にその問題毎に祈らずとも自動的に神からの”導き”が
   内部的直感としてやって来て、

   それに従って行動すれば、最も良い、効果的な行動がとれ、
   その最終結果が最もよいものとなるのである。

・・・

(4)《芥子種ほどの信だにあらば・・・・》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   併し皆さん、運命は数を超える。

   何百万人が結婚する相手がなくて絶望している時にも、
   若し〃芥子種ほどの信〃だにあらば、何百万人のうち信あるひとりが
   栄冠をかち得るのである。

   そのような人にあなたも成れるのである。
   そしてそれが神の御心であり、種族の意志であり、
   決して利己主義者ではないのである。

・・・

(5)《あなたの境遇をよくする秘訣》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/980012aca462fb48c91cbd059f831b52

   (抜粋として)

   私たちは今すぐ自分の境遇を幸福なものに
   変化することが出来るのである。

   それは自分自身の心が先ず変ることである。

   「心はすべての造り主」であるからである。

   先ず 自分自身が調和の心を起すがよい。

   人の美点のみ見つけて、それを称讚し、
   祝福の念を送るようにすることだ。

   どんな貧しい生活の中にも見出される幸福を
    ー 空気がある幸福を、食物がある幸福を、
   兎も角、住む部屋があり、兎も角、今着ている衣服がある幸福
   ・・・等々を、かぞえて、それに感謝する心を起すことである。

   そこからあなたの一層幸福な境遇が展開して来るのである。

・・・

(6)《希望実現の根本要素としての自覚》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

   (抜粋として)

   あなたの希望を実現するには、
   希望を実現するための「力の自覚」がなければならないのである。

   すべては自覚の問題である。

   「歩ける」という自覚のある者は自由に歩けるし、
   「まず自分の希望は実現する」という自覚のある者は、
   自然に希望を実現する力を発揮し、希望実現に要する要素を諸方から
   招き寄せて目的を達するに到るのである。

            <感謝合掌 平成30年12月15日 頓首再拝> 

【十六日の法語(12月16日)】 - 伝統

2018/12/16 (Sun) 03:39:40


(1)《人類の運命が熟して来るには色々の経験が要(い)る》

   尤も小竹さんと云う人は、名古屋の某大師(だいし)教会で
   その当時から三十年前に真言密教の修行で精神を統一中、

   黒紋付の羽織に白い着物を着、袴(はかま)をつけた四十数歳位の人が
   弘法大師と一緒にあらわれて、 「 汝は既に救われたぞ 」 と云われた。
   三十年後になって岡山市の生長の家講習会へ来て見ると、

   三十年前、 「 汝は既に救われたぞ 」 と云われた
   其の同じ容貌の同じ服装の人が講習して下さる
    ー それが谷口先生だったと体験談を発表された。


   これから考えて見ると、私がそう云う宗教指導者になると云うことは
   其の当時から予言されていた。

   しかしその種が形の世界に実を結ぶためには
   人生の紆余曲折(うよきょくせつ)を
   続けなければならなかったのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

・・・

(2)《常に新たなる物を生み出せ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12325893.html

   (抜粋として)

   常に自己の内なる「新しき人」に呼びかけよ。
   「新しき考えと、新しき方法とを教え給え」と。

   汝のうちには「常に新しき自己」が神性として仏性として
   宿っているのである。

   常に新しきものを呼び出すと云うことは
   今までありしものを弊履(へいり)の如く捨て去ると
   云うことではない。

   今までありしものに感謝して増大することである。

・・・
(3)《問題を処理するまでに、神に心を振向けよ 》

   自分にとって都合の悪い問題が起って来たときには、
   それと直ちに取組んで勝負を決することをしないで、
   先ずその問題を神にあづけて、

   自分の心の表面の動揺を取り除き、自己に宿る神の叡智を
   自分の心の深層から浮び上がらせてくるようにして、
   その叡智の判断によって事を処理すれば、
   最も適切な処置がほどこされることになるのである。

   時として『甘露の法雨』のような真理の詩を朗読することによって、
   自分の恐怖や動揺が消え去って、最もよき解決の方法が
   思い浮ぶことがあるものである。

   現象にあらわれた問題が悪化して行くのは、概ね、
   その問題に直面する人間自身の恐怖心や動揺の念が
   現象に反映した結果であることが多いのである。

・・・

(4)《種属の目的としての求婚》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   あなたは蜜蜂の 〃求婚飛翔〃 というのを知っていますか。
   結婚期が熟して来た一匹の蜜蜂の女王がある日突然空中に高く舞い上がる。

   女王蜂は尚々飛翔をつづける。
   そして落伍しなかった最後の一匹の雄蜂だけが、
   求婚の目的を遂げるのです。

   それが蜜蜂の種属の目的 ―― 優種だけを保存するという
   目的 ―― なのです。 

   自然の法則は冷酷である。

・・・

(5)《“富”の種子を植えて育てること》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/341e28ddc7181dbee15db19dc3134230

   (抜粋として)

   「自分は貧しいのだ」とう考えを棄てなさい。
  
   そして「 既に富める“神の子”の実相 」を心に描いて、
   「 すでにわれ富めり、有りがとうございます 」と
   心に唱えて感謝するがよい。


   それが“ 富 ”の種子を現象界に植えつけたことになるのである。

   常に、その“富相(ふうそう)”をもちつづけ
   感謝の念をもち続けることによって、
   実相世界にある無限の富が、
   現象化してあらわれることになるのである。

   “貧しさ”の雑想雑念は早く刈りとるがよい。

・・・

(6)《あなたを批難する者に感謝せよ》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

   (抜粋として)

   あなたを悪しざまに批評する者に感謝せよ。
   あなたを叱ってくれる者に感謝せよ。

   あなたに媚び諂う者は、単にあなたの御機嫌をとるために、あなたを
   完全無欠の人間であるかの如く称めたたえてくれるかも知れないけれども、

   悪評家は、あなた自身に気のつかない欠点で、みずからそれを是正しようと
   思えば是正できる欠点を指摘してくれるので
   それは一種の表示計(インディケーター)の役目をしてくれるのである。

   誰かが欠点をすぐ見つけてくれる標示計になって、
   時々批難してくれることは、吾々の生活が大事に至らないために
   必要なことなのである。

   あなたを悪しく批評する者に感謝し、
   それがたとい瑣細な欠点であっても、それを直ぐ改めるようにするがよい。

            <感謝合掌 平成30年12月16日 頓首再拝> 

【十七日の法語(12月17日)】 - 伝統

2018/12/17 (Mon) 04:16:21


(1)《天地一切のものと和解すること》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   天地一切のものと和解するということには、
   神のみこころと和解していなければならぬと云うことが含まれている。

   神のみこころと和解するには神と対立があってはならない
   と云うことが含まれている。

   神への無条件降伏と云うことが何よりも必要である。

   神への無条件降伏と云うことは、何でも与えられるものに
   其儘(そのまま)素直にハイと従うことである。

・・・

(2)《愛ある処に繁昌(はんじょう)は来る》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12329573.html

   (抜粋として)


   愛は宇宙に於ける最大の創造力であり、最大の磁石的力である。
   愛のあるところに愛せられるものは集まり、
   愛のある者を栄えしむるのである。

   愛は愛を完成するに必要な要素をついに呼び出して来るのである。
   神を愛すれば、神の愛はわれらの方に引きよせられる。

   既に神は人間を愛してい給うても、人間が神を愛しないとき、
   神の愛は反撥(はんぱつ)せられて、
   その祝福は吾らに達(とど)かないものとなるのである。

   神を愛し、友を愛し、仕事を愛し、家庭を愛せよ。

・・・

(3)《恐怖心のある所に不幸は来る》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   旧約聖書の中では、ダニエルはライオンの檻の中に入れられたが、
   そのライオンはダニエルに猫のように狎れついて
   咬みつかなかったということである。

   日本でも沢庵禅師に同じようなことが起ったということが
   伝えられているのである。


   獣類だけでなく、全ての 〃不幸〃 は
   恐れる人の処へやって来て咬みつくのである。 

   日本の諺に言う「泣き面に蜂」 とはこの事である。 

・・・

(4)《法則は冷酷である・併し法則は我に仕える》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   自然は冷酷である。法則は冷酷であり、2を二倍すれば4になる
   〈2×2=4〉 という法則には情状を酌量して、2を二倍しても
   5にしてやるとか6にしてやるとかいうことはできないのである。

   〃法則〃 のことを仮に 〃真理〃 と名づけるならば、
   イエスの言った通り 
   「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」 
   であるのである。

   もしあなたが人生に於いて御自分の希望を達しようと思うならば、
   人生を支配している法則を知らなければならないのである。

   しかし法則を知るとき、法則は下僕の如く我に仕えるのである。

・・・

(5)《あなたが困難な問題に面したとき》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/90442007959e1673f682730248f7da1f

   (抜粋として)

   時々、あなたの魂を鍛えるために、
   困難な問題や、艱難辛苦がやってくるかも知れない。

   冷たい風に触れずに温室育ちのような生活を送っているものは、
   人格の強さを鍛え出すことはできないのである。

   それゆえに人生に、色々の問題が起って来ることは、
   あなたの魂が健実に強固に育つために是非必要な条件なのである。

   だから、起って来る困難な問題に対して感謝せよ。

   問題は必ず解答が出るようにできているのである。

   人生に困難の問題が出て来たとき、あなたは、
   「 この問題で私の魂は鍛えられて向上する。
   ありがとうございます 」と感謝するがよい。

・・・

(6)《世界は困難に挑戦する人を求む》

   多くの有能なる青年が歴史のページから消えてしまったのは何故であるか。

   ただ困難に挑戦し、困難を克服し、勝利者となった者のみ
   が歴史のページに残るのだからである。

   「何も歴史のページなどに残らなくともよい」という人もあるであろうが、
   歴史は常に世界を動かした大人物及び勝利者の歴史であるのである。

   諸君自身が「そんな人間はあってもなくても人類の歴史に何の影響もなかった」
   というような俗物とならないためには、常に困難に挑戦し、困難を克服し、
   勝利者とならなければならないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月17日 頓首再拝> 

【十八日の法語(12月18日)】 - 伝統

2018/12/18 (Tue) 04:05:10


(1)《 「 そのまま 」 が一等好(よ)い結果を生む》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   自己自身の運命を自分自身であまりひとり決めして、
   斯(こ)うでなければならぬと頑張ってはならないのである。

   柳に雪折れなしと其の儘に従って置けば
   屹度(きっと)よい結果を生むことになるのである。

   あまり深く枝を撓(たわ)めると運命の枝が折れる。

・・・

(2)《不足の念を愛するな》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12333081.html

   (抜粋として)

   消極的な考えを愛すれば、消極的なものは集まって来るのである。

   朝から不足を云いながら
   其の日も仕事が繁昌すると期待してはならないのである。

   商売に不足を云えば商売が繁昌しなくなる。
   社員に不足を云えば社員が充分働かなくなる。
   お金に不足を云えばお金が充分集まらなくなる。


   今より仕事に感謝せよ。
   商売に感謝せよ。
   店員に感謝せよ。

   社員に感謝せよ。
   集まって来る金、支払う金に感謝せよ。
   
   其処(そこ)から繁昌の基が築かれて来るのである。

・・・

(3)《恐怖・不幸の悪循環》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   「今日あって明日は無い」のが現象界の存在である。

   どんな現象界の幸福も、肉体の健康も、それは常に変移し、
   破壊し、消えて無くなる危険にさらされているのである。

   現象の肉体だけを見ておれば人間はすべて死刑囚であって、
   ある不定の期間だけ執行猶予さられているに過ぎない。

   このような不安定な肉体人間を「自分そのもの」だと思っている
   限りに於いて恐怖心を絶滅することは絶対に不可能なのである。

   そこで恐怖心が存在する限り、更に不幸を招び寄せて、
   連鎖反応を継続することになり、不幸は恐怖を呼び、恐怖は不幸を招き
    ・・・・・ 循環して終止することがないのである。

・・・

(4)《〃心の法則〃 第一箇條》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   人生を支配している法則には大別して、
   物質的な自然界の法則と、 〃心の法則〃 とがあるのである。

   自然界の法則は学校でも学ぶし、坊間に色々の書籍も出ているのである。
   しかし 〃心の法則〃 の方はあまり説かれていないのである。

   〃人生〃 という有機的な社会機構の中で希望を達し勝利を得るには 
   〃心の法則〃 を知らなければならないのである。 
   〃心の法則〃 に乗った人が、目標の金的を射とめるのである。

   〃心の法則〃 の第一には、心に強く思う事は、
   それが具体化してあらわれるということである。

・・・

(5)《神の放送番組に波長を合わしなさい》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d7066ecc6c1d498e5862f2cab1c8fe90

   (抜粋として)

   今あなたの身辺にある恵みに感謝せよ。 
   恵みの数々をかぞえあげて、そのいちいちに
   「 ありがとうございます 」と感謝の念を送るがよい。

   神の恵みに対して起す感謝の念は、神の放送される
   無限の善き番組に波長を合わすことになるので、
   次から次へとあなたの人生に、
   好き番組が展開して来るようになるのである。

   併(しか)し、唯一つ、
   神の霊波を受信することを妨げるものがある。

   それはあなた自身が、神の霊波に波長の合わぬところの
   不平の念や、憎悪、悲哀、恐怖、嫉妬(しっと)、
   貪欲(とんよく)、呪詛(じゅそ)・・・等の念を起すことである。

・・・

(6)《温室育ちになってはならない》

   困難を避けて生活する者は温室育ちの植物みたいなものである。
   一度温室から外に出されると
   冷気に触れて枯れてしまうほかはないないのである。

   困難によって鍛えられた鉄のみ優秀なる剣となり、
   日本刀となることができるのである。

   困難によって鍛えられない刀はナマクラであって役に立たない。

   そのナマクラはイザという戦の最中、敵と刃を交えていると、
   折れたり、ひん曲がったりするのである。

   自己の力を信頼する自信力と、実生活に生きる実力とは困難に挑戦して
   それを克服し得た者のみが得ることができるのである。

   そして実戦の自信力ある者のみが
   歴史に残る大業を成就することができるのである。

            <感謝合掌 平成30年12月18日 頓首再拝> 

【十九日の法語(12月19日)】 - 伝統

2018/12/19 (Wed) 04:12:42


(1)《自分で工作せずに運命自身に工作せよ》

   或る大彫刻家の言葉に 「自分の彫刻法は頗(すこぶ)る簡単である。
   自分では何一つ工作しないのである。

   ただその材料をじっと見ていて、
   その不要な、それ自身に属しないところを彫りとるだけである。

   すると、忽然(こつねん)として像が浮び出るのである」と云う。


   人間の運命も自分で作ろうとはせず、
   ただ不要なところを省くようにしておれば、
   自然に自分自身に属するところの運命が展開してくるのである。


   しかも各人に与えられている運命は
   いずれも素晴しいところのものである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

・・・

(2)《具体的に神に感謝するには》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12336952.html

   (抜粋として)

   神に感謝するのは、先ず具体的には
   大地に感謝し、水に感謝し、空気に感謝し、
   日光に感謝することから始めなければならぬ。

   既にあるものに感謝することによって、
   次なる恩恵を受ける資格が出来て来るのである。

   新しい着物が欲しければ、現在の着物について不足を云うな。
   而してこれに感謝せよ。

・・・

(3)《本来完全なる実相世界のみの存在を知ること》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   恐怖・不幸・恐怖・不幸の悪循環を断ち切るためには、
   恐怖の原因になっているところの常に変易する 〃無常の世界〃 を 
   〃本来無い〃 と 〃心の世界〃 より消し去って、

   真に存在する世界は、唯、神の創り給える完全世界‘のみ’である
   と知らなければならないのである。

   この完全世界のみが実相世界であるから、
   この世界を吾々は実相世界と呼ぶのである。

   一切の悪は無い、不調和はない、自分を脅かす何物も本当に存在しない
   のだと知るとき、根本的に恐怖の根因が断ち切られてしまうことになる
   のである。

・・・

(4)《人類の種族的本能を選ぶもの》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

   (抜粋として)

   最も信念のある女性が、蜜蜂の女王を追う一群の蜂のうちの
   一匹のように目標とする金的を射とめることができるのである。

   これは法則に適うことであり、人類の種族的本能は、 
   〃信念強き優種〃 を次の時代にのこすために、
   信念の強いものを優先させることになっているのである。

・・・

(5)《陰極は陽転する、陽転のためのアイディアを受けよ》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a2a5f6f82ed0f191f6b7f590dc542cd8

   (抜粋として)


   事物の悲観面に心を注いで、
   悲観面に心が捉われてはならないのである。

   「 事態が破局に近づきつつある 」ことを悲観的に考えないで、
   そこに陰極が陽転せんとする契機が孕んでいることを
   みなければならない。

   生命が生きてある限り陰極は必ず陽転するのである。

   その“ 陽転 ”に対して心を開いて、神から放送されて来る、
   “ 陽転のためのアイディア ”に
   波長を合わせるがよいのである。

   心に強く描いて波長を合わせたものが現実化するのである。

   心を転ずることによってのみ
   “ 陽転 ”の機会をつかむことができるのである。

・・・

(6)《困難と戦った樹木は堅緻になり名木となる》

   大地に蒔かれたる種子は
   何の困難もなくそのままでは生長することはできないのである。

   自分を取り囲む土壌の重圧に耐えながら、
   養分と水分とを吸収して根を出し、芽を出す。

   その幼弱なる若芽と発根とは、生まれたての柔かな組織でありながら
   土壌の中の小石その他障害物に挑戦しながら伸びて行くのである。

   そして時には寒風と戦い、酷熱の日光に直射(ちょくしゃ)されても
   怯むことなく、自然界の脅威を克服しつつ生長する。

   この困難なる挑戦によって、
   年輪は堅緻となり、有能なる名木にとなるのである。

   困難と戦ったことのない木材は到底、立派な床柱となって
   貴賓を招ずる奥座敷を飾ることはできないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月19日 頓首再拝>

【ニ十日の法語(12月20日)】 - 伝統

2018/12/20 (Thu) 04:09:24


(1)《自己の運命を良化するには》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   人間の運命は神が彫刻する。

   人間の工夫や巧者がはいると、
   それだけ神御自身の彫刻でなくなるから
   不味(まず)いものになるのである。

   神自身の御彫刻にまかせて置けば、
   素晴しい傑作となるべきものを、

   自分の巧者で崩してしまうのである。


   目前の利害に拘泥せず、素直に自己の運命を生きるものは
   自己の運命を傑作たらしめるのである。

・・・

(2)《不足を云う者の処へは善きものは集まって来ぬ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12338114.html

   (抜粋として)

   新しき善きものを欲するならば
   今まで役に立っていてくれたものに先ず感謝しなければならない。

   使ったあとは礼も云わないようなところへは
   善きものは集まって来ないのである。

   今ある事物に感謝し、
   此(こ)れから来るよき事物を心に描いて感謝せよ。

・・・

(3)《旧約の 〃エホバ神〃 とは 〃心の法則〃 の擬人化である》

   人間は 〃神の子〃 であり、神は人間の父母(ちちはは)であるから、
   神が人間に不幸をもち来すことなどは絶対にあり得ないと知ることは、
   これまた恐怖を無くする根本である。

   神が人間に神罰を与えると思って恐怖を信じている人もあるが、
   神罰など絶対にないのである。

   旧約聖書にはエホバ神が神罰を与えたような出来事が書かれている
   けれども、あの場面に書かれているエホバ神とは 〃心の法則〃 を
   擬人化して象徴的に書かれているのである。

   即ち自分が 〃斯う云う観念をいだけば、このような報いを受ける〃 
   という 〃想念の象徴化〃 が報いとして現実世界にあらわれるという
    〃法則〃 を擬人化(パーソニフィ)して 〃エホバ神〃 と
   書かれているである。

   このことを知って旧約聖書を読むならば、あの中に書かれてある
   真理が合理的に解釈されて非常によく解るのである。

・・・

(5)《先聖(せんしょう)の精神をもって新しく前進すること》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/de70f22feac7a5abadc04506f56b6520

   (抜粋として)

   「 古きを温(たず)ねて新しきを知る 」( 温故知新 )ということは、

   特に先聖(せんしょう)の人々の生活の行履(あんり)に
   われわれの精神の行き方を学ぶことが
   大切であることを言ったものであるが、

   その先聖の精神が示された行き方によって、
   新しいものをきり開いて行くことが大切なのである。

   先聖は決して旧態依然たる古い習慣に
   しがみついたりしてはいられなかったのである。
   
・・・

(6)《“人づくり”の根本要素は?》

   困難を戦うことによって、自己に埋蔵されたる偉大なる力を
   潜在的可能から、現実的事実に移すことができるのである。

   幾多の試練、幾多の悲しみ、幾多の屈辱 ――― それらに耐えつつ
   吾々は人格の強さと深さと厚みとを増すのである。

   困難こそ「人づくり」に必要なる栄養素である。

   困難に打ち克った人の容貌には強さと深さと落ち着きがあるのである。

   それ故に「獅子はその仔を千仭の谷に落とす」といわれている。

   試練の中に落されない温室育ちはついに大成することができないのである。

   幼い時に寒冷に逢い、農夫の足によって度々踏みつけられない麦は、
   強靭に育つことはできず、また多くの実を結ぶことはできないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月20日 頓首再拝> 

【ニ十一日の法語(12月21日)】 - 伝統

2018/12/21 (Fri) 04:28:58


(1)《神を常に憶念すること》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   衆生の心がほとけの方へ振向かねば、
   仏の心と衆生の心と波長が合わず、それを感ずることが出来ず、
   それを具体化することが出来ないのである。

   されば常に 「 南無阿弥陀仏 」 ととなえ仏をおもい出すべきである。

   或(あるい)は常に 「 生長の家の大神 」 ととなえ、
   神を憶念すべきである。


   「 生長の家の大神 」 と申したとて別に一宗一派の神ではない。

   「 生長の家 」 とは大宇宙のことである。
   大宇宙の神と云う意味である。

・・・

(2)《祈りながら働くこと》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12339157.html

   (抜粋として)

   地下水は既に与えられているけれども、
   掘らなかったら水は噴出しないのである。

   無限の供給は既にあれども手を拱(こまね)いて
   働かないところには、その供給はあらわれないのである。

   祈りつつ働くことが必要である。
   祈りばかりでは物事は成就せず、
   働くばかりでは、方向を過って働いてその働きには
   効果が少ないのである。

・・・

(3)《自己の内にエホバは在る》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   エホバ神の名(みな)は、固有名詞ではなく、
   出埃及(エジプト)記に書かれている通り“I am”なのである。

   即ち永遠不変の自存の I am が人間に宿っていて、 
   〃アイ・アム・・・・何々〃 という通りにその人の運命が
   あらわれるという 〃心の法則〃 そのものがエホバなのであるから、

   エホバが罰を与えたり、復讐したりするのは、
   何も第三者である神が人間を罰するのではなく、
   自己に宿る I am が、その心で想い、心で信ずる通りに
   あらわれる訳である。

・・・

(5)《神の “ 新しき智慧 ” に波長を合わすこと》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/8caefbd0670806cc4c79f8577c48613e

   (抜粋として)

   過去の生活習慣にも善いものもあれば悪いものもある。

   棄てるべきは棄てなければならないし、
   温存すべきは温存しなければならない。

   それを正しく分別するのが“新しき智慧”である。


   その“新しき智慧”は神から来るのである。

   私たちは、常に神想観を怠ることなく、
   神の“新しき智慧”の導きに波長を合わすことを
   忘れてはならないのである。

・・・

(6)《世界は周囲の重圧に屈しない人を求む》

   若し抵抗や摩擦や圧迫がなかったら、モーターは回転することができず、
   電車は走ることが出来ず、電灯は点ることはできず、
   人間は歩くことさえも殆ど不可能になってしまうのである。

   若し強大な圧力や超高熱がなかったならば
   原子力の平和利用も不可能となるのである。

   レールに油を塗って摩擦をなくしたら汽車は坂道を登ることができないのである。

   摩擦があるので発電機は電力をつくることができる。

   貧しさの生活難のなかで国土建設の偉大なる努力が生ずる。

   抵抗や摩擦や圧迫は、私たちから自由を奪う敵ではなく、
   自己に埋蔵されたる無限の力を、引き出すところの契機を与えてくれる
   味方であって敵ではないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月21日 頓首再拝> 

【ニ十ニ日の法語(12月22日)】 - 伝統

2018/12/22 (Sat) 04:07:08


(1)《不幸を口実にしてはならぬ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   人間が幸福になり、無病健康になろうと思えば、
   不幸や病気を口実にする心を捨てなければならない。

   不幸や病気を口実にして人から憐(あわれ)まれようと思うと、
   潜在意識が不幸の運命のところへ自分を引着けて行き、
   そして人から憐まれたい目的を達するのである。

   多くの人は病気をもって他から同情されたいと思って
   病気になっているのである。

   だからその証拠に自分の病気を人に訴えたくて仕方がないのである。

・・・

(2)《失敗の奥には精神的葛藤(かっとう)がある》

   すべての失敗の奥には精神的な葛藤があるのである。
   形の世界の失敗に恐れることは要らないのである。

   それよりも恐るべきは自分の心を省みないことである。
   災害が外から襲いかかって来たと思ってはならない。

   心の中に起った烈しい動揺、憎み合い、嫉妬(しっと)、
   呪詛(じゅそ)などは蓄積されていて、或る機会が来たときに
   それが具象化して姿をあらわすのである。

   吾々はあらわれた其の結果に対して呪詛の言葉を送ってはならない。

   その結果が如何(いか)に辛(つら)いものであっても、
   それを祝福しなければならない。

   その結果は今までの業に対して結末をつけてくれたもの
   であるから感謝すべきものなのである。

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12339207.html

・・・

(3)《小我と大我と一致せしめて行動せよ》

   自己に宿る“Iam”〈小我(しょうが)〉と、
   普遍の“Iam”〈宇宙の大我(たいが)〉との一致融合したとき、
   如何なる悪も不幸もあらわれて来ないのである。

   すべての悪と不幸とは、小我と大我と融合一致して行動することなく、
   幹を離れた小枝のように、宇宙普遍の Iam〈大我〉と離れてしまって、
   大我の大智慧の導きから訣別してしまっているからなのである。

   その象徴的神話が創世記第二章にあるアダムとイヴとが、
   神の命令をきかずして 〃善悪を知る樹の果〃 を食べた ―― 

   即ち大我の大智慧の導きに従わずして、小我が肉体的本能の欲望に
   まどわされて勝手に善悪を定めて行動したことによって、
   アダムとイヴとはエデンの楽園から追放され、苦しみながら
   人生を生きなければならなくなったという物語なのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

・・・

(5)《家族に病気が出た場合》

   誰か家族の内に病人が出たときには、
   それが一層悪くなるであろうと考えて恐怖してはならない。

   病気は「 病める気 」即ち「 不調和な心 」の状態のあらわれ
   であって、恐怖すれば「 心の不調和 」が増大するばかり
   であるからであるからである。

   そこで 病人が自分の家庭にあらわれたとき、
   家族同士の中に「 心の不調和 」がなかったか、
   互いに「 不平不満足 」の念を起したことがなかったかを
   反省してみるがよい。

   そして「 心の不調和 」や「 不平不満足 」があったならば、
   それを去って、家族互いに心を調和させるがよい。

   そのためには何か互いに気まずい事があって
   腹が立ったりしているならば、
   あなたが先ず率先して詫びるがよい。

   そして互いに詫び合って、互の心のもつれが解きほぐされたときの
   心の爽(さわ)やかさを味わうがよい。

   その時“ 神癒の力 ”を完全に受けとる
   “ 心の波長 ”が起るのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/55d2bfff50ecbb8650ebb2f463f6bcae

・・・

(6)《享楽を理想とするか建設を理想とするか》

   私は中共の東北地方を、紅衛兵が恰度はじまった1966年の8月から
   67年2月まで約半年間撮影して来た岩波映画撮影の『夜明けの国』
   という映画を試写会で見せて貰った。

   その印象は、貧しさの挑戦の中から“建設の力”が湧いて来るということであった。

   あの国では私利や私欲を滅して、唯「国づくり」に懸命になっているのだ
   という印象を私は受けたのである。

   そして日本は中共が攻めて来たら、
   今のままの日本人の心では敗けるという感じがしたのである。

   彼ら中共人は「自分の生活の享楽」などということを全然求めていないのである。

   それに反して、現在の日本人は富裕の中にレジャーを求め、レジャーの中に
   享楽を求め、享楽することを基本的人権として憲法に定め、その享楽費の
   益々多くならんことのみを願って賃上げ闘争をし、国がつぶれても
   会社がつぶれても自分たちの享楽費がふえたらよいという闘争である。

   建設のために滅私奉公している国と、享楽のために内部闘争している国とが
   戦うならば、どちらが勝つかは火を見るよりも明らかである。

   明日の日本国の運命を担う青年達よ、日本人はこれでよいと思うのか。

   以下、略

            <感謝合掌 平成30年12月22日 頓首再拝>

【ニ十三日の法語(12月23日)】 - 伝統

2018/12/23 (Sun) 04:13:47


(1)《症状に感謝せば病いは消える》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   病気の苦痛や症状は実は、過去に種子を播いた
    「 誤まれる想念及び感情 」 (即ち病気)が
   形にあらわれて消えて行こうとしているものであるから、

   症状が出れば出るだけ、消えて行こうとしつつあるのであるから、

   「 有りがとうございます。
   これで私の過去の間違った心が消えて行くのでございます。」

   と心の中で一心に感謝していると、
   そのまま苦痛少く症状が消えて行くのである。

・・・

(2)《無限供給は愛によって流入す》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12347787.html

   (抜粋として)

   吾々は神の愛に触れ、神の無限供給の流れに浴そうと思ったならば、
   先ず家族互いに相和し、隣人と相和し、事務所の人と相和し、
   すべての人と相和していなければならないのである。

   神は愛であり、愛のあらわれが無限供給であるのであるから、
   無限供給の流れに浴そうと思うならば、単に人々に対して消極的に
   争わないだけではなく、愛の心を起さねばならぬ。

   愛の奉仕を行じなければならないのである。

   周囲の人々を心に思い浮かべて
   「私は貴方(あなた)達を愛している」と念ぜよ。

・・・

(3)《毎日毎日が勝利の生活となるために》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

   (抜粋として)

   〃神の子〃 が 〃神〃 のみこころに一致し、
   小我が大我から分離することなく、大我の大智慧に従って行動する
   とき、あなたの生活は毎日毎日が勝利の生活となるのである。

   吾々ひとりひとりは実相世界から現象世界に発射された一人乗り
   地球軟着陸ロケット〈肉体〉に乗った 〃魂〃 であるのである。

   実相世界から、現象の地球世界に射ち出された
   地球軟着陸ロケット〈肉体〉に乗っている「人間の魂」は、

   実相世界の神から誘導電波 ―― 否、誘導霊波に導かれるとき
   最も安全であり、効果的な生活を送ることができるのである。

・・・

(5)《天地一切のものに感謝し和解すること》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/58811a44dbaacb809ccd19be36f0b3a3

   (抜粋として)

   “神癒の力”は常に宇宙に充ち満ちているのである。
   何故なら、神は、何時でも、何処にも、到る処に、
   常にいますからである。

   神癒の霊波を受信するためには、
   あなたの心の波長を調整する必要があるのである。

   その調整の道が天地一切のものと和解することである。
   天地一切のものに感謝することである。

   誰かを恨んだり、憎んだり、不平に思ったりしていたならば、
   そのことに対してお詫びの心を起して、
   新たにその相手の人に感謝の念を起し、
   感謝の言葉を心の中で繰り返すがよい。

   あなたが相手の人に感謝の念を起していることを
   相手が知っておろうと、知らないでいようと
   そんなことはどうでもよい。

   あなた自身の心の波長の問題である。

・・・

(6)《享楽に過ぐればその国は滅びる》

   人生の営みを大別すれば創造と享楽との二つに分けることができる。

   いくら享楽しようと思っても、創造されたものがなければ、
   享受すべき資材も対象もないので、享楽は不可能となるのである。

   創造は建設のはたらきであるから盛り上がるよりも
   その度が過ぎれば頽廃し、衰退するのである。

   文化が発達し、文化的産物が豊かになり過ぎ、
   自分に享楽が出来るようになり、国民が享楽に溺れるようになれば
   北方の新興蛮族にその国は滅ぼされる。

   それが歴史の先轍である。

   古代ローマでも秦の始皇帝でも同じことであった。

            <感謝合掌 平成30年12月23日 頓首再拝> 

【ニ十四日の法語(12月24日)】 - 伝統

2018/12/24 (Mon) 03:57:21


(1)《「 甘露の法雨 」 読誦(どくじゅ)の功徳》

   今度、九州を旅して教えられたことは、
   今更 「 甘露の法雨 」 の読誦の功徳の夥(おびただ)しいことである。

   佐賀県杵島(きねじま)郡の医師有森義光さんは、
    自分の子供のジフテリヤに何ら血清注射をほどこすことなくして、
    「 甘露の法雨 」 を二回読誦して、そのまま眠ってしまったら、

   その暁方(あけがた)大きな咳(せき)をして咽喉(のど)と鼻とに
   擬膜が飛び出して 「 お父さん、もう病気治った 」 と云い、
   翌日、三里の山道を登山して平気であったと云うことを発表された。

   しかしこの体験談で注目すべきことは、
   有森さんが安心して眠ってしまったことである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

・・・

(2)《人を嫉妬し審判(さば)いてはならぬ》

   愛は富を引きつけ、憎みは富を排斥する。
   富を持っている者を嫉妬してはならぬ。

   富者を嫉妬する心は「富むことを憎む心」であるから、
   「自分自身の富むこと」をも排斥することになるのである。

   「どうして彼奴(あいつ)は金を儲(もう)けたのだろう。
   屹度(きっと)不正なことをしやがったのだろう」などと
   批評する心を起してはならないのである。

   人を審判く心は自分自身をも審判くことになるのである。
   人の富を攻撃する心は、自分の富をも攻撃し排斥することになる。

   攻撃したり、排斥したり、審判いたりする心は
   愛にそむく心なのである。

   諸君は他(ひと)の富を嫉妬するよりも、
   自分の富を受け取れば好(よ)いのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12352896.html

・・・

(3)《自己内在のキリストを礼拝せよ》

   今日はクリスマス・イーヴである。
   クリスマスの前夜こそ、まことに心を
   〃神の国〃 に在すキリストに、

   そして 〃自己に宿るキリスト〃 に心を振向けて 
   〃普遍のキリスト〃 と 〃自己内在のキリスト〃 との
   一体感を深めるべき時なのである。

   (中略)

   このクリスマス・イヴを機会に、
   自分自身に内在する 〃神の子〃 〈キリスト〉を礼拝し、
   神の子らしく清く正しく健やかに生活しようと
   断然と決意すべきであるのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

・・・

(5)《卵の中に既に雛(ひな)がある》

   あなたが魂の奥底に於て実現したい希望は、
   既に「実相の世界」に於て成就して、
   既に実在するのである。

   実在するが故にこそ、切実にあなたの内部から、
   それが浮び上がって来るのである。

   ここに「実相の世界」といったのは、
   キリストがいった「神の国」に相当するものである。

   キリストは「神の国は汝の内にあり」といった。

   あなたの内に既に「実相の世界」があり、
   そこに成就しているものが、
   内から押し出すように浮かび上がって来るのが
   切実なる魂の願いである。


   それは卵の中に既に雛があるのと同じことである。

   まだ現象の形にはあらわれていない雛が
   だんだん生長して具体的な形を備えた雛となって
   あらわれて来るように、

   既にあるあなたの希望の雛は
   次第に成長して形を備えつつあるのである。


   あなたは、その希望の雛を温めることを忘れてはならないのである。

   希望の雛を温めるのは、
   次の如き祈りによる想念によって毎日温めるのである。―


   「 神さま、私の希望××(この希望の内容を述べる言葉)は
   あなたさまのお陰で既に実現いたしました。
   ありがとうございます 」

   親鶏(おやどり)が毎日卵を温めるように、
   この言葉を心の中に繰り返して希望の卵を温めるがよいのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/71a3dadb4b25bc5d5778e6b40dfd2a4a

            <感謝合掌 平成30年12月24日 頓首再拝>

【ニ十五日の法語(12月25日)】 - 伝統

2018/12/25 (Tue) 04:17:52


(1)《安心して大生命に委(まか)せること》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   心に描くことは形にあらわれるのであるから、
   病状に心を集中し、心配してそれを見詰めて心に描いておれば、
   次から次へと心が病気を創造するのであるから、
   病状の消えようがないのである。


   心から離して、それを神の愛の御手(みて)の中にまかせ切り、
   安心して眠ってしまうほどになるとき、その病状は消え去るのである。

   
   大生命の大海はどんな地上の芥(あくた)も浄化する。

・・・

(2)《人を羨(うらや)んではならない》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12356254.html

   (抜粋として)

   諸君には諸君のために神から割当てられた天分があり、
   能力があり、富があるのである。

   その自分の割当を完全に受け取ることが出来れば、
   諸君は既に幸福であり、諸君は充分富むことが出来るのである。

   先ず、霊に於いて神の愛に一致することが致富の源泉である。
   神の愛をキャッチせよ。
   それのみが真の富の源泉に汲むことになるのである。

   人を羨むな。
   羨む心は、他の人に割り当てられたるものを盗む心である。
   盗む心はまた盗まれる。

・・・

(3)《”神の子”があなたに新たに降臨する 》

   クリスマスに臨んで、私は諸君に宿る”神の子”を祝福し、
   その健康と幸福の源泉に燃燈(ともしび)を点ぜんことを願うのである。

   今日、この日”神の子”は新たにあなたの内に自覚され、
   あなたは新生したのである。

   神はこの日あなたを祝福して
   ”神の子よ、われは汝に完全なる健康を送る。われは汝の健康の本源である”
   と宣言したのである。

   ”神の子よ、われ汝に平安を送る。われは汝の平和の基(もと)である”
   ”神の子よ、われは汝に、なくてはならぬすべてのものを裕(ゆた)かに送る。
   われは汝のあらゆる供給の本源である”

   ”神の子よ、われは汝のいだく希望の本源である。
   それゆえにわれは汝を祝福して必ず希望を成就せしめるのである”

   ”神の子よ、われは汝の生活の光であり、生活を導く燈台である。
   その燈台の光に照らされ汝は今より後迷うことも躓くこともなし”
   と宣言したまうのである。

   まさにこれこそ、真のキリストの降誕である。

   しずかに坐して神想観してこれらの神の宣言のことばを、繰り返し、繰り返し、
   心の内に深く強く念ずるならば、

   この神が”神の子”祝福して宣言せられた言葉の通りに、

   あなたは健康となり、魂は平安を得、生活は無限供給を得て裕(ゆた)かとなり、
   希望は成就し、今より後迷うことも躓くこともなくなるのである。

   既にキリストは諸君の中に降誕したまえり!!

・・・

(5)《生命は物質を創造し物質を支配する》

   青春の泉は、物質の栄養剤にはないのである。
   物質は、物理化学的な力を及ぼすけれども、
   細胞の老衰を食いとめる力はないのである。

   生命は ある物質条件が整うと、そこに姿をあらわすけれども、
   物質が生命をつくるのではないのである。

   生命自身が物質をつくり、物質の条件をつくり出して、
   そこに生命は“ 生物 ”として姿をあらわすのである。

   生命は 物質を左右し、物質をつくり出し、
   その条件をかえる力があるのである。

   地球上では近頃「 土地の造成 」ということが行われているけれども、
   天地創造の最初には、大生命が、真空の中に“ 水素 ”をつくり出し、
   “ 水素 ”を集めて大いなる球体として、それを太陽その他の天体とし、
   天体の地表に鉱物、植物、動物を生み出したのである。

   これは全く“ 生命 ”が物質を創造し 天体を創造し
   動物、植物、鉱物等をつくり出す力があることを示すのである。

   生命は 原子を転換して他の元素をつくることも出来るのである。
   かくて、最初は“ 水素 ”だけの固まりであったところの
   天体に多くの元素をつくり出したのである。

   祝福すべきかな
   生命の力、偉大なるかな生命の力、尊敬すべきかな生命の力、
   ありがとうございます。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/5a8699a8a6a08783fb87b1d2823812e2

・・・

(6)《諸君頼む! 日本国の運命は諸君の双肩にかかっている》

   併し今からでも尚遅くはない。

   日本の最弱点に国民が気がついた時、それを是正しようと思うならば、
   日本は起ち上がることができるのである。

   エマーソンはこういった事がある。

   「風によって脆くも弱々しく打ち落とされた団栗の実が、それが隠忍自重して
   土に埋まって雌伏しているうちに、それは生気をとりもどして、来春には
   若葉が新しく芽を吹き、勢いよくその芽がのびて、
   ついに?(かしわ)の巨樹にまで生長するのだ」と。

   日本もこのようにありたいものであるが、日本国民は戦敗によって団栗のように
   打ち落されたが、アメリカの援助を得て、土中に長く隠忍自重して真の生気を
   恢復することなく、

   神武景気、天之岩戸景気、所得倍増、レジャーブームと、
   根が深くのびないうちに花が早く咲き過ぎて、周囲には国際的冷戦の寒風が
   吹きすさんで、幼弱な伸びすぎの享楽気分でヘナヘナになった日本の伸びすぎの
   若芽は将に国際的寒冷の霜にあたって枯れようとしているのである。

   これを立ち直らせるのは日本国民、特に青年の力が享楽精神より一転して
   逞しき建設精神を勃然と燃え上がらせるほかに道はないのである。

   諸君頼む!!

            <感謝合掌 平成30年12月25日 頓首再拝> 

【ニ十六日の法語(12月26日)】 - 伝統

2018/12/26 (Wed) 04:30:14


(1)《子宮筋腫も 「 甘露の法雨 」 で治る》

   有森義光さんは、自分の診断した婦人で、
   他(ほか)の外科医も、婦人科医も、
   子宮筋腫であるから切開手術する必要があると云われた婦人が、

   婦人の弟の中島徳一君と云う熱心な生長の家信徒に勧められて、
   切開手術することを止(や)めて 「 甘露の法雨 」 を読むことにしたら、

   急に大便したいようになって便所でその筋腫を排出してしまって、
   腹部の硬結(こうけつ)も苦痛もなくなり、
   完全に治ってしまった実例を発表された。

   この婦人は再婚した婦人で、先夫は自動車事故でなくなり、
   恐らく其の先夫の霊の妄念が子宮筋腫となって凝結していたのが
   解消したのだと思われる。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

・・・

(2)《現実の営みを忽(ゆるが)せにするな》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12360768.html

   (抜粋として)

   富はただ「心」だけで出て来ると思ってはならぬ。
   あらゆる形あるものは現実的な営みの過程を通して
   あらわれて来るのである。

   だから努力、精励、正直、組織的工作、誠実などの
   営みをぬきにして富が来るなどと思ってはならぬ。

・・・

(3)《”自覚”と”生活”とは表裏一体である》

   「自分が”神の子”である。その如くすべての人々が”神の子”であり、
   私たちの兄弟姉妹である」

   その自覚が深まる程度に従って、私たちの魂の中には悦びが満ちあふれ、
   こころに平安は訪れ、人と人との関係は相和し、家庭は調和し、
   希望は成就し、肉体は健康になるのである。

   ”自覚”と、その人の”生活”とは表裏一体であって、”自覚”の方を
   おろそかにしておいて、現実生活だけを幸福にしたいと思っても、
   それでは外側ばかりのカラッポの瓶のようなものであって、
   本当に吾々は幸福の泉の水を飲むことはできないのである。

   それゆえに私たちは毎日、少しでも聖典を読み、毎日少時間でも神想観を
   実修して”神の子”の自覚を深めるようにつとめなければならないのである。

・・・

(5)《和顔愛語が天国をつくる》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/0c790c07d43e869d21c1d50b8eabe508

   (抜粋として)

   あなたの言葉の中に温かい“ 愛 ”を満たせよ。
   その時、あなたの言葉は神の言葉となるであろう。

   決して冷酷な激しい言葉や、
   罵(ののし)りの言葉を出してはならないのである。

   地獄も阿修羅も極楽もあなたの言葉がつくるのである。

   愛情のこもった言葉、愛情に満ちた眼光(まなざし)・・・
   愛の表現のみがこの世界に天国をつくるのである。

・・・

(6)《最初の誘惑に敗れる者は一生を誤ることがある》

   最初の愚かなる官能の満足の誘惑の力に抗し得ないで、ヤクザや無頼の
   仲間入りをして、官能満足の資金を不正賭博や脅喝によって得ようとする。

   こうしてヤクザの団体がうまれて、社会に害毒を流すことになるのである。

   「最初は一個の団栗から数千本の?(かしわ)の大樹の森ができる」

   とエマーソンは言ったが、

   最初の小さな過ちを慎まなければ、一個の小さな実のように思っていたものが
   森のように林のようにひろがって行くのである。

   いかなる小悪でも、それを「この位のことは誰だってするんだから・・・・・」
   と口実を設けてそれを犯してはならない。

   それが習慣となるとき、第二の本性の如くなって、
   将来それを直そうとするには非常な努力と忍耐を要することになるのである。

   「蚊の翼のような小さな過ちが驚くような大事を惹き起こす」(スコットランドの諺)
   ことになりかねないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月26日 頓首再拝>

【ニ十七日の法語(12月27日)】 - 伝統

2018/12/27 (Thu) 03:40:03


(1)《子宮癌も 「 甘露の法雨 」 で治る》

   一昨年私が九州を巡錫(じゅんしゃく)して 宮崎市の 「 平和の塔 」 の前で、
   多勢(おおぜい)の信徒と一緒に平和の祈りをして その高地から降りて来ると、


   小山戒三(かいぞう)氏の奥さんが、その親類の婦人と一緒に来られて
   お礼を云われるのである。

   「 この婦人は子宮癌で手術しても、もう駄目だと
   医者から云われておりましたが、
   『 甘露の法雨 』 で治りましてこんなに元気で働いております 」 と。


   その病気の由来をきくと、その婦人は二十八歳のとき
   良人(おっと)に 子供を遺(のこ)して死なれてから、

   「 貴郎(あなた)は極楽へ行って結構か知らぬが、
   子供を遺してあとに残った私はどうなるのです 」

   と恨んでいたのだった。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

・・・

(2)《組織的にたゆみなく力を加えよ》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12363241.html

   (抜粋として)


   時々猛烈にやって見るが、常には懈(なま)けているというようでは
   事物は完全に成就しないのである。

   組織的に毎日たゆみなく力を加えて行くことが
   事物を成就するために是非必要なることである。

   大きな釣鐘は一度や二度押して見ても揺り動かすことは出来ないが、
   釣鐘の振動数に合わせてたゆまず押していると遂(つい)に揺れ出す
   のである。

・・・

(3)《生活の不調和を調和ならしめるには》

   あなたの”生活”に不調和があらわれるならば、
   それは”自覚”の中に不調和な精神波動が混入しているのである。

   その不調和な精神波動を溶(と)かしてしまって、透明な調和ある
   状態にならしめる精神的溶剤が”感謝”と”愛”とである。

   不調和が生ずるのは感謝がとぼしいからである。
   不調和が起ったときには、自分は両親に感謝しているか、
   祖先に感謝しているか、子供に感謝しているか、
   兄弟(けいてい)姉妹に感謝しているか、一切の人々に感謝しているか、
   一切の物と事とに感謝しているか ―― 自分の心に問うがよい。

   これによって自己反省した結果、感謝が足りないことを発見した
   ならば、感謝の念を起すがよい。

   感謝の心を起すには、具体的に、相手に対して感謝の言葉を述べる
   機会があれば、直接、言葉で感謝をのべるがよいが、

   そのほかに神想観を実修して、その観中に相手の顔を思い浮かべて、
   名前を呼ぶ気持ちになり「ありがとうございます」と心の中で
   繰り返し念ずるがよいのである。

・・・

(5)《実相を観ずれば相手の善なる仏性が顕現する》

   あなたが人に対する時には、常にその人が“神の子”であり、
   神の愛と智慧とがその人に宿っており、自分に好意をもっており、

   決して自分に災いを為す人ではない、
   この人は自分に祝福をもって来て下さったのだと信じて、
   その人の実相なる“神の子”を心に描いて
   礼拝し感謝する気持で応対するがよい。

   たといその人が、実は、こちらに対して悪意をもち、
   謀略をもって自分を陥れるためにやって来ていたにしても、

   あなたが真に相手の悪意のない
   完全な“神の子”の実相を拝んで相対するならば、

   相手の当初の悪意は消えてしまい、
   敵であった者がついに味方になってしまうのである。


   ここに実相を観ずる力の秘密があるのである。

   これが法華経にある常不軽菩薩の生き方である。

   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/1c19b3d5b7a0394769b3af6d1942ac80

・・・

(6)《あなたの人格は毎日あなたの行為で染めているのである》

   小事が大切であるというのは、過ちを犯す方面にも真実であるが、
   徳を積む上にも真実な言葉である。

   あなたの人格の形成は、毎日積み上げられた日常の想念及び行為の
   累積によって形成せられつつあるのである。

   あなたの人格は、毎日あなたの想念及び行為の累積によって
   染色せられた毛糸を巻いてつくられて行く毬のようなものである。

   汚い色に染まった毛糸は、それを脱色するには非常な手数を要するのである。

            <感謝合掌 平成30年12月27日 頓首再拝>

【ニ十八日の法語(12月28日)】 - 伝統

2018/12/28 (Fri) 04:32:33

(1)《懺悔の心が病いを癒す》

   大体、泌尿器及び生殖器等にあらわれて来る病気は、
   夫婦関係の不調和、先夫先妻の関係、三角関係などの心の悩みが、
   その心の影として、夫婦関係の機官にあらわれて来るものなのである。

   「甘露の法雨」を読んでも、この問題が解決しない限りは
   それが治らないこともあり得るのである。

   さきに述べた婦人も亡夫の仏前で、今まで恨んでいたことを懺悔して
   お詫びし感謝の心を起して「甘露の法雨」を誦(よ)んだとき、

   亡夫の霊も浮ぶことが出来、
   その妄念の凝結としてあらわれていた子宮癌が
   消え去ってしまったのである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

・・・

(2)《人間は本来富んでいる》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12366588.html

   (抜粋として)

   一度や二度の努力が失敗したからとて、自分は運が悪いのだ、
   自分の運命は貧乏に定められているのだ、神の御心は
   自分の富まないことにあるのだなどと考えてはならないのである。

   神のみ心の中には「貧乏」などのプログラムはないのである。

   神の意志は人類の全部を幸福に健康にゆたかに愉快に楽しく
   生活させたいと云うことである。

   これを信ぜよ。

・・・

(3)《愛は実践を伴わねばならぬ》

   その人の生活に、尚(なお)、不調和が消えないならば、
   それは愛が足りないからである。

   感謝するだけで、積極的に報恩する行為を伴わないときには
   その感謝はカラ念仏になるのである。
   報恩の中味は愛でなければならないのである。

   計算ずくで、1の恩恵を受けたから、1を返済し、
   2の恩恵を受けたから2を返済して、

   それですべては精算ズミだなどと考えるのは、
   本当に感謝の念がないからである。

   それは感謝を「受けて返す」の物質的取引関係に考えているので
   あって、精神的な感謝がないのである。
   精神的な感謝の中味には「愛」がなければならないのである。

   愛は常に相手の人の幸福を希(こいねが)い、相手の身になり、
   相手の心になって考え、その人の肉体的にも精神的にも霊的にも
   向上することができるように行動によって援助するので
   なければならぬ。

   このような行動にあらわれない愛は、
   やはり「愛のカラ念仏」である。

・・・

(5)《環境はこのように念じて祝福しなさい》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/041fbf9e7e44a064a5b4bda19365c731

   (抜粋として)


   人間を拝むと同時に環境をも祝福するがよい。

   次の如く、心を静めて繰り返し念ずるがよい。

   “ 此処は神様の愛の支配するところである。
   神の愛が今此処に充ち満ちているのである。

   神の愛が、ここに集まっている人々、
   この問題に関係あるすべての人々を引き包んで、
   それらの人たちの心を平和ならしめ、

   愛と調和の精神をもって充たし給い、
   神の智慧をもって、すべての人々が調和して
   満足できる解決を与え給うのである。”

   この種の思念をつづけていると、
   はじめに争いの念をもって人々が集まっていた会場は
   次第に平静となり、争いの心は鎮(しずま)り、

   人々は互いに協調の精神を起して、
   大調和の状態を呈するに至るのである。
   (ホルナディ博士著、谷口雅春訳『今日如何に生きるか』参照)

・・・

(6)《あなたも偉大なる天才になれるのである》

   すべての物を見るのに、深くその意義を見、充分それを観察して
   そこから真理を発掘するような観方をしなければならない。

   雷を見て電気を発見し、林檎の落ちるのを見て
   地球の引力を発見するような深い観方をしなければならない。

   偉大なる天才とはそのような観方をする人である。

   すぐれたる魂は一葉の落ちるを見ても宇宙の真理を発見するのである。

   このような観方をする習慣を積むとき、
   あなたも偉大なる天才になることができるのである。

            <感謝合掌 平成30年12月28日 頓首再拝>

【ニ十九日の法語(12月29日)】 - 伝統

2018/12/29 (Sat) 04:12:26


(1)《懺悔やまいを癒す》

   荒井英太郎講師が佐世保で 「 懺悔の神示 」 を講義したとき、
   長い間、脚が硬直していて まがらなかった人が、
   脚の関節が柔かになり、自由に動き出したような奇蹟とも見える
   神癒が行われた。

   柔かい心になれば肉体が柔かくなり、その硬直がとけるのである。

   懺悔は今まで、

   「 これで何が悪いことあるものか 」 と頑張っていた頑固な心が

   ほぐれて、やわらかくなり、


   「 ああ、済まなかった 」 と今迄(いままで)の悪い心を

   打消してしまうのであるから、過去の罪が消えてしまうのである。

   みずから 「 善し 」 として 「 病いを起していた心 」 を肯定しては
   病いは治らない。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

・・・

(2)《すべてのものは神より来る》

   (全文は)

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12370580.html

   (抜粋として)

   神は無限供給の神である。

   神は法則であり、法則に人間が順応したとき、
   法則が生み出して下さるのである。

   物の来るごとに神に感謝し、神を賞(ほ)め讚(たた)え、
   「 神様のお蔭であります 」 と合掌せよ。

   かくの如くして既に与えられているものの徳を神に感謝し、
   それを祝福し、更に愛念を起してそれを他(ひと)に頒(わか)つ
   とき、無限の供給はやって来るのである。

・・・

(3)《自己にキリストを降誕せしめること》

   真のキリスト降誕祭は、自己の内にキリスト(神の子)が宿っていることを
   再認識する魂の悦びを指すのである。

   本当に自己の内に神の子が自覚されたならば、
   心に平和がみたされ、どんな試練にも耐え忍ぶことができ、
   躓きと見える中からも復活があらわれて来るのである。

   真の自己の内にキリストが宿っていると知ることができるならば、
   イエスが言ったところの「十字架を負いてわれに従え」といわれた通りに
   十字架を負わなければならないのである。

   という意味は、十字架は「肉体の抹殺」の象徴である。
   「肉体なし」と知ることである。

   そして肉体を抹殺し、十字架に釘(つ)けた後に、
   「真の自己」なる「内在のキリスト」の復活が行なわれ、
   聖パウロの如く「最早われ生くるに非ず、キリスト我にあって生くるなり」
   の自覚によって人間自身の新生が行なわなければならないのである。

   「最早われ生くるに非ず」は肉体我を抹殺する十字架を負うことであり、
   「キリスト我にあって生くるなり」は真我の復活であるのである。

・・・

(5)《“ 愛 ”がなくなれば魂は窒息する》

   (全文は)

    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/295dabc5ee4968b1e4d7b7e2c1b8ae84

   (抜粋として)


   神は愛であり、人間は“ 神の子 ”であるから、
   “ 愛 ”がなければ生きられないのである。

   人間の魂にとって、“ 愛 ”が必要なのは、
   人間の肉体にとって“ 空気 ”が必要なのによく似ている。

   空気が無ければ人間の肉体は窒息してしまうが、
   “ 愛 ”が感じられなくなると、人間の魂は窒息しそうになり、
   たまらなく苦しみを覚え、麻薬中毒患者の禁断症状のように、
   あばれ廻り、のたうち廻る衝動にかられるのである。

・・・

(6)《忍耐の精神は大事を成す》

   小さな忍耐の不足から浅野内匠は赤穂藩をつぶしたのである。
   これに反して大いなる忍耐は国を起こすことにもなるのである。

   「鳴かずんば鳴くまで待とうほととぎす」の忍耐力をもった家康精神は、
   最後に天下をとって三百年続く治世を護り得たのである。

   小さな怒りを自由に発露したために織田信長は明智光秀に殺されたのである。

   短気は損気であり、忍耐強く雌伏している間に実力を養う者は、
   遂に天下を取るような大業を成し遂げ得るのである。

            <感謝合掌 平成30年12月29日 頓首再拝>

【三十日の法語(12月30日)】 - 伝統

2018/12/30 (Sun) 04:40:36


(1)《懺悔は心の浄化である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

   (抜粋として)

   懺悔は、自己の心の中に凝結していた 「 間違いの心 」
   (精神分析の言葉をかりて云えばコンプレックス)を
   洗い流すところの浄化作用を完成するのである。

   「 すみません、すみません 」 と両親に今までの不孝の罪を懺悔したとき、
   良人に今までの行届かなかった我侭(わがまま)の心を懺悔したとき、
   多くの病気は癒されているのである。

   真に全心全霊、お詫びと感謝とをしたとき病いは癒えるのである。

・・・

(2)《神は常に重荷を除きたまう》

   すべての重荷を神にゆだねよ。
   「 吾れに来れ、われ汝等(なんじら)を休ましめん 」
   とイエスは教えているのである。

   「 神はわがすべての荷を軽からしめ給(たま)う。神は愛なればなり 」
   このような簡単な思念を眼をつぶって数分間となえることによって、
   吾々の心に平和が回復してくれ、
   新たなる知慧と勇気とが湧(わ)き出でて来るものなのである。

   問題で心が悩んで眠りにくいときなどには、
   このような思念を繰返しているときに眠ってしまうものである。

   「 神はその愛の慈手(みて)をもってわれを抱きたまう。
   われは神の愛にとりまかれているのである。
   この寝床は神の愛の具象化である 」

   こう念じながら自分の手を神の手と観じて胸に
   抱きながら眠るのも好い。

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12372789.html

・・・

(3)《あなたの実相は”無原罪の受胎”である》

   今あなたは自己に宿る”神の子”を自覚したのである。
   ”神の子”は”既に贖(あがな)われたる者”であり、
   ”無原罪の受胎”である。

   土の塵によって造られたるアダムがあなたの祖先ではないのである。
   エロヒムの神があなたの生みの親であり、
   ”光の神”があなたの真の父なのである。

   あなたは”光の子”であるから、あなたの住む処、行く処、向かう処、
   悉く明るくして暗い影はないのである。

   すべての過去の罪はあなたの心の中に描かれたる妄想の影であるから、
   心の中に真理の光が射し来(きた)ると共に消えてしまったのである。

   あなたは本来”神の子”であるから、実相に於いて未だ嘗て
   罪を犯したことはなかったのであり、
   これからもまた罪を犯すことはないのである。

   罪は”包み”であり、本来の”光の姿”に対して”
   心の瞼(まぶた)”を垂れ”包み”て、
   光を見なかった状態である。

   ひとたび”心の瞼”をひらいて、人間自身の実相を堂々と露呈するとき、
   ”包みの状態”即ち”罪”はもう何処(どこ)にもなく、
   光ばかりの”神の子”の実相があらわれるのである。

・・・

(5)《占領憲法下の老人は気の毒だ》

   何らかの不快感や寂寥(せきりょう)感が起って来るならば、
   “愛”があなたの魂に欠乏して来ているからである。

   それは肉体が空気の乏しい高空にのぼった時のようなものである。

   老人の寂しさは、もう既に、自分が愛して、
   手をとって愛撫しながら一緒に人生を歩むような子供が
   無いということである。

   前には、手を引き、抱きあげ、玩具(おもちゃ)を買ってやり、
   時々美味しい料理をたべさせる店で珍しい食物を子供に食べさせて、
   その嬉しがる表情を見て、愛し合う者の悦びを感じた者が、
   老人には、そんな子供は既にない。

   むかし子供だった息子も娘も独立して
   自分自身の好きな人生の快楽を享受しているのであって、
   自分の息子や娘と老人とは断絶の関係にある。


   老人が孫を直接可愛がることが出来れば、
   その悦びは一入(ひとしお)であろうけれども、

   孫はその直接の両親の管理下にあって
   古い老人が嘴(くちばし)を入れる余地もなければ、
   相談を受けることもないのである。

  
   ここには老人と孫との間も断絶の関係にあるのである。
   ― ある老人は、私にこんな事を語って、
   寂しい微笑をした。


   私はこの老人を慰めるために、
   「それは“断絶の時代”だからよ。息子や娘が悪いのではない、
   憲法が家の制度を破壊してそうさせたのだよ」といってみたが、

   この老人をどう言って慰めてよいかわからなかった。

   スウェーデンやデンマークという
   最も完備した老人ホームがつくられているその国で、
   最も老人の自殺が多いということを私はその時思い出していた。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6ab0bd0408f22a774c38962df973abb3
・・・

(6)《あなたの運命をよくするために》

   嘗て東京の東宝劇場が火災を起こして多勢の観客が焼死したことがあった。

   それは舞台に火花を演出するために使った懐炉灰の火花が
   幕にうつって火を発したのが原因だったということである。

   懐炉灰から飛び散った一点のような火がこのような惨事を惹き起こすのである。

   三池炭鉱の炭塵爆発事件では数百名の人が死傷し、今尚、爆発の際に生じた
   一酸化炭素中毒による脳障害で、正常な体力及び精神力を喚び起こすことが
   できずに、何年も入院を続けている人があるということである。

   兎も角、火花を散らしたり、爆発したりすることは非常な危険を伴うのである。

   これは物質の火花や爆発に喩えたのであるが、

   諸君が腹立ち易く、
   すぐ感情が爆発して火花を散らすような習性があるならば、
   毎日、充分神想観を実修して、

   「自分に接する人々はみんな神の子であって、自分を愛しているのだから、
   何を言われ、何をされても、その奥にある実相の愛を見て、
   私は腹立てないで感謝するのである」

   と念ずることにして、自分の人格を淘(よな)げるようにするがよい。

            <感謝合掌 平成30年12月30日 頓首再拝>

【三十一日の法語(12月31日)】 - 伝統

2018/12/31 (Mon) 05:00:45


(1)《過去を除夜の鐘と共に放つ日》

   今年も愈々(いよいよ)今日で終りである。除夜の鐘は百八つ鳴る。

   百八の煩悩を梵鐘(ぼんしょう)の清浄なるひびきによって消し去るのである。


   罪はないのである。過去はないのである。過去は過ぎ去る。

   来るべき世界は唯(ただ)光明のみである。

   然(しか)し罪をつかみ、過去をつかんでいる限りは
   過去は消えず、罪も消えないのである。


   人の罪を悉(ことごと)くゆるすこと。ゆるすとは放つことである。
   掴(つか)んでいる限りは過去も消えず、罪も消えないのである。

   今夜私は神想観をして今まで人々に対していだいていたすべての
   悪しき咎(とが)める念を放ち去るのである。

   「 自分はもう何人(なんびと)をも憎(うら)んでいないのである。
   すべての人々よ、過去はないのである。

   今まで若(も)し私が皆さんに対して悪念をいだいていたならば お赦し下さい。

   私もすべての人々の罪を赦したのである。
   その如(ごと)く神も亦 私の罪をゆるし給うたのである。

   私は全く新しき浄(きよ)らかな心をもって新しき年を迎える。

   さらば過去よ。色々とわが魂の向上のために教えたまいし過去の年と、
   その中にあらわれたまいしすべての人々とすべての事件とに感謝致します。
   さらば。」

・・・

(3)《全ての把住を放ち去る日》

   愈々「汝の持てる全ての物を売りてこれを貧しき者に施せ、
   而して汝の十字架を負いて我に随え」というイエスの教えを
   今日こそは実行すべき、今年最後の日であるのである。

   「汝の持てる全てのものを売れ」というのは、
   単なる物質の所有財産を売れということではないのである。

   唯物論的な人間観、「物質は実在する」という人類一般の常識、
   少しばかりの学的知識をもっていることを鼻にかけた高慢な心、
   金銭さえ貯めて置けば何でも此世の事は自由になるなどという拝金宗、

   このような「心の中に持っている全ての塵埃(ごもく)」
   を悉く心の中から棄て去って「無」にまで施すということである。
   (注・「貧しき者」とは「無」の象徴である)

   こうして一切の迷い、迷いの根源たる唯物論的”存在観”を「無」にまで還元して、
   十字架にかかって”肉体”を無にまで抹殺したときに、Cross(クロス)は
   十字架であり、×は抹殺であり、同時に+(プラス)であり、復活であり、

   「真の自己」なる霊的”神の子”が復活するのである。

   この事をイエスは自己の生涯に事実をもって証明されたのである。

   さらば読者諸賢よ、この一年の最後の日に、一切の過去を棄て、
   心の中につかんでいた唯物論的な一切を悉く棄て去り、霊的に生まれ変わって、
   新たなる”神の子”としての生涯を、來るべき年を迎える心の準備をせられよ。

   來るべき新年はこの自覚により新生せる輝かしき年であることを
   諸賢と共に信ずるのである。

   今年一年中多くの愛語・愛念を送られた読者諸賢に深甚の感謝の意を表します。 

・・・

(6)《百〇八の“除夜の鐘”の象徴するもの》

   愈々今年の終りの日である。

   除夜の鐘は百〇八鳴るのである。

   これは仏教で謂う「百〇八の煩悩」が尽き終って(撞き終わって)
   消えてしまい、尽き終ると共に、煩悩なき清浄(しょうじょう)なる
   自分になって新生して元旦の暁を迎えることになるための象徴的行事である。

   過去に如何なる悪しく見えることがあったにせよ、
   それらが悉く尽き終って消える日が今である。

   すべての人々の過ちや侮辱や侵害や、悪口や裏切りやを悉く赦すがよい。

   それに対して怒りや憎しみや恨みや不平や嫉妬などの残滓を
   心に背負っていては、“百八の煩悩”を尽き終ったことにはならないのである。

   では諸君よ、百〇八の除夜の鐘と共に、清浄無垢の”神の子”に新生して、
   新しき逞しき輝く新生活を迎えられんことを希望する。

   私は諸君に信頼する。

            <感謝合掌 平成30年12月31日 頓首再拝>

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