伝統板・第二

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伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/16 (Fri) 08:58:33


  百田尚樹氏の「日本国紀」冒頭を読んで、既に、

① 縄文人の平均年齢は15歳くらい。

その末裔であることに胸が熱くなる。

② 倭→和となる。われ、わし、わたし等から。

③ 百済には日本式前方後円墳に近い古墳発見。

④ 十月十日=人の妊娠期間→実は九ヵ月と十日である。

⑤ 天皇の名前に「神」の文字は、特別なもの。

 神武天皇、神功皇后、その子の応神天皇(15代)、崇神天

皇(10代)・・・。


 まだまだ、これから目から鱗、が続くのでしょう(^^♪。








 今朝からは、項も変わって、まず、

清超先生の御話になります。



     勇気とは何か   谷口清超先生

        (理想世界誌11/1号)
              
       幸せと成功のために


青年にとって「勇気」という言葉は、何と魅力があることでしょう。

勇気のない人間は成功することもなく、幸福な人生を愉しむという事も考えられないのです。

勇気は男子のみのものでもなく、女子の特質でもありません。

普通、男の子には勇気が必要だが、女の子には不必要だと

思っている人もいるようですが、決してそんなものではない。

女性は出産や育児のために、時には男にない勇気を示さなければならない。

だからある意味では、女の方が男よりも、危険や傷害に対してたくましい勇気を示すことがあるのです。

 男子にとっての「勇気」が如何に必要であるかは、説明を要しないでしょう。

それは幼い頃先ず「冒険心」となってあらわれて来る。

お化け屋敷やホラ穴の中が、非常な魅力をもって男の子を、その中にさそい込むのはこのためです。

未知のものへの凡ゆる好奇心が、やがて、未知の領域への

探求心となり、世界を開発し、科学を発展させる原動力となるのです。

その過程には、必ず「勇気」を必要とするのであって、勇

気なくして開発された「未知の領域」など、どこにもあり得ないのです。

 ところが人間の探求心は、何時までも外部に向かっているだけではありません。

自分の中に隠れている未知の可能性が、やがて開発の対象となる。

こうして自己開発や自己訓練がはじまるのです。

人間が自己の内部領域に目を向ける時、そこには外界と同じくらいの「無限」が隠されていることを知る。

そして、外界への探求は、内界への沈着と不可分であり、

前者は後者の助けをかりなければ達成できない事を知るよ

うになる。こうして人類の「精神文化」が開発され、凡ゆ

る創造の可能性が探求され、学問や芸術や、道徳や宗教
が、そして政治が、開発の目標になって来るのです。

 それ故吾々の生活は、幼老男女を問わず、又文明の如何

に拘らず、「勇気」なくしては絶対に進歩しないと言えるのであります。

多くの世の成功者を見てごらんなさい。彼らは必ず或る意味での「勇気ある人」であった。

昼寝しながらころがりこんだ財産や地位は、彼を不幸にするだけであって、決して「成功者」とはしていない。

成功の秘訣は、まさに「勇気」であるとさえ言えるではありませんか。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/17 (Sat) 07:37:56



 「日本国紀」より。

 ⑥ 大阪市堺市の大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)は、いまだ定かではない。

 ⑦ 現皇室は継体天皇から始まった王朝ではないか。
  それでも、すでに「万世一系」の思想はあった。

  即ち、二代目綏靖天皇より125代今上天皇迄すべて
 初代神武天皇の男系子孫である。

 ⑧ 神道=宗教と呼ぶにはいささか違和感が。
  他の宗教が持つ教義や経典がなく、開祖、教祖もいない。
他の宗教を排斥したり敵視しない。

 ⑨ 聖徳太子=大伯父が蘇我馬子。

  「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」

  天子=中国の皇帝 王=皇帝が臣下に送る位

  翌608年、太子は3度目の遣隋使を派遣。

「東の天皇つつしみて西の皇帝に申す」と。

ここで初めて「天皇」の名称が。それまでは大王(おおきみ)と呼ばれていた。

 「どこにも従属しない独立不羈(ふき)の国だ」という精神が込められていた。



 明日は、17条憲法の凄さ、をご紹介します(^^♪。









 清超先生の御話です。


           敵と暴力


 ところが世の中に「勇気」ほど誤解されている徳性も少ないでしょう。

勇気は時々暴力と結合せしめられるのであるが、暴力をふるう者は、決して勇気ある者ではないのです。

世の中で最も惨虐な殺人を犯すものは、「気違い」でしょう。しからば気違いは勇気ある者であろうか。

決してそうではない。

次いで惨虐な行為は、卑怯者によって行なわれるが、これも勇気でも何でもないのです。

さらに又、暴力は「追いつめられた者」がふるうと決まっ

ている。かくの如く追いつめられた者は、勇気ある者でも

何でもないでしょう。むしろ生命の危機を感じた弱者が暴力をふるうのです。

真に勇気ある強者は、人を傷つけたり殺したりする必要をいささかも感じない。

ところが卑怯な者や弱点を持つ者は、自己の欠陥の暴露を怖れて、暴力をふるうのです。

これは人にかみつく犬が、弱い犬であることを見ればよく判ります。

強い犬は、滅多に吠えもせず、噛みつきもしない。それは「敵」を見て怖れるということがないからであります。

 けれども人間が果たして敵を見て恐れないでおれるであろうか。

「敵」があると考える以上は、必ず恐怖心がわく筈です。

人によると、学校の試験ですら、これを敵視しているた

め、恐ろしくて仕方がない。しかし本当は、試験は「敵」

でも何でもなく、自分の能力を開発してくれる“鑿岩機”のようなものなのです。

競争相手でも同様です。

彼らは実は「敵」ではなくて「味方」なのである。

人類は全て味方であり、「神の子」で、兄弟なのだと判るならば、もはやどこにも「敵」がない。

無敵の境になれば、恐怖は完全になくなるのです。恐怖なき人間程勇気ある者はない。

彼は堂々と、凡ゆる問題や困難に対決することが出来る。

それは、彼の内部能力を開発してくれる。どんなに見せか
けの条件が困難であろうと、それは必ず解決してしまう。

 大体吾々が「敵」を道の上に見る時、道は一つしかない

と思うのです。その道の上にデンと敵が坐っていて動かないと錯覚する。けれども、道はそれ一つではない。

まだ他にいくらでも道はあるし、話しかけたら気持よく

「敵」が「味方」になって、その道を開けてくれるかもしれないのです。

それら凡ゆる可能性を試みる「勇気」を持たない者が見せ

かけの「敵」や「困難」に怖気づいて、自己開発も説得も

行なわず、遂に独りトボトボと失敗の人生を歩む弱者となり果てるのです。

                    (つづく)





Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/18 (Sun) 07:35:03




 「帰りましょう掲示板」少々、停滞気味ですか('◇')ゞ。

まあ、大きな問題がなければ、それも良しという事になります。









 清超先生の御話続きです。


        克服すべきもの


 東京都新宿区柏木四―九四五に住んでおられる磯村得弥

さんには四人の男の子が居られますが、私がかつて豊橋に

行った時、その頃豊橋市にいた磯村さんの子供さんが、私

の前にズラッと並んでバイオリンを弾いて聞かせて下さったことがあります。

その頃磯村さんは、子供に音楽をやらせ彼らの能力を伸ばしてやりたいと考えておられた。

だから得弥さんは、画家に頼んで、子供さんが九歳、七

歳、五歳、三歳の時、彼らが立派な音楽青年になっている姿を描いてもらったのでした。

その画は天人が天界で音楽を奏し、四人の子供がそれに合

奏し、その背景には鳩が飛び、犬や猫が天樂に聞きほれているという夢幻的な構図でした。

 それは一人の父親の切なる夢であり、祈りであったので

すが、現在果たしてこの夢がどうなっているかというと、

磯村さんの長男さんは東京都交響楽団員となり、三男さん

(和英君)はアメリカのナシュビル・オーケストラのアシス

タント・コンサート・マ-スターとなっており、四男(幸

哉君)さんも桐朋学園を出、桐朋オ―ケストラのチェロ奏者として大いに勉強しつつあります。

ところが次男の治英君は身体が弱かったので、他の兄弟の

ようなプロ音楽家への道を放棄せざるを得なくなった。

謂わば「虚弱」という「敵」が現れて、彼の前途を阻んだのです。

ところがさすがに、「神の子人間」を信じている人ですから、そんな事ではへこたれない。

人生コースは音楽家一本とは決まっていないと考えて、方向転換をした。

しかし、身体が弱くて何をやっても具合が悪いと言うの

で、先ず身体の訓練からやり始め、早大に入ってボディービル部に入部し、真剣に訓練にはげんだのです。

その結果、ミスター早稲田となり、早大ボディービル部の

マネジャーとなり、更に関東学生ボディービル競技大会に

出場して見事優勝し、今では全く健康体となり、立派な会社員となっておられるのです。

 虚弱体質であった彼が、そのハンディキャップを見事に

克服し、それどころかボディービル大会で優勝するぐらい

の堂々たる体躯の持主となり得たという事は、人間の無限

力を示すと同時に、如何なる困難にもへこたれない「男気」を示していると言っても過言ではない。

このように、困難は克服されるべきものであり、また、

「敵」の如くあらわれているいかなる悪条件も、「味方」

として内部開発に役立ってくれるものだということを、吾々は確信しなければならないのであります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/19 (Mon) 07:23:26




   <労働力不足すなわち人口異常減少問題。それの抜本

的解決は「母体保護法」14条経済条項の改正しかありません。>

 大熊先生がいみじくも仰っておられます!(^^)!。



 一日ズレてすみません<m(__)m>。

17条憲法に対する百田先生のお考えです。


 ❿第一条はなんと、「和を以て貴しと為し、さかうる(あらそい)事無きを宗とせよ」

そのあとに「何事も話し合いで決めよう」が続くのは憲法としては異例。

 第二条が、これまた、「仏教を大切にせよ」、

そして、第三条が「「天皇」でなくて「天皇の詔」を大切に」=個人崇拝を求めていない点ですばらしい等々。








 清超先生の御話です。


         暴力を否定する


 今や日本は高度成長を遂げ、昭和四十二年度の国民総生

産は千二百二億ドル、西ドイツの千二百九億ドルと肩を並

べて自由世界第三位となり、本年度は自由主義国内では必ず米国に次いで日本という事になるでしょう。

共産国を入れて、全世界ランクでいえば、米、ソ、日本

と、世界で、三番目の国民総生産を得ることになるのです。

今から二十数年前の敗戦のあの惨状を経験した吾々にとっ

て、夢のような成長ぶりですが、これも日本人の内部に隠

されている「無限の可能性」が開発されたからに他なりません。

しかもその開発には、日本人の勇気が重要な役割を果たしていた。

日本人は勇敢に資本や技師を導入し、設備投資をし、合理化計画を実行した。

一部の日本人は共産主義に追随しようとしたが、大部分の

日本人は自由主義への道を選び、その困難を克服したのです。

共産主義への道の方が勇気を要すると思う人があるかも知

れないが、実はそうではない。共産主義は暴力を肯定しているし、戦争も肯定している。

しかし正しい自由主義は、戦争や暴力を否定して、議会主

義を貫こうとするのです。この方がよっぽど勇気がいる。

自分の政敵を粛清してしまうのと、敵に自由に発言させな

がら、それを論破しつつ国民の支持を獲得して行くのと、

どちらがより困難であり、自制心を必要とし、勇気をふるわなければならないであろうか。

言うまでもなく、自由なる体制を維持する方です。

日本人は、この道を選んだのであって、それは正しく賢明であった。

けれども今後この道を吾々が護り通す事には、より一層の力と勇気とを必要とする。

何故なら、安易な「暴力」や「専制」への道が常に宣伝され、暴力をもって強制されようとするからです。

彼らは四十五年の安保検討期に向かって、一層宣伝と暴力とを積み重ねるでしょう。

彼らの武器は、角材とヘルメットだけではないのです。

各種のマスコミを使って、吾々を「反動」と呼んだり「右翼」と罵ったりする。

そのような時、吾々は彼らを敵と見ないで、しかも彼らを

愛しつつ正しく導いて行くところの「非暴力への勇気」を示さなければならない。

彼らと角棒でわたり合う方が安易であり、マスコミにうっ

てつけかもしれないが、吾々は真の勇気をふるって、この

ような安易で下劣な道から断乎“出家”しなければならない。

何故なら、吾々の運動は宗教運動であり、伝道活動であ
り、真に勇気を必要とする礼拝行であるからです。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/20 (Tue) 07:27:39



 百田先生の「日本国紀」より。



 ⑪ 663年、白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗を喫した。

その時、参加した大伴部博麻がいて、彼は捕虜になったが、その捕虜に遣唐使が四人いた。

 博麻は自らを奴隷として売り、その金を四人に渡して帰国資金とした。

 それより27年後、自由の身になった時に、持統天皇は

「朕、厥(そ)の朝を尊び国を愛(おも)ひて、己を売りて忠を顕わすことを嘉ぶ」という勅語を贈った。

これは天皇が一般個人に与えた史上唯一の勅語である。「愛国」が初めて文献に現れた。

                     (つづく)









 清超先生の御話です。


          光の道を歩め


 常不軽菩薩が石をもって追われた時、その石に対して礼杯をもって対せられた。

それには石には石を、眼には眼をよりも、困難な方法であり、勇気を必要とする。

吾々は罵りに罵りをもって答えてはならないのです。暴力

に対しては説得を、憎しみに対しては愛を以って応えなければならない。

彼らが吾々を誹謗するときは、それを自己反省の材料として使えばよい。

彼らがマスコミを利用しているとき、吾々はマスコミに対

して余りにも消極的であったことを反省し、その反省から、勇気をもって起ち上がればよい。

暗黒を消す者は、常に、「光」であって、断じて別種の暗黒ではない。

吾々は泥仕合を演じようとは思わない。

もっと別の、残された開拓の輝かしい道がある。

真理を求めている人々は、巷間に満ち溢れ、学園にワンサといるではないか。

この人々に説得し、伝道するのに、何の「角棒」がいろ

う。いるのは、ただ「愛」と「勇気」のみではないであろうか。

 このようなことを考える時、いつも思い出すのは、かつ

て長崎大学の自治会獲得に起ち上がった吾々の同志

の事です。その中心人物である安藤巌君は、いつか全国大

会で此の苦闘を物語ったことがあるから、諸君落多くも御存知の事でしょう。

此処にも暴力を勇気で跳ね返した実例がある。

彼らは長崎大学教養部自治会を選挙で闘い取ったが、その

後の行動では共産系の反対でしばしば吊し上げをくったり、闇打ちを食って、意識不明になる迄殴られた。

それでも勇気をもって堂々と自治会を正常化させる運動を推進して行ったのです。

学長をカンヅメニし、学生会館を封鎖したり、行動を占領

して大学機能を麻痺させる行動をする事が勇気があると

思っている人がいるのかもしれないが、こんなのは勇気でも何でもない。

目的の為に手段を選ばず、人権を無視した暴力をふるうの

が勇気なら、ヤクザ連中は皆勇気であり、強盗こそ真の英雄である――と言わなければならない。

占領地で大量虐殺をやる男などは、勇者の中の勇者と言わ

なければならないが、そんなバカな話に同意する者は一人もいないのです。

 しからば安田講堂を占領したり、事務室を破壊したりす
る学生達が、どうして勇気ある者と言えるであろうか。

彼らは学校の警官導入を非難するが、それは矛盾も甚だしい。

それは恰も、強盗が侵入して来たので警官を呼ぶと、その

強盗が、「警官を呼ぶなど卑怯ではないか。それでお前の

家の”自治”がたもてるか」とガナリ立てているようなもの

であって何よりも先ず咎めらるべきは、彼ら全学連の一方的暴力体質であります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/21 (Wed) 07:20:23




   <住吉大神ご顕斎四十年>を祝福いたします。

 警蹕(けいひつ)なる言葉を初めて知りました('◇')ゞ。



 百田先生のご著書より。


 ⑫ 唐の鑑真(唐招提寺を建てた僧)が日本の僧に請わ

れて渡航を試みるも、五度失敗、六度目にようやく
着くことが出来た。

遣唐使たちは皇帝から下賜された宝物を街で売り、その金で膨大な書物を買い込んで帰国した。

「国のために尽したい」使命感を表している。






 清超先生の御話です。


         湧きあがる勇気


 たしかに今まで学校側にも、学生に対する無理解や、因習にとらえらた不明をうな点があったかもしれない。

改善さるべき点は幾つもあるだろう。けれどもそれ等は正

当な平和的合法的手段によって改められなければならない。

大体、学校が幾ら今頃弱腰になってみても、それで全学連

の闘士が納得するはずは無いのであって、「ギマン的告示

拒否」を叫び、病院長や医学部長を「解任させたのは、

吾々のたえざる活動の結果だ。たたかいは続けよう」と勝ち名乗りを上げてるのがオチです。

彼らが強くて、”勇気”があったのではなく、大学が弱くて無策であったと言うだけの話である。

だから某教授の如きは「たとえ要求をまるまるのんで“全
面降伏”したとしても、彼らはすぐ次の目標を設定する。

したがってわれわれが消極的に期待するのは、いわゆる一

般学生が学校側の努力の誠意を理解してくれて、強硬派の

批判をはじめてくれることだ」と言わざるを得ないのであります。(「東京新聞」八月十一日号)

繰り返して言うようであるが」表面的に武装したり、肩を

いからせたりしている“闘士”や“乱暴者”や“強硬派”が真の勇気ある者ではない。

本当は「内心の虎」に打ち克たなければならないのです。

「内」を制する者が、はじめて「外」を制する支配することが出来ます。

しからばこの「内」とは一体何であるか。

それは名誉欲、金銭欲、地位欲、勝利欲、情欲などの「煩

悩」の事です。これら煩悩の支配下にいながらもその奴隷

となっていて勇気を誇ろうとしても、それはどだい無理な話です。

「愛名」即ち名誉欲は犯禁(ぼんきん)よりあし」である。

そのわけは「犯禁は一生の累なり」と道元はいわれるのです。
                                               (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/22 (Thu) 07:37:02

谷口雅春先生御生誕125年、おめでとうございます。


<「光明道中記」(11月22日)より

   今日は私の誕生日である。

   旧暦にするならば10月の16日未明、十五夜の月

がまだ地平線下に没せず而(しか)も朝の太陽がさし昇っ

て空には日月両(ふた)つながら揃っている時に、

私は呱々(ここ)の声をあげた。

 幼い時には誕生日を忘れていた自分も
 
 今では誕生日を多くの人が祝ってくれるようになった。

 いつの間にか私はあまり押し上げられたような気がする。

 自分はもっと下のところに抑下(よくげ)していたい思いで一杯である。



 高座に立って講演などしたくないのである。

だけども講演に出て呉れと言われると、無下にことわることの出来ない自分である。

別に講演料を貰う私ではない。

 会場整理費などは会場の借賃や光明思想普及費に使われる。

全くの私の奉仕である。

これを拒絶することは奉仕を拒絶することになるから断り切れないのである。・・・>。


 伝統様のご投稿より。






 百田先生の「日本国紀」に(私の)書き忘れがありました。

<飛鳥時代の寺院や作品(仏像、絵画)が千年以上経った今

でも少なからず残されている事実に大きな感動を覚える。>

<初めて元号が用いられたのは、孝徳天皇大化元年(645)だった。但し継続的になったのは、文武天皇の
大宝(701)から。>










 清超先生の御話、お終いです。


 ところが真の勇者は、これらの「煩悩」を断絶するのです。

その断絶は「愛」や「智慧」や「悟り」によって行なう。

「光」によって、「闇」を断ち切るのです。

それは難しいようであるが、決して不可能ではない。

又それは、苦しみを越え、真の「自由」と「悦び」を得る唯一の方法でもあります。

男にも、女にも、老若を問わず、それは出来る事である。

真の勇気は自分の意識やホルモンが生産する産物でなく、

神から天降った「人間性」そのものに由来するものである

から、それは既に吾々のものであります。だから自然に湧きあがって来る。

ただその湧きあがりは、「生命の実相」を認めたたえ、人

間本来の姿にかえったときであって、怠惰やギマンの生活
を送りつつ、湧きあがりは期待できないのであります。

 今年の六月、私が沖縄を巡講し、八重山群島の石垣島に

行った時会った白川妙子さんは、まだ十八歳の高校生でし

たが、このような「内部から湧きあがる勇気」の持主でした。

妙子さんは幼い頃、父母の不和のため大変虚弱で、腹に虫

がたまり、タバコを異食するところの奇病に取りつかれて

いた。ところが母が「生長の家」に入信して以来、メキメ

キと健康になり、妙子さんも「神の子人間」の自覚を得て

生高連の一員になってからは、何とかして人々のお役に立ちたいと念願するようになったのでした。

彼女の理想は、きれいな心を持って人々を幸せにする一生を送ろうという事です。

そのため高校を卒業したら、小児麻痺の子供の世話をする仕事をしようと決心しているのです。

それは名誉や地位や金銭の得られる仕事ではない。新聞に

書き立てられるわけでもなく、人から羨まれる華やかさは微塵もない。

しかし彼女の心の中にフツフツと湧き上がった「愛」が、勇気をもってそれをなせと命ずるのでした。

最後に妙子さんがこの決意をしたとき作った詩を、紹介しましょう。


  小児麻痺の子供たち

私の前には道がない。            私は、

私のあとに、道ができる。          この道を、

そしてこの道を、              この手で作る。

小児麻痺の子供たちが通る。         あの子たちが、

歩けない足どりで、             通れる道を、

一歩、一歩、                何年たとうが、

手のひらを使いながら、           必ず、
                   つくってみせる
歩いて行く。                
聞きとれない声で、
明るく歌って、                               
通って行く。

その道を通った子供達は、

一日一日と成長し、

人並みの人間になる。                                    (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/23 (Fri) 08:02:05

  

  <例えば私が釈迦無尼如来として生まれて、

インドで講演しておった時に、その時に、皆さんもその釈迦無尼如来の説法を聞いて、

そして悟りを開いて菩薩となったような、そういう人もこうたくさん集ってきておられる。

これが他生の縁である。袖振り合うだけじゃない、同じ真理の話を聴いて尚一層悟りを深める、

こういうね、有難い因縁を一緒にこう持つということは、

これは滅多に得られないところの深い深い因縁であるわけでありますね。・・・>・・・。


 雅春先生の晩年の御講話より。


 
 「日本国紀」より。

 ⑬ 「古事記」は古い中国語を基本に日本独特の「変体

漢字」で書かれ、「日本書記」は純然たる漢文で書かれている。

即ち前者は自国民向け、後者は対外的(中国)に書かれたものと見られている。

又、後の、万葉集(4千5百首以上)は身分の高い人から

一般庶民(遊女や乞食)までの歌が選ばれており、千三百

年も前にこれほど豊かな文化を持った国が世界にあっただろうか。

万葉集こそ日本が世界に誇るべき古典であり、文化遺産であると思う。








 さて今朝からは、雅春先生の青年法語です。



 輪読のための青年法語   あなたの自己開発のために

      谷口雅春 (理想世界誌10/1号)

                  
      ♤・・・法語はあなたの心の羅針盤です。毎日心読して、心の波長を調えましょう…♤
 

  一日のことば ♤  人間は“眠れる神の子”である


 すべての人間には”神”が宿っているのである。しかしその“神”は眠っているのである。

”眠れる獅子”という語があるが、人間は”眠れる獅子”どころではない、“眠れる神の子”であるのである。

この“神の子”は呼び覚ましてくれるのを待っているのである。



  二日のことば ♤  自己開発は内部から行われる


 自己に宿る“神の子”の目覚めの程度に従って、そのひとの自己開発が行なわれるのである。

それを生長とか進化とかいうのである。

新たなる領域が開発されて来るのだけれども、それは既に

埋蔵されたる“神の子”の全能が次第を追って開発されて来
るのであって、本来ある”実相”の開発であるのである。

これから造るのではなく、内部に既にあるものを自己開発することにある。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/24 (Sat) 07:56:24




  御生誕百二十五年報恩感謝祭の祝詞の立派なこと!(^^)!。






 「日本国紀」より。


 ⑭ 有名な、仁徳天皇のエピソードである。

「向こう3年、税を免ず」の詔、そして自分の衣も新調せず、屋根が破れても修理しなかった。

三年が経ち、炊煙上がるをみて「朕はすでに富んだ。喜ば

しいことだ」「政事は民を元としなければならない。その

民が富んでいるのだから朕も富んだことになる」と言われた。








 雅春先生の御話です


  三日のことば  ♤  人間知と電算機


 人間の賢さは神の智恵の前には愚かなるものであると言われている。

人間の賢さは脳髄組織の電子計算機的解答に過ぎないのである。

電算機で計算して毎日天気予報が行なわれているけれども、その半分以上は間違うのである。

それは電算機の記憶装置に記憶せしめて材料だけに基づいて答えが出て来るからである。


道の要素が加わると、どのように全体の動きが変化するかは電算機では分らないのである。

だから常に未知の要素の加わる気象界や人間界の出来事が

どのように変化するかは、常に未知数であるのである。

人間の脳髄も過去の経験の記憶を基礎にして判断するが、

人生には常に新しき要素が加わるので、人間知は結局間違うことが多いのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/25 (Sun) 07:51:31




  
   <この状態をぶち壊すのは、真の法燈継承者である、

谷口貴康先生の勇気、元気、やる気にかかっているでしょう。・・・>・・・。









 「日本国紀」より。


 ⑮ 7~8世紀ごろ、初めて「日本」が誕生、「太陽が昇

る国」――これほど美しく堂々とした国名があろうか。

しかもその名を千三百年も大切に使い続けて来た。
それが私たちの国なのである。






 雅春先生の御話、続きです。


  四日のことば  ♤  無限に伸び行く吾らの能力


 人間の生命は“神”の生命そのものであるから、無限の内容を持つのである。

「無限」はクルミの殻を破るようには、殻を破ったら一ぺ

んに全部が出て来るという様なものではないのであって、一歩一歩前進するという形をとるのである。

それは無限に高き山を山巓をめがけて登り行くのにも似ている。

これだけ高く登ったと思っても、尚、五合目くらいしか登っていないのである。

しかし登れば登るほど視界は広くなり、俯瞰する世界の美しさを味わうことが出来るのである。

そして更に前進してまた異なる美しき光景を見ることが出

来るし、また内部の能力もそれだけ一層多く開発されて来るのである。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/26 (Mon) 07:17:32



 <外国人が多く暮らす地域は昨今各地にある。インド人

が多く暮らす西葛西(江戸川区)、ネパール人が多く暮ら

す阿佐ヶ谷(杉並区)、ブラジル人が多く暮らす大泉町

(群馬県)、あるいは、ベトナム人や中国人が多く暮らす

「県営いちょう団地」の横浜市泉区(神奈川県)などだ。・・・>・・・。


 いろいろと考えちゃいます!(^^)!。


 日本政策研究センター『解説 即位の礼・大嘗祭』も注目。




 「日本国紀」より。

 ⑯ 天智天皇は「日本書記」では病死になっているが、

京都山科の山中に入って、そのまま帰って来なかったと

か、見つかった靴の、その場所に御廟野古墳があり、祀られている。

 天武天皇が天智天皇の弟だという説はいまだ、謎が多い。





 雅春先生の御話です。


  五日のことば  ♤  魂の本当の願いと記憶装置の願いとの相違


 神は、時間・空間の世界に完全に、そして有意識的に

自己表現を遂げ給うには、人間を通して働き給うことが必要なのである。人間は神の自己表現の出口である。

あなたが、尚一層進歩し向上し、また学びたい願いが起こって来るのは内部から神が囁きかけているのである。

”神がこれを為せ”と囁きかけているのであるから、あなた

が勇敢に周到なる注意を以って精励すれば必ず目的を達するのである。

しかし、あなたの希望の中にも、単なる肉体の脳髄が、そ

の記憶作用の配合によって浮かび上がって来る機械的な作

用を、本当の自己の魂の希望だと錯覚していることがあるのである。

それをよく鑑別(みわ)けることが必要である。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/27 (Tue) 06:59:27




 「日本国紀」より。


 ⑰ 第45代聖武天皇は世の中の乱れを仏教で救おうと

天平13年(七四一)全国に国分寺・国分尼寺を建てるこ

とを命じ、また同15年には廬舎那仏造立の詔を発した。

これは東大寺大仏の製作宣言である。

「責めは予(われ)一人にあり」天皇は飢餓や天然痘の流

行は、自身の政(まつりごと)に問題があるとして、大仏が人々を救うと信じ造立した。


 大仏と大仏殿はその後二度炎上したが、時の権力者によって再建された。









 雅春先生の御話です。


 六日のことば  ♤  神から叡智を受信し得るために


 脳髄という電子計算機的装置から発送される考えにはよい考えもあるけれども間違いもあるのである。

気象予報が間違ったり、適中したりするのと似ている。

私たちは電子計算機以上の智恵を神から受信し得ることに

よってのみ、常に間違いなき生活を営むことが出来るのである。

神から無限の英知を受信し得るようになるためには、毎日

怠らず神想観を実修して、いつでも欲するときに自分の心

を瞬時に神の智恵を受信し得るチャンネルに向きかえることの出来る修練を積んで置く必要があるのである。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/28 (Wed) 07:28:34




 《中島省治 「生長の家」創始者・谷口雅春先生を学ぶ会代表》


何ともうれしいことではありませんか!(^^)!。






「日本国紀」より。



 正倉院にはこの頃に渡って来たペルシャやインド、唐のガラス器や楽器、焼き物などが数多く残っている。

正倉院はもと東大寺の倉庫であったが、その中に貴重な

品々が千二百年以上も保管されてきたというのは
奇跡である。





雅春先生の御話です。


 七日のことば  ♤  あなたの可能性を爆発させよ


 あなたがスランプに陥ったり、人生無意義の感じがして

希望が失われたような消極的な感じに襲われることがあっ

たら、それは自分の内部にある可能性を充分に生かすことを怠っているからであるのである。

自分の内部にある可能性が燃え上がらないで、燻っているからである。

自分の可能性は一体何であるか、神想観を実修してそれを神様に問うがよい。

「神よ、私の可能性が何であるかを知らしめ給え」と就寝直前の神想観に於いて祈って眠るがよい。

そして翌朝目覚めた時に、神から来るヒントがあるならばそれに従うがよい。

翌朝返事がなくとも失望しないで、更に神想観を実修して祈りを深めるがよい。

やがてある機会にあなたの可能性が爆発し出る時が来るであろう。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/29 (Thu) 07:20:38



  <公表中絶数は毎年5000人ずつ減少しているが、

「出生数」も今年ついに100万人割れをした。これは

「中絶数が減っている」というよりも「産める世代の女

性」が減っているのである。今、赤ちゃん、子供が減って

いるという危機ではなく、その赤ちゃんを産む世代さえも

が減少している危機なのである。これを回復できないとい

う「いのちへの敗北宣言」が今回の「移民政策」(入国管理法改正)である。・・・>・・・。


 これは大熊先生のお言葉?

この通りなんでしょうか!(^^)!。






 「日本国紀」より。


 ⑱ 平安京も長岡京も、その前の平城京も、唐の長安を

模して作られて都だが、城壁がないという事で長安とは決

定的な違いがある。都市というのは食料と物と人の集積所

であるから堅固な城壁で守るのが普通なのに日本では単一言語と島国、が元となって造られなかった。

 日本の歴史を見て驚くのは、ヨーロッパや中国では当た

り前のように行われてきた民衆の大虐殺がまったくないと

いうことだ。これは非常に幸運であると同時に、誇るべき歴史であると思う。





 雅春先生の御話です。


  八日のことば  ♤  世界は自分の心の影である


 人生が退屈になったり、面倒くさくなったり、倦怠感に

陥ったりするのは、人生が面白くないのではなく、自分自

身の可能性が充分発揮されないので、面白くないのである。

世界が面白くないのではなく、自分自身の面白くない感じ

を外界に投映して、人生を詰まらなくし感じさせるのである。

自分が変れば世界が変る、世界は自分の心の影なのである。

理想を描いて理想に向かって驀進せよ。

スランプは消え、退屈は消え、生き甲斐が湧いて来るであろう。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/11/30 (Fri) 07:24:12




 故市川森一さんの奥様、柴田美保子さんの「古事記」語り

は素晴らしいものですね!(^^)!。


 子供たちにも聞かせているようで、反応が楽しみです。




 「日本国紀」より。


   ⑲ 延暦13年(七九四)平安京に遷都した桓武天皇は大胆な政治改革を実施した。

最澄(比叡山延暦寺=天台宗)と空海(高野山金剛峯寺=

真言宗)が唐から新たな宗教を持ち帰った。

 当時、東北地方は蝦夷が支配していたが、征夷大将軍

坂上田村麻呂がアテルイを降伏させ東北地方(青森と北海

道を除く)を支配下に置いた。=朝廷がほぼ日本を統治した。

蝦夷=アイヌ説はまだ定説がない。







 雅春先生の御話です。


  九日のことば  ♤  いよいよ高く理想を描け

 
 理想は高く描かなければならない。

低い理想は魅力がないであろう。そしてあなたを驀進にまで駆り立てて行く力とならないであろう。

理想を描く限りは高く高く愈々高き理想を描くべきである。愈々高き人間像を自己に描けよ。

愈々高き人間像とは”神の子”であり、神の最高の自己実現

であり、神がわれを通して神の希望を実現すべく、地上に

自己を遣わし給うたのだという高邁にして荘厳なる自覚である。

われ常に神と共に生活し、神と共に行動し、神わが内にあり、われ神の内にあるという自覚である。

この自覚にあなたの情熱を燃え上がらす時、退屈もスランプもあり得ないのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/01 (Sat) 07:36:32




 百田尚樹さんの「日本国紀」より。


 ⑳ 幕府=征夷大将軍が天皇に代わって軍の指揮を執る陣地のこと。





 雅春先生の御話です。


   十日のことば   ♤  問題の解決について


 右すべきか、左すべきか、去就を決しかねるような問題に面した時には、如何にすべきであろうか。

問題の最善の解決法は唯一つあるのである。

次善の解決や遠回りの解決は幾種類もある。

いろいろの先生や、指導者に相談してみて、その指導者が

教えてくれる解決法がそれぞれ異なっていてもそれが皆間違った指導ではないのである。

一つの箱を開け方でも色々ある。一本一本釘を抜いて行く

やり方もあれば、一ぺんに叩き潰してしまうやり方もある。

 右の板を先ず外す方法もあれば、左の板を外す方法もある。

けれども最もよい箱の開け方は、箱を損せず、箱を開いた

後に、中のものを取り出しても、再びそこへキチンと収め

ることが出来るし、又、ほかのものを入れて保存したり郵

送したりするのに使えるように、一切のものに調和して、

全てを生かしながら開く解決法が最もよいといい得るのである。

                    (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/02 (Sun) 07:50:34

  

 愛国掲示板の賑やかさは特筆ものです(^^♪。


今朝は仙厓和尚の12月の画を載せました。気が落ち着きますね(^^♪。


「大黒はどなたも好きな福の神」と読みます(^^♪。








 「日本国紀」より。


 ㉑ 最初に仮名を使用したのは九世紀初めの僧侶たちだった。

 その後、漢字の草書体から平仮名が編み出された。片仮

名に比べ優美な曲線を持っていたので、宮中で働く女官た

ちが好んで使った。その為「女手(おんなで)」とも呼ばれ、日本語の表現力を飛躍的に発展させた。






 雅春先生の御話です。

  十一日のことば  ♤  問題はそれ自らのうち位に解決を含むのである。


 私達が問題に面して決しかねるのは、自分の心に先入観

念があるからである。そして、その先入観念が、自分の何

かの欲望や執着に絡み合っていて、問題そのものを純粋に

解決する方向に考えないで、自分の執着する方向に問題を引きずって行こうとするからである。

蕾はそれみずからの方法によって花を開いて、自己解決するのである。

それなのに、その蕾を自分の好む方向に捻じ曲げて花を開

かせようとするならば、そこに無理があり、誰かが犠牲となり、損をしたり、争いを生じたりするのである。

 蕾が、それみずからの方法によって問題を解決して美し

い花を開かせるように、吾々は問題それ自身が内に含む意義の方向に問題を解決すればよいのである。

そこには無理はなくあらゆる方向に調和した解決が見出されるのである。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/03 (Mon) 07:13:32




<様々な 『 古事記 』 解釈を読むと 「八尋(やひろ)和邇(わに) 」 の箇所が、

多くが生物的解釈であるが、谷口雅春先生の 『 古事記 』 解釈は、言霊による解釈である。>・・・。


 明鏡様のご投稿より。




 「日本国紀」よりは…。

 ㉒ 小中華を自負する朝鮮が、平仮名にあたる「ハング

ル」を持ったのは16世紀、殆ど普及せず、20世紀に入って普及させたのが、大韓帝国を併合した日本である。





 雅春先生の御話、十二日目です。


  十二日のことば  ♤  神のみこころによる解決を求めよ


 問題をそれ自らの方法によって解決に導いて行くには、

自分の執着や、好き嫌いや、愛憎の念を捨離しなければならないのである。

それには静かに坐して神想観をするがよい。

「われが心を空しうして神のみこころに帰一し奉る」と繰返し念じて、神の智恵と一体となることを願うがよい。

「どちらの道をとるが、利益になるか」とか「自分が、こ

のように結論を持って行きたいのは、こういう理由によ

る」とか、人間製造の理由などは全然心から放ってしまうがよい。

そして「神さまのみこころに於いて、ただしき道を示し給

え」と念じて、正しき解決(又は裁決)であると直感できる方向に解決して行くのがよいのである。

神の御心による裁決に従うならば、神はすべてのすべてで

あるから、すべての人々に調和した解決の道を見出すことが出来るのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/04 (Tue) 07:25:45




 <御代替わりのこのとき、谷口雅春先生の愛国・生長の家

がここから復活していきます。>

誠に力強い、破邪顕正様の宣言です!(^^)!。





 「日本国紀」より。


 ㉓ 平安京の女官たちは高い教養を持っていた。

清少納言=随筆「枕草子」、紫式部=長編小説「源氏物

語」、藤原道綱母=日記文学「蜻蛉日記」、菅原孝標女=「更級日記」など。






 雅春先生の十三日目です。


  十三日のことば  ♤  神は超越的内在の本源者である


 神は遍在であり給う。

神は超越的内在とでも謂うべき存在であられるのであっ

て、単なる“内在”でもなければ、“外在”でもない。

超越と言っても吾々から離れているのでもない。

内に在り、外にあり、前にあり、後方にあり、上にあり、

下にあり、時間空間を超えているが故に、あらゆる時空を

通じて、全ての時、すべての空間に作用し給うことが出来るのである。

しかし、この神の導きを受けようと思うならば、それに波長を合わす必要があるのである。

それはテレビの放送電波が吾々の視覚を超越した世界にあ

りながら、吾々がそれに波長を合わす事によって、それを視聴し得る世界に持ち来し得るようなものである。

                     (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/05 (Wed) 07:25:09




 雪のない北海道も、そろそろ終わりですかね(^_-)。



 「日本国紀」より。


  ㉔ 下級貴族出身の紫式部は二十代で藤原暢部宣孝と

結婚し一女をもうけたが、三年後に夫と死別し、その悲しみを忘れるためにこの物語を書き始めた。

当時貴重品であった紙を提供してくれるものが次々現れ、

遂に、全五十四帖からなる大長編小説(約百万字、四百字

詰め原稿用紙二千五百枚)となり、桁外れのものになった。





 雅春先生の十四日目です。


  十四日のことば  ♤  神の自己実現である人間は何を為すべきか

 
 神はすべての渾てであらせられる。

神は無限であり、無限の力であり、無限の智恵であり、

無限の生命であり、無限の資源であり、無限の調和であ

り、無限の企画であり、無限の構図であり、無限のアイ

ディアであり、無限の癒す力であり、無限の健康であり、

無限の裕さであり、その他、筆舌では、表現することの出来ない“無限の善”である。

 この無限の善が吾々を取り巻いており吾々人間をその最高

の表現の機関として、自己表現しようとしていられるので

あるが、その表現のデリケートな機構は吾々の“心の波

長”にあるのであって、何と言っても吾々は自分の心の波

長を神の霊的波動に同調するようにしなければならないのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/06 (Thu) 08:47:03


 「日本国紀」より。


 ㉕ 紫式部は本名ではない。彼女の父の役職「式部」に

作中の「紫の上」の紫を付けて紫式部と呼ばれた。

 清少納言も彼女の父の清原元輔の「清」の字に役職名の「少納言」を付けている。

当時女房と呼ばれるものは本名をみだりに明かさなかったからである。








 雅春先生の十五日目です。


   十五日のことば  ♤  アダムは、こうして楽園から追放された


 苦しんだり、闘争し続けなければならないのは、

“無限”に同調することを忘れた人であり、神の力に融合することに失敗した人だけであるのである。

それは神に背いて人間知の禁断の果実を食べたアダム・マ

ンであって、神の子(God man)ではないのである。

 人間知の禁断の果実とは、五官で判断した結果のすべてのものは物質で出来ているという唯物論である。

無論人間をも、ただの肉体という物質的塊に過ぎないと考える唯物論的人間観である。

したがってこのような物質的人間観を持つ人たちは、神に

波長を合わす事を考えないから、有限の肉体的力のみに

よって世に処して行かなければならないから、苦しんだり、闘争したりしなければならないのである。

創世記ではこの事を象徴的に、知恵の樹の実を食したアダ

ムはエデンの楽園から追放せられたと表現されていゐるのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/07 (Fri) 07:21:27



 貴重な動画が紹介されていますね(^^♪。



「日本国紀」より。


   ㉖ 武士とは「侍」だが「貴人」に従うを意味する「さぶらう」(侍ふ/候ふ)に由来する。

 後、九百年以上も存在し、日本社会の精神を象徴するものともなった。






雅春先生の十六日目です。


  十六日のことば  ♤  アダム・マンよりゴッド・マンへ


 不幸に陥ってる人たちは、アダム・マンであって、肉体的力のみで苦闘しているのである。

私たちは自己の生命の本質を自覚して、自己が“神の子”で

あり、霊的実在であることを知り、父なる神の方向に振向いて「神と偕に生きる」ようにしなければならない。

そのとき自分は神と一体となり、アダム・マンより脱却して、ゴッド・マンとなることが出来るのである。

アダム・マンの生活は常に間違いに満たされているから、

エデンの楽園から追放されることになり、今まで人間に生

まれた不幸を歎いていたのであるが、ゴッド・マンにはそのような歎きはないのである。

それ故に本来のゴッド・マンに還ることを、私たちは「楽

園奪還」とも、「空手にして郷に還る」ともいうのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/08 (Sat) 07:24:40




 <「Here, in this Holy Place, I feel the underlying units of all religions.」

ここ、この聖地において、私はすべての宗教の基本的な要素を感じる。」>。



 来日したアーノルド・トインビー博士(?)のお言葉です。うれしい限りです(^^)/。










 「日本国紀」より。少々、遡って、漏れたものを。


「平安時代は死刑がなく、人権意識が進んだ時代」というのは誤解である。

弘仁九年(八一八)に嵯峨天皇が「死刑廃止」してから三百年以上、制度としての死刑はない。

これは世界的にも稀有なことだが、命や人権を重んじたも

のではなく、天皇や太政官たちが「死」にまつわると「身

が穢れる」と考え、処刑された怨霊の祟りを恐れたこともあった。

平安時代末期は治安が悪いのも拘らず(「今昔物語」に、

羅城門で餓死者の衣服をはぐ老婆の話も」死刑することもなく追放にとどまった。

 地方では国司や検非違使による死刑は普通に行なわれていたし、私刑もあった。

「平安時代は死刑がなく平和な時代」というのは全くの誤りである。









 雅春先生の十七日目です。


  十七日のことば  ♤  唯物論者の人生はロボットである


 物質的構造の世界のみを認める唯物論者は、物質は物理

学的法則に従って機械的に動くのであるから、そのような

人には自由はなくただ機械的に時計の針のように動く宿命の世界に住むことになる。

そして「自分」というものは、宇宙という巨大な時計の一つの歯車に過ぎないものとなるのである。

時計の歯車は全体の機構の上から、定められた速度で、定められた方向に運動するほか全然自由がないのである。

唯物論者は結局、宿命論者にならざるを得ないのである。

若し精巧緻密な電子計算機がつくられて、一切のデーター

をそれに記憶せしめて、その人の運命を計算し出すなら
ば、電子計算機の計算した通りに彼は動くことになる。

彼はロボットであり、自由があると感じたのは唯の錯覚に過ぎなかったと云うことになるであろう。

気の毒なのは唯物論者の人生である。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/09 (Sun) 08:04:03



  9月の講習会、地震で中止、いやはや!(^^)!。



 「日本国紀」より。


 関東を中心として勢力を広げた平氏と、摂津や河内(と

もに現在の大阪府)を中心の源氏である

平氏は第五十代桓武天皇の流れを汲む皇族出身,源氏は

第五十六代清和天皇の流れを汲む皇族出身であり、その家

格の高さから武士たちの尊敬を集め、大きな勢力持って行く。








 雅春先生の十八日目です。


  十八日のことば  ♤  ただ”神の子”のみが自由人である


 唯物論者には自由はないが、霊的実在であり、神の子であるゴッド・マンには自由があるのである。

彼は“心の自由”を享受している。

“心”は物質の物理化学的な変化に対して、必ずしも一定の
反応を示さないのである。

同一の物質的条件に対しては、百人は百人ながら、別の考

えや、ニューアンスの異なる反応を示すのであり、その反応の仕方によって行動が変って来るのである。

すなわち、彼独特の反応の示し方によって、彼独特の人生がつくられて来るのである。

しかし彼独特の反応の仕方にも色々あって、物質に執着し

て、物質の変化に振り廻されるならば、唯物論者とあまり異なることはないのである。

唯、神に振り向き、神の叡智によって、如何なる環境条件

をも克服し得る人のみ本当の自由人であり、”神の子”である。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/10 (Mon) 08:47:52




  <2025年、日本は「戦勝国」になりましょう。

戦勝国になるか敗戦国になるか、まさに「今」かかっています。

安倍総理、よろしくお願いします!>・・・。



 ほんとにそうなんですか? 日本も大変です!(^^)!。




 「日本国紀」より。


  ㉗ 藤原不比等実は天智天皇の子供だという説がある

が、鎌足の子で藤原姓を名乗れたのは不比等だけであるという事を見ても、信憑性は高いと思う。

不比等の四人の息子は四つの家系(南家、北家、式家、京家)を興すが、北家だけが栄える。

平安時代に栄華を極める藤原氏は北家の事である。

 藤原氏が最も権勢をふるったのは十一世紀の道長の時代

で、長女は一条天皇の后に、次女を三条天皇の后に、三女
を後一条天皇の后にし、天皇を思うがままに操った。

 一条天皇には二人の后がいて、その一人、定子(道長の

姪)に仕えたのが清少納言であり、もう一人の彰子(道長の

長女)に仕えたのが紫式部であって、ライバル心からも仲が悪かったという説もある。

 然し、本人が身体の不調をきたし、次に息子が死に、三人の娘もすべて死んだ。

道長はこれらは自分が政争で追い落とした者たちの祟りだ

と恐れ、臨終に、自分が建てた法成寺の九体の阿弥陀如来

の仏像との手と自分の手を糸で結んで、僧侶に念仏を唱えさせながら死んだ。








 雅春先生の十九日目です。


 十九日のことば  ♤  常に前進して失敗せざるもの


 私たちは、前進しなければならない。

前進ばかりしていては、墜落することがあるのに気が付か
ければならない。

現象界は、心臓の働きの如く、また肺臓の呼吸作用の如

く、一張一馳(いっちょういっし)のうちに、進展して行くのである。

退くべき時には退いて勢力を内に蓄えて前進するのである。

それは往復式エンジンのピストンの作動の如く、尻とり虫

の歩行の如く、一進一退しつつ全体としては常に前進するのである。

勝ちに奢るものが、やがて敗れて滅ぼされるのは、後退

して、時期を待つべき時に、何時、何処で、如何に待つべ

きかの智恵を失ったために宑(おとしあな)に係るのである。

その何時何処で、如何に待つべきかの智恵は、常に神想観

をして、神と融合する精神的習慣をつけている者には得られるのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/11 (Tue) 08:34:20



 光明カレンダー、今日の御言葉。

「日本国は実相世界の無限包容を体現している」(^^)/。

もうすぐ、新しい御言葉に代わりますが・・・。






 「日本国紀」より。


   ㉘ 「祟り」について、古の日本人は、非業の死を遂げた人は怨霊となって世の中や人に祟ると信じた。

 藤原時平の讒言を信じた醍醐天皇によって大宰府に流された菅原道真は、二年後にその地で亡くなった。

それから数年後に、道真を追い落とした藤原氏の主だ

った男たちが次々と急死し、その子供たちも次々と亡く
なって行く。時平も狂死する。

それでも祟りは収まらず、皇太子までもが亡くなる。

醍醐天皇は彼の名誉を回復させるが、清涼殿に雷が落ち、道真の動向を見張っていた男が直撃を受け死んだ。

醍醐天皇は八歳の朱雀天皇に譲位するが、その七日後に崩御する。

朝廷は道真の怨霊を鎮めるために北野天満宮をつくり、霊を祀って、ようやく祟りは収まった。

 藤原氏で唯一人、藤原忠平は(道真を追い落とした時平

の弟)生前から道真に同情し、大宰府に送られた道真に励ましの手紙を送っていた。

彼一人祟りを受けず、その後摂政・関白にまで出世したことは更に祟りの信憑性を高めた。

死者が祟るという考え方は日本人特有である。








 雅春先生の二十日目です。


  二十日のことば  ♤  現象我は「人間」そのものではない


 肉体は現象の変化に従って喜んだり悲しんだりする。

しかしそれは「現象の我」のことであって、「本当の我」(実相の自我)は、一喜一憂の自我以上のものである。

時には有頂天になって昂奮し、時には陰気臭く沈鬱してし

まうような「心」は”神の子”の“本当の心”ではないのである。

それはあなたの意識の表層にある一種のレーダー装置の反応でしかないのである。

肉体感覚や、それに伴って起こる知覚は現象界に何が起こ

りつつあるかを報道する為のレーダー装置に過ぎないのである。

レーダー装置は現象界の出来事の進行をメモするための道具であって、「人間」そのものではないのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/12 (Wed) 07:11:04



《如意輪観音堂》 道順

JR山手線御徒町駅北口改札を出て、昭和通り方面へ行

き、春日通りを厩橋(隅田川)方向へ進み、10分ほど歩

いた小島二丁目交番のある交差点を右に曲がり、一つ目の

角を右に入り、20メートルほど先の左側に、優しく笑っている仏様たちがいらっしゃいます。


 大聖師ゆかりの聖地、一度はお詣りしたいです。




「日本国紀」より。


 ㉙ 飛鳥時代の政府=朝廷は防人制度を作ったり大宰府

に水城を築いたりして、常に外国からの侵略に備えていた

が、三百年も平和が続くと、完全な平和ボケに陥り、国を守るという考えが希薄になっていた。

同時に現実的な判断力をも失っていた。

「刀伊の入寇」(満州の女真族が寛仁三年に襲来した事件)

の際、ひたすら祈祷に頼るしかなかったというのが、まさにその象徴的な行動である。


 崇徳上皇の詠んだ歌

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

 われても末に あはんとぞおもふ」

はその頃のドロドロとした皇位争いの収束を願っての御製だった。


                    (つづく)






 雅春先生の二十一日目です。


 二十一日のことば  ♤  仏教の無我の説について


 五官の感覚によって営まれる肉体的生活は、脳髄という電子計算機を備えたロボットの生活である。

それには「本当の我」はないのである。

それは生命が自己表現するために造り出したロボットであり、「人造人間」である。

多くの人はこの人造人間を「本当の自分」の如く錯覚しているのである。

そんなものは本当の“我”ではない。

それゆえに釈尊は、そのような“ニセモノの我”を否定するために「無我」をお説きになったのである。

「無我」は「真我」を否定されたのではなく、真我を肯定するための大前提としての否定であるのである。

だから、釈尊はその最後の説教「涅槃経」に於いて「常楽我浄」とお説きになっているのである。

法華経及び涅槃経以前に於いてお説きになった「無我」は

「常楽我浄」をお説きになるための準備であって、
決して矛盾するものではないのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/13 (Thu) 07:23:04




<谷口恵美子先生御作


お礼にゆきましょう


「よい子が生まれますように」
と母は祈りをこめて

近所の辻の
石の観音さまに

毎晩お水をかけて
洗ったという

大震災以来
変ってしまった町を

ふたたび訪れた母は

十一歳のわたしを連れて
観音さまを探しあて

お水をかけて
手を合わせた

町の名前は忘れたけれど

「お礼にゆきましょう」
と云った

母の言葉は
いまも忘れない>



 立葵様、よく発見(^^♪されました。




「日本国紀」より。


 崇徳上皇は鳥羽上皇の子供という事になっているが、本当の父親は鳥羽上皇の祖父の白河法皇である。

つまり白河法皇が孫の妻と不倫して生まれたのが崇徳天皇だった。(びっくりこん(^-^;)

*法皇=上皇が出家してなる。

 その後、政争に敗れた崇徳上皇は讃岐に流され、写経を

都に送ったが、朝廷は受けとらず、怒りに震えた

上皇は自ら舌を噛み、その血で経典に「われ日本国の大魔

縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と書いた。

怨霊となって、皇室をつぶすと宣言した。

以降、上皇は髪も爪も伸ばし放題になり、異形のまま、その地で崩御した。

白河法皇による不倫の末に生まれた悲劇の天皇であった。

崇徳天皇(上皇)は日本最大の怨霊とされている。

 死後に都に様々な異変や凶事が相次いで起こった。最大

の禍は「皇を取って民とし民を皇となさん」という予言が実現したことである。

武家出身の平清盛が天皇や皇族に代わって政治の実権を握

ることとなった。以後、源氏から鎌倉幕府、室町幕府とへと移って行く。

皇室は崇徳上皇の御霊を祀るために百年ごとの式年祭を行うようになる。

 即ち明治元年(一八六八)明治天皇は京都に白峯宮(今の

白峯神宮)を創建し崇徳上皇の御霊を七百年ぶりに讃岐か

ら京都へ帰還させ、御霊との和解をはかった。その百年後には香川県で昭和天皇が式年祭を執り行なっている。








 雅春先生の二十二日目です。


  二十二日のことば  ♤  実相の浄土は久遠常住にして毀けず


 「常楽我浄」の「常」というのは、此の世界は常恒不変

確固たるものではなく、常に移り変わる、即ち無情なもの

であると、その時迄釈尊が説いて来られたのを翻して、無

常なのは現象世界の事であって、実相世界は「常」である

ぞ、常恒不変堅固なる世界が「実相」として現象界の奥にあるぞとお説きになったのである。

 即ち法華経の如来寿量品に於いて、「衆生、劫尽きて大

火に焼くるとみる時にも、わが此の土は安穏にして天人常

に充満す」とお説きになった事に涅槃経は符節を合わすのである。

“劫”と言うのは、この天体が発生してからやがてその天体が衰滅又は破壊して無くなる迄の一周期である。

その一周期の終末が来ることを「劫尽きる」というのである。

そして、仮にこの天体が他の天体と衝突でもして瓦斯体と

なって焼けて滅する時が来ても、それは現象界のことで

あって、「わが此の土」即ち釈尊の住んでいられる「実相

の浄土」は焼けて滅するということもなく「常恒堅固」な

る世界であって、餓鬼や畜生や阿修羅の住んでいる世界で

はなく、容姿端麗にして善意に満ちた天人のみの充満せる世界であるとお説きになった訳である。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/14 (Fri) 07:21:19

  


 <憲法を破棄できる条件があります。イギリスは千年の

歴史があります。その間、紙に書いた成文法の憲法はあり

ません。何を判断の基準とするのかというと、慣習法で判

断するのです。「過去にイギリスはこのようにやってき

た。今後もこのようにやっていく」と言うのです。その文章は何もありません。イギリスは今でも慣習法です。

 日本も慣習法でやればよいのです。世界情勢はクルクル

と変わります。「これは変えませんよ!」と言っているの

は、馬鹿なのです。自分で針金で体を結わいて、「私たち

はこの範囲内でしか動けないのです」などという馬鹿なことがあるのでしょうか?>・・・。


 中杉弘先生のお考えです!(^^)!。






「日本国紀」より。


 ㉚「平氏にあらざれば人にあらず」、太政大臣にまで

なった(貴族しかなれなかった)清盛だが、これを言ったの

は平時忠で、原文は「この一門にあらざらむ人は皆、人非人(にんびにん)なるべきし」である。

当時の人非人は侮辱語ではなく、「宮中で出世しない人」という意味だった。

壇ノ浦の戦いの後、平氏の栄光と没落を描いた「平家物語」が生まれた。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

 驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵と同じ。

世の無常と儚さをリズミカルに表現した名文である。

                    (つづく)








 雅春先生の二十三日目です。


 二十三日のことば  ♤  この世界は苦娑婆にあらず


 「常楽我浄」の“楽”と言うのは、釈尊はその時まで、此

の世界は苦しみ充満せる「娑婆世界」であるから、それは

厭離しなければならないと否定的に説いて来られたのであった。

ところが涅槃経をお説きになるに及んで、苦しみの娑婆世

界とは「現象世界」の事であって「実相の浄土」は、楽が

充満せる世界であるとして、苦しみの世界ではないとて、

「天人、天鼓を撃って、諸々の伎楽をなし、曼陀羅華を雨

降らして仏及び大衆に散ずる世界」であるとお説きになったのである。

それは厭離すべき世界ではなく、享受し遊楽すべき世界であるとお説きになった訳である。

                    (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/15 (Sat) 07:33:25



  <12月23日

 14:00 ~ 20:30

日比谷公園(大音楽堂)


 天長節奉祝提灯行列、参加したいですねえ!(^^)!。

 相良武雄様、いいこと仰っています!(^^)!。






 「日本国紀」より。


 平氏と源氏の戦いは、武士のみで行われたという点で、ヨーロッパや中国と大きく相違している。

市民の犠牲は出ていない。

ヨーロッパで「戦争では非戦闘員である市民を殺さない」

というハーグ条約が生れたのは明治32年(一八九九)、日

本はそれより千年も前に、その精神に立っていたといえる。

 源平合戦の例外として、壇ノ浦の戦いで、劣勢の義経が、平氏の船頭や漕ぎ手を弓で射殺した。

「勝つためなら何をしてもいい」という精神はそれまでの日本にはなかった。






 雅春先生の二十四日目です。


 二十四日のことば  ♤  実相世界の楽について


「此の世界は楽の充満せる世界である」ということは、

バーやキャバレィやナイトクラブで、享楽に現を抜かしてよいという意味ではないのである。

実相世界の楽は清浄神聖にして、嫉妬や、愛情の葛藤や、奪い合いや、恨みや、憎しみは存在しないのである。

そこには聖楽とでも謂うべき神聖なる魂の音楽があり、聖楽とでも謂うべき神聖なる悦楽があるのである。

そして実相世界に於けるいとなみは、それは仕事であると

同時に遊戯三昧であって、単なる享楽という様なものではないのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/16 (Sun) 07:39:37




 <自分が三代目教祖だから

新しいものを、頭で考えて作成してしまいそれがまかり通

るんだからおかしい。国も検閲機関がないのだろうか。国もおかしい。>


 千葉のナンチャッテ巫女様のお考え(^^♪。






「日本国紀」より続きです。


 ㉛ 源頼朝は異母弟義経が自分の許可も得ず後白河法皇

から位を得たことに怒り、遂には東北に逃げた義経を殺し

た。が、死後は跡を継いだ息子の頼家は暗殺され、弟の実朝(三代将軍)も頼家の息子の公暁に殺される。

この後、頼朝の妻であった(北条)政子が鎌倉幕府を盤石にする立役者となった。

 北条氏から将軍を出さなかったのは、家格の低い北条氏

から将軍を出せば、有力御家人の反発は必至だからであった。

執権政治が確立されたのは三代目の北条泰時の時代。「御

成敗式目」が出来、貴族社会から武家社会へと大きく変化して行った。






 雅春先生の二十五日目です。


 二十五日のことば  ♤  迷我の否定と如来我の肯定


「常楽我浄」の“我”というのは法華経及び涅槃経を釈尊が

お説きになる時まで「無我」と言って“我”の存在を否定して来られたところの其の“小我”のことではないのである。

涅槃経には「我とは如来蔵是れなり」と示されているのである。

即ち、「常楽我浄」に於いて、肯定されたる“我”とは吾ら
の「内に宿る如来」であり、「神の子」であるのである。

仏教では宇宙の本体を「真如」という。

その本体が人格的姿をもって来生せられたのを「真如来生」即ち「如来」というのである。

キリスト教や神道では宇宙の本体を「神」というのである。

その神が人格的姿をもって来生したのを「神の子」というのである。

だから「如来」も「神の子」も同意義であるのである。

「無我」と言って否定せられたる「我」は「如来の我」で

もなく、「神の子の我」でもなく、脳髄的電子計算機より

生じたる現象的意識の自我であって、それは「心、全相に

達せざるが故に」時々迷いの判断や、迷いの意欲である煩悩を起こすものである。

法華経に於いて「如来の我」の久遠不滅生が肯定されてい

るのは、その如来寿量品に於いて、「我れ常に此処にありて滅せず」と説かれているので明らかである。

                    (つづく)




Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/17 (Mon) 07:31:57




https://www.youtube.com/watch?v=N22DcXKnWNY

いい傾向ですね!(^^)!。








「日本国紀」より。


 ㉜ 「一所懸命」=幕府が全国の御家人に所領を与え、御家人はそれを大切に守って忠誠を誓った。

「いざ鎌倉」=御家人が戦いの訓練をし、幕府の危機の時に馳せ参じる覚悟があった。









 雅春先生の二十六日目です。


 二十六日のことば  ♤  久遠浄土の自覚について


 「常楽我浄」の“浄”と言うのは、釈尊が法華経及び涅槃

経をお説きになる以前は、この娑婆世界は「不浄の世界」であり「穢土」であるから

厭離すべきものであると説かれたのを一転して、「この世

は穢土ではなく、浄土である」とお説きになったのである。

即ち、法華経の如来寿量品の自我偈に於いて、「衆生、劫

尽きて大火に焼かれると見る時にも、わが此の土は安穏に

して天人常に充満せり」と説かれたのは、「大火に焼かれ

て、阿鼻叫喚に満たされている穢土」のほかに、「天人常

に充満せる楽土」が存在することを肯定せられたのであ

り、此の浄土(楽土)が、久遠堅固にしてくだけないが、現

象界は、凡夫が迷いによってその浄土を見ることが出来な

いのだと云うことを釈尊は「わが浄土は毀れざるに、衆は

焼け尽きて憂怖諸々の苦悩充満せりと見る」と仰せられ

て、真実世界のみ、唯一の堅固常楽の浄土であるのに、衆

生はその真実世界を見ることが出来ず、錯覚して苦悩不浄

の世界を見ているのは誠に残念なことであると仰せられているのである。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/18 (Tue) 08:43:01



 「帰りましょう」管理人様の、谷口先生の憲法論、よく読みましょう(^^♪。






「日本国紀」より。


 ㉝ 文永の役=十二世紀の終りに、チンギス・ハーンの

モンゴル民族がユーラシア大陸の殆ど(当時の世界人口の半数以上)を統治した。

後、元帝国の初代皇帝フビライ・ハーン(チンギス・ハーンの孫)は日本に攻めて来た。=元寇。

時の執権は驚くべきことに(後を継いだ)満十六歳の時宗だった。

彼は蒙古の恫喝にひるむことなく、博多に上陸した蒙古・
高麗軍に立ち向かい、わずか二週間で追い払った。

台風が神風となった説は?で、玄界灘の荒天による時化に巻き込まれた可能性が高い。

だが、後の弘安の役(2度目の襲来)では確かに大型台風による「神風」が幕府を助けた。

朝廷は祈祷によって「神風」が吹いたと広めたが、疑問もある。

時宗とは、蒙古から日本を守るために生まれて来た男であった。




 谷口先生の二十七日目です。


 二十七日のことば  ♤  現象の穢土を超えて、実相の浄土を想念せよ


 何のために、釈尊は「久遠不滅の浄土」をお説きになったのであろうか。

吾々は想念によって描くところの状態を未来の世界に創造し出すことが出来るからである。

若し吾々が、苦悩・恐怖のみ充満せる世界を、唯一の存在

の世界として、吾々の想念を固定化してしまうならば、

唯心所現のせかいである現象世界は、その固定想念の具象

化として永遠に苦悩・恐怖の状態が打ちつづいて救いがたきものとなるからである。

吾々が自由人として、現象界に於いても、自己の運命を、

自分の欲する快適なる状態に改めようと欲するならば、現

象の苦悩充満せる穢土から心の眼を一転して、常楽歓喜の

世界に心を振向けて、常楽歓喜の状態を心に観ずる必要があるのである。

吾々自身の状態と、自分の運命の状態とは自分が心に描いた「想念のイメージ」の具象化であるからである。

 不幸である人よ、病める人よ、苦しめる人よ、貧しき人よ、今迄のあなたの想念の習慣を変えよ。

暗い状態を常に心に描いていた心の習慣を改めて、常に明るい状態を、健康の状態を、裕かなる状態を心に描けよ。

そして、その状態が既に、今・此処にあることを”心の世界”に確認して感謝せよ。

日ならずして、その明るい想念が具象化して、あなたの境

遇・環境・運命及び自分自身が改善されて来ることに気付くであろう。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/19 (Wed) 07:19:37




   <「新編 生命の實相」は、着々と発刊されています。32巻まで発刊されて

来ましたよ。・・・>。



 神々の友達。様のお言葉。
 
本当に速いものです、時の経つのは(^^♪。





「日本国紀」より。


 ㉞ 悪党=西日本の各地に徒党を組んで、他人の土地や財産を奪う武士たちの集団が生れた。

朝廷や神社と手を結び、荘園領主や幕府と対立する存在となった。






 雅春先生の二十八日目です。


   二十八日のことば  ♤  心を暗黒の方向に動揺せしめてはならぬ


 柳生流の極意の歌に「心こそ心まどわす心なれ、心に心、心ゆるすな」というのがあるそうである。

心は常に動く、常に動いて欲せざるを事をも想念に描くのである。

その想念の動揺によって始終あなたは、成功から失敗へ、

勝利から敗北へ、裕かさから貧しさへ、堅硬から病弱へと動揺するのである。

若しあなたが、そのように、光明から暗黒へと動揺させる

ことなく、常に一念不動に、光明の想念のみを持ち続けて

ことさえできるならば、過去はどうあろうとも、未来はただ光明の運命のみがあなたを待っているのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/20 (Thu) 08:42:54




   >日本国憲法の国民主権に対立させて、帝国憲法に

おいては天皇主権であったという説明は……数多く見受けられる。(p.72の注23)

この一文は、「帝国憲法(明治憲法)を天皇主権として説

明する憲法学者が多い。だからそれが正しい」と言ってい

るのではありません。「それが誤っている」と言いたいの

です。だから、次に日本の天皇と国民の関係について述べ

て、「日本の天皇制は君民対立の西洋思想と異なる思想性を持っている」と主張しています。・・・>。


 管理人様の憲法論解釈より引用<m(__)m>。







 「日本国紀」より。50万部売れの広告出ましたね!(^^)!。


     ㉟ 鎌倉の文化=武士の文化=「平家物語」

「保元物語」「平治物語」(いずれも作者不詳の軍記も

の)=抒情詩的、「現世の儚さ」を謳っている。

「宇治拾遺物語」は物語性に優れ、同時に深い寓意がある。

 随筆=吉田兼好(卜部兼好(かねよし))「徒然草」=

現代の辛口コラム

    鴨長明「方丈記」=世の無常を綴った傑作。

 彫刻=運慶快慶の「東大寺南大門の金剛力士像」=3世紀後のミケランジェロらに劣らぬ傑作。

  しかも木像で八百年後の現代に存在しているのは、奇

跡的なことである。先人への畏敬の念と感謝を禁じ得ない。

 絵画=「平治物語絵巻」「蒙古襲来絵詞」は歴史的資料として一級品。








 雅春先生の二十九日目です。


 二十九日のことば  ♤  あなたの心の沃土に建設的な明るい想念を描け


 あなたの心の注目を、怒りや悲しみや失望や挫折や、病

気や貧乏や、すべての不幸や暗黒から、一転させよ。

これらすべての不健全な暗黒な消極的なものをあなたの心の世界から葬り去るがよい。

そして、その代わりに、あなたの心の沃土に、調和と愛

と、歓びと、平和と相互扶助による発展や、その他一切の建設的想念を播種するがよい。

想念の種子は肉眼には見えないけれども必ず現実界に発芽

して大きく生長し、やがて美しき花を開き、良き実をゆたかにみのらすにちがいないのである。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/21 (Fri) 08:55:29





 「日本国紀」より。


   ㊱ 鎌倉の仏教=法然と親鸞の「南無阿弥陀仏」の

念仏で、個人も救済されるとなったが、仏教界は朝廷に働
きかけて、法然と親鸞を流罪にした。

「禅」=厳しい修行が武士に受け入れられて、全国に広まった。

 「伊勢神道」も生まれ、日本人の宗教観死生観の多くが

鎌倉時代に形成されたことは、精神史にとっても
 重要な時代であった。







 雅春先生の三十日目です。


 三十日のことば   ♤  神はあなたに自由人としての運命を与えた


 あなたの人生は、あなた自身の人生であって、誰の力によっても変化せしめることは出来ないのである。

ここに”神の子”なる自由人として特権があるのである。

ただ、あなたの想念のみ、あなたの人生を変革する。

それは、あなた自身の人生であるからである。

「運命」と呼ぶ不可知の力が自分を支配するとか、神とい

うものが、各人に特殊の運命を割り当てたのであって、そ

れから吾々は逃げ出すことが出来ないのだ――などと考えてはならないのである。

神があなたに割当てた運命は”神の子”として自由人であるということだ。

そして「想念」という道具をもって、どんな運命でも開拓できる力を与えたということである。

そのほかに、あなたを束縛するような神の意志などというものはないのである。


                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/22 (Sat) 07:34:51



 神々の友達。様のご意見に賛同するしかないでしょう(^^♪。







「日本国紀」より。


 ㊲ 悪党、楠木正成=千早城という小さな山城に籠って鎌倉幕府に対した。戦の天才。

後、後醍醐天皇の命を受けて、湊川(神戸)で足利尊氏に敗れて戦死。

 新田義貞=幕府が千早城を攻めるよう命令したが拒否、

逆に幕府を攻めて、北条高時は自害し鎌倉幕府は滅亡し

た。正成が千早城で挙兵して僅か半年で幕府は百五十年の歴史に幕を下ろした。

新田義貞が幕府を倒すことが出来たのは、正成の千早城攻

めのための大軍が半年近くも釘付けにされ、鎌倉の防備が

手薄になっていたからで、その意味でも鎌倉幕府滅亡の立役者は楠木正成だといえるだろう。

朝廷軍の総大将だった義貞も、正成戦死の二年後に戦死した。






 雅春先生の三十一日目、この項最後です。



  三十一日のことば  ♤  あなたは運命の指揮者である


 自由人とは、自分自身が、運命に先立ってイニシアチ

ウ“をとることが出来る機能を持つことであって、与えら

れた既成の運命をいやいやながら受け身的に甘受するということではないのである。

あなたが立って、先ず、運命に対して号令をかけるなら

ば、運命を構成するあらゆる要素が、その命令に従って動

き出して、あなたが先ずイニシアチウ“をとって命令した通りの運命を造り出すように働いてくれるのである。

劣等感をもつな。

あなたは神の子であり、あなたの命令の通りに万物が従い仕えるのである。

併し、他の人を害したり、他の人の権利を侵害して自分だけ、幸福になるような願いを命令してはならない。

それは実相の秩序に反するが故に、実相世界の無限の力が協力してくれなくなるからである。

                    (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/23 (Sun) 07:48:59




    <この冊子では、「毎日の先祖供養」と「毎月の

命日・祥月命日・お彼岸等の供養」のふたつの式次第をご紹介させていただいております。

前者は基本的に聖経「甘露の法雨」の読誦のみ。

後者は、それに加えて、「顕浄土成仏経」を読誦することをお勧めしています。

「顕浄土成仏経」は、尊師・谷口雅春先生が、ご養母様の

谷口きぬ刀自百ケ日法要の際に奉げられたものであります。・・・>。


 これはやらねばならぬ供養かと思います。

毎日聖経と日曜日の「顕浄土成仏経」は奉じておりますが、「それぞれの命日」にもやらねばと思っております。






「日本国紀」より。


 ㊳ 延元元年・建武三年(一三三六)、尊氏は光明天皇の

もと「建武式目」十七条を定めた。二年後、征夷大将軍に

任ぜられ、室町幕府が誕生した。この六十年後、ようやく室町幕府は全国を制覇した。

 *室町幕府という名称は三代義満が北小路室町に造営した「花の御所」(室町殿)に由来する。

十四世紀後半、征夷大将軍から太政大臣にまでのぼりつめ

た(明との貿易で巨万の富を得た)が、次男の義嗣を天皇に

する心づもり(万世一系には無理があった)が、流行病に罹って(実際は暗殺?)突然の死を遂げた。








今朝は、目につきました、清超先生のコラムから。



理想世界誌 昭和43年11/1号より

            「窓」  谷口清超先生

 〇中学一年生(青山学院中学部)へ行っている私の息子の

貴康君は、今年の夏ラグビー部の合宿に行ったが、帰宅する予定の時間を一時間半ほど遅れて帰って来た。

そして玄関を入るなり、乗っていたバスがトラックと衝突して、おくれたのだというのである。

話を聞くと、合宿は山中湖にある学院の山中寮で行なわ

れ、最後の日の午後、雨の中を大型バス一台とマイクロバス一台と帰途についた。

すると間もなくカーブの所でトラックが激しい勢いでバス

の後半側面に突っ込んできて、ガードレールにぶつかったという。

貴康君はバスに乗り込むとき、ふと後ろへ行こうと思ったが、思い直して中央に腰を下ろした。

するとバスは後部に衝突したので貴康君から後ろの人は怪

我をした人もいたが、彼は頭からガラスの破片をあびただけで、どうもなかったというのである。

壊れたバスは別のバスを呼んで、怪我をした人を病院で手

当てして帰途についたが、幸い奇跡的にけが人が少なく、

怪我した生徒もすこぶる軽症であったということである。

貴康君は『甘露の法雨』をもっていた。

それに少し雨が降っていたので、生徒は誰一人窓から手や

顔を出していなかったのも、ひどい怪我人が出なかった一つの理由になっていたようである。

全くきわどいところで人間の運命は明暗の両様を描き出すものだと思う。


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/24 (Mon) 07:57:31




   <「谷口雅春先生を学ぶ会」では、大祓の「人型」について、こう説明しております。


〈①「大祓人型」は…氏名と年齢を記入します。

②静かなる反省と祈念をこめて身体をなでてください。

③息を三度吹きかけ罪・穢(心身の汚れ)を「大祓人型」に移してからお納めください。…〉


 残念ながら、私は毎年、御縁があって、寒川神社にお願いしております。ご免なさい<m(__)m>。



 「日本国紀」より。


  ㊴ 南北朝時代=京都の天皇(光明天皇)が北朝(持明

院統)、吉野の天皇(後醍醐天皇)が南朝(大覚持統)。

 後醍醐天皇は光明天皇に渡した三種の神器は偽物で、本物を所持している自分が真の天皇だと宣言した。

北朝の持っていた三種の神器は実は本物の可能性が高い。

というのは、正平六年・観応二年(年号が二つあった)尊氏

が南朝と和議を結んだ時(尊氏にとっては降伏に近い条件
で)南朝は北朝から三種の神器を取り戻しているからだ。

結局、北朝の五代の天皇は、歴代天皇に数えられず、北朝

六代目の後小松天皇は南北朝が統一され、百代目の天皇となった。






 今朝からは、再び、雅春先生の御話です。


      輪読のための青年法語
 

    民主主義の中に在っても“神の子人間”の高貴さを失わず
   
                 谷口雅春先生
         
      (理想世界誌 昭和43年11/1号)


   一日のことば  ◇  細心の注意・精密な観察


 大ざっぱな観察は時々大なる過ちを犯すのである。

小さな傷でもできたならばその宝石は殆ど無価値になってしまうのである。

古いバケツの底に出来た小さな孔に気が付かないで、その

バケツに水を豊富に貯めたつもりでいると、イザという時

に全然、水が一滴もなくて、大火災を引き起こす事もある。

底抜けの樽に水を入れる者はないけれども、水漏れが小さ

いために気が付かないで、却って大へんな結果を引き起こすことがある。

細心の注意、精密な観察、それを失なうためにヴェテラン

のバス運転手が衝突を惹き起こして多くの人命を損することもある。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/25 (Tue) 07:19:02




 ..:・^:.:*☆★☆★───────────☆★☆★:゜+::..
 +^・ __| Happy ★ Christmas|__::゜*
 *゜゜\ |                 | /*^:+*
 :+::*/   ̄ ̄ ̄) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄( ̄ ̄ ̄  \+:゜:
 ゜+:  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄*:^:^゜*゜.:+:+:^:.:+^**. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄*:.:^
 。 ゜ 。*  。  。    クリスマスですね!
  ___┌┐*。  ゜  ゜ 
 /\____\ ☆  *   ° *みなさんに 
 ┃┌┐┌┐┏┫ ▲ 。        メリークリスマス♪
 ┃└┘└┘┃┃ ▲▲ * 〇
 ┗━━━━┻┛ □ 。(_)゜


   <ハッピークリスマス/ジョン レノン
     → https://www.youtube.com/watch?v=yCmr3Ya8TiE >



 伝統様の作品でしょうか、お見事です(^^♪。

クリスマスは暖かい季節だったとか、実の誕生日は紀元4

年だったとかの説もあるようですが、とにかくあったかい、楽しいX’masでありたいものです(^^♪。





 「日本国紀」より、続き。


  ㊵ 倭寇=今や「元寇」は使われぬのに、「倭寇」は普通に使われている。

 歴史用語を言い換えたり、使用禁止にするのは間違いだと考える。






 雅春先生の、二日目です。


  二日のことば  ◇  偉大なる人間は“微細”の中に“巨大“を見出す


 宇宙最大のエネルギーである原子力の開発は、極微の小

さいものを精細周到に観察した結果から可能となったのである。

偉大なる人間は、微細なものの中に偉大なるもの、巨大なるものを見出すのである。

原子力の利用や、半導体の中を動く小さな電子の観察が、

今や全世界に産業革命をひきおこしつつあるのである。

物事を大雑把に考える癖を改めなければならない。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/26 (Wed) 07:37:03




 《待ちに待った皇儲(こうちょ…世継ぎ)殿下のご生誕と

同時に聖典『久遠の實在』も十二月廿三日に出生しました。

日本帝国も皇位と共に天壌無窮久遠の実在です。

弥栄々々と寿ぎ奉る。》


 大聖師の御言葉です。


 伝統様、大聖師の御言葉「あなたの自己開発のために」ご転載ありがとうございます。

さぞや、誤字脱字があろうかと思いますが、お恥ずかしい限りです。一所懸命やってるのですが('◇')ゞ。





「日本国紀」より。


  ㊶ 室町の文化=「わび(侘び)・さび(寂び・然び)」

=義政の建立した銀閣(慈照寺・観音堂)→茶道、生け花、

 枯山水(二十世紀のヨーロッパの前衛主義を先取りしたような)、能や狂言、雪舟の水墨画など。

これ等は現代の私たちにも一種の思想として根強く生きている。





 雅春先生の三日目です。


 三日のことば ◇  悪習慣の小さき種子を早期に除去せよ


 鋸の小さな歯の往復が巨樹を伐り倒すのである。

小さな悪習慣を毎日、鋸の歯の往復の如く繰り返している

うちに、あなたの本来偉大なる「神の子」たる人格が伐り

倒されてつまらない凡人となり、フーテンとなり、ヒッピーとなる。

精細なる観察は、外界にある原子や電子や素粒子に振り向

けることも必要であるけれども、尚一層大切なのは自分自

身に精細な観察眼を振り向け、どんなささいな悪習慣の小

さな種子でも見出して、それを早期に除去するようにすることが大切である。

悪習慣の小さな種子は早期に発見して棄ててしまえば、容

易に根絶やしすることが出来るが、それが芽を吹き、人格

の中に深く根を下ろすようになると、なかなか根絶しがたきものとなる。

                    (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/27 (Thu) 07:29:35




<関連Web:『太陽活動低下による地球寒冷化』
        https://mogura-no-mogu.blog.so-net.ne.jp/2017-11-21 >

 伝統様ご投稿より<m(__)m>。





「日本国紀」より。


㊷ 応仁の乱=将軍の後継者争いがもと。義政の弟義視

(僧から還俗させた)と後に生まれた(妻が日野富子)義尚が

夫々後ろ盾にした管領・細川勝元と、有力守護大名・山名

宗全が争うことになるが、おかしなことに後に補佐役が入れ替わった。

 歴史年代の語呂合わせ「一四六七しい(ひとよむなし

い)応仁の乱」は何も決着がつかぬ本質をついている。

きっかけは、息子を将軍にしたいという母の我儘な思い、という人間的な感情からだった。

 それでも、従来の身分制度が崩れ、下克上など、血統に

無援の実力者が現れたり、大和朝廷から脈々と続いていた

社会制度や通念が一気に崩れて、応仁の乱は無意味な戦いであったが、日本史には大きな影響を与えた。








 雅春先生の四日目です。


 四日のことば  ◇  時間を失う者は生命を失なう


 一瞬一秒が積もって一年となり、十年となり、あなたの一生涯となる。

時間の小さな断片でも大切にしなければならないのである。一瞬一秒を失う者は一生涯を失うのである。

中途半端な短い時間で、こんな時間には何も出来ないと

思って、時間を空費するならば、その空しく失った時間を、一生涯(例えば八十年間)に計算して見よ。

あなたは驚くべき時間を空しく棄てていたことに気着くであろう。

時間を失う者は生命を失なう。

時間を棄てる者は自己の生命を棄てつつあるのである。

何故なら地上の人間の”現象生命”はその人の営む”生命時間”で成り立っているからである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/28 (Fri) 07:43:21




  <歴代の天皇さまは、歴史にはその功業が少しも書か

れていない天皇さまもその中にはあるけれども、皇統連綿

として続いているということは、歴代の天皇さまのうち、

その御ひと方が欠けてでも、皇統連綿が前後際断されることになる。

このような天皇さまの御陰徳を私は鑚仰したいと思う。>


 雅春先生の御言葉、身にしみます。





 「日本国紀」より。


  ㊸ 応仁の乱の四十年ほど前、永享元年(一四二九)に

沖縄諸島に琉球国(歴史教科書では琉球王国)が誕生。

 室町幕府からは明から独立した王国と見做されていた。

祖先は十世紀前後に九州南部から移住して来たと考えられている。

沖縄正史「中山世鑑」や「おもろさうし」では十二世紀に

源為朝(頼朝の叔父)が沖縄に逃れて来て、琉球国の始祖である舜天になったとある。

為朝は流されて伊豆大島で自害したことになっているが、正史ではこう書かれている。







 雅春先生の五日目です。


   五日のことば  ◇  毎日使う日常語があなたを性格を変える


 小さなるもののうちに巨大なる結果がひそんでいることを見出し得ないものは、小さなる魂である。

自分の使う毎日の言葉が野卑な語であるならば、その人の性格は、毎日野卑につくられつつあるのである。

自分の使う毎日の言葉が粗暴な語であるならば、その人の性格は、粗暴につくられつつあるのである。

 戦後の青少年の性格や行動が粗暴になって行きつつある

のは、洗練した美しい言葉を使わなくなり、わざと規格に

合わぬような崩れたゾンザイな言語を使う事に生命の解放

感を味わう様な、間違った方向に青少年の教育がみちびかれているからである。

時代が民主主義だからとて自己の魂の高貴さを棄ててはならない。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/29 (Sat) 08:04:43




 源流様、有難うございます。

雅春先生の尊い御言葉ご転載有難うございます。

うれしい限りです。






 ㊹ 日本史ファンには人気の高い戦国時代だが、初めてヨーロッパの文化に接したことにも注目だ。

 「戦国時代」が一般的になるのは明治以降である。








 雅春先生の六日目です。


 六日のことば  ◇  「言論の自由」という糖衣錠


 現行の占領憲法には、日本弱体化のあらゆる要素が秘められているのである。

それは糖衣錠のように表面は舌触りがよく甘い感じがする

けれども、その奥には驚くべき毒薬が調合されているのである。

「言論の自由」、「表現の自由」、などという甘い糖衣に

誤魔化されて、表現するコトバに何の統制もほどこしては

いけないというのは、小さな事の中に、どんな重大な結果

を惹き起こす原因が秘められているかを洞察する力のないバカ者の言う事である。

道路の交通でさえも、赤青の信号によって統制を施す事に

よって、交通事故を未然に極小に防ぐ手段が講ぜられているのである。

言葉の交通に何らの制限を設けなければ、それは国を潰す力ともなるのである。

何故ならコトバは神であり、それが表現する通りの姿を作り上げる力を持つからである。

日本国を侮辱する様な言葉が繰り返し繰り返し使われる

と、小さな鋸の歯の往復が巨樹を伐り倒してしまうように、日本国を滅ぼしてしまうことも出来るのである。

実際、日本を革命するための言葉の鋸の歯が街に氾濫して

いて、一九七〇年には二千六百二十八年続いて来た

「ひのもと」という巨樹を伐り倒そうとたくらんでいるそうだが、伐り倒されてたまるものか。

吾々は真理のコトバの力にて、暗黒のコトバの力を撥ね返さなければならない。

 諸君、われわれと共に起ち上がれ。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/30 (Sun) 07:31:31




<新らしい御代は、尊師・谷口雅春先生の「生長の家」復活の時代!

それを目指して、大いに精進・前進してまいりたいと思っ

ております。・・・>。


 <来年、新しい年号になりますが、

生長の家は どう 変化するでしょうか。

関係者が 正しい信仰に 回帰することを
期待したい と 思います。・・・>・・・。


 破邪顕正様とトキ様の御代代わりのご感慨であります。






 「日本国紀」より。


 ㊺ 室町幕府、二百四十年の歴史に幕=永禄十一年

(一五六八)、織田信長は足利義昭(十五代)を奉じて上洛し

たが後対立し、元亀四年(一五七三)義昭を京から追放した。

織田信長=当時の寺院の兵力は戦国大名と対等か、それ以上だった。

 しかし信長は仏教を恐れず、元亀二年(一五七一)の延暦

寺との戦いでは、寺を焼き尽くし、そうだけでなく女性や子供まで数千人を皆殺しにした。

天正二年(一五七四)の伊勢長島の一向一揆鎮圧の際も、女性や子供を含む一万人を皆殺しにしている。

彼は仏罰というものを信じていなかった。もっとも熱田神

宮を始めとする多数の神社に莫大な寄進をしたほか、伊勢

神宮の式年遷宮を復興させたことを考えれば単に無神論者とは言い難い。

また、戦国大名との戦いに於いては、勝った後、相手の兵隊や住民を殺す事はなかった。

信長は天下統一を目前にして亡くなった。

天下統一を目指すきっかけとなった桶狭間の戦いの直前、

お気に入りの幸若舞『敦盛』の「人間五十年、下天のうち

を比ぶれば、夢幻の如くなり」という一節を舞ったと言わ

れているが、本能寺で亡くなったその時、数え年四十九歳だった。

日本史上に現れた突然変異のような存在だが、戦国時代を収束させるために出現した人物かも知れない。









 雅春先生の七日目です。


 七日のことば  ◇  勇気ある者のみが高貴を語る


 勇気ある者のみが俗流に媚びないのである。

「時代が民主主義なんだから、斯うするのが正しいのだ」

などという語を、時々当然の事であるかの如く聞くことが

あるけれども、そのような語をなす者は、時代という枠の中に嵌められて自由を失っている者である。

そのような人間は、もし軍国主義時代が来るならば、「時

代が軍国主義なんだから反戦主義や平和主義は間違いだ」と言い出すだろう。

真理は「時代」という枠の中には在らず、流行という流れ

の中には在らず、勇気ある者のみが時代を越え、流行を越

え、衆俗の喝采や悪罵を越えて、真理を語り、高貴なるものを語るのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2018/12/31 (Mon) 07:56:38




   <『生命の實相』及び聖経『甘露の法雨』等の著作権

保護期間の延長は、生長の家の大神様すなわち住吉大神様と高級神霊のお導きとご加護によるものと拝察致します。>・・・。









「日本国紀」より続きです。


  ㊻ 羽柴秀吉=山崎(現在の京都と大阪の府堺)で明智光秀を破った=「天王山」の言葉の元。

 天正十四年(一五八六)、正親町(おおぎまち)天皇から

豊臣の姓を賜り、公家(五摂家の養子になり藤原姓を名

乗っていた)として最高職の太政大臣に就く。

 大坂夏の陣で死んだ豊臣家の当主、秀頼は、秀吉が五十

七歳の時に出来た子であるが、長らく子は生まれず、
不妊症の近かったと思われる。

そんな秀吉が茶々(淀)を二度も妊娠させたというのは不自

然である。本当の父親は家臣の大野治長や石田三成

、また無名の陰陽師説もあるが、実際のところは不明である。

ところで、茶々の母、市(信長の妹)と義父柴田勝家を自害に追い込んだのは秀吉である。

茶々が不義の子を産み、豊臣家を継いだなら、それは復讐を果したとも言えなくもない。

 ねね(秀吉の正室=北の政所)はその後、徳川家の厚遇を

受け、徳川二代将軍秀忠の正室お江は茶々の妹で、織田の血が徳川へと継がれた。

宣教師ルイス・フロイスの秀吉評はかなり辛辣だった

「身長が低く、醜悪な容貌で、片手には六本に指があっ

た。眼が飛び出ており、シナ人のように髭が少なかった」。

「自らの権力、領地、財産が順調に増して行くほどに、多くの悪癖と意地悪さを加えて行った」。

「今日句度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺して、二百

名以上の女を宮殿の奥深くに囲っていたが、さらに市民と

役人たちの未婚の娘及び未亡人をすべて連行して来るように命じた」。

キリスト教弾圧の秀吉に個人的恨みがあったことから、少々誇張があるのではとも思われる。

信長がキリスト教を認めたのは、生来の新しもの好きの性格もあったが、一向宗の力を削ぐためと考えられる。










 雅春先生の八日目です。


 八日のことば ◇ 常に高貴を語り、常に高貴であれ


 人間は神の子であるから、常に高貴を語り、常に高貴であらねばならないのである。

人間の中には高貴が宿っているのである。

教育家が、「教師は言うまでもなく労働者である」(日教

組の倫理綱領)と宣言した時、彼らは教育者という「高

貴」なる本質を棄て、労働者にまで墜落したのである。

そしてマルクスという西洋人の命ずるところに従って。赤
旗を揮って街頭を行進する奴隷となったのである。

人間はもっと高貴にならなければならない。

勇敢なる者のみが、高貴から墜落した群衆の中に在って、神の子の高貴さの奪還を語るのである。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/01 (Tue) 08:14:22



   <新編『生命の實相』を繰り返し読んでいるという

愛読者の方から、最近、それを音読するようになって、こ

れまでにも増して、素晴らしい、思ってもいない善き事が

舞い込んできたという嬉しい体験談を聴かせていただきました。・・・>・・・。



 破邪顕正様が五つのお慶びを紹介されております。

誠に、御代代わりの年に向けて、おめでとうございます!。






 「日本国紀」より、暫く、今年もつたない感想を披露させて頂きます(^_-)。



  ㊼ 宣教師ルイス・フロイスの日本人評=「これまで

私たちが発見した中で最高の人々であり、親しみやすく一般に善良で悪意がありません」。

「驚くほど名誉心が強く、他の何よりも名誉を重んじます。恥辱や嘲笑を黙って忍んでいることをしない」。

「窃盗は極めて稀で、盗みの悪を非常に憎んでいます」。
宣教師を一番苦しめたのは禅僧である。

「悪魔は神の恩寵を失った者というが、その悪魔が人より

も大きな自由を持ち、人を欺き、正しい者を滅亡の危機に

導くことが出来るのは何故か?」

「神が愛の神であるならば、なぜ人が罪を犯さぬように作らなかったのか?」

「善をなす人が現世に於いて報いられず、悪をなす人が許
されるのは何故か?」

「キリスト教の神が全知全能であるなら、その愛をなぜこれほど長く日本人に隠していたのか?」等々。

フロイスらは「禅宗は最も厳しい敵である」といい、次の

布教長トルレスも「禅宗の僧侶たちは最も理知的で、盛ん

に論争を挑んだ。それを論破することは容易ではなかった」と書いている。








 雅春先生の九日目です。謹写していて、嬉しくなるような、素晴らしい御言葉ばかりです。



 九日のことば  ◇  多勢の主張必ずしも優秀ならず


 「多勢が主張するからそれは正しい」と考える愚かなる思想が民主主義の中に漂っている。

その愚かなる思想が、水銀中毒の様に人間の精神の中に浸

透して、思想の自由を混迷させているのが現代の日本国なのである。

多数者の主張が正しいと考えるのは事実に反する。

学校でも、平均点数は、最優秀者の点数より低いのである。

多数決で事を決めることは平均点数者の智慧でものを決定することである。

そのような意味での民主主義の世界では最高の頭脳は窒息してしまうほかはないのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/02 (Wed) 08:20:46





 管理人様、《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》の益々のご発展を祈ります。


 仙厓和尚の新年の書画、猪突猛進というより、しっかり考えてるイノシシだそうです。

「それ、出たわ」と読むようです。










「日本国紀」より。


  ㊽ 江戸時代の身分制度=実際は武士と「農工商」を分けただけのもの。「農工商」の間に身分の上下はない。

 「工商」は都市部に住む職人は町人、農村のそれは農民と呼ばれた。

 幕末に軍艦奉行となった旗本の勝義邦(海舟)の祖父母は

町人だったが、御家人株を買って名目上は徳川直参の家臣
となっている。

同じく京都で恐れられた新撰組隊士の多くは、元は町民(副隊長土方歳三は薬売り)や農民(近藤勇)である。

 自由な身分の町人だったが、生活の公的保障は一切なく、現代とは比べものにならない厳しい社会ではあった。













 雅春先生の十日目です。


 十日のことば  ◇  勇気ある者は困難を恐れない


困難を恐れるな。

ただ勇気ある者のみ困難に立ち向かう。

そして困難を征服する。征服の爽快さはその困難のきびしさに正比例する。

困難がきびしければきびしい程、征服のよろこびは増大するのである。

それは峻峰に登頂する歓びに似たものである。

それが高峰であればあるほど、その嶮難を克服し得た時の歓びは大きいのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/03 (Thu) 08:24:38



 最後の一般参賀に15万5千人!

素晴らしい事ですね!








 「日本国紀」より、続き。


 ㊾ 慶安四年(一六五一)、三代将軍家光が死去し、長男

の家綱が十歳で四代目となり、老中や大目付が彼を支え

た。温厚で、絵画や釣りを好み、政策で確認を求めると

「左様せい」と言ったので、「左様せい様」と渾名が付けられた。

この時代に「明暦の大火」で江戸城の本丸他焼失した。

避難しやすい「両国橋」が架けられ、たもとに「火除け

地」を設け、「すぐに壊せる」ことから(?)土俵が造られ、後、相撲の街として栄えた。










 雅春先生の十一日目です。


十一日のことば  ◇  倒れても起ち上がって前進する


 倒れても起ち上がる。

躓いても起ち上がる。

城が砲撃や爆撃によって粉砕されても、物質は粉砕されることがあっても、心を粉砕することは出来ないのだ。

勇気ある者は、城が粉砕されても、その 廃墟瓦礫の中に

起ち上がって、捲土重来の計画を心の中に描きつつ微
笑するのである。

日本は敗戦の廃墟の中から起ちあがったのである。

そして若し倒れなかったならば、知ることの出来ない

色々の体験を閲(けみ)して、戦争した前よりも進歩したのである。

如何なる困難なる経験も、それが無かった時よりも人間は前進する。

人間の文化も前進するし、人間の魂も前進するのである。
特に勇気ある者は一層前進する。

怯懦であってはならないのだ。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/04 (Fri) 08:14:58



 <昔から、〝寄らば大樹の陰〟という言葉だってあるで

はありませんか。それはそれで人情として致し方ないとこ

ろもあると私は思っています。それを十分に了解した上

で、それでも信仰は〝処世術〟ではない、やはり、教え、

真理こそが中心でなければならない、そう思うものであります。・・・>・・・。



 正論でしょう、と思います。






 「日本国紀」より。


  ㊿ 囲碁が日本に伝えられたのは奈良時代と言われているが、戦国時代には多くの大名が愛好した。

 家康は、自分の囲碁の師匠の本因坊算砂に高禄を与えて

家元にした。算砂は信長の師匠で「名人」という称号を与えた。「名人」という言葉の始まりである。







 雅春先生の十二日目です。

 十二日のことば  ◇  “神の子“たる実相を自覚して前進せよ


 毎日毎日が新生なのである。

新生は暦の日附が新しくなることではなく、自分の自覚が新たになることなのである。

私たちの住む世界は“物質の世界”ではなく、“唯心所現の

世界”即ち「心の現わす所の世界」であるから、住む人自

身の”心の悟り”が一変すると、その人の住む世界が一変するのである。

だからあなたはいつでも自分の人生を一変することが出来るのである。

神があなたのうちに居るのである。

単に神が内在すると言うだけでなく、「内在の神」そのも

のが、あなたの”本質”であり、あなたの“実相”であり、「本当のあなた」なのである。

あなたは何を恐れることがあろうか。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/05 (Sat) 08:17:44




   <今回、皇太子殿下、同妃殿下には、明るいオーラのようなものを感じて、それも本当に嬉しいことでした。

必ずや素晴らしい天皇さま、皇后さまにおなりになると

私は確信しました。・・・>。


 破邪顕正様のお言葉です!(^^)!。







 「日本国紀」より。今朝よりはしばらく江戸時代を「感想」いたします<m(__)m>。



   <六代将軍家宣に直参として仕えた関孝和は、和算

と呼ばれる日本式数学の基礎を確立。「エイトケン加速

法」という計算式で円周率を小数点第十六位まで正確に求めた。

「エイトケン加速法」がヨーロッパで再発見されたのは一八七六年ゆえ、二百年も先取りしていたことになる。


                     (つづく)










 雅春先生の十三日目です。


  十三日のことば ◇  自覚を改善する事によって運命を開拓せよ


 ”神の子”であるという「本当の自分」が解ったといって

も、それを頭脳で理解したという程度の解り方では、本当に自分の実力を発揮できないのである。

自分が神の子である云う実相を完全に自覚するのは一生涯の修行である。

「実相の完全さ」は無限の高さにあるのであるから、これだけ頭脳で理解したら充分だという訳ではないのである。

だから、釈尊も、また諸宗諸教の教祖たちも、或いは一生

涯坐禅を続け、或いは絶えず観法を怠らず、或いは不断念

仏して如来と一体の自己たらんことを行じ、或いは日々祈

りによって神の御心と一体となる行持を怠らなかったのである。

 あなたもまた神想観を一生涯の修行として常に怠らず実修すべきであるのである。

そしてあなたが”神の子”の実相を自覚し得た程度に従って、あなたの人生は新たなる発展を見せるのである。

前進は魂の悦びであり、困難を克服する努力の中に勇気ある者は勝利の凱歌を聞くのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/06 (Sun) 08:07:14




 栗原晴子さんの逸話も素晴らしいし、小嶋先生の逸話も鬼気迫っていますね(^_-)-☆。





 「日本国紀」より。


  江戸時代の庶民も知的レベルが高く、数学好きであった。

寛永四年(一六二七)に吉田光由著の「塵劫記」は面積の求

め方やピタゴラスの定理まで書かれた数学の本だが

(関もこの本で勉強)当時のベストセラーかつロングセラーとなった。

庶民の知的好奇心、数学好きの度合いが判る。

算額=庶民が考えた数学の問題を額や絵馬に書いて神社

仏閣に奉納したもの。純粋に知的な愉しみとして取り組ん

だことは、世界を見渡してもこんな庶民がいる国は何処にもない。

                    (つづく)








 雅春先生の十四日目です。


  十四日のことば  ◇  あなたが新生すれば世界が変る


 「また今日も同じことの繰返しか、つまらないな」などと、朝起きたときに思うことを止めよ。

客観的には同じ仕事をしているように見えても、その仕事

をする人の心が新しくなれば、その仕事が、あなたの心に
触れる面が、新しく異なって来るのである。

あなたはその仕事から新しい面を見出し、新しい意義を見

出し、新しい教訓を見出し、新しい興味を見出すことが出来るのである。

あなたは新しい光をもって仕事を見、人生を見、新しい

価値を見、人生に生き甲斐を感ずることが出来るのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/07 (Mon) 07:20:19



 幸い、雪も降ってないようですし、これよりどんど焼きに行ってまいります(^^♪。







 「日本国紀」より。


 荻原重秀=旗本の次男=綱吉に取り立てられて勘定奉行にまでなった。

彼は貨幣改鋳、検知(太閤以来)、地方直し、佐渡金山の再生、東大寺大仏殿の再建など、辣腕を振るった。

二十世紀イギリスの偉大な経済学者、J・M・ケインズよ

り二百年以上も早く現代のマクロ経済政策を先取りした
日本人、重秀の功績はもっと語られてもいい。

彼を嫌ってその政策を逆回しさせたのが新井白石(六代家宣のブレーン)である。


                    (つづく)







 雅春先生の十五日目です。


  十五日のことば  ◇  天国は“汝の内“にある


 暗黒な想念を捨てよ。

暗い感情の虜となるな。

自分の心に太陽の光を射しのぼらせよ。

自分の心が太陽の如く輝き出したならば、あなたの見る人生が太陽に照らされた明るい輝く人生になるのである。

心が明るくなれば、血液の循環は順調となり、肉体が生き

生きとして来、脳髄もハッキリして来るので、観るもの聞

くもの、自分のために讃歌をうたってくれている天使のよ
うに見えて来るのである。

まことに「天国は、此処に見よ、彼処に見よと言うが如くにはいないのである。

天国は汝の内にあるのである」とキリストが言った通りなのである。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/08 (Tue) 08:10:28



  <神想観によって その行じる方向を神の叡智によって導いて頂くのが、

『 神の叡智 流れ入りて、常住坐臥 吾れを導き給う 』 と観ずる神想観である。

実行の意志力を強めるところの神想観は

『 神の力 われに流れ入りて 吾れに実行の勇気を与え給う 』 と観ずるところの神想観である。

『 全てなくてならぬものを与えたまいて有難うございます 』 と繰返し念ずるのが、

感謝の神想観である。・・・>・・・。


 明鏡様のご投稿より<m(__)m>。





 「日本国紀」より。


  寺子屋=「読み書き・算盤」+「国尽」「町村尽」の

地理書、「国史略」「十八史略」の歴史書、

「百人一首」「徒然草」の古典、「四書五経」「六諭衍

義」の儒学書、「庭訓往来」「商売往来」の往来物、
他が教材とされた。

藩校=武士の子弟が学んだ。水戸の弘道館、長州の明倫館、薩摩の造士館など。

 他に蘭学や医学を教える私塾があり、江戸時代の日本は教育水準の高い国だった。

                     (つづく)








 雅春先生の十六日目です。


 十六日のことば  ◇  日本には奴隷制度はなかった


 日本に奴隷制度があったり、どうにもならない階級制度

があったりしたように書く戦後の歴史家があるけれども、

日本には一定の階級制度というものはなかったのであっ

て、どんなに微賤な家柄に生まれても、関白太政大臣にもなれたのである。

この事を奈良女子大名誉教授の岡潔先生は次のように言っている。

「日本に階級というものがあると言っている人は、秀吉を見てもらえば分かると思います。

階級制度というものが西洋の歴史にありますが、日本や支

那の歴史にはないという事、これが実にハッキリした特徴なのです。

西洋ではこの奴隷制度が未だに尾を引いている。

アメリカの資本主義にはそういう色彩が残っています。そのことがいけないと言う。

それがマルクス主義の存在意義ですが、そういう歴史を述べようにも日本や支那には、そういうものがない。

それを無理に曲げて述べているのです。

いったい秀吉に階級というものがあったでしょうか。

あるいは明治の天皇が搾取する人のように見えるでしょうか。

今多く教えられている日本歴史は、西洋の歴史をそのまま、日本にあてはめ真似しているのです。

教育者はそれに対して何もいっていない。

これが日本の現状と思うのです・・・・・」(心情圏」八月号96頁)

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/09 (Wed) 07:52:07




    <武蔵野御陵を参拝した「谷口雅春先生を学ぶ会」のメンバーの取材が掲載されました!>


更に一般参賀時にも3人もの人が取材を受けたとか。
うれしい事です!(^^)!。







 「日本国紀」より。


   スポーツ=概念も競技もなかったが、剣術、槍術、

弓術、馬術の武芸は必修だった。(女子は薙刀)

 柔術=合戦から生まれたもので、後の柔道(明治時代)に発展する。

 日本の柔術家が海外に伝えたものが「ブラジリアン柔

術」や「ヨーロピアン柔術」さらに「ロシアの格闘技
サンボはボクシング+柔術で生まれた。

韓国のテコンドーも松濤館流空手を真似て作った格闘技である。

                    (つづく)











 雅春先生の十七日目です。


 十七日のことば  ◇  艱難を通して人間は光を増す


 日本には奴隷制度はなかった。現在でも奴隷制度はない。

いつでも社会の下層に生まれた人が、社会国家の高き位置に昇る機会が与えられているのである。

財界のトップに立っている人の大部分は大学を卒業しない

で、その中には小学教育しか受けなかった人々が随分ある

と統計が先日ある雑誌に載っていて、「学歴無用論」が唱

えられていたが、名もない土民の子に生れた秀吉が天下を

とったと同じような機会が、今でも常に日本の国にはあるのである。

寧ろ少年時代に社会の下積みになって色々の苦労を嘗めて

来るのが、その人の人格の鍛錬になり、世俗の情に通ずる

ことにもなり、だんだん社会の上層に自分が上がって来た

時に、下にある人たちの人情を知り、苦労を知り、一体感

をもって下々の人達が心服してくれ、同志として親身になって協力してくれることにもなるのである。

「若い時の苦労は買ってでも為よ」という様な諺が日本に

生まれたのも、日本の社会事情のしからめるところなのだと思われる。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/10 (Thu) 08:48:36



 アクエリアン様の台湾ご投稿、参考になります。






 「日本国紀」より。


 赤穂事件=浅野内匠頭は単に精神錯乱であったと思う。

上野介についても松之大廊下の三年前、津和野藩主に陰湿

ないじめをした話が残っているが、おそらく後世の創作である。
                        
                    (つづく)










 雅春先生の十八日目です。


 十八日のことば  ◇  現代人の苦悩について


 早稲田大学の国際学部長の名取順一氏はこう言っている。

「調和された人間の能力が創造開発を可能にする。

過去より現在へ、そして現在より未来へ、はたして人間は
どれだけ進歩をして来たのか?

たしかに、物質的に、機械的に人間は進歩したと言える。

だのに、人間の心は? にくんで、そねんで、うらんで、

ぬすんで、うそをいって、ごまかして、火をつけて、たたいて、殺している生物が人間である。

りっぱな家に住み、きれいな衣服を身につけ、おいしい食物を口にしてさわいでいる化け物が、文明の現代人が。

人々を殺し合い、人類の絶滅さえはかるかもしれない。

月の世界まで大きく伸びようとする人間が、小さい家庭内でけんかをしているのである。

この悲劇を、“天に坐する者が笑うであろう”とは至言である・・・・・」

 こんな状態に人間が堕落しているのは、人間が“知恵の

樹の実”(唯物論の知識)を食して知識のみ発達して実相智

が隠蔽され、エデンの楽園から追放された状態であるからである。

 これを私が書いている時(八月十八日)、観光バス二台が

豪雨下の土砂崩れで、一瞬のうちに飛騨川に転落して百〇四名が犠牲になっているのである。

物質文化は進歩して、経済的に繁栄して月給が上がり、レ

ジャーは増えて、大自然を軽蔑し、人間は大自然に復讐されたような恰好でこのような災害を受けているのである。

もし月給が上がらず、レジャーを楽しむような時間も金も

ないならばこの人達はこのような災害に遭わなかったにちがいない。

どこかが間違っているのである。

それは実相を忘れているからである。

物質が豊富になり、レジャーが多くなったら人間は幸福に

なるという唯物論一辺倒の考え方の報いがこの結果なのである。

本当の人間の幸福は、人間が“神の子“である実相を自覚し

神意に基づく生活を営むことによってのみ得られるのである。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/11 (Fri) 08:35:56



  <おそらく今年は天皇の御即位の儀もあり、年号も変わり、

我が国が天皇のシラス国であるという日本人として必要不

可欠の知恵が、まさに糸が糸巻きに猛烈な勢いで巻き付く

ように、日本中に広がり、日本人の常識となり、またそれが日本に関する世界の常識となっていく。

そういう年になるものと思います。・・・>・・・。


 ねずさんの独り言で終わらせたくないものです(^^♪。









 「日本国紀」より。


 豪商出現=大阪の淀屋は典型で、大名に貸しつけていた金は、現在の資産価値にして百兆円とも言われる。

 後、財産没収などあったが、幕末には討幕運動に、殆どの財産を朝廷に献上して、店を閉じた。

嵐の中を紀州から江戸までみかんを運んで大儲けをした

紀伊国屋文左衛門は晩年事業に失敗し、乞食同然の暮しだったという。(異説あり)











 雅春先生の十九日目です。


 十九日のことば  ◇  人間の実体は“神の子“である


 名取順一教授は続いて言う。

「人間の三大欲求は食欲、性欲、安全だと言われている。

人が安全であることは幸福であり、そこに、文明、文化の
花が咲く。

ところが、最近の社会は不安全で、不幸である。

ではどうしたらこの世を安全な場所にすることが出来るか。

第一に検討されなければならないのは人間の実体である。・・・・・。


私は爰まで読んで来て、名取順一教授も生長の家と同じく

「人間の実体」は“神の子“であり。それを自覚しなければ

本当の幸福も安全も得ることは出来ないのであるとお説きになるのかと思うと、名取教授はその次にこう説かれる。

「人間は自然と融合し、環境とバランスをとって幸福の世

界をつくらねばならない。国家を論ずる人も“主権在民“を

知ることは、国より人に、民に重点があるという事をみとめて貰いたい。

個人と国家と人類は一つであるというのが正しい原理である。人間は国家の道具ではない。」

これを読んで私は失望したのである。

だいたい「人間の本質」の中に主権在民というような”細胞主権主義“のようなものはないからである。

もし体の細胞が各々主権をもって勝手気儘なことを主張し

出したら、その人体は癌症状に罹っているのと同じであって、その人間は死んでしまうほかはないからである。

                     (つづく)




Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/12 (Sat) 08:13:15

  


 除籍謄本、とってみたくなりました(^^♪。






 「日本国紀」より。


 三井初代の高利がつくった呉服屋「越後屋」は両替商と

して発展したが、後進駐軍に解体され二百七十年の歴史に

幕が下ろされた。江戸英雄元三井不動産社長は「その取り

扱いの無慈悲で過酷なことは戦犯以上のものであった」と書き残している。

平成四年(一九九二)当主(第十一代)が亡くなって、遺族は相続税が払えず西麻生の土地で物納した。

                     (つづく)










 雅春先生の二十日目です。


 二十日のことば  ◇  国家を喪失した日本国の現状


 「主権在民」の思想は“全体”は“部分”の構成によって成

り立っているという「物体の唯物論観察」を国家に当て嵌めて考え出されたものである。

成るほど「全体」は「部分」の集合体ではあるけれども、

その全体が生きた有機体又は健康なる生体として存在し得

るためには、「部分」が主権を持つと称して勝手気儘な主

張をして全体の統一を攪乱するような事をしては、国家はその存在が危くなるのは当然の事である。

この事は「無門関解釈」の本の中で私が“渓仲造車”の公

案を解釈したところに詳しく説明しておいたから読んで頂きたい。

”車”を解体して部分品としてしまった渓仲という人間

が、”車は何処にあるか”と探しまわったけれども、“車”はみつからなかったという話である。

国家を国民という構成要素にわけて、国民主権を高唱した
時、いくら国家を探しまわっても国家はない訳だ。

従って国民主権の下に於いては国家がないのだから愛国心など起こりようがない訳だ。

ただ国民の都合のよいための組合組織があるだけである。

そして国民の「都合のよさ」は各人に従って差等があるか

ら常に国内が、ある数の利益団体に分れて、その利益団体

が、自己の利益を主張するために国内で相争うことになる・・・・・それが日本国の現状なのである。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/13 (Sun) 07:39:12




  岐阜の、理念継承信徒様の、大熊先生のお言葉は凄いです(^_-)-☆。

ビンビン来ます。










 「日本国紀」より。


  治安の良さ=強盗や山賊はほとんどおらず、京都から

江戸まで女性が一人旅できた。同時代のヨーロッパでは考えられない事である。

                    (つづく)








 雅春先生の二十一日目です。


 二十一日のことば  ◇  車にたとえて生命体としての国家を解く


 人間は“神の子”として、霊的実在であり、従って神に属するのである。

日本国は天照大御神の創作せられたる「豊芦原の瑞穂国は

世々わが子孫の王(きみ)たるべき地(くに)なり」とい

う理念の実現として、神の設計が天降って実現した国家なのである。

それ故に日本国は“神の国”であって、霊的実在である。

肉眼に見える姿は、それがまだ不完全に現象化した姿である。

“車”というものの設計が必ず、中心部に中軸があって、そ

の中軸を中心として周囲の一切の部品が回転しているのと

同じように、天皇の大御心を中心に、周囲の一切の生命が

渾然調和して一個の生命体をなしているのが日本国本来の姿である。

“車“の部分品が各々勝手に「自分に主権がある」と称して回転し出したら”車”と言うものは成り立たないのである。

”車”にたとえて“国家”のあるべき本当の姿をよくよく考えてみるべきである。

                    (つづく)








Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/14 (Mon) 08:35:00



 成人の日でも(^_-)日の丸掲げました。

北海道も好天続きです(^^♪。小氷期は来るんですか(^_-)。

冷えてはいますけど…。









 「日本国紀」より。


 犬のお伊勢参り=自力でお参りできない飼い主(人)に

代わって、犬が首にお布施を下げてお参りする「犬のお遣い」なのである。

この話から、当時の日本人の物心両面の豊かさは勿論のこ

と、現代にも通じる巡礼者や動物への接し方を見ることが出来る。

                     (つづく)








 雅春先生の二十二日目です。


 二十二日のことば   ◇  このように神の子らしく生活せよ


 諸君はこれから常に美しきもの、清きもの明るきもの、

善きもの調和せるもの、愛にかなうもの・・・等を求め生

活をして、これに反するものから遠ざかる生活をしなければならない。

それがあなたが神に近づく途であり、あなたの生命に内在する”神”を実現する道であるわけである。

若しあなたの前に、以上のべたような美徳に反するものが

あらわれて来たならば、そのような悪い姿や醜い姿に心を

引っ掛からせることなく、相手のうちに潜在する完全なる

実相に心を集中して、それを拝み出すようにしなければならないのである。

もしあなたの周囲にある人々が、誰かの悪い噂をして嘲笑

しているようなことがあれば、そのような嘲笑に巻き込まれて一緒になって悪口を言ってはならないのである。

すべての人々の“善”なる実相を見て、それがあらわれて来るように祈ってあげるべきものである。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/15 (Tue) 08:21:38




  <満員電車の中で片手で持って、表紙をかるく折り曲げ

て読んでも、アラ不思議。あとで元の形にもどってくれる。>・・・。


 「新編生命の実相」にこのような利点があったとは…(^^♪。






 「日本国紀」より。


 水道橋=神田上水の水門から、川の対岸に水を送るための懸樋の名残である。

 大名屋敷やおお店では、専用の予備井戸へ水が送られた

が、庶民の長屋へは木樋からさらに細い竹樋で、共同の上水井戸に貯水された。

当時の江戸にはこのような「神業」を成す優れた技術者が
何人もいたのだ。

下水道も同じ、高低差を利用して作られた。三百年も前に

これほどのインフラ整備が行なわれていたことにはただただ驚嘆するしかない。

                    (つづく)













 雅春先生の二十三日目です。


 二十三日のことば  ◇  因果応報昧(くら)まさず


 私たちは自分が心に描いたものを相手に於いて見出すのである。

それはテレビに於いて恰も自分がチャンネルを切替え、波長を合わした番組を自分が見るようなものである。

すべて「自分が」の問題である。

他に対して辛くあたる人は、自分がまた他から辛く処遇せ

られるのである。愛深く人を遇する人は自分も亦、愛深く遇せられるのである。

他から奪う者は、また他から奪われる。

それは一時的に利益を得たように見えても結局はもとの木阿弥である。

此の世界は、“平衡の法則”が行なわれているのである。
原因と結果とは平衡しているのである。

人を不幸にする原因をつくりながら、その結果、自分が幸福になり得るなどということはあり得ないのである。

結果が直ぐあらわれないからとて、原因に結果がないこともあり得るなどとズルイ事を考えてはならないのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/16 (Wed) 07:59:21



< ◇明るい心象のみ描きましょう


 光明思念によって病気を癒しまたは逆境を順境になおす
方法は、

現象は病気であっても「汝は神の子であって病気はない。逆境はない」

と強く想像して、心に「健康にして幸福」なる状態の心象

を描くことによって成り立っているのである。

 即ちすでに病気であっても、「健康」の想念をある時間

持続することによって健康になるのであるから、その逆もあり得るのである。

 すでに健康であっても「病気になりはしないか」「病

気」を心に描くことによって病気があらわれてくるのである。

 諸賢に告ぐ、、今このときから、ただ、明るい心象のみ、
「健康」の想念のみを描きましょう。>


 昭和48年やまと新聞の、雅春先生の一日一語、眼をショボショボさせて謹写していたことを懐かしく思い出しております(^^♪。






 「日本国紀」より。


 食文化=京都や大阪では行楽の際は弁当持参が風習だっ

たが、江戸では庶民も侍も手ぶらで出かけ、外食するのが

普通だった。文化年間(一八〇〇年代初頭)には料理屋が七千を超えていた。

パリやロンドンを断然圧倒し、世界一であった。

現代のミシュランガイドを二百年も先取りした料理店ガイドさえあった。

                   (つづく)











 雅春先生の二十四日目です。


  二十四日のことば  ◇  すべての人の実相を礼拝すること


 人を見るに、すべての人を善人として見よ。

而して相手の実相の高貴さを礼拝せよ。

相手を善人と見て、自分がその人に騙されても、相手の人

を”神の子”と見ないで”悪人”と見た罪よりも軽いのであ
る。

彼が自分が期待した通りに善人の姿をあらわさなかったと

しても、それは彼に宿る“神の子”なる実相を拝む自分の力が足りないのである。

現象の悪しき顕われに目をつぶって、彼の実相なる“神の子”を祝福せよ。

礼拝せよ、その礼拝が徹底したならば、彼に宿るあらゆる

善き特性が現象化して現実にも立派な姿があらわれるであろう。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - 道産子

2019/01/17 (Thu) 07:41:17



 歌会始、私も挑戦しましたが、ダメでした(^_-)。


 雅子さま「大君と母宮の愛でし御園生(みそのふ)の 

白樺冴ゆる朝の光に」

素晴らしい御歌なのに、御欠席は何故でしょう。









 「日本国紀」より。


「火事と喧嘩は江戸の華」=火事=約三千回はあったと思われる。

地震=元禄、安政江戸地震など。

しかしながら世界にも類を見ない驚異的なスピードで復興した。

太古から多くの災害に見舞われて来た。→大地震、大津波と、夏から秋にかけての大型台風が襲った。

北陸東北では豪雪被害も大きかった。

今とは比較にならないダメージ(家屋や田畑や財産を失

い、大事な家族も失った)にも拘らず、私たちの祖先は決して挫けなかった。

日本人の持つ独特の「忍耐強さ」「互いに助け合う心」

「過去を振り返らない強さ」「諦めの良さ」などの精神は

繰り返しやって来る災害に立ち向かって来たことで培われ

たのかも知れない。私たちの性格は日本という風土が生んだものといえるのだろう。

約七十年後、大東亜戦争で全国各地が焦土と化す。この時

にも先人は世界が目を見張る奇跡の復興を遂げるのだが、

その原動力も、長年にわたる災害との格闘という民族の歴史が育んだのかもしれない。

                    (つづく)










 雅春先生の二十五日目です。


  二十五日のことば  ◇ 悟りの心境について


 肉眼に見える人間は、時間・空間の枠の上に投影されたる想念の影である。

しかも想念が実相そのままの想念ではなく、鈍重な物質的

脳髄は一種の電子計算機みたいな組織をしていて、各方面

から印象して来た迷いの観念も一緒にその記憶装置の中に貯えられている。

そして、実相の観念と、各方面からの迷いの観念とを綜合して結論を出すから時に間違った結論を出すのである。

ただ無我になって坐る時、実相そのままの想念が出て来る。

それが“悟り”と称するものである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。23 - dxxkpizlreMail URL

2020/08/29 (Sat) 22:01:19

伝統板・第二
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