伝統板・第二

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心の法則 ③ - 夕刻版

2018/11/06 (Tue) 19:43:47

《類をもって集まる》

        *『生活の智慧365章』
           (第1部生命の泉)第3篇( P64) より

”暗い考え”があなたの心に忍び込んで来たときには、それは大勢の仲間を
連れた盗賊の最初の一人が忍び込んで来たようなものであるから、その最初の
”暗い考え”をできるだけ速やかに自分の心から駆逐しなければならない。

そうでないと、次々と、その盗賊の仲間が大勢あなたの心の中に侵入して来て、
あなたにとって一番大切な財産である「明るい心」を奪い去ってしまう
おそれがあるのである。

何よりも、あなたにとって一番大切な財産は「明るい心」なのである。

何故なら、この世界には「類を以って集まる」と云う法則があって、
あなたが「明るい心」をもっている限り、明るい事物が集まって来、
幸福や健康や繁栄がわがものとなるからである。

これに反して、あなたの心に「暗い考え」が忍び込んで来、それが主動戦力となって
来るならば、「類を以って集まる」という心の法則により、暗黒な事物、
病気、不幸、災難、貧乏などが集まって来ることになるのである。


<関連Web>

(1)伝統板・第二「心の法則①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866994

(2)伝統板・第二「心の法則②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7203745

            <感謝合掌 平成30年11月6日 頓首再拝>

【好意の返報性】 - 伝統

2018/11/07 (Wed) 17:56:25


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年08月29日)より

   (精神科医・作家、樺沢紫苑氏の心に響く言葉より…)

   以前、私はある病院で認知症専門外来をやっていました。

   この外来は、通称「もの忘れ外来」と呼ばれているところで
   「最近、もの忘れが進んできたのですが」という方が来られるほか、
   認知症患者の介護をしている家族も相談に訪れます。

   介護に抵抗したり、興奮したりする認知症の患者さんの介護は、
   想像を絶するほど苦しいものです。

   その介護が今後何年続くかわからないという不安もあります。


   認知症のお舅さんを介護しているお嫁さんから、相談を受けました。

   いくら介護をしても、悪口や嫌味、悪態ばかり。

   黙って介護されていればなんとか頑張れるものの、精神的にも限界だと。


   そこで私は彼女に「そんなあなたの、介護したくなりという気持ちが、
   お舅さんに伝わっているのではないでしょうか?」と質問しました。

   彼女は無言になってしまいました。


   介護でも「返報性の法則」は存在します。

   イヤイヤ介護していると、それは介護される側にすべて筒抜けになります。

   結果として、それが介護への抵抗、悪口や悪態、興奮や暴力など、
   「悪意の返報性」としてかえってくるのです。

   介護する人が心から明るい気持ちで介護していると、
   介護される側も明るい気持ちになって、
   気持ちよく介護を受けてくれるのです。


   そこで、彼女にアドバイスしました。

   1週間だけでいいので、「お舅さんと初めて会った」と思い込んで
   心の中を空っぽにしてください。

   そして、心を込めて、献身的に、笑顔で介護してください。


   彼女は最初「そんなことはできません!」と否定的な態度を示していましたが、
   「1週間で、必ず相手の態度は変わります」と私が断言したのを聞いて、
   「それなら、なんとかやってみます」と言いました。

   1ヵ月後に彼女が来院しました。

   陰鬱な表情はどこにもなく、笑顔で言いました。

   「おじいちゃんが変わりました! 」

   数年の介護の結果、悪口や悪態が日常的となり泥沼となった嫁舅関係。

   それが、「好意」を持って1週間接しただけで、
   お舅さんの態度は柔らかになり、悪口や悪態もなくなり、
   最期には「ありがとう」と感謝の言葉まで口にしたのだそうです。


   「好意の返報性」は、非常に普遍的な心理法則ですから、
   認知症になって理解力の低下した方にも、すべての人に効果があるのです。

   重要なのは、最初に「悪意」を引き下げて、
   「好意」を差し出すのは、自分でなければいけないということです。

   言うのは簡単ですが、これはとても難しい。

   なぜならば、既に泥沼の関係になっているということは、
   「悪意」と「悪意」のキャッチボールをしている
   「悪意の返報性」にすっぽりとはまった状態です。

   その状態で、いきなり「好意」を投げるのは、
   相当の勇気と思い切りが必要となります。


   しかし、このように「悪意」を「好意」に変えることによって、
   人間関係をリセットすることは可能です。

   私の経験では、このアドバイスを受けて、
   きちんと実行した方は、すべて成功しています。

   あなたも、泥沼の人間関係を「好意の返報性」によって覆すことが可能なのです。

       <『「苦しい」が「楽しい」に変わる本』あさ出版>

           ・・・

本書の中にこんな文章があった。

『映画評論家の淀川長治さんはたくさんの人に映画のおもしろさを伝えた方です。

淀川さんはよく、「私は嫌いな人に会ったことがない」とおっしゃっていました。

私が大学生の頃、この言葉を初めて聞きましたが、
「そんなことはないだろう。嫌いな人もいるはず」と思いました。

しかし、私も精神科医になり、人間関係についていろいろと勉強してからは、
淀川さんの気持ちが少しわかるようになってきました。

人を嫌いになっても何のメリットもないと気づいたのです。

淀川さんは、出会うすべての人、おつきあいしているすべての人に、
自分から先に「好意」のボールを投げていました。

人間は「好意」のボールを投げてくれる人には、
「好意」のボールを投げ返してしまいます。

あるいは、最初は「悪意」が返ってきても、
「好意」のボールを投げ続ければ、
そのうち必ず「好意」のボールが返ってきます。

淀川さんは、その法則を自らの体験から知っていたのでしょう。

ですからいつも笑顔で、朗(ほが)らかに人と接していらした。

常に「好意」のエネルギーを周囲に発散しているから、
嫌いな人に出会うことはない、というわけです』


そして、樺沢氏は「人間」は変えられないが、
「人間関係」は変えられる、という。

返報性の原理とは、「悪態をつけば、悪態をつかれる」、
「優しくすれば、優しくされる」、
「大事にすれば、大事にされる」ということ。

これは人間関係だけでなくすべてのことに言えることで、
お金を大事にすれば、お金に大事にされるし、
健康を大事にすれば、健康に恵まれるということでもある。


好意の返報性によって、人間関係をよくしたい。

         <感謝合掌 平成30年11月7日 頓首再拝>

与えれば与えられるのが心の法則である - 伝統

2019/01/13 (Sun) 19:43:20


        *「光明法語」(1月13日《先ず自(みず)から与えよ》)

与えれば与えられるのが心の法則である。
それは原因結果の法則である。

朝の神想観に、自分は神の輝く光の流入口であり、その流入した光をもって
自分は出来るだけ多勢の人を照らすのだと念ぜよ。

人に対して先ず輝く微笑(ほほえみ)を与えよ。
光り輝く挨拶を行え。
「おめでとうございます」と言え。

先ず主人からでも好(よ)い、「お早うございます」と言え。
家族全部を祝福する言葉を語れ。

路傍一輪の野の花を手折(たお)って主人のテーブルを飾れ。
清楚と平和と調和と祝福の気をもって自分の家庭を飾るのだ。

そこから幸福が流入して来るだろう。

         <感謝合掌 平成31年1月13日 頓首再拝>

《与えることによってのみ受けられる》 - 伝統

2019/02/02 (Sat) 18:50:44


           *「光明法語」(2月2日)より

太陽の温かさを受けようと思えば先ず一歩日向(ひなた)に向って「歩み出し」を
与えることが必要である。日向にむかって「歩み出し」を与えないでいて
太陽の温かさをうけることは出来ない。

写真を写すには先ずカメラに代金を払わなければならぬ。
マメラを借りて来ても好(よ)いが、やはり吾らは、
焦点距離を合わしてスイッチを捻る動作を与えなければならないのである。

音楽をきこうと思えば音楽会に金を払うか、レコードに金を払うか、
蓄音機を廻すかラジオの波長を合わすか、
いずれにせよ金又は「動作」を与えなければならぬ。

         <感謝合掌 平成31年2月2日 頓首再拝>

形の世界に現れるのは時間を通して現れる - 伝統

2019/02/03 (Sun) 19:47:15


           *「光明法語」(2月3日《気が短いのでは可(い)かぬ》)より

「与えれば与えられる」と云う法則は
直ぐ覿面(てきめん)にあらわれて来るものもあるが、
必ずしも直ぐ結果が現れないこともある。

電燈はスイッチを捻ればすぐつくが、
水力電気や火力電気の設備を構築するのは一夜に出来た事ではない。

電燈がスイッチ一つでつくようになったのは、それらの発電設備や配電設備が、
多くの与えられた労力の蓄積として「天の倉」に蓄えられているからである。

麦は一夜にしては実らない。卵も一夜にしては孵化しない。
すべての形の世界に現れるのは時間を通して現れる。
気が短いようなことでは可(い)かぬ。

         <感謝合掌 平成31年2月3日 頓首再拝>

《富の種蒔き》 - 伝統

2019/02/04 (Mon) 19:09:28


      *『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇(P42~43) より

貧しい人も、その人が實相に於て貧しいのではないのである。
彼は實相に於て富める「富」を現象界に表現する方法を知らないだけの事である。
彼は多分「与えよ、さらば与えられん」の心の法則を知らないのである。

人に与えることをせず、爪に火をともすようにして蓄積しさえすれば富むのだと
《めのこ》算用的な考えをもっていて、人を救うために献資をして出すことが、
富の「種」蒔きになるのだということを知らないのである。

「種」を金庫に入れて蓄積すれば、蓄積するだけは殖えるけれども、
「種」は蒔かない限り、百倍千倍万倍に子を産んで増殖することは
あり得ないのである。

だから釈尊は「飢饉の時ほど托鉢せよ」と仰せられたのである。

飢饉の時には作物はとれず、百姓自身も貧しくなっているのに、それにも拘らず
報謝米の施しを求めて歩くのが”托鉢”である。

何故そんなことをするかといえば、飢饉のために貧しくなっているのは、
「与えれば与えられる」という法則を彼が知らないで、
謂わば「種」を天地に与えて「種蒔き」をして置かなかった結果であるから、
彼に「施しの心」を起さしめて富の「種蒔き」を為さしめるために、

釈尊は、「飢饉の時ほど農家へ往って施し(富の種蒔き)を求めよ」
と仰せられた訳である。

         <感謝合掌 平成31年2月4日 頓首再拝>

《薔薇園の花とトゲ》 - 伝統

2019/02/06 (Wed) 19:13:45


      *『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P64~65) より

人間には色々の欠点もあれば、美点もあるのである。
それは薔薇園のバラの花を見物するようなものである。

美しい花ばかりに眼をとめて、「これは美しい」「これも素晴らしい」と、
よい処だけに眼をつけてそれおを鑑賞するならば、まころに人間は、
薔薇園のバラの花のように、美しい人間ばかりである。

しかし折角薔薇園に往っても、薔薇のトゲや、たまたま葉の裏側にいる青虫や
毛虫やアブラムシを見つけて、それに心を捉えられている限り、その人は、
バラの花の美しさを娯(たの)しむことはできないで、
不快なものばかりに心を汚(けが)さなければならないのである。


それと同じように、人生に於いても人間の欠点ばかりに眼をつけて、
それに心を捉えられている人は人生の楽しさも、人間の心の美しさも
感ずることができないのである。

人生に於いて尤も幸福な人は、薔薇園でバラの花ばかりを鑑賞し得る人のように、
人々の美点と善意とのみを発見し、それに感謝し得るひとである。

そのとき、「類は類を呼ぶ」法則により、その人には、幸福と繁栄と善意とのみが
集まって来るようになるのである。

         <感謝合掌 平成31年2月6日 頓首再拝>

「善き事」のみを想え、”想う”ことは”造る”ことになる - 伝統

2019/02/08 (Fri) 20:17:52


      *『栄える生活365章』(P40~41 ただ善一元の世界を観よ)より

あなたは今後ただ「善き事」のみを心に想って
「悪しき事」を決して心に想わないのである。
何故(なぜ)なら”想う”ことは”造る”ことになることを知ったからである。

あなたは唯明るき事のみを考え、暗いことを考えないのである。
何故なら、あなたは”考える”ことは”作る”になるということを
知ったからである。

若しあなたが未来の不幸や不健康を想像し、それを始終心に想って恐怖するならば、
所謂(いわゆ)るストレスという心の”不均衡な緊張”が起って来て、
そのために肩は凝り、心臓は引きちぢまる思いをし、胃腸の働きは停滞し、
血行は不調和となり、体内のホルモンの平衡はやぶれて、
ついに病気をひき起すことになるのである。

だから、あなたは決して未来の不幸や不健康を想わないのである。
そして常に幸福と繁栄とのみを想うのである。
あなたは既に今幸福である。

         <感謝合掌 平成31年2月8日 頓首再拝>

《心でみとめようとしても現実にそれが実現せぬのは》 - 伝統

2019/02/10 (Sun) 19:25:56


      *『人生の秘訣365章』第12篇(P301) より

心でみとめるものが顕れるというのは、
現象顕現の法則のうちの一つであるけれども、
どんなに幸福を心に描いて認めようと思っても
それが顕現しない場合がある。

たしかにこの時間にはNHKのテレビの第一放送がある。
それは「幸福」という番組であって、その放送番組を見ることが出来れば
幸福を味うことができるのだと思って、テレビにスイッチを入れてみたが、
一向にその「幸福」番組が出て来ないならば、それは何故であろうか。

放送は《ある》し、テレビも《あり》、スイッチも入っている。
そしてそれを視聴したい意欲もある。

 ―― しかしその番組が現実にあらわれて来ないのは
波長をNHKのチャンネルに合わせていないからである。

既にそこに放送番組が来ているのに
それに波長が合わなければ見ることはできない。

それと同じく、神の恵みと賜物とは、既に与えられているけれども、
それは霊的存在であるから、心の波長を合わした者だけに、
その賜物が視聴し得る形にあらわれて来るのである。

神想観や祈りを続けていると、自然と、自分の心が平和になり、
神に振向き、神の放送する幸福番組に波長が合うことになり、
霊的幸福が物質的形に化して面前にあらわれることになるのである。

         <感謝合掌 平成31年2月10日 頓首再拝>

不平の念を起さず、発展を想望せよ - 伝統

2019/02/12 (Tue) 18:11:13


       *『人生の秘訣365章』第1篇(P26) より

《現在の時点は将来の発展への跳躍台 》

前途に希望を描け。

将来に光を見よ。

現在の状態が如何に悪しく見えようとも、
それは既に過ぎ去りつつあり、そして未来は展けつつあるのである。

そして現在の時点に於ける一切は、
未来の飛躍のための足場となり、跳躍台となっているのである。

だから現在の時点に於ける一切のものに
不平を想うことなく、呟くことなく、それを祝福し感謝せよ。

不平に思う時間があるならば、その同じ時間を、
希望を描き発展を想望するために使うがよいのである。

心に描いたものがあらわれるのである。

暗黒を心に描いて、その不快な姿に不平の念を起している限りは、
心に描かれたものが具象化するという法則にしたがって、
やはり暗黒なものがあなたの生活に伴って来ることになるのである。

         <感謝合掌 平成31年2月12日 頓首再拝>

「創化の法則」 - 伝統

2019/02/14 (Thu) 20:28:38


       *『人生の秘訣365章』第1篇(P26~27) より

《繁栄の想念を持続によって強化せよ 》

心に繁栄を描け。
繁栄は神の子の特権であると思え。

毎日神想観をして繁栄の具体的光景を心に描くがよい。
商売している人ならば千客万来の具体的光景を心に描け。

単に心に描くだけではなく、その群り来(きた)れる顧客に対して
心の中(うち)で「ありがとうございます」と唱えて、実際に感謝の情を披瀝せよ。
同時に、その繁栄を興え給うた神に感謝するがよい。

イエスは
「汝ら祈りて何事にても求むるとき、既にそれを受けたりと信ぜよ。乃ち汝はそれを得ん」
と訓えているのである。


信ぜよ。信ぜよ。
「必ず、この神想観中の祈りは実現する」と信ぜよ。
信じた通りに実現するのである。

まだ希望する事物が現象にあらわれない場合に、
「この祈りは諾(き)かれないのだ、駄目だ」などと考えてはならない。

「駄目だ」と打ち消したら、折角、「創化の法則」の沃地(よくち)に
信念実現の種子を蒔いておきながら、その種子が漸(ようや)く発芽の途上にあるものを
早期に掘り起して棄ててしまうのと同じことになるのである。

一旦「信念の種子」を「祈り」又は「念ずる」という方法によって、
創化の沃地に蒔いたならば、その信念の種子が発芽以前に腐ってしまわないように、
毎日、その「実現を信ずるコトバ」を神想観中の祈りに念ずるがよいのである。

継続して怠らなければ、点滴といえども岩を貫く孔(あな)を穿(うが)つのである。

         <感謝合掌 平成31年2月14日 頓首再拝>

《想像力を前向きに活用せよ 》 - 伝統

2019/02/16 (Sat) 19:58:39


        *『人生の秘訣365章』第1篇(P28) より

想像力を前向きに駆使することが、健康にも、家庭の調和にも、
児童の成績の優秀化にも好結果を齎(もたら)すのであって、
想像力を後退的に悲観的に用いるとき、
その結果は後退的に悲観的に顕れて来ることになるのである。

常に心が陰気に沈みそうになって来るときには、
心をつとめて鎮静ならしめながら、強く、信念ある語調をもって、

「事態は益々好転しつつあるのである。
その好転は今心の世界で行われているが、
それは必ず現象的にも具体化してあらわれて来る」

のであると、
自分の耳に聞えるほどの低声で唱え、または、沈黙のまま心で唱えるがよい。

そしてその好転の具体的な有様を心に描いて、

「それが既に実現しているのである」

と確信をもって念ずるがよいのである。


まだ現象的にその状態があらわれていないから
「既に実現しているのである」と念ずることは
自分を欺くことになるなどと思うな。

想像力をもって

「既にそれは実現しているのである」

と信じてそれを念じたとき
“心の世界”には既にそれは実現しているのであるから、

「既にそれは実現しているのである」

と念じても決して自己を欺くことにはならないのである。

         <感謝合掌 平成31年2月16日 頓首再拝>

《心に描かれたものは既に確固たる存在 》 - 伝統

2019/02/18 (Mon) 19:46:38


       *『人生の秘訣365章』第1篇(P32~33) より

普通の人は肉眼で見える事物だけを存在すると考える傾向があるけれども、
心に描かれた光景は、そのまま“心の世界”に於ける実在として、
肉眼に見える事物よりも、一層根本的な確固な存在としてあるのである。

それが反対観念を心に描くことによって打ち消されない限り、
徐々にそれは現象世界に根をおろし発芽し生長して具体化するのである。

あなたの希望する状態を、神想観によって心に描いたならば、
その描いた光景が《既にある》ことを固く信じて、
恐怖心や不安や反対観念によって、それを取り消してしまわないことが必要である。

それが既にあることを信じ、念じ、唱えて、弛むことなくその心象を持続せよ。
必ずそれは実現するのである。

         <感謝合掌 平成31年2月18日 頓首再拝>

《 想像力から行動化へ 》 - 伝統

2019/02/24 (Sun) 19:24:49


      *『人生の秘訣365章』第1篇(P29) より

想像力をもって“心の世界”に或る形が確信をもって形成せられるとき、
それは次第に物質化して現象界に発芽しはじめるのである。

このようにして私たちは宇宙に存する最も幽玄にして強力なる力を
始動せしめることになるのである。

しかし“心の世界”に或る形さえ描いて置けば手を束ねていても
それが実現するなどと安易に考えてはならないのである。

“心の世界”に実現したものが“現実の世界”に出現するには
其処に自然に行動化が起るのであり、その行動化には
その事柄に関連した“全体的動き”によって起るけれども、

同時に、あなた自身の動きも其の“全体的動き”の中に含まれているのであるから、
自分も自己の内から催して来る導きに従って、懸命に自己の希望する事柄が実現する
ために努力し行動しなければならないのである。

         <感謝合掌 平成31年2月24日 頓首再拝>

苦しみ無き日 - 伝統

2019/03/06 (Wed) 18:25:46


           *「光明道中記」(3月6日)より

【お産の時の苦痛は、心の働きであって本来無いものであります。(『女性読本』)】

「創世記」の第三章で、智慧の樹の果(み)を食べたアダムとイブとは、
神から与えられたままの自分を羞(はず)かしとして無花果の葉を綴(つづ)って
それを蔽(おお)ったのである。

与えられたままのお産は無痛分娩のほか何物でもなかったのである。

ところが自然の儘にまかせて置いたならば不安であると云うので、
病気でもないのに妊娠すると医師に骨盤を測って貰う。
その骨盤の寸法が小さいと言って人工流産をして貰う人がある。

これが無花果の葉を綴って本来の「無痛分娩の相(すがた)」を蔽って了ったことである。
そうするとエホバ神(此の章のエホバ神は《心の法則》の化身である)は人間を
エデンの楽園より逐出(おいだ)し

「我大いに汝の懐妊(はらみ)の劬労(くるしみ)を増すべし、汝は苦しみて
子を産まん」と宣言せられたのである。

エデンの楽園よりの追放は「心の法則」によるのであるから、
楽園の奪還もまた「心の法則」によって成就するのである。

エホバ神の此の宣言以来人類は「女性は苦しみて子を生むより仕方がないものだ」と
思われていたが楽園が奪還されて無痛にて安産し得る。

妊娠間もなく骨盤の寸法を測って見て、
骨盤が狭いから人工流産しなければならぬなどと思うな。

妊娠の経過中内分泌(ホルモン)の作用によって骨盤の関節は
蛇の顎(あご)の関節の如く開き易くなる。

         <感謝合掌 平成31年3月6日 頓首再拝>

歌舞伎俳優の女形(おやま)について~観念具象化の法則 - 伝統

2019/03/24 (Sun) 18:53:33


         *「あなたは自分で治せる」(P144~145)より

歌舞伎や新派の役者に女形(おやま)と云うのがありますが、
男のくせに女の姿や動作を実に上手にやるのであります。

実際の女よりも役者の女形(おやま)がブダイでやる姿勢動作などが、
一層完全に「女性なるもの」を表現していることがあります。

これはどうしてであるかたいうと、女形(おやま)が舞台で芝居を
やる最中には、「女なるもの」のみを心に描いていて、
その他(た)の観念は全然ないのですから、すること為す事、
すべての動作が悉く女の仕種(しぐさ)となってあらわれて来るのであります。

心の世界で女になり切ったとき、
形の世界が女そのものになって来るのであります。

そうすれば、心の世界で「罪人さ」と思い込んでいる限りは、
その日常の動作行動が罪となってあらわれて来るのは当然であります。

その反対に「自分は神の子だ」と云う観念が心の世界に確立せられたならば、
その人の日常生活の動作行動がすべて神の子らしくあらわれて来るのが
当然であります。

真理は簡単であって難しいことはないのであります。

自分の心に描く通りのことが或いは肉体に現れ、或いは行動に現れ、
或いは病気となって現れる。

すべて形ある世界は自分の心に描いた通りに出て来るのであります。

ですから自分が親孝行になろうと思ったら、
「私は親孝行者である」 
只(ただ)斯(こ)うだけで結構なのであります。

「私は親不孝なんだから、何とかして親孝行になりたい」
と思っているのでは中々親孝行になれないのであります。
潜在意識の中になる観念は自働して形にあらわれてまいります。

「私は身体(からだ)が弱いから健康になりたい」と考えているのでは
「弱い」という観念を肯定していますから、その観念の具象化力に
よって肉体の虚弱は続くのであります。

「自分は神の子だ。健康だ! 」と云う観念さえ積立てれば、
あとは観念具象化の法則がはたらいて健康になって来るのであります。

         <感謝合掌 平成31年3月24日 頓首再拝>

原因は自分にあり - 伝統

2019/03/29 (Fri) 18:54:52


           *「光明法語」(3月29日)より
            ~平和なる眠りを得るには

吾々は原因結果の法則の世界に生きているのである。
その原因は他から来るのではなく、自分から来るのである。

吾々が人々を愛すれば人々から吾々は愛されるのである。
人々に与えれば人々から与えられるのである。
吾々が人々を賞賛すれば人々から賞賛されるのである。

愛は愛を呼び、憎みは憎みを呼ぶ。
奪うものは奪われ、殺す者は殺される。

眠るときに愛念を起して眠れ、感謝の念を起して眠れ、
明日の事を神にまかせて眠れ。
決して争いや、心配の心で眠るな。

         <感謝合掌 平成31年3月29日 頓首再拝>

「見るものが現われる」~心の法則 - 伝統

2019/04/22 (Mon) 17:18:55


          *「生長の家」(昭和53年4月号)より
           ~ by ”モクセイ さま”ご投稿記事(2019/04/21 (Sun) 11:15:39)

子供の教育を例にとって見ても

子供の教育でも、
「お前は頭が悪いぞ、頭が悪いぞ。数学が下手だから余程勉強しなければいけないぞ」
というように、学校の先生や親たちが子供に言う。

すると子供はせっかく心を勉強の方に振り向かせても、
“自分は頭が悪いのだ”という先入観念にしばられ、
何時まで経ってもその子供は発達しないのであります。

此の世界には“見るものが現われる”という“心の法則”があるのであります。
いくらそこにあ’っ’て’も’見なければ現われないのであります。

我々の生命の実相は“神の子”であって、
完全であるという本来の姿が現にあるのだけれども、
それを見ないから現われないのであります。

たとい其処に赤い花が咲いておっても赤い花を見ることが出来ない色盲には、
赤い花が赤く見えないで黒っぽく見えるのであります。

欠点を見詰めると欠点が尚一層強く現われてきます。

病気を癒そうと思って、「病気、病気、病気」と
病気ばっかり考えておったら益々病気は悪くなります。

病気を癒そうと思ったら、病気を忘れて、
健康を見詰めれば健康が出てくるのであります。

  ( http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7853385 )

         <感謝合掌 平成31年4月22日 頓首再拝>

心の法則 - 伝統

2019/05/01 (Wed) 20:47:54


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月1日)」より

お山のつつじが真盛りである。
万物がわたしのために讃歌を歌っている。

讃歌の世界、花びらの降りそそぐ世界、この世界がそんな美しい世界だと知ったとき
わたしはこのお山へ招かれて来たのである。

「三界は唯心の所現である。」釈迦のこの哲学が真実であるならば、
心の法則を知ることは三界を自由に動かし、
運命を自由に支配することとならざるをえないのである。

「なんじの信ずるがごとくになんじにまでなれ」キリストのこの信仰が真実であるならば、
信念の法則を知ることは環境を自由に支配し、肉体を思うまま健康にし、心に思うまま
法悦と歓喜と平和を満たすところの唯一の鍵であるといわなければならない。

心の法則なるかな。信念の法則なるかな。

せっかく、光明真理に触れたのであるから、もう一度この問題を復習してみることは、
これからの自分の生活を確固とした基礎の上に置くことになるのである。

            <感謝合掌 令和元年5月1日 頓首再拝>

心の法則に従う - 伝統

2019/05/08 (Wed) 21:25:45


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月8日)」より

心で《もの》を造るのは心の法則に従うほかはない。

病気を治そうと思えば、治るような心になるほかはない。

人に頼んでも、金を払っても、そんなことでどうにもなるわけではない。

           <感謝合掌 令和元年5月8日 頓首再拝>

心の法則を活用せよ - 伝統

2019/07/05 (Fri) 17:57:20


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月5日)より

なんじの欲する事物の上になんじの心を集注せよ。
なんじの欲せざる事物の上になんじの心を集注せいてはならない。

病を欲するならば、病の上に心を集注せよ。症状を気にかけよ。心配せよ。
しからばなんじの病は必ず増大すべし。
心をそれに集注するものが実現するからである。

多くの人々がなぜ不幸であり、不健康であるかの原因は、
好まないものにことさら心を集注して心配するからである。
なぜ、君は自己の欲せず希望せざるものの上に心を集注するのであるか。

幸福ならんと欲する者は、自己の幸福のみに心を集注せよ。
他の人の幸福のみに心を集注せよ。他の人の幸福を羨(うらや)んではならない。
幸福を羨む心は、幸福を否定し、抑制し、不幸を欲する心であるがゆえに、
みずから不幸を招くのである。

他人の幸福を自己の幸福と感じうるものは、自分が今いかに現実に乏しくとも、
他(た)のすべての人の幸福が自分自身の幸福であるがゆえに、
すでに豊かであるのである。

なんじの欲する事物の上になんじの心を集注するとき念の創化作用によって、
ついにそれをこの世界に現実化するに至るのである。
なんじ、何を欲するや。これをまず自己自身に問え。

しかして、健康を欲するならば、「われは完全なり健康なり。われは生命(せいめい)なり。
われは神の子なり。われは永遠の存在なり。われは不老なり。われは何物をも羨まず。
われは日々にいっそう、神の子の完全さを顕現するなり」と常に精神を集注して念ずべし。

諸君が成功を欲するならば、常に偉大なる物のみを心に描け。
偉大を念ぜずして偉大になった者は一人もないのである。
小なる計画は人を魅(ひ)曳きつける磁石的力を有しないのである。

いやしくも失敗を予想するなかれ。しかし細心であれ。一歩一歩を大切にすべし。
大望を抱くものは日常生活に気をつけるのである。
気をつけることと、恐怖することはちがうのである。

将棋の木村名人のように一分一秒を大切にして、
しかも最後の勝利を前途に描く者はついに勝つのである。


心の法則を知らざる者は、健康を欲しながら病気を念じ、
成功を欲しながら失敗に精神を集注し、
すべて逆に逆にと心を使うから失敗するのである。

されば健康を欲し成功を欲するものは少なくともその基礎知識として勝利の常識として
わたしの「人生は心で支配せよ」の本一冊ぐらいは読んでおかなければならないのである。


           <感謝合掌 令和元年7月5日 頓首再拝>

引き寄せの法則 - 伝統

2019/07/17 (Wed) 19:28:47


        *『あなたが幸せになれば、世界が幸せになる』
           石井貴士・著(第3章P80~112)より抜粋

引き寄せの法則は、
「どうしたらいいか」という「手段」を引き寄せるのではありません。

「どうしたらいいかを知っている人」という「人間ごと」引き寄せます。

お金を引き寄せたいという人は、現金を引き寄せるものだと勘違いしています。
だから、いつまでたっても、お金を引き寄せることができていません。

「お金持ちになる方法を教えてくれる人間ごと」引き寄せればいいだけです。
そうすれば、あなたもお金持ちになれます。

「本を出すのが夢なんです」という人がいます。
ほとんどの人が「どうしたら本を出せるだろう」と一人で悩んでいます。
そうではなく、「本の出し方を知っている人ごと」引き寄せればいいだけです。

「結婚するのが夢なんです。どうしたら結婚相手を引き寄せられますか?」
と言うのではなく、「私の結婚相手を知っている人間は誰なのか?」と考えて、
その人間ごと引き寄せればいいわけです。

 
手段の引き寄せは、できません。

「1億円必要だ」という場合は、突然ビジネスが当たるかもしれませんし、
両親の隠し財産が10億円あったことが判明するかもしれません。

「どうしたら?」という手段の部分は、神様に任せたほうが、うまくいきます。

私も、「2000万円を返すには、何かビジネスを興すしか方法はない」
という考えに凝り固まっていもよかったはずです。
 
しかし、すべての可能性を閉ざさずに、
「誰か、2000万円を返す方法ごと知っている人はいないだろうか?」
と思っていた矢先に、飯沼さん(担当の編集者)から連絡が来たわけです
 
自分の考えを手放して、人間ごと引き寄せることができれば、
マイナスを一気にプラスに持っていくことができるのです。

           <感謝合掌 令和元年7月17日 頓首再拝>

因果はめぐる、応報は昭々として晦ますことは出来ない - 伝統

2019/10/01 (Tue) 19:14:23


      *「光明道中記」(10月1日《必ず成功する日》)より

【生命が主であって一切の形相は従である。(『生命の實相』第八巻)】


他に損失を与えて自分が肥え太るのは成功の捷径(ちかみち)のようであるが、
それは失敗の捷径であり、窮乏に陥る近道である。

投機によって成功せんとする者はその轍をまた踏むに過ぎない。
何故なら、投機に於ては、実質的に何物も生産しないのであるから、
利益を得た半面には必ず損をした者があるからである。

損をする者があることによって儲かる事のみ考える者は、必ず最後は損をする。
或は必ずその悪業の応報として最後が悪くなるものである。

日露戦争時の成金いずこにありや、第一次欧州大戦時の成金今いずこにありや。
若しありとすれば彼はただ他人の損によって自分が利益を得ること以外に、
何か人のために貢献したものに相違ないのである。

因果はめぐる、応報は昭々として晦ますことは出来ないものである。
血を吸うて肥える蚊は必ず蚊燻(いぶ)しの攻撃を受けなければならない。

(一)生かすために斬る破邪の剣は尊ばれる。
(二)自己を護るための剣は許される。
(三)併し他を犠牲にして自己を拡張するために剣をとる者は剣によって滅びる。

「剣」と言ったのは喩(たとえ)である。

一言一行悉くこの方面に漏れるものは一つもない。

           <感謝合掌 令和元年10月1日 頓首再拝>

心の法則に順応せよ - 伝統

2019/10/31 (Thu) 21:09:47


          *「光明法語(10月31日)」より

それと同じく「心の法則」と云う理によって起こる災禍や病気は、
神の肆意(しい=かってきまま)による神罰でないから、顧みて、自分が如何なる心を
もったかを反省し、理に逆らっていた心の持ち方を捨て、理に順応する心の持ち方に
心を転ずれば災禍や病気は治るのである。

何よりも今まで神の光に眼を瞑(ふさ)いでいた眼を開くことが大切である。
そうすれば暗がりにいて頭を打つ様な馬鹿らしい病気や災難は受けなくなる。
人を打つ心をもてば、自分が打たれる。

心の法則は何も難しい事はないのである。

            <感謝合掌 令和元年10月31日 頓首再拝>

《「老(おい)」を思えば「老」があらわれます》 - 伝統

2020/02/27 (Thu) 23:57:27


          *「真理」第9巻生活篇(P14~15)より

「類を以て集る」と云う法則は、
心に「老(おい)」を思えば肉体に「老」があらわれる
と云う事実にも立証することができます。

吾々の肉体が老衰すると云うことは一体どう云う現象でしょうか。
吾々の肉体はそんなに何十年も前につくられた細胞そのままが停滞したままで
存続しているのではないので、最近の学説では、骨の細胞ですら、常に新陳代謝が
行なわれて数ヶ月中にはあたらしきものと取換えられると云う

況や筋肉や皮膚の細胞は数日又は数週間中にあたらしきものと取換えられるのです。
ただその取換えつろきに、その新細胞を老衰した状態に構成するか、
若々しき状態に構成するかの相違に過ぎないのです。

その新構成のときに、その排列を指導する精神原理が、
「老(おい)」を思い浮かべれば老衰状態に細胞組織を排列するに過ぎないのです。

            <感謝合掌 令和2年2月27日 頓首再拝>

心の法則に従う - 伝統

2020/05/08 (Fri) 22:25:06


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月8日)」より

心で《もの》を造るのは心の法則に従うほかはない。

病気を治そうと思えば、治るような心になるほかはない。

人に頼んでも、金を払っても、そんなことでどうにもなるわけではない。

            <感謝合掌 令和2年5月8日 頓首再拝>

心の法則によって、健康も幸福も築いている - 伝統

2020/05/31 (Sun) 20:19:05


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月31日)」より

心の法則にせよ、物質の法則にせよ、
いずれも反対の方向に働くことができるのである。

同一の力が自動車を前方にも後方にも動かす。
磁気の陽極は惹き、陰極は反撥する。

ある種の想念と感情は建設的創造的であって、友そのほか助けとなる力を呼ぶ。
これとは全然反対の効果を生ずる想念および感情もある。

それは誤解と争いと悪意とを創る。
この種の想念感情を消極的であると言うのである。
破壊的沈滞的で個人の進歩を妨げるからである。

実際失敗する人は、
好ましくない状態を作り出す方向に心の法則を働かしているのである。

次に述べる箴言はメンタル・サイエンスの箴言であって
算術の法則と同じに信頼のできる基本的な法則であり、
さっそくあなた自身にも適用されるものなのである。

すなわち「今日貴下(きか)の生活の中にある好ましくないもの、
貴下の健康・幸福・成功を妨ぐるものは、その好ましいものと同様に、
あなた自身が心の法則に働かしめてみずからそれをもたらしたからそこに存るのだ」
ということである。

些細な事件、不慮の出来事、損失または利得、結婚したり離婚したり、
その他人生に起こるすべてのことの背後にはある見えざる力があり、
その見えざる力が具象化しつつあるのである。

その見えざる力は実は自分自身が起こした想念の力なのである。

諸君は想念の法則によって動いている宇宙に住んでいて、
そこで想念の法則が、あたかも物理的法則が星の運行を支配するがごとく、
諸君の運命の運行を支配しているのである。

「想念の法則」とは「因果の法則」ともいい、
現在意識すなわち自覚ある心の思想、感情、希望に常に応えてくれる
宇宙普遍の心、阿頼耶識の働きを言うのである。

これは神の働きまたは「真如縁起」ではない。
阿頼耶識の働きである。
次に主観心の説明を試みる。


阿頼耶識は心理学上の潜在意識にほぼ一致するものであるが、もっと広義に用いられる。

夢の状態で活動する心、習慣の背後にある心、タイピストや音楽家の指に
眼があるかのごとく働くその指を通して働く心である。

それはわれらの生命(せいめい)の内部にあって
われわれの身体を母胎にいる間から創造した心である。
そして今もその心は再創造を続けているのである。

阿頼耶識が浄化されてアンマラ識となるとき真如実相の智慧に近づくのである。
それが真如実相の智慧に近づくにしたがい、肉体を創造する力は完全となるのである。

われらの肉体細胞は日々死んでいるのであって、新しい細胞と組織とを創造し、
生活過程で消耗したものと取り換えつつあるのであって、
その再創造が、浄化された阿頼耶識によって導かれるとき、
肉体の再創造は完全となり、健康なる肉体が創造せられる。

これに反して阿頼耶識が浄化されないとき肉体の再創造は不完全となり病気となるのである。

           <感謝合掌 令和2年5月31日 頓首再拝>

「心の法則」は「真理」の一端であるが、全貌ではない - 伝統

2020/07/01 (Wed) 23:09:32


      *『 生長の家 』(昭和32年5月29日の法語)より
        ~《真に救われるとは》

   人間が「真に救われる」と言うことは、
   一時的に病気が治るとか、経済的に楽になるとか、
   家庭が調和するとか、云うようなことではありません。

   「病気が治る」「経済的に楽になる」「家庭が調和する」のは
   何故であるか、
   それらの現象を支配する「根本」をつかむことなのです。

   その「根本」を掴まなくて、唯々「心の法則」の心理学的応用位で、
   もう「われ悟れり」などと考えていますと、

   一時的に救われたようになっていても、
   それが単に一時(じ)の現象であって、
   結局は元の木阿弥になってしまうのです。

   「心の法則」は「真理」の一端ではあります。

   しかしそれは「真理」の全貌ではありません。
   群盲が象の耳を捉えて「象は風呂敷のようなものだ」と
   言っているのと同じです。

   わたし達は「真理」のい全貌を全身心をもって捉えなければ
   本当に救われたとは言い得ないのです。

    (『 真理 』第9巻 生活篇第11章 <P312>に収載)

           <感謝合掌 令和2年7月1日 頓首再拝>

心の法則を活用せよ - 伝統

2020/07/05 (Sun) 23:26:05


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月5日)より

なんじの欲する事物の上になんじの心を集注せよ。
なんじの欲せざる事物の上になんじの心を集注せいてはならない。

病を欲するならば、病の上に心を集注せよ。症状を気にかけよ。心配せよ。
しからばなんじの病は必ず増大すべし。
心をそれに集注するものが実現するからである。

多くの人々がなぜ不幸であり、不健康であるかの原因は、
好まないものにことさら心を集注して心配するからである。
なぜ、君は自己の欲せず希望せざるものの上に心を集注するのであるか。

幸福ならんと欲する者は、自己の幸福のみに心を集注せよ。
他の人の幸福のみに心を集注せよ。他の人の幸福を羨(うらや)んではならない。
幸福を羨む心は、幸福を否定し、抑制し、不幸を欲する心であるがゆえに、
みずから不幸を招くのである。

他人の幸福を自己の幸福と感じうるものは、自分が今いかに現実に乏しくとも、
他(た)のすべての人の幸福が自分自身の幸福であるがゆえに、
すでに豊かであるのである。

なんじの欲する事物の上になんじの心を集注するとき念の創化作用によって、
ついにそれをこの世界に現実化するに至るのである。
なんじ、何を欲するや。これをまず自己自身に問え。

しかして、健康を欲するならば、「われは完全なり健康なり。われは生命(せいめい)なり。
われは神の子なり。われは永遠の存在なり。われは不老なり。われは何物をも羨まず。
われは日々にいっそう、神の子の完全さを顕現するなり」と常に精神を集注して念ずべし。

諸君が成功を欲するならば、常に偉大なる物のみを心に描け。
偉大を念ぜずして偉大になった者は一人もないのである。
小なる計画は人を魅(ひ)曳きつける磁石的力を有しないのである。

いやしくも失敗を予想するなかれ。しかし細心であれ。一歩一歩を大切にすべし。
大望を抱くものは日常生活に気をつけるのである。
気をつけることと、恐怖することはちがうのである。

将棋の木村名人のように一分一秒を大切にして、
しかも最後の勝利を前途に描く者はついに勝つのである。


心の法則を知らざる者は、健康を欲しながら病気を念じ、
成功を欲しながら失敗に精神を集注し、
すべて逆に逆にと心を使うから失敗するのである。

されば健康を欲し成功を欲するものは少なくともその基礎知識として勝利の常識として
わたしの「人生は心で支配せよ」の本一冊ぐらいは読んでおかなければならないのである。

・・・

<参考Web>

(1)谷口雅春先生の著書「人生は心で支配せよ」
    → https://www.ssfk.or.jp/p/a/101160.htm

(2)”山ちゃん1952 さま”のブログ「人生は心で支配せよ~はしがき」
    → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/1122148.html

           <感謝合掌 令和2年7月5日 頓首再拝>

《まず心を豊かにいたしましょう》 - 伝統

2020/09/02 (Wed) 19:48:57


          *「真理」第9巻生活篇第6章(P150~150)より

外から援助を期待していましても、
内(うち)にそれを受ける準備ができていなかったら、
それを受けとることはできません。

孔(あな)のあいたバケツに水を供給されても
いつの間にかバケツの水がなくなっているものです。

あなたの幸福と富裕とは
外からの援助だけでは得られるものではありません。

あなたの「物の考え方」を反省してみようではありませんか。

それには「類(るい)は類を招ぶ」と云う根本法則を先ず知って置くことです。
ケチな物の考え方をしておればケチな事しか起こってきません。

先ず”自分は豊かである”と考えることです。

実際貧しいのに”豊かである”なんて考えることが出来ない
と被仰(おしゃ)るのですか。

それは想像力がケチだからです。

現実に縛られないで、”実相”の豊富さを心に描き出しなさい。

           <感謝合掌 令和2年9月2日 頓首再拝>

法則を実践する訓練 - 伝統

2020/09/28 (Mon) 20:31:42


       *『生活の智慧365章』(P209~210)より

「心に描いたものが形にあらわれる」と云う心の法則は、
同時に「心に描かないものは形にあらわれない」と云う限界の法則でもある。

心に暗いものを描きながら、明るい事物を希望しては無駄である。

「類をもって集る」と云う心の法則は、
「類でないものは集まらない」と云う法則でもある。

私たちは単に其の法則を学んだだけで足れりとせず、
つねにそれを実践する訓練をつまなければならない。

自己の欲する「希望された状態」を
既にあるかの如く心に描く練習をしなければならない。

其の練習をしないでおって、
行きずりに一寸(ちょっと)「明るい心」を持っただけで、
「明るい事物」が現れなかったからと云って、
「心に思った通りにあらわれない」などと思ってはならない。


人間の心は、現在意識の底に潜在意識があって
それが尚も暗黒を想念している事があるからである。

           <感謝合掌 令和2年9月28日 頓首再拝>

心の法則に順応せよ - 伝統

2020/10/31 (Sat) 23:33:04


          *「光明法語(10月31日)」より

それと同じく「心の法則」と云う理によって起こる災禍や病気は、
神の肆意(しい=かってきまま)による神罰でないから、
顧みて、自分が如何なる心をもったかを反省し、
理に逆らっていた心の持ち方を捨て、理に順応する心の持ち方に
心を転ずれば災禍や病気は治るのである。

何よりも今まで神の光に
眼を瞑(ふさ)いでいた眼を開くことが大切である。

そうすれば暗がりにいて頭を打つ様な
馬鹿らしい病気や災難は受けなくなる。

人を打つ心をもてば、自分が打たれる。

心の法則は何も難しい事はないのである。

            <感謝合掌 令和2年10月31日 頓首再拝>

《すべての行為は記録させられている》 - 伝統

2020/11/15 (Sun) 23:55:11


        *『 理想世界 』(昭和42年7月14日の法語)より

   すべての行為は記録せられ数えられ、
   それを清算しなければならない時が来るのである。

   それは宇宙の潜在意識に記録せられているのである。

   自分が忘れてしまっていても、
   宇宙の潜在意識は、個人の超越意識と融合していて、
   或る時期が来たとき、審判して判決を下すのである。

   不幸に逢ったとき、その不幸は、そのとき初めて発生したのではないのである。

   それは過去の或る機会に自分が種を蒔いておいた行為(想念及び感情も
   心で行う行為の一種である)から実ったものの収穫であるのである。

   私たちは幸福になろうと思うならば、
   “善き行為”の種を蒔かねばならぬのである。

            <感謝合掌 令和2年11月15日 頓首再拝>

《先ず自(みず)から与えよ》 - 伝統

2021/01/14 (Thu) 00:22:27


          *「光明法語」(1月13日)より

与えれば与えられるのが心の法則である。
それは原因結果の法則である。

朝の神想観に、自分は神の輝く光の流入口であり、その流入した光をもって
自分は出来るだけ多勢の人を照らすのだと念ぜよ。

人に対して先ず輝く微笑(ほほえみ)を与えよ。
光り輝く挨拶を行え。
「おめでとうございます」と言え。

先ず主人からでも好(よ)い、「お早うございます」と言え。
家族全部を祝福する言葉を語れ。

路傍一輪の野の花を手折(たお)って主人のテーブルを飾れ。
清楚と平和と調和と祝福の気をもって自分の家庭を飾るのだ。

そこから幸福が流入して来るだろう。

            <感謝合掌 令和3年1月13日 頓首再拝>

《気が短いのでは可(い)かぬ》 - 伝統

2021/02/03 (Wed) 23:33:39


           *「光明法語」(2月3日)より

「与えれば与えられる」と云う法則は
直ぐ覿面(てきめん)にあらわれて来るものもあるが、
必ずしも直ぐ結果が現れないこともある。

電燈はスイッチを捻ればすぐつくが、
水力電気や火力電気の設備を構築するのは
一夜に出来た事ではない。

電燈がスイッチ一つでつくようになったのは、
それらの発電設備や配電設備が、多くの与えられた労力の蓄積として
「天の倉」に蓄えられているからである。

麦は一夜にしては実らない。卵も一夜にしては孵化しない。
すべての形の世界に現れるのは時間を通して現れる。
気が短いようなことでは可(い)かぬ。

            <感謝合掌 令和3年2月3日 頓首再拝>

【投げたものが返ってくる】 - 伝統

2021/02/26 (Fri) 01:01:11


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.11.21)より

   (北川八郎氏の心に響く言葉より…)

   《投げたものが返ってくる(すべてを人生の後半で受け取る)》


   若い時はわからないかもしれませんが、
   40代、50代の人生後半になり、人生の前半でなしたことのお返しを
   たくさん受け取るようになると、つくづくわかってきます。

   良きことも悪しきことも人生の後半で受け取ることになります。


   「私たちはこの生で『人になしたこと』をすべて自分が受け取る」ように
   仕組まれています。

   今ある境遇も今の状況も人間関係も、人に対する好意や嫌悪も、
   人から受ける好意も悪意も、そして自分の今の健康も、
   すべて自分が他の人々になした同じものを受け取っています。

   だからこのことを知って
   早い時期から人々に「良きことをするクセをつけよ」。

   きっと人生の後半で報われるのです。

   だから『お人好しになって、ひたすら良きことをなせ』。


   ひたすらの意味は「効果を求めず」です。

   善意で生きた者が、
   人生の後半で大きな成果の果実を受け取るのは当たり前です。


   怒りから発する言葉がなぜ悪いのか。

   グチと文句がなぜいけないのか…別にいけなくはないですが
   …後でそれがもとで必ずトラブルが生じるからです。

   なぜならグチと文句と不平、不満、怒り、
   この5つは「運の河のゴミ」だからです。


   天が好きなものは、好意と善意と感謝です。

   一流の人にならなくてもいいのですが、
   まず「怒りとグチと文句」の3つを克服しさえすれば、
   いつの間にか一流の人間になっているでしょう。


   神は人間に面白い悪戯(いたずら)をしました。

   それはすべての人間は「口に一番近いのは自分の耳」である、ということです。

   自分が発している言葉を一番聞いているのが自分。

   目の前の部下をさんざん罵倒(ばとう)してスカッとする
   と思うかもしれませんが、相手に与えた同じ量の嫌味・ストレスが
   自分の耳を通してわが身に打撃を与える。

   ですから、自分の吐く毎日の嘆き・文句・罵倒に苦しむのは
   一番たくさんそれを聞く自分自身なのです。


   理不尽なイライラと怒りが収まらない人は放っておきましょう。

   じわじわとボディブローのように
   人生の後半で「病」という形として効いてくるでしょう。

   気がついた人は、良き言葉・勇気・励まし・やさしさを
   いつも部下にあげましょう。

   周りの人々に希望や生き甲斐をあげましょう。


   それを一番たくさん聞いているのが自分自身であるからです。

   「なんだコイツ」の「コイツ」は目の前の人ではなく、
   自分に向けている刃と同じなのです。


   「人になしていることは自分になしていること」
   …耳のあり場所が証明しています。

   ですから、この世のエネルギーの方向は他者と自分の境目はなく、
   他者になすことは自分になしていることになる。

   「すべて自分から発した矢は二本に分かれ
    『相手』と『自分』の両方に飛んでいく」(仏陀の言葉より)のです。


   昔、私は父や母に次のように言われていました。

   私たちは「人生の前半でなしたことを後半で受け取る」だけなのです。

   「善意と好意は与えっぱなし」。

   このことを知って新しい経営者として「今、良きことをなせ」、
   良きことをする時、『効果を求めない』ことです。

   『与えっぱなし』特に『善意と好意は与えっぱなし』です。


   あなたが

   「効果を狙わない心境になった時、
    ポツンと吐いた言葉が、あなたの部下(子供も)の心を貫く」

   ことを覚えていてください。

   効果と反応を求めない澄んだ心境の道を、一度でいい、歩んでみてください。

         <『繁栄の法則 その二』致知出版社
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                ・・・

小林正観さんは「投げたものが返ってくる」についてこう言っている。


『振り返ってみると、私は「先生(教師)」に恵まれていました。
学生時代一度も「おい」とか「おまえ」とか呼ばれたことがありません。

 どなったり、怒ったり、高圧的だったり、 感情的であったり、
 という方はおられませんでした。

 宇宙の大法則は
 「投げかけたものが返ってくる。 投げかけないのもは返らない。
  愛すれば愛される、愛さなければ愛されない。
  嫌えば嫌われる。嫌わなければ嫌われない。」

 だから、荒っぽい言葉を使っていると、
 そのとおりの言葉に囲まれることになります。

 投げたものが返ってくるので、何年かすると自分に返ってきます。

 乱暴な、荒っぽい言葉に囲まれることになります。

 「荒れた学校」のことを聞くことがありますが、もしかすると、その学校には、
 「おい」「おまえ」という言葉が飛び交ってきたのかもしれません。

 国際神道学会の会長で、中央大学の中西旭(あきら)先生は、
 「神様は上に行けば行くほど、腰が低くなります。
  いばったり、偉そうにすることは絶対にありません。
  ときには人間に対して、土下座さえもします。
  ほんとうにすごい神様は、とても腰が低いのです」

 その話を聞いて以来、私は年下の男性に対しても、 「さんづけで呼ぼう」と決めました。

 「言葉を大事にする」ということの中に、「敬語」というものもあります。

 中西先生は「丁寧な言葉」以上に、「美しい言葉」をお使いになるかたでした。

 「敬語」の使い方が素敵なのです。

 年下の教え子に対し、普通に何事もなく敬語を使って接しておられました。

「敬語をさりげなく使いこなせる人は、かっこいい」のでした。

 会話の部分で丁寧な言い方をする。

 そういう日々を続けていると、荒っぽい言葉を浴びせられることがなくなります。』

                  (幸も不幸もないんですよ/マキノ出版)より


1歳でも年齢が違えば名前を呼び捨てにする人がいる。

特に、学生の頃、運動部にいて、上下関係で接することを叩き込まれた人に多い。


しかし、卒業して何年も経っているのに、名前を呼び捨てされた人はびっくりする。


相手を大事にするには、まず「敬語」を使うこと。

名前を呼び捨てにしないこと。

年下でも「さん」付けで呼ぶこと。

丁寧な言葉を使うこと。


人を大事にするには…

若いうちから、心に刻みたいこと。

            <感謝合掌 令和3年2月25日 頓首再拝>

波長同通の法則 - 伝統

2021/03/16 (Tue) 00:51:58


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年3月15日)より
           ~同じ思いの背後霊を呼び寄せる法則

背後霊という時には様々な種類の霊が含まれており、
本人に何らかの影響を与える霊全般を指します。

その中には、本人に良い影響を与える者もいますし、
なかには悪い影響が出る者もいます。

未浄化な霊が憑依する事もあれば、
ご先祖様からの加護があったり、
守護霊様などから導きを得る事もあります。

いろんな霊的な影響を称して、背後霊の働きと言う場合があります。


どのような背後霊が働きかけるのか?

どんな性質の霊が影響を与えるかは、
ひとえに波長同通の法則のもとにあります。

波長同通の法則というのは、
同じ波長の者同士が通じ合い、繋がりあうというものです。

つまり地上の本人がどのような思いを持っているかで、
どのような霊からの影響があるか分かれるというものです。

善良な思いをもって、いつも感謝して生きているような人には、
ご先祖様なども微笑んで観られていて、善良な霊の手助けも受けられます。

悪意や不平不満などに心が染まっていれば、
よからぬ霊と同通してしまい、悪い影響が出てきます。

また、世の中や人のために尽くそうという思いを持ち、
愛の思いを深く持っている人は、
天上界の高級霊と言われる方々の支援を受けます。

高級霊と言われる方々は、
地上を何とか良くしたいと願っていますので、
同じような思いを持つものにサポートをし、
導きを与えて手助けしようとします。

このように地上の人間がどのような思いを持つかで、
霊的な影響の違いが出てきます。

つまり大切なのは、自分のこころの針を天国的な思いで占め、
地獄的な思いをなるべく減らしていく事です。

よからぬ霊の影響を受け、人生を振り回された人は、
死後にも暗い世界におもむくことになります。

善霊の導きを受けて人生を送った人は
、死後には光の世界へと帰っていきます。

それも同じ思いのものが通じ合う、波長同通の法則が働くからです。

思いは表に見えず、地上の人間は気づかずに、誤魔化される事もありますが、
霊的世界では誤魔化しは効かず、その思いがすべて出てきます。

他人に知られて恥ずかしくない思いを日々に出すように心がけたいですね。

   (https://www.spacebrothers.jp/2021/03/blog-post_15.html

            <感謝合掌 令和3年3月15日 頓首再拝>

環境も大切である。環境を選ぶ日 - 伝統

2021/03/19 (Fri) 00:00:34


           *「光明道中記」(3月18日)より

【欠点と自分と四つに組んでは欠点は直らぬ。(『生命の實相』第九巻)】


吾々の内部には全てのものを包蔵しているが、受動状態にある限りに於て、
外部から触発されたものだけが、内部から外部へと発現してくるのである。
即ち彼に触れることによって引き出されたものだけが引き出される。

吾々に赤い色の波動が触れれば、吾々の内部から赤の波動が引き出されて、
初めて其処に「赤」の感覚を生ずるのである。

この意味に於て、吾々に触れる物は環境にせよ、愛情にせよ、食物にせよ、
いずれも善きもののみを触れるようにしなければならない。

孟母三遷の故事もこの意味に於て価値があるのである。

            <感謝合掌 令和3年3月18日 頓首再拝>

平和なる眠りを得るには - 伝統

2021/03/30 (Tue) 00:55:12


           *「光明法語」(3月29日)より

吾々は原因結果の法則の世界に生きているのである。
その原因は他から来るのではなく、自分から来るのである。

吾々が人々を愛すれば人々から吾々は愛されるのである。
人々に与えれば人々から与えられるのである。
吾々が人々を賞賛すれば人々から賞賛されるのである。

愛は愛を呼び、憎みは憎みを呼ぶ。
奪うものは奪われ、殺す者は殺される。

眠るときに愛念を起して眠れ、感謝の念を起して眠れ、
明日の事を神にまかせて眠れ。
決して争いや、心配の心で眠るな。

            <感謝合掌 令和3年3月29日 頓首再拝>

心の法則 - 伝統

2021/05/02 (Sun) 00:07:27


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月1日)」より

お山のつつじが真盛りである。
万物がわたしのために讃歌を歌っている。

讃歌の世界、花びらの降りそそぐ世界、この世界がそんな美しい世界だと知ったとき
わたしはこのお山へ招かれて来たのである。

「三界は唯心の所現である。」釈迦のこの哲学が真実であるならば、
心の法則を知ることは三界を自由に動かし、
運命を自由に支配することとならざるをえないのである。

「なんじの信ずるがごとくになんじにまでなれ」キリストのこの信仰が真実であるならば、
信念の法則を知ることは環境を自由に支配し、肉体を思うまま健康にし、心に思うまま
法悦と歓喜と平和を満たすところの唯一の鍵であるといわなければならない。

心の法則なるかな。信念の法則なるかな。

せっかく、光明真理に触れたのであるから、もう一度この問題を復習してみることは、
これからの自分の生活を確固とした基礎の上に置くことになるのである。

            <感謝合掌 令和3年5月1日 頓首再拝>

心の法則に従う - 伝統

2021/05/08 (Sat) 13:42:10


        *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月8日)」より

心で《もの》を造るのは心の法則に従うほかはない。

病気を治そうと思えば、治るような心になるほかはない。

人に頼んでも、金を払っても、そんなことでどうにもなるわけではない。

           <感謝合掌 令和3年5月8日 頓首再拝>

認めたものだけが現れる - 伝統

2021/06/13 (Sun) 00:29:58


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月12日)より

神に波長を合わすには、ラジオと同じく先ず放送局がある事を認めなければならない。
神を先ず認め、神は無限に寛大に吾らの願いをきいて下さるものである事を、
認めなければならぬ。

神が神罰を与えるような苛酷な存在であると吾々が認めるならば
「苛酷」な波長に波長を合わす事になり、
苛酷なものが現象界に実現することになるのである。

それよりも吾々は神は愛深き存在であり、無限の癒やしであり、
無限によきものを吾らに与え給うべく待ちかまえていられるのであることを信ずれば、
それに波長を合わすことになるのである。

        <感謝合掌 令和3年6月12日 頓首再拝>

《多く与えれば多く得られる》 - 伝統

2021/09/15 (Wed) 04:29:22


       *『 生長の家 』(昭和24年8月15日)の法語)より

   世界は 公定価格の市場(いちば)のようなものである。

   良きものを買うためには
   よき価(あたい)を払わねばならないのである。

   払うべき貨幣にはいろいろの形がある。

   曰く 時間。
   曰く 勤労。
   曰く 誠。

   曰く 智識。
   曰く 資本。
   曰く 宣伝。

   曰く 決心。
   曰く 敏速。
   曰く 才智。・・・等々である。

   すべて与えただけのものが 自分に得られるのである。

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12804225.html (消滅)

        <感謝合掌 令和3年9月14日 頓首再拝>

《先ず自(みず)から与えよ》 - 伝統

2022/01/13 (Thu) 14:28:05


      *「光明法語」(1月13日)より

与えれば与えられるのが心の法則である。
それは原因結果の法則である。

朝の神想観に、自分は神の輝く光の流入口であり、その流入した光をもって
自分は出来るだけ多勢の人を照らすのだと念ぜよ。

人に対して先ず輝く微笑(ほほえみ)を与えよ。
光り輝く挨拶を行え。
「おめでとうございます」と言え。

先ず主人からでも好(よ)い、「お早うございます」と言え。
家族全部を祝福する言葉を語れ。

路傍一輪の野の花を手折(たお)って主人のテーブルを飾れ。
清楚と平和と調和と祝福の気をもって自分の家庭を飾るのだ。

そこから幸福が流入して来るだろう。

           <感謝合掌 令和4年1月13日 頓首再拝>

《与えることによってのみ受けられる》 - 伝統

2022/02/03 (Thu) 03:43:02


           *「光明法語」(2月2日)より

太陽の温かさを受けようと思えば先ず一歩日向(ひなた)に向って「歩み出し」を
与えることが必要である。日向にむかって「歩み出し」を与えないでいて
太陽の温かさをうけることは出来ない。

写真を写すには先ずカメラに代金を払わなければならぬ。
マメラを借りて来ても好(よ)いが、やはり吾らは、
焦点距離を合わしてスイッチを捻る動作を与えなければならないのである。

音楽をきこうと思えば音楽会に金を払うか、レコードに金を払うか、
蓄音機を廻すかラジオの波長を合わすか、
いずれにせよ金又は「動作」を与えなければならぬ。

           <感謝合掌 令和4年2月2日 頓首再拝>

《気が短いのでは可(い)かぬ》 - 伝統

2022/02/03 (Thu) 18:59:20


           *「光明法語」(2月3日)より

「与えれば与えられる」と云う法則は
直ぐ覿面(てきめん)にあらわれて来るものもあるが、
必ずしも直ぐ結果が現れないこともある。

電燈はスイッチを捻ればすぐつくが、水力電気や火力電気の設備を構築するのは
一夜に出来た事ではない。

電燈がスイッチ一つでつくようになったのは、それらの発電設備や配電設備が、
多くの与えられた労力の蓄積として「天の倉」に蓄えられているからである。

麦は一夜にしては実らない。卵も一夜にしては孵化しない。
すべての形の世界に現れるのは時間を通して現れる。
気が短いようなことでは可(い)かぬ。

        <感謝合掌 令和4年2月3日 頓首再拝>

《利己主義は却って自分を損なう》 - 伝統

2022/02/08 (Tue) 02:31:03


        *「眞理」第2巻基礎篇第13章(P363)より

利己主義と云うものは、
すべて真理を知らない「迷い」から生ずるのである。

自分に奪いとって置けば、それだけ得になるように考えるのである。
それが「迷い」と云うものである。

奪う心を起せば奪われるのが真理である。
類似の心の波長のものを自己に呼び寄せるからである。

真に賢者なるものは決して利己主義に陥ることはないのである。
何故なら利己主義は自己を損させる主義だと知っているからである。

「人」とはその字形が、互いに相倚(あいよ)って支えられているが如く、
互いに相倚(あいよ)って生きているのであり、全体で一つの生命である。

一方を損させて自分が利益を得ようとするのに、
章魚(たこ)が自分の脚を食べて腹をふくらせようとするようなものである。

そのような章魚は結局自分が死ぬのである。

        <感謝合掌 令和4年2月7日 頓首再拝>

心の法則に順応せよ - 伝統

2022/02/15 (Tue) 02:00:44


       *「光明法語(10月31日)」より

それと同じく「心の法則」と云う理によって起こる災禍や病気は、
神の肆意(しい=かってきまま)による神罰でないから、

顧みて、自分が如何なる心をもったかを反省し、
理に逆らっていた心の持ち方を捨て、理に順応する心の持ち方に
心を転ずれば災禍や病気は治るのである。

何よりも今まで神の光に眼を瞑(ふさ)いでいた
眼を開くことが大切である。

そうすれば暗がりにいて頭を打つ様な
馬鹿らしい病気や災難は受けなくなる。
人を打つ心をもてば、自分が打たれる。

心の法則は何も難しい事はないのである。

        <感謝合掌 令和4年2月14日 頓首再拝>

《自分の心の調子を整えましょう》 - 伝統

2022/03/02 (Wed) 03:23:08


        *「眞理」第2巻基礎篇第1章(P21)より

何故(なぜ)あなたは或る人々に好意を有(も)ち、
又別の人々に好意をもたないでしょうか。

又、或る人々はあなたに好意をもち、
又別の人々はあなたに好意を有(も)たないでしょうか。

それは「類をもって集る」と云う法則によるのであります。

若しあなたが凡ゆる人々に好意をもつようになりますと、
凡ゆる人々があなたに好意をもつようになるのです。

また、或る人が或る事件に巻き込まれて不慮の災難を受けるのに、
また他(た)の人は同じく其の側にいながら
その事件に巻き込まれないのは、

やはり其の人それぞれの雰囲気や心の波長が
其の事件を「彼」から遠ざけ、又は近寄らせるのです。

結局、自分の環境も境遇も自分の精神の波長が
近づけ又は遠ざけるのですから、
責任は自分にあり、自分の心をよくするほかはありません。

        <感謝合掌 令和4年3月1日 頓首再拝>

《人生は払っただけの値段のものを受取ります》 - 伝統

2022/04/27 (Wed) 04:55:49


          *「眞理」第2巻基礎篇第1章(P16)より

人生は正札(しょうふだ)付きでありますから
値切ると安い値段で幸福が得られる
と云うような考えを捨てなければなりません。

あなたが何か良き事物を得ようと思われましたならば、
《今日唯今》、自分の持てる最も値いのある物を献げなければなりません。

自分の喜びを自分だけで独占しないようにして、
それを多くの人々に分け与えることを実践するのです。

先ず人々に深切を尽すのです。
喜びを与えるのです。
幸福を与えるのです。

与える喜び、捧げる喜び、
そこからあなたにとって天国が開け初(そ)めます。

それを一週間つづけて御覧なさい。
健康もよくなります。どんな病気もよくなり始めます。

更(さら)に一ヵ月、更に二カ月・・・そして一年・二年・・・
斯(か)くて貴方はついに
幸福の天国を地上に実現することが出来るのであります。

        <感謝合掌 令和4年4月26日 頓首再拝>

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