伝統板・第二 2535936

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ひかりの一日一言44~大宇宙に満つる癒力

1:伝統 :

2018/11/01 (Thu) 04:20:34

この「大宇宙に満つる癒力」は先代の掲示板にて、
今は霊界へと、活躍の場を移しました”平賀玄米 さま”によって
投稿されたものです。

幸運にも、現時点でも、閲覧が可能でございます。
 (http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=535

”平賀玄米 さま”のご遺徳に心より感謝申し上げます。

この掲示板にても、”平賀玄米 さま”のエネルギーを偲びながら、
谷口雅春先生による 言葉の数々を、味わってまいりたいと思います。

・・・

ひかりの一日一言《1日》

《1日 大自然の不思議な癒力》

不思議な癒す力が宇宙に充ち満ちているのである。

豪雨によって土砂崩れがして山肌が、大きな傷口のように広がっているかと思うと、
直ぐ其処にはどこからともなくやって来た苔の胞子や雑草の種子や雑木の種子が
落ちて来て、そこに根を生やし、網の目のようにその根が蔓(はびこ)って、
土砂の崩れを防ぐ手当てをし、痛々しく露出した山肌の傷口に
緑色の美しい新しい皮膚をつくり始めるのである。

それと同じことが人体に生じた傷にたいしても行われるのである。

人間が外部から人工によってその傷口を下手な修理をしなければ、
自然に熟し切った腫れものが中から自然に口をひらいて膿を排出して、
排膿後の傷口が殆どわからぬ程に、美しい皮膚を取り戻すのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P265) より

・・・

<参考:”平賀玄米 さま”ご投稿の数々の記事については、
    次のWebにてご確認ください。
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7702987 >

       <感謝合掌 平成30年11月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2018/11/02 (Fri) 03:58:30


《2日 大自然は生きている》

私は諸方を旅して田舎の山側(やまぞえ)の道を自動車で走ることがある。
山崩れした跡か、山の土を道路をつくるために切り崩した跡か知らないが
コンクリートで岩畳(がんじょう)に固めてある傾斜面を見ることがある。

これは天然の癒す力で山の傷跡を癒したのではなく、人工で手術した山肌である。

そこには天然の草木は種子をおろすことは出来ず、
従って緑濃き美しい山の皮膚を恢復することができないで、
いつまでも醜しいコンクリートの殺風景の面を露出した儘で続いているのである。
人工の手術よりも天然の手術の方が完全に行われるのである。


大自然の巧妙且つ霊妙なる手術を受けるためには、
たんに人工の手術や医療を止めるだけでよいのではないのである。
たんに何もせずに放置したら、傷口が腐って来る事があるのと同じように、
山崩れの被害は益々大となることもあり得るのである。


大自然の癒す力に波長を合わす心境になることが必要である。

そのためには感情を暗くしたり、イライラしたり、
腹を立てたりしないことが必要である。
そして寧ろ感謝の感情を全心に漲らせることが必要である。


腹を立てて争う心を起したり、階級闘争の精神の盛りあがりの後(のち)
火事が起ったり、坑内爆発が起ったりすることが度々あるのである。

自然界は外面から見れば物質で成り立っているように見えているけれども、
その実質は「心」であるから、そこにいる人の「心」が感応して、
火災や爆発や落石や落雷なども起るのである。

最近山を「霊山」として尊敬する心を失い、ただ享楽又は遊楽の場所として
踏み荒らすだけではなく、紙屑や弁当ガラで、いちじるしく汚して、
あとを清掃せずに去ってしまう者があるのは唯物論的世界観で、山をたんに
「物質の固塊」に過ぎないスポーツの道具だと思っているからである。


山は生きているのである。
「金剛般若波羅蜜多経」には「山、山に非ず、是を山と謂う」と示されている。

所得倍増、マイカー倍増、物質豊富のラッシュで
人類の大多数がモノに対する感謝も尊敬もなくなったとき、
人類は大急ぎで世界最後の大破壊に突入して行きつつあるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P266~267) より

       <感謝合掌 平成30年11月2日 頓首再拝>
3:伝統 :

2018/11/03 (Sat) 03:26:44


《3日 “わが心の王国”の主権者を“神の子”とせよ》

先ず神の霊波と自分の精神との波長を合わすために、
常に寛大な青空のような心を持たなければならない。

他(た)の人からの挑戦的行為や言辞に対して、
直ぐ腹を立てたり、恐怖したり、闘争の念を起したりしてはならない。

吾々が腹を立てたり、恐怖したり、闘争の念を起すのは、
その人が「自分の實相は“神の子”であって何者にも害されない素晴らしい存在である」
という信念を、周囲から挑戦を受けた瞬間に、忘れてしまうからである。

だから誰かがあなたの怒りを挑発するような行為をしたときに、
すぐ行動に移ったり、直ぐ荒々しい言葉を出してはならない。


「私は“神の子”であり、何物にも害されたり、他の人の誤った評価で
値打ちのさがったりするような存在ではない」

ということを心の中で数回念じて、
自分が“神の子”であるという自覚を恢復してから
発言をするなり行動をとるなりするとよいのである。

自分の“心”を怒りや悲しみや恐怖によって占領させるな。

“神の子”を喚び出して、自分の“心の領域”の主人公たらしめよ。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P267~268) より

       <感謝合掌 平成30年11月3日 頓首再拝>
4:伝統 :

2018/11/04 (Sun) 06:14:58


《4日 あなた自身を神の愛の流出口として》

あなたが自己の“心の王国”の主権者を“神”たらしめるとき、
“神”は愛であるから、自分の肉体は“神の愛”が流れ出るところの
流出口又はパイプとなるのである。

あなたの人生に出会うところのすべての人間を
あなたは愛し祝福することができるようになるのである。

たといあなたが、他(ほか)の人々から深切なる言葉を投げかけられず、
愛情ある仕向け方をされないとも、相手の姿は“自分の心”が
反映しているのであるとの根本法則から、

相手が冷たいのは、自分の愛情が足りない反映であると判断して、
他(た)に対して愛情を求める代りに、自分自身が一層他(た)に対して
深切の行為と愛情ある言葉を与えるようにするがよいのである。

併し、それが自分の力量不足で、実行上できない場合には、
神に対して次のように繰返し念じて祈るがよいのである。

「神よ、あなたは無限の愛であります。
あなたの愛が完全に充分に流れ出るパイプに私自身をならしめ給え。
愛の流れ出る障礙となる“自己中心”の心をとり除き給え。

外見の悪と見えるものに捉えられることなく
すべての人の奥にある“神の子”の實相を見る心の眼をひらかしめ給え。」


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P268~269) より

       <感謝合掌 平成30年11月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2018/11/05 (Mon) 03:32:33


《5日 “今”に精神を集中して生きよ》

今、眼の前におかれている仕事又は学問探求に全力を集中せよ。

机上に雑然と色々のものを置いて、あれを一寸見、これをちょいと触れて見、
こちらの本をパラパラと披いて見たりしているうちに時間はたち、
仕事ははかどらないのである。

その仕事を一旦やろうと決意した以上は、それは必ず成就すると信じて、
その仕事の不成功や途中の妨害などに関して不安や恐怖の念を起さず、
一路邁進するがよいのである。

その強固なる意志と決意と勇敢なる前進の迫力とによって、
自然にそれに共鳴する協力者が殖えて集まって来ることになるのである。

前進の速力おそきものに対しては、
人は退屈を感じて其処から去ってしまうであろう。

強固なる決意と成功の自信と目的の崇高さの前に
人類は磁力に吸い寄せられるが如く集まって来るのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P269) より

       <感謝合掌 平成30年11月5日 頓首再拝>
6:伝統 :

2018/11/06 (Tue) 04:46:36


《6日 あなたの使命は何であるか》

「自分の使命が何かわからぬ」などと言うこと勿れ。

今あなたが置かれている時点に於けるその位置に於いて
あなたの眼前(めのまえ)にあるものを解決することが、
今あなたに与えられている使命なのである。

生涯を通じて一貫して与えられた使命というようなものは、
確かに各人にあるのであるけれども、それは山頂を眺めるようなものであって、
その山頂まで登って行く一歩一歩を健実に歩み行くことによってのみ
その使命の最高峰に到達することができるのである。

そして、その使命の最高峰に到達するまでは、
“今”の時点に、“今”の位置にある物事に全力を尽くす事が
今与えられている使命である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P270) より

       <感謝合掌 平成30年11月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2018/11/07 (Wed) 02:37:54


《7日 あなたの困難の奥には聖意(せいい)がある》

あなたの希望を実現するため障礙となっているものを大きく過信してはならない。

あなたにとって跳び越えがたい障礙などというものは、本当は存在しないのである。

完全な「自由」の本源が神なのである。

唯その障礙を跳び越えるためには多少の努力を要し、その努力を通して、
あなたの魂が進歩するように計画されているのである。

この事がよく分かれば困難の奥には希望の成就と魂の進歩とがあり、
少しも恐れる事なく困難に立ち向うことができるようになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P270~271) より

       <感謝合掌 平成30年11月7日 頓首再拝>
8:伝統 :

2018/11/08 (Thu) 02:28:11


《8日 人のためにあなたが祈るとき》

あなたの愛する人または知己、友達が病気に罹るか、
困難の中で苦闘しているのを救けてあげたいと思うならば、

あなたはそれらの人々のために祈ってあげられ、
神の癒す力が、その人々を祝福し、神の癒す力がその患者の中に充ち満ちて
今現に癒してい給い、その人の苦闘の中に神が共に協力して
苦難を克服し給いつつある光景を心に観じ強く念ずるがよい。

心で観ることは、観じた通りの方面に宇宙の創化作用を導き動かすことになるのである。

「あなたは神と偕(とも)なれば、何事も成し得るのである」と、
困難に向って奮闘している人のために念じてあげるがよい。

世界の何処にも神の力によって克服しがたい難問題は存在しないのである。
唯、神の力を流れ入れしめないように心の堰(いせき)を閉じているに過ぎないのである。

何処にも神の力によって癒し得ない病気などは存在しないのである。
唯、心の迷いによって、その癒す力を蔽い隠しているに過ぎないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P271) より

       <感謝合掌 平成30年11月8日 頓首再拝>
9:伝統 :

2018/11/09 (Fri) 02:48:34


《9日 あなたは神の愛を公平に行わねばならぬ》

あなたが神の愛を完全に受けようと思うならば、
あなたは神を愛しなければならないし、また神の如く、
善人をも悪人をも憎むことなく愛しなければならないのである。

無論、その人を仕事の能率や才能に従って、適材適所に、
あるいは上位に、或いは下位に配置しなければならぬのは当然である。
時としてはその不適な位置から免じなければならぬことがあるかも知れない。

それは下位に貶した者を憎むのではなく、職を免じた者を憎むのでもなく、
天分に従い、能力に従い、その適する処にその人をあらしめるのが
神の御心であるからである。

神は情実によって不適の位置に人を置き給うことを欲し給はないのである。
適材適所ということが神の秩序であり、天の配剤であるのである。

これを“神の義”と称するのである。 


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P271~272) より

       <感謝合掌 平成30年11月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2018/11/10 (Sat) 03:44:54


《10日 若さは心の中にある》

若さは心の中にある。
既に進歩しなくなった者は老いるのである。

常に進歩せんとして常に何かを勉強している者は今もなお若いのである。
人生に興味がなくなった時、その人は、年齢は尚若くとも
既に老いているのである。

年齢は既に七十歳を越えていても人生に溌剌とした興味を持っている者は、
今尚、その人は若いのである。

年齢は若くとも、何事にも消極的で引込み思案の生活を送る者は、
既に老いているのである。

暦の年齢は既に八十歳を越えていても、何事にも積極的で、活動的で、
前進的な生活を送る者は、今なお若いのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P272~273) より

       <感謝合掌 平成30年11月10日 頓首再拝>
11:伝統 :

2018/11/11 (Sun) 02:38:12


《11日 “本当の富”について考える》

幸福は恰度適当な分量を常に神から頂いている者に与えられる。

あまりに過剰に所有が殖える事を“富”だと考えることは間違である。

物が裕にすぎて却って不幸が来るのは、
大都会の道路に自動車が密集して動きがとれなくなっているのが、
必ずしも幸福でない事実を見れば解るであろう。

富とは必ずしも物質の量によらないのである。
いくら物質の量が多くとも幸福の要素を内に含んでいないものは
“富”とは言い難いのである。

排気ガスによって空気が汚れ、これが肺癌を誘発する原因になったり、
交通事故で、ヴェトナム戦争以上に死傷者が出たりするのは、
自動車の台数がいくら殖えてもそれは本当の富ではなく、
“マイナスの富”である事を現している。

天然の風光明媚の海岸の風景を破壊して毒煙濛々とたちのぼる臨海工業地帯に
いくら数多(あまた)の工場が建設せられても、それは“マイナスの富”を増加して、
金銭で購(あがな)いがたい天然の風光という“富”を毀しているから
称めたことではないのである。

人類は今や、物質の富を追うラッシュで眞の富を破壊しつつあるのではないだろうか。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P273) より

          <感謝合掌 平成30年11月11日 頓首再拝>
12:伝統 :

2018/11/12 (Mon) 02:42:38


《12日 眞理の自覚に伴う現世的利益》

あなたは何処におろうとも、何処に行こうとも、
眞理の自覚を携えている限りは其処に天国浄土はひらかれるのである。

眞理とは何ぞや?
すべての人間は“神の子”であるということである。

仏教的に言えばすべての人間に“仏性”が宿っており、
その“仏性”こそ各人の「本当の自分」であるということである。

今まで仏教の教祖たちはこの“本当の自分”を顕現するための修行として、
坐禅とか念仏とか称題とか、各宗派に従ってそれぞれ其の特徴とする方法が
教えられて来たのであるが、

教えが伝承せられる途上に於いて、その方法が“本当の自分”を顕現する方法だと
伝えられずに、何か未来世的又は現世的御利益を得るための呪文の如く秘法の如く
誤解せられて来たフシがあり、

そのために“本当の自分”を顕現することを忘れて、
他力によって或る恵福が外来的にやって来るための「アラジンのランプ」の如く
扱われて来たのは宗教の堕落というほかはないのである。

本当は、これらの行事は「眞實の自己」即ち「實相」を顕すための坐禅であり、
念仏であり、称題であるのである。

そして人間の「實相」があらわれたら「實相」の内には
一切が蔵されているのであるから、終局、現世的な利益もおのずから整うのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P274) より

          <感謝合掌 平成30年11月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2018/11/13 (Tue) 04:34:04


《13日 “神は”吾々自身の“生命(せいめい)”であり“癒す力”である》

自己の内に“神”が宿る。
その“神”が“本当の自己”である。

“神”は生命(せいめい)であり、肺臓も心臓も何もなき卵から、
すべての内臓をつくり皮膚をつくり、筋肉をつくり、骨格をつくり、
それらの機能の中枢となる脳神経系統やホルモン系統をつくり出した。

その優秀なる智慧というものは我らの内部に宿る
“神”(生命)の智慧であるのである。

その驚くべき叡智に、吾々は時として感謝することを忘れ、
その叡智に信頼することを忘れ、外来の物質的力のみを信頼しているとき、

その不信の精神が内部の叡智と波長が合わぬ故に、
充分には内部の癒す力が働くことができずに、
いくら薬剤に頼っても、薬剤には“生命(せいめい)”がない

故に、ついに恢復を見ることができず、
“不帰の客”となるような気の毒な結果を生ずるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P275) より

          <感謝合掌 平成30年11月13日 頓首再拝>
14:伝統 :

2018/11/14 (Wed) 03:25:32


《14日 薬剤を用いることの可否》

私は決して物質的薬剤を排斥せよというのではない。
物質も「物質、物質に非ず、神の生命(せいめい)<叡智>の顕現」であるからである。

そして物質は、一層大なる顕現をした「主体的生命(せいめい)」が一層高級にして
複雑なる有機体(生ける肉体)を形成するための単位要素として利用するために、
先ず“生命(せいめい)”によってつくられたものである。

それ故に生命体の健康を維持するために「必要なる単位要素」として
その場にふさわしい「選ばれたる適当物質」(食物・薬剤等、皆これに当る)を
利用することは、決して「神に背く行為」ではなく
神が計画された創造の秩序にかなうことなのである。

ただ食物(しょくもつ)でも、薬剤でも、それを単なる「物質」と見ないで、
神の生命(せいめい)の顕現として感謝礼拝して使うがよいのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P275~276) より

          <感謝合掌 平成30年11月14日 頓首再拝>
15:伝統 :

2018/11/15 (Thu) 02:43:31


《15日 神罰の迷妄観念を超克すること》

人類の心の奥底には、自分が道徳的に不善を行った場合には、
神から罰せられるという考えが、人類の初期時代から継続して存するのである。

神罰を説き、仏罰を説き、オドス宗教に信者が引きつけられて行くのは、
その神罰仏罰を“ある”と信ずる人類の潜在意意識の傷に触れるからである。

併し、神は決して人間の罪に対して神罰を降(くだ)し給うような
狭量なお方ではないのである。


神は善人にも悪人にも平等に、既に恵みを与え給うているのであるが、
それを受けると受けないとの自由、即ち恰もテレビの放送は
既に与えられているのであるが、

それを自分で選んで好きな番組を見たり、
全然見なかったりする自由を与えられているのと同じ
種類の自由 ―― を与えておられるのである。

そして「神罰あり」という自分の「心のフィルム」を製作して
現象界のスクリーンにそれを映し出す人にとっては神罰を受けたと同様の光景が
自分の人生体験としてあらわれて来ることになるのである。

“神罰本来なし”という真理を生長の家に入信して自覚するとき、
人類意識の「神罰あり」の迷妄を超越克服して、
神罰から完全に自由になり解放されるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P276~277) より

          <感謝合掌 平成30年11月15日 頓首再拝>
16:伝統 :

2018/11/16 (Fri) 02:38:34


《16日 ”道心に衣食あり”ということ》

真理を自覚するとき、単に「神罰」から自由に解放せられるだけではなく、
一切の苦厄不幸等から解放されて自由となるのである。

これがイエスが

「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」

と説かれた所以であるのである。

昔から「道心(どうしん)に衣食あり」という諺があるが、
道心の”道(みち)”とは宇宙にミチる道(みち)であり、普遍者であり、神である。
その普遍者なる道(みち)と完全に同調するところの心が「道心」である。

道と完全に同調する心をもったときに
自然に衣食は裕に備わることになるという意味である。

これはイエスの

「神の国と神の義を求めよ、その余のものは汝らに加えらるべし」

というみ教と一致するのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P277) より

          <感謝合掌 平成30年11月16日 頓首再拝>
17:伝統 :

2018/11/17 (Sat) 03:46:04


《17日 神は人を通して御心を為し給う》

“神の子”だということは、神の自己表現の中心であるということである。

神の自己表現の中心であるということは、
神が人間を通して自己表現をなし給うことであり、
神が成し給うのであるから、
それが成就しないということはあり得ないということである。

それゆえに、あなたは何事をなすにも
躊躇することも恐怖することも要らないのである。

御業を成し給うのは神であり、神は、あなたをパイプとして
又は“媒体”として仕事を為し給うのである。

宇宙の大神の媒体として、神の御心を行ずる使命を与えられたということは、
何という光栄なことであろう。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P277~278) より

          <感謝合掌 平成30年11月17日 頓首再拝>
18:伝統 :

2018/11/18 (Sun) 03:42:19


《18日 神の心と一体ならば恐るる事なし》

天地万物・森羅万象、悉くわが“心”のあらわれである。
“わが心”は“神の心”と一体であり、われ動けば神は動き給う。

神我一体の自覚を得ることが最大喫緊事である。
而して神にわが往くべき道を問いたまえ。
神の心を傾聴するのである。
それが神想観である。

人間智の小細工ではないのである。
他(ひと)の悪口(わつぐち)を言って自分の勢力を伸ばすのではないのである。
何を為し、何を為さざるかを神の智慧によって教えられるのである。

恐れることはないのである。
あなたの前に横たわる障礙(しょうがい)の二倍以上の力が
つねに内部から湧き出て来て、如何なる障礙も平かとなるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P278) より

          <感謝合掌 平成30年11月18日 頓首再拝>
19:伝統 :

2018/11/19 (Mon) 03:12:21


《19日 神の光は全相を照らす智慧である》

神の智慧は太陽の光のようなものであって隈なくこの世界を平等に照らすのである。
人間の頭脳智は、恰も懐中電灯の光のようなものであって、
眼先の小部分だけに光を投げかける。

そして、なかなか全体からの連繋が分からないのである。
全体からの連繋がわからないから人間の小智才覚でやったことは、
一時は旨く行くように見えるが、視野のとどかなかった所から、

予想もしなかった問題がでて来て、折角うまく行きつつあった行程が
途中からくずれ去ってしまうことがあるのである。

これに反して神の智慧はその光が全領域に行きわたり、
この一点を今、こうして置けば、今はよくないように見えていても、
やがて全体が動き出して、このような好結果があらわれるという事を知っていて
導き給うのであるから、終局的には失敗するということはないのである。

そのような智慧を得るには、やはり神想観を毎日怠らず実修して、
神との一体感を深めておくほかに仕方がないのである。
                        (拙著『詳説・神想観』参照)


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P279) より

          <感謝合掌 平成30年11月19日 頓首再拝>
20:伝統 :

2018/11/20 (Tue) 04:14:23


《20日 平等の心になれば神の智慧が万遍に働く》

本当に心に“偏った力み”がなくなり、
完全に調和した無恐怖の平和な心境になったとき、
所謂る“浮き身”という水中に仰臥して脚も腹も胸も顔も
平等に浮ぶことができるのだそうである。

心が偏っている時は体が平等に浮ばないで、
脚がさがったり、顔だけしか水面に浮ばなかったりする。

本当に平等の心になれて、平等の浮び方が出来る人は、
私の知る限り、今上天皇と小堀流の師範である某先生だけだったとは、
もとの侍従長である甘露寺受長さんの話である。
                    (谷口輝子著『愛に灯ともす』271頁)

水が泳ぐ人を浮力によって支えるのは、神が「人生を泳ぎ渡る人」を
神の智慧によって支えるにも似ているのである。

その人の心が平静になり、好悪を超え、愛憎を超え、
不偏平等の《そのまま》の心になったとき、
完全にあらゆる点が平等に水面が浮くように、

あらゆる問題が調和した姿で解決し、
万事が好都合に搬(はこ)ぶようになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P279~280) より

          <感謝合掌 平成30年11月20日 頓首再拝>
21:伝統 :

2018/11/21 (Wed) 04:10:58


《21日 無尽灯を献げること》

人が悩むのは神との一体感を失い、自分の無力と孤独感とが
ひしひしと心に迫って来るのが感じられる時である。

神と偕(とも)なる自覚があれば、吾らは何事をも成し得るし、
また失望することもないし、孤独感にさいなまれることもないのである。

そのような悩める人を神にまで導いて救ってあげたとき、
何ものにも優(ま)して深き魂の悦びを得るのである。

すべての愛行のうちその人を神に導く愛行を行うをもって
最大価値ある愛行とするのである。

物質をもって愛行しても、その物質がなくなれば、
その人には不足や窮乏の感じが起って来るのであるけれども、

人を神に導いてあげた場合は、相手は永遠の救いを得、
あらゆる点に於いて十全の護りを神から受けることになるのであるから、
その悦びは尽きることがないのである。

これを無尽灯を献げると謂うのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P280~281) より

          <感謝合掌 平成30年11月21日 頓首再拝>
22:伝統 :

2018/11/22 (Thu) 04:58:29


《22日 このようにあなたの朝と夜とを・・・》

毎日の朝々を“新生の日”とせよ。
而して毎日の就寝の瞬間を“一生涯の終り”と思え。

明日に苦労を持ちこすことなかれ。

一切の不快な思い、憎しみ、嫉妬、怨恨、侮辱、劣等感、
悲しみ、争い・・・等すべて暗い感情、闘争の感情を悉く投げ棄てて、
心をサッパリさせて眠りに入るがよい。

一切の、神との交通を妨げる雑念妄想悪感情を浄め去って眠るとき、
神の癒す力とあなたの“生命(せいめい)”とは直通するがゆえに、
心の傷は癒され、肉体の病も自然に清められ、
翌朝は真に汚れなき心身となって新生するのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P281) より

          <感謝合掌 平成30年11月22日 頓首再拝>
23:伝統 :

2018/11/23 (Fri) 03:21:16


《23日 何故、平和を求めながら争いの世界が消えないか》

何故(なぜ)、多くの人々は平和なる世界 ―― 
人々互に調和し親睦せる世界を求めながら、かくも互いに闘争し、
虎視眈々として他の人の弱点を見つけて攻撃したがっている世界が
展開しているのだろうか。

それは彼らが“神”を忘れており、“神”は愛であり、
自分自身が神より出でたる“神の子”であるという
實相をわすれているからであるのである。

換言すれば本来“神の子”であるのだけれども、
幼い時に迷い児となって、無宿のヤクザかルンペンになっていて、
自分の生まれた家の家系を知らないようなものである。

そして、互いにヤクザ同志のつもりで喧嘩をするのである。

人間本来“神の子”の系譜をハッキリ全人類に知らせてあげるならば、
神の愛が各々の人々の心を満たし、そんな争いは消えてしまうのではないだろうか。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P281~282) より

          <感謝合掌 平成30年11月23日 頓首再拝>
24:伝統 :

2018/11/24 (Sat) 04:18:54


《24日 戦争原因の根本を追究して》

あなたが今日(こんにち)、出逢うところの
すべての人々に愛と信頼と称讃とを与えよ。

それが小さなサークルの人間関係であろうとも、一波万波を呼ぶ譬えの如く、
それが全世界にひろがって世界平和の基礎となるのである。

何故、社会党や、公明党や、共産党は、国会で国政を論ずる時に、
最初から攻撃悪意誹謗の語調で政府に食ってかからなければならないのか。

そのときに醸し出される闘争精神の放送が全世界にひろがって、
それを感受し易い同調の精神をもった者を煽動し示唆して、
一波万波を呼んで世界各地に戦争を惹き起しつつあるのに、

戦争責任者は、現実に戦争しつつある国の政府だけにあるように
批難攻撃の論調で、審判(さば)きつつあるのは、
自分の耳を蔽(おほ)って鈴を盗む類(たぐい)ではないだろうか。

戦争は先ず、小さな個人の闘争精神から起り、その闘争精神の波が集まって
集団的な闘争精神の渦巻きをつくり、その闘争精神の強烈な渦巻きに
捉えられた《ある国》の権力者が、実力をもって闘争をはじめるのである。

現在の段階の人間精神の訓練では、戦争は到る処に止みそうにはないのである。

茲(ここ)に徐々にしか効果を挙げるしか仕方がないが、
そして吾々まことに地味な働きしかできないが、
宗教者の果たすべき役割 ―― 精神的役割があるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P282~283) より

          <感謝合掌 平成30年11月24日 頓首再拝>
25:伝統 :

2018/11/25 (Sun) 03:37:18


《25日 希望が実現するための祈り》

あなたの希望が今すぐ思うように実現しないからとて失望したり、
腹を立てたりしてはならないのである。

現象世界は時間の序列を通して 空間に自然界の法則を通して
展開してくるのであるから、今、祈って、その直後又は、明日には
必ず成就するというようなことはないかも知れないのである。

無論、その時間的順序が、祈りの直後に実現することになっている事件もある。

祈りの想念感情は宇宙に蓄積されてそれが具体的に実現するようになるのは、
毎日蒸発している水蒸気が、ある程度空気中に蓄積されて
それが飽和状態以上になったとき、それが雲となり雨となって
具体化して来るようなものである。

一回や二回祈ってそれが実現しなかったからといって、
祈りを止めてしまうようなことでは、祈りの想念感情が具体化するまでの
蓄積度が足りないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P283~284) より

          <感謝合掌 平成30年11月25日 頓首再拝>
26:伝統 :

2018/11/26 (Mon) 03:12:34


《26日 明るさ・悦び・祈り・而して行動》

明るい悦びの感情をもって、自分の希望は必ず成就するのだと信じて、
その希望実現に必要な行動的努力をつづけるがよい。
必ずあなたの希望は実現するであろう。

行動的努力を伴わないで、ただ「祈る」だけで物事が成就するなどと、
《甘い》ことを考えてはならないのである。

「悦べば悦び来(きた)る」と教えられているのである。
明るい心で悦びながら祈ることが、
「既に御心の成る世界」に波長を合わすことになるのである。

しかしテレビセットのチャンネルを合わしても、
画像が前面にあらわれて来ないのは、スイッチを入れるという
行動的努力が忘れられているからである。

行動を伴わない祈りは「空念仏」と教えられているのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P284) より

          <感謝合掌 平成30年11月26日 頓首再拝>
27:伝統 :

2018/11/27 (Tue) 03:51:13


《27日 “悪”の存在を維持する力は自分自身の心の中にある》

“悪”は本来存在しないのであるから、どんなに“悪しき事物”が
恰も実際に存在するが如き様相をもって強力にあらわれて来ようとも、
それは“悪”それ自身の姿をもって存在の様相を保っているのではないのである。

それはあなたの心の中に、それを“存在する”と認め、
その“存在”を合理的であるとみとめる信念があって、その信念に支えられて、
その“悪”が恰(あたか)も実在するが如き様相を維持しているのである。

若し、あなたの心の中(なか)に「そんな“悪”が存在する」という信念が
消えてしまったら、その“悪”の存在の様相を支えている力が消滅してしまうから、
その“悪”と見える現象も消滅してしまうのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P284~285) より

          <感謝合掌 平成30年11月27日 頓首再拝>
28:伝統 :

2018/11/28 (Wed) 03:18:41


《28日 神想観によって自覚を深めましょう》

今日は、特に更めて、自己が“神の子”であり、
神の善なる力が自分の内に強力に貫流しており、

自分を導き、自分を賦活し、自分を健康ならしめ、
幸福ならしめ、裕(ゆたか)ならしめ、勇気と決断力に富ましめ、
常に新しき創造の意欲と力とを与え給うているのだということを
神想観して確認することにしましょう。

神の智慧が吾らをして、常に栄えの道を歩ましめ給うが故に、
世間が如何に不況であっても、自分の仕事に不景気はないということを
神想観して確認することに致しましょう。

生長の家の誌友でありながら、
神想観をしない人があるのは誠に不思議なことなのである。


聖典を読むのは、無限の宝が充ちている未知の世界に
旅行するため旅行案内書を読んで、どこに行きどうして
その無限の宝を発見し得るかの手順を知らされるようなものである。

神想観は、その案内書によって知った「未知の宝庫」に
直接触れる途(みち)なのである。
神想観を毎日励まないでいて、「私は生長の家です」というのは少々無理である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P285~286) より

          <感謝合掌 平成30年11月28日 頓首再拝>
29:伝統 :

2018/11/29 (Thu) 04:53:40


《29日 神は愛なり、神の愛を実践せよ》

“神の子”は神の子からしく“愛”を行じなければならない。

神想観を実践して“神の子”たる自覚を深め、
次には“神の子”らしく“愛”を他(た)に与えるべきである。

この場合の“愛”とは恋愛とか、性愛とかいうものではないのである。
「神は愛なり」という場合の如き普遍的な愛である。

愛を与えるには必ずしも物質的贈り物を与えなければならぬことはないのである。
あなたの優しき微笑(びしょう)、深切な表情を与えて、
相手に幸福感をもたらすのも「愛を与える」ことなのである。

人に出会ってもムッツリと無表情で白眼(しろめ)で相手を見るようなことなく、
愛情のある語調で一言(ひとこと)挨拶の言葉をかけるのも神の愛である。

誰かが失望して起(た)ち上る勇気を失っているときに
「神が護ってい給うから、必ず陰極は陽転する」ことを説いて、
その人を失望からたちあがらせてあげることも神の愛である。

誰かが病気又は不幸に陥っているとき、
人知れず、その人のために祈ってあげるのも神の愛である。

本当の愛は、大袈裟に宣伝するラッパを嫌うのである。
静かに夜露(よつゆ)がおりてすべての作物に潤いと生気とを与えるような
静かなる祈りに満ちた行いが本当の愛である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P286) より

          <感謝合掌 平成30年11月29日 頓首再拝>
30:伝統 :

2018/11/30 (Fri) 04:32:45

《30日 新に生まれるということ》

新に生まれるときが来たのである。

新に生まれるとは、肉体の人間が「自分」そのものだと思っていた
その迷妄から目覚めて、肉体は人間そのものではなく、人間の操縦する道具であり、
“本当の自分”を表現するための媒体に過ぎないということを悟ることである。

そしてその道具を操縦している本体は“霊”であり
“物質”ではないのであるから、それは肉眼では見えないのである。

肉眼では見えないものだから、兎もすれば、それは忘れられ勝ちになって、
肉体の方を「人間」だと思い間違えるのである。

しかし、その肉眼に見えないで、肉体の奥にあってそれを操縦しているもの
 ―― それが“本当の人間”であり、“神の子”なのである。

本末を顛倒して肉体の欲望を「人間」の“主人公”としているものであるから、
神なる本当の親様に、その“主人公”は波長が合わないで
神の叡智を感受することが出来ず、時々過ちを犯し、失錯を演ずることになるのである。

今、直ちに、霊なる“神の子”を人間の主人公たらしめ、
神の親様の許(もと)に帰還して神の叡智を直接受け得る権利を復活せられよ。

そこから本当の幸福も繁栄も調和も得られることになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第11篇(P287) より

          <感謝合掌 平成30年11月30日 頓首再拝>


・・・

<参考Web>

(1)ひかりの一日一言①
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552 

(2)ひかりの一日一言②
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787

(3)ひかりの一日一言③
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650

(4)ひかりの一日一言④
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684

(5)ひかりの一日一言⑤
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6558249

(6)ひかりの一日一言⑥
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584563

(7)ひかりの一日一言⑦
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774

(8)ひかりの一日一言⑧
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661

(9)ひかりの一日一言⑨
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6681257

(10)ひかりの一日一言⑩
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711243

(11)ひかりの一日一言⑪
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6745089

(12)ひかりの一日一言⑫
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6778844


<以下は、「幸福を招く365章」より」>

(13)ひかりの一日一言⑬~幸・不幸の岐れ道
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818439

(14)ひかりの一日一言⑭~意識を高く昇らせよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866429

(15)ひかりの一日一言⑮~理想を高く掲げよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754

(16)ひかりの一日一言⑯~心霊への目覚め
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6929870

(17)ひかりの一日一言⑰~健康への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6962847

(18)ひかりの一日一言⑱~寿福への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6990572

(19)ひかりの一日一言⑲~愛を人生に処方して
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7021791

(20)ひかりの一日一言⑳~祈りを生活に処方して 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7058416

(21)ひかりの一日一言21~あなたも神癒が受けられる 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7097406

(22)ひかりの一日一言22~光に向う我が運命 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7149847

(23)ひかりの一日一言23~正しき想念の使い方 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7190605

(24)ひかりの一日一言24~われ肉体以上のもの
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7274701


<以下は、「生活の智慧365章」より」>

(25)ひかりの一日一言25~幸福はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235

(26)ひかりの一日一言26~悦びはどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7557795

(27)ひかりの一日一言27~智慧はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7575483

(28)ひかりの一日一言28~無限の供給を受ける道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7590764

(29)ひかりの一日一言29~失敗から立ち上がる道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7606832

(30)ひかりの一日一言30~豊かさを得る道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7630690

(31)ひかりの一日一言31~肉体の苦痛はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7645085

(32)ひかりの一日一言32~治癒する力はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7658207

(33)ひかりの一日一言33~若さと元気はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7669112

(34)ひかりの一日一言34~〝神〟を生活の中に生きるには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7686486

(35)ひかりの一日一言35~自己の本質を知るには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703081

(36)ひかりの一日一言36~運命をひらくには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7724106


<以下は、「人生の秘訣365章」より」>

(37)ひかりの一日一言37~希望実現のための法則
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7732872

(38)ひかりの一日一言38~~心で人生を支配せよ
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7743087

(39)ひかりの一日一言39~あなたは運命の主人公
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7751317

(40)ひかりの一日一言40~繁栄を実現するための根本問題
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7761105

(41)ひかりの一日一言41~祈りに強くなる31章
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7770328

(42)ひかりの一日一言42~天国を地上に実現するには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7778386

(43)ひかりの一日一言43~”神の子”としての力を出す道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7787449

光明日訓(平成26年版)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7732871

光明日訓(平成28年版)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538248

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