伝統板・第二 2473239

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十一月の法語

1:伝統 :

2018/11/01 (Thu) 04:15:32

このスレッドでは、他の掲示板等から、次の4つの法語を紹介してまいります。



(1)『 生長の家 』 昭和十六年十一月号法語

   *次のWeb「光明掲示板・第三」からの転載です。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295


(2)『 生長の家 』 昭和二十四年十一月号法語

   *次のWeb「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱」からの転載です。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102
  

(3)『 生長の家 』 昭和二十五年十一月号法語
   *次のWeb「愛国本流掲示板」からの転載です。
    http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=606 ~ 消滅


(4)『 理想世界 』昭和四十ニ年十一月青年法語
   * 伝統板・第二「青年法語『吾等青年何を為すべきか』」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

・・・

「秋雨(あきさめ)を聴く」

        *「光明道中記」(十一月 もみじ輝く~はじめの言葉)より

   しみじみと味えばふかし雨の音轟々(ごうごう)とも聞え淙々(そうそう)とも聴ゆ

夜明に豪雨が物凄いばかり降った。
その音を聴いていると何だか懐かしい気がするのであった。

瀑(たき)のようにも聴えるし、谿川(たにがわ)の流れのようにも聴える。
呟くようにも聴えれば、千万(ちよろず)の唇でさんざめいているようにも聴える。
尚一層激しく降り灑(そそ)ぐときには豪宕(ごうとう)な感じがする。

秋だとひとしお思うのだ。学生時代に国木田独歩の小品集『武蔵野』を抱きながら、
秋の戸山ヶ原を逍遥(しょうよう)して楢の梢(こずえ)に囁いている秋の音に耳を傾けた
ことや、秋風に特有な地を這(は)う息吹(いぶき)に、冬が近づくかと戦(そよ)いでいる
小草に見入っていた頃などを想い出した。

自然に対する眼(まなこ)をもう一度開こう。
其処には無限の宝庫がある。

自然は生きている。素直に生きている。
争ったり、凋落(ちょうらく)しているように見るのは僻目(ひがめ)である。
生かし合い、讃美し合い、献げ合い、譲り合って、悦びの涙と共に生きているのだ。

落葉樹の生命はかすかに眼立たなくなったときに最も深く生きている。

争っているように見えても皆生かし合っているのだ。

・・・

【一日の法語(11月1日)】

(1)《帰一大御心の日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   天皇陛下は現人大神であらせられる。

   吾等は  天皇陛下の赤子である。
   随って現人大神の赤子である。
   これを神の子と云う。

   神の子とは  天皇に忠なるもののことである。
   自由主義的に、我侭に、何でも出来ると云うことではない。

   大御心に一つになり、大御心の通りに
   何でも出来ると云うことである。

・・・

(2)《わが内に生き給う神》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   吾は神の子である。
   神は吾が親さまであり給う。

   神は吾らの目に見えないけれども
   吾らを常に護り給うているのである。

   外見がどうあろうとも吾は吾が親さまである神に、
   完全に信頼し全託して、神の守りを信ずるのである。

   吾が言葉、吾が力は神の絶対力の表現であるから、
   始めてそれが無限の実現力をもっているのである。

・・・

(3)《「 今 」 の一点に久遠を生きよ》

   年齢のことを思い煩ってはならない。
   年齢は 吾々の生命(いのち)を切り刻む
   歯輪(はぐるま)ではないのである。

   年齢は 自分の心のうちにある。
   吾々が地球上に出現してから何年たったかは、
   外界の問題に過ぎないのである。

   吾々は その外界を毎日新たに自己に摂取し、
   毎日 自己を外界に投影して、新しき生活をいとなむのである。

   常に回転する心棒は 錆びることはないが、
   回転しない心棒は 錆びるのである。

   吾々の生命は常に 「 今 」 の一点に
   「 神の子 」 の無限生命を自覚しつつ 新生するのである。

   かかる人間は 老いることを知らないのである。
   「 今 」 の一点に久遠を生きよ。

・・・

(4)《組織づくりの大切なること》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   何事でも完全な成績を円滑に挙げるためには
   組織づくりということが大切なのである。

   叡智に導かれた精緻な組織がつくられなければならないのである。

・・・

<参考>

(1)『 光明法語<道の巻> 』(十一月の法語「愛と赦しと平和の想念」)
   →  谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=42
      

(2)『 生命の實相 』第三十八巻幸福篇(十一月「さらに新芽を含む」)
   → 光明掲示板・第二
     http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=529 


(3)『 光明道中記 』(十一月「もみじ輝く」)
   → 光明掲示板・第二
     http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=530
  
            <感謝合掌 平成30年11月1日 頓首再拝> 
2:伝統 :

2018/11/02 (Fri) 03:56:48


(1)《一に帰る日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)


   反者道之動、弱者道之用。 天下之物、生於有、有生於無  (老子)

   反は道の動、弱は道の用。 天下の物、有より生じ、有は無より生ず。


   反は復るのである。 

   道は宇宙にミチる本元者である。

   それは『一』である。

   すべてのものは『一』に復って、真に生き、真に動くのである。

   復古即ち新生である。
   新生するためには『一』に常に復らねばならぬ。

   『一』のみが常立であり、金剛不壊である。

   『一』に復らざる動は根無し草である。

   それは遷り変る果敢なきものに過ぎない。

・・・

(2)《 実相に不調和は存在しない》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)


   神はすべてである。だから すべては一体である。
   一体であるから すべては調和するほかはないのである。

   神は調和であるから、
   吾々もすべての人々と調和しなければならないのである。

・・・

(3)《最初にして最大の誡めを実践せよ》

   病人で 「 生命の實相 」 を読んで、人間は薬剤に頼らずとも、
   自己の内に 「 神の子 」 の無限生命力がある ー 
   と云う点だけを読んで、
   薬剤を廃したり 医療をやめたりする、

   経済的に都合が好いことであるからと、早速に医薬と医療を廃し、

   それでいて、 「 生命の實相 」 の巻頭にある

   「 汝ら天地一切のものと和解せよ・・・
   和解するとは怺え合っていることではない。
   感謝し合ったとき本当の和解は成立する 」

   と云う 最初にして最大の誡めを実践しないで、

   病気が増悪したから 「 生命の實相 」 の悟りも駄目だ、
   と云う人があるが、病気は、心が変らないで
   医療を止めるだけでは決して治らぬのである。

・・・

(4)《組織づくりと、魂の救いの問題》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   魂の救いは、個々の“悟り”又は”信心”の問題ではあるけれども、
   その個々の人間も教えに触れなければ魂の救いの門に入るわけにはいかない
   のであるから、伝道の組織づくりを完全にして誰でも教えに触れ易い
   ようにしてあげることが、人を救う道である。

            <感謝合掌 平成30年11月2日 頓首再拝> 
3:伝統 :

2018/11/03 (Sat) 03:24:59


(1)《承詔必謹の日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   『一』に復ると云っても、
   一二三四 ・・・・ の数の序列の一ではない。

   一切の数を超え、一切の対立を超え、
   一切を自己の内に包んでいる『一』である。

   この『一』はまた『○(ゼロ)』と云っても『無』と云っても好い。

   一切を内に含んでいるから天下無敵である。
   一切を内に含んでいるから逆らうことはない。

   詔を承けては必ず謹み行ずるのである。

   其処に大調和があらわれ、天下無敵となるのである。

・・・

(2)《神の愛に満たされていると云うこと》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   神の愛は 宇宙にみちてい給う。
   神の愛は 吾が内に宿ってもい給うのである。

   吾は神の愛から逃れることはできないのである。
   されば 吾はどんな場合にも困るということはないのである。

   神は 我を包んで常に守り給う。
   吾は又すべての人を愛し すべての人は吾を愛するのである。

・・・

(3)《心が先で現象はそれにつづく》

   長らく医療にかかり、薬剤にかかっていたのに治らなかった者が、
   医療を廃し、服薬を止めて、忽然として快方に赴く実例があるのは、
   決して医薬や医療を止めたから治ったのではなく、

   其人の心に心機一転したしたところの
    「 新たなる心境 」 が実現したからである。

   心が一変しないで、ただ薬剤を廃し、医療を止めたとて
   治るものではない。

   治癒と否とは、心に原因があるのである。

   事件が継続しているからとて、前に起った出来事は
   必ずしも、後に起った出来事の原因ではないのである。

   医者にかかって人間が死んだとて
   医者にかかったのが原因で人間が死んだのではない。

・・・

(4)《自分の勉強科目を純粋培養せよ》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   あなたが勉強して、あなたの心の中に立派な{成果}をつくり出すためには、
   その勉学の途中で、自分の注意を外らすような何物も傍らに置かぬがよいのである。

   書斎の整頓そのものが勉強の能率をあげ、時間を節約し、
   すべてをプログラム通りに進行させることになるのである。

            <感謝合掌 平成30年11月3日 頓首再拝> 
4:伝統 :

2018/11/04 (Sun) 06:04:51


(1)《心柔くなる日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   硬き者は強いようで却って壊け、柔き者は弱いようで却って強い。
   硬きものは他から攻撃され易く、また攻撃されたとき脆く刃毀れする。

   大調和するには我がなくなり、無に復り、零に復らねばならぬ。

   柳に雪折れなく、喬木風に中り、堅木は折れ易い。

   病気になっている人みずからを顧みよ。
   
   自分の心は硬くないか。
   折れ易くなっていないか。
   氷のようになっていないか。

・・・

(2)《神の智慧 吾を導き給う》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   吾は神の智慧に導かれて 常に安全の道を歩むのである。

   神の智慧は 人々を導いて吾に幸福をもち来らしめ給い、
   吾は又 神の智慧に導かれて 人々に幸福をもち来すのである。

   幸福を人に与えるもののみ又 自分も亦幸福を与えられるのである。
   吾は その真理を知るが故に、
   常に人々に幸福を与えてやまないのである。

・・・

(3)《先ず神に和解せよ》

   「天地一切のものに和解する」 には、
   第一、神に和解しなければならないのである。

   神に和解するには、神の創造した世界には、
   一切の悪は決して存在しないと云うことを
   先ず信ずることである。

   「 お前のこしらえたものに碌(ろく)なものはない 」
   などと考えているのでは
   相手に和解していることにはならないのである。

   神に対してそんな考えをもっていながら
   神に和解していると考えてはならない。

   肉眼に如何に不完全な相(すがた)が見えようとも、
   神の創造(つく)ったこの世界には不完全な存在はない。

   それは 自分のあやまれる心の反映だと
   自分の心を反省しなければならない。

・・・

(4)《組織を通して活動すれば、効果が百倍する》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   組織づくりが完全に行なわれると、
   各方面へ自分が出張して直接交渉することをしなくても、
   組織がそれを行ってくれることになるのである。

   即ち、自分の力で、組織の末端まで延長して、
   末端組織の数だけ倍乗して働くことになるのである。

            <感謝合掌 平成30年11月4日 頓首再拝> 
5:伝統 :

2018/11/05 (Mon) 03:30:20


(1)《無限供給の日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   理念は形なき形であり、声なき声である。
   すべての現象  ―  即ち形あるものは  ―  
   形なき形、声なき声の影である。

   先ず 『無』 の世界に沈潜して行くことが必要である。
   『無』 の世界には一切の物の本源があるのである。

   『無』 を称して目無堅間の小船と云う。
   目無堅間の小船に垂れば龍宮城は其処にある。

・・・

(2)《神を生活に実現する時が喜(よろこび)である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   吾が中(うち)に宿る完全なる 「 神の生命 」 の実相を表現する時、
   わが生命は 平和にみたされ、調和にみたされ、喜にみたされ、
   生き甲斐を感ずるのである。

   生き甲斐とは、神が神であるその実相を現わした時が
   喜の感じであるのである。
   吾は 神を表現することに喜を感じ 生き甲斐を感ずるのである。

   神は 愛であり智慧であるから、
   吾は 愛を実現し 智慧を実現することに生き甲斐を感ずるのである。

・・・

(3)《父母に感謝の思念を送れ》

   病気が治り、運命が好転するには、
   神の創造の完全なることを信じ、
   それに感謝しなければならぬと共に、

   更にその次には 「 神に感謝して汝の父母に感謝せぬ者は
   神の心にかなわぬ 」 と示されている。

   あなたは父母に実際感謝しているであろうか、
   省みて父母に感謝を実践することである。

   それには先ず神想観のときの如く瞑目合掌して、
   心のうちに、又は自分にのみ聞えるほどの低い声で
   「 お父さま有難う御座います。お母さま有難う御座います 」 と
   念ずることである。

   これを実践している中(うち)に、
   言葉の力で真に父母に感謝する心境が生れて来るのである。

   父母と云うのは肉身の父母もあるが、
   生みの親でなくとも、両親の理念の現れている人を指すのである。

・・・

(4)《協力者を組織化する必要》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   「天は人の上に人を創造(つく)らず人の下に人を創造(つく)らず」
   とは民主主義の標語であるけれども、

   運動を進め仕事を協力してやる場合には中心的な位置から、
   更に分割された色々の部門の長(チーフ)が必要であり、
   チーフの下に素直に運動してくれるメンバーが必要であり、

   命令系統がハッキリしていなければ効率的に仕事の能率をあげ
   運動を前進さすことはできないのである。

            <感謝合掌 平成30年11月5日 頓首再拝> 
6:伝統 :

2018/11/06 (Tue) 04:43:57


(1)《克く謙る日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   強く頑なるものは敵を招いてみずから敗れ、
   柔くして 『無』 なるものは、
   無心の小児が敵なきが如くよく自分を全うする。

   克く謙り、克く虚しくなり、高ぶらず、驕らず、欲張らず、
   詔を承けては必ず謹み、上には逆らわず、素直に 『ハイ』 
   の心を行ずる  ―  これ虚無の人であり、道の人である。

   道は国を興し、道を行ずる者は家を興し、みずからを栄えしめる。

・・・

(2)《神はわれに善き考えを吹き込み給う》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)


   吾は神の子である。
   神はその無限の智慧より、常にその善き考えを
   吾々に注ぎ給うのである。

   神の世界には智慧と愛と喜と無限の生命とがみちみちているが故に
   神をこの世に実現した時 それらの善きものが現実に現われずには
   いないのである。

   神より与えられたる賜物は 常に雨降る如く、豊に流れ入るのである。

   吾はそれを自覚するが故に幸福であるほかはないのである。

・・・

(3)《夫婦の調和を完全にせよ》

   神に和解し感謝した次には、
   夫又は妻に和解し感謝しなければならぬ。

   どんなに多くの夫婦が互に憎み合っていることであろう。

   夫婦は互に相愛しているがゆえに、その愛の執着性のゆえに
   最も多く憎み合っているものである。

   愛は自他一体の自覚であるが故に、
   自己の好むところの其(その)通りに、
   夫又は妻をあらしめようとする。

   此処(ここ)に自己の好む通りにしてくれない
   夫又は妻に対して憎み又は憤りを感ずる。

   不平とか単なる不満足は、
   その憎み又は憤りの軽度のものに過ぎないのである。

   此の隠れたる不平不満が
   重大なる病気の原因になっていることがあるから
   省みて赦し合い、和解し合い感謝し合え。

・・・

(4)《身辺の雑物を整理して組織化せよ》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   何でもキチンと組織的に片付ける習慣を若いときからつけておくことは、
   将来、事物を組織化する能力を増進することになるのである。

   阪急電鉄の社長であり、東宝劇場の創立者であり、東宝歌劇の発案者であった
   故小林一三氏は、実業界の今太閤といわれる程の明敏な頭脳の持主であって
   東宝系、阪急系の諸事業の基礎をきづいた人であったが、

   秩序の感覚の非常にすぐれた人であって、自分の仕事に必要な諸道具、参考書類は、
   自分の寝台からすぐ手を延ばせば届く位置においており、それらを取りに
   往復する時間を節約するように計画されていたという。

   万事がその通りで仕事が綿密に組織化されていたのである。

            <感謝合掌 平成30年11月6日 頓首再拝> 
7:伝統 :

2018/11/07 (Wed) 02:35:48


(1)《真理に随う日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   上士聞道、勤而行之。 
   中士聞道、若存者亡。 
   下士聞道、大笑之。 〈老子〉

   人間は色いろある。

   『士』 とは道を学ぶ者のことである。
   学人である。

   上士は上々の学人であるが、
   上々の学人は道を聴けばつとめて之を行ずるのである。
   忠を聴けば忠を行じ、孝を聴けば孝を行ずる。

   ところが中士即ち中等の学人は行じない。
   聴いた道が頭にのこっているのか亡(わす)れているのか、
   とんと見当がつかない有様である。

・・・

(2)《想念は運命の別名である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   人は自分自身を信ずる通りの所のものに
   自分自身の運命を決定するのである。

   不安動揺限りなき心の状態では、
   不安動揺限りなき有様が現われて来るほかはないのである。

   吾々は不安を去り、取越苦労を避け、恐怖心を去り、
   如何なる場合にも 唯(ただ)幸福のみが来たるを
   信じて待たなければならないのである。

   信じてまてば 必ず道は開かれるのである。

・・・

(3)《家族全部が調和し合え》

   一人の家族のイライラした感情、激しい言葉、叱咤(しった)が
   家族全体の精神的雰囲気をくもらせ、それが恰(あたか)も
   稲妻が風雨を呼び出すように 精神の空中放電を起して、
   家族中の誰かに致命的な落雷を生じて病気たらしめることがある。

   家族のうちの一人でも面白からぬ感情をもっている者があるときは、
   すみやかに打ち溶け合って和解し、感謝し合うようにしなければならない。

   一人の嫁が姑(しゅうとめ)の行為を不満足に思っていただけで、
   その嫁の子供がトラホームに罹っていて
   医療をつくしても治らなかった実例がある。

   かかる場合、医療を止(や)めるか止めないかが問題ではない。
  
   嫁が姑に和解してしまった時 忽然(こつねん)治ったのである。

・・・

(4)《幸運と不幸とは自分がつくる》

   誰にでも一生涯のうちには、大きな濤のうねりのように運命のうねりが
   その人を下から押し上げてくれる時期が一度や二度は必ずあるものである。

   その運命の波濤にうまく波乗りできるものは、
   急速にそして快適に、波の上昇を楽しむことができるのである。

   しかし、そのような”運に乗る”ことのできる人は
   平常から“波乗り”の訓練のできている人だけである。

   平素の訓練のない人は運命の波のうねりに自分の足をすくわれて倒れてしまい、
   波に呑まれてついに溺れ死ぬかも知れないのである。

   運が好いとか、運が悪いとかいうけれども、それは結局、平素の自己訓練が
   してあるか否かにかかってあるのであって、“運”と称する外来の
   ”何物”かに、自分の生涯が左右されているのではないのである。

            <感謝合掌 平成30年11月7日 頓首再拝> 
8:伝統 :

2018/11/08 (Thu) 02:23:39


(1)《善事来る日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   老子はこれに続いて 『下士は道を聞いて大いに笑う』 と云った。

   笑わざれば、以て道を為すに足らず、故に建言に之れ有り、
   明道は昧(くら)きが若(ごと)し、夷道は類(おな)じきが若し。
   進道は退くが若し。
   上徳は谷の如し。

   と云ったのである。

   本当の道は下級の学人には判らない。
   わからないから大いに其の表面を見て嘲笑する。
   そんな馬鹿なことがあるものか。


   道はそのままだと云っても、
   そのままでは進まないではないかなどと批評する。

・・・

(2)《人生問題を解決するのが宗教である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   釈迦は 生老病死の四つの苦しみを
   人生から除去せんがために出家をしたのである。

   これを解決するのは釈迦キリストの第一の原因であった。

   仏教が現世利益を排斥して
   この苦しみの解決を後回しにしている問題は
   釈迦の本道を行くものとはいえないのである。

・・・

(3)《医薬を止めて治る場合》

   医療の道なく医薬無効の病気に悩む患者が、
   翻然(ほんぜん)心を一転して医薬を捨てた場合に、
   急に快方に赴く実例があるのは、

   多くの医薬は、それが効くと云う薬である限り
   多少とも肉体に対して毒性をもっているからである。


   ズルフォン剤の毒性は無論のこと、
   人体に無害と云われるペニシリンと雖(いえど)も、
   その注射後、頭痛や発熱を起すことがある。

   それが病原体を死滅せしむる様に適剤として用いられた場合には、
   人体に対する多少の毒性があっても有効であるが、

   その病原体を駆使する力なき薬剤が連用されている場合には、
   ただ薬剤の毒性によって人体の生活力が抑圧されていただけであるから、

   薬をやめるだけでも生活力を妨害する物が除かれて
   治癒力が促進するのである。

・・・

(4)《あなたは幸運の雲を巻き起こせる》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   外部にあらわれるものは既に内にあったものだけがあらわれるのである。

   既に内にないものはあらわれようがないのである。

   ふだんに、よく勉学し、教養を積み、自分の能力の進歩を、
   マラソン選手が毎日必ず走って脚を鍛えるように、
   自分の研学の目標を定めて、その方面の能力を毎日一層鍛えておくのものは、

   やがて時が来て雲に乗って竜が昇騰するように、
   好運の雲を巻き起して見る見るうちに人類の救済者とも
   一国の宰相とも一党の総裁ともなるのである。

            <感謝合掌 平成30年11月8日 頓首再拝> 
9:伝統 :

2018/11/09 (Fri) 02:42:53


(1)《高きを隠す日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   喬木には風が強い。

   その風を避けるためには流線型にならねばならぬ。

   人間の流線型が大賢であり、明道である。

   光を和げて塵と同(ひと)しくするのである。

   『君子は盛徳ありて、容貌、愚なるが如し』 である。
    『夷道は類(おな)じきが若(ごと)し』 である。

   夷は平である。

   一切平等の中の徳を得たる者は普通の人と何ら変るところはない。

・・・

(2)《人間は本来老いないものである》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   生老病死の苦しみの第二は 老苦である。
   老いて見苦しくなる苦しみ
   老いて体が不自由になる苦しみなどである。

   吾々の肉体細胞は常に新たに新しき養分によって
   造られているのである。

   年齢の上では、かりに五十歳六十歳というけれども、
   吾々の肉体細胞は常に新たに造られたものなのである。

   だから老衰はあり得ないことなのであり、
   それをあるかの如く現わすのは
   自分の心が老いてくるからにすぎないのである。

・・・

(3)《心の緊張が病気を治す》

   人間はその内部に癒やす力をもっているのである。
   「 癒やす力 」 と云うのは内部に宿る
   「 完全 」 なる実相である。

   その完全さが常に内部から押し出して
   健康となろうとしているのである。

   その内部の 「 完全 」 さを押し出す力を妨害するものが、
   他の人と不調和の心、争う心、憎む心、恐怖する心、
   憤る心、怠ける心などである。

   怠ける心を持っている場合には、
   身体の活力も怠けてだらけた気分になり、
   細胞全体の活力も怠けてしまうのである。


   心の緊張が病気を忘れしめて、重大なる病気を
   快復に赴かした実例は沢山あるのである。

   勤労で病気が治るのは 労務そのものよりも
   心の緊張の結果である。

・・・

(4)《片岡秀公丈(ひできみさん)の雄弁を聴く》

   こないだ、国立大劇場に招かれて、「学生のための歌舞伎の解説」を観にいった。

   片岡秀公丈の歌舞伎の由来や舞台の説明や囃子道具の解説は、
   私の今まで知らない事を沢山教えてくれて、色々参考になったのである。

   背広を着て素顔で舞台に立った秀公丈は素晴らしい雄弁で、聴衆・観客の心を
   捉えるコツを心得ていて真面目な解説の中に歌舞伎の声調(こわいろ)を
   時々交えて吾々を倦きさせず、擒縦(きんしょう)自在の趣があった。

   これだけ自由自在に言葉の力を駆使し得るためには幼い時から
   余程の訓練を経て来た結果にちがいないのである。

   吾々宗教人も人を救うためには、
   自己訓練をきびしくして、聴衆を倦きさせないで真理を説き、
   悟りに導く言葉の力を鍛えておかなければならないと思った。

   吾々は勉強が足りないのではないか。
   吾々は自己訓練が足りないのではないか。

   レジャーが多すぎ、その時間が自分を研くためにつかわれないで、
   ただ詰らない娯楽や呆心に浪費されているのではないか。

             ・・・

   (4)の法語に関連して
   <参考Web>

   ①伝統板・第二「効果的に伝える力」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6502921

   ②伝統板・第二「雄弁家への道~「ツカむ! 話術」 」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6543064

            <感謝合掌 平成30年11月9日 頓首再拝> 
10:伝統 :

2018/11/10 (Sat) 03:43:26


(1)《其の徳を包む日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   秋が来て木の葉が凋落する。
   
   それは一見退くがが如しであるが、
   その時一層その木は堅緻になり、
   やがて春来るときに大いに伸びる力を内部に養われる。

   みずから卑きにつくこと水の如くにして、
   はじめて洪水の如く、
   時来れば偉大なる力を発揮し得る。

   上徳は谷の如くにして一切の流れを自己に集めて大となる。
   これ低きにつく徳である。

・・・

(2)《過去は 『 今 』 祝福に変貌する》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)


   吾は今日を祝福するのである。
   過去を祝福し 未来を祝福し、すべての日を祝福するのである。

   何故ならすべての日は神様に護られているからである。

   過去は 「 今 」 の一点に於いて生きた姿に変貌するのである。

   すべての過去は今生きていて吾をして、
   神の祝福を知らしめ給うたのであるから

   過去あっての 「 今 」 であり、
   「 今 」 過去は生きているのである。

・・・

(3)《宗教的感激の治癒力》

   関西の風水害の時に、洪水が滔々(とうとう)と
   自分の家へ流れ込んで来て病床を浸すので、
   今まで中風で動くことが出来なかった病人が起ち上って、
   荷物を二階に運んだきり中風が治って歩き出した事実や、

   関東大震災に火をのがれようとして
   関節炎の患者が治ってしまった実例は、
   心の緊張が不治の病気を治した実例である。


   「ひとのみち」と云う宗教があったとき、
   重症の肺病患者でも重労働させて治った如き実例があるのも、

   宗教的感激の極、心の緊張が極度に達して、
   病気を忘れしめ、怠ける心を退散して、
   内部の活力を奮起せしめたからである。


   心の面を忘れて、形だけ真似させて、
   重病者を重労働させて治ると考えてはならない。

・・・

(4)《自己訓練の価を払って》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   わたし達は、”神の子”として“神の生命”という原石を
   ただで譲り受けているのである。

   しかし原石のままでは”神の子”らしい輝きを発揮することはできないのである。

   その本具の光を発揮するためには磨かなければならないのである。

   しかし磨くためには、ただで人に委せておいては駄目なので、
   値を払わなければならないのである。

   それは自分の用途(使命)に従って、
   努力と勇気と忍耐とをもってする自己訓練という値をはらうのである。

            <感謝合掌 平成30年11月10日 頓首再拝> 
11:伝統 :

2018/11/11 (Sun) 02:34:19


(1)《弁解せぬ日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   太白若辱、
   広徳若不足、
   建徳若倫、
   質直若渝、
   大方無隅、
   大器晩成、
   大音希声、
   大象無形


   太白即ち太(はなはだ)しく白いものは、
   非常に潔白なる者は、

   最早自分を飾ろうとしないから、
   辱の如く、
   すなわち却って辱かしい姿のようにも現われる。


   白隠禅師が他の孕ました子供をお前の子だと
   押付けられても弁解しなかった如きである。

・・・

(2)《『 今 』 は神が生きる唯一の機会である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   「 今 」は過去と未来とを一点に現在ならしむる所の瞬間である。
   永遠が 今の一点に 流出口(ぐち)を見出(みいだ)しつつあるのである。

   今 神が生きる唯一の機会である。

   過去は現在に生き 未来は現在によって生きる。
   どんな過去も無駄なものは一つもなかったのである。

   唯(ただ)感謝と喜(よろこび)と祝福とのみがあるのである。

・・・

(3)《母に感謝して治る病気もある》

   感激して夢中になって 肉体をわすれての労働は、
   重症の肺病をも癒やすが、

   その労働が退屈になり、
   課せられた義務としてする仕事は、
   健康者をも病気にするのである。

   「 毅然(きぜん)として起って、今働け 」 と書いてある
   文章を読んで、働き出した病人の中(うち)、
   甲は治るのに 乙は却(かえ)って重くなるのは
   課せられた仕事として感激なしにするからである。

   みんな自分の心の問題である。

   働くとか働かぬとか云う形の問題ではない。

   まだそのほかに感謝の問題もある。

   八月に生長の家本部で催された教修会に参加した青年で、
   重症の肺結核であったのが、

   「 お母さん、ありがとうございます 」 と感謝の心が
   魂の底から沸々わき起って来たとき

   こんなに元気に治ったと其の体験を発表した人があった。

・・・

(4)《あなたも屹度天才である》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   人それぞれに、その天才を発揮する時期が異なるのである。
   1年中美しい花を咲かせない松柏科の植物もある。

   それは目立って美しい花を咲かせないけれども、よく風雪に耐え、
   酷暑を忍び、亭々と高く聳えて、よく千年の樹齢を保つのである。

   植物にも、それぞれ異なる使命と天分とを与えられているが如く、
   人間にもそれぞれの天分が異なり、その発達・開花の時期が異なるのであるから、
   他の人が早く出世をして幸運をつかんでいることを羨むことは要らないのである。

   あなたには、あなたの型に従って適当な時期によき運命の花を開くのである。

            <感謝合掌 平成30年11月11日 頓首再拝> 
12:伝統 :

2018/11/12 (Mon) 02:40:58


(1)《広徳成就の日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   一切を容れて不平を云わないから、
   一寸この人足らぬ人ではないかと云うようにも見える。

   この人は鈍物ではないかと思われるが、
   そう云うような人こそ広徳をそなえた人だと謂える。

   運鈍根の三徳こそ出世に必要だと云うのはそれである。

・・・

(2)《明日は必ず祝福されたものである》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   自分は明日を祝福する。
   もう私は未来のことについて思い患ったりしないのである。
   何故なら未来は、今と等しく神のものであるからである。

   神は吾が内に生き、吾が周囲に生き、すべての事物の内に生き、
   ありとしあらゆるものは 善きことの外あり得ようがないからである。

   時々刻々に 神の愛にとりまかれ、
   神の智慧に導かれ 神の供給に溢(あふ)れているのが自分である。

・・・

(3)《「 ままよ 」 と云う心 「 治る 」 心》

   恐怖心から治癒力がにぶっている病人は、
   恐怖心を唯(ただ)とり去るだけでも治ることがある。

   「 治りたい 」 と云う考えに執着している場合には、
   その反対観念たる 「 治らなかったら恐ろしい 」
   と云う考えがつきまといがちであり、

   この恐怖が病人の活力を萎縮せしめて、
   治癒をおくらせていることがある。

   そこで 「 死のうとままよ 」 とか、
   「 治らないなら治らないで可(よ)いではないか、
   生きている間は人のために働こう 」 などと

   生死超越の気持になって働き出したときに、
   治癒力が昂進して治るのである。


   高野山の教修会で京都の井上喜代さんは

   重症の腎臓炎が 「 治らないなら治らないで可い 」 と働きかけた翌日、
   尿蛋白が消失したと発表された。

・・・

(4)《毎日努力して何らかの進歩をなせ》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   生命は生長が止まったら枯死又は衰頽がはじまるのである。

   それは生命体の特徴として常に新陳代謝が行なわれねばならないのであるのに、
   みずから努力して新しきものを獲得することがなければ、過去にありしものを
   使い果すか、過去にありしものが錆びついてしまうかして、
   生命体は円滑なるはたらきを失ってしまうのである。

   だからあなたは毎日、前進をなし、何らかの進歩を遂げることが必要である。

            <感謝合掌 平成30年11月12日 頓首再拝> 
13:伝統 :

2018/11/13 (Tue) 04:26:30


(1)《陰徳の日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   陰徳とは徳建ちたる者である。
   また建徳に通じ健かなる徳である。

   如何に徳高くしても目立ってこれを行う者は人からおとされる。
   夜そっと降りて来て万物をうるおす夜露のようなのが
   隠れたる建徳である。

・・・

(2)《吾は祝福されたるものである》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   神に於いては凡ゆる事は可能であり、
   すべてのことはすでに潜在的に与えられているのである。

   吾が祈りは、神がすでに潜在的に与え給いしものを
   よびだす力となるのである。

   吾が祈りの言葉は、無限に噴出する井戸の水を汲(く)み出す所の
   釣瓶(つるべ)のようなものであるのである。

   その釣瓶が大きければ大きい程、
   多量の恵の水を汲み出すことができるのである。

・・・

(3)《神の完全通路となれ》

   「 ままよと云う心にならねばお陰は得られぬ 」
   と金光教組は喝破された。

   それが焼け糞(くそ)の 「 どうなとなれ 」 では、
   此の世に悪が存在すると云う前提の下での 「 ままよ 」 であるから、
   それは寧(むし)ろ破壊的に働くのである。

   「 神の み心に全託しましょう。悪いように見えても、
   神の み心の中には悪は無いのであるから、
   神の みこころのままよ 」 と云う全託、自己抛棄(ほうき)のカ
   ラッポの気持になったとき、

   そのカラッポを完全通路として、神の生かす力が働いて来るのである。

   無我全託(むがでそのまままかせきり)は
   神の創造には決して悪はないという
   神への「 絶対信 」 からのみ来るのである。

・・・

(4)《自他のために深切を尽くすこと》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   神から与えられた能力を使って、そのとき出来るだけの奉仕をせよ。

   深切を尽くすとは、親しく狎々しくて”甘やかす”ことではないのである。

   自分及び他の人の内部に埋没されている本当に“価値あるもの”(実相)
   を引き出すようにすることである。

            <感謝合掌 平成30年11月13日 頓首再拝> 
14:伝統 :

2018/11/14 (Wed) 03:22:35


(1)《心の角をとる日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   宇宙にひろがる盧遮那仏を仏教では
   大方広仏(たいほうこうぶつ)と云っている。

   宇宙は広いから、隅もなく、角もない。
   角のあるようなものは心が狭いのである。

   『大器は晩成す』 と云うのは有名な言葉である。

・・・

(2)《吾れ祈れば天地こたう》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   神の霊は宇宙一ぱいにみちみちているのである。
   自分の上にも、下にも、右にも、左にも、前にも、後ろにも、
   あらゆる所にみちみちている。

   私は ただそれに対して呼びかければいいのである。
   その呼びかけが言葉の力であるのである。

   吾祈れば 天地応(こた)え、吾動けば 宇宙動くのである。
   自分の祈りは今 神の御意志と完全に調和しているのである。

・・・

(3)《現象の奥の実相をみよ》

   熱が出たときに熱を恐れ、
   喀血(かっけつ)したときに喀血をおそれ、
   盗汗(ねあせ)が出たときに盗汗を恐れているのでは、
   現象に振りまわされているのであって、

   その振り廻される度毎(たびごと)に自然療能力は衰え、
   病気の快復はおくれるのである。

   現象の奥にある実相を見なければならないのである。

   発熱の奥に、喀血の奥に、盗汗の奥に、
   神の摂理 ― 内より治す力 ― が働いていることを感じて
   感謝しなければならぬ。

   発熱は 病菌を死滅せしめ、毒素を焼却する働きがあり、
   喀血および盗汗は 血液の自浄作用である。
   そのたび毎に感謝する者は癒え、その度毎に恐るる者は病気が増悪する。

・・・

(4)《やりかけた勉強は徹底的にやれ》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   何か人より優れた、自分でないと出来ないような
   個性ある一芸に練達するように努力せよ。

   勉強は徹底的にやるがよい。
   何でも徹底的にやったものには価値がある。

            <感謝合掌 平成30年11月14日 頓首再拝> 
15:伝統 :

2018/11/15 (Thu) 02:41:36


(1)《落着く日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   急ぐ心は万事を途中で毀すのである。
   急いではならぬ。
   急がず懶(なま)けず、しかも目立たず、着々として進むべきである。

   寡黙にして静かなる者が大業をなす。

   併し憂鬱に黙ってしまえと云うのではない。

・・・

(2)《貧乏はケチな想念の反映》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   光明思想の根本的な教の一つは、
   「 類は類を呼ぶ 」 ということなのである。

   「 豊かなる想念は豊かなる事物をひきよせる 」 のである。

   貧乏は決して人間に与えられたる宿命ではないのである。
   それは 貧しき けちな想念の反映として
   現われて来たのにすぎないのである。

   与えれば与えられるのが心の法則である。

・・・

(3)《祈りは自分の心を変化する》

   祈りに効果があるのは、祈りによって
   自分の我慾(がよく)の通りに神の心を
   変化せしめ得るからではないのである。

   かくの如(ごと)き変化常なき多情多恨の神様では
   信頼する甲斐(かい)もないのである。

   祈りに効果あるのは、祈りの精神統一的神への振り向きによって
   自分の心が変化することである。

   自分の心の平和が確立され、
   自己にやどる内在無限力の発現を妨げていたところの
   障礙(しょうがい)を取除いてしまったとき、
   その内在無限の力(即ち神)が働くのである。

   電気の流れを妨げていた絶縁体が取除かれたとき
   電気が作用するのと同じである。

   自分の心の中の恐怖や憤りを取除かないでいて
   祈りがきかれないと呟(つぶや)くのは、

   絶縁体を取除かないでいて
   「 電気は存在しない 」 と呟くようなものである。

・・・

(4)《堅忍不抜にして、よく希望の山嶺に登る》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   吾らの最大の栄誉は失敗しないということではないのである。
   失敗しても失敗しても依然として起ち上る力をもっていることなのである。

   そのたび重なる失敗を通して人間は進歩するのである。

   負けないのが偉いのではない。

   幾度負けても起ち上がる力を失わないのが偉いのである。

   天才とは努力の継続である。

            <感謝合掌 平成30年11月15日 頓首再拝> 
16:伝統 :

2018/11/16 (Fri) 02:36:47


(1)《国に捧ぐる日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   『大象は形なし』 とはよく云ったものである。
   あまりに大きいときには、それは眼に見えぬ。
   神様は宇宙にひろがってましますが故に眼に見えぬ。

   人間も大きくなったら人から見えなくなる。

・・・

(2)《今 心の中に 『 実相の富 』 を描け》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   現象界の貧しき姿に今 眼(め)をとじよ。
   然(しか)して実相の世界の霊的なる
   無限の豊さを心に描いてみつめよ。

   今 現われている貧しき姿は、
   過去の吾が 「 貧しき想念 」 の影にすぎないのである。

   影をみて驚くことはいらないのである。

   吾々が裸であろうとも、今 心中に
   「 実相の富 」 を描き 豊なる想念の衣装で
   自分を包むならば、たちまち豊かなる姿が現われて来るのである。

・・・

(3)《神の愛は変らない》

   電気は 同じ電気の法則で作用しているのであるが、
   それが時としては 光となって世を照らし、
   電熱となって吾々を温め、
   時としては 激しい衝撃をもって吾々を傷つける。

   その変化は受ける装置の変化によるのである。
   電気が変わるのではない。

   それと同じく神の恵みは常に同じであるが、
   こちらの心の状態によって 智慧の光ともなって顕(あらわ)れ、
   愛の温かさともなって顕れ、
   時として烈(はげ)しい苦難の状態ともなって顕れる。

   しかし神の愛は常に変らないのである。

   神の愛を受けるには受ける準備が必要である。

   先ず心の角を去ること、力みを除くこと、我慾を除くこと、
   そして一心に神に振向くことである。
   詳しくは『祈りの科学』を読んで頂きたい。

・・・

(4)《平和・平和・平和よ、汝は何を人類に与える》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   平和は“人類の魂”の進歩に必ずしも貢献しないのである。

   平和に甘やかされ、あまり平和で何ごともすることもないのでイタズラする
   ことだけが退屈をまぎらわす道になってしまったような平和は、
   ”人類の魂”の進歩にとって却って麻薬の働きをするのである。

   (以下略~雑誌に投書されらイタズラの例)

             <感謝合掌 平成30年11月16日 頓首再拝> 
17:伝統 :

2018/11/17 (Sat) 03:44:10


(1)《神を呼ぶ日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)


   道は隠れて名なし。 夫れただ道は貸して且つ成す。(老子)


   道と云うものは宇宙にミチていて何処にもないところとてはない。
   何処にもミチていて大地にミチふさがっていながら
   隠れているのである。

   無相(すがたなく)にして無限の相(すがた)を内に有する。

   そして自分としては何ら要求するところがない超個性的存在である。

   そして呼ばれるに随って相手相応の相を貸してそれを成就する

・・・

(2)《われは無限供給の世界を見る》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   静かに静かに、吾は今 神の無限供給の世界をみるのである。
   神の造り給いし無限供給の実相世界が今 ここに あるのである。

   神は吾らの父であり給い、
   神の子たる吾らの富むことを喜び給うのである。

   本当の血統を知り 吾神の子なりと名のって出さえすれば
   凡(あら)ゆるものは 既に神から与えられているのである。

・・・

(3)《祈りは心を平和にする》

   先ず心の平和である。
   祈りて神に全託するとき 最初の心の平和が回復する。

   そして 「 心の激動 」 と云う絶縁体が取除かれ、
   内在無限のよき知慧が開かれ、
   内在無限の自然癒能が湧出(ゆうしゅつ)する。

   祈りは 一心不乱でなければならないが、
   心に力みがあってはならぬ。

   濡(ぬ)れ手拭(タオル)が手拭かけに全身を
   よりかからせているように神に完全によりかかり、
   まかせ切る心境にならねばならない。

   幸福と健康と成功との最初の基礎工事は心の平和である。

   山口市で講習会があったとき、
   胃癌で毎日バケツ一杯の食事を吐き出して、
   辛うじて一碗(わん)位が胃中に収まっていた胃癌の患者が、
   
   この全託の気持になったとき吐き気がとまって
   胃癌が全治した体験談があった。

・・・

(4)《終戦時の日本人はもっと清らかな精神をもっていた》

   その筆者の斎藤権次郎氏は戦争中の思い出を書いて
   「ちょうど此の季節になると思い出すのだが、終戦の時、敗残兵として
   マニラの東方山中をさまよい歩いた私達の仲間は大部分餓死した。

   その行動はすべて清らかで、ある人は臨終の時に背嚢から一にぎりの米を取出して
   “これを食べて私の分もお国の再建につくしてください”と言ったし、

   ある曹長は増水の川でおぼれかけた部下を助けようと思い、
   疲れ果てたわが身を忘れて跳びこみ、水死した」といっているのである。

   物資のゆたかさと、レジャーの多さとは、人間を利己的な享楽に導く傾向があり、
   物資乏しくて、人間がまさに死なんとするとき、人は互いに
   助け合う心を起こし、魂は異常に高揚するのである。

   もっとも斎藤氏は「もとより平和と堕落とは異質のものである」
   という語で最後を結ぶことを忘れていない。

   平和そのものが悪いのではないが、平和とレジャーと所得倍増を
   何に使うかということが問題なのである。

            <感謝合掌 平成30年11月17日 頓首再拝> 
18:伝統 :

2018/11/18 (Sun) 03:39:01


(1)《始の一を知る日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)


   道は一を生じ、一はニを生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。

    (老子)


   道は形がない。
   一も無い。
   無である。

   無もない。
   ただ道である。

   これが中庸に謂わゆる 『未発の中』 である。

・・・

(2)《神はわが心の暗(やみ)を照破し給う》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   神は光りであり給う。
   神の光 普(あまね)くみちて、
   今 自分の心の暗を照破し給うたのである。

   自分の心の中の暗は すでに消えたのである。

   吾は今 凡ゆる不幸から癒されたのである。

・・・

(3)《父母を神想観中に礼拝せよ》

   父母に感謝したとき多くの病人が治っている。

   父母は「神」即ち、永遠の「父性原理」及び「母性原理」の
   具象化したものとして吾々の前に立っているのである。

   吾々は 神の生命より生れたものであるから、
   神に帰りたい本能をもっているのである。

   しかし神は 眼に(め)に見えないから
   眼に見える神の具象化を見るまで
   満足することが出来ない。

   父母を永遠の「 父性母性原理 」 として感謝するとき、
   はじめて此の本能が満足し生命が生き病気が癒えるのである。

・・・

(4)《平和は果たして人間の魂を向上せしめつつあるか》

   むろん、平和でレジャーがあり、金があるから、
   みんなの人間が利己主義になるのではない。

   しかし”平和”を熱願する人々の中には、平和は”楽”ができる、
   戦争ほどつらくない――というような利己主義といえないまでも、
   個人的な享楽主義的要求が平和愛好の理由になっていて、

   自分の国家は余所の国の軍隊が護ってくれて、他の国の平和を維持するためにでも、
   自分の国の軍隊を危険なところへ派遣するのは御免だというような
   甘い考えの人も多いのである。

   こんな平和は人間の魂の向上に役立つかどうかを
   私は時に考えることがあるのである。

            <感謝合掌 平成30年11月18日 頓首再拝> 
19:伝統 :

2018/11/19 (Mon) 03:09:44


(1)《陰極陽転の日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   万物は陰を負いて陽を抱く、冲気以て和を為す。 (老子)


   霊は陽にして、みずから積極的に動く。
   それは能動的である。

   物は陰にして、みずから積極的には動かない。
   それは受動的である。

   霊の外性は陰、内性は陽、物の外性は陽、内性は陰。

   霊と物との陰陽性について言い争う必要はない。

   すべて陰を負い陽を抱き、中心に和している。

・・・

(2)《神と共に行為する者は常に機会がある》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   到(いた)る処(ところ)に機会がみちているのである。
   自分にとっては機会は無限である。

   時々刻々一挙手一投足、神が自分を通じて表現し給わんとする
   よき機会であるのである。

   自分は神と共に何事をもなすが故に
   決して失敗するということはないのである。

・・・

(3)《人類の幸福の源泉》

   吾々の幸福、健康、成功が如何(いか)に
   自分自身の心の状態に関係して左右されるかを
   知らない人は非常に多いのである。

   若(も)しこの事実が、もう少し多くの人類に理会されるならば、
   人々は自己の不幸の原因を他に転嫁して
   他の人を憎んだり憤ったりしなくなり、

   自分自身を反省して心を改めるから、人類相互の争いはなくなり、

   人々は各々健康に富み栄えながら
   平和なる生活を送ることが出来るであろう。


   自分の心が周囲のすべての人を愛する時、
   自分も亦(また)周囲のすべての人に愛されるのである。

   何よりも此(こ)の思想の普及が人類の幸福の源泉である。

・・・

(4)《大きな体育館ができるのが文化国家ではない》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   精神が如何に肉体の健不健に影響を与えるかを知らぬという
   精神的無知者が体育館を管理している都市が随分あるのである。

   そして精神の教養の乏しさの上に肉体のみ栄養食をすすめて
   巨大日本民族をつくるのを厚生省の役目のように思っているから、
   精神と肉体精力とのバランスが崩れて性的犯罪は増加するばかりである。

   しかも一方に於いて、体重および身長の大なるものほど長寿でないという
   統計が出て、栄養食と運動とで肉体を巨大にすることが本当の健康ではない
   ということが明らかになりつつあるのである。

   九大に普通の“内科”のほかに“心療内科”がつくられたように“体育館”の
   ほかに“心育館”を国費で建て、誰でも心育館に出入りして修養につとめる
   ことを名誉とする位にならねば、本当に文化国家だなどと
   誇らしげに言う資格はないのである。

            <感謝合掌 平成30年11月19日 頓首再拝> 
20:伝統 :

2018/11/20 (Tue) 04:12:23


(1)《全を把む日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   陰はいつまでも陰ではなく、陰の中に陽があるからである。
   陽はいつまでも陽ではなく、陽の中に陰があるからである。

   霊は陰(かげ)であり現れないが活気溌剌としている。
   物は陽(あらは)であり外面に突出するが内に生命乏しきものである。

   外面困難の陰気のときに吾等は霊をやしない、
   外面溌剌たる陽のときに吾等は物をやしなう。

   いずれも吾等を養いならざるはない。

   陰気のときにも陽気のときにも喜べるのが生長の家である。

・・・

(2)《信仰を深めるには》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   祈りの成就するための最も重大なる要素は 「 信仰 」 である。

   されば 信仰は 如何(いか)にして得られるか。
   
   信念を得た人の話をきくこと。
   信仰を得た人の書物をよむこと。
   そして神を切に求むることである。

・・・

(3)《サービスは繁昌の基礎工事である》

   あなたの仕事が繁昌しないならば喜べ悦(よろこ)べ。
   それはあなたにとっての反省の機会であり、魂の向上の機会である。

   どこかに貴方(あなた)の心に明るさが足りなかったか、
   深切さが足りなかったか、行き届かなかったか、
   サービスが足りなかったか、愛が足りなかったのである。

   出来るだけ、心を明るくし、深切にし、すべてに行き届いて、
   愈々(いよいよ)益々(ますます)人々にサービスを増加し、

   お客が来なければ、私の世界に先客万来を描いて
   「有り難う御座います」と感謝することにすれば、
   繁昌と成功とは疑いなしである。

・・・

(4)《癌も精神的ストレスが原因で起こる》

   (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   ちょうど私がこんなことを考えている時に誌友の小林信(まこと)氏から
   八月十日号の『週刊現代』に癌の原因が精神にあるという記事が
   載っているというので同誌を寄贈して来られた。

   この『週刊現代』はそれについて、慶大医学部神経科心身症センターの
   阿部正医博士の診断した胃癌患者で、精神のストレスが発癌の原因と
   みとめられる二例を掲げ、更に肺癌だけではなく乳癌などの原因についても
   阿部教授は次のようにいっているのである。

   「婦人の乳癌についても、同じような精神身体医学的な立場からの研究報告が
   リネカー以下七人のアメリカ人研究者によって発表されていますね。

   昭和三十八年の事ですが、これも、本人の性格とか、母親などが
   原因の一つとして数え上げられているのです。

   ・・・・・イタリアの学者ジョハジュなども胸部ガンについての
   精神身体医学的研究を発表していますし、
   アメリカのエバーソンとコレという医者は逆に“ガンの自然退行”
   つまり自然治癒の症例報告をしています。

   キッセン報告を待つまでもなく、ガンと精神的要素は無関係と
   はいえないと思いますよ」(注。胸部癌とは乳癌のことである)

            <感謝合掌 平成30年11月20日 頓首再拝> 
21:伝統 :

2018/11/21 (Wed) 04:09:25


(1)《愈々謙る日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   人は孤独、不徳、不善をきらいながら、
   王侯でさえも 『吾れ不徳にして』 などと謙る。

   これは 『謙り』 の中に 『益』 があり、 
   『益』 の中に 『損』 があるからである。

   実る程頭下ぐる稲穂かな

・・・

(2)《今、自分は強いのである》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   神は自分の肉体及び精神のすべての力の根源である。
   神が根源であるから 決して自分は弱いということは
   あり得ないのである。

   神の無限に強力なる力が自分を常に強力ならしめ健康ならしめ、
   永遠に疲労せしめ給うことはない。

   今ここに自分は 無限の健康なのである。
   無限に調和しているのである。

・・・

(3)《不快な人に一層深切にせよ》

   誰かがあなたに対して不快なことをするならば、
   その人を愈々(いよいよ)益々深く愛せよ。

   而(しか)して貴方が其の人に対してやはり不快な感情を
   抱いていた反映であると思って反省せよ。

   そして愈々益々人々に感謝し、深切と、愛念とを増加するように
   するならば、不快な敵意をもっていた人と思われていた人が
   却(かえ)って本当に自分の味方であったと云うことが
   判(わか)って来るであろう。

   どんなに他の人が冷酷であっても、善意は人間の実相であり、
   悪意は仮面であるからその奥を見徹(みとお)さねばならぬ。

・・・

(4)《病気を製造しいつつある製薬会社》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   そして薬剤の広告いよいよ熾烈にして、その広告の言葉が、疲労、肩こり、
   夏バテ、神経痛、血管硬化等々・・・・・と病気を、老衰を心に印象して
   病気や老衰を精神的に創造しつつあることには気がつかないのである。

   いや、それは気がついてはいるかも知れないが、製造業者は、薬ばかりを
   製造していては薬が売れないから、一方では病気を恐怖さす言葉の暗示で
   病気を製造しておいて、その製造した病気の薬剤を売ろうという訳である。

   既に出来てしまった病気には、薬剤で中和したり殺菌したりする必要が
   あるから、薬剤の紹介や広告はある範囲に限って必要である。

   薬剤の広告は医師にのみ読ませる「薬事新聞」等にのみ掲載を限って、
   一般のマスコミにはのせない事が、国民を健康に導く上からは
   最良の策なのである。

   しかし現行の憲法では「表現の自由」が定められているので、薬剤会社の
   “広告や言論の自由”を制限することは違憲であるからどうすることも
   できないのである。

   現行憲法はこの点でも其の欠陥を暴露しつつあるのである。

            <感謝合掌 平成30年11月21日 頓首再拝> 
22:伝統 :

2018/11/22 (Thu) 04:56:57


(1)《強くなる日》

   人の教うるところは、我も亦た之を教う。 
   橋梁なる者は其の死を得ずと。 
   吾れ将に以て教の父と為さんとす。  (老子)


   古人の教えたところは大いに今も参考になる。

   教は一つである。

   『橋梁なる者』 とは、骨節が強いものの事である。
   骨節の強い者は強いには強いが、それ以上の敵が出て来て、
   『其の死を得ず』 ―― 即ち天寿を全うすることが出来ない。

   此の教こそ私の父の教だと老子は云う。

・・・

(2)《神と交通するに静処を求めることはいらぬ》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   自分はどこにいても、其儘(そのまま)で神と交通しているのである。

   今ここが神の国であり、実相世界であるのである。

   自分は実相の中心座に坐して
   その中心からサーチライトで照らすが如く
   一切の現象界の暗を照らすのである。

   一切の悪は消えさり 一切の不幸は消え去り
   唯 善のみが存在するのである。

・・・

(3)《困難は却って内在の力を出させてくれる》

   どんな不快なことも困難なことも、
   自己神性発揮のための燃料であると思いて悦べ。

   不快なものも困難なものもすべてのものが協力して、
   自己の内在の力を発揮させて下さるのである。

   多くの人は困難に面しなければ内在の力を発揮しない傾向がある。
   此処(ここ)に世の中に困難が出現して来る理由がある。
   みんな自分の心の反映である。

   折角(せっかく)、神から与えられた
   内在無限の力を発揮しなければ
   内在の無限の力が存在しないのと同じことである。

   そこで自分で進んで内在無限の力を発揮しない人には、
   周囲に困難が起って、内在の力を発揮させて下さるのである。

・・・

(4)《もっと唯心論的政治を行うことだ》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   病人が減れば治療費や薬代の負担が減り、赤字はなくなる。

   病人を減らすには、製薬会社に薬ばかり製造させて、
   病気を広告宣伝の暗示でつくらせないようにすることだ。

   そして「タダで診て貰えるから、病気に罹ってもよい」というような
   「病気に対する抵抗精神」の消耗を防ぐための
   抵抗精神の育成に力を注ぐべきだ。

   それが幾百万の体育館をつくるよりも国民の健康増進に役立つのである。

   実例を見るがよい。

   生長の家の誌友の中には、もう三十年間、
   一度も医者にかかった事がないという人が随分沢山あるのである。

   国民全体がこのようになれば、健保の赤字など忽ち解決するのではないか。

   もっと唯心論的政治を行うことだ。


            <感謝合掌 平成30年11月22日 頓首再拝> 
23:伝統 :

2018/11/23 (Fri) 03:18:28


(1)《素直になる日 》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   水は形がなくまかせ切りであるから
   どんな隙間にも入り込んで、どんな重いものでも動かす。

   無為即ちまかせ切りの生活の力である。

・・・

(2)《吾は心の目をあげて神をほめたたえる》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   吾は心の目をあげて神をほめたたえるのである。

   神に感謝するのである。


   ああ、この無限大なる宇宙よ。
   蒼空(あおぞら)に輝く星よ、
   その多くは太陽よりも 尚(なお)大きいのである。

   この偉大なる宇宙大生命が
   自分の肉体を生かし給うているのである。

   どんな細胞の小さな隅々までも
   この偉大なる神の力が浸透しているのである。

   神よ、有難うございます。

・・・

(3)《愛する者に送る念波》

   愛する者が旅立つときに、その人に送らなければならない思念は、
   「 彼が常に神に護られて健康であり幸福である 」
   と云う信念である。


   それなのに多くの人は、愛する人の旅立ちに当って、
   何か途中で不幸に会わないかとか、
   病気にかからないかとか、兎角(とかく)、
   不吉な不安の念慮を送り勝ちである。


   若(も)し吾々が 「 不吉 」 な念波を余り強く送り過ぎるならば、
   その念波が具象化して不吉なことが起り勝ちであるのである。


   されば吾らは常に
    「神は汝(なんじ)を祝福したまい、常に健康に平安に護りたまう」
   の念波を送らねばならぬ。

   真に愛するとは、その人について心配することではなく、
   その人を光明の念波で祝福することである。

・・・

(4)《常に伸びる機会がある》

   住友商事の津田久社長は精神主義の人である。

   精神主義の人にとっては唯物論者の景気循環論などに煩わされて、
   政府や日銀が金融引き締めの政策をとるから不景気が来て困るだろうと、
   取越し苦労をする必要はないのである。

   津田さんはこういうのである。

   「世間が不況になればうちが伸びる絶好のチャンス。他の商社が社内の
   営業金利を上げるようなときがきても、うちは商談によっては逆に営業金利を
   下げるなどの積極策をとることもあり得る・・・・・」(八月十九日日経新聞)

   津田さんは何の信仰をもっていられる人かは知らないが、
   神の智恵に導かれる者にとっては、経済界の変動ごとに
   自分の事業の伸びるチャンスがあるのである。

            <感謝合掌 平成30年11月23日 頓首再拝> 
24:伝統 :

2018/11/24 (Sat) 04:17:02


(1)《焦りを止める日》

   不言の教、無為の益、天下之に及ぶもの希(な)し。 (老子)


   現れた言葉は真実を語らない。
   却って真実を隠してしまうこともある。

   不言と云っても全然言葉がないのではない。
   声なき声、コトバなき言(ことば)である。

   愛する同士はその語る言葉そのものよりも、
   言葉と言葉との間に於て真実を語り合うのである。

   音楽は 『音』 そのものが音楽ではない。
   『音』 と 『音』 との交錯した間にあらわれた
   エクスタシーである。

   沈黙ほど雄弁なものはない。
 
   為さざるほど為すはない。
   真に無為の益これに及ぶもの希(な)しである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

・・・

(2)《吾は吾が生活を神の上に築く》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   私は宇宙の中心である。
   神がその創造の出口を造り給うた
   その創造の尖端(せんたん)である。

   私は今より後(のち)如何(いか)なるものをも恐れないのである。

   神の無限の力と、無限の智慧と、無限の健康とが
   今 私に集中しているのである。

   自分の判断は 常に正しくして
   過(あやま)つということは決してないのである。

・・・

(3)《真に 「 神の子 」 の実相を自覚したならば》

   誰かに若し自分が不快や憎みの念を抱いていたならば
   直ぐ吾らは其の不快と憎みを捨てて
   好意と愛情の念にかえなければならぬ。

   「生命の實相」を読んで
   「神の子」であると云うことを自覚したのに
   病気が治らぬから「生命の實相」もインチキだと云う人よ。

   「神の子」であると云う事を 真に自覚したならば、
   何故(なぜ)あなたは、人に対して不快な感情を抱いているのか。
   何故人を憎んでいるか。君の悟りは 野狐禅(やこぜん)ではないか。

   人間神の子の真理がわかったら、
   先ず すべての人間を礼拝する実践を徹底的にやらなければならぬ。

・・・

(4)《人類委光明化運動を生涯の仕事とせよ》

   仕事に熱情をもち、仕事を恋人とせよ。
   それでこそあなたの仕事は発展するのである。

   ミケランジェロに向かって、ある人が「君は何故結婚しないのかと」と
   尋ねたら、彼は、

   「絵を描くことが私の妻であり、私の作品が私の妻の生んだ子供である」
   と答えたということである。

   私は、青年諸君に対して、結婚せずに使命のみ邁進せよとはいわないが、
   結婚するまでは熱心に人類光明化運動に尽くしていた人が結婚すると
   全然その運動から脱落してしまう人が多いのはまことに残念なことだ
   といわなければならない。

            <感謝合掌 平成30年11月24日 頓首再拝> 
25:伝統 :

2018/11/25 (Sun) 03:35:41


(1)《執着を捨つる日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   世の中には名誉が得たいと思って
   折角の生命を摺り減らしている人もある。

   また金が儲けたい、財産を作りたいと思って
   焦って焦って身を云う病いにしている人もある。

   斯う云う人は実に気の毒な人である。

   甚だしく名を愛し、財を愛したら、得られることが多いと思えば、
   得られるどころか、費す所が多いのである。

   生命を費し、身を亡ぼし、無い財を減らすも慾からである。

・・・

(2)《吾は神の最高実現である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   吾は神の子として
   宇宙の一切のものを支配する権利をもっているのである。
   宇宙の一切のものは皆自分の支配下にあるのである。

   なぜなら自分は神の子であり、
   神の最高の具体的顕現であるからである。

   吾が内に宿る所の神性は、神そのものと同体なのである。

   吾が内に宿る神は吾をしていと豊かならしめ給い、
   いと健やかならしめ給い、凡(あら)ゆる問題に
   快刀乱麻をたつような知慧を与え給うのである。

・・・

(3)《病気の治る中心課題》

   真に「人間神の子」の自覚に到達したならば、
   自分自身を「神の子」と知るだけでなく、
   他の人をも悉(ことごと)く神の子だと尊敬しなければならぬ。

   それが出来なくて、「人間神の子」の真理を悟ったのに
   病気が治らないのは 何故だなどと云う勿(なか)れ。

   病気を治すよりも何よりも、
   すべての人間を神の子として尊敬し、愛し、それに好意を持ち、
   柔(やさ)しき言葉を使い、和顔を以て人に接し、
   泣き言を云わず、褒めることと、よき噂(うわさ)と、
   真理のみを語るようにせよ。

   その時こそ真に「神の子」の実相を行の上にも自覚したのであって、
   病気も必ず治り、運命も必ず好転するのである。

                    (別著『神癒への道』参照)

・・・

(4)《人間は何のために生まれたか》

   ある少年が近頃、野球の練習に熱心になって学校の勉強をしなくなった。
   父母は心配して、先輩の先生に指導して貰うようにたのんだ。

   その少年はその先生を尊敬し、その先生になついていたのである。

   或る日その先生は、

   「君は近頃非常に野球に熱心のようだが、どうだ、面白いか」とたずねた。

   「面白いです。先生、僕は長島のようにホームランを沢山打ちます。」

   「毎日練習しているのか。」

   「ハイ、毎日々々バッテイングを懸命に勉強しているんです。」

   「そうか。そして君は死んだら――誰でも肉体はいつかは死ぬんだが
   ――神様が”お前は肉体の中にいたとき、毎日何をして来たか“と
   君の魂にたずねられたらどう答えるかね。」

   「僕は毎日野球をやっていましたと答えます。」

   「そうか。神様はその時“お前は毎日擂粉木のような棒ばかり掉っていて、
   誰のためにもなることをしなかったのか。

   人間が地球世界に生まれて来るのは、
   何も棒を掉るのが上手になるためではないよ。

   しかしお前はお蔭で棒を掉るのが上手であるから、
   これから霊魂の世界で毎日棒を掉らしてやる。

   あそこに沢山の材木があるから、毎日薪割りの棒をにぎって、
   材木を叩き割ってみんな薪にしなさい。

   そうしたら、棒を掉ることも誰かのお役に立つだろう“と仰言るだろう。
   君はそれでよいかね。」

   先生がそう仰言ったその日から少年は打棒を掉ることを止めて、
   学校の勉学に熱心になったということである。

            <感謝合掌 平成30年11月25日 頓首再拝> 
26:伝統 :

2018/11/26 (Mon) 03:11:04


(1)《足るを知る日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   何でも度を過したら亡びの因である。
   足ることを知り、止まるところを知らなければならぬ。

   何でも多くあれば、得だと思っている人があるかも知れぬが、
   物は多くなればなるほど生命の自由を縛るのである。

   丁度それは飛行機の重量が重くなればなる程、速力が出ず、
   長距離飛行に耐えないようなものである。

   多ければ厚く亡う。

・・・

(2)《世の中に行き詰りはない》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   すべての事情が行き詰って来たと見える時にも、
   本当の行きづまりというものは決して存在しないのである。

   行きづまりと見えるものは新しき道の開ける始めである。
   神の与え給うた好機会が今自分に開かれつつあるのである。

・・・

(3)《何が善であるかは幼童も知っている》


   人間はその実相に於(お)いて
   一つの神の生命より生れたのであるから、
   如何に意見が異るように見えようとも、
   その根本に於いて一致するものがあるのである。

   人は何が善であるか、何が悪であるかを
   根本に於いて知っているのである。
   何故なら人間の本性は「善」そのものであるからである。

   多数の意見が分れ、互に異ることを主張するのは、
   潜在意識の底に憎みか、反感か、
   何か反発するものをもっているからである。


   その反発するものを取り去ってしまったら
   すべての人間の意見は一致し 和協の道が発見され、
   大調和の世界が実現するより仕方がないのである。

・・・

(4)《少年時から生涯の理想を定めよ》

   (前半略~人間の寿命は延びてきているが・・・)

   それにしても宇宙の悠久さに比べれば短いものである。

   この短い寿命のうちに人類のためになるような何か偉大な仕事を
   成し遂げようと思うならば、自分の天分又は最もすぐれたる才能は
   何であるかをよく顧みて、

   自分の最も得意とする才能で何をすれば、人類のために、
   或いは国家社会のために、或いは隣人のためになるかを考えて
   その方面の勉強に一心に努力するがよい。

   傍目(わきめ)をふってフラフラしている間に時間は過ぎ行く。

   そして失われた時間は再び拾いもどすことはできないのだ。

   一つの事に精神を打ち込んで努力すれば、野球のバットでなくても、
   何でも一つの技には通達できるものなのだ。

   人類・国家・社会のためになる一つの技に努力を集中するがよい。

            <感謝合掌 平成30年11月26日 頓首再拝> 
27:伝統 :

2018/11/27 (Tue) 03:47:39


(1)《度を過さぬ日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   足ることを知らないことを貧と云う。

   仏教では 貧・瞋・痴 を三毒と云って
   人間を罪に陥れる最大の毒物であると云われているが、
   その中でも 『貧』 すなわちムサボリを第一に置いてある。

   それほど貪りは悪徳である。

   慾の深い者は、多く持ちながら、
   『欲しい、欲しい』 と思っているから心はいつまでも
   餓鬼道で貧乏である。

   そうして慾張って求め求めしている間に、
   辱も外聞も忘れてしまって了うのである。

・・・

(2)《吾は一切の人を神の子として拝む》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   自分は 今日より後、自分の周囲に近づいて来る
   すべての人々を神の子として観(み)る。

   すべての人々を 善意を有するもの、悪意なきもの、
   神から遣わされたもの、善き友として見、
   神がかくの如きよき人々を吾々の周囲に遣わされ給うたことに
   感謝するのである。

   吾は人の過ちに対して寛大であり
   人の善に対してほめることに寛大であるのである。

・・・

(3)《赦さなければ自分がつらい》

   何人(なんぴと)の過ちをも吾等(われら)は
   是非(ぜひ)とも赦さなければならない。
   赦さなければ、罰せられる者は自分自身であるからである。

   赦さなければ自分が苦しい。
   赦さなければ他に対する「害念」は無数の「害念」の
   波動を引き寄せ、自分自身を害することになる。

   赦さなければ 怒りの念は 自分自身の血管内に毒素を生じ、
   血管及び全身の筋肉及び神経細胞を硬化せしめ、
   肉体の硬直や、関節炎や、神経痛や、胸の病気や、心臓病や、
   あらゆる病気の原因を生ずることになるのである。

   赦しは最大の美徳である。

   人が過ちを犯したとき直ちに赦して、
   更に彼を愛する者は 天国に入ることが出来るのである。

・・・

(4)《神はみずから助くる者を助く》

   世界ひろしと雖も、自分の努力以外のもので
   自分を高めあげるものは何もないのである。

   「信仰して神様に祈るがよい」と宗教家は助言するけれども、
   その“神さま”というのは、自分の内に宿ってい給うのであって、
   “本当の自分”そのものが”神の子”即ち“神の分身”―― 神なのである。

   自分の内に宿り給う神を働かさないでいて、
   「神よ、わがために働きたまえ」と祈るのは、矛盾した話ではないか。

            <感謝合掌 平成30年11月27日 頓首再拝> 
28:伝統 :

2018/11/28 (Wed) 03:16:06


(1)《深追いせぬ日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   進むことを知って退くことを知らぬ者は、
   ついに深追いして捕捉殲滅せられる。

   止まるところで止まらねばついに淵に墜落する。

   墜落すれば、元も子もないから、
   『止まること』も 進むことの一部である。

・・・

(2)《自分は霊体である》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   自分の体は肉体のように見えても、肉体ではないのである。
   自分は霊体である。

   自分の細胞の一つ一つは
   生ける神の生命のエネルギーの実現であるのである。

   それは生命のエネルギーであって、物質ではないのである。

・・・

(3)《内在無限の力を出すには》

   人間の内には「神」が宿っている。
   否、自分の生命の本質が 神そのものなのである。

   されば、善事(よきこと)であるならば
   一切の事を成就し得る力を
   吾らは内に包蔵しているのである。

   その内蔵する力を引出す秘訣は、
   人に対して悪意を抱かず、憤(いか)らず、憎まず、

   ただ 善意のみをもってし、心を明るく、
   而(しか)して、自己に宿る力をハッキリ自覚し、
   そして目前にある事物の第一歩から人類に奉仕することである。

   自己の力を自覚しなければ 力は出て来ないが、
   たとい内在無限の力を自覚しても、他と不調和だったり、
   奉仕の実践がなかったりしては、また其の力は出て来ない。

   又、他から憐(あわれ)まれたり、
   同情せられたい心があっては自己の力を縮少する。

・・・

(4)《使命感に燃えてする仕事は疲れない》

   使命感に燃えて仕事に熱中しているときには
   真夏の酷暑に於いても暑さを感じないのである。

   何か紛失物でもしてアクセクして探し回ったりすると
   本当に暑さを感じて汗みどろになるものである。

   作家の水上勉氏は毎年、真夏には軽井沢ですごしていたが、
   今年は文学座の舞台稽古の関係で東京で暮した。

   (中略)

   「どういうものか、私は暑さが気にならない。
   芝居が、そうさせるのである。熱中すると、たとえてみれば、
   心頭を滅却する心境に近いのである」と水上勉氏は書いている。

   諸君も、自分の使命と感ずることに熱中するならば、
   疲れることも暑さも寒さも気にかからないで、
   常に健康で能率よき仕事をすることができるのである。

            <感謝合掌 平成30年11月28日 頓首再拝> 
29:伝統 :

2018/11/29 (Thu) 04:51:55


(1)《大いに進む日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   どこにも欠点がないようなときには、
   却ってそれは敝(やぶ)れ易いことがある。 

   欠点のない容貌には却って魅力がないものである。
   笑窪も頬の欠点であるが、却って魅力がある。

   欠点を恐れて進み得ないような者は遂に大成することが出来ない。
   何処かに抜けた所があると他が油断をして、彼に事を成さしめる。 

・・・

(2)《神には凡ゆる解決法がある》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   人間の頭で考えて、もう解決の道がないと思われる時にさえも
   神に於いては解決がないということはあり得ないのである。

   神は無限の智慧であり、無限の能力であるから、
   必ず、それを善きように解決して下さるに相異ないのである。

   だから、自分は恐れるということはないのである。

   人間の頭脳智で考えたならば、
   なぜこんな不幸が起って来たのであろうと
   疑われるようなことがあっても、

   神はその事件を通して、
   更に一そう良きものへ吾らを導き給うていられるのである。

・・・

(3)《如何なる時にも、汝(なんじ)ら愛せよ》

   汝の共働者が自分に不誠意ならば、彼を愛せよ。
   そは汝の愛が 金か白金かニセ物であるかを試すところの
   好機会であるのである。

   若(も)し自己に誠実なもののみを愛する如(ごと)き
   自分の愛であったならば、
   自分の愛はニセ物であったと反省せよ。

   若し、自分の夫や妻や子がイライラしていたならば 彼を愛せよ。
   彼がイライラしているのは 愛に飢えているからである。

   周囲のすべてが四面楚歌(そか)となるならば彼らを愛せよ。
   必ず将(まさ)に汝の愛の力が
   周囲の事情を好転せしむるに相異ないのである。

   愛を実践しさえすれば あらゆる難関を切り抜けることが出来、
   あらゆる難問題に対する回答を見出すことが出来るのである。

・・・

(4)《人類光明化運動の脚本と配役》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   私は宇宙の実相は「金波羅華の世界」であり、蓮華蔵世界であり、
   中心にスメラミコトがましまして、その御いのちの具体的展開が最も
   完全にあらわれている国家が日本国である。

   それ故に、この日本国を大日本真理国と呼ぶという哲学的な悟りを、
   脚本として書いていく。

   本当はその脚本は神様の書かれたもので、私はそれを写したに過ぎない。

   すると、その脚本通りに幹部という演出家や、
   色々の役割を受持つ人たちが集まって来て、
   それを立体的に実現するために、

   「ここはこうした方が効果的だ」とか
   「あそこは、このようにする方が共同作業ができやすいではないか」
   という風に相談しながらその脚本に肉がつけられ具体化して行くのである。

   そこには役割の分担と組織づくりがどうしても必要である。

            <感謝合掌 平成30年11月29日 頓首再拝> 
30:伝統 :

2018/11/30 (Fri) 04:30:14


(1)《悠々たる日》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

   (抜粋として)

   秀吉は抜け目なくして一代にして栄えたが其の栄えは続かなかった。

   『鳴かざれば鳴くまで待とう時鳥』 と云った家康は
   どこか呆んやり抜けたところがあったに違いない。

   抜け目のない秀吉と、抜けたところの家康
   との相異であり、優劣である。

   家康の業は大成し、秀吉の業は夭折した。

・・・

(2)《吾がうちに宿るキリスト》

   (全文は)

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

   (抜粋として)

   キリストはもう二千年前の過去の人ではないのである。

   「 吾行きて 汝(なんじ)らに来たるなり 」 といい給いし如く、
   すべての人の内に宿っているのである。

   吾が内に宿る所のキリストを通して吾は一切の吾が願いを
   成就することができるのである。

   吾は神と一体である。
   神の子の霊、吾が内に宿り給う。
   これをキリストというのである。

・・・

(3)《愛念で相手を祝福せよ》

   実際、其処(そこ)へ行って何か 愛行を実践してやりたくとも、
   それが出来ない距離にあったり、
   それが出来ない事情があったりするならば、

   吾々は相手の人を「愛念」で愛することが出来るのである。

   「愛念」は距離を超え、事情を超える。
   「愛念」は最も強い浸透力をもっているのである。

   先ず相手を心のうちに思い浮べ、
   名前をとなえ 言葉の力によって、
   心の中で相手を祝福するのである。

   「 汝は神の子である。完全である。誠意に満たされている。
   善き人であり、深切である。
   私は汝に信頼し、汝に好意を持っているのである。

   汝と私とは神の子の兄弟として 互に愛し愛されているのである。
   幸福であれ、汝、神の子よ 」 と云う風にである。

・・・

(4)《大東亜戦争の戦死者は犬死ではない》

  (全文は)

    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

   (抜粋として)

   しかし祖国を護るために自己を空しくして”無“の極限に於いて
   自己の生命を自己の理想と一体化した戦死の行為には現象を越え、
   比較を絶した無上の価値があるのである。

   しかもこの戦争の結果から観察しても、これを巨視的に見れば、
   この日本の兵隊の犠牲的行為によって、東南アジアの諸民族及びアフリカの
   諸民族が、白人優秀の迷妄から目覚めて起ち上り、民族独立の機運をつかんだ
   のであって、これがどうして、何の効果もなかった「犬死だ」などと
   いえるのであろうか。

   それを犬死などと評するのは、小さく唯物論的に凝り固まった
   視野の狭い心の眼で事実を斜めに見るからである。

   (紙面に限りがあるので、詳しくは拙書『限りなく日本を愛す』
   『我ら日本人として』『日本を築くもの』等を熟読せられたい)

            <感謝合掌 平成30年11月30日 頓首再拝> 

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