伝統板・第二

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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑦ - 夕刻版

2018/10/05 (Fri) 19:42:18

《正師に巡り会い、導かれた幸せに感謝しつつ 》

            *『生長の家』(昭和56年11月号)より
             ~生長の家奈良県教化部長  北尾 巳代次


人の一生は正師に巡り会うか否かによって、その幸不幸が決まる、と謂われます。 

思えば、昭和15年、健康に自信を失い、家庭的にも、経済的にも、
悶々たる日々の中で、私は縁あって、奇しくも医師である 長井運男先生 の薦めにより、
不朽の名著 『生命の實相』 を拝読する機会を与えられたのであります。

それまでの私は、神とは如何なるものかを理解せずに理屈をこね、
神社仏閣を訪れることがありましても、只形式的に頭を下げるだけの
無神論者、御霊魂論者に過ぎなかったのであります。 

併し 『生命の實相』 を拝読するに従い、神は普遍的存在であるのみならず
吾が内に在り、自己の内なる生命が神であることを識らされ、
正しい信仰に目覚めさせて頂いたのであります。

 
尊師 谷口雅春先生は、 
『神の真義とその理解』 の中で、次のように教えて下さっています。

『「われに姿かたちあるようにいう者あれども、われは姿なきものである」 

と宣言し給える、絶対者としての神もあり、森羅万象の中に、
その姿をあらわしてい給う普遍的存在なる神もある。 

その普遍的存在たる実相を媒介して、人間は神と霊交し、森羅万象の生命と互に交通する、
その霊的交通によって、われわれは森羅万象に向って話しかけ、
意のままに楽園の天国を地上に建設することが出来るのである。 

絶対者としての神は無言でわれわれに話しかけ給う。 

しかし顕現者としての神は、聞える声で話しかけ給う。 
顕現者としての神と吾々は交通し得たとき、神は吾々の “天の父” ともなって
人格的な神との交通が得られるのである。 

その人格的な神との接触を、具体的に実現するために、神社や拝殿を造営して、
神との人格的接触の “場” とすることも出来る。 

その造営に必要な布施又は荘厳供養の実践によって、
人間は “愛” というものを生活の具体的営みの中に体験し霊魂が進歩し向上するのである』


神への正しい理解は、私の人生観に大きな革命をもたらしました。 
健康は日毎に回復し、事業の方も順調に延び始めました。 
愚痴や小言の多かった私の家庭に悦びが出てきたのです。

当時私の妹は開放性結核で寝込んでいました。 
幼児を抱えて、感染するかも知れぬという不安が、一家を暗くしていたのです。 
しかし私は、吾が家庭が、吾が家族の全てが愛に満たされるなら、
人間を傷つける黴菌もなければ病気も存在しないのであるという真理を、
素直に信じさせて頂いたのです。 

すると間もなく半年は保つまいといわれていた妹の病気は奇蹟的に回復したのでした。

私は谷口雅春先生の御講習会に参加させて頂き、秘かにこう誓いました。  
「先生、この御恩は必ずお返し致します。 
何時の日か、全ての仕事を棄てて、この偉大な真理の普及に、
光明化運動に、全身を捧げさせて頂きます」

妹はそれから約1年半、郡山町役場に勤めさせて頂いたのですが
残念ながら終戦の年の暮れ、再発し昇天しました。 
定められた寿命だったのでしょう。 

しかし、この貴重な体験を通して、私は結核は無いという信念に基い
て沢山の結核患者を導かせて頂く機会を得たのでした。

大東亜戦争に突入した昭和18年12月8日、
当時片桐村の村長代行を止めて、町内会のお世話をしていました父が、 
「大変なことになったぞ、しっかりせにゃいかん」 と言いながら、
町内の組長さんを一周して自宅に帰るや、
中風の発作を起して崩れるように倒れてしまいました。

開戦は余程のショックを父に与えたのでしょう。 
その後半身不随で約7ヶ月寝込むことになったのです。 

始めは懸命に続けさせて頂いた 神想観 も、次第におざなりになって、
父が畳や衣類を大便で汚す度に不足を並べる私になってきました。 

平野初造先生 に来て頂き個人指導も再三受けましたが、
病人に聞かせようという心ばかりで、 “衆生病むが故に吾れ病む” と説かれた
維摩の心は、私達の全てから失われていました。

そんな時、大きな鉄槌が下りました。 
2階で寝んでいた父の部屋で、突然大きな音がしたのです。 
驚いて駆け上ってみると、半身不随の父が、床の間の日本刀を握って、仰向けに倒れている。

「どうしたんです?」  咎めるような眼で父に向うと、

「巳代次、お前は薄情な奴やな」  と言って泣かれたのでした。

私は突然脳天を一撃せられたような感に襲われました。 
これが生長の家を信じている自分の姿であろうか。 
父のよくならないのは、私自身の薄情な心からではないのか。 

私の目から涙が迸り、私はその場にひれ伏してしましました。 

私は真剣に谷口先生の書物を読みかえしました。 
大便に汚れながら父の看病に専念させて頂きました。 
すると父の病気は目に見えて回復し、その後13年間、元気で長生きをしてくれました。 

もしこの尊い真理に触れていなければ私は日本一の親不孝者になっていたでしょう。 
私は懺悔の心で、このことを 『幸せは今ここに』 の中に書かせて頂いたのです。


この拙著を読まれた愛媛県の講師副会長の木下さんから、
次のような悦びのお手紙を頂きました。

『私も生長の家の講師をしながら、2度の脳血栓の発作で、全身不随となった家内を、
只薄情に見ていたのです。 ところが先般 「幸せは今ここに」 の御本を読ませて頂き、
先生のお父様のお話を読ませて頂き、私の家内の病気が治らないのは、
北尾先生のお父さんの心と同じなんだな。 

私が薄情なんだ。 
私の 「生命の實相」 の理解が足りないんだ、と感じさせて頂き、
改めて 「生命の實相」 を熟読、誠心をこめて看護につとめさせて頂いた結果、
植物人間とまでいわれた家内の全身不随が治ってしまいました』

 
生長の家の真理は到る処で光彩を放っています。 
誌友会も年毎に拡大し、多くの救われた人々の集いは悦びに満たされています。


尊師は古都奈良を限りなく愛して下さり、千人余りの小さな集会にも拘らず、
毎年御講習会にお顔を見せて下さいました。 

会場は何時も奈良公会堂で、中食の時は芝生の上に筵を敷き、
先生を中心として会食致しましたが、先生は幕の内のお弁当の中から、
お惣菜を一つ一つ撮んで、傍らの白鳩の皆様のお弁当の中に入れて下さるのでした。 
皆様は大悦びでしたが、お惣菜はみるみるうちに先生のお弁当の中から無くなって、
先生はお漬物だけでお召し上がりになることもあったのです。 

その賑やかさに、近県の招待者が羨ましがって  
「奈良はいいな!」  とよく仰言ったものです。 

宿舎をなるべく静かなところにと、公園内に選ばせて頂いたら、 
「夕べが鹿が鳴いて眠れなかったよ」  と話される言葉に、
冷汗を流してお詫びを申上げたこともありました。

確か昭和35年のことだった記憶しますが、初めて大和郡山市で御講習会が開かれ、
徳久先生にお願いして、厚顔しく私の茅家に宿泊して頂きましたが、
仕出し屋の食事より白鳩の皆様がお造りになった漬物の類を、
5種類も6種類もおいしい、おいしいと沢山召上って頂き、
接待に出た方が、涙をこぼして喜んでいたのが印象的でした。

その翌朝、私は大変な失敗を仕出かすはめとなりました。 
約束してあったタクシーが中々来ないのです。 
列車の時間が迫っている。 

やむなく誌友の警察署長さんにお願いし、
ジープを廻して下さったまではよかったのですが、
御乗車を頂いたそのジープの屋根に先生は頭を打ちつけられたのでした。

「あっ、申訳ないことをした」  と恐縮する私に、 

「ジープは乗りにくいね。 僕はジープはこれで2度目だよ」  と、
ニッコリお笑い下さった姿が、今も瞼の底に残って消えません。 

失敗をしても、咎めるコトバもお出しにならない深い愛に感動したことが忘れられません。

 
また、何時でしたか、私の家内が神経痛か何かで悩んでいた際、お帰りになる先生に  

「先生、私、胸が痛いのです。 掌を握らせて下さい」  と厚顔しく申上げたら、

先生は優しく家内の手を握って下さって、  

「病気は有りませんよ」  

と仰言って下さったのです。 

家内の神経痛はそれきり癒ってしましました。

 
これもいつのことでしたか、奈良の講習会で、尾道から受講された夫婦の方があって、
先生の宿まで押しかけてこられて、こう言われるのです。

「私、一度先生に脱疽を助けて頂いたんです。 今子宮癌で困っているのです。 
一目先生にお目に掛って教えて頂きたいのです」

1時間も廊下に坐って動きませんので、食事の時先生に申上げたら、
直ぐ連れていらっしゃい、と特別にお赦しを頂いて、お部屋に御案内を致しました。

その方は、くどくどと病気のことを説明していられましたが、暫くして、先生は優しく、

「病気は無いのですよ。 無いのものは切れませんね。 
でも貴女が切って貰いたいのなら、切ってもいいんですよ。 
これは貴女が決めることですよ」  とお諭しになりました。

この方は、御講習会の後、元気に、 
「昨夜は出血も腹痛も無くゆっくり寝ませて頂きました。 
これから、もう1度新婚旅行をやり直します。 先生に宜敷く御礼を申上げて下さい」  
と私に挨拶をして去っていかれました。


10年程前、谷口雅春先生から、 “観音さまを讃える講習会” と名付けられて、
御講習会が開かれたことがありました。 

私は 誌友の方々と偕々に、十一面観音さまを御本尊とする二月堂に参詣させて頂きました。 

その折り、大仏殿の裏から二月堂の方に先生を御案内申上げますと、
朽ちた土壁や池の畔で鹿が草を食む風景に、幾度か足を止められて

「北尾さん、此処に奈良があったね」

と暫く見とれておられました。 

私はこの道を選ばせて頂いたことを、とても嬉しく感じました。 

二月堂には約百段近い階段があります。 
先生は飄々と2段宛お上りになりましたが、当時は80歳近いお歳で尚、
おみ足は矍鑠としていらっしゃいました。


此処数年、先生のおみ脚は衰えをみせてこられましたが、
当時のあのお姿を憶い、感無量でございます。 人

類のため、時に日本国実相顕現のため両脚を捧げきって頂いたと思えば、
勿体なくも有難い極みであります。

「若い者はいいね」

と代表者会議で、しみじみと仰言いましたが、
あのお言葉の奥にある先生の御心境を想う時、

弱られた先生の御足となって、歩いて歩いて、日本はおろか、世界の隅々まで、
人類光明化、日本国実相顕現のために、全信徒総立ちとなって、
全身全霊を捧げさせて頂こうではありませんか。

   (https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18708214.html)      
            
・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」④
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑤
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6819394

(7)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑥
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7167361

          <感謝合掌 平成30年10月5日 頓首再拝> 

道を伝えるということ - 伝統

2018/10/18 (Thu) 18:20:11


              *『生長の家』誌 25年4月号より
               ~ 中嶋 與一

イエスは弟子を伝道に遣わさんとした時、 
『旅のために何をも持つな。 杖も袋も糧も銀も、また二つの下衣をも持つな』 
〈ルカ伝 第6章3ー4〉 とあるからである。

私に望まるるものは 『言葉』 である。 
その言葉は私が恩師谷口雅春先生より伝授されたところの 『真理の言葉』 なのであって、
それを伝道する筈の私を待ち焦がれていらっしゃる以外に何物も求めてはいられないのである。

イエスは  『人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に出る』 
〈マタイ伝 第4章4ー5〉  とあるが如く、
人の生命は言葉が糧となって生きているのである。 

この 『生命の糧』 を求めている人達に向って、私がそれを差上げれば好いのである。

生長の家の教えは神の言葉の啓示を、谷口雅春先生が感受せられて
それを霊感にて現代語に翻訳し普く宣布せられたのであった。 

教えの根本原理は 『大調和』 であるから、
この教えが家庭へ入れば一家団欒となり、
郷党に弘まれば忽ち平和の風がソヨソヨと吹いて人心をやわらげ
家運は隆昌に赴き、地上天国を如実に顕現せしめ得るのである。 

この大真理を先生から伝授を受けた私は、
それをその儘伝えさせて頂くのが私の使命であるのである。

であるから、私が今回渡航する目的も自然と判明するのである。 
即ち名誉欲のためでもなく、物質欲のためでは勿論なく、
ただ御教えを伝えお使いに行くのであって、
それ以外に何等の欲望が無いのだから頗る簡単である。 

と同時に伝道という御業を行ずる事に就いての責任の重大さを痛感するのである。

     (http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p2.html

          <感謝合掌 平成30年10月18日 頓首再拝> 

愛語と礼節 - 伝統

2018/11/05 (Mon) 21:46:30


            *『理想世界』(昭和45年7月号)より
              ~谷口輝子先生

ノートルダム清心女子大学の渡辺和子学長が、或る雑誌に書いて居られた一節に、

「・・・・・礼儀には同時に、人間のあり方としてのきびしさがある。 
アメリカで実際にあった話である。  

一人の黒人が招かれて講演したとき、激しい野次と妨害がおこった。 
最後まで態度を変えることなく講演を終えて壇を降りてきた黒人に、
主催者側は謝りながら、何故ののしり返さなかったのかと尋ねたところ、

『私は、相手の低さにまで身を屈することができなかったからだ』

と答えたそうである。  この言葉には衿を正させるきびしさがある」


私はこの文章を読んだ時、白人に蔑視されている黒人の中にも、
白人以上に高い魂の人のあることを知った。 
色の白いのが尊いわけでもなく、色の黒いのが卑しいわけでもない。 

魂の高いのが尊いのである。 

私は時々テレビなどで議会の光景を見る。 
反対党の人が演説していると盛んに野次る。 

国民の選良らしい紳士的態度でなく、下卑な言葉、怒りに上ずった表情で怒鳴る。 
その党の人が演説しはじめると、今度はその反対党がまたガヤガヤ野次を
飛ばしているので、聴取者には演説の言葉がわからなくなってしまう。 

相手の言葉を静聴するという礼儀もなく真心もない。

相手が野次るから自分も野次り返すというのでは、
どちらも同じレベルに立っているのである。 

それでは、相手を馬鹿にしてののしる資格はないのである。  
同じ低さにあるのだからである。


渡辺和子学長はまた、

「・・・・礼儀を軽視する多くの人は怠け者である。 
寒いときにマフラー、オーバーをとって挨拶すること、 
一歩譲って他人を先にすること、 
心をこめて“お早ようございます”ということには努力がいる。 

この努力をしないで、自らの怠慢を正当化するために、
無礼のまかり通る時代を謳歌しているのであれば、
その波に乗ることは、人間性の危機をもたらすことでしかない・・・・・」

とも言っておられる。 

ここで言われる人間性とは、動物性に対する人間らしさのことであろう。 
動物には愛情を示す動作はあるけれど、礼儀はない。 
創られたるものの中で、礼儀のあるものは人間だけである。 

人間の形をしていながら礼儀を知らない者は動物なみだと言われても仕方がないであろう。

渡辺和子学長は、マフラーやオーバーをぬいで挨拶するには努力がいると言って居られる。 
その努力を実行することが克己である。 

誰でも寒い時は脱ぎたくないであろうけれど、
己れに克つことの出来る人は敢然と脱ぐのである。  

師の講話を聴く時に、マフラーや道行コートを着たまま畳や椅子に坐っている人は、
己れに負けた人である。

          (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24577822.html

          <感謝合掌 平成30年11月5日 頓首再拝> 

谷口雅春先生のお弟子、後継者へ - 伝統

2018/11/08 (Thu) 18:33:58


         *『理想世界』(昭和46年4月号) より

『個性を発揮しながら中心を逸脱しないこと』

創始者への恩を背かず、創始者の発見した真理の基礎の上に立ちながら、
単なるその亜流にならずに、独創的な業績あげ、世界の文化に貢献しつつ、
世界の渦の中に巻き込まれて個性を失うようなことはせず、
更に一層大きく発展させるものこそ真に創始者の弟子だということが出来るのである。

真理は中心であり、創始者はその中心の周囲に自己の時間の許す限りの輪を描く。

彼の人生の時間には限りがあるから、ある程度以上に大きな円を描くことはできない。 
次に続くものが、創始者の円の上に同じような円を重ねて描く。 
そして一歩もその円周は創始者のそれよりも大きくならないならば、これが所謂亜流である。

しかし同じ中心を周って図を描きながら創始者よりも包容面積の広い同心円を描く。 
更にその次に続く者は一層直径の広い同心円を描く。 
それは同心円であるから真理の中心から逸脱する事はない。

こうして多数の後に続く者がより一層包容面積の広い同心円を描きながら、
その真理から拡がっていく。 

しかもその同心円は中心から外れていないから自然にひとつの中心に集まる組織となっていて、
その団結が崩れる事がない。

そしてその同心円を仮に黄色とか緑色とか紫色とかに着色してみると美しい図柄ができる。 
その各々異なる色合いがその後継思想家の個性を表現するものと理解すればよい。

 (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/eeb30360f035fb2ba8e8c35e88c507ee

          <感謝合掌 平成30年11月8日 頓首再拝> 

個人救済から国家救済へ - 伝統

2018/11/30 (Fri) 18:15:09


        *Web:『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-03-15)
             ~生長の家神奈川県教化部長  吉田 武利


ある年の全国代表者会議の御結語に、谷口雅春先生が、

他の宗教でも人間・神の子という意味のことは説いている。 
仏教でも本具仏性と言っている。 

生長の家は、人間の実相のみならず、天皇の実相、国の実相を説いている。 
ここが他の教えにないところです ──

という意味のお言葉を言われました。

「実相」という言葉は、仏教でも従来言っております。 
しかし仏教書を読んでも、この「実相」は有るものやら、無いものやら、
なにか空々漠々としたもののような説き方です。

 
ところが谷口先生は「実相世界」とは、そんな、有るような、無いような、
空空漠々たる世界ではなく,無限荘厳の、大調和の極の極の世界であり、
中心帰一の秩序整然たる大調和の世界であり、その中心に一柱(ひとはしら)の
主神しろしめす実相日(ひ)の本(もと)の国であることを
お悟りになられたのであります。


「実相世界は一つの神に創造られ一つの神の叡智によって支配されているから、
秩序整然たる相(すがた)である。
実相世界を空無の世界、虚無の世界、茫漠の世界だと思うのは誤りである。 ・・・

 
実相世界にはただ一つの国があるだけである。 
その国は日の本(ひのもと)と名附けられ、また高天原国と名附けられている。 
唯一人の君がいまして高天原国を治(しろ)しめしている。 ・・・

実相世界が現象世界に迷いなく映れば、現象世界も一君に統一せられ、
悉くの国が大和合して一つの大日本国を顕現し、現実世界にも獅子と羊が相戯れ、
蚊も蚤も人を螫(ささ)ず、幽界、霊界の諸霊悉く相和して調和し其の処を得る。

かくの如くなることを指してキリストは
『御心の天に成るが如く地にも成る』と言ったのである」 
             (谷口雅春著『秘められたる神示』72~73頁)


と「実相金剛身の神示」で示されております。 

そして谷口先生は、この神示を解説されまして、次のようにお説き下さっています。


「『日の本(ひのもと)』とは実相世界でいう“超次元”の霊的世界そのものであり、
それが現象界に“救いの慈光”の放射される光の本(もと)の国であり、
その中心者たる神は“一つ”であるから、

『実相世界にはただ一つの国があるだけである。 その国は日の本と名附けられ』
とあることの意味がよくわかるのであります。 ・・・

実相の世界の神は、本来“一つ”であり、
その神が八百万の神仏とあらわれていられるのであるから、
唯ひとりの“主神”がましまして、完全なる秩序ある統一が得られている
ことも当然であります。 ・・・

 
キリスト教でいう『天』とは『実相世界』であるとことがわかりますと、
キリスト教の“主の祈り”の『御心の天に成るが如く地にも成らせたまえ』
と言うことが『既に神の御心が実相世界に成っている。 
その通りに、現象世界にも成らせ給え』ということを意味しているのであります。 ・・・

『御心の天に成るが如く地にも成らせ給え』というキリスト教の祈りが実現すれば、
現象世界にも、“一柱の主神”の投影として地上に“一君”が連邦国家の主権の象徴
としてあらわれざるを得ないことになります。

そこで、この連邦国家の主権の象徴として一君を選ぶ場合に、
どなたを世界連邦国家の中心象徴とすべきかという問題が起ってまいります。

世界連邦の中心象徴となるべき者は、野心ある国々の元首や支配者ではいけない、
其処に何か神聖なるものをもって来なければ連邦国家の主権の神聖性を
象徴するにふさわしくないのであります。 ・・・

日本の皇位は、天祖の詔勅によって連綿としてつづくべき
宇宙意思によって定められていますから、“日本敗戦”というような
古今未曾有の大自壊作用が起ってさえも天皇制は廃止せられず、
皇位の連綿性は保たれているのであります。 ・・・・

やがて出来る世界連邦統合の象徴として何か神性なるもの、
永遠なるものを求むれば、日本の皇位のほかにはない。 

その皇位の上に神孫が降臨し、キリストが再臨し、弥勒が下生(げじょう)し、
それが世界連邦の中心象徴としての“神の主”となるとき、
『黙示録』に予言されたるキリストの再臨が成就するのであります」 (同書89~91頁)


谷口先生が、そのお悟りの眼をもって、聖書をひもとき、仏典を読まれたとき、
釈迦が霊鷲山上で金波羅華を拈じられたのも、聖書の「黙示録」の言葉も、
「イザヤ書」の文章も、実相日の本の国を示し、それが地上に実現し、
大調和の世界が顕現することを予言したものであることを把握されたのであります。

 
やがて必ず、全世界の大多数の人々が、日本皇位の神聖性を本当に認識して、
やがて出来るであろう世界連邦政府の神聖主権の象徴として、
日本皇位を推戴するほかに何処にも神聖なものはないと気づくようになります。

そして、そのとき地上天国が実現します。
(しかし、その実現まで幾多の自壊作用があることも予言されています)


生長の家の運動を「日本実相顕現運動」といい、
「地上天国建設運動」というのもここにあると思います。

地上天国を実現する大真理・一大秘義が生長の家で明らかになったのであります。


私は、初めは、個の魂の救済・解放を求めて、生長の家の道場に参りました。

しかし、だんだん谷口先生の御講義を承り、御本を読ませていただいて、
生長の家は個人の救済にとどまらず、国家・社会・世界を救済する教え
であることが分ってきました。 

そして、私が生長の家を選んだのではなく、神様が、地上天国建設運動のため、
私をお選び下さったのであるということが次第に分ってまいりました。

しかして、現在、この実相日本顕現に最も大きな障害になっており、
日本の社会を混乱と危機に陥れ、諸悪の原因となっているのが「日本国憲法」である
ことも 谷口先生の御講義・御著書で分ってきました。 

そしてこの明治憲法復元改正、日本実相顕現のために、
一人でも多くの人に生長の家の真理を知ってもらい、
生長の家の教えにふれた私達の使命、生き甲斐、悦びがある
ということを知った次第であります。

   (https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/06d278d42e076f37f3462f8fb2b47d6e

          <感謝合掌 平成30年11月30日 頓首再拝> 

あなたの恋愛・結婚問題は? - 伝統

2019/01/03 (Thu) 18:44:03


          *Web:「生長の家(Question & Answer)」
               ~ 佐野 一郎(生長の家本部講師)


何度見合いをしても結婚できません
現在まで40回近く見合いをしました。
1回で断られたことはもちろん、付き合いが始まってデートしても
話が続かなかったりして、長く続いても3ヵ月で別れてしまうことがほとんどです。

相手に誠意を持って接しているのですが、ひどく気を遣って疲れてしまいます。
40歳を過ぎると縁談は遠のくと聞きます。
両親も高齢なので安心させるためにも早く結婚したいのです。

(A・F、39歳、男性、鹿児島県)




魂の半身は何処かに必ず居ます。
神に祈り神の正しき導きを受けて、心の世界に先ず良縁を造ることです。
回答者:佐野 一郎(生長の家本部講師)


お手紙拝見しました。
お見合いを40回近くされたにも拘かかわらず、中々良縁に恵まれないとかで、
さぞかし御無念の事とお察し致します。

ところで貴方あなた、寅とらさん知ってますか? 
そう、テレビや映画でお馴染なじみ、あのふうてんの寅とらさんですよ。
見合いこそしないけど、女性に想いを寄せ失恋すること48連発、
それでもめげず新しい恋に目覚めているではありませんか。

その寅さんに比べれば、未だ8回も余裕があるではありませんか。
ドンマイドンマイ。
 
結論から言いますと、心配御無用、貴方は必ず最高のパートナーに巡めぐり合えます。
なんとなれば、その見合いの動機が何ともはや素晴らしい
。自分の事もさること乍なが、老いたる御両親を一日も早く安心させたい
というその心情が気に入りました。
(もっとも、幾いくらボクに気に入られても仕方ないんですよネ)
 
しかし、願望成就の条件の中に、“何故自分はそれを求めるか”という動機づけは、
大変重要な成功ポイントになるからデス。
 
この点では申し分無いのですが、だからと言って、焦あせってはいけません。
“両親が元気な中に何とか見付けねばならぬ…”という気持は分りますが、
その“ねばならぬ”という心の引っかかりが邪魔になって、
形の世界に顕あらわれるのが遅くなっているのです。

遅くなってると言えば、年齢のことですが、40歳を過ぎると縁談が遠のくというのは、
あくまで一般論であり俗説デス。
俗説というのは、これ迄までのデーターを人が纏まとめて造りあげた説で、
確たる根拠がある訳ではありません。

それが証拠にこの前なんか、95歳の男性が、40歳の初婚の女性に見初られて
結婚したというではありませんか。(ホントにモー羨うらやましーい)

信仰の世界は、そんな俗説や常識を越えた処に意味があります。
焦らず待つ事です。

《心の世界で造られたものが、形の世界に顕れて来る》

それにもう一つ。文中に“誠意を持って接しているのですが、
ひどく気を遣つかって疲れてしまいます”とありますが、
その誠意がどういう誠意かここに問題があります。

自分では気を遣い誠意を尽しているつもりでも、
相手にとってはその>気遣いが却かえって煩わずらわしく
感じて疲れる場合もあるのデス。

何しろ両方で疲れているんだから、まとまる筈はずがありません。
もっと自然体で良いんじゃありませんか。
 
生長の家では、“結婚とは魂と魂の牽引による結びつきであり、
その魂の半身は何処どこかに必ず居る”と断言します。

ならば何処に居るか分らない魂の半身を引き寄せるには強力な磁石が必要です。
貴方その心の磁石持っていますか?
 
そもそも、この世の形ある全てのものは、まず心の世界で造られ、
それが次第に現象世界という形の世界に顕あらわれて来るのデス。

だから逆に言えば、形の世界で幾ら焦っても、
心の世界で成就していないものは実現しないのです。

それを実現させるためには、神に祈り神の正しき導きを受けて、
心の世界に先ず良縁を造るに限ります。

  (http://www.jp.seicho-no-ie.org/faq/03/0329.html

          <感謝合掌 平成31年1月3日 頓首再拝> 

「合掌」ということ - 伝統

2019/01/06 (Sun) 19:10:03


          *『光の泉』(昭和43年2月号)北尾 巳代次

「合掌」は相手の上に示された最も美しい愛の表現である。信仰の極致である。

合掌なくして生活の悦びなく、合掌なくして供給無限の生活もあり得ない。

或る人は合掌により不治の病床より甦り、
又或る人は暗澹たる絶望の思想から解放せられる。

しかし合掌は絶対に何ものをも需(もと)めず、
只管(ひたすら)行(ぎょう)ぜられる素直なものでなければならない。
為にする合掌は徒に相手の顰蹙を買って反抗をつのらせる許りである。

只礼拝するので、ただ合掌するのである。
俗に謂う拝み倒しでなく、何処までも相手を神とし、
仏として拝ませて頂くのである。

真剣な合掌は必ず魂の限りなき喜びを伴い、
みずから眼底の熱くなるのを覚えるであろう。

   (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/22867651.html )

          <感謝合掌 平成31年1月6日 頓首再拝> 

文字変換は正確に - 伝統

2019/01/18 (Fri) 19:07:12

『理想世界』ジュニア版 の初代編集長であった 佐野一郎氏 が
谷口雅春先生から注意を受けたときの話。

        *谷口雅春先生に帰りましょう・第二「文字変換は正確に。 (3781)」
         より(”童子 さま”ご投稿記事)

谷口雅春先生は、正漢字・正假名遣いで書かれておりました。

その理由については ・・・

『限りなく日本を愛す』 又は 『幸福生活論』 にて述べてあります (同じ御文章です)


その後、『理想世界』誌 『光の泉』誌 は現代の常用漢字、仮名になりましたが

その理由については ・・・

青年のために “翻訳” していると仰言っています。


さて、『理想世界』ジュニア版 の初代編集長であった 佐野一郎氏 が
谷口雅春先生から注意を受けたときの話。


        ―――  ―――


 『理想世界』ジュニア版が創刊された年の事です。

当時、日本教文社の重役だった別府正大氏の強い推薦を受けたボクは、
初代の編集長として、その敏腕? を振う事になりました。

或る日のこと、尊師、谷口雅春先生から原稿を戴き、早速、割付に掛ったのですが、
旧漢字の続け字で、どうしても判読出来ないんです。

普通の人ですと、こんな時、ひどく悩んだり、考え込んだりするらしく、
天理教祖も、そんな人のために、“八方ふさがっても、天だけ空いてる” 
と説かれています。

ところが、普通の人でないボク等は、余り考えないから、
いつも四方八方空きっ放しなんです。

この時も、“ええーい、ままよ” とばかり当て推量で下稿しちゃったんですが、
数日後に先生から御注意のメモを戴き、おもむろに仰天することになりました。


 『これから、人の文章を直す時には、必ず執筆者の了解をとって下さい。
その表現、その文字を使わねば、全体の文章が死んでしまうことがあるのです。
編集者の常識や、単なる好みで勝手に変えてはいけません』


なんでも聞くところによれば、古今東西、谷口先生の御文章に手を入れたり
カットしたのはボクが初めてだそうで、前代未聞の不祥事とばかり、
当時の上司である松木さんに大目玉を喰ってしまいました。


それから数ヶ月たった頃、またもや同じ事態に遭遇? したのです。

でも、賢者は決して前車の轍は踏みません。

ボクは躊躇する事なく、執筆者である先生に直接お伺いするための文章を作りました。

そして、上書きの、谷口雅春先生机下 という処まで認めたのですが、
ここで一瞬、フト変なことに気付いちゃったのデス。

吾が運命は実に、この辺りから翳りを生じたようであります。 

と言うのは、“まがりなりにも、ボクは谷口先生の弟子なんです。 
その弟子が、師に対して、机の下と書くのはオカシイのではないかと思ったのです。

そう言えば世の中、なんでも下より上が良いに決まっています。 

ちなみに、上流社会に下流社会、上等に下等、上品に下品、上役に下役、
上水道に下水道と、こう思いついただけでも全て上と名のつくものが下を凌いで? います”

そこで “前回の失敗をクリアするためには、もう、これっきゃない” とばかり一気に、
“谷口雅春先生‘机上’” と書き直したんです。


尊師から、いとも丁重なる親書を戴いたのは、その翌日のことでした。

『貴君は、まだ‘幼くして’、(この辺の所が当人としては、
ちょっとばかり気にならないこともないが ・・・ ) 
大人の常識を知らないようですから教えますが、

自分より目上の人に出す手紙は ‘机上’ ではなく ‘机下’ と書きます。

これは  “私ごとき者の文章は、お目のけがれでございましょうから、
どうぞ机の下にでも置き捨て下さい”  と言う、へり下りの気持を表したものです。

これからは、こういうことも少しずつ勉強していきましょうネ』


嗚呼! 吾ながら何という浅薄、何という無知、バカ、アホ、マヌケ、
穴があったら入るだけでなく、その中を、頭かきむしって駆けめぐりたい心境でした。

それから当分の間、次々と起こすこの種の武勇伝が本部の中でも格好の話材となり、

「それにしてもお叱りもなく、よく、その程度で済んだものだ!」 と感服されたり、
 
「世の中万事、徹底ですヨ、非常識もここまで徹底しなければいけません」 等茶化され、
挙句の果てには

「空前絶後」 という渾名までつけられてしまいました。

(《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》「文字変換は正確に。 (3781)」
    https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=848 )

          <感謝合掌 平成31年1月18日 頓首再拝> 

伝道者の真骨髄 - 伝統

2019/01/22 (Tue) 18:48:55


         *『理想世界』昭和46年12月号
           ~ 生長の家青年会会長  良本 峯夫

宗教の使命は愛と智慧をもって人々を救い、
地上に天国浄土を持ち来たすことにありと言われています。

愛と智慧とは一つのものの表裏であり、不離一体であります。 
愛無き智慧は冷たきが故に人々の反感をかい、
また智慧なき愛は時として人々をして堕落の道へ追い落とすことがあります。

それ故に本当の 『愛』 は必ず智慧をともない、
真実の 『智慧』 は必ずその中に愛が秘められているものでなければなりません。 

さればこそ 『神』 は必ず 『愛なり』 であります。

青年時代は知識欲が旺盛なるが故に、青年は聖典を拝読しては、
その得たる知識によって人々の欠点や短所をあげつらい、
悪しざまにののしり、批判することによってのみ事足れりとする傾向があります。 

然しそれでは多くの人々を御教えに導き救うことは難しいと言わねばなりません。

 
イエスの弟子パウロの言えるが如く、 
『たとい我もろもろの国人の言葉及び御使の言葉を語るとも、
愛なくば鳴る鐘や響く鐃の如し』 であります。 

愛の無い演説や説教は如何にそれが巧みに語られていようとも、
それは 『鳴る鐘や響く鐃の如し』 であり、
只いたずらに大きな音が響いているだけであり、
そのような 『音』 によっては人々は救うことも、
社会を改造することもできるものではありません。


御使い達の語る言葉の内に、即ちまごころに真実の 『愛』 がこもっている場合にのみ、
その言葉は聞く人の心を動かし、感動をあたえ、天国へいざない、
そして聞く人をして、御使いたちと同じ境地に導くものであることを知らねばなりません。 

即ち真の同志はかくの如くしてうまれ、
社会改造の運動もまた、より大きく飛躍するものであります。

 
愛はまた 『寛容にして慈悲あり。 妬まず、誇らず、非礼を行わず』 とパウロは言います。 
『すべての奥義と凡ての知識とに達し』 た優秀な御使いたちが、時として
愛無きかの如き言葉をもって語るのを聞くのは悲しいことである。 

『愛は長久(いつ)までも絶ゆることなし。 
されど予言はすたれ、異言は止み、知識もまた廃らん』

『神は愛なり』 であります。 愛こそ神であります。 
『愛』 はまた 『慈悲』 と同義語であります。 
真の愛ある所に調和は来たり、救いは成就し、同志は殖え、団結はうまれるのであります。

げに伝道者の真骨髄は愛であります。 パウロは最後に言う。 
『げに信仰と希望と愛と此の三つの者は限りなく存らん。 
而して其のうち最も大なるは愛あり』 と。

   (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24699855.html )

・・・

<参考Web>

(1)良本峯夫先生が平成30年7月20日にご逝去されました。
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/&mode=res&log=517

(2)峯夫のひとりごと
   → http://www.na.rim.or.jp/~hfg01061/public_html/tuki.htm

          <感謝合掌 平成31年1月22日 頓首再拝> 

如是我聞神想観 - 伝統

2019/07/19 (Fri) 18:05:06

如是我聞神想観  ―  いのちのふる里へ

        * 生長の家北米駐在本部講師  鹿 川 和 夫
          ~ 『白鳩』誌  昭和48年9月号より


生長の家に入信した当時、私の最も苦手であったのが神想観でありました。 
正坐という習慣がないうえに、祈るという事が何か異常に感じられたからです。 

小さい時から特別に宗教教育をされた事のない私にとりまして、
神想観そのものが理解できませんでした。 

そして科学的思考法で凝り固まった私には、
脳髄による知識の集積が人間にとって最も大切であると信じていたからでした。 

そのため、 『生命の實相』 も表面のみを読み、
それでわかったつもりになって一角の生長の家の信徒のようなつもりになっていたのですが、
今考えて見ますと全く恥ずかしい次第です。

そんな私にも、真の信仰心に目覚める時期がやってきました。 
それは自己の魂のより解放と、人類光明化の使命を感じて飛田給道場へ
練修生として入信した時からでした。

毎日4時50分の起床にはじまり、早朝行事の神想観と聖経読誦の実修  ――  
信仰深化のためには本当に恵まれた道場生活でした。 

そんな環境の中に生活させていただきながらも、
私の魂は内なる神を真剣に求めるまでは、生長していなかったように思われます。

しかしながら、徳久克己先生をはじめとする諸講師の方々の真剣な求道の姿、
深い御愛念、また先輩の練修生の皆様の御教に真剣に取り組んでいる姿が、
次第に私の神に対する心の姿勢を変えてゆきました。

丁度、大学2年の冬でした。 
練修生の先輩である右田さんより1時間神想観を指導していただくようになりました。 

これはいい加減な信仰生活をしている後輩の私に、
先輩の右田さんからの信仰に対する姿勢の厳しい鉄槌でした。 

厳寒の早朝3時半、私にとっては、辛く厳しいものでした。 
しかしながら魂の底からは、なんとなく暖かい何物かが湧いてくるのでした。 
そしてそれをきっかけとして、私の信仰に対する態度が一変してしまったように思われます。


生まれて初めて自己の本質なる神にふれ、生命で生きている喜びを知った
と言っても過言ではないと思います。 

そして不思議な事に 『生命の實相』 の聖典が
魂の底から喜びと共に拝読できるではありませんか。 

知的な把握のみにとどまっていた私の信仰が、
より魂的な把握の方へ向いて行ったわけであります。 

言い換えれば 『生命の實相』 に書かれてある御言葉を通して、
自己の魂が宇宙の神にふれることが出来るようになったとも言えると思います。 

それまで遥か彼方にあった神が、
より身近な、恰も父の如く感じられるではありませんか。

それからは時間あるごとに神想観の実修、 
『生命の實相』 拝読を心掛けるようにつとめました。 

1日に3回も4回も神想観を実修させて頂く日が度々ありました。 

それまで現象世界の諸々の現象に馳せ参じていた私の心が次第次第に
内なる神へと向って行くのが観じられました。 

「七つの光明宣言」 の第1條にあります 
“生命の法則に随順して生活する” ことの意義が、いかに重要であるかが、
神想観を通して少しずつわかってきたように思われたのもこの頃でした。

 
谷口雅春先生の 『生命の實相』 33巻 の第5章に次のような一節があります。  
「吾々も亦マグダラのマリアと同じく、先ず泪を流すほどに神を愛しなければならない。 
神と私とは父子の関係だ、本当に愛し愛されている。 有難うございます。
  ――  斯ういう神想観が楽しくない筈がありません。 
それは永く別れていた父子の対面なのですから」   

私もこのくらい神と自己が父と子の関係に感じられる程にならなければならない
と常日頃思っています。 

本当に感じられたら、いかに幸せな、豊かな神人合一の生活が展開するかわかりません。


15歳の時に御教にふれ、
18歳の時より毎日実修している早朝神想観も約10年になります。 

石の上にも3年、一人前になるのに10年と、よく言われておりますが、
毎朝の神想観を10年間実修してやっと生長の家の信徒として
スタートラインについたのだという感じがします。 

また、この10年間は、私の一生に於て驚くべき転換期であったと思います。 
消極的な人間から積極的人間へ、暗い人生観から、明るい人生観へ等々 ・・・・・ 。 

そして今は呼べばすぐ応えるほどに神は身近に感じられます。 
何処にいても常に私を導いて下さる神様を感じられる生活ほど楽しいものはありません。


生長の家本部神癒祈願部の井上如水先生が  
“神想観は、口先で実修するものでなく、腹で実修するものである”  と、
よくアドバイスして下さいますが、心の底から神を求めて、神と一体でありたい
という願いをもって実修した時、神想観の本当の味がわかると思います。 

私もどんなことがあっても、早朝神想観を実修することに決めております。

世界最高の聖者である 谷口雅春先生 より教えていただいた神想観を毎日実修し、
より霊的な世界へ自己の心を拡大しつつ、人類光明化運動を進めた時、
私達の人類光明化運動は地上を覆ってしまうでしょう。 

内面を深めつつ  ――  生命のふる里へ回帰しつつ、現象の運動を進めてゆく、
これらが表裏一体となった時、神意(みこころ)が現成した光明化運動となるでしょう。


 ‐‐‐‐‐‐‐

谷口雅春先生 『明窓浄机』 昭和45年9月

「アメリカ総轄教化部附属の練成道場宿舎の竣工も近づいたので、
愈々北米でも、日本語の練成や白人向きの練成も次々とはじまることになる。 
それで渉外局勤務の青年講師 鹿川和夫君 が練成指導員として渡米した。

鹿川君は長期間飛田給にいて練成指導に慣れているので、
白羽の矢が立って、赴任することになったのである。

誌友に単に真理の雑誌や聖典を読ませているだけでは、
人間的なつながりも少なく、真理の体得も自分で努力して悟らねばならないから、
なかなか充分にはできにくいのである。 

この点では、やはり練成によって真理を実修するのが
真理の悟りを速める上からいって最もよいので、
練成道場宿舎が完成すると、日系米人は無論のこと
白人黒人系等のアメリカ人にも生長の家の教えは広く浸透することになると思う」

  ( https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18688803.html より )

          <感謝合掌 令和元年7月19日 頓首再拝> 

智慧あるいのち - 伝統

2019/11/27 (Wed) 18:23:14


        * 谷口輝子先生『めざめゆく魂』(P145)より

愛だけあって、智慧と生命が欠けていたのだね。
智慧のない愛であったから、悪人に利用されるだけで自分は失う一方だった。

明るい智慧がないから悪人はますます悪を増長させ、
光へ導くことができなかったのだ。


ただ善良だというだけでは駄目だ。

生命の生々と躍動している善良さでなくては生長はしない。

微笑の奥に、平和の底に、生命の生々しさのないものであったら
それは力のない善さであって、発達向上はしないものだ。

智慧と生命との伴わない愛は 完全な愛ではない。


本当に自己を生かし、また他をも生かすには
智慧と生命の融け合った愛でなくてはならないのだ。

 ( https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17047273.html より転写 )

          <感謝合掌 令和元年11月27日 頓首再拝> 

鉗鎚を振り下ろす人 - 伝統

2019/11/28 (Thu) 18:50:14


         *『こころの姿勢』田中忠雄・著(P95~ )

人間は誰でも五十歳を越す頃になると、そろそろ苦言をしてくれる者を失ってしまう。
  
かつての恩師でも、五十を越した者にはなかなか苦言を呈しなくなるものだ。
六十を越した白髪頭や禿げ頭に向かってはもう誰も叱ってくれるものがない。

そうすると、身体の方に動脈硬化の現象がおこると平行して
心の方も固まって硬化症状を呈する。 

男でも女でも同じことだ。心に弾力性がなくなって老いぼれるのである。

若い頃はもとよりのこと、六十になっても七十になっても、
やはり鉗鎚(けんつい)を見舞ってくれる師をもっていることが必要である。

鉗鎚をふりおろして、
固まりかけたのをつぶしてくれる人を持っている人は幸いである。

詩や歌の心などがあっては、それこそ派閥争いに負けてしまうとあって、
できるだけ厚顔無恥になろうと努力している。 

どんな催しにも顔を突き出して心にもないこと一席ぶちまくろうとしている。 

こういう連中でないと選挙には勝てない仕組みになっているのか。
なかんずく、代議士や大臣の顔は恐ろしくぶ厚くなっている。

その厚い顔には共通するところがあって、
どことなく人を食ったようなずうずうしさがある。 

だからこの連中が「人づくり」などと言い出すと、おかしくて吹出したくなる。

人の人づくりよりも、てめぇの人づくりはどうした。

相すまぬ人をもっておらんし、つぶしてくれる人も持っておらんではないか。

不幸にして、そういう人を持っておらないなら、
せめて古人先哲の言行によって鉗鎚を受けるがよい。

そんなヒマがあったら地方からでてきた郷里の陳情者どもを
うまくあしらった方が実効があると思っている。 

たまに勉強したというから聞けば、
人から突っ込まれた時の答弁のために資料に目を通すとか、
派閥強化のために政策の謀議をやるとか、そんなことでしかない。


人が票にみえたり、票の邪魔ものにみえたり、一味徒党の構成分子にみえたり、
天地ともに相いれぬ敵の回し者に見えたりして、高いものはなくなってしまったのだ。

あるものは駆け引きばかりではないか。

  さしあたって提起する。 

  自らに問うべし。

  われに苦言者ありや。 またなしやと。

 
  もしなければ、われ未だなっておらんと思え。

  ( https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/16974878.html より転写 )

          <感謝合掌 令和元年11月28日 頓首再拝> 

民主政治の終焉にむけて - 伝統

2019/11/29 (Fri) 19:21:17


        * 『理想世界』誌より

近頃、この日本国に頻々として天変地災が起る

私はこの地球上にこのように人類が苦難を受ける天災地災が起らないように
毎日祈っているのだけれとも、私の徳足らず、自然の大勢を転ずる如き霊力足らず
且つ尚真剣さ足らずしてこれら諸種の不幸な天変地変が地上に起らないように
左右することが出来ないので、自分の不徳と力足らざる事とを恥じてお詫びする
ほかはないのである。

最近の政治が民主政治と称して手身が主君の座に居座って、
本来、帝が政治を行い給うた国であったのに、その本来の相を滅却して
下座にあるべき民は頭首の座に坐って、民主と称して政治を行うから
政治の根本が天地逆転になっているである。

この下克上の天地逆転の現代の風潮が積もり積もって民主主張の弊害の度が
濃厚となって、その濃厚さが具象化して天災は頻繁することになってくるのである。
 
そして〃今〃がその頻発の具象化の出発期となってきているのである。


人間大衆の心の動きと大自然の動きには相関的な関係があるのである。  
無論、天変地災は近頃から急に始まったことではない。

為政者はその政治のあり方に反省改悟することがなければ。
今までの政治や行き方の過ちが何処にあるかを知らなければ。
その過去を悔い改めて、その責任を痛感しなければ。

退陣、総辞職して大政を自然にあるべき位置に奉還すべきである。

   ( https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17116454.html より転写)

          <感謝合掌 令和元年11月29日 頓首再拝> 

国を愛するということ - 伝統

2019/11/30 (Sat) 19:25:26


           *『我ら日本人として』 より

人間は決して自己愛だけで真に幸福な生活を送ることはできない。

私たちが本当に生きるためには、自分の生活をしずかに見詰めて、
その生命が何処から来たものであるかを知らなければならない。

自分の生命は父母にこれを受け、父母の生命は祖先にこれを受けた。

その祖先がこの日本国を建てたのである。
この日本国には祖先の生命がそそがれている。 
その日本国に私たちは生を享けたのである。


私たちは自分の肉体がたとい今如何なる健康状態にあろうとも、
自分自身を愛せずにいられないと同じように、
戦後の日本が如何なる状態におろうとても、
日本国を愛せずにいられないのである。


「今の日本国の現状が愛するに値する有様でないから日本国を愛することができない」

と云う人が往々あるけれども、

「愛する」とは、美しい間だけは可愛がって
醜くなったら嫌いになるようなものではないのである。

「愛する」とは、
自分の妻が美しい間も病んで醜くなっても愛することである。

そしてその〃病い〃を治して
さらに美しくしたいと意志し、努力する心である。


今の日本国は「愛するに値すほど美しい」とは言い得ないかもしれない。

けれども、日本国が醜くければ醜いほど
それを愛し育てて理想的な美しいものにしたくならずにいられないのが、
日本人の国民的貞操でなければならない。


日本を愛する愛をもたない人間は結局は
人類として傍観者であるほかはないだろう。


私は日本を愛している間が幸福であり 
魂が孤独ではないのである。

   ( https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17065148.html より転写)

          <感謝合掌 令和元年11月30日 頓首再拝> 

『光と大地』 - 伝統

2019/12/02 (Mon) 18:31:42


        *『白鳩』(昭和40年7月号)
          ~谷口清超 先生

人間の太陽と大地とは 〃男性〃と〃女性〃とである。
  
これらは本来単独で存在すべきものではないのである。
お互いに助け合い、おぎない合ってこそ、
はじめて無限の生命の産みてとなる。

それ故、女性はよき妻とならなければならない。
そして男性は、よき夫となるべきである。

温かい『家庭』の中において、はじめて一切の生命が伸長する。
子供は健康に育ち、優良な発育をとげる。

夫と妻とのあたたかい愛の和合があれば
生命は伸びるほかはなく、健康に育たざるを得ないのである。

夫婦が日々感謝し愛の交錯をもってすごす家庭は、
断じて失敗はあり得ず、没落はないのである。

    ( https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17393964.html )

          <感謝合掌 令和元年12月2日 頓首再拝> 

久遠のいのち教えられ - 伝統

2019/12/04 (Wed) 19:43:12


       *生長の家 河田亮太郎長老のお話『鈴を振る』

・・・・谷口雅春先生に直々に教えてもろうた忘れられん話が一つある。

先生はよう鈴の話をされますが、


 『ねぇ、河田君、この鈴よく鳴るだろ』
 『ええ、よう鳴りますな』

 『この鈴、なぜ鳴るんだね?』
 『さあ?』


僕はどう説明しようかと身構えた。

 『河田さん、あんたそんなこと何も考える必要ないじゃないの?』
     
 『え?』

 『鈴は始めから鳴るように作られているんだよ。鳴って当たり前なんだ』

ここに真理があるのでんな。

 『君、これ振れば鳴るねえ。ところが振らなければ鳴るかね?鳴らないだろ?
  鳴る鈴もじっと吊り下げておるだけでは鳴らないでしょう。

  人間だって同じなんです。 
  いかほど人間・神の子の真理を知っておっても
  行じないで吊り下げておくだけでは百万年たっても鳴らないよ』 


つまり、始めから人間は神の子なんだけど、
それを生活に行じなければ、神の子のいい音色は鳴らない。
愛行が伴わなければ何もならんと云う御教えや。

    ( https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/18049065.html より転写 )

          <感謝合掌 令和元年12月4日 頓首再拝> 

『生命の實相』に学ぶ - 伝統

2019/12/05 (Thu) 19:48:03


         *徳久克己・著『生命の實相』に学ぶ (P41~42)より

『真理の言葉が書かれてある書物』『聖経』などを受持していると
功徳があるのは何故でしょうか? 

聖経『甘露の法雨』を、受持してゐるだけで、災難をよけた実例が、
『生長の家』では、無数にあります。

最近ブラジルでは、ポルトガル語の『甘露の法雨』が、
ブラジル人の間に、ものすごい勢いで拡がってゐますが、
これも『甘露の法雨』を持っているだけで、沢山の奇跡が起っているからです。

      
『生命の實相』第二巻、頭注版210頁を開いてください。

   或る誌友は『生長の家』誌をポケットに入れて出ると、
   その日終日気分が明るくて仕事が順調に運ぶと言って寄越されました。
      
   これは何故かと言いますと、真理の言葉の書かれてある書物には
   真理の霊波がありますので、言葉の霊波で信仰が高まり、
   信仰の精神波動が霊界の善霊を引き寄せて其の人の気分を快活にし
   兼ねてその人になくてはならぬものを招き寄せて呉れるのであります。
      
   書物に印刷された真理の言葉に霊波があると言いますと、
   迷信だと思う人があるかも知れませんが、
   書かれてある言葉も発声される言葉と同じように霊波があるのであります。
     
   古来から『大般若経』をペラペラ病人の前で翻すだけで病気が治ったり、
   憑きものが落ちたりする事があるのは書かれてある言葉の霊波によります。

   また神社などから貰う護符や、お守り、蟲封じの符などは
   相当効力のあるもので、それは必ずしも迷信とは言えない実証があります。
      
   テイ・ステッド氏よりの霊界通信によりますと

   『あなた方は果たして会得し得るかどうか知れないが、
   あなた方の有する書物 ― 印刷し、装丁してあるドッシリ重い書物は
   霊界より観れば一つの光体である。書物の生命はその光の価値できまる』

   と言っているのであります。
      
   これによれば、どんな部厚い書物でもただの紙屑にすぎないものがあれば、
   片々たる冊子でも神仏の護符同様霊光燦然たるものがある筈であります。

   しかもその霊光にも色々の種類があるので、読まずにただ側に置くだけでも
   吾々の心に悪影響を与えるもの、良影響を与えるもの等々様々ある訳です。
      
   総じて明るい言葉を書いた書物より発する光は善霊を呼び、
   暗い言葉を書いた書物より発する光は悪霊を呼ぶのであります。

   法華経や『甘露の法雨』が、それを受持し、書写し、読誦するだけでも
   功徳があると云うのは、その言葉の霊波のしからしむるところだ
   と考えられえるのであります。


このように、はっきりした説明の根拠をもっていて、
『甘露の法雨』をもつことをすすめないと、迷信あつかいにされます。
      
また私たちは、暗い言葉を書いた書物は、悪霊を呼ぶことを知るならば、
そんな本は身のまわりに近づけない方がよいことになります。

  ( https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/18922845.html より転写)

          <感謝合掌 令和元年12月5日 頓首再拝> 

「悩んでおるあなたに・・・」 - 伝統

2019/12/06 (Fri) 18:41:05


       *藤原敏之・著『魂のめぐり逢い』(P152)より

行詰まりや不幸は神が現われていない証拠です。

神様は遠いところにあるのではなく、
私の中にあって、常に私を守り導いておって下さることに
気づかなければなりません。

神様を離れた私はなく、私を離れた神様もありません。
だから、私達は悪くなりようがないのが本当です。

悪くなるのではあるまいかと案ずるのは、
神様を抜きにして、私が一人で生きていると思い違いしておる時です。

神様に対抗する程の悪も力もありません。

私達はただ、神の前に平伏して、
ありがとうございますと無条件降服する外はありません。
生きることも神様の御心なら、死ぬることも神の御心です。

私の力や甲斐性で出来ることは何一つないのです。
ただ感謝して、今を全力を出し切って生きる他はありません。


人生の目的は何ぞや。

富を得ることでもなく、名誉や地位を得ることでもなく、
本当のことを覚って迷わず、安心と喜びをもって生きることです。

池田首相も佐藤さんも、巨億の富も地位も名誉もみんな置いて、
魂だけが旅立って行かれたのです。
安心して行かれたか、喜んで行かれたか、それだけが問題です。

この世のものは、多かれ少なかれみんな預かりものです。
預かっている間だけの楽しみです。

しかし預かりものと知ることは、
実生活において消極的になることではありません。

必要なものは必ず与えられることを信じて行動することです。

他人に迷惑をかけるのは神の子の生き方ではありません。

神の子は無限の可能性があり、神の導きと守りがあり、
無限の知恵と力があるのですから、
思い付くままに積極的に行動すれば、必ず無限に道は開けるのです。

行きづまるのは神の子ではなく、心配するのも神の子ではなく、
必要なものは、必要に応じて与えられる生活でなければなりません。
必ずその通りになるのです。

神と常に直結し、神の知恵と力とを、
お腹の赤ちゃんが常にお母様と直結して栄養を受けて成長する如く、
常に受ける心境になることです。

それには神の無限性を信じて、
ありがとうございますとの感謝を忘れないことです。
天地一切のもの、誰とでも調和することです。

神想観を怠らないことです。
これが先日の実相研鑽会の議題であります。

          <感謝合掌 令和元年12月6日 頓首再拝> 

本当の闘いは憲法ですよ  ー  愛国と信仰と詩魂の生涯  山 口 悌 治 - 伝統

2019/12/07 (Sat) 17:43:37


       *Web:『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-07-15)より
            ~ 村 上  正 邦


 この川のちろろ流れに茎ながき姿うつして曼珠沙華花さきぬ。
 頂ける花冠その色の赤くあかきは釈迦牟尼か成道の燃ゆる焔か。
 秋風の彼岸会にここかしこ咲きむれてなよ草のいのちささぐや。
 人の世の熱情せつなくわが心しとどにぬるる。


昭和53年7月16日逝去された生長の家本部理事長山口悌治先生、
昭和22年のお歌である。

先生の作の中で私の一番好きな一首である。 
切ない程に美しく、哀しい情感が惻々と胸に伝わる。 

祖国が、歴史始まって以来、未曾有の敗北と外国占領という屈辱を受けるのを、
燃えたぎる愛国の詩人 山口悌治先生の目は、どれ程の悲しみでとらえたか。 

祖国占領の苦渋の最中に歌われたこの一首は、
直截的にその思いを表わしていないだけに、
私はよけい先生の魂の悲泣が聞えてくるようで、思わず涙ぐむ。 

生涯、萬葉のあの壮大でおおらかな、
汚れなき生命躍動する世界を愛してやまなかった山口先生には、
ひょっとしたら、この一首は不本意なお歌かも知れない。 

しかしこの切ない程の情感と底に流れるやるせない程の悲しみが
私の心をとらえるのである。


しばらく病床に伏しておられた山口先生が逝去されたという報を聞いたのは、
2日後の7月18日に元号法制化実現国民会議を結成すべく
都内を走り回っていた時である。 

先生を最後にお見舞した2週間前のことが思い出されて涙は止まらず、
真夏の暑ささえも悲しみに凍て、汗は、全て涙と化すほどであった。

 
元号運動の進展状況を御報告申上げると、
先生はやせ衰えた手を私にさし伸べて 

「よくここまできましたね、村上さん。 元号の次の憲法が本当の闘いですよ」 
と激励して下さった。 

その時の強い力の感触は今も私の両の掌に残って、
元号運動の最後の苦しい時も、現在、全国を駆けめぐって
肉体がへとへとに疲れ切る時も、 『本当の闘いは憲法ですよ』 
と私に無言の激励を与えてくれるのである。

 
先生は、私たちに古事記にある「御中の理念」の発揚こそ、
天皇仰慕と愛国の至誠の根本であると教えられた。 

理念か観念ではなく天皇陛下を恋い慕う心とは何か。 
真に国を愛し国に誠を尽す生き方はどうあるべきかを、身を以て実践された。 

それは 「国の歴史は自分の外にあるものではなく、自分の内にあるのだ」 
という、国と自己との一体感から導き出される一切者の自覚に立つものであった。

 
先生は私たちにひたすら原点を語り、
愛してやまなかった萬葉の世界を語り続けられた。 

「萬葉」のあの生命の躍動こそ、『生命の實相』の生命観であり、
民族の原点であり、理想であると認識されたのであろう。 

お会いする度に、あまり政治の生ぐさい話はなく、
もっぱら萬葉の精神と日本及び日本人の理想を切々と語り続けられた。

山口先生が20数年にわたり血をこめて綴ってこられた
『万葉の世界と精神』の出版記念会の時である。 

山口悌治先生を真中にして、
当時の理事長中林政吉先生と副理事長清都理之先生の3人が、
マイクの前で上梓された一冊の『万葉の世界と精神』の本に手を合せて
絶句されて手をとりあった泣かれたという。

 
占領軍による谷口雅春先生の執筆活動追放という
生長の家教団として最大の苦悩の中で、
生長の家を支えてこられた3人の大先達の感慨が、
この本の中に紛れもなく息づいていることを知った。 

そして私たちの運動は如何に多くの先達の支えの中で進展しているかと深く思った。

 
昭和10年谷口雅春先生の麾下に参じて以来、
43年の長きを唯一筋、谷口先生の御跡を生き切り、
その生命を燃焼された山口悌治先生に、

谷口先生は 『實相光明宮覚行圓萬浄徳大居士』 を解脱名を授戒された。 

そして新盆の折に

 「悌治翁新生之ために」

 西に沈む日よ沈むなと祈れどもついに沈みて朝日昇りぬ 

 
の一首を献歌された。 

谷口雅春先生の悲しみの深さ如何ばかりであったか。

山口先生はうつそ身を隠された。 
しかしその魂は必ずや天空を駆って、
吾らの今後の運動を励ましていただいているはずだ。

 『本当の闘いは憲法ですよ』

日本に真に正しい憲法が回復するとき、
西に沈みし日は、再び東より燦然と昇るときである。 

これが日本の夜明けである。 

日本の夜明けのために立ち上がれと、
山口先生の魂に私にいつもそう語りかけておられる。

  ( https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/85abeca91a7bfa28dfd710a2dc42a056 )

          <感謝合掌 令和元年12月7日 頓首再拝> 

善い面に着目して喜べ~ 徳久克己先生  - 伝統

2019/12/09 (Mon) 18:55:31


「喜ぶ人は喜びの種子を蒔く人だ。
呪う人は呪いの種子を播く人だ。
悲しむ人は悲しみの種子を播く人だ」(『生命の實相』第二二巻二二頁)

『生命の實相』のいたるところに
「現象界」は「心」の展開であることが説かれており、
その「心」は「田畑」のようなもので、
「畑」へまく種子は「思い」であると説かれています。

そのことがわかりますと、
「喜ぶ人」は「喜びの種子」をまく人である、
ということがよく理解できます。

 医者をしていまして、病人に接しますと、この事がよくわかります。

病人は、自分のカラダにどこか悪いところがありますと、そこばかり考えて、
他の部分が健康であることを忘れて悲しんだり、不平不満ばかり言っています。

たとえば、胃の悪い人は「胃が悪い、胃が悪い」と
胃の悪い事ばかり考えて、悲しみ、不平ばかり言っています。

そんな病人に、私は、

「あなたの肺も、心臓も、肝臓も皆とても丈夫ですよ!」

 とわざと強調して言うことが、しばしばありました。

なぜかと言いますと、自分のカラダの悪いところだけを考えて、悲しんで、
他の良い所を喜ぶ心を起させないと、病気が治りにくいからです。

『聖経甘露の法雨』の中に『「病み」と「暗」とは即ち語源源を同じうす』
と説かれていますように、病人は自分のカラダの悪いところだけに、
気を取られて暗い気持になりがちですので病が中々治らないのであります。

そのような時に、

『私は胃は悪いけど、心臓も肺臓も、肝臓もいいのだ!』

 という気持を起させますと、悪いのは胃だけで、自分には丈夫なところが、
たくさんあったのだ、という明るい気持になります。

そうなりますと、病人がとても「明るい心」になりますと、
病気が早くよくなります。

 このような心の持ち方は、
病気だけでなく、繁栄のためにも、とても大切なのです。

仕事がうまくゆかない人と話をしていますと、
病人が自分のカラダの悪いところだけを気にしているのと同じで、
仕事がうまくゆかない面ばかりを見て、うまくいっている面を見ることを
忘れて、「暗い気持ち」になっている人が大半です。

ある相当大きい会社の社長が、サギにひっかかって、大金を失い、
それを取り返そうと思って、一所懸命になったのですが、どうしても
取り返すことができず、すっかり暗い気持になり、
会社の将来の見通しも立たず、心痛して病気となり、
練成道場へ来られたことがあります。

私はその人に、

「あなたは経営者として、企業を上手に運営することを忘れて、
サギにひっかかった金を取り戻そうという、そのことばかりに
心をとらわれて、今しなければならない仕事をしていませんね。

サギにひっかかった金を取り戻すより、
仕事を一所懸命にして利益を上げれば、
その位のお金は簡単に取り戻せるのではありませんか?」

 と言って、事業の「暗い面」に心をひっかからせず、
「明るい将来」を、私は強調したことがあります。 
 
さすがに事業家で、生長の家の縁に触れている方ですから、
すぐ、「そうですね」と心を転換されました。

それから病気はよくなり、事業に専念され、
その後、会社は隆々と栄えました。

 人間というものは、なにか問題にぶっつかりますと、
その問題に心がひっかかり、つい暗い気持になり易いものです。

相当、神を信じているつもりでも、自分が何か問題にぶっつかりますと、
暗い気持になり、悲しい心になって、悲しみの種子をまきますので、
よけいに悲しい事が起って来て、また暗い気持になり悲しむ
という悪循環を繰り返し易いものです。

そんな時こそ、信仰の真価がわかる時です。

常に、どんな時にも、明るい面を見る習慣をつけておきましょう。
                                     
          (おわり)

http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7914048
(道産子 2019/10/12 (Sat) 08:26:46)

          <感謝合掌 令和元年12月9日 頓首再拝> 

道を伝えるということ - 伝統

2019/12/19 (Thu) 20:34:29


          *『生長の家』(昭和25年4月号)より
            ~中嶋 與一

イエスは弟子を伝道に遣わさんとした時、 
『旅のために何をも持つな。 杖も袋も糧も銀も、また二つの下衣をも持つな』 
〈ルカ伝 第6章3ー4〉 とあるからである。

私に望まるるものは 『言葉』 である。 
その言葉は私が恩師谷口雅春先生より伝授されたところの 
『真理の言葉』 なのであって、それを伝道する筈の私を
待ち焦がれていらっしゃる以外に何物も求めてはいられないのである。

イエスは  
『人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に出る』 
〈マタイ伝 第4章4ー5〉  とあるが如く、
人の生命は言葉が糧となって生きているのである。 

この 『生命の糧』 を求めている人達に向って、
私がそれを差上げれば好いのである。

生長の家の教えは神の言葉の啓示を、谷口雅春先生が感受せられて
それを霊感にて現代語に翻訳し普く宣布せられたのであった。 

教えの根本原理は 『大調和』 であるから、
この教えが家庭へ入れば一家団欒となり、
郷党に弘まれば忽ち平和の風がソヨソヨと吹いて人心をやわらげ
家運は隆昌に赴き、地上天国を如実に顕現せしめ得るのである。 

この大真理を先生から伝授を受けた私は、
それをその儘伝えさせて頂くのが私の使命であるのである。

であるから、私が今回渡航する目的も自然と判明するのである。 
即ち名誉欲のためでもなく、物質欲のためでは勿論なく、
ただ御教えを伝えお使いに行くのであって、
それ以外に何等の欲望が無いのだから頗る簡単である。 

と同時に伝道という御業を行ずる事に就いての責任の重大さを痛感するのである。

          <感謝合掌 令和元年12月19日 頓首再拝> 

『眩しいほどの光明』 - 伝統

2019/12/24 (Tue) 18:41:12


           *谷口雅春先生に帰りましょう・第二
            ~京仏師  松 久  朋 琳

若い頃から本が好きで、活字になっているものは手あたり次第に読んでおりました。 
様々な本が、私というちっぽけな人間を肥やしてくれたのですが、
なかでも谷口雅春先生の 『甘露の法雨』 〈これを本と呼ぶには憚りがあるのですが〉 は、
私に「人生とは何か?」を真摯に考える端緒を与えて下さった 《聖書》 の一つであります。

たまたま妻を亡くし5人の子供を抱えて四苦八苦しておりましたとき 
〈昭和18年頃でしたか〉、同志社の栄光館で先生の 『生命の實相』 の講習会が
3日間にわたって開かれました。 

例の革表紙の 『生命の實相』 はすでに熟読しておりましたので、
仕事もほおり投げて通いつづけましたが、
初めて谷口先生のお話をうかがった日の感動は忘れることができません。

紫色の表紙で、お経のような折り本装丁の 『甘露の法雨』 を求めたのは、
その会場であったと記憶します。 

谷口先生が霊感を受けて一気に綴られたという自由詩形式の 『甘露の法雨』 には、
生命の実相についての先生の深遠な宗教哲学が、実に平易に、
しかも格調高いコトバによって説かれており、当時、一向に芽の出ぬ仏師として、
とかく厭世的気分に陥りがちであった私に、まぶしいほどの光明を与えて下さったのでした。


   生命は実在の又の名
   実在は始めなく終りなく
   滅びなく
   死なくが故に
   生命も亦始めなく、終りなく
   亡びなく、死滅なし


先生の 「生命というものは、神とともにある。 神そのものが生命である」 
という力強い宣言に、逆境にあった私はどれほど勇気づけられたか判りません。


   神は愛なるが故に
   人間も亦愛なるなり

 
私の乏しい思想の根源にあるものは、この 《愛》 に他ありません。 
《萬教帰一》 を説かれる谷口先生の 『生命の實相』観 に支えられて
82歳の今日まで、コリコリと〈木の仏〉を彫りつづけてこられたといえるのです。

昨年、日本教文社さんから出していただいた 『佛の聲を彫る』 も、
谷口先生はじめ、諸先達の深い心に接したお蔭とつくづく感ずる次第です。

私が谷口先生の薫陶を受け眼を開かせていただいたように、
この拙著が一人でも多くの方々に何らかの支えとなれば、と願わずにはおられません。 

それが私の、谷口先生に対するご恩返し、とでも申せましょうか。


(659)http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=157
日時:2016年03月07日 (月) 09時55分
名前:童子

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/  (消滅)

          <感謝合掌 令和元年12月24日 頓首再拝> 

自己に宿る最善を表現せよ - 伝統

2020/01/16 (Thu) 22:04:15

        *「光の泉」(昭和48年10月号)より
          ~連載 繁栄の広場  徳久克己先生

「働くことによってのみ、自己のうちにある最も善き物が表現を得るのである」

(『生命の實相』第二十二巻、六一頁)

 繁栄するということは、その人のうちにある、「最も善き物」が
充分表現された結果であるということが出来ます。

ですから、繁栄しようと思うならば、先ず、自分に宿る
「最も尊きもの」を充分に表現することに全力を注ぐことです。

谷口先生は、就職を願う時、

「自己の天分にかなう、もっとも多くの人の役に立つ仕事が、
既に与えられている」

と祈れと教えておられます。

「自己の天分にかなう」ということは、
「自己のうちにある最も善きものを表現する」ということです。

 知人の多い私に、よく就職をたのみに来る人がいます。

その時、私は、

「あなたは、その仕事が適していると信じ、また本当に好きですか?」

 とたずねます。

私の質問に、キッパリと「そう思います」と答える人には私は
気持ちよく紹介状を書き、または直接に社長に、就職をたのみます。

就職をしようとする本人の気持が、あやふやで、その会社の仕事にたいして
正しい理解をもたず、その仕事をすることによって、自分のうちにある
最も善きものを発揮できるという確信のない人は、就職しても、
うまくゆきません。


 その仕事をよく理解し、そしてその仕事を愛している人は、
必ず働く意欲が湧いてきます。

その働く意欲の従って、人一倍働くことによって、その人に宿る
「最も善き物」がどんどん出て来るので、ますます働く意欲が出て来る、
ということになるのです。

 医科大学で病気の事を習い、治療法を習っても、自分が実際に患者に
あたって、治療してみないと、一人前の医者となることは出来ません。

頭の中で、お腹の事を、こう切って、こう結んで、といくら手術の事を
知って居ましても、実際に手術をしてみますと、
なかなかうまくゆかないものです。

何回も何回も自分で手術をしてみて、自信も出来、じょうずにもなります。

ですから、自分の中にどんなに立派な能力があっても、
働かないと自分の能力は充分に発揮できないのです。

 スポーツの選手を見ていますと、よく練習することによって、
その実力を発揮していることが判ります。

「あの選手は、実力はあるのですが、練習不足なものですから、
成績がよくありません」

というようなコトバを、スポーツの解説者からよく聞きます。

実力はあっても、練習不足になっていますと、その実力が十分に発揮できない
――こんなことは、スポーツの世界では当たり前のことです。

それと同じように、たとえ、その人に能力があっても、充分に働かずに
自分の実力を出そうと考えることは間違いです。

自分の実力を充分に発揮して繁栄しようと思ったら、スポーツの選手が
練習に練習を重ねて、実力が十分に発揮するのと同じように、
働いて働いて、自分の実力を発揮することです。

働くことを嫌がって、なるべく楽をして、
自分の実力を発揮しようと考えることは、間違いです。

 成功した人の話を聞いてみますと、みな、人一倍働いて努力した人です。

自分の持っている素質は、働いて鍛えることによって、
ますます磨かれて輝き出すものです。

自分の仕事以外の趣味の事となりますと、一所懸命に努力し、働いて、
仕事の方を出来るだけさぼろうとしている人がありますが、
趣味に努力するエネルギーを、仕事の方に振り向けたら、その人は、
まちがいなく成功し、繁栄することになります。
                                      

http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7889515
道産子 さま記事
2019/08/10 (Sat) 08:42:50
2019/08/11 (Sun) 08:15:45

          <感謝合掌 令和2年1月16日 頓首再拝> 

合掌は神の子の生命を礼拝する感謝行  ―  合掌三昧の生活を - 伝統

2020/01/25 (Sat) 22:36:40


          *『生長の家』(昭和60年8月号) より
            ~生長の家千葉教区教化部長  深 田  保

私が生長の家にふれたのは、昭和15年の春だった。 
それから大東亜戦争や、終戦直後の混乱もあって、9年近く生長の家から遠ざかっていた。 
そして昭和25年の暮、兄に連れられて赤坂の生長の家仮本部を訪れた。 

そのとき、先ずびっくりしたのは、事務室に入るとすぐ入口に居られた方が 
「ありがとうございます」 と合掌された事であった。

入信当時、谷口雅春先生の御講話も何回か聞かせていただいて感激したが、
その頃は御講話に入る前に、谷口先生が合掌されていたことは鮮明に覚えていた。 

しかし会う人毎にお互いが合掌していただろうか? 
と一瞬何年かの空白の時間を感じて、合掌されているその方に
合掌しなければ悪いような、しかし恥かしくて合掌なんか出来なかったのである。 

第一、手の合せるのは神社や仏様を拝むときとか、
御葬式の時じゃないかという常識的な反発もあって、掌が上へ挙らないのである。

 
その時、私は失業中で兄に相談したところ 
“私は今、相愛会の東京都連合会長を拝命しているんだが、
仕事が忙しくて、中々思うように奉仕が出来ない。 
しばらく手伝ってくれないか” ということで、生長の家につれてこられたのである。 

これから当分ここで手伝うんだなあ
  ―  という気持と、会う人毎に合掌するのは嫌だなあ  ―  
という気持が、心の中をかけめぐった。

紹介もすみ、連合会事務局の主事をしておられた、竹内実次先生にも引き合わされたが、
この時も矢張り合掌されて又びっくり、とにかく明日から出勤ということになって、
生長の家に接する第一印象は “合掌” ということになったのである。

 
合掌すること  ―  なれてしまえば何でもないが、しかし又それだけに、
何の意味もない合掌では形だけに終ってしまうのである。

 
『人間苦の解放宣言』 という御本の中に、最初に出てくるのが 
「拍手および合掌の意義」(11頁) である。


「生長の家の練成道場へはじめて参加する人達が第一に驚くことは、
玄関の入口に一歩入ると、道場の職員たちが、
その人を合掌して “ありがとうございます” と唱えながら礼拝してくれることである。 

初めて参加した人のなかには、色々の悩みをもっていて、
少しもありがたくないと思っている人たちもたくさんある。 

そのような人達は、

“ここは瘋癲病院とちがうか。 
何が一体ありがたいんだろう。 
このありがたくもない自分を拝んでいやがる” 

と思ったりするのであるが、やがて数日たつと、その合掌礼拝の意義がわかってきて、
自分もまた、合掌礼拝する人間になってくるのである。 
そこからその人の幸福生活が始まる。

 
玄関で先ず “ありがとうございます” といって拝まれる
  ― その時、既に魂の試練が始まっているのである。 
それが道場の練成第一課なのである」


私はこの事がわからず、唯はずかしいから嫌だ、いうことで
この尊い姿を心で否定してしまって 
「私は納得するまで合掌しない」 と決心した。

しかし、その私の決心はそれから何日もたたないうちに見事に砕けた。 
理屈も何もない。 気がついたら “合掌” していたのである。


昭和26年の1月2日、3日と新春特別講習会があり、
4日から7日までは指導者特別教修会が開かれ、私は下足番の役を与えられた。 
来る方も来る方も、皆下足を出しながら合掌される。 
「ありがとうございます」 の声と、合掌の美しい光景である。 

その中で、私だけは合掌に抵抗して、ただ 「ありがとうございます」 だけを
繰り返しながら下足を預っていた。

3日目の朝、参加者が一番多くて混んで来たときに、
一人の中年の御婦人が、非常に美しい合掌で 「ありがとうございます」 と
下足を差し出されたとき、思わずつり込まれるように合掌して 「ありがとうございます」 
と言っている自分を発見してびっくりしました。 

しまった! と思ったが、下足を預ける人々は後から後から続いている。 
それからは考える暇もなく、合掌しながら下足を御預かりしている自分がしばらく続いた。

一度だけの合掌では、はずかしい気持はなくならないかもしれないが、
次から次へと合掌しているうちに、納得しないうちは合掌しない、と決心していた心が、
だんだん変って、折角 “合掌” するなら一所懸命の合掌をしようと思うようになって来た。

 
心が変ったのである。 
合掌を否定していた心が、合掌を肯定する心に変ったのである。 

その日から私は嬉しくてたまらなかった。 
抵抗を感じていた “合掌” から解放されたからである。 
すると実にのびのびと自然に合掌して 「ありがとうございます」 
と言えるようになって来た。 

合掌して 「ありがとうございます」 と拝んでいる自分も、相手の方も、
そのとき一つの‘いのち’になって、地上天国が実現するのだ、という
谷口先生の御言葉が今更のように心にしみ通ってくる。

 
谷口雅春先生は、『人間苦の解放宣言』 の中で、

「わたしは人間をただの “肉の塊” だとも物質だとも見ないで、
皆 “神の子” であり “霊的実在” であるという人間観に立っているから、
自分が教祖で他の人は一段下の弟子であるというような差別観をもたないで、
“法華経” にある常不軽菩薩のように、すべての人間を合掌して拝むのである。 

その拝むのは、形を真似て拝むのではなく、
心底から礼拝して拝むのであるから、相手の心を打つのである」 (19頁)

とお説き下さっている。 

私はこの御文章に接して、一度合掌しないと決めながら、
反転して今度は合掌しようと思って努力して来たことが正しかったと安心した。 

合掌しないと決めたのは、形だけで合掌したくない、
皆がやっているから自分もやらなければならない、
そんな御義理な、中途半端では “合掌” した意味がないのではないか
と考えていたからであった。

私が東京都連合会の事務局長をさせていただいた時の事である。 
幹部研修会を飛田給道場で開催するため、事務局総出で準備に来ていたとき、
受付の準備をしていた女子職員が、何か興奮して話をしているので側に行き、
「何かあったの?」 と聞くと、その中の一人が、

「今私達の前を徳久先生が “合掌” して “ありがとうございます” 
と言われて通られたんです。 あんな偉い先生が、私達に声をかけられ 
“合掌” して下さるなんて感激です」

と喜びを満面に浮かべて報告してくれたのである。 

私はそのとき、この練成道場が総裁先生の御愛念によって始められ、
その責任者となられた徳久先生が 「合掌行」 を道場生活の目標とされていた事を思い出した。 

そして一事務員に対しても合掌される徳久先生を手本にしなければと深く反省したことがある。


「それは “合掌” という形が尊いのではないのである。 
合掌から “光” が出るようでなければならないのである。

それは対者に宿る神性・仏性の光を心の眼で観て拝むのであるから、
“光を観る心” からは “光が射す” のである」  〈『人間苦の解放宣言』 12頁〉


私が戦後始めて赤坂の仮本部に行ったときに体験した “びっくりした合掌” は、
昭和23年3月16日から10日間開かれた飛田給道場の第1回練成会から始まっていた
ということを、あとで知らされたのである。 

それまでは一部の信徒の間では “合掌” の行持があったが、
まだ一般的ではなかった “合掌” を、全国的な信徒の “合掌” にまで
発展させたのは、実にすばらしい事だと思う。

 
もう昔の事であるが、といっても昭和43年の参議院議員選挙の際、
重宗雄三議長が生長の家の推薦を受けて活動をしているとき、
我々信徒が合掌している姿をみて、

「合掌は“心”の握手だね。 実に素晴しい。 
しかも、遠くにいる人とも握手が出来るのがうれしい」

と言われた事があった。

合掌が心の握手であると直感された重宗議長のように、
私達も合掌をもっと深く考えてみることが大切なのではないだろうか。 
もっと自覚する必要があるのではないだろうか。

「人間は猿属の子孫ではない。 
人間は “人間” という “神の子” たる “理念” の実現として
出現したところの別種の種族である ・・・ 

〈中略〉 

つまり類人猿から人間に進化する以前に既に人間があったのである 

〈中略〉 

人間は本来 “合掌種族” として生れたので ・・・ 」  〈『人間苦の解放宣言』 14頁〉


と御教示されている通り、私達は最初から合掌していた、ということを自覚しなければならない。

東南アジアなど世界の国の中には、今でも日常生活の中に “合掌” が生きている民族がある。 
しかしその生活は貧しいことが多い。 
それは合掌が形だけになってきているからではないだろうか。 

心の底から拝み合掌しているのならば、
必ずそこには、真の世界、実相が、顕れてくるはずである。

 
谷口雅春先生は 『古事記と現代の預言』 の中で、
古代の私達の先祖は、お互いを神の子と直感把握し、
その自覚から命と呼び合い拝み合いの生活をしていた民族であり、
神の子なるが故に宇宙創造の神と一体となるための祭祀を第一の行持として行い、
その伝統を正しく護持して来られたのが歴代の天皇陛下であるとお説き下さっている。 

正に拝み合う “合掌生活” を垂範されているのである。

今上陛下 〈※昭和天皇〉は、御践祚されてから60年の長き御在位の中で、
第一に行じられているのは祭祀であるとお聞きしている。 

この陛下の御祭祀が日本国家を繁栄させている源泉であることを思うとき、
天皇陛下に限りない感謝の誠を捧げそれをかたちに顕わしてゆきたいと思うのである。

そして合掌の真の意義をお説き下さった谷口雅春先生に深く感謝し、
我らの日常生活を “合掌三昧” の生活に徹しようと決意するこの頃である。   

合掌

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/132e51c30ad05bc21566829266a1e4ea?fm=entry_awp_sleep

          <感謝合掌 令和2年1月25日 頓首再拝> 

真理の公共性 - 伝統

2020/01/27 (Mon) 01:27:13


          *『人生を見つめて』より
 
真理は個人のものではない。 
真理は神のものである。

真理を知らされたということは、神から真理を授けられたのであり、
何のために授けられたかというと、諸君は、真理を他に伝えるに相応しい 
“霊の選士” として選ばれたからである。

真理を自己の健康のためのみに、
自己の富の増大のためのみに、
自己の事業の成就するためのみに ・・・・・ 

その利己的目的のためのみに使うならば、
それは公けのために授けられた宝を私用のためのみに壟断するものだ
と言わなければならないのである。 

こんな場合には、入信当時有効にはたらいていた 「心の法則」 という鍵も、
いつの間にか宝の倉庫を開くことができなくなるのである。

真理は公共的なものだということを知らなければならないのである。 
公共性に働かせないとき、その握っている真理もあたかも 
「魂」 の脱けた形骸となるのである。

公共的なものは、これを公共的に使うとき益々多くの実を結び、
人類を光明化する天使(てんのつかい)としての能力も殖えて来るのである。 

だから生長の家の誌友となり、或は 『生命の實相』 を読み、真理を知らされた者は、
一人が必ず百人の人を救済せねばおかぬという大決心をもって、
この真理を、自分の知人、友人、近隣の人たち、電車、汽車等にて触れ合う人たちに伝えて、
神から 「真理」 をまかされた霊の選士としての自己の使命を完うしなければならないのである。

真理を自己のためのみに使って、肉体の健康を得、事業を成功させて富を増殖したところが、
彼は決してまだ本当に 「真理」 を知ったのではない。 
何故なら彼は、真理の公共性を知らないからである。 

それは肉体の健康、富の増殖という物質的なことに心を奪われている点において、
彼はまだ 「物質の奴隷」 であって、真理を知って 
「自由」 となったのではないのである。 

奴隷は決して自由人ではないからである。 
真に自由人となるためには、そような物欲から解脱しなければならないのである。 

そして何物をも求めず、ただ 「与える」 という心境になった時にのみ、
何物をもつかまないで自由になったのである。

「真理」 さえも 「自分のもの」 として掴んではならないのである。 

ただ与える喜びのためのみに真理を伝えることの出来る人こそ
本当の自由人であり、霊の選士としての本分を満たすものだということが
出来るのである。


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08/09/13--08:07:
                    
          <感謝合掌 令和2年1月26日 頓首再拝> 

縁のない衆生は一人もいない - 伝統

2020/01/27 (Mon) 23:20:01


             *『生命の實相』 第4巻より

“縁のない衆生はひとりもない”。 

ただ機縁が熟しているかいないかです。

釈迦に弓を引いた提婆達多も成仏する。 

キリストを売ったユダも成仏する。 

地獄も餓鬼も修羅道も成仏する。

 
地獄も餓鬼も修羅道もいっさいの不完全なものは実在ではないから、
やがて消え去る運命をもっているのです。 
そのほかにありようはないのです。 

罪でも病気でも悪癖でも結局は消えてしまって
その人は結局救われるほかはないのですけれども、
相手が反抗しているのをこっちから “強制的” に救うことはできない。 

それは人間は本来自由を与えられているから、
強制することができないように造られているからです。

強制して救ってよいくらいなら、神さまはわれわれの努力をまたないでも、
その無限力をもって強制的に罪を消し迷いを消し、
この世には光明世界が実現していなければならないはずです。


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08/11/13--16:20

          <感謝合掌 令和2年1月27日 頓首再拝> 

心の訓練をすること ~ 徳久克己先生  - 伝統

2020/01/30 (Thu) 01:19:52


     朝、目が覚めてすぐ自分の心を・・・・・

           よき未来の創造のために


野球でも、フットボールでも、選手になるためには、
当然、猛烈な訓練をうけなければなりません。

どんなに素質のある人でも、訓練をしないで、一流の選手になった人はいません。

それは、その人のもっている素質を、充分に発揮するためには、
訓練を繰り返し行うより外に、方法はないからです。

この現象の世界は、まず、心の世界で設計された、実現するのだ、
という「心の法則」を教えられている私たちは、よき未来の創造をしようと
思えば、先ず、心の中に「よき種」を、立派に発芽さし、生長さし、
美しい花を咲かせ、よい実をならせればよいのだ、と理論で知っています。

知っているけれども、さっぱりよい事が起こって来ない、
という人がいますが、これは、知っているだけで、心の訓練をしない人なのです。

ピアノは、このようにして弾けばよいのだ、といくら教えられても、
その訓練をしないと、上手に弾けるもではありません。

それと同じように、心の中に「よい種」をまけと教えられても、
「よい種」をまくということは、「よい想念」を持ち続けることだと
教えられても、その訓練をしないと、心に「よい種」はまけません。

「心」というものは、見えませんし、「よい想念」も見えませんので、
一週間か十日続けて、よい結果が現れて来ないと、
すぐやめてしまいがちになります。

私は、『生命の實相』の中に朝、目覚める時に、自分の心によい想念を
植えつけることが、その日一日をよい宝庫に向けるために必要だ、
と説かれているのを読んで、一つ実行してみようと思い、朝目が覚めると、すぐ、

「ああ、今日はすばらしい、きっとよい事がある、今日はすばらしい日だ!
有難い、有難い、今日はきっとよいことがある!」

 と、小さい声で、自分の耳に聞えるように、
繰り返し、繰り返し言う事をはじめました。


はじめのうちは、全然、実感がわきませんし、ねむたいばかりでした。

「ああ、ねむたい!」
 といいかけては、あわてて、

「ああ、いいことがある。今日はすばらしい日だ!」
 と言い直したことが、何回もありました。

まだいいことも、なにもない、朝の目覚め時ですから、はじめのうちは、
なんだかバカらしくなったこともありまして、途中でやめてしまおうかと
思いましたが、もう十年以上続けてきました。

「ああ、今日はすばらしい日だ、有難い」

と言ってみても、初めは、ちっとも、そんな気になれませんでしたし、
かえって現実離れした、変な気持でしたが、『生命の實相』に説いてある
のだから、間違いない、と思って、自分の心を訓練し続けたのです。

朝目が覚めてすぐ、自分の心を、

「今日は必ずよい事がある、すばらしい。有難い!」

という方向に向け、今日一日の自分の行動への「よい種」を植える。

わずか一つの事を実行するのでも、相当の「心の訓練」が必要なのです。

二、三日か、一ヵ月くらい実行してみて、感じが出ないとか、
ちっとも効果が出ないからやめた、などという人がいます。

しかし、ピアノの練習を二、三日か、一ヵ月して、上手にならないからやめた、
と言ったら笑われます。

名人になればなるほど猛訓練をしていますし、
また十年、二十年と続けて、はじめて名人になれるのです。

それと同じことで、「心の訓練」こそ、よき未来の創造への第一歩です。
                                        
  (おわり)


http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7869355
道産子
2019/07/16 (Tue) 08:09:24
2019/07/17 (Wed) 07:59:53

          <感謝合掌 令和2年1月29日 頓首再拝> 

情有るもの・情無きもの悉く皆如来 - 伝統

2020/01/31 (Fri) 00:00:12


         *『白鳩』(昭和47年5月号)より

    たち向ふ人の姿は鏡なり己が心を映してや見ん

と、黒住教祖宗忠尊師は教えられたが、
この鏡の原理は宇宙到るところに充ち満ちていて、吾らを導いて下さるのである。

自然界の森羅万象は、唯物論者から見れば唯の物質分子の物理化学的集合体に観える
のであろうけれども、物質には知性がなく計画性もないから、
単なる物質の物理化学的な偶然集合では、生きた木の葉一枚造ることはできないのである。 

どんな立派な科学界の大学者でも、
実験室の試験管又は試験装置の中では木の葉一枚でも製造し得た人はないのである。

だから自然界の森羅万象を単に物質の集合体と見る唯物論は間違いであるのである。 

それは 『宇宙普遍の観自在原理』 ―― すなわち仏如来の生命と智慧と愛との顕現なのである。 

そのことを釈尊は三十五歳の十二月八日、
菩提樹下に坐して暁の明星を見ながら忽然と悟られたのであった。


それが  『有情・非情・同時成道。 山川草木国土悉皆成仏』  の悟りである。 


“有情(うじょう)” というのは “情(こころ)有(あ)るもの” 即ち生物である。 
“非情(ひじょう)” というのは “情(こころ)あらざるもの” 無生物のことである。 

同時とは、過去・現在・未来を同(ひと)つに握った 
“絶対無” の無時間無空間の一点から観ずるとき、
それは “成道(じょうどう)” すなわち 
“天地(てんち)の道”〈即ち真如〉 の現成であるというのである。

それを、更に言い換えたのが 『山川草木国土悉皆成仏』 である。 
山川(さんせん)・国土は無機物であって 『非情』 のことである。 
草木(そうもく)は生物であって 『有情』 に属する。 
〈最近、嘘発見機的な電子感応装置によって植物にも心があることが科学的に証明された〉  

その 『有情』 も、その 『非情』 も、悉く皆成仏だというのである。 

成仏とは、これから何億年経ったら 『仏に成る』 という意味ではない。 
今、無時間の一点に立ってその実相を観ずるならば、
悉く皆 “仏” のいのちの現成であるというのだ。


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08/19/13

          <感謝合掌 令和2年1月30日 頓首再拝> 

無明〈迷い〉は、どこから、どのようにしておこるのか - 伝統

2020/02/01 (Sat) 01:36:50


          *『生命の實相』 人生問答篇より

これは佛教でも 「無明起源論」 といって、なかなかむつかしい問題であります。

また全世界の学者は、この無明がどこからいかにして起ったか、
満足に説明し得た学者はありません。

「忽然念起」 といって 「ヒョッコリ念が起った」 などと説明している人もありますが、
これでは完全な説明ということはできません。

 
わたしが考えますのに、 「迷い」 というものは “本来無い”。 
“無い” ものの起源をたづねることが本来まちがっている。 
起源をたづねるのは “在る” というこど前提としてのことである。

無いものを根掘り葉掘りしたところがその根が出て来るはずがない。

われわれが “迷い” はどこにある、どこから来た、
と根掘り葉掘りしている間は “無い” ということはわからないのです。

“無い” ものは “無い” として、それはそのままほって置き、
本当にあるもの ―― われ “神の子” なりというこの荘厳な真理を自覚したとき、
迷いはひとりでに “無” の本性を暴露して自滅するのです。

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08/20/13

          <感謝合掌 令和2年1月31日 頓首再拝> 

一切に調和して仕事をする - 伝統

2020/02/05 (Wed) 23:35:32


           *徳久克己 医学博士 『精神科学』誌 より

すばらしい能力をもっていながら、その能力を充分に発揮できずに
一生を終る人があるのは、まことに残念なことです。

そのような人は、いつも自分が認められないことを嘆きながら、
酒を飲み、グチをこぼし、不平不満の心を持ちつづけて、
なかばヤケ気味の生活をおくっています。

能力をもちながら、認められない人、また認められても仕事のない人の多くは、
結局、職場で一緒に働いている人たちと調和のとれていない人なのです。

 
谷口雅春先生の著書 『無門關解釋』 のなかの第二十則に、「大力量人」というのがあります。 
大力量のある人が、それを発揮するための三つの条件が説かれています。

一は、大力量があるとの自覚。 
二は、自覚したら百錬千磨といって訓練に訓練をかさねること。 
三は、調和と教えてあります。

一と二はすぐ理解されたのですが、三が私にはどうも理解できなかったのです。 
説明してありますけれども、どうもピンとこなかったのです。 

しかし栄えた人や成功した人の体験談を聞きまして、
だんだんとこの調和がいちばん大切であることがわかってきました。

生長の家の教えの根本となっているのは、この調和でありますが、 
“『七つの燈台の点燈者』の神示” の冒頭に 
『汝ら天地一切のものと和解せよ。 天地一切のものとの和解が成立するとき、
天地一切のものは汝の味方である』 と示されています。

『天地一切のものは汝の味方である』 ということは、大変なことでありまして、
言いかえますと敵がなくなると言うことであります。 

敵がなくなれば、みんな自分の協力者でありますので、
自分のすることに誰も反対しないということです。 

そうなれば、自分を認めてくれないとか、
仕事がないなどということは、ないはずであります。

大力量人が、その力量を充分に発揮するためには、
どうしてもその力量を発揮さしてくれる人が、たくさんいなければならないのです。 

私たちは自分ひとりで仕事ができるものではなく、協力してくれる人が必要なのです。 
大きい仕事であればあるほど、より多くの協力者が必要です。

自分にどんな力がありましても、協力してくれる人がありませんと、
自分の力を充分に発揮することができません。 

協力してもらうためには、お互いが調和していることによって、
お互いがよく理解しあっていることが、とても必要なのです。

私自身も若い時は、自分の力だけに頼って、
自分でなんでもしてみせると自惚れていましたが、
大きい仕事になればなるほど、とても自分一人でできるものではないと、
ツクヅク教えられました。


調和することは、和解することであり、和解することは、感謝することである、
と生長の家で教えられましたが、協力してくれる人に感謝することを忘れたとき、
必ずといってよいくらい仕事がうまく行かなくなります。 

これは私の長い間の体験でハッキリ教えられました。

よく協力してくれている人に慣れてしまって、
ついアタリマエだ、という氣になった時に、
協力がおかしくなることがよくあります。 

職場でも、家庭でも、友達でも、常に感謝を忘れたとき、問題がおこります。

『生命の實相』 に 『感謝は、機械にさす、油のようなものである』 
と教えられておりますが、
繰返し体験することによりまして、シミジミと教えられました。


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08/21/13

          <感謝合掌 令和2年2月5日 頓首再拝> 

久遠の尊師と歩いた人類光明化の道  ―  中林政吉 - 伝統

2020/03/05 (Thu) 20:07:35


           *『精神科学』(昭和63年1月号) より
             ~ 柴 田  達 成


忠犬ハチ公でおなじみの渋谷から吉祥寺までを結ぶ “井の頭線” の途中に、
「池ノ上」 という小さな駅がある。 
歩いて5分もすると閑静な住宅街に入るが、この一角に中林政吉先生の家があった。 

筆者は、言葉を交したことはないが、中林先生と会うのは初めてではない。 
東京へ出てきて、渋谷青年会を結成(つく)り、原宿の本部へ足繁く通っていた頃、
中林先生をよく見かけたものである。 

端正な顔立ちと、もの静かな威厳にただ遠くから合掌していたのは、
もう、ふた昔も前の話であったが ・・・ 。

「エエ。 あなたの名前は存じていましたよ。 しかしお会いするのは初めてですね」

開口一番、中林先生はそうおっしゃってニッコリされた。

晩秋のやさいい日差しが部屋の中を包んでいた。 
先生はその日差しに心地良く身をゆだねながら、
過ぎ去った人生をたぐり寄せてくれるのだった。 それは色彩も鮮やかな一幅の名画であった。

「僕は明治36年7月に越後川口で生まれました。 
1年の半分は豪雪に埋まる山間部でした。 
耕地が少ないので貧しい農家が多くて、出稼ぎで生計を建てるような生活でした」

中林先生の家は22代も続いた古い家柄であったが、不運にも家運は傾斜していて、
大学進学も断念せざるを得ないような状態であった。 

普通こういう場合、青雲の志をいだいて東京へ出てくるものだが、
中林先生は北海道へ渡り、札幌のデパートの店員になった。

弱冠18歳の青年であったが、この地で文学と絵画に関心を深めていった。 

文学をかじると、思想的な模索が始まった。 
左翼思想にひかれて行くのはごく自然であった。 
郷里(くに)の貧しい農民たちを見てきた精神的背景もあったのかもしれない。

「当時、“種蒔く人” という社会主義文芸誌のグループがあって、
そこへ傾斜していったわけです。 
金子洋文、佐木孝丸、小牧近江といった人たちがいました。」 

社会的矛盾に立ち向かおうという正義感もあったのだろう。

「まず、僕の働いているデパートの職場で婦人解放運動を始めたのです。 
いわゆる実践活動です。 しかし途中から左翼の事件にかかわって、
札幌から東京出てきたわけです」

東京へ出てきた中林先生は、上野の下谷に 「リリオム」 という喫茶店を開店した。 
昭和8年のことであった。 
知人の紹介で結婚もしていたから、店は奥さんとふたりできりもりした。 

近くに現在の芸大や、太平洋美術学校があったから、客は若い芸術家のサロンであった。 
中林先生もその雰囲気に酔っていた。

その当時は、画家とか芸術家は、世間一般からは理解させなかった。 
貧乏という名前がついてまわったのだ。 
これは日本だけの偏見ではない。 
西洋の、後年、名を残した画家たちも生前は押しなべて不遇であった。

奥さんと中林さんは、若い芸術家たちの最もよき理解者であり、
精一杯の支援をしてはばからなかった。 
それが彼等を歓喜させたのだ。

「小さい頃、画家になりたかったこともあって、店の中は美術書や、
演劇関係の本、文学書、クラシックレコードも集めて環境を演出しました」

客の中に鶴岡政男、麻生三郎、難波田龍起といった後年、洋画壇で大成した人がいた。 
そして忘れることの出来ないのが 佐藤俊介氏 であった。

「ある日、彼が 『生命の藝術』 という雑誌を寄贈(くれ)たのです。 
僕はまだ唯物論者でしたから、たんなる観念論の雑誌だと思って
気にも止めなかったのです。 

ところが彼はその後も 『生命の藝術』 を寄贈(おい)ていくわけです。 
ある日その裏表紙に 『生命の實相』 の広告が出ていたのです。 
目次を読んで行く内に 『生命の實相』 が読みたくなったのです」

これが神縁であったのだ。 初版黒革表紙三方金の 『生命の實相』 を
佐藤氏が快く貸してくれた。 それまで進歩的で新しいと思っていた
共産主義思想が、音をたてて自分の中で崩壊して行くのがわかるようであった。 

「『生命の實相』 を読んで、社会を改造する本当の道を教えられたのです。 
谷口先生が生長の家の真理を宣布する出版会社 〈光明思想普及会、現・日本教文社〉 
を発足するというので、社員募集があったのです。 

僕は真先に駆けつけて第1号に採用されたのです。 
そう、あれは昭和10年2月のことでした」


ここで佐藤俊介氏こと 松本俊介氏 を少し紹介したいと思う。 
実兄の彬氏は谷口雅春先生に共鳴して 「生命の藝術社」 を設立して 
『生命の藝術』 を創刊した人であった。 

父親の勝身氏は岩手の盛岡で生長の家の支部長の要職にあったが、
後に一家をあげて上京して、光明思想普及会の編集部に入社している。 

松本家に入籍した俊介氏であったが、
妻・子さんの父親・松本肇氏 〈慶応大学英文学教授〉 も
熱心な生長の家の幹部であった。

こうして光明思想の感化に恵まれる環境にあったが、
13歳の時、流行性脳髄膜炎にかかり聴覚を失っていた。

「僕との会話はすべて筆談でした。 お金を貸してくれといえば、
その日の仕入れ分だけ残して貸してやりました。 
勝れた評論と絵画に才筆をふるいながら36歳の若さで夭逝したのです」

しかし、中林先生にとっては生涯、忘れることの出来ない友人だった。 
何よりも生長の家との出会いの橋渡しをしてくれた恩人であったのだから。 

そして、生涯もうひとり忘れることの出来ない恩師がいる。

「谷口雅春先生です。 先生とは10年違いますが、思い出もずい分あります。 
僕が満州から引き揚げてきた時、先生はお祝だといって3千円くださったのです」

いきなり満州といっても困惑される読者諸兄もいらっしゃるだろう。 
谷口先生は、「真の民族協和生長の家の信仰と、その精神をもって初めて達成される」  
と教示されて、次々と講師を大陸に派遣された。

中林先生も昭和15年6月、満州国駐在講師として赴任する。 
奥さんと子供には、あとから来るようにといって、とりあえず単身赴任であった。 

鞍山昭和製鋼を中心とする工場、会社、奉天の工業地帯、
さらに新京の中央官庁、満鉄社員会の光明化に努められて、
昭和17年には、「満州国建国10周年慶祝講習会」 が開かれた。 

谷口雅春先生が初めて国外出張された記念すべき講習会であった。

「奉天、新京、ハルビン、大連等から集った聴衆は2500名を数えたのです」

しかし20年8月8日、ソ連軍の参戦を知らされて、
1週間後に天皇陛下の玉音放送を聞いて茫然自失の状態になったという。

それから地獄絵図が展開された。 
ソ連軍がソ満国境より雪崩のごとく侵攻してきて正視できない暴威を振ったのだ。 
混乱は続いた。 今度は新京に進撃してきた、八路軍の市街戦が展開された。 

この時、中林先生は左下顎部に銃撃を受けている。

「しかし民族協和の実証がまもなく示されたのです。 
新編中国軍の下士官たちから、同居がゆるされたのです。 
彼等5人と家族同様の生活が引き揚げまで続いたのですから ・・・ 」

昭和20年10月に佐世保に上陸すると、不思議なことに、
手もとにあった新聞に生長の家の広告が出ていたのである。

「もう、取るものもとりあえず、引き揚げのままの姿で
一家で谷口先生の所へ駆けつけたのです。 今でも思い出します。 
先生はモンペをはいて畠仕事をされていました。 

そうして、お祝いだといって3千円と、着物一揃いを下さったのです。 
その時の3千円といえば大変なお金です。 
裸一貫で帰って来て、国から支給(いただ)いたお金は一人に付き1千円でしたから」


中林先生のお宅には、故林武氏の赤富士の絵が飾ってある。 
林武氏も生長の家の信徒として、あまりにも有名であったが、
中林先生は、この絵を林さんから贈られたという。 

小さい頃、絵描きになりたいと思ったという中林先生の夢は実現しなかったが、
こうして高名な洋画家と出会えたのも、生長の家の奇しき縁であったと思うと、
不思議な気がする。 

筆者は、林さんの絵の中に、
中林さんの魂も共存して生きているような気がしてならなかった。

今、中林先生は静かに航海の余韻をかみしめている。 
思えば長くて、短い航海であった。

「谷口雅春先生とご一緒させて頂いた僕の50年は、
神さまと、雅春先生に生かされてきたのだと、しみじみと感じています。 
僕の心の中に生きている雅春先生に、今はただ合掌する日々です ・・・ 」

思えば、かつて一緒に人類光明化運動に魂をうち込んだ生命の友だちも
今は鬼籍の人となってしまった。

「吉田國太郎、服部仁郎、辻村彦次郎、高橋直治くんたちのことも思い出すなあ ・・・ 」

頭髪はめっきり白くなったが、血色のいい顔は明日をみつめて青年の覇気があった。

ふた昔前に初めて筆者がお会いした時の威厳も健在であった。 
そして高貴な風貌に、仏像にも似た気品が輝いていた。

  (https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/e0adcf0049910ddc55386a84ee2f0f03 )

          <感謝合掌 令和2年3月5日 頓首再拝> 

神様に対面する神想観 - 伝統

2020/03/07 (Sat) 19:12:16


          *Web:『生命の實相』哲學を學ぶ(2019-06-03)
                ~徳 久 克 己

昭和23年頃は、谷口雅春先生が、講習会においでになる時、
随行をさせていただいたことが、たびたびありました。

当時は、随行員は一人で、飛行機はありませんでしたし、
新幹線もありませんでしたので、長い長い汽車の旅でした。

汽車の中では、先生と同席させていただき、いつもおそばにおりましたので、
私はイロイロのことを質問いたしました。

先生は、いつもニコニコされながら、どんな愚問にたいしても、
本当に、深切丁寧に教えてくださいました。ある時、

「先生、私は、どうも神想観を、心の底から好きになれないのですが …… ?」

と申しますと、先生はジーッと私の顔を見つめながら、しばらくして、

『君! 恋人に会う時は楽しいだろう?』

と言われたのです。

私はビックリして、「はい!」とお答えしますと、

『恋人よりも、もっともっとスバラシイ神さまだよ。
その「神さま」に対面するのが、神想観なのだから …… 』

と言われました。

「『神さま』に対面する。『神さま』にジカにお目にかかる。それが神想観なのか?」


はじめて、私は「神想観」の本当の意味を、
理屈でなく、教えていただいたような気がしました。

しかし、その「神さまと対面する」という実感は、私にはまだありませんでした。

先生は、それだけを教えてくださいまして、
「神想観は、人生で最も楽しい時だのに、それが好きになれないとは、不思議だね!」
とでも言われるようなお顔をして、私をみておられました。

その当時、先生は、一日に7回以上は、神想観をしておられましたので、
私が神想観を好きになれない、と申しあげたのが、
不思議に思われたような感じでした。


昭和17年頃、今はなき吉田國太郎本部講師が、岡山へ来られて、
「三度の食事はしなくても、神想観をせずにはいられない」と
言われたことを思い出しました。

吉田講師は、神想観を本当に楽しんでおられたのであり、
神想観の正しい意義を、実感として知っておられたのだと、
今更のように思い出されます。

当時、本部講師は「講演会」と「光明講座」をして日本国中まわっていましたが、
私には、その区別がよくわかりませんでした。

ところが、吉田講師は、

「講演会は講話だけだけれど、光明講座は講話だけでなく、神想観の指導をするので、
神想観があるか、ないかでは、全然ちがうのですよ!」

と、強い口調で私に教えてくれたことを、よくおぼえています。


神想観をするかしないかで、そんなに違うものかしら、
ぐらいにしか私にはわかっていませんでした。

「生長の家に入っても、神想観を実修している人と、
していない人とでは、心境の進歩がちがう」と、谷口先生は教えておられます。

「神」を、そして生長の家で説く「実相」を、体得するために、
神想観は大切な大切な「行」であることを、私もダンダンとわかってまいりました。


ある時、先生は、

『神さま! 神さま! 神さま! と三回、神さまをお呼びすると、涙が出てくるんだよ」

と、目をうるませて、私に言われたことがあります。

その時、私は「先生は、ほんとに『神さま』を愛しておられるのだ」という、
深い深い感動をうけました。

「神を信ずる」ということは、
「神を、心の底から、いや魂の底の底から、無条件に愛することだ」
と教えられました。


そして私は『生命の實相』の第8巻の「神想観」のところを、読みなおしました。

神想観をする時に歌う「招神歌」に、
「かみよびうた」とフリガナをつけておられることを、再発見しました。
なんの気なしに「かみよびうた」と言っていましたが、
漢字では「招神歌」と書いてあります。

神想観をする時、まず「かみよびうた」を歌って、神さまをお招きするのだ、
そして「神さま」と対面するのだ、と気がつきました。

それから招神歌をうたう時には、「神さまをお招きする」という気持ちで、
真剣にうたうようになり、そして「気合い」をかけて、

「われ、今、五官の世界を去って、実相の世界に入る。ここが、このまま実相の世界である」

と念ずる言葉の重要さに、気づかせてもらいました。

   (https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ab2cb1e8cf6822f824a12effa936f308 )

          <感謝合掌 令和2年3月7日 頓首再拝> 

存在と認識 - 伝統

2020/03/18 (Wed) 22:57:02


        *『生長の家』(昭和43年3月号)より

存在と認識 〔1〕

ここに 『点』 が一つあると仮定します。

肉眼で見える点は、いくらかの面積がある。 
顕微鏡でみればその面積が拡大されて一層大きく見えるのでありましょうが、
ここで話します 『点』 は幾何学上の一点というように、
長さも幅も広さもない、唯の位置にあだけある抽象的な 『点』 であると考えて下さい。

その 『点』 を一定の方向に真直にころがして行くと考えて下さい。 
その 『点』 のころんだ跡があると考えますと、
その跡は幅のない唯の 『長さ』 だけの延長のある 『線』 が考えられます。

この延長のことを 『次元』 というのであります。 
即ち、この 『線』 というものは幅も厚みもなく、
ただ 『長さ』 という 『一つ』 だけの延長があります。 
これを 『一次元の存在』 というのであります。


発達のにぶい、ただ自分の考えだけが正しいと考えて、右も左も、
周囲の人への思いやりも何もなしに利己的に生きて行く人は、 
一次元的存在として生きる人で、左右が見えないのです。 

目隠しをした馬車馬のような人なのです。 
生命の幅が狭く、視野が狭く、それでいて、われこそは民主的生活を送っている
と考えている人にこんな人が多いのです。


存在と認識 〔2〕

点をころがして其処に出来た 『線』 を、丸太棒を横にころがすように、
線の長さに対して直角にころがします。 

そのころんだ跡を考えますと、 『線』 の 『長さ』 のほかに、 
『幅』 の延長ができます。 

すなわち 『長さ』 と 『幅』 との二つの延長で組み合わされた 
『面積』 ができるのであります。 
この二つの延長をもつ存在を 『二次元の存在』 と申します。


単に目隠しされた馬車馬のように唯まっすぐ進むだけでなく、周囲が見えるのです。 
周囲が見えるから、周囲と仲よく共存しようと考えたり、
周囲の人々への思いやりの感情が涌いたりします。 
大分、生活の視野が拡大して来たのです。 

それが悪い方にはたらくと、周囲のものを侵略しようという風にはたらきます。

このような二次元的な生き方をする人には、左右が見え、前後が見え、
面積は見えるけれども、上方は見えないのです。 

神が上方から見ていてもそんなことはわからないで奪い合いや、
侵略を平気でやる種類の人があれば、その人は二次元的生物だというほかはありません。


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09/07/13、09/08/13

          <感謝合掌 令和2年3月18日 頓首再拝> 

自分が変われば一切が変わる - 伝統

2020/03/19 (Thu) 23:35:14


           *徳久克己 医学博士 『精神科学』誌 より

誰でも成功したいと思って仕事をしているのですが、成功しない人もあります。 
一所懸命に仕事をしても成功しない人は、なにか、その理由があるはずですから、
それを反省して改めれば成功するのです。

 
谷口雅春先生の著書 『真理』 第2巻に、
「いかなる職業に従事する人でも、また如何なる境遇にいる人でも、
必ず成功する唯一の秘訣というものがある。 
その秘訣とは、敬虔なる感謝と快き微笑とをもって深切を尽すということである。 
万事万物に感謝し、微笑をもって、自分の接する総ての人々に深切をつくすということである」

このように教えておられます。 

どんな時でも、心からの感謝、気持のよい感じを与える微笑、そして深切をつくし、
すべてのものに、事に感謝すれば、いかなる職業の人でも、また、どのような立場にある人でも、
周囲の人から愛され、すべての人々と調和しますから、必ず成功します。

自分のしていることが、どうも、うまく行かない時には、
他人をせめず、自分を反省してみることです。 
そして感謝と、微笑と、深切とを、心から現しているかどうかを反省してみることです。 

なにか自分に都合の悪いことが起こりますと、私達は誰かが悪い、
とその責任を他人にかけたくなるものです。 

自分に都合よくはこんでいる時には自分の力だと思うのですが、
都合が悪いことが起りますと、どうしても他人の誰かに責任をかぶせたくなります。
 
このように都合の悪い時は、他人が悪いと思い、都合の善いときは、
自分がしたのだと思いやすいものです。 
それでは自己反省の機会がありません。 
また、自己を伸ばすことはできません。 

自分に都合の悪いことが起ったときこそ、
自分のどこが間違っていたのか自己反省する一番よい機会なのです。

生長の家の教にふれるまでは、私はなにか自分に都合が悪いことが起りますと、
その責任を他人にかけて、自分がいい子になっていました。 

ところが 『生命の實相』 を読みますと、
自分の環境も運命も、自分の心の現れである、と教えていますので驚きました。

そうなりますと、どんなことが起こっても一切の責任は自分にかかってきます。 
ですから私は何回も 『生命の實相』 をほうり投げて 「もうやめた」 と叫びました。 
それは自分が苦しくなるからです。 

それまでは悪いことが起ると誰かに罪をかぶせて、自分は逃げていたのですが、
生長の家の教にしたがいますと、自分が逃げられなくなりますので、とても苦しかったのです。

今まで知らなかったことをたくさん教えられますので、また読み続けるうちに、
その真理がだんだんとわかってきました。 

なにか悪いことがおこるのは、自分の、今までにして来たことに、
どこか間違いがあったからなのです。 

私達のカラダのどこかが痛いとか、気持が悪い時には、
カラダに異常がある証拠であるのと同じように、
自分のしていることのどこかに間違いがあるということだとわかってきました。

それは 「今までのやりかた」 ではダメだよ、ということを教えてくれているのです。

自分になにか悪いことが起った時、他人のせいだと思っていては、
その他人が善くなってくれませんと、自分が善くならないのです。 

つまり自分の運命も環境も全部が他人によって支配されていることになります。 
それでは自分の運命を自分え切り開くということができなくなります。

そのことに気がつきました時に、一切の責任は自分にあるということは、
自分さえ変われば自分の運命を自分で切り開くことができると、
いうことなのだとわかり、勇気百倍しました。

「一切の責任は自分にある」 ということは、 
「自分が変われば、一切が変わる」 ということであったのです。 
そこに成功の秘訣があります。


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08/25/13

          <感謝合掌 令和2年3月19日 頓首再拝> 

感謝するということ - 伝統

2020/03/27 (Fri) 22:44:45


          *『生長の家』(昭和45年6月号)より
            ~北尾巳代次

兎に角感謝は癒す、と生長の家で教えて頂きますが、感謝の功徳は絶大です。

でも一体何に感謝するのですか、と時々反問せられる方があります。 
何に感謝すると言って当り前に感謝するのです。 
当り前程有難い事は無いと思うのです。

目が見える事、耳が聴える事、ものが言える事、手足が動く事、
この当然の事が一度当然さを失うと、忽ち天地が暗くなる程悩むものなのです。 
私達は平素から此の当り前に感謝する習慣をつけなければなりません。

皆様は子供の目が見える事を喜んでいらっしゃいますか。 
耳が聴えること、手足が動く事、考えてみると
感謝すべきことは山程あるのでは無いでしょうか。


あの大無量壽経の第十七の願の中で  
『咨嗟して吾が名を称せよ』  と教えられております。

咨嗟するとは声を大にして阿弥陀仏の徳を讃えよ、という事ですね。 
一杯の水を飲むにも  『阿弥陀さま、あなたのおかげで此の有難い
生命の水を頂かして頂けるのです。 有難うございます』  
と感謝せよという事なんです。

御飯を頂くにも単に物質の御飯を頂戴するのではない。 
これ悉く仏の功徳ならざるものは無いのであります。 
声を大にしてその功徳を讃え讃嘆称揚する人が極楽に住まわせて頂くのです。 

子供を育てるのも、吾が子であって吾が子では無い。 
これ皆神が授け給うた尊いみ宝として、常にその徳を讃えるのが
育児の根本になるのであります。 

夫婦の生活も互に咨嗟し合う所に幸福が築かれるのです。 

『汝等互に相愛せよ』 と創世記に有りますが、
この調和と感謝の悦びの生活こそ人間が神の祝福を享ける根本に成るのであります。

http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p9.html
09/01/13

          <感謝合掌 令和2年3月27日 頓首再拝> 

あなたの性格的雰囲気を明るくせよ - 伝統

2020/04/08 (Wed) 23:52:55


         *『理想世界』(昭和46年11月号)より

人の性格的雰囲気は伝染するものである。

吾々は自分が親友として交わる友達の性格を判断して選ばなければならないのである。 
先ず、彼は明るい性格をもつかどうかということである。

常に人の欠点を見、自分の属する団体の欠陥を自分が改造する実力も、
長上に進言する明るい勇気も有たない癖に、その欠点や欠陥ばかりを
心に引っかからせて常にブツブツいっているような人間は、

周囲の人心を暗くし、事務所又は工場の雰囲気に精神的スモッグを吐き散らして、
仕事の能率と質とを低下せしめ、そのに働く人々の創造的才能を
完全に麻痺せしめてしまうことになるのである。

事務局長や工場長は、そんな不平分子の言葉や行動が
全体に及ぼす悪影響をよく知っているが故に、
彼を重用しないし、寧ろ疎外しようとするのである。

そうすると、彼は自分が排斥せられていると感じるから益々不平が募って、
益々暗い顔をして益々不平を撒き散らし、ついに自分自身がその仕事場にいられなくなり
没落することになるのである。 

そして、こんな人は、又別の職場へ行っても、
やはり同じ前歴を繰返して運命の好転を見ることは出来ないのである。


 諸君は決してこのような人と同じような人間になってはならない。

   (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24735336.html 消滅)

   (http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p7.html
    08/17/13- )

          <感謝合掌 令和2年4月8日 頓首再拝> 

本尊 “ 実相 ” の意義について - 伝統

2020/05/07 (Thu) 23:41:31


       *『 幸福生活への招待20章 』 ( P78-P81 要約 )

・・・・・・ 宇宙に充ち満ちているところの
“ 普遍なる無限生命力 ” を憶(おも)い出して
拝むよすがとなるために、『 實相 』 の軸がかかっているのでありまして、・・・・

自分の内にあるところの実相は、普遍なる神の生命がそこに宿って、
それが個性化して出現し、顕現しようとしているのであります。

その、自分の内にあるところの神を外に移入して
( これを英語で Project という文字を使います。
内部の映写機から外部のスクリーンに映し出す意味であります )

そして 『 實相 』 という軸を媒介として、
そこに自分の実相を移入して拝むということになっているわけなんであります。

無闇にその本尊を拝んで、それさえ拝んでおったら
人間は幸福になるというような偶像崇拝でも物質崇拝でもないのであります。

https://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12171905.html(消滅)

          <感謝合掌 令和2年5月7日 頓首再拝> 

日常生活の些事にも“神の子”を実践せよ - 伝統

2020/05/19 (Tue) 22:49:44

           *『生長の家』(昭和47年3月号)より

物質界の事物や法則について知らない事があっても、
その人の人間の品等を上下するものではない。

唯、知識ゆたかなものは世俗から尊敬せられたり、
世俗の財貨を得たりするのに便宜であるだけである。 

しかし “心の法則” を知らない者は 
『教養がない』 ということになるのである。 

更に、 “人間・神の子” 又は 『人間・則仏身』 の真理を知らないものは、
いくら世俗の名誉があり財貨があっても、また所謂る “教養” があっても、
魂の聖なる高さに達することはできないのである。

 
『人間・神の子』 の真理は、簡単明瞭であって、
子供にもすぐわかる、少しもむつかしい事はない。 

しかしその “神の子の心” になり、 
“神の子” としての行為を毎日実践して、それを重ねて行かなければ、 
“神の子” の実相はあらわれないのである。

それは恰も、朝顔の種子を見て 『これは朝顔の種子だ』 とわかる。 
それは子供にもわかることだが、それがわかるだけでは朝顔の美しい花は咲かないのである。 

それを土に埋めて肥料を施し、毎日水を潅ぐという簡単な仕事だけれども、
その簡単な実践を毎日繰返し重ねて行くことによって
美しい朝顔の花を咲かせることができるのである。

 
『朝顔の種子』 は 『真理』 に喩えたのである。 
『人間・神の子』 の真理は唯、知っただけでは、
ただ種子を大切に保存しているだけである。 

その “神の子” たる真理を、神は愛であるから、
愛を毎日の生活と出来事とに、小事といえども繰返し実践して行くところに、 
“神の子” として美しい実相が現実に花咲くことになるのである。

 
中途半端な知識は却って失敗の因になるのである。 
運転免許を受けたばかりのカー・ドライバーが、高速道路を速力一ぱい走らせて、
カーブの処でハンドル回転の加減がわからず、ついにガード・レールを突き破って
墜落して重傷を負ったり、死んだりするのがある。 

これは自動車運転に関する中途半端な 『知』 しかもっていないからである。

 
中途半端な 『知』 を完全な 『知』 にまで完成するには、
繰返し、小さな実行を積み重ねて行くがよいのである。


   (http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p7.html
    08/18/13- )

          <感謝合掌 令和2年5月19日 頓首再拝> 

情有るもの・情無きもの悉く皆如来 - 伝統

2020/05/20 (Wed) 22:56:36


        *『白鳩』(昭和47年5月号)より

    たち向ふ人の姿は鏡なり己が心を映してや見ん

と、黒住教祖宗忠尊師は教えられたが、
この鏡の原理は宇宙到るところに充ち満ちていて、吾らを導いて下さるのである。

自然界の森羅万象は、唯物論者から見れば唯の物質分子の
物理化学的集合体に観えるのであろうけれども、
物質には知性がなく計画性もないから、

単なる物質の物理化学的な偶然集合では、
生きた木の葉一枚造ることはできないのである。 

どんな立派な科学界の大学者でも、実験室の試験管又は試験装置の中では
木の葉一枚でも製造し得た人はないのである。

だから自然界の森羅万象を単に物質の集合体と見る唯物論は間違いであるのである。 

それは 『宇宙普遍の観自在原理』
 ―― すなわち仏如来の生命と智慧と愛との顕現なのである。 

そのことを釈尊は三十五歳の十二月八日、菩提樹下に坐して
暁の明星を見ながら忽然と悟られたのであった。

 それが  『有情・非情・同時成道。 山川草木国土悉皆成仏』  の悟りである。 


“有情(うじょう)” というのは 
“情(こころ)有(あ)るもの” 即ち生物である。 

“非情(ひじょう)” というのは 
“情(こころ)あらざるもの” 無生物のことである。 

同時とは、過去・現在・未来を同(ひと)つに握った “絶対無” の
無時間無空間の一点から観ずるとき、
それは “成道(じょうどう)” すなわち “天地(てんち)の道”〈即ち真如〉 
の現成であるというのである。

それを、更に言い換えたのが 『山川草木国土悉皆成仏』 である。 

山川(さんせん)・国土は無機物であって 『非情』 のことである。 
草木(そうもく)は生物であって 『有情』 に属する。 
〈最近、嘘発見機的な電子感応装置によって植物にも心があることが科学的に証明された〉  

その 『有情』 も、その 『非情』 も、悉く皆成仏だというのである。 

成仏とは、これから何億年経ったら 『仏に成る』 という意味ではない。 
今、無時間の一点に立ってその実相を観ずるならば、
悉く皆 “仏” のいのちの現成であるというのだ。

   (http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p8.html
    08/18/13- )

          <感謝合掌 令和2年5月20日 頓首再拝> 

一切に調和して仕事をする - 伝統

2020/05/21 (Thu) 22:46:57


            *徳久克己 医学博士 『精神科学』誌 より

すばらしい能力をもっていながら、その能力を充分に発揮できずに
一生を終る人があるのは、まことに残念なことです。

そのような人は、いつも自分が認められないことを嘆きながら、
酒を飲み、グチをこぼし、不平不満の心を持ちつづけて、
なかばヤケ気味の生活をおくっています。

能力をもちながら、認められない人、また認められても仕事のない人の多くは、
結局、職場で一緒に働いている人たちと調和のとれていない人なのです。

谷口雅春先生の著書 『無門關解釋』 のなかの第二十則に、
「大力量人」というのがあります。 

大力量のある人が、それを発揮するための三つの条件が説かれています。

一は、大力量があるとの自覚。 
二は、自覚したら百錬千磨といって訓練に訓練をかさねること。 
三は、調和と教えてあります。

一と二はすぐ理解されたのですが、三が私にはどうも理解できなかったのです。 
説明してありますけれども、どうもピンとこなかったのです。 
しかし栄えた人や成功した人の体験談を聞きまして、
だんだんとこの調和がいちばん大切であることがわかってきました。

 
生長の家の教えの根本となっているのは、この調和でありますが、 
“『七つの燈台の点燈者』の神示” の冒頭に 
『汝ら天地一切のものと和解せよ。 天地一切のものとの和解が成立するとき、
天地一切のものは汝の味方である』 と示されています。

『天地一切のものは汝の味方である』 ということは、大変なことでありまして、
言いかえますと敵がなくなると言うことであります。 
敵がなくなれば、みんな自分の協力者でありますので、
自分のすることに誰も反対しないということです。 

そうなれば、自分を認めてくれないとか、
仕事がないなどということは、ないはずであります。

 
大力量人が、その力量を充分に発揮するためには、
どうしてもその力量を発揮さしてくれる人が、たくさんいなければならないのです。 
私たちは自分ひとりで仕事ができるものではなく、協力してくれる人が必要なのです。 
大きい仕事であればあるほど、より多くの協力者が必要です。

自分にどんな力がありましても、協力してくれる人がありませんと、
自分の力を充分に発揮することができません。 
協力してもらうためには、お互いが調和していることによって、
お互いがよく理解しあっていることが、とても必要なのです。

 
私自身も若い時は、自分の力だけに頼って、自分でなんでもしてみせる
と自惚れていましたが、大きい仕事になればなるほど、
とても自分一人でできるものではないと、ツクヅク教えられました。


調和することは、和解することであり、和解することは、感謝することである、
と生長の家で教えられましたが、協力してくれる人に感謝することを忘れたとき、
必ずといってよいくらい仕事がうまく行かなくなります。 

これは私の長い間の体験でハッキリ教えられました。

よく協力してくれている人に慣れてしまって、ついアタリマエだ、
という氣になった時に、協力がおかしくなることがよくあります。 
職場でも、家庭でも、友達でも、常に感謝を忘れたとき、問題がおこります。

『生命の實相』 に 『感謝は、機械にさす、油のようなものである』 
と教えられておりますが、繰返し体験することによりまして、
シミジミと教えられました。


http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p8.html
08/21/13

          <感謝合掌 令和2年5月21日 頓首再拝> 

無明〈迷い〉は、どこから、どのようにしておこる - 伝統

2020/05/22 (Fri) 23:19:32


           *『生命の實相』 人生問答篇より

これは佛教でも 「無明起源論」 といって、
なかなかむつかしい問題であります。

また全世界の学者は、この無明がどこからいかにして起ったか、
満足に説明し得た学者はありません。

「忽然念起」 といって 「ヒョッコリ念が起った」 などと
説明している人もありますが、これでは完全な説明ということはできません。

 
わたしが考えますのに、 「迷い」 というものは “本来無い”。 
“無い” ものの起源をたづねることが本来まちがっている。
起源をたづねるのは “在る” というこど前提としてのことである。

無いものを根掘り葉掘りしたところがその根が出て来るはずがない。

 
われわれが “迷い” はどこにある、どこから来た、と根掘り葉掘りしている間は 
“無い” ということはわからないのです。

“無い” ものは “無い” として、それはそのままほって置き、
本当にあるもの ―― われ “神の子” なりというこの荘厳な真理を
自覚したとき、迷いはひとりでに “無” の本性を暴露して自滅するのです。

http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p8.html
08/20/13

          <感謝合掌 令和2年5月22日 頓首再拝> 

無いものは無い - 伝統

2020/05/25 (Mon) 22:32:12


            *徳久克己 医学博士 

『生命の實相』 のなかに、聖経のなかに、いたるところに 「病気は無い」 
と書いてあるのを拝読していながら、潜在意識のなかには 「病気はある」 
と思っているような中途ハンパな信仰だから、すべてのことがスッキリしないのだ
と反省しました。

生長の家が発祥した当時の大先輩である服部仁郎先生、吉田國太郎先生のお話は
ハッキリと 「病気は無い」 と宣言しておられたことを今でも思い出します。 

先生たちのお話を聞いていますと、理論的にはドウシテモ理解できないような、
飛躍したお話が多かったのですが、それでいてとても魅力があり、
先生たちのお話を追いかけまわして聞いた私でした。

「病気は無い」 ということは、谷口雅春先生がお悟りになられた真理で、
理屈がこうだから 「病気は無い」 のではなく、病気は無いから無いのだ、
ということをわからせていただいて、私は本当にスッキリしました。


 「なぜ無いのだ?」

という疑問が出るということは、「現象あり」 とみる 「迷い」 がある証拠で、
「病気がある」 と思っているからです。 結局 「病気は無い」 と知るためには、
谷口先生が神から最初に受けられた啓示である 「物質はない」 という、
生長の家の御教がはじまった最初の原点を、
よくみきわめることが大切であるとわかりました。


 「“無い”ものを“無い”としたところに、本当にアルモノが出て来るのだ」
                   (『生命の實相』 第20巻 135頁)


この「“無い”ものを“無い”とする」 これが最も大切なことで、そ
れによって本当にアルモノが出て来るのです。 

「病気は無い」 と知った時、本当にアルモノ、即ち 
「永遠の生命 〈健康そのもの〉」 が出て来るのです。

先生が 「人間は病気をしないのがアタリマエで、病気をするのは奇蹟だ」 
とお説きになられるのは、 「無いものを無い」 とハッキリ自覚された時に
出てくる真理であります。 

どうしても私たちは五感にたよって毎日の現象の生活をしていますので、
五感によって知る現象をあるかのように錯覚してしまうのです。

 
谷口先生は 「病気は無い」 と教えておられるのですから、
無い肉体の病気などあるはずがないのですが、
五官で感知するものを 「ある」 と思うと、
そこからイロイロの 「迷い」 があらわれてきます。

 
「無明(まよい)はあらざるものをありと想像するが故に無明なり。 
 真相を知らざるを迷いと云う」  と聖経 『甘露の法雨』 に説かれています。 

「無いものをあると想像する」 のが迷いでありますから、 
「病いの原因は “心” にあり。 しかも “迷いの心” にあり」 と
聖経 『続々甘露の法雨』 に説かれています。 

 
このように教えられますと、私たちは 「病気は無いんですよ」 
とハッキリどんな時でも言えるようになります。


生長の家が発祥した当時、私たちの先輩が 「病気は無いのですよ」 と宣言して、
いたるところで奇蹟が起ったということは、それが真理であるからです。

私たちは先輩のあとをついで、生長の家の根本真理をハッキリと宣言して、
多くの人びとを悪夢からさましてあげる必要があります。

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08/26/13


        <感謝合掌 令和2年5月25日 頓首再拝> 

「無限の富」とはいかなるものか - 伝統

2020/05/27 (Wed) 22:25:11


           * 徳久 克己・著「『生命の實相』教室」より

『生命の實相』 第5巻 聖霊篇205頁に

「無限の富と申しますのは自分の名義になっている富だけを数えるのは、
 本当の富ではないのであります。 自分の名義になっている富だけを言うならば、
 百億万円の金持でも有限の金持であって無限の富ではないのです。 

 また現在必要もないのに自分の懐中に百億万円もあっては、
 その富は重いばかりで自分の自由を縛るばかりである。 

 本当の無限の富とは必要なだけ、滾々と井戸の水を汲んでも汲んでも尽きないように、
 いくら使っても使っても必要に応じて無限に湧き出て来るのが
 本当の吾々の自由を縛らない自由無限を展開するための無限の富であるのです。」


この「無限の富」というものを、よく理解していないと
生長の家の「無限供給」の本当の意味がわかりません。

「欲するもの、好ましきもの、おのずから集りきたり、
 欲せざるもの、好ましからざるもの、おのずから去る」

如意宝珠観のこの一節が心の底から理解されますと、
実に楽しい、明るい、嬉しい生活ができます。

なんでもかんでも自分の名義でみんな持っているのが「無限の富」だと思うと、
富を持ちながら自由を失った悩みの生活になってしまいます。


次の頁に 「本当の無限の富の所有者は使っても減らないで、
打出の小槌のようにまた出て来る」  と説かれています。

「神の子」である私たちはすべて 「富の本源」 である神の子なのである、
ということを、まず根本的に理解しなければなりません。


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08/27/13

        <感謝合掌 令和2年5月27日 頓首再拝> 

人事を尽す - 伝統

2020/05/29 (Fri) 23:40:27


        *徳久 克己  『隠田清話』より

『人事を尽して天命を待つ』 これが普通の考えであるが、
 谷口雅春先生は 『人事を尽す必要はない』 と仰言る。

 では何もしないでブラブラしておいでかと思うと、
 五人分も十人分もお働きになるのである。


 先生は歴史始まって以来、人間に与えられた最高級のラジオ・セットで、
 神からの啓示を刻々にお受けになっているのであって、招神歌にあるように
   『吾が業は吾が為すにあらず天地を貫きて生くる御祖神の権能』
 と云う、この御言葉をそのまま行じておられるのである。


 同じことをしても自分がするのではなく、
 神が吾をして為さしめ給うのであると思う時、
 少しの 『りきみ』 も 『疲労』 もなくなるばかりでなく、
 感謝が湧いてくるのである。


 『人事を尽す』 と云う言葉の中に 
 『自分がしなければ ・・・・・』 と云う 
 『我の心』 が働くのをいましめられて言われる先生の
 『人事すら尽す必要はないのですよ。 神様に総てをおまかせするのです』

 この御言葉が、私の五臓六腑に沁みわたったのである。

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08/28/13

        <感謝合掌 令和2年5月29日 頓首再拝> 

360度廻転の人生観 - 伝統

2020/06/02 (Tue) 21:15:34


         *徳久 克己 医博 歓喜への道』より

『生命の實相』 に書いてある360度回転ということが、
私にはどうしても分らなかったのである。

180度回転なら話はわかるが、360度回転してしまえば
クルッと元の方向に戻ってしまう。 
それでは回転してもしなくとも同じことではないか。 
どうも元へ戻るくらいならば、始めから回転しない方がよいではないか、

というような考え方を私は持っていたのである。 

自分の人生観が今までと逆の方向へ変ってしまうのなら回転する必要もあろうが、
元のところへかえってくるのなら始めから元のところにいればよいので、
回転なんか始めからしない方がよいではないか、と心から思っていたのである。

 
所が、私自身気がついてみると、きれいに360度回転している。 
いや何時の間にか回転させられていたのである。

医者であった私が医者を止めると云い出した時は、
一度反対の立場に立った時であるから、180度回転していたのであって、
その時は 『無』 の世界へ飛び込んでしまっていたのである。 

つまり 『現象なし』 『肉体なし』 『病なし』 という、
今までの私の常識では全然考えられない 『無』 の世界観へ立った私は、
今まで 『ある』 と思っていたものが 『ない』 と変ってしまったのである。 

つまり 『無』 の世界へ入っていたのである。 
その時私は 『無』 の世界へ入っていたので 
『現象はない、肉体はない、というならば、御飯も食べず大便もせずに、
生きていられる筈ではないか?』 というような屁理屈を
まだ持っていた当時であったのである。

つまり、今まで自分の持っていた総ての知識を捨てて
捨て切った積りでいた時なのであるが、捨てると云うと又その捨てることに、
つまり無と云えばその 『無』 に捉われていた時なのである。 

結局、今までの 『自我』 を捨ててしまった時なのであるが、 
『神の子』 吾の自覚にまで到っていない時であったのである。 

自我を捨てて、 『無』 の中に入ってしまって、
本当に 『無』 になってしまえばよいのであるが、
まだその 『無』 に捉われていた時なのである。


その 『無』 の中をさまよっていた時、
私は谷口雅春先生が 『無門關』 を解釈された本を読んだのである。 

その時、その本の中に

       無は關門である。 
       無は門であってその奥に家のあることを示す道標となるべきもので、
       その無の門の中に住んではいけない

というような意味のことを読んだのである。 

そして私ははっとしたのである。

私は 『無』 の中に止っていた。 
『無』 に捉われていた、 『無』 の中に止るべきではなく、 
『無』 の次の段階へ行くための一つの関門であったのだ、
ということを私は始めて知ったのである。

つまり 『肉体なし』 と云うことは、 
『今まで自分を肉体だと思っているのは、神の顕現であったので、
自分の肉体などはなかったのだ』 ということであり、 

『現象なし』 とは、 『実相のみである』 
という意味であったことが分ったのである。 
つまり、実相一元、神一元の世界観にようやく突入できたのである。 

今まで 『現象なし』 というと、その 『なし』 に捉われて 
『無』 の世界観になってしまっていたのであって、
それは人生観の転換の上の一過程にすぎなかったのだということが
わかったのであった。

つまり 『無』 とは 『自我なし』 と断ち切る 『無』 であって、
自我の一切を無と断ち切った時、おのずからそこに生まれてくるのは 
『神一元』 『神の子としての自分』 であったのである。 

つまり、今まで肉体という 『もの』 によって出来上がっている
と思っていた自分が、 『神の子』 としての自分に入れ替った姿が、
360度回転であったのである。 

『物質肉体の私』 は 『神の子の私』 に生れ更ったのである。

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09/03/13

        <感謝合掌 令和2年6月2日 頓首再拝> 

何故、現代の師は尊敬されない - 伝統

2020/06/04 (Thu) 23:26:03


        *『白鳩』(昭和44年3月号)より

古へに於いては 『三尺さがって師の影を踏まず』 というほど、
学の師たるものは尊敬せられたのである。

“学” は宇宙の真理であり、 
“師” はそのきびしい修練を得て宇宙の真理を体得した人格者であり、
その “師” を媒介として “学” を伝授されるのが “弟子” であるから、
その真理を授受される弟子は師を真理の、より良き霊現者として尊敬される
という慣わしになっていたのである。

この “学” という語の代りに 
“武道” とか “剣道” とか “茶道” とか “華道” とかの
語を入れ換えても同じことが言える。

それらの “道(どう)” の師匠たる者は、
その道の真理を、より良くより深く修練によって体得した人格者として、
弟子は師を尊敬し、たとい弟子が “出藍の誉れ” をもって
師より深く真理を体得するに至ってすらも、

真理への最初の手ほどきをして下さった開道者(かいどうしゃ)として、
弟子は永遠に師を “恩師” として尊敬し、師を上座に据えるのが
慣わしであったのである。

 ところが現代では ――― 。

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September 9, 2013, 12:53 pm

        <感謝合掌 令和2年6月4日 頓首再拝> 

「われ山頂より雲を招ぶ」 - 伝統

2020/06/09 (Tue) 19:47:40


       *『生長の家』(昭和9年5月号)より  

『・・・・・ 今は実に人類の非常時であります。 
 凡ての宗教は真理の山巓を目蒐けて登る登山道であります。 
 登山道によってその展望は異る。 

 登山道の各々の展望が異るともいづれも不二の山巓に到る
 登山口であることに相違はない。 

 各宗教相争うな。 
 相争うは各登山道の風光相異を語るに過ぎないのである。

 ひとり 「生長の家」 は山頂より俯瞰して、一切の宗教を、
 そのままの真理に於て改宗を強いず 
 (改宗を強いることは登山道を改めしめることである) して、
 一望の下に包容するのであります。

 色々の宗教は形を祭るが、 「生長の家」 はただ真理を祭る。 
 色々の宗教は石材木材等にて神殿寺塔を建立するが、
 生長の家はただ真理の言葉の神殿を建立して、
 その神殿 (聖典) の中に真理の言葉を祭り込むのであります。

 形の神殿でありますと、仏教と神道と基督教とでは、
 その神殿教会堂塔伽藍の建て方がちがう。 

 その建て方を見て互に異教徒と呼び、排他的になるのでありますが、 
 「生長の家」 では形の神殿を超えて、不二の真理の山頂より俯瞰して
 一望の下に収め、あの堂塔もよい、この神社もよい、この教会もよいとして、
 それでいて今迄の宗教に活が入り入魂されるのであります。

 それは唯、山頂にいる者、不二の真理の山頂から俯瞰する 
 「生長の家」 にして能う処であります。 

 全世界にこの真理の聖典を満たせよ。 

 われ今不二の真理の山頂にいて雲を招ぶ。 

 雲来りて真理の言葉をのせて、全日本に、やがて全世界に、
 その真理を運ぶであろう』

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September 12, 2013, 12:04 pm

        <感謝合掌 令和2年6月9日 頓首再拝> 

谷口雅春先生御講義(岡正章先生がアップ) - 伝統

2020/06/10 (Wed) 20:38:50


外にはない内にある 1《功徳の本源は外にあらず、自己の内にあり》谷口雅春先生御講義
2020/05/22
https://www.youtube.com/watch?v=KzZEPO5__Po


「人間は神の子」って、どんなこと? 谷口雅春先生が説かれる「一即多(いちそくた)」の真理
2020/05/28
https://www.youtube.com/watch?v=V0whOnSeQ2w


「人間復興の原点」―‐生き甲斐はどこにあるか―谷口雅春先生御講義
(昭和53年5月3日午前 生長の家青年会全国大会での谷口雅春先生御講話)
2020/06/04
https://www.youtube.com/watch?v=_NkZnERaHAs



<参照>

艱難を光明化セよ(『生命の實相』第7巻)
2020/04/04
https://www.youtube.com/watch?v=c4mpNDltGQU


「今」を全力を出して戦いとれ(『生命の實相』第7巻)
2020/04/05
https://www.youtube.com/watch?v=qBSEQQdLgdo


思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ。(『生命の實相』第7巻)
2020/04/06
https://www.youtube.com/watch?v=bFmTKdtpK3g


「共通的生命の歓喜のために働け」(『生命の實相』第7巻)
2020/04/06
https://www.youtube.com/watch?v=7-0wGAZzYSc


「断じて失敗を予想せざる者は遂に勝つ」(『生命の實相』第7巻)
2020/04/06
https://www.youtube.com/watch?v=cRFXyVHdZWI


「背水の陣を布け」(『生命の實相』第7巻)
2020/04/06
https://www.youtube.com/watch?v=wPSZhKaIG3g


「永遠不滅の生命」など谷口雅春先生の講話・事績、宇宙浄化とコロナウイルス終息の祈り
2020/04/21
https://www.youtube.com/watch?v=fPQNzxpD-Yc

        <感謝合掌 令和2年6月10日 頓首再拝> 

主義や形を握ってはならない - 伝統

2020/06/12 (Fri) 19:44:36


        *『維摩経講義』 菩薩随意転身の巻 より   

『我心驕慢の者には、為めに大力士と現じ、諸々の貢高を消伏して、無上道に住せしむ』


菩薩は必ずしも柔和なだけではないのであります。 
「右の頬を打つ者あらば左の頬をもめぐらせて之を打たせよ」 
と云う無抵抗主義が効を奏することもありますけれども、必ずしもそうは行かない。 

戦争放棄、無抵抗主義が好いこともありますけれども、それも時と場合、
相手の人や国に応じて施策をめぐらせて行くのが 
『實相』 把握の菩薩の勝方便なのであります。

観普賢菩薩行法経には、 「無量の勝方便は実相を観ずるより得らる」 
と示されているのでありまして、実相を把握したときには、
人・時・処に三相応して自由自在の働きが出来て来るのであります。 

だから無抵抗ばかりが菩薩の勝れたる方便ではないのであります。 
時として、大力士の姿を現じて、ガチンとその高慢の鼻をくじいてやる事も
必要なのであります。 

これが  
『心きょう慢の者には、為に大力士と現じ、諸々の貢高を消伏して、無上道に住せしむ』  
であります。 

無上道と云うのは此の上ないサトリの道であります。


嘗て、白色人種が有色人種を馬鹿にして、
東亜の諸国は殆ど悉くその植民地化か属領化していた頃、
日本が蹶起してガチンと白色人種の膨大な軍備の国に対して一撃をくらわしたのであります。 

その為に日本は軍国主義者だと言われ、戦場には附随し勝ちな暴虐事件などもあって、
日本は世界から色々の批難を受け、自国もまた一時占領されるなどの 
『剱をとるものは剱にて滅びる』 の心の法則を実演するに到ったのであります。

 
併しながら、かくの如き 『菩薩日本』 の十字架によって、
東亜の有色人種はどうなったかと云いますと、 
「人類は皮膚の色彩によって、その天賦の本質に高下があるのではない。 
みんな 『神の子』 又は 『仏子』 として平等の権をもっているのだ」 

という無上のサトリ(無上道)を得るに近づいて来、
東亜の民族独立の気運を醸成されたのであります。

東亜民族の殆どすべて独立して自主性を恢復しつつあるのは日本のおかげなのであります。 
だから菩薩道は無抵抗主義では可かんし、また軍国主義ばかりでも可かん。 

なぐる時にはなぐらなければならないし、
お辞儀をする時には正直にお辞儀をしなければならない。 

そうかと言って、いつまでもお辞儀をつづけている必要もない。 

菩薩は自由自在に千変万化して衆生を救済するのであります。 
これを便乗だとかオポチュニズムだとか云って攻撃するのは間違いなのであります。 

どんな 『善』 と見える行いにでも、時と場所と人とをわきまえずに 
『この形が善だ』 と 『善』 の一定の 『形』 を捉えていては、
善が善ではなくなるのであります。 それを 『善中の悪と云います』。

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September 14, 2013, 10:55 am

        <感謝合掌 令和2年6月12日 頓首再拝> 

信教の自由 - 伝統

2020/06/13 (Sat) 10:43:59


        *『理想世界』(昭和46年12月号)より
          ~ 谷口輝子 先生 

キリシタン大名として有名だった高山右近が、
ローマ法王パウロ6世によって列聖に加えられた。

織田信長は高山右近のキリスト教信仰を許して、
右近を自分の城下の武将としたので、右近は細川ガラシャ夫人をはじめ、
有力な武将たちを感化して、クリスチャン大名の黄金時代を築いていたが、

徳川家康の世となるや、家康は 『バテレン追放令』 を出したので、
高山右近は即座に棄教を命ぜられた。 

しかし右近はその命を峻拒したので、激怒した家康は、高山右近を遠くマニラに追放した。

当時の海外追放は、切腹にまさる恥であり、切腹にまさる苦難の道であった。 
初老に近い年齢で、交通不便であり、気候風土のはなはだしく異なる
マニラでの旅は過労であった。 

右近はマニラに十六年かかって到着したが、病苦のために上陸して五十日目に客死した。 

その困苦の姿を想像するだけで、私は胸が痛くなる。

徳川三百年、明治以来百年を過ぎた今年になって、
同信の人々によってなされた列聖運動が、やっと実って、
右近はカトリック信者として最高の栄誉である 『聖人』 に列せられたのである。 

 
高山右近も、大名の身分でありながら、信教の自由のなかった政治下において、
遂に殉教すなければならなくなった。 

信教の自由を許されている時代であるのに、自分の信仰だけを善となし、
他教を邪教だと独断して、他人の信教の自由を抑圧する人のあることをしばしば聞く。

 
自分の信仰は正しいと思ったら、自分は自分でその信仰を、
いよいよ高め深めてゆくように精進努力してゆけばよいのであって、
他人の信仰の自由を妨げてはならない。 

他人の信仰が誤っていると思ったら、どこまでも優しく説いて上げ、
決して暴力をふるってはならない。 

相手も神の子、仏の子であることを忘れてはならない。 

相手も自分の信仰の本尊を高く仰ぎ、
その信仰に大きな誇りをもっているであろうから。

 
誰でも自由を好むものである。 
自由は楽しいことに相違ない。 

自由が得られないと、得たいがために懸命に働くが、
得てしまうと怠けてしまう人が多い。

 
信教の自由のない政治下にある時代には、人々は自分の信仰を命がけで護ろうとする。 

ローマ帝国時代には、暴君によって獅子に食わせられたキリスト教信者があったが、
彼の肉体は獅子の腹に入ったが、魂は天に昇った。 
堅信者たちは、肉体を十字架にかけても、魂の救いを得ようとしたのであった。 

高山右近も、流刑によって肉体の自由をクロスしたが、
魂は自由で、如何なる強権にも屈しない歓喜をもって、
天の父の許へ行ったことであろう。

 魂の自由こそ、人間最大の喜びである。

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August 16, 2013, 6:16 am

        <感謝合掌 令和2年6月13日 頓首再拝> 

無題 - dejrflxkzMail

2020/08/29 (Sat) 03:52:45

伝統板・第二
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