伝統板・第二

382680
「谷口雅春先生に帰りましょう」は、こちらです。「案内板」は、こっちです。

本掲示板の目的に従い、法令順守および社会倫理の厳守をお願いします。本掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付のうえ、本掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

ひかりの一日一言43~”神の子”としての力を出す道 - 伝統

2018/10/01 (Mon) 04:39:20

この「”神の子”としての力を出す道」は先代の掲示板にて、
今は霊界へと、活躍の場を移しました”平賀玄米 さま”によって
投稿されたものですが、現時点では、消滅いたしております。

”平賀玄米 さま”のご遺徳に心より感謝申し上げます。


ひかりの一日一言《1日》

《1日 危急の場合に発する力》

危急の場合には思いも寄らぬ大いなる力が出ると云うことがある。

阪神間に山津波が起り、大洪水で多くの人たちが
神戸の地下鉄その他で水死した時のことである。

当時、六甲山麓に近い本山村に住んでいられた星丘重一氏は、
滔々と山上から流れて来る水が、そのままの水の方向では自分の家が
流されるように見えたので、其の水流の方向を変じようとして、
其処に見つかった大きな岩を持ち上げて、
水流を眞ともに堰きとめるところへ投げおろした。


お陰でその水流の方向は家の方えは眞ともに来なくたったが、
水が治まってから星丘さんはその大きな岩を持ち上げようとしても、
どうしても持ち上がらなかった。

また其の時、井上喜久磨氏(元、不動産銀行重役)は中風で手脚不自由で
寝ておられたが、洪水が一階の畳まで浸しそうになると、手脚の不自由が治って、
家財道具を行李につめて2階へ自分一人で持ち上げたが、
それ切り手脚の不自由は治ってしまったのであった。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P241~242) より

・・・

<参考:”平賀玄米 さま”ご投稿の数々の記事については、
    次のWebにてご確認ください。
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7702987 >

       <感謝合掌 平成30年10月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2018/10/02 (Tue) 04:02:21


《2日 肉体的観念を超えること》

人間は日常生活 ―― 普通の生活でいる場合は、
本来自己の内に包蔵する生活力の一部分しか発揮していないのである。

この内部に包蔵する力を、危急の時に揮(ふる)い起すことが出来るように、
通常の時にも発揮するようつとめるならば、不断の生活の二倍三倍の能率を
挙げることができるにちがいないのである。

危急の時に、普通以上の力が発揮できるのは何故であるかと言うと、
「自分の肉体の力はこれ位しかない」と常識で“自己限定”しているのに、

危急のときには、「肉体の力の限界」を心に留めている暇がなくなり、
今まで“自己限定”によって自縄自縛していた「内在の力」の縛りが
解かれて解放されるからである。

危急の時と同じように、“自己限定”を解くことが出来るならば、
吾らは予想外の力を発揮することができるようになるのである。

それには神想観して「人間は肉体ではない。霊である」と云う自覚を深めるがよい。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P242) より

       <感謝合掌 平成30年10月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2018/10/03 (Wed) 03:12:11


《3日 幸福に豊かに生活するには》

人間が日々の生活に幸福感が得られないで、
鬱陶しい面白からぬ生活を送っていなければならないのは、
自己に内在する力を自由奔放に放出することができないで、
自己内在の力を内に抑圧して鬱結せしめているからである。

抑圧と鬱結とを取去れ、さらば人生が明るく見えて来るであろう。

その抑圧を取去り、鬱結を除き去るには、
内在の霊的力に対して通路をひらかなければならないのである。

それには心を「内部の霊」の方向に振り向けなければならないのである。

普通吾々は、日常生活の現実的多忙に追いまわされて、五官的事物の方に心を奪われ、
「内部の霊」に心を振り向ける時間も余裕もなくなっているのである。

私たちの「心」は五官を通して、有限の物質世界に縛られ、
「霊的自覚」(悟り)を通して「霊的無限の世界」と通ずるのである。
「霊的無限の世界」に通じて無限を引出し来り、生活を豊かにすべきである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P242~243) より

       <感謝合掌 平成30年10月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2018/10/04 (Thu) 04:21:40


《4日 健全なる生活と不健全なる生活》

現象界の奥には霊的流れの世界があり、現象界がその霊的流れに振向いて、
そこから還流し来る智慧に導かれ、愛に護られ、
生命(せいめい)に活かされている限りに於いて、
その人の生活は生き生きとしているのである。

それは譬えば植物の根が土地深く這入って永久に乾かない水分の流れから、
その栄養を吸収している限りに於いて其の植物は生き生きとしているようなものである。

その如く、健全にして健康なる生活は、實相世界の聖なる世界より、
生命(せいめい)と智慧と愛との流れを受け、
それを充分吸収してわがものと成し得た生活である。

生活が行き詰ったり、希望が実現しなかったり、何らかの災害を蒙るような事があるならば、
それは實相世界の聖なる導きの流れに、自分の心の波長が合わないところがあるからである。

自分の心の波長が、神の波長に合わないときには、
神からの恵みはありながら其れが実現しないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P243~244) より

       <感謝合掌 平成30年10月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2018/10/05 (Fri) 04:40:58


《5日 幸・不幸はあなたの掌中にある》

テレビ放送局からどんな良い番組を放送して来ても、
その放送局のチャンネルに受像機の波長を合わせなかったならば、
その良い番組を形にあらわすことはできないのである。

幸福の番組を自己の身辺に実現するかしないかは自分の心を
どのチャンネルに振向けるかと云うことによってきまるのである。

自己自身が自分の身辺に引寄せる運命を決定するのだ。

人生が複雑なように見えているのは、
テレビの構造が複雑なのと同じことである。

併しながらテレビの構造が如何に複雑であろうとも、
私たちは、ただツマミを廻すだけで、
どんな放送のチャンネルにも波長を合わすことが出来るのである。

それはただ波長が同調するかどうかの簡単な法則によるのである。
法則は簡単であり、方法も簡単である。

ただそれを実践する熱意と、
その実践を継続する忍耐ありや否やの問題である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P244~245) より

       <感謝合掌 平成30年10月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2018/10/06 (Sat) 04:43:45


《6日 霊と精神と物質との三重的存在》

人間は“神の子”であると云うことは、神は物質ではなく、精神でもなく、
“霊”であるから、人間は“霊的実在”であると云うことである。

“霊”は物質にあらず、精神(心)に非ずして、
一方に物質を生み出し、一方に精神を生み出す。

「易経」に「太極(霊)よりして両儀(陰陽)生ず」とあるのがそれである。

精神は発動的にして物質(肉体)を動かす。
発動的とは陽性なるを謂い、物質は受動的にして陰性である。

人間は、一見、霊と精神と物質との三重的存在の如く見えるのであるが、
霊が人間の實相であり、精神と肉体とは霊が現象面に働くために
その「道具」として創造したところのものなのである。

精神は精神としての働きの面があり、肉体は肉体としての働きの面があり、
精神界には精神的法則があり、物質界には物質的法則がる。
精神力によって物質的法則を超えることもあり得るがそれは異常の時である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P245~245) より

       <感謝合掌 平成30年10月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2018/10/07 (Sun) 04:28:27


《7日 精神衛生及び肉体衛生の必要》

“霊”は自我の本体であり、
それは“神の子”であり、“神の子”は“神”そのものである。
それを“神の子”と称して“子”なる名称を附加しているのは、
“普遍的霊”が“個別的霊”として顕現しているからである。

“子”とは“個”の謂である。

だから、普遍的霊なる「神」と個別的霊なる人間とは
本質的に本来同一同質のものであるのである。
普遍霊(神)は一切の生命(せいめい)を生み出したのである。

一切の生命(せいめい)を生み出して尚余りあり、
一切の生物に対して常に間断なく生命(せいめい)をそそぎつつあるのが神である。

だから仏教では神を“無量壽佛”と言い、一般には“無限生命”と呼ぶ。

私たち人間には、その“無限生命”が宿っており、
その“無限生命”が現象界に実現するには
“精神”及び“肉体”を通して実現するのであるから、
精神衛生も必要であり、肉体衛生も必要である。
そのいずれをも軽んずるのはよくないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P245~246) より

       <感謝合掌 平成30年10月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2018/10/08 (Mon) 03:02:31


《8日 精神衛生と祈りの関係》

精神衛生が必要なる上からは、精神は清潔でなければならないし、
肉体衛生が必要な上から謂えば、肉体の清潔も必要であるのは当然である。

ホコリに埋められ、その配線を鼠が噛っているようなラジオ・セットでは
放送局のアナウンサーの声を完全に再現することが出来ないのである。

人間の霊・精神・肉体の三重的組織を此のラジオセットに譬えるならば、
アナウンサーは「人間の本体」なる“霊”であり、波長を合わす事が精神衛生であり、
ラジオの機構を清潔に保全することが肉体の衛生であると言い得る。

「肉体は心の影」と称されるからとて、それは一心に心を整えて“祈り”又は神想観を
行ずるからとて、肉体を浄水で洗浄することも入浴することも、
物質的食事をとることも要らぬと云うようなことはあり得ない。

心を整え祈り神想観することによって、肉体に何時、何を如何になすべきかが、
霊の世界と精神の世界から示されるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P246~247) より

       <感謝合掌 平成30年10月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2018/10/09 (Tue) 04:15:09


《9日 “霊”の指導を“肉体”に受けるには》

“霊”なる人間の本体は、地球上の現象界の生活では、
肉体を通して、自己を表現しなければならない。

一方、肉体がその完全なる機能を果たすには、
肉体が霊に融合し、霊の導きに従って自己を調整しなければならない。

それは高級のテレビ装置が、“光”に自動的に感じて、
その映像の鮮明さを調整するようなものである。
“光”とは「霊なる實相」から来る“智慧の導き”を象徴的に謂ったものである。

とも角、テレビでも、ラジオでも、
自働的にか、他働的にか、その機械的構造を調整しなければ
常に完全に放送局からの発信を実現することが出来ないのである。

それと同じく肉体を常に整え、その機構を完全に整備する上から、
肉体の部分品を整え、それを清潔にするよう、身体的衛生を守ることも必要である。

自働的に身体を調整する場合、
ラジオのマジックアイの如き役目をするのが、“精神”である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P247) より

       <感謝合掌 平成30年10月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2018/10/10 (Wed) 04:16:56


《10日 肉体は「人間の被服」に過ぎない》

「物質」なる肉体はそれ自体には精神がなく、
それは霊によって賦活せしめられ、
生理作用や精神状態を発生するのである。

霊が肉体を去れば、それは唯の物質に過ぎない。

生きているのは物質ではなくて、
それに宿るところの“霊”のはたらきであって、

“霊”が宿ることによって、
無生物なる物質が「生きている肉体」と化するのである。

この事実から考えて見るならば、“霊”こそ「人間そのもの」であって、
“肉体”は「人間の被服」に過ぎないと云うことが分かる。

その「人間の被服」は誰がこしらえたのであるかと言うと、
矢張り霊が時間空間的現象面に適する道具として造ったものである。
そして間断なくその消耗を、霊は内部から修理しつつあるのである。

物質そのものは、自己の消耗を自分で修理することはできない。
どこに如何なる消耗が出来ているかを知るのは脳髄の智によるのではなく、
内部の霊の智(ち)によるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P248) より

       <感謝合掌 平成30年10月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2018/10/11 (Thu) 04:40:51


《11日 常に内部の“霊”から導きを受けよ》

ひとたび“霊”が物質を創造すると、創造せられたる物質は、
“霊”が特にそれに支配力を及ぼさない限りは、物質界の法則に支配せられる。

物質には物質の法則があり、肉体には肉体の法則がある。
肉体はそれを適当に活動せしめることによって其の力を増大する。

精神には精神の法則があって、智的活動を常に行っているならば、
精神の智的方面は発達する。

それと同じく霊的能力に於いても、
霊的能力を常に利用するように訓練するならば、
霊的能力は層一層増大するのである。

この霊的能力の訓練と云うことは何よりも重要なことであるにも拘らず、
日常生活の忙しさに大抵の人々はなおざりにしがちである。

日常生活の殆ど大部分は、五官の感覚を通して物質面に
働きかけることによって成り立っているのである。
従って私たちは外部にのみ気をとられて内部の“霊”を忘れがちである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P248~249) より

       <感謝合掌 平成30年10月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2018/10/12 (Fri) 03:14:47


《12日 “内部の霊”のみ“活かす力”である》

私たちが生かされているのは、内部からである。
それは傷が治る事実が、内部から肉芽を発生し、
ついに皮膚を再生するに至る事実によって明らかであるのである。

外からの薬品や包帯は、内部から傷が修復されることを妨げないように
外から包むだけのことである。

内部の霊は、宇宙大生命なる太霊につながっており、
其処から、必要に応じて無限に肉体を補修する力を喚び出して来るのである。

自己に宿る“内部の霊”が目覚めた程度にしたがって、
宇宙大生命との通路が一層大きくひらかれ、単に健康の問題のみならず、
あらゆる人生問題に就いて、宇宙大生命の叡智の導きを受けることが出来るのである。

こうして宇宙大生命の叡智と一体になり得た者のみ
本当に自主的生活を送り得るのであって、
その他の者はすべて環境や境遇の奴隷なのである。

何故(なぜ)ならすべて外界に支配される者は奴隷であるからである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P249~250) より

       <感謝合掌 平成30年10月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2018/10/13 (Sat) 03:29:58


《13日 神の叡智に波長を合わすこと》

外界に対して働きかけるのは“活動”を通してであるが、
内界に対して働きかけるには、“静”を通してである。

「静かであれ、而してわれ神なることを知れ」と云う聖書のことばは
内界に対して働きかけるための最も適切なる忠言であるのである。

心を静かならしめて、内界の囁きに耳を傾けるとき、
次第に一層完全に宇宙大生命に波長が合うようになって来るのである。

宇宙大生命と波長が合うことによって、吾らは、一層多くの神の叡智の導きを
受けることが出来、一挙手一投足がことごとく、その処を得て、
誤ることなきに至るのである。

心を静かならしめて、
宇宙大生命と波長を合わすには神想観を修するのが最もよい方法である。

次には、宇宙大生命は「神」であり、
「神」は「愛」であるから、愛を実践することである。
愛とは、一寸でも其の人のためになる行動を実践することであって、
単なる「好き」ではないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P250) より

       <感謝合掌 平成30年10月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2018/10/14 (Sun) 04:32:50


《14日 神との協同体としての人間》

人間は神の最高の自己実現として、
神の全体的計画(プラン)の一部分を受持つのである。
人間は神の計画を実現するための協働者である。

されば神に協力することができた時に於いて生き甲斐を感ずるのである。

愛の実践は神に協力することになるのである。

神に協力する人にとっては、彼の有つ富も力も結局は
人類を幸福にするための蓄積又は資料となるのである。

神は全ての全てであるから、すべての人とのために協力しない者は、
神の心と波長が合わないのである。

また、すべての良き宗教は、神が、その場、その時代、その時代の人間の救いのために、
神の慈悲の人時処の三相応のあらわれとして出現したものであるから、
互いに目的協同体として協力して、人類を光明化すべきものであるのに、
互いに排斥し、互いに攻撃し合って縄張り争いすることは神の心に叶わないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P251) より

       <感謝合掌 平成30年10月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2018/10/15 (Mon) 04:15:21


《15日 人生の最高目的について》

人間が地上に「神の自己実現」として出現している以上は、
その人の人生は「無限の善」の間断なき自己展開であると言わなければならない。
それは「無限生長」と云う語を使っても差支えない。

だから人間には老熟はあっても老衰はあり得ないのである。
人間は年老いても希望を失うことはないのである。

活動の種類や場面は変って来るかも知れないけれども、
「我れ神の子なり」の自覚をもつ人には衰弱や衰退はあり得ないのである。

善とは人生の究極目的に適(かな)うことであり、
悪とは人生の究極目的に適わないことだと言い得る。

人生の究極目的は、神を実現することであるから、
神の如く生きることを私たちは念願としなければならないのである。

神の如く生きるには、神は愛であるから、愛を実現しなければならない。
愛は自他一体の自覚であるから、己の欲する如く他(た)の人に施さなければならない。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P251~252) より

       <感謝合掌 平成30年10月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2018/10/16 (Tue) 03:37:37

《16日 忍辱の美徳について》

忍辱は仏教では、布施につぐ覚りに到達するための最も尊き修行である。
忍び難きを忍び、謙遜に自己を顧みる徳が忍辱である。

ひとから侮辱せられるのは、
自分自身にそれらの辱(はずかし)めを受ける何かがあったのである。

現在そのような行為をしていないかも知れない。
併し、過去のいつの時にか、その辱(はずかし)めを受けるに相応するようなことを
想い又は行為していたのであろう。

それは今世(こんぜ)のことでないかも知れない。
或るいは前世、前々世の出来事であるかも知れない。

併し、原因のないところに結果は現れないのである。

今ひとから悪しざまに言われるのは、悪しざまに言われるような業(ごう)の蓄積があり、
この業(ごう)が形にあらわれて消えて行きつつあるのだと考えれば、どんな辱めも、
どんな悪口雑言も、それを有りがたく受けて感謝することができるのである。

どんな辱(はずかし)めにも興奮しないでいる事は大調和を得る秘訣である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P252~253) より

       <感謝合掌 平成30年10月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2018/10/17 (Wed) 04:33:52


《17日 終りまで忍ぶものは救われん》

忍辱(にんにく)の一面は、辛抱強いと云うことである。

「ならぬ堪忍するが堪忍」と云う諺があるが、
最も辛抱強く私たちを赦しておられるのが、
神であると云うことができるのである。

神は如何なる場合にも、私たちを罰したまうことはないのである。
ただ吾々は自己が言葉や、想念や、行動で蒔いた種を
循環的に刈りとるだけのことである。

私たちは常に愛行によって行動の良き種を蒔き、
祈りと神相観とによって良き想念の種を蒔き、
讃嘆と美しき言葉とによって良き言葉の種を蒔くようにしなければならない。

更にその「良き種」が腐らずに生育するように、
祈りと愛行と良き言葉とを常にたゆまず繰返すことによって、
その「良き種」の生長を促進するようにしなければならない。

すべて良き種を生長せしめるには、その結果を急いではならないのである。
農夫が秋の収穫期が来るまで急がず待つが如くにである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P253) より

       <感謝合掌 平成30年10月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2018/10/18 (Thu) 03:32:18


《18日 自己の内に實相の光を点ぜよ》

現象界のヤリトリにくたびれたならば、
現象界から心を転じて、神想観によって、“實相の世界”に超入せよ。

其処に超入することによって私たちは、神に接触し、無限の善に接触し、
一切の不安恐怖がなくなるのである。

現象界は叢雲(むらくも)を通して見る月のように、
完全円満な相(すがた)を見ることはできないのである。

現象界は心の迷いを通して見る世界であるから、
それは實在する本当の《すがた》ではなく、
言わば、一種の夢幻(ゆめまぼろし)のようなものである。

併し、それを単に夢幻(ゆめまぼろし)であるとして逃げ出したからとて、
更に夢幻(ゆめまぼろし)が追いかけて来て、終止するところがないであろう。

それは光をともさずして闇を消そうとするのと同じことだからである。
闇を消すためには「光」を点じなければならない。
即ち、自己の内に實在の「光」を見出さなければならない。

實在の光が輝き出せば、非實在の闇は消えてしまうのである。
實在の光を見出す方法が神想観である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P254) より

       <感謝合掌 平成30年10月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2018/10/19 (Fri) 04:34:25


《19日 到る処に天国浄土がある》

心をひらいて、神の生命(せいめい)の動きを感じ、
神の智慧の素晴らしさに驚嘆し、
神の愛の宏大さに心打たれる者は幸いなるかなである。

空を仰いで白雲のたたずまうのを見ても、庭に生(お)うる一木一草、
それがたとい雑草のようなものであっても、
其処に神の生命(せいめい)の神秘が感じられ、精緻にして微妙なる
神の智慧を感得し、神の愛がいかに深きかを知ることができるのである。

心を澄まして静かに聴けば到る処に神の御声を聴くことができるのである。
神は今も働き給い、神は今も私たちに愛語を囁きかけていたまう。

ある大学教授は、常に学生に「自分は常に庭に出て、大自然の景観に触れ、
其処に神の声を聴き、瞑想し、インスピレーションを得る」と語るので、
或る学生は教授の庭園はどんなにか広大なものかと想像して訪問して庭を見ると、
それは現象的には実に狭い庭であった。

併しその教授には神の声をきく広大な庭だったのだ。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P254~255) より

       <感謝合掌 平成30年10月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2018/10/20 (Sat) 04:21:02

《20日 エデンの楽園に再び還る》

現象の広さ狭さは、其処に天国浄土を見出すのに何ら障(さわ)りはないのである。
執して握っている者には広大な地面も狭く、
其処が境界争いの闘争の場となることもある。

心の狭い者にはどんな広大な領土があっても、其処が狭く感じられ、
他(た)の領土を奪おうなどと考えるのである。

どんなに狭い庭をもっていても心の中に「エデンの楽園」をもっている者には
其処がエデンの楽園となり、神の声を聴き、神の愛を感じ、神の智慧に触れ、
インスピレーションを受けることができるのである。

路傍の名なし草の花にも神の芸術を感じ、小川のせせらぎや、小鳥の囀りにも
神の音楽をきき、仰いで星を見れば、神の偉大さに触れ、
万物の永遠の秩序の荘厳さに打たれる。

物質的所有や領土や金銭は何ら私たちにとって
インスピレーションの源泉にはならないのである。
それは執着と闘争の源泉となる。

ただ神のみが平和の源泉である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P255~256) より

       <感謝合掌 平成30年10月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2018/10/21 (Sun) 04:00:54


《21日 今・此処に天国がある》

神の国はそんなに遠く遥かなる処には存在しないのである。
神の国は今此処にあるのである。

仰いで太陽の輝くのを見よ、
それを単なる物質として見るのは科学者の立場である。
それはそれで良いのであって間違いではないのである。

しかし生きた人間としてそれを見れば、又別の面から太陽を見るのである。
降りそそぐ太陽の光熱のもとに万物が生かされている。

太陽を受けない時と、太陽を受けているときとは樹木の輝きが異なるのである。
それを科学者は単なる“光線の反射”だと解釈するであろう。

しかし、“人格ある人間”が“生きている樹木”を見れば、
単なる“光線の反射”以上のものがあるのである。

詩人は其処に、神の愛を感じ、生命(せいめい)と生命(せいめい)との共感に触れ、
其処に単なる科学的立場以上の「美」を感ずるのである。

詩人と宗教人とは到る処に、神の生命を感じ、神の美を見出し、神の愛に触れる。
そこに天国があるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P256) より

       <感謝合掌 平成30年10月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2018/10/22 (Mon) 04:38:06


《22日 神との接触を切り離してはならない》

神は六日間で宇宙の創造を終り、みずからは休み給うて
七日目を人間にまかせ給うたと「創世記」にある。

人間は神が大自然力としては創造することの出来なかった「最後の完成」を為すべく、
神御自身の生命(せいめい)が、人間として、「花咲き出(で)た」ものなのである。

花は外界からの物質の積み重ねによって形造られたものではなく、
植物の生命(せいめい)が、中(うち)から発現して
花の形となって出て来たところのものである。

それと同じく、神が人間を創造せられたのは、
外から物質を捏ねまわして人間がつくられたのではなく、
神の《いのち》が、中(うち)から花咲き出(で)るように
具体化して顕れたのである。

だから人間は神の奴隷でもなく、神の僕でもなく、
神御自身の延長であり顕現である。

しかし神の延長であるのしても、神との接触を断絶してしまったら、
一箇の孤立した蓄電器のようなもので、その力は有限となるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第10篇(P257) より

       <感謝合掌 平成30年10月22日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.