伝統板・第二

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天皇陛下の譲位 ② - 夕刻版

2018/09/26 (Wed) 16:58:48

     *伝統板・第二「天皇陛下の譲位」からの継続です。
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7667299




高御座が皇居に 代替わりに向け準備本格化

        *Web:日本経済新聞(2018/9/26)より


2019年10月22日の「即位礼正殿の儀」で
新天皇と新皇后が登壇する高御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)の部品が
26日午前、保管先の京都御所から皇居にトラックで移送された。

宮内庁は18年度中に漆の塗り直しなど修繕を終え、
19年9月ごろから組み立て作業に入る計画だ。

19年4月末の天皇陛下の退位を控え、宮内庁は6~9月、
高御座と御帳台を約3千のパーツに解体し梱包する作業を進めてきた。

京都御所では25日午前から、約30人の作業員らが4トントラック8台に
段ボール箱など約250個の荷物を慎重に積み込んだ。


高御座と御帳台は1990年の前回の即位礼正殿の儀で使われた際には、
憲法の政教分離原則に反するとの批判が強く、過激派からの攻撃を懸念して
自衛隊ヘリで移送された経緯がある。

今回は「警備情勢が変化し、妨害を受ける可能性が低下した」(宮内庁幹部)ため、
陸路で搬送された。

  (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35759500W8A920C1CC0000/?n_cid=NMAIL007

           <感謝合掌 平成30年9月26日 頓首再拝>

「皇位継承式典委員会」の設置 - 伝統

2018/10/12 (Fri) 18:58:07


          *読売新聞(2018/10/12)より

政府は12日午前の閣議で、天皇陛下の退位と皇太子さまの即位に伴う
儀式の詳細を検討する「式典委員会」(委員長・安倍首相)の設置を決定した。

委員会は続いて初会合を開き、
秋篠宮さまが皇位継承順位1位の皇嗣となったことを広く国民に示す
「立皇嗣(りっこうし)の礼」を2020年4月19日に行うことを決めた。

首相は、皇太子さまが即位する19年5月1日と、
新天皇が即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が行われる来年10月22日を
祝日とする考えを示した。

祝日はいずれも来年限りとする。
祝日法に基づき、祝日に挟まれる5月1日前後の4月30日と5月2日も休日となるため、
来年は4月27日から5月6日まで10連休となる見通し。

秋の臨時国会に関連法案を提出する。

   (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181012-00050045-yom-pol

           <感謝合掌 平成30年10月12日 頓首再拝>

「即位礼正殿の儀」まで1年 - 伝統

2018/10/21 (Sun) 18:28:58

「即位礼正殿の儀」まで1年=皇位継承時の中心儀式-天皇退位

         *時事ドットコムニュース(2018/10/20)より

皇太子さまが来年5月に新天皇となられた後、
皇位が継承されたことを国内外に公に示す「即位礼正殿の儀」が、
1年後の同年10月22日、皇居・宮殿「松の間」で行われる。

今月12日に内閣に設置された式典委員会が天皇陛下の退位に伴う儀式も含めて統括し、
宮内庁に設けられた大礼委員会が円滑な実施に向け審議を重ねる。

即位礼正殿の儀は「即位の礼」の中心儀式で、
明治天皇、大正天皇、昭和天皇のいずれの場合も京都御所の紫宸殿で行われた。

大正天皇以降は、旧皇室典範(1889年制定)に「
即位の礼および大嘗祭は京都においてこれを行う」と規定されていたためで、
場所の指定がなくなった今の皇室典範の下で初めて実施された現在の天皇陛下の時
(1990年11月)に、宮殿の正殿の中で最も格式が高い「松の間」に移された。

一方、正殿の儀で天皇陛下が即位したことを宣言する時に使う「高御座」は、
一貫して紫宸殿に保管されている。

今年9月25日夜から26日朝にかけ、新皇后が使う「御帳台」と共に解体されて
4トントラック計8台で紫宸殿から皇居内に運び込まれた。

来年10月の正殿の儀が終わると、過激派によるテロを警戒して
自衛隊のヘリコプターで移送した90年時と同様、紫宸殿に戻される。

正殿の儀は今後も皇居で行われる可能性が高く、
「(再移送は経費的にも)無駄ではないか」との声も聞かれる。

ただ、宮内庁幹部は「歴史を鑑みても、京都御所に存置しておくことが妥当」
「高御座は紫宸殿にあるものと決まっている」と述べるなど、
変更する予定はないとしている。

   (https://www.jiji.com/jc/article?k=2018102000382&g=ryl

           <感謝合掌 平成30年10月21日 頓首再拝>

「大嘗宮の儀」 - 伝統

2018/11/21 (Wed) 17:23:36

「大嘗宮の儀」に招待、700人 来年11月、平成より200人減

       *Web:共同通信(2018年11月20日)より

来年の天皇代替わりに伴って行われる儀式や祭祀の細部を詰める
宮内庁の「大礼委員会」は20日、第2回会合を開き、
来年11月14~15日に実施される代替わりの重要祭祀「大嘗祭」の
中心儀式である「大嘗宮の儀」に、前回より約200人少ない
700人程度を招待することを決めた。

大嘗宮の儀の後、皇居・宮殿で新天皇が参列者と酒食を共にする「大饗の儀」は、
同月16日と18日の2回となった。

天皇陛下が来年3~4月、三重県伊勢市の伊勢神宮や奈良県橿原市の神武天皇陵、
東京都八王子市の昭和天皇陵に参拝、退位することを自ら報告することも決まった。

http://news.livedoor.com/article/detail/15623848/

           <感謝合掌 平成30年11月21日 頓首再拝>

平成最後の新嘗祭に思う祭祀の「宗教性」 - 伝統

2018/11/26 (Mon) 18:48:50


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年11月25日)より

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粟が捧げられる意味を考えてほしい
──平成最後の新嘗祭に思う祭祀の「宗教性」

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陛下はおととい、最後の新嘗祭を親祭になられた。
感慨もひとしおだったに違いないと拝察される。
それは「最後」だからではない。

「簡略」新嘗祭だったからだ。

報道によると、陛下は夕(よい)の儀の後半にお出ましになり、
暁の儀にはお出ましにはならなかった。
「健康上のリスク」への配慮とされる。

日本書紀の仏教公伝のくだりや養老律令の神祇令、
あるいは順徳天皇の「禁秘抄」に書かれてあるように、
祭祀は天皇第一のお務めであり、
歴代天皇はそのように信じて祭祀をみずからお務めになった。

とりわけ新嘗祭は皇室第一の重儀とされたのだった。

明治の改革で、天皇の祭祀は近代法的に整備された。
敗戦後、掌典職は天皇の私的機関となり、昭和22年5月の日本国憲法施行に際して、
皇室祭祀令はほかの皇室令とともに廃止されたが、
宮内府長官官房文書課長の依命通牒により、祭祀令附式に定められる祭式は存続してきた。
占領下も、社会党政権下でさえも、である。

祭祀は天皇の聖域である。


▽1 側近によって曲げられた皇室の伝統

天皇の祭祀が不当かつ無法な簡略化に甘んじることとなったのは、
昭和40年代、入江相政侍従長の時代である。

万年ヒラの侍従だった入江が、瞬く間に侍従次長から侍従長に駆け上がり、
真っ先に取り組んだのが祭祀の「簡素化」(入江日記)である。

香淳皇后や女官が抵抗したことが入江自身の日記に記録されているが、
入江は皇室の伝統に忠実な女官を「魔女」呼ばわりし、追放している。

このころ祭祀簡略化の名目は昭和天皇の高齢化だったが、
半月にもおよぶ外遊をなさる天皇が高齢とはいえまい。

真因は入江の祭祀嫌いと入江自身の加齢ではなかったか。

 
祭祀の簡略化と改変は、無神論者を自称する富田朝彦の登場で促進された。
次長時代の昭和50年8月15日の長官室会議で、
平安時代以来の石灰壇御拝の歴史を引き継ぐ毎朝御代拝の祭式が変更された。

依命通牒の解釈運用が側近によって、密室で、天皇・皇族への相談もなく、
にわかに一方的に変更されたのである。

同年9月1日以後、当直の侍従は装束ではなくてモーニングで、
宮中三殿外陣ではなくて前庭の隅から、拝礼することとなったことが、
『昭和天皇実録』にも説明されている。
憲法の政教分離原則への配慮であったという。

 
やがて昭和天皇の高齢化によって、文字通り祭祀は簡略化されていった。
卜部日記には、それでも親祭にこだわる昭和天皇の痛々しいまでのお姿が記録されている。

皇室祭祀令の附式には、幼帝の場合の対応が注意書きされているが、
天皇の高齢化は想定されていない。

祭祀簡略化の経緯を間近で御覧になっていたのが今上天皇である。
30年前、皇位を継承されたのち、今上陛下は皇后陛下とともに、
祭祀の正常化に取り組まれたらしい。

即位以来、陛下は、
皇室の伝統と憲法の理念の両方を追求されると繰り返し述べられている。


平成の祭祀簡略化はご公務ご負担軽減策として始まった。
渡邉侍従長らが昭和の先例を引き合いに陛下に打診したが、
陛下はなかなか同意なさらなかった。

ようやく在位20年を過ぎて、軽減策は実行に移されたが、
いわゆるご公務の件数は減らず、祭祀のお出ましだけが半減した。

そして新嘗祭が、昭和の先例に従い、簡略化された。
陛下はさぞご無念だったことだろう。
祭祀大権という言葉があるが、もはや実権は陛下の手中にはない。

 
今回の譲位は陛下ご自身の御意思によって始まった。
高齢となった場合の象徴天皇の務めについてのご懸念が背景にあるように
説明されているが、祭祀のお務めへのご懸念だったのではないかと私は考えている。

ビデオ・メッセージには「祈り」と説明されている。
憲法への配慮から「祭祀」とは表現できなかったのであろう。

悠久なる皇室の伝統より、最高法規とされる憲法が、明らかに優先されている。
陛下は象徴天皇とは何か、ご公務とは何かを考えてほしいと、
主権者とされる国民に、ビデオで訴えられたが、私たちは十分に応えているだろうか。


▽2 失われてしまった粟の文化

天皇の祭りは、国民統合の祭りである。
天皇の祭祀は宗教ではない。
少なくとも、憲法が禁じる国による宗教的活動ではない。

したがって国民の信教の自由を侵すはずはない。
カトリック信徒が祭祀に携わっているとも聞くが、その何よりの証明ではないか。

 
神嘉殿の宮中新嘗祭、大嘗祭の大嘗宮の儀では、
米と粟の新穀が神前に手ずから供され、御告文ののち天皇は直会なさる。

今上天皇の即位大嘗祭に携わった鎌田純一は『平成大礼要話』に、
悠紀殿・主基殿の儀の「米と粟」を正確に記録している。

一方、政府は30年前も、そして今回も、大嘗祭は「稲の祭り」だと解釈している。
メディアも同様である。粟はどこへ消えたのだろうか。

宮中三殿の祭祀は稲の祭りであるが、神嘉殿の新嘗祭は米と粟である。
皇室第一の重儀は稲の祭りではない。稲だけではない。

 
よく聞くように、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅に基づき、
稲作の神に五穀豊穣を祈るなら、稲の新穀で十分であろう。

粟を捧げる必要はない。
稲とともに、粟が捧げられるのは、粟の神、粟の信仰、粟の民の存在が、
前提とされていると考えざるを得ない。

柳田国男が書き残しているように、日本列島は必ずしも米作適地ではないし、
日本民族は稲作民族ではない。柳田は稲作願望民族と表現している。

水田稲作農耕民が神前に稲を捧げるように、畑作民は粟を捧げて祈る。
文化人類学の知見によれば、台湾の先住民は粟をとりわけ神聖視し、
粟の祭祀を行ったらしい。

 
常陸国風土記には粟の新嘗のことが書かれてある。
縄文人の直接の子孫といわれるアイヌは稗と粟を食し、酒には稗を用いるという。

大正のころの日本人は稗や粟の酒をふつうに飲んでいたと聞くが、
いつの間にか失われてしまっている。

およそ天皇、即位したまわんときは、すべて天神地祇祭れ、と神祇令にある。そ
れぞれの神祭りにはそれぞれの作法がある。
民が信じるすべて神々に祈り、国と民を統合するには、
天皇の祭りは複合祭祀にならざるを得ない。


▽3 御代替わりの祭祀について政府は検討していない

来年は大嘗祭が行われる。

わが国では、御代替わりごとに、大規模な国民統合の多神教的、
多宗教的な国家的儀礼を行うことが古来、続いてきた。
それは価値のないことだろうか。

宗教的な対立が世界的に繰り広げられている今日、意味がないことだろうか。

アメリカでは9・11同時テロの直後、「全国民の教会」といわれる
ワシントン・ナショナル・カテドラルで、各宗教の代表者も参加する
多宗教的な追悼式が行われた。

多宗教化は現代の潮流といえるが、
皇室の伝統ははるかなる時代の先駆けではないのか。

 
なぜ天皇は神々に粟を捧げ、神人共食されるのか、学問的な深まりが求められている。
祭祀学、神道学、文化人類学など、米と粟の祭祀についての研究を、
残念ながら私は読んだことがない。学問研究が時代のニーズに追いついていない。

御代替わりは本来、全体として国事のはずだが、
今回も大嘗祭は、その宗教性を理由に、皇室行事とされる。

御代替わりの儀礼はかつては登極令附式に定められていたが、
賢所の儀など関連する践祚の式について、今回、政府が検討した形跡はない。
宗教性ゆえにである。

 
陛下はどのような思いで、最後の新嘗祭に臨まれたのだろうか。
何を思われ、来年の御代替わりをお迎えになるのであろうか。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6761021/ )

           <感謝合掌 平成30年11月26日 頓首再拝>

現代にふさわしい大嘗祭のあり方とは? - 伝統

2018/12/03 (Mon) 18:57:49


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(2018年12月02日 )より

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現代にふさわしい大嘗祭のあり方とは?
──秋篠宮文仁親王殿下の「大嘗祭」発言に思う

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秋篠宮文仁親王殿下がお誕生日会見で、大嘗祭のあり方について、
率直に疑義を示されたというので話題になっている。

殿下は、大嘗祭は「ある意味の宗教色が強いもの」で、
したがって「国費で賄うことが適当かどうか」と仰せになった。

「宗教行事と憲法との関係はどうなのか」「やはり内廷会計で行うべきだ」
「身の丈に合った儀式にすれば」というのが「私の考え」とのことである。

関連質問に対してのお答えだが、
殿下は以前からこのお考えを披瀝してこられたものらしい。

ポイントは、大嘗祭の性格と政教分離原則との関係、
大嘗祭の本来的あり方、皇族の意見と政治との関係、の3点かと思う。


▽1 大嘗祭は宗教的儀礼なのか

まず指摘しなければならないのは、たいへん失礼ながら、
殿下はどこまで祭祀をご存じなのかということである。

たとえば、皇室第一の重儀とされる新嘗祭は、
天皇陛下が神嘉殿の内陣でご親祭になるあいだ、皇太子殿下は隔殿で控えられる。
けれども、ほかの男子皇族方は殿外でご参列されるのみである。

秘儀とされる祭式は、天皇から皇太子へ一子相伝で伝えられるという。

皇族方は大祭ならご参列だが、小祭ならご参列もない。
もしや新嘗祭、そして大嘗祭の祭儀について、詳細をご存じないのではあるまいか。

 
宮中祭祀の宗教性は外見的に見れば、誰でも感じるところであり、
だとすれば、憲法の政教分離原則からすれば、とくに厳格主義に立つならば、
殿下の仰せの通り、公金の支出には疑問を抱かざるを得ないかも知れない。

けれども、とくに新嘗祭、大嘗祭は、そのルーツは遠く古代の宗教儀礼だとしても、
むしろ国家儀礼としての意義を理解し、価値を積極的に見出すべきではなかろうか。

政府は前回も、今回も、大嘗祭を「稲の祭り」と理解している。
稲作の儀礼なら宗教行事といえる。
だが、実際は「米と粟の祭り」である。

稲作民の米と畑作民の粟による国民統合の儀礼と考えられる。
けっして特定の宗教儀礼ではない。

天皇の祭祀は特定の宗教ではないし、国民に信仰を強制する性格のものでもない。
教義もないし、布教の概念もない。
したがって国民の信教の自由を侵すわけではない。

政教分離原則に反することはない。
長く伝えられてきた貴重な文化財でもある。
だとすれば、公金の支出は率先して認められるべきではないか。

政教分離原則を厳格に考えることも理解できないわけではないが、
どうしても原則をきびしく貫くのなら、ミッション系スクールへの
助成金は違憲だろうし、長崎県が県をあげて推進した教会群の
世界遺産登録運動は振り出しに戻さなければならない。

代替わりは国事そのものである。
内廷のみで行われる国事などあり得ないと思う。


▽2 大嘗宮を宮殿の庭に建てられないか

とはいえ、明治以後、巨大化した大嘗宮の規模などを考えると、
殿下が仰せのように「身の丈にあった」「本来の姿」を再検討すべきではなかろうか。

京都に都があったころ、哲学者の上山春平先生が指摘したように
、大嘗宮は紫宸殿南庭に、大嘗宮の儀の7日前に着工され、祭りのあと、焼却された。

明治末に登極令が定まり、そのあと行われた大正の大嘗祭では、
大嘗宮の規模がかつてないほどに壮大になった。
当然、大嘗宮は紫宸殿前庭では納まらず、仙洞御所の北側を拓き、設営された。

江戸時代、115代桜町天皇の大嘗宮は東西16間、南北10間の
柴垣をめぐらして設けられたというが、

大正の大嘗宮は東西60間、南北60間を板垣で囲い、建てられた。

岩井利夫・もと毎日新聞記者が『大嘗祭の今日的意義』で指摘しているように、
近代の国家主義華やかなりしころの産物といえる。

昭和の大嘗宮も平成の大嘗宮も、この大正の大嘗宮を前例として踏襲している。
そして今回もである。

当然、殿下が仰せの通り、「相当な費用がかかる」。
工事も1週間で済むはずはない。

いまどき世界に国威を誇示する必要はない。
殿下が仰せのように、神嘉殿で、とはいわないが、
宮殿の中庭もしくは前庭に大嘗宮を建てることは無理だろうか。

聞くところによると、昭和宮殿は即位儀礼が宮殿で行われることを想定して、
庭を広く設計された。

しかし今回についていえば、すでに時期を逸している。
陛下が「譲位」を仰せ出されたときに、御代替わりのあり方について、
議論を始められなかったことが返す返すも悔やまれる。

それと関連して、殿下のような皇族のご発言で、
基本的な議論をしなければならないのはじつに不幸である。

皇室は権力政治とは一線を画されるべき存在だからである。
役所の都合に合わせて皇室を利用しておきながら、
「聞く耳を持たない」官僚たちはきびしく批判されるべきではないか。

今回のことはその結果である。

次の御代替わりは陛下の御意思によって始まった。
陛下はビデオ・メッセージで象徴天皇制度のあり方を問いかけられたが、
主権者たる国民が十分に応えているとはいえまい。

2000年の歴史を踏まえて、現代にふさわしい御代替わりのあり方を、
私たちは真剣に追い求めるべきだろう。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6764419/ )

           <感謝合掌 平成30年12月3日 頓首再拝>

皇位継承儀式、ぎりぎりの調整 - 伝統

2019/01/08 (Tue) 20:16:13

皇位継承儀式、ぎりぎりの調整 「我々はプロ」 (ルポ迫真)

        *Web:日本経済新聞(2019/1/8)より

「宮内庁長官は聞く耳を持たなかった」。2018年11月、
恒例の誕生日会見に臨んだ秋篠宮さま(53)は
山本信一郎長官(68)を名指しで批判された


宗教色の強い大嘗祭(だいじょうさい)への公費支出に対する疑義、
そして前例踏襲で巨費を投じることに対する不信感が皇族から示されたのだ。

山本長官には心外だったかもしれない。

天皇陛下から「即位関係の諸儀式については、東宮とよく相談して進めてほしい」
と指示を受けて、皇太子さまの了解を得ながら政府との協議を重ねてきた。

できるだけ簡素に国民の負担を小さく――。これが陛下の一貫した意向である。

19年10月、国内外の賓客を集めて執り行われる
即位礼正殿の儀と祝宴「饗宴の儀」の規模を巡る議論。

連日連夜の行事が続き両陛下をして「過酷な日程だった」と言わしめた
前回の反省を踏まえ、山本長官は規模拡大の可能性を探る官邸側に粘り強く理解を求め、
招待者数や祝宴の回数を抑える結論に導いた。


祝宴に立食形式を取り入れたのも山本長官の発案。
庁内事務を担う西村泰彦次長(63)は「儀式の日程の間隔も空いた。
ご負担軽減という意味では良かった」と同調する。

しかし庁内には皇室の格式という観点から「立食」に対する異論が残る。
政府、皇族、足元の役所内。
ぎりぎりのバランスを取りながら皇位継承の準備を仕切る難しい立場。

山本長官は機会があるたび職員に檄(げき)を飛ばす。
「我々はプロだ。全庁一丸で進んでいこう」

諸行事、儀式の大枠を固めつつ、調度や衣装など細部の準備は
陛下の退位を実現する特例法成立直後から進められてきた。

大嘗祭で使う米はカメの甲羅を熱して出来る割れ目で収穫する田を占う。
「アオウミガメの甲羅を探しています」。
皇居から南に約1千キロ、小笠原村役場の安藤武史さん(41)に
宮内庁用度課から電話が入ったのは17年12月。小

笠原諸島では特別に捕獲が認められており安藤さんは漁協を通じて8枚の甲羅を調達した。
だが、担当者は謝意とともに「儀式で使えるように薄く加工できる職人が見つからない」
と悩みを打ち明けたという。

皇室の祭祀(さいし)をつかさどる楠本祐一掌典長(71)は
平成の代替わりを知る宮内庁の長老。

「難題はこれからも出てくる。でも、できることをやればいい。
大事なことは国民が納得して、新しい象徴の誕生を祝えるかどうか。
今は生みの苦しみの時期だ」と話した。

  ( https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39710870X00C19A1SHA000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 平成31年1月8日 頓首再拝>

新天皇祝賀パレード、車両は「センチュリー」 - 伝統

2019/01/17 (Thu) 20:15:31


       *Web:日本経済新聞(2019/1/17)より

政府は17日の一連の皇位継承の儀式に関する式典委員会で、
新天皇と皇后が皇居周辺をパレードする「祝賀御列の儀」で用いる
オープンカーとしてトヨタ自動車の「センチュリー」を採用すると決めた。

安全や環境面での性能に加え、保守サービスを継続できる体制の整備などの要件を
もとに国内外5社の提案から選んだ。


パレードは即位を国内外に宣明する「即位礼正殿の儀」と同じ日の10月22日に実施する。

翌23日には外国首脳らを招いた首相夫妻主催の晩さん会を開催する。
会場は東京・紀尾井町のホテルニューオータニに決定。
約900人の参列者が入れる宴会場を備え、各国の要人をもてなす
レベルの高い接客ができることなどを踏まえた。


17日の式典委員会では、2月24日に東京・隼町の国立劇場で開く
政府主催の天皇陛下在位30年記念式典の詳細も決めた。

福島県の内堀雅雄知事と川口順子元外相が国民代表の辞を述べる。
歌手の三浦大知さんと鮫島有美子さんの2人が記念演奏をする。

    (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40103010X10C19A1EA2000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 平成31年1月17日 頓首再拝>

賢所の儀は何時に行われるのか? - 伝統

2019/01/22 (Tue) 18:52:45


     *Web:「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成31年1月20日)より

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賢所の儀は何時に行われるのか?
──いつまでも決まらない最重要儀礼
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先週17日に官邸で式典委員会が開かれ、
翌18日には宮内庁で大礼委員会が開かれました。
政府は御代替わり関連の諸儀式の次第などを決めました。

これによると、退位礼正殿の儀は4月30日の夕刻午後5時に開始され、
践祚後の剣璽等承継の儀は翌5月1日の午前10時30分から、
即位後朝見の儀は同11時10分から執り行われることに決まりました。


▽1 悪しき前例となる「退位の礼」

退位礼正殿の儀は、以下のように行われます。

天皇陛下が午後5時、皇后陛下を伴われ、正殿松の間にお出ましになります。
このとき、侍従が剣璽等を捧持し、皇太子殿下ほか成年皇族方が供奉されます。
侍従が剣璽等を案上に奉安します。

モーニングコート、紋付羽織袴などで正装した三権の代表者、地方公共団体の代表などが、
ロングドレスや白襟紋付などで正装した配偶者とともに参列するなかで、
総理大臣が国民代表の辞を述べ、
陛下がお言葉を述べられます。

このあと皇后陛下を伴われて退出され、
このとき侍従が剣璽等を捧持し、皇太子殿下ほか成年皇族が供奉します。

 
以上の次第が決まった退位の礼ですが、
もともと退位の礼などというものは歴史的にあり得ません。

政府が、皇室の伝統にない、前代未聞の退位の礼なるものを、
即位の礼があるなら退位の礼あるべしとして創作し、その結果、
譲位(退位)と践祚(即位)を分離してしまったのは痛恨のミスといえます。

 
たとえば御代替わり儀礼についてもっとも詳しいとされる貞観儀式は
「譲国儀」を定めていますが、譲位の儀式がすなわち践祚(皇位継承)の儀式なのです。

なぜ譲位と践祚を一体の儀式として行おうとしないのか。

以前書いたように、政府・宮内庁は「譲国儀」の古典解釈を誤り、
歴史に禍根を残す、悪しき前例を作ってしまいました。

問題点の1つは、皇位とともにあるべき剣璽の所在です。
5月1日午前0時の践祚の前後に剣璽はどこにあるのでしょうか。


▽2 退位の礼後、剣璽はどこへ?

前日午後5時に退位礼正殿の儀が設定されたのは、
退位の時限である午後12時になるべく近い時間という理由でしょうが、
天皇とともに動座される剣璽は、儀式の後、翌日の剣璽等承継の儀が開始される時刻まで、
どこへ遷るのでしょうか。

陛下とともに御所に戻るのか、それとも東宮に遷るのか、
それともいったん賢所に遷るのか。

いずれにしても、剣璽は皇位とともにあるという皇室の伝統にそぐわない状況が
約17時間、発生することになりませんか。

 
問題点の2は、祭祀上、もっとも重要な、
神鏡が祀られる賢所の儀は、何時に行われるのでしょうか。

 
退位礼の当日に退位礼を行うことについて大前に奉告する賢所大前の儀、
践祚当日から3日間にわたって、新帝が皇位の継承を奉告する賢所の儀のいずれも、
政府・宮内庁の資料にはいまだ言及がありません。

政教分離の厳格主義に固執する政府は、賢所の儀ほか祭祀に関して、検討すらしていません。

今回の御代替わりは、陛下が参与会議で「私は譲位すべきだと思っている」
と御意思を示されたことから始まったとされます。

以後、退位の認否に議論は集中し、そのため践祚のあるべきかたちについての議論は
二の次になり、政府の非宗教的姿勢と相俟って、真っ先に検討されるべき祭祀に
関する検討は逆に後回しになっています。

 
本来なら、践祚を奉告する賢所の儀は剣璽渡御の儀と同時に行われるべきでしょう。

200年前の光格天皇の譲位では、
「今日より三箇日、内侍所神饌供進」と記録されています。

登極令に基づく昭和の御代替わりでは、大正天皇崩御の1時間50分後に
賢所の儀と剣璽渡御の儀が同時に行われました。

登極令附式を準用した前回の場合は、昭和天皇崩御の1時間半後に賢所の儀、
さらに1時間半後に剣璽等承継の儀が行われました。

登極令附式を準用するなら、
朝見の儀は3日間の賢所の儀が済んでから行われるべきです。

昭和の御代替わりでは大正天皇崩御の4日後、前回は昭和天皇崩御の3日後、
いずれも賢所への奉告が終了の後、国民の代表にまみえる朝見の儀は行われました。

「神事を先にし」(禁秘抄)が皇室の伝統だからです。

政府は、憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統を尊重し、
さらに平成の前例を踏襲することを基本方針として掲げていますが、
今回はどうなるのでしょうか。


▽3 御親拝か御代拝か

問題点の3は、賢所の儀は御親拝か御代拝か、です。

昭和の御代替わりも、平成の御代替わりも、諒闇践祚でしたので、
践祚後の賢所の儀は御代拝でした。

しかし、今回は受禅践祚なので、服喪の縛りはありません。

とすれば、5月1日午前10時半からの剣璽等承継の儀の前に先立って、
新帝の御親拝があってしかるべきですが、宮内庁の資料では御代拝とされています。

今回、新例となる、4月30日に退位を奉告する賢所大前の儀は、
宮内庁の資料には御代拝とはされていませんが、
逆に、今上陛下みずから拝礼なさるのでしょうか。

御親拝がはるかにふさわしいとは思いますが、それならそれで今度は、
践祚後の新帝による賢所の儀の御代拝とバランスが取れなくなってしまいます。

退位の礼などという新例を開いたことがつくづく恨めしく思われます。


なぜこんなことが起きるのでしょう。

以前、「昭和天皇の忠臣」と呼ばれた宮内庁OBのインタビュー記事で
明らかにしたように、昭和40年代以降、宮内庁は藩屏どころか、
すっかりふつうの役所になり、皇室の歴史や祭祀の伝統を知る人は
姿を消してしまったのでしょう。

政界、官界、アカデミズム、ジャーナリズムの世界にも、
政府に意見できるような識者がいなくなってしまったということなのでしょう。

天皇=祭り主とする天皇観は事実上、崩壊してしまったのです。

尊皇意識に優るはずの保守派人士が、陛下のビデオ・メッセージのあと直ちに、
あるべき御代替わりを求めて、研究を深め、発信してこなかった不作為の責任が
いまさらながらに問われます。きびしく問われなければなりません。

   ( http://melma.com/backnumber_170937_6780468/ )

           <感謝合掌 平成31年1月22日 頓首再拝>

新元号、皇太子さまに事前報告へ - 伝統

2019/02/04 (Mon) 19:11:36

新元号、皇太子さまに事前報告へ=4月1日の公表先立ち-政府調整

      *Web:時事ドットコムニュース(2019年02月03日)より

政府が平成に代わる新たな元号について、
4月1日の公表直前に天皇陛下とともに、皇太子さまにも
報告する方向で調整していることが分かった。

新元号を定める政令は現在の陛下の署名を受けて公布、
皇太子さまが新天皇に即位する5月1日に施行(改元)されることから、
お二人にあらかじめ伝えることが望ましいと判断した。

安倍晋三首相の周辺が3日、明らかにした。

「明治」は11度目の正直=選から漏れた元号案、最多は40回

 
首相自らが報告することも検討されている。
新元号を最終案に絞り込んだタイミングで、速やかにお二人に報告する見通し。

天皇の政治関与を禁じた憲法4条に抵触する疑義を生まないよう、
具体的な段取りは内閣法制局の意見も踏まえて慎重に判断する。
 
1979年に成立した元号法は「元号は、政令で定める」と規定。
政府は、新元号制定の手順について、89年の平成改元時を踏襲する考えで、
複数の候補の中から4月1日に有識者や衆参両院議長の意見も踏まえて閣議決定する。

新元号は、新天皇がお亡くなりになった後の「贈り名」となる。
 
天皇や新天皇は新元号の選定過程に関わらない。
ただ、平成改元の際も、政府は宮内庁長官を通じ、
元号発表前に現在の天皇陛下に報告した。

    (https://www.jiji.com/jc/article?k=2019020300228&g=pol

           <感謝合掌 平成31年2月4日 頓首再拝>

新元号、官房長官が公表 首相談話で出典・意味解説 - 伝統

2019/02/09 (Sat) 19:03:36


      *Web:日本経済新聞(2019.02.09)より

政府は5月1日の皇太子さまの新天皇即位に伴い改める新元号を巡り、
4月1日に事前公表する際の手続きを固めた。

新元号は官房長官が記者会見で公表し、出典や意味を解説する首相談話を出す。
公表前に天皇陛下と皇太子さまに報告する。

新元号を国民に周知する政令の公布は公表日と同じ4月1日とし、
新天皇が即位する5月1日午前0時に施行、改元する。


政府は8日、改元に向けた元号選定手続き検討会議(議長・菅義偉官房長官)を初めて開いた。
1989年の平成改元の手続きを踏襲すると確認した。

菅氏は記者会見で「新たな元号が広く国民に受け入れられ、
日本人の生活に深く根ざしていくものとなるようにしていきたい」と語った。

元号選定手続きは政府が79年の元号法成立を受けて定めた要領に基づく。
(1)官房長官は内閣法制局長官の意見を聞き、数個の原案を選ぶ
(2)各界の有識者若干名による懇談会を開いて意見を聴取し、首相に報告する
(3)首相は原案を衆参両院の議長と副議長に連絡し、意見を聞く
(4)全閣僚で原案について協議する
(5)閣議で改元の政令を決める――という流れとなる。


政府は公表前に今の天皇陛下と皇太子さまに報告する。
新元号を定める政令は陛下の署名を経て公布される。

皇位継承に伴う改元であり、
政府関係者は「皇太子さまにも国民より先に説明しないといけない」と語る。

「平成」も政令決定の閣議を踏まえ、当時の小渕恵三官房長官が公表する前に
宮内庁長官を通じて今の天皇陛下に報告された。
あくまで事前の報告であり、相談したり意見を聞いたりしない。

選定手続きに関わっているとみなされれば天皇の国政関与を禁じる憲法に違反しかねないからだ。


新元号は今回も官房長官が4月1日の記者会見で公表し、首相談話で国民の理解を促す。

平成改元では当時の竹下登首相が
「国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味が込められており、
これからの新しい時代の元号とするに最もふさわしい」との談話を出した。

政令の公布は4月1日に決まった。
保守層からは「新天皇即位前に新元号を決めた前例がない」として
即位日の5月1日の公布を求める声があった。

それでは施行が翌2日になってしまい
「新天皇が即位しているのに5月1日が平成のままでは失礼だ」と判断した。

           <感謝合掌 平成31年2月9日 頓首再拝>

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