伝統板・第二

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天皇陛下の譲位 ② - 夕刻版

2018/09/26 (Wed) 16:58:48

     *伝統板・第二「天皇陛下の譲位」からの継続です。
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7667299




高御座が皇居に 代替わりに向け準備本格化

        *Web:日本経済新聞(2018/9/26)より


2019年10月22日の「即位礼正殿の儀」で
新天皇と新皇后が登壇する高御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)の部品が
26日午前、保管先の京都御所から皇居にトラックで移送された。

宮内庁は18年度中に漆の塗り直しなど修繕を終え、
19年9月ごろから組み立て作業に入る計画だ。

19年4月末の天皇陛下の退位を控え、宮内庁は6~9月、
高御座と御帳台を約3千のパーツに解体し梱包する作業を進めてきた。

京都御所では25日午前から、約30人の作業員らが4トントラック8台に
段ボール箱など約250個の荷物を慎重に積み込んだ。


高御座と御帳台は1990年の前回の即位礼正殿の儀で使われた際には、
憲法の政教分離原則に反するとの批判が強く、過激派からの攻撃を懸念して
自衛隊ヘリで移送された経緯がある。

今回は「警備情勢が変化し、妨害を受ける可能性が低下した」(宮内庁幹部)ため、
陸路で搬送された。

  (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35759500W8A920C1CC0000/?n_cid=NMAIL007

           <感謝合掌 平成30年9月26日 頓首再拝>

「皇位継承式典委員会」の設置 - 伝統

2018/10/12 (Fri) 18:58:07


          *読売新聞(2018/10/12)より

政府は12日午前の閣議で、天皇陛下の退位と皇太子さまの即位に伴う
儀式の詳細を検討する「式典委員会」(委員長・安倍首相)の設置を決定した。

委員会は続いて初会合を開き、
秋篠宮さまが皇位継承順位1位の皇嗣となったことを広く国民に示す
「立皇嗣(りっこうし)の礼」を2020年4月19日に行うことを決めた。

首相は、皇太子さまが即位する19年5月1日と、
新天皇が即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が行われる来年10月22日を
祝日とする考えを示した。

祝日はいずれも来年限りとする。
祝日法に基づき、祝日に挟まれる5月1日前後の4月30日と5月2日も休日となるため、
来年は4月27日から5月6日まで10連休となる見通し。

秋の臨時国会に関連法案を提出する。

   (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181012-00050045-yom-pol

           <感謝合掌 平成30年10月12日 頓首再拝>

「即位礼正殿の儀」まで1年 - 伝統

2018/10/21 (Sun) 18:28:58

「即位礼正殿の儀」まで1年=皇位継承時の中心儀式-天皇退位

         *時事ドットコムニュース(2018/10/20)より

皇太子さまが来年5月に新天皇となられた後、
皇位が継承されたことを国内外に公に示す「即位礼正殿の儀」が、
1年後の同年10月22日、皇居・宮殿「松の間」で行われる。

今月12日に内閣に設置された式典委員会が天皇陛下の退位に伴う儀式も含めて統括し、
宮内庁に設けられた大礼委員会が円滑な実施に向け審議を重ねる。

即位礼正殿の儀は「即位の礼」の中心儀式で、
明治天皇、大正天皇、昭和天皇のいずれの場合も京都御所の紫宸殿で行われた。

大正天皇以降は、旧皇室典範(1889年制定)に「
即位の礼および大嘗祭は京都においてこれを行う」と規定されていたためで、
場所の指定がなくなった今の皇室典範の下で初めて実施された現在の天皇陛下の時
(1990年11月)に、宮殿の正殿の中で最も格式が高い「松の間」に移された。

一方、正殿の儀で天皇陛下が即位したことを宣言する時に使う「高御座」は、
一貫して紫宸殿に保管されている。

今年9月25日夜から26日朝にかけ、新皇后が使う「御帳台」と共に解体されて
4トントラック計8台で紫宸殿から皇居内に運び込まれた。

来年10月の正殿の儀が終わると、過激派によるテロを警戒して
自衛隊のヘリコプターで移送した90年時と同様、紫宸殿に戻される。

正殿の儀は今後も皇居で行われる可能性が高く、
「(再移送は経費的にも)無駄ではないか」との声も聞かれる。

ただ、宮内庁幹部は「歴史を鑑みても、京都御所に存置しておくことが妥当」
「高御座は紫宸殿にあるものと決まっている」と述べるなど、
変更する予定はないとしている。

   (https://www.jiji.com/jc/article?k=2018102000382&g=ryl

           <感謝合掌 平成30年10月21日 頓首再拝>

「大嘗宮の儀」 - 伝統

2018/11/21 (Wed) 17:23:36

「大嘗宮の儀」に招待、700人 来年11月、平成より200人減

       *Web:共同通信(2018年11月20日)より

来年の天皇代替わりに伴って行われる儀式や祭祀の細部を詰める
宮内庁の「大礼委員会」は20日、第2回会合を開き、
来年11月14~15日に実施される代替わりの重要祭祀「大嘗祭」の
中心儀式である「大嘗宮の儀」に、前回より約200人少ない
700人程度を招待することを決めた。

大嘗宮の儀の後、皇居・宮殿で新天皇が参列者と酒食を共にする「大饗の儀」は、
同月16日と18日の2回となった。

天皇陛下が来年3~4月、三重県伊勢市の伊勢神宮や奈良県橿原市の神武天皇陵、
東京都八王子市の昭和天皇陵に参拝、退位することを自ら報告することも決まった。

http://news.livedoor.com/article/detail/15623848/

           <感謝合掌 平成30年11月21日 頓首再拝>

平成最後の新嘗祭に思う祭祀の「宗教性」 - 伝統

2018/11/26 (Mon) 18:48:50


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年11月25日)より

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粟が捧げられる意味を考えてほしい
──平成最後の新嘗祭に思う祭祀の「宗教性」

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陛下はおととい、最後の新嘗祭を親祭になられた。
感慨もひとしおだったに違いないと拝察される。
それは「最後」だからではない。

「簡略」新嘗祭だったからだ。

報道によると、陛下は夕(よい)の儀の後半にお出ましになり、
暁の儀にはお出ましにはならなかった。
「健康上のリスク」への配慮とされる。

日本書紀の仏教公伝のくだりや養老律令の神祇令、
あるいは順徳天皇の「禁秘抄」に書かれてあるように、
祭祀は天皇第一のお務めであり、
歴代天皇はそのように信じて祭祀をみずからお務めになった。

とりわけ新嘗祭は皇室第一の重儀とされたのだった。

明治の改革で、天皇の祭祀は近代法的に整備された。
敗戦後、掌典職は天皇の私的機関となり、昭和22年5月の日本国憲法施行に際して、
皇室祭祀令はほかの皇室令とともに廃止されたが、
宮内府長官官房文書課長の依命通牒により、祭祀令附式に定められる祭式は存続してきた。
占領下も、社会党政権下でさえも、である。

祭祀は天皇の聖域である。


▽1 側近によって曲げられた皇室の伝統

天皇の祭祀が不当かつ無法な簡略化に甘んじることとなったのは、
昭和40年代、入江相政侍従長の時代である。

万年ヒラの侍従だった入江が、瞬く間に侍従次長から侍従長に駆け上がり、
真っ先に取り組んだのが祭祀の「簡素化」(入江日記)である。

香淳皇后や女官が抵抗したことが入江自身の日記に記録されているが、
入江は皇室の伝統に忠実な女官を「魔女」呼ばわりし、追放している。

このころ祭祀簡略化の名目は昭和天皇の高齢化だったが、
半月にもおよぶ外遊をなさる天皇が高齢とはいえまい。

真因は入江の祭祀嫌いと入江自身の加齢ではなかったか。

 
祭祀の簡略化と改変は、無神論者を自称する富田朝彦の登場で促進された。
次長時代の昭和50年8月15日の長官室会議で、
平安時代以来の石灰壇御拝の歴史を引き継ぐ毎朝御代拝の祭式が変更された。

依命通牒の解釈運用が側近によって、密室で、天皇・皇族への相談もなく、
にわかに一方的に変更されたのである。

同年9月1日以後、当直の侍従は装束ではなくてモーニングで、
宮中三殿外陣ではなくて前庭の隅から、拝礼することとなったことが、
『昭和天皇実録』にも説明されている。
憲法の政教分離原則への配慮であったという。

 
やがて昭和天皇の高齢化によって、文字通り祭祀は簡略化されていった。
卜部日記には、それでも親祭にこだわる昭和天皇の痛々しいまでのお姿が記録されている。

皇室祭祀令の附式には、幼帝の場合の対応が注意書きされているが、
天皇の高齢化は想定されていない。

祭祀簡略化の経緯を間近で御覧になっていたのが今上天皇である。
30年前、皇位を継承されたのち、今上陛下は皇后陛下とともに、
祭祀の正常化に取り組まれたらしい。

即位以来、陛下は、
皇室の伝統と憲法の理念の両方を追求されると繰り返し述べられている。


平成の祭祀簡略化はご公務ご負担軽減策として始まった。
渡邉侍従長らが昭和の先例を引き合いに陛下に打診したが、
陛下はなかなか同意なさらなかった。

ようやく在位20年を過ぎて、軽減策は実行に移されたが、
いわゆるご公務の件数は減らず、祭祀のお出ましだけが半減した。

そして新嘗祭が、昭和の先例に従い、簡略化された。
陛下はさぞご無念だったことだろう。
祭祀大権という言葉があるが、もはや実権は陛下の手中にはない。

 
今回の譲位は陛下ご自身の御意思によって始まった。
高齢となった場合の象徴天皇の務めについてのご懸念が背景にあるように
説明されているが、祭祀のお務めへのご懸念だったのではないかと私は考えている。

ビデオ・メッセージには「祈り」と説明されている。
憲法への配慮から「祭祀」とは表現できなかったのであろう。

悠久なる皇室の伝統より、最高法規とされる憲法が、明らかに優先されている。
陛下は象徴天皇とは何か、ご公務とは何かを考えてほしいと、
主権者とされる国民に、ビデオで訴えられたが、私たちは十分に応えているだろうか。


▽2 失われてしまった粟の文化

天皇の祭りは、国民統合の祭りである。
天皇の祭祀は宗教ではない。
少なくとも、憲法が禁じる国による宗教的活動ではない。

したがって国民の信教の自由を侵すはずはない。
カトリック信徒が祭祀に携わっているとも聞くが、その何よりの証明ではないか。

 
神嘉殿の宮中新嘗祭、大嘗祭の大嘗宮の儀では、
米と粟の新穀が神前に手ずから供され、御告文ののち天皇は直会なさる。

今上天皇の即位大嘗祭に携わった鎌田純一は『平成大礼要話』に、
悠紀殿・主基殿の儀の「米と粟」を正確に記録している。

一方、政府は30年前も、そして今回も、大嘗祭は「稲の祭り」だと解釈している。
メディアも同様である。粟はどこへ消えたのだろうか。

宮中三殿の祭祀は稲の祭りであるが、神嘉殿の新嘗祭は米と粟である。
皇室第一の重儀は稲の祭りではない。稲だけではない。

 
よく聞くように、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅に基づき、
稲作の神に五穀豊穣を祈るなら、稲の新穀で十分であろう。

粟を捧げる必要はない。
稲とともに、粟が捧げられるのは、粟の神、粟の信仰、粟の民の存在が、
前提とされていると考えざるを得ない。

柳田国男が書き残しているように、日本列島は必ずしも米作適地ではないし、
日本民族は稲作民族ではない。柳田は稲作願望民族と表現している。

水田稲作農耕民が神前に稲を捧げるように、畑作民は粟を捧げて祈る。
文化人類学の知見によれば、台湾の先住民は粟をとりわけ神聖視し、
粟の祭祀を行ったらしい。

 
常陸国風土記には粟の新嘗のことが書かれてある。
縄文人の直接の子孫といわれるアイヌは稗と粟を食し、酒には稗を用いるという。

大正のころの日本人は稗や粟の酒をふつうに飲んでいたと聞くが、
いつの間にか失われてしまっている。

およそ天皇、即位したまわんときは、すべて天神地祇祭れ、と神祇令にある。そ
れぞれの神祭りにはそれぞれの作法がある。
民が信じるすべて神々に祈り、国と民を統合するには、
天皇の祭りは複合祭祀にならざるを得ない。


▽3 御代替わりの祭祀について政府は検討していない

来年は大嘗祭が行われる。

わが国では、御代替わりごとに、大規模な国民統合の多神教的、
多宗教的な国家的儀礼を行うことが古来、続いてきた。
それは価値のないことだろうか。

宗教的な対立が世界的に繰り広げられている今日、意味がないことだろうか。

アメリカでは9・11同時テロの直後、「全国民の教会」といわれる
ワシントン・ナショナル・カテドラルで、各宗教の代表者も参加する
多宗教的な追悼式が行われた。

多宗教化は現代の潮流といえるが、
皇室の伝統ははるかなる時代の先駆けではないのか。

 
なぜ天皇は神々に粟を捧げ、神人共食されるのか、学問的な深まりが求められている。
祭祀学、神道学、文化人類学など、米と粟の祭祀についての研究を、
残念ながら私は読んだことがない。学問研究が時代のニーズに追いついていない。

御代替わりは本来、全体として国事のはずだが、
今回も大嘗祭は、その宗教性を理由に、皇室行事とされる。

御代替わりの儀礼はかつては登極令附式に定められていたが、
賢所の儀など関連する践祚の式について、今回、政府が検討した形跡はない。
宗教性ゆえにである。

 
陛下はどのような思いで、最後の新嘗祭に臨まれたのだろうか。
何を思われ、来年の御代替わりをお迎えになるのであろうか。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6761021/ )

           <感謝合掌 平成30年11月26日 頓首再拝>

現代にふさわしい大嘗祭のあり方とは? - 伝統

2018/12/03 (Mon) 18:57:49


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(2018年12月02日 )より

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現代にふさわしい大嘗祭のあり方とは?
──秋篠宮文仁親王殿下の「大嘗祭」発言に思う

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秋篠宮文仁親王殿下がお誕生日会見で、大嘗祭のあり方について、
率直に疑義を示されたというので話題になっている。

殿下は、大嘗祭は「ある意味の宗教色が強いもの」で、
したがって「国費で賄うことが適当かどうか」と仰せになった。

「宗教行事と憲法との関係はどうなのか」「やはり内廷会計で行うべきだ」
「身の丈に合った儀式にすれば」というのが「私の考え」とのことである。

関連質問に対してのお答えだが、
殿下は以前からこのお考えを披瀝してこられたものらしい。

ポイントは、大嘗祭の性格と政教分離原則との関係、
大嘗祭の本来的あり方、皇族の意見と政治との関係、の3点かと思う。


▽1 大嘗祭は宗教的儀礼なのか

まず指摘しなければならないのは、たいへん失礼ながら、
殿下はどこまで祭祀をご存じなのかということである。

たとえば、皇室第一の重儀とされる新嘗祭は、
天皇陛下が神嘉殿の内陣でご親祭になるあいだ、皇太子殿下は隔殿で控えられる。
けれども、ほかの男子皇族方は殿外でご参列されるのみである。

秘儀とされる祭式は、天皇から皇太子へ一子相伝で伝えられるという。

皇族方は大祭ならご参列だが、小祭ならご参列もない。
もしや新嘗祭、そして大嘗祭の祭儀について、詳細をご存じないのではあるまいか。

 
宮中祭祀の宗教性は外見的に見れば、誰でも感じるところであり、
だとすれば、憲法の政教分離原則からすれば、とくに厳格主義に立つならば、
殿下の仰せの通り、公金の支出には疑問を抱かざるを得ないかも知れない。

けれども、とくに新嘗祭、大嘗祭は、そのルーツは遠く古代の宗教儀礼だとしても、
むしろ国家儀礼としての意義を理解し、価値を積極的に見出すべきではなかろうか。

政府は前回も、今回も、大嘗祭を「稲の祭り」と理解している。
稲作の儀礼なら宗教行事といえる。
だが、実際は「米と粟の祭り」である。

稲作民の米と畑作民の粟による国民統合の儀礼と考えられる。
けっして特定の宗教儀礼ではない。

天皇の祭祀は特定の宗教ではないし、国民に信仰を強制する性格のものでもない。
教義もないし、布教の概念もない。
したがって国民の信教の自由を侵すわけではない。

政教分離原則に反することはない。
長く伝えられてきた貴重な文化財でもある。
だとすれば、公金の支出は率先して認められるべきではないか。

政教分離原則を厳格に考えることも理解できないわけではないが、
どうしても原則をきびしく貫くのなら、ミッション系スクールへの
助成金は違憲だろうし、長崎県が県をあげて推進した教会群の
世界遺産登録運動は振り出しに戻さなければならない。

代替わりは国事そのものである。
内廷のみで行われる国事などあり得ないと思う。


▽2 大嘗宮を宮殿の庭に建てられないか

とはいえ、明治以後、巨大化した大嘗宮の規模などを考えると、
殿下が仰せのように「身の丈にあった」「本来の姿」を再検討すべきではなかろうか。

京都に都があったころ、哲学者の上山春平先生が指摘したように
、大嘗宮は紫宸殿南庭に、大嘗宮の儀の7日前に着工され、祭りのあと、焼却された。

明治末に登極令が定まり、そのあと行われた大正の大嘗祭では、
大嘗宮の規模がかつてないほどに壮大になった。
当然、大嘗宮は紫宸殿前庭では納まらず、仙洞御所の北側を拓き、設営された。

江戸時代、115代桜町天皇の大嘗宮は東西16間、南北10間の
柴垣をめぐらして設けられたというが、

大正の大嘗宮は東西60間、南北60間を板垣で囲い、建てられた。

岩井利夫・もと毎日新聞記者が『大嘗祭の今日的意義』で指摘しているように、
近代の国家主義華やかなりしころの産物といえる。

昭和の大嘗宮も平成の大嘗宮も、この大正の大嘗宮を前例として踏襲している。
そして今回もである。

当然、殿下が仰せの通り、「相当な費用がかかる」。
工事も1週間で済むはずはない。

いまどき世界に国威を誇示する必要はない。
殿下が仰せのように、神嘉殿で、とはいわないが、
宮殿の中庭もしくは前庭に大嘗宮を建てることは無理だろうか。

聞くところによると、昭和宮殿は即位儀礼が宮殿で行われることを想定して、
庭を広く設計された。

しかし今回についていえば、すでに時期を逸している。
陛下が「譲位」を仰せ出されたときに、御代替わりのあり方について、
議論を始められなかったことが返す返すも悔やまれる。

それと関連して、殿下のような皇族のご発言で、
基本的な議論をしなければならないのはじつに不幸である。

皇室は権力政治とは一線を画されるべき存在だからである。
役所の都合に合わせて皇室を利用しておきながら、
「聞く耳を持たない」官僚たちはきびしく批判されるべきではないか。

今回のことはその結果である。

次の御代替わりは陛下の御意思によって始まった。
陛下はビデオ・メッセージで象徴天皇制度のあり方を問いかけられたが、
主権者たる国民が十分に応えているとはいえまい。

2000年の歴史を踏まえて、現代にふさわしい御代替わりのあり方を、
私たちは真剣に追い求めるべきだろう。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6764419/ )

           <感謝合掌 平成30年12月3日 頓首再拝>

皇位継承儀式、ぎりぎりの調整 - 伝統

2019/01/08 (Tue) 20:16:13

皇位継承儀式、ぎりぎりの調整 「我々はプロ」 (ルポ迫真)

        *Web:日本経済新聞(2019/1/8)より

「宮内庁長官は聞く耳を持たなかった」。2018年11月、
恒例の誕生日会見に臨んだ秋篠宮さま(53)は
山本信一郎長官(68)を名指しで批判された


宗教色の強い大嘗祭(だいじょうさい)への公費支出に対する疑義、
そして前例踏襲で巨費を投じることに対する不信感が皇族から示されたのだ。

山本長官には心外だったかもしれない。

天皇陛下から「即位関係の諸儀式については、東宮とよく相談して進めてほしい」
と指示を受けて、皇太子さまの了解を得ながら政府との協議を重ねてきた。

できるだけ簡素に国民の負担を小さく――。これが陛下の一貫した意向である。

19年10月、国内外の賓客を集めて執り行われる
即位礼正殿の儀と祝宴「饗宴の儀」の規模を巡る議論。

連日連夜の行事が続き両陛下をして「過酷な日程だった」と言わしめた
前回の反省を踏まえ、山本長官は規模拡大の可能性を探る官邸側に粘り強く理解を求め、
招待者数や祝宴の回数を抑える結論に導いた。


祝宴に立食形式を取り入れたのも山本長官の発案。
庁内事務を担う西村泰彦次長(63)は「儀式の日程の間隔も空いた。
ご負担軽減という意味では良かった」と同調する。

しかし庁内には皇室の格式という観点から「立食」に対する異論が残る。
政府、皇族、足元の役所内。
ぎりぎりのバランスを取りながら皇位継承の準備を仕切る難しい立場。

山本長官は機会があるたび職員に檄(げき)を飛ばす。
「我々はプロだ。全庁一丸で進んでいこう」

諸行事、儀式の大枠を固めつつ、調度や衣装など細部の準備は
陛下の退位を実現する特例法成立直後から進められてきた。

大嘗祭で使う米はカメの甲羅を熱して出来る割れ目で収穫する田を占う。
「アオウミガメの甲羅を探しています」。
皇居から南に約1千キロ、小笠原村役場の安藤武史さん(41)に
宮内庁用度課から電話が入ったのは17年12月。小

笠原諸島では特別に捕獲が認められており安藤さんは漁協を通じて8枚の甲羅を調達した。
だが、担当者は謝意とともに「儀式で使えるように薄く加工できる職人が見つからない」
と悩みを打ち明けたという。

皇室の祭祀(さいし)をつかさどる楠本祐一掌典長(71)は
平成の代替わりを知る宮内庁の長老。

「難題はこれからも出てくる。でも、できることをやればいい。
大事なことは国民が納得して、新しい象徴の誕生を祝えるかどうか。
今は生みの苦しみの時期だ」と話した。

  ( https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39710870X00C19A1SHA000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 平成31年1月8日 頓首再拝>

新天皇祝賀パレード、車両は「センチュリー」 - 伝統

2019/01/17 (Thu) 20:15:31


       *Web:日本経済新聞(2019/1/17)より

政府は17日の一連の皇位継承の儀式に関する式典委員会で、
新天皇と皇后が皇居周辺をパレードする「祝賀御列の儀」で用いる
オープンカーとしてトヨタ自動車の「センチュリー」を採用すると決めた。

安全や環境面での性能に加え、保守サービスを継続できる体制の整備などの要件を
もとに国内外5社の提案から選んだ。


パレードは即位を国内外に宣明する「即位礼正殿の儀」と同じ日の10月22日に実施する。

翌23日には外国首脳らを招いた首相夫妻主催の晩さん会を開催する。
会場は東京・紀尾井町のホテルニューオータニに決定。
約900人の参列者が入れる宴会場を備え、各国の要人をもてなす
レベルの高い接客ができることなどを踏まえた。


17日の式典委員会では、2月24日に東京・隼町の国立劇場で開く
政府主催の天皇陛下在位30年記念式典の詳細も決めた。

福島県の内堀雅雄知事と川口順子元外相が国民代表の辞を述べる。
歌手の三浦大知さんと鮫島有美子さんの2人が記念演奏をする。

    (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40103010X10C19A1EA2000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 平成31年1月17日 頓首再拝>

賢所の儀は何時に行われるのか? - 伝統

2019/01/22 (Tue) 18:52:45


     *Web:「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成31年1月20日)より

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賢所の儀は何時に行われるのか?
──いつまでも決まらない最重要儀礼
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先週17日に官邸で式典委員会が開かれ、
翌18日には宮内庁で大礼委員会が開かれました。
政府は御代替わり関連の諸儀式の次第などを決めました。

これによると、退位礼正殿の儀は4月30日の夕刻午後5時に開始され、
践祚後の剣璽等承継の儀は翌5月1日の午前10時30分から、
即位後朝見の儀は同11時10分から執り行われることに決まりました。


▽1 悪しき前例となる「退位の礼」

退位礼正殿の儀は、以下のように行われます。

天皇陛下が午後5時、皇后陛下を伴われ、正殿松の間にお出ましになります。
このとき、侍従が剣璽等を捧持し、皇太子殿下ほか成年皇族方が供奉されます。
侍従が剣璽等を案上に奉安します。

モーニングコート、紋付羽織袴などで正装した三権の代表者、地方公共団体の代表などが、
ロングドレスや白襟紋付などで正装した配偶者とともに参列するなかで、
総理大臣が国民代表の辞を述べ、
陛下がお言葉を述べられます。

このあと皇后陛下を伴われて退出され、
このとき侍従が剣璽等を捧持し、皇太子殿下ほか成年皇族が供奉します。

 
以上の次第が決まった退位の礼ですが、
もともと退位の礼などというものは歴史的にあり得ません。

政府が、皇室の伝統にない、前代未聞の退位の礼なるものを、
即位の礼があるなら退位の礼あるべしとして創作し、その結果、
譲位(退位)と践祚(即位)を分離してしまったのは痛恨のミスといえます。

 
たとえば御代替わり儀礼についてもっとも詳しいとされる貞観儀式は
「譲国儀」を定めていますが、譲位の儀式がすなわち践祚(皇位継承)の儀式なのです。

なぜ譲位と践祚を一体の儀式として行おうとしないのか。

以前書いたように、政府・宮内庁は「譲国儀」の古典解釈を誤り、
歴史に禍根を残す、悪しき前例を作ってしまいました。

問題点の1つは、皇位とともにあるべき剣璽の所在です。
5月1日午前0時の践祚の前後に剣璽はどこにあるのでしょうか。


▽2 退位の礼後、剣璽はどこへ?

前日午後5時に退位礼正殿の儀が設定されたのは、
退位の時限である午後12時になるべく近い時間という理由でしょうが、
天皇とともに動座される剣璽は、儀式の後、翌日の剣璽等承継の儀が開始される時刻まで、
どこへ遷るのでしょうか。

陛下とともに御所に戻るのか、それとも東宮に遷るのか、
それともいったん賢所に遷るのか。

いずれにしても、剣璽は皇位とともにあるという皇室の伝統にそぐわない状況が
約17時間、発生することになりませんか。

 
問題点の2は、祭祀上、もっとも重要な、
神鏡が祀られる賢所の儀は、何時に行われるのでしょうか。

 
退位礼の当日に退位礼を行うことについて大前に奉告する賢所大前の儀、
践祚当日から3日間にわたって、新帝が皇位の継承を奉告する賢所の儀のいずれも、
政府・宮内庁の資料にはいまだ言及がありません。

政教分離の厳格主義に固執する政府は、賢所の儀ほか祭祀に関して、検討すらしていません。

今回の御代替わりは、陛下が参与会議で「私は譲位すべきだと思っている」
と御意思を示されたことから始まったとされます。

以後、退位の認否に議論は集中し、そのため践祚のあるべきかたちについての議論は
二の次になり、政府の非宗教的姿勢と相俟って、真っ先に検討されるべき祭祀に
関する検討は逆に後回しになっています。

 
本来なら、践祚を奉告する賢所の儀は剣璽渡御の儀と同時に行われるべきでしょう。

200年前の光格天皇の譲位では、
「今日より三箇日、内侍所神饌供進」と記録されています。

登極令に基づく昭和の御代替わりでは、大正天皇崩御の1時間50分後に
賢所の儀と剣璽渡御の儀が同時に行われました。

登極令附式を準用した前回の場合は、昭和天皇崩御の1時間半後に賢所の儀、
さらに1時間半後に剣璽等承継の儀が行われました。

登極令附式を準用するなら、
朝見の儀は3日間の賢所の儀が済んでから行われるべきです。

昭和の御代替わりでは大正天皇崩御の4日後、前回は昭和天皇崩御の3日後、
いずれも賢所への奉告が終了の後、国民の代表にまみえる朝見の儀は行われました。

「神事を先にし」(禁秘抄)が皇室の伝統だからです。

政府は、憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統を尊重し、
さらに平成の前例を踏襲することを基本方針として掲げていますが、
今回はどうなるのでしょうか。


▽3 御親拝か御代拝か

問題点の3は、賢所の儀は御親拝か御代拝か、です。

昭和の御代替わりも、平成の御代替わりも、諒闇践祚でしたので、
践祚後の賢所の儀は御代拝でした。

しかし、今回は受禅践祚なので、服喪の縛りはありません。

とすれば、5月1日午前10時半からの剣璽等承継の儀の前に先立って、
新帝の御親拝があってしかるべきですが、宮内庁の資料では御代拝とされています。

今回、新例となる、4月30日に退位を奉告する賢所大前の儀は、
宮内庁の資料には御代拝とはされていませんが、
逆に、今上陛下みずから拝礼なさるのでしょうか。

御親拝がはるかにふさわしいとは思いますが、それならそれで今度は、
践祚後の新帝による賢所の儀の御代拝とバランスが取れなくなってしまいます。

退位の礼などという新例を開いたことがつくづく恨めしく思われます。


なぜこんなことが起きるのでしょう。

以前、「昭和天皇の忠臣」と呼ばれた宮内庁OBのインタビュー記事で
明らかにしたように、昭和40年代以降、宮内庁は藩屏どころか、
すっかりふつうの役所になり、皇室の歴史や祭祀の伝統を知る人は
姿を消してしまったのでしょう。

政界、官界、アカデミズム、ジャーナリズムの世界にも、
政府に意見できるような識者がいなくなってしまったということなのでしょう。

天皇=祭り主とする天皇観は事実上、崩壊してしまったのです。

尊皇意識に優るはずの保守派人士が、陛下のビデオ・メッセージのあと直ちに、
あるべき御代替わりを求めて、研究を深め、発信してこなかった不作為の責任が
いまさらながらに問われます。きびしく問われなければなりません。

   ( http://melma.com/backnumber_170937_6780468/ )

           <感謝合掌 平成31年1月22日 頓首再拝>

新元号、皇太子さまに事前報告へ - 伝統

2019/02/04 (Mon) 19:11:36

新元号、皇太子さまに事前報告へ=4月1日の公表先立ち-政府調整

      *Web:時事ドットコムニュース(2019年02月03日)より

政府が平成に代わる新たな元号について、
4月1日の公表直前に天皇陛下とともに、皇太子さまにも
報告する方向で調整していることが分かった。

新元号を定める政令は現在の陛下の署名を受けて公布、
皇太子さまが新天皇に即位する5月1日に施行(改元)されることから、
お二人にあらかじめ伝えることが望ましいと判断した。

安倍晋三首相の周辺が3日、明らかにした。

「明治」は11度目の正直=選から漏れた元号案、最多は40回

 
首相自らが報告することも検討されている。
新元号を最終案に絞り込んだタイミングで、速やかにお二人に報告する見通し。

天皇の政治関与を禁じた憲法4条に抵触する疑義を生まないよう、
具体的な段取りは内閣法制局の意見も踏まえて慎重に判断する。
 
1979年に成立した元号法は「元号は、政令で定める」と規定。
政府は、新元号制定の手順について、89年の平成改元時を踏襲する考えで、
複数の候補の中から4月1日に有識者や衆参両院議長の意見も踏まえて閣議決定する。

新元号は、新天皇がお亡くなりになった後の「贈り名」となる。
 
天皇や新天皇は新元号の選定過程に関わらない。
ただ、平成改元の際も、政府は宮内庁長官を通じ、
元号発表前に現在の天皇陛下に報告した。

    (https://www.jiji.com/jc/article?k=2019020300228&g=pol

           <感謝合掌 平成31年2月4日 頓首再拝>

新元号、官房長官が公表 首相談話で出典・意味解説 - 伝統

2019/02/09 (Sat) 19:03:36


      *Web:日本経済新聞(2019.02.09)より

政府は5月1日の皇太子さまの新天皇即位に伴い改める新元号を巡り、
4月1日に事前公表する際の手続きを固めた。

新元号は官房長官が記者会見で公表し、出典や意味を解説する首相談話を出す。
公表前に天皇陛下と皇太子さまに報告する。

新元号を国民に周知する政令の公布は公表日と同じ4月1日とし、
新天皇が即位する5月1日午前0時に施行、改元する。


政府は8日、改元に向けた元号選定手続き検討会議(議長・菅義偉官房長官)を初めて開いた。
1989年の平成改元の手続きを踏襲すると確認した。

菅氏は記者会見で「新たな元号が広く国民に受け入れられ、
日本人の生活に深く根ざしていくものとなるようにしていきたい」と語った。

元号選定手続きは政府が79年の元号法成立を受けて定めた要領に基づく。
(1)官房長官は内閣法制局長官の意見を聞き、数個の原案を選ぶ
(2)各界の有識者若干名による懇談会を開いて意見を聴取し、首相に報告する
(3)首相は原案を衆参両院の議長と副議長に連絡し、意見を聞く
(4)全閣僚で原案について協議する
(5)閣議で改元の政令を決める――という流れとなる。


政府は公表前に今の天皇陛下と皇太子さまに報告する。
新元号を定める政令は陛下の署名を経て公布される。

皇位継承に伴う改元であり、
政府関係者は「皇太子さまにも国民より先に説明しないといけない」と語る。

「平成」も政令決定の閣議を踏まえ、当時の小渕恵三官房長官が公表する前に
宮内庁長官を通じて今の天皇陛下に報告された。
あくまで事前の報告であり、相談したり意見を聞いたりしない。

選定手続きに関わっているとみなされれば天皇の国政関与を禁じる憲法に違反しかねないからだ。


新元号は今回も官房長官が4月1日の記者会見で公表し、首相談話で国民の理解を促す。

平成改元では当時の竹下登首相が
「国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味が込められており、
これからの新しい時代の元号とするに最もふさわしい」との談話を出した。

政令の公布は4月1日に決まった。
保守層からは「新天皇即位前に新元号を決めた前例がない」として
即位日の5月1日の公布を求める声があった。

それでは施行が翌2日になってしまい
「新天皇が即位しているのに5月1日が平成のままでは失礼だ」と判断した。

           <感謝合掌 平成31年2月9日 頓首再拝>

新天皇ご即位祝う一般参賀、5月4日に - 伝統

2019/03/04 (Mon) 19:06:46


       *Web:産経デジタル(2019.3.4)より

宮内庁の西村泰彦次長は4日の定例会見で、
皇太子さまのご即位を祝う一般参賀について、
5月4日に皇居・宮殿で行うと発表した。

4月30日に譲位する天皇陛下と皇后さまは、この一般参賀には参加されないという。

宮内庁は今後、お出ましの皇族方や回数の検討を進める。

一般参賀は、皇太子さまが新天皇として公式行事で
一般国民の前にお出ましになる初めての機会となる見通し。

新天皇として参賀者にお言葉も述べられる。

皇太子さまは陛下の譲位に伴い、5月1日に即位される。
宮内庁は当初、平成の代替わりの際と同様、新天皇が即位を内外に宣明する
儀式「即位礼正(せい)殿(でん)の儀」(10月22日)の後の
10月26日に一般参賀を行うことを検討していた。

しかし、政府関係者などから宮内庁に対し、
ご即位後のなるべく早い時期に国民が祝う機会を設けた方がよいとの意見が寄せられたという。

このため宮内庁が再検討した結果、
10連休中で多くの国民が足を運びやすいことも踏まえ、前倒しして行うこととした。

     ( https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/190304/lif19030412360009-n1.html )

           <感謝合掌 平成31年3月4日 頓首再拝>

陛下、宮中三殿で譲位ご奉告 一連の儀式始まる - 伝統

2019/03/12 (Tue) 18:40:52


     *Web:産経新聞(2019.0312)より

天皇陛下が4月末の譲位を歴代天皇や神々に告げられる「退位及びその期日奉告の儀」が
12日、皇居の宮中三殿で行われた。

一連の譲位関連儀式の始まりとなるもので、
皇太子さまをはじめとする皇族方が陪席されたほか、
宮内庁職員ら約30人が参列した。

陛下は午前10時、参列者が見守る中、天皇のみが着ることが許される
祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包み、
三殿中央の賢所(かしこどころ)に進まれた。

陛下は拝礼の後、譲位することとともに、譲位が4月30日となる趣旨の
「御告文(おつげぶみ)」を日本古来の大和言葉(やまとことば)で読み上げられた。

 
次いで陛下は皇霊殿、神殿にも同じ趣旨をご奉告。
この後、皇太子さまをはじめ皇族方も拝礼される。

皇后さまは持病の頸椎(けいつい)症性神経根症により、
髪形や装束が首に負担となるため、皇居・御所で慎み深く過ごされた。

長期療養中の皇太子妃雅子さまも出席を見送られた。

 
12日午後には皇居・御所で、陛下が伊勢神宮などに日程を告げる使いを差し向けられる
「勅使発遣(ちょくしはっけん)の儀」が行われる。

(「勅使発遣(ちょくしはっけん)の儀」は、平成初めの即位儀式は皇居・宮殿で行われ、
 陛下が装束を着用したが、今回はお住まいの御所で行われ、陛下はモーニングを着用する。) 


一連の儀式で、両陛下は今後、
26日に神武天皇陵(奈良県橿原市)、
4月18日に伊勢神宮(三重県伊勢市)、
同月23日に昭和天皇陵(東京都八王子市)を、それぞれご参拝。

譲位当日は午後5時から、宮殿「松の間」で「退位礼正殿の儀」が国事行為として行われ、
陛下が最後のお言葉を述べられる。

(平成初めの即位儀式と変わった点もある。
 陛下は即位後の1990年11月、伊勢神宮を訪れた際、
 天皇専用の装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を着用し、馬車に乗った。

 しかし、退位前の4月18日に伊勢神宮を訪れる際にはモーニングを着用し、
 馬車ではなく自動車を使う。)


     ( https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190312-00000516-san-soci )

( https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190312-00000035-jnn-soci

           <感謝合掌 平成31年3月12日 頓首再拝>

両陛下、神武天皇陵を参拝=退位を報告-奈良 - 伝統

2019/03/26 (Tue) 18:52:07


           *時事ドットコムニュース(2019年03月26日)より

天皇、皇后両陛下は26日、奈良県橿原市の神武天皇陵を参拝し、
4月30日に天皇陛下が退位することを報告された。

参拝は、「親謁の儀」と呼ばれる退位に関する儀式の一つ。

両陛下の同陵への参拝は2016年以来で、即位後4回目。

モーニングを着て、シルクハットを手にした天皇陛下は、
砂利が敷き詰められた参道をゆっくりと進み、玉串をささげて深く拝礼。
陛下に続き、グレーの参拝服姿の皇后さまも拝礼した。
 
退位関連の儀式は、3月12日に天皇陛下が皇居内の宮中三殿に
退位やその期日を報告する「奉告の儀」でスタートし、
同月15日には陛下の使者が伊勢神宮(三重県伊勢市)と
神武天皇陵、昭和天皇はじめ前四代の天皇陵に報告し、
供え物をささげる「奉幣の儀」が行われた。

両陛下は今後、4月18日に伊勢神宮、
同月23日に昭和天皇の武蔵野陵(東京都八王子市)にも参拝し、
退位することを報告する。

    (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190326-00000031-jijp-soci.view-000 )

           <感謝合掌 平成31年3月26日 頓首再拝>

複数の元号案を29日提示 皇太子さまに安倍首相 - 伝統

2019/03/27 (Wed) 20:21:44


         *Web: 産経デジタル(2019/03/27)より

安倍晋三首相が4月1日の新元号の公表を前に、
今月29日に皇太子さまに面会することが26日、分かった。

複数の新元号案について説明するとみられる。
皇太子さまとの面会は2月以来で、短期間での面会は極めて異例となる。
複数の政府関係者が明らかにした。

政府は5月1日の改元による国民生活の混乱を最小限にするため、
4月1日に新元号を決定し、公表する。

ただ、天皇一代で元号一つを定める「一世一元」制を重視する保守層は、
5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される前の新元号の公表を懸念しており、
首相はこうした声に配慮した。

首相は皇太子さまとの面会で、
最終的に3案程度に絞り込まれた原案について伝達するものとみられる。

憲法4条は「天皇は国政に関する権能を有しない」として
天皇の政治関与を禁じているため、首相は原案を示すだけにとどめ、
皇太子さまのご意見は求めない。

政府の責任で新元号を選定することを重視し、
皇太子さまに事前に伝えたかどうかも明らかにしない意向だ。

首相は2月22日に東京・元赤坂の東宮御所を訪れ、
皇太子さまと約30分間面会し、国内外の情勢について報告した。

その際、天皇陛下の譲位から皇太子さまの新天皇ご即位までの流れや、
新元号の選定作業についても説明したもようだ。

元号の選定手続きをめぐっては、菅義偉(すが・よしひで)官房長官が
3月14日に複数の専門家に考案を正式に委嘱したことを記者団に明らかにした。

すでに国文学、漢文学、日本史学、東洋史学の学識を有する専門家から
それぞれ複数の案を提示されており、今週中に正副官房長官や
内閣法制局長官らで構成する「元号選定手続検討会議」を開いて準備を加速させる。

   ( https://www.sankei.com/life/news/190327/lif1903270003-n1.html )

           <感謝合掌 平成31年3月27日 頓首再拝>

イチから分かる元号 最長は? 最多漢字は? - 伝統

2019/03/30 (Sat) 19:33:49


      *Web:日本経済新聞(2019/3/30)より

(1)日本最初の元号は「大化」。

(2)247の元号、改元ペースは平均5年半に1度

(3)歴代の元号の中で最も長く使われたのが「昭和」の62年。
   次に「明治」(43年9カ月)、室町時代の「応永」(33年10カ月)と続き、
   4番目に「平成」(30年3カ月)がランクインする。

   一方、最も短いのが「暦仁(りゃくじん)」の2カ月と14日。

(4)出典はすべて漢籍、使われた漢字は72文字。

   大部分は唐以前の古典で、最多は「書経」の36回だ。
   次いで「易経」27回、「文選」25回、「後漢書」24回、
   「漢書」21回と続き、「四書五経」と呼ばれる儒教の経書や古代中国の歴史書が多い。

(5)元号ヒストリー


  (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42001570U9A300C1000000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 平成31年3月30日 頓首再拝>

新元号「令和」 - 伝統

2019/04/01 (Mon) 18:37:48


その時、少し間を置いて「れいわであります」 菅義偉官房長官、新元号発表

        *Web:毎日新聞 (4/1(月) 13:06配信 )より
 
菅義偉官房長官が首相官邸の記者会見場に現れたのは、
予告の時間から10分遅れた午前11時40分だった。

「新しい元号は」と言った後、
少し間を置いて「れいわであります」と続け、
「令和」と紙に墨書された額を両手で1分以上掲げた。

約300人の記者たちは静まりかえり、シャッター音が鳴り響いた。
額には「平成」の時と同じく、
カメラ写りを配慮してかガラスがはまっていなかった。

 
「万葉集の梅の花の歌」。
菅長官は初めて日本の古典を出典にしたことを明らかにした。
記者から由来や選定理由の質問が出たが、
菅氏は「総理ご自身から意味や国民のメッセージを直接お伝えする」と繰り返し、
会見を7分間で終えた。

 
それから約15分。正午過ぎに会見した安倍晋三首相は
「万葉集は1200年余り前の日本最古の歌集」などと説明。

「日本古来」「わが国」「国柄」「伝統」といった言葉を何度も使った。
平成と違って首相が直接会見したことについて問われると
「30年を経て総理大臣が発信する機会が増えた」と答えた。【青島顕】

 ( https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000043-mai-pol )

            ・・・

安倍首相談話全文=新元号

時事通信社 2019/04/01 13:02


安倍晋三首相が1日発表した新元号に関する談話は次の通り。

 
本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。
新しい元号は「令和(れいわ)」であります。

これは、万葉集にある「初春の令月(れいげつ)にして 
気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を
披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」
との文言から引用したものであります。

そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、
文化が生まれ育つ、という意味が込められております。

 
万葉集は、1200年あまり前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、
天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が
詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。
こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。

厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、
一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる。

そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。
文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和の日々に、
心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を、
国民の皆さまとともに切り開いていく。新元号の決定に当たり、
その決意を新たにしております。

 
5月1日に皇太子殿下がご即位され、
その日以降、この新しい元号が用いられることとなりますが、
国民各位のご理解とご協力を賜りますようお願いいたします。

政府としても、ほぼ200年ぶりとなる、
歴史的な皇位の継承がつつがなく行われ、
国民こぞってことほぐことができるよう、そ
の準備に万全を期してまいります。

 
元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに、
1400年近くにわたるわが国の歴史を紡いできました。

日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものともなっています。
この新しい元号も、広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に
深く根ざしていくことを心から願っております。 

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019040100659&g=pol

            

新元号 首相「心寄せ合う中で文化生まれ育つ」(発言全文)

      *Web:NHKニュース(2019年4月1日 12時22分)

平成に代わる新しい元号が「令和(れいわ)」に決まったことを受けて、
記者会見した安倍総理大臣の発言の全文です。


「寒さのあと 咲き誇る梅の花のように…」
本日、元号を改める政令を閣議決定をいたしました。
新しい元号は「令和」であります。


これは万葉集にある

「初春の令月(れいげつ)にして、
気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、
蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」

との文言から引用したものであります。


そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、
文化が生まれ育つ、という意味が込められております。


万葉集は、1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、
天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、
幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、
わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。


悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、
こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。

厳しい寒さのあとに、春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、
一人一人の日本人が、明日への希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい、
との願いを込め、「令和」に決定いたしました。


文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和の日々に、
心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を、
国民の皆様と共に切り開いていく。

新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。


5月1日に皇太子殿下が御即位され、その日以降、
この新しい元号が用いられることとなりますが、
国民各位の御理解と御協力を賜りますようお願いいたします。

政府としても、ほぼ200年ぶりとなる、歴史的な皇位の継承が
恙(つつが)なく行われ、国民こぞって寿(ことほ)ぐことができるよう、
その準備に万全を期してまいります。


元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに、
1400年近くにわたるわが国の歴史を紡いできました。

日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています。
この新しい元号も、広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に
深く根ざしていくことを心から願っています。


私からは以上です。


日本には色あせない価値「初めて国書を典拠」


これまで元号は、すべて中国の古典を由来としてきたとされております。
改めて、日本の古典を由来として「令和」に決めた総理の思いをお聞かせください。
また、今月末で幕を閉じる「平成」の30年間は、国内では人口減少が進み、
自然災害が相次ぎました。

また、めまぐるしく変化する国際情勢やデジタル化など、
日本は、今、大きな転換期を迎えています。

5月1日の改元まで残り1か月となったことを踏まえ、
平成の次の時代をどのような気持ちで迎え、
どのような国づくりをされていきたいか。

お考えをお聞かせください。



わが国は、歴史の大きな転換点を迎えていますが、
いかに時代がうつろうとも、
日本には決して色あせることのない価値があると思います。

今回は、そうした思いの中で、
歴史上初めて、国書を典拠とする元号を決定しました。

特に万葉集は1200年余り前の歌集ですが、
一般庶民も含め、地位や身分に関係なく、幅広い人々の歌が収められ、
その内容も、当時の人々の暮らしや息遣いが感じられ、
まさにわが国の豊かな国民文化を象徴する国書です。

これは世界に誇るべきものであり、わが国の悠久の歴史、薫り高き文化、
そして四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄は、
しっかりと次の時代にも引き継いでいくべきであると考えています。


同時に、急速な少子高齢化が進み、
世界が、ものすごいスピードで変化をしていく中で、
変わるべきは変わっていかなければなりません。

平成の30年間ほど、改革が叫ばれた時代はなかったと思います。
政治改革、行政改革、規制改革、抵抗勢力と言うことばもありましたが、
平成の時代、さまざまな改革はしばしば大きな議論を巻き起こしました。

他方、現在の若い世代、現役世代は、そうした平成の時代を経て、
変わること、改革することを、もっと柔軟に前向きに捉えていると思います。

ちょうど本日から働き方改革が本格的にスタートします。
70年ぶりの労働基準法の大改革です。
かつては、何年もかけてやっと実現するレベルの改革が、
近年は国民的な理解のもと、着実に行えるようになってきた
という印象を持っています。


そうした中で、次の世代、次代を担う若者たちが、
それぞれの夢や希望に向かって頑張っていける社会、
1億総活躍社会を作り上げることができれば、
日本の未来は明るいと、そう確信しています。

新しい元号のもと、一人一人の日本人が、あすへの希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる、
そういう時代を国民の皆様とともに築き上げていきたいと思います。


「新時代へ願い示す 最もふさわしい元号」

平成の改元時とは異なりまして、今回、総理が、
みずから談話を読み上げる判断をされた理由を改めてお聞かせください。
また、新たな元号を選定するにあたりまして、
これまで複数の案を検討されてきたと思いますけども、
「令和」という元号に決めた最大の決め手は何だったのか、改めてお聞かせください。



今回、元号を発表するにあたり、誰が発表するかという意見が、
ずいぶん議論があったと思いますが、新しい元号は、本日、政令という形で、
閣議決定いたしましたが、通常、閣議の内容は、官房長官が公表しております。

そのため今回も、新元号については、平成のときと同じように、
官房長官が発表することといたしました。


そのうえで、平成の改元時にはですね、
当時の竹下総理の談話が発表されています。
当時は総理大臣が会見を行うということは極めてまれでありましたが、
平成の30年を経て、総理大臣が直接発信する機会も増大をしました。

私自身、何か、何らかの出来事があるとですね、
官邸に入る際などに記者の皆さんから声がかかり、
マイクを向けられることもあります。

そうした時代にあってですね、平成の時と同様に、
総理大臣談話を発表するのであれば、私みずからが会見を開いて、
国民の皆様に、直接申し上げるべきだと、こう考えた次第であります。


また、元号の選考につきましては、他の案が何かということも含めまして、
検討過程について申し上げる事は差し控えますが、

わが国が誇る悠久の歴史、文化、伝統の上に、
次の世代、次の時代を担う世代のために、未来に向かって、
どういう日本を築き上げていくのか、

そして、その新しい時代への願いを示す上で、最もふさわしい元号は何か、
という点がいちばんの決め手でありました。



「若者が花咲かせることができる日本に」

若い世代や、これから生まれてくる子どもたちがですね、
新しい元号、「令和」の時代の中心を担っていく世代だと思うんですけれども、
その元号選定に当たりましては、こうした世代のことを、
どのようにお考えになったでしょうか。



本日の会見はですね、インスタライブやTwitterで生中継をされていますが、
今の若い世代の皆さんはですね、こうしたSNSなどの新しいツールをですね、
見事に使いこなすことで、どんどん新しい文化を作られています。

ニコニコ動画もですね、既存メディアの発想にとらわれることなく、
若者たちならではの柔軟さで多様な番組を生み出した。

リアルタイムで個人がコメントを発信できる、
新しいメディアの姿を形づくられたと、こう思ってます。

そして、こうした若い世代の新しいムーブメントは、
確実にこれまでの政治や社会のありように、
大きな変化をもたらしつつあります。

本当に、頼もしいかぎりだと思っておりますが、日本の未来を明るいと感じています。

新しい時代には、このような若い世代の皆さんが、
それぞれの夢や希望に向かって、思う存分活躍することができる、
そういう時代であってほしいと思っています。

この点が、今回の元号を決める大きなポイントでもありました。


今回の元号は、万葉集にある梅花の歌三十二首序文からの引用です。
この中では、厳しい寒さの後、春を、春の訪れを告げるように、
見事に咲き誇る梅の花の情景が美しく描かれております。

平成の時代のヒット曲に、「世界に一つだけの花」がありましたが、
次の時代を担う若者たちが、あすへの希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる。

そのような若者たちにとってですね、希望に満ちあふれた日本を
国民の皆さんとともに作り上げていきたいと思っています。



「新時代を国の象徴となられる殿下とともに」

新元号の選定に関連して伺います。
総理は2月下旬と3月下旬に皇太子さまと面会されました。
そうした際に、印象を受けました皇太子さまの人柄ですとか、
ご即位に当たっての思いなど、選定に当たって、
考慮されたところがあればご紹介ください。

また、皇太子さまのご即位を、国民の代表である総理として、
どのような関係を築かれたいとお思いでしょうか。

最後に新元号について、天皇陛下と皇太子さまに
総理から直接ご報告される予定はございますでしょうか。



まず2月の22日と、3月の29日に皇太子殿下にお会いをいたしましたが、
その際の内容等については、お答えすることは
差し控えさせていただきたいと思います。


皇太子殿下におかれては、本年2月のお誕生日に際しまして、
今上陛下のこれまでの御姿を心にとどめ、国民に常に寄り添い、
人々と共に喜び、あるいは、共に悲しみながら、
象徴としての務めを果たしていきたい、
とのお気持ちを明らかになさったと承知をしており、
大変ありがたいことであると考えています。


私としては、皇太子殿下のご即位を心からお喜び申し上げますとともに、
先ほど申し上げた殿下のお気持ちをしっかりと受け止め、
新しい「令和」の時代を、国および国民統合の象徴となられる
殿下とともに歩みを進めてまいりたいと、こう思っております。


今月は、平成最後の月となります。
このひと月、平成の時代に、
そして天皇皇后両陛下のご足跡とご偉績に思いをはせつつ、

新しい時代に向けて、天皇陛下のご退位と皇太子殿下のご即位が、
つつがなく行われるように万全を期していきたいと思います。

そして、新しい時代にふさわしい、
「令和」の時代を切り開いていくために、
準備万端、万全を期していきたいと、こう考えております。

なお、新元号については、閣議決定を行った後に、宮内庁を通じて、
今上陛下および皇太子殿下にお伝えをいたしました。

 ( https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190401/k10011868861000.html )

            ・・・


        *Web:Pouch[ポーチ] / 2019年4月1日 より

おそらく日本国民全員が、今か今かと待ちわびていた新元号発表の瞬間が、
ついにやってまいりました。

2019年4月1日11時40分頃、
菅義偉官房長官より発表された新しい元号は「令和(れいわ)」。

日本に現存する最古の歌集・万葉集より引用したものであり、
朝日新聞デジタルによれば、日本で記された国書に由来する元号は
確認できる限り初めてとなるそうです。


【「令和」に込められた意味とは】

安倍総理大臣は記者会見で、
「『令和』には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ
という意味が込められている」と説明。

厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、
一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたい。
そんな願いが「令和」には込められているのだと、コメントしています。


【「令」が元号に使われるのは史上初らしい】

新しい元号「令和」の「令」という漢字は、今回初めて元号に使われるよう。

一方の「和」のほうは、「昭和」をはじめこれまでに19回も(!)
元号に使われてきており、今回で20回目になるんですって。
「和」の多さに驚くと同時に、使いたくなるのもよ~くわかる漢字ですよねぇ。


【ツイッターで「祭り」が始まりました】

新元号が決まった瞬間、ツイッターも “祭り” へと突入。

「予想外過ぎてびっくりした!」

「響きがなんだか素敵」

「シンプルにかっけぇよな」

「万葉集からの引用で決まったことが日本の新しい一歩を表しているようで
とても良い決定だと感じました」

「素晴らしい元号です」

といった具合に、感想を述べる人。

  ( https://news.infoseek.co.jp/article/pouch_566094 )

             ・・・

新元号は「Order and Harmony(令和)」 BBCの英訳が「かっこいい!」と話題に

      *Web:J-CASTニュース / 2019年4月1日 13時0分 より

平成に代わる新たな元号が、「令和」に決まった。
2019年4月1日、菅義偉官房長官が記者会見で発表した。

海外メディアもこぞって取り上げているが、その英訳が話題となっている。

海外メディアは解説に難儀...翻訳にばらつきも

米紙ウォールストリートジャーナルは、
令和を「"rei," which can mean auspicious(縁起が良い)
in traditional texts, and "wa" meaning peace(平和).」と、

米ブルームバーグ通信は、
「 "order(秩序)," and "peace(平和)" or "harmony(調和)"」と訳した。

英ガーディアン紙は、
「TV commentators struggled to offer a direct translation」と
英訳に難儀していると伝えた。
その上で、「"decree(政令)" and "peace."」としている。


英BBCは「order and harmony」と訳しており、
日本のSNSでは「かっこいい」「令和で正解だった」との声が上がっている。

   ( https://www.j-cast.com/2019/04/01354085.html )

           <感謝合掌 平成31年4月1日 頓首再拝>

皇太子さま「分かりました」 にこやかにうなずき - 伝統

2019/04/02 (Tue) 19:18:28


       *Web:共同通信 / 2019年4月2日 0時32分 より


天皇陛下への新元号の伝達は、宮内庁の山本信一郎長官が、
皇太子さまには西村泰彦次長が1日午前、
菅義偉官房長官の記者会見より前にそれぞれ行った。


山本氏は「陛下はいつものような表情だった」とし、
西村氏は、皇太子さまがにこやかな表情で「分かりました」
とうなずかれたことを明かした。

 
山本氏によると、臨時閣議終了後、杉田和博官房副長官から
「新しい元号を閣議で決定した。『令和』です。
陛下、皇太子殿下にお伝えを願いたい」と電話があった。

山本氏は手書きでメモ、
皇太子さまの住まいの東宮御所で待機していた西村氏に連絡。

山本氏は皇居・御所で、西村氏は東宮御所で速やかに伝えた。

( https://news.infoseek.co.jp/article/kyodo_kd-newspack-2019040101002014/ )

・・・

菅官房長官、「令和」好反応で

       *Web:産経新聞(2019.04.1)

菅義偉(すが・よしひで)官房長官は1日の記者会見で、
新元号に決まった「令和」に関し、会員制交流サイト(SNS)などで
肯定的な意見が相次いでいることについて

「安倍晋三首相が述べた『一人一人が明日への希望とともに
それぞれの花を大きく咲かせられる日本でありたい』との願いと思いが
国民の皆さんにも共通していたからではないか」と語った。

ツイッターでは、令和の発表後から
「響きが良い」「趣深い」「しっくりくる」などと肯定的な意見が相次いだ。

 
菅氏は「今日新しく決定された令和が広く国民の皆さんに受け入れられ、
日本人の生活の中に深く根ざしていくことを心から願う」と強調した。

 
今回、政府は新元号の選定手続きについて平成改元時を踏襲した。
菅氏は時代の変化に合わせた対応がなかったか問われ、
有識者懇談会のメンバーに触れ「前回は女性は1人だったが2人にした」と説明した。

また「平成」の額縁を掲げた小渕恵三官房長官(当時)が
「平成おじさん」といわれたように、

菅氏も「令和おじさん」と呼ばれるのではないかと問われると
「そこまでは考えていない」と話した。

  ( https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000607-san-pol )

           <感謝合掌 平成31年4月2日 頓首再拝>

新元号「令和」 - 伝統

2019/04/03 (Wed) 17:39:49


        *Web:日本経済新聞(2019/4/3 )より

首相「万葉集、思い切って良かった」


新元号「令和」の公表から一夜明けた2日、安倍晋三首相は
首相官邸を訪れたカザフスタンの元首相から色紙にサインを頼まれると、
笑顔で「令和 安倍晋三」と揮毫(きごう)した。


「万葉集という選択は自分でもよく思いきったなと思ったけど、反応も良くてよかった」。
首相は周囲にこう語る。

憲政史上初の天皇退位に伴う皇位継承の一連の準備で、
首相は「新天皇に即位される皇太子さまは1960年のお生まれだ。
とうとう天皇も戦後生まれになる」と繰り返し述べ
「新しい時代にふさわしいあり方」へのこだわりを示していた。


その象徴が新元号選びだった。

「時代はどんどん変わる。今回はより幅広く候補をみて決めたい」。
首相は2018年秋ごろから周囲にこう話し、出典として
日本の古典(国書)を積極的に検討するように促した。

平成への改元時と比べ、最終的な原案も前回の3案から6案に増やした。


これまでの元号はいずれも中国の古典(漢籍)が典拠だった。
平成改元の際も国文学者にも考案を委嘱したが最終案には残らなかった。

政府関係者によると安倍政権以前の政権でも
国書を典拠とする案を検討していたという。

時代は動いており、
いつまでも漢籍にこだわる必要はないのではないかとの考えからだ。


新時代を意識する首相は今回、6つの最終案の半分に当たる3案を
万葉集や日本書紀などから採った案とした。

新元号公表後のNHK番組では万葉集について「誇るべき国書だ」と何度も強調した。


日本の伝統を重んじる保守層への配慮もあった。
新元号の事前公表には自民党内の保守系議員らが
「新天皇の即位前に元号を公表した例はない」などと反発していた。

天皇と元号が不可分だとする「一世一元」に反するとの主張だ。
改元を定める政令には今の天皇陛下ではなく、
新天皇となる皇太子さまが署名すべきだとも訴えていた。


首相が国書を出典とする案の検討に前向きになった18年秋ごろは
こうした声が強まった時期と重なる。


昨年末、夜の首相公邸に首相に近い中堅の保守系議員が10人近く集まった。
目的は新元号の選定プロセスだった。


議員らは首相に、今の天皇陛下と新天皇に即位される皇太子さまへの対応について
(1)平成改元にならって新元号の決定後、記者会見で公表する前に伝える
(2)絞り込んだ複数の新元号案について、事前に選定過程なども含めて丁寧に伝える
――という2点を要請した。

出席者によると首相は「それはそうだね」と答えたという。


新しい元号は将来的に新天皇のおくり名(追号)になる。
首相は2月22日に続き、新元号公表直前の3月29日に東宮御所に皇太子さまを訪ねた。

首相による天皇陛下への内奏はあるが、皇太子さまとの面会は異例だ。
いずれも首相側から宮内庁側への申し出で実現した。


平成への代替わりの際も事前に新天皇の意向を聞くべきだとの声が党内にあったが、
元号法は元号は内閣の責任で決めるとしている。
憲法は天皇の政治関与を禁じており、憲法違反を疑われかねない。

首相は皇太子さまに検討状況を説明するだけで意見を聞く形は採らなかったという。

平成改元時にはなかった段取りを試みた首相は周囲に
「前例のないことだ。これも新しい時代への対応だ」と語った。


天皇陛下は2月24日、都内の国立劇場で催した天皇陛下御在位30年記念式典の後、
見送りで立っていた首相に「心に残る大変良い式典になりました」と話しかけられた。
式典後も改めて河相周夫侍従長を通じ、首相に謝意を伝えた。

首相は「式典をやってよかった」と安堵の表情で周囲に語った。


首相は新元号公表後の1日の記者会見の終わりで皇太子さまに触れ
「皇太子殿下のお気持ちをしっかりと受け止め、新しい令和の時代を、
国および国民統合の象徴となられる殿下とともに歩みを進めてまいりたい」と述べた。

   ( https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43252530S9A400C1EA1000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 平成31年4月3日 頓首再拝>

「令和」決定までの裏の動きの推論 - 伝統

2019/04/12 (Fri) 20:46:40

       *Web:MONEY VOICE(2019年4月7日)より

《「令和」に決まるまでのドタバタ》

(1)2日のTBSワイドショーに出演した田崎史郎氏が裏話を披瀝し、
   「令和」が元号案として登場したのは3月20日頃とかなり遅く、
   安倍晋三氏が気に入る案がなく再提出を依頼した結果、
   出てきたのが「令和」だったと語っている。

(2)3月始めと時点では、

  ①『平成』に代わる新たな元号の発表まで1か月となった。
   政府はこれまで、複数の有識者に新元号の考案を依頼していたが、
   1日までに候補が出そろい、絞り込み作業が最終段階に入ったことが分かった。

  ②この時期、NHKの岩田明子氏も同じことを言い、
   元号は十数案に絞られたと話していた。

   無論、絞り込みは安倍晋三氏がやることで、誰か別の人間が行うわけではない。
   この「報道」の意味は、安倍晋三氏が本命案を決めたということで、
   残りの3つ4つのサクラをどう絞り込むかこれから決めるということである。

   このとき、「令和」は十数案の中になく、中西進氏は考案者の中に入ってなかった。

   そこからどんでん返しが始まり、3月中旬になって
   正式に中西進氏に委嘱の依頼が来るのである。

(3)明確に分かることは、3月1日から中旬の間に
   安倍晋三氏が決めていた本命案が潰れたことだ。

   本命案が潰れたから、やむを得ず中西進氏に泣きつき、
   慌ただしく「令和」に漂着したのである。

   わずか2週間という短い時間で「令和」が浮上し、
   時間切れの混乱の中でバタバタと決着した。


《安倍首相の本命案は立ち消えに》

(1)決めたのは安倍晋三氏だが、安倍晋三氏にとっても決して本意ではない決定である。

   無論、残りの5案(英弘、久化、広至、万和、万保)はサクラであり、
   体裁を整えるための刺身のツマに他ならない。

(2)簡単に推理すれば、「安久」とか「安永」とか「栄安」が本命だった可能性が高い。
   正月以降、マスコミとネットでは「安」入り元号を下馬評で推す声が充満し、
   予想ランキング上位などと既成事実化(空気固め)する動きがもっぱらだった。

(3)本命が何だったのかを探るのは難しいが、
   なぜ本命が潰れたのかを推測するのは易しい。

   それは、誰なら安倍晋三氏の本命案を潰すことができるかを考えれば、
   たちどころに解答が出る。

(4)安倍晋三氏がどうしてもこれにしたいと欲望する新元号を、
   それはだめだと阻止できるのは皇室(東宮)しかない。

   他にはいない。

  ①時系列を追って推理すると、2月22日に皇居と東宮を訪れた際、
   安倍晋三氏は意中の「安」入り元号案を提示、
   世間では人気が高いなどと売り込み、問題がなければこれで決めさせていただきたい
   と説明したのであろうか。

  ②その後、皇室(東宮)側から不可の意向が届き、
   3月中旬になって安倍晋三氏が本命を断念、
   中西進氏の万葉集案なら皇室(東宮)も了承してくれるだろうと妥協し、
   中西進氏に泣きついたという経緯が推察される。

   安倍晋三氏にとっても妥協案だが、皇室(東宮)にとっても妥協だった。

  ③中西進氏が正式に委嘱を受けたのは3月中旬であり、
   辛辣な皮肉が含意されているとしか思えない「令和」が提案され、
   時間切れで安倍晋三氏が採用して4月1日を迎えた。

   3月14日に依頼を受け、中西進氏が「令和」を返したのが3月20日前後だろう。
   田崎史郎氏の話と辻褄が合う。


《今回の元号選定は「歴史的な政治戦」》

(1)新元号は「令和」で決まった。
   日本の歴史に残る。

   中西進氏は壮絶な文化的事業をやり遂げたと言える。
   まさに東洋の知識人の理念と本分を千年単位の歴史的スケールで再現し、
   勇気と矜持をわれわれと後世の人々に示し、
   面目を躍如して先行する偉人の列に加わった。

(2)今回の元号選定は明らかに政局であり、歴史に残る1つの重要な政治戦だった。

   天皇(皇室・東宮)が粘り、粘り腰の末に老知識人と謀って逆転勝利を遂げた。
   一矢を報いた。日本らしい政治ドラマだと思う。

   ( https://www.mag2.com/p/money/661966 )

           <感謝合掌 平成31年4月12日 頓首再拝>

中西進氏が新元号評価 令和の発音「美しい」 - 伝統

2019/04/13 (Sat) 16:55:57


         *Web:産経新聞(2019.4.12)より

新元号「令和」の考案者との見方が浮上している
中西進大阪女子大元学長(89)=日本古典=は12日、
万葉集の講座を東京都内で開いた。

令和の「令」は発音が美しいと評価し、
「命令」の「令」との指摘は当たらないと説明した。


「命令の令との指摘は、こじつけだ。
令嬢や令夫人などと同様に、和を形容する意味に取るのが普通だ」
と強調した。


自身が考案者かどうかについては
「中西進という人が考案者と言われているが、ここにいるのは違う人間だ
元号は世の中の一人の個人が決めることではない」
と明言を避けた。

 
令和の典拠である万葉集に先行する漢籍「文選」に類似の文章があるとの指摘には
「並ぶべくもない。冷静に見ると、万葉集が出典というのはいいと思う」と解説した。

     ( https://www.sankei.com/life/news/190412/lif1904120031-n1.html )

(上記の情報には、産経新聞には省かれていた情報も、
 他のWebから追加いたしました)

           <感謝合掌 平成31年4月13日 頓首再拝>

皇太子さま、即位の儀式後すぐ上皇に挨拶へ - 伝統

2019/04/15 (Mon) 17:17:52


        *Web:TBSニュース(2019.04.15)

来月1日、新天皇に即位する皇太子さまが即位に伴う一連の儀式に臨んだ直後に、
退位したばかりの天皇陛下と皇后さまのもとを訪れ、
挨拶をされる方向で調整が進められていることがわかりました。

 
来月1日、新天皇となる皇太子さまは、
午前中に皇位の証である剣と勾玉などを受け継ぐ「剣璽等承継の儀」と
国民の代表者に初めて会う「即位後朝見の儀」に臨まれます。

関係者によりますと、皇太子さまは一連の儀式が終わった直後に
雅子さまと共に現在の皇居・御所を訪れ、退位し上皇上皇后となった
両陛下に新天皇に即位したことを報告されるということです。

代替わり後、初めてここで新旧の天皇が顔を合わせることになります。

 
また、宮殿「松の間」で新天皇ご一家を支える側近トップの侍従長と、
上皇ご夫妻の側近トップ=上皇侍従長の認証官任命式に臨むなど、
早速、公務にあたられます。

さらに、皇嗣となる秋篠宮さまをはじめ、皇族方から祝賀を受けるなど、
令和元年の初日から忙しい一日を過ごされることになります。

( https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190415-00000012-jnn-soci )


           <感謝合掌 平成31年4月15日 頓首再拝>

元号をつくるのは神や天 - 伝統

2019/04/16 (Tue) 19:44:13

中西氏、元号をつくるのは神や天 考案者は「私ではない」

        *Web:共同通信(2019.04.14)より

新元号「令和」の考案者との見方が出ている中西進氏(89)が14日、
館長を務める富山市の「高志の国文学館」で新元号に関する企画展の解説会を開き、
「(令和の考案者は)私ではないのですよ」と述べた。

「(元号を)つくるのは神や天」とも語った。

 
中西氏は企画展の展示資料を説明した後、
「令和」と書かれた書を指し示しながら自ら元号に言及した。

「誰かが考えたとしても、粘土細工の粘土を出しただけ」と話し、
考案者について明言を避けた。

    (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190414-00000078-kyodonews-soci )

           <感謝合掌 平成31年4月16日 頓首再拝>

伊勢神宮に退位報告「親謁の儀」 - 伝統

2019/04/18 (Thu) 17:16:03

両陛下きょう伊勢神宮参拝 4月末の退位報告へ

      Web:FNN PRIME(2019年4月18日)より

天皇皇后両陛下は18日、天皇家の祖先とされる天照大神をまつる伊勢神宮を参拝し、
4月末の退位を報告される予定。

退位にともなう儀式の一つとして伊勢神宮を参拝するため、
両陛下は17日、三重県を訪問された。

在位中最後の地方訪問で、伊勢の駅や神宮周辺には、
およそ1万5,000人が出迎え、両陛下を歓迎した。

沿道に訪れた人は「涙が出てくるくらい感激しました」、
「本当にお疲れさまでしたって言いたい」などと話した。

今回の伊勢訪問には、皇位の印として歴代天皇に受け継がれ、
普段皇居から外に持ち出すことのない「三種の神器」のうち、
「剣璽(けんじ)」と呼ばれる剣と勾玉(まがたま)が持参されている。

両陛下は、剣と勾玉を乗せた車をともない、冷たい雨の降る中、車の窓を開け、
手を振りながら宿泊先の伊勢神宮へと向かわれた。

今回の参拝は、4月30日の退位に向けた儀式の一つで、
両陛下は18日、天皇家の祖先とされる天照大神をまつる伊勢神宮を参拝し、
4月末の退位を報告される予定。

   ( https://www.fnn.jp/posts/00416334CX )

           ・・・

天皇皇后両陛下、光り輝く伊勢神宮・宇治橋を御料車で渡る

     *Web:伊勢志摩経済新聞(2019.04.18)より

天皇皇后両陛下が4月17日、
光り輝く宇治橋を御料車で伊勢神宮内宮(ないくう)に入られた。

昼過ぎから降る雨は伊勢の地を清め整え、
両陛下をお迎えするために前もって予定していたかのよう。

皇祖神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祭る伊勢神宮の森は
より美しく緑が映え白く霧立ち幻想的な空気が漂っていた。


宇治橋前広場から「天皇陛下、万歳」の声が静まり返った神域に届くと、
雨に濡れ光り輝く宇治橋を先導車と共に菊の御紋のナンバープレートをつけた
御料車「センチュリーロイヤル」がゆっくりと現れた。

新型の御料車になってから宇治橋を渡るのは2回目。

天皇陛下は、即位礼及び大嘗祭後の「親謁(しんえつ)の儀」で
1990年11月27日外宮、同28日内宮、第61回神宮式年遷宮後の1994年3月29日、
2001年11月28日、第62回神宮式年遷宮後の2014年3月26日と今回で、
在位中に5回伊勢神宮を参拝した。

両陛下は同18日、同30日に退位されることを報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれる。

  ( https://iseshima.keizai.biz/headline/3207/ )

               ・・・

5年ぶり「剣璽動座」 皇位の証し伊勢神宮へ 両陛下三重県入り

        *Web:毎日新聞(2019年4月17日)より


天皇、皇后両陛下の三重県訪問に伴い、
皇位の証しとされる剣(けん)と璽(じ)(まが玉)を、
皇居から携える「剣璽動座」が5年ぶりに行われた。

天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る伊勢神宮(伊勢市)で
天皇陛下が退位を報告する18日の儀式で、侍従が参列する際に持参する。

剣と璽、鏡は「三種の神器」と呼ばれ、
天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けたという神話に基づく。

鏡は、皇居で天照大神を祭る「賢所(かしこどころ)」に安置されている。
剣と璽は、住まいの御所で箱に納められている。

 
昭和天皇は宿泊を伴って皇居を離れる際は剣璽を携行したが、
戦後の「地方巡幸(じゅんこう)」を始めた1946年、警備上の理由などで取りやめた。

しかし、神社界の働きかけなどで、74年11月の伊勢神宮参拝の際に復活した。

平成以降の剣璽動座は、伊勢神宮の参拝時だけで、
90年11月の即位の報告、94年3月と2014年3月の式年遷宮後に行われ、今回は4回目。

三種の神器は戦後、皇室経済法で「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」と規定される。

5月1日午前10時半から、皇居・宮殿で新天皇の国事行為として
「剣璽等承継の儀」が行われる。

  ( https://news.infoseek.co.jp/article/mainichi_20190417k0000m040247000c/ )

                 ・・・

天皇、皇后両陛下、伊勢神宮に退位報告=外宮、内宮で「親謁の儀」

        *Web:時事ドットコムニュース(2019.04.18)より

三重県を訪問中の天皇、皇后両陛下は18日、
伊勢神宮(同県伊勢市)の外宮と内宮で、
今月末の天皇陛下の退位を報告する「親謁の儀」に臨まれた。

両陛下の神宮訪問は2014年3月以来で、即位後では5回目。
訪問に当たり、天皇陛下は皇位の象徴とされる「三種の神器」のう
ち剣と璽(じ)=勾玉(まがたま)=を皇居から持参した。

天皇陛下は午前10時45分ごろ、外宮の「正宮」に車で到着。
モーニング姿の陛下は剣と璽を持つ侍従らとともに正殿の前へ進み、
玉串をささげて拝礼した。白い参拝服姿の皇后さまも、続いて拝礼した。
 
午後1時半すぎからは、天照大神を祭る内宮でも、同様に親謁の儀が行われた。

両陛下はこの後、近鉄宇治山田駅発の臨時列車で志摩市へ移動。
市内のホテルに宿泊し、19日午後に帰京する。

   ( https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041800483&g=ryl )

           <感謝合掌 平成31年4月18日 頓首再拝>

両陛下、武蔵野陵を参拝 昭和天皇に退位を報告 - 伝統

2019/04/23 (Tue) 19:38:16


       *Web:時事ドットコムニュース(2019年04月23日)より

天皇、皇后両陛下は23日午前、昭和天皇の武蔵野陵(東京都八王子市)を参拝し、
退位することを報告された。

参拝は、「親謁の儀」と呼ばれる退位に関する儀式の一つ。

両陛下は3月26日に奈良県橿原市の神武天皇陵、
今月18日に三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝し退位を報告。
在位中の天皇陵参拝は今回が最後となる。

            ・・・

         *NHK NEWS(2019年04月23日)

今月30日に退位する天皇陛下は、
23日、皇后さまとともに、昭和天皇が埋葬された
東京・八王子市の「武蔵野陵」に参拝する儀式に臨み、退位することを伝えられました。

天皇皇后両陛下は、午前10時すぎ、車で皇居を出発し、
門の外に集まった人たちににこやかに手を振ってこたえられました。

八王子市内では、沿道に大勢の人たちが集まり、両陛下を迎えました。

両陛下は、午前11時半前に武蔵陵墓地に到着し、
天皇陛下の退位に関する儀式の1つ「昭和天皇山陵に親謁の儀」に臨まれました。

はじめに、モーニング姿の天皇陛下が、宮内庁の幹部の先導で鳥居をくぐり、
砂利道をゆっくりと歩いて、昭和天皇が埋葬された「武蔵野陵」の前に進まれました。
そして玉ぐしを供えて深く拝礼し、退位することを伝えられました。

続いて、グレーの参拝服の皇后さまも、天皇陛下と同じように深く拝礼されました。

天皇陛下は、即位後の平成2年12月にも、皇后さまとともに
「武蔵野陵」に参拝する儀式に臨み、即位の礼と大嘗祭が終わったことを伝えられています。

両陛下は、このあと、近くにある労働災害で亡くなった人たちの追悼施設、
「高尾みころも霊堂」を訪れ、慰霊に臨まれることになっています。

   ( https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20190423/0028781.html )

            ・・・

写真

        *Web:AFP BB NEWS(2019年04月23日)

         https://www.afpbb.com/articles/-/3222141


           <感謝合掌 平成31年4月23日 頓首再拝>

令和への代替わり儀式 宮殿内部を徹底図解 - 伝統

2019/04/25 (Thu) 21:43:18


         *日本経済新聞(2019.04.23)より

  https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/kaigen-kyuden/


           <感謝合掌 平成31年4月25日 頓首再拝>

「皇族の戸籍」、皇統譜(イチから分かる代替わり) - 伝統

2019/04/26 (Fri) 20:42:07


         *日本経済新聞(2019.04.24)より

皇室の戸籍にあたるのが「皇統譜」だ。

天皇の代替わりごとに作り直す。

今の陛下に至るまでの歴代天皇や皇族の誕生、結婚、死去の日時などが記載されている。

天皇、皇后の大統譜とその他の皇族の皇族譜がある。


誕生による登録は2006年9月に誕生した秋篠宮家の長男、悠仁さまが最新。
当時の宮内庁長官と書陵部長が、名前や命名の日時が書かれたページに毛筆で署名した。


女性皇族が民間人と結婚すると皇統譜から除籍され一般の戸籍に移る。
18年10月に結婚した高円宮家の三女、守谷絢子さんが皇籍から離脱した。


皇統譜の正本は宮内庁書陵部、副本は法務省で保管し、
首相の承認を得た場合を除き、外部への持ち出しが禁じられている。

歴代の皇統譜は宮内公文書館(東京・千代田)に所蔵されている。


   ( https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43964220Z10C19A4000000/?n_cid=NMAIL007 )

           <感謝合掌 平成31年4月26日 頓首再拝>

令和と天皇──皇室制度はこれからも時代に順応する - 伝統

2019/04/27 (Sat) 17:31:22


        *Web:News week (2019.04.11)より

新たな日本の針路を、世界はこう予測する。令和ニッポンに寄せられる期待と不安。


皇太子徳仁を次の天皇として迎えることは、日本にとって幸運だ。
明るい笑顔と、しなやかな強さを思わせる表情。

そのオーラは、失われた数十年と3月11日の二重三重の大惨事から、
日本が立ち上がる姿を象徴している。


戦争と占領の時代から時を置いて生まれた皇太子徳仁は、
イギリスのオックスフォード大学で学んだ。
より自信に満ちた前向きな日本を体現するのに理想的な人物だ。

日本の皇室制度は、世界最長の君主制だ。
ただし、天皇の役割が時代錯誤だという意味ではない。
君主制が時代の変化に順応できる永続的な制度であることは、歴史が証明している。

ノルウェーやスウェーデン、デンマーク、ベルギーなど、
世界でもとりわけ裕福で進歩的な国の一部は立憲君主制を取っている。
スペインでは、残酷な内戦のトラウマを癒やすために王制復活が行われた。

立憲君主制の君主は基本的に、政治指導者よりはるかに高い支持を国民から得ている。

一方で、私たちは君主について、かつてないほどいろいろなことを知っている。
タイでは2016年12月に即位した新国王が、皇太子時代に偽のタトゥーを入れ、
へそ出しのTシャツを着てショッピングモールをぶらぶらしている動画がフェイスブックに投稿された。

19世紀後半には、後の英国王ジョージ5世を含む英王子たちが横浜を訪れた際に刺青を入れた。
だが、当時はソーシャルメディアが存在しなかった。私生活は私生活だった。


現代の君主は、完璧な存在である必要はないが、
裕福さとライフスタイルの規範から懸け離れてもいけない。

日本の皇室にも問題はあるかもしれないが、
普通の家庭も同じような問題を抱えており、共感を得やすい。

もう1つ、君主の黄金律は、政治から距離を置くことだ。
聡明で社会的に活発な人ほど、純粋に儀式的な立場を束縛だと感じるかもしれない。

しかし、19世紀の思想家で『イギリス憲政論』の著者
ウォルター・バジョットは次のように述べている。

「国は党派に分かれるが、王位に党派はない。
(君主は)世の中の出来事から明らかに隔絶されることによって、
憎しみと冒涜から解放され、神秘性を保ち、対立する党派の気持ちを1つにまとめることができる」

この意味を誰よりも知っているのは、イギリスのエリザベス女王だ。
65年を超えるその在位の間に、イギリスは政治も社会もあらゆる激変を経験してきたが、
議論の分かれる問題に関して女王は慎重に中立を貫いている。


《皇室に対するメディアの敬意は薄れているが》

王位継承第1位のチャールズ皇太子は長い待ち時間の間に、
女王とはかなり違う道を歩んできた。

環境保護や都市計画、遺伝子組み換え食品、農業への補助金など、
大きな政治的争点について、個人の意見を公言するだけではない。

閣僚に度々書簡を出して働き掛けているのだ
(即位したら、こうした活動はやめると表明している)。


皇太子徳仁は天皇として、これまでと違う新しい問題に直面するだろう。
日本の社会はかつてないほど多様化され、進化している。

皇室に対するメディアの敬意は薄れている。
皇室制度は国民から強く支持されているが、
生前退位をめぐる騒動や女性天皇問題が示すように、その役割は流動的だ。


一方で、皇室制度はこれからも時代に順応するだろう。
目まぐるしく変わる世の中で、君主制はますます重要になる。
その逆ではない。

君主制は過去と未来をつなぎ、私たちがどういう国なのかを思い出させてくれる。

ピーター・タスカ(経済評論家、英国出身)

 (https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190411-00010010-newsweek-int&p=1 )

           <感謝合掌 平成31年4月27日 頓首再拝>

拝啓天皇陛下様 - 伝統

2019/04/29 (Mon) 22:32:52

        *Web:かんながら(2019年04月29日)より

ありがとうございました。

感謝の気持ちでいっぱいです。


陛下は

「国民に降りかかる苦しみは、一度私を通してからにしてください」

と祈られていると聞きました。


そのような気持ちが伝わってくるからでしょうか、

お姿を見ているだけで心震えるこの感覚は理屈では説明できません。

言葉を超えた何かを直接感じるのです。


いままでに、どれくらいの国民が勇気づけられたことでしょう。



人間がそこまで美しくなれることを、
天皇皇后両陛下が身を持って教えてくれたように思います。



感謝の気持ちとともに、私たちも新しい時代に進んでいきます。



お疲れさまでした。


そしてありがとうございました。


この国に生まれてよかった一国民より


  (https://abetoshiro.ti-da.net/e11078793.html )

           <感謝合掌 平成31年4月29日 頓首再拝>

天皇陛下、30日に譲位 「退位の礼」で最後のお言葉 - 伝統

2019/04/29 (Mon) 23:08:52


      *Web:産経新聞(2019.04.29)より

天皇陛下は30日、譲位の日を迎えられる。
天皇の譲位は江戸時代の光格天皇以来202年ぶりで、憲政史上初めて。

陛下は同日午後5時から、皇居・宮殿で「退位礼正殿の儀」(退位の礼)に臨み、
在位中、最後となるお言葉を述べられる。

陛下は同日をもって譲位し、30年余り続いた「平成」は幕を閉じる。
5月1日午前0時に皇太子さまが即位されて「令和」に改元される。


4月30日の退位の礼は、計11に上る譲位関連の最後の儀式。
憲法で定める国事行為として執り行われる。

天皇、皇后両陛下が宮殿「松の間」に入室され、
側近が「三種の神器」のうち剣(けん)と璽(じ=勾玉)などを「案(あん)」
と呼ばれる台の上に安置。

安倍晋三首相が感謝の意を伝え、陛下が国民に向けたお言葉を述べられる。

退位の礼の参列予定者は安倍首相と閣僚、衆参両院正副議長、都道府県知事ら約300人。
皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ、成年皇族方が陪席される。

 
両陛下は退位の礼の後、皇太子ご夫妻や皇族方のごあいさつを受けられる。
その後も宮内庁や皇宮警察の職員らのあいさつが夜まで続き、平成最後の日を終えられる。

退位の礼に先立ち、陛下は30日午前、皇居・宮中三殿で同日の譲位を報告される。
天皇のみが着る祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身につけられる
最後の機会となる。

5月1日に上皇、上皇后となる両陛下は、
同日以降の皇太子さまのご即位関連儀式には出席されない。

     (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190429-00000538-san-soci )


<関連:「退位礼正殿の儀」
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042600864&g=pol >

           <感謝合掌 平成31年4月29日 頓首再拝>

最後の宮中祭祀と退位礼正殿の儀 - 伝統

2019/04/30 (Tue) 19:32:05

陛下、最後の宮中祭祀

       *Web:日テレNEWS24(2019.04.30)より抜粋

(退位礼当日賢所大前の儀
 退位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀 )

平成最後の30日、天皇陛下は日付が変わると同時に退位されることになる。
陛下は午前、皇居の宮中三殿で、この日、退位の儀式を行うことを報告する儀式に臨まれた。

皇居は雨が降ったりやんだりしている。
朝から続いていた雨は、儀式の時間にはやみ、時折、薄日がさした。
鳥のさえずりが聞こえるだけという静かな中で、儀式は行われた。

30日午前10時、天皇陛下にとって最後の宮中祭祀(さいし)となる儀式は、
皇太子さまや秋篠宮さま、宮内庁職員らが見守る中、静かに執り行われた。

陛下は、最後となる天皇の装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包み、
宮中三殿の賢所と、その後、皇霊殿、神殿に拝礼し、この日、退位の儀式を行うことを報告された。

陛下の裾を長く側近をつとめた侍従がひき、
厳かな中で陛下がまっすぐ前を向かれていたのが印象的だった。

一方、皇居を訪れる際、皇太子さまは、いつも通りの穏やかな落ち着いた表情を見せられ、
即位に向けて長く準備し、心が定まっている印象を受けた。

      (https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190430-00000103-nnn-soci

・・・

退位礼正殿(たいいれいせいでん)の儀


動画: https://www.youtube.com/watch?v=7PqbhDeweeY

         ・・・

退位礼正殿の儀における内閣総理大臣の国民代表の辞



謹んで申し上げます。

天皇陛下におかれましては、皇室典範特例法の定めるところにより、
本日をもちまして御退位されます。

平成の三十年、「内平らかに外成る」との思いの下、
私たちは天皇陛下と共に歩みを進めてまいりました。

この間、天皇陛下は、国の安寧と国民の幸せを願われ、
一つ一つの御公務を、心を込めてお務めになり、
日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たしてこられました。

我が国は、平和と繁栄を享受する一方で、
相次ぐ大きな自然災害など、幾多の困難にも直面しました。

そのような時、天皇陛下は、皇后陛下と御一緒に、国民に寄り添い、
被災者の身近で励まされ、国民に明日への勇気と希望を与えてくださいました。

 
本日ここに御退位の日を迎え、これまでの年月を顧み、
いかなる時も国民と苦楽を共にされた天皇陛下の御心に思いを致し、
深い敬愛と感謝の念を今一度新たにする次第であります。

私たちは、これまでの天皇陛下の歩みを胸に刻みながら、
平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていくため、
更に最善の努力を尽くしてまいります。

天皇皇后両陛下には、末永くお健やかであらせられますことを願ってやみません。
 
ここに、天皇皇后両陛下に心からの感謝を申し上げ、皇室の一層の御繁栄をお祈り申し上げます。

   (https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190430-00000036-jnn-pol )

                ・・・

退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば(平成31年4月30日)

       *Web:宮内庁 より


今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。

ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。

即位から30年、これまでの天皇としての務めを、
国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。

象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。

明日あすから始まる新しい令和の時代が、
平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、
ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

           <感謝合掌 平成31年4月30日 頓首再拝>

天皇陛下 きょう即位の儀式に - 伝統

2019/05/01 (Wed) 04:39:32

        *Web:NHK(2019.05.01)より抜粋

天皇陛下が1日午前0時に即位され、時代は平成から令和に変わりました。
天皇陛下は同日、即位の儀式に臨み、象徴として歩み始められます。


即位した天皇陛下は1日午前、歴代天皇に伝わる三種の神器のうちの
剣(つるぎ)と曲玉(まがたま)などを受け継ぐ
「剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)」などの即位の儀式に臨まれます。

天皇陛下は新たに迎えた令和の時代を象徴として歩み始められます。


天皇陛下は1日午前10時にお住まいがある赤坂御用地から皇居 宮殿に入り、
この日、行われる「即位の礼」の儀式を憲法で定める国事行為として行うことを
閣議決定した政府からの文書を確認し、押印して裁可されます。

これが天皇として初めての公務になります。

そして午前10時半から宮殿の「松の間」で、新しい天皇として
三種の神器のうちの剣と曲玉などを受け継ぐ「剣璽等承継の儀」に臨まれます。


その後、午前11時10分からは皇后となられた雅子さまとともに、
「即位後朝見(ちょうけん)の儀」に臨み、
総理大臣をはじめ国民を代表する人たちを前に
天皇として初めてとなるおことばを述べられます。


こうした儀式のあと、天皇陛下は、昼過ぎにはご一家を補佐する
「侍従職」トップの侍従長などの認証式に臨まれます。


さらに午後3時には皇后さまとともに
皇居の上皇ご夫妻のお住まいを訪れてあいさつをされます。


そして午後3時半から午後6時過ぎにかけて、皇后さまとともに、
皇族方や宮内庁の職員などから祝賀を受けられる予定です。


天皇陛下は新たに迎えた令和の時代の初日から、
即位の儀式や行事に臨み、象徴として歩み始められます。


《天皇陛下はえんび服 皇后さまはローブデコルテ》

天皇皇后両陛下は1日、皇居 宮殿で行われる儀式に正装で臨まれます。

天皇陛下は午前中に行われる「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」という
「即位の礼」の儀式にいずれも格式の高い、えんび服を着用し、
最高位の勲章をつけて臨まれるということです。


皇后となられた雅子さまは「即位後朝見の儀」に臨む際、
ローブデコルテという格式の高いロングドレスを着用し、
勲章をつけられるということです。

午後、両陛下は再び皇居を訪れて上皇ご夫妻にあいさつし、
続いて皇族方などから祝賀を受けられます。

その際はいずれも勲章は身につけず、天皇陛下はモーニング、
皇后さまは別のロングドレスを着用されるということです。

     (https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190501/k10011902491000.html )

・・・

<参考>

令和の儀式

        *メルマガ「日本一元気」(平成31年4月30日)より

明日5月1日午前零時をもって、令和がスタートします。

以下、NHKの報道から引用しますが、今後の日程です。


●「剣璽等承継の儀」 1日午前10時半から
「剣璽等承継の儀」は皇太子さまが歴代天皇に伝わる
剣(つるぎ)や曲玉(まがたま)などを受け継ぐ儀式で、
1日午前10時半から皇居 宮殿の「松の間」で行われます。


●「剣璽等承継の儀」で天皇陛下に付き従う皇族「供奉(ぐぶ)」は、
前回、平成への代替わりの時と同様、成年の男性皇族のみとしていることから、
皇位継承順位1位の「皇嗣(こうし)」となる秋篠宮さまと、
常陸宮さまが(ひたちのみや)出席されることになります。

一方、皇族以外は、男女の区別なく総理大臣など
三権の長や閣僚などが参列することになっていて、
片山地方創生担当大臣が女性として憲政史上初めて参列する見通し。


●「即位後朝見の儀」 1日午前11時10分から
これに続く、「即位後朝見の儀」は皇太子さまが即位後、初めて国民の代表に会う儀式で、
午前11時10分から「松の間」で行われ、
三権の長や閣僚、地方公共団体の代表などが参列することになっています。

●儀式では、皇太子さまが天皇として初めてとなるおことばを述べられたあと、
安倍総理大臣が国民を代表してあいさつすることになっています。



●10月22日 「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」
その後、10月22日には海外も含め、およそ2500人が出席して、
新天皇が即位を内外に宣言する「即位礼正殿(そくいれい せいでん)の儀」が行われるほか、
パレードにあたる「祝賀御列(しゅくが おんれつ)の儀」も行われる予定です。

●「祝賀御列の儀」では、安全性や環境性能などを考慮して
トヨタ自動車のセンチュリーのオープンカーが使用されることが決まっています。


●10月22日から31日 「饗宴の儀」が4回
また、10月22日から31日にかけては、
祝宴にあたる「饗宴(きょうえん)の儀」が合わせて4回行われます。

●「饗宴の儀」は、前回、平成への代替わりの際は4日続けて7回行われましたが、
政府は、今回、皇太子ご夫妻の負担を考慮して連日の開催を取りやめたほか、
招待客も2600人程度に減らすなど簡素化することを決めました。


●10月23日 晩さん会
このほか、「即位礼正殿の儀」の翌日、10月23日には総理大臣夫妻の主催で、
儀式に参列した外国の要人などおよそ900人の参列者をもてなす晩さん会が、
東京 千代田区のホテルニューオータニで開かれます。


●11月14日から15日 「大嘗祭」の中心的な儀式
さらに11月14日から翌15日にかけて、国民の安寧などを祈る、
一世に一度の「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心的な儀式が皇室行事として行われます。


●来年4月19日 「立皇嗣の礼」
その後、来年4月19日には、秋篠宮さまが、
皇位継承順位1位の「皇嗣(こうし)」になられたことを内外に知らしめる、
「立皇嗣の礼(りっこうし)」が国事行為として行われることになっています。

           <感謝合掌 令和元年5月1日 頓首再拝>

新天皇 即位の儀式 - 伝統

2019/05/01 (Wed) 20:50:17

新天皇 即位の儀式「剣璽等承継の儀」 神器など引き継ぐ(令和元年5月1日)

 youtube  → https://www.youtube.com/watch?v=dX44NP4bPIE


剣璽等承継の儀は国事行為として午前10時半から、宮殿内で最も格式の高い「松の間」で行われ、
安倍晋三首相ら三権の長や閣僚ら26人が国民代表として参列した。

陛下は、宮内庁の秋元義孝式部官長と山本信一郎長官の先導で松の間に入られた。
皇位継承順位1位の秋篠宮さまと、陛下のおじに当たり、同3位の常陸宮さまも儀式に参列された。

陛下が正面の席の前に参列者と向き合って立たれ、
三種の神器のうちの剣と璽(じ=まがたま)、
国事行為で使われる御璽(天皇の印)と国璽(国の印)を持った侍従が一列になって入室。

剣璽などを陛下の前の台に置いた。

その後、陛下は受け継いだばかりの剣や璽をささげ持った侍従らと共に松の間を退出され、
儀式は約7分間で終了した。

   (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44379480R00C19A5MM0000/?n_cid=DSREA001 より)

              ・・・

新天皇が初のお言葉「即位後朝見の儀」(令和元年5月1日)

 youtube  → https://www.youtube.com/watch?v=PfKh8a7dotc

松の間では続いて、午前11時10分すぎから即位後朝見の儀が行われた。
儀式は約7分間。

三権の長や閣僚、地方自治体の代表ら292人が参列し、
天皇、皇后両陛下が秋篠宮ご夫妻ら成年の皇族方と共に入室された。

   (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44379480R00C19A5MM0000/?n_cid=DSREA001 より)


《天皇陛下が即位後朝見の儀で述べられたお言葉。》

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。

この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

顧みれば、上皇陛下には御即位より、30年以上の長きにわたり、
世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、
その強い御(み)心を御自身のお姿でお示しになりつつ、
一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。

上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。


ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、
また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、
常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、
日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、
国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。

   (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44380250R00C19A5MM0000/?n_cid=NMAIL007 )

              ・・・

《「即位後朝見の儀」における安倍晋三首相の「国民代表の辞」》

謹んで申し上げます。 

天皇陛下におかれましては、本日、皇位を継承されました。

国民を挙げて心からお慶び申し上げます。

ここに、英邁(えいまい)なる天皇陛下から、
上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、日本国憲法にのっとり、
日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たされるとともに、
国民の幸せと国の一層の発展、世界の平和を切に希望するとのおことばを賜りました。


私たちは、天皇陛下を国及び国民統合の象徴と仰ぎ、激動する国際情勢の中で、
平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、
文化が生まれ育つ時代を、創り上げていく決意であります。


ここに、令和のみ代の平安と、皇室の弥栄をお祈り申し上げます。

  (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44379710R00C19A5000000/?n_cid=DSREA001 )

           <感謝合掌 令和元年5月1日 頓首再拝>

大嘗祭の神秘と日本の本質 - 伝統

2019/07/10 (Wed) 18:43:43


        *Web:西村眞悟の時事通信(令和元年7月9日)より

平成三十一年四月三十日から令和元年五月一日に変わるまさにその時、
上皇陛下の御譲位があり新帝の践祚があった。

目の当たりにこれを見た我らは、
この我が国の肝心要の至高の尊さをもつ皇位の継承に関して、
全く別個の行事が同時に行われていたことを確認しなければならない。

その一つは、
安倍内閣つまり日本国政府が、
天皇の御意思に基づく譲位を、御意思ではなく
「内閣の決定による退位」として執り行った無宗教の儀式であり、

他の一つは、
万世一系の皇室(禁中)の歴史と伝統に基づく神事としての譲位である。


まさに、この禁中の行事が、
真実の皇位継承であり、
前者は虚(こ)仮(け)で似而非(えせ)であった。

何故、前者が虚仮で似而非であったのか。
それは、安倍内閣が、
占領下の内閣と全く同様に「日本国憲法」に忠犬の如く従ったからである。

「日本国憲法」に従ったら、虚仮で似而非になるその理由は、
「日本国憲法」が
「日本の憲法」ではないからであり、さらに、ウソが書いてあるからである。
 

つまり、この度の皇位の継承において、
この日本には、二つの国があったのだ。

一つは、
昭和二十一年に我が国を占領していたアメリカ人が書いた「日本国憲法」の
枠内にはめ込まれた未だ「被占領下の国」であり、

もう一つは、
神武天皇の創業から万世一系百二十六代の天皇を戴く
悠久の歴史と伝統をもつ「日本」である。
 

振り返れば、この度の皇位の継承は、
平成二十八年八月八日に、上皇陛下が国民に対して
御譲位の意思を表明されたことによって為されたものだ。

にもかかわらず、「日本国憲法」に盲従する我が国政府は、
一貫して、天皇の意思を隠蔽して無きものとした。

従って、却って、この度の皇位継承において、
我が国には、我が国の歴史と伝統とは全く違うもう一つの
似而非で軽薄な国があることが鮮明になったのだ。

これは即ち、我らにとって、
「日本国憲法」を廃棄して日本を取り戻す具体的必要性が
鮮明になったということに他ならない。
ここに、「日本国憲法」に従った安倍内閣の意図しない功績がある。

それ故、この度、上皇陛下が
「日本国憲法」が想定していない譲位を決意され実現されたということは、
本来の日本を取り戻す、誠に尊い御業(みわざ)である。
 

ここで、この「日本国憲法」の本質を明記しておく。
以前、韓国が、明治四十三年(一九一〇年)の日韓併合条約は無効だと、
朝から晩まで騒いでいたことがあった。

すると、アメリカのハーバード大学が、世界から国際法学者を集めて、
日韓併合条約が有効か無効かの学術審査をした。
そして、有効という結論を出し、韓国は沈黙した。

そこで、「日本国憲法」も、日本の「憲法」として有効か無効かを、
「日本国憲法」をありがたい神託の如く学生に教えて給料をもらい飯を食っている
日本の憲法学者ではなく、
第三者である海外の国際法学者達の学術審査に委ねたら
結論はどうなると思われるか。

「日本国憲法」を、書いた者は誰々で何時書いたのか、
「日本国憲法」は何時公布され施行されたのか、総て明らかだ。

書いた者は日本人ではなく我が国を占領統治している
アメリカ軍のチャールズ・ケーディス大佐ら二十五名のアメリカ人で、
書いた時は占領中の九日間で公布も施行も占領中だ。

よって、「日本国憲法」は、
連合軍の日本占領統治の方針を定めた基準ではありえても、
日本国の憲法ではなく無効だという結論が出ること明らかである。


従って次に、この無効なる「日本国憲法」に盲従した
日本政府の行った似而非行事から離れて(無視して)、

神話との連続性を維持し、多神教の世界観を保持しながら近代国民国家に至っている
世界唯一の国である我が日本に於ける、「皇位継承の本質」を、改めて確認したい。


とはいえ、現在の「戦後体制」に覆われた世の中においては、
国家と宗教の分離を定めた「日本国憲法」を神託のように信奉する
進歩的文化人やマスコミや反日の輩から「神憑り」という軽薄な冷笑があるが、
多神教の世界とは、
まさにギリシャ神話と同様に神々と共に生きる世界であり、神憑りが当たり前なのだ。

逆に、一つの教義に反する者を「魔女」として一千年にわたって
火あぶりにして殺してきた一神教こそ悪魔憑りだ。

よって、
軽薄な批判にビクビクせず堂々と、
日本は、お国の存在そのものが、
一神教のキリスト教によって根絶やしにされた、
古代のギリシャ・ローマやゲルマンやケルトの多神教の豊かな精神世界を、
失われた諸民族の精神世界の唯一の「正倉院」として、
今も瑞々しく豊かに維持しているのだと胸を張ろうではないか。
 

その上で、上皇陛下が、
平成三十一年四月三十日の譲位の前に、
天皇として最後に行われたことを振り返る。

まず、天皇は橿原の初代天皇である神武天皇御陵に参拝され、
次に、伊勢の天照大御神を祀る伊勢神宮に参拝され、
最後に、東京に戻られて先代の百二十四代天皇である昭和天皇御陵に参拝された。

つまり、天皇は、
天皇の祖である天照大御神に参拝され、
初代天皇と直前天皇の御父上の御陵に参拝され、共に譲位を報告さた上で、
四月三十日に臨まれている。

即ち、神武天皇は、天照大御神の「天壌無窮の神勅」によって天皇となられた。

そして、そこから万世一系百二十五代にわたって継承されて御自分に至った皇位を、
天皇は、
四月三十日に皇太子に譲られる。このことを前提にして
初代天皇御陵と伊勢神宮と先代の昭和天皇御陵の参拝をされた。

その上で、四月三十日の御譲位と五月一日の践祚があった。

さらにこれから、
最重要の神事が、十一月十四日と十五日に為される。
これが大嘗祭だ。

何故、最重要であるかと言えば、
この大嘗祭によって、
新帝は天照大御神と一体になられるからである。

新天皇が、神人一体、現(あら)人(ひと)神(がみ)になられるからだ。
 

大嘗祭は、
侍従長も見ることができない禁中の神事で、
天皇は、二日間、その為に建てられた悠起(ゆき)殿と主(す)基(き)殿にお一人で籠もられ、
自ら天照大御神の御膳をつくられて、
天照大御神とともに同じものを食され、

この時の為に編まれた麻の織物を体に巻かれて
明け方まで天照大御神と同じ床に寝られる。
その時、神が降りてくる。

即ち、天照大御神と天皇が一体となる。

つまり、天皇は、大嘗祭を経て、
天照大御神の「天壌無窮の神勅」をうけた初代神武天皇と同じ天皇になられる。

即ち、
万世一系の歴代天皇は天照大御神の生き通しであり、
その「天壌無窮の神勅」は大嘗祭によって、
現在の百二十六代天皇に下されて現在に生きるのだ。

ここに天皇の本質がある。

それ故、大嘗祭を経た天皇には、私人のお立場は一瞬もない。

何故なら、天皇は、
天照大御神、つまり、太陽、となられるからだ。

従って、ビート武の母親と同じように、
私の母も、天皇を直に見たら目が潰れると、子にその本質を伝えたのだ。
 

ここで、次に
今上陛下と共に現在に生きる「天壌無窮の神勅」を示す。


   豊葦原の千五百秋の瑞穂國は、是吾が子孫の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
   宜しく爾(いまし)皇孫 就(ゆ)きて治(しら)せ。
   行矣(さきくませ)。

   寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、
   當に天壌(あめつち)の與(むた)窮りなかるべきものぞ。
 

この神勅が、
日本という国家の在り方、即ち、國體を決定している根本規範、
つまり憲法である。

我が国は、神勅にある通り「天皇のしらす国」である。
「しらす」とは、古代言葉で、

「自分以外のにある物を、我が身に受け入れて、
他の物と我とが一つになること、
即ち、自他の区別がなくなって、
一つに溶けこんでしまうこと」(本居宣長の古事記伝)。
 
つまり、我が国は天皇と国民が一体となった永遠に続く一つの家族の国なのだ。

従って、吉田松陰は、
斬首される十六日前に獄中から次の手紙を友に送った。

「天照の神勅に、日嗣之隆、与天壌無窮と之有り候。
神勅相違なければ日本未だ亡びず。
日本未だ亡びざれば、正氣重ねて発生の時は必ずある也。
只今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり。」
 
天照大御神と一体の天皇がおられることが、
即ち、天照大御神の「天壌無窮の神勅」が現在に生きていることであるならば、
吉田松陰のこの「確信」も現在に生きている。

従って、我らは、三島由紀夫の次の決意を実践しなければならない。

日本に命にかえても守らねばならないものは
二つある。
それは天壌無窮の神勅と三種の神器である。

  ( https://www.n-shingo.com/jiji/ )

           <感謝合掌 令和元年7月10日 頓首再拝>

Re: 天皇陛下の譲位 ② - hwlqzwiqkMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:50:48

伝統板・第二
hwlqzwiqk http://www.g8o3q5z940ud36843j9j0gnv19ylfyk2s.org/
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