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中村天風が遺した「言葉の数々」

1:夕刻版 :

2018/09/17 (Mon) 18:12:05

 このスレッドでは、明治から昭和にかけての哲人のひとりであり、
 ヨーガ行者、天風会創始者である、中村天風師の言葉の数々を紹介してまいります。


【誓詞】(天風誦句集<一> P2~3) より


今日一日

怒らず 怖れず 悲しまず、

正直 深切 愉快に、

力と 勇気と 信念とをもつて

自己の人生に対する責務を果たし、

恒に平和と愛とを失わざる

立派な人間として活きることを、

自分自身の厳そかな誓とする。

        <感謝合掌 平成30年9月17日 頓首再拝>
2:伝統 :

2018/09/18 (Tue) 19:46:52

【朝旦偈辞(甦えりの誦句)】(天風誦句集<一> P4~5) より


吾は今 力と勇気と信念とをもつて甦えり、

新しき元気をもつて、正しい人間としての本領の発揮と、

その本分の実践に向わんとするのである。


吾はまた 吾が日々の仕事に、溢るる熱誠をもつて赴く。


吾はまた 欣びと感謝に満たされて進み行かん。

一切の希望 一切の目的は、

厳粛に正しいものをもつて標準として定めよう。

そして 恒に明るく朗らかに統一道を実践し、

ひたむきに

人の世のために役だつ自己を完成することに

努力しよう。

        <感謝合掌 平成30年9月18日 頓首再拝>
3:伝統 :

2018/09/19 (Wed) 19:08:35

【活力吸収(プラナヤマ)法の誦句】(天風誦句集<一> P6~7) より


神韻(しんいん)縹渺(びょうびょう)たるこの大宇宙の精気の中には、
吾等人間の生命エネルギーを力づける
活力なるものが、隈(くま)なく遍満存在して居る。

今私は

プラナヤマ法と称する特殊の密法を行い
この活力を、五臓六腑は勿論
四肢の末端に至るまで、

深甚なる感謝をもつて
思う存分吸収しよう。

・・・

プラナヤマ法
http://ningen-kou.doorblog.jp/archives/22726907.html


        <感謝合掌 平成30年9月19日 頓首再拝>
4:伝統 :

2018/09/20 (Thu) 18:47:15

【力の誦句】(天風誦句集<一> P8~9) より

私は 力だ。

力の結晶だ。

何ものにも打ち克(か)つ力の結晶だ。

だから何ものにも負けないのだ。

病にも 運命にも、

否、あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。

そうだ!!

強い 強い 力の結晶だ。

        <感謝合掌 平成30年9月20日 頓首再拝>
5:伝統 :

2018/09/21 (Fri) 18:49:39

【思考作用の誦句】(天風誦句集<一> P10~11) より

吾は今 宇宙霊の中に居る。

吾は又 霊智の力と倶に居る。

そもそも宇宙霊なるものこそは、
万物の一切をより良く作り更えることに、常に公平なる態度を採る。

そして 人間の正しい心 勇気ある心 明るい心 朗らかな心という
積極的の心持で思考した事柄にのみ、その建設的なる全能の力を注ぎかける。

然り而して、かくの如くにして 
その力を受け入れしものこそは、
またまさしく力そのものになり得るのである。

        <感謝合掌 平成30年9月21日 頓首再拝>
6:伝統 :

2018/09/22 (Sat) 18:33:15

【人間本質自覚の誦句】(天風誦句集<一> P12~13) より

人は万物の霊長として、宇宙霊のもつ無限の力と結び得る
奇しき働きをもつものを、吾が心の奥に保有す。

かるが故に、かりにも真人たらんには、
徒らに他に力を求むる勿れである。

人の心の奥には、潜在勢力という驚くべき絶大なる力が、
常に人の一切を建設せんと
その潜在意識の中に待ち構えて居るが故に、

如何なる場合に於いても
心を虚に 気を平にして、
一意専心 この力の躍動を促進せざるべからず。

        <感謝合掌 平成30年9月22日 頓首再拝>
7:伝統 :

2018/09/23 (Sun) 17:51:50

【言葉の誦句】(天風誦句集<一> P14~15) より


私は今後かりそめにも 吾が舌に悪を語らせまい。

否 一々吾が言葉に注意しよう。

同時に今後私は 最早自分の境遇や仕事を、
消極的の言語や 悲観的の言語で、批判する様な言葉は使うまい。

終始 楽観と歓喜と、輝やく希望と溌剌たる勇気と、
平和に満ちた言葉でのみ活きよう。

そして 宇宙霊の有する無限の力をわが生命に受け入れて、
その無限の力で自分の人生を建設しよう。

        <感謝合掌 平成30年9月23日 頓首再拝>
8:伝統 :

2018/09/24 (Mon) 18:12:23

【大偈の辞】(天風誦句集<一> P16~17) より

あゝそうだ!!

吾が生命は神仏(宇宙霊)の生命と通じて居る。

神仏の生命は無限である。

そして 不健康なるものや不運命なるものは、
神仏の生命の中には絶対にない。

そして
その尊い生命の流れを受けて居る吾はまた、
完全でそして人生の一切に対して絶対に強くあるべきだ。

だから 誠と愛と調和した気持と、安心と勇気とで、
ますます神仏との結び目を堅固にしよう。

        <感謝合掌 平成30年9月24日 頓首再拝>
9:伝統 :

2018/09/25 (Tue) 19:31:08

【運命の誦句】(天風誦句集<一> P18~19) より

およそ宇宙の神霊は、
人間の感謝と歓喜という感情でその通路を開かれると同時に、
人の生命の上に迸り出でようと待ち構えて居る。

だから 平素出来るだけ何事に対しても、
感謝と歓喜の感情をより多くもてば、
宇宙霊の与えたまう最高のものを受ける事が出来るのである。

かるが故に どんな事があつても、
私は喜びだ 感謝だ 笑いだ 雀躍りだと、
勇ましく溌剌と人生の一切に勇往邁進しよう。

        <感謝合掌 平成30年9月25日 頓首再拝>
10:伝統 :

2018/09/26 (Wed) 17:12:51

【統一箴言】(天風誦句集<一> P20~23) より

人の生命は、宇宙の創造を司どる宇宙霊(神仏)と一体である。

そして人の心は、その宇宙霊の力を
自己の生命の中へ思うがままに受入れ能う働きをもつ。

然もこうした偉大な作用が人間に存在して居るのは、
人は進化の原則に従い、神と倶に創造の法則に順応する大使命を
与えられて居るがためである。


私は心から喜ぼう
この幸いとこの恵みを !!

私は今 人の世のために
何事をか創造せんと欲する心に燃えて居る。

そしてかくの如くに心を燃やして居れば、
いつかは 神は私に何を為すべきかを教えたまうにきまつて居る。

私は今 私の生命の中に、新しい力と新しい元気とを感じる。

私は今 心も肉体も新生しつつあるのである。

同時に 私は今 限りなき喜びと輝やく希望とに雀踊(こおどり)する。

それは私は今 神の叡智を
真実に自分の生命の中に受入れる秘訣を会得したからである。

それ故に私の創造の力は 最も旺盛で且つ完全である。

従つて私の人生は 昨日までの人生でなく、
溌剌とした生気が溢れ、敢然とした勇気で漲つている。


そして何事をも怖れず、また何ものにも怯まず、
人生の一切を完全に克服し、只一念神の心と一体化して
汎く人類幸福のために、創造に勇ましく奮闘せんとするのみである。

        <感謝合掌 平成30年9月26日 頓首再拝>
11:伝統 :

2018/09/27 (Thu) 19:11:52

【信念の誦句】(天風誦句集<一> P24~25) より

信念 それは人生を動かす羅針盤の如き尊いものである。


従つて 信念なき人生は、
丁度長途の航海の出来ないボロ船の様なものである。

かるが故に 私は真理に対してはいつも純真な気持で信じよう。
否 信ずることに努力しよう。


もしも疑うて居る様な心もちが少しでもあるならば、
それは私の人生を汚そうとする悪魔が、魔の手を延ばして
私の人生の土台石を盗もうとして居るのだと、気をつけよう。

        <感謝合掌 平成30年9月27日 頓首再拝>
12:伝統 :

2018/09/28 (Fri) 19:32:08

【坐右箴言】(天風誦句集<一> P26~29) より

私は最早何事をも恐れまい。

それはこの世界並びに人生には、
いつも完全ということの以外に、不完全というもののないよう
宇宙真理が出来て居るからである。

否 この真理を正しく信念して努力するならば、
必ずや何事と雖も成就する。


だから今日からは如何なる事があつても、
又如何なる事に対しても、
かりにも消極的な否定的な言動を夢にも口にするまい 又行うまい。

そして いつも積極的で肯定的の態度を崩さぬよう努力しよう。


同時に 常に心をして思考せしむる事は、
人の強さと 真と 善と 美のみであるよう心がけよう。


たとえ身に病があつても、心まで病ますまい。
たとえ運命に非なるものがあつても、心まで悩ますまい。

否一切の苦しみをも なおたのしみとなすの強さを心にもたせよう。


神と直接結ぶものは心である以上、その結び目は断然汚(け)がすまい事を、
厳そかに自分自身に約束しよう。

        <感謝合掌 平成30年9月28日 頓首再拝>
13:伝統 :

2018/09/29 (Sat) 20:56:24

【恐怖観念撃退の誦句】(天風誦句集<一> P30~31) より


人の心霊が宇宙の神霊と一致する時、
人の生命の力は驚嘆に値いする強さをもつに至る。

しかもこの尊厳なる宇宙の神霊と一致するには、
第一に必要な事は心の安定を失うてはならぬことである。


そして心の安定を失うことの中で、一番戒むべきものは恐怖観念である。

そもこの恐怖なるものこそは、価値なき消極的の考え方で描いて居る
シミだらけな醜い一つの絵のようなものだ。

否 寸法違いで書いた設計である。

かるが故に、今日から私は断然私の背後に、
私を守り給う宇宙霊の力のあることを信じて、何事をも恐れまい。


否 人が常にかくあることを心がくるならば、
必然 人生に恐怖に値いするものが無くなるからである。

故に健康は勿論 運命の阻(はば)まりし時と雖も、
本当に私は私の背後に、私を守り給う宇宙霊の力のあることを信じて、
何事をも怖れまい。

        <感謝合掌 平成30年9月29日 頓首再拝>
14:伝統 :

2018/09/30 (Sun) 18:32:13

【不幸福撃退の誦句】(天風誦句集<一> P32~35) より

私はもう何事が自分の人生に発生しようと、
決して徒(いたず)らに心配もせず、又悲観もしないように 心がけよう。

それは徒らに心配したり悲観したりすると、
すればする程その心配や悲観する事柄が、やがていつかは事実となって、
具体化して来るが故である。


神仏と名づけられて居る宇宙霊なるものの心の中には、
真善美の以外に 心配や悲観というような消極的の心持は 夢にもない。

私はその神の心と通じて居る心をもつ万物の霊長たる人間である。

従って私がこの自覚を明瞭にした以上は、
下らぬ事に心配したり、悲観したりする必要は更にない。


人はどこまでも人としての面目を発揮せぬと、人間の 第一つらよごしである。


人間が人間らしくある時にのみ、人間の恵まれる幸福を享け得る。


だから私は 神の心と神の力に近寄るために、
心配や悲観という価値なき事を断然しないことにする。

そして真理に則した正しい人生に活きよう。

        <感謝合掌 平成30年9月30日 頓首再拝>
15:伝統 :

2018/10/01 (Mon) 19:48:27

【勇気の誦句】(天風誦句集<一> P36~37) より

自分はこの世に作られたものの中で、
一番優秀な霊長と言われる人間ではないか。

しかも人間の心の力は、勇気というものでその圧力を高めるのが、
人の生命に与えられた宇宙真理である、

だから今日からの自分は、
如何なる場合にも断然勇気を失(うしの)うことなく、

特に自己の本能や感情の中で、自他の人生を泥ぬるが如き
価値なき低劣な情念が発生したら、それに立派に打ち克ち得る強い心を作るために、
大いに勇気を喚発(かんぱつ)することに努めよう。

そうだ 終始一貫 勇気勇気で押し切るのだ。

        <感謝合掌 平成30年10月1日 頓首再拝>
16:伝統 :

2018/10/02 (Tue) 19:06:55

【想像力の誦句】(天風誦句集<一> P38~39) より

私は今正に喜びと感謝に満たされて居る。

それは神は 人間の心の中に、想像という
特別の作用を賦与(ふよ)して 下されて居るからである。

そして神は、常に吾々を吾々の想像する観念通りの世界へと、
真実に導き入れるべく その準備を尽されて居る。

だから心して想像の作用を正確に応用すれば、
それはとりもなおさず 幸福の楽園へのよき案内者を作ったのと同様である。


かるが故に、私は能(あた)う限り可能的で高級なる想像の絵を心に描こう
・・・ハッキリと明瞭に・・・但しどんな事があっても、
夢にも自分の生命を腐らし泥ぬる様な価値のない事は想像するまい。


そして神の定めた約束通り、その想像の中から
正しい人生建設を現実化する気高い理想を作り上げよう。

        <感謝合掌 平成30年10月2日 頓首再拝>
17:伝統 :

2018/10/03 (Wed) 18:25:01

【理想の誦句】(天風誦句集<一> P40~41) より

人の生命は 常に見えざる宇宙霊の力に包まれて居る。

従って 宇宙霊のもつ万能の力もまた、
我生命の中に当然存在して居るのである。

故に 如何なる場合にも また如何なる事にも、
怖れることなく また失望する必要はない。

否 この真理と事実とを絶対に信じ、
恒(つね)に 高潔(こうけつ)なる理想を心に抱くことに努めよう。


さすれば 宇宙真理の当然の帰結として、
必ずや 完全なる人生が作為される。

今茲(ここ)にこの天理を自覚した私は、
何という恵まれた 人間であろう。
否 真実 至幸至福というべきである。

従つて 只この上は、無限の感謝をもつて
この真理の中に安住するのみである。

        <感謝合掌 平成30年10月3日 頓首再拝>
18:伝統 :

2018/10/04 (Thu) 17:22:09

【一念不動の誦句】(天風誦句集<一> P42~45) より

私は 私の求る処のものを、最も正しい事柄の中に定めよう。

そしてそれをどんな事があっても、動かざること山の如き
磐石(ばんじゃく)の信念と、脈々として流れ尽きざるあの長い川の如く、
一貫不断の 熱烈なる誠をもって、その事柄の実現するまで
些(いささ)かも変更することなしに、
日々 刻々 ハッキリと心の中に 怠りなく連想して行こう。

丁度 客観的に看察するが如くに……


私は最早(もはや)消極的の思想や観念や又は暗示に感じない。
またそうしたものは私を動かすことは出来ない。
私は断然そうしたものより、より以上のものである。

私は最早(もはや)あらゆる人生の中の 弱さと小ささとを踏み越えて居る。


そして 私の心は今絶対に積極である。

おゝそうだ、私の心は勇気と信念とで満ち満ちて居る。
従って私の考え 私の言葉、それは何れも颯爽(さっそう)として 
いつも正義である。


だから 私には人生のあらゆる場面に奮闘(ふんとう)し得る 
強い強い力が溢(あふ)れて居るのだ。


そして私の人生はどんな人の世の荒波に脅(おびや)かされても、
あの大岩の上に屹然(きつぜん)として立つ燈台(とうだい)のように、
平静と 沈着と 平和と 光明とに 輝やき閃(ひらめ)いて居るのだ。

        <感謝合掌 平成30年10月4日 頓首再拝>
19:伝統 :

2018/10/05 (Fri) 19:38:01

【修道大悟の誦句】(天風誦句集<一> P46~49) より

そもさん 吾等かりそめにも天地の因縁に恵まれて、
万物の霊長たる人間としてこの大宇宙の中に生れし以上、
先づ第一に知らねばならぬことは、
人生に絡まり存在する 幽玄微妙(ゆうげんびみょう)なる宇宙真理なり。

誠やこの自覚を正しく厳(おごそ)かになし得(え)なば、
敢て求めずとてもその身を健(すこ)やかに、
その運命を和(なご)やかにするを得(え)ん。

これぞ正に千古昭(せんこしょう)として
 耽存(じんぞん)する尊厳侵(おか)すべからざる人生の鉄則にして、
また神(かん)ながらに定められたる動かすべからざるの天理なり。

しかも心より喜ばんかな、
吾等今や正に雀躍する感激に咽(むせ)びつつ
この妙諦(みょうてい)とその手段とを知れり。

あゝこの幸い この恵み! そも何をもつてかたとえん。


顧(かえり)みれば、転々として人生の悶えと悩みに 苦しみしこと幾年月!!

今やわれ茲(ここ)に豁然(かつぜん)として 無明の迷いより覚め、
自覚更生(こうせい)の大道に入るの関門に立ち、
心眼既(すで)に開けて行手に栄光燎乱(りょうらん)たる人生を望み得し今日、
吾が心はただひたすらに言い能わざるの 限りなき欣びに勇みたつ。


然(しか)り!!
世の人々の、すべてのすべて、よしや富貴栄達名門名誉の人と雖(いえど)も、
所詮(しょせん)味わい得ぬ、この欣びと、この感激!!

誠!!
恵まれたる吾よ と思えば、などか この尊き因縁を、とこしえに忘れ能うべき。
されば堅く吾と吾が心に この欣びと この幸いとを根強く植えつけて、
一意専心、黽勉努力(びんべんどりょく)、実践躬行(じっせんきゅうこう)、

ふたたび人生無自覚の過ちを繰り返さざらんがために、厳かに反省の鞭を手にし、
ひたむきに向上の一路へと颯爽と邁進し、吾らの住むこの世界に、
誠と愛と平和に活きんとする人の数を多からしむるべく、
吾まずその模範の人とならんことを、自(みずか)ら、自らの心に、厳として誓わん。


        <感謝合掌 平成30年10月5日 頓首再拝>
20:伝統 :

2018/10/06 (Sat) 19:31:57

打坐の妙法(天風誦句集<一> P50) 

安定の打坐密法の真諦は

  心耳を澄まし 空の声きく
  
心をば 虚空の外に 置きかえて
     
  五感気にすな 打坐の妙法
  
心をば 静かに澄ます 空の空

<参考Web;空の巻  安定打坐法
       http://www.tempu-online.com/part2/chapter-sky.html >

        <感謝合掌 平成30年10月6日 頓首再拝>
21:伝統 :

2018/10/07 (Sun) 19:31:49

【自我本質の自覚】(真理行修誦句<研修篇> P8~9)

そもや真我の真相は
水火侵(おか)し能(あた)わざるの絶対にして、
また不朽(ふきゅう)不滅の実在なり。


人もしこの信念に真に安定(あんじょう)するを得ば、
肉の呵責(かしゃく)も人の世の非業(ひごう)も 
夢幻(まぼろし)の如くに消え失(う)せて、
無限至上なる歓天喜地(かんてんきち)の世界現われん。

        <感謝合掌 平成30年10月7日 頓首再拝>
22:伝統 :

2018/10/08 (Mon) 17:59:15

【心身の完成】(真理行修誦句<研修篇> P10~11)

それ人の本体は肉身にあらず、また心にもあらず。
絶対にして不変また不朽不滅なる霊魂なり。

然るに人の多くは、この荘厳なる消息を悟る能(あた)わず、
徒(いたず)らに肉身または心を人の本体なりと思い惑(まど)う。

そもや仮相(かそう)は実相の姿にあらず。
またその本質の現われにもあらず。

身(み)といい心と称するものは、
真我の命が現象の世界に活きゆくための 一切方便を行わんがための
命への要具なれば、ただこれを巧みに調整行使して、
ひたすらその性能の完全なる発現を促進せざるべからず。

知らずや たとえ名工名匠といえども、
その用具の全きものなくば 恰(あた)かも腕なきに等し。

さればわれ人ともに、真にその人生に安定(あんじょう)せんには、
ただ一念わが命の要具たるこの仮相の存在を、
より良く全(まった)からしむることを心がけざるべからず。

かくして初めて人としての正しき幸いをうくることを得ん。

悟らざるべからず 勉めざるべからず。

        <感謝合掌 平成30年10月8日 頓首再拝>
23:伝統 :

2018/10/09 (Tue) 19:52:06

【意志の煥(かん)発】(真理行修誦句<研修篇> P12~13)

宇宙の原則 進化向上に順応するには、
常に自分の 知識と能力との最善を尽くし、
たとえいかなる仕事に 対しても自分の為さねばならぬ義務を遂行し、

他人に迷惑をかけず、あらゆる誘惑や困難に負けないで 
活きるのが、永遠不変の人生真理である。


そしてこの人生真理を現実化するには、
真我の所有である自己の生命を支配する最高の権能をもつ
意志を煥発することである。

従ってこの侵すべくもあらぬ尊厳なる主体性を、
瞬時といえども 疎(おろそ)かにすべからず。

        <感謝合掌 平成30年10月9日 頓首再拝>
24:伝統 :

2018/10/10 (Wed) 21:50:28

【心の鍛錬】(真理行修誦句<研修篇> P14~15)

神は吾人人類に鍛錬すれば必ず鉄をも切るべき 
精鋭なる切れ味凄き名剣を与えている。

されどこれを名剣となすもまた邪剣となすも、
所詮はその人々の鍛錬のいかんにあるがゆえ、
心に心して丹念鍛冶(たんや)
この業物(わざもの)を伝家の名刀として作り上げねばならぬ。


そしてひたすらに
神の御旨(みむね)に答え奉(まつ)るようにすべしである。

またもし誤って鍛冶(たんや)宜(よろ)しきを得ざれば、
この剣は却(かえ)って身を滅ぼすの邪剣となり、あらでもがなの結果を来たさん。


およそ覚者大哲の人というは、ただこの消息に目ざめて 
精進彼岸(しょうじんひがん)に入りし人々のことなり。


また凡下(ぼんげ)凡俗の輩(やから)というは、この名剣を鍛え誤りし結果 
邪剣となして抱き苦しみ悩むものをいう。


かるが故に かりにも修道の人は、
ただ何事にも一念集中してわが心を鍛冶(たんや)し、
神のくだし賜(たま)える利剣の真価を発揮せざるべからず。

        <感謝合掌 平成30年10月10日 頓首再拝>
25:伝統 :

2018/10/11 (Thu) 19:50:56

【官能の啓発】(真理行修誦句<研修篇> P16~17)

およそ人にしての完全領域に到達せんには、
先ずその官能を常に営々として啓発し、
これを無欠完全に作り上げることが これその第一歩なり。


誠や 官能にして無欠完全たらんか、
やがては自由にそして正確に自己を統御し得る、
雄大荘厳な人生の殿堂を築きあげる崇高なる技術者たることを得ん。

されば官能の啓発こそは、珠玉を磨きて光あらしむるに等しく、
夢寝瞬忽(むびしゅんこつ)の間(かん)といえども
これが万全を期成し 怠るべくもあらず、ただひたむきに励まんかな。

・・・

<参考>

中村天風述「心に成功の炎を」第6章(P267~269)より抜粋

「官能(感覚器官)の啓発」とは勘を良くすること、
つまり「五感の感覚の機能を正確・優秀にすること」。
常日頃、適当にこれを訓練することが必要なんだ。

どうすれば感覚器官を正確に使用する習性をつけられるか。
諸事万事に応接するときに「はっきりした気持ちでやる」ということ。
有意注意力を集中する。

何事を行なうに際しても、決して「何気なしに行わぬ」ことを心がける。


人間は何をおいても、まず第一番にこの五官という感覚器官の作用を
できるだけ研(と)ぎあげて完全にするということが一番肝要だと
気がつかなきゃならないのだが、たいていの人が気がつかずにいるのだよ。

        <感謝合掌 平成30年10月11日 頓首再拝>
26:伝統 :

2018/10/12 (Fri) 18:42:49

【心の開拓】(真理行修誦句<研修篇> P18~19)

世の人の多くは自己の心の一部をもって自己の心の全体と思う。
そのため知らず識(し)らず真我の偉大な力を窘束(くんそく)している。
しかもこれひとえに意識に関する理解に欠ける処があるために外ならない。


さればわれらはただ一念 この真理に則して心の開拓に努力し、
ひたすらに真我の表現たる霊性の発現をもって本願となすものなれば、
頼みがたき理知のみに、貴重なる心業(しんぎょう)の一切を委ねるべからず。


およそ自己の有する心なるものは、現在の自己の理知が考えるところよりも、
遥かに広大にしてまた無辺のものなれば、
心に心してこの広汎領域を開拓し、
尊厳なる意志をもってその一切領を主宰(さい)統一すべし。


叩かざれば空しく霊門の扉は固く閉ざされて、永遠に開かれざるべし。

叩けよ さらば開かれん。


        <感謝合掌 平成30年10月12日 頓首再拝>
27:伝統 :

2018/10/13 (Sat) 18:19:12

【霊性の発揮】(真理行修誦句<研修篇> P20~21)

およそ人間の心の奥には幽玄(ゆうげん)微妙 
はたまた端倪(たんげい)し能(あた)わざる一大心界あり。

しかもこの心界は宇宙創造の力と通じ、
常に自己を授(たす)け自己を擁護(ようご)する責務を行う。

さるにても無明(むみょう)なるかな 
人々の多くはこの崇高なる心界が、わが命の中に在りとしも気づかず、
徒(いたず)らに心の一部に存在する低劣なる心意にのみ
あたら貴重なる人生を委(ゆだ)ぬるがために、
心ならずも価値なき苦しみと悶(もだ)えとを招く。

須(すべか)らく問えよ、また訊(たず)ねよ 一切を魂の囁(ささや)きに。

そもやわれとは心にもあらず肉身にもあらず、唯一にして絶対なる霊魂なり。

心といい肉身というも、
そは所詮(しよせん)わが本体たる霊魂の要具に過ぎざれば、
徒らに益なき煩悩(ぼんのう)に執着(しゅうちゃく)して、
低劣なる心を夢にも躍らすこと勿れ。

無礙(むげ)にして始めて自在なることを得ん。

されば常に心境止水(しんきょうしすい)
わが本性の固有する霊性発揮に努めなば、
固く閉ざされし霊門の扉はやがて内より静かに開かれ来たり、
いみじくもわが意識の心耳に、
妙(た)えなる魂の囁(ささや)きを尊くもまた聴くを得ん。

        <感謝合掌 平成30年10月13日 頓首再拝>
28:伝統 :

2018/10/14 (Sun) 19:46:25

【自己陶冶(とうや)】(真理行修誦句<研修篇> P22~25)

そもそも人格の完成は人類当然の責務にして、
ただ一途(いちず) 自己を陶冶することによってのみ 
その目的を達成す。

しかも自己陶冶の力は 他面にのみ存在するものにあらず、
まことや昭(しよう)として自己生命に内在す。


さればわれ人ともに より良き優れし人生に活きんには、
先ずこの尊厳なる生命内在の力を発現せしむるに如(し)かず。


而(しこう)してこの力こそは、自己の心境を正しく怠らず
清く払式(ふっしき)することによってのみ その全能を発揮す。


先哲既に叫んでいわずや。
「新しき計画の成就はただ不屈不撓(とう)の一心にあり」と。

かるが故に心に心して常に心に、
気(け)高き理想と高級なる想像とを強烈に抱かしめよ。

そはとりもなおさず 心境払式に対する唯(ただ)一つの手段なればなり。


さらばひたむきにただ想え、気高く 強く一筋に。


よしや かりに人生行路の中途 滔(とう)々たる運命の濁流になげこまるるとも、
また不幸病魔の檎(とりこ)となることありとも、夢にも悶ゆる勿れ 怖るる勿れ。


宇宙の昭々たる摂理は、万象(ばんしょう)を恒(つね)に流転(るてん)す。
されば今日の禍(わざわ)いも、やがてまた
明日の幸いを瑞祥(ずいしょう)するの兆(きざし)たらん。


さなきだにただ一心に心の力を信念精進(しょうじん)せば、
わが霊に宿る巨神は その偉力を振い 天の摂理に順応し、
自己心中の悪魔も 妖怪(ようかい)も、否一切の汚(けが)れしものを

その膝下(ひざもと)に跪(ひざまず)かせ、
われらを正(しょう)念の彼岸(ひがん)に導かん。


かくして人生を虐(しい)たげ人生を悩ます人間世界の煩悶と苦患(くげん)は、
立ちどころに消滅離散し、われらの世界はここに一新され、燐として輝き 
溌剌として生気躍動する尊貴至上の人生顕現(けんげん)せん。

        <感謝合掌 平成30年10月14日 頓首再拝>
29:伝統 :

2018/10/15 (Mon) 17:11:00

【自己本来内省の悟】(真理行修誦句<瞑想篇> P28~31)

そもや人の生命の本来は、純一無雑なる「霊」という気体である。

然も その霊なる気体こそは 尊厳なるかな、
宇宙創造の根本主体たる宇宙霊という先天の一気の直接分派である。
多くいうまでもなく宇宙霊なるものは絶対の実在である。

従ってその分派を直接収受せし人間の生命の本来は、
また必然絶対であるべきである。


されば その絶対なる人間の生命に、理由なくして何すれぞ、
悲しみ苦しみ或は怖れというが如き忌(い)まわしきものが、
妄(みだ)りに襲いかかって来る筈がない。

何故なればそうしたものは真理の上より厳格に論断すれば、
何れも人間の心の中に生じる相対的仮相現象であるからである。


そもそも相対的なるものは、絶対的のものに
断然敵することの出来ないのが厳粛なる宇宙真理である。

今や吾はいみじくもこの真理を悟り、同時にこの悟りを厳そかに信念する。

従って私の心は如何なる場合にも、恒にその霊を思い
その霊を考え、ひたすらに「霊」を本位として人生に活き、
絶対的なる宇宙霊と同化する尊さを心がける。


かるが故に私の心の中には、最早一切の邪悪や 
弱さや卑(いや)しさを 思考するというが如き消極的なるものは、
何としても燃え上がることを許さない。

そしてただ積極的の思考のみを、暗夜を照らす炬火(きょか)の如く、
繚乱(りょうらん)として吾が心の中に輝かそう。

        <感謝合掌 平成30年10月15日 頓首再拝>
30:伝統 :

2018/10/16 (Tue) 17:02:49

【正しき活き方の自覚】(真理行修誦句<瞑想篇> P32~35)

吾は今正に 宇宙霊の叡智と確実に同化し得る秘訣を知り得た。

それは先ず 自己の人生を 正しく完成するに必要とする、
最善にして最上のものを選び出すことに、
日々十二分に注意を深くすることを 吾が心に命ずることである。


そして同時に 私は その選び出した事柄の現実の成就に対して、
勇敢に努力する信念をもつことである。


私はもう境遇や人を怖れない。
私は立派な自己の運命の主人(あるじ)である。

従って私の心は、私の環境からの 何ものにも脅(おびや)かされない。
否 私の心は常に、私の人生のためによりよい環境を作る事のみを正しく思考する。

それは絶対の力を有(も)つ宇宙霊が、
私の心をして何事をも積極的に考え得るようにと、
頼もしい意思の力なるものを、私の生命の中に
与えて居て下されて居るからである。


そもや《意思の力》なるものは、宛然(えんぜん)鉄を引きつける磁石の如く
人の活きるのに必要なる一切を、勉めて 吾に引きよせて くれるのである。


今や この真理を自覚せる吾は、最早(もはや)昨日までの自分でない。

吾はまさに一息毎に、わが生命の中に躍動する微妙なる宇宙霊の力を感じる。

従って私は、この最高真理の啓示を受けた幸福の実行者としての
正しい資格を発揮するために、吾が心をして 如何なる時にも
敢然と勇み立たせて活きて行こう。

        <感謝合掌 平成30年10月16日 頓首再拝>
31:伝統 :

2018/10/17 (Wed) 20:18:25

【境遇改善の誦句】(真理行修誦句<瞑想篇> P36~39)

そも人の境遇は 人それ自身これを作る。
されば 日日の自己の人生はまた 吾自身の作るところに従う。

かるが故に今日一日、どんな場合にも
私は、先ず私の人生の一切を祝福し、
その栄光と吉祥とに感謝する心持を確実にもとう。


今 私の活きつつ在る処、そは私の人生の在る処である。

そして私の活きつつ在る処の環境を包む雰囲気は、
その一切を私の積極的思考の反映を以て、
悉(ことごと)く勢いのよい溌剌たるものにしよう。

私の心の中には、かりそめにも 
煩悶とか 恐怖とかまたは悲しみ怒りという様な、
価値なき思考は 漣(さざなみ)すらも立たせまい。

私は信念する、
私の人生は常に成功と繁栄の雰囲気で包まれて居るということを。


私は私の思考並に私の言語が、私に近づく者のすべての悉くに、
欣びとたのしみえを与えるよう心がけよう。

私は、私の思考ならびに私の言語が、
私に近づく者のすべての悉くに、
《悦びとたのしみ》を与えるよう心がけよう。

私は、私の日々の仕事に誠を失わない。

そして私の仕事は、いかなる場合にも
私の心の中で勢いをつけよう。

私の心の中には、正しい成功と繁栄と、
同時に人々と悦びをト倶(とも)にする思考のみ燃えたつ。
私は、あらゆる処に光明を点じる。


この信念こそは、私の心の中に絶対の王座を占める、
そしてそれが私の終日の気分である。

かくして私は 調和であり 愛であり 誠であり得る。


従って 私に接する者の悉くに対して、
不調和もなければまた憎しみもない。


私はこの崇高なる心的態度を讃美する。

そして人生の刹那刹那を感謝と歓喜に、
心は雀躍するのみである。

        <感謝合掌 平成30年10月17日 頓首再拝>
32:伝統 :

2018/10/18 (Thu) 18:16:02

【安心立命への誦句】(真理行修誦句<瞑想篇> P40~43)

およそ 現象の世界にその生命を生かしつつあるものは、
何れもすべてが「見えざる実在の力」に依って、
その命を 保たれて居るのである。

しかもこの「見えざる実在の力」こそは、
世の人々のいう「神」又は「仏」にして、
またわが天風哲学の称する「宇宙霊」なり。

而して、人にして若しこの真理に正しく目覚めなばその人生は
刹那直ちに堅固なる礎(いしずえ)の上に屹然(きつぜん)として立てる
古城の如き、豪壮なる強さをもつに至らん。

何とならば かかる自覚こそは、人の命の本体である尊い「霊魂」を、
万物一切の根元をなす宇宙霊と、確実に結びつけることになるがためである。

宇宙霊なるものは、誠と愛の満ち満ちたる絶対調和の精気である。

従ってこの信念が 確固不抜のものとなり得なば、
わが命は 求めずとても、愛と誠と調和という 霊妙なる雰囲気の中に活きることとなり、
期せずして愛と誠と調和という聖なる精気は、わが命の隅々までに漲(みなぎ)り溢れ来らん。

かくして一切の不純 一切の邪悪 一切の弱さと卑しさは、
この聖なる気の流れで洗い清められる。


今 私の心は 尊く強く正しく清らかにして、即ち絶対に積極である。

従って 人の世に対する「不安」「恐怖」などという、
人世を価値なくするが如き心持はわが心の中に微塵(みじん)だにない。


更にまた人の運命を毀(こぼ)ち、人の命を傷ける「怒り」
又は「憎(にく)みや悪口(あっこう)」というが如き悪魔の息吹(いぶき)は、
堅く閉されし わが心の黒鉄(くろがね)の扉を開く能(あた)わず。

そして わが人生は、事あるも事無き日と同じく、
洋々として和やかなること さながら春の海の如くあらん。

        <感謝合掌 平成30年10月18日 頓首再拝>
33:伝統 :

2018/10/19 (Fri) 18:39:19

【神人冥合への誦句】(真理行修誦句<瞑想篇> P44~47)

およそ 人としての真の価値は、ただ偏(ひと)えにその心の力の程度に従う。
しかも この心の力なるものは、永遠に 創造的に万象を化成する 
宇宙霊を、その源泉とせるものである。


従って吾等かりそめにも より優れ より尊からんことを希(こいねが)わば、
須(すべか)らく常にこの絶大無限の宇宙霊の力を 能(あた)う限り
わが生命の中へ 量(はか)多く受入れることを、ひたすら心がけざるべからず。


まことや この力たるものこそは、
宇宙本体たる 宇宙霊より湧き出づるヴリルの噴泉にして、
また人の命の価値の本源である。

そして その中にあらゆる芸術 一切の創作並(なら)びに発見の動機と
端緒(たんしょ)とが、秘め隠されて居るのである。


吾は今 吾が心の我執(がしゅう)の解脱(げだつ)が 居ながらにして
宇宙本体と合流することであり、またこの霊妙なるヴリルを分量多く 
わが生命に享け入れ得る秘訣であることを知った。

そして 恒にこの秘訣を行えば、宇宙霊の力は即座直ちに
わが生命に注ぎ入れられること そは必然の真理である。


されば吾は常に心してわが心の我執を払拭(ふっしき)し、
わが心の一切を優れし形に於て積極化し、その積極化されし心を以て
一切を又積極化せば、茲(ここ)に期せずして 
溌剌颯爽たる至幸至福の人生を顕現することを得ん。

        <感謝合掌 平成30年10月19日 頓首再拝>
34:伝統 :

2018/10/20 (Sat) 18:23:22

【入聖開悟の誦句】(真理行修誦句<瞑想篇> P48~51)

吾は今 わが心の中に、この世のすべてのものを正しく理解し得る、
偉大なる「 光り 」あるものが宿り居ることを厳かに信ずる。


この「 光り 」こそは この世に在る唯(ただ)一つの絶対たる宇宙霊が、
わが霊魂の中に与え給いし慈悲の雫(しづく)である。

又この「 光り 」こそは わが命と宇宙霊とを、
確実に結びつくるくろがねの鎖である。
と同時に 更に真理の扉を開く秘密の符牒を知る金鍵(きんけん)である。


そもやこの「光り」が、わが心の中に燦然(さんぜん)として輝かば、
尊しや 宇宙霊は 世の人々のいう「神の啓示」なるものを、
量多くわれに与えたまう。

そして その能(あた)わざるなきの力を以て、
迷いに眩(くら)むわれ等の心の眼(まなこ)を正しく開かせたもう。


さらば 吾は今 この厳そかなる法則を、虔(つつま)しやかに行わんがために、
心の歩みを 宇宙霊に従わせて、ひたすらに真と善と美のみの上に運ばせよう。

常に入聖指南の「弁別(べんべつ)」の苔(しもと)を手にして・・・
そしてひたむきに この「光り」の発現に努めよう。

さすればこの妙なる「 光り 」は、やがてわが心の中に美しき悟りの花を咲かせ、
その稔(みの)りを豊かにして、わが命は 常に おののく如き歓びに満たされん。

        <感謝合掌 平成30年10月20日 頓首再拝>
35:伝統 :

2018/10/21 (Sun) 18:11:03

【幸福への誦句】(真理行修誦句<瞑想篇> P52~57)

それ人としてこの世に活きる時、その最も賢明なる考え方は、
すべて人間の身の上に起った事柄は、皆自己自身が 
知らず識らずの間に その原因を作ったものであると考えて、
これを正しく処理して活きる事である。


現実の人の世は決して夢の如くに、
何の準備も将(はた)又理想をももつ事なしに活きるべきものではない。

要するに常に輝かしい向上への希望を心に抱きて、
愛と誠と平和という 気(け)高い聖なる感情で活きるべしである。


今や私は そうした人生への最も階級の高い悟りを、わが心に得た。

従って私は今後 自己の人生に対する真の責務を果さんには、
須(すべか)らく 自己の生命の中の最高のもの・・・・
即ち 霊性の許諾(きょだく)するもののみを実行することに、
ひたむきに心がけよう。

そして この崇高なる理解を深く尊敬し、同時に 
現実の実行を徹底せしめることを、自己の努力の中心としよう。

否 そうすることが、人生の一切を 最も正しく向上せしむることであり、
また進歩を確実にすることになるということを、明瞭に合点するからである。

そもや 無限と相結ぼって、絶対に亡(ほろ)ぶることなき
唯一(ゆいいつ)のものは人の霊魂である。

誠!!

永遠の実在である宇宙霊の分派であるところの人の霊魂は、
吾等の努力の行修に拠って研(と)ぎ上げたる積極的の心を通じて、
宇宙霊の力を より多く享受(きょうじゅ)する毎に赫(かが)やかしく
その光りを増す。

ましてやその心に更に愛と誠という、至純至聖のものを満たす時、
妙なるかな その生命の全体は、期せずして立ち所に神格化し、
求めずとても至幸至福の人生を顕現するを得る。

されば この真理に則(のっと)って活きる私は、
より一層 わが心の中に、何ものをも憎まざる
愛の情を豊かにすることに専念しよう。

特に特に昼の光りが 濃紫(こむらさき)の几帳(とばり)のかげに、
その姿を隠す「夜」ともならば、一(ひと)しおにこの心がけの徹底に
ひたぶる精進を為そう。

そは夜の世界こそはわが生命が、宇宙霊の絶大なる「力」と結び合おうとする
尊い時であると同時に、心なく生くる人を向下へと堕(お)とす
悪魔の跳梁(ちょうりょう)する心許すまじき時なれば・・・。

        <感謝合掌 平成30年10月21日 頓首再拝>
36:伝統 :

2018/10/23 (Tue) 20:06:51

【信念と奇跡】(真理行修誦句<瞑想篇> P58~59)

吾は今わが心の奥深くに奇跡を行い得る
神秘の力の潜在することを悟り得た。

そして人はこの力をより良く活用することにより、
人の値打が決定されることをも悟り得た。


そして今私はこの尊い現実を悟って、
わが《いのち》の中に輝く尊い光りを自覚する。

同時に過去の一切の無価値より解脱(げだつ)して、格調高き人生へと、
今まさに《よみがえる》感激とよろこびにわが心は炎(ほのお)と燃えたつ。


そもや自己を作るものは自己である。
そして自己を正しく作るには、何をおいても 
自己を正しく律することである。


しかも自己を正しく律せんと欲せば、
ただ偏(ひとえ)に信念を基盤とする連想の観念を、
常住わが心の中に厳そかに確保せざるべからず。


かるが故に 今日からは、如何なる時にもこの心的態度を不断のものとして、
わが《いのち》を正しく作る自律基盤の力を、
かりそめにも緩(ゆる)めざらんことを 虔(つつま)しやかに己れの心としよう。

        <感謝合掌 平成30年10月23日 頓首再拝>
37:伝統 :

2018/10/24 (Wed) 17:11:02

【値いある活き方への悟】(真理行修誦句<瞑想篇> P60~65)

それ慮(おもんばか)るに吾等人間とは、宇宙進化を助成するため、
この現象世界に生れ出でし貴重なる存在なり。

まことや!!
この理解を正しくもち、この消息を正しく信じて 人生を活き行くものには、
蓋(けだ)しその生命は 洵(まこと)に尽くることなく、
又点滅することなき永遠不断の実在を続くることを得ん。

吾は今 この尊い真理を悟り得た。
従って如何なる場合 如何なる事にも、
私は私の人生の尊厳を断じて汚(けが)すまい また泥ぬるまい。


そして わが日々の生活を常に光明あらしめよう。

そも人生とは 人それ自身が作るものである。
されば自分はこの世に在る人の中でも、ほんとうに善良で 
ほんとうに積極的で、ほんとうに完成された人間になることに努力しよう。


そして自分が自分の人生生活の中で行う事柄は、
出来るだけ 自己を本位としない様、常に大(おおい)なる勇気と
大なる決心とで努力しよう。
同時にいつも軽率でなく いつも慎重で、正しい事以外には心を振り向けまい。


そうだ!!
どんな場合にも自分の現在の生活を心から感謝して楽しむのだ。

否それを現実化するために、常に 自分の生活の中から、
「活きることへの情味」を見出すことに努めよう。


かくして見出されたる情味こそは、生活に疲れた命へのオアシスである。
と同時に 生活に悩む心への醍醐味(だいごみ)である。

私は須(すべか)らくこの言葉を愛しこの行いを讃美する。

さすれば宇宙霊は このよろこびに勇む心とこの真理に活きる行為に、
絶えずよりよき向上という値い高きものを与え、限りなく恵み惜しみ給わざらん。


さらばひたすらに努めんかな 行わんかなを厳そかにわが心に、
勇み躍りつ鞭(むち)うち命ずる。

        <感謝合掌 平成30年10月24日 頓首再拝>
38:伝統 :

2018/10/25 (Thu) 18:23:42


          *Web:ホリスティックメドッド(2013/1/3)より

(1)他人と取りかえることのできない、
   宇宙本体から授かった大事な自分の命を守るのは、自分自身であるはずだ。

(2)感謝の念のない人間は不幸だぜ。もののありがた味がわからないんだから。

(3)人間の身の上には、その人の心のなかにないことは生じない。
   言い換えると、すべての出来事は、心の内部から、
   自分が知る知らざるとを問わない、心の内部から揚げられた合図によってつくられる。

(4)人生というのは、忍苦の、あるいは、忍耐のというような難しいことを主張するよりは、
   現在の自分の生きてる命に喜びをできるだけ多く味わわせる、
   そこに真の生きがいがある。

(5)人を喜ばせて、自分がまたその人とともに喜ぶということが、いちばん尊い。

(6)持たなくてもいい重い荷物を、
   誰にも頼まれもしないのに一生懸命ぶら下げていないか。

(7)何かをするときに、一切のすべてをはっきりした気持ちでやる癖をつけなさい。

(8)喜びを感じるから感謝をするのではなく、
   まず感謝をすると同時に喜びが生まれてくる。

(9)悲しいことや辛いことがあったら、いつにもまして笑ってごらん。
   悲しいこと、辛いことの方から逃げていくから。

(10)心の態度が積極的になると、心の力が不可能を可能に逆転せしめる。

(11)自分の人生を建設せんとする意気込みが、
   やがて世界中の人間の人生を建設することになる。

(12)自分がだいぶ良くなったなと思ううちは、まだ本当に良くなっちゃいないんだよ。
   本当に良くなったら、そんな自惚(うぬぼ)れなんか考えないんだから。

(13)人生というものは、そこに進歩と向上があってこそ、
   生きがいを感じ、勉強もし、努力もするんだぜ。

(14)こうなりたい、ああなりたいという理想を常に心にはっきりと描き続けるとき、
   それは確固たる信念となり、理想が実現する。

   理想は人間を偉大にも、はたまた価値なくもする。
   だから、心に犬小屋みたいな小さな夢を描くのではなく、
   もっと、皆の幸せという高貴で広壮なものを描く、
   これが人の理想というものである。


(天風先生の筆による「私は力だ」のお言葉:

   「私は力だ 力の結晶だ
   何ものにも打克つ力の結晶だ

   だから何ものにも負けないのだ
   病にも運命にも・・・・
   否あらゆるすべてのものに打克つ力だ

   そうだ 強い強い力の結晶だ」)

          (http://masayo-blog.com/archives/14593 )

        <感謝合掌 平成30年10月25日 頓首再拝>
39:伝統 :

2018/11/20 (Tue) 18:07:54

        *Web:仲宗根加代子のブログ
         ~中村天風「打たれ強く生きる100の言葉」より

誰でも一度や二度は、あきらめ、
投げ出したくなった経験があるはずです。

もうダメだと心が折れそうになったとき、天風は、

「暗かったら窓を開けろ」と言います。

もちろん、外を探しても窓は見つかりません。

窓はあなたの心にあるのです。

考えてみれば、事業が破綻しようが、
仕事で失敗しようが、恋愛に破れようが、
それによって太陽が明るくなったり暗くなったりするわけではありません。

暗く感じたのは自分の心なのです。

悲観したり、嘆いたり、絶望したりしたから、目の前が真っ暗になっただけ。

暗くなった当事者が自分なら、明るくするのも自分です。

つまり、問題の発生源は自分。

その解決ができるのも自分自身です。



「暗かったら窓を開けろ。光りがさしてくる」

天風のこの言葉は、

「心が暗く感じたなら、マイナスに陥っている証拠だ。
そんなときは、心をプラスに切り替えろ。
すると、宇宙エネルギーが注ぎ込まれ、生きる力が湧き上がる」

ということです。

窓を開けて心をプラスにし、
積極的な人生態度で生きると、心に光がさしてきます。

光とは、宇宙エネルギーが注ぎ込まれることで、
生きる力が漲ってくるのです。

    (http://nakasone7770.jugem.jp/?eid=1474

        <感謝合掌 平成30年11月20日 頓首再拝>
40:伝統 :

2018/11/22 (Thu) 19:02:16


         *「中村天風 打たれ強く生きる100の言葉」池田光・著より

(1)『とらわれない心』が成功を引き寄せる。

   持てる力をいちばん発揮できるのは、心にとらわれがないときです。

(2)いい結果が欲しければ、いい種を蒔く。

   よい運命も無条件に与えられるのではなく、よい種を蒔いた結果です。

(3)天に唾を吐くと、自分の顔に返ってきます。
   長期的には必ずしっぺ返しがきます。

(4)積極性を保つための『4つの境地』

  ①尊い・・・世の為人の為に自分を使うことを喜びとします。

  ②強い・・・強固な信念に裏打ちされた本物の強さです。

  ③正しい・・本心・良心が発揮されて、これを判断基準とします。

  ④清い・・・・清く澄んだ状態です。

(5)神仏は『願うもの』ではなく、『感謝するもの』。

   自分の望みは、自らの努力で叶えてお礼参りをする。

(6)『継続』の秘訣は、楽しむこと。

   目的とするから辛くなるんだよ、楽しみにするんだよ。
   そして寝食を忘れるほどにやる。

(7)『悟ってからが本当の勝負』と考える。

  ①人に真心で対したか②友に誠実であったか。

  ②自得していないことをおしえなかったか。

   そう、毎日内省する。

(8)『仁義』を忘れなければ、どんな逆境にも耐えられる。

   人を喜ばせて、自分がまた、その人とともに喜ぶというのが一番尊いことなんだ。

   仁・・・他人を思いやり、慈しむ心。

   義・・・人として守り、行うべき正しい道のこと。

(9)創造の生活とは、常に『人の世の為になることをする』ということを
   目標とする生活である。

(10)『先に感謝すると、本当に喜ばしいことが起こる』。

(11)『ビジネス』とは『人間づくり』と考える

   松下幸之助さんは、『松下はどんな会社か?』と聞かれると、
   『松下は人をつくっている会社で、あわせて電気製品をつくっています』
   と答えていたそうです。

   そして、社員に中国の古典などを読ませて、
   ビジネススキルだけではない全人的な人間教育を行ったそうです

(12)『病や不運を「生き方を変えろ」という警報と考える』。

   『生き方』の原因があって、結果が起きると書かれてます。
   生き方を変える機会にする。

(13)『信念を確固たるものにすると、それは現実になる』。

   (https://ameblo.jp/kodomonobasu/entry-12156822299.html より転写)

        <感謝合掌 平成30年11月22日 頓首再拝>
41:伝統 :

2018/11/23 (Fri) 17:56:07


         *「中村天風 打たれ強く生きる100の言葉」池田光・著より


(1)天風哲学とは、気と観念の哲学である。

(2)生死一番、臨終ただいまの信念…
   臨終をいま迎えても悔いがないという覚悟で日々をおくること。

   今を大事に、その瞬間を積み重ねる事。

(3)仕事が楽しみならば、人生は楽園だ。
   仕事が義務ならば、人生は地獄だ。
   (ロシアの作家 ゴーリキーの「どん底」のセリフから)

(4)人間は雑念、妄念があるかぎり、本心・良心はでてこない。

(5)持てる力をいちばん発揮できるのは、心にとらわれがないときです。

(6)力を入れることに重点をおかずに、力を働かせることに重点を置く。

(7)習慣を断ち切る手段が「内省検討」で、毎日、その日の事を振り返ります。

  ①人に真心で対したか。

  ②友に誠実であったか。

  ③自得していないことを教えなかったか(孔子の高弟の曾子のしたこと)


(8)【宇宙エネルギー】

  ①人は、宇宙エネルギーを受けれれば受け入れるほど、
   運命が好転し、病がよくなり、願いが叶い、
   人生がうまく運ぶようになります。

  ②「楽しさ、朗らかさ、おもしろさ」という喜びの感情が、
   宇宙エネルギーを受け入れる秘訣だ、と前置きしておきましょう。

  ③消極的なシナリオでは、萎縮した人生となり、
   宇宙エネルギーを受け入れる入り口はふさがれて、生命力は消耗します。
   病が治りにくいのです。

(9)【気の存在】

  ①物体的基体・・・宇宙はすべて気からなり、人間の霊魂も気の凝集体である。

  ②エネルギー・・・宇宙エネルギー(創造主の力)も、人間に内在している
           肉体や精神のエネルギーも、あらゆるエネルギーは
           気のエネルギーである。

  ③法則性・・・プラスの気は建設、マイナスの気は破壊の方向性をもっている。
         また、気は凝集すれば、何かが生じ、拡散すればなくなっていく。

(10)この宇宙に満ちている無限の気エネルギーは、進化向上へと運動をつづける。
   それと同調して生きようというのが、気によって生きる生き方です。

(11)【主体性を持つ大事さ】

  ①与えられた作業をこなすのではなくて、
   進化向上に寄与しようと創造的に取り組んだ時に、確信をもって気づけます。

  ②消極的な感情に対して、これをこらえようか、これに負けまいとする気持ち、
   これは相対的積極なんです。

  ③重湯さえ喉を通らなくても、噛み続けると、拒否反応もなく、
   栄養として吸収されてしまうものなのです。

(12)【潜在意識の活用】~観念要素の更改法

  ①連想暗示法…プラスの楽しいことだけを暗示していく。

  ②命令暗示法…寝がけに「だんだんよくなる」など、プラス言葉を注射する。

  ③断定暗示法…翌朝、目が覚めたら「よくなった」と断定する。

  ④積極的暗示の摂取…プラス暗示をたくさん摂取する。

  ⑤積極的人間との交際…プラスの人と付き合うようにする。

  ⑥積極的集団との交際…プラスの集団とつきあうようにする。

(13)感謝の方を何者にも先に支払っておきゃ、自然と喜びはくるというんだ。

(14)農耕儀礼のひとつとして予祝行事があります。

  ①秋の豊作を祈って、あらかじめ期待する結果(豊作)模擬的に表現すると、
   そのとおりの結果が得られるという考え方です。

  ②お花見は本来、桜に宿った穀物の神様を前に、秋の豊作を先にお祝いし、
   神様に感謝する予祝だったそうです。

(15)利益を相手の方に与えたら、相手に跳ね返るようにして、
   自分に利益が入ってくる。

(16)【霊的境地】

  ①冷静満足だけが、いつまでも楽しい欲望なのです。

   冷静満足とは、他人を喜ばせることが嬉しいという満足です。

  ②「安定打座法」…おりんの音がふっとかき消える瞬間…音がなくなったこの瞬間に、
   意識は放り出され、無心になる一瞬において霊的境地を味わうことがあります。

  ③霊的境地に入ると、絶対的なプラスの状態となり、
   宇宙エネルギーは最大限に注ぎ込まれ、
   もともと持っていた生命力と一体化します。

  ④「心が霊的境地に入ると、
   宇宙のもっている万能的な英知が人間の心に受け入れられる」

(17)【役目、使命】

  ①人としてすべきことを「三行」としてまとめました。
   これは三つの行うべきことであり、正直、親切、愉快の実践をすすめています。

  ②人を喜ばせて、自分がまた、その人とともに
   喜ぶということが一番尊いことなんだ。

  ③「企業は、恒に宇宙原則=自然の摂理に順応して、この世の中の
   進化と向上を実現化するという、厳粛な使命をもってこの世に生まれてきた。

   (松下幸之助氏「順化同化の精神」を天風流におきかえた言葉)

  ④創造の生活とは、常に「人のためになることをする」ということを
   目標とする生活なのである。

   (http://udp.jp.net/udp_blog/archives/903 より転写)

        <感謝合掌 平成30年11月23日 頓首再拝>
42:伝統 :

2018/11/25 (Sun) 18:06:46


          *「叡智のひびき 天風哲人 箴言註釈」中村天風・著 より

   天風教義の積極心というのは
   恒に心の平安を確保する事であるが
   同時に如何なる場合でも寛容である事を忘れてはならない。

         ・・・

【箴言註釈】

積極心というと消極心と反対だから
心の前に現れるすべてのことに常に拮抗する気分になるが、それは違う。
 
真の積極心は常に心が泰然不動の状態であることをいう。

何事があろうが・・・詳しくいえば、

病難、運命難であろうとも、心がこれを相手にしないで、
かかわりを持とうとせず、勝とうとも負けようとも思わず
超然としてやすらかでおちついていることえを得て、

初めて天風哲学の理想とする積極心=平安を確保しえた心的状態
=絶対的の強さをもつ心となり得るのである。


自分に対しては、常に厳然として自ら粛(つつし)まねばならぬ
ことは何よりも必要なことであるが、

自己以外の人に対しては、あくまで清濁併せ呑む という
寛容さを失ってはならない。

        <感謝合掌 平成30年11月25日 頓首再拝>
43:伝統 :

2018/11/27 (Tue) 18:54:22


          *「叡智のひびき 天風哲人 箴言註釈」
               中村天風・著(P19~26) より

   何事を為すにも報酬を超越して
   それを自己の責務なりと思うて行なう時
   その行為は尊い

            ・・・

(1)報償をあてになされる行為は相対的で、
   報償を超越してなされる行為は絶対的である。

(2)人間の行為に、まごころのこもってなされるものと
   その「否」との場合、その結果のいかんにかかわりなく、
   その行為の「尊さ」というものに、
   すこぶる格段の相違がある。
   
   「まごころ」で行なわれる行為には、
   絶対の強さというものがあるということです。

(3)常住 何事をなすにも、「報酬は私にとって目的ではない」を、
   われらの人生モットーとして生活することに、
   注意深く心がけねばならない。

(4)この世の中に活きるのは、いかにえらくなっても、
   自分一人で生きられるものではなく、
   人あっての自分、自分あっての人ということが、

   即座に直感され、その直感が良心に感応すれば、
   報償を超越した責務感となり、さらに当然の帰結で、
   その責務感がまごころとなって発露する。

(5)まごころの生活こそ、人間の純正生活の基本要諦をなすもので、
   同時に安心立命の真義諦である。

   常に粛(つつし)み省(かえり)みよう。


        <感謝合掌 平成30年11月27日 頓首再拝>
44:伝統 :

2018/11/28 (Wed) 19:25:10


          *「叡智のひびき 天風哲人 箴言註釈」
               中村天風・著(P27~33) より

   自分の心の中に何かの悩みがあるならば
   先ずそれは「取越し苦労」か或いは「消極的思考」かの
   何れかである。故に入念に省察すべし


(1)悩みをもつのは当然のことではない。
   心が統制されていないからである。

   潜在意識の整理が不完全だと、本能心意のなかに
   「不要残留真意」が存在して、それが恐怖や悲観や憎悪といった
   消極的感情情念にとなって顕在意識領域に発言したのが悩みである。


(2)明るい朗らかな人生に活きるのにはまず悩みという心理現象を
   心に持たせぬよう、平素正しい準備を施すことが、
   何よりも肝心な人生の要諦なのである。


(3)天風教義(観念要素の更改法、積極観念集中力養成法)の実践に努力されよと、
   あえて衷心より熱奨する。


   いうなかれ 今日行わずといえどもまたの日があると

   いうなかれ 今年行わずとも来年もあると

   月日というものはたちまち去って二度と来ない

   倦きずに行うというのが人間の本当の安定の道



     ともすれば おこたりがちになるものぞ
     こころすべきは こころなりける


        <感謝合掌 平成30年11月28日 頓首再拝>
45:伝統 :

2018/11/29 (Thu) 19:00:20


          *「叡智のひびき 天風哲人 箴言註釈」
               中村天風・著(P35~45) より


   「思いやり」という事を現実にするには先づ何を措いても
   相手方の 気持ちになって考へて見ることである。


(1)「君子の道は忠恕のみ」というのがある。
   孔子の訓語で、忠恕とは正しき思いやりということである。

   正しき思いやりとは、自分が、先方の人間になって考えるということである。

(2)英国の古いことわざに、
   「他人の立場に自分を置いてみれば、幸せな人生がおくれる」というのがある。

(3)自分以外の人の心持を理解しあうことができるという、
   特殊の精神能力を人間だけに付与されているのはなにゆえぞ。

   何事に対しても、まず相手方の気持ちになって考えてみることが、
   すべてのことの解決をスムーズにする秘訣だ。

(4)もっとも厳正なる人生観は、曰く

   「自他共存主義」すなわちこれである。

   これを、天風哲学は、「自他統一主義」と呼称する。

   しかして、この自他統一主義が、真理に則した人生観だとしたら、
   そんな場合にも、人間のすべての人生接渉(せっしょう)に対しては、
   まず、何よりも、相手方の気持ちになって考えてみることが、
   もっとも正しい人生態度だと、簡単に気がつくべきである。

   まことに銘すべく、
   また、必然実践すべきであると心に銘すべきである。

        <感謝合掌 平成30年11月29日 頓首再拝>
46:伝統 :

2018/11/30 (Fri) 18:12:22


          *「叡智のひびき 天風哲人 箴言註釈」
               中村天風・著(P47~54) より

   一切の事柄をすべて感謝に振りかへて考へられない人は、
   完全に天風教義を実行して居る人とはいへない。


(1)感謝観念をもって人生の一切に応接してこそ、
   それが人生を現実に有意義に決定する不可犯の哲学的真理である。

(2)実行意欲が徹底的でないのは、その原因に
   自己完成への情熱が熾烈でないということがらがあるからである。

(3)人間の一生は、どうしてみても二生はないものである以上は、
   一生しかない人生を完成することなしに終ったのでは、
   万物の霊長として生れたことが、まったく無意味になるではありませんか! 

   ということをもっともっと深刻に考察してみることです。

(4)ただ一途撓(たゆ)みなく真剣に実行する以外に手段なしと
   正念されて、何をおいても、何事にも、ことのいかんに問わず、
   感謝するように心がけることである。

   特に、ちょっとでも不満や不平を心に感じるようなときには、
   よりいっそう、それを感謝に振り替えることに努力するように
   習性づける。

   要は、この心がけをいかなる場合にも不断のものとするべきである
   tご、あえて痛烈に勧奨する。

        <感謝合掌 平成30年11月30日 頓首再拝>
47:伝統 :

2018/12/01 (Sat) 18:38:24


          *「叡智のひびき 天風哲人 箴言註釈」
               中村天風・著(P55~63) より

   正しい愛情とはお互いが活きて此世に存在して居るという
   厳粛なる事実を衷心から尊敬し合うことから湧いて来る。

(1)正しい愛情というものは、「お互い人間が、こうしてこの世に
   活きて存在している」という犯すべからざる事実を、

   もっともっと真剣に、厳粛に思量して、そして心の底から、
   その生命の存在を虔(つつま)しやかに尊敬し合わない限りは、
   人間の心の中からとうてい発生して来ないというのが、
   人間の心理現象に対する峻厳なる宇宙なのである。

(2)ほんとうに愛するという気持ち=正しい愛情というものは、
   活きている「いのち」に対する尊敬という心理現象が
   これに相対するバロメーターをなすものなのである。

   だからこうして、呼吸し、飲食し、排泄し、そして、ものをいい、
   互いにその心を感じ理解し、さらにこうして生命が動いている。

   すなわち活きているという大事実を、衷心から尊敬するという
   敬虔な気持ちにならないと、しょせん、正しい愛情というものは、
   心の中から湧き出てこないのである。

   よしんば、いくら愛そう憎むまいと思っても、である。

(3)人のいのちとは、不滅のエネルギーが、人間から人間へ、
   はっきりいえば親から子へ、子から孫へと、その生殖細胞へ
   相伝され、そして、それが、現象界に現実に活動している
   状態を指していうのである。

(4)この生命存在の真実の消息を静かに凝視すれば、期せずして、
   活きているという生命の姿の中に、神秘のさまざまが感得され、
   自然と心からそれを尊敬する気持ちになれるはずである。

   いわんや、万物の霊長として、絶賛に値する自然的存在と
   絶対的資格とを惟(も)うとき、よりいっそうの
   敬虔さを感じないではいられない!

(5)何をおいてもお互いの「いのち」の活きているという現実を、
   心の底から敬虔な気持ちで尊敬しましょう!

   そして、正しい愛情の持ち主となって、明るい世界の
   現実建設を、人生最大の念願としましょう!

   こうした気持ちになりえた時こそ、人各々、ほんとうに、
   人生価値をはっきりと把握したことになるのであると、
   断乎として喝破し、あえて諸氏の猛省を促すべく
   諸氏の魂へと贈る。

        <感謝合掌 平成30年12月1日 頓首再拝>
48:伝統 :

2019/01/27 (Sun) 19:56:36


他人の気持や言葉、又は事件や病いという様なものに、
心を脅かされたり圧倒される人があるとしたら、
心身相関の真理を正しく理解せぬ人である。

          ・・・

箴言註釈23 現代語表記版

心身相関ということは、何も特別に理論的な研究をするまでもなく、
日常の人生生活を営む際に、少し注意すると、どんな人でも体験していることである。

ところが、何事かと言いたいくらい、多くの人々はこのことを非常になおざりにしている。
そしてそのため、もっと健康的にも、運命的にも恵まれた幸福な人生に活きられるものを、
不本意にも価値のないものにしている。

いつも講演の際にくどいほど言っていることであるが、
真の幸福というものは、「富」とか「地位」とかという様なもので、
現実にこれを得られるものではない。

所詮(しょせん)は、一にも、二にも、心の力がこれを解決するものである。

言い換えれば、人生に対する精神態度というものが、
人生を幸福にも、はたまた不幸なものにもする。

というのは、これもしばしば講習会で耳にされている通り、
この大宇宙の中には建設の作用を現実化するプラス=積極の「気」と、
破壊の作用を現実化するマイナス=消極の「気」とが、

進化と向上とを現実にする新陳代謝作用を完全にするために、
どんな空間にも隅(くま)なく満ちて存在している。


そして、この微妙なる「気」が、
人間の気分=精神態度と常に同化的に働いているという現実があるからである。

だから千万の理論より、
この絶対的に反することのできない重大な事実を考えなければならない。

そうすれば人生に活きる際の精神態度=心の持ち方というものが、
どれほど人生全体に切実に影響を与えるかということが、
極めて明白にわかってくるのである。

更に、夏の修練会の真理瞑想行の際にも、人生において何よりも戒めるべきことは、
活きていくうえにおいて、どんな事情があろうとも、
絶対に心を消極的にしてはならないということである。

それはただ人生の光を闇にしてしまうだけで、
結局は寿命でもないのにこの世を去る時期をただ早めるだけのことになって
終わるだけであると説いたことを、よもや忘れた人はないだろう。

ところが、修練会で行修をしていない会員の中には、修練会で実体験するような、
尊い確信を現実として得られていないためでもあろうが、
せっかく心身相関の真理を講習会で耳にしているにも拘わらず、

他人が何かの事情で憂鬱(ゆううつ)になったり、悲観したりしていると、
同情の域を飛び越して、自分までもそれと同じ気分になって、
極端に精神態度を消極的にしてしまう人がよくいるのである。


また中には、他人の言葉や行為を自分の心に影響させたり、同化させたりして、
不愉快になったり、あるいは不機嫌になったりする人がいる。

更に笑えるのは、何事かを人に忠告したり、あるいは勧告したりしたとき、
相手の人が快くそれに応じてくれないような場合、やたらと気分を害する人がいる。

もっと滑稽(こっけい)な人になると、人に親切にしてやって、
相手がその親切に感じないと、盛んに憤(いきどお)る人がいる。

それからもっと愚にもつかぬ人もいる。
それは自分の仕事や、又は為す事などが思い通りうまく行かないと、
とてもがっかりしたり、へこたれてしまい、憐れなほど意気消沈するという人である。


何れにしても、人生こうした心構えでは、いくら学識があろうと、金持ちであろうと、
更に社会的な地位をもっていようと、

真理というものは事情に同情はしないのであるから、

先述の通り自分をただいたずらに不幸な状態に心ならずも陥(おちい)らせて、
結局は、この世を去る時期を早めるだけのこと以外、
何にも値打ちのあることは人生に招き寄せられない。

わかり切ったことであるが、人生には断然二ページは無いのである。

したがって、自己の人生はあくまでも、
自分自身がこれを徹底的に守り抜いて行くべきである。

それがすなわち人生の尊厳にして最大の義務である。

それには如何なる瞬間にも、心身相関の現実を絶対に忘れることなかれである。

Heaven helps them who help themselves.
(天は自ら助くる者を助く)

『天風哲人箴言註釈』昭和三十八年発行、「箴言二十三」現代語表記・編集部編

    (http://www.tempukai.or.jp/know/proverbs.html

        <感謝合掌 平成31年1月27日 頓首再拝>
49:伝統 :

2019/02/06 (Wed) 19:08:00


油断するといつしか
「誓」の言葉を空文にして活きて居る事があるから 
十分気をつけねばならない。

      ・・・

箴言註釈24 現代語表記版

この事柄は、今更事新しくいうまでもなく、恐らく会員諸君の大抵の人が
日常生活の実際の場面で時々体験し、同時に反省しておられることであろうと思う。

もっと詳しくいうなら、せっかく、
毎朝「甦えりの誦句」や「誓」の言葉を心をこめて唱えて、
今日一日の人生を、出来るだけ尊く、清く、活きぬこうと心がけていたのに、
ひょいと気づいてみると、いつしか消極的な感情のとりことなり、
或いは怒り、或いは悲しみ、或いは怖れ又は憎む、悩むという気持ちになっている
自分を発見するというようなことをです。

察するに、これは何も初心の人のみでなく、
相当教義に順応して生活しているはずの古参会員の中にも、
この遺憾(いかん)な事をしばしば経験されている人がおられることと思う。

かりにも真人として活きるのに必要な根本法則である精神生活態度の決定に対する
必須条件、すなわち、心に固有する感応性能の積極化を現実にする
「観念要素の更改」「神経反射作用の調節」「積極観念の養成」等の重要方法を励行し、
そのうえ安定打坐密法も怠りなく実行しているにもかかわらず、
こういう風に時折「誓」の言葉を裏切るような心の状態になるというのは、
そもそも一体どういう理由なのか?

というと、それはこの箴言の冒頭にある「油断」ということがその主な原因なのである。

それも、精神感応性能の積極化ということが完全に徹底的に出来上がっていれば別だが、
そうでない限りは、ちょっとでも精神態度を保つ上に「油断」という心の状態が生ずると、
たちまち実在意識領を消極的な感情々念で占領させてしまうことになるのである。

このように心が「油断」という状態になる第一の過程は、
その時の意識が明瞭さを欠いているからなのである。

考えてみてもすぐに分かることだが、いやしくも人生の真理を習得した者が、
ハッキリした気もちで、わざわざ心に消極的な感情々念を招きいれるはずがない。

つまり、自分はその時気づかないが、とにかく、心の明瞭度がピンボケになっていたために、
その油断につけ入って消極念が実在意識領に侵入したからなのである。

だから、「誓」の言葉通りの人生に活きるのには、
もっともっと精神使用の原則を尊重して、観念集中を現実にすることに
努力しなければいけないのである。

結局は、「実践躬行(じっせんきゅうこう)ひたすらに倦(う)む勿(なか)れ」である。

身をもって実践に努めさえすれば、それが必ずや第二の天性になるというように
習性化するに決まっているからである。

第二の天性というようになれば、どんな場合にも
「誓」を裏切るような気もちには断然ならない。


要は万一「誓」の言葉を無意味にしたような場合には、後悔することよりは、
もっともっと自ら実践に努力するよう我と我が心に鞭を当てよ、である。

それがこの箴言の終わりの「十分気をつけねばならない」という言葉に該当する。

『天風哲人箴言註釈』昭和三十八年発行、「箴言二十四」現代語表記・編集部編

  (http://www.tempukai.or.jp/know/proverbs.html

        <感謝合掌 平成31年2月6日 頓首再拝>
50:伝統 :

2019/03/21 (Thu) 18:23:20


   真善美という事は人の心の何れに該当するものかというに
   真と美とは本心に固有するもので、
   善とは良心の能動より発動する情緒である


箴言註釈25 現代語表記版

真、善、美という言葉は、洋の東西を問わず、
昔からどの宗教でも、それを「神」の心意なりといっている。

そもそも「神」と称されるものは、これを科学的に理論づければ、
「宇宙創造の根本主体=万物を造り出すヴリル発生の源」に対する尊称に他ならない。
勿論これは諸君のよく知っているところであると信ずる。

そこで、どういう理由で「神」なるものの心意が真、善、美である
といわれるのかというと、哲学的な思索でも、又科学的に考えても、
宇宙創造の根本主体の造り出すもののすべてが、

換言すれば、万物を造りだすヴリルのその活動状態とその結果の一切が、
如何なる場合にも真、善、美そのままであり、
絶対にそれ以外の何ものでも無いがためである。


この事情は敢えて深く考えるまでもなく、
自然界も、一切の事象一切の事物の現象を見ても、
そのすべてが完全ということへの意図の現れで、
少しもそこに破壊のためへの破壊というものがないのを見ても、すぐに明白になる。

いや、一見破壊らしく見えるものでも、事細かく検討すれば、
そのすべてが完成への一過程としての破壊でしかないということが納得できる。


要するに、前にも言ったとおり、古来より、洋の東西を問わず、
一切の宗教が真、善、美=神の心意という理由は、実にこの点に存在するのである。

それだけでなく、われわれ人間というものは、
この宇宙創造の根本主体が造り出したものの中で、最も優秀にして厳かな存在である。

言い換えるならば、宇宙創造の根本主体(神=造物主)なるものの造られた作品の中で、
一番優れた完全さを多くもつものなのである。

従って、その当然の結果として、人間の心意の中にも又、
その造り主の心意である真、善、美というものが分け与えられているのである。


それではこの真、善、美が、人の心のいずれに該当するかというと、
箴言どおり、真と美は本心(intrinsic mind)に本来備わっており、
善なるものは良心(conscience)が発現するときに
必然的に発動する純真な情緒(心情)のことで、
しかも何人にも、男女の別なく生まれながらに与えられているものなのである。

既に研修科において、心意識についての分析的説明の講演を聴かれた会員諸君は、
本心又は良心なるものは、本能心や理性心のように肉性意識の中にあるものではなく、
人間の最高意識である霊性意識の中に厳として存在しているものであることを、
正しく理解されていることと信じる。

しかも、この霊性意識こそ、宇宙創造の根本主体(神=造物主)に
直接に相通じる心意であるということも、夏の修練会において践行される
真理瞑想行で、修練会員の一同が完全に会得されたことと確信する。
(テレパシー=感通作用や、クレアボヤンス=感応作用能力の実験で
実際に体験したことを思い起こして考えるとよい)


そこで次に、この神に通ずるという霊性意識領内の本心に備わっている
真と美というものについて、言及することとする。

真とはいわゆる「まこと」のことで「まこと」とはありのままの姿=何の虚飾も偽りも
形容も無いそのままの、即ち絶対の本然!! のことなのである。
(後段掲記の「誠の解」の詩句参照)

次に、美とは、分り易くいえば、完全調和状態(whole harmonization)をいうのである。

多くいうまでもなく、本心そのものが、既に、完全無欠なものなのであるから、
それが活動状態になれば、すべてに調和=和合=同化を働きかけるのが、
これもまた必然のことである。

それから、善とはそもそも如何なることかというと、
遺憾ながら、現代にはいろいろな理屈や議論を口にしたり書いたり
しきりにする人が多い割合に、善というものの真の意義を正しく理解している人が
極めて少ないようである。

従って、善とは悪に対する反対語という風に至極簡単に考えている人が多い。

しかも、それでは悪とは何かと問えば、よくないこと、わるいことであると平然と答える。
そしてよくないこと、わるいこととはどんなことかと問えば、善ではないことだ、と答える。

しかし、これではどこまで行っても、要領を得ない、いわゆるうやむやなこんにゃく問答に終ることになる。

そこで、ならば善というものの真の意義はといえば、これを哲学的にいうならば、
絶対愛の発露された心意、又はその心意を基盤として為される行為!! ということになる。

それでは、絶対愛とはそもそもどのようなことなのかというと、
分り易くいうならば、恨みや憎しみ、忌み嫌う情が何ら無い、
純真無垢=純一無雑の愛の心情を指していうのである。

だからもしも、われわれの心情に、ある人、ある事柄だけには
愛の気もちを感じることができるけれども、事と人によっては
どうしても愛の情を感じないなどというのは、真の善心の発露とはいえない。

たとえば、自分のものには愛を感じるが、自分に関係のないものには愛を感じない
などという愛は偏った愛で、決して絶対愛ではなく、強いていえば相対愛という
価値のないものなのである。

もっと率直にいえば、そういう相対的な愛情というものは、
霊性意識の領内にある良心という心意から発露するものではなくして、
結局は肉性意識か、せいぜい心性意識から発露されたものなのである。

がいずれにしても、価値高い真人生である第一義的人生道(心身統一の生活)に
活きようと意図するわれわれ天風会員は、必ず常に出来る限りどんな場合も、
今述べてきた真、善、美を自己の実際的な心情として活きることに、
油断することなく努力すべきである。

しかもその目的を現実に達成するには、講習会や研修科又は修練会で
講義を受けた各種の方法を、真剣に実行すること以外他に合理的な方法が無いことを
心に刻むべしである。

参考のため「誠」ということの意義を解き明かした詩句を添記しておく。

「誠の解」
誠之為字、従言従成、志之述之謂言、言之行之謂成、誠邦音麻古登 
麻真也 実也 古登言也 事也 述而不行則不可謂誠、和漢同義者如是矣 
至之為義 由此達彼也 達乎 誠之極之謂至誠 人而至誠 則神人感応 
百事尽享 吾邦所謂和魂 文天祥所謂正気 孟子所謂浩然 其語雖異 
其所帰則一也 嗚呼人々服膺至誠二字 拳々勿失 惟身之可修家之可齊而已哉 
其積徳之所及 光被四海亦非難也

(読み下し)

誠の字たるや、言に従い成に従う。これを志しこれを述ぶるを言と謂い、
これを言いこれを行うを成と謂う。
誠は邦音にて麻古登、麻は真なり実なり。
古登は言なり事なり。述べて行わざればすなわち誠と謂うべからず。

和漢同義かくの如し。至の義たるや、これによって彼に達するなり。
達するや、誠の極みにしてこれを至誠と謂う。
人にして誠に至れば、則ち神人感応し、百事をことごとく享く。

吾が邦のいわゆる和魂、文天祥のいわゆる正気、孟子のいわゆる浩然、
その語異なると雖も、その帰するところは則ち一なり。

ああ、人々至誠の二字を服膺し、拳々失うこと勿れ。
身の修むべく家の齊うべきを惟みるのみ、その積徳の及ぶ所、
四海を光被することもまた難きにあらざるなり。

(意味)

誠という字は言と成からできている。これを志し、これを述べることを言といい、
これを言いこれを行うことを成という。
誠はわが国では麻古登で、麻は真であり実である。
古登は言であり事である。述べて行わなければ誠といえない。

わが国でも中国でも同じである。誠の道はこれによって向上するものである。
達すると誠の極みで、これを至誠という。
人が誠に至れば神と人は感応し、万事ことごとくうまくいく。

わが国のいわゆる大和魂、文天祥のいわゆる正気、孟子のいわゆる浩然は、
言葉は違うけれども、つまりは同じことである。

人々よ、至誠の二字を自分のものとして、肝に銘じて忘れないようにしなさい。
身を修めて家をととのえることに専念しなさい。
徳を積めばその光が世界を被うことも難しくはないのである。

『天風哲人箴言註釈』昭和三十八年発行、「箴言二十五」現代語表記・編集部編


        <感謝合掌 平成31年3月21日 頓首再拝>

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