伝統板・第二

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賢者の一日一言(9月) - 夕刻版

2018/09/01 (Sat) 18:39:38

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)伝統板・第二「『一日一語』(二宮尊徳) 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7539379

(2)伝統板・第二「『一日一語』(森 信三) 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6714587

(3)伝統板・第二「修身教授録・一日一語(森 信三)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7150729

(4)伝統板・第二「一日一言(坂村真民)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747223

(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言⑧」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661


賢者の一日一言《1日》

(1)【 9月1日 】天に勝つ事あたわず

   俗歌に「箱根八里は馬でも越すが馬で越される大井川」と言へり。

   其の如く人と人との上は智力にても、
   弁舌にても、威権にても通らば通るべけれど、
   天あるを如何せん。

   智力にても、弁舌にても、
   威権にても決して通る事の出来ぬは天なり。

                      (夜話一四七)

   【略解】
 
   いかなる知力・権力にても勝つことが出来ないのは、
   天の支配力である。


              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之四~その14」に収録。<2015/11/09 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 9月1日 】

   「円心あって円周なし」──
   そしてみな自主独立にして出入自在。

   今後は無数のコンミューンが生まれねばならぬが、
   この様な円の中心者たちが、お互いに手を取り合う
   「開かれたコンミューン」でなければなるまい。

・・・

(3)【 9月1日 】無量の鉱石を掘り起こす

   お互い人間として最も大切なことは、
   単に梯子(はしご)段を一段でも上に登るということにあるのではなくて、

   そのどこか一力所に踏みとどまって、
   己がカの限リハンマーをふるって、
   現実の人生そのものの中に埋もれている無量の鉱石を、
   発掘することでなくてはならぬ。

・・・

(4)【 9月1日 】 《三不忘》

   貧しかった時のことを
   忘れるな

   苦しかった時のことを
   忘れるな

   嬉しかった時のことを
   忘れるな

・・・

(5)《1日 よいコトバはよい世界をつくり出す》

   すべて、この世の中はコトバが支配している。
   よいことばはよい世界をつくり出し、美しい言葉は美しい人間社会をつくる。
   だから、お互いによい言葉をつかい、気持のよい会話をしよう。

   (中略)

   表情も、態度も、みなコトバであるから、明るく、
   気持のよい態度で生活しよう。

          谷口清超著『智慧と愛のメッセージ』より

・・・

<参考Web>

(1)賢者の一日一言(1月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7687047 

(2)賢者の一日一言(2月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703213

(3)賢者の一日一言(3月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7724250

(4)賢者の一日一言(4月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7733101

(5)賢者の一日一言(5月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7743267

(6)賢者の一日一言(6月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7751498

(7)賢者の一日一言(7月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7761413

(8)賢者の一日一言(8月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7770594


           <感謝合掌 平成30年9月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2018/09/02 (Sun) 17:55:12


(1)【 9月2日 】仁義礼智の徳性を

   人心は譬(たと)へば、
   田畑に生ずる莠草(はぐさ)の如し、
   勤めて耘(くさぎ)り去るべし。

   然(しか)せざれば、
   作物を害するが如く、道心を荒す物なり。

   勤めて私心の草を耘り、
   米麦を培養するが如く、
   工夫を用ひ、
   仁義礼智の徳性を養ひ育つ可し。

                (夜話一三三)

   【略解】
 
   人心の雑草を除去し、
   道心の徳性を培養すべしとの教えである。
   道心とはに義礼智の心をいう。

              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之三~その57」に収録。<2015/09/10 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6543350 )

・・・

(2)【 9月2日 】

   「一人雑誌」の意義
   (一)各自の主体性の擁立に資するところ大。
   (二)さらに同志相互間の生命の呼応、展開に資する光がために──。

・・・

(3)【 9月2日 】自己を築く道具とこつ

   人間も自己を築くには、
   道具やこつが必要です。

   この場合道具とは読書であり、
   こつとは実行をいうのです。

   このニつの呼吸がぴったり合うところに、
   真の人間はでき上がるのです。

・・・

(4)【 9月2日 】 《序詩》

   花咲けば
   共に眺めん

   実熟せば
   共に食べん

   悲喜分かち
   共に生きん

・・・

(5)《2日 あなたは地上に咲いた天の花である》

   人間は、(中略)地上に咲いた天の花である。
   その種子は神によって蒔かれた。

   その美しい形は神によって設計された。
   その薫しい芳香は神によって賦与せられた。

   私たちはその美しい形をなくしてはならないし、
   その薫しい芳香を失ってはならない。

   私たちが美しく咲くことは神の栄光のあらわれである。

        谷口雅春著『新版 栄える生活365章』より

           <感謝合掌 平成30年9月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2018/09/03 (Mon) 19:20:47

(1)【 9月3日 】大海の家台船

   家屋の事を、
   俗に家船(やぶね)又家台船(やたいぶね)と云ふ、
   面白き俗言なり。

   家をば実に船と心得べし。
   是を船とする時、主人は船頭なり。
   一家の者はみな乗合ひなり。
   世の中は大海なり。

   然る時は、
   此の家船に事あるも、
   又世の大海に事あるも、
   皆遁れざる事にして船頭は勿論、
   この船に乗り合せたる者は、
   一心協カこの家船を維持すべし。

                   (夜話八八)

   【略解】

   この家台船の説には衷心より納得するものがある。
   慎まなければならない。

              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之三~その12 」に収録。<2015/07/27 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6543350 )

・・・

(2)【 9月3日 】

   自己の縁なき著名人の書を読むより、
   縁ある同志の手刷りのプリントを読む方が、
   どれほど生きた勉強になるか分からぬ。

   これ前者は円周上の無数の一点に過ぎないが、
   後者は直接わが円心に近い人々だからである。

・・・

(3)【 9月3日 】優れた師① 叱ずして悦服させる

   本当に偉い方というものは、
   そうみだりに声を荒らげて、
   生徒や門弟を叱られるものではないのです。

   第一その必要がなかろうと思うのです。 

   大声で生徒を叱らねばならぬということは、
   それ自身、その人の貫禄の足りない何よりの証拠です。

   つまりその先生が、
   真に偉大な人格であったならば、
   何ら叱らずとも門弟たちは心から悦服するはすであります。

・・・

(4)【 9月3日 】 《一遍一念》

   この世は
   一遍きり

   だから
   一念を
   貫いてゆこう

・・・

(5)《3日 われ一切のものを新たにするなり》

   もしあなたが天国に入りたいと欲するならば、幼子の如くにならねばならぬと、
   誠にまことにイエスは説き給うのである。ということは、あなたは五官以上の
   魂の感覚を開発して幼児の成長するが如く一つの世界から一層高き世界へと
   成長せねばならぬのである。

   今、この瞬間にあなたは新たなる世界に生きようと決心することは、
   恐らく非常に当を得ているのである。

   「われ、新たなる天と、新たなる地とを観るのである。
   前の天と先の地とは過ぎ行くべし。
   視よ、われ、天地の万物を新たならしめるのである」


   このように、あなたは日常生活を送るにあたって、
   前の天と地とを自分の心より放り去らねばならぬのである。

   「われ一切のものを新たにするなり」(「ヨハネ黙示録」第二十一章五節)

   という聖句の真意をその深奥なる意味においてあなたは理解せねばならぬのである

         谷口雅春著『新たに生れるための講話』より

           <感謝合掌 平成30年9月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2018/09/04 (Tue) 19:45:10



(1)【 9月4日 】婦女子の教訓書

   若(も)し男子にして「女大学」を読み、
   婦道はかかる物と思ふは以ての外の過ちなり。

   女大学は女子の教訓にして、
   貞操心を鍛錬するための書なり。

   夫(そ)れ鉄も能々(よくよく)鍛錬せざれば、
   折れず曲らざるの刀とならざるが如し。

   総て教訓は皆然り。

   されば男子の読むべき物にあらず、
   誤解する事勿(なか)れ。
   世に此の心得違ひ往々あり。

                (夜話一五五)
 
   【略解】
 
   貝原益軒の「女大学」に対する評価と共に
   男性の誤解をとかれる細心の用心に頭が下がります。

              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之四~その22 」に収録。<2015/11/25 >
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 9月4日 】

   今日は義人田中正造翁が、同志庭田清四郎の家で最後の呼吸を引き取った日。
   枕頭に残された遺品としては、頭陀袋一つ。
   中にあったのは聖書と日記帳、及びチリ紙と小石数個のみだったと。 

   戦前正造に関しては五巻の「義人全集」があるのみだったので、
   翁の遺弟の黒沢酉蔵氏や雨宮義人氏と語らい「全集」刊行の議を起こして
   発足したが、途中岩波書店に引継がれ、(その間多少遺憾な経緯はあったが)
   今や完璧な「全集」の刊行されつゝあることは、
   事に関わった私にとっては望外な欣びです。

・・・

(3)【 9月4日 】優れた師② 共に道を歩む

   優れた師匠というものは、
   常にその門弟の人々を、共に道を歩む者として扱って、
   決して相手を見下すということをしないものであります。

   ただ同じ道を、
   数歩遅れてくる者という考えが、
   その根本にあるだけです。

   ですから、
   自分一人が山の頂上に腰を下して、
   あとから登ってくる者たちを眼下に見下して、
   「何を一体ぐずぐすしているのか」
   というような態度ではないのです。

・・・

(4)【 9月4日 】 《フラフラするな》

   人間は徒労と思えるようなことを、
   一しょうけんめいすることだ。

   坐でもそうだ。
   何にもならんかも知れぬ。

   しかしその何にもならんと思われるなかに、
   限り知れないものがあるのだ。

   詩作もそうだ。

   フラフラするな、

   グラグラするな、

   現代を見つめ、
   現代に動かされるな。

・・・

(5)《4日 まず手近な一歩を踏み出せ》

   どんな小さい改善でも、それを積み重ねて行くことによって、
   大きな進歩向上をなしとげる。

   「百里の道も一歩から」と言うように、一歩一歩をおろそかにして、
   「一歩ぐらいじゃつまらない、やめておこう」とじっとしていては駄目だ。

   まず手近な一歩を踏み出せ。

           谷口清超著『純粋に生きよう』より

           <感謝合掌 平成30年9月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2018/09/05 (Wed) 15:50:49


(1)【 9月5日 】恩あればなり

たとひ明日食ふべき物なしとも、
釜を洗ひ膳も椀も洗ひ上げて餓死すべし。

是れ今日まで用ひ来りて、
命を繋(つな)ぎたる、恩あればなり。

これ恩を思ふの道なり。
この心ある者は天意に叶ふ故に長く富を離れざるべし。

                      (夜話二〇一)

【略解】
 
いただいた恩を忘れず少しでも報いようとする心がけは、
天意に叶う第一条件ではないだろうか。

              ・・・

(伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之五~その14 」に収録。<2016/03/12 >
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6754248 )



・・・

(2)【 9月5日 】

   人間は心身相即的存在ゆえ、
   性根を確かなものにしようと思えば、
   まず躰から押さえてかからねばならぬ。

   それゆえ二六時中、「腰骨を立てる」以外に、
   真に主体的な人間になるキメ手はない。

・・・

(3)【 9月5日 】四十歳

   人生を山登りに喩(たと)えますと、
   四十歳はちょうど山の頂(いただき)のようなもので、

   山の頂に立って見ますと、
   わが来し方も、
   初めてしみじみと振り返って見ることができると共に、

   また後半生をいかに生きたらよしカということも、
   仄(ほの)かながら見え始めて来るようであります。

   それはちようど山登りにおいて山の頂に達すれば、
   わが来し方を遥かに見返すことができるとともに、
   また今後下り行くべき麓路も、
   大体の見当はっき始めるようなものです。

   それ故(ゆえ)人間も四十歳前後になったならば、
   自分の一生について、
   大体の見通しがつきかけねばならぬと思うのです。

・・・

(4)【 9月5日 】 《一心不乱》

   心を一つにして乱れず

   これだ
   これだけでいいのだ

・・・

(5)《5日 新しい環境は新しい飛躍を生む》

   新しき環境に於いて新しき夢を描かれ、新しき経験は始まり
   新しき事物は発生し、新しき幸福と新しき文化は構成される。

   今汝の心を開いて新しき世界に対処せよ。

   新しきものを拒絶する勿れ、
   新しきものは汝を新しく生かさんが為に
   神から遣わされたところの天の使いである。

          谷口雅春著『新版 光明法語<道の巻>』より

           <感謝合掌 平成30年9月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2018/09/06 (Thu) 23:58:14


(1)【 9月6日 】智・礼・義・仁の次第

   夫(そ)れに仁義礼智を家に譬(たと)ふれば、
   仁は棟(むね)、義は梁(はり)なり。札は柱なり、智は土台なり。

   (中略)

   家を作るには先づ土台を据え、
   柱を立て梁を組んで、
   棟を上げるが如く、
   講釈のみ為すには、
   仁義礼智と云ふべし。

   之を行ふには、
   智礼義にと次第して、
   先づ智を磨き礼を行ひ義を蹈みにに進むべし。

                  (夜話二一八)

   【略解】
 
   修身は仁義礼智に尽きるが、
   その順序次第としての智礼義ににも尊徳翁の洞察眼が光っている。

              ・・・

  (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之五~その31 」に収録。<2016/05/14 >
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6754248 )


・・・

(2)【 9月6日 】

   九十九人が、川の向う岸で騒いでいようとも、
   自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、
   わき眼もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい。

・・・

(3)【 9月6日 】人生の分水嶺

   人問も、
   三十五歳から四十歳にかけては、
   人生を二等分する分水嶺とも言うべき年齢であって、

   人間も四十の声を聞けば、
   かの一葉落ちて天下の秋を知るというように、
   落莫(らくばく)たる人生の秋風を身に感じ始める年配です。

   それというのも、
   四十の声を聞く頃には、
   たいていの人がまず肉体の秋を感じ始めるのが普通と言ってよいでしょう。

   ですから、
   人間も四十を超えてなおかつ
   わが生命の愛惜(あいせき)に思い至らぬというようでは、
   よほどどうかしていると言われても致し方ないでしょう。

   ・
   愛惜=大切にする

・・・

(4)【 9月6日 】 《坐ること》

   とにかくすわることだ。
   坐ってさえおれば、
   道はひらけててゆく。

   そして、その道は正しい道である。

   坐り方が足らないと、
   邪道に走ったり、病気をしたりする。

   坐はわたしの詩の骨髄である。
   タンポポもしつかり大地に坐っているのだ。

   これを学ばねばならぬ。

   禅を頭で考える人は、
   結局どこかにだめな処がある。

・・・

(5)《6日 超越意識の目覚めは潜在意識の限定観念より強力である》

   あなたは何ものにも束縛されない自由な心を持つためには、
   考えられる限りの観点を全て呑吐する広い視野に立たねばならぬのである。

   あなたは真理であるかのように見えるチッポケな観点に
   自分を縛りつけてそれにしがみついていてはならない。
   それは、最悪の自縛であるのである。
 
   われわれは病気と貧乏は実存しないと自分の心に信じさせようと懸命になって
   努力していながら、肉眼では常に病気や貧乏を見ているため、
   心が狼狽し切っている人たちをずいぶん知っているものである。

   このような場合、あなたは次のように考えるのが正しいのである。
   われわれが病気や貧乏を経験することはあり得るのであるが、
   同時に、内部の想念を一変することによって、
   健康と繁栄を実現することができるのである。

   それは現象の世界の事物はどんなものでも、
   一定不変に継続するものではないからである。
   だから、最も霊的に盲目な人でさえも、結局は必ずやその状態から変化して
   目覚めるときが来るのであると。

   あなたは積極的な或いは好ましからざる想念や情況から
   自分を保護しようと努力する必要はないのである。

   あなたはただ自分の理想とする完全世界の方向へ
   着実に想念感情を働かせればよいのである。
   本書の最後の章で私は事物を完全な姿に於て心で観ずる確実な方法を説こうと思う。

      「心の力の秘密」
      著者:R・E・デーヴィス 訳:谷口雅春・伊藤正 より

           <感謝合掌 平成30年9月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2018/09/07 (Fri) 18:35:34


(1)【 9月7日 】天に善悪なし(一)

   天に善悪なし故に、
   稲(いね)と莠(ほくさ)とを分(わか)たず、
   種(たね)ある者は皆生育(せいいく)せしめ、
   生気(せいき)ある者は皆発生(はっせい)せしむ、

   人道はその天理に順(したがう)といへども、
   其内に各区別(くべつ)をなし、

   稗莠(ひえはぐさ)を悪とし、
   米麦を善とするが如き、
   皆人身に便利(べんり)なるを善とし、

   不便(ふべん)なるを悪とす。

               (夜話二)

  【略解】
 
   「天に善悪なし」
   とは生々化育を旨とする天意の働きを指すが、
   誤解なきように願いたい。

   「天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」
   の語あり、
   天罰覿面(てきめん)を意味する。

   この場合の天は天道人道を総合したものである。

              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話~その2 」に収録。<2015/04/29 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457816 )

・・・

(2)【 9月7日 】

   一、「開かれたコンミューン」づくりと
   二、玄米自然食の実行

   これ今日激動する時代に対処する、二つの自己防衛策といってよかろう。

・・・

(3)【 9月7日 】魂の必然 

   敬うとは、
   自分より優れたものの一切を受け入れてこれを吸収し、
   その一切を奪いとって、
   ついにはこれを打ち越えようとする強力な魂の、
   必然的な現れと言ってもよいでしょう。

・・・

(4)【 9月7日 】 《大きな広い心で》

   宇宙観に立てば
   地獄も極楽もない

   すべては心から
   来ているからである

   苦しむな
   悩むな

   大きな広い心で
   生きてゆくのだ

・・・

(5)《7日 無我全托の気持ちで祈れ》

   私達はつねに祈るとき「神様の御心のままになして下さい」という、
   無我の“全托”の気持で祈るようにすることが大切です。

   (中略)

   そうすれば、人間心ではとても考えつかないような経過によって、
   実に驚くべきことが次々とあらわれ、
   「神様の秩序」がこの地上に速かにあらわれてくるのです。

          谷口清超著『感謝の奇蹟』より

           <感謝合掌 平成30年9月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2018/09/08 (Sat) 18:51:29


(1)【 9月8日 】天に善悪なし(二)

   爰(ここ)に到(いたり)ては天理と異なり、
   如何となれば人道は人の立てる処(ところ)なればなり、

   人道は譬(たとえ)ば料理(りょうり)物の如く、
   三倍酢(ばいず)の如く、

   歴代(れきだい)の聖主賢臣(せいしゅけんしん)料理し
   塩梅(あんばい)して拵(こし)らへたる物なり、

   されば、
   ともすれば、
   破れんとす故に政(まつりどと)を立て、
   教を立て、刑法を定め、礼法を制し、
   やかましくうるさく、世話をやきて、
   漸く人道は立っなり、

   然るを天理自然の道と思ふは、
   大なる誤(あやまり)なり、
   能(よ)く思ふべし。

                 (夜話二)

   【略解】
 
   天道に従って人道の誠を尽くす、
   これが人間の生き方です。
   それ故、政治、教育、法律ならびに礼儀作法が必要となります。

              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話~その2 」に収録。<2015/04/29 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457816 )

・・・

(2)【 9月8日 】

   自己の道は自己にとっては唯一にして絶対必至の一道なれど、
   他から見ればワン・オブ・ゼムたるに過ぎない──
   との自覚こそ大事なれ。

   そしてこの理を知ることを真の「自覚」とはいうなり。

・・・

(3)【 9月8日 】気品

   気品というものは、
   人間の修養上、
   最大の難物と言ってよい。

   それ以外の事柄は、
   大体生涯をかければ、
   必すできるものですが、

   この気品という問題だけは、
   容易にそうとは言えないのです。

・・・

(4)【 9月8日 】 《サラリ》

   サラリと
     生きてゆかん
     雲のごとく

   サラリと
     忘れてゆかん
     風のごとく

   サラリと
     流してゆかん
     川のごとく

・・・

(5)《8日 自分が変われば世界が変わる》

   人生の主動者は外にあるのではなく、
   自己にあることを知らなければならない。

   自分自身の「人間」が「変る」ことによってのみ、
   自分の周囲の世界が「変る」のである。

   自分の心が輝いて来て周囲が明るくなるのである。
   自分自身が世界の灯台とならなければならないのである。

         谷口雅春著『新版 栄える生活365章』より

           <感謝合掌 平成30年9月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2018/09/09 (Sun) 19:25:58


(1)【 9月9日 】実地実行を尊ぶ

   朝夕に善を思ふと云へども、
   善事を為ざ座れば、
   善人と云ふべからざるは、

   昼夜に悪を思うと云へども、
   悪を為さ座れば、
   悪人と云べからざるが如し、

   故に人は悟道治心の修行などに暇(いとま)を費さんよりは、
   小善事なりとも、
   身に行うを尊(とうと)しとす、
   善心発(おこ)らば速(すみやか)に是を事業に表すべし、

   親ある者は親を敬養すべし、
   子弟ある者は子弟を教育すべし、
   飢人を見て哀(あわれ)と思はば、
   速に食を与ふべし、

   悪(あし)き事仕たり、
   われ過(あやま)てりと心付とも、
   改めざれば詮(せん)なし、
   飢人を見て哀と思ふとも、
   食を与へざれば功なし、

   故に我が道は実地実行を尊ぶ、
   夫(そ)れ世の中の事は実行にあらざれば、
   事はならざる物なればなり。

              (夜話一四〇)

   【略解】
 
   観念的なキレイごとに終わらず実地・実行・実践を重んずる
   尊徳翁の考えが端的に示されております。

              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之四~その7 」に収録。<2015/10/24 >
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962 )

・・・

(2)【 9月9日 】

   人間何事もまず十年の辛抱が肝要。
   そしてその間抜くべからず、奪うべからざるは基礎工事なり。

   されば黙々十年の努力によりて、
   一おう事は成るというべし。

・・・

(3)【 9月9日 】人格的価値の根本

   人間の人格的な価値というようなものも、
   その人が、
   かようかようのことをしたとか、
   言ったとかいうことよりも、

   そうした見えるものを越えて香る気品の床(ゆか)しさにこそ、
   その根本はあると言えましょう。

・・・

(4)【 9月9日 】《余光》

   年をとると
   沈んでゆく日が
   心にしみる

   特に海に沈んでゆく日の
   静けさ
   温かさ

   その余光の
   美しさ

   人生もかくあれと
   知らせてくださる
   ありがたさよ

・・・

(5)《9日 本当の富は「神の国」にある》

   物の世界は影のようなものだから、
   これをいくら握りしめても、役に立たない。
   しかも「神の国」は、あなたの中にある。

   これは『甘露の法雨』の中にあるように、
   『「汝らの内」即ち「自性」は神人なるが故に
   「汝らの内」にのみ神の国はあるなり
   外にこれを追い求むる者は夢を追いて走る者にして
   永遠に神の国を得る事能わず』

   つまりあなたは(そして全ての人は)本来神(神の子)であるから、
   あなたの内にのみ神の国はあるのだと説かれている。

   しかも神の国の豊かさは、あなたの中にある。
   これは物や金や土地や地位といったものではない。
 
   「あなたの本質だ」

   という教えである。

            谷口清超著『神性を引き出すために』より

           <感謝合掌 平成30年9月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2018/09/10 (Mon) 19:38:48


(1)【 9月10日 】太陽の徳(一)

   此の如く太陽の徳は、
   広大なりといへども、
   芽を出さんとする念慮、
   育んとする気カなき物は仕方なし、

   芽を出さんとする念慮、
   育たんとする生気ある物なれば、
   皆是を芽だたせ、
   育たせ給ふ、

   是太陽の大徳鳴り、
   夫(そ)れ我が無利足金貸付の法は、
   此太陽の徳に象(かたど)りて、立たるなり。

                (夜話六五)

   【略解】
 
   太陽の徳とは大慈大悲の万物をいつくしむ心です。
   尊徳翁の「無利息貸付の法」も、
   この太陽の徳の実践の一つです。

              ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之二~その27 」に収録。<2015/07/04 >
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6511555 )

・・・

(2)【 9月10日 】

   相手と場所の如何に拘わらず、
   言うべからざることは絶対に口外せぬ。

   この一事だけでも、真に守り得れば、
   まずは一かどの人間というを得む。

・・・

(3)【 9月10日 】雑務は心がつくる

   雑務という言葉は、
   私達の良く耳にする言葉ですが、

   「一言もってその人を知る」
   まさにこのような場合にも当てはまるかと思うほどです。

   それというのも、
   その人自身それを雑務と思うが故に雑務となるのであって、

   もしその人が、
   それをもつて自分の修養の根本義だと考えたならば、
   下手な坐禅などするより、
   はるかに深い意味を持ってくるでしょう。

・・・

(4)【 9月10日 】 《芙蓉の花》

   私は芙蓉の花が好きである。
   なぜかというと落花が実にいいからである。

   庭に二本の白花があるが、
   その白花さえ落ちる前には薄い紅色がさしてきて、
   天平の乙女(菩薩のと言ってもよい)髪の形をして、
   なにかはじらいつぶやくような身振りで、
   ぽっと落ちる。

   落ちてころりと二回転するのもある。

   それが実に可憐である。

   殆どの花は落花がみじめだが、
   芙蓉の花はまるくおのれをつつんでつつましく落ちる。

   人間かくのごとくありたいものだと思いながら、
   深まりゆく秋の庭に咲く芙蓉の花を、
   朝毎夕毎ながめるこのごろである。

・・・

(5)《10日 人生に失敗はない》

   すべての失敗は、成功の母である。
   短期的には失敗でも、長期的には成功だ。

   人間の肉体が死ぬのも、短期的失敗のようだが、魂は不死であるから、
   長期的には益々経験を積み、今生や次生や後生での人生ドラマを円熟させ、
   大成功への道を進むのである。

   (中略)

   人生に失敗はなく、大成功あるのみである。

           谷口清超著『伸びゆく日々の言葉』より

           <感謝合掌 平成30年9月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2018/09/11 (Tue) 18:24:28


(1)【 9月11日 】太陽の徳(ニ)

   故に如何なる大借と云へ共、
   人情を失はず利足を滞(とどこお)りなく済(すま)し居る者、
   又是非とも皆済して他に損失を掛(かけ)じ、
   と云念慮ある者は、

   譬(たと)へば、芽を出したい、
   育ちたいと云う生気ある草木に同じければ、
   此無利子金を貸して引立べし、

   無利子の金と云へども、
   人情なく利子も済さず、
   元金をも踏倒(ふみたお)さんとする者は、
   既(すで)に生気なき草木に同じ、

   所謂(いわゆる)縁無き衆生なり、
   之を如何ともすべからず、
   捨置(すてお)くの外に道なきなり。

                   (夜話六五)

   【略解】
  
   「無利足貸付の法」は翁独特のに慈の法で、
   再起開拓の気力を増進せられた。

            ・・・

   (伝統板・第二「二宮翁夜話 巻之二~その27」に収録。<2015/07/04 >
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6511555 )

・・・

(2)【 9月11日 】

   蔭でライバルの悪口をいうことが、
   如何に自己を傷つけるはしたない所業がということの分からぬ程度の人間に、
   大した事など出来ようはずがない。

・・・

(3)【 9月11日 】仕事の心がけ①自覚

   大切なことは、
   仕事の処理をもって、
   自分の修養の第一義だと深く自覚することでしょう。

   この根本の自覚がなくて、
   仕事を単なる雑務だなどと考えている程度では、
   とうてい真の仕事の処理はできないでしょう。

・・・

(4)【 9月11日 】 《ありがたいなあ》

   ありがたいなあ
   ありがたいなあ

   どんなに苦しいことがあっても
   生きていることは
   ありがたいなあ

・・・

(5)《11日 心を柔らかく持ちましょう》

   すべての緊張をといて、柔らかく、ふうわりと、
   「そのまま」の心になりましょう。

   (中略)

   神にまかせ切りの心になって、
   「我なすに非ず。神がこれをなさしめ給うのである」
   と云う心境になれば、力みなく、すらすらと、内からの催しで、あせり無く
   すべてのことが調和して行われるのである。

         谷口雅春著『新版 幸福を招く365章』より

           <感謝合掌 平成30年9月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2018/09/12 (Wed) 17:45:45


(1)【 9月12日 】変に備える為なり

   人は云ふ、
   我教へ、倹約を専(もっぱ)らにすと。

   倹約を専らとするにあらず。
   変に備へんが為なり。


   人は云ふ、
   わが道、積財を勤むと。

   積財を勤むるにあらず、
   世を救ひ世を開かんが為なり。

                (夜話一三)

   【略解】
 
   尊徳翁の教えの真義を承り、
   なるほどと全面納得するものがある。

   (伝統板・第二「二宮翁夜話巻之一~その13 」に収録。<2015/05/13 >
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457816 )

・・・

(2)【 9月12日 】

   自分より遥かに下位の者にも、
   敬意を失わざるにいたって、
   初めて人間も一人前となる。

・・・

(3)【 9月12日 】仕事の心がけ②本末軽重

   次に大切なことは、
   このような自覚に立って、
   仕事の本末軽重をよく考えて、
   それによって事をする順序次第を立てるということです。

   すなわち一般的には大切なことを先にして、
   比較的軽いものを後回しにするということです。

   時には、
   軽いものは思い切って捨て去る場合もないとは言えないでしょう。

   捨て去る場合には、
   断乎として切って捨てるということが大切です。
   これ畢竟するに私欲を断つの道でもあるからです。

   同時に、
   このような私欲切断の英断が下せなければ、
   仕事はなかなか捗(はかど)らぬものです。 

・・・

(4)【 9月12日 】 《敬老》

   わたしは自分の力で生きているとは思っていない。
   諸神諸仏諸菩薩諸天、その他多くの方の
   おん守りによって生かされていると思っている。

   それがはっきりわかる齢になった。

   でもここで大切なことは、わかったならば何か
   御恩返しをするということである。

   何でもよい、自分にできる御恩返しをして
   軽い気持ちになり、合掌してこの世を去ることである。

   老いたる人を敬うことは大切なことであるが、
   果たして本当に敬われることをしてきたか、
 
   そういうことをしっかり考えることも
   敬老の日だと思う。

・・・

(5)《12日 朝起きたら、感謝しよう。》

   朝起きたら「生きていた」ことに感謝しよう。
   ふとんやベッドに感謝して、
   「ありがとう、ごくろうさん」とでも言っておくとよい。

   空気を胸一杯吸って、空気さんありがとう。
   水を使ったら、水さん、ありがとうという。
   空気は地球上に一杯みちあふれて、しかもタダで吸えるのだ。

   それを作り出してくれるのが植物の呼吸作用だ。
   日光に当たると緑の葉から酸素を出してくれる。
   動物の出す炭酸ガスを吸って、又酸素を出す。

   あなたが、水や空気や植物に感謝すれば、
   それがあなたの財産だ、富だ、いのちのもとだということが分かってくる。

   それに太陽の光があなたに無限のエネルギーを与えてくれる。
   それはみなあなたの富であり、また人々の富でもある。
   しかもあなたは、肉体を超えて生き続ける。

   肉体をあなた自身だと思いちがえてはならない。

          谷口清超著『神性を引き出すために』より

           <感謝合掌 平成30年9月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2018/09/13 (Thu) 18:50:36


(1)【 9月13日 】迷悟一体

   佛に所謂(いわゆる)
   「本来東西なし、
   何処に南北あらん、
   迷うが故に三界城(さんかいじょう)、
   悟るが故に十方空」とあり。

   佛家この語を書し、
   之を死人に付すれば、
   則ち天魔も襲う能(あた)わず、
   狐狸(こり)も犯す能わず、

   何ぞや。
   天魔狐狸以前の空に帰すればなり。

                  (語録三二六)

   【略解】
 
   尊徳翁はこの佛語をよく引用せられた。
   この一隻言こそ、
   相対界と絶対界につき鮮明に表現せられたもの他に類なしと言えましょう。

・・・

(2)【 9月13日 】

   尊敬する人が無くなった時、
   その人の進歩は止まる。

   尊敬する対象が、年と共にはっきりして来るようであれば、
   真の大成は期し難い。

・・・

(3)【 9月13日 】 仕事の心がけ③先後の順序

   次に大切なことは、
   同じく大事な事柄の中でも、
   大体何からーから片付るかという前後の順序を明弁するということです。

   この前後の順序を誤ると、
   仕事の処理はその円滑が妨げられることになります。
   そしてこの前後の順序を決めるには、
   実に文字通り明弁を要するのであります。

   理論を考える上にも、
   明弁ということが言えないわけではありませんが、
   しかし現実の実務における先後の順序を明らかにするに至って、
   文字通り明弁の知を要すると思うのです。

・・・

(4)【 9月13日 】 《会いたき人あれば》

   会いたき人あれば
   一輪の花にも
   こころときめき

   一羽の鳥にも
   むねをあつくす

・・・

(5)《13日 あなたの中には、あなた自身の気付かぬ良さがある》

   赤ん坊自身はその可愛さやすばらしさを一向に知らない。
   でも赤ん坊は、皆から愛され、まもられ、育てられる。

   そのように、あなたも、あなたの知らない良さによって、
   人々から愛され、まもられ、協力されるのだ。

   もっと自信をもって伸々と笑え。素直であれ。

           谷口清超著『理想国へのご招待』より

           <感謝合掌 平成30年9月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2018/09/14 (Fri) 17:25:44


(1)【 9月14日 】循環して止まず

   日月星辰寒暑昼夜循環して止(や)まざるは天地の常道なり。
   人世の万事も亦然り。

   (中略)

   善悪邪正、
   禍福吉凶貧富存亡の類、
   循環して窮尽することなし。

   是れ循環の世に在って、
   其の循環を知らざるは哀むべきなり

                   (語録三八五)

   【略解】

   循環は天理なれど、
   人の世の栄枯盛衰をまぬがれる道がある。

   これ人道にして、
   勤労に努め分度を守り譲を計る道なりと教えられる。

・・・

(2)【 9月14日 】

   人は自己に与えらた境遇の唯中に、
   つねに一小宇宙を拓かねばならぬ。 

   されば夜店の片隅にいる一老爺でも、
   その心がけ次第では、
   一小天地の中に生きているといえよう


・・・

(3)【 9月14日 】仕事の心がけ④着手

   次には、
   このように明弁せられた順序にしたがって、
   まず真先に片付けるべき仕事に、
   思い切って着手するということが大切です。

   この「とにかく手をつける」ということは、
   仕事を処理する上での最大の秘訣と言ってよいでしょう。

・・・

(4)【 9月14日 】 《めぐりあい》

   人生は深い縁えにしの
   不思議な出会いだ

・・・

(5)《14日 愛の実践はあなたに長寿と幸運を約束する》

   〝神の子”たるあなたには神の愛が宿っているのである。

   あなたが、内に宿る神の愛を外にあらわして、常に人々に愛を施し、
   常に人々に深切を尽くすならば、そこに神があらわれるのであるから、
   あなたに於いて、神の無量寿があらわれ、あなたは長寿の生命を生き、
   老いる事がなくなるのである。

          谷口雅春著『神と偕に生きる真理365章』より

           <感謝合掌 平成30年9月14日 頓首再拝>

賢者の一日一言《15日》 - 伝統

2018/09/15 (Sat) 18:33:09


(1)【 9月15日 】富貴貧賤

   富貴を好み貧賤を悪(にく)むは人の情なり。

   然れども富貴貧賤は天にあらず、
   地にあらず、
   又国家にあらず、
   唯々人々の一心にあるのみ。

   身を修め人を治むる者は富貴を得、
   懶惰(らんだ)にして人に治めらるる者は貧賤を免れず。

                        (語録三三三)

   【略回】
 
   富貴貧賤は、
   ただ人々の一心にありという一語こそまさに痛切な戒めである。

・・・

(2)【 9月15日 】

   人間の真価と現世的果報とは、
   短い眼で見れば合致せずとも見ゆるべし。

   されど、時を長くして見れば、
   福徳一致は古今の鉄則なり。

・・・

(3)【 9月15日 】仕事の心がけ⑤拙速主義

   次に大切なことは、
   一度着手した仕事は一気呵成(いっきかせい)にやってのけるということです。

   同時にまたそのためには、
   最初から最上の出来映えを、
   という欲を出さないというこです。

   すなわち、
   仕上げはまず八十点級というつもりで、
   とにかく一気に仕上げることが大切です。

   これはある意未では拙速主義と言ってもよいでしょうが、
   このいい意味での拙速主義ということが、
   仕事の処理上、
   一つの秘訣と言ってよいのです。

・・・

(4)【 9月15日 】 《若い好漢》

   先生ちかごろはどこにもお出でになりませんね。
   若い彼は来るなり、わたしに向かってそう言った。

   何か私に言いたいような口ぶりであったが、
   わたしがいまのわたしには、
   沈黙が最大のエネルギー、最良の食べ物なんだ、

   どこにゆかなくても世界の針は却ってはっきり見え、
   人々の動静も心電図のように明確にわかる。

   ウコサベンする年でもなく、
   心にもない世辞を言う配慮もいらぬ、

   長明は方丈の小庵こもり無常をしるし、
   武蔵は洞窟にこもり五輪の書をかいたではないか、

   わたしもタンポポ堂にこもり詩魂を練るのだ、

   そう答えて、この若い好漢と対坐した。

・・・

(5)《15日 小さな「善行」でもよいから毎日積み上げて行けばよい》

   この「人生学校」の卒業式は各自がバラバラで、
   肉体が死亡するときが"卒業"だ。
   そして人は肉体を捨てても次の人生(次生)に生れ変る。
   「魂」が生き通しているのだから、何の心配もいらない。

   ただそれまでどんなに小さな「善行」でもよいから毎日積み上げて行けばよい。
   不正な手段を使わず、正しい、愛ふかい、正直なやり方で、
   ウソをつかず、金銭をごまかさず、よいことさえしておれば、
   立派な成績でこの世を終り、次生や後生でその善果が出てくるのである。

   「本当かな?」

   と疑う心が起るなら、その心を神様に全托することだ。
   何故なら、疑う心が起るのは、まだ経験が足りないからであって、
   あなたが悪者というのではない。

   この世ではまだ分からぬことがいくらでもある。
   どんな大学で学んでも、全て了解したとか、「悟った」ということはない。
 
   しかし「正直である」ことは誰でもできる。
   それは全ての人々に「神性・仏性」が宿っており、
   それがそのまま出てくると"正直"となり、"すなお"となる からである。

            谷口清超著『いのちが悦ぶ生活』より

           <感謝合掌 平成30年9月15日 頓首再拝>

賢者の一日一言《16日》 - 伝統

2018/09/16 (Sun) 17:13:17


(1)【 9月16日 】心・枝・体

   余かつて鍛冶(かじ)を視るに、
   その槌(つち)を執る者腰肩手一と為り以て震撃す。

   心と槌と亦一と為り、
   他心あるなし。

   二三子我が道を学ぶも、
   亦斯(かく)の如くんば、
   則ち何ぞ成らざるを患えんや。

                      (語録三四二)

   【略解】
 
   鍛冶打つ手と槌、
   腰と肩の身心一如の集中力に学ぶべきを教えられる。

・・・

(2)【 9月16日 】

      石川理紀之助翁

   雑草の 生ひ茂りたる ひとところ 碑前に額ずき しましありけり

   草木谷よ つね思ひつゝも つひに来し 涙流れて せむ術もなき

              ・・・

   <参考Web:老農 石川理紀之助
         → http://www.pref.akita.jp/fpd/meigi/meigi-02.htm >

・・・

(3)【 9月16日 】時間の問題を解く

   ほんとうの真面目な生活、
   すなわち全力的な生活に入るには、
   どうしても時間の無駄をしないということが、
   何よりも大切な事柄とな成るわけです。

   しかしこの時間の問題も、
   結局はその人の根本の覚悟いかんによって決まると言ってよいでしょう。

   すなわち人間は、
   人生に対する根本の覚悟さえ決まっていれば、
   わずかな時間も利用できるようになるものです。 

・・・

(4)【 9月16日 】 《リンリン》

   燐火のように
   リンリンと
   燃えていなければならない

   鈴虫のように
   リンリンと
   訴えていなければならない

   禅僧のように
   リンリンと
   鍛えていなければならない

   梅花のように
   リンリンと
   冴えていなければならない

・・・

(5)《16日 明るい心で学習すると、どんどん進歩する》

   生命は光の中で育ち、闇の中では育たない。

   (中略)

   常に明るくあれ。
   明るい心で学習する、どんどん進歩する。
   その進歩がまた心の明るさを呼びさまし、進歩の引金を引くのである。

   「明るくなりたい」のが全ての人々の心情である。
   それは人間の本質が「明るい」からである。

             谷口清超著『伸びゆく日々の言葉』より

           <感謝合掌 平成30年9月16日 頓首再拝>

賢者の一日一言《17日》 - 伝統

2018/09/17 (Mon) 18:14:56


(1)【 9月17日 】三才の徳

   我が道は天地人三才の徳に報いるにあり。

   三才の徳とは、
   日月が遂行し、
   四季循環し、
   万物を生滅してやまないのが天の徳なり。

   草木百穀を生じ、
   鳥獣魚類繁殖し、
   人をして生命を養わしめるが地の徳なり。

   祖宗が人道を設け、
   王侯が天下を治め、
   家老武士が国家を護り、
   農民が農業に勤め、
   工人が大小建築物を造り、
   商人が有無を通じて、
   人生を安らかにする。
   これ人の徳なり。

                (報徳外記)

   【略解】

   それゆえ我々の本務は天地人三才の徳に報いることこある。

・・・

(2)【 9月17日 】

      仕事への熱心さ × 心のキレイさ = 人間の価値

    隠岐の学聖永海佐一郎博士が「人間の真のネウチ」として立てられた公式です。

    この明確な表現には心から敬意と讃歎を禁じえません。
    唯われわれ凡人としては、「心のキレイさ」には到り得なくても、
    せめて「心の暖かさ」が望ましいと思いますね。

・・・

(3)【 9月17日 】睡眠の工夫

   私は、
   夜遅くなったなと思うと、
   なるべく時計を見ないで寝ることにしています。

   でないと朝起きてから、
   「昨夜は何時間しか寝ていないんだから―」と、
   つい睡眠不足が気になって、
   余計に疲れるからです。

   つまり、
   われわれは時計を見て、
   人間はどうしても、
   八時間寝なければいけないように思っているのです。

   しかし睡眠も、
   いたずらに長いばかりが能ではなくて、
   深い眠りなら八時間眠らなくてよいのです。 

・・・

(4)【 9月17日 】 《光る》

   海から日は出で
   満山の露が光る
   まさに華厳(けごん)

   この時からわたしはしっかりと
   光を求めて歩み始めた

・・・

(5)《17日 感謝によって一切の不幸を癒せ》

   いま与えられている幸福や供給の数々を、
   いちいち名前を挙げて、その一つ一つに感謝して見よ。

   どんなに多くの恵みをわたしたちは既に受けていたかに気がついて驚くであろう。
   そして自然に感謝の念が湧くであろう。

   (中略)

   自分が造らないのに、どれほど多くの物をわたしたちは与えられていることであろう。

          谷口雅春著『如意自在の生活365章』より

           <感謝合掌 平成30年9月17日 頓首再拝>

賢者の一日一言《18日》 - 伝統

2018/09/18 (Tue) 19:51:11


(1)【 9月18日 】鍬鎌(すきかま)の宝器

   夫(そ)れ鍬鎌(すきかま)は農をいとなむの重宝、
   民を救ひ国を安んずるの宝器、
   一日もなくてはかなわず。

   そもそも古を考ふるに、
   わが神代のむかし豊葦原を安国と治め給ひしより、
   今日只今に至るまで、

   国を富し、
   家を斉ひ人命を養ふ、
   是より尊きはなし、

   能(よ)くカを尽せば、
   天地の感応目前に顕れ、
   米麦雑穀湧出し、金銀財宝功徳を照らす。

     天津日の恵み積みおく無尽蔵
        鍬(すき)でほり出せ鎌でかりとれ

                      (遺副集)

   【註】
 
   鍬鎌の宝器たる所以(ゆえん)をおさえられた
   哲人尊徳翁の風格ある論説です。

・・・

(2)【 9月18日 】

   正直という徳は、
   われわれ人間が、世の中で生きていく上では、一ばん大切な徳目です。

   それ故「正直の徳」を身につけるためには、
   ひじょうな勇気がいるわけですが、
   同時に他の一面からは、相手の気持ちを察して、
   それを傷つけないような深い心づかいがいるわけです。

・・・

(3)【 9月18日 】人問をつくるもの

   人問の精神的弾力というものは、
   書物と取り組むカによって鍛えられるものです。

   また人問のたしなみというものは、
   言葉を慎むところから始まるものです。 

・・・

(4)【 9月18日 】 《ねがい》

   あなたに合わせる手を
   だれにも合わせるまで
   愛の心をお与え下さい

   どんなに私を苦しめる人をも
   すべてをゆるすまで
   広い心をお授け下さい

・・・

(5)《18日 愛して輝け》

   冬は、とかく雪が降り積る季節である。
   しかしいくら白皚々の田地や山野でも、やがてその雪は解ける時が来る。

   それは春の太陽が暖かく大地を照らすからであり
   雪を蹴散らすブルドーザーやトラックの大群によってではない。
 
   それと同じく、この世の中の悪と見えるものを消し去ろうとするならば、
   その悪と闘い、これを殲滅せんとする苦闘によってではない。

   その努力は高く評価されるにしても、尚かつそれ以上に強力な方法は、
   善をなし、愛を行うことで ある。
   それは丁度「太陽の光」が「積雪」を消し去るようなものである。

   しかも愛は悪しき者の上にもふりそそぐ。
   光の照る如く、愛は何の力みも、敵対心も持たないのである。

   太陽が雪を消すのは、雪を消そうとして努めるのではない。
   ただ照るだけである。すると雪は自然に消え去る。

   そのように愛は悪を認めず、善をすら捉まない。
   善悪を思わず、ただ愛し、ただ祈り、ただ光り輝き、感謝する。
   そのまま光り、輝き、罵られても愛し、嘲られても輝くのである。

          谷口清超著『美しく生きよう』より

           <感謝合掌 平成30年9月18日 頓首再拝>

賢者の一日一言《19日》 - 伝統

2018/09/19 (Wed) 19:10:27


(1)【 9月19日 】職業に貴賤なし

   人皆その職を貴ぶべし。

   家老が代々官録を以て勤仕するも、
   豆腐屋が豆挽(ひ)くも同じことなり。

   然るに豆腐屋は恥(はず)かし思ひ、
   家老は楽なりとするは誤なり。

                   (金言集)

   【註】

   「職業に貴賤なし」。
   その職に対する誠心誠意の如何こそ一番大事である。

・・・

(2)【 9月19日 】

   (一)われわれのこの人生は、二度と繰り返し得ないものだということ。

   (二)われわれは、いつ何時死なねばならぬかもしれぬということ──

    この二重の真理が切り結ぶことによって、
    はじめて多少は根性の入った人間になれるといってよかろう。

・・・

(3)【 9月19日 】己を正しく保つ

   謙遜ということは、
   わが身を慎んで己れを正しく保つということが、
   その根本精神を成すのであります。

   つまりいかなる相手に対しても、
   常に相手との正しい関係において、
   自己を取り失わぬということです。

   すなわち必要以上に出しゃばりもしなければ、
   同時にまた妙にへコへコもしないということであります。

・・・

(4)【 9月19日 】 《ユニテ》

   わたしが
   ねがうのは
   ユニテ(一致)

   どんなに
   ちがったものでも
   どこかで
   一致するものがある

   それを見出みいだし
   お互い
   手を握り合おう

・・・

(5)《19日 親と子はすばらしい神の子同士である》

   親と子とは、夫々人格的には独立している存在です。

   (中略)

   魂としてそれぞれ独立しているすばらしい神の子同士である。

   この真実に立脚した時、初めて親と子は自己同一的であり乍ら
   自由な間柄になり、感謝と喜びにみちあふれた家庭生活を送ることが
   できるようになるのです。

           谷口清超著『父と母のために』より

           <感謝合掌 平成30年9月19日 頓首再拝>

賢者の一日一言《20日》 - 伝統

2018/09/20 (Thu) 18:49:07


(1)【 9月20日 】農民の耕耘、工匠の勤労

   農民の耕耘なかれば次年の衣食なし。
   次食の衣食は農民の耕耘に在り。

         ○

   工匠の勤労なければ諸舎造建されず。
   諸舎の造建は工匠の動労に在り。

                   (金言集)

   【註】
 
   われわれの生活は、
   農民の耕耘、工匠の勤労に負うところが大きい。

・・・

(2)【 9月20日 】

   人間の書く物の中で、
   読まれることの一番確かなものは「手紙」である。

   それ故できたら複写紙で控えをとっておくことは、
   書物を書くのと比べて幾層倍も大事なことといえよう。

・・・

(3)【 9月20日 】謙遜は自己の確立から

   人は真に謙遜ならんがためには、
   何よりもまず自己というものが確立している事が大切だと言えましょう。

   すなわち相手が目下であるからとて調子に乗らず、
   また相手が目上なればとて、
   常に相手との正しい身分関係において、
   まさにあるべきように、
   わが身を処するということです。 

・・・

(4)【 9月20日 】 《手と足 ①》

   手は何のためにあるのか、

   それは落ちてゆく自己を支えるためである、
   とリルケは言っている。

   そういう言葉からわたしはリルケに接近していったが、
   リルケはキリスト教国の生まれだから手をいったのだろう。

   わたしは仏教国の生まれだから、
   足はなんのためにあるのか、

   それは落下してゆく自分を、
   どこで踏み止めるか、
   そのためにあると言おう。

・・・

(5)《20日 あなたの希望は既に実現している》

   あなたが真に必要として求めるものは、
   既に、“霊の世界”に於てあなたの掌中にあるのである。

   既にあなたの掌中にあればこそ、
   そのあることを直感してそれを実現したくなるのである。

   だからイエスは「求むるに先立ちて神はなくてならぬものを知り給う」と
   いっていられるのである。

        谷口雅春著『栄える生活365章』より

           <感謝合掌 平成30年9月20日 頓首再拝>

賢者の一日一言《21日》 - 伝統

2018/09/21 (Fri) 18:53:38


(1)【 9月21日 】誠心・勤労・分度・推譲

   誠心を以て本と為す。
   動労を以て主と為す。
   分度を以て体と為す。
   推譲を以て用と為す。

           (金言集)

   【註】
 
   誠心・勤労・分度・推譲の四綱領こそ翁の説かれる「生き方」の根幹である。

・・・

(2)【 9月21日 】

    宮沢賢治

   明治以後 われらが民族に 斯くばかり 清しき生命 かつて生れしや

   これの世に いのち短かく 生れ出でて 永久の光となりし君はも

・・・

(3)【 9月21日 】真の誠

   真の誠とは、
   その時その時の自己の「精一杯」を尽くしながら、
   しかも常にその足らざることを歎くものでなくてはならぬ。
   ・
   歎く=嘆(なげ)く 

・・・

(4)【 9月21日 】 《手と足 ②》

   わたしは一白水星の生まれだから、
   低い処低い処へと流れてゆく水の性を身につけている。
   そしてこれが宇宙の運行だとも思っている。

   だから私は足を大事にし、
   落下していく自分を支えてくれと頼むのである。

   地球を絶滅させる核兵器を作り出す頭よりも、
   間違った自分を、どこで踏みとどまらせるかの
   足の重要性を、私は強調したい。

・・・

(5)《21日 “真の幸福”は神性・仏性を現し、真・善・美を現成することである》

   “真の幸福”は金もうけでもなく、名誉を得ることでもなく、
   有名になることでもない。
   神性・仏性を現し、真・善・美を現成することである。

   “真の幸福”は一時逃れの嘘やゴマカシでは決して得られない。
   丁度いくらニセ札を作って預金金額をふやしてみても、
   それで「幸福だ」ということにはならないようなものである。

   真の「幸福」は、自己の良心に忠実であり、ウソ、ゴマカシ、インチキはやらず、
   少しでも人々のためになることをして得られる。
   その行為は目立たなくてもよいし、人に知られなくてもよい。

   山奥に咲く草木の花のように、枯れて散るまで、一人の人も見てくれなくてもよい。
   ただ花には、蜜を吸いに来る虫がいるし樹液を吸う虫もいるだろう。
   彼らが喜び、生きながらえるし、
   そしてついでに彼らは果実が実る手伝いをしてくれるのだ。

   こうしていつしか諸々の花は大地を美しく彩り、
   樹木は繁茂し麓の街の人々の生活用水をたくわえ、
   川に流れ出た水は下流にコケやカビや堆肥や虫を送り、
   さらに海に出ては魚介類を養い育ててくれるのである。

   海の魚や貝は、知らず知らずのうちに山奥の樹木(ことに広葉樹)によって
   育てられるので「魚つき保安林」というものもある。

   このように現象界は、必ず因果律によって、
   善因が善果を生み悪因が悪果を招くものである。
   その善因はどんなに小さくてもよい。

   それらが集まり合えば、丁度山奥の樹木の葉や根が生み出した栄養分のように、
   多くの魚介を育て、海水を浄化する。
   しかも“報酬”は何も求めず、称賛をも求めてはいないのである。

             谷口清超著『一番大切なもの』より

           <感謝合掌 平成30年9月21日 頓首再拝>

賢者の一日一言《22日》 - 伝統

2018/09/22 (Sat) 18:37:31


(1)【 9月22日 】一身保存の根元

   我(われ)と云ふ其の大元(おおもと)を尋(たず)ぬれば
                    喰ふと着るとのニつなりけり

                      (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   一身の保存の根元をつきつめていくと、
   衣食住の三大恩恵に帰着しますが、
   とりわけ、衣食こそ、
   二大根元と申せましょう。

   別の道歌に「飯と汁木綿きものは身を助く、
   その余は我をせむるものなり」とあります。

   辛酸痛苦の体験者にして知る真理でありましょう。

・・・

(2)【 9月22日 】

   真に個性的な人の根底は「誠実」である。

   それというのも、
   一切の野心、さらには「我見」を焼き尽くさねば、
   真に個性的な人間にはなれないからである。

・・・

(3)【 9月22日 】上位者に対する心得

   上位者に対する心得の根本を一言で申しますと、

   「すべて上位者に対しては、
   その人物の価値いかんにかかわらず、
   ただその位置が自分より上だという故で、
   相手の地位相応の敬意を払わなければならぬ」

   ということでしょう。

・・・

(4)【 9月22日 】 《大木の幹》

   大木の幹にさわっていると
   大木の悲しみが伝わってくる

   孤独というものは
   猛獣にすらあるものだ

   万年の石よ
   沈黙の鬱屈よ

   風に泣け

   月に吼えろ

・・・

(5)《22日 愛の言葉を語り、愛の表現をする練習をしよう》

   あなたが妻や夫や子供を愛するならば、愛を表現しなければならない。
   何故ならこの世に肉体を持って生れて来たのは、
   愛と智慧とを表現する為だからである。

   この二つは車の両輪の様なもので、どちらが欠けても、ものの役にはたたぬ。

   あなたがいかに頭脳明晰な人であろうとも、愛の表現がなければ、家庭は闇だ。

            谷口清超著『伸びゆく日々の言葉』より

           <感謝合掌 平成30年9月22日 頓首再拝>

賢者の一日一言《23日》 - 伝統

2018/09/23 (Sun) 17:59:59


(1)【 9月23日 】命綱を編む

   天地の捫(もじ)り尽(つ)きせぬ命綱

           ただ長かれとねがふ諸人(もろびと)

                        (二宮翁道歌)

   【略解】
 
   捫(もじ)るとは、
   綱をよるのに右に左に交互によって編んでゆくことで、
   ただその綱が長ければいいというものではない。

   そのもじり方が問題であって、
   しっかり丹誠こめて結んでいくことが大事である。

   せっかく天地の命綱をいただいているのだから、
   日々の誠実な生き方こそ大切である。

・・・

(2)【 9月23日 】

   徳化とは理屈によって化するにあらず。
   心の表現としてのリズムによって化するものなり。

   かくしてリズムの味は言葉には言い難けれど、
   予想以上に深く人心を化するものなり。

・・・

(3)【 9月23日 】目下の人に対する心得

   目下の人に対する心得の一つとして、
   目下の人だからと言って、
   言葉遣いをぞんざいにしないように―ということでしょう。

   これはうっかりすると気付きにくい点ですが、
   大体人間の人柄というものは、
   その人が目下の人に対する場合の態度、
   とくにその言葉遣いによって分かるものであります。

・・・

(4)【 9月23日 】《影》

   影あり

   仰げば
   月あり

・・・

(5)《23日 未来はあなたの掌中にある》

   過去の不幸を心の中で繰返すな。
   過去は既に過ぎ去ったのであり、
   未来は自分の心の中にあるのである。

   朝々が新生である。
   新たなる人生があなたを訪れるのである。

   未来はあなたの掌中にある。
   夜の帳はあなたの過去のすべての歎きを拭い去ったのである。

   この朝、あなたは新生したのである。

             谷口雅春著『新版 幸福を招く365章』より

           <感謝合掌 平成30年9月23日 頓首再拝>

賢者の一日一言《24日》 - 伝統

2018/09/24 (Mon) 18:14:31


(1)【 9月24日 】一輪の福寿草

   天地(あめつち)の和して一輪福寿草

             さけやこの花いく世ふるとも

                 (二宮翁道歌)

   【略解】

   春の始めに咲く一輪の福寿草には、
   まことにめでたい万物生々の息吹を感ずるものです。

   天地和楽のシンボルともいうべきで、
   子々孫々の繁栄を象徴するものです。

・・・

(2)【 9月24日 】

   徳川時代の偉人に学ぶということは、
   「現在もしそれらの人々が、この激流のような時代に生きていたとしたら、
   いかに行動するであろうか」と考え、

   「今日自分として如何に生きることが、
   それら超凡の偉人の心懐に一脈通うであろうか」
   との志念やむなきものがなくてはならぬでしょう。

・・・

(3)【 9月24日 】下坐を行ずる①

   下坐行とは、
   自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。

   言い換えれば、
   その人の真の値打よりも、
   ニ、三段下がつた位置に身を置いて、

   しかもそれが「行」と言われる以上、
   いわゆる落伍者というのではなくて、
   その地位に安んじて、
   わが身の修養に励むことを言うのです。

   そしてそれによって、
   自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。

   すなわち、
   身はその人の実力以下の地位にありながら、
   これに対して不平不満の色を人に示さず、
   真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。

・・・

(4)【 9月24日 】 《月を愛する》

   わたしはみずから光る太陽も偉大だと思う。
   しかし太陽の光を受けて光り返す月に、
   何とも言えない親近感と慈愛とを持つのである。

   時には大きな光の環ができて、
   安らかに眠っている人々を、
   静かに守り照らしているのである。

   そういう美しい月を仰いで、
   宇宙の心というものを知り、

   わたしもしみじみと、
   人間と人間との光の環を、
   大きく広げてゆきたい思念に燃えるのである。

・・・

(5)《24日 肉体の欲望の奴隷となるな》

   「神の子・人間」の本心の愛は、純粋で好き嫌いを超えている。

   (中略)

   「本当の愛」は「慈・悲・喜・捨」の心といっ て、
   相手のためを思い、相手の悲しみを取り去り、相手の喜びを共に喜び、
   しかも“捨”といって、“執着を捨てる心”なのだ。
 
   この心は「神の子の心」、「仏の心」といわれるもので、
   それが人間の本心であり、本性なのである。

   その本性をみとめず、ただ肉体の欲望が本心だと錯覚していると、
   肉体の欲望に振りまわされ、その欲望の奴隷となるだけで、
   人生は肉体の死と共に、灰となって消え去るということになる。

          谷口清超著『輝く未来が待っている』より

           <感謝合掌 平成30年9月24日 頓首再拝>

賢者の一日一言《25日》 - 伝統

2018/09/25 (Tue) 19:32:49


(1)【 9月25日 】一挺の鍬

   ある時青木村を去ろうとする貧民に、
   一挺の鍬(すき)を与えて言われるのには

   「この鍬を以て貧苦を除き、
   負債を償却し、
   一家の福を得なさい」と。

   貧民は答えて

   「鍬一挺が翁の言の如くならばどうして他村に流浪寸るまでの窮乏に陥ろうか」
   と申したので、

   翁はこの鍬の破れるまで日夜の勤勉、
   荒地の耕耘(こううん)にあたることを諄々(じゅんじゅん)と諭された。

                           (逸話集)


   【註】

   翁の懇篤なること誠にかくの如しと言うべし。

・・・

(2)【 9月25日 】

   今日は藤樹先生のご命日です。
   処が私にとって最深の痛恨事は先生のお墓と並べて、
   故橋田邦彦氏の慰留碑と称するものの建っていることで、
   けだしこれほど大なる冒涜はないからです。

   これは戦後一、二、の人間が政治的に策謀して、
   中央から知事を通して天降り的に押しつけて来たものです。

   そこで私は「聖域」を旧に復するために、
   数年前藤樹学者の木村光徳、林秀一の二氏と語らい、
   これを地続きの玉林寺の境内に移すよう先方に申し入れたのですが、
   未だにそのままです。

   思うにそれらの人々には、それが却って橋田氏を傷つける所業だと
   いうことが分からぬらしいのです。

・・・

(3)【 9月25日 】下坐を行ずる②

   世間がその人の真価を認めず、
   よってその位置がその人の真価よりはるかに低くても、

   それをもって、
   かえって自己を磨く最適の場所と心得て、
   不平不満の色を人に示さず、
   わが仕事に精進するのであります。

   これを「下坐を行ずる」というわけです。

・・・

(4)【 9月25日 】《自分の詩》

   自分の詩を書くのだ

   ほかの人の詩なんか
   どうでもよいのだ

   どんなに上手でも
   うらやましいと思うな

   自分は自分の詩を
   一生懸命
   書いてゆけばいいんだ

   字だってそうだ
   自分の字で押し通してゆくのだ

   いのちあふれた字を
   書いてゆけばいいのだ

・・・

(5)《25日 あなたの魂は、あなたの父母を選んで生まれて来た》

   あなたがこの世に生をうけた時、あなたの生まれてきた家庭は、
   あなたが「やりたい人生」を造る上での最適の場所であった。

   あなたの魂は、あなたの父母を選んで生まれて来たのだ。

   (中略)

   それ故あなたは、あなたの父母に感謝し、これからも
   あなたの人生を最高に有意義な“傑作”としなければならないのだ。

            谷口清超著『伸びゆく日々の言葉』より

           <感謝合掌 平成30年9月25日 頓首再拝>

賢者の一日一言《26日》 - 伝統

2018/09/26 (Wed) 17:16:37


(1)【 9月26日 】豆という字

   相馬の藩士富田高慶は江戸の聖堂で十年も儒教を学んだ人であるが、
   野州桜町にきて二宮翁に面会を求めたが、
   断乎として面会を謝絶された。

   しかし高慶もさるもの、
   今でいう青年夜学校を開いて若い者を教育しながら翁への入門の叶うのを待った。

   約半年後、
   面会の許される機会が来た。

   高慶が翁の前に出ると、
   翁はいきなり「お前さんは豆という字を知って居るか」と問いかけ高慶は
   「左様心得ております」と申上げると門弟に紙と筆とを用意させた。

   高慶は筆を揮って豆という字を明瞭に書いた。

   ところが翁は「お前の書いた豆は多分馬が食うまい」と言いつつ
   門弟に倉から一掴みの豆を持ち来らせ、
   「俺の作った豆は馬が食う」とそれを高慶の前に置かれたということである。

   高慶はいたく理窟の国家天下を救うに足らないということを知って、
   誠心誠意を尽くして翁の弟子になったということである。

                         (逸話集)


   【註】

   尊徳翁と富田高慶との出会いの一節は、
   心にのこる逸話です。
   尊徳翁独特の導き方の一例です。

            ・・・

   (伝統板・第二「「二宮翁逸話」~その6 」に収録。<2017/01/07 >
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7152207 )

・・・

(2)【 9月26日 】

   道の継承には、少なくとも三代の努力を要せむ。
   従って継承者は師におとらぬだけの気魄と精進を要せむ。

・・・

(3)【 9月26日 】精神の死

   人問も、
   読書をしなくなったら、
   それは死に瀕(ひん)した病人が、
   もはや食欲がなくなつたのと同じで、

   なるほど肉体は生きていても、
   精神はすでに死んでいる証拠です。

   ところが人々の多くは、
   この点が分からないようです。

・・・

(4)【 9月26日 】 《馴れ》

   もっとも恐ろしいのは、この馴れ。
   暁天祈願も、彼岸の祈りも、
   馴れたら、もうおしまい。

   初心忘るべからずというのも、
   この馴れの恐ろしさを言っているのである。

   (中略)

   ものを作る者に一番の危険は、
   この馴れである。
    
    「湯之盤の銘に曰く日に新たに
     日日に新たに又日に新たなり(大学)」

   お互い毎朝顔を洗う時、そういう心でありたい。

   信仰だけではなく、芸術もそうであるし、
   ピチピチと生きている詩、
   生きている文字、それが一番大切だと思う。

   それにしても今は暖衣飽食に慣れて
   頽廃の色があまりにも濃い。

    「学道ノ人、衣食ヲ貪ルコトナカレ」
      (道元禅師学道用心集)

   これは千古の鉄言である。

・・・

(5)《26日 神の無限創造のアイディアに融合せよ》

   毎日、神想観を実修して、“自己の意識”を、
   “神の意識”に融合せしめて一体となることである。

   そのとき、あなたは「神のアイディア」の噴出口となり、表現の代理者となり、
   多方面にわたって、あなたの能力は展開し、協力者が無数に集まり、
   人類の幸福増進の一大拠点となるのである。

            谷口雅春著『新版 栄える生活365章』より

           <感謝合掌 平成30年9月26日 頓首再拝>

賢者の一日一言《27日》 - 伝統

2018/09/27 (Thu) 19:14:00


(1)【 9月27日 】茄子という字

   不退堂という男は京都の北面の武士で書を能(よ)くかいた人であるが、
   翁のことを聞き態々野州桜町に行って面会を求めた。

   ところが例の如く面会を謝絶したので、
   七日間飲まず食わすで翁の門前に座ったまま動かなかったので、
   七日目に初めて面会を許された。

   その時翁が「お前は学者だそうだが茄子という字を知って居るか」と問われたので、
   不退堂は筆を執って書いたところ、
   「茄子が先に出来たか字が先か」と言われ、
   出鼻をまず挫かれた。

                    (逸話集)

   【註】

   現物(現場・現実)を重んじられた尊徳翁の流儀の一端を示す話です。

            ・・・

   (伝統板・第二「「二宮翁逸話」~その65 」に収録。<2017/03/14 >
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7204735 )

・・・

(2)【 9月27日 】

   われわれ有限者にとっては、
   絶対者は幻を通してしか接しられない。

   それはちょうど、晴れた日の太陽は直視できないように、
   雲間を透してのみ、その姿を垣間見ることが出来るようなものです。

・・・

(3)【 9月27日 】伝記の効能

   偉人の伝記というものは、
   一人の偉大な魂が、
   いかにして自己を磨きあげ、
   鍛えていったかというその足跡を、
   もっとも具体的に述べたものですから、

   抽象的な理論の書物と違って誰にも分かるし、
   また何人にもその心の養分となるわけです。

・・・

(4)【 9月27日 】 《六魚庵信仰歌》

   迷いながら
   躓きながら
   求めながら

   失いながら
   憎みながら
   愛しながら

   泣きながら
   堪えながら
   責めながら

   怖れながら

   己をつくり
   神へ近づく
   仏へ近づく

・・・

(5)《27日 本心の心の底から出るコトバが大切》

   コトバが事実を作るし、コトバには創造力があるけれど、
   全てのコトバがその通り実現するとは限らない。

   冗談でいくら「おかしくて、死にそうだ」と言っても、中なか死にはしないようなものだ。

   本心の心の底から出るコトバがやはり大切で、それは決してウソではないはずである。
   何故ならわれわれの心の中の“本心”は「神の心」そのものであるからだ。

   だからこそ、いつもウソのない生活をしようというのである。

   するとその時はちょっと体裁が悪かったり、相手の気分がこわれて、
   不利益をこうむることがあったとしても、その正直なウソのない性格が信用されて、
   やがてきっと明るい未来が開かれてくるものだ。

              谷口清超著『コトバが人生をつくる』より

           <感謝合掌 平成30年9月27日 頓首再拝>

賢者の一日一言《28日》 - 伝統

2018/09/28 (Fri) 19:34:22


(1)【 9月28日 】善人顕彰

   先生曰く、
   それ仕法の道は善を賞し不能を教ふるを以て主とせり。

   善人を挙げて大いに賞を行ふ時は、
   不善者みな善に化す。

   語に言はずや、
   直(なおき)を挙げて、
   枉(まが)れるを措く時は、
   枉れるものをして直からしむと、
   一邑を風化するも此の道を要とせり。

   況(いわ)んや領中に選びて一番に仁沢を希(し)き、
   之を安撫するは豈(あに)大賞にあらずや。

                       (報徳記)

   【註】

   一村を立て直す仕法の道として翁は善行者の表彰にカを尽されました。

・・・

(2)【 9月28日 】

   私の学問は「哲学」とか「心実学」というより
   「全一学」と呼ぶのが応わしいようです。

   また私が尊敬している方も、西洋ではプロチノスとスピノザ、
   また我国では藤樹、梅岩、梅園、慈雲及び尊徳というような人々で、
   いずれも「全一学」に生きた人々です。

・・・

(3)【 9月28日 】偉人の共通項 

   自分のやりたいことはすぐにやる。

   つまり自分が本当にしたいと思ったことは、
   何物を投げ打ってもただちにそれをやる。

   たとえば本が読みたくなれば、
   たとえそれが真夜中でも、
   すぐに飛び起きて読む。

   どうもこの辺に、
   偉大なる人に共通した特徴があるようです。

   そしてもう一つは、
   夢中になるということです。

   (中略)
 
   もう一つは、
   最後までやり抜くということです。

・・・

(4)【 9月28日 】 《人なり》

   芸も人なり
   詩も人なり
   書も絵も人なり

   人なりと言うは
   その人の心を
   表わすものなりということだ

   心せよ心せよ

・・・

(5)《28日 この今の一点に於いて、すべてをかけて生きぬけ》

   この世に生をうけたのは、
   この今の一点に於いて、すべてをかけて生きぬくためである。

   それが魂を発達させ、過去を尊び、未来を生き抜くことだ。

   今なすべきことに、全力をつくせ。それができてこそ、はじめて未来が開ける。
   今やるべき、あなたの任務を完遂することが大切である。

          谷口清超著『伸びゆく日々の言葉』より

           <感謝合掌 平成30年9月28日 頓首再拝>

賢者の一日一言《29日》 - 伝統

2018/09/29 (Sat) 20:59:00


(1)【 9月29日 】善人を賞美す

   先生年すでに六十七歳病後いまだ快然たらず。

   食もまた平生に復せず。
   炎暑燃ゆるが如くなるに、
   この険路を推歩し、
   村々の盛衰を鑑み厚く善人を賞美し、
   鰥寡(かんが)孤独身に便りなきもの又は困窮のものを恵みたり。

   各々その次第に由って或は金一両より五両に至る。
   又は農業を勤め衰貧に陥(おちい)らざるの村に至りては、
   或は金十金十五金を以て邑中の民を賞す。

                        (報徳記)

   【註】

   尊徳先生はよく善人表彰にカを尽くされた。
   鰥寡とは妻を失った男と、夫を失った女。
   そうした人たちへも心を配られた。

・・・

(2)【 9月29日 】

   死の覚悟とは──
   いつ「死」に見舞われても、「マア仕方ない」と諦めのつくように、

   死に到るまでの一日一日を、
   自分としてできるだけ充実した「生」を生きる他あるまい。

・・・

(3)【 9月29日 】一日の終わり、人生の終わり

   われわれが夜寝るということは、
   つまり日々人生の終わりを経験しつつあるわけです。

   一日に終わりがあるということは、
   実は日々「これでもか、これでもか」と、
   死の覚悟が促(うなが)されているわけです。

   しかるに凡人の悲しさには、
   お互いにそうとも気付かないで、
   一生をうかうかと過ごしておいて、
   さて人生の晩年に至って、
   いかに歎き悲しんでみたところで、
   今さらどうしようもないのです。

   人間も五十をすぎてから、
   自分の余生の送り方について迷っているようでは、
   悲惨と言うてもまだ足りません。

・・・

(4)【 9月29日 】 《二つの言葉》

   画家の高山辰雄さんが、いいことを言っておられた。
   いい絵というのは肋骨に引っかかってくるものを持っている。
   ゴッホの烈しさはやさしさからきていると。

   この二つの言葉はよかった。
   最近の若い人は絵画でも陶器でも実に器用で、すぐに個展を開く。
   別にそれを非難するつもりはないが、感心はするが感動はしない。
   つまり肋骨に引っかかってくるような玄なるものを持たないのである。

   (中略)
 
   また烈しさはやさしさからきているという言葉も、
   うーんとうならせるものであった。

   わたしはこの言葉を耳にした時、道元の『正法眼蔵』の烈しさを思った。
   そして、あれは禅師のやさしさからきているんだなと、
   今までのとかくの誤解が氷解していった。

   シャカやキリストの烈しさ、あれもやさしさからきているのだ。

・・・

(5)《29日 万物の奥に光を見よ》

   到る処に光は充満している。

   空気には神の生命がかがやいているのである。
   空気を吸っていることは神の生命を吸っていることである。

   水には神の愛が輝いているのである。
   水を飲むことは神の愛を飲むことである。

   食物には神の恵みが輝いている。
   これを食することは、神の恵みを食することである。

            谷口雅春著『新版 光明法語<道の巻>』より

           <感謝合掌 平成30年9月29日 頓首再拝>

賢者の一日一言《30日》 - 伝統

2018/09/30 (Sun) 18:36:30


(1)【 9月30日 】困苦を厭わず

   先生高山を越え、
   深谷を渉り、
   疲労極(きわま)るに至っては路傍の石上に休し、
   又は草原に息して推歩せり。

   従者手に汗を握り病ひの発せんことを恐るると雖(いえど)も、
   先生自若として困苦を厭(いと)はず。
   惟(ただ)下民を安んずる事のみに労せり。

   人々その誠心慈仁の至れることを感歎す。

                        (報徳記)

   【註】
 
   先生はもとより身体強健でしたが積年の疲労の蓄積が原因となり、
  いたましき次第となりました。
 
・・・

(2)【 9月30日 】

   みすずかる 信濃の宿の ひと室に 遺書をかくがに 書かき暮す

   肉むらの 朽ちはてむとき 自が書の 命かそけく 呼吸づくらむか

・・・

(3)【 9月30日 】鍛錬

   われわわれ凡人は人生のある時刻において、
   何らかの意味でかようなきびしい鍛錬をその師から受けない限り、
   真の人間とはなれないのではないでしょうか。 

・・・

(4)【 9月30日 】 《心棒》

   独楽(こま)が回るのは
   心棒があるからだ

   しんみんの心棒は
   念ずれば花ひらく
   大宇宙大和楽

・・・

(5)《30日 明るい未来”は、必ずしもこの今の肉体生活の“現世”であるとは限らない。》

   現象の人生はすべて「仮相」であり、
   「人生劇場」における芝居の一幕のようなものだから、
   その一場面で殺されたとしても、その心のこもった熱演によって、
   次のさらに又次の芝居の筋書きでは、幸せな主役を演ずる立場におかれて、
   むやみに瞞されたり、裏切られたりしない演技ができるようなものである。

   これが本当にハッキリと解るためには、
   「人間は不死・不滅の“神の子”である」ということが判らなければならない。
   死なないいのちは完全円満である。

   だからホントの心がコトバとして出てくるのだ。
   そのコトバが人生劇場を、美しく彩るのである。
 
   それ故、単に一世代の心の使う道具である「肉体」を長持ちさせるだけに熱中するよりは、
   その「肉体」を至美至善なる「神の国」の表現のために、力一杯、明るく、のびのびと、
   世界人類のためばかりではなく、地球上のあらゆる生物、無生物のために、
   行動しようではないかというのが吾われの主張なのである。

               谷口清超著『コトバが人生をつくる』より


   《31日 本当の正しい文化は大自然を礼拝する》

   本当の正しい文化は大自然を礼拝するところへ行きつくのであり、

   他の生物、動植物、山川草木国土ことごとく仏性なりとして
   礼拝するところの宗教心を開発し、
   「善をなし、悪をなさず」を共に実行する人々の数を増大して行きさえすれば、
   破壊から建設へと、全世界を生気付けて行くことが出来る。

               谷口清超著『純粋に生きよう』より

           <感謝合掌 平成30年9月30日 頓首再拝>

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