伝統板・第二
輪読のための青年法語 前進への生活の知恵 - 夕刻版
2018/08/20 (Mon) 20:19:41
”道産子 さま” ありがとうございます。
”道産子 さま”は、今、長期のお休み中ですが、
6月にご投稿いただいた次の法語を途中までですが、
このスレッドにまとめておきたいと思います。
(「理想世界」昭和43年9月号<1日~24日>)
(http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7753666 からの転載です)
輪読のための青年法語 前進への生活の知恵~谷口雅春先生
(理想世界誌昭和43年9/1号)
(上旬)
【一日のことば~人間の生命は商品ではない】
自分が働く先で如何ほどの給料を貰うかについて考えるな。
それを考える事は自分自身の生命を「商品」として考える事で、
自己侮辱の始まりである。
「自分は『商品』ではない、神から地上に、或る使命を果たすべく
遣わされたる”神の子”であり、天使である。
その使命を今果たしつつあるのである。
だからこの自分の働きは、金銭的価値を越えたる地上の価値である。
その価値は神から賞讃される絶対価値であって、比較を絶した価値である」
と考えながら仕事をするがよい。
・・・
【二日のことば~仕事も神授の天職と信じて為せ】
自分の値打ちを商品価値にまで下落させてはならない。
無論、あなたの勤め先が、商品の製造会社であったり、
販売会社であったりすることはあろう。
けれども複雑に人間の生活があらゆる商品に結びついて成立っている
現代に於いては、どんな商品を扱う会社・工場等に於いてもその仕事は、
何らかの意味に於いて、誰かにとって、その時、その場に於いて求める
必要がある。
――即ち、“必要の品物”についての仕事であり、それを完全になすことは
人類の福祉に直接又は間接に貢献しつつあるのである。
この自信をもってその仕事に従事することを悦びと勇気とをもって
深切丁寧に行なうがよいのである。
・・・
【三日のことば~現在の仕事が不適当の場合】
どんなに思い直して見ても、自分の仕事は社会に害毒を流すだけであって、
社会にも人類にも貢献していない。
他の人から搾取するだけの仕事に過ぎないと考えられるならば、
勇敢にその仕事を止めるがよい。
そして神に「今自分にとってできる仕事で人類に貢献することの
できる仕事を与え給え」と祈るがよい。
間もなく、あなたに最も適するそして人類に貢献できる仕事が
与えられるであろう。
・・・
【四日のことば~神から褒賞を受ける仕事をなせ 】
自分の生命を一層高く売込むために仕事をするのではない。
神から遣わされた使命を果たすために仕事をするのである。
この自覚をもってするとき、仕事の能率も、出来上がりの質も向上し、
あなたの仕事からたちのぼる雰囲気が高貴なるものとなる。
それは周囲の人々を感動せしめずにはおかないしあなたの仕事に対する誠実と、
成しとげられたる業績の優秀さに、自然にあなたに支払われる給料は増進し、
職場における位置は昇るが、
それは、別に給料や地位が増昇することを望んだのではなく、
従ってそれは賃金で自分の生命を売った代償ではなく、
神から遣わされた使命に対する褒賞ともいうべきものである。
・・・
【五日のことば~あなたは高貴なる魂となれ 】
仕事は自己の魂を訓練し、困難を克服するための
勇気と努力と実力とを増すための教材となるものであって、
決して単なる生活の資を稼ぐためのものではないのである。
仕事に打ち込むとき精神統一は得られ、邪念は消え、無我の心境となり、
魂の進歩向上が得られるのである。
すべて物質的利益の方から考えて生活する者は低卑なる魂であろう。
霊の向上の方面から考えて生活する者は、高貴なる魂なのである。
・・・
【六日のことば~その人の生涯は、その人の仕事の歴史である 】
仕事に打ち込む魂の純粋さの中に、霊の進歩と言うことは遂げられるのである。
魂を打ち込んだ仕事はその質に於いて、ただ給料のために
生命を切り売りした仕事とは、雲泥の差を生ずるのである。
魂を打ち込んだ仕事には生命の輝きがあり、
いやいや役柄としてした仕事には生命の輝きがない。
その製品の形を見れば、両者ともよく似たように見えるかも知れないが、
よくよく観れば、又その方面の専門家が見れば、その差異はよく分るのである。
そしてその人の仕事が“生命”で輝いているということは、
実は、その人の生活が生命で輝いているということであって、
仕事と生活とは区分すべからざるものである。
その人の生涯が如何にあるかと云うことは、
その人の生活が如何にあるかということに他ならないのである。
・・・
【七日のことば~天の倉に「福田」をつくること 】
あなたが幾ら自分の仕事に誠実を注いでも、上役又は管理職のものが
それをみとめなくとも、それを嘆いたり、反感を持ったり
不平を起こしたりしてはならないのである。
仕事に対する誠実は、あなたの魂を誠実と言う高貴な性質にまで
鍛え上げつつあるのであって、仕事の成績そのものや能率は、
むしろ副次的なものであると考えても良いのである。
現実的な報酬や褒賞に恵まれない魂の努力は、それは却って
「天の倉に蓄えられる富」として、必要に応じて引き出すことが出来る所の
「宇宙銀行にある預金」みたいな働きをするのである。
古人はこれを「福田」と称したのである。
・・・
【八日のことば~好運は突如として来るに非ず 】
時として、突如として、ある人の運命が好転して来たかのように見える事がある。
しかしそれは決して”突如として”でもなければ、突然の出来事でもないのである。
すべては原因結果の法則によって生起するのである。
水道管が突然破裂して洪水のように水が噴出して
周囲の民家が床上浸水したことがあった。
それは全く突然の出来事であったけれども、
実は、その鉄管は六十数年間以前に敷設したものであって、
毎日徐々に腐蝕して水圧に耐えないほど脆くなっていたのである。
原因は隠れた世界にズッと以前からあり、それが徐々に進行し、
具体化の限界線に到達したときそのような結果を現出したに過ぎないのでる。
原因は目に見えない世界にあって進行する。
常に善徳を実践し、愛他行によって他の人に幸福を与える行為を
蓄積しておいた者は、それが見えざる「福田」として天の倉に
保存されており、やがてある時期が来て幸運の花が咲き果を結ぶのである。
諸君は常に善徳を実践し愛他行を積んでおくべきである。
・・・
【九日のことば~学生暴動の遠因は日本弱体化の占領政策である 】
学生が暴動化し、教師を教師として尊敬せず、学長をつるし上げて
発病に追い込み、大衆さえ動員して暴力さえ揮えば、自分たちの要求は
貫徹さすことが出来るという様な考えで暴れまわることが恰も流行のように
なって来ているのであるが、これは決して突如として個の様な事態が
流行し出したのではないのである。
ロシアの革命はケレンスキー将軍が、「人類は平等であるから、
兵卒は上官に敬礼する必要はない」と訓示したことが遠因になって
始まったと言われている。
学生運動の遠因も占領軍が日本に上陸してから間もなく、新聞記事及び
ラジオの放送内容の検閲が実施せられ毎日々々日本人はラジオの放送によって
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という福沢諭吉の
有名な語句を聞かされ、嫌でも応でも、人間は平等であり、教授も学長も学生も
みな平等であり、すべては量的相違によってその主張が通るべきものである
という所謂る「民主主義」的思想が日本人の多くの人の潜在意識に
深く印象せられ、それに背くものは”反動”とか“封建的”とかいって
蛇蝎の如く排斥せられるようになったのである。
これが結局、学生騒動の爆発の原動力となって二十数年間にわたって
蓄積せられて来たものが今爆発しつつあるのである。
・・・
【十日のことば~癌症状を呈している現在の国情 】
一個の生命体が、一つの中枢によって全体が支配せられないで、
その生命体を構成する細胞それぞれに主権があり主張があって、
中枢にある全組織の統一ということが行なわれず、
細胞各々が勝手気儘に行動し自己主張・自己発展・自己増殖することになれば、
それは癌症状であって生命体全体は死に面しつつあるのである。
日本国家を生命体として観ずるならば、日本国内の現成は誠に憂慮すべき
癌症状を呈しているのであり、まことに憂うべき状態だというほかはないのである。
吾々老人がこの事を告げても、若い人には結局それは“反動”として、
或いは“封建的”だとして率直に受け入れてくれないのが現状であるから、
先ず、真理に目覚めた、諸君の如き「若き先覚者」の善導を俟つほかはない
のである。
(谷口雅春著『無門関解釈』奚仲造車の公案参照)
(次に続く)
(中旬) - 伝統
2018/08/21 (Tue) 18:32:35
【十一日のことば~言葉の混乱は心の混乱のあらわす 】
「リーダーズ・ダイジェスト」誌七月号に
“破壊か建設か――反抗する若者たち”と言う文章を
ウェスチングハウス放送・解説委員マクリーシュ氏が書いている。
七年ぶりにイギリスからアメリカに帰って来て飛行機で母国アメリカの
ニューヨークに着陸した瞬間、驚いたのは正確な母国語でなしに
乱暴に寸断され歪められた無秩序な英語が怒鳴られている
ということだったというのである。――
「ロンドンで見送ってくれた友人たちは、穏やかで正確な言葉を話した。
一方、ニューヨークの運転手やドア係やボーイたちは、母国語なのに、
まるでそれを軽蔑でもしているかのように、乱暴な調子で
言葉を吐き散らしていた。・・・・・。
“イギリスに帰りたいわ! こんな所にはいたくないもの!”
と十一歳になる私の娘は・・・・・泣き出す始末だった・・・・・』
言葉の頽廃は、人間の心の頽廃のあらわれであり、
言葉の混乱は人間の心の混乱をあらわしているのである。
日本は終戦以来、善にせよ、悪にせよ、
色々の影響をアメリカから受けているのである。
日本の歴史を学校で教えることを禁じ、正しい日本の伝統の根拠を
抹殺するために神話を軽蔑し、歴史的カナ遣いの使用を停止したところに
日本の言語の混乱ははじまった。
吾々明治時代に生まれた人間から見ると、現代の若い人の語る言葉は、
七年ぶりにイギリスからアメリカのニューヨークに帰って来た十一歳の
お嬢さんが、“とてもこんな世界は居たたまらない”と叫びを発したと同じ程に、
今の日本の若い人の使う言葉は、歪んで崩れているのである。
それだけに日本人の伝統を尊重する愛国心のある人にとっては
現代の若い人の言葉の混乱は憂慮すべき問題となっているのである。
・・・
【十二日のことば~若さのエネルギーを建設的に積極的に 】
若々しい力は、秩序と言う軌道に乗るためには
あまりにもそのエネルギーが溢れるのである。
その溢れたところが破壊的な力となってあらわれ勝であるのである。
溢れ出るエネルギーを単に破壊的な方向に向かわせないで、
建設的な方向に導いて行くのは神の叡智である。
諸君は常に怠らず神想観して神の叡智に導かれて、
その溢れ出る若々しいエネルギーを正しい方向に導いて、
破壊的な方向に向かないようにしなければならない。
・・・
【十三日のことば~建国の理想を前進さす運動 】
若さのエネルギーを爆発する発火点になるのは、
常に旧来の権力者の不義・不正又は腐敗であるのである。
日本でもアメリカでもフランスでもその他の諸国でも学生が集団的暴行を
起こしているのは彼等の若々しい眼で、現在の社会体制、政治体制等を見ると、
たまらなく不義に満ち不正に満ち腐敗し切っているように見えるからである。
アメリカの学生騒動はスラム街の何一つ希望のない暗黒の中に、
基本人権さえも殆どみとめられない、みすぼらしい生活をしている黒人の大群が
ひしめき合っている憂鬱が公正で平等ですべての国民が自由を享受できる
というアメリカ建国の理想と比較にならないその矛盾を打ち破ろうとする
若いエネルギーの発動として起こっていると言われている。
彼等アメリカの学生騒動は、「アメリカ建国の理想に帰れ」と叫び、
そしてその理想に立脚して新たに前進せよという運動なのである。
・・・
【十四日のことば~天皇政治の中に国民の福祉はある 】
どの国にも、その民族がその国を建国した時の理想がある筈である。
その根元的理想に基づいて吾々の祖先が
数千年にわたって創作してきた一大創作芸術が天皇中心・万世一系の
日本の国体(くにがら)というものなのである。
その天皇中心・万世一系の中心帰一的国家の構図というものは、
民族が数千年を通じて創作し来った一大芸術であるのであるから、
単に「利益」とか「福祉」とかいう物質的利益によって
破壊さるべきものでは無論ないのである。
しかも現実には、天皇中心の国体が護持されることによって
国民の利益も福祉も完うされるのである。
大東亜戦争に於いては、天皇御ひとりがその戦争に反対せられたのに拘らず、
天皇の御心に反する宣戦布告が行なわれたのであった。
天皇に最後の決定権を与えず、多数決に最後の決定権を与えて、
天皇は政治の圏外に押し出されてしまっていた。
そしてついにあの敗戦の結果を見たのであった。
そして敗戦の最後にポツダム宣言を押しつけられて、臣下どもが
多数決ではどうにも決定の仕様のない急場に追い込まれて
天皇に最後の判断を請い奉るしか致し方がなくなった時、
天皇の聖断がくだって平和が克復したのであった。
天皇の御意志のままに政治が行なわれるならば
国民の利益も福祉もおのずから得られるのである。
ただ天皇をかついで、自分が権力者にのし上がって我意を通す
政治家や軍閥が出てきた場合は、天皇の責任でないのである。
・・・
【十五日のことば~天皇を本当に愛する道 】
天皇陛下に政治の実権をおもたせすることは天皇に責任と重荷を
おかけすることであり、天皇を愛するが故に、天皇になんの実権もなく
その代わりに職責もなく、今のままで自由にいらせられるようにしておくのが
よいのである――という天皇を愛するという人がある。
併し、人間の生き甲斐は、大いなる職責を与えられて、その重い責任に耐え、
困難を自分の判断と計画とによって克服して行く処にこそ在るのである。
殊に「男の生き甲斐」はそこにある。
天皇から一切の職責を奪い、象徴と言う一種の記号や看板にしてしまい、
自分の国でありながら、自分でどうにもすることが出来ない立場に追い込んで、
「私は天皇を愛するのだから、天皇に政治の苦労をかけたくない」と言うのは、
本当に天皇を愛していると言えるであろうか。
・・・
【十六日のことば~汚職のない政治は天皇政治のみ 】
現代の政治が穢れ、中共貿易の問題でも、自衛隊の問題でも、党によって
意見が対立し、超党派外交によって一致して日本を永遠の福祉の国に
守り育てる事が出来ないのは、党利及び党員の利益が背後にあって、
「こうした方が自分又は自党の利益になる」と言う潜在意識が背後にあって
糸を引いているからである。
政治家や文化人が、どこかの国へ視察旅行に行くと、すぐその国に対して
親善的になる――飴を舐めさせられたとも、飴の中に毒を飲まされて帰った
とも批評されたりするけれども、飴を舐めさせた相手は外国の要人なのである
から、内地の警察で調べようもないのである。
日本国内での汚職は日通事件のように取調べの道はあるけれども、
国際的汚職に至っては取り調べようもないし、それが国家の政治を
動かすのだからこんな危険なことはないのである。
天皇政治がもし行われるならば、党や一政治家の利益の為に政治が
行なわれるのでないから、本当に日本国ぜんたい、日本国民ぜんたいの
利益と福祉と繁栄のための政治が行なわれる訳である。
・・・
【十七日のことば~誰か日本の政治を浄める者 】
最も低卑な賤劣な人格は、
ただ自分の金銭的利益によって仕事をする人である。
更に自分の金銭的利益によって政治をしようとする人に至っては
下の下であり、こんな人が国を潰すのである。
中共から運動費をもらったり、ソ連から機密費をもらったりして政治
の方向を左右するに至っては、ついに「国を売る」ことになるのである。
代議士の歳費の値上げが持ち出されると、いつも政府与党に反対意見ばかり
出していた野党議員が悉く双手を挙げて賛成し、そして物価が昂騰するのは
政府の責任だと、大いに政府攻撃の火の手を挙げる連中が
政治を行なうのだから誠にやり切れない訳である。
諸君が政治家になるならば、
断じてそのような政治家になってはならないのである。
・・・
【十八日のことば~仕事に臨むあなたの態度 】
あなたが何処かへ就職するならば
月給を得るために仕事をするのだと考えてはならないのである。
そのような考えをもって仕事をしている限り、あなたは
「売られた人間」即ち「奴隷」であり、自分の好まない仕事を、
金銭売買によって押しつけられている自由のない人間になってしまうのである。
あなたが或る商社又は会社又は事業に就職するならば、
「雇われた」などと考えないで、自分がその仕事又は事業を始めたのであり、
その事業を発展せしめる全責任は自分にあるのだと考えて、全能力を献げて、
今自己に割当てられている仕事に尽くすがよいのである。
藤吉郎は信長の草履とりの仕事を与えられた時には、
その仕事を最も完全にやり遂げるように全力を尽くしたのである。
そこに将来、太閤秀吉となる種子が蒔かれていたのである。
・・・
【十九日のことば~あなたの運命はこうして改善される 】
雇われていても「雇われてこの仕事をするのではない。これは
自分自身の事業であって自分自身がこの仕事の興廃に全責任があるのだ」
と言う自覚でその仕事に臨む時、
ただ課せられて仕事を奴隷的又は機械的にするのでないから、
そこに観察眼が開け、新しき創意工夫が生まれ、思慮分別、計画性など、
仕事のリーダーとなる資格である色々の能力が養われて来ることのなるのである。
そしてあなたの心の中に本当に仕事のリーダーシップをとる能力が
出来て来た時、あなたは本当に自分の事業のリーダーと成ることが
出来るであろう。
何故なら、そのひとの環境も位置も貧富も結局その人自身の心の影
であるからである。
・・・
【二十日のことば~情熱は生命の火である 】
あなたの仕事に情熱を賭けよ。
情熱のない仕事は死んでいるのである。
情熱のない仕事は人を引き付けることは出来ない。
情熱は魅力である。
情熱は人を引き付けて自分の仕事の協力者とすることが出来るのである。
情熱は自分の内部にある能力を呼び覚ます。
情熱のあるところに新しい道は開けるのである。
情熱ある者は進化する。
情熱は新しきアイディアを開発する。
あなたの仕事に情熱を賭けよ。
あなたは必ずリーダーとなるであろう。
(次に続く)
(下旬) - 伝統
2018/08/23 (Thu) 20:05:33
【二十一日のことば~あなたの心の楽器を調律せよ 】
音楽に堪能なる人は自分の楽器を大切にし常に楽器の調律を怠らないのである。
三味線を弾く人は必ず何かを弾くまでに、その三絃を弾いてみるのである。
それなのに、「人生」という一大協奏曲を奏でるにあたって、その楽器である
自分の心が調子外れになっているのに気がつかなかったり、気がついても
調律しようとしないようなことで、立派な“人生”曲を演奏することは
出来ないのである。
即ちあなたの人生がくだらないものとなる訳である。
それだから、あなたは自分自身を省みて、
自分の心の調子を自ら整えようにしなければならない。
怒りっぽい心の習慣はないか、物事を乱雑にしたまま放棄してキチンと
整頓する習慣を失ってはいないか、父母に感謝する心の習慣を失ってはいないか、
人に冷淡ではないか、勉強する心の習慣を失っていないか・・・・・
など反省して、自分で悪いと思うことは、努力してその悪習慣を
克服しなければならない。
・・・
【二十二日のことば~諸君は自己表現の“場”を持たねばならぬ】
せっかく素晴らしい能力を持ちながら、その能力を発揮する場がないために
凡庸の者に伍して、つまらない平均以下の仕事をしながら一生を終ってしまう
人も沢山あるのである。
そのような人は能力を持ちながら調和性が欠けている事が多いのである。
自分の能力を発揮するための“場”は自分が開拓する部分もあるけれども、
周囲の人々が集まってその“場“を作ってくれるのである。
たとえば私が講演会を開くにしても、会場のお世話してくださったり、
ポスターを用意して諸方にそれを張り出して下さるのは、
講演者自身がいちいち出掛けて往って直接出来る事ではないのである。
つまりその人をめぐる周囲の人々と調和することが出来ない場合には、
あたらよき話材を持ち、立派な哲学を持っていても、孤独であっては
それが表現する“場”を失ってしまうのである。
・・・
【二十三日のことば~自己憐憫の殻を破れ】
私は青年時代孤独であった。
私は頭がよかったし人の欠点がよく見えるので、私の一語一句は
人々の肺腑を衝くようなことを言ってことを言ったものだったから、
人々は私を容れてくれなかった。
私は寂しかったし誰も私の寂しさに同情してくれる人はなかったので、
「私は私自身に同情してやるのだ」などと考えたものである。
このような自己憐憫は、自分というものを自分の殻の中に閉じ込めて、
一種の自閉症のような状態に陥れかねない。
諸君は自己憐憫の殻を破って、
自由にのびのびと自己表現を成し得る世界に出なければならない。
そうでないと自己表現の“場”を失って、折角の能力や天才が
みとめられないで、いたずらに世に拗ね世を呪いながら
この世を去てしまわなければならないようなことになるのである。
・・・
【二十四日のことば~自己を欺く事勿れ】
自己憐憫、自己同情、逃げ口上、アリバイ、責任逃れの口実・・・・・
そんなもので自分を胡魔化そうと思ってはならないのである。
それは結局、自分自身を欺く者であるのである。
自己の実相が“神の子”であることを知れ。
それを胡魔化さずに本当に自覚するならば、自己憐憫も自己同情も、
逃げ口上も、アリバイをつくることも、責任逃れの口実を設ける事も
要らないのである。
使命に向かって勇敢に立ち向かい、困難を打開して
使命遂行の責任を完うせんのみだ。
・・・
【二十五日のことば~“自分”というものを“包む”こと】
私が青年時代に人格の角が取れずに孤独であった頃に、
有名な石竜子という人相観に人相を占ってもらったことがある。
石竜子は私の顔をつくづく見て「君の人相は清相という人相であって、
余りに純粋であるから人から容れられない。
“水清ければ魚住まず”という諺もある。
君はもっと包容力を大きくしなければならない。
“自分”と言うものを出来るだけ出さないようにするがよい。
”自己主張”をすることを出来るだけ止めて人を容れるようにつとめなさい」
と教えてもらった。
それを一つの座右の銘として私は生活するよう努めて来たものである。
私が今あるのは、その百分の一ぐらいの理由は
此の座右の命を実行するようにつとめたからだとも言える。
諸君の参考になれば幸いである。
・・・
【二十六日のことば~どうしても欠点を指摘しなればならぬ場合】
自分自身が頭がよくて、他の人の欠点がよく見えるからとて、
その欠点を露骨に指摘して、相手の反感を買う様なことをしてはならない。
しかし欠点をそのまま放置したら仕事の成績にも影響して来るので、
是正するよう本人に欠点を指摘する必要のあることもある。
欠点を本人に指摘する場合には「愛情」を伴わなければならない。
冷酷な感じをむき出しに相手の欠点を指摘するならば、相手の人は、味方であっても、
その後、敵に回って復讐を企てることもあり得るのである。
私は部下の失踪を激しく叱責した時は、それは愛情で叱責したのであって、
憎しみでしたのでない証拠に、その半期の昇給を一般よりもその人に対して
多くしたこともある。
・・・
【二十七日のことば~生食の必要について】
諸君が折角この世に生まれて頭角を現すことが出来ずに、
いつも運命の下積みにせられていることがいやであるならば、
肉体が健康で、元気はつらつとして、頭脳明晰に、
能率高く仕事をやってのけなければならないのである。
諸君は、半分生きていて、半分眠っていて、どうにか机にもたれて
与えられた仕事をボツボツ面倒くさそうにやっている事務員の
ようであってはならないのである。
そんな半覚半醒の人間にならないためには、正しき食物、
正しい想念(明るい人生観を含む)、正しい生活習慣を務めて持続する
ようにしなければならないのである。
あまりに“生食”に窮屈に引っ掛かるときは社会的生活に不調和を来たす
ことがあるけれども、現代の食品製造者は、自然の食物に無暗に着色したり、
漂白剤を使ったり、腐敗を防ぐために防腐剤を用いたり、
それらの工程が食物の新成分を破壊し、
中には醗酵物質と言われている染料までも遣われているのであるから、
成るべく諸君はそのような加工の少ない食品を選んで自然食をとるようにするがよい。
・・・
【二十八日のことば~正しい想念の力を認識せよ】
正しい想念がその人の健康増進にも運命の好転にも必要なことは、
既に私たちは繰返し説いて来たところである。
「人は自己を××と思うと、その通りのところのものになる」のである。
自分を病人と思うと、病人になる。
自分を天才と思うと天才になる。
創世記第二章には「アダムが生き物に名付けたる所は皆その名となりぬ」
と録されているのである。
アダムとは人類の祖先であり、一般人間の代表として書かれている。
「生き物」の中には「人間」も含まれているのである。
あなたは、自分を名付けるに「天才」と名付けるか、
「低能児」と名付けるか、「勇敢なる英雄」と名付けるか、
「日本国再建のための志士」と名付けるか。
心の世界に於いてあなたが自分自身に名付けた通りのものに成るような
自然にあなた自身が動き出すようになるのである。
・・・
【二十九日のことば~正しい生活習慣をつけること】
正しい生活習慣が必要なのは、人間の行動は過去にし続けて来たことを
繰返すような習慣性を持っているからである。
習慣のことを日本の語では“シキタリ”というのであるが、
それは過去からずっと“なし来りたる”繰返しと云うことを表現する語である。
仏教ではこれを業というのである。
それは物理学上の惰力とか惰性とかいうものに似ている。
一ぺんし続けて来た通りに繰り返そうという内部的惰力が
人間の生命の中にはあるのであるから、悪い行為は「一ぺん位」と思って
しているうちに習慣となって抜き難く改め難いものになって来るのである。
印度で赤ん坊の時に狼にさらわれて、幼児から狼を保護者として育てられた子供が、
狼性生活習慣を身につけてから、人間に発見せられ、
人間の中で育てるようにしたけれども、
四つん這いの習慣も改まらないし、食物を口を直接皿につけて犬のように食して、
手でもって箸やフォークで食べる習慣を与えようとしても、
どうしても改まらなかったと云うことである。
一般の人間が狼のように食せず、四つん這いで歩かないのは、
人間の父母を持ち、周囲の人間社会のマナーを幼い時からし続けて来た
習慣の結果だと云うことである。
こんな事を考えて見ると
親はどんなにその子に人間らしいマナーを身につけるために
苦心して来られたものかと思い、その苦労に感謝せずにはいられないのである。
・・・
【三十日のことば~生涯に一度の大機会をつかむため】
怠らず全力を尽くしている者には常に機会があるのであるが、
人々はその人の全生涯を根本的に一変してしまう様な大機会が
一生のうちに一度や二度は来るものである。
その機会の波に乗る者は恰もジェット機の出航に間に合った旅客のように
速やかに大きく進歩することが出来るのであるが、
その大機会を踏み外してしまう時にはコツコツ歩いて坂道を登りながら
労苦して山頂に登らなければならないような生涯を送ることになるのである。
ジェット機に乗るような大機会を真正面から捕えるためには
不断に準備をしておくことが必要なのである。
普段、つまらない事にエネルギーを消耗している者は、
いざというときに、その機会をしっかりと把んでいることが出来ないで
振り落とされる危険があるのである。
それには体力と智力とが準備されていなければならない。
それには不断の勉強と自己訓練とが必要である。