伝統板・第二

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ひかりの一日一言41~祈りに強くなる31章 - 伝統

2018/08/01 (Wed) 04:20:10

この「祈りに強くなる31章」は先代の掲示板にて、
今は霊界へと、活躍の場を移しました”平賀玄米 さま”によって
投稿されたものですが、現時点では、消滅いたしております。

”平賀玄米 さま”のご遺徳に心より感謝申し上げます。


ひかりの一日一言《1日》

《1日 祈りはすべての問題を好転させる》

正しい祈りによって好転しないものは何一つないのである。

祈りの後に自分の予想しないような状態がでて来たり、
時として一層悪化したような状態が出て来てもそれは祈りによって、
過去の膿が出尽くそうとしているのであって、
やはり好転と見るほかはないのである。

腫物(できもの)は膿が出尽くしたときに完全に治りはじめるのである。
だから膿が出ることを悪化と考えることは間違いである。
膿が出るのは、生長の家では“迷いの自壊作用”だといっている。

すべての病気や不幸や災難は、唯心所現のものであって、
過去に起した“心の迷い”が或る程度を超えて蓄積され、
飽和状態以上になったときに具体化して、
病気や不幸や災難の形をとってあらわれて来る。

迷いの蓄積の程度の少ないものは、例えば腫物(できもの)が化膿しないで
毒素が内部で中和又は吸収され、そのまま引っ込んでしまうように
自壊作用なしに治癒させることができるが、

迷いの蓄積の程度のひどいものは、
内部的に吸収されないで例えば腫物が膿を排泄した後に治るように、
自壊作用を経た後(のち)に治るのである。
否、自壊作用そのものが治癒の過程なのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P188~189) より

・・・

<参考:”平賀玄米 さま”ご投稿の数々の記事については、
    次のWebにてご確認ください。
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7702987 >

       <感謝合掌 平成30年8月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2018/08/02 (Thu) 04:00:51


《2日 あなたの祈りが成就しない場合》

祈りが成就しない場合には、その原因が色々ある。

祈りながらも、本人が「このような問題はとても祈りではきかないだろう」と
自分の心で祈りの結果を抑制してしまう場合には、
その祈りは成就しないことになるのである。

また治癒過程としての自壊作用の起った場合、
「一層悪くなってしまった」と思って「悪化」を心に描き、
「恐怖心」を起すことによって、

「心に描いたものがあらわれる」という法則や
「恐るるものは皆来る」という法則によって、
自壊作用を真の「悪化」に変じてしまうこともあり得るのである。

神に祈る場合には、その治癒過程を神の無限の叡智に托(まか)せて
“必ず好転する”と信じて神に全托しなければならないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P189) より

       <感謝合掌 平成30年8月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2018/08/03 (Fri) 03:21:12


《3日 父母は神と自己をつなぐ媒介である》

“七つの灯台の点燈者の神示”に、

「・・・・神に感謝しても父母(ちちはは)に
感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」

ということが示されているのである。

神に祈っても、その祈りがかなえられないことがあるならば、
先ず「自分は父母に感謝しているだろうか」ということを
反省してみるべきである。

吾々の生命(せいめい)は祖先を通じ、父母(ちちはは)を通して、
神の生命(せいめい)が今此処に顕現しているのである。

神が“人間”として自己顕現を遂げようと欲しても、
父母(ふぼ)という媒介を通してのみそれは可能であって、
父母(ふぼ)が存在しなかったならば神の生命(せいめい)は
“自分”として顕現することができなかった訳である。

父母(ふぼ)を媒介としてのみ
人間の生命(せいめい)は神につながるのである。

それゆえ、父母(ちちはは)に感謝しない者は、
人間と神とを繋ぐ媒介の一つを断ち切ることになるのである。

だから父母(ふぼ)を憎んでいたり、反抗したりしていながら、
神に何かの功徳(おかげ)を求めても得られないことがあるのは
当然のことである。

それは自己と神とを繋ぐ媒介を断ち切っているからである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P189~190) より

       <感謝合掌 平成30年8月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2018/08/04 (Sat) 04:23:56


《4日 家族相互の小さき葛藤を取り除くこと》

祈りによって人の病気を癒す力はありながら、
自分又は自分の家族の病気が中々なおらないようなことが随分あるのである。

癒された人は、何故癒されたかというと、その人はあなたを信じたからである。
「汝の信仰、汝を癒せり」と、こんな場合イエスは言っているのである。

自分自身の病気が治らなかったり、家族の病気がなおらなかったりしたのは、
家族互いの間に精神的紛糾や精神的葛藤があって、
「神の救いの霊波を素直に能(よ)う受けぬ」場合が多いのである。

一寸した絶縁体が電極の接続部(コネクション)に付着しているだけで、
テレビが旨く映って出ない事が往々にしてあるのである。


それと同じく、一寸した家族間の反感や不平が
神の恵みを受けることを妨げる絶縁体になっていることも往々にしてあるのである。

そんな場合、家族の誰かが気がついて、
そのような反感や不平を感謝にかえるようにするならば
不思議に家族の病気が消えることがあるのである。

神と自分を隔てる絶縁体を取り除くことになるからである。
神癒の妨礙となるものが取り除かれたならば神癒が実現するのは当然である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P190~191) より

       <感謝合掌 平成30年8月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2018/08/05 (Sun) 03:58:18


《5日 家族が健全に育つには夫婦の調和が要る》

家族の精神的不調和のうちでも、最も神癒の妨礙になるものは、
夫婦の精神の不調和である。

夫は“天”を象徴し、妻は“地”を象徴する。
天の気と地の気とが完全に調和してあるとき、
地上の植物は繁茂し動物は繁殖するのである。

その如く夫婦の精神の調和のあるとき、
家族は健康であり、子供は不良化せず、
健全に優良に生育するのである。

一寸した精神的葛藤、瑣細な口争いなどが内攻するとき突然、
子供が発熱したり、下痢したりすることがあるものである。

そのようなことが起こったとき、何よりも必要なのは、
その直前または前日に、夫婦の争いがなかったか、
夫婦間に争いというほどのものではなく、
一寸した不平の感情を起すことはなかったかを回顧反省してみて、

若しそんな事があったならば、
夫婦互いに詫び合って胸に溜まった不平などを一掃するがよい。

忽ちのうちに家族の病気が好転することに気づくであろう。    
                 

谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P191~192) より

       <感謝合掌 平成30年8月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2018/08/06 (Mon) 03:12:21


《6日 天の倉に善行を預貯金せよ》

祈りがきかれないのは、
天の倉に自分の善行が預貯金されていないためであることがある。

この世界には「与えよ、さらば与えられん」の法則が
厳然として存在するのであるから、みずから善行を与えないでいて、
他(ひと)から善行を期待するのは間違いだといわなければならないのである。

大地に種を蒔く(種を与える)ことをしないでいて、
「今年は豊作です」と祈っても、念じても、
雑草は豊作になるかも知れないけれども、
自分に必要な良き穀物を穫り入れることはできないのである。

つねに陰徳を積み、人に善きものを与えることをして置くならば、
宇宙は神の生命(せいめい)で普遍的につながっているのであるから、
右に与えておいた陰徳が、必要に応じて左から返って来て、
常に貧しきことを知らないことになるのである。

常に誰かに深切を与えること、勇気づけの言葉を与えること、
そして何よりも“人間・神の子”の真理を与えることが大切である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P192~193) より

       <感謝合掌 平成30年8月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2018/08/07 (Tue) 04:14:00


《7日 人に施すときの心懸け》

人は善きものを与え、深切を与え、愛を与えるしても、
その善きもの、深切なもの、愛に関するものを与えても、
それが物質的なものである限りに於いて、
その与える好き効果は乏しいということになるのである。

何故なら“物質”は有限であり、物質はそれを与えられた人の感覚や、
“貪欲の心”を悦ばすかも知れないけれども、
必ずしも魂の悦びとならないことがあるのである。

人に金銭で補助を与えた場合、尚一層その人の依頼心を増長せしめて
却って精神的に堕落させることもあるし、

或る場合には、あまりその人が受けた恩義を“借金”的に考えて、
与えた人に対して一生頭があがらないように束縛してしまうことも
ありがちである。

だから人に“与える”には、相手に依頼心を起させないようにする必要があるし、
また恩義で相手を縛ってしまって、彼が自己解放を遂げ得ないようなことの
ないように充分の考慮をもって“与える”ことが必要である。

それだからやっぱり真理を相手に与えることが最大最良の善である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P193) より

       <感謝合掌 平成30年8月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2018/08/08 (Wed) 04:36:21


《8日 蓋のひらかない香水瓶》

自己の内にある力を発揮しないで、外なる援助に頼ろうとする者は、
蓋の栓が錆びついて中にある芳香をどうしても外に顕すことのできない
香水瓶のようなものである。

そのような人に外から香水を注いでやることは無駄のことであるのである。

その蓋の栓を抜いて、中にある芳香を発揮できるように工夫してやることが
本当に大切な布施であり、供養であり、扶助であり協力である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P193) より

       <感謝合掌 平成30年8月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2018/08/09 (Thu) 04:34:38


《9日 人の神性の“栓”を抜くこと》

内部にある“無限の芳香”の如き貴き“神性”を開発してあげることが、
最も価値多き布施であるのである。

それには「人間、神の子」の真理をその人に与えること、
これが内部にある神性を外にあらわすための“栓”を抜くことになるのである。

ひとたび、その人の神性の“栓”が抜かれるならば、
栓を抜いたビールのようにその人の神性は沸騰して涌上り、
その人は「完全なる自由」を得るのである。

イエスは

「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」

と訓(おし)えているのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P194) より

       <感謝合掌 平成30年8月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2018/08/10 (Fri) 04:16:48


《10日 神の恵みを受像するには》

「神よ、私を助けたまえ、誰かが私に経済援助を与えてくれるように導き給え」
などと祈っても一向、神は私を助けて下さらないので、
先生にこの事を是非祈ってほしいというような意味の手紙を時々頂くことがある。

併し、金光教祖も指摘せられているように、
神は「頼まいでも、お陰はやってある」と仰せられるのである。
頼んだ人だけ、祈った人だけ助けて、他(た)の人は護ってやらぬ
というような、そんな依枯贔屓な神はないのである。

本当の神は常に吾々を護り給い、常に吾々を導いていられるのである。

だけども神は「物質」ではないから、物質を直接吾々に与えるのではなく、
愛の放送、智慧の放送、導きの放送、生命力の放送などを、
霊的放送として送っていられるのである。

それはテレビ放送局が電波によって番組を放送しているようなものである。
その電波を受像して、それを具体的な像に化するためには
テレビ・セットに於いては放送チャンネルに合わし、波長を合わすことである。

それと同じく、神からの霊的放送による“恵み”は、
吾々が心の状態をととのえ、神の霊的放送に波長を合わすことによって、
その恵みを自分の人生に受像し、具体化することができるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P194~195) より

       <感謝合掌 平成30年8月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2018/08/11 (Sat) 04:26:16


《11日 行動の伴わない祈りは効果がない》

祈りというものは行動を伴わず、
実践を無視した場合には効果が《ない》のである。

それはマラソン競争に、“走る”と言う行動を起こさないでいて、
競争の必勝を祈ってみても何の効果もないのと同じなのである。

その人の祈りが効果をあらわすのは、内部の心が神に振り向き、
神に波長を合わせることによって、神の心と同一の波長を起し、
それが行動化又は運動化するに至るからなのである。

恰度、祈りはラジオ・セットの波長を、
放送局の波長に合わせるようなものである。

そのとき、空中を伝わって来た電波がスピーカーの振動板を振動させる
(即ち行動化が行われる)。
それによって放送局で放送されている
“恵み”を具体化することができるのである。


若し、ラジオ・セットのスピーカーの振動版が故障が起って
振動せぬ(行動化せぬ)ならば、折角放送局から良き番組の放送があっても、
それは吾々の視聴し得る形にはあらわれないのである。

吾々が祈りながら、それを行動化しなければラジオ・セットの
スピーカーの振動版に故障が起っているようなものであるから、
その祈りに神は応え給うていても、それを形として受像し得ないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P195~196) より

       <感謝合掌 平成30年8月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2018/08/12 (Sun) 03:16:55


《12日 酒癖を治した人の話》

自己改善を遂げようという熱意と決意と努力のある処に、
自己改善を遂げ得るのである。

或る誌友は、飲酒癖をもっていたが、それを止めたいと思って祈ったが、
なかなか飲酒癖が止まなかった。

彼は、「祈っておれば、神が自然にこの癖を止めて下さるだろう」と
安易な、他力的な、蟲のよい事を考えながら依然として酒を飲んでいた。
しかしその祈りは効果を奏しなかったのである。

或る日彼は気がついた。

「自分は誘惑に身をゆだねながら、切実に酒癖を治そうという
真剣な努力をしないでいながら、“酒癖を治したまえ”と神に祈ることは、
神を愚弄することになるではないか。
神に祈る位ならば、神に真剣に協力して、酒癖をやめるべく
自分の行動を開始しなければならぬ」

彼はこのように決意すると、
それ以来断じて酒盃を手にしないことにしたのである。

すると自然に、酒を飲みたいという渇欲が消えて、
他(た)の人が酒を飲んでいるのを見ても少しも飲みたくなくなったのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P196~197) より

       <感謝合掌 平成30年8月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2018/08/13 (Mon) 04:38:39


《13日 祈っても飲酒喫煙癖の止まない場合》

人間は誰でも“神の子”であるから、
自分を神らしく立派な人間にする権利を与えられているのである。

その人が立派になり得ないのは、実は“成り得ない”のではないのであって、
「立派になろう」という断乎たる決意を自分が起さないだけのことなのである。

眞に決意したら、酒や煙草をのむことを止め得ないなどということは
到底あり得ない筈なのである。

然し、そのあり得ない事が実際にあって、
酒を止めようと思っても止めることができず
煙草を止めようと思っても止めることができない現実があるのは
何故であろうか。

それには理由があるのである。

酒も煙草も麻酔剤であって、その人の心の世界に何らかの葛藤、
コンプレックス、不平、不満足がある場合、自己防衛の本能によって、
それらの心の中の不調和から来る苦しみを麻酔せしめようとしているのである。

表面の心に於いては「飲酒癖を止めたい」という願いがありながら
潜在意識には、心の不調和をアルコールやニコチンで麻酔させたい願いがある
ならば、“表面の心”の願いは、“潜在意識”の願いに打ち負かされてしまう
のである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P197~198) より

       <感謝合掌 平成30年8月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2018/08/14 (Tue) 04:37:36


《14日 貧しさからの脱却の祈り》

「この貧しさから逃れたい」と切に願って
「神よ、吾れを富ましめ給え」祈りながら、
富もうとして計画する仕事や思惑が悉く失敗して
益々貧乏の底に落ち込んで行く人がある。

そんな人は、現在意識(表面の心)では「富みたい」と思っているけれども、
潜在意識の底には「自分は富んではならない」という反対観念があるのである。

その「富んではならない」という反対観念の中には、聖書にあるイエスの
「富める者の天国に入ることの難きことは駱駝の針の孔を通るが如し」という
清貧礼賛の言葉に引っかかっている場合もあれば、

自分が何か人に損をかけるような事をしているので、
自分が富んでは申訳がない ―― というような謙(へりくだ)った懺悔
又は自己処罰の念が覆蔵(ふくぞう)されていることもあるのである。

私たちが富むためには、
このような清貧礼賛の念をも自己処罰の感情をも
超克しなければならない。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P198~199) より

       <感謝合掌 平成30年8月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2018/08/15 (Wed) 04:38:04


《15日 争いの念が多少ともあれば和解せよ》

祈りが成就しないのは、隣人(家族、知人、上役、下役、同僚等)と
不調和又は争いの感情がまだ多少残っているためであることがある。

そのために、既に神は「頼まないでもお陰はやってある」と仰せられているのに、
その恵みを受像することができないで、テレビの画面が波になって流れて
しまうように、お蔭が流れてしまって実現しないのである。

祈りが成就しないのを歎く前に、先ず自分自身を反省してみて、
誰かと不調和の感情をもっているならばそのような感情を調和の感情に変え、
更に感謝の感情に変え、相手の人ともよく談合して旧交を深く温めるがよい。

これによって、神の恵みに波長を合わす妨げとなっていた雑音が消えてしまい、
神の恵みをハッキリ受像し得るようになれるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P199) より

       <感謝合掌 平成30年8月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2018/08/16 (Thu) 03:54:26


《16日 他の人と和解するためには》

人と和解するには怺えたり我慢して
表面だけ仲よくしているような事ではよくないのである。

相手と不調和になっているのは、
相手の立場に立って見る広々とした寛容の精神が乏しく、
自分の立場からのみ一方的に事物を観るためであることが多いのである。

同一のものでも立場が異なると、別の姿に見えるのである。

それは人間でも正面から見るのと横顔を見るのと、後姿を見るのとでは
全然別の姿に見えるのと同じである。

しかしその姿は、いづれも本当にその人の姿であって、別のものではないのである。
自分の立場《だけ》に立って物を見るときそれは一方的な偏狭な観方となるのである。

凡(およ)そ、相手の立場に立って考えてやるならば、
相手に同情できるし、腹の立つこともないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P199~200) より

       <感謝合掌 平成30年8月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2018/08/17 (Fri) 04:20:37


《17日 祈りは、このようにしてきかれる》

金光教の高橋正雄先生は、最早故人になられたが懐かしい人のひとりである。
その機関誌『生(せい)』の中に書いておられたが、

或る人が四国遍路をして、もうとっぷり日が暮れて来たが、
田舎道で宿屋など見つからないのである。
一軒の百姓屋のような家を見つけて、そこの戸を叩いて一夜の宿を乞うたのであった。

百姓屋の主人が出て来て
「泊めてあげたいけれども、都合が悪いことがあるので、帰って下さい」
というのであった。

遍路の旅人は仕方なしに家から出て数十メートル程あるき出したが、
何を思ったか、振り返ると、その家の方を向いて合掌した。
そして、こういって祈ったというのである。

「この家の人が私を泊めてくれないのは、
物質的に乏しいか、精神的に乏しいかどちらかに違いありません。
神様どうぞこの家の人たちを、物質的にも精神的にも裕にならせてあげて下さい。
ありがとうございます」

旅人はこのように祈って踵を返して歩き出した。

すると間もなく、後方(うしろ)から旅人を呼ぶ声が聞えた。
旅人は振り返ってみると、先刻、宿を断った主人であった。

主人は「先刻は失礼なことを申しましたが、あなたが、行きかけて振返って私の家を
拝んで下さったのを見ると、どうしても私はあなたを泊めてあげずにはいられない
気がしましたので、どうぞ戻って来て泊まって下さい」というのであった。

「本当の和解」というものはこのようなものである。
冷たくされた相手の人の幸福を神に祈ってあげることである。

本当に祈りが徹底すれば敵と見えた者も強力な味方となるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P200~201) より

       <感謝合掌 平成30年8月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2018/08/18 (Sat) 03:21:04


《18日 合掌礼拝の姿に感激して》

その百姓家に泊めてもらった旅人は、
何かハタハタはためくような音がするので夜半に眼をさました。

田舎の夏のことで蚊帳が吊ってあって、
自分は蚊帳の中からハタハタと音する方を見ると
この家の主人夫婦は寝ないで、蚊が襲ってくるのを団扇(うちわ)ではたきながら、
何か夜業(よなべ)でもしているらしいのである。

「御主人さま、あんた達はお眠みにならないのですか。
わたしばかり眠らせて貰って・・・・」と
旅人は思わず声をかけた。

主人たちは最初は返事を胡摩化していたが、何時までも眠らないでいることに、
弁解の仕様もないので、本当のことを話し出した。

それによると最初「都合が悪いのでお泊め申すことはできません」と答えたのは、
夜具も蚊帳も一人分しかないので、お泊めしても眠って頂くことができない
と思って断ったのだったが、

その断りに腹の立つ様子もなく、じっと家の方を向いて拝んでいられる
旅人の神々しい姿を見たとき、自分たちは眠らないでも、
この旅人を泊めてあげたくなったのだという。

このような心が政府要人の心に、各政党の領袖の心に、
各国の首相及び外務大臣の心にあるならば、
早速世界に平和が来るだろうと思われるのであるけれども・・・・。

私は尚一層吾らの光明思想をひろめなければならない。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P201~202) より

       <感謝合掌 平成30年8月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2018/08/19 (Sun) 04:34:26


《19日 愛は到る処に天国を実現する》

あなたの心はあなたの支配下にある筈である。
この旅人が冷たく断られながら、断った人の幸福を祈ったのは愛の行為である。

あなたは自分の心の主人公であるから、自分の心の中から反感を追い出し、
愛を喚び起し、自分に冷たく当る人にでも温かい愛を注ぐことが出来る筈である。

あなたが本当に自分自身の内から、“神の愛”を喚び起して、
その愛をもって何人に対して接するならば、相手がどんなにこちらを憎んでいても、
ついには彼の憎しみが解消して、こちらを愛してくれるようになるのである。

愛は相手の愛をよび起し、すべての憎しみを解消し、反感をやわらげ、
調和と平和をもち来たし、到るところに天国浄土を実現することになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P202~203) より

       <感謝合掌 平成30年8月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2018/08/20 (Mon) 04:05:29


《20日 “善悪を知る樹”の果を食べてはならぬ》

祈りが成就するためには、
罪人とか悪人とかいうような「神の子」にはふさわしくない人間は
本来存在しないのだということを先ず知ることが大切である。

罪人とか悪人とかが存在するという考えがある限りに於いて、
「憎しみの心」や「排斥の念」が起るのは止むを得ない。

しかし「憎しみ」や「排斥の念」が起るならば、それだけ、
神に対して波長が合いにくくなるから、祈りの成就を妨げることになるのである。

人々を“悪人”だと思うことを止めよ。
神は悪人を造り給わなかったのであるから
悪人なんてものは本来存在しないのである。

「創世記」の第一章には
「神其(その)造りたる諸(すべて)の物を視たまいけるに甚だ善かりき」とある。
神の創造し給える一切のものは悉く實相において善なのである。

神を信ずるならば、神の創造の善なることを信じなければならない。
それなのに、迷いによって、この世界に“悪”があると知る智慧をもつことが、
“善悪を知る樹”の果を食することなのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P203~204) より

       <感謝合掌 平成30年8月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2018/08/21 (Tue) 04:24:14


《21日 あなたは神を信ずるか、感覚を信ずるか》

神は、その創造し給える一切のものを、その無限の叡智をもって
点検し給うて「すべて甚だ善し」と宣言されたのである。

その神の宣言に反して、「この世界には悪もあり、悪人もある」と
五官の感覚による認識は告げるのである。

あなたは神の宣言を信ずるか、五官の感覚の宣言を信ずるか、
どちらかの信者であるのである。

神を信じない人を不信者というけれども、
不信者というものは、本当は、この世界に誰ひとりいないのである。
彼らは何かを信じている。

唯物論者は、物質の力を信じているし、
感覚主義者(素朴的実在論者―Primitive realist)は
感覚にあらわれる通りを存在すると信じているのである。

しかし物質の力を信じ、感覚にあらわれている通りを存在とするものは、
神を信じない者である。

そして物質は常に変移し、感覚面にあらわれる姿は常に変化し無常である。
従って、変移し無常なるものを信じている彼らは浮動するものの上に
生活しているのであるから常に恐怖していなければならないのである。

こうして恐怖の世界に追いやられる事を
「エデンの楽園からの追放」と称するのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P204) より

       <感謝合掌 平成30年8月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2018/08/22 (Wed) 04:00:24


《22日 “エデンの楽園”追放の意味するもの》

神がその創造したまえる一切のものを善なりと宣言せられた以上、
悪なる病気などは存在しないのは当然のことでなければならない。
だから病気は実在するものではないのである。

何故なら、神と“神による眞創造”とのみが実在であるのだからである。
そして神と“神の眞創造”とはすべて善であるからである。

それなのに何故実在しない病気等の悪が恰も存在するが如く見えるのだろうか。

此処に深遠なる“現象顕現の法則”があるのである。
―― 吾々の生きているこの現象世界は、其処に住む人の心の表現であるのである。

「実在の世界」は此処に今も常に厳然としてあれども、
その人の心が認めなかったら感覚面にはあらわれないのであるし、
“悪”は本来存在しないけれども、その人の“気”(想念)の持ちようで、
“悪”も恰も存在するかのようにあらわれるのである。

聖書に於ける“樹”というのは“想念”を意味する。
日本語に於いても“樹”は“気”に通ずるのである。
“善悪を知る樹”とは“善”のほかに“悪”も存在するいう想念である。

そのような“気”になれば、やはり色々と“悪”なる現象があらわれて来て、
實相世界(エデンの楽園)は今此処に《あれども》見えず、
苦しみの世界に追放された形をとることになり、

折角、“善きもの”の実現を祈りながらも
祈りが成就しない形をとることになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P205) より

       <感謝合掌 平成30年8月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2018/08/23 (Thu) 03:54:45

《23日 “神の子”に“罪”本来無し》

“罪が《ある》”という考えもまた、祈りを成就することを妨げるものである。

“罪”とは一体何であるか。

或る人は「神の定め給える法則に背くこと」(a transgression of God’s Law)だ
と定義したが、人間は本来“善”であるから、
神の法則を破るなどということはないのである。

“罪”とは日本語源の示す通り「ツツミ」ということであり、
實相の完全さを「包み」隠す(conceal)ことであって、
“實相の完全さ”が《無くなる》ことでも、
實相の完全さが《破壊される》ことでもないのである。

佛教に於いては、「法華経」には
「わが浄土は毀(やぶ)れざるに、
衆は焼け尽きて諸々(もろもろ)の憂怖(うふ)充満せりと観る」
と書かれている。

わが「浄土は毀れず」という句に注目すべきであって、
善悪を知る樹の果を食した吾々は、その想念の影として
「諸々の憂怖の充満せる状態」を勝手に見ているけれども
實相に於いては依然として吾々はエデンの楽園に住んでいるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P206) より

       <感謝合掌 平成30年8月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2018/08/24 (Fri) 04:37:26


《24日 現象界の暗雲は實相を晦さず》

「諸々の憂怖の充満せる状態」は暗雲が冪々(べきべき)として空を蔽い、
太陽の輝きが全く見えなくなっている世界にたとえることが出来るのである。

暗雲のみ見え、太陽が見えないような時にも、
実際は、太陽には少しも雲が懸っておらず、それは晃々と輝いているのであり、
肉眼が見ている暗雲は単に地球(現象)を覆う雲であって、
太陽には何の関係もないのである。

そして心の迷いの雲は常住のものではなく、
それは一時的に吾々の心をかすめるものであって、
それはやがて雲散霧消して本来の“無”をあらわすにきまっているのである。

しかし吾々が心の中に“気圧の谷”をつくって、
その雲が散り去らないように掴んでいる限りは、長く暗雲は現象界を覆うのである。

“悪”を《あり》と信じて恐怖によって
“気圧の谷”を心の中につくらないようにするには
毎日神想観を実修し、聖典を読誦して、
實相の完全さを心の中に毎日畳(たた)み込むがよい。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P206~207) より

       <感謝合掌 平成30年8月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2018/08/25 (Sat) 04:24:25


《25日 愛するあまり恐怖するのはいけない》

若しあなたの愛する人が病気になった場合、その人を愛するあまり、
その病気を恐怖するならば、病気の「想念の雲」を心で掴んで
繋ぎ留めておくことになり、その病気の恢復をおくらせることになるのである。

その病人が、祈ってあげても治らないのは、
「病気を《あり》」として恐怖しているからなのである。

病人を病院に入れ、同病棟内の病人たちの悲観の雰囲気の中に入れておく場合には、
折角の“神癒の祈り”も、病棟内にこもる悲観の雰囲気の暗雲に遮られて、
その恢復がはかばかしくないことが往々あるのである。

すべての病院が暗い雰囲気をもっているというのではない。

最近ある週刊誌を読んでいると、

その病院では、患者に音楽をきかせたり、何か楽しい嬉しい話で、
患者の気分をひき立たせるようにして治病の成績を挙げている

ということであった。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P207~208) より

       <感謝合掌 平成30年8月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2018/08/26 (Sun) 04:39:19


《26日 「医者の言葉」は一種の祈りである》

医者の言葉が“恢復のための祈り”の効果を妨げることが度々ある。
名医は決して病人を恐怖さすような言葉を発しないのである。

本当の名医は、病気は仮存在であって、実在でないことを知っており、
自分の発言の如何によって、その病気が良くも悪くもなることを
知っているのである。

最近の新聞で「医原病」という語が医師の間にも
時々用いられるようになっていることを私は知ったのである。
つまり医者が、患者に恐怖すべき病名を告げられることによって、
患者が、その病名の通りの症状をあらわすのである。

肺結核でもない患者に肺結核だと告げたためにその通りの病状をあらわしていたのが、
生長の家の医師が、「肺結核ではない、それは回虫がいるのだ。
“回虫おろし”を処方しましょう」といって虫下しを与えたところが
本当に回虫がたくさん排出されたのでその患者は安心して治ってしまい、

それから二十年も生きて今も現に健康にいるという体験談を
盛岡の講習会できいて、私はそれを話材にし放送したことがある。
この患者の肺結核の如きが「医原病」なのである。

「言葉で発する」ということは「一種の祈り」であり、祈りは成就するのである。
健康恢復のためには“反対の祈り”が
その人に入って来ないように注意しなければならない。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P208~209) より

       <感謝合掌 平成30年8月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2018/08/27 (Mon) 03:40:05


《27日 「絶えず想う」ことは「祈り」である》

「信ずる」ということ、「絶えず心にある想いを持ち続けている」ということは、
どちらもその「信じていること」が起って来るように祈っているということと
同じなのである。

だから「病気を実在する」と信じている者は
「病気になるように」祈っているのと同じことなのである。

従って、そのような信念をもっている場合は「病気が治りますように」と
祈りながらも、同時にその「反対の祈り」をしていることになるから、
その恢復をおくらせることになるのである。

病気の平癒を祈る者は「病気を忘れる」ことが必要である。
「病気は忘れた時分に治っている」という諺は真理である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P209) より

       <感謝合掌 平成30年8月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2018/08/28 (Tue) 03:58:07


《28日 “常に善なる神”を想え、想うことが祈りである》

神は善であり、全能であり、全智であり、無限の愛の持主であるから
”悪”なる何物をもお造りにならないということを信ずること
―― その信をもつづけること其の事が正しき祈りなのである。

”祈り”というものを特定の時間に、定められた特定の文句を唱えたり、
自分の要求を神に訴えることだと考えると、
それは一知半解の見解であるのである。

特定の時間に限らず、最も常に想っていることが、
宇宙の潜在意識に印象せられて、
それが“現象顕現の法則”に従って現実化して来るのである。

神が神罰を与えたり、贖(あがな)いを要求するなどという考えを
常にもっていると、自己処罰や自己贖罪のために
不幸や災難や病気をつくり出すことになるのである。

神は処罰も贖罪も要求したまうのではないのである。

ただ“神の子”なる實相をツツミ隠すことを止めて、
それを堂々と表現せよと仰せられているのである。

その表現のための道具が、想念とコトバとである。

常に善きことを想念し、常に善きコトバを心に唱え、言葉に語るがよい。
やがてそれは必ずあらわれるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P209~210) より

       <感謝合掌 平成30年8月28日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2018/08/29 (Wed) 03:57:34


《29日 神は歓喜をもって天地万物を創造せられた》

神は常に厳かな鹿爪らしい顔をしているのだなどと考えてはならないのである。
神は検事でもなければ、裁判官でもないのである。

私たちは、神想観のときに神のつくり給える實相世界を心に描いて念ずる。
その時に、私たちは、

神の無限の智慧の海
神の無限 の 愛の海
神の無限の生命の海
神の無限の供給の海
神の無限の歓びの海
神の無限の調和の海

という風に念ずるのである。

特に注目しなければならないのは、
神は“歓喜”であって、神は實相世界(エデンの楽園)を
歓喜に満ちた楽園としてお造りになったのであるということである。

人間が楽し過ぎたら神は人間に怒り給うなどということはないのである。

「法華経」にも、實相世界の光景を、
「諸天天鼓を撃ち、諸々の伎楽をなす」という風に書かれているのである。

如何にも神は實相の世界を歓喜をもって創造せられたのであるということが、
「創世記」と「法華経」の一致によっても理解できるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P210~211) より

       <感謝合掌 平成30年8月29日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2018/08/30 (Thu) 03:04:43


《30日 神の恵みは自然的過程を通じてあらわれる》

神は霊であるから、その恵みは霊的波動を以て常に放送されつつあるのである。

しかし、その霊的恵みの放送が、現実世界の恵みとなってあらわれる場合、
忽然と天から降って湧いたような幻術的経過を通して出て来るのではなく、
自然的経過を通して出て来るのである。

或る信仰深き老婆の“蝙蝠傘(こうもりがさ)”の桟(さん)が折れたのである。

神は全能であると正直に純粋な信仰をもっているその老婆は直ちに祈った。
「神よ、あなたは全能であります。この傘の桟が折れましたから、どうぞ修繕して下さい」
こう祈ってから彼女は買い物に出掛けて往った。

そしてやがて帰宅してみると、その蝙蝠傘の桟がチャンと修繕されていた。

お婆さんは感激して声を高く挙げた。
「神様、ありがとうございます。あなたは本当に全能であります。
この蝙蝠傘を私の留守中にチャンとお直しくださいました。ありがとうございます」
と彼女は神様の徳を称えて感謝をしたのだった。

その声を聞きつけて出て来た息子が言った。
「お婆さん、その蝙蝠傘は、さっき修繕屋が来たので直して貰ったんだよ」
その時、お婆さんは一層感激した語調で跪(ひざまつ)いていった。

「その蝙蝠傘修繕屋さんは本当に神から遣わされた天の使だったにちがいない。
神様、ありがとうございます。」

神は霊であるから、その霊の恵みが具体化する場合、
このように自然の順序を通して出て来るのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P211~212) より

       <感謝合掌 平成30年8月30日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《31日》 - 伝統

2018/08/31 (Fri) 03:07:24

《31日 危急の場合、神は超自然のはたらきもせられる》

祈りに対する応えは、
自然の経過を通じてあらわれて来るのが普通であるけれども、

危急の場合には、恰も超自然現象的な様相をもって
神の救いがあらわれて来ることがあるのである。

戦後間もなく、船岡富次氏(多分こんなお名前であったと思う。
胃癌の治った鳥取の人と同じ名だなと思ったことを思い出す)
という船長からこんな祈りの功徳の報告を受けたことがある。

その船は海南島(台湾の近くにある)付近の暗礁に乗り上げた。
それは恰度、春の大潮の満潮時に座礁したのであった。

暦(こよみ)によると、その座礁した日が最も潮が高く挙がる時で、
その後は満潮日でも海水は座礁の日ほど高くあがらないのである。

そのため最高の満潮の時間に一旦暗礁に乗り上げた船を次の日の満潮時を待って、
その浮揚力によって離礁しようと思っても、その離礁は不可能だったのである。

船岡さんは出来る限り船が浮揚するために積荷を海中に棄てたけれども、
次の日の満潮は前日よりも低いので、離礁はできなかった。

その時、船岡さんは、自分が祈ることを忘れていたと気がついたのである。
彼は一心に祈った。
すると不思議な事が起ったのである。

その次の満潮日に、あり得ない筈の事が起ったのであった。
それは座礁した日の最大の満潮時よりも、
一層海水が高くあがって自然に船が浮きあがり、
難なく離礁することができたのだった。

これなどは祈りが“自然”の運行を変化したとも言えるし、
祈りの応えが自然の過程を通してあらわれたともいえるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第8篇(P212~213) より

       <感謝合掌 平成30年8月31日 頓首再拝>


・・・

<参考Web>

(1)ひかりの一日一言①
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552 

(2)ひかりの一日一言②
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787

(3)ひかりの一日一言③
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650

(4)ひかりの一日一言④
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684

(5)ひかりの一日一言⑤
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6558249

(6)ひかりの一日一言⑥
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584563

(7)ひかりの一日一言⑦
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774

(8)ひかりの一日一言⑧
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661

(9)ひかりの一日一言⑨
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6681257

(10)ひかりの一日一言⑩
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711243

(11)ひかりの一日一言⑪
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6745089

(12)ひかりの一日一言⑫
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6778844


<以下は、「幸福を招く365章」より」>

(13)ひかりの一日一言⑬~幸・不幸の岐れ道
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818439

(14)ひかりの一日一言⑭~意識を高く昇らせよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866429

(15)ひかりの一日一言⑮~理想を高く掲げよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754

(16)ひかりの一日一言⑯~心霊への目覚め
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6929870

(17)ひかりの一日一言⑰~健康への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6962847

(18)ひかりの一日一言⑱~寿福への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6990572

(19)ひかりの一日一言⑲~愛を人生に処方して
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7021791

(20)ひかりの一日一言⑳~祈りを生活に処方して 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7058416

(21)ひかりの一日一言21~あなたも神癒が受けられる 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7097406

(22)ひかりの一日一言22~光に向う我が運命 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7149847

(23)ひかりの一日一言23~正しき想念の使い方 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7190605

(24)ひかりの一日一言24~われ肉体以上のもの
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7274701


<以下は、「生活の智慧365章」より」>

(25)ひかりの一日一言25~幸福はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235

(26)ひかりの一日一言26~悦びはどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7557795

(27)ひかりの一日一言27~智慧はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7575483

(28)ひかりの一日一言28~無限の供給を受ける道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7590764

(29)ひかりの一日一言29~失敗から立ち上がる道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7606832

(30)ひかりの一日一言30~豊かさを得る道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7630690

(31)ひかりの一日一言31~肉体の苦痛はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7645085

(32)ひかりの一日一言32~治癒する力はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7658207

(33)ひかりの一日一言33~若さと元気はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7669112

(34)ひかりの一日一言34~〝神〟を生活の中に生きるには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7686486

(35)ひかりの一日一言35~自己の本質を知るには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703081

(36)ひかりの一日一言36~運命をひらくには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7724106


<以下は、「人生の秘訣365章」より」>

(37)ひかりの一日一言37~希望実現のための法則
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7732872

(38)ひかりの一日一言38~~心で人生を支配せよ
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7743087

(39)ひかりの一日一言39~あなたは運命の主人公
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7751317

(40)ひかりの一日一言40~繁栄を実現するための根本問題
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7761105




光明日訓(平成26年版)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7732871

光明日訓(平成28年版)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538248

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