伝統板・第二

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英霊の言乃葉 ② - 夕刻版

2018/07/06 (Fri) 18:47:43

<母への手紙>

        *社頭掲示集第四輯 41頁 (編集 靖国神社社務所) より


陸軍中尉 今田義基 命
               広島県呉市出身 24歳


飛行第六十六戦隊
昭和二十年三月二十九日
慶良間列島にて戦死


お母さん、此の頃は如何です。

私はまだ活気盛なる青年将校です。

如何なる苦労も出来るし無理もききます。
然しお母さんには其れが出来ない体です。

今までいろいろと御苦労なさって居られますので、
他の事には手を出さず心安らかにお暮らし下さい。

飛行機一機で軍艦を沈めると言ふ事は如何に大戦果であるか。

斯(ここ)まで大きく育てて下さいました御父母様に
唯々(ただただ)感謝するのみです。

如何にして孝養を尽くすべきか。

忠義をつくして孝行にかへてもらふより他にありません。

國あっての我々です。家です。

覚悟はもとより出来て居ります。

待ちに待った命令です。征(ゆ)きます。
よろこんで大命にもとづき大いに頑張ります。

御父上、御母上の御長寿をお祈り致します。


※孝養=親に孝行を尽くすこと
※忠義=主君や国家に対し真心を尽くして仕える こと

   (https://www.youtube.com/watch?v=_7hvJqxwHsI より転写)

              ・・・


【特攻隊遺書シリーズ 陸軍】今田義基 少尉「日本人として皇恩を忘れるな」
https://www.youtube.com/watch?v=_7hvJqxwHsI

・・・

<関連Web>

光明掲示板第二「『英霊の言乃葉』 (11341)」
  → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2160


光明掲示板第三「英霊の言乃葉Ⅱ」
  →http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=28

光明掲示板・伝統・第一「英霊の言乃葉」
  →http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=69

伝統板・第二「英霊の言乃葉」
  → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6456084

           <感謝合掌 平成30年7月6日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成21年7月 - 伝統

2018/07/27 (Fri) 20:16:20


大好きなお母さん


陸軍中尉  伊賀 新太郎 命

昭和十九年七月十六日
比島ルソン島北方海域にて戦死

東京都淀橋区出身 二十六歳


お母さん、新太郎の大好きなお母さん。

笑って下さい。
決して泣かないで下さい。
新太郎は堂々と闘ったのです。

大部分はお母さんの御手柄であります。
 
新太郎の行動の後にはお母さんの優しいお姿が何時も付いて居て、
新太郎を励まして下さったのです。

美しい名も無き野花の真中に打ち伏すとも、
キラくと銀色に輝く南海の藍(あい)の底に眠るとも、
新太郎はお母さんの懐(ふところ)の中に眠るが如く安らかに眠ります。

何も話をしなくともお母さんのお顔を見て居る丈(だけ)で
新太郎は何時も満足でありました。

御心尽しのお守札は最後迄私の傍(そば)にあります。
何も書けません。
お母さん、新太郎の大好きなお母さん、
たくさんの一人息子を国に捧げた人もあります。

強く明るく生きて下さい。
お祈り致します。

伯父様の後に続きます。
私共の後に続く者の強き足音が聞えて参ります。
日本は必ず勝ちます。

大日本帝国万歳

天皇陛下万歳
  

新太郎
御母上様

・・・

<参考動画:みたままつり 2009 靖国神社
      https://www.youtube.com/watch?v=NqRsc--bJLM >

           <感謝合掌 平成30年7月27日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成22年7月 - 伝統

2018/07/28 (Sat) 19:58:49

御両親様


陸軍准尉 望月 敏雄命

昭和二十年七月一日
比島レイテ島
カンギポット山にて戦死

神奈川県横浜市出身

                 
敏雄も
天皇陛下の御為に命を捧げる時が参りました。

二十八年間の 海よりも深く山よりも高き御高恩厚く御禮申し上げます。

私無き後は ひで子に 萬一 子無くとも何時迄も
御両親様のお側に置き 可愛がって下さる様お願ひ申し上げます。
 
では御両親様 末永く御壮健でお働きあらん事をお祈り申し上げます。

天皇陛下萬歳

昭和十九年八月二十日

敏雄

御両親様

<参考Web:靖国神社 (平成22年7月17日) …みたままつり
→ https://devlin.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2010-08-01-1


           <感謝合掌 平成30年7月28日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成23年7月 - 伝統

2018/07/29 (Sun) 20:01:51


戦地からの葉書

陸軍兵長  倉本 和三郎命

  昭和十九年七月十三日
  中国湖南省邵陽縣(しょうようけん)白鶴舗にて戦死

  京都府京都市東山区出身 三十五歳


其之(の)後ハ、御無沙汰シテ居リマス。

家内一同、変リハ無イデスカ。
又、子供等ハ達者デアルカ。
百姓仕事ヤ、工場仕事モ大変忙ガシイ事ト思ヒマス。

出来ル丈(だけ)気張テ働クノガ、銃後(じゅうご)ノ務(つと)メデス。

寒ク成ッテ来マシタカラ、風邪ニカカラヌ様注意。
又、火ノ用心ニ特ニ気ヲ付ケル事。
村ノ務メヤ、交際ハ十分ニナサイ。

ペントナイトノ状況ハドウカ。
機械ノ調子ハウマク行クカ。
稲ノ取入モ近ヅイテ来マシタ。大イニ努力セヨ。

自分ハ、非常ニ元気デ御奉公シテ居リマス。
奥田吉造殿ニ宜敷云テ呉レ。
スベテノ事ハ尋ネナサイ。

自分ヲ何ヨリモ大切ニセラレ度(た)シ。


・・・

<参考Web:靖国神社 と みたままつり(2011/07/10 23:59)
 → https://devlin.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2011-07-10

           <感謝合掌 平成30年7月29日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成25年7月 - 伝統

2018/07/30 (Mon) 20:05:04


直(すなお)なる道を歩め


陸軍衛生兵長  中元 淸命

昭和二十年七月五日
比島ミンダナオ島ブキドノン州
マナゴック東北方にて戦死

兵庫県神戸市葺合区北本町通出身
三十二歳


大日本帝国に生を享(う)けし者、誰か国に報ゆるの心なかるべき。
此の度、栄(は)えある御召(おめし)により皇軍の一員に参加す。
男子の本懐なり。生還期し難し。

茲(ここ)に書を認(したた)め、遺書とす。

余が妻、余が子として直なる道を歩めと教ふるのみ。

人間は、万物の霊長なり。
何時如何なる時も、人の道を正しく進め。

富貴(ふうき)も名誉も余の望みに非ず。只々人間らしくと望むのみ。

淸進(きよゆき)よ。如何なる方面に志すと云へど、其の本分を全うせよ。
子としての務めを果せ。先づ健康なり。

じつゑよ。汝は子の母で有り、親の子也。
十二分、子の素質を伸ばすと共に、子としての務めを尽せよと願ふのみ。         
                                         
終り

  昭和十九年四月二十九日

                                    
中元 淸 書

淸 進 殿 
じつゑ 殿                        

・・・

<参考Web:今日の靖國神社(2013年07月02日)
       → http://kyo-no-yasukuni.doorblog.jp/archives/30018014.html

           <感謝合掌 平成30年7月31日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成24年7月 - 伝統

2018/07/31 (Tue) 19:42:06


遺書

陸軍兵長 安田 博命

昭和二十年七月一日
比島群島レイテ島
カンギポット山にて戦死

茨城県結城郡石下町出身
二十四歳


御両親様。
貮拾有余年の長年月、御世話にのみ相成りました。

博は今、大東亜建設の礎石(そせき)として、命を君国に捧げます。

何等孝養とて尽さぬ事多く、先立つ不孝の罪を御許し下さい。

但し、軍籍に身を投じたからには、
自分としては今日の事は、既に覚悟の上であります。

御両親様、博の戦死を聞いても、決して御嘆き下さいますな。
世間にはまだく不幸な境遇の人達が、どの位あるか判りません。

そして、まさ子や悦子の事は、呉々も宜敷く御願ひ致します。

博は決して卑怯な死に方はせぬ積りですから、それのみは固く信じて下さい。

では、桜咲く靖国での対面を胸に従容(しょうよう)として、祖国に一命を捧げます。

親戚、近所へ宜敷く願ひます。


 博
 御両親様

・・・

<参考Web:靖國神社 明日からみたままつり(2012年07月12日)
       → https://ameblo.jp/tokinbiyori/entry-11300543572.html

           <感謝合掌 平成30年7月31日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成30年7月 - 伝統

2018/08/01 (Wed) 18:58:40

誠教(しげのり)君へ


陸軍大佐 横田庄三郎 命

昭和17年1月3日
中華民国湖南省長沙付近にて戦死

鳥取県気高郡大郷村出身 46歳


ダイ一ガッキ セイセキハ タイヘンヨクデキ
オトウサンモ ヨロコンデヰマス 四日モケッセキシタノハ
ビヤウキデヤスミマシタカ スキナナツヤスミモスンデ
マタ ガクカウガ ハジマッタデセウ ダンダン
スズシクナリマスカラ ベンキヤウモシ ウンドウモセネバ
ナリマセン オトウサンノキズモ スッカリナホッテ
ゲンキデハタライテヰマス サヤウナラ

8月十七日

              オトウサンヨリ

誠教君

    (https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

           <感謝合掌 平成30年8月1日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成27年8月 - 伝統

2018/08/02 (Thu) 19:44:13


天皇陛下の御為に

陸軍曹長 木 崎 徹 治 命 
昭和二十年一月三日
フィリピンミンドロ島にて戦死

埼玉県北葛飾郡豊野村出身 
二十三歳


天皇陛下の御為に、米英撃滅の決戦の大空に悠久の大義に就かんとす。
男子の本懐此れに優(すぐる)無し。

長年の御教訓に遵(したが)ひ死所を得たる徹治は幸福者です。
貧苦の中にも良き御教育の道を戴き有難うございました。

徹治戦死の報あるも決して悲しんで下さるな。
一日も早く病全快せられ、御母様共々末長く達者で御暮らしの程御祈り致します。

彰介は立派な人間にして下さい。
小生の貯金其の他は、弟妹等の教育費に御使用願ひます。

兄上木崎家の更隆を切に御願ひ致します。
弟妹達仲良く身体を大切に勉強して立派な人間になって
孝養を盡(つく)すを怠るな。

嗚呼(ああ)、大東亜永遠の平和確立の暁を見よ快なる哉(や)。
                             

             徹治
父母様
兄弟妹様

           <感謝合掌 平成30年8月2日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成26年8月 - 伝統

2018/08/03 (Fri) 19:53:32


遺書

海軍兵曹長 庄司猛夫命
昭和十九年十一月二十一日
フィリピン東方海面にて戦死

福島県岩城郡内郷町出身 
二十七歳


我今より我が大日本帝国の決戦場に向ふにあたり一言遺言す。

我もとより戦場に向ふに心残りなし。

今大君の御為、大和民族の盾となれるを喜ぶ。

家人よ嘆く勿れ、むしろ祝すべし。

我が家にも名誉の戦死の記されることを地下より喜ぶ。
二十六年の間、海よりも深き父母の恩に報い得ざるは、残念なり。

残る弟妹達、兄たる小生の分も孝行されたし。
節子よ、兄の墓は敵の重艦で大きく立派なものだ。
此の海を今にお前たちが船に乗って通ることもあるでしょう。

兄は喜んで見上げるよ。
母さんに孝行、父の言を守り弟妹共の指導をたのむ。

(後略)

昭和十八年一月十日

           <感謝合掌 平成30年8月3日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成25年8月 - 伝統

2018/08/05 (Sun) 20:04:24


自分ノナマヘカケマスカ


海軍上等水兵 吉田 勝 命

昭和十九年八月十日
マリアナ諸島方面にて戦死

東京都北区田端町出身
三十六歳


明子チャン、大変ニオリコウサンニ、ナッタサウデスネ。
オ父サンハ、ヨロコンデヰマス。

ヨク通子トモ遊ンデヤルトノ事。
オヂイサン、オバアサン、オ母サンノ云フコトヲヨクキイテ、
マスく良イ子ニナッテ下サイ。

オ父サンモ、ココカラ元気ニ、ヘイタイサンニナッテ、見テヰマス。

塗絵タイヘンヨクデキマシタ。
モットモットカイテ、ナニカヒトリデ、カイテ下サイ。

自分ノナマへカケマスカ。
マダムリデスカ。

マタ、オモシロイハナシヲ、タクサンキカセテアゲマス。

通子、順子ニモヨロシク。

サヨナラ


父ヨリ

明子チャン

           <感謝合掌 平成30年8月5日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成24年8月 - 伝統

2018/08/06 (Mon) 19:39:56


立派に軍人の本分を尽す覚悟であります


海軍一等機関兵曹 柳澤幸信命

昭和十九年八月十日
マリアナ諸島グアム島にて戦死

徳島県徳島市矢三町出身 二十一歳


拝啓。
初秋の頃と相成りました。

其の後、お父さん始め御一同様には、何のお変りもなくお過しの由、何よりと存じます。
降って、小生も日々元気旺盛、軍務に精励致してゐます故、他事乍ら御休心下さい。

お願ひして御座居ました品物及び千人針、お守確かに受取りました。
いざと言ふ時には、この千人針をしっかりと腹に巻き、
立派に軍人の本分を尽す覚悟であります。

もう故郷の方も稲の穂も頭を下げ、お祭の近づいた事を見せてゐる事でせう。
小生も去年は、内にゐて御馳走をたんまり食べましたが、今年はもうだめですね。
ハ・・・。

それから、尚もう一つお願ひがあるのですが、家内一同写した写真がありましたら、
一枚お送り下さいますか。
もう半年、家内の者の顔を見ぬと一人淋しくなります。

では、今日はこれくらいでお別れします。
向秋の折、御一同様呉々もお体大切に。 又後便にて

幸信

懐かしい 御一同様へ

           <感謝合掌 平成30年8月6日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成23年8月 - 伝統

2018/08/07 (Tue) 17:31:13


しっかり頑張りなさい

海軍軍属(学徒)  立川絹江命

 昭和二十年八月二十三日

 原子爆弾のため本籍地にて戦傷死
 佐賀県杵島郡橘村出身 十九歳


安ちゃん。

お手紙ありがたう。

もっと早く返事書かうと思ってゐましたが、
なかくひまがないのでこんなにおそくなってしまひました。
ごめんなさいね。

皆がおりこうさんで暮してゐるので、
お父さんも姉ちゃんも非常によろこんでゐます。

これからも、もっとくヨイコになってお母さんのお加勢し、
お父さん達を安心させなさいね。

それから尚男ちゃんの病気はなほりましたか。
永い間下痢したのなら、やせてしまったでせう。
どんなにしてるかしらと心配です。

邦子ちゃんはどうしてゐますか。
もう大分(だいぶ)おしゃべりになってることでせうね。

安ちゃん。もう学校に行ってゐるとのことですが、学校はいかがですか。
なれないうちはいやな日や、つらいこと等あるでせうが、
もう一時(いっとき)してるとだん々々おもしろいやうになりますよ。

武雄の人に負けぬやうしっかり頑張りなさい。
それには毎日くたとへ少しの時間でもよいから、
机に向って予習復習をかかさぬ様になさい。

毎日の予習復習を立派にすれば学校の勉強はどんくおもしろく進みますよ。

安ちゃんは今からが一番大切な時ですから、
分らぬところは勝さんや、望ちゃん、照ちゃん等にきいてしっかり勉強しなさい。

姉ちゃんも戦争に勝ち抜くまではうんとがんばる覚悟です。
ではお元気でおくらしなさい。

安ちゃんへ                          
さやうなら

           <感謝合掌 平成30年8月7日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成22年8月 - 伝統

2018/08/08 (Wed) 20:26:32


謹みて靖国神社の神霊に申す


陸軍憲兵軍曹 近 藤 巖 命

昭和二十年八月十九日
東京九段靖国神社にて責任自決

愛知県出身 二十二歳


謹みて靖国神社の神霊に申す

本日復員の命下れり。
皇國の必勝を信じ、護持の大任を完(まっと)ふされし
靖国の神霊に何と申し上ぐべきや。

只、吾が責務の完(まった)からざるを思ひ、此処に一死以て詫びんとす。

陸軍憲兵軍曹 近 藤 巖



遺言

謹みて御両親様に申し上げます。

本日復員の命下り、帰郷の余儀なきに至りました。
真に無念に存じます。
多くの戦友に先立たれ、軍人の本分を完(まっと)ふせず、
今更何んで帰られませう。

巖の胸中、お察し下され。

武人として、又、自己の信念の大道を進むべく、此処に死を決します。

お許し下され。

生を受けてより此の方、二十四年有余。

此の間の御両親様の御辛労、深く深く感謝致します。
後に残りし弟二人、立派に御薫陶の上、
皇國護持の為に尽さしめられたくお願ひ申し上げます。

折角御自重遊されたく。

昭和二十年八月十八日



御両親様

          <感謝合掌 平成30年8月8日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成21年8月 - 伝統

2018/08/09 (Thu) 18:22:47


お母様の膝下に帰ってゆきます


陸軍中尉  藤井 冨一 命

昭和二十年八月六日
沖縄方面にて戦死

奈良県生駒郡安堵村出身 二十五歳


(前略)

永い永い二十五年間心配ばかりをおかけして、
一時として安心させる様なことの出来なかったことが
何よりも心残りであります。

せめて一時でも安心させたかった。

しかし、冨一も一人前の男になりました。
今こそ最後の御安心をさせる秋が寸前に迫り、喜び勇み居ります。

(中略)
 
今更、何も思ひ残す事はありません。
ただ感謝、喜び勇んで敵撃滅の決戦の空に、真一文字に征きます。

お母さん、祝って下さい。
 
お母さん、たとへ私の身体が帰って来なくても、
心は必ずお母様の膝下に帰ってゆきます。
あのうるはしい山に包まれた故郷の空へ帰ってゆきます。

そして、皆様と一緒に日本を守りませう。

(後略)
    
冨 一

お 母 様

          <感謝合掌 平成30年8月9日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成20年8月 - 伝統

2018/08/10 (Fri) 19:40:37


遺 書

陸軍歩兵中尉 立山英夫命

昭和十二年八月二十二日
歩兵第四七聯隊
支那河北省辛荘附近にて戦死

熊本県菊池郡隈府町出身


若し子の遠く行くあらば 帰りてその面見る迄は 
出でても入りても子を憶ひ 寝ても覚めても子を念ず 

己れ生あるその中は 子の身に代らんこと思ひ 
己れ死に行くその後は 子の身を守らんこと願ふ 

あゝ有難き母の思 子は如何にして酬ゆべき 
あはれ地上に数知らぬ 衆生の中に唯一人 母とかしづき母と呼ぶ 

貴きえにし伏し拝む 母死に給ふそのきはに 泣きて念ずる声あらば 
生きませるとき慰めの 言葉交はして微笑めよ 

母息絶ゆるそのきはに 泣きておろがむ手のあらば 
生きませるとき肩にあて 誠心こめてもみまつれ 


お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん
お母さん お母さん お母さん

          <感謝合掌 平成30年8月10日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成26年7月 - 伝統

2018/08/11 (Sat) 18:23:54


遺書

陸軍曹長 三浦武男命

昭和十九年七月十八日
マリアナ諸島サイパン島で戦死

愛知県愛知郡豊明村出身
三十歳


一枝

長い間、色々と御世話になりました厚く御礼申し上げます。
此の御恩は、いつまでも忘れは致しません。
今日の日の有ることを既に覚悟してゐて呉れたことと思ふ。

戦死したならば、御國の為と喜んで呉れ。
笑って大東亜建設の投石となって戦死致します。

一枝や淳、又、生れ来る子供のことを思ふと夫として、又、親として
何らの責任も果たさず、幸福にさせることが出来なかったのを唯一つ
心に残り、可愛さうに思ひますと共に、済まない思ひが致しますが
これも御國の為と泣かずに喜んで呉れ。

たとへ、此の身は戦場に於て露と消へても、魂となって祖國を守り
一枝や淳、又、生まれ来る子供を守って居ります。

信じ切って居る一枝。
私が常に言って居る様に、正しい道をふみ行なって
天地に恥じざる行動をとっていただきたい。

淳と生まれ来る子供を立派に教育し育て、
家を継がせて呉れるのを草葉の蔭から祈って居ります。

逢ひたくば、靖國の杜に来て呉れ待って居ります。

武 男

昭和十九年五月二日
一 枝 殿

          <感謝合掌 平成30年8月11日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成27年7月 - 伝統

2018/08/12 (Sun) 18:42:09


弟へ

海軍大尉 小倉孝雄 命 

昭和二十年四月二十四日
フィリピンルソン島にて戦死

東京都大田区久ヶ原町出身
二十一歳


拝啓 晩秋の候、貴殿益々意気軒昴(けんこう)にして
生徒生活に全力邁進の事と御推察申し候。

小生、愈(いよいよ)出陣の時機到来にて全力必死。
唯、皇国の御為、死力を尽くす覚悟に候へば、御安心下され度候。

貴殿もいづれは、帝国海軍将校となるべき修養中の御身なれば、
目標を高きに置き決死の努力研鑽を望む次第に候。

何事も

     気 力
     努 力
     誠 心

により、全て成らざるはなしと確信致す次第に候。

貴殿の兄として充分なる指導をなし得ざりしは、不徳の致す所。
深く恥づる所に候へ共、愛弟の念、切なるものあり。

厳冬に向ふの折から自重、自愛全力生徒生活に突撃せられん事を
切望する次第に候。
                                       
敬具
          前夜               
                                      

孝 雄

成美 殿

         <感謝合掌 平成30年8月12日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成28年7月 - 伝統

2018/08/14 (Tue) 19:22:36


靖國の若桜として散る覚悟で居ります


陸軍伍長 原山 好一 命 

昭和二十九年二月二十八日
ソビエト社会主義共和国連邦タイセット地区
タイセット第八六K収容所にて戦病死

和歌山県海南市黒江出身 
三十歳



おばあ様、父上様、母上様
晧姉さん、弘子姉さん、泰子、邦子


皆様、長らく御世話になりました。
小生これより任地〇〇へ出発致します。
もとより生還は期しません。

男子と生まれて靖國の若桜として散る覚悟で居ります。

班長さんからも言はれました。
人生僅か二十五年。
小生達の任務は肉弾挺身隊です。
爆弾を抱へ敵のトーチカへ飛び込むのです。

どうか皆様元気で銃後を固めて下さい。
先日のお母さんと弘ちゃんの声は死んでも忘れられません。

その後の種々の心づけ心から御礼申し上げます。

(中略)

では最後に皆様のご健康を祈ります。

                 さやうなら好一より

昭和十九年十月二十九日二十時三十分
中部二十四部隊田崎隊五班の部屋の片隅にて走書きす。
   
                      原山好一


          <感謝合掌 平成30年8月14日 頓首再拝>

「大東亜戦争無縁戦没者英霊に捧ぐる辞」 - 伝統

2018/08/15 (Wed) 19:47:37


        *Web:「インターネット道場365日」
             平成30年8月15日の言葉 より
             谷口 雅春 先生

大東亜戦争に忠勇無双の奮闘ををつづけ 
ついにこの戦争に肉体の生命を献げつくして
霊界に旅立ち給える諸霊に告げ奉る 

ことに今なお遺族不明にして御魂を祀ることを成し得ざりし
戦死の霊たちに斎主谷口雅春告げ奉る 

本日大東亜戦争終了の記念日を選び卿等の忠誠と功績を偲び奉り
みたまを慰め奉り 真理の悟りに導き奉らんとして 
ここに生長の家の信徒たち集りて聖経『甘露の法雨』を読誦し奉らんとす 

庶幾(こいねがわ)くはこれを受け給え

惟うに大東亜戦争は卿等の忠勇無比なる奮戦にも拘らず日本の敗戦となりたれども 
決して卿等の奮戦は無駄に終りたるにも 犬死せられたるにも非ず 
あの戦いの目的は当時すでに明瞭に「大東亜民族の解放戦」と名づけられたるに非ずや 

これは人類進化の一周期の完了期が近づきたるが故に 
今まで白色人種に侵略され その原住国土を白色人種の属国 保護領 植民地とされ 
有色民族たる原住民は奴隷のごとく待遇されいたる大東亜およびアフリカの有色民族も 
この人類進化の宇宙周期の完了に際して 

白色人種と同等に「神の子なり」との自覚を得て独立すべき宇宙プログラムを
現象界に実現する時機至りたれば 有色人種といえども 白色人種を圧倒する力を有する
という実例を示して 有色民族たちの自立独立の精神を自覚せしめる契機を与うる
必要ありてあの戦争には宇宙の人類進化の神界のプログラムを達成する役割を演ずる
偉大なる犠牲者出現せざるべからざりしなり 

その偉大なる役割を演ずるために開かれたるがあの大東亜戦争なり

その偉大なる犠牲的役割を演じて自己の生命を献げて人類進化に道をひらきたるが 
あの大東亜戦争において戦死されたる卿等日本軍の将兵たちなり 
卿等の戦死はまことに無意義にも犬死にも非ざりしなり 

キリストが一身を献げて人類の身代りとなりしがごとく 
卿等は一命を捧げて 大東亜諸民族およびアフリカ諸民族の魂の
自覚の進歩のために貢献せるなり 

卿等の功績決してキリストの人類救済の功績に優るとも劣るものにあらず 
すでに大東亜の民族はすべてその原住国土において独立せり 

すでにアフリカの民族もそのほとんどは原住国土において独立せり 
かくて「大東亜民族の解放戦」と称したりしかの戦争目的はすでに達したり 
戦争目的の達成は勝利というべきなり 日本は勝利せるなり

卿等はみじめに敗戦して犬死せる者には非ず 
人類進化の周期完了に近づきて偉大なる功績を果せるなり 

今上天皇陛下が 平和愛好の御心にて あの大東亜戦争開始に反対の意志をなされ
「四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という
明治陛下の御製を御前会議の席上にて朗詠せられたるにも拘らず戦争を抑止することを得ず 

軍の真珠湾攻撃後 陛下はついに宣戦布告の詔勅において
「豈朕が志ならんや」の一句を挿入せしめられたるごときは 
まことに以て あの戦争が人類進化の過程として道を拓くべき
宇宙的プログラムにして何れの国民かが犠牲となって

大東亜およびアフリカ民族の自覚促進に貢献する宇宙的必要必須の使命を果たす
必要ありたるが故なり 

かくて卿等は一身を献げて すでにこの偉大なる目的を達せられたるなり 
讃うべきかな卿等の犠牲的精神よ 

宇宙の大神 今卿等の功績を称讃し 霊界において一層高き位に進められんとす 

そのための悟りの彼岸に渡すべき如来の願船としてここに聖経『甘露の法雨』を読誦す 
これ観世音菩薩の願船なり 塩椎大神の目無堅間の小船なり 
この如来の願船たる聖経に乗りたまいて悟りの彼岸に渡り給えと
生長の家信徒一同卿等を敬って合掌礼拝して感謝の意を述べ奉る   

昭和三十五年八月十五日 頓首再拝

     (『新版 魂のふるさと宇治』
       (日本教文社)』189~191頁)

          <感謝合掌 平成30年8月15日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成21年6月 - 伝統

2018/08/16 (Thu) 20:39:47


私の心さながら明月の如くです


海軍一等飛行兵曹 地藏垰 總憲(じぞうだお ふさのり)命

昭和二十年六月四日
南西諸島にて戦死

島根県那賀郡二宮村出身
御母上様


愈々これが最後です。
總憲、この世に生れて以来二十一年、
其の間、何一つ御両親様を安んずるが如き事をなし得ず、
誠に申訳ございません。

今こそ、この御両親様の御高恩に報ゆる時が参りました。
總憲一生一度の御奉公、これが父母様へのせめてもの孝行かと思ひます。
にっこり笑って散って行きます。

祖国のこの危機を救ふは誰ぞ、我々青年搭乗員です。

その男の中の男として空に散らん。
悠久の大義に生きるこそ日本男児の本懐(ほんかい)、
之(これ)に過ぐるものはありません。

(中略)

今は丁度桜も満開です。
あの日本の花と一緒に散って行きます。
私の心さながら明月の如くです。
身も心も清く一才の童児に立ち帰って散って行きます。

(中略)

若(も)し、私散りたりとの報に接せられましたなら、
總憲必ず敵空母とさしちがへて散ったと思って喜んで下さい。
明るく清い心と体で散ってゆきます。

(後略)

          <感謝合掌 平成30年8月16日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成22年6月 - 伝統

2018/08/17 (Fri) 20:01:27


遺 言

陸軍兵長 大 瀧一 郎 命

昭和二十年六月十四日
フィリピンにて戦死

東京都出身


一、産業戦士として比島へ赴任するとは謂ふも
  現戦局は皇国未曾有の機局に直面し居る秋(とき)に當り 
  赴任する故に軍人と何等変らざる覚悟を以って壮途に就くものなり 

  幸にして途中無事故にて任地に到着の上は
  一死報国の誠を以って一意増産に奮励するものなり 

  その時と謂ふも父は御前等兄妹の事を
  毎日無事で健やかに大きくなるやう祈ってゐる 

  父は三年比島で勤務すると
  懐かしい御前達の元気な顔を見に帰って来られる筈であるが、
  然し此の戦局が有利に終らない限りは何年でも帰って来られないが、

  御父さんが留守である時は御母様や御老父さん御老母さんの云ふ事を
  良く聞いて立派な人になるやうに言行一致よく勉強してくれ 
  それのみを祈ってゐると共に

  御前達の躰の上には何時何處ででも
  目に見えない御父さんの魂が御前達の無事を守ってゐるぞ


  (中略)

  比島赴任にのぞみ

  昭和十九年八月六日

  父より

          <感謝合掌 平成30年8月17日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成23年6月 - 伝統

2018/08/18 (Sat) 20:25:29


遺   書

陸軍兵長  岡 敏雄命

  昭和二十年六月九日
  比島ミンダナオ島にて戦死
  岡山県児島郡下津井町出身 二十八歳


此度の戦斗にて大君の御為に死所を得ました事は、
皇国に生を享(う)くる男子としての本懐、
正に之(これ)に過ぎるものはありません。

成人するに及び故郷を遠く離れ、親子別々の生活致し、
何等孝養らしき事も尽さず死するは、
全く慙愧(ざんき)の極(きわみ)であります。

小生亡き後は前途多端の一家の為、
万全の善後策を講じて下さる可(べ)く、切に御願ひ致します。

尚、京子の件に関しても、結婚後僅々(きんきん)四ヶ月余日の生活にて、
夫を失ふ身は誠に不憫(ふびん)とは考へますが、出征前能(よ)く能く申聞かせ、
既に覚悟の程も出来居る事と存じますれば、今後は本人とも充分御相談の上、
宜敷御取計らひ下さいます様、御願ひ致す次第で御座居ます。

小生身は仮令(たとい)何れの地にて果(はて)ませうとも、
皇国の万代(ばんだい)不易(ふえき)と一家の隆盛を祈って安けく冥(めい)じます。

最後に、父上の英霊に続いた子として不肖の身でありましたが、
何卒御許しの程願ひます。

では、御身体呉々も御大切に。

母上の御幸福を蔭乍ら御祈り致します。

    昭和十九年四月二十九日


  岡  敏 雄
  御 母 上 様

          <感謝合掌 平成30年8月18日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成24年6月 - 伝統

2018/08/19 (Sun) 19:18:01


父母ニ誓フ


海軍二等飛行兵曹  和田博之命

昭和二十年六月十日
土浦海軍航空隊に於て
空襲のため戦死

群馬県高崎市新町出身
十九歳


一、永年、親不孝ヲシタ罪ノ償ヒニ、粉骨砕身御国ノ為ニ働クト共ニ
  父母ニ対シ真心ヨリ仕(つか)ヘル事ヲ、心ヨリ誓ヒマス。

二、二度ト父母ニ対シ心配ヲ掛ケズ、自分ノ体ヲ大切ニ、何時モ元気デ朗ラカニ、
  真面目ニ働キマス。

三、常ニ弟妹ノ良キ模範トナリ、立派ニ指導シ、兄弟妹ソロッテ親孝行シマス。

四、本日以後、「父サン」「母サン」ト称へ、孝ヲ誓ヒマス。


昭和二十年五月二十二日
和田博之

          <感謝合掌 平成30年8月19日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成25年6月 - 伝統

2018/08/20 (Mon) 20:09:27


遺書

海軍大尉 小野寺徳治命
昭和二十年六月十三日
沖縄島方面にて戦死

宮城県栗原郡有賀村出身
三十九歳


日本に 生を禀(う)けし 男子が
       御盾となりて 散るぞ嬉しき

生ある者は必ず死す。国難に殉ずるは男子の本懐、之に過ぐるなし。喜んで殉ず。

軍人の妻として、今日あるを覚悟し、決して取乱すべ可らず。
余の亡き後は軍人の妻として、恥かしからざる生活をせよ。

博重は、必ず海陸軍人と致す様、養育すべし。
浩子は、婦女子として恥かしからざる教育を致させ、
良縁があったら嫁(とつ)がすべし。

御腹の子供が男子であったら、博重と同様軍人に致し、
女子の場合、浩子同様嫁がすべし。

余の亡き後は、速やかに帰郷致し、養父母に孝養を尽すべし。
決して世間の人様から後指を指されない様、心得る可し。

余の肉体は滅す共、精神は護国の鬼と化して朝敵を亡ぼす。

浮世の荒波に打ち勝って、子供の教育に専心すべし。

御前達の幸福を見守る。

右、遺言す。

昭和十五年十一月二十九日
                                    
 徳治

 悦子殿


https://devlin.blog.so-net.ne.jp/2013-07-01-1

          <感謝合掌 平成30年8月20日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成26年6月 - 伝統

2018/08/21 (Tue) 18:17:19


遺書

陸軍中尉 阿部司郎命

昭和二十年六月五日
三重県紀伊長島町熊野灘沖合にて戦死

神奈川県相模原市上鶴間出身
二十三歳


天皇陛下萬歳

皇國永遠の発展を祈り奉る。

明野戦闘隊、皇軍戦闘隊の発展と各位の御健康を祈る。
同期生各位の健康と発展を祈り、永き交友を謝す。


両親宛

平素の御教訓に遵(したが)ひ、司郎は喜びて皇國の為に死す。
乞(こう)安心。

生存中は直接何等の孝養を盡(つく)し得(え)ざりしも、
大孝の道に死したるは、御両親様も満足の事と拝す。

陛下の御為、國の為、不肖なる我が身が御役に立ちますこと
司郎最大の嬉(き)悦(えつ)を感じます。

七生報國の覚悟なれば、此の次生まれ来たる時には必ず膝下(しっか)に参ぜん。

祈御健康。

阿 部 司 郎

   (https://blogs.yahoo.co.jp/asamin_sdf/32762892.html

   (関連 http://blog.whoselab.com/modules/d3blog/details.php?bid=2095

          <感謝合掌 平成30年8月21日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成27年6月 - 伝統

2018/08/22 (Wed) 19:20:32


辞世の書


陸軍准尉 北野正憲命

昭和十八年十一月五日
ニューギニアブーツ東飛行場にて戦死

鳥取県東伯郡赤碕町出身
二十四歳



父上様、母上様

謹みて正憲辞世の言葉を開陳申し上げます。
過去二十有余年、永々の御養育下されました事を厚く御礼申し上げます。
有難うございました。

その間、何一つ孝行のできなかった事を先づ御許し下さい。
私も此の歴史的大東亜戦に参加でき、帝国軍人として国家に御奉公できまし
た事を嬉しく思って居ります。

小さい時より軍人を志しその願いが叶って
身を国家に捧ぐる事は、私として最大の宿望であったのです。

(中略)

軍人の父として又母として、国家に盡(つく)した功労は
実に最大の名誉であり是以上の光栄はありません。
決して泣いて下さいますな。

血湧き肉躍らせつつ勇躍征途に登りし空中戦の花と散った南海の大空に向って、
正憲はよくやったわいと褒めて下さい。
そして声の続く限り萬歳を三唱して下さい。

(中略)

時巡りて若芽吹く桜の春来たれば、靖國の花の下で
老いた父上母上様を始め兄弟揃って再会する日を待っています。

親戚一同様にも生来お世話になりました。
何も盡すことが出来なかった事を御許し下さい。

正憲の魂は故郷の仏壇にありて、
北野家代々の繁栄を守り私は永遠に生きています。


北野正憲

          <感謝合掌 平成30年8月22日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成28年6月 - 伝統

2018/08/23 (Thu) 19:58:51


すめら御國を 永久に守らむ


海軍一等飛行兵曹 辻 始 命 

昭和十八年七月二十四日
本州東方海面にて戦死

徳島県那賀郡富岡町出身 
二十一歳


生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)の譬(たとえ)は、
常に胸中に在り。

日出る皇國に大和男子として生をうけ
聖恩に報い奉り祖國を永遠に護らむと
海軍航空兵として軍籍に身を投ぜり。

幼十歳にして荒鷲を望みし身とて、
殉職はもとより期せし処。

されど我が本懐は、太平洋上紺碧の空に聖寿の万歳を寿ぎつつ散華するにあり。

我が日頃神仏に祈りし処は

「皇國日本の為尽し得る立派な人間とならさせ給へ」

とのみ申せしにあり。

(中略)

散りてのち なほ白雲と とどまりて

         すめら御國を 永久に守らむ


昭和十七年 元旦記之
                              始

          <感謝合掌 平成30年8月23日 頓首再拝>

「レイテ島からのハガキ」 - 伝統

2018/08/24 (Fri) 19:43:02


「レイテ島からのハガキ」亡き父の家族への思いが伝わる時

https://www.youtube.com/watch?v=RcGYERZWXKI&list=PLfNBxlasS4GNms43PKLKUQPjvcKPb6hU9


【泣ける】探偵ナイトスクープの感動作「レイテ島からの手紙」とは?
https://matome.naver.jp/odai/2143887915328475201


【解読された感動的な手紙】

インキと煙草を持つて来なかつた故不自由してゐるよ。
やはり持つ物は持つべきだね。

お前は大阪にゐる時から出征したらどこかに働きに行くと言つてゐたが、それは許さんぞ。
どんな事があつても身重であるお前が働きに行く事は許可せん。

兎角(とにかく)お互いが元気で会う日迄(まで)元気よく日々をすごそうではないか。
亦(また)帰れば新婚の様な気持ちで日を送ろう。

大三輪神社思ひ出すよ。八日の晩の映画思ひ出して仕方ない。
でもお互いが別れた今は帰る迄仕方ないやないか。

何回もいふ事であるが、勝手な行動丈(だけ)は厳禁するよ。


最後に 

酔ふ心君に訴ふ事ばかりただに言へない吾(あ)が胸の内 

頼むぞと親兄姉に求めしが心引かるゝ妊娠の妻 

駅頭で万歳叫ぶ君の声胸に残らむ昨夜も今朝も

元気で。(返信不要)

          <感謝合掌 平成30年8月24日 頓首再拝>

フィリピン・レイテ島現地住民の手で慰霊碑が立てられた日本兵 - 伝統

2018/08/25 (Sat) 18:02:18


      *Web:NEWSポストセブン(2018.08.13)より

太平洋戦争の激戦地の一つ、フィリピン・レイテ島。
同島・ドラグ市の片隅に、現地住民の手で、
たった一人の日本兵のために建てられた慰霊碑がある。

祀られているのは京都府出身の山添勇夫陸軍大尉。

1937年に召集後、フィリピンに派遣されドラグ市の守備隊長を務めたが、
1943年に現地ゲリラとの戦闘で戦死した。32歳だった。

「山添勇夫は地元住民らと親睦を深めるためにスポーツや映画上映を行うほか、
食糧不足を補うよう野菜作りを教えるなどしていた。
彼らの信頼や尊敬の証しとして、慰霊碑が建てられたようです」

そう語るのは、山添勇夫大尉の曾姪孫(おいの孫)にあたる
京都府与謝野町の山添藤真町長。

藤真氏が5年前に慰霊碑を訪れた際には、山添勇夫大尉と交流のあった
当時のドラグ市長の娘さんと対面できたという。

その慰霊碑は終戦から70年以上経た今でも、
地元住民の手により大事に管理されている。

●取材・構成/浅野修三(HEW)

※SAPIO2018年7・8月号
https://www.news-postseven.com/archives/20180813_714166.html

山添勇夫(やまぞえ いさお)
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%B1%B1%E6%B7%BB%E5%8B%87%E5%A4%AB

http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-2045.html?sp

http://blog.livedoor.jp/safetyisland/archives/51625551.html

          <感謝合掌 平成30年8月25日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成30年9月 - 伝統

2018/09/03 (Mon) 18:58:43

入営に際して

陸軍軍曹  川床(かわとこ) 悟 命

昭和20年1月7日
フィリピンルソン島にて戦死

鹿児島県川辺郡知覧町出身
23歳



前略、
この度私儀(わたくしぎ)入営に際しては、
私一人の悦びならず、一家同慶の事と存じます。

私入営致しました上は、勅諭五ヶ条の精神すなわち戦陣訓を
良く肝に銘じて一意専心、微力ながらも
陣忠報国の誠を致す覚悟です。

それゆゑ征(ゆ)く上は、二度と生還は期さない決心です。
縦(たと)ひ自分の遺骨が還らなくても、敢えて心配してくださいますな。
また便りのない時は、元気で精励して居ると思ってください。

(中略)

姉さん達が切磋琢磨して父母を擁護して、そして子供を良く養育して、
帝国軍人の家庭として恥ずかしからぬ明るき立派な家庭を建設してください、
お願ひします。

自分たちは、国家非常時の際、皇恩の万分の一でも報ゆる事の
出来る事を無上の光栄として、元気で征(い)きます。

最後に御両親を始め姉さん達皆様が、くれぐれも達者で
お暮し遊ばすことをお祈り致します。

                       敬具

  昭和19年3月1月16日夜

                      悟 拝

 家内一同へ


 天皇陛下万歳
  大日本帝国万歳 

  (https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

          <感謝合掌 平成30年9月3日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成28年9月 - 伝統

2018/09/04 (Tue) 19:35:12


遺言

陸軍伍長 久保 繁夫 命 

昭和十九年九月十三日
東部ニューギニア・バラムにて戦死

和歌山県有田郡湯浅町出身 三十五歳


御父上様

三十有余年の間、色々とお世話になり何一つ孝行をした事もなく
お別れするのは、心苦しゆう思ひます。

併(しか)し大君の御為に捧げた命です。
皇国の御為に死んで行く繁夫です。
これがせめてもの孝行だと自ら慰めてゐます。喜んで下さい。

御父上には、お年を召してをられる故、余り無理をなさらないで下さい。
ハナヱの事は学文路(かむろ)と相談して、ハナヱの思ふ様にしてやつて下さい。

他に何も言ひ遺す事は御座いません。

最後に御父上の健康をお祈り致します。

天皇陛下万歳

昭和十六年七月二十七日

          <感謝合掌 平成30年9月4日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成27年9月 - 伝統

2018/09/05 (Wed) 15:45:02


大君の御為に


海軍少尉 本假屋孝夫命 

昭和二十年三月十八日
九州東方海面にて戦死

鹿児島県姶良郡霧島村出身
 二十歳


兄上様 お喜び下さい。

今度、特別攻撃隊員に選ばれて明日愈々出撃することになりました。
大君の御為に役に立つ時が来たのです。
男子の本懐これに過ぐるはありません。

笑って突っ込んで行く覚悟です。
万里の怒涛を乗り越えて敵陣に黒丸一家がなぐり込みをかけるのです。
こんな愉快なことはありません。

兄上様にも喜んでいただけると思ってます。
生きて還らぬ決死の突撃隊です。

出水に居る頃は、本当に御世話様に相成りました。
深く深く感謝致しております。
御恩は死んでも忘れません。
姉上様にもよろしく御伝え下さい。

「男子生まれ 空行かば 雲染む屍悔あらじ」歌にもあります。
大空の果て珠と砕けるは、我々の最も本懐とする所です。

桜の花が世の人に愛されるのは、惜しまれて散るからです。
人間も世の人に惜しまれて散る所に良い所があるのです。
人間死場所を逸したらろくな最後はとげられません。

私が死んでもどうか悲しまずに
大君の御為によくぞ死んだ天晴れな最後だったとほめてやって下さい。

兄上様、姉上様、憲ちゃん、敬ちゃん達の健康を草葉の陰より祈っております。 

さようなら


花は桜木 陸爆乗りは若い命を惜しませぬ

花のつぼみの二十で散るも何か惜しまん君のため

還らじとかねて思えば梓弓(あずさゆみ) 咲く春を待たずして我は散るなり

          <感謝合掌 平成30年9月5日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成26年9月 - 伝統

2018/09/06 (Thu) 23:53:40


遺書


陸軍少佐 森本三郎命

昭和十八年九月三日
ニューギニア ウエワクにて戦死

兵庫県印南郡別所村出身 
二十六歳


一、

皇民トシテ錦旗ノ下ニ死ス
之臣ノ無上ノ光栄ナリ死シテ
皇居守護ノ鬼ト化シ猶悠久ニ
皇國ト共ニ生クルヲ喜フ


二、

死ニ臨ミ悔ケレト未タ御奉公ノ
足ラサリシト垣内ニ逆臣名利ニ
趨ル徒輩ノ絶エサルヤヲ憂フ
老幼男女階級ヲ問ハス眞ニ皇民
タルノ光栄ニ感激シ各々ノ使命
ヲ自覚シ己ノ最大ヲ傾ケ皇ニ奉
シ顧ミテ恥サルヲ望ム


三、

遺品ヲ残シ遺族ノ涙ト化スヲ欲
セス皇國ニ生レ彼蒼ニ散華シ
遺骨ノ帰省固ヨリ期セス何処ニ
散ルトモ八紘建設ノ浄土ト化サン


四、

両親ノ恩ニ報イルニ心配ノ累積ヲ
以テセシ罪今日ノ壮行ニ免シ許シ給ヘ

                 三郎

          <感謝合掌 平成30年9月6日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成25年9月 - 伝統

2018/09/07 (Fri) 18:29:45


妹弟へ


陸軍伍長 赤井 稔命

昭和十九年九月二十一日
比島ルソン島バコールにて戦死

鳥取県米子市大工町出身 
十九歳


千代枝。元気で勤めて居る事と思ふ。
俺も元気で居る。安心してくれ。愈々出発だ。喜んでくれ。
此の上は、専心御奉公致す覚悟である。

千代も大人になった。
母上様をよく手伝って御安心をさせてあげてくれ。
俺の分も兼ねて孝養を尽すのだぞ。

若い者の陥り易い短所としてと言へば解るだらう。
決して其の様なまねはするなよ。
一から十まで孝養だ。

それから博の面倒をよく見てやれよ。
仲良く暮すのだ。
お前が病気したら、母上様の苦労は大きなものだ。
体を大切に、孝養を尽くせ。

千代枝殿                                                                
            




          <感謝合掌 平成30年9月7日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成24年9月 - 伝統

2018/09/08 (Sat) 18:37:20


決戦場へ征きます


陸軍軍曹 藤好京介命

昭和十九年九月三十日
東部ニューギニアにて戦死

福岡県三池郡高田村出身 二十七歳



御父上様。
御母上様。

京介は、愈々日本男子として、決戦場○○へ征きます。
電撃的出撃に、光栄と希望と武者ぶるひにて、この筆をとって居ます。

今、静かに生立ちを振り返る時、生を享けて二十六年の今日迄、
御両親様には取り分け御心配の掛け続けにて、
御高恩の万分の一も御孝養出来なかった豚児(とんじ)を御許し下さい。

何卒、呉々も御自愛になり、
健やかな日を御過し遊ばす様、心より御祈り致します。

それから、自分の今後に於ける一切の事柄に関する処置は、
総て御両親様に御任せ致します故、宜しく御取計り下さいませ。

又、松田様始め、私が今迄に御世話になりました方々には、
御両親様より宜しく御伝へ下さいませ。

中林町の伯父上様にも御高齢の事とて、
折角の御自愛と私の感謝とを御伝へ下さいませ。

最後に重ねて御両親様始め、
兄上様方妹達の御健康とを祈って筆を擱(お)きます。

   昭和十八年○月○日

藤好京介
藤好虎秀様
藤好タキ様

最後の外出は、とても愉快でした。ブドー酒の乾杯で幸先よいです。

           <感謝合掌 平成30年9月8日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成23年9月 - 伝統

2018/09/09 (Sun) 19:17:47


遺書


陸軍曹長  中西八郎命

  昭和十八年九月十四日
  東部ニューギニア ラエ付近にて戦死

  三重県度会郡城田村出身 二十三歳


兄ハ此ノ度(たび)、大東亜戦争ノ第一線ニ参加スルノ光栄ニ浴(よく)シ、
勇躍(ゆうやく)征途(せいと)ニ就ク。
固(もと)ヨリ毫(ごう)モ生還ハ期セズ。

吾無キ後ハ、我ニ代リ我々ノ養育ニ終生ヲ捧ゲシ
御両親様ニ、十分ナル孝養ヲ尽サレンコトヲ望ム。

兄戦死スト雖(いえど)モ、決シテく歎(なげ)クコトアルベカラズ。

益々勇気百倍兄弟力ヲ合セ、
家名ノ隆昌(りゅうしょう)昂揚(こうよう)ニ勉(つと)ムベシ。

兄ハ、オ前達一同ノ健康ヲ祈ルヤ切ナリ。

  昭和十八年六月二十四日

兄ヨリ
弟妹一同ヘ


           <感謝合掌 平成30年9月9日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成22年9月 - 伝統

2018/09/10 (Mon) 19:27:24


幸に御安心あれ


陸軍歩兵上等兵 小山寅右ヱ門 命

昭和六年九月二十五日
満洲奉天省奉天付近にて戦死

長崎県西彼杵郡喜々津村出身
二十二歳


昭和六年九月十八日、満洲事変突発し、
所属聯隊(歩兵第七十八聯隊)に出動の命令下り、
翌日正午龍山駅を出発したが、
新義州に於て待機中、小山上等兵は家郷の父に左の短信を寄せた。


日頃鍛へし軍人精神の発揚に努め、
天晴れ帝国軍人として君国に身を捧げ、
決して一家一村の汚名をとるが如き
卑怯の振舞なすまじく、
幸に御安心あれ。

右の書信は九月二十四日父幸助氏の許(もと)に到着した。
翌二十五日早朝こそは上等兵が護国の鬼と化した日である。
(『満州事変忠勇美談』より)


           <感謝合掌 平成30年9月10日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成21年9月 - 伝統

2018/09/11 (Tue) 18:09:27



皇国に殉ずる機、到来す


海軍大尉 中田 庄平 命

昭和十九年九月二十一日
フィリピン群島マニラ湾附近にて戦死

富山県東礪波郡種田村出身 四十二歳


愈々(いよいよ)皇国に殉ずる機、到来す。
武人の本懐何物か之に例(たと)へん。

偕老(かいろう)を契る七年余、
逆境にあること尠(すく)なからざりしに、
赤誠以て克(よ)く後援の労を尽したるを感謝す。

茲(ここ)に一言述べて、
将来準拠(じゅんきょ)すべき点を明かにし、別辞となさんとす。


一、 博明を十二分に養育し父の素志を継がしむる事

二、 母上に孝養を尽されたし

三、 良縁あらば再婚差支なし

四、 健康第一、誠心を以て世に処せよ

五、 博明、年到らば別紙を渡し激励されたし
    はゝを立て わが子培(つちか)ふ 誠こそ
    男(お)の子にまさる 大和なでしこ

閘北総攻撃に際して 庄平

たか子どの

           <感謝合掌 平成30年9月11日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成20年9月 - 伝統

2018/09/12 (Wed) 17:30:14


御両親様


陸軍中尉 角田文雄命

昭和二十年九月九日
比島ルソン島バギオにて戦傷死

長野県伊那市大字伊那出身
二十五歳



(前略)

今まで御育て下さった御両親様其の他一切の御恩に感謝致して居ります、
もう思い残すことはありません、

只御両親の御恩に少しも報ゆる事の出来なかった事を申訳なく存じています、
誠に親不孝者でした、我儘な文雄をよくお育て下さいました、
全く涙が出ます御容赦下さい。

上船すればもう生死のことは解りません
小生も最後まで頑張るつもりです。
これが最後の便りとなるかも知れません

御両親様も御丈夫にて御働き下さい。
任地到着すれば又便りも出来ましょう
そして又母上様の作りし野菜を頂ける日もあらんと存じて居ります。

兄上、姉上様
峯子にくれぐれもよろしく春雄にもよろしくお伝へ下さい。

 昭和十九年九月二十五日

          博多にて   文 雄


           <感謝合掌 平成30年9月12日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成30年10月 - 伝統

2018/10/02 (Tue) 19:04:44


入営に際して父母様へ

陸軍技術兵長 中根秀夫 命

 昭和21年6月18日
 朝鮮古茂山にて戦病死
 愛知県挙母市大字梅坪出身 23歳


生まれてこの所に二十余年の歳月、父母様には
いろいろとご心配をかけました。

今後は、ただ父母様の日頃のご教訓を守り尽忠報国の一念に燃え、
父母様のご苦労の万分の一なりとも報いる覚悟でございますから
ご安心ください。

また我々兄弟三人が、目出度く凱旋の日をお待ちください。
今後、銃後は益々ご多忙でありますが、
身体(からだ)に充分注意され、
日々ご健在でお暮しください。

終わりに父母様の健康をお祈り致します。

                       秀夫より

   昭和二十年一月二十七日

父母様へ

           <感謝合掌 平成30年10月2日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成28年10月 - 伝統

2018/10/03 (Wed) 18:17:19


比島より


陸軍司政官 石坂 捨三 命 

昭和十九年十二月十四日
フィリピンスービック湾にて戦死

新潟県新発田市字麸屋町出身 
三十七歳


今日、靖国神社大祭につき遥拝式を行つた。
常夏の比島も今日は珍しく一日雨降りで、内地の秋の様な涼しさである。

さて、その後当方相変はらず元気で勤務してゐる。

承知の通りマニラ爆撃も数回あり、比島周辺には敵がうろついてゐるが、
我に必勝の確信あれば、今更驚くことはない。

毎日落ち着いて仕事をしてゐる。

内地はそろそろ秋風が立つ頃と思ふ。
健康に留意し益々元気で銃後を守る様、祈つてゐる。
五十嵐様始め隣組の皆様にもよろしく。

十月二十三日
    
ミツ子殿

           <感謝合掌 平成30年10月3日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成27年10月 - 伝統

2018/10/04 (Thu) 17:18:32


遺書


陸軍軍曹 常見哲也命 

昭和二十年五月三十日
フィリピンルソン島にて戦死

京都府舞鶴市平野屋出身 
十八歳


若年の身皇師(こうし)に従ふ、もとより死を決す。

黒潮は萬古(ばんこ)不盡(ふじん)、故郷の岸に波を打つ。

我又永遠不盡の生命を求めて海洋を征く。

殉皇の大義、炳(へい)として神皇國に輝き吾が示標とたつ。

一、故里に残すことごと忘れ去り
           唯一途に皇に仕えん

一、故里に何の名残を止(とど)むべき
           散って九段の花と咲く身に

一、身はたとへ南の海に朽ちぬとも
           留め置かまじ特幹魂


           <感謝合掌 平成30年10月4日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成26年10月 - 伝統

2018/10/05 (Fri) 19:34:06


遺言状

陸軍大尉 小松 進 命

昭和十八年十月十六日
ニューギニアにて戦死

長野県諏訪市出身
三十五歳


一、君ニ召サレテ屍ヲ戦野ニ曝スハ固ヨリ武人ノ本懐ナリ

一、盡忠ノ大義ニ生ク晴天ノ如シ

一、忠誠ノ士ハ純情ノ孝子ナリト祖先ノ遺風ヲ顕彰セン

一、残レル妻ノ使命ハ孝養ト子等ノ教育ナリ

一、昭夫ハ承継ナリ重夫・恭夫ハ大陸ニ勇飛セン

一、久子ニハ良縁ヲ

一、今ニシテ各位ノ好意ノ大ナルニ比シ恩ニ報ユルナカリシヲ

一、各位ニ宜敷ク

 昭和十六年八月
                             進
妻ヘ

           <感謝合掌 平成30年10月5日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成25年10月 - 伝統

2018/10/06 (Sat) 19:25:59


可愛い妹へ


海軍飛行兵曹長 三上春治命

昭和十九年十月十二日
台湾にて戦死

島根県邑智郡口羽村出身 
二十二歳


安ちゃん、懐かしい御便り有難たう。

元気で産業戦士として踏み出した由、兄さんは心から祝福してやる。
元来勝気な安ちゃんだから、少々の苦しい事辛いこと位、
我慢して御国の為に働くものと確信してゐる。

同封の金はほんのわずかだが、兄さんの心尽しの御祝と思って受取って呉れ。
どんな困難なことにぶつかっても、若さと意気で押通す。
くよく考へたり嫌だと終始思ってやってゐると、仕事に負けてしまふ。

我々日本国民は、皇国(すめらみくに)に生を承ける喜びと誇りを持って、
喜んで難事に当たって行け。

環境が変って窮屈なこと、やりにくいこと、
又、急に親の下(もと)を離れて淋みしい心等、
邪魔する目に見へない敵はあるけれど、安ちゃんも三上家の子だ。

兄さん達三人共、立派に軍人として御奉公してゐるのだ。
女でも兄達に、なに負けるものかと云ふ旺盛なる負けじ魂で掛って行け。

日本人である以上決して忘れていけない大君の御恩、そして父母の恩、
いくら忙しくとも年老いてゐる父母は、
口羽の土地から常に安ちゃんのことを心配して居られると謂ふことを忘れず、
余暇を利用して家に便りを出せ。

(中 略)

戦野の兄二人は、元気で居られるから安心してやれ。
兄さんも、今では可愛い雛鷲の教育で忙しいが、至極元気だ。

呉々も注意するが、自分の体を傷つけたら、
之は大きな国家への不忠だから、充分気をつけて作業に当れ。

仕事にやうやく馴れる時、心に大きな隙(すき)が出来る。
大いに自重してやれ。

末筆だが安ちゃんの健斗を祈る。

可愛い妹へ

三重県鈴鹿海軍航空隊
第十二分隊教員室 兄より

           <感謝合掌 平成30年10月6日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成24年10月 - 伝統

2018/10/07 (Sun) 19:26:22


安らかに大きくなれ

海軍大尉 田村 清命

昭和十九年十月二十七日
比島レイテ島東方
サマール島沖にて戦死

千葉県安房郡瀧田村出身
四十四歳


愛する良子(よしこ)、恭子、光子、和代よ。
父なしとて悲しむなかれ。
父は聖戦に於て、名誉ある戦死をしたのだ。

御前達は、生前の父をよく知るまい。
良子も恭子も永久に記憶に残る程の印象はあるまい。
然し、父は御前達の健康さうな、いとしい幼顔が、印象にハッキリして居る。

父は、作業地(訓練地)にあるときも、戦場にあるときも
御前達のなつかしい姿を思ひ浮べては、元気を出して居た。

父は、御前達が揃って健康で、満足な五体を所有して居るので、
何の懸念もない。安らかに戦死が出来る。

児等よ!安らかに大きくなれ・・・大きくなったら母の意に背かず、
父を辱かしめず立派な日本の女性として雄しく生きて呉れ。
姉妹は仲よく結束して、一人の母を守れ。

(中 略)

「父恋しくば靖國神社へ」とは、父も映画でも見た。
本当にさうだ!御前達も名誉の遺児として、社頭の対面もさして頂けるだらう。
其の時は、肩身を広く九段に来て呉れ。

(中 略)

言ひ遺す事は夫れ丈だ。皆シッカリ育て!

十一月
                    父より

           <感謝合掌 平成30年10月7日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成23年10月 - 伝統

2018/10/08 (Mon) 17:51:15


涙して下さるな

海軍一等機関兵  安藤照太郎命

 昭和十三年十月十六日
 中華民国湖北省西塞山にて戦死
 福岡県京都郡豊津村出身 二十四歳


暑さも盛りを過ぎて、心持ち涼味を感ずる頃ともなりました。
其の後、皆様には御機嫌麗(うる)はしく御過しの御事と存じます。
御陰様にて身体は益々頑健にて御座いますれば御放念に下され度。

今迄不遇な運命にありましたる私も時機到来、
或る方面に転勤する事になりました。

御老体の御両親様並、三ちゃんや良ちゃんには御身体に特に留意せられ、
二人には元気に勉強せられる様に。

一度(ひとたび)戦地へ臨(のぞ)む上は、
軍人として愧(は)ぢざる行ひは心に銘じて居りますれば、御安心下され度。

終りに臨み特に御願ひ致し度は、不幸にして聖戦半(なかば)に
て斃(たお)るるとも、家に在りて必ず涙して下さるな。

此れが臨地(りんち)に向ふ私の唯一の御願ひです。

笑って迎へて下されば、此に越した喜びは御座いません。
呉々も涙して下さらざる様御願ひ致します。

取り急ぎの為、乱筆ながら御通知まで。
明年は出港の予定。御機嫌よう。
元気で行って参ります。

                       終
 昭和十三年八月十九日
御両親様
膝 下


           <感謝合掌 平成30年10月8日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成22年10月 - 伝統

2018/10/09 (Tue) 19:40:07


魂は永遠に生きる

海軍一等兵曹  楠瀬益實命

昭和十八年十月十二日
ニューブリテン島方面にて戦死

高知県高岡郡戸波村出身
二十三歳


遂に死ぬべき時は来た。
帝国軍人として最大の名誉の時が来た。
今より小生は昇天するのだ。

思へば此の世に生をうけて二十有余年、短かくて長き人生だった。

(中略)

小生も今死すべき最好機に恵まれたのだ。

英米打倒而(しか)して東亜百年の大計、
引いては人類の幸福、世界の平和の礎のために之が最適の死に場所だ。

肉体は之で永遠に此の世を去る。
而し魂は永遠に生きる。

靖國へ行って待って居る。折があったら会ひに来られ度。

(後略)
                          
御一同様

                           楠瀬益實

           <感謝合掌 平成30年10月9日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成21年10月 - 伝統

2018/10/10 (Wed) 21:45:20


靖国神社で会ひませう


海軍少尉 松尾 勲 命

昭和十九年十月二十七日
比島方面にて戦死

長崎県南高来郡愛野町出身 二十四歳


 咲くもよし 散るも又よし 桜花

父母上様、喜んで下さい。
勲はいゝ立派な死場所を得ました。
今日は最後の日です。

皇国の興廃此の一戦に在り。
大東亜決戦の南海の空の花と散ります。

大君の御楯となって分隊長を初め、共に潔く死につき
七度生れかはり宿敵米英を撃滅せん。
あゝ男子の本懐是に過ぎるものが又とありませう。

(中略)

二十三年の幾(いく)星霜(せいそう)良く育てゝ下さいました。
厚くく御礼申し上げます。

今度がその御恩返しです。
勲はよくも立派に皇国の為に死んでくれたとほめてやって下さい。

ほんとに兄弟の中で私は一番幸せ者でした。
喜んで居ります。

弟も立派な軍人として御奉公出来る様にして下さい。
お願ひします。もう何も思ひ残す事はありません。

父母上様、今度白木の箱でかへります。
靖國神社で会ひませう。
長い間有難うございました。

(中略)

父上様
母上様  
      勲


           <感謝合掌 平成30年10月10日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成20年10月 - 伝統

2018/10/11 (Thu) 19:32:25


お母さんの夢を見ました


海軍二等兵曹 池田顯雄命

昭和十七年十月十八日
ソロモン群島にて戦死

大阪府大阪市東淀川区出身
二十四歳


何時とどくか知れんと思ふとなんとなく淋しい様な氣がするのですが、
それでゐてかうして書いて見たくなるところを見ると、
思ひを馳せてゐる日本の空がこんな柄にもない感傷を起させるのだ
と自分ながらをかしい様なそれでゐてしみじみした変な氣持になります。

戰争といふものが單なる生命のやりとりである場面を
想像してゐた事もありましたが、
何度か爆彈の中をくぐり彈丸の中をくぐった今に於て
死することよりも尊いものがやっぱりあるのだ。

生命のやりとりと云ふ當面の問題以上に
その生と死の境から湧いてくる意志といふのか、感激といふのか、
その様な中で、自分の瞬間の生がたとへ様もなく尊いものに思はれて来ました。

”俺の使命”なんて、大きな事も言へる柄でもないのですが、
それでもあと僅かになって来たこの生活の終止符を
最も意義深く戰ひ抜きたいと思ひます。

随分皆様方には御無沙汰をしてゐます。
しかしこの様なわけですから許して頂くより他に仕方がありません。
私は至極朗らかに元氣でハリキッて頑張って居りますから御安心下さい。

(中略)

今朝方でしたか五分位うとうとしてゐるうちに母上様の夢を見ました、
それで今日一日中うれしくてたまりませんでした。
皆様方の御健康をはるかお祈りして筆を擱きます。   

                         池 田 顯雄

父上様 皆様へ


           <感謝合掌 平成30年10月11日 頓首再拝>

靖国神社社頭掲示~平成29年10月 - 伝統

2018/10/13 (Sat) 18:15:46


陸軍軍曹 西島 觀空 命 

昭和十九年十月二十日
ビルマ国モーライク県カレワ付近にて戦死

滋賀県長浜市宮司町出身 
二十四歳


御両親様


今まで長らく二十幾星霜、御厄介、御迷惑ばかりかけた觀空を御許し下さい。
又、何と言つて御礼を申したら良いやら、その言葉を知りません。
唯、私は感余つて言ふことを知りません。
早く去る觀空の不孝は御許し下さい。

しかし今まで受けた御恩の万分の一にでも報いられればこの上ない幸福です。
又、男子の本懐であり、名誉であります。
この決戦下にまはり合したからこそ孝道も盡せたのです。
又、御奉公も出来たのです。

觀空も喜んで散り行きます。七生報国の精神を以て大東亜の礎となります。
靖国の宮居に神として御祭祀下さる陛下の御仁慈には、感泣するのみです。

 臣としてこれ以上の名栄・名誉がありませうか。
自分一身のみでなく、一家の名誉です。喜んで下さい。

長らく御育て下さつたこと有難うございました。
では御両親様どうか老境のこととて、御身おいとひの程祈り上げます。
妹も達者で暮らせ。


                     ではさやうなら 觀空
 御父母上様
 妹

           <感謝合掌 平成30年10月13日 頓首再拝>

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