伝統板・第二

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ひかりの一日一言40~繁栄を実現するための根本問題 - 伝統

2018/07/01 (Sun) 03:49:11

この「繁栄を実現するための根本問題」は先代の掲示板にて、
今は霊界へと、活躍の場を移しました”平賀玄米 さま”によって
投稿されたものですが、現時点では、消滅いたしております。

”平賀玄米 さま”のご遺徳に、心より感謝申し上げます。


ひかりの一日一言《1日》

《1日 神は絶対者にして“霊”であること》

神は絶対者であらせられるのである。
絶対者であるということは対立者がないということである。

神は一切包容の大実在であらせられるのであるから、
神の力の及ばないところは全然あり得ないと云うことである。

物質的宇宙が先にあって、其処に神が誕生したまうたというような唯物論では、
神は相対的存在となってしまうのである。

宇宙も、宇宙の中に浮かんでいる天体も、天体の上に発生している一切の生物も、
神という不可視の根元者から発生したのである。

日本語でカミと称するのは、語源的には「カクリ身の略であって、
「不可視の根元者」」という意味なのである。
不可視にして無限の智慧と神通力あるものを“霊”と称するのである。

神は絶対者であり、“霊”であるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P165~166) より

・・・

<参考:”平賀玄米 さま”ご投稿の数々の記事については、
    次のWebにてご確認ください。
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7702987 >

           <感謝合掌 平成30年7月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2018/07/02 (Mon) 04:40:43


《2日 神は法則であり、資材である》

可視的宇宙が生まれて来るまでは、
即ち宇宙雲や、宇宙塵、更にそれが発展して
諸種の天体が発生して来るまでは、物質は本来存在しなかったのである。

物質は其処に存在しなかったが、物質をば、法則にしたがって顕現せしめる
“不可視の本源者”があったのである。
その“不可視の本源者”が、神であるのである。

即ち“霊”なる神の心の中に“可視的宇宙”のアイディアが存在して、
それが法則に従って徐々に顕現して来たのが現在の可視的宇宙である。

しかし“法則”を“神”が使って宇宙を創造したと考えては、
“神”は“法則”と対立する存在であり、
その絶対性が失われることになるのである。

神御自身が“法則”であるのである。

また神は何らかの“資材”をつかって、
それを加工して宇宙をつくったというならば、
“資材”と“神”とは対立することになり、
神の絶対性は失われることになるのである。

神は創造者であると同時に、自分自身が“霊的資材”であったのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P166) より

           <感謝合掌 平成30年7月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2018/07/03 (Tue) 03:22:35


《3日 神は一切供給の本源である》

神は創造(つく)る力であり、考案する智慧であり、
その智慧を実現するための法則であり、また資材でもあるのである。
それゆえに一切の供給は本来、神より来るのである。

されば、あなたが富の供給をゆたかに受けようと思うならば、
神に電話をかけるがよいのである。

神と人間との間は、霊的実質でつながっているのであるから、
無線電話が電波によって通ずると同じように、
神と人間との間は、霊波で通ずることができるのである。

併(しか)し波長が合わなければ電波も感応しないように、
神と人間との間は霊的波動が同調するように調節せられなければ
それが通じないのである。

神は愛であるから、神に波長を合わすには
“愛”の心を起さなければならないのである。

無限供給を得ようとして祈りながら、しかも心の調律をわすれて、
神に波長を合わす事を忘れて人間的な現象的努力にのみ懸命になっていて
失敗する人が多いのは惜しい事である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P166~167) より

           <感謝合掌 平成30年7月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2018/07/04 (Wed) 04:14:43


《4日 神は放送局・人間は視聴者の喩》

“不可視の実体”なるところの神が、自己実現して、
ある形態をもってあらわれて来るのは、

恰も発明家が、はじめ彼の心の中に“ある形”を考えるのと同じように、
神の心の中に描かれた精神的図形(理念)が法則にしたがって
形相化してあらわれて来るのである。

それはテレビの脚本作家の心の中に描かれたものが放送局の放送を通じて
テレビ・セットにあらわれて来るのと同様であるのである。

人生に於いては、神の“救い”の番組の放送はあれども、
視聴者たる人間の側で、その放送に波長を合わす操作がなければ、
視聴し得る形をもっては、神の救いは顕れて来ないことになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P167~168) より

           <感謝合掌 平成30年7月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2018/07/05 (Thu) 03:50:22


《5日 与える”と“受ける”との関係を調整せよ》

太陽は善人にも悪人にも一様に光を無限に与えているのである。
併し人間の側で、室(へや)に暗幕をおろし、瞼を閉じておれば、
その人は光を受けることができないのである。

空気は無限に与えられているが、肺臓から空気を吐き出した者のみが、
それを再び吸入して無限供給の空気を利用し得るのである。

この原則は、単に太陽の光や空気だけのことではなく、
すべての供給についてこの事は真理であるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P168) より

           <感謝合掌 平成30年7月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2018/07/06 (Fri) 03:48:57


《6日 “富”の本来のアイディアを消してはならい》

空気は無限に与えられているけれども、
出すことを忘れて空気を吸い込むことばかり考えている人は、
二度目にはもう空気を吸い込むことはできないのである。

これは全く「無限の裕(ゆたか)さの中にある貧しさ」である。

現在にぎっている若干の富を放すまいとしっかりと把んでいるのは、
肺臓の中に今現にある空気をしっかりと握っていて
呼き出そうとしないのに似ている。

本当に“富”をゆたかに供給されるためには、
“富”から“自分のもの”という考えを棄て去るほかはないのである。

本当の“富”は神の世界にある「人間が幸福になるためのアイディア」である。
そして金銭や物質はそのアイディアの実現であるのである。

だから、「人間が幸福になるためのアイディア」の実現を
人が幸福になるために使わなかったら、その中味である
「人間が幸福になるアイディア」が消えてしまうから、
その実現なる現象界の富も消えてしまうのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P168~169) より

           <感謝合掌 平成30年7月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2018/07/07 (Sat) 04:22:47

《7日 物質的利益を先にせず永遠の価値を目的とせよ》

多くの人たちは“富”という物質的結果をもとめて、奔走しているけれども、
それは、“霊的世界の影”であるから、原因である霊的世界をなおざりにしては
得られないし、折角得た“富”も消えてしまうのである。

神に物質的“富”をもとめて祈る人は多いけれども、
自己の人格が高尚になることを祈る人は少ないのである。

“物質的富”は影であるから、永遠性のものではなく、
死ぬ時には持ってゆけないものであるが、

高まった人格や清まった人格は、
魂そのものの価値の増加であるから、
何処へでも持ってゆけるものなのである。

それゆえに私たちは錆び腐り消えて行く物質的価値を目的としないで、
永遠の価値なる人格の向上、“魂”の高昇を目的としなければならないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P169~170) より

           <感謝合掌 平成30年7月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2018/07/08 (Sun) 04:20:34


《8日 神より来れる富と体力を神に返せ》

多くの人たちは、物質の繁栄を求め、富を得るために、
神の導きを得ようとして神に祈るのである。

そしてその得たる富は、物質的贅沢や肉体の快楽のために
費やすのが目的であるのである。

また或る人々は衰弱した肉体が健康を恢復するために祈るのであるが、
その得たる肉体精力を、人を救うためや、徳を積むためや、
人格の向上に適するために使うことをしないで、
個人的な利益のためや、肉体の快楽のために使うのである。

このようにして本来“神”から供給されたる富や健康を、
神らしき目的に使わない場合には、祈りの功徳が消えると共に
急に経済的にも肉体的にもその消耗が目立って来ることになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P170) より

           <感謝合掌 平成30年7月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2018/07/09 (Mon) 03:09:31


《9日 “神のもの”を神に還流せよ》

肉体に快不快の感覚が存在する以上、
“不快”よりも“快”を求め、苦痛よりも“楽”を求めるのは
別にそれ自体に於いて悪いことではないのである。

肉体は魂の乗る乗馬であるから、
馬も適当に楽しませてやることに何の不都合もない訳であるけれども、

神から頂いた“生命力”を神の愛を実現するために少しもつかわないで、
肉体という乗馬を楽しましめることのみに使うならば、
その“生命力”は目的違反を犯しているのである。

その際、生命力は自律的に減退して、その報いを受けることになるのである。

私たちは神から来たところの供給を、それが“富”にせよ、肉体的活力にせよ、
神に還流することによって、復(また)、神より再び新生して吾らに注がれ、
循環流通して休(や)むことがなくなるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P170~171) より

           <感謝合掌 平成30年7月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2018/07/10 (Tue) 02:48:12


《10日 循環流通かくの如く》

“神のもの”を神に返して、神から指示される如く、
高きレヴェルに於いてそれを使用するように心掛けよ。

そのとき、“神の国”があなたの生活にあらわれ始めるのである。

国際的連関による不景気や、国内全体の不況の中にいても、
神の供給を信ずる者には、その不況は、人生の波の“一張一弛”と
見えるだけであって、弛んだものは伸びる準備をなしつつあるのだ
と知るがゆえ、一向それに狼狽することはないのである。

一つの仕事が終りを告げるのは、
次の新しき仕事が与えられんがためであると悟ることができるのである。
そしてその信念を通じて一層よき仕事が本当に与えられるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P171) より

           <感謝合掌 平成30年7月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2018/07/11 (Wed) 04:16:56


《11日 不況に処しても無限供給、此処にあり》

現象界に不況の嵐が吹きあれて倒産者が相ついであらわれて来る時にも、
實相の世界には無限供給の春風(しゅんぷう)が吹いているのである。

無限供給の龍宮城に住みながら、「自分は貧しい」と言うのは、
太陽の光の中に住みながら瞼(まぶた)をとじて、
「暗い、暗い」といっているのと同じことである。

どんな不況の真唯中(まっただなか)にあっても、
「我れ今、此処、龍宮無限供給の世界にあって、
現に裕な供給を受けつつあるのである」と神想観して念ずるがよい。

あなたの意識の中に、“神の無限供給”が確立せられたならば、
現象界にも、あなたに無限供給があらわれて来るのは当然であるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P172) より

           <感謝合掌 平成30年7月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2018/07/12 (Thu) 03:20:32


《12日 永遠性のある富を求めよ》

神の無限供給は永遠性のものであって、
景気、不景気に左右せられるようなものではないのである。

ただあなたが、その無限供給に意識の世界に於いて
一体となり得るかどうかの問題であるのである。

毎日怠らず神想観を実修して、神の無限供給との一体感を深めよ。
神の供給の水は永遠に涸(か)れないのである。

すべての物質を単なる“物質”だと考えてはならないのである。
それを神の愛による供給であり、その本質は“神の愛”であると信じて、
今ある貴方の所有物すべてに対して感謝し、祝福を与えよ。

それはあなたに一層ゆたかに神からの供給を流れ入らしめる導管となるのである。

机に向うときには机に感謝せよ。
洋服を着るときには洋服に感謝せよ。
食事をする時には食事に感謝せよ。

天地一切のものに感謝せよ。
その時、あらゆる方面に無限供給の導管を敷設することになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P172~173) より

           <感謝合掌 平成30年7月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2018/07/13 (Fri) 04:17:56


《13日 永久動揺せざる本源の世界に参ずること》

あなたの意識を現象界の損得に集注してはならない。
現象界は波動の世界であるから、上がれば必ず下がり、下がれば必ず上がり、
常に動揺している世界であるのである。

常に動揺しているものに心を集注しておれば自分自身の意識が動揺するのである。

自分の意識が動揺すれば自分の運命が動揺するのである。
自分の運命が動揺すれば、経済状態も健康状態も動揺することになるのである。


しかし現象界を処理する上からは、
動揺する現象世界を全然見ないという訳にはいかないし、
少しもそれに心を引っかからせないでいるということも不可能であるのである。

だから私たちは毎日神想観の実修を怠らず、心を五官の世界から去って
實相無限供給の神の世界に心を振り向け、永遠に動揺せざる
“神の世界”の本源から天降り来る供給を、心に瞑想するがよいのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P173) より

           <感謝合掌 平成30年7月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2018/07/14 (Sat) 04:20:03


《14日 想念は創造する》

神は全宇宙の創造者である。
宇宙がまだつくられなかった以前には、そこには物質はないのである。

それは非物質の世界である。
非物質なるところの創造者とは、“霊”なる創造者である。

“霊”とは広義に於ける“心”とか“意識”とかいってもよい。
“霊”又は“心”が動き出すときに、それは“物質的エネルギー”ではないから、
「想う」という“動き方”をするより仕方がないのである。

神は「想う」という方法によってこの世界を創造したのである。
「想う」とは心の中に於いてコトバを発することである。

或る人が、誰かを「愛する」と想うならば、
彼は心の中で「私は彼を愛する」というコトバを想い浮かべているのである。

彼が「今日は快晴だな」と想えば、彼は心の中で「今日は快晴だな」
というコトバを暗黙のうち唱えているのである。

それゆえ、「想念が創造者である」ということは、
「コトバが創造者である」ということと同意義である。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P174) より

           <感謝合掌 平成30年7月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2018/07/15 (Sun) 03:54:16


《15日 人類全体の想念を健全ならしめよ》

想念は或る“内容”を有(も)つのである。
コトバにも或る内容があるのである。

想念及びコトバの内容はアイディアである。

アイディアとは肉眼にとっては、無形であるけれども、
意識の世界に於いては有形なる形相をもつのである。

それは、例えば建築物の設計みたいなものである。
まだ肉眼にはその建物は見えないけれども
設計者の心の中では既に形相(かたち)をもつのである。

アイディアが心に描かれれば、それは法則によって
自働的に実現するように行動又は運動が起るのである。

アイディアの複雑に構成されたものが思想であって、
思想は全世界を動かすのである。

だから、人類の多数が如何なる思想をもつかということが、
世界の運命が決定することになるのである。

人類の大多数が好戦的な想念をもつならば、戦争は起るであろうし、
人類の大多数が平和の想念をもつならば、世界に平和が来るのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P174~175) より

           <感謝合掌 平成30年7月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2018/07/16 (Mon) 07:09:25

《16日 想念は意志に優る》

「平和を希(こいねが)う」ということと、
「平和の想念を有(も)つ」ということとは別のことである。

「平和を希う」ということは、
「平和はまだ存在しないからその実現を欲する」という意味であり、

「平和の想念を有つ」ということは、
「既にその人の心の中に平和が実在する」のである。

「平和」「平和」と叫びながら国内を分裂に導き、
内部闘争に国民を駆り立てている人も随分沢山あるが、
これは、「平和を希う」ことは、平和を持ち来すことにならない証拠である。

彼らの心の中には「争闘」の想念が満ちているのである。

想念を如何に有つかということが、
「何を希うか」いうことよりも一層大切なのである。

如何に善きものを希っても、その反対の想念(又は観念)を
潜在意識の中にもっている限り、希求というものは意志の求めであり、
未だ無きものを願う心であり、観念は“既に斯くあるもの”を心に描いている
のであるから、“観念の力”は“意志の力”より実現力が強いのである。

だから「闘争の想念」をもちながら、
「平和を希う」運動をしてみても結局は闘争を激化することになるのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P175~176) より

           <感謝合掌 平成30年7月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2018/07/17 (Tue) 03:19:28


《17日 平和の雰囲気は平和を作り繁栄の雰囲気は繁栄を作る》

平和の想念、平和の感情をもって来てのみ
平和の世界を現出することができるのである。
まこと闘争の心をもってして平和を現出することはできない。

それと同じく、まこと“富める心”をもって来てのみ
本当に富を実現することができるのである。
これが繁栄の法則なのである。

“貧しき心”をもって、富を希求したとて、
それは空しき努力に終ることになるであろう。

凡そ繁栄している人たちは、意識的にか無意識的にか
繁栄の法則にかなう心の持ち方をしていて、常に繁栄の雰囲気がその人を取巻き、
それが磁石的力になって、繁栄を引寄せていたのである。

平和の雰囲気は平和を作り、繁栄の雰囲気は繁栄を作る。
雰囲気が仕事をし、雰囲気がその人の運命を決定するのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P176) より

           <感謝合掌 平成30年7月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2018/07/18 (Wed) 03:38:44


《18日 永遠性ある“神の富”を求めよ》

神の富は時々暴落してみたり、暴騰してみたりするものではないのである。
神の富は決してそんなに浮動するものではない。
神の富は永遠性のものであり、恒久性のものである。

暴騰したりする“富”を求むれば、ある時は暴騰するかも知れないが、
必ず暴落する時が来るのである。

私たちは實相、永遠の世界における“恒久の富”の後嗣者として
常にかわらぬ裕なる世界に安住しなければならないのである。

それを実行するには、毎日神想観を実修して

「自分は意識の世界に於いて、今既に無限供給の竜宮城に住むのである」

ことを確認しなければならないのである。

このようにして意識の中に、
實相世界の“無限の富”と自分とを一体化してしまったとき、
現象界にその無限の富が展開するようになるのである。

それがどのような順序で展開して来るかは、
その人の過去の蓄積や、現在の状態を出発点としてあらわれて来るのであるから、
各人にそれぞれ個人的相異があり、一様ではないのである。


谷口雅春著『人生の秘訣365章』第7篇(P177) より

           <感謝合掌 平成30年7月18日 頓首再拝>

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