伝統板・第二

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愛国青年よ、われら何を為すべきか - 夕刻版

2018/06/14 (Thu) 18:00:27

”道産子 さま” ありがとうございます。
”道産子 さま”のお蔭で、新たに、谷口雅春先生の法語を
このスレッドに残せることに感謝申し上げます。
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735574 からの転載です)


     武装蜂起の全学連の暴動に対処せよ     

        (昭和43年理想世界誌7/1号)

                 谷口雅春先生

(上旬)

【一日のことば~使命遂行に邁進せよ】

人間は人生に生まれた限りは、理想を持たなければならない。

何らかの使命を感じて、その使命に向かって
邁進する勇気を持たなければならない。

自分の一身の栄達の如きものばかりに
生命を献げているのは誠に勿体無いのである。

人間は“神の子”であるから、“神の子”らしく、
その理想の実現の為に、使命の遂行の為に、自己の生命を献げる時
本当に“生き甲斐”が感じられるのである。

・・・

【二日のことば~愛国者躊躇逡巡する事なく立ち上がれ 】

何のために躊躇するのか、今、日本国に危機が近づいているではないか。

今日本には、神武天皇建国以来の神聖日本国を打倒して、共産主義社会を
打ち建てるという使命感の為に、学業も、青春の夢も打ち棄てて、全身の
エネルギーをその運動の為に献げ尽している若い学生がいるではないか。

羽田事件や佐世保事件や成田事件や王子の米軍病院反対闘争に参加した
全学連の若者たちがそれである。

彼らは自分の全生命、全エネルギーを賭して日本に左翼革命を行なわないと、
日本国は完全独立をかち得ない、そして日本国に平和の理想は実現しないと
考えて、遮二無二、暴力を揮って時の権力者を打倒することに
“生き甲斐“を感じているのである。

神武天皇建国以来、二千六百二十八年、吾らの祖先が営々と築き上げて来た
日本国を転覆しようとして生命を賭けている此らの青年が暴力を揮って、
日本国の基礎を覆そうとしているのに、諸君の如き愛国青年が、
今起たずして何時起つべきかなのだ。

真に日本国を護る者は生長の家の諸君のほかには何処にもないのである。

・・・

【三日のことば~全学連の成立とその目的】

だいたい全学連と言うのは、“全日本学生自治会総連合”の略称である。

昭和二十三年、日共の学生党員が提唱して結成された大学生の全国組織であって、
その包容人数は、警視庁調べによれば約六十九万人あるという。

日共党員の学生が提唱してできたものであるから、その結成の目的は、
日本国の天皇制体制を覆してソ連的または中共的国家にまで革命する為
であることは疑いが無いのである。

しかし彼らは、その革命によって日本国に平和が来たり、日本国民に
幸福が来るという妄想をもっているのであって、その妄想に動かされて
夢遊病患者のように動いている気の毒な人達に過ぎないのである。

・・・

【四日のことば~果たして共産革命は国民を幸福にするか】

日本に共産革命が起こったら、日本に平和が来たり、日本国民に幸福が
訪れるというのが彼らの錯覚であり、妄想であるのは、共産革命が
成就した後のソ連や、中共の実情を見れば自ずから判明するのである。

ソ連は革命成立後五十周年を迎えた今日に於いて、人工衛星や月ロケットの
様な、愈々という時に宇宙兵器に転換できる発明では、アメリカと肩を
並べる程の進歩を示したけれども、それは平和産業を犠牲にしたからであって、
一般国民の日常生活必需品の貧弱さと欠乏とは、到底、自由主義国家群の
繁栄と豊富さとに比ぶべくもないのである。

人間は”自由”を欲するのであり、生産品が悉く国有になったり、
共有になったりして、自分の自由活動が自分自身に報いられない時には、
働く意欲がなくなり、唯国家機構と言う機械的歯車の中で機械的に
運転する様な生活に生き甲斐が感じられなくなり、生産意欲の欠乏と共に
生産量の低下となり、いつまでたっても国民の日常生活必需品は
裕にならないのである。

そこでソ連は、自由主義国家に見られるような生産量に対する利潤方式を
取り入れて労働者の生産性を高めるほかはなくなって来たのである。
それがソ連の現状である。

これを中共は「ソ連は修正主義であって、最早や共産主義国家ではない」
と批判しているのである。

ソ連は革命後五十年の経験によって共産主義的体制では国家が裕かに
なることが出来ない事を知ったが、中共は革命後まだ十七年の青年国家である
だけに、経験少なくしてマルクス・レーニン主義を教条其の儘に実行しようとして、

産業部門の能率を進めようとしていた劉少奇は”修正主義”であり、
”党指導部で資本主義の道を歩んだ一握りの人々の頭目”として、
盛んに攻撃されるに至ったのであり、既に劉少奇は失脚したともいわれているのである。

そしてマルクス・レーニン主義を教条そのままに実行しようとした結果は
幾多の失敗を生んで国民は依然として富裕の状態には程遠いし、
生活は楽ではないのである。

日本の全学連の学生たちは、このような現実を見ないで、革命さえ完遂すれば、
国家にゆたかな天国が来るような錯覚に捉われているのである。

・・・

【五日のことば~革命は革命後の粛清が恐ろしい】

共産革命の本家本元のソ連や中共でも、その考え方がそれぞれ異なるのであり、
国内闘争迄やっているのである。

そして勢力争いや、反対思想を殲滅させるために、
常に粛清が行なわれるのであって、

ソ連で革命以来粛清された人数は四千七百万人に達すると言われているし、
中共で革命以来粛清された人数はそれを上回るところの
四千七百九十四万人といわれているのである。(自由文教連盟醗酵特別資料四十三号)

革命というものを単に為政者が交代するだけで、誰が治めてくれても
人民が幸福になりさえすればよいじゃないかなどと考えていると
大間違いなのである。

革命政権というものは詭計と暴力とによって前政権を打倒して権力の座に
ついたものであるから、又その政権は反対派の詭計と暴力とによって
打倒せられる恐れがある。

それ故に、反対思想を抱いていると思われる人間は勿論、同じ仲間内でも
反対意見の者は片っ端から虱潰しに粛清して、自己の権力の座を守ろうと
するので、こんなに多くの粛清犠牲者を出すことになったのである。

日本に革命が起こって四千七百万人も粛清されるとしたら日本国民の半数は
殺されることになる訳で、私が何としても革命だけは阻止したいと懸命に
なっているのは、国家を護持する為であるのは勿論だが、
ひとつには人命の尊さを考えるからである。

・・・

【六日のことば~全学連の主導権争いと分裂】

革命の本家本元でさえ色々の考え方や、実行の仕方に相違があると同様、
全学連も、革命に至る迄の闘争方式に就いての考え方が異なるために
昭和三十二、三年頃から分裂して”反日共系”は更に三派系、革マル系、
構造改革派に分裂した。

佐世保等で最も烈しく実力闘争を行なったのは、
三派系の全学連の中の“マル学同中核派”である。

三派と言うのは、此の中核派と社学同派と社青同派の三つの総合体である。

主導権争いは旺んであり、そのために出来るだけ実力を発揮している現場を
誇示して主導権を得ようとするのであるが、その目的は一つである。

即ち帝国主義打倒、帝国主義的政権の粉砕、そして帝国主義の段階に達したと
彼らが見る日本独占資本の打倒をその目的とするのである。

・・・

【七日のことば~革命闘争の実力闘争】

羽田、佐世保、成田、王子と頻発する学生闘争は、全学連の主導権を
得るための実力の誇示であると共に、その闘争の実力演習の積上げによって
昭和四十五年の安保改定期の闘いに如何に戦うのが有利であるかの
籠手調べをしているのである。

だから闘争又はデモを繰返す毎にその戦術は益々エスカレートして行くのである。

「こうして四・一王子闘争では軍団組織(中核派)や投石部隊、突撃部隊(社学同)
によるゲリラ戦のほか、成田での農薬、竹ヤリについで鉄棒を切って溶かした
凶器の新兵器迄登場させた。

こう見て来ると、今後の情勢次第では塩酸、硫酸、火炎瓶などの可能性が
ますます大きくなったことは否定できない」と『岡山夕刊新聞』は報じている。

・・・

【八日のことば~何故、学生は学生会館の運営問題で闘うか】

最近、殆ど全部の有名大学で、“授業料問題”や“学生会館の運営を
学生自身の自治に委せよ”という問題で、大学の学長及び理事長側に対して
学生が集団デモを行ない、学長や理事長をつるし上げたり軟禁したりする
事件が頻発しているのであるが、

それは、やはり昭和四十五年の安保改定時闘争の準備として、
革命闘争の学生闘士の宿泊所および拠点として学生会館を
学生が学校当局の許可を得ずして自由に使用し得るためであるのである。

日本全国から集まる学生をホテルや宿屋に宿泊させていてはその闘争費用は
莫大な数字になるので、公の費用で建てた学生会館を、全学連の宿泊、
協議、運動及び闘争の拠点とすることが出来れば、何億円も費した建物を
一文も支払わずして自分たち革命運動者の根城にできる訳なのである。

・・・

【九日のことば~学生会館に勢揃いする全学連】

羽田闘争では、都内の活動学生千五百人のほか、北は北海道大学、
南は九州大学に至る迄全国三十六の大学から千人(三派六百六十九人、
革マル十七人、構造改革派二百六十一人、所属不明五十三人)が集まったが、

これ等の学生の内中核派は法政大学の学生会館に、
社学同と社青同解放派とは明大及び中央大に、
革マルは早大を宿泊所兼拠点として泊まり込んだ。

こんな訳だから、彼らが大学の学生会館を学生の自治運営の下に
自由に使うための闘争をやるのも当然のことなのである。

・・・

【十日のことば~全学連の運動資金】

全学連の運動資金は、主として大学の自治会費、生活協同組合や学生会館の
運営利益などから得るので、学生会館の運営が学校当局の手を離れて、
学生自身の手に入れば、学生会館が闘争の拠点となると同時に
闘争費用の一部がそれによって賄われるのである。

全学連は”革命”という一つの理想のために、経済的な損得を無視して、
闘争しているのかと思うと、このような経済面に於いても
中々緻密な勘定の下に闘争が行なわれているのである。

大学の自治会費は、大抵、月謝と同時に納入されるのを天引きして自治会に
まわされるので、確実に全学連の運動費として収入されるのである。

そして学生会で主導権を持つ学連がそれを自由に使うのであるから
主導権争いが旺んであるのも当然のことであるのである。

(中旬) - 伝統

2018/06/15 (Fri) 18:12:49


【十一日のことば~既に革命の市街戦は始まっている】

全学連の闘士たちは、安保闘争の様な街頭における花々しい闘争を
「市街戦」と呼び、学費値上げ反対闘争や学生会館運営権の掌握闘争のことを
“陣地戦”と呼んでいるそうである。

“陣地戦”は一昨年は早大のストで勝利を勝ち取り、大浜総長の辞職にまで
持って行って全学連は気勢を上げ、更に明大ストで点数を稼いで、
四十二年には、これと類似の学内闘争が四十三校で行なわれた
という事が報ぜられている。

陣地固めはだいたいこれで終ったので羽田事件を境として
学生運動は“市街戦“に移った訳である。

二年後の安保改定期における闘争のための戦術の演習と、実力の誇示による
各派学連の主導権争いのため反日共系全学連の闘争方式は愈々益々
その市街戦的様相を露骨に出すようになったのである。

四十五年の安保改定期が急速に反日共系全学連に意識され始めたのは
昨年五月二十八日と七月九日の砂川基地撤廃闘争の時からで、この時、
三派系全学連は警官隊と衝突し、秋山勝行委員長は一時逮捕検束されたが、
彼は大会に於いて、

「一切の待機主義を排し、当面する闘争一つ一つを七十年安保闘争に向け
積み上げる」と宣言したのであり、彼らは、一九七〇年を目標に
羽田騒動も、佐世保、成田、王子の実力闘争も一九七〇年の革命予定期に
向かって積上げつつあるのだ。

「革命」と大建造物を構成するそれぞれの煉瓦的役割を果たさしむべく
あらゆる問題を捉えて必死の活動を今後も彼らは続けるに相違ないのである。

これだけの熱情をもって、神武建国以来の日本国を衛る為に起ち上がる
青年が愛国者側に少ないのを私は悲しく思うのである。

・・・

【十二日のことば~全学連は武器蜂起を大衆に呼びかける】

武装警官隊との間に市街戦を演じて新聞やテレビ・ニュースで大いに
騒がれる程全学連の活動学生は、自分は名誉ある「革命闘士」として
認められたと、好い気になって「認められたい」という人間共通の願望を
満足することになって益々闘志が旺盛になるのである。

彼らにはソ連でも中共でも革命の犠牲となって悲惨な殺されようをした
人間が何千万もあったというような事は考えてもみないで、
自分自身を人類救済の天使の如く思い上がるのである。

三派全学連の秋山委員長は一月三十一日、東京・日比谷公会堂で
開かれた佐世保闘争報告大集会で、約三千人の聴衆を前にして、

「大衆には当然武装の権利がある。大衆が”誤った代表者”を武器をもって
倒すのになんの気兼ねがある。武器を持って戦う事こそ真の民主主義だ。
石屋角材は原始人でも持って戦った。
われわれは七十年にはもっと持つべきである」と演説した。

これを岡山夕刊新聞は批評して「こうした考え方に立つ以上、
三派および革マル系全学連の闘争戦術が“実力闘争から武装闘争へ”
着実に移行したことは事実だ」と書いている。

明らかに武装蜂起による革命を彼らが企図しているのであるが、ハッキリと
「武装蜂起による革命」を企図することを、公開の席上で聴衆に向かって
呼びかけても、それを停める事も、検束することも出来ないのが
現行の日本国憲法なのである。

世界の何処の国に、日本以外に“言論の自由“の称呼の下に、
“革命の自由“を公然と許している憲法があるであろうか。現行の
日本国憲法を破棄する必要があることは、この一事を以てしても明かである。

・・・

【十三日のことば~言論の自由のないソ連国家】

こうして全学連やその他の革命運動団体は、日本を革命した後、日本国に
社会主義国家が出現したならば、国民は尚一層、思想言論行動表現等の
自由が得られるとでも思っているのだろうか。

四月十七日の朝日新聞に「四人の有罪確定・ソ連の知識人裁判」と題して、
次のような報道を載せているのである。

【モスクワ十六日発=ロイター】ソ連最高裁判所は十六日、去る一月
「反ソ活動」で有罪判決を受けたユーリ・ガランスコフ、
アレクサンドル・ギンスブルグ氏ら四人の知識人の上告を却下、
原判決を支持した。

これにより四被告の七年から一年の刑が確定した。

この日の公判には被告の親族数人が入廷を許されただけで、
報道陣は一審の時と同様法廷から締め出された。

これによっても、社会主義乃至共産主義国家というものは、言論の自由などは
なく、「反ソ活動」(反国家活動)を行う自由などは全然なく、全学連の
秋山委員長などはソ連へ行けば“死刑“にもなるのは必定であるのであるが、
彼らは日本を革命して自分を“死刑“にする言論不自由の国にしたいのであろうか。

・・・

【十四日のことば~“民主主義とはエゴイズムの別名である。】

武藤貞一氏は愛国の士である。

その機関誌『動向』の五月号巻頭に“民主亡国”と題して次のようなことを
書いている。

「民主主義とは、下克上のことである。
民主主義とは、個人主義、エゴイズム、反公共主義のことである。
民主主義は、独裁、専制、権力主義を排するための言葉であることは勿論である。
しかし、それは一応のカクレミノに過ぎない・・・・・」

”下克上”とは“下が上を剋す”という事である。
易経に出て来る語である。

“剋す”とは下位のものが上位に立って上位のものを害う事である。

たとえば脚は下にあるべきものであり、頭が上にあるべきものであるのに、
脚が頭の上に位置して、脚が頭に命令を下して、頭を歩かせようとし、
頭本来のハタラキを害う事である。

学生が学長や教授をつるし上げ、机や椅子をバリケードにして、
その上に立って大いに叫び、天地の秩序を逆転することである。

この天地逆転・世界紛乱の原因がアメリカから日本弱体化のために
輸入された民主主義と、その所謂る“民主主義憲法”である。

公共の福祉はなど考えず、市民に迷惑が掛かっても、自己主張を貫徹する
ために全学連が暴力を揮い、自分の給料さえ上がればよいというので、
総評又は国労の命令一下で交通機関のゼネストをやるが如き、
悉く、この民主主義憲法の許すところである。

・・・

【十五日のことば~民主主義という次期独裁者の隠れ蓑】

武藤貞一氏は 民主主義のカクレミノの仮面を剥いだのである。

労働貴族である指嗾攪乱の陰謀に巧みな策士が上に立つ“民主主義”
という一応「独裁権力」を大衆の力で打ち砕くような仮面をかぶりながら、
大衆の反乱で既成の権力の座を覆えして自分が権力の座につくのである。

総評の議長や私鉄総連の委員長や、やや劣るが三派全学連の秋山委員長なども
すでに独裁的“権力の座”についているのであって、その命令一下その部下が、
嘗て軍隊が軍部の命令によって一斉に任務に就いたと同じように、
日本全国の交通を止めたり、角材や石ころを以て警官隊に命知らずの突撃を
開始するのである。

即ち、その実力行使には、暴力行使によって規制の独裁、専制の権力者を
威圧し抑制し、或いは完全に打倒(即ち革命)できるかも知れぬが、
何時の間にか、その悪賢い大衆の味方として煽動し指嗾していた策士が
又別の独裁、専制の権力者の座についていて、その命令一下、
その部下は血みどろの突撃を開始するのである。

どこにそれは軍閥の独裁と相違があるのか。

だから民主主義とは悪賢い策士が独裁、専制の権力者の座につくために
既成権力打倒の策戦としてのカクレミノなのである。

・・・

【十六日のことば~民主主義闘争は委員長の独裁体制である】

だから武藤貞一氏は言う。――

『所謂民主主義を以て独裁、専制、権力主義の政治を打ち砕くことは出来ても、
それは一時的な壊滅を招くだけで、民主主義そのものが個人個人の勝手放題
で無秩序な力の発動により、相争い、相攻め合い、果てしなき闘争を経て、
結局は、力の強い者が力の弱い者を暴力で制圧して、名状すべからざる
非情酷薄な独裁と専制へ持って行く・・・・・』

全学連の現成は実際その通りで、秋山委員長は傷つかないで、
彼は逮捕されても、却って名声は上がり、箔はついて名誉欲や権力欲を
満足させているけれども、命令一下突撃や殴り込みを開始する部下のものは、
委員長の名誉欲や権力欲の犠牲となって血を流しているのである。

結局、秋山委員長は共産ファッショの頭目であるのだ。

・・・

【十七日のことば~美濃部東京都知事の本心は革命にあるのか】

四月十七日午後、美濃部都知事が”朝鮮大学校”をついに認可に踏み切った。

これは認可の申請があってから二年間、私学審議会の認可反対の答申が
あったにも拘らず、またこの朝鮮大学は盛んに日本政府の悪口を生徒に宣伝し
日本転覆の陰謀の府となっているがために、(『全貌』誌にその特集号がある)

文部省が認可に難色を示していたに拘わらず、美濃部革新知事は

①国家のためをはかるところの政治的な見解に従って裁判すべきでなく、
 憲法にある言論自由の原則と、各種学校は知事が認可するという
 法令と慣例に基く。

②審議会の答申は知事の裁量の参考になるだけで知事を拘束するものではない
 からそれに従わない。

③各種学校の認可は政治的配慮に依らず、各種学校としての最低の基準を
 備えておれば認可するほかはない。

④学校教育法は各種学校に”大学”という校名を使用してはならないと
 定められているが“大学校”という名称を使用してはならないという規制はない。

以上の見解を以て、この”朝鮮大学校”はついに認可されたのである。

その国を革命するための教育を行っている大学校が、その国で公認学校と
せられたのは、恐らく日本国のみであると思われるが、
現行の日本国憲法が如何に反日本国的であるか、革命陰謀をその途上で
破砕できない所の如何に革命準備憲法であるかが判るのである。

・・・

【十八日のことば~外人に国を倒す自由を認めた日本国憲法】

武藤貞一氏はまた言われる。

「国家と個人主義とは絶対に両立すべからざるものだ。
国家は共同の利益の結晶体で、即ち公共体である。

公共体は、大局的には個人の利益を防護するためのものだが、
局部的には個人の犠牲の上に成り立っている。

権利義務の”義務”は犠牲と同意義である・・・・・」

民主主義憲法即ち現行の日本国憲法は、結局個人主義憲法であるから、
国家を防衛するためにはできていないのである。

無論その成立の経過手続きそのものから日本弱体化のためにつくって
占領軍が押しつけたものであるから、国家を防衛する戦力も交戦権も
みとめていないのは無論であるが、

国民が言論で国家を倒す自由や、革命教育を行って国家を倒す自由を
認めているのであるから、この憲法が存続する限り、
日本国家は累卵の危機に曝されているのである。

この憲法を盾にとって学校の認可に日本を護るという政治的配慮を
用うべきでないとして美濃部都知事は、朝鮮人をして反日的言論と教育とで
日本国を倒す自由を認めて“朝鮮大学校”を公式に認可したのである。

外人をして「日本国を倒すための言論と教育の自由」を認めしめた
日本国憲法こそ世界唯一の怪物と言うべきである。

・・・

【十九日のことば~美濃部都政に反対する】

美濃部東京都知事が、灘尾文部大臣の言う事を聴かないで、知事の権限内の
こととして、日本国覆滅革命教育を施している”朝鮮大学校”を公認した
ことは”知事選挙の時社会党に支持されたて当選したので社会党の突き上げに
依る”との説をなす者もあるが、そうかも知れない、そうでないかも知れない
が、民主主義が”下克上”主義である限り、このことのあるのは当然のことである。

「民主主義は、当然のことながら、階級と秩序と倫理と情操を打破する。
生徒の民主主義は教師を同列の人間として、是を軽蔑することであり、
生徒が教師を殴りつけたり、監禁したりするのは民主的エリートの行為として
称賛されねばならないし、また、子が親を、弟が兄を、妻が夫を虐待することが
民主的理念に適い、苟くもこれを逆にして、子が親に、弟が兄に、妻が夫に
服従したり敬愛したりすることは、甚だしき民主主義の背戻(はいれい)行為
であって犯罪に等しい。

旧道徳、旧封建的、義理人情的な一切のものを踏みにじらなければ、
民主主義とは言えない。
民主主義とはそうゆうものなのである。」と武藤貞一氏は喝破している。

国家を愛し、国家を衛るところの国に対する忠誠などという精神は封建的
であるから、自国をつぶす革命教育を行う外人学校を公認し、国家の
文教方針を代表する文部省の指示に反して、外人が苟もその首都にいて
革命教育を現に行いつつあるものを許すのが美濃部知事である。

この怪物の正体を吾々はよく見極めなければならない。

・・・

【二十日のことば~個人の自由が“国家の存在”に優先する民主憲法】

“下克上”も爰まで来れば既に狂気の沙汰であるが、
それが進歩的文化人にとってはエリートなのである。

日本弱体化の為に押し付けられた日本国憲法の下に於いては、国家は
個人の利益を擁護するための組合組織に過ぎないのであるから、
個人の利益及び思想・行動の自由は国家の存在権に優先するのである。

国家が潰れようが、そんな事は個人の思想及び行動の自由の前には
顧慮する必要がない立前になっているのが現行の民主憲法なのである。

(下旬) - 伝統

2018/06/16 (Sat) 19:55:00


【二十一日のことば~全学連はソ連中共帝国主義者の手先である】

そこで全学連が日本国を破壊する活動をしても、
破壊活動防止法を適用しようとしてもその適用が、
民主憲法の前には、後退せざるを得ないのである。

だから三派全学連の秋山委員長は公々然と人民の利益の前には現体制(国家)を
認めない事を演説して喝采を博するのである。

その喝采を眼の前に見ても、警察官はそれを取締ることが出来ない。

それは儼として日本国憲法が”思想の自由””言論の自由”を
保障しているからである。

秋山全学連委員長は新入生に対して次の如く演説する。――

「暴虐のあらし荒れ狂うとも、人民大衆の利益を貫き通して行く限り、
闘いには未来がある。
全学連の旗のもと、闘いの火の手を拡大しよう。」
(昨年四・一九「闘う全学連」)

「われわれは現体制を認めないからその法律も認めない。
間違った体制をこわすためには実力行使は正しい。」(同一〇・九)

「全日本、全世界の学生・人民の闘いの前に支配者をして戦慄せしめよ!
日本帝国主義に対する全学生・全人民の闘いの圧倒的勝利を実現せよ!」
(同一二・二五「前進」)

・・・

【二十二日のことば~ソ連中共こそ帝国主義である】

帝国主義と言うのは大国の侵略主義のことであるが、ソ連が
エトロフ、クナシリ、ハボマイ、シコタンを日本に返還しないのこそ
大国侵略主義であり、中共が北ベトナムを応援してそれを共産主義化して、
更にその勢力を南ベトナムに及ぼそうとして、ベトナムを南北に分裂させて
同族相争わせているのや、チベットを併合してその主権者ダライラマを
追放したり、印度との国境でインド軍と衝突したりしているのこそ
帝国主義であるのではないか。

これら大国侵略主義のソ連や中共に味方して、日本国の現体制を打破して
ソ連中共の帝国主義に拝跪せしめるための行動を暴力でやっている彼等
全学連の行動こそ、知らず識らず無自覚にやっているソ連中共の帝国主義者の
手先ではないか。

・・・

【二十三日のことば~漫画家久里洋二のかいた殺人教唆記事】

朝日新聞社は日本一の発行部数を誇る大新聞でありながら、
此のソ連中共帝国主義者の手先である全学連の暴力行為を弁護し味方している
のだから、まことに恐ろしい事だと言わなければならないのである。

紫雲荘の橋本徹馬氏は夙に『朝日』の左傾的教唆の言論を憂えて朝日新聞に
広告を掲載する広告主は、朝日の左傾言論に運動費を与える事になるから
広告主は結束して、その広告を停止する様「声明書」を度々出されたのであるが、

去る四月に出された声明書には、『アサヒグラフ』二月二日号には
漫画家久里洋二という男が「全学連の行動を全面的に支持する。
学生に機関銃を持たせて、警官をみんな殺してやりたい」と警官を殺すように
教唆している記事を載せていることを指摘し、

「かくしてアサヒグラフは、あれだけ凶暴化している暴動学生に、
さらに興奮剤を注射する様な事をしているのであるが、このような
アサヒグラフの記事が、その後の成田や王子における学生暴動に
影響がなかったといえるであろうか。

責任は当然発行者である朝日新聞社にある」と結んでいるのである。

・・・

【二十四日のことば~中屋東大教授による朝日の偏向記事の分析】

『朝日』の左翼偏向記事を指摘しているのは橋本徹馬氏だけではないのである。

『文芸春秋』五月号に東大教授中屋健一氏が“新聞報道これでいいのか”
と題して、佐世保事件に関する新聞報道 ―― 特に『朝日』の記事 ―― 
をより多く克明に分析してその偏向ぶりを指摘しているのである。

その中で中屋氏は『朝日』が「警察の取り締まりが逝きすぎ」という記事を
繰り返し書いていることや、全学連が警官隊と衝突した際の現地記事を書いた
『朝日』は、

見出しで「大半素手で突入」と
全学連を半ば弁護する様にみせかけながら、
「記事を読むと、やはり投石、角材戦術という暴力行為が行なわれている」
とあるので、

見出しで嘘を書いて、記事を細かく読まない読者が、小見出しだけ見る場合、
全学連が素手であるのに警官が警棒を揮ったというように見えるように
記事が巧妙に工夫されていることを指摘しているのである。

そして中屋氏は新聞記事が、警官と暴力団とを対等に取り扱っていることを
批難して、「朝日は果たして中正不偏か」と言う小見出しの下に、
当初の掲載選択の仕方の偏りに抗議をしているのである。

曰く、
「一月二十日の『感情で行動した警官、佐世保での暴力、法でさばけ』
と言う投書などまさにその(偏向の)典型的なものである。

『報道関係者や一般市民、それに無抵抗になった学生に対して私的感情を
交えて警棒を揮い・・・・・』と(投書に)述べているが、全学連の学生は
無抵抗になるまでは抵抗していたのではないだろうか。

私的感情と言うが、警官隊は、法を守り平穏に生活する市民に対して
どうして私的感情を持つのであろうか。

すべては、法を無視し、これを犯した全学連の学生の責任ではないだろうか。

佐世保の場合、投石をし、角材を揮った学生に対して、警官の警棒が
対抗したのであって、警官の警棒の仕様に対して学生が角材を揮ったのではない。

さんざん角材を使っていて、警棒によってふるい落とされ、
頭を抱えた状態を無抵抗と言えるだろうか。

 これは中屋氏の分析の一例に過ぎないが、このように丹念に記事を分析した
上で、中屋氏は、「法律を無視し、暴力を揮う者を擁護して、”暴徒”にも
”愛国者“がいるという意味の投書(一月二十七日)が掲載されるに及んで、
私はもはやあきれ果ててしまった」と書いていられるのである。

全く『朝日』の革命や暴動に味方する偏向記事は困ったものである。

諸君は『朝日』の記事にまどわされてはならないのである。

・・・

【二十五日のことば~戦後派の若い大学教授】

『動向』誌編集部の解説では「羽田から佐世保、成田、王子へと
暴走を続ける反日共系三派全学連に対し、終始、彼らを弁護し、
理論的な”支柱”となっている教授がいる。

立正大学経済学部教授、岩田弘(三八)である。

・・・・・彼は『投票箱の時代は終わった。これからの民主主義は
直接行動主義の”抵抗”で守る以外にない』と広言し、治安当局は彼に対して
『学生を扇動するもの』と警戒を集めている・・・・・」ということである。

彼は今年三十八歳であるとすると、終戦時は十五歳であるから、少青年時代の、
思想に敏感な時代に、戦後の赤い教育を受けて来た謂わば戦後派の若者である。

日本では大学の数をバカに殖やしたものだから大学の教授や助教授に、
このような若者を任命しなければ、教授・助教授の人数が足りないので、

大学の殆ど全部が戦後の赤化教育を受けて来た大学卒業者を
教授・助教授・講師に採用した結果、
赤化教育を自然に施すような結果になっているのである。

もっと大学教授の停年を遅らせて僕と同等の年齢層の人、
即ち七十五歳、六歳になっても本人の希望によって大学で教授として
残り得るようにすることが必要なのである。

・・・

【二十六日のことば~噴火山上の舞踏の如き全学連の暴動】

全学連が往時の米軍病院に向け、数回に及んで暴動を続けている最中に、
橋本徹馬氏の出した「声明書」の一節には「暴動学生の末路を憐れむ」
と題する一節がある。

それには次のように書かれているのである。

「このような事情を知らぬ学生暴動の指導者諸君は、恐らくは華々しい
革命の戦士を以て自認しているのであろうが、それは無知の大胆である。

君等の末路が如何に憐れであるべきかは、君等の先輩である安保闘争当時の
立役者であった唐牛委員長の行方を見よ。

同じ頃学生が革命家として名を成した生田浩二の霊に問え」
(『現代の眼』誌四月号に詳し)

「それでも分からなければ、ソ連建国当時の有名な革命戦士たちの約九割が、
その同志の手によって悲惨極まる非業の死を遂げた事実を見よ。

又中共における最初からの革命戦士であって、而もいま人非人の如くに
言われている劉少奇、彭真、羅瑞卿等に問うがよい。

「それらの事情を知れば、その暴力によって大人たちを戦慄せしめようと
している君等の前途こそ、最も戦慄すべき運命にあることに気付くであろう。

君等の憤るべき相手は無責任に君等を扇動して来た朝日新聞であるぞ。」

これは誠に仏教の因果不昧の原理に通達した人の語である。

・・・

【二十七日のことば~原因結果の法則について】

橋本徹馬氏の説く“与えれば、与えたと同じ又は類似の結果が
自分の運命の上に返って来る”という原則は、
仏教では因縁因果の法則と言われているところのものであり、

キリスト教では「自己の量りたる秤りにて汝らも審かれん」と
イエスの訓えている真理であり、
現代では「原因結果の法則」と称せられているものであり、

「心の科学」では「平衡の法則」又は「動・反動の法則」と
呼ばれているものである。

わかり易くいうならば、良き種を蒔いたら、良き収穫が得られ、
悪しき種を蒔いたならば、悪しき収穫が得るということになる。

諸君は人類を救い、国家を救うところの
良き思想と行動の種子を蒔かなければならない。

・・・

【二十八日のことば~人を戦慄せしめた者はまた自己が戦慄せしめられる】

フルシチョフや劉少奇の失脚を見よ。

革命という暴動方式によって権力の座についた幹部たちは、その幹部の中での
権力争奪によって必ず仲間割れを来たして同士討ちをはじめ、そのうちの
最も巧智に長けて人心収攬の上手な策士だけが勢力を得て、
他は粛清されることになるのである。

そして、幸いにしてその策士一代はその最高の権力の座におさまることに
成功しても二代とは、その権力の座は続かないのが普通であり、辛うじて
一代だけはその権力の座を守り得ても、生きている間中、その権力の座から
追われはしないかと、常に戦々恐々として身を護らなければならない。

“恐怖の報酬”を受ける事になるのは歴史の示すところである。

この事を考えると、まことに此の世は
「平衡の法則」に支配されていることが分かるのである。

・・・

【二十九日のことば~因果昧まさず・平衡の法則】

「平衡の法則」が厳然として作用することを知るならば、
危機は国外にあるのではなく、国内にあることを知らねばならない。

毎年三百人の胎児を虐殺してきて平然たるように国民を規制している
優生保護法を改正することをしないで、ベトナムの戦争が悲惨だなと
言っているのは、自己の良心を晦まして注目を他に移しているに過ぎない
のである。

大人は自己の快楽を愉しむために、弱者(胎児)を殺しても良いという様な
卑怯な残虐を天網がいつまでも許していることはないのである。

それを改めなければ日本の大人の大部分が胎児と同様一網打尽的に
災害を受ける時が来るのは「平衡の法則」によるのである。

それが天災の形で来るか、人災の形で来るかは私は知らないが、
悔い改めねば、因果の法則によって必ず来るに相違いない。

・・・

【三十日のことば~自民党の利益優先政策を嘆く】

私は今の自民党内閣が弱体で、革命準備憲法や、堕胎公約を基本人権とする
憲法を改定の意志のないことを誠に遺憾に思うのである。

五月の『文芸春秋』誌上には、福田自民党幹事長と臼井吉見氏との対談が
出ているが、福田氏は「わたしはね、憲法改正論者なんです。
しかし近い将来憲法改正ができるか、或いはそれが有利であるか
国益に合するかと言うと、そうは考えない。

憲法改正の前にまだしなければならない仕事が山積しているわけでね。
もし憲法改正なんて言ったら、それらの仕事が置き去りになるのですからね」
といっている。

この福田幹事長の言葉の中には「有利」とか「国益」という商売人的根性が
露出しているだけであって、もっと大切な道徳性とか、国家の理念とか
理想とか国家への忠節とかいうものが少しも考えられていないのであり、
現象の利益を追って“道徳性”はあと廻しという事である。

そんな与党に支配されている政治であるから、汚職が絶えないのである。

何よりも国の道徳性を高める事が大切であるのに、建国の理想を忘れて
“利”と“益”とを優先させる政治目的が自民党幹事長の口から
当然のことのように話されるのだ。

民主主義即ち個人の”利己的欲望”に奉仕することが
”国の姿勢”を正す事よりも優先されるのである。

吾々がわれわれの代表をどうしても国会に送らねばならないのは、
政府も自民党も、このままでは何よりも大切な”国の姿勢”を正す事を忘れて
目先の”利益”優先に奔走して、結局、その目指す目先の”利益”すらも、
革命勢力に追い落とされて、一切を失うことになるからである。

何よりも建国の理想を没却した憲法を廃して”国の姿勢”を正し、
年間三百万人の胎児を暗殺している”個人利益主義”を改めるという
“根本”を道義の上に建てるために吾々は是非とも国会に吾々の代表を
送るべく決意したのである。

・・・

【三十一日のことば~斎藤茂吉氏の霊からの委託】

四月十九日の生長の家本部での白鳩会の集まりに横浜の伊藤美喜枝さんが
『白鳩』の誌友である加藤さん宅へ招かれて往った時、加藤さんが
短歌創作の師として仰いでいた斎藤茂吉氏の霊に、聖経『甘露の法雨』を
一緒に読誦してその冥福を祈りましょうということになり、

聖経を読誦して差上げている時に、加藤夫人が霊媒状態となり、みずから
歌人斎藤茂吉氏の霊があらわれ、謹厳な姿勢となって、聖経の読誦によって
自分の霊が救われたお礼を述べられ

「国家の危機に際して、谷口先生に頑張って下さいと言い伝えてくれ」
といわれたことを伝えられた。

頑張るという意味は、私にとっては筆陣を強固にし、言論戦を後退せしめない
ように、参院選に勝利を得て欲しいという意味に受け取れたのである。

私が頑張るだけではなくて、理想世界の同志全部の勇敢なる前進を
祈ってやまないのである。

          (おわり)

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