伝統板・第二

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生命の教育 ③ - 伝統

2018/05/10 (Thu) 03:15:44

       *伝統板・第二「生命の教育 ②」からの継続です。
         → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7673404

           ・・・

愛によって、子供の心の悩みの表出に動機を与えてやることが必要である

       *「光明道中記」(5月10日 三界唯心を悟る日)より

【全ては自分の心の影であるから目のとどく限り神示とも言える。
                   (『生命の實相』第十一巻)】

子供は学用品を紛失して、親からひどく叱られるのを恐れて隠していることがある。
何でも子供は《もの》を隠しているときには、強情に陰気に塞ぎ込み勝ちのものである。

「父さん母さんは決して叱らないから、隠していることを心に持っていて、自分ひとりで
苦しまないで、母さんにそれを打明けて一緒に苦しいことは二人で分けましょうね」
こう言って愛撫して、愛を表現しながら、子供の心の悩みの表出に動機を与えてやる
ことが必要である。

幼いときから持ちつづけた感情の悩みが大人(おとな)になってからの
神経的疾患として発病することもある。

子供の怠惰、朝寝、不勉強は権力者に対する無言の抵抗であることがある。
大人でも権力によって拘束せられる場合には、無言の怠惰 ――
飢餓罷業(ハンガー・ストライキ)や怠業(サボタージュ)を行なうことは
誰でも知っている。

ガンジーのような高潔な人格者でも、
ハンガー・ストライキやサボタージュはやるのである。

子供の怠惰も必ずしも人格の低下の標識(しるし)ではない。
それは却って子供の自尊心の強さから、自尊心を傷つけられたことに対する
反抗の顕れであることもあるし、先生や、親や、友達が認めてくれない
絶望からの自暴自棄であることもある。


・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「子どもの教育①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6463326

(2)伝統板・第二「子どもの教育②」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6643544

(3)伝統板・第二「生命の教育 ①」
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6833626

           <感謝合掌 平成30年5月10日 頓首再拝>

親の心の葛藤が、子供に反映する - 伝統

2018/05/11 (Fri) 03:41:31


       *「光明道中記」(5月11日 魂の浄(きよ)まる日)より

【病気は悪くなる行程ではない。浄化の行程である。(『生命の實相』第十一巻)】


子供が病気らしく見える場合や、疲労していると見える場合に、
親自身が驚いたり、周章狼狽した態(さま)を見せては可(い)けない。

親の心や態度は直(ただち)に子供に反映するものである。
それは生みの子だけに反映するのではなく、養子にでも養女にでも反映する。

子供が病気や疲労を現したら、親自身の心がイライラしていないか、
誰かと争いの心持を有(も)っていないか、心配事はないか ―― と、
よく親自身が自分の心を反省して自身の心を落着け争いを解くことである。

12歳以下の子供の病気や疲労は親自身の心の葛藤(いらいら)が反映しているのが
90%以上であろうし、16歳以下の子供の病気や疲労の50%位までは
親自身の心の葛藤(いらいら)の反映であると言っても好い。

17歳以上になると子供も大体人格の独立を得るから
親の精神状態に影響されることは段々少なくなると言い得る。

併し、どんな人でも自他一体
 ―― 一つの生命の波の中に浸って生きているのであるから
他の人の精神波動の影響を受けないと云うことはあり得ない。

夫婦は大人(おとな)であるが互いにその精神波動を感応して
互いの身に病気や事業の失敗を起させる。
況(いわん)や親子の間は大人になっても互に影響し合うものである。

           <感謝合掌 平成30年5月11日 頓首再拝>

親は何番目の子も全て一様に愛しているのだと云うことをよく会得させること。 - 伝統

2018/05/12 (Sat) 03:49:40


       *「光明道中記」(5月12日 そのまま完全を悟る日)より

【生長の家では万人のうちにただ神の子の存在を見る。(『生命の實相』第四巻)】

2番目の子供が生まれて間もなく
幼い長男又は長女が食欲不振を起すことがあるならば、

それは親の愛が2番目の子供に移って、
もう自分は顧みられないのだと云う失望と、
病気の状態を表したら再び自分を構ってくれるかも知れぬと云う希望と、

或はまた乳児と同じように母親のお乳を飲ましてくれるかも知れない
と云う予期作用とで病気を起している場合が多いのである。

親が驚いてその病気の子供にのみ掛かり切りになるならば、
子供は得たり賢しとその病気を継続することによって、
自分にのみ親の愛を繋ぎ止めて置こうとするようになるものです。

フロイドは「子供というものは重病に罹(かか)ったふりどころか
死んだ仮病さえあらわすことが出来る」と言って、

26時間もたべず痙攣を起して瀕死の状態でいる2歳の児童を抱き起こして
「さあ立っていられるだろう、貴方は病気じゃないんだ」
と言うと、

突然その子供の痙攣が治って、子供は「お父さん」と叫びながら
父親のところへ駆け寄って15分も泣いていたが、
忽(たちま)ちコーヒーとパンを食べたいと言い出した ――
と云う実例を掲げている。

親は何番目の子も全て一様に愛しているのだと云うことをよく会得させること。

           <感謝合掌 平成30年5月12日 頓首再拝>

父と云うものは厳父であると同時に慈父でなければならない - 伝統

2018/05/13 (Sun) 03:26:38


       *「光明道中記」(5月13日 善一元を悟る日)より

【すべて行為を善き動機から来るものとして言葉で賞(ほ)めよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】

父と云うものは厳父であると同時に慈父でなければならない。
父を憎んでいる子供は、児童教育にたずさわって見ると
かなり多数だと云うことが発見される。

父と子との争闘は精神分析の方では
ギリシャのソフォクレスの戯曲「エディポス王」の名を藉(か)りて
エディポス錯綜(コンプレックス)と命名した。

子供と云うものは本能的に母の乳房を吸った記憶から
母を「自分のもの」として見ようと云う傾向のあるものである。

母との一体感はその記憶の上にも明らかであるけれども、
「父」より自分が出たところの記憶はない。

「父」と「自分」とが一体であることが自覚されているならば、
「父」が「母」の上に権力を揮(ふる)っても、それは「自分」と同体であるところの
「父」(自分の延長)が「母」の上に権力を揮うのだと云うことが判るから、
子供自身はそんなに憤激を感じないけれども、
そうでない場合はそんな子供は父を憎むようになり勝である。

父母が子供の前であまりに仲が悪い時にはその子供は結婚忌避症になり勝である。
子供の家庭の紊(みだ)れは此処に芽生える。

精神分析に就いての詳しい説明は拙著『人間性の解剖』及び『精神分析の話』を
読んで戴きたい。

           <感謝合掌 平成30年5月13日 頓首再拝>

不平等の中に、平等に愛されていることを知らせねばならぬ。 - 伝統

2018/05/14 (Mon) 03:40:24


       *「光明道中記」(5月14日 応変自在の日)より

【人生百般の修行は随処作主(ずいしょさしゅ)の工夫にある。
 随処作主とはその時その場の主人公となることである。(『生命の實相』第十三巻)】

多勢の前で一人だけ賞(ほ)める事は、
賞められない兄弟(又は人々)の嫉妬の的にその人を置く事になる。
賞められない多勢は希望を失って勉強しなくなり、親や教師に対して反感を持つ。

若し平等に兄弟を扱わねばならぬ場合には、不平等のように見えても、
実は不平等ではないことを説明してやらねばならぬ。

即ち今生まれた乳児だけにお乳をやって、前の児(こ)にお乳をやらない場合には、

「あなたは赤ちゃんの時にはそうせられたのです。歯のない赤ちゃんはお乳を飲むほかに
生きることが出来ないのでお乳を飲ませるのです。特別に赤ちゃんばかりを可愛がる
のではありません。あなたには歯が生(は)えているから、お乳よりも塊(かたまり)の
食物の方が栄養になるのです。

赤ちゃんにはお乳を飲ませることが可愛がることになるし、あなたには塊の御飯を
たべさせることが可愛がることになるのです。神様はみんなに同じものを与えるもの
ではありません。梅の樹には梅の花を与え、桜の樹には桜の花を与えているでしょう」

こう云う話をして、みんなには夫々(それぞれ)の立場があり不平等の中に
平等に愛されていることを知らせねばならぬ。

           <感謝合掌 平成30年5月14日 頓首再拝>

不平等の中に愛の平等があることを知らせねばならない - 伝統

2018/05/15 (Tue) 03:33:38


       *「光明道中記」(5月15日 八方正面の日)より

【善は、「ねばならぬ」に縛られた形の上から固定してはならぬ。
                      (『生命の實相』第九巻)】

また大きい方の子に与える物を、小さい方の子に買ってやれぬ事もある。

そんな時に小さい方の子に言ってきかせる言葉は
「兄さんは学校へ行くために要(い)るものを買ったのです。
あなたも亦学校へ行く時には、学校で要るものを買って貰えるのです」
斯う云うようにして、また不平等の中に愛の平等があることを知らせねばならない。

兄弟のうちの一方を賞(ほ)めてはならぬ。

「××さんのように温順(おとな)しくするんですよ」斯う云う言語は、言われた当人には
侮辱であり、自分への愛が××さんに移ったと思いちがえて非常に嫉妬と失望とを感じて、
「温順しくするどころか、もっと暴れてやれ」と云うような気持を起し易いものである。

兄弟への寵愛を互に比較するような動機を児童に与えてはならない。
愛が失われるかも知れないと云う恐怖は、子供を従順に導くかわりに乱暴に導く。

潜在意識を解決せずにいながら兄弟喧嘩を解決しようとする時は概ね心配を招く。
それは水仙の球根を処置しないで花だけを摘んで
水仙を絶滅しようとするようなものである。

           <感謝合掌 平成30年5月15日 頓首再拝>

愛を与えれば、子供の盗みは消えて了うのである。 - 伝統

2018/05/16 (Wed) 03:15:35


       *「光明道中記」(5月16日 父を憶(おも)う日)より

【贅沢を羨むな。今日一日生かされてある事実に感謝せよ。(『生命の實相』第十一巻)】

子供が親の物を盗むのは「盗み」と云うことが分からないで
自他一体の気持ちでする場合と、親を愛している証拠でする場合がある。

後者は《親のもの》即ち ―― 「親」《そのもの》を自分に抱いていたいのである。
それは必要に迫られて、欲しいと言っても得られない場合に止むを得ずする場合もあるし、
親を憎んで親に対する反抗心で親の大切なものを盗む場合もあるが、

反抗心も結局は愛の裏返しになったのある。

その子供は親を愛しているのだと知って、その子供を憎まないことが肝要である」
「金」は大抵親が儲けてくるものであるから、子供にとっては「金」は父親の象徴
(しるし)として存在するのである。

その「金」を隠れて浪費する子供は、父親を浪費したい
 ―― そんな父親はなくなれば好いと思っているのである。

そんな子供は大抵あまりに厳格な父親の下に育っているので、
父親と云う束縛者がなければ好いと思っているのである。

兄弟がある場合に、兄弟のものを盗むのは、兄弟の一方が自分より愛されていると
想像される場合、その「愛」の象徴を盗みとろうとするのであって、
それは本当の盗みではない。

愛されたいと云うに過ぎない。愛を与えれば、そんな盗みは消えて了うのである。

           <感謝合掌 平成30年5月16日 頓首再拝>

子供には、子供同士の世界が必要なのである - 伝統

2018/05/17 (Thu) 03:51:53


       *「光明道中記」(5月17日 何物にも恐れぬ日)より

【対人恐怖症は自分の欠点を看透(みす)かされるのを恐れ、
 また自分を価値以上に見られたい念から起る。(『生命の實相』第九巻)】


幼児は、心理学者の調べたところによれば、
倚(よ)りどころを急に外(はず)した時とのほかには恐怖を感じない。

人間恐怖は父親が大声で怒鳴り附けることに端を発する。

暗黒の恐怖は、暗黒の中へ出たとき、「そら恐ろしい! 」と大人たちが騒ぎ立てたり、
暗がりで便所に行くときに木枯(こがらし)が雨戸をガタガタ言わせたり、
暗闇(くらやみ)で雷鳴をきいた時などに端を発する。

人間恐怖や人見知りは突然急に大人の喧噪(けんそう)な世界へ
幼児を連れ出したのが原因で起ることがある。


子供の友達が親ばかりである場合には、
その子供は他の人間を疑うようになり内気になる。

そして他の人間は自分に危害を与えるものだと考え勝になるもので、
非社交的な人間が出来上がって了う。

子供には是非とも子供のお友達が必要なのである。
近所に子供がなくて子供のお友達が得られない場合には幼稚園にあげることが必要である。

其処で子供は、人間には幾種類もの人間があって色々の感情や態度で生活しているもの
であり、譲歩しなければならぬ場合や、主張しなければならぬ場合のあることを
覚えるのである。

           <感謝合掌 平成30年5月17日 頓首再拝>

人にはそれぞれの美や能力の発揮があることを教育すべきである - 伝統

2018/05/18 (Fri) 04:16:49


       *「光明道中記」(5月18日 欲を捨てる日)より

【人間の悩みのもとは皆欲から来るのである。欲は迷から来るのである。
                        (『生命の實相』第十一巻)】

あまりに幼児の美貌を賞めたり、
常にクラスの首席であると云うことを誇りにさせてはならない。

自分の顔に自信のないのも不幸であるが、容貌を鼻にかけている女性が、
次第にその容貌が衰えて来たのを見て、失望と落胆とで
狂気(きちがい)になった実例をフロイドは挙げている。

また小学、中学とずっと引続いて級中首席を占めて来た子供が
高等学校の入学試験に失敗して、突然の失望落胆から精神病になった実例は
吾々屡々(しばしば)見聞する処である。

クラスの第一番と云うことは他を見下すための虚栄心の満足でしかないのである。

人間は容貌でも成績でも、自分だけが偉くて
他の人はみんな駄目なのだと云うような教え方をしてはならないのである。

「人間・神の子」の信条は、他の人も神の子であり、容貌での能力でも、
何等かの点に於て、他の人にも優れた天分美質があり、人間の天分は別々であり、
自分にも他に劣らぬ美質があることを知らせて、
成績の悪い者にも必ず善い処があることを知らせて置かねばならぬ。

容貌の美も年齢に応じて夫々(それぞれ)の美があること、
若さだけが美でないことを教育すべきである。

           <感謝合掌 平成30年5月18日 頓首再拝>

幼児の潜在意識に恐怖心が植えらつけられるようなことをしてはいけない - 伝統

2018/05/19 (Sat) 03:56:48


       *「光明道中記」(5月19日 欠点を見ぬ日)より

【欠点を見つけるな、荒立てるな、静かに彼の為に祈れ。(『生命の實相』第十一巻)】

幼児の潜在意識に「希望は失われる」印象を残すような事は
凡ゆる場合に於いて可(い)けない。

「私には希望が失われる」と云う潜在意識が幼児に沁み込まされ、
為に一生不成功を招く人もある。

「そんな弄戯(いたずら)を止めないなら
お母さんは彼方(あちら)へ往って了いますよ」
と言って幼児を威脅(おど)してはならない。

幼児の潜在意識には自分の大切な希望が
行衛不明(ゆくえふめい)になって了う恐怖心が植えられます。

幼児に何かをやらせるために大人が虚言(うそ)をついて
幼児の信頼を裏切らせるようなことをしてはならない。

「これをしたら、これを買って上げますよ」などと言いながら、
幼児がそれを履行したのに、大人の方がその約束を履行しないなどはよくない。

「痛くないから一寸(ちょっと)口を開いて御覧」と言いながら、
急に大袈裟な恐ろしい道具を口の中へ突っ込んで口の中の治療をしたために、
弾丸でも恐怖を感じないのに、歯医者に通うことを考えるだけでも恐ろしくて、
頭中が痛んで来る病気に罹(かか)った男もある。

「熱いことありませんよ」と言いながら、
多勢寄って圧えつけて灸(やいと)を据える人などがあるが、
子供はその大人の無法に対して終世恐怖心を抱くようになることがある。

           <感謝合掌 平成30年5月19日 頓首再拝>

肉体の自己玩弄をしないように環境を整える - 伝統

2018/05/20 (Sun) 04:22:02


       *「光明道中記」(5月20日 自由自在の日)より

【義務と思えば重く、愛して行えば歓びが得られる。(『生命の實相』第四巻)】

幼児より爪を咬む習慣のある児童は、あまりに家庭で束縛され、
心が内面にばかり陰気に向いている証拠で、
自涜(じとく<肉体の自己玩弄>)の一種である。

心が明るく愉快に外面的に伸びて行く場合には
肉体の自己玩弄(がんろう)は起らないのである。

明るく愉快に、心が自己玩弄に向う時間がない程に肉体運動を奨励するが好い。
疲れて眠くなるまで無理に眠らせないが好い。

肉体の自己玩弄を看付けた場合には、余り激しく「罪悪」として叱り附けてはならない。
余り激しく叱り附けられると恐怖心の結果、「恐いものをやって見たい」の欲望で、
隠れて肉体を自己玩弄するようになり易い。

男女とも13歳位になったら素地(きじ)の粗(あら)っぽい布の猿又(さるまた)を
着用して眠らせるが好い。あまりに柔らかい布の下着は接触の快感を連想せしめて、
肉体の自己玩弄に導いて行くことがある。また蒲団は軽く硬いものが好い。

男子は柔剣道、駆歩(かけあし)などを盛んにやって妄想の余裕を与えぬこと。

少年に対しては、恋愛小説、放送番組のラブ・シーン、レビューのダンス、
卑猥なる週刊雑誌を避けねばならぬ。
これを見せれば梅干を見れば唾液が湧く程度に性欲を興奮せしめる。

高潔なる思想家、英雄豪傑の伝記などを読み、性欲を想像せしめる読物を廃するが好い。

           <感謝合掌 平成30年5月20日 頓首再拝>

両親が楽しくなければならぬ。 - 伝統

2018/05/21 (Mon) 04:23:09


       *「光明道中記」(5月21日 楽しく深切の出来る日)より

【自制力は心のタガの様なものである。(『生命の實相』第四巻)】


人間は楽しい時には好い気持になり、人に深切がしたくなり、
善い事がしたくなるものだが、楽しくないとき不快なろきには、
善いことはしたくなくなり、自暴自棄になって悪いことがしたくなり、
自分をも他人をも動物をも器具をも乱暴に取扱いたくなるものである。

それにはどうしても両親が楽しくなければならぬ。
両親が子供の遊びの相手となってならねばならぬ。
特に一人子の場合はそうである。

子供を一人一室に放って置けば、別に楽しむものがないから肉体の自己玩弄を始める。
「小人閑居すれば不善を為す」とはよく言ったものである。

子供が内気な場合に、お前は内気だからもっと明るくならなければならないと
小言を言ったら、その子は一層内気になって了(しま)うだろう。

そんなときには、「××は近頃大変明るく勇気が出て来た」と
言うときは次第に内気が直ってくるのである。

内気な子供とは反対に、乱暴な子供も結局は
生活が楽しくないから、愛が欠けているから、
反動的にそうなる子供が多い。

「お前乱暴を直しなさい」などと言わずに、
縛らずに信頼してやれば乱暴は止まるのである。

           <感謝合掌 平成30年5月21日 頓首再拝>

全体のために幸福を献げ得るように教える - 伝統

2018/05/22 (Tue) 04:35:43


       *「光明道中記」(5月22日 真に幸福なる日)より

【知らずに犯す残酷ほど残忍なものはない。(『生命の實相』第四巻)】


あまり親が愛してくれて、何でも自分の欲することを
協(かな)えてくれるものだと思い込ますようにすることは、
子供の利己心を増長させるようなものである。

そんな子供は自己中心であって、
周囲の事物一切は自分の快楽を満足させてくれるためにあるものだ
と考えるようになり勝ちである。

そんな子供が成長して社会へ出ると、周囲の人々はなかなか自分の快楽を
満足させてくれたりするものではない。
そこに期待の不充足に対する不平が起り、社会国家を呪うようになり易い。

人間は他が自分に調和してくれるまで、
自分の方からは調和しないでいても好いと考えるようになっては、
決して世の中に容れられず出世しないものである。

人間は天地間に生まれて、自分の方から、
その世界に適するように動き出して行く者が
勝利を得るのだと云うことを知らねばならない。

即ち適者生存の原理を知らなければならないのである。

適者と云うのは自分が全体の幸福のためにどれだけ献(ささ)げ得るかの程度に
随(したが)って定(さだ)まるのであり、

全体のために幸福を献げ得る者のみが、
自分がまた幸福になり得るのだと云うことを教え込まねばならない。

           <感謝合掌 平成30年5月22日 頓首再拝>

楽しく伸び伸びとした食事を摂りましょう - 伝統

2018/05/23 (Wed) 04:30:29


       *「光明道中記」(5月23日 何でも成就する日)より

【食事にうんと歓びのお菜(さい)を附けて食べよ。
どんな粗食でも最上の栄養食に変るのだ。 (『生命の實相』第八巻)】


楽しい時には良質の胃液が抱負に分泌され、
怒ったり悲しんだりしたときには胃液が殆ど分泌されないと云うことは、
パヴロフが犬の胃袋を切り開いてゴム管を通して実験した通りである。

子供を健康に育てるには彼を取り囲む環境を楽しいものとしなければならない。

楽しいと云うことは大人の考えるような柔らかな褥(しとね)や、
美味しい贅沢な食事のことではない。
自由を縛られない伸び伸びとした生活のことである。

親が小言を言いながら食べると、子供自身の消化吸収同化作用を妨げる。
子供は親の言う言葉を信じ易いものであるから、親の小言を云う食事は
排斥すべき食物であり栄養価地のない食物だと思い込んで了(しま)うからである。
排斥する心が起れば同化吸収作用が鈍るのは当然である。

親がどんな食物にも本当に感謝して、
これは為になる食物だと云う風にして食べるべきである。

食事の作法にあまり神経質に拘(こだ)わって叱る習慣をつけるのはよくない。
叱られて悲しみながら食べては、どんな食物でも栄養にならない。

           <感謝合掌 平成30年5月23日 頓首再拝>

幼児語と大人語とを同時に教え込むが好い。 - 伝統

2018/05/24 (Thu) 04:04:23


       *「光明道中記」(5月24日 善き言葉のみの日)より

【言葉の種子も石地(いしぢ)に蒔いた種子は生えないが、
肥沃地の心に蒔けば良く生える。  (『生命の實相』第六巻)】


言語の発達は知能の発達を意味している。

野蛮人は思想感情の種類も大雑把であるから、言語も少ない。
文化人になるほど思想感情にデリケートな種類が発達するから、
それを表現する言語の数も甚(はなは)だ多い。

言葉は柔らかく、そして明瞭でなればならない。
柔らか味を失った言葉は砂漠のようで、そんな言葉の横行する家庭では万物は育たない。
子供が育たないし、事業も育たない。

明瞭さを失った言葉は人間の知能を低下するものである。

幼児の片言(かたこと)が可愛らしいからと言って、
大人の方から幼児の片言を真似て行くようでは、
大人が幼児まで退化して行くだけであって、幼児を進歩せしむる力はない。

「ワンワン」「ニャンニャン」などと言わずに、出来るだけ「犬」「猫」とハッキリ明瞭に
発言せしめ、子供らしい情調が要(い)るならば「犬はワンワンと鳴く」と幼児語と
大人語とを同時に教え込むが好い。

決して「犬」なる精確語を省略して「ワンワン」だけを教えてはならぬ。

幼児は言語発達の天才的能力を有(も)っているものであって、
同時に数ヶ国語を教授しても、頭脳に大した負担なしに覚えるものである。

           <感謝合掌 平成30年5月24日 頓首再拝>

子供が質問するときには、親は知っている限りのことを教えてやる - 伝統

2018/05/25 (Fri) 04:30:15


       *「光明道中記」(5月25日 深く物を観る日)より

【心の薬は、心は波なんですから、波と云うものは互いに交感するものです。
                      (『生命の實相』第二十巻)】


興味のあるときに教え込めば労苦なしに覚えると云うのが幼児教育の原則である。
幼児には色々のことを尋ねたがって仕方のない年齢があるものである。

大人は生活に忙しいので、
いちいちそんな子供の質問に答えていられない場合がある。

そんな場合「蒼蝿(うるさ)い! そんあこと訊くもんじゃありませんよ」と
言ってその問を一蹴してしまってはならないのである。

幼児の質問に両親がそんな風に答えてしまうと、
学校へ行っても何一つ訊く勇気のない引込み思案の人間が養成され、
社会に出ても思い切って自分の意志を発表する勇気のない人間に
なって了うものである。

子供が質問するときにはその事物に興味を感じている時であるから、
親は知っている限りのことを教えてやるべきである。

一つ覚えれば、次の一つに向学心が向うものである。

親の知らぬことなら、「一緒に研究しましょう」と云う態度をとることであり、
世界にはどれだけでも知るべき楽しいことが充ち満ちていて、大人になってからでも
研究の尽きるものでないことを充分に子供に知らせてやるべきである。

           <感謝合掌 平成30年5月25日 頓首再拝>

児童が悪しきことをしたときは、児童の行動を別の方向へ転ぜしめるとよい - 伝統

2018/05/26 (Sat) 03:19:16


       *「光明道中記」(5月26日 真行の日)より

【ここに生きている生命は神の生命そのものである。
 大生命の生命(いのち)そのままである。
 み仏の生命がここに生きているのである。(『生命の實相』第二十巻)】


ある村の神社の境内を村の子供が荒らし廻って困ったことがあった。
しては悪いと言ってそれを叱り続ければ見ていない頃を見計らって
益々乱暴を働くのである。
こんな場合どうしたら好いか。

答は簡単である。「しては悪い」と言うことは相手を咎めたことであり、
相手を「悪い」と言ったことになるから「悪い」と批判された相手は益々憤慨して
此方(こちら)の好まない事を反抗的にしたくなるのが当然である。

相手を心で観れば相手は益々反抗する。

児童が大人にとって「悪い」と見えることをするのは、児童の本性が悪いためではない。

児童の立場からは興味があるからしているのだが、児童は周囲への影響が
どう云う風になるかと考える程には観察力が広くないから、
それが偶々(たまたま)大人にとって都合の悪いことになるに過ぎない。

児童は悪いのではなく大人にとって都合が悪いだけである。

それならば児童の行動を別の方向へ転ぜしめたらそれだけで好いのである。
児童は大人に信頼され、大人に頼まれることを喜ぶものである。

命令せずに「これを君してくれないか」と言って他にして欲しいことを頼むが好い。

           <感謝合掌 平成30年5月26日 頓首再拝>

友達は快活な明るい者を、読物は明るく勇気を喚起するものを選ぶと好い - 伝統

2018/05/27 (Sun) 03:41:55


       *「光明道中記」(5月27日 明るい物のみ引き寄せる日)より

【じかに阿弥陀仏の懐に飛び込む教である。(『生命の實相』第二十巻)】

子供の友達は快活な明るい者を選ぶが好い。

暗い陰気な子供と交わらしていると、自分の子供も暗い陰気なものとなり易い。
従って健康も害(そこな)われ易いのである。

快活な明るい子供と遊ばせることにしただけでも、
その子供が健康になった実例がある。

子供の読物は明るい、父母の愛や、友達にみちた物語、道徳的な、努力を楽しむ、
困難を物ともせず成功する立志伝又は武勇伝などが好い。
陰気な物語、お化(ばけ)の出て来る物語、正しき者が滅びる物語などは宜しくない。

子供は絶対に叱ってはならないと云うことはない。
過(あやま)って悪を犯したり、人の迷惑になることをしたときには、
叱っても悪くない。

けれども「そんなことをする子は悪人です」などと、
本人そのものを悪人と宣言するような叱り方をしてはならない。

若しそんな叱り方をするならば、子供は自分を悪人だと思い込んで了い
善に遷(うつ)る動機と勇気を失ってしまう。

子供が過(あやま)ちを犯したら、

「あなたは善い子だのに、こんなことをする筈の子ではないのに、
悪いと気が附かなかったのね。
もう悪いと気が附いたら決して悪いことをする貴方ではありません」

と断言するが好い。

           <感謝合掌 平成30年5月27日 頓首再拝>

眠りしなに『甘露の法雨』を誦(よ)みきかしながら眠らせるが好い - 伝統

2018/05/28 (Mon) 04:08:44


       *「光明道中記」(5月28日 信以(もっ)て貫く日)より

【振替でもやはり同じ道理だ・・・信ずる人に取ってはこれは本当である。
                     (『生命の實相』第二十巻)】


子供の性癖を直し、成績をよくするには
眠りしなに『甘露の法雨』を誦(よ)みきかしながら眠らせるが好い。

『甘露の法雨』を誦(よ)み上げる前に、子供に『甘露の法雨』を聴きながら
眠ったら大変成績がよくなって、健康になり、性質もよくなって、××の性癖も直り、
自然に好い子になれるんですよ ―― と子供に言って聴かせ、

さて親も敬虔な態度で「聖経の功徳によって斯(か)くならしめ給え」と合掌して念じ、
「さあ眼を瞑(つむ)って眠(ねむ)んなさい。聖経を誦んであげましょう」と言って
『甘露の法雨』を読誦する。

読誦が終れば子供は屹度眠っているから、

「さあ、これでもう貴方は成績がよくなりました。××が上手になりました。
身体は一層達者になる、性質はよくなり、××はしなくなった」

と云う風に眠っている子供の耳に内緒話のような声で、
下腹に力を入れた声で、囁きかける。

―― この方法を行なえば子供は確かに健康になり、成績がよくなり、
性質が改まってくるものである。

1回で効かないなどと思って、中断してはならない。

言葉の力は累積すると力を発する。
『生命の實相』第七巻にある自己暗示法をやらせるのも好い。

           <感謝合掌 平成30年5月28日 頓首再拝>

乱暴をする生徒については、その生徒の美点を賞(ほ)め且つ働かせるとよい - 伝統

2018/05/29 (Tue) 03:54:15

       *「光明道中記」(5月29日 力みを捨てる日)より

【「私が・・・私が」と力む事は、本当の自他一体の深切行になっていないのであります。
                         (『生命の實相』第二十巻)】


腕力ある乱暴な生来(うまれつき)の子供が学校などで乱暴するときには、
先生がそれを頭から圧迫的に抑え附けようとすると
益々反抗的に乱暴になるばかりである。

それに対して停学とか放校処分とかに附すれば、
権威を呪い、社会を呪って子供の一生涯を無駄にして了うこともあり勝ちである。

そう云う性質をあながち「悪」と考えてしまうのは
学校の先生が寧(むし)ろ低能なのである。

そう云う学校の先生は先生としての天分がないのであるから、
宜(よろ)しく放校処分に附して、もっと適業に転ずる機会を与うべきである。

そう云う子供は大抵腕力による人を統率する天分を持っているものである。
謂わば幡随院長兵衛とか清水次郎長などのように豪胆と腕っぷしとで
人を統率する力があり、恩義に感じやすく、憎悪に反抗し易いのである。

だからそう云う生徒の美点を賞(ほ)め且つ働かせることにして、校庭の掃除とか、
遊戯のキャプテンとかにならせて、その豪胆と、腕力とによる統率力を利用して
その力によって学校が浄(きよ)まり整理が行き届いて行くように
取計(とりはか)らうのが一番好い。


           <感謝合掌 平成30年5月29日 頓首再拝>

不従順で手こずる子供には、信頼して頼むような語調が功を奏する - 伝統

2018/05/30 (Wed) 03:25:07


       *「光明道中記」(5月30日 和顔愛語の日)より

【人間は学科ばかりの点取虫になって了(しま)ったのでは値打がないのであります。
                         (『生命の實相』第二十巻)】


直ぐ吩咐(いいつけ)を実行しない子供は、その吩咐けられた言葉の内容が
呑み込めないか、吩咐けた人に対する反抗があるか、怠け癖で面倒臭いか何か
子供自身にとって手の離せない興味ある仕事があるかしているのである。

それを悉く、不従順だとか我儘(わがまま)だとか云う名で呼ぶのは間違である。

吩咐不明瞭なために実行しないのを、不従順だと誤解しないようにするためには、
「一寸此処へいらっしゃい」と柔(やさ)しく招(よ)んで、
ハッキリと吩咐を伝えるようにすることが必要である。

不従順ではなく吩咐を実行する気はあるが、何時(いつ)までに実行したら好いかの
意思表示がないために、直ぐ立上ろうとしない子供がある。

そんな子供には「何分間でやんなさい」とか
「何時までに往って帰んなさい」とか明瞭に、その完成の時刻を指定する必要がある。

反抗心があって命令を実行しない子供に、
強情だとか不従順だとか責め立てて見ても一層強情になるだけの事である。

何故なら彼は親や先生を手古摺(てこず)らすのが目的であるから、
親や先生が手古摺っていると判ると益々強情になるからである。

命令するよりも「斯(こ)うして下さい」と信頼して頼むような語調が
斯ういう子供には功を奏する。鼠小僧でも頼まれた事は進んで実行する。

           <感謝合掌 平成30年5月30日 頓首再拝>

親は、すべての子どもを、常に平等の心を以て愛し、感謝をする - 伝統

2018/05/31 (Thu) 04:05:08


       *「光明道中記」(5月31日 その儘有難い日)より

【誠に「今」こそ一切の生活を支配する鍵である。(『生命の實相』第二十巻)】

2番目の子供が生まれようとする頃になると、
最初に生まれた子供は、それに興味を感ずるが、それが自分の玩弄物(おもちゃ)の
ように自分の支配下にあることを欲するのである。

自分よりも両親の愛を鍾(あつ)めるなどと云うことは、
両親を自分から奪われることに当る。

そのために最初に生まれた子供は熱を出したり、病気になったり、
時として乱暴になったり、強情になったり、如何なる方法かによって
両親の注目を自分に惹き付けて導く手段を講ずる。

そういう手段に動かされてはならないのである。

この状態は始終抱き癖をつけたり、あまりに両親から構い附けられる癖を持っていて、
両親から離れて独立して遊ぶ習慣のない子供に於て特に起り易いものである。

最初の子が女性であった場合、両親が「男児(おとこのこ)が欲しい」と言い続けて
いたのを常に訊いていた長女は、母親が今度生む子が自分と同じ女性であり、
自分よりもただ幼いと云うだけの存在で、自分と比べて特殊の優越の資格を持つ
「男児(おとこのこ)」でないことを希(ねが)うものである。

親たる者は、男児(おとこのこ)にせよ、女児(おんなのこ)にせよ、
常に平等の心を以て感謝していなければならぬ。

子供の前で言葉を繕(つくろ)っても、態度や表情が差別待遇を語っているときは、
それは嫉妬の因(もと)となり、兄弟喧嘩の因(もと)となる。

           <感謝合掌 平成30年5月31日 頓首再拝>

親は、善き言葉を駆使する術を知らねばならぬ - 伝統

2018/06/03 (Sun) 03:42:39


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月3日)」より

「知力も直覚も語(ことば)によって構成せられ、またそこなわれる。
善き語(ことば)、悪しき語は知力と直覚とをあるいは構成し、あるいはそこなうがゆえ、
十分語を選択する術(すべ)を知らねばならぬ」とパスカルは言っている。

言葉の暗示の力は、智力を増し、直覚を増す。
祈りが学業成績に影響するのは当然なことである。

子供の学修を指導しつつある父母がすぐ焦(じ)れてきて
「子供の頭の悪さ」に不平を言うがようなことでは、
その子供の学業成績は挙がるものではない。

            <感謝合掌 平成30年6月3日 頓首再拝>

《夫唱婦和は宇宙の法則》 - 伝統

2018/06/05 (Tue) 04:24:16


今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年6月号「生命の教育」誌)

  【 夫婦の調和が家庭を明るくし、子供を善くする  】

《夫唱婦和は宇宙の法則》

          *新編『生命の實相』第21巻(128~130頁)より

先年の夏、穏田の私の宅へ来られた親子三人連れの人がありました。
六、 七歳の子供が耳の上じゅう繃帯(ほうたい)をしている。

どうしたのかと尋ねると、中耳炎で1ヵ年も繃帯して薬を注(さ)しているが
膿(のう)がいつまでも出て治らず、段々その子供さんの耳が遠くなって来る
といわれるのです。

それで私はその母親の方(かた)に「あなたは御主人に絶対服従なさい。
あなたは良人(おっと)を尻に敷(し)いて、言うことをきくまいと思っている。
その聞くまいと思う心が子供に映(うつ)って中耳炎を起しているのだ。 」
とこういってあげた。


すると、その奥さんは本当に良人(おっと)に服従する心になられると、
子供の耳が翌日はすっかり治っていたのであります。

これはその家庭生活が宇宙の陰陽の法則に反していて、 女の方(ほう)が
出しゃばっていて男を従えていたから、(中略)
耳漏(みみだれ)の子が出来ていたのであります。

それですから、どうしても天地の法則は夫唱婦和でなければならぬ。
夫唱婦和であって初めて調和した陰陽の家庭が出来るのです。

総(すべ)ての行動をするには男が主(しゅ)になって外に積極的に進出し、
女性は内部にその活力を包んで、男の働く力の源泉を生み出すようにしなければ
本当に善きことが成就しないという宇宙の法則が『古事記』に書いてあるわけ
であります。

(中略)

これが宇宙の法則であります。

先(ま)ず夫(おっと)唱(とな)え、婦(つま)これに従(したが)う
でなければならないのであります。

良人(おっと)に反抗したり、
良人(おっと)を尻に敷くような気持がありますと、
それが子供に反映して、子供が中耳炎を患(わずら)ったり、
薬剤ではどうにもならない湿疹に苦しむことがあります。

これは事実であるから仕方がないのであります。


・・・

<参考>

「生命の教育」平成30年6月号 主な内容

特集 夫にハイ!
―子供が父親を尊敬する家庭をつくろう

夫婦の調和が家庭を明るくし、子供を善くする
                  谷口雅春

巻頭のことば 大谷翔平選手とマンダラチャート
         新教育者連盟理事長 代田健藏

“夫にハイ!” は宇宙の法則  大原和子
やってみよう! 子供が父親を尊敬する家庭を  在原道子
「ハイ」と夫に従えば、子供たちも父親を尊敬する  森実子
「夫にハイ」の家庭環境は、子供の成長にとても大切です  橘内智子
『古事記』から学ぶ父親の存在  三浦美恵

《特別インタビュー》
子供の“いのち” を伸ばす立腰教育とは
学校法人阪急学園理事長 松本 善實

子育てワンポイント(15) 子供は見ています 出口正博
子育てQ&A 叱るときはどうしたらいい? 杉山紀代子

息子の担任が信頼できない 小林義典
交友関係の狭さが不安 國友規代

子育ては母育て(67) 食べ物の好き嫌いは親が作る 田下昌明

日本人100 の誇り(70) 米作りと日本人 岡田幹彦
日本国憲法の問題点(34)勝岡寛次
日本のしきたり(6) 「田植え」 辻川牧子

親子で読むものがたり(70) 最期まで任務を放棄しなかった佐久間艇長 南 敏雄

子育てひろば  平佐久美子

新教連活動あらかると
 ◇教育アドバイザー養成課程の募集、三重支部、埼玉支部の講演会案内など
 ◇6月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

                 ・・・

平成30年6月号の特集

特集 夫にハイ!―子供が父親を尊敬する家庭をつくろう

家庭の中が温かく調和していると子供は健全にスクスク育ちます。
逆に、家庭が不調和だと、子供の心の発育にも支障をきたしてしまいます。

では、温かく調和した家庭にするにはどうしたらいいでしょうか。

「生命の教育」では、家庭には父親の役割、母親の役割があり、
“夫唱婦和”であることが家庭を調和に導くと説かれています。

その第一が「夫にハイ!」の実践です。
子供は親の背中を見て育つと言われますが、まずお母さんが、
家庭の中心であるお父さん(夫)を尊敬していくことから、
子供も自然と親を尊敬できるようになります。

「夫にハイ!」の実践で、温かい家庭を築いてまいりましょう。

  (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

            <感謝合掌 平成30年6月5日 頓首再拝>

《夫婦が円満になれば子供は善くなる》 - 伝統

2018/06/07 (Thu) 04:05:10

今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年6月号「生命の教育」誌)

  【 夫婦の調和が家庭を明るくし、子供を善くする  】

《夫婦が円満になれば子供は善くなる》

        *(『生命の實相』頭注版第25巻43~44頁
          ~「生命の教育」平成30年6月号 ) より

家庭の夫婦関係がどうもおもしろくゆかないということをよく言われますが、
そういった状態も夫婦互いの実相を観(み)、それを言葉の力で賞(ほ)める
ことによって善くなりうるのであります。

たいていの場合、夫婦関係がよくないというのは、
奥さんが良人(おっと)をほめないからであります。

(中略)

奥さんはなかなか良人を賞(ほ)めることをしない。
それから良人は妻を賞(ほ)めたら甘いように思っている。

よく《うち》の良人は直(す)ぐ腕力を揮(ふる)う、野蛮人だなどといって
攻撃する奥様がありますが、そういう奥様は腕力こそ揮(ふる)わないが、
心で常に良人をなぐりつけている。

「良人は悪い人だ、つまらない人だ」と心の腕力でなぐりつけている。
良人は形の腕力でなぐりつけると、奥様は心の腕力でなぐりつける。
心の腕力の方が眼に見えないから陰険なのであります。

この反対に良人は妻を賞(ほ)め、妻は良人を賞(ほ)め、
互いに賞(ほ)め合う言葉の花を咲かせて円満にしてゆけば、
単に夫婦仲だけではなく、家庭全体がよくなり、延(ひ)いては
子供までも良くなってゆくのであります。

今日(こんにち)ここにいらっしゃる皆さんの中にも、
いろいろ方法をつくしても、子供が達者にならない、
というような御家庭はありませんか。

省(かえり)みてごらんなさい、
そういう家庭はきっと夫婦仲が悪いものであります。

それを省みて治されたら、きっとお子さんはよくなるのです。

            <感謝合掌 平成30年6月7日 頓首再拝>

《光り輝く善そのものの実相をみる》 - 伝統

2018/06/13 (Wed) 04:40:52

今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年6月号「生命の教育」誌)

  【 夫婦の調和が家庭を明るくし、子供を善くする  】

《光り輝く善そのものの実相をみる》

人間の実相は「神の子」であり、 「仏子(ぶっし)」であり、ミコトであります。

吾々は吾々の良人(おっと)の中に、妻の中に、
その実相を見て家庭生活を営まねばならないのです。

吾々は、互々(たがいたがい)の人格のうちに「神の子」を見、
「仏子」を見、ミコトを見て尊敬しなければならないのであります。

一旦(いったん)迎えた良人(おっと)なり妻なりは外面に現れた現象が
どうあろうとも、その現象の悪さを以(も)って、良人(おっと)の、
または妻そのものの悪さと思ってはならないのであります。

ジャン・バルジャンが盗みをしても盗みをしていない本来善い人間であるところの
実相を見て、遂(つい)にジャン・バルジャンを善人にしてしまった彼(かれ)
ミリエル司祭(しさい)のように、吾等(われら)は良人(おっと)又は
妻の本来「神」なる実相を見なければならないのであります。

出来るだけ妻は良人(おっと)の、良人は妻の、欠点を見ないように、
暗い方面を見ないようにしなければならないのであります。

肉体人間は「実相仏」ではないから、時には躓(つまず)くことも、
実相が蔽(おお)われて悪く観(み)えることもあります。

しかしその悪さを実在であると思わないことです。
その悪さはやがて過ぎ去り行(ゆ)くべき《仮りそめ》の迷いの雲だと思い、
光り輝く善そのものの良人又は妻の実相を観(み)るように心掛けよ。

たちまち、その悪さは消え行(ゆ)きて
本来「神の子」なる良人又は妻の実相が輝き出て、
家庭は異常に光明化されることになるのであります。


良人又は妻の善さはどれだけ深く信じても好(よ)いのです。
信じて信じ過ぎるということはないのであります
信ずれば信ずるだけ光を放つのです。

            <感謝合掌 平成30年6月13日 頓首再拝>

《親の心が子供に影響を与える》 - 伝統

2018/07/09 (Mon) 03:03:08

谷口雅春先生のお言葉(平成28年7月号「生命の教育」誌)

  【 子供の“通信簿” は親の“成績表”! 】

《親の心が子供に影響を与える》

        *『生命の實相』第13巻倫理篇上(P10~11)より

さてわたしはここに本当の人間の教育ということ、
その本当の人間を造るところの「子供の教育法」を説こうとするのでありますが、
この子供の教育ということは本当は大人の教育なのであります。

だから、わたしは子供の教育を説く前にまず大人に説く倫理をもって
したいのであります。

子を良くするにはまず親を教育しなければならない。
それほど親の心は子に影響を与えるのであります。

例せば、昭和9年12月19日の報知講堂におけるわたしの講演会の時、
東京の落合に住まれる松本十九(とく)といわれる方が
講演を聴きに来ておられたのであります。

この方のお子さんが夜尿(やにょう)をされる、
いろいろ手を尽くしてみてもどうしても癒(なお)らなかったそうです。

大体すべて子供の病気は子供自身よりも親の悪い場合が多いのであります。
つまり親の心が子供に反映して夜尿を起こしていることが多いのであります。

この松本さんもわたしの講演を聴かれて、心境が一変されたら
その夜からお子さんの夜尿がぴったりとまってしまった。

その五日目にわたしのところへ来られて大変お礼を言われたのでありました。

そのことをわたしが関西旅行の時に関西の「生長の家」誌友に話したので
ありましたが、それを聴かれた関西に住まわれる松本さんの知り合いの方が
「ほんとに谷口先生の講演で子供の夜尿がすっかり癒(なお)ったか」
と松本さんのところへ問い合わせて来たそうであります。


ところが松本さんのお子さんの夜尿は、講演会をお聴きになって
御自分の心境が変わられたその後の1週間は、たしかに癒っていたのでありますが、
それから1週間ほどたって講演の心的影響が薄れたころからまたお子さんが
しくじり出してきたのです。

そこへ関西の知人から、「本当に夜尿は治ったか」と問い合わせがあったもので、
なんと返事を書いたものかと大変困られたそうであります。
いったん、治ったことは事実ではある。しかし、また再発したことも事実である。

治ったともいえないし、治らないともいえないのでしばらく返事を出さずに
おきましたら、ちょうど2月9日軍人会館でわたしの講演がありましたので、
松本さんは今度はお子さんを伴(つ)れて聴きに来られたのでありました。

そして十時まで講演を聴いて帰られて、
「もう今日は谷口先生の講演を聴いたから寝小便なんてしないだろう」
と強く思われて、

ふだんなら、就寝(しゅうしん)前(ぜん)七時と九時と十二時と三度させて、
それでもまだ夜尿をしくじるという状態のお子さんを、その夜は大丈夫と思って、
寝しなに小用をさせないで寝かしてしまわれたそうであります。

それでもその夜はしくじらなくって、それからその状態が数日間続いたのであります。

これなど明らかに親の心が子供に反応しているという実例でありましょう。
親が講演をきいて子の病気が治ったなんて妙でありますが、実際のことであります。

講演を聴いて病気が治るならば、講演者の書いた本を読んでも親の心が一転すれば
子供の病気が治るはずです。



・・・

<参考>「生命の教育」平成30年7月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」平成30年7月号 主な内容


特集 明るい言葉、プラスの言葉

―日ごろの言葉づかいを良くしましょう

善い言葉が善い運命をつくる 谷口雅春

巻頭のことば「茄子の種を蒔けば茄子が実る――何とこの世は有難い」
                 新教育者連盟理事長 代田健藏

明るい、プラスの言葉づかいを日常生活に習慣づけましょう  藤波礼子

実行してみよう! マイナスの言葉からプラスの言葉へ  齋藤千鶴子

“あしたもきっとよくなるよ”  木村裕子

プラスの言葉を『讃嘆日記』に書いて一日を締めくくる  岩石紘子

子供たちの気持ちを大切に、プラス言葉を心掛けよう  岡田優子

娘を責めず、明るい言葉を掛け続けました  水川由子



〈特別インタビュー〉

家族の絆を繋ぎ、子供を成長させる「弁当の日」
「弁当の日」提唱者 竹下 和男


子育てワンポイント(16) 挨拶に「思い」を乗せて 出口正博

子育てQ&A 集団生活にとけ込めるか心配 大原和子

勉強をまったくしない娘 小林義典

褒める子育てにコツはありますか 杉山紀代子

子育ては母育て(68) 幼児の心の内と外 田下昌明

日本人100 の誇り(71) ものづくりと「匠の技」 岡田幹彦

日本国憲法の問題点(35) 勝岡寛次

日本のしきたり(7) 「七夕」 辻川牧子

親子で読むものがたり(71) 国と庶民のために尽した天才宗教家・空海 南 敏雄

暑中お見舞い・名刺広告
新教連活動あらかると
 ◇北見支部の講演会の報告など
 ◇7月支部行事
 子育てひろば 神 綾
事務局短信・編集後記・次号案内


平成30年7月号の特集

特集 明るい言葉、プラスの言葉

 子供のころは、周囲の人が使っている言葉の影響を強く受けるものです。
ときには、「バカ」「ウザイ」「キモイ」などの言葉が
口ぐせのようになることもあります。

「生命の教育」では「言葉が運命をつくる」といわれ、
ふだん使っている言葉が大切であり、善き言葉ばかり口にしていると
その通りの善き運命が開かれてくるのです。

日ごろのわが子の言葉を、明るい言葉、プラスの言葉に転じていきましょう。
お子さんに必ず明るい、プラスのことばかりが訪れてまいります。

            <感謝合掌 平成30年7月9日 頓首再拝>

出勤前に必要な父親の心がけ - 伝統

2018/07/21 (Sat) 03:45:48

         *『繁栄と健康』(P61~62)より

家を出る時にも祈りの心でなければなりません。
すべて“今ある恵み”に感謝し、家族達を祝福する気持ででかけるのです。

イエスは、“子供たちの吾に来るのを拒むな。
凡そ神の国に入るものはこの幼児の如きものである”と言って教えたでしょう。

親というものは一日の出発を楽しくしてやるために
子供につくしてやる義務があるのです。

彼らに、恐怖の想いや、悲しい想いや、腹立たしい想いなどを起こさせておいて
家を出て行かせるということはその日一日、子供達に対してハンディキャップを
つけることになるのです。

だからもう雷鳴のように呶鳴って家を出て行くことは止めて、
神様の人間であるように、尊厳と、落着きと、平和をもって
家から出かけるようにしようではありませんか。

あなたの愛する家族たちに賞め言葉と楽しい希望を
耳にきかせるようにしてお出掛けなさい。

そしてあなた自身は神さまがよき恵みを家族に与えるために遣わし給うた
天の使いであると思いなさい。

そしてこのまたとない機会に感謝するのです。

            <感謝合掌 平成30年7月21日 頓首再拝>

啐啄同時 - 伝統

2018/07/30 (Mon) 04:22:45


        *『光明道中記(7月30日 随所に主(ぬし)となる日)』より抜粋

【これは絶対真理、これは対気説法であると云う区別を知って
 絶対真理を掴む(つか)むようにしなければなりません(『生命の實相』第十五巻)】


雲門と同時代の禅僧で、法眼宗の開祖である法眼和尚と云う人がある。
なかなか対機説法の上手な人である。

対機説法と云うものは中々難しい。
小学生に大学の講義をしても分らぬ。
猫に小判、豚に真珠である。

大学生に小学の講義をしたのでは判るには違いないが、面白くないから逃げ出してしまう。
それは啐啄同時(すいたくどうじ)でなければならぬ。

啐(すい)は雛鳥が内からつつくことである。
啄(たく)は親鳥が外から啄(つつ)くことである。

中から出ようとしている悟りのちょうどそこを説いて
引っ張り出してやるようにしなければならない。

児童の教育でも才能が出ようとしている、
その点をその時期を失せずほめて引き出すのが骨(こつ)である。

これが出来なければ教師となり導師となることは出来ない。

            <感謝合掌 平成30年7月30日 頓首再拝>

【日本を愛する心をもつことが生きる力になる】~その1 - 伝統

2018/08/03 (Fri) 03:33:50

谷口雅春先生のお言葉(平成30年8月号「生命の教育」誌)

  【日本を愛する心をもつことが生きる力になる】

《国にはその目的とする「理念」がある》

         (新装新版『真理』第7巻269~270頁)

国家というものも唯物論的に言えば、小さい個人個人という細胞が契約をして、
そしてこういう国を拵(こしら)えておけば個人に都合が良いというので
拵えたのであれば、これは人民主権だと言えるでしょう。

人民主権と云うことは人体にたとえてみれば細胞主権ということに当ります。
併(しか)し国家が有機的生命体である以上、一つ一つの細胞が主権をもっておる
と云うことは不合理なのであります。

人体は人体として、ある目的をもってつくられたように、国家も、国そのものに
目的とする「理念」があって、その理念目的の姿に住民が結びついて国家が形成
されたのであります。

少くとも日本民族は、国というものを一つの生きものとして、又(また)
体と同じように、一つの理想を有(も)つ一個の「有機的生命体」である
として考えたのであります。それが日本の民族精神であります。

だから日本人の民族精神の表現である『古事記』には、人間の生(うま)れる
までに先(ま)ず「国」があるのであります。

「国わかく浮(う)き油(あぶら)の如くして
暗気(くらげ)なすただよえるときに
生(あ)れましし神の御名(みな)は……」

と書かれております。

先(ま)ず国家の「理念」があって、其の理念が具象化して
瓊々杵命(ににぎのみこと)なる姿になって天降(あまくだ)ってきて、
その理念が沢山人間という細胞をうみ出した。

それが日本民族であって、その民族が、それを生みだした
「大和(やまと)」の理念に従って一大団結して建国したところの国が
日本国(やまとのくに)として実現したのであります。


・・・

<参考>「生命の教育」平成30年8月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」平成30年8月号 主な内容


特集 わが子に伝えたい
――日本ってこんなにスバラシイ

日本を愛する心をもつことが生きる力になる 谷口雅春

巻頭のことば「大切なことは何かーー悲劇をくりかえさないために」
                 新教育者連盟理事長 代田健藏

「明治維新」の意義をまなぶことは、誇りをもって生きること 井関隆文

世界の歴史を変えた日露戦争 代田健藏

アジアの解放と独立に貢献した、明治維新と大東亜戦争の理想 勝岡寛次

世界史の視野から見た日本の素晴らしさ 井上雅夫

日本人の心の深奥にある天皇のご存在と、褒める心 高木桂藏

明治維新の志士たちを支えた自覚と誇り 岡田幹彦

明治天皇のご存在こそが、世界に誇る偉大な明治日本を生み出したのです 伊藤八郎

〈コラム〉幼いときから日本のすばらしさを伝えましょう!


子育てワンポイント(17) そこに居るだけで幸せ 出口正博
子育てQ&A 宿題を自発的にしてほしい 大原和子
中学生になる娘の外泊について 小林義典
息子が勉強についていけない 杉山紀代子
子育ては母育て(69) 父の出番 田下昌明
親子で読むものがたり(72) 国民を愛し、外国にも真心を尽くされた明治天皇
子育てひろば 三輪りさ
日本のしきたり(8) 「お盆」 辻川牧子

新教連活動あらかると
◇ 10 月の研修会の案内など
◇8月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内



平成30年8月号の特集

特集 日本ってこんなにスバラシイ
 本年は、近代日本を築いた「明治維新」から150 年にあたります。
黒船来航に象徴される西欧列強の経済的、軍事的な脅威にさらされながら、
わが国が新しい国づくりを成し遂げていったのが明治以降の時代でした。

 本特集では、「明治維新」とは私たち日本人にとって、また世界にとって
どのような意義があったかを取り上げ、日本の素晴らしさについて紹介します。
わが子に日本の尊さを伝えてまいりましょう。

            <感謝合掌 平成30年8月3日 頓首再拝>

《日本の心とは、すべてを一つにまとめる「大和(やまと)」の心》 - 伝統

2018/08/15 (Wed) 04:57:57

谷口雅春先生のお言葉(平成30年8月号「生命の教育」誌)

  【日本を愛する心をもつことが生きる力になる】

《日本の心とは、すべてを一つにまとめる「大和(やまと)」の心》

           (新装新版『真理』第3巻241頁)

日本民族は総(すべ)てバラバラに分かれているのを一つに綜合(そうごう)
するところの天分を持っているのでありまして、

日本の国の名前を「大和(やまと)」と名づけられたということも、
「や」というのは「弥々(いよいよ)」と云う字が当てはまるので、
いよいよ多いという意味であります。

「まと」というのは「纏(まと)める」という意味であります。
弓で射る「的(まと)」を「まと」というのも、同じことでありまして、
中心に「纏(まと)まって」いる姿を現わしています。

いろいろに分かれていても、その悉(ことごと)くが
一つに纏(まと)まるべきものであって、決してバラバラのものは存在しない、
宇宙は一つである、世界は一つであるというところのその人生観が、
古代の日本民族を通して現在の日本民族に至るまでずっと貫き通している
ところの民族的信念とでもいうべきものなのであります。

            <感謝合掌 平成30年8月15日 頓首再拝>

《日本の「実相」を見出したときに生甲斐がでてくる》 - 伝統

2018/08/20 (Mon) 04:15:38

谷口雅春先生のお言葉(平成30年8月号「生命の教育」誌)

  【日本を愛する心をもつことが生きる力になる】

《日本の「実相」を見出したときに生甲斐がでてくる》

          (新装新版『真理』第7巻272~273頁)

愛国心の昂揚(こうよう)などと言っても、愛し得(う)る値打のある国
というものがあれば愛するけれども、愛し得る国としての資格があるかないか
わからん現状のような日本国では愛することができないというのは、

それは国というものを、唯(ただ)、単に形にあらわれている現状の国
 ―― 即(すなわ)ち現象の国家 ―― だけを日本国だと思っているために、

こんなに強盗や、強姦や、失業者や、ストライキや、戦争や、
つまらないことばかり充満している此のような国家は、愛することはできない
ということになるのでありますけれども、

その現実の奥に「理念の日本の国」なる
ところの、目に見えざる「国の本体」なるものをみたならば、

其処に希望が生まれ、其の国に生きていることに、生甲斐を感じ、
其の国を愛することができるのであります。

外面の現象は如何(いか)にともあれ、それを内在の理念 ―― 理想に近づけて
行くところに希望が持て、勇気が出、生甲斐が感じられて来るのであります。

此の肉眼には見えないけれども、既(すで)に在(あ)るところの日本をつくり出した
「完全模型」即(すなわ)ち「実相」というものを、智慧に依(よ)って直観して、
それを見出し、そうした完全模型(理念)に向って、国を推(お)し進めつつある
日本国民が自分だ、という自覚が出て来たときにのみ、本当に日本人としての
生甲斐が感じられてくるのであります。


            <感謝合掌 平成30年8月20日 頓首再拝>

日本を愛することで真に世界に貢献できる - 伝統

2018/08/31 (Fri) 03:37:02

谷口雅春先生のお言葉(平成30年8月号「生命の教育」誌)

  【日本を愛する心をもつことが生きる力になる】

《日本を愛することで真に世界に貢献できる》

          (新編『生命の實相』第6巻96~97頁)

日本に生れた日本人は日本を愛し善くすることによって
世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。

日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、
桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。

国民がその国土に生れて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に
生活を続けられているのも全(すべ)て国土のお蔭です。

国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦(かんく)を
嘗(な)めつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。

此(こ)の恩この賜(たまもの)の一切を否定してしまって、
祖国などはどうでも好(よ)い、祖先の意志などというものは
どうでも好(よ)いものだというように

祖国に対して反逆的思想をいだくということは、
恩の否定、賜(たまもの)の否定、感謝の否定ということになって、
これは神の道 ―― 人の道ではないのであります。

            <感謝合掌 平成30年8月31日 頓首再拝>

にこにこした顔にすべての善いものが集ってくる - 伝統

2018/09/09 (Sun) 03:56:17

谷口雅春先生のお言葉(平成30年9月号「生命の教育」誌)

  【家庭を明るくし、子供の善さを引き出しましょう】

《にこにこした顔にすべての善いものが集ってくる》

         (新版『生活読本』135~136頁)

明るい生活の中にはすべての善いものが集ってくるのです。

昔から「笑う門(かど)には福来(きた)る」という諺がありますが、
にこにこ笑っていると、自然に善いことが集ってくるのです。

人をたのしく愉快にしてあげることは美しい行いであり善いことであります。
その楽しく愉快にしてあげるには、色々の贈物をさしあげるのも、
一つの方法でありますけれども、

物をさしあげなくとも吾々がにこにこたのしい顔つきをして、
たのしい心を他の人に移してやればそれが最も深切な、
人に幸福を与える方法であります。


・・・

<参考>「生命の教育」平成30年9月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」平成30年9月号 主な内容

特集 子供を照らせ!
――お母さんは家庭の太陽だ

巻頭のことば「信じたもの、認めたものがあらわれる心の法則」
                 新教育者連盟理事長 代田健藏

明るく希望に満ちた愛の太陽として輝きましょう 田本美佐子

実践してみよう! いつも明るく、心温かいお母さんになるために 曽根原真澄

《座談会》母親の笑顔と優しい言葉、褒め言葉で子供が輝く
プラスの言葉と笑顔で接し、子供の良い面をたくさん見ています 小林 晃

子育てワンポイント(18) 心に火を! 出口正博

子育てQ&A 飽きっぽい性格の娘に、根気や集中力をつけさせたい 大原和子

不登校気味の中学生の娘 小林義典

負けず嫌いな娘に手を焼いている 杉山紀代子

子育ては母育て(70) 父親はとにかく子供と遊べ 田下昌明

日本人100 の誇り(72) 江戸の技術と科学 岡田幹彦

日本国憲法の問題点(36) 日本国憲法と学校教育の矛盾 勝岡寛次

日本のしきたり(9) 「お月見」 辻川牧子

親子で読むものがたり(73) 女性の尊厳と優しさを実現した光明皇后 南 敏雄

子育てひろば 山根裕子

新教連活動あらかると
◇三重、埼玉の講演会の報告、兵庫の寺子屋の報告、10 月の研修会の案内など

◇ 9月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内


特集 子供を照らせ!―お母さんは家庭の太陽だ
 
「家庭」は、心を明るく朗らかにして和ませてくれる場であり、
学校生活や仕事への活力を生みだしてくれます。

中でもお母さん(妻)は、家族みんなをあたたかく包み込む太陽のような存在です。
お母さんの毎日の明るい笑顔(和顔)、やさしい言葉(愛語)、
認めて褒める言葉(讃嘆)は、子供の心に大きな影響を与え、
豊かな生長へと導きます。

さあ、お母さんが家庭の太陽となって、
和顔・愛語・讃嘆を表現し、子供の心を照り輝かせましょう。

            <感謝合掌 平成30年9月9日 頓首再拝>

幸福とは心が楽しいことです - 伝統

2018/09/15 (Sat) 04:28:32


谷口雅春先生のお言葉(平成30年9月号「生命の教育」誌)

  【家庭を明るくし、子供の善さを引き出しましょう】

《幸福とは心が楽しいことです》

           *(新版『生活読本』136頁)

家の中に1人でも不機嫌な人がありますと、
その家の人達の心全体が乱れてくるのです。

そして家族は始終(しじゅう)病気をしたり、
面白(おもしろ)くないことばかり起ってくるのです。

そんな家に住んでいる人は、
お金が百万円つんであっても幸福だということはできません。

幸福な生活とは心がたのしい生活です。
家族互いにうれしそうな顔をして
にこにこせずにはいられない生活が幸福な生活です。

            <感謝合掌 平成30年9月15日 頓首再拝>

あなたの明るい顔が必要なのです - 伝統

2018/09/21 (Fri) 02:50:25


谷口雅春先生のお言葉(平成30年9月号「生命の教育」誌)

  【家庭を明るくし、子供の善さを引き出しましょう】

《あなたの明るい顔が必要なのです》

           *(新版『生活読本』141頁)

うれしい顔をするには何の資本もいりません。
深切な目付きをするにも何の資本もいらぬのです。

吾々は、この人をよろこばしてあげたいとただ思うだけで深切な顔
になれたり、愉快な微笑を顔に浮べたりできるのです。

あなたの愉快な顔つきは曇った日にさしこんで来た太陽の光のようなものです。
周囲の人が苦虫をかみつぶしたような顔をしていればいるほど、
あなたの明るい顔が必要なのです。

どんな富や財産をもっているよりも明るい心をもっているものは、
もっとも尊い宝をもっているものだといわなければなりません。

            <感謝合掌 平成30年9月21日 頓首再拝>

子供への愛を言葉に、表情に、表現すること - 伝統

2018/09/22 (Sat) 04:38:57


谷口雅春先生のお言葉(平成30年9月号「生命の教育」誌)

  【家庭を明るくし、子供の善さを引き出しましょう】

《子供への愛を言葉に、表情に、表現すること》

           *(『生命の實相』頭注版第40巻37~38頁)

どなたでも子供を憎むという人はないのですが、
子供を愛している表現が少ない時には本当に愛してくれていないのだという
親に対する恨(うら)みがましい気持が出てくるものであります。

(中略)

子供というものは親に愛されるということが、もう一番の楽しみなのです。
親に愛されている子供は、親のためなら、親の喜ぶことなら、
たとい火の中水の中に入ってでも、命を棄(す)てても厭(いと)わぬと
いう感激をもつのです。

そういう親をもつ子は親に喜ばれるためにいくらでも善いことをいたします。
ところが親が子を愛しているということを言葉にも表情にも表現し
ないであまり仕事が忙しいとか、何か自分に《くしゃくしゃ》する事件が
あった時などに子供につっけんどんに当たる――それがいけないのです。

愛は心のうちにもっていても表現してもらわなければ
愛してもらったような気がしないのです。

心の中に愛があっても、顔でしかめ面(つら)していると
「どうもうちのお父さんはこわい」とか「お母さんは叱ってばかりいる」とか
思うようになるのです。

これに反して言葉でも、形でも愛してやるというようにいたしますと、
必ず子供は親に従順になってきまして、親がこうなってほしいというように
必ず子供から進んでそうなってくれるのです。

            <感謝合掌 平成30年9月22日 頓首再拝>

子供の善さ、美点、長所を強調しましょう - 伝統

2018/09/23 (Sun) 04:54:31


谷口雅春先生のお言葉(平成30年9月号「生命の教育」誌)

  【家庭を明るくし、子供の善さを引き出しましょう】

《子供の善さ、美点、長所を強調しましょう》

           *(新編『生命の實相』第22巻170~174頁)

如何(いか)に潜在的に存在していようとも、
認めなければそれが存在していることが現実に見えて来ないのである。

如何に多くの宝が庫(くら)の中に蔵(しま)われていようとも
燈火(ともしび)がそこになければその宝は無いに等しい。

だから諸君よ、諸君の子供にそして諸君の教え子に宿っているところの
「神性(しんせい)」 (神からの大遺伝)を認めることから始めよ。

(中略)


諸君よ、先(ま)ず子供に教えよ。彼自身の生命の尊さを。
――人間の生命の尊さを――そこには無限力の神が宿っていることを。

展(ひら)けば無限の力を発し、無限の天才をあらわし、彼自身の為(ため)のみならず、
人類全体の輝きとなるものが彼自身の内に在(あ)ることを教えよ。

彼をして彼が地上に生命を受けて来たのは、自分自身のためのみでないこと。
人類全体の輝きを増し、人類全体の幸福を増すために神が偉大な使命を
彼に与えて来たのであることを教えよ。

この自覚こそ、最初の最も根本的な自覚であって、
この自覚が幼児に植え付けられたものは必ず横道に外(はず)れないで、
真に人類の公(おおや)けな歓(よろこ)びのため何事かを奉仕しようと
喜び励む人になるのである。


常に子供に鞭撻(べんたつ)して、彼の善さを力説せよ。
彼の美点を強調せよ、自分自身の有(も)つ長所を自覚せしめよ。

ここに子供を教養する極意(ごくい)があるのである。


            <感謝合掌 平成30年9月23日 頓首再拝>

子供の反抗は、親の心の縛りが原因である - 伝統

2018/10/06 (Sat) 04:53:19

谷口雅春先生のお言葉(平成30年10月号「生命の教育」誌)

  【親の心の縛りをほどきましょう】

《子供の反抗は、親の心の縛りが原因である》

         ( 『生命の實相』頭注版第25巻85~86頁)

子供の伸びる力は《生命》である、
《生命》は《神》であるから、放っておいたら必ずよくなるのである。
ニイルは自由教育を説いた。自由教育とは解放の教育である。

わたしも解放の教育を説くのである。
生命は解放されたときスクスクと伸びる。

わたしは親たちがその子供が上級学校へ入学しなければ
《親の体面上》都合が悪いから、ぜひその子供に入学するように、
そのために極度に勉強するように、

親たちの《精神波動でその子供を勉強にまで縛っている》場合には、
その親たちが言葉で子供を縛ることをやめて一見放任していることとした場合でも、
その親たちの「精神的縛り」に対する子供の反抗はやまらないで、

その反抗の無意識的表現として、勉強に対する嫌悪となり、退屈をもよおし、
勉強室に坐(すわ)っていることが実に憂鬱(ゆううつ)になり、
勉強が実につまらない労苦となって、知らず知らずその子供が勉強室を
脱(ぬ)けだすようになる実例を知っている。

親の心が、子供を勉強室に縛っている場合はその勉強室は親の精神波動で
十重(とえ)二十重(はたえ)に縛られているから、
その室内に入るや否(いな)や、 子供はなんとなく不快に、窮屈に、
憂鬱に感じて、その室(へや)から飛び出したくなり、

外出すれば心の愉快を感じ、
さらにカフェーその他へ誘惑されやすい機会をつくるのである。

そういう場合、親がわたしの話を聴いて、なるほどと思い
「子供は神の子だからそのままで勉強家だ」と思うようにし、
心で勉強の牢獄に縛りつけておくことをやめると間(ま)もなく、
その子供が、勉強室にいることに愉快を感じ、勉強室に落ちついて
熱心に勉強を始める実例は数多(あまた)あるのである。


・・・

<参考>「生命の教育」平成30年10月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」平成30年10月号 主な内容

特集 うちの子供は反抗期?

親の心の縛りをほどきましょう  谷口雅春

巻頭のことば「いじめが解消―善性を信じることと引き出すこと」
                 新教育者連盟理事長 代田健藏

反抗期は親と子の真剣勝負! 杉山紀代子

実践してみよう! 親子に大切なワン・ツー・スリー 杭田睦子

今! まさかの反抗期? 髙松久美子

自立期だからこそつかず離れずに見守りたい 吉澤恵美子

叱るよりも優しさが大切です 戸田秋穂


《講演録》
日本の心が世界を救う 同志社大学名誉教授 井上雅夫

子育てワンポイント(19) 子育ての落とし穴 出口正博

子育てQ&A 不仲になった思春期の姉妹 大原和子

減らず口ばかりの息子にイライラが募る 小林義典

子供の失敗が許せず、自己嫌悪になります 菊池正規

子育ては母育て(71) 父親は大いに人生を語るべし 田下昌明


日本人100 の誇り(73) 近代日本の科学技術 岡田幹彦

日本国憲法の問題点(37) 新しい御代には新しい皮袋が必要だ 勝岡寛次

日本のしきたり(10) 「衣替え」 辻川牧子

親子で読むものがたり(74) 「からっぽ」になって日本を救った北条時宗 南 敏雄

子育てひろば 久保眞理子

新教連活動あらかると
◇『生命の教育』誌の配布活動報告、10 月の研修会、講演会などの案内
◇ 10 月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

            <感謝合掌 平成30年10月6日 頓首再拝>

《親の心の縛りは「迷い心」である》 - 伝統

2018/10/11 (Thu) 04:50:41

谷口雅春先生のお言葉(平成30年10月号「生命の教育」誌)

  【親の心の縛りをほどきましょう】

《親の心の縛りは「迷い心」である》

         ( 『生命の實相』頭注版第30巻36~37頁)

親の利己主義、親の名誉心、親の虚栄心によって、子供をこういう具合に
しなければ世間体が悪いという親の「迷い心」の綱(つな)によって、
その子供を縛ってしまうということは、神の子たる「子供」を冒涜することに
なるのであります。

「お前ぜひとも学校へ入学しなければならんぞ」こういうふうな
「ねばならぬ」の心の綱で縛ってしまう。

「心」というものは一つの波でありますから、親がそういう心持を持っておりますと、
その精神波動が波及して、「心の綱(つな)」で相手を縛ってしまうのであります。

子供を「心の綱」で縛ってしまいますと、子供はなんとなしにその縛りに
精神的窮屈さを感じ、その縛りから解(ほど)かれたいという気持が
起こってくるのであります。

親の「心の綱」の縛りから解(ほど)かれたいという気持が子供に起こると、
その子供の日常の操行(そうこう)が変わってくる。
乱暴になったり、落ち着きがなくなったりするのであります。

            <感謝合掌 平成30年10月11日 頓首再拝>

《「わが子は神の子である」と信じることから》 - 伝統

2018/10/13 (Sat) 03:40:08

谷口雅春先生のお言葉(平成30年10月号「生命の教育」誌)

  【親の心の縛りをほどきましょう】

《「わが子は神の子である」と信じることから》

         ( 『生命の實相』頭注版第30巻38頁)

「自家(うち)の子供は神の子だから必ず善くなるのである」
ということを信じて、そのままに見ておったら、今まで5年間ずっと
操行(そうこう)が悪くて先生から父兄(ふけい)が招(よ)ばれては
叱言(こごと)をいただいておったその子供の操行が甲(こう=成績等が上位)
になってしまった。

これはなぜであるかということを考えてみなければならないのであります。
それは親の心が縛(しば)らなくなったからです。

親の心の綱(つな)で縛られていると、その縛りを解(と)くために、暴れたり、
いろいろ悪戯(いたずら)したりするのですが、

親が「わが子は神の子である」と信じて心で縛らなくなった時に、
子供はどこにおっても自然と《のんびり》したような気持になって、
それに反抗的に悪戯(いたずら)しなくなったのであります。

そのように親が「心の綱」で縛るということは非常に恐ろしいものであります。

たいていの人は、 「心の綱」などは肉眼では見えない
のでありますから、 「別段(べつだん)わたしは自分の家(うち)の子供を
縛ったことはありません」などと言われるかもしれませんけれども、

多くの親たちはたいてい、子供を自分の「心の綱」でがんじがらめに縛りつけておる
のでありまして、そのために反動として子供の品行(ひんこう)が悪くなり
操行が悪くなるというようになっているのであります。


            <感謝合掌 平成30年10月13日 頓首再拝>

《子供の本当の相(すがた)を信じて心で拝む》 - 伝統

2018/10/16 (Tue) 03:46:06

谷口雅春先生のお言葉(平成30年10月号「生命の教育」誌)

  【親の心の縛りをほどきましょう】

《子供の本当の相(すがた)を信じて心で拝む》

         ( 『生命の實相』頭注版第30巻39~40頁)

人間には仮(かり)の相(すがた)と本当の相(すがた)とがあるのです。

仮(かり)の相(すがた)というのは(中略)
親が心で縛っているとそれに反抗するために、あるいは操行(そうこう)が
わるくなったり、成績が悪くなったりして、周囲の心の反影として出てくる、
これが仮(かり)の相(すがた)でありまして、
本来その子の操行がわるいのでも学業の成績が悪いのでもないのであります。

人間の本来の相(すがた)、本当の相(すがた)は神の子でありますから、
「本来この子は善(よ)い」と、子供の実相(じっそう)、その本当の相(すがた)を見て、
それを拝み出すようにしますと

 ―― 拝むといっても、あながち掌(て)を合わさなくてもむろんよいのですけれども
 ―― 心で子供を拝む
 ―― 「うちの子供は本当に神の子であって立派な子である。放っておいても大丈夫である。
    決して悪くなるようなことはないのである」と子供を信じて心で拝むのであります。

            <感謝合掌 平成30年10月16日 頓首再拝>

子供は鋭敏な感受装置である - 伝統

2018/11/01 (Thu) 04:43:03

谷口雅春先生のお言葉(平成30年11月号「生命の教育」誌)

  【子供の心に自信力をはぐくもう】

《子供は鋭敏な感受装置である》

        *(新編『生命の實相』第22巻154~155頁)

諸君は人の聞かざる所に於ても、出来るだけ善き言葉を語り、
善き言葉を読まなければならないのである。

いわんや鋭敏な感受装置を備えた子供を側(かたわ)らに置きながら、
悪(あ)しき言葉で人を譏(そし)ったり、猥(みだ)りがましい話をしたり、
病気や、死や、悪魔や、恐怖や、その他(た)いやしくも
この世に実現して善くない物の言葉を語ることが、その子供に
どんなに悪影響を与えるかは容易に推察が出来るであろう。


子供は、かくの如く鋭敏な言葉の感受装置であるがゆえに、
子供の側(かたわら)で善きことを話すのはまた非常な善き効果があるのである。

吾々成人の魂(たましい)の奥底にきざみつけられている深切(しんせつ)や、
いたわりや、愛や、崇高(けだか)きもの偉大なるものに対する憧憬(しょうけい)
の大部分は、幼き頃の吾々の魂に、表面的には意味がわからぬにせよ、大人から
発せられた善き言葉の精神波動 ―― 特に母の和顔愛語(わがんあいご)が
吾々の心に生みつけてくれた精神的影響であるのである。

(中略)

だから、諸君よ、
いやしくも何人(なんぴと)とでも語るならば善き言葉を以(もっ)て語れ。

そこには必ず善き実(み)を結ばずにはいないのである。

・・・

<参考>「生命の教育」平成30年11月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

「生命の教育」平成30年11月号 主な内容

特集 自分を肯定できる子供に育てよう
 
近年のある調査データでは、日本の高校生は諸外国の高校生と比べて、
「自分は人並みの能力がない」「自分はだめな人間だと思う」など、
自分のことを否定的に考えている傾向が強いとありました。

「自分には無理」「こんな自分には価値がない」と、
自己肯定感の低い心の習慣を持っていると、生きる力はわいてきません。

劣等感を乗り越え、自分の内なる無限の可能性を信じ、
「生きているだけで価値があるんだ」と思える子供に育てるには
どうしたらいいでしょう。

その秘訣について取り上げてみました。

巻頭のことば「学校が楽しくなりました」―― いじめを克服した女子中学生の手記」
                 新教育者連盟理事長 代田健藏

小さな事にも感謝する習慣を子供と一緒に実践しましょう 木村次郎

実践してみよう! 子供の能力を引き出す6 つのポイント 山田ひろ子

褒める母と褒められて才能を発揮するわが子 関谷秋奈

良い言葉掛けをして、子供の意見を尊重する 宮嶌慶子

まず一緒にやってみよう 橘内智子

「生まれてきてくれてありがとう」 野村恵子

コトバの力で劣等感から解放される 谷本康夫

「子供が生まれて良かった」と思える親のつとめ 齋藤千鶴子

子育てワンポイント(20) 正直に生きる 出口正博

子育てQ&A 自分から始めた習い事を「やめたい」 大原和子

夫と子育てについて意見が合わない 小林義典

長男と触れ合う時間が少ないのが心配 杉山紀代子

子育ては母育て(72) 人格の構造と父の役割 田下昌明

日本人100 の誇り(74) 東大寺大仏 岡田幹彦

日本国憲法の問題点(38) 横田早紀江さんの訴えに思う 勝岡寛次

日本のしきたり(11) 「新米」 辻川牧子

親子で読むものがたり(75) 弟橘媛 あべまりあ

子育てひろば 禿井美佐紀]

            <感謝合掌 平成30年11月1日 頓首再拝>

「必ず出来るようになる」と教えよう - 伝統

2018/11/07 (Wed) 02:49:54

谷口雅春先生のお言葉(平成30年11月号「生命の教育」誌)

  【子供の心に自信力をはぐくもう】

《「必ず出来るようになる」と教えよう》

        *(新編『生命の實相』第22巻156~157頁)

神とか、この世界の創造主(つくりぬし)とかについて子供が説明を求める場合には
「お前に話したって解(わか)ることではない」といって子供の問(とい)を
一蹴(いっしゅう)する人があるが、かくの如(ごと)き答は子供の能力の自信力を
失わしめることになるのでよろしくないのである。

語調の強い言葉で、 「お前には解らない!」と断定的に言われるとき
その言葉は幼き心の奥底に強く刻(きざ)みつけられ、 「自分は無能力なものだ」と
いう消極的な確信をもつようになり、この消極的な確信は子供の生涯につき纏(まと)うて、
彼の生命の伸び伸びとした生長を不可能にしてしまうのである。

子供に対しては常に「何でもお前には出来ないことはない」と
暗示するようにしなければならないのである。

たとい実力以上いま出来ない事柄でも、 「次第に必ず出来るようになる」と
教えなければならないのである。

神のこと、創造主(つくりぬし)のことなどは、子供の言葉で
出来るだけ平易に説いてやれば子供は直覚的にその本質をさとってしまうものである。

何故(なぜ)なら彼は神を源(みなもと)として生(うま)れた
「神の子」であるから最初からその本源を知っているのである。

            <感謝合掌 平成30年11月7日 頓首再拝>

《劣等感を習慣的な心にしてはならない》 - 伝統

2018/11/12 (Mon) 02:53:54

谷口雅春先生のお言葉(平成30年11月号「生命の教育」誌)

  【子供の心に自信力をはぐくもう】

《劣等感を習慣的な心にしてはならない》

        *(新編『生命の實相』第22巻157~158頁)


子供が神秘についてたずねるのは、本能が彼にそれを理解し得ることを
内にそれとなく自覚しているからである。

それだのに彼がたずねた疑問に対して「お前には解らないぞ」と一蹴して
しまうならば、折角鋭敏に働こうとしている知性の出口が堰(せ)き止められ、
伸び出ようとしていた知性は蝸牛(かたつむり)が触角を引っ込めるように
萎縮してしまう。

それは、ただ一時萎縮するだけではなく、習慣的に
「汝は劣等な知性しか有(も)たないぞ」という信念を
心に持続するようになるかも知れないのである。

もし子供の心が習慣的に「自分は劣等なものである」という信念を有(も)ち
続けるようになるならば、その「劣等者としての自覚」は次第に現実の上に
芽を出して来て、その子供は各種の方面で劣等をあらわすようになるであろう。

それ故(ゆえ)吾らは子供の心に出来るだけ「劣等者としての自覚」を
つぎ込まないように、彼らに話す言葉を注意しなければならないのである。

            <感謝合掌 平成30年11月12日 頓首再拝>

《子供にはどれだけでも生長する力を授かっている》 - 伝統

2018/11/16 (Fri) 02:47:42

谷口雅春先生のお言葉(平成30年11月号「生命の教育」誌)

  【子供の心に自信力をはぐくもう】

《子供にはどれだけでも生長する力を授かっている》

        *(新編『生命の實相』第22巻158~159頁)

されば諸君よ、子供に対しては最も積極的に「汝は大人の答えることを
必ず理解し得る」と断言して差支(さしつか)えないのである。

もしどうしても理解し得ない場合でも「だんだんハッキリ解るようになる」
と漸進(ぜんしん)的進歩の暗示を与えて、彼をして決して自己の潜在能力
に対する確信を失わしめるようにしてはならないのである。

「人は成(な)ろうと思う者には必ずなれるのだ。
知ろうと思うて知れない事はあり得ないのだ」

と彼らを鞭撻(べんたつ)し、勇気づけ、世界の偉大な学者、発明家、英雄、
豪傑、聖賢の立志伝などをやさしい言葉で説いて聞かすようにせよ、
子供は偉人の立志伝を喜んで聞くものだ。

それらの偉人と同じく汝(なんじ)の内にも磨けば磨く程(ほど)、
どれだけでも生長する潜在能力の蔵(かく)されていることを彼に知らしめよ。

何事でも出来ると思って突(つ)き進(すす)めば必ず成し遂げ得(う)るだけ
の力を人間は授かっているものだという真理を、子供に理解力が附(つ)き
始めた時、その初期から教え込むようにするが好(よ)いのである。

            <感謝合掌 平成30年11月16日 頓首再拝>

少年院行きの番長も神の子だった! - 伝統

2018/11/29 (Thu) 04:47:10


          *『第10回 生命の教育学会』
            昭和63年8月9日~12日 於:鹿児島県霧島温泉郷
            新教育者連盟 / 生長の家白鳩会京都第1教区 
            関 東  佐 代 子 (養護教諭)


◇ 保健室は問題児のたまり場

私は35年間中学校に勤めておりました。 
担当教科は保健で、養護教諭でございました。 

私は医者のなりそこないで、女学校時代に不良少女だったために、
医学部に行くのをあきらめて養護教員になったわけです。 
養護教員と申しますのは、一国一城の主で、つまり、保健室を持っております。

そして、保健室へはよく問題児が訪れて参ります。 
しょっちゅう来まして、一般の先生方の中には、
「保健室は、問題児のたまり場だ」ということをおっしゃる方もございます。

ところが私は、昭和24年頃からこの素晴しい生長の家のみ教えにふれておりましたので、
谷口雅春先生の、 『真理への道はただ一つ、人間は神の子である』  ということが、
常にお腹の中にありました。 

ですから、問題児というものはないという思いが、いつも私の心にありました。

私達が子供に接しますのは、4月の定期検診、そして毎月の体重測定、健康管理、
それから保健管理ですね。 

日常の健康観察、あるいは救急処置等、全校の生徒に接することが多いので、
まず一番にその子達の名前を覚えることが大事だと思い、
全校生徒の名前を一所懸命に覚えることにしました。

学校には、大きな学級写真がとくに大きく引き延ばしてあります。 
それは何のためかと申しますと、生徒指導のためです。 
問題児は、これはどこのクラスの何年何組の誰だということの、
いわゆる要注意のための顔写真です。

私はそれをいい方のためにお借りしまして、全部名前と顔を覚えます。 
そして入って来る子供に「だれだれ君」と呼ぶと非常に喜ぶんです。 

担任の先生に名前を呼ばれるのは当然だけれども、保健の先生が名前を呼んでくれた、
「先生、僕の名前どうして知っているんや」というふうに、よろこびまして、
そこでぐっと一つ親しみを感じるわけなんです。


ある学校におりました時、ある日、どかどかと廊下を走る音がして、
一人の生徒が「オッス」と言って入ってきました。 
もちろん、授業中です。 

その子の格好をちらっと見ますと、“がくらん”という学生服、ハイネックですね、
襟の太くて高いの、そして丈が長い上着を着ているんです。 
ズボンは先がすぼまっている太いズボンをはいてね。 

肩をいからして、「オッス」と入ってきて、
「あんた、どこから来たんや」って、こう言うんです。

「私のこと、調べてくれてんの。 先生はね、〇〇校から来たんよ」  
「フーン。 僕知ってるか?」  

「君は知ってる。 A君でしょ」  
「えっ、なんで僕の名前知ってんの?」  

「だって君は、素晴しいやないの。 目立つしね。 
顔はいいし、なかなかみどころがあるからね、先生は一番に覚えたわ」  

「ほんまかいな」  と言いながら、顔を見ると、
髪の毛はずっとここんとこ〈ひたいの上〉、青くすりあげてあるんですね。 
まゆげも細くすってね。

「先生、なんで僕をこわがらへんのや?」  とこう言うんです。 
「たいていのセン公は、僕がしゃべったらビビんのに、なんで先生は僕をこわがらへんの?」  

「なんで先生があんたをこわがらないかんのや。 
別にかみつくわけでもないやろし、先生かてあんた、不良少女で番長してたん。 
先生の場合は、新聞に載せてもろた。 冗談ぬきで」  

「ハァー、ほんまかいな」  と、向こうの方が、 

「ひょっとしたら、先生の方が上手かしれんな」  と言いました。

それで、 「君、一体何をしたんや」  
「そんなんどうでもいい。 そやけど、先生とは別れないかんのや」  

「なんでや」  
「僕は少年院行くんや?」  

「へえー、どうしたの?」  
「僕な、やる気はなかったんやけど、ちょっとムカっとすること友達がいいよったから、
少しガッとやったらケガしよった。 それで、セン公がな、少年院に行かそうと ・・・ 、
僕は、4月まではよその学校にいたんや。 そこから追い出されてここへ来たんや。 
それであんたの顔もあんまり見たことがないんや」  

「そうか。 お近づきにいっぺん握手しよか」  
と言って手を出すと、あわてて、手拭くんです。 

汗がついていたらいかん思って、手握ったら、じっと顔見て、手を握らすんです。


◇ 会うのが遅かった ・・・

それから、今度はおもむろに服を脱いで、 「先生、僕の服見せたろか」。 
裏が紫で、そこに真っ赤な龍が刺繍してあるんです。  

「あんた、立派な服きてんな。 いっぺん、先生に貸してくれへんか」  
「先生、どうすんのや」  

「先生もそんな服着てみたいわ。 先生は似合うと思うな」  
と言ったら、笑っているんです。  

「それ、先生に貸してえな」  
「ちょっとあかんわ。 これは」

そして見ると、下には、真っ赤なTシャツを着ているんです。 
校則では、絶対、それを着たらいかんのですね。

今も校則、校則ってやかましく言われておりますが、
うちの学校でもそれは着たらいかんことになっているから、
いちおう、中に着ているんですが、脱いだら下は真っ赤なシャツで、
裏は真っ赤な龍になっている。 

それを見せたら、また私がビビるかと思ったら、そうはいきませんよね。 
だけども私、ふっとその子の顔を見たら、あどけない。 
一人で来る時ね、ほんとにどの子もあどけない顔をしているんです。

 
「赤信号、みんなで渡ればこわくない」って言いますけど、一人一人はそう悪くない。 
私は “この子も神の子だ。 この子の中にも、神の生命が宿っているのに、
どうしてこんな子になったんだろう”  ―  ふっとその時、
自分が不良少女だった頃の、苦しかったこと、悲しかったことを思い出しました。 

一番苦しんでいるのは、この子自身じゃないかしら?  
その子が、全身で劣等感を表しているわけなんですね。 
じっと顔を見ていると、こっちの方の目頭がじんと熱くなって、
それを敏感に感じるんです。 そういう子は敏感なんです。

 
「先生、どうしたんや?」  
「君にはね、素晴しいものがあるだけれども、どうしたら君の素晴しさが出るかと思うてね、
それを先生がわかるかなと考えているんや」  と言ったら、 

「遅かったわ。 先生と会うのが」  
「どうして?」  

「もう間もなく、少年院に行くんや」  
「そう。 でもね、一生行ってるわけでもないんやから、また会えるからね。 
そんなん心配せんでいいよ」  と、そんな話をしたものです。

それからしばらく、保健室を訪れて来なくなりました。 
気になって、担任の先生に 「A君、どうしたんですか?」  と聞いたら、
「あれは、書類がきてね、手続きをして少年院に行きました」 と。 
宇治の方にあるんですけども。

私も、しばらく仕事が忙しくて、行けなかったんですけれども、5月頃でしたか、
ある日 『輝く日々のために』 という谷口清超先生のお書きになったご本を
1冊持ちまして、少年院を訪れたんです。

面会を求めましたら、誰が来てくれたんかとふしぎそうな顔をして出て来ました。 
私の顔を見るなり、びっくりしたように 「あっ」 と一言いいました。 
そりあげていた髪も全部丸刈りにされて、作業着を着て、そしてつかつかと出て来まして、
「先生が?」 と言いながら、それでも、まだちょっとその時はうそぶいておりましてね。 

「どうして来たんや」  
「どうしてって、保健室にちっとも来なくなったから、担任の先生に聞いたら、
ここだって言うから、来たんよ。 これを読むといいよ」  と、
その本を渡して、その日は帰りました。

2回目に行ったときは、彼が 
「先生また来てくれたんか。 来んでもええのに、こんなところまで」 
と言いながらも非常に嬉しそうな顔をしたんですね。 

“ああ、こんな所におりながらも、愛を求めているんだ。 
寂しいんだ” と、自分の若い頃と思いあわせて、わかるんです。 
その気持が。

私は思わず、 
「今日の君の顔はきれいだな。 これが本当の君の姿なんや。 大丈夫や」  
と言っていました。

 
◇ 真理の言葉をサラシに書いて

それからしばらく忙しくて行けなかったのですが、次に行く時に、
今度はサラシのきれに 『大調和の神示』 を書き、その次に 
「A君は神の子、実相円満完全」 と、三べん書いて、 

「神様ありがとうございます。 天皇陛下ありがとうございます。 
ご先祖様ありがとうございます。 おじいさま、おばあさま、お父さん、お母さん、
兄弟達ありがとうございます。 お友達ありがとうございます。 
少年院の先生ありがとうございます」  ということを書いて渡しました。

 
「これ、なんや?」  
「これは素晴しいことが書いてあって、人間は皆神の子なんだけど、
あんたがこの世に生まれるためには沢山のご先祖があり、
それはずっと神様につらなり、神様から尊い生命をお父さんお母さんを通して頂いている。 
だからすべてに感謝することが書いてあるの。 
そして君は神の子だから本当は完全で円満なのだと書いてあるの。 暇なときに読んでね」

「ありがとう、そやけど、こんなもたしてくれるやろか? みな調べられるんや」 
と心配そうに言います。

「大丈夫よ」  
「そしたら、ここに入れて、お守りにしてたらええな」  と、
胸ポケットに入れておさえているんです。 

ずっと私の顔を見て、一筋ぽろっと涙を流して、 
「先生、僕のためにこれを書いてくれたのか」  って言ってね。

その少年院に行ってる子どもの目から一筋の涙がすっと頬に伝わった時に、
こちらもジンときて言葉につまりました。

「そやけど先生、僕はな、なかなか帰れないんや」  
「そんなこと自分で決めなくてよろしい。 
早う帰れるよう、先生毎日祈ってるから ・・・ 」

もうその頃は、言葉使いもずいぶんと変わっておりました。 
面会時間が終って帰る時も、 
「先生、忙しいのに僕のために何べんも来て下さって、ありがとうございました」  と、
言ってくれるようになったんです。 

その後姿に合掌しておりましたら、子どもがはっと振り返って、
それに気が付いて、手を振りながら、向こうに行く姿が印象的でした。

そして、夏休みに入り、行事なんかがあって行けなくて、
2学期がきまして半ば過ぎ、10月頃でした。 
コンコンと保健室をノックする音がするんです。 

ノックする子は、滅多にないんです。 
誰か先生かと思って 「ハイ」 と言いましたら、その子が黒の普通の学生服を着て、 
「先生、ただいま帰ってきました」  と立っていました。 

「先生が言ってくれた通り、僕一所懸命にこれ読んでたら、
僕はもっと長いと思っていたのに、早く帰れたんよ。 ありがとう、先生」  って ・・・・・

「僕はなんにも勉強できへんけど、帰れただけでうれしいです」  
「できへんことないでしょ。 あんたは体育ができるやないの、素晴しい」  

「体育だけででもええか?」  
「ええよ、体育だけでも一所懸命やりなさい。 
1ヶ所あがったらね、全部ついてあがってくるんや。 
だからね、体育を一所懸命にやりなさい」  

「わかった、ほな、きばる。 体育一所懸命にやる」  言うてね。

ちょうど体育祭の前に帰ってきたので、それこそリーダーとして、
クラスの先頭に立って体育の競技を一所懸命にやって、
クラスが優勝するという結果をもたらしてくれたんです。

「ああ、よかった。 君はやっぱり素晴しい神の子だったね。 先生、うれしいよ」 って、
握手をしたんです。

「けど、僕は、高校へはいけへんし」

「いや、何も人生は、国語、社会、数学、理科、そんなことを勉強するだけが勉強じゃないよ。 
あなたは人生にとって、素晴しいことを勉強してきたんや。 
先生もいろんなことを勉強してきたから、今日、君の前でこうして、握手も出来るし、
話もできる。 君の体験してきたこと、少年院に行ってきたこと、
それは、将来の君の素晴しい土台になるんやから、しっかりやらんとね。 
もう、全責任を果たしてきたんだから、これからはそういう過去は忘れて、一所懸命やろう」

その子は、家庭の事情で高校には行けませんでした。 

「僕は、親に捨てられたんや。 親が僕を勝手に捨てて、どっかへいってしもた」  
「そんなこと心配せんかてよろしい。 先生かてな、8人もの親を持っているんや。 
生後29日目にもらわれていって、それから苦労して、先生の人生が始まったんやから、
そんな環境に負けてどうするんや」  ということを言ったこともあるんです。

「そうか。 そやな」  
「それでも、その親には感謝せないかんよ。 
その親があればこそ、君が今日あるんだからね」  ということを言いながら、
立派に3月には、定時制の高校に働きながら行くようになり、
がんばり通してとうとう卒業してくれたんです。

 
◇ 喜びの再会

それから、その子のことを忘れておりましたら、先年、ある案内状が参りました。 
学年会を京都のホテルでやるっていうことになって、そして招待されて行ってみましたら、
その子がパリッとした背広を着てね、 

「先生、ありがとう。 あの時に先生が僕のことを認めてくれて、
あんなに悪かった僕を、1回も『悪い奴や、不良や』と言わなかった。 
それが僕の大きな支えになった。 

その上にまだ、先生は自分のことを番長とまで言うてくれた。 
先生やとふつう、そんなこといえへんのにな」  
だいぶ大人になっていましたから、そういうことを言ってくれましてね。

「きっと僕、ご恩返しをします。 これ、あの時の ・・・ 」  って言って、
サラシのよれよれになったのを出しました。

「いつもポケットに入れてたんです」  それと、自分で買ったんでしょう、
聖経 『甘露の法雨』 を持っていまして嬉しそうに見せてくれたんです。


私は、立派に社会人として活躍していてくれるその姿を見たときに、 
“谷口雅春先生の真理にまちがいがない。 

私がこの生長の家の教育、生命の教育をやらしてもらったおかげで、
問題児は問題児ではなかった、すべて、神の栄光あらわれんがためであった”  
ということを、あらためて身をもってわからせていただいたのでした。

ささやかな体験ではございますけれども、生長の家でいつも、「問題児はない」
ということを教えられていることが、私の信念となりまして、お蔭様で今日、
こうして皆様のお役に立って行けることを、心から感謝するものです。

  (https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/0c6214ac0845692f804b9689b7a66330 )

            <感謝合掌 平成30年11月29日 頓首再拝>

《わが子に天才が宿っていると信じましょう》 - 伝統

2018/12/14 (Fri) 04:49:35

谷口雅春先生のお言葉(平成30年12月号「生命の教育」誌)

子供の善性を大いに伸ばしましょう 谷口雅春

《わが子に天才が宿っていると信じましょう》

       (新編『生命の實相』第22巻75~76頁)

われわれの内に無限が宿っている。
この無限を掘り出せば人間は皆(みん)な天才となるのだ。

天才を、人間は皆(みな)もって生れて来ているのだ。
それに人間は皆(みん)な天才にはならない。
それは不合理だ。

その不合理は誰がするか。人間が真理を知らないからだ。
親たるものが真理を知らないからだ。

ダイヤモンドを有(も)っていながら石だと思って捨てて
顧(かえり)みないからだ。


人間を信ぜよ。
神の創造を信ぜよ、生れたままの人間を信ぜよ、それは幼児だ。
幼児に宿っている天才はまだ彫琢(ちょうたく)しないダイヤモンドだ。
瑾(きず)のつかない高貴だ。

表面にまだ何の天才の閃(ひら)めきがないからとて失望するな。
表面を見て神の創造を疑うな。

神が天才を造って人間のひとりびとりの中に埋蔵(かく)しておいたのは、
神が人間をして安価な怠惰(たいだ)の中に腐敗(ふはい)せしめないためだ。

人間みずからの努力と発見とを神が喜び給(たま)うからだ。

・・・

<参考>「生命の教育」平成30年12月号 より
    (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

特集 やっぱり家庭教育は大事!
子供の善性を大いに伸ばしましょう 谷口雅春

巻頭のことば 「いじめっ子も本当は善い人―― いじめを解消するコトバの力とは」 
新教育者連盟理事長 代田健藏

子育ての基本は家庭教育!  大原和子

子供は親の鏡  上島憲司

子育ての第一歩は夫婦の調和から  菊池正規

家庭の空気が人をつくる  鎌倉弘行

親は最初に出会うお手本  執行ひろみ

子供は親の背中をしっかりと見ています  森田邦三

親の役割は……  出口正博

子供の生涯に影響をもたらす家庭教育  小林義典

いつもきれいな空気が流れている家庭  岩崎美智代

親子で決めたルールを守らせる  采原啓子


子育てQ&A よその子を叱るときの注意点は  杉山紀代子
学童に行きたくないと駄々をこねる  森田峯好
勉強への取り組みを習慣化させたい  齋藤千鶴子

子育ては母育て(73) 母親は朝寝坊をするな  田下昌明

日本人100 の誇り(75) 古墳  岡田幹彦

日本国憲法の問題点(39) 新嘗祭と大嘗祭  勝岡寛次

日本のしきたり(12) 「冬至」  辻川牧子

親子で読むものがたり(76) 禊祓い  あべまりあ

子育てひろば  伊藤長子

新教連活動あらかると
◇新教育者連盟研修会の報告、札幌支部の講演会、大阪支部・北大阪支部共催の
講演会の報告、12 月の兵庫支部講演会案内など
◇ 12 月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

            <感謝合掌 平成30年12月14日 頓首再拝>

《騒がしさは、生命が生長するあらわれです》 - 伝統

2018/12/15 (Sat) 04:21:11

谷口雅春先生のお言葉(平成30年12月号「生命の教育」誌)

子供の善性を大いに伸ばしましょう 谷口雅春

《騒がしさは、生命が生長するあらわれです》

       (新編『生命の實相』第22巻81~82頁)

子供の騒がしさを叱るな。

子供に於ては、善とは静かなる調和ではない。
生命にみちあふれた子供が噪(さわ)がしいのは必然である。
生長しつつあるものが喧(やか)ましいのは当然である。

構造されつつあるものは必ず噪(さわ)がしい。
工場はものを構造する所であるが故(ゆえ)に騒然としている。
大工の家をたてるにも戞々(かつかつ)たる響(ひびき)がきこえる。

生長と構造とには必ず騒がしさが要(い)るのだ。

「やかましい、静かにしておれ」この心なき叱責(しっせき)が
今迄(いままで)如何に多くの家庭に於(おい)て子供の生長を
害して来たことだろう。

子供のさわがしさを叱る者は生命の生長に重大な障礙(さまたげ)
を置く者だ。子供の伸びようとする生命はおさえられて浪費する。

かかる抑圧が永続的に行われるときそれは浪費される以下である。
何故(なぜ)なら生命の発露(はつろ)を常におさえつける習慣をつけるとき
生命は萎縮(いしゅく)するからである。


            <感謝合掌 平成30年12月15日 頓首再拝>

《自分で考え、自分でやらせてみましょう》 - 伝統

2018/12/16 (Sun) 04:17:49

谷口雅春先生のお言葉(平成30年12月号「生命の教育」誌)

子供の善性を大いに伸ばしましょう 谷口雅春

《自分で考え、自分でやらせてみましょう》

       (新編『生命の實相』第22巻141頁)

子供の心に明晰(めいせき)な思考力を発達させるには、
自分で考え、自分の意見でやってみるというように
子供のときから訓練すべきである。

子供自身が思考力をはたらかせるよりも、大人自身が判断して、
その判断を教えてやり、そのやり方を教えてやり、 その通りさせる方が、
簡単で、面倒くさくなく、また焦(じ)れったくもなく、経済的である場合でも、

子供の思考力を発達させる上からはその他のことは忍(しの)ばねばならぬのである。

決して子供の考えを頭ごなしに軽蔑(けいべつ)してはならない。
子供の考えに対してはあたかもそれが大天才の発案であるかのごとく
慎重(しんちょう)に取扱って考査(こうさ)し、批判し、
善き点を賞(ほ)めて力づけ、見のがした点を深切(しんせつ)に指摘してやり、
彼の注意力が広く万般(ばんぱん)にゆきとどいて公正な判断に達するように
導いてやらねばならぬ。

            <感謝合掌 平成30年12月16日 頓首再拝>

《「今に善くなる!」と子供を賞(ほ)めましょう》 - 伝統

2018/12/17 (Mon) 04:26:49

谷口雅春先生のお言葉(平成30年12月号「生命の教育」誌)

子供の善性を大いに伸ばしましょう 谷口雅春

《「今に善くなる!」と子供を賞(ほ)めましょう》

       (新編『生命の實相』第22巻167~168頁)


言葉は種子(たね)を蒔(ま)く。
それは必ず芽を出して実(み)を結ぶのである。

家庭からこうした罵(ののし)りの声が絶えない限りは、
かかる家庭で育てられた子供が生長して造り上げた社会が
善くならないのは当然の事である。

(中略)

だから吾々はこれらの悪い種子(たね)の力を奪(うば)ってしまうために
反対の種類の種子(たね)を蒔(ま)かなければならないのである。

それは賞讃(しょうさん)の種子(たね)である。
讃嘆(さんたん)の種種子(たね)である。

如何(いか)に子供の現在の状態が賞(ほ)めるに値(あたい)しなくとも、
「今に善くなる! 」 「きっと偉い人物になる! 」
こういうふうな漸進(ぜんしん)的進歩の暗示(ことば)を与えるに
相応(ふさ)わしくないことはないのである。

そしてその暗示(あんじ)の力で、漸進的にその子供を良化(りょうか)
して行(ゆ)くことは吾々の為(な)し得(う)る、
否(いな)為さねばならない義務であるのだ

            <感謝合掌 平成30年12月17日 頓首再拝>

《人類を輝かす使命をもっていると伝えましょう》 - 伝統

2018/12/19 (Wed) 04:26:47

谷口雅春先生のお言葉(平成30年12月号「生命の教育」誌)

子供の善性を大いに伸ばしましょう 谷口雅春

《人類を輝かす使命をもっていると伝えましょう》

       (新編『生命の實相』第22巻171頁)

諸君よ、先(ま)ず子供に教えよ。
彼自身の生命の尊さを。

―― 人間の生命の尊さを ―― そこには無限力の神が宿っていることを。
展(ひら)けば無限の力を発し、無限の天才をあらわし、彼自身の為(ため)
のみならず、人類全体の輝きとなるものが彼自身の内に在(あ)ることを教えよ。

彼をして彼が地上に生命を受けて来たのは、自分自身のためのみでないこと。
人類全体の輝きを増し、人類全体の幸福を増すために神が偉大な使命を
彼に与えて来たのであることを教えよ。

この自覚こそ、最初の最も根本的な自覚であって、この自覚が幼時(ようじ)
に植えつけられたものは必ず横道に外(はず)れないで、真(しん)に
に人類の公(おおや)けな歓(よろこ)びのため何事かを奉仕しようと
喜び励む人になるのである。

常に子供を鞭撻(べんたつ)して、彼の善さを力説せよ。
彼の美点を強調せよ、自分自身の有(も)つ長所を自覚せしめよ。

ここに子供を教養する極意があるのである。

            <感謝合掌 平成30年12月19日 頓首再拝>

Re: 生命の教育 ③ - qliyobbkehMail URL

2020/08/29 (Sat) 16:11:36

伝統板・第二
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