伝統板・第二

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輪読のための青年法語~人間として最も高貴なる生き方 - 夕刻版

2018/04/09 (Mon) 19:04:18

”道産子 さま” ありがとうございます。
”道産子 さま”のお蔭で、新たに、谷口雅春先生の法語を
このスレッドに残せることに感謝申し上げます。
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703103 からの転載です)


”道産子 さま” に一点だけご確認をお願いいたします。

それは、

【二十七日のことば~妙有は金波羅華の姿をしている】内において

「現象を“彼岸”と言い、現象の奥に、彼方にある実相を“彼岸”というのである。」

とありますが、

前半の“彼岸”は、もしかすると”此岸”の誤打ちではないでしょうか?


・・・

輪読のための青年法語  人間として最も高貴なる生き方

                     谷口雅春先生

        *「理想世界」誌(昭和43年6月号)の法語より

(上旬)

【一日のことば~人間の高貴さについて考えよう】

人間は、人間たる“高貴さ”を失ってしまったら、
それは獣類とあまり変らない。

人間は力の強さでは象や獅子に劣っている。
毛並みの美しさではラッコやミンクに劣っており、
空を空襲で飛ぶ事には鳥類に劣っており、
徒歩で走る速さでは虎や猫にも劣っている。

海を裸で泳ぐならば魚類や鯨に劣るのである。

人間が他の動物より優れているのは、
そんな肉体の力にあるのではないのである。

肉体よりも貴いものが人間にあることを知らねばならぬ。

・・・

【ニ日のことば~素手で人間はライオンに勝てるか】

しかし人間は象よりもライオンよりも力が優れているのである。
それだからこそ象やライオンを射殺することも出来るし、
捕えて来て動物園に飼うことも出来るのである。

そのことを以て、人間は象よりもライオンよりもすぐれているというのか。

拳闘の選手が、リングの上にあがって一方は規定通りの手套をはめているのに、
一方は鋭利なナイフをもって闘って、ナイフを持った選手が相手を
刺し殺したからとて、ナイフを持った選手の方がすぐれていると
言い得るであろうか。
試合は公平に行われなければならないのである。

人間が銃や、投げ縄や、其の他の捕獲武器をもって象やライオンに打ち克った
からとて、人間が象やライオンよりもすぐれていると言い得るであろうか。

それは武器がライオンや象にすぐれていたのであって、
人間そのものがライオンや象よりもすぐれているのではない。

人間と象やライオンとが力の上でどちらがすぐれているかを定めるのは、
どちらも素手をもって公平に試合すべきでないだろうか。

肉体の力のすぐれていることを奨励するために、多くの体育館がつくられ、
体育競技が度々行なわれ、驚くべき多額の費用を使ってオリンピックが
開催されるが、それが現代の人間生活の注目の焦点になっているようだが、
その注目の焦点は、真の人間の重要点からちょいとずれていないであろうか。

われわれは皆さんと一緒にこの事を考えてみたいのである。

・・・

【三日のことば~武器が英雄であって、人間は英雄でなかった】

素手で正面から立ち向かったら、到底あいつには敵わないというので、
日本刀で闇討ちしたり、ライフル銃で狙撃したりして相手に勝ったら
その勝った人を吾々は「素晴らしい」と言って称めるであろうか。

ライフル魔の朝鮮人”金嬉老“がホテルでライフル銃やダイナマイトをもって
警官に対峙して、ホテルの従業員や宿泊者を人質にしている間は、
数十人の警官がただ一人の”金“をどうすることも出来なかった。

そして”金”は悠々として英雄気取りでいたけれども、素手で人を送り
出したところを捕えられ、やがて留置所でライフルもダイナマイトも
何の武器もなくなると、弱々しい何の力も無い普通人以下の人間に
なってしまったという事である。

“金”が英雄気取りで威張っていたのは“金”そのものが英雄だった
のではなくて、ライフル銃や、ダイナマイトが英雄だった訳である。

もう一ぺん、人間の高貴さとか、人間のすぐれているところとかは、
何処にあるかを吾々は考え直して見なければならない。

・・・

【四日のことば~武器の強さを人間の強さと混同してはならない】

アメリカが原子爆弾を広島や長崎に投下して、日本を屈服せしめた。

アメリカは戦勝国であり、日本は戦敗国であるから、
日本人はアメリカ人より劣っていると考えたら、これは大間違いだ。

アメリカ人が日本人に打ち勝ったのではなく、原子爆弾が日本人の多くの命を
奪う破壊力を発揮しただけであって、原子爆弾を抜きにしたらアメリカ人は、
ライフルを奪われた朝鮮人金嬉老と同じように、人間として優れている
という証拠はない。

原子爆弾の使用を遠慮せざるを得なくなっているベトナム戦争では、
モグラのように地下にトンネルを造って応戦しているベトコンにも手を焼いて、
徒に増援軍を送っても勝算の見込みは立たないのが米兵である。

・・・

【五日のことば~狼の真似をしても高貴なことはない】

人間は武器を造って、その破壊力や殺傷力を利用して、他の生物を征服した。
象もライオンも狼も、人間のつくった武器の前にはひれ伏した。

そこで人間は人間同士の間で、武器を使って
他の人間を征服することを始めたのである。

そして狼が群居して集団的に他の動物を襲うように、人間は徒党をつくり、
群衆の力と武器との併用によって、他の人間を襲うことによって、
自分の所有欲や権勢欲を満足せしめようとし出したのである。

しかし、それは狼の真似みたいなことであって、そんな行動の何処にも
人間の高貴さというようなものは発見できないのである。

われわれはもう一度人間の高貴さというものは何処にあるかを考えてみて、
人間らしい高貴な生き方をしてみたいものである。

・・・

【六日のことば~殺傷力の偉大さは名誉ではない 】

殺傷力の強さによって、その国又はその人の偉大さだ
と思われる時代は過ぎ去ったのである。

殺傷力の偉大さを人間が恥じる時代が近付きつつあるのである。

原子兵器を使うことをソ連もアメリカも遠慮しているのは、
それを使うならば、人類に不徳であるとして批難されるし、
みずからもその行為を恥じるからなのである。

・・・

【七日のことば~人間の不幸の原因について】

人間の偉大さは肉体の力の分量によって量られるのではなく、
知識の偉大さにあるという人もある。

人間は肉体の力では猛獣に劣るのである。
それで、素手と素手とで公正に闘うことを止めて卑怯にも
素手の猛獣に対して武器をもって立会うことにしたのである。

それが人間があらゆる生物を支配し得た原因である。

卑怯にもといったのは多少皮肉な表現であるが、猛獣から観たら、
人間は確かに”卑怯”のように見えるに違いないのである。

「いや、それは卑怯ではない。人間は知能が発達したために他の生物に
すぐれて地上の帝王となったのであって、知識の進歩こそ人類の特徴である」
と反論することもできる。

その反論は正しいと思うが、その知識の発達によって、
武器を発明して他の生物を攻撃し支配することを覚えた。

ここに人間の不幸の原因があるともいえる。
その理由を考えてみよう。

・・・

【八日のことば~知識の果(み)を食して】

エデンの楽園に争いもなき幸福生活を営んでいたアダムとイブとが、
その楽園から追放せられた原因は彼らが禁ぜられていた食物
「知識の樹の果」を食べたからである。

普通これは「智慧の樹の果」と訳されているけれども、英語を見ると、
智恵(wisdom)ではなく、知識(knowledge)の果である。

換言すれば、科学的知識の結果を食したのである。
そのために人類の象徴であるアダムとイブとはエデンの楽園から
追放されたのである。

今でも、科学的知識の結果が人類を不幸に陥れている事は
ベトナムの戦争がそうであるし、交通事故で毎年一万数千人の死者と
数十万人の負傷者を出している日本の現状も正にエデンの楽園からの追放である。

 今私の直ぐ隣で五階建のビルを建てるというので地盤補強の杭打ちを
しているが、毎日爆弾が隣室で炸裂するような地響がして振動して
落ち着いて原稿も書けないのである。
これも建築工学という知識の果を人類が食した結果である。

このような高層建築が建つと、その北側の家は殆ど太陽の光が当たらないで、
日光を毎日見られた楽園から追放される訳である。

諸々の公害ことごとく「知識の樹の果」を食した結果である。

・・・

【九日のことば~青年は宜しく魂の純潔の価値を追え】

人間の高さは身長によって測らるべきではない。
魂の高さによって測らるべきものである。

戦後に於ける現代の弊は、魂の高さを見る眼を失って、
物質の量によってその価値を量ろうとすることにある。

動機の純粋と無我神聖の魂の高さによって、特攻隊の勇士の“死”の価値を
量ろうとしないで、敗戦という結果によってその“死”の価値をはかって
”犬死”だなどと不謹慎なる語を発する愚か者もある。

物質の富を追い求めて東西に奔走しながら死に臨んで、
魂に、何の純粋さも持たず、その追い求めた富すらも冥途へ持って
行くことが出来ない者こそ本当に犬死ではないか。

青年は宜しく魂の価値を求めて、
純粋に理想を追って行動しなければならない。

・・・

【十日のことば~人間の深さと、人格の高さ】

皮膚一枚の感覚の快さや、粘膜一枚の快楽を追うような
皮層な生活を送ってはならないのである。

人間はもっと深いところに悦びを求めなければならない。
深いというのは物質的な深さではない。

精神的な深さであり、心霊的な深さである。

「これをしたら、何の得になるか」などと言う、欲得ずくで行動する人は、
単に物質の三次元世界(縦・横・厚みの世界)に生きているのであって、
それは次元の低い生き方であるのである。

三次元世界の浅い生活を棄てて、もっと高次元の世界(霊的次元)に
生きる者こそ本当に、魂の高き生活者なのである。

それは愛と叡智との世界である。自分の物質的な損得は考えずに
人を愛する知恵の生活である。

人格の高さと言うのは、その人がどれだけ三次元的低次の生活から超越して、
霊的次元の世界に生きているかという事によって量られるのである。

(中旬) - 夕刻版

2018/04/09 (Mon) 19:05:30



【十一日のことば~魂の高さは破壊することができない】

肉体は破壊することはできるけれども、
魂の高さは破壊することができないのである。

特攻隊の兵士の肉体は破壊したかも知れないが、
かれらの愛国精神は国家の理想を護る為に散華して、
日本国家の理想と一つになったのである。

日本国家の理想とは何であるか。

それは「宇宙の理想」と一つのものである。
「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華の世界であり、
キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。

日本国を”侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 

日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。

・・・

【十ニ日のことば~愛は天上のものである、物質界を越える】

NHKテレビ番組で三月末まで好評を博していた「旅路」の中に
出て来る岡本良平と言う汽車の機関士がある。
彼は真から汽車を愛した。

そして北海道に住んでいた彼は北海道に特急列車が走るようになることを
恰も自分の子供が出世することのように楽しみにしていたのである。

やがて列車の動力資源として石炭は斜陽になりディーゼル油が使われる
前途が見えて来たので、北海道の鉄道局で古参の機関士にディーゼル機関の
構造や操縦法の講習を受けさせることになったのである。

ところが彼はその受講を断ったのである。

妻が受講をすすめても、先輩がそれを勧めても、頑として応じなかった。

先輩がその時、岡本良平に、「北海道に愈々特急が走る時期が近づいたよ。
君はその特急第一号に乗りたいと言っていたが、その特急車は
ディーゼル機関車だよ。汽車は段々時代遅れになって、
もう間もなくレールの上を走らなくなる」といった。

その時、良平は「今まで、さんざ働いた揚句、古くなって価値がなくなった
からと言って棄ててしまう。

わしはそんな薄情な気持にはなれないんだ。
わしは汽車を愛しているんだ。

世間から棄てられ忘れられて行く汽車の事を思うと、最後の一台になる迄、
その蒸気機関車を看戌(みまも)ってやりたいんだ」という意味で答えている。

こんな岡本良平は”縦横厚み”の三次元世界での損得の世界を、
”愛”の故に、越えたのである。

愛は天上のものである。
それは物質界に属しない。
物質界の損得を越えるのである。

・・・

【十三日のことば~真の愛国心について】

戦争が終って、まだ幾年も経たない時のことであった。
NHKの総合構成による大学生の座談が聴こえて来た。

テーマは「愛国心」についてであった。

その中で「日本国を愛すると言っても、愛せられるような日本国に
なったら愛せられるけど、この敗戦の雑然混然たる醜(みぐるし)い日本国が
どうして愛せられるか」というような発言をした学生があった。

私はそれを聴いて憮然として嘆息したことがある。
彼は日本国の実相を見ず、ただ現象の相だけを見て
その奥にある日本の実相を見ないのである。

本当の愛は、魂と魂との触れ合いである。
生命と生命の触れ合いである。

日本国を愛するとは、自分の魂と、国の魂の触れ合いによって、
本来”国そのものの魂”と”個人たる自己の魂”との自己同一の自覚である。
これこそが本当の愛国心である。

”国”とは決して、自分の肉体が気持ちよくなるために入る
浴場の湯槽みたいな単なる生活の“場”ではない。

湯槽ならもっと入浴が快適になるように、タイルの浴槽にでも、
エナメル鉄板の浴槽にも、或いは硬ビニールの浴槽にでもどんな材料でも
使って、どんな形にも改造してもよいけれども、
国家は生命体であり、国家のいのちがあり、伝統ある個性があるのである。

国家のいのち、そしてその伝統ある個性美の特徴を守り続け、
そしてそれをその個性の方向に一層伸ばして行くことこそ、
国家のいのちと一心同体である国民の使命であり、

その使命に邁進せんとする国民の意志こそ愛国心なのである。

・・・

【十四日のことば~釈尊の悟得せられた世界像 】

釈尊が尼蓮禅河の畔の菩提樹下に結跏趺坐して悟りをひらかれた時、
釈尊は、すべての存在が、山も川も草も木も国土も悉く物質でない事を
感得せられたのであった。

この悟りが「山川草木国土悉皆成仏」という語で表現せられているのである。

この語の中には国家も単なる国土ではなく仏(宇宙の本体)のいのちの
現成であるという意味が含まれているのである。

・・・

【十五日のことば~純粋世界は中心帰一の世界である】

”宇宙のいのち”即ち宇宙大生命が展開している
“純粋世界”が“実相世界”である。

“純粋世界”は物質でないから肉眼には見えないのである。

この“純粋世界”のことをキリストは”天”とか”天国”とか、
“神の国”とかいう語をもって語られた。

キリストが「みくにを来らしめ給え、み心の”天”に成るが如く地にも
成らせ給え」と祈れと訓えられたのは、この“純粋世界”の捨象として、
純粋世界そのままの姿が、“地”即ち現象世界に実現するように祈るように
勧められたのである。

この純粋世界は、神の創造になる世界であり、神の愛と叡智と生命力との
展開せる世界であるから、神が唯一の中心であり、すべての生物、
すべての存在悉く、秩序整然として一つの中心に帰一して、
各々その天分に従って、互いに扶け合い、大調和せる生かし合いの世界
であるのである。

多元中心の世界の如きは、互いにその覇を争うために、権力闘争の世界を
展開して永久に平和の世界を実現することは出来ないのである。

・・・

【十六日のことば~華厳経に顕れたる日本国の実相 】

釈尊が悟りを開かれて、宇宙の実相を其の儘に直感され、その宇宙の実相が、
蓮華の華の如く、中心に“実”があって、その実相が十六方向に開く
花弁の如く現象として展開していることを諄々として詳細に講説せられたのが、

所謂華厳経であって、その詳しい経題は“大方広仏華厳経”と称ぶのである。

“大方広仏”とは「無限大にあらゆる方向に広がっている如来のいのち“
という意味であって、英語でこれを表現すれば 
Universal Buddahhood(普遍の仏性)である。

”仏”をキリスト教的に”神”の語をもってするならば
“大方広仏”というのは「遍在する神」である。

 そこで大方広仏華厳経とは、“普遍の仏性”又は「遍在する神」の
生命の展開せる“純粋世界”は華厳即ち蓮華荘厳の世界である
という事が説かれている御経である。

この蓮華荘厳の世界は、その中心に蓮華日宝王地があって、その中心の王地に
依ってその存在が支えられていることが、華厳経の廬舎那仏品に
次のように書かれているのである。

『仏子よ、当(まさ)に知るべし、此の蓮華蔵世界海の金剛囲山は
蓮華日宝王地に依りて住せり』(『聖光録』286頁参照)

金剛囲山というのは、蓮華蔵世界の中央部にある須弥山を
取り巻いて八つの金剛の山脈があるのを指すのであって、

それらが依って安住しているのは日の大神の宝の王様の国土によって
支えられているからだというのである。

天照大御神の神勅の実現たる日本国が宇宙の中央にあって、
この宇宙の鉄骨ともいうべき金剛囲山を支えているのであって、
これが吾々が日本国を世界唯一の真理国家だという所以なのである。

・・・

【十七日のことば~本当の愛国心について】

華厳経の尊さは、そして絶対価値があるのは、
それが方便のための対機説法ではなく、悟りを開かれた真理を、
そのままズバッと開講せられた真理であるからである。

そしてその講話に、日本国を象徴する蓮華日宝王地によって、
その世界の骨組みともいうべき金剛囲山が支えられている事である。

もっともこれは大方広仏即ち”宇宙普遍の本体”たる如来の生命・
愛・智慧の展開としての”純粋世界”のことである。

肉眼で見える世界ではない。
即ち「御こころの天に成れる世界」のことなのである。

その世界を蓮華蔵世界海と”海”の接尾語がついているのは、此の世界を
海に譬えたのであって、海は表面(現象)は波立ち騒いで始終遷り易るけれども、
その深い底なる実相は不動にして変化することが無いという事に
なぞらえたのである。

吾々は世界の表面の姿を見、「現象日本」の遷り変る有様を見て、
日本国に愛想をつかし「愛せられる日本国なら愛し得るけれども、
こんな醜い日本国は愛せられない」などと言って、日本の実相の尊さを、
とかく見失いがちであるけれども、

吾々は現象の浮動する波の姿を貫いて、
その奥にある「理念日本」の実相を見、それに礼し敬し愛し、その実相の
完全さを現実世界にあらわすように努力しなければならないのである。

本当の愛国心とは単に「郷土であるから好きで愛する」というような
単なる”身いびき”的なものではなく、真理として現象の奥にある
「理念日本」の荘厳さを愛しなければならないのである。

・・・

【十八日のことば~生長の家出現の使命について 】

釈尊は成道第十四日目にはじめて自己の悟れる宇宙の真理実相が、
中心帰一の蓮華蔵世界であり、その中心に日宝王地が存在して、
それに依ってその存在が安定している事、恰も太陽系の中心に太陽と言う
中心があって太陽系全体の存在が安定しているが如く、

原子にはその中心に原子核と言う中心があってその存在が安定しているが如く
であるとして、日本国の存在を暗に示されたのであるけれども、
当時の印度人に、そのような象徴的謎が解ける筈もないので、
普賢菩薩ひとりにしか華厳経の深義を悟ることが出来なかったので、
華厳の真理はその後久しく説かれないで竜宮海に秘められていたのであった。

 しかし今や、時節到来、竜宮の大神・塩椎の大神(又の御名は住吉大神)
によってその深義が開顕されることになったのである。

それが生長の家の人類光明化運動であり、日本の実相顕現運動である訳である。
この運動を理解して参加する人悉く普賢菩薩の分身である。

諸君自身が普賢菩薩なのである。

・・・

【十九日のことば~普賢菩薩とは諸君自身の最高理性である】

仏教には顕教と密教とがあり、顕教とは経典の文字の表面に顕れたる
表面の意義其の儘に説く教えであるが、

密教とは秘かに経典の文字と文字との間に、行と行との間に秘められている
所謂る文底秘沈の真理を開講するところの教えであるのである。

普賢菩薩とは釈尊在世当時にあらわれた一人の菩薩であるという風に、
文字の表面だけに解するのは顕教である。

併しながら吾々はそれを密教的に解釈して、
普賢菩薩とは、人々に普く宿るところの“賢”(聡明の叡智)であって、
その聡明の叡智の開けた人々は悉く普賢菩薩であるのである。

華厳経でも、法華経でも、釈尊はこれを説き了られた時に、
あとは普賢菩薩に「お前にこの真理を渡すから、よろしく頼む」
と言う風に付嘱(ふぞく)していられることである。

普賢菩薩が印度に釈迦在世中に生まれたひとりの人間であるならば、
たった一人の人間に、その広宣を頼んでみても、
その人間が死に絶えたら、あとは何とも致し方ないのである。

普賢菩薩とは一人の人間ではなく、普く人に宿る“賢”なる
叡智(即ち最高理性)を開顕した全ての人であるのである。

かくて普賢菩薩に、華厳経の真理も、法華経の真理も、ともに伝えられ、
その広宣がゆだねられた時、その真理が人類全体を光明化し、
地上に蓮華荘厳の実相世界が顕現することになるのである。

・・・

【二十日のことば~世尊捻花の秘密】

華厳経の真理を説かれた後、久しく釈尊は蓮華の華に譬えた宇宙の実相を
お説きにならなかったのであるけれども、或る日例の通り霊鷲山で
説教すべく壇上にお立ちになった時に、梵天王という天界の王様が
金色の波羅華を携えて地上に降りて来て、釈尊の前にひれ伏して、

「この金波羅華について衆生のために真理をお解きください」と
お願い申し上げたのであった。

すると釈尊はその華を手に取って、指先で拈りながら、集まっている
聴衆に向って示し、目を挙げ眉を動かして、何も言わずに、
「ここに宇宙の真理がある、皆さん、此の真理が判りますか」
というような表情をなさったのであります。

経文によるならば、この時「人天百万措くことなし」とある。

百万人も集まっていた人間天人、呆然として、
釈尊の意を解するものが無かったというのである。

その時、唯ひとり迦葉(かしょう)と言う弟子だけが

「釈尊は此の真理を説き給う、判った!!」というような表情をした。

それを逸早く見て取られた釈尊は「迦葉よ、お前に仏教の真理を
直接伝えたぞ、此の真理は教外別伝(説教として教えることのできない、
以心伝心をもって別に伝えるより仕方のない真理)であり、
不立文字(経文に文字を立て、説教することのできない真理)である。
此の真理、お前に伝えたぞ」と仰言ったのである。

こうして迦葉は文低秘沈の教外別伝・不立文字の宇宙の真理を伝えられ、
禅宗の第一祖となったのであった。

(谷口雅春著『無門関解釈』参照)

(下旬) - 夕刻版

2018/04/09 (Mon) 19:07:34

【二十一日のことば~仏教は最後に「実」の世界を説いたのである】

華厳経でお説きになった蓮華蔵世界の実相が、それ以来久しく
説かれなかったこの宇宙の実相が、蓮華の華の象徴するが如き中心帰一の
世界であることを、梵天王が金波羅華の華を釈尊に献じて説法を
勧請(かんじょう)したことが契機となって爰に再び説かれることに
なったのである。

華厳経は竜宮海に秘められたままになっていたら、他の経文には
現象の無常が説かれて、そういうものに引っかからないための
生活法、心の持ち方、因縁因果の理法、空の真理などが説かれていて、
未だ“一事実の世界”が説かれなかったので、
そのような経典による教えにはないところの「実」の世界を、
”金波羅華”を象徴として説かれたのが、この“世尊捻花”であるのである。

未だ経文に説かれざる、文字を立てて説明すべからざる宇宙の実相
としての構図――これを「金波羅華」即ち、金色の
「実相を象徴する花」をもって以心伝心的に説かれたのである。

金波羅華の「波羅」と言うのは、“彼岸”又は実相の浄土のことである。
(般若心境の結語としてある陀羅尼に「波羅羯諦」という語があるが、
“羯諦”とは「行く」という意味。

“波羅”は”実相の浄土”という意味であるから「波羅羯諦」とは
「実相の浄土に行きて」という事だと梵語の専門家は解釈している。)

従って“金波羅華“というのは金色の実相世界を象徴する
華であるとして、そのような名称がつけられているのである。

・・・

【二十ニ日のことば~一切極微の世界にも満つる日の大神の生命(いのち)】

釈尊は、悟後最初の説法たる大方向仏華厳経にて、この宇宙の実相は
中心に毘盧遮那仏即ち、”大日如来”即ち“日の大神”即ち天照大御神が
ましまし、蓮華日宝王地なる“日の大神”の宝座をなす王様の国土によって
その存在が支えられている世界であり、

その毘盧遮那仏の生命が、一切の微塵世界の極微の微塵(原子、素粒子
その他の微視的世界)の中にも満ち、その各々の微視的世界の中に、依然として
毘盧遮那仏を中心とする世界があり、すべての宗教の本尊――生命の本源等
悉く、此の中心生命たる毘盧遮那仏のあらわれならざるはないとて、

一仏一切仏、一生命一切生命、万象悉く日の大神の御徳の表現体であるという
実相を説かれたのであって、単なる有耶無耶でハッキリわからないような
空々漠々の真理をお説きになったのではなかった。

しかし実相は現象の存在に執われている人の心には観ることが出来ないので、
諸行無常の現象の空無を説いて、現象に執する心を鎮めてから、
実相を見る眼を開かしめられたのである。

・・・

【二十三日のことば~般若の空をもって現象を否定―法華経によって「実」を明らかにす 】

かくて釈尊は、般若部の経文に於いて、一切の現象の空を説き、
眼耳鼻舌身意を悉く「無」として否定し、現象存在に対する一切の執着を
断ち裁られてから、無量義経に於いて「四十余年間、未見真実」と
喝破せられて

「自分は華厳経に於いて真実の実相を説いて来たが、誰にも理解して
貰えなかったので、以後、四十余年にわたって真実の実相を説いて
来たことはなかった。

しかし、これから本当に真実の世界、実相の世界のことを説くのだ」と
言われて、ついに妙法蓮華経をお説きになったのである。

それ故に妙法蓮華経は釈尊の悟後第一声の華厳経に相対して
同一の真理を説いたものだという事が出来るのである。

法華経がどうして妙法蓮華経と言う経題を付けられているかと言うと、
妙なる”法”即ち“実相”は蓮華を以て象徴される中心帰一の世界であり、
中心に「蜂巣」(ハチス・八洲―大八洲―日宝王地)の存在する世界である
ことを説いているのがこの法華経であるからである。

・・・

【二十四日のことば~万教帰一の実相世界】

「蓮華荘厳」という用語は、法華経の題目以外には、法華経の本文では
見当たらなかったようであるが、私は、もう一遍法華経を充分詳読したい
と思っているが、“化城諭品”には、宇宙の中心たる本尊物として
大通智勝如来の名が出ている。

“大通”とは大通力即ち「全能」のことであり、
“智勝”は「勝れたる智慧」であるから全智のことである。

全知全能の宇宙神に当るものが大通智勝如来である。

その十六の皇子(みこ)が十六方向に仏如来として配置されていることを
法華経は説いているのである。

華厳経の“一仏一切仏”思想が法華経にも、このように表現されており
“一仏一切仏”の思想は結局、万教その本源を一仏に帰するところの、
ただ万教帰一説又は万教同根説と全く同じものなのである。

十六の皇子は菊花の皇室ご紋章の十六花弁に通じ、
金波羅華の実相を象徴するのである。

・・・

【二十五日のことば~釈尊が世に出られた主目的は・・・・・】

華厳経に於いて説かれたる蓮華蔵世界が、以心伝心の仏心宗(禅宗)に
於いて「世尊捻花の公案」として説かれ、

法華経に於いて、”妙法”即ち妙なる実相は十六花弁を備えたる蓮華の
構図を持つことが、その題目によって示されて、

華厳経―世尊捻花―妙法蓮華経が一系列の真理として
一貫的に示されているのである。

結局、金波羅華の宇宙の実相こそ仏教の初中終の真理であって、
釈尊出興の使命は、この宇宙の真理を示し給うのが主目的であった
と言い得るのである。

・・・

【二十六日のことば~空は単なる“無”に非ずの説】

般若部の経典までは、諸行無常、諸法無我の空の思想の展開であった
のであるが、この空思想によって現象の存在を否定し去り、現象的事物に
対する執着を除き去って、それでは何もかも空であって空しいのか、
それでは人生に何の希望もないし、努力の必要も、生き甲斐もない
という事になる。

そこであらわれたのが“真空妙有”の思想である。

空というのは決して単なる「無」ではないのである。
その奥に”妙有”即ち”妙なる実在”が内蔵されている。

その”妙なる実在”を生活に生きるのが人間の尊い生活なのだ
という事が説かれることになるのである。

・・・

【二十七日のことば~妙有は金波羅華の姿をしている】

真空の奥にある“妙なる実在”とは果たして如何なるものであろうか。

「曰く言い難し」と答えているだけでは、
その“妙有”を生活に生きる事が、実際上出来がたいのである。

「言い難く捉えどころなき目標又は理想を生きよ」と言ったからとて、
それではどの方向に進んで行ったらよいか判らないのである。

「兎も角、”妙なる目標”があるんだから進め」と言ってもそれが
青森であるか大阪であるか京都であるか示されなかったら、
東に向かうべきか、西に向かうべきか、生活の規準がないという事になる。

「曰く、言い難き妙有の実相」――それは言葉に言い表すことが
出来なければ、何か象徴をもって示されなければならない。

そこで釈尊がその象徴として金波羅華を示されたのである。
そして「この相(すがた)が”波羅”即ち、妙有の世界なる”彼岸”の
実相である」と示されたのである。

現象を“此岸”と言い、現象の奥に、彼方にある実相を“彼岸”というのである。

それは中心の「実」にすべての花弁が帰一している姿である。

迦葉は「これこそ宇宙の実相の調和せる姿の象徴である。
万物、永遠の中心に帰一し、調和おのずから備われる妙有の世界!!」
と彼は悟ったのである。

それ故に釈尊は「彼に正統の仏教を正伝(しょうでん)し了った」として
「摩訶迦葉に付嘱(ふぞく)す」といわれたのである。

・・・

【二十八日のことば~金波羅華の象徴するもの】

金波羅華は、実相の妙有世界の象徴であるから、その象徴の受取り方、
又は解釈の仕方によって、どうとも判断できるのである。

そこで阿難尊者には、釈尊が仏教の極意を迦葉に正伝せられたと言って、
一体いかなる真理を釈尊に正伝せられたのであるか判らないのである。
阿難は釈尊正伝のその真理が知りたい。

そこで或る日、彼は迦葉に、

「君は仏教の極意を伝えられたと言って、嗣法のしるしに釈尊から衣鉢を
頂いたが、衣や鉢が仏教の極意ではあるまい。釈尊正伝の仏教の極意とは
一体何であるか内証で教えてくれないか」と言った。

 その時、迦葉はしばらく無言でいたが、突然、厳かな命令するような声で、

「阿難!!」と彼の名を呼んだ。

阿難は突然、大声で厳かな口調で自分の名を呼ばれたものだから、
驚いて、姿勢を正して、

「はい!!」と答えた。

その時、迦葉は、

「お前に仏教の極意を授けたぞ」といった。

こうして、阿難は禅宗の第二祖となったのである。

・・・

【二十九日のことば~“妙法蓮華”の秩序を体現せる日本国】

釈尊が衆(もろびと)に示して捻られた“金波羅華”の象徴するものは
『はい』と答える事だったのである。

金波羅華には中心があり、すべての花弁がその中心に喫して、
一糸乱れざる秩序と調和を示していることである。

そこには花弁が中心に向かって、自己主張して、国鉄の順法闘争や
賃上げ闘争のように争い立って騒ぐという事はないのである。

日蓮宗の信者が「南無妙法蓮華経」と唱えるのは、蓮華の如き中心帰一の
”妙法”即ち実相の秩序に帰依し奉ると唱えている事である。

実相の秩序に帰依し実相の秩序と一体となることは、
自己のいのちが、実相普遍の原理と一体になることなのである。

“妙法蓮華”の秩序を最も完全にあらわした国家は日本国のみである。

天照大御神(インドの用語では毘盧遮那如来)を中心に頂き、
その子孫たる歴代の天皇さまが永遠の国家の中心生命として
国民にその恵沢を霑(うる)おし給うて今に至る、

宇宙大生命の本源的中心生命がその応身を”生ける天皇”にあらわし給い、
吾ら国民悉くその中心生命に帰一し奉る時、その時、
地上に天国の秩序あらわれ、久遠平和の世界が実現するのである。

・・・

【三十日のことば~人間として最も高貴なる生き方】

吾ら世界唯一の真理国家――妙法蓮華の相を地上に具体的に表現せる
真理国家、この国こそ、実相永遠の秩序を具体化せる神聖国家である。

時としてこの国、その秩序乱れ、その国状、実相の秩序に背き、
或は国内騒然として紊(みだ)れるが如きことあり、
或は外国と交戦して敗れたる事ありと雖も、是必ず永遠の秩序に背き、
天皇の聖明を覆い奉り、天皇をないがしろにするか、天皇の名を籍(か)りて、
我見を主張し、自己の権力増強に天皇を利用するが如きことを生じたる
結果であるのである。

我ら日本国民、金波羅華の花弁になぞらうべき役目をなす者、
常に中心に帰一し、天皇のみこころに背かざらんことを希(こいねが)い、
愈々美しく金波羅華の実相を現象にまで咲き出でしむる事こそ、
吾ら国民の使命であるのである。

この時、われら日本国民、国家のいのちと一体となり、
宇宙大生命の秩序と自己同一し、“個”にして“全”、
“有限”にして“無限”の生命を生きることが出来るのである。

これこそ人間として最も高貴なる生き方でなくて何であろう。

・・・

<関連~「理想世界」法語>

(1)昭和42年7月青年法語 「青年よ悪習慣の鏈(くさり)を断ち切れ」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6956412

(2)昭和42年9月青年法語 「宇宙の神秘を直観して」 
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7069750

(3)昭和42年10月青年法語 「あなたの運命を形成するもの」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7162032

(4)昭和42年11月青年法語 「吾等青年何を為すべきか」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

(5)昭和42年12月青年法語 「人類と世界が求めている人となれ」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

(6)昭和43年 1月青年法語 「新しき年にこうして天国を建設しよう」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7635828

(7)昭和43年 2月青年法語 「吾ら“神の子”の自覚の上に立ちて」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7663028

(8)昭和43年 3月青年法語 「日本人よ 戦後の“洗脳”の状態から覚醒せよ」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703461

            <感謝合掌 平成30年4月9日 頓首再拝>

Re: 輪読のための青年法語~人間として最も高貴なる生き方 - 道産子

2018/04/10 (Tue) 08:58:19

 


  ご指摘ありがとうございます。

仰る通りでした。直しておきましたので、よろしくお願いいたします。

「神は吾が過ちを許し給うた」などと、うぬぼれてもいられません。

”道産子 さま” ありがとうございます。 - 伝統

2018/04/10 (Tue) 09:48:27

”道産子 さま” いつもありがとうございます。

そして、速やかなご回答・処理に感謝申し上げます。

これからも、何卒、よろしくお願い致します。

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