伝統板・第二

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魂を磨く ③ - 伝統

2018/04/05 (Thu) 03:46:56


     *伝統板・第二「魂を磨く②」からの継続です。
        → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6894890

《私たちは「両親」も「試練」も選んできている。》

         *Web:田宮陽子オフィシャルブログ(2018-01-24 )より

私の母は数年前に亡くなったのですが…

母が生きていたころ、私は母との修行、修行…の毎日でした。

私と母は、親子なのにまったく違う性格だったんです。

どんな状況の中からも
ひとすじの「光」を見つけ出して、ちょっとでも肯定的に考えたい私。

そして、その正反対の母。
母は自己否定が激しく、プライドが高くて、人が「許せない」…

私からすると

「恵まれていること」や
「ありがたいこと」もたくさんあるはずなのに…

「闇」のほうにフォーカスして
それを何度も何度も、グルグルと堂々巡りしているように見える
母だったのです。


こんな正反対の私たちが、親子だったのです。

だから、ぶつかってばかりの日々でした。

あるとき、母がネガティブな言葉をとりつかれたように言っているとき…


私はとうとうガマンできなくなり、このように制したことがあるんですね。

「お母さん、お願い、やめてっ!!
そういう言葉をずーっと言ってると
ますます悪いことを引き寄せるんだよ」

すると、そんな私に対して
母はモーレツに腹をたてたんですね。

「あんたは、私の気持ちをわかろうともしない。
自分の娘ながら、冷たい子だ…」

私はそのひとことに、とても傷ついた思い出があります。

私はますます
「精神世界」や「こころのこと」に
のめりこむようになりました。


あの母のそばにいると
頭がおかしくなりそうなときがあったし…

「闇」のほうへ私もひきずりこまれそうだと、思ったこともありました。


「心の世界」の本をたくさん読みあさり…
少しは「わかりやすい言葉」にして
母にそのことを伝えようとすると…


そんな私に母が放ったひとこと。

「あんた、変な宗教でもやっているんじゃないの?」

「……!!!」

もう、やってられない!!!

私は、この人とかかわるのはイヤだ!!!

私は無言で家を飛び出しました。

私はひとり泣きながら、何時間も夜道を
あてどもなく歩いたこともあります。

それから私は、ずっと実家に帰らなくなり…

気付いたときには、母は病気になっていました。

そして、「胃がん」であることがわかってから…
短い療養生活を経た後…
本当にあっというまに、旅だってしまったんですよね。


「なぜ、母が、私の母なんだろう?」

そう思うことも多々ありました。

「明るくて、ポジティブなお母さんがいる人がうらやましい!」

ずっとそう思ってきました。

でもね…
私はあるとき、「意外なこと」を知ったのです。

「自分のお母さんは、自分が選んできている」

生まれる前に、私たちが「エネルギー体」だったころ…

どの人を両親にするか、自分で決めてきているそうなんです。

「自分の魂がいちばん成長できる人」

その人を見つけて、
お腹の中の「小さなカラダ」に魂として入っていくそうです。

私たちは「両親」も自分で選びますが…

いわゆる「試練」(苦しみ、悲しみ、寂しさを感じる出来事)も
自分で選ぶと聞いたことがあります。

私たちは自分で、今回の人生で…

「いつ、どんなことで、試練を経験をするか」

ということを、決めてきているそうです。

例えばなんですけれど…

ステキな人と出逢って結婚したのに…
その人とのあいだに、いろいろな事情が起きて…
愛する子どもたちと、「別離」しなければならなくなったこと。

そういうときの
「さびしさ」や「つらさ」といったら…
はかりしれないほどですよね。


でも、とても信じられないことですが…

「そういう出来事が起こるシナリオ」

を自分で生まれる前から、決めてきているんだそうです。


なぜ、そんなことを決めるかというと…

「魂の成長のため」

そして、その出来事を、自分で逃げずに乗り越えて…

「もういちど人を愛したい」

と思ったとき…

豊かさやシアワセのエネルギーが…
その人のところに、ものすごい勢いで集まってくるそうです。

それは…

「あなたは課題をよく乗り越えましたね」

という「祝福のエネルギー」なんですね。

もし、こういうふうに「乗り越えるべき課題」が
まったくない人生だとしたら…


私たちは、偏った「せまい視野」のまま人生を終えてしまったり…

「幸せだなあ!」
「恵まれているなあ!」

ということを、感じにくい体質になってしまいますよね。

だからこそ…

私たちは自分で…

「乗り越えるべきこと」をちゃんと決めてくる!


「両親」も「試練」も、あなた自身が選んできたのです。

もちろん、試練のまっさいちゅうのときは…
心がアップダウンしたり、本当に「大変な思い」も味わいますが…

「必ず自分が乗り越えられること」

しか、設定してこないそうです。

だから、いま、なんとなくイライラしている人や焦っている人…
誰にもいえない「つらさ」や「さびしさ」を抱えている人は…

どうか、このことを
ほんの少しだけでも心にとめておいてください。

「いま起きていることは…
生まれるまえに、
魂の成長のために自分で決めてきたこと」


いま亡くなった母に心から思います。

「お母さん、私を生んでくれて、ありがとう。

私、お母さんを選んできたんだね」

 (https://ameblo.jp/tsumakiyoko/entry-12347019462.html


・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「魂の約束」 (6284)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1185

(2)光明掲示板・第二「魂磨き (10874)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2084

(3)光明掲示板・第三「魂を磨くということ」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=43

(4)光明掲示板・伝統・第一「魂を磨く (88)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=54

(5)伝統板・第二「魂を磨く①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6462899

             <感謝合掌 平成30年4月5日 頓首再拝>

この世は刺激的な体験ができる3次元の場 - 伝統

2018/04/19 (Thu) 02:35:26


        *メルマガ「啓子メンタルクリニック」(2018年04月05日)より

私たちは、5次元以上の光の世界から、いろんな体験が出来る、
とても刺激的な3次元のこの世に生まれ変わってきました。

なぜでしょうか?

2つ理由があります。

1つは、ただピカーピカーっと光っているだけでは、飽きてきたのです。

2つ目は、光である自分をもっと知りたくなったのです。


3次元のこの世は、思ったことが、あの世よりもゆっくりと
時間をかけて出来るしくみになっています。

これが3次元世界の素敵な特徴です。
時間差があるので、自分の思いで現象を引き寄せている感じがしないだけです。

魂さんが体験したい内容を人生のシナリオに書いて、
それを専用の守護天使が予習して、段取りして、
思いの通りの様々な体験が出来ています。

体験を重ねることで、内なる光がさらに輝いてきます。

光をさえぎっているブロックのエネルギーを解放すると、
自分からあふれる光も強くなります。
さらに輝くと、それに伴ってまわりも人間関係も波動があがってきます。

また違った体験が出来るようになります。
魂が決めた光に帰るとき、寿命まで、たくさんの体験ができるのです。

死は、あの世では、帰ってくるお祝いのときなので、寿命という寿が付いています。
先に帰った懐かしい人々が、お祝いのパーティをして待ってくれています。
愛する人々に、また再会できる喜びが待っているのです。

             <感謝合掌 平成30年4月19日 頓首再拝>

《人生の目的は魂の向上にある》 - 伝統

2018/05/01 (Tue) 03:32:57


          *「光明法語」(5月1日)より

人生は魂の向上の過程である。
魂の向上とは「内在の完全なる実相」がより多く次第に開舒(かいじょ)することである。

魂の向上にはあらゆる人生の面に触れることが必要であるのは、
歯を磨くにもあらゆる角度から磨かなければならないのと同様である。

従って吾々の触れる人生の面は時々変化するのは
別の角度から磨かれる必要があると云うことである。

新しい人生の展開、新しい境遇の展開は、今ある境遇の行き詰まりから生ずる。

だから今ある境遇が行き詰まるのは新しい善き運命の先触れだと信じて感謝すべきである。

             <感謝合掌 平成30年5月1日 頓首再拝>

《愛深き峻厳が魂の進化せる特徴である》  - 伝統

2018/05/02 (Wed) 04:07:40


          *「光明法語」(5月2日)より  

「汝の如く汝の隣人を愛せよ」とは自分の実相を完全なる神の子であると信ずる如く、
汝の隣人をも完全なる神の子であると信じて敬することである。

敬のない惑溺(わくでき)は真の愛ではなくて肉欲の変形であったり、
自己憐憫の投影であったりするのである。

自己の苦痛を恐れる者のみが、他(ひと)の苦痛に同情するのである。
だから同情は、自己不完全の投影ですらある。

真の魂の生長せる者の特長は「愛深き峻厳」である。
愛深くして相手の実相の完全さを知るが故に猥(みだ)りに甘やかさず
峻厳であるのである。

             <感謝合掌 平成30年5月2日 頓首再拝>

脳性マヒの重荷の中で - 伝統

2018/05/27 (Sun) 03:31:34


      *「自分を育てるのは自分」東井 義雄・著(P147~151)より

町田知子さんという17歳の脳性マヒにかかった
娘さんの詩「17歳のオルゴール」。


  こんな子に生まれて
  よかったですか  お母さん

  こんな子でも
  愛してくれますか  お父さん

  あなたがたの家をこわしてしまった私
  心の中で泣いているでしょうね
  ごめんなさいね


  なんでこんな子生んだのかと
  お母さんを責めたわたし
  ほんとうは
  わたしが責められないといけないのにね


  お母さん
  あなたは普通の子と同じように
  あなたを痛めて
  わたしを生んでくれた

  その期待にこたえられなくて
  ごめんなさい


  わたしは悲しみに出合った
  それらはみんなわたしにとって
  生きる喜びにつながった

  生まれてよかった
  生んでくれてありがとう


  この世って
  すばらしいところですね
  お母さん

          ・・・

こんな重い荷物を背負いながら、
ひたすら、せめてお父さんお母さんに、これ以上の心配をかけまいと、
力いっぱい、明るく生きようと頑張っている仲間がいる。

それを思いますと、どこもかも立派に生んでいただいて、
何もかも恵まれすぎた中、ボサッとしていることが、
これはバカの極みだと思われてきますね。


こんな仲間が日本にはたくさん、一生懸命いきているんです。
そして、そのいのちと、皆さんのいのちも、
地の底で繋がっているんです。

            <感謝合掌 平成30年5月27日 頓首再拝>

《失業は他(ほか)の地盤に魂の栄養を見出(みいだ)さんがため》 - 伝統

2018/06/17 (Sun) 04:35:14

   
         *『 生長の家 』(昭和25年3月7日の法語)より

   失業を恐れてはならない。

   神が今までの仕事を停止せしめ給うたのは
   他にもっと重要な仕事があるからである。

   もうすでに今迄(まで)の職業から得られる限りの養分を
   あなたの魂は 吸収し得るだけ吸収し尽くしたからである。

   だから神は新たに尚(なお)一層 栄養多き地盤(じばん)に
   あなたの魂を培(つちか)わんがために
   今迄の職業の所からひきぬき給うたのである。

   もしこの時あなたが絶望して
   心の波長が神の導きと合わなくなるならば
   あなたは本当に幸福を失う。

   然(しか)し失業の中に 神の導き と 祝福 とを感じて
   感謝することができるならば、
   あなたは間もなく新しき職業を発見する。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67

            <感謝合掌 平成30年6月17日 頓首再拝>

【成長とは 、物事の見方・とらえ方が進歩すること】 - 伝統

2018/06/20 (Wed) 04:31:06


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年05月07日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   一般的に辛い、悲しいと思われる出来事も、
   見方を変えれば優しさを取り戻すための病気であり、
   謙虚さを取り戻すための事故だった、ということにもなります。

   ですが、今、何事も起きていない段階で、
   優しさや謙虚さを取り戻した人は、病気や事故の必要がなくなるようです。


   物事のとらえ方には五段階があります。

   目の前の現象に対して、不平・不満、愚痴、泣き言、悪口、文句
   (これを私は「五戒」といいます)を言わなくなる。

   これが第一段階。

   このときにはまだ、我慢をしている、という概念が入っていますが、
   五戒を言う必要がなくなってくると、第二段階。

   このゼロの状態に「嬉しいよね」と喜びが上乗せされるようになると第三段階。

   「幸せだよね」と思うようになると第四段階です。

   そして、同じ現象に対して「本当にありがたい」と
   手を合わせるようになるのが、第五段階です。


   私がつかんだ宇宙法則の一つに「輪廻転生(りんねてんしょう)、
   生まれ変わりが存在する」というものがあります。

   魂は、魂だけのときに、成長することはできません。

   肉体を有しているときだけ、
   肉体上の体験を通して、成長・進化することができます。


   生まれ変わる目的は、いかに自分が成長するか。

   そして成長とは、自分の物事の見方・とらえ方が進歩すること。

   そのために私たちは生まれ変わるのです。

         <『「人生を楽しむ」ための30法則』講談社>

              ・・・

我々はこの地球上で肉体を持ったときのみ、
進歩・成長することができるという。

肉体がない魂のときにはできない。


天国では、いつも鳥がさえずり、花が咲き乱れ、
何の憂いも心配もないところだという。

しかし、この地球においては、我々人間は、
事故や病気、仕事のトラブル等々、思い通りにいかないことが多い。


仏様はそれを「四苦八苦(しくはっく)」と言っている。

生・老・病・死の四苦、それに愛別離苦・怨憎会苦(おんぞうえく)・
求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)を加えた八苦。

これらの四苦八苦を乗り越えることにより、我々は成長できる。

それらの苦しみが、我々の磨き砂となってくれるからだ。


嫌なことや苦しいことがあったとき、
不平・不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないか。

もし、それができていなかったら、できるまで何回もそれらはやってくるという。

なぜなら、神は(というより本当は自分だが)
成長の機会を与えて下さっているのだから。


「あの苦しいことがあったおかげで、今の私がある。感謝しかないなぁ…」
というなら、魂はかなり成長している。

成長とは 、物事の見方・とらえ方が進歩すること。

            <感謝合掌 平成30年6月20日 頓首再拝>

人生の達人になる秘訣 - 伝統

2018/07/05 (Thu) 03:41:05


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年02月25日)より

   (アンソニー・バーグランド氏の心に響く言葉より…)

   あなたは人生という名の学校に入っています。

   この学校には休みがなく、生涯にわたって
   毎日なんらかの授業を受けつづけなければなりません。

   嫌いな授業もあるかもしれませんが、
   どんな授業でも受けなければならないのです。


   カリキュラムは多種多様です。

   仕事、家庭、恋愛、友情、金銭、道徳、健康、趣味などなど。

   人はみな、ありとあらゆる授業を受けて成長していかなければなりません。


   どの授業にも教訓があり、あなたはそれを謙虚な姿勢で学ぶ必要があります。

   それを拒みつづけるかぎり、その授業は形式を変えて何度もおこなわれます。

   いわば人生の「補習授業」です。


   教訓を学ばない代償はたいへん大きく、
   場合によってはかなり手痛い損失をこうむります。

   しかし、いったん教訓を学んで肝に銘じるなら、
   なんらかの形で大きな報酬が得られ、豊かな人生を送ることができます。


   人生という名の学校では、そこに登場する人たちはみな、教師です。

   仕事では上司や同僚、部下、お客などがそうですし、
   私生活では親や配偶者、子ども、兄弟、親戚、
   友人、知人、恋人などがそうです。

   また、乗り物で隣に座る人や街中で道を教えてくれる人などもそうです。


   つまり、どの人も、
   あなたになんらかの教訓を与えてくれる大切な存在なのです。

   見本を示してくれる模範的な教師もいれば、反面教師もいることでしょう。

   しかし、あなたは
   どの人からも教訓を学ぶという謙虚な姿勢を持つ必要があります。

   それが人生の達人になる秘訣です。

        <『夢をかなえる習慣』ディスカヴァー>

              ・・・

「世の中で起こることすべてに何らかの意味がある」と言われる。

いいことも悪いことも起こるが、それをポジティブに解釈すると、
「我以外皆我師(われいがいみなわがし)」という考え方に行きつく。

誰からも学ぶという謙虚な姿勢。

これは、小説「宮本武蔵」で有名な作家の吉川英治氏の言葉だ。


病気になったら、「もっと健康に気をつけなさいと」との教え。

治ってから、今までの生活習慣を改めればいいが、
もしそれをしなかったら、何回も同じことが起こる。

まだわからないのか、と分かるまで教えてくれる。

病気が師(先生)だ。


「人生の達人になる秘訣」

常に、「我以外皆我師 」という謙虚な姿勢を持つ人でありたい。

            <感謝合掌 平成30年7月5日 頓首再拝>

今が、自己の魂の進歩にとり最善の時であり、最高の機会なのである。 - 伝統

2018/07/09 (Mon) 03:14:53


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月9日)より抜粋

困難を避けて遊惰(ゆうだ)を喜ぶようになったとき、その民族の衰退は始まる。

今、われわれに課せられた状態がいかにあろうとも、
今が、そしてその状態が自己の魂の進歩にとり最善の時であり、
最高の機会なのである。

われわれがわれわれ自身を見出すところの今の環境が、
その時と処においてわれわれにとって最もよいということである。

われわれの前に起こるところの義務は、そして手近にあるところのすべてのものは、
われわれを導く神の智慧が開かれつつあるところの道である。

家庭の茶飯事、その勤める店での呼鈴(よびりん)に応えること、事務所で働くこと、
病める隣人をまたは親類縁者を看護することなどは散文的な、
あまり馨(かんば)しからぬように見えるかもしれない。

それはそうかもしれないが、しかしわれわれの日常生活における義務を、
神に対する義務のごとく、また、人生に捧げる捧げ物のごとく忠実に行なうことは、
その人の魂に与えられた日課を果たすということになるのである。

そしてその時その場における内部に宿る神の催しに従うこと、
すべての時において神の掟を守りて正しく生きること、
また生活がわれらに齎(もたら)したるところのすべての位置において
全力を尽して試みることは、魂の向上の道に入るための日々の課業であるのである。

            <感謝合掌 平成30年7月9日 頓首再拝>

自分の魂を高めよ! - 伝統

2018/07/19 (Thu) 04:15:08


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月19日)より抜粋

ひとの優劣を自分の尺度で推し測ってはならない。
自分が愚劣な心を持つから、ひともまた愚劣であろうと思ってはならない。

自分が動物的な欲望の支配下にあるから、
ひともまたかくのごとくであろうと思ってはならない。
自分のうちに悩みがあるから、世界中の人はすべて悩んでいるのだと思ってはならない。

本当に他人の偉大さがわかる者は、自己がそれだけ偉大であるのである。
自分の魂の高揚しただけのものを、われわれは他において見るのである。

釈尊のすぐれた人格を知る者は、自己のうちに存在する釈尊がそれを知るのである。
釈迦やキリストといえども、時には悩み、苦しんだであろうと考える者は、
聖者を引きずり下ろして自己と同等のレベルに置こうとする卑怯者である。

彼は一種のエディプス・コンプレックスの虜囚(とりこ)なのである。
自分よりすぐれた者の存在を知ることが、
自己の驕慢心にとってたえがたい屈辱感になるのである。

われわれは、かくのごとく、ひとを引きずり下ろす醜(みにぐ)き心を去り、
自己があくまでも向上して、美しき人類の理想を成就することによって
聖者と等しきレベルにまで到達しなければならないのである。

大海に溺れつつあるある者どもが、お互いに他を引き下ろして、それによって、
自己が浮き上がろうとするのは醜悪である。

他を賤しめ軽んずることによって、ひそかに自己を偉大ならしめようと努力するくらい
みじめな動物的行為はないのである。他を軽んずることは、自己を軽んずることである。
他を醜くすることによって、まっさきに自己が醜くなるのである。

『従容録』には自分の口を血に染めて他人に吹きかけると書かれている。

            <感謝合掌 平成30年7月19日 頓首再拝>

《感謝によって過去の経験から魂の栄養を吸収せよ》 - 伝統

2018/07/31 (Tue) 04:47:11


        *『人生の秘訣365章』第6篇(P151) より

感謝はすべてを癒やすのである。

身の病いを癒やし、心の病いを癒やし、事業の病いを癒やす。

過去に何があったにせよ、過ぎ去ったすべての出来事は、
良きにせよ、悪しきにせよ、自分に新しき経験を与え、
魂を富ますために役立ったのであるから、
その出来事のひとつひとつに対して感謝の思いを起すがよい。

あらゆる経験を通して、時には人間の肉体は苦しむかも知れないが、
魂は進歩し向上するのである。
すべての経験に対して感謝し得るようになったとき、
その経験が自分に与えた魂の栄養分を吸収したことになるのである。

            <感謝合掌 平成30年7月31日 頓首再拝>

【「魂」を成長・進化させる方法とは】 - 伝統

2018/08/16 (Thu) 03:50:28


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年06月04日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   「輪廻転生」は「義務である」とお伝えしました。

   「魂」は生まれ変わりを重ねながら成長していきますが、
   「魂」が成長できるのは、「肉体を持ったときだけ」のようです。

   なぜか。

   「魂」だけで過ごしているときは、「事件」が起きないからです。

   「魂」は、300年~400年に一度、肉体を持って生まれ変わりますが、
   肉体がある分、さまざまな制約や事件にさらされます。

   「食べなくっちゃいけない」「飲まなくっちゃいけない」
   「お風呂に入らなくっちゃいけない」「トイレに行かなくちゃいけない」
   「寝なくちゃいけない」。

   「上司に怒られる」のも、「恋愛」ができるのも、「夫婦喧嘩をする」のも、
   「親子喧嘩をする」のも、肉体があってこそ。


   「魂」だけの状態であれば、制約も事件もなく、
   とても「ラクな状態」で過ごせますが、
   そのかわり、まったく「成長」しません。

   「魂の成長」には、事故、病気、災難などが必要です。

   病気によって優しさを知り、事故に遭って謙虚さを知る。

   「魂」は自ら「シナリオ」を書いて、
   さまざまな事故・病気・災難を設定しています。

   それもすべて、「魂の成長」のためなのです。


   「魂」を成長・進化させる方法とは、
   目の前で起こる一つひとつの現象に対して、つべこべ愚痴を言わず、
   「感謝」を持ってとらえること。

   ある現象に対して、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言うのは
   「初期の段階(マイナスの段階)」です。

   その後、マイナスから「ゼロになる段階」があり、
   その先に「嬉しい、楽しい、幸せと思う段階」があります。

   この高みに登り、あらゆる現象について「ありがたい」と思えるようになったら、
   「魂」が大きな成長を遂げています。

         <『もうひとつの幸せ論』ダイヤモンド社>

              ・・・

『「病気の境遇に処しては、病気を楽しむということにならなければ
生きて居ても何の面白みもない」

これは、歌人・俳人、正岡子規が残した言葉です。

若くして結核を患った正岡子規は、「病気を楽しむ」と受け止め、
死の直前まで創作活動を続けていました』(同書より)


病気になって、「この程度ですんでよかった、ありがたい」とか
「早めにわかってよかった、ツイている」と、
「幸せ」や「感謝」の気持ちで受け止める人がいる。

反対に、「ひどい目にあった」とか「ツイてない」と愚痴を言ったり、嘆く人もいる。


小林正観さんは、病気にしても、困難にしても、どんな現象も
「中立」でありニュートラルだという。

つまり、「幸せ」だとか、「不幸せ」と、とらえる自分がいるだけ。

本人のとらえ方の問題。


「魂」を成長・進化させる方法とは…

目の前で起こるすべての現象に対して、
愚痴を言わず、「感謝」の気持ちで接したい。

            <感謝合掌 平成30年8月16日 頓首再拝>

《称讃と感謝とによって魂を向上せしめよ》 - 伝統

2018/09/04 (Tue) 04:17:02


         *『人生の秘訣365章』第6篇(P157~158) より

私たちの魂の向上をはかるためには、毎日誰かの為になる奉仕をすると共に、
毎日、神を讃え神に感謝する習慣を持続し、同時に周囲のすべての人々を
褒めたたえ、且つその人々に感謝する習慣を継続するようにするがよいのである。

1回神を称め讃え、1回人に感謝するたび毎に、
あなたの魂は過去のそれよりも一層高く向上したことになるのである。

称讃と感謝とは、与えられた恩恵に対する「反射板」みたいな働きをするのである。

太陽の光熱でも、ただそれを受けるだけで反射しなければ周囲は暗いままであるし、
その熱は風呂をわかすほどには温かくならないのである。

太陽熱を充分反射する反射板をつくり、その反射を1ヶ所に集中する装置を
屋根の上に造ると、「太陽熱湯わかし機」となって摂氏70度位の湯が沸いて、
それに適当に水を加えて入浴することが出来、受用尽きずである。

私は講習旅行中、どこかの宿屋でこんな風呂に入れてもらったことがある。

            <感謝合掌 平成30年9月4日 頓首再拝>

子どもは魂を磨くための「砥石」 - 伝統

2018/09/22 (Sat) 04:25:06


子育ては親の人格を磨く。
子どもは魂を磨くための「砥石」。

       *『たくさんの「奇跡」が舞い込む感謝の法則』小林正観・著、  
          (P13、メッセージ05)

「砥石」は刃物を磨くための石のことですが、家族や家庭生活というのは、
自分の魂を磨くための「砥石」のようなものでしょう。

私たちは日常のあらゆるシーンにおいて、いかにイライラしないか、
笑顔でいられるか、といったことを問われているようです。


結婚すると、夫という砥石、妻という砥石を得て自己中心的な性格が
修正されて、マイルドで柔らかなものになります。


子どもが生まれると、砥石がもうひとつ増えたことになります。

子どもを育てているように見えますが、実は「どんなことがあっても
子どもに対して怒鳴らない、怒らない、腹を立てない」と自分を
コントロールすることが自分自身(親)の人格を高めることになります。

「こういうときには腹を立てるものだ」
「こういうときにはイライラすべきものだ」と親が見本を示すほど、
子どもはそのように真似をし、そのように育つのです。

子育てを通して”人格を向上”させていくと、”人格者”である親に対して
呼応する人格の子どもになるのではないでしょうか。

            <感謝合掌 平成30年9月22日 頓首再拝>

魂の向上こそが、真の成功なのである - 伝統

2018/09/26 (Wed) 04:35:20


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月26日)より

本当の成功は、富を得ることでも、商売の繁昌でもないのである。
本当の成功はその人の人格の完成 ―― 心霊学的に言えば、魂の向上である。

商売の損益や、事業の成否のごときは人生航路上の遊戯にすぎないのである。
勝つも負けるも一場の遊戯にすぎない。

ただその遊戯の上で、人間は性格を形造り、
人格をより完成せしめ、魂を向上させるのである。

商売上の利益も、財産の増殖も築きあげた事業も、
何一つそれらは真の意味においてその人の獲得ではないのである。

真の意味における獲得は、
肉体が死するときにも持って行けるものでなければならないのでのである。
魂の向上、性格の強さや円満、これこそが唯一の獲得である。

             <感謝合掌 平成30年9月26日 頓首再拝>

すべての境遇は、魂を向上させる学科である - 伝統

2018/09/27 (Thu) 04:53:27


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月27日)より

われわれは自分が与えられた環境、
または境遇から逃げ出そうと考えてはならないのである。

環境、境遇においてあらわれて来る様々の出来事は、
自己の人格を鍛錬し、性格を磨きあげ、
魂を向上させるための学科であるのである。

もしわれわれがそれから逃げ出すことによって安易を求めるならば、
その人は決して人格を鍛錬することはできないし、
強き性格を築きあげることはできないし、魂を向上させることはできないのである。

われわれは与えられた環境または境遇と取り組んで、それを征服しえたときにのみ
強き性格を築きあげ、魂を向上させることができるのである。
これはけっして受難を礼讃する意味ではない。

われわれは「難」をも「楽」をもともに克服しうる人とならなければならないのである。

             <感謝合掌 平成30年9月27日 頓首再拝>

喜びの心で、すべての体験を受け入れる - 伝統

2018/09/28 (Fri) 03:14:28


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月28日)より

この世界は不幸または苦難の連続だと考える人があるけれども、
けっしてこの世界は不幸や苦難の連続ではないのである。

魂の向上のために与えらた体験を避けようと思うときにのみ、
それは不幸と感じられ、苦難と思われるのである。

困難を迎え撃つ態度にかわるとき、
それは悦んで上級学校の科目を教えられる喜びに変わるのである。
体験を通して、魂は何事かを獲得する。

それは釣竿に魚のかかったときのようなスリルであり、
猟師が獲物を得たときのような喜びを獲得することができるのである。

人生の行路を険しいと言って嘆いてはならない。
それをハイキングの喜びやスキーの楽しみにかえるのは
それを受ける心の態度である。

             <感謝合掌 平成30年9月28日 頓首再拝>

日常生活すべてが、「私」を磨く砥石なのです - 伝統

2018/10/13 (Sat) 03:25:13


       *『たくさんの「奇跡」が舞い込む感謝の法則』小林正観・著、宝島社  
          (P15、メッセージ06)

《イライラさせる人や怒らせる人がいるわけではなく、怒っている「私」がいるだけです。》

家族や家庭だけでなく、「仕事」の場も、
「私」の人格を磨く「砥石」になっています。

どんなに仕事ができて優秀な技術を持っていても、
人格が荒れている人というのは、「何のために仕事が存在するのか」を
誤解しているいるのではないでしょうか。

仕事を通して「どんなときでもイライラしない、怒らなない、腹を立てない」
ことを、魂は求めているようです。人の上に立てば立つほどです。

そして、ほかのすべての人間関係、交友関係も「砥石」となります。

「それでは、生活のすべてではないか」と言われそうですが、答えはイエス。

私たちはすべての日常生活で
「いかにイライラしないか、笑顔でいられるか」を問われているようです。

「怒っていい状況」は存在せず、「怒らせる人がいる」わけでもありません。

本当は笑顔で解決できるのに”面倒だから”とりあえず怒って解決、
という道を選んでいるのかもしれません。

すべての日常生活が「私」を磨く砥石なのです。

             <感謝合掌 平成30年10月13日 頓首再拝>

《地上生活学校への入学》 - 伝統

2018/10/24 (Wed) 02:21:06


           *『生活の智慧365章』(第3部歓喜の泉)
               第4篇(P97~98) より

宇宙の本源でありところの大生命界を“海”と考えるならば、
吾々はその海面に浮かび上がった一つ一つの波だとも
考えることができるのである。

併し、波は次の瞬間には消えてしまっているけれども、
人間の生命(せいめい)は須臾(しゅゆ)にして消えるものではないのである。

仏教者の或る人は、肉体を盃にたとえ、
盃に海水を盛ったように肉体に大生命の一部を汲み入れたのが人間であるが、

その盃が壊れると、盃の中の海水は大海原の水と一如になってしまうのと
同じように人間の肉体がこわれると、その人の生命(せいめい)は個性も何も
なくなって、”宇宙の霊”に帰一してしまうという風に説く人があるけれども、
それは間違いである。

善人も悪人も、修行をした人も修行をしない人も、
肉体の死後は、全然、同一の大生命海に融けこんでしまうのだったら、
何のために、吾々は切実に道を求め、魂の向上を願うような衝動が
内部から起こってくるのであろうか。

そのような不合理のことはある筈はないのである。

吾々の肉体は霊魂が地上に於いて或る修行をし、
或る使命を果たすための”法服”又は”作業服”であって、

肉体が人間そのものではないから、
肉体が死滅しても霊魂は個性を失ってしまうことはなく、
また別の肉体を着て地上生活学校に入学してくることになるのである。

           <感謝合掌 平成30年10月24日 頓首再拝>

《肉の欲望と魂の願望》 - 伝統

2018/11/09 (Fri) 02:56:31


        *『生活の智慧365章』
            (第3部繁栄の泉)第7篇(P183~184) より

人間は自己に忠実でなければならない。

併しその「自己」と云うのは如何なる自己であろうか。
美味なる食物を欲し、美しき服装をし、異性と戯れ遊びたいような
煩悩が本当の自分の「自己」であろうか。

「自己に忠実でなければならない」と云う語(ことば)で多くの人々は
利己的本能に身を投じて、魂の節操を失ってしまったのである。

 
「自己に忠実であれ」と云う場合の「自己」とは、
肉体の本能的自己のことではないのである。

肉体は、魂が地上に於て仕事をなすための乗物又は作業服として、
その自己修復と自己保存のオートメーション作用としての
食欲や性欲を発動するのであるが、

それらの欲望は飽くまでも「魂」の使命を果さしめるための
基礎工事としての欲望であって、
「魂」そのものの願望ではないのである。

「自己に忠実であれ」と云うのは
「魂」そのものの願望に忠実でなければならないと云うことである。

           <感謝合掌 平成30年11月9日 頓首再拝>

《肉体の自我と魂の自我》 - 伝統

2018/11/24 (Sat) 04:28:32


       *『生活の智慧365章』
          (第3部繁栄の泉)第7篇(P184) より

「霊肉の闘い」と言う語句があるが、その語句のなかにはハッキリと魂の要求と、
肉体の本能とが別であると云う直観が含まれているのである。

肉体の本能的自我を「低き自我」と云う語(ことば)であらわせば、
魂の自我は「より高き自我」又は「高次の自我」とでも言い表すべきものである。

吾らは「高き自我」に対して忠実でなければならないのである。


若し私たちが「高次の自我」に忠実ならんことを欲(おも)うならば、
「肉体の自我」の要求をしばらく退けて、ひたすら「魂の自我」の囁きに
心の耳を傾ける修練をしなければならない。

多くの宗教教祖が、(釈尊やイエスをも含めて)断食や水行を行って、
肉体的自我の要求たる食欲や色欲や所有欲や名誉欲や睡眠欲すらも退けて、
「魂の自我」の要求に耳を傾ける修行を積まれたことは伝記の記述するところである。

           <感謝合掌 平成30年11月24日 頓首再拝>

《過去のすべては魂の進歩のための肥料》 - 伝統

2018/11/27 (Tue) 04:02:07


         *『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)
             第8篇(P217~218) より

もう、あなたは過去の失敗について、
また過去の過ちについてグジグジ思い煩うことをしないのである。

神は、あらゆる塵芥(じんかい)や糞尿を浄化して、
作物がよき実を結ぶ肥料としたまう如く、

過去のあらゆる失敗も過ちも悉く浄化して、
よき魂の収穫を得るための肥料となしたまうのである。

あなたの過去の過ちはあなたの人生観を深からしめ、心の視野をひろめ、
人生の意義を悟らしめるのに非常に役立っているのである。

あなたは過去を斯(か)く観ずることによって、
心の混乱や不安や退嬰(たいえい)や過度緊張が取り除かれ、
心に平和と愛と調和がみたされ、過去に体験したものを、
真に自分の魂の生長に役立たしめることができるのである。

また他(た)の人々の過ちについても寛容であれ、
すべての人は一見「過ち」と見えるものを通して魂が進歩しつつあるのである。

           <感謝合掌 平成30年11月27日 頓首再拝>

魂のダイヤモンド - 伝統

2018/12/11 (Tue) 04:13:15


        *「光明道中記」(12月11日 無限生長の日)より

【心を尽し、力を尽して自分自身の無限の可能性を信ぜよ。(『生命の實相』第四巻)】 
                 
宇宙の法則は無限生長にある。換言すれば進歩にある。
だから必ずしも隴(ろう)を得て蜀(しょく)を望むのが悪いのではない。

ただそれが「公(おおやけ)」なる道に乗らないのが悪いのである。
彼が「公」なる道に乗る限りに於いて、進歩を心がけること、前進を心掛けること、
成功を心がけることは正しいことであり、祝福されることである。

前進する者は衰退しない。
前進する者は多くの困難と戦わなければならない。
困難と戦うことには色々の新しい経験を得る。困難と苦痛とは異なる。

新しい経験は自分の生命の中から「新しい推理」を発掘して来る。
前進するものは常に新しい鉱石に打(ぶ)つかる。

吾々の獲得は、そのたび毎に増加するのである。
吾々の獲得は眼に見えた成果のみではない。
もっと眼に見えない魂のダイヤモンドが吾々の前進によって得られるのである。

そして此の魂のダイヤモンドは、その採掘の動機が利己的でなければならない程、
「公」であればあるほど、より多く獲得することができるのである。

人間は物質的にどれだけあれば生活出来るか、
それは極(ごく)僅(わず)かな分量である。
それ以上に費やされるのは多くは虚栄(みえ)のためである。
此の分量を「公」にために献げよ。

           <感謝合掌 平成30年12月11日 頓首再拝>

【この世へ何をしにきたのか】 - 伝統

2018/12/26 (Wed) 04:27:59


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年12月24日)より

   (稲盛和夫氏の心に響く言葉より…)

   私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。

   その根源的な問いかけに、私は真正面から、
   それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。


   欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性(さが)です。

   放っておけば、私たちは際限なく財産や地位、名誉を欲しがり、
   快楽に溺れかねない存在です。

   生きている限り、衣食が足りていなくてはなりませんし、
   不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。

   立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるだけに、
   一概(いちがい)に否定すべきものでもないでしょう。

   しかし、そういうものはいくらたくさん溜(た)め込んだとしても、
   どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。

   この世のことは、この世限りでいったん清算しなくてはならないのです。

   そのような中で、たった一つだけ滅びないものがあるとすれば、
   それは、「魂」というものなのではないでしょうか。

   死を迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、
   「魂」だけ携えて、新しい旅立ちをしなくてはなりません。

   だから、「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、
   私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、
   すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。


   様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、
   倦(う)まず弛(たゆ)まず一所懸命に生きていく。

   その日々を磨砂(みがきずな)として、人間性を高め、精神を修養し、
   この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。

   私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。


   昨日よりましな今日、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。

   その倦まぬ営みにこそ私たちが生きる目的や価値が、
   たしかに存在しているのではないでしょうか。


   人生における労苦とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。

   試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえられることができる人、
   さらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、
   魂を磨くための修養の場であると考えられる人

   …そういう人こそが、限りある人生を、豊かで実り多いものとし、
   周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。

           <『「成功」と「失敗」の法則』致知出版社>

               ・・・

「ほほえみ読本」という小冊子の中に『捨てて』という詩がある。


『捨てて』

どんな大事なものでも

荷物はみんな捨ててください

自分のからだも捨てるんですよ

《三途(さんず)の川の番人のことば》


どんなにお金があろうが、何千坪もあるような豪華な家に住んでいようが、
どんなにスタイルがよくて美人(美男子)であろうが、どんなに有名で役職があろうが、
三途の川を渡る時は、みんな捨てていかなければならない。

この世に残していけるものがあるとするなら、それは人の心に残った思い出だけ。

それは、いい思い出も、嫌な思い出もある。


しかし、どうせ残すのなら…

どれだけ人が喜んでくれたのか。

どれだけ人の役に立ったのか。

どれだけ人に感謝されたのか。


それが、「人の心に灯をともす」ということ。


「この世へ何をしにきたのか」

少しでもましな人間になるため、日々、己の魂を磨き続けたい。

・・・

<関連Web:三途(さんず)の川を渡るとき
       → https://ameblo.jp/hiroo117/entry-10340196490.html >

           <感謝合掌 平成30年12月26日 頓首再拝>

魂は問題を抱えた人生を好んで選んでくる - 伝統

2019/01/10 (Thu) 04:43:12


         *「高次元シリウスが伝えたい水晶<珪素>化する地球人の秘密」
           松久 正・著(P71~75)より

自己の意識を置いている固有振動波は自分が体験している魂のジャーニーの本体で、
自己の意識を置く固有振動波と自己の意識を置かない固有振動波たち、または、
自分以外の宇宙場における振動波との交流で、エネルギーはリズムが変わったり、
振動数は落ちたり、形が変わったりします。

波同士の交流で、波のエネルギーが高まることもありますが、総体的には、
エネルギーのリズムが乱れたり、振動数が落ちるのです。


自分の宇宙場は自分のエネルギーしか存在しません。
だから、宇宙は自分だけのものです。
ほかの人の宇宙場とは全く別です。


自己外の存在の宇宙場は、彼らのゼロ・ポイントから始まって
別に存在しています。自分の宇宙場にある振動波がそれらと交流します。
そのときに宇宙場の接点を持つのです。
交流するまでは全く別の宇宙場です。


エネルギーの振動波が共鳴したときに、交流が起きます。
そのときに、相手が持っている知識と情報を自分に吸収できます。
無限にある宇宙のエネルギーは、すべて絡み合っているので、
全宇宙に存在する知識と情報は全部持っているということです。

すべてアカシックレコードにあるというのは、そういうことなのです。
そういう交流のもとで、智識・情報を感じながらエネルギーが
相対的に乱れてくるのです。


宇宙のソウル・ウェイブが自分に最も適した人間を選ぶときに、
松果体で人間の身体・物質をコントロールできる振動数に落とします。
そのままだとエネルギーが高過ぎるため、人間という身体を
維持できないのです。

《宇宙の叡智、宇宙ソウル・ウェイブが人間の松果体に入って振動数を
落としたときに、人間の身体にふさわしいエネルギーとなります。》

そうでないと、地球人の身体をコントロールするエネルギーになりません。
これが身体の叡智、身体ソウル・ウェイブです。


身体の叡智は、もともと自分の完璧な宇宙の叡智から始まっているから、
たとえほかのいろんなエネルギーとの交流によってエネルギーを乱した
としても、魂のゼロ・ポイントに近い乱れのない状態は、
本来あるべき状態を知っています。


魂は人間の身体に入ったときに乱れた身体や人生を好んで選んできます。

もともとこういう病気を持つ、家庭環境に問題がある、仕事で問題がある
ということがわかっていて、自己固有螺旋振動波であるソウル・ウェイブの
乱れを修正するためにこの身体を選んだのです。


<参考Web>

振動波を受信・変換する松果体
https://drdolphin.jp/drdolphin/pineal

           <感謝合掌 平成31年1月10日 頓首再拝>

宇宙の叡智を身体の叡智に変換する高次元変換器「松果体」 - 伝統

2019/01/11 (Fri) 04:05:10


         *「高次元シリウスが伝えたい水晶<珪素>化する地球人の秘密」
           松久 正・著(P75~76)より

松果体は、どうして宇宙の叡智を身体の叡智に変換できるのでしょうか?

それは《松果体が99%以上、珪素(Si)でできているからです。》

じつは、この珪素は、大宇宙で唯一の能力を持つスーパー元素なのです。

珪素は万能パワーストーンである「水晶」の主要構成成分でもあります。

珪素は、乱れたエネルギーを全部吸収して、その乱れを修正するのに
必要なエネルギーを出すことができます。
これは誰も言っていないことです。

私は宇宙叡智との交流の中でこの知識と情報を得ています。

《珪素にはエネルギーの乱れを読み取れる能力があって、
そのエネルギーを全部吸収して、その乱れを修正するのに
必要なエネルギーを放出するのです。》

水晶も松果体も生命エネルギーの振動数を変換して、それらのDNAを
コントロールするエネルギーに変えます。
松果体は人間の身体の中で最も神秘的なのです。

(以下略~地球の成り立ち)

           <感謝合掌 平成31年1月11日 頓首再拝>

高次元DNAを書きかえる - 伝統

2019/01/12 (Sat) 04:06:44


         *「高次元シリウスが伝えたい水晶<珪素>化する地球人の秘密」
           松久 正・著(P168~172)より

「がんになるんだよ」という本人のDNA情報に基づいて がん になっているにも
かかわらず、現代医学ではその情報をその情報をそのままにしておいて、
がんを抗がん剤や放射線でたたいたり、手術で取り去ってしまおうとするわけです。

「がんになりなさい」というのは目に見えない高次元DNA情報ですから、
目に見える物質をたたこうと取り去ろうと情報は残ったままなので、
再発や転移が起きるのです。


薬や放射線を使い、手術をすると、
魂が選択した人生と身体の問題から気づきと学びを得るという
体験を放棄してしまいます。

また、身体の機能が非常に落ちてしまい、
適応力、免疫力、治癒力を放棄してしまいます。

これで悪循環に陥るのです。

さらに医者から、「あなたは私の言うとおりにしないと早く死にますよ」
「生きられないですよ」という不安・恐怖が投げかけられます。

がんは不安・恐怖の感情を修正するために魂が選んだのに、逆に不安・恐怖が
強くなって、魂の学びを全くこなせない悪循環サイクルに入ってしまっている
というのは、典型的な地球人の姿です。


ただし、例えば50歳のときに腎臓のがんを発症するという目に見えない
高次元DNAを魂が選んできたとしても、絶対に発症しなければいけないかというと、
そうではありません。

実は、書きかえは可能です。

それまでに必要な学びや気づきを得て、魂が腎臓のがんをそれ以上体験しなくても
大丈夫と判断した場合は、スイッチが切りかわるわけです。

そのときに高次元のDNAは書きかえられます。

病気、交通事故、人間関係、人生の問題に関しても、
書き換えは可能です。


ネガティブな例とは反対に、
《いつ、どこで、とういう成功をするかというポジティブなことも
 高次元のDNAに全部書き込まれています。》

いつ、どこで自分が社会で大成するか、栄誉を得るか、金銭的に成功するか、
人脈的に成功するかというのは全部書き込まれていて、
魂は成長のためにそれを使っていきます。


個人のいろいろな能力も10重螺旋DNAに書き込まれていますが、
強力な気づきや学びにより、どんどん書きかえることは可能で
「不可能」というものは存在しなくなります。

例えば生きがいや使命を選ぶときに、DNAのシナリオと情報に書き込まれた
ことを選べば、努力や我慢、頑張るという感覚を持たずに、楽にできます。

あなたの周りにもいませんか?
「あの人は愉しんでいるだけなのにうまくいっているな」と思える人が。
そういう人は、もともとDNAに書き込まれた情報に従って生きているからです。


しかし、DNAのシナリオどおりに生きないといけないかというと、
そうではありません。生きている間にいろいろな気づきや学びがあって、
遺伝子が高次元で書きかわってきたときに、生き方を変えてもいいのです。

でも、DNAに書いていないことをやろうとすると、壁だらけ、障害だらけです。
誰かが反対したり、邪魔をしたり、失敗したりする。


DNAに書き込まれたことは魂に基づいたものなので、高次元のエネルギーや
すべての魂の集合エネルギーが応援します。

だから、すんなりいきますが、書き込まれていないことをやろうとすると
宇宙のエネルギーの応援を得られないのです。

地球人の癖は、数回やってうまくいかなかったら、
これは自分に向いていないとか、いろいろ理由をつけて諦めることです。


でも、もともとDNAにないことでも、魂がやりたいと思うことだったら、
DNAが書きかわり始めているので諦めずに、小さいワクワクを追い求めて
大きいワクワクにする方向に生きていくことです。

魂を躍らせるのです。


魂の振動数の度合いによって実現する時間枠は違います。

振動数の高い人は短い時間で成功するし、低い人は長くかかりますが、
《ある一定期間、ブレずにその高い振動数を保っていると、「引き寄せの法則」や
「鏡の法則」と同じ原理で、必ずエネルギーとして実現します。》
なぜかというと、DNAが書きかわるからです。

例えば人生のいつどういうところで、どういうことが起こるかというシナリオは
12重螺旋のところに、

身体にいつ、どういうところで、どういうことが起こるかというシナリオは
8重螺旋のところに書き込まれています。

もともとDNAに書き込まれていないことに挑戦すると壁や障害がたくさん出てきますが、
この仕組みを少しでも理解できれば、障害や壁を素直に受けとめて愉しんでいける
ようになり、言って期間、その思いがブレずにいると、目に見えないDNA情報が
書き変わります。

これが重要です。

そうするとうまくいって、周りからは、あの人はすごく努力して成し遂げたと見られます。

地球人に対してそういう見方をするとおもしろいです。
すんなりいく人は、もともとDNAに書き込まれたことをやった人で、
何回失敗しても諦めずにやった人は、DNAを書きかえた人です。

           <感謝合掌 平成31年1月12日 頓首再拝>

最強の増強サイクルをつくる - 伝統

2019/01/14 (Mon) 04:17:41


         *「高次元シリウスが伝えたい水晶<珪素>化する地球人の秘密」
           松久 正・著(P194~204)より


魂のエネルギー(自己固有螺旋振動波)の流れを正すのに必要な
気付きや学びを得るには、自己の魂の誕生点であるゼロ・ポイントに近い
自己振動波(宇宙の叡智)にアクセスできることが不可欠ですが、

ソウル・ウェイブを正してその宇宙の叡智を取り入れると
その叡智は魂エネルギーの修正をサポートするとともに、
エネルギーの変換器である松果体に原子転換を起こし、
それを水晶(珪素)化します。

これが地球人の今まで知らされなかった最大の秘密です。

珪素化する松果体はさらに宇宙の叡智を取り入れられるようになり、
ここに最強の増強サイクルができるのです。

脳の松果体は珪素化により、強力に活性化され、高いレベルの宇宙の叡智が
取り込まれるので、自分の魂が選択した人生と身体の問題を体験する中で、
より有効な気付きと学び得ることができるようになり、
結果として乱れた高次元のDNA情報を書き換えられるようになります。

《人間すなわち松果体を活性化する<水晶(珪素)化する>方法》


(1)ドルフィンタッチ :物理的にエネルギーを修正

   背骨の元締めに物理的に働きかけて、
   叡智エネルギー(神経の流れ)を強化します。

   第一頸椎と第二頸椎または丹田を操作し、
   神経の流れを阻害する歪みを修正するメソッド。

   http://kita-land.com/archives/2756

(2)ドルフィンフレーズ

   ドルフィンフレーズを口に出して、または心で唱える。
   5つのチャクラエネルギーに作用し、
   身体ソウル・ウェイブを正し、松果体を活性化させます。

  ①「今の自分は大丈夫」  (第1チャクラ<尾骨>と第2チャクラ<臍下>)

  ②「今の自分は感謝」   (第3チャクラ<胃腸>)

  ③「今の自分が大好き」  (第4チャクラ<心臓>)

  ④「今の自分をよく知っている」 (第5チャクラ<喉>)

  ⑤「今の自分は宇宙のすべて」  (第6チャクラ<額>と第7チャク<頭上>)


(3)ドルフィンチャージ(珪素摂取)

   珪素を体に摂取することで松果体を活性化させます。

   摂取する珪素には種々の製品がありますが、著者は、
   https://drdolphin.jp/drdolphin/rextera で推奨。

   珪素は万能剤です。自然界に存在する元素です。
   人間に必要な松果体、胸腺、ミトコンドリア、解毒、再生の
   5つの力をパワーアップさせる力があります。


(4)松果体を活性化させる最強の方法??

  ①1つは、今までの古い地球社会の常識と固定観念で培われた
   知識と情報を使用しないこと。

  ②もう1つは、すべての人生と身体の問題は、
   自己の魂の選択であると受け入れることです。

   これらにより、松果体は宇宙の叡智をより強力に取り入れ水晶(珪素)化します。


《ドルフィンリセット》

顕在意識を構成する常識と固定観念、潜在意識を構成する
非自己意識と集合意識を消去し、松果体DNAに内在する
人生と身体のシナリオを修正、書き換えます。

頭に触れ、常識と固定観念を消去し、松果体エネルギーを操作し、
シナリオを修正、書き換えるメソッド。


《ドルフィンハーモニー》(ドルフィンリセット3)

自分が存在する自分宇宙をシャボン玉にイメージして行い、
古い自分を解放、望む新しい自分を再生、再誕させます。

自分大宇宙のシャボン玉の中で身体を消し、
松果体DNAエネルギーから新しい自分を創造するメソッド。

           <感謝合掌 平成31年1月14日 頓首再拝>

病気と困難は魂のエンターテインメント - 伝統

2019/01/15 (Tue) 03:41:33


         *「高次元シリウスが伝えたい水晶<珪素>化する地球人の秘密」
           松久 正・著(P206~210)より

身体と人生の困難は、魂が自分を進化・成長させるために選択した題材です。

魂が進化成長するためにやることは、じつは苦悩ではなく、
エンターテイメントなのです。
だって、自分が楽で愉しくなるためにやる過程なのだから。


残念なことに、今の地球社会では、病気と困難はネガティブなもので、
ない方がいいもの、あってはいけないものという常識と固定観念で成り立っています。
いつももがいています。



病気と困難は学びだとか、自分に必要なものだとか、
自分が設定したものだとか書いてある本は今までもたくさんありました。
しかしそれはいずれも本質をついていません。

「エンターテイメント」と受け止めることで、
自分にとって本当にいいことだというふように認識を変えて欲しいのです。

DNAを修正し、魂が進化、成長できるのですから
「愉しみなさい」というメッセージです。


痛みがあるのにどうやって愉しむのか、
お金がなくて生活できないのにどうやって愉しむのかと思われるでしょうが、
ここで大事なのは、この本を読んでいるこの瞬間、あなたは生きているということです。

ほんとうは、あなたは生を持っているからすごく幸せなのです。

つまり、《今あなたが幸せでないのは、1分後、1時間後、1か月後、1年後に
どうあろうかということを設定して不安を持っているからです。
そして、他人と自分を比べているからです。 》


ここでパラレルワードの原則を適用すると、振動数は瞬間的に変えられます。

地球という3次元世界では自己の意識を置く自分しか体験していませんが、
高い宇宙の叡智にアクセスできたときに振動数は上がるので、
つぎの0.0000001秒後には自己の意識を置いていないエネルギーの超素粒子に
瞬間的にワープできます。

ということは、今だけが成り立っているので、今の連続であるから、
例えば1年後にあなたが不幸になるのは、
今の瞬間がダメな状態で連続するからです。

今、病気だ、苦痛だ、痛みがあるというとき、そうして自分は不幸だと思うかというと、
過去の痛みのないときを知っているからです。
未来にもっと悪くなったらどうしようと思うから不安でしようがない。

比較するものがなければ、人間はそこに何の感情も持ちません。
それに対していいも悪いもない。

地球人の癖は、過去の経験、体験とか、今のメディアや他人の知識や情報とか、
未来の自分の想定に基づいて、今良いか悪いかを置くのです。


宇宙の魂は、なりたい自分に瞬間的に変身できます。
同じ自分でいることはありません。
それなのに、地球人は変われないと思っているので、
過去の続きの未来しか見られないのです。


絶対法則として、苦があるから楽がある。
陰陽論でも、エネルギーの法則でも、右螺旋と左螺旋の法則でも、
必ず両方がなければ成り立ちません。

つまり、《苦しみを感じられる人は愉しみを感じる能力を持っているのです。》


病気や困難も自分が設定して、さらに楽で愉しくという魂の本質を生きるための
材料だということをどこかで少しでも感じられれば、苦しくても、この苦しさは
どう展開していくのだろうか、自分をどう変えてくれるのだろうという
感覚を持つことができます。

これがエンターテインメントです。

倒産したとか、離婚したとか、人に裏切られておカネを奪われたとかいうことも
エンターテインメントです。

この地球のネガティブなストーリーを通して、自分はどう進化していくのだろう、
どう成長していくのだろうという感覚を持てることが、魂の喜びなのです。
魂が躍るのです。


《大切なことはすべて、自分が選択したということです。
 魂は、自分の進化と成長につながることしか選択しません》


地球概念でネガティブとされることも本当は全てポジティブなのですが、
地球の低い次元によると、ネガティブとされたままなのです。

あなたが良い人間になりたいなら、悪い人間も必要です。

あなたが幸せになりたいなら、不幸を味わうことも必要です。

不幸を知っているから幸せとわかる。
つまり、ネガティブな体験ほど、自分が幸せに向かういい材料だということです。

           <感謝合掌 平成31年1月15日 頓首再拝>

「現代医学や現代社会の盲点」 - 伝統

2019/01/16 (Wed) 04:12:07


         *「高次元シリウスが伝えたい水晶<珪素>化する地球人の秘密」
           松久 正・著(P211~212)より

現代医学や現代社会にある手段を用いて問題を消去すると、人間の進化と成長を妨げます。

病気を薬でむりやり消したり、手術で取り去ったり、
困難に対してむりやり外から人的環境を変えたりすると、氣付きや学びを得られません。

だから、消去を急いではいけません。

問題を持ったまま解決していくのです。

           <感謝合掌 平成31年1月16日 頓首再拝>

魂の稚(おさな)い場合には脱線して苦しみます - 伝統

2019/02/04 (Mon) 04:57:54


      *『 真理』第9巻生活篇(P66~67)より

神は人間を「神の子」としてつくり、地上に生み出され、
その各々に適当な位置と天分とを与えられたのであります。

その神の計画どおりに吾々が生活するならば、最も摩擦なく不快なく生活できる
のでありますけれども、神は人間に完全なる自由を与えたまうて、
神の計画の中に、機械的に運転するようにはしたまわなかったのですから、

吾々は、其の与えられた自由によって、あるべき位置からハミ出して
生活している事が多いのであります。

その限りに於いて私たちは何かピッタリしないものを感ずる、
それが摩擦であり、悩みであり、正しきものを生み出(い)だす苦しみであり、
魂の稚(おさな)い期間は、神の計画の中から脱線することが多いので、
其の位置にピッタりせず、苦しみを受けることが多いのです。

これが苦しみによって魂が浄化される期間であって、
決して神が練成のために苦痛を課するのではないのです。

           <感謝合掌 平成31年2月4日 頓首再拝>

課題の場である地球を乗りこなそう - 伝統

2019/03/02 (Sat) 04:22:06

         *「高次元シリウスが伝えたい水晶<珪素>化する地球人の秘密」
           松久 正・著(P212~213)より

皆さん、よく地球にいらっしゃいました。
皆さんの勇敢な魂を祝福します。


もっと違う人間に生まれて、違う環境に生まれたら良かったのに。

という設定は無いのです。

自分の魂を修正して磨くために、
より良い自分として、本来の自分を見つけるために、
自分自身で完璧なストーリーとして選んできたのです。

           <感謝合掌 平成31年3月2日 頓首再拝>

《毎日毎日が勝利の生活となるために》 - 伝統

2019/03/19 (Tue) 04:52:04


          *『生長の家』(昭和41年12月18日の法語)より

   〃神の子〃 が 〃神〃 のみこころに一致し、
   小我が大我から分離することなく、大我の大智慧に従って行動する
   とき、あなたの生活は毎日毎日が勝利の生活となるのである。

   人は地球世界から発射された月ロケットや金星ロケットが、
   地球からの誘導電波によって操縦されてその軌道を修正され、
   無事に月や金星に軟着陸し無事なるが如く、

   吾々ひとりひとりは実相世界から現象世界に発射された一人乗り
   地球軟着陸ロケット〈肉体〉に乗った 〃魂〃 であるのである。

   月ロケットに乗っている操縦士は、みずからそのロケットを
   操縦する能力は一応もってはいるけれども、地上から発せられたる
   電波によって誘導され、軌道を換え、或いは地上に予定よりも早く帰る
   ように指導されて、その指導に素直に従うとき安全なることを得るのである。

   それと同じく、実相世界から、現象の地球世界に射ち出された
   地球軟着陸ロケット〈肉体〉に乗っている「人間の魂」は、

   実相世界の神から誘導電波 ―― 否、誘導霊波に導かれるとき
   最も安全であり、効果的な生活を送ることができるのである。

 
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783


           <感謝合掌 平成31年3月19日 頓首再拝>

【日常生活は訓練の場】 - 伝統

2019/04/09 (Tue) 04:17:44


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年04月04日 )より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   日常生活が訓練の場であるならば、
   私の周りを取り囲んでくれている人が100%全員感謝の対象になる
   ということに気がつきます。

   私をイライラさせる人を日常的にずっと乗り越えていって、
   10年に1回、20年に1回ストレッサー度500を持っている人が現れたときにも、
   ニコニコして対応できるような許容量・寛容度が
   700、800、1000の人になっていたとします。


   そして、例えば「日当1万円払うから、
   とにかく3ヵ月間私にストレスを与え続けてください。
   嫌な人を演じてください」とお金を出して、100人に頼んだとします。

   1日1万円の日当で100人ということは1日で100万円。
   30日で3000万円。
   それが3ヵ月続くと9000万円。

   1億近いお金が必要です。


   でも私たちは毎日、無料で訓練させてもらっているのです。

   そう考えると、今日家へ帰ったら夫に向かってありがとうございます。
   妻に向かってありがとうござますと言えるのではないですか。
   それから子どもに向かってもありがとうございますと言えますね。

   ありがとう、あなたのおかげで
   随分といろいろなことを学ぶことができました、と。


   2ヵ月後か3ヵ月後に
   ストレッサー度のものすごく強い人が現れることがあります。

   このような場合、この人の守護霊(「おかげさま」ともいうのですけれど)は、
   この人の許容量・寛容度を高めなくてはいけないと考えます。

   そうすると、その2ヵ月、3ヵ月の間、
   ただひたすらこの人の許容量・寛容度を高める事件を次から次へと起こします。

   そうしないとこの人の許容量・寛容度が高くならないからです。

   ですからこうした事件が次から次へと起きたときは、
   きっとすごいことが起こるんだろうなと思って待ち構えてください。

   みなさんはその2ヵ月後、3ヵ月後に起こることが予測できなくて、
   今この時点で判断してしまうから、日常生活の訓練の段階で
   頭にきたり、愚痴を言ったりしてしまいます。

   でもいずれ、
   「訓練をさせてもらったおかげで、私はここを乗り越えることができました」、
   と言うようになっています。

   ですから、すごいことが起こるかもしれないと考えて、
   日常の訓練をやってみてください。

       <『みんなが味方になるすごい秘密』KADOKAWA>

              ・・・

小林正観さんはこう語る。

『《すべての日常生活は“私”を磨くための砥石(といし)なのです》

私は親子関係や夫婦関係で相談を受けるとき、よく「砥石」という言葉を使います。

砥石とは刃物を磨く石のことです。

魂を磨くための砥石は3つあります。

ひとつは「家族と家庭」。

結婚とは、「夫という名の砥石」「妻という名の砥石」を
手に入れたということではないでしょうか。

夫婦という名の共同生活は、食べ物の甘い辛い、気温の暑い寒いなど、
一つひとつ折り合いをつけることにほかなりません。


なかなか思い通りにならない子どもも「砥石」です。


次は「仕事」。

どんなときにも怒らない、イライラしないということを求められて
魂は磨かれます。


最後に、「他のすべての人間関係、交友関係」。

日常生活のすべてが「“私”を磨くための砥石」なのです。

「怒ってもいい状況」も「怒らせる人」も存在せず、
折り合いをつけるべき状況や相手がいるだけ。

それなのに怒って解決する道を自ら選んでしまっているのかもしれません。

私たちはすべての日常生活で、
「いかにイライラしないか、笑顔でいられるか」を問われています』

     (宇宙も神様もぜんぶ味方につける習慣/宝島社)より


我われがこの世に生を受けた目的はただ一つ。

少しでもましな人間になって、あの世にいくこと。

魂を磨き、人格を少しでも高めること。

そして、どれだけ多くの人たちに
「あなたがいてくれてよかった」と言ってもらえたか。

まわりの人たちに、どれだけ喜んでもらえたか。


己(おのれ)を磨くために砥石はある。

「日常生活は訓練の場」

魂を磨き、人格を少しでも高めたい。


           <感謝合掌 平成31年4月9日 頓首再拝>

魂の成長って言うのはね、神に近づくことです - 伝統

2019/04/25 (Thu) 21:14:00


       *「斎藤一人 俺の人生」(P36~37)より

大事なことは全部光の玉が教えてくれたんです。

一人さんは、小さいときから神様がいるってことを
知ってたんですかってよく聞かれるんだけど、知ってたんです。

私の場合は、夜になると光の玉が出てきて、
いろんなことを教えてくれました。

というより、光の玉が私に近づいてきて、その光に包まれた途端、
疑問に思ってたことがもうわかってるんです。

神様は本当にいるということや、
人間は何度も生まれ変わるということも、光の玉に教わったの。


じゃあ、何のために人は生まれ変わるんだろうっていえば、
魂の成長のためなの。

魂の成長って言うのはね、神に近づくことです。
で、神に近づくってことは、愛に近づくことと同じなんです。

こういうとは全部光の玉が教えてくれたし、
それ以外のこともいっぱい教わった。
だけど、今はもうほとんど忘れちゃった(笑)

ただ、基本的には、今言ったことだけ知っていれば、
じゅうぶんなんだよね。

それで仕事はうまくいくし、
人間関係もうまくいくんです。


           <感謝合掌 平成31年4月25日 頓首再拝>

《人生の目的は魂の向上にある》  - 伝統

2019/05/01 (Wed) 04:33:19

          *「光明法語」(5月1日)より 

人生は魂の向上の過程である。

魂の向上とは「内在の完全なる実相」が
より多く次第に開舒(かいじょ)することである。

魂の向上にはあらゆる人生の面に触れることが必要であるのは、
歯を磨くにもあらゆる角度から磨かなければならないのと同様である。

従って吾々の触れる人生の面は時々変化するのは
別の角度から磨かれる必要があると云うことである。

新しい人生の展開、新しい境遇の展開は、今ある境遇の行き詰まりから生ずる。

だから今ある境遇が行き詰まるのは
新しい善き運命の先触れだと信じて感謝すべきである。

           <感謝合掌 令和元年5月1日 頓首再拝>

《愛深き峻厳が魂の進化せる特徴である》 - 伝統

2019/05/02 (Thu) 12:57:06


          *「光明法語」(5月2日)より    

「汝の如く汝の隣人を愛せよ」とは自分の実相を完全なる神の子であると信ずる如く、
汝の隣人をも完全なる神の子であると信じて敬することである。

敬のない惑溺(わくでき)は真の愛ではなくて肉欲の変形であったり、
自己憐憫の投影であったりするのである。

自己の苦痛を恐れる者のみが、他(ひと)の苦痛に同情するのである。
だから同情は、自己不完全の投影ですらある。

真の魂の生長せる者の特長は「愛深き峻厳」である。
愛深くして相手の実相の完全さを知るが故に猥(みだ)りに甘やかさず
峻厳であるのである。

           <感謝合掌 令和元年5月2日 頓首再拝>

魂をみがき得る新たな機会  - 伝統

2019/05/08 (Wed) 04:04:40


         *「光明法語」(5月8日)より

《進歩の法則に支配されている人生》

人生は進歩の法則、無限生長の法則によって支配されているのであるから、
旧態依然たるものは、次の新しきものによって取って代わられる。

商売のやり方でも、旧態依然たるものは新しき経済戦術によって
新商売をやる者には必ず圧倒される。

かくて職業を失うに到るとも、職業を失う者は幸いなるかな。
神は彼に新しき職業と、新しき環境を与え給うことによって、
新しき面から、彼の魂をみがき得る機会を与えたまうのである。

旧生活の破壊に失望することなく新しき位置と職業を与え給えと祈れば好いのである。

           <感謝合掌 令和元年5月8日 頓首再拝>

だれにでも自分で決めてきた定めがあります - 伝統

2019/05/27 (Mon) 04:23:46


       *「斎藤一人 俺の人生」(P38~39)より

人は空の上(あの世)にいるとき、
「来世ではこういう体験をして、こんなことを学ぼう」
って決めてきます。

要は、自分で人生のシナリオを書いて、
キャストも全部自分で選んで、この世に生まれてくるわけです。

大きい意味での目標は、
2代前とか3代前に決めてくる人もいるし、
それは人それぞれみんな違うんだけどね。

とにかく人は、自分の意志で今世どう生きるかを決めて生まれてくる。

それを、定めと言います。

で、定めの通りに生きれば、自然と幸せになれるようになっています。


ところが、世の中そんなに甘くないと思ってる人がたくさんいるんです。

定めの通りに生きたら幸せになれるのに、どこかで何か理由があって、
人生は甘くないと思い込んじゃったんだろうね。

そういう人には、なぜか甘くないことが起きます。
世の中は甘くないと思ってる人には、まさにそう思わせる出来事が起きる。
この世って、そういうものなんです。

だけど、世の中はうまくいくものだって
自分で決めちゃうと、人生はガラッと変わります。
楽しいことばかり起きて、
本当に人生がうまくいくようになるよ。

           <感謝合掌 令和元年5月27日 頓首再拝>

《魂を逞しく生長せしめるには》 - 伝統

2019/06/23 (Sun) 03:56:18


      *「真理」第9巻生活篇(P108~109)より

若し面白くない事が起って来たならば、
それを自分を苦しめる災いだと思わないで、
「神の栄えのあらわれんがためなり」と思うことです。

苦難はあなたの魂がそれを跳び超える力を発揮する練習をするために
神から与えられた「魂のボディビル」をするための道具だと思えば宜しい。

「今こそ神の栄えのあらわれんがためである。
神はその無限の智慧もて此の問題を解決したまう」

と暇ある毎に、機会あるごとに祈りの気持にて黙念するがよいのである。

神の智慧は到る処に充ち満ちてい給うのであり、
この黙念によってあなたの自覚が高まるとき、

その到る処に満ちたまう神の智慧に波長が合い、
波長が合えば神の智慧があらわれて来ることになるのである。

要するに魂が逞しく生長するためには、どんな現象界の苦難が来ても
驚かず平静を失わず神の智慧に振り向く練習をすることである。

           <感謝合掌 令和元年6月23日 頓首再拝>

【心を鍛え、人間性を高める】 - 伝統

2019/07/12 (Fri) 04:01:18


         *メルマガ「人の心に灯をともす」( 2019年04月06日)より

   (稲盛和夫氏の心に響く言葉より…)

   この国は今、「道しるべのない時代」を迎えています。

   確かな指針を見出せない中にあって、
   少子高齢化や人口減少、地球環境問題など、
   過去に経験したことがない問題に直面し、
   人々の価値観そのものが、大きく揺らいでいるように見受けられるので。

   人生の中でもっとも多くの時間を費やす、
   「働く」ということに関する考え方、仕事に対する心構えも、
   その一つなのかもしれません。


   「なぜ働くのか」「何のために働くのか」…多くの人が今、
   働くことの意義やその目的を見失っているようです。

   日々の仕事を進めるための技術やマニュアルは、
   あふれるほど用意されているのに、

   働くということに込められた、根本的な価値を明らかにすることは、
   ないがしろにされてきました。

   そのため、今、若い人たちの間で、労働を嫌い、厭(いと)い、
   できるだけ回避しようとする傾向が顕著になっています。


   たとえば、「一生懸命働く」「必死に仕事をする」といったことを
   意味がないとか、格好悪いと冷笑する人さえ少なくありません。

   そのため、株の取引きなどで「楽して儲ける」スタイルに憧れを抱く人や、
   ベンチャーを起業するにしても、上場で一攫千金(いっかくせんきん)を果たし、
   若くしてリタイアすることがゴールだという人も増えているようです。

   働くことを「必要悪」ととらえる考え方も、
   さも常識であるかのようにささやかれるようになってしまいました。

   本当は働きたくない、しかし食べていくには、やむを得ないから働く。
   だから、できるだけ楽に稼げればいい。


   私は、働くことは「万病に効く薬」…あらゆる試練を克服し、
   人生を好転させていくことができる、妙薬(素晴らしい薬)だと思っています。

   自分が望んだり、招いたリしたわけでもないのに、
   思いもかけない不幸が次々に襲ってきます。

   そのような苦難や不幸に翻弄されるとき、
   私たちは自らの運命を恨(うら)み、
   つい打ちひしがれそうになってしまうものです。

   しかし、「働く」こと自体に、そのような過酷な運命を克服し、
   人生を明るく希望あふれるものにしていく、素晴らしい力が秘められているのです。


   人間は、自らの心を高めるために働く…私はそう考えています。

   「心を高める」ということは、
   お坊さんが厳しい修行に長年努めてもできないほど、
   たいへん難しいことなのですが、

   働くことには、それを成し遂げるだけの大きな力があるのです。

   働くことの意義が、ここにあります。

   日々、一生懸命に働くことには、
   私たちの心を鍛え、人間性を高めてくれる、素晴らしい作用があるのです。


   「よく生きる」ためには、「よく働くこと」がもっとも大切なことです。

   それは、心を高め、人格を磨いてくれる「修行」である
   と言っても過言ではありません。

            <『働き方』三笠書房>

              ・・・

中国の古典、菜根譚(さいこんたん)には
「不快なことこそ自分を磨く砥石(といし)」という言葉がある。


小林正観さんは、自らの心を磨き、高めるには三つの砥石が必要だという。

一つは、家庭や家族

二つめは、仕事

三つめは、その他の人間関係


夫婦は赤の他人が一緒になるがゆえに、様々な葛藤(かっとう)や問題がおきる。

同時に血のつながった親子関係も思うようになることは少ない。

三つ目の友人や、ご近所、趣味や様々な集まりにおける人間関係においても、
うまくいかないことは多い。


そして、この三つの中で、一番多くの時間を使っているのが仕事だ。

仕事における人間関係、うまくいったことや失敗したこと、
すべてが自分を磨く砥石となる。

自分を高めることを、お金をもらいながらできるのだ。


働くことで、自らの心を鍛え、人間性を高めたい。

           <感謝合掌 令和元年7月12日 頓首再拝>

自分の魂の高揚しただけのものを、われわれは他において見る - 伝統

2019/07/19 (Fri) 04:24:33


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月19日)より

ひとの優劣を自分の尺度で推し測ってはならない。
自分が愚劣な心を持つから、ひともまた愚劣であろうと思ってはならない。

自分が動物的な欲望の支配下にあるから、
ひともまたかくのごとくであろうと思ってはならない。
自分のうちに悩みがあるから、世界中の人はすべて悩んでいるのだと思ってはならない。

本当に他人の偉大さがわかる者は、自己がそれだけ偉大であるのである。
自分の魂の高揚しただけのものを、われわれは他において見るのである。

釈尊のすぐれた人格を知る者は、自己のうちに存在する釈尊がそれを知るのである。
釈迦やキリストといえども、時には悩み、苦しんだであろうと考える者は、
聖者を引きずり下ろして自己と同等のレベルに置こうとする卑怯者である。

彼は一種のエディプス・コンプレックスの虜囚(とりこ)なのである。
自分よりすぐれた者の存在を知ることが、
自己の驕慢心にとってたえがたい屈辱感になるのである。

われわれは、かくのごとく、ひとを引きずり下ろす醜(みにぐ)き心を去り、
自己があくまでも向上して、美しき人類の理想を成就することによって
聖者と等しきレベルにまで到達しなければならないのである。

大海に溺れつつあるある者どもが、お互いに他を引き下ろして、それによって、
自己が浮き上がろうとするのは醜悪である。

他を賤しめ軽んずることによって、ひそかに自己を偉大ならしめようと努力するくらい
みじめな動物的行為はないのである。他を軽んずることは、自己を軽んずることである。
他を醜くすることによって、まっさきに自己が醜くなるのである。

『従容録』には自分の口を血に染めて他人に吹きかけると書かれている。

常不軽菩薩は、すべての人々を仏様(ほとけさま)だと言って拝んだのである。
釈尊は山川草木国土有情非情すべてことごとく仏なりと観ぜられたのである。
わたしだけが偉大だとも、彼だけが仏で、他は俗物だとも観じたのではなかったのである。

われわれはすべての人々を自己と同等のレベルにまでコキ下ろす劣悪を知っている。
しかしさらにそれよりやや進歩した劣悪として、特定の人々のみを尊敬するが、
他はことごとく”うじ虫”奴(め)らであると思う愚かさを知るのである。

それはただ、自己のうちに、他の偉大さをみとめる美点のあることを誇示し、
それによって自己を偉大ならしめ、さらに他を軽んずる快感をも
同時にむさぼろうとする鵺(ぬえ)的存在である。

山川草木皆これ仏であると拝む仏様からは縁の遠い人々である。

         <感謝合掌 令和元年7月19日 頓首再拝>

《内に宿る霊(たましい)の叫び》 - 伝統

2019/08/09 (Fri) 04:56:47


      *『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P185) より

肉体は個々別々の存在であり、自他分離の存在であるが、
霊(たましい)から言えば、「個人の霊」は神なる「普遍霊」の
一部が人間に宿っているのである。

だから自己の「内に宿る霊(たましい)」の叫びに耳傾けると云うことは、
同時に「普遍霊」の導きに対して耳傾けると云うことにもなるのである。
それから無限の智慧の導きが湧き出てくるのである。

 
この「内部の霊(れい)」の呼び掛けが私たちの道徳生活に対して
あらわれて来る場合には、これを「良心の叫び」と言い、

日常生活での導きや、発明発見等の場合の導きとしてあらわれて来る場合には、
これを直観とか直覚とは呼びのである。

それは普遍霊の導きが、普遍霊の分霊なる
「霊(たましい)の自我」を通してあらわれて来るのである。

私たちがこの「霊(たましい)の自我」の導きに心の耳を傾け、
その導きの通りに実践するならば、

現実生活が健康と愛と繁栄とを実現せる
「実相そのまま」の天国となるのである。

         <感謝合掌 令和元年8月9日 頓首再拝>

《地上生活学校への入学》 - 伝統

2019/08/23 (Fri) 04:59:56


        *『生活の智慧365章』
          (第3部歓喜の泉)第4篇(P97~98) より

宇宙の本源でありところの大生命界を“海”と考えるならば、
吾々はその海面に浮かび上がった一つ一つの波だとも
考えることができるのである。

併し、波は次の瞬間には消えてしまっているけれども、
人間の生命(せいめい)は須臾(しゅゆ)にして消えるものではないのである。

仏教者の或る人は、肉体を盃にたとえ、
盃に海水を盛ったように肉体に大生命の一部を汲み入れたのが人間であるが、

その盃が壊れると、盃の中の海水は大海原の水と一如になってしまうのと
同じように人間の肉体がこわれると、その人の生命(せいめい)は個性も何も
なくなって、”宇宙の霊”に帰一してしまうという風に説く人があるけれども、
それは間違いである。

善人も悪人も、修行をした人も修行をしない人も、
肉体の死後は、全然、同一の大生命海に融けこんでしまうのだったら、
何のために、吾々は切実に道を求め、魂の向上を願うような衝動が
内部から起こってくるのであろうか。

そのような不合理のことはある筈はないのである。

吾々の肉体は霊魂が地上に於いて或る修行をし、
或る使命を果たすための”法服”又は”作業服”であって、

肉体が人間そのものではないから、
肉体が死滅しても霊魂は個性を失ってしまうことはなく、
また別の肉体を着て地上生活学校に入学してくることになるのである。

         <感謝合掌 令和元年8月23日 頓首再拝>

あらゆる艱難は魂の発達のための栄養だ - 伝統

2019/09/05 (Thu) 04:03:17


       *『人生の秘訣365章』第5篇(P131~132) より
        ~《逆境にも感謝せよ》

現在あるところのものに感謝せよ。
そこからあなたは欲するところへ跳び込むことができるのである。

現在ある境遇から“屈従”の印象や“不運”の印象を受けてはならない。
自己に内在する“無限の可能性”を心に印象するように努力せよ。

現在の不完全な状態を呪ってはならないのである。

呪うと云うことは、そのものを恐れているからである。

其処にヨブの言ったところの

「わが恐れたるところのもの凡てわれに襲いかかれり」

と云う心の法則がはたらくことになるのである。

だから現在あるところのものを呪うかわりに祝福し感謝せよ。
如何なるものも、その人の現在にとって、
魂の栄養にならないものはないのである。

怠惰や快楽を求める肉体的境地からは、
艱難は好ましからざるものかも知れないけれども、

常に魂の発達から考えれば、あらゆる艱難はその受け方次第で
魂の発達のための栄養だと云うことが出来るのである。

         <感謝合掌 令和元年9月5日 頓首再拝>

魂の”向上と進化”の意味するもの - 伝統

2019/09/19 (Thu) 04:14:47


      *『神と偕に生きる365章』(P201)より

魂そのものの向上と進化というものは何を意味するのであろうか。

それは自己の生命の本質が“神の子”なることを一層深く自覚して
智慧(真理の理解とその応用)と、愛と、行動力(行動の勇気と、
行動範囲と、行動速度と行動の的確性)との増進を意味するのである。

つまり、その人の魂の“神”なる神通自在性を、
より多く発揮し得るようになることである。

快楽や苦痛は、それに誘導して行くための甘味料や香辛料であって、
行動の食欲を増すために与えられるものであって、
人生の目的そのものではないのである。

         <感謝合掌 令和元年9月19日 頓首再拝>

すべての境遇は、魂を向上させる学科である - 伝統

2019/09/27 (Fri) 03:55:51


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月27日)より

われわれは自分が与えられた環境、
または境遇から逃げ出そうと考えてはならないのである。

環境、境遇においてあらわれて来る様々の出来事は、自己の人格を鍛錬し、
性格を磨きあげ、魂を向上させるための学科であるのである。

もしわれわれがそれから逃げ出すことによって安易を求めるならば、
その人は決して人格を鍛錬することはできないし、
強き性格を築きあげることはできないし、
魂を向上させることはできないのである。

われわれは与えられた環境または境遇と取り組んで、
それを征服しえたときにのみ強き性格を築きあげ、
魂を向上させることができるのである。
これはけっして受難を礼讃する意味ではない。

われわれは「難」をも「楽」をもともに克服しうる人とならなければならないのである。

             <感謝合掌 令和元年9月27日 頓首再拝>

喜びの心で、すべての体験を受け入れる - 伝統

2019/09/28 (Sat) 04:49:08


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月28日)より

この世界は不幸または苦難の連続だと考える人があるけれども、
けっしてこの世界は不幸や苦難の連続ではないのである。

魂の向上のために与えらた体験を避けようと思うときにのみ、
それは不幸と感じられ、苦難と思われるのである。

困難を迎え撃つ態度にかわるとき、
それは悦んで上級学校の科目を教えられる喜びに変わるのである。
体験を通して、魂は何事かを獲得する。

それは釣竿に魚のかかったときのようなスリルであり、
猟師が獲物を得たときのような喜びを獲得することができるのである。

人生の行路を険しいと言って嘆いてはならない。
それをハイキングの喜びやスキーの楽しみにかえるのは
それを受ける心の態度である。

             <感謝合掌 令和元年9月28日 頓首再拝>

《人生の問題は向上の段階》 - 伝統

2019/10/13 (Sun) 02:32:44


         *『 生長の家 』(昭和23年3月1日の法語)より

   人生の問題は
   エスカレーター見たいなものである。

   それに乗る事によって
   人間の魂は進歩する。

   それを避ける事によっては
   人間は一層高き段階に上る事が出来ない。

   併し人間は完全な自由を許されているから、
   みずから進んで其のエスカレーターに乗らない事も可能である。

   併し問題を避ける事によっては
   人間は進歩しない。

   問題は 人間を一層高い世界へ誘う招待状みたいなものである。

   問題の解決は 唯 上昇の足場に過ぎない。
   いかにそれを扱うかの心境に魂の進歩がある。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13096845.html?type=folderlist

             <感謝合掌 令和元年10月13日 頓首再拝>

滅多に生まれられない - 伝統

2019/10/26 (Sat) 04:09:13


      *Web:ツキを呼ぶ感謝のことのはブログ(2009年8月14日)より

お釈迦様と弟子のアーナンダが交わしたお話を思い出しましたので、
ひとつご紹介いたします。


お釈迦様はある時、アーナンダと共に道を歩いていました。

立ち止まってしゃがみこんだお釈迦様は、
地面の土をつまんで爪の上にのせ、
アーナンダに振り向いて、こう言いました。

「アーナンダよ、この爪の上にのっている土と、
地面にある土は、どちらが多いと思いますか」

アーナンダは、お釈迦様の爪の先についた土と足元の地面の土をじっと見比べて、
さも当たり前という表情でこう答えました。

「お釈迦様、それは地面の土の方が間違いなく多うございます。
爪の上の土はほんのちょっぴりです」


すると、お釈迦様は、アーナンダに、やさしい笑顔を向けて、

「アーナンダ、その通りですね。
この世に命をいただいて、生まれてくるものは、
この地面の土ほどたくさんあります。

しかし、人間として生まれてこられるものは、
この爪の上の土ほどしかないんです。

人間には滅多に生まれられないんです。
ですから、命というものは本当に大切にしていかなければならないんですよ」

とおっしゃいました。


生きていると、つらく、悲しく、苦しいことがたくさんあると思いますが、
この世に人として生まれてくるのは大変に難しいようです。

自ら願い、祈って、永年待ち続けて、ようやくこの世にやってこれるそうです。

ですから、この世に来ている人は、
全員が、「自ら願い求めてやってきた人」ばかりなのですね。

修行のため、魂の成長のために、その理由の記憶を今は損なっていますが、

「自分がなぜあんなにも激しく、
切なくこの世にやってきたかったのはなぜなのか」

「自分がこの世にやってきてやろうとしていたことは何なのか」

そうしたことを考えてみる機会として
このお盆という季節を過ごしてみるのも時にはいいかもしれませんね。

  ( http://kansya385.blogspot.com/2009/ )

             <感謝合掌 令和元年10月26日 頓首再拝>

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