伝統板・第二

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吉田松陰・一日一語 - 夕刻版

2018/04/01 (Sun) 19:32:39

          *「吉田松陰・一日一語」川口雅昭 (編集) より

吉田松陰・一日一語 4月1日~10日


【 4月1日 】 「晩節を全うするに非ざれば」

国強く勢い盛んなる時は、誰も忠勤を励むものなり。
国衰え勢い去るに至りては、志を変じ敵に降り主を売るに類寡からず。

故に人は晩節を全うするに非ざれば、
何程才智学芸ありと雖も、亦何ぞ尊ぶに足らんや。
盟主に忠あるは珍しからず、暗主に忠なるこそ真忠なれ。

          ・・・

国が強く勢いが盛んな時には、誰でもまごころを尽くすものである。
しかし、国が衰え、勢いが去ってしまうと、
志を変えて敵に降参し、主人を売るようなタイプの人間も少なくない。

人は晩年の節操を全うするものでなければ、
どれ程才能があり、頭の回転が速く、幅広い知識があったとしても、
尊敬するほどの価値はない。

立派な主人に仕えてまごころを尽すことは、珍しいことではない。
愚かな主人にまごころを尽すことこそ、本当の忠臣である。


・・・

【 4月2日 】 「禽獣に異なる所以」

学問の道、禽獣に異なる所以を知るより要なるはなし。

           ・・・

学問においては、人と禽獣との違い、
つまり人間は鳥や獣とどこが違うのか、
ということを知ることが最も重要である。

・・・

【 4月3日 】 「友とは」

友とはその徳を友とするなり。

         ・・・

友とはその人徳を友とするのである。
簡単なようで一番難しいことです。

友達・・・遊ぶ友はいても悩み、苦しみを相談でき、
親身になってくれる友は何人いるだろう。

・・・

【 4月4日 】 「人に交わるの道」

凡そ人に交わるの道、怨怒する所あらば、直ちに是れを忠告直言すべし。
若し忠告直言すること能わずんば、怨怒することなきに若かず。

君子の心は天の如し。
怨怒する所あれば雷霆の怒を発することあれども、
其の事解くるに至りては又天晴日明なる如く、一毫も心中に残す所なし。

是れ君子陽剛の徳なり。

          ・・・

人と交際する際には、怨み怒るようなことがあれば、
直ちに遠慮なく、自分の信ずるところの、まごころをもって指摘し、
戒め諭すべきであろう。

もしも、それができないのであれば、最初から怨怒などしないほうがいい。

心ある立派な人の心は空のようなものである。
怨怒することがあれば、雷のように怒りを発することもあるが、
それが終われば再び、雲一つない青空のように、
その気持ちを心の中に残す、ということはない。

これを君子の太陽のような、強く堅固な徳という。

・・・

【 4月5日 】 「肯綮を得る」

書は肯綮を得るを貴ぶ。

         ・・・

読書というものは、その「急所」の意味をよく理解して、
自分のものとすることが大切である。

ただ読むだけでなく、何を得るのかをよく理解しなくては
折角の読書も無意味に終わってしまうのだろう。

・・・

【 4月6日 】 「我は我たり」

汝は汝たり、我は我たり。
人こそ如何とも謂え。

         ・・・

お前はお前である。私は私である。
人は何とでもいえ
自分は自分である己の信念を信じよということか。

・・・

【 4月7日 】 「心程」

心程人の能く知るものはなし。
耳目四体は相見ざれば或は知らず。

心に至りては一見せずと云へども、名を好み利を好み、
徳を好み勇を好むの類、一として人目に逃るる所なし。

畏るべきの至りと云ふべし。
然れども是れ亦頼母敷の至りと云ふべし。 安政3年3月26日「講孟?記」

           ・・・

心ほど、人がよく知っているものはない。
耳目や全身は直接会わなければ分からないであろう。

しかし、心は会わなくても、名誉を好むとか、利益を好むとか、
また、徳を好むとか、勇気を好むということは、
一つとして、人に知られないものはない。

最も恐るべきことというべきである。
しかしながら、同時に最も頼もしいものというべきである。

・・・

【 4月8日 】 「貴き物の己れに存在するを」

人々貴き物の己れに存在するを認めんことを要す。

           ・・・

人間は人として大切なものが生まれつき
自分の中に存在していることを認めることが大切である。

・・・

【 4月9日 】「一日此の世にあれば」

人一日此の世にあれば一日の食を食い、一日の衣を着、一日の家に居る。

何ぞ一日の学問、一日の事業を励まざるべけんや。

           ・・・

人は一日この世の中にいれば、
一日分の食事をし、一日分の衣服を着、一日分、家にいるのである。

とすれば、一日分の学問、一日分の事業に励まなければいけない。

・・・

【 4月10日 】 「武士たる所は」

武士たる所は国の為に命を惜しまぬことなり。

弓馬刀槍?の技芸に非ず。
国の為に命さへ惜しまねば、技芸なしと云えども武士なり。

           ・・・

武士が武士である所以は、国家のために命を惜しまないことである。

弓、乗馬、刀、槍、小銃や大砲などの技術があるからではない。
国家のために命を惜しまないようなら、技術がないとしても立派な武士である。

・・・

<関連Web>

吉田松陰については、先代の掲示板において、次のWebがあります。

(1)“本流宣言”掲示板」

  ①吉田松陰精神に学べ  (全文) (4729)
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=994   

  ②松陰スピリッツ (4756)
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=998  

(2)「光明掲示板・第一」として、

   吉田松陰 (2876)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=581   

(3)「光明掲示板・第二」として

  ①吉田松陰~『留魂録』
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=507   

  ②千代(松陰の妹)から見た吉田松陰 (4255)
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=902  

  ③成人式(元服)での吉田松陰の言葉 (4558)
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=956   

  ④花燃ゆ~吉田松陰の末妹「文」の生涯 (11226)
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2140   


(4)光明掲示板・第三「吉田松陰 (1324)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=267

(5)光明掲示板・伝統・第一「吉田松陰」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=62

(6)伝統板・第二「吉田松陰」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6814974

(7)伝統板・第二「吉田松陰の留魂」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6814974

(8)伝統板・第二「吉田松陰②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7656679

            <感謝合掌 平成30年4月1日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 4月11日~20日 - 伝統

2018/04/12 (Thu) 18:36:41

【 4月11日 】 「心一杯の事を行ひ尽す」

一事より二事、三事より百事千事と事々類を推して是れを行ひ、
一日より二日、三日百日千日と、日々功を加へて是れを積まば、
豈に遂に心を尽すに至らざらんや。

宜しく先づ一事より一日より始むべし。 

           安政3年5月14日「講孟剳記」

          ・・・

【訳】

一つのことより二つ、三つより百、千のことと、
一つのことから他のことと押し広めて実行し、
一日より二日、三日より百日、千日と努力をして功績を積み上げていけば、
どうして、心を尽くすことができるようにならないであろうか。

必ずできるようになる。
志を立てたならば、まず一つのことから、思いついたその日から始めるべきである。

・・・

【 4月12日 】「真心を行ふを貴ぶ」

男子事を立つる、真心を行ふを貴ぶ。 

        安政6年2月上旬「※入江杉蔵あての書翰」

          ・・・

【訳】

男子がことを行う時には、まごころを尽くすことが大切である。

※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。


・・・

【4月13日】 「一日此の世にあれば」

人一日此の世にあれば一日の食を食ひ、一日の衣を着、一日の家に居る。
何ぞ一日の学問、一日の事業を励まざるべけんや。 

                安政3年5月14日「講孟剳記」

          ・・・

【訳】

人は一日この世にいれば、一日分の食事をし、
一日分の衣服を着、一日分、家にいるのである。
とすれば、一日分の学問、一日分の事業に励まなければいけない。


・・・

【4月14日】 「よしあし事もいはばいへ」

世の人はよしあし事もいはばいへ賤が心は神ぞ知るらん。 

        安政元年4月19日「※白井小助あて書翰」

          ・・・

【訳】

世の人は、(私の)よきことも悪しきことも、いいたければ、好きにいったらいい。
私の心は神様だけが知っていてくださるのだから。

※長州藩の重臣 浦氏の家来 白井小助。江戸遊学以来の友人。
下田事件時、松陰のために奔走した。


・・・

【4月15日】 「片意地者に非ざれば」

人は小事にても是非善悪必ず信をば失はぬと云ふ片意地者に非ざれば、
何事も苟且のみにして、執持する所はなきものなり。 

                 安政3年4月15日「講孟剳記」

          ・・・

【訳】

人間はどんな小さなことでも正しいか正しくないか、よいか悪いか
という点において信念を失わないという頑固なものでなければ、
何をさせてもちょっとしたことしかできす、しっかりとしたことを行うことはできない。


・・・

【4月16日】 「暫時の間なり」

今世学問をする者己れの年少を恃み、何事も他日と推延ぶる者あり、
殊て知らず、人生一世間、
※白駒の隙を過ぐるが如し、仮令百年の命を全くすとも、誠に暫時の間なり。 

                 安政3年5月14日「講孟剳記」

          ・・・

【訳】
今、学問をするものは、自分がまだ年少であるということを口実として、
何事につけても、いつの日にか、などといって、実行を延期するものがいる。

人生というものは、「白駒の隙を過ぐるが如し」といわれるように、
歳月の過ぎ去ることは、大変早いというこがどうして分からないのであろうか。

たとえ百年生きたしても、本当にわずかな間でしかないのに。

※荘子の著書『荘子』の言葉。荘子は、中国の戦国時代、宋国に生まれた思想家。
道教の始祖の一人とされる人物。


・・・

【4月17日】 「道義の外に」

道義に従ひて禍罪に遇ふは其の道を尽すの極にして、
凡そ人は道義の外に行くべき処なし。 

                    安政3年5月14日「講孟剳記」

          ・・・

【訳】

人の行うべき正しい道に従い、その結果として、災難や刑罰に遭遇するのは、
その正しい道を尽くした果て、というべきである。
だいたい、人は人の行うべき正しい道以外に行くべき所はない。


・・・

【4月18日】 「強恕の道」

強恕して行ふ、仁を求むることこれより近きはなしとは、何等の親切の教ぞや。
大儀なることを勉強してすると、人の情を思ひ遣りて己の行ひをすると
より学問は始まることにて、是れ強恕の道なり。 

                     安政3年5月14日「講孟剳記」

          ・・・

【訳】

強恕、つまり大いに努力し、まごころから人をおもいやることこそ
仁を求めるには最も近い方法である。
とは本当に親切な教えであるなあ。

骨の折れることを強いて行うこと、また人の気持ちを思いやりながら
自分が実践することから学問は始まるのである。
これが孟子のいう強恕という生き方である。


・・・

【4月19日】『武士の恥を知らざること』

君子は徳義なきを恥、小人は名誉なきを恥ず。
君子は才能なきを恥、小人は官禄なきを恥ず。
小人の恥ずるところは外見なり。君子の恥ずるところは内実なり。

そもそも恥じの一字は本邦武士の常言にして、恥を知らざる程恥なるはなしなし。
武士の恥を知らざること今日に至り極まれり。

          ・・・

【訳】

心ある立派な人は、人として踏み行うべき義理の心が足らないことを恥じ、
つまらない人は名誉がないことを恥じる。

君子は才能がないことを恥じ、小人は官位や俸禄がないことを恥じる。

小人が恥じるのは外見である。

君子の恥じるには心の内面である。
だいたい恥という一字は我が国の武士が常に口にする言葉である。
恥を知らないとほど恥ずかしいことはない。

その武士たる者が恥を知らないこと、今日ほどひどい状態は未だかつてない。


・・・

【4月20日】 「賢者の楽しむ所は」

賢者の楽しむ所は道のみ、好む所は善のみ。
勢位利禄、一も心に入ることなし。 

               安政3年5月17日「講孟剳記」

          ・・・

【訳】

心ある立派な人が楽しむのは、人としての正しい道だけである。
また、好むのは、善だけである。
権勢や地位、利益、俸禄などは、一つとして心にかかることはない。

            <感謝合掌 平成30年4月12日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 4月21日~30日 - 伝統

2018/04/22 (Sun) 19:24:50

【4月21日】 「決して言はれぬなり」

各々其の職の上に於て、天命時運と云ふことは決して言はれぬなり。
(中略)
己が職を自ら廃し、是れを時運天命に附せば、
不忠不孝、不仁不義、皆時運天命になるなり。 

          安政3年5月17日「講孟剳記」

【訳】

それぞれの人が、自分の職務上のことについて、
天によって定められた宿命であるとか、
時の巡り合わせであるなどということは、決していうことはできない。

(中略)

自分の職責を自分から放棄し、これを時運や天命の責任というのであれば、
不忠、不孝、不仁、不義なども、みんな時運、天命となってしまう。

・・・

【4月22日】 「勇なくんば」

人苟も勇なくんば、仁智並びに用をなさざるなり。 

         安政3年5月20日「講孟剳記」

【訳】

人は真の勇気というものがなければ、
慈しみ、思いやりの心や物事を理解し、
是非・善意を弁別する心をもっていたとしても、
何の役にも立たない。

・・・

【4月23日】 「事省くべく」

事省くべく、事省いて而して志専らにすべし。
志専らならば則ち奇策雄論論往々将に得る所あらんとす。 

嘉永4年4月21日「※阿兄に与ふ」

【訳】

くだらない世事は省略するべきである。
省略して、今抱いている志に専念すべきである。
専念すれば、奇抜な策略やすばらしい考えが、やがて思い浮かぶことであろう。

・・・

【4月24日】 「かくすれば」

かくすればかくなるものとしりながら、やむにやまれぬやまとだましひ  

          安政元年4月24日「獄中より※家兄伯教に上る書」

【訳】

このようなこと(※下田事件のこと)をすれば、
このようになるということは知ってはいた。
しかし、それでもやらねばならなかったのは私の大和魂ゆえである。

※1 この歌は実際には、安政元年(1854)4月15日、
   下田事件後、下田から江戸伝馬町獄へ護送される途中、
   泉岳寺の前を通過した時に歌ったものである。

※2 兄 杉梅太郎。字は伯教。生涯、松陰を理解し、助けた。
   後、民治と改名した。

※3 安政元年(1854)3月27日の夜半、松蔭が下田停泊中の米艦に乗り込んだ事件。
   密航とされているが、私の研究では、ペリー刺殺が主目的であった。

・・・

【4月25日】 「学と云ふものは」

凡そ学問の道死して後已む。
若し未だ死せずして半途にして先づ廃すれば、前功皆棄つるものなり。
学と云ふものは進まざれば必ず退く。

故に日に進み、月に漸み、遂に死すとも悔ゆることなくして、始めて学と云ふべし。  

                 安政3年5月23日「講孟剳記」

【訳】

大体、学問というものは、死ぬまで継続すべきものである。
もしも、死んでもいないのに、途中でやめてしまえば、
それまでの努力して得たものは全て捨ててしまったことになる。

学問というものは、進まなければ、必ず後退するものである。
だから、日に進み、月に進み、その結果、死ぬとしても
後悔することがないようになってこそ、初めて学問ということができる。

・・・

【4月26日】 「一善を行へば」

一善を行へば一善己れに存す。
一益を得れば一益己れに存す。
一日を加ふれば一日の功あり。
一年を加ふれば一年の功あり。

人を教ふる者かくこそ言ふべし。  

        安政3年5月23日「講孟剳記」

【訳】

一つのよきことを行えば、その善は自分のものとなる。
一つの有益なものを得れば、それは自分のものとなる。
一日努力をすれば、一日の功績がある。
一年の努力をすれば、一年の功績がある。

人を教えるものは、このようにこそ(門人を)教え導くべきものである。

・・・

【4月27日】 「一世の風俗を以て」

平士の職は一身の脩治を本とし、一世の風俗を以て己が任となすべし。 
 
                 安政3年5月28日「講孟剳記」

【訳】

平士たるものは、自分一身を修めることを根本とし、
その時代の風俗をよきものとすることを、自分の任務と自覚すべきである。

 

※平士:一般の藩士で、役職に就いていない武士。

・・・

【4月28日】 「万事自ら」

文王を待ちて而る後に興る者は凡民なり。
夫の豪傑の士の若きは文王なしと雖も猶ほ興る。
凡民と豪傑の分を明かに知るべし。

豪傑とは万事自ら創して敢へて人の轍跡を践まぬことなり。  

            安政3年5月17日「講孟剳記」

【訳】

文王のような心のある立派な王の指導を受け、
その後で意気を奮い起こすようなものは凡民、一般の民衆である。

豪傑、つまり傑出した人物というものは、
文王の指導を受けなくても、みずからの力で興起するものである。

凡民と豪傑との違いをはっきりと知るべきである。
武勇にすぐれ肝っ玉のすわっている人は何事も自分で創意工夫するものであり、
決して他人の行った真似などはしないものである。

※文王:?~紀元前11世紀ごろ。 中国の周朝の始祖。

・・・

【4月29日】 『国の存するや自ら存するなり』

国の存するや自ら存するなり。
あに外に待つことあらんや。外に待つことなし。
あに外に制せらるることあらんや。外に制せらるることなし。
故に能く外を制す。

           安政元年冬「幽囚録」

【訳】

国家というのは自ら存在するものである。
どうして外国の御機嫌などを窺う必要があろうか。必要はない。
また、どうして、外国の指導などを受ける必要があろうか。ありはしない。
そういう自立した国家であってこそ、初めて外国をおさえることができるのである。

・・・

【4月30日】 「徳を以て」

師弟朋友皆徳を以て交はる者なり。
挟む所あるべからず。 

       安政3年5月29日「講孟剳記」

【訳】

先生と弟子、友達同士、みなそれぞれ人徳をもって交際しているのである。
自分の身分や地位などを心にたのみ鼻にかけるべきではない。

            <感謝合掌 平成30年4月22日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 5月1日~10日 - 伝統

2018/05/04 (Fri) 18:13:50


【 5月1日 】 「已(や)まざる所なし」

已(や)むべからざるに於て已(や)む者は、已(や)まざる所なし 

          安政3年5月29日「講孟剳記」

【訳】

人としてやめてはならいないことを平気でやめてしまうようなものは、
どんな大切なことでもやめないことはない。


・・・

【 5月2日 】 「畢竟一誠なり」

人(ひと)唯(た)だ一誠(いっせい)あり、
以て父に事(こと)ふれば孝、
君(きみ)に事ふれば忠(ちゅう)、
友(とも)に交(まじ)はれば信(しん)。
此の類(たぐい)千百、名(な)を異(い)にすれども、
畢竟一誠なり。 

                 安政3年5月29日「講孟剳記」

【訳】

人にはただ一つのまごころをもって、
父に仕えれば孝となり、
君主に仕えれば忠となり、
友と交際すれば信義となる。

このようなことは大変多く、名前は異なっているが、
つまるところはただ一つ、「まごころ」である。

・・・

【 5月3日 】 「乱とは」

明(みん)の葉向高(しょうきょうこう)曰く
「乱(らん)とは禍変の説に非ざるなり、
法紀凌(ほうきりょう)遅(ち)し人心囂競(ごうきょう)す。
即ち是れを乱と謂ふ」と。

                 安政2年「獄舎問答」        


【訳】

明の葉向高がいっている。

「(国家)が乱れるというのは、
災いとなるような騒動をいうのではない。

(国民に)法律など、規則を守る心が次第に衰退し、
人々が栄達のみを求めて、争い騒ぐ状態となること。これを乱という」と。

・・・

【 5月4日 】 「仁人は天下に敵なし」

仁人(じんじん)は天下に敵なし

                 安政3年6月4日「講孟剳記」

【訳】

慈愛の深い人には、この世に敵はいない。

・・・

【 5月5日 】 「大丈夫斯の世に生まれては」

大丈夫斯の世に生まれては、志を立つる事高大なるを貴ぶ。

       安政4年10月3日「実之(さねゆき)、字(あざな)は賓卿の説」

【訳】

立派な男児はこの世に生まれたからには、
志は高く、大きいことを重視するものである。

・・・

【 5月6日 】 「碩学鉅師あらば」

学政必ずしも改めず、
唯(た)だ碩学(せきがく)鉅師(きょし)あらば文興らざるを得ず、
材士良兵あらば武(ぶ)隆(さかん)ならざるを得ず。

                 安政2年7月「獄舎問答」 


【訳】

教育にかかわる行政を必ずしも改めることはない。
ただ、大学者や真摯に学問をしようとする先生がおれば、
学問というものは盛んにならないことはない。

また、才能があり、心ある武士がいれば、
武道が盛んにならないことはない。


・・・

【 5月7日 】 「君子道義の交わりは」

君子の交(まじわり)は淡くして水の如く、
小人の交(まじわり)濃(こ)くして醴(あまざけ)の如し。
その味も知るべし。

君子道義の交(まじわり)は、淡き故に久しうして変ぜず、
小人利欲の交(まじわり)は濃き故に久しからずして変ず。

                 安政3年5月29日「講孟剳記」


【訳】

心ある立派な人の交際と言うのは、さっぱりしていて水のようである。
つまらない人間のそれは、濃厚で、甘酒のようである。
これをもって、交際のあり方を知るべきである。

君子の、人としてのあるべき正しい道にかなった交際は、
さっぱりとしているが故に、長期にわたり変わることがない。

小人の利益や私欲を目的とした交際は、濃厚であるが故に、
却って長続きせず、すぐに変わってしまう。

・・・

【 5月8日 】 「進むこと鋭き者は」

其の進むこと鋭(するど)き者は、
其の退(しりぞ)くこと速(すみや)かなりと。

已(や)むべきに於いて却って已(や)めず、
薄くする所に於いて却って厚くする者、
一旦の奮激(ふんげき)にてすることにして、
真に誠より発し終始衰えざる者に非ず。

故に其の進鋭の時に方(あた)りては、
已(や)めざる者も厚き者も或は及ばざることあり。

而(しこう)して其の退くの速やかなる、
時去り勢い変じ、索然(さくぜん)跡(あと)なきに至る。

                 安政3年5月29日「講孟剳記」


【訳】

調子よく進む者は、退くことも早いという。

やめるべき時にやめず、適当でいい時に、かえって手厚くする者は、
一時的な感激で行っているだけである。

本当にまごころから行い、ずっと(そのきもちが)衰えない者ではない。

だから、その調子よく進めている時には、
やめない者も、手厚くする者も、
(心あるひとでも)とても及ばないように見える。

しかしながら、(そのような調子のいい人間は)退く素早さといえば、
時勢が去り、勢いが変われば、全く跡形もなくなるようなものだ。


・・・

【 5月9日 】 「豈に人に由らざらんや」

忠孝仁義の訓(おしえ)は経籍(けいせき)にあれども、
其の躬行(きゅうこう)心得(しんとく)に至りては
豈(あ)に人に由(よ)らざらんや。

                 安政3年6月4日「講孟剳記」


【訳】

忠孝仁義という教えは、儒学の経典にはあるが、
それをみずから実際に行い、心に刻むということは、
どうして人によらないことがあろうか。
ありはしない。


・・・

【 5月10日 】 「天下の理勢明白的切」

人の父を敬すれば、我が父を敬す。
人の兄を敬すれば、人我が兄を敬する。

天下の理勢(りせい)明白(めいはく)的切(てきせつ)、
斯くの如し。

                 安政3年6月4日「講孟剳記」

【訳】

人の父を敬えば、(その人は)私の父を敬ってくれる。
人の兄を敬えば、私の兄を敬ってくれる。

人の世のなりゆきというものは、明らかで疑う余地がなく、
全く人情と一致している。
まさにこのようなものである。

            <感謝合掌 平成30年5月4日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 5月11日~20日 - 伝統

2018/05/13 (Sun) 17:31:17


【 5月11日 】 『大才能の人は』

君子の人を教うるは、人君の人を用うると異なることなし。
人を用うるの法、大才能の人は始めより大任重職を命ず。

而して其の人亦自ら奮励し、
大いに其の忠思をのぶること、猶ほ時雨の化するが如し。

若し大才能の人を瑣事賤役に役使すれば、其の人必ず厭怠して之が用たらず。
教えも亦然り。

                 安政3年5月29日「講孟剳記」

【訳】

心ある立派な人が人を教えるというのは、殿様が人を任用することとちがいはない。
人を任用する方法は、すばらしい才能を持っている人には、
最初から大きな任務や重要な職を命じる。

すると、その人は更に自分から発奮して、大いに忠なる思いを発揮するだろう。
それは、時雨が自然に天地の万物を生じ育てることと一緒である。

もしも、すばらしい才能を持った人をつまらない仕事や使役などに使えば、
その人は必ず嫌気を起し、役に立たなくなってしまう。
人に教えるということもまた同様である。

・・・

【 5月12日 】 「塾とは」

今の学ぶ所の※四書五経は、皆聖人の学なり。
然るに善の善に至らざるは、塾の一字を闕(か)くなり。

熟とは口にて読み、読みて熟せざれば心にて思いひ、思ひて熟せざれば行ふ。
行うて又思ひ、思ひて又読む。
誠に然らば善の善たること疑ひなし。 

             安政3年3月28日「講孟剳記」

【訳】

今人々が学んでいる四書五経は、孔子、孟子が説いた教えを記したものである。
それなのに、善の善たる境地に達することができないのは、
「熟」という一字を欠いているからである。

「熟」とは、口で読み、読んで熟さないなら、
思索、つまり、物事のすじみちを立てて深く心で考え、
思索しても熟さないならば行動する。

行動して、また、思索し、思索してまた読む。
本当にこのように努力すれば、「熟」して、
善の善なる境地に達することは、疑いないことである。

※四書とは、『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』。
五経は、『易経』・『詩経』・『書経』・『春秋』・『礼記』をいう。

・・・

【 5月13日 】 「心ならずの処に」

都(すべ)て人は心ならずの処に真情は発するものなり。
慎まざるべけんや。
是れを慎まんとならば、亦平素独りを慎み誠を積むにあるのみ。 

                 安政3年6月4日「講孟剳記」

【訳】

全て人というものは、思いがけないところで不用意に、
そのいつわりのない心(本心)を現するものである。

慎まなければならない。
慎もうとすれば、また、日頃、自分自身を慎み、
まごころを積み重ねていくだけである。

・・・

【 5月14日 】  仁とは人なり

5月14日 「仁とは人なり」

仁とは人なり。
人に非ざれば仁なし。
禽獣是れなり。

(中略)

世には人にして仁ならざる者多し。
又人を離れて仁を語る者最も多し。
今の読書人皆是れなり。 

              安政3年6月7日「講孟剳記」

【訳】

仁とは、人が人である根本である。
人でなければ仁はない。
鳥や獣がこれである。

(中略)

世の中には、人であっても仁のないものが多い。
また、(自分のことを棚に上げて)仁を語るものが最も多い。
今の書を読む人はみんなそういう類である。

・・・

【 5月15日 】 唯(た)だ人の善のみを見る

余平素行篤敬ならず、言忠信ならずと云へども、
天性甚だ柔懦迂拙なるを以て、平生多く人と忤はず、

又人の悪を察すること能はず、唯だ人の善のみを見る。 

               安政3年6月7日「講孟剳記」

【訳】

私は日頃、行いは忠実でも慎み深くもなく、言葉は誠実でも正直でもないが、
生まれつき、大変臆病で、世間の事情にうとく、愚かな性格なので、
普段は人と衝突しないようにしている。

また、人の悪い所を探し出すことができず、
ただ人のよき所だけを見るようにしている。

・・・

【 5月16日 】 政を為すの要は

政(まつりごと)を為(な)すの要(よう)は、
人々をして鼓舞(こぶ)作興(さっこう)して、
各々(おうおう)自(みずか)ら淬励(さいれい)せしむるにあり、

(中略)

而(しこう)して其の術(すべ)・賞罰の二柄(にへい)にあり。

                 安政2年6月朔日「福堂策」

【訳】

政治を行う上でのポイントは、
人々を激励してやる気にさせ、それぞれが自分から努力しよう
という気持ちにさせることである。

(中略)

そして、その方法は、褒めることと叱ることの2つである。

・・・

【 5月17日 】 倏忽の間なり

山径(さんけい)の蹊間(けいかん)は、
是を用ふれば其の路(みち)を成すこと倏忽(しゅつこつ)の間なり。
又用いざれば茅草生じて是を塞ぐこともまた少頃(しょうけい)の間なり。
人の心も亦然り。

               安政3年6月7日「講孟剳記」

【訳】

山の中の小道は、毎日人が通れば道となることは瞬時のことである。
また、通らなければ、茅や草が生え、塞がってしまうことも暫時のことである。

心の雑草を取り続けなければ塞がってしまうことは、人の心も全く同じである。

・・・

【 5月18日 】 聖人の胸中は

聖人の胸中は常に多事にして楽しむ。
愚人の胸中は常に無事にして楽しまず。 

               安政3年6月7日「講孟剳記」

【訳】

心ある立派な人の胸の内は、いつも仕事が多くて、それを楽しんでいる。
愚かな人の胸の内は、いつも仕事がなくて、楽しんでいない。

・・・

【 5月19日 】 徳に周き者は

利に周(あまね)き者は徒(いたずら)に凶年其の身を殺す能はざるのみならず、
又能く人を賑救(しんきゅう)して、あわせて死せざらむるに足る。

徳に周(あまね)き者は徒(いたずら)に邪世(じゃせい)其の心を乱す
能はざるのみならず、又能く人を薫化(くんか)して乱れざるしむるに足るなり。 

               安政3年6月4日「講孟剳記」

【訳】

利益を得ることに用意周到なものは、農作物の実りの悪い年にも、
むやみにその身を死なせないだけでなく、
多くの人々を救って、更に死なないようにさせることができる。

徳を修めることに用意周到なものは、
よこしまで悪いことが横行している時代であっても、
その正しい心を乱さないだけではなく、
更に、人々を教化して、乱れないようにさせることができる。

・・・

【 5月20日 】 今を論じ難ければ

古を執りて今を論じ難ければ皆空論なり。  

                安政3年6月7日「講孟剳記」

【訳】

昔の事例をもって、今のことを論じることができないのであれば、
皆無益な議論である。

            <感謝合掌 平成30年5月13日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 5月21日~31日 - 伝統

2018/05/24 (Thu) 19:14:26


【 5月21日 】 地を離れて人なく

地を離れて人なく、人を離れて事なし、
人事を論ずる者は地理より始むと。

                安政3年6月10日「講孟剳記」

【訳】

土地を離れて人というものはない。
人を離れて営為というものはない。

だから、人の営為(えいい)を論じる場合には、
その人の生まれ育った地理から始めるべきである。

・・・

【 5月22日 】  義侠世群に絶す

天下の士に貴(たっと)ぶところは、人の為めに糾紛を解くにあり。
而も肯(あ)へて取るあらず、義侠世群(ぎきょうせぐん)に絶す。  

                安政5年正月4日「新年三十短古」


【訳】

天下の士たるものが重んじるのは、
人のために(世の中の)乱れやもつれを解決することである。
しかも、そのために、名利などはけっして求めない。

このような義侠心、男だてこそ、
世に比較するものがないほどに優れたものである。

・・・

【 5月23日 】 欲の陥り易くして

凡そ欲の陥り易くして悔い難きものは、
多くの忽(ゆるが)せにする所にあり。  

                安政3年6月10日「講孟剳記」

【訳】

だいたい、欲望というものが陥りやすく、
後から振り返って、悔やんでも悔やみきれないのは、
(心を)いい加減にしているところがあるからである。

・・・

【 5月24日 】 我が道に従はせ難きは

彼れの道を改めて我が道に従はせ難きは、
猶ほ吾れの万々彼れの道に従ふべからざる如し。  

                安政3年6月10日「講孟剳記」

【訳】

人の生き方を改めさせて、自分の生き方に従わせるが難しいのは、
なお、私が決して人の生き方に従うことができないのと一緒である。

・・・

【 5月25日 】 帰らじと思ひさだめし旅なれば

帰らじと思ひさだめし旅なればひとしほぬるる※涙松かな。  

                安政6年5月25日「涙松集」


【訳】

もう帰っては来ないだろう、と覚悟を決めた旅であるので、
一層涙にぬれる、この涙松だなあ。


※江戸時代、萩往還は、この松並木から、左に折れており、
 萩城下が見える最後の場所であった。

 安政6年(1859)のこの日、松陰は萩を発ち、江戸へ護送された。
 その時、「涙松」で詠んだ歌である。

・・・

【 5月26日 】 国を憂ふるを以て自ら任ず

抑々(そもそも)余が如き、正直国を憂ふるを以て自ら任ず。  

                安政3年6月10日「講孟剳記」

【訳】

私は、衷心より、国家を憂えることを自分の責任としている。

・・・

【 5月27日 】 忠孝の本

「君父の恩情を体認する」は是れ忠孝の本(もと)なり。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

「君主や父親の御恩を、体験してしっかり会得すること」は、忠孝の基本である。

・・・

【 5月28日 】 士の妻室たる者は

「士の妻室たる者は、士常に朝に在りて内を知らず、故に夫に代りて家業を戒む。
豈(あ)に懦弱(だじゃく)を以てせんや」と云ふは、実に至言なり。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

「武士の妻たるものは、武士が常に城に詰めていて、
家のことをを知らないのであるから、夫になり代わって、
家のことを一切取り仕切るものである。

どうして、軟弱で意気地のない態度でよかろうか。いけない」
という教えは、実に適切な言葉である。

・・・

【 5月29日 】 深き者は

世人(せじん)の、事を論ずる、
浅き者は事の成敗を視、深き者は人の忠奸を視る。
かくの如きのみ。  

                安政3年「叢棘(そうきょく)随筆」

【訳】

世間一般の人があることを論ずる際、
心ない人は勝ち負け、つまり、結果を重視して見る。
心ある人は、まごころかよこしまな心かを重視する。
こんなものである。

・・・

【 5月30日 】 士道と云ふは 

士道と云ふは、無礼無法、粗暴狂悖(きょうはい)の偏武にても済まず、
記誦詞章、浮華文柔の偏文にても済まず、
真武真文を学び、身を修め心を正しうして、
国を治め天下を平かにすること、是れ士道なり。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

士道、武士として踏み行うべき道義というものは、
礼儀にはずれたり、道理に合わなかったり、荒々しく乱暴で、
道義に背いた非常識な言動をするような偏った武ではいけない。

また、そらんじるばかりで、これを理解することに努めず、
また実践しない学問や、上辺ばかり華やかで内容がない、
という偏った学問でもいけない。

真の武、真の学問を学び、身を修め、心を正しくして、国家を治め、
天下を平らかにすること、これが士道である。

・・・

【 5月31日 】 事に練れて過誤なきに若かん

翁曰く「事為さずして過誤を免かるるは、
何ぞ事に練れて過誤なきに若(し)かん」と。

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

中谷翁がいわれた。
「何事もしないで、過ちを免れるよりは、仕事に熟練して、
過ちを犯さないようにするにこしたことはない」と。

楽をして難を逃れるのではなく、事に精通し努力してこそ難なく過ごせる。
だから人は努力をしなさいということだろう。


中谷翁:中谷市左衛門
    天保年間、村田清風を助けて、長州藩の藩校改革に尽力した。

            <感謝合掌 平成30年5月24日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 6月1日~10日 - 伝統

2018/06/02 (Sat) 19:18:12


【 6月1日 】 義より大なるはなし

士の道は義より大なるはなし。
義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。  

              安政2年3月「士規七則」

【訳】

武士の生きていく道は義、人として正しい生き方の他にはない。
それは勇気によって実行される。
また、勇気は正しい生き方のよって更に成長する。

・・・

【 6月2日 】 自ら励むことは中十年にある

大凡十歳前後より四十歳比迄(ころまで)、三十余年中(ちゅう)学問を勤む。
而して其の最も自ら励むことは中(ちゅう)十年にあるなり。  

              安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

だいたい、十歳前後から四十歳頃まで、三十余年間はずっと学問をするべきである。
そして、その中で、最も自分から精進すべきは中の十年間にある。

・・・

【 6月3日 】 傍人(ぼうじん)に礙(さわ)らず

傍人に礙らず、非礼を為さず、過言を出(いだ)さず。  

               安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

他人の妨げをしない、無礼なことをしない、(しゃべりすぎて)失言をしない。

・・・

【 6月4日 】 総べて酸辛(さんしん)

材を達し徳を成す総べて酸辛。  

               嘉永3年「先哲叢談前後編を読む」

【訳】

才能を伸ばし、人としての徳を身につけることは、辛く、苦しい。

・・・

【 6月5日 】 斯道(しどう)の塞がる所以

近時、風俗澆薄にして教化陵遅し、書を読む人は天下に満つれども、
道を求むる者は絶えてなくして僅かにあり。

而して其の自ら是(ぜ)とし自ら高ぶり、
先知は已(すで)に肯(あえ)へて後知(こうち)を覚(さと)さず、
後覚(こうかく)も亦肯へて先覚を師とせず。

是れ斯道の塞がる所以にして、志士の憂ふる所以なり。  

        安政2年9月18日「※太華山縣先生に与へて講孟剳記の評を乞ふ書」

【訳】

この頃は、風俗が軽薄になり、(後進を)教え導いて善に向かわせる、
という風潮が次第に衰えている。

本を読む人は多いけれども、人としての道を求めるものはおらず、
いたとしてもわずかでしかない。

そして、人々は自分の現状に満足し、尊大になり、
先知、つまり悟っている人は後知、まだ悟っていない人を指導しようとせず、
また、後知も先知を師としない。こ

れこそが、人の人たる道が行き詰まる理由であり、
心ある立派な人が憂えている理由である。

※山縣太華(やまがたたいか)。長州藩藩校明倫館の学頭。

・・・

【 6月6日 】 平生の言行各々其の遺命なり

明君賢将と暗君愚将とは平生に定まることなれば、
平生の言行各々其の遺命なり。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

立派な殿様、賢明な将軍であるか、
あるいは馬鹿な殿様、愚かな将軍であるか否かは、
日ごろの生活において決まることである。

つまり、日ごろの言葉や行いはそれぞれ(その人の)遺言、
臨終の時のいいつけと一緒である。

・・・

【 6月7日 】 蒼天に附す

身跡(しんせき)を将(も)つて蒼天(そうてん)に附す。  

               安政2年正月元日「乙卯稿(いつぽうこう)」

【訳】

我が身は全て天運にまかせる。(自分であれこれと画策しない。)

・・・

【 6月8日 】 細行(さいこう)を矜(つつし)まざれば

「行住坐臥、暫くも放心せば則ち必ず変に臨みて常を失ひ、
一生の恪勤(かっきん)、一事に於て闕滅(けつめつ)す。
変の至るや知るべからず」と云ふは、

細行を矜(つつし)まざれば、遂に大徳を累(わずら)はすと
云ふと同一種の語にして、最も謹厳なる語(ご)なり。  

                 安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

「普段の生活において、一瞬でも安心して、気を抜けば、
必ず非常事態に遭遇した時、平常心を失い、
生涯をかけて励み勉めてきたことも、一つのちょっとしたことで、
全てをなくし、失ってしまう。いつ変が起こるか、予測することは難しい」
ということは、些細なことにも心を尽くして対応しなければ、

ついに、(それまでの生涯をかけて築き上げてきた)大きな恩徳さえも
台無しにしてしまう、というのと同じ教えである。
最も慎み深くて厳格な言葉である。

・・・

【 6月9日 】 速久処仕(そくきゅうしょし)已(すで)に初めに決す

易に云ふ如く、「君子は幾を見て作(た)ち、日を終ることを待たず」
の理(ことわり)にて、道(みち)の否(ひたい)泰、時の可否は聖人一目瞭然にして、
速久処仕(そくきゅうしょし)已(すで)に初めに決す、亦明決(めいけつ)ならずや。  

                   安政3年6月7日「講孟剳記」

【訳】

『易経』にいうように、
「心ある立派な人は、ことのきざしを見て、すぐに行動を起こし、
一日たりともぐずぐずしてがいない」。

この通りであり、聖人は、人としての道が正しくないか、正しいか、
また、時宜(じぎ)が適当であるか否かをすぐに見抜き、
その最初において、自分の進退を決めている。
まことにはっきりした決意ではないか。


・・・
【 6月10日 】 楽しむ所を楽しむ

徒(ともがら)(中略)曰く、
「遇不遇は天のみ、我れに於て何かあらん。我れは我が楽しむ所を楽しみ、
以て慊(あきた)らざることなかるべし。
況や人の共に其の楽しむ所を楽しむあるをや」と。 

            嘉永2年4月7日「児玉君管美島軍事を拝するを賀する序」

【訳】

仲間が(中略)いった。

「世に認められるか否かは全て天命である。私にとっては何の問題でもない。
私は自分の楽しいと思うところを楽しみ、それで十分満足である。
ましてや、他の人が一緒に私の楽しむものを楽しんでくれているのに」と。

            <感謝合掌 平成30年6月2日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 6月11日~20日 - 伝統

2018/06/13 (Wed) 17:27:47


【 6月11日 】 武士道が闕(か)くる

武士たる者は只今にても君命あらんには、槍を提(ひっさ)げ馬に打乗り、
水火に駆け込むべき身分なれば、飲食男女の欲を縦(ほしいまま)にし、
疾病を生じ、懶惰(らんだ)に陥り、気根を弱くしては、武士道が闕くるなり。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

武士たるものは、今すぐにでも命令があれば、槍をひっさげ馬に乗り、
水や火の中に駆け込むべき身である。

だから、暴飲暴食をしたり、男女の欲望を貪(むさぼ)ったり、
病気になったり、ものぐさになったり、気力や根気を弱くしたりしては、
武士の道に欠けるというものである。

・・・

【 6月12日 】 慨然として

慨然(がいぜん)として国天下を以て自ら任ずべし。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

気力を奮い起こして、国家、天下の維持・発展を、
自分の責任として自覚しなさい。

・・・

【 6月13日 】 死して後已むの四字は 

死して後(のち)已(や)むの四字は言簡(げんかん)にして義(ぎ)広し。
堅忍果決、確乎として抜くべからざるものは、
是(こ)れを舎(お)きて術(すべ)なきなり。  

                  安政2年3月「士規七則」

【訳】

死而後已(ししてのちやむ)の四字は文字は簡潔であるが、
その意味する所は大変広い。

意志が強く、我慢強く、思い切りがよい。
また、しっかりしていて、容易に動かされない男子たるやめには、
これをおいて、他に手段はない。

・・・

【 6月14日 】 賢母あらば

賢母あらば賢子あり。  

              安政4年4月5日「※周布君の大孺人某氏八十寿の序」

【訳】

人として優れた母がいれば、人として優れた子供がいる。

※長州藩士 周布政之助公輔。松陰の同志だったが、後、離反。
 松陰刑死後、遺骸埋葬を助けた。

・・・

【 6月15日 】 文武は士の家業なれば

文武は士の家業なれば、是れを習練するは論を俟(ま)たず。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

学問をし、武芸を修めることは武士の生業(なりわい)である。
これを繰り返し学ぶことはいうまでもないことである。

・・・

【 6月16日 】 独り自ら志す所は

独り自ら志す所は皇国の大恩に報い、武門武士の職分を勤むるにあり。
此の志は死すと雖も吾れ敢へて変ぜす。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

一人で自分から志しているのは、国家の大きな御恩に報い、
武門にある武士としての当然の務めを行う、ということである。
この志は死んだとしても、強いて変えることはない。

・・・

【 6月17日 】 凡(およ)そ生を天地間に稟(う)くる者

凡そ生を天地間に稟くる者、貴(き)となく賤(せん)となく、
男となく女となく、一人の逸居(いっきょ)すべきなく、一人の教なかるべきなし。
然(しか)る後(のち)初めて古道に合ふと云ふべし。  

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

この世の中に人として生まれたものは、身分、性別にかかわらず、
一人として怠けて気ままにしているべきものはなく、
また、一人として教えないでいいというものはない。
こうして後、初めて昔からの正しい教えに及ぶというべきである。

・・・

【 6月18日 】 軽蔑する者は

貧賤を以て是れを軽蔑する者は、必ず富貴を以て是れに諂屈す。  

                安政3年6月10日「講孟剳記」

【訳】

貧乏や身分の低いことをもって、その人を軽蔑するようなものは、
必ず、お金持ちや地位の高いことをもって、その人に媚(こ)びへつらう。

・・・

【 6月19日 】 君子小人並びに服するの人①

君子に二等あり。高尚の士は固(もと)より流俗に同じうせず、
汀世(おせい)に合せず、こう々然として古人を以て師とす。
此の人の世に居る、俗人庸夫其の奇怪に駭き、口を交へて唾罵するは固よりなり。
而して独り有識の士のみ深く是れを推服す。

【訳】

心ある立派な人に二種類ある。
その一つは高尚の人、つまり、学問・言行などの程度が高く、
世俗を超越した気高い人物である。

このような人はくだらない世間に同調せず、濁世に合わせず、
志を大きくもって、昔の心ある人物を師としている。

このような人物がいると、俗人や凡庸な人物は、
その、常識では考えられない言動に驚き、
そろって非難することは、いうまでもない。

しかし、学問があり見識の高い人物のみは、このような人物を、
心から偉い人として推し、心服するのである。


・・・
【 6月20日 】 君子小人並びに服するの人② 

徳行の士は「居処恭しく事を執りて敬し、
人と忠なるは夷狄に之くと雖も棄つべからざるなり」<(論語)子路>

「言忠信、行篤敬ならば、蛮貊の邦と雖も行はれん」<(論語)衛霊公>の類にて、
斯くの如き者は君子小人並びに服するの人なり。  

               安政3年6月7日「講孟剳記」

【訳】

二つめは、徳行の人、つまり、道徳にかなった人物であり、
「日頃の生活態度はうやうやしく、仕事に際しては心をそのことに専らにし、
敬い謹んで、怠らず、ゆるがせにしない。

また、人と交際する時には忠誠を尽くして、斯き偽らない。

この三つは、夷狄のような、礼儀道徳の低い所へ行っても、
すてて、これを失ってはいけない」<(論語)子路>とか、

「言葉が誠実で正直であり、行いが人情に厚くつつしみ深ければ、
言行共に誠があるので、自然に人を感動させて、(中国はいうまでもな
く)どんな未開の土地に行っても行われることであろう」<(論語)衛霊公>
という類である。

このような人物に対しては、君子も小人もともに敬服するものである。

            <感謝合掌 平成30年6月13日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 6月21日~30日 - 伝統

2018/06/22 (Fri) 17:38:00


【 6月21日 】  輟(や)めざるなり

一月(ひとつき)にして能(よ)くぜんずば、則ち両月にして之れを為さん。
両月にして能くせずんば、則ち百日にして之れを為さん。
之れを為して成らずんば輟(や)めざるなり。 

                  安政4年5月3日「諸生に示す」

【訳】

(一旦立てた志というもの)
1ヶ月でできなければ、2ヶ月かけても、これをなし遂げたい。
2ヶ月でもできなければ、百日かけてもこれをなし遂げたい。
いくらやってもできなければ、できるまで絶対にやめない。

・・・

【 6月22日 】 伐柯(ばっか)遠からず

伐柯(ばっか)遠からず。

                  安政四年閏五月「両秀録に跋(ばっ)す」

【訳】

手本とすることは眼前にある。
決して遠方まで探す必要はない。

・・・

【 6月23日 】 味ひあるかな

古人(こじん)言へるあり、「其の非(ひ)心を格(ただ)す」と。
味ひあるかな、味ひあるかな。  

                  安政4年6月6日「戯れに対策に擬す」

【訳】

昔の人が、「その人のよこしまな心を正す」といっている。
実に、味わいがある教えだなあ。

・・・

【 6月24日 】 風化を起こさんと欲す

今諸君と松下村の風化を起こさんと欲す。
宜しく此の語(ご)を以て令甲(れいこう)となすべし。
遺忘(いぼう)することなかれ。  

                  安政3年6月10日「講孟剳記」

【訳】

今、私は諸君と一緒に我が松下村を徳によって教化しようと思う。
であるから、この言葉をして、我々の掟の第一条としよう。
忘れてはいけない。

・・・

【 6月25日 】 君子は渇(かっ)すとも

君子は渇すとも※盗泉を飲まず、志士は窮すとも溝壑を忘れず。 

                  安政4年8月「※溝三郎の説」

【訳】

心ある立派な人は、どんなに困っても悪いことは行わない。
志のある武士は困難な状況に陥っても、正しい道を守るためには、
死んでも棺桶がなく、溝や谷間にそのまま
捨てられるくらいのことを覚悟するものである。

※1山東省泗水県にある泉。
  孔子は(盗泉という)悪い名前からその水を飲まなかったという。

  不義の意に用いる。

※2萩松本村の商家の子。高弟 吉田栄太郎稔麿が松陰に託した子。

・・・

【 6月26日 】 小成(しょうせい)に安んずることなかれ

老兄(ろうけい)の為す所学ぶ所、事々皆実なり、
但(た)だ軽用(けいよう)妄挙(ぼうきょ)して以て
小成に安んずることなかれ。 

                  安政4年6月27日「※福原清介に復す」

【訳】

(現在の)あなたの生き方、また、学んでおられることは、
全て道理に適ったものです。

しかし、簡単な気持ちで、道理にはずれた振る舞いをして、
ほどほどの人物になることで満足してはいけませんよ。

※長州藩士 福原周峰。名は公亮。松陰の友人。

・・・

【 6月27日 】 今人(こんじん)大眼目(だいがんもく)なし

今人大眼目なし、好んで瑣事末節を論ず。
此の弊読書人尤(もっと)も甚(はなはだ)し。(中略)
其の自ら行ふ所を見れば、辺幅(へんぷく)を修飾し、言語を珍重し、
小廉(しょうれん)曲謹(きょっきん)、郷里善人の名を貪(むさぼ)り、
権勢の門に伺候し、阿諛曲従(あゆきょくじゅう)至らざる所なし。
行々(こうこう)の色(いろ)著(あら)はれず、侃々(かんかん)の声聞えず、
忠ならず孝ならず、尤(もっと)も朋友に信ならず、
而して自ら居りて愧(は)づることを知らず。
是れを之れ務(つとめ)を知らずと謂ふ。

                   安政3年5月29日「講孟剳記」

【訳】

今の人は大きな見方ができず、つまらない、枝葉のことばかり論じている。
この欠点は読書をしている人に大変顕著である。(中略)

そのような人の行動を見れば、上辺を飾り、言葉づかいを重々しくしている。
また、さっぱりとして、欲がなく、細かいことも注意深く謹み、
ふるさとで立派な人と呼ばれたいと望み、権力のある家にはおべっかをつかい、
自分を曲げてでも追従している。

剛健な態度、剛直な見識はなく、忠孝を実践する様子もない。
友人に信義がなく、自分の行いを恥じることも知らない。

このような人を、人としてのなすべきことを知らない人という。

・・・

【 6月28日 】 苛数(かすう)を以て 

聖人固より苛数を以て人を責めざるなり。 

                   安政4年4月7日「※小田村士毅に与ふ」

【訳】

心ある立派な人は、罪を数えあげて、人を厳しく責めとがめることをしない。

※長州藩士 小田村伊之助。士毅は字。松陰の友人。後、松陰の妹 寿が嫁いだ。

・・・

【 6月29日 】 士此(しこ)の世に生まれては 

士此の世に生まれては、才の高下と学の深浅とに随ひて、
各々志す所なくんばあらず、但だ事変に遭逢(そうほう)して、
自ら暴棄(ぼうき)に安んずるは、是れ悲しむべきのみ。 

                   安政4年8月17日「※木原慎斎に与ふる書」

【訳】

侍たるもの、この世に生を受けたからには、
もって生まれた才能の高下、修めた学問の深浅に従って、
それぞれ志す所がなければいけない。

ただ、避けることのできない辛い状況に出会って、
自暴自棄になることは、実に悲しむべきことである。


・・・
【 6月30日 】 志士と云ふは

志士と云ふは即ち道に志すの士なり。  

                   安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

志士というのは人として正しい生き方をしようとする人である。

            <感謝合掌 平成30年6月22日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 7月1日~10日 - 伝統

2018/07/02 (Mon) 19:33:47


【 7月1日 】  利を争へば

利を争へば乱を長ずること、自然の勢なり。 

                安政5年正月6日「狂夫の言」

【訳】

利益を争えば、世の中の秩序の乱れを助長する。
それは自然の勢いである。

・・・

【 7月2日 】  天下の本は 

抑々(そもそも)天下の本は国と家に在り。 

                安政4年10月28日「※口羽徳祐に復する書」

【訳】

だいたい、一国の政治の基本は国家と家である。

※長州藩士。松陰は安政4年10月より文通を始め、意気投合した親友。

・・・

【 7月3日 】 憚(はばか)り多きことならずや

道(みち)は古聖賢大抵言ひ尽せり。
今の学者多くは其の書を観て口真似をなすのみ、
別に新見(しんけん)卓識(たくしき)古人に駕出(がしゅつ)するに非ず。

然(しか)れば師弟共に諸共聖賢の門人と云ふものなり。
同門人の中にて妄(みだ)りに師と云ひ弟子と云ふは、
第一古聖賢へ対して憚(はばか)り多きことならずや。 

                安政2年8月16日「講孟剳記」

【訳】

人としての道は昔の聖人や賢者が大抵いい尽くしている。
今の学者というもの、多くはその書を見て、口真似をしているだけである。
別に新しい発見や優れた見識が、昔の聖賢を凌いでいるわけではない。

とすれば、師も弟子も全て聖賢の門人というべきものである。
だから、同じ(聖賢の)門人の中で、むやみに師といい、弟子というのは、
昔の聖賢に対して、恐れ多いことではないか。

・・・

【 7月4日 】 己れを以て人を責むることなく

己れを以て人を責むることなく、一を以て百を廃することなく、
長を取りて短を捨て、心を察して跡を略(と)らば、
則ち天下いづくにか往くとして隣なからん。 

                   安政2年7月4日「※徳、字は有隣の説」

【訳】

自分の尺度のみで他人を批判しない。
一つの失敗だけで、その人の全てを駄目だといって見捨てない。
その人の長所を取り上げ、短所は見ないようにする。

心中を察して、結果を見ないようする。
このような気持ちで生きれば、どこへ行こうとも
人が集まってこないことがあろうか。ありはしない。

※富永有隣。徳は名。野山獄の同囚。出獄後、松下村熟で松陰を助けた。

・・・

【 7月5日 】  主一無適

主一無適は心学の常套(じょうとう)。 

               安政4年11月3日「※馬島甫仙に贈る」

【訳】

事とに当たってはその一事に精神を集中統一し、他に散らさない、
ということは朱子学の古くからの教えである。

※長州藩医の子 馬島光昭。松下村熟の門人

・・・

【 7月6日 】  ?生(そうせい)より起る

天下の英才を育するは必ず?生より起る。

               安政4年11月24日「※松浦無窮に与ふ」

【訳】

天下の優れた才能をもった人物は、必ず私のもとから育つ。(必ず私が育てる)

*長州藩本村の魚屋の子松浦無窮。松下村熟の門人。
 絵画に秀でていたといわれる。表紙の松蔭像は彼の手による。

・・・

【 7月7日 】 父母に順(じゅん)ならざれば 

父母(ふぼ)に順ならざれば、天下の快ありと雖も、亦何ぞ言ふに足らんや。 

                 安政4年11月24日「※松浦無窮に与ふ」

【訳】

父母に孝行を尽くさないのであれば、
いくら天下ですばらしいことを成し遂げたとしても、大したこととはいえない。

※長州藩松本村の魚屋の子 松浦松洞。松下村塾の門人。
 絵画に秀でていたといわれる。表紙の松蔭像は彼の手による。

・・・

【 7月8日 】 恬退緩静

古(いにしえ)より大業を成すの人、
恬退(ていたん)緩静(かんせい)ならざるはなし。 

                   安政3年4月7日「講孟剳記」

【訳】

昔より大きな仕事を成し遂げる人は、
おだやかで人と争わず、ゆったりとして物静かである。

・・・

【 7月9日 】 ここに処する

有志の士、力を致し心を竭(つき)し、当(まさ)にここに処することあるべし。
徒(いたず)らに自ら非蹙(ひしゅく)して已むべからず。 

                  安政4年12月7日「※小国剛蔵に復す」

【訳】

志をもっている武士は、全身全霊を尽くして、
今ある場所で、今なすべきことに全力を注がねばならない。
意味もなく、自分から勝手に悲観し、慎み、やめてはいけない。

※長州藩家老 益田氏の家臣。益田氏の郷学育英館教授。松陰の友人。

・・・

【 7月10日 】 守成は易きに似て 

創業は難きに似て易く、守成は易きに似て難し。 

                  嘉永4年6月「曹参論」

【訳】

事業を新しく始めることは難しいようで、実はやさしいことである。
創業の後をうけて、その成立した事業を固め守ることは簡単なようで、
実は難しいことである。

            <感謝合掌 平成30年7月2日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 7月11日~20日 - 伝統

2018/07/12 (Thu) 19:39:58


【 7月11日 】 自ら戒めざるべけんや 

人を諌むる者安(いずく)んぞ自ら戒めざるべけんや。 

                安政4年6月8日「幽窓随筆」

【訳】

人を諌める人は、どうして常に自分を戒めなくていいだろうか。
戒めるべきである。

・・・

【 7月12日 】 士苟も正を得て斃る」 

 

士(し)苟(いやしく)も正(せい)を得て斃(たお)る、
何ぞ必ずしも明哲、身を保たん。 

                安政6年3月14日「自警の詩」

【訳】

武士たるものは、誠に正義のために命を懸け、身を捨てるのである。
どうして、うまく立ち回って身を守ることに価値などあろうか。
ありはしない。

・・・

【 7月13日 】 伊尹の志あれば 

孟子曾て言あり、※伊尹(いいん)の志あれば可(か)なりと。
一語(いちご)已(すで)に尽くせり。

伊尹の志は国家を憂ひ生民(せいみん)を憂ふるのみにて、一点の私心あるに非ず。 

                安政2年12月24日「講孟剳記」

【訳】

孟子にかつて、「伊尹の志あれば大丈夫だ」という言葉があった。
この一言に尽きている。

伊尹の志とは、国家を憂え、国民を憂えるだけであり、
一つとして私欲をはかる心はなかった。

※生没不詳。中国、夏末期から商(殷)初期にかけての政治家。名は摯。

・・・

【 7月14日 】 争臣七人あらば 

 

※趙弘智(中略)曰く、
「天子に争臣(そうしん)七人あらば、無道と雖も天下を失はず」」と。
是れ等の活眼、道学先生の夢想だに及ばざる所なり。 

               安政3年10月24日「幽窓随筆」

【訳】

趙弘智(ちょうこうち)が(中略)いった。
「遠慮せず自分の信ずるところを述べて、天子と論争する家来が七人あらば、
政治が一時的に道理にはずれた状態となっても、国家を失うようなことはない」と。

この、事物の道理をよく見通した眼識は、
道理にのみ偏して、世事にうとい頑固な学者など、夢にも思いつかない所である。

※生没不詳。中国、唐の学者。幼少より、孝行で有名だったという。

・・・

【 7月15日 】 躬化に如かず 

繁文縟礼(はんぶんじょくれい)は躬化(きゅうか)に如かず。
君(きみ)仁君(きみ)義なれば、仁義ならざるなし。 

                安政5年正月6日「狂夫の言」

【訳】

こまごまとしてわずらわしい規則や礼儀を作るよりは、
君子が自ら模範を示して国民を教化する方がまさっている。

殿様が心ある立派な人であれば、
仁義ある国家にならないわけはない。

・・・

【 7月16日 】 奢怠の原は 

文武の荒(こう)は奢怠(しゃたい)に如(し)くものなし。
奢怠の原(もと)は居所(きょしょ)に如くものなし。 

                安政5年正月6日「狂夫の言」

【訳】

文武の教えが荒廃する原因は、おごりや怠け心以上のものはない。
おごりや怠け心の原因は贅沢な邸宅以上のものはない。

・・・

【 7月17日 】 今の大臣は

今の大臣(だいじん)は
君(きみ)を厳(はばか)ることを知りて君に親しむことを知らず、
君を敬(けい)することを知りて君を愛することを知らず。 

                安政5年正月6日「狂夫の言(げん)」

【訳】

今の家老は、殿に対して、恐れ慎むことは知っているが、
心から親しく交わるということを知らない。
殿を敬うことは知っているが、心から愛するということを知らない。


・・・

【 7月18日 】 奇傑非常の士に交はる

大凡(おおよそ)士(し)君子(くんし)の事を成すは、
志気(しき)何如)いかん)に在(あ)るのみ。

志(こころざし)を立つるは奇傑(きけつ)非常(ひじょう)の士に交はるに在り、
気を養ふは名山大川(めいざんだいせん)を跋渉(ばっしょう)するに在り。  

                安政5年正月23日
                「※児玉士常の九国・四国に遊ぶを送る敍」

【訳】

だいたい、心ある立派な人が物事を行う時には、
意気込みがどのような状態にあるかだけである。

志を立てる方法は、特に優れた、会い難い人物に接することにある。
やる気を起こす方法は、有名な山や川などを巡り歩くことにある。

※長州藩士 児玉吉次郎。松陰の門人カ。

・・・

【 7月19日 】 天下の事は身家より始まる 

徒(いたず)らに憤(いきどお)るも益(えき)なし、
且(か)つ天下(てんか)の事(こと)は身家(しんか)より始まると。 

                安政5年正月吉日
                「※水戸斉昭卿の壁書(かべがき)に跋(ばっ)す」

【訳】

(天下国家を)意味もなく憤慨しても、何の意味もない。
天下のことは、自分一身、自分の家から始まるという。
(だから。まずは我が身を正しくし、家庭をととのえ、修めるべきである。)

※水戸藩主 徳川斉昭。

・・・

【 7月20日 】 人を以て 

山は樹(き)を以て茂(しげ)り、国は人を以て盛(さかん)なりと。 

                安政2年9月13日「※矢之介に復する書」

【訳】

山は樹木をもって青々と茂り、国家は人物をもって盛んとなる。

※長州藩士 佐世氏の家来、土屋矢之介簫海。松陰の友人、同志、生涯松陰を助けた。

            <感謝合掌 平成30年7月12日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 7月21日~31日 - 伝統

2018/07/22 (Sun) 19:42:57


7月21日、NHK午前6時のニュース番組で、次の記事の紹介がありました。

【吉田松陰 禁断の大福もち~費用帳より】

(1)松陰は1851年、江戸に兵学研究に行った。
   江戸での出費状況を記録した費用録には「もち 8文」などと、
   もちを購入した記録が散見される。

   1カ月で6回買ったこともあった。

(2)費用帳には「誘惑に負けてしまい買い食いをしてしまった。
   この記録を見返すと恥ずかしくがっかりする(大意)」との記述もある。
   厳しく自身を律した、松陰のストイックさが伝わってくる。


<参考Web:吉田松陰が「誘惑に負けた」禁断の大福もち 故郷で再現
       https://www.asahi.com/articles/ASL4W44M8L4WTZNB013.html?ref=newspicks >

・・・

【 7月21日 】 学(がく)をなすの要(よう)は 

凡(およ)そ学をなすの要は己(おのれ)が為(た)めにするにあり。
己が為めにするは君子(くんし)の学なり。
人の為めにするは小人(しょうじん)の学なり。 

                   安政2年9月7日「講孟剳記」

【訳】

学問をする時大切なのは自分のためにするということである。

自分を正しくするための学問は立派な人の学問である。

他人に認められるためにするのは、
つまらない、心の正しくない人の学問である。

・・・

【 7月22日 】 人情は 

人情は困(くる)しめば則ち振るひ、得れば則ち怠る。 

                安政4年3月25日「※中村理三郎に贈る」

【訳】

人の心というものは、苦しめば奮い立ち、
思うようになれば、怠けてだらけてしまうものである。

※安政4年、十三歳で入門した、松下村塾の門人

・・・

【 7月23日 】 無丁の野漢

大抵(たいてい)文辞(ぶんじ)ある人は言語信じ難し。
無丁(むてい)の野漢(やかん)、是れ僕の※1此の人を取る所以なり。  

                 安政6年正月2日「※2子遠に与ふ」

【訳】

だいたい、ちょっと学問をして、
得意になっているような人の言葉は信じられるものではない。

しかし、文字は全く知らなくても、上辺を飾らず、誠実であること、
これが僕がこの人を信用する理由である。


※1「此の人」とは、野山獄の番人であった孫助をさす。

※2 長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。村和作は実弟。

・・・

【 7月24日 】 物の常 

 一治一乱は政(まつりごと)の免(まぬ)かれざる所、
一盛一衰は国の必ずある所にして、
衰極まりて復(ま)た盛んに、乱極まりて又治まるは
則ち物(もの)の常(つね)なり。 

                      安政元年冬「幽囚録」

【訳】

治まったり、乱れたりするのは政治を行う上で、逃れられない所である。
栄えたり、衰えたりするのは、国家には必ずあることである。

窮極まで衰退し、また盛んとなること、
窮極まで乱れて、また治まることは、ものの常である。

・・・

【 7月25日 】 「治国の要は」 

治国(ちこく)の要(よう)は賢(けん)を挙げ能(のう)を用ふるに在り、
是れ古今の通論なり。
然れども徒(いたず)らに挙げて之を用ふるを知りて、
而して之を鼓舞激厲(こぶげきれい)するを知らざるは、
其の初(しょ)にして則ち未(いま)だしきなり。  

                安政4年4月上旬カ「※周布公輔に与ふる書」

【訳】

国家を治める際の要点は、賢者を登用し、能力のあるものを採用することである。
これは昔から今に至る、人々の認める真理である。

しかし、今、挙用することを知っていながら、
これらを激励し、気持ちを奮い立たせる、ということを知らないというのは、
人を用いるということの初心者であり、人を挙用するにはまだ早すぎる。

※長州藩士 周布政之助公輔。松陰の同志だったが、後、離反。
 松陰刑死後、遺骸埋葬を助けた。

・・・

【 7月26日 】 気類先づ接し 

学の功たる、気類(きるい)先づ接し義理従つて融(とお)る。
区々たる礼法規則の能(よ)く及ぶ所に非ざるなり。 

                  安政5年6月23日「諸生に示す」

【訳】

学問の功績というのは、(師弟が共に席を同じくして学ぶと)まず、
心が通い合って、一つとなり、道理など、観念も
理解しあえるようになるということである。

つまらない礼儀作法や規則などにしばられるものではない。

・・・

【 7月27日 】 位を去りて他(ほか)を願ふは

人(ひと)各々(おのおの)位(い)あり、位(い)を去(さ)りて
外(ほか)を願(ねが)ふは、素行(そこう)の道に非(あら)ざるなり。

              安政四年八月「溝三郎(こうざぶろう)の説(せつ)」


【訳】

人はそれぞれ自分の位置、境遇というものがある。
それを離れて、他を望むということは、人としてあるべき生き方ではない。

*萩松本村の商家の子。高弟吉田栄太郎稔麿が松陰に託した子。

・・・

【 7月28日 】 平日に視るに非ず

士の気節(きせつ)あるは、これを平日に視るに非(あら)ず。
必ずや変に臨(のぞ)みて撓(たま)わず、死を守りて懾(おそ)れず、
乃(すなわ)ち其(そ)の気節を見るのみ。

国の定論(ていろん)あるも、亦これを無事に視(み)に非ず。
必ずや天下(てんか)潰乱(かいらん)し、
正義鬱塞(せいぎうっそく)して、乃ち其の定論を見るのみ。

               安政五年七月一二日「前田手元に与ふる書」


【訳】

ある武士に気概や、節義があるかどうかは、
平穏無事な平生(へいぜい)の日に確かめられることではない。

非常事態に臨んでも、気概が萎(な)えず、
いざという際に、死を恐れないようであれば、
それを認めることができるだけである。

国家に正しい方針があるかどうかも、
平穏無事な時に確認することはできない。

世が乱れ、正しい議論などができないような状態において初めて、
国家に正しい方針があるか否かをみるだけである。

・・・

【 7月29日 】 内に思ふことある者は、外に感じ易し

内(うち)に思(おも)ふことある者は、外(そと)に感じ易(やす)し。
故(ゆえ)に楽(がく)を聞きて哭(こく)する者あり、花を観て泣く者あり。

*上人(しょうにん)内に巳(すで)に思ふ所あり、
乃(すなわ)ち外に感ずる所以(ゆえん)なり。

        安政二年「浮屠(ふと)黙霖(もくりん)に復する書」



【訳】
心の中に思いを抱いている者は、外の事物に対して感じやすいものである。
だから、音楽を聞いて、声をあげて泣く者があり、また、花を見て涙する者もある。

上人は心の内に国家に対するいろいろな思いを抱いているのだから、
外の事物に感じやすいわけである。

*芸国長浜(現広島県呉市長浜)出身の勤王僧宇都宮黙霖。
 松陰は萩の野山獄で、文通を通じて黙霖から思想的影響を受けたといわれる。


・・・

【 7月30日 】 自ら昭々にして

自ら昭々(しょうしょう)にして、人を昭々ならしむるは賢者にて、
必ず其の功を見るなり。

自ら昏々(こんこん)にして、人をして昭々ならしむるは不肖にて、必ず其の功を見ず。

(中略)

人君官吏(じんくんかんり)、豪奢を好み安逸に耽(ふけ)り、
天下へ質素倹約、文武興隆の令を降(くだ)す如き、
古(いにしえ)より未だ曾(かつ)て行はるるものあらず。

近人の文中に「主人晏(おそ)く起くれば家僮(かどう)門を掃(はら)はず、
騎者胆(きも)壮(そう)なれば馬(うま)余勇あり」の語(ご)あり。
余以て名言とす。 

                   安政3年6月7日「講孟剳記」

【訳】

自分自身が明らかな人徳をもっていて、
人を導き、徳を明らかにさせようとする人は心ある立派な人であり、
それは必ず成功する。

自分自身が道理に暗く愚かな人物でありながら、
その徳を明らかにさせようとする人は愚人であり、それは必ず失敗する。

(中略)

君主や役人が、贅沢を好み、何もしないで遊び暮しながら、
天下の人々に質素倹約、文武の興隆を命令しても、
昔からそのようなことが実行されたためしはない。

近頃の人の文章に、「主人が遅く起きるなら、召使いは門前を掃除しない。
馬の乗り手の意気が盛んであれば、馬も元気が溢れてくる」という言葉がある。

私はこれをすばらしい言葉だと思っている。

・・・

【 7月31日 】 苟も道に志して

士(し)、道(みち)に志さざれば則ち已(や)む。
苟(いやしく)も道に志して、禍(か)を畏れ罪を惧(おそ)れ、
言(げん)を尽くさざる所あり、容(よう)を当世に取り、
誤(あやまち)を将来に胎(のこ)すは、
豈(あに)に君子の学(がく)を為す者の為す所ならんや。 

                 安政5年11月朔日「国柱に跋す」

【訳】

士たるもので、道に志さないのであれば、それで終わりである。
仮にも道に志した士が、眼前の禍を恐れ、
罪に問われることを恐れて諫言もせず、悪しき事態を容認し、
将来にあやまちを残すようであれば、
それは君子の学問を学ぶものの態度であろうか。そうではなかろう。

            <感謝合掌 平成30年7月22日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 8月1日~10日 - 伝統

2018/08/02 (Thu) 19:47:03


【 8月1日 】 大将は心定まらずして叶はず

大将は心定まらずして叶はず、
若し大将の一心(いっしん)うかうかする時は、
其の下の諸将何程智勇ありても、智勇を施すこと能はず、
百万の剛兵義士ありと雖も、剛義を施すこと能はず。 

               嘉永3年8月20日「武教全書 守城」

【訳】

大将たるものは、決心しなければならない。

もし大将の心がふらふらしている時には、
その下の将軍らに、いくら知恵や勇気があっても、
それを実際に施すことはできない。

いくら百万もの人並みはずれた強い兵や節義をかたく守る武士がいても、
それを実際の行動に移すことはできない。

・・・

【 8月2日 】 心交(しんこう)

人は人の心あり、己れは己れの心あり。
各々其の心を心として以て合い交はる。
之れを心交と謂ふ。  

               安政3年8月18日
               「※黙霖(もくりん)あての書翰(しょかん)」

【訳】

人には人の心がある。
自分には自分の心がある。
それぞれが、相手の心を心として交際すること、
これを心の交わり、という。

※ 安芸国長浜(現広島県呉市長浜)出身の勤王僧宇都宮黙霖。
  松陰は萩の野山獄で、文通を通じて
  黙霖から思想的影響を受けたといわれる。

・・・

【 8月3日 】 士(し)苟(いやしく)も仕籍)しせき)に登らば 

清人管同云はく、
「士苟も仕籍に登らば、当(まさ)に一二節の卓々(たくたく)として
伝誦(でんしょう)すべき事を為すべし。
若し終身縻然(びぜん)として、諸俗吏(しょぞくり)の後に従はしめば、
栄達すと雖も、何ぞ言ふに足らん」と。  

               安政3年9月10日「※中村道太に贈る」

【訳】

清国人の管同(かんどう)がいった。
「武士たるもの、仮にも武士として仕官するのであれば、
一つか二つは、節義が高く抜きんでた男だったと、
人々が後々までも語り伝えるような生き方、仕事をこそなすべきである。
もしも生涯、消極的な気持ちで、くだらない役人の後ばかりに従うのであれば、
どんなに立身出世しようにも、どうして評価する
ことなどできようか。できはしない」と。

*長州藩士中村道太郎、後、九郎。
 松陰の友人、同志。赤川淡水の実兄。

・・・

【 8月4日 】  体認と申す事を

一体人と申すものは体認(たいにん)と申す事を知らず候はば、
人と申すものには之なく (後略)。

              安政5年7月13日「要路役人に与ふ」

【訳】

そもそも、人間というものは、実際に自分で体験し、
十分よくのみこむということを知らなければ、
人というものではない(後略)。

・・・

【 8月5日 】 無用の言(げん)を言はざる

吾が性(せい)多言なり、多言は敬(けい)を失し誠(まこと)を散づ、
故に無用の言を言はざるを第一戒と為す。  

              安政6年5月24日
             「※1李卓吾(りたくご)の
              『劉肖川(りょうしょうせん)に別るる書』の
              後(あと)に書して※2子大に訣(わか)る」

【訳】

私はどうも多弁な性格である。
多言であれば、敬いの気持ちを失い、
まごころが散り失せてしまいがちになる。

だから、必要のない言葉は口にしない、
ということを第一の戒めとしている。

※1 1527~1602。中国明代の思想家。

※2 長州藩士 佐間忠三郎昌昭。松下村塾の門人。
   子大(しだい)は字(あざな)。

・・・

【 8月6日 】 心を養ふは

孟子曰く、心を養ふは寡欲(かよく)より善きはなしと。
※周子曰く、これを寡(すくな)くして以て無に至ると。
孟・周の言、学者に於て尤(もっと)も切なりと為す。 

               安政3年6月10日「講孟剳記」

【訳】

孟子は、「心を養うには、欲を少なくすることが最もいい」という。
また、周子は、「欲を少なくして、最後はなくしてしまうのがいい」という。
孟子・周子の言は、学問をする人間にとってこそ、最も切実な教えである。

※ 周(しゅう) 濂渓(れんけい)。
  1017~1073.中国、北宋の儒者。
  湖南省道県の人。宋学の始祖。

・・・

【 8月7日 】 君子の心

人已に過あらば、吾れ従つて之を咎(とが)む、
過ちて則ち之を悔ゆれば、吾れ従つて之を喜ぶ。
是れ君子の心なり。 

               安政6年4月23日
               「※1子遠・※2の和作に与ふ」

【訳】

人が悪いことをすれば、私はそのことをとりたてて、非難する。
しかし、これを反省し、改めれば、私はこれを喜ぶ。
これが心ある立派な人の心である。

※1 長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

※2 和作は入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟である野村和作。
   後の子爵 野村靖。

・・・

【 8月8日 】 今(いま)大業を創(はじ)めんとならば

按ずるに、小人必ず才あり。
其の才用ふべし。
其の悪赦すべからず。

今大業を創めんとならば、君子小人となく皆其の才を用すべし、
其の不善を露(あら)はさざれば可なり。 

               安政5年9月6日
               「読綱鑑録(どっこうかんろく)」

【訳】

思うに、徳のないつまらない人でも必ず才能はもっている。
その才能を活用するべきである。
しかし、そのつまらない低俗な気持ちはゆるしてはいけない。

今、大きな事業をはじめようとするなら、
心ある立派な人であれ小人であれ、
その人の全ての才能を活用すべきである。
よこしまな心を現さなければよしとすべきである。

・・・

【 8月9日 】 復(また)能(よ)く為す

後世の人、智慮(ちりょ)短浅(たんせん)、
一旦敗衂(はいじく)すれば志気頓(とみ)に沮喪(そそう)し、
復た能く為すことなし。 

                 安政2年7月2日「講孟剳記」

【訳】

(昔からみれば)後の世である今の人は、
先々のことや細かなことまでよく考える知恵が足りず、浅い。
一回、(戦いに)負けると、志、やる気はすぐにくじけてなくなり、
再びやろうという気持ちになることはない。

・・・

【 8月10日 】 神州必ず滅びざるなり

挫(ざ)するなかれ、折(くじ)くるなかれ。神州必ず滅びざるなり。   

                安政6年8月13日
                「※1久保清太郎・久坂玄瑞あての書翰」

【訳】

途中で、挫(くじ)けてはいけない。
志を変えてはいけない。
日本は絶対に滅びないから。

※ 1長州藩士 久保清太郎。玉木文之進主宰の松下村塾以来の友人。
   後、松陰主宰の松下村塾を助け、また、同志として活躍をした。

※ 2長州藩医の子 久坂玄瑞。松陰が高杉晋作と共に最も期待した高弟の一人。
   吉田松陰の妹文が嫁いだ。

            <感謝合掌 平成30年8月2日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 8月11日~20日 - 伝統

2018/08/12 (Sun) 18:49:21

【 8月11日 】 太平已に久しきに当りて

太平已に久しきに当りて大事を興造(こうぞう)せんとする時は、
人心偸安(とうあん)必ず与(くみ)せず。   

                 安政5年9月6日以降「読綱鑑録」

【訳】

平和な日々が長く続いている時代に、
(国家、国民にとって)大切なことを始めようとする際には、
一般の人々は目前の安楽を貪るだけで、絶対に協力などはしてくれない。

(だからこそ、リーダーたるものは、断じて行うべきである。)

・・・

【 8月12日 】 「風俗を美にせんとならば」

風俗を美にせんとならば、平時気節を尚(たっと)ぶに如(し)くはなし。
気節を尚ぶは勤倹を励ますと直言讜議(とうぎ)を奨(すす)むるに如くはなし。   

                 安政5年9月6日以降「読綱鑑録」

【訳】

人々の心、日々のしきたりや習わしなどを美しくしようとするなら、
普段の生活において、(人々の)気概や節操の堅さを敬って大切にし、
重んずることである。

そのための最善の方法は、まず倹約をさせ、
また、遠慮せず自分の信ずるところをいい、
正論を吐くよう奨めることである。

・・・

【 8月13日 】 人の患(うれい)は」

若し夫れ罪を知りて改めざる者は、真に如何ともすべからざるの人なり。
人の患いは罪を犯して罪をしらざるにあり。 

                  安政2年8月3日「講孟剳記」

【訳】

だいたい、(自分が)正しくないことをしている、と知っていながら、
改めないものは、本当にどうしようもない人である。

人の憂えるべきことは、罪を犯していながら、
それを自覚していないことである。

・・・

【 8月14日 】 恒産と恒心

恒(こう)の産なくして恒(つね)の心ある者は、
惟(た)だ士のみ能’よ)くすと為すと。
此の一句にて士道を悟るべし。
諺に云ふ、武士は食はねど高楊枝と、亦此の意なり。 

                  安政2年6月27日「講孟剳記」


【訳】

一定の生業をもっていなくても、不動の信念をもつことができるのは、
ただ侍たる人物だけである。
この一句で、侍たるものの道のあり方を悟るべきである。

諺に「武士は食わねど高楊枝」という。これも同じ意味である。

・・・

【 8月15日 】 独立不羈(ふり)の国

吾が国は三千年来未だ嘗て人の為めに屈を受けず、
宇内(うだい)に称して独立不羈の国と為す。 

                安政5年4月上旬カ「※周布公輔に与ふる書」

【訳】

我が(日本)国は、三千年来、これまで一度たりとも、
他国に屈服したことのない国である。
世界に独立して、他国に束縛されない国家、と唱えている。

※長州藩士 周布政之助公輔。松陰の同志だったが、後、離反。
 松陰刑死後、遺骸埋葬を助けた。

・・・

【 8月16日 】 書を読むのみに非ざるなり

気節(きせつ)行義(こうぎ)は村塾の第一義なり、
徒(ただ)に書を読むのみに非ざるなり。 

                安政6年正月4日「※馬島に与ふ」

【訳】

気概があって節操が堅く、
正しいことを行うこと(そのような人物となること)が
松下村塾の最も目指していることである。

いたずらに書物を読んでいるだけではない。

※長州藩医の子 馬島光昭。松下村塾の門人

・・・

【 8月17日 】 「徳なり」

士に貴(たっと)ぶ所は徳なり、才に非ず。
行なり学に非ず。 

                安政2年11月17日「講孟剳記」

【訳】

立派な人が重んじるのは人徳であって、才能ではない。
実際の行いであり、役に立たない理論でははい。

・・・

【 8月18日 】 己れを修むと人を治む

楽しむに天下を以てし、憂ふるに天下を以てすと、
是れ聖学(せいがく)の骨子なり。
凡そ聖学の主とする所、己れを修むと人を治むの二途に過ぎず.

                安政2年7月7日「講孟剳記」

【訳】

「楽しむに天下を以てし、憂うるに天下を以てす」という言葉がある。
これこそが、聖学、つまり孔子の学問の骨子である。
だいたい、聖学の主眼とするところは、
自分を修めることと人を治めることの2つにすぎない。

・・・

【 8月19日 】 国事は極めて重し

夫(そ)れ国事は極めて重し、苟(いやしく)も国に為すなくんば、
朋友を得(うる)と雖も悦ぶに足らず、
乃(すなわ)ち朋友を失ふも憂ふるに遑(いとま)あらざるなり。 

                安政6年正月23日「※士毅に与ふ」

【訳】

国家に関する事柄というものは、大変重要なものである。
仮にも、国家に貢献しないのであれば、
同じ志を持った友を得たとしても喜ぶほどのことはない。
また、朋友を失ったとしても、憂慮するほどのゆとりもない。

※長州藩士 小田村伊之助。士毅は字。松陰の友人。後、松陰の妹寿が嫁いだ。

・・・

【 8月20日 】 互いに寛容致し

多人数の中には、自然気性の不同も之あるもの候へども、
此れ等の類(たぐい)大概私心より起る事に候へば、
互いに寛容致し、隔心(かくしん)之れなき様相心得、
先進を敬ひ後進を導き候儀、肝要たるべく候事。 

                嘉永元年12月「兵学寮掟書条々」

【訳】

多くの人がいる中には、自ずと気持ちの合わないものもいるだろう。
しかし、これはたいてい、私心、俺が俺がという、
私欲をはかる心から起こることである。

そこで、お互いに咎めだてしないようにし、
へだてのある心を起こさないよう、気を配ることが大切である。
また、先輩を敬い、後輩を正しく導く、ということが非常に大切である。

            <感謝合掌 平成30年8月12日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 8月21日~31日 - 伝統

2018/08/22 (Wed) 19:22:34

【 8月21日 】 祖先に孝するは

祖先に孝するは栄禄(えいろく)に非ざるなり。
父母に事(つか)ふる定省(ていせい)に非ざるなり。
祖先の忠を墜さず、父母の名を忝(はずか)しめず、
孝(こう)・事(じ)の大(だい)、是(こ)れのみ。 

           安政6年正月24日
           「※1李卓吾の『劉肖川に別るる書』
              の後に書して子大(しだい)に訣(わか)る」

【訳】

先祖に尽くすというのは、名声を得たり、高い俸給をもらうことなどではない。

父母にお仕えするということは、
親にうやうやしく仕え、孝養を尽くすことなどではない。

祖先の残された忠の実績、その心を汚さず、
また、父母の名前をはずかしめないことである。

孝行する、また、仕えるとは、こういうことであり、これ以上のことはない。

※1 1527~1602。中国明代の思想家。

・・・

【 8月22日 】 事を済すは誠に在り

事(こと)を済(な)すは誠(まこと)に在(あ)り。 

                 安政6年正月25日「※君儀に復す」

【訳】

物事をきちんとやり遂げることができるのは、まごころだけである。

※安富惣輔。君儀は字。野山獄の同囚、門人。

・・・

【 8月23日 】 大識(だいしき)見大(けんだい)才気(さいき)の人を待ちて

嗚呼、世、材なきを憂へず、其の材を用ひざるを患(うれ)ふ。
大識見大才気の人を待ちて、郡材始めて之れが用を為す。  

                 安政6年正月27日「※子遠に語ぐ」

【訳】

ああ、私は、世の中に才能のある人がいないことを憂えているのではない。
その才能のある人を任用しないことを憂えているのである。

正しい判断力をもち、気概に溢れた人が上にあってこそ、
才能をもった多くの人々も活きるのである。

※ 長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。村和作は実弟。

・・・

【 8月24日 】 断じて之れを行へば

断じて之れを行へば、鬼神も之れを避く。
大事を断ぜんと欲せば、先づ成敗を忘れよ。 

                 安政6年正月晦日「正月晦夜(かいや)、感を書す」


【訳】

決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。
大事なことを思い切って行おうとすれば、
まずできるかできないかということを忘れなさい。

・・・

【 8月25日 】 人の信ずる所に負(そむ)かずんば

若(も)し能(よ)く侃々(かんかん)行々(こうこう)、
人の信ずる所に負(そむ)かずんば不幸一斃(いっぺい)すとも、
信ずる者益々衆(おお)く、再起の日必ず能く事を済さん。

                安政六年正月晦日「正月晦夜、感を書す」

【訳】

もしも、よく剛直でくじけず、
また、自分を信じてくれた人に背かなければ、
不幸にも、ひとたび、うまくいかなかったとしても、
自分を信じてくれる者は益々多くなり、
再び立ち上がった時には、必ず思いをなし遂げることができる。

・・・

【 8月26日 】 自ら挫折することなかれ

足下(そっか)鋭(えい)を蓄へ志を養ひ、
一(いち)蹉跌(さてつ)を以て自ら挫折することなかれ。  

                 安政6年2月2日「※伝之輔に与ふ」

【訳】

お前は鋭気を蓄え、志を更に鍛え、
一回の失敗をもって、中途で自分からくじけ、駄目にならないようにしなさい。


※伝之輔-長州藩仲間の子伊藤伝之輔忠信。生没年不詳。
 松下村塾の門人との確証はないが、時々松陰を訪ねては教えを受けたといわれる。

・・・

【 8月27日 】 忿を懲らす

忿(いかり)を懲(こ)らすと慾(よく)を塞ぐと、英雄の雙(そう)工夫。
慾を塞ぐは猶(な)ほ容易、殊(こと)に忿(いかり)を懲らすに於て輸(やぶ)る。 

                 安政6年2月上旬「己未文稿」

【訳】

怒りを抑えることと情欲にちょっとでも迷わないこと、
この二つは英雄の工夫すべきものである。

情欲を封じ込めることはまだ簡単である。
とりわけ、(英雄といえども)怒りを抑えるということにおいて、失敗する。

・・・

【 8月28日 】 道あらば

人才(じんさい)は之れを育(いく)するに道あらば、則ち成るものなり。 

                 弘化3年閏5月17日「異賊(いぞく)防禦の策」

【訳】

才知に富む人物は正しい教育方法を施せば、人物となるものである。

・・・

【 8月29日 】 議論は易くして

古より議論は易くして事業は難し 

                 安政6年3月27日「※和作に与ふ」

【訳】

昔から、口に出して、ぺらぺらしゃべることは簡単だが、実際に行うことは難しい。

※和作は入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟である野村和作。後の子爵 野村靖。

・・・

【 8月30日 】 一箇不朽なるものを成就せば

人生倏忽(しゅうこつ)、夢の如く幻の如し、
毀誉(きよ)一瞬、栄枯も半餉(はんしょう)、
唯(た)だ其(そ)の中に就(つ)き、
一箇(いっこ)不朽(ふきゅう)を成就(じょうじゅ)せば足る。

                 安政六年二月二十二日「松如に復す」

【訳】

人生というものは極めて短いものであり、夢、幻のようなものである。
誹(そし)りを受けることも、褒められることも一瞬である。
栄えることも衰えることも瞬時である。

はかない人生である中で、一つだけでいい、
永遠に朽ちない事柄をなし遂げられれば十分である。

松如:長州藩土佐世氏の家来、土屋矢之介蕭海(しょうかい)。
   松陰の友人、同志。生涯松陰を助けた。

・・・

【 8月31日 】 大丈夫自立の処なかるべからず

大丈夫(だいじょうふ)自立の処(ところ)なかるべからず。
人に倚(よ)りて貴(とうと)く、人に倚(よ)りて賤(いや)しき、
大丈夫の深く恥づる所なり。

                 安政三年三月二十八日「講孟箚記」

【訳】

心ある立派な男児は自立していなくてはならない。
ある人によっては自分の価値が上がり、またある人によっては下がる
というようなことは、深く恥じるところである。

            <感謝合掌 平成30年8月22日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 9月1日~10日 - 伝統

2018/09/02 (Sun) 17:51:56

【 9月1日 】 公(おおやけ)に背(そむ)いて私に徇(したが)ふこと

 公(おおやけ)に背(そむ)いて私(わたくし)徇(したが)ふ(う)こと、
 吾(わ)れ万死(し)すとも能(あた)は(わ)ざるなり。

             安政六年二月二七日
              「要駕策主意(ようがさくしゅい) 上(じょう)」

【訳】

 国家に背いて、自分一身の欲望を満たすことなど、
 私は何回殺されても、そんなことはできない。

・・・

【 9月2日 】 悪(あく)決して為すべからず

 天道人心(てんどうじんしん)は昭々明々(しょうしょうめいめい)たり、
 悪決(あくけつ)して為(な)すべからず。

              安政六年四月二十四日
             「范滂(はんぼう)、子を顧みるの語(ご)を釈(しゃく)す」

 【訳】

 宇宙の道理や人の心はあきらかで、晴れ晴れとしたものである。
 悪いことは決して行ってはいけない。


・・・

【 9月3日 】 天下(てんか)一人(ひとり)吾れを信ずるものなきも

 天照(あまてらす)豈(あに)に霊なからんや。
 先公(せんこう)豈に神(しん)なからんや。

 霊神(れいしん)蓋(けだ)し謂(おも)ふに、
 吾が誠未だ至らず、

 姑(しばら)く吾れに戯むるるに艱難を以てし、
 吾れを欺くに挫折を以てするか。

 天下一人の吾れを信ずるものなきも、
 吾れに於ては毫(ごう)も心を動かすに足るものなし、

 独(ひと)り天照(あまてらす)・先公(せんこう)の棄つる所となるは、
 吾れ其れ勝(た)ふべけんや。 

                  安政6年3月23日「※和作に与ふ」


 【訳】

 天照大神にどうして霊魂がないであろうか。必ずある。
 これまでの歴代藩主にどうして神霊がないであろうか。必ずある。

 思うに、私の誠が足りないから、それらの霊魂は
 しばらく私に辛い苦しみを与え、また私の思いをくじくのであろうか。

 この天下に一人も私を信じてくれるものがいないとしても、
 私にとっていささかも心を動かすものではない。

 ただ、天照大神や歴代藩主の霊魂に見捨てられたら、
 私はどうしてそれに耐えることができようか。できはしない。

          ※和作は入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟である野村和作。
           後の子爵 野村靖。

・・・

【 9月4日 】 剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)

 文武(ぶんぶ)御興隆(ごこうりゅう)の大本)おおもと)は(中略)
 剛毅木訥の風(ふう)を成し候段(そうろう)、第一義と存じ奉り候。 

             嘉永4年2月20日「文武稽古万世不朽の御仕法立気付書」

 【訳】

 学問と武芸を盛んにするために、最も大切なことは(中略)
 意志がしっかりしていて、飾り気がないという精神的な雰囲気を
 作り上げることだと思います。



・・・

【 9月5日 】 一路あるのみ

 遇(ぐう)に安(やすん)じ天を楽しむの一路あるのみ。 

               安政6年5月2日「知己難言(ちきなんげん)」

 【訳】

 今ある境遇に安んじてあくせくしない、という生き方があるだけである。

・・・

【 9月6日 】 人は唯だ真なれ

 人は唯(た)だ真(まこと)なれ。
 真、愛すべく敬すべし。 安政6年5月4日「※和作に与ふ」

 【訳】

 人はただまごころだけである。
 まごころは愛すべきであり、敬うべきである。

  ※和作は入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟である野村和作。後の子爵 野村靖。

・・・

【 9月7日 】 死狐 丘に首す

 縦(たと)ひ仁人(じんじん)の譏り(そしり)を受(う)くとも、
 死狐、丘に首す、
 誓(ちか)って正者(せいじゃ)の志(こころざし)を遂(と)げん。

               安政六年五月六日「庸書(ようしょ)の檄(げき)」

【訳】

 狐(きつね)は死に際し、元々自分が住んでいた丘に首を向ける、
 つまり、本(もと)を忘れないという。
 そのように、たとえ心ある人の非難を受けたとしても、
 誓って、私は正しい志を遂げよう。

・・・

【 9月8日 】 一身の憂楽を捨てて

 凡そ今日に生れ世禄(せろく)の沢(たく)に浴する者は
 一身(いっしん)の憂楽(ゆうらく)を捨てて、
 国家の休戚(きゅうせき)を以て吾が休戚となすべきこと論を待たず。

 苟も此の志なき者に人に非ざるなり。 

                  安政2年7月17日「講孟箚記」

【訳】

 だいたい今日に生まれて、世禄の恩恵に浴しているものは、
 一個人の憂いや楽しみを捨て、国家の喜び、悲しみを
 自分のそれとするべきであることは、いうまでもない。

 仮にも、このような志のないものは、人ではない。

・・・

【 9月9日 】 屈を厭はず

 烈夫は屈を厭はず、隠忍(いんにん)して大功を成す。 

                  安政元年9月以降「五十七短古」

【訳】

 節義のかたい人は、一時的に失敗することをいやがらない。
 じっと耐えて、大きな仕事をなし遂げる。

・・・

【 9月10日 】 家の本は身に在り

 〇家の本は身に在り。(孟子本文)

 反求(かえりてもとむ)の二字(にじ)、聖経賢伝百千万言の帰着する所なり。
 在身(みにあり)の二字も亦同じ工夫なり。
 天下の事大事小事此の道を離れて成ることなし。 

                  安政2年8月29日「講孟箚記」

【訳】

 〇家の本(もと)は身に在り。(家の本は我が身にある)。(孟子本文)

 「反求(かえりてもとむ)」、反省して自分を責めよ、という二文字は、
 聖賢の書に記されている無数の教えの結論である。

 「在身(みにあり)」、全ての問題の原因は我が身にある、という二文字も、
 また同様に、精神の修養に心を用いる方法を説いたものである。

 天下のことは、全てこの修養の道を離れて成就できるものはない。

            <感謝合掌 平成30年9月2日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 9月11日~20日 - 伝統

2018/09/12 (Wed) 17:43:13


【 9月11日 】 其の人なし

将弱くして厳ならず、教道(きょうでおう)明らかならず、
吏卒(りそつ)常(つね)なく、
兵を陳(つら)ぬること縦横なるを乱と曰ふ。

是れ則ち将と吏卒と、皆其の人なし。
正に今時(きんじ)の弊(へい)なり。

一旦事あらば、大乱立ちどころに至らん。
今幸に事なくして、乱形暫く伏す。
危いかな。 

              安政4年以降「孫子評註」

【訳】

大将に能力がなく、威厳がない。
教えが明確でない。
指揮官も士卒も平常心がなく、
防備態勢の立て方が混乱していることなどを乱という。

これはつまり大将や指揮官、士卒にふさわしい人がいない
ということである。
将に現在の(我が国の)弊害というべきである。

一旦、非常事態ともなれば、すぐに大混乱となるであろう。
今は幸いにも、そのような状況がまだおこっていない。
実に危ない状況というべきである。

・・・

【 9月12日 】  片時も

有志の士は片時(かたとき)も
空々(くうくう)茫々(ぼうぼう)の間(かん)なし。 

              安政3年5月23日「講孟箚記」

【訳】

志のある侍は、わずかな間でも、空しく、ぼーっとしている時間はない。

・・・

【 9月13日 】  千載の図を空しうするなかれ

一朝(いっとう)の苦を顧(おも)うて、遂に千載の図(と)を空しうするなかれ。 

               安政元年9月以降「五十七短古」

【訳】

一時的に苦しいからといって、
永遠にその名が朽ちることのない雄大なはかりごとを
途中で投げ出すようなことがあってはならない。

・・・

【 9月14日 】  我が党平生(へいぜい)の志す所

〇天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行き、
志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其の道を行ふ。
富貴も淫する能はず、貧賤も移す能はず、威武も屈する能はず。
此れを之れ大丈夫と謂ふ。(孟子本文)

此の一節反復熟味すべし。
我が党平生の志す所此の外他事なし。
今悉く其の義を釈せず。 

               安政2年8月21日「講孟箚記」

【訳】

〇天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行き、
志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其の道を行ふ。

富貴も淫する能はず、貧賤も移す能はず、威武も屈する能はず。
此れを之れ大丈夫と謂ふ

(仁という天下の広い住居におり、礼という天下の正しい位置に立ち、
義という天下の大道を歩む。志を得て、世に用いられぬならば、
天下の人民と共にこの正しい道を行い、志を得ないで、用いられぬならば、
自分一人でこの道を行う。

財貨が多く位が高くても、その心を墜落させることができず、
逆に、貧乏で身分が低くても、その心を変えさせることができない。
威光や武力をもってしてもおびえさせることができない。
こういう人をこそ、本当の男児という)。(孟子本文)


孟子のこの一節を、何度も繰り返して拝読し、
自分のものとしなければならない。
私共が日頃目標としていることも、これ以外にはない。
今、その意味を全て解釈しないでおく。

・・・

【 9月15日 】  居の安きを求むるは

悪衣悪食(あくじき)を恥ぢ、居(きょ)の安きを求むるは則ち志士に非ず。 

              安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

粗末な服を着ることや粗末な食事を恥ずかしく思い、
立派な家に住みたいと望むことは、
道に志し、正しい生き方をしようとする武士のあり方ではない。

・・・

【 9月16日 】 其の嘲りに任す

粉々たる軽薄子、百喙(ひゃっかい)其の嘲(あざけ)りに任(まか)す。
猶(な)ほ喜ぶ夢寐(むび)の裡(うち)、却つて故友に逢ふことを得。 

              安政元年9月以降「五十七短古」

【訳】

多くの軽薄なものたちが口うるさく(私の)悪口をいうが、
私は一切意に介しない。

そんなことよりは、眠っている間に(夢の中で)
昔からの友と会うことができたことの方が嬉しい。

・・・

【 9月17日 】 大節に臨みて

名利(みょうり)の寰区贋かんくがん)も真と作(な)る、
誰れか大節(だいせつ)に臨(のぞ)みて其の身を致さん。 

              安政2年2月2日
                「※僧月性(そうげっしょう)の詩を読む」

【訳】

名誉や利益ばかり追い求める俗世間においては、
時にニセモノがホンモノとされる場合がある。

しかし、節義を貫かねばならない時に、
一体、誰が身を捨ててことに当たるであろうか。
そんな人は本当に少ないものである。

※周防国遠崎村(現、山口県柳井市遠崎)妙円寺の海防僧月性。松陰の同志。

・・・

【 9月18日 】 大ぞらの恵はいとど遍ねけり

大ぞらの恵(めぐみ)はいとど遍(あま)ねけり
※人屋(ひとや)の窓も照らす朝の日  

                安政元年以降「和歌」

【訳】

大空の恵みというものは、残すところなくますます行き渡るものだなあ。
牢獄の窓さえも照らしてくれる朝の光であることだなあ。

※萩の野山獄

・・・

【 9月19日 】  古人を友とす

図書に山水(さんすい)を按じ、文書に古人(こじん)を友とす。 

               安政2年「※松岡良哉が相模に之くを送る」

【訳】

図書をみて、各地の山水の風光を想像し、
書を読んで、昔の心のある聖賢を友とする。

※長州藩の医者の子。時々松陰を訪ね、教えを受けたといわれる。

・・・
【 9月20日 】  人情は愚を貴ぶ

人情は愚を貴(たっと)ぶ。益々愚にして益々至(いた)れるなり。

               安政二年八月十六日「講孟箚記」

【訳】

人情は愚直であることを大切にする。
愚直であればあるほど、人情は切実となる。

            <感謝合掌 平成30年9月12日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 9月21日~30日 - 伝統

2018/09/23 (Sun) 17:55:52

【 9月21日 】  気旺ならば

勢(いきおい)振(ふる)はば天下に強敵なく、
気(き)旺(さかん)ならば天下に難事なし。 

               安政元年冬「※金子重輔に与ふる書」

【訳】

意気込みが盛んであれば、この世界に手強い敵はなく、
気持ちが意気盛んであれば、この世界に難しいことはない。

※長州藩の農民 金子重之助。松陰が下田で米艦へ乗り込む際、従った同志。

・・・

【 9月22日 】 縄なかるべからず

木には縄なかるべからず、鋳(ちゅう)には模(かた)なかるべからず。 

               安政2年「象山先生感懐の作に追和す、並びに引」

【訳】

木を用材とするには、墨縄が必要である。
鋳物を作るには、型が必要である。

(転じて)学問をするには、師が必要である。

※松代藩士 佐久間象山。幕末期の我が国を代表する兵学者で、松陰の師である。

・・・

【 9月23日 】 吾が心遂に忘れず

龍蛇(りゅうだ)時(とき)に屈すれども、吾が心遂に忘れず。 

               安政5年正月四日「新年三十短古」

【訳】

龍は時を得れば天まで勢いよく駆け上り、
得なければ、蛇となって地に伏し、屈するものである。
私は(何度屈したとしても)龍となって、天に駆け上がらん、と
の志を忘れない。

・・・

【 9月24日 】 天の我れを待つ

姫昌(ひしょう)の易卦(えきか)、
囚(しゅう)と作(な)りて明かに、
丘(きゅう)や春秋(しゅんじゅう)試(もち)ひられずして成(な)る。

古(いにしえ)より英雄多くあらず、
天の我れを待つ亦(また)軽(かろ)きに非(あら)ず。

※1姫昌(きしょう)の易卦(えきか)、囚(しゅう)と作(な)りて明かに、
※2丘や春秋試(もち)ひられずして成る。
   古より英雄多くあらず、天の我れを待つ亦軽きに非ず。 

               安政2年9月7日「戯言」

【訳】

周の文王は殷の獄舎である?里(ゆうり)に囚われて、易の六十四卦を作った。
孔子は諸侯に採用されなかったので、『春秋』を著(あらわ)したという。

昔より、順調な人生を送り、英雄となった者は多くない。

(私も今、野山獄にいるのだから)
天が私に期待していてくれるものは決して軽いものではない。
(天の期待に応えなければいけない。)

※1 姫は周の姓、昌は文王の名。

※2 丘は孔子の名。

・・・

【 9月25日 】 質実欺かざるを以て要と為し

士の行は質実欺かざるを以て要(かなめ)と為し、
巧詐(こうさ)過(あやまち)を文(かざ)るを以て恥と為す。
光明正大、皆是れより出づ。 

               安政2年3月「士規七則」

【訳】

武士の行いは、飾り気なく、真面目で、自他をだまさないことを最も大切な中心とする。
ごまかし偽って失敗を隠すことを最も恥とする。

人として明るく希望に満ち、正しく堂々とした態度や行動などは、みなここから生まれる。

・・・

【 9月26日 】 真骨頂なくては

?勝(きょうしょう)・范文粲(はんぶんさん) 餓死と黙死と、天下の苦節と云(い)うべし。
此(か)くの如(ごと)きの真骨頂(しんこっちょう)なくては、
男児(だんじ)と称(しょう)するに足(た)らず。

               安政六年五月二十二日「照顔録(しょうがんろく)」

【訳】

龔勝の餓死といい、范文粲の黙死といい、苦しみの中にあっても節操を変えない、
あっばれな生き方というべきである。

このような、真骨頂とするものがなくては、男児と称するにはたりない。

※1 龔勝(きょうしょう)-中国、漢の人彭城(ほうじょう)の人。
   新(しん)の王莽(おうもう)に招かれたが、二君に仕えることを恥じ、絶食して死んだ。

※2 范文粲(はんぶんさん)-中国、晋の人。
   上司と意見を異にし、門を閉じ、沈黙を守って死んだ。

・・・

【 9月27日 】 千磨して

平生(へいぜい)志す所あり、鉱璞(こうはく)肯(あえ)へて自ら捐(す)てんや。
千磨(せんま)して玉(ぎょく)彌々(いよいよ)瑩(あきら)かに、
百錬して鉄(てつ)転(うた)た堅し。 

               安政2年9月7日「感を書す」

【訳】

日ごろから、心に期する所がある。
私の志は、掘り出したままの粗金や、まだ磨いてもない玉と一緒で、
(まだ果たしていないからといって)どうして自分から捨てようか。捨てはしない。

千回磨くことによって、玉は名玉となり、
百回鍛錬をすることによって、鉄は更にかたくなるのであるから。(志も同様である。)

・・・

【 9月28日 】 城府を設けず」

僕(中略)人を待つに城府(じょうふ)を設けず。 

               安政4年10月18日「※中村牛荘先生に与ふ」

【訳】

私は(中略)人と接する時に、身構えたりしない。

※長州藩士 中村伊助。明倫館学頭。松陰の友人百合蔵の父。
 松陰は牛荘に『中庸』の教えを受けた。

・・・

【 9月29日 】 己が任と為す

綱常(こうじょう)名分(めいぶん)を以て己が責と為し、
天下後世を以て己が任と為すべし。

身(み)より家に達し、国より天下に達す。
身より子に伝へ孫に伝へ、雲仍(うんじょう)に伝ふ。
達せざる所なく、伝はらざる所なし。

達(やつ)の広狭(こうきょう)は、行(ぎょう)の厚薄を視(しめ)し、
伝の久近(きゅうきん)は、志(こころざし)の浅深(せんしん)を視(しめ)す。  

               安政3年7月18日「久坂玄瑞に復する書」

【訳】

人としての正しいあり方を守ることを自分の責任とし、
天下後世を維持発展させることを自分の任務と自覚しなさい。

人としての正しいあり方を、我が身から家に広げ、国家から天下へと広げる。ま
た、子・孫へ伝え、更には雲仍、八代目の孫にまで伝える。

(正しい教えであるから)広がらない場所はなく、伝わらない世代はない。
広がりの広狭は、己の行いが誠実であるか否かを示し、
また、どの世代まで伝わるかは、志が高いか否かを示す。

※ 長州藩医の子 久坂玄瑞。松陰が高杉晋作と共に最も期待した高弟の一人。
              吉田松陰の妹文が嫁いだ

・・・
【 9月30日 】 疾しからざるにあり

英雄自(おのずか)ら時措(じそ)の宜(よろ)しきあり。
要(よう)は内に省みて疾(やま)しからざるにあり。  

               安政6年10月25日「留魂録」

【訳】

英雄といっても、その折々のあるべき振る舞いというものがある。
大切なことは、心中を顧みて、やましい所がないということである。

            <感謝合掌 平成30年9月23日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 10月1日~10日 - 伝統

2018/10/02 (Tue) 19:09:46

【 10月1日 】 青年の俊才恃むに足らず

人の志を立つる、必ず二三十年を積みて、
然る後灼然(しゃくぜん)として信ずべく、昭然(しょうぜん)として見るべし。

(中略)

青年の俊才恃(たの)むに足らず、精誠至誠、是れ恃むべしと為すのみ。  

           安政3年11月23日「※赤川淡水の館中同学に与ふる書を読む」

【訳】

人が志を立てたという時には、必ず二、三十年間くらい実行したのを見届けて、
その後、初めてはっきりと信じるべきである。

(中略)

青年がいくら人並みにすぐれた才能をもっているとしても、
信頼し、期待するには足りない。

誠実なまごころ。これを信頼し、期待するだけである。


※長州藩士 赤川直次郎。後、佐久間佐兵衛。
 松陰の友人で、松陰に兄事したといわれる。
 中村道太郎の実弟。

・・・

【 10月2日 】  己れを竭して天に聴く

夫れ死生命(せいめい)あり、富貴は天に在り、
身を修めて命(めい)を竢(ま)ち、
己れを竭(つく)して天に聴くは君子の道なり。  

               嘉永3年12月9日カ「※加藤公に禱る」

【訳】

人の生死は天命で、人力ではどうすることもできない。
財産が豊かで高位に昇ることも天命である。

自分の行いを正し、身を修め、天命を待ち、
自分のできることを身を尽くして誠実に行い、
天の命を聞くのは、心ある立派な人の生き方である。

※加藤清正。肥後熊本藩の初代藩主。

・・・

【 10月3日 】  小を忍びて大を謀る

小を忍びて大を謀(はか)るは則ち孔門の教なり。  

                嘉永5年正月17日「東北遊日記」

【訳】

小さな事柄を堪え忍んで妄動せず、大事大謀の完遂を目指すことは、
孔子の門人たるものへの教えである。

・・・

【 10月4日 】  学ばず勤めずんば

才といひ気といふも学を基(がく)と為し、
博といひ精といふも勤(きん)を資(もと)と為す。

十室の邑(ほう)必ず丘(きゅう)のごときあり、
学ばず勤めずんば老大(ろうだい)にして悲しまん。 

               嘉永5年2月13日「東北遊日記」

【訳】

才能といい気魄(きはく)というが、それらは学問を源としている。
博識といい優れた人物というが、それらは勤勉を源とする。

十軒位の小さな村でも、孔子のような誠実で正直な人がいるが、
孔子の孔子たる所以(ゆえん)である好学の人を得ることは難しい。

学問に励み、勤勉でなければ、
年をとってから身の不遇を悲しむこととなりますぞ。

・・・

【 10月5日 】 時に及んで

時に及(およ)んでまさに努力すベし、青年の志を空(むな)しうするなかれ。

               嘉永5年2月5日「東北遊日記」

【訳】

好機に巡りあった時には、しっかり努力しなさい。
(好機を逃して)青年時代から抱いてきた志を無駄なものとしてはいけない。

・・・

【 10月6日 】  師恩友益多きに居り

徳を成し材を達するには、師恩(しおん)友益(ゆうえき)多きに居り。
故に君子は交游を慎む。
  
               安政2年3月「士規七則」

【訳】

人としての徳を身につけ、才能を開かせるには、恩師の御恩や友からの益が多い。
だから、立派な人は交際を慎むものである。滅多なことでは人と交際しない。

・・・

【 10月7日 】  壮健にそだち申さず候ては

武士は壮健にそだち申さず候ては物前(ものまえ)の用に立てざるは勿論なり。 

               嘉永4年6月28日「※叔父 玉木文之進あて書翰」

【訳】

侍というものは、心も体も元気で丈夫に育てなければ、
いざという時に役に立たないことはもちろんである。

※長州藩士 玉木文之進。松陰の叔父。
 松陰が幼少時より教えを受け、最も影響を受けた人物といわれる。

・・・

【 10月8日 】  学校の盛衰は

※学校の盛衰は全く先生の賢愚(けんぐ)に存(そん)す。  

               安政6年3月28日「吉日録」

【訳】

学校というものが盛んとなるか衰退するかは、
全て先生が心ある立派な人であるか、それともくだらない愚かな人であるかによる。

※学校とは長州藩の藩校 明倫館をさす。松陰の畏友 中谷正亮の言という。

・・・

【 10月9日 】  無心に出でて

君子の道徳を其の身に蔵して、其の化(か)の者に及ぶや、
従容(しょうよう)無心に出でて作為を借らざるに似たるあり。  

               弘化3年カ「雲の説」

【訳】

立派な人が、人としてのあるべき徳を我がものとして、
他人を教え、変えようとする時には、ゆったりと落ち着き、
一切の妄念から解放された心で行うものである。

(決して、よきように見せかけようとか、
わざと手を加えるようなことはしないものである。)

・・・

【 10月10日 】  心死より惨なるはなし

古語に曰く、「惨(さん)は心死(しんし)より惨(さん)なるはなし」と。
蓋(けだ)し身(み)死して而も心死せざる者は古聖賢の徒(と)、不朽の人なり。

身(み)死せずして而も心(こころ)死せる者は今の鄙夫(ひふ)の流(りゅう)、
行屍(こうし)の人なり。 

               安政6年2月12日「※無逸の心死を哭す」

【訳】

古人が、「心が死ぬということより悲惨なことはない」といっている。
ただし、身体が死滅しても、その精神が死んでいないものは、
昔の聖人や賢者らであり、これらは永遠に朽ちることのない人である。

身体は死滅していないが、精神が死んでいるのは、
今のくだらない人間の類であり、無能で役に立たない人間である。

※長州藩足軽の子 吉田栄太郎稔麿。松陰の高弟。無逸は字。

            <感謝合掌 平成30年10月2日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 10月11日~20日 - 伝統

2018/10/12 (Fri) 18:52:46


【 10月11日 】 見解なくては

※白楽天の詩に、
「亦此の身を恋(こ)ふるなかれ、万却(ばんごう)煩悩の根(こん)、
亦此の身を厭(いと)ふなかれ、一聚(いっしゅう)虚空の塵(ちり)」と云ふ

(中略)

武士たる者此の見解なくては討死(うちじに)は出来ぬなり。

                安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

白楽天の詩に、
「この身を愛惜してはいけない。なぜなら、永久に煩悩の根本であるから。
また、この身を嫌がってはいけない。
なぜなら、たかが空をただよう塵の集まったものに過ぎないのだから」という。

(中略)

侍たるもの、このような見方ができないようであれば、討ち死になど、できはしない。

※772~846.白居易。
中国、中唐の詩人。
詩は「逍遙詠(しょうようえい)」の一節。

正しくは、
「此の身何ぞ恋ふるに足らん、万却煩悩の根。
此の身何ぞ厭ふに足らん、一聚虚空の塵」である。

・・・

【 10月12日 】 己れより」

禍福(かふく)天より降るに非ず、
神より出づるに非ず、
己れより求めざる者なしとなり。 

                  安政2年7月29日「講孟箚記」

【訳】

禍(わざわい)や幸せは天から降ってくるのではない。
神様から出てくるのでもない。
自分から求めないものはないという。

・・・

【 10月13日 】 国を安んぜん

徒(いたずら)に身を衛(まも)ることを知る者、
安(やすく)んぞ能(よ)く国を安(やす)んぜんや。  

                  嘉永元年7月中旬
                    「剣(けん)の説(せつ)」

【訳】

何の意味もないのに、保身ばかりに走るものは、
どうして国を守ることができようか。できはしない。

・・・

【 10月14日 】 大器は遅く成るの理(ことわり)にて」

万事速(すみや)やかに成れば堅固ならず、
大器は遅く成るの理にて、
躁敷(さわがし)き事(こと)にては
大成も長久も相成らざる事に之れあるべく候。 

                嘉永元年10月4日
                   「明倫館御再興に付き気付書」

【訳】

何事もなく順調に成長した人物は、
意志が強く、他人に簡単に惑わされないかというと、そうでもない。

立派な人物というものは、時間をかけてゆっくり成長するのが道理であって、
騒々しい状態ではホンモノの立派な人物になることはない。

・・・

【 10月15日 】 才を老お)いしむべし」

荘子、当に其の才を老いしむべし。  

               嘉永4年2月20日
                 「文武稽古万世不朽の御仕法立気付書」

【訳】

厳かな侍は、その才能を老成させるべきである。

(経験を積んで、成熟させることが大切である。)

・・・

【 10月16日 】 是非の心、人各々之れあり

是非(ぜひ)の心、人各々之れあり、
何ぞ必ずしも人の異(い)を強ひて之れを己れに同じうせんや。 
 
                  安政6年3月19日「要駕策主意 上」

【訳】

何が正しく、何がまちがっているかという心は、
人たるもの、誰もが皆それぞれもっている。

どうして、人がちょっと違う意見をもっているからといって、
これを強制して、自分と同じにする必要があろうか。
ありはしない。

・・・

【 10月17日 】 独り学びて友なくんば

曰く、
「独り学びて友なくんば、則ち狐陋(ころう)にして寡聞(かぶん)なり」と。 

                弘化4年2月朔日「※清水赤城に与ふる書」

【訳】

昔の人がいわれた。
「一人で学問をし、一緒に学ぶ友達がいなければ、
学問の内容は偏り、見識はせまくなる」と。

※砲術家、上野の人。

・・・

【 10月18日 】 吾れの位と為せる所は 

吾れの位(い)と為せる所は、
身を処するに仁を以てし、
志を練るに義を以てし、

治には以て国の干城となり、
乱には以て君の爪牙となる、其れ是れのみ。 

                  弘化4年「※平田先生に与ふる書」

【訳】

私が今、心に期しているのは、
人に対しては、慈しみや思いやりの気持ちを持ち、
志を鍛えるにあたっては、人間の踏み行うべき正しい道をもって行うことである。

また、平時のは殿の御楯(みたて)となり、
外国の侮(あなど)りを防ぎ、国内を治め、
戦時には殿の牙となり爪となってお守りすること、これだけである。

             ※長州藩士 平田新右衛門。少年時の漢文学の師

・・・

【 10月19日 】 経籍(きょうせき)に炳如(へいじょ)たり 

夫(そ)れ士(し)君子(くんし)の道は経籍に炳如たり。  

                   弘化4年「※平田先生に与ふる書」

【訳】

心ある立派な武士や君子の生き方は、昔の聖典に明らかである。

※長州藩士 平田新右衛門。少年時の漢文学の師

・・・
【 10月20日 】 親思ふこころにまさる 

※親思ふこころにまさる親ごころ
けふの音づれ何ときくらん  

              安政6年10月20日
              「父叔兄(ふしょくけい)あて書翰(しょっかん)」

【訳】

父母のことを心配している私の心より、
私を心配してくださる父母の心の方がはるかにまさっている。
今日の便り(私の刑死確定の知らせ)をどんな思いでお聞きになるであろうか。

※安政6年(1859)のこの日、松陰が父 杉百合之助、
叔父 玉木文之進、兄 杉梅太郎へ送った永訣(えいけつ)の書の一節である。


            <感謝合掌 平成30年10月12日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 10月21日~31日 - 伝統

2018/10/22 (Mon) 18:36:17

【 10月21日 】 位に素して行ふ 

位に素して行ふ。  

           弘化4年「※平田先生に与ふる書」

【訳】

今ある場所で、今なすべきことを行う。

※長州藩士 平田新右衛門。少年時の漢文学の師

・・・

【 10月22日 】 人才育せざるべからず

人(じん)才育(さいいく)せざるべからず。

(中略)

蓋)けだ)し人各々能あり不能あり、物の斉(ひと)しからざるは物の情なり。

(中略)

斉しからざる人を一斉(いっせい)ならしめんとせず、
所謂(いわゆる)才なる者を育(いく)することを務(つと)むべし。

(中略)

今の弊(へい)、闔国(こうこく)の人をして皆一斉ならしめんと欲するに在り。
而して却つて其の間、才なる者を特出するを見ず。  

              嘉永4年4月以降「※山田治心気斎先生に贈る書」

【訳】

人のもって生まれた才能というものは、育てずにおくべきではない。

(中略)

ただし、人にはそれぞれできることとできないことがある。
物が同じではないというのは物の本質である。

(中略)

同じではない人を同じにしようなどとせず、
いわゆる、その人の優れた才能を育てることに努めるべきである。

(中略)

今の欠点は、全国の人をみんな同じようにしようと願っていることである。
そうであるから、かえって、我が国では才能の特に秀でた人を見ないのである。

※長州藩 山田宇右衛門。治心気斎は号。
     松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

【 10月23日 】 為さざるの志確乎たらば

為さざるの志確乎たらば、一旦事変に臨むことありとも、
必ず能く為すあるの業を成すことを得ん。
是れ吾が学を勤むる所以なり。  

                  安政2年11月11日「講孟箚記」

【訳】

してはいけないことは絶対にしないという志が確かであれば、
いつどのようなことが起きても、
必ず立派に対応することができるであろう。

これが、私が学問をする理由である。

・・・

【 10月24日 】 衆議帰一

総じて大事を挙げ行ふ時は必ず衆議帰一の所を用ふべし。
是れ政の先著なり。 

                  嘉永6年8月「将及私言」

【訳】

全てにおいて、大切なことを審議決定し、
実行する時には、必ずみんなの意見が一致したものを採用すべきである。

これは政治を行う上で最も優先すべきことである。

・・・

【 10月25日 】 身はたとひ

※身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂   

                  安政6年10月25日「留魂録」

【訳】

我が身はたとえこの武蔵野の地に朽ちるとしても、
大和魂だけは(この日本に)永遠に留まって、護国の鬼となるぞ。

※安政6年(1859年)のこの日に起筆したという
 「留魂録」(松陰の遺書)の書き出しの歌である。

・・・

【 10月26日 】 初心に負かん

栄辱(えいじょく)によつて初心に負(そむ)かんや。   

                  安政元年冬「幽囚録」

【訳】

栄誉と恥辱によって、初心に背いてよかろうか。背くべきではない。


・・・

【 10月27日 】 死して君親に負かず

※吾れ今国の為に死す、死して君親に負(そむ)かず。
悠々たり天地の事、鑑照、明神(みょうじん)に在り。  

                  安政6年10月27日「辞世口吟」

【訳】

私は今、国家のために死ぬ。
死ぬけれども、君や親には一切背いていない(やましい所は一切ない)。

果てしなく、永久に天地は存在する。
神様が私の心をきちんと見通してくださっている。

※この日、松陰は江戸伝馬町の獄で斬刑に処せられた。詩は執行直前の口吟である。

・・・

【 10月28日 】 多情の極

大事に臨み無情なるが如きは、多情の極(きわみ)と知るべし。   

                  安政6年5月22日「照顔録」

【訳】

国家の大事にあたり、家人、家事などを顧みないのは、無情なようだが、
かえって憂国の情に富んでいるということを知るべきである。

・・・

【 10月29日 】 死友に負かず

死友(しゆう)に負(そむ)かずと謂うべし。
死友に負く者、安んぞ男子と称するに足らんや。  

                  安政6年5月22日「照顔録」

【訳】

先立った同志の忠節の死に背かない、というべきである。

先立った同志に背くようなものを、
どうして男子と称することができようか。
できはしない。

・・・

【 10月30日 】 人の国に於けるや

人の国に於けるや、猶ほ水の源あり、木の根あるがごとし。
是れなければ則ち涸れ且つ枯るるなり。 
 
                  嘉永5年8月26日「治心気斎先生に与ふる第三書」

【訳】

国家における人というものは、
水に水源があり、木に根っこがある、そのようなものである。
これがなければ、水は涸(か)れ、木は枯れる。国家も同様である。

※長州藩 山田宇右衛門。治心気斎は号。
     松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

【 10月31日 】 往々栄利を慕ひて

世人往々栄利を慕ひて親義を顧みず。   

           安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

世の中の人は、ままに名誉や利益に憧れて、人としてのあるべき道を顧みない。


            <感謝合掌 平成30年10月22日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 11月1日~10日 - 伝統

2018/11/02 (Fri) 17:25:29


【 11月1日 】 「志を主とす」

学(がく)を言ふは志(こころざし)を主とす。  

             安政2年7月2日「講孟剳記」

【訳】

学問というものは志、
つまり、何のために学ぶのか、ということが最も大切である。


・・・

【 11月2日 】 「男子須らく」

嗚呼(ああ)、人間の得失何ぞ問ふことを須(もち)ひん、

男子須(すべか)らく塵俗(じんぞく)の表(おもて)に
卓立(たくりつ)することを要すべし。
   
              嘉永5年4月1日「無題」

【訳】

ああ、人間としての成功や失敗などは何ら問題とする必要などあろうか。
ありはしない。

男子たるものは、まずもって、そのような俗世間を超越し、
高くそびえ立つことが重要である。

・・・

【 11月3日 】 「人材を長育するには」

大凡(おおよそ)人材を長育するには
其れをして多く怪異(かいい)非常(ひじょう)愧(は)づべきの事を
見聞せしむるに如(し)くはなし。

蓋(けだ)し尋常庸々(ようよう)の事は以て新たに視聴に入(い)るるも
其の志気を発励するに足らざるなり。

              嘉永5年8月26日「※治心気斎先生に与ふる第三書」

【訳】

だいたい人材を大きく育てるには、不思議なこと、普通と違うこと、
また自分を恥ずかしく思うようなこと、驚喜するようなことなどを
見聞きさせることが一番だと思います。

当たり前の平凡なことは、新しい経験となるでしょうが、
それで新たに志を立て、励むには足りません。

※長州藩 山田宇右衛門。治心気斎は号。
 松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

【 11月4日 】  険阻艱難程大業を成すに宜しきもの之れなき様存じ奉り候

足下(そっか)年少(ねんしょう)才(さい)富(と)み
何事(なにごと)にでも御志(おこころざし)さへあれば、
成(な)らずと申す事は之(こ)れある間敷(まじ)く候(そうろう)。

若(も)し是(こ)れ式(しき)の事に御鋭気(ごえいき)挫(くじ)け
候(そうろう)様(よう)にては、大業(たいぎょう)の創始(そうし)は
迚(とて)も出来申さず候(そうろう)。

(中略)

万一(まんいち)英気(えいき)挫(くじ)け候様(そうろうよう)の事ども
御座候(ござそうろう)も、古(いにしえ)の英雄(えいゆう)御覧(ごらん)
成(な)さるべく候。

険阻(けんそ)艱難(かんなん)程(ほど)大業(たいぎょう)を成(な)すに
宜(よろ)しきもの之(こ)れなき様存じ奉(たてま)り候。

                嘉永三年九月二九日「※郡司覚之進あて書翰」


【訳】

あなたは、年齢は若いが、才能に富んでおられるので、
何事であろうとも、志さえあれば、ならないということはあるはずがありません。

もしも、これくらいのことで何事かをなそうとするお気持ちがくじけるのであれば、
大きな仕事を始めることなどはとてもできないでしょう。

(中略)

万一お気持ちがくじけるようなことがあったとしても、古の英雄をご覧なさい。
苦しいこと、困難なことがあるほど大きな仕事をなしとげるには好都合だと思われます。

※長州藩士 郡司覚之進 生没年不詳。松陰の友人。砲術研究者。

・・・

【 11月5日 】  同じからしむること能はず

孔子人を教へしより、已に人をして皆己れに同じからしむること能はず。 
  
            嘉永5年8月26日「※治心気斎先生に与ふる第三書」

【訳】

あの聖人孔子でさえ、人を教えていた頃から、
人を自分と同じようにすることは不可能であった。

※長州藩 山田宇右衛門。治心気斎は号。
 松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

【 11月6日 】 平時直諌なくんば

平時(へいじ)直諌(ちょっかん)なくんば、戦に臨みて先登(せんとう)なし。 

             安政6年3月「感傷の言」

【訳】

日ごろ、(殿を)直接諌(いさ)めるということができなければ、
戦の際に、真っ先を駆けて、敵陣に斬り込むことなどできない。

・・・

【 11月7日 】  涵育薫陶して其の自ら化するを俟つ 

養(よう)の一字最も心を付けて看(み)るべし。
註に、養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟(ま)つを謂ふなりと云ふ。

涵はひたすなり、綿を水にてひたす意なり。
育は小児を乳にてそだつる意なり。
薫は香をふすべ込むなり。
陶は土器を?にて焼き堅むるなり。

人を養ふも此の四つの者の如くにて、不中不才の人を縄にて縛り杖にて策(むち)うち、
一朝一夕に中ならしめ才ならしめんとには非ず。

仁義道徳の中に沐浴(もくよく)させて、覚えず知らず善に移り悪に遠ざかり、
旧染(きゅうせん)の汗(お)自ら化するを待つことなり。

是れ人の父兄たる道にして、父兄のみにあらず、人の上となりて政を施すも、
人の師となりて教えを施すも、一の養の字を深く味ふべし。   

                安政2年11月11日「講孟剳記」

【訳】

「養」の一字に最も心をつけて、みるべきである。
(※朱子の)註に、「養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟つを謂ふなり」といっている。

涵はひたすことである。綿を水でひたすという意味である。
育は小児を乳で育てるという意味である。
薫は香を炊き込めることである。
陶は土器をかまどで焼き固めることである。

人を育てる場合にも、この四つのように、自然に行うべきである。

中庸の徳のない人、才能のない人を、
縄で縛り上げ、杖で打ち、わずかの間に中庸の徳をつけ、
才能のある人物にしようとするものではない。

そういう人々を、仁義道徳の中にひたして、
自らは気づかず、知らない内に、善に移り、悪から遠ざけ、
もとから染みついていた悪い汚れが、自然に善に変わっていくのをまつべきである。

これは人の父兄だけではなく、人の上に立って政治を執る上でも、
また、人の先生となって、教える場合でも、
「養」という一字を深く味わうべきである。

※1130~1200 中国宋代の儒教者。朱子学の創始者

・・・

【 11月8日 】  ならぬといふはなきものを

何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり 
 
            嘉永4年8月17日「父叔父あて書翰」

【訳】

何事にあっても、できないということはない。
できないというのは、やらないだけである。


・・・

【 11月9日 】  友に負くも 

国を憂へて友に負(そむ)くも、友を愛して国に負(そむ)かんや。   

            安政6年正月23日「※子遠に与ふる俗牘の後に書す」

【訳】

国家を憂えて、友に背(そむ)くことがあったとしても、
どうして友を愛して、国家に背こうか。背きはしない。

※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。



・・・
【 11月10日 】  事務を知る者は俊傑に在り

古人云はく、「儒生(じゅせい)俗吏(ぞくり)安(いずく)んぞ 
※1事務を知らん、事務を知る者は俊傑(しゅんけつ)に在り」と。   

            嘉永6年11月6日「※2有吉市郎兵衛あての書翰」

【訳】

昔の人がいった。
「くだらない学者や役人に、どうしてその時になすべきことが分かろうか。
それが分かるのは、心ある立派な人物だけである」と。

※1 事務は時務である。時務とはその時になすべき政務などの課題。

※2 肥後熊本藩の家老。 嘉永6年、松陰は熊本で有吉を訪ね、教えを受けている。
   ちなみに、この手紙は、『吉田松陰全集』では、
   「嘉永4年11月6日 某宛」となっている。

            <感謝合掌 平成30年11月2日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 11月11日~20日 - 伝統

2018/11/12 (Mon) 20:07:32

【 11月11日 】 勤めざる者の情

勤めざる者の情(じょう)に三あり、
曰く、吾が年老いたり。
曰く、吾が才鈍なり。
然らずんば則ち曰く、吾が才髙し、学成れりと。 
 
            嘉永4年12月9日「※山田宇右衛門あての書翰」

【訳】

努力をしない人の気持ちには三つある。
一にいう、年をとりました、と。
二にいう、馬鹿ですから、と。そうでなければ、
三にいう、私は才能が高く、もう学問は極めました、と。

※長州藩 山田宇右衛門。治心気斎は号。
 松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

【 11月12日 】  習は必ず風となる

才学を恃(たの)みて少成に安んずるは※1本藩の弊習なり。
習(しゅう)は必ず風(ふう)となる。 
 
            嘉永4年12月9日「※2山田宇右衛門あての書翰」

【訳】

(ちょっとした)才知や学識があるからといって、
少しの成功で満足するのは、我が長州人の悪しき習わしである。
習わしは、必ず、気質となる。

※1 長州藩

※2 長州藩士 山田宇右衛門。治心気斎は号。
   松陰は幼少時よりその教えを受け、最も影響を受けたといわれる。

・・・

【 11月13日 】  尤も恃むべきは

尤(もっと)も恃(たの)むべきは大丈夫の志気(しき)なり。   

            嘉永5年正月12日以降「※兄杉梅太郎あての書翰」

【訳】

最も頼りにすべきものは、心ある立派な君子の気概、志である。

※ 兄杉梅太郎。字は伯教。生涯、松陰を理解し、助けた。後、民治と改名した。

・・・

【 11月14日 】  小事却つて大害を為す

大行(たいこう)は細謹(さいきん)を顧みずは勿論の事なれども、
小事却つて大害を為す事もあるなり。  
 
            嘉永5年5月某日「※山縣半蔵あての書翰」

【訳】

大きな仕事をする時には、些細なことなど気に懸けないのはもちろんである。
しかし、その些細なことが大きな害を引き起こすこともある。

※ 長州藩 山縣半蔵、後、宍戸?。明倫館学頭 山縣太華の養子。
  二十歳前後まで、松陰の門人だったが、以後、疎遠となった。

・・・

【 11月15日 】  志のみ、胆のみ

君子に貴(たっと)ぶ所のものは志(こころざし)のみ、胆(きも)のみ。
胆なく志なくんば、則ち区々の才知将た何の用か之れを為さん。 
  
            嘉永6年正月某日「※中村道太郎あての書翰」

【訳】

心ある立派な人に大切ことは、志だけである。肝っ玉だけである。
志がなく、肝っ玉がすわっていなければ、
わずかな才能や知識があったとしても、何の役に立つであろうか。
立ちはしない。

※ 長州藩士 中村道太郎、後、九郎。松陰の友人、同志。赤川淡水の実兄

・・・

【 11月16日 】  「学べば為すあり」

君子の道に志すや、則ち学び則ち思ふ。
昼日之を学び、暮夜(ぼや)之を思ふ。
思へば得るあり、学べば為すあり。  

            安政元年11月27日「※兄杉梅太郎あての書翰」

【訳】

心ある立派な人が道に志を立てた際には、学問に励み、
また、それを(我が身にあてて)考えるものである。
昼間、学問に励み、夜分(その日に学んだことを)考える。
考えれば得るものがあり、学べば行うべきことがある。

※ 兄杉梅太郎。字は伯教。生涯、松陰を理解し、助けた。後、民治と改名した。

・・・

【 11月17日 】  思ふまいと思うても

扠(さて)も々思ふまいと思うても又思ひ、
云ふまいと云うても又云ふものは国家天下の事なり。   

            安政元年12月12日「※兄杉梅太郎あての書翰」

【訳】

いやどうも、考えまいとしてもまた考え、
いうまいとしてもついいってしまうのは、国家天下のことである。

※ 兄杉梅太郎。字は伯教。生涯、松陰を理解し、助けた。後、民治と改名した。

・・・

【 11月18日 】  有の儘

人に交はる事は有(あり)の儘(まま)なる事を貴(とうと)ぶ。   

            安政2年3月某日「※松本源四郎あての書翰」

【訳】

人と交際する際には、あるがままの心で接することが大切である。

※ 長州藩士 松本彦右衛門の子。天文・暦・数学教師。松陰の友人。

・・・

【 11月19日 】 肝要の心得

人の話を徒(いたず)らに聞かぬ事と、聞いた事見た事、
皆書留め置く事、肝要の心得なり。


            安政ニ年三月某日「*松本源四郎あて書翰」

【訳】

人の話をただぼっーとして聞かないこと、
聞いたことや見たことを記録すること、
これらは非常に大切な心得である。

※ 長州藩士 松本彦右衛門の子。天文・暦・数学教師。松陰の友人。

・・・

【 11月20日 】  天下才なきに非ず

天下才なきに非ず、用ふる人なきのみ、哀しいかな。  
 
            安政2年7月14日「※小田村伊之助あての書翰」

【訳】

世間に才能のある人がいないのではない。
それを用いる人がいないだけである。
何とも悲しいことである。

※ 長州藩士 小田村伊之助。士毅は字。松陰の友人。後、松陰の妹 寿が嫁いだ。

            <感謝合掌 平成30年11月12日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 11月21日~30日 - 伝統

2018/11/22 (Thu) 19:04:30


【 11月21日 】 英雄男児忘るべからざる事

「人(ひと)にして不仁なる、之れを疾(にく)むこと
 已甚(はなはだ)しければ、乱)らん)するなり」。

 是の言(げん)、英雄男児忘れるべからざる事。  

           安政2年7月17日「※久保清太郎あての書翰」

【訳】

「不仁、慈しみの心のない人を甚だしく憎むと、その人は必ず乱をおこす」。

この言葉、英雄たる男児は、忘れてはいけないことである。

※ 長州藩士 久保清太郎。玉木文之進主宰の松下村塾以来の友人。
  後、松陰主宰の松下村塾を助け、また、同志として活躍をした。

・・・

【 11月22日 】 大丈夫の嫉妬私心ほど

大丈夫の嫉妬私心ほど畏(おそ)るべき夷狄(いてき)は之れなく候。   

           安政2年9月以降「※桂小五郎あての書翰」

【訳】

立派な男子でもついおこしてしまう嫉妬心や、
自分ひとりだけの利益をはかろうとする気持ちほど、
恐れなければならない敵はありません。

※ 長州藩士 桂小五郎。後、木戸孝允。松陰の親友。

・・・

【 11月23日 】 気は以て習ひて勇にすべし

天の人(ひと)を生ずる、古今の殊(ことなり)なし。
心は以て養ひて剛(ごう)にすべく、気は以て習ひて勇(ゆう)にすべし。

特(た)だ養の均しからざる、習(しゅう)の同じからざる、
乃(すなわ)ち勇怯(ゆうきょう)剛柔ある所以なりと。 
 
          嘉永2年10月1日「※佐伯驪八の美島に役するを送る序」

【訳】

天が人をこの世に生み出すことにおいて、昔と今でのちがいはない。
心は養って強く勇ましくするべきである。

気持ちはよき人の生き方などを見習って、
強く、物事に恐れないようにするべきである。

ただ、それらの養い方が同じではなく、また、習い方が同じでないため、
勇気があったり、臆病であったり、
また、強く勇ましかったり、軟弱だったりするわけである。

※ 長州藩士 佐伯驪八郎。 松陰の門人。

・・・

【 11月24日 】 合はざるものあるとき

一事(いちじ)も合(あ)はざるものあるときは
己れを枉(ま)げて人に殉(したが)ふべからず。
又、人を要して己れに帰せしむべからず。  

             安政3年8月18日「※黙霖あての書翰」

【訳】

たった一つでも意見が合わないものがある時には、
自分の意見を変えてまで、人に従ってはいけない。
また、人の意見を自分のそれに従わせようとしてはいけない。

※ 安芸国長浜(現広島県呉市長浜)出身の勤王僧宇都宮黙霖。
  松陰は萩の野山獄で、文通を通じて黙霖から思想的影響を受けたといわれる。

・・・

【 11月25日 】 明決と誠

機を見るの明決(めいけつ)と誠(まこと)の貫徹とにて事は出来候。  

             安政5年7月13日「※要路役人に与ふ」

【訳】

好機を見抜く判断力、決断力と、まごころを貫くことによってのみ、
大事なことは完遂できるものである。

・・・

【 11月26日 】 至誠積みにつみて

天下国家の御事(おんこと)は中々一朝一夕に参るもの之れなく、
積年の至誠積みにつみての上ならでは達するものに御座なく候。 
 
             安政4年8月28日「※吉田栄太郎あての書翰」

【訳】

天下国家の重要事項といものは、わずかな時間でとてもできるものではない。
数年間にわたってまごころを積みにつみ、準備をするものでなければ、
できるものではありません。

※ 長州藩足軽の子吉田栄太郎稔麿。松陰の高弟。字は無逸。

・・・

【 11月27日 】 読書を勉め給へ

天下国家の為め一身を愛惜(あいせき)し給へ。
閑暇(かんか)には読書を勉(つよ)め給へ。   

             安政4年9月2日「※桂小五郎あての書翰」

【訳】

天下国家のために、どうか御身を大切にしてください。
暇な時には、しっかり読書に励んでください。

※ 長州藩士 桂小五郎。後、木戸孝允。松陰の親友。

・・・

【 11月28日 】 聖賢を師とせずんば

人古今に通ぜず、聖賢を師とせずんば、則ち鄙夫(ひふ)のみ。

読書尚友(しょうゆう)は君子の事なり。  
 
             安政2年3月「士規七則」

【訳】

人たるもの、昔や今の事象を知らず、
古の立派な心ある人を先生としないのであれば、
つまらない男というべきである。

書を読み、その中の心ある立派な人と交わることは君子のありようである

・・・

【 11月29日 】  古道顔色を照らす

文山(ぶんざん)曰(いわ)く、
「風檐書(ふうえんしょ)を展(ひら)いて読めば、
古道(こどう)顔色(がんしょく)を照(てら)す」と。

             安政六年五月二十二日「照顔録」

【訳】

文天祥(ぶんてんしょう)がいった。
「風の吹き抜ける軒先で書を開いて読めば、
古(いにしえ)の聖賢の道が顔を明るく照らしてくれるようだ」と。

文天祥:1236~1282。中国南宋末期の軍人・政治家。
    字(あざな)は宋瑞(そうずい)、文山は号(ごう)。
    宋の臣下として戦い、宋が滅びた後は元(げん)に捕らえられ、
    何度も元に仕えるようにと勧誘されたが、忠節を守るために断って刑死した。

・・・

【 11月30日 】  一心不乱になりさへすれば

人は一心不乱になりさへすれば何事へ臨み候てもちつとも頓着はなく、
(中略)
世の中に如何に難題苦患(くかん)の候ても、
それに退転して不忠不孝無礼無道等仕(たてまつ)る気遣ひはない。   
 
            安政6年4月13日「※妹千代あての書翰」

【訳】

人は一つのことに心を注ぎ、
他のことのために心乱れることがなくなりさえるすれば、
何事にも臨んでも深く気にかけるということはなくなる。

(中略)

世の中のどんな難題や苦しみ・悩みに遭ったとしても、
それで心がくじけて不忠・不孝・無礼・無道などの状態に陥ってしまう心配はない。

※杉家の長女で、松陰より二歳年少の妹。
 一番仲がよく、終生、松陰の世話をしたといわれる。 

            <感謝合掌 平成30年11月22日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 12月1日~10日 - 伝統

2018/12/02 (Sun) 19:20:05


【 12月1日 】 節を全うする

恬静淵黙、身を潔くし節を全うする者あり、
生を偸みて苟活し時と俛仰する者あり。
是れ皆真偽の晰かにし難く、疑似の弁へ難き者なり。   

            安政2年12月26日「居易堂集を読む」

【訳】

日頃よりおっとりして口数は少ないが、
自分の身を潔白に保ち節操を守り続ける人がいる。

無為の人生を送り一時的な安楽を貪り、
時代の風潮に調子を合わせて生きる人がいる。

これは全て何が正しくて何がまちがっているかを明らかにすることができない人、
ホンモノと似ていて紛らわしいニセモノを見抜くことができない人である。

・・・

【 12月2日 】 自ら断ずるに在るのみ

古語にも「我が志(こころざし)先づ定(さだ)まりて、
詢謀(じゅんぼう)するに皆同じ。
鬼神(きしん)其れ倚(よ)り亀筮(きぜい)協(かな)ひ佑(たす)く」と。
然れば志の定まると定まらぬと、自ら断するみ在るのみ。  
 
            安政2年11月11日「講孟剳記」

【訳】

昔の言葉にも、「志をまず決定し、その上で問いを諮ると、結論は皆同じである。
神様も守ってくだされば、占いの結果も一致し、志を助けてくれる」とある。
とすれば、志が定まるか定まらないかは、まず自分が決断するか否かにかかっている。

・・・

【 12月3日 】 確節の修行怠るべからず

人の父母の存没妻子の有無等にて時々変革あるなり。
確節)かくせつ)の修行怠るべからず。  

            安政6年正月10日
            「※佐世八十郎・岡部富太郎・入江杉蔵あての書翰」

【訳】

人間は、父母の生死や妻子の有無などによって、
(志や気持ちなどが)その時々に変わるものである。
だからこそ、志を確実なものとする修行を怠ってはならない。

※1 長州藩士 佐世八十郎一誠。後、前原一誠。松陰の高弟。

※2 長州藩士 岡部富太郎。松陰の友人来原良三の甥、松下村塾の門人。

※3 長州藩士の足軽入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

・・・

【 12月4日 】 道は身の本尊にて 

道(みち)は身の本尊にて、身の尊き所以は道(みち)にあり。 
  
            安政3年5月29日「講孟剳記」

【訳】

人として正しい道は身体の本尊である。
人が尊い理由は、その身の中に本尊、
つまり、人として正しい道を自覚しているからである。

・・・

【 12月5日 】 己を成して

士を得るは最も良策。
併し士をして吾れに得られしむるの愈れりと為すに如かず。
己れを成して人自ら降参する様にせねば行けぬなり。
(中略)人を結ぶも吾れより意ありては遂に長久せず。
(中略)只だ自力を強くして自ら来る如くすべし。   

            安政5年6月28日「※久坂玄瑞あての書翰」

【訳】

心ある立派な武士を同志として得るのは最善の策である。
しかし、そのような武士に、お前(高弟久坂玄瑞)のところに
自らやってこようと感じさせる方が、より勝っている。

自分を鍛えて立派な人物とし、
人が自分から寄って来るようにしなければいけない。

(中略)

人と同志になるとしてもお前の意志からでは長続きしない。

(中略)

ただ、我が身の人間としての魅力を鍛え上げ、
相手が自分から来るようにすべきである。

※1 長州藩医の子 久坂玄瑞。松陰が高杉晋作と共に最も期待した高弟の一人。
   吉田松陰の妹文が嫁いだ。

・・・

【 12月6日 】 僕は忠義をする積り

僕(ぼく)は忠義をする積り、諸友は功業(こうぎょう)をなす積り。   

          安政6年正月11日「某あての書翰」

【訳】

僕は主君や国家に対し、まごころをもって仕えるつもりである。
君たちは、手柄を立てようとしているだけである。

・・・

【 12月7日 】 涓埃、国を益することあらば

国家まさに多事、吾が生るるや辰(とき)ならざるに非ず。
涓埃(けんあい)、国を益することあらば、敢へて身後の賓(ひん)を望まんや。   

          安政元年冬「幽囚録」

【訳】

今、まさに国家多難の時である。
よくぞ男児としてこの好機に生まれたものである。
(私ごときが)わずかでも国家のためになることが
できるのであれば大満足である。

どうして、死後の名誉などを望もうか。
望みはしない。

・・・

【 12月8日 】 御勤政と御講学

君徳(くんとく)の儀、
恐れながら御勤政(ごきんせい)と御講学(ごこうがく)の
二つに之れある儀と存じ奉り候。  
 
          安政5年7月10日「急務四条」

【訳】

君主としての立派な徳を身に付けられる方法は、
政務と学問にお励みになることの二つであると考えます。

・・・

【 12月9日 】 時事を見てたまらぬから

古(いにしえ)より忠臣義士誰(た)れが益の有無、
功(こう)の有無を謀(はか)りて後(のち)忠義したか。
時事を見てたまらぬから前後を顧みず忠義をするではなきか。  

          安政6年3月16日以後「※入江杉蔵あての書翰」

【訳】

昔から、忠義の武士や節義を堅く守る武士のうち、
誰が自分の利益になるか否か、
手柄となるか否かを考えて忠義しただろうか。してはいない。

その時の時勢をみて、たまらないから、後先も考えずに忠義をするではないか。

※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

・・・

【 12月10日 】 至楽欺の中に在る 

黄巻(こうかん)時々(ときどき)披(ひら)き且つ読めば、
自ら忻(よろこ)ぶ至楽(しらく)欺(こ)の中に在るを。  

          弘化3年2月27日「早春、分ちて韻微(いんび)を得」

【訳】

書物を時々開き、そして、読めば、
自ら書中に無上の楽しみがあることが嬉しい。

            <感謝合掌 平成30年12月2日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 12月11日~20日 - 伝統

2018/12/12 (Wed) 19:43:27


【 12月11日 】 妄りに其の頑質を矯めば

※暢夫(ちょうふ)後(のち)必ず成るあり。
今妄(みだ)りに其の頑質(がんしつ)を矯(た)めば、人と成らざらん。  
 
            安政6年2月25日「高杉晋作あての書翰」

【訳】

高杉晋作は将来必ずや立派な人物となる男子である。
今、むやみにその頑固な性格を矯正しては、立派な男子にはなれない。

※長州藩士高杉晋作。暢夫は字。松陰が久坂玄瑞と共に最も期待した高弟の一人。

・・・

【 12月12日 】 是れが気魄の源なり

平時喋々たるは、事に臨んで必ず唖(あ)。
平時炎々(えんえん)たるは事に臨んで必ず滅す。
(中略)
平時は大抵用事の外(ほか)一言(いちげん)せず、
一言する時は必ず温然和気婦人好女(こうじょ)の如し。
是(こ)れが気魄(きはく)の源(みなおもと)なり。
慎言(しんげん)謹行(きんこう)卑言(ひげん)低声(ていせい)に
なくては大気魄(だいきはく)は出るものに非ず。   

            安政6年2月下旬「諸友あての書翰」

【訳】

日ごろぺらぺらとしゃべっている男は、
いざという段になると尻込みして、黙ってしまう。
日ごろ勢いのいい男は、いざという段になると、
その勢いが消えてしまう。
(中略)
日ごろは、だいたい用事がある時以外は、しゃべらない。
しゃべる時には必ず、穏やかに、和やかに、まるで婦人やよき女性のようにする。
これが気魄の根源である。
言葉を慎み、行いを慎み、へりくだった言葉、小さな声でなければ、
大きな気魄というものはでるものではない。

・・・

【 12月13日 】 吾が志一たび定まりて 

吾が志(こころざし)一たび定(さだ)まりて、沈まず漂(ただよ)はざれば、
其れ必ず来(きた)り助くる者あらん。
而(しか)るを況(いわん)や吾れ往きて之れを求むる、
其れ寧(いずく)んぞ応ぜざる者あらんや。
人(ひと)帰(き)して天(てん)与(くみ)す、
百人固(もと)より以て千万人を得べし、而(すなわ)ち何ぞ難(かた)からん。  

             安政5年7月11日以後「※杉蔵を送る序」

【訳】

自分の志が一旦決まって、やる気がなくなったり、迷ったりしなければ、
必ず助けてくれるものが出てくる。
そうでなくても、自分からそのような同志を求めているのである。

どうして、志に感じて応じてくれないものがあろうか。ありはしない。
人が同志となり、更に、天さえも仲間となってくれる。

百人どころか、千人、万人の同志を得ることさえ可能となる。
どうして、難しいことがあろうか。ありはしない。

※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

・・・

【 12月14日 】 雪中の松柏愈々青々たり① 

天の将(まさ)に大任を是の人に降(くだ)さんとするや、
必ず先づ其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨を労(ろう)せしめ、
其の体膚(たいふ)を餓えしめ、其の身を空乏(くうぼう)にし、
行其の為す所に払乱(ふつらん)す。
心を動かし性(せい)を忍び、
其の能くせざる所を曾益(そうえき)せしむる所以(ゆえん)なり。 
 (孟子本文)

余野山獄に在る時、友人※土屋松如(しょうにょ)、
居易堂集<明の遺臣俟斎徐枋の著>を貸し示す。
其の中に「潘生次耕(はんせいじこう)に与ふる書」あり。
才を生じ才を成すと云ふことを論ず。
大意(たいい)謂(おも)へらく、天の才を生ずる多けれども、才をなすこと難し。
譬(たと)へば春夏の草木花葉(そうもつかしょう)鬱蒼(うっそう)たるが如き、
是れ才を生ずるなり。
然(しか)れども桃李の如きは、
秋冬(しゅうとう)の霜雪(そうせつ)に逢ひて
皆零落(れいらく)凋傷(ちょうしょう)す。
独(ひと)り松柏(しょうはく)は然(しか)らず、
雪中の松柏愈々(いよいよ)青々(せいせい)たり。是れ才を成すなり。

【訳】

天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、
其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えしめ、其の身を空乏にし、行其の為す所に払乱す。

心を動かし性を忍び、其の能くせざる所を曾益せしむる所以なり

(天が重要な任務をある人に与えようとする時には、必ずまずその人の心や志を苦しめ、
その体を疲れさせ、その肉体を餓え苦しませ、その衣食を乏しくして困らせ、また、
こうしようという意図とは違うようにするものである。
これは、天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くして、
これまでできなかったこともできるようにしようとするための試練である) 

(孟子本文)


私が野山獄にいる時、友人である土屋松如が、
『居易堂集』<明の遺臣俟斎徐枋の著>を貸してくれた。
その中に、「潘生次耕に与ふる書」というものがあった。

それには、才能を生じ、才能をなすということが論じられていた。
その大体の意味は、次のようであった。

天が才能を人に与えることは多いが、
その才能を自分のものとして、完成させることは難しい。

才能を与えるとは、
例えていえば、春や夏に草木の花や葉が青々と盛んに茂るようなもので、
これが桃や李などは、秋や冬の霜や雪にあえば、みな枯れ落ちてしまう。

ただ、松や柏だけはそうでなく、雪の中でも益々青々とそのみどりを保っている。
これが才能を完成させるということである。

※長州藩士佐世氏の家来、土屋矢之助蕭海。松如は字。松陰の友人、同志。
 生涯松陰を助けた。

・・・

【 12月15日 】 雪中の松柏愈々青々たり

人才(じんさい)も亦(また)然(しか)り。
少年軽鋭(けいえい)、鬱蒼(うっそう)喜ぶべき者甚だ衆(おお)し。

然れども艱難辛苦を経るに従ひ、英気頽敗して一俗物となる者少なからず。

唯だ真の志士は此の処に於て愈々激昂して、遂に才を成すなり。
故に霜雪(そうせつ)は桃李(とうり)の凋(しぼ)む所以(ゆえん)なり。
艱苦(かんく)は軽鋭(けいえい)の頽(すた)るる所以、
即ち志士の激する所以なりとあり。

是(これ)亦全文を諳(そらん)せず、大意斯くの如し。

今吾れ不才(ふさい)と云へども象山の徒(と)にして、亦徐氏の文を読む。
豈(あ)に桃李に伍(ご)して松柏に咲(わら)はれんや。
当(まさ)に琢磨淬励(さいれい)して連城・干将(かんしょう)となるべきのみ。 

            安政3年4月15日「講孟剳記」

【訳】

人間の才能もまた同じことである。
少年の中には、すばしっこくて強く、気も満ちており、喜ぶべきものは大変多い。

しかしながら、辛いことや困難なことを経験するにつれ、
そのようなすばらしさがなくなってしまい、
全くだめな人間になってしまうのも少なくない。

ただ、本当に大きな志をもっている人は、このような状態になったら、
ますます気持ちを奮い立たせ、ついにはもって生まれた才能を完成させるのである。

とすれば、霜雪は桃李が枯れる原因であり、また、松柏が完成する原因である。

また、艱苦は人の鋭い気性がだめにある原因であり、
同時に志のある人が激しく奮い立つ原因なのである、と。

全文を覚えているわけではないが、大体の意味は以上のようであった。

今、私は才能のないものではあるが、
佐久間象山先生の教えをいただいたものであり、
また、徐氏の文章を読むものである。

どうして、桃李などの仲間になって、松柏に笑われてよかろうか。
そんなことではいけない。

まさに我が身を磨き、鍛え上げて、
名玉の「連城」や名剣である「干将」のようにならねばならない。

・・・

【 12月16日 】 畏るべきかな書や

読書最も能く人を移す。畏(おそ)るべきかな書(しょ)や。 
 
            安政6年4月14日「※野村和作あての書翰」

【訳】

読書というものは、最もよく人の心をかえるものである。
書というものは、何と恐るべきものだなあ。

※野村和作。入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟。後の子爵野村靖。

・・・

【 12月17日 】 治世から乱世なしに

治世(ちせい)から乱世(らんせい)なしに
直(ただち)に亡国(ぼうこく)になるべし。

            安政六年四月四日「野村和作あて書翰」

【訳】

国家というものは、太平の世から、秩序の乱れた世の中とはならずに、
いきなり滅亡するものである。
(何と恐るべきことではないか。)

・・・

【 12月18日 】 国家を治むるの要

国家を治(おさ)むるの要(よう)、
民心(みんしん)を得(え)るに在(あ)り。
民心を得るの要、文徳(ぶんとく)を修(おさ)むるに在(あ)り。

              嘉永二年五月「講義存稿三篇」

【訳】

国家を治める際の要点は、国民の考えや気持ちを得ることにある。
それを得る要点は、学問を修めることによって備わる人格を身に付けることである。

・・・

【 12月19日 】 「人の至情なり」

知る所ありて、言はざること能(あた)はざるは、人の至情(しじょう)なり。 
 
              安政2年3月「士規七則」

【訳】

(よき教えを)知って、
それを他にいわないではおられないのは、人のまごころである。

・・・

【 12月20日 】 人情に原づかずんば

凡(おおよ)そ事(こと)人情(にんじょう)に原(もと)づかずんば
何(なん)ぞ成(あ)るあらん。

              安政六年五月上旬カ「某あて書翰」

【訳】

だいたい、何事であっても、
人に対する思いやりや慈しみの心を動機としないのであれば、
どうしてなし遂げることができようか。
できはしない。

            <感謝合掌 平成30年12月12日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 12月21日~31日 - 伝統

2018/12/22 (Sat) 19:49:02

【 12月21日 】 積徳積善でなくては

積徳(せきとく)積善(せきぜん)でなくては大事は出来ず。  

           安政6年4月頃「※野村和作あての書翰」

【訳】

人としての徳を積み、よきことを積み重ねなければ、
大きな仕事というものはできいないものである。

※野村和作。入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟。後の子爵野村靖。

・・・

【 12月22日 】 「いつもでも生くべし」

死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。
生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし。 
  
           安政6年7月中旬「※高杉晋作あての書翰」

【訳】

死んでも朽ちることはない、という見込みがあれば、
いつでも(国家社会のために)身を投げ出すべきである。

生きて大きな仕事をなし遂げる見込みがあれば、
いつまでも生き永らえるべきである。

※長州藩士高杉晋作。暢夫は字。松陰が久坂玄瑞と共に最も期待した高弟の一人。

・・・

【 12月23日 】 国の宝なり

進みて名を求めず、退きて罪を避けず、
唯(た)だ民(たみ)を是(こ)れ保(やす)んじて、
主(しゅ)に利(り)あるは、国の宝なり。

             安政四年以降「孫子評註」

【訳】

出仕昇進しても名誉を求めず、役職を退いても責任を回避しない。

ただ国民の幸せと平和な生活だけを考え、
その指導者である殿様のお役に立つことだけを考えるような武士は、国家の宝である。

・・・

【 12月24日 】 第だ事業を勉めよ

昔賢(せつけん)一語(いちご)あり、曰く、
「昔過(せつか)を思ふなかれ、第(た)だ事業を勉(つと)めよ」と。  

             安政6年5月4日「※野村和作あての書翰」

【訳】

昔の偉い人が次のような言葉を残している。
「過ぎ去った過ちを思い悩むな。今なすべきことに全力を注げ」と。

※野村和作。入江杉蔵の実弟であり、松陰の高弟。後の子爵野村靖。

・・・

【 12月25日 】 一時の屈は万世の伸なり

※家君(かくん)欣然(きんぜん)として曰く、
「一時(いちじ)の屈(くつ)は万世の伸(しん)なり、
庸詎(いずくん)ぞ傷(いた)まん」と。  

            安政6年5月4日「投獄紀事」

【訳】

父上がにっこりとしていわれた。
「一時的に(志をくじかれ)屈することは、将来、永遠に伸びるための元となる。
どうして、悲しむことがあろうか。ありはしない」と。

※実父杉百合之助。安政5年(1858)、
 松陰、野山獄への再入獄に際して送った激励の言葉。

・・・

【 12月26日 】 一日を弛めば

足下(そっか)誠に才あり、才あれども(つと)勤めずんば、何を以て才を成さんや。
今、歳将に除(じょ)せんとす、学(がく)弛(ゆる)むべからず、
一日を弛(ゆる)めば、将(まさ)に大機(たいき)を失せんとす。 
 
            安政4年12月20日「※馬島生に与ふ」

【訳】

お前は本当に才能がある。
才能はあるけれども日々努力をしなければ、
どうして才能が開花させ、自分のものとできようか。できはしない。

今年もまさに暮れようとしている。
学問をする気持ちをゆるめてはいけない。
一日でもゆるめれば、学問の大切な機会を失ってしまうぞ。

※長州藩医の子馬島光昭。松下村塾の門人。

・・・

【 12月27日 】 尊王攘夷の四字を眼目として

学問の節目(せつもく)を糺(ただ)し候事(そうろうこと)が
誠に肝要(かんよう)にて、朱子学ぢやの陽明学ぢやのと
一偏(いっぺん)の事にては何の役にも立ち申さず、
尊皇接夷の四字(よじ)を眼目として、何人(なんびと)の書にても
何人の学にでも其(そ)の長ずる所を取る様(よう)にすべし。

           安政六年十月二十日「※入江杉蔵あて書翰」


【訳】

学問の道理を学んで自得することが、本当に大切なことである。
朱子学とか陽明学とか、一つのことを学ぶだけでは、何の役にも立たない。

尊皇接夷の四文字を主眼とし、誰の書でも、誰の学問でも、
そのすばらしいところを得るようにしなさい。

※長州藩の足軽 入江杉蔵。松陰の高弟。野村和作は実弟。

・・・

【 12月28日 】 心はもと活きたり 

心はもと活(い)きたり、活きたるものには必ず機(き)あり、
機なるものは触(しょく)に従ひて発し、感に遇(あ)ひて動く。
   
           嘉永3年9月「西遊日記」

【訳】

心というものはもともと生きものである。
生きているものには、必ず発動のはずみというものがある。
機というものは、何かに触れることによって発動し、
感動することによって働くものである。

・・・

【 12月29日 】 皇神の誓ひおきたる国なれば

皇神(すめかみ)の誓ひおきたる国なれば正しき道のいかで絶ゆべき  
 
           安政6年10月11日「※堀江克之助あての書翰」

【訳】

天照大神がお誓いになった我が日本国であるから、
どうして、正しい道が絶えることがあろうか。ありはしない。

※水戸藩郷士 堀江克之助。江戸伝馬町獄での友人。

・・・

【 12月30日 】 過ちを改むるを

士は過(あやま)ちなきを貴(とうと)しとせず、
過ちを改(あらた)むるを貴しと為す。 
 
           安政元年冬「幽囚録」

【訳】

立派なこころある人は過ちがないということを重んじるのではない。
過ちを改めることを重んじるのである。

・・・
【 12月31日 】 「松下陋村と雖も」 といえども

※松下陋村(しょうかろうそん)と雖(いえど)も、
誓つて神国(しんこく)の幹(みき)とならん。  

           安政5年12月冬「村塾の壁に留題す」

【訳】

松本村はひなびた一寒村ではあるが、必ずや日本国の骨幹となろう。

※松陰の生まれ育ったふるさと松本村。ちなみに、松下村塾とは、
「松下=まつもと」で、松本村の塾という意味といわれる。


            <感謝合掌 平成30年12月22日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 1月1日~10日 - 伝統

2019/01/03 (Thu) 18:41:04


【 元旦 】 人の禽獣に異なる所以

凡そ生まれて人たらば、
宜しく人の禽獣(きんじゅう)に異(こと)なる所以(ゆえん)を知るべし。
蓋(けだし)し人には五倫(ごりん)あり。
而(しこう)して君臣(くんしん)父子(ふし)を最も大なりと為す。  

               安政2年3月「士規七則」

【訳】

だいたい、人間としてこの世に生を受けたのであれば、
当然、人間が鳥や獣とちがうというわけを知るべきである。

まさしく、人間には五倫、つまり、父子(ふし)の親(しん)、
君臣の義、夫婦の別(べつ)、長幼の序、朋友(ほうゆう)の信という、
人の常に守るべき五つのありようがある。

その中でも君臣と父子のあり方が最も大切なものである。

・・・

【 1月2日 】 独り身之に坐せん 

※1貫高の「事(こと)成(な)らば王に帰し、
事敗(やぶ)れなば独(ひと)り身(み)之(これ)に坐(ざ)せん」とは、
僕(ぼく)素(もと)より掲(かか)げて佳話(かわ)と為(な)す。  

               安政6年正月5日「※2士毅に与ふ」

【訳】

僕は、貫高の、「国家のための企てが成功すれば王様の手柄とし、
失敗すれば、自分一人が罪に服す」という話を、
以前からすばらしいと考えている。

※1 ~前198。中国、前漢の臣。趙の丞相。
  これは漢の高祖暗殺実行に際し、趙王に述べた言葉。

※2 長州藩士小田村伊之助。士毅は字。松陰の友人。
   後、松陰の妹 寿が嫁いだ。

・・・

【 1月3日 】 何か心得になるほんなりとも 

正月にはいづくにもつまらぬ遊事(あそびごと)をするものに候間(そうろうあいだ)、
夫(そ)れよりは何か心得(こころえ)になるほんなりとも読んでもらひ候へ。
  
               安政元年12月3日「※妹千代あて書翰」

【訳】

お正月にはどこでもつまらない遊びをするものである。
そんなことより何かためになる本でも読んでもらいなさい。

※杉家の長女で、松陰より二歳年少の妹。
  一番仲がよく、終生、松陰の世話をしたといわれる。

・・・

【 1月4日 】 孜々(しし)として

古(いにしえ)より志士仁人(じんしん)、恩に感じ報(ほう)を図(はか)るや、
往々一身の力を尽し、而(しか)して之に継(つ)ぐに死を以てす。

亦唯だ当に厲精力(れいせいちから)を竭(つく)し、日夜懈(おご)ることなく、
家業に孜々(しし)として死を以て之を争ふべきのみ。 

               嘉永元年9月「燼余の七書直解の後に書す」

【訳】

昔の心ある人のようにするのみである。
昔から、志のある立派な人は、御恩を感じ、
その御恩に報いようとする時には、全力を尽くし、命がけで行うものである。

また、心を励まし、全力を尽くして、いつも怠ることなく、
家業に対し、まじめに命がけで勤めるだけである。

・・・

【 1月5日 】 天下の大患は 

天下の大患(だいかん)は、其の大患たる所以を知らざるに在(あ)り。
苟(いやしく)も大患たる所以を知らば、
寧(いずく)んぞ之(こ)れが計(けい)を為さざるを得んや。  

                安政5年正月6日「狂夫の言」

【訳】

世の中で大いに憂うべきことは、
国家が大いに憂慮すべき状態にある理由を知らないことである。

もしその憂慮すべき事態になる理由がわかれば、
どうしてその対応策を立てないでよかろうか。
立てるべきである。

・・・

【 1月6日 】 父父たり子子たり

乱は兵戦にも非ず、平(へい)は豊饒にも非ず、
君君たり臣臣たり、父(ちち)父(ちち)たり子(こ)子(こ)たり、天下平かなり。  

               安政2年3月「講孟剳記」

【訳】

乱とは兵乱をいうのではない。
平とは五穀が豊かに実るということではない。

君が君の道を尽くし、臣が臣の道を尽くす。
父が父の道を尽くし、子が子の道を尽くす時、
天下は平らかであるというのである。

・・・

【 1月7日 】 真に道を志す

花柳(かりゅう)詩酒(ししゅ)に陥る如きは、
真(しん)に道(みち)を志す者の必ず暇(いとま)あらざる所なり。  

              安政3年3月25日「講孟剳記」

【訳】

本当に人としての道に志したものにとっては、飲屋街で遊んだり、
詩や酒に狂うというような暇は絶対にない。

・・・

【 1月8日 】 我が志を行はんのみ 

吾れは我(わ)が志(こころざし)を行はんのみ。  

              安政6年3月5日頃「※福原又四郎に復す」

【訳】

私は私の志していることを行うのみである。

※長州藩士。松陰の親友 来原良三の甥。松下村塾の門人。

・・・

【 1月9日 】 父母を不是と思はぬ 

「天下に不是(ふぜ)の父母なし」と云ふ如く、
人子(じんし)の心にては毫末(ごうまつ)も
父母を不是と思はぬこそ孝と云ふべし。 

              安政2年9月7日「講孟剳記」

【訳】

「世の中に正しくない父母はいない」というように、
人の子の心においては、ほんの少しでも父母を正しくない、
と考えないことこそ孝行というべきである。


・・・
【 1月10日 】 覚悟を失はず 

凡(およ)そ士たる者何程困窮すと云へども、遂に士の覚悟を失はず、
又顕達すると云へども、富貴に淫して平生(へいぜい)の志を亡失することなく、
治を致(いた)し民(たみ)を沢(たく)し民の素望(そぼう)に協(かな)ふなり。 
 
              安政3年5月17日「講孟剳記」

【訳】

だいたい侍というものは、どれほど困窮しても、絶対に侍の覚悟は失わない。
また、立身出世をしたとしても、富裕や高貴におぼれて、
日頃の志を忘れることはない。

正しい政治をして、民に恵を与え、彼等の期待にそうものである。

            <感謝合掌 平成31年1月3日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 1月11日~20日 - 伝統

2019/01/09 (Wed) 19:11:33

【 1月11日 】 大人を以て 

余は初めより大人(たいじん)を以(もっ)て志を立て、
己れを正しうして物を正しくせんとするなり。

若しかくの如くにして、功なくして徒死(とし)するとも、
吾れ敢へて悔いざるなり。 
 
             安政3年5月20日「講孟剳記」

【訳】

私は最初から、立派な心ある人物たらんとの志を立て、
自分を正しくして、天下・国家を正しくしようと思っている。

もしも、このような生き方をして、それがうまくいかず、
無駄な死に方をしたとしても、私は決して後悔しない。

・・・

【 1月12日 】 志を立たば 

苟(いやしく)も能(よ)く志(こころざし)を立たば、
為(な)すべからざるの事なく、為すべからざるの地(ち)なし。  

            嘉永4年8月「※中村士恭の国に帰るを送る序」

【訳】

仮にも志というものが立ったら、
(なすべきことで)行うべきではない事柄はなく、
また、それを行うべきではない土地はない。

※長州藩士 中村百合蔵。士恭は字。松陰の友人。

・・・

【 1月13日 】 学を為すの要 

学者師を求むるを以て云はんに、
師を求めざるの前に先づ実心(じっしん)定(さだ)まり実事(じつじ)立ちて、
然(しか)る後(のち)往きて師を求むべし。

凡(およ)そ学を為すの要(よう)、皆(みな)爰(ここ)にあり。
思ふことありて未だ達せず、為すことありて未だ成らず。
是(ここ)に於て憤悱(ふんぴ)して学(がく)に志(こころざ)し、
而(しか)して師を求む。

是れ実事(じつじ)ありと云ふべし。  

                安政3年5月26日「講孟剳記」

【訳】

学問に志すものが師を求める、ということでいえば、
師を求める前に、まず実心、心から師につきたいという真摯(しんし)な心が定まり。

また、実事、つまり、このことを学びたいという具体的なことを確立させて、
それから初めて師のもとを訪ね、
師とすることを求めるべきである。

学問のポイントはここにある。

思うことがあるが、まだ、自分の中で明確にならず、
また、すべきことがあっても、まだなし遂げることができない
という状態になって、初めて憤然として学問に志し、
そして、師を求めるということであれば、実事があるというべきである。

・・・

【 1月14日 】 読書の功は

凡(およ)そ読書の功は昼夜を舎(す)てず、
寸陰(すんいん)を惜(お)しみて
是(こ)れを励(はげ)むに非(あら)ざれば、
其の功を見ることなし。

            安政三年五月二十六日「講孟剳記」

【訳】

だいたい、読書の効果というものは、昼となく夜となく、
ちょっとした時間でも惜しんで励むのでなければ、
その効果を上げることはできない。

・・・

【 1月15日 】 素志は終にくだけず

菲才(ひさい)或(あるい)は敗(はい)を致(いた)すも、
素志(そし)は終(つい)に擢(くだ)けず。

              安政元年九月以降「五十七短古」

【訳】

私は才能がないので、ひょっとしたら失敗することもあろう。
しかし、忠誠心は最後までくじけることはない。

・・・

【 1月16日 】 心定めや

明君(めいくん)賢将(けんしょう)必(ま)づ其(そ)の心を定(さだ)む。
吾(わ)が心一(こころひとつ)たび定(さだ)まりて、
将吏士卒(しょうりしそつ)誰れか敢(あ)へて従(したが)はざらん。

(中略)

心(こころ)定(さだ)めや、特(ただ)に一旦(いったん)
憤激(ふんげき)の能(よ)くする所に非(あら)ず、
必ずや心胆(しんたん)を涵養鍛錬(かんようたんれん)すること
素(もと)あるものにして、能(よ)くすることありとす。

              嘉永三年八月二十日「武教全書守城」

【訳】

賢明な君主や賢くすぐれた将軍など立派なリーダーという者は、
まず腹を決めるものである。

トップの腹が決まれば、部下たる者、どうしてそれに従わないことがあろうか。
ありはしない。

(中略)

しかしながら、この決断を下すということは、
一時的に心を奮い起こすことでできることではない。
必ずや心や胆を、水が自然にしみこむように少しずつ養い育て、
体力・精神力・能力などを鍛えて強くすることによってのみ可能となる。

・・・

【 1月17日 】 死して後已む  

鞠躬(きっきゅう)力を尽くし、死(し)して後(のち)已(や)むのみ。

              安政4年6月27日「※福原清介に復す」


【訳】

志を立てて始めたことは、全身全霊を尽くして行い、
やめるのは死んだ後だけである。(できるまで決してやめない。)

※長州藩士福原周峰。名は公亮(きみあき)。松陰の友人。  

・・・

【 1月18日 】 志を以て 

夫(そ)れ重きを以て任(にん)と為す者、
才(さい)を以て恃(たの)みと為すに足らず。

知を以て恃(たの)みと為すに足らず。
必ずや志(こころざし)を以て気を率(ひき)ゐ、
黽勉(びんべん)事(こと)に従ひて而(しか)る後(のち)可(か)なり。  

              弘化3年「※松村文祥を送る序」

【訳】

重要な仕事をするものは、才能を頼みとするようでは駄目である。
知識などを頼みとするようでも駄目である。

必ず、何のためにそのような仕事をしているかを考えて、
気持ちを奮い立たせ、仕事に励むことにより、達成することができるのである。


・・・

【 1月19日 】 志を立てざるべからず 

道(みち)の精(せい)なると精ならざると、業(ぎょう)の成ると成らざるとは、
志(こころざし)の立つと立たざるとに在るのみ。

故(ゆえ)に士たる者は其の志を立てざるべからず。
夫(そ)れ志の在る所、気(き)も亦(また)従ふ。
志気(しき)の在る所、遠くして至るべからざるなく、
難(かた)くして為すべからざるものなし。 
 
              弘化3年「※松村文祥を送る序」

【訳】

人としての生き方が正しくすぐれているかそうでないか、
また、仕事や勉強などがうまくいくかいかないかは、
心に目指すところがきちんと定まっているかいないか、
つまり志があるか否かによる。

だから、武士たるものは志を立てないわけにいかない。
つまり、志があればやる気もまたそれに従うものである。

志とやる気があれば、目標が遠すぎて至らないということはなく、
また、難しくてできないということはない。

※松陰の叔父玉木文之進が主宰していた時の松下村塾出身者で、松陰の友人。

<参考Web:http://www.siyukai.org/?p=3306 >

<参考Web:http://www.yoshida-shoin.com/message/matumura.htm >

・・・
【 1月20日 】 古人今人異なるなし

余(よ)常(つね)に謂う、古人(こじん)今人(こんじん)異なるなし。

(中略)

俗人(ぞくじん)の癖(くせ)として、古人と云えば神か鬼か天人かにて、
今人とは天壌(てんじょう)の隔絶(かくぜつ)をなせる如き者と思う。
是(こ)れ、自暴自棄の極みにて、

(中略)

与(とも)に堯舜(ぎゅしゅう)の道に入(い)るべからずとは此の人なり。


【訳】

私は常に「昔の心ある立派な人も、今の私たちとなんら変わりはない」と言っている。

(中略)

つまらない人間の癖として、昔の心ある立派な人といえば、
神様か鬼か、天の上の人かと見なし、
今の私どもとは、天と地ほどに大きな違いがあると思っている。

これは自分を駄目なものと思い込み将来を考えない、
投げやりな態度の極みである。

(中略)

共に手を携えて堯帝(ぎょうてい)や舜帝(しゅんてい)の
道に入ることが出来ない人とはこういう人である。


※堯帝とや舜帝
 共に、中国古代伝説上の聖王。

 堯帝は暦を作り、治水に舜帝を起用し、位を譲った。

 また、舜帝が、よく親に仕え、
 同じく治水の功績のあった禹(う)に位を譲ったといわれる。
 
            <感謝合掌 平成31年1月9日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 1月21日~31日 - 伝統

2019/01/20 (Sun) 19:12:51

【 1月21日 】 恩を受けて忘れたらん者は 

功(こう)なくして食(は)み、恩を受けて忘れたらん者は、
天地間に容(い)るべからず。  

            安政2年8月26日「講孟剳記」

【訳】

功績もないのに報酬を受け、御恩を受けてもそれを忘れる、
そのようなものは、許されるものではない。


・・・

【 1月22日 】 学の道たる 

蓋(けだ)し学(まなび)の道(みち)たる、
己(おのれ)が才能を衒(ひけらか)して人を屈する所以に非ず。
人を教育して同じく善に帰せんと欲する所以なり。 

           安政2年11月13日「講孟剳記」

【訳】

思うに、学問は、自分の才能を見せびらかして、
人を従わせるためのものではない。
人を教育して、一緒に、よき人になろうとすることである。

・・・

【 1月23日 】 武士を以てすべし 

吾れの自(みずか)ら処(お)るは当(まさ)に学者を以てすべし。
謂(い)ふ所の学なるものは書を読み詩を作るの謂(いい)に非ず。
身(み)の職を尽くして世用に供するのみ。又当に武士を以てすべし。
謂ふ所の武なるものは麤暴(そぼう)の謂(いい)に非ず、
君に事(つか)へて生(せい)を懐(おも)はざるのみ。  

               弘化4年「寡欲録」

【訳】

私は学者でありたい。
ここでの学というものは、本を読み、詩を詠むという意味ではない。
自分の職分を尽くし、世間に有益なものを提供するだけである。

また、武士でありたい。
ここでの武士というものは、荒々しいという意味ではない。
主人に仕える時、生きるということを考えないことである。

・・・

【 1月24日 】 有志の士 

有志の士は観る所あらば則ち必ず感ずる所あり。 
 
            嘉永4年6月11日
           「題を賜ひて『人の富士に登るを送る序』を探り得て謹んで撰す」

【訳】

志をもっている人間は、何かを目にしたら、必ず心中に感じるものがある。

・・・

【 1月25日 】 游優の暇なし 

花、闌(たけなわ)ならば則ち落ち、日(ひ)、
中(ちゅう)すれば則ち昃(かたむ)く。
人、壮なれば則ち老ゆ。
百年の間(かん)、黽勉びんべん)の急(きゅう)ありて
游優(ゆうゆう)の暇(いとま)なし。  

              弘化3年2月「観梅の記」

【訳】

花は満開となれば、やがて落ちる。
太陽は南中(なんちゅう)すれば、やがて陰(かげ)りはじめる。
人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。
百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆっくりとくつろぐ暇などはない。

・・・

【 1月26日 】 少挫折を以て 

(楠公の)言(げん)に曰く、
「勝敗は常なり、少挫折(しょうざせつ)を以て其の志を変ずべからず」と。  
 
              年月日不詳「南北興亡論」

【訳】

楠木正成公の言葉にいう。
「勝つことも、負けることも世の中のならいである。
ちょっとした挫折でその志を変えるべきでない」と。

・・・

【 1月27日 】 能はざるに非ざるなり 

能(あた)はざるに非ざるなり、為さざるなり。  

              安政2年6月27日「講孟剳記」

【訳】

できないのではない、やらないのである。


・・・

【 1月28日 】 其れ徳のみ 

士(し)、達しては天下を兼ね善くし、窮しては其の身を独り善くす。
独善(どくぜん)の志(こころざし)ありて、
而(しこう)して後(のち)兼善(けんぜん)の業(ぎょう)あり。
窮達(きゅうたつ)を貫きて而して志業(しぎょう)を成すもの、
其(そ)れ徳(とく)のみ。 
 
              安政2年7月4日「※徳、字は有隣の説」

【訳】

武士は、目指していた世界に到達した時には、国家全体を善導し、
逆に、困窮している時は、我が身を正しくするものである。

まず、我が身を正す、という志を果たして後、
国家全体の善導をなすことができるのである。

困難極まりない状態を堪え忍び、志を完遂させるもの、それは徳だけである。

※富永有隣。徳は名。野山獄の同囚。出獄後、松下村塾で松蔭を助けた。

・・・

【 1月29日 】 武士たる者は 

敬(けい)は乃(すなわ)ち備(そなえ)なり。
武士道には是れを覚悟と云ふ。
論語に「門(もん)を出でては大賓(たいひん)を見るが如し」と云ふ。
是れ敬(けい)を説くなり。

※呉子に「門を出づるより敵を見るが如くす」と云ふ。
是れ備(そなえ)を説くなり。

竝びに皆覚悟の道なり。敬(けい)・備(そなえ)は怠(たい)の反対にて、
怠(たい)は即ち油断なり。
武士たる者は行住坐臥常に覚悟ありて油断なき如くすべしとなり。  

              安政3年8月以降「武教全書講録」

【訳】

敬うとは備えることである。武士道ではこれを覚悟という。

『論語』に、「わが家の門を出(いで)て他人に接する時には、
高貴の客人を見る時のように敬(つつ)しみなさい」という。
これが敬を説いている。

『呉子』に、「門を出た時から、敵を見るようにしなさい」という。
これは備えを説いている。

共に、覚悟のあり方である。
敬うことと備えることは怠るということの反対であり、
怠るとは、つまり油断である。

武士というものは、日常の起居動作において、
常に覚悟をし、油断のないようにすべきである、ということである。

※中国の春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。『孫子』と並び称される。

・・・

【 1月30日 】 備はらんことを一人に求むるなかれ 

備(そな)はらんことを一人に求むるなかれ。

(中略)

古語にも、「庸謹(ようきん)の士を得るは易く、
奇傑(きけつ)の士を得るは難し」と云へり。

小過(しょうか)を以て人を棄(す)てては、
大才(だいさい)は決して得(う)べからず。

(中略)

如何なる善政良法も、
賢才の人あつて是れを行はざれば、行はるるものに非ず。  

               嘉永2年6月4日「武教全書 用士」

【訳】

あらゆる能力が備わっていることを、一人の人に求めてはいけない。

(中略)

昔の言葉にも、「平凡で慎み深い人を得るのは簡単だが、
すぐれて傑出した人を得るのは難しい」といっている。

ちょっとした失敗を理由に人を見捨てていては、
すばらしい才能をもった人は決して得ることはできない。

(中略)

どんなによき政治や法であっても、
りっぱな才能のある人がこれを実施するのでなければ、
決してよく行われるものではない。

・・・

【 1月31日 】 志士とは


志士とは志達(したつ)ありて節操を守る士なり。
節操を守る士は、困窮するは固(もと)より覚悟の前にて、
早晩(そうばん)も飢餓(きが)して溝谷(こうこく)へ
転死(てんし)することを念(おも)ひて忘れず。

(中略)

此(こ)の志(こころざし)一(ひと)たび立ちて、
人に求むることなく世に願ふことなく、
昂然(こうぜん)として天地古今(てんちここん)を一視(いっし)すべし。

             安政二年八月二十一日「講孟剳記」

【訳】

志士とは高い理想を持ち、信念を堅く守って変えない人物のことである。
節操を守る人は、困り苦しむことなど、最初から覚悟していることであり、
遅かれ早かれ飢えて溝や谷へ転げて死んでもよいとの覚悟を忘れないものである。

(中略)

このような志が一旦立てば、人に求めるものはなく、
また、世の中に望むものもない。

自負を持ち、意気を盛んにして、古今、天地を睨(にら)み据えることができる。

            <感謝合掌 平成31年1月20日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 2月1日~10日 - 伝統

2019/02/01 (Fri) 18:38:46

【 2月1日 】  人材を聚むるは

人材を聚(あつ)めて国勢を振ふは今日の要務(ようむ)たり。
而(しこう)して人材一たび聚まらば、則(すなわ)ち
国勢振(ふる)ふを期(き)せずして振(ふる)はん。

人材を聚むるは其の器に随(したが)って
之(こ)れを叙用(じょよう)するに如(し)くはなし。

        安政五年十二月「学校を論ず、附(つけたり)、作場(さくば)」

【訳】

才能のある人々を集めて、国家の勢いを盛んにすることは、
今日の重要な務めである。

そして、人材が一旦集まれば、国家の勢いを盛んにしようと思わなくても、
自然に盛んとなるものである。
人材を集めるには、その器量に応じて、これを任用するのが一番である。

・・・

【 2月2日 】  武士の嗜み

聖賢(せいけん)の書を読みて切磋琢磨(せっさたくま)する処(ところ)、
是(こ)れに出(い)でず。是れを武士の嗜(たしな)みと云ふ。

          嘉永三年八月二十日「武教全書 守城」

【訳】

聖人や賢人など、立派な人の書を読んで身心を磨く、これ以外にはない。
これを武士のたしなみという。

・・・

【 2月3日 】  小夜深けて

小夜(さよ)深(ふ)けて共(とも)に語らん友もなし
窓に薫(かお)れる月の梅が香(か)

          安政六年正月五日「己未文稿(きびぶんこう)」

【訳】

夜が更けていくが、共に語ることのできる友もそばにいない。
ただ、窓の外に梅が香っているだけである。

・・・

【 2月4日 】  上に賢を好むの実あらば

或(ある)人曰く、「(中略)当今(とうこん)の世、人なきを何如せん」と。
殊(こと)に知らず、上うえ)に賢(けん)を好むの実(じつ)あらば
則ち人なきを憂えざるを。

          弘化三年閏五月十七日「異賊防禦の策」

【訳】

ある人がいった
「(中略)今の時代、人物がいないが、どんなものだろうか」
と特に知らないだろう、

上に学徳がすぐれ、賢い人を好むという誠の心があれば、
人物がいないということを心配する必要などないということを。

・・・

【 2月5日 】  心は小ならんことを欲し

吾れ心(こころ)は小(しょう)ならんことを欲し、
胆(きも)は大ならんことを欲すの語を愛す。

            弘化三年春「客の難ずるに答ふ」

【訳】

私は「心は細心であることを望み、肝っ玉は大胆であることを望む」
という言葉が好きである。

・・・

【 2月6日 】  仁義同根

仁義同根(じんぎどうこん)にして、
遇(あ)ふ所に因(よ)りて名を異(こと)にするのみ。
父子には仁と云ひ、〈親と云ひ、慈孝と云ふ、皆仁なり〉君臣には義と云ふ、
其の実(じつ)は一心(いっしん)より流出する所なり。

            安政三年三月二十二日「講孟剳記」

【訳】

仁と義は同じ根から生じたものであり、対象によって名前が違っているだけである。
つまり、父子の間では仁といい、〈親しむといい、また、親を慈しみ
孝を尽くすというのも、皆、仁のことである〉君臣の間では義という。
それらの実際は、一つのまごころから出たものである。

・・・

【 2月7日 】  心に類す

君子は厚(あつき)に過ち、愛に過ち、廉(れん)に過ち、介に過ち、
小人は薄(うすき)に過ち、忍(にん)に過ち、貧(とん)に過ち、
通(つう)に過つが如きなり。
〔凡(およ)そ人の過(あやまち)あるや其の心に類す。〕

            弘化三年カ「論語、人の過の章解義」

【訳】

立派な人は、人情に厚いためにあやまち、
愛のためにあやまち、無欲なためにあやまち、
世間の人に親しまないことのためにあやまちを犯す。

つまらない人は、人情にうすいためにあやまち、
残忍なためにあやまち、貧欲なためにあやまち、
情を通じたためにあやまちを犯す。

〔人の過失は、その人の人物の種類に応じるものである。
だから、人の過失を見れば、その人がどんな人かが分かる。〕

・・・

【 2月8日 】  自(おのずか)ら四時(しじ)あり

吾れ行年(こうねん)三十、一事(いちじ)成る事なくして死して
禾稼(かか)の未だ秀(ひい)でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。
然れども義卿(ぎきょう)の身をもって云えば、是れまた秀実(さゆうじつ)の時なり、
何となれば人寿(じんじゅ)は定(さだま)りなし、
禾稼(かか)の必ず四時(しじ)を経るの如きに非ず。

【訳】

私は今、30歳で人生を終わろうとしている。

いまだに、1つとして物事を成し遂げた事がなく死ぬのであれば、
これまで育って来た穀物が成熟しなかったことに似ているので、
惜しむべきかもしれない。

しかし、私自身の人生から言えば、
稲の穂が成熟して実りを迎えたときなのであろう。
どうして悲しむことなどあろうか。ありはしない。

なぜなら、人の寿命ほこうだと言う決まったことはない。

つまり、穀物が必ず四季を迎えて成熟するようなものではない。

・・・

【 2月9日 】  自ら四時あり②

十歳にして死する者は十歳中自(みずか)ら四時(しじ)あり。
二十は自(おのずか)ら二十の四時あり。
三十は自ら三十の四時あり。
五十、百は自ら五十、百の四時あり。

十歳を以て短しとするは?蛄(けいこ)をして
霊椿(れいちん)たらしめんと欲するなり。

百歳を以て長しとするは霊椿(れいちん)をして
蟪蛄(けいこ)たらしめんと欲するなり。

斉(ひと)しく命(めい)に達せずとす。

           安政六年十月二十五日「留魂録」

【訳】

十歳で死ぬ者は十歳の間におのずと四季がある。
二十歳にはおのずと二十歳の四季がある。
三十歳にはおのずと三十歳の四季がある。
五十歳、百歳にはおのずと五十歳、百歳の四季がある。

十歳をもって短いというのは、ひぐらしを長生の霊木にしようと望むことである。
百歳をもって長いと思うことは長生の霊木をひぐらしにしようと望むことである。
ともに、天命に達することにはならない。

・・・
【 2月10日 】  先ず一身一家(いっしんいっか)より

今、神州を興隆(こうりゅう)し四夷(しい)を撻伏(たつばつ)するは仁道なり。
(中略)
故に先づ一身一家より手を下(くだ)し、一村一郷より同志向志と語り伝へて、
此の志を同じうする者日々盛にならば、一人より十人、十人より百人、
百人より千人、千人より万人、万人より三軍と、順々進み進みして、
仁に志す者豈(あ)に寥々(りょうりょう)ならんや。

此の志を一身より子々孫々に伝へば、其の遺沢(いたく)
十年百年千年万年と愈々(いよいよ)益々繁昌(はんじょう)すべし。

             安政三年三月二十八日「講孟剳記」

【訳】

今、我国を盛んにし、四夷を打ち破ることは仁の道に外ならない。
(中略)
だからまず、この仁の実践を自分自身から始めて家族に及ぼし、
故郷の村の人々から更に広く同志の面々へと伝えようと思う。

この志を同じにする人々が日々盛んとなれば、
一人から十人、十人から百人、百人から千人、千人から万人、万人から全軍と、
仁の実践に志す者が、決してもの寂しい数ではなくなるのである。

更に、この志を自分から子供や孫らに伝えれば、
その恩恵は、十年、百年、千年、万年と、後になればなるほど、
ますます盛んとなるであろう。

            <感謝合掌 平成31年2月1日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 2月11日~20日 - 伝統

2019/02/10 (Sun) 19:21:56

【 2月11日 】 心を竭し

願はくは心を竭(つく)し力を尽し、蘊(うん)を発して惜しむなかれ。

          嘉永二年閏年四月七日「児玉君管美島軍事を拝するを賀する序」

【訳】

できるなら、どうか、心をつくし、能力をつくし、
また、これまで蓄えた力を全て発揮して、
出し惜しむことのないようにしてください。

・・・

【 2月12日 】 己を正すの学


己を正して而る後に人に教えれば、また誰か敢えて従はざらんや。
己を正すの学、勤めずんばあるべからず。

          嘉永二年(1849)五月「講義存稿三篇」


【訳】

自分を正しくして、その後で人を教えるのであれば、
どうして従わない人がいるであろうか。
ありはしない。
自分を正しくする学問に励まないようではいけない。

・・・

【 2月13日 】 終身忘れざるなり

力を用(もち)ふること多きものは功(こう)を収(おさ)むること遠く、
其の精誦(せいしょう)する所は乃ち終身忘れさるなり。

              嘉永五年五月以降「猛省録」

【訳】

多くの努力を注ぎ込んだことは、
すぐにその功績を手中にすることはないかもしれない。
しかし、全精力を集中して学んだものは生涯忘れないであろう。

・・・

【 2月14日 】 尽く書を信ぜば

孟子言へるあり、曰く、「尽く書を信ぜば則ち書なきに如かず」と。

              弘化四年九月晦日「平内府論」


【訳】


孟子は次のように言っている。
書(書経)の内容をことごとく信じるならば却って、
(人としての道をそこなうこととなるので)書はないほうがましである。

・・・

【 2月15日 】 千古一道

四目(しもく)を明にして、四聡(しそう)を達すとは、
古聖(こせい)の明訓なり。
而(しか)して其の道(みち)二(ふた)あり。

天下の賢能(けんのう)に交(まじ)はり、天下の書籍を読むに過ぎず。
(中略)
有志の君(きみ)、千古一道(せんこいちどう)、
要(よう)は目を明(あきらか)にし聡を達するに帰すると、
竊(ひそ)かに感嘆し奉(たてまつ)る所なり。

               嘉永六年八月「将及私言(しょうきゅうしげん)」

【訳】

広く四方の事物を見聞し、広く四方の万民の意見を聞いて、
君主の耳に意見が入るのをさまたげることのないようにせよ、
とは昔の聖人の立派な教えである。

そして、そこに至る方法は二つある。
広く賢者と交際すること、そして、広く読書をすることである。

(中略)

志のある君主たるの道、それはいつの世にも一つであり、不変である。
要点は見聞を広め、人々の意見を聞くことである、と。
人知れず、感心し褒めたたえています。

・・・

【 2月16日 】 俗輩と同じかるべからず

自(みずか)ら以(もっ)て俗輩(ぞくはい)と同じからずと為(な)すは非(ひ)なり、
当(まさ)に俗輩(ぞくはい)と同じかるべからずと為すは是(ぜ)なり。
蓋(けだ)し傲慢(ごうまん)と奮激(ぐんげき)との分かれなり。

                    弘化四年「寡欲録」

【訳】

自分をくだらない人間と同じではないとすることはまちがっている。
くだらない人間と同じような人間にはならないようにしようとするのはよい。
それは、思い上がることと、自分を奮い立たせることのちがいである。

・・・

【 2月17日 】 当に磊々落々として

大丈夫(だいじょうぶ)書を読み道を学ぶには、その志を立つること
当(まさ)に磊々落々(らいらいらくらく)として
流俗(りゅうぞく)の表(おもて)に樹立すべきなり、
何とすれぞ区々碌々(くくろくろく)として止(や)まんや。

               弘化四年「平田先生に与ふる書」

【訳】

心ある立派な男子が書を読み、人としての道を学ぶ際には、その志たるや、
まさに心を大きく持ち、小事にこだわらないようにして、
俗世間に抜きん出た所に打ち立てるべきである。
どうして、こせこせとして、何の役にも立たないような志でいいだろうか。
そんなことではいけない。

・・・

【 2月18日 】 苟免を止む

武芸を興(おこ)し、奢侈(しゃし)を禁じ、
偸安(とうあん)を戒め、苟免(こうめん)を止(や)むる、皆一理なり。

              嘉永二年十月十一日「対策一通」

【訳】

(武士教育において大切なことは)
武術について技芸を盛んにし、贅沢を禁止し、
目先の安楽をむさぼらないように戒め、一時逃れをやめさせることである。
それぞれ道理である。

・・・

【 2月19日 】 誠の字の外

天道も君学も一の誠の字の外(ほか)なし。

(中略)

一に曰く実(じつ)なり。
二に曰く一(いつ)なり。
三に曰く久(きゅう)なり。

(中略)

故に実と一とを作輟(さくてつ)なく幾(いく)久(ひさ)しく行ふこと、
是れ久(きゅう)なり。

                嘉永六年八月「将及私言」

【訳】

世間一般の道も、君子たるの学問も、たった一つ、誠の字のほかにはない。

(中略)

一にいう、実際に役に立つことを行うことである。
二にいう、それだけを専一に行うことである。
三にいう、ずっと行うことである。

(中略)

だから、実学を専一に、やったりやめたりすることなく、
ずっと行うこと、これが久である。

・・・

【 2月20日 】 道義をのみ

命は人力人智の及ぶ所に非(あら)ず。
故に是(こ)れを天に帰(き)し天命と云ふ。

天命なる上(うえ)は天(てん)に任せ置きて
人は只管(ひたすら)道義をのみ守りさへすれば、
死生窮達(しせいきゅうたつ)、順受素行(じゅんじゅそこう)、
驚くにも恐るるにも及(およ)ばず。

            安政二年十月十八日「久保清太郎あて書翰」

【訳】

宿命は、人の力や智恵が及ぶものではない。
だから、この原因を天に任せ、天命というのである。

天命であるからには、それは全て天に任せ、
人は一途に人として踏み行うべき道を守りさえすればいいのである。

生死、困窮、栄達などを素直に受け入れ、
我が身の分に応じて正しく生きておれば、
何も驚くことはなく、恐れることもない。

            <感謝合掌 平成31年2月10日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 2月21日~29日 - 伝統

2019/02/19 (Tue) 19:13:34


【 2月21日 】 十分の得意は

天下の事(こと)何(なに)に依(よ)らず、
十分の得意は甚(はなは)だ難(かた)き事にて、
千載一遇(せんざいいちぐうう)と申すべく候(そうろう)。

           嘉永二年八月カ「*守永弥右衛門に与ふる書」

【訳】

世の中のことは、何であっても、
全て自分の望み通りになるということは、大変難しいことである。
千年の長い間に、わずかに一回しかないくらい、
容易にその機会に会えない、というべきものである。

*長州藩士。荻野流砲術家。
 松陰は十七歳の頃、守永に従学した。

・・・

【 2月22日 】 失い易き者は

得難くして失ひ易き者は時なり。

           安政二年八月二十二日『*古助の江戸に遊学するを送る序』

【訳】

得る事が難しく、失い易いのは時間である。

*長州藩の重臣浦氏の家来白井古助。
 江戸遊学以来の友人。
 下田事件時、松陰のために奔走した。

・・・

【 2月23日 】 無情却って

無情(むじょう)却(かえ)って情(なさけ)有(あ)り。

           安政元年冬 「幽囚録」

【訳】

無情、情けがないように見える中にこそ、逆に情けがある。

・・・

【 2月24日 】 往を以って

物(もの)固(もと)より一を以(もっ)て百を知るべく
往(おう)を以て来(らい)を知るべきものあり。

           安政二年「獄舎問答」

【訳】

物事には、一を知って、百を理解すべきことがあり、
また、過去のことから未来を予測すべきものがある。

・・・

【 2月25日 】 昼夜となく勤むべし

「声聞情(せいぶんじょう)に過(す)ぐるは、
君子(くんし)之(こ)れを恥(は)づ」と。
是(こ)れ実行実徳なくして虚声(きょせい)虚聞(きょぶん)ある者は、
或(あるい)は一人を惑(まど)はし、一時を眩(くら)ますべけれども、
終(つい)に天下後世の公論を免(まぬ)かれざることなれば、
君子は行(ぎょう)を積み徳を累(かさ)ぬることを、源泉の如(ごと)くに
昼夜となく勤むべしとなり。

             安政三年五月二十三日「講孟剳記」

【訳】

「評判が実態より高ければ、立派な心ある人はこれを恥じる」という。
実際の立派な行動や人徳がないのに、それ以上の名声や評判がある者は、
一人の人間を惑わしたり、一時的にごまかすことはできよう。

しかし、結局は世間や後の世の人々の公平な批判を逃れることはできない。

とすれば、立派な心ある人は、源泉から絶えず流れでる水のように
、一瞬たりとも怠らず、行いを正しくし、人としての徳を積み重ねる努力を
しなければならない、という意味である。

・・・

【 2月26日 】 人物を棄遺せざるの要術

人(ひと)賢愚(げんぐ)ありと雖(いえど)も、
各々(おのおの)一二(いちに)の才能なきはなし、
湊合(そうごう)して大成(たいせい)する時は
必ず全備(ぜんび)する所あらん。

是(こ)れ亦(また)年来(ねんらい)人をして実験する所なり。
人物を棄遺(きい)せざるの要術(ようじゅつ)、
是れより外(ほか)復(ま)たあることなし。

              安政二年六月一日「福堂策(ふくどうさく)」

【訳】

人には賢い人、愚かな人がいるとはいえ、
それぞれ一つや二つの才能がない人はいない。
それらを総合してまとめれば必ず完壁に近い人物となるであろう。

これは私が数年来実際に人を教えてみて、経験してきたものである。
絶対に人を見捨てないという大切な手段は、これより他にはない。

・・・

【 2月27日 】 行を研き名を立てんと欲する者は

古(いにしえ)(に)曰く「閭巷(りょこう)の人
、行(こう)を砥(みが)き名を立てんと欲する者は、
青雲の士に附(ふ)するに非(あら)ずんば、
悪(いずく)んぞ能(よ)く後世(こうせい)に施(ほどこ)さんや」と。

             弘化四年二月朔日「*清水赤城に与ふる書」

【訳】

昔はこのようにいった。

「一般の人で、行いをみがき、名を立てようと望む者は、
立派な志のある人に付かなければ、
どうして後世に名を残すような人物になれようか。なれはしない」と。

*砲術家、上野の人。

・・・

【 2月28日 】 己に在りて

憂楽(ゆうらく)変は己れに在りて、物に在(あ)らんや。

            安政二年秋「賞月雅草」

【訳】

憂えたり、楽しんだり、という(心が変転する)ことの原因は
自分にあるのであって、物にあるのではない。

・・・

【 2月29日 】 蒼天なきに非ず

黄霧(もうむ)四塞(しそく)すと難(いえど)も、
上(うえ)に蒼天(そうてん)なきに非(あら)ず。

            安政二年「乙卯稿」

【訳】

黄色の霧が天地四方を閉じこめる、といっても、
その上に青空がない訳ではない。

(転じて)何らかの事情で、志が全て閉ざされたとしても、
天の神様がいらっしゃらない訳ではない。
(いつの日か、必ず助けてくださる。)

            <感謝合掌 平成31年2月19日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 3月1日~10日 - 伝統

2019/02/28 (Thu) 19:21:43


【 3月1日 】 万巻の書を読むに非ざるよりは

万巻(まんがん)の書を読むに非(あら)ざるよりは、
寧(いずく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得(え)ん。

            安政三年秋冬「松下村塾聯」

【訳】

沢山の書物を読破するのでなければ、
どうして長い年月にわたって名を残す、
不朽の人となることができるだろうか。

できはしない。

自分一身に降りかかる労苦を何とも思わないような人でなければ、
どうして天下国家の人々を幸せにすることができようか。

できはしない。

・・・

【 3月2日 】 自ら淬厲して

自(みずか)ら淬厲(さいれい)して、敢へて暇逸(かいつ)することなかれ。

            安政二年四月二十四日「清狂に与ふる書」


【訳】

自分から進んで人格修養に努め、
決してのんびりと遊び、無駄な時間を過ごしてはならない。

*清狂-周防国遠崎村(現、山口県柳井市遠崎)妙円寺の海防僧月性。松陰の同志。

・・・

【 3月3日 】 女子を教戒せずんば

女子の教戒(きょうかい)の事、先師の深意(しんい)尤(もっと)も味ふべし。

夫婦は人倫(じんりん)の大綱(たいこう)にて、父子兄弟の由つて生ずる所なれば、
一家盛衰治乱(いっかせいすいちらん)の界(さかい)全(まった)く茲(ここ)にあり。

故に先(ま)づ女子を教戒(きょうかい)せずんばあるべからず。
男子何程(なにほど)剛腸(ごうちょう)にして武士道を守るとも、
婦人道を失ふ時は、一家治まらず、子孫の教戒(きょうかい)亦(また)廃絶するに至る。

豈(あ)に慎(つつし)まざるべけんや。

             安政三年八月以降「武教全書講録」

【訳】

女子を教え、戒めることについて、
山鹿素行先生の深いお考えを味わうべきである。

夫婦は人として守るべき道の大本であり、父子兄弟が生まれ出る所である。
だから、一家が栄えるのも衰えるのも、また、世の中が治まるのも乱れるのも、
まったくここが分かれ目である。

だから、まず、女子を教え戒めなくてはならない。
男子がどれほど肝っ玉が据わり、武士道を守ったとしても、
女性が人としての道を失ってしまえば、一家は治まらず、
また、子孫への教えや戒めも絶えてなくなってしまう。

どうして慎まないでよかろうか。
慎むべきである。

・・・

【 3月4日 】 至誠神を感ず

至誠神を感ず。

            嘉永三年八月カ「守永弥右衛門に与ふる書」

【訳】

まごころは神様さえも感動させる。

*長州藩士。荻野流砲術家。松陰は十七歳の頃、守永に従学した。

・・・

【 3月5日 】 道を楽しみ

道を楽しみ身を善(よ)くし分(ぶん)に安(あう)んじ
遇(ぐう)に随(したが)ふ。

            安政三年三月八日「白楽天の詩を読む」


【訳】

君子としての道を楽しみ、自分の身をよきものとし、
身の程をわきまえて、(今ある場所で)なすべきことをなす。

*白居易。中国、中唐の詩人。

・・・

【 3月6日 】 志専らならずんば

志(こころざし)専(もっぱ)らならずんば、
業(ぎょう)盛(さかん)なること能(あた)はず。

            安政二年八月二十二日「古助の江戸に遊学するを送る序」


【訳】

心を目指すものに集中しなければ、勉強や事業などを盛んにすることはできない。

*長州藩の重臣浦氏の家来白井小助。江戸遊学以来の友人。
 下田事件時、松陰のために奔走した

・・・

【 3月7日 】 心は公なり

体(からだ)は私(わたくし)なり、心は公(おおやけ)なり。
私を役(えき)して公に殉(したが)ふ者を大人(たいじん)と為(な)し、
公に役して私に殉(したが)ふ者を小人(しょうじん)と為す。

           安政三年四月十五日「七生説(しちしょうせつ)」

【訳】

身体は個人的なものである。心は公共のものである。
私を使って、公に従う人を立派な人という。

公を使って、個人的なことに従事させる人を、
賎しい心の、つまらない人という。

・・・

【 3月8日 】 学は人たる所以を学ぶなり

余(よ)曰く、「学は、人たる所以(ゆえんを学ぶなり。
(中略)
抑々(そもそも)主人の最も重(おも)しとする所のものは、君臣の義なり。
国の最も大なりとする所のものは、華夷(かい)の弁(べん)なり(中略)」と。

            安政三年九月四日「松下村塾記」

【訳】

私はいう。「学問は、人が人である、そのいわれを学ぶものである。
(中略)
大体、人にとって最も大事なのは、君臣の義、つまり君主と臣下の聞の正しい道である。
国家にとって最も大事なものは、華夷の弁、すなわち我が国と他国との別れるいわれ、
つまり違いを認識することである(中略〉」と。

・・・

【 3月9日 】 近き所を

人各々資質(ししつ)あり。
故に古人を学びて其の性(せい)の近き所を得べし。

             安政二年七月二十九日「講孟剳記」

【訳】

人にはそれぞれ生まれつきの性質がある。
だから、昔の心ある人に学び、自分に近いよい性質を自分のものとするべきである。

そう世の中に生きている人すべてに良い所はある。
其の良いところを褒めて、上手に生かしてあげれば人は才能以上の力を発揮することがある。

・・・

【 3月10日 】  聖賢の貴ぶ所は

聖賢(せいけん)の貴(たっと)ぶ所は、
議論に在(あ)らずして、事業(じぎょう)に在(あ)り。

多言(たごん)を費(ついや)すことなく、
積誠(せきせい)之(こ)れを蓄(たくわ)へよ。

           安政三年六月二日「久坂生の文を評す」


【訳】

立派な人が大事にするのは、議論ではなく、行動することである。

ぺらぺらしゃべっていてはいけない。
人としての誠をしっかり蓄えなさい。

*長州藩医の子久坂玄瑞。
 松陰が高杉晋作と共に最も期待した高弟の一人。
 吉田松陰の妹文(あや)が嫁いだ。

            <感謝合掌 平成31年2月28日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 3月11日~20日 - 伝統

2019/03/10 (Sun) 19:46:14


【 3月11日 】 境逆なる者は

境(きょう)、順(じゅん)なる者は怠(おこた)り易(やす)く、
境逆(ぎゃく)なる者は励(はげ)み易し。

               安政二年秋「講孟剳記」

【訳】

万事都合よく運んでいる境遇にある者は怠りがちである。
また、思うようにならず苦労の多い境遇にある者は励みやすい。

・・・

【 3月12日 】 経書を読むの第一義は

経書(けいしょ)を読む第一義は、
聖賢(せいけん)に阿(おもね)らぬこと要(かなめ)なり。

               安政二年六月十三日「講孟剳記」

【訳】

聖人・賢人の言行や教えを記した書を読む際に一番大切なことは、
その内容に媚(こ)びへつらわないことである。

・・・

【 3月13日 】 永久の良図を

永久(えいきゅう)の良図(りょうと)を捨てて
目前(もくぜん)の近郊(きんこう)に従ふ、
其の害(がい)言(い)ふに堪(た)ふべからず。

              安政二年六月十八日「講孟剳記」

【訳】

将来にわたり続くよい計画を捨てて、目の前の手近な効果を取る、
その害は言葉で表すことができないほど大きい。

・・・

【 3月14日 】 人を信ずるに失するとも

抑々(そもそも)知を好む者は多くは人を疑ふに失(しっ)す。
仁を好む者は人を信ずるに失す。両(ふた)ら皆偏(へん))なり。
然(しか)れども人を信ずる者は其の功を成すこと、
往々(おうおう)人を疑ふ者に勝(まさ)ることあり。
(中略)
故(ゆえに)に余(よ)寧(むし)ろ人を信ずるに失するとも、
誓って人を疑ふに失することなからんことを欲す。

              安政二年八月六日「講孟剳記」

【訳】

だいたい、知を好む人は人を疑いすぎて失敗するものである。
また、仁(人として踏み行うべき道)を好む人は人を信じすぎて失敗するものである。
両方とも、偏っているというべきである。
しかし、人を信じる者、その結果は、人を疑う者にまさっていることがある。
(中略)
だから、私は人を信じて失敗するとしても、
人を疑って失敗するということがないようにしたい。

・・・

【 3月15日 】  浩然の気①

○至大至剛(しだいしごう)、直(ちょく)を以(もっ)て養’やしな)ひて
害(がい)することなければ、則(すなわ)ち天地の聞(かん)に塞(ふさ)がる。

孟子本文

此(この)の一節最も詳(つまびら)かに読むべし。
至大(しだ)とは浩然(こうぜん)の気の形状なり。
「恩を推(お)せば、以て四海を保(やす)んずるに足る」と云ふも、
即(すなわ)ち此の気なり。

此の気の蓋(おお)ふ所、四海の広き、万民の衆(おお)きと云えども及ばざる所なし。
豈(あ)に大ならずや。
然れども此の気を養はざる時は、
一人に対しても忸怩(じくじ)として容(い)れざる如(ごと)し。
況(いわん)や十数人に対するをや。
況や千万人をや。
蓋(けだ)し此の気養ひて是れを大(だい)にすれば、
其の大(だい)極(きわま)りなし。
餒(だい)して是れを小にすれば、其の小亦(また)極りなし。

浩然は大の至れるものなり。
至剛(しごう)とは浩然の気の模様なり。
「富貴(ふき)も淫(いん)する能(あた)はず、
貧賎(ひせん)も移(うつ)す能はず、威武(いぶ)も屈する能ず」と云ふ、
即ち此の気なり。



【訳】

○至大至剛、直を以て養ひて害することなければ、
則ち天地の聞に塞がる(この上もなく大きく、この上もなく強く、しかも、正しいもの。
立派に育てれば、天地の聞に充満する程になる。それが浩然の気であるという)。
孟子本文


この一節を最も詳細に読まねばならない。

「至大」とは、浩然の気の形、ありさまである。
孟子が「恩を推せば、以て四海を保んずるに足る(人としての
情け心を押し広めてさえゆけば、広い天下でも治めていくに十分であることいっているのも、
つまり浩然の気のことである。

この気が覆う広さは、天下がいかに広くても、
人々の数がどれほど多くても、とうてい及ばないのである。
何と大きいことではないか。
しかしながら、常日頃、我が身にこの気を養わないでいれば、
たった一人の人間に対しても恥じ入ってたじろぎ、
これを受け入れることができないのである。

ましてや十数人に対しては、いうまでもない。
また、千万人に対しては、なおさらのことである。
確かに、この気を養って、大きくすれば、際限もなく大きくすることができる。

ところが反対に、小さくさせてしまうと、際限もなく小さくなってしまう。
「浩然の気」というものは、この気を最も大きくしたものである。
「至剛」とは、浩然の気の模様、つまりありさまである。

「富貴も淫する能はず、貧賎も移す能はず、威武も屈する能はず
(財貨が多く位が高くても、その心を堕落させることができず、
逆に、貧乏で身分が低くても、その心を変えさせることができない。
威光や武力をもってしてもおびえさせることができないこという、
それが、この気のことである。

・・・

【 3月16日 】  浩然の気②

此(この)の気の凝(こ)る所、火にも焼けず水にも流れず。
忠臣(ちゅうしん)義士(ぎし)の節操を立つる、
頭は刎(は)ねられても、腰は斬られても、操(みさお)は遂(つい)に変(へん)ぜず。

高官(こうかん)厚禄(こうろく)を与(あた)へても、
美女淫声(いんせい)を陳(つら)ねても、節(せつ)は遂に換(か)へず。
亦(また)剛(ごう)ならずや。
凡(およ)そ金鉄剛(きんてつごう)と云(い)へども烈火以て溶(と)かすべし。
玉石堅(ぎょくせきけん)と雖(いえど)も鉄鑿(てつさく)以て砕(くだ)くべし。
唯(た)だ此の気独(ひと)り然(しか)らず。
天地に通じ古今を貫き、形骸の外(そと)に於(おい)て独り存するもの、
剛の至(いた)りに非(あら)ずや。至大至剛は気の形状模様にして、
直(ちょく)を以て養ひて害することなきは、即(すなわ)ち其の志を持して
其の気を暴(そこな)ふ義にして、浩然の気を養ふの道なり。

其の志を持すと云ふは、我が聖賢を学ばんとするの志を持ち詰めて
片時も緩(ゆる)がせなくすることなり。
学問の大禁忌(きんき)は作輟(さくてつ)なり。

或(あるい)は作(な)し或は輟(や)むることありては
遂(つい)に成就(じょうじゅ)することなし。
故に片時も此の志を緩(ゆる)がせなくするを、其の志を持(じ)すと云ふ。

          安政二年七月二十六日「講孟剳記」

【訳】

この気が凝り固まれば、その心は火にも焼けず、水にも流れない。
忠義の臣や自分を捨てて、正義に殉ずる人がその節操を堅く守る様は、
頭を例ねられ、腰を斬られでも、絶対にこれは変えないのである。

高い地位や俸給を与えても、また、その眼前に美女を並べ、
その淫らな声色を聞かせても、節操は最後まで変えないのである。

何と強く堅く、猛きことではないか。
およそ金や鉄であっても、烈しく燃える火で溶かすことができる。
玉石であっても、鉄の撃で砕くことができる。

ただ、この浩然の気だけはそうではない。

天地の果てまで満ち溢れ、昔から今までずっと一貫しており、
形を超越して、ただ一つだけ存在するものである。
何と至剛の極まりではないか。

至大至剛は浩然の気の形とありさまであり、
孟子の「直を以て養ひて害することなき(この気を正しい道を実践することによって
養い育て、これを害することがない)」と、いうのは、
その志をもちつづけて、その気を暴(そこな)うことがないということであって、
これこそが、「浩然の気」を養う方法である。

その志をもっというのは、聖賢の正しい生き方を学ぼうとする志をもちつづけて、
一瞬でも気を抜かず、いい加減にしないことである。

学問を進める上で絶対にしてはならないことは、
やったりやらなかったりということである。

ある時にはやり、ある時にはやらないということでは、
結局、成し遂げるということはない。

だから、つかの間もこの志をいい加減にしないことを、
その志をもちつづける、というのである。

・・・

【 3月17日 】 事務を以って世上話となす者

心身家国切実の※事務を以て世上話となす者、取るに足るものあることなし。  

            安政2年6月22日「講孟剳記」

【訳】

自分の心や身体、家、国家に関わる大切な問題を、
世間話として口にするようなものは、取るに足らない。

※事務は時務である。時務とはその時になすべき政務などの課題。

・・・

【 3月18日 】 盛強を勉めずして

吾(わ)れ盛強(せいきょう)を勉(つと)めずして人の衰弱を願(ねが)ふ。
是れ今人(こんじん)の見(けん)なり。
悲しいかな、悲しいかな。

            安政二年七月十九日「講孟剳記」

【訳】

自分の意気を盛んとし、精神を強化せずして、他人の衰え、弱化を願う。
これは今の人々の考え方である。
悲しいことである。悲しいことである。

・・・

【 3月19日 】  君子は交わり絶ちて悪声を出さず

君子は交(まじわ)り絶(た)ちて悪声(あくせい)を出(いだ)さず。
忠臣は国を去りて其の名を潔(いさぎよ)くせず。

楽毅(がっき)

大義を以て絶交に及ぶと難も、私情遂に悪声を出すに忍(しの)びざるなり。
已(や)むを得(え)ずして国を去ると雖(いえど)も、
旧情(きゅうじょう)遂(つい)に吾(わ)が名を潔(いさぎよ)くするに忍びざるなり。
故(ことさ)らに矯飾(きょうしょく)して長者の風をなすに非(あら)ず。

               安政二年八月九日「講孟剳記」


【訳】

立派な人は、ある人となんらかの事情で交際を絶たねばならなくなったとしても、
その人の悪口はいわない。

立派な家来というものは、なんらかの事情で仕えた国家を
さらねばならなくなったとしても、自分は潔白で罪はないなどということはいわない。

楽毅

道義に基づいてある人と絶交せざるを得なくなったとしても、
その人の悪口をいうのは、情において忍びがたいことである。
また、やむを得ず仕えた国家を去るとしても、自分だけは潔白だったなどと
自己弁護するのは、情において堪えられないことである。
だからといって、殊更(ことさら)に上辺を飾り、徳の高い人のふりをせよというのではない。

楽毅-生没年不詳。中国、戦国時代の燕の武将。

・・・

【 3月20日 】 心なり

俗論(ぞくろん)見る所は形の上なり。君子の論ずる所は心なり。

             安政二年八月六日「講孟剳記」

【訳】

俗人が見るのは形である。心ある立派な人が見るのは心である。


            <感謝合掌 平成31年3月10日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一語 3月21日~31日 - 伝統

2019/03/19 (Tue) 18:35:57


【 3月21日 】  天を怨み人を咎むる所なし

己(おの)れを処するは貧賤の極(きわま)り、
艱難(かんなん)の甚(はなはだ)しきと云(い)へども、
雍々(ようよう)是(こ)れに処(お)り、
一(ひとつ)も天を怨み人を尤(とが)むる所なし。

             安政二年八月九日「講孟剳記」

【訳】

(心ある立派な人は)自分自身に対する際、どんなに貧乏で身分が低くても、
また、どんなに辛い状況にあろうとも、穏やかな態度でいる。
決して、天を怨んだり、人を咎(とが)めたりする、ということはない。

・・・

【 3月22日 】 百人千人万人に傑出せん

今、常人の通情を察するに、善を好み悪を悪むは固(もと)よりなれども、
大抵十人竝(なみ)の人どならんと思ふ迄(まで)にて、
百人千人万人に傑出せんと思ふ者更に少なし。

            安政二年(1855)八月九日「講孟剳記」


【訳】

今、一般の人々の気持ちを推測すると、
善いことを好み悪事をにくむことは当然ではあるが、
大抵人並みの人になれればいいと思っているだけである。

百人、千人、万人の中で、
飛びぬけてすぐれた人物になろうと思っている人は、誠に少ない。

・・・

【 3月23日 】 妄りに人の師となるべからず

師道(しどう)を興(おこ)さんとならば、
妄(みだ)りに人の師となるべからず、又妄りに人を師とすべからず。

必ず真に教ふべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし。

             安政二年八月十六日「講孟剳記」


【訳】

師道を興そうとするのであれば、
簡単な気持ちで人の師となるべきではなく、人を師とするべきではない。
本当に教えるべきことがあって初めて師となり、
また、本当に学ぶべきことがあって初めて師とするべきである。

・・・

【 3月24日 】 初一念

人は初一念(しょいちねん)が大切なるものにて、
(中略)
学問を為す者の初一念も種々あり。
就中(なかんずく)誠心(せいしん)道を求むるは上(じょう)なり。
名利の為にするは下(げ)なり。

故に初一念名利の為めに初めたる学問は、進めば進む程(ほど)
其(その)の弊(へい)著(あら)はれ、
博学(はくがく)宏司(こうし)を以て是れを粉飾すと云へども、
遂(つい)に是(こ)れを掩(おお)ふこと能(あた)はず。

大事に臨み進退(しんたい)拠(よりどころ)を失ひ、
節義(せつぎ)を缺(か)き勢利(せいり)に屈し、
醜態(しゅうたい)云(い)ふに忍びざるに至る。

            安政二年八月二十六日「講孟剳記」

【訳】

人間は最初に心に深く思ったことが大切である。
(中略)
学問をしようとする者が最初に心に深く思うことも様々である。
その中でもとりわけ、人間としての正しい生き方を求めようとするのは上の部類である。
有名になりたいとか、得をするために行うのは下の部類である。

だから、名誉や得のために始めた学問は、進めば進むほど、その弊害が現れる。
それを広い学識や高尚な文章で飾っても、
ついにはこれを覆(おお)い隠すことはできない。

また、大切な事態に際しては、進退のよりどころを失い、
節義を欠き、権力や利益に屈してしまう。
その見苦しく恥ずべき様子は、口にすることさえ忍ぶことができないまでになってしまう。

・・・

【 3月25日 】  平日に議論して

宜(よろ)しく平日に議論して、時に臨(のぞ)みて誤(あやま)るとなかれ。

              安政二年八月十六日「講孟剳記」

【訳】

(重要な問題は)何もない平穏無事な時に議論しておくべきである。
いざという時に臨んで、判断をまちがえることのないように。

・・・

【 3月26日 】 情の至極は

情の至極は理(り)も亦(また)至極(しごく)せるものなり。

              安政二年八月十六日「講孟剳記」

【訳】

情、心の極みは、道理、人の行うべき正しい道の極みと一致するものである。

・・・

【 3月27日 】  己れを修め実を尽す

世間の毀誉(きよ)は大抵(たいてい)其(そ)の実(じつ)を得(え)ざるものなり。
然(しか)るに毀(そしり)を懼(おそ)れ誉(ほまれ)を求むるの心あらば、
心を用(もち)ふる所皆外面にありて実(じつ)事(じ)日(ひ)に薄(うす)し。
故に君子の務(つと)めは己れを修め実を尽すにあり。

              安政二年九月七日「講孟剳記」

【訳】

世間が(人を)褒め、貶(けな)すことは、
大抵(その人の)実態とはちがうものである。
それなのに、貶されることを恐れ、褒められたいとの気持ちがあれば、
表面的なことばかりに心を遣(つか)うようになり、
まごころを尽くして生きようとの気持ちは日に日に薄くなっていく。

だから、心ある立派な人の務めは、自分の身を修め、まごころを尽くすことにある。

・・・

【 3月28日 】  深憂とすべきは

深憂(しんゆう)とすべきは人心(じんしん)の正しからざるなり。
苟(いやしく)も人心だに正しければ、百(ひゃく)死(し)以(もっ)て国を守る、
其の間勝敗利鈍(りどん)ありと云(い)へども、
未(いま)だ遽(にわ)かに国家を失ふに至らず。

             安政二年八月二十六日「講孟剳記」

【訳】

深く憂うべきは、人々の心が正しくないことである。
仮にも、心さえ正しければ、全ての人々が命をなげうち、国を守るであろう。
とすれば、その聞に、勝ち負け、また、出来不出来があったとしても、
決して急速に国家が滅亡することはない。

・・・

【 3月29日 】 恥の一字

恥の一字を以て人を激励す。
恥の一宇孟子(もうし)喫緊(きっきん)の語(ご)、故に云はく、
「人以て恥なかるべからず」、又云はく、「恥の人に於(お)けるや大なり」と。

             安政二年八月二十九日「講孟剳記」

【訳】

「恥」という一字をもって人を励まし、気持ちを引き立たせる。
「恥」という一字は、孟子が最も重要視した言葉である。

だから、「人は恥じるという心がなければならない」といい、
また、「恥ということは、人にとって大変大切なものである」というのである。

・・・

【 3月30日 】 人の罪

成し難きものは事なり、失ひ易きものは機なり。
機来(きた)り事開きて成(な)す能(あた)はず、
坐して之れを失ふものは人の罪なり。

             安政五年三月下旬「中谷賓卿を送る序」

【訳】

なし遂げることが難しいのは事業である。
失いやすいのは機会である。
機会が来て、事業を始めてもなし遂げることができず、
何もせずにこの機会を失ってしまうのは、人の罪である。

○長州藩士中谷正亮(しょうすけ)。
 松陰の同志。高杉晋作・久坂玄瑞を松下村塾へ誘った。

・・・

【 3月31日 】 目にあり

人の精神は目にあり。故に人を観るは目に於(おい)てす。

             安政二年九月三日「講孟剳記」

【訳】

人の精神は目にあらわれる。
だから、人を見る時には、目を見る。

            <感謝合掌 平成31年3月19日 頓首再拝>

吉田松陰・一日一言 4月1日~10日 - 伝統

2019/03/29 (Fri) 18:46:59

          *「吉田松陰・一日一言」川口雅昭 (編集) より

吉田松陰・一日一言 4月1日~10日

【 4月1日 】 晩節を全うするに非ざれば

国強く勢盛んなる時は、孰(た)れも忠勤を励(はげ)むものなり。
国(くに)衰(おとろ)へ勢(いきおい)去(さ)るに至りては、
志を変じ敵に降(くだ)り主(あるじ)を売る類(たぐい)寡(すくな)からず。

故に人は晩節を全うするに非ざれば、
何程(なにほど)才智学芸ありと雖(いえど)も、
亦(また)何ぞ尊(たっと)ぶに足らんや。
明主(めいしゅ)に忠あるは珍しからず、暗主に忠なるこそ真忠なれ。

             安政二年十一月十二日「講孟剳記」


【訳】

国が強く勢いが盛んな時には、誰でもまごころを尽くすものである。
しかし、国が衰え、勢いが去ってしまうと、
志を変えて敵に降参し、主人を売るようなタイプの人間も少なくない。

人は晩年の節操を全うするものでなければ、
どれ程才能があり、頭の回転が速く、幅広い知識があったとしても、
尊敬するほどの価値はない。

立派な主人に仕えてまごころを尽すことは、珍しいことではない。
愚かな主人にまごころを尽すことこそ、本当の忠臣である。

・・・

【 4月2日 】 禽獣に異なる所以

学問の道、禽獣に異なる所以(ゆえん)を知るより要(よう)なるはなし。

             安政二年十一月十四日「講孟剳記」


【訳】

学問においては、人と禽獣との違い、
つまり人間は鳥や獣とどこが違うのか、
ということを知ることが最も重要である。

・・・


【 4月3日 】 友とは

友とはその徳を友とするなり。

             安政二年十一月ニ十四日「講孟剳記」


【訳】

友とはその人徳を友とするのである。
簡単なようで一番難しいことです。

友達・・・遊ぶ友はいても悩み、苦しみを相談でき、
親身になってくれる友は何人いるだろう。

・・・

【 4月4日 】 人に交わるの道

凡そ人に交わるの道、怨怒する所あらば、直ちに是れを忠告直言すべし。
若し忠告直言すること能わずんば、怨怒することなきに若かず。

君子の心は天の如し。
怨怒する所あれば雷霆の怒を発することあれども、
其の事解くるに至りては又天晴日明なる如く、一毫も心中に残す所なし。

是れ君子陽剛の徳なり。

             安政二年十一月ニ十一日「講孟剳記」


【訳】

人と交際する際には、怨み怒るようなことがあれば、
直ちに遠慮なく、自分の信ずるところの、まごころをもって指摘し、
戒め諭すべきであろう。

もしも、それができないのであれば、最初から怨怒などしないほうがいい。

心ある立派な人の心は空のようなものである。
怨怒することがあれば、雷のように怒りを発することもあるが、
それが終われば再び、雲一つない青空のように、
その気持ちを心の中に残す、ということはない。

これを君子の太陽のような、強く堅固な徳という。

・・・

【 4月5日 】 肯綮を得る

書は肯綮(こうけい)を得るを貴(たっと)ぶ。

             安政三年三月二十二日「講孟剳記」


【訳】

読書というものは、その「急所」の意味をよく理解して、
自分のものとすることが大切である。

ただ読むだけでなく、何を得るのかをよく理解しなくては
折角の読書も無意味に終わってしまうのだろう。

・・・

【 4月6日 】 我れは我れたり

汝(なんじ)は汝たり、我(わ)は我たり。
人こそ如何(いかん)とも謂(い)へ。

             安政三年六月二十七日「講孟剳記」


【訳】

お前はお前である。私は私である。
人は何とでもいえ
自分は自分である己の信念を信じよということか。

・・・

【 4月7日 】 心程

心程(こころほど)人の能く知るものはなし。
耳目四体は相(あい)見(まみえ)ざれば或は知らず。

心に至りては一見せずと云へども、名を好み利を好み、
徳を好み勇を好むの類(たぐい)、
一として人目(じんもく)に逃るる所なし。

畏(おそ)るべきの至りと云ふべし。
然れども是れ亦(また)頼母敷(たのもしき)の至りと云ふべし。 

           安政三年三月二十六日「講孟剳記」

          
【訳】

心ほど、人がよく知っているものはない。
耳目や全身は直接会わなければ分からないであろう。

しかし、心は会わなくても、名誉を好むとか、利益を好むとか、
また、徳を好むとか、勇気を好むということは、
一つとして、人に知られないものはない。

最も恐るべきことというべきである。
しかしながら、同時に最も頼もしいものというべきである。

・・・

【 4月8日 】 貴き物の己れに存在するを

人々貴き物の己れに存在するを認めんことを要す。

           安政三年三月二十八日「講孟剳記」

【訳】

人間は人として大切なものが生まれつき
自分の中に存在していることを認めることが大切である。

・・・

【 4月9日 】 武士たる所は

武士たる所は国の為に命を惜しまぬことなり。

弓馬刀槍?の技芸に非ず。
国の為に命さへ惜しまねば、技芸なしと云えども武士なり。

           安政三年四月三日「講孟剳記」

【訳】

武士が武士である所以は、国家のために命を惜しまないことである。

弓、乗馬、刀、槍、小銃や大砲などの技術があるからではない。
国家のために命を惜しまないようなら、技術がないとしても立派な武士である。

・・・

【 4月10日 】心一杯の事を行ひ尽す①

其の心を尽すとは、心一杯の事を行ひ尽すことなり。
力を尽すと云へば、十五貫目持つ力ある者は十五貫目を持ち、
二十貫目持つ力ある者は二十貫目を持つことなり。

是を以て考ふべし。
今人未だ曾て心を尽さず。
故に其の一杯の所を知ること能はず。

【訳】

その心を尽くすとは、心一杯、自分の限界まで行い尽くすことである。
力を尽くすといえば、十五貫目のものを持つ力があるものは十五貫自のものを持ち、
二十貫目のものを持つ力のあるものは二十貫目のものを持つことである。

このような例で考えるべきである。
今の人はこれまで一度だって心を尽くさない。
だから、自分の心がどこまで力があるのかを知ることができない。


            <感謝合掌 平成31年3月29日 頓首再拝>

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2020/08/29 (Sat) 03:50:33

伝統板・第二
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