伝統板・第二

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賢者の一日一言(3月) - 夕刻版

2018/03/01 (Thu) 19:58:33

このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。

(1)「生活標語「一日一言」解説」(橋本徹馬)より抜粋(3月のみ)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711242

(2)伝統板・第二「『一日一語』(森 信三) 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6714587

(3)伝統板・第二「修身教授録・一日一語(森 信三)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7150729

(4)伝統板・第二「一日一言(坂村真民)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747223

(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言」(H11年光明日訓)
  → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552

            ・・・

賢者の一日一言《1日》

(1)1日の生活標語

   《人生を楽觀するものは人生の勝利者となり
    人生を悲觀するものは人生の敗北者となる。》


   これは何人も世に立つうえの最初の大事な心がまえです。

   世に処するうえに於いて、はじめから人生を悲観してかかる人は、
   人生に気負けがしているのですから、人生の勝利者となりようがありません。
   だから先ずニッコリと微笑を含んで人生に対することですね。

   それに人生は楽観すべきものであるというのが、
   昔からの聖者や偉人といわれる人達の到達した悟りです。

   釈迦や耶蘇は勿論のこと、日本でも古来の教祖といわれるような人は、
   皆その境を知って万人を導き、現世を極楽荘厳の浄土にしようと努めたものです。

   だから人生は楽しいのが本当であり。
   どんなに行詰まった時でも落ちついておれば、必ずどうにかなるのが人生です。

・・・

(2)【 3月1日 】

   教育とは人生の生き方のタネ蒔きをすることなり。

・・・

(3)【 3月1日 】生への感謝

   われわれ人間は自分がここに人間として生をうけたことに対して、
   多少なりとも感謝の念の起こらない間は、
   真に人生を生きるものと言いがたいと思うのです。

・・・

(4)【 3月1日 】《念ずれば花ひらく》

   念ずれば
   花ひらく

   苦しいとき
   母がいつも口にしていた
   このことばを

   わたしもいつのころからか
   となえるようになった

   そうしてそのたび
   わたしの花がふしぎと
   ひとつひとつ
   ひらいていった

・・・

(5)《1日 人間は日々新たに生まれる》

   新しき朝を迎えて、わが心に神の光射し入り過去の一切の暗黒は、
   わが心の中から消え去ってしまったのである。

   神の光明輝く愛がわが心の中に照り輝くが故に、環境はわが心の影として、
   神の輝く愛がわが家にも充満し、平和と喜悦と調和と安心感とが
   わが家庭の隅々にまで行き亙っているのである。


     (聖経版『続真理の吟唱』より)

・・・

<関連Web>

(1)賢者の一日一言(1月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7687047 

(2)賢者の一日一言(2月)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703213

           <感謝合掌 平成30年3月1日 頓首再拝>

賢者の一日一言《2日》 - 伝統

2018/03/02 (Fri) 18:10:28


(1)2日の生活標語

   《本氣に修行をすれば必ず効果がありまごころを持って祈れば必ず反應がある。
    人生は頼母しきかな。》


   自己を知るには宇宙の本性を究めねばならぬ。
   但しそれは科学的に宇宙の成分を知ることをいうのではない。
   悟道的に宇宙の本性はこうだということを体得するのです。

   そうしてこそ初めて自己とは何んぞや、宇宙とは何んぞや、善とは何んぞや
   というが如きことが分って正しく世に処することが出来るのであります。

   諸芸、諸道の修行などでも、皆本気に修行すれば必ず効果があって、
   ウカウカしている人の達し得ない境地に、達することが出来ます。

   そのように本気に修行をすれば、必ず効果があるということは、
   われわれと宇宙とが同根一体だからであり。
   且つ宇宙の本性がどこまでもよく人を生かすように出来ているからです。

   それでこそ人生も頼もしいのであります。

・・・

(2)【 3月2日 】

   教育とは流水に文字を書くような果てない業である。
   だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。
 
・・・

(3)【 3月2日 】死への心構え

   われわれ人問は、死というものの意味を考え、
   死に対して自分の心の腰が決まってきた時、
   そこに初めてその人の真の人生は出発すると思う。

・・・

(4)【 3月2日 】《赤ん坊のように》

   どうでもいいという
   人間からは
   なにも生まれてはこない

   そういう生き方からは
   なにも授かりはしない

   祈るのだ
   願うのだ
   赤ん坊のように
   いのちの声をはりあげて呼ぶのだ

・・・

(5)《2日 明るくほほえむ人に、人生はほほえみかける》

   すすんで明るい言葉を発し、明るい笑顔でわらいかけると、
   人生の方でも、あなたにほほえみかけてくれるのであります。

   何故なら「人生」とは鏡のようなもので、
   あなたの表現や態度や行いを、そのままうつし出して見せてくれる
   「観世音」の原理であるからであります。

        谷口清超新書文集1『もっと深く愛そう』より

           <感謝合掌 平成30年3月2日 頓首再拝>

賢者の一日一言《3日》 - 伝統

2018/03/03 (Sat) 19:10:03


(1)3日の生活標語

   《何事によらず眼前に現れることに最善をつくせ。》

   総て何事にかぎらず、自分の眼前に現われて来ることは、好ましいことであろうが、
   好ましからぬことであろうが、必ず何かの理由があって現われて来るのであります。

   だからそれを利巧に廻って、好ましからぬことをうまく避けて通ろうと思っても、
   そうはいかない。

   それはその好ましからぬことの最善の処理を厭うて、逃避するだけであるから、
   いわば借金とりが来た時に、居留守を使ってごまかしたのと変りがない。

   ついにはどこかでお天道さんにつかまって、償いをさせられるのです。

・・・

(2)【 3月3日 】

   どうしたら子供たちを、真に忍耐づよい子にすることが出来るか。

   第一は人生に対して「立志」──のタネマキがなされねばならぬ。
   それには、親なり教師たるものが、まず自己の「心願」を立て、
   日々を真剣に生きぬくこと。

   第二は、子供らを、ある程度肉体的苦痛に堪えさすこと。

   以上の二つは、深い現実的真理であるが、
   もし第二の肉体的基盤を欠けば、第一もまた観念的理解の域を脱し得ないであろう。

・・・

(3)【 3月3日 】教育の眼目

   教育の眼目―相手の魂に火をつけて、
   その全人格を導くということ。

・・・

(4)【 3月3日 】《八字十音》

   「念ずれば花ひらく」をわたしは八字十音の
   真言(しんごん)と言っている。

   だから、ひらくを漢字で開くと書いたことは一度もないのである。

   ある時、念ずれば花開く、と
   染め抜いた旗を作っていられた方があった。
   また碑を作っていられた方があった。

   これはわたしの本をよく読んでおられないからである。

   字には言霊(ことだま)があり、視覚からくる霊力がある。
   だからどうしても八字でなくてはならぬ。

   わたしが八字十音と強く言うのは字数の
   不思議、音感の不思議を知ってもらいたいからである。

   お経にも延命十句観音経があり、百字心経がある。
   字数、音数の不思議な力を、わたしたちはもっと知らねばならね。

・・・

(5)《3日 人間は無限に進歩向上する》

   人は、絶えず進歩向上する。
   それ故現在の未熟さによって、劣等感に陥ってはならない。

   劣等感をもつ者は、その背後に「神の子・人間」の実相があることを知って、
   大いなる自信をもて。

   「おれはつまらぬ者だ」と思うのは、本当の自分が未だ現れていないことに対する、
   詠嘆であるにすぎないのだ。


       谷口清超著『智慧と愛のメッセージ』より

           <感謝合掌 平成30年3月3日 頓首再拝>

賢者の一日一言《4日》 - 伝統

2018/03/04 (Sun) 19:29:47

(1)4日の生活標語 (解説)

   《善因善果、惡因惡果の法則を恐れよ。》

   如何に嫌っても、原因のあるところ必ず結果があることは、
   否定のしようがないのであります。

   善い事をすれば善い報いが来、
   悪い事をすれば悪い報いが来ることもそれと同じです。

   善因善果悪因悪果の法則は生涯、―― いな自分の子孫にまでついて廻って、
   離れぬものと考えねばならんです。

・・・

(2)【 3月4日 】

   真の教育は、何よりも先ず教師自身が、
   自らの「心願」を立てることから始まる。

・・・

(3)【 3月4日 】教育者の使命 

   現世的欲望を遮断しつつ
   次代のために自己を捧げるところにこそ、
   教育者の教育者たる真の使命はある。

・・・

(4)【 3月4日 】《幸せの灯り》

   幸せはどこからくるか
   それは自分の心からくる

   だからたとえ不幸におちても
   心さえ転換すれば
   灯台の灯りのように
   自分ばかりでなく
   周囲をも明るくしてくれる

   そのことを知ろう

・・・

(5)《4日 生命の糧は智慧と愛である》

   種を蒔いても収穫の得られないことがあります。
   たとえば石地の耕さない固い地面に、ポッと種を蒔いたとしても発芽しないか、
   発芽しても大した収穫は得られないのであります。

   耕さないのは労力(生命)を与えていない。愛念を与えていない。
   又、石地に蒔くのは智慧が足りないのであります。


     谷口雅春著『日常生活の中の真理 無門関・聖書篇』より

           <感謝合掌 平成30年3月4日 頓首再拝>

賢者の一日一言《5日》 - 伝統

2018/03/05 (Mon) 19:19:04


(1)5日の生活標語 (解説)

   《獅子は百獸の中にあって恐れを知らぬ。
    若き日の修行によって生涯恐れを知らない人となれ。》

   一体人の恐怖心のもとは何んでしょうか。

   釈迦は生きる事と、老いる事と、病む事と、死ぬる事との四つの苦しみに戦慄して
   王宮を出で、六年苦行の結果転迷開悟し、
   獅子無畏の人(獅子の如く畏れを知らぬ人)となったのですが、

   この釈迦の戦慄した四つの苦しみは、釈迦の死後二千四百余年後の今日になっても、
   更に今後の千年二千年或は万年後までも、物どころつく人間には
   必ず附いて廻って離れぬ苦しみでしょう。


   そうしてそれらの苦しみに対する恐怖心が寸毫でもあるかぎりは、
   無畏の人(おそれなき人)とはなれないのですから、
   本当は悟りを開かねば、真に恐れを知らぬ人にはなれないわけです。

   常に恐れを知らぬ人となるがためには、
   大自然とも人間界とも、一体になった境地をつかむ修行が肝要です。

・・・

(2)【 3月5日 】

   眼に見える物さえ正せない程度で、
   刻々に転変して止まぬ人間の心の洞察など、
   出来ようはずがない。

・・・

(3)【 3月5日 】人となる道を明らかにする

   われわれは、
   一体何のために学問修養をすることが必要かというに、

   これを一ロで言えば、
   結局は「人となる道」、
   すなわち人間になる道を明らかにするためであり、

   さらに具体的に言えば、
   「日本国民としての道」を明らかに把握するためだとも言えましょう。

   またこれを自分という側から申せば、
   自分が天からうけた本性を、
   十分に実現する途を見出すためだとも言えましよう。

・・・

(4)【 3月5日 】《苦難》

   苦難は 神の愛

   喜べ 喜べ

・・・

(5)《5日 良心の囁きには忠実であれ》

   常に自己自身の「内部理想」のささやきに対して正直であり、
   素直でなければならないのである。

   「内部理想」こそが諸君の「本当の自分」であって、
   この「本当の自分」の要求を殺してしまうならば、自分自身が死んでしまうのである。

   真に生きる道は、自分の「内部理想」を生かすほかはないのである。


           谷口雅春著『青年の書』より

           <感謝合掌 平成30年3月5日 頓首再拝>

賢者の一日一言《6日》 - 伝統

2018/03/06 (Tue) 18:30:06


(1)6日の生活標語 (解説)

   《世の中に偶然の出来事、または僥倖(思いがけない幸)などあると思うな。》

   人生に於けるどんな偶然の出来事のように思えることにも、
   必ずそれには遠因または近因があります。

   造物主は人を生かす道にかなわぬ者に、本当の幸運を与えることはない。
   また原因なくして結果があるということも、決してないのだということを知れば、
   人生に誤りが少なくなります。

・・・

(2)【 3月6日 】

   教師自身が四六時中腰骨を立てつらぬくこと──

   そしてこれが人間的主体の確立上、
   最有効かつ最的確な方途だとの確信に到達し、
   その上でそのタネ蒔きを子どもらに対しても始めること。

   ここに人間教育の最大の眼目ありと知るべし。

・・・

(3)【 3月6日 】才能とは磨かれるもの 

   井戸水も、
   これを釣瓶(つるべ)で汲み出さなければ、
   地上にもたらして、その用に充(あ)てることはできず、

   また鉱物や鉱石もそのまま地中に埋れていたんでは、
   物の用に立たないように、

   今諸君らにしても、
   たとえその素質や才能は豊かだとしても、
   諸君たちが真に学問修養によって自己を練磨しようとしない限り、
   その才能も結局は朽ち果てる外ないでしょう。

・・・

(4)【 3月6日 】《鈴》

   鈴は中がからっぽで玉が入っている。
   だからいい音を出すのである。

   この玉が真民流で言うなら「念ずれば花ひらく」八字十音である。

   母はこのことばをいつも心の中に持っていた。
   だから母の声はどんな苦難苦闘のなかでも朗らかで、
   リンリンとした張りがあった。

   五人の子供たちは、この母の鈴のおかげで、
   貧乏の中にあっても卑屈にもならず、
   暗い人間にもならずに育った。

・・・

(5)《6日 はからい心を捨てよ、神の叡智が出る》

   私達の本来の心は「神の子の心」そのままである。

   私達は病気を治すために悟ろうとあせったり、
   精神力で病気に打ち克とうと努力するのではなく、

   そのようなはからい心を一切すてさりますと、
   そのとき忽然として仏の世界、神の国が眼前にあらわれて来て、
   一切の不幸が解消するのであります。

          谷口清超新書文集1『もっと深く愛そう』より

           <感謝合掌 平成30年3月6日 頓首再拝>

賢者の一日一言《7日》 - 伝統

2018/03/07 (Wed) 19:48:38


(1)7日の生活標語 (解説)

   《窮境に落ちた時に無理非道をすれば、幸運が來た時にそれをつかめない。》

   《解説》

   人間の一生のうちには、大抵幾度か窮境に落ちるものですが、如何なる窮境に処しても、
   誠実をもって一貫した者が救われなかったことは、太古以来一度もないのですから、
   おちついて最善を尽くすことです。

   ただその場合に無理非道をすると、次の幸運が来た時にそれを逃がすか、
   或は幸運の来るのが遅れます。

・・・

(2)【 3月7日 】

   学校の再建はまず紙屑を拾うことから──。
   次にはクツ箱のクツのかかとが揃うように。

   真の教育は、こうした眼前の瑳事からスタートすることを知らねば、
   一校主宰者たるの資格なし。

・・・

(3)【 3月7日 】読書は心の食物

   読書が、われわれの人生に対する意義は、
   一ロで言ったら結局、

   「心の食物」

   という言葉がもっともよく当たると思うのです。

・・・

(4)【 3月7日 】《タンポポを見よ》

   順調に行く者が
   必ずしも幸せではないのだ

   悲しむな
   立ち上がるのだ

   タンポポを見よ
   踏まれても平気で
   花を咲かせているではないか

・・・

(5)《努力しただけの報いは必ずある》

   因果律、業の法則は確実に働くから、努力しただけの報いは必ずある。
   どんな小さい改善でも、それを積み重ねて行くことによって、
   大きな進歩向上をなしとげる。

   一歩一歩をおろそかにして、「一歩くらいじゃつまらない、やめておこう」と
   じっとしていては駄目だ。まず手近な一歩を踏み出せ。


      谷口清超著『純粋に生きよう』より

           <感謝合掌 平成30年3月7日 頓首再拝>

賢者の一日一言《8日》 - 伝統

2018/03/08 (Thu) 18:24:52


(1)8日の生活標語 (解説)

   《世の中に私のような不幸なものはいないと思ってはならぬ。》

   よく世間にあることですが、達人の眼から見れば何ほどでもないことで、
   自分を非常に不幸な者だと思い込み「私のように不仕合せな者はありません」
   といっては、他人の同情を求めて廻る人があります。

   このような人は知らず知らずのうちに、
   いつも不仕合せへの途を選んで行くのです。

   若し好運が望ましいなら、みだりに他人の同情を求めてはなりません。

   如何に不幸な境遇にあっても、このくらいのことは何んでもないと思い、
   或はそのような境遇の中にもなお感謝すべきことを見つけて、愉快に日を送り、
   好運を招きよせねばなりません。

・・・

(2)【 3月8日 】

   同志三名を作らずしてその学校を去る資格なし。

・・・

(3)【 3月8日 】一日読書をしなければ

   読書はわれわれ人間にとっては心の養分ですから、
   一日読書を廃したら、
   それだけ真の自己はへたばるものと思わねばなりません。

・・・

(4)【 3月8日 】《未練》

   「今」を生き続けたものに
   未練はない

   働くだけ働いた蜂は
   蟻に己を与え

   鳴くだけ鳴いてこおろぎは
   己を風葬にする

・・・

(5)《8日 人を生かせ、自分も生きる》

   愛するということはひとのためになるように奉仕することであります。

   私達が一心にひとのためにつくしていますと、
   いつの間にかそのひとばかりではなく
   一切のものが生かされて来て、自分もまた幸せになるのであります。

   それは人間はみな神様の子であって一ついのちの兄弟であるからであります。


      谷口清超新書文集1『もっと深く愛そう』より

           <感謝合掌 平成30年3月8日 頓首再拝>

賢者の一日一言《9日》 - 伝統

2018/03/09 (Fri) 19:42:35


(1)9日の生活標語 (解説)

   《すべての人の本性の善なることを疑うな。》

  ①自分の良人や家族が如何に不良に見えても、
   その本性の善を信じて疑わずに接していれば、
   必ずその善なる本性が現われる。

  ②教育の上手な人も、かくして人の本性の善を引出すのです。

   一人一人の生徒の本性の善なることを疑わずに生徒に対すれば、
   生徒は必ず能く先生のいうことを聞くのですが、

   生徒を悪く思って対したならば、生徒は必ずねじけて行って、
   先生のいうことを聞かぬようになるのです。

   教育の上手下手はただこの一点にあるのです。

・・・

(2)【 3月9日 】

   いかにしてテレビに打ち克つ子どもにするか──

    教師たるものはこの一点に、
    道徳教育のすべてをかけねばなるまい。

・・・

(3)【 3月9日 】人を知る標準①

   人を知る標準としては、
 
   第一には、
   それがいかなる人を師匠としているか、
   ということであり、

   第二には、
   その人がいかなることをもつて、
   自分の一生の目標としているかということであり、

   第三には、
   その人が今日までいかなる事をして来たかということ、
   すなわちその人の今日までの経歴であります。

・・・

(4)【 3月9日 】《祈り》

   かすかな祈りでもいい、
   一人一人の小さな祈りが大きなものとなり、
   それが人類の平和に連なっていくのである。

・・・

(5)《9日 悦びと感謝は人を健康にする》

   喜びの感情は人を健康にします。

   腹立ちを「ゆるし」に替え、不平を感謝にかえ、口惜しさや悲しみを、
   「これがあるので私の魂が高まるのだ」と感謝とよろこびとに替えるようにしますと、
   病気が治るのであります。

   常に喜び、常に希望を輝き、常に感謝している人は病気にかかるものではありません。


       谷口雅春著『眞理』第1巻「入門篇」より

           <感謝合掌 平成30年3月9日 頓首再拝>

賢者の一日一言《10日》 - 伝統

2018/03/10 (Sat) 18:31:08


(1)10日の生活標語 (解説)

   《自分の本性が無限に偉大であることを知らずにいるのが
    無知(無明)の最大なるものである。》

   人間は万物の霊長であるから、なおさら宇宙即ち母胎の神秘を先験的に知っていて、
   必要に応じその知識を、適当に使用することが出来るのであります

   自在力を十分につかんだ者は、人生の一切に処して渋滞なく、
   所謂天馬空を行くが如き力を発揮し得るのです。

   かかる無限の偉大性、無限の可能性を持てる者が人間であることを
   知らぬのが、無知の最大なるものであり。
   また無明(迷い)即ち心の暗いことの最大なるものであります。

・・・

(2)【 3月10日 】

   二十五才の誕生日までは煙草は吸わぬ。

   ただし翌日からは絶対自由──
   せめてこの一事なりとも叩きこめる教師であってほしい。

・・・

(3)【 3月10日 】人を知る標準②

   そして第第四には、
   その人の愛読書がいかなるものかということであり、
 
   そして最後がその人の友人いかんということであります。
 
   大よそ以上五つの点を調べ大たならば、
   その人がいかなる人間であり、
   将来いかなな乏方向に向かって進むかということも、
   大体の見当はつくと言えましょう。

・・・

(4)【 3月10日 】《鈍刀を磨く》

   鈍刀(どんとう)をいくら磨いても
   無駄なことだというが
   何もそんなことばに耳を借す必要はない

   せっせと磨くのだ
   刀は光らないかも知れないが
   磨く本人が変わってくる

   つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
   磨く本人を光るものにしてくれるのだ

   そこが甚深微笑(じんじんみみょう)の世界だ
   だからせっせと磨くのだ

・・・

(5)《10日 子供は常に父母の仲のよい姿をよろこぶ》

   子供は父母と業が似ていますから、父母の家に生まれてくる。

   こうして父母は共同で子供の魂を呼び寄せるものですから、
   その父と母との心が不調和となり、争い合うということになると、
   子供の魂は安住の地を失います。

   それ故夫婦、父母は、どうしても仲よくしてもらわないといけません。

         谷口清超著『父と母のために』より

           <感謝合掌 平成30年3月10日 頓首再拝>

賢者の一日一言《11日》 - 伝統

2018/03/11 (Sun) 19:50:37


(1)11日の生活標語 (解説)

   《學問が出来ぬことは、少しもその人の本性の善であり、
        偉大であることを抹殺するものではない。》


   特にこの頃の有様では「学力優等人物劣等」が非常に多いです。
   過般の戦争で日本を亡(ほろぽ)した主なる責任者のうちに、
   陸軍大学一番、海軍大学一番、東大一番等の卒業生があります(委しくは略する)。

   人間の成功不成功は学問の有無や出来不出来によるのではなく、
   人間その者に具わる偉大性をどれだけ発揮し得るかにある。

   それを委しくいえば、大局を見るの明、独創的着想、困難に屈せぬ忍耐力、
   他人を使う才能等に依るところが多いのであります。

・・・

(2)【 3月11日 】

   (一)週に一度の「学級だより」を
   (二)月に一度、卒業生への「ハガキ通信」を。

   以上の二つが実行できたら、
   二本の軌道に乗った新幹線のように、
   もうそれだけで、教育者としての本格的な軌道に乗ったものといえよう。

・・・

(3)【 3月11日 】たくましい人間になる

   真の道徳修養というものは、
   意気地なしになるどころか、それとは正反対に、
   最もたくましい人間になることだと言ってもよいでしょう。

   すなわちいかなる艱難辛苦(かんなんしんく)に会おうとも、
   従容(しょうよう)として人たる道を踏み外さないばかりか、
   この人生を、力強く生きぬいていけるような人間になることでしょう。

・・・

(4)【 3月11日 】 《ある人へ》

   光が射しているのに、あなたはそれを浴びようとしない

   呼んでおられるのに、あなたはそれを聞こうとしない

   手をさしのべておられるのに、あなたはそれを握ろうとしない

   お経にもそんな人のことを書いてあります

   どうか素直な心になって
   二度とない人生を、意義あるよう生きて下さい

・・・

(5)《11日 長所を見て称讃せよ、欠点は消える》

   人のよいところを認め、それを心の中に描き、感謝し、
   それをコトバで讃嘆してしていると、その相手がいよいよ立派になるばかりではなく、
   自分自身もまた素晴らしくなる。

   それはこの世の中がコトバでつくられており、
   心で認めたものが形をもってあらわれるようになっているからである。


     谷口清超著『智慧と愛のメッセージ』より

           <感謝合掌 平成30年3月11日 頓首再拝>

賢者の一日一言《12日》 - 伝統

2018/03/12 (Mon) 17:47:21


(1)12日の生活標語 (解説)

   《他人と争ったり、他人を憎んだりすることによって、善い事が現われると思うな。》

   如何なる人も本当は善人なのである。お釈迦さんが説教する時には、
   いつでも「善男子」或は「善女人」と呼びかけたように、
   誰にでも善い人だなァと思って対すると、その人の本性の善が出て来ます。

   それはまた同時に自分の善なる本性を輝かすことにもなります。

・・・

(2)【 3月12日 】

   ハガキを最上の武器として活用しうる人間に──
   かくしてハガキ活用の達人たるべし。

・・・

(3)【 3月12日 】内面的に強くなる

   真の修養とは、
   何よりもまず人間が、内面的に強くなることです。

   他の一切のことは、すべてそれからのことです。

・・・

(4)【 3月12日 】《真の人生》

   靴屋さんなら、人が喜んでいつまでも履(は)いてくれる靴をつくる。
   食べもの屋さんならば、人に喜んで楽しく食べてもらえるものを作る。

   そういう生き方で生きていく。
   それが真の人生というものではなかろうか。

・・・

(5)《12日 困難は必ず解決策をつれて来る》

   神は決して不必要なものを人間に与え給うことはないのである。

   困難がその人に面して来るのは、その困難によってその人になおいっそう
   多くの智慧がひきだされるか、なおいっそう大きな力がひきだされるか、
   なおいっそう多くの愛がひきだされるかの機会として与えられるのである。


       谷口雅春著『青年の書』より

           <感謝合掌 平成30年3月12日 頓首再拝>

賢者の一日一言《13日》 - 伝統

2018/03/13 (Tue) 19:12:12


(1)13日の生活標語 (解説)

   《なに人かを憎みながらする善事は本當の善事ではない。》

  ①自分が不正だと認める者、或は自分が嫌いだと思う者などを大いに憎むことが、
   非常の善事であるように考える人があるが間違いです。

  ②内心で憤慨しながら尽くしているのでは、本当の善事ではありません。
   そのような我まんしている心持は必ず相手へも映って、
   相手に心からの好感は与えないです。

   それではいつか必ず破綻が来ます。
   本当の善事でない所以がわかりましよう。

  ③世の中の改革などでも、一人も憎まず一人も仆さず、総ての人の間に大調和あらしめて、
   等しく万人を栄えしめずんばやまぬという、大愛に燃えた人が改革の先登に立ってこそ、
   本当に良い改革が出来るのですね。

   人を憎みながらする改革は、本当の改革ではない。
   必ず闘争は闘争を呼び、恨みは恨みを呼んで、止まるところがありません。

・・・

(2)【 3月13日 】

   縁なき人の書物を数十ページ読むのが大事か、
   それとも手紙の返事を書くほうが大事か──
   このいずれをとるかによって、人間が分かれるともいえよう。

・・・

(3)【 3月14日 】私欲の一関を越える

   私意私欲の一関を突破するということは、
   ロで言えばただそれだけのことですが、
   しかしいざわが身のこととなると、決して容易なことではありません。

   しかし人間も一たび私欲の一関を越えますと、
   一切の対人関係が明らかに見えて来ます。

   その明らかな筋道に従って行えば、みな道にかなうというわけです。

・・・

(4)【 3月13日 】《仕事》

   頭のさがるのは
   年齢でもなく、学問でもなく、肩書きでもなく
   その人がしている仕事である

   貧しい人のため、苦しんでいる人のため、希望を失った人のため
   体を張って生きている
   マザー・テレサのような人である

・・・

(5)《13日 心を支配する者は、環境を支配する》

   神使命を与えたれば、吾は神の力と共に行くのである。
   自分の行くところ遮るものは何一つないのである
    ―― かく信じて一切の恐怖不安を駆逐すべきである。

   自己を支配するもののみが真の勇者である。
   環境は自己の心の影であるから自己を支配し得た者のみが環境の支配者となる。


          谷口雅春著『青年の書』より

           <感謝合掌 平成30年3月13日 頓首再拝>

賢者の一日一言《14日》 - 伝統

2018/03/14 (Wed) 18:43:01


(1)14日の生活標語 (解説)

   《人は皆その顔の異なる如く、この世の中における役割を異にしている。》


   それぞれの人がこの世で与えられている役割が、その人の天命であり。
   またそのために日常働く職業は皆天職である。

   人間以外に存在する山川草木の類まで、皆その様相を異にして、
   それぞれの役割を受持ち、とりどりにこの現象世界を色どっています。

   このゆえに他人が自分の思うようにならぬのを苦にすることなく、
   他人は自分と違った役割をこの世の中で受持ってくれる人として、
   尊敬すべきであり。

   同時に自分も他人にやれぬ役割を、こ
   の世で受持っている者として自重すべきです。

   このような他人への尊敬と、自分の自重とが行きわたる時、
   そこに大調和の世の中が出来て、
   どこにも排斥すべき人などはいないことがわかります

・・・

(2)【 3月14日 】

   自分を育てるものは 結局自分以外にはない。
 
   これ恵雨芦田恵之助先生の至言。

・・・

(3)【 3月14日 】私欲の一関を越える

   私意私欲の一関を突破するということは、
   ロで言えばただそれだけのことですが、
   しかしいざわが身のこととなると、決して容易なことではありません。

   しかし人間も一たび私欲の一関を越えますと、
   一切の対人関係が明らかに見えて来ます。

   その明らかな筋道に従って行えば、みな道にかなうというわけです。

・・・

(4)【 3月14日 】《知足》

   わたしは知足を
   足るを知れと読まず、足を知れと読む

   足の裏を知ることによって、本当の人間になるのだ

   知足第一
   これがわたしの人間観

・・・

(5)《14日 正しい祈りによって全ては好転する》

   「私の夫は悪人だ」と思い込んでいたとすると、
   「悪い夫を祈っている」ことになる。

   それ故、幸福な世界を実現しようと思うならば、
   ニセモノの不完全な現象に心をひっかからせないようにしていなければならない。

   不完全な現象のことを思わず、言わず、
   実相世界の完全さのみを心に描き観ずるのである。

         谷口清超著『こうして善を実現する』より

           <感謝合掌 平成30年3月14日 頓首再拝>

賢者の一日一言《15日》 - 伝統

2018/03/15 (Thu) 18:47:10


(1)15日の生活標語 (解説)

   《人は皆本来無病健康に生まれている者である。》

  ①万人に共通するような病気や、治療法なんていうものはない。

   それぞれの人のそれぞれの心の持ち方によって、本来ありもせぬ病気が、
   そこにあるかの如くに現われるのであるから、総ての病気はその人独特のもの
   であって、統計や数字などにかかわるものではない

  ②肉体生命の長寿法或は最善の治病法も、ただ持って生まれた本能を正しく、
   最善に働かすことの外にはない。

   注射などによって、神秘な生命に人為的な加減をしようとするのが間違いであって、
   肉体生命の長寿法或は最善の治病法も、ただ持って生まれた本能を正しく、
   最善に働かすことの外にはない。


  ③特に申上げておきたいことは、親不孝先祖不孝と、極端な利己主義とは、
   万病の原因であるということです。

   家庭内が貧乏と病人で苦しんでいるのを見ると、
   その人達の多年の誤れる生活態度が想像されるのです。

・・・

(2)【 3月15日 】

   すべての最低絶対基本線の確保が大事であって、
   何か一つ、これだけはどうしても守りぬき、やりぬく──
   という心がけが肝要。

・・・

(3)【 3月15日 】卒業

   学校を卒業するということは、
   人生という長旅への出発点ということです。

   しかるに卒業と言えば、もういい気になって、
   寄宿舎の窓など破って喜んでいる程度の人間が、
   第二の小国民の教育に従事するかと思うと、実際泣くに泣けんですね。

   もっとも近頃では、さすがに本校でも、
   そんな馬鹿をする人間はなくなったようですが ― 。

・・・

(4)【 3月15日 】《タンポポ堂三訓》

   おごるな
   たかぶるな
   みくだすな

・・・

(5)《15日 機会は、あなたの心の中にある》

   神は無限の善であり、愛であり、智慧であり、供給であるから、
   今・此処に無限の善と祥福とが自分の内にあるのである。

   まことにも、あなたの内に一切があるのである。

   あなたが自己の本性の完全さを自覚すればする程、
   現象界にはその完全さを実現するために自然的順序ある動きが現れて来るのである。


           谷口雅春著『希望を叶える365章』より

           <感謝合掌 平成30年3月15日 頓首再拝>

賢者の一日一言《16日》 - 伝統

2018/03/16 (Fri) 18:39:55


(1)16日の生活標語 (解説)

   《現代の憂えは、醫者が病人の心を治さずしてして、病気を治すことである。》

   人間の持って生れた本能が正しく働いているならば、
   誰も病気にかかる者はないはずです。

   それが病気にかかるのは、本能がそのまま正しく働いていないためです。
   なかんずく親不孝、先祖不孝、短気、憂欝、争い、憎しみ、不平、不満、慾張り、
   賛沢、美飲美食、取越苦労、持苦労等は、自己の本能の正しい働きを妨げて、
   多くの病気の本になるものでありますから、注意すべきです。

・・・

(2)【 3月16日 】

   「宿題のすまぬうちはテレビを見ない」という子どもに──。

   この一事だけでも守れたら、
   その子は一おう安心ができるといってよかろう。

・・・

(3)【 3月16日 】人生は短距離競走

   実際人生は二度とないですからね(先生幾度も繰り返して言われる)。
   人生は、ただ一回のマラソン競走みたいなものです。
   勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。

   しかしマラソン競走と考えている間は、
   まだ心にゆるみが出ます。

   人生が、五十メートルの短距離競走だと分かってくると、
   人間も凄味が加わってくるんですが ― 。

・・・

(4)【 3月16日 】《無差別平等》

   無差別平等というのが、私の根本思想である。

   (中略)

   川は下へ向って流れる、そして平等の海に注ぐ、これが宇宙の意思だと思う。
   覇権といういやな言葉が流れているが、本当の平和、本当の幸福は、
   無差別平等の思想を根本にしなくてはならぬ。

   山河草木鳥獣虫魚悉皆成仏!

   こんな無差別平等の教えがどこにあろうか。
   だから仏教はこれからだというのである。

・・・

(5)《16日 神はすべての幸福を与え給うている》

   わが実相は「神の子」であり、神は無限者であり、
   人は神の子として神の世嗣であるから、
   欲するすべての事物はすでにわが持ち物であるのであります。

   すべてのものは今現象界のわが手になくとも、神の御手にあるものは
   すべて世嗣たるわれらの自由使用にゆだねられているのです。


        谷口雅春著『生命の實相』頭注版第6巻より

           <感謝合掌 平成30年3月16日 頓首再拝>

賢者の一日一言《17日》 - 伝統

2018/03/17 (Sat) 18:56:19


(1)17日の生活標語 (解説)

   《晴天の旭日の如きさわやかな心を持續するならば、幸運は必ずきたる。》

   すべて陰気な家へは幸運がよりつかぬのである。

   善いにつけ悪いにつけ、自分の心さえ正しく持っているならば、
   何事も宇宙内の出来事であり、従って神さんの摂理の中の出来事ですから、
   善い方にきまっているので、悪い事などあるはずがないという気持に徹底すれば、
   いつでも晴天の如きさわやかな気持を持続することが出来るはずです。

   陽気の功徳大なるかなです。

   笑う門に福来たるというのは本当のことです。

・・・

(2)【 3月17日 】

   人間も、金についての親の苦労が分かりかけて、初めて稚気を脱する。

   随ってそれまでは結局、幼稚園の延長に過ぎぬともいえる。

・・・

(3)【 3月17日 】ぺスタロッチーの言葉

   「苦しみに遭って自暴自棄に陥るとき、
   人間は必ず内面的に堕落する。
 
   ・・・同時に、
   その苦しみに堪えて、これを打ち越えたとき、
   その苦しみは必ずその人を大成せしめる」

・・・

(4)【 3月17日 】 《一年草のように》

   生も一度きり
   死も一度きり

   一度きりの人生だから
   一年草のように
   独自の花を咲かせよう

・・・

(5)《17日 「愛」はすべての矛盾を解決する力である》

   何よりも先ず問題解決の鍵は「愛」である。
   愛のあるところに解決しない問題はないのである。

   愛は、燃え上がる反抗心に、ゆたかなる水をそそいでそれを鎮静せしめるのである。
   反抗心や敵対心がなくなったときに本当に正しい解決が得られるのである。

   調和の中にのみ、よき解決が得られるのである。


          谷口雅春著『希望を叶へる365章』より

           <感謝合掌 平成30年3月17日 頓首再拝>

賢者の一日一言《18日》 - 伝統

2018/03/18 (Sun) 18:32:32


(1)18日の生活標語 (解説)

   《感謝しながら食事をする者に、胃腸病はない。》

   胃腸病の一番大きな原因は、感謝が足らぬことです。

   感謝が足らぬということの反面は、わがままや不平です。

   平生の短気ということも、非常に胃腸を悪くします。


・・・

(2)【 3月18日 】

   物にもたれる人間は、
   やがて人にもたれる人間になる。

   そして人にもたれる人間は、
   結局世の中を甘く見る人間になる。

・・・

(3)【 3月18日 】どん底体験

   人問の真の強さというものは、
   人生のどん底から起(た)ち上がってくるところに、
   初めて得られるものです。

   人間もどん底から起ち上がってきた人でなければ、
   真に偉大な人とは言えないでしよう。

・・・

(4)【 3月18日 】《一度ぎり》

   一度ぎりだから真なのだ。
   一度ぎりだから美なのだ。

   東洋芸術のよさは、この一度ぎりにある。
   日本画の一線も一度ぎり、日本の書も一筆ぎり、彫刻も一刀ぎり。

   一度ぎりはとりかえしのつかないものを言う。
   今日只今も一度ぎり。
   だからわたしはみめいこんとんに起きる。

   一度ぎりというものが腹のどまんなかにでんと坐っていなければならぬ。
   腹ができているというのは、この一度ぎりというものを腹中に持っている事を言う。

   詩がやってくるのも一度ぎりである。
   だから天地清涼の暁天を廃し待つのである。

   一度ぎり!

   これが仏陀世尊の教えである。

・・・

(5)《18日 すべての体験を教訓として受けるものは向上する》

   全ての事件は、私達に何かを教えてくれる「先生」の役目をしています。
   その事件から「もっとこうした方がいい」ということが分って来る。

   たとえ不幸な出来事が出て来ても、それによってかえって魂が高め浄められ、
   一層すばらしい「神の子・人間」の実相をあらわす「訓練」になるのです。


        谷口清超著『『甘露の法雨』をよもう』より

           <感謝合掌 平成30年3月18日 頓首再拝>

賢者の一日一言《19日》 - 伝統

2018/03/19 (Mon) 19:15:25


(1)19日の生活標語 (解説)

   《暴飲暴食する者は、運勢定まらず、晩年必ず劣う。》

   身分不相応の美飲美食をする者、
   また大飲大食暴飲暴食をなす者は、皆運勢が凶である。

・・・

(2)【 3月19日 】

   節約は物を大切にするという以上に、
   わが心を引き締めるために有力だと分って人間もはじめてホンモノとなる。

・・・

(3)【 3月19日 】悩み苦しみを噛みしめる

   人生を深く生きるということは、
   自分の悩みや苦しみの意味を深く噛みしめることによって、

   かような苦しみは、必ずしも自分一人だけのものではなくて、
   多くの人々が、等しく悩み苦しみつつあるのだ、
   ということが分かるようになることではないかと思うのです。

   これに反して、人生を浅く生きるとは、
   自分の苦しみや悩みを、
   ただ自分一人だけが悩んでいるもののように考えて、
   これを非常に仰山(ぎょうさん)なことのように思い、

   そこからして、
   ついには人を憎んだり怨んだりして、
   あげくの果ては、自暴自棄にも陥るわけです。

・・・

(4)【 3月19日 】《杉村春苔尼》

   道元は如浄(にょうじょう)に出会った。
   親鸞は法然に出会った。

   それと同じようにわたくしは杉村春苔尼というお方に出会った。

   思えば真の出会いというものは自己を変え、世界を変えるのである。

    *《杉村春苔尼》
     → http://blogyang1954.blog.fc2.com/blog-entry-422.html

・・・

(5)《19日 その日、その日を最善に生きよ》

   その日の最高標準まで生きよ。

   これが実行出来るならば、あなたの職業が何であろうとも、
   あなたの勉強が何であろうとも、あなたの精神力は強められ、
   あなたの注意力は益々行き届き、あなたの判断力は益々精確になり、
   あなたが割当てられたる天分を大成する条件が自然に整うて来るのである。


           谷口雅春著『眞理』第2巻「基礎篇」より

           <感謝合掌 平成30年3月19日 頓首再拝>

賢者の一日一言《20日》 - 伝統

2018/03/20 (Tue) 17:21:32


(1)20日の生活標語 (解説)

   《「言い出したらきかぬ」のをあっぱれ男と思うな。
     このような人がよく中風にかかるのである。》

   なぜ「言い出したらきかぬ」者が中風にかかるかといえば、
   その頑固な柔軟性のない心境が、自分の血管を硬化せしめるからです。

   そうして血管硬化は血圧を高くして、脳溢血即ち中風の原因になります。


   中風は必ずしも言い出したらきかぬ頑固ばかりではなく、
   先祖の祀りを怠る者もかかるのであるが、

   先ず「言い出したらきかぬ」人は、
   その罰当りの性根を早く改めるべきですね。

   半身不随になってからではおそいです。

・・・

(2)【 3月20日 】

   性欲の萎えた人間に偉大な仕事はできない。
    ──それと共に、みだりに性欲を漏らす者にも大きな仕事はできぬ。

・・・

(3)【 3月20日 】おめでたさを削りとる

   われわれは苦労することによって、
   自分のおめでたさを削りとってもらうんです。
   現実の世界は決してお目出たくはないのです。

・・・

(4)【 3月20日 】《本もの》

   人間は本ものに出会わないと
   本ものになれない

・・・

(5)《20日 信ずる通りになるのが人生である》

   「心」の中に、どのような信念があるかということが、
   その人の運命を決め、その人を幸福にも不幸にもするのです。

   本人の「心」が神様の心らしいかどうか、「豊かな心」であるか
   「奪いとる心」であるかなどによって、
   “運のよい人間”にもなれば、“運の悪い人”にもなるのであります。

        谷口清超ヒューマン・ブックス2『運命の主人公』より

           <感謝合掌 平成30年3月20日 頓首再拝>

賢者の一日一言《21日》 - 伝統

2018/03/21 (Wed) 18:51:10


(1)21日の生活標語 (解説)

   《わが心が感謝と歡喜に満つるに至ったならば、その人は天下無敵となる。》


   全心が輝き渡って寸毫の暗い影もない人は、
   天地の栄えと一体になった人である。

   人間ここに至れば修養の極致に達したのであって、
   病氣と不幸と貧窮と恐怖心とからは、完全に絶縁したことになる。


   運勢盛んなりし頃の釈迦、耶蘇、その他の偉人は、
   このような境地に達していたでしょう。

・・・

(2)【 3月21日 】

   すべて人間には、天から授けられた受もち(分)がある。
   随ってもしこの一事に徹したら、
   人間には本来優劣の言えないことが分かる。

・・・

(3)【 3月21日 】偉人は自らを凡夫と知る

   真に偉大な人格というものは、
   決して自分自身を、
   偉大であるなどとは思わないでしょう。

   何となれば、
   現在自分のなめている苦しみを、
   単に自分一人だけのものとは思わず、
   世の多くの人々が、
   自分と同様にこのような苦しみをなめていることを深く知っているからです。

   すなわち真に偉大な人というものは、
   つねに自分もまた人生の苦悩の大海の裡に浮沈している、
   凡夫人の一人にすぎないという自覚に立っているのです。

・・・

(4)【 3月21日 】《まこと①》

   信 ―― まこと
   真 ―― まこと
   誠 ―― まこと

   まことは真実だ
   古事記もまこと
   万葉集もまこと

   まことの文字を身につけよ
   まことの信仰を身につけよ

   まことだから
   すがすがしいのだ
   あたたかいのだ

   良寛をもっと知らなければならん
   良寛のまことを知らなくちゃならん

・・・

(5)《21日 神の世界に何一つ矛盾はない》

   この世界は本来、神の智慧によって造られたのであるから、
   すべての存在(人間及び一切の生物を含めて)は、
   その各々のあるべき正しきポジションがあり各々その個性を発揮しつつ、

   その正しき位置に坐るとき、少しも矛盾なく摩擦なく快適に生活することが
   できるようになるのである。

       谷口雅春著『榮える生活365章』より

           <感謝合掌 平成30年3月21日 頓首再拝>

賢者の一日一言《22日》 - 伝統

2018/03/22 (Thu) 17:17:59


(1)22日の生活標語 (解説)

   《失敗を知らない發明王エヂソンを見習え。》

   電球の中にあるフィラメントを發見するために、
   エヂソンは六千回に及ぶ実験をしたという。

   そうして最後の1回だけが成功したのであるが、
   エヂソンはその途中のすべての實験を、
   成功への階段であると思うて楽しんだのである。


   他人から見た如何なる失敗も、
   それを本人が今後の自分の飛躍の土台にするならば、
   それは少しも失敗ではありません。

   今後の世に立つ者は九転十起、このエヂソンの如き、
   不屈の勇気を持つことが必要です。

・・・

(2)【 3月22日 】

   読書は実践への最深の原動力

・・・

(3)【 3月22日 】生命力を高める

   偉人と言われるほどの人間は、
   何よりも偉大な生命力を持った人でなくてはならぬはすです。

   しかもそれが、
   真に偉人と呼ばれるためには、
   その偉大な生命力が、
   ことごとく純化せられねばならぬのです。

   ですから生命力の大きさ、
   力強さというものを持たない人間は、
   真に偉大な人格を築き上げることはできないわけです。

・・・

(4)【 3月22日 】《まこと②》

   まことの字が書けるようにならなくちゃならん

   しんみんよ疲れてはならん
   疲れるのはまことがないからだ

   まことでしたことに疲れるなんて
   おこることはない筈だ

・・・

(5)《22日 わが行くところには勝利あるのみ》

   神の生命と直結し、神の智慧と愛と生命とを地上に実現せんとする
   意欲に燃える者にとって不可能ということはないのであります。

   不可能は、神を吾が内に自覚しないが故にそう思われるのです。
   吾々は神によって生かされている「神の子」でありますから、
   やとうと思えば必ず出来るのです。

       谷口清超ヒューマン・ブックス1『愛と祈りを実現するには』より

           <感謝合掌 平成30年3月22日 頓首再拝>

賢者の一日一言《23日》 - 伝統

2018/03/23 (Fri) 19:14:28


(1)23日の生活標語 (解説)

   《なまけて得をすると思うな。なまける者は毎日大損をしているのである。》


   誠実に働く者は日一日と自己の能力を磨き、他人の信用を増すが、
   なまける者は生涯自分の能力を知らずに終る人である。

   怠けた者が栄えないのは理の当然であって、
   たまたま或る期間その例外があっても、最後は知れています。

   何より恐ろしいことは、そのような人ば家族をはじめ、
   自分の身近い人の間の信用を失っていくことです。


   人間は本来働くように出来ています。
   人間の一呼吸一呼吸は皆宇宙の理法、造化の作用の人間に伝わるものであります。

・・・

(2)【 3月23日 】

   本は読むだけずつ買い、買うだけずつ読む──
   というのが、理想であり望ましい。

・・・

(3)【 3月23日 】学問修養には気魄を要す

   古人は学と言えば、
   必ず聖人足らんことを志したものです。

   しからば今日われわれ日本人として、
   いやしくも学問修養に志す以上、

   われわれのもつ偉大な先人の踏まれた足跡を、
   自分も一歩なりとも踏もうと努め、
   たとえ一足でも、
   それににじり寄ろうとする気魄がなくてはならぬと思うのです。

・・・

(4)【 3月23日 】《誠実》

   誠実さを失ったら
   人も滅び、企業も滅び、国も滅ぶ

   一刻も狂うことなく運行する宇宙の誠実さよ

・・・

(5)《23日 希望を失わずに進め、道は開ける》

   神の世界には、決して袋小路はない。
   行き詰ったと見えるのは常識の心が行き詰るのである。

   ぶつかって行け。
   最後のギリギリのところまで希望を失わずに進んで行けば、必ず道が開けるのだ。
   途中で投げ出したり、引返したりしては駄目である。負けたと思ったら負ける。


       谷口清超新書文集2『神は生きている』より

           <感謝合掌 平成30年3月23日 頓首再拝>

賢者の一日一言《24日》 - 伝統

2018/03/24 (Sat) 19:41:31


(1)24日の生活標語 (解説)

   《狡猾な世渡りをする人の運勢は、晩年必ず凶である。》

   宇宙の道 ―― 大生命の道 ―― 即ち繁栄道は、公明正大なものであって、
   そこには誤魔化しがない。そこにはズルサがない。

   「明日も太陽が東天に昇る」「夕方が来れば太陽は西山に入る」

   「春が来れば草木の芽が出る」「夏は暑い」「秋は涼しい」「冬は寒い」等々。
   少しもかくすところがなく、誤魔化すところがないのです。
   それで万物はその間に生じ、その間に育ち、その間に栄える。

   この宇宙の繁栄道のままに生活する者が、
   何んでズルク廻り、誤魔化しをする必要がありましようか。

・・・

(2)【 3月24日 】

   人に長たる者は 孤独寂寥に耐えねばならぬ。

・・・

(3)【 3月24日 】人の話は一番前で聞け

   念のために、ついでにちよっと申しておきますが、

   人の話を聞くときは、
   後の方で聞くと、どうしても批評的になりやすいものです。

   (中略)

   これに反して、一番前の席で聞くのは信受の態度です。

   そこで諸君らも、
   講演などを聞かれる際には、
   なるべく前の方の席で聞かれるがよいでしょう。

・・・

(4)【 3月24日 】《波動》

   わたしは華厳経から仏教に入ったのであるが、
   華厳では一木一草すべてが、大宇宙の霊波霊光を持っていると説く。
   そういうことが二十一世紀ではいよいよ科学的に証明されていくだろう。

   まったくわからなかったあの世も、わかってくるであろう。

   (中略)

   大宇宙には、目に見えないものがいくらでもある。
   科学は、それを見せてくれるであろう。

   どうか、「念ずれば花ひらく」の念波だけでもいいから、身につけて頂き、
   「一念随喜」の人となってもらいたいものである。

・・・

(5)《24日 心が明るく伸び伸びとすると全てがよくなる》

   本来人間は実に健康であり、すばらしい「無限力」の持ち主である。

   この「実相」の完全円満であるという信仰をはっきり胸にたたみ込んで、
   明るくのびのびと、愛ふかい祈りの日々を送ってゆかれましたならば、
   必ずよい事ばかりがあらわれて、ここに「地上天国」があらわれてくるのです。

      谷口清超ヒューマン・ブックス2『運命の主人公』より

           <感謝合掌 平成30年3月24日 頓首再拝>

賢者の一日一言《25日》 - 伝統

2018/03/25 (Sun) 17:29:54


(1)25日の生活標語 (解説)

   《親孝行をする者は、
    いつしか宇宙の繁榮律をつかむのであることを知る人は少ない。》

   昔から親不孝な人が一生栄えためしがなく、晩年にその随ちて行く所は、
   孤独と貧窮と病院生活である。

   独り立ちの出来ている者にとっては、親は根であり、自分は幹です。
   独立していない者にとっては、親は幹であり、自分は枝です。
   根を大切にせず,或は幹を大切にしないで、樹木の栄える道理はないのです

   かくて親不孝をする者は、次第に宇宙の繁栄道から遠ざかる反面に於いて、
   親孝行をする者は、その行いを通じて造化の理法、即ち宇宙の繁栄道を、
   理解し得るに至るのであります。

・・・

(2)【 3月25日 】

   部下の進化を真に見抜ける人物は極めて少ない。
   部下のうちに、
   自分より素質的に卓れた人間のいることを知っている校長は絶無というに近い。

・・・

(3)【 3月25日 】最終目標をつかむ

   すべて物事というものは、
   理想すなわち最終目標を、
   あらかじめはっきりつかんでいないことには、
   とうてい本当のことはできないものであります。

・・・

(4)【 3月25日 】《わたしの信条》

   気長く待つのだ
   息長く生きるのだ

・・・

(5)《25日 自由とは法則に従うことである》

   宇宙の法則そのものがいのちなのですから、法則を破ることをしたら、
   吾々はいのちを自殺していると云うことになるのであります。

   ですから吾々は常に法則を守らなくてはならないのであります。

   法則は決して自由に反するものではなく、真の自由を生かすものであります。


        新選谷口雅春法話集3『幸福の原理』より

           <感謝合掌 平成30年3月25日 頓首再拝>

賢者の一日一言《26日》 - 伝統

2018/03/26 (Mon) 18:46:16


(1)26日の生活標語 (解説)

   《人の一生は長い。おちついて人生を楽しみながら大いに働くべし。》

   人生を楽しいものにするのも、人生を悲しいものにするのも、
   各人の心次第というわけですね。

   そういっても楽しくないのに、楽しいと思えぬではないかというでしょうが、
   そこを楽しく思う習慣をつけるのです。

   それには先ず一日のうちに何回か
   「ああ有難いな」とか「ああ愉快だな」とかいうようにします。
   そうするとその瞬間に何んとなく人生が有難くなり愉快になります。

   ふと気がついて、いま「ああ有難いな」といったが、一体何が有難いんだろうと
   思う時もあるが、その時は有難いことを心の中で尋ね出して、
  「こういう事があるから有難いんだ」と思えばよいのです。

・・・

(2)【 3月26日 】

   いざという時 肚のない人間は、人の長たる器とはいえぬ。

・・・

(3)【 3月26日 】過去を今に生かす

   人間の真の偉さというものは、
   その人が自分のすぎさった過去を、

   現在もどの程度忘れずにいて、
   これを生かしているか否か、
   ということによって、
   決まるとも言えましょう。 

・・・

(4)【 3月26日 】《気合い》

   詩は気合いなのである。
   木にも気合いがあり、その木に花が咲くときには更に気合いがある。
   詩が短かければ短かいほど、この気合いが大切になってくる。

   気合いとはその字の通り気が合することである。
   二つのものが一つになることである。
   素材と自己とが一つになってリズムとなるところに詩が生れる。

   この気合いを一番会得していたのが芭蕉ではなかろうか。
   長谷川伸さんの文を読んでいたら「およそ迫力のないものぐらいつまらないものはない。
   迫力、迫力、そして新しい迫力」と言っておられた。

   私の言う気合いもこの迫力のことなのである。

・・・

(5)《26日 摩擦があるこので進歩し、人生の深い味わいが出る》

   摩擦があるので人間の魂が磨かれます。

   吾々が歩くことが出来るのも、
   それは路面や畳や床板に摩擦があるから歩くことが出来るのであります。
   全然摩擦のないところは、歩こうと思っても足が辷って歩けないのです。

   人生に於ける摩擦面は、自分を推進せしめてくれているところの味方であります。


        新選谷口雅春法話集2『戀愛・結婚・母性』より

           <感謝合掌 平成30年3月26日 頓首再拝>

賢者の一日一言《27日》 - 伝統

2018/03/27 (Tue) 18:30:36


(1)27日の生活標語 (解説)

   《善事をして他人に認められぬのを憂えるな。
    善事をなし得る自分であることを喜べ。》

   善事をしてそれが他人に分り、或は世人にほめられなどしたらば、
   それで善事は帳消しになるのです。
   その人はほめられたことによって、報酬を受けたからです。

   それを思うと自分のした善事を知られたり、
   或はほめられたりすることこそ恐ろしいことですね。

   お互いにいくら善事をしても、
   それを片っぱしから忘れるほどの偉大さを持ちたい。
  
   或は一々覚えてなどいられぬほどの沢山の善事を、
   毎日なし得る人でありたいですね。

・・・

(2)【 3月27日 】

   お酒は利き酒の飲み方にかぎる。
   同時にそこには、すべて物事の味を噛みしめる秘訣がこもる。

・・・

(3)【 3月27日 】この世を愉快に過ごす

   人問は、
   この世の中を愉快に過ごそうと思うたら、
   なるべく人に喜ばれるように、
   さらには人を喜ばすように努力することです。

   つまり自分の欲を多少切り縮めて、
   少しでも人のためになるように努力するということです。

・・・

(4)【 3月27日 】《八十を越した人への三訓》

   K夫人から次のような三訓を頂いた。

    一、風邪をひくな(余病につながる)

    二、ころぶな(骨折し易い)

    三、義理を欠け(平静を乱される)
  

   特にわたしは三番目の言葉に心ひかれた。
 
   わたしも八十を越したから、無駄な儀礼は欠礼し、
   寒山拾得(かんざんじっとく)まではゆかなくても、
   もっと自由に自分の世界の中で生きたいと思う。  

・・・

(5)《27日 あらゆる悩み苦しみは、神によって癒される》

   病気だとか、不幸だとか、面白くないとか、自分は迚も駄目だとか、
   そんな消極的な言葉をあなたの心の圏外に放逐せよ。

   そして「吾れ神と偕にあり」と云う光の言葉を常に自己の内に照り輝かせ。

   あらゆる心の悩みは、あなたの心が神に向かった時に癒されるのである。
   闇は光に向かえば消えるのと同じように。

         谷口雅春著『幸福を招く365章』より

           <感謝合掌 平成30年3月27日 頓首再拝>

賢者の一日一言《28日》 - 伝統

2018/03/28 (Wed) 18:16:38


(1)28日の生活標語 (解説)

   《良人やわが子を毎日笑顔で送り出せ。》

   朝家庭で爭いをした人は、大抵その日の仕事の成績が悪い。

   良き家人は、出かける人に不愉快を与えぬよう、注意を怠ってはならぬのです。
   喧嘩などしたあとであっても、必ず出かける人の気を休まるようにして出すのです。


   たとえこの頃少しわが子が ―― わが良人が ―― 変だと思っても、
   必ず笑顔をもって送迎することです。
   つまり本性の善を認めて、一時的に現われている良人やわが子の悪と取組まないことです。

・・・

(2)【 3月28日 】

   人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。

   退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって、
   晩年の人生と取り組まねばならぬ。

・・・

(3)【 3月28日 】「約束ごと」を守る

   社会的秩序の上における上下の関係というものは、
   いわば世の中の「約束ごと」とも言うべきものでありますから、

   これを履(ふ)み外すということは、
   同時にそのまま、世の中そのものから履み外して、
   社会の落伍者となる外ないのです。 

・・・

(4)【 3月28日 】《本腰》

   なにごとも本腰にならねば
   いい仕事はできない
   新しい力も生まれてはこない

   本気であれ
   本腰であれ

・・・

(5)《28日 人生修行とは、正しく把住し放行することである》

   魂の成長にとって、「執着」は大敵である。
   人生修行は、把住したものを放行することを学ぶことだ。

   人は何事かに熱中し、それを根かぎり極めつくして、
   しかもそこから解脱してい行かなければならぬ。

   その過程において、魂は「神性」を発揚し、無限に拡大し、
   偉大なる「神の子」の実体を現わすのである。

        谷口清超著『困難に戯れよう』より

           <感謝合掌 平成30年3月28日 頓首再拝>

賢者の一日一言《29日》 - 伝統

2018/03/29 (Thu) 19:20:05


(1)29日の生活標語 (解説)

   《不幸の原因を内に求めて反省する者は既にその不幸を越えた人である。》


   不幸の原因を常に他に嫁して不平をいう者は、
   いつまでも救われぬ人である。生涯栄えることのない人です。


   元来人間という者は、何人も「天上天下唯我独尊」であり、
   大宇宙に鳴りわたるほどの偉大な可能性を持てる者であるから、
   わが身にかかる不幸を改める力は、本来自分に備わっています。

   それを知って、如何に多くの不幸が来ても、それを乗り越え、乗り越え、
   自己の運勢を開拓して行く人は、将来大いに栄える人であり、

   そこに気づかずして、不平ばかりいっている者は、
   生涯自分の偉大さに気づかずに終る人です。

・・・

(2)【 3月29日 】

   筆はちびる直前が一番使い良く、肉は腐る寸前が一番うまい。

   同様に今後恵まれるわずかな残生を、
   衷心より懼れ慎んで、「天命」に随順して生きたいと思う。

・・・

(3)【 3月29日 】敬の一念と生命の進展

   尊敬の念を持たないという人は、
   小さな貧弱な自分を、
   現状のままに化石化する人間です。

   したがってわれわれ人間も敬の一念を起こすに至って、
   初めてその生命は進展の一歩を踏み出すと言ってよいでしょう。

・・・

(4)【 3月29日 】《かなしさのうた》

   たたけたたけ
   思う存分たたけ

   おれは黙って
   たたかれる

   たたくだけ
   たたかれる

   存在のために
   真実のために
   飛躍のために
   脱却のために

・・・

(5)《29日 機会は今を生きるところにある》

   大きな機会がそのうちに来るであろうと、
   機会を夢見ながら徒らに時を費してはならない。

   機会は「今」諸君の手許にあり脚下にあるのである。

   「今」諸君が生活している其の「場」において全力をつくせば、
   其処が自己を発達させ、人類を幸福にする
   最初の“機会”となり“踏み石”となるのである。


      新選谷口雅春法話集9『人生を前進する』より

           <感謝合掌 平成30年3月29日 頓首再拝>

賢者の一日一言《30日》 - 伝統

2018/03/30 (Fri) 18:15:22


(1)30日の生活標語 (解説)

   《取越苦労や持越苦労をするな。一日の重荷はその日だけでおろしてしまえ。》

   「心配したってどうなるものでもない」と思いながら
   心配せずにはいられぬのが、人間の弱さであります。


   しかし私達はどこにいようが、どこに行こうが、
   決して宇宙の外にはいない、必ず宇宙内にいるのです。

   それを思うと私達は寝ても起きても、立っても転んでも、
   宇宙即ち大生命 ―― 換言すれば神の胎内で保護せられているのです。
   お互いにこの神の大愛を信ずることに致しましょう。


・・・

(2)【 3月30日 】

   古来女をつくる事は易いが、手を切ることがむつかしいといわれる。

   同様に仕事を始めるとはやさしいが、シメくくりをつけることは難しい。
   いわんや人生のしめくくりにおいておやである。

   知らず、何を以てこの世の〆めくくりと考えるべきか。

・・・

(3)【 3月30日 】師の教え

   自分の一生の目標を何と立てるかということも、
   結局はその人が、
   師の人格に照らされて初めて見出されるものであって、

   人問は師をはなれては、
   生涯の真の目標も立たないと言ってよいでしょう。

   またいかなる書物を愛読するかということも、
   結局は師の教えの光に照らされて、
   おのずから見えて来ることでしょう。

・・・

(4)【 3月30日 】《苦》

   苦がその人を
   鍛えあげる
   磨きあげる
   本ものにする

・・・

(5)《30日 到るところに神の恵みは満ちている》

   水がなければ、数日のいのちしかない。
   さらに空気がなければ、数分間しかもたない。
   けれどもあまりにも豊富なために、その恩恵を感じない。
   「空気配給会社」などはどこにもない。

   太陽光線もタダだ。
   父母の愛も、ゆたかであふれるばかりだが、
   その恩恵に気づいていない人々が、如何に多くいることか。

       谷口清超著『輝く日々のために』より

          <感謝合掌 平成30年3月30日 頓首再拝>

賢者の一日一言《31日》 - 伝統

2018/03/31 (Sat) 18:21:50


(1)31日の生活標語 (解説)

   《大晦日のつぎに元日がこなかったことは、大昔から今までに一度もない。》

   大晦日の苦しみといえば、大抵遣り繰りの困難ですが、
   如何なる借財のある者にも、その苦しい大晦日は過ぎて必ず元旦は来ます。
   一夜明ければ昨日(きのう)に変る元旦のおめでとうとなるのであります。

   勿論元旦は大晦日の夜のつづきですから、大晦日が苦しかった者の境遇が、
   急に元旦に楽になるはずもないが、それでもともかく大晦日という関所は過ぎて、
   新年となったことは否定のしょうがないのであります。


   されば苦しいながらにも、新年には新年の風が吹く。
   周囲の条件も変って来るのです。

   それを思えば如何に苦しい大晦日の辛抱も出来ぬことはないはずです。

・・・

(2)【 3月31日 】

   白雲の 出雲の国の山深く 逢ひにし子らを 忘れかねつも

   いつの日か 復た相逢はん 期なけむ いのち幽けく 寂しむものあり

・・・

(3)【 3月31日 】恩に報いる

   師に対する最高の報恩は、
   まさに師を越える一路の外にない。

・・・

(4)【 3月31日 】《闇と光》

   闇深ければ
   光もまた強し

・・・

(5)《31日 人は「赦し」の大きさによって計られる》

   何事が起ってきても、他人の責任にしてはならない。
   自分の人生の責任者は、自分以外の何者でもないのである。

   あなたは人を赦すことによって、あなた自身の心を高め上げ、
   又相手をして、より一層素晴らしい人間にすることが出来るのである。

   ひとを責めるよりも自分の「徳」の足らざるを反省せよ。

         谷口清超著『智慧と愛のメッセージ』より

           <感謝合掌 平成30年3月31日 頓首再拝>

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