伝統板・第二 2540209

本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。


(三月)の法語

1:伝統 :

2018/03/01 (Thu) 04:40:17

このスレッドでは、他の掲示板等から、次の6つの法語を紹介してまいります。



(1)『 生長の家 』 昭和二十三年三月号法語 

   *Web「龍宮住吉大神」からの転載です。
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13096845.html?type=folderlist

(2)『 生長の家 』 昭和二十四年三月号法語

   *Web「住吉大神浄め給う」からの転載です。
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/d/20140514

(3)『 生長の家 』誌 昭和二十五年三月号の箴言 (一日の法語 ~ 二十八日の法語)

   *Web「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」からの転載です。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67

(4)『 生長の家 』誌 昭和四十年三月号の箴言
   *Web「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」からの転載です。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121

(5)『 生長の家 』 昭和四十六年三月号法語 
   *Web「龍宮住吉大神」からの転載です。
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12621806.html

(6)『 理想世界 』 昭和四十三年三月号法語 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703461

・・・

【一日の法語・言葉(3月1日)】

(1)《人生の問題は向上の段階》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13096845.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   問題は 人間を一層高い世界へ誘う招待状みたいなものである。

   問題の解決は 唯 上昇の足場に過ぎない。
   いかにそれを扱うかの心境に魂の進歩がある。

・・・

(2)《人間は神の自己顕現である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ea6279982ab50e1bf49551141362d738


   (抜粋として)

   大自然は人間を神の自己顕現として、
   肉体の上からも、精神の上からも、能力の上からも、
   最高完全の神的標準に到達することを望んでいるのである。

・・・

(3)《神は到(いた)る処(ところ)に在(いま)す》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神は到る処に みちみちていられるのである。
   神は 無限の愛であり 無限の智慧であり 無限の生命であり、
   常に吾らを その無限の愛をもって 護(まも)っていられるのである。

・・・

(4)《神を金融業者と間違えてはならない》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は高利貸でも、銀行屋でもないから、上手に説き服せたら
   金を貸して下さるというような方ではないのである。

   キリストが説いたように
   「 人は二人の主(しゅ)につかえることはできない 」のである。

   私たちは「 物質の幸福 」を求めている限りに於いて、
   霊的な主につかえることはできないのである。

・・・

(5)《“二つの世界”に生きる私達 》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12621806.html


   (抜粋として)

   私たちは、二つの世界に住んでいるのである。

   縦の生活に於いては
   神からつながる“ 神の生命 ”( 神の国 )を生き、

   横につながる“ 心の展開 ” としての世界では
   現象世界を生きているのである。

・・・

(6)《人間は目的をもち理想をもたねばならぬ 》

   人間として地上に生まれた限り、
   あなたは生きるための”目的”をもたねばならぬ。

   目的という語ではいくぶん足りない気がする。
   それでは“理想”をもたなければならない。

   目的を持たず、碌々として人生を行き当たりバッタリに生活している者は、
   その人の経済的状態が豊かであっても、精神的には浮浪者であり、ルンペンである。

   近頃、フーテン族という種類の若い人があらわれて来て、
   髪を長く伸ばして額と顔の半分ほどを乱れた髪で蔽い、
   何の働きをすることもなく、食べ物を、他人の戸口で乞い歩く者が
   出ているが、人生に目的も理想も持たない場合には
   自然にこんな姿になりさがってしまうのである。

   肉体も服装もすべて自分の心の投影であるからである。

・・・

<参考:3月の谷口雅春先生の言葉>

(1)弥々生うるいのち~「生命の實相」第37巻幸福篇上
   → (光明掲示板・第二) 
     http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1215

(2)神は愛なり~光明法語<道の巻>
   → (谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)
     http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=72

(3)弥生「万物めぐむ」~光明道中記
   → (谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)
     http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=73


            <感謝合掌 平成30年3月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2018/03/02 (Fri) 04:38:33


(1)《同じ問題でも受け方で魂の向上が異う》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13098489.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   かりに或る人が泥棒に着物をとられたとする。

   甲は それに対して嘆き かなしみ失望し落胆する。
   乙は それに発奮して、大いに仕事に努力する。

   丙は 俺もとられた、取り返してやれと思って自分も泥棒になる。
   丁は 自分の不注意に気付いて今後の生活をもっと慎重にする。
   戊は 自分の不注意に気づいて一層 謙遜になる。

・・・

(2)《楽なと云う誘惑に負けるな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a6b2c549cb3d7b00ec804b63ed14c8da


   (抜粋として)

   すべて物事を完成するのは
   「 この方が楽だ 」 という誘惑に耳をかさず、
   
   法則の示す所に鞏固(きょうこ)なる意志をもって
   進んで行く事によって得られるのである。

・・・

(3)《人間は神の意識的顕現》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   人間は神の創造力の最も精巧なる現れであり、
   神の最高顕現として、また意識的顕現として
   一切の現象を支配する力を与えられているのである。

   神だけでも宇宙の創造は完成しないのであって、
   神と人間と相よって宇宙の創造は完成するのである。

・・・

(4)《霊か、物質か、いずれを選ぶか》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神はただ霊の賜物(たまもの)のみを与えたまうのである。

   「 神は霊なれば拝する者も霊と真(まこと)とをもて拝すべきなり 」

   (『ヨハネ伝』第四章二四節)とイエスは教えていられるのである。

・・・

(5)《自己拡張欲の衝突の世界》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12621860.html


   (抜粋として)

   人間は、横につながる“ 心の展開 ”としての現象世界では、
   彼の内包する“ 無限 ”を空間的に表現せんと欲するが故に、
   自己拡張、自己伸展を主として願うのである。

   しかもその表現の場である地球という天体は面積に限りがあるが故に、
   自己拡張せんとする者たち互いに衝突し、自己伸展せんとする者同士が
   奪い合いを演ずることになるのである。

   (世界の紛争は)
   いずれも異るアイディアの自己表現・自己主張・自己拡大の衝突である。

   私は悲しい思いでそれを看戍(みまも)っているのである。

・・・

(6)《百合には百合の目的が、人間には人間の目的が》

   人間が地上に生を享けて目的をもち理想をもつためには、
   ”人間とは何ぞや”の根本自覚を先ず得なければならないのである。

   人間がユリの花であるならば百合の花を咲かす目的又は理想をもつであろうし、
   人間が桜であるならば、桜の花を咲かす目的又は理想をもつであろう。

   無論、人間は植物ではない。

   地上に人間が生まれた目的は百合の花を咲かせることでも、
   桜の花を咲かせることでもない。

   しかし私が言いたいのは、
   百合には百合でなければ咲くことのできない花を咲かせるし、
   桜には桜でなければ咲くことが出来ない花を咲かせるという事である。

   そこにはその食属独特の特徴ある花の形を発揮するという事である。

   そうすれば、人間は、どんな植物にもどんな動物にもない独特の特徴ある
   天分を発揮するところに、吾々人間がこの世に生まれた目的があり、
   理想があるのではないだろうか。

            <感謝合掌 平成30年3月2日 頓首再拝>
3:伝統 :

2018/03/03 (Sat) 04:30:48


(1)《祈りの実現には時間的要素がいる》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13102172.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   祈りは必ず成就するのである。

   祈りとは 常に深く魂の奥底で
   繰返している言葉である。

   併し今日祈ったからとて
   明日必ず成就するとは決まっていない。

   併しそれは永久に生えないのではない。
   性急では いかぬのである。

・・・

(2)《神業を成就せんがために肉体を正しく使え》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d63e57736d0871bf7c1900b6faaba805


   (抜粋として)

   吾々が人生に生まれたる目的は 常に云う通り、
   神の み業を地上に於て成就せんがためである。

   従って吾らが地上に生まれたる目的は
   働くことによって 神の目的を成就するにあるのである。

・・・

(3)《法則は受動者であり 人間が主動者である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   人間は自然界の法則を駆使して事物を創造する。

   法則は 神の 「 受動的現われ 」 であり、
   人間は 神の 「 能動的な現われ 」 である。

・・・

(4)《天国を地上に実現するには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   天国が地上にあらわれるためには、
   人間自身が一変して、地的な欲望を去り
   天的にならなければならないのである。

   神は霊であるから、神を愛するならば、
   もっぱら霊を愛しなければならないのである。

・・・

(5)《わが国は此の世の国に非ず》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12627438.html


   (抜粋として)

   現象の世界にいくら勝利を得たにしても、
   結局は現象界はうつり変る世界であるから、
   その勝利した状態は、やがて “ 無 ” に帰する世界である。

   私たちが本当に勝つのは「 “ 無 ” に帰する世界 」 でない
   ところの世界に於いてでなければならない。

   即ち 「 わが国はこの世の国に非ず 」 でなければならないのである。

・・・

(6)《人間は植物以上、動物以上に超出しなければ意義はない》

   百合にも桜にも、潜在的な意識があるので春が来ればそれを知り
   新緑の新しき若葉を出し、それぞれの季節を知って、
   その季節に応じて花を開く。(拙著『生命の謎』参照)

   しかしこれら凡ての植物には”意識的な心“又は”自覚的な意識”
   心理学用語で言えば、“現在意識”と称するような心はないのである。

   ここに吾々は人間が地上に誕生した意義又は目的を見出すことが出来るのである。

   人間は百合でも、桜でも、豚でも鶏でもないのである。

   人間は植物以上のものであるのは勿論のこと、動物以上のものである。
   人体の一部の構成要素の中には植物的働きをする神経繊維もあれば、
   植物性酵素のような成分もある。

   更に脊椎動物と殆ど異ならない生理的構造と性欲及び食欲の如き
   動物と全く異なることなき本能的欲望を備えている。

   この限りに於いて、そしてその本能的欲望を満足させることだけしか
   人間がしないならば、彼は、動物の高さ以上に一歩も出ないのであって、
   特に人間として地上に吾らが生を享けて誕生した意義も目的も理想もない
   と言わなければならないのである。

            <感謝合掌 平成30年3月3日 頓首再拝>
4:伝統 :

2018/03/04 (Sun) 04:36:37


(1)《花を求めて果実を与えらる》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13105196.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   併し神は花以上に、
   更に吾らに大いなる美味なる果実を与えるべく
   嫩葉を先ず用意せられたのである。

   祈りが成就しないのではなく、
   祈りは成就しつつあるのである。

   それなのに ただ自分が性急な為に
   成就しないと見誤るのである。

・・・

(2)《健康とは調和である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6f45f7a9ae28413739cf381ebfe69b51


   (抜粋として)

   健康とは 肉体が完全に調和して活力が旺盛であり、
   心の命ずる所に従って自由に肉体が動作し、
   脳髄がその機能を営み、

   しかも長く疲れないで
   その働きが 常に活発であるという事である。

・・・

(3)《物質は法則の現われ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   法則は材料であり、人間が創造者である。

   だからどんな物質でも、それ自身は法則の現われであって、
   毒になるとか薬になるとかというような
   自性(じしょう)はないのである。

   だから物質には自性はなく、人間が主動者であるのである。

・・・

(4)《戦争は 「 心の状態 」 の投影である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   一所懸命 祈ったら、神はその祈りに答えて下さりそうなものであるのに、
   何故 その祈りがきかれないで、戦争は止(や)まなかったのであろうか。

   それは人間自身が変らないからである。人間自身を変えないでいて、
   戦争と称する 「 物質的状態 」 だけを変えようと試みたからである。

   「 物質的状態 」 は 「 心の状態 」 の投影(かげ)であるから、
   「 心の状態 」 を変える祈りこそ 先ず為すべきであったのに、
   それが為されていなかったのである。

・・・

(5)《“ 肉体 ” は本当の自分ではない》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12630675.html

   (抜粋として)

   肉体という “ 波動の体(たい) ” は、
   地上で、その人の生命が使命を果すための一種の宇宙服であって、
   地上の使命が終ると結局消えてしまう運命にあるのであって、

   それは、 “ 本当の自分 ” ではないのである。

   “ 本当の自分 ” というものは、永遠の価値あるところの
   永遠に存在するものでなければならないのである。

・・・

(6)《動物性の土台に神聖性を接木した人間》

   僕が不思議に思うことは、現行の日本国憲法はが、食欲や性欲の如き
   動物的欲望の満足を願うことを基本的人権として大いにそれを尊重し、
   その追求満足を擁護し、推奨しているという事である。

   つまり、人間存在の意義を動物性の欲望の水平面まで押し下げていることである。
   そしてそれを「人間性の復活」の如く世界人権宣言の実行の如く
   誤解させていることである。

   岡潔先生もいわれるごとく、「人は動物だが、単なる動物ではなく、
   渋柿の台木に甘柿の芽を接いだようなもの、つまり動物性の台木に
   人間性の芽を接木したものと言える」のである。

   動物性の本能を持った脊椎動物と異ならない台木の上に、
   人間性(もっとと精確に言うならば神性)の芽を接木したようなもの
   が人間である。

   これは渋柿の台木の生命力が強いので、甘柿の美味しさを具体的に
   果実として押し出すために渋柿の生命力を利用したのであって、
   渋柿そのものの“渋い味”を発揮させるためや渋柿の果実を得るため
   ではなかった筈である。

   それなのに現行の日本国憲法が動物的な食欲と性欲とを基本的人権として
   奨励鼓舞していることは、接ぎ木の台木それ自身から芽を出して
   “渋柿”の果実を得るように奨励しているようなものである。

   これでは神様(又は“大自然”)が、動物性の上に更に人間性(又は神性)を
   接ぎ木せられた意義が失われてしまっているのである。

              ・・・

   (*岡潔先生 参考Web:山ちゃん1952(2018年02月22日)天才―岡潔
          → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/74564237.html )

            <感謝合掌 平成30年3月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2018/03/05 (Mon) 04:41:14


(1)《謙遜にそして勇敢に》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13107742.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   自分を高慢(たかぶ)っても可けないが、
   自分を卑(いや)しめてもならない。

   「 謙遜にそして勇敢に 」 と云うことが
   神の子の標語でなければならない。

・・・

(2)《人生の目的達成には健康が必要である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/9bba2a69c7a35da352ed611c201ffad0


   (抜粋として)

   もし肉体の健康が低下するならば
   心の能率も低下するのである。

   そこで肉体の完全なる健康は
   如何にして得ることができるかが問題となるのである。

・・・

(3)《法則も智慧も神から来る》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   法則を駆使する所の力は 吾々の智慧から出て来るのである。
   その智慧は 神から出て来るのである。

・・・

(4)《世界平和のための祈り》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   戦争は結果であり、争闘精神が原因でありますから、
   戦争の根源となるべき
   争闘精神が無くなることが先ず必要なのである。

   私たち生長の家の信徒は、
   唯(ただ)

   「 神の無限の愛 われに流れ入り給いてわれに於いて光明燦然と
   輝き給い、その光 愈々輝きを増して全地上を覆い すべての人類の心に
   愛と平和の思いを以って満たし給う 」

   と祈ることにしたのである。

   愛と平和の思いに満たされたら争闘精神はなくなり自然に戦争はやみ、
   平和が招来されるからである。

・・・

(5)《人間の実相は “ 無限に生きるもの ”》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12633110.html


   (抜粋として)

   “ 無限に生きたい ”という願いが
   人間の心の奥底から生まれて来るのは、

   “ 無限に生きること ”が人間そのものの本性(ほんしょう)で
   あるからでなければならないのである。

   それ故に 人間の実相は
   “ 無限に生きるもの ”であるといわねばならない。

・・・

(6)《動物以上の人間の特長とは何であるか》

   人間が単に、動物と異ならない食欲、性欲の満足以上に
   高邁神聖なる本性を発揮し得ないならば、
   それは「人体の形を備えた動物」であって、
   神が特に人間を地上に生み給うた目的又は意義を完うするとは言えないのである。

   人間が人間たるためには、食欲、性欲の如き、動物との共通性以上に、
   特に「人間」なるものの特長を発揮しなければならないのである。

   人間が人間たる特徴とは何であろうか。

   食欲性欲を単に本能の跳梁に任せず、それを道徳的目的――愛他的目的――
   のために制御統制して秩序あらしめることである。

   乱倫乱婚の如き状態は、人体を備え乍ら、
   なお動物的境涯をその人は脱していないことをあらわしている。

   或る○○をしている少女を捕えて、警官が補導したら、その少女は
   「どうして○○が悪いのか私にはわからないわ。自分も楽しくて
   相手の人も楽しんで、そしてお金が儲かるんだもの。どこが一体悪いの?」
   と酒蛙々々(しゃあしゃあ)と言ったのには、補導の警官も
   説明の仕様がなくて困ったという事がある週刊詩に書いてあった。


     〇〇=春を売る事。

            <感謝合掌 平成30年3月5日 頓首再拝>
6:伝統 :

2018/03/06 (Tue) 04:19:54


(1)《争い勝つ祈りはきかれない》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13111474.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   実相世界には争いもなく、
   争いに勝つと云う事もないから
   争い勝つ祈りはきかれない。

・・・

(2)《心を楽観的に有(も)て》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/786363eb0e47603eeb0fa3f979b655ab


   (抜粋として)

   すべて楽観的な人生観をもたない時には
   人間は決して健康を長く持続することはできないのである。

・・・

(3)《神を内に自覚する時、力が湧き出(い)でる》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神は 常に吾と ‘ とも ’ にあるのである。
   
   いつでも吾々がそれを自覚する時、
   神の力が湧き出て来るのである。

・・・

(4)《“儲け”ないで“儲かる”方がよい》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   「 儲けよう 」 と思ってする仕事は儲からず、
   本当に、最大多数の人のためになる仕事をしようと、
   「 儲け 」( 物質的欲望 ) を度外にして、

   人類の為になる新しきアイディアに燃える人が却って儲かるのである。


   リコーの市村社長も“ 儲‘け’る事業と儲‘か’る事業 ”と
   ‘け’ と ‘か’のたった一字違いだが其処に非常な相違があることを
   指摘しているのである。

・・・

(5)《肉体としての自覚から脱却して》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12637259.html


   (抜粋として)

   新陳代謝する肉体は、人間のほんとうの「 我 」ではない
    ー 「本当の自分」ではないのである。

   私たちが“ 永遠の生命 ” を得るためには、
   私たちは人間を「 塵 」(物質的元素)の集合体ではなく、
   「 霊的実在 」 であるという自覚にまで復活しなければならないのである。 

・・・

(6)《台木ばかり発達して精神の枯れた人間》

   岡潔先生は「戦後、義務教育は延長されたのに
   女性の初潮は平均して戦前より三年も早くなっている。

   ・・・・・人間性を抑えて動物性を伸ばした結果に他ならないという気がする。

   たとえば、牛や馬なら生れ落ちてすぐ歩けるが、
   人の子は生まれて、一年間ぐらいは歩けない。

   そしてその一年の間にこそ大切なことを準備している。

   とすれば、成熟が三年も早くなったのは、人の人たる所以の
   ところを育てるのをおろそかにしたからではあるまいか」
   と言っていられる。

   私は人間の肉体面の成熟が三年も早くなったのは、肉体的欲望を基本的人権として
   大いに鼓舞奨励し、各県や各学校に体育館の設立を促進して肉体ばかりの発達を促す
   国家の政策(その奥には現行日本国憲法がある)が大いに影響している
   と私は思うのである。

   体育館はあるけれども心育館も養心会館もなく、
   その方面には政府はタッチしてはならない。

   宗教に政府が援助してはならないのは勿論、教育は中立性を持たねば
   ならぬから文部省が教科課目などに干渉してはならぬことになっているので、
   政府は肉体の方の発達ばかりに、吾々の税金を使うばかりである。

   だから、渋柿の台木に接いだ甘柿に「人間」というものを喩えるならば、
   渋柿の台木の方から出る芽ばかりを尊重して、その方ばかりを伸ばす
   肥料をやっているから、渋柿の台木から旺んに渋柿の新芽を吹いて
   元気旺盛で、それに折角接ぎ木をした甘柿の芽の方は伸びるに伸びられず
   枯れそうになっているという訳だ。

   体育旺んにして心育を忘れたのは、“肉体”という台木に“神性”の
   新芽を接ぎ木した人間という存在が神性の新芽は枯れて肉体の台木のみ
   旺んに性欲、食欲、所有欲の芽を吹いている恰好である。

   この状態がいつまでも続くならば、地球上には人間は一人もなくなって、
   ”人間”の形をした動物ばかりになってしまうのである。

   これで、いくら”平和”を叫んでみても、動物性と言うものは結局、
   性欲、食欲、所有欲のために争闘する程度の発達しか遂げていないので
   あるから、地上に平和が持ち来たされることは到底不可能のことと
   いうほかはないのである。

            <感謝合掌 平成29年3月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2018/03/07 (Wed) 03:55:57


(1)《人類の進歩に逆行する祈りはきかれぬ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13115133.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   凡そ人類の進歩に逆行する祈りはきかれない。

   神は地上に自己の無限内容を
   無限生長 又は 無限進歩の形で表現したまうのが
   現象世界の使命であるからである。

・・・

(2)《「 人生 」 を彫刻する道具を大切にせよ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/83cdf00cc2b4683e48b89e6342f96730


   (抜粋として)

   肉体は吾々が目的を達成する為に使う
   一種の道具の様なものである。

   芸術家は制作に要する道具を大切にするのであって、
   制作に要する道具を大切にしないような者は
   良い作品を得られぬのである。

・・・

(3)《失業は他(ほか)の地盤に魂の栄養を見出(みいだ)さんがため》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   失業を恐れてはならない。

   神が今までの仕事を停止せしめ給うたのは
   他にもっと重要な仕事があるからである。

   失業の中に 神の導き と 祝福 とを感じて
   感謝することができるならば、
   あなたは間もなく新しき職業を発見する。

・・・

(4)《「祈る心」と「念仏申す心」》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は霊であるから、神は無限の救いの霊波を放送していられるけれども、
   人間の霊的部分の、而(しか)も波長の合う部分にだけ感応するのであるから、
   特に霊的に波長を合わした人だけが、神の霊波に感応して救いを受けることに
   なるのである。

   祈りや念仏は、それによって神仏が動かされて、特別 「 祈る人 」 や
   「 念仏する人 」 だけに恩恵を与え給うというのではないのである。

・・・

(5)《みずからを「土の塵」として神から絶縁したる人間》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12641456.html


   (抜粋として)

   アダムとイヴとは、エデンの楽園 ( 神の祝福の満ちみちた世界 )
   から追放されることになったのである。

   「 追放される 」 とは、神の “ 祝福 ” 又は “ 神の護り ” から
   断絶状態に置かれたという意味であって、
   ある地域から地域に移送せられたという意味ではないのである。

・・・

(6)《道徳生活の黄金律》

   動物性の台木の上に接ぎ木された“人間性”は如何なる特長を持つのであろうか。
   単なる動物の本能以上のものを持っているに違いないのである。

   私はそれを「五日のことば」の中で、
   ”道徳的目的”とまたは”愛他的目的”という名称で呼んだ。

   此の事を岡潔先生は次のように言って居られる・・・・・。

   「人の人たる所以んはどこにあるのか。
   私は一にこれは人間の思いやりの感情にあると思う。

   人がけものから人間になったというのは、
   とりも直さず人の感情が判るようになったという事だが、
   この、人の感情が判るというのがじつにむつかしい・・・・・」

   この、人の感情が判って人の悦ぶことをしてあげたい、
   自分の肉体的欲望を抑えてでも人を悦ばしてあげたい、
   人を悲しませることや、人に不快な感じを与えることはしたくない
   というのが道徳的感情であり愛他的感情である。

   即ち、「自己が為られんと欲する如く他に施せ」
   これが道徳生活の黄金律であるが、
   それには”人の感情が判る”ようにならなければならないのである。

            <感謝合掌 平成30年3月7日 頓首再拝>
8:伝統 :

2018/03/08 (Thu) 04:32:57


(1)《人間の職業は無限》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13118214.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   人間の進歩は無限であり、
   従って人間の職業の範囲も無限である。

   今までの職業がふさがれて来る事は、
   神が既に新たなる職域を準備していられる証拠である。

・・・

(2)《仕事の質と量とは 肉体の健康に左右せられる》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ef6eae2970b16d98b4b74b3632f26661


   (抜粋として)

   世の中には吾々の道具である所の肉体が
   錆びた大工道具のように、
   いつも不健康で鈍(なまく)らであるがために、

   善き仕事をしようと思いながらも
   できないで斃れてしまう人が
   随分沢山あるのである。

・・・

(3)《職業を得るには心を明るくせよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   職業を得(え)んとする者は
   まず明るい雰囲気をもたなければならない。

   その人が ただいるだけでも、
   周囲の人の能率をあげ得るような明るい雰囲気をもつ人は、
   誰(たれ)でも その人を雇いたくなるのである。

・・・

(4)《人間は肉体の自力によって救われるのではない》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   人間が救われるのは肉体の意識的努力によってではなく、
   その人間に宿っていて、まだ眠っている
   “神の子”なる“実相”に神が触れたまい、
   その眠りを醒まさせ給うた時に始まるのである。

・・・

(5)《神との断絶関係にある人々》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12656059.html


   (抜粋として)

   楽園に復帰するためには「 生命の樹の果 」即ち
   “ 生命の実(じつ)の相(すがた)”を食して、
   「 生命は神より来る 」という霊的自覚を
   蘇生(よみがえ)らすほかはないのである。

・・・

(6)《人間の感情がわかるのでなければ》

   「人類が人の感情がわかるようになるまでには、何千年どころでなく、
   無限に近い年月を要したに違いないと思われるくらいにわかりにくい。

   数え年で三つの終わりごろから感情という事がややわかるが、
   それはもっぱら自分の感情で、他人の感情がかすかにわかりかけるのは
   数え年で五つぐらいのことからのようだ。

   ・・・・・そのデリケートな感情がわからないうちは道義の根本は
   教えられない」と岡潔先生は言われるのである。

   近頃のテレビやラジオの座談会やドラマの主人公などに出て来る
   若い人を見ていると、非常に個人主義で、親が子供を思う感情など
   全くわからない子供が多いのである。

   「自分で考える」「何ものにも影響されないで自分の信ずる通りにやるのが
   民主主義の生活で、正しいのだ。親の考えなどに影響されるのは封建的だ」
   というような学校教育を受けている子供が多いからだと思う。

   つまり人の感情など思いやる必要はない、
   大いに自己中心的にやれという教育が行なわれている結果である。

   岡潔先生も、

   「どうも今の教育は思いやりの心を育てるのを抜いているのではあるまいか。
   そう思ってみると、最近の青少年の犯罪の特徴が如何にも
   無慈悲なことにあると気付く。これはやはり動物性の芽を早く伸ばしたせいだ
   と思う」といっておられる。

            <感謝合掌 平成30年3月8日 頓首再拝>
9:伝統 :

2018/03/09 (Fri) 04:05:29


(1)《神は新陳代謝の神である》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13121590.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   今までのものを掴むこと勿れ。

   過去のものは
   過去に意義があったのである。

   神は停滞の神ではなく、
   「 新陳代謝 」 の神である。

・・・

(2)《常に鋭く希望に燃えるには》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/e5cea46adbcbc6da4fb29709d36e342c


   (抜粋として)

   人間は 常に健康でなければならない。
   希望は 常に鋭く燃えなければならない。

   エネルギッシュでその希望実現のためには
   どこどこまでも勇往邁進し得る意志力をもつものは
   遂に 「 人生 」 を傑作たらしめるのである。

・・・

(3)《明るさは最大の美徳である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   明るさは何よりも最大の美徳である。

・・・

(4)《神、汝の実相に触れ給う》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   諸君が 「 生長の家 」 を知ったのは、実は、諸君自身が知ったのではなく、
   神が諸君の実相たる“神の子”に触れ、その眠りを醒まさせられたのである。

   換言すれば 「 汝われを選びしにあらず、われ汝を選びしなり 」 と
   神は 諸君に対して呼びかけていられるのである。

   諸君はこの光栄に感激感謝しなければならないのである。

・・・

(5)《神の祝福を受ける唯一の道》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12660019.html


   (抜粋として)

   何よりも大切なのは、神の“ 祝福 ”の放送や、
   神の恩寵の放送を受像し得るように、
   “ 自分の心 ”という受信機を調整するよりほかに、
   神の国の至福無限の状態を地上に実現することはできないのである。

・・・

(6)《人間の資格喪失》

   ここで渋柿の台木に、甘柿の新芽を接ぎ木したという喩えに還ると、
   “渋柿の心”にあたるのが、無慈悲で利己主義で、
   自分に都合さえよければよいのであって、
   人の感情のわからない、思いやりのない心に当る。

   民主主義だとはき違えて主張している生き方は、この“渋柿の心”なのである。

   だいたい唯物論的人間観を学校で教えられていると、
   物質的存在としての面の人間、肉体存在としての人間、
   そして肉体的欲望の遂行の合理化のみを教えられるから、

   肉体の物質面は、他人が酒を飲んでも、自分が酔う訳ではなし、
   人が快楽を遂行しても、自分が快楽を味わうことが出来る訳ではない、

   つまり彼我断絶で、共同的な同悲同喜の面が無いから、
   自然に利己的になり、個人的になる。

   そして愈々個人的になることを“個人の目醒め”などと言って
   尊敬すべき事の如く教育されるのだから、益々冷酷で残酷で愛のない
   「思いやりのない」人間が養成される事になるのである。

   これでは人間が人間である資格は「思いやりの感情」があることだと
   岡潔先生のいわれる其の”人間の資格”の喪失した人間ばかりが
   造られることになる。

   諸君はそのような資格喪失の人間になってはならないのである。

            <感謝合掌 平成30年3月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2018/03/10 (Sat) 04:10:30


(1)《自分を与えて、他から与えられる》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13124555.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   よき生活とか、豊かなる生活とか、美しき生活とか、愛深き生活とか、
   そう云うものは 実相の世界にもあるものだから祈れば与えられる。

   しかし先ず 「 自分の全力 」 を
   自分から与えねばならぬ。

・・・

(2)《肉体は生命力の貯水池》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ebd6d39a4ba597c90a3de1f23b6b5a38


   (抜粋として)

   吾々の肉体は
   吾々の生命力の貯水池のようなものである。

   吾々の生命力は
   肉体の中に仮りに体力として貯えられて
   各方面の用に使われるのである。

・・・

(3)《明るい心が幸福の根元である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   明るき心には 波長の共鳴の原理によって、
   明るきもの、楽しきもの、愉快なるもの、
   凡(およ)そ 見て楽しく喜ばしきもののみが集って来る。

   神は 「 喜び 」 であり、
   神の喜びが自分を通して表現されつつあるのである。

   喜びを表現しないものは 自己に宿る神を窒息せしめつつあるものである。

・・・

(4)《肉体的自覚の外皮を脱ぎ棄てること》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   この「 肉体としての自分の自覚 」 を脱ぎ棄てる程度にしたがって、
   内部にある「 神なる生命 」 が愈々(いよいよ)はっきりと展開して
   益々 その実相の完全さを発揮するのである。

・・・

(5)《何故、この世界に不幸が存在するのだろう》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12662814.html


   (抜粋として)

   神は霊であり、人間も“神の子”であるから、

   どちらも霊であるから、神と人間とは互いに霊交できるという
   自覚に立ち帰ってこそはじめて、人間は神の祝福の霊波に波長が合い、
   色々の楽しい恩寵をゆたかに受け得るようになれるのである。

・・・

(6)《人類が肉食を止めなければ世界に平和は来らない》


   ちかごろの人間が“思いやりのない”冷酷、残酷な個人主義的感情を持っていて
   人間資格喪失の状態になっている原因の一つには、戦後の食物の変化が
   重要な役割を演じてると思われるのである。

   近頃の栄養学は、動物的蛋白質を良質の栄養素として宣伝し、料理法でも
   テレビの宣伝で、動物蛋白、幾グラムという風に教えるのである。

   動物の肉を摂取することは、
   動物の精神を自分の内部に吸収することなのである。

   肉というものはただの物質ではないのである。

   それは『甘露の法雨』に”心の絲を組み合わせて肉体の繭をつくり”とあるように、
   動物の肉は「動物の心の糸を組み合わせて」動物肉が出来ているのであるから、
   動物の肉を食うという事は、”動物の心”を自己の肉に摂取吸収することである。

   それだけ人間感情が動物感情に似て来るのである。

   動物を殺して食しながら平和論を唱えて見ても、
   それはただ偽善であり、滑稽なだけである。

            <感謝合掌 平成30年3月10日 頓首再拝>
11:伝統 :

2018/03/11 (Sun) 04:16:12


(1)《より高き仕事に対する立場》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13127396.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   高い仕事に対しては時としては
   見窄(みすぼ)らしい足場が与えられる。

   それに全力を尽すとき次なる足場が与えられる。

   現在の仕事に全力を尽し乍(なが)ら、
   その余裕で新しい仕事をやるのは好(よ)い。

・・・

(2)《一度失われた其の日の生命力は取り返されぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/43c6ce7d70d244e87e64f86abf60df4c


   (抜粋として)

   失われたその日の時間のエネルギーは
   再び取り返す事は出来ないのである。

・・・

(3)《彼を神の御手に預けるよう祈れ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神は決して誰一人をも見逃し給うことはないのである。
   彼も亦神の救いの御手の中にあるのである。

・・・

(4)《神想観を繰り返して 「 自覚 」》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神想観を実修する度毎に、
   自己の生命は暦(こよみ)の年齢によって老衰せず、
   如何なる外部的状態によっても破壊されざる金剛不壊の存在であることを
   知るのである。

・・・

(5)《あなたの祈りがきかれない場合》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12666350.html


   (抜粋として)

   何故であるかというと、彼は物質の法則の支配する物質の世界にいて、
   神の霊波には波長の合わない、次元の異る世界に住んでいるからである。

・・・

(6)《松下幸之助氏の羽田騒動観》

   誰からか「経済雑感」と題した松下幸之助氏講演会の速記録が送られて来た。
   パラパラと頁をめくっていると“治安と物価”という小見出しのところに
   次のような文句が目についた。

   「・・・・・この前の羽田事件の問題でも、われわれの税金によって
   作られた立派な自動車が八台も焼かれました。
   これは皆さん、新聞でご存知だと思います。

   誰もおらんところで焼かれるのであるならば、これは焼き得るのであります。
   しかしあの前には千人の警官が警戒して焼けていく姿を
   じっと見ていたわけですね。そういう状態において八台の国家財産が
   消失してしまうという姿ですね・・・・・」

   私はこれを読んで今迄尊敬していた松下幸之助氏に対する尊敬が
   スーッと消えて行く感じがしたのである。

   長者番付のトップにのし上がり、その会社はついに半期に百億円を
   超える事業収益によって日本の実業家のトップに立った。

   すると人からやんやとはやし立てられて、
   日本で自分が一番偉い気になり、好い気になって説教をはじめる。

   そしてあの羽田事件で警官が五百名以上も重軽傷を負いながら、中には
   永久に不具廃疾になるような、脊髄骨を角材で殴られて重傷を負ってまでも、
   全学連を制するために戦っているのである。

   それなのに松下幸之助氏は、「あの前には千人の警官が警戒して
   焼けていく姿をじっと見ていたわけですね」と、

   警官は何もしないでじっと拱手傍観していたかの如き口調で、
   警官の在り方が治安の維持に責任がある、その責任を果さないで、
   ジッと見ていて国家の財産である自動車を八台も焼いたというような
   攻撃口調の講演となっているのである。

   これが今「日本の良識」の代表のように言われている松下さんの
   発言なのであるから私は茫然としてしまうのである。

            <感謝合掌 平成29年3月11日 頓首再拝>
12:伝統 :

2018/03/12 (Mon) 04:43:24


(1)《祈りは不断の生活にある》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13140836.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   祈りというものは、必ずしも或る一定時間
   大声又は黙念で神に懇請する事ではない。

   病気や不幸や悩みは 常時、出来るだけ言葉に出さず、
   心に認めず、思わず、光明のみを念ぜよ。

・・・

(2)《金儲けに狂奔(きょうほん)して生命を縮めるな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a57e6da6e05bc0cc5356a5baad19975c


   (抜粋として)

   吾々の生命力の尊さは、
   到底(とうてい)金銭を以て償うことはできないのである。

   金もうけに狂奔して健康を犠牲にし、
   肉体を完全に健康に守る所の法則を破って省みないという人が多いのは
   まことに残念なことである。

・・・

(3)《神は一羽の雀(すずめ)も見戍(まも)りたまう》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)
 
   愛する者が失敗しようとしているのを嘆くことは いらぬのである。
   その人は失敗するようにみえていても 神が導いて訓練していられるのである。

   神は決して その人から目を放ち給うことはないのである。
   あなたの智慧の導きよりも 神の導きは もっと正しく彼を導くのである。

   神に祈れ。 「 彼をあなたの完全なる智慧によって導き給え 」 と。

・・・

(4)《覆土(ふくど)を排除することによって新芽は伸びる》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   実相を観じていさえすれば、安保条約や軍備がなくてもよいではないか、
   憲法改正などしないでもよいではないか。ソ連からでも中共からでも、
   日本へ来たい者は自由に入国させてやればよいではないか ー などという議論は、

   「 実相の芽 」が顕われるために「覆土(ふくど)」を排除しないでもよい
   ではないかという議論に似ていて、実相の完全さと現象処理の問題とを
   混同した議論である。

・・・

(5)《祈っても通じない場合と、祈らなくても既に備わる場合》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12669621.html


   (抜粋として)

   自分は“神の子“であり、
   神の有(も)ち給える一切の御徳を継承する権利を
   そのまま既にもっているのであるという自覚を得たとき、

   もう神に向って叫ばなくても、要求しなくても、
   そのまま彼は“神の子”であり、
   既にあらゆる善(よ)きものが“自分のもの”となるのである。

・・・

(6)《全学連騒動の原因について》

   羽田騒動によって代表せられる如き全学連の騒擾事件が
   どのような原因によって起こっているかというようなことを考えたならば、

   松下幸之助氏の率いる松下財閥のような巨大な資本主義の団体及び個人が
   巨額の富をつくっている半面、住宅もなく、その日その日の衣食にも
   充分ありつけない国民が多数できている社会機構や経済組織に対する憤懣が、

   全学連をしてついにあのような過激な行動にまで駆り立てた一つの
   大きな原因になっていることを一寸でも反省してみるならば、

   全学連が警備用の自動車を焼くのを見ながら
   それを消し止められなかった警官を責めたり、

   「たいへん国民に対して申し訳なく思うというような声明を総理が出しておらない」

   と言って今度は政府攻撃や総理攻撃の演説をヌケヌケとやれるものだろうか。

   無論、政府にも総理にも責任があるが、
   資本主義の財閥の巨頭には一層多くの責任があるのである。

   きくところによると松下幸之助氏の富の如きは大変なものであって、
   毎日利子又は配当収入が幾百万円滔々として流れ入るほどだということである。
   それを一体何に使っていられるのだろうか。

   物価騰貴の原因を政治の貧困から来る治安の不安定だと松下氏は
   指摘されているが半期に百億円以上も儲ける会社の経営の在り方が、
   物価昂騰の原因の一つでないはずはないのである。

   百億円を儲けにせず、1億個の商品1個につき百円づつ売価を下げて
   販売することにするならば、それは直ちに明らかに物価が百円づつ
   下がるではないか。

   その販売価格を下げないで、百億円以上も儲けていて、
   物価騰貴の原因を政府や警官に押付けるのはどういうものか。

   公正取引委員会では、松下電器の製品の小売販売価格を下げないように
   会社が小売店に指示したとか指示しないとかいうので、
   勧告を発したと新聞は報じているのである。

   そんなことを一寸でも反省してみたら、
   あんな警官誹謗の松下演説などできる筈はないのである。

            <感謝合掌 平成30年3月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2018/03/13 (Tue) 04:14:28


(1)《朝の祈りは斯くせよ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13143699.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 神よ、わが眠りのうちにも呼吸せしめ給い、
   血液を循環せしめ給い、消化と栄養と休養とを与え給いて、
   新しき今日の生活に準備せしめ給いし事を感謝します。

   是は皆神の創り給いし霊的法則によって行われたのでございます。

   夜中 安全に守られ 祝福せられました如く、
   今日も亦 安全に吾等を祝福し給いて
   家業(又は営業)にいそしましめ給え。
 
   神様 あなたの守りに感謝致します。」 と 祈れ。

・・・

(2)《始めから疲れているような人間になるな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/336669be970d5b34e8d0e58cf8adf110


   (抜粋として)

   吾々の健康力は
   非科学的な出鱈目(でたらめ)な生活や、
   悪習慣や、放蕩三昧の行いや、
   その他 面白からぬ精神感動等によって
   低下せしめられるのである。

   会社員は、出勤して事務所に到達した時に、
   すでに疲労したような顔をしているのである。

   そんなことで良い仕事の出来ようがないのである。

・・・

(3)《目が覚めると先(ま)ず神を思い起せ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   毎朝 目が覚めたら まず神を思いおこすべきである。
   然(しか)らば 神も亦 あなたを思い起し給(たま)うであろう。

・・・

(4)《何故、現象界の処置が必要であるか》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は無敵であるということは、
   何もしないで外敵に身をさらすということではない。

   時と処と相手に応じて、神が適当な処置をとらせ給うて、
   自然的過程を通じて敵と見えたものが害をしなくなるということである。

・・・

(5)《神は頼まなくとも常に恵みを与え給う》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12669692.html


   (抜粋として)

   神は私たちに向って「神は、お前たちが頼まなくても、お陰は既にやってある。
   わが恵み汝に足れりなのだ」と仰せられているのである。

   しかもその恵みが完全に自分の身辺や境遇や健康にあらわれないのは、
   自分の心を波長のちがう処に向けているからなのである。

・・・

(6)《何が青年を左翼運動に駆り立てるか》

   大分以前のことであるが、当時全学連の執行委員長をしていた一人の東大生の青年に、
   どうしてそのような全学連運動に挺身するようになったか尋ねて見たら
   次のような回答を得たと

   国民文化研究会(編集委員代表・小田村寅次郎氏)編集の
   『国民同胞感の探求』なる本の13頁に記載されているのである。

   「高校生(新制)のころから私には
   今の日本がずいぶん矛盾だらけに見えて来た。

   政治家や実業家たちの腐れ縁も新聞をにぎわしていた。
   上層部の人達の邪悪が、自分の心を捉えて離さなかった。

   やがて私はなんとかして世の中を改善する方法はないかと考えるようになった。
   書物を読みたくなったし、正義感から来る世の中を改善する方法はないものか
   と考えるようになった。

   その時たまたま、ほんとうに偶然であるが、
   手にするようになったのがマルキシズムの本であった。
   そしてそれを教え導いてくれる年長者と接する機会が与えられた。

   それからといいうものは、ただひたむきに心を弾ませながらそれを学んで来た。

   しかし、もしも私が高校生の時に、マルキシズムでない別のものに触れ、
   それを教え導いてくれる人たちに接していたとしたならは、
   その方向にまっすぐに進んでいたかも知れない。

   今から考えて見ても、その時はそれほど社会悪に憎悪と憤りを感じ、
   世の中をよくする方法を求める気持ちで一杯であった。」


   この言葉の中には社会正義を求める純情な青年の精神が満ち漲っているのであって、
   一方に於いて毎月幾百万円ところがり込む松下幸之助氏のような大富豪と、
   その日の衣食住にも事足りない貧民階級の人々とが、非常な懸隔をもって
   青年の目の前に立ちふさがっている事も、青年が赤化したり、
   全学連の人たちが社会革命運動を起こす根因があることを知らねばならない。

   松下氏はこのようなことを反省してみた上で、治安の問題など、単に
   政治家や警察官の不手際だと第三者の出来事の如く批評が出来るであろうか。

   全学連下運動のような危険な運動を阻止するには、もっと視野を広くして
   多くの階層の人達が真剣に協力する必要があるのである。

            <感謝合掌 平成30年3月13日 頓首再拝>
14:伝統 :

2018/03/14 (Wed) 04:19:14


(1)《顔を洗う時の祈り》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13146472.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   顔を洗う時にも、神に感謝せよ。

   「 神よ、あなたの創造(つく)り給いし水に感謝致します。
   わが顔を洗う事は

   新しく悦びに満ちた生活を始める象徴として感謝します。

   この水によって わが皮膚が美しく清らかに保たれます事を感謝致します。」

・・・

(2)《奉仕する心で働かない者は多くの報いは期待できぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/17cc10be369b926cf12f5351b88e4602


   (抜粋として)

   「 与えれば与えられる 」 が心の法則であるから、
   人に奉仕する心なくして出し惜しんだ働きで、
   多くを与えられることはあり得ないのである。

・・・

(3)《他(ほか)から妨げられるのも神の導きである》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神の智慧に頼るものは、
   自分の動きが たとい他から妨げられることがあっても、
   それに対して不平をおこす事はないのである。

   自分にとって適当でないものが自(おのず)から妨げられて行く所に
   本当の神の導きがあるのである。

・・・

(4)《実相の顕現としての幸福生活》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   本当に永遠にくだけない不滅の幸福生活というものは、

   それは自己の生命の深層に横たわる普遍なる神(実相)から
   汲みだされて来てあらわれて来るものなのである。

・・・

(5)《祈りがきかれる場合の機構について》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12673972.html


   (抜粋として)

   本当は、祈らなくとも与えられていたものが、
   祈りによって人間自身の心の波長が、
   既に与えられていた恵みを受像し得るようになったのである。

・・・

(6)《資本主義社会の欠陥について》

   無論、どんな経済組織の中にあっても、微賤貧困より立ち上がって
   大富豪になる人も、位人臣をきわめる人達もある。

   現に松下幸之助氏の如きは、その最たるものであって、
   小学校教育さえ碌々受け得られない境遇の中に育ちながら
   今日の大を成し得た立志伝中の人である。

   私は資本主義経済組織の下積みとなって社会を詛い、国家を呪っている
   人たちを反省させたり激励するために、ヘンリー・フォードが一介の
   機械職工であったのが自動車王になり得たり、高橋是清(嘗ての大蔵大臣)氏
   がアメリカで皿洗いをしていた貧しい青年であったことや吉川英治氏が
   船の錆落としの製罐工であったり、山岡荘八氏が親の貧困を救けるために
   新聞配達の少年として苦労の末、今日の大を為した事等の実例を挙げて、

   資本主義社会は、共産主義や、社会主義社会よりも、立身出世の機会が
   多い事実を挙げて、呪詛することの代わりに、心を一転せよと、
   慰撫と激励の資料とすることはある。


   けれども資本主義社会には根本的欠陥があるのである。
   それは優勝劣敗の世界であるという事である。

   本当に愛深い人は「劣敗」のある世界を調和ある世界だと
   見ることは出来ないのである。

   爰(ここ)に、「資本主義世界に於いても立身出世の実例はある」と、
   いくら前記の如き人々の名を挙げて見ても、劣敗者なき調和ある世界を
   希望する青年には世界革命の希望を捨てることが出来ない理由があるのである。
 
            <感謝合掌 平成30年3月14日 頓首再拝>
15:伝統 :

2018/03/15 (Thu) 03:39:56


(1)《顔を剃(そ)るときにも》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817365.html


   (抜粋として)

   顔を剃る時もその剃刀(かみそり)に感謝せよ。

   「 この剃刀は 神の愛と智慧との表れでございます。
   之によってわが容貌が美しく保たれ
   清々(すがすが)しい気持を蘇生(よみがえ)らせて頂きます。

   この剃刀の切れ味は、神の智慧の現れでございます。
   顔に‘ふき’出物もなく美しく滑かなる皮膚は
   神の愛の現れでございます。」

・・・

(2)《休日の翌日の勤務状態は大抵悪い》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ac7ff90053dbf2987efeb6ee3a37674d


   (抜粋として)

   大抵の社員は休日の翌朝出勤すると、
   まだ出勤したばかりであるのに
   既に長期間の激務に従事した後であるかの如くすでに疲れており、
   できるだけ早く自宅へ帰って休みたいような様子に見えるのである。

   そして全く仕事が手につかない。

・・・

(3)《そのままの心が神に一致する》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   心が型に捉(とら)われず、偏らず、かたくなにならず、
   すなおに、そのままに、のんびりとなっている時に
   神の智慧と本当に一致するのである。

   そのままが最も善いのである。
   道元禅師の身心脱落、脱落身心の境涯である。

・・・

(4)《脚下にしっかりと実相を踏んまえて》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121

   (抜粋として)

   神想観中には、
   現象を観るな。
   実相ばかりを観よ。

   実相を観ずることに徹底せよ。

   そして内部から催して来る智慧によって外界に向って行動せよ。

・・・

(5)《肉体という“ 道具 ”の主人公となること》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12678404.html


   (抜粋として)

   新たに生まれるということは、
   肉体の習慣性や本能に左右せられることなくして、

   肉体の習慣性や本能を無視するのではなく、
   それに支配されることなく、それを道具として
   地上に天国を建設することなのである。

   煩悩をそのまま菩薩に転ずることなのである。
   煩悩は肉体に属する“ 機械の運転力 ”見たいなものである。

   その機械をどの方向に利用するかは、
   人間の魂の指揮権に属することである。

・・・

(6)《社会主義は果たして人間を幸福になし得たか》

   しかし資本主義社会をつぶして共産主義社会や社会主義国家を
   つくり出しても果たして人間は幸福になれるだろうか。

   ソ連の民族はアメリカの民衆よりも裕かで幸福であるだろうか。
   ソ連にも階級があり僻地の寒村の農民の生活とフルシチョフや
   コスイギンやブレジネフの経済生活は平等であるだろうか。

   革命後五十周年を経て、今日の安定を得るまでにソ連国民は
   千万人単位で数えるほどの粛清の犠牲者を出したといわれている。

   優勝劣敗の世界の劣敗者のなき世界をつくりたい真に愛深き青年は、
   そのような犠牲者を出す革命を「善し」と観ずることができるだろうか?

   私は目的のためには手段を選ばず、その過程に於いてそのような
   犠牲者を出す如き運動には反対せずに居られないのである。

   一人の人間と雖も、神から何らかの使命をもって
   地上に誕生せしめられたる者である。

   手段のためにそれらの人々を一人でも殺すことは
   神に於いて許さるべきことではない筈である。

   そして常に目的のために手段を選ばず、
   そしてその目的は何時になっても完全に達成することが出来ず、
   常に手段手段の生活のみを営んでいる如き運動に対しては尚更である。


   諸君はこのような運動に迷わされることがあってはならないのである。

   要するに資本主義も社会主義も結局”物質”の裕かなる配分方法によって
   人間に幸福が来るという幻覚の上に成立っている点に於いて、
   どちらも唯物論の落し児であって、どちらの制度も経済組織も
   真に人間を幸福にすることは出来ないのである。


   真に人類を幸福にする道は、
   人間そのものの自覚に革命が行なわれなければならないのである。

            <感謝合掌 平成30年3月15日 頓首再拝>
16:伝統 :

2018/03/16 (Fri) 03:13:31


(1)《食事の時の祈り》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13158902.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 宇宙の大気と光線と土壌とから、
   この美しく美味なる食物をつくり出し給いし
   神の不思議な力に感謝致します。

   種子、太陽、土壌、雨、農人、悉く神の愛の現れでございます。
   神とこの食事を造りたまいし人々に感謝致します。」

・・・

(2)《休日を生命力の浪費に使うな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/404686637c8d16490700313d1d84fffe


   (抜粋として)

   彼らはそれをレクレーションと思い違え、
   「 人生を享楽(きょうらく)した 」 と考えて、

   その享楽のために
   如何に尊い生命力を犠牲にした事に気がつかない。

・・・

(3)《神は 光である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神は光である。
   どこにも暗(やみ)はないのである。

   もしあなたが神の智慧の方へ振り向くならば 一瞬の中(うち)に、
   神から射(さ)してくる光は 事件の全体を照して、
   直ちに その事件を光明化してしまうことができる。

・・・

(4)《悪しき存在はすべて迷いの影である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   此の世界は、善なる神の創造せる世界であり、
   神のみが唯(ただ)一(ひと)つの存在の根源であり、
   人間は、善なる “ 神の子 ” であるから、
   悪なる存在もなければ、悪なる人間もないのである。

・・・

(5)《“ 肉体 ”という皮袋を装って》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12681508.html


   (抜粋として)

   肉体という“皮袋”を装って生まれ出たために、
   霊的感覚を謂わば“目隠し”されているようなのが人間である。

   そんな人間が“霊”そのものなる“神の国”への旅をつづけるには
   余程の勇気と忍耐と努力の継続とを必要とするのである。

   私たちは、時々、その目隠しを外して、霊的世界を直視する努力を
   続けなければならないのである。

・・・

(6)《吾らの人類光明化運動》

   人間の自覚の革命のみが、人間を真に幸福にすることが出来るのである。

   この自覚の革命運動が生長の家の人類光明化運動なのである。

   自覚革命が出来た時、その社会体制がどうあろうとも、
   その経済組織がどうあろうとも、その人の身辺には
   ”福の国”とも謂うべき至福調和の状態が顕現するのである。

   そして大多数の人々の自覚の革命が成就した時、自覚の革命の反映として
   社会体制と経済組織も自然に一変して来るのである。

   この自覚の革命を得ることをイエスは「新たに生まれる」といい、
   「人新たに生まれずば神の国を見ること能わず」と訓(おし)えたのであり、

   この自覚の革命を得ることを釈尊は「悟りを開く」といったのであり、
   維摩経には「菩薩、心浄(きよ)ければ浄土浄し」と訓えているのである。

   自覚の革命なしに、物質の配分方法さえよければ人類に幸福来るなどと考えるのは
   「いたずらに夢を追いて走る者にして、永遠に神の国を見ることを能わず」
   (『甘露の法雨』釈意)であるのである。

            <感謝合掌 平成30年3月16日 頓首再拝>
17:伝統 :

2018/03/17 (Sat) 03:27:33

(1)《凡ゆる機会に祈ること》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13161387.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   出勤の時、電車に乗っても 其の電車に感謝するのである。
   かくの如く凡ゆる機会を 神に対する感謝の機会とするのである。

・・・

(2)《憐(あわ)れなる人々を見よ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a3c4877a8482c4d01684e83a701730e9


   (抜粋として)

   大抵の人たちは 休日を
   直(ただ)ちに 「 心身を休める日 」 として用いないで、
   心身を一そう疲労さす日として用いるのである。

   次の日の能率が上がらないのは当然である。
   そしてそれらの人達は 自分の精神力の低下、能率の不足を、
   与える仕事量の少なさを省みないで他を呪う。

・・・

(3)《自己に光を点(とも)すには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神の光を受けるには、 「 与えるものは 与えらる 」 の法則に従って、
   自分自らが 他の人に光明を与えるものとならなければならないのである。

   まず 喜びの微笑(ほほえみ)を与えよ。人に慰めを与えよ。
   人々に希望を与えよ。深切を与えよ。

・・・

(4)《馬を“宝の車”の後ろにつなぐ勿(なか)れ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   「 先ず神の国と神の義を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし 」 が
   正しき順序であるのである。

   多くの人たちは 「 その余のもの 」 (現象存在)を先ず求めて、
   それが沢山整うたら「神の国」ができ上がるように思っている。

・・・

(5)《潜在意識に“ 神の国 ”が印象されているならば》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12687565.html


   (抜粋として)

   私たちの潜在意識に、“ 神の国 ”の完全世界の光景が、
   恰もテレビのビデオテープのように印象されているならば、

   常に吾々の住む世界に“神の国“の調和した光景があらわれて来るのである。

・・・

(6)《どうして大人と若い人との考え方に断層が穿たれたか》

   戦前、戦中、戦後の日本人はそれぞれものの考え方が違っていて
   其処に深い断層があるように言われている。

   戦前(概ね、明治時代)に生まれた人には、しっかり勉強して大いに
   立身出世をしよう――それを理想としてコツコツ勉強し仕事に精励する
   所謂る”立身出世型”の人が多かった。

   そして君に忠に、父母に孝に、兄妹夫婦仲よく相和し一旦緩急あらば、
   義勇公に報ずる堅実な道徳型タイプの人が多く、所謂る「教育勅語」型が
   理想像で、そのような人が尊敬せられていたのであった。


   ところが戦中になると、立身出世型は個人主義・利己主義的であると排斥せられ、
   一切の個人的欲望を廃無して天皇中心に義勇公に奉ずる全体主義的生き方が
   尊重せられ、日本は独逸及びイタリーと結んで、天皇を中心とする
   ファシズム的全体主義に否応なしに追随せしめられることになった。

 
   ところが敗戦によって戦後となると、今迄の一切の個人的欲望を棄て、
   全体を衛るために戦った戦争を「侵略」であると決めつけられ、

   戦争中の愛国者は戦争犯罪人として起訴されたりこき下ろされたりした結果、
   全体即ち「公け」のために尽すよりも個人主義的に生きるのが、

   所謂る民主主義的で時代即応の生活だという事になり、戦中に国家主義的に
   戦争を煽って来た文化人の中には、転身いち早く進歩的文化人となって、

   戦中の顔を洗って戦中の自分の言論など全く忘れたように、
   日教組の講師団のメンバーとなり、反国家的マルキシズムの思想を宣布する
   闘士になった人たちも可成り多く、

   これ等の人々が教壇に立って、反国家的、反天皇的、反全体的、反公け的
   こそ新しき個人の目覚めでありこれこそ正しい生き方であると
   生徒や学生たちに教えるようになった。

   そのような教育を受けた人が所謂る戦後に育った若い人であり、
   戦後既に二十二年も経過した今日では、そのような教育を受けた人が
   既に学校教師として、自分の好きなように、個人主義的、利己主義的
   に生きる事こそ基本人権尊重の生き方であり、

   家や国家や父母その他の目上の者に対する孝養を尽すなどという事は
   封建的、反動的で間違った道徳だと訓えるようになった。

   こうして明治や大正生まれの人達の考えた道徳観とは全然別の
   人生観に立つ青少年が族出することになって、明治時代の人間と昭和時代の
   若い人との考え方に深い断層が穿たれることになったのであった。

            <感謝合掌 平成30年3月17日 頓首再拝>
18:伝統 :

2018/03/18 (Sun) 03:34:33


(1)《車中の群衆に祈ること》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13216454.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   車中の群衆に もまれながらも祈れ。

   「 これらの群衆は皆神の子であり、吾々の兄弟である。
   神よ 此等の人々を祝福したまえ。
   これらの人々の家に残っている家族たちが皆な幸福で健康でありますように、
   神よ 彼らに祝福を与えたまえ。 」

・・・

(2)《自分の運命は自分が造る》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/5798ef1d2f7a1b278ba30ff640148c2b


   (抜粋として)

   自分の運命が向上しないのは、
   自分の与える分量が少ないからである。

   すべて自分の運命は
   自分自身で作るのである。

・・・

(3)《神を生きる自分》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   吾が生活は 神の生活である。
   吾が身は 神の身である。

   常に神は わが血液とともに全身をめぐる。
   わが全身は常に健やかであるのである。

・・・

(4)《私たちは自己の運命の主人公である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   現象世界が、実は、「 生活する人 」 自身の
   “ 心の状態の顕われ ” であることを知るとき、

   その人は自分の心を支配することを通して、
   病気をはじめとして人生の諸問題を自己の欲する方向に
   変化する事ができるのである。

・・・

(5)《あなたは常に進歩することができる》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12688064.html


   (抜粋として)

   私たちは常に実相世界から放送されている新しきアイディアを
   次から次へと受信することが出来るのである。

   それを実践することによって人間は常に無限に進歩し向上し、
   文化も無限に発達することになるのである。

・・・

(6)《占領軍は日本国民の結束力の破壊に成功した》

   占領中に言論統制を、日本弱体化の方向に集中した占領軍は、
   日本が世界五十二カ国を相手として、あれだけよく戦うことが出来た
   日本国民の結束力を緩めようとして、国民結束の中心であった天皇から
   一切の権能を剥奪して、結束の中心を失わしめるように努力したのだ。

   そして、国民が結束するよりもバラバラになることが人権尊重の近代思想
   であること、国家のために忠義を尽すなどは最も馬鹿げたことであって、
   その馬鹿げたことを演じた結果が、国土の至る処をこのように灰に
   してしまったではないか――と焦土と化した大都市の当時の現状を
   証拠物件として、所謂る愛国心の愚かさを強調したのであった。

   そしてその愚かな愛国心が崇拝した”中心”が天皇であり、
   天皇崇拝、天皇国家崇拝ほど馬鹿らしいものはない。

   国家を護るには、天皇の御名御璽で出た宣戦の詔勅などに従うべきではない
   のであって、自分の国家は、今後馬鹿げた戦争などをしないように
   国民みずからが国家の主権をもって、国家の進む方向を決めなければならない

   ――こういう考えに誘導して国民結束の中核たる天皇から主権を奪って、
   「主権は国民に在りと宣言し」と冒頭に謳った現行の日本国憲法が
   押し付け的に制定されることになったのであった。
 
            <感謝合掌 平成30年3月18日 頓首再拝>
19:伝統 :

2018/03/19 (Mon) 03:19:17


(1)《蒔いた種子だけ生える》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221451.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   愛されたければ
   先ず愛することである。

   尊敬されたければ
   先ず他を尊敬することである。

   蒔いた種子のみ生えるのである。

・・・

(2)《肉体は生命の乗馬》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/38206a9621f5c0c5901a36ffcc053d47


   (抜粋として)

   霊魂は騎手であり、
   肉体は それに乗って人生を走るところの 「 馬 」 である。

・・・

(3)《自分の心が変れば周囲が変る》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   自分の心の通りの世界が現われるのである。

   自分自身の心が変れば 周囲が自から変るのである。

・・・

(4)《自己の自覚の程度の投影としてのその人の現実生活》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   一切の不調和がまだその人の運命、境遇、環境、家庭等から消えないのは、
   その人が本当に「 実相 」の完全さを自覚していないか、
   たとい自覚していても、心が「 実相 」の完全さにのみ集注しないで
   道草を食っているからである。

   私たちは「 実相 」以外のものに、「 神の国 」以外のものに、
   心を止めて道草を食ってはならないのである。

・・・

(5)《神の自己実現としての生き甲斐》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12692749.html


   (抜粋として)

   人間は神の自己実現であるから、「 人間知恵 」 の迷いのレンズを通して、
   神からの自己実現の映像を曇らせてしまわない限りは、

   自然に自分の意欲するところが“ 神からの催し ” であり、
   自然に自分の環境にあらわれて来る人間関係や経済事情が、
   神さまから与えられた「 人生学校 」 となり、

   色々の教訓をそこから学びとり、学びとるに従って魂が向上し、
   魂が向上するに従って、物質的次元以上のよろこびを魂が味わうことが出来、
   生き甲斐が増して来るのである。

・・・

(6)《植民地文化の花咲く日本》

   こうして戦後の若い人たちは、物心のつく怱々愛国心のバカらしさ、
   天皇崇拝のバカらしさを教えられ、恰もその時、占領行政によって
   日本赤化の目的で占領軍が刑務所から解放した共産党員及びその主義者が
   中核となって出来上がった教員の団体日教組が日本の教育を支配するようになった。

   これらの共産主義者は天皇あるが故に、旧体制の日本国あるが故に、
   不敬罪や治安維持法に引っかかって投獄された人たちであるから、
   根本的に日本国に対する復讐的立場に立っており、天皇攻撃、
   旧体制日本国破壊を目ざして教育もし運動もして来たのであった。

   そのような赤化運動の中で、そのような赤化教育の中で育って来た
   戦後の若い人たちが、古来今日に至るまで、日本の国土に於いて、
   日本民族が旧き時代より祖先代々積み上げて来た国家形成の独特の美点も、
   すべての文化的遺産の美しさをも、掻い撫でに一切排除すべきものとして
   戦勝国追随の植民地文化を花咲かせ始めたのも無理からぬことである訳だ。

   しかし日本国は果たしてこれでよいかということだ。

            <感謝合掌 平成30年3月19日 頓首再拝>
20:伝統 :

2018/03/20 (Tue) 04:06:50


(1)《天地一切のものに感謝せよ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221520.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   吾々が祈るのは 「 既に与えられている実相の恩寵 」 に
   如何にして波長を合わすかの問題である。

   既に与えられている恩寵(めぐみ)に感謝する事が
   最も完全な波長を合わす道である。

   神と、神の被造物(周囲の一切のもの)に感謝せよ。

・・・

(2)《五官の奴隷になってはならぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/85b12df2e85c7c6a75e0cd30e10a5f61


   (抜粋として)

   真に神から与えられたる天分を享(う)け楽しみ、
   それを伸ばして行く喜びこそ
   本当に 「 人生を享楽する 」 ことである。

   神の子の完全なる姿を実現せんとするものは、
   五官の奴隷になってはならぬ。

・・・

(3)《周囲の光景は自分の心の影》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   吾々は、谷に対して叫ぶが如(ごと)く ただ自分の言葉の反響を聞いて
   それを相手だと思うにすぎないのである。

   自分の口より出(い)ずる言葉が やさしければ
   相手から出る言葉も やさしいのである。

・・・

(4)《誰かの役に立つ事をしましょう》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   今日、誰かに必ず役に立つ仕事をしよう。
   大いなる仕事が見つからなかったら、
   目の前にある瑣細(ささい)な愛行や、
   深切な言葉や、奉仕や、清掃などの仕事でもよい。

   何か誰かに悦ばれる事を必ずするがよいのである。

・・・

(5)《神との一体感が深まれば》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12696377.html


   (抜粋として)

   神は愛であるから、神との一体感が深まれば、
   神の如く愛を行ずることが悦びとなるのである。

   神は智慧であるから、神との一体感が深まれば、
   時に応じ、機に応じ、処に応じて縦横無礙(むげ)の神智が
   湧き出て来ることになるのである。

・・・

(6)《国民の思想をこうして植民地思想で放置してよいか》

   『国民同胞感の探求』の冒頭にその編集者は曰う。

   「一国の将来を予測するには、つねにその国の青年学生の動向を見れば
   よいと言われる。その国の青年や学生たちの志向が、高邁であるか、
   卑賤であるかは、確かに大きな分岐点であろう。

   その国の若人たちの資質が堅実であるか、柔弱であるかによって国の運命が
   左右される事も、古今東西諸国民の興亡に歴史がよくこれを示している。

   しかし高邁とか卑賤とか、又堅実とか柔弱とかいう抽象的な比較は、
   もはや国家の運命を測る尺度ではなくなって来た。

   卑賎な志や柔弱な資質を不可とする青年学生たちが、決して少なくない
   にも拘らず、その人達の志向するところが、自国の運命の断滅をはかる
   方向に進む場合には、もっと別な角度からの見方が必要になって来る。
   思想が国家にとって大切な問題点となって来るのはそのためであり・・・・・」

   ここに一国をリードする思想が如何なるものであるかが、
   真に日本国の将来を慮かる者にとっての重大関心事となって来るのである。

   日本の青年の大部分は決して柔弱ではない、行動的だ。

   その行動的な青年がどんな思想に動かされて行動するかが重大な問題であるのだ。
 
            <感謝合掌 平成30年3月20日 頓首再拝>
21:伝統 :

2018/03/21 (Wed) 03:26:06


(1)《仕事中には斯く祈れ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221566.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   仕事の合い間、合い間に

   「 この仕事は、私と私の家族とを祝福する為の祈りである。
   この仕事を与え給いし事を感謝致します 」

   と念ぜよ。

・・・

(2)《自己の煩悩を克服する者が真の勇者である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/2e7878132963d2752305f67c4761ed4f


   (抜粋として)

   奴隷は主人になることはできぬ。
   いわんや神の子たる資格はない。

   まず 「 自己 」 の煩悩を克服するもののみが
   真の勇者であり、勝利者である。

・・・

(3)《肉体の死は 「 滅ぶべきもの 」 からの脱却である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   肉体の死は ある意味から云(い)えば
   「 死すべきもの 」 からの脱却であるということができるのである。

   肉体の死とともに 人間は 「 滅ぶべきもの 」 から解き放たれるのである。

・・・

(4)《あなたの生活を天国生活にするには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   小我(しょうが)に仕えるか、大我(たいが)に仕えるかだ。
   肉体の欲望や権勢欲や名誉欲に仕えるか、
   それとも唯、神に“のみ”仕えるかである。

   それによって、その人の生活が地獄にもなり、極楽にもなるのである。

・・・

(5)《神の生命との一体感が深まれば》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12697468.html


   (抜粋として)

   神との一体感が深まれば、神は完全なる生命であるから、
   神の完全なる生命の流入によって
   生かされている人間が病気するということはなくなるのである。

・・・

(6)《青年にどうしたら正しい思想を教育し得るか》

   マルキシズムの思想に動かされつつ、この「自国の運命の断滅の方向に」
   日本の若い熱情が勇敢に起ち上って具体的な闘争を実践しようとしたのが
   羽田騒擾事件であるのである。

   『国民同胞感の探求』の編集子は続いて言う。

   「・・・・・らの行動が過激化し、常軌を逸することは批判さるべきであるが、
   それは別として、その道に進まざるを得なかったプロセスを見落してはなるまい。

   知性と青春と熱情と捨身と、それらを殉教的気魄に統一し、
   みずからの信ずる方向に集中する姿、世の邪悪を吹き飛ばそうとする
   彼らの清新なエネルギーにも、注目を寄せるべきであろう・・・・・
   立派な日本の青年学生たちを何故そうした方向に進ましめたのか。

   問題はそこにある。

   そうだ問題はそこにあるのである。

   爰に、嘗ての全学連の中央執行委員長をしていた一人の東大学生が、
   この編集子にいった言葉「若しも、私が高校生の時に、マルキシズムでない
   別のものに触れ、それを教え導いてくれる人たちに接していたとしたら、
   私はその方向に真直ぐに進んでいたかも知れない」
   という事に注目しなければならない。

   日本の若い人の高校生時代に、もっと日本の祖国を愛する心を、
   日本の伝統の善さを、日本独特の誇るべき特殊の文化を愛するように
   導かなければ、

   今後ともにこの若き精鋭のエネルギーが、
   自国の運命断滅の方向に向かって情熱をつくして行動する人数が
   殖えて行くおそれがあるという事である。

   併しマルキシズムで武装した日教組に属する高校の先生方が、
   赤い思想の網を張って、これら純情の青年たちの思想を一方的に歪んだ方向に
   統制して行きつつある危険なる状態が、日本の教育界の現状であり、

   それを破るために、文部省が乗り出そうとするならば、
   「思想の自由」を基本的人権として強調する現行の日本国憲法に
   抵触するために、文部省は違憲として批難される。


   教育の中立性の必要は、理論として誰もが認めているが、
   日本の学校の教育は著しく左方に傾いているのであって、
   現状のままでは決して中立性ではない。

   それを国家や為政者が中立不偏の方向に引き戻す事は、
   日本国憲法が許さないのである。

   そこで吾々民間の団体が協力して立ち上がるほかに
   将来の日本を救う道はないのである。

   ”国民同胞”の同志による大学生の合宿教室や、生長の家が学校の
   冬期休暇や夏季休暇を利用して、小、中、高、大学生等の短期練成会を
   催している其の意義の重大さがそれによって解ると思う。

            <感謝合掌 平成30年3月21日 頓首再拝>
22:伝統 :

2018/03/22 (Thu) 03:22:15


(1)《感謝は周囲を光明化す》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13224919.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   斯くして一切のものに対する感謝が実践せられるとき、
   周囲が、環境が、仕事が、断然今までとは別様の姿を呈するのである。

・・・

(2)《秩序によって生命は具象化する》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/e1809f1cebc3b0ff31831ad0897bc252


   (抜粋として)

   すべての生命は 秩序によって発現するのである。

・・・

(3)《心の種子(たね)は 蒔(ま)いた時 既に発芽しつつある》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   吾々の祈りは、それが真に自分の求むる
   魂の叫びであるならば必ず聴かれるのである。

   実際に目に見える変化の前に、目に見えない変化が行われるのである。
   だから心静かに信じて待って 信念を失わないことが必要である。

・・・

(4)《祈りの方法及び意義について》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は既にあらゆる恵みを遍在的に放送していられるのに
   私たちが霊的に波長を合わさないときは、それを受信することができないのである。

   祈りは、自分の心のひびきを調律して神に波長を合わせる方法であり、
   神に懇請(こんせい)、懇願(こんがん)して、神を説得する方法ではないのである。

   だから 既に与えられている恵みに感謝の念を起す神想観が最も正しい祈りである。

・・・

(5)《“ 霊 ” と “ 心 ” と “ 肉体 ” と》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12702694.html


   (抜粋として)

   “心”は“霊”の謂わば“道具”であり、触手であり、
   それは恰も、蜘蛛(くも)が自分の本体から吐き出した糸みたいなものである。
   それによって外界を捕捉するのである。

   そしてそれが何であるかを知り、更に“心”のはたらきが具体化して、
   肉体という一層固形的な道具となって外界を捕捉するのである。

・・・

(6)《一日も早く現行憲法の失効を宣言する必要がある》

   現行の憲法は、日本が敗戦の結果、占領軍が上陸しその軍政下に於いて、
   治下の日本国民に対する愛国心を失ってしまって、占領軍に抵抗できない
   腑抜けの魂になるような計画の下にこの憲法を一方に押付けておいて、

   他方に於いて占領軍の示唆により反祖国的思想を国民が持つように
   マス・コミが統制せられ、赤化の思想的種子を学校の教壇から
   児童の潜在意識に播種しておいて憲法の定むる「思想の自由」の名の下に
   反祖国的思想が幾ら萌え盛っても是を抑圧することが出来ないように
   周到な計画がめぐらされていたのである。


   この憲法が温存されている限り、日本弱体化の精神的種子と、
   赤化の思想的種子から芽を吹いた日本覆滅の思想がどんなに跋扈しても、
   その思想を抑圧したり、刈り取ることは憲法違反という事になるのである。

   現行憲法の虚偽術策による不合法な制定をハッキリさせて、
   その無効を宣言すること、一日早ければそれだけ国家の危機が軽減するのである。

            <感謝合掌 平成30年3月22日 頓首再拝>
23:伝統 :

2018/03/23 (Fri) 03:47:40


(1)《人を呪わば穴二つ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13227795.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   すべての正直な仕事、人類のためになる仕事は、
   それが感謝の念をもって行われるとき、それは尊き祈りであり、
   その祈りによって彼自身の運命も祝福せられるのである。

・・・

(2)《自己の肉体の性能を知って使わなければならぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/553062294d09d68942d966e67fb38d84


   (抜粋として)

   人間には、同じ人間であっても、
   その体質には色々あり、
   甲の人に適するものが、必ずしも乙の人に適しないこともある。

・・・

(3)《不完全な姿は 本来ない》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   現象に尚 不完全なことが現われて見える時にも、
   不完全な姿は 本来ないのであって、
   神の善が現われて出ようとする前兆にすぎないのである。

・・・

(4)《天国を地上にあらわすためにあなたの心を調律しましょう》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神様の霊波(心の波長)に人間の心の波長を合わすと、
   神様の世界(実相世界)に実在する状態が肉眼に見えるように
   自分の周囲にあらわれて来る。即ち地上に天国が実現するのである。

   「 祈り 」というものは 懇請や“泣き付き”ではなく、
   自分の心を調和した状態にすることである。

・・・

(5)《人間は絶対自由の主体である》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12705562.html


   (抜粋として)

   人間の本体である“霊”は、“神の子”即ち“神の分霊”であるがゆえに、
   それ自身完全なる自由をもつのである。

   人間は“神の子”であるから、絶対自由を有するのである。

・・・

(6)《国家の理想像について》

   昨年の十二月福岡市に於ける九電体育館で生長の家の講習会があった時に、
   ひとりの高校の教師をしている人が演壇にあがって自分の思想遍歴の体験談をした。

   この人は人類を救済する道は共産主義によるしかに道はないと信じて、
   つい最近まで運動を続けて来たのであった。

   ところが或る事情で生長の家に触れ、諸方の誌友会場に出席してみる事にした。

   すると会の終末には天皇の徳を讃え、天皇に対して感謝をして終るので、
   馬鹿馬鹿しくなって軽蔑して帰るのであった。

   併し彼は、生長の家の色々の出版物を読んでいるうちに、
   『秘められたる神示』という神示解説の書物に触れ、

   生長の家の描いている国家の理想像というものは、天皇中心の社会主義国家
   というようなものであるという事が書かれているので、はじめて釈然として、
   これよりほかに人類を救済する道はない、
   自分の生涯の生命を捧げる決心をしたと発表されたのであった。

   思うにどんな社会主義国家でも、策謀をもって既成の政権を打倒した
   悪賢い或る一党の実力者が中心になっているのであるから必ず敵があり、
   反対党があり、そのためその政権は安定していないのであり、
   それを長く安定させるためには反対思想に対する強力な弾圧や、
   反対思想家への広汎な粛清が行なわれなければならないのである。

   そこに残虐行為が常に伴い、人類の幸福を目蒐(めが)けながら、
   常に人類を非人情的な不幸に陥れる結果となるのである。
   (中共初期の人民裁判や最近の紅衛兵騒動を見よ)

   しかるに、天皇のみは無私である。

   何党にも属せず、国民が危機に曝される時には、
   「唯自分のみ罪あり」として国民の身代りになろうとせられる。

   このような精神的主柱が“天皇”という具体的人格として国家の中心で
   あり給う社会主義国家ならば、最も安定した基礎に立って、万民等しく
   恵福を均霑(きんてん)し得る理想国家が出現する筈なのである。
 
            <感謝合掌 平成30年3月23日 頓首再拝>
24:伝統 :

2018/03/24 (Sat) 03:18:19


(1)《感謝は休息の本質である》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13230320.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   感謝のない休息は
   本当の休息とはならない。

   休憩したら「ありがとうございます」と
   感謝すること。

・・・

(2)《自己の性能をよく知ること》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/9bfc10bfa4a1048ecf952bc0029acbdf


   (抜粋として)

   強烈な鍛錬に堪(た)え得るような体質もあるし、
   又 できるだけいたわって、余り強烈なことをせずに、
   静かな精神的仕事ならば 何時間働いても
   体にさわらないような体質もあるのである。

   すべて生活設計に於て、
   その人の肉体にぴったりあてはまる所の生活方法があるのである。

   それを巧(たく)みに使いこなせば 多くの仕事が出来るのである。

・・・

(3)《すべての人々を礼し敬せよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   吾々は 自分自身を神の子だと認めるだけでは足りないのである。
   すべての人々を神の子であると信じて、礼し敬しなければならないのである。

・・・

(4)《神が唯一の創造者である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   万物は霊の世界に於いて神の想念によって創造され、
   それが時間空間の「認識の形式」を通して
   現象界に転現して、吾々はそれを見ているのである。

・・・

(5)《一切の悪や不調和は非実在である》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12708750.html


   (抜粋として)

   神は唯一の実在であり、そのほかに実在するものは存在しないのであるから、
   神は普遍的存在であり、無限であり、一切の存在は神の無限内容の展開である
   ということである。

   従って一切の不幸や災害や病気や諸々の悪現象は
   “ 実相に於て ”存在しないのである。

・・・

(6)《洗脳された人間に本当の“思想の自由”はない》

   兎も角、現行憲法の「思想の自由」は大変結構なことだと
   考えている人が多いけれども、その思想なるものは日本国民が
   自由な状態に於いて発想したる自主的思想ではないのであって、

   占領中の軍政下に於いて、毎日毎日ラジオ放送によって、

   「日本は侵略国だ。」
   「日本は戦争中にこんな残虐行為をしたぞ。」
   「天皇は戦争につながる。」
   「天は人の上に人を造らず、人の下に人をつくらず。」
   「民主主義だけが理想的人間観である。」

   こういうような言葉を繰り返し繰り返し毎日毎日きかされるのである。

   それがイヤでも応でも聴く人の潜在意識の底に印象せられて、
   それ以外の思想の自由を失ってしまわされたのである。

   これが所謂る“洗脳”というやり方である。

   洗脳されて自由発想が出来ないように教育されておいて、「思想の自由」と称して、
   その人の自由発想にまかしたような顔をしていると、
   その洗脳作業中に暗示されたような思想だけが、恰も自分自身の思想であるかの如く
   潜在意識から浮かび上がってくるのである。

   進歩的文化人やそれに教育された若い人が、自分自身の自主的な発想を失って、
   「社会主義こそ人類救済の道である」と思い込み、

   ソ連の現状や、中共の現状を聴かされても、その不幸な国情に耳を傾ける
   自由を失っているのは戦後占領軍が日本人に施したマス・コミを道具に使っての
   ”洗脳”という催眠術にかけた結果なのである。

   ”洗脳“された人間には本当の思想の自由はないのであり、
   思想の自由を与えられた顔をして、暗示された通りの思想を
   繰り返し思い浮かべているだけである。

            <感謝合掌 平成30年3月24日 頓首再拝>
25:伝統 :

2018/03/25 (Sun) 03:58:22


(1)《先ず神の国を求めよ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13233937.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 富 」 を神の国の外に求めるから、
   「 神と富とに兼ね仕えること 」 になるのだが、
   先ず「 神の国を求めよ、富は自ずから汝に随い来るのである。」

・・・

(2)《自己に当てはまる生活設計がある》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/93c64f8d716832dcd2c38169d06c23ee


   (抜粋として)

   諸君がもし自分の身体を、一個の写真機械よりも愛して使いたいと思うならば、
   自分の肉体に 如何なる睡眠法が、食事法が、仕事の順序配列が、
   如何なる休養方法が、如何なる生活様式が もっとも適当するかということは
   数年ならずして自分自身に会得することができる筈(はず)である。

・・・

(3)《我は 到(いた)る処(ところ)に唯(ただ)善のみを見る》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   凡(あら)ゆるものの中に 神がみちみちていられるのであるから、
   吾々は 神から逃げだすことはできないのである。

   神は善であるから 吾々は善から逃げだす事はできないのである。
   されば 心の眼(め)を開いて見れば
   吾は到る処に唯 善のみをみるのである。

   神は自分の智慧であるが故に、
   吾は到る処に神の導きを見るのである。

・・・

(4)《如何にして現象界に不調和があらわれるか》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   私たちの生命は時間空間という「 認識の形式 」を“ 心でつくって ”、
   その形式面上に具象化して見るのである。

   そのような「 認識の形式 」を通して見る其(そ)の途上に於いて、
   あらわれる形に歪(ゆが)みがでて来たのが、色々の現象界にあらわれる
   擾乱(じょうらん)であり、混乱であり、病気であり、災害である。

・・・

(5)《“迷い”は虚像にすぎない》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12714145.html


   (抜粋として)

   “迷い”は真理を知らないために生じた虚像であるから
   真理を悟れば“迷い”が消えるのである。

・・・

(6)《中共に於ける“洗脳”方法について》

   (前半省略)

   これが即ち中共に於ける“洗脳”作業の実体なのである。

   上記の如き“洗脳” 方法が、終戦直後、占領軍が日本国民全体に対して
   実施したという事を知らぬ人が多いのである。

   即ち、毎日毎日私たちはラジオ放送で

   「戦争は悪い事である、日本は戦争を仕掛けた悪い国である。
   それは愛国心が悪いのである。天皇の命令で戦争したからこんな目に遭ったのである。
   日本軍は戦争中こんな残酷なことをした。日本は侵略国である・・・・・」

   此の種の言葉の繰返しを、腹が減ってフラフラになり、
   くたびれ切っている国民の潜在意識に、愛国心や天皇崇拝のつまらぬ事、
   日本国は侵略国で悪い国だという一方的な考えを吹き込まれたのである。

   こういう催眠術的言語暗示の繰返しで多くの国民は洗脳されたのである。

   そして戦中に愛国者として当時の戦争の神聖性を力説した人間が、何時の間にか、
   自発的な思想転向であると自分では錯覚して、進歩的文化人となり、
   平気で戦争中に言った自分の言葉と全然反対なことを言って
   日教組の講師団の一員として革命思想の宣伝に狂奔することになったのである。

   此の種の変節的な人達は、こういう洗脳方法に対し抵抗力の弱い
   気の毒な暗示感応性の鋭敏な人達だったのである。

   そして今も、祖国の伝統的日本思想や日本文化の善さに目覚めることができないで
   革命に狂奔している所謂る進歩的文化人なるものは、進歩的どころか、
   占領軍が洗脳のために注ぎ込んだ繰返しの言語暗示が、
   今尚、潜在意識に残続していて、自主的発想の能力を喪失したままでいながら、
   自発的思想転向だと思い込んでいるのであり、

   憲法が幾ら「思想の自由」を強調していても、是等の人には、
   彼らの思想を自由に放任するならば、彼ら自身の思想ではなく、

   終戦直後、洗脳するために注ぎ込まれた「祖国侮辱の思想」が恰も
   「自分自身の思想」のような顔をしてのさばり出るだけなのである。

   彼ら進歩的文化人には真の思想の自由はない。
   カリモノの注ぎ込まれた思想の自由跳梁があるだけである。

            <感謝合掌 平成30年3月25日 頓首再拝>
26:伝統 :

2018/03/26 (Mon) 03:24:13


(1)《富とは一切の豊富さである》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13237011.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   富とは必ずしも金の事ではない。
   金があっても富んでいない人が沢山ある。

   富とは、よき考え、よき家族、よき師、よき弟子、よき雑誌、
   よき性質、よき能力、それを表現する機関・・・等々。

・・・

(2)《ゲーテの健康法》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3b65b1ef55792bff232e540ea9c6fefc


   (抜粋として)

   私は必ずしも諸君に、晩年のゲーテの健康法を実行せよというのではない。

   ただ云いたいのは、肉体を諸君が人生の目的を達成するための道具として
   軽んじてはならぬと云うことである。

・・・

(3)《神から来る赤信号》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   もし何かの不調和が外界に現われて来たならば、
   それは 何か 自分の心か、言葉か、行いかが
   神から はなれたものであったからであるのである。

   それは神から与えられた 「 一種のストップ信号 」 であるのである。

・・・

(4)《神の智慧のままに生活する者は幸いなるかな》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   率直な心で神の智慧を受ければ、
   自然に何時(いつ)、如何になすべきかが示されるのである。

   イエスは「 空の鳥を見よ、播(ま)かず、刈(か)らず、倉に収めず、
   然るに 天の父はこれを養いたまう 」といっている。

・・・

(5)《自己を “ 神の子 ” と直観智で知る瞬間》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12717736.html


   (抜粋として)

   私たちが神を直観し、自己の実相が“ 神の子 ”であり、
   霊的実在を直観することが出来るのは、
   縦横厚みの三次元認識の牆壁(しょうへき)が砕け去った瞬間に於てである。

・・・

(6)《ベトナム戦の本質を見過してはならない。》

   ベトナム戦争は手套(てぶくろ)をはめた拳闘戦

   (中略)

   この戦争は手套をはめた拳闘であり、
   現実的危険を賭けたトランプ遊びなのである。

   この戦争の本質を見逃がして、平和工作をやってみても何の効果もない。

   北べトナムにもベトコンにも停戦の意志はない。
   そして長引けば長引くほど、世界の同情はベトナム解放戦線側に集まり、
   よその大陸から対兵を派遣しているアメリカ側が侵略国だという
   印象を強めるだけのことなのである。

   アメリカは悪い籤を引いたものである。

   この戦争の本質を知らないでいるならばアメリカは何時まで経っても
   此の泥沼から脱することは出来ないに決まっている。

            <感謝合掌 平成30年3月26日 頓首再拝>
27:伝統 :

2018/03/27 (Tue) 03:48:53


(1)《金を愛するな》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13239072.html?type=folderlist


   (抜粋として)
 
   富を愛することが悪いのではなく、
   金‘のみ’を愛することが悪いのである。

   貨幣でツラをはろうと思っても
   本当の愛と誠のある人は金では自由にはならない。

・・・

(2)《人間の幸運と不幸とは自分自身の使い方にある》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/26dd104521bba4661342b5bd10bd8e38


   (抜粋として)

   人間の幸運と不幸とは、
   決して偶然の他力(たりき)に支配されているのではなく、
   同じ隣接地でも 甲の農家と乙の農家に貧富の差ができるように、

   自らのやり方で運命を作るのである。

・・・

(3)《神の愛は宇宙の到る処にみちみちている》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神の愛は 宇宙の到る処にみちみちていて 吾らを護り給うのである。
   吾々の一本の毛も悉(ことごと)く神の目から見逃される
   ということはないのである。

   そのことに吾々は信仰をもたなければならない。

・・・

(4)《我みずからにては何事をも成し得ず》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   「 われみずからにては何事をも為し得ず、
   天の父われにいまして、この人体を造り給うたのである。」

・・・

(5)《“ 神の恵み既に汝に足れり ”》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12720463.html


   (抜粋として)

   既に「 足れり 」即ち「 十全の恵み 」
   「 至らざる処なき完全不欠の恵み 」を
   神は吾々に与えてしまっていられるのである。

・・・

(6)《条件反射で動いている革命の闘士たち》

   戦争直後のラジオ放送による洗脳が実に多くの日本人の潜在意識に浸透して、
   戦中の愛国者を、赤色革命の闘士に転向せしめたのは、

   当時日本国内の事情が食料の欠乏、それと闘うための肉体の極度の疲労困憊
   ―そして戦争の悲惨が目の前に立証されている焼野原――
   そうした条件の下に、条件反射の生理・心理学的方法を応用したからである。

   (中略)

   “蛇使い”と同じやり方で多くの日本人は洗脳されて、その時注ぎ込まれた
   暗示の効果(観念の自動作用)で今もって動かされながら、
   それを「思想の自由」だなどと錯覚しているのである。

            <感謝合掌 平成30年3月27日 頓首再拝>
28:伝統 :

2018/03/28 (Wed) 03:06:54


(1)《金を儲ける秘訣》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13243154.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 金々々 」 とそれを求めても、
   大いに得る事は出来ない。

・・・

(2)《努力や克己の代価を払わずには立派な仕事は出来ぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3f63c93b87a61146cf6b62391cc61790


   (抜粋として)

   何事に対しても、払っただけの代価にふさわしきものを得る
   ということは 真理である。

   秩序整然 と 健全なる生活を送るためには、
   それだけ 「 意志 」 や 「 努力 」 や 「 忍耐 」 や 「 克己 」 や
   如何なる誘惑にも屈しない所の 高貴なる節操の代価を払わなければならない。

・・・

(3)《病気を癒(いや)すには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   「病気は自分の心の迷いである。今自分は心の迷いを去って
   神の姿そのものの完全なる姿をみるのである 」

   かく心の中(うち)に深く念じて 神の姿そのままに完全な自分の姿を
   心に描いてみつめるようにするならば
   やがてその病気は消えてしまうのである。

・・・

(4)《自己に宿り給う神を悦ばすこと》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   そのためには私たちは日常生活に、
   その「 神 」を悦ばすような愛行と善行とを
   しなければならないのである。


・・・

(5)《あなたが 「 神意実現 」 のパイプとなること》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12725762.html


   (抜粋として)

   自己を“ 無 ”にして神に全托するとき、
   神は無限の愛であり無限の智慧であり、
   その全智によって計画されたる「 愛の天国 」は、

   自然に私たちの「 カラッポの無私の心 」
   を通して現象界に流れ入って来て、
   あなたの身辺が自然に地上天国となるのである。

・・・

(6)《ソ連の洗脳方法について》

   (前半省略)

   私は正常の人間を白痴にすることは、
   その逆より遥かに容易であることを発見した。

   ルーズな監視の下にきつい肉体労働を課し、
   系統的に食を減ずれば素晴らしい効果を生む。

   その場合囚人をさまで殴る必要はない。

   通常二ヵ年ほどその状態におくと、
   人間の知的能力は五十パーセント喪失するものである。

   もちろんこれは集団の場合で、
   個々の場合はより顕著な効果が得られるのである。」

   (ウラディミル・ペトロフ著『シベリアの果て』『国民同胞感の探求』八十頁より孫引)


   シベリアに捕虜として抑留された日本人はこのようにして減食と
   激しい労働の中で健康な判断力を喪失せしめられ、
   そのような条件の中で赤い色に洗脳を完了したと認められた者から、
   順次、日本へ帰還せしめられたのであった。

   それ等の人達の内、洗脳されたまま祖国覆滅の闘士となって
   今尚活動を続けている者も多いのである。
 
            <感謝合掌 平成30年3月28日 頓首再拝>
29:伝統 :

2018/03/29 (Thu) 03:40:57


(1)《富の本源は 愛と智慧とサービス》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13244831.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   金と云うものは
   神様の世界にはないのであるから、

   金を与えたまえと
   神様に祈っても与えられない。

・・・

(2)《何人も皆天才である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a4d2130b191eac505e47012874c8e640


   (抜粋として)

   何人も自己に与えられている天分の100%を発揮する時、
   必ず天才であり、必ず世に立って人々から喜ばれ 尊ばれる所の人
   となることができる。

・・・

(4)《一切万事、神より来る、唯感謝あるのみ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   「 神 」即ち「 生命力 」が去ったならば、
   一瞬間もあなたは立っていられないのである。

・・・

(5)《“ 無私の祈り“としての神想観》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12729823.html


   (抜粋として)

   神想観は最も完全なる無私の祈りであるのである。

   「吾れ今、五官の世界を去って実相の世界に入る」とは、
   「五官の世界」即ち「現象世界」の一切の意欲を去ることである。

・・・

(6)《諸君は真に自由思想人とならねばならぬ》

   洗脳された人間は、「思想の自由」で、自主的に発想しているつもりで、
   実は洗脳訓練中に暗示的に潜在意識に注ぎ込まれた“観念“の自動力で
   動かされているから、ものの考え方が自由を失って偏っているのである。

   (略)

   日本の若い人よ、”洗脳”の呪縛を断じて截ち切って、
   先ず完全な自由人となって、自由な考え方をすることだ。

            <感謝合掌 平成30年3月29日 頓首再拝>
30:伝統 :

2018/03/30 (Fri) 03:17:02


(1)《致富の秘訣は二つの真理にある》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13248280.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   第一は 最大多数の人類に広く要求せられるものを与える事。
   第二は、資本や門閥やそのほかどんな力をも借りずして、
   自分で新しく其の仕事を出発せしむることである。

・・・

(2)《精力を分散するな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/e6402870302165fdff52653ecd4e2778


   (抜粋として)

   全生活力をもって
   勉強又は仕事と取り組むことが出来る者は
   必ず優勝強者となる。

・・・

(4)《すべての人種は悉く 「 神の兄弟 」 である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   自己の内に宿り給う神、それがあなたの生命である。

   皮膚の色が異るとて、その人々に宿る「 神の生命 」は
   本来「 一つの神 」であるから互いに兄弟姉妹なのである。
   皮膚の色に拘(かかわ)らず兄弟姉妹互いに愛し合うべし。

・・・

(5)《“ 神の国 ” は汝の内に在り》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12734045.html


   (抜粋として)

   「人間が神の子である」という真理は、
   換言すれば“凡ての力”は既に与えられているのだということである。

   “凡ての力”が与えられているだけではなく、
   “神の国”(又は天国)は自分の内にあるということである。

・・・

(6)《日本人は六年間も洗脳された被害者である》

   第二次大戦の終結によって、占領軍は日本に上陸して来て
   その洗脳作業を六年間にわたって続けたのであった。

   洗脳は空腹にしておいて重労働を課し、肉体も精神も虚脱状態にして
   批判精神を麻痺状態にしておいて、いかにも尤もらしい語調で暗示を与える。

   (略)

   催眠術をかけて、その人を暗示感応状態にしておいて、
   「明日の午后三時になると君は晴天でも雨天でも必ず雨傘を差して
   お庭を三辺回る。そしてそれが私が君に暗示した結果だという事は
   思い出さない」と残続暗示を与えておいて覚醒状態に導くと、

   その人は暗示された通りに、翌日の午后の三時になると、晴天であっても、
   雨傘を開いて、それを差しながらお庭を三辺回るのである。

   そして、それは自分の意思の自由、行動の自由で、自発的に意思して
   行動しているのだと思っているのである。

   今ごろ”日の丸“や”君が代“が戦争につながると反対している人は、
   暗示にかかって晴天に雨傘を差してお庭を三辺回っている人に類するのである。

            <感謝合掌 平成30年3月30日 頓首再拝>
31:伝統 :

2018/03/31 (Sat) 03:25:53


(1)《人類の日常生活に奉仕せよ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13252992.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 諸君の富は諸君の頭の中にあるのであって
   何処かの銀行にはないのである 」 と
   テリル・マン氏は云っている。

   先ず頭によって人類に今あるよりも一層役に立つ考案を考えることである。

・・・

(2)《「 仕事の奴隷 」 になってはならぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/fab0aaa08dd54ddb32c3963f44ab32a6


   (抜粋として)

   人は全生命力をもって「仕事」と取り組まなければならぬ。

   しかし徒(いたず)らに「仕事」「仕事」と仕事ばかりに熱中して、
   「仕事の奴隷」になってしまったために
   折角の天才が早く生涯のエネルギーを使い果して廃人となったり、
   短命に終ってしまったような例を見ることは、まことに悲しいことである。

   これは、自己を知らぬことと 不完全なる生活設計から来るのである。

・・・

(4)《天地万物 相互礼拝 相互感謝 の生活》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は到る処に充ちていられる。

   釈尊はこの真理を直感せられた。
   そうして「 有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏 」
   と讚歎せられたのである。

   山も川も草も木も国土も悉く皆、仏のいのちの現成せるものである。
   宇宙の一切悉く神なる大生命の顕現ならざるものはないという意味である。

   この覚(さと)りに立って生活するとき、
   一切を礼拝し、一切に感謝する相互礼拝、相互感謝の生活が始まるのである。

     ( 谷口雅春著『 無門関解釈 』参照 )

・・・

(5)《“ 神の生命はわが内に在り ”》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12743787.html


   (抜粋として)

   私たちは“神の子”で“ある”から、
   “神の生命”がわが内に“ある”のである。
   その神の生命の時間空間面に於ける自己顕現が
   私たちの肉体であるのである。

・・・

(6)《日本人よ、戦後の洗脳から目を覚せ》

   戦後の若い人と、戦前又は戦中の老年層又は壮年層の人との間には、
   互いに理解しがたい「ものの考え方」に断層があり、その断層が中々に
   越えがたい溝を形成しているというのは、

   洗脳によって物の考え方が戦前戦中の年齢層とは全然異なる方向に
   歪められているからだと解釈すると、原因がはっきりするのである。

   洗脳されないような、しっかりとした思想の愛国者は悉く追放になり、
   天皇があるので治安維持法に触れて獄中に監禁された結果、

   天皇を恨んでいる階層と、容易に洗脳されたところの、占領軍の
   日本弱体化政策にマンマとのせられた連中どもが教壇に立ったり、
   マス・コミを支配して言論統制力を握って、洗脳工作としての
   「言語暗示」をラジオ及び新聞(占領軍の検閲下の)によって流して、
   感じ易い若い人々に、反国家的思想の暗示を毎日毎日六年間も
   印象させたのである。

   そして洗脳された少年の中から又若い教育者が出て、自分が洗脳された結果、
   そのような反国家的思想をいだいていると自覚しないで、

   自由意志で、自主的発想のつもりで自信を持った口調で、
   又次代の子供を教育するから、洗脳は洗脳を呼び、将棋倒しのように
   反国家的な思想で、若い人たちが洗脳され続けるのである。

   この現状が継続すれば、明治、大正生まれの比較的、占領軍の洗脳に対して
   抵抗力の強かった老年層壮年層の人達が死に絶えてしまったら、
   日本国は運命はどうなるか、まことに日本国の存在そのものに
   危機が迫っているのである。

   そこで”教育の中立性”だとか、大学の自治などといって、
   洗脳後の赤い教師の自由選択に教材や教科書を任せておいたら、

   ”教育の中立性”どころか、洗脳効果ばかりが若い人にあらわれ、
   実に偏向極まりなき教育が国民に施されことになるのである。

   しかし政府が教育に直接干渉しようと思っても、
   現行の憲法が有効だと認められている限りそれは出来ない。

   すべからく、出来るだけ早く現行憲法の失効を宣言しなければ、
   悔いを千載に残すことになるのである。

            <感謝合掌 平成30年3月31日 頓首再拝>

  • 名前: E-mail(省略可):
  • 画像:

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.