伝統板・第二 414682

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ひかりの一日一言36~運命をひらくには

1:伝統 :

2018/03/01 (Thu) 04:35:28

ひかりの一日一言《1日》

《1日 束縛からの解放》

生長の家は””病気治し”の宗教ではないけれども病気も無数に治っている。
その実例は毎号の「生長の家」誌その他四誌のどこかに掲載されているのである。
何故病気治しではないのに病気が治るかというとそれは真理を知るからである。

キリストは「汝らは真理を知らざるべからず、真理は汝を自由にならしめん」と
いっているのである。病気からの自由、貧乏からの自由、一切の束縛からの自由は、
真理を知ることによって得られるのである。

この真理を知ることによって自由自在の境地に達することを仏教では解脱
というのである。解脱し得た人を仏教では覚者すなわち仏陀というのである。

人間の本質は、本来仏陀で自由自在であるのに、自縄自縛して勝手に、
自己の生命力を束縛して病気になったり、自己の能力を束縛して貧乏に
なったりしているのである。

真理を知れば、その束縛が解けるのである。

その真理を知らしめる超宗教的運動が生長の家である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P59) より

           <感謝合掌 平成30年3月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2018/03/02 (Fri) 04:31:50

《2日 暗示の奴隷となるなかれ》

  (朗読動画 → https://www.youtube.com/watch?v=YZ3n3B928kk )


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P60~61) より

           <感謝合掌 平成30年3月2日 頓首再拝>
3:伝統 :

2018/03/03 (Sat) 04:29:18

《3日 内からの自覚》

自己に宿る生命(せいめい)は「神の生命(せいめい)である」という
内からの自覚によって運命が好転したり、能力が倍加したり、病気が治ったりするのは、
他(た)からの暗示によって支配されるのではなく、

自己内在の実相の開顕による能力発揮であるから、
その自覚は愈々(いよいよ)ふかくなるほど、益々他(た)からの暗示に
支配されなくなり、自主独立の人間形成をなし得ることになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P62) より

           <感謝合掌 平成30年3月3日 頓首再拝>
4:伝統 :

2018/03/04 (Sun) 04:33:59

《4日 欠点を心に掴まず》

人間形成に最も大切なことは、包容力が広くなることである。
人の欠点を見つけて攻撃することは、それだけ人間を狭くし、
小さくするだけのことである。

それだけ「神」と「自分」とをつなぐパイプ・ラインに邪魔物をつめこんで、
神からの恵みの自由なる流れに蓋をすることになるのである。

他の欠点をみつけて攻撃するだけではなく、自分の欠点をみつけてその故に
自分を愚か者として攻撃することすらもよくないのである。

欠点を見詰めれば欠点がなくなるのではなく欠点が益々増大され
強調されることになるのである。


もっとも、「欠点を知る」ことは必要である。
それは自分の洋服又は下着の何処が一番よごれているかを、
選択する前に見別けて置くことが、洗濯する場合に効果的であるのと同様である。

しかしそれを洗濯するときには、「汚れの全然ない水」をもって洗濯する
必要があるのと同様に、全然「罪」や「欠点」を心につかまず、
自分が神の子として美点のみあり、それがあらわれて来つつあることを
念ずる「汚れなき想念」が必要であるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P62~63) より

           <感謝合掌 平成30年3月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2018/03/05 (Mon) 04:39:09

《5日 心の内の催し》

先ず祈りによって神と繋がる心境に達することが必要である。
自己の欲する事物を祈りに於いて「既に得たり」と念じ、
深く深く感情の奥底から感謝の念を起こすがよい。

神示には「感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」
と訓(おし)えられているのである。


深く祈りたる後(のち)、自然に「心の内なる催(もよお)し」として、
誰かのためになることをしたくなるならば、
また公けの奉仕的な行為をしたくなるならば、
それを躊躇なく実践するがよい。

その愛他的な無私的な行為は、愈々あなたの心を神の波長に合わすことにし、
あなたの願いを実現してくれることになるのである。

若しその時、あなたが、その愛他的な「心の内の催し」を、面倒くさいと思って
実践しなかったならば、あなたの願いが実現するのが遅れるおそれがあるのである。

何故(なぜ)なら、あなた自身が、他(た)の人に与えるべき愛他的行為を
直(す)ぐ実践せずにその実行をおくらせたからである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P63~64) より

           <感謝合掌 平成30年3月5日 頓首再拝>
6:伝統 :

2018/03/06 (Tue) 04:17:10


《6日 類をもって集まる》

”暗い考え”があなたの心に忍び込んで来たときには、それは大勢の仲間を
連れた盗賊の最初の一人が忍び込んで来たようなものであるから、その最初の
”暗い考え”をできるだけ速やかに自分の心から駆逐しなければならない。

そうでないと、次々と、その盗賊の仲間が大勢あなたの心の中に侵入して来て、
あなたにとって一番大切な財産である「明るい心」を奪い去ってしまう
おそれがあるのである。

何よりも、あなたにとって一番大切な財産は「明るい心」なのである。

何故なら、この世界には「類を以って集まる」と云う法則があって、
あなたが「明るい心」をもっている限り、明るい事物が集まって来、
幸福や健康や繁栄がわがものとなるからである。

これに反して、あなたの心に「暗い考え」が忍び込んで来、それが主動戦力となって
来るならば、「類を以って集まる」という心の法則により、暗黒な事物、
病気、不幸、災難、貧乏などが集まって来ることになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P64) より

           <感謝合掌 平成30年3月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2018/03/07 (Wed) 03:53:26


《7日 薔薇園の花とトゲ》

人間には色々の欠点もあれば、美点もあるのである。
それは薔薇園のバラの花を見物するようなものである。

美しい花ばかりに眼をとめて、「これは美しい」「これも素晴らしい」と、
よい処だけに眼をつけてそれおを鑑賞するならば、まころに人間は、
薔薇園のバラの花のように、美しい人間ばかりである。

しかし折角薔薇園に往っても、薔薇のトゲや、たまたま葉の裏側にいる青虫や
毛虫やアブラムシを見つけて、それに心を捉えられている限り、その人は、
バラの花の美しさを娯(たの)しむことはできないで、
不快なものばかりに心を汚(けが)さなければならないのである。


それと同じように、人生に於いても人間の欠点ばかりに眼をつけて、
それに心を捉えられている人は人生の楽しさも、人間の心の美しさも
感ずることができないのである。

人生に於いて尤も幸福な人は、薔薇園でバラの花ばかりを鑑賞し得る人のように、
人々の美点と善意とのみを発見し、それに感謝し得るひとである。

そのとき、「類は類を呼ぶ」法則により、その人には、幸福と繁栄と善意とのみが
集まって来るようになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P64~65) より

           <感謝合掌 平成30年3月7日 頓首再拝>
8:伝統 :

2018/03/08 (Thu) 04:29:36


《8日 困難を幸福に変える》

困難はあなたを不幸にすることはできない。

困難が人間を不幸にすることにきまっているならば、山登りや、スキーや、スケートは
人間を不幸にするにきまっているのである。
しかしながら、人々が好んで山登りを楽しみ、シキーやスケートに熱心になるのは、
その困難を楽しむ心で克服するからである。

愉しさは寧(むし)ろ「困難がない」ここではなく、
「困難を克服する快感」から来るのである。

即ち「困難」そのものが人間を不幸にするのではなく、困難に対して、
その人が如何なる心の態度で、その困難に立ち向かうかのよって、
困難が快感にも不幸にも苦痛にも変ずるのである。


それでは困難に対して、却って快感を得るためにはどうしたらよいか、
「押しせまる困難」に主動性をもたせて、自分がそれを受けている ―― 
というような消極的な受動的態度では、自分は不幸になるばかりであって、
困難に押し潰されるだけである。

何でも主導者となる者が勝利者である。

困難が自分に押し迫って来る前に、自分が先ず困難に対して
積極的に主導者となって押し迫るがよいのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P65~66) より

           <感謝合掌 平成30年3月8日 頓首再拝>
9:伝統 :

2018/03/09 (Fri) 04:03:05


《9日 受働を主働に変える》

困難に面したとき困難を如何に解決すべきかを考えるのはよい。
それは受働を主働に変ずることによって、
困難は自分を征服するところの力を失うのである。

日本武尊が賊軍と焼津の萱原(かやはら)に於いて戦ったとき、
賊軍は風上に陣しており、尊は風下に陣していたが、
賊は萱原に火をつけて来た、濛々(もうもう)と火焔(かえん)は
尊の軍勢に向かって襲いかかって来たのである。

このままで尊は受け身であった。
困難に面して唯受け身であるばかりでは困難に征服されてしまう。
尊の運命は進退ここに谷(きわ)まった状態に陥ったのである。


そのとき日本武尊は、受働を変じて自分の背後の萱原に主働的に火をつけたのである。
風は猛烈に吹いて来るので、尊の背後の萱は、後ろへ後ろへと燃えて往って、
そこは空地(あきち)となり、尊の前の萱も燃えつきて、
もう焔(ほのお)は尊を害することはできなくなった。

その時、急に風向きが変化して、賊軍の群がる萱原に焔がひろがって行き、
賊はついに大火傷を負うて全軍消滅するに到ったのである。

受働を主働に変ずることによって、
人生はこのように勝敗が逆転するのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P66~67) より

           <感謝合掌 平成30年3月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2018/03/10 (Sat) 04:07:48


《10日 心の重荷》

外界の困難は必ずしもあなたの重荷とはならないし、
又必ずしもあなたを傷つけることはないのである。

内界の「心の重荷」のみあなたにとって本当に重荷となり、
本当にあなたを傷つけることになるのである。

では「心の重荷」とは如何なるものであるか。

それは「この世の中に、”悪”なるものが存在し、それが必ず自分を傷つける」
という信念である。

この信念によって人々は勇気がなくなり、積極的に善い事に邁進することが出来ず、
生命力が委縮してしまって、よい智慧が涌かず、病原菌に対する抵抗力を失って、
ついに病気にかかり不帰の客となってしまうのである。

これは、「この世に悪が存在する」という考えによって、催眠術をかけられ、
本来存在する「神の子・無限力」を自縄自縛した結果であれう。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P67~68) より

           <感謝合掌 平成30年3月10日 頓首再拝>
11:伝統 :

2018/03/11 (Sun) 04:13:08


《11日 愛の実践》

何事を成すにも勇敢に、自信満々、積極精神をもって事にあたり、
行くところ可ならざるなき成功と勝利とを得るには、全智全能なる「神」が
自己の内に宿っているという自覚をもつことが大切である。

神の生命(せいめい)があなたの内に宿っているのであり、
神の無限の智慧があなたの内在の智慧としてあなたを導いていられるのである。

しかしそれを自覚しないために、発見しない地下の宝のように
それを利用することができないのである。

あなたがそれを発見しはじめたとき、あなたの生活が不幸から幸運に、
暗黒から光明に、不健康から健康に転じはじめるのである。


神が自己に宿っているという自覚が出来たならば、神らしい行ないをするよう
心がけなければならない事は当然である。

神は愛であるから、ただ「われに神宿る」と自覚するだけでなく、
愛を実践するところに本当の幸福も、運目の好転もあり得るのである。

自分が少しでも此の真理によって救われたならば、その真理を他(た)につたえて、
他(た)を救う実践をなすところに、神の愛の実践があるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P68~69) より

           <感謝合掌 平成30年3月11日 頓首再拝>
12:伝統 :

2018/03/12 (Mon) 04:41:35


《12日 内部理想の芽》

何人(なんぴと)の心のうちにも、なにがしかの理想が宿っているのである。
それにも拘(かかわ)らず、それが実現しないで終わる人が多いのは、
その人自身が、到底このような願いは実現する見込みはないと、
自己限定してしまうからである。


吾々の魂が或る理想を直感する
 ―― たとえば宗教家になって人類を救いたいと其の使命を直感する。

ところが常識的な表面の心がそれを否定する。
「そんな者になっても経済的に食えないぞ」とか
「お前にはそのような天分はないぞ」とか、
「やっぱり大会社へでも入っている方が社会的に出世が早い」とか
常識の心が反論するのである。

こうして内部理想の囁きはいつの間にか心の奥底に退却して眠ってしまう。
しかし時々、その内部理想が目を覚ます。
そして、自分の生活が自分の本当の願いではない生活をしていることを
残念に思うことがある。

しかしまた”常識の心”が「そんな事は諦めよ、もお前は遅いのだ」という。
併し遅いことはないである。

いつでも自分が気がついた時に”理想の芽”をそのまま実践によって育てれば、
その芽は伸びるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P69~70) より

           <感謝合掌 平成30年3月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2018/03/13 (Tue) 04:11:17


《13日 神の囁き》

あなたの内部理想の囁きは、実は貴方の内に宿り給う神の囁きにほかならないのである。
そして神が囁き給うことは、必ず神の力に導かれて成就することであるのである。

神想観して

「吾れ心を空しうして神の御心に随い奉らんとす。
希(こいねがわ)くは御心を示したまえ。
吾れ何を為すべきかを示したまえ」

と念じて、神の御声をきくべく、
心を静かにして聴従(ちょうしょう)する気持ちになっておれば、
何を為すべきかを”声なき声”によって覚ることができるのである。


人には各々、その人でなければならない仕事又は使命があるのである。
甲の使命は、乙にとっては使命でないかも知れない。
しかし自分の使命が何であるが充分ハッキリ判らない事があるかも知れない。

併し人の使命は、人によって異なるけれども、亦、時によっても異るのである。

例えば、その人が結局は富士山の頂上に登るのが使命であると仮定するならば、
富士山の頂上以外にいることは使命ではないかというと、決してそうではないのである。

その人が富士山麓の山道(さんどう)にいる事も或る時期には使命であり、
八合目の岩壁を攀(よ)じ登ることもその人の使命である。

最後の使命に到るまでは、時期によって、色々の異なる仕事に従事するのも
その人の使命であるのである。

だから眼前にある仕事を最も忠実に愛を以って遂行することが肝要である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P70~71) より

           <感謝合掌 平成30年3月13日 頓首再拝>
14:伝統 :

2018/03/14 (Wed) 04:16:52


《14日 借り越しを軽くする》

私たちは神から多くの賜(たまもの)を受けているのである。
空気、日光、水、衣食住に必要な資材となるべき鉱物植物・・・等々いずれも
人間がこしらえたものではない。

すべて神からの与えものであり、授かり物であるのである。
それどころか、吾々の眼耳鼻舌身ことごとく、神の叡智によって設計され、
神の素材によってつくられ、神から与えられた恵みであるのである。

それを「恵み」として感謝することなく、それに対して恩返しすることなければ、
それだけ自分は借り越しになっているのである。

借り越し多い者は本当に自由にはなれないのである。


まず神想観又は祈りによって感謝すること、
それだけでもその“借り越し”の幾分が支払われたことになるのである。

次には、神の恵みを人々につたえること、
自分が救われた如く、他の人々を救う仕事に熱心になること。

これによって人は負債を軽くしてその人の生命が自由を得るのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P71) より

           <感謝合掌 平成30年3月14日 頓首再拝>
15:伝統 :

2018/03/15 (Thu) 03:31:21


《15日 潜在意識の浄化法》

過去の不快な事柄を全部自分の心から放ち去ろう。
誰が何時、何処で何をいったとか、何をしたとか ―― 
そんなことを常に心にもって心を汚していて、
それで光明思想の信者だといえますか。

怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、軽蔑、屈辱・・・
そんな事で心を傷つけるのは馬鹿々々しいではありませんか。

人間の幸、不幸は、物質の多寡や、環境境遇によるのではなく、
自分の心を平和に愉しく快適に保つことによって得られるのである。

現在意識から一切の怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、軽蔑、屈辱を
棄て去るだけではなく、

潜在意識に印象されているそれらの不快な想念感情を
綺麗に拭い去ることが必要である。

その為には神想観して次の如く、神の愛につつまれている自分を、
心に強く深く念ずるがよいのである。――

「神の無限の愛われにふりそそぎ、われを取り巻き、
われを無限の愛をもって抱きしめ給う。

神は、わがすべての罪をゆるしたまい、
すべての罪を悉く”無”にまで粉砕したまうのである。
わが罪は悉く”無”にまで粉砕されたのである。

われは一切の”罪”も”業”もなきものとなったのである。
だから私の心の底にある一切の怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、軽蔑、屈辱等の傷は
悉く消え去ったのである。 ありがとうございます。」


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P72) より

           <感謝合掌 平成30年3月15日 頓首再拝>
16:伝統 :

2018/03/16 (Fri) 03:08:57


《16日 希望は実現の母》

「希望は実現の母である」と生長の家の”智慧の言葉“に書かれているのである。

あなたの心の底深く催して来るところの願いは、
既に実相鬼於いて成就しているのである。
これを「みこころが既に天に成る」というのである。

それを現実世界に実現することを
「みこころのに天に成るが如く、地にも成らせ給え」というのである。

「天」とは「実相世界」のことである。
実際、一切の善きものは既にそれが実相世界に存在するのである。

存在しないものを此処に持ち来すのは難しいであろうけれども、
既に存在するものを、「其処から此処へ」というふうに持って来ればよいのであるから、
それは少しもむずかしい事はないのである。

それをむずかしいと感ずるのは、
実相の世界に既にそれが成就していることを自覚しないで、
「むずかしい」と勝手に自己否定してしまうからである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P73) より

           <感謝合掌 平成30年3月16日 頓首再拝>
17:伝統 :

2018/03/17 (Sat) 03:24:21


《17日 信じて祈れ》

「汝らの中(うち)、もし智慧の説くる者あらば、また惜しむ事なく、
凡(すべ)の人に与うる神に求むべし、然(さ)らば与えられん。

但(ただ)し疑うことなく、信仰をもて求むべし。
疑う者は、風に動かされて翻(ひるが)える海の波のごときなり、
斯(かか)る人は、主(しゅ)より何物をも受くと思うな」と、
ヤコブ書第一章には書かれているのである。

吾々は神の子として、すべての善きものは与えられているのである。

しかし、時間空間で限られている現象界にすべてのものが、
一ぺんにあたわれて来たら却(かえ)って困るようになるので、
テレビと同じように自分の選ぶ番組をあらわすためにどのチャンネルに波長を
合わすか、選局の自由があたえられているのである。

そのチャンネルを合わす方法が信じて祈るということである。
信じて祈りて、「既にそれは与えられております。有りがとうございます」
と感謝するとき、放送局のスタジオで実演されていることが
テレビのブラウン管面にあらわれて来るように、

実相世界の善き番組のうち、求むる番組があなたの運命として
あらわれて来るようになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P73~74) より

           <感謝合掌 平成30年3月17日 頓首再拝>
18:伝統 :

2018/03/18 (Sun) 03:30:58


《18日 愛の磁石的ちから》

あなたは ”神の子“である。

あなたは ”神の子“であるから、神の無限の智慧がやどっているのである。
その智慧を呼び出して来るとき、如何なる環境に処しても
最も適当な処置がとれることになるのである。

あなたは”神の子“である。

神は ”無現の愛“であるから、
あなたにも神の”無現の愛“が宿っているのである。

愛は磁石的ちからである。
その無限の“愛”をあなたが実行に移す時、即ち愛を実践するとき、
あなたの内なる愛の磁石的ちからが活性化して、あなたの周囲に
あなたにとって必要なものを何でも引き寄せてくれるのである。

愛する者は愛されるのである。
与える者は与えられるのである。
愛が健康の源泉でもあれば、繁栄の原理でもある。

 
あなたは、生長の家から教えられた真理によって少しでも、
自己が啓発され、得る処があったならば、それを他(た)に伝えるべきである。

そのようにするとき、更に大いなる祝福があなたに与えられることになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P74~75) より

           <感謝合掌 平成30年3月18日 頓首再拝>
19:伝統 :

2018/03/19 (Mon) 03:16:11


《19日 取り越し苦労を止める》

誰でも愉快に楽しく生活したいのである。
それなのに心配や取越苦労ををして、生活から楽しさを取り去り、
勝手に生活を暗い、楽しくないものにしているのである。

ある人は健康について思い煩い、或る人は経済問題について思い煩い、
そして其の最も心配し思い煩うところのものを自分に引き寄せて
苦しんでいるのである。

心配や取越苦労をしたからとて、健康がよくなる訳でも、
経済が楽になる訳でもなく、心配や憂鬱で、心を曇らせた時に想いついた事などは、
心が曇らせているから良い智慧が思い浮かばないのである。


本当に問題を解決するには、先ず心が明るくなり、自分の心が神と波長が合う
ようになり、神の智慧が受信されて来るようにならなければならないのである。

誰でも、本当は自分が主人公であるから、自分の心を支配して、
「心配するな、思い煩って何になるか? 神がお前を守っていられるではないか」
と自分の心に命令することができるのである。

このように命令して、あなたの心の思い煩いを解くがよい。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P75~76) より

           <感謝合掌 平成30年3月19日 頓首再拝>
20:伝統 :

2018/03/20 (Tue) 04:05:15


《20日 「スミヨシノオホミカミ」》

創造の神は悦びの神、生みの神、龍宮の神、無限供給の神、住吉世界の住吉の神、
極楽世界の無量寿仏、それに連絡するとき不老となる神、浦島太郎の神である。

神想観によって此の神との一体感を得ることが必要である。
此の神と一体となる時如何なる不幸も解消して幸福となること恰(あたか)も、
龍宮海に伴われた浦島太郎の如くである。


常に「スミヨシノオホミカミ」と念じて、この神と一体となり、
「住吉の世界」を現象の世界に持ち来たして、
此処を住吉の極楽世界と化すべきである。

「スミヨシノオホミカミ」と念ずるとき、あなた全存在に、
生命(せいめい)を新生させ賦活する新しき神のいのち流れ入(い)って
あなたの全存在が新しく健康に甦る、無理な緊張がなくなり、

心は明るさにやすらぎ、平和と安心感とが
あなたの全存在に行(ゆ)き亘(わた)る。

新しき智慧はインスピレーションとなって湧き出で、
行き詰まっていた問題は解決の道を見出すのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P76~77) より

           <感謝合掌 平成30年3月20日 頓首再拝>
21:伝統 :

2018/03/21 (Wed) 03:23:42

《21日 無 我 の 愛 》

「兄弟の愛を常に保つべし。見知らぬ人に対し愛を与えることを忘れるな。
見知らぬ人に愛(深切)を与えることにより、その人は知らず識(し)らず
天の使(つかい)に愛の歓待を施したことになる」と
「ヘブル書」に書かれているのである。

知った人、懇親の人のみに愛を与えるのには、自分の執着による
依怙贔屓(えこひいき)がはいっていて、「無我の愛」とは言いがたいのである。

電車や汽車に乗った時、その隣にいる人に生長の家の教えを伝えてあげるのも、
見知らぬ人に愛を施すことである。

知らず識(し)らず天の使を歓待していることになり、其の後、その天の使が
大いに人類光明化運動に活躍して下さることにもなるのである。

 
若し誰かが失敗したならば、それは「現象」であり、
「現象」は実在ではなく仮の相(すがた)があらわれているのであるから、
現象の悪をつかまえて責めることなく、其の人の内なる実相が「神の子」であり
完全であるということを、瞑目して一心に念じ(又は祈っ)てあげることが、
「兄弟の愛を保つ」ということなのである。

深くその人の実相の完全さを祈ってあげれば、自分の祈りの深さに応じて、
その人の実相の完全さがあらわれ、その人が立派になるものである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P77~78) より

           <感謝合掌 平成30年3月21日 頓首再拝>
22:伝統 :

2018/03/22 (Thu) 03:20:43


《22日 神 か ら の 採 点 》

真の成功というものは、世間的は名誉を得ることでも、
多くの票数を無理をして掻き集め得たということでもない。
その人が如何に神の御(み)こころに一致した行動をしたかどうかということである。

つまり人間の票数を多くかき集めることではなく、
神からの採点を高く得ることが真の成功である。

また真の成功はある目標に到達したという
其の「目標」の到達のみが成功ではないのである。
目標に到達する途中で、その人が魂に何を得たかが
その人の成功の一つの示標ともなるのである。

また、その目標に到達する途中で、神の眼から見て、反則をしなかったか、
不道徳をしなかったかということで、採点がかわって来るのである。

レスリングでもボクシングでも反則は減点である。
現象的に目的を達成するだけが魂の方での目的ではないのである。

つねに魂の方向に神から最高点をつけて貰(もら)うようにすることこそ肝要である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P78) より

           <感謝合掌 平成30年3月22日 頓首再拝>
23:伝統 :

2018/03/23 (Fri) 03:43:46


《23日 「今」 新 生 す る 》

神は常に吾らに新しき日を与え給うているのである。
朝々が常にその人にとって「新生」なのである。

神は、「今」新生するとき、過去をもって責め給うことはないのである。
神が「今」を吾々に与え給うことを、神に対して感謝しようではありませんか? 

過去の何があったであろうとも、それは既に過ぎ去ったのである。
「今」は一切の過去を変貌される力をもっているのである。
「今」ここに自分の生命(いのち)に神が在(まし)ますことを自覚したとき、
それは自己の魂に燈(ひ)をともされたのと同じことなのである。

 
過去の一切の悪も業も罪も、闇(やみ)と同じような仮存在に過ぎないのである。
闇は実在するかのように見えるけれども、それは「光りの非存在」の
仮の相(すがた)であって、光さえ射し込ませれば消えるのである。

それと同じく、「今」自己の内に神が存在し給うことを本当に自覚するとき、
過去に如何なる罪や因縁や業があるかの如く見えていても、
それは消えてしまうのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P78~79) より

           <感謝合掌 平成30年3月23日 頓首再拝>
24:伝統 :

2018/03/24 (Sat) 03:16:14


《24日 相手の姿は自分の心の影 》

私たちは往々他の人の悪や欠点をみとめて、それに腹を立て、
苛酷に非難することがあるけれども、それは自分の心の影であることがある。

自分が彼に対して苛酷な考えをもっているから、彼が自分に対して苛酷にあらわれ、
或いは「悪人」の如くあらわれて見えるのである。

彼に対する、こちらの考えを変えれば、彼が変わることになるのである。


先ず神想観を修して自分自身が神の愛にみたされ、
すべての人々を赦し得る心境となり、

然る後、彼もまた神の愛にみたされ、
全然悪意なき神の子となっている姿を心の中に描いて、
それを凝視するがよいのである。

やがて其の人の神性があらわれて、その人が過去を懺悔し、あやまりに来て
善人になるような実例が随分たびたびあるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P79~80) より

           <感謝合掌 平成30年3月24日 頓首再拝>
25:伝統 :

2018/03/25 (Sun) 03:54:02

《25日 失敗も必要な体験 》

人は失敗と見えるときにも、それは失敗ではないのである。
「随分彼はまずいことをやったな」と常識から見て考えられる時にも、
彼にも神は宿っていて、神が彼を導いて、或る必要な体験を積ましめ給いつつ
あるのだから、ただ彼の表面の行為を見て単に非難するだけではいけないのである。


人が不幸に陥っているのを見て、
「生長の家の教えを信じないから、そのような不幸に逢うのだ」と言ったりして、
人が不幸を嘲笑するような心を起してはならないのである。

むしろ、あの人に何故もっと充分”生長の家”を知らせる事ができないで、
あんな事になったのかと、自分が彼に真理を知らせてやる努力が乏しかったことを
「済みません」と反省し、お詫びする心にならなければならないのである。

そして其の人に神の祝福が天降って導き給い、今度は不幸に逢わず、失敗せずに、
幸福に繁栄して生活し得ることを強く心に念じ、祈ってあげるのがよいのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P80~81) より

           <感謝合掌 平成30年3月25日 頓首再拝>
26:伝統 :

2018/03/26 (Mon) 03:22:37


《26日 実相を祈り顕(だ)す 》

常に実相の完全さを祈り念ぜよ。

人の悪口がゴシップの話材に出たときには、
皆と一緒にその人の悪口をいうことなく、

静かに「彼(その人)も神の子であり、神性が宿っているのであるから、
今後は屹度(きっと)よい事をするに相違ない」と念じてあげるのがよい。

人が病気にかかって苦しんでいるということをきいたら、
「神はその人を護りたまうて、病は最早(もは)や消えてしまったのである」と
念じてあげるのがよい。

これが実相を祈り顕(だ)すということである。

 
自分と誰かの間に誤解があって争いや葛藤があるときに、それを解決する道は、
先ず自分の心を平和にして、「彼と自分とが神の愛に包まれて完全に調和していて、
互いに何らの誤解も争いも存在しない」と念ずるがよいのである。

心の奥底に、この平和と調和の念が深く打ち建てられたら、
自然に現象界の紛争は解決せられることになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P81) より

           <感謝合掌 平成30年3月26日 頓首再拝>
27:伝統 :

2018/03/27 (Tue) 03:46:20


《27日 山頂に昇りつく途中 》

いつまでも人を見て、「気に食わぬ」という気がするのは、
相手が悪いよりは、自分に一種の先入観や、一定の尺度があって、
自分ぎめの善の標準や尺度に異なる者を、
みんな「悪い」と独断する癖があるからである。

それぞれの人々は、それぞれの道を通して、
(それは今行く道が間違っているかも知れないが)そのような道を通れば、
このような結果になるいうことを体験を通して勉強しつつあるのである。


ある人の現在の状態は、決して、その人の最後的状態ではないのである。
それは「実相」の山頂に登り着くための途中の登山道の風光に過ぎないのである。
やがて彼も「実相」の山頂に登りつめる時が来るのである。

その事を信じて、その人のために祈りましょう。

いっぺん位、生長の家を勧めてみて、入信しなかったからといって、
失望してその人を見棄ててしまうのは愛が足りないのである。

その後もたびたび訪問して真理の話をしてあげるのがよい。

一度でピンと来なかった人も、やがて心の扉がひらいて
真理を傾聴するようになるにちがいない。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P82) より

           <感謝合掌 平成30年3月27日 頓首再拝>
28:伝統 :

2018/03/28 (Wed) 03:03:48


《28日 陰極は必ず陽転する 》

何事がやって来ても、驚いたり、うろたえたりしてはならない。

つねに神想観をして、神との一体感を深めている者には、
常に神が護っていられるのであるから、
根本的に困るような事はやって来る気遣いはないのである。

陰極は必ず陽転するのである。
最も暗い丑満時が過ぎれば、もう明け方は近いのである。
いつまでも冬はないのである。必ず春が来るのである。

いつまでも冬がつづいて、到底暖かい太陽を見ることは出来ないと
失望して死んだ者のみが、ついに春を見ないで終るだけのことである。

すべてのものは変化するのである。
困難のみが固定して動かないということはない。

神の愛のみは変わらないで常に護り常に導いていられるのである。
恐れてはならない。

「板本尊」は物質であるから、常に携帯して歩く訳にはゆかないけれど、
神は普遍に存在したまうから、神に祈り、神想観し、
常に波長を合わす習慣をつけて置けば常に神の護りの中にあるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P82~83) より

           <感謝合掌 平成30年3月28日 頓首再拝>
29:伝統 :

2018/03/29 (Thu) 03:38:15


《29日 人生を闘いと思うべからず 》

生活と闘っているというような人生観をもってはならない。
闘いというものは常に勝敗を予想しているものであるから、
常に警戒し常に恐れ、常にイライラしていなければならない。

そのような気持では、真の平和も幸福も来らないのである。

或る西洋の光明思想家の詩に

「われは我が戦いをたたかえるに非ず、われは我が歌をうたえるなり」

という句があるが、そのような気持こそ、本当の人間の生活なのである。


『法華経』の「自我偈」には実相世界の状態を描いて
「諸天天鼓(しょうてんてんく)を撃(う)ち・・・
衆生の遊楽するところなり」 と書かれているのである。

其処に刻苦闘争のすがたなどは少しも暗示されていないのである。
ただ自分の好む歌をうたうように、ただ楽々と、与えられた天地に
与えられた使命を実践しておれば一切の善きものが整う有様(ありさま)が
描かれているのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P83~84) より

           <感謝合掌 平成30年3月29日 頓首再拝>
30:伝統 :

2018/03/30 (Fri) 03:14:16


今は技術革新の時代であると共に、経営管理の革新時代でもある。

毎日神想観して、神に対して波長を合わし、
新しきアイディアを神から授かる者が、
実業界でも勝利を得ることになるのである。

神想観中に

「神は毎日一層わが事業の発展のために新しきアイディアを加え給う。
私は心をむなしくして神のみこころに傾聴し奉る。
神から啓示し給う新しきアイディアに対し素直な心をもってそれを感受するのである」

と念じて本当に素直なる受身の気持ちで啓示を期待することにしていると、
神想観中にそのヒントが思い浮かんで来る事もあるが、
聖経『甘露の法雨』の読誦中に啓示が来ることもあり、

また、仕事中に、よきアイディアが浮かんで来ることもあり、
誰かが良い考えを持って来て話してくれることもあるのである。

それを素直に受けて、直ぐ実践に移ることが必要である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P84~85) より

           <感謝合掌 平成30年3月30日 頓首再拝>
31:伝統 :

2018/03/31 (Sat) 03:23:51

すべての生活を、祈りに始まって祈りに終わる生活となせ。
祈りは“神の心”と“人間の心“との波長を合わす最良の道である。

”神の世界“には一切の良きものが
「アイディアの形」又は「理念」として存在するのであり、
”神の世界“に波長を合わす事によって、その欲するものを受像して、
現象界に具体化することができるようになるのである。


吾々は常識的に判断して現象的には到底不可能だと見える問題に面すると、
もう常識的判断だけで“迚(とて)も駄目だ”と見切りをつけて、
祈ることすらも抛棄(ほうき)してしまうことがあり勝ちであるのである。

併(しか)し、それが正しい要求である限り、
常識的判断で”到底駄目“と見える事でも、
神に於いては不可能なことはないのである。

どんな失敗でも、神はそれを償うてあまりある救済策を与え給うのである。
如何なる複雑な問題でも神によって解決できない問題はないのである。

どんな面倒な人間関係でも、神の愛がそこにあらわれるとき、
何人もみな満足できるような解決に到達し得るのである。

どんな悪癖悪習慣でも例えば麻薬の中毒患者でも。
神の力が発現するならば矯正できない種類のものはないのである。

ヒロポンの中毒患者が、注射を中断すると
恐ろしい禁断症状で苦しむのが普通であるが、
飛田給の生長の家練成道場で神想観をし、神との一体感を深め、

「人間・神の子、ヒロポン中毒本来無し」の自覚に入ると、
忽ちにして中毒症状は去り、自然に注射がいらなくなり、
注射を止(や)めても、少しも禁断症で苦しまずに
健康な生活に移行し得た実例も屡々(しばしば)あるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P85~86) より

           <感謝合掌 平成30年3月31日 頓首再拝>


・・・

<参考Web>

(1)ひかりの一日一言①
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552 

(2)ひかりの一日一言②
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787

(3)ひかりの一日一言③
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650

(4)ひかりの一日一言④
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684

(5)ひかりの一日一言⑤
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6558249

(6)ひかりの一日一言⑥
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584563

(7)ひかりの一日一言⑦
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774

(8)ひかりの一日一言⑧
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661

(9)ひかりの一日一言⑨
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6681257

(10)ひかりの一日一言⑩
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711243

(11)ひかりの一日一言⑪
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6745089

(12)ひかりの一日一言⑫
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6778844


<以下は、「幸福を招く365章」より」>

(13)ひかりの一日一言⑬~幸・不幸の岐れ道
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818439

(14)ひかりの一日一言⑭~意識を高く昇らせよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866429

(15)ひかりの一日一言⑮~理想を高く掲げよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754

(16)ひかりの一日一言⑯~心霊への目覚め
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6929870

(17)ひかりの一日一言⑰~健康への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6962847

(18)ひかりの一日一言⑱~寿福への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6990572

(19)ひかりの一日一言⑲~愛を人生に処方して
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7021791

(20)ひかりの一日一言⑳~祈りを生活に処方して 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7058416

(21)ひかりの一日一言21~あなたも神癒が受けられる 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7097406

(22)ひかりの一日一言22~光に向う我が運命 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7149847

(23)ひかりの一日一言23~正しき想念の使い方 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7190605

(24)ひかりの一日一言24~われ肉体以上のもの
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7274701


<以下は、「生活の智慧365章」より」>

(25)ひかりの一日一言25~幸福はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235

(26)ひかりの一日一言26~悦びはどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7557795

(27)ひかりの一日一言27~智慧はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7575483

(28)ひかりの一日一言28~無限の供給を受ける道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7590764

(29)ひかりの一日一言29~失敗から立ち上がる道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7606832

(30)ひかりの一日一言30~豊かさを得る道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7630690

(31)ひかりの一日一言31~肉体の苦痛はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7645085

(32)ひかりの一日一言32~治癒する力はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7658207

(33)ひかりの一日一言33~若さと元気はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7669112

(34)ひかりの一日一言34~〝神〟を生活の中に生きるには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7686486

(35)ひかりの一日一言35~自己の本質を知るには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703081

光明日訓(平成28年版)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538248

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