伝統板・第二

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長寿(聖典篇) - 夕刻版

2018/02/24 (Sat) 19:08:24

このスレッドでは、聖典から、長寿に関連した真理の言葉を紹介してまいります。


《達者で長生きするには》

           *「眞理」第一巻入門篇(P18~19)より

無用の者は亡(ほろ)びる。有用の者となることです。
会社を罷(や)めて恩給を貰い働かなくても生きられるようになった時、
人間は急に老いぼれ始めます。

人間は世の中に役に立つように此の世に生まれさせて頂いたのですから、
世の中の役に役に立たぬようになった時、その人間はこの世から免職になる。
此の世から免職になるとは病気になって死ぬことです。 

世の中に腹立つ人の必要はない。
癇癪(かんしゃく)の必要はない。
だから癇癪起こす者は病気になって寿命を縮(ち)じまる。 

世の中に悲しみの必要はない。
悲しめば世の中は暗くなるからだ。
それだから必要でない悲しみを起こす人は、病気になって寿命(いのち)が縮まる。 

世の中に悪口の必要はない。
悪口を云う人が多ければ多いほど此の世は住みにくくなり、此の世は不愉快になるからだ。
必要で無い悪口を製造する人は病気になって寿命が縮まる。

この世に必要でない人間は滅び、
この世に必要な人間ばかりが達者になって栄えるように出来ているのです。


・・・

<参考 Web>

(1)伝統板・第二「寿命100歳」時代の生き方
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6654243

(2)伝統板・第二「長寿、超元気の秘訣」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6569854



(3)光明掲示板・第三「長寿」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=105 

(4)光明掲示板・伝統・第一「長寿 (79)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=49

(5)伝統板・第二「長寿 ①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6462212

(4)伝統板・第二「長寿 ②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6794392

(6)伝統板・第二「長寿 ③」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7654050

(6)伝統板・第二「長寿 ④」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703450


           <感謝合掌 平成30年2月24日 頓首再拝>

「老衰と虚弱を去るには」 - 伝統

2018/02/28 (Wed) 17:47:13


          *「真理」第9巻生活篇(P22~23)より

潜在意識を改造して「若さ」の暗示で満たすことが、
あなたの肉体を「老衰」に導かない唯一の道であります。

多くの人々が年齢相応に老衰の状態をあらわすのは、
一般の人々の「老衰観念」に暗示されて、
その暗示に従って潜在意識が活動するからです。

だから年齢が老けて来るほど、私達は絶え間なく「私は若いのだ」
と云う暗示を、馬に拍車をかけるように、潜在意識に与えなければなりません。

過去に「老衰」や「虚弱」や「××慢性病」と云うような観念を、
潜在意識に烙印している人は、尚一層その反対の「若さ」「強健」「神の子・無病」の
観念を繰り返して暗示して、過去の潜在意識の傾向を塗り消してしまわなければなりません。

そのためには「人間・神の子、本来老病死なし」の真理を
『生命の實相』第1~4巻で繰り返して読み、神想観を実修しなさい。

          <感謝合掌 平成30年2月28日 頓首再拝>

老衰を避けるには - 伝統

2018/03/05 (Mon) 19:21:26


           *「幸福を招く365章」(P164~165)より

人間は物質的肉体だと云う信念から人間は老衰するのである。
この観念は人類一般に共通的に懐かれている考えであり、
それが集まって「人類意識」と云う大いなる意識の海原をなしているのである。

人間はこの人類の一員として人類意識の影響を受けることなしに生活することは難しい。
従って、「人間は老衰する」と云う観念から完全に超出することは極めて困難である。
従って真理を知ったと云う人でも多少は老衰して行きつつあるのである。

だからと云って「仕方がない」と人類意識の波のまにまに
沈没せしめられてしまってはならないのである。

老衰を避けるには、先ず人間は肉体的存在だと云う観念を「人間は霊的存在であり、
霊は老いず、傷つかず、病まざるものである」と云う観念に置き換えることが必要である。

          <感謝合掌 平成30年3月5日 頓首再拝>

地上の寿命は予定されているけれども - 伝統

2018/03/20 (Tue) 17:23:47


          *「人生を支配する先祖供養」(P101)より

私たちの地上の寿命は、だいたい予定されているのである。
謂わば地球生活への出張期間が受胎のときに既に任期何年何ヶ月という風に
きめられているのである。

しかし、大抵その任期一ぱいに地上に生活し得る人は少ないのである。

大抵の人は、正しい生活法を守らず、正しい健康の法則を守らず、
更に地上に任命された役割を果さず他の人の迷惑になることをかまわず、
勝手気儘(きまま)な不規則な生活を送っているために、

恰も折角、優秀な社員として海外出張を命じてあるのに、その任務をつくさないで
放埓(ほうらつ)な生活を送っているために、
任期満了にならない先に本社へ帰還命令が出て、
他へ転出せしめられる社員のように、

地球生活へのあらかじめ定められた出張期間が満了しないうちに
霊魂が霊界に召還(しょうかん)される(肉体の死)人もあるのである。

          <感謝合掌 平成30年3月20日 頓首再拝>

愛の実践はあなたに長寿と幸運を約束する - 伝統

2018/03/22 (Thu) 17:20:18


          *『神と偕に生きる真理365章』(P45)より

あなたの実相は”神の子”である。
神は愛であるから、”神の子”たるあなたには神の愛が宿っているのである。

神は無量寿の生命であり老いないのであるから、
あなたが、内に宿る神の愛を外にあらわして、
常に人々に愛を施し、常に人々に深切(しんせつ)を尽くすならば、

そこに神があらわれるのであるから、
あなたに於(お)いて、神の無量寿(むりょうじゅ)があらわれ、
あなたは長寿の生命を生き、老いる事がなくなるのである。

不老長寿の生命にまで新生するために、愛行を実践するほか仕方がないのである。

          <感謝合掌 平成30年3月22日 頓首再拝>

人間の老衰の原因に就いて - 伝統

2018/03/24 (Sat) 19:43:24


          *「女は愛の太陽だ」(P98~100)より

「心で思うとおりに身体にあらわれるのだ」と、私が嘗てある人に話したとき、
その人は反駁して、

「私は一度も、中風になるなどとも、血管が硬化するとも心で考えた事もないのに、
脳溢血を起して、このような中風になったのだから、心で思う通りに身体にあらわれる
という学説には疑問があると思う」というのであった。

その時、私はこういって答えたものである。

「自分の身体を単なる物質だとあなたは思っているでしょう。その想念の中に老衰も
あれば、血管の硬化もあるのです。物質は長く使えば禿(ち)びて来るし、空気に長く
触れたり、たびたび良質のゴムでも硬化して脆(もろ)くなってくる。

自分自身を物質的肉体だと思っている限り、古いゴムが弾力を失い、硬化して脆くなって
来るのと同じように、自分の肉体や血管が硬化して脆くなる ――
これは結局、自分の想念が思う通りにあらわれた結果ですよ」

あなたも、やっぱり、自分自身の身体を”物質”の一種だと信じているのではありませんか。

《神想観は若返りに必要か》

毎日毎日、神想観の実修を続けて、
霊的自覚の想念をいよいよますます自分の心の中に積み立てて行きなさない。

それは最初は大した効果もないかのように見えていたかも知れないけれども、
だんだん霊的自覚の想念を積み重ねて行くに従って、その霊的自覚の強度は増して、
ついにあなたの肉体を霊化するに至り、容貌を若返らせ、精力を増進し、
普通以上の健康と美とを自己の身体に実現し得ることになるのである。

「ローマは一日にして成らず」という諺の通り、それは一日や二日の神想観によって
成るのではない。忍耐強気継続的修行が必要なのである。

常に五官の感覚は周囲を見、且つ自己自身をみて、それらはすべて”物質”で
出来ていると見るのである。そして、その感覚から来る有様を毎時毎刻自分の潜在意識に、
”暗示”として注ぎこんでいるのであるから、神想観を実修して、肉眼を閉じ
五官の感覚を蕩尽して、自己を”霊身”と見る修行を重ねることによって、

五官による「汝は肉体なり」という暗示を出来るだけ速やかに拭い去ってしまう
ようにしなければならないのである。(谷口雅春著『詳説神想観』参照)

          <感謝合掌 平成30年3月24日 頓首再拝>

《老衰をふせぐには》 - 伝統

2018/03/28 (Wed) 18:39:22


      *”童子 さま”のブログ(2011/9/19)より

老年は、暦日の年数によって来るのではなく、
自分の精神が先ず『老年』を想念して肉体にその印象を刻みつけるのである。

肉体は常に新陳代謝して、古き細胞は搬び去られて、
新しき細胞をもって置換えられているのである。

それ故に、細胞それ自体は常に新しいのに、その新しい細胞をつくるときに、
自分の想念が『老齢』を刻印を押すのである。

それ故に、新しくつくられた細胞にも『老齢』の形態が刻印されるのである。

ではその『老齢』の想念は何処から来るかと云うと、
人類全体の潜在意識の中にあるのである。

”精神テレビ局”の放送電波のように空間に漂っているのである。
そして多少とも波長の類似のところへ行って受像される。

そして、テレビに映る影のように、あなたの肉体にその”老齢”の影を映すのである。
だから、自分が”老齢”の念を起すと、
それだけ人類意識の”老齢”を受像し易くなるのである。

私たちの生命は、神より受け継がれた生命であり、神は無限に若いのであるから、
私たちも無限に若いのである。

                 谷口雅春師

   ( http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/21140190.html )

          <感謝合掌 平成30年3月28日 頓首再拝>

《”死は無い”し、”老(おい)も無い”》 - 伝統

2018/04/02 (Mon) 20:09:32


         *「神と偕に生きる真理365章」(P44)より

現象の奥にある、実相を見れば、”死は無い”のである。
現象は時間の流れの中にあって移り変る。
移り変るという事は、先にあらわれていたものが消えて
次のものが顕れて来ることである。

先にあらわれていたものが 《消える》 のは
本来無いものだから消えるのである。
そんな生滅するものは 《本来ない》 のである。
本来無いものに心を引っかからせて悩むことはないのである。

移り変るものの奥にある常住なるものを見よ。
常住なるものこそ本当の実在であり、あなたの”本当の自分”であるのである。
”本当の自分”は”神の子”であり、常住不滅の存在である。

常住不滅の存在が 《あなた》 であり 《わたし》 である。
そこには”老”もなければ、”死”もないのである。

悟道の人は現象を超えて常に実相の完全さを見る。
従って現象的にもその完全さがあらわれて、
地上の使命を完(まっと)うしてから逝くのである。

          <感謝合掌 平成30年4月2日 頓首再拝>

たえず新たなる表現内容を生み出す者は、刻々若返る - 伝統

2018/04/03 (Tue) 19:13:41


    *『生命の實相』幸福篇上(第37巻)<P93(4月3日)>より

創造の心を持つかぎり病み死することはない。
創造の心を持つものは若返る。

現象世界は表現の世界であるから、表現すべき内容が心の中になくなったとき、
その人のこの世の寿命は終わったのである。

表現すべき内容がなくなった後(のち)に、もし彼が生きているならば、
それは肉体の波動の惰力が継続しているだけであって、
本当はもうその人は死んでいるのである。

たえず新たなる表現内容を生み出す者は、刻々若返る。
小児(しょうに)の生命(せいめい)が溌溂としているのは、
彼は自己のうちに新たなる表現内容を蔵しているからである。

たえず新しくなること ―― これが永遠に死なない道である。

たえず動く水は腐敗せず、水が固定状態に陥ったとき腐敗する。
生命(せいめい)の水もかくのごときものである。

            <感謝合掌 平成30年4月3日 頓首再拝>

「老(おい)」を思えば「老(おい)」があらわれます - 伝統

2018/04/06 (Fri) 19:24:22


           *「真理」第九巻生活篇(P14~15)より

「類を以て集る」と云う法則は、
心に「老(おい)」を思えば肉体に「老」があらわれる
と云う事実にもそれを立証することができます。

吾々の肉体が老衰すると云うことは一体どう云う現象でしょうか。

吾々の肉体はそんなに何十年も前につくられた細胞そのままが
停滞したままで存続しているのではないので、
最近の学説では、骨の細胞ですら、常に新陳代謝が行なわれて
数ヶ月中には新しきものと取換えられると云うことです。

況んや筋肉や皮膚の細胞は数日又は数週間中に新しきものと取換えられるのです。
ただその取換えるときに、その新細胞を老衰した状態に構成するか、
若々しき状態に構成するかの相違に過ぎないのです。

その新構成のときに、その排列を指導する精神原理が、
「老(おい)」を思い浮かべれば老衰状態に細胞組織を排列するに過ぎないのです。

          <感謝合掌 平成30年4月6日 頓首再拝>

常識を超えるところに自己限定を破る道がある - 伝統

2018/04/19 (Thu) 19:11:57


          *「幸福をひらく鍵」(P52)より

常識とは人類全体が自己限定した境界線である。

人は病むべきもの、老いざるべからざるもの、死せざるべからざるもの
―― これらは人類自身の自己限定である。

この自己限定をどの程度破るか其の破り得た程度に従って、
あなたの若さと美貌とはつづくのである。


老年の感じを捨てよ。
”神の子”は神の生命(せいめい)を宿しているのであるから、その寿命は無限である。

ただ、色々の経験を積むことによって、「実相の完全さ」をダイヤモンドのように
各方面から研(みが)き出さねばならないので、同じ環境に生まれていたのでは魂の
「研かれる面」が同じところばかりになるので、生まれ変わる必要があるために。
時期来(きた)れば、現在の「肉体を脱皮」するだけである。

それを仮に普通人は「死」と言うのであるが、人間は死ぬのではないのである。
だから「肉体を脱皮」する直前まで老衰するなどということはあり得ないのである。

老年の感じを有(も)たず、寧(むし)ろ若々しい装いをして、
誰かの為になる何かの仕事を、必ずするがよい。


人が地上に生命(せいめい)を受けるということは、霊魂(たましい)の進歩に
またと得られない立派な「地上生活学校」に入学許可になったということなのです。

霊魂(たましい)の進歩に与えられた稀有のこの機会を、
唯(ただ)、肉体の快楽や安楽のために過してはなりません。

          <感謝合掌 平成30年4月19日 頓首再拝>

「老(おい)」を思えば「老」があらわれます - 伝統

2018/04/23 (Mon) 20:07:58


         *「真理」第9巻生活篇(P14~15)より

「類を以て集る」と云う法則は、
心に「老(おい)」を思えば肉体に「老」があらわれる
と云う事実にも立証することができます。

吾々の肉体が老衰すると云うことは一体どう云う現象でしょうか。
吾々の肉体はそんなに何十年も前につくられた細胞そのままが停滞したままで
存続しているのではないので、最近の学説では、骨の細胞ですら、常に新陳代謝が
行なわれて数ヶ月中にはあたらしきものと取換えられると云う

況や筋肉や皮膚の細胞は数日又は数週間中にあたらしきものと取換えられるのです。
ただその取換えつろきに、その新細胞を老衰した状態に構成するか、
若々しき状態に構成するかの相違に過ぎないのです。

その新構成のときに、その排列を指導する精神原理が、
「老(おい)」を思い浮かべれば老衰状態に細胞組織を排列するに過ぎないのです。

          <感謝合掌 平成30年4月23日 頓首再拝>

達者で長生きするには - 伝統

2018/04/28 (Sat) 19:06:13


           *「真理」第1巻入門篇(P18~19)より

無用の者は亡(ほろ)びる。有用の者となることです。
会社を罷(や)めて恩給を貰い働かなくても生きられるようになった時、
人間は急に老いぼれ始めます。

人間は世の中に役に立つように此の世に生まれさせて頂いたのですから、
世の中の役に役に立たぬようになった時、その人間はこの世から免職になる。

此の世から免職になるとは病気になって死ぬことです。 

世の中に腹立つ人の必要は無い。
癇癪(かんしゃく)の必要は無い。
だから癇癪起こす者は病気になって寿命を縮(ち)じまる。 

世の中に悲しみの必要はない。
悲しめば世の中は暗くなるからだ。
それだから必要でない悲しみを起こす人は、病気になって寿命(いのち)が縮まる。 

世の中に悪口の必要は無い。
悪口を云う人が多ければ多いほど此の世は住みにくくなり、此の世は不愉快になるからだ。
必要でない悪口を製造する人は病気になって寿命が縮まる。

この世に必要で無い人間は滅び、
この世に必要な人間ばかりが達者になって栄えるように出来ているのです。

          <感謝合掌 平成30年4月28日 頓首再拝>

神の子は永遠に老いない - 伝統

2018/05/02 (Wed) 18:39:31


             *「女性の幸福365章」(P162)より

多くの人たちは年齢を気にし過ぎて、自分の年齢を深く自分の潜在意識にきざみつけ、
それによって一層早く老年をきざみつける結果となっているのである。

「気にすること」「思うこと」「念ずること」はすべて催眠術的な暗示となって
自分自身の容貌にきざみつけられるものなのである。

想念は一種の種であり、想うたに毎に私たちは、
その「想いの内容」の種を播きつつあるのである。
やがて其の種が発芽し生長し、果(み)を結ぶことになるのである。

あなたは”若さ”を失ってはならない。
”若さ”は肉体にはなく、”心”にあるのである。
「私は、もうこんな年になって・・・」などと考えてはならない。

「私は神の子だから永遠に老いないのである」と考えるべきである。
そして若々しい気持ちで、前途に希望をもって溌剌として行動するがよい。

「もうこの年になって、もう愛情を得る事は出来ない」などと考えないがよい。

人間は「霊」であるあkら、「霊」は時間以前のものであるから、
本来老いないのである。

肉体は「霊」の起こす想念によって振動せしめられ、その組織を、
「若く」にも「老衰」にも変化せしめるのである。

          <感謝合掌 平成30年5月2日>

不老長寿の秘薬は「心」にある - 伝統

2018/05/05 (Sat) 19:12:20


          *「生命の實相」第24巻参考篇(P35~37)より

老齢は、まず心にはじまる。
肉体に老齢が印せられるのは、心にまいた「老齢」という種子の収穫であるのである。

われわれは周囲の人々がある年齢に達すると老衰の徴候をあらわしはじめるのを見て、
自身もおよそあの年齢に達したら、同じように老衰の徴候をあらわすものだと想像するのである。

そして人間の老衰することは避くべからざることだと確信するがゆえに、
ついにいとわしい老衰の徴候が肉体にきざまれはじめる。

しかし、これが避けがたいのは、各人みずからの心が老衰を避けがたいと信ずるためと、
人類全体の習慣的信念がまた老衰を避けがたいとしているからで、何事もまず心にはじまるのだ。

もし、断固として人間が老衰すべきものだとの信念を駆除するに成功するならば、
そしてもしわれわれが青年的理想を高くかかげ、つねに若々しき希望と陽気とにみちた思想を
いだくようにするならば、老齢はその影を肉体にどうしたって、刻むことはできないのだ。

不老長寿の秘薬は「心」にあるのであって、はかのどこにもない。
若く見せようとして若々しい着物を着、若々しい化粧をしたからとて
若くなるものではないのだ。

何よりもわれらはまず自分は年をとりつつあるとの心の念いを打ち破らなくてはならぬ。
年をとりつつあるあるとの念いが心のうちに根を張っている以上
若々しい衣装や化粧が肉体を若返らす力はほとんどないといってよいのだ。

信念をまずかえねばならぬ。
年齢を肉体に彫刻した念いをまずくつがえしてしまわねばならないのだ。

自分は若いのだ! 
かく感ずる永遠の若さの信念をもて! 

この信念をもつときすでに諸君は老齢との戦いに第一塁をおとしいれたのである。
これを信ぜよ
―― 年齢について自身が心にいだく念いはすべて肉体にあらわれてくるものであることを。

肉体は心の習慣的念(おもい)、習慣的感じのあらわれであるから、あなたが今まで
どんなに長くこの世に生きながらえたからって、遠慮なしに自身を若いと思え。
これはあなたが永遠の若さをいつまでも失わぬようになるために非常な妨げとなるのだ。

神は永遠に若い。
神の子は永遠に若くてよいのだ。

晴々した、陽気な、楽天的な希望をもった、
愉快な青年のすがたを輝かしく描いて、
それを自分自身であると思え。

青年の持ちまえである若々しい夢と理想と希望と、
あらゆる輝かしい若さを自分自身のものであると思え。

この考えほど自分自身の年齢の歩みを遅らすものはないのだ。

          <感謝合掌 平成30年5月5日 頓首再拝>

老衰を避けるには - 伝統

2018/05/10 (Thu) 20:10:15


        *「幸福を招く365章」(P164~165)より

人間は物質的肉体だと云う信念から人間は老衰するのである。
この観念は人類一般に共通的に懐かれている考えであり、
それが集まって「人類意識」と云う大いなる意識の海原をなしているのである。

人間はこの人類の一員として人類意識の影響を受けることなしに生活することは難しい。
従って、「人間は老衰する」と云う観念から完全に超出することは極めて困難である。
従って真理を知ったと云う人でも多少は老衰して行きつつあるのである。

だからと云って「仕方がない」と人類意識の波のまにまに
沈没せしめられてしまってはならないのである。

老衰を避けるには、先ず人間は肉体的存在だと云う観念を「人間は霊的存在であり、
霊は老いず、傷つかず、病まざるものである」と云う観念に置き換えることが必要である。

          <感謝合掌 平成30年5月10日 頓首再拝>

《老人の心境》 - 伝統

2018/05/14 (Mon) 19:14:14


         *「唯神実相の世界を説く」(P176)より


老人の苦しみなんていうものは、皆さん知らないでしょう・・

(中略)

耳が遠くなるということは、聞くちからの音の種類が
違うということ、聞こえていながら意味がはっきりしない。

聞こえているけれども、アとカとサが同じように聞こえる・・
近くにいてもアがカに聞こえたり、意味がぜんぜん違うように受け取る。

(中略)

お便所へ行こうと思っても起きられない。
ブイブイのコガネムシをあおむけに寝かせたように起きられないのです。

小便はしたくなる、体はブイブイみたいになって・・
自分が老人になって初めて老人の苦しみを知ることができる。

そして本当に《老人を愛する慈悲》というものがそこから湧きいでてくる。

          <感謝合掌 平成30年5月14日 頓首再拝>

《人間は本来老いないものである》 - 伝統

2018/05/17 (Thu) 18:46:50


        *『生長の家』(昭和24年11月9日)の法語より

   生老病死の苦しみの第二は 老苦である。
   老いて見苦しくなる苦しみ
   老いて体が不自由になる苦しみなどである。

   何故吾々は老いなければならないのであろうか。
   
   人間は神の自己実現として永遠に老いず死なざるもの
   でなければならないのである。

   吾々の肉体細胞は常に新たに新しき養分によって造られているのである。

   年齢の上では、かりに五十歳六十歳というけれども、
   吾々の肉体細胞は常に新たに造られたものなのである。

   だから老衰はあり得ないことなのであり、
   それをあるかの如く現わすのは自分の心が老いてくるからにすぎないのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102


          <感謝合掌 平成30年5月17日 頓首再拝>

真理の言葉で、長寿を得る - 伝統

2018/05/20 (Sun) 18:24:50


     *「生活応用 健全の真理」第6章ヨガナンダの精神治療理論(P101)より

ヨガナンダは人間の肉体の死をも否定しているのである。

「もし吾々が完全なる精神的訓練を積むならば
その精神力の集中によって死をも征服し得(う)る」

と彼は云うのであるが、たとい、現在の人間の知識に従って、肉体の死が
必然の終局として訪れなければならぬものであるにしても、
彼は決して人間には一定の定命(じょうみょう)というものはないと
しているのである。

もし一定の定命(じょうみょう)があっても 魂の底深く横たわる
普遍意識の力によってそれを修正することができるといっているのである。

だからこの魂の底に横たわる普遍意識に対して強烈に真理の言葉をささやきかけ、
凡(あら)ゆる不安と、疑いと、恐怖から自由になれば、
それだけ長寿を得るのである。

そのために、「真理の言葉」を潜在意識及び普遍意識につぎ込むための
案内者たる光は「注意力」の《集中》と《熱情》《信仰》であるといっている。

その力が強ければ強い程潜在意識及び普遍意識に真理のヴァイブレーションを
より一そう強く印象することができるのである。

          <感謝合掌 平成30年5月20日 頓首再拝> 

《自然は必ず価いを要求する》 - 伝統

2018/05/25 (Fri) 17:26:11


        *『 生長の家 』(昭和24年9月12日の法語)より

   長生きをするためには、気が短いようではいかぬ。
   ゆっくり‘のんびり’として着々と生きることである。

   青年期にその生活を無駄なことに使ったものは
   中年期以後 速かに老いるのである。

   文化はリビドーの昇華せるものであるから
   青年期にリビドーを余りつまらない方面に使いすぎると
   能力が速に衰退する。

   自然は青年期に享楽した者の代価を
   老年期が近づいて来た時、急に支払請求をするものである。
   速なる老衰は青年期の享楽の強制支払である。

   健康は値なしには継続しないのである。
   自然は常に値いを要求するのである。

   肥料なしに毎年立派な果実を
   その樹から得ようと思ってはならない。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31

         <感謝合掌 平成30年5月25日 頓首再拝>

《人間は本来老いないものである》 - 伝統

2018/05/27 (Sun) 20:17:26


          *『 生長の家 』(昭和24年11月9日の法語)より

   生老病死の苦しみの第二は 老苦である。
   老いて見苦しくなる苦しみ
   老いて体が不自由になる苦しみなどである。

   何故吾々は老いなければならないのであろうか。
   
   人間は神の自己実現として永遠に老いず死なざるもの
   でなければならないのである。

   吾々の肉体細胞は常に新たに新しき養分によって
   造られているのである。

   年齢の上では、かりに五十歳六十歳というけれども、
   吾々の肉体細胞は常に新たに造られたものなのである。

   だから老衰はあり得ないことなのであり、
   それをあるかの如く現わすのは
   自分の心が老いてくるからにすぎないのである。

   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

         <感謝合掌 平成30年5月27日 頓首再拝>

《人が老いないためには》 - 伝統

2018/06/05 (Tue) 18:57:44


          *『幸福を招く365章』第10項(P210~211) より

神は我等をつくりたもうただけではなく、
絶えず我等を新生せしめ給いつつあるのである。

人間は「既成の人間」としてその儘(まま)、
老い古びてしまうような存在ではないのである。

常に若返り、常に不浄物は浄められ、
常に疲労は回復せしめられつつあるのである。
 
若しあなたが年令の進むにつれて若返ることなく老いて行くとすれば、
それはあなたの生活に何か間違っている所があるからである。

人間は物質だと云う観念は人間を老いさせるものである。
年とれば老いるという観念もまた然り。

心の平和を失ったことはないか、
正しい食物を正しい方法で正しい分量にとっているか、
と云うようなことも亦(また)考えてみなければならない。

人生の行路は焦ってはならない。

悠々自適、しかも不断に仕事をすることも老いない道である。

            <感謝合掌 平成30年6月5日 頓首再拝>

《新陳代謝と老衰》 - 伝統

2018/06/09 (Sat) 18:42:37


      *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P148~149) より

常に新陳代謝の行われている人体は、或る生理学者の説によると、
人体の柔らかい部分の組織は、もう2ヵ月もたったら殆ど過去の細胞は死滅して
運び出され、新しい細胞によって、再組織せられているということである。
(脳細胞だけは別である。)

それなのに、その人体の構造や形態が、数ヵ月前の今日(きょう)も全く同じき
構造をもっているというのは、如何なる理由によるのであろうか。

それは電子計算機のように自動的にそれが計算されて、
新しい細胞が自動的に元の位置を占めるからであろうか。

自動的に、そのような新陳代謝が行われるのだったら、
全く同じき変わらない構造をもっている人体は老衰し、皮膚はしわみ、
精力は衰えて行くのは何故であろうか。

人体の電子計算機が不完全な為なのであろうか。
それとも、人体は物質であるから、電子計算機でも、
それが物質で出来ている限りに於て長期間使っているうちには全体が摩耗して、
ちびて来るからであろうか。

併し新陳代謝の行われない物質の機械では禿(ち)びて来て長期間には
使いものにならなくなるのは当然だけれども、

人体は新陳代謝が行われているから、長期間使用して禿(ち)びて来て
使いものにならない場合は、その部分は、新しい細胞がその組織を再造してくれるから、
それだけでは老衰の原因の説明にはならないのである。

           <感謝合掌 平成30年6月9日 頓首再拝>

《人が老いないためには》 - 伝統

2018/06/22 (Fri) 17:42:19


      *『幸福を招く365章』第10項(P210~211) より

神は我等をつくりたもうただけではなく、
絶えず我等を新生せしめ給いつつあるのである。

人間は「既成の人間」としてその儘(まま)、
老い古びてしまうような存在ではないのである。

常に若返り、常に不浄物は浄められ、
常に疲労は回復せしめられつつあるのである。
 
若しあなたが年令の進むにつれて若返ることなく老いて行くとすれば、
それはあなたの生活に何か間違っている所があるからである。

人間は物質だと云う観念は人間を老いさせるものである。
年とれば老いるという観念もまた然り。

心の平和を失ったことはないか、
正しい食物を正しい方法で正しい分量にとっているか、
と云うようなことも亦(また)考えてみなければならない。

人生の行路は焦ってはならない。

悠々自適、しかも不断に仕事をすることも老いない道である。

           <感謝合掌 平成30年6月22日 頓首再拝>

人は向上する限り老いない - 伝統

2018/06/27 (Wed) 17:52:16


        *「人生読本」(P27~28)より

生きているから伸びる

私達がなおなお、いっそうよくなり偉くなりたいのは、
私達自身の本来の性質なのです。

山野(やまの)の草木は春が来たらスクスク伸びるでしょう。

これは他(ひと)より偉くなって、他(ひと)を突き倒して、
自分だけが偉がるためではありません。

草木には生命(いのち)というものがある。
生命(いのち)のあるものは何でも伸びるのです。

生命(いのち)の無くなった枯木なら伸びません。
生命というものは伸びるものなのです。

私達も生きているから生命(いのち)がある。
生命(いのち)があるから伸びるのです。

伸びないものには生命(いのち)がありません。
伸びなければ生命(いのち)があっても無いのと同じことです。

生命(いのち)は伸びるのが本来(うまれつき)なのですから、
伸びなければ不快を感ずるのです。
伸びなければ喜びを感じられないのです。

だから生命(いのち)が伸びるのです。

他(ひと)を突き倒すためではありません。
虚栄心ではありません。
いばるためではありません。

私達には生命(いのち)があるのです。
生命(せいめい)があるのです。

では、生命(せいめい)のある私達は伸びよう、
どこまでも伸びて行こうではありませんか。

           <感謝合掌 平成30年6月27日 頓首再拝>

「若さ」は年齢ではなく、心の問題です - 伝統

2018/07/02 (Mon) 19:38:33


         *『愛はかくして完成す』(P282~283) より

あなたが若返ろうと思うならば、若い溌溂とした心をお持ちなさい。
若いから元気があるのではなく、若い溌溂とした心を持っているから
若いのです。

「若さ」は年齢の問題ではないのです。
心の問題であるのです。

心を若々しくもって、常に新しき事を勉強する事、
そして常に進歩すること、
常に愛すること、
常に自己の得たものを他に与え又表現すること。

このように新しき獲得、新しき表現と、
即ち「入る」と「出る」との新陳代謝によって
人間は常に若返るのです。

生理作用に新陳代謝を失ったとき肉体が老化するように、
心に新陳代謝を失ったとき心が老化し、
心によって支配されているあなたの肉体も老化するのです。

若さの特徴は柔軟性と弾力性とを失わないということです。
いったん言い出したら一歩も曲げないというのは、
時には若さから来る勇敢さでありますけれども、それが頑固一徹と
いうことになりますと、それは老化現象のあらわれだということになります。

幼な児のように柔軟な心をお持ちなさい。
心が柔らかくなれば肉体も柔らかくなり、若返ります。

仕事に一徹なのはよろしいが、仕事を終わった後には、
その仕事から心を放ちなさい。
いつも同じものを掴んでいてはなりません。

ひとつ事が終われば、終わったものに執着せずに、
別の方向に心を軽く一転して、
過去のものを心から放つ習慣をおつけなさい。

         <感謝合掌 平成30年7月2日 頓首再拝>

何故に人は死ぬるか - 伝統

2018/07/14 (Sat) 20:12:49


          *『人生は心で支配せよ』(P147)より

男女の別(わか)ちなく人間が「黄泉の客(よみじのひと)」となって
逝く理由は、表現せんとする心的内容が消耗し、
創造せんとする欲望がなくなってしまったからである。

吾々が、興味と、熱心と、情熱と、創造せんとする本能を有っている
限りは、吾々は世界にとって必要なる何物かを備えているのである。

世界にとって吾々が必要なる限り
人間は黄泉(よみじ)へ追いやられる筈がないのである。

年齢は歳月によるのではない。
老いて行くと云う感じによって刻まれるからである。

常に若くいるためには、創造的に活動せんと欲する欲望を吾々は感じねばならない。
                                        
         <感謝合掌 平成30年7月14日 頓首再拝>

《人類意識に対する抵抗の戦い》 - 伝統

2018/07/19 (Thu) 19:30:34


        *『人生の秘訣365章』第6篇(P155) より

私たちは「人間は四百四病の病の容器」だとか、
「人間は必ず、老衰し、病み、且つ死ななければならない」
とかいう人類意識に強く粘着している迷妄に対して、
常に強力な精神的戦いを継続しなければならないのである。

その精神的戦いを一日でも弛(ゆる)めるならば、
それだけ人間はその迷妄に支配されることになるのである。

その迷妄を破壊するための精神的戦いの巨弾は、
人間は“神の子”であり、神の本質と自己の本質とを同じうしており、
霊的実在であるから、

「物質の法則によって支配されて年齢又は使用度数によって耐久年数が限られる」
というのは迷いであり、仮妄である。

自分は、神が“永遠の生命(せいめい)”であるが如く、
“永遠の生命(せいめい)”をもっているのであると、
定時の神想観のときのほかにも、暇がある毎に念ずるようにしないと、
人類全体の迷妄の意識の中に溺没(できぼつ)してしまうことになるのである。

「人間は物質ではないのだから老朽化ということはあり得ないし、
一個の細胞すらその活力を失うことはあり得ない。
若し一個の細胞でも衰耗するならば、一層強健なる新細胞がつくられて、
それを補ってくれるのである」

と念ぜよ。

         <感謝合掌 平成30年7月19日 頓首再拝>

若(わか)しと思うものは若返る - 伝統

2018/07/22 (Sun) 19:50:52


    *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P149~150) より

《心と生理作用》

人体の老衰の原因は、単なる物質的機械のような新陳代謝の出来ないものなら、
「使い禿(ち)びる」で説明されるけれども、

新しい細胞が常に古い細胞と置き代っているから、
「使い禿(ち)びる」と説明できないとすれば、
如何なる理由によるのであろうか。

ここに物資的原因以外に、“心”をその原因者として
説明に取り入れなければならないことになるのである。

“心”というものが吾々人体の生理作用に非常な影響を与えるもの
であることを考慮に入れなければならなくなるのである。

ちょいと羞恥の感情を起せば顔は赤くなるし、恐れればふるえるし、
悲しめば涙が出る。梅干を見れば唾液が湧く。

このように機械的な電子計算機の調節のほかに、
人体には、精神的要素によって生理作用の異なってくる要素がある
ことが明らかである。

老衰の原因も、心の要素を考慮に入れるとき説明し易くなるのである。

或る人は心の鑿(のみ)をもって老衰をきざみ、
或る人は心で血行や新陳代謝を盛んならしめて、
その老衰をふせぐことができるのである。

『甘露の法雨』には

「若(わか)しと思うものは若返り、
老いたりと思うものは老い朽(く)つるも宣(むべ)なるかな」

と示されている。

           <感謝合掌 平成30年7月22日 頓首再拝>

不老長寿の秘薬 - 伝統

2018/08/12 (Sun) 19:01:39


             *『光の泉』(昭和62年新年号)より
              ~ 生長の家長老  徳久 克己


「不老長寿の秘薬」は「心」にあるのであって、ほかのどこにもない、と教えられますと、
次には「どのような心が、不老長寿の秘薬か」ということを知る必要があります。

生長の家では「肉体は心の反映〈かげ〉」である、と教えておりますが、
そのとおり、肉体は心によって、変るのであります。 

「心」というものは、目にみえませんし、手でさわることができませんので、
私たちは、この「大切な心」を、つい忘れてしまったり、ほったらかしにしてしまうのです。

しかし、ビックリしますと、身体が全然うごかなくても、心臓がドキドキとしてきますし、
恥かしいと思いますと、顔が赤くなってきます。 

そのように、人間の身体は、その人の心に、強く強く影響される、と申しますか、
心が肉体で現われているのであります。

 
聖経 『天使の言葉』 のなかに

 「『念』に従って一つの組織を現ぜるもの
  この『生ける肉体』なり。
  されば『生ける肉体』は念に従ってその状を変ず。
  『健』を念ずれば身健かとなり
  『病』を念ずれば身に病を現ず。」

と示されています。 
このように心が念ずるとおりに肉体に現われるのであります。 

このことが、よくわかっていませんと、「不老長寿の秘薬」は「心」にあるのであって、
ほかのどこにもない、ということを理解することができません。

 
『生命の實相』 をはじめて読みました時、

「心変われば、病気がなおる」

と書いてありますので、私は驚きというより、むしろ腹立たしさを感じました。 

小学校の時から、医者になるために、25年間も勉強して、
来年、医学博士になれるという時ですから、
今まで習ったカラダだけを見る医学とは、全然ちがう。 

「心を変えれば病気がなおる」という病気に対する考え方を、
どうしても納得できなかったのです。

昔から「病は気から」と言われていますように、実際に患者を診療していますとき
心が病に多少の影響があるとわかっていましたが、心が変っただけで、
そう簡単に病気がなおるとは信じられませんでした。

しかし 『生命の實相』 を読みつづけていますうちに、
「なるほど、なるほど、そうか」と、ダンダンとうなずけるようになり、
『生命の實相』 に説いてある「心の法則」を理解できるようになりました。

昭和23年から、練成会をはじめまして、医学的な治療はなにもしないで、
心をかえるだけで、実際に多くの病人がいやされてきました。 
全く、不思議といえばフシギです。 

ですから、「不老長寿の秘薬」は「心」にあるということも、本当に理解できます。

『生命の實相』 第24巻〈※頭注版〉60頁に、

「不老不死の若返り薬は、物質的薬剤にはないのである。 
それはわれらの心のうちにのみある。 
永遠の若返り薬は正しき順なる心の向け方にあるのである」

と明記しておられます。 そして同頁に、

「われらの知っている若返りの秘薬のうちで、愛ほど強力な若返り薬はないのである。 
仕事に対する愛、隣人に対する愛、あらゆる事物に対する愛。 
愛こそ実に最も強力なる起死回生薬、若返りの秘薬となるものである。 

愛は人の最も高きものを魂のうちに目覚めさす。 
愛は人の最も強きものを情のうちに掻き起こす。 
愛は人のうちより神なるものを喚起こすのである」

このように教えておられます。

ここに教えておられる 
「永遠の若返り薬は正しき順なる心の向け方にあるのである」 のなかの、
「正しき順なる心の向け方」の第一が「愛」である、ということになるのです。

「神は愛なり」

と教えられていますので、私たちが「愛」にめざめた時、
私たちの「心」が「神」と波長があい、
それが 「不老長寿の秘薬」 になるのであります。

ここで私たちが気をつけなければならないことは、
「愛」が、若返りの「正しき順なる心の向け方」でありますならば、

「愛」の反対の、怒り、憎しみ、怨み、などの心は、
「逆なる心の向け方」になりますので、
老衰を引きおこす心の向け方となるのです。

相手が悪いからといって、相手を怒り、憎み、怨んでいますと、
善いと思っている自分が、老衰してしまうのですから、気をつけなければなりません。 

どんな相手であっても、それを「ゆるし、愛する」ことこそ、不老長寿への第一歩です。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/1b2c6ffdddff3d957e787ed6fc8257a5

            <感謝合掌 平成30年8月12日 頓首再拝>

《人類全体の総合された想念》 - 伝統

2018/08/17 (Fri) 20:10:56


   *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P150~151) より

機械的な磨滅や使い禿(ち)び以外に老衰の原因が心にあるとすれば、
その心は「個人の心」であるか、「人類の心」であるか
ということが問題になってくるのである。

その心は「個人の心」でもあるし、「人類の心」でもある。

人類全体の総合された想念が人類意識というのである。
人類意識の中に「人間は幾歳になったらこれほど老衰する」
という共通総合の想念がある。

個人の意識は人類意識の黒潮の中を泳いている一尾(いっぴき)の魚みたいなもので、
自由意志もあり、欲する方向に運動する自由もあるのだけれども、
やはり人類意志全体の潮流の方に動かされることは避け得られない。

黒潮に乗って一定の方向に
黒潮の色と同じの背の蒼い魚が群れをまして泳いで行くように、

人類全体の「人間は必ず老衰する」という潮流に押し流されながら、
人間も群れをなして老衰の方向に進んでいくのである。

ただ潮流の流れを、その人がどの程度「人間は神の子で、老いない」
という想念によって逆泳し得るかによって、その人の若さの持続が異なるのである。

           <感謝合掌 平成30年8月17日 頓首再拝>

《寿命の延長》 - 伝統

2018/09/14 (Fri) 17:32:13


          *『生活の智慧365章』
          (第2部歓喜の泉)第6篇(P151~152) より

「老衰しない」ということと、その人の此の世の寿命が尽きて
霊界に誕生することとは別であるのである。

その人の地上の寿命というものは、その人の魂が、地上の任務に赴任する時に
あらかじめ定められたる赴任期間というものであって、大体その人の赴任期間は、
その人の赴任が発令されたときに定(さだ)まっているのである。

それは会社の社員は外国へ出張赴任を命ぜられるとき
大体その赴任期間が定(さだ)まっているのとよく似ている。

しかし海外でその社員が予定以上の成績をあげたとき、会社ではその社員を、
も少し其処に駐在せしめた方が会社によって利益だと考えられるときには
出張滞在期間が延長されることがある。

それと同じように、その人が地上生活を営んでいるうちに、
自己の霊的進歩に成績をあげると共に、その人の周囲の人々の魂の進歩に
一層成績を挙げるとみとめられる場合には、地上生活の任期は延長せられて、
一層長生きを享受せしめられることもある。

         <感謝合掌 平成30年9月14日 頓首再拝>

《長生きと霊魂の高下》 - 伝統

2018/09/16 (Sun) 17:15:11


      *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P152) より

長生きする者、必ずしも霊魂の進歩が高いと云うにはきまっていないのである。

地上の修行が完了しないために、
いつまでも同じ学級にとどまらせられているために、
地上生活が長引いている如き長生きもある。

つまり4か年に卒業するはずの大学を7年間もかかって
卒業するのんびりした学生もあるようなものである。

長生き必ずしも《のんびり》ではない。

10数年間も、或は20数年間も病苦と闘いながら、
その受苦(といっても、それは学課であるが)の本当の意義がわからないために、
尚寿命が尽きず、苦しみながら此の世の生活を終え得ない霊魂もあるのである。


しかしまた霊魂がみずから進んで苦痛の科目を励むことによって、
急速に霊魂の進歩を得べく、肢体不完全に生れて来たり、
小児麻痺の後遺症で肢体不自由の中で修行している高級な霊魂もある。

ただ一概に、長生きだとか、健康だとかで、
その人の霊魂の高下を判断することはできないし、
病苦であえいでいるからとて魂が低いという訳でもないのである。

         <感謝合掌 平成30年9月16日 頓首再拝>

《何故人間は老衰するか》 - 伝統

2018/09/20 (Thu) 18:51:03


     *『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第12篇(P315) より

誰でも永久に若くありたいと考えるのに、老いるのは何故(なぜ)であろうか。
それは人類が過去に繰り返し経験した意識上の記憶から、その潜在意識に
「人間は年齢に随って老いる」と云う記憶をもっており、

それが人類意識の信念となっており、各個人は、人類意識の中(なか)に
生活する為に、多少とも、その影響を受けずにはいられないからなのである。


人体には常に新陳代謝が行なわれ、古き細胞が死滅し新しき細胞が造られ、
血管も皮膚も筋肉も内臓も、新細胞によって新たに再組織せられているので
あるから、「古い肉体」「老いたる肉体」など実際に存在する筈はないのである。

どんな高齢の肉体でも、すべて最近に再組織されたる「新肉体」なのである。
それなのにその「新陳代謝」が、老いたる、古びたる形や皺を備えているのは
何故(なぜ)であろうか。

新たに製造した皮革(ひかく)製品でも、それを”シボ革(がわ)”に
設計して製作すれば皺(しわ)の満ちた皮革(ひかく)製品に出来るような
ものである。

         <感謝合掌 平成30年9月20日 頓首再拝>

《自己を青年と描いて自己を凝視せよ》 - 伝統

2018/09/24 (Mon) 18:16:54


         *「神と偕に生きる真理365章」(P45)より

老衰をみつめて心を暗くすることを止めよ。
心に見つめるものがあらわれて来るのである。

あなたは自己を青年として見つめなければならない。
青年を見よ、常に活動的である。常に何かを為(し)ていなければならない。
青年は創造的である。青年は必ず前途に希望を持つ。

青年は前進的である。希望をもって前進するから青年は若いのである。
また若いから希望があり、前進するのである。

創造的に建設的に前進する者は暦(こよみ)の年齢に関(かかわ)らず常に若いのである。
前進することを止めた時には暦の年齢に拘(かかわ)らず老衰する。

新生するためには常に愛行を実践し建設的に何らかの創造的活動を営み、
”光の心”―― 明るい心をもって、前途に希望をもたねばならぬ。

           <感謝合掌 平成30年9月24日 頓首再拝>

長生きするとの信念をもつ - 伝統

2018/10/06 (Sat) 19:39:54


        *『生活の智慧365章』
           (第4部繁栄の泉)第12篇(P316~317) より

《生命力は工員、潜在意識は建築技師》

常に若くあるためには、常に新しく造られつつある肉体を、
それが構築される時「老(おい)」の観念を潜在意識に印象しつつ
肉体組織をつくってはならないのである。

私たちの”生命力”は黙々として働く「建築工員」のようなものであり、
”潜在意識”はその工員の働きを一定の設計の下(もと)に指導する
「建築技師」のようなものである。

その「建築技師」を雇っている「施工主(せこうぬし)」のようなものが
”現在意識”である。


潜在意識はその奥底に宇宙の叡智を具(そな)えており、
それを「そのまま素直」の状態にあらしめれば、
完全に健康に肉体をつくり上げるのであるけれども、

その潜在意識には「人類意識」からの「人間は年齢によって老いた形になる」
と云う放送があり、現在意識からも「この肉体はもう幾歳だよ。だから
その年齢に相応した肉体の状態になるのだよ」と言う暗示が与えられる。

「施工主(ぬし)」から暗示されれば如何なる建築技師も
その指示通りに肉体を造らざるを得ないのである。


《「老(おい)」の想念で設計す可からず》

あなたの現在意識に「老(おい)」を思い浮かべるな。
それは施工主が建築技師に「肉体」と云う建築物を新陳代謝する時に、
「老(おい)」のデザインを示すことになるのである。

多くの人々が、まだ50歳や60歳で老い込んでしまうのは、
「人間わずかに50年」と云う古い諺にあるような「老(おい)」の
想念が人類意識にあり、現在意識も多少それに同調するような想念をもっていて、
それが肉体の建築指導者である潜在意識につたえられるからである。


50歳や60歳は人間が人生の幾多の問題に接触して豊富なる体験を積み、
その豊富なる体験を通して、人生に裨益(ひえき)するところなくてはならない
重要な年齢であるのである。

その年齢に人間が匆々(そうそう)去ってしまうことはまことに
惜しみても余りあることだと言わなければならない。

大自然は決してそのような無経済な計画をしておられる筈はないのであるから、
50歳や60歳で死するは決して天寿ではない。

必ずもっと長生きするとの信念をもつべきである。

           <感謝合掌 平成30年10月6日 頓首再拝>

長寿は、老衰という人類全体の潮流に、どれだけ逆泳し得るかにもかかる - 伝統

2018/10/11 (Thu) 20:07:55


          *『生活の智慧365章』
            (第2部歓喜の泉)第6篇(P150~151) より

《人類全体の総合された想念》

機械的な磨滅や使い禿(ち)び以外に老衰の原因が心にあるとすれば、
その心は「個人の心」であるか、「人類の心」であるか
ということが問題になってくるのである。

その心は「個人の心」でもあるし、「人類の心」でもある。
人類全体の総合された想念が人類意識というのである。
人類意識の中に「人間は幾歳になったらこれほど老衰する」という共通総合の想念がある。

個人の意識は人類意識の黒潮の中を泳いている一尾(いっぴき)の魚みたいなもので、
自由意志もあり、欲する方向に運動する自由もあるのだけれども、
やはり人類意志全体の潮流の方に動かされることは避け得られない。

黒潮に乗って一定の方向に黒潮の色と同じの背の蒼い魚が群れをまして泳いで行くように、
人類全体の「人間は必ず老衰する」という潮流に押し流されながら、
人間も群れをなして老衰の方向に進んでいくのである。

ただ潮流の流れを、その人がどの程度「人間は神の子で、老いない」
という想念によって逆泳し得るかによって、その人の若さの持続が異なるのである。

           <感謝合掌 平成30年10月11日 頓首再拝>

寿命の延長 - 伝統

2018/11/02 (Fri) 17:30:00


            *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)
                 第6篇(P151~152) より

「老衰しない」ということと、その人の此の世の寿命が尽きて
霊界に誕生することとは別であるのである。

その人の地上の寿命というものは、その人の魂が、地上の任務に赴任する時に
あらかじめ定められたる赴任期間というものであって、大体その人の赴任期間は、
その人の赴任が発令されたときに定(さだ)まっているのである。

それは会社の社員は外国へ出張赴任を命ぜられるとき
大体その赴任期間が定(さだ)まっているのとよく似ている。

しかし海外でその社員が予定以上の成績をあげたとき、会社ではその社員を、
も少し其処に駐在せしめた方が会社によって利益だと考えられるときには
出張滞在期間が延長されることがある。

それと同じように、その人が地上生活を営んでいるうちに、
自己の霊的進歩に成績をあげると共に、その人の周囲の人々の魂の進歩に
一層成績を挙げるとみとめられる場合には、地上生活の任期は延長せられて、
一層長生きを享受せしめられることもある。

           <感謝合掌 平成30年11月2日 頓首再拝>

《長生きと霊魂の高下》 - 伝統

2019/02/17 (Sun) 19:50:49


      *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P152) より
       
長生きする者、必ずしも霊魂の進歩が高いと云うにはきまっていないのである。

地上の修行が完了しないために、
いつまでも同じ学級にとどまらせられているために、
地上生活が長引いている如き長生きもある。

つまり4か年に卒業するはずの大学を7年間もかかって
卒業するのんびりした学生もあるようなものである。

長生き必ずしも《のんびり》ではない。

10数年間も、或は20数年間も病苦と闘いながら、
その受苦(といっても、それは学課であるが)の本当の意義がわからないために、
尚寿命が尽きず、苦しみながら此の世の生活を終え得ない霊魂もあるのである。


しかしまた霊魂がみずから進んで苦痛の科目を励むことによって、
急速に霊魂の進歩を得べく、肢体不完全に生れて来たり、
小児麻痺の後遺症で肢体不自由の中で修行している高級な霊魂もある。

ただ一概に、長生きだとか、健康だとかで、
その人の霊魂の高下を判断することはできないし、
病苦であえいでいるからとて魂が低いという訳でもないのである。

           <感謝合掌 平成31年2月17日 頓首再拝>

《若さは心の中にある》 - 伝統

2019/02/20 (Wed) 19:01:06


       *『人生の秘訣365章』第11篇(P272~273) より

若さは心の中にある。
既に進歩しなくなった者は老いるのである。

常に進歩せんとして常に何かを勉強している者は今もなお若いのである。
人生に興味がなくなった時、その人は、年齢は尚若くとも
既に老いているのである。

年齢は既に七十歳を越えていても人生に溌剌とした興味を持っている者は、
今尚、その人は若いのである。

年齢は若くとも、何事にも消極的で引込み思案の生活を送る者は、
既に老いているのである。

暦の年齢は既に八十歳を越えていても、何事にも積極的で、活動的で、
前進的な生活を送る者は、今なお若いのである。

           <感謝合掌 平成31年2月20日 頓首再拝>

《 あなたが年毎に老いないために 》 - 伝統

2019/02/23 (Sat) 18:58:10


         *『人生の秘訣365章』第1篇(P35) より

新年が来(きた)るごとに、年老いたなどと考えてはならないのである。

神は永遠に老いないのであるから、
神の生命(せいめい)を宿し生れているあなたは永遠に老いないのである。

“老年”は人類意識の中にあり、人類意識の迷妄を感受した個人が、
その暗示に感応して、暗示された通りに“老年”の姿をあらわすのである。

人類意識の暗示に感応せぬように、能うかぎり抵抗せよ。

それには、神想観を毎日実修して、自分の生命(せいめい)が神より来り、
決して永遠に老いないものであることを瞑想せよ。

自己を“肉体”であると考えていた在来の想念を棄てよ。
唯物論から脱却せよ。

“神のみ実在する”という唯神實相論をわがものとせよ。

そこに不老の道がある。

           <感謝合掌 平成31年2月23日 頓首再拝>

《年齢の観念で限定す可からず》 - 伝統

2019/02/28 (Thu) 19:26:02


        *『生活の智慧365章』
         (第4部繁栄の泉)第12篇(P317~318) より

人間は”神の子”であり、神の最高の自己実現であるから、
豊かなる生命力と完全なる健康とを具有するのが本然の相(すがた)である。

生命力が無限であっても、建築設計が小規模であるならば、「生命力」と云う
工具もその小規模の範囲で働くより仕方がないのである。

だから、「人間は凡(およ)そ何歳で死ぬ」と云うように概括的にその働く期間を
定められれば、「生命力」もその範囲内で働いて、その工作を終了することになる
のである。

だから建築技師たる潜在意識に、年齢の観念を吹き込んではならないのである。

或る人の書いた実話物語に、南洋の或る島に偶然船を停泊させたら、
其処には徳川時代の服装をした日本人が住んでおり、かれらの語るところを聴くと、
彼らは徳川時代にその島に漂着して来て、時計も歴(こよみ)もないものだから
自分の年齢を知らずにいるから、百歳を超えても尚、若々しく生きつづけていたのだと。

           <感謝合掌 平成31年2月28日 頓首再拝>

不老長寿の秘薬は「心」にある - 伝統

2019/03/17 (Sun) 19:01:56


          *「生命の實相」第24巻参考篇(P35~37)より

老齢は、まず心にはじまる。
肉体に老齢が印せられるのは、心にまいた「老齢」という種子の収穫であるのである。

われわれは周囲の人々がある年齢に達すると老衰の徴候をあらわしはじめるのを見て、
自身もおよそあの年齢に達したら、同じように老衰の徴候をあらわすものだと
想像するのである。

そして人間の老衰することは避くべからざることだと確信するがゆえに、
ついにいとわしい老衰の徴候が肉体にきざまれはじめる。

しかし、これが避けがたいのは、
各人みずからの心が老衰を避けがたいと信ずるためと、
人類全体の習慣的信念がまた老衰を避けがたいとしているからで、

何事もまず心にはじまるのだ。

もし、断固として人間が老衰すべきものだとの信念を駆除するに成功するならば、
そしてもしわれわれが青年的理想を高くかかげ、
つねに若々しき希望と陽気とにみちた思想をいだくようにするならば、

老齢はその影を肉体にどうしたって、刻むことはできないのだ。

不老長寿の秘薬は「心」にあるのであって、ほかのどこにもない。
若く見せようとして若々しい着物を着、若々しい化粧をしたからとて
若くなるものではないのだ。

何よりもわれらはまず自分は年をとりつつあるとの
心の念いを打ち破らなくてはならぬ。

年をとりつつあるあるとの念いが心のうちに根を張っている以上
若々しい衣装や化粧が肉体を若返らす力はほとんどないといってよいのだ。

信念をまずかえねばならぬ。
年齢を肉体に彫刻した念いをまずくつがえしてしまわねばならないのだ。


自分は若いのだ! 

かく感ずる永遠の若さの信念をもて! 

この信念をもつときすでに諸君は老齢との戦いに第一塁をおとしいれたのである。

これを信ぜよ
―― 年齢について自身が心にいだく念いは
すべて肉体にあらわれてくるものであることを。

肉体は心の習慣的念(おもい)、習慣的感じのあらわれであるから、
あなたが今までどんなに長くこの世に生きながらえたからって、
遠慮なしに自身を若いと思え。

これはあなたが永遠の若さをいつまでも失わぬようになるために非常な妨げとなるのだ。


神は永遠に若い。
神の子は永遠に若くてよいのだ。


晴々した、陽気な、楽天的な希望をもった、
愉快な青年のすがたを輝かしく描いて、
それを自分自身であると思え。

青年の持ちまえである若々しい夢と理想と希望と、
あらゆる輝かしい若さを自分自身のものであると思え。

この考えほど自分自身の年齢の歩みを遅らすものはないのだ。

            <感謝合掌 平成31年3月17日 頓首再拝>

不老不死の若返り薬 - 伝統

2019/03/19 (Tue) 18:57:04


          *「生命の實相」第24巻参考篇(P60~61)より

不老不死の若返り薬は、物質的薬剤にはないのである。 
それはわれらの心のうちにのみある。 
永遠の若返り薬は正しき順なる心の向け方にあるのである。

われらは思うとおり、感ずるとおりの容貌と年齢を肉体にきざむのである。
なぜなら肉体は心の反影であるからである。

ではわれらは美しき思想をたくわえ、美しき理想を描き、
できるだけ善きものを心のうちに育て上げて、肉体をいつまでも若く、
容貌をいつまでも気高く、美しく保つことにしようではないか。

われらの知っている若返りの秘薬のうちで、
愛ほど強力な若返り薬はないのである。 

仕事に対する愛、隣人に対する愛、あらゆる事物に対する愛。 
愛こそ実に最も強力なる起死回生薬、若返りの秘薬となるものである。 

愛は人の最も高きものを魂のうちに目覚めさす。 
愛は人の最も強きものを情のうちに掻き起こす。 
愛は人のうちより神なるものを喚(よび)起こすのである。

            <感謝合掌 平成31年3月19日 頓首再拝>

老衰は、心の態度でどうにでもなる - 伝統

2019/04/01 (Mon) 18:17:12


          *「生命の實相」第24巻参考篇(P40)より

自己の老衰を心にとめて、もう俺は老年だから
若い者のようにゆかないなどと言う者は、

自己の内にある永久に若返ろうとする
生命の反発力、再生力をいじけさしてしまい、

ややもすれば病気のとりこになりやすく、
いろいろの肉体的故障をまねくようになるのである。

老衰をはやめるもおくらすも心の態度でどうにでもなるのである。

            <感謝合掌 平成31年4月1日 頓首再拝>

《永遠に若くあるために》 - 伝統

2019/07/23 (Tue) 20:56:35


          *「真理」第9巻生活篇第6章(P153)より

人間は神の子であり、神は無限内容でありますから、
一定の姿に固定することを喜びません。
其処に進歩があるのです。

老人が保守的であり、旧弊であると云うのは、
生命(せいめい)の若々しさを失っているからであります。

イエスは「幼児(おさなご)の如くならずば天国に入ること能わず」
と教えましたが、私達は幾歳になりましても新鮮な心を失っては
ならないのであります。

若々しい心は新しい事を好むのです。

私たちが若し永遠に若くあろうと思いましたならば、
毎日何か自分の生活に、新しい体験をつけ加えなければなりません。

新しい知識を、新しい改善を、新しい計画を、
新しい進歩をしなければなりません。

私達の発達と進歩とが終わったとき、
わたしたちは老衰しつつあるのです。

変化をおそれてはなりません。
変化を通して私達は永遠に進歩するのです。

           <感謝合掌 令和元年7月23日 頓首再拝>

《80歳なお若年である》 - 伝統

2020/02/07 (Fri) 23:39:23


           *「光明法語」(2月7日)より

68歳になる老人が 私に、
『もう此の年になってからは私には機会は到底ないのです』。
こう言って嘆いた。

こう云う人は地上にもう用事のない人である。

機会は余所(よそ)にあるのではなく、自分の心の中にあるのである。
心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある。

30歳で若死にする青年のことを思えば70歳になっても、
尚、百歳を生きる自覚をもっておればまだまだ機会はあるのである。

私の老母は80歳になっても山に柿の種子を植えて
『この柿の實るのを楽しむ』と言われた。

           <感謝合掌 令和2年2月7日 頓首再拝>

《老衰と虚弱を去るには》 - 伝統

2020/02/17 (Mon) 00:07:38


          *「真理」第9巻生活篇(P22~23)より

潜在意識を改造して「若さ」暗示で満たすことが、
あなたの肉体を「老衰」に導かない唯一の道であります。

多くの人々が年齢相応に老衰の状態をあらわすのは、
一般の人々の「老衰観念」に暗示されて、
その暗示に従って潜在意識が活動するからです。

だから年齢が老けて来るほど、私達は絶え間なく「私は若いのだ」
と云う暗示を、馬に拍車をかけるように、潜在意識に与えなければなりません。

過去に「老衰」や「虚弱」や「××慢性病」と云うような観念を、
潜在意識に烙印している人は、尚一層その反対の「若さ」「強健」「神の子・無病」の
観念を繰り返して暗示して、過去の潜在意識の傾向を塗り消してしまわなければなりません。

そのためには「人間・神の子、本来老病死なし」の真理を
『生命の實相』第1・2巻(携帯版第1~第4巻)で繰り返して読み、
神想観を実修しなさい。

           <感謝合掌 令和2年2月16日 頓首再拝>

《人類の共通的観念に屈服するな》 - 伝統

2020/02/28 (Fri) 22:41:13


          *「真理」第9巻生活篇(P24~25)より

人生は無限内容をもつ「神の生命(せいめい)」(人間はその自己実現)の
自己展開でありますから、人間は無限に生長するのが本義であります。

老熟はあっても老衰は本来あり得ないのであります。

老熟が、老衰の様相を帯びてくるのは、
人類全体の「人間は幾歳ぐらいになれば老衰する」と云う
共通観念に暗示されるのであります。

神の無限内容の展開と云う事実と、頽廃とか老衰とかの事実とは
矛盾するのでありまして、それは本来の相(すがた)ではないのです。

それは本来の相(すがた)でなく、群衆暗示が人間の生理作用を支配した
に過ぎません。

群がり来(きた)る老衰の暗示や、病気の暗示に対して、
若さの観念や、健康の観念や、更に進んでは「人間神の子、無限生命、
久遠生長」の観念をもって対抗しようではありませんか。

「人間は老い、病み、死すべきもの」との
群衆暗示に屈従するものは強者とは言えません。

強者になるために真理の書を読み真理を深く理解しましょう。

           <感謝合掌 令和2年2月28日 頓首再拝>

《生きている物は新しい芽を出す》 - 伝統

2020/06/15 (Mon) 19:22:49


        *「生長の家」(昭和29年5月13日の法語)より

   樹木でも生きている限りは、絶えず新しき芽を出し、
   一寸でも一分でも必ず常に伸びて行くのである。

   今年は芽が出ないし、枝も伸びないのはどうした訳かと調べてみると、
   その木は既に枯れているのである。

   人間でも、もう少しも新しい計画(新芽)を考える力がなくなり、
   少しも新しく発展しなくなったときには、
   既にその人の生命は枯れつつあるのである。

   常に新しきことを考え、計画し、新しき事に興味を持つ者は老いないのである。
   常に何事でも、少しづつでも改良して行く心掛けは、
   新しき想念を生み出す原動力となるのある。

   そして、想念こそ肉体を崩壊せしめず或る一定の形に維持する力であるから、
   新しき想念を生み出している限り人間は老いないのである。

   https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2279

           <感謝合掌 令和2年6月15日 頓首再拝>

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