伝統板・第二

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青年法語~日本人よ 戦後の“洗脳”の状態から覚醒せよ - 夕刻版

2018/02/02 (Fri) 20:21:37

”道産子 さま” ありがとうございます。
”道産子 さま”のお蔭で、新たに、谷口雅春先生の法語を
このスレッドに残せることに感謝申し上げます。
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7666745 からの転載です)


・・・

輪読のための青年法語~日本人よ 戦後の“洗脳”の状態から覚醒せよ

                     谷口雅春先生

        *「理想世界」誌(昭和43年3月号)の法語より

(上旬)

【一日のことば~人間は目的をもち理想をもたねばならぬ】

人間として地上に生まれた限り、
あなたは生きるための”目的”をもたねばならぬ。

目的という語ではいくぶん足りない気がする。
それでは“理想”をもたなければならない。

目的を持たず、碌々として人生を行き当たりバッタリに生活している者は、
その人の経済的状態が豊かであっても、精神的には浮浪者であり、ルンペンである。

近頃、フーテン族という種類の若い人があらわれて来て、
髪を長く伸ばして額と顔の半分ほどを乱れた髪で蔽い、
何の働きをすることもなく、食べ物を、他人の戸口で乞い歩く者が
出ているが、人生に目的も理想も持たない場合には
自然にこんな姿になりさがってしまうのである。

肉体も服装もすべて自分の心の投影であるからである。

・・・

【二日のことば~百合には百合の目的が、人間には人間の目的が】

人間が地上に生を享けて目的をもち理想をもつためには、
”人間とは何ぞや”の根本自覚を先ず得なければならないのである。

人間がユリの花であるならば百合の花を咲かす目的又は理想をもつ
であろうし、人間が桜であるならば、桜の花を咲かす目的又は理想をもつであろう。

無論、人間は植物ではない。

地上に人間が生まれた目的は百合の花を咲かせることでも、
桜の花を咲かせることでもない。

しかし私が言いたいのは、
百合には百合でなければ咲くことのできない花を咲かせるし、
桜には桜でなければ咲くことが出来ない花を咲かせるという事である。

そこにはその食属独特の特徴ある花の形を発揮するという事である。

そうすれば、人間は、どんな植物にもどんな動物にもない独特の特徴ある
天分を発揮するところに、吾々人間がこの世に生まれた目的があり、
理想があるのではないだろうか。

・・・

【三日のことば~人間は植物以上、動物以上に超出しなければ意義はない】

百合にも桜にも、潜在的な意識があるので春が来ればそれを知り
新緑の新しき若葉を出し、それぞれの季節を知って、
その季節に応じて花を開く。(拙著『生命の謎』参照)

しかしこれら凡ての植物には”意識的な心“又は”自覚的な意識”
心理学用語で言えば、“現在意識”と称するような心はないのである。

ここに吾々は人間が地上に誕生した意義又は目的を見出すことが出来るのである。

人間は百合でも、桜でも、豚でも鶏でもないのである。

人間は植物以上のものであるのは勿論のこと、動物以上のものである。
人体の一部の構成要素の中には植物的働きをする神経繊維もあれば、
植物性酵素のような成分もある。

更に脊椎動物と殆ど異ならない生理的構造と性欲及び食欲の如き
動物と全く異なることなき本能的欲望を備えている。

この限りに於いて、そしてその本能的欲望を満足させることだけしか
人間がしないならば、彼は、動物の高さ以上に一歩も出ないのであって、
特に人間として地上に吾らが生を享けて誕生した意義も目的も理想もない
と言わなければならないのである。

・・・

【四日のことば~動物性の土台に神聖性を接木した人間】

僕が不思議に思うことは、現行の日本国憲法はが、食欲や性欲の如き
動物的欲望の満足を願うことを基本的人権として大いにそれを尊重し、
その追求満足を擁護し、推奨しているという事である。

つまり、人間存在の意義を動物性の欲望の水平面まで押し下げていることである。
そしてそれを「人間性の復活」の如く世界人権宣言の実行の如く
誤解させていることである。

岡潔先生もいわれるごとく、「人は動物だが、単なる動物ではなく、
渋柿の台木に甘柿の芽を接いだようなもの、つまり動物性の台木に
人間性の芽を接木したものと言える」のである。

動物性の本能を持った脊椎動物と異ならない台木の上に、
人間性(もっとと精確に言うならば神性)の芽を接木したようなもの
が人間である。

これは渋柿の台木の生命力が強いので、甘柿の美味しさを具体的に
果実として押し出すために渋柿の生命力を利用したのであって、
渋柿そのものの“渋い味”を発揮させるためや渋柿の果実を得るため
ではなかった筈である。

それなのに現行の日本国憲法が動物的な食欲と性欲とを基本的人権として
奨励鼓舞していることは、接ぎ木の台木それ自身から芽を出して
“渋柿”の果実を得るように奨励しているようなものである。

これでは神様(又は“大自然”)が、動物性の上に更に人間性(又は神性)を
接ぎ木せられた意義が失われてしまっているのである。

・・・

【五日のことば~動物以上の人間の特長とは何であるか】

人間が単に、動物と異ならない食欲、性欲の満足以上に高邁神聖なる
本性を発揮し得ないならば、それは「人体の形を備えた動物」であって、
神が特に人間を地上に生み給うた目的又は意義を完うするとは言えないのである。

人間が人間たるためには、食欲、性欲の如き、動物との共通性以上に、
特に「人間」なるものの特長を発揮しなければならないのである。

人間が人間たる特徴とは何であろうか。

食欲性欲を単に本能の跳梁に任せず、それを道徳的目的――愛他的目的――
のために制御統制して秩序あらしめることである。

乱倫乱婚の如き状態は、人体を備え乍ら、
なお動物的境涯をその人は脱していないことをあらわしている。

或る○○をしている少女を捕えて、警官が補導したら、その少女は
「どうして○○が悪いのか私にはわからないわ。自分も楽しくて
相手の人も楽しんで、そしてお金が儲かるんだもの。どこが一体悪いの?」
と酒蛙々々(しゃあしゃあ)と言ったのには、補導の警官も
説明の仕様がなくて困ったという事がある週刊詩に書いてあった。


 〇〇=春を売る事。

・・・

【六日のことば~台木ばかり発達して精神の枯れた人間】

岡潔先生は「戦後、義務教育は延長されたのに女性の初潮は平均して
戦前より三年も早くなっている。

・・・・・人間性を抑えて動物性を伸ばした結果に他ならないという気がする。

たとえば、牛や馬なら生れ落ちてすぐ歩けるが、
人の子は生まれて、一年間ぐらいは歩けない。

そしてその一年の間にこそ大切なことを準備している。

とすれば、成熟が三年も早くなったのは、人の人たる所以の
ところを育てるのをおろそかにしたからではあるまいか」
と言っていられる。

私は人間の肉体面の成熟が三年も早くなったのは、肉体的欲望を基本的人権として
大いに鼓舞奨励し、各県や各学校に体育館の設立を促進して肉体ばかりの発達を促す
国家の政策(その奥には現行日本国憲法がある)が大いに影響している
と私は思うのである。

体育館はあるけれども心育館も養心会館もなく、
その方面には政府はタッチしてはならない。

宗教に政府が援助してはならないのは勿論、教育は中立性を持たねば
ならぬから文部省が教科課目などに干渉してはならぬことになっているので、
政府は肉体の方の発達ばかりに、吾々の税金を使うばかりである。

だから、渋柿の台木に接いだ甘柿に「人間」というものを喩えるならば、
渋柿の台木の方から出る芽ばかりを尊重して、その方ばかりを伸ばす
肥料をやっているから、渋柿の台木から旺んに渋柿の新芽を吹いて
元気旺盛で、それに折角接ぎ木をした甘柿の芽の方は伸びるに伸びられず
枯れそうになっているという訳だ。

体育旺んにして心育を忘れたのは、“肉体”という台木に“神性”の
新芽を接ぎ木した人間という存在が神性の新芽は枯れて肉体の台木のみ
旺んに性欲、食欲、所有欲の芽を吹いている恰好である。

この状態がいつまでも続くならば、地球上には人間は一人もなくなって、
”人間”の形をした動物ばかりになってしまうのである。

これで、いくら”平和”を叫んでみても、動物性と言うものは結局、
性欲、食欲、所有欲のために争闘する程度の発達しか遂げていないので
あるから、地上に平和が持ち来たされることは到底不可能のことと
いうほかはないのである。

・・・

【七日のことば~道徳生活の黄金律】

動物性の台木の上に接ぎ木された“人間性”は如何なる特長を持つのであろうか。

単なる動物の本能以上のものを持っているに違いないのである。

私はそれを「五日のことば」の中で、
”道徳的目的”とまたは”愛他的目的”という名称で呼んだ。

此の事を岡潔先生は次のように言って居られる・・・・・。

「人の人たる所以んはどこにあるのか。
私は一にこれは人間の思いやりの感情にあると思う。

人がけものから人間になったというのは、
とりも直さず人の感情が判るようになったという事だが、
この、人の感情が判るというのがじつにむつかしい・・・・・」

この、人の感情が判って人の悦ぶことをしてあげたい、
自分の肉体的欲望を抑えてでも人を悦ばしてあげたい、
人を悲しませることや、人に不快な感じを与えることはしたくない
というのが道徳的感情であり愛他的感情である。

即ち、「自己が為られんと欲する如く他に施せ」
これが道徳生活の黄金律であるが、
それには”人の感情が判る”ようにならなければならないのである。

・・・

【八日のことば~人間の感情がわかるのでなければ】

「人類が人の感情がわかるようになるまでには、何千年どころでなく、
無限に近い年月を要したに違いないと思われるくらいにわかりにくい。

数え年で三つの終わりごろから感情という事がややわかるが、
それはもっぱら自分の感情で、他人の感情がかすかにわかりかけるのは
数え年で五つぐらいのことからのようだ。

・・・・・そのデリケートな感情がわからないうちは道義の根本は
教えられない」と岡潔先生は言われるのである。

近頃のテレビやラジオの座談会やドラマの主人公などに出て来る
若い人を見ていると、非常に個人主義で、親が子供を思う感情など
全くわからない子供が多いのである。

「自分で考える」「何ものにも影響されないで自分の信ずる通りにやるのが
民主主義の生活で、正しいのだ。親の考えなどに影響されるのは封建的だ」
というような学校教育を受けている子供が多いからだと思う。

つまり人の感情など思いやる必要はない、
大いに自己中心的にやれという教育が行なわれている結果である。

岡潔先生も、

「どうも今の教育は思いやりの心を育てるのを抜いているのではあるまいか。
そう思ってみると、最近の青少年の犯罪の特徴が如何にも
無慈悲なことにあると気付く。これはやはり動物性の芽を早く伸ばしたせいだ
と思う」といっておられる。

・・・

【九日のことば~人間の資格喪失】

ここで渋柿の台木に、甘柿の新芽を接ぎ木したという喩えに還ると、
“渋柿の心”にあたるのが、無慈悲で利己主義で、自分に都合さえ
よければよいのであって、人の感情のわからない、思いやりのない心に当る。

民主主義だとはき違えて主張している生き方は、この“渋柿の心”なのである。

だいたい唯物論的人間観を学校で教えられていると、
物質的存在としての面の人間、肉体存在としての人間、
そして肉体的欲望の遂行の合理化のみを教えられるから、

肉体の物質面は、他人が酒を飲んでも、自分が酔う訳ではなし、
人が快楽を遂行しても、自分が快楽を味わうことが出来る訳ではない、

つまり彼我断絶で、共同的な同悲同喜の面が無いから、
自然に利己的になり、個人的になる。

そして愈々個人的になることを“個人の目醒め”などと言って
尊敬すべき事の如く教育されるのだから、益々冷酷で残酷で愛のない
「思いやりのない」人間が養成される事になるのである。

これでは人間が人間である資格は「思いやりの感情」があることだと
岡潔先生のいわれる其の”人間の資格”の喪失した人間ばかりが
造られることになる。

諸君はそのような資格喪失の人間になってはならないのである。

・・・

【十日のことば~人類が肉食を止めなければ世界に平和は来らない】

ちかごろの人間が“思いやりのない”冷酷、残酷な個人主義的感情を持っていて
人間資格喪失の状態になっている原因の一つには、戦後の食物の変化が
重要な役割を演じてると思われるのである。

近頃の栄養学は、動物的蛋白質を良質の栄養素として宣伝し、料理法でも
テレビの宣伝で、動物蛋白、幾グラムという風に教えるのである。

動物の肉を摂取することは、
動物の精神を自分の内部に吸収することなのである。

肉というものはただの物質ではないのである。

それは『甘露の法雨』に”心の絲を組み合わせて肉体の繭をつくり”とあるように、
動物の肉は「動物の心の糸を組み合わせて」動物肉が出来ているのであるから、
動物の肉を食うという事は、”動物の心”を自己の肉に摂取吸収することである。

それだけ人間感情が動物感情に似て来るのである。

動物を殺して食しながら平和論を唱えて見ても、
それはただ偽善であり、滑稽なだけである。

(中旬) - 伝統

2018/02/02 (Fri) 20:23:35

【十一日のことば~松下幸之助氏の羽田騒動観】

誰からか「経済雑感」と題した松下幸之助氏講演会の速記録が送られて来た。

パラパラと頁をめくっていると“治安と物価”という小見出しのところに
次のような文句が目についた。

「・・・・・この前の羽田事件の問題でも、われわれの税金によって
作られた立派な自動車が八台も焼かれました。
これは皆さん、新聞でご存知だと思います。

誰もおらんところで焼かれるのであるならば、これは焼き得るのであります。
しかしあの前には千人の警官が警戒して焼けていく姿を
じっと見ていたわけですね。そういう状態において八台の国家財産が
消失してしまうという姿ですね・・・・・」

私はこれを読んで今迄尊敬していた松下幸之助氏に対する尊敬が
スーッと消えて行く感じがしたのである。

長者番付のトップにのし上がり、その会社はついに半期に百億円を
超える事業収益によって日本の実業家のトップに立った。

すると人からやんやとはやし立てられて、
日本で自分が一番偉い気になり、好い気になって説教をはじめる。

そしてあの羽田事件で警官が五百名以上も重軽傷を負いながら、中には
永久に不具廃疾になるような、脊髄骨を角材で殴られて重傷を負ってまでも、
全学連を制するために戦っているのである。

それなのに松下幸之助氏は、「あの前には千人の警官が警戒して
焼けていく姿をじっと見ていたわけですね」と、

警官は何もしないでじっと拱手傍観していたかの如き口調で、
警官の在り方が治安の維持に責任がある、その責任を果さないで、
ジッと見ていて国家の財産である自動車を八台も焼いたというような
攻撃口調の講演となっているのである。

これが今「日本の良識」の代表のように言われている松下さんの
発言なのであるから私は茫然としてしまうのである。

・・・

【十二日のことば~全学連騒動の原因について】

羽田騒動によって代表せられる如き全学連の騒擾事件が
どのような原因によって起こっているかというようなことを考えたならば、

松下幸之助氏の率いる松下財閥のような巨大な資本主義の団体及び個人が
巨額の富をつくっている半面、住宅もなく、その日その日の衣食にも
充分ありつけない国民が多数できている社会機構や経済組織に対する憤懣が、

全学連をしてついにあのような過激な行動にまで駆り立てた一つの大きな原因に
なっていることを一寸でも反省してみるならば、

全学連が警備用の自動車を焼くのを見ながらそれを消し止められなかった
警官を責めたり、

「たいへん国民に対して申し訳なく思うというような声明を総理が出しておらない」

と言って今度は政府攻撃や総理攻撃の演説をヌケヌケとやれるものだろうか。

無論、政府にも総理にも責任があるが、
資本主義の財閥の巨頭には一層多くの責任があるのである。

きくところによると松下幸之助氏の富の如きは大変なものであって、
毎日利子又は配当収入が幾百万円滔々として流れ入るほどだということである。
それを一体何に使っていられるのだろうか。

物価騰貴の原因を政治の貧困から来る治安の不安定だと松下氏は
指摘されているが半期に百億円以上も儲ける会社の経営の在り方が、
物価昂騰の原因の一つでないはずはないのである。

百億円を儲けにせず、一億個の商品一個につき百円づつ売価を下げて
販売することにするならば、それは直ちに明らかに物価が百円づつ
下がるではないか。

その販売価格を下げないで、百億円以上も儲けていて、
物価騰貴の原因を政府や警官に押付けるのはどういうものか。

公正取引委員会では、松下電器の製品の小売販売価格を下げないように
会社が小売店に指示したとか指示しないとかいうので、
勧告を発したと新聞は報じているのである。

そんなことを一寸でも反省してみたら、
あんな警官誹謗の松下演説などできる筈はないのである。

・・・

【十三日のことば~何が青年を左翼運動に駆り立てるか】

大分以前のことであるが、当時全学連の執行委員長をしていた一人の東大生の青年に、
どうしてそのような全学連運動に挺身するようになったか尋ねて見たら
次のような回答を得たと

国民文化研究会(編集委員代表・小田村寅次郎氏)編集の
『国民同胞感の探求』なる本の13頁に記載されているのである。

「高校生(新制)のころから私には
今の日本がずいぶん矛盾だらけに見えて来た。

政治家や実業家たちの腐れ縁も新聞をにぎわしていた。
上層部の人達の邪悪が、自分の心を捉えて離さなかった。

やがて私はなんとかして世の中を改善する方法はないかと考えるようになった。
書物を読みたくなったし、正義感から来る世の中を改善する方法はないものか
と考えるようになった。

その時たまたま、ほんとうに偶然であるが、
手にするようになったのがマルキシズムの本であった。
そしてそれを教え導いてくれる年長者と接する機会が与えられた。

それからといいうものは、ただひたむきに心を弾ませながらそれを学んで来た。

しかし、もしも私が高校生の時に、マルキシズムでない別のものに触れ、
それを教え導いてくれる人たちに接していたとしたならは、
その方向にまっすぐに進んでいたかも知れない。

今から考えて見ても、その時はそれほど社会悪に憎悪と憤りを感じ、
世の中をよくする方法を求める気持ちで一杯であった。」


この言葉の中には社会正義を求める純情な青年の精神が満ち漲っているのであって、
一方に於いて毎月幾百万円ところがり込む松下幸之助氏のような大富豪と、
その日の衣食住にも事足りない貧民階級の人々とが、非常な懸隔をもって
青年の目の前に立ちふさがっている事も、青年が赤化したり、
全学連の人たちが社会革命運動を起こす根因があることを知らねばならない。

松下氏はこのようなことを反省してみた上で、治安の問題など、単に
政治家や警察官の不手際だと第三者の出来事の如く批評が出来るであろうか。

全学連下運動のような危険な運動を阻止するには、もっと視野を広くして
多くの階層の人達が真剣に協力する必要があるのである。

・・・

【十四日のことば~資本主義社会の欠陥について】

無論、どんな経済組織の中にあっても、微賤貧困より立ち上がって
大富豪になる人も、位人臣をきわめる人達もある。

現に松下幸之助氏の如きは、その最たるものであって、
小学校教育さえ碌々受け得られない境遇の中に育ちながら
今日の大を成し得た立志伝中の人である。

私は資本主義経済組織の下積みとなって社会を詛い、国家を呪っている
人たちを反省させたり激励するために、ヘンリー・フォードが一介の
機械職工であったのが自動車王になり得たり、高橋是清(嘗ての大蔵大臣)氏
がアメリカで皿洗いをしていた貧しい青年であったことや吉川英治氏が
船の錆落としの製罐工であったり、山岡荘八氏が親の貧困を救けるために
新聞配達の少年として苦労の末、今日の大を為した事等の実例を挙げて、

資本主義社会は、共産主義や、社会主義社会よりも、立身出世の機会が多い
事実を挙げて、呪詛することの代わりに、心を一転せよと、
慰撫と激励の資料とすることはある。


けれども資本主義社会には根本的欠陥があるのである。
それは優勝劣敗の世界であるという事である。

本当に愛深い人は「劣敗」のある世界を調和ある世界だと
見ることは出来ないのである。

爰(ここ)に、「資本主義世界に於いても立身出世の実例はある」と、
いくら前記の如き人々の名を挙げて見ても、劣敗者なき調和ある世界を
希望する青年には世界革命の希望を捨てることが出来ない理由があるのである。

・・・

【十五日のことば~社会主義は果たして人間を幸福になし得たか】

しかし資本主義社会をつぶして共産主義社会や社会主義国家を
つくり出しても果たして人間は幸福になれるだろうか。

ソ連の民族はアメリカの民衆よりも裕かで幸福であるだろうか。
ソ連にも階級があり僻地の寒村の農民の生活とフルシチョフや
コスイギンやブレジネフの経済生活は平等であるだろうか。

革命後五十周年を経て、今日の安定を得るまでにソ連国民は
千万人単位で数えるほどの粛清の犠牲者を出したといわれている。

優勝劣敗の世界の劣敗者のなき世界をつくりたい真に愛深き青年は、
そのような犠牲者を出す革命を「善し」と観ずることができるだろうか?

私は目的のためには手段を選ばず、その過程に於いてそのような
犠牲者を出す如き運動には反対せずに居られないのである。

一人の人間と雖も、神から何らかの使命をもって
地上に誕生せしめられたる者である。

手段のためにそれらの人々を一人でも殺すことは
神に於いて許さるべきことではない筈である。

そして常に目的のために手段を選ばず、
そしてその目的は何時になっても完全に達成することが出来ず、
常に手段手段の生活のみを営んでいる如き運動に対しては尚更である。


諸君はこのような運動に迷わされることがあってはならないのである。

要するに資本主義も社会主義も結局”物質”の裕かなる配分方法によって
人間に幸福が来るという幻覚の上に成立っている点に於いて、
どちらも唯物論の落し児であって、どちらの制度も経済組織も
真に人間を幸福にすることは出来ないのである。


真に人類を幸福にする道は、
人間そのものの自覚に革命が行なわれなければならないのである。

・・・

【十六日のことば~吾らの人類光明化運動】

人間の自覚の革命のみが、人間を真に幸福にすることが出来るのである。

この自覚の革命運動が生長の家の人類光明化運動なのである。

自覚革命が出来た時、その社会体制がどうあろうとも、
その経済組織がどうあろうとも、その人の身辺には
”福の国”とも謂うべき至福調和の状態が顕現するのである。

そして大多数の人々の自覚の革命が成就した時、自覚の革命の反映として
社会体制と経済組織も自然に一変して来るのである。

この自覚の革命を得ることをイエスは「新たに生まれる」といい、
「人新たに生まれずば神の国を見ること能わず」と訓(おし)えたのであり、

この自覚の革命を得ることを釈尊は「悟りを開く」といったのであり、
維摩経には「菩薩、心浄(きよ)ければ浄土浄し」と訓えているのである。

自覚の革命なしに、物質の配分方法さえよければ人類に幸福来るなどと考えるのは
「いたずらに夢を追いて走る者にして、永遠に神の国を見ることを能わず」
(『甘露の法雨』釈意)であるのである。

・・・

【十七日のことば~どうして大人と若い人との考え方に断層が穿たれたか】

戦前、戦中、戦後の日本人はそれぞれものの考え方が違っていて
其処に深い断層があるように言われている。

戦前(概ね、明治時代)に生まれた人には、しっかり勉強して大いに
立身出世をしよう――それを理想としてコツコツ勉強し仕事に精励する
所謂る”立身出世型”の人が多かった。

そして君に忠に、父母に孝に、兄妹夫婦仲よく相和し一旦緩急あらば、
義勇公に報ずる堅実な道徳型タイプの人が多く、所謂る「教育勅語」型が
理想像で、そのような人が尊敬せられていたのであった。


ところが戦中になると、立身出世型は個人主義・利己主義的であると排斥せられ、
一切の個人的欲望を廃無して天皇中心に義勇公に奉ずる全体主義的生き方が
尊重せられ、日本は独逸及びイタリーと結んで、天皇を中心とする
ファシズム的全体主義に否応なしに追随せしめられることになった。

 
ところが敗戦によって戦後となると、今迄の一切の個人的欲望を棄て、
全体を衛るために戦った戦争を「侵略」であると決めつけられ、

戦争中の愛国者は戦争犯罪人として起訴されたりこき下ろされたりした結果、
全体即ち「公け」のために尽すよりも個人主義的に生きるのが、

所謂る民主主義的で時代即応の生活だという事になり、戦中に国家主義的に
戦争を煽って来た文化人の中には、転身いち早く進歩的文化人となって、

戦中の顔を洗って戦中の自分の言論など全く忘れたように、
日教組の講師団のメンバーとなり、反国家的マルキシズムの思想を宣布する
闘士になった人たちも可成り多く、

これ等の人々が教壇に立って、反国家的、反天皇的、反全体的、反公け的
こそ新しき個人の目覚めでありこれこそ正しい生き方であると
生徒や学生たちに教えるようになった。

そのような教育を受けた人が所謂る戦後に育った若い人であり、
戦後既に二十二年も経過した今日では、そのような教育を受けた人が
既に学校教師として、自分の好きなように、個人主義的、利己主義的
に生きる事こそ基本人権尊重の生き方であり、

家や国家や父母その他の目上の者に対する孝養を尽すなどという事は
封建的、反動的で間違った道徳だと訓えるようになった。

こうして明治や大正生まれの人達の考えた道徳観とは全然別の
人生観に立つ青少年が族出することになって、明治時代の人間と昭和時代の
若い人との考え方に深い断層が穿たれることになったのであった。

・・・

【十八日のことば~占領軍は日本国民の結束力の破壊に成功した】

占領中に言論統制を、日本弱体化の方向に集中した占領軍は、
日本が世界五十二カ国を相手として、あれだけよく戦うことが出来た
日本国民の結束力を緩めようとして、国民結束の中心であった天皇から
一切の権能を剥奪して、結束の中心を失わしめるように努力したのだ。

そして、国民が結束するよりもバラバラになることが人権尊重の近代思想
であること、国家のために忠義を尽すなどは最も馬鹿げたことであって、
その馬鹿げたことを演じた結果が、国土の至る処をこのように灰に
してしまったではないか――と焦土と化した大都市の当時の現状を
証拠物件として、所謂る愛国心の愚かさを強調したのであった。

そしてその愚かな愛国心が崇拝した”中心”が天皇であり、
天皇崇拝、天皇国家崇拝ほど馬鹿らしいものはない。

国家を護るには、天皇の御名御璽で出た宣戦の詔勅などに従うべきではない
のであって、自分の国家は、今後馬鹿げた戦争などをしないように
国民みずからが国家の主権をもって、国家の進む方向を決めなければならない

――こういう考えに誘導して国民結束の中核たる天皇から主権を奪って、
「主権は国民に在りと宣言し」と冒頭に謳った現行の日本国憲法が
押し付け的に制定されることになったのであった。

・・・

【十九日のことば~植民地文化の花咲く日本】

こうして戦後の若い人たちは、物心のつく怱々愛国心のバカらしさ、
天皇崇拝のバカらしさを教えられ、恰もその時、占領行政によって
日本赤化の目的で占領軍が刑務所から解放した共産党員及びその主義者が
中核となって出来上がった教員の団体日教組が日本の教育を支配するようになった。

これらの共産主義者は天皇あるが故に、旧体制の日本国あるが故に、
不敬罪や治安維持法に引っかかって投獄された人たちであるから、
根本的に日本国に対する復讐的立場に立っており、天皇攻撃、
旧体制日本国破壊を目ざして教育もし運動もして来たのであった。

そのような赤化運動の中で、そのような赤化教育の中で育って来た
戦後の若い人たちが、古来今日に至るまで、日本の国土に於いて、
日本民族が旧き時代より祖先代々積み上げて来た国家形成の独特の美点も、
すべての文化的遺産の美しさをも、掻い撫でに一切排除すべきものとして
戦勝国追随の植民地文化を花咲かせ始めたのも無理からぬことである訳だ。

しかし日本国は果たしてこれでよいかということだ。

・・・

【二十日のことば~国民の思想をこうして植民地思想で放置してよいか】

『国民同胞感の探求』の冒頭にその編集者は曰う。

「一国の将来を予測するには、つねにその国の青年学生の動向を見れば
よいと言われる。その国の青年や学生たちの志向が、高邁であるか、
卑賤であるかは、確かに大きな分岐点であろう。

その国の若人たちの資質が堅実であるか、柔弱であるかによって国の運命が
左右される事も、古今東西諸国民の興亡に歴史がよくこれを示している。

しかし高邁とか卑賤とか、又堅実とか柔弱とかいう抽象的な比較は、
もはや国家の運命を測る尺度ではなくなって来た。

卑賎な志や柔弱な資質を不可とする青年学生たちが、決して少なくない
にも拘らず、その人達の志向するところが、自国の運命の断滅をはかる
方向に進む場合には、もっと別な角度からの見方が必要になって来る。
思想が国家にとって大切な問題点となって来るのはそのためであり・・・・・」

ここに一国をリードする思想が如何なるものであるかが、
真に日本国の将来を慮かる者にとっての重大関心事となって来るのである。

日本の青年の大部分は決して柔弱ではない、行動的だ。

その行動的な青年がどんな思想に動かされて行動するかが重大な問題であるのだ。


(下旬) - 伝統

2018/02/02 (Fri) 20:24:34


【二十一日のことば~青年にどうしたら正しい思想を教育し得るか】

マルキシズムの思想に動かされつつ、この「自国の運命の断滅の方向に」
日本の若い熱情が勇敢に起ち上って具体的な闘争を実践しようとしたのが
羽田騒擾事件であるのである。

『国民同胞感の探求』の編集子は続いて言う。

「・・・・・らの行動が過激化し、常軌を逸することは批判さるべきであるが、
それは別として、その道に進まざるを得なかったプロセスを見落してはなるまい。

知性と青春と熱情と捨身と、それらを殉教的気魄に統一し、
みずからの信ずる方向に集中する姿、世の邪悪を吹き飛ばそうとする
彼らの清新なエネルギーにも、注目を寄せるべきであろう・・・・・
立派な日本の青年学生たちを何故そうした方向に進ましめたのか。

問題はそこにある。

そうだ問題はそこにあるのである。

爰に、嘗ての全学連の中央執行委員長をしていた一人の東大学生が、
この編集子にいった言葉「若しも、私が高校生の時に、マルキシズムでない
別のものに触れ、それを教え導いてくれる人たちに接していたとしたら、
私はその方向に真直ぐに進んでいたかも知れない」
という事に注目しなければならない。

日本の若い人の高校生時代に、もっと日本の祖国を愛する心を、
日本の伝統の善さを、日本独特の誇るべき特殊の文化を愛するように
導かなければ、

今後ともにこの若き精鋭のエネルギーが、
自国の運命断滅の方向に向かって情熱をつくして行動する人数が
殖えて行くおそれがあるという事である。

併しマルキシズムで武装した日教組に属する高校の先生方が、
赤い思想の網を張って、これら純情の青年たちの思想を一方的に歪んだ方向に
統制して行きつつある危険なる状態が、日本の教育界の現状であり、

それを破るために、文部省が乗り出そうとするならば、
「思想の自由」を基本的人権として強調する現行の日本国憲法に
抵触するために、文部省は違憲として批難される。


教育の中立性の必要は、理論として誰もが認めているが、
日本の学校の教育は著しく左方に傾いているのであって、
現状のままでは決して中立性ではない。

それを国家や為政者が中立不偏の方向に引き戻す事は、
日本国憲法が許さないのである。

そこで吾々民間の団体が協力して立ち上がるほかに
将来の日本を救う道はないのである。

”国民同胞”の同志による大学生の合宿教室や、生長の家が学校の
冬期休暇や夏季休暇を利用して、小、中、高、大学生等の短期練成会を
催している其の意義の重大さがそれによって解ると思う。

・・・

【二十二日のことば~一日も早く現行憲法の失効を宣言する必要がある】

現行の憲法は、日本が敗戦の結果、占領軍が上陸しその軍政下に於いて、
治下の日本国民に対する愛国心を失ってしまって、占領軍に抵抗できない
腑抜けの魂になるような計画の下にこの憲法を一方に押付けておいて、

他方に於いて占領軍の示唆により反祖国的思想を国民が持つように
マス・コミが統制せられ、赤化の思想的種子を学校の教壇から
児童の潜在意識に播種しておいて憲法の定むる「思想の自由」の名の下に
反祖国的思想が幾ら萌え盛っても是を抑圧することが出来ないように
周到な計画がめぐらされていたのである。


この憲法が温存されている限り、日本弱体化の精神的種子と、
赤化の思想的種子から芽を吹いた日本覆滅の思想がどんなに跋扈しても、
その思想を抑圧したり、刈り取ることは憲法違反という事になるのである。

現行憲法の虚偽術策による不合法な制定をハッキリさせて、
その無効を宣言すること、一日早ければそれだけ国家の危機が軽減するのである。

・・・

【二十三日のことば~国家の理想像について】

昨年の十二月福岡市に於ける九電体育館で生長の家の講習会があった時に、
ひとりの高校の教師をしている人が演壇にあがって自分の思想遍歴の体験談をした。

この人は人類を救済する道は共産主義によるしかに道はないと信じて、
つい最近まで運動を続けて来たのであった。

ところが或る事情で生長の家に触れ、諸方の誌友会場に出席してみる事にした。

すると会の終末には天皇の徳を讃え、天皇に対して感謝をして終るので、
馬鹿馬鹿しくなって軽蔑して帰るのであった。

併し彼は、生長の家の色々の出版物を読んでいるうちに、
『秘められたる神示』という神示解説の書物に触れ、

生長の家の描いている国家の理想像というものは、天皇中心の社会主義国家
というようなものであるという事が書かれているので、はじめて釈然として、
これよりほかに人類を救済する道はない、
自分の生涯の生命を捧げる決心をしたと発表されたのであった。

思うにどんな社会主義国家でも、策謀をもって既成の政権を打倒した
悪賢い或る一党の実力者が中心になっているのであるから必ず敵があり、
反対党があり、そのためその政権は安定していないのであり、
それを長く安定させるためには反対思想に対する強力な弾圧や、
反対思想家への広汎な粛清が行なわれなければならないのである。

そこに残虐行為が常に伴い、人類の幸福を目蒐(めが)けながら、
常に人類を非人情的な不幸に陥れる結果となるのである。
(中共初期の人民裁判や最近の紅衛兵騒動を見よ)

しかるに、天皇のみは無私である。

何党にも属せず、国民が危機に曝される時には、
「唯自分のみ罪あり」として国民の身代りになろうとせられる。

このような精神的主柱が“天皇”という具体的人格として国家の中心で
あり給う社会主義国家ならば、最も安定した基礎に立って、万民等しく
恵福を均霑(きんてん)し得る理想国家が出現する筈なのである。

・・・

【二十四日のことば~洗脳された人間に本当の“思想の自由”はない】

兎も角、現行憲法の「思想の自由」は大変結構なことだと考えている人が多いけれども、
その思想なるものは日本国民が自由な状態に於いて発想したる自主的思想ではない
のであって、

占領中の軍政下に於いて、毎日毎日ラジオ放送によって、

「日本は侵略国だ。」
「日本は戦争中にこんな残虐行為をしたぞ。」
「天皇は戦争につながる。」
「天は人の上に人を造らず、人の下に人をつくらず。」
「民主主義だけが理想的人間観である。」

こういうような言葉を繰り返し繰り返し毎日毎日きかされるのである。

それがイヤでも応でも聴く人の潜在意識の底に印象せられて、
それ以外の思想の自由を失ってしまわされたのである。

これが所謂る“洗脳”というやり方である。

洗脳されて自由発想が出来ないように教育されておいて、「思想の自由」と称して、
その人の自由発想にまかしたような顔をしていると、
その洗脳作業中に暗示されたような思想だけが、恰も自分自身の思想であるかの如く
潜在意識から浮かび上がってくるのである。

進歩的文化人やそれに教育された若い人が、自分自身の自主的な発想を失って、
「社会主義こそ人類救済の道である」と思い込み、

ソ連の現状や、中共の現状を聴かされても、その不幸な国情に耳を傾ける
自由を失っているのは戦後占領軍が日本人に施したマス・コミを道具に使っての
”洗脳”という催眠術にかけた結果なのである。

”洗脳“された人間には本当の思想の自由はないのであり、
思想の自由を与えられた顔をして、暗示された通りの思想を
繰り返し思い浮かべているだけである。

・・・

【二十五日のことば~中共に於ける“洗脳”方法について】

中共で洗脳して人間を共産主義者に改変してしまうのはどういう方法を
とっているのか知らない人が多いと思うが、エドワード・ハンターは、
中共に於ける“洗脳”方法の実例として次のような実例を挙げている。――

「彼はトラックの運転中に、うっかりして赤信号を突破したことがある。
彼は呼び出しを喰って警察に出頭すると、罰金を課せられたうえ、小言を聞かされた。

曰く
『蒋介石はよろしくない。赤信号を突破するのは甚だよろしくない。
アメリカは帝国主義侵略国である。
君は常に赤信号に注意しなければならない。蒋介石は・・・・・』

お説教はこんな調子で繰返し繰返し続けられ、
そのうちに彼は此の単調な繰り返しに気が狂いそうになった。」  

これは一例であるが、留置所では飯も食わせないで空腹で身体をフラフラにして置いて、
その疲労のために自由判断を衰えさせて置いて、

それに”言語暗示”の言葉を繰返し繰返し聴かせると、
それは催眠術をかけられているのと同じで、

”赤信号を突破したことは悪い事である。それは帝国主義と同じことである。
蒋介石は赤信号を突破したのである。彼は悪い奴である。
アメリカ帝国主義の手先である“

というような何の連絡もない非合理的な推論が恰も合理性を持った思想体系の如く
潜在意識につぎ込まれ、それは実は催眠心理学に基づいた暗示方法で強制的に
注ぎ込まれた思想であるにも拘らず、自発的に自由発想による自分の新思想の如き
錯覚に陥るのである。

これが即ち中共に於ける“洗脳”作業の実体なのである。

上記の如き“洗脳” 方法が、終戦直後、占領軍が日本国民全体に対して
実施したという事を知らぬ人が多いのである。

即ち、毎日毎日私たちはラジオ放送で

「戦争は悪い事である、日本は戦争を仕掛けた悪い国である。
それは愛国心が悪いのである。天皇の命令で戦争したからこんな目に遭ったのである。
日本軍は戦争中こんな残酷なことをした。日本は侵略国である・・・・・」

此の種の言葉の繰返しを、腹が減ってフラフラになり、
くたびれ切っている国民の潜在意識に、愛国心や天皇崇拝のつまらぬ事、
日本国は侵略国で悪い国だという一方的な考えを吹き込まれたのである。

こういう催眠術的言語暗示の繰返しで多くの国民は洗脳されたのである。

そして戦中に愛国者として当時の戦争の神聖性を力説した人間が、何時の間にか、
自発的な思想転向であると自分では錯覚して、進歩的文化人となり、
平気で戦争中に言った自分の言葉と全然反対なことを言って
日教組の講師団の一員として革命思想の宣伝に狂奔することになったのである。

此の種の変節的な人達は、こういう洗脳方法に対し抵抗力の弱い
気の毒な暗示感応性の鋭敏な人達だったのである。

そして今も、祖国の伝統的日本思想や日本文化の善さに目覚めることができないで
革命に狂奔している所謂る進歩的文化人なるものは、進歩的どころか、
占領軍が洗脳のために注ぎ込んだ繰返しの言語暗示が、
今尚、潜在意識に残続していて、自主的発想の能力を喪失したままでいながら、
自発的思想転向だと思い込んでいるのであり、

憲法が幾ら「思想の自由」を強調していても、是等の人には、
彼らの思想を自由に放任するならば、彼ら自身の思想ではなく、

終戦直後、洗脳するために注ぎ込まれた「祖国侮辱の思想」が恰も
「自分自身の思想」のような顔をしてのさばり出るだけなのである。

彼ら進歩的文化人には真の思想の自由はない。
カリモノの注ぎ込まれた思想の自由跳梁があるだけである。

・・・

【二十六日のことば~ベトナム戦の本質を見過してはならない。】

ベトナム戦争は手套(てぶくろ)をはめた拳闘戦

ついに日本国内での交通事故による昨年の死亡者数は即死一万三千四百二十人、
入院後の死亡者を合算して一万七千名に達したとテレビ放送は伝えていた。

そして一九六一年一月から一九六七年十二月二十二日までの
ベトナム戦争でのアメリカ軍の昨年の戦死者の数はついに
一万五千八百十二名に達したと新聞は報じていた。

これが七年間の戦死者の数である。

大東亜戦争に比べるとずいぶん、戦死者の数の少ない、
全くスポーツの戦争みたいな気がするのである。

何しろ日本内地の交通事故死の数より死者の少ない状態なのだから、
日本内地の如く平静なのだと考えられる。

そして北ベトナム側の記録映画がテレビで放送されたのを二回にわたって
私は見たが、ベトナム人には少しも暗い雰囲気も苦渋の表情もない。

実に明るい明朗な表情をして、「今度アメリカ飛行機が空襲して来たら、
それを射ち落すんだ」と空襲を楽しそうに待ち受けているのである。

それは年に一万七千人も交通事故で死んでも、日本人は
平気で笑いながら明るい顔をして街路を悠々と歩いたり、
自動車で疾走していて少しも暗い影が無いのと同じことである。

北ベトナム(ベトコンを含む)側の戦死者は七年間合計二十万に達すると
アメリカでは推定しているが、これは敵側の損害は多く見積もるので
本当の数は判らない。

日本の交通事故の一年間の負傷者は六十二万九千百五十人という
数に比べると非常に少ない。

ベトナム人にとっては、こんな状態の戦争は一種のボクシングみたいなものだと
私には受け取れた。

ボクシングでも、時々、選手は死ぬことがあり、視力を失ったり、
?廃疾になる危険はある。

危険はあるけれども、危険があるからこそスリルがあるのであり、
その試合の回数に比較してその危険発生率は少ないのである。

それは拳に手套をはめているからである。


ベトナム戦争も、その接戦の回数や出動の人数に比べると、
危険お発生率は非常に少ないのであって、アメリカ空軍が非戦闘員である
人民をも含めて全部を総撫でに日本全土を絨毯爆撃したり、
原爆一発で二十万の日本人を殺したような殲滅戦とは異なるのである。

謂わば拳闘の選手がその試合に手套をはめて攻撃するのと同じような限定戦
なのであるから、危険のスリルを味わいながら、空襲の敵機を射落す楽しみは、
射的遊びや、ボーリングや、ケイバの大穴を当てるような楽しみで、
ベトコンや北ベトナム人は敵機の襲来を待ちもうけているのである。

そしてその射的遊びに要する費用や道具は、ソ連をはじめ共産圏諸国から
同情をもって送られて来、ソ連は、アメリカの新兵器に立ち向かうソ連自身の
新兵器のテストのための試射場としてベトナムの地を使っているのである。

これではこの戦争は終わりようがない訳で、長引くのは当然のことである。

それは危険は伴なうけれど、危険ではあるが、
それだけ実戦的な烈しいスリルを伴うスポーツであるからである。

スポーツというものは危険を伴う程興味が深いのである。

花札でもトランプ遊びでも金を賭けると興味が深くなるのは
現実的危険を伴うからである。

つまりこの戦争は手套をはめた拳闘であり、
現実的危険を賭けたトランプ遊びなのである。

この戦争の本質を見逃がして、平和工作をやってみても何の効果もない。

北べトナムにもベトコンにも停戦の意志はない。
そして長引けば長引くほど、世界の同情はベトナム解放戦線側に集まり、
よその大陸から対兵を派遣しているアメリカ側が侵略国だという
印象を強めるだけのことなのである。

アメリカは悪い籤を引いたものである。

この戦争の本質を知らないでいるならばアメリカは何時まで経っても
此の泥沼から脱することは出来ないに決まっている。

・・・

【二十七日のことば~件反射で動いている革命の闘士たち】

戦争直後のラジオ放送による洗脳が実に多くの日本人の潜在意識に浸透して、
戦中の愛国者を、赤色革命の闘士に転向せしめたのは、

当時日本国内の事情が食料の欠乏、それと闘うための肉体の極度の疲労困憊
―そして戦争の悲惨が目の前に立証されている焼野原――
そうした条件の下に、条件反射の生理・心理学的方法を応用したからである。

蛇使いが自由に蛇を意のままに駆使するように、蛇を洗脳するためには、
蛇に食物を与えずに疲労させておいて、その蛇の檻に鎌首だけが辛うじて
通れる孔をあけて置き、蛇がその孔から鎌首を出すと、
その瞬間針が無数にイガ栗のようについている白紙で頭を撫でる。

蛇が頭をもたげる毎に、針のついた白紙で頭を撫でると、
蛇は条件反射づけられて、自由意思の選択能力を失って、
今度は針の無い唯の白紙を近づけるだけで、蛇の首を“蛇使い”の
思いのままの処へ振り向けることが出来るようになるのである。

そして“蛇使い”の思いの儘の処へ蛇が動作した時に、飢えている
その蛇に食物を与えるようにすると、“蛇使い”は思いのままに
蛇に芸をさせることが出来るようになるのである。

蛇自身は、自由意思で自己発想の考えで動いているようだけれども、
空腹と、肉体の苦痛とを併用して生理的反射の条件をつくり、
そこに注ぎ込まれた暗示の効果によって左右されているのであって、
思想の自由など本当はないのである。

それと同じやり方で多くの日本人は洗脳されて、その時注ぎ込まれた
暗示の効果(観念の自動作用)で今もって動かされながら、
それを「思想の自由」だなどと錯覚しているのである。

・・・

【二十八日のことば~ソ連の洗脳方法について】

「私は一九三五年以来、精神病学の教授をしており、
モスクワの精神病学の教授をしており、モスクワの精神病院にいた。

私は心理状態に及ぼす環境の影響について論文を書き、
その中で患者の取り扱いに関する一連の方法を考え出した。

実験は成功し論文は注目を引いた。ついで秘密警察に招かれた――
秘密警察は、私に反射の過程を研究するよう申し入れた――彼らは
正常な人間をどうやったら白痴に出来るかを見出すことに興味を持っていた。

私は正常の人間を白痴にすることは、
その逆より遥かに容易であることを発見した。

ルーズな監視の下にきつい肉体労働を課し、
系統的に食を減ずれば素晴らしい効果を生む。

その場合囚人をさまで殴る必要はない。

通常二ヵ年ほどその状態におくと、
人間の知的能力は五十パーセント喪失するものである。

もちろんこれは集団の場合で、個々の場合はより顕著な効果が得られる
のである。」

(ウラディミル・ペトロフ著『シベリアの果て』『国民同胞感の探求』八十頁より孫引)


シベリアに捕虜として抑留された日本人はこのようにして減食と
激しい労働の中で健康な判断力を喪失せしめられ、
そのような条件の中で赤い色に洗脳を完了したと認められた者から、
順次、日本へ帰還せしめられたのであった。

それ等の人達の内、洗脳されたまま祖国覆滅の闘士となって
今尚活動を続けている者も多いのである。

・・・

【二十九日のことば~諸君は真に自由思想人とならねばならぬ】

洗脳された人間は、「思想の自由」で、自主的に発想しているつもりで、
実は洗脳訓練中に暗示的に潜在意識に注ぎ込まれた“観念“の自動力で
動かされているから、ものの考え方が自由を失って偏っているのである。

軍備に対する考え方でも、フランスや中共が核兵器を持つようになってから、
国際的に発言力が増大し、それだけその国家が大国として尊敬され、
色々の点でその国家が国際的に有利になる。

国家が国際的に有利な尊敬される立場に立つと、その国の国民は
海外へ出てもバカにされなくなり、国民そのものの有利になる。

その国が充分な自衛力又は反撃力を備えていると、
海外から攻めてこられなくなる。

アメリカがベトナムで北爆を強化しても中共を攻撃し得ないのは、
中共の自衛力又は攻撃力を恐れているからである。

充分な自衛力を備えていていることはこのような戦争抑止の力がある。

自国に充分な防衛力が無いならば集団安全保障によって防衛力の強化を
計らねばならぬことが目前の事実としてあっても、洗脳を受けた人々は
軍備を持つことの被害面又は消極面だけにしか心が自由に働かない。

思考の方向が洗脳訓練によって一方的にしか働かないようになっているのである。

そして軍備を充分もつためには、徴兵制度が敷かれて、自分が強制的に
徴発されるだろうとか、国民は戦場に引き出されて自分や自分の兄弟子供も
戦死するかも知れないとか、一方的な消極面だけを考える。

そして敵が攻めてくればアメリカに守って貰えばよい。しかしアメリカに
日本を守るための原子兵器や原子潜水艦が来て貰っては困る。
日本を護るための基地を貸すのも嫌だ。

アメリカ軍は愈々の時にガム島辺りの基地から日本を護る為にやって
くればよいではないか・・・・・という風に、
自国の防衛のことなど、まるで余所の国のように考える。

これが洗脳を受けて、「自由発想」の能力を停止せしめられて、
洗脳暗示の残続効果だけで動いている人たちなのである。

「永久に戦争なき平和は唯、戦争を通してのみ実現する」
と毛沢東語録の中で宣言している中共が隣国で第七回目の核爆発実験を
やっているのに、

その使用を抑止するための力のバランスとして
アメリカの核の傘の内にいる以外に、日本は現在の国力をもってしては
自国を守る道はないのに、「アメリカよ自国へ還れ」
「核兵器を持ち込んではならない」と一方的な偏った物の考え方しか
できないのは、終戦後の占領行政によって洗脳された結果で、

そうして洗脳された人が教壇に立って若い人を自分の偏った思想によって
教育しているからなのである。

日本の若い人よ、”洗脳”の呪縛を断じて截ち切って、
先ず完全な自由人となって、自由な考え方をすることだ。

洗脳は一種の精神的手品であるから、手品の種がわかれば、手品師は
魔術的力を失うのであるから、私は爰に日本人はどうして洗脳されたのか
種明かしを試みたのである。

・・・

【三十日のことば~日本人は六年間も洗脳された被害者である】

第二次大戦の終結によって、占領軍は日本に上陸して来て
その洗脳作業を六年間にわたって続けたのであった。

洗脳は空腹にしておいて重労働を課し、肉体も精神も虚脱状態にして
批判精神を麻痺状態にしておいて、いかにも尤もらしい語調で暗示を与える。

そしてそれに抵抗するならば“痛い”状態におき、
抵抗しないで従順に従うときには餌をやることを繰返していると、
どんな動物でも飼いならされて飼主の命令通りに動いて芸をするようになる。

どんな動物でも大体こうして洗脳するのに二カ月くらいで洗脳が完了するのだから、
日本国民は、サンフランシスコに於ける平和条約が調印されるまで、
六年間もそれが続けられたのだから、

日本人が古来の日本精神から虚脱して、日本国自身を侵略国だと思い詰めるようになり、
天皇や国家や国旗までも戦争につながるので排斥すべきものだなどと考え出したのも、
ある意味では無理はないのである。

戦争は世界中、どこの国でも一遍も戦争しなかった国など無いが、
どこの国でも戦争のとき自国又は味方の旗印として国旗を掲げて闘って、
戦勝した場合には国旗を高くふりかざしたものであるが、それだからとて、
「国旗が戦争につながるから、国旗掲揚など止めよう」と言い出した国民はない。

日本国民だけが普通人には常識上到底考えられない「日の丸は戦争につながる」
と国旗を戦争に結び付けて国旗掲揚に反対したのは、
それは群衆催眠術的暗示による六年間の洗脳を経たために普通人に
見られない国旗や国歌に対する異常な反応を呈するようになったのである。

催眠術をかけて、その人を暗示感応状態にしておいて、
「明日の午后三時になると君は晴天でも雨天でも必ず雨傘を差して
お庭を三辺回る。そしてそれが私が君に暗示した結果だという事は
思い出さない」と残続暗示を与えておいて覚醒状態に導くと、

その人は暗示された通りに、翌日の午后の三時になると、晴天であっても、
雨傘を開いて、それを差しながらお庭を三辺回るのである。

そして、それは自分の意思の自由、行動の自由で、自発的に意思して
行動しているのだと思っているのである。

今ごろ”日の丸“や”君が代“が戦争につながると反対している人は、
暗示にかかって晴天に雨傘を差してお庭を三辺回っている人に類するのである。

・・・

【三十一日のことば~日本人よ、戦後の洗脳から目を覚せ】

戦後の若い人と、戦前又は戦中の老年層又は壮年層の人との間には、
互いに理解しがたい「ものの考え方」に断層があり、その断層が中々に
越えがたい溝を形成しているというのは、

洗脳によって物の考え方が戦前戦中の年齢層とは全然異なる方向に
歪められているからだと解釈すると、原因がはっきりするのである。

洗脳されないような、しっかりとした思想の愛国者は悉く追放になり、
天皇があるので治安維持法に触れて獄中に監禁された結果、

天皇を恨んでいる階層と、容易に洗脳されたところの、占領軍の
日本弱体化政策にマンマとのせられた連中どもが教壇に立ったり、
マス・コミを支配して言論統制力を握って、洗脳工作としての
「言語暗示」をラジオ及び新聞(占領軍の検閲下の)によって流して、
感じ易い若い人々に、反国家的思想の暗示を毎日毎日六年間も
印象させたのである。

そして洗脳された少年の中から又若い教育者が出て、自分が洗脳された結果、
そのような反国家的思想をいだいていると自覚しないで、

自由意志で、自主的発想のつもりで自信を持った口調で、
又次代の子供を教育するから、洗脳は洗脳を呼び、将棋倒しのように
反国家的な思想で、若い人たちが洗脳され続けるのである。

この現状が継続すれば、明治、大正生まれの比較的、占領軍の洗脳に対して
抵抗力の強かった老年層壮年層の人達が死に絶えてしまったら、
日本国は運命はどうなるか、まことに日本国の存在そのものに
危機が迫っているのである。

そこで”教育の中立性”だとか、大学の自治などといって、
洗脳後の赤い教師の自由選択に教材や教科書を任せておいたら、

”教育の中立性”どころか、洗脳効果ばかりが若い人にあらわれ、
実に偏向極まりなき教育が国民に施されことになるのである。

しかし政府が教育に直接干渉しようと思っても、
現行の憲法が有効だと認められている限りそれは出来ない。

すべからく、出来るだけ早く現行憲法の失効を宣言しなければ、
悔いを千載に残すことになるのである。

・・・

<関連~「理想世界」法語>

(1)昭和42年7月青年法語 「青年よ悪習慣の鏈(くさり)を断ち切れ」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6956412

(2)昭和42年9月青年法語 「宇宙の神秘を直観して」 
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7069750

(3)昭和42年10月青年法語 「あなたの運命を形成するもの」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7162032

(4)昭和42年11月青年法語 「吾等青年何を為すべきか」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

(5)昭和42年12月青年法語 「人類と世界が求めている人となれ」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7594147

(6)昭和43年 1月青年法語 「新しき年にこうして天国を建設しよう」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7635828

(7)昭和43年 2月青年法語 「吾ら“神の子”の自覚の上に立ちて」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7663028

            <感謝合掌 平成30年2月2日 頓首再拝>

”道産子 さま” ありがとうございます。 - 伝統

2018/02/03 (Sat) 09:40:56

”道産子 さま” ありがとうございます。
早速、対処していただき、お礼申し上げます。

”道産子 さま”のご回答に合わせ、上の法語を訂正いたしました。

これからも、”道産子 さま”の記事を楽しみにしております。
また、多くの方々も、”道産子 さま”の記事に注目されております。
毎日の、ご投稿に感謝申し上げます。


            <感謝合掌 平成30年2月3日 頓首再拝>

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