伝統板・第二

2580919
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節分祭 - 夕刻版

2018/02/02 (Fri) 20:15:16


《節分祭&豆撒き》

明日は節分で「豆まき」です。

          *Web:西野神社(2015-02-04 ) より

節分は本来、二十四節気のうちの立春・夏至・立秋・冬至の
それぞれの前日に当たる四季の分かれ目を意味しており、

つまり節分は年に4回あったのですが、
現代では立春(暦の上では春が始まるとされる日)の前日(2月3日)のみを
節分と呼ぶ事が一般的です。


かつては立春が1年の最初の日とされていた事から、
その前日の節分は1年の最後の日とされ、
つまり、節分の行事は、大晦日と同じ性格を持った年迎えの行事でもありました。

日本のお正月は、元々は立春だったのですが、
1月望(もち)の日から1月朔(ついたち)へと変わっていき、
やがてこの3つが混在するようになったため、

元々は同じだったはずの正月行事が

大正月(1月1日)、小正月(1月15日)、節分(2月3日)と

分かれて行われるようになったと云われています。


ちなみに、節分で豆を撒くのは、農作物の出来に生命を左右された昔の人にとって、
豆は主食であるお米と並んで神様が宿る大切なものとされ、
特に五穀の一つである大豆には穀物の霊が宿っており
その霊力によって悪霊や災難を退散させる事が出来ると考えられていた事に因ります。

また、豆はその語呂から、
「魔滅(まめ)」「魔を滅する」にも通じるとされていたようです。

    (http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20150204

・・・

<関連Web>

(1)本流宣言掲示板「鬼退治~魔滅(豆)まき (6534)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1508

(2)光明掲示板・第二「節分 (5154)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1066 

(3)光明掲示板・伝統・第一「節分 (163)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=72

(4)伝統板・第二「節分」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747226

             <感謝合掌 平成30年2月2日 頓首再拝>

追儺(ついな)と節分 - 伝統

2018/02/03 (Sat) 18:38:54


         *Web:追儺と節分(2016.02.03)より

(1)豆まきの起源

   平安時代の節分には特別の行事はなかったようですが、
   わずかに「方違〔かたたがえ〕」をした記録が残っており、
   これは節分が「厄を祓うべき日」と考えられていた証と考えられます。

   中国ではこの日、人に疫をもたらす鬼を追って、
   来たるべき春に福を求める風俗がありました。

   「桃の弓に棘〔よもぎ〕の矢」を射て、
   五穀・小豆、ときに小石をも撒いたといいます。

   これが現代日本で行われる豆まきの起源のようです。


(2)「追儺〔ついな〕」の行事

   春を迎えるにあたって鬼を追う行事は、
   わが国では宮中の「追儺〔ついな〕」の行事として、
   大晦日に行われたものに起源を見ることができます。

   これには新年を迎える準備の意味がありましたが、
   陰暦の正月は立春とも日が近いために、室町時代のころから、
   春を迎える立春の前日、つまり節分の行事となってゆきました。

   はじめは「追儺」と同じように、
   「桃弓・葦矢」を持った公卿〔くぎょう=上級貴族〕が
   大舎人〔おおとねり=宮中の雑役係の役人〕の扮する鬼を追うものでした。

   しかし、『看聞御記』という書物の応永32年(1425)1月8日の条に
   「女官・御所侍が大豆を打った」と見えていることから、
   応永年間(1394-1428)のころには宮中で節分に豆を撒くことが
   始まっていたことがわかります。

   厄払いに米を撒くというのは日本古来の風俗ですが、
   豆を撒くようになったのは、この室町時代に中国大陸でも行われていた風俗を
   模したものと考えるのが妥当でしょう。


(3)年齢の数だけ豆を食べるという風俗

   この起源には、次のようなものが考えられます。

   『古事記』などの日本の神話によると、身の不浄や罪悪を祓うために
   身に着けていた衣服を捨てるという風俗が、
   古くから日本にあったことがわかります。

   これが節分の厄払いの風俗と結びついて、
   節分の日に自分の衣服を街路に棄てることで厄を祓うことがありました。

   さらに、こうして捨てた衣服が乞食者への施しとなることから、
   ついには自分の年齢の数の銭を包んで落とすことにもなりました。


   後水尾院当時には、天皇は御年の数だけの
   豆と鳥目〔ちょうもく=銭〕とを包んだものを
   撫物〔なでもの=厄払いのために身の厄を移して捨てるもの〕とされて、

   これを勾当内侍〔こうとうのないし〕に渡すと、
   勾当内侍は後を顧みないようにしながらこれを持って退くとあります。

   このあたりが年齢の数だけ豆を食べるという風俗に繋がるものと考えられます。
   (なお、「勾当内侍」とは掌侍〔ないしのじょう=内侍の三等官〕の首位で、
   「長橋局」などとも呼ばれ、奏請や伝宣を司った女官のことです。)

    (https://wanosuteki.jp/post_13554 )

・・・

      *Web:京の祭礼と行事 より

(4)豆まきの由来

   節分には豆をまきますが、これは中国の習俗が伝わったものとされています。
   豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。

   昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって
   大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、
   「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて

   「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。


   豆まきは一般的に、一家の主人あるいは「年男」(その年の干支生まれの人)が
   豆をまくものとされていますが、家庭によっては家族全員で、
   というところも多いようです。

   家族は自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると言われています。

   ただ、豆まきに使う豆は炒った豆でなくてはなりません。
   なぜなら、生の豆を使うと拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いからです。

   「炒る」は「射る」にも通じ、また、鬼や大豆は陰陽五行説
   (「木」「火」「土」「金」「水」の五行)の「金」にあたり、
   この「金」の作用を滅するといわれる「火」で大豆を炒ることで、
   鬼を封じ込めるという意味があります。

   そして最後は、豆を人間が食べてしまうことにより、
   鬼を退治した、ということになるわけです。


(5)鬼門と鬼のパンツの由来

   鬼がトラのパンツをはくわけは、「鬼門」に由来するそうです。
   「鬼門」は鬼の出入りする方角で「北東」とされ、この方角は十二支にあてはめると
   「丑」「寅」の方角(うしとら)にあたります。

   そのため、古来鬼は「牛(丑)」の角(つの)をもった姿で、
   「虎(寅)」のパンツを身に付けているとされているそうです

   (http://www.kanshundo.co.jp/museum/saijiki_yogo/setubun01.htm


             <感謝合掌 平成30年2月3日 頓首再拝>

恵方巻きで福を呼ぶには - 夕刻版

2018/02/04 (Sun) 19:41:42


(すでに、節分は過ぎましたが、念のため、来年のために )

        *メルマガ「大和うるわし」(2018年02月03日)より    


テレビで流れている情報は必ずしも正しいとは限りません。
やはり自分自身の見識がとても大切です。

福を呼び込むには、まずは難・厄を祓います。

まずは「鬼は外」と言って思い切って難・厄を切ります。
そのあと、「福は内」と言って良い縁起を呼び込みます。

もし大難や大厄を抱えているならば、「鬼は外、鬼は外、鬼は外」とまずは鬼退治。

果たして、恵方巻きには福が宿っているのでしょうか。
大事な節分の日です。
難を祓って福を招く・・・豆まきは大切な儀式です。


《恵方巻きで福を呼ぶ》

最近は「恵方巻き」が大流行りです。

どこでも大売出しで、商売人はバレンタインデーの前の
掻き入れどきといったところでしょうか。
つまり、商売人のための「恵方巻き」に過ぎないものです。


今年の恵方は南南東の微南です。
その方角を向いて恵方巻きを黙って丸ごとかぶりつく・・・
そうすると福がやってくる、ということらしい。

しかし、何とも品がない。
特に女性がこのような姿で太巻きにかぶりついている姿は、
とても福を呼ぶとは思えないのです。
テレビでも綺麗なアナウンサーが太巻きにかぶりついていましたが、
とても卑猥です(笑)
みっともなくて見られたものではありません。

数年前、馴染みの寿司屋で節分に恵方巻きを薦められました。
若大将から、「そのままかぶりついてください」と言われましたが、
どう見ても一緒にいた女性の口には入る大きさではありません。

「切ってください」と頼んだら、
「縁起悪く恵方から福が入ってこないですよ」と真剣に言われてしまいました。

「縁起が悪い」ということにどうも日本人は弱いようです。

この言葉に便乗して、人にみっともない姿をさせることもできるのです。

情報は怖いものです。

この恵方巻きを仕掛けた商売人は、
さぞ、同じ姿で太巻きを食べる日本人を笑っているでしょう。

結局、その寿司屋では、太巻きを切って出してもらいました。
七色の具の入った太巻きが切ってみると綺麗に揃っています。
それを皿に並べると、美しく品良く見えるのです。

そして一貫づつ箸でいただきました。
当然、女性でも上品に食べることのできる大きさです。
恵方巻きはやはりこのように食べるべきです。


かつて大阪の商人が、花街の芸舞妓を虐めるために嫌がらせをして
巻物をそのまま口に突っ込んでいたのが、その原点です。

太巻きをそのままかぶりつく文化などあるはずありません。

冷静になって見てみれば、みっともなく下品な姿は誰でもわかるはずです。
下品なところは、勝ち神の宿る場所ではありません。
厄病神、貧乏神の住み着くところです。

恵方巻きは切って品良く食べる、これが福を呼び込む食べ方です。

(中略)

料理は味だけでなく、見た目も大切です。
ですから、料理を盛り付けるお皿も味を引き立てる大切なものです。

楽しみながら料理をいただくと、心が明るくなります。
会話も弾みます。そうすれば、人との輪ができます。
勝ち神はそういうところに宿るのです。

そして、勝ち神宿るとこに「福」はやってくるのです。

             <感謝合掌 平成30年2月4日 頓首再拝>

節分の行事にはどんな意味があるのか - 伝統

2019/01/26 (Sat) 18:35:58

今年も、節分(2月3日)が近づいてまいりました。

「節分の行事にはどんな意味があるのですか?」

         *Web:京都府神社庁 より

節分は、二十四節季の一番目・立春の前日で、冬の土用、即ち大寒の末日にあたり
悪鬼邪鬼を祓って春を迎える最も盛んな行事となっています。

古来宮中では十二月晦日(みそか)に追儺(ついな)の行事が行われていましたが、
室町時代ころから明の風習に倣って豆を撒いて鬼を追い払う習俗が一般化した
と云われています。


節分行事は、宇宙の万象を説く陰陽五行の思想に基く迎春呪術で、
中国の古典『禮記(らいき)』には、土で造った牛を門外に出して
冬を送り出す行事が記されています。

日本では隠れて形を顕わさないものを隠(おに)と云っておりました
(平安時代の漢和辞典『和名抄(わみょうしょう)』)が、
中国の土牛(どぎゅう)が日本に伝わって節分の鬼になりました。

鬼(隠)は陰の気、即ち冬の象徴で、それを追い出して春の陽気を迎えるわけです。

鬼の褌(ふんどし)が虎(寅)の皮と云うのも、
丑月(鬼・冬)から寅月(虎皮・春)を迎える呪術的意味を持っています。

豆まきの豆は秋に稔(みの)る穀類で金気(陰)の象徴、
これを火で炒(い)って春の障(さわ)りになるものを痛めつけ(火剋金)、
鬼を撃つことを名目に豆(陰気)を棄てると云うわけです。

また、豆は金(豆)剋(こく)木 (雷)で雷避け、
更には金(豆)は水を生ずるとされることから、
お産に必要な水を生むものとして安産のお守りにもされています。

また節分につき物の柊(ひいらぎ)は文字通り冬の象徴木、
鰯(いわし)は和製漢字で水気(魚)と冬(弱=水)を象徴しますので、
これを徹底的に痛めつけ戸外にし曝(さら)して、
鬼(冬・陰気)を追放する大切な呪物とされているのです。


 因みに、五行の相生(そうしょう)・相剋(そうこく)は次ぎの通りです。

    相生 木生火(もくしょうか)、火生土(かしょうど)、土生金(どしょうきん)
         金生水(きんしょうすい)、水生木(すいしょうもく)

    相剋 木剋土(もっこくど)、土剋水(どこくすい)、水剋火(すいこくか)
        火剋金(かこくきん)、金剋木(きんこくもく)

なお、人の営みに欠かせない暦は、西欧では太陽暦、中東では太陰暦、
中国・日本では太陰太陽暦が用いられていました。

この上に夫々の生活文化が形成されたわけですが、
日本では文明開花の一端として明治五年に太陽暦を採用したため、
旧暦に基く伝統行事と新暦の季節感に大きなずれが生じる結果となっています。

  参考―吉野裕子著『五行循環』『陰陽五行と日本の民俗』・西角井正慶編『年中行事辞典』

    (http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/jinjawoshiru/jinjawosiru004.html )


             <感謝合掌 平成31年1月26日 頓首再拝>

節分の豆まきの由来と作法 - 伝統

2019/01/27 (Sun) 19:18:20

1週間後の2月3日は節分、2月4日は立春です。

まだ厳寒の最中ですが、確実に季節は進んでいます。


       *Web:「節分の豆まきの由来と作法」より

多くは、「鬼は外! 福は内!」と豆を撒きます。

古来、季節の変わり目には邪気が入りやすいと考えられており、
新しい年を迎える前に邪気を払って福を呼び込むために、
宮中行事として追儺(ついな)という行事が行われるようになり
(俗に鬼やらいや厄払いとも呼ばれます)、
その行事のひとつ豆打ちの名残りが豆まきというわけです。

「鬼」という字を「おに」と読みますが、
「おに」という日本語は「陰(おん)」に由来します。
「陰」とは目に見えない気、主として邪気のことをさし、それが「おに」なのです。

また、隠れているこわいものとして「隠人(おんにん)」が変化したという説もあり、
形の見えない災害、病、飢饉など、人間の想像力を超えた恐ろしい出来事は
鬼の仕業と考えられていたのです。

つまり、新しい年(立春)を迎える前日(立春の前日・節分)に、
鬼に豆をぶつけて邪気(おに)を払い、福を呼びこもうというわけです。

  (http://allabout.co.jp/gm/gc/220584/

             <感謝合掌 平成31年1月27日 頓首再拝>

光明掲示板・第二「節分 (5154)」① - 伝統

2019/01/28 (Mon) 19:38:36

先代の掲示板(光明掲示板・第二「節分 (5154)」~消滅しております)
にあった記事を順次、再掲載してまいります。


(1)「生長の家“本流宣言”掲示板」内スレッド「「鬼は外」のはなし (6324) 」→消滅
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1438

   以下該当部分を抜粋すると

     節分の行事、あれは追儀の行事といって、困難や不幸を追放する呪いなんです。
     握っている豆を蒔いて「鬼は外、福は内」とやるのですが、
     一体鬼は何処にいるのでしょう。

     
     諸々の不幸というものを、その原因を尋ねてみると、
     皆私達の心の中におこした貧瞋痴の心がそこに現れているのです。

     人間は貧瞋痴の心さえ出さなければ、車が衝突をしたり、
     人をはねたりせんのは当然の事なんです。

     さて貧瞋痴とは何かというと、

     貪は貪欲、即ちむさぼりの心ですね。
     瞋(しん)と言うのは瞋恚(しんに)即ち怒りの心、腹立ちの心です。
     痴は愚痴、泣き言です。

     それが鬼の姿であります。

     私達が〃鬼は外〃とやるのは豆を蒔いているようですが、本当は

     「今日只今より私は欲を出す事を止めた、腹立てる事を止めた、
     愚痴や泣き言を言う事を止めた」

     と宣言しているようなものなのです。

     鬼なんか初めから何処にもいないのですが、自分が一寸引っ掛かっているだけなんです。

     昔の道歌に 〃首にかけたる人形箱、仏出そうと、鬼出そう〃 というのがありますが、
     全くその通りであります。

(2)「生長の家光明掲示板・第一」内スレッド
   「正月さまざまな風俗  生活を祝福する日本の伝統 谷口輝子先生 (5377) 」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1021  
                                (消滅H29.2.2確認)

   以下該当部分を抜粋すると

     お正月には、人々はあらゆる角度から清められ祝福されて、
     注連飾の聖なる家に住まわせられている筈なのに、

     一ヶ月すぎた節分の日には『福は内、鬼は外』と怒鳴って、豆をバラバラ撒いて、
     家の中から悪鬼を追い出そうとしている。

     清浄な筈の家の中に、いつの間に悪鬼が忍びこんだのだろうか。
     うっかり油断して怠けている隙間へ、悪鬼が入りこんでいたのであろうか。

     絶えざる不断の精進こそ大切なことだと身にしみて思う。(お正月の終りに記す)

            (平成26年2月2日 投稿分)  

            <感謝合掌 平成31年1月28日 頓首再拝>  

光明掲示板・第二「節分 (5154)」② - 伝統

2019/01/29 (Tue) 20:08:53


桃太郎と日本民族の使命
  
           *『日本を築くもの「第2章」』より抜粋

日本においては桃太郎のおとぎ話でご存知でありましょう。桃太郎が桃からオギャーと生れた。
桃太郎とは生命の樹から生れた「生命の實相太郎」です。

あれが鬼ガ島を征伐するというのは、鬼即ち死神を退治することなのです。
原子爆弾、水素爆弾という死神がおっかけてくるのを征伐するのは、
ほかの方法をもってしては、どうにもならない。

桃太郎即ち「生命の實相」を悟った”太郎”即ち日本人でなければならないのです。

「生命の實相」から生れて生命の實相を悟った日本人が、
世界平和の大運動を起さなければならないのです。

「世界一円相」の象徴である日の丸の旗を押し立てて、
桃太郎が死の国なる鬼ガ島を征伐するのです。
これが日本民族に与えられた古来からの使命なのです。

古代から、作者が無くしてずっと続いているおとぎ話は、一種の神話でありまして、
古代人が第五次元以上の世界に既に存在する日本民族の使命を直感してそれを作者不明の
お伽話や神話にちゃんと表現しておいてくれたわけであります。

桃太郎が”鬼ガ島”を征伐したときにはどうしたかというと、日の丸の旗を立てて、
「きびだんご」というのを下げて出発した。

キビのキというのは伊邪那岐の「岐」であります。
「ビ」というのは伊邪那美の「美」であります。

岐美(きび)両神すなわちイザナギの神、イザナミの神のむすびによって出来たところの
陰陽揃うた円相の「団子」即ち日本精神をぶら下げて、日の丸の旗を立てて、
死の国征伐に出かけて行くと、直ちに「死の国」は征服せられて、
そこに再び「生命の国」(エデンの楽園)が生じてくるのであります。

そして地上に本当に現実天国が出来上るのです。

            (平成26年2月3日 投稿分)  

            <感謝合掌 平成31年1月29日 頓首再拝>  

光明掲示板・第二「節分 (5154)」③ - 伝統

2019/01/31 (Thu) 19:49:34


「桃太郎の鬼ヶ島征伐」の秘義

         *「神の真義とその理解」(P141~142)より

           (生長の家「今昔物語」(2010年05月17日(月))からの転写です)

桃太郎のお伽噺(とぎばなし)がありますが、
こう云う作者不明の、古代から民族に伝わっているおとぎ話と云うものは
一種の神話でありまして真理を象徴しているのであります。

では、桃太郎というのは一体何かと言うと、

或る日、おじいさんは山へしば刈りに往った。
これは心の雑木、雑草、雑念を刈り除いて心を浄化することです。
 
おばあさんは川へ洗濯に往った。
これも心の垢(あか)を洗いおとすことです。
 
 
そうすると浄き流れの川が出て来る。

川というのは生命の川ですが―――

「黙示録」の第二十二章には「み使い、また水の如く透きとうれる生命の水の河を我にみせたり
この河は神と子羊との御座(みくら)より出でて都の大路の真中を流れる。
河の左右に生命の樹ありて十二種の実を結び、その実は月毎に生じ、
その樹の葉は諸国の民を医(い)やすなり」とある。

その月毎に生ずる実とは、月毎に発行される生長の家の雑誌の象徴ですよ。

その生長の家の雑誌から実って来たのが「生命の木の実」であり、
略して「生命の実」――その生命の実の相(すがた)が聖典『生命の實相』であります。 

その「生命の宿っている果実」が「桃の実」であってですね、それが生命の川を流れて来るんです。

おばあさんがその「桃の実」を持って帰って、割ってみると、
桃太郎が出て来たというのは「生命の実」の実相が出て来たことでありまして
その桃太郎が鬼ヶ島を征伐(せいばつ)するのです。
 
「桃の実」から出て来た桃太郎が征伐する鬼ヶ島というのは、
「死の国」のことです。
 
吾々の生命を奪わんがために追っかけて来ているところの死の国「鬼ヶ島」の軍勢を征伐するのは、
桃太郎即ち、「生命の実」から出て来た其の「実の相(じつのすがた)」は――生命は神から
出ずるものであるから、永遠不死不滅であると云う真理のほかはないのであります。 

「創世記」に、アダムとイブとが智慧の樹の果(み)を食べて、
「不死の世界」なるエデンの楽園から追放された。

その楽園を奪還(だっかん)するには、「生命の樹の果」をたべなければならない。
今がその時なのであります。

http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/article/344/ )

            (平成26年2月4日 投稿分)  

            <感謝合掌 平成31年1月31日 頓首再拝>  

光明掲示板・第二「節分 (5154)」④ - 伝統

2019/02/01 (Fri) 18:33:23


桃太郎の昔話は人間関係のあり方を表した物語

      *別の掲示板「本流対策室/4」(168 :goro:2012/10/07(日) )
       からの紹介です。

第三の価値創造と言われている、「愛」結びの原理について
昔ばなし「桃太郎」より紹介します。

桃太郎の「きび団子」は今で云う「おむすび」の事であります。
右手と左手で交互に半転させながら握り締め、結び固める事を「おむすび」と云います。

国生み神話の「成り余れる」ものと「成り合わざる」ものとが
「結び合う」つまり「結婚」であります。
「結び」の本当の意味は「愛」であります。

「犬・猿・雉」は人間の様々な個性や属性であり、
例へば鬼に金棒とは習慣や人類意識などの「力」を表し、
赤鬼・青鬼・黒鬼等の様々な鬼は人間の様々な「心の状態」を表しています。

きび団子は愛(感謝)行であり、鬼退治は現実世界での修行でしょうか。

正の原理から観た場合

 犬は、忠誠心、従順
 猿は、分別、協力
 雉は、先見の明、情報、

負の原理から観た場合

 犬は、裏切り、利敵行為
 猿は、浅知恵
 雉は、礼儀知らず

「与えよさらば与えられん」の黄金律の通り
きび団子(愛)を与えた程度に従って生れる人間関係を表しています。

きび団子を下さいとは、愛を下さいと云う事の謂であり
この人から私は愛されていると思える人は
その人の為になりたい、喜ぶことをしてあげたいと思うのは人情ですから
一致協力して鬼ヶ島へ「鬼退治」に行けるのです。

鬼ヶ島は我々が住む社会・世間のことです。

一人ひとりが桃太郎というわけです。

桃太郎の昔話は人間関係のあり方を表した物語ですが、
「花咲爺」や「浦島太郎」などの日本昔話も同じような象徴物語であり、他にも色々ありますね。
幾つかの貧乏神と福の神も大好きな昔話です。

以上は父から受け継いだ話です。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1349267312/168

            (平成26年2月5日 投稿分)  

            <感謝合掌 平成31年2月1日 頓首再拝>  

「豆まき」とその真義 - 伝統

2019/02/02 (Sat) 18:40:25

節分の日にどうして「豆まき」するの?

       *Web:tripeditor (2019/02/02)より抜粋

節分では毎年きまって「おには~そと、ふくは~うち」といって部屋で豆まきをしますよね。

地域によっては大豆ではなく落花生をまいたり、みかんやお餅をまくところもあるそうですが、
そもそもどうして節分の日に豆をまくのでしょうか?

節分を『広辞苑』で調べると、追儺(ついな)という言葉が出てきます。

追儺とは「鬼やらい」とも呼ばれており、宮中の年中行事のひとつで
旧暦の12月30日の夜に鬼に扮装(ふんそう)した者を追い回す儀式です。
なんとなく今の節分の豆まきに似ていますよね。


また、飯倉晴武『日本人のしきたり』(青春出版社)によると、
豆まきの行事が庶民に定着したのは室町時代で、当時は季節の変わり目に
妖怪や悪霊が集まると考えられていました。

そこで魔物を追い払うために、

・鬼(魔物)の目に豆を投げつける→魔目(まめ)

・鬼(魔物)に豆をぶつけて滅する→魔滅(まめ)

このことから鬼に豆をぶつけて邪気を払うようになりました。

「鬼は外、福は内」という掛け声は、
災いをもたらす鬼は家の外へ、福をもたらす福の神様は家の中へという、
1年の無病息災を願う意味が込められています。

鬼を家から追い出すために豆まきを行うのですね。

ただし、中には鬼神のように鬼の神様もいるため、
神社や地域によっては「福は内、鬼も内」と掛け声をする場合があるのだとか。

<参考までに>

苗字のワタナベさん。
実は、全国にいるワタナベさんは豆まきをする必要がないそうですよ。

MAG2NEWSの記事によると、平安時代に渡辺綱(わたなべのつな)という人が
悪事を働いていた鬼たちを退治したことから、
「ワタナベさんは豆まきしなくて良い」といわれているのです。

豆まきをして鬼を追いはらわなくとも、
勝手に鬼が逃げていく最強の苗字なのかもしれませんね。

  *MAG2NEWS~ https://www.mag2.com/p/news/5409

      ( https://tripeditor.com/355838/2 )

               ・・・

節分とは『悔改めの日』。

       *Web: PFSNI (02/02/03)より

本日は立春前の節分の日で、わが家でもこれから恒例の豆まきをするところです。

この伝統行事の起源について、本日の「産経抄」では
「春を迎えるに当たり、冬の間の寒さや病気といった好ましくない“気”を
“鬼”として追い出そうとした。それが節分になったのか」と、
民族学者の説を基に推測しておりました。

 
それではみ教えではどのように「節分」について説いているのか、今朝、書斎で調べてみました。

すると、谷口雅春先生著『愛と光との生活』に
もっと明確にその意義が示されているではありませんか・・。

先生はこのご著書(139頁~141頁)の中で、

「節分とは『悔改めの日』であります」と定義された上で、
「鬼は外」と言って自分の年の数だけ豆まきをする意義について、次のように説いておられます。


「これは時間空間の相対的計数の世界を捨ててしまって、
無時間無空間の一点の世界に立ち永遠に老いないところの金剛不壊の自分にまで『我を置換え』、
悔改めるところの行事、これが追儺(ついな)の行事であります」

 
先生によりますと、この行事には「相対時間」の鬼がやってきて
「お前は何十歳であるから、もう間もなく死ぬぞ」と「朽ち果つべき人間」であることを
強調するのに対して、

そんな「相対時間」で数えるような年齢を豆と共に悉く投げ捨ててしまって

「『無原罪の受胎』せるもの、『神聖受胎の神の子』なるもの、
永遠に生きて老いないところのもの、死なないものが人間であると云う自覚にまで生れ変って、
墓穴の方から出て来ている死魔、即ち『鬼』を追い払ってしまえと云うことを、形に現してする」

意味があるそうです。


また、この鬼の姿は「執著」と云うものが人格化したものであり、
鬼を追い出すために握っていた豆を捨てるということは、
「執著」を捨てることであると教示されています。


「豆ばかり抛(な)げて見ても
『握った我』と云うものを抛げ棄てなければ駄目であります。

執著している姿そのものが鬼の姿であります。
執著していたら喧嘩をします。
角を生やし、角を突き合わして、鬼見たいな顔をして真赤になったり、
真青になったりして畏れるのであります。

そう云うように執著している姿がそれが鬼の姿であります」


「善人で執著が起ればそれが悪に変ずるし、
悪人は悪人で欲張り根性で物を欲しい欲しいと把むと、
把むと云うことそれは執著であるから、
執著に執われると自らそこに悪魔の姿が出て来るのであります。

(中略)

何でも執著したら、その姿が鬼の姿、悪魔の姿であります。
生長の家は『ねばならぬ』を解放する宗教だと云う風に説かれて居ります

が、『是非こうせねばならぬ』と把んでいるところを解放した時に、
吾々はそのまま自由自在な天国浄土に生れると云うことになるのであります」
(原文は旧漢字旧仮名遣い)


豆を投げるとともに「相対時間」の観念やいろんな「執著」(鬼)の心も捨てて、
生まれ変わる「悔改めの日」にしたいものですね。 

            <感謝合掌 平成31年2月2日 頓首再拝>  

誓いを立てて、悪因を切ります - 伝統

2019/02/03 (Sun) 19:38:34


       *Web:伊勢ー白山 道(2014-02-03 )より

(1)霊的には節分が神界の大晦日とも感じます。

(2)節分により、コノ世のすべての意味において、
   「節・フシを分ける」「運命を分ける」「物事の不死を分ける」
   とも感じます。

(3)もし自分なりに変えたい問題が在れば、今日の日は誓いを立てるには非常に良い日です。

   良心(内在神)と、先祖霊に対して、良いことを誓うことが大切です。
   お願いするのでは無くて、「自分が~~をします!」が大切です。

   ( https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/76bdebfd935c0eb73628534cc9820d84 )

            <感謝合掌 平成31年2月3日 頓首再拝>  

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