伝統板・第二

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伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/01 (Thu) 08:41:54



 伝統様、管理人様、ありがとうございます。

 改めて、又、謹写を続けさせて頂きます<m(__)m>。


 SuperBlueBloodMoon、奇跡的に雲間からきれいに観れました(^^)/。

思ったより、東の真上位のところに、10時過ぎにあらわれて居りました。

長い時間をかけて、早朝5時過ぎには西空にまん丸と明るくありました(^^♪。

私のカメラではこれが精いっぱいです(^_-)。






さて、今朝は、輝子先生の御話です。



    獄窓の歌人    谷口輝子先生

    (理想世界誌 昭和43年4/1号)


 
私は今年になってからやっと、島秋人(しまあきひと)と

いう獄窓の歌人が、十一月二日に刑死したことを知った。

何年か前だったか、一人の青年が飢えの苦しさから農家に

忍び入り、発見されてその家の主婦を殺したという新聞記

事を思い出したが、その青年の名が島秋人とは覚えていなかった。

秋人は引き揚げ者の家庭の極貧の中に育ったばかりでな

く、幼くして母を亡くし、母の愛を知らなかったし、その

上に病弱で、栄養不良からカリエスに罹り、肺病に冒された低能児でもあった。

彼は彼に暖かい同情を寄せて、度々花を差し入れてくれた人への手紙に、

「・・・・・私は小さい時から正しいことを大切にして、

ずるがしこい者、表裏のある者を、極度に嫌っていました
ので友人はありませんでした・・・・・」
 
と書いているように、貧乏で病弱で低能児で孤独な少年として、淋しくみじめに生い立って来た。

彼は殺人という重罪を犯して死刑の宣告を受け、七年ほど

牢獄にいたようであるが、彼は悲しい獄中生活の間に、幼

い時からの苦しい辛い思い出を辿る時、ただ一つ、小さい灯が心にともる事柄があった。

それは中学校の画(え)の先生が、彼の構図の出来が、クラス一番だと賞めてくれた事であった。

 低能児とさげすまれ、仲間外れにされ、誰一人優しい言

葉もかけてくれなかった時に、画の先生のその一言は、彼

の短い生涯の唯一の喜びであり、その喜びが獄中にあっ

て、もっと大きい喜びを数多く生み出すことになったのであった。

                     (つづく)


 

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/02 (Fri) 08:07:01




  伝統様が、平賀玄米様の特集(^_-)-☆をされてます。


 2月の出光カレンダー、仙厓和尚の十一面観音菩薩様です、いいですねえ・・・(^^♪。








 輝子先生の御話です。


それは何故であったろうか。彼は淋しい獄中でその一つの

灯を思い出し、自分にはクラス一番の画の才能があったの

だ。これからは画を描いて、獄中生活の中に喜びを見出そ

うと思い立ったので、郷里の恩師にあてて、手紙を出す

と、折り返し恩師から返事が来、児童画に添えて恩師夫人の歌三首もあった。

 しかし、獄中ではクレヨンは禁じられていたので画を描

くことは出来なかったが、夫人の三首の歌に心惹かれ歌を作り始めたのであった。

秋人の心の中にあった歌が、夫人の歌の力によって引き出されたのであった。

艇能児と言われた人の中にも、秀れた才能があったのであった。

秋人の歌は大阪毎日新聞の歌壇に投稿され、選者の窪田空

穂氏の眼に留まり、胸を打ち、それから空穂氏より作歌の指導を受けるようになった。

秋人は恩師夫妻のはげましと、空穂氏の温かい指導によっ
て、めきめきと文才が伸びて行った。

歌作の上達と共に、秋人は人間としても向上し、歌を作り始めてからは、獄内の生活に喜びが感じられて来た。

彼の日々の生活の歌は、ざんげであり、悔恨であり、御詫びであり、そして喜びでもあった。

歌一すじに打ち込んでいる秋人の努力の甲斐あって、遂に

得難い大毎最高の文芸賞をかち得ることになり、生まれて

から一度も手にしたことのない二万円の賞金よりも嬉し

かったのは、幼い時から長い間のコンプレックスだった、

低能児の汚名を消すことが出来、一人前の人間として認められた喜びの方が大きかったそうである。

 画を描きたくとも許されなかった時、

「ふきあがるさびしさにありて許されぬクレヨン欲りし死

刑囚われ」
 
と詠じていた秋人は、歌作の喜びを知るようになってから、

「死刑囚の身となりて知れる幸なりき日々に忘れず生きむと思ふ」

「無期なれば今の君なしと弁護士の言葉憶ひつつ冬陽浴びたり」

「悟(し)ればなお愛しさ湧きていのちとはかくも尊きものと知らさる」

「身に持てる優しさをふと知らされて神の賜はる生命(いのち)を思ふ」

「笑む今の素直になりしもこのいのち在るとは識らず生かされて知る」

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/03 (Sat) 08:45:12




    伝統様、今朝気がつきましたが、申し訳ありません。態々、ご指摘等ありがとうございます。

なにせ、謹写とて、ITなどに疎い私でありますので、おこがましいかぎりですが、どうにか、谷口雅春先生の御教えを多くの方に知って頂きたい一心で、拙くも精進させて頂いております。

文字列や段落?等、メチャクチャでいつも恐縮しているのですが、今後はしっかり校正して行きたいと思って居ります。

よろしくご鞭撻、御指導お願いいたします。

私の方は訂正加除致しました。


次の如く、です。


二日のことばの見出しは、「◇  百合には百合の目的

が、人間には人間の目的が」です。


十二日のことば=「生命→声明」「居らない→おらない」

でした。よろしくお願いいたします。








 輝子先生の御話、続きです。


処刑される二年前に、クリスチャンとして洗礼をうけた

秋人は、神より賜ったいのちの尊さをわかって来た様であ

るが、殺した人の命の尊さを知ると同時に、自分も「生への執着は捨て切れなかったようである。

「被害者に詫びて死刑をうくべしと思うに空は青く生きたし」

「さびしさの極みに在りて死囚われ愛するものをしきりにも欲る」

「極刑と決まる身となりわがまきしパンをついばむ雀写生す」

「この手もて人を殺めし死囚われ同じ両手に今花を活く」
「被害者の忌日に獄に仏華なく春雨降りて静に暮れし」

 切々と人の心を打つこれらの歌の数々は、加州として出

版することになり、秋人もそれを楽しみに待っていたが、

処刑の日が早く来て間に合わず、彼の死後に「遺愛集」と名付けて出版された。

入獄までの二十何年の生涯で、秋人の心に唯一つの灯として温かく輝いたことは、画の先生の賞める言葉であった。

「ほめられしひとつのことのうれしかりいのち愛(いと)しむ夜のおもひに」

 相次いで発表された毎日歌壇の島秋人の歌を読んで、

強い感動を受けた多くの読者は、秋人の減刑運動を始めたが、それは受け容れられるに到らなかった。

懺悔しつつ、いのち惜しみつつ、秋人は処刑されてしまった。

貧困と病弱とで悲しい生活ばかりしかなかった秋人は、酒

も女も知らず、煙草すら知らないで七年も獄窓に閉じ込められ、三十三歳でこの世から消えたのであった。

 しかし彼の歌集「遺愛集」は遺った。

この歌集によって、世の人々はさまざまなことを学ばせられた事と思う。

「人間は神の子であって低能児ではない」

「いかなる重罪者といえども本来その性は善良であること」

「才能は引き出せばいくらでも伸びること」

「勝れた点を見つけては賞めること」

「最大の深切は相手を認めて上げること」
 その他幾つもあるであろう。

世の人々は、秋人の生涯を見て、教えられ反省させられることと思う。

                    (つづく)











Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/04 (Sun) 07:48:44




 <彼らは、国語をまずしっかり身につけることが先決で、

英語は中学校から始めても遅くない、国際人になるには 流暢(りゅうちょう)な英語より 教養 、

ということを知っているからだ。・・・>・・・。


小学校英語教育に就いての藤原正彦先生のご感想、明鏡様のご投稿より。

マリーゴールド様が玄米様の後を継ぐとか、素晴らしい事です(^^)/。











 輝子先生の御話です。


私は島秋人と対照的な人のことを知った。

それは四五日前の新聞の中に、どこかの商品のビラが挟み込まれてあって、それの裏に載っていた記事であった。

 中日打撃コーチの田宮謙次郎氏は、茨城県下館商業時代

は柔道部に籍を置き、柔道三段だったが、日大に入ってか

ら始めてボールを握ったので、「おとな」になってから

野球を覚えたわけであった。

初めは投手だったが、後に阪神に入団して二年目に打者に転向したそうである。

打撃の師匠は阪神の監督松木謙次郎氏(現解説者)であっ

て、田宮氏はその師匠の松木氏に頼り切っていたのに、

松木氏は阪神を退団して、当時の大映スターズの打撃コーチとして移籍することになった。

そのニュースを知った田宮氏は、その夜松木氏の自宅を訪れて言った。

「松木さん、貴方がいなくなったら、私はどうしたらいいのです」すると松木氏はたった一言だけ答えた。

「田宮、お前はもう川上(当時巨人現役)にも負けない

一流だよ」と。

師匠から手を離されたが、お前は一流だよと言われた師の

はげましの一言が心に深く印象されたと見えて、翌年は

打撃二割八分八厘で、打撃ベストテンの六位にのし上がれた

し、其の後三十三年に首位打者、三十五年に大毎(現東

京)に移籍、更に解説者、コーチ就任と立場は変わった

が、「あの時の松木氏の一言がいつも私を支えて来た。

あの一言が無かったなら、今の私はあったかどうか、私の

人生は、あの一言によって決まったと言ってよい」と述懐しておられた。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/05 (Mon) 08:50:10



  https://www.youtube.com/watch?v=LqKasjX1Iq8

源流様のご投稿より、拝借です<m(__)m>。

大聖師の大調和の神示、が聴かれます。









 輝子先生の御話です。今回は、これで終わりです。



「お前はもう一流だよ」と弟子の能力を最大に認めたことによって、弟子は一流の自覚を得たのであった。

その時から弟子は、師匠から手を放されても心細がらない

で、自分の内在の能力を充分に発揮できるようになったのだと思う。

良き師匠を持った田宮氏は幸せであった。師匠の言葉を素

直に受けて一人で立ち上がったのであった。そして今は

中日のコーチとなっているのであった。

 島秋人は大罪を犯して投獄されてから、ようやくその能力を発揮し始めたのであった。

幼い時から極貧と病弱と低能で苦しみ、一番大切な母の愛
の手をも失い、慰めるすべもない程憐れな一生であった。

そして人間の死の中で最も不幸な、最も痛ましい極刑に服さねばならなかった。

ざんげしながらも尚、獄窓から青空を見ると、生きたいと切に願いながら、生を諦めねばならなかった。

憐れさ限りないものに思う。

 田宮コーチのように、良き親の子として生まれ、健康に

恵まれ、物質に恵まれ、大学にも入れて貰い、卒業したら

良き師に恵まれ、その死のお蔭で順調に技を磨いてゆけた

ような人は、どんなに感謝しても感謝しきれない事であろう。

私は世の青年たちが、深く自分を内省して、あれもこれも

と、無限に恵まれた能力を見つけ出し、それを掘り上げて

磨きをかけ、ぐんぐん引き伸ばしてくれることを望むとと

もに、自分の親に、兄弟姉妹にそして師に友に、もっと深く感謝を捧げて欲しいと願うのである。

 親や師に感謝の心を向けている青少年たちは、親や師を嘆かすような方向に決して行かないものである。

 そして不幸な子供を見つけたら、その友となり、その子

供の手を温かく握って上げ、その子供の「神性」を認めて拝んであげて欲しい。

それは理想に生きる青年たちの使命だと思う。

まことにそれは聖使命である。

                     (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/06 (Tue) 08:36:09



   光明道中記、2月6日の最後、

「観世音菩薩とは「世音」即ち「世間の念波」を観じて、その念波そのままの姿を以て顕れ給う菩薩である。

だから、千手であったり、十一面であって、三十三相隋宜
変貌するのである。

自分が腹立っている時に周囲が自分に腹立ったすがたをするなら、その周囲の相(すがた)が観世音菩薩である。」









 今朝よりは、清超先生の御話です。



   戦争は何を教えているか   谷口清超先生

        (理想世界誌 昭和43年4/1号)

            弱肉強食


 人間はお互いに仲良く暮らして行かなければなりませ

ん。もし此の世の中が「弱肉強食」の世界だと思っていては、決して理想社会は実現しないのです。

人間が動物の一種だと考える唯物論からするならば、人間

を虎や狼のような一種の“食肉獣”と考えて、「弱肉強食」

を当然のように思うかもしれませんが、こんな考えの人々

は「理想社会」とか「福祉社会」とかややこしいことを言わぬことです。

その代り、自分が強盗に遭っても、「しかたがない」とあ

きらめなければならない筈であります。何故なら、弱肉強食が当たり前だというのですから。

 しかし吾々は、人間をそのような矛盾した生物とは見な

いし、吾々の社会をそのような本質のものとは考えないの

です。どこかに「理想世界」を実現する道が残されている

のであり、人類はすべて本当はそれを望んでいると考えざるを得ない。

人類は戦争という「弱肉強食」を好んでいないのであり、

戦争や闘争の無い世界が本当であると吾々は信
ぜざるを得ないのであります。

 しからば、戦争を絶滅する道は何であろうか?

それを皆で真剣に追及しなければなりません。単に「戦争は嫌だ」というだけでは、戦争はなくなりはしない。

戦争を恐れているだけでもだめなのです。

それはちょうど、「交通事故は嫌だ」と言っているだけで

は、交通事故にかからなくなりはしないし、単に交通事故

を恐れているだけでも安全ではあり得ないようなものであ

ります。或いは又、いくら癌を恐れていても、癌にかからないという保証にはならないでしょう。

寧ろ恐れていることが却って、その病気を実現する原因の

一つになっている事もあることに注意しなくてはなりません。

 そこで、戦争をなくすには、戦争の原因を正しく見つけ出し、それを絶滅して行かなくてはならないのです。

現に今、ベトナムで戦争が行なわれて、一日に何人かは死につつある。

アメリカ軍の爆弾でベトナム人が死ぬから、アメリカの爆

弾が悪いのだ――と、それを憎んだり、怖れたり、呪ったり

するだけで、戦争は止まりはしないのです。あらゆる現象には、その奥に隠れた原因がある。

見せかけの原因もあるでしょう。その中から正しい原因を見つけ出して、それを根絶しなくてはならない。

そうしないと、いくらシステリックに、
「もう断じて戦争は致しません」

 と叫んでみても、大した力にはならないのです。泥棒をする癖のある人でも、泥棒してみつかると、

「もう二度と致しません」

 と言いますが、又何時の間にかやり出している。

アルコール中毒者は、いくら酒を止めようと思っても、夜になると知らず識らずに街にさまよい出てしまう。

それは彼らが心の中の原因を絶滅していないで、ただ「嫌だ」とか「やめたい」と思うだけだからです。


                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/07 (Wed) 08:37:49


  大聖師の招神歌、「生きとし生けるものを生かし給える

御祖神元津御霊ゆ幸え給え」まで一気に朗々と歌えるあの息の長さ、は驚嘆ものです。









 清超先生の御話です。


        戦争の原因


 日本が巻き込まれた、かっての第二次世界大戦の場合でも同様です。

戦後日本の特産品たる「文化人」は、日本があの戦争を仕

掛けたのだから、もう二度と侵略戦争をしなければ良いの

だと考えて、「二度と過ちは繰り返しませんと」などと

いっている。すると、純情な日本の青年たちは、本当かと

思って、日本人はなんて馬鹿なことをしたのだろう、世界中を相手に戦争をするなんて――と思う。

さらにこれも皆天皇制のお蔭だなどと教えられると、戦争

の責任を天皇におっかぶせて、進歩的ぶってみたりするの

であります。けれども、これでは余りにも「戦争」の見方が甘すぎます。

彼らは昔から戦勝国が戦敗国に言うセリフを、そのまま鵜

呑みにしているに過ぎないのであって、これでは何時になっても戦争はなくなりません。

何故なら戦争の原因が正しく分析されていないからです。

本当の原因はそんな単純なものではない。第一それでは余

りにも日本人がバカすぎます。そんなバカな日本が、どう

して、「もう二度としません」と言ったからといって、信用出来るでしょうか。

だからこそ天皇制を分つぶすのだ――というから知れないが、では今のベトナム戦争と天皇制とどう関係するか。

ドイツとソ連の戦争でも、ドイツとイギリスの戦争でも、天皇制とは何の関係もなかったではないか。

関係のないところに幾らでも戦争が起こっているから、

天皇制を戦争の原因だというのは、月と交通事故とを結びつ

けて、「あの月がすべて交通事故の原因だ」と言っているようなものであります。

吾々はもっと冷静に、戦争の原因が何処にあるかをさぐらなければなりません。

そしてそれは凡ての戦争の中に見出される「真の原因」でなくてはならないのです。

中には、「戦争の原因は色々あるのだ」と言う人がいるかも知れない。

確かに表面的な原因には色々あるでしょう。けれども、

奥底に隠れた根本原因は、そう沢山はないのであって、
共通していなければおかしいと思われるのです。

                                              (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/08 (Thu) 08:10:46



    餃子の王将、やりましたね(^^♪。

無印商品の中国での商売、商売の精神が問われます(^_-)。


 昨日の、大聖師の招神歌の息継ぎ、間違いでした。

「生きとし生けるものを生かし給える御祖神~」迄でした。失礼いたしました。







 清超先生の御話です。なかなか難しい。



       ハワイ奇襲について


 大体、かっての戦争は、日本がアメリカの艦隊を真珠湾

で「奇襲攻撃」したから起こったのだという考えが行きわ

たっていた。それはしかしアメリカ国民が、日本に奇襲されたところの理屈であります。

けれどもよく考えてみると、これは大変おかしいのです。

戦争の原因がもしこの「奇襲」にあるとすると、日本は何

のために「奇襲」したのか、奇襲攻撃の時、日本は戦争をしていなかったのか、それとも戦争をしていたのか?

ハワイ攻撃に参加して死んだ日本の軍人は、明白に

「戦死」したのであって、「あれは戦争以前の事故で死んだ」と言われたためしがない。

又日支事変で死んだのでもないでしょう。とすると、日本

軍のハワイ奇襲は、戦争開始の合図であったかもしれない

が、日米戦争の原因であったとは言えないではありませんか。

つまり多くの人が、日米戦争の原因と考えているものは、本当の原因ではないという事です。

従って、戦後の日本がいくら、

『日本は二度と戦争を仕掛けません』と言ってみても、戦

争が起こる本当の原因が見逃されているから、戦争が起こ
らなくなる保証がないという事になるのであります。

それなら日本は気でも狂ってハワイを奇襲したのか? そうではないのです。

日本はそうせざるを得ないギリギリのところに追い込まれ

て攻撃をした(と、すくなくとも当時の日本政府は考えた)

しかし天皇陛下は、そのときでももっと別の平和の道を

欲っせられたが、立憲君主としては閣議決定をくつがえす自由が無かったのです。

 ではどうして日本政府は、ギリギリのところに追い込まれたと考えたのであろうか。

それはABCD包囲陣によって、日本は完全に経済封鎖されてしまったからです。

そのままでは石油、其の他の資源も枯渇するから、死中に活を求めるつもりで、戦争を決意した。

しかしこの日本の「戦争決意」は決意であって「戦争の原

因」ではないのです。決意のもととなるのが原因であります。

例えば人殺しの決意をしたのが、人殺しの原因だとは言えないでしょう。

原因とは、その決意のもととなるものでなければならな

い。だから、「日本が戦争の決意さえしなければよかった

のだ」というのは、問題を別件にそらしていることになるのです。

或いは又、「軍備があるからいけないのだ、戦争をなくせば良いのだ」

 という考えも、戦争の原因追求をハグラカシているのです。

それはあたかも、殺人者が殺人を決意するのは、そこに凶

器があったからだ、凶器さえなければ、殺人は起こらな

かったのだと言って、凶器となり得るもの一切の製造禁止

を提案するようなものであって、少々頭がどうかしている“文化人”の言う事であります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/09 (Fri) 08:07:10




    小路様、神々の友達様の諧謔(^_-)が小気味いいです。

だけど、今朝もMyRoom冷え切ってます(*´▽`*)。










 清超先生の御話です。


         歴史の教訓


 しからば日米戦争の原因は何か。アメリカが主謀した

ABCD包囲のためであろうか。

そんなことは、ごく見せかけの近因であって、まだ真の原因ではありません。

アメリカはあの時、何のために日本を経済封鎖したか?

それは日本の志那大陸で戦っている戦力を抑えようとした

からでした。ところが戦争をしている者の一方に味方して一報を抑えようとしたら一体どういう事になるか。

これはたしかにもう一つ別の戦争の原因となるという歴史

的実例があるのです。この一方的抑圧行為も、まだ戦争の

「真の原因」とは言えないけれど、きわめて危険な戦争発火点ギリギリへの接近であるとは言えるのです。

 吾々は、この教訓を果して正しく学びとっているのであろうか。

どうもそうではないらしいのです。依然として「戦争の決意」が犯人だとされているのではないでしょうか。

そうでなければ、ベトナム戦争の当事者、即ち北ベトナム

とベトコン並びにアメリカに対して、どうしてあんなに

アメリカにばかりよく圧力をかけようとする日本人が沢山いるのでしょう。

アメリカばかりを抑えて、共産軍の方を抑えようとしない平和屋がいかに多いか。

彼等は、「アメリカの方が圧倒的に強力だから、アメリカに圧力をかける」

 というのです。しかしこれはアメリカが日支事変中に考えたのと同じ心理状態であります。

ところが「強力だから抑える」というのは間違いです。

「不正だから抑える」というのなら話がわかる。全く合理的です。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/10 (Sat) 07:56:14




   中仙堂様の「生命の教育」ご投稿、ゆっくり拝見させて頂きます。







 清超先生の御話です。


一方が正義の味方で、一方が悪者であるのなら、悪者の方

を抑えればよいのでしょう。しかし、この場合でも、一方

を抑えようとすれば、自分が戦争に巻き込まれるかも知れないという事を充分覚悟しなくてはなりません。

ところが現在の“ベトナム平和屋”は、自分合戦争に巻き込

まれる決意など少しも持たないにも拘らず、むしろ

「平和」を持ち来たすといいつつ一方的抑圧をやるのです。

これはむちであり、無謀であり、狂気に近い行動でありま

す。ましてアメリカだけが悪くて共産側が正義の味方だということは出来ないのですから、大きな問題です。

勿論そう断言する人もおります。こういう人を「共産主義

者」乃至はそのシンパというのであって、この種の人々は

事実を公平に調べないで、共産主義の言い分を主として採

用するという致命的欠陥をもっているから、どうも公平でない。

従って彼等の結論は、最初から決まっているのであって行

動の正邪の判別は抜きにして、学説を信ずるか否かであります。

マルクス主義を信ずるか否かは、これはもう信仰の問題に

なって来るのであって、正邪の判断ではないのであります。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/11 (Sun) 07:44:14



   建国記念の日、おめでとうございます。

2678年とはまさに悠久の伝統ではあります。

日の丸を掲げましょう!








 清超先生の御話続きです。


       戦争の合理化と協力


 ところが、ここでもう一つ考えなければならない事は、

戦争する二つの陣営中、どちらが正義の味方であり、どちらが邪悪の味方かという事です。

日支事変の時、日本を後者と見做し、中国を前者と見做し

たものが、戦争中の日本にいたでしょうか?殆どいなかった。ところが戦後はこの評価が逆転したのです。

何故、逆転したか?彼らが真剣に日支事変の実体を究明したからか?

いや、そうではない。ただ戦勝国の”宣伝”を信じたからで

あり、その宣伝の下請けをやった”進歩的文化人”の「うけうり」を信じたからであります。

しかし、公平に見て戦争当事者はどちらもどこかで間違っ

ているのです。このどちらもという点に注目しなければなりません。

戦争や闘争は、一方だけが邪悪で、一方だけが正義その者であって起こるものではないのです。

正義と見える者にも過ちがあり、邪悪と見えるものにも、

理想があり言い分があるという事を知らなくてはなりません。

この事は、『声字即実相』の神示の中に、

『今は過渡時代であるから、仮想(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。

日子の戦いはその序章である。神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いと相搏って自壊するのだ。

まだまだ烈しいことが今後起こるであろうともそれは迷い

のケミカライゼーションであるから生命の實相をしっかり

握って神に委せているものは何も恐るる所はない』

 と示されている様に、迷いと迷いとが相搏っているのが戦争だからであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/12 (Mon) 08:41:32





 民族の本ついのちのふるさとへはやはやかへれ戦後日本よ

大東塾の影山正治先生のお歌である。

沖縄のひまわり様のご投稿より<m(__)m>。









 清超先生の御話です。


      アメリカと日本との過失


 つまりアメリカがあの戦争に介入して来なかったらどうなったであろうか。

ソ連とドイツとは恐らく両者ともヘトヘトになって戦争は

終結していたでしょう。しかも東ヨーロッパも共産化されずに済み、広大な中国も共産化されなかったに違いない。

ヒトラーを倒そうという動きはドイツ内部にもあったので

あるから、ドイツは全体主義から脱却して行ったでしょう。

ところがルーズベルトは、ドイツを倒すためには”悪魔と

でも手を握るつもりであった“チャーチルに口説き落とされて、遂に参戦を決意した。

この辺の所は、当時米国陸軍作戦担当者であったウェデマイヤー大将のリポートに詳しく書かれています。

つまりアメリカは戦争に介入する真の理由なくしてせんそ

うに介入したというのです。『ウェデマイヤー回想録』には次のように書いてあります。――

「一九四一年七月二十六日、ルーズベルトは日本に対して

経済的な制裁を加えたが、この制裁は、日中事変の勃発当

初であったなら中国を助けたかもしれなかったが、

一九四一年七月では、もはや中国にとって何の利益にもならなかった。

いまや、こうした制裁は、中国を援助する為でなく日本を

戦争に挑発するためであり、イギリスの勢力を維持するた

めに、どうしたらアメリカを参戦させられるかという、

ルーズベルトのジレンマを解決するために使用されていた」(二十五頁)

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/13 (Tue) 08:13:58




   4日目にして、朗報です(^^)/。

 道産子(^^♪美帆&沙羅さん、快挙です。

不断の千鍛万練の成果ですか(^^♪。うれしいです。


 それにしても、優生保護法のこと、どうかなりませんか。五輪に浮かれてる場合でないかも。








 清超先生の御話です。あと2回です。


さらにウェデマイヤーは、アメリカはドイツを挑発しても

アメリカを攻撃して来ないから日本を挑発する方向に切り

替えたと述べ、ルーズベルトが十一月二十五日「日本は来

週月曜日までに、アメリカを攻撃するものと思う」と述べ

たと指摘しているのです。(二十六頁)として、のちに

なってスチムソン陸軍長官は「どのようにしたら日本を追

い詰めて第一弾を発射させ、しかもアメリカはそれによっ

て損害を受けないように出来るか、という事が問題であっ

た」と言っている、――と書いているのです。(註による

と、このことは真珠湾攻撃当時アメリカ太平洋艦隊司令官

ロバート・シーボルト少将著『真珠湾の審判』に詳しく書かれている。)

この点についてウェデマイヤーは「真珠湾攻撃の真相」と

いう小見出しの下に、このリポートの冒頭に於いてハッキリと次のように記しているのです――

「日本の真珠湾攻撃は、アメリカによって計画的に徴発さ

れたものであるという事実は、真珠湾の惨敗と、それに引

き続きフィリピンを失陥したことにより、覆いかくされてしまった。

アメリカ国民をヨーロッパ戦争に裏口から参戦させようと

していた当時のアメリカ政府は、フィリピンのアメリカ守

備隊を日本軍の犠牲に供するもやむを得ない、と考えていた。

アメリカ国内の反戦派の人たちは、ルーズベルトがドイツ

に対して明らかに戦時中立を犯す行動をとり、また日本に

対しては最後通告を突きつけて、何とかしてアメリカを参

戦させようとしていたことは、充分に承知していた」云々。

                    (つづく)






Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/14 (Wed) 08:07:57



     <平成29年2月7日、我が国の「北方領土の日」

に、ウクライナのロシア大使館の前で「ロシアは泥棒国

家! 盗んだものを返せ!」と抗議活動をしたウクライナの団体がいた。>・・・。

 miyosi様のご投稿より。


 中仙堂様の「タバコより体に悪い食品」の、コーヒーのミルク、以前から聞いてましたが、

クレマトップ・ファンなんです(^_-)。朝の至福のひと時

のコーヒータイム(^^♪、当該ミルクは欠かせないんです
(*´▽`*)。

 ソーセージ類、マーガリン他はしっかり避けていますけど。








 清超先生の御話です。終わりです。


このようにしてアメリカは、日本をして奇襲攻撃をさせる

事により、ルーズベルトが国民に公約した中立決意を翻し

て、アメリカをして参戦せしめる世論をつくり出すことに成功したのであります。

それ故日本はワナにかかって「第一弾を発射した」ともい

えるのでありますが、アメリカも又ワナにかかって、参戦を約束させられていた。

戦争の原因は、このワナの奥にあるのです。大した理由も

なく単に「民主主義を守る」などという抽象的な名目の下

に参戦したアメリカは、当時共産主義の防壁となっていた

日独を倒し、ソ連と中国共産党を援助し、かつ蒋介石総統

の国民政府軍をヘトヘトに疲れさすことによって、将来中

共が支那大陸を占領するところの立派な地ならしをやってのけたのでした。  

 こうして今やアメリカは、かつての自分の倒した「共産

主義の防壁」の代わりに、自分が共産軍と真っ向から対決

する運命を担って、ヨーロッパ及びアジアで孤軍奮闘しているのです。

かくの如き悲劇がおとずれた原因は、彼ら連合国が当時共

産主義者の実体を見抜くことが出来ず、本来ならば日本と

提携して、この共産主義的唯物論と戦うべきところを、そ

の「防壁」に向って突進して行ったところの間違いにあるのです。

又日本も、アメリカに対して突撃をする代わりに、本来の

「防壁」としての役目をしっかり自覚し、中国大陸から軍

隊をいち早く引き上げて、むしろソ連国境に心を用いて居

れば、かくの如き敗戦もなく、又中国の七億の隣国民が共
産主義政権の虜囚になることを防ぎ得たのであります。

しかし、今となってはもう歴史を逆転させることは出来ません。

それ故せめて「この歴史の教訓」だけはしっかり身につけ

て、戦争の真の原因が各種「唯物論」にあることをハッキ

リと再確認し、その唯物論に味方したり、戦争当事者の一

方に加担するという愚かな行いを、全国民が戒めなければならないと思うのであります。

                     (おわり)


Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/15 (Thu) 08:34:31



    スーパー・セルとか、中心帰一、不気味な人面鳥などなど、

頭が混乱するばかりです(*´▽`*)。









 今朝よりは、大聖師の御話です。


   新たに進学した若き学徒に   谷口雅春先生  (昭和43年理想世界誌4/1号)


     学問は何のためにするか


 わたしたちは何のために学問するのであるか。

この事は、今現に学びつつある学生、生徒は勿論のこと、

入学準備をしつつある人、更に、愈々今年大学の入試に

合格して栄えある入学式に臨もうとしている青年にとって重大な関心事でなければならないと思うのである。

「大学を出ておかなければ将来社会に出てから、官吏にな

るにせよ、会社員になるにせよ、昇進の速力がことなるの

であり、出身学校によって中々重役級には昇進できないし

収入の点に於いても非常な格差を生じるのであるから是非

とも一種の登竜門として有名大学に入っておかなければな

らない」こういう考えが一般に行き亙っているのではないかと思う。

 女性の中にはイヤリングや帯止めや指輪の宝石を求める

様に、一種のアクセサリーとして「大学生」という耳飾り

を買っておいたら、その耳飾りに魅せられて将来好い婿殿

が来て下さるであろうというような考えで、大学へ入る人
もあるという事である。

 男の学生が将来の収入や地位のために大学を出ておかな

ければならないという考えを持っているとするならば、こ

れと女子大学生の前記のような考えと大同小異であって立

身出世のためのアクセサリーとして大学へ入学するというのである。
 いずれも学問そのもののために勉学するというのではな

く、学問は一種のアクセサリーだという考え方が根拠になっているのである。

しかし、これでは勉学の本筋に乗っているのでない事は無論である。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/16 (Fri) 08:22:58




  https://jmty.jp/miyagi/eve-scr/article-83l4m

中仙堂様が故郷?石巻で個展開催のようです!(^^)!。

すばらしいですね(^^♪。


 五輪の銀メダル4個の勝者がすべて前回ソチの勝者、か

お一人は、何と前々回の(バンクーバー)金メダリストであるというのは、特筆ものです。

この例からいえば、羽生選手の金も期待できるのかな(^^♪










 雅春先生の御話です。


   金儲けを選ぶべきか天分を選ぶべきか


 学問は何のためにするのであるか、私は実例を挙げながら考えていきたいと思うのである。

生長の家の”実相を感ずる歌”の作曲者江藤輝(あきら)氏のことを考えてみようと思う。

江藤輝氏は明治時代の日本時計界の巨商、尚美堂の主人・江藤嘉吉氏の次男として生まれた。

嘉吉氏は親の代からの熱心なクリスチャンで、キリスト教

の宣伝紙『クリスチャン・ニュース』というのを独力で発

行して宣教に努めている位の熱心さで、輝氏はその息子

で、三代目つづきの熱心なクリスチャンという訳であった。

 輝氏は、旧制の中学を卒業すると、自分は音楽の天分が

あるというので音楽学校へ入学することを希望したが、父

の嘉吉氏は、自分は関西一の大時計商をしており、時計製

造の工場も経営しなければならないから、時計工作の知識

を得る上からも機械工学を勉強して貰いたいので、大阪高

等工業(現在工業大学)に入学してくれと輝氏に言われた

のであった。これは明らかに学問は家業発展の道具として認められているという事である。

これは父祖伝来の家業発展のためであるがこれを拡大解釈

してゆくならば、学問は国家経済発展のための道具として学ぶべきものだという立場に通ずることになる。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/17 (Sat) 08:00:35




   法曹界三トップ、すべて、道産子が占めました(^^)/。

 正しい方向へ進んでもらいたいものです(*´▽`*)。









 雅春先生の御話です。



       純粋価値の追求を目ざして


 しかし江藤輝氏は、時計商が発展して大いに富が築かれ

ても、金が儲かっても、それに何尾価値があるかと考えるのであった。

人間は金を儲けるために地上に生まれたのだろうか。金銭

の価値というものは経済界の変動で、どのようでも変動するものなのである。

それは永遠の価値ではない。

折角、われわれが地上に生まれた限りは、永遠の価値を追及し永遠の価値を生きなければならない。

これが輝氏の考え方であった。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/18 (Sun) 07:49:33



   コスモス様も感動、羽生結弦選手には列島が湧きました(^^)/。

その、いわゆる神対応には心揺さぶられました。

宇野昌磨選手も「練習通りに滑って」素晴らしかった。
不断の努力が報われることが、よく判ります(^^)/。


 「神の子」(と言われていました(^^♪)藤井聡太さんも
凄い中学生です(^^)/。

「全棋士参加の棋戦で優勝」だそうです。








 雅春先生の御話続きです。


     純粋価値即ち永遠の価値


 この輝氏の考えの中には“永遠価値の追及”が“主”となっ

ていて、学問をアクセサリーとする――換言すれば虚飾用の

看板とする――式の浮薄な考え方がないところに注意しなければならないのである。

 永遠の価値のうちには、凡そこれ大別して真善美の三つが考えられるのである。

「真」とは「本当にあるもの」「仮存在ではなく、従って

不滅なもの」「純粋にある価値・手段でない価値」「存在の原理及び法則」の如きものである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/19 (Mon) 08:18:16



    「1000個目の金が日本の1個目の金」(^^♪。

「羽生勝ち羽生敗れたり奇遇かな」(^^♪。

「金井さん船外活動『金メダル』」(^^♪。








 雅春先生の御話です。


     科学は永遠価値の追求である


 科学は「存在の原理及び法則」を研究する学である点に於いて「真」を扱うのである。

それは現象を取り扱うけれども、現象を支配している永遠
の法則の発見を目標にして研究を進めて行くのである。

法則は永遠のものであるから、これは永遠価値の追及であ

り、科学者となるための勉学は、自分の“生命”を”永遠価

値”の中に投げ込むのであるから、諸君が科学者となるた

めに勉学するのは尊い事だと言わなければならないのである。

                    (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/20 (Tue) 08:18:26




   志恩様、ご健闘されております(^^♪。


 レジェンド葛西選手「北京出る」宣言、応援したくなりますね(^^♪。








 雅春先生の御話です。


   哲学は思索を通して永遠価値を追求する


 哲学もまた永遠の価値を扱う。

科学は実験を通して永遠の法則を探求するのだけれども、

哲学者は思索を通して「本当にあるもの」(存在論)それ

が「認識される法則」(認識論)「善とは何ぞや」(倫理

学)「美とは何ぞや」(審美学)「運命とは何ぞや」(運

命論・因縁因果の法則・業の法則)等を追求するのである。

                     (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/21 (Wed) 08:08:02




      <これから、世界規模で寒冷化が進むと言われ

ていますからね、あの地はそのうちに 南極みたいになるのかもしれません。・・・>・・・。

 志恩様の予言です(^^♪。








 雅春先生の御話です。


   芸術は“美”と称する永遠価値を追求する


 芸術家は「美」を創造する。「美」は永遠の世界に存在

する属性であって、「美」として、現象界に創造されたも

のは、実は“永遠の世界”にあるところのものを“現象の世界”に取り出して来て表現されたものである。

絵画然り音楽然り、詩歌然りである。

江藤輝氏は父が自分の家業である時計の製造販売の仕事を

手伝わせるために、高等工業学校へ入学させることにし

た。しかし輝氏の音楽志望の念願は消えなかった。学業の傍ら作曲やピアノの練習を怠らなかった。

ピアノは自分が直接師匠につかずに、妹が習っているのを

傍らから眺めていて自由自在に何でも弾きこなすようになった天才ぶりであった。

 その頃、世界的有名な音楽の指揮者がウィーンから神戸にやって来た。

江藤嘉吉氏は息子の輝があまりにも音楽を勉強したい熱情

が、高等工業に入学してからも少しも衰えないのを見て、

本当に自分の息子にそのような天分があるかどうかという

ことをテストして貰いたいと思って、その有名な外人音楽家を輝氏を連れて訪問した。

輝氏はその時、自分の作曲した譜をその外人音楽家の前で、ピアノに向かって演奏した。

それを聴いていた外人音楽家が感嘆して、「こんな音楽の

天分のある者を機械工学を習わせるなんて、全く非常識な話だ」と言った。

それで江藤輝氏は高等工業をやめて国立の音楽学校に入学できることになったのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/22 (Thu) 08:11:48

  


   道産子女子追い抜きチーム、やりましたね(^_-)-☆。

一言で言えば、不断の練習の賜物、ですか。

「う~んと」の北海道弁もリンクに響いて、感動の夕べでした。

ファンからのコメントに「私もしっかり生き抜きます」風のものがありましたが、まさにその感じの偉業かも。







 雅春先生の御話です。


   何の学科を選ぶにしても人類に貢献できる


 江藤輝氏の詳しい経歴や生長の家に入ってからの奇蹟や

業績については別の所で書いたことがあるから、それをここに書くつもりはない。

私が考えて見たいのは何のために諸君はこの新学期に〇×

科の大学を選んだかという根本的動機についてのことである。

 この学科を選んだ方が金が儲かるから。立身出世が早い

から。重役になる機会が多いから。親の家業の跡継ぎをするために。

 現在でも、右のような動機で入学志願の学校を選ぶ人が随分多いことだと思う。

江藤嘉吉氏が自分の息子に高等工業に入学させようとしたのも右のような動機であった。

併し、右のような動機でも其の人が正しい精神で進むなら

ば決して軽蔑すべきではない。無論、親の家業を継ぐということは親孝行になる。

そして工業方面の学校に入って大いに機械工学を研究した

結果、新しい電子工学的な発明でも出来たら人類に大いに貢献することが出来る。

人類に貢献することは愛の道にかなう。

重役になることも必ずしも悪い事ではない。それだけ発言

力や支配力が大きくなり、自分が神から受けたアイディアを自由に実現する機会が多くなる。

神から受けたアイディアを此世に実現することは神のみ心にかなう。また金が儲かることも悪くない。

金本位または貨幣制度が行なわれている現代の世界に於い

ては、共産主義の国家に於いても国際貿易を行うために

は、充分の外貨がなければならないし、自国の通貨価値が下落してはならない。

コセコセと自分の小さな金儲けのためにアクセクするのは

つまらないが、大実業家となって、他国の資源でも開発

し、他国を利用しながらも国際的に大いに自分も儲かるの

は、これは愛国心にもかなうし、同時に人類全体のためにはなる。だから実業方面の学校へ行くのもよい。

 だからこのような学校へ行くことを、必ずしも利己的

な、単に「儲けたい」とか「出世したい」私欲満足のみを目的とすると批評することは間違っている。

要は、そのような学校に於いて修得したるものを、神のみ

心実現の為に、広く人類全体の幸福厚生のために、国家が

栄えて国民が幸福になるために本人がそれを使うかどうかの心構えにあると言える。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/23 (Fri) 08:32:36


    yuuko様ご投稿のレイテ島慰問団長、木曽正人氏の

霊験あらたかなるご体験は、凄いものです。

中仙堂様の、マスコミ、優生、神道、中国、領土主権展示館等々の情報、目から鱗ばかり、です!(^^)!。

童子様の「国旗」提起も、こんなことが普通に行かない現状には噴飯もの(*´▽`*)ですね。

 
 皇太子殿下の御誕生日の御言葉に、

「できるだけ多くの人々と接することが大切」とありましたが、
私も、じくじたる思いでおります。










 雅春先生の御話です。あと四回です。


       私の青年期の体験


 私が旧制中学の五年生を出たときは、今で言えば、高校

を出て、どの大学へ進学しようかと考える年齢に当る訳だ

が、私の養父は自分が学問をあまり受けずに世間へ出て実

力で叩き上げて来た人だったから、学問のない人間が世間

へ出て苦労することを身にしみて感じていたと見えて、私

が世の中へ出て苦労して生活することのないようにと、

「医者になれ」と言われた。「医者になることがいやなら海軍兵学校に入って将校になれ」と言われた。

当時”医者”というものは三年はやったら一生涯の生活費が

出来るといわれていたし、将校になったら退役になる迄生活苦で悩むことが無いからという理由であった。

陸軍と言わないで、海軍の方を選ばれたのは、日露戦争

中、養父は呉軍港の近くで海軍工廠の下請工場を、兄弟合

併でやっていて大いに儲かったことがあったからかも知れないが、よく判らない。
 
 併し私は生活に苦労が無くて収入が安定しているという

経済的な安易さという理由で、上級学校を選択するという

事には反対であったのである。私は自分の天分を伸ばす事に生き甲斐を感じた。

私は文章を書くことが好きであったから文学者になりたい

と思って父母の意見には反して早稲田の文科に入ったのであった。養母は、それを非常に悲しんだ。

その頃の文士で、原稿収入で生活が出来たものといったら

島崎藤村、田山花袋、夏目漱石、徳田秋声、泉鏡花、

正宗白鳥ぐらいのものであって、其の他の文士などというもの

は近頃のフーテン族に近いような生活をしていたので、私

が文学者になると言ったら養母は、「お前も乞食になる

か、文学乞食に・・・・・」といって溜息をついたものである。
その頃の詳しい事は『生命の實相』(第十九巻第二十巻)

に収めた自叙伝に書いたから重複を避けるが、私は経済的

打算などという事を考えないで、唯自分の内部から私を導

いている「これを為せ」の至上命令のようなものに従ったのであった。

                     (つづく)  






Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/24 (Sat) 08:02:28



  今日も、道産子、竹内智香、パラレル大回転に挑戦です。ソチ銀より金狙い(^^♪。さて・・・。









 雅春先生の御話です。


   文科を選んだことが私の運命を変えた


 兎も角、物質的利益を超えて人間は自分の内部から囁く

「神聖命令」みたいなものに素直に従う生活を営もうと決

意して、それを実践に移すとき、“聖なる導き”がその人を導いて下さることになるのである。

丁度、その頃は鈴木三重吉氏や谷崎潤一郎氏や久保田万太

郎氏や武者小路実篤氏らが文壇にデビューした頃で、文壇

の方向は自然主義や岩野泡鳴氏の人獣主義からロマンチズ

ムに、そして幾分人道主義的傾向に転じ、ある兆のある頃であった。

私が文学を志すようになってから、日本ではこのような作

家の作品から影響を受けたし、外国のものではトルストイ

の人道主義や、メエテルリンクの神秘主義や、ウイリア

ム・ジェームスのプラグマチズム(実用主義の心理学的哲

学)及びベルグソンの創造的進化論的哲学の影響を受けたものである。

オスカー・ワイルドの耽美主義的作品には魅せられたが、

その肉体的耽美主義が、彼がレーディングの獄舎に於い

て、「キリストこそ本当の美的生活者である」という肉体

的快楽主義から霊的美的主義に斬然と転向したことには、私は非常に心を打たれたものである。

その獄舎に於ける転向と、トルストイの小説『復活』にあ

らわれた女主人公であるカチューシャの売娼婦である境遇

から救ってやる道は、自分が彼女と結婚するほかはない

と、ネフルュードフがその公爵の地位を棄て、財産を貧民

に分配してカチューシャと結婚しようと決意するところな

どには、地位と財産も世間の評価を棄てて、唯、純粋に

「ひとりの憐れなる者への愛」に生きようとしたキリスト教的精神に私は打たれた。

それが私の将来の方向を決することになったのである。

 優秀な文学的作品は人間の魂を変えるのである。

私が養父の希望していた通り、海軍兵学校へ入学したり、

医科大学へ入学していたら、このような作品を多分読まな

かったであろうし、私は海軍将官位になって戦後戦犯者と

して処刑されていたかも知れぬし、どこかの病院の院長位

で、癌もよう治さぬ物質医学の虜となっていたであろう

が、私は内部の“神聖命令“に従って、「文学乞食」と人か

ら罵られ、養母を悲しましめながらも、文学の方向に進ん

だためにこのような作品に触れ、『復活』の主人公ネフ

ルュードフ公爵のように、ひとりの刑務所から出て来た少
女を救おうと決心して大学も中退してしまった。

その頃の私の精神の内部の純浄さというものは、ただひた

向きの真剣さであったのだが、人は唯、私のことを前科者

の少女にたぶらかされて学校をやめた文学くずれの青年だ
と批評した。

今でも私の悪口を言う事によって自分の教団を利したい人

は、私の青年時代のことを持ち出して今も私が不良青年であるかのように書くのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/25 (Sun) 07:58:52




「君、あの淀川に流れて居るところの水は、あれを仮に淀川の水と呼ばれるけれど、しかしあれは淀川の水じゃ無いんだよ。琵琶湖の水が琵琶湖の水量を以て、琵琶湖の水圧を以て、淀川に於いて流れて居るのである。」
(谷口雅春先生御講話引用)


 雅春先生の、あの優しい語り口が目に浮かぶようです(^^)/。

中仙堂様のご投稿より<m(__)m>。



♀      ♂      ♀
トンチンカン・ダイベンシャ・シオン
  ⬇     ⬇      ⬇

 (  ̄▽ ̄)ノ” o(´;д;`)o ヾ( ̄▽ ̄ ) カンネンオシ!


 志恩様の作品、難解です。



 &風様の( ³ω³ )はどういう意味なんですかね(^_-)。


 道産子の活躍、嬉しいです!(^^)!。








 雅春先生の御話です。


  こうして人類救済運動に挺身する熱情が養われた


 私はそのために、唯の学生としておれば楽であったであ

ろう生活を殊更に困難を作ってある紡績会社の技術練習生となった。

その会社の社長菊地恭三氏が私が早稲田大学で特待生で

あったことをきいて自便の息子の家庭教師に来てくれと言

われたが、私は特に金持ちから恩恵を受ける事はイヤだと言って断った。

そして技術練習生に甘んじたのであった。技術練習生とい

うのは名目は練習生であるが、職工と同じ生活をするのである。

三年間職工と同じ生活をしながら夜学に当時大阪市西野田

にあった紡績専門学校に通って午後六時から九時まで機械

工学や紡績及び織物の技術及び理論などを勉強させられた。

このように勉強して三年たって卒業しても社員とはならないのである。三年を終ると「雇」という事になる。

なかなか準社員や正社員になることは前途遼遠である。

私は其処で職工と同じ生活をしながら、肉体労働者として工場生活がどんなものであるかを勉強した。

それは大学で教授や講師の講義を聴いて親の脛をかじって

いるよりよほど貴重な人生と、工場生活者は如何なるものであるかを勉学することが出来たのである。

私が幾ら働いても経済的に立ち上がれない社会組織の中に

生活している労働者に対して、深い共感の下に人類愛を燃

えたたして、人類を救うための真理の炬火を高く掲げて後

年「生長の家」の人類光明化運動に挺身するようになった沸き立つ熱情はその頃に養われたものである。

 福寿草は霜柱の刺立つ大地を割って芽吹いて黄金色の花
を開く。厳寒の霧氷に耐えて白梅の花は開く。

諸君は親から学資を供給されて、大学へ入学したら、もう

入試の勉強も要らないし、卒業し会社づとめをしたら、も

うそんなに自由に遊べないから、大学在学中に遊んでおか

ないと損だなどというような考えで、ただなまけることと

享楽することに浮身をやつしているようなことでは、暖か

い天候に甘やかされて徒長した麦のように多くの人間としての収穫を刈りとることは出来ないのである。

もっともっと真剣に、諸君は大学在学中にも「人間として

の収穫」を刈り入れるための準備をしておかなければならないと思うのである。

「何々業で成功する」というようなことは末梢の問題である。

それは「人間としての収穫」が出来ていれば自然に派生する功徳として自然に整うものである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/26 (Mon) 08:25:57

  


   国旗を大事にする羽生選手、うれしいNewsです(^_-)-☆。

こういう選手が増えてくれればいいですね。

サッカー選手は国歌を歌ってますが、プロ野球選手がどうも?なのは?です(^-^;。
 清宮選手はどうなのかな?


 竹内智香選手、見事5位入賞、5回連続出場、葛西選手並み、女レジェンドです(^_-)-☆。








 
 雅春先生の御話、今回の終わりです。


      千葉県の新しい理想村


 この原稿を書いていた一月二十日の夜NHK第二放送の

「ある人生」という時間に“一〇〇人のおやじ”という題で高井篤氏の生活が出て来た。

高井氏は大東亜戦争中、日本の人口問題解決のため、

日本では少年満蒙開拓義勇隊というのが組織されて、将来

に大志を抱いた愛国少年が、広大な満州蒙古の草原を処女開拓

して、そこに日本人の農村を作るというので、指揮者に率いられて満蒙地域に渡ったものであった。

高井氏はその指揮者の一人であったが、不幸にして日本の敗戦となり、日本へ引上げる事になった。

その少年隊員のうち百人が、高井篤氏を慕って、日本へ

帰ってからも処女地を開墾してそこに同志の共同生活によ

る新しい理想村を作りたいというので、千葉県の某所に入植して荒地の開墾をはじめた。

終戦直後の物資欠乏時期に百人の入植者が、まだ充分開墾

出来ない不毛の地で、食物に困る時もあったが、高井篤氏

の指導で「今まで人がやってきた真似ばかりしているよう

ことでは駄目だ」と、新しい大農方式トラクターや耕耘機

やその他の農耕機械を揃え、今では百人が各々年収百万円以上の収益をあげるようになったという。

収入の額は如何にともあれ、「私たちは、経済界がどう

なっても外界の変化によって揺るがされたり恐怖したりし

ない無畏の生活に入ることが出来た」「それは君たちの精

神がそれだけ生長したからだよ」というような意味の言葉

を、その若い隊員と、その“おやじ”なる高井翁とが取り交

わしているのを聞いて、これも一つの人生の理想に生きた価値生活であると感じた。

高井翁に率いられたるこれら若い理想家は真剣に大地を愛

してそれと取り組んで来た時に、大学など出ていなくて

も、生き甲斐ある生活ができる事を示しているのである。

これに反して、折角、大学に両親から学資をもらいなが

ら、学業に熱心にならないのは両親の愛を殺しているので

あり、二度と再び生活できない学校生活の機会を充分に生かしていない事になるのである。

特に私は若い人たちにつげたい。

すべての機会はあなたの魂の進歩の程度と運命の好不運を決定する要素になるのである。

その要素は、諸君自身の掌中にある、という事は諸君の将

来の運命を決するものは自分自身の心と決意にあるという事である。

諸君は、よく考えて、自分自身をもっともっと慎重に愛するのが良いと切に願うのである。


                    (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/27 (Tue) 08:18:19




  <「ありがとうの反対は?」という話だ

ありがとうの反対語など、今まで考えたこともなかった


教えてもらった答えは…

「あたりまえ」>・・・。



 <“あたりまえ”のことを“ありがとう”に変えたら、人生に花が咲くよね。>・・・。



 今、朝に『光明道中記』を読誦しておりましたら、丁度

「当たり前」についてお話されておりましたので、

伝統様の「当たり前の功徳」ご投稿が目に入りまして、

上述の引用させて頂きました(^^♪。







 さて、今朝からは、輝子先生の御話です。



      周囲にわが心を見る    谷口輝子先生

       (昭和43年理想世界誌6/1日号より)


 白木蓮の花びらが、風のまにまにぱらりぱらりと地に落

ちたり、“どうだん”の丸ものの木の上に、敷き並べたよう

に落ちている。あの木にもこの木にも、小さい葉が芽吹き始めて来た。

早咲きのチューリップも真赤に、或いは絞りに咲いている

し、黄水仙もちらほら開いて来た。赤い木瓜も、黄色の連翹も彩りを添えている。

わが庭は今や春たけなわであって、家族みなが楽しさいっ

ぱいの筈である。しかし、家族の中で、子供たちは何も不

平を言わなかったが、大人の何人かは、日に何度となく溜息をもらさずにはいられない事が起こったのであった。

 十日ほど前から、朝から夕方まで、ガラガラ、ドシーン

という大きな音と響が、御昼食とお八つの時間の他は、絶え間なく隣地から聞こえてくるのであった。

大きな機械の音だけならまだしもだが、ドシーン、ドシー

ンという響は、我が家中のガラス戸をふるわし、家人の体

を揺さぶるので、静かな生活を必要とする私たちには非常なショックであった。

 私は物干し台に上がって隣地をのぞいてみた。

そこで働いている男たちの一人に声を掛けてみた。そこに

は五階建てのアパートが建てられるので、地固めのコンクリートの杭が打ち込まれつつあるとの答えであった。

三尺置きぐらいに穴が掘られ、その穴の中に次々と打ち込まれて行くのだと解った。

 部屋に帰って来た私は、ペンを持つ体をゆすぶられて

閉口している夫を、気の毒に思うの余り言ってみた。

「当分、本部へ行って執筆なさったらどうでしょうか。毎日これではお困りでしょう」

「体一つで行けるわけではない。いろいろ必要品があるから・・・・・」

 と夫は賛成して下さらなかった。そして、毎日毎日、ガラガラ、ドスーンが続けられていた。

五、六十年経って、かたむきかけた木造の我家なので、揺

れる度に天井その他からほこりが落ちて畳を汚すし、女中

の一人は奥の部屋の戸が開かなくなったと告げに来るし、ほうっと私はため息をついた。

「こういう目に逢うのは、私たちに何か受けなければならない因があるのかしら」

と私は言った。隣家へは直接的には迷惑をかけた覚えはな

いつもりだけれど、隣家でなくても、どこかへ迷惑をかけ

たのではなかろうかなどと考えてみた。すると思い当たることが数々あった。

生長の家本部をはじめ、全国各地における教化道場の建設

に当り、それらの隣接の家々に、ガラガラ、ドスーンとい

う音と響を与えて、人々に不快な思いをさせたのではなかろうか。

それが教団の中心者である総裁の邸宅に、ハネ返って来たのではなかろうかという事であった。

                     (つづく)









Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/02/28 (Wed) 08:32:47



   愛国掲示板に、三瀬様が良き時代の青年会を紹介されております。

そんな証拠の(*´▽`*)写真が昭和43年の理想世界誌に見られましたので、明日にでも紹介します。

本当に気持ちのよい写真です(^^♪。


 破邪顕正様の改憲論、その通り、納得ですよね。










 輝子先生の御話です。


 ああ、それならば受けねばならない責任者である。

そう考え及んだ時、私の心の抵抗は解けて来た。

ああ、私の仲間が、いいえ私の子供達が、御近所へ迷惑をかけて居りました。相済みませんでございました。

かく考え直した時、不平を言ったり、溜息をついたりすることは出来なくなった。

享けるべきものは、いさぎよく受けるがよい。それによって、過去の業のほんの一部分でも消えるのである。

過去の業が少しでも消えたら、それは有難い事なのである。

 今から十五年前(昭和二十九年三月)に、生長の家本部が再建された時のことを思い出す。

その時もさぞ、隣接の家の人々にうるさがられたり、日当

たりが悪くなったなどと言われたのではなかったかしら。

近所から文句を言われたら、直ちにそれを受け容れて、改

善できることと改善できない事とがあろう。

建築の騒音は、建築中止しなければ消すことが出来ないか

ら、それは受け容れる事は不可能であるが、出来るだけ

真心を以って、他人の迷惑を少なくするようにはからねばならない。

例えば、その機械だと音や響がひどいけれど、他の機械で

やり方を変えると、他人の迷惑が減少するのではないかと

いうことを考慮して、多少の出費が増しても、他人の迷惑を少なくするように為さねばならないと思う。

 本部会館の建築に当り、清水建設から来ていた数十人の

従業員の内に、生長の家信徒が四、五名居られたのであっ

た。その人達が毎朝五時に現場に立って、祈り合って居られたことを後で私は知った。

大建築をされる時、世間ではよく怪我人を出したり、死者

を出したりすると聞いているが、これら祈り合いの人達

は、ひたすらに、この建築によって、誰をも不幸にするこ

となく、神様の殿堂の建築がスムーズに進捗し、立派に完成するようにと祈って居られたのであった。

そのお蔭で、あの大きな生長の家会館は無事故で完成したのであった。

祈りの力の偉大さ尊さに、私はその話を聞いてた時深々と頭を下げたものだった。

                    (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/01 (Thu) 07:57:57


   立教八十九年お祝い申し上げます。


 列島、低気圧で、当地も強風、雨でJRなど、また混乱の様子です。


当時の青年会(高校生のようです)の写真載せました。










 輝子先生の御話です。


その時の祈り合いの仲間の一人である赤見元二郎君は、

本部会館落成後、廃品回収業の野中商会で働くことになった。

すると偶然と言おうか、その野中さんが谷口家へ出入する屑屋さんだと判った。

よろこんだ赤身君は、野中さんに譲って貰って、わつぃの家へ出入して居られるのである。

何年か前に妻帯した赤見君は、今は三人の子の父親である。

赤見君は今では銅鉄商をして居られるが、「商売は変って

も、お山の屑物だけは私に集めさせて欲しい」と言われるので、貯ったら電話をかけて来て貰っている。

恵美子が心にかけて上げていると見えて、時々自分の子供

達の洋服類を、赤見君の子供に上げたり、年の暮れには新

しいものを送ったりしていた。過日、赤見君から手紙が恵美子に送られて来た。

「・・・・・谷口先生はじめお山ご一同様には何時もお心

にかけてくださいまして御愛念の数々を頂き唯々心から厚

く御礼申し上げます。私方では子供達も谷口先生の所のも

のはわれ先にと各自それぞれに自分に見合ったものを引っ張りだこでございます。本当に有難うございます。

この度も恵美子若奥様には、またまたお心にかけて下さい

まして、子供達のもののみならず私供夫婦のものまで御心配くださいまして有難うございました。

私も本部会館建築当時はまだ病身にて、“肉体本来無し”の

実証を得んがため、清水建設に入って土方を働きました

が、御教えの絶大なる力によって今日の自分があり、これ

から先は御教えの報恩感謝の心を持って、頑張りたいと念願致しております。

百万分の一なりとお役に立つことが出来ますよう、神様に

お祈りあるのみであります。今後とも若奥様には益々ご教導を賜わり度く御願い申し上げます・・・・・」

私はこの手紙を読んだ時、十五年前の本部会館建築に際し

て、あの真心からの祈り合いをして居られた赤見君は、病身だったのだと知った。

今はガッチリと、頑健そのもののような体をして、廃品の

重い物でも元気よく持って我家の坂を降りて行かれる姿を見て、病身だったとはウソのような気がする。

御教えを信じ、その信仰を実践する時、一切は好転するものだと染々思う。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/02 (Fri) 08:19:57




     momoi様のご投稿が眼を惹きます!(^^)!。

あまむし庵様と同人物ですか。








 輝子先生の御話です。このお話の最終回です。



今朝のラジオを聞いていると、高知の住人の吉本青司という人の話が聞えて来た。

私は働きながら聞いているので、全部は聞き取れなかった

が、吉本氏は乗物に酔う性分で困って居られたが、誰かに

教えられてから、心が一変して、バスに乗ると酔うことを心配していたが、

「自分はバスの運転手になったのだと思うことにした。運転手だもの、このバスは自分が動かしているのだ。

自分はバスと一体なのだ。ばしは自分の思うままになるのだと考えたら、少しも酔わなくなった・・・・・」

 という意味のことを話された。

それを聞いていた私は、二十何年も前の、お山での白鳩会の時のことを思い出した。

その日は夫は、旅行中だったので、私が質問に答えていた。

「私は汽車に乗ると、いつもひどく酔って苦しみ通して旅

行するので、今度四国の母が病気なので、どうしても長い

汽車旅行をせねばなりませんが、苦しむことを考えると、

心配でなりません」と悲しい顔をして居られたので私が、

「汽車を恐れるからいけないのです。汽車に寄りかかっ

て“汽車さん汽車さん、あなたのお蔭で故郷へ旅行出来ま

して有難うございます。私の体は一切あなたにお委せ致し

ますから、何分よろしく頼みます”という気持ちで、汽車に感謝して委せてしまうのです・・・・・」

 という風に答えた。すると翌月の白鳩会に出席したその婦人は、

「奥様の御言葉通りの気持で旅行しましたら、生れて初め

て汽車に酔わないで旅が出来まして、嬉しくて堪りませんでした」と合掌して居られた。

 バスの話と言い、汽車の話と言い、恐れたり、嫌った

り、迷惑がったりしていたら、自分が不愉快になり不幸な

業が積まれて行くばかりであるが、それを潔く受けてゆく

時、過去の業が減少しつつあると考え直してみたが、そう

だ、潔く受けるというだけではまだ幸せだとは言えない。

 ガラガラ、ドスーンの音や響も、バスや汽車の動揺も、自分と一体なのだ。

天地あらゆるものは自分と一体なのだもの、自分以外の何物もこの世にはないのだった。

あの大きな音や響は自分の内にあったのだった。自分の内に無いものは感じることは出来ないのだからである。

 バスや汽車の動揺は、母の手に揺られる揺籃の揺れであった。

心が変われば、楽しい楽しい母の手に揺られる揺籃の中の

生活であった。心次第で、天国にも地獄にも感じられる私たちの生活であった。

私たちは「実相」を観じ、「実相」の実現をのみ祈るしか道はないのであった。


                     (おわり)


Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/03 (Sat) 08:01:36




 <ところで、「中心に帰一する道」のご文章が掲載され

ている『久遠の実在』ですが、昭和八年十二月二十三日印刷納本となっています。

そうです、その日に、今上陛下がお生れになっているのです!・・・>・・・。


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。




今日、桃の節句の「光明道中記」。

<宇宙も人間も同じ組織で出来ている。水の上に浮ぶものあり、水乗り(実)と言う。

そは桃の実であり、核の内に桃太郎を蔵す。

水は女性で流れる許リだが、男性があってそこに中心が出来、生む作(はたら)きを完成する・・・>。







今朝よりは、

清超先生の御話です。


        奉仕する精神     谷口清超先生

(昭和43年理想世界誌6/1日号)

      
         非能率な社会


 かつて全世界に覇を唱えたイギリスが、次第にグレー

ト・ブリテンからミニ・ブリテンに変身しつつあると言わ

れて、もうだいぶたつのですが、このような国家の衰退に

ついて『朝日新聞』の三月七日号には、次のようなロンドン特派員の対談が載っていました・・・・・

『いわゆる「制限慣行」というやつだな。小学校の小遣い

は壊れた電球を取りかえる事が出来るが、とんだヒューズ

を取りかえることは出来ない。“専門家”である電気職工組

合がこの仕事を既得権益としているから、というたぐいのものだ。

調べによると、ある造船所では一日に三十個の電球を取り

付けるだけの職工が週給二万円、その男に電球を手渡すだけの見習工が週給一万四千円も取って居た。

日本人なら一人でやる仕事を五人も六人もかかってやって

いるんだが、それでいて”合理化”に反対する。生産性の上がる訳がないよ。意識の改革が必要だ』

 このような「制限慣行」の横行によって、イギリスの社

会は実に非能率となり、遂に現代の国際経済社会から取り残されそうになっている。

これが「労働党政府」下のイギリスであります。吾々はこ

の現実を冷静に見なければなりません。そしてこのよう

な”意識”の根源は何であるかという事を日本の青年は、よ
くよく考えてみなければならないと思うのです。

何故なら、現代日本の青年がその職場において強制的に組

み入れられているところの組合の考え方が、このイギリス

流の合理化反対を絶えず叫んでおり、青年たちが多く支持

する日本社会党が、イギリス労働党政府に追従しようと努力しているからであります。

成る程、現在はまだヒューズも取り換えられないような日

本ではないでしょう。しかし、ことごとに合理化に反対

し、賃上げ闘争の身に憂身をやつし、社会主義政府さえ樹

立すれば万事安楽に余生が送れると考えている人々が、こ

れ以上日本に増えて来たら、日本の経済進展はお先真っ暗です。

まさしく”意識の改革が必要”なのは、日本も亦同様ではないでしょうか。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/04 (Sun) 07:49:38




   何で、プロ野球の選手って、君が代を歌わないんでしょうかね"(-""-)"。情けない(^-^;。










 清超先生の御話です。



          日本人の心


 しからばこのような改めらるべき“意識”とは何であろう

か。言うまでもなく個我の満足をもって人生最大の生き甲

斐とするところの意識であり、祖国のためとか、人類のためという「奉仕の精神」の欠如を示す意識であります。

彼等は国家よりも個人を何よりも大切にする。自分さえよければ、人はどうだっていいのです。

全く動物的人間観に出発して、肉体手人間観に終結していると言っても過言ではありません。

よく個人主義と利己主義とは違うと言われる。

たしかにその通りでしょう。けれども、その「個人」が、

肉体人間としての個人である限りに於いてどうしても利己主義にならざるを得ない。

彼等は他人に迷惑をかけたり、他人を強制したりすること

を差し控えるでしょうが、自分の利益擁護という点にかけては全く真剣です。

その結果、利己的な目的のために、協同して、“組合の利

益”を守ろうとする。これは明らかに利己主義の変形であり、その現代的形態であります。
 
 ところが吾々日本人は、本来決して利己的民族ではな

かった。日本人はどちらかと言うとうち気であり、勤勉で、家族的であった。

国家としては単一民族と単一言語を持つ、世界でも珍しい国家であると言われています。

かくの如き日本人は公のために奉仕する精神にみちあふれ

ていたのであって、これは、世界中の人々が公認しているところであります。

であるからこそ、日本はかつての第二次大戦で、あれほど

多くの犠牲を払いながら、天皇陛下の御ために身命を擲って、最後まで戦うことが出来たのでした。

 戦後の日本では、「押しつけられた憲法」の条文もあり

又日本人が戦争にはこりごりしたこともあって、すっかり

平和主義となり、時には外国人から「卑屈」とさえ思われる程、軍事的方面に消極的となりました。

それは日本人が戦争の惨禍をイヤと言う程自覚したからで

あって、これはある意味では”正しい教訓”を得たと言えるのです。

けれども日本人の心の中から、一朝一夕に「奉仕の精神」
や「愛国心」が消失したとはどうしても思えられません。

戦後の日本人は確かに唯物論の洗礼を受けました。

一時教師は口をそろえて”親不孝”を礼讃し、新聞、ラジオ

は天皇陛下を戦争の元兇の如く言いふらしたこともあった。

従って、青年や壮年層の中には、今でもそのように錯覚している者が多数いることは事実です。

けれども彼らが心底から利己的となり、「国家なんかどう

でもいい」と思うようになったとは、どうしても信じられないのです。

何故なら、民族の性格やその根本理想は、そうやすやすと変わり得るものではないからです。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/05 (Mon) 08:14:59




  <小津安二郎監督の、原節子さんらが出演している
「東京物語」を観た>志恩様のご投稿に目が留まりました(^^♪。

私も先般、BS録画しましたが、まだ観ていないのです(^-^;。


 それにしても、「愛国掲示板」凄い情報量です。

安東巌先生等…。






 清超先生の御話です。


        勤勉性と愛社精神


 例えば、日本人の「勤勉性」について考えてみても、これはあまりにも世界的に有名です。

この「勤勉性」は、海外移住をした日本人によって全世界

(殊にアメリカ大陸)に公開されましたが、このような性

格は、戦後もなおいささかも衰えることなく継続し、戦後の日本を見事に廃墟の中から立ち上がらせたのです。

ところがこの「勤勉性」は、自分自身の立身出世や欲望満

足のためのものであったかと言うと、決してそうではなかったのです。

日本人は古来、親兄弟や家のために、一心に働いたものでした。時には自分の欲望を殺してまでも。

そのように努力して「より大いなるいのち」に奉仕しようとしました。

そこから「勤勉性」が定着して来ているのです。

 例えば戦前の海外移住者は、身を粉にして働いて金を貯めたら、その財産を日本へ持って帰ろうとした。

それは当時、移住先の国民のはげしい反感を買ったが、あ

る面からみるとこれは日本と言う母国にとっての一つの奉仕的態度であったことは否定できません。

そしてこのような精神は、戦後にはなくなって来たと言わ

れる。それは或る意味では大変な進歩かもしれないけれど

も、このような「出稼ぎ精神」は、今でも又別の形で現わ

れて、農村から都会への出稼ぎ現象として根強く残っているのです。

それらは単に個人の欲望満足のためのものではなく、もっ

ぱら家族への奉仕を、第一に目指したものなのであります。

かくの如く日本人の心中にあるこのような「奉仕精神」

は、そう易々と失われるものではない。それ故、国家への

奉仕とか、家への奉仕とかといった精神は、現代では形を

変えて、「愛社精神」としてサラリーマンの中にも生きているのです。

日本の企業が多くのハンディキャップを負いつつ、今や世

界の大企業に互して堂々と進展しつつあるのは、社員の

「愛社精神」が重大な要素になっていることを見逃すわけには行きません。

このような精神は、確かに組合運動にとっては、不利でありましょう。

彼等は「だから資本家に利用されるのだ」と言うであろう

し、産業別組合が日本に於いては結成されにくい原因として非難の中に数えられるかも知れない。

 しかしながら吾々は産業別組合があまりにも発達し過ぎ

ている欧米諸国の非能率(イギリスの既述の例など)を見

るにつけて、「愛社精神」はやはり必要であると思うのです。
けれども一社を愛することが人類を愛することと矛盾してはなりません。

矛盾しないどころか、それらをより健全なものにすること

が出来るという事は、数多くの実例が証明しているところであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/06 (Tue) 08:20:15


  相変わらず、愛国掲示板、過激な(^-^;ご投稿が続きます。

コワイことです。久し振りに空色と綺麗な朝焼けが観られたというのに・・。








 清超先生の御話です。



        国を愛し世界を愛す


 即ち、愛社精神によって企業の生産性が高まり、優秀な

製品が安価に製造されれば、輸出ドライブがかかって、

日本にはドルが豊かに流入し、日本の国力や生活力が増大することが出来るのです。

その反対に、会社なんかどうなっても、自分の収入さえ殖

え、自分の職業上の権益さえ擁護されればよいという心で

おれば、会社は次々と倒産するのみならず、国家的にも大きな損失とならざるを得ない。

何故なら、その会社は日本の貴重な国土を借用し、国民を

借用して働かせながら、国家に対し税金によって豊かに返

礼することも出来ず、輸出によって国家にドルや金を流入せしめることも出来ないで終るからであります。

さらに国を愛する者は、祖国を豊かならしめようとし、国

家をして真に偉大な存在たらしめようと欲するに違いない。

そしてそうするためには、祖国が真に安泰であり、諸外国

から尊敬される国家であるように、努力するでしょう。諸

外国から尊敬され、愛される国であるためには、諸外国を

不安ならしめたり、恫喝したりする国家であってはいけない。

武力によって諸外国を侵害する国が、尊敬される筈がない

からです。それ故、人々が真の愛国心を持てば、世界を

平和にし豊かならしめる国にするよう、祖国に奉仕する結果となるのであります。

 勿論、愛国心のある者であれば、祖国が危急存亡の時には、祖国の難に馳せ参じるでしょう。

これはどの国の国民でも、真に国を愛する者であればそう

するのであって、もしわが国の国民だけがそれをしなかったならば、祖国は滅亡するだけである。

祖国と争う国が正義の国ならば、祖国が滅んでもよいと思

う人がいるかも知れないが、そういう人は祖国を”不正義の国”と頭から決め込んでいる人であります。

そんな国民が幾らいても、現実に国家を良くすることは出

来ないし、いわんや「正義の国」たらしめることも出来る筈がない。

ただ祖国の滅亡があり、そして他国の侵略があるだけで

す。しかし、こんな風にして祖国が滅亡して、果たして

正義が地上を支配するものかどうか、唯自分及び同胞の地上

での発言権がなくなってしまうだけの事であり、あとの事は他人様(他国の人)の心次第という訳です。

これが果たして「世界平和」への道であろうか。決してそうではないと言わなければなりません。

 それ故吾々は根限り努力して、祖国を正義の国になし、

愛深く力強く尊敬される国家としなければならないのです。

即ち国を正しく愛し、護り、そして発展させなければなら

ない。そうすることによって吾々は、世界の平和と安全と秩序とに積極的に貢献することが出来るのです。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/07 (Wed) 08:02:14



 しあわせかるた、

 <ち  小さな 親切 大きなよろこび>の、親切が気になりました(^_-)。








 清超先生の御話です。


        個我の力と国家の力


 現代日本の青年の中には、国際的に活動する人々がふえて来ました。

これはたしかに良い事であります。そして此の事を、日本

人が個人としての意識が強まってきた証拠であるように言う人もある。

『東京新聞』三月八日号の林雄二郎東工大教授と中根千枝

東大助教授との対談を読むと、個性と国家意識の問題について中根さんはこうおっしゃっている・・・・・

「私は(中略)日本の国際的発言力はまだまだ低いと思い

ます。これは日本人の集団帰属意識があまりにも強過ぎる

からではないでしょうか。国際化時代に通用するのは、個人の力です。

ところが日本人は独りで外国に出ても自分が日本人全部の代表だと思い込んでしまう。

個人の力というものが意識されないのですね。ですから国際舞台で活躍する日本人は、まだまだ少ない(後略)云々。

 これもたしかに一つの見方ではありますが、日本人が集

団意識が強いと中根さんも認めて居られます。しかし、そ

れが個性を弱くするとか、「個人の力を弱める」とかと考えるのは、ちと考え過ごしではないか。

例えば昔から長州人は中々郷土的団結の心が強い。しかし

それだからといって長州人の一人であった吉田松陰や伊藤

博文が、個性的に弱かったかと言うと、決してそんなことはなかった。

ただ、個性の力を自覚せず何でも集団意識ばかりにたよろ

うとしたり、集団意識はさっぱりもたないで、個人の力だけで何でもやって行こうとする人々がいることはいる。

これに比べて、両者の力を兼ね備えている人の方が、はるかに世界的活躍が出来るということが言えるのです。

例えばジョン・ケネディは、個性の力を充分もっていた

し、個性の自覚者でもあった。しかし彼がアメリカという

国家の力を背景に持っていたからこそ、あれだけの仕事を

やり得たのであって、ケネディ個人の力では、矢張り仕事

に限界があり、その影響力も小さかったに違いないと考えざるを得ません。

 つまり私は、個人としての人間の尊重と、国家の尊重と

は、決して矛盾することなく両立し得るものであり、又両

立させ得て、初めて人間は偉大なる力を発揮し得るものだと考えるのです。

アメリカ人一般について言ってみても、彼等はおおむね全

世界の凡ゆる所に行って仕事をしている。そして個我の意識の強い人々です。

けれども、アメリカ人としての自覚意識をもち、アメリカ

という国の力を背景に持っていることが、彼らの活動に大

きなプラスになっていることを、見落とすわけには行かないのです。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/08 (Thu) 08:29:14




    昭和30年立教25年に、大聖師が洞爺丸事故について

言及されております。初めて知りました。







 清超先生の御話、此の回終わりです。



        教育の内容を高める


 従って個人の幸福や繁栄が国家のそれと矛盾していると

考える事は根本的に間違いであり、どちらかの意識を高め

れば、他方を低めなければならないという事はあり得ないのです。

国家意識を低めれば、個我意識が高まる・・・・・一見そ

う見えるかも知れないが、それではまだ本当の「個我」を自覚しないと言わなければならない。

彼等は平凡人の無意識的生活を送っているに過ぎないので

あって、そこからさらに飛躍して、真に全世界的な仕事を

しようと思えば、やはりどっしりとした国家意識を持っていなければならないのです。

 そしてこのような段階での国家意識は、もはやかつての

日本人が持っていたような、肩肘をいからせた偏狭な国家意識ではないのです。

日本人だけが特に選ばれた優秀民族で、他の民族を差別視するような愛国心は、断じて真の愛国心ではない。

そんなものをもっていると、かえって日本のためにならない行動をし、他国からの嫌悪をかうに違いない。

私は今更そんな状態にかえれと言っているのでは決してな

いのです。それは人類愛の不足を物語るだけのものであ

り、おまけに個我の尊重も個我の意識も不足しているから

劣等感を持っていて、その裏返しされたところの優越感に外ならない。

こんなものは未成熟の青臭い集団意識なのであり、それは

逸早く脱却しなければならない過渡期に過ぎないのであります。

 けれども、そこから脱却するためには、集団のワクを破

壊し、集団意識や愛郷心や愛国心を打破しさえすればよいと思ったら、大間違いです。

そうではなくて、「真の奉仕の精神」を身につける事によ

り増々「個性」に目覚めるような方向に進まなくてはならないのです。

これが日本国に今後課せられている重大な教育課題であります。

日本人が日本列島と言う小さな国土について、これだけの

発展をし、立派な近代国家を建設してきたその根源をどこ

に求めるかは、色々議論の分れる所ではありますが、万人

の一致して認める点は、日本人が高度に「教育を受けた」点であります。

国家の繁栄にとってなくてならぬものは、資源より何より

も、よい国民であり、その国民に内在する力を、どれだけ
「教育」によって引き出せるかという事であります。

 たしかに現代日本の教育制度には様々の問題がありま

す。未だ未だ改良されなければならない点がきわめて数多

くあるのですが、日本が多数の高等教育卒業者を持っているという事は、何と言っても大きな強みです。

今後は、その教育内容を、真実なものに高めあげ、正しい

人間観と世界観を与えるという点に全力をそそがなければ

なりません。それが出来た時、初めて、国家意識と個人意
識とが、共に力強く伸びて行きようになるのでしょう。

そして世界各国人がすべて「神の子」として礼拝されるよ

うになる。そこには何ものをも犠牲にする必要はないこと

が判るに違いない。それが判るためには、もっと人間をそ

の深層に於いて、正しく捉える事が教育されなければなら

ない。そして、そのような意味で、世界を表面的に物質的

に考える浅薄な唯物論から、現代人は逸早く脱却しなければならないのであります。


                    (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/09 (Fri) 08:35:58

 

  大雪も雨には弱い融けていく(^-^;




 今朝よりは理想世界誌昭和43年6/1号より、

大聖師の御話です。










   輪読のための青年法語  人間として最も高貴なる生き方

    ――-特に日本国民としていかに生くべきか――
                                            
               谷口雅春先生

 
  一日のことば  ♧  人間の高貴さについて考えよう


 人間は、人間たる“高貴さ”を失ってしまったら、それは獣類とあまり変らない。

人間は力の強さでは象や獅子に劣っている。毛並みの美し

さではラッコやミンクに劣っており、空を空襲で飛ぶ事に

は鳥類に劣っており、徒歩で走る速さでは虎や猫にも劣っている。

海を裸で泳ぐならば魚類や鯨に劣るのである。人間が他の

動物より優れているのは、そんな肉体の力にあるのではないのである。

肉体よりも貴いものが人間にあることを知らねばならぬ。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/10 (Sat) 08:01:40


  中仙堂様の石平氏のご主張が注目です(^^♪。






 大聖師、二日目、です。



  二日のことば  ♧  素手で人間はライオンに勝てるか


 しかし人間は象よりもライオンよりも力が優れているの

である。それだからこそ象やライオンを射殺することも出
来るし、捕えて来て動物園に飼うことも出来るのである。

そのことを以て、人間は象よりもライオンよりもすぐれているというのか。

拳闘の選手が、リングの上にあがって一方は規定通りの手

套をはめているのに、一方は鋭利なナイフをもって闘っ

て、ナイフを持った選手が相手を刺し殺したからとて、

ナイフを持った選手の方がすぐれていると言い得るであろうか。試合は公平に行われなければならないのである。

人間が銃や、投げ縄や、其の他の捕獲武器をもって象や

ライオンに打ち克ったからとて、人間が象やライオンよりもすぐれていると言い得るであろうか。

それは武器がライオンや象にすぐれていたのであって、

人間そのものがライオンや象よりもすぐれているのではない。

人間と象やライオンとが力の上でどちらがすぐれているか

を定めるのは、どちらも素手をもって公平に試合すべきでないだろうか。

肉体の力のすぐれていることを奨励するために、多くの体

育館がつくられ、体育競技が度々行なわれ、驚くべき多額

の費用を使ってオリンピックが開催されるが、それが現代

の人間生活の注目の焦点になっているようだが、その注目

の焦点は、真の人間の重要点からちょいとずれていないであろうか。

われわれは皆さんと一緒にこの事を考えてみたいのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/11 (Sun) 07:49:36




    <相応しい供養すると。相応しい供養ってのは

ね、形式じゃあ無いね。先祖の場合はね、感謝、報恩。感謝、報恩の気持ちになると。

流産児の場合はね、流産児の場合は、愛と懺悔の気持ち。>・・・。


 楠本加美野先生のご講話より。







 大聖師、三日目です。



  三日のことば  ♧  武器が英雄であって、人間は英雄でなかった


 素手で正面から立ち向かったら、到底あいつには敵わな

いというので、日本刀で闇討ちしたり、ライフル銃で狙撃

したりして相手に勝ったらその勝った人を吾々は「素晴らしい」と言って称めるであろうか。

ライフル魔の朝鮮人”金嬉老“がホテルでライフル銃やダイ

ナマイトをもって警官に対峙して、ホテルの従業員や宿泊

者を人質にしている間は、数十人の警官がただ一人の”金“をどうすることも出来なかった。

そして”金”は悠々として英雄気取りでいたけれども、素手

で人を送り出したところを捕えられ、やがて留置所でライ

フルもダイナマイトも何の武器もなくなると、弱々しい何

の力も無い普通人以下の人間になってしまったという事である。

“金”が英雄気取りで威張っていたのは“金”そのものが英雄

だったのではなくて、ライフル銃や、ダイナマイトが英雄だった訳である。

もう一ぺん、人間の高貴さとか、人間のすぐれているとこ

ろとかは、何処にあるかを吾々は考え直して見なければならない。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/12 (Mon) 08:31:46




  <結構マトモだと思っていた人達がどんどん洗脳され、

堕落の一途状態です。彼等も皆、神の子人間ですから、いつかは気が付くでしょう。・・・>・・・。

 神々の友達。様が嘆息されております(^-^;。

本当に、信じられない現実世界です。

大聖師の御嘆きは如何ほどや。


 中仙堂様のご精進には頭が下がります。









 大聖師の四日目です。



   四日のことば  ♤  武器の強さを人間の強さと混同してはならない


 アメリカが原子爆弾を広島や長崎に投下して、日本を屈服せしめた。

アメリカは戦勝国であり、日本は戦敗国であるから、日本

人はアメリカ人より劣っていると考えたら、これは大間違いだ。

アメリカ人が日本人に打ち勝ったのではなく、原子爆弾が

日本人の多くの命を奪う破壊力を発揮しただけであって、

原子爆弾を抜きにしたらアメリカ人は、ライフルを奪われ

た朝鮮人金嬉老と同じように、人間として優れているという証拠はない。

原子爆弾の使用を遠慮せざるを得なくなっているベトナム

戦争では、モグラのように地下にトンネルを造って応戦し

ているベトコンにも手を焼いて、徒に増援軍を送っても勝算の見込みは立たないのが米兵である。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/13 (Tue) 08:14:24




   毅然として記者に立ち向かう麻生さん、トランプ氏を

連想(^-^;。

辞める事はないよね!(^^)!。

安倍首相夫妻の失策が、元だろうか!(^^)!。

変な人に関わってしもうた!(^^)!。



 世界では、6月爆撃説から、急転直下、米朝会談へ!(^^)!

拉致家族に朗報あれば、1番なんですが(^^♪。










 大聖師の五日目です。


  五日のことば  ♤  狼の真似をしても高貴なことはない


 人間は武器を造って、その破壊力や殺傷力を利用して、

他の生物を征服した。象もライオンも狼も、人間のつくった武器の前にはひれ伏した。

そこで人間は人間同士の間で、武器を使って他の人間を征服することを始めたのである。

そして狼が群居して集団的に他の動物を襲うように、人間

は徒党をつくり、群衆の力と武器との併用によって、他の

人間を襲うことによって、自分の所有欲や権勢欲を満足せしめようとし出したのである。

しかし、それは狼の真似みたいなことであって、そんな行

動の何処にも人間の高貴さというようなものは発見できないのである。

われわれはもう一度人間の高貴さというものは何処にある

かを考えてみて、人間らしい高貴な生き方をしてみたいものである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/14 (Wed) 07:49:56




   <人間は菜食が好いか肉食が好いかは、自然を観察すれば好い。

三十二枚の歯のうち四枚だけが肉食の歯であるから、肉類は全食量の1/8を適量とする。>

(今朝の「光明道中記」より)






 大聖師の六日目です。


 六日のことば  ♤  殺傷力の偉大さは名誉ではない
  

 殺傷力の強さによって、その国又はその人の偉大さだと思われる時代は過ぎ去ったのである。

殺傷力の偉大さを人間が恥じる時代が近付きつつあるのである。

原子兵器を使うことをソ連もアメリカも遠慮しているの

は、それを使うならば、人類に不徳であるとして批難されるし、みずからもその行為を恥じるからなのである。

                     
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/15 (Thu) 08:10:27





    山ちゃん1952様のご考証、すごいです。


   練成献身譜  谷口雅春・作詞

1. きよきながれの宇治川の
  山紫水明名も高き
  山王やまのおくいきに
  神をたたうる神の子ら
  いのちきよむとあつまれり
  ホラエイ、ホラエイ
     エイエイエイ

2. きよきまことの神の子の
  不屈不撓のたましいを
  練成せんと若人は
  神をたたえて献労に
  まことささげて無我献身
  ホラエイ、ホラエイ
     エイエイエイ

3. 無我献身はおおやまと
  日高見の国ひのもとの
  やまとはたらき神の子の
  いのちをきよめ実相を
  呼び出し引き出す奇(く)し作業
  ホラエイ、ホラエイ
     エイエイエイ

4. 「与えよさらば与えられん」
  神のことばは真理ぞと
  いのち献げて練成に
  いそしむ我ら神の子は
  智慧出し愛出し奇し作業
  ホラエイ、ホラエイ
     エイエイエイ


 今朝の光明道中記も。

<米を常食とする者は一株の苗から無数の株が増殖するように増えるのである。

日本の国民は米に似てその発達増殖限りなしである。

「実るほど頭のさがる稲穂かな」。>





 大聖師の七日目です。


 七日のことば  ♤  人間の不幸の原因について


 人間の偉大さは肉体の力の分量によって量られるのではなく、知識の偉大さにあるという人もある。

人間は肉体の力では猛獣に劣るのである。それで、素手と

素手とで公正に闘うことを止めて卑怯にも素手の猛獣に対して武器をもって立会うことにしたのである。

それが人間があらゆる生物を支配し得た原因である。卑怯

にもといったのは多少皮肉な表現であるが、猛獣から観た

ら、人間は確かに”卑怯”のように見えるに違いないのである。

「いや、それは卑怯ではない。人間は知能が発達したため

に他の生物にすぐれて地上の帝王となったのであって、知

識の進歩こそ人類の特徴である」と反論することもできる。

その反論は正しいと思うが、その知識の発達によって、武
器を発明して他の生物を攻撃し支配することを覚えた。

ここに人間の不幸の原因があるともいえる。その理由を考えてみよう。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/16 (Fri) 08:07:28




   <タイトルで「各地でデモ」なんて書いていますが、
ほとんどタイトル詐欺と言ってもいいレベルです。

官邸前  百数十人
大阪府庁前 30人くらい
神戸市 30人くらい
和歌山市 6人
札幌市 15人

一応は各地でデモ・・・なんでしょうけど
反日勢力さんが動員かけてこれってしょぼすぎないですかね?>。


 コスモス様のご投稿より、拝借<m(__)m>。

龍様のご投稿も参考になります。










 大聖師の八日目です。


 八日のことば  ♤  知識の果(み)を食して


 エデンの楽園に争いもなき幸福生活を営んでいたアダム

とイブとが、その楽園から追放せられた原因は彼らが禁ぜ
られていた食物「知識の樹の果」を食べたからである。

普通これは「智慧の樹の果」と訳されているけれども、英

語を見ると、智恵(wisdom)ではなく、知識(knowledge)の果である。

換言すれば、科学的知識の結果を食したのである。そのた

めに人類の象徴であるアダムとイブとはエデンの楽園から追放されたのである。

今でも、科学的知識の結果が人類を不幸に陥れている事は

ベトナムの戦争がそうであるし、交通事故で毎年一万数千

人の死者と数十万人の負傷者を出している日本の現状も正にエデンの楽園からの追放である。

 今私の直ぐ隣で五階建のビルを建てるというので地盤補

強の杭打ちをしているが、毎日爆弾が隣室で炸裂するよう

な地響がして振動して落ち着いて原稿も書けないのであ

る。これも建築工学という知識の果を人類が食した結果である。

このような高層建築が建つと、その北側の家は殆ど太陽の

光が当たらないで、日光を毎日見られた楽園から追放される訳である。

諸々の公害ことごとく「知識の樹の果」を食した結果である。

                     (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/17 (Sat) 07:59:27




   夕べのNHKニュース、官邸前2000人と言ってました
(^-^;。








 大聖師、九日目です。


  九日のことば  ♤  青年は宜しく魂の純潔の価値を追え


 人間の高さは身長によって測らるべきではない。魂の高さによって測らるべきものである。

戦後に於ける現代の弊は、魂の高さを見る眼を失って、物質の量によってその価値を量ろうとすることにある。

動機の純粋と無我神聖の魂の高さによって、特攻隊の勇士

の“死”の価値を量ろうとしないで、敗戦という結果によっ

てその“死”の価値をはかって”犬死”だなどと不謹慎なる語を発する愚か者もある。

物質の富を追い求めて東西に奔走しながら死に臨んで、魂

に、何の純粋さも持たず、その追い求めた富すらも冥途へ

持って行くことが出来ない者こそ本当に犬死ではないか。

青年は宜しく魂の価値を求めて、純粋に理想を追って行動しなければならない。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/18 (Sun) 07:48:46




   <祖国日本のために。尊師谷口雅春先生が、お喜びに成られるように。

同士の皆様。兄弟の皆様。

尊師谷口雅春先生に恥ずかしい生き方だけはしまい。>。


 おいもちゃん様が仰っております(^^)/。


それにしても、まだ冷えています。東京は史上3番目に早い開花、とのニュースですが…!(^^)!。









 大聖師の十日目です。


 十日のことば  ♤  人間の深さと、人格の高さ


 皮膚一枚の感覚の快さや、粘膜一枚の快楽を追うような皮層な生活を送ってはならないのである。

人間はもっと深いところに悦びを求めなければならない。深いというのは物質的な深さではない。

精神的な深さであり、心霊的な深さである。

「これをしたら、何の得になるか」などと言う、欲得ずく

で行動する人は、単に物質の三次元世界(縦・横・厚みの

世界)に生きているのであって、それは次元の低い生き方であるのである。

三次元世界の浅い生活を棄てて、もっと高次元の世界(霊

的次元)に生きる者こそ本当に、魂の高き生活者なのである。

それは愛と叡智との世界である。自分の物質的な損得は考えずに人を愛する知恵の生活である。

人格の高さと言うのは、その人がどれだけ三次元的低次の

生活から超越して、霊的次元の世界に生きているかという事によって量られるのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/19 (Mon) 08:18:00




   高木美帆、W杯総合V、渡部暁斗も。パラリンピック

10個のメダル、テニス大坂なおみV、女子レスリング4連覇、

などなど、凄いニッポンパワーです!(^^)!。

だけど、雅春先生が仰っていた体育偏向の教育を思って、複雑な気持ちになっております(^-^;。


 志恩様が、頭のいい人は話が短い、と蘊蓄のある?お話をされております!(^^)!。









 大聖師の十一日です。



  十一日のことば  ♤  魂の高さは破壊することができない


 肉体は破壊することはできるけれども、魂の高さは破壊することができないのである。

特攻隊の兵士の肉体は破壊したかも知れないが、かれらの

愛国精神は国家の理想を護る為に散華して、日本国家の理想と一つになったのである。

 日本国家の理想とは何であるか。

それは「宇宙の理想」と一つのものである。「宇宙の理

想」とは釈尊の説く金波羅華の世界であり、キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。

日本国を”侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 

日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。

                                               (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/20 (Tue) 07:58:24



   コスモス様が昨日の国会中継を見ていらっしゃったようです。

完璧に青山、和田両議員が森友問題の真相を暴いて居りましたね(^^)/。すばらしいお二人です。

そして、今朝の新聞が「首相回答ゼロ」ですから、何をか言わん(^-^;。

 TVに出なかった、無所属の薬師寺議員も、財務省にしっかりした心的カウンセラーが必要と言う、提言さえして、立派な人ですね、麻生さん「検討します」と答えてました(^_-)。






 大聖師の十ニ日目です。


   十二日のことば  ♤  愛は天上のものである、物質界を越える


 NHKテレビ番組で三月末まで好評を博していた

「旅路」の中に出て来る岡本良平と言う汽車の機関士がある。
彼は真から汽車を愛した。

そして北海道に住んでいた彼は北海道に特急列車が走るよ

うになることを恰も自分の子供が出世することのように楽しみにしていたのである。

やがて列車の動力資源として石炭は斜陽になりディーゼル

油が使われる前途が見えて来たので、北海道の鉄道局で古

参の機関士にディーゼル機関の構造や操縦法の講習を受けさせることになったのである。

ところが彼はその受講を断ったのである。

妻が受講をすすめても、先輩がそれを勧めても、頑として応じなかった。

先輩がその時、岡本良平に、「北海道に愈々特急が走る時

期が近づいたよ。君はその特急第一号に乗りたいと言って

いたが、その特急車はディーゼル機関車だよ。汽車は段々

時代遅れになって、もう間もなくレールの上を走らなくなる」といった。

その時、良平は「今まで、さんざ働いた揚句、古くなって価値がなくなったからと言って棄ててしまう。

わしはそんな薄情な気持にはなれないんだ。わしは汽車を

愛しているんだ。世間から棄てられ忘れられて行く汽車の

事を思うと、最後の一台になる迄、その蒸気機関車を看戌
(みまも)ってやりたいんだ」という意味で答えている。

こんな岡本良平は”縦横厚み”の三次元世界での損得の世界を、”愛”の故に、越えたのである。

愛は天上のものである。それは物質界に属しない。物質界の損得を越えるのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/22 (Thu) 08:28:40





    志恩様が「道産子」(^^♪高木選手のYouTubeを紹介されて、有難うございます。

なんだか、とてもうれしい気持に満たされます(^^♪。


 コスモス様の安倍首相応援!(^^)!も嬉しい事です。

だけど、Tv朝日の小松靖アナってすごい人ですね!(^^)!。


 昨日投稿したつもりが、投稿されておりませんでした(^-^;改めて、

大聖師の十三日目、です。



  十三日のことば  ♤  真の愛国心について


 戦争が終って、まだ幾年も経たない時のことであった。NHKの総合構成による大学生の座談が聴こえて来た。

テーマは「愛国心」についてであった。

その中で「日本国を愛すると言っても、愛せられるような

日本国になったら愛せられるけど、この敗戦の雑然混然た

る醜(みぐるし)い日本国がどうして愛せられるか」というような発言をした学生があった。

私はそれを聴いて憮然として嘆息したことがある。彼は日

本国の実相を見ず、ただ現象の相だけを見てその奥にある日本の実相を見ないのである。

本当の愛は、魂と魂との触れ合いである。生命と生命の触れ合いである。

日本国を愛するとは、自分の魂と、国の魂の触れ合いに

よって、本来”国そのものの魂”と”個人たる自己の魂”との

自己同一の自覚である。これこそが本当の愛国心である。

”国”とは決して、自分の肉体が気持ちよくなるために入る浴場の湯槽みたいな単なる生活の“場”ではない。

湯槽ならもっと入浴が快適になるように、タイルの浴槽に

でも、エナメル鉄板の浴槽にも、或いは硬ビニールの浴槽

にでもどんな材料でも使って、どんな形にも改造してもよ

いけれども、国家は生命体であり、国家のいのちがあり、伝統ある個性があるのである。

国家のいのち、そしてその伝統ある個性美の特徴を守り続

け、そしてそれをその個性の方向に一層伸ばして行くこと

こそ、国家のいのちと一心同体である国民の使命であり、

その使命に邁進せんとする国民の意志こそ愛国心なのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/23 (Fri) 08:00:13




     太陽のような心様の田中静壹大将の偉業は感動の域を超えて・・・。







 大聖師の十四日目です。


 十四日のことば  ♤  釈尊の悟得せられた世界像


 釈尊が尼蓮禅河の畔の菩提樹下に結跏趺坐して悟りをひ

らかれた時、釈尊は、すべての存在が、山も川も草も木も国土も悉く物質でない事を感得せられたのであった。

この悟りが「山川草木国土悉皆成仏」という語で表現せられているのである。

この語の中には国家も単なる国土ではなく仏(宇宙の本

体)のいのちの現成であるという意味が含まれているのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/24 (Sat) 07:55:50




 <4月29日(日・祝日)記念講演 『 昭和天皇の御聖徳を仰ぐ 』 江崎道朗氏>

 明鏡様がお知らせしておられます(^_-)-☆。







 大聖師の十五日目です。


 十五日のことば  ♤  純粋世界は中心帰一の世界である


 ”宇宙のいのち”即ち宇宙大生命が展開している“純粋世界”が“実相世界”である。

“純粋世界”は物質でないから肉眼には見えないのである。

この“純粋世界”のことをキリストは”天”とか”天国”とか、“神の国”とかいう語をもって語られた。

キリストが「みくにを来らしめ給え、み心の”天”に成るが

如く地にも成らせ給え」と祈れと訓えられたのは、こ

の“純粋世界”の捨象として、純粋世界そのままの姿

が、“地”即ち現象世界に実現するように祈るように勧められたのである。

この純粋世界は、神の創造になる世界であり、神の愛と

叡智と生命力との展開せる世界であるから、神が唯一の中心

であり、すべての生物、すべての存在悉く、秩序整然とし

て一つの中心に帰一して、各々その天分に従って、互いに
扶け合い、大調和せる生かし合いの世界であるのである。

多元中心の世界の如きは、互いにその覇を争うために、権

力闘争の世界を展開して永久に平和の世界を実現することは出来ないのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/25 (Sun) 07:37:27




  ついに世界記録更新、54勝成りました(^_-)-☆。

小さな巨人(^^♪道産子、高梨沙羅ちゃん、だけど、すぐあとに53勝のG・シュリーレンツアウアー(オーストリア)が迫ってますけど…。





 大聖師の十六日目です。


  十六日のことば  ♤  華厳経に顕れたる日本国の実相


 釈尊が悟りを開かれて、宇宙の実相を其の儘に直感さ

れ、その宇宙の実相が、蓮華の華の如く、中心に“実”が

あって、その実相が十六方向に開く花弁の如く現象として

展開していることを諄々として詳細に講説せられたのが、

所謂華厳経であって、その詳しい経題は“大方広仏華厳経”と称ぶのである。

“大方広仏”とは「無限大にあらゆる方向に広がっている如

来のいのち“という意味であって、英語でこれを表現すれ

ば Universal Buddahhood(普遍の仏性)である。

”仏”をキリスト教的に”神”の語をもってするならば“大方広仏”というのは「遍在する神」である。

 そこで大方広仏華厳経とは、“普遍の仏性”又は「遍在す

る神」の生命の展開せる“純粋世界”は華厳即ち蓮華荘厳の世界であるという事が説かれている御経である。

この蓮華荘厳の世界は、その中心に蓮華日宝王地があっ

て、その中心の王地に依ってその存在が支えられているこ

とが、華厳経の廬舎那仏品に次のように書かれているのである。

『仏子よ、当(まさ)に知るべし、此の蓮華蔵世界海の金

剛囲山は蓮華日宝王地に依りて住せり』(『聖光録』286頁参照)

金剛囲山というのは、蓮華蔵世界の中央部にある須弥山を

取り巻いて八つの金剛の山脈があるのを指すのであって、

それらが依って安住しているのは日の大神の宝の王様の国土によって支えられているからだというのである。

天照大御神の神勅の実現たる日本国が宇宙の中央にあっ

て、この宇宙の鉄骨ともいうべき金剛囲山を支えているの

であって、これが吾々が日本国を世界唯一の真理国家だという所以なのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/26 (Mon) 08:05:03




終いよければすべてよし、沙羅ちゃん55勝目(^^)/。

 一人横綱鶴竜関「神さまは、乗り越えられない困難は与えられない」と言ってました!(^^)!。








 大聖師の十七日目です。


  十七日のことば  ♤  本当の愛国心について

 
 華厳経の尊さは、そして絶対価値があるのは、それが方

便のための対機説法ではなく、悟りを開かれた真理を、そのままズバッと開講せられた真理であるからである。

そしてその講話に、日本国を象徴する蓮華日宝王地によっ

て、その世界の骨組みともいうべき金剛囲山が支えられている事である。

もっともこれは大方広仏即ち”宇宙普遍の本体”たる如来の生命・愛・智慧の展開としての”純粋世界”のことである。

肉眼で見える世界ではない。即ち「御こころの天に成れる世界」のことなのである。

その世界を蓮華蔵世界海と”海”の接尾語がついているの

は、此の世界を海に譬えたのであって、海は表面(現象)

は波立ち騒いで始終遷り易るけれども、その深い底なる実

相は不動にして変化することが無いという事になぞらえたのである。

吾々は世界の表面の姿を見、「現象日本」の遷り変る有様

を見て、日本国に愛想をつかし「愛せられる日本国なら愛

し得るけれども、こんな醜い日本国は愛せられない」など

と言って、日本の実相の尊さを、とかく見失いがちである

けれども、吾々は現象の浮動する波の姿を貫いて、その奥

にある「理念日本」の実相を見、それに礼し敬し愛し、そ

の実相の完全さを現実世界にあらわすように努力しなければならないのである。

本当の愛国心とは単に「郷土であるから好きで愛する」と

いうような単なる”身いびき”的なものではなく、真理とし

て現象の奥にある「理念日本」の荘厳さを愛しなければならないのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/27 (Tue) 08:12:35





   加計学園と思ってたら、岡山理科大 獣医学部でした(^-^;。16・24倍でした!(^^)!。

 フジTV、平井解説委員、行橋市の小坪しんや議員,頼れるお人はいらっしゃるのですね!(^^)!。


 源流様、早朝から転載有難うございます<m(__)m>。








 大聖師の十八日目です。


 十八日のことば  ♤  生長の家出現の使命について


 釈尊は成道第十四日目にはじめて自己の悟れる宇宙の真

理実相が、中心帰一の蓮華蔵世界であり、その中心に日宝

王地が存在して、それに依ってその存在が安定している

事、恰も太陽系の中心に太陽と言う中心があって太陽系全

体の存在が安定しているが如く、原子にはその中心に原子

核と言う中心があってその存在が安定しているが如くであ

るとして、日本国の存在を暗に示されたのであるけれど

も、当時の印度人に、そのような象徴的謎が解ける筈もな

いので、普賢菩薩ひとりにしか華厳経の深義を悟ることが

出来なかったので、華厳の真理はその後久しく説かれないで竜宮海に秘められていたのであった。

 しかし今や、時節到来、竜宮の大神・塩椎の大神(又の

御名は住吉大神)によってその深義が開顕されることになったのである。

それが生長の家の人類光明化運動であり、日本の実相顕現

運動である訳である。この運動を理解して参加する人悉く普賢菩薩の分身である。

諸君自身が普賢菩薩なのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/28 (Wed) 08:22:47




   楠本先生―大熊先生ラインの素晴らしいご紹介がなされております!(^^)!。

 JR東日本社長に、道産子です!(^^)!。

 高梨沙羅に駆け寄って、祝福する伊藤有希他のメンバー
の姿は美しかった(^^♪。








 大聖師の十九日目です。


   十九日のことば  ♤  普賢菩薩とは諸君自身の最高理性である


 仏教には顕教と密教とがあり、顕教とは経典の文字の表

面に顕れたる表面の意義其の儘に説く教えであるが、密教

とは秘かに経典の文字と文字との間に、行と行との間に秘

められている所謂る文底秘沈の真理を開講するところの教えであるのである。

普賢菩薩とは釈尊在世当時にあらわれた一人の菩薩であるという風に、文字の表面だけに解するのは顕教である。

併しながら吾々はそれを密教的に解釈して、普賢菩薩と

は、人々に普く宿るところの“賢”(聡明の叡智)であっ

て、その聡明の叡智の開けた人々は悉く普賢菩薩であるのである。

華厳経でも、法華経でも、釈尊はこれを説き了られた時

に、あとは普賢菩薩に「お前にこの真理を渡すから、よろ

しく頼む」と言う風に付嘱(ふぞく)していられることである。

普賢菩薩が印度に釈迦在世中に生まれたひとりの人間であ

るならば、たった一人の人間に、その広宣を頼んでみて

も、その人間が死に絶えたら、あとは何とも致し方ないのである。

普賢菩薩とは一人の人間ではなく、普く人に宿る“賢”なる

叡智(即ち最高理性)を開顕した全ての人であるのである。

かくて普賢菩薩に、華厳経の真理も、法華経の真理も、と

もに伝えられ、その広宣がゆだねられた時、その真理が人

類全体を光明化し、地上に蓮華荘厳の実相世界が顕現することになるのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/29 (Thu) 08:08:45



    <⑧LGBT団体から表彰を受けた稲田朋美、だそうです(^-^;、意味が???>

 志恩様、神々の友達。様、抵抗健在(^^♪。







 大聖師の二十日目です。


   二十日のことば  ♤  世尊捻花の秘密


 華厳経の真理を説かれた後、久しく釈尊は蓮華の華に譬

えた宇宙の実相をお説きにならなかったのであるけれど

も、或る日例の通り霊鷲山で説教すべく壇上にお立ちに

なった時に、梵天王という天界の王様が金色の波羅華を携

えて地上に降りて来て、釈尊の前にひれ伏して、

「この金波羅華について衆生のために真理をお解きください」とお願い申し上げたのであった。

すると釈尊はその華を手に取って、指先で拈りながら、集

まっている聴衆に向って示し、目を挙げ眉を動かして、何

も言わずに、「ここに宇宙の真理がある、皆さん、此の真

理が判りますか」というような表情をなさったのであります。

経文によるならば、この時「人天百万措くことなし」とある。

百万人も集まっていた人間天人、呆然として、釈尊の意を解するものが無かったというのである。

その時、唯ひとり迦葉(かしょう)と言う弟子だけが

「釈尊は此の真理を説き給う、判った!!」というような表情をした。

それを逸早く見て取られた釈尊は「迦葉よ、お前に仏教の

真理を直接伝えたぞ、此の真理は教外別伝(説教として教

えることのできない、以心伝心をもって別に伝えるより仕

方のない真理)であり、不立文字(経文に文字を立て、説

教することのできない真理)である。此の真理、お前に伝えたぞ」と仰言ったのである。

こうして迦葉は文低秘沈の教外別伝・不立文字の宇宙の真理を伝えられ、禅宗の第一祖となったのであった。

(谷口雅春著『無門関解釈』参照)

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/30 (Fri) 08:15:04




    明鏡様のエピソード(お蔭?)いいですね(^^♪。

 コスモス様のTtensanブログ、小気味よいですね(^^♪。








 大聖師の二十一日目です。


 二十一日のことば  ♤  仏教は最後に「実」の世界を説いたのである


 華厳経でお説きになった蓮華蔵世界の実相が、それ以来

久しく説かれなかったこの宇宙の実相が、蓮華の華の象徴

するが如き中心帰一の世界であることを、梵天王が金波羅

華の華を釈尊に献じて説法を勧請(かんじょう)したこと
が契機となって爰に再び説かれることになったのである。

華厳経は竜宮海に秘められたままになっていたら、他の経

文には現象の無常が説かれて、そういうものに引っかから

ないための生活法、心の持ち方、因縁因果の理法、空の真

理などが説かれていて、未だ“一事実の世界”が説かれな

かったので、そのような経典による教えにはないところの

「実」の世界を、”金波羅華”を象徴として説かれたのが、この“世尊捻花”であるのである。

未だ経文に説かれざる、文字を立てて説明すべからざる宇

宙の実相としての構図――これを「金波羅華」即ち、金色の

「実相を象徴する花」をもって以心伝心的に説かれたのである。

金波羅華の「波羅」と言うのは、“彼岸”又は実相の浄土の

ことである。(般若心境の結語としてある陀羅尼に「波羅

羯諦」という語があるが、“羯諦”とは「行く」という意味。

“波羅”は”実相の浄土”という意味であるから「波羅羯諦」

とは「実相の浄土に行きて」という事だと梵語の専門家は解釈している。)

従って“金波羅華“というのは金色の実相世界を象徴する華

であるとして、そのような名称がつけられているのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/03/31 (Sat) 07:58:18




    「運転中のくしゃみ」確かに怖いかもしれませんね(^-^;。








 大聖師の二十二日目です。



 二十二日のことば  ♤  一切極微の世界にも満つる日の大神の生命(いのち)


 釈尊は、悟後最初の説法たる大方向仏華厳経にて、この

宇宙の実相は中心に毘盧遮那仏即ち、”大日如来”即ち“

日の大神”即ち天照大御神がましまし、蓮華日宝王地な

る“日の大神”の宝座をなす王様の国土によってその存在が

支えられている世界であり、その毘盧遮那仏の生命が、一

切の微塵世界の極微の微塵(原子、素粒子その他の微視的

世界)の中にも満ち、その各々の微視的世界の中に、依然

として毘盧遮那仏を中心とする世界があり、すべての宗教

の本尊――生命の本源等悉く、此の中心生命たる毘盧遮那仏

のあらわれならざるはないとして、一仏一切仏、一生命一

切生命、万象悉く日の大神の御徳の表現体であるという実

相を説かれたのであって、単なる有耶無耶でハッキリわか

らないような空々漠々の真理をお説きになったのではなかった。

しかし実相は現象の存在に執われている人の心には観るこ

とが出来ないので、諸行無常の現象の空無を説いて、現象

に執する心を鎮めてから、実相を見る眼を開かしめられたのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/04/01 (Sun) 07:33:42



   野田中央公園、白日の下に決着がつきますよう!(^^)!。








 大聖師の二十三日目です。


  二十三日のことば  ♤  般若の空をもって現象を否定―法華経によって「実」を明らかにす



 かくて釈尊は、般若部の経文に於いて、一切の現象の空

を説き、眼耳鼻舌身意を悉く「無」として否定し、現象存

在に対する一切の執着を断ち裁られてから、無量義経に於

いて「四十余年間、未見真実」と喝破せられて「自分は

華厳経に於いて真実の実相を説いて来たが、誰にも理解して

貰えなかったので、以後、四十余年にわたって真実の実相

を説いて来たことはなかった。しかし、これから本当に真

実の世界、実相の世界のことを説くのだと言われて、ついに妙法蓮華経をお説きになったのである。

それ故に妙法蓮華経は釈尊の悟後第一声の華厳経に相対し
て同一の真理を説いたものだという事が出来るのである。

法華経がどうして妙法蓮華経と言う経題を付けられている

かと言うと、妙なる”法”即ち“実相”は蓮華を以て象徴され

る中心帰一の世界であり、中心に「蜂巣」(ハチス・八洲

―大八洲―日宝王地)の存在する世界であることを説いてい
るのがこの法華経であるからである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/04/02 (Mon) 08:20:13




   学ぶ会第6回全国大会、近づいております!(^^)!。

 北海道はまた、冬に逆戻りです(^-^;。





 大聖師の二十四日目です。


 二十四日のことば  ♤  万教帰一の実相世界


「蓮華荘厳」という用語は、法華経の題目以外には、法華

経の本文では見当たらなかったようであるが、私は、もう

一遍法華経を充分詳読したいと思っているが、“化城諭

品”には、宇宙の中心たる本尊物として大通智勝如来の名が出ている。

“大通”とは大通力即ち「全能」のことであり、“智勝”は「勝れたる智慧」であるから全智のことである。

全知全能の宇宙神に当るものが大通智勝如来である。

その十六の皇子(みこ)が十六方向に仏如来として配置されていることを法華経は説いているのである。

華厳経の“一仏一切仏”思想が法華経にも、このように表現

されており“一仏一切仏”の思想は結局、万教その本源を一

仏に帰するところの、ただ万教帰一説又は万教同根説と全く同じものなのである。

十六の皇子は菊花の皇室ご紋章の十六花弁に通じ、金波羅華の実相を象徴するのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/04/03 (Tue) 07:31:01




   <夜十一時迄に寝床に入れば、
大聖師谷口雅春先生の
早朝神想観タイム4時50分は
楽勝です。>。

 中仙堂様のご主張です(^^♪。


 神々の友達。様と志恩様が、意外な展開で対立(^-^;、
教化部長様の微妙な立ち位置が焦点でしょうけど・・・(^_-)。







 大聖師の二十五日目です。


 二十五日のことば  ♤  釈尊が世に出られた主目的は・・・・・


 華厳経に於いて説かれたる蓮華蔵世界が、以心伝心の仏

心宗(禅宗)に於いて「世尊捻花の公案」として説かれ、

法華経に於いて、”妙法”即ち妙なる実相は十六花弁を備え

たる蓮華の構図を持つことが、その題目によって示され

て、華厳経―世尊捻花―妙法蓮華経が一系列の真理として一貫的に示されているのである。

結局、金波羅華の宇宙の実相こそ仏教の初中終の真理で

あって、釈尊出興の使命は、この宇宙の真理を示し給うのが主目的であったと言い得るのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/04/04 (Wed) 08:22:59



  <もちろん、公文書の改ざんや国有資産の保全は 重大な問題だが、

個人の責任への指摘は司法の担当であり、

国会はシステムの改修をするのが 任務であると思います。・・・>・・・。

 トキ様の正論(^^♪です。そだね・・・。


 コスモス様が朴鐵柱氏のことを紹介しております。

スゴイ方です。







 大聖師の二十六日目です。



 二十六日のことば  ♤  空は単なる“無”に非ずの説


 般若部の経典までは、諸行無常、諸法無我の空の思想の

展開であったのであるが、この空思想によって現象の存在

を否定し去り、現象的事物に対する執着を除き去って、そ

れでは何もかも空であって空しいのか、それでは人生に何

の希望もないし、努力の必要も、生き甲斐もないという事になる。

そこであらわれたのが“真空妙有”の思想である。

空というのは決して単なる「無」ではないのである。その奥に”妙有”即ち”妙なる実在”が内蔵されている。

その”妙なる実在”を生活に生きるのが人間の尊い生活なのだという事が説かれることになるのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/04/05 (Thu) 07:45:23



    部屋が冷え切っております('◇')ゞ、お日様は煌々と照ってはおるのですが、

外の方が暖かいのでしょう('◇')ゞ。






 大聖師の二十七日目です。


 二十七日のことば  ♤  妙有は金波羅華の姿をしている

 
 真空の奥にある“妙なる実在”とは果たして如何なるものであろうか。

「曰く言い難し」と答えているだけでは、その“妙有”を生活に生きる事が、実際上出来がたいのである。

「言い難く捉えどころなき目標又は理想を生きよ」と言っ

たからとて、それではどの方向に進んで行ったらよいか判らないのである。

「兎も角、”妙なる目標”があるんだから進め」と言っても

それが青森であるか大阪であるか京都であるか示されな

かったら、東に向かうべきか、西に向かうべきか、生活の規準がないという事になる。

「曰く、言い難き妙有の実相」――それは言葉に言い表すこ

とが出来なければ、何か象徴をもって示されなければならない。

そこで釈尊がその象徴として金波羅華を示されたのであ

る。そして「この相(すがた)が”波羅”即ち、妙有の世界なる”彼岸”の実相である」と示されたのである。

現象を“此岸”と言い、現象の奥に、彼方にある実相を“彼岸”というのである。

それは中心の「実」にすべての花弁が帰一している姿である。

迦葉は「これこそ宇宙の実相の調和せる姿の象徴である。

万物、永遠の中心に帰一し、調和おのずから備われる妙有の世界!!」と彼は悟ったのである。

それ故に釈尊は「彼に正統の仏教を正伝(しょうでん)し

了った」として「摩訶迦葉に付嘱(ふぞく)す」といわれたのである。

                                               (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/04/06 (Fri) 07:39:11



<天皇国日本の實相顕現。

政治家として、この目標に沿った政策に取り組んで下さるのは
安倍晋三総理以外にはあり得ません。

神想観に励み、日本と安倍総理の實相顕現を祈ります。>


 聖地巡礼参加者様のお言葉です!(^^)!。

祈りましょう!






大聖師の二十八日目です。


 二十八日のことば  ♤  金波羅華の象徴するもの


 金波羅華は、実相の妙有世界の象徴であるから、その象

徴の受取り方、又は解釈の仕方によって、どうとも判断できるのである。

そこで阿難尊者には、釈尊が仏教の極意を迦葉に正伝せら

れたと言って、一体いかなる真理を釈尊に正伝せられたの

であるか判らないのである。阿難は釈尊正伝のその真理が知りたい。

そこで或る日、彼は迦葉に、

「君は仏教の極意を伝えられたと言って、嗣法のしるしに

釈尊から衣鉢を頂いたが、衣や鉢が仏教の極意ではあるま

い。釈尊正伝の仏教の極意とは一体何であるか内証で教えてくれないか」と言った。

 その時、迦葉はしばらく無言でいたが、突然、厳かな命令するような声で、

「阿難!!」と彼の名を呼んだ。

阿難は突然、大声で厳かな口調で自分の名を呼ばれたものだから、驚いて、姿勢を正して、

「はい!!」と答えた。

その時、迦葉は、

「お前に仏教の極意を授けたぞ」といった。

こうして、阿難は禅宗の第二祖となったのである。

                    
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/04/07 (Sat) 07:53:31

 


<『我ら日本人として』 谷口雅春著より


 
 ~鳩山首相が生長の家の教えに触れて 「もう一度人類

のお役に立つなら、病気のそのままでもお役に立ちたい、

生命は神より与えられたものであって、病気から与えられ

たのではないから、自分のいのちは神が返却せよといわれ

るまでは、病気から横取りされることはない」 との大信

念をもって半身不随のまま立ち上られたのであり、その大

信念をもって総理大臣在職中あの病気のままで、ソ連まで

使いし、多忙な神経戦の多い政界の仕事を今日までやりつ

づけて来られたのは、生長の家のお蔭だと大いに感謝して

いられるだけのことであって、生長の家が自民党ではな

く、鳩山首相が生長の家党だった訳であります。これを逆

に考える人は、宗教が一党に偏するが如き誤った観念をつ

たえるのでありまして、それは大変危険なことでありま

す。決して生長の家は自民党に偏向していない。併し日本
の政党で天皇制を支持しているのが自民党だけなのです。(p.3)>


 何を学んでるのか様のご投稿より<m(__)m>。






 大聖師の二十九日目です。


 二十九日のことば  ♤  “妙法蓮華”の秩序を体現せる日本国


 釈尊が衆(もろびと)に示して捻られた“金波羅華”の象徴するものは『はい』と答える事だったのである。

金波羅華には中心があり、すべての花弁がその中心に喫して、一糸乱れざる秩序と調和を示していることである。

そこには花弁が中心に向かって、自己主張して、国鉄の順

法闘争や賃上げ闘争のように争い立って騒ぐという事はないのである。

日蓮宗の信者が「南無妙法蓮華経」と唱えるのは、蓮華の

如き中心帰一の”妙法”即ち実相の秩序に帰依し奉ると唱えている事である。

実相の秩序に帰依し実相の秩序と一体となることは、自己

のいのちが、実相普遍の原理と一体になることなのである。

“妙法蓮華”の秩序を最も完全にあらわした国家は日本国のみである。

天照大御神(インドの用語では毘盧遮那如来)を中心に頂

き、その子孫たる歴代の天皇さまが永遠の国家の中心生命

として国民にその恵沢を霑(うる)おし給うて今に至る、

宇宙大生命の本源的中心生命がその応身を”生ける天皇”に

あらわし給い、吾ら国民悉くその中心生命に帰一し奉る

時、その時、地上に天国の秩序あらわれ、久遠平和の世界が実現するのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - 道産子

2018/04/08 (Sun) 07:45:49



    <「谷口雅春先生報恩・全国練成道場」創建おめでとうございます!(^^)!

 こうして、一歩一歩「本流」は地道ながらも、伸びて行くのでしょう(^^♪。









 大聖師の三十日目、此度の最後です。



三十日のことば  ♤  人間として最も高貴なる生き方


 吾ら世界唯一の真理国家――妙法蓮華の相を地上に具体的

に表現せる真理国家、この国こそ、実相永遠の秩序を具体化せる神聖国家である。

時としてこの国、その秩序乱れ、その国状、実相の秩序に

背き、或は国内騒然として紊(みだ)れるが如きことあ

り、或は外国と交戦して敗れたる事ありと雖も、是必ず

永遠の秩序に背き、天皇の聖明を覆い奉り、天皇をないがし

ろにするか、天皇の名を籍(か)りて、我見を主張し、自

己の権力増強に天皇を利用するが如きことを生じたる結果であるのである。

我ら日本国民、金波羅華の花弁になぞらうべき役目をなす

者、常に中心に帰一し、天皇のみこころに背かざらんこと

を希(こいねが)い、愈々美しく金波羅華の実相を現象に

まで咲き出でしむる事こそ、吾ら国民の使命であるのである。

この時、われら日本国民、国家のいのちと一体となり、

宇宙大生命の秩序と自己同一し、“個”にして“全”、

“有限”にして“無限”の生命を生きることが出来るのである。

これこそ人間として最も高貴なる生き方でなくて何であろう。

                    (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます。 19 - bqibehvxzqMail URL

2020/08/29 (Sat) 22:00:42

伝統板・第二
[url=http://www.g12071687qb78cu0iin1j8x5oughq97js.org/]ubqibehvxzq[/url]
bqibehvxzq http://www.g12071687qb78cu0iin1j8x5oughq97js.org/
<a href="http://www.g12071687qb78cu0iin1j8x5oughq97js.org/">abqibehvxzq</a>

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