伝統板・第二

2515359
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

ひかりの一日一言35~自己の本質を知るには - 伝統

2018/02/01 (Thu) 03:52:45

ひかりの一日一言《1日》

《1日 自分とは何ぞや》

人は自己とは如何なるものかということを切実に、
真剣に考える一時期を通過するものである。

そして、自己の本質を悟り得ないで、「もうどうでも好い」というような
投げやりの気持ちになって、「自己とは如何なるものなのか」などという問題は、
むしろ自分の心の外に押しのけて、

肉体の感覚のクスグリによる快楽で人生の意義を胡麻化してしまうか、
事業だとか金儲けだという物質的なものの構築や増大に心を奪われてしまう
ことになる人が随分たくさんあるのである。

そして事業や財産という外形の方はそれによって段々大きくなって行くが、
「人間とは何ぞや」という”中味”の方はだんだん縮小して空っぽに
なってしまうのである。

こうしてまことに気の毒な蝉(せみ)の抜け殻みたいな
人間になってしまう人が多い。


併し吾々はもっと真剣に「自分とは何ぞや」「人間と何ぞや」の問題に
取り組まなければならないのである。

道元禅師はその著『正法眼蔵』に「仏法を習ふといふは自己を習ふなり、
自己を習ふといふは自己を忘るるなり、自己を忘るといふは萬法に證せらるるなり、
萬法に證せらるるといふは、自己の身心及び他己(たこ)の身心を脱落せしむるなり」
と示されているのである。

自己を習う ―― 
すなわち自己とは如何なるものであるかを知ることが仏法であるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P32~33) より

           <感謝合掌 平成30年2月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2018/02/02 (Fri) 03:18:20

《2日 ニセモノの自分》


「自己を習う」ならば、「自己」というものを
一所懸命につきつめて勉強しなければならない筈と思えるのに、
「自己を習ふといふは自己を忘るるなり」と道元禅師は教えている。

ここに「自己」というものに「本当の自分」と「ニセモノの自分」とが
あるということが示されているのである。

この道元の言葉に多少書き加えて、
「本当の自己を習うというはニセモノの自己を忘るるなり」
という風に表現するならば一層よくわかるのである。

「ニセモノの自分」というものは、彼と我とを分離区分して対立関係や
弱肉強食関係にあり、自分の利益や快楽のためには、他(た)を傷つけたり
陥れたりしても何とも思わないような「自分」なのである。

そのような「ニセモノの自分」はよろしく忘れてしまうがよいのである。
そのような「自他分離の自分」を忘れてしまったら、自分が虚空にひろがった
普遍的存在であり、天地の万物と一体であるということが自覚されて来るのである。

これを道元禅師は「自己を忘るといふは萬法に證せらるるなり」
と仰せられたのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P33~34) より

           <感謝合掌 平成30年2月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2018/02/03 (Sat) 04:23:24

《3日 本当の自分》

こうして一心に「自分とは如何なるものであるか」を懸命に知ろうとして
倦(う)まず精進努力修行を重ねている人は、自己の生命(せいめい)というものが
今「この肉体がそれだ」と思っているところの「自分」よりも限りなく大いなる存在
であるということが、インスピレーション的にハッと悟れる時が来るのである。

釈尊もキリストも、いずれも懸命に自己を知るべく静坐修行したことが
経典や聖書に書かれているが、その修行ののち、最後の業の自壊作用として、
「ニセモノの自分」が悪魔波旬又は悪魔サタンとしてあらわれた後(のち)、

「本当の自分が」、釈尊に於いては「仏陀」として、
イエスに於いては「神の子」として完全に自覚されたのであった。


実際、人のうちには「仏性」「神性」が宿っており、それを展(ひら)けば
無限の力を発揮し得るのであるけれども、大抵の人は、それを真剣に求めず、
それを展(ひら)かず、単に有限智、有限能力の”肉体的存在”に過ぎないとして、
みずからを自己縮小しているのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P34) より

           <感謝合掌 平成30年2月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2018/02/04 (Sun) 03:05:46

《4日 聖なる悩み》

ウィリアム・ジェイムズ教授は心理学・哲学・宗教を一つの糸に結びつけながら、
それを実際生活に応用する理論を創案して第一人者だといって好い人であるが、

彼は人間が普通の状態に於いて、「もう自分の力は出し切った」と思っていても、
それは自分の内に宿る本当の力の25%しか出していないのだといっているのである。

人がひとたび「自己の宿るところの神」を自覚するならば、
「人生何の意義ありや」とか「生きていて何の甲斐があるのか」などという疑問や
悩みはおのずから消えてしまうのである。

何故かといえば、「人生何の意義ありや」などと考えて悩むのは、
「自己の内に宿る神」を肉体意識にみとめさせようとして内から催して来るところの
聖なる悩みであるからである。

吾々の内には「神」が宿っており、それをみとめさせようとする催しが動いている
からこそ悩むのである。神が宿っていないならば、ただの「物質の塊」が人間であるならば、
肉体そのままの自覚だけで何の矛盾も 感じられないから、
「人生の意義」を考える悩みなども出てこない筈である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P35) より

           <感謝合掌 平成30年2月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2018/02/05 (Mon) 03:55:33

《5日 視えざる世界の認識》
     
吾々は、、成る程、一面に於ては物質的肉体であり、
物理化学的には物質宇宙に関係をもっており、
眼耳鼻舌触の五官を通して、物質宇宙を感じ、
それによって行動し生活するのである。

併しながら、人間には、それ以上のものがあるのである。

吾々は「心」というものは如何なるものであるか、
魂は果たして肉体の死後存続するものであるか、
神はあるか、ないか、などと考える。

即ち、”視えざる世界”に属するものを考えずにはいられないのは、
吾々の存在が、その一面は”視える物質宇宙”に関係をもちながら、
その反面は”視えざる世界”に関係をもつ「存在」であるからなのである。

そして此の”視えざる世界”に属するものを認識するには、
眼耳鼻舌触の五つの感覚では役に立たないのであって、

吾々は、精神統一によるか、霊的修行によるか、坐禅によって
身心脱落、脱落身心の境地に入るか、
神想観を実修するか等の方法によって、
肉体的感覚以上のものを内部から呼び出して来なければならないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P36) より

           <感謝合掌 平成30年2月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2018/02/06 (Tue) 03:18:55

《6日 生命の内部を流れる水》

吾々の生命(せいめい)の内部に流れているところの聖なるものを ―― 
吾々は”地下の伏流水”を堀鑿(ほりぬき)してそれを地上に導き出し、
常に涸れざる清き水道の資源とするように、吾々の生命(せいめい)の内部に
流れているところの生命(せいめい)の内部的聖流を堀鑿(ほりぬき)
しなければならないのである。

地表に流れているところの河の水も水道の資源となるが、
これは涸れることもあれば、洪水の時などには汚水や濁水が混入して、
甚だ穢(よご)れていることがあるのである。

地表をながれる河の水は、現象的にあらわれている脳髄的智慧のようなものである。
それは涸(か)れたり汚れたり不純なものが混入するのである。

しかし、生命(せいめい)の内部を流れる、実相の智慧を汲み上げて来るならば、
それは無限に滾々(こんこん)と湧き出して来るし、
どんな地上の汚れも混入していないのである。

    
旅人が疲れて咽喉(のど)が渇(かわ)いでいるとき、地下から噴(ふ)き
出(で)ている泉を見出したならば蘇生(そせい)の思いをするように、

人生の旅に、どんな現象的な智慧を出して来ても解決しない問題に面したとき、
生命(せいめい)の内部を流れる実相の伏流水から智慧を汲みだして来たら、
本当に蘇生の思いをするような解決の智慧が湧いて来るのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P36~37) より

           <感謝合掌 平成30年2月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2018/02/07 (Wed) 03:18:35

《7日 実相から来る智慧》

吾々の生命(せいめい)はその実相に於て「個」にして同時に「普遍」であって、
自他圓融一如であるから、眼耳鼻舌身より来る五感の声に耳をかさずに、
実相から来る智慧の声に耳を傾けるならば、そしてその導きに素直に従うならば、
必ず平和と調和と相互扶助との道を見出すことができるのである。

実相の導きに背反して、ただ頭脳智だけによって、自分の利益を得ようとすると、
必ず其処に摩擦や闘争を生ずることになるのである。

だから我々は常に重大なる事を行なうにあたっては、単に頭脳の智慧に従うことなく、
神想観を修して実相智の導きを受けるがよいのである。


必ずしも神想観を修しないでも、その人が、きわめて自然な
身心脱落・脱落身心のような、「そのまま」の心境である場合には、
自然に実相そのままの智慧があらわれ、現象に捉えられて
間違いをやることもないのであるけれども、

普通の場合、吾々は、眼耳鼻舌身の五官智にとらわれて、物事を判断し、
「個」の利益のみに執しようとするきらいがあるので、
色々の摩擦や争闘や不安恐怖があらわれて来るものであるから、
常に神想観を実修して、実相の智慧を呼び出すようにすることが大切である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P37~38) より

           <感謝合掌 平成30年2月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2018/02/08 (Thu) 03:52:34

《8日 自然界の法則と心の法則》

法則というものは実相の智慧から発現した生命顕現の秩序である。

従って法則に従順に随(したが)うとき、
生命(せいめい)が伸び伸びと発現して
物事が順調にはこぶことになるのであるが、

法則を破るときには何事も順調に行かず、
苦痛や悩みを受けることになるのである。

それは神が神罰を与え給うのではなく、
生命(せいめい)顕現の秩序に反したから、
激流を遡る人が流れを順調に下)くだ)る人よりも、
より多く苦痛を受け、時には溺れるのと同じことなのである。

神は人語(じんご)を語り給わないので、
法則を、人間みずから発見するほかはないのである。


法則にも物質界の法則と、心の法則とがあるが、
これはいずれも生命(せいめい)が顕現する場合の両面の秩序であって、
いすれも、ゆるがせにすべきではないのである。

物質界の法則でも、古代人はそれを発見する程度が低いものだから、
無智にして知らず識らずの間に自然の脅威にさらされ、
生活に安定性が乏しかった。

一層多く自然界の法則を知り、
その法則に則(のっと)って生活するようになったとき
文化が発達して人類の生活に安全性が増加して来たのである。

併(しか)し尚(なお)、人類の大多数は、心の法則に無智であるために、
この面から生活の危機が迫っているのである。
原水爆戦の危機などもそれである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P38~39) より

           <感謝合掌 平成30年2月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2018/02/09 (Fri) 03:16:39

《9日 世界平和の基(もとい)》

人生は心の法則を逆用しないで順用するとき、
そんなに不幸なものでも危険なものでも複雑なものでもないのである。


愛すれば愛され、批評すれば批評され、憎めば憎まれ、相手を「好戦国」と
罵(ののし)れば、自己もまた「好戦国」と罵り返されるのである。

そんな分かり易い”心の法則”が米ソ両国の首脳者にもわからないで、
”物質”の法則ばかりを多く発見して原水爆の製造に血も道をあげているから、
人類は常に戦争の危険に晒(さら)されていなければならないのである。

世界の平和を持ち来すには”心の法則”を可及的すみやかに
人類に普及するほかはないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P39~40) より

           <感謝合掌 平成30年2月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2018/02/10 (Sat) 04:46:32

《10日 〝心の法則〟の順用》

その国の偉大さは、その国民の偉大さによってはかられる。

その国民が偉大であるというのは、”自然科学の法則”を最も多く知り、
それを最も多く利用すると同時に、
”心の法則”を知りそれを順用することに優れていて、

”自然科学の法則”の活用と”心の法則の順用”とが
豊かにバランスを得ている場合である。

”自然科学の法則”の活用のみに重点がおかれて、
”心の法則の順用”が忘れられているときには
現在のような人類の危機を孕(はら)むことになるのである。

もっと「心の法則」の科学を一般的に普及して、
「物質界の法則」の智識とバランスを得させるようにする事こそ、
世界平和の基礎となるものである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P40) より

           <感謝合掌 平成30年2月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2018/02/11 (Sun) 04:43:47

《11日 本質と方便》
    
宗教の本質は、儀式や、法服や、堂塔伽藍の荘厳さにあるのではない。

もっとも、実相世界の荘厳さを現実世界に表現するような荘厳な儀式や法服や殿堂は、
人々をして浄土や天国の荘厳さを連想せしめ信仰を深めしめる方便となることはある。

しかしながら、それはどこまでも方便であって宗教の本質をなすものではないのである。
だから生長の家では複雑荘厳な儀式はない。
ただ言葉の力によって真理を表現する『甘露の法雨』を読誦する儀式があるだけで
あって、その儀式の祭官も普通人の紋附羽織及びモーニング又は普通の洋服を
着ていて仰々しい法服を用いないのである。

そして主として出版物及び講演講話ラジオ放送等による言葉の力によって
真理を知らせることにしているのである。


生長の家は外形よりも内在の”実相”を悟ることに重きを置くのであるから
敝衣(へいい)をまとえる聴講者も、美衣(びい)をまとえる聴講者も、
差別なく「神の子」として合掌して迎えられるのである。

しかしながら貧しいのが、決してその人の名誉ではないのである。
何故(なぜ)なら今現象的には貧しく見えている人も実相に於いては富んでいる
のであり、その人が心の法則を知り、実相に於ける富を現象界に映し出して来る
ようにすれば、現象的にも富んで来るからである。

だから彼らに真理を教え「心の法則」を知らせるのは大なる慈悲である訳である。



谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P41~42) より

           <感謝合掌 平成30年2月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2018/02/12 (Mon) 03:20:06

《12日 富の種蒔き》

貧しい人も、その人が實相に於て貧しいのではないのである。
彼は實相に於て富める「富」を現象界に表現する方法を知らないだけの事である。
彼は多分「与えよ、さらば与えられん」の心の法則を知らないのである。

人に与えることをせず、爪に火をともすようにして蓄積しさえすれば富むのだと
《めのこ》算用的な考えをもっていて、人を救うために献資をして出すことが、
富の「種」蒔きになるのだということを知らないのである。

「種」を金庫に入れて蓄積すれば、蓄積するだけは殖えるけれども、
「種」は蒔かない限り、百倍千倍万倍に子を産んで増殖することは
あり得ないのである。

だから釈尊は「飢饉の時ほど托鉢せよ」と仰せられたのである。

飢饉の時には作物はとれず、百姓自身も貧しくなっているのに、それにも拘らず
報謝米の施しを求めて歩くのが”托鉢”である。

何故そんなことをするかといえば、飢饉のために貧しくなっているのは、
「与えれば与えられる」という法則を彼が知らないで、
謂わば「種」を天地に与えて「種蒔き」をして置かなかった結果であるから、
彼に「施しの心」を起さしめて富の「種蒔き」を為さしめるために、

釈尊は、「飢饉の時ほど農家へ往って施し(富の種蒔き)を求めよ」
と仰せられた訳である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇(P42~43) より

           <感謝合掌 平成30年2月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2018/02/13 (Tue) 03:06:54

《13日 祝福の暗示》
     
人は接触する人々にその雰囲気を交流させて
互いに影響を与え合うものなのである。

それは人間はその本質に於いて「生命(せいめい)」が一体であるから、
海水が一体であって智利(チリー)国の地震が日本の東北地方の大津波となって
影響するにも似て、たとい物言わずとも互いに影響し合うものなのである。

更に”言葉の力”を用うれば一層激しく影響し合うものである。
たとい電話を通じての言葉であっても、
非常な影響を相手の精神に与えることもある。

私は或る映画を見たが、毎日毎日、何者とも知れぬ人から
「お前は何日何時何十分に必ず殺すから」という電話がかかって来るのである。
その電話を受ける人は、そのために激しいノイローゼに陥るのである。


では、そのような恐怖の暗示の言葉なしに、電話に限らず、日常生活に於いて
幸福の暗示の言葉を、会う人毎に投げかけることにしたらどんなものだろうか。

讃(ほ)める言葉、激励の言葉、

「屹度あなたは成功する」とか、
「屹度あなたの希望は成就するよ」とか、
「屹度よく勉強できるよ」とか、

「もう直ぐ健康になりますよ」とか、
「あなたは神の子だから、健康と幸福のほかは何もあり得ない」とか、

このような善き言葉の雨をふらして人類を祝福するならば、
「祝福を与えるものは祝福を与えられる」の”心の法則”に従って、
屹度あなた自身も豊かに幸福になるに相違ないのである。

生長の家の人類光明化運動はすべての人類を言葉の力によって
祝福する運動だといっても間違いはないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇( P43~44) より

           <感謝合掌 平成30年2月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2018/02/14 (Wed) 03:14:46

《14日 生命の本源》

エマニュエル・スエーデンボルグは斯う言っている ―― 

「唯一の生命(せいめい)の本源があり、人間の生命(せいめい)は
それから派(わか)れ出たところの一つの流れである。
そしてその流れは間断なくその本源から補給せられなかったら、
たちまち其の流れは止まってしまうのである。」

また曰く

「内部理性の光に照らしているものを考える人々は、
すべての事物は第一原因者と或る媒介を通して連絡しており、
この連絡が断たれたならば存在を止めてしまわなければならないんである。」

スエーデンボルグの謂うところの「唯一の生命(せいめい)の本源」
又は「第一原因者」というのが即ち神であるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇( P44) より

           <感謝合掌 平成30年2月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2018/02/15 (Thu) 03:14:58

《15日 報いを求めぬ愛》

それでは、私たちがその「生命(せいめい)の本源」又は「第一原因者」と
つながるには如何にしたらよいのであろうか、既につながっていながら、
波長が合わねばそれが実現しないのである。

神は「愛」であるから、「愛」に波長を合わすために、吾々は愛他の心を
起さなければならない。そして神の愛は「報い求めぬ愛」であるから
吾々もまた「報い求めぬ愛」の心を起こさなければならない。


梁の武帝は仏教の研究者であり、みずから放光般若経の講座を開いて
その経文の講義をしたときには天人がそれを讃えて天華(てんげ)が
乱墜(らんつい)したと伝えられる位(くらい)であった。

また信仰心も篤く、多くの堂塔伽藍を供養し建立したのであったが、
達磨大師が南天竺(なんてんじく)から法を伝えにやって来たときに、
武帝は自分の色々の布施や供養のことを物語って、

「これらの功徳はどれ程でございますか」と達磨大師にきいたら、
大師は「無功徳! 」と一喝して去ってしまったというのである。

これは武帝が「功徳」即ち「報い」を求める心で布施や供養や経典の講義を
したりしていたからなのである。

報いを求めぬ布施に本当の「魂の報い」があるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇( P44~45) より

           <感謝合掌 平成30年2月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2018/02/16 (Fri) 03:52:33


《16日 声なき声の導き》

人は神との一体感が深まって来るにつれて、「生命の本源」なる無限者との波長が
一層ぴったり合うようになって来、普通の肉体力や精神力では到底できないような
奇蹟的な力を発揮することができるようになるのである。

これに反して、あまりにも心が物質的なものに捉われ、個人主義的な心の持ち方となり、
「全体生命」又は「普遍生命」なる神との波長が普通以下になって来るとき、
普通の健全生活が出来なくなり色々の心配事や不調和な争いや病気や事業の失敗等が
あわれて来るようになるのである。

吾々は常に心を調えて、大生命の”声なき声”の導きを
心の耳で感じとることができるように修養しなければならないのである。

それは少なくても毎日1回(出来得べくんば早朝起床時と就床前との2回)
神想観を実修して心のチャンネルを神に振向け、神との交通の習慣を
つけて置くことが必要なのである。

そうすることによって衝突する汽車電車自動車などには
何となく自然に乗らなくなるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P45~46) より

           <感謝合掌 平成30年2月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2018/02/17 (Sat) 03:12:10


《17日 内に宿る神秘な力》

人のうちには神秘な不思議な能力が宿っているのである。

それを多少開発し得ている人と、殆ど全く開発し得ていない人とがあるけれども、
兎も角、それを開発し得ている人の能力を観察するならば、
それは、脳髄や感覚器官による知識などとは全然異なる如き、
そしてそれを超越する如きはたらきを成し得るのである。


神想観を充分実修するとき、何人もその神秘なる能力を開発し得るのであり、
その神秘の能力には色々の種類があり、最高なるものは実相の直感的把握であり
(これを仏教では”般若の智慧”を得ると称するのである)

そのほか声の形で霊示を受けるものや、霊視の形で霊示を受けるものなど
色々にあるのであるが、そのような心霊現象的な神秘的能力ではなくして、

日常生活中に、自然に催す常識的判断の中に神秘なる智慧があらわれ、
自分がしようと思うことが悉く急所にあたって、功を奏する如き、
日常生活中の智慧となってあらわれて来るに至るのであるが、
それが最も好ましき実例である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P46~47) より

           <感謝合掌 平成30年2月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2018/02/18 (Sun) 03:39:36


《18日 生命の本質 ―― 智慧》

生命の本質は”活力”であると同時に”智慧”である。
智慧のよって、混沌を支配し、それを或る目的に向かって
秩序立てて行くところに「生体」を生ずるのである。
(谷口雅春選集第三巻『生命の謎』参照)


智慧とは「或る秩序を想う力」ということである。
智慧の本質は想念である。

混沌の名前を、物理学ではエーテルと称し、エーテルそのままでは
混沌であって何ものをも生じないのである。

混沌が破れて陰陽の秩序が生じ、
秩序に従ってそれが結合するとき万物を生ずるのである。
秩序なしに物質の存在はあり得ないのである。

即ち物質は智慧のあらわれであって、心のない無機物としての物質は、
ただ概念としてのみ存在であって、そんなものは実はひとつもないのである。

本当の物質は「心のない無機物としての物質」ではなく、
「智慧のあらわれとしての秩序」である。

「智慧のあらわれとしての《秩序》」を吾々人間は最高度に発揮して
人類の文化を建設しているのである。

”自由”と称して”秩序”を破壊するものは、
人類文化の進歩に逆行するものであって、
逆に人類を野蛮状態に推し戻すものである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P47~48) より

           <感謝合掌 平成30年2月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2018/02/19 (Mon) 03:15:08


《19日 我に勇気あり》

スウェーデンの諺にこんなのがある。

「少なく恐れ、多く希望し、少なく食し多く咀嚼し、
少なく溜息し多く伸び伸びと息を吸い、少なく駄弁し多く真理を語り、
少なく憎み多く愛せよ。然らば凡ゆる善きものはあなたのものとなる」と。


さて少なく恐怖するためには如何にすべきであろうか。
「少なく恐怖する」とはそれを裏返して言えば
「勇気がある」とか「勇敢になる」とかいう意味である。

勇気があり、勇敢になるためには如何になすべきか。

すべて念ずることは実現することになるのである。

勇気を欲する者は、既に、「自分には勇気がある」と念ずるがよい。
毎日毎日「自分は神の子であるから勇気がある、勇敢である」と念じて、
「勇気を既に自分は受けているのだ」と念ずるがよい。

その実行が繰り返されるとき
潜在意識に「我に勇気あり」の暗示が度(たび)重なって印象され、
本当に、勇気ある実相があらわれて来ることになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P48~49) より

           <感謝合掌 平成30年2月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2018/02/20 (Tue) 03:34:37


《20日 真に純粋な宗教》

この宗教でなければ人間の魂が救われないなどという宗教は、
一種の党派的根性を有する利己的集団としての性格をもっているのである。

その××教でなければ救われないのだったら、
その宗教が出現するまでの人類の魂は永遠に救われないことになるのである。

神様はそのような杜漏(ずろう)な、頼りない、
抜け目だらけな方であるはずはないのである。


人間の魂が救われるのは、宗教の名称や、徒党的集団や本尊として形式的に
祀ってある物資の掛け軸によるのではなく、「真理」によるのである。

真理は“××教“と称するような宗教、集団、教団などの出現した其の以前から、
始めなき太初(はじめ)から、久遠に存在するのであるから、
人類は、どんな宗教の発生する以前からも救われていたのである。

その「真理」を純粋に説くのが生長の家である。
生長の家くらい純粋に真理を説く宗教は他にないのである。

○○○○が生長の家の悪口(あっこう)を言う材料に常に使っているのは、
「生長の家は色々の宗教の良い所をとってミックスしたのであって、純粋でない。
○○○○は日蓮上人だけの教えを純粋に説くのだから純粋だ。
そんな色々の宗教の寄せ集めとは違うのだ」という言い方である。

併し、日蓮は末法に相応(ふさわ)しい教えを説いたのであって、
あらゆる時間に通ずる純粋な真理ではないのであって、
「末法」という「時」の《要素が混入》しているのである。

それだけ時代迎合であって純粋ではないのである。

本当に純粋なる真理は時間空間を超えて
何時でも何処でも何人をも救う真理が純粋なのである。
生長の家こそ本当に純粋の真理を説く宗教なのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P49~50) より

           <感謝合掌 平成30年2月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2018/02/21 (Wed) 03:27:05


《21日 諸教の純粋性のみを抽出する》

生長の家の聖典に、

釈尊はこう宣(い)われた。
親鸞はこのように説いた。
天理教祖は斯う云った。
イエス斯うして病気を癒した

などと色々の事例を引用してあるから、

それは色々混ぜ合わせのミックス教だと誤解たり、
殊更に誹謗(ひぼう)したりする人があるけれども、
教説を色々の宗教の教祖の言葉からもって来るのは、

それら世を照らす燈台たるべき宗教が、各々の教祖の教えから脱線して、
恰(あたか)も燈が消え、又は消えかかった状態になっていて
救済力が無くなっているから、それに燈を点ずるためであって、
決してそれらを混合(ミックス)して合成するためではないのである。

雨後の筍のように生じては消えるものは別として、数百年も続いて信仰の消えない宗教には、
どの宗教にも立派な人間救済の真理が宿っているのであるけれども、
発祥の時代の風俗・習慣・常識等の混合物が夾雑(きょうざつ)しており、
その混合物は純粋でないから、時代の移り変わりにつれて錆びて来て
光を発しなくなっているのである。

それで時代的な夾雑物をとり去り、教祖の教えのうち純粋なる部分のみを
抽出することに成功したのが生長の家なのである。

 
さて各宗の人間救済の真理の純分を抽出してみると、
どの宗教も、同一の「真理」に帰一することが判ったのである。

”万教帰一同一真理“とはこの事であって、
その純粋なる真理のみを純粋に生長の家は説くのである。

各宗の真理の寄せ集めのように見えるのは、
佐渡の金山からも、足尾の銅山からも、北海道の鴻之舞の金鉱からも
その鉱石を取り寄せて、それから金の純分を抽出するようなものである。

そしてどの鉱山から採掘した鉱石にも同一の金の純分があるのを抽出し、
その純粋の”黄金の真理“を人々に与えて人々を現世的にも幸福にし、
その霊魂を救うのである。

素材として鉱石を諸方から取り寄せたからとて、
それはミックスするのではなく真理の純分を抽出するためであって、
生長の家くらい純粋に真理を説く宗教はないのである。

而(しか)も祖先伝来の他の宗教そのままでいて
真理の純分が得られるようにしてあげるので、少しも我利的党派根性のない
純粋無我の宗教が生長の家なのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P50~51) より

           <感謝合掌 平成30年2月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2018/02/22 (Thu) 03:09:26


《22日 「真理は汝を自由ならしめん」》

諸経の真髄であり、純粋の真理であるところの生長の家の説く真理は、
それが純粋であるだけ、真にそれを信じ、信によって、その真理を本当に
魂の中に服用すれば効果覿面(てきめん)であって、病気を含めて
一切の苦悩困難悉く解決しない事はないのである。

「真理は汝を自由ならしめん」である。


宗教というものは人間を一切の迷妄から解放し、解脱を得せしめ、
一切の不安恐怖憂苦から自由を得せしめるのである。

「人間は神の子である。完全である」 という真理を、暇あらば常に心に唱えよ。

真理は非真理よりも無限に強力なのである。

やがて、”神の子”らsからざる一切の不幸、病気、災難等は、
それを唱えるすべての人々から姿を消すに相違ないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P52) より

           <感謝合掌 平成30年2月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2018/02/23 (Fri) 04:05:22


《23日 過去の不幸を駆逐せよ》

「人間・神の子」の実相のみが実在であるから、
その他の一切の悪しきものは非存在なのである。

過去に犯した罪も存在しないし、過去に不快だった出来事も結局非存在であって、
一時(じ)、雲があらわれたが、今はその雲は消えて
それを再現しようと思っても再現出来ないようなものである。

されば、過去にあった一切の不幸を、一切の不快な出来事を、心の世界から駆逐せよ。

そのとき、あなたを不幸の世界に引き戻そうとしていた”心の綱”が消えてしまって、
ただ幸福の世界にのみ前進することができるようになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P52~53) より

           <感謝合掌 平成30年2月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2018/02/24 (Sat) 03:50:43


《24日 運命は心の展開》
     
何人(なんぴと)も幸福を求め、裕(ゆた)かさを求め、
健康を求めているけれども、それが得られないのは、
反対の方向にむかってそれを求めているからである。

人間の幸福を、或る特定の物質とか、ある特定の位置とか、
或る特定の場所とかが与えるものだと考えるならば、
それは本当に幸福が存在しない場所にそれを求めている事になるのである。


人間の運命というものは、自分の心の展開であるから、
自分の心を調えることが先ず第一であり、
自分の心に実相の完全さを常に観ずるようにしていると、

自然に現象界に於いて、内から催して来る自他の動きが、
実相の完全さを現象化するように展開して来て、
幸福・繁栄・健康等(など)が得られて来るようになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P53) より

           <感謝合掌 平成30年2月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2018/02/25 (Sun) 03:41:43


《25日 「今」を充分に生きる》

家族と倶にあるときには、充分その愛情を表現し交換し愉快に談笑するがよい。
その「今」の生活を、過去や未来の妄想予想などで汚してはならないのである。

「今」を充分に生き、「今」を充分に愉(たの)しく生活し、
その愉(たの)しさの来(きた)る根元なる神に対して感謝するがよい。


仕事をするときには、其の「今」を純一無雑に仕事に集中して、
神が「今」この仕事を為さしめ給うのであると観じ、

「われ今神と偕(とも)にこそ仕事を為す」 と信じ、

その如く念じながら感謝して、仕事を為すがよい。

過ぎ去りたるものを嘆くことなく、来たらんとするものを憂えることなく
「今」をよろこび感謝して生きるとき、その人の生活は常に幸福であるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P54) より

           <感謝合掌 平成30年2月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2018/02/26 (Mon) 03:23:05


《26日 敵 は な い 》     

すべての人間は皆、神の子であり、
同じように神性・仏性が宿っているのであるから、
本心に於いて悪い人などは決して無いのである。

決して本心に於いてあなたを害する人はないのである、
決して本心に於いてあなたに敵意をもっている人はないのである。

各々の立場に於いて各人は互いに自己を主張していて、
時としてその主張が衝突し、互いに昂奮して傷つけ合うことが
あるように見えることがあるにしても、

実相に於いては、一体の生命(せいめい)であるから、
昂奮して悪しざまに言い合う事を止(や)め、

静かに坐して相手の実相が自分と共に”神の子“であり、
互いに調和していることを念ずるならば、
やがて、本来一体なる実相の生命があらわれ、
現実世界に於いても調和し得るようになるのである。


「汝の敵のために祈れ」とイエスは教えたが、
その本当の意味は汝の敵のように見えている者も、本当は敵でないから、
その敵でないところの「実相」を念じてやれという意味である。

これが本当に「愛する」という意味である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P54~55) より

           <感謝合掌 平成30年2月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2018/02/27 (Tue) 03:33:57


《27日 心のテレビ 》 

あなたはどんな職業につこうとも、何処の任地に赴(おもむ)こうとも、
また誰と結婚することになろうとも、取越し苦労も心配も要らぬのである。

何故(なぜ)なら何処へあなたが行こうとも其処はやはり神の領土であり、
神の在(い)まさないところはなく、常に神が護っていられるからである。

汽車にのっても、自動車にのっても、船で旅しても、飛行機で旅をしても、
常に神はあなたと共にあるのである。

それを自覚するがよい。
それを憶(おも)い出すがよい。

神を自覚すること、神を憶(おも)い出すことは、
”心のテレビ”のチャンネルを神の方へ振り向けることになるのである。
其処に神の護りがあらわれ、何時、何処へ行っても安全なのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第2篇( P55~56) より

           <感謝合掌 平成30年2月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2018/02/28 (Wed) 04:13:48

《28日 繁栄の本源 》 

あなたが繁栄を欲するならば、繁栄の源泉に向かってあなたの”心のテレビ”の
波長を合わさなければならないのである。

一切の供給の本源は神であるから、繁栄の本源もまた神であること無論である。
だから神に対して、あなたの”心のテレビ”を振り向けて波長を合わす事が
必要なのである。

それには、一日のうち幾度も幾度も、神想観して、

「神はわが生みの父母(ちちはは)であるから、
必ず自分にとって必要なものは与えたまうのである。
既に与えていられるのである」

と念ずるがよいのである。

念ずることが、念ずる相手に対して波長を合わしていることになるのである。

あなたは、決して現実の乏しさや、条件の苛辣(からつ)さを見て恐怖し、
神の恵みに対して自己限定をしてはならないのである。

自分に適する職業を得ようと思ったら、

「神から其の職業は既に与えられている」

と繰り返し繰り返し念ずると共に、
今までの職業に対して感謝の念をしっかり起すことであり、

唯今、失業しているならば、賃金のない仕事でも、
眼の前にある何らかの仕事で、人の《ため》になりそうな事であれば、
道路の掃除でも、窓硝子拭きでも、

「ありがとうございます、既に職業を与えて下さりましてありがとうございます」

と口の内(うち)で感謝の言葉を唱えながら、献労するとき、
間もなく、好収入のある自分に適する仕事があらわれて来るものである。

 ―― それは、凡ゆる供給の本源なる「神」に波長を合わした事になるからである。



谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇( P56~57) より

・・・

ひかりの一日一言《29日》

《29日 生かす力・癒す力 》 

宇宙全体は神の”大生命”の海原であるのである。

一切の生命体を「無」の世界から生み出したところの「生かす力」「生み出す力」
「生理作用を整える力」が宇宙全体に充ち満ちているのである。
その力が「病める者」を癒す力としてはたらくのである。

すべての人間は、この万物を生かし、すべての病を癒す”無限の力”に取り囲まれ、
とり繞(ま)かれているのである。

病気を癒されたいと思う人は、この”無限の力”に波長を合わせばよいのである。
神想観して次のように念ずるがよい。

「宇宙には神の癒す力が無限に充ち満ちているのである。
私は今この神の癒す力に対して心を振り向け波長を合わすのである。

神の無限の癒す力、今滔々と自分に流れ入り、一切の暗い考え、心配、取越苦労などを
一掃し、生き生きとした生命力をもって全身の全器官全組織を満たし、
全身を賦活して健やかならしめ給いつつあるのである。

刻々瞬々、私の全身の細胞は活力を得、若返り、一層健やかになりつつあるのである。

この神想観を終りたる後(のち)も、常に間断なく、大生命の癒しの力が
休みなく私に流れ入って、最早や病の存在する余地を与えないのである。
神の護りに感謝いたします。」


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第2篇( P57~58) より

           <感謝合掌 平成30年2月28日 頓首再拝>


・・・

<参考Web>

(1)ひかりの一日一言①
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552 

(2)ひかりの一日一言②
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787

(3)ひかりの一日一言③
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650

(4)ひかりの一日一言④
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684

(5)ひかりの一日一言⑤
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6558249

(6)ひかりの一日一言⑥
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584563

(7)ひかりの一日一言⑦
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774

(8)ひかりの一日一言⑧
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661

(9)ひかりの一日一言⑨
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6681257

(10)ひかりの一日一言⑩
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711243

(11)ひかりの一日一言⑪
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6745089

(12)ひかりの一日一言⑫
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6778844


<以下は、「幸福を招く365章」より」>

(13)ひかりの一日一言⑬~幸・不幸の岐れ道
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818439

(14)ひかりの一日一言⑭~意識を高く昇らせよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866429

(15)ひかりの一日一言⑮~理想を高く掲げよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754

(16)ひかりの一日一言⑯~心霊への目覚め
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6929870

(17)ひかりの一日一言⑰~健康への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6962847

(18)ひかりの一日一言⑱~寿福への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6990572

(19)ひかりの一日一言⑲~愛を人生に処方して
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7021791

(20)ひかりの一日一言⑳~祈りを生活に処方して 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7058416

(21)ひかりの一日一言21~あなたも神癒が受けられる 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7097406

(22)ひかりの一日一言22~光に向う我が運命 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7149847

(23)ひかりの一日一言23~正しき想念の使い方 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7190605

(24)ひかりの一日一言24~われ肉体以上のもの
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7274701


<以下は、「生活の智慧365章」より」>

(25)ひかりの一日一言25~幸福はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235

(26)ひかりの一日一言26~悦びはどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7557795

(27)ひかりの一日一言27~智慧はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7575483

(28)ひかりの一日一言28~無限の供給を受ける道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7590764

(29)ひかりの一日一言29~失敗から立ち上がる道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7606832

(30)ひかりの一日一言30~豊かさを得る道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7630690

(31)ひかりの一日一言31~肉体の苦痛はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7645085

(32)ひかりの一日一言32~治癒する力はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7658207

(33)ひかりの一日一言33~若さと元気はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7669112

(34)ひかりの一日一言34~〝神〟を生活の中に生きるには
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7686486

光明日訓(平成28年版)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538248

Re: ひかりの一日一言35~自己の本質を知るには - rhwlcoivMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:51:18

伝統板・第二
rhwlcoiv http://www.gh47hz3mt0h6o7838p0i21up7di38tn2s.org/
<a href="http://www.gh47hz3mt0h6o7838p0i21up7di38tn2s.org/">arhwlcoiv</a>
[url=http://www.gh47hz3mt0h6o7838p0i21up7di38tn2s.org/]urhwlcoiv[/url]

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.