伝統板・第二
追悼~”平賀玄米 さま” - 夕刻版
2018/01/31 (Wed) 17:28:51
今朝、《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》にて、
”平賀玄米 さま”の訃報の掲示を目にし、ショックを受けました。
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2055
前日まで投稿されており、次回の投稿があるものだと
楽しみにしておりましたので、最初は、信じられませんでした。
掲示板を通して、幾多の”平賀玄米 さま”より
励ましをいただいたことが脳裏を駆け巡りました。
【 謹んで、”平賀玄米 さま”のご冥福をお祈り申し上げます。】
これからは、肉の身を脱し、本来の魂の故郷へお戻りになられましたので、
より自由な霊の身でのご活躍を切にお願いしさらに熱望いたしております。
このスレッドでは、”平賀玄米 さま”ご投稿記事を、
先代の掲示板等から拾ってまいりたいと思っております。
光明掲示板・第一 より
(1)報恩難 (9951)
日時:2013年07月19日 (金) 16時48分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=1900
(2)税所敦子 刀自(さいしょあつこ とじ)の孝心 (10079)
日時:2013年07月23日 (火) 10時33分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=1927
(3)<お盆のはなし> 橋本 徹馬 師 (10180)
日時:2013年07月27日 (土) 13時29分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=1960
(4)<博愛仁慈の御心> 橋本 徹馬 師 (10197)
日時:2013年07月28日 (日) 06時32分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=1968
(5)<お釈迦さんの心> 橋本 徹馬 師 (10276)
日時:2013年07月31日 (水) 16時09分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=1991
(6)<恩を知って恩返しをすること> 橋本 徹馬 師 (10219)
日時:2013年07月29日 (月) 05時00分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=1972
(7)《人間誕生の神秘と荘厳》 (10342)
日時:2013年08月03日 (土) 07時03分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=2008
(谷口 雅春先生著『いのちの革命』より)
(8)<感謝と善行と希望> 橋本徹馬師 (10684)
日時:2013年08月18日 (日) 06時25分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=2084
(9)<非難を気にしない心> 橋本徹馬師 (10685)
日時:2013年08月18日 (日) 07時42分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=2085
(10)<明るい生活> 橋本徹馬師 (10718)
日時:2013年08月20日 (火) 08時43分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=2095
(11)<立場を替えて考える> 橋本徹馬師 (10722)
日時:2013年08月20日 (火) 12時56分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=2097
(12)<夫に信仰心のない場合> 橋本徹馬師 (10704)
日時:2013年08月19日 (月) 09時28分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=2091
<感謝合掌 平成30年1月31日 頓首再拝>
光明掲示板・第二 より - 伝統
2018/02/01 (Thu) 17:59:13
(1)<耳順う> 橋本徹馬師 (165)
日時:2013年08月27日 (火) 20時57分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=72
(2)<素晴らしい人> 橋本徹馬師 (309)
日時:2013年09月02日 (月) 17時07分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=115
(3)<私が悪いと思えたら> 橋本徹馬師 (336)
日時:2013年09月03日 (火) 13時44分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=122
(4)<苦難を味方と思え> 橋本徹馬師 (370)
日時:2013年09月04日 (水) 17時15分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=134
(5)<過食をせぬこと> 橋本徹馬師 (403)
日時:2013年09月05日 (木) 15時24分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=140
(6)<被害者の反省> 橋本 徹馬 師 (795)
日時:2013年09月14日 (土) 23時27分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=215
(7)<謙遜の徳> 橋本徹馬師 (913)
日時:2013年09月17日 (火) 13時41分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=233
(8)<蝿(はえ)と蜘蛛(くも)> 橋本徹馬師 (995)
日時:2013年09月20日 (金) 07時55分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=250
(9)玄米のジョーク機関車 (1154)
日時:2013年09月25日 (水) 12時25分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=283
(10)玄米のジョーク機関車2 (1257)
日時:2013年09月28日 (土) 07時35分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=305
(11)<大いに笑いましょう> 橋本徹馬師 (1456)
日時:2013年10月03日 (木) 07時19分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=349
(12)<盗まれたカバン> 橋本徹馬師 (1522)
日時:2013年10月05日 (土) 11時13分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=362
(13)玄米のジョーク機関車3 (1461)
日時:2013年10月03日 (木) 10時26分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=352
(14)【人生の秘訣365章】“冬”人生の道 10・神の子としての力を出す道 (1385)
日時:2013年10月01日 (火) 07時44分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=332
(15)中仙堂様 『羨望のひとびと』について (2436)
日時:2013年11月04日 (月) 23時21分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=549
(16)【人生の秘訣365章】“冬”人生の道 11・大宇宙に満つる癒力 (2354)
日時:2013年11月01日 (金) 11時30分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=535
(17)<橋本徹馬先生 ご講話(抄)> (1765)
日時:2013年10月11日 (金) 16時16分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=408
(18)<ジョーク機関車> (1726)
日時:2013年10月10日 (木) 14時00分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=393
(19)谷口雅春先生著【ひかりの語録】より <光明の国> (4797)
日時:2014年01月21日 (火) 22時46分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1004
(20)紫雲荘 橋本徹馬先生著 『信仰百話』より (6160)
日時:2014年03月05日 (水) 10時22分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1258
(21)ジョーク機関車①② (6335)
日時:2014年03月09日 (日) 21時39分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1291
(22)<一人の生命は地球より重い> 紫雲荘 橋本徹馬先生 (9372)
日時:2014年06月23日 (月) 16時48分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1825
(23)玄米のジョーク機関車 (9524)
日時:2014年06月29日 (日) 07時15分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1854
(24)玄米のジョーク機関車 ♪どんぐりころころ (9795)
日時:2014年07月06日 (日) 11時14分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1900
(25)<生命の法則を真理という> 橋本徹馬先生 (10029)
日時:2014年07月13日 (日) 16時45分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1937
(26)玄米のジョーク機関車 小銭入れ (10069)
日時:2014年07月14日 (月) 16時06分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1942
(27)あまりの嬉しさに (10159)
日時:2014年07月17日 (木) 07時06分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1959
(28)玄米のジョーク機関車 ツバメの子 (10337)
日時:2014年07月22日 (火) 11時04分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1984
(29)これぞ正当な発言 (10264)
日時:2014年07月20日 (日) 10時00分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1975
(30)<彼は如何にして病気を癒したか>「健全の真理」生活応用篇より後編
光明真理の実践 ーー斯くして祈りがきかれるーー (10521)
日時:2014年07月28日 (月) 12時19分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=2018
(31)<第十四章 大いなる祈りの力>
光明真理の実践 ーー斯くして祈りがきかれるーー (11102)
日時:2014年08月14日 (木) 07時02分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=2116
(32)<メンタル・サイエンス奥儀>「健全の真理」生活応用篇より (10519)
日時:2014年07月28日 (月) 12時07分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=2017
(33)<第十五章 神への全托の祈り>
光明真理の実践 ーー斯くして祈りがきかれるーー (11390)
日時:2014年08月22日 (金) 07時56分 名前:平賀玄米
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=2171
<感謝合掌 平成30年2月1日 頓首再拝>
光明掲示板・第三 より - 伝統
2018/02/02 (Fri) 20:10:27
(1)玄米のジョーク機関車 楽勝問題を二題 (157)
日時:2014年09月07日 (日) 06時42分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=67
(2)<第十六章 愛はすべてを癒す>
光明真理の実践---斯くして祈りがきかれる--- (33)
日時:2014年09月01日 (月) 06時59分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=18
(3)紫雲荘 橋本徹馬先生巻頭言より (499)
日時:2014年09月19日 (金) 07時05分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=125
(4)<第十七章 住宅問題の解決>
光明真理の実践---斯くして祈りがきかれる--- (277)
日時:2014年09月11日 (木) 07時16分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=94
(5)玄米のジョーク機関車 間違い電話 (500)
日時:2014年09月19日 (金) 10時01分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=126
(6)玄米のジョーク機関車 思わず笑ってしまった話 (625)
日時:2014年09月25日 (木) 07時13分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=149
(7)<第十八章 奇跡はかくて実現せり>
光明真理の実践---斯くして祈りがきかれる--- (531)
日時:2014年09月21日 (日) 07時44分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=131
(8)紫雲荘・橋本徹馬先生 <日本国民としての自覚> (1146)
日時:2014年10月17日 (金) 07時21分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=239
(9)傳記 二宮尊徳 ① (1293)
日時:2014年10月25日 (土) 07時18分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=264
(10)紫雲荘・橋本徹馬先生 <神仏におまかせ出来る人> (1854)
日時:2014年11月21日 (金) 07時49分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=366
(11)傳記 二宮尊徳 ② (1705)
日時:2014年11月15日 (土) 06時19分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=341
(12)同志を得る (2623)
日時:2015年01月01日 (木) 06時50分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=516
(13)わが家は喜びの庭 (2646)
日時:2015年01月02日 (金) 12時24分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=521
(14)<万物万人大繁栄の日> 橋本徹馬先生 (2658)
日時:2015年01月03日 (土) 07時47分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=523
(15)<ジョーク機関車が行く> (945)
日時:2014年10月10日 (金) 07時35分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=198
(16)傳記 二宮尊徳 ③ 完 (2424)
日時:2014年12月20日 (土) 08時45分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=483
(17)傳記 二宮尊徳 あとがき (完) (2826)
日時:2015年01月15日 (木) 11時42分 名前:平賀玄米
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou3/&mode=res&log=546
<感謝合掌 平成30年2月2日 頓首再拝>
《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》より① - 伝統
2018/02/03 (Sat) 18:40:51
(1)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十六章「あなたは本来罪がない」
日時:2016年01月01日 (金) 07時35分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=8
(2)全ては想念の具象化 (134)
日時:2016年01月13日 (水) 10時53分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=52
(3)<想念は創造する> (151)
日時:2016年01月14日 (木) 15時03分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=55
(4)<万物に神の祝福の声を聴け> (244)
日時:2016年01月22日 (金) 10時25分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=70
(5)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十七章「自縄自縛からの解放」
日時:2016年01月10日 (日) 07時41分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=41
(6)<想像力を駆使して善き事を実現せよ> (287)
日時:2016年01月27日 (水) 06時55分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=78
(7)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十八章「わが魂の願いと祈り」
日時:2016年01月27日 (水) 05時51分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=77
(8)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十九章「成功のための心理学」
日時:2016年02月05日 (金) 07時42分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=99
(9)<スミヨシノオオカミ> (511)
日時:2016年02月20日 (土) 14時04分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=127
(10)<既に無限供給の世界にあることを信ぜよ> (597)
日時:2016年03月01日 (火) 07時28分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=153
(11)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十章「繁栄を来たらすための信仰」
日時:2016年02月16日 (火) 07時33分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=113
(12)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの>
日時:2016年03月03日 (木) 07時57分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=159
(13)<3月27日 愛知県小牧市にて、前原 幸博先生・貢 正一先生講演会のお知らせ>
日時:2016年03月03日 (木) 16時30分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=164
(14)<3月27日 愛知県小牧市にて、前原 幸博先生・貢 正一先生講演会の結果報告>
日時:2016年03月28日 (月) 14時18分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=223
<感謝合掌 平成30年2月3日 頓首再拝>
《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》より② - 伝統
2018/02/04 (Sun) 19:53:48
(15)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入>
日時:2016年03月16日 (水) 14時11分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=199
(16)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十三章< 不景気に処する道>
日時:2016年03月30日 (水) 06時45分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=227
(17)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章
<クラーク教授の「神に近づく道」>
日時:2016年04月05日 (火) 06時57分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=235
(18)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十五章<家庭幸福の心理学>
日時:2016年04月23日 (土) 07時43分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=277
(19)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十六章<新生活への出発>
日時:2016年05月05日 (木) 20時26分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=292
(20)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十七章<表現と芸術美の世界>
日時:2016年05月14日 (土) 08時49分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=306
(21)尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十八章 <「老い」を超える>
日時:2016年05月26日 (木) 06時24分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=326
<感謝合掌 平成30年2月4日 頓首再拝>
《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》より③ - 伝統
2018/02/05 (Mon) 18:48:26
(22)尊師・谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>
人間救いの原理①
日時:2016年06月05日 (日) 07時41分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=353
(23) 尊師・谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>
( 人間救いの原理)② (2603)
日時:2016年07月04日 (月) 14時54分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=550
(24 尊師谷口雅春先生・谷口清超先生共著 <苦難と恐怖の克服法>
(人間救いの原理)③ (3647)
日時:2016年10月01日 (土) 07時25分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=807
(25)『谷口雅春先生を学ぶ会』愛知小牧・名古屋支部 大講演会のお知らせ(チラシ)
日時:2017年01月29日 (日) 15時27分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1128
(26)『神を親とする兄弟』紫雲荘 橋本徹馬先生 (4823)
日時:2017年02月06日 (月) 16時13分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1146
(27)『谷口雅春先生を学ぶ会』愛知小牧・名古屋支部 大講演会のお知らせ
日時:2017年01月14日 (土) 16時45分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1088
(28)『谷口雅春先生を学ぶ会』愛知小牧・名古屋支部 大講演会の結果報告
日時:2017年02月20日 (月) 16時31分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1193
<感謝合掌 平成30年2月5日 頓首再拝>
《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》より④ - 伝統
2018/02/06 (Tue) 19:38:04
(29)尊師谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>
(人間救いの原理)④ (4219)
日時:2016年12月18日 (日) 17時53分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=992
(30)尊師谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>
(人間救いの原理)⑤ (5347)
日時:2017年03月13日 (月) 16時44分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1265
(31)「谷口雅春先生を学ぶ会」副代表 前原幸博先生 有難うございます。 (6347)
日時:2017年05月18日 (木) 10時43分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1481
(32)<朗らかに笑って生きよ> (5747)
日時:2017年04月09日 (日) 21時32分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1357
(33)尊師谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>
(人間救いの原理)⑥ (6169)
日時:2017年05月07日 (日) 13時45分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1449
(34)尊師谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>
(人間救いの原理)⑦ (6711)
日時:2017年06月20日 (火) 10時39分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1553
(35)尊師谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>
(人間救いの原理)⑧ (7600)
日時:2017年09月14日 (木) 06時06分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1785
(36)尊師谷口雅春先生著『第二青年の書』 第一章~第三章 (8131)
日時:2017年11月11日 (土) 18時13分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1928
(37)<愛知 大眞理講演会>のお知らせ (8216)
日時:2017年11月25日 (土) 17時16分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1944
(38)愛知 大眞理講演会が目前となりました!! (8236)
日時:2017年11月29日 (水) 10時06分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1949
(39)12/3の 『愛知大眞理講演会』の結果報告 (8274)
日時:2017年12月04日 (月) 14時31分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1955
(40)尊師谷口雅春先生著『第二青年の書』 第四章~第六章 (8215)
日時:2017年11月25日 (土) 09時50分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1943
(41)尊師谷口雅春先生著『第二青年の書』 第十章~第十二章 (8699)
日時:2018年01月11日 (木) 16時39分 名前:平賀玄米
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2021
(第十一章 完了<平成30年1月29日>が最終投稿でした)
2018年01月30日に”光 さま”により、平賀玄米様のご昇天が報ぜられました。
”平賀玄米 さま”による多くの記事をいただきましたこと、
心より感謝の思いを、霊界へと届ければと、願っております。
”平賀玄米 さま” まことにありがとうございました。
なお、「谷口雅春先生に帰りましょう・第一」にも、
多くの”平賀玄米 さま”による記事がありましたが、
現在、アクセスできないのが、残念です。
<感謝合掌 平成30年2月6日 頓首再拝>
黒住教祖・黒住宗忠さんの話 - 伝統
2018/02/07 (Wed) 18:00:08
これから先は、「谷口雅春先生に帰りましょう・第一」での
”平賀玄米 さま”による記事をキャッシュ データ等 より
拾っていきたいと思います。
そのため、”平賀玄米 さま”による投稿時期が
相前後することがありますことをご了承願います。
また、読みやすくするために、
改行等の編集替えも行い、文字化けした部分は
原書にて確認し修正致しましたこともご了承願います。
・・・
橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/08/01 (Sat) 06:37:12
皆様有難うございます。
今日から早や八月、現在絶版となった尊師・雅春先生の
『善き人生の創造』を謹写投稿させて頂いておりますが、
今回から並行して、紫雲荘・橋本徹馬先生の御著『繁栄の書』より、第三十五章
黒住教祖―――黒住宗忠さんの話に限り、謹写投稿させて頂きます。
合掌。.
第三十五章 黒住教祖 ―――黒住宗忠さんの話
<幼年頃からの孝心深い話>
黒住宗忠さんは安永九年(1780年=200年以前)十一月、岡山県中野村に生まれた
(今は岡山市内である)。土地の今村宮の神官の子である。
幼年の頃から孝心深い人であったことが伝えられている。
七歳の時、雨上がりに戸外に遊びに出ようとした時、
父親はまだ雨上がりで道が乾いていないから、下駄を履いて行けと言われたので、
下駄を履いて出掛けようとしていると、外出先から帰って来られた母親が、
下駄は危ないから草履にせよと言われた。
父と母との言うことが違うのに困った幼年の宗忠さんは、
咄嗟に思案し、下駄と草履を片方ずつ履いて出掛けたが、
どうもうまく歩けず、結局転んで泣いて帰ったと伝えられている。
万事このような人であったから、「中野の孝子」と呼ばれていたという。
ここが幼少年にとって大事な点である。
幼少の時から親孝行な者は、その心に導かれて素直に順調に育ってゆくのである。
だから昔の偉人は、大抵幼少年の頃の孝行者である。
つづく。
<平成27年8月1日 謹写> ありがとうございます 合掌。
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/08/02 (Sun) 06:15:35
<鳥獣類の殺傷を不仁と見る>
十七歳の時、岡山藩主の猿や鹿の巻狩を見に行った宗忠さんは、
その日の行事がまだ半分も済まぬのに、帰ろうと言い出した。
友人が怪しんでその故を問うと、宗忠さんは「たとえ鳥獣であっても、
命を取られるのを見て楽しむのは、不仁だから帰る」と言われたという。
これも尊いお話であると思う。
人間は誰でも人の難儀を救い、獣類の命でも助けた時には、
誰に誉められずとも何となく嬉しい。
その反対に人を苦しめたり、獣類の命でも奪った時には、
誰に咎められずとも何となく不快であって、食事も進まないのが人情である。
これは宇宙の本性が善であり、人間の本性も善であるから、
誰に教えられずとも、このような良識は、先天的に万人に備わっているのである。
然し昔の将軍や藩主はよく狩猟を行った。
これは武道奨励のためであり、武士が脆弱にならぬ為であったとはいえ、
善いことではないと思う。
宗忠さんの十七歳の時の逸話に、このようなことがあるのは嬉しい。
毎年狩猟解禁を待ちかねて、鉄砲打ちを楽しんで出掛ける人があるが、
子孫の繁栄を考えるならば、本当はやめるのがよい。
つづく。
<平成27年8月2日 謹写> ありがとうございます 合掌。
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/08/03 (Mon) 06:10:52
<生きながら神になろうという志>
二十歳になって
「心に悪いと思うことを、絶対にせぬようにすれば、神となれるであろう」と
考え、事毎に厳しく反省して、悪いと思う事は、絶対にせぬようにしたという。
「誰でも悪い事を一切しないで、善い事だけをすれば、神になれるではないか」
と言われても、これは普通人の到底実行し得ることではない。
これを食べたら腹に悪いではないか、と思いながら、美食を過ごし、
身体に害があると知りながら、煙草が止められず、酒好きが節酒出来ぬこと
等々、悔い多き日を繰返すのが、普通人の常である。
されば聖人と言われた孔子でさえ「不善改まる能わず、これ吾が憂いなり」と言い、
漸く「七十にして、心の欲する所に従って矩(のり)を超えず」
というに至ったのである。
それを二十歳くらいで念願したのは、全く非凡の人と言わざるを得ない。
つづく。
<平成27年8月3日 謹写> ありがとうございます 合掌。
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/08/04 (Tue) 06:26:11
<父母を失い、悲嘆の余り病臥す>
宗忠さんは三十三歳の時の八月二十七日に母を失い、同九月五日に父を亡くした。
両親とも「痢病」(赤痢の類とのこと)であったといわれる。
孝心深い宗忠さんは、傷心の余り健康がすぐれなくなり、
翌年の秋から病床に臥すに至ったが、
更にその翌年の宗忠さん三十五歳の時には、
最早再起不能と思われる程の重態となり、医師にも見離されるに至った。
病名はその頃の労咳、今日で云う肺結核であったと言われている。
三年越しの病気で重態であった文化十一年正月に、宗忠さんはふと考えた。
自分は父母の死を悲しんで陰気になったために、大病になったのであるから、
心さえ陽気になれば、病気は治るはずと気づいた。
せめてあと幾日かの命の残っている間だけでも、陽気であろうと考えついた。
そうすると宗忠さんの病気は、その日から快方に向かいかけたというのであるから、
宗忠さんは科学的医学ではなく、私たちの云う生命の医学実行の先駆者
と云うべきであろう。
つづく。
<平成27年8月4日 謹写> ありがとうございます 合掌。
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/08/05 (Wed) 10:14:52
<黒住教でいう天命直授のこと>
同年三月十九日、陽気に心づいたお陰で、
病気も大いに快方に向っていた宗忠さんは、入浴して縁側に出て太陽を拝み、
それが転機となって、三年越しの病気が一時の全快したという。
然し黒住教で最も重要視するのは、
同年十一月十一日、旧暦冬至の朝のことである。
この朝宗忠さんが、一心不乱に太陽を拝んでいると、
太陽の陽気が、身心全体に満ち、肺腑に照り渡るような陽気、
一団の暖かい玉のような陽気を、まるごと呑み込んだ気がして、
何とも例えようのない、爽やかな良い気になったという。
これが黒住教でいう、宗忠さんの天命直授といわれるものである。
仏教流の言葉で云えば、宗忠さんはここで悟りを開き、
人間の眞生命の尊さを、体得せられたのであると思う。
本書の著者は三十九歳の夏、宮城県蔵王山中のスキー小屋で二週間断食した時、
天地(あめつち)のみ親たづぬる掟とて
けふよりわれは飯絶(いいた)ち祈る
と予め詠んで、悟りを開こうとしたのであったが、
二週間の断食が済んでも、一向に悟りが開けず、神の存在も分らなかった。
捕食に入って五日目の晩、今度の断食で、何の収穫もなかったのに落胆し、
泣きながら寝入った数時間後に、ムクムクと泉の水が湧く時のような、衝動を
感じて躍ね起き「分った」と叫んだことは、私の「神人一体の自覚」に書いてあるが、
その後の宗忠さんの行動から見ると、宗忠さんの天命直授の体験は、
私のその時の体験などより、余程深いものであったに違いないと思われるのである。
つづく。
<平成27年8月5日 謹写> ありがとうございます 合掌。
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/08/06 (Thu) 06:04:06
<天照大神は宇宙の創造神の日本名>
その後の宗忠さんは、五社参りや、千日の神社参籠その他の修行によって、
益々心境が進まれ、われ即神、神即われの信仰に徹せられ、
その見地から世の多くの人の難を解き、人の病気を治し、
人の命を救う事数知らず、その他無数の善事を重ねられたことは、
多くの文献に出ている。
そうして宗忠さんは、宇宙の創造神、永遠に生きて、
この宇宙の万象を主宰統一されている、宇宙創造神の神とは、
天照大神(創造神の日本名)の御ことであると信じていられたが、
筆者もその説に同感である。
宮中の賢所に奉祀してあるのも天照大神であり、
伊勢内宮さんも天照大神をお祀りしているのである。
宗忠さんの多くのお歌のことは、後に掲げるが、
そのお歌の一つに
天照らす神の御徳は天地に
満ちて欠けなき恵みなるかな
というのがある。
誠に詠み得て至妙なりというべしである。
次ぎには
天照らす神と人とは隔てなく
すぐに神ぞと思う嬉しさ
とあり。
また
天照らす神のみ心人心
一つになれば生き通しなり
ともある。
これらのお歌によって、宗忠さんの御心境のほどが、想像されるというものであろう。
つづく。
<平成27年8月6日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/08/07 (Fri) 06:45:54
<著者を仰天、息を呑ましめたお歌>
今一つ、著者が仰天、息を呑んだお歌がある。
月は入り日はいま出づるあけぼのに
われこそ道の初めなりけり
というお歌がそれである。
これは哲学も宗教も一呑みにしたお歌であって、
その心境に至らない者が詠めば、神罰の当たる歌であると考える。
これが宗忠さんのお歌であることを、何かの書物で見た時、
私は仰天して息を呑んだものである。
ところがその後の調べでは、この歌には前歴がある。
先ず弘法大師のお歌に
あかつきはまだはるかなり高野山
かすかに照らす法のともし火 というのがあり、
次いで西国第二十七番書写山の性空上人のお歌に
月は入り日はまだ出でぬたそがれに
かかげてともせ法のともしび というのがあり、
更に日蓮上人のお歌には
月は入り日はまだ出でぬあけぼのに
われこそ道のしるべなりけり と詠まれたのがある。
宗忠さんは、それら先人のお歌をご存知の上で、
「昔尊き人のみ歌に感じ奉り、予が今の心をよめる」と題して、
そのお歌を詠まれたということである。
それにしても われこそ道の初めなりけり
と断言せられたのは、余程のご信念であると思う。
日蓮上人は法華経の行者としての御自分を
「仏勅をうけた日蓮」と考えていたようであるが、
私は神人一体の境地を知った者は、誰でも神勅を受けた者であると言って、
差支えないと思うが「われこそ道の初めなり」とは詠み得ない。
大変なご心境であると察せられるのである。
つづく。
<平成27年8月7日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/02 (Wed) 11:38:10
皆様 有難うございます。
小生一身上の都合により、パソコンを離れておりましたが、
今日9月2日からまた謹写、投稿を再開させて頂きますので、
よろしくお願い致します。
合掌再拝。
・・・
<祈祷師の迫害に遭われた時のこと>
宗忠さんの病気治しその他の教化が、盛んになるにつれて、
多くの信者を奪われた医者や祈祷師などの反感が強くなった。
或る日祈祷師の一人が来訪して、宗忠さんを散々にけなしつけたが、
宗忠さんは手を膝において、「ハイ、ハイ」といって聞くので、
思いのままに言った祈祷師は、勝ち誇った様子で帰って行った。
隣室で聞いていられた宗忠夫人が出て来られて
「あんなに言われても、一言も言い返せないのですか」と口惜しがられると、
宗忠さんは、勝ち誇った様子で帰りつつある、祈祷師の後姿を指し
「あれを見よ、わしが何か言い返したら、あんな気持ちでは帰られぬであろう」
と言われたということである。
抗弁せぬのが敗けたのではない。
他人に悪口など、いくら言われても、腹が立たぬ
ご心境が整っていられたのである。
つづく。
<平成27年9月2日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/03 (Thu) 06:43:42
<お歌所に仕える歌人の来訪>
或る日また京都御所の、お歌所に仕えている歌人が来訪された。
この方は宗忠さんが迷信をもって、世人を惑わしていると信じ、
自分が行って戒めてやろうと考えて、来訪されたのであった。
そうして自分がお歌所に仕える歌人であると告げた上で、
「そなたも歌を詠むそうであるが、この場で是非一首詠んで聞かせよ」
といわれた。
宗忠さんは恐縮して
「とてもそういうエライお方の前で、歌など読める身ではありません」と
頻りに辞退したが、先方は腹に一物があるのだから、絶対に承知をしない。
是非に詠めと強要した。
そこで宗忠さんは、それではというので、左の如き歌を詠まれた。
敷島の道明らけく行く君は
この世のはてをさぞや知るらん
と詠んで差し出すと、暫くそのお歌を見ていたその歌人は閉口し
「これは驚き入ったお歌である。かような歌は、とても凡人の詠めるものではない。
実は色々とそなたの悪評を聞いたから、たしなめるつもりで来訪したのであったが、
どうしてどうして驚き入ったことでござる」と言って、辞去されたという。
つづく。
<平成27年9月3日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/04 (Fri) 07:18:11
<再三放火もされたが>
宗忠さんの教えが盛んになるにつれて、
その盛大さを憎む者や、妬む者が多くなったことは前にも述べたが、そ
のため再三放火もされたという。
幸いにいつも大事に至らなかったが、宗忠さんは非常にその人を憐れんだ。
なぜなら当時の掟では、放火は火刑(火あぶりの刑)に処せられることに
なっていたからであった。
宗忠さんは犯人の投げ込んだたいまつの燃えさしを洗い清め、
七日間犯人のために祈っていると、犯人が宗忠さんの前に自首して出て、
門人の一人になったということである。
<取り返しもつかぬ大失態とは>
或る日、宗忠さんが講話に行かれる時、
洪水の後で橋桁のゆるんでいる橋を通られる際、
胸を驚かしたのを大変な失態と考え、
講演の初めに
「今日はこちらへ参る途中で、取り返しもつかぬ失態を仕出かしました」
と言われるから、聴衆は何事であるかと思っているると、右の如く
橋を渡る時、橋桁がゆるんでいたので、ビクついたということであった。
普通の人ならビクつくのが当然で、ビクつかねば不思議なのであるが、
宗忠さんは「ご分心を傷ましめるなかれという、予ての考えに反し」
取り返しもつかぬ失態を演じたと、反省懺悔されたのである。
つづく。
<平成27年9月4日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/05 (Sat) 05:49:04
<阿呆(あほう)になる修行に努められた>
晩年の宗忠さんは、頻りに阿呆になる修行をされたという。
或る人相見が宗忠さんを相して後、宗忠さんの門人の一人に対し
「気の毒だが、阿呆の人相だ」といったそうである。
信者が驚いて、宗忠さんにそのことを告げると、宗忠さんは大いに喜ばれ
「そうか、平生阿呆になろうなろうと考えて来たが、
人相見が見ても、阿呆に見えるようになったか」
といって喜ばれたということである。
一体世間には利口な人が多すぎる。
各種の犯罪者を見るに、皆なかなかの知恵者である。
悪事をしながら罪にならぬように、色々と考えているのが分る。
実際それでその時だけは罪を免れる人も多いのであるが、
そういうことは、正直者に出来る事ではない。
そういう利口な人が多いからこそ、世の中が乱れ、
疑獄事件その他の犯罪が、後を絶たぬのではないか。
<この世をこのまま神代と見る>
宗忠さんのお歌の一つに
神代とは遠き昔のことならで
いまを神代と知る人ぞ神
というのがあり、
また むかしより今にかわらぬ世の中を
心からして末と思うぞ
さらに 天照す神と人とはへだてなく
すぐに神ぞと思う嬉しさ
というのがある。
宗忠さんからご覧になれば、
すべての人間は神の御分身(ご分心)即ち神である。
万人がその自覚を持てば、この世はすぐに神代となる。
ご自分が神であれば、人と争うこともなく、人を憎むこともなく、
不平不満を持つこともなく、お互いに尊敬し合って助け合うから、
この世はこのまま楽園となる。
昔も今もその点に変りはない。
それを末世のように思うのは、
神の御分身としての自覚を、失っているからである、
というのであろう。
つづく。
<平成27年9月5日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/06 (Sun) 06:57:12
<病気の治るのを不思議と思うな>
宗忠さんは治病のことについて、左の如くにいっていられる。
「病気の治るのは、いろはのいの字の片爪を打つよりも、なお見やすい。
考えて見るに、元来この身体は、一物なき無中から現れて来たものゆえ、
その不可思議な働きからおしていえば、病くらいなものが、
その場で治ったからとて、不思議に思うのは、重々迷いと言わねばなりません。
本来姿なきが活物ともうして、人間の本体でござるのに、
人々は取り違えをして、いつ消えてなくなるかも分らないこの体をば、
生きものと思いたがる癖がある故、神仏など死物と考え、只々影にも等しい
この身体の命のみ惜しがって、本体の姿なき心の生きものを殺しているが、
誠に気の毒と申す外はない。
影の命にとらわれて、姿なき心を養うことを知らぬというは、
誠に本末軽重をわきまえぬ、迷いと申すものでございます」
といっていられる。
つまり諸病は治るにきまっているのであるから、治るに不思議はない。
治らなかったら不思議なのであると見る点、筆者の生命の医学と同じであり、
二百余年以前の先駆者である。
つづく。
<平成27年9月6日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/07 (Mon) 05:46:48
<宗忠さんの癩病患者治しのこと>
この事に就いては、以前に紫雲誌上に書いたことがあるが、今一度書いておきたい。
それは宗忠さんのところへ、癩病患者が来訪した時のことである。
宗忠さんはその患者の身体のウミ汁の出ている処を、片はしから潰していった。
ウミ汁が一杯ついている手でご自分の顔をなでたから、
宗忠さんの顔はウミだらけになったけれども、
宗忠さんには伝染しないで、その患者は七日ごに治ったという。
宗忠さんは気の毒でたまらぬので、
ウミのつくのも何も忘れていたといったそうである。
癩病は伝染するといわれるが、その因果のない者には、
肺病などと同様に伝染はしないのである。
今一人の癩病患者には、これから一週間毎日「有難うございます」と、
百遍ずつ唱えよと教えた。
一週間後にその患者が来ると、今度は一日に千遍ずつ、
「有難うございます」と唱えよと教え、
次の一週間は毎日一万遍ずつ、「有難うございます」と唱えよと教えた。
その最後の一週間が済むと、その患者は大変な発熱に苦しみ仆れた。
そうして、何時間か前後不覚に眠って、起き上がって見たならば、
熱も去り癩病も治っていたということである。
筆者の信ずる所によれば、癩病は深刻な恨みを受けている者の、
家庭に現れるものと思う。
そうしてその患者は、大抵世と人とを深刻に恨んでいる。
だから「有難うございます」が、
全身に満ちるに至ったならば、治るものと思う。
嘗てある誌友夫人から電話で、生れて間もない女の子が、
ヒドイ顔の皮膚病にかかり、医者に見せたらば、医者があきれて
「まるで癩病患者のようだ」と云いましたが、治療法がどうにも分らない。
どうしたら治るでしょうか、ということであった。
筆者はそれに答えて「ご主人は人とヒドイ争いしていて、
その相手の人から深刻に恨まれている。その人と和解して恨みを解けば
すぐ治るが、それでなければ治らない」と言った。
その夫人はその時、
「主人は喧嘩早い人ですから・・・そんな事があるかも知れません」
と言って電話を切った
が夫人からご主人に私の話を伝えると、ご主人はすぐ思い当たり、
その人と和解したらば、忽ち小児の皮膚病が治ったということであった。
つづく。
<平成27年9月7日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
編集 削除
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/08 (Tue) 07:01:26
<盲人の目を開かせたはなし>
宗忠さんの高弟の一人に赤木宗一郎という人があった。
漢籍の素養の深い人であったが、二十歳の頃に、
青そこひという病気のために失明した。
その後八年間、あらゆる治療を尽くしたが治らないでいる時、
ある叔父さんの勧めで、宗忠さんの講話を聞きに行った。
その時の宗忠さんの講話は
「神の無限力を疑うな」という趣旨のお話であったという。
「昔、正直正兵衛という人があった。
かねて不老不死の蓬莱国へ行きたいと願っていた。
ところが或る性(たち)の悪い米屋があって、正兵衛の阿呆を見抜き、
蓬莱国へ行く道を教えてやるから、
その代り三年間無代で米搗きをしてくれと騙した。
そうして約束の期限が来ると、正兵衛を殺してしまう外はないと考え、
正兵衛を高い山へ連れて行き、松の大木に登らせ、
両手を放せば蓬莱国だと叫んだ。
愚直の正兵衛はそれを真に受けて、すぐに両手を放してしまった。
すると先仞の谷底へ落ちて、粉微塵になるはずの正兵衛が、
谷底から立ち登る一朶の紫雲に乗って、悠々と昇天していった」
というお話であった。
「神と共に永遠の生命を得んと思わば、
疑いと分別の両手を放して、一跳直入せねばならぬ。
この境地に真に到り得たならば、病気ぐらいの治るのは、当然である」
と宗忠さんは付け加えた。
宗一郎さんはこの話で一度に脳天を撃ち抜かれてしまった。
宗一郎さんはあまりの驚きに、眼の見えぬのを忘れて、
宗忠さんの方をふり仰いだ。その瞬間彼の眼に光がよみがえったという。
宗一郎さんはその後宗忠さんの高弟となり、幾多の事績を残している。
夜明けなばかあと烏の啼く声や
ちちと雀のよろこびの日や
榊葉に木綿四手(ゆうしで)かくる露の間も
恵みはなれぬ天津日の影
などの歌は、赤木宗一郎さんの歌であるという。
つづく。
<平成27年9月8日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/09 (Wed) 06:16:03
<武士の狂刃を制止したはなし>
天保九年宗忠さんが五十九歳の時のことであるという。
岡山市の中之町御門の辺りを通行中、備前藩士松尾長三郎なる者が、
大酔して狂気を発し、二十三、四人を殺傷したあげく、血刀を揮って
宗忠さんに斬りつけたことがある。
宗忠さんは泰然として白刃の下に立ったままで、
励声一番「お場所がらでござるぞ」と一喝した。
その地点は岡山城で抜刀禁止の区域になっているのを、
宗忠さんは知っていたのである。
城内で抜刀すれば家は断絶、身は切腹と定まっていた。
身の危険を顧みず、相手を憐れんでの行為である。
狂った武士はその一言で正気に返り、抜刀のまま逃げ去り、
後切腹して果てたという。
この事が評判になり、彼の門人達がその時の心境を尋ねたのに対し、
彼は軽く膝頭を叩いて、
「平生ここを殺しているから、斬るところはございません」
と答えたという。無身の身に徹しているということであろうか。
然しこれは余程エライ事であると思う。
狂人の刃の下に立つということは、容易に出来ることではない。
<堪忍をするより元の腹立てな>
或る日宗忠さんが、備前国所沢村という処に行かれた時、
そこの酒造家である門人が、床の間に堪忍と大書した額を見せ
「先生様、如何でございましょう」と得意げにいうと、
宗忠さんは
「いかにも結構でござるが、もっと良いことがござる」といい
堪忍をするより元の腹立てな
腹が立たねば堪忍もなし
というお歌を詠まれたということである。
つづく。
<平成27年9月9日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/10 (Thu) 06:18:50
<宗忠さんのお歌のかずかず>.
宗忠さんのお歌のうちで、私が最も敬服のは、初めの方に掲げた、左のお歌である。
天照す神の御徳はあめつちに
みちてかけなき恵みなるかな
どこにも神の御恵みの届かぬ所はない。
御恵みは到る処に満ちている。
ということはまた神様は、見抜き見通しであられるということである。
神様を盲目(めくら)と思うから、ズルイことして得すると思うのである。
悪事をした人は必ず報いを受ける反面に、
善い事をして損をした如くに見えることはあっても、
必ずどこかで報われるのである。
これだけのことが本当に分れば、恐ろしくて悪い事は出来ぬのである。
以下宗忠さんのすばらしいお歌を、掲げておきたい。
〇 天てらす神の御はらに住む人は
ねてもさめてもおもしろきかな
〇 天つちにおとらぬほどのいきものは
己がこころとおもう嬉しさ
〇 天地の誠の中に住む人は
有無も生死も何かいとわん
〇 天地は広き物かとおもいしに
我一心の中に有りける
〇 天地のみちに迷わぬ心こそ
生まれず死なぬ心なりけれ
〇 あらうれしかかる嬉しき浮世ぞと
知らで今まで過ぎしおしさよ
〇 有がたきまた面白き嬉しきと
みき(神酒)をそのうぞ信(まこと)なりけれ
〇 有がたやかかる目出度き世に出(いで)て
たのしみくらす身こそ安けれ
〇 有がたや我日の本に生れ来て
その日の中に住むと思えば
〇 是ほどに面白き世に住みながら
くるしむ人ぞあわれなりける
つづく。
<平成27年9月10日 謹写> ありがとうございます 合掌
・・・
Re: 橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/11 (Fri) 06:49:36
〇 楽しむも又苦しむも心から
かって次第の浮世なるらん
〇 昔おもう百そうばいも上のこと
叶うて見てもまだ不足あり
〇 八百の嘘を上手にならべても
誠一つに及ばざりけり
〇 ぬれ衣を幾重きるともみ心の
晴れてしあればやがてかわかん
〇 むつかしく思う心ぞ地獄なり
やすく嬉しきこころ極楽
〇 向うことみな御影ぞおもいなば
ねてもさめても有りがたきかな
〇 海もあり山もありつる世の中に
せまき心を持つな人々
〇 我はただ我なき道をわれたずね
我なしに行く我ぞたのしき
〇 なきというなきには人の迷うらん
なきこそ有の本の本なり
〇 天地の心のありか尋ぬれば
おのが心のうちにぞありける
〇 有りと見て無きこそ己が住家なり
なきを楽しむ身こそ安けれ
〇 有と見てなきこそもとの姿なれ
無きをたのしむ心やすさよ
宗忠さんのお歌は、まだまだ沢山あるが、この程度に止めておきたい。
以上、拙文に書き綴った材料は、主として、
延原大川(のぶはらたいせん)さんの「真人宗忠」によった。
この書は絶版であるが、同じ延原大川(のぶはらたいせん)さんの
「哲人宗忠」という著書は、東京都千代田区内神田1-15-7「明徳出版社」
から発行されている。
篤志家はそれを見られたい。
今回にて完。
<平成27年9月11日 謹写> ありがとうございます 合掌
<感謝合掌 平成30年2月7日 頓首再拝>
『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」 - 伝統
2018/02/08 (Thu) 18:57:22
尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/07 (Sat) 07:22:09
ありがとうございます、今回から第十二章です。
≪常住の祈りと云うこと≫
<祈りは如何になすべきか>
祈ってもなかなか祈りが実現しないことがあります。
それは如何に祈るかと云うことを知らないからであります。
常の祈りと云うことが大切であります。
一日に十五分間や三十分位、熱心に祈りましても、
あとの二十三時間何十分間はその反対に暗いことや、
不景気なことや不健康なことを思っていましては、
思念の力が暗い方に傾きますから、それでは何の役にもたたないのであります。
と云って、二十四時間とも祈ると云うことは到底出来ないことであります。
そこで吾々は祈りの技術と云うものが必要になるのであります。
常住、神に祈るにはどうしたら好いかと云うと、
すべての触れるものに常住感謝すれば好いのであります。
それには其の物の実相を見るのであります。
「これは神の生命、仏の生命のあらわれである」と、
比較を絶したところの有難い絶対的な存在がそこに相(すがた)を
現しているものであると云うことを思い出して、
「あぁこれは有難いものである、こんな相に身をやつしていらっしゃるけれども、
これは仏様なんだ神様なんだ、神様が我々に奉仕利用されんが為に
この様に相をやつしてそうして此処へ出ていらっしゃるのだ」
と気が著(つ)いて、本当に有難い、
(本当にあり得ない不可思議功徳であると云う意味)
新聞の一枚も、或いは御飯の一粒も、お汁の一滴も、漬物の一切れも、
或いは机も、書物も有りとあらゆるものは、本当に心の眼を開いて見たならば、
みんな仏の生命(いのち)、神の生命(いのち)が相をあらわして、
われわれを生かそうとしていられる、神仏の生かさずにおかないところの
大慈悲が現れて、此処に森羅万象としてあると云うことが本当にわかるのです。
それは実に「あり得ない」ところの恵みなのであります。
だから「ありがたい」と云うのであります。
ですから、心の目が開いてこの世界を見れば「有難い世界だ」
と云うことがわかるのであります。
もう天地万物悉く、仏の生命(いのち)、神の生命(いのち)が
充満しておって眩しい位で、合掌せずにはおられない。
あぁ有難い、空気を吸うても有難いし、日光に触れても有難い、
机に向かっても、食卓に向かっても、皆それを神の恵み、仏の生命として
拝めるのであります。
そうして凡ての人々を見れば、そこにはやはり仏の生命、神の生命が
色々の佛菩薩の相をしてそこに現れていらっしゃるのであります。
決して只の物質の人間じゃないのであります。
仏の生命、神の生命に生かされていらっしゃるところの皆様なのであります。
つづく。
<平成27年11月7日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/08 (Sun) 12:11:33
<人間は物体ではない>
ところが唯物論的に人間を見ますと、我々は蛋白質とか、澱粉とか、
窒素とか、炭素とか云うようなものに生かされているじぶんであります。
吾々は今まで学校でそう云う唯物論を習って来たのであります。
そうすると人間は別に尊いことも有難いこともない。
人間の尊さを教える宗教教育を日本では怠っているから
残虐行為などを平気にやるようになったのであります。
これらの人間教育は「神の子」として教育しなければならぬのであります。
吾々が単に物質が捏ね固められた塊であるならば、
人間は大して有難いものじゃないのであります。
「人間」そのもののみならず、天地一切のものは唯物論の世界から見れば、
本当の有難さと云うものは感じられないのです。
我々が若し本当に有難い世界を見出そうと思ったら、唯物論を清算して、
佛一元の世界、神一元の世界と云うものを見なければなりません。
そこからのみ本当に有難い光一元の世界があらわれて来るのであります。
つづく。
<平成27年11月8日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/09 (Mon) 07:21:08
生長の家は今までの学校で習った唯物思想を清算して、唯心論に目覚めしめます。
唯物論者は唯心論を「観念論だ、観念論は迷信だ」と独断的攻撃戦法を持って来て
反復しますが、観念論が何故迷信であるかと云う理由はあげ得ないのであります。
凡そプラトンでもカントでもヘーゲルでもフィヒテでも、
世界の名だたる大哲学者は観念論であります。
唯物論こそ迷信です。
何故唯物論者が迷信であるかと云うと、
「心は物の作用である」として心に独自の主権を与えていない彼らは、
何物も「迷信である」と断定する「心の主権」がないからであります。
吾々の観念論は「実証観念論」であって、
これは「生長の家の横の真理」を成しているものであります。
これは心に描いた観念が肉体や環境に現れる
具体的実例によって実証される観念論でありますから、
精神科学とも云い得るのであります。
さてこれは唯心所現の「横の真理」でありますが、
「縦の真理」(根本実在の真理)は唯物唯心を超越しているのであって、
これは単なる唯心論ではない。唯神実相論とでも云うべきところの
人生観、世界観であります。
つづく。
<平成27年11月9日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/10 (Tue) 07:26:46
「横の真理」即ち現象顕現の法則は、釈迦も三界は唯心の所現だ、云われまして、
目に見えている世界は心の現れである、云うことを説いていられたのであります。
キリストも「汝の信ずる如く成れ」と仰り給い、
「芥子種のほどの信仰だにあれば此の山に彼処に往いて海に入れと
云うも必ず成らん」とお説きになりまして、
信に裏付けられた観念の通りに、肉体や環境が具象化することをお説きになり、
またそれを多くの所謂(いわゆ)る「奇跡」と云うもので実証せられたのであります。
末法の仏法は正法をまことに伝え得ませんでしたから奇跡を生ぜず、
正法を実証することが出来ませんでしたが、
生長の家は所謂(いわゆ)る「奇跡」によって正法を実証しつつあるのであります。
しかし釈迦もキリストも、いつまでも「心で信ずる通りに顕れる」と云う
「横の真理」だけで満足していられたのではなかったのであります。
現象はどう見えようとも、実相(真実在)は破壊し難く円満完全なものである
と云うことを釈迦は「衆生劫尽きて此の世の焼くると見る時も、吾が浄土は安穏なり」
(『法華経』)と説いて明らかにせられ、
キリストは「我はアブラハムの生まれる前よりあるものなり」
と仰せられて明らかにせられました。
この二聖は、唯物、唯心の境を超えて、
更に「唯神実相論」とも云う世界観に跳入していられたので、
生長の家が説いているところの世界観と同じなのであります。
つづく。
<平成27年11月10日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/11 (Wed) 06:38:59
<物心一如を超えた唯神実相論>
唯心・唯物と云う問題は時々間違う人がありまして、
唯心論のつもりで唯物論になっている人が随分あるのであります。
名前は「唯心」ですけれども、唯物論と何処が違うかと云うと、
ただ「物」と云う字を「心」と読みかえた位の唯心論であります。
例えば物心一如と云うような考え方であります。物心一如と云う。
そうすると一如と云うのは、一つでそのまま同じことだと云うのでありますから、
物とは心であり、心とは物である。
そうなりますと、心=物となります。心=物でああるならば、
唯心論=唯物論であって、それなら唯心論と云っても唯物論と云っても
同じことであります。
そうすると別に唯物論を排撃する必要もなく、
唯心論の方が偉いと云う必要もないのであって、
心イコール物では同じことになるのであります。
こうして物心一如論に落着いて、それでもう悟りを開いたのだというように
思っていらっしゃる人も中にはありますけれどもそれは単に
「横の真理」の入口でありまして、
そういう唯心論唯物論を超えて実相の「真実在の世界」に超入しなければ
生長の家の説いている真実在の世界を悟ったとは云えないのです。
生長の家の世界観は、そういう唯心唯物を超えて、
「心もない」と云うところまで入っているのであります。
(『観普賢菩薩行法経』の『心を観ずるに心無し。』)物もないし、心もない。
物心一如もないのであって、あるものは円満完全な実相のみである。
そうして直接そのただ円満完全なる実相の生命に
直下(じか)に触れるのであります。
心の影だと、まだ心を把んでいる間は本当の生命に入ることが出来ない。
その心を超えて、その心の奥まで入って行って
「生命」そのものを捉えなければならぬ。
黒住教祖はこれを『生き物を把め』と云って教えられました。
生命の実相(ほんとうのすがた)をつかんだとき、我々は、
病気しておっても病気していないところの人間を見出すことが出来るのであります。
つづく。
<平成27年11月11日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/12 (Thu) 06:25:56
終戦の翌々年、小豆島の土庄町と云う所で講習会がありました。
観海楼と云う料亭の大広間が会場でありましたが、
この料亭の板場をしているのが森川政輝さんと云って、生長の家のまだ発祥時代、
私の住吉宅へ来られて修行をした人であります。
肺病がなかなか治らなかった。
心を変えなければならぬと心を掴んでどうしょうかと思ったが、
その心が自由にならなかった。
ところが或る日『生命の實相』を読んでいると、「心もない」と悟った。
「肉体もない」と悟った。
だから肉体は病気を顕していても、病気していないのが自分の実相だと悟った。
すると、心の問題が問題でなくなり、心が自由になって病気が治ってしまった
と云う深い体験談をせられたのであります。
我々の本体が単に「心」であり、「心」が病めば肉体に病気を現すと云うのだったら、
心が人間の本体である限り、人間の本体実相も病気するものであると云うことになり、
これでは人間は救われないのであります。
これでは『涅槃経』に釈迦がお書きになったような「我は佛身なり、法身なり、
金剛不壊なり、雑食身にあらず、人間は未だ曾て病まざるものである」
と宣言せられたような、崇巌なる久遠神性の自覚に入ることが出来ないのであります。
心が病めば病気になる――そう云う心と云うものを超えて、
実相(真実在)のその奥まで入った時に初めてこの生長の家の説く真の悟境を
理解することが出来るのであります。
つづく。
<平成27年11月12日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/13 (Fri) 06:37:20
この悟境に於いては、森川政輝君に病気が現れていても、
病気はないと断言することが出来るのであります。
こう云う断言が出来るのは、その人は、心にもあらず、肉体にもあらずと知り、
病める如く見えている肉体を見ながらも、その奥にあるところの
不病不老の生命と云うものを直視するのであります。
自分の生命の実相が、存在の実相とカチカチと触れ合うような直接認識によって、
本当に此処に神の生命がいらっしゃるのだ、自分の生命は神の生命だ、
無病不老の存在だと自覚するのであります。
生長の家の諸説を『華厳経』の「唯心偈」から来たように批評した方もありましたが、
あの「唯心偈」にあるように
「心が迷えば衆生となり悟れば佛となる、心と衆生と佛と三無差別」
だと云うだけでは、今悟って佛となっても、又迷えば佛でなくなり、衆生になり、
腹が立ったら鬼になる、争って阿修羅になると云うようなことになる。
これでは折角、「佛」になっても「現象佛」であって久遠實成の佛ではありません。
吾々は永遠に金剛不壊な自分の生命の実体(實相)をつかまねばならないのです。
そこで、吾々は人間の本体を知るために、物を超え、肉体を超え、
更に心を超えて佛の生命なるものへ跳入して行くのであります。
そうすると我々が、今迄「自分」だと思っておったところのものが、
悉く嘘であったと粉砕されてしまうのであります。
こうして一度、自分の我が崩壊してしまうことが必要であります。
生死に迷う罪悪深重の凡夫だと云った親鸞も
「超世の悲願訊きしより、我等は生死の凡夫かは」と、肉の自分を超えて、
超世の悲願そのもの、ロゴスそのものの自分を見出したのであります。
かくて此処に見出すところのものは何であるかと云うと、
未だ曾て病まず、老いず、死せず、苦しまず罪を犯したることなき、
佛の生命(いのち)、神の生命(いのち)が自分であると云うことが
分かったのであります。(拙著『親鸞の本心』参照)
つづく。
<平成27年11月13日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/14 (Sat) 06:43:36
キリストは
「神の国に入ろうと思ったならば、すべての持物を捨てて十字架を負うて我に従え」
と、こう云う風に仰ったのでありますが、
すべての持物と云うのは、財産のみではない。
財産もすべての持物の中の一つかも知れませんが、
決してこの物質の富を捨てるだけがすべての持物を捨てるのじゃないのであります。
心も捨てなければならぬ、物も心もすべて捨てて、
もう何もなくなってしまって一切のものを磔殺(クロスアウト)してしまったときに
神の国に入ることが出来るのであります。
すなわち実相金剛不壊の円満完全な世界を発見するのであります。
つづく。
<平成27年11月14日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/15 (Sun) 07:31:41
<物も心も捨てる>
物を捨てるのはまだ易(やさ)しいですけれども
「心」を捨てることは一層難しいのであります。
「私の心」と云っているその心を捨てなければならない。
しかし、その「心」を「ある」と思って掴んでいる間はなかなか捨てられないのです。
「心もない」と悟ることが必要であります。
「わしの心」――此の「我」と云うものが、
段々進化して行ってそうして佛になるのではないのであります。
『法華経』に「唯佛与佛乃能究尽(ただほとけとほとけとのみぐうじんす)」
とあるように、「我」と云う心、「私の心」「この私が修行している」
と云うようなそんな「私」と云うものが悉く粉砕されてしまって、
換言すれば、そんな肉我が十字架に附けられてしまって、
内在の「佛」のみが出て来る。
「私」がなくなって無我になってしまう。
わしがわしがと云っている心と云うものが、それが本当に本来ないものだから、
そんな「心」が迷っていても迷わずにいても我々は初めから佛である。
初めから神であるのであります。
瓦を磨いて珠になるのではなく、
初めから珠だから磨けば一層光が出て珠になるのであります。
つづく。
<平成27年11月15日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/16 (Mon) 07:12:18
そこで我々は転回するのですね。
英訳ではコンヴァーション(Conversion)と申します。
今迄あった濁水がだんだん澄んできて、そうしてそれが澄明な水になるように、
佛になるのじゃないのであります。
その濁っているのは初めから埃だけで、水はどこまでもH2Oの純粋の水である。
どんなに濁っているように見えても、水そのものは濁っていないように
「人間」の実相「純粋の人間」そのものは濁っても汚れてもいないのであります。
これが悟りであります。
悟れば一躍して「自分」が変わるのです。
今迄の自分だとおもっておったのが、それは「自分」ではなく単に混入の埃であり
「自分」そのものは真清浄無垢の佛身、法身だとわかるのです。
今迄とは異なるものが出て来るのであります。
全然異なるものが出て来て、「神なる自己」「佛なる自己」
が発見されるのであります。
だから今までのものを悉く抹殺してしまわなければならないのです。
すべてを十字架にかけてしまわねばならぬ。
物心一如と云う風に考えておったような、そんな中途半端な心を抹殺してしまう。
物もなし心もなし。そんなら一体何処に私がいるのだろうと思っても、
やはり此処に今「佛」なる自分がいるのであります。
つづく。
<平成27年11月16日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/17 (Tue) 07:50:58
『法華経』の「自我偈」に「我常に此(ここ)にありて説法す」
と云うことがお釈迦様の言葉として出ておりますが、あの
「常に此(ここ)にある」自分と云うものを発見するのであります。
これが本当の「常の祈り」であります。
皆さん、あなた方は「自分と云うものはオギャと生まれてきて、
オギャと生まれる以前になかった。オギャの十ケ月以前はなかった」
と普通お考えになりましょうが、
十ケ月前に母の胎中へ入ってきて、オギャと出て来て、やがて何年か経つと
死んでしまうような自分は「我常に此(ここ)にありて説法す」と云うような
久遠不滅の我ではない。
「常に此にあり」と説かれたところの「久遠の存在」を、
単にお釈迦様だけだと思うといけない。
皆さん自身が釈迦と同じく久遠不滅の存在なのであります。
生長の家にお入りになって功徳があると云うのは、
心の法則によって病気が治ったり、環境がよくなったりすることも
小さい功徳ですけれども、
「我常に此にありて滅せず」とこう仰るところのお釈迦様と
同じ生命(いのち)が自分であるということが自覚できることが
大功徳なのであります。
「我常に此にありて滅せず」とお釈迦様が仰ったのは、
何十年か前にオギャと生まれた時にその「生」が初まったのだったら
「常に」とは云えないのです。
「我常に此にありて滅せず」と云うのは、もっと、
無始無終、時間空間を超えたところの超時間、超空間、無時間、無空間の
世界に「常に此にありて滅せず」と云うところの自分を発見するのであります。
つづく。
<平成27年11月17日 謹写> ありがとうございます、合掌。
・・・
Re: 尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十二章「常住の祈りと云うこと」
- 平賀玄米 2015/11/18 (Wed) 05:56:04
今この時間的世界に現れているところの、脳髄の作用として出ている
「我」と云う意識、そう云う「我(われ)」というものが、
いくら書物を一所懸命読んでそうして学者になっても、
そんな「我」と云うものは大したものではない。
その頭をコツンと一つ金槌で叩いて脳味噌を毀したら、
折角何十年勉強した勉強も一ぺんに忘れてしまって、
「悟(さとり)」だなんぞと大袈裟に云ったものも
すっかり飛んでしまうのであります。
そんな途中で消えてしまうような「脳髄の心」は
いくら修行させて見たって大したことはないのです。
そんな脳髄の修養では永遠の救済もヘッタクレもありません。
ですから、「我」とか「我が心」とか云っているところの、
そんな意識の作用を以て、そうして
それを「本当の自分」であると思っていると間違いなのであります。
そう云うものを超えなければならない。
そうして「常に此にあるところの自分」
久遠の実在としての自分を自覚しなければなりません。
そして「オギャア」と生まれる以前からあるところの滅しないところの自分、
それこそが自分だ、自分は釈迦牟尼佛と共に久遠の昔から存在するところの
佛そのものだと自覚しなければならないのであります。
「自分は」と申しましたがこれは私だけのことじゃない、
皆さんご自分一人一人が釈迦牟尼佛である。
「我常に此にあり」久遠に存して滅せずであります。
自分が此処に神想観する時に、釈迦牟尼佛が神想観しているのだ。
釈迦牟尼佛此処に座禅したまえり、
そう思って自分が神想観するが好いのであります。
我れ此処に座るとき、此処に毘盧遮那佛(びるしゃなぶつ)、
大日如来が法輪を転じ給うのだと自覚すべきであります。
吾れ毘盧遮那佛(びるしゃなぶつ)常に此にありて座禅し、神想観し、
説法し、法輪を転じているのである。
屙屎送尿着衣喫飯(あしそうにょうちゃくいきっぱん)(注)
悉く毘盧遮那佛(びるしゃなぶつ)の説法である。
(*注~屙屎送尿着衣喫飯
自分で自分の大小便を出すことができる、自分で自分の服を着ることができる、
自分で自分のご飯を食べることができる、そして夜、ぐっすりと寝ることが
できる。これらができれば、人間として本当に幸せなことではないかという意味
http://www.kokin.rr-livelife.net/koten/koten_ch/koten_ch_21.html)
自分が座禅し、自分が神想観するのじゃない、此処に如来の転法輪がある。
こう自覚するとき舊我(きゅうが)がなくなり、新我―――久遠の我が出現する。
天地が変わる。
大地が六種(りくしゅ)に震動すると佛典に書いてあるのはこの事であります。
今迄物質が充満している世界、黴菌の充満している世界、
色々の闘争が充満している世界だと思っておったが、
そんな見苦しい世界はないのであると分かる。
此処は毘盧遮那佛(びるしゃなぶつ)の転法輪の道場であって、
そのコトバ即ちロゴスが充満している、法の言葉が充満している、
真理のコトバが充満している、何と云う有り難い世界だと分らねばならぬ筈であります。
その時、万事万物が、皆佛として拝まれるのであります。
これこそが常住の祈りであります。
今回で第十二章は完、次回から第十三章『人間は肉体ではない』です。
<平成27年11月18日 謹写> ありがとうございます、合掌。
<感謝合掌 平成30年2月8日 頓首再拝>
悲しい知らせを聞きました - 伝統
2018/02/10 (Sat) 19:30:59
悲しい知らせを聞きました。
ブログ「充実人生ラブ」に、”平賀玄米 様への追悼!のご文章がありましたので、
次に紹介させていただきます。
*ブログ「「充実人生ラブ」(2018年2月4日)より
悲しい知らせを聞きました。
このブログにて読書会を開催しておりますが、
その最初の選定本として平賀玄米様が謹写されていた
「第二青年の書」を使わせて頂いております。
谷口雅春先生の御著書の普及に尽力されていた、
その平賀玄米様が1月29日にお亡くなりになりました。
心よりお悔やみ申し上げるとともに、玄米様のご冥福をお祈りいたします。
これは私の想像ですが、お亡くなりになるその日まで、
玄米様はおそらく謹写を続けられていた
(謹写最後の御投稿はお亡くなりになられた(光様からのお知らせによると)1月29日です)。
おそらく、お亡くなりになったその日には
もう玄米様の御魂は実質体内から抜け出ておられていたのではないか。
それでも尚玄米様は謹写を続けられていた。
雅春先生の御著書を謹写されていた・・・。
この世で最後の最後、その時までご自分の使命を全うされていた。
それはもう”生き仏”として最高に素晴らしい形でこの世を旅立たれて、
次の新しい世界へと向かわれたのだなあ、と思ったことです。
もちろんお会いしたことはございませんが、私の心に大きな感動を与えて下さりました。
玄米様、次なる世界でのさらなるご活躍、祈念いたしております。
合掌。
(http://livewelllaboratory.com/2018/02/04/life-for-young-people-give-and-take/)
<感謝合掌 平成30年2月10日 頓首再拝>
Re: 追悼~”平賀玄米 さま” - ハル URL
2018/02/20 (Tue) 04:41:27
伝統様
どうもはじめまして、「充実人生ラブ」ブログ管理人のハルでございます。
平賀玄米様への私の追悼文をご紹介頂きまして恐縮しております。
伝統様がご提供下さっておりますこの素晴らしい掲示板で今後益々勉強させて頂きます。
毎日ご苦労様です、そして大変有難うございます。
雅春先生のみ教えを一人でも多くの方に伝えて行くこと、私も未熟ではありますが研鑽を積んで微力を尽くして参ります。
伝統様の益々のご活躍、お祈りいたしております。
ハル 拝
”ハル さま” ありがとうございます。 - 伝統
2018/02/20 (Tue) 17:23:02
”ハル さま” ありがとうございます。
ご投稿いただき、心より感謝申し上げます。
まさか、”ハル さま”が、「伝統板・第二」 を見ていただいているとは、
少しも思っていなかったので、わざわざのお越しに恐縮いたしております。
”ハル さま”の、”平賀玄米 さま”への尊い思いに感動し、
勝手に紹介してしまいました。
”ハル さま”の許しをお願いいたします。
小生は、”ハル さま”のブログ「充実人生ラブ」の読者のひとりですが、
いつも、その豊かな感性に感銘を受けております。
さらに、アメリカからの真理の言葉の発信、尊敬の念を抱いております。
”ハル さま” のご活動に、”平賀玄米 さま”の霊界からの応援が
加えられていき、今後ますます発展してまいりますよう、心より祈っております。
今後とも、ブログ「充実人生ラブ」からの転写をさせていただくことが
あろうかと思いますが、広き心にておゆるしをいただきますよう
お願いいたします。
(ブログ「充実人生ラブ」
~谷口雅春先生・著「青年の書」「第二青年の書」読書会進行中
→ http://livewelllaboratory.com/category/life/ )
<感謝合掌 平成30年2月20日 頓首再拝>
光明掲示板・第二 より - 伝統
2018/02/22 (Thu) 21:40:20
【ひかりの語録】より<智慧の言葉> ③ (5248)
日時:2014年02月05日 (水) 15時44分
名前:平賀玄米
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1083
谷口雅春先生著【ひかりの語録】より <或る日の生命の国> (4894)
日時:2014年01月24日 (金) 23時26分
名前:平賀玄米
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1020
谷口雅春先生著【ひかりの語録】より <光明の国> (4797)
日時:2014年01月21日 (火) 22時46分
名前:平賀玄米
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1004
<感謝合掌 平成30年2月22日 頓首再拝>
<中江藤樹先生と母親> ~橋本 徹馬 師 - 伝統
2018/02/23 (Fri) 18:03:18
光明掲示板・第一 より
光明掲示板・第一からの転写(”平賀玄米 さま”の記事)
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1979 (消滅)
中江藤樹先生の著書に『鑑草(かがみぐさ)』があるが、その中に、
「わが身は父母にうけ、父母の身は天地にうけ、天地は太虚にうけたるものなれば、
本来わが身は太虚神明の分身変化なるゆえに、太虚神明の本体を明らかにして失わざるを、
身を立つると云うなり。太虚神明の本体を明きらめ立てたる身を以て、
人倫はじまり、万事に応ずるを道を行うという」とあります。
太虚神明の分身というのは、私たちのいう「大生命の神の分身」ということである。
中江先生は四十歳の若さで亡くなられているのに、
悟道に徹していられたかと思うと、敬服に堪えない。
先生は愛媛県の大洲で修行されていた時、
郷里の母親があかぎれで苦しんでいられるのを聞いて非常に心を痛め、
偶々(たまたま)その薬が手にはいると、当時九歳の身で滋賀県の郷里に辿り着き、
その薬を母親に手渡した。
母親はわが子に久しぶりに会った懐かしさ、その孝心とを喜びながらも、
気を弱くしてはならぬと思われた。
昔中国の孟子が修行のため都に出ていて途中で帰った時、
織っていた機(はた)の布を目の前で切り、
この通り途中で切れば反物にはなるまいと言って、
修行途中で帰郷した孟子を戒めた例をとり、
孟母の断機には及ばずとも・・と言って、遥々帰郷した藤樹先生を
一夜も我が家に泊めずに、大洲へ追い返したという話である。
この母にしてこの子ありというべきであろう。
戦後占領軍は日本弱体化の見地から、日本の学校教育から修身を廃したが、
藤樹先生のお話などを教えると激増している犯罪を防ぐ一助にもなると思う。
<紫雲誌 平成十五年四月号 巻頭言より謹写>
<感謝合掌 平成30年2月23日 頓首再拝>
投稿された写真の数々 - 伝統
2018/03/04 (Sun) 19:22:14
*Web より
写真の数々(谷口雅春先生に帰りましょう第一、平賀玄米の画像)
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=
%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E9%9B%85%E6%98%A5%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%AB
%E5%B8%B0%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E7%AC%AC
%E4%B8%80%E3%80%81%E5%B9%B3%E8%B3%80%E7%8E%84%E7%B1%B3#mode%3Ddetail
%26index%3D8%26st%3D0
(上記アドレスをコピペにより、貼り付けることにより閲覧できます)
<感謝合掌 平成30年3月4日 頓首再拝>
Re: 追悼~”平賀玄米 さま” - gwmrjpqjhl URL
2020/08/29 (Sat) 03:51:16
伝統板・第二
[url=http://www.gp28373hc23gc8ykx1y4rud0j63d63j0s.org/]ugwmrjpqjhl[/url]
gwmrjpqjhl http://www.gp28373hc23gc8ykx1y4rud0j63d63j0s.org/
<a href="http://www.gp28373hc23gc8ykx1y4rud0j63d63j0s.org/">agwmrjpqjhl</a>