伝統板・第二

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ひかりの一日一言34~〝神〟を生活の中に生きるには - 伝統

2018/01/01 (Mon) 04:12:42

第一部 生命の泉

朝 東方に面して
合掌礼拝して
霊々
妙々
円満の大生命を観ずれば

心身清浄
微妙(みみょう)の大生命は
雰囲気となって
我が身 我が心をひたす。

吾れとその雰囲気と
一体にして界(さかい)なし
あゝ 讃うべきかな生命

   <谷口雅春著『ひかりの語録』より>

            ・・・

ひかりの一日一言《1日》

《1日 天地の恩》

吾々の生活に、どんなに多く、大自然の恵みを受けているか、
衆生の恩を受けているかを顧(かえり)みよ。

あまりにも私たちは受けている恩恵に対して鈍感であり過ぎたのである。

それらを当然のこと、当たり前の事として感謝することを忘れていたのである。
あまりにも自分が受けていた恩恵に対して気がつかな過ぎたのである。

何でも気がつかない時には、それが存在しても「無い」のと同じことである。
自分のポケットに百万円の小切手があっても気がつかなかったら、
その小切手は無いのと同じことである。

では大自然の恵みも、衆生の恩も、父母の恩も、国家の恩も
気がつかなかったら、それは無いのと同じことである。

「ある」ものに気がつかないのは盲人(めくら)と同じことである。
私たちは盲人(めくら)になってはならないのである。

すべての恩恵をみとめたとき、私たちはその恩恵の所有者になるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P5) より

           <感謝合掌 平成30年1月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2018/01/02 (Tue) 03:58:04


《2日 百万燭光の光》

あなたはもっと自由にならなければなりません。

過去の不快な出来事や、憎しみや悲しみや、
恥辱(ちじょく)や嫌悪(けんお)や
一切の心の傷から自由にならねばなりません。

そして心の底から愉(たの)しくなり平和にならねばなりません。
そこであなたはそれらを忘れるために努力します。

「あの憎しみを忘れよう』と思って一所懸命努力しますが、
そうしてもそれを忘れられないという人があるのです。

それは物を一杯積んである土蔵の中で、
小さな蝋燭(ろうそく)で照らしているようなもので、
中々心の倉が全部明るくならないで、倉の中の整理が進まないのと同じである。


小さな蝋燭の光とは、自分の自力的な小我の努力も効果が
全然ない訳ではないけれども、偉大なる力はないのである。

神の方へ振り向きなさい。
神は巨大な力をもっていられて、譬えば百万燭光の電灯のようなものである。
神の光に照らされたら一切の暗黒は消えてしまうのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P6) より

           <感謝合掌 平成30年1月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2018/01/03 (Wed) 03:06:04


《3日 霊の波動に波長を合わす》

神は祈らなくても、祈っても、頼まなくても、頼んでも、
常に吾らに恵みを与えておられ、愛と智慧の光で照らしておられるのである。

放送局のテレビの放送のようなもので、テレビセットをそなえていようが、
そなえていまいが、チャンネルを合わしていようが、合わしていなかろうが、
常に恵みを霊的波動で送っていられるのである。

しかし放送局の電波の波長に合わさなければ、その波長を受け取ることができない
のと同様に、吾々が完全に神の恵みを受け取ろうと思うならば、
神の霊的波動を合わさなければならないのである。


神は”霊”であり、”物質”ではないから、神の恵みは霊的波動で出来ているので
あり、それに吾らが波長を合わしたとき、テレビの電波が形にあらわれて来るように
現象世界に形をもってオカゲとしてあらわれて来るのである。

ところがオカゲ信心では却(かえ)ってオカゲが現れて来ないのです。

何故(なぜ)ならオカゲ信心は利己的心であり、神様は利己主義でないから、
利己心が神の霊波に同調する筈はないのである。

オカゲ望まぬ心になったとき、本当に良きオカゲが得られるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P6~7) より

           <感謝合掌 平成30年1月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2018/01/04 (Thu) 04:17:48


《4日 絶対の感謝》

”オカゲ信心”以上の高い信仰心になったとき本当のオカゲが得られる。
放送局の波長に完全に同調する波長になったとき放送された画像が
最も完全にテレビセットにあらわれるのである。

先ず利己心を棄てることだが、利己心というものは自分に心が向いていて
神に心が向いていないのである。
神を自分の道具に使おうと思っているのであるから、
神に波長が合う筈はないのである。

神に波長を合わす心になるためには、
心が完全に神に向かって方向転換しなければならない。
MRAでいっているところの「絶対無私」の心になることである。

MRAでは絶対正直、絶対純潔、絶対無私、絶対愛の4つの徳目を
神に波長を合わす徳目としてあげているが、
生長の家ではこれに加うるに「絶対感謝」「絶対和解」を説いているのである。

絶対に天地一切のものに感謝し、絶対に天地一切のものに和解するとき
万行おのずから成るのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P7~8) より

           <感謝合掌 平成30年1月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2018/01/05 (Fri) 04:30:16


《5日 自己にやどるもの》

自己の宿る神を知ることが根本である。
知るといっても神は物体ではないのだから肉眼で見て知るのではないのである。
信仰によって直観するか、悟りによって把握するほかなはないのである。

いくら自分の内にあっても知らないものは使えない。
財布の中に1億円の小切手がおさめられていても、それは入っていることを
知るまでは、その1億円の小切手は使う訳には行かないのである。

神も矢っ張りそうであって、いくら自己の内にあっても、それを知らない限りは、
自分の希望にしたがって随時随所に使うわけには行(ゆ)かないのである。

もっとも神は単なる物質の小切手ではないから吾々が発見する前から
常に人間を護りたまい、色々の恩恵を与えていては下さるのである。


併し、自分を護り給う神があることを知るまでは、放送があるということを
知らなかった以前には、放送局に波長を合わす気になれなかったのと同じように、
神の霊的放送に波長を合わそうとしないものだから、
それだけ神様から来るお蔭を受けることが少ないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P8~9) より

           <感謝合掌 平成30年1月5日 頓首再拝>    

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2018/01/06 (Sat) 04:17:28


《6日 心のチャンネル》    

私たちが祈るとき、又は神想観するとき、
心をふらふら動揺させてはならないのである。

心をふらふら動揺させるということは、
つねに自分の心の波長が変るということである。

あなたのラジオセット又はテレビセットの波長やチャンネルを始終ふらふら
変化していたら決して、まとまった放送を視聴することができないのは
当然のことだといわなければならないのである。

祈りということは今まで自分の「現象の心」で自分の事件を支配していたのを、
自分の「現象の心」(我の心、頭脳意識)で自分の事件を支配することを放棄して、
神に全託し、神の智慧によって自分の事件を支配して貰うように、
心のチャンネルを切りかえることなのである。

神は人間の頭脳の智慧で動かすことの出来ない生理作用などは、
つねに内面からこれを導き支配し吾々の肉体の健康を保っていられるのであるが、
人間の頭脳意識で支配しうる部分(人間関係や事業の経営や、発明や、
技術や創作などの部分)は、人間自身の自由意志を尊重し、
自由裁断にまかせていられるのである。

だから人間がどんな拙(まず)い事業経営をしようが、
どんなに人間関係が不調和になろうが、
神はそれに介入しようとはせられないのである。

神は人間に完全自由を与えたまう。

唯、人間が神の方向に振り向いて神にその問題の調整をお願いした時にのみ
神は人間の問題に導きを与え給うのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P9~10) より

           <感謝合掌 平成30年1月6日 頓首再拝>  

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2018/01/07 (Sun) 03:45:11


《7日 必ず実現する希望》 
    
生長の家の”智慧の言葉”(註「ひかりの語録」に集録)に
「希望は実現の母である」という語(ことば)がある。

若しあなたが、何かを求めて、それが得られるという希望をいだくならば、
それは既に潜在意識の奥地に、その希望の卵が受精して、
胎児となって胎動しつつあるのである。

「吾れこれを願う、神とともに願うのである。
この希望を実現することは神のみこころなり」という大いなる堅信をもって、
どんなに途中に困難があろうとも、その希望の実現に邁進するならば、
必ずやその困難を克服してその希望を成就することができるのである。


しかし、その「希望を実現することは神のみこころなり」ということが本当である
ためには、その希望を実現することが、他(た)の人に迷惑をかけたり、
他(た)から奪うことになるような希望であってはならない。

そんな希望は「我(が)の願い」であって「神のみこころ」ではあり得ないので
あるから、強(し)いて「神のみこころ」だと思い込んでも、それは”ウソ”を
”本当”だと思い込もうとする偽りであるから成就することは難しいのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P10~11) より

           <感謝合掌 平成30年1月7日 頓首再拝>  

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2018/01/08 (Mon) 03:37:54


《8日 求めんとすれば先ず与えよ》 

あなたが若し縁談がおそいならば、愛の表現が足りないのである。
愛を求めるよりも、先ず愛を与えなければならないのである。
与えたものが与え返されるのが心の法則であるのである。

あなたは自己の内に宿る「愛」の表現の道をひらきなさい。
あなたは自己の内にやどる「神の愛」を愛し、
それを生き生きと実生活に表現しなければなりません。

あなたが「愛」を求めているように、あなたの魂の半分である人も、
やはり「愛」を求めているのです。

それにも関わらず、2人が出会わないというのは、
「愛」の表現が足りないからなのです。
もっと自由に「愛」を表現しなさい。


職業を求めている人が、職業を得られない場合に、誰もやとって
くれなくとも、眼の前にある色々の人のためになる仕事 ── 
窓硝子拭きとか、廊下の掃除とか道路の清掃とか ── を真剣に
「ありがとうございます」ととなえながら奉仕していると、自然に
その人に職業が与えられる実例があるように、

あなたが愛を求むれば先ず、神を愛し、神の愛のために
報いを求めず愛することを実践するがよいのです。

隣人の幸福になるために愛を実践するのです。
やがて時がきます。

互いに半分であり、求め合っていた2人が相会う時が来るのです。 


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P11~12) より

           <感謝合掌 平成30年1月8日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2018/01/09 (Tue) 03:07:47


《9日 絶対に見捨てぬもの》

あなたが愛が得られなかったら、先ず自分から愛することです。

「愛する」といって、自分に愛情を向けていない者に「私はあなたを愛します」
とおってみたところが拒絶されるか排斥されるかするだけで、こちらが愛情を
示しているのに向こうから拒絶せられるほど気まずいことはないので、
愛しようと思ってもこれも中々むずかしい問題なのです。


そのような時にも、あなたを愛してくれる方があるのです。
その方を愛しなさい。

「そんな人が果たしてあるでしょうか。それは一体誰なのですか」と。
それは誰でもありません。
神様なのです。

それも遠く天上にいてあなたを見張っていて神罰を与えようかと
考えている神様ではありません。
あなたの内に宿っている神様なのです。

その神様を愛しなさい。
その神様が悦ぶように生活しなさい。
あなたは決して孤独ではないのです。

あなたを愛している神様があり、
その神様をあなたは愛することができるのです。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P12~13) より

           <感謝合掌 平成30年1月9日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2018/01/10 (Wed) 04:11:55


《10日 各人の才能》

あなたは神の自己実現でありますから、神はあなたの内に宿っているのです。
そしてあなたの何らかの才能、何らかの能力として自己実現しているのです。

あなたに宿る才能又は能力を愛することは、
あなたに宿る神を愛することなのです。

あなたに宿る才能又は能力は伊達にそこにあるのではありません。
才能又は能力は、それを表現して誰かの役に立てるためにあるのです。

神様は「《それ》を表現してくれよ、それを誰かの役に立ててくれよ」
といっていられるのです。

イエスは「汝ら吾を愛せば、わが戒めを守るべきなり」といっていられます。

若しあなたが、神を愛するならば、
「お前の才能又は能力を表現して誰かの役に立ててくれ」と被仰(おっしゃ)る
言い附(つ)けを守るべきなのです。

それが神を愛する道なのです。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P13) より

           <感謝合掌 平成30年1月10日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2018/01/11 (Thu) 04:04:51


《11日 無償の奉仕》

一人の孤独な未亡人がありました。
誰も親身になって仲良くしてくれる知人も親類もありませんでした。 
友達がほしいと思っても、中々思うように出来ないのです。

ところが一人の光明思想の研究家に勧められて、
自分の内にある自己顕現 ―― 自分の能力 ―― を愛しよう。  
それを生かしそれを表現して誰かの為になろうと決意したのでした。

彼女の唯一の能力というのは職業ピアニストというほどではないけれども、
可成り上手にピアノが弾けるということであった。

彼女はその能力を表現し愛するために、「小さな教会や子供の娯楽会に
無料でピアノの演奏をします」という広告を地方新聞に出したのであった。

直ぐ諸方から申し込みがあって彼女は忽(たちま)ち忙しくなったのであった。


彼女がピアノを演奏するのは、神を愛するために演奏するのであった。
神の自己顕現である能力を愛し生かすために演奏するのであって、
自分自身がどう思われようと、自分の技術が旨いとかは考えなかった。

つまり絶対無私であった。

ただ神の表現であるものを一所懸命力の限り努力して
神のために奉仕しようとするのであった。

すると人々が彼女の音楽を悦んでくれることがわかったのであった。
音楽だけではなく、彼女の人間を愛してくれることがわかったのです。
併し今はそんなことは重要な問題でなくなったのです。

彼女は自分の仕事の中に「神」を表現すること、
「神」から愛されていることを知るだけで悦びは充分であった。


ところが彼女が或る子供の娯楽会にピアノの奉仕演奏に出演したとき
偶然そこに来ていた子供の親である男性と知り合った。
その男は妻を失って子供を連れて困っていたのであった。

彼女は彼と相思の間になり、ついに結婚して今は幸福な愛にみたされた
家庭人になりながら、その傍(かたわ)ら依然として神から与えられた
能力の奉仕を楽しんでいるというのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P13~15) より

           <感謝合掌 平成30年1月11日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2018/01/12 (Fri) 03:59:29


《12日 無我の生活》

人間の悩みの多くは、
他(た)の人の思惑を気にするところから出て来るのである。

”人が何(なん)とか思いはしないだろうか”とか、
”人が自分にケチをつけはしないだろうか”とか、
”他(た)の人に負けてはならない”とか、

大体、人間相手の虚栄心や競争心から起こって来るものなのである。

虚栄を去り、見栄を求めず、競争心を無くして唯(ただ)、
「神」を表現しようとしたときに、初めて其の人は
心の自由を得(う)るのである。

ただ「神」のみを対象として、神にのみ仕える気持ちで
他(ひと)に尽くすならば、人間の毀誉褒貶(きよほうへん)などは
何ら意に介するところとならないのである。

そして唯(ただ)、自己の生活に「神」を実現することだけが
神のこの上なき悦びとなるのである。

そして唯(ただ)「与える」自分となるのである。

しかし「与える」という自負的な感じすら無くなってしまうのである。

無我、無私にして唯「神」のみがその人の生活に実現するようになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P15) より

           <感謝合掌 平成30年1月12日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2018/01/13 (Sat) 04:16:13


《13日 明るい想念》

吾々人間は”神の子”であり、自由意志を与えられており、
自己の運命を如何に決定するか固有選択の権利と、
その選択したものを実現するための道具とを与えられているのである。
  
その道具というものはほかでもない、自己の「想念」と「言葉」とである。

吾々は積極的な建設的な明るい想念と言葉と行動とによって
幸福な運命を良き運命をつくり出し、

消極的な破壊的な暗い想念と言葉と行動とによって
不吉な悪しき運命をつくり出すのである。


吾々がよき想念をつくり出そうと思うならば、
現実の不幸や病気などに心を振り向けていてはならないのである。

先ず神の方へ心を振り向け、神のもちたまえる凡(あら)ゆる善き性質を
思い浮かべ、それを讃嘆し、それに感謝する想念を起こすようにするがよいのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P16) より

           <感謝合掌 平成30年1月13日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2018/01/14 (Sun) 03:25:44

《14日 問題解決の智慧》

誰だってみずから進んで気苦労したい者もないし、
心配や取越苦労したい者はないのであるが、

気苦労しまい、心配しまい、取越苦労しまいと思っても、
いつの間にか色々と心が苦労するのを止(や)めることができないのが普通である。

しかし心配したり、憤(おこ)ってみたり、イライラしたりしたところが
問題の解決には何の役にも立たないのである。
それは問題を益々解決困難に持込むだけの事である。

それよりも心を平和にして問題の核心をつかみ、
何処にその「問題」という現象があらわるところの精神原因があるかを明らかにし、
その精神的原因を除去すると共に、心を神に振向け、
神から問題解決の智慧の導きを受けるように、神想観して祈るがよいのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P16~17) より

           <感謝合掌 平成30年1月14日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2018/01/15 (Mon) 04:28:54


《15日 神を呼ぶ習慣》

問題がない時にも常に神を呼べ。
問題がある時にも常に神を呼べ。

神は呼ばなくとも常にあなたを取り巻き、あなたの内にあり、
あなたを導こうとしていられるのだけれども、あなたが、
神を呼ぶ習慣をつけていないと、イザというとき神の声がきこえないのである。

神は霊であるから、その御声は”霊の声”であるから、
肉の耳ではきこえないのは当然である。

常に神想観して、神を呼び神の霊的囁きを直観によって聞くことができる
練習を積んでおくことが必要なのである。

何事があっても現象は単に「結果」にすぎないのである。
「結果」ばかりをいくらいじくり廻しても「原因」を解決しておかなければ、
結果の処理によって、一時的に現象が解決しても、また「原因」の
自然的順序として同じような結果があらわれて来るようになるのである。

その「原因」解決の道は、心を神に振向けて、神の導きにより心を解決する
ほかなないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P17~18) より

           <感謝合掌 平成30年1月15日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2018/01/16 (Tue) 04:40:09


《16日 能力は神より来る》

何人(なんぴと)も自分の能力を自分の能力だと思ってはならないのである。
すべての能力は神より来るのである。

そのことを本当に自覚したとき、自分の能力を自分勝手の自己中心的目的にばかり
使ってはならないのだということが悟れるのである。

神から与えられた能力を神の目的に使いなさい。
すべての能力は、それを「自分の能力」だと思ったとき、
あなたは自分自身の能力を限ることになるのである。

五尺数寸十幾貫めの自分の肉体の能力など、知れたものである。
それは数えるに足りない。

自分の能力が神から来たものであり、自分のものはひとつもないと思ったとき、
諸君は自分の能力を他(ひと)に見せびらかすようなケチな考えはなくなり、
虚栄心は無くなり、毀誉褒貶に心をうごかすことはなくなり、

神を讃えるために、神を表現するために、神の愛を実践するために、
自分の能力を埋蔵することなく、人のために尽すことができるようになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P18~19) より

           <感謝合掌 平成30年1月16日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2018/01/17 (Wed) 03:55:41


《17日 神との一体感》

真にあなたが神との一体感を獲得せられるならば、あなたの欲することは
何一つとして成就しない事はあり得ない筈なのです。

もっと積極的に、もっと裕(ゆた)かに、与える愛を持って愛しなさい。
新しい人生があなたの前にひらかれて来ることは間違いはありません。
恐れる必要も、不安に思う必要もないのです。

不安や恐怖が起るのは、あなたの神との一体感が真物(ほんもの)ではないからです。
神との一体感が完全でないために、自分自身に自信がもてないのです。
自分の能力に確信がもてないのです。

もっと自分自身に自信をもち、もっと自分自身の能力に確信をおもちなさい。

そのためには、もっと祈りを深めなさい。もっと熱心に回数多く神想観をなさいませ。
そのとき神との一体感がもっと深まり、自分自身に自信がもて、自分の能力に確信がもて、
あらゆる問題についても恐怖不安も感ずる事無くなり、希望する事は何事も成就する
ようになるのであります。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P19) より

           <感謝合掌 平成30年1月17日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2018/01/18 (Thu) 04:38:49

《18日 神の贈りもの》
 
神は無限であり給う。
あなたがチャンネルを広くひらけばいくらでも神の無限供給が広く
這入って来ることは間違いないのです。

ケチな考えを起さないようにしなさい。
ケチはチャンネルを狭くすることになります。

心はその想念の通りの形をつくるのです。

先ず自己の有(も)てる能力でも、金銭でも、それを自分のものと思わず、
神からの”贈り物”をあずからせて頂いているのだと思い、
それを最も神様の悦び給うであろう方面に使わして頂くことなのです。

すべて吾々はそのもてるものを出したときに次なるものが与えられるのです。

空気は無限に与えられているけれども、それを吸い込むばかりで、
吐いて出すことをしなければ、次に吸い込むことができないで窒息するばかりである。

吐いたら一時(いちじ)損になるように思えるかも知れないけれども、
新たに酸素を供給されることになり、其処に新陳代謝が行なわれ、
成長期にある人間(ひと)は吐いて出しながら却(かえ)って肥えて来るのである。

今あるものを与えれば次のものが与えられるのである。

この世は新陳代謝と循環との世界であり、新陳代謝と循環とが
行なわれている間だけ人間(にんげん)は生きているのである。
それが止まったら人間(にんげん)は「死」である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P20) より

           <感謝合掌 平成30年1月18日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2018/01/19 (Fri) 04:21:05


《19日 内界と交通する法》

日常生活の動きの世界に我々が翻弄せられている限りに於ては、
色々の出来事の、あれこれへと常に心が乱動して、
外界に振り廻される生活ばかりになってしまって、
自己の内界との交通が杜絶(とぜつ)するために、

内界の叡智からの導きを受けることができないで、
思わぬ失敗や災難に出遭うことがあります。

吾々は一日のうち30分間位は是非とも「静坐」して、
外界の色々の事件や状態からの暗示及び誘惑から離れ去り、
内界と直通する道を常に開いて置くことが必要であります。

それには神想観を毎日1回又は朝夕実修することが大変効果があります。

坐禅のような修行も効果があります。

福岡市で福岡佐賀長崎の信徒大会のありました37年8月26日の西日本新聞の
夕刊に「無念無想! かわいい坐禅」と題して佐賀市の西林寺で毎朝やっている
”子供の夏期坐禅会”の写真がのって、この坐禅の功徳によって

「よく勉強するようになった」「親のいうことをよく効くようになった」
「よく家の手伝いをするようになった」と父兄の間から大好評だという
記事が載っていたが、

すべて静坐的黙坐の修行は、外界の喧噪にふり廻されていた心が、
内界に沈潜して、其処から実相の智慧の導きを受けて来るようになるから、
坐禅に於いてもこのような効果があらわれるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P21~22) より

           <感謝合掌 平成30年1月19日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2018/01/20 (Sat) 03:10:20


《20日 困難に突き当たった時》

どんなにあなたの問題が困難そうな問題であっても、
神の眼から見れば困難な問題はないのであります。

あなたの周囲のものが悉く壊(くだ)け去り、一切の富が一時失われたにしても
神はそれを以前よりも、もっと完全な姿に再建することができ、
前よりも裕(ゆた)かな富を築きあげることができるのであります。

宇宙の一切の天体が神によってつくられ、
地上の一切の鉱物、植物、動物を含む資源が
神によって造られたものであることを想い出して御覧なさい。

そしてこの天地創造の御力(おちから)が、
依然として神の内(うち)にあることを考えるならば、

神はあなたの、どんな難問題をも解決し、どんな大破壊をも修復して、
以前にもまして裕かなる世界を創造するお力を有し給うことがわかる筈である。


こんな事は、一寸考えたら解る筈の事であるのに、
この真理が充分受け容れできない人があり、

また”そんなこと解っている”という人の中にも、
その悟りが頭脳の表層を占めるだけで、
充分潜在意識に滲み込んでいない人も随分あるのであるから、

神想観の実修の時には勿論、常に機会ある毎に、
この偉大なる神の力が自己と偕にあることを念ずるようにして、
その真理を潜在意識に浸潤するようにしなければならない。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P22~23) より

           <感謝合掌 平成30年1月20日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2018/01/21 (Sun) 03:24:31


《21日 すべての恵みの本源を知る》

何よりも大切なのは、吾々の生活になくてはならぬ全てのものが、
実はその本源が神より来(きた)るものであることを知ることなのです。

それを本当に知ったとき、真実神への感謝の念が起って来(く)るのです。

神への感謝の念が本当に起って来(き)たとき、
吾々の精神波動が“神の国”と完全に霊交し得る精神波動となって来て、
“神の国”に既にあるところの健康、財福、希望実現、その他
あらゆる善きものが現実化することができるようになるのです。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P23) より

           <感謝合掌 平成30年1月21日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2018/01/22 (Mon) 03:09:49


《22日 神と人の温かい関係》
    
神は吾々の親様であり給う。
神は”法則”として宇宙に充ち満ちてい給うけれども、
単に冷たい法則だと考えてはならないのである。

神は単に”法則”とののみ考えることは神を限定することになるのである。
神は”法則”であると同時に”人格”であり給う。

神は人間にとって温かい愛情をもち給う”親様”でもあるのである。
従って”神”と”人間”との間には、
人間同士の親子関係のような愛情があるのである。

人間の”親”がその”子”からして”親”としてみとめられたいと同じように、
神も亦、人間から”親様”としてみとめられたいのであり、
人間が”子”として”親”に仕える如く神に仕えることを欲したまうのである。

神は「我は汝らの唯一の産みの親である。わがほかに本当の産みの親はない」
と仰せられているのである。

そして神を「親」として見るとき「汝らの兄弟のうち最も大なるものは
父母(ちちはは)である」ということになるのである。

そして神は「神の国のすべての富はわが子即ち汝ら人間のものである」
と仰せられるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P23~24) より

           <感謝合掌 平成30年1月22日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2018/01/23 (Tue) 03:37:17


《23日 自己限定を止めよ》
    
あなたのすべての生活力も能力も悉く神から来たものなのである。
それを知ったとき、本当の自信力が涌いてくるのである。

五尺数寸、十幾貫に過ぎない物質的肉塊から出て来る生活力や能力が
自分のものであるならば、それはどんなに素晴らしいにしても
高(たか)が知れているのである。

神から来たところの無限力だと知ったとき、必要に応じていくらでも、
自分の生活力も滾々(こんこん)として涌き出てくるものだ
という安心感が得られるのである。

その安心感があなたの心のパイプを開いて、
滔々(とうとう)と神の力を流れ入らせることになるのである。

人間を単なる物質的肉塊だと思って、その自己限定によって、
神の無限力の流れ入る通路を狭窄(きょうさく)させてはならないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P24~25) より

           <感謝合掌 平成30年1月23日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2018/01/24 (Wed) 03:23:30


《24日 自己暗示の呪縛》
    
多くの人たちは、”自己”をあまり尊敬しなさぎるのである。

単なる”男性物質”と”女性物質”との性的結合によって成立った
唯物論的存在が「自己」だと思って、自己尊敬の心を失い、自己をあまりにも
“弱小なるもの”“卑しき穢れたるもの”と思い過ごしているのである。

その思い過ごしの想念が、自己暗示となって、自己を矮小化し、
神から恵まれた能力を自縄自縛して半ば眠らせてしまっているのである。
あなたはその自己暗示による自縄自縛を解かねばならないのである。


そのためには、あなたは真理を書きあらわした聖典及び聖経を
繰り返し読まなければならない。

聖経『甘露の法雨』を繰り返し読誦することによって、無数の難症が癒されている
事実が多数あらわれているのは、『甘露の法雨』に書かれている真理の言葉が
自己の”生命力”の自縄自縛を解除し得るものだということを証拠だてているのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P25) より

           <感謝合掌 平成30年1月24日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2018/01/25 (Thu) 04:16:46


《25日 霊的に生れ変る》

あなたの唯物論を除き去れ。

それが神からの無限をあなたに豊かに流れ入らしめる
通路をひらく事になるのである。
そのために常に、聖典、神誌、聖経を読むがよい。

やがて時が来る。

それは速やかに来る人もあれば、稍々(やや)長き後(あと)に来る人もあるが、
あなたはついに潜在意識の底に横たわる唯物論を洗い流して、”神の子”なる
実相を顕現し、自己が霊的実在であることをハッキリと悟る時が来るのである。

その時あなたは、
今までと異なる自由自在な”自分”を発見することになるのである。
その時、あなたは生まれ変わったのである。

もう過去の”自己縮小した自分”ではないのである。
偉大なる”神の子”であり、
”神の最高の自己実現”であることを発見するのである。

その時、あなたは誠にあらゆる方面に自由自在なる自己を発見し、
行くところ可ならざるなき、実相の能力があらわれるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P26) より

           <感謝合掌 平成30年1月25日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2018/01/26 (Fri) 03:39:03


《26日 守護神の助力》

あなたは”生長の家”に入信した人たちが無数の奇跡的な体験を、能力増進の体験を、
癌の如き難症治癒の体験を、家庭調和の体験を、自己の経営する事業繁栄の体験を
発表しているのを度々見られたのに相違ないのである。

あなたも”生長の家”に入教して聖典神誌聖経を読み、
或は誌友会や講習会に出席していられるうちに、人間の霊的実在なる実相を体得して、
そのような功徳を自分の体験として得られるようになるのである。

その時、あなたの一切の不幸も病気も消えはじめるのである。


自分の学力で、自分の知識で、このようなむつかしい聖典、神誌を読んでも
わからないと思ってはならないのである。

それを読むとき、神が、生長の家の人類光明化運動を指導し給う守護神が、
あなたに附き添うていて、不思議に、このむつかしい真理が、実にやさしく
あなたの魂にしみ入るようにせられるのである。

眼に一丁字のない無学のお婆さんのような人達が、
「生命の實相」の本をフリ仮名をたよりに読みながら、
不思議に高遠な真理を体得せられた実例が随分たくさんあるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P26~27) より

           <感謝合掌 平成30年1月26日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2018/01/27 (Sat) 04:06:58


《27日 傍目八目》
    
いつまでもクヨクヨと、あなたを悩ましていた問題と取り組んでいることを止めなさい。
問題の解決の鍵は、問題の渦中にいては却ってみつからないのです。

昔から「傍目八目」という諺があります。

問題の渦中にいると、現象に振り廻されて、
実相の智慧がくらまされてしまって
正しい判断ができなくなるのです。

学生が試験場にいて一所懸命考えたがどうしても思い出せない問題への答えが、
試験場を出て外の空気を吸った途端に思い出せたというような事例が
随分あるのは、試験場の外に出て、問題の渦中にいなくなるから、
心の自縄自縛が解けて、自由自在の智慧が涌いて来るからなのです。


それと同じように、何か問題が起こって来たときには、問題から離れて、
静かに神想観して「神の叡智われに流れ入り給う」と念じて、心を鏡のように
平静にしてからその問題の解決の方法を考えなさい。

屹度よい考えが浮かんで来ます。

神から流れ入る無限の智慧の流入を妨げているのは、
唯(ただ)自分自身の迷いの心に過ぎないのです。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P27~28) より

           <感謝合掌 平成30年1月27日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2018/01/28 (Sun) 03:47:18


《28日 現在意識と潜在意識との一致》

吾々がひとつの願いを達したら、また次なる願いが起って来て止(や)む時が
ないのは、それは自分の生命(せいめい)は、無限者(神)からであり、
無限を内(うち)に包蔵するからなのである。

各人はすべてそれぞれ宇宙大生命の自覚的表現の表出口であり、
内在する“無限”を意識的な形で表現する出口を構成しているのである。

次から次へと希望や願いが湧いて来てやまないのは吾々の”実相”の中に
潜在的に横たわっている内容が顕在的になりつつあるのである。


併しながら、時として、自分の願いが到底実現しないので、
失意落胆することがあるかも知れない。

若しあなたの願いが実現しないならば、現在意識の願いが潜在意識の願いが
一致しないことが原因であるか、信仰と努力とが足りない事が原因なのである。

現在意識(今意識的にあれあわれている心)が、外界に捉われて、
内界にある願いをそのままあらわすことができず内界にある願いが歪められて
所謂(いわゆ)る「我の願い」となっている場合には、充分に潜在意識の
後援を得ることができないで、その願いが成就しないことになるのである。

この真理をグレン・クラーク教授は「牝鹿の脚」といったのである。
牝鹿の脚は、前脚(現在意識の譬)が前進ずべく踏んだ同じ場所を実に精確に
後脚(潜在意識)が踏むから、そんな難しい山の突兀(とつこつ)たる岩道を
通っても、踏みはずして墜落するということがないのである。

・・・

*参考

(1)「牝鹿の脚」の話 <要点抜粋>(伝統板・第二)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592074

(2)「牝鹿の脚の話」<全文>(谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=96

           <感謝合掌 平成30年1月28日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2018/01/29 (Mon) 03:41:30


《29日 自己に忠実に》
    
休日が得られて遊び出て、「あゝ今日は楽しかった」という人があるが、
それはそれぜで可(よ)いが、休日だけが楽しいので、
働く日が楽しくないようなことではいけないのである。

人間は”神の子”であるから、常に楽しいのが当然のことであり、
人間の仕事は、神から与えられた其の時その場に於ける使命であるから、
仕事をするときにも「神と共にある」という幸福感や働き甲斐が
なければならないのである。

「休日だけが楽しい」というような考え方は、幼い時に、大人が子供に
以心伝心的に教え込む考え方で、他(た)の人の幸福のために貢献するよりも、
自分だけの興味のために行動する一日(にち)が楽しいという
大人の利己的考えが吹き込まれているのである。


人間は自己に忠実に生きなければならない。
併しながら、「自己の忠実に生きる」とは決して利己的に生きることでも、
他(た)の人の幸福を考えないで生きる事でもないのである。

人間の「本当の自己」は実相に於いて「すべての人間の自己」と
つながっているのであるから、「本当の自己」に忠実に生きるということは、
結局、すべての人間の幸福に貢献するような生き方をすることになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P29~30) より

           <感謝合掌 平成30年1月29日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2018/01/30 (Tue) 03:38:44


《30日 真の幸福感》

人間の真の幸福は”物質的なもの”を求めることによっては得られないのである。
物質的なものからも幸福感は得られる。
併し、それは真の幸福感ではないから永続的な幸福感ではないのである。

真の幸福感は霊的価値の追求によってのみ得られるのである。
霊的価値は、肉体という肉眼に視えるものを楽しませることによっては
得られないのである。

「個」たる肉体の奥にある普遍的なるもの、
共通的生命に対して貢献をなすことによって得られるのである。

何故(なぜ)なら、
人類共通の生命は、物質ではなく、霊的なものであるから、
人類の共通的生命に奉仕することによってのみ
霊的価値を獲得した悦びが得られるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P30~31) より

           <感謝合掌 平成30年1月30日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《31日》 - 伝統

2018/01/31 (Wed) 03:47:44

《31日 教へと生活との一致》

自分に対して誰も彼も猛威を持っていないとか、
冷たい眼で見ているとか考える人たちは、
根本に於いて人生観を変えなければならないのです。

「根本に於いて」とは人間の実相はすべて、”神の子”であり、
人間同士は互いに兄弟姉妹であり、この世界全体は「神の世界」であって
根本に於いて神の愛によって調和し護られていつのだという意味である。

この真理を知ることが「根本に於いて人生観を変える事」である。


生長の家の信徒で、教えの上では、この世界は唯(ただ)一つの神によってつくられ、
生み出され、護られているということを承認しながら現実に於いては、
「あの人は僕に敵意をもっている」とか「会社の重役は僕に冷たい」とか
思っているとするならば、

”教え”と”生活”とが分離しているために、
実際の功徳はあらわれないということになるのである。

信仰というものは”教え”と”生活”とが一致して実践されるとき
功徳を生ずるものである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P31) より

           <感謝合掌 平成30年1月31日 頓首再拝> 


・・・

<参考Web>

(1)ひかりの一日一言①
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552 

(2)ひかりの一日一言②
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787

(3)ひかりの一日一言③
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650

(4)ひかりの一日一言④
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684

(5)ひかりの一日一言⑤
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6558249

(6)ひかりの一日一言⑥
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584563

(7)ひかりの一日一言⑦
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774

(8)ひかりの一日一言⑧
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661

(9)ひかりの一日一言⑨
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6681257

(10)ひかりの一日一言⑩
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711243

(11)ひかりの一日一言⑪
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6745089

(12)ひかりの一日一言⑫
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6778844


<以下は、「幸福を招く365章」より」>

(13)ひかりの一日一言⑬~幸・不幸の岐れ道
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818439

(14)ひかりの一日一言⑭~意識を高く昇らせよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866429

(15)ひかりの一日一言⑮~理想を高く掲げよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754

(16)ひかりの一日一言⑯~心霊への目覚め
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6929870

(17)ひかりの一日一言⑰~健康への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6962847

(18)ひかりの一日一言⑱~寿福への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6990572

(19)ひかりの一日一言⑲~愛を人生に処方して
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7021791

(20)ひかりの一日一言⑳~祈りを生活に処方して 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7058416

(21)ひかりの一日一言21~あなたも神癒が受けられる 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7097406

(22)ひかりの一日一言22~光に向う我が運命 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7149847

(23)ひかりの一日一言23~正しき想念の使い方 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7190605

(24)ひかりの一日一言24~われ肉体以上のもの
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7274701


<以下は、「生活の智慧365章」より」>

(25)ひかりの一日一言25~幸福はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235

(26)ひかりの一日一言26~悦びはどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7557795

(27)ひかりの一日一言27~智慧はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7575483

(28)ひかりの一日一言28~無限の供給を受ける道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7590764

(29)ひかりの一日一言29~失敗から立ち上がる道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7606832

(30)ひかりの一日一言30~豊かさを得る道
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7630690

(31)ひかりの一日一言31~肉体の苦痛はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7645085

(32)ひかりの一日一言32~治癒する力はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7658207

(33)ひかりの一日一言33~若さと元気はどこからくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7669112

光明日訓(平成28年版)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538248

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