伝統板・第二

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年の瀬 - 夕刻版

2017/12/15 (Fri) 18:39:06

平成29年(2017年)師走(12月)も15日を迎え、
この頃から大晦日まで、一般的に「年の瀬」といわれているようです。

「瀬」とは川が浅く流れが急なところを指していますが、
1年のうちでもこの時期は急き立てられるように時間が経過することから
「年の瀬」と言います。

昔の人は、年始の準備やら暮れの支払いやらで、急流を船で越すように、
年の暮れを乗り越えるという感覚だったそうです。


さて、昨日(14)は、赤穂義士祭も、泉岳寺や赤穂市で行われたようです。


忠臣蔵の大高源吾には、俳諧の師・室井其角との間に、
「両国橋の別れ」という歌があり、今に伝えられております。


    「年の瀬や水の流れと人の身は明日待たるるその宝船」



赤穂浪士の「大高源吾」は俳諧にも造詣が深く、
「子葉」(しよう)という号を持っています。

討ち入りの日の夕方、大歳のすす払いの「すす竹」売りに身をやつした源吾は、
両国橋で、俳諧仲間の師匠「宝井其角」と偶然会います。

其角は、源吾の身なりを見て、その落ちぶれようが本当だと勘違いし、
もう会うこともあるまい、と自分の羽織を与えます。

そして、最後に付け句を、と、橋の上から隅田川の流れをを見ながら、
「年の瀬や、水の流れと人のみは」と出します。

(この意味は、年月がたつと、人の運命は大変変わるものだ。
特に落ちぶれた時は、年末の時が余計に身にしみる。
水の流れは止まらず、流れていくように、人の身(運命・・この場合は源吾を指す)も
本当に分からないものだ、というものです。)

これに対し、源吾は、その夜が「吉良邸」への討ち入りですから、
「明日 またるる その宝船」と返すのです。

(意味は、明日になれば討ち入りは終わる。長年の願いがかなう。
吉良を討つことができれば、最高だ。万一失敗しても、皆で切腹するのだから、
なき主君の下へいける。ともかく、長年の念願であった本懐を遂げることができる。
宝船みたいだ。というものです。)


其角は、この意味が分からず、その足で、俳諧の指導をしている
旗本「土屋 主税』の屋敷へ行きます。
そして。この話をすると、「主税」は、この「付け句」のなぞを解くのです。

そして、「土屋 主税』の屋敷は、吉良邸の隣にあるのです。
歌舞伎でも「土屋 主税」は良く上演される演目です。
この二人の俳諧の付け句のエピソードを題材にした歌舞伎に、
「松浦の太鼓」もあります。

歌舞伎だけでなく、講談や何かでも有名な話です。


<参考Web:歌舞伎「「松浦の太鼓」 まつうらの たいこ」
  → http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/7bf3c517d290577b62885754281c2cbb >

・・・

<参考動画>

(1)忠臣蔵~元禄花の兄弟:徳利の別れ・赤垣源蔵
    → https://www.youtube.com/watch?v=-15VtrxK8HQ

(2)三波春夫 ~元禄名槍譜 俵星玄蕃~
    → https://www.youtube.com/watch?v=SyXg8qwoG7w

            <感謝合掌 平成29年12月15日 頓首再拝>

「歳暮」 - 伝統

2017/12/18 (Mon) 18:28:14


「歳暮」は本来、「年の暮れ」という時期を指す言葉ですが、
やがて年末に贈る贈答のことをいうようになりました。

もともとは、年の暮れになって年神様や祖先の霊に、米、餅、魚などを
供える供物を持ち寄ったことに始まります。

それが、正月を前にして仕事などで帰省できない子供や、遠方の親戚たちが、
祖先の霊を守る本家の祭壇などに供えてもらうため、供物を贈るようになり、
それとともに親たちの長寿を願ったのが、お歳暮という習慣に変わっていきました。

かつては、お歳暮は主として塩ザケや塩ブリなどの魚が多く贈られました。
こうした魚は「年取り肴(さかな)」といわれ、年越しの食膳には必ず
出されたうえ、塩引きなどの処理によって長期の保存ができたことから
重宝されました。

こうしたお歳暮の習慣はやがて、日ごろのお世話になっている親戚や、
上司などにも贈られるようになり、現在にいたっています。

お歳暮の時期は、地域によって異なるとのことですが、
平均的には12月10日すぎ~12月20日頃のようです。

            <感謝合掌 平成29年12月18日 頓首再拝>

「冬至」 - 伝統

2017/12/22 (Fri) 18:35:36

今日12月22日は、年間を通して夜が一番長く昼が最も短い「冬至」です。

冬至を指す「一陽来復」は「冬が去り、春が来ること」を意味すると同時に
「悪い事が続いたあと、ようやく物事が良い方に向かうこと」でもあります。

<関連Web>

(1)光明掲示板・第三「一陽来復(いちようらいふく)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=489

(2)光明掲示板・伝統・第一「一陽来復」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=11

(3)伝統板・第二「一陽来復」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6464915

(4)伝統板・第二「一陽来復②」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6702297

              ・・・

また、冬至には「ん」がつく物を食べて、一陽来復の運気上昇にあやかり、
無病息災を願う風習が各地に残ります。

ちなみに「ん」がつく食べ物とは、大根や蜜柑(みかん)もそうですが、
よく言われるのは下記の7つで、いわゆる「冬至の七種(ななくさ)」です。

   南瓜(なんきん)かぼちゃ
   人参(にんじん)
   蓮根(れんこん)
   金柑(きんかん)
   銀杏(ぎんなん)
   寒天(かんてん)
   饂飩(うんどん)うどん

「ん(運)」がつく食べ物は「いろはにほへと・・・ん」で一陽来復、
また最初に戻る縁起物。

柚子を融通、冬至を湯治にかけて柚子湯に入るのは願掛けでもあります。

歳の暮れと新年を迎える準備が合わさった忙しさの中でも守られてきた
こうした習慣には、家族の健康への気遣いとこれからの無病息災への願い、
そして新しい年を迎える前の禊ぎの意味合いがあったとされています。

               ・・・

冬至で厄払い

昔は、「赤い魔除けの色の小豆」を入れた小豆粥で「厄払い」もしたそうです。
カボチャと小豆の両方で『ダブル厄払い』の料理を作るのも良いようです。

   (http://kinisuru.com/winter-solstice-pumpkin-18506

            <感謝合掌 平成29年12月22日 頓首再拝>

枚岡神社で「お笑い神事」 - 伝統

2017/12/25 (Mon) 18:37:01


        *Web:NHK関西NEWS WEB(12月23日)より

大きな声で大笑いをして、ことし1年間の嫌なことを吹き飛ばして
よい年を迎えることを願う神事が、東大阪市の枚岡神社で行われました。

この「お笑い神事」は、神々の笑いによって天の岩戸が開かれたという故事にちなんで、
開運を願って東大阪市にある枚岡神社で毎年行われています。

はじめに、宮司が「笑うと心の岩戸が開かれ、健康で幸せに過ごせる」
と神事について説明しました。

そして、宮司の合図で、集まった大勢の参加者がいっせいに
「わっはっは」と大きな声で20分間にわたって笑い続けました。

初めて訪れたという60代の夫婦は
「きょうはたくさん笑ってことし1年間の嫌な出来事が吹き飛びました。
来年は笑いの絶えない1年にしたいです」と話していました。

    (http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20171223/3835221.html

・・・

<関連>

(1)牧岡神社~注連縄掛神事(通称:お笑い神事)
    → http://www.hiraoka-jinja.org/special/owarai-shinji.html

(2)枚岡神社だより(2013年12月26日)
    → http://blog.goo.ne.jp/shinkimichimichi/c/e730132efde8001d164541545f447f52

(3)平成28年 枚岡神社”お笑い神事”昼も夜も、みんなで高笑い
      (http://www.do-natteruno.com/con_c/c469/c469.html

   (枚岡神社 お笑い神事 天の岩戸開き~夜明け前)
    → https://www.youtube.com/watch?v=udE4RB6HGxE

   (枚岡神社 お笑い神事~昼の部)
    → https://www.youtube.com/watch?v=z4luP9FqqDU

            <感謝合掌 平成29年12月25日 頓首再拝>

正月飾り - 伝統

2017/12/26 (Tue) 18:27:46


年の瀬は、お正月準備を含めて何かと忙しい時節です。

正月飾りも今はずいぶんと簡略化されていますが、
飾り物にもひとつひとつに意味があります。

例えば、門松は歳神様が降りてくるときの目印となり、
「松は千歳を契り、竹は万代を契る」との諺にもありますように
松には長寿、竹には発展への願いが込められています。

しめ飾りは不浄なものを寄せつけず、清らかな場所であることを示し、
鏡餅は年神様の神霊が宿る神聖な供物であり、丸い形は円満を表します。

また、赤い実の南天も、福寿草の花とセットで
「難を転じて福となす」という縁起物として正月飾りに用いられます。

<関連Web:谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
       『正月の餅飾りの意義を語る』
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=49 >

            <感謝合掌 平成29年12月26日 頓首再拝>

《注連縄》 - 伝統

2017/12/27 (Wed) 18:36:46


「注連縄」と書いて「しめなわ」と読みますが、
これもお正月に年神様を迎える準備の一つです。

神聖な場所と下界を分ける役割を持つ縄で、自分の家が年神様を
迎えるにふさわしい、清められた所であることを示すものです。


かつては年末に家庭で新しく「注連縄」を作り、家長が神棚のある座敷や
井戸、蔵など家の中でも特に大切な場所に張り巡らせる習慣がありました。

 <参考Web:幸せ重ねる しめ縄文化
  → http://chubu.env.go.jp/nature/yokoyama/marugoto/nawa/index.html >


現在は簡略化され、「注連縄」と同じ効果があるという「輪飾り」や、
「注連飾り」(しめかざり)を玄関などに飾るようになりました。


「注連飾り」は、小さな注連縄に長寿を願う植物の「裏白」(うらじろ)や、
後の世代まで「福を譲る」という意味のゆずり葉、家が「代々栄える」よう
願いを込めたダイダイなどをあしらったものがよく使われています。

12月中旬から28日までに飾り終えるのが習わしですが、
28日に間に合わなかった場合は、29日を避けて
30日に飾るのも大丈夫だそうです。


*裏白:正月のお飾りに使われるシダで、表面は緑色ですが、裏面は白。
    裏を返しても色が白いことから、心に裏が無い、清廉潔白を願い、
    また白髪になるまでの長寿を願います。

 <参考Web:しめ縄・しめ飾りの意味と飾り方
        → https://allabout.co.jp/gm/gc/434219/ >

             ・・・

《しめなは(注連)の縁起》

        *『叡智の断片』(P262)より
 
しめなは(注連)の縁起は次の通りである。

《しめなは》は天照大神が天の岩戸からお出ましになった時、
二度と再びお入りにならない様に張りめぐらしたものであると古事記に書いてある。

それはどういう意味かと言うと「再び退転しない」という意味である。
再びもとの暗い生活には帰らないという誓いをあらわす。

《しめなは》を張りめぐらす所はどこかのかど口の様な所だと思っていたら大間違いで、
実は、自分の心の中に張りめぐらすのである。

心の中で、「二度と再び過去のあやまちには退転しない」と固く決心することなのである。


*初出は、『白鳩』(昭和22年3月号 「道場聴き書」)。

            <感謝合掌 平成29年12月27日 頓首再拝>

《門松》 - 伝統

2017/12/28 (Thu) 19:31:02


《正月には松を立てる》

正月になると門松を立て、「お正月さま」といわれる神霊や祖霊をお迎えします。



(『白鳩』誌 昭和22年3月号 「道場聴き書」)

《正月には松を立てる。》

   松とは何であるかと云えば、それは《ときは》木であって、永遠に栄える木、
   即ち《サカキ・榊》である。

   天照大御神が天の岩戸にお入りになった時、神々がその戸口に立てたと云うサカキは、
   この『永遠に栄える木』を象徴している。松は即ちこのサカエギ(サカキ)である。

   また神前にサカキをそなえる場合、そのサカキもこの『永遠に栄える木』なのである。

   榊を神にそなえるとは、實は自分の心の中にサカキ(栄える木)を立てることである。
   榊は所謂『神様』に捧げるものではなくして、かえって『自分自身』に捧げるもの
   なのである。

   それ故、榊をそなえる場合には美しい緑の葉をみんな自分の方に向けて供える。
   『神様』の方には裏のきたない方が向いている。

   されば『神様』は自分以外の建物の中に在ますのではなくして、
   自分自身の心の中に存在することを知らねばならない。

・・・

        *『叡智の断片』(P260~261)より

松とは何であるかと云えば、
それは《ときは》木であって、永遠に栄える木、
即ち《サカキ・榊》である。

コトバの力で今年1年の栄えを象徴するために立てるのである。

神前に立てる、サカキは、永遠に栄える木「生命の樹」を象徴している。

              〇

門前に門松を立て、神に榊をそなえるのは、
実は自分の心の中にサカキ(栄える木)を立てる。

榊は所謂「神様」にささげるものではなくして、
かえって「自分自身」に捧げるものなのである。


それ故、榊をそなえる場合には美しい生き生きとした
緑の葉をみんな自分の方に向けて供える。
『神様』の方には裏の《きたない》方が向いている。

されば『神様』は自分以外の建物の中に在ますのではなくして、
自分自身の心の中に存在することを知らねばならない。

            <感謝合掌 平成29年12月28日 頓首再拝>

「鏡餅」 - 伝統

2017/12/29 (Fri) 18:13:17

鏡餅の意味は・・・

       *『古事記と現代の預言』(P33~34)より

鏡餅というものを、お正月に何のために床の間に飾ったりするかというと、
あれは“心の鏡”として反省するためで、こういう円満な心まん円い心になって、
夫婦一体に、仲良く重なっていないといかんぞよと、示されているのであります。

まことに家族は皆ばらばらではいけないのであって、みんな一体になって、
まんまるく、円満で、一つ心になって了わなければならんのであるということを、
お正月即ち年の始めに、新たに生まれる積りで、

今年はこの鏡餅の如く家族がバラバラでなく一体となり、
円満完全に夫婦仲良く致しましょうという象徴行事が
この正月の餅飾りである訳であります。
 
         ・・・

       *『をんな生ける意義あり』(P134)より

さて望月の形につくられたお餅は、三寶の上に二つ仲よく重ねられて
「夫婦まるく一體である」といふ今年の覺悟の象徴として、
それを元旦にながめるのであります。

         ・・・

       *『光の泉』誌(昭和38年新年号)より

   鏡餅とは、心の鏡とする餅と云うことであります。 
   これは上も下もまん丸くなっているのであります。 

   上も下もまん丸くなるには、お米のままや御飯粒のままでは
   まん丸くならないのでありまして、自分という個々別々の粒を潰して、
   自我を主張する事なしに全体につながらなければなりません。 

   バラバラの御飯粒のままでおりますと、それは腐りが早いのでありますが、
   一粒一粒という自分というものが無くなって、餅という形に団結致しますと、
   中々腐らない、‘もち’〈保存〉が良いのであります。 

   それで 「餅」 というのであります。

   我々善人はもっと団結して、善を進め、
   愛行をつくして行こうと決意しなければなりません。


   鏡餅 = 陰陽の法則

   又、この餅はどうして出来るかと考えてみますと、
   陰陽の調和に依って出来るのであります。

   先ずお米を洗って一昼夜程水に漬けて置きます。 
   あまり長時間水に漬けても、あまり短時間でもいけないのであります。 
   水は陰陽で謂えば 「陰」 で、女性であります。 

   その水に漬けて置いたのを蒸篭に入れて水平にならし、
   それをお釜の上に置いて下から火を燃やすのでありますが、 
   「火」 は陰陽で謂えば 「陽」 で、男性であります。

   女性は水平に横たわって男性なる火がそれを縦に貫くのであります。 
   その陰陽の結合を 「結び」 と申します。 

   その 「むすび」 の結果、美味しい 「うまし」 という味が
   出て来るのであります。

   日本の古典の『古事記』に於いては高御産巣日神、神産巣日神の次に 
   宇麻志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこじのかみ) と称する
   神が生れて来ております。

   すべて陰陽の 「むすび」 によって 
   「うまし」 という味が出て来るのであります。 
   これが 宇麻志阿斯訶備比古遲神 であります。 

   陰陽によってむすぶという事が大切であります。

   独身主義ではいけないのであります。 
   天地万物は悉く陰陽の結合によって出来ているのであります。 

   原子も原子核という陽の固まりがあり、
   その周囲に陰電気の電子が回転しているのであります。 

   太陽系統にも太陽という中心があり、その周囲をみずから光を発しない、
   即ち受身である処の、受身である陰性の地球がその周囲を旋回している
   のであります。

   発動的なのが男性であって、受動的なのが女性であります。 
   この発動的な 「陽」 と、受動的な 「陰」 との交わりによって
   一切万物が生ずるのであります。 

   細胞にも細胞核があり、核に生命があって発動的であります。 
   核を破壊したら細胞は死んでしまいますし、
   原子も核を破壊したら崩壊してしまいます。 

   太陽系統も太陽が崩壊したら存在し得なくなります。 
   核が中心であり発動的であり陽性であり、いわば男性であります。 

   一家において夫婦がある限り男性が中心であり、
   女性がその中心の周囲をめぐるのであります。

   近頃男女同権論がアメリカあたりから輸入されて、女性が中心だと主張する人もあり、
   男性化した女性が大分多くなって来ましたけれども、

   男女同権と云う事は、すべての人間は大生命なる神の生命(いのち)を頂いている
   という点に於いて、その貴さが同一であるという事でありまして、
   その位置や、姿や、働きが同一だと云う意味ではないのであります。

   子供を産む事が、即ち 「生命の創造」 の生理的行事が、
   原子核と同じ様に陽物が中心になって、その周囲に陰物即ち膣が旋回する事に
   よって、子供を産む生命の創造が行われるという、

   「神聖行事」 の形態が変らない限り、家庭に於いてその中心が 「男性」 である
   という根本は変らないのであります。

   と言っても中心が偉くて周囲が下等であるという訳ではありません。 
   周囲がなければ中心は存在し得ないのであり、
   中心がなければ周囲も存在し得ないのであります。

   夫婦、陰陽、天と地、周囲と中心とは本来一体であり、
   本来一体であるものが陰陽にわかれて各々のわけ前を受持つ事によって
   生命が産み出され、家庭が調和し、子供が生長するのであります。 

   どちらも持ちつ持たれつであります。 

   だから家長たる良人も決して家族に横柄に暴君振りを発揮することが
   中心たる役目を果すことではないのでありまして、周辺を拝み、
   周辺は中心を拝むことによって天地自然の法則に叶い、
   家庭は調和し、国家は興隆するのであります。

   鏡餅に私達の新しき年の希望の象徴を見て、鏡餅の如き円満な家庭を築き、
   健全な国家の基礎たらんことを期待しつつ、皆さんに対して祝福の祝いの言葉を
   送らして頂きました。

            <感謝合掌 平成29年12月29日 頓首再拝>

年越し蕎麦、「除夜の鐘」 - 伝統

2017/12/31 (Sun) 17:44:16

年越し蕎麦~大晦日に食べる蕎麦

   由来にもいくつかあるようです。

  ①一つは、その昔、あるお寺が、貧しくて年の越せない人々に蕎麦がき
   (蕎麦粉を熱湯でこねたもの)をふるまったところ、翌年から皆に運が向いてきた
   ことから、「運そば」として広まったというもの。

  ②または、もともと商家では、つごもり、つまり月末に蕎麦を食べる習慣があり、
   それが元になったとする説。

  ③金細工の職人が金粉を集めるのに、練った蕎麦粉を使っていたことから、
   蕎麦は金を集める縁起物として食され、

   またはその形状から細く長く達者に暮らせるように願ったとの話や、

   蕎麦は切れやすいことから、
   その年の苦労を切り捨て翌年に持ち越さないよう願ったという話もあります。

  ④痩せ地でも実を結ぶ蕎麦は、雨や風にも強い植物です。
   風に寝かされても、雨に打たれても翌日には起き直ります。

   このことから捲土重来(けんどちょうらい)を期す食べ物とも言われています。

・・・

「除夜詣」「除夜の鐘」

(1)大晦日の夜は、神社では境内で火を焚き、夜を徹して神主が罪や穢(けが)れを
   清める大祓(おおはら)えを行なう。

   一家の長は、氏神の社に除夜から翌朝まで籠もって歳神を向かえる。
   これを年籠り(としごもり)と呼んだ。

 この年籠もりが、大晦日の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」の2つに分かれ、
   後者が現在の「初詣」の原型になった。

(2)寺院では、午前零時を前にして除夜の鐘をつき始め、108回鳴らす。

   これは中国の宋代に始まった慣習だが、
   静かな夜更けに響く鐘の音は、いかにも荘厳な雰囲気を盛り上げる。
   歳神様を迎える聖なる時にいかにもふさわしい。

   異国から伝えられた仏教行事も八百万の神々のおわすわが国では、
   土着の慣習に自然に融合しているのである。

・・・

今日は大晦日です。

 晦日とは、陰暦で月の最後の日を意味するとあります。
 晦には夜・闇・暗い・くらますといった意味もあります。
 晦明とは暗いと明るいで、夜と昼のことです。

 この1年をふりかえってみて、晦と明のどちらだったでしょうか?

 多くの人にとっては、試練の1年であったことは間違いありませんが、
 個人個人としてはそれぞれ異なることでしょう。


 多くの人は、年初めに誓いを立て、今年こそは良い年にしようと願います。

 しかし、押しつまってくると、後悔する、反省しきり、時には懺悔もあります。

 心鎮めて、この1年について自分に語りかける時期であるかもしれません。

 しかし、谷口実相哲学を学ぶ人は、速やかに、観の転換で、光に振り向き、
 明後日からの新たな年(戊戌)への準備を怠りなく進めたいものです。

 そして、正月元旦の新しい夜明けは、さわやかに、めでたさ一杯の明るい
 心で迎えたいものです。

 そのための大晦日という大切な時間であることをお祈り致します。

            <感謝合掌 平成29年12月31日 頓首再拝>

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