伝統板・第二

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生命の教育 ② - 伝統

2017/12/13 (Wed) 04:50:51

       *伝統板・第二「生命の教育 ①」からの継続です。
         → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6833626

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の善性を見つめて言葉にしましょう 】


《親のまちがった心が、わが子を損(そこな)う》

      *( 『生命の實相』頭注版第 30巻12~13頁 )

多くの子供たちは、親がまちがった心の波を起こし、
まちがった言葉の波を起こしているために非常に損(そこな)われて
いるのであります。

多くの人たちは、子供を愛するあまりに悪(あ)しきことばかりを見つけて、
「お前はここがわるいのだ」ということを始終言うのであります。
そう言われるとその子供は萎縮してしまいます。

そういう子供は、たとい勉強は辛(かろ)うじてよくできたにしましても、
大いに伸びるということはできないのであります。

「勉強しろ、勉強しろ」と言わなければ勉強しないから、
やむをえず「お前はそんなことではできないから勉強せよ」と言うのだ
という人があるかもしれませんけれども、


「勉強せよ、勉強せよ」と口癖(くちぐせ)のように言うと、
いくら勉強してもかえって心に憶(おぼ)えないのであります。

これはまたおかしい現象でありますが、原理は簡単です。

「勉強せよ、勉強せよ」と言うような親は、
子供に対してどういう心の態度をとっているかといいますと、
「お前はできがわるいのだよ」という考えを懐(いだ)いているのであります。

できるに定(き)まっておれば、 「勉強せよ」とは申しません。
「できがわるい」と信じているから、
「勉強しろ、勉強しろ」とこう言うのであります。

              (平成29年12月号「生命の教育」誌掲載)

            ・・・

<参考:平成29年12月号「生命の教育」誌>

特集 親の口ぐせ―子供の運命を決める

子供の善性を見つめて言葉にしましょう 谷口雅春
巻頭のことば 新教育者連盟理事長 代田健藏

マイナスの口ぐせを今日からプラスの口ぐせに! 杉山紀代子
ダメ、ダメの“ダメ親” だった私 高田京子
言葉の通り“運が良い” 娘に 甲斐敬子
明るく、楽しい事ばかり話すようになる 嶺敏子
子供たちには良いコトバを心がけて 岩崎美智代


【特別インタビュー】
今こそ幼児教育の大切さを ~ 参議院議員 山谷えり子

子育ては母育て(60) 「母と子の世界」の始まり 田下昌明
子育てワンポイント(8) 「よい夫婦」に 出口正博
子育てQ&A 祖父母が甘やかしてばかり 大原和子
ゲームなどで遊んでばかり 小林義典
男の子に言葉遣いが悪い娘 國友規代

日本国憲法の問題点27 勝岡寛次
道徳用教材『私たちの道徳』を活用しよう(上)
日本人100 の誇り(63) 桂離宮 岡田幹彦
親子で学ぶ世界と日本? パンダは日本・チベット友好のシンボル 高木桂藏
親子で読むものがたり(63) 第一代の天皇さま 神武天皇 千葉ひろ子
生命の教育で学んだこと⑳ 岩石紘子

新教連いんふぉめーしょん
◇札幌支部の教育講演会、大阪支部の生命の教育講演会の報告
◇田下昌明先生の新刊紹介など
◇ 12 月支部行事

              <感謝合掌 平成29年12月13日 頓首再拝>

《「うちの子供はできが悪い」と思うだけでも》 - 伝統

2017/12/16 (Sat) 03:52:43

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の善性を見つめて言葉にしましょう 】~その2


《「うちの子供はできが悪い」と思うだけでも》

      *( 『生命の實相』頭注版第 30巻13~14頁 )

「うちの子供はできが悪い」と、言葉に出さなくとも、
心に念(おも)うだけでも一つの波を起こすことであります。

親または教育者が、心の中で、 「この子供はできがわるい」という精神波動を
起こしまして、その子供をそういう心で見つめているかぎりは、
その子供は決して学習がよくできるものではありません。

勉強室にいまして、勉強しているような真似をしておっても、
心は親の心で縛られておりますから、勉強が愉快でないのであります。

そういう場合には、勉強室に坐(すわ)っておりますと、なんとなしに窮屈な、
縛られたような感じがいたしますので、その窮屈な中にいるのではのびのびと
生命が生長しませんから、そこでいくら勉強しても深く心に愉快が刻(きざ)まれる
ということがないのであります。

そのためにせっかく勉強しても能率が上がらないのであります。


              (平成29年12月号「生命の教育」誌掲載)

          <感謝合掌 平成29年12月16日 頓首再拝>

《断定の言葉でほめる》 - 伝統

2017/12/24 (Sun) 03:31:27

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の善性を見つめて言葉にしましょう 】~その3


《断定の言葉でほめる》

      *(新編『生命の實相』第22巻49~51頁)

この間も私の宅(たく)へ一人の奥さんが、尋常六年になられる坊(ぼっ)ちゃんを
伴(つ)れて来られたのでありますが、その奥さんのいわれるには、
「先生、この子はもう六年になりますのにちっとも勉強しないのでございます。

それに乱暴で、こんな乱暴な子はありゃしません。
先生、どうでも少し親のいうことを聞いて勉強するようにいいきかせて下さいませ」
といわれるのです。

それで私がいったのであります。

「おくさん、それは大体あなたが悪いのです。
第一、子供を眼(め)の前において、子供の悪口をいうなんてことがあるものですか。
子供の善いところを見てほめなくてはいけないのです。

奥さん、この坊ちゃんの顔を見て御(ご)らんなさい。
なかなか好(よ)い人相してるじゃありませんか。
どうです。西郷隆盛によく似た偉い人相をしている。

ね、坊ちゃん、あんたはよい子だね、
西郷隆盛よりえらくなるよ。きっと偉くなる。
今日からお母さんのいうことを聞いて、きっとよく勉強するよ」と

駄目を押すようにいったのであります。

よい子に《なるだろう》といわなくて、きっと善い子に《なる》というのはつまり
断定の言葉であります。断定の言葉はよくきくものであります。
言葉で駄目を押してしまうと必ずその通りになるのであります。

さてその夜(よ)から、その子供の性格が一変してしまったのであります。

今(いま)迄(まで)夜分(やぶん)寝る時など、洋服もズボンも、
めちゃめちゃに放(ほう)り出して寝るのが常(つね)でありましたのに、
きちんと洋服もズボンも枕頭(まくらもと)に畳(たた)んで眠(やす)むように
なったそうであります。

私は何も洋服をたため、とはいわなかった。
ただ「お前は人相が好(よ)いから出世するにきまってる」という言葉をいっただけで、
そういう有様(ありさま)が展開して来たのであります。

お前は神の子だとまでいわないでも、西郷隆盛に似ているというだけでも
そうなって来るのであります。別に西郷さんが、洋服をきちんとたたんだ
というわけではないがとにかく、


「自分はよい子だ、えらくなる」という自覚を得(う)ることによって、
自分の内に宿る善い性質が形に現れて来ると、勉強の上のみならず
各方面に善さが顕れて来るのであります。

子供は親を尊敬していますから、尊敬している親の言葉は最も強い具象化力を
有(も)っているのでありますから、皆さんも、せいぜいお賞(ほ)めになって
子供の内に宿る善さをお引出しになることを希望致します。

              (平成29年12月号「生命の教育」誌掲載)

          <感謝合掌 平成29年12月24日 頓首再拝>

《どの人もみな「神の生命」を宿している》 - 伝統

2017/12/26 (Tue) 04:14:49

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の善性を見つめて言葉にしましょう 】~その3

《どの人もみな「神の生命」を宿している》

       *(新装新版『真理』第2巻142頁)

人を見るのにその外見をもってしてはならない。
人間の実相を見ると云うのは、人間の肉体や衣服は仮(か)りの相(すがた)
であって、 「人そのもの」ではないと云うことを知り、

その奥に宿っているところの「神の生命」(仏教的に謂えば「仏性」)を
観(み)ると云うことなのである。

何人(なんぴと)も神の自己顕現として、自己の内に「神」を蔵(ぞう)
しているのである。これこそが「真の人間」であるのである。

そしてその「内部の自己」が「神」であることを自覚し、それを尊敬し、
その如(ごと)く生きようと努力するとき、自分の性格も環境も健康も
改まりはじめるのである。

そして他(た)の人の「内部の自己」が矢張り「神」であり、完全であることを
心で一心に観(み)て、それを尊敬し合掌礼拝するようにするとき、
その「他の人」が礼拝されるに相応(ふさ)わしい立派な人間となって
顕(あらわ)れてくる。

              (平成29年12月号「生命の教育」誌掲載)

          <感謝合掌 平成29年12月26日 頓首再拝>

《悪があらわれても悪を見てはならない》 - 伝統

2017/12/27 (Wed) 03:20:59

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の善性を見つめて言葉にしましょう 】~その4

《悪があらわれても悪を見てはならない》

       *(新装新版『真理』第2巻142~143頁)

若(も)し誰かが悪いことをしたと云う報告が来たならば、
すぐその人を悪(あ)しざまに思うことなく、又、叱(しか)ったり、
怒鳴(どな)ったり、罵(ののし)ったりすることなしに、

「悪く見えたその相(すがた)」は仮(か)りの相(すがた)であって、
実相(じつのすがた)ではないこと、彼の実相(じっそう)は完全円満であって
決して悪い事をするような人でないことを、じっと心に描いて念ずるようにするのが
好(よ)いのである。

やがて彼の悪い相(すがた)は消えて完全な相(すがた)があらわれ始めるのである。

若(も)し何か面白くない事件が起ったならば、

「今はあの事件は悪いような相(すがた)をあらわしているけれども、
あれは途中の経過であって、必ず良くなるより致(いた)し方(かた)がない」

と念じて、
最善の努力を尽すならば、その事件は必ず好転して、好(よ)い結果を
生むようになるのである。

併(しか)し事情が好転するように誠心(まごころ)をつくして
努力することを忘れてはならぬ。


              (平成29年12月号「生命の教育」誌掲載)

          <感謝合掌 平成29年12月27日 頓首再拝>

子供の〝神性〟を認めて拝むような気持ちで - 伝統

2017/12/28 (Thu) 03:36:41

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の善性を見つめて言葉にしましょう 】~その5

《子供の〝神性〟を認めて拝むような気持ちで》

       *( 『生命の實相』頭注版第30巻85~86頁)

子供をよくしようとするには、児童を頑是(がんぜ)ないわからず屋だと思わないで
児童の神性は必ずや善を理解しうると信じて道理を説いて聞かすのが一番良いので
あります。

道理を説いて聞かすということは小言(こごと)を言えということではないのであります。
道理を説き聞かす場合にも、こちらが興奮して棘(とげ)だったような顔つき、語調を
して話すならば、言葉は道理を説いていても、それは叱責(しっせき)となり、
かえって反抗心を昂(たか)めてなんにもならないのであります。

《道理を説いて聞かすということは、
相手の中に道理が宿っていることを信じて拝むのであります》。

子供は神の子であるから「神」すなわち「真理」であり「道理」であるから
子供の中には必ず道理が宿っているのであります。
子供に宿っているその道理を拝む。

拝む気持になって尊敬しつつ柔(やさ)しく道理を説いてきかさねばならない。
「あなたは神の子である、善の子である、道理の子である、真理の子である、
あなたの中には善があるんだから、善をなすのに極(き)まっている」と、

その神性を認めてその子供を拝むような気持になって、静かにその宿っている
道理を引き出すようにして話しかけるのであります。

いくら叱(しか)りつけて恐ろしい語調で道理を説いても、それは相手のうちに宿る
真理すなわち神なるものを拝んで説くのでありませんから、子供のうちの道理、真理が
出てこないのであります。

同じ道理を説いても、相手を尊敬しつつ説かなければならないのはそのためであります。
「きさまみたいな奴(やつ)は人間じゃない、道理はこうだ」といって話したのでは、
その子供の中に道理が宿っておらぬと軽蔑心を起こして、内部の神性、仏性に蓋(ふた)
をして引き出そうとするのですから、その神性、仏性が出てこないのであります。

児童を良くするには、その神性、仏性をまず拝むのです。

拝めば扉が開かれるのです。

              (平成29年12月号「生命の教育」誌掲載)

          <感謝合掌 平成29年12月28日 頓首再拝>

《子供の内には無限の能力がある》 - 伝統

2018/01/10 (Wed) 04:29:27

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の生長を祈るときには 】


《子供の内には無限の能力がある》

      *(新編『生命の實相』第22巻 159~161頁)

人間の内には実に無限の潜在能力が埋蔵せられているのである。

深く穿(うが)つに従ってどれだけでも豊かに
その潜在能力を掘り出すことが出来るのである。

穿(うが)つとは自覚するということである。
自覚しさえすれば埋蔵せる宝は常に掌中のものとなるのである。

だから表面にある能力だけを自分の全部だと子供に思わすな。

表面にある「自分」は「真の自分」の唯(ただ)の
「小出(こだ)し」にしか過ぎないことを知らせよ。

「小出し」は使うのに便利かも知れないが、
この「小出し」を自分の全部だと思ってしまったならば
大いなる発達は望めないのである。

常に子供に教えて小成(しょうせい)に安(やす)んずるなといえ。

小成は自分の「小出し」に過ぎないこと、
今ある彼の能力はすべて「小出し」に過ぎないこと、
「小出し」は決して誇るに足りないこと、

つねに「小出し」に満足せず、

本源、即(すなわ)ち無限の潜在能力(神)より汲(く)むように努力すること――
常にかくの如き真理を子供に解る言葉で教えるように心懸ければ、
現在の自分に満足する子供の傲慢心(ごうまんしん)は打砕(うちくだ)かれ、
驕傲(きょうごう)は消滅せしめられ、永遠に能力の伸びる精神的基礎は築かれるのである。

自分の内部の生命が無限の大生命に連(つらな)っており、
そこに自分の本当の宝が在(あ)るのだということが判(わか)るとき、
いま僅(わず)かに掘り出した能力の「小出し」位(くらい)に
傲慢(ごうまん)になっていることは出来なくならざるを得ないのである。

自己の奥に「無限の自己」を自覚した者のみ、
「現在の自己」に本当に謙遜になることが出来るのである。

そして「現在の自己」に本当に謙遜になれた者のみ、
「無限の自己」に近づく可能性があるのである。

              (平成30年1月号「生命の教育」誌掲載)

            ・・・

<参考:平成30年1月号「生命の教育」誌>

特集 わが子の明るい未来を願って

子供の生長を祈るときには 谷口雅春

「出来る、出来る」の想いを「信念」にまで高める 井関隆文
願いを叶えるために ~5つの心得~
今に良くなる、必ず良くなる、と念じ続ける 山本由美子
願いは叶えられたと感謝しながら、わが子の受験を祈る 荒井清以
ご先祖さまへの感謝の心が夢実現の力に 根之木拓子
障害を持った子供たちと自立への信念を思い描いて接する 鈴木真人

柔道の指導を通して、子供の成長を願う 吉岡光一

〈特別インタビュー〉
子供の目を輝かせる教育は、家庭の中から
元学習院女子大学教授 久保田 信之

子育ては母育て(62) 「時間」を覚えるとき 田下昌明
子育てワンポイント(10) 丸ごと認める 出口正博
子育てQ&A 集団行動が苦手な4歳の息子 大原和子
娘に手伝いをさせたい 小林義典
何事も不器用で、のろのろの娘 國友規代

日本国憲法の問題点(29) 勝岡寛次
日本のしきたり(1) 「お正月」 辻川牧子
日本人100 の誇り(65) 万葉集 岡田幹彦

親子で学ぶ世界と日本(38) 戦後が忘れた「国家観」 高木桂藏
親子で読むものがたり(65) 繋がった皇統――顕宗天皇と仁賢天皇 千葉ひろ子
新年名刺広告

新教連いんふぉめーしょん
◇新教育者連盟研修会、特別講演会、祝福祈願祭の報告
◇北見支部の教育講演会の報告、兵庫支部の生命の教育講演会の案内など
◇1月支部行事事

  (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

          <感謝合掌 平成30年1月10日 頓首再拝>

《あなたの想いが運命にあらわれてくる》 - 伝統

2018/01/14 (Sun) 03:47:25

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の生長を祈るときには 】


《あなたの想いが運命にあらわれてくる》

         *(新装新版『真理』第1巻141頁)より

あなたが 「何を想うか」 と云うことはあなたの運命や、
健康を如何にするかと云う力があるのであります。

吾々の心の中は「花園」や「花畠」みたいなものでありまして、
そこに、どんな種(たね)でも蒔(ま)くことが出来るのであります。

心の花園に蒔く種は「思い」と云う種であります。
心に何を「想う」かと云うことが心の花園に蒔く種を
定(き)めることになるのであります。

悪い「想い」を心の中に蒔きますと、悪い事が出来てまいります。

自分は「ただ心で一寸(ちょっと)思っただけなのに」などと考えても、
それは種を蒔いたのですから、その通りのものが、
形になってあらわれて来ても驚いてはなりません。

「あの人は悪い人だから嫌いだ」と心で想(おも)いますと、
「あの人」が悪い人になってあらわれて来ます。

「あの人は神の子だから屹度(きっと)善い人だ。私は好きだ」と思っていますと、
その人は、屹度(きっと)、あなたに深切な善い人になってあらわれてまいります。

              (平成30年1月号「生命の教育」誌掲載)

          <感謝合掌 平成30年1月14日 頓首再拝>

祈るということは、生命(いのち)の底深くで宣言すること - 伝統

2018/01/19 (Fri) 04:34:43

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の生長を祈るときには 】


《祈るということは、生命(いのち)の底深くで宣言すること》

         *(新装新版『真理』第1巻229頁)より

祈ってもその祈りがきかれないのは、祈りの法則を知らないからです。
「祈り」と云うものが、大体何であるかを知らないで祈っている人があるのは
まことに不思議なくらいです。

「祈り」と云うのは神社のまえに手を合わし、頭(こうべ)を垂(た)れて、
自分の欲しいものをくどくどとならべて、それを下さいと泣きつくことばかりでは
ないのであります。

無論これも、祈りの一種でありますけれども、
これでは、あまり効果(きき)めはないのであります。

祈りと云うのは、命宣(いのり)でありまして、自分の「生命(いのち)」の
底深く、 「宣(の)る」即(すなわ)ち宣言することであります。

「わたしは不幸であります。神様たすけて下さい」と泣きつくことは、
自分の「生命(いのち)」の底深く「わたしは不幸であります」と宣言している
ことになりますから、 「不幸」が来るように祈っているようなものであります。

              (平成30年1月号「生命の教育」誌掲載)

          <感謝合掌 平成30年1月19日 頓首再拝>

《既に実現していると心に描くことが大切である》 - 伝統

2018/01/21 (Sun) 03:38:07

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 子供の生長を祈るときには 】


《既に実現していると心に描くことが大切である》

         *(新装新版『真理』第1巻229~230頁)より

《いのち》の底深く念ずることが、形の世界にあらわれて来るのが、
「心の法則」でありますから、不幸の人が幸福になろうと思って、
「私は不幸であります」と云(い)えば益々「不幸」と思うとおりに
「不幸」が出てまいります。

だから幸福になりたい人は、 「神様、私は幸福です。有りがとうございます」と
先(ま)ず御礼を云うのが好(よ)いのであります。

これこそ、幸福を《いのち》の底から宣言するのでありますから、
「幸福を実現する祈り」だと云えるのであります。

すなわち、 「既(すで)に善いことが与えられている」と信じて、
それに感謝するとき、その通りが与えられるのであります。

キリストは祈りによって物事を成就する天才でありました。
キリストは、このことを「汝ら祈りて何事
にても求むるとき、既に受けたりと信ぜよ、
さらば、汝はこれを得(え)ん」と教えられました。

ハッキリ、求める物が既にあることを心に描き得(う)る程度に従って
それを得(う)ことが出来るのであります。

このことをキリストはまた「神の国を求めよ。その余(よ)のものは汝らに加えらるべし」

とも云っておられます。 「神の国を求めよ」と云うのは、神様の国は既にあるのですから、
それをハッキリ心に、自信力をもって描くことであります。

ハッキリ何でも心に描いたら、それが現実世界にあらわれて来るのが心の法則であります。

              (平成30年1月号「生命の教育」誌掲載)

          <感謝合掌 平成30年1月21日 頓首再拝>

《本を可愛がって読めば力がつく》 - 伝統

2018/02/03 (Sat) 04:43:34

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 立派な本を味わいながら読みましょう  】


《本を可愛がって読めば力がつく》

         *(新装新版『真理』第3巻167~168頁)より

勉強室は、すきな本をたくさんならべておいて、気がむいたとき、自然に、
自分でよろこんで読むことにする方が、力がつくのであります。

いやいや人から「読め」といわれて、気がすすまぬのに読んだのでは、
心の窓がしまっていて、本に書いてあることが充分頭へ《はいらぬ》
のであります。

本を可愛がって、その本をひらくことが、楽しい気持になって、
「わたしの可愛い本よ」といって可愛がってから本を読めば、
本に書いてあることが、一層よく心の中へはいって来るのであります。

食物もよくかみしめて、消化して吸収しなければ力になりません。
本を読んでも、よくかみしめて、それをしみじみ味わって読まねば
あまり力にならないのです。

よくかみしめて読む方法は、
五、 六行よんでから、その本をとじ、眼(まなこ)をとじて、
その意味を心の中で思(おもい)浮かべて深く味わって見ることです。

私などは少年のころこうしますと、眼(まなこ)をつぶると眼(め)の前に、
その本のページの形と同じ形が眼(まなこ)にうかんで来て、
その通りのことがおぼえられたものです。

これは一種の記憶法にもなるのであります。

本を読みながら、 時々、眼(まなこ)をつぶってそれを考えて、
一々首を少し動かし「うなずく」ようにすると、よくおぼえられるものです。

              (平成30年2月号「生命の教育」誌掲載)

            ・・・

<参考:平成30年2月号「生命の教育」誌>

特集 読書は子供の心を豊かにする
立派な本を味わいながら読みましょう 谷口雅春

〈特別インタビュー〉
  お母さんの心と言葉が大事ですよ 童話作家 福永 眞由美

子供たちはお話の世界に入って学んでいる 齊藤とみ子
本が好きな子供を育てるには 代田壽範
読書は楽しいな! 執行ひろみ

2月11日は、日本の国の建国をしのび、
国を愛する心を養う「建国記念の日」です 伊藤八郎

子育ては母育て(63) 知能の基礎は言葉と時間(前篇) 田下昌明
子育てワンポイント(11) 豊かな体験を! 出口正博
子育てQ&A なかなか選べない息子 大原和子

娘になかなか友達ができない 小林義典
担任の先生の口調がきつい 國友規代

日本国憲法の問題点(30)勝岡寛次
日本のしきたり(2) 「節分」 辻川牧子
日本人100 の誇り(66) 能 岡田幹彦

親子で学ぶ世界と日本(39)北朝鮮は戦争する力無し 高木桂藏

親子で読むものがたり(66) 景行天皇の御代―― 倭建命と弟橘媛 千葉ひろ子
生命の教育で学んだこと(22)吉田里美

新教連いんふぉめーしょん
◇冊子『子育ての秘訣七ヵ条』のご案内、岩手支部の教育講演会・神話入門講座の報告など
◇2月支部行事

          <感謝合掌 平成30年2月3日 頓首再拝>

《立派な人の伝記をお読みなさい》 - 伝統

2018/02/05 (Mon) 04:04:41

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 立派な本を味わいながら読みましょう  】


《立派な人の伝記をお読みなさい》

         *(新装新版『真理』第3巻171頁)より

本に書いてあることは、ただ、お料理の材料みたいなものです。
その材料をどのように組合わせておいしいお料理にし、それを、
自分の心の滋養物にするかどうかは、本を読む人自身にあるのであります。

材料のよいところは捨ててしまって、《くず》のところばかりを集めて
料理にしておいしいことはありません。

本を読んでも、《くず》のところばかりを「面白い、面白い」といって読んで、
《ため》になるところを捨ててしまっては、読まぬほうがましな位です。

面白いばかりを目的に書いた本よりも、昔から立派な人になったり、
世の中のために尽した人々の伝記をお読みになることは、たいへんためになります。

文章はコトバの力で書いてある事と同じように、
読む人をならせる力をもっているものです。

つまらぬ本を読んでいますと、つまらぬ人になりますし、
聖人の伝記を読んでいますと、聖人になりますし、
英雄の伝記を読んでいますと、英雄になるものです。

              (平成30年2月号「生命の教育」誌掲載)

          <感謝合掌 平成30年2月5日 頓首再拝>

《善い本は同じ本でもたびたび読みなさい》 - 伝統

2018/02/16 (Fri) 04:05:24

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 立派な本を味わいながら読みましょう  】


《善い本は同じ本でもたびたび読みなさい》

         *(新装新版『真理』第3巻171頁~172)より

数をたくさん読むよりも、すこしの立派な本をよく味わいながら読むことは、
その人の精神を立派なものにします。むやみに大食(たいしょく)するよりも、
適当な養分を適量にいただくほうが健康によいようなものであります。

よい書物は一遍や二遍読んだだけで捨ててしまわないで、十回でも二十回でも、
繰返し読むことです。本の表紙は大切にして上包(うわづつ)みでもして、
一遍読み終るごとに取りかえて、新らしい気持を出すのがよろしい。

本の中味は、読んで感心したところに
赤い線を一度引いておき、その次にまた感心したところには
青い線を引くなどもたいへんよろしい。

本に《すじ》を引くのを遠慮することはいりません。

読んだときの感想などを本の余白に書いて置くことは、あとでたいへん参考になり、
大人になってからも、自分の少年少女時代にこんなところを、こう考えながら
読んだのだな ―― と思出すのも楽しいものです。

本の中に、こうして書きこみを作るのはよろしいが、
読みかたにフリガナを鉛筆でつけておくなどはよくありません。
漢字をいつまでもおぼえないで、仮名ばかりをあてにして読むようになると、
文字を憶(おぼ)える力がなくなります。

              (平成30年2月号「生命の教育」誌掲載)


          <感謝合掌 平成30年2月16日 頓首再拝>

子供は無意識の中で教育される - 伝統

2018/02/20 (Tue) 03:46:55


           *「光明法語」(2月19日~20日)より

《無意識の心的影響》

吾々の人々に与うる影響は、意識的に与うる影響よりも、
無意識的に与えている影響の方が強いのである。

意識的に相手に好(よ)き影響を与えようとして一所懸命相手に深切丁寧をつくしても、
心の中に反感や、嫌悪の念や、けむたがるような感じをもっている限りは、
相手は決してこちらに対して好感をもってくれるものではないのである。

世間によくある姑を恐れつつ、しかも形の上では丁寧慇懃をきわめながらも、
却ってギコチない感じを姑にあたえて、姑からいじめられている嫁の如きはそれである。

・・・

《子供は無意識の中で教育される》

無意識の心的影響は、親が子供に対して教育する場合には特に著しくあらわれる。

母親が姑に対して物言うまいと決心したりしていると、
時として物言わぬ白雉の子供が出来たりすることがある。

親が人々に対して好悪の感を著しく抱いていると、
子供が食物に対して好き嫌いをするようになったりする。

親がうちの子は間違いないと信じていると間違いない子供になる。
うちの子供は虚弱であると信じていると、実際虚弱になってしまう。

しかし信ずると云うことは捨てて置くことではない。
信じて好(よ)き機会を与えることである。

            <感謝合掌 平成30年2月20日 頓首再拝>

高声、憤怒の調子を帯びた言葉で話してはならない - 伝統

2018/02/25 (Sun) 03:47:22


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月25日)」より


たえず親から叱られつづけてきた子は、どうも気遅れしがちである。
そうでなければ極端に反抗的に乱暴である。
 
この世の中に悪人はいないということ、もし欠点を指摘してくれる者があったら、
その人は決して悪意からでなく、自分をよくしてくれるために教えてくれるものである
ということを幼い時から子供に知らすことが肝要である。

子供の(大人も同じであるが)欠点を直すために指摘する際に、
腹立ち声を出すことはなんの益もない。ただ気遅れのする子供をつくるだけである。

その性質は生長後も時として
一生涯つきまとい。その人の運命の重荷となることがあるものである。
親が子を害していると知らないで、どんなに多くの子を害していることであろう。
 
心理学者の実験によると、幼児は一定以上の高声または高音響に対して
本能的に恐怖の表情を示すのである。そのことは学童以上の年齢になっても継続する。

もし子供をよくしてやりたいとの親切から子供の欠点を指摘するような場合には、
普通の話以上の高声を出したり、憤怒の調子を帯びた言葉で話してはならないことである。

もし相手に訓示を与える際に相手に恐怖や不快の念を与えたら、
それは反抗となってせっかく話したことが反対の結果になることがある。
 
恐怖は閉じる心である。形は心の影である。蛤を見て悟るがよい。
高音を出して恐れさせれば、その蛤は貝殻を閉じるであろう。

貝殻を閉じる蛤のような気遅れする人間に育てたのは、
物を教えるときに使う荒立った高声(こうせい)である。  

           <感謝合掌 平成30年2月25日 頓首再拝>

《元気になる本を読みなさい》 - 伝統

2018/02/27 (Tue) 03:46:42

今月の谷口雅春先生のお言葉

  【 立派な本を味わいながら読みましょう  】


《元気になる本を読みなさい》

         *(新装新版『真理』第3巻173頁)より

悲しいことの書いてある本や小説を読んではなりません。

悲しいことを書いてある本を読みますと、心の中に悲しいことを思いますから、
心が悲しくなり、自分の心の悲しさと同じ波長の悲しいことがあつまってきて、
身体(からだ)も弱くなります。

立派な人の立志伝、困難をたえしのんで研究をなしとげた事績(じせき)を書いた本、
勇敢なことの書いてある本、勇気の出る本、元気になる本、男らしい冒険のことを
書いてある本、人に深切をする喜びの書いてある本などを読むと、
読んだ通りに、勇気のある、元気な、健康な、深切な人になります。

              (平成30年2月号「生命の教育」誌掲載)

           <感謝合掌 平成30年2月27日 頓首再拝>

善きものを芽ぐむ日 - 伝統

2018/03/04 (Sun) 04:41:46


           *「光明道中記」(3月4日)より

【胎児期の教育は却って一層その親によって直接教育せられる。
 親そのものの中に直接生活していて、その精神波動の影響を受けている。
                           (『女性読本』)】

霊魂が肉体に宿るのは、普通は出産の刹那である。

併し、懐妊の瞬間から、妊娠の全期を通して、
間接的に霊魂は形成中の肉体に入り来るのである。
霊魂は自分の住居(すまい)に、
謂わば自分独自の個性の判(はん)を押すためにやって来る。

そして其処に進行している生理的営みや肉体的遺伝を修正して自己独自の陰影を附与する。
そして彼は出産の時に、自己のそれ迄の状態について就いての記憶を全然忘失して、
肉体に宿り切るのである。

これが一般的法則である。(『生命の實相』第五巻)

此の霊界通信は胎教が如何に重大な役割を人間に与えるものであるかを示している。

懐妊しても胎児の霊魂が直ちに母胎に入り来たって自己独自の
思想感情意志その他の精神的波をその形成中の胎児に印するのではなくて、
絶えず胎児が形成せられるのは、母体の生理状態によって

胎児生長の栄養と材料とを得、母体の精神的波動の影響を受けて、
その栄養と材料とが次第に組立てられて、
胎児は1個の卵から約2千3百倍の身長に達するまで生長する。

吾々が生まれてから身長僅か4、5倍にしか生長しないことを考えると、
胎児期の教養がどんなに大切なのかを示している。

           <感謝合掌 平成30年3月4日 頓首再拝>

最も必要なのは胎教である - 伝統

2018/03/05 (Mon) 04:47:46


           *「光明道中記」(3月5日 心絶えず歓ぶ日)より

【その母氏は荒川氏反応陽性であったのであるが、此の日に限って陰性となっていた。
 そして其の日に心配事があったことを話した。(『女性読本』)】

マルファン氏は「過性感情が乳汁分泌(にゅうじゅぶんぴ)に影響を与えることがある。
授乳者の憤怒、恐怖は乳汁分泌を感じ、有害なる性質を乳汁に与え得る。

何となれば此の場合に
乳児は体温を感じ、または下痢を起すことがあるからである」と言い、

グリッフスは「恐怖、憤怒、悲哀其の他大なる感情の動きが迅速に乳汁に影響を
及ぼして乳児の疾病を惹起(ひきおこ)すことは必ずしも稀(まれ)ならず、
・・・或る場合は乳汁中に実際の有害変化が起ることもある」と言っている。

以上は私の『女性読本』に引用した泰西(たいせい)医家の所説であるが、
この事を母乳の変化のみに考えてはならないのである。

母乳が変化する位ならば母体そのものも変化しているのである。

妊娠中に火事を見たら赤斑(せきはん)のある子が生まれるということは嘘ではあるが、
過度の感情の動きが母体を変化せしむれば、その母体の中で養われている胎児が影響を
蒙(こうむ)るのは明らかなことである。

遺伝は数代以前からの心の波の痕跡であるが、
遺伝は自然に慣れ行きつつあるものであるから問題はない。

最も必要なのは胎教である。
それは今現に直接胎児に影響を与えつつある。

           <感謝合掌 平成30年3月5日 頓首再拝>

育児の根本は報本反始(ほうほんはんし)にある - 伝統

2018/03/09 (Fri) 04:17:14


           *「光明道中記」(3月9日 父母の恩を知る日)より

【執愛は捉われている愛である。「愛の愛たるは愛に非ず」。
                   (『生命の實相』第十一巻)】


初めて子供が生まれたときにどんなにその母親は勿論、
父親もその子供を可愛く思うであろう。
その愛は尊き愛である。

その愛がなかったならば幼い脆弱(ぜいじゃく)な肉体を有った赤ん坊は
生活し得ないで大人まで成長する者は稀(まれ)であろう。

子供を生かすのは、そして吾々を今日まで生活することを得しめたのは
兎も角も父母の愛である。
吾々は此の点に於て父母に感謝しなければならない。

子が生まれたとき父母に感謝せよ。
育児の根本は報本反始(ほうほんはんし)にある。

科学的な育児法がどんなに巧みに行なわれても、若しその若き父母が、
その老いたる自分の父母に感謝し得ない時には育児の根本は覆われて了うのである。

最初に生まれた子供がどんなに可愛いからとて、その愛に溺れて、無暗に抱きかかえたり、
頬ずりしたりして、折角安静に眠っている赤ん坊の神経を掻きみだしてはならない。

昔から「総領(そうりょう)の甚六(じんろく)」などと言って
長男は頭が鈍(にぶ)かったり、祖父(じい)さん祖母(ばあ)さんに
育てられた子供が「甘え手(た)」で我儘(わがまま)で始末が可(い)けない場合が
多いのは、生まれた最初からあまり抱きかかえ過ぎるからである。

赤ん坊の言葉は「泣く」ほかないのであるから、
泣いたからとて必ずしも抱いてはならない。

           <感謝合掌 平成30年3月9日 頓首再拝>

赤ん坊の癇癪泣きの時には、愛慰(あや)したり抱いたりしない - 伝統

2018/03/10 (Sat) 04:20:35


           *「光明道中記」(3月10日 愛と大調和の日)より

【自分の心だけの事物しか自分の運命に引き寄せることが出来ない。
                     (『生命の實相』第四巻)】

赤ん坊はお乳を飲みたい時にも泣くし、眠い時にも泣く。

お乳を飲みたい時には、唇の表情はお乳を飲む時の格好に幾分
顫動(せんどう)せしめながら泣くものである。
眠いときには瞼(まぶた)を半ば閉じて眼の表情を眠そうにして泣く。

突然火のつくように泣くのは、どこか急に痛みか痒(かゆ)みが出て来たときである。
針が身体に刺さっていないか、虫が螫(さ)していないか調べて見る必要がある。

お腹が急に痛む場合にも急激に泣く。
その場合、生後1ヵ月以上の赤ん坊なら涙が出るのが普通である。

同じように急激に泣いても、癇癪(かんしゃく)泣きの場合には
涙は出ないで足を踏(ふ)んばらせたり、手を憤ったように頑張らせたりして泣く。

肉体は心の影であるから、表情を観察しておれば
容易に何の感情で泣くのか判るものである。

癇癪泣きの時に愛慰(あや)すような習慣を附けてはならない。
抱いては一層可(い)けない。

癇癪立てて泣きさえすれば何事でも叶うのだと云うよう我儘な習慣は、
泣きさえすれば抱いたり乳を飲ませたりする母親が最初に子供に養成したのである。
何でも最初が肝腎である。

嬰児(あかんぼ)だから何も分らないと思うのは間違である。
最初の我儘の習慣は大抵生れて15日以内に附くのである。

           <感謝合掌 平成30年3月10日 頓首再拝>

赤ん坊がにこやかに機嫌の好い時こそ、愛慰(あや)すがよい - 伝統

2018/03/11 (Sun) 04:26:56


           *「光明道中記」(3月11日 随所作主の日)より

【自分の立場からのみ見ずに、相手の立場からも見よ。(『生命の實相』第八巻)】


最初の教育は、赤ん坊が善き態度をとったら、善き感触を与えられると云う経験を通して
行なわれるのである。赤ん坊が悪しき態度を示したときに良き感触を与えられるならば、
その赤ん坊は悪しき態度のみを示すようになるであろう。

泣いたときに抱いて優遇したならば、
その赤ん坊は泣いたら優遇されると知って泣き虫に育つのである。
癇癪を起したときに優遇されるならば、自分の要求をきいて貰えない時に、いつでも
往来の真ん中で大の字に寝そべって泣きわめいて、親を困らす子どもになるだろう。

泣かぬ子に自分の児を育てようと思うならば、
赤ん坊が泣く時にはそれが痛みの表情でない限り、
無関心で放置する習慣をつけるべきである。

そして赤ん坊がにこやかに機嫌の好い時こそ、
お乳をやり、又時には抱いてやっても好い。

泣いている時に「おお、そうかそうか」と言って如何にも可愛気に愛慰(あや)すならば、
泣きさえすれば愛撫(あいぶ)してくれるものだと赤ん坊は思い違いをするであろう。

癇癪を立てている時に機嫌をとるために愛撫するならば、
赤ん坊は愛撫して貰いたくなると癇癪を立てるであろう。

           <感謝合掌 平成30年3月11日 頓首再拝>

言葉は子供の心の底に強く印象する - 伝統

2018/03/12 (Mon) 04:49:23

今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年3月号「生命の教育」誌)

  【 善い言葉と優しい笑顔で、明るい家庭を築きましょう 】


言葉は子供の心の底に強く印象する

         *( 『生命の實相』頭注版第30巻6~7頁)

今までの教育家のやっておられる教育法をみますと、たいていは
人間のわるいところを見つけまして、それを「ここが《わるい》から直せ」
というふうなことを常に言ってきたのであります。

そうして「お前はできが《わるい》からよく勉強せよ」
こういうような調子で教えてきたのであります。

そうするとその子供はどういうふうになってゆくかといいますと、
「お前ができが《わるい》から」とこう言われると、言葉の力によりまして、
「自分はできが《わるい》」ということを強く強く心の底に印象させられる
のであります。

そうして「できが《わるい》からやれ、 やれ」と言われますと、
「わたしはできがわるいのだ、やらなくちゃならない」と思いましても、
心の底に、 「自分は成績が《わるい》のである、頭がわるい《わるい》のである、
よくできないのである」という強い信念がその子供の潜在意識に
強く印象しておりますから、
勉強しようと思っても勉強
に興味が起こらないのであります。

それをいやいや「できないできない」と思いながら勉強しましても、
本当にその勉強が心に這入(はい)らない、

そのため、いくら勉強しても、その効果があがらないということになるのであります。

これが言葉の力であります。

              (平成30年3月号「生命の教育」誌掲載)

            ・・・

<参考:平成30年3月号「生命の教育」誌>


自分に誇りをもち 親に誇りをもち 祖国日本に誇りをもつ 青少年を育成する

「生命の教育」平成30年3月号 主な内容

特集 子育て――わが家の決まり事
善い言葉と優しい笑顔で、明るい家庭を築きましょう 谷口雅春

「してみせる・させてみる・できたらほめる」がしつけの第一歩です 大原和子
3歳の娘には、まず食事時間のルールから 佐瀬さや香
子供にはレッテルを貼らない 神 綾
子供もひとりの人格者として観る 高松久美子
冗談でもウソはつかず、子供の可能性を信じること 三輪りさ
感謝の心で、善い言葉ばかり使うように 井﨑弘之

《講演録》
天皇と国民――御代替わりとわたしたち
皇學館大学教授 新田 均

子育ては母育て(64) 知能の基礎は言葉と時間(後篇) 田下昌明
子育てワンポイント(12) 話を聞く 出口正博
子育てQ&A 小1の娘とのコミュニケーション 杉山紀代子
子供の発達に不安を感じています 小林義典
思春期の娘にどう接したらよいか 國友規代

日本国憲法の問題点31 勝岡寛次
日本のしきたり(3) 「ひな人形」 辻川牧子
日本人100 の誇り(67) 日本人の脳 岡田幹彦
親子で学ぶ世界と日本40 引き算国家と足し算国家 高木桂藏
親子で読むものがたり(67) 推古天皇の御代―― 聖徳太子 千葉ひろ子
生命の教育で学んだこと23 スクリムジャー弘美

新教連いんふぉめーしょん
◇兵庫支部の教育講演会、リーフレットのご案内、東京乳幼児教室のご案内など
◇3月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

   (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

           <感謝合掌 平成30年3月12日 頓首再拝>

規則正しい授乳と用便を教える - 伝統

2018/03/13 (Tue) 04:25:21


           *「光明道中記」(3月13日 軌道に乗る日)より

【人生は神の永遠の生命が五官に触れる形式に現わされたものでなければならぬ。
                          (『生命の實相』第七巻)】

赤ん坊に規律正しくお乳をやると云うこと、
規則正しい時間に便通をさせること、
それらは人間に最初の規則正しさを教えることになるのである。

規則正しい授乳と用便とは、人生に一つの法則があり、権威があり、
それに従うときに自由と快感を得るものであることを
赤ん坊に教え込むことになるのである。

即ちそれは「服従は自由なり」の古聖の金言を實生活の上に示し、
周囲と調和することことが、
自分の伸びる道であることを実生活に於いて知ることが出来るようになる。

子供を自主的な立派な人間に育てるのは必要だが、暴君に育てることは禁物である。
実的な立派な人間とは法則を破る人間ではなく、
法則を発見し、法則を利用する人間なのである。

科学者は自然界の法則を発見し、それを利用するとき本当の自由を得る。
自然界の法則を利用するとは法則に違(たが)うことではなく
、法則に従うことなのである。
凡そ、自由とは法則に従うところから来る。

内部の法則が外在の法則と全く一つになって運行するとき、
丁度機関車の内部の力が、軌条(レール)の則(のり)とがぴったり合ったとき、
自由になめらかに運転するのと同じようなものである。

あまり自由に甘やかして育てた子供が墜落するのは、
幼児から法則を無視することを教えたからである。

           <感謝合掌 平成30年3月13日 頓首再拝>

離乳食の与え方 - 伝統

2018/03/14 (Wed) 04:22:23


           *「光明道中記」(3月14日 自然を拝む日)より

【不健康は自然の生命の流れが何かの不自然で塞がれたことである。(『百事如意』)】


人間を造ったのは「自然」である。
自然を静かに観察する時は、何が生命を活(い)かすものであり、
何が生命を抑えるものであるかが判る。

生後7か月程にして幼児に歯が生えて来ることは何を意味するか。

その頃には固形のものを与えても好い証拠である。
併し歯は全部まだ揃っていない。
それは全部の食物がまだ固形物では可けない証拠である。

上部の門歯(もんし)は一体の肉(歯ぐき)から二つだけ先に生える。
それは父母が先に立っていることをあらわしている。

親の家を出たり、親が死んだり、親しく親の家にいない者は
門歯が虫歯になったり折れたりし易いものである。

生後7か月頃から、御飯を十粒ずつ毎日一粒ずつ殖やしながら
食事に混えて与えるのは胃腸の鍛錬法になるものである。

この方法を過(あやまち)なく行なうときは、
離乳時にお粥を特別与える必要はなくして、
直(ただち)に固形物に移り得るものである。


           <感謝合掌 平成30年3月14日 頓首再拝>

《心やコトバで善い種を蒔くのには》 - 伝統

2018/03/16 (Fri) 03:25:41

今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年3月号「生命の教育」誌)

  【 善い言葉と優しい笑顔で、明るい家庭を築きましょう 】


《心やコトバで善い種を蒔くのには》

       (新装新版『真理』第1巻142~143頁)

われわれは、コトバの種や想いの種を蒔くのです。
それは、眼に見えぬ小さい種ですが、それが段々生長して、

眼に見える形にまであらわれて来るのです。

神さまがあなたに、悪いものをお与えになるのではありません。
あなたの心の花園にあなた自身が蒔いた通りの種類のものが
あらわれて来るのであります。


自然は雑草も生(は)やしますが、美しい草花も生やしますし、
お米やお麦も生やすのです。
出鱈目にほっておいたら雑草の方がよけいに生えるでしょう。

だから吾々の心の「思い」も何の気なしにほって置いたり、
出まかせのことを思ったり喋(しゃべ)ったりしているのでは、
つまらないことばかり生えてくるでしょう。

だから、 言葉に出すことや心に思うことは
出来るだけ善いことばかりを思うようにしなければなりません。
善いことばかりを思うことです。

(中略)

今、悪いことがあっても

「私は神の子なるがゆえに、善いことが来る、善いことが来る」

と云っていると善いことが出て来るのです。

              (平成30年3月号「生命の教育」誌掲載)

           <感謝合掌 平成30年3月16日 頓首再拝>

《ニコニコえびす顔》 - 伝統

2018/03/18 (Sun) 03:47:20

今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年3月号「生命の教育」誌)

  【 善い言葉と優しい笑顔で、明るい家庭を築きましょう 】


《ニコニコえびす顔》

       (新版『生活読本』219頁)

いつもニコニコしていなさい。
ニコニコの心とニコニコのえびす顔に、よい事が集って来るのです。
ふくれっ面(つら)には、 決して良い事は集って来ません。

この世の中は、類(るい)をもって集るという事になっているのです。

蟻(あり)は蟻づれで蟻ばかり集っています。
鼠(ねずみ)は鼠づれで、鼠同士で駆(か)けっくらしています。
蠅(はえ)は蠅づれで腐(くさ)いものに集ります。

蠅はきたないですな。
きたないものには、きたないはものが集って来るのです。
くさったものに蠅がたかるのはそのためです。

あなたも気をくさらせたりして、ふくれっ面(つら)をしていますと
よいものは集って来ません。

ニコニコえびす顔をつねにしなさい。
よい事ばかり集って来て、 あなたは幸福になります。

              (平成30年3月号「生命の教育」誌掲載)

           <感謝合掌 平成30年3月18日 頓首再拝>

《感謝と愛語と和顔の中に調和ある家庭が生まれる》 - 伝統

2018/03/19 (Mon) 03:29:39

今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年3月号「生命の教育」誌)

  【 善い言葉と優しい笑顔で、明るい家庭を築きましょう 】


《感謝と愛語と和顔の中に調和ある家庭が生まれる》

       (新編『生命の實相』第13巻168~172頁)

息子や娘を善くしてやりたい愛の心だといって、始終大きな声で
口(くち)穢(ぎたな)く罵(ののし)ることは失敗である。

それはたとい愛の心があっても、鬼の面(めん)を被(かぶ)った愛の心である。
鬼の面を被っている以上は、愛でも相手を恐れさすほかに能力がないのである。

汝の鬼の面をとれよ。
そして本物の愛の顔を出(いだ)させよ。
相手は懐(なつ)いて、愛に感じて、喜んで善に遷(うつ)ってくれるのである。


たえず小言(こごと)を言い、絶えず怒(いか)りを振(ふ)り撒(ま)いて歩き、
間断なく人の欠点をさがしつつ、その人を善き人にしてやろうと思うのは、
「不調和」から「調和」が生れ出て来るだろうと予想するのと同様な迷信である。

たとい、この世の中に瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)が生れ出ようとも、
「不調和」から「調和」が生れて来ることは難しいのである。

諸君がもし諸君の立ち対(むか)う人たちをば善ならしめようと欲するならば、
自分自身が先(ま)ず調和した心持(こころもち)にならなければならないのである。

自分の心が乱れ、癇癪(かんしゃく)に触って相手を鋭(するど)い言葉で刺(さ)し
貫(つらぬ)いているようなことで、相手を善に化(か)し得(う)るなどと
偉そうなことを考えぬが好(よ)いのである。


家庭の中でブツクサ小言を言うものは、ただその家庭に黒雲(くろくも)を投げ込んで、
明るい光線を押し消し、澄(す)んだ生々(いきいき)した空気を、濁(にご)った
泥水(どろみず)のような空気にしてしまうほかに何の能(のう)もないのである。

(中略)

心は必ず形にあらわれる。
諸君の向(むか)うところに常に感謝の心と愛の言葉と、にこやかな表情とを投げかけよ。

類(るい)は類を招(よ)び周囲を生かす者は自分も生きるのである。
感謝と愛語と和顔の中にのみ調和ある空気は生れ、
調和ある空気の中にのみ生長と発達とがあるのである。


              (平成30年3月号「生命の教育」誌掲載)

           <感謝合掌 平成30年3月19日 頓首再拝>

用便の習慣 - 伝統

2018/03/22 (Thu) 03:27:57


           *「光明道中記」(3月22日 注意ぶかき日)より

【殺す者は死に、生かす者は生きる。(『生命の實相』第六巻)】

赤ん坊が泣いた時に時計を見る習慣は好いことである。
それが実際空腹で泣くのか、他の原因で泣くのか
区別する一つの適切な標準となるからである。

授乳後1時間半以内で泣くときには、それは空腹ではない。
用便を催(もよう)して来たか、既に用便して股間が不快なと云うことを
知らせているかしているのである。

寝小便の習慣は、嬰児の最初の用便の訴えを聞き流して、
襁褓(おむつ)の湿った感覚を不便と感じない程慣れさせて了ったところに起因する。
その子供は、小便は寝床で用達するべきものと考えているのである。

だから食事時間でないのに赤ん坊が泣くときは襁褓(おむつ)取換を
請求していると思い、襁褓(おむつ)を取替えてやるべきである。

若し其の時襁褓(おむつ)が濡れていなかったら、
3分間下半身を空気浴するつもりで赤ん坊を便所で支えて
「シー」の言霊(コトバ)の力で排尿を誘導して見るべきである。

巧みに習慣をつければ生まれてから数回のほか
襁褓(おむつ)を濡らさずに済ませる事も出来る。

赤ん坊は生後数日間は殆ど小便しない。
2週間後から3ヵ月迄は毎日約14回、6ヵ月迄は16回である。

股間が乾いている事が当り前で、濡れているのが異常だと判り、
採尿は便所であるのは正しいので、寝床でするのが間違だと知れば、夜尿は無くなる。

           <感謝合掌 平成30年3月22日 頓首再拝>

決して赤ん坊が口に指を入れるのを許してはならない - 伝統

2018/03/23 (Fri) 03:56:23


           *「光明道中記」(3月23日 人に深切をする日)より

【世話をする人も世話される人も皆一つの神から出ている。(『生命の實相』第八巻)】

赤ん坊はまず口の触覚から発達し、同時に用便の感覚が発達する。
これがなければ生存できないからである。

手の存在を自分自身感覚するのはそれからずっと後らしいが明瞭には判らない。
赤ん坊は手を何に使うものであるかを最初は自覚しないのである。

偶々(たまたま)指が口に触れたとき、口は触れるものを吸う本能が発達しているので、
自分自身の指を吸う。その時にはじめて口に触れた自分の手を感覚する。

その時の筋肉感覚の記憶によって、そう云う筋肉感覚を起したときに、
吸うものが口に触れると云うことを、もう一遍やって見ようとして手を動かす、
すると又、何物かが(指)口に触れて吸い得る。

それは喜びには違いないが、
指そのものの目的は口によって吸われる為にあるのではない。
それは明らかに目的に背反している。

自分の肉体を玩弄(がんろう)する習慣と云うものは外界に積極的に伸びる人間の
生命力を、内部方向に退嬰(たいえい)せしめる傾向があるもので、
肉体玩弄の習慣を養うときは子供は神経質に育つものである。

決して赤ん坊が口に指を入れるのを許してはならない。
指を口に入れようとする時、指を引いて妨げられることが重なれば、
この方向へは手が行かないものだと思って、手を口の方向へ動かさなくなる。

           <感謝合掌 平成30年3月23日 頓首再拝>

幼児に対する最初の「自他一体」の教育 - 伝統

2018/03/24 (Sat) 03:23:41


           *「光明道中記」(3月24日 小事大切の日)より

【目前の小事をゆるがせにしてはならぬ。(『生命の實相』第十一巻)】

類は類を招(よ)ぶ心の法則からして、
子供部屋には円満な形のものばかりを置くようにしなければならない。

手の運動をただ口へ運ぶだけにのみ発達せしめるのは愚かなことである。
手を動かし足を動かしているうちに自分のみならず、自分に繋(つば)がって
他物が動くと云うことを教えるのは、幼児に対する最初の「自他一体」の教育である。

着衣は出来るだけ運動し易いものを選んで自由に運動し得るようにする事が肝腎である。
自分で物を撮(つま)むことの出来ない頃は、幼児自身の手にゴム風船のようなものを
縛り付けてやって、自分の手の運動につれて他物が動く喜びを味わすのである。

風船の色などは赤とか青とか紫とか黄色とか別々のを併列せしめて、
その色々を各別に指(ゆびさ)して色の名称をハッキリと述べて動かす。
言(ことば)は力であるから、各別の色彩に対して別々に名称を与えられることに
よって、今迄赤、青、紫、黄と雑然としていたものが、各々別々の存在として
印象せしめられる。

この事は色彩の感覚の訓練になり、同時にそれは幼児の心全体の生長に役立つ。

赤ん坊は大きな音を聞かすか周囲の人が恐怖を教え込まない限りは恐怖しない。

           <感謝合掌 平成30年3月24日 頓首再拝>

赤ん坊に規律を教えるのも親の愛 - 伝統

2018/03/25 (Sun) 04:05:06


           *「光明道中記」(3月25日 断じて心を動揺させぬ日)より

【人が如何なる罪を犯そうとも、わが怒ることはそれにも優(まさ)る悪徳である。
                         (『生命の實相』第四巻)】

驚風(きょうふう)などと言って赤ん坊が夜間突然目を覚まして泣く習慣が
始まったりするのは、屹度親の心の中に驚風が捲(ま)き起っているのである。
親子は一体であるから、親が先ず心の平和を取り戻すことが必要である。

赤ん坊を愛することは必要であるが、赤ん坊自身に対し、彼が家族の中で
特別に重要な存在であって、どんな我儘を言っても肯(き)かれるものであるとの
感じを与えては可(い)けない。

規律が赤ん坊の周囲で厳重に行なわれており、どんなに嘆いても、駄々を捏(こ)ねても、
時間が来なければお乳を貰うことも出来ないし、利己的動機からは規律は決して打ち破る
ことが出来ないことを生活の中でそれとなく自覚せしむるようにしなければならぬ。

併し、愛は深くなければならぬ。
親を冷淡だと思わせてはならない。
愛されてはいるが、すべての人間は平等に愛せられねばならないことを
赤ん坊の時から知らせて置くことは必要である。

大抵の家庭では赤ん坊のときには、彼のみが特別に愛されているような事実を経験
せしめられながら、次第に長ずるに従って其の「特別な寵愛」が一般的な区別ないものに
低下してくるので、それを愛の冷却と取間違えて親を恨むようになるのである。

           <感謝合掌 平成30年3月25日 頓首再拝>

赤ん坊の吐乳 - 伝統

2018/03/26 (Mon) 03:29:38


           *「光明道中記」(3月26日 感謝生活の日)より

【憤怒、憎悪、恐怖、罵詈(ばり)―― 其の他すべての悪徳は自分を傷つける。
                        (『生命の實相』第十一巻)】

赤ん坊がお乳を吐いてもそれは必ずしも病気ではない。

それは赤ん坊の胃袋は真直であって食道から縦に立った御酒徳利(おみきどくり)の
ような形になっていて、胃袋の上を圧(おさ)えたり、身体の位置が悪かったり、
少しく動揺を与えたら溢れ出易くなっているからである。

これは吐乳(とにゅう)と言うよりも溢乳(いつにゅう)と言うべきで病気ではない。
溢乳は大抵まだ飲んだ乳が固まっていないが、本当の吐乳は概(おおむ)ね飲んだ乳が
豆乳状に凝固して出る。吐乳しても、発熱や、便の異状がなければ病気ではない。

併し凝固した吐乳があったら信頼出来る医者に診(み)て貰うが好い。
前日良便があったと云っても次に出る便が不消化で腐敗しているかも知れない。
浣腸をして宿便の良否を調べて貰うが好い。

同時に心の持ち方を正しくしなければならない。
お乳は天の恵(めぐみ)であるのに、それを吐き出すのは天の恵をおろそかにした象徴が
あらわれているのである。

何か目上の人と争っていることはないか。
何か人の深切を衝(つ)き戻すようなことをしていることはないか。
夫婦争っているようなことはないか。

深く反省して見て、自分の「逆様(さかさま)に戻す」ような心と生活を
如実に改めなければならぬ。

両親の感情が激動した直後、
子供が疫痢(えきり)や麻疹(はしか)に突然罹(かか)るような実例が度々ある。

           <感謝合掌 平成30年3月26日 頓首再拝>

赤ん坊の情操教育 - 伝統

2018/03/27 (Tue) 03:56:34


           *「光明道中記」(3月27日 生長の喜びの日)より

【与える時はただ与える喜びの為に与えよ。自分は与える程生長する。
                          (『生命の實相』第四巻)】

赤ん坊を叱るのは無意味なことである。
「これをしては可(い)けません」と云う命令が赤ん坊に理解されるのは
生後9ヵ月頃からだと云うことを調べた人が言っている。

親たちが叱るつもりで大きな声を出せば赤ん坊は唯恐怖するだけのことである。
此の世に悪意を抱いている或る敵対者があると云う不快な恐怖的印象は、
幼年時の心の傷としてその児童の潜在意識に残り、その児童を大人になってから
後までも、臆病な身に仕上げるのである。

生後1年までの赤ん坊がしてはならないことを若しするならば、
ただ静かに、そう云う行動の出来ぬように、そう云う行動をすれば、
味わいが苦(にが)いとか、その方向へ手をやろうとすると屹度何物かが来て
その手を止めるとか、何か自動的に作用する法則があることを知らせるのが好い。

叱る代わりに優れたる宗教的音楽を聴かせることは
赤ん坊の情操教育に大変必要なことである。
これには蓄音機を利用するが好い。

また良き書物を読んで聞かせることは、その書物の言葉が、たとい赤ん坊にとって
理解し得ないものであるにしても、内容に伴う読む人の音律や、
その音律に伴う感情やは、結局以心伝心赤ん坊に伝わって、
赤ん坊の感情生活を生かすのである。

           <感謝合掌 平成30年3月27日 頓首再拝>

離乳時の食事の与え方 - 伝統

2018/03/28 (Wed) 03:17:19


           *「光明道中記」(3月28日 無我従順の日)より

【その日その日が宗教生活である。自己を生かす事が宗教生活である。
                        (『生命の實相』第十一巻)】

生後1ヵ年になると離乳して、柔らかいお粥から徐々に固いお粥に移らせても好いが、
7ヵ月頃から少量の固形食で慣らせたる子供ならば大人と同じ食物を与えても好い。

子供に偏食する習慣を養成してはならぬ。
子供の偏食は実は親自身の偏食の反映であるから、親が子供の前であの食物を残し、
此の食物を残しながら、子供にばかり偏食をしてはならぬ強いても無効である。

親が食物を残すまいと思うならば、残る程の分量を食膳に出さないことが適当である。

「これはお好き、お嫌い? 嫌ならこれにしましょう」などと言っている母が、
世の中には沢山あるが、これは親自身が子供を偏食に誘導しているようなものである。

子供は模倣するものであるから、食物は先ず親が口に入れて如何にも美味しい有様を
示し、「サア坊やもお喫(あが)り! 迚(とて)も美味しいわ」と云うように
誘導するのである。

食膳に手を洗う習慣をつけるのは好いが、ただ無邪気に何の意味もなく洗わせるのが好い。
黴菌の話をしたり、手を洗わなかったら此の世の中には眼に見えない恐るべき敵が
充満していて、それが直に吾々を襲って来ると云うような恐怖心にまで子供の心を
駆り立ててはならない。

           <感謝合掌 平成30年3月28日 頓首再拝>

子供が規律を覚えるのは、最初は食習慣によるのである - 伝統

2018/03/29 (Thu) 03:46:14


           *「光明道中記」(3月29日 自己を自覚する日)より

【今幸福でない者は笑いの分量が足りなくないか顧みよ。(『生命の實相』第八巻)】

子供が食物に好き嫌いを示すのは、時には親の心があまりに事物や人間に対して
好き嫌いな偏り心を有(も)っているときにそうなることがある。

親自身が自己の愛憎好悪の偏り心を捨てねばならぬ。
子供を責めてはならぬ。
みずからがみずからを知るように誘導しなければならぬ。

食物は好悪によってたべるのではなく、飢えを充たすために食べるのだと云うことを
知らせねばならぬ。食欲がなかったら、偏食であったりするのは病気以外のときは、
過食のために空腹でないからである。

御機嫌をとって欲しさに食物の好悪を言いはじめる。
好悪を示して食べなければサッサと食膳を片付けて、
又次の食事時間に同じ食物を出すのである。
それを食べる迄同じ食物を出す。

我儘を言わせてはならぬ。
子供が規律を覚えるのは、最初は食習慣によるのであるから、お十時を与え、
お三時(やつ)を与えるにしても一定の時間以外には与えてはならぬ。

併し、完全に食欲不振で、元気がなく、空腹にになっても何も食べようとしない時には、
医者に診(み)せて病気の有無を検(しら)べて適当の処置をとる。

本当に病気かどうかは神想観を常にしている人なら胃腸部に掌(て)を当てて見れば
掌の蟻走感(ぎそうかん)で判る。

           <感謝合掌 平成30年3月29日 頓首再拝>

余り叱らないで、褒める、導く - 伝統

2018/03/30 (Fri) 03:24:57


           *「光明道中記」(3月30日 積極進展の日)より

【幼き心に少しでも歪んだ姿を、不快な姿を印象させるな。(『生命の實相』第七巻)】

生後1年頃からは、食物は自分自身で食べるように練習させるが好い。

少しぐらい零(こぼ)すかも知れぬが、それを拾ってやってはならぬ。
零して自分で拾うことが運動感覚の訓練にもなり、
従って児童の精神全体の訓練にもなるのである。

またそれによって依頼心が放(な)げ棄てられ、
自分のことは自分ですると云う良習慣の形成にもなる。

食物を零したときに叱らないで、
零さない時と、上手に拾った時とに賞めてやるようにするが好い。
「零しては可(い)けません」と言ってもまだ運動機能が充分発達しないから零す方が
当り前なのである。

それを余り叱るようにすると、
「自分は劣等者だ」と云う劣等感を児童が有(も)つようになる。
劣等感をもつようになった児童は将来生活上に不利なハンディキャップを
担(にな)わされる。

どこへ往っても「私は駄目だ」と考え易い ―― それを成長後矯(た)め直すのは
不可能ではないが、可成(かなり)な努力を要するのである。

「しては可けません」と常に言っている家庭では行為に対する欲望を常に
抑圧せられるから、それが鬱結(うっけつ)して反抗児が養成される。
厳格な家庭で反抗児が出るのはそのためである。

では、子供が悪いことをしたら「XXさん、これして頂戴」と言って、
別の「して欲しい仕事」へ注意を転ずる。

           <感謝合掌 平成30年3月30日 頓首再拝>

子供の前で親が恐れた態度を示してはならぬ - 伝統

2018/03/31 (Sat) 03:35:01


           *「光明道中記」(3月31日 平らかな心の日)より抜粋

潔癖の習慣は不潔の習慣よりも
大人になってから強迫観念に附纏(つきまと)い、
一生涯を恐怖心の中に暮らさせることもあり勝である。

子供の前で親が恐れた態度を示してはならぬ。

偏食の子供、卵を食べれば必ず下痢を起したり、
肉類か野菜かどちらかを嫌って食べない子供、

こんな子供をその家庭から引離して、
林間学校とか、夏期キャンプ生活とかで、児童ばかりの集団で、
ほかに食する物のない共同食事の生活をすると治ることがある。

他の子供が美味しく食べて見せるからである。

           <感謝合掌 平成30年3月31日 頓首再拝>

子供の才能が現われ出ようとする「今」を生かす - 伝統

2018/04/06 (Fri) 03:45:03


今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年4月号「生命の教育」誌)

  【 わが子の才能を引き出す言葉の力  】

《子供の才能が現われ出ようとする「今」を生かす》

         * 『生命の實相』頭注版第30巻43~44頁

皆さんが子供の天分を伸ばそうとお考えになりましたならば、
その子供から自然に内在の才能が現われ出ようとする時期に、
その現われ出ようとする生命を生かすように、培(つちか)うように、
引き出すようにしなければならないのであります。

(中略)

父兄(ふけい)、保護者、教育者たるものは「今」出ようとする
子供の才能を見逃してはならないのであります。

誠(まこと)に「今」こそいっさいの生活を支配する鍵(かぎ)であります。

何よりも「今」が大切なのであります。

それですから、 「今」しようと思っている時に、
「今」したいと思っている時に、その出ようとしているものを
抑(おさ)えつけて出さないようにしましたならば、

その発現しようとしているエネルギーは、
ややもすればその抑圧(よくあつ)によって
窒息(ちっそく)してしまうことになるのであります。

たとえば、われわれが、文章を書くという時に、
何かインスピレーションというものを感じて
「今」書きたくてならない衝動が内から起こっている。

その時に何か邪魔が這入(はい)って書けないようなことがありますと、
今度書こうと思ってもなかなかそのインスピレーションを感じた時のように
は思い出せない。

思い出すにも非常な努力が要(い)るわけで、努力して出て来ましても
神徠(しんらい)のとおりに完全には出て来ないのであります。

これによって考えましても、一ぺん能力が出ようとした時に、いったん抑えて
また今度出そうとするならば、ひっぱり出す操作に非常な努力を要(よう)し、
その結果もはなばなしくないので、二重三重の損失を受けることになることが
おわかりになりましょう。


それですから、内部から才能が出よう出ようとしている時に、
出すように引き出すようにするのが、子供の教育の極意(ごくい)に
なるわけであります。


            ・・・

<参考:平成30年4月号「生命の教育」誌>

自分に誇りをもち 親に誇りをもち 祖国日本に誇りをもつ 青少年を育成する

「生命の教育」平成30年3月号 主な内容


特集 子供の「やる気」を上手に引き出そう

  新年度となって心がリフレッシュされる4月。子供たちも新しい学びの場や、
  新しい学年・クラスに変わって心機一転、いろんなことにチャレンジして
  みたいと思っている時期ではないでしょうか。

  そういう時だからこそ、子供たちの「やる気」を上手に引き出し、
  子供の善さを認め、励ましていくことが大切です。

  本特集では、その秘訣などについて紹介します。

  さあ、希望に胸をふくらませる子供たちの「神性」を引き出してまいりましょう。


わが子の才能を引き出す言葉の力 谷口雅春


巻頭のことば 新教育者連盟理事長 代田健藏

このようにして「やる気」を引き出しましょう! 小林義典
本人の「やればできるんだ!」を先生と一緒に引き出した 中村江美
褒め讃える良いコトバは良い方向へ導いてくれます 杭田睦子

生け花を通して、子供たちの個性を引き出す 田村和枝
バイオリン・ピアノ教室で子供たちの目が輝く 野村惠子
無限の能力を信じて、わが子のやる気を讃えましょう 岩崎美智代


《特別インタビュー》
子育てに大切な母の役割、父の役割 日本伝統芸術文化協会会長 向田 順一

子育てワンポイント(13) 愛はひたむきに 出口正博
子育てQ&A ママ友とどう接すればいい 大原和子
ゲームばかりの息子 杉山紀代子
発達障害ではないというけれど 國友規代


子育ては母育て(65) 切り離すことのできない母子の心(その1) 田下昌明
日本人100 の誇り(68) 生け花・華道 岡田幹彦
日本国憲法の問題点(32)勝岡寛次

日本のしきたり(4) 「お花見」 辻川牧子
親子で読むものがたり(68) 舒明天皇の祈り 千葉ひろ子
子育てひろば 松本ゆり子

新教連活動あらかると
◇冊子『はじめて出会う生命の教育』のご案内、会費の自動引き落しのご案内など
◇4月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

           <感謝合掌 平成30年4月6日 頓首再拝>

才能を発掘するには - 伝統

2018/04/11 (Wed) 03:46:15


         *(新装新版『真理』第8巻130~131頁)

才能を発掘するのは鉱山を発掘するのと同じことである。
先ず発見することが必要である。
才能の場合には見ることは発掘することになるのである。

毎日毎日諸君は自分の内に埋蔵されている神の生命を、精神を統一して
ジッと見詰めるが好(よ)いのである。

(中略)

静かに目を瞑(と)じて「私は神の子である、無限の力が与えられているのである、
私は《この》方向にその無限の力を発掘しようと希(こいねが)うのである。
その方向に私の無限の力は毎日一層多く発掘されて来るのである」と云うような言葉を
繰返し念じながら、静かに呼吸を深くして精神を統一するならば、

この方法は回を重ねるに従って、内在する無限の力が喚(よ)び覚(さま)されて来て、
自分の求(もと)むる方向に才能が発揮されることになる。
此の思念を繰返し行えば必ず効果がある。

           <感謝合掌 平成30年4月11日 頓首再拝>

《言葉の力によって無限の力をひき出す》 - 伝統

2018/04/13 (Fri) 03:17:14

今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年4月号「生命の教育」誌)

  【 わが子の才能を引き出す言葉の力  】

《言葉の力によって無限の力をひき出す》

          *(新編『生命の實相』第22巻27~29頁)

善い事を内からひき出すことが本当の教育である。
そしてそれを引き出すのには、 「言葉の力」によるというのであります。

(中略)

言葉によってすべてのものは生きて来るのであります。
日本人は古来、 人を命(みこと)といった。

《ミコト》とは「言葉」のことであります。
神さまのことを英語では”God”といいますが、
それは言葉の「《コト》」が濁(にご)って「《ゴト》」となったのであります。

言葉こそ神である。
神はすべてのものの創(つく)り主(ぬし)であります。

言葉で子供に、「お前は悪い子だ」といったら悪くなります。
「きっとお前は偉いものになる」といったら必ずよい子になるのであります。

「言葉の力」によって吾々の中に潜(ひそ)む無限の力をひき出すことも
出来るのでありますし、善き言葉で善き性質を伸ばすことも出来るのであります。

           <感謝合掌 平成30年4月13日 頓首再拝>

《「できる」と信じた通りの力が出る》 - 伝統

2018/04/17 (Tue) 03:32:44

今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年4月号「生命の教育」誌)

  【 わが子の才能を引き出す言葉の力  】

《「できる」と信じた通りの力が出る》

          *(新版『生活読本』180~182頁)

「私は神の子で、いつも楽しい」と
毎日心の中で唱えるようにしていますと、本当に楽しくなって、
勉強でも仕事でも何でも立派にできるようになるのであります。

(中略)

人間は、自分が自信をもっている程度より以上には
偉くなれるものではありません。

ナポレオンがアルプス山脈を越えることができたのは、
アルプス山脈を越え得られるという自信があったからであります。

「心」に「出来る」ということを考えないでいて、
出来ることは一つもないのであります。
出来ると信じた程度の通りにできるのであります。

どんなに学問があり、能力があり天才がありましょうとも、
出来ないと思っている限りは何もできないのであります。



世の中には立派な才能を持ちながら、自分自身はできないと
思っているために、何の働きも世の中に捧(ささ)げることができずに、
一生涯を無駄に過してしまう人も随分多いのであります。

(中略)

ともかく人間は信ずる通りになるのでありますから、自分自身を信じなさい。
どんな力でも信じた通りに出て来るのであります。

           <感謝合掌 平成30年4月17日 頓首再拝>

親が心配し過ぎると子供は虚弱になる - 伝統

2018/05/01 (Tue) 03:48:34


        *「光明道中記」(5月1日 万物を礼拝する日)

【神を愛すると云うことは万物を敬虔に愛すると云うことである。
                        (生命の實相第十巻)】 

幼児は生後11ヶ月乃至誕生2ヶ月までの間におのずから立って歩く。
幼児体操と云うようなものを幼児の発育促進や健康法のためにやっている人もあるが、
やるのも好いが、やらなくても好い。

人間は人工の体操によって歩くようになるのではないことは、何に教えられなくとも
動物は脚(あし)で立ち、歩み、鳥類は飛翔することが明らかである。
人間が歩行するのは赤ん坊が乳房を吸い鳥類が飛翔すると同じに自然の本能である。

幼児の歩行運動が生得的な本能によるのであるが、
訓練によってなるか学者の定説がないと言って、
歩行準備体操などを課するのは愚かな蛇の知恵である。

近頃諸所で開かれる赤ん坊審査会で一等賞を得たような生長の家誌友の赤ん坊などは、
光明思想で家庭全体が明るいことのほかは自然に放任した結果であって
決して体操を課したのではない。

幼児体操そのものに私は反対するのではない。
筋肉は運動せしむるほど発達するからである。

併し幼児体操を幼児に課するような父母は大抵「神」又は「自然」に対する信頼の念が
なく、其(その)人には「人工」の外(ほか)には頼るものがないから、
何か落度はないかと常に心配しすぎて、神経過敏に幼児に心配の念を送り過ぎ勝ちである。

親が心配し過ぎると子供は虚弱になる。

            ・・・

<参考:平成30年5月号「生命の教育」誌>

   いのちを伸ばす“しつけ” とは?

“しつけ” は、子供を抑圧するものではなく、
  内に宿る神性を引き出すため 谷口雅春

巻頭のことば「有難やさん」のお話~新教育者連盟理事長 代田健藏

しつけの秘訣  木村次郎

やってみよう! いのちを伸ばす“しつけ” 実践 Ⅰ  小口惠子
やってみよう! いのちを伸ばす“しつけ” 実践 Ⅱ  中谷英子

子供は親の鏡! しつけも親から学び続けている  岩倉凉子
母から教えられた食事の大切さを子供に伝えたい  濱 仁美
書道教室を通して、しつけの大切さを教える  別府円香

「しつけ」の精神に「褒め育て」を取り戻そう  高木桂藏

子育てワンポイント(14) 「型」から始まる  出口正博

子育てQ&A ゲームをやめさせる方法は  大原和子
中学生の娘が反抗的  小林義典
一人で登校できない  國友規代

子育ては母育て(66) 切り離すことのできない母子の心(その2) 田下昌明

日本人100 の誇り(69) 仏像彫刻  岡田幹彦
日本国憲法の問題点(33)  勝岡寛次

日本のしきたり(5) 「端午の節句」  辻川牧子
親子で読むものがたり(69) 恩を返した北条時頼  南 敏雄

子育てひろば  山上裕子

新教連活動あらかると
◇新教連紹介リーフレットのご案内、三重支部、埼玉支部の講演会案内など
◇5月支部行事
事務局短信・編集後記・次号案内

http://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/#page34_59

           <感謝合掌 平成30年5月1日 頓首再拝>

生命が内部から起り得るように誘導する - 伝統

2018/05/02 (Wed) 04:09:31


        *「光明道中記」(5月2日 自己の内部の力を信ずる日)より

【神を信ぜよ。生命を信ぜよ。自分のうちに宿る生命が神であることを信ぜよ。
                          (生命の實相第十巻)】

体操より肝腎なのは、自然の努力で運動を起そうと衝動が
内部から起り得るように誘導することである。

半身不随の大人が生長の家で治った実例のなかには他に頼らないで、
自分に要(い)るものは、歩行が不自由でも何でも、自分の力で持ってくると云うように
決心し、且つ環境からそうしなければならぬように仕向けられた結果である場合が多い。 

児童の歩行や運動の練習なども、肉体的体操などよりも這(は)い出さずには
いられなくなるような、歩かねばならなくなるような目的物を前方に置いたり、
賞(ほ)め言葉で激励する方が一番好い。

幼児が起ち上って歩行するのは一つの新しき冒険であり、
その冒険の完成は大いに言葉を以て喝采せらるべきである。

それによって児童は何事を新に実行するにも世評の喝采を得るもので
あることを知り、大人になってからの自信を増すのである。

幼児を揶揄(からか)っては可けない。

最初に試みた動作が不慣れなために、大人から見て多少滑稽(こっけい)に見えようとも、
それを軽蔑するような、滑稽視するような語調で笑うならば、
世間は自分の動作を常に嘲笑するものだと云う観念を植附けられて
引込思案(ひっこみじあん)の人間が養成される。

           <感謝合掌 平成30年5月2日 頓首再拝>

【 “しつけ”は、内に宿る神性を引き出すため  】 - 伝統

2018/05/03 (Thu) 04:00:01

今月の谷口雅春先生のお言葉(平成30年5月号「生命の教育」誌)

  【 “しつけ”は、内に宿る神性を引き出すため  】

《子供の生命を正しい道に乗せること》

          *(新編『生命の實相』第22巻79~80頁)

生命は、すこやかにその正しい道に伸ばさしめる事が必要である。
正しい道にということが肝腎である。

幼児は生命にみちあふれている。
彼はじっとしていられない。
何かせずにはいられない。

生命は「動(どう)」がその本体だからだ。
その「動」の生命を正しき道に乗せる事が必要だ。
正しき軌道を走るように導く事が必要だ。

これが教育である。

あまりに満ちあふれた生命は脱線しがちである。

脱線した生命の電車は周囲を傷つけると共に自分自身を破壊する。
彼は乱暴をする、 いたずらをする、 破壊する。

彼にとっては、活力のはけ場がないために已(や)むを得(え)ずに
した行為が叱られたり罰せられたりする原因となる。

しかし両親がその子供の溢(あふ)れでる生命力の正しい使い方を教えない
でいながら、子供が乱暴をはたらくといって罰するならば、
それは生命の完全な生長の妨(さまた)げとなる。

鞭(むち)は指南車(しなんしゃ)ではない。
それは正しき方向を決して指し示さない。

活力に充(み)ちあふれてやり場のない幼児の生命は迸出(へいしゅつ)
(編注:ほとばしり出ること)と抑止との板挟みとなって浪費される。

子供の悪傾向は叱責(しっせき)で抑止されるかも知れない。
しかしそれは積極的な生長とはならない。
生命の動きを圧迫するところに積極的な生長は起り得ない。

善と真(しん)との発達は生命の圧迫から来るのではなく、
正しき道に生命をのせることによって来るのだ。

幼児の充(み)ち溢(あふ)れる生命を抑圧によって萎縮させるものは
生命を尊ばない者のすることだ。

             ・・・

《子供が善くなることが親の喜びであると分かるように》

        *(新編『生命の實相』第22巻162~163頁)


「下手だ」とか「悪い」とかいって叱りつけて、
児童の心に自己の悪い方面を印象せしめるような旧式の教育法
は断然改めなければならないのである。

といって、下手のままで「これで善い」と慢心せしめるような教育法も
失敗だといわなければならないのである。

「非常に上手(じょうず)に出来たが、ここをもう少しこうしたら
一層出来ばえがよくなるだろう。それ御覧、こうなるだろう。

今度はここをもう少し注意してやって御覧なさい。
きっとまだまだ上手になる。
この子は少しでも善くないところはすぐ改める子だから、どれだけでも上手になる子だ。

将来どれだけ天才になるか、私はお前を楽しみにしているのだ」

こういうふうな言葉を使って、善くないところを改善することに歓びを見出(みいだ)す
ような誘導法を用いるのが最も好(よ)いのである。

常に子供を批評するときには、確定的な言葉で、彼の将来を祝福してやり、
子供の上達に親たちが望みをかけており、彼が上達することが真に親たちの喜びであることを、
ハッキリと彼の心に感じられるようにしてやるが好(よ)いのである。

子供は親に喜ばれることをどんなに喜ぶか!


             ・・・

《内在する神性を現し出すように導く》

        *(新編『生命の實相』第22巻172~174頁)

子供が過(あやま)って悪(あ)しきことをしたならば、
諄々(じゅんじゅん)とその何故(なにゆえ)に悪しきかの理由を説いて聞かせて、
かかるが故(ゆえ)にかかる行(おこな)いが神の子たる汝には
相応(ふさ)わしくない行いであるということを知らしめよ。

かかる行いが神の子として誇(ほこり)を傷つけるものである事、
神の子としてはもっと他(た)の善き行い方がある事、
また真(しん)に神の子らしき善き行いは人々を喜ばし、人々を喜ばすことが
又(また)自分の真の喜びとなるものであることを知らしめよ。

かくの如く言葉に現(あらわ)して説いて聞かすところの真理の力によって、
子供のうちに宿る真理 (神) を目覚めしめよ。

真理は真理を招(よ)ぶのが心の法則である。

罵(ののし)りと強制とからは決して永遠の善きものは現れないのである。

(中略)

真に善き行為は、自己にやどる神、即(すなわ)ち自己に宿る真理と善と愛とを
発見したものでなければならないのである。

そしてこれを呼び出しこれを発見せしめるものもまた、彼に接する教養係の
真理と善と愛とを表わす言葉と行いとのほかにはないのである。


されば諸君よ、先(ま)ず子供に教えよ。
彼自身の生命の尊さを。――人間の生命の尊さを――
そこには無限力の神が宿っていることを。

展(ひら)けば無限の力を発し、無限の天才をあらわし、
彼自身の為(ため)のみならず、人類全体の輝き
となるものが彼自身の内に在(あ)ることを教えよ。

彼をして彼が地上に生命を受けて来たのは、自分自身のためのみでないこと。
人類全体の輝きを増し、人類全体の幸福を増すために神が偉大な使命を
彼に与えて来たのであることを教えよ。

この自覚こそ、最初の最も根本的な自覚であって、この自覚が幼時(ようじ)に
植えつけられたものは必ず横道に外(はず)れないで、真に人類の
公(おおや)けな歓びのため何事かを奉仕しようと喜び励む人になるのである。


常に子供を鞭撻(べんたつ)して、彼の善さを力説せよ。
彼の美点を強調せよ。
自分自身の有(も)つ長所を自覚せしめよ。

ここに子供を教養する極意(ごくい)があるのである。

           <感謝合掌 平成30年5月3日 頓首再拝>

子供の肉体は親の念の具象化の舞台である - 伝統

2018/05/04 (Fri) 03:57:04

         *「光明道中記」(5月4日 争いを捨てる日)より

【喘息はイキが激しく擦れ合う病気にて、スレ合う心、争う心、呪う心の象徴である。
                          (『生命の實相』第九巻)】

子供は親を模倣するものである。
その模倣は親の表面の生活の模倣と、親の内面の感情と両方がある。

親が愉快に喋らない習慣の家庭に育った子供は、憂鬱で陰気臭くて明朗さがない。

両親が感情(いき)の奥で衝突した生活を送っている家庭の子供は、
時として蓄膿症であり、アデノイドがあり、
或は20歳までに肺結核で斃(たお)れる傾向がある。

それは子供の模倣性だと考えられないこともない。

それは両親の「感情(いき)の奥」の葛藤を、
呼吸(いき)の奥であるところの鼻の奥や肺臓の奥に具象化する。

この意味に於て子供の肉体は親の念の具象化の舞台である。

親の悲しみの念が反映して子供が寝小便することもある。

子供が口を開いて眠っている時には
両親はこれによって呼吸(いき)の奥に故障があることを発見し、
これによって自分たち夫婦の精神の奥に葛藤があることを反省し、
それを是正すべきである。

両親が感情上の葛藤を経験しながら、
その子供が呼吸器を患っているから治して欲しいと訴えても、
感情上の葛藤そのものが、呼吸器病の内面的本質であるから治る筈がない。

           <感謝合掌 平成30年5月4日 頓首再拝>

子供の不従順の原因 - 伝統

2018/05/05 (Sat) 03:19:12

         *「光明道中記」(5月5日 謙遜を以て貫く日)より

【強がりは本当は弱いのである。上手がりは本当は下手なのである。
                        (『生命の實相』第十二巻)】

子供の不従順の原因は父母の命令の不一致から来ることもある。

母親が「斯うせよ」と言う場合、父親が「そんなことをしなくて可い」と言えば
子供は去就に迷って了い、結局権力者の方へ附いてしまって、
母親を馬鹿にするようになって了う。

子供の前ではどちらでも一方の親が命令した言葉に、
こう一方の親が賛成するようにして命令が二途(と)に出てはならぬ。

仲の悪い夫婦の中に出来た子供は、
両親の一人ずつがその子供に、父や母相互の不平を訴えることがある。
そんな場合、子供は親の権威を無視するようになって不従順になる。

「そんなことをしたらお父ちゃんに言附けますよ」と言う母親があるが、
こんな母親は自分には何の権威もないと云うことを表現しているに過ぎない。
従って子供は母親を馬鹿にして言うことを肯(き)かなくなる。

また一旦命令を出して置きながら、それに従わないでも、ただブツブツ
口叱言(くちこごと)を言っているだけでは、母の命令は「馬の耳に念仏」と同じようで、
子供に何の権威もないものとなる。

滅多に叱言は言わぬか、一旦命じたことは断乎として従わせる習慣をつけねばならぬ。

           <感謝合掌 平成30年5月5日 頓首再拝>

子供の能力で出来ない事を命ずるな - 伝統

2018/05/06 (Sun) 03:47:46


       *「光明道中記」(5月6日 拝んで人の苦難を看(み)のがす日)より


【突き当たったら目が覚める。突き当たらすのも慈悲の道だ。
                        (『生命の實相』第十二巻)】

「一度だけは我慢してあげましょう」こう言って自分で自分の命令を撤回してしまう
癖をつければ、命令は徹底しなくなる。一度が大切であって、
一度許せば今後許さない時には却って逆恨みをするようになるものである。

「あれほど言ってもまだ言うことを肯(き)かぬのですか、
お前のような強情なものはない」と言うならば、
その子供は親の言った通り強情になって了うだろう。

まだその上、「お前の強情にほとほと困って了う」と言えば、
親の無能の表白ともなり、強情の勝利ともなる。

「この前も、お前はこうだった、あの時もお前はこうだった」と、
旧悪までも曝(さら)け出して叱るのは、本人に「悪」を印象せしめるか、
幾つも挙げているうちには「あの時には私の方に理由がある」と思えることもあり、
却って、親や教師の方が無理を言っているような感じを与えて、
子供を益々反抗させる虞(おそれ)がある。

子供の能力で出来ない事を命ずるな。
そんな命令は実行が出来ないから、子供を不従順にするようなものである。

           <感謝合掌 平成30年5月6日 頓首再拝>

愛撫して抱きし締めながら学校の模様を聞いてやる - 伝統

2018/05/07 (Mon) 04:08:15


       *「光明道中記」(5月7日 人の特長を拝む日)より

【他を自分の型に嵌めようと思う者は躓く。(『生命の實相』第十一巻)】

親の精神状態にそれほどの葛藤(いらいら)も争いも憎みもないのに
子供が不従順な場合は学校に原因があることがある。
学校と連絡し、学校の先生と親しく和解しなければならない。

学校で教師にいじめられたり、仲間にいじめられたりする子供は
家に帰って親に対して不従順になり勝ちである。

子供の生活のうち、最も伸びねばならぬ学校生活の半日が ―― 否(いな)、
その子供にとっては半日ならぬ殆ど全日に感じられる期間、彼はいじめられたり、
不快な眼に逢って来たので、それに対する反抗を表現したいが、
それを学校では表現することが出来ないから、その反抗を家庭で表現しているのである。

それに対して、家庭の親が暴君的に圧迫を加えるならば
子供は内心の犯行を表出する捌け場所を失って、病気になるか、

不快な事を見まいと云う精神力の反映から近視になるか、
それを聞くまいとして中耳炎を起すか、
頑固に鼻の奥にブツクサ言っていて素直に通さないところの蓄膿症を起すか、

親が子供の成績の良くなることを希望しているのに、逆に成績を良くしないことが
親に反する切(せ)めてもの反抗であると云うようなことになることがある。

愛撫して抱きし締めながら学校の模様を聞いてやること。

           <感謝合掌 平成30年5月7日 頓首再拝>

親自身が子供の前で嘘をついてはならぬ - 伝統

2018/05/08 (Tue) 03:29:51


       *「光明道中記」(5月8日 愛して放つ日)より

【執愛は捉われている愛である。「愛の愛たるは愛に非ず」とも言える。
                       (『生命の實相』第十一巻)】

子供を無理にあやまらせるものではない。
もう今後一切そんなことはしませんと誓わしてもならない。

大人自身あやまることの不快と、一度禁煙を誓っても幾度でも煙草(たばこ)が
廃(や)められない大人が沢山あることを考えれば
「誓う」と云うことが何にもならないと云うことが判るであろう。

一度誓ってそれを犯したら、それは「自分は誓を破(やぶ)った罪人だ」と云う自覚の念に
いつも付きまとわれた人間になり、自信力を失うか、毒を喰(くら)わば皿まで式に、
「どうせ汚(けが)れた身体(からだ)だからもっとやろう」と云うようになるかする。

また、守れるかどうか判らないことを誓わせるのは嘘つきを奨励しているのと
同じことになる。
あやまるのを好まぬ子供にあやませると、
今度は嘘をついてあやまる不快を免れるようとする。

子供に正直の美徳を教え込もうと思うならば親自身が子供の前で嘘をついてはならぬ。
子供の前で居留守を遣う親は沢山ある。
子供にだけ嘘をついてはならぬと言って自分が嘘を言う親は二重に嘘をついている
のである。

人間は本当のことを言いたいのが本性(ほんしょう)だから、
本当を言っても叱られないとなれば却って本当のことを言う。

           <感謝合掌 平成30年5月8日 頓首再拝>

言葉の力で、子供を癒す - 伝統

2018/05/09 (Wed) 04:19:24


       *「光明道中記」(5月9日 何事にもイライラせぬ日)より

【他(ひと)を審判(さば)く者は、天に於いてまた自分も審判(さば)かれる。
                         (『生命の實相』第三巻)】


子供が不従順な場合は健康を害しているか、疲労しているために
何に対しても焦々(いらいら)してヒステリックになっている場合もある。

頭から叱り付けでも、子供の精神障害を一層大きくするばかりで、
百害あって一利なしである。
それどころか子供を叱っていると、親自身が焦々(いらいら)して来るから子供の心に
親のイライラを反映させて決して教育効果などのありようはないのである。

教育はイライラや叱責や気持の悪さで行なわれるものではない。
教育は「善」の権威を示すことによって行なわれるのである。

善の権威とは暴風の如く狂暴に暴(あば)れ狂う殺伐(さつばつ)さではない。
善の魅力、愛の魅力である。

獄中にいて検察官を手古摺(てこず)らせた左翼の闘士でさえも、
親の愛の前には転向せざるを得なかったと云う。

教育は鞭(むち)ではない。
愛である。その愛も、盲愛であったり熱愛であったりしてはならない。
智慧をもって急所急所を抑えて行かなければならない。

病気だとしていたわりすぎると、
病気を口実にして不従順や嬾惰(らんだ)の習慣が附くのである。
病気だと云う言葉を家庭の中で使ってはならない。

静かに抱(だ)くか愛撫するかして
「あなたは好い子なのです。屹度親の言うことを聴いてくれます」
と断定的に言いなさい。

愛は癒す。
言葉の力は癒すのである。

           <感謝合掌 平成30年5月9日 頓首再拝>

Re: 生命の教育 ② - lqbcjzidwnMail URL

2020/08/29 (Sat) 16:11:17

伝統板・第二
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