伝統板・第二
神社~今月の言葉 - 夕刻版
2017/12/03 (Sun) 20:27:42
(このスレッドでは、各地の神社における月ごとの「ことば」を紹介してまいります)
【今月の大阪府神社庁よりのお言葉】
「神は人の敬によりて威を増し、
人は神の徳によりて運を添ふ」
「御成敗式目」
(意 味)
神様は人間の尊び、敬う心によってそのお力を増し、
また人間は神様のお力を頂いて運を開く。
(http://www.aritooshi.org/blog/index.cgi?key=12 より転写)
<感謝合掌 平成29年12月3日 頓首再拝>
【今月の東京神社庁よりのお言葉】 - 伝統
2017/12/04 (Mon) 17:30:09
「天地(あめつち)の御恩(ごおん) 日夜に忘れぬは
神道のはじめと奉存候(ぞんじたてまつりそうろう)」
井上正鐡著「唯一問答書」の一節。
(意 味)
私共を生かしてくださっている天地のお働きを忘れず、
そのお恵みのお陰で生きていることを感謝することこそ
神道のはじめの大切な一歩です。
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2912 より転写)
<感謝合掌 平成29年12月4日 頓首再拝>
【今月の北海道神社庁よりのお言葉】 - 伝統
2017/12/05 (Tue) 19:06:36
「天地の中にみちたる草木まで
神の姿とみつつ恐れよ 」
~兼邦百首歌抄~
(説明)
平安時代以前の和歌は、
外界に見える自然の姿の美しさをそのままに歌ったものが多い。
これに対し鎌倉以降の和歌は、朱子学の影響を受けてか、
外界から内界、即ち心の受けとめ方を問題としたものが多い。
この和歌も後者のひとつである。
天地の心を歌ったもので、古典によると、
天も地も祖神が生み給わったものとする。
故に、天地だけでなく地上に生育する草木にさえも、
神の心を認めねばならぬ。
草木が青々と元気よく生育する姿を見ては、人間もかくあらんと感得する。
草木が風雨に堪える姿を見ては、人間も世の世の苦難に出合っても、
辛抱が大切だと感得する。
世の中は平穏無事ばかりではない。
苦難に堪えなければならない時もある。
また春には若芽に萌える時もあれば、
秋には一葉も残さず落葉することもある。
人生も壮時があれば、老衰もあり、生まれるものは、必ず死歿する。
いわば生者必衰の理のが、
天地、草木の生まれ、草木の色の衰えによって教えられる。
神の道理のきびしさを知らねばならぬ。
兼邦百首歌抄は室町時代の吉田兼邦が百首の和歌を通して、
神道の道型を語ったものである。
(続 神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/12gatsu29.pdf)
<感謝合掌 平成29年12月5日 頓首再拝>
【今月の白山比咩神社よりのお言葉】 - 伝統
2017/12/06 (Wed) 18:09:05
「匹夫(ひっぷ)も志(こころざし)を
奪うべからざるなり 」
~論語・子罕第九~
(意味)
身分にかかわらず、ひとたび志というものを抱けば、
それはそう簡単に奪えないものである。
*明年は明治維新150年。
時の元勲となった人々は身分が低い人が多かったが、
新生日本を創るという志を持って日本を変えていったのであります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/index.html)
<感謝合掌 平成29年12月6日 頓首再拝>
【今月の警固神社よりのお言葉】 - 伝統
2017/12/07 (Thu) 17:08:27
「鉄は錆によって朽ちる
人間は愚痴によって 自分を崩す 」
(http://kegojinja.or.jp/kotoba.php)
*警固神社(福岡)
ご祭神
八十禍津日神 〈やそまがつひのかみ〉
神直日神〈かんなおびのかみ〉
大直日神〈おおなおびのかみ〉
(http://kegojinja.or.jp/about.php)
<感謝合掌 平成29年12月7日 頓首再拝>
【草津神社 12月の言葉】 - 伝統
2017/12/08 (Fri) 19:41:50
(2013年12月)
「事の理によるときは、労せずして成る」
(韓非子・・・中国戦国最大の思想家)
(意味)
理にかなっていることは、苦労しなくても目的を達成することができる。
道理に逆らって事を進めようとすれば、何らかの困難が生じてくるだろう。
(http://tagata010524.blogspot.jp/2013/12/12.html)
・・・
(2014年12月)
「知って行わざれば 知らずに同じ」 ~貝原益軒~
(意味)
いくら頭で知っていても、実際に行わなければ、知らないことと同じである。
(http://tagata010524.blogspot.jp/2014/)
<感謝合掌 平成29年12月8日 頓首再拝>
杭全神社「今月の言葉(2015年12月)」 - 伝統
2017/12/09 (Sat) 18:33:56
杭全神社「今月の言葉(2015年12月)」
(杭全神社<大阪市> http://kumata.jp/about)
「日月は四州(よも)を廻り 六合(くに)を照らすといへども
すべからく正直の頂(いただき)を照らすべし」
『倭姫命世記』
(意味)
月日は私たちを分け隔てなく照らしますが、
清らかな心で神に祈る者をよりお照らしになります。
(説明)
倭姫命(やまとひめのみこと)は第十一代垂仁天皇の皇女。
天照大神は始め宮中にお祀りされていましたが、
より相応しい聖地を定めることになりました。
そこで倭姫命が諸国を巡歴され、最終的に
伊勢国五十鈴川の川上に大御神をお祀りされました。
即ち、伊勢の神宮の草創であります。
この倭姫命の事跡を記した書物が『倭姫命世記』で、
「黒(きたな)き心を無くして、丹(あか・明)き心を以ちて、清潔く斎慎み…」など、
神に祈る心構えともいうべき教えが、随所に込められています。
(https://plus.google.com/112291761431048834248/posts/U9QAGvhutEk)
<感謝合掌 平成29年12月9日 頓首再拝>
【北海道神社庁(平成28年12月)の言葉】 - 伝統
2017/12/10 (Sun) 20:53:12
「世の人のここは心のふるさとか
そぞろ詣れば旅ごころ
うたた童にかへるかな」
~吉川英治・伊勢神宮参拝・詠歌~
(説明)
伊勢の皇大神宮は民族の祖天照大御神をお祭りするところ。
我が国民にとって心の故郷である。
一生に一度はお詣りしたいとの念願は、
国民誰しもが心に抱くところ、その念願叶って、ここに参拝したとき、
神路山、五十鈴川の自然と解け合った静寂荘厳の天地にうちに、
祖神を慕う童心に立ち戻るのは、ひとり吉川英治だけであろうか。
この歌は伊勢神宮に寄せる民族の心をゆさぶるものとして
永く愛唱されることであろう。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://toyohirajinja.or.jp/pdf/28/12.pdf)
<感謝合掌 平成29年12月10日 頓首再拝>
【白山比咩神社よりのお言葉(平成28年12月)】 - 伝統
2017/12/11 (Mon) 21:15:59
士(し)を以って
弘毅(こうき)ならざるべからず
~ 論語 ~
(解説)
人は上に立つ人物というのは、
物を見る広い視野と強い意志力、
この2つを持たないと務まらない。
人生には幾度も正念場がおとづれるが、それを乗り越えるためにも、
たえず広い視野を持つ努力を怠ってはならないし、
強い意志力が欠かせないのである。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html)
<感謝合掌 平成29年12月11日 頓首再拝>
【白山比咩神社よりのお言葉(平成27年12月)】 - 伝統
2017/12/15 (Fri) 18:48:59
言(げん)順(したが)わざれば、
則(すなわ)ち事(こと)成らず
~ 論語 ~
(意味)
ほんの小さな間違いや不正であっても、
無視してしまったら大事故につながってしまうことがある。
ささいな事でも最初に直しておくと、
それだぇ安心して仕事を進められ、達成も確実になる。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html)
<感謝合掌 平成29年12月15日 頓首再拝>
【北海道神社庁(平成27年12月)の言葉】 - 伝統
2017/12/17 (Sun) 18:49:31
目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり
~ 明治天皇御製~
(解説)
目に見えない現実的な相手が目の前におれば、
その相手に応じていかにも相対応することが出来る。
しかし、神は目に見えないが実在せられる。
その目に見えない神に向かって恥ずかしくない自分を持ち続けるのは、
その人の「誠」以外にはない。
誰が見ていなくても、神だけは、どこからでも見ていられる。
その神に対しても恥ずかしくない自分を常に維持していくためには、
「誠」以外にはありません。
常にどこにあってもいつまでも、人の道として大切なことは、
「誠」の心である旨を強調されたみ歌です。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/12gatsu27.pdf)
<感謝合掌 平成29年12月17日 頓首再拝>
【白山比咩神社よりのお言葉(平成26年12月)】 - 伝統
2017/12/21 (Thu) 19:02:56
近き者 説(よろこ)び、
遠き者 来たる
~ 「近者説 遠者来」論語 ~
(意味)
今そばにいる人達が、喜びや幸せ、やりがいを感じるようになれば、
その噂を聞きつけた人々が自然と集まって来ます。
何かをやり遂げようと思うとき、
手助けが必要な時にはまず身近な人を大切にしましょう。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html )
<感謝合掌 平成29年12月21日 頓首再拝>
【白山比咩神社よりのお言葉(平成25年12月)】 - 伝統
2017/12/27 (Wed) 18:31:03
山水(さんすい)に得失(とくしつ)なし
得失は人心(じんしん)にあり
~ 夢窓疎石「夢中問答」 ~
(意味)
自然にはもともと損得はない。
それは人間の心が生み出したものである。
自分が生み出した損得勘定に振り回されるのは愚かなことである。
損得は本来無いと考えれば自ずと行動も自然な物になり、
大局に立って物事を見ることが出来るようになる。
*夢窓疎石 ―― 鎌倉時代末から室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。
七度天皇から国師号を賜り、七朝帝師とも称される。
・・・
<参考Web:光明掲示板・第二「夢窓疎石(国師) (1326)」
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=317 >
<感謝合掌 平成29年12月27日 頓首再拝>
【北海道神社庁、今月のことば(平成30年睦月)】 - 伝統
2018/01/03 (Wed) 20:06:31
心に望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし、
堪忍は無事長久の基、怒は敵と思へ
~ 東照公御遺訓 ~
(説明)
徳川家康の人生訓、処世訓が江戸時代以来、東照公御遺訓として、
一般に知られている。
御遺訓は家康が晩年になって、自分の処世訓を時あって、
家康が物語られたものをまとめたものである。
心のうちに、何かしてやろうと大望を起こしても、いざ実行となると、
中々成就することは難しい。楽しみは苦労を超えて味わうべきものである。
それ故、大望を抱いてもそれまでは苦労を重ねるべきである。
それまでは堪えがたきに堪え、忍びがたきに忍ぶべきである。
堪忍袋の緒は、しっかりと締めておかねば何事も成就しがたい。
それが無事長久の基だというのである。
家康の如き苦労人の話は心して聞いておきたい。
家康が「鳴かざれば鳴くまで待とうほととぎす」と詠まれた心境は、
我慢を美徳とした家康の多年の修練の結果である。
人生は50年というが、確かに20歳で世に出るとしても、
70歳までは単々たる道のりではない。
その間には嵐もあれば、雪もある。
それに堪えぬいて、初めて明るい燭光が見いだされよう。
(続 神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/1gatsu30.pdf)
<感謝合掌 平成30年1月3日 頓首再拝>
【東京神社庁 今月の生命の言葉(平成30年睦月)】 - 伝統
2018/01/06 (Sat) 19:26:13
明治天皇 (御製)
とこしえに 国まもります 天地(あめつち)の 神のまつりを おろそかにすな
(説明)
《奉祝 明治維新150年》
明治元年(慶応四年)三月十四日、明治天皇は京都御所紫宸殿に
公卿・諸侯以下百官を集め、維新の基本方針を天地の神々にお誓いになりました。
(五箇條[ごかじょう]の御誓文[ごせいもん])
この日、天皇みずからが国難の先頭に立って伝統あるこの国を護り、
世界各国との親交を深めつつ国を隆昌に導こうとするにあたり、
国民への協力を求める告諭(宸翰[しんかん])が、
御誓文とあわせて布告されました。
『五箇條の御誓文』
一、広く会議を興(おこ)し、万機公論(ばんきこうろん)に決すべし
〈広く人材を求めて会議を開き議論を行い、
大切なことは全て公正な意見によって決めましょう。〉
一、上下(しょうか)心を一(いつ)にして、盛(さかん)に経綸(けいりん)を行ふべし
〈身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。〉
一、官武一途(かんぶいっと)庶民に至る迄、各其志を遂げ、
人心(じんしん)をして倦(うま)ざらしめんことを要(よう)す
〈文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、
各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。〉
一、旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地(てんち)の公道(こうどう)に基くべし
〈これまでの悪い習慣をすてて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう。〉
一、智識(ちしき)を世界に求め、大(おほい)に皇基(こうき)を振起(しんき)すべし
〈知識を世界に求めて天皇を中心とする麗しい国柄や伝統を大切にして、
大いに国を発展させましょう。〉
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3001/)
<感謝合掌 平成30年1月6日 頓首再拝>
【白山比咩神社よりのお言葉(平成30年1月)】 - 伝統
2018/01/08 (Mon) 18:08:40
恭(きょう)なれば則(すなわ)ち侮(あなど)られず
(恭則不侮)
~ 論語 ~
(意味)
目上の人に接する時は、かしこまった気持ちで、うやうやしく
ていねいに慎み深く接すれば周囲の人にも尊敬され
決して侮られることはないのであります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k30.html )
<感謝合掌 平成30年1月8日 頓首再拝>
【北海道神社庁、1月のことば(平成29年睦月)】 - 伝統
2018/01/18 (Thu) 22:20:19
是のただよえる国を
修理(つく)り固め成せ
~ 古事記 ~
国土の修理固成は永遠の課題である。
修理固成とは何か。
それは、小にしては人心の開発であり、
大にしては社会・国家・世界の立派な建設である。
古事記には「ここに天神諸の命もちて、伊邪那岐の命、伊邪那美の命の神に
詔りやまひて、『此の漂へる国を修理り固め成せ』と、
天の沼矛を賜ひて言依さしたまひき」 とある。
この言葉は、我が祖神が、私共に示された最初のお言葉である。
神道を奉ずる者としては、この言葉通りに生き、
この言葉を立派に実現することが、最高の使命でなければならぬ。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/1gatsu29.pdf)
<感謝合掌 平成30年1月18日 頓首再拝>
【東京神社庁、1月のことば(平成29年睦月)】 - 伝統
2018/01/19 (Fri) 19:57:34
明治天皇(御製)
おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも 登ればのぼる 道はありけり
大空に高くそびえ立っているけわしい峯々にも、登っていけば、
自然と登り得る道はあるものです。
只必要なのは、頂上を究めなければ止まない勇気と努力です。
昔は不可能と思われたヒマラヤ、アルプス等の頂上も、
勇気とたゆまぬ努力によって、見事に登る道ができました。
人生の行路も同様です。
『明治天皇御製 教育勅語 謹解』
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2901/)
<感謝合掌 平成30年1月19日 頓首再拝>
【白山比咩神社 1月のことば(平成29年1月)】 - 伝統
2018/01/20 (Sat) 17:49:21
礼(れい)の用(よう)は 和(わ)を貴(やっと)しと為す
~ 論語 ~
(説明)
礼儀の効用は、和を保つためにある。
身近な人や心安い人に対しても、
礼儀を重んじて接することが大切です。
「和を以って貴しとなす」とは、
聖徳太子の有名な言葉であります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html )
<感謝合掌 平成30年1月20日 頓首再拝>
【北海道神社庁、1月のことば(平成28年睦月)】 - 伝統
2018/01/21 (Sun) 18:00:08
民のため世のため祈る神わざの
しげき御国はなほぞ栄えむ
~ 渡会常良・続後拾遺集 ~
(説明)
国民が安楽に暮らせるよう、又世の中が平和であるようにと祈るのが、
神社の祭りの本旨です。
この祈りの心が一人より二人と多くなり、結集されることは、
国民も社会も、安楽と平和の社会生活を望む声の高まりを示すもので、
神社の祭りの目的もそこにあります。
「神わざ」とは神に奉仕することであり、誠を捧げることです。
祭りが仕え奉ることであり、誠を捧げることであるのと同様です。
国民社会の幸福を祈る祭りが盛んに行われねばならない道理がここにあります。
年中行事がお正月から始まって、十二月に終わり、
一年中同じような祭りが繰り返されるのは、
人は祈りに開けて、祈りに暮れ、終始一貫、誠の道を歩まねばならないからです。
我が国が古来、神事を第一とした理由は
国民・社会の幸福を第一としたものにほかならないのです。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/1gatsu28.pdf)
<感謝合掌 平成30年1月21日 頓首再拝>
【白山比咩神社 1月のことば(平成28年1月)】 - 伝統
2018/01/27 (Sat) 17:54:29
悠久は物(もの)を成す所以(ゆえん)なり
~ 中庸~
(説明)
物事というものは、久しく続けることが完成の第一です。
いくらよいことでも、続けなければ完成はおぼつきません。
そして本当の至誠というものは、
限りなく続いていくものなのです。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html )
<感謝合掌 平成30年1月27日 頓首再拝>
【北海道神社庁、1月のことば(平成27年睦月)】 - 伝統
2018/01/28 (Sun) 19:43:38
あさみどり すみわたりたる 大空の 広きをおのが 心ともがな
~ 明治天皇 御製 ~
(説明)
神道の教えは、「清く、正しく、睦まじく」生きるにあります。
浅緑すみわたる境地は、その清浄、正直の心に当たり、
大空の広きは度量の大きさであり、睦和の精神に相当します。
神道では清浄、正直を二大徳目としてきましたが、
人生は己れ独り清く生きて行く道だけではありません。
多数の人と共同生活をする以上、助け合い、伸ばし合い、
許し合う和合の道がなければなりません。
これが睦み合う和の道であります。
清浄・正直にこの睦合の徳目が更に加わることは、
産霊(むすび)の信仰を一層大きく生かすものであり、
神道の教えは愈々広さと深さを増すのです。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/1gatsu27.pdf)
<感謝合掌 平成30年1月28日 頓首再拝>
【白山比咩神社 1月のことば(平成27年1月)】 - 伝統
2018/01/29 (Mon) 19:12:46
教えありて 類(るい)なし
~ 論語~
(説明)
人は能力や性格、感性や好みなど、それぞれ違うものですが、
自分で学んだり、人に教えてもらったり、また教えてあげたりすることで、
みんなが一緒に良い方向へ成長できるのである。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html#m2701 )
<感謝合掌 平成30年1月29日 頓首再拝>
【北海道神社庁、1月のことば(平成26年睦月)】 - 伝統
2018/01/30 (Tue) 18:59:16
とこしへに 民やすかれと 祈るなる わが世をまもれ 伊勢の大神
~ 明治天皇 御製 ~
(説明)
『伊勢の大神』は皇祖天照大御神を奉祀する伊勢の内宮と称される皇大神宮です。
陛下が皇祖に祈られる御心は永遠に国民生活の安定にあります。
御歴代の天皇は天照大御神の大御心を我が心として常に国家の安寧を祈られ
『報本反始』(本に報い、始めに反<かえ>る)を
明治天皇は実践遊ばされていました。
*報本反始=根本の立ち返ってその恩を改めて肝に銘ずる。
天地や祖先の恩恵や功績に感謝し、
これに報いる決意を新たにすること。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/1gatsu.pdf)
<感謝合掌 平成30年1月30日 頓首再拝>
【白山比咩神社 1月のことば(平成26年1月)】 - 伝統
2018/01/31 (Wed) 17:31:50
道は忠恕(ちゅうじょ)のみ
~ 論語・里仁第四 ~
(説明)
人の生きる道とはいかなるものか。
「忠」 すなわちすべてに誠の心を以って尽くし、
「恕」 人をあまり責めないということを心がけないといけない。
むしろ許すという気持ちこそが大切なのであります。
孔子はこのことをまた、「吾が道、一(いち)以って之(こ)れを貫く」
とも言っております。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html#m2601 )
<感謝合掌 平成30年1月31日 頓首再拝>
【東京神社庁 今月の生命の言葉(平成30年2月)】 - 伝統
2018/02/01 (Thu) 18:11:30
北原白秋
日はのぼる、 旗雲(はたぐも)の豊(とよ)の茜(あかね)に、
いざ御船(みふね)行(い)でませや、
うまし美々津(みみつ)を。
「茜色に染まった豊旗雲のたなびく日の出の空の下、東征の船よさあ出立ちませ、
この美しい美々津の港を」
皇紀二、六〇〇年奉祝事業のために、日本建国の神話をテーマに、
詩人北原白秋が作詞し、信時(のぶとき) 潔(きよし)が作曲して出来上がった
交声曲「海道東征(かいどうとうせい)」の一節。
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3002/ )
・・・
*交声曲「海道東征」
→ https://www.youtube.com/watch?v=8UqGPJA0PHA
<感謝合掌 平成30年2月1日 頓首再拝>
【白山比咩神社 2月のことば(平成30年2月)】 - 伝統
2018/02/02 (Fri) 20:17:13
善く行く者は轍迹(てつせき)なし
(善行無轍迹)
~ 老子 ~
(説明)
上手に歩く人は足跡を残さない。
立派な仕事を成し遂げた人ほど、
己の記録は残さないものであります。
社会貢献や価値ある功績も謙虚な心で目立たぬ貢献をしましょう。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/index.html )
<感謝合掌 平成30年2月2日 頓首再拝>
【北海道神社庁、2月のことば(平成30年如月)】 - 伝統
2018/02/03 (Sat) 18:42:39
おこたらず 祈る手向の 言の葉は
おろかなるをも 神や受くらむ
~ 霊元天皇 御製 ~
(説明)
江戸初期の霊元天皇(寛文3~貞亨3)の敬神の御心をよまれた御製で、
天皇といえども、世間からは生まれながらの神格の持ち主とされているが、
その神格が完成されるのは、それ相当の修養と神のご加護がなければならぬ。
それは神職が、一般人からは神に近いとされながら、
奉仕の修養を経て完成されるのと同様である
一首の意は、おろかなる自分という自覚があればこそ、
毎日怠らず神に祈るのである。
天皇も毎朝のご日拝をかかさず、そしてその都度、奉幣の作法とご祈念の
お祝詞を奏上されるのがご日課であった(伯家部類)。
完全でない自覚があればこそ、人間は一歩ずつでも向上のために努力し、
祈るのである。
祈りとは心の精進である。
それを毎日かかざずつづけるならば、必ず広大無辺の神意に達し、
そのお受けを頂き、一歩ずつでも向上できるに違いない。
陛下でさえ、かかる謙虚なお気持ちで、その向上を祈られている。
神職として一歩ずつでも神に近づこうとするものは当然、
その不完全さの自覚を忘れてはならない。
そして、一般の氏子崇敬者を導く責任がある以上は、
自己の完成があって初めて他人を導くことが出来るのではないだろうか。
(続神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/2gatsu30.pdf)
<感謝合掌 平成30年2月3日 頓首再拝>
【東京神社庁 今月の生命の言葉(平成29年2月)】 - 伝統
2018/02/10 (Sat) 19:47:49
道にただ 身をば捨てんと 思ひとれ
必ず天の 助けあるべし
正しい事のために命がけでのぞめば、必ず天の助けがある。
「『島津日新いろは歌』旧記雑録」より
・・・
島津日新齊 (しまず じっしんさい)
明応元年(一四九二)~永禄十一年(一五六八)。
本名は島津忠良。
薩摩国守護島津家の分家伊作島津家の嫡男として生まれる。
宗家継承を巡り混乱した薩摩国内を鎮め、戦国大名島津家の基礎を築く。
琉球貿易、殖産興業、家臣団の教育に力を尽くし、
特にその教育論は薩摩独特の士風として代々受け継がれた。
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h2902)
<感謝合掌 平成30年2月10日 頓首再拝>
【白山比咩神社 2月のことば(平成29年2月)】 - 伝統
2018/02/11 (Sun) 19:09:07
寛猛中(かんもうちゅう)を得(う)る
<治国之道在乎寛猛得中>
~ 宋王朝太宗 ~
(説明)
物事を成し遂げるには寛(ゆるやかな面)と
猛(厳しい面)のバランスが重要である。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html)
<感謝合掌 平成30年2月11日 頓首再拝>
【北海道神社庁、2月のことば(平成29年如月)】 - 伝統
2018/02/12 (Mon) 17:47:40
ありがたや よろづの神が 入りそめて 入りての後は 神や守ろらん
~ 三河花祭歌 ~
(説明)
信仰とは神々の神威・神徳を先ず受け入れることから始まる。
信仰によって生かされているという有り難さが解って来ると、
毎日の生活が、「お蔭さまで」という言葉通り、
感謝の生活が身についたもののなって来る。
正直でも誠でもよい。
神の御教によって、そのひとつでも身についたとき、
神のお蔭であるという有り難さが、身に沁々と味わわれて来る。
そうすればしめたもので、それから一歩一歩、
毎日が神の懐のうちで生活しているのも同然となる。
正直・清浄・誠の神の教を、ひとつでも実行するかしないか、
これが「ありがたさ」や「お蔭さま」の生活が、
本当に味わえるかどうかの分れ目である。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/2gatsu30.pdf)
<感謝合掌 平成30年2月12日 頓首再拝>
【白山比咩神社 2月のことば(平成28年2月)】 - 伝統
2018/02/14 (Wed) 17:48:44
一陰一陽
~ 易経 繋辞(けいじ)上伝(じょうでん) ~
(説明)
[ 一陰一陽これを道と謂う ]
陰陽は互いに相反し対立しながら、助け合う。
そして、混ざり合おうとして交わりながら
螺旋状に大きく循環して発展成長する道を造る。
陰陽の夏と冬は対立しながら、
その力を省長・転化させ、四季を巡る。
私たちの人生も、一陰一陽の作用の中で営まれている。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html)
<感謝合掌 平成30年2月14日 頓首再拝>
【北海道神社庁、2月のことば(平成28年如月)】 - 伝統
2018/02/16 (Fri) 18:08:17
古(いにしえ)を稽(かんが)へて今を照らす
~ 古事記序文 ~
(説明)
昔のことを参考にして、今日の在り方を考える。
経験を通して、反省の資とする。
人生はそうしたものである。
古事記序文には、時代と共に文化の進み方には
速いこともあるし、遅いこともある。
いずれにしても、その時代の文化の発展のためには、
過去の日本の文化を考え、その反省の上に立って
今後の在り方を見通すべきである。
時代の道徳・風俗の衰えも、古のこと(伝統)を考え。
今日の在り方と対比して、教えの基本とすべきである。
というのである。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/2gatsu28.pdf)
<感謝合掌 平成30年2月16日 頓首再拝>
【白山比咩神社 2月のことば(平成27年2月)】 - 伝統
2018/02/18 (Sun) 18:51:30
未(いま)だ至(いた)らざるを 測(はか)ることなかれ
~ 劉子澄 「小学」 ~
(説明)
将来のことは誰にもわからないので悩んでも仕方がない。
今できることを集中して行なうことで将来への不安が解消されるのである。
*小学・・・12世紀末、朱子が劉子澄(りゅうしちょう)に
編纂させた儒教的な初頭教科書。
朱子学においては最初に学ぶべき書とされる。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html)
<感謝合掌 平成30年2月18日 頓首再拝>
【北海道神社庁、2月のことば(平成27年如月)】 - 伝統
2018/02/19 (Mon) 18:44:59
慎(つつみ)て怠ること莫(なか)れ
~ 古語拾遺 ~
(説明)
景行天皇の御代、日本武尊は東征の途中、
伊勢の神宮に詣で、神宮御奉仕の倭姫命に、
御暇乞(おひまごい)をされた。
倭姫命は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を
日本武尊に授けられ、この御言葉を、はなむけとされた。
人生は常に身を慎み、なまけることなく、
精進に精進を重ねよとの意味です。
成功の基は、これ以外にないということです。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/2gatsu27.pdf)
<感謝合掌 平成30年2月19日 頓首再拝>
【白山比咩神社 2月のことば(平成26年2月)】 - 伝統
2018/02/20 (Tue) 18:29:39
父母の年は 知らざるべからず
「父母之年 不可不知也」
~ 論語 ~
(説明)
一年一年、自分が年をとっていくように、
自分を生んでくれた人、育てくれた人も年をとっていきます。
今の自分が昔の自分でないように、その人も昔のままではありません。
年老いていくことを知り、孝行を尽くす。
ひとりの自分を生み、また育ててくれた人への感謝を
いつまでも忘れないようにしましょう。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html)
<感謝合掌 平成30年2月20日 頓首再拝>
【北海道神社庁、2月のことば(平成26年如月)】 - 伝統
2018/02/22 (Thu) 21:48:49
朝よひに物喰うごとに豊宇気の神のめぐみを思へ世の人
~ 本居宣長・玉鉾百首 ~
(説明)
「豊受の神」とは「立派な食物の守護神」の意味で、
伊勢神宮の外宮は「豊受大御神」を祀り、
伏見の稲荷大社では「宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)」
(食物を食物たらしめている根元の魂)を奉祀しています。
農耕時代には、五穀豊穣の祈りに応える神であり、
商工業の時代から今日の労働時代に於いても、
物を食わねば生きられぬ現実に即しても、「食物の守護神」の
ご加護がなければ、生命をつないでいけません。
朝晩人々は食事をする度ごとに、この「豊受の神」のお蔭によるもの
であることを銘記すべきなのです。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/2gatsu.pdf)
<感謝合掌 平成30年2月22日 頓首再拝>
【東京神社庁 今月の生命の言葉(平成30年3月)】 - 伝統
2018/03/04 (Sun) 19:27:37
(伴部安崇)
神感(しんかん)は清水へ月の宿るが如く
誠ある人の心には
神明感応(しんめいかんのう)ましますなり
神に祈って何のききめがあるのか、と問う人に対する一つの答え。
月の輝きが、美しく澄んだ清水の表面に、又その奥底まで、影をおとすように、
人にして誠心(誠心誠意)を以て、神に祈るものに対しては、
神は必ず感応ましますものであるとしたものである。
『神道野中(のなか)の清水(しみず)』
・・・
伴部安崇 (ともべ やすたか)
江戸の生まれ、八重垣翁と号した。
跡部光海(あとべ てるみ)の門弟。
垂加神道学者で一般の教化にも当たった。
『神道野中の清水』は、世間一般の人々にわかりやすく神道を説いたものである。
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3003/)
<感謝合掌 平成30年3月4日 頓首再拝>
【白山比咩神社 3月のことば(平成30年3月)】 - 伝統
2018/03/06 (Tue) 18:28:35
伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し
(伏久者飛必高)
~ 菜根譚 ~
(説明)
長い間うずくまって力を蓄えていることは、
いったん飛び立てば必ず高く舞い上がることができる の意。
長かった冬、雪に耐えて過ごした日々も、
春になればその力を発揮し、
大きな希望と共に活躍が期待できるのであります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k30.html#m3003 )
<感謝合掌 平成30年3月6日 頓首再拝>
【北海道神社庁、3月のことば(平成30年弥生)】 - 伝統
2018/03/07 (Wed) 19:46:16
なにとなくただありがたき心こそ、
伊勢の内外の神の道なれ
~ 度会延佳詠草 ~
(説明)
度会(出口)延佳は江戸中期の伊勢豊受大神宮の権禰宜で、
度会神道学者として令名があった。
伊勢神宮(内外両宮)の神道とは何かと、人に聞かれたとき
「ただ有難いことです」また「有り難いという感謝の心を持つことです」
と教えたという。
正にその通りである。
私が屡々(しばしば)いうように、日本書紀にいう天照大御神の
御心は「恩親心」を持つにありとされている。
「恩親」の二字を何故「むつまじい」と訓ませたのか。
その一字の「恩」こそ、有り難い心であり、お陰に感謝する心に外ならない。
毎日、こうして元気でいられるのも、神のお陰、親のお陰だと
感謝するのが「恩」のあり方である。
生まれてから死ぬまで自分たちの有り方は「有り難い」という心を持ち、
この言葉を申して終わるより外に、道はない。
流石、伊勢神宮の学者として、名言だといえる。
(続神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/3gatsu30.pdf)
<感謝合掌 平成30年3月7日 頓首再拝>
【東京神社庁 今月の生命の言葉(平成29年3月)】 - 伝統
2018/03/08 (Thu) 18:22:06
うそ云ふな ものほしがるな からだだわるな
~ 橘 曙覧 ~
・・・
橘曙覧が伊勢神宮に詣でた折、五十鈴川の水を汲み帰り、
これを墨にすって書き残したという「家訓」の一節。
嘘を言ふな、物を欲しがるな、身体を怠けさせるな。
橘 曙覧 (たちばな あけみ)
文化九年(一八一二)~慶応四年(一八六八)。
越前国の商家の長男として生まれる。
本居宣長の門人・田中大秀に入門し神道・国学を学び歌を詩作した。
後に正岡子規は、源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛した。
<参考:橘 曙覧 「独楽吟」>
→ ① http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=109
② http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6456978
<感謝合掌 平成30年3月8日 頓首再拝>
【白山比咩神社 3月のことば(平成29年3月)】 - 伝統
2018/03/09 (Fri) 19:41:00
至誠は神の如し
~ 中庸・二十四章 ~
(説明)
極めて誠実な考えや行動は、神のような力を持つ、
あるいは「神様のように力が出る」ということであり、
至誠とは「まごころ」のことであります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html )
<感謝合掌 平成30年3月9日 頓首再拝>
【北海道神社庁、3月のことば(平成29年弥生)】 - 伝統
2018/03/10 (Sat) 18:24:57
ゆるむともよもや切れまじ
結びの神のあらん限りは
~ 三河花祭歌 ~
(説明)
農村漁村の信仰生活が、年に2回や3回の祭りだけで、
よくも続いて来たものだと、感心させられる。
そこの人々が保守的な性格にもよるであろうが、
同じ行事を毎年繰り返して実行して来たことによることもある。
農業に従事している氏子も、都会に住む氏子も、毎日鎮守の森を仰ぐものも、
おつとめの太鼓の音だけは生活のうちにとけこんでいる。
ゆるんでも総ての筋が、いつまでも続いて切れないように、
神社の信仰と切れないのは、絶えずこの森を仰ぎ、
太古の音を聞いているからである。
ここに神社の森を大切にし、たゆることないおつとめ太鼓を
忘れない道理がある。
これの続かん限り、結び ―― 産霊 ―― すべてのものを生かし、
結んでいく信仰に根を持つ神社信仰の結びつきは、
永遠に絶ゆることがないであろう。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/3gatsu29_2.pdf)
<感謝合掌 平成30年3月10日 頓首再拝>
【白山比咩神社 3月のことば(平成28年3月)】 - 伝統
2018/03/11 (Sun) 19:48:40
清にして能(よ)く 容(い)るるあり
~ 菜根譚 ~
(説明)
自分は清廉であっても、他人の言動にはある程度
目をつぶるくらいの包容力がほしいものである。
人間関係の中で、孤立しない為には
「己に厳しく、他人に優しく」
特に人生を活(い)きていく時に、必要なことと言える。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html )
<感謝合掌 平成30年3月11日 頓首再拝>
【北海道神社庁、3月のことば(平成28年弥生)】 - 伝統
2018/03/13 (Tue) 19:09:14
恩を受け恩を恩とおもふなら
恩を報ずる心あるべし
~ 橘 弘政・心の百首 ~
(説明)
人から恩をうけ、その恩を本当に感謝しているなら、
その恩に報いるだけの心を持つべきである。
報恩感謝の四字を口にするが、本当に恩に感謝し、
それに報いるだけのことをしているかと聞かれると、
恥ずかしい限りである。
昔から天地の恩、君の恩、父母の恩、衆生の恩といわれる。
古い言葉ではあるが、これらの恩を時にはしみじみと考え、
その各々に対して自分の処すべき道を考えたことがあるであろうか。
人は自分が自力で生きているように思い勝ちであるが、
実際は天地の恩、人の恩によって生かされているのが本当の姿である。
自分をあたたかく抱きかかえてくれる周囲に対して、
常に感謝の念をもって、これに報いるだけの自分でありたい。
生かされて生きる自分であることにめざめる道がここに開かれている。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/3gatsu28.pdf)
・・・
「橘 弘政」は、江戸時代の外宮(豊受大神宮)の祠官。
本名、久保倉弘政。久保倉氏は神宮両正宮の大工職を家業とする家柄だそうです。
<感謝合掌 平成30年3月13日 頓首再拝>
【白山比咩神社 3月のことば(平成27年3月)】 - 伝統
2018/03/14 (Wed) 18:39:44
桃李言わずして 下(した)自(おの)ずから蹊(みち)を成す
(桃李不言下自成蹊)
~ 史記 ~
(説明)
桃や李(すもも)の樹は何もいわないが、
美しい花を咲かせ、果実を実らせる。
だから自然に人々が集まってきて道ができる。
つまり徳のある人物の下には黙っていても
人が慕い寄ってくるものである。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html )
<感謝合掌 平成30年3月14日 頓首再拝>
【北海道神社庁、3月のことば(平成27年弥生)】 - 伝統
2018/03/15 (Thu) 18:45:22
先祖の魂は子孫に伝わる
我が身生まれてあるは、即ち是
先祖の身分れたる故也
~ 林羅山・神道伝授 ~
(説明)
自分を生んでくれたのは両親である。
それ故、両親の魂(心)は自分の魂(心)に引き継がれている。
その両親には又両親があり、遡(さかのぼ)っていけば、
先祖があっての自分であることを思うとき、
先祖の魂(心)が自分に伝わって来ていることを
否定しようとしても、否定し得ない。
それと同じように、自分の肉体も、先祖の肉体を受け継いで、
今日に至っているとする以外にない。
即ち自分の魂(心)も肉体も、自分の両親を介して、
先祖の魂(心)肉体を受け継いでいる。
それ故、自分は先祖の分身(心)であるといえる。
祖孫一体、氏神と氏子とは一体であるとの信仰が、
神道では明瞭である所以を説いたものです。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/3gatsu27.pdf)
<感謝合掌 平成30年3月15日 頓首再拝>
【白山比咩神社 3月のことば(平成26年3月)】 - 伝統
2018/03/16 (Fri) 18:37:07
徳に常師(じょうし)なし
善を主(しゅ)とするを師と為す。
~ 書経・ 咸有一徳 ~
(説明)
徳というものには決まった先生はない。
善を主とする人を師とするのである。
人の性質を学ぶべき点や善行を見て、
それを手本として真似するだけでも、
徳は高まっていくのであります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html )
<感謝合掌 平成30年3月16日 頓首再拝>
【北海道神社庁、3月のことば(平成26年弥生)】 - 伝統
2018/03/17 (Sat) 18:52:09
父母はわが家の神、わが神と
心つくしていつけ人の子
~ 本居宣長・玉鉾百首授 ~
(説明)
わが家の今日あるは、その初め、
父母が、私共を生んでくれたお陰による。
その意味で、自分を生んでくれた父母を、
最も身近な我が家の守り神として大切にすべきである。
更にその祖父、高祖父と遡っていけば、
遠い自分の祖先を最も身近な神の一つとして、
真心を尽くして、大切にお仕え申すべきである。
現実の最も身近な父母を、我が家の守り神として、
大切にすることが、神まつりの第一歩であると教えたものである。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(http://www.hokkaidojinjacho.jp/3gatsu.pdf)
<感謝合掌 平成30年3月17日 頓首再拝>