伝統板・第二

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想念 ② - 夕刻版

2017/11/27 (Mon) 21:20:13

       *伝統板・第二「想念 ①」からの継続です。
         → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7314125


   《自分の念(こころ)は隠せない》

      *『 生長の家 』(昭和24年2月15日の法語)より

   あらゆる現象は
   自分自身の言葉の通りに現れたものである。

   諸君の健康も貧富も境遇も
   悉く 「 言葉 」 即ち 「 想念 」 の具象化である。

   だから 自分の内部にある心的状態を如何に隠して見た所が、
   自分の肉体の状態及び環境の状態は
   悉くその内部想念の表現であるから詐(いつわ)ることはできない。

   それは種子の中にある隠れたる花が、
   実際の花となって咲いたのと同じである。

   何の種子を蒔いたか
   花を見ればわかるように、

   その人の肉体及び環境の状態をみれば
   念(こころ)の種子が
   何であるかわかってしまうのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12954870.html

         <感謝合掌 平成29年11月27日 頓首再拝>

《人間の運命は想念のハンドルの把(にぎ)り方で極(き)まる》 - 伝統

2017/12/02 (Sat) 17:41:50


        *『 生長の家 』(昭和24年2月16日の法語)より

   宇宙には生み生みて止(や)まざる所の
   創造力が満ち満ちている。

   そしてその創造力の発現の中心となる 「 座 」 が
   無数にあるのであって、その中心が 「 個生命 」 である。

   「 自我 」 は 「 個生命 」 と云う磁場の中心にいて、
   心の法則によって、 「 想念 」 と云うハンドルを動かして
   自分の想念する所のすべてのものを造るのである。

   すべて力あるものの背後には
   「 目に見えざる形 」 ― 「 目に見えざる言葉 」 ―  
   「 想念 」 がある。

   すべてのものは想念によって形を定められるのであるから、
   想念を如何に動かすかが
   その人の運命を決定する。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12954985.html

         <感謝合掌 平成29年12月2日 頓首再拝>

《生命が波動して想念となる》 - 伝統

2017/12/06 (Wed) 18:13:12


       *『 生長の家 』(昭和24年2月12日の法語)より

   「生命」の波動を称して「想念」という。
   「想念」を単に「念(ねん)」とも云い、「こころ」と訓ずる。
   従って「心」と書くこともある。

   「生命」は目に見えざる無限の力の貯蔵所のようなものであって、
   その貯蔵所の門を開いて、
   その貯蔵されている力を
   導き出してくるのが想念の働きである。

   丁度それは火薬の中に秘められている力が、
   そのままでは何の力も現さないが、
   或る振動によってこれを爆発状態に導くと
   驚くべき力を発現するのと同じである。

   火薬の爆発力は 鉱山の掘鑿(くっさく)にも、
   又 大量殺人にも何れにも使うことが出来るのであって、
   その力そのものには善悪は無いのである。

   心の力もそれと同じことで、
   善に使うも悪に使うも自由である。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12928124.html

         <感謝合掌 平成29年12月6日 頓首再拝>

《想念の具象化に必要な意志の力》 - 伝統

2017/12/08 (Fri) 19:44:13


        *『 生長の家 』(昭和24年2月13日の法語)より

   「 個生命 」 は宇宙大生命がよってもって働く所の
   磁場(フィールド)のセンターの如きものであるから、
   無限の力をそこに呼び出して来ることができるのである。

   しかし、それは法則に従ってのみ
   よび出して来ることができるのである。

   「 自分 」 が 「 宇宙大生命の力 」 を 「 個生命 」 の点に於て、
   想念の力によって 「 心の法則 」 を利用して、
   欲する形 又は 方面によび出して来るのである。

   「 自分 」 というものが 「 個生命 」 という
   生命の磁場から力を引き出して来るのには、
   「 想念 」 を使うのであるが、

   「 想念 」 の具象化に必要なる一定の時間だけ
   一定想念を持続するのは、
   「 意志 」 の力である。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12932147.html

         <感謝合掌 平成29年12月8日 頓首再拝>

《微小体は最も想念に感応し易い》 - 伝統

2017/12/10 (Sun) 20:56:35


        *『 生長の家 』(昭和26年2月1日の法語)より

   人間が救いに到る道は無数である。
   しかしそれには近い道と遠い道とがある。

   一直線に到る道は 「 人間・神の子 」 と端的に覚えることである。

   反対の方向へ向っていてさえも、やがて真理に到達することが出来るのは、
   地球を東へ廻っていっても西へ廻って行ってもアメリカに到達することが
   出来るようなものである。

   物質科学を研究して研究し尽す時、
   ついに 「 物質は無である。それは想念の影である。」
   と云う真理に到達するのである。

   素粒子のような、微小体は 無の世界から想念によって作られるのであるから、
   「 中間子がある 」 と信じて実験していると 「 中間子 」 があらわれて来る。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/53bbf8899b4382abc6226239ee5105e4

         <感謝合掌 平成29年12月10日 頓首再拝>

悪人と病気とは結局、自分の想念の影にすぎない - 伝統

2017/12/22 (Fri) 18:45:37

《悪人も病気も自心の展開である》

          *『 生長の家 』(昭和25年12月6日の法語)より

   吾々に対して害を与えたる如く見える相手の外観を見て、
   相手の実相を判断してはならない。

   吾々は常に外観を超えて実相円満の相(すがた)を
   見なければならないのである。

   それは病気に対しても同じことである。

   吾々に害を与える悪人も決して存在しないと同じように、
   病気も亦存在しないのである。

   悪人と病気とは結局、自分の想念の影にすぎないのである。

   悪人も肉眼に見え、病気も肉眼に見えるけれども、
   それは唯(ただ)、自分の心の具象化として、
   映画の如くあらわれて見えるに過ぎないのである。

   吾々が想念のフィルムを変化すれば、
   病人は健康となり、悪人は善人に変るのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12283933.html

            <感謝合掌 平成29年12月22日 頓首再拝>

《先ず想いを変えよ》 - 伝統

2018/01/04 (Thu) 16:54:21


        *「光明法語」(1月4日)より

自己の環境も肉体も自己の念(おもい)の反映であるから、
思いを変えれば環境も肉体も変わるのである。
不幸を思えば不幸が来(きた)るのである。

若(も)し自分に危険が迫って来るとするならば、
それは如何に外から迫って来るかのように見えようとも、
それは自己の心のうちに生じたものであることを知らねばならぬ。

危険を予感するものには危険が来るのである。

自己の運命は自己が作者であり、自己が完成者である。
不幸から自己を護るのは、自分の心のうちに不幸を予感することを
止(や)めることから始めねばならないのである。

            <感謝合掌 平成30年1月4日 頓首再拝>

感情想念を明るく - 伝統

2018/01/10 (Wed) 19:46:46

《あなたの運命を好転する根本問題》~感情想念を明るく

           *『白鳩』(昭和42年12月9日の法語)より

   自分の〃人間〃の看板を取りかえるには、
   表情明るくすることが必要なのである。

   表情の暗いのは看板が悪いのである。
   表情を取り換えて明るいものにするには、
   表情という文字のあらわす通りに、

   表情は、自分の感情想念の表現であるから、
   自分の感情想念を明るくしなければならないのである。

   自分の運命の儚きをクヨクヨ暗く思い煩うことをやめさない。
   思い煩うほどあなたの表情は悪くなるばかりである。

   自分の運命を‘はかない’と思うから
   自分の運命が‘はかなく’なるのである。

   あなたは〃思うこと〃が自分の運命をつくるのだという
   〃心の創化作用の法則〃〈略して〃心の法則〃ともいう〉を
   知らなければならない。

   「自分の運命は屹度好いのだ」こういう考えに、
   あなたの感情想念を一転しなさい。
   其処から、あなたの運命は好転しはじめるのである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

            <感謝合掌 平成30年1月10日 頓首再拝>

《明るい想念》 - 伝統

2018/04/16 (Mon) 19:16:43


      *『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P16) より

吾々人間は”神の子”であり、自由意志を与えられており、
自己の運命を如何に決定するか固有選択の権利と、
その選択したものを実現するための道具とを与えられているのである。
  
その道具というものはほかでもない、自己の「想念」と「言葉」とである。

吾々は積極的な建設的な明るい想念と言葉と行動とによって
幸福な運命を良き運命をつくり出し、

消極的な破壊的な暗い想念と言葉と行動とによって
不吉な悪しき運命をつくり出すのである。


吾々がよき想念をつくり出そうと思うならば、
現実の不幸や病気などに心を振り向けていてはならないのである。

先ず神の方へ心を振り向け、神のもちたまえる凡(あら)ゆる善き性質を
思い浮かべ、それを讃嘆し、それに感謝する想念を起こすようにするがよいのである。

            <感謝合掌 平成30年4月16日 頓首再拝>

原因(想念)が変われば結果(運命)は異なる - 伝統

2018/04/24 (Tue) 18:18:33


        *「希望を叶える365章」(P92)より

人間は霊的存在であり、「霊」なる本体より発する想念の波を
自分の肉体及び身辺に具体化することによって、
自分の運命を決定するのである。

自己を単なる唯物論的存在だと考える限りに於いて、その人は、
唯物論的束縛 ―― 自己を物質としての限界を超えることのできない束縛
―― によって縛られることになるのである。


想念は一種の動力であり、想念するところの心象(かたち)を具体化する
ために必要な要素を引き寄せ、それを具体化して自己の運命を決定する
のである。

想念は原因であり、運命は結果である。
自分の想念が変化しない限り、自分の肉体及び身辺に生起(せいえき)
する事件は、類似のもののみが現れて来て、
一向変化することはないのである。

今、諸君の身辺に現れる環境状態が、自分にとって不適当であるならば、
自分自身の想念を変化するがよいのである。

原因が変われば結果が異なるのである。

            <感謝合掌 平成30年4月24日 頓首再拝>

正しき想念と正しき言葉が幸福を現象化する - 伝統

2018/05/16 (Wed) 18:09:45


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月16日)」より

宇宙にあるあらゆる理念のうち全包容的最高理念が人間である。
だから人間は万物を従わせ、万物を生かし、
万物をその使命のところに配置する権能を有するのである。

人間が人間としての価値と存在の意義は、自己選択をなしうるということにあるのである。
万物を従わせるとは、自己選択をなしうることである。
曰く、想念の自由、感情の自由、意志の自由、言葉の自由、行動の自由ということである。

毎日、毎時、毎分、毎秒、毎瞬、われわれは何を想うか、いかなる感情を起こすか、
何を意志するか、何を言論するか、何を行動するかの自由を持っているのである。
その自由のゆえにこそ人間の尊厳が存在するのである。

かくのごとき自由は機械にはもちろん、単なる動物にすら存在しないところのものである

しからば諸君はまず何を想念すべきであろうか。
悪を想念するならば、悪は現象し来たるであろう。
善を想念するならば、善は現象し来たるであろう。

病気を想念するならば、病気は現象し来たるであろう。
戦争や敵意を想念するならば戦争や敵意は現象し来たるであろう。
平和のみ善意のみ想念するならば平和のみ善意のみが現象し来たるであろう。

釈尊は人生のもろもろの苦しみを解脱する八つの道を八聖道として教えたのであるが、
その最初に置いたのは正見(しょうけん)と正思惟(しょうしい)とであった。
正見とは正しき見解―正しき世界観の確立である。

この世界は有情非情同時成道・山川草木国土悉皆成仏の世界であり、
すべて仏心の展開せる世界であって悪は存在しないとの正しき見解の確立である。
すべての人間はすでに成れる仏であって完全なる自由を有するとの正しき人間観の確立である。

かくて正しき世界観人生観立ってのち、われらは想念の自由によって
正しくその真理を思惟しなければならない。
またわれらは言葉の自由によって正しくその真理を表現しなければならない。

もしわれらが正しき世界観、人生観に到着していようとも、
正しく想念せず、正しく善き言葉のみを発しないときには、われらの人生は不幸にみちたもの
となり、われらの住む世界は悲惨憂苦みち満ちたものとなるほかはないのである。

われらの人生が幸福なものとなるか、不幸なものとなるかは、
われらの想念と言葉が何を表現するかによって定(き)まるのである。

人類の霊魂なお稚くして何を想念すべきか、何を言葉に表現すべきかを知らず、
いたずらに敵意ある世界を心に描き、(正見の反対の邪見である)互いに悪想念と悪感情とを
そそり、言葉に敵意を表現するをもって足れりとなす。

その行くところや悲惨なる末路なるべきは、およそ「心の法則」によって、
然らざるをえないのである。

人間の霊魂よ進歩せよ。高級の霊魂は今後の世界の推移をいかに見るか。
われらはここに人生の深き指針として本全集『生命の實相』第九巻・第十巻「霊界篇」を
世に送り、魂の向上の必須要件を説くとともに、今後の世界の推移を示す指標とするものである。

            <感謝合掌 平成30年5月16日 頓首再拝>

想念の法則によって、健康も幸福も築いている - 伝統

2018/05/31 (Thu) 18:57:32


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月31日)」より

心の法則にせよ、物質の法則にせよ、
いずれも反対の方向に働くことができるのである。

同一の力が自動車を前方にも後方にも動かす。
磁気の陽極は惹き、陰極は反撥する。

ある種の想念と感情は建設的創造的であって、友そのほか助けとなる力を呼ぶ。
これとは全然反対の効果を生ずる想念および感情もある。

それは誤解と争いと悪意とを創る。
この種の想念感情を消極的であると言うのである。
破壊的沈滞的で個人の進歩を妨げるからである。

実際失敗する人は、好ましくない状態を作り出す方向に
心の法則を働かしているのである。

次に述べる箴言はメンタル・サイエンスの箴言であって
算術の法則と同じに信頼のできる基本的な法則であり、
さっそくあなた自身にも適用されるものなのである。

すなわち「今日貴下(きか)の生活の中にある好ましくないもの、
貴下の健康・幸福・成功を妨ぐるものは、
その好ましいものと同様に、あなた自身が心の法則に
働かしめてみずからそれをもたらしたからそこに存るのだ」ということである。

些細な事件、不慮の出来事、損失または利得、結婚したり離婚したり、
その他人生に起こるすべてのことの背後にはある見えざる力があり、
その見えざる力が具象化しつつあるのである。

その見えざる力は実は自分自身が起こした想念の力なのである。

諸君は想念の法則によって動いている宇宙に住んでいて、そこで想念の法則が、
あたかも物理的法則が星の運行を支配するがごとく、
諸君の運命の運行を支配しているのである。

「想念の法則」とは「因果の法則」ともいい、
現在意識すなわち自覚ある心の思想、感情、希望に常に応えてくれる宇宙普遍の心、
阿頼耶識の働きを言うのである。

これは神の働きまたは「真如縁起」ではない。
阿頼耶識の働きである。
次に主観心の説明を試みる。


阿頼耶識は心理学上の潜在意識にほぼ一致するものであるが、
もっと広義に用いられる。

夢の状態で活動する心、習慣の背後にある心、タイピストや音楽家の指に
眼があるかのごとく働くその指を通して働く心である。

それはわれらの生命(せいめい)の内部にあって
われわれの身体を母胎にいる間から創造した心である。
そして今もその心は再創造を続けているのである。

阿頼耶識が浄化されてアンマラ識となるとき真如実相の智慧に近づくのである。
それが真如実相の智慧に近づくにしたがい、肉体を創造する力は完全となるのである。

われらの肉体細胞は日々死んでいるのであって、新しい細胞と組織とを創造し、
生活過程で消耗したものと取り換えつつあるのであって、
その再創造が、浄化された阿頼耶識によって導かれるとき、
肉体の再創造は完全となり、健康なる肉体が創造せられる。

これに反して阿頼耶識が浄化されないとき
肉体の再創造は不完全となり病気となるのである。

            <感謝合掌 平成30年5月31日 頓首再拝>

人間は放送局であると同時に受信セットである - 伝統

2018/06/02 (Sat) 19:21:59


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月2日)より

一人一人の人間は各々放送局であると同時に受信セットであるとも言い得る。
各々の放送局である個人は、或は悲しみの念波を放送し、或は怒りの念波を、
或は憂いの念波を放送している。

二十二億の『人間放送局』から別々に放送されるこれらの想念・感情の波は、
類似の波長を起こす受信機(人間)の所に群り集まって
想念の集団をなして具象化するのである。

だから自分が起こした悲しみの波のみが自分の身辺に具象化するだけではなく、
悲しみの念波を起こせば自分以外の悲しみの波も集まって来て具象化する。

        <感謝合掌 平成30年6月2日 頓首再拝>

《想念と運命との関係》 - 伝統

2018/06/20 (Wed) 18:28:52


        *『人生の秘訣365章』第5篇(P118) より

「私は貧乏だ」と思っている人に金持はなく、
「私は不健康だ」と思っている人に健康人はないのである。

あなた自身はあなたの想念の具象化したものなのである。

もっとも、「心」には、表面にある“現在意識”と、
隠れたる底にある“潜在意識”とがあって、
現在意識では「金持だ」と無理に思っていても、
潜在意識では、「貧乏だ」と云う想いが脱け切らない場合もある。

そんな場合には表面の心で、「自分は金持だ」と思っていても、
まだ現象的には貧乏であり得る。

では、潜在意識にある「想念」を改造するにはどうしたら好いだろうかと云うと、
それには潜在意識の特質を利用するが好いのである。

潜在意識は、外から暗示として入ってくる心的刺激を受け容れて、
素直に刺激された通りの「想念」をテープ・レコーダーのように
それを印象して保存している特質がある。

だから潜在意識を改造しようと思ったならば、
外から来る暗示に対して無防禦(むぼうぎょ)であってはならないのである。

        <感謝合掌 平成30年6月20日 頓首再拝>

運命を好転しようと思うならば「想念」を変えよ - 伝統

2018/06/24 (Sun) 19:15:02


         *『人生の秘訣365章』第5篇(P121) より

《既に受けたりと信じて感謝しなさい》

吾々の自主的精神はこのように外来の暗示には断じて屈従しない
と決意すれば屈従しないでいられるものなのである。
そこに人間が「神の子」としての自主的権威があるのである。

みずから発意し、選択した「想念」と、それと類似の波長を有する想念のみが、
あなたの境遇となり、運命となってあらわれる。

運命を好転しようと思うならば「想念」を変えよ。

あなたの魂の底の底なる願いが何であるかを、よく見届けて、
それが既に「實相」の世界に於いて実現しているのだと信じ、
それが既に実現せる有様を「想念」にハッキリと描いて、

「神よ、あなたが、それを実現し給いし事を感謝いたします」

と心に唱えて神に感謝するがよいのである。

感謝は「既に受けた」と云う念を一層ハッキリ心に描くことになる。

        <感謝合掌 平成30年6月24日 頓首再拝>

《事件は事件でなく「想念」そのものである》 - 伝統

2018/07/03 (Tue) 19:54:49


       *『人生の秘訣365章』第5篇(P122~123) より

心は常に積極的に、そして明るく建設的に、有(も)つべきものである。

若しあなたの想念が、消極的に陰気くさく破壊的な方向に
偏向(かたむ)いているならば、あなたの計画や行動は、
自然に破壊的な、消極的な、不建設的な傾向をもって来(く)るから、
する事なす事、何事も失敗に終ると云うことになり勝(かち)である。

だから破壊的な感情や、腹立っているときに、手紙を書いたり、人に面会したり、
物事を計画したりすると、とんでもない不結果を招くことになり勝である。

あなたの身辺に起る「具体的な事件」は、あなたの「想念」の結晶である。

「事件」は実は事件ではなく、「想念」そのものなのである。
あなたの「想うところのもの」があなたの「事件」である。

しかし劣等感を潜在意識の底にもっている限り、
その人の想うところの「想念」は劣等な、自己萎縮的なものとなり、
あなたの運命も優れたるものとは成り得ないのである。

        <感謝合掌 平成30年7月3日 頓首再拝>

境遇はあなたの想念が外界に具体化したもの - 伝統

2018/07/08 (Sun) 18:51:48


       *『人生の秘訣365章』第5篇(P123) より

《境遇は“鉄の鎖”ではない》

劣等感だと自覚していないで人類の大多数がもっている劣等感は
「人間は境遇によって支配される」と云う考えである。

誰でも持っていがちなこの考えは、
「人間は境遇の奴隷だ」と云う意味をもつ奴隷的な劣等感である。

「境遇がよくならなければ、どうにもならない」と考える人にとっては、
境遇はその人を縛っている鉄の鎖であり、
いつまでもその人は縛られていて、悪い境遇から脱することはできない。

境遇の鎖に縛られる心を捨てよ。
その瞬間からあなたは自主的な人間に一変する。

自己を境遇の前に屈従させてはならない。
「境遇が人間を支配する」と云う考えから
「人間が境遇をつくる」と云う考えに転向しなければならない。

境遇と云う具体的な状態は、
実はあなたの想念が外界に具体化したものに過ぎない。

        <感謝合掌 平成30年7月8日 頓首再拝>

吾々の想念は全宇宙に伝わる - 伝統

2018/07/12 (Thu) 19:48:27


        *「光明法語」(7月12日 宇宙は一つの生命体である。)

運動と云うものは「動くもの」とそれがその中で動くところの「媒質」とによって
可能となるのである。例えば魚は水中で動き、鳥は空中で動き、
ラジオの波は空間のエーテルを媒質として動く。

では吾々の想念は何を媒質として動くのであろうか。
吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動くのである。
吾々の想念が全宇宙に伝わらないと云うことはあり得ないのである。

ただ、吾等はそれを自覚することが出来ないに過ぎない。
吾々の想念が或る処へ伝達して無限供給が出て来る原理は其処にある。

        <感謝合掌 平成30年7月12日 頓首再拝>

《あなたの運命の作り手は? 》 - 伝統

2018/07/17 (Tue) 19:10:27


       *『人生の秘訣365章』第6篇(P141~142) より

ヘンリー・フォード第一世は

「吾々が何かを心に描いて思うならば、その想念が
小さな霊体(little enetity)となって、心に描いた状態を
《形の世界》に持ち来すためのメッセンジャー(使者<つかい>)となって往き、
それを実現するための要素を吾々のところへ持って来てくれるのである」

という意味のことをいっているのである。

実際、吾々は、間断なく、自分の「想念の霊体」を
使いとして至る所に派遣しつつあるのである。

そして、或る人は

「自分の人生の行路はどうしてこんなに嶮しいのであろうか」

と嘆くのであるし、

また別の或る人は

「自分の人生の行路はどうしてこんなに《なだらか》であり、
幸福に満たされているのであろうか」

と常に感謝しているのである。


そのようにその人の人生が苛辣であったり、幸福であったりするのは、
決してその人の宿命ではないのであり、自分自身が毎時々刻々常に間断なく
心に何かを想っている其の「想念の使者(ししゃ)」が所要の要素をあつめて来て、
想った通りの運命を自分自身につくり上げてくれつつあるからである。

だからあなたの運命についての責任は「宿命」というものにあるのではなく、
あなたがどんな「想念の使者(ししゃ)」を選んだかに責任があるのである。

        <感謝合掌 平成30年7月17日 頓首再拝>

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