伝統板・第二

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天皇陛下の譲位 - 夕刻版

2017/11/25 (Sat) 21:01:01

退位儀式の位置付け課題=現憲法下初、年明け準備組織

       *Web:時事ドットコムニュース(2017/11/25)より

政府は、天皇陛下の退位と皇太子さまの天皇即位の儀式の在り方を検討するため、
年明けにも準備組織を設置する。

退位は200年前の光格天皇以来。

現行憲法下初の退位の儀式を、
天皇による国事行為と位置付けるかどうかなどが課題に挙がるとみられる。
 
準備組織は、菅義偉官房長官をトップに、
事務担当の杉田和博官房副長官や宮内庁など関係省庁の担当者で構成される見通し。

宮内庁は既に先例の研究を進めている。

論点になりそうなのが、退位の儀式を国事行為とするか、
天皇家の私的行事とするかだ。

皇室典範には「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」(第24条)
と即位に関する規定はあるが、退位の儀式に関する記述はない。

宮内庁は「皇位継承は国民にとって重要な行事」(幹部)として、
国事行為とするのが妥当との立場だ。

また、1817年に退位の儀式が最後に行われた際は、
光格天皇の代理者が皇位を譲る旨の「宣命(せんみょう)」を読み上げており、
同様の手続きを行うかどうかも話し合われるとみられる。

政府は、儀式の内容が天皇の政治的行為を禁じた憲法4条に
抵触することがないよう、慎重に検討を進める方針だ。
 
退位・即位の日程について、政府は三権の長や皇族らによる
12月1日の皇室会議を経て同月上旬にも決定する。

政府内では「2019年4月30日退位、同年5月1日即位」
とする案が有力となっている。

  (https://www.jiji.com/jc/article?k=2017112500371&g=ryl

・・・

<関連Web:伝統板・第二「天皇陛下「象徴の務め困難に」 」
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6969806 >

<参考Web:伝統板・第二「江戸時代後期の天皇の権威を確立した2代の天皇」
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7409058 >

           <感謝合掌 平成29年11月25日 頓首再拝>

「平成31年5月1日」改元へ - 伝統

2017/11/26 (Sun) 19:09:03


「平成31年5月1日」改元へ 皇室会議を12月1日に開催 
政府は譲位に関する国事行為の日程を閣議決定へ

          *Web:産経ニュース(2017.11.22)より

政府は21日、天皇陛下の譲位や改元の日程などを決める皇室会議を
12月1日に開くことを決めた。

改元の日程について、政府は平成31年4月1日と
31年5月1日の2案を提案するが、
安倍晋三首相は統一地方選を考慮して5月1日を推す意向を示している。

皇室会議の決定を受け、政府は譲位日程などを閣議決定する運びとなる。

安倍首相は、31年4月に統一地方選が予定されていることから、
改元直後に政治的喧噪が生じるのを避けるべきだと考慮した。

政府は当初、国民生活の影響を最小限にとどめるため、30年暮れに譲位し、
31年元日に改元する方向で検討していた。

ただ、宮内庁や皇族らの意向を踏まえ、政府は改めて今年8月末から、
この案と31年3月31日に譲位して4月1日に改元する案、
31年4月30日に譲位して5月1日に改元する案をそれぞれ検討した。

その結果、今年9月中旬の段階で、5月1日改元が有力となっていた。

複数の政府筋によると、
天皇陛下は、31年1月7日に昭和天皇の崩御30年を迎えることに
感慨を抱いておられるという。

今年6月9日に成立した譲位特例法は、
譲位に関し「公布日から3年を超えない範囲」と定めた。
付則には、譲位の日程などについて、皇室会議を経て閣議決定することを明記した。

譲位に関する国事行為は「剣璽等承継の儀」(三種の神器の引き継ぎ)と
「即位後朝見の儀」(三権の長らの初拝謁)などがあり、
政府は皇室会議を受けて速やかに閣議決定する。

 
皇太子さまが新天皇に即位されると、
天皇陛下は「上皇」、皇后陛下は「上皇后」となられる。

また、新元号が制定されれば、「大化の改新」(645年)から数えて248番目。
譲位は江戸後期の光格天皇(1771~1840年)以来となる。

これまで新天皇の即位に伴い新元号が発表されてきたが、
前倒しして公表する案も浮上している。

   (http://www.sankei.com/life/news/171122/lif1711220003-n1.html

           <感謝合掌 平成29年11月26日 頓首再拝>

大嘗祭、31年11月 - 伝統

2017/11/27 (Mon) 21:22:34

大嘗祭、31年11月 宮内庁、ご即位年の儀式「自然」

         *Web:産経ニュース (2017年11月25日)より

皇太子さまが新天皇に即位されるのに伴う大嘗祭(だいじょうさい)について、
宮内庁が平成31年11月に行う方針を決め、
具体的な準備に着手することが24日、分かった。

山本信一郎長官は同日の定例会見で、
ご即位が政府案の一つである31年5月1日になった場合でも、
同年11月に大嘗祭を行うことに支障はないとの考えを示した。

安倍晋三首相は12月1日、陛下の譲位と皇太子さまの即位の日程について
意見を聞く皇室会議を開催。

陛下が31年3月31日に譲位し、皇太子さまが同4月1日に即位される案と、
4月30日譲位、5月1日即位の案を提示する。
首相は後者を推す意向を示している。


いずれの案の場合でも、平成で「斎田点定(さいでんてんてい)の儀」が行われた
2月より遅い時期となるが、山本長官は24日の会見で、過去に
「斎田点定の儀」が旧暦の4月、現在の5月に行われた例があることを理由に挙げ、
5月即位の場合でも同じ年の11月に大嘗祭を行うことに
「特段の問題はない」との見解を示した。

 
別の宮内庁幹部は「田植え前であれば『点定の儀』は可能。
今回のように服喪期間がない場合、ご即位年の11月に大嘗祭を行うことが自然で、
伝統に反するものではない」としている。

 
平成の大嘗祭は皇居・東御苑内で執り行われたが、
宮内庁は今後、大嘗祭を行う場所や規模などの検討に入る。

 
大嘗祭は天皇が即位後に初めて行う新嘗(にいなめ)祭。
平成の場合、天皇陛下が昭和64年1月7日に即位されたが、
大嘗祭は1年間の服喪期間を経た上で平成2年11月に行われた。

 
大嘗祭を行うには新穀を育てる特別の水田(斎田)2カ所を準備し、
儀式を行う大嘗宮(だいじょうきゅう)を造営する必要がある。

平成では2年2月、亀の甲羅を用いた占いで斎田を決める
「斎田点定の儀」が、皇居で行われている。


■大嘗祭 新天皇が即位後に最初に行う新嘗祭で、
 皇位継承において最も重要な儀式とされる。

 平年の新嘗祭を行う皇居内の「神嘉殿」とは別に「大嘗宮」を新設。
 新天皇が新穀を供え、神々とともに食し、五穀豊穣(ほうじょう)に
 感謝するとともに国家・国民の安寧を祈願する。

 天皇の崩御に伴う即位の場合は喪に服するため、
 大正天皇の大嘗祭は大正4年11月、
 昭和天皇の大嘗祭は昭和3年11月だった。

  (https://news.infoseek.co.jp/article/sankein_lif1711250007/

           <感謝合掌 平成29年11月27日 頓首再拝>

光格天皇の「あるべき天皇像」を模索 - 伝統

2017/11/28 (Tue) 18:11:16

光格天皇の「あるべき天皇像」を模索した姿は天皇陛下に通じる 
~東大名誉教授・藤田覚

        *Web:産経ニュース(2017.1.10)より抜粋

江戸時代末期に在位した光格天皇(第119代 1771~1840年)は、
幕府との対立を辞さず、天皇と朝廷の権威復活を図り、
現皇室の礎を築いたことで知られる。

光格天皇をはじめとした近世皇室史を研究し、
『幕末の天皇』(講談社学術文庫)などを著した
東大名誉教授の藤田覚氏(70)は、
譲位を希望される天皇陛下と光格天皇の共通点を指摘した。


□ □ □ 

光格天皇と現在の天皇陛下には似通った部分があるように思います。
それは「あるべき天皇像」を自らの手で描かざるをえなかったという特別な境遇です。

天皇陛下の直系のご先祖である光格天皇は、傍系の閑院宮家から即位しました。
天皇に即位する皇族は普通、幼少時代から「天皇になるための教育」を受けます。
周囲からさまざまな教えを受ける中で「天皇かくあるべし」ということが自然と身につく。

しかし、光格天皇はそうした経験が全くなかった。
「天皇はどうあるべきか」「どうあるべきでないか」を
試行錯誤を繰り返しながら、模索せざるをえなかったわけです。


光格天皇は、江戸幕府と激しく対立しながら、
簡素化されていた新嘗祭を古来の形式に戻すなど、
朝廷の儀式や儀礼を再興させ、天皇の権威の強化を図りました。

天皇の政治的発言はあってはならないとされた江戸時代にあって、
飢饉に苦しむ民への米の放出を幕府に申し入れ、実現させたこともあります。

この強靱な意志は「あるべき天皇像」を強烈に意識せざるをえなかった
境遇と無縁ではないはずです。

「象徴天皇」として即位した初めての天皇である天皇陛下も、
同様の模索を重ねられてきたのではないでしょうか。

光格天皇がそうであったように、「あるべき象徴天皇像」を
手探りで作り上げてこられたのだと思います。


  (http://www.sankei.com/politics/news/170110/plt1701100003-n1.html

           <感謝合掌 平成29年11月28日 頓首再拝>

悠久の神代から続く皇祖皇宗の歴史からすると、・・・ - 伝統

2017/11/29 (Wed) 17:12:56


(このような意見もあります)

     *メルマガ「人生秘中の奥義書」(2017年11月29日)より

 昨日の11月28日から皇居勤労奉仕団にきています。
 皇太子殿下のお会釈(ご挨拶)は11月30日、
 天皇陛下のお会釈(ご挨拶)は12月1日 になりました。

 皇居勤労奉仕というのは、
 1945年(昭和20年)5月の東京大空襲で焼失した
 宮殿の焼け跡を整理するため、同年12月に
 宮城県栗原郡の青年男女の有志が勤労奉仕を
 申し出たことから始まり、今日まで続いています。

 宮城県栗原郡の有志が奉仕に来るときは、
 アメリカ軍の占領統治が始まった直後だったということもあり、
 宮城県を出発するとき、水さかづきを飲みかわして
 奉仕にやって来られたと伝えられています。

 昭和天皇が
 この宮城県の奉仕団の心意気を汲取ってくださり、
 奉仕団の前でお会釈(ご挨拶)してくださいました。

 これが、 勤労奉仕団とお会釈(ご挨拶) の始まりです。

 お会釈(ご挨拶)が始まったのは、1945年(昭和20年)12月8日です。

 真珠湾攻撃が始まったのが12月8日だったのですが
 戦争で荒れ果てた皇居の復興をしようという
 国民の心に、昭和天皇がお会釈(ご挨拶)でお答えになられたのも
 12月8日になったのです。

 この天皇陛下の奉仕団へのお会釈(ご挨拶)は、
 天皇陛下の最も大切な御公務になっています。


 今回私の参加する奉仕団のお会釈は12月1日です。

 12月1日というのは、9時から、
 宮内庁特別会議室(宮内庁の3階で暖炉のある間)で
 皇室会議が開かれる日です。

 今上陛下の生前譲位と、皇太子殿下の即位の日程についての会議です。

 10月20日の美智子妃殿下の御誕生日に
 「天皇陛下退位2019年3月末 即位・新元号4月1日」
 と朝日新聞がスクープしました。

 菅官房長官は即座にこれを否定しました。

 昨年7月13日の天皇陛下の生前譲位についての
 NHKのスクープをみても、スクープの情報のほうが真実に近い気がします。

 先の朝日新聞の報道から見て天皇陛下のお考えは
 3月31日に譲位、4月1日新天皇の即位だろうと思われます。

 11月22日に菅官房長官は
「12月1日に皇室会議を開催し、
 有識者の意見を聞いて譲位の日と即位の日を決定」
 と発表しました。

 安倍総理大臣の意見は5月1日即位を推したいらしい。

 政府の考え方は4月が統一地方選なので、
 統一地方選が終わった4月30日に天皇陛下の譲位、
 5月1日新天皇の即位 という筋立てです。

 悠久の神代から続く皇祖皇宗の歴史を
 統一地方選の状況を勘案して決めようという姿勢が間違っている
 と私は思います。


 こういう意見って
 私だけかな?

  (http://ougisyo.net/mag/rireki/20171129.html

           <感謝合掌 平成29年11月29日 頓首再拝>

譲位後の両陛下仮住まい、旧高松宮邸で調整 - 伝統

2017/11/30 (Thu) 18:58:51


        *Web:産経ニュース(2017.11.24)より

天皇陛下の譲位後の住まいについて、
天皇、皇后両陛下が転居する予定の東宮御所(東京都港区)を改修する間、
高輪皇族邸(同区、旧高松宮邸)に仮住まいされる方向で調整が進められている
ことが24日、宮内庁関係者への取材で分かった。

旧高松宮邸は現在使われておらず、修繕が必要。
12月1日の皇室会議を経た譲位の期日決定を受け、
宮内庁は来年度予算案に経費を盛り込む。

仮住まいは当初、赤坂御用地内の赤坂東邸が有力だったが、
譲位後に皇位継承順位1位の「皇嗣」となる秋篠宮さまが
要人らとの面会に使われる可能性があり、見送られる見込み。

宮内庁は、新天皇となる皇太子さまや秋篠宮さまのご活動を優先する
両陛下のお考えも踏まえて判断。

別の候補地だった葉山御用邸(神奈川県葉山町)も
利便性の観点から現実的ではないとされた。

  (http://www.sankei.com/life/news/171124/lif1711240038-n1.html

           <感謝合掌 平成29年11月30日 頓首再拝>

皇室会議 - 伝統

2017/12/01 (Fri) 17:20:47

天皇の譲位等に関する皇室典範特例法の施行日に関する皇室会議の意見

        *Web:産経ニュース(2017.12.1)より


政府は1日、天皇陛下の譲位の日程を決めた皇室会議の意見を公表した。
意見は次の通り。

     


天皇の譲位等に関する皇室典範特例法の施行日の決定に当たっては、
天皇陛下の御譲位およびそれに伴う皇太子徳仁親王殿下の御即位が
つつがなく行われること、

皇位の継承に伴う国民生活への影響を考慮すること等に留意する必要がある。

 
以上の点を踏まえて、皇室会議としては、
施行日は平成31年4月30日とすべきであると考える。

なお、本法の施行に当たっては、国民生活への影響も十分考慮し、
皇位の継承がつつがなく行われるよう、政府において遺漏なく準備を進めるとともに、
その状況について適時適切に国民に周知を図っていくことが必要である。

  (http://www.sankei.com/politics/news/171201/plt1712010018-n1.html


・・・

退位、19年4月末に 皇室会議が終了

       *Web:日本経済新聞(2017/12/1)より

天皇陛下が退位する日程を話し合う皇室会議が1日午前、宮内庁で開かれた。
陛下が2019年4月30日に退位し、皇太子さまが同年5月1日に新天皇に即位され、
同日に改元する日程が固まった。

退位や即位の期日を定めた政令を12月8日の閣議で決める。

存命中の天皇陛下の退位は1817年の光格天皇以来、約200年ぶりとなる。
明治以降、天皇陛下の退位は終身在位制となり、実施されていなかった。

宮内庁は16年8月に退位の思いをにじませた陛下のビデオメッセージを公表。
政府が17年の通常国会で退位を実現する特例法を成立させた。

皇室会議の開催は皇太子さまと雅子さまの婚約を承認した1993年以来、約25年ぶり。
戦後は7回開かれており、婚姻以外の案件を取り上げるのは、
旧宮家の皇籍離脱を審議した47年10月以来、70年ぶりとなる。

「昭和」を受け継いだ「平成」は平成31年までで終わる。
政府は国民生活への影響を最小限にするため、新元号を2018年中に事前公表する。

退位した天皇陛下は「上皇」、皇后陛下は「上皇后」、
秋篠宮さまの呼称は事実上の皇太子として「皇嗣殿下」となる。

1日開催された皇室会議は安倍晋三首相が議長を務め、
皇族や衆参両院の正副議長、最高裁長官ら計10人で構成。

特例法は退位日の決定にあたり、
首相に皇室会議への意見聴取を義務付けている。

政府は皇室会議の概要を5日の閣議に報告したうえで、
8日の閣議で退位時期を定める政令を決める。

19年4月30日の退位は、
19年3月から4月にかけて実施される統一地方選から離れており、
「静かな環境」で退位を迎えられる利点がある。

昭和天皇の誕生日だった4月29日の昭和の日、4月30日の陛下の退位、
5月1日の皇太子さまの即位と改元で皇室行事が続き、
祝賀ムードが盛り上がるとの期待もある。

政府は退位の儀式や新天皇の即位を宣明する「即位の礼」の準備を進めるため、
菅義偉官房長官をトップとする準備組織を年明けにも立ち上げる。

新元号の具体的な公表時期や退位の儀式を天皇による国事行為と
位置付けるかどうかなどが検討課題となる。

新元号は専門の有識者会議で複数の学者から意見を聴取し、首相が最終的に判断する。

宮内庁は天皇、皇后両陛下を補佐する組織や退位後の住まいの準備を本格化する。
新天皇となる皇太子さまの住まいは皇居・御所に、
「上皇」となる陛下は赤坂御用地内の東宮御所になる見通しだ。

 (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24130560R01C17A2MM0000/?n_cid=NMAIL007


・・・

25年ぶり皇室会議 陛下と面会終え首相は...

        *Web:FNNニュース(2017.12.01)  

陛下と面会し、報告を終えた安倍首相が会見を行った。

会見の内容は以下の通り。

本日、皇室会議が開催され、皇室典範特例法の施行日について、
平成31年4月30日とすべき旨の皇室会議の意見が決定されました。

天皇陛下のご退位は、約200年ぶりのことであり、憲政史上初めての事柄であります。

本日、滞りなく皇室会議の意見が決定され、
皇位の継承に向けて大きく前進したことに、深い感慨を覚えています。

政府としましても、この皇室会議の意見をふまえ、
速やかに施行日を定める政令を制定するとともに、
天皇陛下のご退位と皇太子殿下のご即位が国民の皆様の祝福の中で、
つつがなく行われるよう、全力を尽くしてまいります。

 (https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20171201-00000056-fnn-soci

           <感謝合掌 平成29年12月1日 頓首再拝>

<退位>日程の絞り込み - 伝統

2017/12/02 (Sat) 17:45:12

<退位>日程、苦肉の策 官邸と宮内庁綱引き

        *Web:毎日新聞(2017.12.02)より

1日の皇室会議で、天皇陛下が退位される日が2019年4月30日に固まった。
退位日は新元号が始まる改元と関わるため、国民生活への影響が大きい。

年末や年度末という区切りの良い日も検討されながら実現しなかった背景には、
年末をめざした首相官邸と、それに反発した宮内庁による綱引きがあった。
【高橋克哉、高島博之、遠藤修平】


菅義偉官房長官は皇室会議後の記者会見で、
退位日を2019年4月30日とした理由について、
年度末は転居が多く、与野党が対立する統一地方選が19年4月に予定されている
と指摘した。

年度末で区切りが良い19年3月31日の退位日を選択しなかった理由を
説明することに力点を置いた。

昨年の段階で、安倍晋三首相が最初に検討したのは国民生活への影響が
もっとも少ない「18年12月31日の退位、19年1月1日即位・改元」だった。

年の変わり目の改元ならシステム障害が起きにくく、国民にもわかりやすい。

だが、宮内庁は元日の宮中祭祀(さいし)や国事行為の「新年祝賀の儀」など
行事が集中することを理由に難色を示した。

それでも首相は「元日改元」にこだわった。
菅氏とともに練り上げたのが「天皇誕生日の18年12月23日の陛下の退位、
24日の新天皇即位、19年1月1日改元」の日程だった。
退位、即位と改元の時期をずらし行事を分散させ元日改元を実現する次善の策だった。

ところが宮内庁はこれにも反発し、官邸に年末年始の皇室行事の一覧表を持ち込んだ。
「12月から1月までいかに多忙かがわかる表」(同庁幹部)で、
同庁は年末年始の皇位継承は難しいとの説明を繰り返した。

19年1月7日の昭和天皇逝去から30年の「式年祭」は
現在の陛下が行うべきだとも伝えた。

「宮内庁は『とにかく年末年始だけはやめて』の一点張りだった」。
官邸幹部は振り返る。

一方で宮内庁が今年夏ごろに提案してきたのは皇室行事が一段落する
「3月31日退位、4月1日即位・改元」の日程だった。
官邸も検討は進めた。

だが、4月に統一地方選が予定されるなかでは「静かな環境」とはなりにくい。
首相も10月ごろ、周囲に「なかなか難しい」と漏らすようになった。

1~3月は来年度政府予算案の国会審議が続く。
夏には参院選がある。
19年の政治日程を踏まえれば、残された選択肢は限られていた。

年度末の退位とすれば、宮内庁の言い分が通った形になるのを
官邸が嫌ったとの見方もある。

今回の退位は、陛下の意向によって始まった側面が否定できない。
それだけに官邸には主導権を確保しておきたいという意識が強い。

政府関係者は「陛下の意向をくんだ宮内庁が主導したとなると、
(天皇は国政に関与しないという)大前提が崩れる。

年度末の異動によるシステムの影響はあるが、それは後付けの理屈だ」
と指摘した。

官邸内では年末退位案が実現せず、中途半端な日程に収まったことに対し
「宮内庁は伝統や格式ばかりを重視しすぎている」
(政府筋)との不満もくすぶっている。


 ◇皇室会議、異論出ず

1日に宮内庁で開かれた皇室会議は、想定の1時間を超える
1時間14分にわたる議論になった。

出席者からは、天皇陛下の退位が国民の総意となる必要性や、
国民と皇室に混乱が起きないよう注意喚起する声が上がり、
議長の安倍晋三首相が退位を「2019年4月30日」とする
意見案を示して集約した。

政府高官によると、出席者から強い異論は出なかった。


午前9時46分から同11時まで行われた皇室会議には会議の議員10人が出席。
退位を実現する特例法の担当閣僚である菅義偉官房長官も陪席した。

会議では、特例法の全文などの資料が配られた。
「国民がこぞって陛下のご退位と皇太子殿下のご即位をことほぐに
ふさわしい日を選択する必要がある」との趣旨の発言のほか

▽19年1月7日に昭和天皇逝去から30年の「式年祭」がある
▽19年4月に統一地方選が予定される
▽4月前半は国民の移動が多く、多くの行事がある--ことに留意を求める声も出た。


首相は冒頭、会議の趣旨を説明し
「退位・即位の日程についての意見を聴きたい」と発言。
続いて菅氏が特例法の趣旨を説明した。

そのうえで、首相が各議員を1人ずつ指名して意見を求め、
議員は用意した文書を読み上げるなど意見を表明した。

大島理森衆院議長は特例法制定に至るまでの経過を説明し、
伊達忠一参院議長が賛同する場面もあった。

高齢の常陸宮さまや常陸宮妃華子さまの体調を考慮し、
10人全員が発言して議論が一巡した時点で休憩を挟んだ。

休憩中、首相は菅氏と別室で意見案について打ち合わせをし、議論再開後に提示。
皇室会議の意見として決定し、出席者が署名した。

出席者による採決は行わなかった。

山本信一郎宮内庁長官は記者会見で
「皇室典範に基づく議決ではない。意見交換を踏まえてこういう意見がよい、
という形で決定された」と説明。
「(日程案が)複数示されたということではない」とも語った。

  (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171202-00000010-mai-pol

・・・

皇室の事情、官邸のメンツ 退位時期巡り溝浮き彫り

        *Web:日本経済新聞(2017/12/2)より

政府は1日の皇室会議を踏まえ、
天皇陛下が2019年4月30日に退位する日程を閣議決定する。

退位を実現する特例法が6月に成立し、
政府が退位時期の決定に向けた検討を本格化して以降、
宮内庁と首相官邸は妥当な時期を巡り駆け引きを続けた。

皇室の事情への配慮を求める宮内庁と、
政治決定を重視する首相官邸の溝が浮かんだ。

 
1日の皇室会議。10人の議員が円状に座るなか、
メンバーでない菅義偉官房長官が輪に入った。

議長の安倍晋三首相と真向かいの位置で首相の補佐役としての陪席。
宮内庁関係者は「しつらえは官邸側の指示だ」と明かす。
退位時期について協議する会議の進行に、にらみをきかせる官邸側の意思を読み取った。

会議は午前9時46分に始まり、午前11時に終了した。
出席者によると冒頭、首相が陛下の退位と皇太子さまの即位の日程について
意見を聞く場だとの趣旨を説明。

菅氏が退位特例法の内容を話した。
各議員が意見を表明し、首相が19年4月末退位の日程を会議の意見として決めた。

6月に退位特例法が成立し、政府内で退位時期の調整が本格化した7月、
官邸の高官は宮内庁の対応に
「彼らはすぐに陛下の意向と言うが、間接的に確認してみるとそうではないこともある」
と不満を漏らしていた。

官邸が昨年から探ってきたのは「18年12月末退位・19年元日改元」案。
陛下が退位の意向をにじませる昨年8月のビデオメッセージで
「平成30年(2018年)」に触れたからだ。
18年の誕生日に85歳を迎えられる区切りの良さもあった。

先手を打ったのは宮内庁だった。
「1月1日は皇室にとり極めて重要な日。
譲位、即位に関する行事を設定するのは難しい」。

西村泰彦次長が今年1月17日の定例記者会見で18年末退位案について難色を示した。

宮内庁が退位を巡って公の場で異例の言及をしたことに、
菅氏は「政府の立場でコメントは控えたい」と言葉をのみこんだ。

「なんだかんだ言っても陛下のお気持ちというのは本当に大きい」。
退位特例法の成立後、退位時期をめぐり宮内庁との調整に入るにあたって、
官邸の高官はこぼした。

宮内庁がこだわったのは19年1月7日。
昭和天皇の死去から30年の式年祭をいまの天皇陛下で開くことだった。

官邸に求めたのは「19年3月末・4月1日改元」案。年度替わりの節目でもある。
同庁関係者によると、官邸側に年末年始と3~4月の皇室行事を示し、
どちらが皇位継承に伴う陛下と皇太子さまの負担が少ないか説明した。

「宮内庁の意向は配慮するが、官邸も言うべきことは言う」。
12月末退位案にこだわらないことにしたが、
宮内庁が要望する3月末退位案にはすんなり乗れなかった。

退位を実現する特例法は退位の期日を政令で決めると定める。
主体は政令を閣議決定する内閣で、そのトップは首相だ。
「最後は政治が決めるんだ」(官邸幹部)

政治判断のメンツにこだわったのにはほかにも理由がある。

そもそも天皇の退位は憲法や皇室典範に規定がなく、
退位の行為自体が憲法4条が禁じる政治関与や政治利用につながる懸念があった。

官邸側は当初「(天皇に代わって国事行為を行う)摂政制度の活用ではダメか」
と同庁を通じて陛下の翻意を促したが宮内庁側は認めず、
恒久制度による退位実現にこだわった。

いまの陛下一代限りの退位を認める特例法の制定は妥協の末に浮かんだ解決策。
首相は「陛下の思いをそんたくした」と周囲に漏らした。

憲法違反ギリギリの政治判断を下したことで、
宮内庁側の意向がその後も強く出過ぎることへの危機感が根底にあった。

   ◆   ◆   

首相官邸側の「反撃」が始まった。
検討していた年末退位案と3月末退位案の2案に加え、
退位を天皇誕生日の12月23日などに前倒しし、
陛下や皇族の負担軽減を図る案なども模索した。
官邸関係者は「9月には5案になった」と明かす。

そのうちの一つが「19年4月30日退位・5月1日改元」案だった。
年度替わりは異動時期で、国民生活にせわしなさもある。

19年4月末退位は、予算案審議や統一地方選が終わった後で静かな環境で迎えられ、
祝賀ムードを夏に迫る参院選にひき付けられる利点もあった。
何より宮内庁ペースでの決定を嫌った。

「まったく知らない。分からない」。

宮内庁の山本信一郎長官は11月21日夜、19年4月末退位案が浮上した
との報道を受け、同庁長官室前で記者団に硬い表情で繰り返した。

ある宮内庁幹部は「12月1日の皇室会議の日取りを聞いたのが21日夜。
4月末退位案は寝耳に水で長官も知らなかったと思う」と話す。

「4月末」という国民的に決してきりの良くない退位時期。
それ自体が、官邸と宮内庁の溝の深さを物語る。

 (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24171700R01C17A2EA2000/?n_cid=NMAIL007

           <感謝合掌 平成29年12月2日 頓首再拝>

新元号本格調整へ - 伝統

2017/12/03 (Sun) 20:33:10

新元号本格調整へ 来年夏めどに公表 周知期間設定

       *Web:毎日新聞(2017年12月1日)より

天皇陛下が2019年4月30日に退位され、
翌5月1日から新元号とする日程が固まり、
改元に向けた政府内の調整が本格化する。

明治時代に「終身天皇制」となって以来、
天皇の逝去を伴わない初の改元となるため、
新元号の決め方と公表時期が焦点だ。

政府は新元号を18年夏をめどに公表し、
十分な周知期間を設けて国民生活に支障が出ないようにする「事前公表」を検討している。


天皇逝去と新天皇即位に伴う即日改元の場合、
元号を使った官庁や企業のコンピューターシステム改修、
カレンダー・手帳の変更など、国民生活への影響が避けられなかった。

しかし今回は退位の日が事前に決まっており、
「これまでと違い、官民の準備期間に配慮ができる」(首相官邸関係者)のは大きい。

菅義偉官房長官は1日の記者会見で新元号の公表時期は決めていないとしつつも、
「国民への影響も考慮し、適切に対応する」と強調した。

準備・周知にはできるだけ早い新元号の公表が必要だが、
政府内には「改元まで間が空き過ぎると間延びする」
「早い方がいいが、早過ぎてもよくない」との声も上がる。

別の政府関係者は「終戦の日や沖縄慰霊の日などは避け、
行事がない日の公表が望ましい」との見方を示した。

その公表時期に大きな影響を及ぼすのは、新元号を決める手続きだ。

1989年に「平成」を選定した際は、
(1)政府が委嘱した漢籍などの複数の専門家からそ
   れぞれ事前に複数の元号案の提出を受けておく。

(2)首相の指示を受けて官房長官が数個に絞る。

(3)各界の有識者による懇談会で意見を求める。

(4)衆参正副議長の意見を聞く。

(5)閣議で最終決定--という手順を踏んだ。

天皇逝去の翌日から改元する必要があり、実際のスケジュールは、
この手続きをわずか数時間で終える慌ただしいものだった。

同年1月7日午前6時33分に昭和天皇が逝去したことを受け、
同日昼から新元号の絞り込みを開始。
午後1時3分から有識者懇談会、
同23分から衆参正副議長の意見聴取を経て、
午後2時36分には小渕恵三官房長官(当時)が
記者会見で「平成」の色紙を掲げて発表した。

時間の余裕がなく、有識者懇談会などが「形式的な議論にとどまった」との指摘がある。

政府は今回もこの手順を踏襲する方針だが、
前回は官房長官のもとで行っていた複数案への絞り込みを
有識者懇談会などで行い、最終的に首相が決定することを想定。

有識者懇談会などが、新元号を巡る本格的な検討の場になる可能性がある。


 (https://mainichi.jp/articles/20171202/k00/00m/040/128000c?inb=ys


           <感謝合掌 平成29年12月3日 頓首再拝>

譲位の儀式 - 伝統

2017/12/04 (Mon) 17:36:02

譲位の儀式は200年ぶり 政府検討、過去58例を研究

        *Web:産経ニュース(2017.12.2)より

譲位期日の決定を受け、政府は年明けにも譲位と即位の儀式に関する議論を始める。
現憲法下で初の代替わりとなった平成の例を踏襲する一方、
新たに譲位の儀式を行う方向で検討。

譲位の儀式は実現すれば約200年ぶりの復活となり、
宮内庁は過去58例の資料にあたるなど準備を進める。

即位については国事行為にあたる5つの儀式が執り行われる。

始まりは「剣璽(けんじ)等承継の儀」。
新天皇が即位の証しとして、三種の神器のうち、
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の分身と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を、
また天皇の印である御璽(ぎょじ)、国家の印章である国璽を受け継ぐ。

その後、即位後初めて三権の長らと会う「即位後朝見の儀」と続く。

最高儀礼とされるのが、
天皇が国内外に即位を宣明する「即位礼正殿の儀」(即位の礼)だ。

平成の儀式では宮殿・松の間にしつらえた高御座(たかみくら)で、
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)に身を包んだ天皇陛下が即位を自らご宣言。
参列した皇族方も伝統的な装束を身につけられた。

装束の新調は時間を要すため、来年度早々にも発注する方針。
着付けの担当が予定される宮内庁の部署では、
平成の儀式を経験した職員らを中心に手順の確認を始めている。

国事行為の儀式とは別に、天皇が即位後、
初めて神々に新穀を供え国家安寧を祈る
新嘗祭(にいなめさい)「大嘗祭(だいじょうさい)」も重要な儀式。

宮内庁は平成31年11月に行う方針だ。

亀甲を用いた占いで新穀を育てる水田を決定する儀式
「斎田点定(さいでんてんてい)の儀」は、田植えに間に合うよう
即位後すみやかに行われる見通し。

http://www.sankei.com/life/news/171202/lif1712020017-n1.html

・・・

「即位の礼」経費削減案…陛下、国民負担に配慮

       *Web:読売新聞(2017.11.27)

皇陛下の退位に伴い、新天皇が臨む即位の礼と大嘗祭(だいじょうさい)について、
それぞれ皇居の宮殿と東御苑(ひがしぎょえん)で行う方向で政府が検討している
ことがわかった。

平成の例を踏襲する形だが、国民の負担に配慮される陛下のお気持ちを踏まえ、
招待客や祝宴を減らして経費を削減する案も浮上している。

大嘗祭は同11月に行われる見通し。
外国元首らも招く即位の礼の主要な儀式は、
平成は11月に行われたが、時期を早める案もある。

新天皇が内外に即位を宣明する「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」や
祝宴「饗宴(きょうえん)の儀」など即位の礼の儀式は宮殿で、
「大嘗祭」は皇居の付属庭園・東御苑で行う方向で検討している。

 (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171126-00050126-yom-pol

           ・・・

お住まい「バリアフリー化」も 儀式の在り方や規模、準備急ぐ宮内庁

        *Web:産経ニュース(2017.12.2)より

天皇陛下の譲位に向け、天皇、皇后両陛下のお住まいや
譲位・即位の関連儀式の在り方、規模などの課題は宙に浮いたままだ。

宮内庁は儀式などの具体論を検討する政府の議論をにらみながら、準備を急ぐ。

陛下の譲位により、
両陛下のお住まいは現在の皇居・御所から東宮御所(東京都港区)へ、
新天皇となる皇太子ご一家は東宮御所から御所へ、それぞれ移られる。

いずれの建物も改修が必要で、即位後、当面は皇太子さまが
東宮御所と皇居の間を行き来し、宮中祭祀などに臨まれる。

御所を改修する間、両陛下の仮住まい先は
高輪皇族邸(同、旧高松宮邸)が有力視されている。

当初は元赤坂の赤坂御用地にある赤坂東邸を利用する案が有力だったが
「皇嗣」となる秋篠宮さまが面会などで赤坂東邸を活用される可能性があり、
見送られる方向だ。

東宮御所はご高齢の両陛下が住まわれることに備え、
1階公室部分と2階のプライベート部分との間に
エレベーターを設置するなどバリアフリー化を検討する。

宮内庁は年内に譲位後の両陛下のお住まいを正式決定し、
平成30年度政府予算に改修費用などを盛り込む。

 
約200年ぶりとなる譲位関連儀式も行う方向で調整が進む。

宮内庁は1817年に最後に譲位した
第119代の光格天皇が行った儀式を中心に研究。

光格天皇のケースでは、譲位の理由に関する天皇の言葉を
代理者が読み上げる「宣命」が行われたが
「天皇の政治関与を禁じた憲法4条に抵触する」との指摘もあり、在り方を精査する。

陛下の譲位後、新天皇への皇位継承を内外に示す「即位礼正殿の儀」、
即位を祝う「饗宴の儀」、新天皇が初めて行う新嘗祭「大嘗祭」などへの招待者数、
規模も焦点だ。

宮内庁関係者によると、陛下と皇太子さまは、
代替わりにかかる費用は最小限が望ましいとの考えで一致されているといい、
「平成」を下回る規模になるとみられる。

宮内庁の組織改編も課題の一つ。
譲位後の両陛下の世話をする「上皇職」、
秋篠宮家を支える「皇嗣職」の新設などで職員の増員が見込まれるが
「人員確保のため、他省庁職員を併任させる形も想定している」
(宮内庁幹部)という。

   (http://www.sankei.com/life/news/171202/lif1712020018-n1.html

           <感謝合掌 平成29年12月4日 頓首再拝>

皇太子さまと秋篠宮さま、ご公務分担 - 伝統

2017/12/05 (Tue) 19:10:13

皇太子さまと秋篠宮さま、ご公務分担は難航も 背景に皇族の減少など

        *Web:産経ニュース(2017.12.1)より

天皇陛下の譲位後、陛下の公務は皇太子さまが、
皇太子さまの公務は秋篠宮さまが、それぞれ引き継がれる見通しだ。
ただ、皇族の減少なども背景に、秋篠宮さまの公務の引き継ぎは難航も予想される。

陛下が象徴天皇として担ってきた被災地訪問や慰霊、
親善を目的とした外国訪問などの公務について、
宮内庁は、全て陛下から皇太子さまに引き継がれるとの見解を示している。

一方、皇太子さまは「全国障害者スポーツ大会」のほか
「全国農業担い手サミット」「全国『みどりの愛護』のつどい」など、
関係者の間で「7大行啓」と呼ばれる行事で毎年、地方各地をご訪問。
沖縄と本土の青少年交流を目的とした「沖縄豆記者」や、
青年海外協力隊員との懇談など、既に両陛下から引き継がれた公務もある。

これらの皇太子さまの公務について、
秋篠宮さまは52歳の誕生日を前にした会見で「私の方で引き受けたい」
と明言された。

ただ、秋篠宮さまが担う公務の譲り受け先は不透明なままだ。
秋篠宮さまは平成24年以降に薨去(こうきょ)した
寛仁親王殿下、桂宮さま、三笠宮さまの6団体の役職を譲り受けられるなど、
昨年は年間の公務が200件を超えた。

   (http://www.sankei.com/life/news/171201/lif1712010018-n1.html

・・・

退位後の公務分担に課題、秋篠宮さまに集中

        *Web:日本経済新聞(2017/12/1)より

退位後の天皇陛下は皇后さまと共に公務から退き、私的な活動が中心となる。
国事行為を含む象徴天皇の活動は新天皇の皇太子さまが担い、
皇太子としての活動は皇位継承順位1位の「皇嗣」となる秋篠宮さまが
引き継ぐ見通しだ。

秋篠宮さまに公務が集中することになり、どのように分担するのかが課題となる。


「物理的にどこまで可能なのか、よく考えていかないといけない」

秋篠宮さまは52歳の誕生日を迎えた11月の記者会見で、
皇嗣となってからの公務のあり方について、皇太子さまと相談していく考えを示された。

秋篠宮さまは全国高校総合文化祭や全国都市緑化祭など毎年開かれる行事に出席。
このほか、亡くなった皇族からの引き継ぎを含め、日本動物園水族館協会や
日蘭協会など12団体の総裁や名誉総裁にも就かれている。

一方、皇太子さまも全国育樹祭、全国障害者スポーツ大会な
ど毎年恒例の7つの行事に出席するため全国各地を訪問。
東宮御所で外国に赴任する日本大使夫妻や離任する駐日大使夫妻らと面会する公務もある。

即位後の皇太子さまは、今の陛下の象徴天皇としての活動を引き継ぐ。
秋篠宮さまは誕生日会見で、現在の皇太子さまの公務について
「できる限り私の方で引き受けたい」と述べられた。

だが、秋篠宮さまも「今の公務で忙しい日々を送られている」(宮内庁関係者)のが実情。
皇太子さまの公務の大半を引き継ぐと負担が大きく、活動できない公務が
生じる恐れがある。

公務を分担する対応が考えられるが、秋篠宮さまは会見で
「私がしているものを今度は譲る先がないという事情もある」と言及された。

秋篠宮家の長女、眞子さま(26)は秋篠宮さまから日本テニス協会名誉総裁を
引き継いだが、2018年11月の結婚後に皇室典範の規定によって皇族の身分を離れられる。

国際基督教大(ICU)に在学中の次女の佳子さま(22)を含め、
残る30代以下の成年皇族は5人全員が女性。結婚すれば皇籍を離脱される。
皇族減少の問題が公務の分担を難しくしている。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24150650R01C17A2CR8000/?n_cid=NMAIL007

           <感謝合掌 平成29年12月5日 頓首再拝>

政府が閣議決定 - 伝統

2017/12/08 (Fri) 19:52:46

天皇退位、19年4月30日 政府が閣議決定
新天皇、19年5月1日即位へ


      *Web:日本経済新聞(2017/12/8)より


政府は8日の閣議で、天皇陛下の退位日を2019年4月30日と定める政令を決定した。
安倍晋三首相は閣議後の閣僚懇談会で、皇太子さまが翌5月1日に新天皇に即位すると表明した。

「平成」は新元号に改元される。政府は年明けに菅義偉官房長官をトップとする準備組織を発足。
1817年の光格天皇以来、約200年ぶりの退位に向けて調整を本格化させる。

 
首相は閣僚懇談会で「皇位継承の準備に必要な事柄は多岐にわたる。
国民がこぞってことほぐなかで退位と即位がつつがなく行われるよう万全を期してほしい」
と要請した。

菅長官が閣議後の記者会見で明らかにした。

天皇陛下の退位は明治以来、終身在位制となり、実施されていなかった。
宮内庁が16年8月に高齢による体力の衰えを理由に退位の思いをにじませた
陛下のビデオメッセージを公表したことから、
政府が退位を実現する特例法を17年の通常国会で制定した。

同法に基づき今月1日に開いた皇室会議では、
19年4月30日に陛下が退位すべきだとの意見を決めた。

同年3~4月には統一地方選が予定されており、
「静かな環境」で陛下の退位を迎えるには、選挙後の4月30日がふさわしいと判断した。

退位に伴い陛下は「上皇」、皇后さまは「上皇后」に就く。
秋篠宮さまは皇位継承順1位を意味する「皇嗣殿下」となる。

 
新元号は国民生活への影響に配慮し、18年に事前公表する方針だ。
専門の有識者会議で複数の学者から意見を聴取し、首相が最終的に判断する。
あらかじめ複数の元号案を検討するなど平成に改元したときの手続きを踏襲する。

菅長官は記者会見で新元号の公表時期について「これから検討する」と述べるにとどめた。

政府の準備組織では、退位の儀式の在り方などの検討作業を進める。
9世紀に編さんされた宮廷儀式書「貞観儀式」などを参考に研究を進める。
退位の儀式を国事行為とするか、天皇家の私的行事とするかなど儀式の位置づけも詰める。

皇太子さまの「即位の礼」は19年秋に開く方向で調整を進める。
外国の首脳ら多くの海外の要人を招くため、20カ国・地域(G20)首脳会議などの
国際会議との日程調整も必要になる可能性がある。

国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈念する皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」
も19年中に執り行う見通しだ。

退位後のお住まいは、新天皇となる皇太子さまは皇居・御所に、
「上皇」となる陛下は赤坂御用地内の東宮御所になる予定だ。
宮内庁はその間の両陛下の仮住まいを、東京都港区内にある高輪皇族邸(旧高松宮邸)とする方針。

  (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24411930Y7A201C1MM0000/?n_cid=NMAIL007

           <感謝合掌 平成29年12月8日 頓首再拝>

宮内庁が12月1日の皇室会議の議事概要を公表 - 伝統

2017/12/09 (Sat) 18:38:50


          *Web:産経ニュース(2017.12.8)

1 議案について、菅義偉内閣官房長官から、
  天皇の退位等に関する皇室典範特例法附則第1条第2項の規定に基づき、
  内閣総理大臣から、皇室会議としての意見が求められたことから、
  皇室典範特例法の施行日について、皇室会議としての意見を
  御決定いただきたい旨の説明があった。


2 議員各位から、皇室典範特例法の施行日について、
  天皇陛下には1月7日の御在位満30年の節目をお迎えいただきたいこと、
  国民生活への影響等を考慮すること、静かな環境の中で
  国民が天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位をこぞって寿(ことほ)ぐに
  ふさわしい日とすることなどの意見の表明が行われた。


3 各議員からの意見を踏まえ、次のような考え方により、議長から意見案が示された。 

 ・天皇陛下の御退位、それに伴う皇太子殿下の御即位がつつがなく
  行われることが必要であり、関連する儀式の準備、具体的な組織の編成、
  予算の確保、人材の確保・養成を万全に行うためには、
  最低でも1年の期間が必要であること。

 ・皇位の継承に伴う国民生活への影響を十分に考慮しつつ、
  国民がこぞって天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位を寿ぐに
  ふさわしい日を選択することが必要であること。

 ・天皇陛下には、1月7日の御在位満30年の節目をお迎えいただきたいこと。

 ・4月は、年度の開始する月であり、気候も穏やかさを増す季節であるが、
  その前半は、全国的に人の移動が激しく、入学式等の各種の行事も盛んに行われ、
  加えて、平成31年は、4年に一度の統一地方選挙が実施される見込みである
  ことから、そのような慌ただしい時期は避けることが望ましいこと。

 ・4月29日は昭和の日であり、昭和の日に引き続き、
  御退位、御即位を実現することによって、国民がこれまでの
  我が国の営みを振り返り、改めて日本国の弥栄を思い、
  決意を新たにすることができること。


4 皇室会議としての意見(「皇室会議としては、施行日は
  平成31年4月30日とすべきであると考える」)が
  議長の意見案のとおり決定され、議決書に各議員の署名が行われた。


5 議事の公表については、今回の議案が、
  天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位の日に関わる、
  国民がこぞってお祝いすべき日に関するものであり、
  誰がどのような意見を述べたかということを明らかにすることは、
  必ずしも好ましいことではないので、個々の意見や発言者名は記載せず、
  結論とその考え方を記載した形の議事の概要を作成し、公表することが合意された。


6 皇室会議の意見について、内閣に送付するとともに、官報に掲載することとされた。

  (http://www.sankei.com/politics/news/171208/plt1712080017-n1.html )

           <感謝合掌 平成29年12月9日 頓首再拝>

昭和天皇に感謝申し上げます。 - 伝統

2017/12/10 (Sun) 20:59:08


(皇室会議の議事概要 3 において、「昭和の日」に触れておりましたことに関連し)

         *Web「増田俊男の時事直言」(2017年12月05日)より

昭和天皇は終戦直後1945年9月27日マッカーサーをご訪問、

「自分は今失意と虚脱にあえぐ国民を慰め励ましたいので、
日本全国を回りたい、しかし、一部に反対の声もあるのだが、、」

と言ってマッカーサーに助けを求めた。

マッカーサーは「遠慮なくおやり下さい。それが民主主義と言うものです」
と言って天皇の身の安全を守る約束をした。

天皇の巡幸をマッカーサーが勧める以上
宮内省(今宮内庁)も政府も反対出来ず、

早速1946年2月19日川崎の昭和電工を皮切りに一日200キロ、
延べ3万3,000キロの昭和天皇の御巡幸が始まった。

まだ何処の家にも天皇陛下と皇后様のお写真が飾られ、
天皇はまだ現人神(あらひとかみ)であられた。

天皇が象徴天皇になられたのは新憲法が施行された1947年5月3日からである。

「寒くありませんか。お腹は空いていませんか」と聞かれ
農家のご婦人は体が震えて声が出なかった。
後でありがたさで涙がいつまでも止まらなかった。

空襲で破壊された工場の片隅で溶接をしていた工員に
「日本の為に頑張ってください」と言われた。
天から神様が我らの工場へ降りて来られたと思った。

金がない、食べ物がない、家がない、仕事がない。
無い無いずくめの失望のどん底に現人神が現れた!

そして私の手を握って下さった!
私の肩を叩いて下さった!

「どんな艱難辛苦があろうとも負けないぞ」と一人一人が心の中で叫んだ。

そしてその心意気が燎原の火のごとく全国津々浦々に燃え広がった。

金がないのに男は日本が世界一の経済大国になる夢を見た。
女は食べ物が無いのにたくさん子供を産んでみんな大学を出すと心に誓った。

やがて日本経済は右肩上がりでRising Sun(日が昇る国)になり、
子沢山で産児制限が必要となった。

昭和天皇は何時も我々国民の安寧と繁栄をお祈り下さり、御身を捧げてくださった。

象徴天皇になられる前に天皇の鑑になられていたのである。


やがて天皇が退位され、皇太子が天皇になられ新しい時代を迎える。
しかし戦後の日本をお導き下さった昭和天皇は
新しい時代の基盤でもあることを決して忘れてはならない。

ただ感謝、感謝である。

 (http://chokugen.com/opinion/backnumber/h29/jiji171205_1214.html

           <感謝合掌 平成29年12月10日 頓首再拝>

退位の儀式、外国賓客や一般参賀なし 陛下の意向 - 伝統

2017/12/15 (Fri) 18:54:14


        *Web:日本経済新聞(2017/12/14)より

宮内庁の山本信一郎長官は14日の定例記者会見で、
天皇陛下が自身の退位の儀式で、外国賓客を招待したり
一般参賀であいさつしたりする意向を持たれていないと明らかにした。

陛下の退位を実現する特例法が成立した今年6月以降、
同庁としてこうした考え方を政府側に伝えているという。

山本長官によると、陛下は退位の儀式をできるだけ簡素化したいとの考えで、
皇居・宮殿で静かに執り行うことを望まれているという。
パレードを開くことも考えられないとしている。

 
退位の儀式について、週刊新潮は先週発売の12月14日号で
「(陛下が退位に際して)一般参賀のような形でメッセージを発し、
パレードをしたいと考えておられる」などとする関係者の発言を掲載。

宮内庁はこの記事に抗議する形で陛下の意向を文書で公表した。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24641470U7A211C1CR8000/?n_cid=NMAIL007

           <感謝合掌 平成29年12月15日 頓首再拝>

天皇即位宣言の場 高御座 - 伝統

2017/12/18 (Mon) 18:45:45

天皇即位宣言の場 高御座は職人技の粋

        *Web:日本経済新聞(2017/12/18)

天皇陛下の退位が2019年4月30日、皇太子さまの即位が5月1日に決定し、
同年には即位の礼が行われる。

儀式で天皇が即位を宣言する場の高御座(たかみくら)が
京都御所・紫宸殿に置かれている。

1990年11月の平成即位礼の際は解体して東京に移送された。
解体作業で明らかになったのは、高御座製作に高度な技巧が施されていたことだった。


中心儀式の「即位礼正殿の儀」(平成は皇居・宮殿「松の間」で実施)で
使用する高御座は、朱塗りの高欄をめぐらせた黒漆塗りの浜床を土台に、
八角形の床板と8本の円柱が大屋根を支える構造になっている。

1915年の大正天皇即位礼のため、近世以前の文献などを参照して作られた。
高さは約6.5メートル、重さは約8トン。
同時に皇后が登壇する御帳台(みちょうだい)も作られた。

それ以前は即位礼で皇后の座が設けられたことはなく、
高御座を10分の1縮小した大きさで初めて製作された。

高御座は太平洋戦争中に修学院離宮に疎開していた時期を除き、
昭和末まで紫宸殿に置かれたままだった。
各所に劣化部分があったが、一度も補修されていなかった。

宮内庁京都事務所管理係として高御座解体作業を実見した岡本和彦さん(65)は
「即位礼前年の11月から『解体』とはいわず、『調査』という名目で作業に入った。
図面が見あたらず、当初はどこから手をつけたらいいかわからなかったと聞いていた」
と話す。

解体は大手百貨店が請け負って進められたが、
その過程で岡本さんは高御座に施された高度な技術に感心したという。

「クギを1本も使わない升組みという木のかんぬきで接合する方式だった。
儀式のあるときに移動できるように作られていた。
クギを使わないから、さびて木材が腐ることがない。

漆の塗りもすばらしく、浜床の内側など外部から見えない部分もきちんとしていた。
大正の職人の技はたいしたもの」

各部材には番号が記されていて、解体したあと順番に組み立てていくと
元どおりに完成するようになっていた。

装飾の布類は劣化が激しかったが、木材部分は日光が当たっていた部分の
変色を除けばほとんど修復せずに済んだという。

岡本さんは平成の即位礼では装束の着付けを担当する衣紋方(えもんかた)として
重要な役割を担っていた。

京都では皇太子夫妻の接遇役も務めたことがある。

「殿下が高御座に立たれる姿を見るのが楽しみ」と話している。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24749560Y7A211C1CZ8000/?n_cid=NMAIL007

           <感謝合掌 平成29年12月18日 頓首再拝>

天皇陛下 退位後に皇太子さまと住まい入れ替え - 伝統

2017/12/20 (Wed) 19:59:19

       *Web:日本経済新聞(2017/12/18 )より

宮内庁は18日、皇居・御所に暮らす天皇、皇后両陛下が2019年4月30日の退位後、
赤坂御用地内の東宮御所の皇太子ご一家と住まいを入れ替えられると正式に発表した。

御所は改修するため、両陛下はいったん高輪皇族邸(旧高松宮邸、東京・港)に
仮住まいされる。仮住まいは最長1年半を想定しており、
20年にもすべての引っ越しが終わる見通しだ。

宮内庁によると、退位後に「上皇」「上皇后」となる両陛下は
引っ越しの準備期間を経て、御所から「御仮寓所(ごかぐうしょ)」となる
高輪皇族邸に転居。

同皇族邸は高松宮妃喜久子さまが04年12月に死去してから使われていない。
退位前の18年度中に改修を終える計画だ。

両陛下の転居後、御所を改修。
機械設備や厨房などが対象で、宮内庁関係者によると、工期は約1年。
19年5月1日に新天皇に即位する皇太子さまが入居されるのは20年春という。

この間、東宮御所から車で皇居に通って公務にあたられる。
宮内庁は、両陛下は皇太子ご夫妻が早く御所に移り、
公務を円滑に始めることを望まれているとしている。


東宮御所も皇太子ご一家が引っ越しを終えてから改修に着手する。
エレベーター新設などバリアフリー化の工事に取りかかる。
東宮御所は1960年に建築され、両陛下が皇太子時代を過ごされた。

昭和天皇の死去に伴い、名称が「赤坂御所」となった時期もあった。

宮内庁は両陛下が入られた改修後の東宮御所は、
歴史上退位した天皇の居館を示す「仙洞御所」になるとしている。

東宮御所は3つの名称で呼ばれることになる。

皇位継承順位1位の「皇嗣」となる秋篠宮さまの住まいも改修する。
皇嗣となれば活動の幅が広がり、国内外の賓客らと会う機会も増える。
赤坂御用地内の秋篠宮邸に加え、隣接する皇室共用施設「赤坂東邸」も
一体的に増築し、宮邸として運用する。

全体の工事は20年度に終わる見通しという。

宮内庁は両陛下の仮住まい先として、
高輪皇族邸のほか、赤坂東邸、葉山御用邸(神奈川県葉山町)も検討したが、
交通の便や、宮邸の改修工事などを考慮し、最終的に高輪皇族邸を選んだ。

両陛下が移られた後の高輪皇族邸は皇室共用施設として活用する。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24775380Y7A211C1CR8000/?n_cid=NMAIL007

           <感謝合掌 平成29年12月20日 頓首再拝>

「立皇嗣の礼」 - 伝統

2017/12/21 (Thu) 19:08:46

20年に「立皇嗣の礼」=秋篠宮さまの立場示す―政府検討

        *Web:JIJI.COM(2017.12.20)より

政府が天皇陛下の退位後、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」と
なられたことを国内外に示す儀式の実施を検討していることが20日、
政府関係者への取材で分かった。

儀式の名称は皇太子となったことを示す「立太子の礼」にならって
「立皇嗣(りっこうし)の礼」とし、2020年の早い時期に国事行為として
皇居・宮殿で行う案が浮上している。

政府は儀式の内容について、19年4月30日に行われる見通しの
陛下の退位儀式などと共に、来年1月中旬にも設置する菅義偉官房長官を
トップとする準備組織で検討する。

皇太子さまは、陛下の即位から2年後の1991年2月23日の誕生日に、
立太子の礼の中心となる「立太子宣明の儀」と、
天皇、皇后両陛下にあいさつする「朝見の儀」に臨んだ。

同24、25日には祝宴に当たる「宮中饗宴の儀」があり、
これらの儀式はいずれも皇居・宮殿で国事行為として行われた。

立皇嗣の礼については、皇太子さまのときと同様に
秋篠宮さまの誕生日である11月30日に行う案もあるが、
新天皇即位後の19年11月には皇位継承に伴う重要な儀式である
「大嘗祭」が行われる見込みであることから、翌20年に行う案が有力。

20年7月には東京五輪開催が控えているため、
同年の早い時期に行う方向で検討が進んでいる。 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171220-00000123-jij-soci

           <感謝合掌 平成29年12月21日 頓首再拝>

天皇陛下譲位 天皇誕生日は2月23日、12月23日は当面平日に - 伝統

2017/12/23 (Sat) 20:31:15

天皇陛下譲位 天皇誕生日は2月23日、12月23日は当面平日に…政府検討入り

        *Web:産経新聞(2017.12.22)より

政府は、「天皇誕生日」として現在祝日となっている12月23日について、
皇太子さまが即位される平成31(2019)年5月1日以降の
天皇誕生日は2月23日となることから、
即位後は当面祝日とはせず平日にする検討に入った。

菅義偉官房長官は21日の記者会見で、12月23日が新天皇の即位後は
皇室典範特例法の規定によって祝日でなくなることについて
「どのような日を祝日にするかは多様な論点があり、
皇位継承後の12月23日を平日とするのか、あるいは新たな国民の祝日とするかは
国民各層の幅広い議論が必要だと思っている」と述べた。

天皇誕生日をめぐっては、特例法に合わせて「国民の祝日法」の一部も改正され、
皇太子さまが即位された後の天皇誕生日を2月23日と改めた。
12月23日については触れていない。

譲位後の陛下は「上皇」となられる。
12月23日を「上皇誕生日」とするのは新旧天皇の併存による
「二重権威」とも映りかねないため、当面は平日とするのがふさわしいとの指摘がある。

 
天皇誕生日は、明治天皇が「文化の日」(11月3日)、
昭和天皇が「昭和の日」(4月29日)で、いずれも祝日になっている。

4月29日は、昭和天皇の崩御後は「みどりの日」だったが、
平成19年に「昭和の日」となり、5月4日が「みどりの日」となった。

一方、31年4月30日の陛下の譲位に伴い、皇太子さまが即位され、
改元される5月1日を「祝日」か「休日」にする方向で検討することになっている。

   (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171222-00000510-san-pol

           <感謝合掌 平成29年12月23日 頓首再拝>

皇職60人規模、侍従職は70人半ば 譲位後の体制 - 伝統

2017/12/26 (Tue) 18:32:19

皇職60人規模、侍従職は70人半ば 譲位後の体制、宮内庁想定

       *Web:産経新聞(2017.12.25)より

宮内庁の西村泰彦次長は25日の定例会見で、天皇陛下の譲位後の人員体制について、
上皇、上皇后となられる天皇、皇后両陛下を支える新設の「上皇職」職員を
60人台で発足させたいとする意向を明らかにした。

新天皇になられる皇太子さまのご一家を担当する「侍従職」は70人台とする方針。

現在、両陛下をお支えする侍従職は約80人。
陛下は譲位後、すべての公務を皇太子さまに譲る意向だが、
私的な活動を増やされる可能性もあり、

国事行為に使う国(こく)璽(じ)などの管理を行う職員らを減らす一方、
60人台半ばを維持する。

陛下の譲位後の侍従職は、ご高齢の両陛下を考慮して配置されている
侍医など医療体制が縮小され、微減の70人台規模とする。

秋篠宮ご一家をお支えする新設の「皇嗣職」は、皇太子ご一家を担当する東宮職と
同規模の約50人規模とする見込みで、現在、秋篠宮家のお世話をする
職員(約20人)から30人程度増えるとみられる。

新体制となるのは皇太子さまが即位される平成31年5月1日からの見通し。

宮内庁全体では計約40人程度の増員が必要で、
西村次長は今後、関係省庁と調整を続けるとしている。

http://www.sankei.com/life/news/171225/lif1712250054-n1.html

           <感謝合掌 平成29年12月26日 頓首再拝>

政府予算案で大嘗祭の準備は万全か - 伝統

2017/12/28 (Thu) 19:26:12


      *Web:斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」(平成29年12月26日)より


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政府予算案で大嘗祭の準備は万全か
──宮廷費は6割増しだが、内廷費は増えず
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今上陛下の譲位を再来年平成31年の春に控え、先週の22日、関連予算を含む、
来年度(30年度)宮内庁予算の政府案が閣議決定されたと伝えられます。

その概要は宮内庁のサイトに公開されており、誰でも見ることができますが、
スムーズに御代替わりを迎えることができるのか、不安はないのでしょうか?


▽1 儀典関係費は2倍以上に

政府予算案では、皇室の費用すなわち皇室費98億6000万円
(前年度比36億4200億円増)と宮内庁の組織を運営するための
114億6600万円(同2億4800億円増)を合わせて、
213億2500万円(同38億9000万円増)が歳出予算として計上されています。

 
皇室費の内訳は、天皇陛下ならびに内廷皇族(皇后、皇太子、皇太子妃)の
御手元金である内廷費が3億2400万円(同増減なし)、
各宮家の皇族に支出される皇族費が3億6400万円(同1億4900万円増)、
皇室の御活動や皇室用財産の維持管理のため、

内廷費以外の宮廷諸費に充てられる宮廷費91億7100万円(同34億9300万円増)
となっています。

誰が見ても明らかなのは、皇室費が前年度比で6割近くも急増していることです。
増額分のほとんどは宮廷費で、いわゆる退位特例法の施行に向けた準備に必要な経費
と説明されています。

その内訳は、新侍従職・皇嗣職の準備に従事する職員等の人件費など
「お支え関係」が1億7800万円、東宮御所や御仮寓所、秋篠宮邸の工事費など
「お住まい関係」が17億3000万円、

そして即位礼に用いられる高御座等の輸送・修理、装束、儀式用具など
「儀式関係」が16億5300万円、計35億6000万円となっています。

前年度比で6割方増加した宮廷費のうち、とくに増えたのは
儀典関係費23億6500万円で、前年度より金額で16億1200万円、
比率ではじつに214%増と、文字通り倍増しています。

それだけ御代替わりに伴う重要な儀式が執り行われるということでしょうが、
絶対に忘れてならないのは、この儀典関係費には御代替わりに関わる
宮中祭祀の予算はまったく含まれないということです。


▽2 内廷費は定額制

天皇の祭祀は「皇室の私事」であるという法解釈によって、
関係する予算、すなわち掌典職の予算は、宮廷費ではなく、内廷費に含まれます。
ところが、内廷費は平成8年度以来、3億2400万円に据え置かれたままです。

それは、皇室経済法で、内廷費は「定額を毎年支出する」と定められているからです。

以前、書いたように、天皇の祭祀に関わる掌典職の人たちが心配するのは、
天皇一世一度の大嘗祭です。

毎年、神嘉殿で行われる新嘗祭とは異なり、新たに大嘗宮を建て、
大規模に斎行される大嘗祭はそれだけ人員も必要です。

大嘗祭そのものについては、前回の先例を踏襲するのなら、
関係予算は宮廷費から支出されますが、それ以外は別です。

前回は、大嘗祭の前年の新嘗祭に7人を臨時に雇いあげ、
本番に向けた予行練習を体験してもらうことになったようです。
そのためには当然、予算が費用です。

仮に1人月30万円として、9月から11月まで雇った場合、
月210万円、3か月で630万円、ざっと1000万円弱の予算がかかる計算になります。

けれども、内廷費定額制のもとでは、
宮廷費のように臨機応変に予算を増やすことができません。

前回の場合は、何しろ大嘗祭自体が内廷費で賄わなければならない
最悪の事態も想定されていたぐらいでしたから、皇室では万が一に備え、
以前からやり繰りをして、少しずつ積み立てを行っていたそうですが、いまはどうなのか。

かといって、皇室経済法第4項第3項に基づき、皇室経済会議を開いて、
「定額について変更」するというレベルの問題ともいいがたいのですが、
それにしても20年以上も内廷費が据え置きなのは理解に苦しむところです。

来年の新嘗祭に臨時祭員を参加させる予算がまったく確保できないとなれば、
再来年の秋に予定される大嘗祭はぶっつけ本番で執り行わなければならない
ことになりますが、それで大丈夫なのか、とOBは心配するのです。


▽4 「退位の翌日に即位」の意味

さて、蛇足ながら、以上のことに関連して、
気になる情報を得ましたので、書き添えることにします。

当メルマガで何度も言及している「退位の翌日に即位」とされている
譲位の日程のことです。

前々回も書きましたように、明治の皇室典範も、現行の皇室典範も、
「天皇が崩じたときは、皇嗣が直ちに即位」というように規定し、
空位を認めないことを明文化しています。当然のことです。

この基本原則に基づけば、再来年4月30日に退位の儀式が行われ、
この儀式をもって今上天皇が「退位」され、翌5月1日に
なにがしかの皇位継承の儀式をなさることにおいて「即位」されるという解釈なら、
24時間の空位が生まれることになります。

これは、崩御という事実の瞬間を皇位継承の区切りとする代わりに、
譲位に関する儀式が行われる時間を「退位」「即位」の発生する日時
と解しているわけですが、別の考え方もあり得ます。

つまり、空位あるべからずという法の原則を遵守するなら、
退位の儀式は行われるとしても、その事実にかかわらず、
法的には今上天皇の「退位」は4月30日の午後11時59分59秒99をもってし、
翌5月1日午前0時の瞬間に皇太子殿下が践祚(皇位継承)
すなわち「即位」されると解釈するということです。

法的な解釈としてはそれも可能なのですが、厄介なのは祭祀です。
掌典職のOBがこれを指摘しています。


▽5 5月1日午前0時に賢所で御拝?

旧登極令では、第1条に
「天皇践祚の時は、すなわち掌典長をして賢所に祭典を行わしめ、
かつ践祚の旨を皇霊殿・神殿に奉告せしむ」とあり、

附式の第一編に、「賢所の儀」「皇霊殿神殿に奉告の儀」「剣璽渡御の儀」
「践祚後朝見の儀」からなる「践祚の式」を掲げています。

このうち「賢所の儀」は、神饌を供したのち、掌典長が祝詞を奏し、
掌典長が天皇の御代拝を務め、御告文を奏し、
掌典が皇后の御代拝を務めることとされています。

「三日間これを行う。ただし第2日、第3日の儀は御告文なし」とされます。

昭和天皇崩御に基づく平成の御代替わりでは、諒闇中であり、
当然、天皇、皇后の御代拝でしたが、
譲位に基づく今回の御代替わりでは御拝とされるのかどうか。

そして、5月1日の午前0時をもって践祚とするのなら、
このときをもって賢所の儀が執り行われることになるのかどうか。

それとも退位の儀式と同時進行で、もしくは先行して賢所の儀が行われるのかどうか。

5月1日は旬祭の親拝が行われる日でもあります。
昭和40年代に入江相政侍従長の腕力で、毎月1日の旬祭の親拝は年2回に縮減され、
平成の祭祀簡略化でも踏襲されましたが、
それでも5月と10月の旬祭は御代拝とはなりませんでした。

今回は、践祚の式で御拝が行われるとすると、旬祭はどうなるのか、
掌典職のみならず注目せざるを得ません。

 
もう1点、改元についていえば、登極令第2条には
「践祚の後は直ちに元号を改む」とあり、大正、昭和とも即日改元が行われましたが、
平成の御代替わりでは翌日改元でした。
元号法には「直ちに」の定めはありません。

昭和天皇崩御ののち、賢所では直ちに賢所の儀が行われ、
宮殿では剣璽等承継の儀、朝見の儀が行われて、皇位は継承されたのですが、
元号の「昭和」はこの日の午後24時まで続いたのです。

それにしても「退位の翌日に即位」とする政府の説明は絶対的に不足していませんか。
これを伝えるメディアの報道も同様でしょう。

平成の御代替わりを踏襲するのなら、「翌日改元」という説明で十分です。
それを「翌日即位」といえば混乱します。
践祚を「即位」と無理に言い換えるから混乱するのです。

退位の儀式すなわち践祚の式をもって皇位の継承とし、
翌日の午前0時をもって改元するという説明では、なにか差し障りがあるのでしょうか。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6626591/

           <感謝合掌 平成29年12月28日 頓首再拝>

新旧天皇の引っ越し、前例なく 宮内庁の準備始動 - 伝統

2017/12/30 (Sat) 18:49:39


        *Web:日本経済新聞(2017/12/30)より

皇位継承の日程が固まり、平成の終わりと新時代の幕開けに向けた準備が動き出した。
近代以降、初めての退位による「お代替わり」。

前例のない国家的行事は簡単には進まない。
新旧天皇の引っ越しや儀式で使う伝統品の調達……。
実務を担う宮内庁は緊張感を高めている。

 「陛下はできるだけ簡素にされたいとのお考えをお持ちになっている」

14日、宮内庁の山本信一郎長官は記者会見で、退位の儀式に対する陛下の意向を説明した。
宮内庁が陛下の意向を発表するのは極めて異例。
週刊誌が「陛下が華やかに皇居を去りたいと望まれている」
と報じたことへの抗議がきっかけだった。

宮内庁関係者は「今後始まる膨大な作業を前にピリピリしたムードが漂っている」と明かす。

退位後、天皇、皇后両陛下は、皇太子ご一家が暮らす赤坂御用地内(東京・港)の
東宮御所を「仙洞御所」とし、お住まいとされる。

両御所の改修工事の間、高輪皇族邸が両陛下の仮住まいとなる。
期間は「最長で」1年半。

高輪皇族邸へ移る時期がはっきりしない理由は、
両陛下が在位中に海外の王室や元首から贈られた美術品や工芸品。
皇太子時代のものを含めれば数千点に上るという。

皇居・東御苑には皇室が国に寄贈した美術品などを展示する「三の丸尚蔵館」がある。
宮内庁は2018年度以降、皇居内に収蔵庫を新築し、東宮御所にも倉庫をつくる。

高輪皇族邸、三の丸尚蔵館、東宮御所への仕分け作業を始めるが、
関係者は「どのくらい時間がかかるか分からない」。

 
仮住まいの高輪皇族邸は地上1階、地下1階。
周囲には敷地内を見下ろすマンションが林立し、セキュリティー面に懸念がある。
宮内庁は今後、警視庁や皇宮警察と警備面の対応を検討する。
マンションの住民に配慮を求めることも想定しているという。

皇太子さまの「即位の礼」は19年秋となる見通し。
同年は日本でG20首脳会議と第7回アフリカ開発会議(TICAD)が開かれるほか、
ラグビーワールドカップ日本大会があり、多くの外国要人の来日が見込まれる。

外交儀礼上、一国の首脳を年に複数回招くのは難しい。
政府はどの国の誰にいつ来日してもらうか調整を迫られながら即位の礼の日程を決める。

平成の始まり、陛下の即位関連行事にかかった費用は警備費用なども含めて約123億円。
財政状況の悪化を踏まえると即位の行事も簡素化が求められる。

一方で、皇室の伝統と格式を守ることも重要。

簡素化と伝統維持の両立が課題になる。

即位の儀式では新天皇、皇后のほか、皇族方や宮内庁職員も伝統の装束を身につける。
装束は11月上旬の立冬を境に夏用と冬用に区別されるが、
今の陛下の即位の礼は11月中旬に執り行われたため、現在の宮内庁には冬服しか用意がない。

新たな調達には時間も費用もかかる。
宮内庁幹部は「厳密に古式に基づいて夏冬の装束を使い分ける必要があるのか
議論しなければならない。早く日取りが確定してくれるとよいのだが」。

即位の礼に続き、19年11月には皇室行事の大嘗祭(だいじょうさい)が行われる予定。
新天皇が国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈念する一代に一回限りの儀式だ。

大嘗祭に先立って行われるのが「斎田点定(さいでんてんてい)の儀」。
儀式で使う米とアワをどこで作るかを卜定(ぼくじょう)で決める。

アオウミガメの甲を焼き、できたひびの具合で占うが、
ワシントン条約で輸入が禁じられており、甲の入手は非常に難しい。

大嘗祭に携わった元宮内庁掌典職の三木善明さん(69)によると、
1990年に行われた前回は国内を探し回り、ようやく東京・小笠原で自然死した
アオウミガメを見つけ、儀式を執り行うことができたという。

18年1月には菅義偉官房長官をトップとする準備組織が立ち上がる。
国民が理解しやすく、現代にふさわしい皇位継承とはどんな形なのか。
具体化へ向けた準備が動き出す。(榎本行浩、地曳航也)

           <感謝合掌 平成29年12月30日 頓首再拝>

<即位の礼>19年10月に 大嘗祭11月14日か23日 - 伝統

2018/01/03 (Wed) 20:15:26


       *Web:毎日新聞(2017.12.31)より

政府は、皇太子さまが2019年5月1日に新天皇に即位された後に行う
「即位の礼」を同年10月とする検討に入った。

新天皇が一度だけ執行する重要な儀式とされる大嘗祭(だいじょうさい)は
同年11月14日か23日で調整する。

即位の礼と大嘗祭は一連で秋に実施するが、一定の間隔を空ける。


19年は国際会議などの行事が立て込むため、
政府は今後、政治日程や行事との兼ね合いを踏まえて具体的な日程を調整する。

明治時代に即位の儀式などを定めた「登極令(とうきょくれい)」では、
即位の礼と大嘗祭は「秋冬の間」「続けてこれを行う」と記されていた。

大正天皇以降、二つの儀式は同じ11月に行われ、
現憲法下で初の代替わりだった前回も同様だった。

しかし、前回は「二つの儀式が近接して新天皇も職員も大きな負担だった」(政府関係者)
との反省があり、今回は大嘗祭と間隔を空けるために即位の礼を10月に前倒しする案を
検討している。11月上旬は文化勲章授与式(3日)など行事が立て込むことも考慮する。

大嘗祭は、暦の上では11月の2回目か3回目の十二支の「卯(う)の日」に行うのが慣例で、
天皇陛下の大嘗祭も卯の日の1990年11月22日夕から行われた。
19年11月は該当するのが14日と26日となる。

大嘗祭は毎年の新嘗祭(にいなめさい)が行われる11月23日より前の
11月14日が軸となる。また同じ23日も候補日に挙がっている。

19年10月はラグビー・ワールドカップ日本大会(9月20日~11月2日)の
期間中だが、政府関係者は「大会と即位の礼は賓客が重ならないため、
短期間に何度も招くことにはならない」としている。【野口武則、竹内望】

■2018~19年の主な予定

2018年1月    退位の儀式などを検討する会議設置

夏ごろ      新元号を公表

9月       自民党総裁選

2019年4月    統一地方選

 4月30日    天皇陛下が退位

 5月1日    新天皇が即位・改元

夏        参院選

9月20日     ラグビー・ワールドカップ日本大会(~11月2日)

10月       即位の礼

11月3日     文化勲章授与式

11月14日?23日? 大嘗祭

年内       アフリカ開発会議(TICAD)

    (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171231-00000002-mai-pol

           <感謝合掌 平成30年1月3日 頓首再拝>

国事行為しか認めない憲法にこそ問題がある - 伝統

2018/01/04 (Thu) 16:57:19


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年1月3日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
国事行為しか認めない憲法にこそ問題がある
──朝日新聞発行月刊誌掲載の横田洋一論考を読む
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 明けましておめでとうございます。

陛下の譲位(退位)がいよいよ来春に迫りました。
政府は来週にも、今上陛下の退位と皇太子殿下の即位に向けて
準備組織を発足させると伝えられます。
即位の礼・大嘗祭の日程も具体的に聞かれるようになりました。

事態は先へ先へと進んでいますが、年の初めに当たり、
改めて、今回のご譲位問題を振り返り、検証することは意味のないことではないでしょう。

少なくとも千数百年におよぶ天皇の歴史に何が起きているのでしょうか。


▽1 「憲法の原点に立ち返れ」

今回は考える材料として、朝日新聞社が発行する月刊誌「Journalism」一昨年11月号
(特集「いまこそ考える天皇制」)に載った横田耕一九大名誉教授(憲法学)の
「務め過多の象徴天皇像を前提とせず
──憲法の原点に、いま一度立ち返ろう」を取り上げます。

一昨年夏の陛下のビデオ・メッセージのあと、そのご真意を探り、
象徴天皇のあり方を根本的に考えようとする企画で、
寄稿を求められた4人の筆者の論考の1つです。

横田先生は私とは異なる思想的お立場なのでしょうが、
それゆえに、より根源的に考えるヒントを与えてくれそうです。

先生のご主張は、要するに、日本国憲法は国事行為以外の公的行為を
認めていないにもかかわらず、天皇は能動的な活動を行い、
政府も国民もこれを容認し、受け入れてきた。

それで公務が多すぎるというのなら、憲法の原点に帰り、
憲法に反する天皇の行為を見直すべきだ、ということのようです。

天皇の「お気持ち」には、憲法上、説明しがたい「務め」が多すぎること、
天皇ご自身の「あるべき象徴天皇像」がそれをもたらしていることがうかがえる。

したがって、「生前退位」問題を考えるには、その是非は別にして、
それらの「務め」が必要不可欠なのか、憲法の原点に立ち返るべきではないか、
と訴えておいでです。


▽2 国民は知っている

先生の論考はWEBRONZAで全文を読むことができますので、
ご興味のある方はそちらにアクセスしていただきたいと思います。
URLは以下の通りです。
http://webronza.asahi.com/journalism/articles/2016102800006.html

指摘したいことはいくつかありますが、1点だけ申し上げます。
それは、先生は「憲法上の疑念」を指摘されますが、
むしろ憲法にこそ問題があるのではないか、ということです。

天皇に国事行為「のみ」を認め、政治的権能を認めない、日本国憲法の限界です。

じつのところ、そのことを、多くの国民は百も承知なのでしょう。
今回の一連の経緯を振り返ると、私にはそのように思えます。

先生は、議論の出発点を一昨年8月8日のビデオ・メッセージに置いています。
しかし、陛下が「譲位」のご意向を最初に示されたのは、
8年も前の平成22年7月の参与会議といわれます。

近代以降、終身在位制度が採られ、譲位は認められていません。
しかも、憲法は天皇の政治的権能を認めておらず、天皇のご発意に基づいて、
政府や国会が皇室制度の改革を進めることは憲法に抵触します。

したがって側近たちは、職を賭してでも、陛下を説得し、
思い留まっていただくべきだったと思いますが、
逆に、退位の仕組み作りに走り出しました。

そして、ご意向が物語の始まりだった事実関係を逆転させ、
憲法の国民主権主義が出発点となるように、
無理矢理ストーリーを書き換える荒技に打って出たのでした。

関係者によるリークと思われるNHKのスクープは、
メディアを利用して世論を喚起する仕掛けであり、
さらにテレビを通じた「お気持ち」の表明は、国民の総意に基づく
退位の気運を創出するための世論工作だったことが容易に想像されます。


▽3 放置してきた為政者の不作為

宮内庁は陛下の「お気持ち」を国民に対して、正式に説明することさえしませんでした。
あくまで起点は「国民の総意」でなければならないからでしょう。

「生前退位のお気持ちを強くにじませた」という枕言葉付きで「お言葉」を伝えたのは、
宮内庁ではなくて、メディアでした。

現実を憲法に力尽くで整合させた不自然な運用のあり方は、
そのようにしなければならない憲法の規定にこそ、むしろ問題があることを示しています。

けれども国民はみな知り尽くしています。

多くの国民にとっての天皇は、先生が仰せの、国事行為しか認められない
という日本国憲法的な存在ではなく、たとえば王朝文学に親しみ、
雛祭りを祝ってきたというような、憲法だけでは語れない多面的な存在です。

先生は「(日本国憲法上)明仁天皇は2代目の天皇である」と仰せですが、
国民にはあくまで125代続く歴史的な天皇なのです。

国民が支持している象徴天皇とは、日本国憲法が定める象徴天皇ではなくて、
歴史に基づく象徴天皇なのです。

国と民のために祈られ、国民と親しく接せられる天皇像は、
横田先生には憲法違反と映るかも知れませんが、
多くの国民が圧倒的賛意を示していることは、古来、さまざまな形で
天皇と民の間に深い絆が築かれてきた日本の歴史の反映です。

そのような関係性に目を向けない、日本国憲法原理主義こそ改められるべきでしょう。
ご譲位問題をめぐって疑念の対象とされるべきなのは、国事行為以外を認めない
とする憲法のあり方でしょう。

さらなる問題は、より望ましい憲法体制もしくは天皇制度が模索されてしかるべきなのに、
戦後70余年、放置してきた政治の不作為です。
これが陛下のお悩みの真因だろうと私は思います。

とくに、「皇室の私事」とされている宮中祭祀の位置づけは、見直されるべきでしょう。

先生は、憲法上、天皇は「国民統合の象徴」と規定されているけれども、
「国民統合」を積極的に果たすことを期待されるわけではないと解説しておられますが、
「国中平らかに、安らけく」と祈られ、国と民をまとめ上げてきたのが、古来の天皇です。


▽4 たちの悪い官僚社会

横田先生の論考には、お言葉にある
「何よりも国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて」という
陛下の祭祀への言及が抜け落ちています。

先生が「私事」と切り捨てる祭祀こそ、皇室の伝統からすれば、皇室第一のお務めです。

敗戦後の神道指令で、宮中祭祀=「皇室の私事」とされたことに、
占領期の政府は不満で、「いずれは法整備を図る」という方針だったようですが、
独立回復後も実現への動きはなく、それどころか、いまや側近たちは
「私事」説に先祖返りしているようです。

そして、陛下のご高齢とご健康問題を理由として、ご公務ご負担軽減が求められ、
その結果、昭和の悪しき先例を踏襲する祭祀簡略化が敢行され、
一方でいわゆるご公務は減るどころか、逆に増えました。

先生は日本国憲法が求める「象徴天皇像」が脅かされることを危惧しておられますが、
祭り主たる伝統的天皇像の否定こそ、むしろ憂慮されます。

先生は、限界が不明確なまま「公的行為」が大幅に拡大していることを問題視しています。
まさにその通りですが、具体的には何が増えているのか、ご存じですか。

宮内庁がもっとも気にしていたのは「拝謁」の多さでした。
春秋の勲章受章者の拝謁などはほぼ延べ1週間にもわたって続きます。

宮内庁といえば外務省OBが幅を効かせる組織ですが、
ご負担軽減策にもかかわらず、外務省関連の「お茶」はいっこうに減りません。

先生は「過多であれば制限すればよい」と簡単に仰せですが、
たちの悪い官僚社会の現実と問題提起すらままならない政治の不作為を
打ち砕くのは容易ではありません。

法的基準の不明確な拝謁やお茶を削減できるなら、
「生前退位」だ、皇室典範改正だと騒ぎ立て、国民的議論をあおる必要はありません。

ところが、ご多忙なご公務を婚姻後の女性皇族にも分担していただくためと称して、
皇室の歴史にない「女性宮家」創設論さえ飛び出しています。
議論すべきテーマはほかにあります。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6629162/#calendar

           <感謝合掌 平成30年1月4日 頓首再拝>

退位儀式、3月に基本方針=政府が準備委初会合 - 伝統

2018/01/09 (Tue) 17:40:09


        *Web:時事通信(2018.1.9)より

政府は9日の閣議で、天皇陛下の退位と皇太子さまの新天皇即位に向け、
菅義偉官房長官をトップとする式典準備委員会の設置を決め、
直ちに首相官邸で初会合を開いた。

即位の礼をはじめとする関連式典に関し、象徴天皇制にふさわしい
儀式の在り方や日程などを検討し、3月中旬をめどに基本方針を
取りまとめることを確認した。 

菅長官は初会合で、退位に伴う皇位継承について
「約200年ぶり、憲政史上初めての事柄だ。国民の祝福の中で、
つつがなく行われるよう最善を尽くす必要がある」と強調。

「基本方針を速やかに取りまとめ、閣議に諮った上で、政府を挙げて
万全の準備を進めていきたい」と語った。 

天皇陛下は来年4月30日に退位され、
皇太子さまは翌5月1日に即位することが決まっている。

準備委は今後、月1回程度のペースで会合を開き、関連式典の開催日など基本事項を詰める。 
準備委には官房長官に加え、3官房副長官、宮内庁長官、内閣法制局長官、
内閣府事務次官らが出席。

「平成の代替わりに伴う式典は現憲法下で十分検討が行われており、
基本的な考え方や内容は踏襲されるべきだ」
「退位に際して何らかの儀式を行うことが望ましい」などの意見が出た。

今後、必要に応じて有識者からも見解を聴く。  
政府は退位の儀式を内閣の助言と承認が必要な国事行為とする方針で、
準備委では天皇の政治関与を禁じた憲法4条などとの整合性をどう取るかや、
儀式の簡素化をどう図るかが課題となる。

皇位継承にかかわる式典と併せ、
来年1月7日の天皇陛下在位30年に際しての対応も検討する。(了)

           <感謝合掌 平成30年1月9日 頓首再拝>

皇位継承儀礼は伝統に則して 東京大学名誉教授・小堀桂一郎 - 伝統

2018/02/06 (Tue) 19:52:35


         *Web:産経「正論」(2018.1.8)より

平成28年8月8日に今上陛下が譲位の御意向を直接国民に向けて表明された時には、
我が国の立憲政治確立以降前例のない難問が出来したとの印象があつた。

それが昨年12月1日の皇室会議での決議を8日の閣議で正式の決定に漕ぎ着け、
陛下の御意向に添ふ形で難題の決着がついた次第は先づは祝着の至りである。


《政教分離への小心な配慮無用》

これは天皇の国事行為について助言と承認の全責任を負ふ内閣が
立派にその任務を果たしたわけであり、
さすがに歴史的見識と政治的力量十分な現総理の率ゐる内閣に
ふさはしい事蹟と評価できる。

但、予告された31年4月30日の御譲位、翌5月1日の改元といふ段取りには、
その間になほ解決しておくべき幾つかの課題がある。

それを摘記して、妥当な落着への推進を政府にお願ひしたいといふのが
年頭に当つての感想である。

 
今回の御譲位はその発想から皇室典範特例法の制定に行き着くまで、
現行憲法の、殊に第4条の国政に関する権能の制約を超越しての超憲法的措置である。

従つて新帝の即位に関はる諸種の国事行為の遂行に当り、
昭和から平成への御代替りの際の前例を固定的に踏襲する必要は解消してゐる。

むしろ二百年前の光格天皇から恵仁親王(仁孝天皇)への御譲位が生じた
文化14年3月22日の例に倣つて進めるのが順当である。


《あるべき姿を取り戻す》

超憲法的措置の結果として生ずる国事である故に、今回特に考へておくべき事として、
平成の御代始めに於いて露呈した如き政教分離原則への恟恟(きょうきょう)たる
気兼ねは不要である、といふよりもむしろ其を鋭意克服すべきである。

平成の即位の礼ではその大尾を飾る大嘗祭に於(お)いて、宗教色を薄めよう、
或(ある)いは排除しようとの小心な配慮が露骨に表れて却つて
醜態をさらしたとの悪評が専らであつた。

今回こそ平成の前例に拘束される事なく、皇室の祭祀儀礼に於ける
古来の伝統に基いての宗教性を堅実に再生させる重要な機会である。

元来、現行憲法が70年来引摺つて来た降伏協定文書其儘(そのまま)の
被占領状態を清算して日本国のあるべき姿を取り戻す、
といふのが安倍晋三政権の公約であり、国民が現政権に寄せてゐた期待の焦点であつた。

この期待から前文と第9条2項が告白してゐる国家主権不在状態の解消と共に
20条3項の厳格すぎる政教分離規定の緩和が必須の要請となる。

況(ま)して後者の項の拘束力は宗教的施設・学校等への国費支出を以て
事実上完全に破綻してゐる。

その様な天下周知の欠陥法規なのだから、皇室祭祀の問題に限つて
今更この規制に拘泥するのは、却つて法理の公正性を蹂躙(じゅうりん)する
反理性的な形式主義である。


平成31年に予定されてゐる新帝の踐祚、改元、即位式、大嘗祭といつた
一連の皇位継承儀礼を、現行憲法の硬直性を脱却し、正に光格天皇の御譲位から
昭和の御代の開始にかけての先例を十分に考証した上で、
我が国古来の伝統の精神に則つて毅然として遂行すべきである。

それは国家の将来にとつての実に重要な配慮である。

伝統儀礼が復活するならば、第20条について事実上の改憲が成功したと同然であり、
9条2項の破棄を含む憲法全文の改訂にもよき心理的影響を与へるであらう。


《旧宮家の復活が本来の筋》

皇室典範特例法の成立に向けてはなほ一言書き落とすわけにゆかない件がある。
即ち皇位継承の安定を保障するための諸課題の検討例を挙げるのに
〈女性宮家の創設〉のみを具体的に例示したのは失態である。

ここはむしろ諸課題の筆頭として、皇位継承権者の範囲を拡大するために、
旧宮家の然るべき方々に皇族への復帰をお願ひする、といふ提案がなされるべきであつた。

女性宮家の創設案は、
皇位継承権者の増員につながるものではないのだから要するに無駄である。

もし現在の女性皇族の方々に引続いて皇室行事への補佐を期待したい場合には、
そのお嫁ぎ先としての旧皇族宮家の復活を図る方が本来の筋である。

皇位継承といふ大事の制度的安定を図る方策として、右記の件は年来本欄を借りて
度々提案して来た事である。それは今回の思ひがけない超憲法的事態の展開に加へて、
現内閣の如き長期政権の実力によらない限り実現を期待できる話ではない。

政権担当者のみならず、立法府の全議員諸氏が、御自分の任期中に
この困難な立法措置に参画することができたのだ、
との誇らしき記憶を獲得するために高邁(こうまい)な決意を固めて頂きたい。

(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼり けいいちろう)

  (http://www.sankei.com/column/news/180108/clm1801080007-n1.html

           <感謝合掌 平成30年2月6日 頓首再拝>

皇位継承儀礼の「伝統」とは何か - 伝統

2018/02/07 (Wed) 18:07:50


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年1月30日)より

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皇位継承儀礼の「伝統」とは何か
──小堀桂一郎先生の「正論」を読んで

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1月8日、「皇位継承儀礼は伝統に則して」と訴える小堀桂一郎先生の文章が、
産経「正論」欄に載ったのを拝読した。
次の御代替わりが来春に迫ったいまになって、
ようやくまともな意見が現れたのかと感慨深かった。

しかし、守られるべき皇位継承の「伝統」とは何だろうか。
なぜ「伝統」なのか。


▽1 いかなる理由で何を重視するのか

先生が訴えておいでなのは、次の御代替わりの諸儀礼を、
平成から昭和への前例を踏襲するのではなく、
むしろ200年前の光格天皇から仁孝天皇への先例にならうべきだ。

今回こそ古来の宗教的な伝統を再生させる重要な機会だ、ということだ。

今回のご譲位は超憲法的に行われており、
もはや平成の前例を固定的に踏襲する必要はなく、
前回は顧みられなかった「践祚」の概念を復活させるべきだ
と仰せなのはさすがの卓見だと思う。

 
超憲法的措置の結果としての「国事」なのだから、
憲法の政教分離原則(20条3項)にびくびくと気兼ねせず、むしろ克服すべきだ。

伝統儀礼が復活すれば、20条が改憲できたのも同然で、
全文改訂への足がかりになろうとも仰せだ。

保守の論客として面目躍如たるものがあり、おおむね同意できるが、
あえていくつかの問題点を指摘することにしたい。

 
1点目は「伝統」である。
なぜ「伝統」重視なのか。何が「伝統」なのか。

先生が「皇室の祭祀儀礼に於ける古来の伝統」と仰せであるからには、
ならうべき先例が光格天皇のご譲位の例にとどまらないことは文意上、明らかだが、
私たち現代人にとって、長い皇室の伝統を踏襲することの意義とは何であろうか。

現代の日本人はけっして、
「伝統」を無条件で後世に守り伝えるべきものとは考えていない。

であればこそ、前回の御代替わりでは
「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とが対立的に捉えられ、
さまざまな不都合が生じた。

宮内庁関係者が装束を着ることさえ、猛烈な反対があったといわれる。


▽2 厳格主義は占領政策の結果か

それどころか、何が「伝統」かさえ、私たちは見失っている。
その日本人に対して、「伝統に則して」と訴えても、
無条件の賛意は得られないだろう。

 
室町期の才人・一条兼良は
「御譲位のときは、警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀式などあり。
これは毎度のことなり」(『代始和抄』)と書き、

光格天皇はまず内裏から桜町殿(仙洞御所)に、剣璽とともに行幸になり、
このため数百人規模の行列が組まれたことを克明に記録した
極彩色の絵巻2巻が伝えられている。

だが、そのような王朝絵巻が今回、再現されるべきだとは、
おそらく先生もお考えではないはずだ。

とすれば、何が「伝統」として回復されるべきなのか。

日本人が「伝統」の価値を忘れているのは、けっして占領政策の結果ではない。

「目的は宗教を国家より分離すること」とした、
いわゆる神道指令の解釈運用は、占領後期になると
「国家と教会の分離」すなわち限定主義に変更されている。

宮中祭祀の形式は神道指令下でも守られてきた。
現行憲法施行に際して、「従前の例に準じて、事務を処理すること」
(依命通牒第3項)と定められ、
祭祀は旧皇室祭祀令に準じて、ひきつづき励行された。

つまり、宮中祭祀については格別に、神社神道と同様、
厳格主義がしばしば採られるのは、占領政策とは別の要素からである。

政教分離原則に抵触するとして、側近らによって祭式が変更されたのは、
昭和50年9月からである。
側近らが占領前期の法解釈に、無用の先祖返りを図った結果である。

なぜそんなことが起きなければならなかったのか。

ちなみに、昭和22年5月の依命通牒は廃止されてはいない。
したがって旧登極令に準じて粛々と、御代替わりの事務を処理することは
法的に可能である。


▽3 祭祀は「宗教」なのか

皇室はしばしば「伝統」の世界だと考えられているが、
けっして「伝統」オンリーではない。

「伝統と革新」こそが古来、皇室の原理なのであって、
一連の皇位継承儀礼を伝統精神に則り、毅然として遂行すべきだというのなら、
「伝統」というだけではなくて、
たとえば大嘗祭の現代的意義が見いだされ、説明されるべきではなかろうか。

 
つまり、天皇の祭祀とは何か、である。
先生は御代替わりの諸儀礼を「宗教」とお考えのようだが、そうなのであろうか。

もし「宗教」だということになると、
「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と定める
憲法20条3項が立ちはだかる。

御代替わり諸儀礼は「国事」とはなりづらい。

けれども、たとえば大嘗祭が、政府や宮内庁が理解するような
「稲の祭り」という宗教的儀礼ではなくて、
米と粟の新穀を皇祖神ほか天神地祇に捧げて祈る多神教的、多宗教的な、
国民統合のための国家的儀礼だと理解されるなら、どうだろうか。

それでも、国民の信教の自由を侵す
「宗教的活動」と解釈しなければならないだろうか。

聞くところによると、何十年も前から、
カトリック信徒の女性が内掌典として陛下の祭祀に携わっている
ようにも聞くが、もしそうだとしたら、その事実こそは宮中祭祀が
信教の自由の原則に抵触しないことの何よりの証明ではないか。


▽4 憲法の改正より憲法体制の変革を

バチカンは350年以上も前に、
宣教先の国々の儀礼や習慣の尊重を謳う指針を、
海外宣教団に対して与えている。

その結果、中国では国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝が認められ、
1692年にはキリスト教は公許されている。

1659年の古い指針は現代にも引き継がれている。
つまり、20条3項問題はすでにして解決済みなのであり、
したがって、先生が仰せのように、
「政教分離原則への恟々たる気兼ねは不要」なのである。

 
もう1点は憲法改正である。先生は伝統回帰を憲法改正への
ワン・ステップともお考えだが、必要なのは憲法の改正だろうか。
それで十分なのか。

先生が仰せのように、今回のご譲位はまさに超憲法的措置で進められた。
陛下のご意向が出発点である紛れもない事実を、
国民の総意が出発点であったかのように再起動させなければならなかったのは、
天皇に国政上の権能を認めない、国民主権主義を基本原則とする
現行憲法の限界を露呈させた。

というより、憲法を最高法規とする一元的憲法体制の限界が
明らかになったのだと私は思う。

皇室の「伝統」など歯牙にもかけぬような国民的なる議論の大混乱を
避けるためには、皇室は皇室独自の法によって自立すべきではなかろうか。

憲法と皇室典範を同格とし、それぞれを頂点に置く
国務法と宮務法が並立する法体系に再編成すること、
そして宮内庁は内閣府の外局、あるいは独自機関というのではなくて、
一般の行政機関とは別の独立機関とすることが、
本来あるべき姿ではないかと私は思う。

先生はいかがお考えだろうか。

 (http://melma.com/backnumber_170937_6639751/#calendar

           <感謝合掌 平成30年2月7日 頓首再拝>

式典準備委員会の配付資料・議事概要を読む - 伝統

2018/02/08 (Thu) 19:01:42


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年2月5日)より


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保守政権にして平成の悪しき前例が踏襲される!?
──式典準備委員会の配付資料・議事概要を読む

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1月9日、天皇陛下の御退位および皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会を
内閣に設置することが閣議決定され、その初会合が同日、開催されました。

公表された資料を読むと、案の定、さまざまな不都合が指摘された、
平成の悪しき前例が繰り返されるのではないかと強く懸念されます。


▽1 前回指摘の不都合に目をつぶる?

メディアの報道によると、菅内閣官房長官を委員長とする同委員会は、
月1回程度、非公開で開催され、陛下の譲位(退位)に伴う皇位継承の
儀式のあり方、日程、規模などを検討し、3月中旬には基本方針を
とりまとめると伝えられます。

テーマは御代替わりに関する重要事項ですが、たった3回程度の会合で、
何を根拠に検討するのでしょうか。本格的検討には遠くおよばず、
125代続く皇室の伝統はほとんど顧みられず、
もっぱら平成の先例ばかりが根拠とされるのではないかと憂慮されます。

そのように予測されるのは、初会合で配付された資料を読めば十分です。

官邸のサイトに公表された配付資料「陛下の御即位に伴う式典等の実例」をみると、
「御在位20年記念式典」「平成の御代替わり時の式典一覧」「御即位関係」
「立太子の礼関係」がそれぞれカラー画像付きで説明されています。

一目瞭然、初回に配付された資料は、今上陛下の御即位に関するものばかりで、
皇室の長い歴史を感じさせるものはありません。
即位大嘗祭を説明した貞観儀式も一条兼良の「代始和抄」も、
光格天皇のご譲位に関する歴史資料もありません。

となれば、政府は平成の前例を踏襲することしか念頭にないということではありませんか。

安倍長期保守政権にして、皇室の歴史の軽視、厳格すぎる政教分離原則への執着という
不都合が繰り返され、悪しき先例が日本国憲法様式として確定されることは目に見えています。

日本の保守主義とは何かが問われます。

同時に、今日、天皇・皇室問題の正常化がいかに困難かがあらためて理解されます。

実際、初会合の1週間後に公開された議事概要には、
「平成の式典は、現行憲法下において十分な検討が行われた上で挙行されたのだから、
今回も基本的な考えや内容は踏襲されるべきだ」という発言が記録されています。

前回、指摘されたさまざまな不都合には目をつぶるということでしょうか。
それとも事なかれ主義なのか。


▽2 今回も「国の行事」と「皇室行事」の二分方式で?

2つ目は、「国の行事」と「皇室行事」の二分方式の踏襲です。

配付資料の中の、前回の御代替わり時に行われた式典の一覧表をみると、
興味深い点がいくつか指摘されます。

1つは、「賢所に期日奉告の儀」など、宮中三殿で行われた祭儀にいたるまで
細かく言及されていること、しかもそれらが「国事行為」「総理主催行事」
「皇室の行事」とに区分され、見やすいように色分けされていることです。

 
しかしその一方で、旧登極令の附式に定められていた「践祚の式」のうち、
前回、今上天皇が皇位を継承された当日にも行われたはずの
「賢所の儀」「皇霊殿神殿に奉告の儀」は取り上げられていません。
大嘗祭の諸儀については詳細が列挙されているのに、です。

 
つまり、政府は最初から「国の行事」と「皇室行事」とを分けて考えており、
宮中三殿で行われる祭祀などは「国の行事」ではなくて「皇室行事」として
挙行されることが当然視され、そのため準備委員会の検討事項には
想定されていないということでしょうか。

天皇の祭祀について、その本質を深く探求せずに「皇室の私事」と決め付け、
宗教性があるから憲法が定める政教分離の原則から国は関与できないとする、
占領後期にはGHQでさえうち捨てた古くさい厳格主義から、
政府は一歩も脱せずにいるようです。

けれども他方では、大嘗祭は公的性格があるから公金を支出することは憲法上、
許されるとする、一連の大嘗祭訴訟を踏まえた、私にいわせれば
誤った憲法判断に基づき、国の一定の関与を認めて、今回の御代替わり
が進められているということでしょう。

大嘗祭は古来、宗教儀式というより国民統合の儀礼であって、
国民の信教の自由を侵すものではありません。
信仰篤きキリスト者が祭祀に携わっているとされるのは何よりの証明です。

祭祀を「皇室の私事」と断定する法解釈を前提とする大嘗祭訴訟は
やり直すべきだと私は考えます。

それはともかく、準備委員会の議事概要をみると、ある出席者は
「諸儀式の検討に当たっては、日本国憲法に整合的であること、
皇室の伝統に即したものであること、の2つの観点を踏まえてほしい」と発言しています。

じつのところ前回は、「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とが対立的に捉えられ、
皇室の伝統行事が伝統のままに行うことは憲法の趣旨に反するとされ、
「国の行事」と「皇室行事」との二分方式が採られたのです。

「2つの観点」を両立させるのは容易ではありません。
大嘗祭のみならず天皇の祭祀とは何かが問われています。
それなくして、二分方式の正常化はあり得ないでしょう。


▽3 日程調整だけでは済まされない

もう1点は、昭和の御代替わりのような特別の機関の設置はまったく
想定されていないらしいということです。

議事概要には次のような発言が記録されています。

「即位の礼については、平成度の考え方を踏襲していくことが基本である。
日程については、即位礼正殿の儀と大嘗祭の間は、連日儀式や行事が行われ、
参加する方々にはかなりの負担がかかったと聞く。
大嘗祭は11月中頃となっているので、即位礼正殿の儀をもう少し早めに行い、
日程に余裕を持つようにしていただきたい」

けれどもこれは日程の問題なのでしょうか。

大正、昭和の御代替わりでは登極令第4条に基づき、
即位の礼と大嘗祭は引き続き行われ、前回の平成の御代替わりでは
10日の間をおいて行われました。

それでも関係者はひたすら眠い目をこすって、長時間勤務に耐えました。

さらに日程に余裕を持たせれば参加者の負担が軽減できるのか、
といえば、そうではないでしょう。
抜本的解決は特別の機関を置くこと以外にはないのではありませんか。

以前、書いたように、大正の御代替わりについて解説した赤堀又次郎によれば、
古代の即位の礼は臨時のことながら儀式は元日恒例の朝賀と同じで、
とくに職員の任命はなく、事務は式部省などが掌りました。

近世には摂政関白が総裁し、伝奏が事務を統括しました。
ただ大嘗祭についてはより繁雑なことから職員が任命されたとされます。

大正、昭和の御代替わりでは大礼使という機関が臨時に置かれましたが、
前回の平成の御代替わりでは特別機関は設置されず、
日常業務と併行して作業することとなり、
その結果、関係者の負担はいや増しに増したのです。

 
前回の反省に基づき、臨時機関、あるいは第三者機関の設置を
提言する有識者はいないのでしょうか。

長時間労働が社会的に許されないご時世に、
平成の悪しき先例踏襲はまったくあり得ません。

御代替わりを全体的に国事とし、国を挙げて、あるいは国と民が
こぞってお祝いできる方法を本格的に模索するわけにはいかないのでしょうか。

保守政権の真価が問われます。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6642245/#calendar

           <感謝合掌 平成30年2月8日 頓首再拝>

朝日新聞の社説「憲法の理念に忠実に」を批判する - 伝統

2018/02/19 (Mon) 19:58:34


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年2月19日)より


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

御代替わり諸儀礼は皇室の伝統と憲法の理念を大切に
──朝日新聞の社説「憲法の理念に忠実に」を批判する

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

朝日新聞は今月16日、「天皇即位儀式、憲法の理念に忠実に」と題する社説を掲げ、
「危うい空気が漂うなかで進む代替わりに対し、憲法の原則や理念からの逸脱がないよう、
目をこらし続ける必要がある」と訴えました。

  (社説→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2078 )


しかし、じつのところ、危ういのは、古来、125代続いてきた天皇の価値を理解できない、
もしくは理解しようとしないジャーナリズムの方ではないのでしょうか。

ジャーナリズムが歩むべき道を踏み外さないよう、
私たちは監視し続ける必要がありそうです。


▽1 なぜ憲法重視なのか

朝日新聞の社説が問題にしているのは、
政府が検討を進めている御代替わりの儀式と憲法との関係です。

「最も重視すべきは憲法との関係である。改めて言うまでもない」と述べ、
政教分離問題に言及しています。

しかし、なぜ憲法重視なのでしょうか。
なぜ皇室の伝統ではなくて、憲法の理念なのか。

なぜ皇室の伝統と憲法の理念を対立化させ、一方を選択するのではなく、
同時に追求することを求めようとしないのでしょうか。

少なくとも今上陛下は、皇位継承後の朝見の儀で仰せになったように、
「大行天皇の御威徳に深く思いを致し」「憲法を守り」と両方の価値を求めておられます。
皇室の伝統と憲法の規定の重視は、その後もことあるごとに明言されています。
当然のことです。

社説を書いた論説委員は、歴史的天皇の存在にもともと関心がないのか、
もしくは価値を認めないのか、考えようという意思がさらさらないのでしょうか。

千数百年以上続いてきた天皇の伝統的価値とはそれほどに低いものなのでしょうか。

おそらくや政治部出身であろう論説委員には、思いもおよばぬことなのかも知れません。
縦割りジャーナリズムの限界でしょうか。

社説は、大嘗祭訴訟の合憲判断に言及しつつも、
「安易に踏襲することなく、一つ一つ点検する姿勢が肝要だ」と訴えるのですが、
憲法は宗教の価値を否定しているわけではまったくありません。むしろその逆です。

論説委員は大嘗祭を単なる宗教儀礼だとお考えなのでしょうか。
「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と定める憲法に抵触する特定の宗教である
とお思いなのでしょうか。

そのような儀礼が千年を超えて引き継がれると信じておられるのでしょうか。


▽2 30年間、進歩がみられない

聞くところによると、カトリックの信仰篤き女性が何十年も前から
天皇の祭祀に携わっていると聞きます。

「あなたには私をおいてほかに神があってはならない」という絶対神の戒律を固く守る
カトリック信徒が宮中祭祀を奉仕している事実があるとすれば、
天皇の祭祀は信教の自由を侵さないことの何よりの証明ではないでしょうか。

それどころか、バチカンは300年以上も前から、たとえ異教的儀礼であっても、
信仰心や道徳に反しないかぎり、変更を求めてはならないという指針を示しています。

むろん、宗教性が否定されない儀式などに国はいっさい関われないとするほど、
日本国憲法は完全中立主義、非宗教主義を採用してはいません。

 
朝日の社説は御代替わり諸儀礼を、無慈悲にもバラバラに分解して点検せよ
と要求していますが、むしろ逆に、全体として国の行事とされるべきでしょう。
ごく当たり前のことです。

そして本来なら、皇室の歴史と伝統、同時に憲法の理念に照らし合わせて、
どのような儀礼が相応しいのか、英知を集め、時間をかけて、
整備し直すべきなのではありませんか。

日本国憲法施行以来、政府が宮務法の整備を怠ってきたことこそ、批判されるべきでしょう。

朝日新聞は昭和天皇崩御の3日後、やがて国の儀式として行われる大喪の礼が
政教分離原則に反しないないようにするよう政府に要求する社説を載せましたが、
あれから30年、ジャーナリズムとしての進歩がまったく見られません。


▽3 なぜ宗教性否定なのか

今回の社説は、践祚後の剣璽渡御(剣璽等承継の儀)についても噛みついています。

三種の神器に含まれる剣璽の継承儀式は、神話に由来し、宗教的色彩が濃いのだから、
国事行為には相応しくないという主張ですが、
なぜ宗教性を否定しなければならないのでしょうか。

宮中の祭祀は、教義もなく、宣教師も信者もいません。
憲法の政教分離原則に抵触する特定宗教ではありません。

憲法が定める国事行為は天皇の政治的権能を否定しているのであり、
他方、政教分離規定は国民の信教の自由確保が最大の目的でしょう。

今上陛下の御成婚のとき、賢所大前での結婚の儀は「国の行事」(天皇の国事行為)
と閣議決定されましたが、朝日新聞は反対運動を展開したのでしょうか。

社説はまた、剣璽等承継の儀に女性皇族が立ち会わなかったことを「排除」と表現し、
問題視していますが、皇位継承資格者が参列すれば足りるのではないのでしょうか。

それとも論説委員は、皇位継承権を男系男子に限定する現行憲法を改めよ
と主張されるのでしょうか。もしそうなら、この社説のタイトルに
「憲法の理念に忠実に」は相応しくありません。

社説は、時代に相応しい御代替わりのあり方を再検討し、
国民に説明すべきだと政府に求めていますが、
ジャーナリズムこそ天皇の歴史と伝統の価値を学び直すべきではありませんか。


▽4 皇室の歴史と伝統の意味

社説はまた、自民党内に旧憲法を懐かしみ、天皇を神格化する空気が根強いことに
懸念を示していますが、思想・良心の自由は現行憲法で認められています。

もっとも後者についていえば、戦後唯一の神道思想家と言われた葦津珍彦が書いているように、
天皇は古来、祀られる神ではなくて、みずから神々を祀るお立場なのです。

古代の律令には「およそ天皇、即位したまはむときはすべて天神地祇祭れ」
と明記されています。昭和天皇は現人神とされることに否定的でした。

懸念されるのは、天皇の神格化ではなくて、
天皇が多神教的祭祀を行われることの歴史的意義が十分に理解されず、
価値多元主義的意味が見失われていることではないでしょうか。

朝日新聞の社説はまさにその典型です。

今日、天皇・皇室のあり方をめぐって議論が混乱する理由のひとつは、
そうした皇室の歴史と伝統が理解されず、その一方で、憲法の国民主権主義との衝突が
過度に強調されるからです。この社説はその一例に過ぎません。

社説は明治憲法にノスタルジアを感じる保守派を牽制しますが、
日本国憲法とてけっして「不磨の大典」ではあり得ません。

明治人は国務法と宮務法を別体系としましたが、現行憲法では両者が一元化され、
皇室典範は下位法と位置づけられています。

それでいて、日本国憲法施行とともに全廃された皇室令に代わる明文法は、
70年経ったいまなお整備されていません。
これでは混乱した議論が収束するはずはありません。

国のあるべき姿を、先入観ぬきで、歴史的に、多角的に、
謙虚に検討し直していただくことはできないでしょうか。

http://melma.com/backnumber_170937_6647851/#calendar

           <感謝合掌 平成30年2月19日 頓首再拝>

立皇嗣の礼を国事行為に 天皇陛下退位で政府 - 伝統

2018/02/25 (Sun) 19:52:05


       *Web:日本経済新聞(2018/2/20)より

政府は20日、2019年4月30日の天皇陛下の退位に際して
秋篠宮さまが皇位継承順位1位の皇嗣になる儀式を
憲法上の国事行為にする方針を決めた。

陛下の退位や翌5月1日の皇太子さまの即位に関する儀式
を国事行為に位置づけて皇位継承を国民にわかりやすくする。

皇位継承順位1位の重みを国内外に明確に示す。

退位の儀式は退位日に国事行為として開く。


退位と即位に関する儀式の準備委員会の第2回会合を20日、首相官邸で催した。
皇室の制度や歴史に詳しい有識者4人への聴取内容を報告した。

 
秋篠宮さまが皇位継承順位1位の皇嗣になることを国内外に示す
「立皇嗣の礼」を20年に国事行為として開催する。
3月半ばにもまとめる基本方針に盛り込む。

約200年ぶりの退位の儀式の概要を決めた。
名称を「退位礼正殿の儀」とし、退位日の19年4月30日に国事行為として開く。
儀式を開く根拠規定を退位特例法に新たに明記する。

首相は儀式で退位特例法に基づき陛下が退位する趣旨を話す。
その後、陛下が国民に「お言葉」を述べる。
天皇の地位は国民の総意に基づき、天皇の政治関与を禁じる憲法との整合性を取る。

陛下が即位して30年の記念式典は19年2月24日に開く。国事行為には位置づけない。

           <感謝合掌 平成30年2月25日 頓首再拝>

雅子さま バレンタインの夜に“皇室外交”のサプライズ - 伝統

2018/02/26 (Mon) 22:19:11


       *Web:女性自身 (2018年2月23日)より


ワインレッドのドレスにジャケットという艶やかな装いの雅子さまが
皇太子さまに寄り添い、会場に登場された。
そして皇太子さまの首元には、雅子さまとお揃いのワインレッドのネクタイがーー。
 
皇太子さまと雅子さまは2月14日、
東京都港区のサントリーホールでコンサートを鑑賞された。
 
「雅子さまのご出席は嬉しいサプライズでした。
この日はもともと、皇太子さまがおひとりでお出ましになる予定だったのです。

ラトビア出身のバイオリン奏者、ギドン・クレーメル(70)らによる
即興を交えた演奏に、皇太子ご夫妻はときおり顔を見合わせながら、
笑顔で拍手を送っていらっしゃいました」(皇室担当記者)
 

世界的バイオリニストの演奏でバレンタインの夜を楽しまれたご様子のおふたりだったが、
実は大事な目的があったと語るのは宮内庁関係者。
 
「このコンサートはバルト三国の独立100周年を記念した催しで、
演奏終了後には懇談があったのです。

そこには各国の要人が出席しており、
雅子さまはエストニアの外務次官、ラトビアの在日大使らと、
熱心にお話しされていました。

バルト三国は、 07年に天皇皇后両陛下が訪問され、親交を深められた国々。 

次期皇后 である雅子さまにとって、このコンサートへの出席は
重要な 皇室外交 の一環だったのです」

来年5月の皇太子さまの即位が刻々と近づく中、雅子さまは土台作りを進めていると、
皇室ジャーナリストは語る。
 
「2月1日付で、皇太子ご一家を支える東宮女官が1名、増員になりました。
大手自動車メーカーで秘書を務めていた森川真理子氏(57)です。
この人事は、雅子さまのご公務増加に備えたものとみられています。

また2月9日には、ご夫妻揃って
鈴木秀生・外務省地球規模課題審議官のご進講を受けられています。

雅子さまはかねてから、国際的な環境破壊や人権侵害といった問題に
関心を寄せていらっしゃいました。

専門家からのご進講は、譲位後にそうした問題に取り組むためのご準備なのでしょう」
 
譲位に向け動きだされている雅子さま。前出の宮内庁関係者によれば、
順調な体調快復が背景にあるという。
 
「実は昨年の秋ごろから、雅子さまは主治医の大野裕氏(67)と
ほとんど連絡を取らなくなったのです。 
04年6月に主治医となり、雅子さまを適応障害と診断したのも大野医師。
以前は頻繁に電話で相談なさっていました。 
06年に雅子さまがオランダで静養された際にも同行したほど、 

二人三脚 で適応障害の治療してきた大野医師からいわば 卒業 されたわけですが、
その決断からは、今後は皇太子さまをもっとお支えしたいという雅子さまの意志も
感じられます」
 
バレンタインデーの 外交ご公務 同伴は、皇太子さまにとって
何よりのプレゼントに思えたことだろう。

  (https://news.infoseek.co.jp/article/joseijishin_d33003/


           <感謝合掌 平成30年2月26日 頓首再拝>

石原信雄元内閣官房副長官の意見への3つの疑問 - 伝統

2018/03/05 (Mon) 19:24:51


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年3月5日)より


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

石原信雄元内閣官房副長官の意見への3つの疑問
──宗教性の否定、退位と即位の分離、賢所の儀

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遅ればせながら、2月20日に開かれた、第2回目式典準備委員会について書きます。
案の定というべきか、悪しき前例の踏襲が行われることとなりそうです。

指摘したいことは何点かありますが、公表されている議事概要に沿って、
ここでは有識者ヒアリングについて、とくに石原信雄元内閣官房副長官の意見について、
考えてみることにします。

政府の説明によると、前回、1月の初会合で、
何らかの儀式を行うことが望ましいとの意見があったことから、
この日、今上陛下の退位に伴う式典など、3つの式典について議論が行われました。

これに先立って、有識者4人のヒアリングが実施され、その1人が、
平成の御代替わり当時、内閣官房副長官として諸行事を取り仕切った石原信雄氏でした。


▽1 宗教否定主義と政治的妥協主義路線

まずは基本的な考え方に関する意見です。

石原氏は、前回は各式典が憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統を
尊重したものとなるよう検討したと振り返っています。
30年後のいま、政府はまさにこれと同じ考え方を踏襲していることが分かります。

つまり、御代替わりの諸儀礼を全体的に1つと考えるのではなく、
ひとつひとつ分解し、政教分離のふるいにかけ、国の行事(天皇の国事行為)
と皇室行事とに分離させる二分方式、

他方、大嘗祭については皇室行事としつつ、費用を国費から支出する現実的妥協です。

今回もこの方式を採用することになったわけです。

宗教否定主義と政治的妥協主義路線のキーパーソンこそ石原氏ということでしょうか。

しかし天皇の祭祀は「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」とする
憲法上の宗教的活動なのでしょうか。

教義もなく、聖職者も信者もいない宮中祭祀が国民の信教の自由を侵すのでしょうか。

皇祖神ほか天神地祇を祀る天皇の祭祀は逆に、古来、日本の価値多元主義の要として
機能してきたのではないのでしょうか。

皇統が神代にまで連なると信じられてきたのなら、宗教性を排除するのは不可能です。
それを逆に、非宗教主義を皇室に押しつけるのは新手の国家宗教のように私には見えます。
そもそも宗教的価値を認めないのは、憲法に違反しませんか。


▽2 退位と践祚をなぜ分けるのか

2点目は、退位の翌日に即位するという日程について、です。
退位と即位(践祚)をなぜ分けなければならないのでしょうか。

石原氏は、退位の礼と即位(践祚)の式を同日に行うという考えを否定し、
皇室典範特例法上、4月30日の24時に陛下が退位され、
皇太子殿下が翌日の0時に即位されることが決まっている、皇位継承に空白もない、と仰せです。

つまり、特例法に従って4月30日の退位が閣議決定され、
同時に翌日の即位が政府決定されたことの意味は、石原氏の解説によれば、
各儀式の挙行時間と法的効力の発生時間はまったく別だということです。

それならそれで理解できるのですが、閣議決定後に官房長官がそのように説明した
とは聞かないし、記者会見でそのような質疑応答があったとは寡聞にして知りません。

それに、儀式挙行の時刻の如何にかかわらず、5月1日午前0時をもって、
今上天皇が退位(譲位)され、新帝が即位(践祚)されるというのなら、
仰せのように、退位の礼を4月30日とし、

剣璽等承継の儀(剣璽渡御)、即位(践祚)後朝見の儀を
翌5月1日に挙行しなくてもいいことになりませんか。

たとえば5月1日午前10時から連続して一連の儀式を行い、
その法的効力は午前0時にさかのぼることとすれば十分であり、
むしろその方が皇位の連続性を視覚化できるし、合理的かつ現実的かと思われます。

皇位継承は新帝の即位が中心テーマであるはずなのに、
今回の御代替わりはNHKの「生前退位」報道が発端となったことから、
もっぱら今上天皇の退位が主題となり、

しかも前回以来、践祚(皇位継承)の概念が失われているうえに、
改元の期日問題が加わって、議論がまったく混乱してしまっているように見えるのは、
じつに残念です。


▽3 賢所の儀はいつ、誰が

もうひとつの問題は、御代替わりに伴う祭祀です。

石原氏が仰せのように5月1日午前0時をもって新帝が即位(践祚)するというのなら、
関連する祭祀はいつ、誰によって行われるべきでしょうか。

大正から昭和への御代替わりでは、大正天皇が葉山御用邸で崩御されたのが
大正15年(昭和元年)12月25日午前1時25分で、
直ちに皇太子(昭和天皇)が践祚になり、

登極令に従って、3時15分に宮中三殿で賢所の儀が行われ、掌典長が奉仕し、
同時に葉山では剣璽渡御の儀が行われました。「昭和」への改元は即日でした。

前回、平成の御代替わりでは、昭和64年1月7日午前6時33分に昭和天皇が崩御になると、
直ちに今上天皇が即位(践祚)され、10時1分に正殿松の間で剣璽等承継の儀が行われました。
「平成」はその翌日からでした。

旧登極令は「第1条 天皇践祚のときは、すなわち掌典長をして賢所に祭典を行わしめ」と定め、
附式に践祚の式として、賢所の儀、皇霊殿神殿に奉告の儀、剣璽渡御の儀、践祚後朝見の儀の
祭式を挙げています。

先帝崩御に伴う践祚なら、一年の服喪期間中、親祭、親拝はありませんが、
今回のように譲位に伴う践祚で、3日間におよぶ賢所の儀などは
掌典長に行わせて済むのでしょうか。

掌典長が代わって奉仕するにしても、執行の日時はどのようになるのでしょうか。
まさか午前0時でしょうか。

当然ながらというべきか、石原氏のヒアリングにはその言及がまったくありません。
それどころか、信じがたいことに、剣璽は神器ではない、という発言すら飛び出しています。

「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇)が
皇室の基本原則ですが、石原氏にとっての皇室とは何でしょうか。

宗教性を否定するなら皇室の伝統を尊重することにはなりません。

http://melma.com/backnumber_170937_6653853/

           <感謝合掌 平成30年3月5日 頓首再拝>

退位の礼 - 伝統

2018/03/06 (Tue) 18:32:43

退位の礼、政令に根拠明記=上皇の生活費・警護も規定

       *Web:時事通信(2018年3月6日) より

政府は6日の閣議で、来年4月30日の天皇陛下の退位に際し
「退位の礼を行う」と明記した政令を決定した。

憲政史上初となる退位の礼は、
即位の礼と違って皇室典範に定めがないため、政令で根拠規定を設けた。

政令には天皇陛下が退位された後の生活費の項目や警護の扱いも盛り込んだ。

政府はこれを踏まえ、即位の礼も含めた一連の儀式の「基本方針」を今月中旬に決める方針だ。 

    (https://news.infoseek.co.jp/article/180306jijiX890/

・・・

「退位の礼」実施を閣議決定 政府、上皇の規定も

       *Web:日本経済新聞(2018/3/6 )より


政府は6日の閣議で、2019年4月30日の天皇陛下の退位に伴い
「退位の礼」を実施すると定めた政令を決定した。

退位後、天皇陛下が「上皇」、皇后陛下が「上皇后」に就いた後の関連規定も明記した。
現在と同じように生活費は国が両陛下と皇太子一家に支出する「内廷費」からまかなうほか、
警備は引き続き皇宮警察が担うとした。


退位の儀式は1817年の光格天皇以来、約200年ぶり。
新天皇即位の際の「即位の礼」は皇室典範に規定があるが、
憲政史上初めてとなる退位の礼にはない。

新たに閣議決定した政令に「退位の礼を行う」と明記し、根拠規定を設けた。
政府は退位の礼を内閣の助言と承認に基づく憲法上の国事行為と位置づける方針で、
実施する法令上の根拠を事前に設けた。

2017年6月に成立した退位特例法は「この法律の施行に関し必要な事項は、政令で定める」
と定めている。

政令は退位後の生活費などの規定も盛り込んだ。
天皇、皇后両陛下と皇太子一家は皇室経済法に基づき、
国が支出する内廷費を生活費に充てているが、
上皇、上皇后の生活費も同じ内廷費から出すと定めた。

移動には従来通り政府専用機を使えると規定。
政府関係者は政令に関し「新天皇と上皇で警備の人数や内廷費の支出額
に一定の差が出る可能性があり、完全に同じ待遇になると想定しているわけではない」
と説明する。

政令は19年5月1日に即位する新天皇が病気や出張の際、
上皇后が他の成年皇族と同様に憲法上の国事行為の臨時代行を務めることができるとも定めた。

政府は2月、退位や即位に関する儀式の準備委員会で、
退位の儀式の正式名称を「退位礼正殿の儀」とし、
憲法上の国事行為に位置づける方針を決めた。

その際、法令上の根拠となる政令を3月上旬に閣議決定すると確認していた。
退位礼正殿の儀を国事行為とするための閣議決定は月内にも実施する予定だ。

  (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27737990W8A300C1MM0000/?n_cid=NMAIL007


           <感謝合掌 平成30年3月6日 頓首再拝>

新元号公表、来年2月以降 - 伝統

2018/03/07 (Wed) 19:50:49

新元号公表、来年2月以降=陛下即位30年式典に配慮―政府調整

         *Web: 時事通信(2018.03.06)より
 
政府は平成に代わる新元号の公表時期について、
天皇陛下の即位30年を祝う来年2月24日の記念式典後とする方向で調整に入った。

式典より前に公表すれば、国民の関心が新天皇に移り、
式典の祝賀ムードに水を差しかねないと判断した。
複数の政府関係者が明らかにした。

来年4月30日に天皇陛下が退位、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位されるのに伴い、
新たな元号に改められる。政府は即位日の5月1日に改元する方針だが、
新元号は国民生活への配慮から事前に公表することとし、具体的な公表時期を探ってきた。

菅義偉官房長官をトップとする式典準備委員会は先月20日、
天皇陛下が来年1月7日に即位30年を迎えられることから、
「在位30年記念式典」を同2月24日に東京都千代田区の国立劇場で開催すると決定。

政府は式典前の新元号公表は適当ではないとの判断に傾いた。
政府関係者の一人は「式典前に公表すれば、
国民の意識が新天皇に移ってしまい天皇陛下に失礼だ」と語った。

政府は当初、元号を前年中に印刷しなければならないカレンダー業者などの事情を考慮し、
新元号の年内公表を検討していた。
しかし、新元号の賛否をめぐる議論の過熱が危惧される上、
新天皇に関心が集まることで、天皇陛下との「二重権威」が生じかねない
との懸念も政府内に強まっていた。 

   (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180306-00000085-jij-pol

           <感謝合掌 平成30年3月7日 頓首再拝>

どこが皇室の伝統の尊重なのか - 伝統

2018/03/16 (Fri) 18:46:47


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年3月15日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

どこが皇室の伝統の尊重なのか
──賢所の儀の途中で朝見の儀が行われる!?

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


前回、言い尽くせなかったこと、正確でないことがありましたので、補足します。

まず、陛下の退位(譲位)の式典に関する政府の基本的な姿勢です。


▽1 「何らかの儀式」を行う法的根拠

陛下の退位の日取りが二転三転したのは、何らかの儀式が想定されていたからです。
昨年12月の皇室会議で「国民生活への影響等を考慮」
「静かな環境の中で、こぞって寿ぐにふさわしい日」「慌ただしい時期は避ける」
などという意見が示されたのは、改元のためだけではあり得ません。

元日は日程がたて込むとか、4月は人事異動や統一地方選挙があるとか、
いっても、単に年号が変わるだけなら何の支障もありません。
国民の代表者たちが参加する御代替わりの儀式が想定されるからこそ、
「4月30日」が選ばれたはずです。

そして「関連する式典の準備を総合的かつ計画的に進めるための基本方針を検討するため」
(1月9日閣議決定)に、準備委員会が設置されたのです。

 
ところが、政府の説明では、「何らかの儀式」の検討は、
「政府の検討の当初から」が「式典準備委員会設置以後」に「書き換え」られています。
ちょうど今回の退位(譲位)が「陛下のご意向で」から「国民の総意に基づいて」に、
日本国憲法の国民主権主義的にリセットされたように、です。

「書き換え」の悪癖は行政全体に蔓延しているのでしょうか。

論より証拠、第2回式典準備委員会の冒頭、菅官房長官は次のように挨拶しています。

「(第1回の会議で)何らかの儀式を行うことが望ましいとの意見があった
ことなどを踏まえ、天皇陛下の御退位に伴う式典、天皇陛下御在位三十年記念式典、
文仁親王殿下が皇嗣となられることに伴う式典について議論を行い、
委員会としての考え方をまとめていきたい」

なぜこんな矛盾した説明がなされなければならないのか、
要するに、退位の式典を挙行するための法的根拠がないということのようです。

皇室典範と一体のものとされる退位特例法は、陛下の退位と皇太子殿下の即位を実現し、
その日付の法的根拠とはなり得ても、儀式の法源とはなり得ないのでしょう。

なぜそうなのか。突き詰めていえば、明治人たちが作り上げた
旧皇室典範を頂点とする宮務法の体系が日本国憲法施行とともに全廃されたのち、
それらに代わる法体系がこの70年間、整備されてこなかった、
そのツケがここに現れたということかと思われます。

まして、退位(譲位)は近代以降、法的に認められてこなかったのです。

とくに宮中祭祀は、敗戦後の占領期、いわゆる神道指令下ゆえに、
日本政府は祭祀が「皇室の私事」とされることに強い疑義を覚えながらも、
占領者に抵抗することができず、いずれきちんとした法整備を図る
という方針を胸に秘めつつも、ついに実現することはできませんでした。

それどころか、混乱期の一時凌ぎであったはずの依命通牒第3項
「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、
従前の例に準じて、事務を処理する」(昭和22年5月3日)が、
昭和50年の夏、あろうことか側近中の側近たちによって人知れず解釈変更され、
空文化されたのでした。

依命通牒は「現在まで廃止の手続はとっておりません」
(平成3年4月25日、宮尾盤次長国会答弁)とのことですから、
第3項を法的根拠とし、旧皇室令に準じて事務処理することも可能のはずですが、
堂々と掲げるのはいまさらということでしょうか。

依命通牒を「破棄」した宮内官僚たちがつくづく恨めしく思われます。
無神論者を自任したという、のちの宮内庁長官はいったい何をしたかったのでしょうか。


▽2 賢所での儀式は3日間続く

もう1点は、践祚の日程です。
前回、私は、5月1日に退位の礼から剣璽等承継の儀(剣璽渡御)、
即位(践祚)後朝見の儀まで、連続して挙行したらどうかという提案を試みましたが、
じつはそうはいかないのです。

それには御代替わりに伴う祭祀が関係しています。
今回の政府・宮内庁による検討は、有識者のヒアリングも含めて、
天皇の祭祀に対する配慮が皆無といえます。

これで皇室の伝統の尊重などと胸を張れるでしょうか。

旧登極令(明治42年2月11日)は附式に、践祚の式として、
賢所の儀、皇霊殿神殿に奉告の儀、剣璽渡御の儀、践祚後朝見の儀を定め、
このうち宝鏡が祀られる賢所での儀式は「3日間」とされています。

過去の例では、前回、書いたように、昭和の御代替わりでは、
『昭和天皇実録』によると、大正天皇が葉山御用邸で崩御されたのち、
直ちに皇太子(昭和天皇)が践祚になり、その約2時間後、
宮中三殿では賢所の儀が行われ、同じ時刻に葉山では剣璽渡御の儀が行われました。

宮中三殿では続いて、皇霊殿神殿に奉告の儀があり、また賢所の儀は翌日、
またその翌日と続き、践祚後朝見の儀は賢所の儀が終了した翌日でした。

皇祖神ほか天神地祇へのご挨拶が優先されるのは
「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇「禁秘抄」)
とする皇室の伝統精神ゆえでしょう。

平成の御代替わりでは、『平成大礼記録』(宮内庁。平成6年9月)によると、
昭和天皇崩御の1時間半後、賢所の儀、続いて皇霊殿神殿に奉告の儀が行われ、
さらにその2時間後に、宮殿で剣璽等承継の儀が行われました。
即位後朝見の儀は3日間の賢所の儀が終わったその当日でした。

今回はどうなるのか、官邸も宮内庁も宮中祭祀を敬遠しているのか、
関連する情報はまったく聞こえてきません。

4月30日の午後12時をもって践祚とされるのなら、
ひとつの考えとしては、それからなるべく早い時間に賢所の儀は行われるべきでしょう。
その場合、諒闇中ではないのですから、親祭が望ましいということにもなります。

というより、賢所でのご挨拶が済んでいない前日の4月30日に、
人間の世界で退位の礼を挙行するのは「神事を先にす」の原則に反しませんか。

退位の表明は5月1日に剣璽渡御の儀と合わせて行う方が、
皇室の伝統に沿うのではないでしょうか。

3日間の賢所の儀のあとに設定されるべき朝見の儀も同様ですが、
今回の式典準備委員会のヒアリングでは、公表された資料によると、
じつに驚くべきことに、「平成の式典は中1日を空けたが、今回は必要ない」(石原信雄氏)、
「同日に行われることがふさわしい」(園部逸夫氏)、
「5月2日の昼間がふさわしい」(所功氏)という意見が出されたようなのです。


東大史料編纂所の本郷恵子教授だけが、
「平成の儀式は、基本的に踏襲してよいものと思われる」と何とか踏ん張っています。

有識者たちでさえこんなお寒い状況なのに、
政府が皇室の伝統を尊重することなどあり得るでしょうか。

保守長期政権よ、頑張れ、と謹んで申し上げます。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6658019/#calendar

           <感謝合掌 平成30年3月16日 頓首再拝>

皇位継承の儀式、女性皇族は参列せず 政府調整 - 伝統

2018/03/17 (Sat) 19:02:56


      *Web:日本経済新聞(2018/3/15)より

政府は2019年5月1日の新天皇の即位に伴う皇位継承の儀式に
女性皇族が参列しない形とする調整に入る。

皇室典範は皇位継承権を男系の男子に限ると定めており、
継承権を持たない女性皇族が参加した例は現行憲法下ではなく前例を踏襲する。

女性皇族の参列を認めないのは、皇位継承の証しである神器などを
新天皇に引き継ぐ「剣璽等承継の儀」。
首相や閣僚、衆参両院議長、最高裁長官らが参加する。

女性皇族が剣璽等承継の儀に出席できない法律上の規定はないが、
前回の1989年1月の際は参列しなかった。
神器などの引き継ぎにより皇位が移ることを象徴する場面に、
継承権のない女性皇族が出るべきではないとの理由からだ。

今回も、女性皇族が参加すると
「政府が女性・女系天皇の容認に転じたという印象を与えかねない」(政府関係者)
と判断した。安倍政権の支持基盤である保守派に配慮する面もある。

皇位継承権の問題とは関わりのない女性閣僚の参列は認める方針だ。
前回は閣僚が全て男性だったため、
女性の参加の是非を巡る議論は起こらなかったとみられる。

今回は第4次安倍内閣に女性閣僚がいることを踏まえ、
参列者に女性が含まれる状況を想定した。
現行憲法が天皇を「国民統合の象徴」と定めていることを考慮した。

皇位継承の直接の場ではない儀式には女性皇族の参列を認める方向だ。
天皇陛下が最後のお言葉を述べる「退位礼正殿の儀」や、
新天皇が即位後に初めて三権の長らにあいさつする「即位後朝見の儀」などには出る。

政府は退位や即位に関する儀式の準備委員会の第3回会合を近く開き、
儀式の内容を盛り込んだ基本方針案をまとめる。
新天皇の「即位の礼」の一部は簡素化する。

即位を祝う「饗宴の儀」を平成の代替わりの時より縮小する趣旨を明記する。

前回は4日間で計7回、国内外の約3千人の賓客を招いた。
今回は回数と招待人数をいずれも減らす方向だ。
政府関係者は「前回のような豪勢な式典は現代に似つかわしくない」と語る。
新天皇や新皇后となる雅子さまの負担を和らげる狙いもある。

           <感謝合掌 平成30年3月17日 頓首再拝>

皇室問題正常化に必要な3つのこと - 伝統

2018/03/18 (Sun) 18:37:18

     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年3月18日)より

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皇室問題正常化に必要な3つのこと
──御代替わりのためのささやかな提案

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先週、チャンネル桜の討論番組に出演させていただきました
https://www.youtube.com/watch?v=T0NCzePNLmU 〉。
同憂の士と過ごす時間は楽しく、意義のあるものでした。
お誘いいただきありがとうございました。

この場をお借りして、感謝申し上げます。

ただ、3時間の長丁場とはいえ、なにしろ9人の出演者ですから、
1人あたり20分しか持ち時間がありません。
私などは生来の口下手ゆえ、言いたいこと、言うべきことの
半分も言えないだろうと覚悟していましたが、案の定でした。

そこで、言い足りなかった結論的なことを、あらためて書いてみようと思います。
これから将来に向けての展望についてです。

小堀先生が仰せになっていたように、事態がここまで来た以上、
いまさら何をか言わんやですが、ほんの少しでも
改善を望みたいがゆえに、書いてみたいと思います。


▽1 退位と践祚を分離させる「無理」

短期的に言うならば、践祚の儀式のあり方です。

いまのところ、政府の考えでは、来年4月30日(午前10時か?)
に正殿松の間で「退位の礼」が行われ、首相の謝意に続いて、
陛下が退位の表明をなさいます。

5月1日(午前10時?)には剣璽等承継の儀が行われ、
同日もしくは翌5月2日に即位後朝見の儀が行われることになりそうです。

 
しかし、前回申し上げたように、ここには皇室伝統の祭祀への配慮が皆無です。
今上並びに新帝はまず宮中三殿にお詣りするのが筋なのに、
検討されている気配が見えません。

もっとも掌典職では当然、検討がなされているのでしょう。
かなり苦労されているものと推測しますが、
宮内庁高官たちは見て見ぬ振りなのでしょうか。

 
4月30日には宮殿で退位の礼を行う前に、
まず今上による御拝があってしかるべきでかと思います。

そして5月1日午前0時の新帝の践祚(皇位継承)ののち、
新帝ご自身による賢所の儀、皇霊殿神殿に奉告の儀が斎行される
べきではないかと思います。
ただ、その時刻については検討の余地があるでしょう。

いわゆる退位の礼は、5月1日午前10時から正殿松の間で行われるであろう
剣璽等承継の儀に先立ち、連続して行ってはいかがでしょうか。

そうすれば、『貞観儀式』や一条兼良『代始和抄』などの古典に記されているような、
践祚関連の儀式が連続して行われた古例に準ずることができるし、
万世一系の皇位の連続性が誰の目にも明らかになるでしょう。

ぜひ再検討していただけないでしょうか。

石原信雄元内閣官房副長官は、公表された資料によると、
有識者ヒアリングで、今上の退位の礼と新帝の即位(践祚)の式を
「法的に同日というのは無理だ」と語ったようですが
、退位(譲位)と即位(践祚)の儀式を分離させる方が「無理」というものでしょう。
「譲位、即践祚」なのですから。

4月30日に政府が予定する退位の礼は今上陛下による退位(譲位)の表明ですが、
5月1日に剣璽渡御に先立って行われるとすれば、その場合は国民への
事後的表明と位置づけられるでしょう。「無理」ではありません。


▽2 このままでは200年かかる

中長期的にいえば、3つのことが指摘されます。

1つは、番組の出席者からお話があった憲法改正に関することですが、
私は憲法改正では済まないと考えています。

小堀先生がおっしゃっているように、今回のことが超憲法的に進められているのは、
換言すれば、日本国憲法の限界がはっきりと露呈したということでしょう。

国民主権主義にこだわれば議論の混乱は必至です。
陛下のご意向を受け入れた国民の天皇意識が、
天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくと規定する日本国憲法とは、
もともとが明らかに異質なのです。

遠くから聞こえてくる改憲案は、
天皇を元首とし、祭祀を国事行為とするというような内容ですが、
てにをはを手直しする程度の赤ペン先生改憲論では不十分です。

日本国憲法を最高法規とする一元的憲法体制に問題があるのであり、
明治人がそうしたように、国務法と宮務法を分ける典憲体制に変革しないと、
皇位の安定、国家体制の安定は保てないではないしょうか。

改革には、先人たちのように、広く海外の制度に謙虚に学ぶことも必要かと思います。

 
宮内庁も独立させるべきではないですか。
長官や侍従長は首相経験者を起用したらどうでしょう。

 
2つ目は、シンクタンクの設立です。
祭祀学、歴史学、法律学を総合する「天皇学」研究のメッカが求められると思います。

米と粟が捧げられる宮中新嘗祭・大嘗祭を、稲の祭りだなどと決め付けているようでは、
話になりません。

戦前・戦中のアメリカが何を軍国主義・超国家主義の源流と
誤って理解したのかを見極めずに、いつまで経っても
明治神道史をほじくり返しているようでは、仕方がないではありませんか。

時代のニーズに応えられる学問の深化が望まれます。
そのために天皇研究を深化させる卓越したプロデューサーの登場を切に願うばかりです。

 
3つ目に、大嘗祭訴訟、政教分離訴訟のやり直しを求めたいと思います。

御代替わり問題に訴訟問題が大きく影を落としていることは目に見えています。
これまでの訴訟では合憲判決が出されていますが、被告とされた国などが
ほんとうに裁判に勝ったのかといえば、そうではないと私は思います。

大嘗祭訴訟の被告勝訴の理由は、被告側までが天皇の祭祀を皇室の私事だ
と認めているところにあります。これは敗北主義以外の何ものでもありません。
被告側がみずからオウンゴールを蹴っている事実に気づかないとしたら愚かです。

そもそも祭祀の中身がどのようなものかが、
正確に理解されていないのではありませんか。

事実の認定がないがしろにされて、合憲か違憲かを争っているのは、
裁判の基本に完全に反します。
事実の探求の不足が司法判断の誤りを招いていると思います。

いま改革への問題意識を共有できないとすれば、どうなるのか。
皇室問題の正常化には、過去の大嘗祭復活と同様、
200年の時間を要することになるのではないかと怖れます。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6659465/#calendar

           <感謝合掌 平成30年3月18日 頓首再拝>

天皇の祭祀について提言する有識者がいない!? - 伝統

2018/03/21 (Wed) 18:53:14

     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年3月21日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

天皇の祭祀について提言する有識者がいない!?
──新儀を提案し、新語を多用する歴史家たち

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第2回式典準備委員会はたったの40分しか時間がありませんでした。
政府の会合は所詮、そんなものなのかも知れませんが、
そうなると実質的な検討が根回しの段階で行われるのは必定です。

したがって有識者のヒアリングはきわめて重要です。

けれども残念なことに、機能を十分に果たしていないのではありませんか。
皇室の伝統である祭祀について深く語れる適任者が見当たらないからです。

以前、石原信雄元内閣官房副長官のヒアリングの中身について検討しましたが、
ほかのお3方とて大同小異です。


▽1 江戸歌舞伎役者を装う新作歌舞伎俳優

園部逸夫元最高裁判事は法律家ですから、そもそも期待できません。
「皇室の伝統等という観点からは、光格天皇の例などを参考にすることが
大切であると考える」と述べた程度にすぎません。

 
所功京都産業大学名誉教授は、女系継承容認、「女性宮家」創設、「生前退位」、
いずれも過去の歴史にない新例の開拓に積極的にコミットしてきたパイオニアですが、
今回もまたフロントランナーの面目躍如たるものがあります。

今回の御代替わりについて、「約200年前まで行われていた伝統的な
『譲位』『践祚』の儀式を参考にしながら、戦後の現行憲法と諸法令に適合し、
当今の国内外における通年とも調和しうるようなあり方を工夫して、形作る必要がある」
と自信たっぷりです。

つまり、皇室の歴史と伝統を重んじ、そのうえで現在の憲法との整合性を図る
という発想とはだいぶ違うようです。

退位の式典については、明治の登極令に定められた宮中三殿での
賢所の儀や皇霊殿神殿に奉告の儀のことは私などよりはるかに詳しいはずですが、
不思議にもおよそ言及がありません。

したがって、というべきか、昭和、平成の御代替わりで、
3日間にわたる賢所の儀のあとに朝見の儀が行われたことなど
まるで念頭にないかのように、
「朝見の儀は5月2日の昼間がふさわしい」と仰せになっています。
一方では、お得意の「新儀」の提案もなさっておいでです。

史料を縦横無尽に駆使する大歴史家と思いきや、
まるで江戸歌舞伎の名優を装う新作歌舞伎俳優のようです。


▽2 事務局が口止めしたのか

本郷恵子東大史料編纂所教授もまた歴史家のはずですが、
公表された資料には、「現天皇」「新天皇」「天皇位」「新皇嗣」など、
聞き慣れない、非歴史的な用語が勢揃いしています。

その一方で、「伝統の継承」についての説明では、
「過去の儀礼をそっくりそのまま繰り返すことではなく、
歴史と先例を踏まえたうえで、時勢にあわせて最適にして
実現可能な方法を採用すること」と仰せです。

皇室の原理は「伝統」オンリーではなくて、「伝統と革新」なのですから、
至極当然ですが、その場合、旧例を捨て、新例を開く判断基準は何だと
お考えなのでしょうか。

「歴史上初めての事例」とする今回の御代替わりで、
皇室伝統の祭祀はどうあるべきなのでしょう。

たとえば、千数百年の歴史を持つという大嘗祭は、
稲作民の米と畑作民の粟を捧げて祈る複合儀礼であり、
価値多元主義に基づく国民統合の儀礼だと私には理解されますが、
現代的意義の見出せない、したがって現憲法下では国の儀式として
挙行するのはふさわしくない古儀だと先生はお考えなのかどうか。

教授は、なぜか祭祀との関連について多くを語ろうとしません。
「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇「禁秘抄」)
が皇室の伝統的精神であることなど百も承知でしょうに、
事務方から口止めでもされているのでしょうか。

式典準備委員会ではヒアリングの結果の説明のあと、
退位の式典についての考え方が事務局より説明され、
日時は「4月30日」とされました。

式典は「御退位の事実を広く国民に明らかにするとともに、
天皇陛下が御退位前に最後に国民の代表に会われる」のが趣旨とされています。

しかし、期日についていえば、すでに退位は特例法および施行令によって
既定の事実とされているのであり、退位の表明が目的ならば前日である
必要はないのではありませんか。

「最後に会う」にこだわるなら別ですが、退位の式の挙行が
退位の法的効果を生むわけではありません。
とすれば、「4月30日」でなければならない理由はありません。

むしろ「5月1日」の践祚の式と連続して行うのは無理なのでしょうか。
「譲位、即践祚」なら、むしろ同じ日に連続して挙行されるべきではないでしょうか。
200年前の光格天皇から仁孝天皇への御代替わりでは、
むろん譲位の儀が1日で行われています。

退位と践祚を、どうしても分離しなければならない特別の理由があるのでしょうか。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6660346

           <感謝合掌 平成30年3月21日 頓首再拝>

儀式の重要性、日本の伝統文化について - 伝統

2018/03/23 (Fri) 19:17:11


        *メルマガ「日本一元気」(平成30年3月22日)より

【儀式の重要性、日本の伝統文化について
──「三種の神器の承継など 国事行為にすべきでない」共産委員長】


来年、新たな天皇に即位される
皇太子殿下の「即位の礼」について、

共産党の志位委員長が今日、
三種の神器の承継などの儀式について、

「国事行為にすべきでない」

という考えを明らかにしたとの報道を目にしました。


全国の共産党員の方々のなかにはやさしいステキな人も
たくさんいらっしゃるとは想像しますが、

組織のトップがこのような発言をするということは、
やはり日本の伝統文化の原点を否定する政党なのだなと感じます。

過去や歴史を全否定することには
違和感を感じざるを得ません。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【引用ここから】


「三種の神器の承継など 国事行為にすべきでない」共産委員長(NHK)
3月22日 18時08分
⇒ https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180322/k10011374861000.html


新たな天皇に即位される皇太子さまの「即位の礼」をめぐり、
共産党の志位委員長は、
歴代天皇に伝わる剣や曲玉などを受け継ぐ儀式などは国事行為にすべきではないとして、
政府に申し入れたことを明らかにしました。

来年の天皇陛下の退位と皇太子さまの即位に向け、
政府は皇太子さまの「即位の礼」の検討も本格化させており、
このうち歴代天皇に伝わる剣や曲玉などを受け継ぐ
「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」が、
国事行為として最初に行われる見通しです。

これに関連して共産党の志位委員長は記者会見で

「三種の神器の承継をもって天皇の代替わりの証しとする儀式を国事行為として行うことは、
 憲法の国民主権の原則と両立しない」と指摘しました。

そのうえで、「剣璽等承継の儀」や、
天皇が皇后とともに即位後初めて国民を代表する人々と会う
「即位後朝見(そくいごちょうけん)の儀」などは
国事行為にすべきではないとして、
政府や衆参両院の議長に対し国民的な議論を行うよう申し入れたことを明らかにしました。


【引用ここまで】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


あらゆる「儀式」には意味があります。

一般家庭でも赤ちゃんが生まれれば、
「お食い初め」をしたり、
一定の年齢になれば「七五三」、
成人すれば着物を着て「成人式」をするでしょう。

結婚式にも意味がありますし、
お葬式にも意味があります。


こうした人生における通過儀礼は無意味であり、
省略してもよいのではないかという人も最近は増えているかもしれませんが、
やはり「人間が人間たる所以」、
親が子を大事にする姿勢や家族の在り方についての考え方と、
こうした「儀式」についての考え方は関連付けられるものであると私は考えますし、

儀礼を軽視したり先例を全否定することによる弊害は、
近年大きくなってきているようにも感じます。


「三種の神器」とは何か?

ウィキペディアによれば、以下の通りです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【引用ここから】

三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))は、
日本神話において、天孫降臨の時に、
瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。

また、神話に登場した神器と同一とされる、
あるいはそれになぞらえられる、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のこと。

三種の宝物とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣を指す。

中でも八尺瓊勾玉・草薙剣は併せて剣璽と称される。

皇族はもとより天皇でさえもその実見はなされておらず、
多くの面が謎に包まれている。

【引用ここまで】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


それぞれに意味があるわけですが、
この三種の神器をめぐって
日本史上においては大きな争いがおきたこともあったり、

1185年(元暦2年)の壇ノ浦の戦いで、安徳天皇が入水し
神器が水没したこともありました。

日本史の教科書ではさらっと書かれていたりするわけですが、
南北朝時代などはこの三種の神器を持っているほうが
正統だとして戦になっていますので、

昨今の風潮のように、
「三種の神器継承」などという儀式はやめてしまえ、
と言って実際にそのような流れになった後に、

三種の神器を継承していない天皇は正統ではない!
などとして内乱が起きることだってありえないとは言えません。

皇位継承男系男子の問題についても同様ですね。

歴史を否定し、慣習を失わせることができれば、
外部から国を壊すことは簡単ですし、
結果として争いの世の中にすることもたやすいものです。

平和を守ることは難しいことですし、
戦争は国内の激しい対立から起きることは非常に多いわけで、

平和を主張しながらケンカを売ってくる人がいたならば、
気をつけなければなりません。



今回の皇位継承関連の儀式について、

たとえば共産党のホームページを見ると、
以下のように記されています。



天皇の「代替わり」にともなう儀式に関する申し入れ
2018年3月22日 日本共産党中央委員会
⇒ https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/03/post-778.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【引用ここから】

「三種の神器」を、天皇家が家宝として大切にあつかい、
代々受け継いでいくことを否定するものではありませんが、
それは天皇家の私的行為として行うべきであり、
国事行為とすべきではありません。

【引用ここまで】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



この主張には、けっこう多くの方々が
納得されるのではないでしょうか。

「三種の神器」継承の儀式を
天皇家の私的な儀式としてやれば、
継承自体はされるのだから伝統は引き継がれるのではないか。

この文章を入れるところが共産党の「巧妙」なところだと感じます。

儀式と言っても、
私たちの七五三とちがって、
この儀式は大掛かりなものです。

政府の平成30年度予算案では、
皇位継承関連の儀式の準備や、退位儀式に関係する経費として
16億5300万円が計上されています。

わが国の象徴であり、
海外各国からは国家元首として
国際儀礼上も上位に位置する天皇陛下ですので、
やはり国をあげてこの儀式を執り行うべきであると考えます。


しかし仮にこの費用を私的行為として
天皇家で負担することが可能かと言えば、
むずかしいことでしょう。

一説に昭和天皇の崩御後に
天皇家の財産は6億円程度にまで減少しており、

今回譲位をされるとなれば、
皇太子殿下に財産が贈与されるわけで、
その贈与税は約3億2千万円と想定されます。


平成16年に高松宮妃殿下が亡くなられたときには、
親族が約8億円の相続税を支払うために、
家具や工芸品などを宮内庁に寄贈したとも報道されています。


天皇家も私たちと同様、
相続税の支払いにご苦労をされているというのが現状なわけです。

そのあり方自体にも問題があるとは思いますが、
GHQ時代以来変わらず現行制度上もそうなっているわけです。



今後、共産党の志位委員長が主張するように、
即位の礼関連の儀式は天皇家の私的行為として行うべきとなれば、
その費用の面から現実的に、

儀礼は簡略化せざるを得ず、
即位の礼の儀式そのものを実施することも難しくなることでしょう。


「巧妙」の意味はそこにあります。


多くの方々は、天皇陛下が贈与税や相続税に
四苦八苦しているとは想像もしないでしょうし、

海外の王室やセレブの方々から見たら
これは「クレイジー」と思われることでしょう。


革命を起こすためには、
わが国の伝統文化を否定するのが一番よいのでしょう。


しかし私たちの日々の生活や行動様式は、
多くの先人の努力や、わが国の自然、天候や地理的条件などから、
長きにわたって生み出されてきたものでもあり、

また地域のお祭りや四季折々の行事などは、
それぞれの伝統文化から生まれているものであり、
日本人の思考様式に自然と組み込まれているものです。


今回の件にとどまらず、
「儀式」の重要性を私たちは、
もう一度考えていく必要があるのではないかと感じます。

           <感謝合掌 平成30年3月23日 頓首再拝>

天皇陛下退位・即位式典の基本方針(全文) - 伝統

2018/03/30 (Fri) 18:17:26


       *Web:時事通信社(2018.3.30)より

天皇陛下のご退位および皇太子殿下のご即位に伴う式典準備委員会は、
天皇陛下のご退位および皇太子殿下のご即位が、国民の祝福の中で
つつがなく行われるよう、関連する式典の準備を総合的かつ計画的に
進めるための基本方針を下記の通り取りまとめた。

 
今後、第1から第5までについては閣議決定を、
第6については閣議口頭了解を行い、政府を挙げて万全の準備を進めることとする。

第1 各式典の挙行に係る基本的な考え方について
 
   各式典の挙行については、
   次の基本的な考え方に基づき、準備を進めることとする。

 1 各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること。

 2 平成の御代替わりに伴い行われた式典は、
   現行憲法下において十分な検討が行われた上で挙行されたものであることから、
   今回の各式典についても、基本的な考え方や内容は踏襲されるべきものであること。

第2 各式典の挙行に係る体制について

   各式典の円滑な実施が図られるよう、2018年秋を目途とし、
   各式典の大綱等を決定するため、内閣に、首相を委員長とする
   「天皇陛下のご退位および皇太子殿下のご即位に伴う式典委員会(仮称)」
   (以下「委員会」という。)を設置するとともに、
   各府省の連絡を円滑に行うため、内閣府に、官房長官を本部長とする
   「天皇陛下のご退位および皇太子殿下のご即位に伴う式典実施連絡本部(仮称)」
   (以下「連絡本部」という。)を設置し、
   各式典に係る事務は、委員会および連絡本部の統括の下に行うものとする。


第3 天皇陛下ご在位30年記念式典について

(1)天皇陛下ご在位30年を記念し、国民こぞってこれを祝うため、
   天皇陛下ご在位30年記念式典を行う。

(2)天皇陛下ご在位30年記念式典は、19年2月24日に、
   内閣の行う行事として、国立劇場において行う。

(3)式典の事務は、内閣府が行う。

 
第4 天皇陛下のご退位に伴う式典について
 
   天皇陛下のご退位に際しては、
   「退位の礼」として次の通り退位礼正殿の儀を行う。

(1)天皇陛下のご退位を広く国民に明らかにするとともに、
   天皇陛下がご退位前に最後に国民の代表に会われる儀式として、
   退位礼正殿の儀を行う。

(2)退位礼正殿の儀は、天皇陛下のご退位の日となる19年4月30日に、
   国事行為である国の儀式として、宮中において行う。

(3)儀式の事務は、宮内庁が行う。


第5 皇太子殿下のご即位に伴う式典について

   皇太子殿下のご即位に際しては、「即位の礼」として
   1から5までに掲げる儀式および6に掲げる行事を行うとともに、
   文仁親王殿下が皇嗣となられることに伴い、7に掲げる儀式を行う。

1 剣璽等承継の儀

(1)ご即位に伴い剣璽等を承継される儀式として、剣璽等承継の儀を行う。

(2)剣璽等承継の儀は、皇太子殿下のご即位の日(5月1日)に、
   国事行為である国の儀式として、宮中において行う。

(3)儀式の事務は、宮内庁が行う。


2 即位後朝見の儀

(1)ご即位後初めて国民の代表に会われる儀式として、即位後朝見の儀を行う。

(2)即位後朝見の儀は、剣璽等承継の儀後同日に、
   国事行為である国の儀式として、宮中において行う。

(3)儀式の事務は、宮内庁が行う。


3 即位礼正殿の儀

(1)ご即位を公に宣明されるとともに、
   そのご即位を内外の代表がことほぐ儀式として、即位礼正殿の儀を行う。

(2)即位礼正殿の儀は、ご即位の年の10月22日に、
   国事行為である国の儀式として、宮中において行う。

(3)儀式の事務は、内閣府が行う。

 
4 祝賀御列の儀

(1)即位礼正殿の儀終了後、広く国民にご即位を披露され、
   祝福を受けられるための御列として、祝賀御列の儀を行う。

(2)祝賀御列の儀は、即位礼正殿の儀後同日に、
   国事行為である国の儀式として、
   宮殿から皇太子殿下の御在所までの間において行う。

(3)儀式の事務は、内閣府が行う。

 
5 饗宴の儀

(1)ご即位を披露され、祝福を受けられるための饗宴として、饗宴の儀を行う。

(2)饗宴の儀は、国事行為である国の儀式として、宮中において行う。

(3)儀式の事務は、内閣府が行う。

 
6 首相夫妻主催晩餐会

(1)即位礼正殿の儀に参列するため外国から来日いただいた
   外国元首・祝賀使節等に日本の伝統文化を披露し、
   日本の伝統文化への理解を深めていただくとともに、
   来日に謝意を表するための晩餐会として、首相夫妻主催晩餐会を行う。

(2)晩餐会は、即位礼正殿の儀の翌日に、
   内閣の行う行事として、東京都内において行う。

(3)晩餐会の事務は、内閣府が行う。


7 立皇嗣の礼

(1)文仁親王殿下が皇嗣となられたことを広く国民に明らかにする儀式として、
   立皇嗣の礼を行う。

(2)立皇嗣の礼は、皇太子殿下がご即位された年の翌年に、
   国事行為である国の儀式として、宮中において行う。

(3)儀式の事務は、宮内庁が行う。

 

第6 大嘗祭の挙行について
 
   大嘗祭の挙行については、
   「『即位の礼』・大嘗祭の挙行等について」(89年12月21日閣議口頭了解)
   における整理を踏襲し、今後、宮内庁において、遺漏のないよう
   準備を進めるものとする。 

   (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180330-00000035-jij-pol&pos=2

           <感謝合掌 平成30年3月30日 頓首再拝>

新天皇即位の儀式、祝宴の規模縮小 負担軽減を重視 - 伝統

2018/03/31 (Sat) 18:24:26


        *Web:日本経済新聞(2018/3/30)より


2019年4月30日の天皇陛下の退位と翌5月1日の皇太子さまの即位に関する
政府の基本方針が30日、まとまった。

政府は安倍晋三首相をトップとする式典委員会を今秋に設置し、
各儀式の式次第など詳細を詰める。

新天皇の負担を軽減するため、即位を国内外に示す祝宴の規模縮小などが課題だ。
今後は新天皇の即位に伴う新元号をいつ公表するかが焦点になる。

菅義偉官房長官は30日の記者会見で
「退位と即位がつつがなく行われるよう、内閣一丸となって準備を進める」
と述べた。

首相がトップの「退位や即位に伴う式典委員会」(仮)と、
官房長官が本部長を務める「同式典実施連絡本部」(仮)を発足させ、
1989年の平成の代替わりを踏襲しながら各儀式の日程や流れ、
参列者の服装など詳細を詰める。

 
検討にあたって重視するのは新天皇の負担軽減だ。
平成の代替わりでは即位を祝う「饗宴(きょうえん)の儀」が
4日間で計7回、参列者数は約2900人に及び
「天皇陛下の負担はきわめて大きかった」(政府関係者)という。

皇太子さまの即位を公式に示す「即位礼正殿の儀」を開く
19年10月22日かそれ以降が見込まれる今回は、
開催日数と参列者をいずれも絞る方向だ。

新天皇が即位後、初めて国民の安寧などを祈る「大嘗祭(だいじょうさい)」は
19年11月14日から15日にかけて開き、饗宴の儀から3週間ほどの間隔をつくる。
平成では饗宴の儀の最終日から大嘗祭まで1週間ほどしかなく、
陛下の負担増につながったとされる。


即位に伴う儀式を祝日や休日にするかも当面の課題だ。
即位日の19年5月1日が祝日になるよう祝日法を改正すれば、
4月29日の昭和の日と5月3日の憲法記念日に挟まれた前後の平日を休日にできる。

土曜日の4月27日から10連休が可能になるため、
政府・与党内で経済効果の観点から待望論が出ている。

陛下が退位し「上皇」に就くのに伴い、天皇誕生日ではなくなる12月23日を
祝日として残すかどうかは慎重に検討する。

新旧の天皇の誕生日が併存すれば、天皇と上皇の間に
「二重権威」のおそれが生じるとの懸念が残るためだ。

 
最大の焦点は新元号の選定だ。
政府は平成の改元手続きを踏襲し、漢籍や中国史に詳しい
複数の学者に案を委嘱しているとみられる。

公表時期は官公庁のシステム改修などの負担を考慮すれば、
改元までできるだけ余裕がある方が望ましい。

一方、19年2月24日に天皇陛下の在位30年記念式典が予定されているため、
政府内には式典前の公表には「国民の意識が新天皇に移ってしまい天皇陛下に失礼だ」
との声もある。

退位と即位の儀式が相次ぐ19年から、
秋篠宮さまが皇位継承順位1位の皇嗣になることを国内外に示す
「立皇嗣の礼」を開く20年にかけては政治日程も窮屈だ。

19年は3月末から4月にかけて統一地方選があり、6
月末~7月初旬に大阪で20カ国・地域(G20)首脳会議、夏には参院選が控える。

20年夏は東京五輪・パラリンピックがある。
首相は20年の新憲法施行の実現も掲げている。

選挙や外交など重要な政治課題をこなしつつ、
静かな環境で皇位継承を実現する難しいかじ取りが迫られる。

           <感謝合掌 平成30年3月31日 頓首再拝>

不安定な天皇観 - 伝統

2018/04/01 (Sun) 19:49:28


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年4月1日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

リアリティなき御代替わり。日本人は変わった!?
──式典準備委員会決定「基本方針」の「案の定」

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3月半ばにまとめられると伝えられていた陛下の退位(譲位)等に関する
政府の基本方針が、半月遅れでようやく発表されました。

3月に開かれる予定とされていた第3回式典準備委員会は、
ギリギリの30日金曜日に開かれました。
朝の7時45分から、という慌ただしさでした。

森友騒動の対応に追われ、官邸は退位どころではなかったということでしょうか。
御代替わりは国家の最重要案件であり、したがって、その検討は「
静かな環境」で進められることが重要だと何度も強調されてきたはずですが、
現実は正反対です。


▽1 名ばかりの伝統尊重

しかも、委員会が決定した基本方針の中身は案の定というべきもので、
「皇室の伝統の尊重」は名ばかりです。

公表された資料によると、平成の御代替わりの考え方、内容が基本的に踏襲されます。
事務は、式典委員会(内閣)および式典準備連絡本部(内閣府)が統括します。
「退位の礼」と剣璽渡御の儀(剣璽等承継の儀)は分離して行われ、
践祚(即位)後朝見の儀は「剣璽等承継の儀後、同日に」行われます。

 
つまり、悪しき先例が踏襲され、かつての大礼使のような特別組織は設置されません。
「譲位即践祚」が儀式の上で表現されることはなく、3日間におよぶ賢所の儀のあとに
朝見の儀が行われるという昭和、平成までの方式は破られることになります。

天皇第一のお務めとされてきた祭祀については、
政府は関知しないという頑なな姿勢が現れています。

長期保守政権下において、このような非宗教主義、非伝統主義が採用されることは
何にもまして、事態の深刻さを示しています。

125代続く「祭り主」天皇の考え方は顧みられず、
日本国憲法を最高法規とし、とりわけ政教分離原則を厳守する、
1・5代象徴天皇論に基づく御代替わりの方式が確定することになります。
次の次の御代替わりも、そのまた次もこの形式が続くことでしょう。

 
唯一の救いは、御代替わりに伴う祭祀が皇室行事とされるため、
政治的な介入、干渉、圧迫を受けずに済むことですが、
私の目には敗北主義としか映りません。

守られるのは、宗教性があるとされ、
「国家神道」のカゲがちらつく天皇の祭祀であり、
米と粟による国民統合儀礼ではなく、稲の祭りとされる大嘗祭だからです。

無理解はいっこうに正されず、
「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇「禁秘抄」)
と歴代天皇が信じ、実践された皇室の歴史と伝統への偏見を是認するものだからです。


▽2 生々しさを失った天皇意識

なぜそうなるのか、結局のところ、およそこの半世紀の間に、
日本人が変わってしまったということではないでしょうか。

メディアは「憲法の理念に忠実に」と訴え、
式典準備委員会に呼ばれた有識者は1人として天皇の祭祀に言及せず、
それどころか、憲法の理念に反する宗教性の否定を要求しています。
他方、「祭祀重視」を訴える国民の声がとくに聞こえてくるわけでもありません。

天皇の祭祀は、宗教関係者は別にして、国民にとってはリアリティを失っています。
日本人の天皇意識から生々しさが消えてしまっています。

かつて日本人の天皇意識は、皇室が建築技術や養蚕・機織りなどを
教えてくださったというような古代に連なる祖先の記憶や郷土の物語とともに、
暮らしに密着したものでした。その名残を留める神社が各地に残されていますが、
いまや現代人にとって、郷土や祖先とのつながりは、きわめて希薄です。

現代の日本人にとって、天皇とは憲法上の抽象的で観念的な存在です。
生々しいリアリティは新たに創造されたのであり、今上陛下が皇后陛下とともに、
国民と親しく交わられる、憲法の規定にもない、地方行幸やご訪問、お見舞いなど
によるものです。

陛下が「全身全霊で」ご公務に打ち込んでこられた結果、
天皇意識に現実感が与えられたのです。

そのことは逆に、現代日本人の天皇観がバーチャルで不安定であることの
何よりの証拠ともなります。

大正時代、明治神宮創建の指揮を執った伊東忠太は、
モダンな時代にふさわしい斬新な建築様式を望む革新的な意見に抗して、
日本人の精神はいささかも変わっていないと反論し、
流れ造による伝統形式の社殿が建てられました。

しかし、いまの時代はどうでしょうか。

側近中の側近までが天皇の祭祀を敬遠し、
歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設を推進し、
宮中祭祀=「皇室の私事」論を各地で講演して回り、
そして今日の事態を招いたのです。

 
日本人が変わってしまったのだとして、
あらためて考えていただけないものでしょうか。
私たちの祖先が編み出した、価値多元主義に基づく、
天皇を祭り主とする国家制度は、世界的に争いの絶えない現代において、
価値の低い過去の遺物というべきものなのかどうか。

        (http://melma.com/backnumber_170937_6664819/#calendar

           <感謝合掌 平成30年4月1日 頓首再拝>

宮内庁は史実のつまみ食いをしている!? - 伝統

2018/04/11 (Wed) 20:06:26

     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年4月9日)より

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宮内庁は史実のつまみ食いをしている!?
──第2回式典準備委員会資料を読む 4

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式典準備委員会による検討を踏まえて、
陛下の譲位等に関する基本方針が決まりましたが、
政府・宮内庁は退位(譲位)と即位(践祚)の分離という、
皇室の歴史と伝統に反する重大な過ちを犯していないかと心から心配しています。

政府は「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重」を
基本的な考え方としていますが、陛下の「御退位に伴う式典」と
皇太子殿下の「御即位に伴う式典」を別立てとすることは
「皇室の伝統」とはいえないでしょう。

宮内庁はじつのところ、そのことを知っています。
宮内庁が2月の式典準備委員会に提出した「歴史上の実例」と題する
6ページのリポートには、「(貞観儀式の)『譲国儀』では、
譲位と践祚を一連の儀式とする次第が定められている」と明記されているからです。

古来の慣例をふり返り、とくに200年前の光格天皇の事例に学び、
その上で今回の退位(譲位)のあり方を考えるのは当然であり、重要です。

そして宮内庁は当然、平安期の儀式書も、200年前の光格天皇の事例でも
「譲位即践祚」の原則が貫かれていることを認識しているのですが、
それでも結局、「皇室の伝統」は尊重されていません。

陛下のご意向とされる退位の実現に重点が置かれてきた結果、
退位と即位の分離は既定路線とならざるを得なかったのでしょうか。

辻褄合わせの史実のつまみ食いさえ行われています。

「皇室の伝統尊重」は画餅に過ぎません。


▽1 宮内庁による皇室用語の乱れ

宮内庁がまとめた「歴史上の実例」、とりわけ「光格天皇の例」は、
宮内庁作成とは思えない不思議な内容でした。

第1に、皇室用語の乱れです。「旧天皇」「新天皇」「前天皇」と、
およそ「歴史」的ではない新語が並んでいます。
歴史用語と新語の混在はまるでキメラのようで、異様です。

一般的には、宮内庁こそは皇室の歴史と伝統を守る砦と考えられているでしょうが、
現実はそうではありません。

用語の乱れが注目されるのは、皇室制度の基本に関わるからです。

たとえば、宮内庁のサイトには「ご日程」が公表されていますが、
「天皇陛下のご日程」ではなく「両陛下のご日程」とされています。

本来、「陛下」は天皇のみの敬称であり、
民間から入られた皇后は「見なし皇族」というお立場ですが、
もはや「上御一人」から「一夫一婦」天皇制に変質したかのようです。

 
そして譲位と践祚の分離です。


▽2 譲位儀が仙洞御所で行われた?

2月の会合には宮内庁作成のリポートが2本提出されています。
「歴史上の実例」と「両陛下の平成御大礼時の御日程について」です。

まず前者ですが、御退位と御即位に伴う式典準備委員会に提出された
リポートですから、古来の譲位に伴う御代替わりについてまとめられたのか
といえばそうではありません。

200年前についていえば、もっぱら光格天皇の譲位のみが取り上げられています。

即位に関する史的考察は後者で、
「即位礼・大嘗祭関係」「地方行幸啓等」の日程がまとめられています。

即位のあり方は平成の前例踏襲で足りるのであり、
譲位に伴う歴史上の即位のあり方を検証する必要はないという姿勢でしょうか。

 
しかしほんとうにそれで済むのでしょうか。
ここでは、宮内庁が『光格天皇実録』『仁孝天皇実録』(書陵部蔵)をもとに
表にまとめた、200年前の御代替わりについて考えてみます。

「 」内が引用です。少しだけ、表現を読みやすく編集してあります。


1、譲位までの経緯

「文化13(1816)年5月16日、光格天皇が翌年3月に譲位なさることを仰せ出される」

10か月前の表明ということになります。
今上陛下の場合、「退位のご意向を強くにじませた」とメディアが伝えた
ビデオ・メッセージは、平成28年8月8日でした。


「文化14年2月14日、譲位の日時を広く通達される」

約40日前の通達でした。
今回、政府が退位特例法の施行日を「平成31年4月30日」と閣議決定したのは、
29年12月8日です。


2、賢所の儀

「文化14年2月20日、光格天皇が内侍所臨時御神楽の儀に出御される」

譲位の1か月前に賢所の儀が臨時で行われ、天皇がお出ましになりました。
宮内庁はこの史実を認識していますが、今回、少なくとも政府、宮内庁が
賢所の儀を行うことについて検討している気配がありません。

なお、光格天皇のときは御神楽の儀ですが、
先帝崩御を前提とする明治42年の登極令では、諒闇践祚ゆえ、
掌典長によって天皇の御代拝が奉仕され、賢所の儀が3日間、
行われることと定められていました。

平成の御代替わりでも、賢所の儀は行われました。

さらに蛇足ながら、「実録」によれば、3月13日、
光格天皇は稲荷、梅宮両社において、
御譲位・御受禅行幸の御祈祷を修せしめたのでした。

「神事を先にす」が皇室の伝統ですが、リポートには言及がありません。


3、警固固関(けいごこげん)

「文化14年3月21日、警護担当等に命じて宮城の警護を行わせ、
また三関(伊勢国鈴鹿関、美濃国不破関、近江国逢坂関)の閉鎖を命じる儀式を行う」

警固固関という歴史用語がありますが、リポートでは使われていません。
なお警固固関は登極令にはありません。
今回、検討された気配はまったくありませんが、このようにリポートには登場しています。


4、行幸

「文化14年3月22日、光格天皇は卯刻(午前5~7時)過ぎに装束を召され、
内裏の紫宸殿より御退出になり、上皇の御在所(仙洞御所)となる桜町殿に行幸になる。
辰半刻(午前8時)過ぎ、桜町殿御着」

「同日(時刻は不明)、皇太子(恵仁(あやひと)親王)は
東宮御在所(内裏御涼所(おすずみどころ)北)から
新天皇の御所(清涼殿)に行啓になる。
皇太子は、譲位儀には参列されていない」

 
ご承知の通り、光格天皇が剣璽とともに仙洞御所に移られるときの模様を
描いたとされる「桜町殿行幸図」が残されており、ネットで公開されています。

この行幸について、リポートは、
「光格天皇は、譲位儀当日、内裏から鳳輦により、
上級官人約80人の供奉で仙洞御所に移られ、このとき、
各上級官人の従者や警護の武士など大勢のものもいっしょに動いた。
この際、築地の内の公家や所司代の関係者からお見送りを受けたもので、
公衆に披露する御列(パレード)ではない」と註釈しています。

行幸図が残されているほど大がかりなものなのに、
国民主権主義的な性格はないというような理由で否定的なのには違和感があります。

国民主権主義とは次元が異なりますが、皇室行事はけっして閉鎖的ではないからです。
最近の研究では、近世、即位礼の拝観が庶民に許され、
チケットが配られていたことが明らかになっているほどです。

リポートは行幸時の装束について言及していますが、
今回の退位の儀で陛下は装束を召されるのでしょうか。
検討はされたのでしょうか。

また、「新主」「新帝」という用語がありますが、
宮内庁の資料では「新天皇」です。


5、譲位儀

「同日、光格天皇は桜町殿弘御所(ひろごしょ)御帳内にお出ましになり、
皇太子への譲位儀を行われる」

リポートでは仙洞御所で譲位儀が行われたことになっています。
また、皇太子が参列されなかったことについて、異例とされています。

リポートは、

「『貞観儀式』では、天皇と皇太子がそろって
儀場の上皇御所にお出ましになり、譲位が執り行われることとされていた。

光格天皇の以前に行われた譲位儀(後桜町天皇から後桃園天皇へ。47年前)
においても、譲位は天皇と皇太子がおそろいで行われた(場所は紫宸殿)」

と注記しています。

しかし資料の誤読ではありませんか。
譲位儀の儀場は仙洞御所(リポートでは上皇御所)ではないはずです。

「貞観儀式」は、天皇が紫宸殿に出御され、皇太子が紫宸殿の座に就き、
宣命使が譲位の宣命を読み上げ、皇太子が新帝となられると記していますし、
何よりも宮内省がまとめた「仁孝天皇実録」が明確に、
「清涼殿に於いて受禅あらせらる」と記録しています。

宮内庁はあろうことか、宮内省作成の記録を内容的に否定しています。
退位と践祚を分離したい一心で、仙洞御所での譲位儀があったかのように、
歴史の捏造におよんだのでしょうか。

そんなことがあり得るのでしょうか。


6、宣命と節会

「巳半刻(午前10時)、宣命使に譲位の宣命を宣読させる。
庭上の参列者は、宣命文の段落の切れ目ごとに「おお」と声を出して
応答(称唯。いしょう)し、拝礼する。
宣命が読み終えられたら、称唯し拝舞する」

仙洞御所では節会も行われましたが、
宮内庁の資料ではどういうわけか、抜けています。

史実を客観的に、正確に検証する姿勢ではないとの疑いが晴れません。

室町期の一条兼良『代始和抄』には
「御譲位のときは、警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀式などあり。
これは毎度のことなり」とありますから、節会は重要なはずです。

「実録」に引用されいる「寛宮御用雑記」などにも、
「所司代於桜町殿節会拝見」とありますが、宮内庁は無視しています。

そもそも宮内庁は、「簡にして要を得たる」(赤堀又次郎)と評される
「代始和抄」を、史的検討のうえで参考にしていません。


7、剣璽渡御

「同日、未刻(午後1時)ごろ、
前天皇が桜町殿弘御所昼御座(ひのおまし)にお出ましになる。
 
関白が御前に候し、公卿は南の庭に列立する。
 
内侍2人が剣璽を執り、南庇に出る。中将2人がそれぞれ剣・璽を受け取り、
捧持して桜町殿弘御所南庇より筵道を進み、新天皇の御所(清涼殿)に向かう。
 
公卿らが供奉する[桜町殿→陽明門代→建春門→日華門→(紫宸殿の西側)→清涼殿]」

「未半刻(午後2時)前、剣璽が清涼殿の東階前にお着きになる。
 供奉の公卿は紫宸殿西側の弓場(ゆば)付近に西面して列立する。
 新天皇が清涼殿昼御座(ひのおまし)にお出ましになる。
 中将2人が剣璽を捧持して東階を昇り、内侍に授ける。
 関白も東階を昇り、広庇(ひろびさし)で控える。供奉の公卿らは退出する。
 未後刻(午後3時)頃、内侍は剣璽を清涼殿の夜御殿(よんのおとど)に奉安する」

ほかの項目と比較すると異常なほど、
宮内庁は剣璽渡御について詳細にリポートしています。

他方、剣璽渡御の開始時に、すでにして「前天皇」と表現されているのは
不自然さを禁じ得ません。むろん剣璽が継承されるのは清涼殿でのことでした。

結局、御代替わりに先帝から新帝に皇位の印である剣璽が継承されるのではなくて、
譲位と即位とを分離し、先帝が剣璽を「手放す」のが退位だという発想が原因なのでしょう。

しかし桜町殿では剣璽を「手放す」ことは行われていません。

宮内庁による光格天皇譲位の事例研究はここで終わっています。
肝心要の譲位即践祚について、宮内庁のリポートはまったく解説していません。

歴史を検証する政府・宮内庁の目的は、退位であって、即位ではないのでしょう。
したがって、リポートは「代始和抄」に「毎度のことなり」とされている
「新主の御所の儀式」に言及していません。


▽3 桜町殿で行われたのは宣命の作成

それなら、あらためて桜町殿で、そして新主の御所で
何がどのように行われたのでしょうか。
宮内庁のリポートは具体的に、何にフタをしたのでしょうか。

参考にすべきはむろん「実録」で、この日の出来事を詳細に記録した
「日次案」(日誌)が10ページほど引用されていますが、
漢字だらけでとても歯が立ちません。

幸い、所功先生が訓読されたものがありますので、
以下、感謝の意を込めつつ、引用させていただきます
(「光格天皇の譲位式と『桜町殿行幸図』=「藝林」昨年4月号)。

まず、仙洞御所での儀式です。

宮内庁のリポートにあるように、この日、光格天皇は桜町殿に行幸になりました。
日次案は、80名におよぶ参加者の役職と名前を克明に記録したあと、
桜町殿での様子を次のように伝えています。

「左大臣・権大納言・右衛門督、萬里小路中納言・左衛門督等、仗座に着く。
大臣、官人をして膝突を敷かしむ。
次に職事来りて勅使のことを仰す。大臣、官人をして弁を召し仰せしむ。
次に内記、宣命草を進り、大臣披見し、弓場代に就きて奏聞す。畢りて返し賜ひ、
清書すべき由を内記に仰す。
次に内記、清書を進り、大臣披見し、弓場代に就きて奏聞す。畢りて返し賜ひ、
次に大臣、還り仗座に着き、宣命を賜ふ。
天皇、御帳の中の椅子に着きたまふ。近仗、階下に陣し、内侍、檻に臨む。
次に大臣、宣命に御笏を取り副へ、昇殿して兀子に着く。
次に門を開き、#(門がまえに韋)司、座に着く。
次に内弁、舎人を召して版に就く。
次に内弁、刀祢を召し、少納言、称唯して出し召す。
次に外弁、標の下に参列す。
次に内弁、宣命使を召す。授る(ママ)宣命使、これを賜り、殿を降りて軒廊に立つ。
次に内弁、殿を降りて列に加はる。
次に宣命使、版に就き、宣制一段、群臣再拝す。
次に宣命使、本列に復す。諸卿、退出す。
入御したまふ。近仗退出す」

桜町殿での儀式の中心は宣命ではなくて、宣命の作成であり、
このあと節会が行われたようですが、これらは宮内庁のリポートにいうような
退位の儀式と理解すべきなのでしょうか。


▽4 政府の説明は当を得ていない

節会が終わったあと、天皇は新主の御所に移られ、剣璽渡御が行われました。

「節会訖りて、剣璽を新主の御所に渡さる。昼御所を出御したまふ。
関白、御簾を#(ウ冠に寒の下が衣。ふさ)ぎ、御前の円座に着く。
次に公卿以下、簾中に立つ。内侍二人、剣璽を執りて南庇に出づ。
あらかじめ筵道を敷く。左右の大将、簀子に候す。
次に近衛二人、参進し、南階より昇りて当間に入り、
剣璽を取りて階を降り、筵道を歩き、新主の御所に到る。公卿以下、前後に供奉す。
次に殿上の侍臣、昇りて御衣の案を御前に立つ。五位蔵人、仰せを奉りて、
新主の御所に持参す。
この間、御帳以下の調度を渡し、入御したまふ」

以下は略しますが、所先生の解説によれば、こうです。

「未刻ころ、剣璽が下御所(桜町殿)を出てから、
建春門を入って清涼殿ヘ渡御される。
左大臣以下は紫宸殿脇の仗座に就き、宣命が出来上がると奏聞する。

そこで天皇は御帳の椅子に着かれ、内弁から宣命を受け取った宣命使が、
版位に就いて『宣制』すると、いったん入御された。
 
さらに節会のあと、剣璽を『新主』(仁孝天皇)へ渡すため、
天皇が清涼殿の昼御所を出られると、内侍が剣璽を執って
新主の御所(御常御殿か)に到った。
 
その後、子半刻ころ、関白が殿上の座に就き、御前で仁孝天皇の『仰せ』を奉り、
『折紙』を院司に給ると、院司は中門の外で『賀』を奏してから退出した。
ついで、あらためて関白以下が参入して『賀』を申し、『御祝儀』を進めている」

所先生の説明では、宣命が読み上げられたのは、
宮内庁のリポートが譲位儀が行われたとする仙洞御所ではなくて、清涼殿なのでした。
剣璽渡御も同様で、むろん新帝もお出ましになっています。

とすれば、光格天皇の譲位儀は仙洞御所で宣命使に宣命を宣読させたが、
今回の退位の礼では宮殿松の間で総理大臣の奉謝、陛下のお言葉によって
退位が内外に明らかにされるという政府の説明は
まったく当を得ていないことになりませんか。

 
ほかならぬ保守長期政権下で、皇室の歴史と伝統がねじ曲げられ、
御代替わりの儀礼が歪められるのは、なにか悪い夢でも見ているような気分です。

できれば思い過ごしであることを願うばかりですが、
たとえば今回、有識者のヒアリングに応じた1人でもある所先生は、
この現実をいかがお考えでしょうか。

それでも、譲位(退位)と践祚(即位)は分離されるべきでしょうか。


 (http://melma.com/backnumber_170937_6668213/#calendar

           <感謝合掌 平成30年4月11日 頓首再拝>

宮内庁は混乱している。これが「伝統の尊重」か - 伝統

2018/04/22 (Sun) 19:42:35


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年4月22日)より

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宮内庁は混乱している。これが「伝統の尊重」か
──第2回式典準備委員会資料を読む 5

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宮内庁が作成したリポート「歴史上の実例」は、光格天皇譲位の実例を
振り返ったあとで、今回の「退位」の儀式とを比較していますが、
宮内庁による歴史的検討の混乱ぶりはいよいよ明らかです。

政府は「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとする」を
御代替わり儀式の「基本的な考え方」とすることを4月3日に閣議決定していますが、
不正確な歴史理解の上に「伝統の尊重」などあり得ないでしょう。

 
具体的に見ると、宮内庁による比較のポイントは、
「場所」「内裏から仙洞御所への行幸」「参列者」「皇太子の参列」
「御退位事実の公表」「剣璽」の6点です。

以下、それぞれについて検討してみることにします。


1、場所

宮内庁のリポートでは、光格天皇の譲位の儀式が行われた場所は仙洞御所(桜町殿)で、
今回の御譲位の儀式(案)では宮殿松の間になると説明されています。
「仙洞御所未整備」と括弧付きで書き添えられているのは、その理由と読めます。

しかし不正確です。

前回、指摘したように、ほかならぬ宮内省がまとめた「仁孝天皇実録」には
「清涼殿に於いて受禅あらせらる」と記録されています。

光格天皇の譲位すなわち仁孝天皇の践祚の儀は仙洞御所ではなく、
清涼殿で行われたのです。

光格天皇は、「貞観儀式」の定めに従い、御譲位に先立って、
仙洞御所に行幸になったのでした。

誤った歴史理解との比較検討自体、無意味です。

リポートには、「日本無双の才人」と呼ばれた一条兼良の「代始和抄」に
「毎度のことなり」と解説されている、御代替わりに先立って行われる
「警固・固関」についての言及もありません。

光格天皇御譲位の日から「三箇日」にわたって行われたと記録されている
「内侍所御神楽供進」すなわち賢所の儀も無視されています。

御代替わりに際して、皇宮警察がいにしえの装束を身にまとい、
皇居の各御門を固めたら、日本の歴史の深さを内外に示せるでしょうに。



2、内裏から仙洞御所への行幸

リポートは、光格天皇のときの行幸は「あり」とし、
「パレードではない」と注意書きしています。こ
れに対して、今回は、「御所から宮殿へ御移動」になると説明しています。

宮内庁の説明は、既述したように、仙洞御所が未整備で、
行幸のしようがないということなのでしょう。

しかし、「貞観儀式」の「譲国儀」の冒頭に、
「天皇予去本宮、百官従、遷於御在所」と仙洞御所への行幸について
記述されているのは軽視すべきことでしょうか。

むろん「パレード」ではありませんが、剣璽とともに仙洞御所に遷られることは
意味があるのだろうと私は思います。

今回、仙洞御所が未整備なのは事実ですが、「退位」までまだ1年以上もあるのです。
工事を急げば、行幸を200年ぶりに復活させることはけっして不可能ではないでしょう。


3、参列者

リポートでは、光格天皇の際には、「関白、左大臣ほか」が参列したとし、
「儀式書『貞観儀式』においては、親王以下五位以上の参列者は門内に列立し、
六位以下の参列者は門外で列立した」と説明しています。

これに対して、今回は、供奉の皇族方のほか、三権の長らが配偶者を含め、
約300人が参列するとされています。

すでに指摘したことですが、ここでいう参列とは、光格天皇の譲位が行われたとする
仙洞御所での儀式なのでしょうか。

譲位の儀は仙洞御所ではなくて、清涼殿で行われたのであり、
比較はまったく意味がありません。

また、服装についての説明がありませんが、今回はモーニングでしょうか。



4、皇太子の参列

宮内庁のリポートは、
光格天皇の事例では「皇太子(恵仁親王)は譲位儀に参列しない」
「内裏内の東宮御在所から清涼殿にお出まし」と解説し、

今回は「皇太子殿下は、他の皇族方とともに、天皇陛下に供奉して松の間に入られる」
と説明しています。

 
一方で、「『貞観儀式』では、天皇と皇太子がそろって儀場の上皇御所に
お出ましになり、譲位が執り行われることとされていた。

光格天皇の以前に行われた譲位儀(後桜町天皇から後桃園天皇へ。47年前)
においても、譲位は天皇と皇太子がおそろいで行われた(場所は紫宸殿)」
と注意書きを加えています。

 
すでに申し上げたように、光格天皇から仁孝天皇への譲国の儀は、
仙洞御所ではなくて清涼殿で行われたのであり、皇太子恵仁親王も当然、
お出ましになっています。

 
宮内庁の説明はまったく間違っています。

今回、陛下は退位後、皇太子殿下の即位の儀式に出席(参列)なさらない
ご意向だとの報道が伝えられていますが、剣璽渡御の儀(剣璽等承継の儀)に
お出ましにならないということなら、皇位継承の本質からみて、あり得ません。



5、御退位事実の公表

宮内庁のリポートは、光格天皇のときには宣命使に譲位の宣命を宣読させたが、
今回は宣命および宣命使による宣読は行われず、総理の奉謝と陛下のお言葉によって、
御退位が内外に明らかにされる、と説明しています。

 
一条兼良の「代始和抄」に、「御譲位のときは、警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、
新主の御所の儀式などあり。これは毎度のことなり」と書かれてあるように、
宣命は重要ですが、今回の場合、そもそも天皇の発意による「譲位」ではなく、
国民の意思に基づく「退位」だとされるのなら、
「宣命」は認められないことにもなります。

また、リポートには節会についての言及がありません。
はじめから想定していないということでしょうか。

これが「皇室の伝統の尊重」でしょうか。


6、剣璽

リポートには、光格天皇の際は「譲位儀に引き続いて、剣璽が新天皇の下に移される
(桜町殿→内裏清涼殿)」とされ、
今回は「剣璽は、御退位の儀式当日(平成31年4月30日)には承継されない。

剣璽等承継の儀は、新天皇陛下が御即位になる5月1日に行われる」と説明しています。

 
しかし、これも完全に間違いです。

光格天皇の譲位の儀が仙洞御所で行われたのではなくて、
仙洞御所から清涼殿ヘ剣璽渡御が行われたのち、
清涼殿で光格天皇から仁孝天皇への譲位即践祚の儀礼が行われ、
剣璽が新帝に遷られたのです。

200年前の事例にならうなら、今上陛下の退位の礼と皇太子殿下の践祚の式、
すなわち剣璽等承継の儀は、5月1日に連続して、一連の儀式として、
行われるべきではないでしょうか。

政府は、退位と即位とを何が何でも分離したい意向のようですが、
そのこと自体、譲位即践祚という伝統に反していると私は思います。

それにしても、私のような素人でも分かるような間違いを、
宮内庁はなぜ犯しているのでしょうか。

200年ぶりの譲位とも、憲政史上初めてともいわれる譲位に基づく御代替わりに、
こんな瑕疵があっていいものでしょうか。

 
それとも私がとんでもない読み違いをしているのでしょうか。
できれば、そうあってほしいとさえ思います。
私はタチの悪い冗談を聞かされているような気がしてなりません。

http://melma.com/backnumber_170937_6673875/#calendar

           <感謝合掌 平成30年4月22日 頓首再拝>

天皇退位まで1年=来年5月1日即位―新元号焦点 - 伝統

2018/04/30 (Mon) 18:35:05


        *Web:時事通信(2018.04.30)より

江戸時代の光格天皇以来約200年ぶりとなる天皇陛下の退位まで、
30日であと1年となった。

政府は今秋をめどに「式典委員会(仮称)」(委員長・首相)を内閣に設け、
現行憲法下で初めての退位の準備に万全を期す方針だ。

平成に代わる新元号の名称も焦点で、
政府は来年2月以降に公表する方向で調整している。

 
天皇陛下は2019年4月30日に退位され、
翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される。

式典委は、退位と即位に関する式典の在り方を示した大綱を策定。
政教分離など現行憲法との整合性を重視するとともに、
皇室の伝統との調和を図る考えだ。

式典委に先立ち、政府は今夏に事務レベルの準備組織
「式典実施連絡本部(仮称)」(本部長・官房長官)を内閣府に設置。
各府省庁間の連携を緊密にする。

 
式典の準備作業と並行して、新たな元号やその公表時期が焦点となる。
改元は、元号を使用している官公庁などのコンピューターシステムの改修などが必要で、
政府は国民生活への影響に配慮して、事前公表する方針。

天皇陛下の在位30年記念式典が19年2月24日に開かれることから、
新元号公表はそれ以降となる方向だ。
首相は、平成の改元手続きを踏襲する意向を示している。

皇太子さまが即位する5月1日を祝日か休日にするかどうかも課題だ。
同日を祝日とすれば、祝日法の規定で10連休が実現する。

「即位の礼」の中心的な儀式である「即位礼正殿(せいでん)の儀」などが
行われる10月22日を休日とすることも検討している。

政府は今月3日の閣議で、天皇陛下の退位と皇太子さまの即位をめぐる
関連式典の基本方針を決定。
陛下の「退位礼正殿の儀」は19年4月30日に、
新天皇の「即位礼正殿の儀」は同年10月22日に
それぞれ憲法上の国事行為として実施することなどが明記された。 

   (https://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-180430X587.html

           <感謝合掌 平成30年4月30日 頓首再拝>

宮内庁は混乱している。これが「伝統の尊重」か ~その2 - 伝統

2018/05/05 (Sat) 19:10:34


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年4月30日)より

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「貞観儀式」の「譲国儀」を訓読する
──第2回式典準備委員会資料を読む 6

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宮内庁が第2回式典準備委員会に提出したリポート「歴史上の実例」の批判を続けます。

リポートは、(1)光格天皇譲位の実例、(2)今回の「退位」との比較に続いて、
(3)「『貞観儀式』による譲位の儀式次第」の3つについて説明しています。

これから(3)の妥当性を公正に吟味したいのですが、
今回は手始めに、譲位の儀式について説明する「譲国儀」の訓読を試みることにします。


『貞観儀式』は、宮内庁のリポートに説明されているように、
譲位の次第を既述した最古の儀式書です。

赤堀又次郎の『御即位及大嘗祭』(御即位記念協会、大正4年)に
「御即位及大嘗祭の儀式を記したる古書の中、其詳なることは、
貞観儀式に超えたるものなく」と解説されていることはすでにお話ししました。

それだけ重要な史料です。

いまでは国立公文書館のデジタルアーカイブで、
インターネットによって誰でもいつでも、オリジナルの資料に触れることができます。

同館に所蔵されている『貞観儀式』は紅葉山文庫旧蔵本、内務省旧蔵本など
何種類かあるようですが、ここではネットで公開され、10巻がそろった
荷田在満校訂、内務省旧蔵のものを読むことにします。

「譲国儀」は巻5にあり、6ページにわたっています。

宮内庁のリポートは、この記述に基づいて、
「譲位の儀式次第の大綱」を説明しているのですが、
原文は漢字だらけで、私のような素人には歯が立ちそうにありません。

幸い、内田順子「『譲国儀』の検討」(岡田精司編『古代祭祀の歴史と文学』所収。
1997年)や藤森健太郎『古代天皇の即位儀礼』(2000年)、
佐野真人「『譲国儀』儀式文の成立と変遷──新帝の上表を中心に」
(「神道史研究」平成29年10月)など優れた研究業績がありますので、
参考にさせていただくことにします。

 
概観すると、一条兼良「代始和抄」に「毎度のこと」として書かれている
「警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀」のうち、
宣制を中心に記述されていることが、すぐに理解されます。

もう1点、気づかされるのは、藤森先生が指摘しているように、
「『儀式』では、譲位の宣命が読み上げられる時点を境にして、
それまで皇太子として扱われていた新君主の表記が天皇としての表記に変わる」ことです。

それだけ宣制が重要だということでしょう。

宣制ののち皇太子は「今帝」「皇帝」「今上」となられ、そして剣璽が渡御するのです。

 
しかし今回は、「宣命および宣命使による宣読は行われない」(宮内庁リポート)
とされています。これが「皇室の伝統の尊重」を基本方針の柱とする
御代替わりの実態なのです。そのことを最初に指摘しておきます。

 
さて、以下が訓読です。[ ]はオリジナルの割り注、( )内は私の註釈です。


「譲国の儀」

 天皇、予め本宮(内裏)を去りたまふ。百官、従ひて、御在所に遷る(行幸)。

 先立つこと3日、諸関(鈴鹿関、逢坂関、不破関)を固める使ひを遣はす
 [勅符、官符、木契(ぼくけい)を造る。および緘(糸篇に咸。かん)封等別に
 その儀あり](警固・固関)。

 当日平旦(夜明けごろ)、太政官、式部省を召し、刀禰(とね。六位以上を指す)を
 集会(会集)せしむべきの状を仰す。
 大臣、内記(書記官)を召し、譲位の宣命を作らしむ。

 訖(お)はりて、まづ草案をもって内侍(ないし)に就け、
 奏覧し[もし損益すべきものあらば、勅の処分によって筆す]、返したまふ。

 大臣、本の所に復(かへ)りて、黄紙(おうし)に書かしめ、
 書杖(文ばさみ)に挿して、祗候(伺候)す。

(節会については言及がない)

 式部、親王以下、行立の版を置く。
 中務、宣命の版を尋常の版の北に置く。
 諸衛、中儀を服す。

 主殿寮、御輿、便所(びんしょ)に候す。
 式部、百官の人を南門の外に計列(列立)す[参議以上、門内に候す]。

 皇帝(天皇)、南殿(紫宸殿)に御す(国立公文書館のサイトに公開されている
 内務省旧蔵の「貞観儀式」巻4「譲国儀」では、紅葉山文庫旧蔵本と異なり、
 「皇帝、南面に御す」と記されている)。

 内侍、檻に臨み、大臣を喚(め)す。大臣、称唯(いしょう)して、宣命の文を執る。
 および、宣命に堪ふる参議已上(以上)を定む。内侍に付けて、これを執り、奏覧す。
 大臣、立ちて、階下に候す。

 皇太子、坊を出で、入りて、殿上の座に就く。
 次に大臣、また升(昇)りて、座に就く。

 左右の近衛の将曹各一人、近衛各二人を率ゐて、南門を開く。
 大臣、舎人(とねり)を喚す。

 および親王已下、参入等の儀、常の如し
 [親王已下五位以上、門内に列す。六位以下は門外に列す]。

 立ちて定む。
 大臣、宣命の大夫を喚し、宣命の文を授く。

 これを受けて(宣命の大夫は)殿を下り、暫く便所に立つ
 [大臣、殿を下りて、庭中の列に就くを侍つ]。

 大臣、同じく階を下りて、庭中の列に就く。
 ここに宣命の大夫、進みて版に就く。

 皇太子、座を起ち、而立したまふ。
 宣命の大夫、宣制して、いはく、明神(あらみかみ)と大八洲(おおやしま)の
 国知らす天皇が御命らまと詔(の)たまふ。

 大命を親王ら王ら臣ら百官の人ら天下の公民衆聞食と宣(の)る。
 親王已下、称唯して再拝す(ときに臨みて宣命定詞あることなし)。
 大臣已下、称唯・拝舞す。訖はりて宣命の大夫、還りて本列に就く
 (以上、宣制について詳述されている)。

 次に親王已下、退出す。次に中務の丞、参入して版を取りて退出す。近衛、門を閉づ。
 訖はりて今帝(新帝)、南階より下りて、階を去ること一許丈(約3メートル)、
 拝舞したまふ。

 訖はりて歩行す。列に帰りたまふ。
 内侍、節剣(宝剣)を持ち、追従す。
 所司、御輿を供奉す。皇帝(新帝)、辞して駕したまはず。

 衛の陣、警蹕す。少納言一人、大舎人らを率ゐて、
 (神璽が納められた)伝国璽の櫃を持ちて、追従す。

 次に少納言一人、大舎人・?(門がまえに韋)司(いし)らを率ゐて、
 鈴印鎰(金偏に益。れいいんやく。駅鈴、内印、関鎰の総称)を持ちて、
 今上(新帝)の御所に進づる。

 次に近衛の少将、近衛らを率ゐて、供御の雑器を持ちて、同所に進づる(剣璽渡御)。
 訖はりて今上、春宮坊に御す。諸衛、警蹕・侍衛は常の如し
 (新主の御所の儀については詳しくない)。

 以上ですが、宮内庁のリポートは読み方の上で重大な相違があることが分かります。

 そのことが今回の御代替わり儀式のあり方にも大きな影響を与えているものと
 思われますが、詳しくは次回、お話しします。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6677153

・・・


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年5月04日)より

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「退位と即位の分離」実現のための印象操作?
──第2回式典準備委員会資料を読む 7

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宮内庁のリポート「歴史上の実例」を批判的に読む作業を続けます。
リポートは最後に「『貞観儀式』による譲位の儀式次第」を解説していますが、
前回、指摘したように、「貞観儀式」の訓読・解釈の上で大きな相違点が見受けられます。

1年後に迫った今上陛下の退位(譲位)では、
退位と即位(践祚)の儀式が分離・実施されますが、
これがけっして過去の例からみて、異例ではないことを印象づけるために、
宮内庁は無理な解釈をしているように私には見えます。

つまり、平安期に成立したといわれる「貞観儀式」の「譲国儀」も、
200年前の光格天皇の事例でも、退位(譲位)と即位(践祚)が
空間的、時間的に別に行われていたかのように印象操作しているのではないか
と疑われれるのです。

いや、そう簡単に断定してはいけないかも知れません。
なぜなら、「貞観儀式」の儀式次第を説明するに当たって、
リポートは「なお『譲国儀』では、譲位と践祚を一連の儀式とする次第が定められている」
と正確に註釈を加えているからです。

 
光格天皇から仁孝天皇への御代替わりも同様であり、というより、
諒闇践祚であれ、受禅践祚であれ、御代替わり儀礼が一連の儀式として
行われるのは当然ですが、

だとしたらなぜ、今回、退位(譲位)と即位(践祚)の儀式は分離して、
別の日に行われなければならないのでしょうか。

先帝崩御の場合は医学的に御代替わりの日時が決まります。
譲位なら譲位の宣命ののち皇太子は皇位に登られると解されました。

今回は立法と行政が定めた法令によって、退位の期日は決められたのですが、
だとしても退位と践祚の儀式を、先例に従って同じ日に連続して行うことは可能だろうし、
そうすべきではないでしょうか。
それでこそ「皇室の伝統の尊重」といえるのではないでしょうか。

宮内庁の歴史的検証も当然ながら譲位即践祚の原則を裏付けるものになるはずなのに、
実際はそうはなっていません。なぜでしょうか。


▽1 「御在所」は仙洞御所か

ということで、宮内庁レポートを具体的に読んでみることにします。

宮内庁が解説する「譲国儀」は、天皇の行幸から剣璽の渡御まで
19の段階で説明されていますので、これに沿って、以下、検討していくことにします。


1、天皇は、譲位に先立って、あらかじめ内裏(お住まいの御殿)から出られ、
  臣下を従えて、新たな上皇のお住まいにお移りになる。

  前回、訓読を試みたように、「譲国儀」の冒頭は、
  「天皇、予め本宮を去りたまふ。百官、従ひて、御在所に遷る」です。
  「本宮」は「内裏」ですが、「御在所」は仙洞御所と断定していいものでしょうか。

  というのも、たとえば、藤森健太郎群馬大教授(日本史)は
  『古代天皇の即位儀礼』(2000年)の「第三章 平安期即位儀礼の論理と特質」
  のなかで、「譲国儀」冒頭の「御在所」は「平安初期の実例では大体別院」と注記し、

  さらに「ただし、光仁天皇から平常天皇までの譲位の際には、
  内裏で挙行されたものと思われる」と補足しています。

  また、佐野真人皇學館大助教(神道史)の「『譲国儀』儀式文の成立と変遷」
  (「神道史研究」平成29年10月)は、より明確に、
  「儀礼の会場が『儀式』では、事前に天皇は本宮(内裏)から御在所に遷御される。
  清和天皇以前の譲位の儀式は内裏以外で行われており、
  『儀式』の規定でも内裏以外で行うことを想定している」と説明し、
  ただ、『西宮記』(源高明撰述)では内裏が儀場とされていたことが考えられる
  と記しています。

  つまり、「御在所」は仙洞御所とは断定できないことになります。
  宮内庁のリポートは、過去の譲位の儀式が連続して行われていたことを熟知しながらも、
  今回の退位と即位の分離を実現したいがために、しかも「皇室の伝統の尊重」という
  基本方針に合致しているかのように演出するため、
  白を黒と言いくるめているのではありませんか。


2、譲位の3日前に三関[伊勢国鈴鹿関、美濃国不破関、近江国逢坂関]を
  閉鎖するための使者を遣わされる。

3、譲位当日、大臣は、詔勅・宣命(勅命が書かれた文書)の起草を担当する
  書記官(内記)に譲位の宣命を作るよう指示する。

4、儀式担当の官人が、譲国儀に参列する者を率いて、
  儀場となる上皇のお住まいの南門の内外に、待機する。


▽2 「皇帝、南殿に御す」もまた仙洞御所か

5、天皇が、儀場となる上皇のお住まいの正殿の殿上にお出ましになる。
  殿上にしつらえた南側を向かれる御席に御着席になる。

  宮内庁リポートは、またしても仙洞御所が儀場であると断定していますが、
  正しい理解でしょうか。

  前回、不正確な点がありましたので、訂正しますが、
  国立公文書館がネット上に公開している2種類の内務省旧蔵本のうち、
  五冊本では「皇帝、南面に御す」ですが、荷田在満校訂本(11冊本)は
  明確に「皇帝、南殿に御す」と記しています。


  つまり、「南殿」なら紫宸殿に還御され、譲位の儀式が行われる意味になります。
  ただ、藤森先生の著書では、「『儀式』の場合は内裏の紫宸殿ではなく、
  『御在所』の正殿を想定しているはず」と説明されています。

  より正確にいえば、「皇帝、南面に御す」「皇帝、南殿に御す」の場所を
  特定することは難しいということになりませんか。
  実際、歴代天皇の譲位儀はどこで行われたのでしょう。

  宮内庁が今回、今上陛下の「退位の礼」を皇太子殿下の践祚の式と
  区別して挙行したい意図は理解できなくもないですが、

  光格天皇の譲位の儀式と同様、貞観儀式「譲国儀」が仙洞御所を儀場と定めていた
  と断定する根拠は何でしょうか。

6、皇太子が、東宮の御所から議場に入られ、
  殿上にしつらえた皇太子の席に御着席になる。

7、儀場の南側にある門を開き、親王以下が儀場に参入し、所定の位置に立つ。
  (親王以下五位以上の参列者は門内の所定の位置に立ち並び、六位以下の
  参列者は門外で列立する)

8、大臣が、宣命を読み上げる宣命の大夫(宣命使)に、宣命文を殿上で授ける。
  宣命の大夫、続いて大臣が殿上から降り、庭上の参列者の列に加わる。
  宣命の大夫が進み出て、所定の位置に着く。

9、殿上におられる皇太子は、席から起立される。

10、宣命使が、譲位の宣命を読み上げる。

11、親王以下の参列者が、宣命文の段落の切れ目ごとに「おお」と声を出して
   応答(称唯)し拝礼する。

12、宣命を読み終えると、参列者が、宣命に対して「おお」と声を出して
   応答(称唯)し、拝舞を行う。(拝舞とは、まず2度拝礼し、立ったまま
   上体を前屈して左右を見、これにあわせて袖に手をそえて左右に振り、
   次にひざまずいて左右を見、そのまま一揖(おじぎ)し、
   さらに立って2度拝礼する所作。最高級の拝礼の所作)

13、宣命の大夫が、列内の元の位置に戻る。

14、次に、親王以下の参列者が儀場から退出する。

15、近衛が南側の門を閉じる。


▽3 宣命の意義を説明しない宮内庁

16、譲位の儀が終わり、践祚された新天皇が、
   殿上から南側にある階段をお降りになる。
   降りられた階段から一丈(約3メートル)ほど南側に離れた位置で、
   殿上にいらっしゃる前天皇に対して拝舞を行われる。
   [新天皇の拝舞が終わられたところで、前天皇は殿上から御退出になる]

   藤森先生は「『譲国儀』の中でもっとも重要なのは、
   譲位の宣命が読まれる時点である」と書いていますが、
   宣命の宣読によって新帝が践祚されたことを、宮内庁リポートが
   正確に理解していることは指摘されなければならないと思います。

   しかし今回の御代替わりでは宣制は行われません。
   天皇の意思に基づく譲位ではなく、立法と行政が決めた退位と
   考えられているからでしょう。

   崩御に基づかない受禅践祚で大きな意味を持つ宣制ですが、
   現憲法下でこれを執り行うことはどうしても無理なのでしょうか。

   今回は「総理の奉謝と陛下のお言葉」が「退位の礼」で述べられることに
   なっていますが、「伝統の尊重」が基本方針なら、新帝が践祚される日に、
   剣璽等承継の儀(剣璽渡御)の前に、連続して行われるべきではないでしょうか。

   宮内庁はむしろ宣制の格別な意義をこそ、
   「歴史上の事例」としてリポートすべきなのではありませんか。

17、拝舞を終えられた新天皇が、新天皇のお住まい(御所)に徒歩で向かわれる
   (新天皇には輿をお勧めするが、辞退される)。
   内侍は節剣(譲位の儀挙行に伴い、前天皇から継承される宝剣)を持ち、
   新天皇の後を追い従う。

18、少納言一人が、大舎人(天皇に供奉し、宮中の宿営等を奉仕する者)等を率いて
   伝国璽の櫃(譲位の儀挙行に伴って前天皇から新天皇に継承されるものであり、
   神璽を指す。神璽が櫃に納められていた)を持ち、新天皇の後を追い従う。

   ここは皇位を継承した新帝に剣璽が渡御する重要場面ですが、
   リポートの説明はことのほかあっさりしています。
   剣璽の渡御は触れたくない、触れられたくないタブーなのでしょうか。

19、次に、少納言一人が、大舎人・?(門がまえに韋)司(宮中の門の鍵を預かり、
   その出納を掌る者)等を率い、鈴印鑰等を持ち、新天皇の御所に奉る。
   (鈴印鑰は「駅鈴」「内印」「管鑰」の3者を合わせた言い方。
   「駅鈴」は駅使に国家が支給する鈴で、それにより駅馬を利用することができる。

   「内印」は天皇御璽の印で、公文書作成に不可欠のもの。
   また「管鑰」は中央官司が管理する蔵の鍵のこと。

   これら3者を新天皇のもとに進めることは、すなわち、
   新天皇による国家統治が開始されたことを意味する)

 
以上、これまでの検証をごく簡単にまとめると、宮内庁のリポートは、
200年前の光格天皇の譲位の儀式が仙洞御所の桜町殿で行われ、
皇太子恵仁親王はお出ましにならなかったと説明していますが、明らかに間違いです。

また、リポートは、平安時代の儀式書「貞観儀式」の「譲国儀」も同様に、
仙洞御所が譲位の儀式の儀場となったと断定していますが、これも正確とはいえません。
譲位即践祚であって、譲位の儀が単独で行われるはずもありません。

私のような素人でも簡単に分かる誤りを、宮内庁がリポートにまとめ、
政府に提出したのは、もしや「忖度」の結果でしょうか。

過去にない、歴史的な御代替わりとされる今回の「退位」が、
虚構の歴史をつづった信用度の低い官製リポートを根拠とし、
あまつさえ「皇室の伝統の尊重」と喧伝され、実現されようとしているとは、
私にはやはり悪い冗談にしか聞こえません。

今回、引用した藤森、佐野両先生はいかがお考えでしょうか。

最後にもう1点、宮内庁のリポートは、一条兼良「代始和抄」について、
まったく言及がありません。
譲位儀が仙洞御所で行われるとは書かれていないからでしょうか。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6678490

           <感謝合掌 平成30年5月5日 頓首再拝>

詳しく解説 天皇退位と即位・改元 - 伝統

2018/05/21 (Mon) 20:26:12


        *Web:日本経済新聞(2018/5/17)より


1、200年ぶりの天皇退位

■天皇陛下はなぜ退位するの?

2016年8月、天皇陛下はビデオメッセージで
「次第に進む身体の衰えを考慮する時、全身全霊で象徴の務めを果たしていくことが
難しくなるのではないかと案じている」と表明された。

陛下はお気持ちを表明される以前から、元気なうちに天皇位を譲りたい
との気持ちを周囲に伝えていたとみられる。
陛下が自らお気持ちを表明されたことで、退位に理解を示す世論が高まった。


■退位が19年4月30日になった理由は?

政府は天皇陛下の退位を2019年4月30日、
皇太子さまの新天皇即位を同年5月1日にすると決めた。


2、天皇退位後の皇室は?

■皇室の構成はどう変わる?

2017年6月に成立した天皇陛下の退位を実現する皇室典範特例法は、
退位後の天皇、皇后両陛下の呼称を「上皇」、「上皇后」と規定した。
敬称をこれまでと同様に「陛下」とし、皇族の地位にとどまるが、
象徴として行ってきた公務からは退かれる。

皇太子さまの即位後、皇位継承順位1位となる秋篠宮さまは「皇嗣」となる。
待遇は皇太子並みで、皇族費は3倍に増額される。


■上皇はどんな立場に?

活動内容は大きく変化する。
宮内庁によると、陛下は退位後、象徴としての全ての公務を
新天皇となる皇太子さまに譲る考えを示されているといい、
即位関連の儀式にも出席されない見通しだ。


■退位後の住まいは「仙洞御所」


3、退位・即位に伴う儀式は?

■当日の儀式の流れは?

天皇陛下が退位される2019年4月30日には、憲政史上初となる退位の儀式
「退位礼正殿の儀」が、皇居・宮殿で最も格式が高いとされる「松の間」で執り行われる。

翌5月1日には天皇陛下から皇太子さまへの皇位継承に関する儀式が続く。
まず「剣璽等承継の儀」が行われ、皇位継承の証しとして歴代天皇に伝わる
三種の神器のうち剣と璽(じ=まがたま)、天皇が公務に使う印章の御璽、
国の印の国璽が引き継がれる。

新天皇となる皇太子さまが即位後初めて三権の長ら国民の代表の前で
お言葉を述べられるのが「即位後朝見の儀」。


■京都御所から「高御座」が運ばれ…

新天皇となる皇太子さまの即位に関する中心儀式「即位礼正殿の儀」をはじめとする
「即位の礼」は2019年10月に国事行為として行われる。

19年11月には、新天皇が即位後初めて国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る
「大嘗祭(だいじょうさい)」が営まれる。宗教的な性格があるため、
政教分離の原則から国事行為ではなく、皇室行事と位置づけられる。


4、新元号はどうなる?

■248番目の元号

元号の起源は古代の中国にある。「皇帝が時を支配する」という発想だ。
日本では天皇中心の国づくりを進める意味合いもあり、7世紀の「大化」から始まった。
「平成」まで247を数え、2019年5月1日からの新たな元号は248番目となる。

元号にはその時代を象徴する意味が込められるため、
字そのものが意味を表す漢字が使われてきた。
これまで出典となったのは漢字で書かれた中国の古典で、
「古事記」や「日本書紀」など日本の古典が用いられた例はない。


新元号、公表は改元の1カ月前を想定
 
政府は5月17日の新元号への円滑な移行に向けた関係省庁連絡会議の初会合で、
新元号への公表時期について「(2019年5月1日の)改元の1カ月前を想定する」
との方針を示した。

新天皇に即位する皇太子さまの誕生日である2月23日や、
天皇陛下の在位30年記念式典を開く19年2月24日以降とし、
新年度の始まりである4月1日という区切りも意識したとみられる。

 
天皇が存命中に退位するのは1817年の光格天皇以来、約200年ぶりのことだ。
今回は憲政史上初めて、天皇の死去を伴わない代替わりとなり、
前回は浮上しなかった論点が出てくる。


天皇陛下の退位後の称号は「上皇」。
近代以降では初めて、新旧の天皇が併存することになる。

政府は前回の皇位継承の際は、昭和天皇が死去した日に「平成」を発表した。
今回は新元号のはじまりの日が2019年5月1日とあらかじめ決まっている。
国民生活への影響を最小限に抑えるために新しい元号を事前に公表する方針で調整を進めてきた。

新元号の選定は、平成を選んだ手続きを踏まえる。
すでに複数の有識者に考案を依頼している。
候補を3つほどに絞り、最終的には有識者らの意見を聞いて決める。

           <感謝合掌 平成30年5月21日 頓首再拝>

「平成の終了」で企業が抱える想定外のリスク - 伝統

2018/05/30 (Wed) 20:23:15


       *Web:東洋経済ONLINE(2018.05.29)より


あと1年もしないうちに天皇の代替わりがあり、
それに伴い「平成」の元号も終了する。
通常なら、2019年5月1日に新元号が公表される。

だが各業界からの声に配慮して、
政府が新元号の「早期公表」を検討しているとの報道が相次いだ。


《新元号の「早期公表」をめぐる政府の二転三転》

実際、菅義偉官房長官は昨年6月16日の記者会見で、
「新たな元号にするには国民生活への影響も考慮しつつ適切に対応すべきだ」
と述べている。

こうした流れから平成の次の元号は、
いつもよりも前倒しで発表されるとの認識が広まりつつあった。

しかしながらその後、新元号の早期公表は、
「公表から改元(旧元号から新元号に移ること)までの間が空きすぎて盛り上がらなくなる」
との指摘や、「元号をめぐって賛否が出る」との懸念が生じ、
2018年の秋以降から2019年にすると報じられた。

さらに早期公表のはずが、天皇陛下の在位記念30年記念式典が予定されている
2019年2月24日以降とする方針にまでズレ込む。 

ついには、2018年5月13日付の朝日新聞が
「政府が納税や年金システムについては改元後も平成を一定期間使い続ける検討に入った」
と明らかにした。

ここまでくると、もはや元号の早期公表ばかりか、改元そのものが名ばかりになる。

2018年5月17日に行われた新元号への移行に向けた関係省庁の連絡会議では、
「作業上の便宜として、新元号の公表日を改元の1カ月前と想定」(菅官房長官)
する方針が決まった。

新元号として平成が発表されたのは昭和最後の日(1989年1月7日)。
それに比べれば、改元の1カ月前の公表は確かに「早い」とは言えるものの、
これまで報道されてきた早期公表のイメージとはかけ離れており、期待はずれの感もある。

 
改元をめぐる政府の二転三転を受けて、インターネット上では、
「もう改元なんてせずに、ずっと平成のままでいいのではないか」
「元号なんて必要ない」といった意見も出る始末。

また、カレンダーや手帳、ITなど改元による対応を迫られる業界からは
「1カ月前に新元号がわかっても、対応しきれるかわからない」
「準備期間が短すぎる」など、不安や不満の声も続出している。

改元の影響は、予想外の業界にも波及する可能性がある。

ジャーナリストの村上敬氏は、
「来春『改元』で『平成』が商標登録可能に」の中で、
「平成」を社名に冠した企業が「商標ビジネス」に巻き込まれる
リスクについて指摘している。

 
商標ビジネスとは、いち早く獲得した商標を他社に売却や、
使用するためのライセンス料の徴収を求めることで利益を得る行為。

こうした商標ビジネスの問題は近年注目を集めており、
昨年には大阪の会社が自社の商品やサービスと無関係にもかかわらず、
「ピコ太郎」や「立憲民主党」「北陸新幹線」「ゲス不倫」など
さまざまな商標を出願し、ピコ太郎の所属会社であるエイベックスに対して
「ライセンス許諾を受けるように」などと警告書を発したことが問題視された。

現状、「平成」という言葉を使った単語は商標登録できない。
しかし改元を経れば、平成は現元号ではなくなるため、商標登録できるようになる。
すると平成そのものはもちろん、たとえば「平成建設」のように、
「平成」+「業種名」での商標登録が可能になる。

東京商工リサーチの調査によれば、平成を社名に含む企業は、全国で1270社。
業種別では、サービス業が372社、建設業が334社ある。
たとえば「平成建設」は同社に登録されているだけでも全国に49社あり、
こうした同名企業こそ商標ビジネスに巻き込まれるリスクがある。

あるいは、複数の同名企業にある社名やサービス、
商品の商標登録をめぐる混乱も予想される。


《改元の恩恵を受ける業界もある》

一方で、改元の恩恵を受ける業界もある。
それは官公庁や銀行を取引相手とする印刷業界だ。

 ペーパーレスが進んでいるとはいえ、霞が関をはじめとする
全国の官公庁や銀行はいまだに書類偏重の「昭和」な世界。

昨年12月に天皇の代替わり日程が決まった時点では、
複数の印刷会社の株価が上昇した。

書類ベースで動く会社はまだまだ全国に数多くあり、
改元に伴う印刷需要の盛り上がりが予測される。

また、「平成」を早くもレトロなものとして振り返る
「懐古ビジネス」もすでに始まっている。

若い人は信じられないかもしれないが、「平成」期はCDが大変売れた時代だった。
小室哲哉プロデュースのCDをはじめ、浜崎あゆみ、GLAY、B’zといった
アーティストのCDが、次々にミリオンセラーとなった。

こうしたCDを買い求めた世代が、アラフォーに突入しつつある。
彼ら彼女たちは、現在主流となっている音楽配信よりも、
モノとしてのCDに愛着を持っており、だからこそ、昨年引退を発表した
安室奈美恵のベストアルバムは、発売2カ月で200万枚を突破した。

 
年長者が飛びつく商品、いわば「おっさんホイホイ」と呼ぶかどうかはともかく、
「平成」への懐古ビジネスはこれからが本番であり、
とりわけ斜陽・衰退と言われて久しいCD業界にとっては
改元によるメリットを享受できるチャンスとなるかもしれない。

 
さまざまな期待や不安、リスクやメリットを想定しながら、
残り1年、「平成」の終わりに向けたカウントダウンが続いていく。

鈴木 洋仁 :事業構想大学院大学准教授

  (https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180529-00222242-toyo-bus_all&p=1

           <感謝合掌 平成30年5月30日 頓首再拝>

大嘗祭は稲の祭りではなく、国民統合の儀礼である - 伝統

2018/06/08 (Fri) 19:28:01


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年6月05日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大嘗祭は稲の祭りではなく、国民統合の儀礼である
──第2回式典準備委員会資料を読む 9

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

平成の御代替わりには様々な不都合が指摘されましたが、
これを基本的に前例踏襲する次の御代替わりも当然にして、
同様の不都合が指摘されます。

次もそうなら、次のまた次も同様でしょう。
不都合なる事態が固定化しないよう一縷の望みをかけて、あえて批判を続けます。

なぜ不都合なる事態が起きるのか、その原因を、
2月に開かれた第2回式典準備委員会に提出された資料のなかから
探り出す作業をこれまで行ってきました。

前回までは、退位(譲位)から即位(践祚)に到る御代替わりについて検討し、
宮内庁資料の誤りなどを指摘してきました。

 
今回からは大嘗祭について、考えます。


▽1 30年間、進歩しない知的怠慢

わずか40分という短時間の第2回式典準備委員会では、
「御退位に伴う式典」の検討のあと、「御在位30年記念式典」
「文仁親王殿下が皇嗣となられることに伴う式典」について、急ぎ足で検討されたあと、
「大嘗祭」がテーマとなりました。

2つの資料が提出され、事務局が説明しました。
1つは「平成の御代替わりにおける大嘗祭の整理」で、
もうひとつは「平成の御代替わりに伴う儀式に関する最高裁判決」です。

 
まず、「平成の大嘗祭の整理」です。
即位礼・大嘗祭の挙行に関する「平成元年12月21日閣議口頭了解」と宮内庁資料で、
「下記のように整理」されているとして、前例踏襲の方針が宣言されているのと同時に、
この30年間における学問的な進展が顧慮されていない知的怠慢が読み取れます。

当メルマガの読者ならすでにご存じのように、
30年前、この大嘗祭の挙行こそ最大の問題でした。

石原信雄元内閣官房副長官は自著で「きわめて宗教色が強いので、
大嘗祭をそもそも行うか行わないかが大問題になりました」と回想しているほどです。

 
で、当時の政府がどう考えたのか、3点にまとめられています。

1点は「大嘗祭の意義」、
2点目は「儀式の位置づけおよび費用」、
3点目は「大嘗宮の儀及び大饗の儀」についてです。

 
要約すれば、大嘗祭は稲の祭りであり、伝統的皇位継承儀式としての性格を持つ。
したがって宗教儀式だから国事行為としての挙行は困難である。
しかし公的性格に鑑みて、費用を宮廷費から支出することが相当であると閣議で決定されたのです。

そして、国事行為たる「即位の礼」のあと、平成2年秋に1000名の参列者が予定され、
皇居内に大嘗宮が設営されることとなり、皇室行事として斎行されました。


▽2 新嘗祭と大嘗祭の神饌は米と粟

歴史的には中断した時代もありますが、古来、続いてきた皇位継承の中心的儀礼が
現代において滞りなく挙行されたことは、間違いなく大きな成果でした。

けれども誤った理解に基づいていることもまた事実であり、
30年後のいまになっての「前例踏襲」には異議を申し立てざるを得ません。

 
すでにご承知の通り、大嘗祭を稲の祭りとすることには大きな疑念があります。

誤解の主因は情報不足です。

天皇がみずからお務めになる宮中祭祀は、ローマ教皇の典礼とは異なり、
公開を前提としない秘事とされてきました。

 
室町期の才人・一条兼良による「代始和抄」は、
「大嘗会は、一代一度の大神事なり」とした上で、
もっとも中心的な大嘗宮の儀について、

「秘事口伝さまざまなれば、容易く書き載すること能はず。
主上の知しめす外は、時の関白、宮主などの外は、かつて知る人無し」と書いています。

 
しかし誤解に誤解を呼んでいる現状では、
事実を公開することがむしろ必要だろうと思います。

「秘事」とされてきたのは、
新帝が皇祖神ほか天神地祇と相対峙する神聖さの保持が目的であり、
その目的のためには逆に正確な事実が示されるべきではないでしょうか。

 
大嘗祭は、政府が理解しているような稲の祭りではありません。
稲の祭りならば、宗教儀式→憲法の政教分離原則に抵触→国の行事にはできない、
という論理が成立しますが、前提が違えば、当然、結論も変わります。

大嘗祭が稲の祭りとされる根拠は神前に新穀の稲が奉られるからでしょうが、
稲だけが供されるわけではありません。

天皇の祭祀は、宮中三殿では稲だけですが、
神嘉殿で行われる宮中新嘗祭、大嘗宮で行われる大嘗祭では、米と粟なのです。

これらのことは実際、祭祀に携わっている人たちには常識というべきことですが、
「秘事」ゆえに文献には現れません。

赤堀又次郎が「その詳らかなることは貞観儀式に超えたるものなく」
(『御即位及大嘗祭』大正4年)と解説する『貞観儀式』は、
大嘗宮の儀の神饌御親供について、

「亥の一刻(午後9時ごろ)、御膳(みけ)を供(たてまつ)り、
四刻(10時半ごろ)これを撤(さ)げよ」と書いているだけです。

 
明治42年の登極令附式も、
「次に神饌御親供。次に御拝礼御告文を奏す。次に御直会」とのみ規定し、
詳細な定めは省略されています。

このため祭儀に携わる掌典職の人たちは、実際の祭式や作法について、
先輩から口伝えに教わり、備忘録を独自に作成し、
「秘事」の継承に務めてきたのでした。

むろんこれらは公開されません。


▽3 なぜ米だけではないのか

けれども、こうした備忘録は古くからあり、
研究者たちによって広く知られるようになっています。

そのひとつが京都・鈴鹿家の「大嘗祭神饌供進仮名記」です。

「次、陪膳(はいぜん)、兩の手をもて、ひらて(枚手)一まいをとりて、
主上(新帝)にまいらす。主上、御笏を右の御ひさの下におかれて、
左の御手にとらせたまひて、右の御手にて御はんのうへの御はしをとりて、御はん、
いね、あわ(ママ)を三はしつゝ、ひらてにもらせたまひて、
左の御手にてはいせんに返し給ふ……」
        (宮地治邦「大嘗祭に於ける神饌に就いて」昭和33年)

 
毎年秋に行われる宮中新嘗祭も同様ですが、米と粟の新穀を神前に供せられ、
みずから御直会をなさるのです。

稲の祭りではありません。
稲による宗教儀礼ではないのです。

 
問題は米と粟による儀礼の意味です。
現代人にとって、天皇による米と粟の祭りがいかなる意味を持つのか、です。
なぜ米と粟なのか、なぜ米だけではないのか、粟とは何か、です。

新嘗祭、大嘗祭が天孫降臨神話に基づく稲の祭りならば、
賢所で皇祖天照大神に稲を捧げれば十分です。

米だけではなく、粟が捧げられるのは、皇祖神だけが祀られるのではないからです。
粟を神饌とする、稲作以前の神々が祭られるからではありませんか。

稲作以前の神々とは、畑作の神であり、縄文以来の神々なのでしょう。

天皇が「国中平らかに、安らけく」と祈るのは、
水田農耕民だけを想定しているのではなく、焼畑農耕民の存在を意識し、
前提としているはずです。

もっとも古い新嘗祭の記録は『常陸国風土記』で、
そこには「新粟新嘗」「新粟嘗」と記されています。
古代の日本には粟の新嘗祭がたしかにあったのです。

正月に米の餅を食べない「芋正月」が全国的に分布することも知られていますから、
日本人を一様に稲作民族と呼ぶことはできません。
日本列島には水田農耕民もいれば、焼畑農耕民もいたのです。

粟を主要作物とし、粟の神霊を神聖視し、
神々に粟の餅と酒を捧げて祈る焼畑民の平安をも天皇が祈るのなら、
国と民を統合するお役目の天皇には、米だけではなく、米と粟の神事こそが相応しいでしょう。


▽4 統合の儀礼は国の行事に相応しい

新嘗祭・大嘗祭は、天皇だけがなさる米と粟の儀礼であり、
国と民をひとつの統合する国民統合の儀礼です。

人々の信仰を平等に認め、国民の信教の自由を保証するものであり、
これを年ごとに、そして御代替わりごとに行うことは、
むしろ国の行事に相応しいといえませんか。

 
宗教の違いが世界的な対立を誘発、激化させる現代において、
天皇による米と粟の祭りの意義はますます大きく感じられます。

 
政府は大嘗祭=稲の祭りとする解釈を改めるべきでしょう。
宗教儀礼だから国の行事にできないという考えも改めるべきです。

 
1日に一粒の米さえ口にしない日本人さえいるらしい現代ですが、
だからこそ多様性のなかの統合を中心的に担ってきた天皇の祭祀について
再検討する必要がありませんか。

    (http://melma.com/backnumber_170937_6692634/

           <感謝合掌 平成30年6月8日 頓首再拝>

御代替わり諸行事を「国の行事」とするための「10の提案」 - 伝統

2018/06/12 (Tue) 17:22:07


     *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成30年6月10日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

御代替わり諸行事を「国の行事」とするための「10の提案」

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関係者各位

拝啓 皆々様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

さて、次の御代替わりまで、早くも一年足らずとなりました。

政府は「前例踏襲」を基本としており、
古来の儀礼が非伝統的、非宗教主義的に変更された
前回同様の不都合が繰り返されます。

次がそうなら、次のまた次も同様であり、
いまのままでは「伝統尊重」とは懸け離れた御代替わりのあり方が確定されます。

きわめて憂慮すべき事態であり、国民的な議論が大いに喚起されるべきですが、
残念なことに問題意識さえ十分に共有されていないのが現実です。

他方で、来年度予算の概算要求の時期が迫ってきました。
予算が確定すれば、もはや後戻りはできません。
今が最後の正念場です。皆々様のお力添えがどうしても必要です。

昨春の問題提起から1年あまりが過ぎました。
一縷の望みをかけて、ここにあらためて、関係各位に謹んで、
以下、「10の提案」を呼びかけさせていただきます。

斎藤吉久拝


             記

1、御代替わりの諸行事すべてを「国の行事」と位置づけてほしい

  「御国譲りは天下の重事」(一条兼良「代始和抄」)であり、
  御代替わりは全体として国家の大事、国事です。

  関連する儀式を「国の行事」と「皇室行事」とに二分する
  前回の方式は改められるべきです。

  前回は、皇位継承に関する践祚の式のうち、政教分離の趣旨に照らして、
  「国の行事」とすることが困難とされた賢所の儀、
  皇霊殿神殿に奉告の儀については「皇室行事」とされ、
  剣璽渡御の儀は剣璽等承継の儀と非宗教的に改称されました。

  しかし昭和34年、賢所大前で行われた皇太子明仁親王殿下(今上天皇)の
  結婚の儀は「国の儀式」(天皇の国事行為たる儀式)と閣議決定されています。
  平成5年の皇太子徳仁親王殿下の結婚の儀も同様です。

  皇太子の結婚の儀が「国の儀式」なのに、
  天皇の御代替わり儀礼の中心たる大嘗祭などが「国の行事」とされないのは
  矛盾です。

  関連する儀式をバラバラに分解し、法的位置づけを区別すること自体、
  皇室行事への不当な介入であり、「皇室の伝統尊重」に悖るのではありませんか。


2、「国の行事」であることの意味を深く探究してほしい

  御代替わりは国事であると同時に、皇室の重儀です。
  世俗権力の介入が許されない皇室の聖域であり、本来なら、
  そのあり方は政府が決めることではありません。

  明治の近代化以後、かつては皇位の継承について、
  皇室典範以下、宮務法に細かく規定されていましたが、
  戦後は宮務法の体系がすべて失われました。

  しかも憲法を「最高法規」とする現行の法体系には抽象的規定しかありません。
  70年間、具体的な法規定を未整備のまま放置してきた戦後の法体制の
  あり方にこそ、問題があります。

  政府は前回、御代替わりの中心行事である大嘗祭について、
  宗教行事だから「国事行為」としては行えないが、
  きわめて重要な皇位継承行事であり、公的性格があるから、
  その費用は宮廷費から支出することが相当であるとし、
  今回もこの考え方を踏襲しています。

  国事と「国事行為」とは別のはずですが、
  政府のいう「国の行事」とは、憲法に規定される、
  「内閣の助言と承認を必要」とする「国事行為」の意味で、
  その中身は国費が直接に投じられ、国家機関が参与する程度のことなのでしょうか。


3、歴史的概念、歴史用語を尊重し、使用してほしい

  政府が御代替わり儀礼について、
  「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重」を基本的考え方
  としていることは、十分、理解できるし、同意しますが、

  「伝統尊重」ならば、皇室伝統の考え方や用語が採用されるべきではないでしょうか。

  前回の御代替わりでは、「践祚」の概念が消え、
  平安時代の桓武天皇以来といわれる、皇位継承を意味する「践祚」と、
  それから日を隔てて、皇位継承を内外に表明される「即位」との区別が失われました。

  旧皇室典範と異なり、敗戦後の混乱期に制定された現行皇室典範には
  「践祚」の用語がありません。

  しかし、帝国議会で皇室典範改正が議論されたとき、
  政府は、改正案には「践祚」の文字は消えたが
  中身に変更はないという趣旨で答弁しています。

  「践祚後朝見の儀」と表現することに何か不都合でもあるのでしょうか。


4、祭祀最優先の皇室の伝統を尊重し、関連する祭祀に配慮してほしい

  古来、皇室は「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」
  (順徳天皇「禁秘抄」)という祭祀優先主義を固持してこられました。

  祭祀こそ天皇第一のお務めです。

  たとえば200年前の光格天皇から仁孝天皇への譲位では、
  作法に従い、譲位の日から3日間、内侍所で祭祀が斎行されたことが
  記録に残されています。

  昭和の御代替わりでは、登極令附式に基づき、
  践祚後3日間、賢所の儀が行われ、践祚後朝見の儀はその翌日に行われました。

  平成の御代替わりもほぼ同様でした。

  しかし今回は、即位(践祚)の当日に、剣璽等承継の儀に引き続いて、
  即位後朝見の儀が予定されています。

  それどころか、政府は御代替わりに関連する祭祀について
  まったく検討していません。

  皇室最大の伝統である祭祀の斎行が完全に無視され、
  結果として践祚の式の次第が変更を余儀なくされています。

  占領中でさえ、日本国憲法施行後、占領後期ともなれば、
  いわゆる神道指令の解釈・運用は限定主義に変更され、
  松平恆雄参議院議長の神道形式による参議院葬、
  貞明皇后の旧皇室喪儀令に準じた大喪儀が認められています。

  今回はなにゆえの占領前期への先祖返りでしょうか。
  少なくとも朝見の儀は3日間つづく賢所の儀のあとに行われるべきでしょう。

  皇室の儀式に干渉し、圧迫することは、
  政教分離の厳格主義の立場なら、なおのこと許されません。


5、退位(譲位)と即位(践祚)の儀式を分離しないでほしい

  政府は今回の御代替わりを「天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位」と、
  2つに区分していますが、本来、譲位即践祚であって、
  皇位継承の儀式は連続して行われるべきであり、
  譲位の儀式と践祚の儀式が分離して行われることなど、あり得ません。

  今回、宮内庁がまとめたリポートに、光格天皇の譲位の儀式が、仙
  洞御所(桜町殿)で行われたかのように説明されており、
  分離方式の論拠とされているもようですが、資料の誤読かと思われます。

  最古の儀式書「貞観儀式」(平安前期)には一連の儀式とされており、
  ほかならぬ宮内庁がまとめた「仁孝天皇実録」にははっきりと
  「清涼殿に於いて(光格天皇から)受禅あらせらる」と記録されています。

  光格天皇の遷御ののち、桜町殿で行われたのは宣命草案の作成でしょう。

  まさに「貞観儀式」に示されているように、
  古来、天皇の譲位の宣命によって、その瞬間に皇太子は新帝となり、
  そののち剣璽は渡御したのです。

  宣命の宣読と剣璽渡御の儀の分離挙行は、歴史に禍根を残すでしょう。

  来年5月1日に、退位(譲位)と即位(践祚)の式は
  一体的に挙行されるべきではないでしょうか。


6、高輪皇族邸の改修を急ぎ、遷御を復活させてほしい

  最古の儀式書である『貞観儀式』に記載された「譲国儀」は冒頭、
  「天皇、予め本宮(内裏)を去りたまふ。百官、従ひて、御在所に遷る」に始まり、
  (1)天皇遷御、(2)宣命草案の奉見、(3)天皇出御、(4)宣命再覧、
  (5)宣制、(6)群臣拝舞、(7)新帝拝舞、(8)剣璽・伝国璽等渡御、
  (9)新帝上表の9段階からなる次第が記されています
                      (土井郁麿「『譲国儀』の成立」)。

  光格天皇の譲位では、まず仙洞御所(桜町殿)への遷御が行われました。
  総勢700人以上からなる華麗な行列を、上下巻合わせて
  40メートル以上に及ぶ絵巻物に描いた「桜町殿行幸図」が伝えられ、
  国立公文書館のサイトで公開されています。

  今回、政府は「御退位の儀式の場所については、光格天皇の譲位時には、
  新たな上皇の御在所で行われた。今回は、上皇の御在所は未整備で、
  考え方案のとおり、宮殿松の間で行われることが望ましい」(山本宮内庁長官)
  と説明しています。

  光格天皇の譲位の儀が仙洞御所で行われたという歴史理解は間違いですが、
  譲位の意思を示される遷御は重要です。

  仙洞御所となる今の東宮御所の整備はともかく、
  仮住まいとされる高輪皇族邸の改修に1年もかかるでしょうか。


7、即位の礼は大嘗祭と一体的に挙行してほしい

  前回の即位の礼は皇室伝統の即位礼とは似て非なるものでした。

  明治の皇室典範、登極令では即位の礼と大嘗祭は不可分でした。
  登極令附式第2編は「即位礼及び大嘗祭の式」について、
  具体的かつ詳細な次第を定めていました。

  しかし現行の皇室典範は第24条に
  「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」という
  ごく簡単な規定があるだけです。

  このため前回は内閣に委員会が段階的に設置され、
  その中身が検討されたのですが、注目すべきことに、
  反対派と目される識者が皇室典範改正時の議論に言及し、
  誤った情報に基づく意見を述べたことが記録されています。

  「皇室典範制定に際して、金森徳次郎国務大臣が
  『即位の礼』の予定しているところは信仰に関係のない部分であり、
  大嘗祭は含まれない旨、答弁している」というのですが、
  議事録には逆に皇室行事の体系はいささかも変わらない
  との政府の認識が示されています。

  金森大臣は、改正案に大嘗祭の記述がないのは、
  信仰面を含むことから明文化は不適当と考えられたからだと述べています。

  つまり大嘗祭の挙行が不適当だと考えられたわけではありません。
  当時はいわゆる神道指令が絶対的効力を持つ占領前期でした。

  結局、政府は皇室典範24条を法的根拠に、
  「即位の礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」の3つを「即位の礼」とし、
  大嘗祭を含めず、
  逆にあろうことか、践祚の式の一部を含める前代未聞の決定を行いました。

  そして今回も「前例踏襲」により、即位の礼と大嘗祭は概念的に分離され、
  法的位置づけも区別されることになりました。

  太古以来の国風を伝える大嘗祭は「国の行事」とはされず、
  古代中国や朝鮮との交流の結果、即位の盛儀を内外に示すため導入された
  といわれる「唐制風」(関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』)の即位礼が
  「国の行事」とされているのは、望ましいことでしょうか。


8、大嘗祭は稲作儀礼ではなく、国民統合の儀礼と解釈を変更してほしい

  御代替わりでもっとも重要な大嘗祭について、
  政府は平成元年12月の閣議口頭了解を踏襲し、
  稲作社会の収穫儀礼と解釈しています。

  とすれば、稲作信仰=宗教儀礼=政教分離に抵触=国の行事に相応しくない、
  という論理が成り立ち得ます。

  けれども大嘗祭は稲の祭りではありません。
  宮中新嘗祭と同様、稲だけでなく、米と粟が捧げられ、
  御直会なさるのが大嘗祭の中心儀礼だからです。粟が抜けています。

  台湾の先住民は粟を神聖視し、粟の餅と粟の酒を神々に捧げました。
  台湾では粟の酒がふつうに売られています。

  日本では新嘗祭の文献上の初出は『常陸国風土記』で、
  そこに描かれているのは、米の新嘗ではなく、粟の新嘗です。

  天皇による粟の供饌は、
  稲作以前の畑作農耕民の儀礼を今に伝える残照でしょうか。

  宮中新嘗祭・大嘗祭は、異なる宗教的ルーツを持つ、
  稲作民の米と畑作民の粟を同時に捧げる、
  天皇だけが行う国民統合の儀礼と解されるべきではないでしょうか。

  多様なる民の存在を前提とし、多様なる暮らしや価値観を同等に認め、
  「国中平らかに、安らけく」(「後鳥羽院宸記」)と祈る国民統合の儀礼を、
  天皇が御代替わりごとに斎行することは、
  むしろ「国の行事」に相応しいのではありませんか。

  教義もなく、布教の概念もなく、特定の教団があるわけでもない天皇の祭祀が、
  国民の信教の自由を侵しかねないと曲解し、「国の行事」とされないのは愚かです。

  ただ、近代以後、巨大化した大嘗宮の規模は再考されるべきでしょう。
  本来、「秘事」(卜部兼豊)とされる大嘗祭の参列者の数も
  制限されるべきではないでしょうか。


9、改元は来秋の即位の礼当日か、思い切って再来年元日にしてはどうか

  明治人は宮中の祭儀を近代法的に整備するに当たって、
  旧例墨守を批判し、「ひとえに実際に就くを旨」(『明治天皇紀』)としました。

  以前は各忌日に斎行された皇霊祭祀が春秋の皇霊祭にまとめられたのは、
  現実主義的対応の典型です。

  30年前とは比較にならないほど、ICT(情報通信技術)の利活用が
  広範囲に展開され、コンピュータが必須アイテムとなった今日、
  政府が予定するように、即位(践祚)1か月前の新元号公表で、
  システム切り替えに伴うトラブルの発生は回避できるでしょうか。

  旧登極令(明治42年)は「天皇践祚ののちは直ちに元号を改む」(第2条)
  と定めており、昭和の改元は践祚の当日でしたが、前回は翌日改元でした。
  元号法(昭和54年)には「直ちに」とはありません。

  登極令を準用したいのなら、すでに書いたように、
  ほかにもっと望まれる場があるでしょう。

  市民生活を重視したいなら、より現実的、合理的な対応が望まれます。
  ちなみに200年前の仁孝天皇の践祚による改元は1年以上ものちのことでした。


10、参加、参列を強制しないでほしい

  天皇の祭祀は仏教伝来以前から、価値多元主義的社会の中心であり、
  宗教的共存の要として機能してきました。

  しかしそれでも、とくに唯一神の信仰者にとっては、
  熱心な信仰者であればあるほど、御代替わりの異教的儀礼に
  公務員として参加し、国民の代表として参列することを耐えがたい
  と感じるかも知れません。

  バチカンは、たとえ異教儀礼に由来するとしても、
  時代の経過によって社会的儀礼へと性格を変えた行事に参加することは、
  信徒の務めだと教えています(1936年の指針、51年の指針)が、
  教会指導者のなかにさえ強い抵抗を感じる人がいます。

  少数者の内心の自由を十二分に確保するため、
  強制の排除が確認されるべきでしょう。


  以上が私からの提案です。皆々様のご意見をお聞かせください。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6694736/#calendar

           <感謝合掌 平成30年6月12日 頓首再拝>

Re: 天皇陛下の譲位 - dnlmebzcwMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:51:56

伝統板・第二
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